現代宗教研究第43号 2009年03月 発行
『大智度論』にみる医療観─龍樹の伝えるインドの仏教医療について─
研究ノート
『大智度論』にみる医療観
─龍樹の伝えるインドの仏教医療について─
影 山 教 俊
◇はじめに
かって宗門運動「立正安国・お題目結縁運動」の基本大綱が日蓮宗中央伝道企画会議において審議されていた時、その基本テーマとなっていたものは「近年とみに生命(いのち)を取り巻く状況が悪化の一途たどっている」と、それは「生命(いのち)」であった。さらに現在は、それを受け「まさに今『立正安国』奏進七五〇年、宗祖ご降誕八〇〇年の慶年を迎えようとするこの時、日蓮宗は、法華経に説かれる『生命の絶対尊重』を基本理念とし、『立正安国の実現』を眼目とする信仰運動の第一歩を踏み出そうとするものである」と、宗門運動の基本テーマも生命(いのち)である。
ところが、宗内において、この生命(いのち)なるものが、いままで具体的に問われたことがないように思う。仏教という宗教から、「生命(いのち)とは何か」という事実について論及されていないのである。
いま敢えて「論及されていない」といったが、その理由は仏教という宗教を思想信条から論及することと区別したいからである。思想信条からの論及とは如何なるものかと言えば、「臓器移植については、自己決定による場合、仏教の慈悲心にもかなう行為と認識し、脳死段階からの移植医療に道を開くことには反対しない」というような、「仏教の慈悲心にもかなう行為」という論及の方法である。
この文言は平成四年脳死臨調答申(脳死患者からの臓器移植の容認)を受けて行った、日蓮宗勧学院第二回答申の一部である。以下に全文を挙げよう。
平成六年(一九九四)八月、日蓮宗勧学院は宗務総長の諮問に対して次のような答申をした。①脳死をもって人の死と断定することには、未だ多くの問題が残されており、死の概念の重大な変更にあたって、医学にのみそれを委ねることはできないとする見解が妥当であると判断する。
②臓器移植については、自己決定による場合、仏教の慈悲心にもかなう行為として認識し、脳死段階からの移植医療に道を開くことには反対しない。ことは、宗教、哲学、倫理、社会、文化などに幅広く関わる問題であって、多数決でゴーサインをだせるものではない。法華経弘通者の立場から、今後とも科学主義、理性主義、人間機械論の行き過ぎを監視しながら、関係機関の動きをみていくべきである。(第六回勧学院研修会議講演録参照)
なぜ、このような論及が具体的ではないかと言えば、それが医療としての論及ではないからである。とくに「臓器移植については、自己決定による場合、仏教の慈悲心にもかなう行為として認識し、脳死段階からの移植医療に道を開くことには反対しない」などは、仏教の慈悲心という思想信条によって、現代の移植医療の可否を論じようとする方法である。
そもそも、脳死段階における移植医療への道を開くことは、現代医学の治療の限界がそこにあると言うことである。これは移植医療の効率化を図るために、いままで私たちが受け入れてきた「心臓死」(心臓が動かなくなり、呼吸が止まり、瞳孔が散大して光に反応しない状態)の死から、「脳死」(脳幹を含むの脳全体の機能が停止し、もとに戻らないと判断された状態)の死へと、死の判定基準を変更するということである。
要するに、現代医学の治療の限界が臓器移植にあって、その移植医療が効果的に行われるために、死の判定基準を心臓死から脳死段階へと変更するということである。それに対して、「仏教の慈悲心にもかなう行為と認識する」と論及するだけでよいのだろうか、というのが私の疑問なのである。
そこにあるものは現代医学(神経生理・生化学的な病因論に立脚した医科学)の限界であって、その限界に対応する答えを得るために、まず仏教という宗教が過去に医療とどのように関わってきたのか、その具体的な文化史的な事例を考察する必要がある。
とくに近年は、仏教という宗教を思想信条として論ずる傾向が強いため、医療や環境問題、さらには平和と戦争などの社会問題への仏教者の提言は、医療問題などのように生命(いのち)をフィジカルに扱う分野では、「仏教のそういうお話」という程度として扱われているのが実状である。仏教がフィジカルな生命(いのち)をどのように扱ってきたかをその時代の医療との関わりから、明らかにしたいと考えた。
そのため一昨年は「律蔵群に見えるインド仏教の医療観」についてと題して、律蔵群に見えるインド仏教の医療観、その生命(いのち)とは何かについて論究した。とくに「耆婆の治療と教団のあり方について」では、耆婆は釈尊の主治医であったばかりではなく僧たちの医師でもあり、その医療は王族と仏教教団内の僧侶に限定されていた。そのため一般の民衆が耆婆の医療を受診するには、出家し具足戒をたもち僧侶となる必要があった。実際に病気になった者が耆婆の医療を受けるために出家し、こんどは病気が治ってしまうと出家を捨てて還俗した者が多くいた。そこで釈尊は教団の統制をはかるために、病人へと出家具足戒を授けたものに越毘尼罪を設け、これを禁じた。
これは耆婆の医療の社会性についての事例で、これによって、釈尊が世間的に病気を治すことで保たれる生命(いのち)を重要視しているのであれば、耆婆に「汝の慈悲心によって医療を施しなさい」と言ったはずであるが、実際には病人に具足戒を授けた僧侶に越毘尼罪まで設けて病人の出家を禁じた。つまり、釈尊は世間的な生命(いのち)を超えたところで、生命(いのち)を捉えていることである。
さらに[仏教教団の治療法の受容について]では、闡陀母という比丘尼が医師のようによく病気を治し、王家・大臣家・居士家から莫大な供養を受けていた事実について、釈尊は「僧侶が病気を治すこと(活命)」を禁じている。とくに「医師のように病気を治す(不得作醫師活命)」といい、、比丘尼の場合は波夜提、比丘の場合は越毘尼罪という戒法まで設けて禁止している。
その理由について、釈尊は「医学(医方)とは外道の教えであって、出家の法ではない」からだといい、加えて出家の法とは大愛道のことであり、大愛道とは釈尊がこれまで語ってき仏教のことだという。仏教教団の目的は、僧侶自らが生死の輪廻を越え、自ら実践したその教えを世間へと伝え広めることにあり、医師のように活命することではないといった。
このような事例の積みあげによって、私たちが日常の中で生命(いのち)と呼んでいる生命は、病気を治すことで保たれる生命(いのち)であるのに対して、釈尊は大愛道(仏教のこと)によって生死を超えたところにある生命(いのち)の獲得を目指しているということである。
そして、こう気づいてみると、仏教教団が採用した医療の目的は、単に活命によって生きながらえるためではなく、僧たちが大愛道を歩み出家の大願を成就するためにフィジカルな生命(いのち)、四大によって構成されている心身(いのち)を養うためであると分かった。
また昨年は、『南海寄帰内法伝』にみる医療観─義浄三蔵がみたナーランダ僧院の医療ーと題して、義浄三蔵が報告したナーランダ僧院の医療観、その生命(いのち)について論究した。
まず明らかになったことは、ナーランダ僧院で実施されていた医療(医方)の診療科目は、現代のアーユル・ヴェーダの根本聖典となっている『スシュルタ・サンヒター』(suśuruta-samhitā 三〜四世紀成立)『チャラカ・サンヒター』(charaka-samhitā 五世紀成立)のインドの二大古典医学書と同様の科目であるところから、その医方明のテキストもおおよそ同様のものだと考えられた。
そして、近年の文献的な研究では、義浄をして「斯之八術先爲八部。近日有人略爲一夾」、と言わしめたこのテキストは、バーグバタ(Vāgbhata)の『八科精髄集』(Skt. Astāngā-hrdaya-samhitā Tib. Yan-lag brgyad-pahi sñin-po badus-pa shes-dya-ba)であり、さきの『スシュルタ・サンヒター』と『チャラカ・サンヒター』に含まれる医学的知識を七世紀頃に集大成した文献であることが指摘されている。インドでは『八科精髄集』にさきの医学書を加えて三大医学書と呼ばれるものである。
さらに、その『八科精髄集』の病因論とは、律蔵群に見られたような四大理論(地大・水大に支えられた病因論から、トリ・ドーシャ理論(地大を除いた三大)に支えられた病因論へと調えられたものであった。
また、このような四大理論やトリ・ドーシャ(三大要素)理論に支えられた医療の具体的な治療のあり方がどの様なものであったかと言えば、基本的には未病を癒すという養生の考え方に徹しており、身体の不調を感じたときには、さきのようにそのヒトの体質に適した食事と、季節や時間帯にもとづいた生活によって癒すことを目指していることが分かった。
そして、このような医療をナーランダ僧院ではどの様に受容されていたかといえば、ナーランダ僧院で玄奘三蔵や義浄三蔵が見聞した医方明のテキストについて、義浄は「その八つの診療科目(八術)は、八部のテキストになっていたが、近年になってある人がそれを要約し、一冊(一夾)のテキストにした。インド(五天)では、みなこの医学をならい技術を修めている。ただこの医学をならい修めると、それを生業とすることができ、西インドでは医師が尊ばれ、かねて商客を重ずるので殺害されることがない。そして、自分にも利益があり、人を救うことができる。しかし、この医方明の功学を用いて人を救っても、これは僧侶の正業ではないので、悩んだ末にこれを棄ててしまった」という。
つまり、ナーランダ大僧院で実施されていた医療について、義浄は医方明の功学が、僧侶の正業ではないとして、その医方明を棄てたという。それは先に律蔵群の中で闡陀母比丘尼が活命の目的で医療を施し釈尊に禁じられた話しを挙げたように、義浄三蔵が学んだ医方明を棄てたという真意もここにあることが分かった。
また「七晨旦觀蟲」には、僧侶が水を濾してから飲む理由について示されていたが、水の中の虫を殺さないようにしていても、虫は勝手に死んでしまうこともある。これは単純に虫の生命(いのち)を護ることが大切というのではなく、護生という戒めを遵守したとしても、虫は水の中で死んでしまうこともある。大切なことは護生への努力をすることであり、そのように護命する心を養いながら、日々の生活の中で犯しそうになる過ちを師弟が共に助け合い、ブッタの教えを護り伝えてきたことにあると言う。その護命する心を養うことで、生命(いのち)の何たるかに気づけるという。
このような事例の積みあげで明らかになったことは、ナーランダ僧院で実施されていた医療は、僧侶たちは仏道の大願を成就するために、このような四大、または三大論に支えられた医学理論によってフィジカルな生命(いのち)、四大または三大によって構成されている心身(いのち)を養っていたことが分かる。
ところが、私たちが日常の中で生命(いのち)と呼んでいる生命は、病気を治すことで保たれる生命(いのち)であるのに対して、律蔵群で釈尊は大愛道(仏道修行)によって生死を超えたところにある生命(いのち)の獲得を目指していたように、ナーランダ僧院の医療の目的も、単に活命によって生きながらえるためではなかった。「二十七先體病源」で義浄は、医方明の功学は僧侶の正業ではないとして、その医方明を棄てた(於此醫明已用功學。由非正業遂乃棄之。)といい、また先の「七晨旦觀蟲」では、僧侶がどれほど護生に努めても虫は死んでしまうと言いながら、その護命する心を養うことで、生命(いのち)の何たるかに気づける(無心護命日日招愆)というのである。
このようにナーランダ僧院の医療に関わる事例を拾い上げてゆくと、仏教の救済のあり方として、仏教という宗教の機能的な側面がみえてくる。すなわち、ナーランダ僧院において、仏教は四大または三大によって構成されている心身(いのち)の救済を目的とするのではなく、その生死の生命(いのち)を超えた生命の気づきにあることが分かった。
引きつづき、以上の成果を踏まえて、以下に『大智度論』に見える医療観を考察し、龍樹の伝えるインドの仏教医療、その生命(いのち)をどの様に捉えているか考察しよう。
1 『大智度論』にみる四大と四百四病について
さきの義浄三蔵の情報によれば、七世紀のナーランダ僧院では、「四大の不調には、一に窶嚕(くろ gulma 地大)、二には燮跛(へんぱ kapha 水大)、三には畢哆(ひった pitta 火大)、四には婆哆(ばた vāta 風大)の四つがあり、一は地大が増大して身体が肥る地大病、二には水大が積もって下痢をしたり浮腫んだりする水大病、三には火大が盛んになり発熱や頭痛、また心臓循環器系の火大病、四には風大が動いて呼吸器系の病気や、身体の各部が痛むなどの風大病があり、これらは中国では沈重、痰、熱黄、気発と呼ばれる病気である」と、四大の病因論が用いられていた。
そして、治療の臨床場面では「一般的な臨床の現場では、四大に地大を加えない、風大(風)・火大(熱)・水大()の病因論による応用が行われ、病気の種類も気発・熱黄・痰の三種として、地大の沈重(身体の意味)は水大の痰と同様に考え、別に地大を数えない」という三大の治療理論で施療されていたという(『南海寄帰内法伝』「二十八進藥方法」大正五四 二二四A)。
つまり、当時のナーランダの仏教医学は、正しくは四大要素の理論(catur-dosa theory)の基礎概念によって病気の原因と治療を考え、四大に支えられた身体観を持っていた。しかし、実際の治療理論としては、現代インドのアーユル・ヴェーダと同様に風大(vāta:以下はヴァータ)・火大(pitta:以下はピッタ)・水大(kapha:以下はカパ)の三大要素の理論(tri-dosa theory:以下トリ・ドーシャ理論)による医療が機能していたことを挙げた。
このような病因論は、『大智度論』にどの様な形で見えるのだろうか。
⑴ 『大智度論』初品中放光釋論第十四之餘(卷第八)
「初品の中の『光を放ちたもう』の余を釈す」
病が愈えることを得ることについて、病に二種あり、先世の行業が報いるために種々の病を得る。今世に冷・熱・風が発るために、また種々の病を得る。今世の病に二種あり、一には内(因)病。五藏が調わない、結堅による宿疾などである。二には外(因)病、奔車逸馬より堆壓墜落し、兵刃・刀杖などの種々の諸病である。問曰。どのような因縁によって病を得るのか。答曰。先世に好んで鞭杖・拷掠・閉繋を行い、種々に悩ましたために、今世に病を得る。現世の病は、身を将いかたを知らないために、飲食が不節(制)になり、臥したり起きたりすることが定まらないために、種々の諸病を得るのである。このように四百四病がある。
(病者得愈。病有二種。先世行業報故。得種種病。今世冷熱風發故。亦得種種病。今世病有二種。一者内病。五藏不調結堅宿疹。二者外病。奔車逸馬堆壓墜落。兵刃刀杖種種諸病。問曰。以何因縁得病。答曰。先世好行鞭杖拷掠閉繋種種惱故。今世得病。現世病不知將身。飲食不節臥起無常。以是事故得種種諸病。如是有四百四病。大正二五 一一九C)
ここでは、病気は先世の行業の報いと、今世の冷・熱・風が発(おこ)るための、二種類の病気があるという。さらにその今世の病気を、五藏が調わないこと、結堅による宿疾などの内因病と、奔車逸馬より堆壓墜落し、兵刃・刀杖など事件事故などの外因病の二種類があるという。
先世に好んで鞭杖・拷掠・閉繋を行うなどの諸業よって、今世に病気になる。また現世の病は、日常生活の誤った考え方によって飲食が不節(制)になり、起居が不規則になって、種々の諸病を得る。そして、そのような病気には四百四病があるという。
⑵ 『大智度論』初品中十方菩薩来釋論第十五之餘(卷第十)
「初品の中の『十方の諸の菩薩来る』の余を釈す」
問曰。どのようなことで「少悩少患なりや否や」と問うのか。答曰。病には二種がある。一には外因縁の病、二には内因縁の病である。外因とは、寒熱・飢渇・兵刃・刀杖・墜落・推壓などである。このような種々の外患を悩と名づける。また内因とは、飲食の不節制や、臥したり起きたりすることが定まらないために四百四の病がある。このような種々を内因の病と名づける。このような二つの病は、身に有りて皆苦である。この故に「少悩少患なりや否や」と問うたのである。
問曰。どのようなことで「悩なく、病なきや」と問わずして、少悩少患と問うのか。答曰。聖人は実に、身は苦の本であり病まざる時はないと知っている。どのようなことか、この四大が合して身となるからである。地(大)・水(大)・火(大)・風(大)の性は相宜しきからず。各々が相害することは、譬えば、疽・瘡などで痛んで仕方がない時、もし薬を塗れば少しは差やされるものが、塗らなければまったく愈されないようなものである。人身もまたこのように、常に病んで常に治す。治すために活ることができる。治さなければ則ちそれは死である。このために「無悩無病」と問わないのである。
(問曰。何以問少惱少患不。答曰。有二種病。一者外因縁病。二者内因縁病。外者寒熱飢渇兵刃刀杖墜落堆壓。如是等種種外患名爲惱。内者飲食不節臥起無常四百四病。如是等種種名爲内病。如此二病有身皆苦。是故問少惱少患不。問曰。何以不問無惱無病。而問少惱少患。答曰。聖人實知身爲苦本無不病時。何以故。是四大合而爲身。地水火風性不相宜。各各相害。譬如疽瘡無不痛時。若以藥塗可得少差。而不可愈。人身亦如是。常病常治。治故得活。不治則死。以是故不得問無惱無病。大正二五 一三一B)
ここでは、病気には外因縁と内因縁の二種類があるといい、外因とは寒熱・飢渇・兵刃・刀杖・墜落・推壓などの事件事故のこと、また内因とは飲食の不節制や、起居の不摂生によって四百四の病気があるという。さらに聖人は身体は苦の本であり病気にならない時はないと知るといい、その理由として身体は地水火風の四大が合成して出来ている。そしてその地大・水大・火大・風大の性は相宜しきからず。各々が相害しているから病気になるという。
⑶ 『大智度論』釋勸受持品第三十四(卷第五十八)
「勧受持品第三十四を釈す」
四百四病とは、四大は身のことで、相い侵害しながら、一々の大に百一病が起こる。冷病に二百二がある。なぜなら、それは水(大)と風(大)によって起こるからである。熱病にも二百二がある。なぜなら、それは地(大)と火(大)が起こるからである。火(大)は熱相であり、地(大)は堅相である。堅相は消しがたく、消しがたいために、よく熱病を起こすのである。血・肉・筋・骨・骸髓などは地(大)の分である。その業報を除くとは、一切法は和合の因縁によって、作者というものはない。作者がないために、必ず業報を受け、仏が救うことの出来ないものである。では般若はどうであろうか。必ず業報を受ける、受けないかは先にすでに説いている。このような官事が起きるのは、般若波羅蜜を誦す力のために、起こるにしたがって皆滅すのである。
(四百四病者。四大爲身常相侵害。一一大中百一病起。冷病有二百二。水風起故。熱病有二百二。地火起故。火熱相地堅相。堅相故難消。難消故能起熱病。血肉筋骨骸髓等地分。除其業報者。一切法和合因縁生無有作者。無有作者故必受業報。佛所不能救。何況般若。必受業報不必受業報先已説。官事起者。誦般若波羅蜜力故随起皆滅。大正二五 四七〇A)
ここでは、四百四病とは四大の身体のことであり、その四大が相い侵害するために、四大の各に百一病が起こるという。さらに冷病に二百二があり、それは水大と風大によって起こる。熱病にも二百二があり、それは地大と火大が起こるという。火大は熱相であり、地大は堅相である。堅相は消しがたく、消しがたいために、よく熱病を起こすのである。血・肉・筋・骨・骸髓などは地大の分であるなど、四大の和合が解説されている。
⑷ 『大智度論』釋校量舎利品第三十七(卷第五十九)
「校量舎利品第三十七を釈す」
如意珠はよく四百四病を除く。根本の四病は風・熱・冷・雑である。般若波羅蜜はまたよく八萬四千病を除く。根本の四病とは、貪・瞋・癡・等分である。婬欲(貪)病は二万一千に分けられ、瞋恚病も二万一千に分けられ、愚癡病も二万一千に分けられ、(貪・瞋・痴の)等分病も二万一千に分けられる。
(如寶珠能除四百四病。根本四病風熱冷雜。般若波羅蜜亦能除八萬四千病。根本四病貪瞋癡等分。婬欲病分二萬一千。瞋恚病分二萬一千。愚癡病分二萬一千。等分病分二萬一千。大正二五 四七八B)
ここでは、根本の四病は風大・熱(火大)・冷(水大)・雑(地大)で、それによって四百四病があるという。それがまた八萬四千の病であるという。
⑸ 『大智度論』釋初品中檀波羅蜜法施之餘(卷第十二)
「初品の中の檀波羅蜜の法施の余を釈す」
仏は毒蛇喩経に中に説いている。「人あり、王において罪を得る。王は一つの竹の箱(篋)を掌護させた。篋に中には四匹の毒蛇がおり、王は罪人に命(勅)じて看視し養育させた。この人は思惟し『四匹の蛇には近づきがたい、近づけば則ち人を害し、一匹でもなお養いがたい。況わんや四匹では尚更である』と。すなわち、竹の箱を棄てて走れば、王は五人に刀を抜かせてそれを追わせた。(中略)王とは魔王であり、竹の箱とは人身である。四の毒蛇とは四大であり、五の抜刀の賊とは五陰(衆)、一人の口善にして心悪なるは、これ染著、空聚はこれ六情、賊はこれ六塵、一人愍んでこれを語れば善師となし、大河はこれ愛、筏はこれ八正道、手足をもって勤めて渡るはこれ精進、此岸はこれ世間、彼岸はこれ涅槃、度るは漏の尽きた阿羅漢である。菩薩の法の中も、またそのようなものである。
(如佛説毒蛇喩經中。有人得罪於王。王令掌護一篋。篋中有四毒蛇。王敕罪人令看視養育。此人思惟。四蛇難近。近則害人。一猶叵養。而況於四。便棄篋而走。王令五人拔刀追之。復有一人口言附順。心欲中傷而語之言。養之以理此亦無苦。其人覺之馳走逃命。至一空聚有一善人方便語之。此聚雖空是賊所止處。汝今住此必爲賊害慎勿住也。於是復去至一大河。河之彼岸即是異國。其國安樂坦然清淨無諸患難。於是集衆草木縛以爲筏進。以手足竭力求渡。既到彼岸安樂無患。王者魔王。篋者人身。四毒蛇者四大。五拔刀賊者五衆。一人口善心惡者。是染著空聚是六情。賊是六塵。一人愍而語之是爲善師。大河是愛。筏是八正道。手足懃渡是精進。此岸是世間。彼岸是涅槃。度者漏盡阿羅漢。菩薩法中亦如是。大正二五 一四五C)
ここでは、『毒蛇喩経』を引用して、王様が罪人に「竹で編んだ箱の中に四匹の毒蛇を入れて持たせる」という罰を与えたという。すると、この罪人は、この箱の中の四匹の蛇を恐れて逃げようとした。毒蛇の箱を棄てて逃げると、王様は五人に刀を抜かせてそれを追わせたという。この王様とは魔王であり、箱とは人身であり、四の毒蛇とは四大であり、五の抜刀の賊とは五陰(衆)のことであるという。
人身は四大の和合によって構成されており、それは五陰によって苦として認知されていることが解説されている。
⑹ 『大智度論』釋初品中三十七品第三十一(卷第十九)
「初品の中の三十七品を釈す」
復次に、眼等の五情を内身、色等の五塵を外身とする。四大を内身、四大の造色を外身とする。苦楽の覚る処を内身、苦楽の覚らない処を外身とする。自身や眼等の諸根を内身、妻子、財宝、田宅など所用の物は外身とする。その理由が何かといえば、一切の色法は、尽くしてこれ身念処である。行者はこれ内身の浄、常楽の我あるを求める。つまびらかに悉く求むるもの都て不可得である。
(復次眼等五情爲内身。色等五塵爲外身。四大爲内身。四大造色爲外身。覺苦樂處爲内身。不覺苦樂處爲外身。自身及眼等諸根是爲内身。妻子財寶田宅所用之物。是爲外身。所以者何。一切色法盡是身念處故。行者求是内身有淨常樂我。審悉求之都不可得。大正二五 二〇二A)
ここでは、眼等の五情が内身であり四大によって構成され、それは苦楽を覚る処である。色等の五塵が外身であり四大の造色によって構成され、それは苦楽の覚らない処である。一切の色法は、すべてが身念処であり、行者は自身の内身の浄、常楽の我あるを求めると、四大和合の精神性(内心)と、四大和合の造色の身体性(外身)について、解説している。
⑺ 『大智度論』釋初品中三十七品第三十一(卷第十九)
「初品の中の三十七品を釈す」
菩薩摩訶薩は、四念処を行じて、この内身を観ずる。(中略)このように身の悪露を観ずれば、一つとして浄い處はない。骨幹・肉塗・筋纒・皮裏は、先世の有漏業の因縁を受ける。今世は沐浴・華香・衣服・飲食・臥具・医薬等の所成である。車の両輪があって牛力が牽いてよく至ることが出来る。二世の因縁をもって身車を成じ、識牛に牽かれて周旋し往反する。この身は四大和合によって造られ、水沫聚が虚であるように堅固ではない。この身は無常であり、久しくして必ず破壊し、この身相は身中に不可得である。また外に在らず、また中間に在らず。身は自ら覚らず、無知無作であることは、薔壁瓦石のようなものである。
(菩薩摩訶薩。行四念處觀是内身無常苦如病如癰。肉聚敗壞不淨充滿九孔流出。是爲行廁。如是觀身惡露無一淨處。骨幹肉塗筋纒皮裹。先世受有漏業因縁。今世沐浴華香衣服飲食臥具醫藥等所成。如車有兩輪牛力牽故能有所至。二世因縁以成身車。識牛所牽周旋往反。是身四大和合造。如水沫聚虚無堅固。是身無常久必破壞。是身相身中不可得。亦不在外亦不在中間。身不自覺無知無作如牆壁瓦石。大正二三 二〇三B)
ここでは、四大和合によって造られた身体は、水の飛沫のように堅固ではなく、必ず壊れてなくなるという。
⑻ 『大智度論』初品中十想釋論第三十七(巻第二十三)
「初品の中の十想を釈す」
問曰。諸の聖人あり、所著はないけれども苦しみはある。舎利弗は風熱病に苦しみ、畢陵伽婆蹉は眼痛に苦しみ、羅婆那跋提は痔病に苦しむなどである。どの様なことで苦しみがないと言うのだろうか。
答曰。二種の苦がある。一には身苦、二には心苦である。この諸の聖人は智慧の力によって、また憂愁・嫉妬・瞋恚などの心苦はないが、すでに先世の業と因縁によって四大造の身を受けて、老病・飢渇・寒熱などの身苦あり、身苦の中でもまた薄少である。人の了了に他に債を負うことを知れば、これを償いもって苦とすることはない。もし人が債を負うことを憶はなければ、債主に彊奪されて瞋り悩んで苦を生ずるようになる。
(問曰。有諸聖人。雖無所著亦皆有苦。如舎利弗風熱病苦。畢陵伽婆蹉眼痛苦。羅婆那跋提痔病苦。云何言無苦。答曰。有二種苦。一者身苦。二者心苦。是諸聖人以智慧力故。無復憂愁嫉妬瞋恚等心苦。已受先世業因縁四大造身。有老病飢渇寒熱等身苦。於身苦中亦復薄少。如人了了知負他債償之不以爲苦。若人不憶負債債主強奪瞋惱生苦。大正二五 二三〇A)
ここでは、まず舎利弗の風熱病、畢陵伽婆蹉の眼痛、羅婆那跋提の痔病を挙げながら、苦には身苦と心苦の二種があり、聖人は智慧の力によって、また憂愁・嫉妬・瞋恚などの心苦はないが、すでに先世の業と因縁によって四大和合の身体を受けて、老病・飢渇・寒熱などの身苦はあるという。(舎利弗の風熱病、秋病は、仏教教団がインド医療を取り入れるきっかけになっている。)
⑼ 『大智度論』釋初品中四縁義第四十九(卷第三十二)
「初品の中の四縁の義を釈す」
復たある人が言う。四大の中において風力は最大である。色香味がないために動相は最大である。なぜならば、虚空が無辺であるように、風もまた無辺である。一切の生育、成敗は皆風に由る。大風の勢いは三千大千世界の諸山を摧破す。
(復有人言。於四大中風力最大。無色香味故動相最大。所以者何。如虚空無邊風亦無邊。一切生育成敗皆由於風。大風之勢摧碎三千大千世界諸山。大正二五 三〇〇A)
ここでは、四大の中において風(大)力は最大である。それは色香味がないために動相が最大だからであるという。
以上の九の事例で明らかになったことは、病気の種類には先世の行業の報いと、今世の冷・熱・風が発るために二種類の病気があること、さらにその今世の病気には、内因と外因の二種類があること、そのような病気には四百四病の種類があることである。内因による病気とは飲食の不節制や起居の不摂生によって生ずる病気であり、外因による病気とは寒熱・飢渇・兵刃・刀杖・墜落・推壓などの事件事故によって生ずる病気である。
また四百四の病気はそのまま私たちの身体そのもの、地水火風の四大が和合して出来ていると、四大の和合による病因論が、「地大・水大・火大・風大の性は相宜しきからず。各々が相害しているから病気になる」と解説されている。そして、四大の中で堅相である地大は身体組織そのもので血・肉・筋・骨・骸髓などによって構成され、他の水大・火大・風大の三大は働く要素として考えられている。風大・熱(火大)・冷(水大)・雜(地大)の病気は「根本の四病」と呼ばれ、それによって四百四病があり、それによって八萬四千の病気があるという。
さらに病気になる原因として、地(大)・水(大)・火(大)・風(大)のの四大が和合して身体となり、その四大が和合した身体の四大の性質が同じではないからである。この身体は四大の各々が互いに相害することで、常に病んで常に治っているから活きている。また舎利弗の風熱病、畢陵伽婆蹉の眼痛、羅婆那跋提の痔病を挙げながら、四大の和合によって構成される身体の苦しみは五陰によって認知されるという。
眼等の五情が内身であり四大によって構成され、それは苦楽を覚る処である。色等の五塵が外身であり四大の造色によって構成され、それは四大和合の精神性(内心)と、四大和合の造色の身体性(外身)となる。また地水火風の四大の中では風(大)力は最大で、それは色香味がないために動相が最大だからである。
さらに今世の病気には、内因と外因の二種類があること、そのような病気には四百四病の種類があること、さらに内因による病気とは飲食の不節制や起居の不摂生によって生ずる病気であり、外因による病気とは寒熱・飢渇・兵刃・刀杖・墜落・推壓などの事件事故によって生ずる病気であると、同様の記述が見られる。
さらに病気になる原因として、地(大)・水(大)・火(大)・風(大)のの四大が和合して身体となり、その四大が和合した身体の四大の性質が同じではないから、この身体は四大の各々が互いに相害することで、常に病んで常に治っているから活きている。
また眼等の五情が内身であり四大によって構成され、それは苦楽を覚る処である。色等の五塵が外身であり四大の造色によって構成され、それは四大和合の精神性(内心)と、四大和合の造色の身体性(外身)となる。また地水火風の四大の中では風(大)力は最大で、それは色香味がないために動相が最大だからであるという。
そしてまた、⑻の『大智度論』初品中十想釋論第三十七(巻第二十三)では、「舎利弗は風熱病に苦しみ、畢陵伽婆蹉は眼痛に苦しみ、羅婆那跋提は痔病に苦しむ」とある。この中の「舎利弗の風熱病」の記述は、『摩訶僧祇律』などに、舎利弗尊者や比丘たちが、夏安居が終わった秋時に、王舎城に在住していた何人かの僧が風病(秋病)になった。僧たちは飲食した米粥などの食べたものを吐いてしまい、それからは消耗し、やつれ、皮膚の色が悪く、だんだん蒼白(黄疸色)になり、手足の血管が浮きでて見えるようになる病気のために、釈尊は五種の基本薬を許した(次佛住舎衞城。爾時有比丘在聚落中夏安居訖。来詣舎衞。欲禮覲世尊。時有檀越。在聚落中作福舎。[中略]比丘食已。而出風病發動。大正二二 三五一C)という記述と同様であり、初期仏教教団がその時代のインド医学の知識に従っていたことが分かる記述でもある。
2 『大智度論』にみる四大の病因論と薬効食などについて
さきのように風病はインドの気候が外因となり、比丘たちが秋病になったとき、釈尊はその時代のインド医学の知識に従い、薬効食の規定を律藏の中に取り入れ、発病した梵行乞食の僧たちの秋時病の治療やその予防を積極的に行った。
『摩訶僧祇律』には「七日薬」とは、酥・油・蜜・石蜜・脂・生酥の基本薬を挙げ、病に罹った比丘が七日間服用することを許している。(七日藥者。酥油蜜石蜜脂生酥。酥者。牛水牛酥羊・羊酥駱駝酥。[中略]此諸藥清淨無食氣。一時頓受得七日服。故名七日藥。大正二二 二四四C)
このような病因論と薬効食は、『大智度論』にどの様な形で見えるのだろうか。
⑴ 『大智度論』初品總説如是我聞釋第三(卷第二)
「初品の中の総説の『是の如く我聞けり』を釈す」
仏は羅羅に問いかけた。どうして羸痩するのかと。羅羅は仏に答えた。若し人が油を食べれば力を得る、酥を食べれば好色を得る、麻と滓菜を食べれば、色力がなくなる。
(佛問羅羅。何以羸痩。羅羅説偈答佛 若人食油則得力 若食酥者得好色 食麻滓菜無色力 大正二五 七〇C)
ここでは、薬効食としての酥を食べると身体が元気になる(好色)という。
⑵ 『大智度論』初品總説如是我聞釋第三(卷第二)
「初品の中の総説の『是の如く我聞けり』を釈す」
放牛譬喩經の中に説いているように、摩伽陀國の王、頻婆娑羅は仏及五百の弟子を請すること三ヶ月、王は新しい乳・酪・酥を須いて、仏及比丘僧に供養した。諸の放牛人に語った。近所に来たって住みなさいと。日日新しい乳・酪・酥を送りおわること三ヶ月。
(如放牛譬喩經中説。摩伽陀國王頻婆娑羅請佛三月。及五百弟子。王須新乳酪酥供養佛及比丘僧。語諸放牛人来近處住。日日送新乳酪酥。竟三月。大正二五 七三B)
ここでは、乳・酪・酥の薬効食があるという。
⑶ 『大智度論』初序品中縁起義釋論第一(巻第一)
譬えば、重熱の膩・酢・鹹の薬草を飲食することは、風病には薬であるが、余病では非薬である。軽・冷・甘・苦渋の薬草を飲食することは、熱病には薬であるが、余病では非薬である。軽・辛・苦渋・熱の薬草を飲食することは、冷病には薬であるが、余病では非薬である。
(譬如重熱膩酢鹹藥草飲食等。於風病中。名爲藥。於餘病非藥。若輕冷甘苦澀藥草飲食等。於熱病名爲藥。於餘病非藥。若輕辛苦澀熱藥草飲食等。於冷病中名爲藥。於餘病非藥。大正二五 六〇A)
ここでは、重熱の膩・酢・鹹の薬草を飲食することは、風(大)病には薬であるが、余病では非薬である。軽・冷・甘・苦渋の薬草を飲食することは、熱(火大)病には薬であるが、余病では非薬である。軽・辛・苦渋・熱の薬草を飲食することは、冷(水大)病には薬であるが、余病では非薬であると、具体的に解説されている。
⑷ 『大智度論』初品中十想釋論第三十七(卷二十三)
「初品の中の八念の下を釈す」
譬えば、一婆羅門の浄潔の法を修し、事の縁があって不浄の国に至り、自ら思った。「我れまさに、この不浄を免れることを得るか」と。唯だまさにこれを乾食すれば、清浄なることを得ることが出来る。一老母は白髓の餅を売るのを見て、これに語って言った。「我れは因縁があって、ここに百日住んでいる。常にこの餅を作って送り来たり、まさに多くの価いを与えるべきである」と。老母は日日に餅を作りこれを送る。婆羅門は貪著して飽食し歓喜する。老母は餅を作り初めての時は白浄である。後になって無色無味に転じた。すなわち、「老母に何の縁によって問う何の縁によって爾るや」と。(老)母は言う。「癰瘡が差えるために」と。婆羅門が問う。「この言は何の謂なのだろう」と。(老)母は言う。「大家の夫人が隠処の癰は生じた。我は麺酥、甘草をもってそれに拊けたら、癰は熟し膿が出て、酥餅を和合すること、日日このようなものである。このように餅を作って汝に与える。これによって餅は好いのである。今や夫人の癰は差えた。我れまさに何処で更に得べきか」と。婆羅門これを聞いて、両拳で頭を打って、胸をいて吁嘔し、「我れまさにこの浄法を破って、我れ了らんとす」と。縁事を棄捨して本国に馳せ還える。
(譬如一婆羅門修淨潔法。有事縁故到不淨國。自思我當云何得免此不淨。唯當乾食可得清淨。見一老母賣白髓餅而語之言。我有因縁住此百日。常作此餅送来當多與價。老母日日作餅送之。婆羅門貪著飽食歡喜。老母作餅初時白淨。後轉無色無味。即問老母何縁爾耶。母言癰瘡差故。婆羅門問。此言何謂。母言。我大家夫人隱處生癰。以麺酥甘草拊之。癰熟膿出和合酥餅。日日如是。以此作餅與汝。是以餅好。今夫人癰差。我當何處更得。婆羅門聞之兩拳打頭胸吁嘔。我當云何破此淨法我爲了矣。棄捨縁事馳還本國。大正二五 二三一C)
ここでは、病気になった婆羅門と老母の薬効食の話が述べられている。老母の作る白髓の餅に病気に薬効があるというので、癰瘡などの皮膚病の婆羅門がその餅を食べていると、始めのうちは白浄の餅であったが、その後に無色無味に変わってしまった。その理由を聞くと、老母は皮膚病を癒すためだと言う。さらに老母は、大家の夫人が隠処に出来た癰に麺酥と甘草を拊けたら、癰は熟し膿が出て治ったという。酥餅を和合することは、このようなことだという。このように婆羅門の皮膚病の状態によって餅を作ったからだという。
⑸ 『大智度論』釋初品中善根供養義第四十六(卷第三十)
「初品の中の善根供養の義を釈す」
飲食には、略説して麁・細の二種、餅飯等の百味の食である。経には四食の衆生が久しく住するといっても、ここにはただ搏食のみを説く。余は形がない(無色)ので、そのようには与えられない。もし搏食を施せば則ち三食を与える。どのようなことで、搏食によって三食の増益があるのか。経の所説のように、檀越が食を施せば、則ち受者に与えるには五事の利益がある。飲には総説して二種がある。一には草木の酒、いわゆる蒲桃、甘蔗等及諸の穀酒である。二には草木の液状のもの(漿)、甘蔗漿、蒲桃漿、石蜜漿、安石榴漿、梨奈漿、波盧沙果漿等及諸の穀漿である。このような和合は人中の飲食及天飲食である。いわゆる修陀の甘露味、天果食等、摩頭摩陀婆漿等である。衆生の各各が食するところは、或いは穀を食す者あり、或いは肉を食す者あり、或いは浄なるものを食す者あり、また不浄の者あり、それぞれ来たって皆飽満する。
(飲食者略説麁細二種。餅飯等百味之食。經雖説四食衆生久住。而此但説揣食。餘者無色不可相與。若施揣食則與三食。何以故因揣食故増益三食。如經所説。檀越施食則與受者五事利益。飲總説二種。一者草木酒。所謂蒲桃甘蔗等及諸穀酒。二者草木漿。甘蔗漿蒲桃漿石蜜漿安石榴漿梨奈漿波盧沙果漿等及諸穀漿。如是和合人中飲食及天飲食。所謂修陀甘露味天果食等。摩頭摩陀婆漿等。衆生各各所食。或食穀者或食肉者或食淨者不淨者来皆飽滿。大正二五 二七八C)
ここでは、飲食には麁・細の二種、餅飯等の百味の食が示され、とくに形のある搏食の効用が説かれている。また飲には草木の酒、いわゆる蒲桃、甘蔗等及諸の穀酒など、また草木の液状のもの、甘蔗漿、蒲桃漿、石蜜漿、安石榴漿、梨奈漿、波盧沙果漿等及諸の穀漿などの二種類があるという。
⑹ 『大智度論』釋幻人無作品第十一(卷第四十四)
譬えば、薬師諸薬を和合して、冷病には熱薬を与えるが、熱病の中には非薬となるようなものである。
(譬如藥師和合諸藥。冷病者與熱藥。於熱病中爲非藥。大正二五 三七八A)
ここでは、冷病には熱薬を与えるが、熱病の中には非薬となるという薬効の記述がある。
⑺ 『大智度論』釋燈喩品第五十七之餘(卷七十五)
「夢中入三昧品第五十八を釈す」
復次に須菩提よ、菩薩摩訶薩は六波羅蜜を行ずる時、衆生の諸の善根を離れるのを見て、まさにこの願を作すべし。我れ仏と作る時、我が国土の中の衆生をして、諸の善根を成就し、この福徳をもって、よく諸仏を供養せしめんと。乃至一切の種智に近づく。
復次に須菩提よ、菩薩摩訶薩は六波羅蜜を行ずる時、衆生に三毒、四病あるを見て、まさにこの願を作すべし。我れ仏と作す時、我が国土の中の衆生をして、四種の病、冷・熱・風病の三種と雜病、及び三毒の病なからしめんと、乃至一切の種智に近づく。
(復次須菩提。菩薩摩訶薩行六波羅蜜時。見衆生離諸善根。當作是願。我作佛時令我國土中衆生諸善根成就。以是福徳供養諸佛。乃至近一切種智。復次須菩提。菩薩摩訶薩行六波羅蜜時。見衆生有三毒四病。當作是願。我作佛時令我國土中衆生無四種病。冷熱風病三種雜病及三毒病。乃至近一切種智。大正二五 五九二A)
ここでは、四種の病、冷・熱・風病の三種と雜病の記述が見られる。
⑻ 『大智度論』初品中布施随喜心過上釋論第四十四之餘(卷二十九)
復次に、菩薩は仏法の中の本生の因縁を聞いた。「少施にして果報の多を得ることは多い」と。薄拘羅(vakkula)阿羅漢は、一つの訶梨勒果薬をもって布施し、九十一劫悪道に墮せずして、天人の福楽を受け、身には常に病いなく、末後の身に阿羅漢道を得たという。
(復次菩薩聞佛法中本生因縁。少施得果報多。如薄拘羅阿羅漢。以一訶梨勒果藥布施。九十一劫不墮惡道。受天人福樂身常不病。末後身得阿羅漢道。大正二五 二七一A)
ここでは、訶梨勒果(harītakī)の薬の記述がある。
⑼ 『大智度論』初品中十喩釋論第十一(第六卷)
「初品の中の十喩を釈す」
復次に、譬えば病を治すようなものだ。苦薬と針灸とは痛んで差すことを得る。妙薬がある、名づけて蘇陀扇陀と名づけるものは、病人が眼に見れば衆の病いは皆愈えた。
(復次譬如治病苦藥針炙痛而得差。如有妙藥名蘇陀扇陀。病人眼見衆病皆愈。大正二五 一〇七A)
ここでは、眼病薬として、蘇陀扇陀(asudhasyanda)という妙薬の記述がある。ただし、針灸の記述はインド医学にはなく、中国医学の特徴である。
⑽ 『大智度論』釋初品中提波羅蜜法忍義第二十五(卷第十五)
復次に一切の衆事は、もしは精進がなければ、則ち成ずることはない。譬えば、下薬は巴豆をもって主となし、もし巴豆を除いてしまえば、則ち下力はないようなものである。
(復次一切衆事。若無精進則不能成。譬如下藥以巴豆爲主。若除巴豆則無下力。大正二十五 百七十三A)
ここでは、下薬の巴豆についての記述がある。
以上一〇の事例から明らかなことは、薬効食としての酥(乳・酪・酥)を食べると身体が元気になる(好色)こと。さらに重熱の膩・酢・鹹の薬草を飲食することは、風病には薬であるが、余病では非薬である。また軽・冷・甘・苦渋の薬草を飲食することは、熱病には薬であるが、余病では非薬である。軽・辛・苦渋・熱の薬草を飲食することは、冷病には薬であるが、余病では非薬であることが具体的に記述がある。
さらに病気になった婆羅門と老母の薬効食の話では、白髓の餅に病気に薬効があるというので、癰瘡などの皮膚病の婆羅門がその餅を食べていると、始めのうちは白浄の餅であったが、その後に無色無味に変わってしまった。その理由を聞くと、老母は皮膚病を癒すためだと言う。さらに老母は、大家の夫人が隠処に出来た癰に麺酥と甘草を拊けたら、癰は熟し膿が出て治ったという。酥餅を和合することは、このようなことだという。このように婆羅門の皮膚病の状態によって餅を作った、ということが記述がある。
また飲食には麁・細の二種、餅飯等の百味の食が示され、とくに形のある搏食の効用、また飲には草木の酒、いわゆる蒲桃、甘蔗等及諸の穀酒など、また草木の漿、甘蔗漿、蒲桃漿、石蜜漿、安石榴漿、梨奈漿、波盧沙果漿等及諸の穀漿などの二種類の記述がある。
冷病には熱薬を与えるが、熱病の中には非薬となるという薬効や、冷・熱・風病の三種と雜病など四種の病気の記述がある。訶梨勒果(harītakī)の薬の、眼病薬として、蘇陀扇陀(asudhasyanda)という妙薬、下薬の巴豆についての記述がある。
およそ『摩訶僧祇律』に見られた四大の病因論と薬効食(七日薬)の関係のように整理されたものではないが、㈢の「薬効食としての酥(乳・酪・酥)を食べると身体が元気になる(好色)こと。さらに重熱の膩・酢・鹹の薬草を飲食することは、風病には薬であるが、余病では非薬である。また軽・冷・甘・苦渋の薬草を飲食することは、熱病には薬であるが、余病では非薬である。軽・辛・苦渋・熱の薬草を飲食することは、冷病には薬であるが、余病では非薬である」こと、㈥「冷病には熱薬を与えるが、熱病の中には非薬となる」ことが具体的に記述され、ある程度は四大の病因論と薬効食の因果関係が論じられている。
3 四大の生命(いのち)は無常であること
⑴ 『大智度論』釋初品中檀波羅蜜法施之餘(卷第十二)
「初品の中の檀波羅蜜の法施の余を釈す」
復次にもし不作なら、云何ぞ閻羅王は罪人にむかって、「誰か汝をして、この罪を作さしむる者ぞ」と問えるに、罪人答えて、「これは我が自から作せるなり」と言う。これをもっての故に自作にあらざるに非ざることを知る。もし神は色相ならばこの事は然らず。何となれば、一切の色は無常なるをもってなり。
問曰。人は云何ぞ、「色はこれ我相」と言う。答曰。ある人は言う。「神は心中に在って、微細なること芥子の如く、清浄なるを名づけて浄色身となす」と。更にある人は「麦の如し」と言う。あるが言う「豆の如し」と。あるが言う「半寸」と、あるが言う「一寸にして、初めて身を受ける時、最もさきに在って受ける。譬えば像の骨の如く、その身に成るに及んでは、像はすでに荘なるが如し」と。あるが言う。「大小は人身に随う。死し壊する時、これもまた前に出ず」と。かくの如きは皆爾らざるなり。何となれば一切の色は四大の所造にして、因縁より生じ、無常なるをもってなり。もし神これ色ならば、色は無常なるをもって、神もまた無常なり。もし無常ならば、上に説ところの如し。
問曰。身に二種あり。麁身及細身なり。麁身は無常なれども、細身はこれ神にして、世世常に去って五道の中に入る。答曰。この細身は不可得なり。もし細身あれば、まさに處の得べき所にあるべし。五蔵四体の如き、一一處中に求めても皆不可得なり。
問曰。この細身は微細にして、初め死する時すでに去り、もし活する時は則ち求め得べからず、汝よく見ん。またこの細身は五情(眼・耳・鼻・舌・身の五根)のよく見、よく知るところに非ず。唯、神通の聖人あって、乃ちよく見ことを得る。
答曰。もし爾らば無と異なることなし。人の死する時の如きは、この生陰を捨てて中陰の中に入る。この時、今世の身滅し、中陰の身を受ける。これに前後なく、滅する時は即ち生ず。譬えば、蝋印を泥に印しても、泥の中の受印の印は即時に壊れてしまうようなものである。成と壊とは一時のことであって前後はない。この時に中陰・中有を受け、この中陰を捨てて生陰の有を受ける。汝が言う細身とは即ちこの中陰である。中陰の身には出なく入もない。
(復次若不作者。云何閻羅王問罪人。誰使汝作此罪者。罪人答言。是我自作。以是故知非不自作。若神色相者是事不然。何以故。一切色無常故。問曰。人云何言色是我相。答曰。有人言。神在心中微細如芥子。清淨名爲淨色身。更有人言如麥。有言如豆。有言半寸。有言一寸。初受身時最在前受。譬如像骨及其成身如像已莊。有言大小随人身。死壞時此亦前出。如此事皆不爾也。何以故。一切色四大所造。因縁生故無常。若神是色色無常神亦無常。若無常者如上所説。問曰。身有二種。麁身及細身。麁身無常細身是神。世世常去入五道中。答曰。此細身不可得。若有細身應有處所可得。如五藏四體。一一處中求皆不可得。問曰。此細身微細。初死時已去。若活時則不可求得汝云何能見。又此細身非五情能見能知。唯有神通聖人乃能得見。答曰。若爾者與無無異。如人死時。捨此生陰入中陰中。是時今世身滅受中陰身。此無前後滅時即生。譬如蝋印印泥。泥中受印印即時壞。成壞一時亦無前後。是時受中陰中有。捨此中陰受生陰有。汝言細身即此中陰。中陰身無出無入。大正二十五 一四九B〜一五〇A)
ここでは、死者の国を支配する閻羅王と罪人の会話で、罪人は現世では罪を犯したが、この私が罪を犯したのではない。もし神が色相であればその通りである。なぜなら、一切の色は無常だからである。一切の色は四大の所造であり、因縁より生じて、無常だからであるという。また身体には麁身と細身の二種類があり、麁身は無常だが細身は神にして、世世常に去って五道の中に入る。この細身は不可得であって、五蔵四体(四大)の中に求めても不可得である。さらに、この細身は微細であって、死する時に死体から去り、もし活する時には具わっている。この細身は五情(眼・耳・鼻・舌・身の五根)のよく見、よく知るところに非ず。唯、神通の聖人だけが見ることが出来る。その細身は無と同様であって、人が死する時は、この生陰を捨てて中陰の中に入る。この時、今世の身体は滅して、中陰の身体を受ける。これに前後なく、滅する時は即ち生ずという。この中陰・中有を受け、この中陰を捨てて生陰の有を受ける。これが細身であり、即ち中陰のことである。そして、この中陰の身には出なく入もない。
明らかに四大(五蔵四体)の生命(いのち)である麁身の他に、五情に知覚されない細身、中陰の身体があり、これが神(こころ)であるという。
⑵ 『大智度論』釋初品中三十七品第三十一(卷第十九)
「初品の中の三十七品を釈す」
問曰、摩訶衍に説いている三十七品義は云何。答曰、菩薩摩訶薩は、四念處を行じて、この内身を観ずる。無常は苦で病のように、癰のように、肉聚は敗壊し不淨は充滿して、九孔より流出する。これを行厠となす。このように身の悪露を観ずれば、一つとして浄い處はない。骨幹・肉塗・筋纒・皮裏は、先世の有漏業の因縁を受ける。今世は沐浴・華香・衣服・飲食・臥具・医薬等の所成である。車の両輪があって牛力が牽いてよく至ることが出来る。二世の因縁をもって身車を成じ、識牛に牽かれて周旋し往反する。この身は四大和合して造り、水沫聚は虚であり堅固ではない。この身は無常であり、久しくして必ず破壊し、この身相は身中に不可得である。また外に在らず、また中間に在らず。身は自ら覚らず、無知無作であることは、薔壁瓦石のようなものである。この身中には定めて身相はない。この身は作る者があるのではなく、また作らせる者もない。この身は先際・後際・中際は皆不可得である。八萬の戸虫は無量の諸病、及び諸飢渇・寒熱・刑殘等などは常にこの身を悩ます。
(問曰摩訶衍所説。三十七品義云何。答曰菩薩摩訶薩。行四念處觀是内身無常苦如病如癰。肉聚敗壞不淨充滿九孔流出。是爲行廁。如是觀身惡露無一淨處。骨幹肉塗筋纒皮裹。先世受有漏業因縁。今世沐浴華香衣服飲食臥具醫藥等所成。如車有兩輪牛力牽故能有所至。二世因縁以成身車。識牛所牽周旋往反。是身四大和合造。如水沫聚虚無堅固。是身無常久必破壞。是身相身中不可得。亦不在外亦不在中間。身不自覺無知無作如牆壁瓦石。是身中無定身相。無有作是身者。亦無使作者。是身先際後際中際皆不可得。八萬戸虫無量諸病。及諸飢渇寒熱刑殘等常惱此身。大正二三 二〇三B)
ここでは、菩薩摩訶薩は四念処を行じて、内身を観している。骨幹・肉塗・筋纒・皮裏は、先世の有漏業の因縁を受ける。今世は沐浴・華香・衣服・飲食・臥具・医薬等の所成である。車の両輪があって牛力が牽いてよく至ることが出来る。二世の因縁をもって身車を成じ、識牛に牽かれて周旋し往反する。この身は四大和合して造り、水沫聚は虚であり堅固ではない。この身は無常であり、久しくして必ず破壊し、この身相は身中に不可得であるという。
前世と現世の二世の因縁によって、四大和合してこの身体が出来上がり、意識(識牛)に動かされている。その四大和合の身体は無常であるという。
⑶ 『大智度論』釋四念處品第十九(卷第四十八)
「四念処品第十九を釈す」
復次須菩提よ、菩薩摩訶薩は身の四大を観じて、この念を作す。「身中に地大・水大・火大・風大あり」と。譬えば屠牛師、もしは屠牛(師)弟子に、刀をもって牛を殺し、分けて四分と作し、四分と作しおわって、もしは立ち、もしは坐し、この四分を観じるようなものである。菩薩摩訶薩もまたこのように、またこの般若波羅蜜を行ずる時、身の四大、(乃ち)地大・水大・火大・風大を観じる。このように須菩提よ、菩薩摩訶薩は内身中、身に循って観じる。不可得だからである。
復次に、須菩提よ、菩薩摩訶薩は内身を観じて、足より頂にいたるまで、薄皮を周匝し、種種の不浄、身中に充滿する。この念を作す。身中に髪毛、爪歯、薄皮、厚皮、筋肉、骨髓、脾腎、心胆、肝肺、小腸、大腸、胃、屎尿、垢汗、目涙、涕唾、膿血、黄白、痰陰、肪[月+冊]、腦膜ありと。譬えば、田夫の倉中に隔てて雑穀を盛り、種種の稲・麻・黍・粟・豆・麦を充満すれば、明眼の人が倉を開けば、即ち、これは麻、これは黍、これは稲、これは粟。これは麦、これは豆と知り、分別して悉く知るようなものである。菩薩摩訶薩もまた、このように、足から頂に至るまで、薄皮を周匝して、種種に不浄、身中に充満する。髪毛爪歯より乃至悩膜を観る。このように須菩提よ、菩薩摩訶薩は内身を観て、勤めて精進し、一心に世間の貪憂を除く。それは不可得だからである。
(復次須菩提。菩薩摩訶薩觀身四大作是念。身中有地大水大火大風大。譬如屠牛師若屠牛弟子。以刀殺牛分作四分。作四分已若立若坐觀此四分。菩薩摩訶薩亦如是行般若波羅蜜時。種種觀身四大。地大水大火大風大。如是須菩提。菩薩摩訶薩内身中循身觀。以不可得故。復次須菩提。菩薩摩訶薩觀内身。從足至頂周匝薄皮。種種不淨充滿身中。作是念。身中有髪毛爪齒薄皮厚皮筋肉骨髓脾腎心肝肺小腸大腸胃胞屎尿垢汗目涙涕唾膿血黄白痰陰肪[月+冊]腦膜。譬如田夫倉中隔盛雜穀。種種充滿稻麻黍粟豆麥。明眼之人開倉即知。是麻是黍是稻是粟是麥是豆。分別悉知。菩薩摩訶薩亦如是觀是身。從足至頂周匝薄皮。種種不淨充滿身中。髪毛爪齒乃至腦膜。如是須菩提。菩薩摩訶薩觀内身。勤精進一心除世間貪憂。以不可得故。大正二五 四〇三B)
ここでは、菩薩摩訶薩は身体の四大を観て、「身中に地大・水大・火大・風大あり」と思う。この般若波羅蜜を行ずる時、身体の四大、地大・水大・火大・風大を観る。内身中、身に循って観る。それは不可得だからという。
菩薩摩訶薩が身体の四大を観るのは不可得だからだという。
以上の三つの事例の積み上げで明らかなことは、また身体には麁身と細身の二種類があり、麁身は無常だが細身は神にして、世世常に去って五道の中に入るといい、麁身としての四大(五蔵四体)の生命(いのち)の他に、五情に知覚されない細身、中陰の身体があり、これが神であるという。
さらに前世と現世の二世の因縁によって、四大和合してこの身体が出来上がり、意識(識牛)に動かされている。その四大和合の身体は無常であるという。また菩薩摩訶薩が身体の四大、地大・水大・火大・風大を内身中、身に循って観るのは、四大が不可得だからという。
つまり、四大和合によって構成されている身体、四大の病因論に則って活命される生命(いのち)を離れて、五情に知覚されない細身の生命(いのち)、中陰の生命(いのち)が『大智度論』に見える生命だと考えられる。
4 これまでの事例を総括すると
[1『大智度論』にみる四大と四百四病について]、[2『大智度論』にみる四大の病因論と薬効食などについて]の事例の積みあげで明らかになってきたことは、私たちが日常の中で生命(いのち)と呼んでいる生命は、身体の病気を治すことで保たれる生命(いのち)、地大・水大・火大・風大の四大和合に支えられた身体的な生命(いのち)であることが分かる。
それはあくまで養生医療の考え方、病気になりにくい生活の維持と、病気になった場合には治りやすい生活の維持の考え方である。内因としては着衣喫飯にわたる日常生活を四大の病因論に則って節制することであり、外因としては生活環境の中で突如として起こる事件事故に注意することである。
そこに見えるインドの仏教医療のあり方は、これまでの『摩訶僧祇律』などの律蔵群や、ナーランダ僧院の医療事情を伝える『南海寄帰内法伝』と比較して、かなり未熟なものだった。しかし、そこに見える医療観は単に活命によって生きながらえるためではなく、僧たちが大愛道を歩み出家の大願を成就するためにフィジカルな生命(いのち)、四大によって構成されている心身(いのち)を養うためであると分かる。
[3 四大の生命(いのち)は無常であること]の三つの事例の積み上げで明らかなことは、また身体には麁身と細身の二種類があり、麁身は無常だが細身は神にして、世世常に去って五道の中に入るといい、麁身としての四大(五蔵四体)の生命(いのち)の他に、五情に知覚されない細身、中陰の身体があり、これが神(こころ)であるという。
さらに前世と現世の二世の因縁によって、四大和合してこの身体が出来上がり、意識(識牛)に動かされている。その四大和合の身体は無常であるという。また菩薩摩訶薩が身体の四大、地大・水大・火大・風大を内身中、身に循って観るのは、四大が不可得だからという。
つまり、四大和合によって構成されている身体、四大の病因論に則って活命される生命(いのち)を離れて、五情に知覚されない細身の生命(いのち)、中陰の生命(いのち)が『大智度論』に見える生命であった。そこには仏教の救済のあり方として、四大和合によって構成されている心身(いのち)を救済することが目的ではなく、その生死の生命(いのち)を超えた生命の気づきにあることが分かる。
5 生命(いのち)という言葉を理解する
さきの総括を含め、これまでの考察で明らかになったことを整理すれば、インド仏教の医療観に見える生命(いのち)には、四大または三大によって構成されている心身(いのち)と、そのような生死の生命(いのち)を超えた生命への気づきにあることが分かった。この切れば血の出る肉体としての生命(いのち)と、肉体としての生命(いのち)に内在する生死を超えた生命という二つのあり方である。
とくに『大智度論』には、四大和合によって構成されている身体と、四大の病因論に則って活命される生命(いのち)を離れて、五情に知覚されない細身の生命(いのち)、中陰の生命(いのち)という二つあり方が示されていた。
ここで生命(いのち)という言葉を理解するために、まず日本語としての生命(いのち)という言葉の意味を整理してみよう。まず広辞苑に「生命」とは、「①生物が生物として存在し得るゆえんの本源的属性として、栄養摂取・感覚・運動・生長・増殖のような生活現象から抽象される一般概念。いのち。」(広辞苑第五版)といい、また国語辞典には「①生物が生きている限り持続している肉体や精神の活動を支える根源の包括的な呼称。」(新明解国語辞典)といい、ほぼ同様である。さらに古語辞典では「いのち」を「生命・寿命」(旺文社 全訳古語辞典)という。
以上の説明によれば、日本語としての生命(いのち)という言葉が意味するものは、ある肉体の上で認められる形の生命現象を支えているもの、乃至、そのような生命現象を現出せしめる潜勢的な働らきを意味しているものと理解できる。とくに古語の「いのち」では、寿命という「命のある長さ、齢(よわい)」を意味するところから、日本語の生命(いのち)とは生死を前提とした肉体的な生命現象を意味していると理解できる。
ここでインド学的にサンスクリット語における「生命・いのち」に対応する言葉を模索するために「OXFORD『SANSKRIT-EINGLISH DICTTIONARY』SIR MONIER-WILLIAMS 一九六四年、鈴木学術財団『梵漢訳対照梵和大辞典』昭和五四年」によって、サンスクリット語と漢訳を対比させ理解してつくと次のようである。
インドの医療文化史の視点から、インド伝統医学を総称してアーユル・ヴェーダ(Āyur-veda)と言う。このアーユル・ヴェーダは、生命の科学(知識)と訳される。この生命を意味するアーユス(āyus)について、『モニエル辞書』では「Life, Vital power, Vigour, Health, Duration of life, Long life」等とあり、また漢訳では「命、壽、壽命、壽量」となる。これは日本語の生命(いのち)と同様の意味である。医学が病気の治療を目的とし、身体の生命を扱っているのであるから妥当であるといえる。
さらにサンスクリット語における「生命・いのち」に対応する語を模索すれば、「jīva, prāna, ātoman」など、またその派生語にほぼ妥当すると見てよい。
まずジーヴァ(jīva)について『モニエル辞書』では、「Living, Existing, Alive, Heathy(blood)」等とあり、漢訳では「命、命者、存命、活命、壽、壽者、壽命」となる。
プラーナ(prāna)について『モニエル辞書』では、「Breath of life, Breath, respiration, Spirit, Vitality」等とあり、漢訳では「生、命、生命、性命、身命、壽、壽命」となる。
アートマン(ātoman)について『モニエル辞書』では、「The breath(気息)、The soul(霊魂)、Principle of life and sensation(生命と感性の支配者)、The individual soul(分けることの出来ない魂)、Self(自身)、Abstract individual(分けることの出来ない抽象的な概念)」等とあり、漢訳では「我、我者、己、自、性、自性、身、自身、体、体性、己体、自体、神、神識」となる。
これらのサンスクリット語を整理すれば、ジーヴァとプラーナは、さきのアーユスと同様に日本語の生命(いのち)と同様の言葉だと分かる。とくにジーバの漢訳「生、命、生命、性命、身命、壽、壽命」、プラーナの漢訳「生、命、生命、性命、身命、壽、壽命」を見れば明らかである。
ところが、アートマンの説明では、漢訳の場合でも、種々の生命現象の奥底に生命現象を生命現象として成り立たせる根本的な原理が想定され、その原理が個人的存在の根拠でもあり、また個人の精神あるいは霊魂、さらには宇宙的な精霊、根本原理といえるものを想定していることが分かる。
このようにインドにおける生命(いのち)等に対応する諸語は、個人的な生命(いのち)の営み、切れば血の出る生死の生命と、その生命(いのち)に内在する生死を超えた生命の二つのあり方のあることが理解できた。
繰り返しになるが、インド仏教の医療観に見える生命(いのち)にも、四大または三大によって構成されている心身(いのち)と、そのような生死の生命(いのち)を超えた生命への気づきが示されている。この切れば血の出る肉体としての生命(いのち)と、肉体としての生命(いのち)に内在する生死を超えた生命という二つのあり方である。さらに『大智度論』では、四大和合によって構成されている身体と、四大の病因論に則って活命される生命(いのち)を離れて、五情に知覚されない細身の生命(いのち)、中陰の生命(いのち)という二つあり方が示された。
そして、さきの律蔵群の事例も、『南海寄帰内法伝』の事例も、この『大智度論』の事例も、仏教という宗教が求めている生命(いのち)のあり方は、四大(三大)の病因論に則って活命される生命(いのち)を離れて、五情に知覚されない細身の生命(いのち)、中陰の生命(いのち)、生死の生命を離れることを目的としていることが分かる。
◇おわりに
ここでこれまでをふり返って、生命(いのち)という言葉を整理すれば、宗門運動でいう「法華経に説かれる『生命の絶対尊重』を基本理念とし、『立正安国の実現』を眼目とする信仰運動の第一歩を踏み出そうとするものである」という場合、基本テーマの生命(いのち)とは、お気づきのように「四大(三大)の病因論に則って活命される生命(いのち)を離れて、五情に知覚されない細身の生命(いのち)、中陰の生命(いのち)」のことであると言える。生死の生命を離れることを目的とし成立する言葉である。それは思想信条によってスローガン化して扱えるものではない。
さらに平成四年脳死臨調答申(脳死患者からの臓器移植の容認)など現代医療の諸問題を扱う場合には、現代医療は仏教のいう四大(三大)の病因論に則って活命される生命(いのち)、有限な壽命を扱うのであって、仏教という宗教が目的とするものは、生死の生命を超えたの生命(いのち)の気づきであり、仏教の慈悲心という思想信条によってその可否を論じてはならないと言える。
最後にさきのサンスクリット語「アーユス、ジーヴァ、プラーナ、アートマン」の英訳を読んで、これらに共通する英訳の中に、HELTHもしくはHELTHY(日本語では健康や健全な等と訳される)が散見できる。このHELTHに相応するサンスクリット語を『モニエル辞書』であたると、スヴァ・スタ(sva-stha)という単語に出会う。スヴァ(sva)は私・そのものの意味で、スタ(stha)は存在する・住するの意味で、スヴァ・スタは自己に安住する、悩まされていない状態(自己存在)ということである。そして、このスヴァ・スタを漢訳で示せば法華経の「安穏快楽、無復衆患」等に訳されている。
法華経の教えでは、この生死の病に冒されている私たちの存在そのものが、「安穏快楽、無復衆患」であるという。これらは学問的な理解だが、これを宗教として読み解こうとすれば、日蓮聖人のお言葉に依らざるを得ない。
まさに「設ひ諸経の中に、処処に六道並びに四聖を載すと雖も、法華経並びに天台大師所述の摩訶止観等の明鏡を見ざれば、自具の十界、百界千如、一念三千を知らざるなり」(観心本尊抄)そのものである。観心によって、「安穏快楽、無復衆患」の生命(いのち)に気づくこと、ここに仏教の生命(いのち)があるはずである。
(この小論は、第六十一回日蓮宗教学研究発表大会で発表した論考を整理加筆したもである。)