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現代宗教研究第36号 2002年03月 発行

現代科学から四十五字法体段を考える―仏陀と成仏を求める過程において―

   現代科学から四十五字法体段を考える
|仏陀と成仏を求める過程において|
齊藤朋久
(現代宗教研究所嘱託) 
 近年、仏教の教義又はそれが持つ世界観の現代科学との近接がよく指摘されるようになった。我が日蓮仏教も、例外ではない。否むしろ、日蓮仏教こそ日蓮大聖人が、現代科学の提示する世界観を七百有余年以前に感得、予見されている最たるものといえよう。
 立教開宗七五〇年を二〇〇二年にひかえ、日蓮宗の大きな使命は、現代を生きる人々の抱える様々な悩みや問題に答え、現実に人々を救済してゆくことにある。この使命の遂行によって、本宗もはじめて生きた宗門たりえるのである。ところで此れらの人類の抱える諸問題は、現代においては、人類の生活が地球規模に有機的につながり、かつその生活が現代科学の最先端の成果の上に成り立っているので、グローバルかつ複雑化している。したがって、その問題の解決のためには、本宗の教えの現代化と、それが立脚するグローバルな視点の獲得が必要である。

  成仏による救済

 ここで日蓮宗における救済とは何か、を考える必要がある。全ての仏教と同様に、日蓮大聖人の仏教の目的は、自他の成仏による人々の救済にあった。仏教に於けるオリジナルな救済の意味は、人を生老病死の四苦と云う生存苦から救うことである。即ち対個人の救済は、人の意識の進化を加速させ、輪廻転生の意識レベルから超越させる、即ち生存苦から成仏によって超越させることにある。また、人類全体に対する救済は、時代意識、社会意識、国家意識等の進化を加速させ、地球規模の現代的諸問題を現実的に解決してゆくと云う全体成仏という救済原理によって成し得ることが出来る。大聖人は、この成仏による救済について、次のように仰せになられている。
 「日蓮は少より今生のいのりなし、只仏にならんとをもふ計なり」
   (四條金吾殿御返事・定遺一三八四頁)五六歳著、内三九ノ三七
 「我不愛身命の法門なれば捨命、此法華経を弘めて日本国の衆生を成仏せしめん」
   (波木井殿御書・定遺一九二六頁)弘安五年十月。六十一歳。於武蔵池上作。
 人類の救済のためには、成仏をよく解明し、それを現実に可能なものとしなければならないが、その為には、成仏の目標である仏陀を明らかにせねばならなかった。日蓮大聖人は、釈尊の悟りの内容を解明することによって、仏陀を明らかにされた。即ち、宗祖は、四重興廃、五重相対という思想を比較する作業によって、全人類の思想の中で仏教、仏教の中で大乗仏教、大乗仏教の中で法華経、法華経の中で本門、そしてその観心が最も優れた悟りの実体(リアリティー)であるとして、全仏教を本門の観心に帰納された。つまり、釈尊の悟りを本門の肝心としてお捉えになられた。

  久遠の本仏それは大宇宙そのもの

 法華経寿量品に説き顕せられた釈尊の悟りとは、釈尊自らの本体が久遠の本仏であるということである。つまり、釈尊は、永遠の昔より生き続ける無始無終の宇宙の大生命をお悟りになったのである。即ち寿量品には、
 「我仏を得てよりこのかた、経たる所の諸の劫数 無量百千万 億載阿僧祇なり」(妙法蓮華経如来寿量品・平楽寺二六八頁)
と説かれている。
 また宗祖は、『懐中』(かいちゅう、えちゅう、伝教大師著、または皇覚著)の言葉を借りて、この久遠の仏が大宇宙そのものであることを、つぎのごとく仰っている。
 「又云く『次に随自本門真実の本とは、釈迦如来は是れ三千世間の総体、無始よりこのかた本来自証無作の三身、法法皆具足して闕減有ること無し』。文に云く『如来秘密神通之力』と」(今此三界合文 定遺二二九二頁)原文漢文 文応元年。三十九歳著。
 このように、現実の釈尊に宇宙大の本仏が具足するという仏陀観を法華経が持つのは、法華経が成仏の目標である仏陀観を発展させてきた大乗経典の最高発展段階にあることからの必然的帰結でもある。    
 この久遠の本仏を、宗祖は釈尊一人の本体のみではなくして、我ら衆生即ち全人類の本体としての本仏でもあるとして、宗祖は、
 「我等が己心の釈尊は、五百塵点、乃至所顕の三身にして、無始の古仏なり」(如来滅後後五百歳始観心本尊鈔・定遺七一二頁)と、お説きになっている。
 即ち宗祖は、釈尊のお悟りを解明し、成仏の目標である仏陀を久遠本仏たる大宇宙とし、またそれが全人類の己心に具足するがゆえに一切衆生の成仏の目標足り得るとしているのである。

   宇宙生命観(四十五字法体段の現代釈)

 久遠実成の釈尊、久遠本仏は、三身即一無始無終の久成の三身の仏であった。この仏は三千世間の総体であり、宇宙の総てにより構成され、したがってまた、十方世界の多くの分身諸仏により構成される。即ち、個人格の仏ではなく、総和の人格よりなる総合仏であった。
 ここで、観心本尊鈔は宗祖日蓮大聖人所立の日蓮仏教の中核をなす聖典であり、その中の四十五字法体段は、大乗所産の観念を悉く己心の三千具足の三種の世間に移しており、実は、それは、真実の仏陀と成仏の構造を説き明かした御文章なのである。観心本尊鈔の四十五字法体段を中心に、日蓮仏教に於ける仏陀の構造を考察してゆきたい。即ち、意識を中心とした本仏と人間の宇宙生命観を現代科学から考え、大聖人の仏陀観を鮮明にしたい。
 「今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり。仏既に過去にも滅せず未来にも生せず、所化以て同体なり。此れ即ち己心の三千具足の三種の世間なり。」(観心本尊鈔・定遺七一二頁)如来滅後後五百歳始観心本尊鈔 文永十年四月。五十二歳。於佐渡著。与富木常忍書。真蹟在中山法華経寺。内八ノ一。
この御聖文は次のように分けられる。即ち、
  ㈰『今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり』| 浄土観
  ㈪『仏既に過去にも滅せず未来にも生せず』| 仏陀観
  ㈫『所化以て同体なり』| 成仏観
  ㈬『此れ即ち己心の三千具足の三種の世間なり』| 教法観
 これらの浄土観、仏陀観、成仏観、教法観が総合して、無作三身の本仏の全貌を表しているのであるが、今ここでは、その一々について考察を加えて行きたい。
 ㈰『今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり』| 浄土観
 先ず、『今』とは即身成仏して悟った現在、悟る前の時と区別しこの語が用いられている。日蓮仏教においては、「観念と現実の一致」の原理によって、教学が展開され、その全てが現実に収束される。しかもこの四十五字法体段で、この「観念と現実の一致」原理が打ち立てられたのである。したがって、この『今』は、現実を表すために用いられていると言える。なぜなら現実とは、我々一人一人の現在の己心に具足するものであるからである。即ち、過去の現実はもはや現実ではなく、未来の現実は未だ現実ではないからである。
 『本時』とは教相上からは釈尊の久遠成道の時を示すが、この文は前段の観心勝の立場からの言でもあるから、申すまでもなく、『本有の覚体を証する時』を表している。すなわち、それは、本覚すなわち悟りの立場に立った時であり、凡夫の時間軸と異なる仏の立場に立った久遠の時で、凡夫の時空を越えた久遠の時と無限の空間、即ち高次元をさらに越え絶対次元の時空間を表す。従って、『今本時の娑婆世界』とは、其の次元から見た娑婆の事を云う。これが時に約し表現されているのは、いま現在の凡夫が本有の覚体を証する時と云う意味であり、成仏観を基調として四十五字法体が論じられているからそのような表現となった。
 この本覚の立場に立った信解脱境に於いては、無常遷滅の穢土娑婆は、本有不変常住不滅の浄土の現象世界に於ける表現となる。これは観念上ではなく、体験的にうけとれる。悟りの境地に立つと本仏と同体の立場に立つから、無常遷滅に左右されず、娑婆の本体本質は、密相の常住の浄土と感得される。
 この娑婆世界に相即する不可視の浄土は、理論物理学者のデビッド・ボームの提唱する「明在系と暗在系」という考え方によって良く理解される。
 ここで、明在系と暗在系について概略すると、この宇宙は二重構造になっていて、私達の存在する物質的宇宙の背後に、もう一つの視覚に映らない宇宙が存在する。目に見える物質的宇宙を明在系(explicate order)、目に見えない宇宙を暗在系(implicate order)という。暗在系には、明在系のすべての物質、精神、時間、空間などが不可分にたたみこまれている。(『ニューサイエンスと気の科学』青土社 参照)ここで、explicate orderとは、開示された自明な秩序、すなわち私たちが知り得る秩序のことである。また、implicateとは、巻き込むという意味であり、implicate orderとは、目に見えない秩序「内在秩序」のことである。要は、密相の常住の浄土(暗在系)即ち、目に見えない心の世界の浄土が、現象世界即ち明在系として、顕れてきているのである。
 それはまた生物学的に考えると、現象世界の諸行無常は久遠本仏の立場から見ると永遠の生命を其の内に保つための新陳代謝として捉えられるということであり、人間に於ける肉体の新陳代謝と精神の如き関係に、娑婆世界と密相の娑婆世界及び本仏はあると云うことになる。つまり、本仏から孤立した関係にある娑婆世界上の凡夫の立揚から捉えられる三災も四劫も、信解脱境に立ち本仏の目を通して見ると、新陳代謝となるのである。その無苦安穏の世界観が、『今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり』の聖意である。すなわち、凡夫が娑婆世界を相対観をもって見るとき、諸行は無常である。しかし、信解脱境に於いて、本仏の立場からそれを見ると、諸行無常は、本仏の永遠の相を現象世界に表現する手段なのである。したがって、娑婆世界の実相とは密相の本体界の部分と現象界の部分とが一体となったものであり、それがそのまま本仏を構成しているといえる。
 次に、日蓮仏教の仏陀と成仏の構造を説き明かす、中心部分について考察したい。
 ㈪『仏既に過去にも滅せず未来にも生せず』| 仏陀観
 ㈫『所化以て同体なり』| 成仏観 
 仏とは寿量御本仏、所化とは九界の衆生が、同体となり、不生不滅の仏の生死相を現じること。このような寿量御本仏は永遠の万有の本体であるが、同時に無作三身の相を九界生死の上に顕現するものである。事の一念三千観とは、そういう仏界を本地とする九界の認識である。
 即ち、個々の衆生と云うような自己完結せる独立的実体性をもった生命単位は存在しえない。つまり、それが諸法無我と云うことである。無限の仏は、多なる生命単位として顕現し、九界、娑婆世界、宇宙空間として顕現している。全ては一なる寿量本仏の現れであり、そして全ての生命と存在は相関係し合い、連鎖し、一なる生命体、本仏を構成する。つまり大宇宙は一つの生命体であり、それが本仏そのものである。
 以上の考えは、、大宇宙を精神と肉体から成る生命体と観る宇宙生命観といえるが、現代の思想でこの本仏観に接近しつつあるのは、ガイア仮説である。これは、地球を一つの生命体と観る考え方であり、このような地球生命観の提唱者の一人がジェイムズ・ラヴロックである。彼は、一九一九年生まれのイギリスの生物物理学者である、その著書『地球生命圏』のなかで次のように述べている。
 「そのときから、私たちはガイアを、地球の生命圏、大気圏、海洋、そして土壌を含んだひとつの複合体と定義している。つまり、この惑星上において生命に最適な物理化学環境を追求するひとっのフイードバック・システム、あるいはサイバネティック・システムをなす総体である」(『地球生命圏』三六−三七頁 J・Eラヴロック 工作舎)
 ここで何故、本仏の現れである我々衆生は成仏を目指すのか、換言すれば、進化と調和を目的とするのか。ここに深く思いを致せば、祖文に「一念三千の佛と申は法界の成佛と云ふ事にて候ぞ」(船守彌三郎許御書 定遺二三一頁)とあるように、大宇宙生命体である本仏自体が更なる成仏と進化を目指しているということは自明の理であろう。実は本仏は自己の進化と調和のために、多なる分身として、我々衆生として顕現し修行しているのである。即ち一者では出来ない他との競争によって、永遠なる者には無かった、限られた時と命に悲しみ生老病死に苦悩することによって、進化が図られているのである。
 この大宇宙の御本仏の悠久の歴史は、四劫即ち成劫(成立の時代)、住劫(安定の時代)、壊劫(破壊の時代)、空劫(何もない時代)の四期を通し一貫した目的をもって展開されている事になる。
 現代の最も有力な宇宙論であるビックバン理論から、この宇宙の発生から終末までの合目的な展開を考えてみたい。この宇宙論は、ロシア生まれのアメリカの物理学者ガモフが一九四八年に発表したもだが、宇宙は、約一五〇億年前、高温、高密度の状態から爆発的に膨張して今に至ったとする宇宙論である。(チン・ズアン・トゥアン著『宇宙の起源』創元社 参照)この爆発は時間も空間も物質さえもない一つの点即ち、特異点から始まったとされるが、この爆発前の宇宙の状態はまさに、主客合一、物質も精神も時空間さえもが一点に合一している。此れが正に、宇宙という仏の境と智が冥合しているオリジナルな状態である。宇宙は境智冥合の一点一者から膨張発展し、多数存在となり、更に境地冥合の一点に集約されて行くとおもわれる。つまり、宇宙の最終目標は境地冥合であるといえる。
 「又云く『本門に於て亦二種有り、一には随他の本門、二には随自の本門なり。初に随他の本門とは五百塵点の本初の実成は正く本行菩薩道所修の行に由る。久遠を説くと雖も其時分を定め、遠本を明すと雖も因に由つて果を得るの義は始成の説に順ず。具に寿量品の中に説く所の五百塵点等の如し』文。又云く『次に随自本門真実の本とは、釈迦如来は是れ三千世間の総体、無始よりこのかた本来自証無作の三身、法法、皆具足して闕減有ること無し』。文に云く『如来秘密神通之力』と。」(今此三界合文・定遺二二九二頁)(原文漢文)文応元年。三十九歳著。外一六ノ九。
 この聖文では、久遠本仏を三千世間の総体と説かれ、宇宙法界そのものとお説きになられていることが非常に重要である。即ち、久遠本仏の仏身は大宇宙そのものとお説きになられている。また大宇宙そのものであるがゆえに、久遠本仏は無始である。しかるに、今日の宇宙理論のビック・バン理論によると宇宙創成が約一五〇億年とされているのも、五百塵点の表現による久遠本初と比較して、興味深いものがある。ここに科学と仏教の一致をみることが出来る。
 此のように、久遠本仏が宇宙そのものであるとすると、他の諸仏は必然的に久遠本仏の分身の諸仏とならざるをえない。宇宙の総体そのものである釈尊のなかに、他仏は存在しえないからである。
 「今法華経は四十余年の諸経を一経に収めて、十方世界の三身円満の諸仏をあつめて釈迦一仏の分身の諸仏と談ずる故に、一仏一切仏にして妙法の二字に諸仏皆収れり」(唱法華題目鈔・定遺二〇三頁)文応元年五月。三十九歳。於鎌倉名越著。
 この分身の諸仏の思想も、ビック・バン理論による宇宙大爆発と比較して考えると、原初に於て、久遠の釈尊が分身散体してその分身諸仏を生んだことになる。この宇宙は分裂して、今拡大膨張しているということであるが、やがては収縮して一点になっていく。この一点が、ビッグ・クランチというわけである。全てが一点に集約していく。
 この宇宙現象を、宇宙生命体、特に意識進化の立場から考察しているのが、フランスの哲学者で古生物学者のテイヤールド・シャルダンである。彼は、一九三〇年代に『現象としての人間』という著書の中で、次第に私ども人類の意識の共有部分が多くなっていって、宇宙の終わりに一体となると言っている。これは、人類意識の進化という意味の成仏であり、人類全体が成仏していくというような概念と言える。
 寿量本仏の衆生救済は、仏の自己救済である。本仏の慈悲は私たちの慈悲、私たちが慈愛を以て人を救うことは、自分が自分を愛すること。それは本仏が人々を愛することであり、自己を愛することである。私たちの目は本仏の目、私たちの耳は本仏の耳、私たちの鼻、舌、身体、心も本仏のもの、私たちの五官六根を通して心に感じた事は、全ての命に響きあい、本仏の心に届き、全ての生き物の経験は本仏の経験としてデータとして蓄積される。個々の私たちの観念と現実の一致は統合され、本仏の境地冥合の内的質をたかめる。
 このことは、現代情報革命によるインターネットにおいて、各自のパーソナル・コンピューターは、一人一人の衆生に当たり、中央コンピューターのごときもの又は全てのコンピューターの総和は、本仏に当たり、各コンピューターの情報は、ネット上で共有されることに似ている。
 無限なる仏は有限を展開し、無限に回帰する。永遠なる本仏は時空間を展開することによって有限なる時間を創出し、多なる衆生に大いなる経験を可能とする時と処を与えた。本仏も衆生と共に永遠を生き、進化をめざす。すなわち『仏既に過去にも滅せず、未来にも生せず、所化以て同体なり』である。
 以上が、我々一切衆生の己心に具足する実在十界の身土であり、一念三千と三種の世間なのである。すなわち、本仏の己心も、我々凡夫の己心、行者の一念と一つのものであり、本国土とも同一体を成しているのである。
 換言すれば、久遠の仏陀とは、教主釈尊の上にのみ発迹顕本されるだけでなく、一切衆生の上にも発迹顕本されるべきものであり、本覚無作三身の如来として、一切衆生の生命の中に、人格の主体として霊在する尊厳であり、慈悲であり、聡明である。つまり、久遠本仏は教主一仏の内鑑ではなく、全人類の内鑑である。このような観を以て事の一念三千観とするのが、
 ㈬『此れ即ち己心の三千具足の三種の世間なり』|(教法観)、の聖意である。
 己心の三千具足は無相霊在の本体界であり、その内容を具現する三種世間は本覚仏の生命表現の世界観である。三種の世間を三千具足と別に重ねのは、前者が暗在系であり、後者が明在系となるからである。
 以上を久遠本仏の無作三身観から述べると、三種世間は無作の本仏の一身が、国土世間は法身、五蘊世間は報身、衆生世間は応身として顕現していると見る義となる。
 ここで、「己心の三千具足の三種の世間なり」と云う、心に宇宙総体が具足し、しかも宇宙のどの部分も互いに他の部分を互具し合っているという宇宙モデルの中で、現代において著名なものは、「ホログラフィー宇宙モデル」である。
  (ホログラフィー Holography 一念三千 十界互具)
 ここで、ホログラフィーとは、レーザー光線を使った三次元の写真画像の作成方法である。
 「ホログラフィー Holography、三次元の写真画像をつくる方法。レンズをつかわないため、レンズレス撮影法ともいう。ネガはホログラムとよばれる。ホログラフィーの原理は、一九四八年にイギリスの物理学者デニス・ガボールが考案した。実際にホログラフィーによる撮影がおこなわれたのは、六二〜六四年にかけてレーザーが開発されてからである。八〇年代後半には、マイクロ波やX線のスペクトラムをつかったホログラム、実際の色をうつしだすホログラムが開発されるようになった。音波をつかった超音響ホログラムもある。」(Microsoft (R) Encarta (R) 97 Encyclopedia.)
 このホログラフィー理論を使って宇宙モデルを提唱した人にカール・プリグラムがいる。カール・プリグラムは、スタンホード大学の教授を勤めたほどの有名な大脳生理学者であるが、かれはそれまでの機械論的な脳のモデルからホログラフィー的な脳のモデルを提唱した。それは、脳の全体にホログラフィー的にたたみ込まれている記憶が存在するということを確認したからである。更にこの考えを発展させて、かれは全体が部分に備わるというホログラフィー的宇宙モデルを考えた。(『ニューサイエンスと気の科学』青土社 参照)
 宗祖は、このような部分に全体が備わるというような宇宙モデルについて、次のように仰せになられている。
 「本門にいたりて始成正覚をやぶれば四教の果をやぶる。四教の果をやぶれば四教の因やぶれぬ。爾前迹門の十界の因果を打ちやぶ(破)て、本門十界の因果をとき顕はす。此れ即ち本因本果の法門なり。九界も無始の仏界に具し、仏界も無始の九界に備りて、真の十界互具、百界千如、一念三千なるべし」(開目抄・定遺五五二頁)文永九年二月。五十一歳。於佐渡著。真蹟於身延焼失。内二ノ一。
 このような、全体が部分にたたみ込まれているという、互具するという宇宙構造において、物質、精神、時間、空間から構成される大宇宙は、ホログラフィー的に妙法五字にたたみ込まれており、妙法蓮華経の五字は大宇宙の仏種である。、またその宇宙は、妙法蓮華経の五字からホログラフィー的に展開している。従って妙法蓮華経の五字を南無妙法蓮華経と受持することは、大宇宙そのものを受持する事に他ならない。つまり、妙法蓮華経の五字に帰命することは、大宇宙の実体とその法則に一体化することであり、大宇宙の万象と総和してゆくことである。
 ここで仏界の仏の己心と九界の衆生の己心は同体にして、事の一念三千の根幹である十界の久遠実在の仏を具足している。
 この「己心」は、仏教の心識学たる「唯識」に於ける「九識」を指す。
 「此御本尊全く余所に求めることなかれ。只我等衆生法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱ふる胸中の肉団におわしますなり。是を九識心王真如の都とは申す也」(日女御前御返事・定遺一三七六頁)
 日蓮大聖人は、人間心理の奥底に位する第九識をもって本仏とされている。釈迦牟尼仏もその本仏を覚悟し、自他彼此の境界を超越して、生命一体の原理を現実生活の上に表現した「有相顕在の仏」に他ならない。その意味に於て、釈尊と等しく救いの道を行ずる者を成仏と名づけるのである。
 第九識は、人間の心識に於ては主我であるが、その本質は愛を生命とする仏性である。同時に、現象世界を顕現せしむる本体界である。本体界は神秘蘊在の世界であり、その本体界にこそ万有の起源があり、万物の創造の意志があるのである。
 この九識のような精神原理は、近代の心理学では、人間と宇宙の所謂ユングの共通的無意識を更に発展させたような根元意識が九識であり、また、その顕現が現象世界の銀河系や大宇宙の星々と、そこに存在するアメーバーから人類に至るまでの生命の総体である。
 この九識が宇宙を作りだしていると言う考えは、量子力学では、いわゆるコペンハーゲン解釈に相当する。これは、ボーア研究所がコペンハーゲンにあったことから、その影響下にある量子力学をコペンハーゲン解釈という。簡単に言うと「観測者の心により波動が収縮して素粒子となる」ということであり、これは、ボーアの相補性原理により、数学的にはハイゼンベルグの不確定性原理の上に成り立つ考えである。(ジョン・グリビン著『シュレーディンガーの猫』地人選書 参照)
 現代科学において、物質は、分子、原子、原子核、電子、陽子、中性子、中間子、と細分化され、現在では物質の最小単位は、一九六九年アメリカのスタンフォード大学で行われた陽子の中に高エネルギーの電子を打ち込む実験により突き止められたクオークとされている。このクオークは無から生じ、また消滅しているようであるが、これらの素粒子は、粒子であると同時に波動でもある。要するに物質は、波動である。ここで精神もエネルギィーとして波動であると考えられるから、大宇宙である本仏は、物質界と精神界を通して波動による連続体として一如しているわけである。
 「一念三千は十界互具よりことはじまれり」(開目鈔・定遺五三九頁)
十界互具から一念三千が始まる、即ちこの本仏宇宙生命体(ガイア)はホログラム構造を取り、そのままそれが、本仏、凡夫の己心(神的無意識九識)に具足する。
 この宇宙生命体の歴史は、暗在系にたたみ込まれた時空間の設計図(仏国土)に従い、現象的にビッグバンを現じ、一者から多者となり、進化論的発展を遂げ、オメガポイントを目指す。
 また、この宇宙の構造は、一者たる本仏からの顕現であるから、その構造は、フラクタルとなる。
 「フラクタル Fractal どんなに小さな部分をとってみても、図形全体と同じくらい複雑な構造をもつような幾何学的図形。「断片の」「端数の」という意味で、自己相似という性質、つまり小さい部分を拡大してみると、図形全体と同じ形になっているか、それに近い性質をもっている。」(Microsoft (R) Encarta (R) 97 Encyclopedia.)
 宇宙は、大宇宙からミクロの宇宙原子の世界にいたるまで相似的な構造をしている。即ち、太陽の回りを惑星が公転する姿と原子核の回りを電子が回っている姿は、とてもよく似ている。これを宇宙のフラクタル構造いう。
 御本仏、時空間の設計図、大曼陀羅御本尊、戒壇、仏国土への過程的存在娑婆世界は、フラクタルな構造をとる。精神と物質は、二元的存在ではなく連続体であり、妙法蓮華経の五字にその全てが具足する。
 宗祖は、妙法蓮華経が大宇宙の生命たる本仏であると説かれておられる。即ち、諸法実相鈔には、次のように述べられている。
 「されば釈迦、多宝の二仏と云ふも用の仏なり。妙法蓮華経こそ本仏にてはおはし候ヘ。経に云く『如来秘密神通之力』是れなり」(諸法実相鈔・定遺七二四頁)
 観心本尊鈔四十五字法体段に続く文章には、本門の肝心、即ち四十五字法体が、イコール南無妙法蓮華経の五字であるとして、次のようにお説きになられている。
 「此の本門の肝心たる南無妙法蓮華経の五字に於ては、仏、猶ほ文殊、薬王等にも之を付属し給はず、何に況や其の已下をや」(如来滅後後五百歳始観心本尊鈔・定遺七一二頁)
 即ち、この宇宙の本仏の仏意を南無妙法蓮華経と承継し、人類救済と仏国土建設の仏願仏業に精進するのが、地涌の菩薩たる私たちの使命である。
 〈参考文献〉
  『ニューサイエンスと気の科学』青土社 
  『地球生命圏』J・Eラヴロック 工作舎
  『宇宙の起源』チン・ズアン・トゥアン 創元社 
  『現象としての人間』テイヤールド・シャルダン
  『Microsoft (R) Encarta (R) 97 Encyclopedia.』
  『ニューサイエンスと気の科学』青土社 
  『シュレーディンガーの猫』ジョン・グリビン著 地人選書
  『新日蓮教学概論』行道文庫
  『宗門改造』高佐日煌
  『昭和定本日蓮聖人遺文』
  『妙法蓮華経』平楽寺書店
  『岩波仏教辞典』中村元他 岩波書店
  『仏教語大辞典』中村元 東京書籍
  『日蓮辞典』宮崎英修編 東京堂出版
※本稿は第五四回日蓮宗教学発表大会で発表した原稿を加筆、訂正したものである。

 

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