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現代宗教研究第35号 2001年03月 発行

研究ノート 仏教教団ではどの様に癒しを行っていたか―律蔵経典群から読みとれる疾病誌について―

 研究ノート

    仏教教団ではどの様に癒しを行っていたか
      律藏経典群から読みとれる疾病誌について

影山教俊
 (現代宗教研究所主任)   

 ◆プロローグ
 この数年、天台大師の身体観について考察を行い、中国の医学からインドの医学へと、その興味の対象が移ってまいりました。その過程で理解できたことは、天台大師は陰陽五行説に支えられた中国医学の文化圏に生まれ育ち、その時代の医学的知識であった「陰陽五行説の気の生理学」によって、身体的な成り立ちや病因論を理解し、その様な身体観を持って実践していた。
 そして、インドから伝来した仏教を学び、インド仏教医学を吸収することで、四大理論に支えられた病因論、治療法としての薬効食を理解し、四大理論に支えられた身体観を取り入れ、それを中国医学と折衷する形で、僧堂における信行生活の実際の指導や、臨床に応用していたことが理解できた。
 とくに天台大師の中国医学の知識は、『黄帝内経』(『素問』『霊枢』)の代表される中国医学の知識ばかりではなく、葛洪や陶弘景に代表される道教系の医学的知識に及び、さらには四大の病因論に支えられたインド仏教の医学的知識を豊富に持ち、また天台大師の文献に見られるインド仏教医学の知識は、中国において初期の訳出になる『道地経』『仏医経』などに見られる医学的知識の他に、『摩訶僧祇律』に含まれる医学的知識と重なるものであると理解できた。*1

    ㈵ インド仏教医学に見える病因論について

   一 インド仏教の医方明
 さて中国へとインドの仏教医学の現状を最初に報告したのは、七世紀中頃にナーランダ僧院を中心に遊学していた玄奘三蔵であり、『大慈恩寺三蔵法師伝』十巻、『大唐西域記』には、仏教大学としてのナーランダ僧院で実習されていた学習コースの重要なものとして、声明(s=cd=f087abda-vidya=cd=ab29)、工巧明(silpakarmastha=cd=ab29na-vidya=cd=ab29)、医方明(cikitsa=cd=ab29-vidya=cd=ab29)、因明(hetu-vidya=cd=ab29)、内明(adhya=cd=ab29tma-vidya=cd=ab29)の五明の伝統的カリキュラムが挙げられており、学生たちはこの五明を三蔵十二部教の経典群と共にそれを七歳から学び、さらにこの医方明について魔除けの呪文、医薬品、石や針やお灸などの医療技術が伝えられている。
 また同様にナーランダ僧院の七世紀後半の生活を伝える唐代の訳経三蔵僧義浄の『南海寄帰内法伝』には、当時のナーランダ僧院では、医方明の診療科目として「一には所有る諸瘡を論ず、二には首疾を針刺すを論ず、三には身の患を論ず、四には鬼瘴を論ず、五には悪掲陀(agada、毒)を論ず、六には童子の病を論ず、七には長年の方を論ず、八には身力を足すを論ず。」の八つが設けられており、これは現行の『チャラカ・サンヒター』では第一巻三十章「心臓に根をもつ十の大脈管に関する章」に、『スシュルタ・サンヒター』では総説篇第一章「聖者ダンヴァンタリのスシュルタに談ぜられしままの吠陀の起源の章」に同様の科目が示されている。*2
 それらを比較すると次のようになる。
○『チャラカ・サンヒター』&『スシュルタ・サンヒター』 ○『南海寄帰内法伝』  
一、腫瘍、膿瘍などの治療法(一般外科学、s=cd=f087ala-tantra) 一には所有る諸瘡を論ず 
二、眼科や耳鼻科の治療法 (特殊外科学、s=cd=f087a=cd=ab29la=cd=ab29kya-tantra)二には首疾を針刺すを論ず
三、内科全般の治療法   (身体療法、Ka=cd=ab29ya-cikitsa=cd=ab29)三には身の患を論ず   
四、精神病治療      (鬼神学、Bhu=cd=ab29ta-vidya=cd=ab29)四には鬼瘴を論ず    
六、解毒剤の投薬療法   (毒物学、Agada-tantra)五には悪掲陀を論ず   
五、小児病治療      (小兒科学、Ka=cd=ab29uma=cd=ab29ra-bhr=cd=ab22itya)六には童子の病を論ず  
七、長生薬論       (不老長生学、Rasa=cd=ab29yana-tantra)七には長年の方を論ず  
八、精力増強法      (強精学、Va=cd=ab29j=cd=ab33=cd=ab29karan=cd=ab22a-tantra)八には身力を足すを論ず 
 そしてまた、その中には病因論と具体的な臨床が述べられており、その当時の病因論として「四大の不調には、一に窶=cd=61cd(gulma、地大)、二には燮跛(kapha、水大)、三には畢=cd=61d0(pitta、火大)、四には婆=cd=61d0(va=cd=ab29ta、風大)があり、一は地大が増大して身体が肥る地大病、二には水大が積もって下痢をしたり浮腫んだりする水大病、三には火大が盛んになり発熱や頭痛、また心臓循環器系の火大病、四には風大が動いて呼吸器系の病気や、身体の各部が痛むなどの風大病があり、これらは中国では沈重、痰=cd=61ce、熱黄、気発と呼ばれる病気である。」といい、さらにその臨床に触れて「一般的に臨床の現場では、四大に地大を加えない、水大・火大・風大の病因論の応用が行われ、病気の種類も気発・熱黄・沈重の三種にし、地大の沈重(身体の意味)は水大の痰=cd=61ceと同様に考え、別に地大を数えない。」と示している。*3
 また、その当時の医方明のテキストに触れて「斯の八術は先に八部と為す。近日人有りて略して一夾と為す。」といい、その医方明のテキストが古典的な医学書を整理して一冊にした新たなテキストであったことが示されおります。近年この『南海寄帰内法伝』の「略して一夾と為す。」と示されたテキストが、バーグバタ(Va=cd=ab29gbhat=cd=ab22a)の『八科精髄集』*4であり、それはほぼ七世紀に成立し、先行するインドの二大古典医学書である『チャラカ・サンヒター』(Charaka-Sam=cd=ab22hita=cd=ab29、五世紀頃成立)と、『スシュルタ・サンヒター』(Sus=cd=f087uruta-Sam=cd=ab22hita=cd=ab29、三〜四世紀頃成立)に含まれる医学的知識を集大成した文献であったことが指摘されている。
   二 疾病誌としての律蔵経典群
 そして、このような初期仏教教団の疾病誌は、「耆婆(ジーバカ、Jivaka Komarabhacca)が良薬」といわれるように現存する律藏経典の、とくにその毘奈耶薬事(Vinaya-pit=cd=ab22ka)に相応する部分に病気の治療に関わる記述の多く見られることは知られており、近年インド医学のアーユルヴェーダ(a=cd=ab29yur-veda)研究が進み、この律藏群の毘奈耶薬事に記述される医学的知識や、またそれの知識が初期のインド仏教僧院の医療施設で臨床的に応用され蓄積されて、インドの二大古典医学書である『チャラカ・サンヒター』や『スシュルタ・サンヒター』へと発展したことが指摘されている。
 そして、そのようなインド医学の源泉となったといわれる律藏経典群には、
 ㈰ 大衆部の『摩訶僧祇律』巻二十八
  (東晋天竺三蔵仏陀跋羅、法賢共訳、四一六年〜四一八年)
 ㈪ 説一切有部の『十誦律』巻二十六「医薬法」
  (後秦北天竺三蔵弗若多羅、羅什共訳、四〇四年〜四〇九年)
 ㈫ 曇無徳部の『四分律』巻四十二〜四十三「薬=cd=61cf度」
  (後秦北天竺三蔵仏陀耶舍、竺仏念共訳、四一〇年〜四一二年)
 ㈬ 沙弥塞部の『五分律』巻二十二「薬法」
  (宋=cd=61dc賓三蔵佛陀什、竺道生共訳、四一八年〜四二三年)
 ㈭ 『根本説一切有部毘奈耶薬事』
  (唐三蔵義浄訳、六九五年〜七一三年)
 ㈮ 南方上座部のヴィナヤに含まれる『南伝大蔵経』「大品」(Maha=cd=ab29vagga)第六章
の六編が上げられる。
 ところで、インドの疾病誌から見れば、仏教教団の医療は、成文化された医学説としては現存するものでは最も古いものであり、仏教教団が律蔵経典群に残した病んだ僧侶の病歴や、許可された薬(薬効食)による治療方法などには、その時代の医療に関する様々な疾病誌の記述が含まれている。そこに見られるものは、西暦前後の初期仏教教団で行われていたであろう医療事実のまぎれもない記録であり、その疾病の種類は極めて身近なもので、初期僧伽の遊行僧たちが日常生活の中で罹ったものであると理解できる。
 そして、この仏教教団の医療は、とくにその病気の治療に関する部分には、病人の世話について、仏陀が比丘・比丘尼にその症例別の指示を与える形が取られている。
 また先の耆婆に代表されるような職業的な治療師も僧伽の中で病者への癒しを行っており、その事実は古代インドの治療者たちと仏教教団の密接な関係を示しているといえる。
 まずここで先に述べたように律藏経典群から共通する医学的知識を抽出し、*5それをインドの二大医学書である『チャラカ・サンヒター』『スシュルタ・サンヒター』と比較し、その医学的知識と、その癒しの実際を理解して行きたい。
   三 四大(三大)による病因論について
    (一)漢訳文献に見られる病因論
○『摩訶僧祇律』*6
「耆波夜提法を明すの三」
「病」とは、四百四病あり。風病に百一あり、火病に百一あり、水病に百一あり、雑病に百一あり。若し風病には当に油・脂を用いて治すべく、熱病には当に酥を用いて治すべく、水病には当に蜜を用いて治すべく、雑病には当に尽く上の三種薬を用いて治すべし。
○『十誦律律』*7
「四波羅夷法を明すの二」
病者とは、四大増減し諸の苦悩を受けるなり、比丘是の人に語りて言はく、汝云う何んが久しく是の苦悩を忍ぶや、何んぞ自ら命を奪はざると、是に因って死すれば比丘波羅夷を得、若し死せざれば偸蘭遮なり、若し是の病人是の念を作す、我れ何んの縁にて是の比丘の語を受けて自ら命を奪わんとよ、因って死せざれば偸蘭遮なり、若し比丘心に悔い我れ是ならず、何を以て此の病人に自ら殺さんことを教へしやと、還り往いて語って言はく、汝等病人、或いは良薬、善看病人、随病の飲食を得れば病差ゆるを得るべし。
○『四分律』*8
此の身色は四大合成し、彼の身色は化有なり、此の四大身色異る、彼の化身の四大色異なり、此の四大身色中より、心を起して化作し、彼の身の諸根肢節具足する。
○『根本説一切有部毘奈耶薬事』*9
「強悩觸他学処第十七」
「諸有病者は應に須らく胆侍すずし」と世尊は説きたまえるが如くに、寺中の所有耆老芯芻は皆来たりて疾を問へり。問いて言はく「四大如何ぞや」。答えて曰わく、「困窮せり」。
◇これらを要約すると
『摩訶僧祇律』には、「病には四大に相応しそれぞれに百一の病があり、全体で四百四病がある。」という。さらに「風病は油・脂、熱病は酥、水病は蜜、雑病は油・脂、酥、蜜などの三種薬を用いる。」などの具体的な治療法までが記述されている。
 また『十誦律』には、「病者は四大が増減することによって苦悩を受け、病人は良薬と、善い看病と、病気に応じた(随病)飲食によって癒える。」といい、『四分律』と『根本説一切有部毘奈耶薬事』には、「病気は四大によること」のみが記述されている。
 以上の病因論として、おおよそ地大・水大・火大・風大の四大によることが示されている。
    (二)『南伝大蔵経』に見られる病因論
『南伝大蔵経』「大品」*10
五 シーヴァカよ、粘液より生ずる 或感受のここに起こることあり
六 シーヴァカよ、風より生ずる 或感受のここに起こることあり
七 ジーヴァカよ、(胆汁など三つの)聚和より生ずる 或感受のここに起こることあり
八 ジーヴァカよ、時候の変化より生ずる 或感受のここに生ずることあり
九 ジーヴァカよ、逆運の逢うことにより生ずる 或感受のここに生ずることあり
十 ジーヴァカよ、痙攣性の或感受のここに生ずることあり
一一 ジーヴァカよ、業異熟性の或感受のここに生ずることあり
(中略)
一三 胆汁、粘液、風と(三種の)聚和と、時候と、逆運、痙攣、業異熟によりて第八なりと。
◇これを要約すると
『南伝大蔵経』「大品」では、とくに漢訳文献では具体的な記述の見られなかった仏陀の病気の原因に関する八つの原因(八因)が挙げられ、次のように四つの内因と四つの外因に分類できる。
 四つの中心的病因=内因
  ピッタ(pitta)=火大=胆汁素
  カパ(kapha)=水大=粘液素
  ヴァータ(va=cd=ab29ta)=風大=体風素
  三つの組合せ(聚和、sannipa=cd=ab29ka)=地大=等分
 他の四つの外因
  時候(季節、r=cd=ab22tu)
  異常な行動によるストレス(逆運、vis=cd=ab22ama)
  外因性の事故(痙攣、opakkamika)
  過去の行為の結果(業、karma)
    (三)古典医学書に見られる病因論
 インドの二大古典医学書の『チャラカ・サンヒター』『スシュルタ・サンヒター』の両書には、このような八因について次のように見えている。
○『チャラカ・サンヒター』第二〇章「病気の[大分類についての]大きい章」
 「ヴァータ、ピッタ、カパが身体的な病素のすべてである。」
 「病気には四種類ある。すなわち、外因性の病気と、ヴァータ、ピッタ、カパを原因とする(三種の内因性の病気)である。」*11
○『スシュルタ・サンヒター』第一篇 総説篇 第一章「聖者ダンヴァンタリのスシュルタに談られしままの吠陀の起源の章」
 「人間(purus=cd=f087a)は特殊な疾病の容器である。人間に悩みや痛みの源をなすものは疾病と称される。疾病には四種、すなわち、外因性(偶発的、a=cd=ab29gantuka)、身体的(s=cd=f087a=cd=ab29rira)、精神的(ma=cd=ab29nas)と、自然的(sva=cd=ab29bha=cd=ab29vika)である。(中略)精神と肉体とは、上述の不調違和の座であって、その両者は個々に働き、または一緒に働く。
 そして、浄化(samshodhanam)と疾病を起す体液失調の鎮静(samshamanam)および餌食と行為の摂生は、疾病を克服するために適当に用いられなけれねばならない四要素である。」*12
 「然るに苦を与えるものを病と称する。病には偶発的、身体的、精神的、及び自然的の四類あり。この中の偶発的とは、外傷によって起る病なり。身体的とは、飲食物より起り、或は体風素(va=cd=ab29ta)、胆汁素(pitta)、粘液素(kapha)、及び血液の熟れが、一、二、三、若しくは総てが異常的変化を来し、その均衡を失ったために起る病なり。」*13
    (四)病因論の総括
 以上を総合的に理解すると、古典医学書の三大による病因論は、律藏経典群の四大による病因論よりかなり医学的に進歩しているが、『南伝大蔵経』「大品」に見られた病気に関する八つの原因、内因の四つの四大(火大=ピッタ、水大=カパ、風大=ヴァータ、地大=三つの組合せ)と、外因の四つ外因性(偶発的a=cd=ab29gantuka、身体的 s=cd=f087a=cd=ab29rira、精神的 ma=cd=ab29nas、自然的 sva=cd=ab29bha=cd=ab29vika)などが具体的に述べられている。
 漢訳文献に見られる医療は古典医学に見られる病因論よりは未熟ではあっても、このような病因論に近いものを通じて病気というもの、身体的な在り方を見ていたことが考えられる。
◇それらを要約すると次のようになる。
○漢訳文献
 病因論には四大としての四因
 病気の種類には一因に百一、全体で四百四病
 治療法に風病は油・脂、熱病は酥、水病は蜜、雑病は油・脂、酥、蜜などの三種薬
○『南伝大蔵経』
 病因論には八つの原因(八因)=四つの内因と四つの外因
  内因=四つの中心的病因
   ピッタ(pitta)=火大=胆汁素
   カパ(kapha)=水大=粘液素
   ヴァータ(va=cd=ab29ta)=風大=体風素
   三つの組合せ(聚和、sannipa=cd=ab29ka)=地大=等分
  外因=他の四つ
   時候(Va=cd=ab29gbhat=cd=ab22a)(季節、r=cd=ab22tu)
   異常な行動によるストレス(逆運、vis=cd=ab22ama)
   外因性の事故(痙攣、opakkamika)
   過去の行為の結果(業、karma)
○古典医学書
『チャラカ・サンヒター』
 病因論には四因(外因性の病気と三種の内因性の病気)
  外因性の病気
  ヴァータの増悪
  ピッタの増悪
  カパの増悪
 とくに三種の内因性の病気が中心である。
『スシュルタ・サンヒター』
 病因論には四因
  外因性(Va=cd=ab29gbhat=cd=ab22a)(偶発的、a=cd=ab29gantuka)
  身体的(s=cd=f087a=cd=ab29rira)
  精神的(ma=cd=ab29nas)
  自然的(sva=cd=ab29bha=cd=ab29vika)
 とくに身体的要因に中心があり、飲食物より起り、また体風素(va=cd=ab29ta)、胆汁素(pitta)、粘液素(kapha)の増悪、三つの要素(tri-dos=cd=ab22a)の増悪により起る。
 治療法には四つの要素
  浄化(samshodhanam)
  増悪した体液要素(dos=cd=ab22a)の鎮静(samshamanam)
  食事の調整
 以上のように漢訳文献と、『南伝大蔵経』と、古典医学の病因論を並べると、『南伝大蔵経』、古典医学書は、明らかに漢訳文献の四大による病因論から、ヴァータ(va=cd=ab29ta、風大)、ピッタ(pitta、火大)、カパ(kapha、水大)の三要素(tri-dos=cd=ab22a)の病因論へと整理され、内因の四つ、外因の四つと体系づけられていることが理解できる。
 また『南伝大蔵経』には漢訳文献と古典医学書には見られない病因として、四つの外因の一つに「過去の行為の結果」の業(karma)を挙げていることに注目したい。

    ㈼ インド仏教医学に見られる具体的な治療法について

   一 皮膚病について
 これは病気に関する理論的な記述であるが、実際の臨床面では具体的にどの様な医療が行われていたのであろうか。まずは上述した四大(三大)による病因論を前提にしながら、教団の中ではどの様な癒しが行われていたのかを理解するために、漢訳文献から各律部に共通する具体的な治療に関する例を挙げ、それを『南伝大蔵経』、古典医学書と比較しながら理解して行きたい。
    (一)漢訳文献に見える皮膚病
○『摩訶僧祇律』*14
「雑誦跋渠法を明すの九」
 復次に仏、王舎城に住したまひき。.如来は五事の利益を以ての故に、五日に一たび諸比丘も房を行りたまふに、比丘の癬病を見て仏知りて故に比丘に問ひたまはく、「汝、調適にして安楽住せりや不や。」答へて言さく、「世尊、我れ癬=cd=21f4を病めり、香屑末を得て洗浴せんには便ち差えんも、世尊の制戒、香屑を用ふるを得ざれば、是故に苦住せり。」仏言はく、「今日より病比丘には香屑を用ふるを聴さん」と。香硝とは、於尸屑・馬耳屑・七色屑・栴檀屑・倶多屑(倶必多、火大)菴抜羅屑・閻浮尸利屑・阿淳屑・迦比羅屑(赤色[Kapa=cd=ab33=cd=ab29la]の硝)にして、是の如き比の一切は聴さず。若し比丘、癬=cd=21f4を病まんに、屑末を須いて塗浴して差えんには、用ふるを得て無罪なり。迦羅屑・摩沙屑・摩痩羅屑・沙=cd=61d3屑・塗土を用ふるを聴す。是を「末屑法」と名く。
○『十誦律』*15
「七法中医薬法第六」
 (四)仏毘耶離国に在して住したまいひき、是の地=cd=61d1湿にして諸比丘、疥(ひぜん・thullakaccha=cd=ab29ba=cd=ab29dho)を病めり、膿血流れて安陀会を汚ごし水に漬かるが如し、仏知つて故らに問ひたまへり、諸比丘に問ふ、何を以つて安陀会を汚し水に漬るが如きやと、諸比丘言さく、世尊我癰曹疥を病み膿血流れ出で安陀会を汚せりと、仏言はく、「今日より諸の疥を病む比丘苦薬」を用つて塗るを聴すと、長老優波利仏に問へり、何等か苦薬なる、仏言はく、拘頼闍樹、拘波羅樹、拘真利他樹、師羅樹、波伽羅樹、波尼無祇倫陀樹なりと、諸比丘擣磨を暁めず仏言はく、石磨を聴すと。石磨薬地に堕ちたり、仏言はく、石臼杵もて擣くを聴すと、諸比丘手を壊す、仏言はく目杵を作るをを聴すと、木杵を作るに作るを暁めず捉処の手上下に脱す、仏言はく中央を細くせしむ。擣く所の薬麁なり、仏言はく応=cd=61d2もて細ならしめ、油を以つて瘡に塗り薬を以つて上に=cd=61d4すべしと。
○『四分律』
「薬=cd=61cf度の一」*16
 爾の時病比丘、麁末薬を以て実を洗ひ痛みを患ふ。仏言はく、「細末、若しは細泥、若しは葉、若しは華、若しは果より取り、病者をして楽を得しむるることを聴す」と。是の中の病者とは、若しは体に瘡、若しは癬、若しは =cd=61ed、若しは疥癩、乃至身臭なり。
「薬=cd=61cf度の二」*17
 時に比丘あり瘡を患ふ。医塗瘡薬を作らしむ。仏言はく、「作ることを聴す」と。彼れ瘡熟す、応さに刀を以て破りて薬を著くべし。「自今已去、刀を以て瘡を破ることを聴す。瘡を患ひて臭ければ応さに洗うべし。若し根湯、茎葉羊果湯及び小便を以て洗へ。洗ふ時手を以て洗ひ痛みを患ふれば鳥毛を以て洗へ。若し薬汁を流し棄つるには、物を以て四辺を擁障せよ。若し燥を患ふれば、油を以て塗れ、若し上り棄つるには、物を以て覆へ。若し瘡臭ければ香を塗れ」と。
○『根本説一切有部毘奈耶薬事』*18
「四種薬法」
 縁所は前に同じ。(縁は王舎城に在りき。時に具壽畢隣陀婆瑳[pilindavatsa、雑薬=cd=61d5聴許]は・・・)時に=cd=61e4芻あり身瘡疥を患ひければ医人処に詣りて問うて曰く、「賢首、我れ瘡疥を患へり、我が為に処方せよ」。医人報じて曰く「聖者、宜しく渋薬を服すべし、当に病差ゆるを得べし」。=cd=61e4芻答へて曰く、「賢首、我は是れ耽欲の人なるべけんや」。医人報じて曰く、「此渋薬能く疥癬を治せんも、余薬にては差えじ」。=cd=61e4芻問うて曰く、「当に何等の渋薬を服すべき」。医人答へて曰く「聖者、汝が師は是れ一切智者なれば具に此事を知しめさん」。諸=cd=61e4等は往いて世尊に白すに、仏言はく、「五渋薬あり、一には菴没羅、二には=cd=61dd婆、三には瞻部、四には夜合(尸利沙木、s=cd=f087ir=cd=ab33=cd=ab29s=cd=ab22a)、五には倶奢摩(倶奢摩と音寫、蔵律にはko-cham-paと音寫)なり。=cd=61e4芻応に知るべし、此等諸薬の或いは皮、或いは葉は、並びに応に擣碎し水にて煮て身に塗るべし。塗り已るに体に更に瘡を生じければ、仏、芯芻に告げたまはく、「応に散薬を作るべし」。=cd=61e4芻湿擣せるに、為に一団と作りて碎=cd=61deと為らざりき。仏言はく、「応に湿擣すべからず、応に曝して乾かさしむべし」。諸=cd=61e4芻は盛日中に於て薬を=cd=61d6して遂に力なからしめぬ。仏言はく、「応に烈日中に於て薬を曝すべからず」。=cd=61e4芻は陰乾せる薬に便ち衣生ぜり。仏言はく、「可しく」微日中に於て曝すべし」。諸=cd=61e4芻等は渋薬をもて身に塗りて即ち便ち沐浴せるぬい、其苦七墜落して薬力を得ざりき。仏言はく、「乾くを待ちて手にて摩り、其薬皮膚に入らんに然して後に沐浴し、已りて更に塗り、塗り已りて更に浴せんに瘡病差ゆるを得ん」。
◇これらを要約すると、(1)疥癬の分類と、(2)腫れもの(瘡)のパターンの二つに分類できる。
     (1)疥癬の分類
 『摩訶僧祇律』では癬=cd=21f4の処方として「迦羅硝・摩沙硝・摩痩羅硝・沙 硝・塗土」の五種を用いた「末硝法」の治療法を挙げ、『十誦律』では疥(thullakaccha=cd=ab29ba=cd=ab29dho)の処方として、「苦薬」(粉薬・cun=cd=ab22n=cd=ab22a bhesajjat)として「拘頼闍樹、波羅樹、拘真利他樹、師羅樹、波伽羅樹、波尼無祇倫陀樹」などを挙げ、その苦薬を油によって塗る治療法などを挙げている。
     (2)腫れもの(瘡)
 『四分律』では瘡の処方として一般的には「塗瘡薬」を用い。瘡が大きく腫れたら、刀によってそれを切開し薬を塗る。その瘡が臭ければ、「根湯、茎葉羊果湯及び小便」によって洗う。洗うとき手で痛ければ「鳥毛」にて洗う。傷が乾燥しているなら油を、臭ければ「香」を用いる治療法を挙げ、さらに『根本説一切有部毘奈耶薬事』では瘡疥の処方として「渋薬」を用い、渋薬には「一には菴没羅、二には=cd=61dd婆、三には瞻部、四には夜合(s=cd=f087ir=cd=ab33=cd=ab29s=cd=ab22a)、五には倶奢摩(Tib. ko-cham-pa)」の五種を挙げている。
 以上のように皮膚病に関する漢訳文献を整理してみると㈰疥癬の分類と㈪腫れもの(瘡)の分類の二つのパターンに分類できる。続いてこれらを『南伝大蔵経』「大品」と、古典医学書と比較しながら理解して行くと次のようになる。
    (二)『南伝大蔵経』「大品」に見られる皮膚病
     (1)疥癬の分類
 『南伝大蔵経』「大品」第六薬=cd=61cf度 *19
 九−一 その時、具壽阿難の和尚なる毘羅=cd=61e2師子(ベーラッタシーサ)は疥癬を患ひたり。黄水の為に彼依、身に固着せり。比丘等は水に湿して此を離せり。世尊、臥処座処を廻り、彼比丘等が水に湿して彼依を離すを見たまえり、見て彼比丘等の在る処に到りたまへり、到りて彼比丘等に言ひたまへり、「比丘等よ、此比丘は何の病を患ふや」。「此具壽が疥癬を患ふ。黄水の為に彼依、身に固着せり。我等、水に湿して此を離すなり」。
 九−二 その時に、世尊は此縁により法を説き、比丘等に告げて言ひたまへり、「比丘等よ、痒、瘡、膿、疥を患い身に悪臭あるものには粉薬、無病者には牛糞、粘土、顔料を許す。比丘等よ、臼と杵とを許す」。
 一〇−一 その時、(中略)「比丘等よ、篩を許す」。(中略)「比丘等よ、布の篩を許す」。
◇これを要約すると
 毘羅 師子(Belat=cd=ab22t=cd=ab22as=cd=ab33=cd=ab29sa=cd=ab29)が疥癬(thullakaccha=cd=ab29)を患い。その傷から黄水(lasika=cd=ab29)の分泌液が出て、僧侶の衣が肌にくっつき、それをはがすために彼らは水に湿した。
 世尊はそれを見て次のような指示を出している。
㈰痒(kan=cd=ab22d=cd=ab22u=cd=ab29)、瘡(pilaka=cd=ab29 skt.pid=cd=ab22aka=cd=ab29)、膿(assa=cd=ab29va skt.a=cd=ab29sra=cd=ab29va)、疥(thullakaccha=cd=ab29)の四つの病を患って、そして、身体に悪臭のあるもの(duggandha-ka=cd=ab29ya)には粉薬(cun=cd=ab22n=cd=ab22a skt.cu=cd=ab29n=cd=ab22a)の使用を許した。
㈪また四つの病を患っていても身体に悪臭のない無病者には、牛糞(chakana skt.chagana)、粘土(mattika=cd=ab29 skt.mr=cd=ab22ttika=cd=ab29)、顔料(rajanipakka)の使用を許した。
㈫薬を調合するために、臼(udukkhala skt.ulu=cd=ab29khala)、杵(musala)、粉の篩(cun=cd=ab22n=cd=ab22aca=cd=ab29la=cd=ab29n=cd=ab33=cd=ab29)、布の篩(dussaca=cd=ab29la=cd=ab29n=cd=ab33=cd=ab29)の使用を許した。
     (2)腫れもの(瘡)の分類
『南伝大蔵経』「大品」第六薬=cd=61cf度 *20
一四ー四 (中略)その時、一人の比丘あり、瘡に罹れり。「比丘等よ、刀を用ふることを許す」。渋水を須いたり。「比丘等よ、渋水を許す」。胡麻膏を須いたり。「比丘等よ、胡麻膏を許す」。
一四ー五 壓定布を須いたり。「比丘等よ、壓定布を許す」。繃帯を須いたり。「比丘等よ、繃帯を許す」。瘡、痒かりき。「比丘等よ、芥子粉を撒くことを許す」。瘡爛れたり。「比丘等よ、燻すことを許す」。瘡の肉、隆起せり。「比丘等よ、鹽片を以て(腐蝕せしめて)断つことを許す」。瘡、癒合せざりき。「比丘等よ、瘡の油を許す」。油、流れたり。世尊に此義を告げたり。「比丘等よ、亜麻布と(其他)一切の瘡の治療を許す」。
◇これを要約すると
 ある比丘が瘡(gan=cd=ab22d=cd=ab22a)に罹り、次のような治療法が許された。
   刀を用いる(sattha-kamma、刀による手術)
  渋水(kasa=cd=ab29-vodaka、煎じた水)
  胡麻膏(tila-kakka)
   壓定布(kabalika=cd=ab29、押さえるもの)
  繃帯(van=cd=ab22a-bandhanacola)
  痒み(kan=cd=ab22d=cd=ab22u)のためのに芥子粉(sa=cd=ab29sapakut=cd=ab22t=cd=ab22a)を使用する
  爛れた(van=cd=ab22a-kilijitha、傷の炎症)のために、燻(dhu=cd=ab29ma)す
  隆起した肉(van=cd=ab22a-mamsam)を鹽片(lon=cd=ab22a-sakkarika=cd=ab29ya)によって(腐蝕させて)切り取る
  癒合せざりき(van=cd=ab22ona na ru=cd=ab29hati、治りにくい傷)ものに、瘡の油(van=cd=ab22a-tela、胡麻の油)
  油が流れた(tekam galatiので、亜麻布(vika=cd=ab29sika、布の包帯)を使う
  その他に一切の瘡の治療(sabbam van=cd=ab22apatikamma)を行う
 以上のように漢訳文献では皮膚病が(一)疥癬の分類と(二)腫れもの(瘡)の二つのパターンに分類できたが、それを補うように『南伝大蔵経』でも二つのパターンに相応することが分かった。ではそれらは古典医学書ではどの様に扱われているのだろうか。二つのパターンに従って理解して行こう。
    (三)古典医学書に見られる皮膚病
     (1)疥癬の分類
 このような疥癬について『チャラカ・サンヒター』第二〇章「病気の[大分類についての]大きな章」*21には、四〇種のピッタ性の病気について、太陽に焼かれるような熱感・焦げるような微熱感・燃えるような熱感・沸騰するような熱感(中略)皮膚の炎症・皮膚の割れること・皮下肉のさけること・血液腐敗・出血性破裂(中略)すなわち、燃焼・発熱・化膿・湿潤・腐敗・掻痒・(痰などの)流出・赤斑点などと説明し、またピッタ独特の匂いや色や味への発展などを考慮してピッタ性の病気を診断すべきであるという。
 その治療法について第三章「三七種類の塗り薬の章」*22では、患者の掻痒・吹き出物・発疹・皮膚病・腫瘍を鎮静させるためには、二種のハリドラー、スラサー、パトーラ、ニンバなどを等量粉末状にし、これらをあらかじめ油と混ぜて身体に塗る治療法を挙げている。
 また『スシュルタ・サンヒター』第二篇 病理篇 第十三章「軽傷(ks=cd=ab22udraroga)の病理を述べん」*23でも、身体の全表面、または局部の火傷のように膿疱ができ、熱発を伴う小膿疱疹(visphotaka)は、血液及び胆汁素(pitta)の不調によって生ずるものであるといい、また第四篇 治療篇 第二十一章「病治療法を述べん」(s=cd=f087u=cd=ab29karoga-cikitsika=cd=ab29)*24では、その治療法について、渋味薬の煎じ薬と、渋味薬の煎液中に煮た油には効果があるという。
 また臭いものには微温の午時花油(bala=cd=ab29-ta=cd=ab29ila)で皮膚を洗い、「カーコーリー」等の甘味剤と酥・油で処方した温かい巴布を当てる治療法を挙げている。
◇これを要約すると
 疥癬はピッタ(pitta、火大)性の皮膚病であり、それらを鎮静化するためには、渋味、甘み(渋薬)などで調合した精製バター(ギー・酥)や油を用いた治療法を挙げている。
 ここで以上を総合的に理解すると、漢訳文献に見られる疥癬などの皮膚病に対して渋薬・苦薬を油え混ぜて塗るという治療法は、『南伝大蔵経』や古典医学書に挙げげられている渋味薬の煎じ薬や、煎液中に煮た油による方法とほとんど共通している。
 これらによって『摩訶僧祇律』の「末硝法」、『十誦律』の「苦薬」など、『四分律』の「塗瘡薬」など、また『根本説一切有部毘奈耶薬事』は(二)の腫れもの(瘡)の中に納めているが、皮膚病一般の処方として「一に菴没羅、二に=cd=61dd婆、三に瞻部、四に夜合(s=cd=f087ir=cd=ab33=cd=ab29s=cd=ab22a)、五に倶奢摩(Tib.ko-cham-pa)」の五種の渋薬を挙げており、漢訳文献にはその具体的な処方の意味は述べられてはいないが、おおよそ古典医学書に見られたようにピッタ(pitta、火大)性の皮膚病を鎮静化する治療法であったと考えられる。
     (2)腫れもの(瘡)
 この腫れものについて『チャラカ・サンヒター』第十一章「三つの願望に関する章」と、第二十八章「様々な飲食物[という言葉で始まる]章」*25に、病気には三種類の場所があり、その内の一つが体の表面に出る皮膚の病気であるといい、それは肉が汚染されて生ずる病気として、肉芽腫、腫瘍などを挙げている。
 さらに『スシュルタ・サンヒター』第二篇 病理篇の第九章「腫瘍の病理」(vidradhi)と、第四篇 治療篇の第一章「二種の瘡傷に関する治療法」(drivran=cd=ab22=cd=ab33=cd=ab29ya cikitsita)と、第十六章「膿瘍治療法」(vidradh=cd=ab33=cd=ab29n=cd=ab33=cd=ab29a=cd=ab29m cikitsita)*26には、六十種の瘡傷を挙げており、とくに刃物による切開、渋薬のニンバなどによる煎じ薬、塗油法、温罨法など、仏教文献に見られたほとんどの治療法を挙げている。
 そして仏教文献には癒しになるものは用いてよいという趣があるように、仏教教団ではいろいろな方法が実践されていたと考えられ、古典医学書が明確に区別している腫れもの(gan=cd=ab22d=cd=ab22a)と、疥癬(thullakaccha=cd=ab29)においても、漢訳文献では区別ができていない。このところにも古典医学書の源泉には、初期の仏教教団の医療が位置づけられるといえる。
   二 非人病について
    (一)漢訳文献の非人病
○『摩訶僧祇律』*27
「雑誦跋渠法を明すの十」
 時に比丘ありて黄病なりしに、医師言はく、「尊者、人血を服せんには差ゆべく、若し服せざらんいには便ち死なん、更に余方なけん」と。(中略)仏言はく、「今より已後、人血を飲むを聴さず、・・・乃至、人髄(等)一切をも聴さず」と。
○『十誦律』
「七法中医薬法弟六」*28
 (五)仏舎衛国に在しき、長老施越狂病(gagga)にて他の語を受く、生肉を喰ひ血を飲め狂病当に差ゆべしと、施越諸比丘に語れり我狂して他の語を受く、生肉を喰ひ血を飲けと、我れ今当に云何んすべきと、諸比丘是の事を以て仏に白せり、仏是の因縁を以つて僧を集めたまひ、僧を集め已りて、仏知つて故らに問ひたまへり、施越に問ふ、汝実に狂して他の生肉を喰ひ血を飲めと語るを受け諸比丘に語れりや、我れ今当に云何んすべきと、汝実に是の事を作せるや不やと、答へて言さく、実に作せり世尊と、仏種々の因縁もて戒を讃じたまえり、戒を讃じ持戒を讃じ已りて諸比丘に語りたまへり、「今日よえお若し是の如き病有れば生肉を喰ひ血を飲むを聴す、応に屏処にて喰ひ人に見せしむこと莫れと。」
○『四分律』*29
「薬=cd=61cf度の一」
 爾の時世尊王舎城に在しき。時に=cd=22e3狂病の比丘あり、殺牛処に至りて、生肉を食ひ血を飲む。病即ち差えて本心に還復し、畏慎す。諸の比丘仏に白す。仏言はく「不犯なり、若し余の比丘あり、是の如き病あり、生肉を食ひ血を飲みて、病差ゆることを得ば、食することを聴す」と。
○『根本説一切有部毘奈耶薬事』*30
「四腫薬法」
 時に具壽西羯多?芻あり、遂に風=cd=61e3を患ひて随所に遊行せるに。(中略)仏言はく「諸=cd=61e4芻は常に西羯多=cd=61e4芻の為に、彼医人に問うて為に風疾を療すべし」。(中略)医人曰はく、「宜しく生肉を服すべし、必ず当に差ゆるを得べけん」。(中略)仏言はく、「若し医人にして此は薬足り余は療すること能はずと説んには、応に生肉を与うべし」。
◇これを要約すると
 非人病について、『摩訶僧祇律』では医師が許した「人血を飲むことも、乃至、人髄等の全て」の服用を仏は禁止している。しかし、このことは人肉以外の血肉が服用されていたと考えられる。実際に『十誦律』では周囲の人に見えない屏処という条件付だが血肉の服用を許し、『四分律』ではインドで聖なるものとして扱われる牛の血肉の服用すら許している記述がある。
 これは初期の仏教教団内では、非人病に罹った僧侶への処方として、僧侶に「生の血肉の服用」の治療法を行っているということは、一応仏陀の所見を伺うものの、仏陀は古代インドの伝承医術に見られる治療法をほぼそのまま許しているといえる。
    (二)『南伝大蔵経』「大品」に見られる非人病
 『南伝大蔵経』「大品」第六薬=cd=61cf度 *31
一〇−二 その時、一人の比丘、非人病に罹れり。阿闍梨和尚は彼を看護せるも癒すもこと能はざりき。彼、屠殺場に往き生肉を食ひ生血を飲み、彼の非人病癒せり。世尊に此義を告げたり。「比丘等よ、非人病の時には生肉と生血とを許す」。
◇これを要約すると
 『南伝大蔵経』では非人病(amanussika=cd=ab29ba=cd=ab29dha)に治療法として、豚(su=cd=ab29kara)の生肉(a=cd=ab29maka-man=cd=ab22sa)と、生血(a=cd=ab29maka-lohita)の服用が許されている。
    (三)古典医学書に見られる非人病
 『チャラカ・サンヒター』には、この非人病の記述は見られない。しかし、『スシュルタ・サンヒター』の第六〇章「非人所起治療法章」(ama=cd=ab29nus=cd=ab22a-pratis=cd=ab22edha)では、*32鬼神学(bha=cd=ab29ta-vidya=cd=ab29)について述べている。
◇これを要約すると
 人間に憑依して超人的な行動させる憑き物を羯羅訶(graha)と呼び、天(deva)、阿修羅(asura)、乾闥婆(gandharva)、夜叉(yaks=cd=ab22a)、卑帝利(pitr=cd=ab22i)、蛇鬼(bhujan=cd=ab22ga)、羅刹(raks=cd=ab22asa)、毘舎遮(pis=cd=f087a=cd=ab29ca)の八つに分類する。これらは天部衆羯羅訶(deva-gan=cd=ab22a-graha)といい、とくに羅刹は血肉を好むこという。
 そして、このような憑き物に憑依されている時は、医師の手を放れ祈祷・祭礼を行う宗教家の手にゆだねられる。そこでは鬼神たちが好む肉と血を含むお供物が捧げられ、憑依した憑き物を鎮める呪文が治療として唱えられ、また場合によって憑き物の言うがままに生肉や生血が与えられた。
 しかし、これらによって憑き物が鎮まらないとき、精神的諸病の治療法として、発汗法、罨法、吐剤法、下剤法などの経験的な合理医学が説かれている。
 以上を総合して理解すると、古典医学書では動物性の薬効食は禁じられてはいないが、本来の正統バラモンに連なるヴェーダの伝承医術からは禁じられた方法である。しかし、仏教文献には明らかに動物の血肉を処方する、非バラモン系の伝承医術が採用されている。また古典医学書の『スシュルタ・サンヒター』にも、非人病の患者に同じように動物の血肉が与えられているが、それは食べ物として処方されのではなく、祈祷の呪文によってお払いが成就するようにお供物として捧げられた。
 そして、この祈祷法で解決できないとき、経験的な合理医学による治療法が示されおり、古典医学に見える鬼神学(Bhu=cd=ab29ta-vidya=cd=ab29、非人病の治療法)は、明らかに漢訳文献に見える非バラモン的な治療法が、正統バラモンの知的伝統に沿って位置づけられたと理解できる。
 またこのような意味において、仏教文献に見られた動物の血肉の処方も、七世紀頃にはナーランダ僧院の医方明としてテキスト化されていた『八科精髄集』には、精神病治療として憑き物療法(graha-cikitsa=cd=ab29)の記述があり、*33さきに挙げた『南海寄帰内法伝』でも義浄が「四に鬼瘴を論ず」と報告しているように、正当バラモンの知的伝統に従って動物の血肉の服用は削除されている。
   三 眼病について
    (一)漢訳文献に見られる眼病
○『摩訶僧祇律』*34
「雑誦跋渠法を明すの十」
 復次に仏、舎衛城耆舊童子菴婆羅園に住したまひき。耆舊童子言はく、「尊者、可しく此薬を以て眼に塗らるべし」。諸比丘言はく、「世尊の制戒、眼に塗るを聴さざるなり」。(中略)仏言はく、「今より已後、眼薬を用ふるを聴さん、空青をば除く」と。若し医の言はく「尊者、此の眼痛は空青屑を得て塗らんに便ち差えんも、更に余方なし」と。若し爾らんには塗るを得、塗り已らんに衆中に住するを得ざれ、応に辺小の房中に在るべく、差え已らんに当に浄洗して還衆に入ることを得ん。是を「眼薬」と名く。
 (中略)仏言はく、「眼薬は是れ貴物なれば、応に筒を用ひて盛るべしと」。(中略)仏言はく、「金銀及び一切の宝は用ふるを聴さず、応に銅・鉄・白鑞・竹・葦・筺・鳥 を用ひ下、皮裏に至るべきなり。是を「眼筒」と名く。
 (中略)時に比丘あり、竹を持って眼薬籌を作りしに、(中略)仏言はく、「眼は是れ軟物なれば、応に滑物を用ひて籌と作すべし」。(中略)「金銀及び一切の宝物にて作るを聴さず、応に銅・鉄・牙・骨・栴檀堅を用ひて作り、揩摩して滑澤ならしめ下、指頭を用ふるに至るべきなり」。是を「眼薬籌法」と名く。
○『十誦律』*35
「七法中医薬法第六」
 (三)仏舎衛国に在しき、是の時長老畢陵伽婆蹉目痛めり、薬師語りて言はく、羅散禅を以て眼に塗れと、諸比丘是の事を以て仏に白せり、仏言はく「羅散禅を以て眼に塗ることを聴す」と。
是の長老羅散禅を以て盛り鉢中、半鉢、鍵=cd=61e5、小鍵=cd=61e5、絡嚢に著き象牙杙に縣けたり、薬を取るとき流れて壁及び臥具を汚し房舎中臭穢せり、仏言はく、応に函を用ひて盛るべしと、盛ると雖も覆はず、土塵中に堕し用ふる時眼痛増益せり、仏言はく応に蓋を作りて蓋すべしと、直動して脱せり、仏言はく子を口に合わせて作れと、是の時比丘鳥=cd=61d8=cd=61d9=cd=61d8孔雀尾を用つて眼薬を著け眼痛更に増せり、仏言はく、匕を用ひよと、長老優波離仏に問へり、応に何等の物を用ひて匕を作るべきと、仏言はく、若しは鉄若しは銅若しは貝若しは象牙若しは角若しは木若しは瓦なりと。
○『四分律』*36
「薬=cd=61cf度の一」爾の時比丘眼に白=cd=61d7ありて生ず。人血を須ふ。仏言はく、「用ふることを聴す」と。爾の時比丘、眼白=cd=61d7を患ふ、焼末を眼中に著くることを聴す」と。爾の時畢陵伽婆蹉眼痛を患ふ、琉璃箆を得たり。仏言はく、「眼病を治せんが為の故に蓄用することを聴す」と。
○『根本説一切有部毘奈耶薬事』*37
「四種薬法」
 時に=cd=61e4芻あり眼を患ひければ遂に医人処に往くいて問うて曰く、「賢首、我れ今眼を患へり、我が為に処方せよ」。医人報じて曰く、「聖者、宜しく安膳那薬(点眼薬 an=cd=f089jana)を用ふべし、即ち応に差うるを得べけん」。(中略)仏言はく、「若し医人にして此は是れ治眼薬にして余は療すること能はずと言はんには、応に安膳那を用ふべし」。(中略)仏言はく、「五種安膳那(五種安膳那、 安膳那とは粉末の眼薬)あり、一には花安膳那、二には汁安膳那、三には=cd=61de安膳那、四には丸安膳那、五には騒毘羅石安膳那(Tib.bsag-yug-snam、石灰を溶解せる眼薬)安膳那なり。此の五種は咸く能く眼を療す、是故に芯芻若し眼を患はんいは、応に安膳那を用ふべし、方に除差するを得ん」。(中略)仏言はく、「芯芻若し残安膳那あらんに、応にたちまち棄てて収挙せざること(ある)べからず。其の安膳那行法は我れ今為に安置の法式を説くべし其安膳那は応に牢固処に置れ、花安膳那は銅器中に置れ、汁薬は小合内に安き、=cd=61de薬は竹筒の裏に置在し、後に一々を袋中に安置し、或いは物を以て裏み、或いは墻壁の釘=cd=61eeに於て之を繋くべし。安膳那を持す芯芻はまさに法式に依るふべし、 依行せざらんには越法罪を得ん」。
◇これを要約すると、
 眼病の処方として、『摩訶僧祇律』は眼薬として「空青または、空青屑」、『十誦律』は羅散禅(rasan=cd=f089jana)、『根本説一切有部毘奈耶薬事』は五種の安膳那薬(点眼薬 an=cd=f089jana)として「一に花安膳那、二に汁安膳那、三に=cd=61de安膳那、四に丸安膳那、五は騒毘羅石(赭色の石灰を溶解せる)安膳那」を挙げている。
 またその使用法(安膳那行法)としては、眼薬は高価であるので入れ物を作り保管し、点眼する際の器具は、金銀など一切の宝物を禁じ、銅・鉄・牙・骨・栴檀堅木、瓦などを用いて器具を作るよう指示している。
 ただ『四分律』のみは白=cd=61d7という眼病に、「人血の使用と焼末」の使用を許し、また単に眼痛には「琉璃箆」を許している。
    (二)『南伝大蔵経』「大品」に見られる眼病
『南伝大蔵経』「大品」第六薬=cd=61cf度 *38
一一ー二 「此倶壽に眼疾あり、我等、彼を擔ひて大便小便に往かしむ」。時に世尊は此縁により法を説き、比丘等に告げて言ひたまえり、「比丘等よ、塗薬、(即)黒塗薬、礬塗薬、長石塗薬、紅土子、煤烟を許す」。塗料に混ずる香料を須ひたり・・・乃至・・・「比丘等よ、栴檀、零凌香、随時檀、達子香、蘇子を許す」。
一二ー一 (中略)「比丘等よ、塗薬筐を許す」。(中略)「・・・比丘等よ、骨所成、角所成、葦所成、竹所成、木所成、樹脂所成、果所成、銅所成、劫貝所成のものを許す」。
一二ー二 その時、塗薬筐に蓋なかりき。(中略)「比丘等よ、絲を以て縛りて塗薬筐に結ぶことを許す」。(中略)「絲を以て縫ひつくることを許す」。
一二ー三 その時、比丘等は指を以て塗れり。(中略)「比丘等よ、塗薬箆を許す」。
一二ー四 その時、塗薬箆地に落ちて塵となれり・・・(中略)「比丘等よ、箆筐を許す」。(中略)「比丘等よ、塗薬筐の袋を許す」。(中略)「比丘等よ、肩紐、纒絲を許す」。
◇これを要約すると
 ある比丘が眼病(ka=cd=ab29la=cd=ab29n=cd=f089jana)に罹ったとき、世尊は次の塗薬を許した。
  黒塗薬(ka=cd=ab29l=cd=ab22an=cd=f089jana、skt. ka=cd=ab29lan=cd=f089jana)
   礬塗薬(rasan=cd=f089jana、skt. rasa=cd=ab29n=cd=f089jana)
   長石塗薬(sotan=cd=f089jana、skt. sroton=cd=f089iana)
  紅土子(geruka、skt. gairika)
  煤烟(kapalla=kajjala、skt. kajjala)
 また塗料として
  栴檀(candana)
   零凌香(tagara)
   随時檀(ka=cd=ab29l=cd=ab22a=cd=ab29nusa=cd=ab29iya、skt. ka=cd=ab29la=cd=ab29nusa=cd=ab29ri)
   達子香(ta=cd=ab29l=cd=ab33=cd=ab29sa)
  蘇子(bhaddamuttaka、 skt. bhadramusta)
を許した。そして、医薬と共に、塗薬の筐(an=cd=f089jan=cd=ab33=cd=ab29)とそれらの蓋、それを縛る紐などが挙げられ、また薬を塗る箆(aa=cd=ab29janisala=cd=ab29ka=cd=ab29)や、それを入れる袋と、その袋のための肩紐や、纒絲を挙げている。
    (三)古典医学書に見られる眼病
 眼病について『チャラカ・サンヒター』では第五章「適量を食すべし云々」[で始まる]章 *39に「点眼」の項目がある。
 また『スシュルタ・サンヒター』第十八章「医療調剤法の章」(kriya=cd=ab29 kalpa)と、第十九章「眼傷対治療法の章」(nayana=cd=ab29bhigha=cd=ab29ta pratis=cd=ab22edha)*40には、眼薬とその治療法が挙げられている。
◇これを要約すると
 サウヴィーラ(方鉛鉱)の眼薬は、とても有用であるので全ての眼病に用いてよく。また眼の涙の分泌を促すためにはラサーンジャナの眼薬を、五日ごとまたは八日ごとに用いるのがよい。眼というものは光、明るさ、熱などをもたらす物質的要素のテージャス(tejas)、これはとくに三要素のうち熱の性質を表すピッタ(pitta、火大)性の働きによって維持されるので、胆汁素の働きを抑制するカパ(kapha、水大)に弱い。従って、粘液素を除去して視力をよくするような治療法が有効であるという。
 また飽眼薬(tarpan=cd=ab22a)、蒸焼薬(put=cd=ab22n=cd=ab22apa=cd=ab29ka)、灌注薬(seka)、点眼薬(a=cd=ab29s=cd=ab22cyotana)、眼軟膏(an=cd=f089jana)の五つの医薬について、とくに飽眼薬、点眼薬、眼軟膏など三種類の基本的な眼薬について、その種類と処方に対する効能と、また、その使用方法や貯蔵方法を挙げている。
 まず三種類の基本薬には、こすり落とす(lekhana)、癒す(ropan=cd=ab22a)、清潔にする(prasa=cd=ab29dana)の効用があり、身体を清めた後に、病因論としては三大要素のバランスが崩れた(悪い体液)の状態の眼に用いるという。
 また眼軟膏には、丸薬型(gut=cd=ab22ika=cd=ab29)と、越畿斯蒸 薬型(ジュース、rasa-kriya=cd=ab29)と、粉薬型(cu=cd=ab29rn=cd=ab22a)の三種類があり、眼病の状態によって使い分けるという。
 また眼薬の箱(bha=cd=ab29jana)、棒(s=cd=ab29ala=cd=ab29ka=cd=ab29)などは、金、銀、角、銅、瑠璃石、ブロンズ(ka=cd=ab29n=cd=ab22sya)で調整したものを使用するという。
 そして、七十六種類の眼の病気の病理と治療が挙げられて、その方法はおおよそヴァータ(va=cd=ab29ta、風大)、ピッタ(piita、火大)、カパ(kapha、水大)、三つの組み合わせ(sannipa=cd=ab29ka)の四種類に分類されている。そして、治療の如何に関わらず眼軟膏(an=cd=ab29jana)の使用を挙げている。
 以上を総合的に理解すると、仏教文献を見る限り初期の仏教教団では、かなり古い時代から眼病の治療が行われいる。古典医学書では、『チャラカ・サンヒター』では簡略であるが、『スシュルタ・サンヒター』では、それをより具体的に発展させた形で、初期仏教教団には見られない病因論として、ヴァータ(va=cd=ab29ta、風大)、ピッタ(piita、火大)、カパ(kapha、水大)、三つの組み合わせ(sannipa=cd=ab29ka)など三つの身体的な要素(dos=cd=ab22a)のバランスを基礎とする体液説理論(三大理論、古くは四大理論)を体系化している。
 しかし、初期の仏教教団で見られた薬の種類とその処方、また、使用方法や貯蔵方法については、すべてが一致するわけではないが、おおよそそれらが発展的に記述されている。
 とくに『南伝大蔵経』に見られた黒塗薬(ka=cd=ab29l=cd=ab22an=cd=ab29jana、skt. ka=cd=ab29la=cd=ab29n=cd=ab29jana)は、上述のように古典医学書の『チャラカ・サンヒター』にはポピュラーな薬であり、古代インドにおける眼の衛生に関しては、仏教文献に見られる治療法が源泉となり、古典医学書の『チャラカ・サンヒター』『スシュルタ・サンヒター』へと位置づけられたといえる。
   四 頭痛について
    (一) 漢訳文献の頭痛
○『摩訶僧祇律』*41
 「雑誦跋渠法を明すの十」
 「灌筒」とは。仏、舎衛国に住したまひき。(時に)比丘に乾痩病なるありて医に語げて言はく、「長寿、能く我が為に病を灌ぐや不や」。答へて言はく、「爾るべし」。(中略)「汝、云何筒を用ひて病に灌がんとせる。今より已後用ふるを聴さず」と。筒とは、牛皮筒、水牛皮筒、羊皮筒(中略)応に浴室中に在りて搾板に油を盛り、衣を賽げて上に坐して口に甘蔗を含むべし。若し復、絨・衣・絮を以て油中に内著し、孔上に臨めて之を按へ、油をして流入せしめんは無罪なり。
○『十誦律』*42
 「雑法を明すの三」
 (五)仏舎衛国に在しき、爾の時長老畢陵伽婆蹉眼痛せり、時に薬師教へて言はく、薬を和し丸を作し火上に著きて烟を服すべしと。(中略)但だ青木香薬を除き余の一切の香を和合し火中に著き手を接して烟を取りて咽め。(中略)筒を作れと。(中略)仏言はく応に嚢に(丸薬を)蓄へて盛るべし。(中略)
仏舎衛国に在しき、爾の時長老畢陵伽婆蹉眼痛せり、時に薬師教へて言はく、応に(脂もて)鼻を灌すべしと、時に比丘脂を以つて鼻中を灌し或は毛を持つて取り滂る、滂る時便く流入せず(中略)仏言はく、筒を作りて灌せ」。
○『四分律』
 「薬=cd=61cf度の一」*43
 時に諸の比丘頭痛を患ふ。医頂上に油を著けしむ。仏に白す。仏言はく、「著くることを聴す」と。彼れ畏慎して、敢て香油を用つて著けず。仏言はく「著くることを聴す。油法応さに爾すべし」。
 「薬=cd=61cf度の二」*44
 爾の時比丘あり頭痛を患ふ。医灌鼻せしむ。仏言はく、「聴す」と。何物を灌ぐかを知らず。仏いわく、「酥油脂を以て灌ぐ」と。云何が灌ぐかを知らず。仏言はく、「羊毛若しは劫貝鳥毛を以て油中に漬し、然る後に帯して鼻中に著くべし」と。四辺に流出す。仏言はく、「灌鼻筒を作るを聴す」と。彼便ち宝を持って筒を作る。仏言はく、「宝を用ひて作るべからず、応に骨、若しは角、若しは鉄、若しは銅、若しは白鑞、若しは鉛錫、若しは葦、若しは竹、若しは木を用ふべし。」と。彼洗わずして便ち挙置す。仏言はく、「洗わずして挙置すべからず」と。洗い已りて燥かさず、後虫生す。仏言はく、「洗わずして燥かさずして挙置すべからず、応に燥かさしめて挙置すべし」。時に比丘あり頭痛を患ふ。医鼻に灌がしむ、薬入らず。仏言はく、「手にて摩頂し、若しは脚の大指を摩指、若しは凝酥を以て鼻を塞ぐことを聴す」と。
○『根本説一切有部毘奈耶薬事』*45
 「不与取学処第二の四」
 「賢首、聖者世羅は今少油を須む」。時に彼童子に新壓せる油ありければ、小鉢の盛満して彼尼に授与し(中略)時に?芻尼は受け已りて去り、即ち此油を以て世羅の身に塗りて遍く手足に及ぼせるに、油並聲尽せり。世羅癒えて便ち行いて乞食せる。
◇これらを要約すると、
 頭痛の処方として、『摩訶僧祇律』には筒灌法のみがあり、『十誦律』には経鼻法と燻煙法が上げられ、『四分律』にはより具体的に頭の頂上に香油を塗り、酥油脂を点鼻(灌鼻)する治療法を挙げている。
 また点鼻法として、羊毛や劫貝鳥毛を油中に漬けて、それを鼻中に注ぎ、また灌鼻筒で注ぐ治療法を挙げている。また灌鼻筒などの器具は宝物を禁じ、骨、角、鉄、銅、白鑞、鉛錫、葦、竹、木を用いるよう指示している。
 また鼻孔が塞がっている場合には、手による頭をマッサ−ジ(摩頂)や、脚の大指のマッサージ(摩指)を指示し、固まっている酥(凝酥)を鼻の中に入れる治療法を挙げている。『根本説一切有部毘奈耶薬事』にはこれらに相応する記述は見あたらないが、油によるマッサージの記述は見られる。
     (二)『南伝大蔵経』「大品」に見られる頭痛
『南伝大蔵経』「大品」第六薬=cd=61cf度 *46
一三ー一 その時、、倶壽畢隣陀婆磋に頭熱ありき(中略)「比丘等よ、頭に油を(塗ることを)許す」。癒えざりき (中略)「比丘等よ、潅鼻することを許す」。(中略)「比丘等よ、潅鼻筒を許す」。
一三ー二 鼻に潅ぐこと平等ならざりき。「比丘等よ、一叟の潅鼻筒を許す」。癒えざりき。「比丘等よ、烟を吸ふことを許す」。其を燈心に塗りて吸へり。喉を焼けり・・・「比丘等よ、烟筒を許す」。
◇これを要約すると
 比丘の畢隣陀婆磋(Pilindavaccha)が熱性の頭痛(s=cd=ab33=cd=ab29sa=cd=ab29bhita=cd=ab29pa)に罹った。次の治療法が許された。
 頭に油を塗る(muddhani telaka)
  油を点鼻する(natthukamma)
  薬剤を焼いた烟を吸引する(dhu=cd=ab29ma=cd=ab29m=cd=ab22 pa=cd=ab29tum)
そして、点鼻するとき油が平等にはいるように筒が許可され、また薬を袋と、その袋のための肩紐や、纒絲も許されている。
 この頭痛の処方について、漢訳文献とよく共通しており、とくに身体に油を塗る、油を点鼻する、烟を吸引するなどは共通している。
    (三) 古典医学書に見られる頭痛
 古典医学書の『チャラカ・サンヒター』第十七章「頭部の病気は何種類あるか[で始まる]章」と、『スシュルタ・サンヒター』第二十五章「頭の病気を論ずる章」(s=cd=f087iroroga-vijna=cd=ab29n=cd=ab33=cd=ab29ya=cd=ab29dhya=cd=ab29ya)は、いずれも頭痛について「頭の病気」(s=cd=f087iroroga)として章を設けて論じている。*47
◇これらを要約すると
 まず『チャラカ・サンヒター』第十七章「頭部の病気は何種類あるか[で始まる]章」では、頭部の病気には五種類があり、病因論として三つの身体的な要素(dos=cd=ab22a)のバランスを基礎とする体液説理論から、一にヴァータ(va=cd=ab29ta、風大)の乱れ、二にピッタ(pitta、火大)の乱れ、三にカパ(kapha、水大)の乱れ、四に三つの組み合わせ(sannipa=cd=ab29ka)、五に頭部の汚染による寄生虫(kr=cd=ab22mi)の発生が挙げられている。
 さらに『スシュルタ・サンヒター』第二十五章「頭の病気を論ずる章」(s=cd=f087iroroga-vijna=cd=ab29n=cd=ab33=cd=ab29ya=cd=ab29dhya=cd=ab29ya)では、血液の汚染(raktaja)により、消耗症(ks=cd=ab22ayaja)により、日転症(su=cd=ab29rya=cd=ab29varta、太陽の出没に伴う頭痛)、無量風(anantava=cd=ab29ta)、偏頭痛(ardha=cd=ab29vabhedaka)、側頭痛(s=cd=f087an=cd=ab22khaka)の六種が加えられ、十一種類の頭痛の症状が挙げられ、また第二十六章「頭病駆除法」(s=cd=f087iroroga pratis=cd=ab22edha)では、まず牛乳、酥、胡麻油、糖蜜などを用いる治療前の処置として、牛乳などの飲用により消化力を高める消化法(pachana)や、酥の飲用または胡麻油のマッサージにより毒素の排泄を促す油剤法(snehana)や、加熱して汗をかく発汗法(罨法、svedana)を行った後に、インド医学独特の治療法である催吐法(vamana)、瀉下法(virecana)、浣腸法(vasti)、経鼻法(灌鼻法、nasya)、瀉血法(rakta moksa)のパンチャカルマ(panca-karma)と呼ばれる五つの治療法などを挙げ、さらには燻烟法(煙の吸飲法、dhu=cd=ab29ma)を挙げている。
 そして、この治療前の処置の中で、仏典に見らる経鼻法と燻烟法の二つは、古典医学書に詳く挙げられており、とくに『スシュルタ・サンヒター』では第四篇治療篇第四〇章「燻烟、嗅剤、及び含漱剤」(dhu=cd=ab29ma-nasya-kavalagraha-cikitsita)(『スシュルタ・サンヒター』補遺篇四〇ー一二八頁〜一九六頁)を設けている。
 それを要約すると、経鼻法は治療前の処置の油剤法として、頭部に胡麻油などを塗りマッサージして浄化し、その後に患者は治療台に仰向けに寝て、施療者が真珠貝(s=cd=f087ukt=cd=ab33=cd=ab29)の容器内に保存してある薬の入った温かい油脂(sneha)を金、銀、銅製などの器、あるいは真珠貝や綿布(picu)を使って鼻腔内に注入する。
 燻烟法は、薬効のある煙を吸引するには、吸引管(一種のパイプ、dhu=cd=ab29manetra)を使用する。また吸引に当たって、まず煙経(薬を入れ点火する筒、varti)に油脂を塗り、先端に点火し吸引管に挿入してから吸引する。患者は気持ちを落ち着けゆったりと安坐し、姿勢を正して下の方を見つめ、注意しながらまず口腔から吸引し、続けて両方の鼻腔から吸引する。ただし鼻腔から口腔への煙の排出は良いが、口腔から鼻腔への排出は禁じられている。
 ここで以上を総合的に理解すると、古典医学書に詳細に記述されている頭部に油を塗る油剤法、経鼻法、燻煙法の三種の療法は、仏教文献ではごく簡単な記述のものもあり、またその記述もまちまちであるが、ほぼ共通して見られる治療法である。
 とくに漢訳文献を見る限り初期の仏教教団で行われていた油剤法、経鼻法、燻煙法の三種の治療法が、古典医学書ではより詳細に記述されているということは、仏教教団の医療と古典医学が同じ起源をもち、二つの医学には連続した発展の形態が見られる。
 しかし、古典医学書に見られる頭痛の治療法は、病因論として三つの身体的な要素(dos=cd=ab22a)のバランスを基礎とする体液説理論に基づいているが、これは具体的に仏教教団の医療には見られない。
   五 風病について
    (一)漢訳文献に見られる風病    
○『摩訶僧祇律』
 「単提九十二事法を明かすの六」*48
 若し比丘、風病ならんに、医言はく、「応に油を服すべきなり」と。
 「単提九十二事法を明すの六」(『国訳一切経』律部九 五〇六頁)
 (若し比丘、風病ならんに)若し比丘、頭を刺して血を出さんと欲し・・・
 「百四十一波夜提法を明すの三」*49
 若し比丘老 ら病にて薬を服し、頭を刺して血を出して酥を服せんに、応に与欲して是言を作すべきなり。
○『十誦律』
 「雑法を明すの三」*50
 爾の時に長老舎利弗風を得たり、薬師教へて言はく、乳中に蒜を煮て食へと、(中略)若し差え已れば応に諸住の処塗置を掃灑し臥具床席を更に応にとそうすべし、故のごとく臭有れば応に洗浣すべし・・・
 「雑法を明すの三」*51
時に世尊脊痛を患ひたまへり、時に薬師教へて言さく、酥油を身に塗り已りて槽に煖水を盛り中に入りて臥したまへと。(中略)時に仏酥油を身に塗り中に入りて臥したまへり、臥し已りて病除愈を得たり。(中略)「今より若し風病有れば酥油を以つて身に塗り煖水中に臥するを聴す」と。
○『四分律」*52
 「薬=cd=61cf度の一」
 時に舎利弗風を患ふ、医除風薬を作らしむ、是の中の除風薬とは、稲穀を蒸し、酒糟を蒸し、若しは大麦、若しは諸の治風草、若しは麩糟、若しは煮小便なり。(中略)畢陵伽婆蹉三種の釜を得たり、銅釜・鉄釜・土釜なり。(中略)後に瓶を得たり、銅瓶・鉄瓶・瓦瓶なり。(中略)畢陵伽婆蹉「煎餅=cd=61da」(お餅を焼くお釜、焼器のこと)を得たり。(中略)畢陵伽婆蹉銅杓を得、樽を得たり。
○『根本説一切有部毘奈耶薬事」*53
 「界内自煮自宿」
 (世尊は風疾を患ひたまい)医人報じて曰はく、「聖者、宜しく酥にて三種渋薬を煎じたるを用ひて服せんに即除愈すべけん」。
◇これらを要約すると、風病の治療法が三つのパターンに分類できる。
     (1)風病の一
 『摩訶僧祇律』では風病に油を処方し、また『十誦律』では風病に蒜を処方し、『四分律』では、風病には除風薬を処方し、その製法として稲穀を蒸し、酒糟を蒸し、また大麦、治風草、麩糟を小便で煮る。
 また『根本説一切有部毘奈耶薬事』では、風病に酥にて三種渋薬(胡麻tali、米 tan=cd=ab22d=cd=ab22ula、豆 mugga)を煎じ薬を処方している。共に使用法は外用として用いられている。
     (2)風病の二
 『十誦律』には、酥油を身に塗り、煖水浴として薬湯に入る、発汗法の治療法が示されている。
     (3)風病の三
 『摩訶僧祇律』には、頭を刺して出血(放血)させる治療法が許可されている。
 続けてこれらを『南伝大蔵経』「大品」と、古典医学書と比較しながら理解すると、次のようになる。
    (二)『南伝大蔵経』「大品」に見られる風病
 上記の漢訳文献に見られた風病の治療法の三つのパターンは、『南伝大蔵経』「大品」にやはり次のような三種類の風病の治療法のパターンに相応している。
     (1)腹痛としての風病(va=cd=ab29ta-aba=cd=ab29dha)のパターン
 『南伝大蔵経』「大品」第六薬=cd=61cf度 *54
一四ー一 その時、倶壽畢隣陀婆磋に腹痛ありき。医師等言へり(中略)「比丘等よ、油を煮るに酒を混ずるを許す」。(中略)「比丘等よ、過多に酒を混じたる油を飲むべからず、飲むものは法の如く治すべし。比丘等よ、若し油を煮て酒の色も香も味も知られずば、此の如く酒を混じたる油を飲むことを許す」。
一四ー二 その時、比丘等の許に過多に酒の混じて煮たる油多くありき。(中略)「比丘等よ、塗薬として用ふることを許す」。(中略)「比丘等よ、三種の壷を許す。(謂く)銅壷、木壷、果壷なり」。
◇これを要約すると
 腹痛(va=cd=ab29ta-aba=cd=ab29dha)の処方として、油(tela)と酒(majia、skt.mada, madya)が混まぜて煎じられた。酒が過多なものは塗薬(マッサージ、abbhan=cd=ab29jana)として使われ、保存用の銅、木、果の壷が用いられた。
     (2)肢痛としての風病(an=cd=ab22g-va=cd=ab29ta)のパターン
 『南伝大蔵経』「大品」第六薬=cd=61cf度 *55
一四ー三 その時、倶壽畢隣陀婆磋に肢痛ありき。「比丘等よ、発汗法を許す」。癒えざりき。「比丘等よ、罨法を許す」。癒えざりき。「比丘等よ、大発汗法を許す」。癒えざりき。「比丘等よ、薬湯を許す」。癒えざりき。「比丘等よ、浴室を許す」。
◇これを要約すると
  肢痛(an=cd=ab22g-va=cd=ab29ta)の処方として
  発汗法(sedakamma)衣類や掛け物によって身体を暖める発汗法
   罨法(sambha=cd=ab29raseda)根薬・葉薬など薬草などを用いた人工的な発汗法
   大発汗法(maha=cd=ab29seda)罨法に加え暖房器具によって暖め発汗を促す発汗法
   薬湯(bhan=cd=ab22godaka)根薬・葉薬を入れた薬湯で発汗させる法
   浴室(udakakot=cd=ab22t=cd=ab22haka)根薬・葉薬などの薬湯に入浴する法
の治療法が用いられた。
     (3)関節痛としての風病(pabba-va=cd=ab29ta)のパターン
 『南伝大蔵経』「大品」第六薬=cd=61cf度 *56
一四ー四 その時、倶壽畢隣陀婆磋に節痛ありき。「比丘等よ、血を出すことを許す」。癒えざき。「比丘等よ血を出して角に取ることを許す」。
◇これを要約すると
 節痛(pabbava=cd=ab29ta)の処方として、出血させる(瀉血)が行われ、また角による放血(visa=cd=ab29n=cd=ab22ena gahetum)の治療法が用いられた。
 以上のように漢訳文献の風病は三つパターンに分類できたが、それを補うように『南伝大蔵経』でも、(1)腹痛としての風病(va=cd=ab29ta-aba=cd=ab29dha)、(2)肢痛としての風病(an=cd=ab22g-va=cd=ab29ta)(3)関節痛としての風病(pabba-va=cd=ab29ta)の三つのパターンに相応することが分かった。ではそれらは古典医学書ではどの様に扱われているのだろうか。三つのパターンに従って理解して行こう。
    (三)古典医学書に見える風病
 また漢訳文献と『南伝大蔵経』「大品」に見られたは三種類の風病のパターンは、古典医学書にもやはり次のような三種類の風病の治療法のパターンに相応している。
     (1)腹痛としての風病のパターン
 古典医学書の『チャラカ・サンヒター』では第二〇章「病気の[大分類についての]大きな章」*57の中に、また『スシュルタ・サンヒター』では第一篇総説篇の第一章「聖者ダンワンタリ(Dhanvantari)のスシュルタ(sus=cd=f087ruta)の談られしままに吠陀の起源の章」と、第三十三章「不治病(ava=cd=ab29ran=cd=ab22=cd=ab33=cd=ab29ya )の章」と、第四篇治療篇の第四章「体風素性疾患の治療法」*58の中に腹痛としての風病のパターンが記述されている。
◇これを要約すると
 病気には、外因性の病気と、ヴァータ(va=cd=ab29ta、風大)・ピッタ(pitta、火大)・カパ(kapha、水大)の三種の内因性の分類があり、その一つとしてヴァータ(va=cd=ab29ta、風大)性の病気(風病)が記述されている。とくに『スシュルタ・サンヒター』には、八〇種に及ぶヴァータ性の病気が列挙される中で腹痛などの病気が示されている。
 そして、それらはいずれも前述のように、ヴァータ(va=cd=ab29ta、風大)、ピッタ(piita、火大)、カパ(kapha、水大)、三つの組み合わせ(sannipa=cd=ab29ka)による病因論、三つの身体的な要素(dos=cd=ab22a)のバランスを基礎とする体液説理論に基づいている。
 またその腹痛としての風病の治療法は、いずれの場合も(甘味・酸味・塩味ものの)温性の油脂性(taila)や、油の煎じ薬などを内服用に、外用としてマッサージに、あるいは灌腸に、薬湯浴(avaga=cd=ab29ha)に、種々の発汗法(sveda)に処方されている。
 さらに『スシュルタ・サンヒター』では、百回煮熟油(s=cd=f087ata pa=cd=ab29ka ta=cd=ab29ila)、千回煮熟油(sahasra pa=cd=ab29ka ta=cd=ab29ila)と称して、ヴァータ(va=cd=ab29ta、風大)を鎮める各種の薬草と油を混ぜ百回、千回と煮出すならば、その煎じた油薬には大変な効果があるという。そして、それは金銀または陶製の容器に保管せよという。
 つまり、古典医学書では腹痛としての風病の処方は、三つの要素(dos=cd=ab22aからなる病因論を前提として、ヴァータ(va=cd=ab29ta、風大)を鎮める甘味・酸味・塩味の油の煎じ薬を、内服用や、外用のマッサージに、あるいは灌腸に、薬湯浴(avaga=cd=ab29ha)に、また種々の発汗法(sveda)に用いた治療法も挙げている。
     (2)肢痛としての風病
 手足の痛みについて分類は『スシュルタ・サンヒター』には見られないが、『チャラカ・サンヒター』の第一四章「発汗法(sveda)に関する章」*59にその記述が見られる。
◇これを要約すると
 『チャラカ・サンヒター』では、ヴァータ(va=cd=ab29ta、風大)性とカパ(kapha、水大)性、またそれらの混合した性質の病気(gada)には発汗法(sveda, pa=cd=ab29li seda)が有効であるといい、リューマチ、足・膝・大腿部・ふくらはぎの痛みと硬直(肢体の全てで憎悪するヴァータ、sarva=cd=ab29n=cd=ab22gakupita va=cd=ab29ta)などを挙げ、具体的な発汗法について十三種類の発汗法(svedakarman, Pa=cd=ab29li sedakamma)を挙げている。
 またそれらは『スシュルタ・サンヒター』第四篇治療篇の第三十二章「発汗法使用による治療法」(sveda=cd=ab29vaca=cd=ab29-
ran=cd=ab22ya-cikitsita)*60では、乾熱発汗法(ta=cd=ab29pasveda)・蒸気発汗法(us=cd=ab22masveda)・巴布発汗法(upana=cd=ab29haveda)・温浴発汗法(dravasveda)の四種類に全て集約されている。
 つまり、古典医学書では肢痛による風病の処方は発汗法を挙げている。『チャラカ・サンヒター』では十三種類の発汗法(svedakarman, Pa=cd=ab29li sedakamma)を挙げ、『スシュルタ・サンヒター』では四種類に集約して治療法を挙げている。
    (3)関節痛としての風病
 古典医学書の『チャラカ・サンヒター』の第二〇章「病気の[大分類についての]大きな章」の中に、また『スシュルタ・サンヒター』の第三篇身体篇の第六章「個々の急所に関する叙述と称する身体論」(pratyeka-marma-nirdes=cd=f087a)と、第四篇治療篇の第五章「大風病の治療法」(maha=cd=ab29va=cd=ab29ta vya=cd=ab29dhi cikitsa)*61の中に、手足の関節の痛みが、風血病(va=cd=ab29ta s=cd=f087on=cd=ab22ita)の症状として挙げられている。また、その症状は両方の手足・指・全身の関節(sarvasandhi)に居すわり、手足から全身へと広がるという。
 そして、その関節痛としての風病の処方は『スシュルタ・サンヒター』第一篇総説篇の第一三章「水蛭適用章」(jala=cd=ab29uka-avaca=cd=ab29n=cd=ab22=cd=ab33=cd=ab29ya-adhya=cd=ab29ya)と、第一四章「血液の性質章」(s=cd=f087on=cd=ab22ita varn=cd=ab22=cd=ab33=cd=ab29ya=cd=ab29dhya=cd=ab29ya)*62には、三つの身体的な要素(dos=cd=ab22a)の憎悪した血液を角・蛭・瓢箪によって吸血する方法と、刃物によって刺絡(つぼを刺し)して瀉血する、乱刺(praccha=cd=ab29na)と静脈窄刺(sira=cd=ab29vyadhana)の二つの治療法を挙げている。
 またそれらを踏まえながら、ヴァータ(va=cd=ab29ta、風大)を沈静させる甘味・酸味・塩味などを調合した油脂・スープ類の摂取や、薬剤の湿布、マッサージ、また瀉血に加えて種々の発汗法(sveda)を併用することを挙げている。
 つまり、古典医学書は、関節痛としての風病を風血病(va=cd=ab29ta s=cd=f087on=cd=ab22ita)の症状と理解し、この風病の原因であるヴァータ(va=cd=ab29ta、風大)の憎悪した血液を角・蛭・瓢箪によって吸血する方法と、刃物によって刺絡して瀉血する、乱刺(praccha=cd=ab29na)と静脈窄刺(sira=cd=ab29vyadhana)の二つの治療法を挙げている。
 また同時に、ヴァータ(va=cd=ab29ta、風大)を沈静させる甘味・酸味・塩味などを調合した油脂・スープ類の摂取や、薬剤の湿布、マッサージ、また瀉血に加えて種々の発汗法(sveda)を併用する治療法も挙げている。
    (四)風病の総括
 ところで、漢訳文献に見られた風病の三つのパターンは、『南伝大蔵経』「大品」と、古典医学書に見られた(1)腹痛としての風病、(2)肢痛としての風病、(3)関節痛としての風病に対する治療法に、おおよそ相応していることが分かった。
 (1)腹痛では、漢訳文献に見られる風の病気(腹痛)の処方は、古典医学書のような体液説理論は定まっていないが、甘味・酸味・塩味の油の煎じ薬を、内服用や、外用のマッサージに、あるいは灌腸に、薬湯浴などの治療法が見られる。これらは古典医学書の油脂の煎じ薬の内服・外用・灌腸・マッサージなどの治療法に関連する。
 (2)肢痛では、漢訳文献に見られる風病(肢痛)の処方は、『南伝大蔵経』より簡略的ではあるが、発汗法の片鱗が『十誦律』に治療前の処置として酥油を身に塗り、煖水浴として薬湯に入るという発汗法などの治療法が見られる。これは古典医学書の発汗法による治療法そのものに関連する。
 (3)関節痛では、漢訳文献に見られる関節痛の処方は、『摩訶僧祇律』に頭を刺して出血(放血)させる治療法が見られる。これは古典医学書の放血・瀉血の治療法そのものと関連する。
 以上によって、漢訳文献では単に風病と記述されていても、その治療法を分類することによって三種類の風病の意味が明らかになり、またそれによって初期の仏教教団の医療が律蔵の毘奈耶薬事に成文化される背景には、明らかに三種類の風病に対する処方を知っている治療者の集団が存在し、そして、これらが後年になって古典医学のチャラカ医学・スシュルタ医学を育んだものと考えられる。
 また古典医学の治療法では四大の体液説理論に支えられた病因論が、合理的な治療を行う上で重要視されているが、四大による病因論もこのような風病という考え方が発展したものと考えられる。
  つまり、四大(三大)の病因論が成立してきた背景には、風大(va=cd=ab29ta)という動きの概念が中心となって理論化されたと考えられる。現在のインド医学ではヴァータ(va=cd=ab29ta、風大)の属性を動的の他に、軽い、粗い、分散、消耗などに分類し、それを痛みの要素(dos=cd=f087a)などとして理解し、そのヴァータ(va=cd=ab29ta、風大)の要素が増悪して増えることによって痛み、発病するという。
 そのため処方としては(1)腹痛では、甘味・酸味・塩味の油の煎じ薬を、内服用や、外用のマッサージに、あるいは灌腸に、薬湯浴などによって浄化し、(2)肢痛では、発汗法の片鱗が『十誦律』に治療前の処置として酥油を身に塗り、煖水浴として薬湯に入るという発汗法などによって浄化し、(3)関節痛では、『摩訶僧祇律』に頭を刺して出血(放血)に見られる放血・瀉血などで浄化するなど治療法によって、増えたヴァータ(va=cd=ab29ta、風大)の要素を沈静化する治療法が行われたといえる。
   六 足のひび割れと履き物について
    (一)漢訳文献に見られる足のひび割れと履き物
○『摩訶僧祇律』
 記述なし
○『十誦律』*63
 「雑法を明すの四」
 爾の時比丘仏に問へり、何らの皮を以つて革履をつくらんと。仏言はく、五種の皮、獅子の皮、虎皮、豹皮、獺皮、猫皮を除く、更に五種の皮を除く、象皮、馬皮、狗皮、野干皮、黒鹿皮なり、余は作るを聴すと。(中略)仏言はく、応に=cd=61db魚皮の革履を受くべし、麁の為の故に牛皮を以つて上を覆せよと。
○『四分律』*64
 「薬=cd=61cf度の一」
 爾の時世尊迦摩羅より迦維羅衛国に至りたまふ。畢陵伽婆蹉彼の国に在りて住し、脚の劈破を患ふ、医塗らしむ(中略)仏言はく「酥・油・若しは脂を以て塗ることを聴す」と。
○『根本説一切有部毘奈耶薬事』*65
 「聖者世羅は今患ひて油を須む」。時に彼童子は新油を盛満して我に授与し、我れ油を得已るに将ちた房中に至りて聖者の為に身手足に塗り、尋いで皆用ひ尽せるなり」。
◇これを要約すると
 漢訳文献では比丘の足への塗薬や足油、また履き物などの記述は断片的に述べられているに過ぎない。
    (二)『南伝大蔵経』「大品」に見られる足のひび割れと履き物
『南伝大蔵経』「大品」第六薬=cd=61cf度*66
一四ー四 (中略)その時、倶壽畢隣陀婆磋の足、裂けたり、「比丘等よ、塗薬を許す」。癒えざき。「比丘等よ、足油を許す」。
『南伝大蔵経』「大品」第五薬=cd=61cf度』*67
五ー二 (中略)此の具壽は足の胼胝を病む、我等、彼を担ひて大小便に往かしむ」。(中略)「比丘等よ、足痛み、足傷れ、或いは足の胼胝を病む者は履を著くるを許す」。
◇これを要約すると
 足が裂けた(a=cd=ab29!da=cd=ab29 pha=cd=ab29lita=cd=ab29、足のひび割れ)比丘の処方として、足への塗薬(pa=cd=ab29daddhan=cd=ab29jana)と、足油(pajia、skt.padya)の治療法を挙げ、また足に痛みや傷などのある者には履き物(pa=cd=ab29datradha=cd=ab29ran=cd=ab22a)を許している。
    (三)古典医学に見える足のひび割れと履き物
 足のひび割れなどについて『チャラカ・サンヒター』では、第五章「適量を食すべし云々[始まる]章」と、第五章「適量を食すべし云々[始まる]章」に、また『スシュルタ・サンヒター』では第二篇 病理篇 第十三章「軽症(ks=cd=ab22udraoga)の病理を述べん」と、第四篇 治療篇 第二十章「軽傷治療法」(ks=cd=ab22udraoga cikitsita)に、*68その処方を挙げている。
◇これを要約すると
 『チャラカ・サンヒター』では、足のひび割れは足に油を塗ることでヴァータ(va=cd=ab29ta、風大)が鎮静化して、足の荒ればかりではなく両足は柔軟になる。また履き物を履くのは足の病気を減少させる効果があるという。
 『スシュルタ・サンヒター』では、長く歩くことを習慣にする人の変調的なヴァータ(va=cd=ab29ta、風大)によって、甚だしく荒れた踵には疼痛性の足戦裂(pa=cd=ab29dada=cd=ab29r=cd=ab33=cd=ab29)を生ずると、その病変について挙げ、また足のひび割れ(pa=cd=ab29dada=cd=ab29r=cd=ab33=cd=ab29、皮裂)について、まず化膿している部分を穿刺(瀉血)して、続いて罨法(発汗法)及び塗擦(オイルマッサージ)を処方し、最後に胡麻油や酥を塗った湿布(足湿布、pa=cd=ab29dalepa)を張り付ける処方を挙げている。
 ここで以上を総合的に理解すると、おおよそ仏教文献では足の病気の処方は、油や脂や酥を塗りマッサージする治療法が挙げられ、足を病気から守るために履き物を許している。また仏教の処方には、古典医学書のような罨法や瀉血は見られない。これは仏教教団の処方として律蔵の中に成文化された、油や脂や酥を塗ってマッサージする治療法が古典医学書に取り込まれ、その後に罨法や瀉血などの処方が加わってきたものと考えられる。
   七 蛇に咬まれた傷
    (一)漢訳文献に見られる蛇に咬まれた傷
○『摩訶僧祇律』
 記述なし
○『十誦律』*69
 「雑法を明すの六」
 (中略)時に盤蛇有りて睡れり、比丘看ずして便蛇上に坐し蛇の為に螫され蛇と倶に死せり。(中略)応に房戸を開きて弾指すべし、若し毒蛇有れば弾指して去らしめよ。
○『四分律』*70
 「薬=cd=61cf度の一」
 諸の比丘、浴室の薪を破る、空中より蛇出て、比丘を螫して殺す。(中略)比丘若し彼の八龍王蛇に慈心あらば、螫殺せられず。(中略)仏自護慈念呪をなすことを聴したまふ。(中略)仏言はく「刀破して血を出し、薬を以て之を塗ることを聴す。亦=cd=61e9刀(大鍼のこと)を畜ふることを聴す」と。
○『根本説一切有部毘奈耶薬事』*71
 「西蔵律典よりの補訳」
 爾の時腐木の孔隙より毒蛇出で来りて、右足の拇指を噛み切れり。(中略)医師は曰はく、「聖者、陳棄薬を与えられるべし」。(中略)世尊は告げて曰はく、「芯芻等、陳棄薬とは、糞と尿と灰と泥となり。即ち、糞とは排出して間なき牝牛等の糞なり。尿とは亦其等のみものなり。灰とは五種の木即ちカナチャナ(Tib.ka-na-ca-na)と、カビドハーカ(Tib.ka-bi-dha=cd=ab29-ka)と、アシュヴァドハー(Tib.a-s=cd=ab22va-tha)と、憂曇婆羅と、尼倶廬陀にして、これらの灰なり。泥とは四指の地下より掘り出せるものなり。是れ即ち調合されたる薬物なり」。(中略)(癒えざれば)世尊は大孔雀(王)明呪をかく告げて・・・
◇これを要約すると
 『摩訶僧祇律』には明確な記述はないが、『十誦律』には治療というよりは弾指による注意が、『四分律』には刀にて血と一緒に毒を出し、薬を塗ること、『根本説一切有部毘奈耶薬事』では「西蔵律典よりの補訳」として、糞と尿と灰と泥を調合した陳棄薬を処方し、さらに、癒えなければ大孔雀(王)明呪を勧めている。
    (二)『南伝大蔵経』「大品」に見られる蛇の傷
 『南伝大蔵経』「大品」第六薬=cd=61cf度 *72
一四ー六 その時、一人の比丘あり、蛇にかまれたり。世尊にこの義を告げたり。「比丘等よ、四種の汚物を与ふるを許す、屎、尿、灰、粘土なり」。
 「大品」以外では「波逸提 八五」*73
四 その時一比丘毒蛇に咬まれたり。一比丘火を持ち来たらんとして聚落に行けり。
◇これを要約すると
 ある比丘が蛇に咬まれ(ahina=cd=ab29 dat=cd=ab22t=cd=ab22ha)、治療のために屎(gu=cd=ab29tha、糞)、尿(mutta)、灰(cha=cd=ab29rika)、粘土(mattika=cd=ab29)の四種の汚物(catta=cd=ab29ri mahvikat=cd=ab22a=cd=ab29ni)が用いられた。また火による治療が見られる。
    (三)古典医学書に見える蛇の傷
 『スシュルタ・サンヒター』第五篇 毒物篇の第三章「動物性毒論章」(jangama-vis=cd=ab22a-vijna=cd=ab29iya)と、第四章「蛇咬毒を論ずる章」(sarpast=cd=ab22ava-vis=cd=ab22a-vijna=cd=ab29iya=cd=ab29dhya=cd=ab29ya)*74には、毒蛇に咬まれたときの症状の分類が述べられており、基本的な治療法として二〇余りが挙げられている。
◇それらを要約すると
 その治療法としては明呪などの宗教儀式をはじめ、刀による切開で毒を血と一緒に出す瀉血、血止め、傷を焼く、吸引する、解毒薬、下剤と吐剤などが挙げられている。
 以上を総合的に理解すると、古典医学書に見られる処方のほとんどは仏教文献に見られるものとよく共通している。
 また仏教文献の陳棄薬の糞と尿と灰と泥などの処方についても、腐葉土、ニンバなどの煎じ薬、糞を渋薬と煮る、とくに『チャラカ・サンヒター』第一章「長寿を[欲しつつという言葉で始まる]章」(『チャラカ・サンヒター』一六頁)と、『スシュルタ・サンヒター』第五篇 毒物篇の第五章「蛇咬傷治療法章」*75には、不浄物として尿の使用が詳しく述べられており、これらは仏典に見られる小便の使用と重なるところから、仏教教団に蓄えられた医学的な知識が成文化され、古典医学書へと位置づけられるといえる。
   八 風病(黄疸)について
    (一)漢訳文献に見られる風病(黄疸)
○『摩訶僧祇律』*76
 「雑誦跋渠法を明すの六」
 爾時、尊者舎利弗は風動せしに、諸比丘は是の因縁を以て具に世尊に白すに、仏、比丘に問ひたまはく、「宜しく何の薬を須うべき」。答えて言さく、「世尊、呵梨勒なり」。仏言はく、「今日より病比丘に呵梨勒を服するを聴さん」と。
○『十誦律』*77
 「七法中医薬法第六」
 時に長老舎利弗風を病みて冷ゆ、薬師言はく、蘇提羅漿(阿摩羅・訶羅勒・=cd=61e8醯勒[har=cd=ab33=cd=ab29taka a=cd=ab29malaka vibh=cd=ab33=cd=ab29taka sa=cd=ab29ve]の煎汁に七穀並びに一切の果・枝葉・笋・魚・肉・密・砂糖・石鹽・三蒜等を入れて和合して小器にいれ密封して三、四年伏置するに、熟して蜜色の如くなりたるは能く風癩等を治す。)を服すべしと、(中略)仏言はく、「今より蘇提羅漿を服するを聴すと」。(中略)(蘇提羅漿は)大麦の麁皮を去り破らざるを以て少しく煮一器中に著き湯に浸し酢ならしめ・・・
○『四分律』*78
 「薬=cd=61cf度の一」
  爾の時、比丘風を患ひ薬を須ふ。医漬麦汁を教ふ。仏言はく、「服することを聴す」と。油漬麦汁を須ひ、頗尼漬麦汁を須ふ。仏言はく、「服することを聴す」と。
 「薬=cd=61cf度の一」*79
 爾の時世尊風を患ふ。医三種の薬を和せしむ。
○『根本説一切有部毘奈耶薬事』*80
 「世尊四種薬法」
 具壽舎利子は身、風病に嬰りしに(中略)医人報じて日はく、「聖者、其患状を看るに宜しく鹽・醋を服すべし、当に除差するを得べけん」。既にして醋を求得して更に鹽を求めんと欲せるに、具壽畢隣陀婆蹉は報じて日わく、「我れ先に鹽ありて之を角内に貯へて尽壽に守持せり、若し世尊にして服するを許したまわんには我れ当に相与ふべし」。
◇これを要約すると
 風病の処方として『摩訶僧祇律』では呵梨勒を挙げ、『十誦律』でも蘇提羅漿の主要成分として三果薬(呵梨勒・阿摩勒・鞁醯勒[har=cd=ab33=cd=ab29taka a=cd=ab29malaka vibh=cd=ab33=cd=ab29taka])を挙げ、『四分律』では二つの漬麦汁「油漬麦汁と頗尼漬麦汁」が、三種薬として三つの果薬(薑、椒、畢抜)が挙げられ、さらに『根本説一切有部毘奈耶薬事』では鹽と醋が挙げられている。
    (二)『南伝大蔵経』「大品」に見られる風病(黄疸)
『南伝大蔵経』「大品」第六薬=cd=61cf度 *81
一四ー七(中略)その時、一人の比丘あり、黄疸を病めり。「比丘等よ、(牛)溲(しゅうに浸せる)呵利勒(の汁)を飲ましむるを許す」。
◇これを要約すると
 黄疸(Pa=cd=ab29li pan=cd=ab22d=cd=ab22uroga)の処方には牛の尿を混ぜた呵利勒(har=cd=ab33=cd=ab29taka, skt.har=cd=ab33=cd=ab29tak=cd=ab33=cd=ab29、柯子)、つまり、呵梨勒、鞁醯勒(vibh=cd=ab33=cd=ab29taka, skt.v (b) ibh=cd=ab33=cd=ab29taka、川練)、阿摩勒(a=cd=ab29malaka, skt.a=cd=ab29malak=cd=ab33=cd=ab29、餘甘子)の三種のミロバラン(myrobalan)一つである呵利勒を牛の尿と混ぜた汁を飲む(pa=cd=ab29yetm)ことを挙げている。

    (三)古典医学に見られ風病(黄疸)
 風病(黄疸)について、古典医学書では『スシュルタ・サンヒター』補遺篇第四十四章「黄疸除去法」(pa=cd=ab29n=cd=ab22uroga-
pratib=cd=ab22s=cd=ab22edha)*82の一章が当てられており、それは体液説に基づいたピッタ(pitta、火大)、カパ(kapha、水大)、ヴァータ(va=cd=ab29ta、風大)、三つの組合せ(sannipa=cd=ab29ka、地大)の四つに分類されている。
◇これを要約すると
 風病(黄疸)の処方としては、排泄作用を促し浄化する治療法と、酥または牛の尿と三果薬(tri-phala=cd=ab29)を混ぜて煮た煎薬による治療法を挙げている。
 ここで以上を総合的に理解すると、漢訳文献では単に風病という記述が、その処方を見ると『摩訶僧祇律』では呵梨勒、『十誦律』では三果薬(呵梨勒・阿摩勒・鞁醯勒)、『四分律』では三つの果薬(薑、椒、畢抜)を挙げており、『南伝大蔵経』の黄疸(Pa=cd=ab29li pan=cd=ab22d=cd=ab22uroga)の牛尿を混ぜた呵利勒、鞁醯勒、阿摩勒の三種のミロバランなどの処方と共通しており、漢訳文献に見られる風病が黄疸であると理解できる。
 そしてまた、仏教文献の処方と古典医学書の処方とは共通しており、初期の仏教教団の医療と古典医学の源泉が同じところにあると考えられる。
   九 熱病について
   (一)漢訳文献に見られる熱病
○『摩訶僧祇律』*83
「単提九十二事法を明すの六」
若し比丘、熱病ならんに、医言はく、「此病は応に酥を服すべきなり」と。(爾の時、)酥を乞ふを得るも、不信家に往いて索むるを得ざれ。何を以ての故に、索むる時比丘を譏るらく、「但、美味を貪らんとて故に酥を索む」と。(中略)応に信心の優婆塞家に到りて索むべく、得ん時は当に自ら籌量すべし。
○『十誦律』*84
「七法中医薬法第六」
(四)長老舎利弗熱病となり、薬師語りて言はく、応に池物を食すべしと、(中略)何等か池物なる、若しは蓮根、蓮子、菱茨、鶏頭子、是の如き種々の池物を喰ふを聴す」と。
○『四分律』*85
「薬=cd=61cf度の一」
爾の時舎利弗風を患ふ。医藕根を食はしむ。(中略)舎利弗食し已りて病即ち除差することを得たり。
○『根本説一切有部毘奈耶薬事』*86
具壽舎利子は熱血病に罹りぬ(中略)医師報じて曰はく、「聖者、蓮根の液汁を与へられるべし、さらば癒ゆるを得る」。(中略)具壽舎利子は医によりて示されし如くその液汁を飲みたるに病癒えぬ。
◇これを要約すると
 『摩訶僧祇律』では熱病に酥を処方し、『十誦律』では池物の蓮根、蓮子、菱茨、鶏頭子などを処方し、『四分律』でも藕根を処方し、『根本説一切有部毘奈耶薬事』でも蓮根の液汁を処方しており、『摩訶僧祇律』以外は蓮根や藕根などの池物が処方されている。
    (二)『南伝大蔵経』「大品」に見える熱病
『南伝大蔵経』「大品」第六薬=cd=61cf度 *87
二〇ー一 (中略)その時、具壽舎利弗は熱病にかかれり。時に具壽摩訶目=cd=61cf連は具壽舎利弗の在る処に至れり、至りて具壽舎利弗に言えり、「舎利弗よ、汝前に熱病に罹りし時は何によりて治せるや」。「蓮ぐう、蓮根によれり」。時に具壽摩訶目=cd=61cf連は譬へば力士の屈したる腕を伸ばし伸ばしたるが如く此の如く(速に)祇樹林に没して曼陀祇尼蓮池の岸に現れたり。
◇これを要約すると
 熱病(Va=cd=ab29gbhat=cd=ab22a)(ka=cd=ab29yad=cd=ab22a=cd=ab29ha=cd=ab29ba=cd=ab29dha)の処方に、蓮藕(蓮の芽、bhisa)と、蓮根(mula=cd=ab29lika=cd=ab29)の治療法が挙げられている。
    (三)古典医学に見える熱病
 熱病について、古典医学書では『スシュルタ・サンヒター』補遺篇三十九章「熱病駆除法」(jvara prats=cd=ab22dha)*88に具体的な記述がある。
◇これを要約すると
 熱(da=cd=ab29ha)は体熱(jvara)の症状の処方は、古典医学の病因論である三つの身体的な要素(dos=cd=ab22a)のバランスを基礎とする体液説理論では、身体の三つの要素のバランスが増悪して身体のピッタ(pitta、火大)性が増えた状態であるという。そのために身体の熱を取り除くためにカパ(kapha、水大)性の要素をもつ蓮根による治療法が挙げられている。
 ここで以上を総合して理解すると、仏教文献には病因論としての体液説理論は見えないが、熱病の処方は古典医学と非常によく一致しており、初期の仏教教団の医療と古典医学書のかかわりの深さ、その源泉の近さがわかる。

   一〇 痔について
    (一)漢訳文献に見られる痔
○『摩訶僧祇律』*89
 時に比丘に痔病の(者)ありて医に語げて言はく、「長寿、能く我が為に刀治するや不
や」。(中略)仏、比丘に言はく、「汝、云何は刀を瘍つて愛処(samba=cd=ab29dha、行欲所、秘所)を治せんとせしや、今より已後、刀を以て愛処を治することを聴さず」と。愛処とは、穀道(大便道即ち後道vaccamaggaなり。秘部の周囲二指の間に刀を禁ずる。)の辺を離るること各四指なり。もし癰=cd=61e0・=cd=21f9あらんに、小麦を噛みたると=cd=61d9=cd=61dfとにて上に塗りて熟せしむるを聴す。当に同和上・阿闍梨をして摘み破らしむべし。若し余処に癰=cd=61e0・=cd=21f9等の諸病ありて、刀を須いて治せんには用ふるを聴すも、刀を用ひて愛処を治せんには偸蘭罪なり。
○『十誦律』*90
「七法中医薬法第六」
 一比丘有り、痔を病む、薬師の阿帝利瞿妬路と名づくる者刀を以て大行処(肛門)を割けり、時に祇垣の門間の近く露現の処に治し苦痛身を切る(中略)仏言はく悪口人阿帝利瞿妬路は之最大一なり乃ち如来を請ひて是の如き処を示すと、「今より大行処を示語すべからず、若し示語すれば罪を犯ず、今より大行処を刀治するを聴すべからず、若し(刀)治すれば偸蘭遮罪なり。
○『四分律』*91
「薬=cd=61cf度の一」
時に六群比丘三毛処を剃る。(中略)仏言はく、「三毛処を剃るべからず」。(中略)時に六群比丘酥油を以て大便道に灌ぐ。仏言はく、「灌ぐべからず」。
○『根本説一切有部毘奈耶薬事』*92
「四種薬法」
 痔病に二種療法あり、一には呪を以てし、二には薬を以てす。若し=cd=61e4芻にして病あらんに、応の阿帝耶等の不信の類に於てして治療せしむべからず。若し治せしめんには越法罪を得ん」。
◇これを要約すると
『摩訶僧祇律』では痔病には、癰=cd=61e0・=cd=21f9等などの諸病では手術を許すが、刀を須刀で大便道の手術は禁じている。『十誦律』ではやはり肛門の手術を禁じている。『四分律』は三毛処を剃ることも、酥油の灌腸も禁じている。『根本説一切有部毘奈耶薬事』では痔の治療に呪と、薬の二種を挙げている。
    (二)『南伝大蔵経』「大品」に見られる痔疾
『南伝大蔵経』「大品」第六薬=cd=61cf度 *93
二二ー一(中略)その時、一人の比丘あり、痔を病めり。医師アーカーサッゴタは刀を用ひたり。(中略)
二二ー二 医師アーカーサッゴタは世尊の遠くより来たりたまふを見たり、見て世尊に白して言へり、「瞿雲よ、来たりて此比丘の大便道を見よ、猶し大蜥蜴の口の如し」(中略)
二二ー三 仏世尊は呵嘖したまへり。「比丘等よ、彼愚人の(所為)は相合ならず、随順ならす、相にならず、沙門の法に非ず、相応ならず、非事なり。比丘等よ、如何ぞ彼愚人は密処に刀を用ひしむるや。比丘等よ、密処にありては皮膚柔軟にして傷治し難く刀を用ひ難し。・・・」(中略)
二二ー四 その時、世尊、刀法を禁じたまへるを以て六群比丘は潅腸を行はしめたり。(中略)「比丘等よ、密処の周二指の処の刀法若しくは潅腸を行はしむべからず、・・・
◇これを要約すると
 痔(bhagandala)の処方として、刀の切開(satthakamma)を許したが、その傷口が大蜥蜴(godha=cd=ab29mukha)のようであったので、世尊は隠れた密処の皮膚は柔軟であるために、刀の傷は治りにくいという理由で反対した。また切開手術の代わりに、六人の比丘たちには潅腸(vatthikamma)を許した。ただし密処の周囲指二本分の幅は、刀法も、潅腸も禁じたことを挙げている。
    (三)古典医学書に見える痔疾
 痔疾の処方について、古典医学書の『スシュルタ・サンヒター』には、第二篇 第四章「痔疾の病理」(bhagandara=cd=ab29n=cd=ab22a=cd=ab29m
nida=cd=ab29na)と第四篇 治療篇 第八章「痔瘻治療法」(bhagandara-cikitsita)*94の二つの章に痔病の原因と治療法が記述されている。
 また第四篇 治療篇 第九章「皮膚病治療法」(kus=cd=ab22t=cd=ab22ha-cikitsita)*95には、二種の傷の治療法の中に痔疾が記述されている。
◇これを要約すると
 痔(bhagandara)は出きもの(pis=cd=ab22aka=cd=ab29ga)が化膿したものであると定義されている。そして外科的な手術が治療の中心であり、また火(agni)や、腐蝕製剤(kd=cd=ab22a=cd=ab29ra)による焼灼と腐蝕を処方している。また手術後の開放した傷には種々の薬を混ぜた胡麻油が処方されている。
 また二種の傷(dvivran=cd=ab22a)の処方は、そのまま痔瘻にも適応されており、灌腸、切開手術、腐蝕製剤の使用、瀉血などの治療法が挙げられている。
 ここで総合的に理解すると、仏教文献に見られたものはほとんど古典医学書の中に散見できる。しかし、手術は集団生活をする上では不都合な処方であり、秘所を他者に見せることが強く戒められていたことがわかる。
 そうであっても仏教文献の中にその記述が見られるということは、禁止される以前の初期教団の中で痔疾に対する手術などの民間の伝承医術は行われており、それが古典医学書へと受け継がれていったと考えられる。
◆エピローグ
 律蔵経典群の中に見られる疾病誌を眺めてくると、インドの初期仏教教団が民間の伝承医術を取り入れる背景には、仏典に見られたように「比丘たちが秋時の病気になり。粥を飲んでも吐いてしまい。食事を食しても吐いてしまい。彼らは痩せ、麁醜となり、色悪く、次第に黄ばみ浮腫んでしまった。」ために、釈尊は五種の基本薬を許し、またその都度に応じて七種の追加薬を許可し、その時代の民間の伝承医術の知識に従い、四大理論に支えられた病因論を理解し、薬効食の規定を律藏の中に取り入れて来た事実が指摘できる。*96
 そして、このような仏教教団の古代インドの伝承医術の受容は、耆婆を始めとする仏教教団の主治医たちの指導を受けながらも、釈尊が仏教教団として相応しい医術のあり方へと、必要に応じて形を変えながら受容している。
 その受容の姿勢として『摩訶僧祇律』には、次のようなエピソードが記述されている。
『仏、拘=cd=61eb彌に住したまいき。爾時、闡陀母比丘尼は善く治病を知って、根薬・葉薬・果薬を持して王家・大臣家・居士家に入り、諸の母人の胎病・眼病・吐下を治し、咽を熏じ、鼻を灌ぎ、針刀を用い、然して後に此の諸薬を持して之に塗り、病を治するに由りての故に大いに供養を得たるに、諸比丘尼呵して言はく、「此れ出家の法に非じ、此は是れ医師ならくのみ」。(中略)仏言わく「此は是れ悪事なり、今日より後、医師と作りて活命するを赦さず。」(中略)已に聞ける者も当に重ねて聞くべし、「若し比丘尼医師と作りて活命せんに波夜提なり」と』。
 『比丘尼」とは、上に説けるが如し。「医」とは、根薬・葉薬・果薬を持して病を治するなり。復、医あり、呪毒・呪陀・・・・・乃至、呪火・呪星・宿日月なり。此を以て活命すること、闡陀母の如きは波夜提なり。「波夜提」とは上に説けるが如し。比丘尼、医師と作りて活命するを得ず。若し病者あらんに、治法を教語するを得ん。比丘、医師と作りて活命せんには越毘尼罪なり。是故に世尊は説きたまへり。』*97
 これは闡陀母比丘尼が医師のようによく病気を治し、王家・大臣家・居士家から莫大な供養を受けていることに対して、釈尊は無闇に病気を治す(活命)ことを禁ずる記述である。とくに「若し比丘尼、医師と作りて活命せんに波夜提なり。」と、「比丘、医師と作りて活命せんには越毘尼罪なり。」といい、出家者が医師のような医療行為を行った場合に、比丘尼は波夜提(波逸提、pa=cd=ab29yattika)の罪、比丘は越毘尼罪(五衆罪の一で突吉羅[dus=cd=ab22krta]の罪)に相当するという。これらは共に軽い罪で懺悔すれば減罪するが、懺悔しなければ悪趣へと堕ちる諸過であるといい、またこの罪は善い行いを障礙するものであるという。*98
 つまり、出家者の目的はまず自らが生死の輪廻を越え、自ら実践したその教えを世間へと伝え広めることにあるり、医師のように活命することを目的とした治療法は、出家の法ではないという。また若しそこに病人があるならば、その治療方法を指導することは罪にならないという。
 このように釈尊が仏教教団として、医療の相応しいあり方を模索しながら、受容していることがわかる。そして、それらが律蔵経典群に見られる医学的な知識であり、この成文化された医学的知識こそが後の古典医学書のモデルとなったばかりではなく、仏教僧院のあり方や、医学の制度化に著しい役割を果たしたといえる。
 また、仏教教団の治療者たちの癒しの手が、教団の僧院内から一般庶民へと及ぶに従い、僧院には死を看取る場(ホスピス)や施療院が設けられ、仏教の人気は高まり在俗者による教団の維持も確保される。そうしてナーランダ僧院のような主だった僧院学校で、医方明(cikitsa=cd=ab29-vidya=cd=ab29)として『八科精髄集』などの医学テキストがカリキュラムの一部になると、それはもう伝承医術という立場から、科学や学問という立場を獲得するにいたったといえる。
 インドでも、ほかのアジア地域においても、仏教はその歩みを通じて、癒しの治療術と密接な関係を保ち、医療と宗教の実りある混交の規範となり、今日でも南アジア、東南アジアの仏教国の僧たちは、いろいろな病気の患者を治療し、僧院の構内に施療院を設けているところも少なくない。
 いま宗教のあり方が問われている中で、宗教としての仏教がどの様な社会的機能を果たしながら形成されてきたかを理解することで、現代の仏教者が取り戻さなければならない現実社会に対する教化活動の実際が見えてくるように思える。これは正しく仏教者が自らが、信仰に支えられた自身の信行生活を実践することによって、観念的な存在ではなく、自分自身の身体性を獲得することによって得られる道であるといえる。

=cd=b821註=cd=b926
*1 『現代宗教研究』三十二号 一九九七年 所収「天台大師の治病法、二つの基礎概念について」日蓮宗現代宗教研究所刊 、同 第三十三号 一九九八年 所収「天台止観に見られるインド仏教医学」
*2 『チャラカ・サンヒター』矢野道夫訳 世界の名著『インド医学概論』二三四頁 朝日出版社 一九八八年 以下『チャラカ・サンヒター』と略称、 『スシュルタ・サンヒター』 大地原誠玄訳『スシュルタ本集』一ー二頁 アーユル・ヴェーダ研究会刊 一九七一年 以下『スシュルタ・サンヒター』と略称
*3 『国訳一切経』史伝部十六下 六一頁〜六二頁主旨
*4 Skt.As=cd=ab22t=cd=ab22a=cd=ab29n=cd=ab22ga-hr=cd=ab22daya-Sam=cd=ab22hita=cd=ab29、Tib. Yan-lag brgyad-pah=cd=ab22i sn=cd=ab29in=cd=ab22-po bsdus-pa shes-bya-ba
*5 仏教文献は律蔵経典群の六種を挙げているが、「部」とは「宗派」の意味であり、六つの中で㈫曇無徳部「Dharmaguptaka」、㈬沙弥塞部「Mah=cd=ab33=cd=ab29s=cd=f087a=cd=ab29saka」、㈭根本説一切有部「Mu=cd=ab29lasarva=cd=ab29stiva=cd=ab29din」は㈪説一切有部「Sarva=cd=ab29stiva=cd=ab29din」の部派であるため、㈫㈬㈭は㈪の説一切有部『十誦律』巻二十六「医薬法」の派生、展開であるといえ、ここでは文献上㈰『摩訶僧祇律』、㈪『十誦律』、㈫『四分律』を中心に据え考察し、さらに㈭『根本説一切有部毘奈耶薬事』、㈮『南伝大蔵経』「大品」などは、その全体の文脈を理解する参考としながら考察を進めたい。
*6 『国訳一切経』律部 八  三三三頁
*7      同  律部 五   三三頁
*8      同  律部 四 一二七一頁
*9      同  律部二〇  五六〇頁
*10 『南伝大蔵経』第十五巻 相応部経典 六処篇 第二受相応 百八理品 三五五頁〜三五六頁
*11 『チャラカ・サンヒター』 一三七頁
*12 『スシュルタ・サンヒター』一ー六頁
*13      同 一ー七頁
*14 『国訳一切経』律部一〇  九七一頁
*15      同 律部 六  五八八頁
*16      同 律部 三  九六三頁
*17      同 律部 三  九九五頁
*18      同 律部二三  四〜五頁
*19 『南伝大蔵経』第三巻   三五八頁〜三五九頁
*20      同 第三巻   三六三頁
*21 『チャラカ・サンヒター』 一三九頁〜一四〇頁
*22      同        二六頁
*23 『スシュルタ・サンヒター』第二篇 病理篇 一三ー七四頁
*24      同 第四篇 治療篇 二一ー二
*25 『チャラカ・サンヒター』七四頁〜八三頁 同二二〇頁〜二二五頁
*26 『スシュルタ・サンヒター』第二篇 病理篇 九−五一頁〜一〇ー五六頁
        同   第四篇 治療篇 一ー一頁〜二ー二六頁
        同  第四篇 治療篇 一六ー一七八頁〜一七ー一八五頁
*27 『国訳一切経』律部一〇 九八七頁
*28      同 律部  六 五八八頁
*29      同 律部 三 九六六頁
*30      同 律部二三 六頁〜七頁
*31 『南伝大蔵経』第三巻 三五九頁
*32 『スシュルタ・サンヒター』補遺篇 特殊外科学 六〇ー三九頁〜四七頁
*33 As=cd=ab22t=cd=ab22a=cd=ab29n=cd=ab22ga-hr=cd=ab22daya-Sam=cd=ab22hita=cd=ab29, KRISHNADAS AYURVED SERIES VOL.27 I, Krishnadas Academy, Varanasi-1, Third 1966, PP. Uttra stha=cd=ab29na
*34 『国訳一切経』律部一〇 九九〇頁〜九九一頁
*35      同 律部 六 五八七頁〜五八八頁
*36      同 律部 三 九六四頁
*37      同 律部二三 五頁〜六頁
*38 『南伝大蔵経』第三巻 三五九頁
*39  『チャラカ・サンヒター』四〇頁
*40 『スシュルタ・サンヒター』補遺篇一八ー七二頁〜一九ー七八頁
             同  補遺篇一九ー八七頁〜二〇ー九〇頁
*41   『国訳一切経』 律部一〇 九九四頁
*42      同 律部 六 八七五頁〜八七六頁
*43      同 律部 三 九八四頁
*44      同 律部 三 九八五頁〜 九九五頁
*45      同 律部一九  八一頁
*46 『南伝大蔵経』第三巻  三六一頁
*47 『チャラカ・サンヒター』一一六頁〜一一八頁
        同      一三二頁〜一三三頁
   『スシュルタ・サンヒター』補遺篇二五ー一一四頁〜二六ー一二四頁
*48 『国訳一切経』律部 九 五〇六頁
*49      同 律部一一一一九三頁
*50      同  律部 六 五九〇頁
*51 『国訳一切経』律部 六 八八三頁〜八八四頁
*52      同 律部 三 九八五頁〜九八六頁
*53      同 律部二三   二頁
*54 『南伝大蔵経』第三巻  三六二頁
*55      同 第三巻  三六三頁
*56      同 第三巻  三六三頁
*57 『チャラカ・サンヒター』一三八頁〜一三九頁
               二八八頁〜二九〇頁巻末の(二)病素ごとの病名分類
*58 『スシュルタ・サンヒター』 第一篇 総説篇 一ー七頁〜九頁
                     同      第一篇 総説篇 三三ー二一一頁
                     同      第四篇 治療篇 四ー五一〜六〇頁
*59 『チャラカ・サンヒター』九八頁〜一〇四頁
*60 『スシュルタ・サンヒター』 第四篇 治療篇 三二ー九五頁〜三三ー一〇〇頁
*61 『チャラカ・サンヒター』一三八頁〜一三九頁
              二八八頁〜二九〇頁巻末の(2)病素ごとの病名分類
   『スシュルタ・サンヒター』 第三篇 身体篇 六ー一五三頁〜七ー一六八頁
            同    第四篇 治療篇 五ー六〇頁〜六ー八〇頁 
*62 『スシュルタ・サンヒター』 第一篇 総説篇 一三ー七二頁〜一五ー八九頁
*63 『国訳一切経』律部 六 九一四頁
*64      同 律部 三 九八五頁
*65      同 律部二〇  八一頁
*66 『南伝大蔵経』第三巻  三六三頁
*67      同 第三巻  三三三頁
*68 『チャラカ・サンヒター』 四五頁〜四六頁
   『スシュルタ・サンヒター』第二篇 病理篇 一三ー七一頁〜一四ー八〇頁
              同 第四篇 治療篇 二〇ー二二〇頁〜二三〇頁
*69 『国訳一切経』律部 六 九五八頁
*70      同  律部 三 九七四頁〜九七五頁
*71      同  律部二三 四〇二頁〜四〇三頁
*72 『南伝大蔵経』第三巻  三六三頁〜三六四頁
*73 『南伝大蔵経』第二巻  二六三頁
*74 『スシュルタ・サンヒター』第五篇 毒物篇 五ー二三五頁〜六ー二四九頁
*75 『スシュルタ・サンヒター』第五篇 毒物篇 第三章 三ー二一七頁〜四ー二二五  
                第四章 四ー二二五〜五ー二三五頁
*76 『国訳一切経』律部一〇 八七六頁
*77      同 律部 六 五九〇頁
*78      同 律部 三 九七三頁
*79      同 律部 三 九七五頁
*80      同 律部二三   九頁
*81 『南伝大蔵経』第三巻  三六四頁
*82 『スシュルタ・サンヒター』補遺篇第四十四章 四四ー一三〇頁〜四五ー一三七頁
*83 『国訳一切経』律部 九 五〇六頁
*84      同  律部 六 六〇八頁
*85      同  律部 三 九六四頁〜九六五頁
*86      同  律部二三 三六六頁 
*87 『南伝大蔵経』第三巻  三七七頁
*88 『スシュルタ・サンヒター』補遺篇 三十九章 三九ー二五頁〜四〇ー六七頁
*89 『国訳一切経』 律部一〇 九九三頁〜九九四頁
*90      同 律部 六 五九六頁
*91      同 律部 三 九九六頁
*92      同 律部二三 二〇頁〜二一頁
*93 『南伝大蔵経』第三巻  三七九頁
*94 『スシュルタ・サンヒター』第二篇 病理篇 第四章 三ー二四頁〜五ー三〇頁
                第四篇 治療篇 第八章  八ー一〇四頁〜九ー一一三頁
*95           同   第四篇 治療篇 第九章 九ー一一三頁〜一〇ー一三二頁
*96 『現代宗教研究』第三十四号 一九九九年 所収「律蔵経典群に見られる仏教医学について」 二一九頁〜二二〇頁
*97 『国訳一切経』律部一一 一一五三頁〜一一五四頁
*98 『望月仏教大辞典』三九二七頁〜三九二八頁、四一七八頁

※本稿は第五三回日蓮宗教学発表大会で発表した原稿を加筆、整理したものである。

 

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