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現代宗教研究第38号 2004年03月 発行

噛み合わない摂受と折伏議論

 噛み合わない摂受と折伏議論
(日蓮宗現代宗教研究所嘱託) 有本智心  
 今成先生の、日蓮聖人の御布教の原点は摂受か折伏かについて考察するに、摂受であると主張される議論について
1、今成教授から出された論拠が勝曼経であること、また法華経の大意から見た場合、日蓮聖人の教化がつねに摂受・折伏と双方平均して説かれたという論、そして種々の文学作品や詩歌の前例を出されて、摂受正法が聖人布教の原点であること等、その論拠が宗門の教義から考えると、片や文学的見地から法華経と日蓮聖人の御遺文を考察された教義論、片や伊藤教授は宗学研究の立場から考察された日蓮聖人の教義論と、互いにその論拠が異なる為に中央教研では議論にはならなかった。
2、その論拠について考えると
 イ.勝曼経とは釈尊が対女性に説かれた経典であり、女性に対する布教は、当然折伏より摂受が適当であろうと推察される。其の故に勝曼経の依文を日蓮聖人と本宗布教の総てに適用されるかというと否である。
 ロ.日蓮聖人の御遺文から拝すると、その強烈な折伏が文面を通して浮かび上がる。慈愛の中にもそのお心が、私達に力強く示され与えて下さっている。決して、平和で妥協的な面を強調した摂受的布教であったとは思えない。
3、日蓮聖人は折伏正意を布教の根本として示されたからこそ、仏が末法の衆生に与えられたお題目弘通の結果として、今日、念仏に対抗した一大勢力となっている。
4、摂受、折伏は常に動いている
 例え摂受・折伏と分けて議論してみても、所詮、常に流動している事は、日蓮大聖人の御妙判『富木殿御書』の「今の勧持品は過去の不軽品、今の勧持品は未来の不軽品たるべし……」(定本五一五頁)を拝する時、不軽菩薩の但行礼拝を折伏行に例えられる事から、固定した御布教とは考えられない。しかし基本的には、常に積極的に全面に、釈尊出世の本懐たる法華経こそ末法に弘めるべきとの使命感に燃え、「法華経の行者」として自覚された折伏正意であったと確信する。
5、「依法不依人」の法門から見る折伏行
 更に大切な事は、『法華経』に説かれた高声唱言・大音声・舌相至梵天等、これらの数々の経文から拝すると、法華経は摂受の法門ではなく、まさしく「是好良薬 今留在此」の、良薬を遺使還告して敢て飲ませたこの行いこそ、折伏行ではないか。以上、教義から見ても、折伏こそ経文、日蓮聖人の御妙判に最も忠実な布教法であることを、現代的な把握として改めて認識させられた次第である。

 

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