現代宗教研究第43号 2009年03月 発行
法華経はいかにして行じられてきたか─成仏論検討の為の覚え書き─
研究ノート
法華経はいかにして行じられてきたか
─成仏論検討の為の覚え書き─
大 乘 文 晴
一、はじめに
宗教の目的は何であろうか。
一般には幸福の追求ではないだろうか。何の為に祈るのか。殆どの人々は、宗教実践の結果として幸福を求める。或いは不幸からの脱却を宗教に求めている。救いであるとか、癒しであるとか、何れにせよ現世安穏を求めていることには違いがない。
この社会の要請に対する我が宗門の答えは、日蓮宗宗憲を照らして見ると「日蓮宗の目的」として次のように謳っている。
日蓮宗は、本門の本尊を帰依の正境とし、本門の題目を信行の要法とし、本門の戒壇を依止の戒法とする三大秘法を宗旨として、法華経を行じ且つあらゆる思想を開顕して妙法に帰せしめ、もって即身成仏、仏国土顕現を理想とする。(日蓮宗第二条・宗旨)
つまり法華経を行じて「即身成仏」「仏国土顕現」が理想だ、と確と謳っているのだ。
「即身成仏」を論じる上で問題となるのは、そもそも成仏とはどういう状態のことなのか、という定義である。一応、教学上では三十二相八十種好を具すことが仏たりえる証拠となるが、この凡夫の肉体(分段身)を捨てずに相好を具す(変易身を得る)ことは、実は伝統的教学でも出来ないという「約束」である。即ち、「即身成仏」という用語は、そもそも二律背反な、あるいはクリティカルな矛盾をはらむ概念なのである。そして実は、極めて乱暴な言い方ではあるが、日本の仏教学史はこの矛盾をどうやって解決するか、という議論の歴史でもあった。
先ず即身成仏など(或いは成仏そのものが)あり得ない、という立場があり、教学的に解決しようとするもの、神秘力をもって解決しようとするもの、心の成仏を論ずるもの、凡夫の成仏を諦めて、他の浄土に生まれることにより仏の功徳に与り救われようとするものなど、極めて多面的な議論が行われてきた。そしてそれらの議論の上に、吾祖の成仏論も成り立っている、ということである。
先に示した如く、我が宗門でもその目的を「即身成仏」と掲げるのであって、この問題を取り上げることは意義無しとしまい。そこで「法華経を行じて即身成仏する」という命題に挑もうと思う。
なお、本稿は、中間報告的な覚え書きであって、南岳慧思から天台大師智顗の法華三昧を概観する。その後、天台の即身成仏論との関連、最澄の即身成仏論そのものや、その後の展開については別稿に譲る。よって、註など具備したものではないことを予め申し添えておく。
二、法華三昧の展開
「法華経を行じる」とは、一体どういうことなのであろうか。
我が宗門の実践門が、事行の唱題に収斂することは言うまでもないことであり、この点は改めて論じるべきものを持たない。法華経そのものに説かれる行法としては、五種法師、安楽行などが挙げられよう。そしてそれらを止揚する形で事行の唱題に収斂されているのが、我が宗の行法の肝要であろう。ひとまず、その辺りの議論はさて置くが、吾祖に到る以前にも、当然それに先行する種々の行法があったことはいうまでもない。
「法華経を行じる」ことと「即身成仏する」こと、ここから当然我々は「妙法経力。即身成仏。」という成句を想起しよう。これは伝教大師最澄の最晩年の著作『法華秀句』(弘仁二年・八二一年)の「即身成仏化導勝八」がその典拠であり、吾祖も『女人成仏鈔』『聖愚問答鈔』『法華題目鈔』『妙法尼御前御返事』『千日尼御前御返事』『妙一女御返事』『三種教相』などに引く。更に宗祖は『秀句十勝鈔』を著し、本書には格段の注意を払っている。
筆者は曾て、即身成仏論について、天台と最澄を中心に検討したことがある。最澄は、当時の僧綱への対抗上、歴劫修行に対する大直道判を提示する。つまり、長い間かけないと成仏できないのは、その教えが遠回りの方便説だからであって、真実であれば直道(近道)を通るが如く、すぐに成道できるはずだ、という主張であり、最晩年の『法華秀句』に到って法華経こそ「即身成仏」を説く真実の教である、という議論を展開する。そしてその後の日本天台においては種々の即身成仏論が展開されることになる。当然それらは天台の教学でいかに消釈するか、という命題に沿ったものである。殊に最澄説の特徴は、天台は『法華文句』堤婆達多品釈において龍女成仏を即身成仏と呼びそれを典型としたが、それを法華三昧による速疾成道を旨とする行法、その説示によって解釈したもの、結びつけた点にあると言えよう。
ともあれ、「法華経は即身成仏を説く(それ故諸経に勝る)」(または「天台法華宗は即身成仏を説く(それ故他宗に勝る)」)という即身成仏論による教判は、最澄によって明確化したと言えるのである。
さて近年、我が宗では、一部で『法華懺法』への関心が高まっている。『法華懺法』とは、『日蓮宗事典』によれば、
法華三味行法を中心とした自恣会(じしえ)のこと。天台が摩訶止観の中で説示した四種三味の中の第三、半行半坐三味で法華三味行法を明らかにしたが、その法華三味行法の中で中心肝要な部分を抽出し前後に伽陀を加えたものが法華懺法である。法華懺法の中心は、懺悔と誦経とにあり、懺悔は文に「至心懺悔弟子某甲与法界衆生」とあるように、自己六根の罪過を懺悔すると共に、他の法界衆生の罪障を懺悔除滅するのである。誦経は六根の罪障を懺悔して身心清浄となった時、知経し誦経することによって「仏即我、我即仏」になり、三千実相の理によって仏我一体の念に達するの意がある。日蓮宗で行われている法華懺法は台家のそれと大差がなく、地域によって諸流の法華懺法の伝承を残している。(略)
という。「自恣会」とは、僧が自らの懺悔を為す法会のことである。
一般に『法華懺法』は、『例時作法』の阿弥陀供と共に天台寺院の日常の法要である。所謂「朝題目夕念仏」がこれであるが、『法華懺法』も『例時作法』も四種三昧の実践門から生じていることを確と意識しておくべきであろう。
法華三昧は、同様に『日蓮宗事典』の解説によれば以下の通りである。
(一)天台宗において、『法華経』・『観普賢菩薩行法経』に基づき、三七日(二十一日間)を期して行道・誦経し、実相中道の理を観ずる法をいう。方等三昧と共に半行半座三昧といい、天台所立の四種三昧の一つで、懺悔滅罪のためにも修せられる。智顗の『法華三昧懺儀』『摩訶止観』によれば、法華三昧は普賢の色身を見、釈迦及び分身の諸仏等を見、一切障道の罪を滅して、現身に菩薩の正位に入らんと欲する者の修するところで、三七日を期して法華経を読誦し、その間に礼仏・懺悔・誦経・坐禅等を行じるのである。日本では最澄が始めて比叡山において修し、その後法華三昧堂が建設され常行三昧と共に諸寺で修された。この法は懺悔滅罪を主とするから法華懺法、または法華懺ともいわれる。(二)『法華三昧経』(智厳訳)と『法華三昧懺儀』(智顗撰)を略称して『法華三昧』という。
行法に関しては、特にこれ以上付け加えるものはない。しかし、南岳慧思の法華三昧の発得や天台大師の大蘇開悟が法華三昧の前方便であったこと(後述)など検討すべき事項もあろう。またここで引かれた「現身入菩薩正位」の「現身」は後の即身成仏論を想起させることも注意しておきたい。
ともあれ、先ずは天台に先行する南岳慧思から検討して見ることにする。
1 南岳慧思
天台大師智顗の師である南岳慧思(五一五〜五七七)は、禅法の行者・実践者であったと言える。
『天台智者大師別伝』によれば、
十年常誦。七載方等。九旬常坐。一時圓證。(大正五〇・一九一頁下)
と賛嘆されるが、これは『南嶽思大禅師立誓願文』や『續高僧傳』の慧思伝にある通りであって、殊に「一時圓證」は、
冬夏供養不レ憚二勞苦一。晝夜攝心理事籌度。訖二此兩時一未レ有レ所レ證。又於二来夏一束レ身長坐繋レ念在レ前。(略)又發二空定一心境廓然。夏竟受レ歳慨無レ所レ獲自傷二昏沈一。生爲空過深懷二慚愧一。放レ身倚レ壁。背未至レ間。霍爾開二悟法華三昧一。大乘法門一念明達。(大正五〇・五六二頁下)
と、ある夏安居の際に空定を発したけれども、結局悟ることが出来なかったため慚愧の念を懷いて、壁に身を投げて寄りかかろうとしたところ、背が壁につくまでの「わずかな瞬間に突然、法華三昧を開悟した」という事跡を表現したものである。
即ち慧思は、長きに亙って法華経等の経典の読誦と修禅を為し、法華三昧の開悟・頓悟を実体験したわけである。従って、彼の法華経観は『法華經安樂行儀(以下、安楽行儀と略す)』冒頭に、
法華經者大乘頓覺。無レ師自悟。疾二成佛道一。一切世間難レ信法門。凡是一切新學菩薩。欲下求二大乘一超二過一切諸菩薩一疾成中佛道上。須下持戒忍辱精進勤二修禪定一。專心勤中學法華三昧下。觀二一切衆生一皆如レ佛想。合掌禮拜如レ敬二世尊一。亦觀二一切衆生一皆如二大菩薩善知識一想。勇猛精進求二佛道一者。如下藥王菩薩難行苦行。於二過去日月淨明徳佛法中一。名爲中一切衆生喜見菩薩上。聞二法華經一精進求レ佛。於二一生中一得二佛神通一。
(大正四六・六九七頁下)
とある如く、法華経こそ疾成仏道の法門であるとの主張が込められ、その為には法華三昧を学べ、然らば一生の内に仏の神通を得ることができる、と勧めるわけである。つまり、法華三昧が速疾成道の為の行法として勧められているわけである。
実際には『安楽行儀』は、法華三昧の行について「有相行」と「無相行」に分けて解説する。
無相行は、「安楽行品」により、深妙禅定を修して行住坐臥飲食語言等の一切の意義において、常に心を安定せしめる禅定行といえるが、有相行は「普賢菩薩勧発品(以下、勧発品と略す)」に説かれる行で、禅定を修せず三昧に入らず、散心に法華経読誦に専念する読誦行である。
有相行について、次の説示に注目したい。
復次有相行。此是普賢勸發品中。誦二法華經一散心精進。知下是等人不レ修二禪定一不レ入中三昧上。若坐若立若行。一心專念二法華文字一。精進不レ臥如救頭然。是名二文字有相行一。此行者不レ顧二身命一。若行成就即見下普賢金剛色身乘二六牙象王一住中其人前上。以二金剛杵一擬二行者眼一。障道罪滅。眼根清淨得下見二釋迦一。及見二七佛一。復見中十方三世諸佛上。至心懺悔。在二諸佛前一五體投レ地。起合掌立。得二三種陀羅尼門一。一者總持陀羅尼。肉眼天眼菩薩道慧。二者百千萬億旋陀羅尼。具二足菩薩道種慧法眼清淨一。三者法音方便陀羅尼。具二足菩薩一切種慧佛眼清淨一。是時即得レ具二足一切三世佛法一。或一生修行得二具足一。或二生得。極大遲者三生即得。若顧二身命一貪二四事一供養不レ能二勤修一。經レ劫不レ得。是故名爲二有相一也。(大正四六・七〇〇頁上中)
即ち有相行が成就するとき、六牙百象に乗ずる普賢菩薩の像相を見て、眼根清浄を得て釈迦諸仏に見え、更に至心に懺悔し五体投地し、立って合掌すれば三種陀羅尼を得ると言う。
勧発品から説き起こしているが、後半は『觀普賢菩薩行法經(以下、観普賢経と略す)』による。「至心懺悔」をいうのは、『観普賢経』の「一切業障海。皆從二妄想一生。若欲二懺悔一者。端坐念二實相一。衆罪如二霜露一。慧日能消除。是故應三至心。懺二悔六情根一。(大正九・三八九頁下)」を当然想起させるし、また同じく
阿難。若比丘比丘尼優婆塞優婆夷。天龍八部一切衆生。誦二大乘經一者。修二大乘一者。發二大乘意一者。樂レ見二普賢菩薩色身一者。樂レ見二多寶佛塔一者。樂レ見二釋迦牟尼佛及分身諸佛一者。樂レ得二六根清淨一者。當レ學二是觀一。此觀功徳除二諸障礙一。見二上妙色一。不レ入二三昧一。但誦持故。專心修習。心心相次。不レ離二大乘一。一日至三七日。得レ見二普賢一。有二重障一者。七七日盡然後得レ見。復有レ重者一生得レ見。復有レ重者二生得レ見。復有レ重者三生得レ見。(大正九・三八九頁下)
と、それぞれの傍線部が対応するように、『観普賢経』の説示を踏襲するものとなっている。当然『法華経』の結経としての位置を占める『観普賢経』と、『法華経』内の「勧発品」の関連は法華三昧、速疾成仏、六根清浄、懺悔、普賢菩薩、三生説といったキーワードを巡って密接に関連する点に留意するべきであって、これはそのまま天台に引き継がれることとなる。
2 天台大師智顗
・大蘇開悟
慧思の法華三昧は智顗に受け継がれるが、そもそも慧思と智顗は、当初から法華三昧を巡って密接に関わっている。これは「大蘇開悟」の一件についてであるが、『天台智者大師別傳』には
時有二慧思禪師一。武津人也。(略)思曰。昔日靈山同聽二法華一。宿縁所レ追今復來矣。即示二普賢道場一爲説二四安樂行一。(大正五〇・一九一頁下)
とある。
慧思は、危険を冒して光州大蘇山まで訪ねてきた智顗を「昔霊山浄土で共に法華経を聞いた仲であって、今またその宿縁が再来した」と悦び、「普賢道場」を示して「四安楽行」を説いたと言うのだから、無相・有相の法華三昧の両行を示したわけである。
そして智顗は慧思の下で真摯に法華三昧に励む。
經二二七日一誦至二藥王品諸佛同讚是眞精進是名眞法供養一。到レ此一向身心豁然寂而入定。(略)思師歎曰。非レ爾弗レ證。非レ我莫レ識。所レ入定者法華三昧前方便也。所レ發持者初旋陀羅尼也。縱令文字之師。千群萬衆。尋二汝之辯一不レ可レ窮矣。於二説法人中一最爲二第一一。(大正五〇・一九一頁下〜一九二頁上)
法華経を誦して遂に十四日を経て、薬王菩薩本事品の「諸佛同讚是眞精進是名眞法供養」に到った時、智顗は豁然として大悟する。この悟りを慧思は「法華三昧の前方便」であって、「勧発品」の三陀羅尼中の最初の旋陀羅尼(『安楽行儀』には「總持陀羅尼」)と言ったわけである。
即ち、智顗は当初から法華三昧を行じ、実際にその証得を体験している点は注意を要する。これ以降、彼が展開する止観などの体系は、実際の宗教体験に基づいているという視点を欠いてはなるまい。
・智顗の法華三昧
智顗はその独自の宗教体験から詳細な修行体系、行位論、教学体系を構築するが、法華三昧は『摩訶止観』においては第七正修止観章の十境十乗観法ではなく、第一大意章の五略中の二「修大行」中に略行として、四種三昧の半行半坐三昧の一部として取り扱われる。
智顗の法華三昧は、慧思に比べると有相無相の別を立てず(ただし「南岳師云。有相安樂行。無相安樂行。豈非下就二事理一得中如レ是名上。(大正四六・一四頁上)」と有相無相を事理に配当する)、慧思が安楽行品による禅定=無相行を重視したのに対し、『観普賢経』を重視し(『法華三昧懺儀』の冒頭に「隋瓦官寺沙門釋智顗。輒釆二法華普賢觀經及諸大乘經意一撰二此法門一。」と観普賢経と法華経を対等と扱う)、その「端坐念二實相一」や「勧発品」の「坐思二惟此經一」に着目して、諸法の空・如・実相を観ずることが法華経を貫く行法と見た点に違いがある。
『摩訶止観』には
約二法華一亦明二方法一勸レ修。方法者。身開遮。口説默。意止觀。
身開爲十。一嚴淨道場。二淨身。三三業供養。四請佛。五禮佛。六六根懺悔。七遶旋。八誦經。九坐禪。十證相。別有二一卷一名二法華三昧一。是天台師所レ著流二傳於世一。行者宗レ之。此則兼二於説默一。不二復別論一也。
意止觀者。普賢觀云專誦二大乘一不レ入二三昧一。日夜六時懺二六根罪一。安樂行品云。於二諸法一無レ所レ行。亦不レ行二不分別一。(大正四六・一四頁上)
と「意止観」のみを説いて(法華経の専心読誦と日夜の六根懺悔)、「身開遮」と「口説默」を更に「法華三昧」という別の一巻『法華三昧懺儀』にその解説を譲るとされている。
その『法華三昧懺儀』には行法としての法華三昧の目的を「明三七日行法華懺法勸修第一」に以下のように説く。
如來滅後。後五百歳濁惡世中。比丘比丘尼優婆塞優婆夷。誦二大乘經一者。欲下修二大乘行一者。發中大乘意上者。欲レ見二普賢菩薩色身一者。欲レ見二釋迦牟尼佛多寶佛塔分身諸佛及十方佛一者。欲下得二六根清淨一入中佛境界通達無碍上者。欲レ得下聞二十方諸佛所説一。一念之中悉能受持通達不レ忘。解釋演説無障碍上者。欲レ得下與二文殊師利普賢等諸大菩薩一共爲中等侶上者。欲下得二普現色身一一念之中不レ起二滅定一遍至二十方一切佛土一供中養一切諸佛上者。欲レ得下一念之中遍到二十方一切佛刹一。現二種種色身一作二種種神變一。放二大光明一説法度二脱一切衆生一。入中不思議一乘上者。欲レ得下破二四魔一。淨二一切煩惱一。滅二一切障道罪一。現身入二菩薩正位一。具中一切諸佛自在功徳上者。先當下於二空閑處一。三七日一心精進入中法華三昧上。若有下現身犯二五逆四重一失中比丘法上。欲下得二清淨一還具二沙門律儀一。得レ如中上所レ説種種勝妙功徳上者。亦當下於二三七日中一。一心精進修中法華三昧上。所以者何。此法華經是諸如來祕密之藏。於二諸經中一最在二其上一。行二大直道一無二留難一故。如二轉輪王髻中明珠一不二妄與一レ人。若有レ得者隨二意所レ須一種種珍寶悉皆具足。法華三昧亦復如レ是。能與二一切衆生佛法珍寶一。是故菩薩行者。應下當不レ計二身命一。盡未來際修中行此經上。況三七日耶。(大正四六・九四九頁中下)
種々の功徳を述べるが、現身に菩薩の正位に入りたければ、三七日の法華三昧を一心に精進せよ、というのであり、その理由は、法華経は諸々の如来の秘密の蔵であり、諸経中の最上であって大直道(近道)で安全な道であるからである(大直道については最澄の項でも採り上げる)。速疾成道の行法としての主張は、慧思より受け継がれているわけである。
さて、先に述べた通り、『摩訶止観』では「身開遮」と「口説默」を本書に譲っている。即ち「身開爲レ十。一嚴淨道場。二淨身。三三業供養。四請佛。五禮佛。六六根懺悔。七遶旋。八誦經。九坐禪。十證相。」は『法華三昧懺儀』の「明初入道場正修行方法第四」中の条文に合致する。
明三七日行法華懺法勸修第一。
明三七日行法前方便第二。
明正入道場三七日修行一心精進方法第三。
明初入道場正修行方法第四。
第一明行者嚴淨道場法。
第二明行者淨身方法。
第三明行者修三業供養法。
第四明行者請三寶方法。
第五明讚歎三寶方法。
第六明禮佛方法。
第七明懺悔六根及勸請隨喜迴向發願方法。
第八明行道法。
第九重明誦經方法。
第十明坐禪實相正觀方法。
略明修證相第五。
即ち、智顗は法華経読誦に懺悔の儀制を加え、法華三昧に礼拝・懺悔・行堂・誦経・座禅といった三七日の行法を組織立てた。よって『法華三昧懺儀』は、法華三昧の所作や準備、方法、口唱の内容などを記した儀礼書の性格を強く持つようになり広く世に行われるようになる。
流行するにつれ、法華三昧は、次第に儀礼化する。『法華三昧懺儀』では詳しく意義を説明している部分も、妙楽湛然の『法華三昧行事運想補助儀』(大正四六・№1942)や現行伝わる『法華懺法(大正七七・№2417)』などに到るとより簡略化され、殊に『法華懺法』はほぼ式次第そのものである。更に四明知礼に擬せられる『禮法華儀式(大正四六・№1944)』などは一応「六根懺悔」の文言はあるものの、極めて簡略化された法華経賛嘆の儀式となっている。
3 伝教大師最澄
「法華三昧」は「法華懺」の異名ある通り、懺悔滅罪が一つのテーマとなる。最澄以前においても、国分尼寺が具称「法華滅罪之寺」と言う通り、日本では法華経が懺悔滅罪の経典であることが承知されていたし、尼寺に法華経を任じたのは女人成仏が説かれるから、等とも言われる。
最澄の即身成仏論については別稿に譲るが、最澄が法華三昧をいかに取り扱ったかをまとめておきたい。
叡山天台が止観・遮那の両業、つまり顕密兼修を宗旨とすることは説明するまでもないことであるが、先ず『天台法華宗年分縁起』には
天台業二人 一人令レ讀二大毘盧遮那經一。一人令レ讀二摩訶止觀一。(伝全一・七頁)
とあり、『摩訶止観』を「修行させる」でなく「読ませる」としている点が注目される。そして、やや性格の違う資料であるが、六年後の『長講法華經式』には
一行一切行 恒修二四三昧一 長二講法華經一 恒説二一切經一(伝全四・二五八頁)
と、四種三昧と法華経の長講をさせていることが垣間見られるようになる。そして更に六年後の『六条式』には
凡止觀業者。年年毎日。長二轉長三講法華金光仁王守護諸大乘等護國衆經一。(伝全一・一二頁)
と法華経や護国経典の長轉長講が制度化され、同じく『八条式』には
凡此宗得業者。得度年。即令レ受二大戒一。受二大戒一竟。一十二年。不レ出二山門一。令レ勤二修學一。初六年聞慧爲レ正。思修爲レ傍。一日之中。二分内學。一分外學。長講爲レ行。法施爲レ業。後六年思修爲レ正。聞慧爲レ傍。止觀業。具令レ修二習四種三昧一。(伝全一・一四頁)
と、十二年籠山の制を敷き、後の六年間に四種三昧を実修させることになった。そして『四条式』には
今天台法華宗。年分學生。並回レ心向レ大初修業者。一十二年。令レ住二深山四種三昧院一。
(伝全一・一六〜一七頁)
と、その住居を「四種三昧院」とし、そして朝廷へ上表する『顯戒論』には、これらを踏まえて
摩訶止觀業。置二四三昧院一。修二練止觀行一。常爲レ國轉レ經。(伝全一・一三一頁)
といい、『上顯戒論表』に
謹以二弘仁十一載歳次庚子一。爲レ傳二圓戒一。造二顯戒論三卷。佛法血脈一卷一。謹進二 陛下一。重願天台圓宗兩業學生。順二所レ傳宗一授二圓教戒一。稱二菩薩僧一。勤二菩薩行一。一十二年。不レ出二叡山一。四種三昧。令レ得二修練一。然則。一乘戒定。永傳二本朝一。山林精進。(伝全一・二五六頁)
と「十二年籠山」と「四種三昧」の修練を上表して、公式に一山の制度としたわけである。
この件について、我が淺井圓道は「止観正修章の十境十乗の観法は止観大意章の四種三昧によって超克された」と表現している。
最澄が「四種三昧」を重視したことは如上明らかであるが、例えば有名な『守護國界章』「彈謗法者大小交雜止觀章第十三」には
其修行道。亦有二迂回・歴劫・直道一。其修行者。歩行迂回道。歩行歴劫道。飛行無礙道。麁食者所レ示多分小乘止觀者。相二似歩行迂回道一。又多分菩薩止觀者。相二似歩行歴劫道一。此二歩行道。有レ教無二修人一。當今人機。皆轉變。都無二小乘機一。正像稍過已。末法太有レ近。法華一乘機。今正是其時。何以得レ知。安樂行品末世法滅時也。今四安樂行。三入著坐行。六牙白象觀。六根懺悔法。般若一行觀。般舟三昧行。方等眞言行。觀音六字句。遮那胎藏等。如レ是直道經。其數有二無量一。今現修行者。得レ道不レ可レ數。
(伝全二・三四八〜三四九頁)
と、末法の人機(法華一乗機)相応の大直道の行として四安楽行・三入著坐行・六牙白象觀・六根懺悔法を挙げている。同様に、『法華秀句』「普賢菩薩勸發勝十」にも
當レ知。法華經力故。後世後五百歳。圓機四衆等。於二三七日中一。得レ見二普賢身一。亦得二聽聞示教利喜一。他宗所依經。都無二勸發一。天台法華宗。具有二此勸發一。(伝全三・二七六頁)
當レ知。如來滅後。後五百歳。受二持讀三誦法華經一者。速成二佛果一。度二脱衆生一。他宗所レ依經。都無レ有二速成勸一。天台法華宗。具有二速成勸一。(同・二七七頁)
爲レ傳二妙法一乘宗一 隨レ分敬造二十勝文一 無相妙法無二是非一
隨機説法有二權實一 法華本法待二時機一 體内權實内證境
今擧二十勝一示二後學一 以二此傳法諸功徳一 慧二施謗法謗人者一
先成二佛道一利二衆生一 一覽二斯文一諸衆生 三生畢竟入二正位一(同・二七九〜二八〇頁)
と末法機根相応の速成仏果の経として法華経を、更に普賢観(法華三昧)を示していることは特記しておきたい(但し、末法時期の意識は早くも南岳慧思にも見える)。
4 法華懺法について
本稿冒頭、『法華懺法』について触れたので、やや本来の趣旨からは外れるが、本朝における「法華懺法」にも簡略に付言しておきたい。
最澄は、「四種三昧」の一つとして、末法相応の行として法華三昧を勧めたことは如上明らかであるが、「法華三昧」に限れば、例えば一乗忠の『叡山大師傳』には
弘仁三年七月上旬。造二法華三昧堂一。簡二淨行衆五六以上一。晝夜不レ絶。奉レ讀二法華大乘經典一。然弘誓之力。盡二於後際一。善根之功。覆二於有情一。可レ不レ美歟。(伝全五・附録二八頁)
との記録があり、『天台座主記』にも
弘仁三年七月建二立法華堂一。於二此地一始二三昧行法。四季之懺法一。(「天台座主記」校訂増補版・四頁)
との記録があり、懺法開始したように読める。しかし、一般に「法華懺法」の創始は円仁に帰せられることが多い。即ち『慈覺大師傳』に
嘉祥元年春。奉 詔入京。即登二本山一。禮二拜師跡一。於レ是僧徒成レ雲。言泗如レ雨。隨喜讚歎。禮二拜諸尊曼荼羅一。親披二閲眞言儀軌一。大師於レ是始二改傳法華懺法一。先師昔傳二其大綱一。大師今弘二此精要一。
(『續天台宗全書』史伝二・六七頁上)
「改伝」とは、そもそも「法華懺法」に関する資料の将来は鑑真にまで溯り、既に最澄も『法華三昧懺儀』を将来しているのであるが、それを改めて伝えたとの謂である。円仁が五台山から持ち来ったものは、式次第はほぼ同じであるが、懺法は略式となっており、『慈覺大師傳』の記述「先師昔傳二其大綱一。大師今弘二此精要一。」とは逆であって、法華三昧の易行化を推し進めた形となっている。
何れにせよ現在にも伝えられ、行われている『法華懺法』は円仁将来、或いは円仁創始とされるが、日本においても、一層儀式の色彩が強くなっている。
三、まとめにかえて
如上、法華三昧及び即身成仏論について若干の検討を加えたが、まだこの最澄説の段階では種々の矛盾をはらんでいることを指示しておく。例えば、その得果あるいは成仏の階位の問題がそれである。
法華三昧では六根清浄がその得果となるが、これは天台教学上では相似即であって、ここまでは分段生死の範疇内である。即ち、それを成仏と呼んでいいのかどうか、という問題がある。また初住以上が聖道という天台教学の約束があるが、分段身を以て入住できるのか、という両面の問題があるのである。
これは天台の中に「超登十地」「十地虎狼」「一生登地」といった命題が隠されているわけで、やがてこれが発見され、整理されていくことになるが、成仏の位階を下げるのか、或いは分段身の得果を引き上げるのか、或いは即身成仏といいながら隔生成仏を認めるのか、といった問題が最澄以降に噴出し、その解決に腐心することになる。
特に分段身の捨不捨を論ずれば必ず隔生成仏に赴かねばならず、日本天台はその解決のためにも遮那業を中心として真言教学に傾倒して行く。
例えば安慧は『愍諭辨惑章』の「示即身成佛文」に『菩提心論』から三例を引く。殊に「唯眞言法中。即身成佛。故是説二三摩地法一。於二諸教中一。闕而不レ書。」を採用する。本書は円仁も顧みることなく、円珍も『些々疑問』中で、
菩提心論或云二龍樹造一。或云二興善故三藏集一。此未二決解一。私謂後説爲レ正。此義如何。
(智証大師全集三・一〇三八頁上)
といい、不空の編集を主張して龍樹作を否定したにも拘わらず、である。ここに至って、明らかに最澄説からの離脱が見られる。
一方、吾祖は例えばこの『菩提心論』に関して、『太田殿女房御返事』に
即身成仏の手本たる法華経をば指をいて、あとかたもなき真言に即身成仏を立て、剰唯の一字ををかるゝ條、天下第一の僻見也。此偏修羅根性法門なり。天台智者大師の文句九に、寿量品心釈云仏於三世等有三身於諸教中秘之不伝とかゝれて候。此こそ即身成仏の明文にては候へ。不空三蔵此釈を消が為に事を龍樹に依て、唯真言法中即身成仏故是説三摩地法於諸教中闕而不書とかゝれて候也。されば此論次下に、即身成仏をかゝれて候が、あへて即身成仏にはあらず。生身得忍に似て候。(定本二・一七五六〜一七五七頁)
と真言の即身成仏は生身得忍(相似即)と断じ、しかも、この文の問題点を指摘するのに『法華文句』の壽量品釈
祕密者。一身即三身名爲レ祕。三身即一身名爲レ密。又昔所レ不レ説名爲レ祕。唯佛自知名爲レ密。神通之力者。三身之用也。神是天然不動之理。即法性身也。通是無壅不思議慧。即報身也。力是幹用自在。即應身也。仏於二三世一等有二三身一。於二諸教中一秘レ之不レ伝。(大正四六・一二九頁下)
を引き、「唯真言法中即身成仏故是説三摩地法於諸教中闕而不書」の句はこの『法華文句』の「於諸経中秘之不伝」を消すために龍樹に寄せて作ったのだ、と言う。しかし吾祖の真骨頂は、法華経の即身成仏の明文を、これまでの堤婆達多品の龍女成仏から壽量品に見出した点である。言うまでもなく一念三千論は吾祖の成仏論の基であるが、これを壽量品の「文底」から見出したことによって、それまでの仏身論や位階論などの議論を超克してしまうのである。
近年、大正大学の故・塩入良道氏の博士学位論文が『中国仏教における懺法の成立』として刊行された。本稿における問題点、南岳慧思、天台智顗の法華三昧・法華懺法は網羅されている。しかしその「むすび」において「第十章の懺法の日本的需要が、一応むすびの内容である。ここに到るまでには、まだ残された手続きがあるが、その前に資料の検討という量的作業があったため、その手続きを超えて日本の需要を論ぜざるを得なかった」と告白する如く、日本における懺法の解明はまだ中途であるといえよう。
『法華懺法』が関心を集めるのは、吾宗の伝統に則れば、意義のあることである。しかし、何故吾祖が唱題を見出したか、『法華懺法』が何のためのものなのか、その来歴を確と認識しておくべきであろう。
(平成二十一年三月一日脱稿)
(一) 『即身成仏』の用語そのものは、最澄以前には妙楽湛然の『法華文句記』の堤婆達多品釈、不空訳『金剛頂瑜伽中発阿耨多羅三藐三菩提心論』に見られる。また頃年が不詳なのでその前後を論じるのは難しいが、最澄と同期にこの用語を用いたものは、空海の『即身成仏儀』及び徳一の『真言宗未決文』がある。
(二) 『法華秀句』即身成仏化導勝八(『伝教大師全集(以下「伝全」と略す)』第四巻・二六六頁)伝全本では「妙法ノ経力ヲ以テ即身ニ成仏シ」と訓じている。
(三) 『女人成仏鈔』(『昭和定本日蓮聖人遺文(以下「定本」と略す)』第一巻・三三五頁)、『聖愚問答鈔』(定本一・三八九頁)、『法華題目鈔』(定本一・四〇四頁)、『妙法尼御前御返事』(定本二・一五二八頁)、『千日尼御前御返事』(定本二・一五四一頁)、『妙一女御返事』(定本二・一七七七頁、一七八一頁)、『三種教相』(定本三・二二五〇頁)。
(四) 『秀句十勝鈔』(定本三・二三七五頁)弘安元年(一二七二年)の著述に比定されている。
(五) 拙稿「最澄の即身成仏論について」(『立正大学大学院年報 第十一号』平成六年三月)
(六) 『無量義経』の「善男子。自二我道場菩提樹下一端坐六年。得レ成二阿耨多羅三藐三菩提一。以二佛眼一觀二一切諸法一不レ可二宣説一。所以者何。以二諸衆生性欲不同一。性欲不レ同種種説法。種種説法以二方便力一。四十餘年未レ曾レ顯レ實。是故衆生得道差別。不レ得三疾成二無上菩提一。(大正九・三八六頁上中)」「若有三衆生得二レ聞是經一。則爲二大利一。所以者何。若能修行。必得三疾成二阿耨多羅三藐三菩提一。其有二衆生一不レ得レ聞者。當レ知是等爲レ失二大利一。過二無量無邊不可思議阿僧祇劫一。終不レ得二成阿耨多羅三藐三菩提一。所以者何。不レ知二菩提大道直一故行二於險徑一多二留難一故。(略)善男子。我説是經甚深甚深眞實甚深。所以者何。令レ衆疾成二阿耨多羅三藐三菩提一故。一聞能持二一切法一故。於二諸衆生一大利益故。行二大直道一無二留難一故。(同・三八七頁上中)」からも方便説法は速疾成道できない=真実教は速疾成道するという教判が導き出される。これは『守護國界章』『法華秀句』『顕戒論』『法華去惑』『決権実論』『上顕戒論表』『授菩薩戒儀』等に散見される。
(七) 当然この主張は批判される。例えば、『真言宗未決文』(『大正新修大蔵経(以下、「大正」と略す)』第七七巻・八六二頁)における空海の密教義の即身成仏論に対し、徳一は第三疑「即身成仏疑」において「行不具失」と「闕慈悲失」があると批判する。「行不具失」とは、通常、成仏するためには、発菩提心してから成仏するまで三祇百劫の間、菩薩行として「六波羅蜜行」(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般若)を修する必要があり、その間、階梯としては十住・十行・十回向・十地・等覚・妙覚と経なければならない。しかし、真言宗ではこのうちの禅定行しか要求されないから、行が具備していないと批判する。また「闕慈悲失」とは、「六波羅蜜行のうち、布施行を行じない結果、慈悲を顕現できない。そもそも菩薩は一切衆生を救ってから成仏するものであって、これでは大乗仏教の核心を欠いている」という批判であるが、本来即身成仏論を主張する立場にあるものは、全てこの批判に応えて行かなければならない。
(八) 佐藤哲英は、この三陀羅尼は『法華文句』によれば旋仮入空、旋空出仮、得入中道第一義諦に配されており、初旋陀羅尼の発得は「旋仮入空」即ち空観の証得を意味し、それは法華の中道実相観の前提たる空の証悟であるから、法華三昧の前方便と言ったのであろう、と説明している。(『天台大師の研究』百華苑・昭和三十六年・三二頁)
(九) 同・一三六頁
(一〇) 知礼に擬せられるも大正蔵他諸版もその名を出さない。『佛書解説大辞典』には「本書は法華三昧の略作法である。(略)本書は法華経を賛嘆して経を礼拝するだけの儀式であることが法華三昧と相違している点であり、また頗る簡単なる儀式であるといえる」と解説する。現在、身延山で行じられる「禮法華儀式」がいつ始まったのか未検である。
(一一) 淺井圓道『上古日本天台本門思想史』(平楽寺書店・昭和五十年)二〇五頁
(一二) 同・二〇六頁
淺井は以下のように図示している。
(一三) 『唐大和上東征傳』に「行法華懺法一巻」(大正五一・九九三頁上)と見える。
(一四) 『台州録』に「妙法蓮華經懺法一卷 或名三昧行法。智者大師出 一十八紙。」(大正五五・一〇五五頁中)とある。
(一五) 淺井前掲書・三七二頁
(一六) 同・五八四頁
(一七) 言うまでもなく『開目鈔』の「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり。龍樹天親知て、しかもいまだひろいいださず。但我が天台智者のみこれをいだけり。(定本一・五三九頁)」である。
(一八) 塩入良道『中国仏教における懺法の成立』(大正大学天台学教室・平成十九年三月)
(一九) 同・八三八頁