現代宗教研究第36号 2002年03月 発行
仏教とハンセン病―「得白癩病」の漢訳をめぐって―
仏教とハンセン病
=cd=ba52「得白癩病」の漢訳をめぐって=cd=ba52
奥田正叡
(現代宗教研究所嘱託)
はじめに
ハンセン病は古代より不治の病であり、慢性のしかも感染症の疾患として、患者の多くは社会から疎外されてきた。我が国でハンセン病が社会的スティグマ(烙印)として忌避されてきた背景の一つに日本風土に根づいた「穢れ観」や、仏教とりわけ妙法蓮華経の普及があったためと指摘されている。本稿ではそうした日本風土の歴史を踏まえ、「癩」に関する仏教経典類の記述を比較しながら、仏教がハンセン病をどのように捉えてきたのか、特に法華経における「癩」の記述についてサンスクリット原典と漢訳経典との比較を試み、その解釈について考察したい。(文意上ここではハンセン病を「癩病」と表現する)
第一章 仏教はどのようにハンセン病をとらえていたか
一、『律蔵』
原始仏教末期に整理された『Vinaya-pit・aka』(律蔵三大品一)の第七涌品には、五種の病を持つ者の出家を拒否する因縁譚が記されてる。
〈資料1〉
耆婆童子は呟き憤り毀れり、「如何ぞ尊者等は五種の病に罹れる者を出家せしむるぞ」。時に耆婆童子は世尊の在す處に詣れり、詣りて世尊を敬禮し一面に坐せり。一面に坐して耆婆童子は世尊に白して言へり、「世尊よ、願はくは五種の病に罹れるものを出家せしめたまはざれ」。
時に世尊は法を説きて耆婆童子を教示し勸導し讃勵し慶喜せしめたまへり。時に耆婆童子は世尊の法を説きて教示し勸導し讃勵し慶喜せしめたまへる時、座より起ちて世尊を敬禮し右遶を爲して去れり。時に世尊は此縁により此時に於て法を説きて比丘等に告げて言ひたまへり、「比丘等よ、五種の病に罹れるものを出家せしむるべからず、出家せしむるものは悪作に堕す」。
五種の病とは、癩(kutthikn)・癰(gandikun)・疽(kila=cd=ab29sikun)・乾瘠(sosikun)・癲狂(apamarikun)のことである。
〈資料2〉
癩・癰・疽・癲・瘠。癰も疽も共にはれものなり、瘠は頭のいたむ病なり、四分律には癩、癰、白癩、乾瘠、=cd=22e3狂とある。
経典にはこの五種の病を持つ者には出家受戒が許されず、僧侶になる資格がないと説かれている。もしこれらの病の人に出家を許せば突吉羅罪(一人で懺悔する一番軽い罪)を得ると説かれている。実は、この因縁譚の前半では五種の病の人にも出家が許されていた記述がある。その記述によると、はじめ五種の病の人が出家を志し、許されて出家することができた。名医耆婆により五種の病が治った後、この人たちは還俗してしまう。これに対し、耆婆は激しく憤り世尊に出家の是非について問いかける。その結果、それ以後五種の病をもつ人には出家が許されなくなったことが説かれている。
〈資料3〉
一人あり、五種の病に罹りて耆婆童子の許に到りて言へり、「師よ、願はくは我を治したまへ」。「我に所作多く所辨多し、我は摩竭國の洗尼瓶沙王にも後宮にも佛を上首とせる比丘衆にも近侍せざるべからず。我〔汝を〕治すること能はず」。「師よ、一切の所有を汝に歸し、我、汝の奴とならん、師よ、願はくは我を治したまへ」。
時に彼人に思念生じたり、「彼沙門釋子等は戒易く行易く好食を食ひ風の入らざる臥具に臥す。我當に沙門釋子等の許に於て出家せん、然らば比丘等は〔我を〕看護し耆婆童子は〔我を〕治すべし。我、無病とならば還俗せん」。時に彼人は比丘等の許に到りて出家せんことを請へり。比丘等は彼を出家せしめ具足戒を授けたり。比丘等は爲に看護し耆婆童子は治せり。彼は無病となりて還俗せり。耆婆童子は彼人の還俗せるを見たり。見て彼人に言へり、「汝は比丘等の許に於て出家せるには非ずや」。「師よ、然り」。「然らば汝は何ぞ此の如きことを作せるや」。時に彼人は耆婆童子に彼義を告げたり。
この因縁譚で気付くことは、癩・癰・疽・乾瘠・癲狂の五種の病を同等に扱い、特に「癩」だけを特別な病として扱っていないということである。
二、『雑阿含経』
『雑阿含経』巻四十三には次のように説かれている。
〈資料4〉
如是我聞。一時佛住拘=cd=61eb彌國崔師羅園。爾時世尊告諸比丘。如癩病人。四體瘡壊入茅荻中。爲諸刺葉針刺所傷。倍増苦痛。如是愚癡凡夫。六觸入處受諸苦痛亦復如是。如彼癩人。爲草葉針刺所傷。膿血流出。如是愚癡凡夫。其性弊暴。六觸入處。所觸則起瞋恚。悪聲流出。如彼癩人。所以者何。愚癡無聞凡夫。心如癩瘡。
ここでは癩病にかかった人は体中が瘡で壊れ、その苦痛は刺のある植物の中に投げ込まれた時のような痛さがあると説かれている。眼・耳・鼻・舌・身・意の六根から受ける外界の刺激に対し、無限に涌き出る煩悩の欲望に苦しむ凡夫の性を癩病の病苦とオーバーラップさせて具体的に示している。これらの初期原始経典では、「癩」の記述はあるがそこでは癩病を特別な病であるという捉え方や説明はしていない。しかも、その表現は単なる譬喩として用いられているにすぎない。
三、『大智度論』
次にそのほかの経論を見てみる。『大智度論』巻五十九には、諸病中、癩病が最も重い病気であり、「宿命の罪、因縁ある故に治し難い」と説かれている。つまり、ここでは初期原始経典の記述とは違い、癩病が業病であるという記述になっている。
〈資料5〉
問曰。四種病中攝一切病何以故別説眼痛癩病等。答曰。眼是身中第一所用最貴是故別説。諸病中癩病最重。宿命罪因縁故難治。是故更説。
四、『摩訶止観』
さらに中国で書かれた『摩訶止観』巻八を見てみる。この書は、当時の中国医学をもとに「陰陽五行説」という中国独自の哲学から病気と業思想を直接関係させて説いたものである。まず病因を四大不順・飲食不節・座禅不調・鬼神・魔・業の六つに分類し、方薬・観行・調息・大神呪・懺悔の方法で治療することが説かれてる。
〈資料6〉
此名六=cd=21b2病相。二明病起因縁有六。一四大不順故病。二飲食不節故病。三坐禪不調故病。四鬼=cd=21b2得便五魔所爲。六業起故病。
摩訶止観では業病について、「今世において戒を破り前世の業を動かしたために受ける病」と説かれている。
〈資料7〉
六業病者。或專是先世業。或今世破戒動先世業。業力成病。還約五根知有所犯。
五、『頓医抄』
日本では、「癩」をどのようにとらえてきたのであろうか。我が国の中世において最大の救療事業を行った僧に、真言律宗の叡尊がいる。その門下だった梶原性全(一二六六−一三三七)の書いた『頓医抄』巻三十四には、「夫癩病ノ由来、五癩八風、或ハ一百三十種品アリ。或ハ又、先生ノ罪業ニヨリテ、仏神ノ冥罰アリ」とある。
〈資料8〉
頓醫抄、巻三十四ニ日ク「夫癩病ノ由來、五癩八風、或ハ一百三十種品アリ、或ハ又、先生ノ罪業ニヨリテ、佛=cd=21b2ノ冥罸アリ、或ハ食物ニヨリ、或ハ四大不調ニ依ル、所詮善根ヲ修シ、懺悔ヲナシテ、善ヲ修スベシ。」コノ如クニシテ、癩病ハ不治ノ業病ナリト做サレ…。
六、『万安方』
さらに梶原性全著の『万安方』には、「然シテ亦伝染者有リ・・気血相伝・・」とある。
〈資料9〉
又萬安方ニハ三因方ヲ引イテ『然亦有傳染者又非自致此、則不謹之故、氣血相傳、豈宿業縁會之所爲也、原其所因、皆不内外渉外所因而成也』ト曰ヒ…。
これらの書物で僧医だった性全は、癩病を先生の罪業による「業病」と説き、親子の「遺伝病」と捉えていたことが理解できる。
日本医学は曲直瀬一渓道三(一五〇七−一五九四)までは、ほとんど僧医の手に委ねられていた。したがって、僧医として有力だった性全の説く「癩病は業病である、癩病は遺伝である」という解釈が一般社会に広く浸透していたと考えられる。
以上の考察により仏教経典の中に於ける「癩病」は、初期原始経典においては他の病に比べ特別視されていなかったものが、国を経て時代の変遷とともに「癩は業病、癩は遺伝病」と解釈されるようになり、次第に特別な病として人々に忌み嫌われるようになっていったと考えられる。
第二章 日本におけるハンセン病の歴史的変遷
日本に於けるハンセン病は、「癩病・天刑病・かったい・ふくよし・どす・レプラ」などと呼ばれ社会から恐れられた病だった。
かつては結核も「伝屍病」といわれ、天の裁きによる罰としての天刑病・不治の病として恐れられた。しかし、ハンセン病のように「業病」とまで呼ばれたり、社会から排斥されることはなかった。同じように天刑病と呼ばれながら、ハンセン病だけが社会からスティグマを押され続けてきた。
一、『延喜式』
『延喜式』巻八の「六月晦大祓十二月准之」では、祓うべき罪として、天津罪と国津罪を挙げ、その罪の中に癩病患者と思われる人をとりあげている。
〈資料10〉
高天原尓=cd=21b2留坐。皇親=cd=21b2漏岐=cd=21b2漏美乃命以氏。八百万=cd=21b2等乎=cd=21b2集集賜比。=cd=21b2議議賜氏。我皇御孫之命波。豊葦原乃水穂之國乎。安國止平久知所食止事依奉岐。如此依志奉志國中尓荒振=cd=21b2等乎波。=cd=21b2間志尓問志賜。=cd=21b2掃掃賜比氏。語問志磐根樹立草之垣葉乎毛語止氏。天之磐座放。天之八重雲乎。伊頭乃千別尓千別氏。天降依左志奉支。如此久依左志奉志四方之國中登大倭日高見之國乎。安國止定奉氏。下津磐根尓宮柱太敷立。高天原尓千木高知氏。皇御孫之命乃美頭乃御舎仕奉氏。天之御蔭日之御蔭止隠坐氏。安國止平氣久所知食武國中尓。成出武天之=cd=22a5人等我。過犯家牟雑雑罪事波。天津罪止畔放。溝埋。樋放。頻蒔。串刺。生剥。逆剥。屎戸許許太久乃罪乎。天津罪止法別氣氏。國津罪止八生膚斷。死膚斷。白人。胡久美。己母犯罪。己子犯罪。母與子犯罪。子與母犯罪。畜犯罪。昆虫乃災。高津=cd=21b2乃災。高津鳥炎。畜仆志蠱物爲罪。許許太久乃罪出武。如此出波。天津宮事以氏。
天津罪とは共同体の農業慣行を犯す罪のことであり、国津罪とは性的禁忌を犯したり、虫害・鳥害や呪詛などの罪のことである。注目すべきことは、国津罪の中に癩病と思われていた胡久美・白人が加えられているということである。このことは身体的醜さが「穢れ」として忌まれ、瘤が生じる胡久美・白人の身体的嫌悪感そのものが罪であると考えられたことを意味している。
二、『今昔物語』
『今昔物語』巻二十では、比叡山東塔の僧侶心懐が嫉妬により白癩にかかり、皆から「穢ナム」と忌まれていた記述がある。
〈資料11〉
其ノ後墓无テ、任モ最レバ、一供奉モ京ニ上ヌ。守モ二三年許ヲ経テ死ヌレバ一供奉、寄リ付ク方无テ極テ便无ク成ヌ。而ル不、白癩ト云テ病付テ、祖ト契リシ乳母モ、穢ナムトテ不令寄ズ。然レバ、可行キ方无テ、清水・坂本ノ俺ニ行テゾ住ル。其ニテモ然ル片輪者ノ中ニモ被=cd=62c0テ、三月許有テ死ケリ。
心懐は行く先もなく、当時白癩患者も含めて穢れていると思われていた清水・坂本付近の庵に行くが、そこさえも安住の地ではなく、しまいには「片輪者」と呼ばれていた人からも憎まれ三カ月余りで亡くなったと記されている。このことは、当時の癩患者が社会から広く嫌われ穢れた存在だったことを意味してる。
三、『令の義解』
『令の義解』巻二の戸令は、癩病について詳細に述べている。そこでは、「悪疾いわゆる白癩(しらはた)なり。此の病人五臓の虫が食う。或いは眉・睫が落ち、或いは鼻柱が崩壊し、或いは言葉声が嘶なき、或いは関節ずれ落ち、亦能く傍らの人に伝染する」とある。癩病患者の身体的特徴を具体的に述べ、癩病が伝染病であると記されている。
〈資料12〉
悪疾。謂。白癩也。此病。有虫食人五藏。或眉睫墮落也。或鼻柱崩壊。或語聲嘶變。或支節解落也。亦能注染於傍人。故不可與人同床也。癩或作癘也。
四、『令の集解』
『令の集解』の巻九の戸令でも、悪疾を白癩と規定している。「身体の皮が無く、毛髪は凋み、指が関節から無くなる」と『令の義解』巻二の戸令同様、癩病患者の身体的特徴を具体的に記している。
〈資料13〉
悪疾。謂。白癩也。此病。有虫食人五藏。或眉睫墮落。或鼻柱崩壊。或語聲嘶變。或支節解落也。亦能注染於傍人。故不可與人同床也。癩或作癘也。釋云。遍身爛灼。體上無皮、毛髪凋零。指節自解。觸類繁多。=cd=62c1云悪疾。唐稱病癩者。悪疾別名耳。古記云。悪疾。謂病癩者眉髪=cd=62c1落。手足零墮。遍身疱瘡。唇缺爛。色類非一。皆是。若有同親者。便以同親充侍。若無者「無者」不給侍。所以人不欲近耳。
五、『類聚名義抄』
また『類聚名義抄』では、「癩」のことをシラハタケ・シラハタ・禾ライとし、「癘」は勵、疾病・アシキヤマヒと付加している。
〈資料14〉
=cd=21f7癩(谷正又盧達反 シラハタケ シラハタ 禾ライ)・疥癩(戒頼ハタケ)・癘(勵疫病 アシキヤマヒ)
我が国の歴史上「癩」はその病ゆえにおこる身体的特徴から人々に嫌悪感をいだかれ、「穢れた存在」として扱われ、さらに伝染病と規定されてきた。このことから癩病が人々から恐れられ、疎まれた病気だったことが理解できる。また癩病は悪疾・白癩・「癘」(えやみ)・と表現され、人々から「悪しき業病」として疎外された病だったことが理解できる。
第三章 漢訳法華経における「癩」の記述とサンスクリット原典との比較
一、普賢菩薩観発品の「癩」について
ハンセン病が業病として定着したのは『妙法蓮華経』の普及によるもの、と言われてきた。特に普賢菩薩観発品の「得白癩病」の経文が指摘されている。
〈資料15〉
若復見受持是經者。出其過悪。若實若不實。此人現世得白癩病。
訓読では次のようになる。
〈資料16〉
若し復た、この経を受持する者を見て、その過悪を出さば、若しくは実にもあれ、若しくは不実にもあれ、この人は現世に白癩の病を得ん。
注目されているのは「白癩の病を得ん」の記述である。この部分の記述を梵文法華経と比較してみる。
〈資料17〉
ya evam・ su=cd=ab29tra=cd=ab29ntadha=cd=ab29rakan・a=cd=ab29m・ dharmabha=cd=ab29n・aka=cd=ab29na=cd=ab29m・ bhiks・u=cd=ab29n・a=cd=ab29m moham・ da=cd=ab29syanti ja=cd=ab29tyandha=cd=ab29ste sa=cd=ab29ttva=cd=ab29 bhavis・yanti ye caivam・ru=cd=ab29pa=cd=ab29n・a=cd=ab29m・ su=cd=ab29tra=cd=ab29ntadha=cd=ab29raka=cd=ab29n・a=cd=ab29m・ bhiks・u=cd=ab29n・a=cd=ab29mavarn・am・ sam・s=cd=f087ra=cd=ab29vayis・yanti tes・a=cd=ab29m・ dr・s・t・a eva dharme ka=cd=ab29yas=cd=f087citro bhavis・yanti
このように経典を受持する法師たる比丘たちを誤らせるようなことを言う者達は、生まれつき盲目となるであろう。また、このような経典を受持する比丘たちの悪口を言う者達の体には、まさしく現世において病班が生じるであろう。
「白癩」の箇所の梵文法華経は「ka=cd=ab29yas=cd=f087citro」の表現に該当する。この「citra」の意味は「斑点ある、病班が生じる」という意味である。この箇所からは何らかの病から起こる「斑点ある、病班が生じる」という状態は見いだせても、漢訳法華経にある「白癩病」という具体的病名を見いだすことはできない。
〈資料18〉
citra【形】明白なる,見ゆる,顯著なる,明かなる,輝ける;判然たる,聴きとり得る(聲);雜色の斑點ある,斑らの;種々の,多様の,種々の拷問にかくる(刑罰);不思議なる,驚くべき;あちこちに跳ぶ(Jat=cd=ab29-m.);〔漢譯〕種種,種種不同,雜類;雜飾,雜色,妙色;有殊,希奇Divy., Lank., Su=cd=ab29tr., Madhy-v., Abh-lc., Abh-vy., Bodh-bh.;癩病 Saddh-p.:〜o bha visyati致癩病,得白癩病Saddh-p.482.→a 〜.
南条文雄・泉芳景共訳の『梵漢対照新訳法華経』では、「白癩」の箇所は梵文に添って「斑点を生ずべし」と訳されている。
〈資料19〉
かくの如き經典を受持する法師比丘に對し、苦難を與ふるものは生來盲目なるべし。またかくの如き經典を受持する比丘に對し毀謗をなすものは現在身に斑點を生ずべし。
さらにH・KERNの法華経英訳本でも、「白癩」の箇所は斑点を意味する「a spotted body」と訳されている。
〈資料20〉
Such persons as lead into error monks who know this Su^tra^nta, shall be born blind:and such as openly defame them, shall have a spotted body in this very world.
つまり、法華経普賢菩薩観発品の「得白癩病」は、梵文法華経の原典では「身体がまだらになる」という意味であり、「白癩病」という具体的病名を見いだすことは出来きない。しかも、経説ではあくまで現世においてまだらになるのであって、人々から恐れられてきたような過去世の宿業により病になることは説かれていない。
この部分を『正法華経』と比較してみる。
〈資料21〉
若有比丘受持是經。世世不忘所生聰明黠慧。未曾聾盲。現在獲安無有衆患。若毀此經訶學持者而復誹謗。其人現在身致癩病。
『妙法蓮華経』の「得白癩病」の箇所は、『正法華経』の「致癩病」の漢訳に類似していることが理解できる。
むしろ梵文法華経に「癩病」を示す言葉が出てくるのは、同じ普賢菩薩観発品の「悪瘡膿血」の経説である。
〈資料22〉
身體臭穢。悪瘡膿血。
「身體臭穢・悪瘡膿血」の梵文法華経を示してみる。
〈資料23〉
s・yanti durgandhika=cd=ab29ya=cd=ab29s=cd=f087 ca bhavis・yanti gan・d・apit・akavicarci dadrukan・d・va=cd=ab29ki〜rn・as=cd=f087arira=cd=ab29s=cd=f087 ca bhavis・yanti
身体が悪臭を放ち,腫れ物や水泡やかさぶた,dadruや疥癬に覆われた身体となるであろう。
悪瘡膿血の梵文は、「ganda・pitaka・vicarci・dadru」の部分にあたる。
「ganda・pitaka・vicarci」は、漢訳では「瘡泡・連瘡」などと訳されている。
〈資料24〉
gada2【男】漢訳・瘡疱 Siks
vicarcika【女】漢訳[病名]連瘡 Mvyut.
文中最後の「dadru」を調べると、Apteの辞典によれば「a cutaneous eruption(皮膚の発疹)・ herpes(庖疹)」と「a kind of leprosy(癩病の一種)」などの意味があげられる。
〈資料25〉
dadru…1 A cutaneous eruption, herpes. -2 A kind of leprosy. -3 A tortoise.
皮膚の発疹 疱疹 らい病の一種(Apte:Skt, -Eng.Dic.)
つまり、Apteの辞典では「dadru」は皮膚の発疹の意味と癩病の一種であるという二つの意味を指摘している。ただ、ここで注意しておきたいのは仮に癩病の一種と解釈された場合でも決して「癩病」を特別視せず、瘡・水泡・連瘡などの皮膚病と同格に扱っている点である。
二、譬喩品の「癩」について
『妙法蓮華経』では、普賢菩薩観発品以外に「癩」の文字は譬喩品に3回出てくる。 第一は「=cd=62c2=cd=62c3疥癩(色黒くしてひぜん、かたいあり)」、第二は「身体疥癩(身体にひぜん、かたいあり)」、第三は「疥癩癰疽(ひぜん、かたい、はれもの)」の表現である。これらはいずれも「疥癩」と漢訳されている。
〈資料26・27〉
=cd=62c2=cd=62c3疥癩 人所觸=cd=62c4 =cd=62c2=cd=62c3して、疥・癩あり 人に触=cd=62c4れ
身體疥癩 又無一目 身体に疥・癩あり また、一目無く
水腫乾疽 疥癩癰疽 水腫・乾瘠・疥・癩・癰疽
梵文法華経をみると、第一の「=cd=62c2=cd=62c3疥癩」の疥癩は「Kandula」である。
〈資料28〉
varnena te ka=cd=ab29laka tatra bhouti kalma=cd=ab29s・aka=cd=ab29 vra=cd=ab29n・ika kan・d・ula=cd=ab29s=cd=f087 ca
意味は、「疥癬」つまりカイセン虫の寄生による皮膚病のことである。
〈資料29〉
kan・d・ula【形】同上[漢譯]疥 Saddh-p
kan・d・u【女】=kan・d・u;[漢譯]痒,癬Saddh-p., Bodh-c.
第二の「身体疥癩」の疥癩は、「Kunthakas」である。
〈資料30〉
punas=cd=f087 ca te kros・t・uka bhonti tatra bi=cd=ab29bhatsaka=cd=ab29h・ ka=cd=ab29n・aku kun・thaka=cd=ab29s=cd=f087 ca
意味は、「跛(あしなえ)、足が不具」である。
〈資料31〉
kun・t・haka【形】愚かなる;不具の;[漢譯] 攣 Saddh-p.
以上の2カ所の「癩」は、法華経を誹謗した罪で人が野干に生まれ変わったことを譬えたものである。この二か所の梵文法華経を見る限り、いづれも漢訳経典で意味する「癩病」という特定の病名に該当する表現は見当たらない。
第三の「疥癩癰疽」には、皮膚病とともに「癩病」に相当する単語が使用されている。具体的には、「Kustha」と「KiIasa」である。
〈資料32〉
vicarcika=cd=ab29 kan・d・u tatha^lva pa=cd=ab29ma=cd=ab29 kus・t・ham・ kila=cd=ab29sam・ tatha ama-gandhah
「Kustha」は「癩・悪癩・白癩・黒癩・瘡癬」など癩病を意味する言葉である。
〈資料33〉
kus・t・ha=cd=ab29【中】癩病;[漢譯]癩,悪癩,瘡癬,白(又は悪)癩,大麻風 Divy., Lal-v., Saddh-p., Lank., Mvyut.
kus・t・a=cd=ab29n・ga【女】尖端,嘴;癩病。
kus・t・ha^ga【形】四肢の癩病に罹れる。
kus・t・ha^bhidruta【形】[漢譯]癩病 a=cd=ab29s・t・r.
kus・t・hika=cd=ab29【女】内臓の包容物。
kus・t・hita【形】癩病に罹れる;[漢譯]癩 Rastr。
「KiIasa」は「癩病の一種、癩病の白斑点」を意味する言葉である。
〈資料34〉
kilasa=cd=ab29【形】癩病の。【中】癩病の白斑點;癩病(の一種);[漢譯]胎毒 Mvyut。
kila=cd=ab29sa【形】【俗】[glasnu];[漢譯]疲厭,懈怠,素食(?)[Tib. sh=cd=f089oms=cd=ab22las]Mvyut。→kilasita, kilasin2.
kilasatva【中】癩病たること。
kila=cd=ab29sa-na=cd=ab29s=cd=f087ana【形】癩病を除去する。
kila=cd=ab29sa-bhes・aja【中】癩病の治療。
kila=cd=ab29sita=cd=ab29【女】【俗】[Pali, kilasu, <glasnu+ta];[漢譯]疲厭,懈倦,嬾惰 saddh-p.128, 129, 284。→a 〜。
kila=cd=ab29sin.【形】癩病の。
以上見てきた「癩」に関する法華経の経文は、すべて法華経受持者を誹謗する人たちが様々な皮膚病により悪臭を放つことになるであろうことを指摘するものである。それらはあくまで、身体が悪臭を放つことに対する恐怖心や嫌悪感に訴えるものであって、決して「癩病」の必然性を指摘したものではない。つまり、法華経受持者を誹謗すれば、皮膚病に冒されるかもしれないが、皮膚病に冒されたからといって、法華経の受持者を誹謗したからだとは言えないのである。もし、そうだと言ってしまったら、それはあまりにも単純な因果応報の理解となってしまう。
おわりに
羅什訳の『妙法蓮華経』には確かに白癩病を強調した表現はあるが、だからといって法華経の教理からは法華経受持者を誹謗する人たちの業病観や宿業観を見いだすことはできない。法華経作者の意図は、法華経受持者を誹謗してはならないということに主眼があるからである。
もし普賢菩薩観発品の「得白癩病」の経文に癩病の業病性を見てしまうとしたら、経文そのものより、それは歴史の中で作られてきた社会全体の癩病への嫌悪感や恐怖心、差別意識がその主たる原因・前提条件になっていると解釈すべきでないだろうか。
なお、「法華経と誹謗」についての論考は別稿に譲ることにする。
参考資料
第一章
〈1〉『南傳大蔵経』(以下南傳蔵経)大正新修大蔵経刊行会(一九七〇年再)律蔵三・大品一
〈2〉『國譯一切経』大東出版社(一九七四年改)律部六・十誦律巻二十一
〈3〉南傳蔵経・前出注(1)律蔵三・大品一
〈4〉『大正新修大蔵経』(以下大正蔵経)大蔵出版株式会社(一九九〇年)雑阿含経 巻四三
〈5〉大正蔵経・前出注(4)・巻五九 大智度論
〈6〉大正蔵経・前出注(4)・巻四六 摩訶止観 巻八上
〈7〉大正蔵経・前出注(4)・巻四六 摩訶止観 巻八上
〈8〉富士川游『日本医学史』(以下医学史) 形成社(一九七二年)
〈9〉医学史・前出注(8)
第二章
〈10〉『国史体系』「延喜式」巻八 吉川弘文館(一九七四年)
〈11〉『日本古典文学大系』「今昔物語集」4 岩波書店(一九七〇年)
〈12〉『国史体系』「令の義解」巻2 吉川弘文館(一九六九年)
〈13〉『国史体系』「令の集解」巻9 吉川弘文館(一九七二年)
〈14〉正宗敦夫『類聚名義抄』法下 日本古典全集刊行会(一九七八年)
第三章
〈15〉大正蔵経・前出注(4)九巻 妙法蓮華経
〈16〉岩本 裕他『法華経』(以下法華経) 岩波書店(一九七八年)
〈17〉荻原・土田『梵文法華経 』(以下梵文法華経) 山喜房佛書林(一九九四年第三版)
〈18〉荻原雲来『漢訳対照梵和大辞典』(以下梵和大辞典)講談社(一九九七年)
〈19〉南条・泉 共訳『梵漢対照新訳法華経』平楽寺書店
〈20〉H,KERN 『英訳法華経』
〈21〉大正蔵経・前出注(4) 九巻 正法華経
〈22〉大正蔵経・前出注(4) 九巻 妙法蓮華経
〈23〉梵文法華経・前出注(17)
〈24〉梵和大辞典・前出注(18)
〈25〉『Apte:Skt-Eng,Dic』
〈26〉大正蔵経・前出注(4) 九巻 妙法蓮華経
〈27〉法華経・前出注(16)
〈28〉梵文法華経・前出注(17)
〈29〉梵和大辞典・前出注(18)
〈30〉梵文法華経・前出注(17)
〈31〉梵和大辞典・前出注(18)
〈32〉梵文法華経・前出注(17)
〈33〉梵和大辞典・前出注(18)
〈34〉梵和大辞典・前出注(18)
※本稿は第五四回日蓮宗教学発表大会で発表した原稿に加筆したものである。