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現代宗教研究第44号 2010年03月 発行

巻頭言

巻頭言

現代宗教研究所所長 三 原 正 資 
 
 映画館を出たとき、この街の光景もじつはつくり出された幻ではないのかと思わず辺りを見渡してしまったほど、かつて観たキアヌ・リーブス主演の映画「マトリックス」(一九九九年 アメリカ)の印象は強烈だった。今夏に公開されるクリストファー・ノーラン監督、レオナルド・ディカプリオ主演の映画「インセプション」(二〇一〇年 アメリカ)も「マトリックス」同様に人の脳の機能、ことに夢みるはたらきによってつくり出される世界が作品の舞台になるといわれているので、今から楽しみにしている。
 村上春樹のミリオンセラー『1Q84』の三巻目が間もなく出版されるということで話題になっているが、村上が一九八五年に出版した『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』(新潮社)の中には、人の脳のはたらき、心についての興味深い感想が、作中人物によって語られている。
  人それぞれ同じ心というのはひとつとしてない。しかし人間はその自分の思考システムの殆どを把握しておらんです。私もそうだし、あんたもしかり。(略)
  これはまさにブラックボックスですな。(略)大宇宙をべつにすればこれは人類最後の未知の大地と呼ぶべきでしょう。(略)そこは無数の記憶や認識の断片が選りわけられ、選りわけられた断片が複雑に組みあわされて線を作り、その線がまた複雑に組みあわされて束を作り、そのバンドルがシステムを作り上げておるからです。それはまさに〈工場〉です。それは製産をしておるのです。工場長はもちろんあんただが、残念ながらあんたにはそこを訪問することはできん(三九一〜二頁)
 「マトリックス」や「インセプション」の世界を予見するような文章である。そして、映画の中では、もちろん映画だからできることだが〈工場長〉が〈工場〉を訪問するのである。
 ところで、このような心の見方は仏教を学ぶものにとっては親しみやすく理解しやすいのではなかろうか。
 『真理のことば感興のことば』(岩波文庫 中村元訳)には、つぎのように説かれている。
  ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。(一〇頁)
 心によってつくり出されているのは夢の世界だけではない。この日常、現実の世界こそ、それなのだ、と仏教は考えているのである。『立正安国論』の一節、
  汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば即三界は皆仏国也。(二二六頁)
も同様の趣旨ではなかろうか。
 もちろん現実の世界は映画のようにはいかない。しかし、それは考え方が間違っているのではあるまい。『真理のことば感興のことば』が「もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人に付き従う」と、つづいて教えているように、この世界の苦しみが終わらないのは大部分の人びとの、心や行いに対する反省が切実ではないからである。
 さて「始まり」をあらわす映画の題名「インセプション」(INCEPTION)にノーラン監督は「植え付ける」という意味を込めているというから、「下種」や「結縁」ということばとは近い意味のようである。映画の中の「インセプション」と呼ばれるミッションは暴力に満ちた困難きわまるもののようだが、私たちの立正安国・お題目結縁運動という「インセプション」は安穏な世界をつくりあげるためのものだから、明るく楽しく穏やかに行いたいものである。
 法華経安楽行品の末尾には法華経を修行する者は妙なる夢をみるという。そしてついには「又夢作国王…」とあって法華経の功徳として夢の中で修行者が国王の位を捨てて修行し、仏と成って説法し、涅槃に入るという、釈尊の生涯を追体験するという「好夢」をみることが説かれている。日蓮聖人は「立正安国」という最上の夢を語られたともいえよう。私たちも「よき夢」をみたいものである。そしてこの社会のなかに「よき夢」を実現させたいものである。

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