現代宗教研究第37号 2003年03月 発行
法華経と宮沢賢治の童話集『注文の多い料理店』―「みんなの夢」の世界―
法華経と宮沢賢治の童話集『注文の多い料理店』
=cd=ba52「みんな夢」の世界=cd=ba52
(日蓮宗現代宗教研究所嘱託)三 原 正 資
はじめに
宮沢賢治生誕百年を前に武田鉄矢が書いた『小説 賢治売り』(一九九五年学習研究社)を読んだときの印象が忘れられない。その本の中で、武田は学生時代に『よだかの星』を読んだとき感じた印象を次のように述べている。
私には、心が芯から寒くなる物語でした。そして、その青春の頃、心に風邪を引きやすい私を圧倒した冷え冷えとした物語でした。これは、童話ではありませんでした。私のための物語でした。(『小説 賢治売り』二七七頁)
そして、その思いは現在に至るまでも変わらない、と彼は言う。
(これは子供にこそ聞かせてはならない物語) 人がなぜ、これらの物語を童話と呼んで安心しているのか、私にはますます判らなくなりました。そんな、無垢な物語など一つもないような気がします。賢治は夢の国、イ=cd=ba52ハトブという理想郷に繰り広げられる物語へと誘います。しかし、このイ=cd=ba52ハトブの国に、ドリ=cd=ba52ムランドと呼べるような楽しさや安らぎがあるでしょうか。私には疑わしくてなりません。子供のときと同じやり方で、イ=cd=ba52ハトブ童話集を、判りやすく、ばらばらにしてみましょう。
『注文の多い料理店』=cd=ba52詐欺による殺人未遂
『銀河鉄道の夜』=cd=ba52少年の臨死体験
『グスコ=cd=ba52ブドリの伝記』=cd=ba52職務完遂のための殉死
『なめとこ山の熊』=cd=ba52熊に襲われ、死亡した猟師
『風の又三郎』=cd=ba52見慣れぬ転校生に妖怪のあだ名を付け、いじめる在校生
『ひかりの素足』=cd=ba52幼い兄弟の雪道での凍死事故
そして『よだかの星』は醜さを苦にした鳥の自殺。
ドリ=cd=ba52ムランドでの出来事とは思えません。これでは今日この頃の新聞の三面記事の見出しの写しになります。(同 二七八頁)
武田は『注文の多い料理店』に収められている「どんぐりと山猫」については、次のように言う。
これだけだ、この物語。何もない。ガランドウだ。童話らしく何かを教えるという話でもなければ、夢の広がる筋でもない。「一郎はその後、幸福に暮らしたとさ」とか「一郎は立派な人になりました」とか、童話らしさがみじんもない。(同 三一頁)
第一印象は私も同じだ。賢治童話のわかりにくさには困惑する。
さて宮沢賢治は、生前唯一刊行した『イ=cd=ba52ハトブ童話 注文の多い料理店』の「序」を次のように書いている。
わたしたちは、氷砂糖をほしいくらゐもたないでも、きれいにすきとほつた風をたべ、 桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。(ちくま文庫宮沢賢治全集 以下 文と表記 文8 一五頁)
じつに美しいことばで書き始められているこの「序」を目にする読者は、美しい童話を期待するに違いない。実際、「林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらつてきた」「どうしてもこんなことがあるやうでしかたないということを、わたくしはそのとほり書いた」童話は美しい。しかし、その美しさの底にはなにやら潜んでいそうである。賢治は「序」を、次のように記して終える。
ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでせうし、ただそれつきりのところもあるでせうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでせうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。けれども、わたくしは、これらのちひさなものがたりの幾きれかが、おしまひ、あなたのすきとほつたほんたうのたべものになることを、どんなにねがふかわかりません。(文8 一六頁)
賢治自身にも「わけがわからない」し、当然、読者もそうだろうと記している。なぜ「わけがわからない」のか。また「ほんたうのたべもの」の「ほんたう」とは、いったい何か。
賢治研究家である詩人・天沢退二郎は意味深長に次のように論じる。
この「ほんとうの」という語も、見かけ以上に賢治にとって(また賢治を考える上で)重要なことばである。(たとえば、この童話集のどの作品にも、あからさまな仏教思想や、教化文学臭のある表現はみられないが、この「ほんとうの」の一語のうしろに、賢治の深くかつ熱烈な法華信仰のすべてがこもっていると考えられ、しかもそれはこの「ほんとうの」の含意のすべてではないのである)(『注文の多い料理店』平成二年 新潮文庫 解説三三八頁)
賢治は「雨ニモマケズ手帳」に「高知尾師ノ奨メニヨリ/法華文学ノ創作」(文1〇 七三頁)と記した。童話は彼が信奉した法華経を表現したことは明らかである。しかし、その表現の道筋は、天沢が言うように、単純ではなさそうだ。本稿では、童話集『注文の多い料理店』と法華経との関わりを考察する。
一、賢治童話の法華経表現
童話集『注文の多い料理店』を一読したとしても、そこに仏教や賢治の法華信仰の影響を見ることはむずかしい。原子朗は次のように述べている。
賢治における「妙法蓮華経」の影響は多く論ぜられているとおりだが(略)法華経が直接作品に引用されたりすることはそれほどなく(略)むしろその精神は蔭の力となって全作品に遍満していると言える。(『新宮澤賢治語彙辞典』平成十一年東京書籍 六九二頁)
しかし、なかには、「ひかりの素足」のように法華経の影響が色濃くうかがえ、「教化文学臭のある表現」(前掲『注文の多い料理店』天沢退二郎解説)の見られる作品も存在する。ここで三つの作品をとりあげて、法華経との関わり方を明らかにしておきたい。
1 「ひかりの素足」の場合
「ひかりの素足」は「幼い兄弟の雪道の凍死事故」を題材にしている。一郎と楢夫の幼い兄弟は父親と別れたあと、一足早く家へ戻るために炭俵を運ぶ男と山道を帰る。家路を急ぐ二人はその男とも別れて峠に向かう。峠を一つ越えればすぐ家だから大丈夫だと思ったのである。ところが峠の手前で雪がひどくなり、二人は雪の中で動けなくなった。そのうちに二人は「うすあかりの国」にいることに気付く。そこは死者の国だった。
そこは決していゝ処ではありませんでした。(略)何ともいへずいたましいなりをした子供らがぞろぞろ追はれて行くのでした。(略)そして本たうに恐ろしいことはその子供らの間を顔のまっ赤な大きな人のかたちのものが灰いろの棘のぎざぎざ生えた鎧を着て、髪などはまるで火が燃えてゐるやう、たゞれたやうな赤い眼をして太い鞭を振りながら歩いて行くのでした。(文5 二五八頁)
鬼が現れ、二人の兄弟は追われる。ぎざぎざの地面で死者の足は傷つき、鬼の怒声がひびく、死後の世界である。そして、その場景のあと、法華経による救済の場面となる。
楢夫がまだすがりついてゐたので鬼が又鞭をあげました。「楢夫は許して下さい、楢夫は許して下さい。」一郎は泣いて叫びました。「歩け。」鞭が又鳴りましたので一郎は両腕であらん限り楢夫をかばひました。かばひながら一郎はどこからか「にょらいじゅりょうぼん第十六。」といふやうな語がかすかな風のやうに又匂のやうに一郎に感じました。(略)どう云ふわけか鞭の音も叫び声もやみました。しいんとなってしまったのです。気がついて見るとそのうすくらい赤い瑪瑙の野原のはづれがぼうっと黄金いろになってその中を立派な大きな人がまっすぐにこっちへ歩いて来るのでした。
その「大きな人」、仏は一郎や楢夫たちに話しかける。ここには、法華経の浄土観がにじみでている。
「みんなひどく傷を受けている。それはおまへたちが自分で自分を傷つけたのだぞ。けれどもそれも何でもない。」その人は大きなまっ白な手で楢夫の頭をなでました。(同 二六四頁)
「こゝは地面が剣でできてゐる。お前たちはそれで足やからだをやぶる。さうお前たちは思ってゐる、けれどもこの地面はまるっきり平らなのだ。さあご覧。」(同 二六 四頁)
そして、仏は楢夫にはこの浄土に止まるように命じ、一郎には次のように言う。
「お前はも一度あのもとの世界に帰るのだ。お前はすなほないゝ子供だ。(略)今の心持を決して離れるな。お前の国にはこゝから沢山の人たちが行ってゐる。よく探してほんたうの道を習へ。」
その後、一郎は雪の峠で助けられ、楢夫は死んでいたのであった。
この作品について天沢は次のように語っている。
極楽風景は『妙法蓮華経』の中でも賢治が特に感動した「如来寿量品第十六」の叙景を原型としている。愛する者をそこに置いてひとり主人公が現世へ戻ってくる設定が「銀河鉄道の夜」を予告していることはいうまでもない。(「ひかりの素足」解説 文 5 五一六頁)
私たちはきわめてはっきりと、この作品に「法華文学ノ創作」(前掲「雨ニモマケズ手帳」)を見ることができる。そのために、この感動的な童話の「教化文学臭」が気になる人もいると思われる。
2 「銀河鉄道の夜」の場合
では、「銀河鉄道の夜」はどうか。読者はこの作品を「法華文学」と見ることができるだろうか。このことについて、私は拙稿「法華経と銀河鉄道の夜」(『現代宗教研究三十一号』所収 平成九年 日蓮宗現代宗教研究所)に、次のように述べた。
「銀河鉄道の夜」の主題については正反対の主張がある。たとえばこの作品の主題は宇宙意志を表すことであるという斉藤文一の説(新潮文庫『新編銀河鉄道の夜』所収斉藤文一「宮沢賢治の宇宙像」)。これにたいして畑山博は、法華経を棄てた賢治が自分の心の中で描き出した安らぐべき死後の世界が、この作品の主題であるという(『銀河 鉄道の旅』PHP)。
このように意見が別れる理由を、私は作者が物語の中に法華経という主題を巧妙に隠したためだと考えて、どのように隠されているかを解き明かしてみたのである。
この物語はジョバンニとカンパネルラという二人の男の子が夜の銀河を鉄道で旅し、様々な出来事に出会う物語だが、ここで作者が銀河すなわち「天の川」によって象徴しているものを、私は彼が信奉した法華経の大曼荼羅、久遠実成仏であると考えた。なぜならば、星座図の銀河が「そのまん中には上から下へかけて銀河がぼうとけむったような帯になってその下の方ではかすかに爆発して湯気でもあげてゐるようにみえるのでした。」(文7 二四四頁)という描写は日蓮聖人の顕した大曼荼羅の七字の題目と日蓮の署名そして花押とよく似ているからである。そこでもし、「天の川」を久遠実成仏の象徴と仮定した上で、この物語を読むと、作者はその冒頭に大きな仕掛けをしていることに気付く。この物語は次の一節で始まる。
「ではみなさんは、さういふふうに川だと云はれたり、乳の流れたあとだと云はれたりしてゐたこのぼんやりと白いものがほんたうは何かご承知ですか。」先生は黒板に吊した大きな黒い星座の図の、上から下へ白くけぶった銀河帯のやうなところを指しながら、みんなに問をかけました。(文7 二三四頁)
大胆にも、作者は「天の川とは、本当は何か」と問いかけている。そして「私どもも天の川の水の中に棲んでゐるわけです。」と答えている。ここで作者は、彼の信仰=cd=ba52すべての生き物は大いなる仏によって生かされている=cd=ba52を語っているのだ。しかし、このことは作者の仕掛けに気付かない限りわからない。ミステリ=cd=ba52作品のようなこの物語の謎解きをしながら、私は作者のユ=cd=ba52モア感覚に満ちた哄笑を聞く思いがしたものである。この作品から「教化文学臭」が払拭された結果、いろいろな解釈が許されることにもなり、多くの読者を獲得することとなったのである。
3 「よだかの星」の場合
「よだかの星」の場合はどうか。「よだかの星」と法華経との関係については、すでに論じた(『正法』第六十八号 一九九六年 日蓮宗新聞社)ように、私はこの物語は法華経提婆達多品の竜女成仏と密接な関係があると思う。
この童話は「よだかは、実にみにくい鳥です。」(文5 八三頁)という一行で始まる。よだかは姿形がみにくいために他の鳥からは馬鹿にされ、その上、鷹は「よだか」という名前を変えるようにと脅すのであった。他の鳥からのいじめと自身も虫を食べて生きている事実から生まれた罪悪感によって、よだかは遠い空のかなたに行こうと決意する。よだかは太陽、西のオリオン、南の大犬、北の大熊、東の鷲の星に向かって次々と飛んで行くが、星からも相手にしてもらえない。力つきて地面に落ちる寸前、よだかは舞い上がってどこまでも昇っていき、カシオペア座の近くで青く美しく光る星になったのである。
「よだかの星」と「竜女成仏」を比較してみよう。
法華経提婆達多品の後半は、智積菩薩が文殊菩薩に向かって法華経を修行して速やかに成仏した例を尋ねる場景から始まる。「よだかの星」では言うまでもなく、みにくいよだかが美しく青く燃える星になることが成仏の象徴である。
それに対して文殊菩薩は「海中の竜の棲む世界を教化したとき、教化を受けたわずか八歳の竜王の娘が成仏した事実がある」と答えるのであった。しかし智積菩薩や舎利弗は竜女の成仏を信じることができない。「釈迦如来でさえも長い修行の結果成仏できたのだから、わずかのあいだに竜女が成仏することはありえない」と反論するのであった。よだかが「一たい僕は、なぜかうみんなにいやがられるのだろう」(同 八五頁)と思うことと、当時女性が「五障」があり絶対成仏できないとされていたこととが符合する。そして大犬星の「馬鹿を云ふな。おまへなんか一体どんなものだい。たかが鳥ぢやないか。おまえのはねでこゝまで来るには、億年兆年億兆年だ」(同 八九頁)という非難と、智積菩薩と舎利弗の疑問は同じである。
さて、竜女の成仏を信じることができない舎利弗等の前に海中から竜女が現れ、釈迦如来に高価な宝石を捧げた瞬間、竜女は南方無垢世界で仏となり法華経を説いている姿を現すのであった。この出来事は、自己の死と引き替えに星となり「それからしばらくたってよだかははっきりまなこをひらきました。そして自分のからだがいま燐の火のやうな美しい光になって、しづかに燃えてゐるのを見ました」(同 九一頁)という叙景とは相通じるものがある。
この「よだかの星」に「教化文学臭」を感じることはない。この作品と「提婆達多品」を比べて、竜女成仏の翻案であると見たとしても、「教化文学臭」を感じないのは、この童話の完成度の高さを示しているのではなかろうか。「竜女成仏」は「よだかの星」になることによってその主張の普遍性を獲得し、より一層人々の共感を得ることができる。私は「よだかの星」にもっとも優れた「法華文学ノ創作」の例を見出す。
二、『童話集 注文の多い料理店』について
では、童話集『注文の多い料理店』の場合はどうか。「この童話集のどの作品にも、あからさまな仏教思想や、教化文学臭のある表現はみられない」と言われている。だが、はたしてそうなのか。この童話集では法華経はいかに表現されているのだろう。
まず、童話集刊行の時期の前後を明らかにするために、その頃の賢治の動きを童話集の制作を中心に年譜風に記すと次のようになる。(参考は角川文庫クラッシクス 栗谷川虹『宮沢賢治 異界を見た人』 平成九年)
大正九年(一九二〇) 二四歳
五月、盛岡高等農林学校研究生を終了。
七月、このころ『摂折御文僧俗御判』を編んだと推定される。
十一月、日蓮宗の信仰団体、国柱会に入会。
十二月、町内を寒修行し、法華経の輪読会を続ける。
大正十年(一九二一) 二五歳
一月、突然上京。国柱会高知尾智耀から童話創作を勧められる。
八月、妹トシ病気の知らせを受け、帰郷。童話「かしはばやしの夜」を書く。
九月、童話「月夜のでんしんばしら」「鹿踊りのはじまり」「どんぐりと山猫」を書く。
十一月、「注文の多い料理店」「狼森と笊森、盗森」を書く。
十二月、「烏の北斗七星」を書く。稗貫農学校教諭となる。
大正十一年(一九二二) 二六歳
一月、『春と修羅』を書き始める。
十一月、トシ死去。詩「永訣の朝」等を書く。
七月、樺太へ旅行。
十二月、イ=cd=ba52ハトブ童話集の「序」を書く。
大正十三年(一九二三) 二七歳
一月、『春と修羅』の「序」を書く。
四月、『春と修羅』刊行。
十二月、童話集『注文の多い料理店』を刊行。
年譜で明らかなように、この童話集は、賢治の法華信仰がもっとも高揚した時期に、しかも彼にとってきわめて重要な意味をもつ心象スケッチ『春と修羅』と相前後して創作され、刊行されている。このことから、彼の童話は心象スケッチ『春と修羅』と同じ問題意識のもとに創作されていると思われる。
私は『春と修羅』という作品の意義について、次のように指摘した。
賢治にとって法華経を信じるとは十界の実在を信じること、賢治の言葉によると、「宇宙意志」とか「異空間」の実在を信じることと切り離せないものであり、法華文学の創作は十界という「異空間」の実在を描くことそのものであったと言ってよかろう。『銀河鉄道の夜』も異空間を舞台とした物語であった。そして、『春と修羅』とは、十界という異空間が「わたくしといふ現象」(心象)の中に確かに実在することの証明を目的として、その論料(デ=cd=ba52タ)を集めるためにスケッチした、到底詩とは言えない、「びくびくもの」の「詩集」(書簡2〇〇)であったのである。(『現代宗教研究』三十四号所収拙稿「法華経と宮沢賢治の『春と修羅』」平成十二年日蓮宗現代宗教研究所)
すなわち、賢治は自分の心の中に実在する世界(異空間)を『春と修羅』に描いたのである。
また、彼はイ=cd=ba52ハトブ童話集の「広告文」に次のように記している。
イ=cd=ba52ハトブは一つの地名である。(略)実にこれは著者の心象中に、この様な状景をもつて実在したドリ=cd=ba52ムランドとしての日本岩手県である。(略)この童話集の一列は実に作者の心象スケッチの一部である。(略)たしかにこの通りその時心象の中に現はれたものである。故にそれは、どんなに馬鹿げてゐても、難解でも必ず心の深部に於て万人の共通である。卑怯な成人たちに畢竟不可解な丈である。(「広告文」 文8 六〇二頁)
ここには『春と修羅』と同様に、この童話集も作者の心象スケッチであることがはっきり述べられている。賢治は、法華経、そして天台教学や日蓮教学で説く「一念三千」の教えを彼自身の中に確認し、彼の「心象」に実在する地獄界から仏界に至る「異空間」を「少年少女期の終り頃から、アドレツセンス中葉に対する一つの文学としての形式をとつて」(前掲「広告文」 三三六頁)童話として書いたのである。そこで、たとえ、「教化文学臭」が見られず、法華経の影響が定かでなくても、この童話集は彼の「法華文学ノ創作」であると言える。
三、『童話集 注文の多い料理店』を読む
1 全体の構成について
天沢退二郎はこの童話集の構成の意味について次のように述べる。
一冊の童話集は、たんに数編の童話作品を寄せ集めて本にしたというだけのものではなく、否応なしに(著者の意識のありようによって差こそあれ)それ自体一箇の作品である。(略)やはり作者がこの一冊の書物を相当に意識的に構成したことがうかがわれる。(文8 解説六五〇頁)
「赤い鳥」広告では「山男の四月」が冒頭に「狼森と笊森、盗森」が最後におかれ、振替用紙裏広告では書名も「山男の四月」であった。そのとき、作者は「山男の四月」をこの童話集を読み解く上で重要な作品であるとみなしていたと思われる。ところが、最終的に書名は「注文の多い料理店」に変わり、収録作品九篇は変わらないが、順序は変わっていたのである。
A 九篇という作品数について
この「九」という数で思い出すのは名作「銀河鉄道の夜」の九章という構成である。このことについて私は、
九章という数は、人間の意識の深層を示す九識説に則ったとも見られる。(二〇〇一 日蓮宗現代宗教研究所編『教化学 論集1』六四頁)
と指摘したことがある。賢治は保阪嘉内宛書簡で「今日私ハ改メテコノ願ヲ九識心王大菩薩即チ世界唯一ノ大導師日蓮大上人ノ御前ニ捧ゲ」(文九 二三四頁)とも記している。この九という数はこの童話集に何らかの意味を与えていると思われる。この童話集の中から、試みに九という数字の入ったことばを抜き出してみよう。
「どんぐりと山猫」…九月十九日(手紙の日付)(文8 十七頁)
「狼森と笊森、盗森」…子供が九人(同 三一頁) 狼が九疋(同 三三頁) 農具が九つ(同 三五頁)
「水仙月の四日」…九疋の雪狼(同 六六頁)
「かしはばやしの夜」…一等賞から九等賞(同 八八頁) 九本(同 八九頁)
「月夜のでんしんばしら」…九日の月(同 一〇一頁)
賢治は九という数字によって、人間界以外の異界、あるいはその聖性のようなものを象徴させているのではなかろうか。
B 「をかしなはがき」と「手拭」の意味
この童話集におさめられた九篇の話は人間界と異界との交流が基調となっているが、その意味をもっとも劇的に象徴しているのが、童話集のはじめにおさめられた「どんぐりと山猫」に出る「をかしなはがき」と最後におさめられた「鹿踊りのはじまり」の中の重要な役割をもった「手拭」である。
「をかしなはがき」は山猫から一郎へと贈られた異界への招待状であり、「手拭」は人間から鹿へと贈られた招待状のようなものである。物語の中で、招待状を受け取った一郎は、いちおう異界へと入って行くが、最後には拒絶されてしまう。しかし、「手拭」を鹿たちに贈った嘉十は鹿と踊りながら一体感を得る。もっとも、驚いた鹿は逃げ出すのだが。この二篇の物語を最初と終わりに置くことによって、賢治はこの童話集が人間と異界、聖なる世界との交流の物語であり、しかもそのむずかしさを象徴的に明示したと思われる。
2 物語を読む=cd=ba52主題を探る=cd=ba52
A 「どんぐりと山猫」
「をかしなはがきが、ある土曜日の夕がた、一郎のうちにきました。」という一行で始まるこの物語は、作者自身、広告文に「山猫拝と書いたおかしな葉書が来たので、こどもが山の風の中へ出かけて行くはなし。必ず比較をされなければならないいまの学童たちの内奥からの反響です。」(文8 六〇四頁)と記しているように、最も優れたどんぐりを決める裁判に出席してもらいたいという山猫の裁判長の招待状をもらった一郎が山奥へと入って行き、裁判に立ち会って、再び帰ってくるという物語である。
この物語の主題について、天沢退二郎は「解説」(文8 六五二頁)で、「デクノボウ的人間の価値観を提示」(恩田逸夫)したもの、あるいは「法華経教義の眼目である『菩薩』を知らせたもの」(佐藤勝治)という説を紹介しながら、その妥当性を認めたうえで、
「デクノボウがいちばんえらい」のでもなくて、誰が誰よりえらいとか何がいちばんえらいとかいうこと自体が破砕されている(文8 六五二頁)
ことが重要だと述べている。
この辺りの主題についての議論を追っていると、法華経方便品以下に提示される三乗・一乗の教説をめぐって展開される、二乗にたいして菩薩乗を説いたとか、あるいは三乗を包括するものとしての一乗を説いたといった教学史上の三車家・四車家の論争と重なる点が面白い。天沢は「この童話集のどの作品にも、あからさまな仏教思想や、教化文学臭のある表現はみられない」と述べているが、まさに「あからさまに」わからないように、賢治は法華思想の展開をたどっている。
では、この物語のどこに法華経は影響を与えているのであろうか。
裁判への招待状を受け取った一郎は「ひとり谷川に沿つたこみちを、かみの方へのぼつて行」くが、一郎はそこで山猫の行方を「栗の木」「滝」「白いきのこ」「栗鼠」にそれぞれ尋ねる。(このあたりの定型化した叙述は仏典に見られる手法である。)そしてなおも進む一郎の前方に展開する叙景の美しさ。
榧の枝はまつくろに重なりあつて、青空は一きれも見えず、みちは大へん急な坂になりました。一郎が顔をまつかにして、汗をぽとぽとおとしながら、その坂をのぼりますと、にはかにぱつと明るくなつて、眼がちくつとしました。そこはうつくしい黄金いろの草地で、草は風にざわざわ鳴り、まはりは立派なオリ=cd=ba52ブいろのかやの木の森でかこまれてありました。(文8 二〇頁)
この「うつくしい黄金いろの草地」の描写からは法華経譬喩品の「火宅の譬え」に説かれる三車を求めて争って火宅を出た子供たちが座った安全な「露地」「空地」「林野」が思い起こされる。法華経ではこの露地の中で、羊車・鹿車・牛車のそれぞれ異なった車を求めた子供たちは父なる長者から等しくすばらしい大白牛車を与えられるのだが、物語では、この草地のうえで山猫の裁判長による一番のどんぐりを決める裁判が開かれる。
草のなかに、あつちにもこつちにも、黄金いろの円いものが、ぴかぴかひかつてゐるのでした。よくみると、みんなそれは赤いずぼんをはいたどんぐりで、もうその数ときたら、三百でも利かないやうでした。わあわあわあわあ、みんななにか云つてゐるのです。(文8 二三頁)
「三百」という数字は三乗だろうか。三乗は声聞・縁覚・菩薩乗である。譬喩品では三車に譬えられている。いろいろな人がいろいろな宗教を求めることを、人はいろいろな車を望むことに譬えている。そのことをこの物語は、多くのどんぐりが頭が「とがつてる」のがえらい、いや「まるいの」が「大きなの」が「せのたかいの」が「押しつこの」強いのがえらいのだと、争っていることで表しているのである。
山猫裁判長から意見を求められた一郎は、争っているどんぐりに聞こえるように次のように発言する。
「そんなら、かう言ひわたしたらいゝでせう。このなかでいちばんばかで、めちやくちやで、まるでなつてゐないやうなのが、いちばんえらいとね。ぼくお説教できいたんです。」(文8 二六頁)
一郎のこの発言は、法華経譬喩品の子供たちに等しく、三種類の車をはるかに超えたすばらしい大白牛車を与えたことに通じる。このことから、このどんぐりの裁判の物語の主題は、法華経方便品以下に説かれる一乗の教説であると言える。古来、一乗・三乗の解釈が多岐に渡るように、一郎の発言の意味をめぐって、研究者がいろいろな解釈を試みるのも無理がないと言うべきか。
さて、この物語にはもう一つの主題があると思われる。それは、天沢退二郎も紹介しているように(前掲 文8 六五三頁)、一郎に「慢」を見る(土屋七蔵)解釈に通じるものである。
「をかしなはがき」すなわち裁判への招待状を受け取った一郎はうれしくてたまらなかった。作者はその様子を次のように描写している。
はがきをそつと学校のかばんにしまつて、うちぢゆうとんだりはねたりしました。ね床にもぐつてからも、山猫のにやあとした顔や、そのめんだうだといふ裁判のけしきなどを考へて、おそくまでねむりませんでした。(文8 十七頁)
ところが、「黄金いろの草地」で待っていた「片眼で」「せいの低いをかしな形の男」すなわち馬車別当に出会って、彼を「きのどくに」思うようになるころから、一郎は次第に尊大になっていく。そして山猫の裁判長から助言を求められた一郎は「わらってこたえ」るのである。そのあと山猫と一郎との会話が続く。
「それから、はがきの文句ですが、これからは、用事これありに付き、明日出頭すべしと書いてどうでせう。」
一郎はわらつて言ひました。
「さあ、なんだか変ですね。そいつだけはやめた方がいゝでせう。」(文8 二七頁)
招待状を受け取って、うれしくてたまらなかった一郎はすでにここにはいない。「お説教」を引用して、あれほどすばらしい助言をした一郎だが、この一郎の態度はそのお説教に似ない尊大さを見せている。そして帰途につく場景が次のように描写されて、この物語は終わる。
馬車は草地をはなれました。木や藪がけむりのやうにぐらぐらゆれました。一郎は黄金のどんぐりを見、やまねこはとぼけたかほつきで、遠くをみてゐました。馬車が進むにしたがつて、どんぐりはだんだん光がうすくなつて、まもなく馬車がとまつたときは、あたりまへの茶いろのどんぐりに変つてゐました。そして、山ねこの黄いろな陣羽織も、別当も、きのこの馬車も、一度に見えなくなって、一郎はじぶんのうちの前に、どんぐりを入れたますを持つて立つてゐました。それからあと、山ねこ拝といふはがきは、もうきませんでした。やつぱり、出頭すべしと書いてもいゝと言へばよかつたと、一郎はときどき思ふのです。(文8 二八頁)
丁寧に応対した別当や山猫に向かって、ついに尊大に振る舞った一郎、「卑怯な成人」(「広告文」 文8 六〇四頁)の心になった一郎の眼には、どんぐりは黄金色に輝かず、「ドリ=cd=ba52ムランド」(「広告文」六〇三頁)は一瞬の間に消え去ったのである。つまり、この「どんぐりと山猫」という物語は、一郎という「純真な心意の所有者」(「広告文」 文8 六〇二頁)が、「純真な心意」を失っていく物語でもある。武田鉄矢が「夢の広がる筋でもない。」(前掲『小説 賢治売り』)とか「童話らしさがみじんもない。」と困惑したのも当然である。
ところで、この物語で賢治が「純真な心意」を持つことの大切さを取りあげたことは、実は法華経方便品に根拠がある。
一乗の教説を説こうとする釈尊は聴衆の「信」を要求する。いわゆる舎利弗と交わす「三止三請」である。ところがこのとき「五千起去」というハプニングが発生して、五千人の増上慢の弟子信者が立ち去るのである。そして釈尊は、これら増上慢の者が居なくなってから、一乗の教えを説き始めるのである。「純真な心意」は「信」に通じる心であろう。作者はこの法華経方便品のエピソ=cd=ba52ドを念頭において、この童話集のはじめに「純真な心意」の大切さを主題とする物語としての「どんぐりと山猫」を用意したと想像することができる。
B 「注文の多い料理店」
童話集のタイトルとなった作品。賢治自身は「広告文」に作品の内容を次のように要約している。
二人の青年紳士が猟に出て路を迷ひ「注文の多い料理店」に入りその途方もない経営者から却つて注文されてゐたはなし。(文8 六〇五頁)
タイトルについて、天沢は「タイトルの《注文の多い》という形容語のもつ二義性、その両義のあいだのいわば゛黒いユ=cd=ba52モア=cd=ba39にみたされたはざまにこの作品の主題のすべてがあるといえよう。」(文8 六五四頁)と述べている。このタイトルによって、この童話集は私たちの心に強く残る。
私はこの作品は法華経化城喩品に説かれる法華七喩の一つである「化城の喩え」と深い関係があると見る。その喩えの大筋は次のようなものである。
一人の有能な案内人に導かれ宝物を求めて荒野を旅している人々がいる。ところが長い旅に疲れた人々は騒ぎ始めたのであった。これを見た案内人が一計を案じて荒野の中に幻の城を作ると、人々は喜んでこの城に入り、十分に疲れを癒すことが出来た。そのとき、この案内人はこの城を消し去って、再び本当の宝物のある場所へと人々を導いて行った。案内人とは釈尊であり、人々とは弟子のことである。幻の城とは三乗の教えであり、宝物とは一乗の教えである。「注文の多い料理店」の物語の流れは異なるが、「化城の喩え」と密接に関わっていることを示してみよう。
物語は次のように始まる。
二人の若い紳士が、すつかりイギリスの兵隊のかたちをして、ぴかぴかする鉄砲をかついで、白熊のやうな犬を二疋つれて、だいぶ山奥の、木の葉のかさかさしたとこを、こんなことを云ひながら、あるいてをりました。(文8 四〇頁)
この「二人」から連想されることと云えば、法華経方便品以下の主題である声聞・縁覚の二乗である。「化城喩品」もこの二乗を対象に説かれている。「険難悪道のはるかに絶えて人なき怖畏の処」は、物語では「山奥」となっている。しかし、「導師」(案内人)にあたる「専門の鉄砲打ち」は次のように不思議な手法で呆気なく退場する。
それはだいぶの山奥でした。案内してきた専門の鉄砲打ちも、ちよつとまごついて、どこかへ行つてしまつたくらゐの山奥でした。(文8 四〇頁)
二人の紳士は疲れて引き返そうとする。ところが、
その時ふとうしろを見ますと、立派な一軒の西洋造りの家がありました。そして玄関には(西洋料理店 山猫軒)といふ札がでてゐました。(文8 四一頁)
「白い瀬戸の煉瓦で組ん」だ立派な玄関の建物で、「化城」にあたる。「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません」とガラスの開き戸に金文字で書いてあるので、お腹をすかした二人はよろこんで入っていく。この山猫軒でおいしい料理を食べ、二人が満足すれば、これは化城の喩えと同じ運びになるが、物語は正反対の展開を見せる。じつは「山猫軒」は山猫が人を美味しく食べるために、入ってきた人にいろいろな注文をつける料理店だった。気付いた二人の紳士は恐怖に震え上がる。このあたりのプロットの運びは巧みで、儲けようとしたものが逆にだまされて儲けられてしまうという社会の実態を浮かび上がらせている。このあと二人は連れていた白熊のような二匹の犬に助けられる。そして山猫が退治されると、
室はけむりのやうに消え、二人は寒さにぶるぶるふるえて、草の中に立ってゐました。見ると、上着や靴や財布やネクタイピンは、あつちの枝にぶらさがつたり、こつちの根もとにちらばつたりしてゐます。(文8 五〇頁)
という場景となり、立派な西洋料理店は山猫が「化作」した幻の「家」だったことが明らかになる。これらのことから、作者は「化城の喩え」を念頭にこの物語を構想したことがうかがえる。さらに注意して物語を読んでみよう。
この物語の中で、二人の紳士はいくつの扉をあけたのか。この扉の意味は何か。最初、玄関に立った彼らの前には、「硝子の開き戸」(1番目)があった。そして彼らがその扉を開けて廊下を進んでいくと「水いろのペンキ塗りの扉」(2番目)がある。ところがその向こうには、「どうもうるさいことは、また扉が一つあつた」(3番目)。どの扉の内側にもいろいろな「注文」が書いてある。それがこの物語の題名の由来である。それにしたがって、ここでは身に付けている鉄砲を台の上に置くと、今度は「黒い扉」(4番目)があった。そしてそれを開けてしばらく行くと、また「扉」(5番目)があった。それを開けて、彼らが「斯うどこまでも廊下ぢや仕方ないね。」とぼやいていると、「次の戸」(6番目)があった。この六番目の戸を開けてみると、「いろいろと注文が多くてうるさかつたでせう。お気の毒でした。もうこれだけです。どうかからだ中に、壺の中の塩をたくさんよくもみ込んでください。」と書いてあり、それを読んだ二人の紳士は、やっとこの「注文の多い料理店」の真の意味に気付いて、逃げようとするが、六番目の戸は全然動かない。そして「奥の方にはまだ一枚扉があつて、大きなかぎ穴が二つつき」(7番目)、鍵穴からは山猫の青い目玉がのぞいている。
法華経方便品には「堅く五欲に著して痴愛の故に悩を生ず」、譬喩品には「五欲財利を以ての故に種々の苦を受く」と説かれている。五欲は五根から生まれてくる。五根に意根を加えると人の感覚器官のすべてである六根となる。この六枚の扉は私たち人間の六根(眼・耳・鼻・舌・身・意の六つの感覚器官)を表しているのではないだろうか。すなわち、「注文の多い料理店」は山猫が化作したものであると同時に、「鹿の黄いろな横つ腹なんぞに、二三発お見舞まうしたら、ずゐぶん痛快だらうねえ。」(文8 四〇頁)と語る二人の紳士の欲望に燃える六根の生み(六識)出した六境である。そして第七番目の扉とは人間の深層意識への入り口であると思われる。私たちを食い尽くす山猫は、じつは私たちの意識の奥底に潜んでいるのである。「大きなかぎ穴が二つつき」とは厳重に閉じこめておかなければならないことを象徴している。
二人の紳士は山の中に入っていく。「だいぶの山奥」「あんまり山が物凄いので」(文8 四〇頁)と形容される山は彼らの欲望の深さを表している。その欲望の炎によって、人間の善なるもの=cd=ba52仏性=cd=ba52を表している案内人の「専門の鉄砲打ち」は「ちよつとまごついて、どこかへ行つてしま」い、「白熊のやうな犬」は「めまひを起して、しばらく吠つて、それから泡を吐いて死んでしま」(文8 四〇頁)う。ところが彼らが山猫に食われる瞬間、恐怖によって「泣いて泣いて泣いて泣いて泣」(文8 五〇頁)くことによって、「白熊のやうな犬」が第六番目の「扉をつきやぶつて室の中に飛びこび」、彼らを助けるのである。山猫が退治されると、「室はけむりのやうに消え」るのであった。
二人の紳士とは、欲望に燃える私たち自身のことである。「注文の多い料理店」とは欲望を追求する私たちの生活である。山猫とは私たちに破滅をもたらす欲望を生み出す根本の「無明」を表している。すなわちこの物語は、方便品・譬喩品を中心とした法華経の人間観を表現した「法華文学」である。賢治は「広告文」の中で童話の主題を「糧に乏しい村のこどもらが都会文明と放恣な階級とに対する止むに止まれない反感」(文8 六〇五頁)を表現したものと述べている。すなわち作者が、法華経の人間観に立って時代と人間の在り方を批判するために、童話「よだかの星」のように法華経の説話に基づきながら巧みに書いた物語が童話「注文の多い料理店」である。
C 「山男の四月」
この童話集の広告葉書及び「赤い鳥」広告では、「山男の四月」が冒頭におかれ、振替用紙広告では書名も「山男の四月」であった(文8 解説 六五一頁)。作者は、なぜ、山から里へと出てきた山男が遭遇する不思議な物語を書名にしたいと考えたのか。
山を下りて木樵に化けた山男が町を歩いていると、中国人の商人に「長生きができる薬があるよ」と声をかけられた。山男はだまされて毒薬を呑み、身体が縮んで箱の中にいれられてしまった。しかし、別の薬を飲んだ山男はもとの身体になり、やっとの思いで逃げだした。「助けてくれ」と叫んだ瞬間、彼はすべては夢だったことに気付く。山男は山の中で昼寝をしているのであった。
この物語の中で、商人が「あなた、この薬のむよろしい。決して毒ない。」と山男に言う場面(文8 七五頁)や、「そのとき山男は、丸薬を一つぶそつとのみました。すると、めりめりめりめりつ。山男はすつかりもとのやうな、赤髪の立派なからだになりました。」(文8 八一頁)という場面に、容易に法華経如来寿量品の「良医の譬え」を読みとれる。作者は「良医の譬え」をこの物語に投影したと思われるが、しかし、この物語の主題は、最後の場面にあるのではなかろうか。
「助けてくれ、わあ」と山男が叫びました。そして眼をひらきました。みんな夢だったのです。雲はひかつてそらをかけ、かれ草はかんばしくあたたかです。(文8 八一頁)
この童話集の中の「どんぐりと山猫」「注文の多い料理店」もこの「山男の四月」と同様の終わり方をしている。
作者はこの三つの物語の骨組みとして法華七喩を使っているが、この世の出来事は「みんな夢」(文8 八一頁)ということが、これまで述べてきた主題の奥にひそむ本当の主題ではないのか。
おわりに
=cd=ba52「みんな夢」の意味=cd=ba52
「どんぐりと山猫」では夢のような、「ドリ=cd=ba52ムランド」(前掲「広告文」文8 六〇三頁)は夢幻のごとく消える。
馬車が進むにしたがって、どんぐりはだんだん光がうすくなつて、まもなく馬車がとまつたときは、あたりまへの茶いろのどんぐりに変わつてゐました。そして、山ねこの黄いろな陣羽織も、別当も、きのこ馬車も、一度にみえなくなつて、一郎はじぶんのうちの前に、どんぐりを入れたますを持つて立つてゐました。(文8 二八頁)
「注文の多い料理店」でも同様である。
室はけむりのやうに消え、二人は寒さにぶるぶるふるへて、草の中に立つてゐました。見ると、上着や靴や財布やネクタイピンは、あつちの枝にぶらさがつたり、こつちの根もとにちらばつたりしてゐます。風がどうと吹いてきて、草はざわざわ、木の葉はかさかさ、木はごとんごとんと鳴りました。(文8 五〇頁)
ここで夢のように消えたのはどんぐりや山猫たちの世界であり、一郎や二人の紳士は夢を見ていたのであろうか。しかし、本当はどちらが夢か現実なのか。山猫から招待状をもらって、よろこんで山奥の「黄金いろの草地」に来た一郎は、三車によって誘引されて苦しみの三界から悟りの世界へ到達したのではなかったのか。また、出現していた幻の「注文の多い料理店」こそ紳士たちの現実であったと見ることもできる。夢と現実との区別が曖昧である。これをどう考えたらよいのか。それを説き明かす鍵が、賢治の書簡にある。
静に自らの心をみつめませう。この中には下阿鼻より上有頂に至る一切の現象を含み現在の世界とても又之に外ありません。(略)内界の月や林や星や水やを楽しむ事ができたらこんな好い事はありません。(略)退学も戦死もなんだ、みんな自分の中の現象ではないか、保阪嘉内もシベリヤもみんな自分ではないか、あゝ至心に帰命し奉る妙法蓮華経。世間皆是虚仮仏只真。(大正七年保阪嘉内宛 文9 七四〜七六頁)
この世界はをかしからずや。人あり、紙ありペンあり夢の如きこのけしきを作る。これは実に夢なり。実に実に実に夢なり。而も正しく継続する夢なり。正しく継続すべし。破れんか。夢中に夢を見る。その夢も又夢のなかの夢。これらをすべて引き括め、すべてこれらは誠なり誠なり。善なり善にあらず。人類最大の幸福、人類最大の不幸。謹みて帰命し奉る妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。(大正八年保阪嘉内宛 文9 二一五頁)
賢治は大正十年に「童話集」に収められている童話を書いているから、これらの書簡はそれより三年ほど前のものである。これらの書簡の中で、彼は世の中の一切の出来事は自分の心の中の出来事である。また、一切の出来事は「夢」のようなものと述べている。だが、彼は「夢」だからたんなる幻であると述べていないことに注意したい。「正しく継続する夢」であり、「誠」のものであると述べているのである。「誠」だが、自分の心の中の出来事であるから「夢」のようなものであり、「退学も戦死もなんだ」と見ているのである。そして夢であり、同時に誠でもある一切の出来事は「妙法蓮華経」に他ならないと彼は考えているのである。その考えは、大正七年の父政次郎宛の書簡に明確である。
万事は十界百界の依るて起る根源妙法蓮華経に御任せ下され度候。(文9 六六頁)
このような彼の信仰は日蓮聖人に学んだことはすでに指摘したが(平成十三年『現代宗教研究三五号』所収「法華経と宮沢賢治の『春と修羅』二)、すべての出来事は自分の心の中の出来事であり、しかも真理の現れであるという彼の信念は、「広告文」(文8 六〇三頁)にも見られるように、童話の主題である。
昭和十四年、中学生の頃、賢治の作品と出会った分銅惇作は、賢治の法華経との出会いに関して次のように述べている。
島地大等が『漢和対照・妙法蓮華経』を編さんいたしました。この本は、一番最初に聖徳太子を賛えるはしがきがありまして、最後のほうに「法華大意」という注解を編集者が書いております。その中に、仏教の中で一番大事なこととして島地大等は「色心実相」という言葉をあげまして、それについて注を付けております。「然るに所謂実相(実在)の内容如何の問題に関して二箇の重要なる教義あり。一は円融三諦にして、二は一念三千の思想即ち是なり。是共に天台教学の中枢教義を為すものなり」と書いてあります。この本は大正三年の八月に刊行されたものですが、賢治は偶然にこの本を父親の本棚の中に見付けたのであります。(『宮沢賢治の文学と法華経』一九九三年水書房 二七一頁)
賢治は「みんな夢」という言葉ですべては単に夢幻であるという虚無的な世界観を表現したのではなく、円融三諦と一念三千で示された世界の実相を表現したと思われる。「みんな自分の中の現象」とは一念三千であり、一切の出来事は「夢」であり「誠」であり「妙法蓮華経」であるとは、「空」「仮」「中」の三諦を意味するからである。これは後に日蓮聖人遺文を学んだことと決して矛盾しない。このことから、このような法華経の真理を表現した童話は「すきとほつたほんたうのたべもの」(『童話集 注文の多い料理店』「序」 文8 一六頁)であるという賢治の言葉が生まれたのではなかろうか。
次の言葉にも注目したい。
すべてのものは悪にあらず。善にもあらず。われはなし。われはなし。われはなし。われはなし。われはなし。すべてはわれにして、われと云はるゝものにしてわれにあらず総ておのおのなり。(文9 二一四頁)
この書簡に表現されているものは、彼が理解し、信じた、仏教の基本的教理である無我、そして、一念三千の教えである。「われはなし」という思念からは人間中心、自我中心の私小説は生まれないだろう。人間と動植物が交流する物語が生まれたのである。また、「悪にあらず。善にもあらず」という思想から、この童話集に収められている他の童話、例えば、「烏の北斗七星」や「水仙月の四日」のような、武田鉄矢の言う「童話と読んで安心してい」(前掲『小説 賢治売り』二七八頁)られない物語が生まれたとしか考えられない。すでに賢治自身、「わけのわからないところもあるでせうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。」(前掲 童話集「序」文8 一六頁 )と述べているところであるが、このことばがすでに、じつは、この童話が仏教・法華経の真理をそのままに表現し、人間の思惟を超えたものであることを語っていると思われる。賢治童話は仏教・法華経の真理を表現したものとして、これからの世界の人々に読まれるべきものではなかろうか。
※本稿は平成十四年十月二十五日に身延山大学で開催された第五十五回日蓮宗教学研究発表大会で発表した原稿に加筆したものである。