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現代宗教研究第36号 2002年03月 発行

巻頭言 二十一世紀の憂鬱と希望への道

 巻頭言
  二十一世紀の憂鬱と希望への道
石川浩徳 
(現代宗教研究所所長) 
   テロで始まった暗い幕開け
 二十一世紀は世界を震撼させる大事件での幕開けとなった。
 昨年(二〇〇一)九月十一日に起きたニューヨークとワシントンDCでの大惨事は、新世紀が相変わらず闘争から抜け切れないままの、暗い時代に突入したことを物語っている。アメリカだけがショックを受けたのではない。世界中が恐怖のどん底に突き落とされたと言ってよい。民間の旅客機をハイジャックしたテロリストたちが、ニューヨークの世界貿易センタービルとワシントンDCのペンタゴンを、旅客機とともに自爆というとてつもない手段で突っ込んで破壊し、六千人にも及ぶ人々の命を奪った。リアルタイムでテレビ画面に映し出される大惨事の様子に、単なるテロというより悪魔がその身に入って起こしたというほか表現のない、衝撃と恐怖に襲われた。命を奪われた人達に対して限りない同情と哀悼の念を禁じ得ない。
 アメリカのブッシュ大統領は事件直後、「これは単なるテロではない、アメリカに対する宣戦布告である」といい、敵はイスラム原理主義を信奉し、繰り返しテロ行為を起こして来たアルカイダの中心に君臨するオサマ・ビンラディンと、彼を匿っているアフガニスタンのタリバン政権であると特定した。そして「かならず報復攻撃を実行する」と、世界に向かって断言し、協力を呼びかけた。呼応するようにイギリスをはじめフランス、EU(ヨーロッパ共同体)、NATO(北大西洋条約機構)が積極的に賛成し、軍事行動を共に行ってきた。国連のアナン事務総長も報復攻撃に賛意を表明し、その他ロシア、中国、パキスタン等、アラブ諸国までが協力を約束した。そして日本もアメリカを全面的に支援することを決定し、憲法第九条を際限なく拡大解釈して、急遽「テロ対策特別措置法」をつくり自衛隊の派遣と艦艇と飛行機による武器弾薬・援助物資の搬送を実行し始めた。テロリストをしてかかる行動に仕向けた真犯人は絶対許せないが、これでは列強国が報復攻撃の名のもとに一般人を巻き込んだ公認の殺戮戦争となること必定であろう。
   終わり無き戦争へ突入
 世界はいま不況の風が渦を巻いている。その最中にこのテロが追い打ちをかけ、このままでは世界的経済恐慌が起こるとささやかれているのに、ブッシュ大統領は、タリバンを降伏させビンラディンを抹殺するだけではない、テロリズムを根絶するまで戦うといい、今までに例のない長期に亙る戦争となるとも言った。そうなったら相手がテロリストだけに地球的規模の戦争に発展する恐れもある。長い戦争の世紀をようやく抜けて、二十一世紀は希望の幕開けとしたいという願いとは、程遠い現状となってしまった。
 アメリカでは国会も国民も報復攻撃を支持し、マンハッタンにおける犠牲者の追悼式はそのまま報復攻撃の気勢をあげる日にかわった。民衆は手に手に星条旗を持ち大歓声をあげて応え、アメリカが一つになったという感じである。ブッシュ大統領は、威信にかけてもアメリカにたてつく者は許さないという。アメリカ至上主義があからさまに見える。
 アメリカは前代未聞のテロを受けた被害国として同情を買い、非道なテロリズムへの報復攻撃に世界の目を向けさせておいて、CO2削減に関わる京都議定書を無視して批准に加わらず、国連総会における核廃絶決議案にも反対し、力を誇示するための地下核実験を正当化しようとしている。
 攻撃は開始され、首都カブールを中心にアフガニスタンの八割を占めているタリバン政権を、ラマダン(聖日)も無視して攻撃を加えていった。当初は高所からの空爆で相手の戦闘能力を低下させ、地上戦をやりやすくするための作戦が展開されたが、誤爆も多く目標からずれて多数の民間人が巻き添えになって命を奪われた。その数三七〇〇人を越したといわれる。目には目をの報復攻撃で巻き添えになった一般民衆こそ哀れである。だがマンハッタンの犠牲者に対するような同情の声はない。同じ人間のいのちでもこうも差があるのか。
 容赦ない攻撃によりタリバンの壊滅は時間の問題であった。一方的なアメリカの空爆が始まって二カ月、たいした反抗も無いままあらかたの攻撃は終了し、年が改まってすぐ、タリバンに代わって早々と国連とアメリカの後見のもと、アフガン北部同盟軍による暫定政権が樹立され、日本が議長国となって復興のための国際会議がもたれた。復興もさることながら大事なことははじめから愚かな戦争を起こさない話し合いでもして、力のアメリカに忠告することだ。
 正義を謳いものすごいエネルギーを使った報復攻撃は一見成功したように見えるが、世界中の声なき本音は、アメリカの無差別攻撃と生命軽視を非難しはじめている。にもかかわらずタリバン攻撃を完了し更にテロ撲滅を口実にイラン、イラク、北朝鮮等に矛先は向けられつつある。これではアメリカへの憎しみが増し、またテロリストを生み、終わり無き戦争が続けられていくであろう。

   テロを生み出した要因は何か
 いかなる理由があっても卑怯なテロ行為は人道上絶対許されない。太平洋戦争以降、地域紛争が随所に起こってきたが、その大半はアメリカと旧ソ連という大国の覇権争いであった。当事国も民衆も大国の陣取り合戦の犠牲になってきたのだ。そこには今でも悲惨な戦争の傷痕が残っている。かつて、太平洋戦争で原爆という非人道的な武器を使用して日本を無条件降伏させたが、それ以外アメリカが勝利した戦争は無いのではないか。一国支配意識の強いアメリカは世界の警察を自認し、どこへも干渉して戦争を拡大し、結果として恨みを買うという図式である。
 冷戦が終わって東西の二大国の覇権争いは終了した。だがアメリカの覇権主義だけは相変わらずで、アフガンをはじめ中近東諸国においても、イスラエルとパレスチナ問題も、北アフリカ問題も、アメリカの介入がかえって解決を難しくしている。結局は民衆の感情を損ない、恨みがテロを誘因する。アメリカは言うことを聞かない国に対しては強引に介入し、アメリカに都合のいい方向へもっていこうとする。そこに無理が生ずる。アラブ諸国の紛争もイスラム圏の内部的紛争も、拡大してきたのはアメリカであると指摘する識者は多い。テロリストを暗躍させているのはアメリカ自身だとも言われる所以である。
   星条旗とアメリカ主義
 星条旗がアメリカ社会と人々の心の結束を強固なものにしている。星条旗を振ってアメリカ万歳を連呼する中に、アメリカが世界の頂点に君臨していなければ気にくわないエゴイストを作ることになってはいないか。彼らはアメリカだけのため他国へ介入する。アメリカの威信のために戦い、命をかけることを惜しまないという。常にアメリカだ。
 建物全体に星条旗模様を描く、星条旗をデザインした服を着る、星条旗を縫い付けた帽子をかぶりネッカチーフを首に巻く。かつて日本もそんな時代があった。日の丸のために命を捨てた事実を否定しないが、日本とは比較にならないほどアメリカ人の星条旗に対する意識は強く奇異にさえ感じる。
 国家というものがある間は紛争はなくならないだろうと断言する者もいる。国家という存在がかならず頂点にたつ権力者を生みだし、国を守るという口実で愛国精神なるものを国民に植え付け、時には極端なナショナリストを作り、国家間の争いが起これば武器をもって命を奪い合う。
 では、今まで国家を守るためと称する戦争で何を守って来たか。国家とは、そこに生活し生き生きとして住む人間の集合体だとするならば、多くの人命を奪い建物や自然を破壊して何が守れたというのか。ブッシュ大統領は報復攻撃をアメリカ国家を守るため、と言った。世界の平和よりアメリカ国家が優先されるのが今回の報復攻撃である。アメリカ国内では、イスラム教徒というだけで周囲の嫌がらせを受け、中には怪我を負い命の危険にさらされる、これ以上人の命を奪わないでほしいと校内で反戦を訴えたアメリカ人女子高生が、停学処分になってしまう、又、純粋な男子高校生がビンラディンの考えに同調し、小型機でビルにつっこむという事件もアメリカ国家のゆがみを象徴していよう。しかるにブッシュ大統領は軍備費を大幅に増やし、確実に軍拡路線を踏みつつある。
 いまや世界の戦争と平和のカギを握っているのはアメリカだという。ならば、人にも地球にも優しい星条旗に生まれ変わらないかぎり、この地球上から争いをなくすことはむずかしかろう。
   仏教的理想の世界観
 国家というものが、国威発揚とか他国との権力争いや領土を奪い合う単位として存在している限り、平和は訪れまい。国家は人類が平和に暮らしていくための秩序を保つ単位としてあるべきである。狭い地球に発生したお互い同士、場所によっては自然環境の善し悪しもあり資源の富む国もあれば乏しい国もある。そんなとき持てる国が持たない国を援助し、協力する互助関係にあり、共存共栄こそ大切である。共生が理想の世界である。
 法華経の世界観には国家の垣根など無い。「今この三界は皆これ我が有なり、その中の衆生は悉くこれ吾子なり」(法華経)という釈尊の教えは、地球全体を一つの家と考え、ちっぽけな国家意識から脱却し、平和をもたらす唯一の道であることを示している。
 この地球上で人間ほど始末に負えない生き物は他にはいないともいえる。あたらこざかしい知恵を持ち、破壊を目的とする道具を作り、自己中心的な行動をしがちな人間という生き物を発生させてしまったことは地球の不幸というべきか。そうあってはならない。
 地球上にはもともと領土を分ける線引きは無かった。作ったのは人間である。人間の闘争本能と独占欲と権力欲が国家を形成していったのである。戦争の原因もそこから発生してきたことは歴史の教えるところである。それにしても新しい世紀を迎えて、その洗礼がテロとそれに対する報復攻撃で始まったのではあまりにも哀しい。今まで人間は、かけがえのない地球とか地球より重い人の命とか言いながら、有史以来、地球を破壊し人の命を軽視して来た。二十一世紀も何ら進歩のないまま歩みだしてしまったようだ。
 どうすればいいのか。再び釈尊の言葉に耳を傾けたい。
 「悪魔の領土は欲であり、闇であり、争いであり、剣であり、血であり、戦いである。いまこそ、知恵が輝き、慈悲が潤い、信仰の根が張り、歓喜の花が開き、仏の国となる」
(仏教聖典より抜粋)
 悪魔の心を取り去るためには、まず武器を放棄すること、憎しみ争うことを止めることである。国境を越えて敬愛の心をもち、施し合い、助け合う。単純な言い方かも知れないが、この地球はだれの物でも無い、みんなの物であるということをあらためて認識しなおすことだ。世界中の人が優しさと思いやりの心を持ち富を平等に分け合うことだ。理想の世界はそこにこそ生まれる。希望の道はそれ以外にない。
   お題目総弘通運動の目的
 本宗では昭和六十年以来十八年計画でお題目総弘通運動を推進展開してきた。その目的とするところは、お題目によって世界を平和にしたい、穏やかな人間の住む世の中にしたい、というところにある。そのためにお題目をみんなで広めようと運動を起こした。計画した運動期間の最終年である平成十四年が到来した。
 お題目総弘通運動は一宗一派のための信仰運動ではない。世界全体の平和を希求する祈りを行動で表わそうとしたものである。宗教というものが、生きとし生けるものの愛と平和、慈悲と平等を説いているならば、イスラム教圏もキリスト教圏も仏教圏もそこに生きる者たちが別け隔てなく対話をし理解を深め合わねばならぬ。いかにしたら地球が平和な星としてこれからも存続できるか、知恵をしぼり合い、全人類が平和的に共存できる世の中作りのために努力し提案をしていくべきであろう。
 日蓮聖人の立教開宗のご真意は、法華経による平和な世の中造りにほかならない。本宗の戦後の信仰運動は立正平和運動から始まった。これは日蓮聖人の「立正安国論」に示された仏国土顕現の理想に向かって、宗門が一丸となり推進して来たことである。お題目総弘通運動は信仰運動であると同時に平和運動であることを明記すべきである。本年は立教開宗七百五十年のご正当であり新たな出発のときである。
 中東世界での戦争の悲劇は、直接的にはアメリカの一国支配の強権とそれに対する悪魔のテロリズムとのぶつかり合いで、どちらも恨みと憎しみの報復によるものであるが、地球全体の痛みでもある。われわれがその間違いを正し愚かしさを指摘して、一日も早く終焉を迎えるように働きかけることが必要である。本宗ではテロ事件の直後、宗務総長の名において、ブッシュ大統領に書簡を送り、報復攻撃はすべきではないことを強く要望し、戦争回避を訴えた。
 これからもお題目総弘通運動の究極の目的を見定め法華経の世界観にもとづく行動を起しつづけねばならぬ。これが「日蓮聖人の誓願」に生きる道でもあろう。

 

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