現代宗教研究第38号 2004年03月 発行
第二十七回中部教区教化研究会議基調講演 日蓮聖人における摂受と折伏について
平成十五年十一月二十七日
第二十七回中部教区教化研究会議基調講演
日蓮聖人における摂受と折伏について
講師(立正大学教授) 庵谷行亨
ありがとうございます。ご紹介頂きました庵谷でございます。九十分間にわたって、日蓮聖人における摂受と折伏についてということでお話をさせて頂きます。お手元に資料を配布して頂いておりますので、そちらをご参照下さい。
最初に、経典に、どのように示されているか、それから、日蓮聖人が依りどころとされました天台大師を始め、章安大師、妙楽大師等の釈はどのようになっているかということのご紹介、それから、集約と致しまして、日蓮聖人が摂折についてお述べになっている御文章を拝見するという形で、お話を進めていきたいと思います。以上が資料の三枚目の途中あたりまででございます。
四の項目は、特に、『開目抄』の「常不軽品のごとし」の文が、『開目抄』本文に、あったのかなかったのかということについての参考の資料でございます。
その後、四頁からは、五と致しまして、日蓮聖人が『開目抄』にお示しになっている「末法の世は、折伏を前(さき)とする」という御文章に立脚した解説、そして六番目に先師の釈、七番目に日蓮聖人の、常不軽菩薩についてのお考え、お立場です。八番目は、日蓮聖人の、法の弘め方、それが非常に折伏的であるということについての説明でございます。その集約が七頁目に九、として挙げてありますむすびになります。
そこまでの資料は、平成十三年に、東京西部の宗務所、並びに教化センターの研修会においてお話をさせて頂いた資料に補足追記をしたものであります。
その後は、日蓮聖人の直弟の摂折についての理解のご紹介、そして、七頁の後の方は、特に今成先生が摂折について意見を提示なさっているので、それについての、私の個人的な見解を述べております。
資料の最後の、九頁の所が、「摂受折伏と布教」ということで、檀信徒の皆さん、或いは未信徒の皆さん、或いは、社会の交流の中で、どのように考えたらよいのだろうかということを述べております。
一番後についております十頁以降は、お話を申し上げます参考のための資料でございます。
そういう内容でお話を進めさせて頂きたいと考えておりますので、よろしくお願い申し上げます。
それでは、一頁に戻って頂きまして、まず、摂折について、経典にどのように説かれているかということです。日蓮聖人の御文章に引用されるもの二点を、そこに挙げております。仏教経典の中には、その他にもありますけれども、日蓮聖人遺文で引用されているものはこの二経でございます。勝鬘経と涅槃経です。
そこに『正蔵』と書いてありますのは、『大正新脩大蔵経』の略称でございます。その巻数と頁数が入っております。それからcとありますのは、a、b、cということで、その頁の上段、中段、下段を意味致しております。cというのは、上から三段目にこの文章があります、という意味です。
勝鬘経には、「まさに折伏すべき者はこれを折伏す。まさに摂受すべき者はこれを摂受す」とあります。これは日蓮聖人の御遺文では、断簡の二五〇番に引用されておりますけども、それについての聖人の解説はございません。この経文を日蓮聖人がご覧になっていたことは間違いがない、ということでございます。
二番目が涅槃経の文でございまして、この文が遺文中によく引かれるのでございます。そこに四つ挙げていますが、金剛身品、これは、覚徳比丘と有徳王のことについて述べられている段でございまして、☆印をつけて説明を加えておきました。覚徳比丘は正法護持の比丘、正しい教えを護る僧です。有徳王は執持刀杖ということで、正法を護るためには、刀杖も執持する、刀杖を持つということです。それによって捨身する、命を捨てる、殉死する、そういうことを持戒という。戒を持つのです。執持刀杖を持戒、戒を持つとするという教えでございます。
聖行品は仙豫国王のお話で、護法のためには、断命根です。人の命をも断つ、ということです。法を護るためには人の命をも断つということです。
如来性品は毒鼓の縁ということがございまして、これは、逆縁下種です。要するに、太鼓に毒を塗って打つと、その音を聞いた者が毒によって倒れていく。そのような逆縁下種ということを示している文でございます。
梵行品は転重軽受ということで、重き罪を転じて軽く受けるという意味です。これは、そこに値難滅罪と書いておりますけども、過去世において深い罪を負っていても、現世において正法を弘める、正法を護持するという功徳によって、その罪を滅することができるという考え方です。
この逆縁下種、或いは、値難滅罪という考え方は、日蓮聖人の、常不軽菩薩の行軌の解釈と関係がありまして、常不軽菩薩の但行礼拝を逆縁下種と解釈されています。これは日蓮聖人の独創ではなくて、天台大師や妙楽大師の解釈を受けたものでございます。それは後ほど出てまいります。
このように、涅槃経は、執持とか断命根ということで、正法を護るためには、武力を持つとか、或いは人の命を断つ、ということがあるために、非常に暴力的であるというふうに理解されて、それで折伏とは破壊的行為であると理解することによって、折伏は否定されるべきだという考え方が生まれるのでございます。
これからお話してまいりますけども、日蓮聖人はそういう破壊的なことを表にお出しになったのではなくて、むしろ、常不軽菩薩の但行礼拝、そういうところに、折伏の精神をご覧になったのです。但行礼拝は、相手の方に、ののしられるとかですね、石を投げつけられるとかということがあっても、遠く逃げ去って、相手の方を礼拝する、全ての人々に仏性があって、全ての人々は仏様であるという精神、教え、それを、自分の信念として、自分の信心として貫いていくという姿勢でございます。ですから、難に遭いながらも信仰を貫いていく。相手の非難を甘受しながら、信仰を貫いていく。そういう姿勢が日蓮聖人の折伏でございます。
そこで、折伏の概念について問題が生じてきます。後ほど触れますが、今成先生が非常に強く、日蓮聖人の折伏ということを否定なさるのは、折伏は、この涅槃経によれば、そういう破壊的な行為、殺人的な行為であるから、そういうものは、日蓮聖人はおとりにならなかった、ということをおっしゃっていると思うのです。
私は、常不軽菩薩の行軌に、日蓮聖人は折伏をご覧になったと思うのでございます。
その次の二と致しまして、中国天台三大師の釈、ということで、日蓮聖人が法華経を解釈するうえで非常に重要視なさった三大師の文を見てまいります。
1は天台大師です。『摩訶止観』の中に、法華経の安楽行品は摂受であり、涅槃経の金剛身品は折伏であるとしています。金剛身品は先程一の2に出てまいりました。言うまでもなく安楽行品は身口意三業の行儀です。即ち、信仰する時に、妨げになるものに近づかないようにしなさいとか、そういう弘教の仕方でございます。そうすると、それは金剛身品の、正法護持のために刀杖を執持するということから比較すれば摂受になるのでございます。
摂受と折伏ということは相対論でございますので、これとこれと比較すればこっちは折伏的であり、こっちは摂受的であるということで、比較する対象が違えば、同じものでも違うことになるのは当然でございます。
=cd=70b6の『法華玄義』は、「法華経は権門の理を破す」、それで折伏、「涅槃経は更に権門を許す」、故に摂受である。これは、法の話です。すなわち教相論です。法華経は、天台教学では円教ですから、全ての教えを包括します。ですから、権門の理を破すのです。要するに、開迹顕本などと言いますように、方便の教えを開し、真実の教えに帰入せしめるということです。
教法論でいえば、法華経は折伏であることは間違いない。折伏でなければ、法華最勝とは言えません。日蓮聖人の題目信仰は、全ての教えは題目に帰結するという考え方ですから、それはまさしく折伏的であると言えると思います。
ですから、このように教相でいえば、法華は折伏、涅槃は摂受、弘教の方軌で言えば、法華経は摂受、涅槃経は折伏というように、二経の比較の中では概して言えるということでございます。
に『法華文句』は、「法華経は偏に摂受を明かす」と。これは先程申しましたように、涅槃経のように、断命根とか、刀杖を執持するということに比較すれば、法華経の中に説かれる弘教は、安楽行品だけではなく、たとえ勧持品であっても摂受となります。勧持品は迫害を加えられても、それを忍受して法を弘めていこうということです。それから、常不軽菩薩品も、今申しましたように、忍受して但行礼拝することです。そういう布教は涅槃経の弘教に較べれば摂受になるということです。それで、「法華経は偏に摂受をあかす」となります。
ところが、法華経にも涅槃経のような折伏的な要素がある。それが、頭破七分ですね。これは、「折伏なきに非ず」と説明されています。これは、頭、七分に破れん、ということです。要するに、法華経信仰者を誹謗する者は、頭が七つに割れるということです。これは死を意味します。そういう意味で非常に強い。法華経にもこのような強い折伏的な面もあるということを『文句』は言っています。
涅槃経はそれに対して、「偏に折伏を論ず」ということです。それは、先程出てきた一の2の涅槃経の文をご覧になったら判る通りでございます。
ところが、その涅槃経にも摂受があると。それは、寿命品に「一子地に住す」とある。これを『文句』は「何ぞかつて摂受なからんや」と釈しています。涅槃経は、法華経に対すれば折伏的だけども、摂受がないこともない。一子地というのは、親が自分の一人の子供を愛するように、菩薩は、全ての人々を慈愛するのである、ということです。一子を慈愛する思い、これは摂受であると。このように『文句』は説明を致しております。
そして、「適時而已」です。それが、天台大師の考え方だと思います。「時に適う、宜しきに称う」とあります、これは世界悉檀です。その後に誤字がありますが、世界歓喜の益です。人々を喜ばしめる益です。摂受は為人悉檀です。為人悉檀というのは、人の為に善をする、人の為に善を生じる益です。そして、折伏は、退治悉檀です。即ち、退治破悪の益です。退治し、悪を破る、という益です。
天台大師のいうところの折伏の概念は、退治破悪ですね。折伏とは退治破悪ということです。ですから恐らく日蓮聖人は、この視点で、折伏の概念を受け止めておられたであろうと思うのでございます。謗法を退治する、邪智邪悪を破すというふうな意味でございます。
『法華文句』の釈常不軽菩薩品でございますが、そこは有名な文でございます。本未有善に対しては、「不軽以大而強毒之||不軽は大を以て而して強て之を毒す」です。この、強毒は、強(ごう)というのは強いという字ですが、強いてという意味ですね。要するにあえて毒するということです。この強毒が、逆化、すなわち、逆縁下種のことでございます。この逆縁下種が先程ご紹介した、一の2の涅槃経の逆縁下種と繋がってまいります。天台大師は、常不軽菩薩の行軌は強毒である、すなわち逆縁下種である、というように解釈をされていたことが判ります。
この逆縁下種の考え方は、妙楽大師にも出てまいりますけども、天台大師、妙楽大師を経て日蓮聖人に継承されていきました。日蓮聖人は、常不軽菩薩品は逆縁下種であると受け止められた。すなわち、強毒です。この強という、あえて毒するという、そのところに、折伏があるのでございます。これは、先程申しました、常不軽菩薩が但行礼拝した、相手が拒否してもあえてした、そこに折伏の意味があるということです。
2は章安大師です。これは涅槃経の疏でございまして、仙豫国王の持杖・持戒です。すなわち、杖をたもつことは戒を持つことである、ということです。これは先程の涅槃経の聖行品でございます。そこを受けて、「取捨得宜不可一向」というのです。天台大師も妙楽大師も、「時に適う」、「取捨宜しきに従う」ということですから、その場その場で、よりよい方法で対応すべきであるという解釈をしているわけです。
3が妙楽大師、でございます。『摩訶止観輔行伝弘決』の中に、涅槃経の執持刀杖、すなわち刀杖を執持する、刀や杖を持つ、ということ、これは折伏である。それから、覚徳比丘、有徳王、仙豫国王、これらは折伏であると解釈しています。執持とか、断命根ということは非常に強い弘教の姿勢を示しています。
=cd=70b6の『法華文句記』は、常不軽菩薩品の注釈でございます。そこに、「因謗堕悪必由得益」、謗ることによって悪に堕すも必ず由って益を得と。謗法によって悪道に堕落しても、それが因となって必ず利益を得るという考え方です。
皆様が普段お読みになる開経偈にも、「もしは信もしは謗、共に仏道を成ぜん」とあります。信仰して仏道を成じることは分かるけれども、どうして謗が仏道を成じるのかという疑問が生じます。謗がなぜ仏道を成じるのかというと、因謗堕悪によって得益するからであるというのです。謗法を通して下種結縁をする、すなわち利益を受ける。「如人倒地還従地起」とあります。人が地面に転ぶと、地面をもととして立ち上がると。謗法を通して成仏を達成する。これが逆縁下種でございます。
の『金剛=cd=63b7論』も同じく、「可如不軽喜根而強毒之」とありますように、不軽の強毒ということが説かれています。これは天台大師の『文句』の解釈と全く同じです。
◎印をして、私見と書いてありますのは私のまとめです。
中国天台三大師は、弘教の方法について、法華経と涅槃経を対比すると、法華経は、涅槃経に比すれば摂受、しかし、折伏がないわけではない、涅槃経は執持刀杖のゆえに折伏、ただし、摂受がないわけではない、ということです。断命、要するに、人の命を断つというような考え方は、まさしく、折伏の折伏であるというように考えられます。
法華経の諸品を較べますと、安楽行品の四安楽行は摂受。勧持品の三類の強敵は、安楽行に対すれば折伏。難を受けるからです。常不軽品の但行礼拝。これも安楽行品に比べれば折伏。陀羅尼品は頭破七分。故に折伏です。このうちの、勧持品と不軽品は忍難、難に耐えるということですね、難に遭い、難に耐えるということがあります。日蓮聖人のおとりになったのは、この勧持品と常不軽品です。日蓮聖人は勧持品の二十行の偈の色読、それから、常不軽菩薩の跡を偲んで法華経を弘めていくという姿勢をお取りになった。これが、まさしく、日蓮聖人の立場であったというふうに考えられるのでございます。
これらの、勧持品や不軽品の折伏も、先程申しましたように、涅槃経の執持や断命根に比すれば摂受になります。ですから、ある時は折伏であり、ある時は摂受である。それは何と対比、比較するかによる違いであるということになります。
所弘の法というのは、教えです。法華経と涅槃経を比較すれば、法華経は折伏、涅槃経は摂受です。何故かというと、法華経は権門の理を破す故に折伏です。すなわち、諸経を全て包括してしまう教えです。それに対して涅槃経は所開会、すなわち開会される側です。天台の解釈によれば、涅槃経は法華経の=cd=63b8拾教です。すなわち、法華経のあとの落ち穂拾いの経ということです。法華経で、殆どの人達が救い取られていくけれども、残された人たちを、涅槃経が更に救い取っていくという考え方です。ですから、法華経の方が中心です。救済の中心の経典になります。
法華最勝とあります。法華経を純円の教であると位置付けすることは、これはもう法華経が立てば、他の諸経は法華経に包括されてしまう。これは教相的には折伏の視点に立っているということです。
また、不軽強毒は逆化で逆縁下種で折伏であるというのが、天台大師の解釈であろうと考えられます。
その次に三に、日蓮聖人遺文における摂折義でございます。真偽に諸説ある遺文はひとたびこれをおくとしております。個々の遺文については議論がありますので、ご真蹟の現存或いは曾存、直弟写本現存の遺文に限っての見解でございます。
1の『転重軽受法門』につきましては、私見として、◎印を付して書いてあります所を見て頂きますと、値難の弘教者の先例、値難弘教の経文をあげ、そのなかでも末法時の当世日本国においては、日蓮一人こそ値難色読の弘教者である、とされている。先例は、難にあった人たちです。経文ともに身命に及ぶゆえに折伏に通ずる。
何故身命に及ぶと折伏なのかというと、難に遭うのは、強義の弘教をするからです。強義の弘教をするから難に遭います。強義の弘教とは信念を貫く、教えの信念を貫いた弘教をすることです。そこで難に遭う。それは勧持品に説かれている通りです。或いは常不軽菩薩品に説かれている通りです。ですから、難に遭うということ、身命に及ぶということ、これは折伏に通ずるのです。
2の『開目抄』でございます。「常不軽品のごとし」の文があったかなかったかについては後にふれます。◎印の所を見て下さい。私見とあります。「末法に摂受折伏がある」が。これは日蓮聖人が、そのように仰ってます。「末法に摂受折伏あるべし」と。「当世日本国は、謗法充満のゆえに折伏を前とする」。日蓮聖人のご文章の中に、「無智悪人が国土に充満の時は摂受を前とす。安楽行品のごとし。邪智謗法の者が多い時は折伏を前とす」とある。当世は、謗法者充満であるが故に折伏を前とします。これは日蓮聖人が明確に仰っています。末法は折伏を前とする、ということはゆるぎないと考えられます。そして、「呵責者こそ真の声聞であるとする文をあげ、自身の値難得証の確信を述べられている」。難に遭うことによって証を得る、これが得証です。何の証を得るかというと、正しい法華経の行者であるという証を得るのです。難に遭うことによって、まさしく、自身こそ、正しい法華経の行者であるという証を得る。その得証の確信を述べられている。呵責とは謗法者を責めることです。それによって難に遭う。「値難は折伏に通ずる」という解釈でございます。
そこには書いてありませんが、今成先生のお考えの中に、「ここで、安楽行品の如しと言えばそれで済むのに、何故常不軽品の如しと言うのだ」、「そのようなことを言う必要はない」というふうな論調があります。実は妙楽大師の解釈の中に、安楽行品と常不軽品を比較対比している文があるのです。『文句記』の第十巻中です。恐らく日蓮聖人はそれを参考にされて、安楽行品と常不軽品を摂受折伏で比較対比なさったと思われます。
3に『富木殿御返事』は、臨終の覚悟とか、刎頭の喜悦という考え方は、折伏に通じる。要するに自分の命を捨てて法を弘めるという考え方は折伏に通じる。
4に『観心本尊抄』です。王の弘教は弓箭等、すなわち他者の命をも奪う。だから折伏である。すなわちこれは折伏の中の折伏です。僧の弘教は難に遭う。値難です。要するに正法に自身の命を捨てることである。だから摂受である。そういうふうに日蓮聖人は折伏と摂受を使い分けてお書きになった。僧の弘教は折伏の中の摂受である。すなわち、それは王の弘教に比べれば、命を捨てるということは摂受であると。人の命を奪うということに比べれば、自分の命を捨てることは摂受と言えるということですね。王と僧の対比は涅槃経の覚徳比丘や有徳王になぞらえたものであろうと思われるのです。
5に『富木入道殿御返事』です。「法華経の行者には魔王が障害を加える」の文脈のあとの文であることを思うと、障害を受ける法華経の修行者は折伏に通じる。障害を受けるとは難に遭うということです。難に遭う法華経の弘通は折伏である。何故難に遭うかというと、それは法華経の弘教には強義が必要であるからです。強義というのは強い義です。強義が伴うから難に遭う。難に遭う強義の弘教は、折伏に通じます。
6は断簡の二五〇、先程ご紹介した文です。勝鬘経の摂受折伏の名目が出ています。
四が、先程申しました『開目抄』に「常不軽品のごとし」という文があったのかなかったのか、ということについてでございます。
これについて簡単にご説明致します。現在、知られています中世から近世にかけての『開目抄』の写本と刊本の今現在見ることのできる範囲、判っている範囲のものを挙げています。
日道本が一番古いのですが、これは下巻がありません。
日出本も下巻がありません。この頃のもので、もう既に、祖滅一〇〇年を経過しております。
日存本にはこの文がありません。しかも、現在知られている中で一番古い、下巻部分現存の写本です。
平賀本は、「如常不輕品 イ 一」とある。すなわち、異本には、「如常不軽品」という文がある、というのです。ですから平賀本の底本には、日存本と同じようになかったのですね。ところが、異本にはある、ということを、この平賀本を書写した人は気付いたのですね。ですから、この平賀本が写された時点では、もう既に、「如常不軽品」という文の入った写本があったということが分かるわけです。
本隆寺本には、「常不軽品ノコトシ」とあります。
林日=cd=63b9本にも、「如常不軽品 一」とある。
旧妙蓮寺本は、下巻が欠のため分からない。
日教研本も、「如 二常不輕品 一」とある。
立正寺本も「常不輕品ノコトシ」とあるんです。
問題になっていますのが次の本満寺本です。これは日乾の対照本と言われていて、日乾が身延山に晋んだ時に、身延山において、御真蹟と照合したものです。それに、「常不輕品ノコトシ」を線でしるし、行間に「御本ニ無」とある。御真蹟には「常不軽品ノコトシ」は無いと日乾は注を加えたわけです。
これを根拠として、「常不軽品のごとし」の文はなかったのではないか、という見解があります。これについて後でまとめます。
妙覚寺本、本法寺本云々と、あとはもう表記のことなりはありますが、全てのものにあります。
百部摺本は、百部印本といわれて、慶長年間に、日乾と日遠の発願によって出版された御書五大部です。御書五大部を百部印刷したんですね。この百部摺本の中の『開目抄』はどうなっていたのでしょうか。残念ながら百部摺本は現存が確認されていません。
その次の日相本。これは、百部摺本の書写本で、書写年代は要言本によると、一六七九年です。奥書に、身延山の御真筆を乾遠両師が一字一点も違えず写し取られ印刷されたものを、相違なく書写したものであると記録しています。ところが、そこには、「常不輕品ノコトシ」とあります。
元和本は下巻がない。
寛永一九年本の五大部については、百部摺本によって印刷されたと考えられているのですが、それにも、「常不輕品ノコトシ」とあります。
寛永二〇本も、「常不輕品ノコトシ」とある。
現在、私共が見ております『昭和定本日蓮聖人遺文』の源流になったのが、この寛永一九年本、寛永二〇年本です。ですから、ここまでこう遡ってまいりますと、昭和定本の元になったものにはあったということになります。
要言本は百部摺本の模刻本でございまして、奥書に「身延山秘蔵以御真筆御書一字一点無相違令再校合者也」とあります。そこに「常不輕品ノゴトシ」とあります。
百部摺本は日蓮聖人の御真蹟を更に校合して印刷したものであるということが分かります。ところがその百部摺本の中には「常不輕品ノゴトシ」とあります。発願をしたのは日乾・日遠両師です。そうしますと、本満寺本の中には「ない」と書いておきながら、百部摺本の方には、更に、御真蹟と照合して「ある」のはどういうことでしょうか。そういう問題が残ります。
そこで、2の『開目抄』の写本・刊本の記述についての諸問題です。まとめです。
正本に無い、と記しているのは、今回確認したものの中では本満寺本のみです。印行された百部摺本には、日相本によると、「常不輕品ノコトシ」とあったことになります。更にそれを再校合したという要言本によると、「常不輕品ノゴトシ」とあったということになります。明らかに記載がないのは、日存本のみである、ということになります。現存する『開目抄』下巻の写本中、一番古いものが日存本です。今回確認した写本・刊本中、平賀本以降は、表記の異なりはありますが全てに、この文が記載されています。行間に書き入れをした平賀本には、「イ」とあり、異本には「如常不輕品ノ 一」とあったことを示しています。平賀本は、日存本系の写本を恐らく底本としたことであろうことと、それに、林本系を対照したことがわかります。
『開目抄』の上巻部分のみでも、日存本と本満寺本とでは、五二五箇所の相違があるとの冠賢一教授の指摘があります。本満寺本と遺文録(高祖遺録)とには約千箇所の相違があると、本満寺発行の『開目抄』の後記には示されています。
参考までに、『高祖遺文録』は、日明の『新撰祖書』を底本としたもの、それから『縮刷遺文』は『高祖遺文録』を底本としたもの、『昭和定本』は、『縮刷遺文』を底本としたもの、ということになります。ですから、その順序に遡っていくことになります。そしてその元が、寛永一九年本あたりであろうというふうにいわれています。
遺文の校合がいかに至難の業であるかということについては、乾師の『観心本尊抄』の校正の誤りを小川泰堂があげているということを、浅井要麟先生が指摘なさっています。小川泰堂は、「本尊抄のご真蹟を拝し鑑照するに、彼の乾師校正の本も、二十四字を誤る」と、述べている、ということです。
本満寺本が信頼性が高いというのは宮崎先生の論文、冠賢一先生の著書にございます。ただし、つい最近、冠先生ともお話したのです。冠先生は、本満寺本は信頼性が高いとはいっても完全ではない、というお話をなさってました。
私は、本満寺本の『報恩抄』を調べてみました。『報恩抄』は御真蹟が一紙と少し残っているのです。この御真蹟と本満寺本の『報恩抄』の写本とを照合致しましたら、やはり違いが数箇所あります。そうすると、本満寺本は、完全に御真蹟通りに完全に照合したのではない、ということがわかります。そのことをお話したら、冠先生も、やはり同じことを検証されたようでして、それで、本満寺本は完全に信頼できるとは言えない、というふうに、これはつい最近なのですけども、お話をなさっておりました。
「信を置くには不十分な面もある」と表明なさっているのは、大黒喜道さんの『興風』という雑誌に示されている文章です。
◎印の私見です。本満寺本が、御真蹟を完全な形で伝えているかどうかについては、なお、検討の余地があると思います。
そしてなおかつ、先程申しましたように、『文句記』に、安楽行品の安楽行と不軽品の不軽行とを順化と逆化とに対比してる文があることを考えれば、「常不軽品のごとし」という文があっても不思議でない。むしろ、あるべきであるというように私は考えるわけです。
それからそれに関連して、日蓮聖人は不軽品とはいうけれど常不軽品とは言わない、という見解があります。それは統計上の問題です。一箇所しか出てこないからそれをおかしいとはいえないと私は考えます。一箇所、一箇所しか出ていないものはたくさんあるでしょう。或いは、教義的に、後世の人が大事だと思う言葉、例えば、『開目抄』の本因本果の法門だとか、或いは、本門寿量品の文の底に沈めた、というような見解とか言葉、これは他の遺文には出てまいりません。一箇所しかないから疑わしいとは言えないのではないか、と考えます。
五に入ります。末法の世は、折伏を前とする、ということです。
これは、先程もご紹介致しましたが、『開目抄』に「邪智謗法の者多き時は折伏を前とする」とお書きになっているのですから、今の世がどのような世の中であるのかということです。日蓮聖人は、今の世の中は邪智謗法者充満の時であると、諸遺文で繰り返し仰ってるのですから、それはゆるぎのないことです。今の、末法の時代は、謗法者充満の時であるから、折伏を前をするということになるでしょう。
末法の世は謗法者が充満している、という文はそこに挙げてあります、『安国論』、『本尊抄』、『曾谷抄』他です。
それから、邪智謗法者に関連する主な表現もそこにあげてあります。
末法の弘教は不惜身命の弘通であり、呵責謗法であると。謗法を呵責する、謗法を禁断する、謗法を退治する、ここに折伏の意があるというように受け止められるのではないでしょうか。
題目五字の弘通が下種結縁であるということは、『本尊抄』や『法華取要抄』『曾谷抄』『法華証明抄』等、私共が重要と考えている諸遺文に明確に述べられております。題目の五字は下種の大法です。
六に先師の釈。
日朝上人の『開目抄私見聞』に「日本既破国故尤可行折伏云ル御義トモ聞タリ、可尋」とあります。非常に消極的ですけども、室町期の一致派を代表する学匠といわれた日朝上人は、折伏のように思える、よく考えて下さい、というふうに述べています。
浅井円道先生の『観心本尊抄』の注釈書は、石川海典先生の摂折論の文を引用して、折伏と解釈をしている。
その後に挙げましたのは、日蓮聖人の紹継不軽跡ということです。日蓮聖人は、法華経を弘める上で、不軽菩薩の跡を継承していく、すなわち、不軽菩薩の如くに法を弘めていくという立場をおとりなったということを、そこに述べています。
1は、常不軽菩薩の弘教の対機は強敵であるということです。『諫暁八幡抄』に「末法には一乗の強敵充満すべし。不軽菩薩の利益此なり」とあります。その強敵に対して法を弘めるということです。
2は、逆縁下種です。常不軽菩薩の強毒について、これは先程出ました、『文句』の本未有善の強毒、それから、『文句記』の「因謗堕悪必由得益」の逆縁下種、『金剛=cd=63b7論』の不軽菩薩の強毒という解釈。日蓮聖人はそれを受けて逆縁下種の法門を説示されています。
次に毒鼓の縁、それから、地涌菩薩の五字の弘通は「因謗堕悪必由得益」であるとお述べになってる『法華取要抄』には、「為 二逆縁 一但限 二妙法蓮華経五字 一耳」とある。逆縁には題目五字である。それから、『曾谷抄』には「本未有善不軽以 レ大而強 二毒之 一」とは、「諸衆謗 二一乗経 一経 二歴三五之塵点 一」ですから、一乗法華経を誹謗する人達は強毒の対象になります。「如 二人倒 レ地還従 レ地起 一」とは、法華経誹謗の人がかえって法華経によって仏になるということで、これは『法華証明抄』の文です。逆縁下種の対機は法華経誹謗者であるということです。日蓮聖人は、この逆縁下種に人々を成仏せしめる道を見いだしていかれたと思うのでございます。
3が紹継不軽跡です。常不軽菩薩の値難と、自身の値難。その他、捨身の弘教者としての先例としての常不軽菩薩と共に、覚徳比丘・有徳王、雪山童子・師子尊者などをあげて、自身の値難に比す文章が非常に多い。
先程から言っておりますように、折伏的な弘教であるから、難に遭い、身命に及ぶのです。
日蓮聖人は、常不軽菩薩の二十四字の弘通と自身の五字の弘通とを比較なさっている。日蓮聖人は題目による下種、不軽菩薩は二十四字による下種です。二十四字というのは、「我深く汝等を敬う…」、という文を指しています。
それから、常不軽菩薩の跡を紹継するという文、常不軽菩薩の弘通と上行菩薩の五字の弘通の対比、法華経の修行と常不軽菩薩の振る舞い、ということを、諸遺文でお示しになっています。
そして、先程、本日の冒頭に申し上げた、涅槃経の転重軽受がここに出てまいります。4宿罪の消滅です。涅槃経の転重軽受法門と常不軽菩薩の「其罪畢已」、すなわち、其の罪をおえおわってということです。常不軽菩薩は現世の値難によって宿罪を消滅し、利益を得ます。
ですから、そのようなことを考えますと、日蓮聖人は不軽菩薩の跡を偲んで、強毒、すなわち逆縁下種の弘教をなさったということが分かるのでございます。
5は小結です。題目五字の逆縁下種は、常不軽菩薩の弘教を紹継したものである。
常不軽菩薩の弘教は、強敵に対して、逆化、強毒、下種結縁をして、難を被むり、これによって、法華経を真に弘める行者としての証を得たわけです。
そしてまた、難に遭うことによって自らの罪を滅した。自らの罪というのは、過去世に法華経の行者を誹謗したであろうという罪です。その罪を、今世において法華経を弘めることによって消滅する、というようにお考えになったわけです。これが転重軽受、重きを転じ軽く受けるという法門です。
日蓮聖人の弘教は謗法者に対する下種結縁です。下種結縁の大法は題目の五字です。謗法者、すなわち強敵による難、これは勧持品の色読であり、値難は正当な行者の証です。値難によって滅罪していきます。転重軽受です。
常不軽菩薩の弘教と日蓮聖人の弘教の同時性。そこに『寺泊御書』を挙げておりますが、「過去の不軽品は今の勧持品、今の勧持品は過去の不軽品、今の勧持品は未来不軽品たるべし」ということです。不軽品と勧持品との対比、これは何を意味するかというと、過去の不軽品とは常不軽菩薩の弘教、今の勧持品とは日蓮聖人の弘教です。すなわち、日蓮聖人は、先程申しましたように勧持品二十行の偈を色読されましたから、勧持品は日蓮聖人ということになります。それが不軽品と勧持品との同時性です。
日蓮聖人の紹継不軽跡の自覚が『寺泊御書』や『聖人知三世事』に述べられています。
八に挙げておりますのは日蓮聖人の弘教です。日蓮聖人はこのように難に遭いながら、法を弘められたということを繰り返しそこに述べています。それらは省略して七頁に入ります。
九は結びです。以上述べてきた事柄を集約すると次のようになるでしょう、というまとめです。
法華経の弘通と摂折です。まず、大きく、正法・像法時と、末法時とに分けています。正法・像法時は摂受、要するに摂受為本であると。末法時は折伏であると。しかし、その中にも摂受はあります。摂受為本、折伏為本というのは、摂受を本とする、折伏を本とする、ということですから、折伏のみをするという意味ではありません。両用があるということです。
末法時を教、機、時、国、師に分けて図示しています。教は題目五字七字。これは、先程から出ておりますように、題目をもって下種となすということです。その下種は、強毒の下種でございますから、これは折伏為本になります。題目信仰に素直に入る人、日蓮聖人の門下、檀越、これは、順縁ですから摂受です。それに対して、反発する人達、これは逆縁なので折伏になります。
機は、無智悪人充満の時は摂受を前とす、邪智謗法者充満の時は折伏を前とす。これは『開目抄』の文です。摂受を前とするのは摂受為本。ただこの摂受は、単なる摂受ではなくて、末法時は折伏為本ですから、折伏の中の摂受である、という意味です。折伏と摂受が折り重なっていく。末法は折伏であるけれども、その折伏にも、折伏の折伏と折伏の摂受があります。何故そうなるかというとこれは比較対照の問題だからです。邪智謗法者充満の時は折伏を前とす、折伏為本です。そこにまた、順縁と逆縁があります。
時は、濁悪世、謗法の世ですから、折伏為本になります。
国は、謗法の国ですからこれも折伏為本。
師は、本化地涌の菩薩です。地涌の菩薩は、題目の受持弘通です。題目の受持弘通の下種結縁は折伏為本です。その折伏の中にも、『観心本尊抄』です。次は、賢王は、愚王を誡責する。誡責するという意味に、日蓮聖人は涅槃経の有徳王・覚徳比丘の文を認識なさっていたであろうということから、これは執持刀杖です。これは折伏の折伏です。刀杖を持してでも正法を護らなければならない、という意味です。それから僧は正法を弘持する。僧は捨身忍難です。身を捨てて法を弘める。ですから、これは、賢王の誡責に比較すれば摂受です。そこで、賢王は折伏の折伏、僧は折伏の摂受というように考えられる。それがその表でございます。
以上につきましては、先程も申し上げましたけれども、平成十三年の、東京西部でのお話の資料に一部追加したものでございます。以降につきましては、今回新しくご紹介したいと思い、用意したものでございます。
次の所では、それでは日蓮聖人の直弟はどのように考えたのか、ということについてご紹介します。
直弟お二人の、日蓮聖人の法門の聞き書き、ノートが、現在、残っています。一人は、日向上人、一人は日法上人です。
まず、1の日向上人です。日蓮聖人の直弟であり、六老僧のうちの一人である日向上人が、日蓮聖人の教えを見聞した内容を記述したものとされる『金綱集』に、「折伏門は、世間の武にあたれり、不軽品の意なり、對治破悪是れ也、」と述べておられます。折伏は、武であって、それは不軽品の意を示していて、對治破悪であると、このように理解していたことが分かります。さらに、当世は「前代未聞ノ大謗法」の人々が多くいる時代であるから、不軽品の意を帯して、「法敵謗法」を責めるべき時である、としています。日蓮聖人の法門を、直接聞いた直弟子の日向上人は、「当世は不軽品の意を帯して、折伏すべき時である」と、理解していたと思われるのです。
『金綱集』の資料的価値については、身延三世日進、四世日善、中山三世日祐等の写本があります。右引用箇所は、資料を挙げてありますのでご覧頂ければよいのですが、『金綱集』第十巻下の部分で、日善と日肝の写本が現存しています。『宗学全書』はこの両本によって活字にしています。日善本は、嘉暦四年、西暦一三二九年二月五日の書写でございまして、書写本は身延山久遠寺に所蔵されております。一三二九年というのは、日蓮聖人滅後、四十七年でございます。ですから、日向上人の書かれた直筆は残っていなくても、祖滅四十七年という年代を考えて、この『金綱集』の文章の信頼性は高いというふうに思われるのでございます。
資料は後の方に添付してございます。十頁目の資料をご覧になって下さい。『宗学全書』の第十四巻の部分を、そこに添付してあります。中頃の所に線を引いておきましたが、「折伏門とは」という所がありますね、そこに、今申し上げたようなことが書いてあります。ですから、折伏とは不軽品の意であるということ、對治破悪であるということ、という理解をしていたということは間違いがないと思うのです。
そこの文章には何が書いてあるのかというと、世の中が治まった時代には文を前とする、これは摂受であると。それから、世が乱れている時は武を前とする。これは、すなわち、折伏を前とする時であると。そして、今の時は、日本国、摂受か折伏か、よくよく思案有るべきなり、とらいます。そして、今の日本国は、前代未聞の大謗法の人達が充満する時であるから、不惜身命の思いをなして、法敵、謗法を責めん、折伏を前とす、という解釈になっています。
これによりますと、日向上人は、日蓮聖人の教えを折伏、不軽品、對治破悪と理解していたことが分かります。
十一頁には、日向上人の解説をしている『日蓮宗事典』の文章を挙げています。その、中の段に、日向上人の「著書に、『金綱集』がある。この書は日向が日蓮聖人より聴聞し、また自身の見聞するところに従って、諸宗破立の大綱を記述し、広く経論疏釈の金言を援引して、これを華厳宗見聞・小乗三宗見聞等と名づけ、総括して『金綱集』と題したもので、古来より身延門流の秘書として重んぜられた」云々とあります。
その下の段は、『金綱集』についての『日蓮宗事典』の解説でございます。「佐渡阿闍梨日向が日蓮聖人より聴聞したところに基づいて、諸宗の大綱を記述した著書。十巻より成り『日蓮宗宗学全書』十三巻から十四巻に収録されている。日向が自らの見聞するところによって、その宗の著書から引用し、天台関係の書物からも引用して、諸宗破立の素材を列記していることから、日蓮聖人直弟の著作として最も大部のものである」と、こういう説明になっています。『金綱集』は日蓮聖人の教えを日向上人が聞いて、それをノートにとったものであるというふうに考えられているのです。
次にまた、資料の七頁に戻って頂きまして、同じく日蓮聖人の直弟の日法上人でございます。日蓮聖人の直弟である日法上人、これは中老僧のうちの一人ですが、日蓮聖人の講義を記録したものとされる「聖人御法門聴聞分連々集之」(連々御聞書)に、「末法は是れ折伏之時也」とあります。日蓮聖人の法門を直接聞いた直弟子の日法上人は、「末法の世においては折伏である」と理解していたことがわかります。正本が岡宮の光長寺に所蔵されています。
日法上人は、一二五八年から一三四一年の方です。日蓮聖人がご入滅の時、日法上人は二十五歳でした。
資料の十二、十三頁を見て下さい。十二頁は『宗学全書』の第一巻でございます。『宗学全書』の一一一頁ですが、六行目に「末法ハ是れ折伏之時也」とあります。ですから明らかに末法は折伏だと、日法上人は理解していました。この問答には、常不軽品の解説もあります。一一〇頁の後から二行目は「問う、大経に云々」とあって、大経では、破戒の者は魔の眷属、戒を持つ者は無間に落ちると書いてあるが、これはどういうことだ、というような質問があります。普通なら戒を持つと功徳があるというのに、戒を持つ者が無間に落ちるということはどういうことかというのです。それに対して、有徳・覚徳の例を挙げて、執持刀杖、正法護持それこそがまさしく持戒であると、要するに執持刀杖正法護持が持戒である、といって、そういう行為が折伏であるという説明になっています。日法上人はその説明の中で、末法は是れ折伏の時也と、明確に述べています。
十三頁の資料は日法上人についてのご紹介でございます。同じく『日蓮宗事典』です。上の段は日法上人について、「日法は常に聖人のそば近くあって、特に『連々御聞書』(日法筆、聖人の講義ノート)に見られる如く身延では直接聖人に教えられ、修行と学習に励んだのである」とあります。
下の方は、聖人之御法門聴聞分集の解説です。「日法が身延で日蓮聖人の講義を記録したものである」。「原本は、駿州岡宮光長寺に所蔵されている」。「本書は、聖人のその講述を日法が筆録したものである。もとより、それは日法が聴聞記として書いたものであるから、日法の領解として理解する必要がある。」とあります。
これについては、『金綱集』もそうなのですけども、お弟子が聞いて、それをお弟子の理解でノートにとったものであるから、日蓮聖人の文章そのものではないのだから、そのことを理解する必要がある、というように解説を加えているのです。
それにはどういう意味があるかというと、私は今でも不思議に思っているんですけども、お弟子さんのお書きになったものの多くは権実論が多いのです。すなわち、法華経こそ優れていて、他宗の教えはこうである、要するに他宗と、日蓮聖人の教えを比較するという、そういう権実の論が多いのです。日蓮聖人はその先の本門仏教の立場に立たれたのですから、どうしてそういう本化教学というものをストレートにお弟子方が言わないのだろうという疑問があるのです。ですから、こういうふうに他宗に対する法門ばかりを、『金綱集』にしても、日法上人の聞き書きにしても書いていることは理解できない。日蓮聖人の本化教学の本筋を何故、お弟子さん達はお書きにならなかったのだろう、ということがあるのです。
それで、お弟子の領解と理解する必要がある、ということだと思うのです。
七頁に戻って頂きまして、今成先生のお考えについての私の見解をそこに申し述べています。今成先生があちこちでご講演なさり、それから文章もお書きになっているのですけども、それら全部を網羅すると大変なんですが、とりあえず、第三十六回の中央教研の講義の会議資料とか、仏教タイムスの記事などを見まして、今成先生がどのようなことを仰っているのかを冊子から拾い上げたのです。私が、いくつかにまとめてコメントをしたのが、次の所でございます。
まず1『開目抄』の「常不軽品のごとし」は日存本にはない、2『開目抄』の「常不軽品のごとし」は平賀本にはない、3『開目抄』の日乾本には「御本ニ無」とある。
これらのことについては先程申しました。資料の四を参照して下さい。更に、検討が必要です。
4信頼されるご遺文中、「常不軽品」という表現は『開目抄』のこの部分のみであるから、日蓮聖人の文章としては疑わしい。
これも、先程申し上げましたけども、一回しか用例がないから疑わしいということにはならないのではないかという理由がそこに挙げてあります。
5に、『日蓮宗事典』に、「宗門の体勢は摂受に帰した」とあるので日蓮宗は摂受である。
これは、摂受と折伏を対比した摂受ではなくて、折伏における摂受の傾向の意です。
6に『宗義大綱読本』に、「専ら折伏主義に立たれた」とあるが、そうであれば歴史上に摂折論が起こるはずがない。
これは、単に、摂受と折伏に視点を置いて論争したのではありません。折伏の摂受と、折伏の折伏の視点において論争したのです。ですから、専ら折伏主義に立たれたということは前提になっているわけです。教団史上では、折伏の中における摂受折伏の論争が基本になっていると思うのです。日蓮聖人も、時によると、仰っているのですから、折伏の下種というものを視点としながら、その中に摂受折伏を織り交ぜておられた。それは弟子檀越の教化を見ても分かることだと思われます。
7、弁護士長谷川先生の意見の引用。現代社会における宗教の役割、です。
これについては、現代社会から日蓮聖人の教えを考えておられる。現代社会がこうだから日蓮聖人の教えはこうあるべきだと言っている。そうではなくて、日蓮聖人の教えを視点にして現代社会を考えるべきでありましょう。日蓮聖人はどう考えておられたか、その視点から、私達は、現代社会を考えなければいけないのではないでしょうか。
8『宗義大綱読本』の見直しも含めて検討することになっている。
これは、勧学院では、という話ですね。摂受と折伏の記述について、見直しをも含めて検討するという意味ではなくて、『宗義大綱読本』の内容全体について、見直しをも含めて検討する必要があるというように私は理解しています。摂折についての個別の問題ではないと私は思っています。すなわち、過去にできたものを、もう一度、時間が経ったので見直しましょうということであって、摂折の解説に問題があるから見直しましょうと言っているのではありません。
9、石川教張先生の発言の、「折伏をとおして摂受にいたる」は究極的には摂受である。
これは、「折伏をとおして」であるから、あくまで折伏をとおして、相手に摂受せしめるという意味です。これは明らかです。今度、身延山久遠寺から、『日蓮聖人遺文辞典』の教学篇が各御寺院に届けられました。摂折の項目は石川教張先生の文章です。石川教張先生はその文章の中で、明確に日蓮聖人は折伏であると、何回も何回も繰り返し断定しておられます。ですからその石川先生の意を受ければこのような理解にはならないと考えられます。
10、田村芳朗先生の文章、「日蓮が排他的…」をあげて、マイナスの日蓮像を、日蓮教団が作り上げていった。
日蓮教団が意図的にマイナスの日蓮聖人像を作り上げたのではありません。世界の歴史展開のなかで醸成されたのではないでしょうか。悲惨な戦い、戦争ですね、そういうなかで日蓮宗の教義が政略的に使われた。
11、望月海淑先生の発言の、「日蓮聖人の本懐は折伏ではなく、摂受との論文が発表されたのは法華経の精神に立ち返ることを意味する」の引用。
何故、摂受が法華経の精神なのか私には分かりません。発言者は望月先生ですが、望月先生の理解する法華経の精神に立ち返るのではなくて、日蓮聖人による法華経の精神に立ち返るべきでありましょう。望月先生がどう考えるではなくて、日蓮聖人はどう考えられたのかという視点に立つべきではありませんか。
12、涅槃経などで説いている折伏は兵杖であり暴力である。
暴力ではありません。護法の重要性、法を護ることの重要性を説いているのです。だから、摂受・折伏ともに慈悲の実践です。暴力のための暴力を説くような経典はありません。如何に法を護り法を弘めるかということを経典は説いています。
13『法華文句』に「法華経は偏に摂受を明かす」とある。
先程の二を参照頂ければ分かるのですが、法華経と涅槃経を比較すると、弘教の姿勢においては、法華経は摂受、涅槃経は折伏となります。
14、『法華文句』に、法華経は「折伏なきにあらず」と言い、二重否定である。
これも二を参照。法華経と涅槃経を比較すると、法華経の折伏は涅槃経よりも比重が軽いものとなる。涅槃経は執持刀杖、断命根ですから重いのです。それに比較して、法華経は、但行礼拝や勧持品の二十行の偈の忍難弘経ですから軽いということになります。
15、茂田井先生の文章に、「勧持品は折伏、不軽品は摂受」とある。
これは、『開目抄講讃』の六五二頁の文章です。摂受と折伏は比較論であるから、勧持品と不軽品とを比較すると、忍難弘経の勧持品は折伏、但行礼拝の不軽品は摂受となると、いうことです。ですから同頁に、釈迦の弘経と不軽菩薩の弘経とを比較して、「釈迦の将護は摂受、不軽菩薩の弘経は折伏」とある。また、六五四頁には「安楽行品は摂受、不軽品は折伏」、六五七頁には、「聖人が折伏を中心になされた事については」云々とある。「下種という問題を考えます時には、どうしても折伏という事が表に立たなければならない」とある。
16、茂田井先生の宗義大綱解説に、「如来の第一義諦に帰着せしめるには摂受の化より外ありません」とある。
それについては、その前に、摂受と折伏は「化用の異なり」だと、「弘教の第一義からは別々のものではなく」、「ともに大慈悲心から発しなければならない」とあり、「大慈悲心の折伏であって、始めて心服随従せしめることができる」の続きの文であります。よって、折伏によって如来の第一義に帰着せしめることをいい、相手の納得を「摂受の化」と表現されたものと思われます。
17、茂田井先生の「宗義大綱解説」に「折伏の後に摂受があるのであって、摂受の後に折伏があるのではありません」。
これは確か『現宗研所報』ですね。それで摂受であると。折伏の後に摂受があるというのは、あくまで、折伏が基本であり、その折伏の中に摂受があるという意味です。ですから、「摂受の後に折伏があるのではありません」とは、決して、摂受を中心とするのではないし、摂受の中に折伏があるのではありません、ということです。それを、逆転して、今成先生は解説をなさっている。
18、日乾本は写本としての価値が高い。
これについては、価値は高いけども完全ではありません。
19、不軽品を逆化折伏だと言ったのはたぶん妙楽湛然。
日蓮聖人は妙楽大師湛然の書や教えを用いておられますので、その釈にもとづいて不軽品を逆化折伏と解釈されたと思われます。
20、不軽品が折伏だということではない。
涅槃経の執持刀杖や勧持品の忍難弘経に対すれば摂受ですけども、安楽行品の四安楽行に対すれば、不軽品の但行礼拝は折伏になります。なぜなら、四安楽行は、自らの身の処し方であり消極的である、但行礼拝は相手の意思を超えて、強いて弘経し、弘経者の意思を貫くので積極的です。だから、安楽行品と不軽品を対比すれば、安楽行品は摂受、不軽品は折伏となります。何と比較するかによって違いが生じます。
21、本宗の基本路線は摂受であるので、世界の平和に向けて、他宗の人々も手を取り合って法華経の心を実践していくことができる。
本宗の基本路線は摂受ではありません。「世界の平和」とはどのようなことを言うのか。立正安国以外に世界の平和はありません。立正によるところの安国は、題目信心によって実現するのです。他宗の人々とどう手を取り合うか。それは、題目信心の中にこそ真の対話と理解と和融があるのではないか。例えば自分の信念を持たない人達が集まって、手を握り合って何の意味があるでしょう。それぞれの信仰の主体性を確立して、互いにその信仰の中で緊張関係をもちながら切磋琢磨する。その中に初めて真の平和があると思います。
日蓮聖人の教えの真意に立脚して、私達はそのことを考えなければならない。
今成先生のご主張の全てではないですが、主なものを拾い上げて、私の所感を述べたものです。
次に、実際に布教の現場において、摂受と折伏をどのように考えたらよいのかということについて、以下のことを付け加えさせて頂きます。
まず基本は、摂折ということは、先程から出てまいりましたように、あくまでも慈悲の実践ということです。ですから、常に、法を説く主体と、それから布教をされる相手の方ですね、それが共に一つ、同等の立場に立っているということが大切です。その認識のなかで、法を説いていく。共に、仏の御子、仏の子であるという視点に立って、法を弘めていくということです。
それから、法を弘めるのは、弘める人が弘めるのではなくて、その背景には、常に釈尊がおられて、その釈尊の教えを担って、弘教者は法を人々に弘めているということを自覚しなければいけない。それが、慈悲の実践です。
今も申しましたように、捨身の信という、身を捨てるということが基本にございます。忍難弘教は捨身の信に支えられているのです。要するに自身を仏に捧げるということです。そういう、視点に立って日蓮聖人は法を弘めていかれた。信をもって仏様に身を捧げていくことは、完全に自身を捨てているわけです。そこに折伏の本意がある。その中において、如何に、どのような弘教の手段を取るかということ。それはまた、その時、その場所、相手の考えや、それからその時の状況というものが考慮される必要があります。
法華経の信心とは、法華経に要請された、法華経の命ずる所の信心に生きるということです。それによって、自らを省みるのです。常に、我が身を反省する。我が身を省みて、仏様に聞く、お尋ねする。仏様の教えを頂こうと努力する。
摂受折伏の実践は本化菩薩道の実践です。法師品にもありますように、如来の命を受けて如来の事を行ずるということです。私共が、行うべきことは、仏様の命において、仏様の行うべきことを、仏様のお力によってやらせて頂くという、それが本化菩薩道の実践です。
そのことを、法華経の虚空会において誓ったのが、地涌菩薩です。地涌の眷属、地涌の教団と銘ずる日蓮聖人の門下は、まさしく仏様と約束した菩薩であり、その使命を常に担っているのでございます。
題目五字の弘通が、すなわち下種になります。ですから、題目を弘めるということは、仏様の仏種を人々に取り次いでいくということです。
次に、具体的な、教化活動の場面ですけども、例えば、日蓮宗の信徒教化の場合、これは、如何に信心を深めるか、信心を深化するかということが主眼となります。
他宗信徒の教化の場合には、そこには、どうしても、批判的なものが返ってくると思います。それに対して、強い信念をもって法を弘めていく、それがいうところの但行礼拝です。相手の立場に立って、相手を受け入れながら、そしてなおかつ自分の信念を貫いていく。強いて、法を弘めるのです。強毒という姿勢が必要になってくる。
他宗との交流、或いは社会との交流、これは、時に応じて、折伏の視点の中に摂受を取り込み、法を弘めていくことが求められます。他宗の人達との会合であるとか、いろいろなお付き合いがありますけども、その中においても、常に、自分の信念、本化の信に立脚して臨むことが必要だと思います。横並びの意識ではなくて、常に自分というものを、自分の信心をきちんと持ちながら、そこへ自覚的に臨んでいくことが大切だと思います。
社会の慣習的行事や、それから地域の宗教行事ということもあります。各地域には、神社等がございまして、全ての人達がそれぞれ氏子という形になっておられるような所もたくさんございます。そういう、宗教的な各地域の行事と、自分の信仰信念とをどのように調和させるかということは、現実の問題としてあると思います。そういう中で、自分の信念をしっかり持って対応していかないと、そのものの中に、埋没してしまいます。
次に、摂受折伏と世界平和です。これは、先程も少し触れましたけれども立正安国の実現ということです。仏様の教法は実乗の一善です。これは『安国論』の文です。正法を立てることが立正です。安国は仏様の浄土です。仏国・宝土と『安国論』にお書きになってます。題目の信仰に立脚した平和な社会を実現していくこと、これを日蓮聖人は『本尊抄』に「本時の娑婆世界」と仰った。
ですから、本化の信心という主体を持たずしていくら他の人々と手を握っても、それは本当に手を握ったことにならないのではないか。本化の信心をきちんと持つということは、言葉を変えれば、自分自身が仏様と如何に対面しているかということです。それが、常に、問われていると思うのでございます。ですから、他に対する時にも、そういうふうに、常に自分の信心が問われている。そしてその信心がどのように表明されているのか、ということ。そういうことがあるのではないかと思います。
ですから、そういう意味でも、私共は、日蓮聖人の教えを如何に素直に受け入れていくか、お聞きしようという態度を持つか、ということが大切であると思うのでございます。
私は別に、摂折論についての専門家でもなんでもありません。ただ、求められて、そういうお話をするようにということですので、お話しているのです。日蓮聖人の教学の勉強をなさってる方はどなたでもこの問題は、恐らく、お話なさるだろうと思うのです。論点はどうであれ、お話をなさると思うのです。
これは宗門内での議論です。私の今の認識では、宗門内でそのような議論をしている時でしょうか、という思いがむしろ強いのです。もっと、私共がやらなければいけないことがたくさんあります。社会の人達が、私達に何を求めているのか。そういうものにもっと目を向けて、それを考え対応していくという、そういう視点を持たなければいけないのではないでしょうか。
もちろん、教学上、重要な問題であることはまちがいありません。
私は、もっともっと、社会に対してやるべきことがあるというようなことを切実に考えるのでございます。
本日、お話させて頂いたことは、私の考え方ですので、これが正しいかどうかは分からないのです。皆さま方ご自身が、仏様、日蓮聖人に尋ねるしかないのです。それが、それぞれ一人一人の信心の立脚点だと思うのです。あの人はこう言った、この人はこう言ったというのは参考です。私が今日申し上げたことは皆様方のお考えの参考であって、これが正しいかどうかは分からない。私が日蓮聖人に、そのように、私は理解していますと申し上げているというか、告白しているのであって、それが正しいかどうかは分からないのです。それで、皆様方も自分の問題として、自分はどう思うかということを、日蓮聖人に尋ねて頂く、そういう機会にして下さればありがたいと思うのでございます。
非常にたくさんのことを、早口で申しましたので、お聞き苦しい点が多々あったと思います。お詫び申し上げたいと思います。また、機会がありましたら、お話させて頂くことができればありがたいと思います。本日もこのようにお招き頂いて、自分の考えていることをお聞き頂けるということは本当にありがたいことだと思っております。
本日はどうも大変長時間に渡ってご聴聞頂きまして、ありがとうございました、厚く御礼申し上げます。以上をもちまして、私のお話を終わらせて頂きます。お題目を三唱させて頂きます。よろしくご唱和をお願い申し上げます。
(唱和)南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経
ありがとうございました。(拍手)