教化学研究3 現代宗教研究第46号別冊 2012年03月 発行
社会が求める仏教について ─サンフランシスコ禅センターを視察して─
社会が求める仏教について ─サンフランシスコ禅センターを視察して─
○はじめに
昨年に引き続き「教化学」について述べれば、「教化学」とは仏教を哲学することではなく、仏教を社会化するこ
とです。その社会化のためには、その分母である社会がどういう形をしているか考察する必要があります。まず現状
把握が必須だからです。戦前の日本社会は、戦時下の国家統制と家父長制度のもと、人々の生き方は大家族の中と限
定されていました。人々が投げ続けてきた自由・平等・人権のボールは、国家や大家族という大きな塀に悉く遮られ
てきました。
しかし、現代日本は戦後の新憲法をもとに、基本的人権、個人の自由が保障されたために、個人の生き方は個人の
責任のもとに職業も、宗教も自由に選択できるようになりました。まさに私たち現代人は多様化の道を歩んでいます。
そして、この個人の多様化は社会そのものの多様化を生み出し、社会の全てが個人のニーズ、個人の求めに応ずるよ
うに機能しています。このような個人の多様性を反映する多様化社会では、人々は大きな物語を共有できないために、
共に趣味のあった小さな集団、小さなコロニーを求めます。その多様化した個々人を繋いでいるのがインターネット
であり、情報化社会が個人の多様化に拍車をかけています。
「教化学研究3」2012. 3 114
ところで、戦後の日本社会はこの多様化によって、大家族によって維持されていた伝統仏教の檀家制度が崩壊し、
雨後の竹の子のように個々人との繋がりを求める新興宗教が勃興しました。しかし、戦後六〇年余りを経過した現在、
人口バランスが激変して少子高齢化社会に突入した瞬間、個人の多様化によって躍進してきた新興宗教、特に新宗連
最右翼の立正立正佼成会ですら会員が半減することを視野に入れた教団運営を強いられています。平成二二年からは
法典部が設けられ、檀那寺を持たない信徒の葬儀を執行するなど新興教団の伝統教団化が図られています。更に公称
一〇〇〇万会員を誇る創価学会に至っては、国内布教をあきらめ国際創価学会(SGI)を基軸に海外布教に力を入
れています。いよいよ大きな物語を共有できなくなった社会が浮き彫りになっています。
そこで今回はこのような個人の多様化が進んだアメリカ社会で、アメリカ仏教として組織を維持し運営しているサ
ンフラシスコ禅センターの視察を通じて、檀信徒のいない社会で受け入れられている仏教のあり方を報告し、若干の
考察を加えたいと思います。
1
アメリカの仏教について
先に述べたように、戦後の日本人の生活は大家族から個人を基調にする社会構造へと激変し、個人の多様性を抜き
にしては考えられなくなりました。それと共に私たちの宗教的な感性まで様変わりしてしまいました。そして、この
様変わりした社会を眺めて、日本仏教の世俗化や現代社会の脱宗教化を嘆く僧侶は多いが、そのご本人自身も僧侶の
なり立ちが様変わりしていることに気づいていないというのがその実態です。そのために、なぜ仏教の社会化ができ
ないか、本化の大法を広宣流布させることが出来ないという理由が、いま一つ私たちには理解できないのです。
ここで宗教社会学の知見を借用して、その理由を整理しておきましょう。まず宗教には「救いの機能と統合性機
能」の二つの機能があるといいます。救いの機能とはもちろん個人の宗教的救済であり、統合性機能とはその宗教的
115 社会が求める仏教について(影山)
救済によって獲得した宗教の社会的な信用度のことです。いままで伝統的な仏教教団は、この信用度によって社会的
の存続してこれたのです。日蓮聖人が偉大だったので、私たち小善の僧侶も丁重に扱われてきたと言うことです。
ところが、先のように戦後の社会構造の変化によって個人と社会の多様化が進んだために、それまで伝統教団を支
えてきた日本社会の統合性も崩壊し、昨今は偉大なはずの日蓮聖人もさほど有り難く感じられていないのが実情です。
ですから、一介の寺院住職などの扱いは推して知るべしです。このように宗教的な統合性を失った日本社会の実際は、
新興教団の信徒数約六〇〇〇万人に比して、伝統教団の信徒数約四五〇〇万人(『宗教年鑑』平成十七年)と、その
宗教勢力の分布図が如実に物語っています。そして、個人の多様性が進みすぎた現在、先のように新宗連最右翼の立
正佼成会、創価学会も現状維持すらままならなくなっています。
これらの事実をひるがえせば、私たち僧侶を含めた現代人は宗教を補償する救いの機能と統合性の機能という二つ
を共に失っていることを認めざるを得ないのです。現代社会は日蓮聖人や偉大な祖師方の救いの歴史によって培われ
た統合性の機能を失っているために、すでに「信仰は大切なものである」という暗黙の了解を基にした布教教化は通
用しないのです。本化の大法が広宣流布しない理由はここにあるのです。そして、ここから見える一つの解決策は
「救いの機能と統合性機能」の二つの機能のうち「救いの機能」、救いの文化を前面に打ち出すことです。各宗派の祖
師方もこの救いの文化によって、社会的な統合性の機能を培ってきたからです。
ここでアメリカ仏教を眺めますと、アメリカ仏教の信徒はじめ仏教に影響を受けている愛好者たちは、日本仏教の
ように各宗派の教義や依経文解釈をさほど重く受けとらずに、どの様な仏教の実践をしていますか、座禅ですか、読
経ですか、唱題ですか、念仏ですかと、その実践面を重んじます。曰く、ZEN Meditation(禅瞑想)、Tibetan Buddhism
S.tra Chanting(チベット仏教の読経)、Lotus S.tra Chanting(法華経の唱題)といった具合に、思想信条
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よりも信行(practice)が重要視されます。そして、そういう仏教のあり方が、これから世界の主流になるだろうと
思われる事実があります。それは仏教の各宗派が世界で最も多く集まっている都市がどこかと言えば、日本の京都や
タイのバンコクと思いきや、なんとアメリカ第二の都市のロサンゼルスです。ロサンゼルスには東南アジア、チベッ
ト、中国、ベトナム、韓国、台湾、そして日本から伝わった八〇を超える宗派が集まり共存していると言います。
アメリカ社会はキリスト教右派の保守政党が政権を左右するほど熱心なキリスト教信仰の社会ですが、仏教は一九
六〇年代頃から急速な伸びを示し一九九〇年代には「アメリカ仏教」として受け入れられるようになりました。現在
のアメリカには三〇〇万人(アメリカ人口の一%)を超える仏教徒がいると言います。
さらに仏教の同調者(sympathizers)に目を向けると、この同調者は仏教には同調するが仏教徒という自己認識
をもたないメンバーを数えると二五〇万人に及ぶと言います。この同調者はユーモラスに「ナイトスタンド・ブッデ
ィスト」(nightstand Buddhists)と呼ばれ、彼らの多くは高学歴で仏教書をよく読み、たまには近くの大学で仏教
講演を聴き、仏教的美術工芸品を持っている場合が多い。そして、夜になるとメディテーションの本を読み、その本
をナイトスタンドの脇に置いて就寝し、翌朝には前の晩に読んだ通りにメディテーションすると言います。
また「仏教に影響されている人びと」(those infl uenced by Buddhism)として、仏教という言葉のイメージが寛
容(tolerant)や、平和的(peace-loving)などの肯定的なイメージを抱いているアメリカ人は二五〇〇万人に及び、
彼らがアメリカ仏教の発展へと大きく貢献していると言いいます。ここでアメリカ仏教の歴史を論ずる余白はないの
で現代アメリカでアメリカ仏教として組織を維持しているサンフランシスコ禅センターがどの様に広まったのか、そ
の動向に目を向けましょう。
ところで、この写真が誰であるか、ご存じの方も多いと思います。まさに二〇一一年一〇月五日に五六才の若さで
逝去したスティーブ・ジョブス氏です。彼はiMac やiPo d、iPhoone 、iPa dを生み出したアップル
117 社会が求める仏教について(影山)
社の前最高経営責任者でした。彼は二〇〇五年六月一二日に卒業生へのは
なむけに次のようなスピーチをしました。
「自分が間もなく死ぬのを覚えておくことは、人生の重大な決断を助け
てくれる最も重要な道具だ。なぜなら他人からの期待やあらゆる種類のプ
ライド、恥や失敗に恐れるなどは死を前にして消え、真に重要なことだけ
が残るからだ。」
このスピーチを読まれてお気づきの方もあると思いますが、実は彼は仏
教の同調者(sympathizers)であり、カリフォルニア州ロスアルトスで
曹洞宗慈光寺を開創した知野弘文老師に師事しています。老師が一九六〇
年代半ばに渡米し、サンタクルズ禅センターで仏教講演をした際にジョブ
ズと出会い、その後参禅を続けていたと言います。(週刊新潮、平成二三年一〇月二〇日号)
このように現代のアメリカ仏教の周辺を眺めると、日本の現代仏教が何を学ばなければならないかが見えてきます。
これから二〇一一年三月八日から一一日にかけて、サンフランシスコ禅センターを視察した事柄を踏まえて、「社会
が求める仏教について」論じたいと思います。
2
サンフランシスコ禅センターと鈴木俊隆老師について
はじめに「サンフランシスコ禅センター」に興味を懐いた理由を述べておきましょう。日本の現代仏教の寺院運営
は、葬儀法要のお布施か、観光客の拝観料か、その収入源は限られていますが、禅センターは、お布施などの収入を
当てにした運営をしていなかったからです。昨年も指摘しましたが、現在は葬儀法要は少子高齢化社会とリーマン・
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ショック以後の世界的経済不況のために、全国的には寺院環境
をめぐる施収入等は減少しているのが実情です。しかし、アメ
リカ仏教は戦前に移民した日系人社会を除けば、そこには檀信
徒は存在しないにもかかわらず、組織が維持され更に拡大して
いるという事実があります。どの様にその組織が形作られ運営
されているのか、そこに大きく興味を持ったのです。
ところで、海外布教で禅仏教と言えば、何と言ってもフラン
スで流行った弟子丸禅が思い浮かびます。一九六〇年代後半に
曹洞宗僧侶であった弟子丸泰仙師(写真)は、なかば日本から
脱出する形でフランスへと、後年「乞食坊さんがフランスへ渡った」と言わています。そして、パリの地下鉄のホー
ムなどで人が多く通るところのドラム缶の上で、法衣を着て座禅を組んでいました。そこで「変わった東洋人がい
る」ということで、そこから彼は禅仏教を布教し始めて、パリ郊外に大きなお城を買い取って禅堂を作りました。そ
して自分が禅を教えて、三十人も四十人も弟子を作って禅僧を養成しました。ところが禅宗は、「師家」といって修
行僧を養成できる立場の僧侶以外は、禅僧の印可を与えることが出来ません。日本から逃げるようにフランスに渡っ
た弟子丸氏は、師家の分際ではありませんでした。
ところが、それだけの禅僧を養成し、組織作りをして日本へと受け入れてもらえるように帰ってきたために、曹洞
宗はその時代はその弟子丸師を受け入れたのです。永平寺の山田霊林貫主によって、ヨーロッパ開教総監に任じられ、
一九七〇年欧州にアソシエーション・ゼン・インターナショナル(Association Zen Internationa)を設立して立場
が出来たのです。その後、彼はヨーロッパ各国に泰西仏教第一道場(一九八〇年)など多くの道場を建て、また多く
119 社会が求める仏教について(影山)
の著書を執筆して一九八二年に六九才遷化します。
丁度、この弟子丸師がフランスへと渡り開教した頃、曹洞宗林叟院
(静岡県焼津市)住職の鈴木俊隆師(写真、五五才)は、一九五九年に
アメリカに渡り、 サンフランシスコ の曹洞宗桑港寺の住職となります。
桑港寺は日系人向けの宗教活動と言いますから、檀家さん、アメリカで
はメンバーと呼ばれますが、このメンバーは日本の感覚とは大きく異な
り、檀家さんが住職を週給幾らの金銭で雇用する感覚で葬儀法要を依頼
されていたのです。俊隆師はそういう意味では宗門や檀家さんとは一線
を引いて、日系人に限らず全てのアメリカ人対象に禅を広めようとして、
一九六一年にサンフランシスコ市内にサンフランシスコ禅センターを設
立します。一九六七年には、カルメル渓谷近くの山中のタサハラに禅マウンテンセンター(禅心寺)を設立します。
更に一九六九年サンフランシスコ禅センターは桑港寺より、発心寺として独立します。一九七二年にグリーン・ガル
チ・ファーム(蒼龍寺)が設立されます。
桑港寺に赴任したとき、檀家さん方は住職の俊隆師に座禅を教えてくれと言わなかった。しかし、一九六〇年代で
すがサンフランシスコはヒッピー文化花盛りの頃でしたから、青い目の大学生や文化人が座禅を求めて禅寺に通い続
けました。そこで多くのお弟子さんを養成したのです。とくに公案を用いない只管打坐の曹洞禅のアメリカ への普
及に貢献したのです。俊隆師は一九七一年一二月に六七才で癌で遷化しますが、その二週間前に法嗣(後継者)にリ
チャード・ベーカーを任命しました。弟子にはTenshin Reb Anderson、Zentatsu Richard Baker、Edward Espe
Brown、David Chadwick、Jakusho Kwong、Sojun Mel Weitsman等の名前が英語版「ウィッキペディア」に掲載
「教化学研究3」2012. 3 120
されています。
このような経緯でサンフランシスコ禅センター及び関連施設が出来上がってきましたが、俊隆師がアメリカ仏教界
へ与えた影響は大きく、一九九八年五月にはスタンフォード大学で「鈴木俊隆学会」も開催されてるほどです。著書
としては『禅へのいざない』(Zen Mind, Beginner’s Mind)は四五カ国語に翻訳されています。
そして、このサンフランシスコ禅センター(発心寺)は、俊隆師の後継者リチャード・ベーカー師は俊隆師から相
伝された座禅の作法が、伝統的な作法とは異なって若干アメリカ流に改正されているということを理由に、日本曹洞
宗に帰属せずアメリカ仏教として独立した運営を志します。現在はサンフランシスコ禅センターの運営上の問題で曹
洞宗と近い関係を保っていますが、日本曹洞宗寺院とは異なった形で組織を作りして、檀家制度によらない寺院運営
を行っています。
3
主な三つの施設について
施設にはサンフランシスコ禅センター(発心寺・City Center)、グリーン・ガルチ・ファーム(蒼龍寺・Green
Gulch Farm)、タサハラ禅マウンテンセンター(禅心寺・Tassajara Zen Mountain Center)、更に一つグリーンズ・
レストラン(Greens Restaurnt)を運営しています。
(1)
サンフランシスコ禅センター(発心寺・City Center)
300 Page Street
San Francisco CA 94102 U.S.A. 1-415-863-3136
これはシティー・センター(写真)で、サンフランシスコの市電が走るメイン通りから一本入った閑静な住宅街に、
以前はユダヤ人婦女子の宿泊施設だったヴィクトリア朝風のレンガ造りの建物、地上四階地下一階のビルを改修して、
121 社会が求める仏教について(影山)
一階が禅堂、二階は書籍出版部、その奥には精進料理などをベースしたベジタリ
アン・レストラン(現在は宿泊者の食堂となっている)、三、四階は座禅をする
方々の宿泊施設(宿泊料金は一ヶ月食事付で九〇〇ドル)として運営しています。
長期や短期の宿泊者を迎えた参禅会、またサンフランシスコ市街という環境を
生かした、朝の参禅会や朝粥といった修養会を毎週末に開催し、更には市民に向
けた定期的な研修会「禅と健康」など、健康や医療、平和と環境問題に関するテ
ーマで開催しています。
(2)
グリーン・ガルチ・ファーム(蒼龍
寺・Green Gulch Farm)
1601 Shoreline Highway Muir Beach,
CA 94965 1-415-383-3134
もう一つはファーム・センター、サンフランシスコ郊外に禅堂(写真)と農
場をつくり、青い目の禅僧たちが作務として農業をしています。ここにはとて
も広い農場があり、やはり宿泊して座禅をする方々をボランティアとして巻き
込んで農作業が行われています。いろいろな野菜が栽培されるばかりか、ここ
で焼かれるパンは絶品でグリーン・ガルチ・ファームの野菜とパンはマリン・
カウンティのファーマーズ・マーケットでは人気になっているほどです。それ
ばかりではなく、無農薬の野菜は禅センターが運営するグリーンズ・レストラ
「教化学研究3」2012. 3 122
ンなどで消費されています。
また事務所、食堂、図書室、会議
室が入っている建物(写真)では、
平日は僧侶や参加者の修行や研修が
行われているばかりか、日曜日には
一般解放のプログラムがあります。
午前八時からは座禅、一〇時から法
話、一二時から食堂でランチ。月一
回、子供の為(幼児から小学生くら
いまで)のプログラムも用意されて
います。訪問してその運営の様子を
伺ったところ、責任者であるアンダ
ーソン全機師(写真、左全機師、右筆者)は、三つの施設の中でこのファーム・センターが赤字を抱えていますと、
「農場の運営が大変なんです」と語ってくれたのが印象的でした。
(3)
タサハラ禅マウンテンセンター(禅心寺・Tassajara Zen Mountain Center)
General Information 1-415-865-1895
更にもう一つはカリフォルニア山中、サンフランシスコ市内から車で約五時間のカルメル渓谷近くの温泉場に、禅
堂と大きな会議場、宿泊施設、また温泉場でスパなどの癒しの環境作りして、アーユルヴェーダ医学やヨーガセラピ
123 社会が求める仏教について(影山)
ーなどの施設を中心に、環境問題や、平和問題の発信地として機能させています。
地理的にはサンフランシスコの南南東一五〇㌔、モントレーの南東五〇㌔で途中は未舗装の道路が二五㌔ほど続く
山道を行きます。通常、一般の方を招いているのは、四月から九月末までの六ヶ月間、一〇月から翌年三月までは、
参禅目的の修行者だけを受け入れていて、禅センターの修行期間と言ったところのようです。この期間に僧堂が実質
的に開設され、禅僧を養成しているのです。
一般に開放するにしても、参禅期間にしても、山中に人が集まれば当然宿泊施設が必要となります。シティー・セ
ンターもそうですが、宿泊施設は単に安く泊まれる簡易宿泊所でチープなものではなく、アメリカ人にとっては日本
「教化学研究3」2012. 3 124
の仏教文化が魅力的なのですから、日本的な様式を用いて豪華ではないものの世
間並以上の宿泊料金が頂けるように工夫しているのが分かります。
それは食事も同様で、精進料理はべジタリアンに好まれるような、徹底した玄
米正食、マクロビオティックを現代風にアレンジしたニュー・マクロビオティック(ニュー・マクロは現在日本へと
逆輸入されている)の食事を提供しています。温泉場のスパでは仏教医学のアーユル・ヴェーダによる癒しや、それ
に加えて禅堂でのヨーガ・セラピーなど、信仰と健康という社会的ニーズに応えるように考えられています。また会
議場も設置されており、ファーム・センターの会議室とは異なり、平和や環境問題、健康や医療といった仏教文化に
似合った発信地として利用されています。これがそのタサハラのパンフレットです。更に最近では禅堂を兼ねたヨー
ガ・センターまでが設けられています。
125 社会が求める仏教について(影山)
(4)
ベジタリアンのためのグリーンズ・レストラン(Greens Restaurnt)とは
グリーンズ・レストランの入り口です。サンフランシスコのベイブリッチが望めるヨット・ハーバーに隣接するこ
のレストランは、仏教文化や禅文化を強調することなく、ニュー・マクロの食文化をベジタリアンに提供する形で運
営されています。
このベジレストランのシェフは尼僧のアニーさん等が中心になって、ニュー・マクロといっても、道元禅師の『典
てん
座ぞ
教
きょう
訓
くん
』、『赴
ふ
粥
しゅく
飯
はん
法
ぽう
』をベースに禅の食文化の伝統を現代風にアレンジしています。単なるベジタブルではなく、
精進料理としてのベジタリアン料理は「五
ご
辛
しん
」といって、日蓮宗の荒行堂などでも禁止する「ネギ・ニラ・ニンニ
ク・玉葱・らっきょう」などの
匂いの強い野菜類は使用してい
ません。
レストラン内は一般の方々の
期待に応えられるよう仏教文化
をベースに改装されていますが、
テーブルの上のベジタブル料理
を見ない限り、ここが禅の食文
化を提供する店だと言うことに
気づくことはないでしょう。シ
ェフが尼僧なら、従業員の面々
はみな禅瞑想の愛好者ばかりで、
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ひいき目かも知れませんが、接客の態度には茶道や華道などの雰囲気すら感じるほ
どでした。
ランチ・タイムの店内はとても明るく、どのテーブルからもヨット・ハーバーに
浮かぶ船やベイブリッチを一望でき、細かい気配りを感じました。二人でランチを
いただいて三〇ドルほどですから、昼食としては高額ですが、お昼時には空いたテ
ーブルがないほど、繁盛していました。それなりの客層を掴んでいることが分かり
ました。このレストラン営業の利益でファーム・センターの苦しい懐を賄っている
とのことでした。
5
禅センターの視察から見えるもの
鈴木俊隆師の伝えた禅仏教は、アメリカ仏教としてしっかりと歩いています。日
本のように檀家制度に寄りかからずに、お葬式や法事という施収入を頼らずに、サ
ンフランシスコ禅センター(発心寺・City Center)を中心に、グリーン・ガルチ・ファーム(蒼龍寺・Green Gulch
Farm)、タサハラ禅マウンテンセンター(禅心寺・Tassajara Zen Mountain Center)、更には以前はシティー・セン
ターの二階に宿泊者等の精進料理の食堂として出発したグリーンズ・レストラン(Greens Restaurnt)までも巻き込
んで運営資金を捻出しています。
青い眼の禅僧等や禅瞑想の愛好者等が、早朝の参禅をすませた後、宿泊施設の運営、出版事業などの運営、図書館、
会議場などの運営、農場の農作業など、全てを仏道修行の作務として営んでいるのです。そうやって檀家・メンバー
の葬儀法要による施収入に寄りかからず、きちんと社会化する事業を展開しているのです。
127 社会が求める仏教について(影山)
ことろで、私は一般社団法人日本ヨーガ療法学会が認定する認定ヨーガ療法士で、心理療法の一つとしてのヨーガ
療法士として医療現場に関わっています。サンフランシスコ禅センターが禅文化を社会化するために、アメリカでは
医療として認められているアーユルヴェーダ医学やヨーガ・セラピーの施設を運営しながら、禅文化の布教教化に努
めている意義がよく分かります。この数年、私は「健康法にもならない仏教では、布教教化もできない」というお話
しをしていますが、まさにサンフランシスコ禅センターを視察して気づくことは、社会全体が、アメリカばかりでは
なく日本社会でも「健康」という切り口を求めていることです。宗教的な理念や仏教哲学ではなく、具体的な行いに
よって健康的に生きるという技術が求められているように思います。
この切り口で日本の宗教界を眺めると、日本カトリック布教区がヨーガ療法を取り入れて、すでに日本国内で布教
している事実に出会います。日本霊性センター(Japan Spiritual Center)と称して、インターネットで検索すれば、
すぐに分かりまが、厚生労働省が肩入れしている日本統合医療学会という学会が後押ししているヨーガ療法を取り入
れています。こういう心理療法を取り入れて、日本カトリックは布教の一貫として病気を治すためのヨーガと瞑想を
教えています。そこで聖書を読み讃美歌を歌っているのです。そこでは医学的に効果が認められているヨーガ療法の
技術を布教につなげているのです。
ここで大切なことは、どういう形態の仏教がアメリカ・ヨーロッパで流行ったかと言うことです。その流行の背景
にある事実は、仏教の教義や哲学、そういう観念的なことを主張したのではないと言うことです。そもそも現代のキ
リスト教文化圏では「宗教エゴ」が嫌われています。自分のところの宗教が一番偉い、そういう偉いという教義性は
特に宗教エゴと思われてしまうのです。ローマカトリックの総本山バチカンでは、今から二〇年ほど前にパウロ二世
が宗教間対話を打ち出したことも、聖書を中心とした教義の優位性を強調することが宗教エゴと思われてきたからに
他なりません。そのためスピリチュアルなもの、体験的なことを重要視して霊性センターをつくって、禅や瞑想やヨ
「教化学研究3」2012. 3 128
ーガまでも取り入れて布教を始めたのです。
初めに1の「アメリカ仏教について」の中で「私たち
僧侶も宗教を補償する救いの機能と統合性の機能という
二つを共に失っていることを認めざるを得ない」と言い
ましたが、それはキリスト教文化圏も同じ状態です。そ
れに気づいたカトリック教会は世界に霊性センターを設
立して禅や瞑想やヨーガまで取り入れたのです。一時は
日本の禅宗とコラボレーションしていましたが、現在は
心理療法の技術としてのヨーガ療法が中心になっていま
す。
これでお気づきのように、宗教の「救いの機能と統合
性機能」の二つの機能が失われたとき、宗教の「救いの
機能」、救いの文化を前面に打ち出すことが求められて
いると言うことです。大事なことは仏教教義の優位性を
追求することよりも、読誦・唱題という信行生活をどう
実践をして行くか、つまるところ「お題目を唱えている
私たちが何を実践しているか」と言うこと、どの様な仏
教文化を実行しているかが問われているのです。これが
仏教を社会化することで、仏教文化を生活面で伝えて行
129 社会が求める仏教について(影山)
く作業だと言うことです。
これは実際にアメリカ仏教で体験したことですが、あなたはどういう実践をしていますか?、どういうプラクティ
ス(信行)をしているか?、たとえば、私は禅瞑想とヨーガ瞑想とか、またチベット仏教のチャンティング(読経)
とか、そういう風に実践している技術が仏教だというのです。そうやって仏教教義の優劣だとか、仏教の宗派性を超
えたところ、宗教エゴを超えたところで、仏教の開祖であるゴータマ・ブッタの仏教へと繋がろうとしているのです。
ここに仏教の社会化の鍵があるように思います。