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現代宗教研究第43号 2009年03月 発行

第41回中央教化研究会議基調講演Ⅱ『立正安国』は如何に伝えられて来たか

第四十一回中央教化研究会議 基調講演Ⅱ

『立正安国』は如何に伝えられて来たか
 西 山   茂
 
 
 今、ご紹介いただきました西山でございます。小脳変性症という病気で足腰と滑舌があまりよくないのです。そんな関係で、お聞き苦しいところもあろうかと思いますが、なるべく、ゆっくりお話しますので、よろしくお願いしたいと思います。
 それから、本来、立ってお話しなければいけないところですが、座らせていただいてもよろしいでしょうか。ありがとうございます。では、座らせていただきます。レジュメが用意してございますので、このレジュメに沿って、お話をさせていただきます。
 私の今日の立場ですが、ひとつは客観的な宗教社会学の立場から、お話させていただきます。しかし、同時に、先ほどご紹介がありましたように、私は本化ネットワーク研究会を主宰している本化教徒でもあります。今日はこの二つの立場が入り交じったところから、お話をさせていただくことになるかも知れません。私はいつもどこに行ってもそうなのですが、比較的はっきり物を言ってしまうほうなので、今日もお聞き苦しいところがおありになるかも知れません。しかし、私は、日蓮宗のことを、好きでございますので(笑)、私自身も、宗定のご本尊を拝ませてもらっている立場がありますから、半分、仲間みたいな感じがあるのですね。その観点から、ちょっと、きつい表現になる時もあるかも知れませんが、お許しいただけたらと思います。あまり前置きしている暇はないと思いますので、レジュメに沿って、お話を始めさせていただきます。
 本日、私に与えられたテーマは、「『立正安国』は如何に伝えられてきたか」ということでございます。副題は、「戦後諸教団等の『立正安国』運動の展開と今後の課題」になっています。
 
 はじめに
 まず、始めに、戦前までの「立正安国」運動、内容的には日蓮主義運動を吟味した後、戦後の「立正安国」運動の原点として、石原莞爾の丸腰武装論を一瞥します。次に、その後の本化諸教団等の「立正安国」運動の特徴と問題点の指摘を行います。なお、時間の関係で、ここでは日本山妙法寺とプルナの会、立正佼成会を中心としたWCRP等の運動には触れません。また、一部を除き、対象の細かな運動事例等の紹介も致しません。最後に、今後の広義の「立正安国」運動の課題と方向性を探るとともに、私案の本化四菩薩プロジェクト構想を紹介したいと思います。本講のねらいは、本化諸教団等が明年に控えた宗祖の「立正安国論」奏進七五〇年の行事を、たんなるアリバイづくり的なものに終わらせることなく、宗祖の心を現代に翻訳し、「立正安国」のメッセージを、今日の社会でもなお信憑構造を持つように「再歴史化」することにあります。
 
一、近代日本の立正安国運動の吟味と教訓
 近代での立正安国運動は、田中智学等の国柱会の日蓮主義の運動として展開されました。その特徴は四つあります。一番目は、日本中心ですね。これは、彼らの表現では、戒壇国日本あるいは、本国土妙日本ということです。さらに日本民族を天業民族と捉えます。天業というのは、世界統一の天業ですね。
 それから、二番目は天皇中心です。これは、天皇が本門戒壇の願主で世界統一の聖天子金輪聖王である。それから、観心本尊抄の摂折現行段に出てくるところの賢王を天皇と捉える天皇賢王論ですね。三番目に戦前期までの日本は、戦争につぐ戦争でありましたから、戦争を擁護する立場です。折伏の立場に、道力折伏と勢力折伏の二つがありますが、この勢力折伏の立場は、干戈刀杖、要するに暴力を是認するという立場です。田中智学は、戦勝祈願の国祷ということをやっております。それから出征兵士の激励、施本をやっております。四番目の特徴は、政教一致です。これが一番大きいかと思います。
 この基調講演の一でも、国家と宗教との関係が出ましたが、政と教の関係はどうあるべきかということです。日蓮主義運動では、法国相関とか法国冥合といいます。
 具体的には日本建国三綱と三大秘法が契応関係にあるといいます。それから、法華経即国体であるとか国立戒壇ということを言っておりますね。これを田中智学の『日本国体の研究』(一九二一年)に即して表現しますと、「釈迦仏は印度に在って『日本国体』を仏教として説かれた」、あるいは、「法華経を形にした国としての日本と、日本を精神化した法華経」ということになります。すなわち、法華経というのは日本国体なのだ、あるいは日本国体は法華経なのだ、こういうことですね。
 以下、それを整理し、課題等に触れていきますが、まず、国柱会等の立正の「正」は、日本国体と相即した三大秘法であって、法華経一般ではないということですね。それから、天皇制国家とその海外膨張、あるいは戦争という時代背景に制約された政教一致の思想であるということです。にも関わらず、それは、近代日本で初めて「戒壇建立」、「立正安国」を大々的に宣揚した思想でもあるということです。この点では評価できるかと私は思います。
 しかし、その日蓮主義も、今となっては、戦後日本における戦前的な価値観の信憑構造の崩壊に対応した歴史社会的な戦略の練り直しが課題になるでありましょう。戦後日本では、「本門戒壇法門」が「不可触法門」、アンタッチャブルの法門として取り扱われてきました。要するに、民主主義の時代になって、日蓮主義的な国体とか、天皇と結びつけられて論じられた「本門戒壇法門」は、ちょっと、言及しにくい立場になった、羮に懲りて膾を吹く状態になった。しかし、「立正安国」という言葉は、戦後になっても相変わらずもてはやされます。この場合、「立正」が、世間受けする「平和」と結びつけられたむきがあります。そういう状況の中で、「本門戒壇」や「立正」の真義を本当に突き詰めないと、法門的裏付けのない、一般的ないし政治的な平和運動に堕する危険があるのではないかと私は思うわけであります。
 
二、戦後の「立正安国」運動の原点、石原莞爾の丸腰非武装論
 石原莞爾といいますと、普通は、満州事変の首謀者で、大変評判の悪い人というイメージがありますが、反面、彼は東亜の大同と、観心本尊抄にある賢王の出現による恒久平和の希求者でもあります。石原莞爾は、日中戦争を覇道無道の侵略戦争と断じ、無謀な日米戦争の敗戦を予言しています。戦前までの日蓮主義の伝統を引き継ぎますと、賢王は世界統一者としての天皇を意味するわけです。しかも、干戈を帯びている、暴力を帯びている賢王です。しかし、敗戦直後に、石原は、この解釈を変えて、優しき女神のごとき賢王という風に言い方を変えてまいります。同時に、平和憲法公布に先駆けて、新日本の丸腰非武装論を提言したのであります。彼の表現を借りますと、「身に寸鉄を帯びずして唯正義に基づいて国を立つるの大自覚」ということを言っています。あるいは、「日本は蹂躙されてもかまわないから、われわれは戦争放棄に徹してゆくべきです。ちょうど聖日蓮が龍ノ口に向かっていくあの態度をわれわれは国家としてとる」、とも言ってます。
 この思想は、本化仏教の戦後的「再歴史化」の嚆矢であります。石原莞爾は、新日本の指針として、丸腰非武装論=戦争放棄の国家的不軽行をいち早く提示した人でもあります。しかし、たとえ優しき女神であっても、日蓮主義の天皇賢王論をいまだに払拭しておりません。その意味では戦前の尻尾を付けていると考えていいでしょう。これを、我々がそれをどう受け止めるかという観点から言いますと、今日では、天皇賢王論を払拭しないといけないでしょう。賢王の本地は四菩薩ですが、これを天皇に限る必要はないでしょう。その上で、われわれ本化教徒の菩薩行を行体と行相に分けて考えますと、行体は本化四菩薩、行相は不軽菩薩にまとめるべきだと私は考えます。
 
三、創価学会と顕正会の国立戒壇建立運動
 さて、話を次に進めたいと思います。戦後の日本の、戒壇建立運動とか、「立正安国」運動ということを考えた場合に、創価学会の運動が抜きんでていますね。したがって、創価学会を無視して今日のお話をするわけにはまいりません。
 まず、創価学会からですね。創価学会の国立戒壇建立運動、或いは「立正安国」運動というのは、大石寺神話を前提に組み立てられているものです。大石寺神話の第一のものは、大石寺の法主血脈です。要するに、五老僧はみな駄目で、日興上人だけに法が移った。しかも、その上で、富士派一般も駄目で、正統は大石寺だけだと。こういうことを法主血脈等で言っているわけです。第二に、これも戦後の創価学会が振り回したもので、戒壇板本尊がある。この二つが大石寺神話の中心です。もちろん、他にも日蓮本仏とか、色々ありますが。
 法主血脈は、いかに大石寺が主張しても、これは客観的にみれば断絶していると批判されてしまうべきものであります。戒壇板本尊については、最近の金原明彦という創価学会員が『日蓮と本尊伝承』という本を、水声社から出しましたが、はっきりと後世の作であるということを言っていますね。ですから、この二つに基づく大石寺神話と言いましても、全然、神話力のないものなのですが、創価学会や顕正会の運動は、一応こういうものに立脚した運動であったということは言えると思います。ですから、創価学会や顕正会の立正の「正」は、大石寺神話に立脚した排他的な独一本門、要するに大石寺にしか正法は伝わってこなかったということに基づいている運動なのですね。こういうわけですので、私がこれを、「正当化の危機と教学革新」という論文にまとめた時に、「石山教学の構造は、大石寺門流の正当性を保証するにはまことに好都合にはできてはいても、その正当性の根拠を事物や歴史的事実性に置いているために、それを否定する側の説得力ある学問的批判に直面しても、冷静な論理的論争も行えず、信仰の次元から、彼らを『邪宗教』とか、『謗法不信の輩』と一方的に断ずることしか出来なくなってしまうという問題を宿命的に抱え込むことになる」と書いておきました。すなわち、法主血脈や戒壇板本尊を皆の前に突き出して、「下がりおろう」と言うことしかできない教学、結果的に冷静な論争ができない教学なのです。私はこれをモノ中心の印籠教学と言っています。私が印籠教学と言い出したら、今、創価学会が日蓮正宗を批判する時に、印籠教学だ、印籠教学だと、言っていますね。まあ誰が使ってもいいのですが、しかしパテントくらい取っといたほうが良かったかなと思います。
 次にいきます。創価学会が戦後、大きく勢力を伸ばしたのはご承知の通り、折伏大行進以後のことです。。これと同時に、戸田城聖第二代会長が国政進出を決め、政治の力で国立戒壇建立を成し遂げようとするわけであります。以後、一九七二年の正本堂落慶までの約二十年間、戦後の創価学会の本門戒壇建立運動が続くわけであります。ただし、天皇を戒壇願主とするのではなく、国民主権による戒壇建立運動、すなわち国民一人ひとりを折伏して、選挙に行かせてという、構造ですね。それを理論武装した「広宣流布と文化活動」という戸田城聖の論文があるのですが、ここで何と言っているかといいますと、「我等が政治に関心を持つ所以は、三大秘法の南無妙法蓮華経の広宣流布にある。すなわち、国立戒壇の建立だけが目的なのである」と言っています。だけが、という所に注目をしておいてください、これを、私は「だけ論」と言っておきます。
 その後、一九五七年には、あの、ビキニ水爆事件があったわけですが、第五福竜丸が被爆する、それで久保山さんたちが亡くなるわけです。
 これを受けて、戸田城聖は、原水爆禁止宣言を行います。こういう反応の仕方は、日蓮宗も似ています。原水爆禁止のアピールをしていますね。創価学会は、その後、戸田城聖が亡くなって、池田大作が後を継いで第三代会長になるわけですが、彼のもとで戒壇建立運動の路線変更が行われます。一九六四年に公明党を結成したのがきっかけであります。公明党を結成したので、世間の目がみな創価学会に集まってくる。そこで、創価学会は政教一致ではないかと批判される。そのうちに出版妨害事件が起こります。これで、もう万事休すですね。創価学会・公明党は何をしたかというと、国立戒壇の放棄、それから政教分離の二つでした。戒壇というのは、もうじきできあがる正本堂が戒壇だという風に、路線を変えてまいります。一九七〇年のことです。その途中でどういう風な物言いがあったかと言いますと、世の中の批判をかわすために、戒壇建立ということの意義をほんとに小さく小さく見せようとし始めます。「目指すところは全民衆が幸せになることであります。その結論として、そういう、一つの石碑みたいな、しるしとして置くのが戒壇建立に過ぎません。したがって、従の従の問題、形式の問題と考えてさしつかえない」。こういう風に言うわけであります。この時、池田会長が言いました。「全民衆の幸せ」が豆腐、ちょっとした「しるしとして置く」戒壇は「おから」であると。「豆腐とおから理論」というのですが、この戒壇おから論も、宗門と創価学会の対立の中で、阿部日顕法主の批判の対象になるわけであります。一九六五年の正本堂発誓願文で、池田会長が、「夫れ正本堂は末法事の戒壇にして宗門究竟の誓願之に過ぐるはなく、はたまた仏教三千余年史上空前の偉業なり」と言っています。どうして「おから」が史上空前なのかどうか分からないのですが、発誓願文では「仏教三千余年史上空前の偉業なり」といっております。
 それから、一九六八年、これは、『革命児』という、創価学会が出した本の第三巻の七頁に、後で公明党の書記長になった市川雄一が、参謀室長の頃に池田会長の言葉を引いて、「正本堂の完成で、『立正安国』の立正の二字が顕現されるのだ」と語っているのです。したがって、正本堂が完成されれば立正安国はもう終わったのだ、こういうことです。どうして南無妙法蓮華経を唱えない人がいっぱいいるのに、終わりになるのかさっぱり分からないのですが、とにかく、そういうことです。それから一九七〇年に池田会長は、こういうことを言っています。「政治進出は、戒壇建立のための手段では絶対にない、あくまでも大衆福祉を目的とするものであって、宗門、学会の事業とは無関係である」と。要するに、公明党というのは、もうこの段階で大衆福祉の公明党になってしまって、戒壇建立に全然関係ない、「絶対に」関係ないものになったのです。ですから、これを「絶対にない論」というのです。先ほどの「だけ論」と、この段階の「絶対にない論」とのこの違い、というのは大変面白い。それから一九七〇年、この年に、正本堂が完成したのですが、その落慶法要が終わって大石寺からバスで全国に帰っていく会員に対して、池田会長はこう言っていました。「本日、七〇〇年前の日蓮大聖人の御遺命が達成されました。ありがとう」。大聖人の本門の題目と、本門の本尊は、日蓮が生きておられた時に作られたけれど、本門の戒壇だけは後世に残されていたが、私がそれをやった、戒壇建立は終わった、ありがとう、こういうことですね。
 ところが、この史上空前の末法事の戒壇は、宗創対立の結果、一九九一年に創価学会が日蓮正宗から破門され、その後、宗門の阿部法主によって、一九九八年から一九九九年の間に、解体されます。今はもうないですね。本門事の戒壇が簡単に土建屋によって壊されてしまうものなのか、常住壊空に耐えられなかった本門戒壇とはどのようなものなのか。一方、創価学会側も、法主血脈否定と友人葬で宗門からの破門に対抗する。非公式的に、日蓮本仏論と戒壇板本尊論の見直しにかかります。日蓮本仏論の見直しは、松戸行雄という人がやっています。戒壇板本尊の見直しは、金原明彦という人がやっています。これは、両方とも学会員でありますが、学会の公式の立場とは無関係にやっています。しかし、松戸さんも金原さんも創価学会を除名されずに未だ活動していますから、学会としては黙認ですね。目をつぶっています。いずれこれを使って、宗門をやっつける材料にできるかも知れない、こういうことがあるようです。ですから、私は学会としては黙認、あるいは学会のアドバルーン、こういう風に考えています。
 こうして、創価学会は未だに、教義の根幹である三大秘法のうちの二つまでも、自教団で自由に構想できないままでいます。創価学会は、まだ、完全に弘安二年十月十二日付の板本尊を完全に否定しきれていません。それから、正本堂戒壇論も未だに保ったままです。正本堂は戒壇であったのだ、ということを言ってます。しかし、もう無くなっちゃったのですからね。これを契機に、自分で自由に本門戒壇論を構想したほうがいいのではないかと、私は思います。今日の創価学会は、戒壇建立も王仏冥合も言わなくなった。ただ、いまだ自らの選挙活動を、「立正安国」と位置づけてはいるわけです。選挙立正安国論ですね。
 今、言ってみれば教学的にはピンチなのです。創価学会は。ピンチなのになお生き延びられてるのは何故かといえば、池田カリスマがあるからなのです。その池田カリスマがなくなってからでは、大事な改革ができなくなります。私は、その池田さんがいる時に、宗門との決着をつけなさい、それから、大事な教義の改革もしなさい、と言っているのです。亡くなってからでは無理ですよと。学会の幹部も分かっているのですが出来ない。何故かというと、今、板本尊は実は後世の、とか、あまり言い過ぎてしまうと、年代の古い学会員が離れてしまう。これはまずい、選挙がやれなくなってしまう。だから、組織温存のためには、大胆な教学革新は出来ないのです。私は、やったらいいと思うのですが、やれない。それが今の学会の現状です。本当に、創価学会は困ってますね。幹部さんで私のとこにこぼしにくる人もいます。だから、どうか皆さん、日蓮宗は大人なのですから、教学も思うように改革できない創価学会をあまり恐れることはありません。もっと、どしっと構えていたらいいのではないですか。私はそう思っております。
 次に、顕正会にいきます。顕正会は、戦前に作られた日蓮正宗の法華講であったのです。創価学会の分派だと思われている方がおられるかも知れませんが、違います。大石寺の印籠教学の墨守と、創価学会および日蓮正宗の国立戒壇論の放棄を批判している立場です。一九七四年に宗門から講中解散処分を受けているのですが、その後、どういうわけか教勢が急進して、現在は会員数一二五万を突破しています。ただし、内得信仰です。ご本尊は、宗門から分けてもらえませんから、会員はご本尊なしで壁に向かってお題目ということですね。立場は原理主義で国立戒壇を言わないと天変地妖、彗星が出現するとか地震が起こるとか言っています。他国侵逼難、北朝鮮云々とかも言っていますね。
 それから、行き過ぎた折伏をします。部屋に閉じ込めて、折伏している。それで、警察沙汰になったりしてますね。レジュメに、浅井昭衛会長の文章を紹介しておきましたが、要するに原理主義を表している文章なわけです。飛ばします。
 ここで、創価学会と顕正会の、立正安国運動の意義と限界を整理しますと、次のようになります。私は戦後、真正面から戒壇建立とか、立正安国と向き合った宗教運動は、創価学会と顕正会だと思っています。排他的な運動ではありましたけども、妙法曼荼羅正意、謗法厳禁など、学ぶべき所もあるのです。わりかし、雑乱勧請がなくて綺麗ですね。一致派と勝劣派を比べると、どっちかというと勝劣派のほうが綺麗ですね。創価学会などをみてますと、謗法厳禁など学ぶべき所もあるような感じがします。
 それから、テキストをコンテキストに即して翻訳しない原理主義は問題です。要するに、鎌倉期と現代は違うのですから、その間で、なんと解釈しようかと思って血の汗流して苦しむということをしないで、簡単に、鎌倉期を現代にもってきてしまう。これが原理主義ですね。本尊とヤカタ戒壇に固執した事物主義の問題、これがありますね。物が中心なのです。ですから、物が壊されたり、物の信憑性が疑われてきてしまうとおしまいになってしまう。皆さんの中にもヤカタ戒壇論のお立場の方がいるかと思うのですが、私はそういう立場をとらない。むしろ、仏土を成就できうる、沢山の衆生が戒壇のごとく鉄壁の陣営を組む、これが戒壇であると私は思います。私は、これを人(にん)の戒壇、ヒトの戒壇と言っています。モノの戒壇ではなくて人の戒壇、これを作るということが非常に大事ではないかと、私は思っています。
 それから社会統制や宗内抗争を乗り切るために戒壇論等を自在に変更する、状況に合わせて。「だけ論」が「絶対にない論」に変わってしまう。こうした状況主義の問題があります。それを指摘されると、そんなこと言いましたっけ、ととぼける、こういうことですね。最近の創価学会の傾向はどうかと言いますと、大石寺の印籠は、もうかなりの程度捨てた、まだ完全に捨てきれていませんが、かなり捨てた。だから、創価学会はいずれ、大石寺系だということも言えない時が来ると思いますね。板本尊を放棄すれば、もう大石寺派とは殆ど言えなくなる。まあ、広い意味で富士派、あるいは日興門流とは言えるかもしれない。
 それから、最近の彼らの教学は、生命論的内在主義に傾いています。これは、戸田城聖が、終戦間際の獄中で、シラミを潰しながら、「そうか、仏とは生命のことなのだ」と悟ったということに由来しています。日蓮正宗は、勿論、そんなことは言っていません。この生命論的な内在主義、宗教的な真理は全て人間の内側にある、ご本尊も内側にある。だから、人間は皆、当体蓮華の仏なのだ、このようにいいます。そこから、凡夫本仏論が、もう近いのです。妙字即の行としてお題目を頭にいただく行があるということを勿論彼らも否定はしませんが、今の創価学会は、ややもすると、ありのままの人間の中に仏を見てしまう。こういう傾向は本覚論的な誤りに陥る危険性を持っていると私は思います。
 
四、日蓮宗の「立正安国」平和運動
 さて、ここが一番皆さんの興味がおありになると思う日蓮宗の「立正安国」運動のお話です。これは、創価学会や顕正会のような偏狭な排他主義ではありません。しかし、それらと比べて、法門的根拠がちょっと弱いように思えます。それから、創価学会は新宗教ですから運動的に盛り上がりがあるのに、宗門の運動には、下からの盛り上がりも少なかったように思います。
 戦後の宗門の立正平和運動の幕開けはいつかといいますと、これは世界立正平和運動、全日蓮教徒大会であります。これは一九五四年十一月に行われましたが、その前段の八月に、ビキニ水爆実験がありました。これを受けて、当時の増田日遠管長が、原水爆禁止に関する訴えを出します。清澄の地で、たくさんの鳩に託して平和のメッセージを世間に送り出しました。十月には増田管長が就任奉告をするのですが、これと共に、「全世界立正安国化運動」の開始が宣言されました。十一月になると、世界立正平和運動全日蓮教徒大会が参加者三千名の規模で行われるわけであります。その時の誓願文を見ますと、「茲に虔み敬って靖国神社鎮護皇国の英霊の御前に対し、大乗一実の法味を供え、世界立正平和運動の趣旨を言上し、之に邁進せんことを誓願し奉る」とあります。鎮護皇国の英霊の御前に誓っているという所が非常に面白い。それから共立講堂に場所をかえて、大会をした時の誓願文でも、「原水爆禁止世界平和樹立のために、皇国の英霊が威神の力を現じ」、「感応冥護を垂れたまわんことを」、と言っているのです。増田日遠管長は、戦前において具体的にどういう活動をなさった方であるか分かりませんが、戦前の日蓮主義的な尻尾を持っている、ということが言えます。それから、当時、靖国を会場に使ったのは、他の団体も同じなのです。革新的な宗平協=宗教者平和運動協議会が中心となった日本平和推進国民会議の国民平和大会も靖国で行われています。この当時は、まだ靖国神社が、今、我々が考えているようなイメージでは語られていない、ということです。
 それよりも、もっと私が興味深かったことは、当日の平和講演の講師の一人として、浄土宗の論客の、椎尾弁匡という方を呼んでいることです。今、共生ブームですが、共生(ともいき)ということを初めて言った人です。この方を呼んでいる。「立正安国」の大会をするのに念仏の偉い人を呼ぶということは、聞いたことがないです。そもそも、「立正安国」という運動は、当初、念仏破の運動ではなかったのかと、ちょっと気になるわけであります。こうして、一九五五年六月、日蓮宗は、「世界立正平和運動本部」を設置します。今でも、この本部は、宗務院におありになるそうですね。当時(一九五五年三月)、日蓮宗と創価学会の小樽問答が行われました。私から見たら小樽問答は、罵詈讒謗であって法論でもなんでもない、こんなことしているグループなどまともに相手にする必要もないと私は思ってるのですが、だいぶ、宗門は気になるようで、石川教張さんなども、これを取り上げていましたね。
 それから、石橋内閣が成立します。すると、石橋内閣が成立した高揚気分があって、この頃、日蓮宗には珍しく、地方で大衆集会を行ってます。静岡、大阪、甲府、岩手、広島、神奈川、群馬等で、原水爆禁止世界立正平和運動の大会をやっています。もっとも、この頃から、小樽問答等の影響で、創価学会批判の集会も盛り上がって、やがてこっちのほうが中心になっていって、立正平和運動はだんだんと、熱心さが無くなってきます。
 その後も、日蓮宗は水爆実験やベトナム戦争等の問題に取り組んだのですが、活動は次第に息切れしていきます。息切れの理由には、色々あると思います。管長とか宗務総長が交代する。それに伴って、内局の姿勢とかリーダーシップも変わってしまう。また、面白いのは、当時の、宗会の施政方針等の記録を見ますと、要するに、対告衆が殆ど爺さん婆さんであると。若い人がいないのです。こういうことがあります、これは、信者でなくて檀家だけを相手にしている既成仏教の非運動的な体質、これが大きく影響していると思います。こういう人ばかりを動員したのでは、運動は長続きしないのです。
 それから、運動の理由が、建前的、あるいはは時流便乗的です。戦争前まで言っていたことと、戦後とでは全然違ったことを言う。戦後は平和平和というほうが世間受けしやすいから言う、こういう所があったと思うのです。しかも、理念が通大乗的な理念に流れて、立正の「正」の開顕にあまり鋭さが見られなかった、ということがあろうかと思いますね。新宗教の場合は、教団自体が運動体なので、理念と実践や報酬(現世利益)が一体化しているので、自ずから運動喚起的になっている。こういうことがあるのですね。ですから、これは比べものになりませんが、日蓮宗にはこのような理由があったのではないかと思います。
 次に、当時示された宗門の立正平和運動の事例と他の平和運動との違いを見ていきます。宗報等を見てまいりますと、「無我中道の宣揚」ということが出てくる。それから「全人類の仏性開顕」という言葉も出てきます。また、「仏性の開顕」を前提として、「皆帰妙法仏国土顕現の祖願に基づく宗門活動」を行うという言葉が入っています。これを見ると、「立正安国皆帰妙法」は、本化仏教的な理念であるのですが、「無我中道」とか「仏性開顕」は、通大乗的な理念ではなかろうかと私は思います。
 それから、やがて、立正平和運動と他の平和運動との差異化が課題になってまいります。これも、宗報等からとってまいりますと、「立正平和運動といってもこれは、普通の平和運動とどこが違うのですか」と宗会で質問が出た時の答えとして、「一般の平和運動と同一視している向きもあるが、あくまでも日蓮宗としての宗教的立場を堅持するのは当然であります」と答えているのです。私も総長だったら同じようにすると思うのですが、しかし、これでは日蓮宗という宗教的立場とは何かが不明確で、建前としての「立正安国」なのですね。それから、当時、宗会では運動の左傾化または「赤」の印象が問題になります。そこで、「従来の宗教者の平和運動というものが、左傾化したものと誤解され、或いは原水爆の世界大会は赤の旗の下に渦巻きを巻いているかの如き印象がある」という答弁が出てきます。さらに、今年七月に開かれる世界宗教者平和会議では、「一党一派に偏しない、政治的偏向を持たないところの平和運動をどのように推進すべきかということを協議することになって居ます」という答弁が内局からあった。ですから、左傾的、または「赤い」宗教者の平和運動を避け、しかも超宗派的な宗教者の平和運動ではなく、あくまで本化仏教的な平和運動は何かという疑問が、当時の宗会で出されていたわけであります。結果的に、日蓮宗は、以後、第一回世界宗教者平和会議に参加し、世界立正平和運動をそこで紹介し、世界の全宗教者と手を携えて、世界の恒久平和の実現に邁進せんことを期するということになったわけであります。なお、ここでいうところの第一回世界宗教者平和会議は、立正佼成会等がやっているWCRPとは違うものであります。こうして、日蓮宗の立正平和運動は、宗教一般の平和運動に合流するか、あるいは有志個人による立正平和運動に道を譲るようになっていくわけであります。
 しからば、そのうちのひとつである立正平和の会の結成は、どういう経緯、どういう理念でなされたのでありましょうか。プルナの会を取り上げないで立正平和の会を取り上げたのは、簡単な理由で、私のところに、現宗研から送られてきた資料が、プルナの会のものでなくて立正平和の会の資料が沢山あったということであります。
 一九六九年二月、日蓮宗の世界立正平和運動とは別に、日蓮宗内の有志個人を中心とした、立正平和の会が結成されました。立正平和の会は、「立正平和運動を再び活性化せよ」、「立正平和の明確な理念」がはっきりしないから明確にしよう、という声に促されて結成されたと聞いております。それだけに、会の運動理念は宗門の世界立正平和運動よりも明確といえば明確であります。『立正平和の理念と実践の大綱』(一九八三年)というのと、同改訂版(一九九四年)が、同会より出されておりますが、そこに見られる運動理念を見てまいりますと、立正の「正」を法華経とし、その本質を「生命のおしえ」と理解し、それを不殺生・戦争否定と繋げて立正平和運動の理念とするが、法華経を依経とすることだけを正法護持とせず、世法の上で「正法に順ずる」いとなみもまた正法護持であり、立正安国の運動である、としています。また、不軽の折伏、但行礼拝・撃鼓唱題の末法下種の身行で「反正法」を諫暁するとも言っています。改訂版では、元の理念を引き継ぎつつも、「地涌の菩薩」という「無名の菩薩たちの不屈の実践によって」、「真の平和な世界をこの世に実現することができると説く経典は」「ひとり法華経のみである」ということを追加し、それから、環境と人権の問題を新たに取り上げようとしているわけです。
 立正平和の会は、宗門の立正平和運動と比べて、運動理念が明確になり、運動の幅も拡張されている。それから、世法的な「立正」行と、活動主体としての「無名の」本化地涌菩薩の末法出現を積極的に位置づけているところが興味深いと思います。立正平和の会は、ボランタリズムが効いていて、運動の士気も比較的高かったのですが、近年、運動が停滞ないしマンネリ化しているということもございます。
 
五、これからの立正安国運動の課題
 以上、戦前期・戦後期の「立正安国」運動、或いは戒壇建立運動等を紹介してまいりましたが、次にこれからの「立正安国」運動の課題は何かというほうに進みたいと思います。
 日蓮宗は、勿論、在家、出家双方によって出来上がっているのですが、どこの宗門もそうですが、お坊さんが中心ですね。
 しかしこれからはそうではいけないでしょう。まず、在家出家、双方に開かれた、末法出現の本化地涌菩薩が「立正安国」の主体であることを確認する必要があります。そして、その上での在家出家間での多様な活動と、その任務分担遂行の確認、これが第一の課題ではなかろうかと思います。
 第二の課題は、本化仏教の「再歴史化」に関することです。戦前期の日蓮主義は、政教一致の立場でありましたが、今はそういうことは言えません。天皇中心ということも今は言えない。戦前期は、戦争に明け暮れていたのですが、今は、平和憲法、戦争放棄の時代です。したがって、今日の本化仏教は、最低限の前提、国民主権、戦争放棄、政教分離という、戦後的コンテキストの大枠の承認が前提になるだろうと私は、思います。今でも天皇主権にこだわられる方もあるかも知れませんね。しかし、戦後的コンテキストは、無視できないでしょう。
 天皇の問題についても色々あるでしょうが、憲法九条の問題に対してもいろいろな意見があると思います。日本人は、ものごとを幅を持って理解することの名人であります。憲法九条があっても、世界でも有数の自衛隊があるのです。こういう裏技をやってのける国はあまりないですね。敗戦時に、皇室が護持されればいいのだという意見と、そうではないという意見とがあったようでありますが、象徴天皇制も皇室護持で、天皇制のひとつだと私は思います。憲法九条にも色々、解釈の幅あるかと思いますが、九条自体を変えないことが大切でしょう。
 第三の課題は、「正と立正」、あるいは、「順正法と反正法」の問題です。反正法とは謗法のことですが、この本化仏教的な開顕が必須であると思います。これをいい加減にして、時流におもねて建前論的にやってしまうと、世間の平和運動と全く同じになってしまう。そうでないことを示すためには、「立正」とか「正」の中味をはっきりさせる必要があると思いますね。ちなみに、これは私の解釈ですが、佐前では「正」というのは法華経=実乗の一善のことですね。しかし佐後になりますと、法華経一般ではなくなります。法華経一般であれば、天台も法華経ですから、正法であることになります。したがって、以後、一大秘法の立場から『立正安国論』を、逆読みしていくという立場があるのですね。ですから、一方には妙法五字以外は謗法だという立場があり、他方ではいやそうではないという立場があるのです。佐前の書は佐前の段階で固定して読むべきだというのであれば、立正の「正」は法華経一般で止まる、ということがある。いったい、どっちをとるか、ということですね。妙法五字に絞り込むのは、あまりにも狭すぎるという意見もあるかも知れない。しかし、元々、宗祖の法門は狭いのですね。四箇格言を現代的にどう読むか。これも大きな問題だと思いますね。念仏は、現世を仏国にすることを諦めて、あの世に行ってから往生しようという厭世的な法門、だから良くないというなら念仏以外にもあるはずです。ですから、そういう風によく考えて読まなければいけない要素があるだろうと思います。とはいえ、野放図に念仏も法華も同じだと言ったらいけないでしょう。四箇格言をどういう風に読むか、ということが問題です。
 ですから、立正の「正」を、どのように読むかです。戦前期の国柱会等はどう読んだのか。彼らは、法華経と日本国とは同じだと見ますから、法華経と日本国体の二つの中味は同じなのです。実際の日本人は、国体通りに生きていないわけですが、それを日本国体が顕現するようにしなければならない。最終的に、法華経の精神と日本国体がぴったり一つになったら法国冥合ですね。政教一致でもあります。それでは、日蓮宗ではどうでしょうか。それは、仏性開顕と皆帰妙法です。仏性開顕は通大乗的、皆帰妙法は本化仏教的で、これの二本立てだと思います。では、本化仏教と他の大乗諸法との違いは何かという問題が生じます。こういうことをおろそかにするから、立正安国の集いに念仏宗の椎尾弁匡を呼ぶとか、そういうことにもなってしまうと思うのです。
 では、立正平和の会はどうでしょうか。これは法華経だけでなく、撃鼓唱題末法下種、末法下種まで言っていますよね。そうなると、法華経は権実判的であるが、撃鼓唱題末法下種と言った場合には種脱判的ないし教観判的ですから、やはり二本立てということになります。同時に同会は、世法上の「正」と「邪」、「順正法と反正法」とも言います。要するに、彼らなりに開顕して社会実践への道を開くわけです。その行相は而強毒之の不軽の折伏ですが、しかし、具体的な世法上の正邪が何であるかという特定は曖昧です。これを特定すると、いや、そうではないという意見が必ず出ます。
 たとえば、小野文珖師は、「『立正安国論』を如何に読むか」という本のなかで、現代における謗法は、「仏国土を仏国土たらしめない全ての衆生」であると言っています。それから転じて、「平和憲法を改定する勢力」とも言っています。初期創価学会と顕正会は、唯授一人法主血脈と戒壇板本尊に集約される「独一本門」と言っています。大石寺にしかない正法という意味ですね。この他の立場は全て謗法・邪宗で、破折の対象になります。その結果、「正」はもっとも明確にはなりますが、同時に偏狭な排他主義になりますね。そして、行き着く先は、顕正会のようになるわけです。では、我々はどうなのか。これは、これからの分科会等で、皆さん方が十分議論をなさるべきことだと私は思います。
 第四の課題は、狭い安国から広い安国へということです。このあいだ、本化ネットワーク研究会の夏季合宿を富士市の本国寺でさせてもらったのですが、その時にも、これからは「立正安国」を政治運動や平和運動だけの問題に絞り込む必要はないのではないか、と私は申し上げました。安国の国というものを狭くとれば、国家ですね。すくなくとも戦争前の日蓮主義では、国家というようにとっている。でも、私はそうは思いません。根本三妙のひとつの本国土妙に基づく国土が安国の国だと思っています。ですから、人々の生活する場=国土ということが大切なことだと私は思います。そうすると、それを仏土にする、すなわち、仏土成就の総合的な営みそのものが安国であるはずだということになります。戒壇建立も同じで、人の戒壇ですね。素晴らしい仏国土を作り得る人々を養成することが、本門戒壇行だと私は思うのです。後で紹介する本化四菩薩プロジェクトも、総合的な幅広い安国への道であります。
 第五の問題は、現代における安国への道筋とは何か、という問題です。現代の安国は、特定権力者への諫暁やヤカタ戒壇の建立によってではなく、仏土成就のための総合的な実践によって可能になるのではないか。あるいは、権力奪取や政教一致による神権政治によってではなく、本化の勢力が多くの人々の中に「立正安国」のエートスを醸成することによって可能になるのではないか。マックス・ウェーバーのいうエートスとは、特定の社会階層の中に広く行き渡った倫理的思想的な雰囲気のことです。これを醸成する。ということになりますと、現代の多くの人々の中に、信憑構造を打ち立てるということが重要になってきますね。そして、既成宗門や在家仏教、門下連合その他の各種運動体や有志個人識者が広範にネットワーキングして、社会変革の大きな力になることが肝要ではないかと、私は思うわけであります。このように、安国への道筋を考える時に、本化四菩薩プロジェクトという構想が浮上してくるのです。
 
六、本化四菩薩プロジェクトの紹介
 この構想は、必ずしも政治運動や平和運動に限らないで、幅広く安国への道筋を考えようとするものです。なにしろ、末法においては、ガンジス川の真砂の如き多数の菩薩が出てきて、法華経のために働くのですね。四菩薩はその代表格です。最低限、その四菩薩のお名前に代表される四つのお働きがあるはずです。「立正安国」という働きは、やはり上行菩薩が担うべき役割でしょう。「立正安国」行という行があるとするならば、それは総行ですから、他の三菩薩の各行も全部兼ねて、上行菩薩がすべての「立正安国」行を代表していると思うのですが、各別して考えると、役割を分担した四つの行と考えることもできる。そういうものだろうと私は思います。以下、それを少しばかり紹介したいと思います。ここでは、本化四菩薩の働きを、四弘誓願と地水火風の四大と常楽我浄の四徳とに絡めて、現代的に開顕してみます。
 まず上行から始めます。これは佛道無上誓願成で立正安国の行と考えます。総行でもあり別行でもある。誓いの内容は、「仏の教えはこの上ないものです、その教えに合致した仏土を必ず成就します」です。転義としては、正義、公平、平和、自由。例としては、日本を、不軽菩薩が合掌礼拝したように、全ての国を軽んぜず、如何なることをされても、不軽の行で臨むような国にする。不軽行を、国家としてとる立場ですね。不軽国家日本の建設運動、ということです。虐げられた人々への共感と連帯、マイノリティーとパレスチナ難民等の問題、こういうことにも取り組むということです。
 二番目は無辺行です。これは、法門無尽誓願知で、究理潤世の行と考えます。学問をするということは世を潤すためにする。しかも、世を潤すのは、仏国土を作るためであるということですね。誓いの内容は「仏の法門は無尽ですが、精進を重ねて仏土成就の妙智を必ず学び尽くします」です。転じて教学、現代思想、科学技術、社会科学を媒介とした「妙智活現運動」。要するに、本化仏教のテキストを、現代の諸分野のコンテキストの中に間違いなく翻訳できる力を養う、ということですね。宗門の方は、どうも宗門の中でしか通用しない言葉を使われる場合があります。これ、陰語ですね、世間の人には分かりませんよ。そういう時には、世間の人の言葉に巧く翻訳できなければいけない。翻訳するためには世間で通用してる色々なことを勉強しなければいけない、そのことによって翻訳が初めて可能になる、と私は思います。
 三つ目は、浄行です。これも今の時代では非常に大切です。これは洗心浄土の行です。心を洗い清めて、国土を綺麗にする行です。誓いの内容は、煩悩無数誓願断になります。「煩悩は無数にあるけれども、それを断ち切って、心身と環境を清浄にします」ということです。縁起とか国土恩とか報恩の考え方を学んで、法華的な「依正不二・身土不二運動」をしっかりやりきる。環境問題は非常に難しい問題ですが、私たちは、少欲知足と簡素生活の実行で対応すべきです。自然エネルギー、低炭素社会の実現が大切です。特に私は、少欲知足の態度が非常に重要だと思います。でもこれは、本化仏教でなくても通仏教でもいいのではないかという疑問が生まれます。ですから、そういう場合は、内外相対の立場で行けばいいと思います。仏教と他の思想を比較すると、仏教こそ、そういう少欲知足を本当に教えてくれる教えであることがわかります。本当に少欲知足が行われれば、環境問題は解決するようになるのではないか、私はそう思います。
 最後に安立行です。これは、衆生無辺誓願度で抜苦与楽の行です。「衆生の数は無数であっても、その衆生を苦界から救って必ず幸せにします」です。福祉、保健医療、飢餓救済等を通した「抜苦与楽運動」。苦しむ隣人への同悲同苦と抜苦与楽。福祉ボランティア・国際NPO・ビハーラです。名古屋の法音寺は、日本福祉大学を作っていますね。法音寺の開山の鈴木修学という人は、ほんとうに福祉を一生懸命やった人です。こういう人は安立行の行をやったのだと私は思うのです。
 以上四つのの分野で、多くの団体・個人がネットワークをする、このことによって、仏国土が作られるようになるのではないか、とこんな風に思っています。じつは、私、来る前に、生長の家の本部の方からお手紙をもらいました。少し前に本化ネットワーク研究会で、生長の家の本部の方からお話をうかがいました。生長の家では、太陽光パネルを使って教団ぐるみの炭素ゼロ運動をしています。自分たちが吐き出したCO2を全部ゼロにしようという運動です。すごく、お金がかかるのですがやっています。それを私が立正佼成会に紹介したのです。そしたら立正佼成会から生長の家に電話が入って、話を聞きたいと言ってきたのです。その結果、立正佼成会の理事長とか、部長が生長の家の話を聞いて、佼成会もやるといっているというわけです。そのお礼状が私のところに来たのです。これは浄行のネットワークですね。これが既に始まっている。できれば創価学会も巻き込んで、施設の上に全部、太陽光パネルを張ってもらったらすごいですね。
 
 おわりに
 最後に、勝手なことを申し上げまして、私のお話を終わりにさせていただきます。来年は、『立正安国論』奏進七五〇年の当年です。しかし、日蓮宗を始めとする本化仏教諸教団のこれまでの姿を見ますと、遠忌と、各種周年記念の年に一番目立つのが何かというと、本堂や庫裡が綺麗になるということでした。本堂や庫裡が綺麗になること自体は悪くはありませんが、お題目総弘通とか結縁とかが建前になるのでは困ります。アリバイ作り的にちょっとやるということになってしまうのですね。これでいいのか、という問題があります。これは故・石川教張師が、あちこちで言ってきたことなのです。
 要するに、奏進七五〇年といっても、どの程度まで「立正安国」の祖願に即した実のある宗門改造や寺院改革が行われるだろうか、アリバイ作りに終わらないだろうか、また、やろうとする意志と力量はあるのだろうか、これが問題なのです。じつは、宗門はこれでいいのかという問いは、昔からあったのです。『宗門之維新』という本があります。田中智学の出したものです。そのなかで、田中智学が宗門批判をして、宗門に突きつけても、あまり効果がなかった。
 それから、戦後に、創価学会、顕正会が宗門にうるさくつきまとっても、あまり効果がなかった。日蓮宗は、批判に応えた自己改革をあまりやってこなかったと私は思います。もちろん、お寺によっては素晴らしいお寺があったとは思いますがね。
 そういう状態でありますから、小野文洸師が、『立正安国論』の封印ということを言っています。けれども、小野師の封印論は、逆説であって真意ではないと思います。彼は立正平和の会の幹部ですからね。では、なんで彼は封印論を言ったのかといいますと、どうせ、宗門は建前やアリバイで言ってるんでしょうと。本気でやろうと思ってはいないんでしょうと。本気でやろうと思ってないのに、やるのは無理ですよと。そんなことを、本気でないことを言うんであれば、封印したほうがいいですよと。こういうことですね。しかも、宗門は封印できないでしょう。すこしでもアリバイを作っておかないとかっこ悪い、そういうこともあるのです。
 けれども、遠忌や他の周年行事と違って、法門の核に関する『立正安国論』奏進七五〇年は、単なるアリバイ作りには向いてないのです。中味がちょっと、深刻すぎる。御遠忌のほうが、庫裡や本堂を綺麗にするには都合がいいですね。あまり庫裡や本堂の改修に向いていない。とするならば、これからでもいいから、真面目にやるしかないですね。『立正安国論』奏進七五〇年は、これからでもいいから真面目にやるしかない、ということになる。
 とするならば、我われは奏進七五〇年に関係なく、常に、テキストとコンテキストの狭間で苦しんで、血の汗を流すしかありません。何故か。それは、両者を賢く会通し、有効で祖願に適った現代の「立正安国」運動を可能にするためです。それをいっしょに進めたいと私は思っています。
 これは、たんに宗教社会学者としてではなくて、本化ネットワーク研究会の主宰として本化の立場から、こう申し上げるわけです。そして、そのために、私の今日の拙いお話が、少しでもお役に立てば、望外の幸せに思います。ご静聴どうも、ありがとうございました。(拍手)
 
 質疑応答
司会 西山先生大変、ありがとうございました。来年は七五〇周年ではございませんで、七五〇年目、なのでございますが(笑)
   (直してください)。
   質問をお受けしたいと存じます。色々、おありになろうかと存じますが、いかがでございますか。新間上人、何かございませんですか。
新間 立正平和の会の、新間でございます。
   (ありがとうございます)
   あの、色々と、立正平和の会のことにつきましても言及していただきまして、ありがとうございます。励まされると同時に、まだまだ足りない所を色々指摘されたような気もしております、ありがとうございました。
司会 よろしいですか。受付の時にお配りを致してあります、妙法華院活動報告とロータスは、今の新間上人からいただいているものでございます。念のため申し上げておきます。はい、すいません、ちょっとお顔が見えませんので管区とお名前をお願い致します。
中島 神奈川県第三部の中島と申します。私共の管区は、非常に遅れている管区と言われているのだそうですが、この機会でございますから、率直な先生のご意見を伺いたいと思うのですが。
   日本の現状から見てですね、一天四海皆帰妙法というのも、全然、不可能ではないかと。その観点からして、今、先生からアリバイ作りという風なご指摘もあったのですが、立正安国論に示された大聖人の願いというものを本当に実現していくということが可能なのか。本気になって考えた場合に、その道筋というものがつけ得るものなのかどうかということをですね、今、先生のお考えのところをお教えいただければと思うのでございますが。
西山 そうですね、創価学会のように、正本堂ができました、「立正」の二文字はこれで完成ですと、そういう、館を一個作ったらこれで終わりです、というのであれば簡単だと思うのですがね。でも、そんなものではないでしょう。「吹く風枝を鳴らさず、雨土塊を砕かず」という理想の仏土をつくろうというのですから本当にそれができるか、ということにもつながってくる。一天四海皆帰妙法とか、広宣流布は本当に可能かとね。
   そうですね、それは、世間の人から見たら「夢を見てるのだ」としか言いようがないものでしょう。「果たせぬ夢だ」、何言っているのだと。「吹く風枝を鳴らさず」? 風が吹けば、枝は鳴るでしょう(笑)。でも、ゲルト・タイセンというドイツの新約学者にして文学社会学者がいます。この方が言ってるのですが、宗教的な言語というものは、例えば、物理学のような客観言語と違うと。要するに、それが詩的な表現であるということを分からないで、原理主義的に信じ込まなければ信仰だとは言えないというのだったら、そういう信仰はおかしいということを言ってるのです。私も、そう思います。「吹く風枝を鳴らさず、雨土塊を砕かず」ということは、客観的にはありっこないでしょう。ないけれども、そういう風な表現をしたいという宗教的な願いとか理想というか、そうあれかしと願う願いというものはあるわけですね。
   ですから、宗教言語というものはそういうものの表現であると。宗教的な言葉というのも、そういう風に捉えないと、うまく解釈できないだろうと思うのです。しかし、全てそんな風に捉えて、これも詩なんだよ、あれも詩なのだ、だから、活動する必要はないのだ、というのとは違うと思う。やはり、詩の裏にある理想の世界であって欲しい、あるいは、そういう世界を待ち望む、熱い気持ち、熱い信仰、これがなければいけないでしょう。
   我われの信仰の世界というものは、だから、そういうものではないかと思うのです。宗祖が、それを目指して、二陣三陣と続けと、こう言ってくださったのですから、我われは、やはり宗祖のその熱い思いを受けたら、活動せざるを得ない。「ほんとに一天四海皆帰妙法はできるのか」と言う前に、(私はあまり一天皆帰妙法とかは使わないほうなのですが)理想の仏国土を作るために、そう願って、一歩でも、二歩でも三歩でも、理想に近づくように頑張らなければいけないのではないでしょうか。私は、そうとしか言えないのですが、どうでしょうか。
司会 よろしゅうございましょうか。まだ少し、お時間がございますが、如何でございますか。はい、有本上人。
有本 大阪の、有本と申します。今日はありがとうございました。先生のお話を聞きましてですね、例えば、野球ですね。野球で勝つのには、一対〇でも十三対十でもいいんですが、完全試合をするには、幾つ投げてもヒット打たなければ完全試合だけども、理想的に言えば、三者三振でずーっと九回いくってのもこれも完全試合ですね。それから、一人一球で終わって、三球でスリーアウト取って、九回いくと、三九、二十七球で済むわけですね。そんなことを思うと、理想にはきりがないということは、まあそんなような感じが致しました。
   そう思うと、現在の立正安国についての考え方は、田中智学さんやら、明治以降、あるいはそういった意味で、少しは進歩してるかな、とこういう風に思うのですが、そういう解釈でいくと、オリンピックの一〇〇メートル競走ではないですが、少しは、前の記録よりも良くなっただろうと。こういう風な、我われの思いでですね、理想に向かって、とにかく早くと、あるいは高くと。そういうことを思うのですが、そういう考えのように今日伺いましたが、それでよろしゅうございましょうか。
西山 あの、私、野球の細かいことはよく分からないのですが、趣旨としては私も、同じように思いますね。それから先程の追加のようになりますが、我われは、ご本仏の願い、宗祖の願いというものをいい加減に捉えないで、なるべくそのまま捉えて、あるいは、その熱い思いを受けて、仏土成就のために頑張らないといけないだろうと思うのです。宗内でいつも言っている、「一天四海皆帰妙法、お題目総弘通、総結縁」にしても口でぱくぱく言っていますが、「ほんとかいな」としか受けとめられない傾向があります。アリバイ作り、建前で言ってるだけと言うことになってしまう、あるいはそうなりやすいと思います。でも、それでは、ほんとはいけないのですね。どのようにしたら、アリバイ作りとか建前にならないで本気で取り組めるようになるのか。新宗教は、なんかみな、本気で取り組んでいます、勿論、新宗教にもいろいろな問題点はあります。創価学会は、正本堂ができれば「立正」の世の中が来ると言っていっぱいお金を集めた。他の新宗教も、大きな建物を作れば理想の世が来ると言って、一生懸命お金を集めましたが、来なかったということがありました。
   そういうことはあまりお勧めではありませんが、少なくとも本音と建て前があまり距離がないのが新宗教であると私は思います。宗門の場合は、本音と建て前の距離が有りすぎるのですよね。私はそう思います。しかし、野球の喩えではありませんが、一生懸命やる、というのは、全くその通りだと思います。
司会 はい、そろそろお時間ということでございますので、では、これをもちまして、西山先生のご講演を終了させていただきます。どうもありがとうございました。(拍手)

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