現代宗教研究第37号 2003年03月 発行
自殺の増加について
「自殺の増加について」
(日蓮宗現代宗教研究所研究員) 坂 輪 宣 政
近年、自殺者が増加していることがしばしば報道されている。昨年の自殺による死亡者は全死亡者の三%にも及んでおり、極めて憂慮すべき事態であるが、「増加」とはどの程度なのか、その実態について、統計からも確認したいと考え、自殺に関する通説とともに、このメモにまとめてみた。これらの諸統計も、既に知悉されている方も多いかと思う。また、その他の文についても、筆者の不勉強と無知から、諸書から学んだ基礎的な通説の羅列に終始したが、御海容いただきたい。
第一節
まず、自殺について、通説となっている諸要素について、項目別に簡単にまとめてみた。
自殺の定義・認定
古典的な名著であるデュルケームの『自殺論』の定義では、自殺とは「死者自身によってなされた積極的または消極的行為によって、直接または間接に生じた死をいい、しかも死者があらかじめ、その行為を予測していた場合をすべて自殺という」と定義される。現在の最も有力な説では、「成熟した人格」と「清明な意識」のもとでの、「致死の認識」と「明確な意志」に基づく自傷行為を自殺の条件としているようである。但し「行為の結果の予測」や「本人の意思」がどの程度であったかも問題となり、消極的・結果的に死につながる行為や、周囲の状況から「強制された死」や「安楽死」「尊厳死」の問題もあり、明確に判定しがたい場合も出てくる。また、当然ながら、他殺や事故死などの「その他の外因死」と判別しがたい場合も、しばしばある。遺族が自殺と判定されることをさけようとする場合もあり、統計の数字も完全に実態を顕すものではないと考えられる。
さらに、国によっては、この判定を下す人物(法的資格をもつ、医学的資格をもつ、その両方をもつ、両方を持たない、陪審制など)や判定の方法(調査の精度、不慮の事故や不詳との判別の仕方など)、自殺と判断する傾向の強弱(その国の社会における自殺の忌避度など)、統計の方法などが大きく異なるため、統計の国際的比較も慎重にすべきであると思われる。
日本の自殺の統計
現在の自殺の統計には、警察庁と厚生労働省(旧厚生省)の両者が集計している二種の統計があり、それぞれ独自の判定基準で別個に統計をとってきている(警察では昭和五十三年までに一時未集計の期間あり)。警察では、担当の警察官が遺体の検視や遺書のほか、周囲の人からの聴き取り調査や経歴・環境などの周囲の状況なども勘案して、最終的に判断している。厚生労働省では、死亡診断書を作成した医師からの報告を基として、国際基準「国際疾病・死因分類番号」に準拠した分類により集計している(自殺は「故意の自傷及び自殺」であり分類番号はX60〜X84である。心中による子どもの死は他殺に分類される)。警察庁では総人口(日本における外国人も含む)を対象とし、厚生労働省では日本における日本人を対象としている。警察庁では、遺体発見時に自殺・他殺・事故死などの判断がつかない場合には、検視調書または死体検分調書が作成されるのみで、後の調査で自殺と判断されると、その時点で計上される。厚生省では、自殺・他殺・事故死の判断がつかない場合には、自殺以外で処理し、後に死亡診断書などの作成者から自殺と訂正する報告があった場合には、自殺に追加していた。
両者の数字にはかなりの差があり、近年ではほぼ常に警察庁の統計が一割近い程度多くなっている。平成十三年度では警察の資料では三万一千四十二人、厚生労働省では二万九千三百七十五人であった。自殺の数と自殺率に二つの数字があることには注意が必要であろう。
警察庁では例年六月から七月に前年の「自殺の概要」の資料を作成している。(インターネットで公開されている。なお警察では、十分な信頼はできない事は承知の上であろうが、一応の参考として、調査した警察官が「自殺の動機」を一つ撰ぶという統計をとっている。)
厚生労働省では自殺の統計は、他の人口変動のデータとともに、毎年の「人口動態統計」(厚生労働省大臣官房統計情報部人口動態統計課)に記載されている。ここには厚生労働省の把握した自殺について、年次・年齢・性別・地域・配偶者の有無・死因などの詳細なデータがあり、諸外国の統計報告(総数の他、年次・年代別など)も載っている(厚生労働省のホームページにも一部公開されている)。他に昭和五九年・平成二年・平成九年に、自殺の資料について、警察の資料も参考とし、『自殺死亡統計』を編纂している。
自殺率とは、人口十万人あたりの自殺者の数を示す。単純な総人口と自殺数による粗自殺率と、年代毎の特殊要因を補正するための訂正自殺率(平成三年からは年齢調整死亡率)の二種がある。訂正自殺率は、各年代別に「観察集団の年齢階級別自殺率」に「基準にする年齢階級別人口」を年代別にかけたものの総和を、「基準にする人口集団の総和」で割ったものをいう。本稿に引用した数字では、この区分は曖昧となってしまった。
年代別類型
かってWHOは自殺の年代的な変動の様相について、典型的なものが三つあるとして、「日本型」、「ハンガリー型(チェコ型とも)」、「フィンランド型」の三分類として発表した。「ハンガリー型」とは自殺率は年齢とともに上昇し、老年期に入ると急激に上昇する型で世界的には多いとされる。「フィンランド型」は年齢の上昇と自殺率の上昇が伴うのは同一だが、高年齢になるとむしろ減少傾向をみせる。「日本型」とは、自殺率のピークが青年と老年の二つに存し、その間の壮年期が低いという「二峰性カーブ」を特徴とする。アジア・中南米の途上国に多い型と分析された。しかし、その後日本では、青年と老人の自殺は減少し、逆に、壮年期の自殺が増え、昭和四十五年頃から平坦に近づき、同五十年頃からは壮年期の自殺者が青年層を上回るようになってきた(自殺の多い世代は同一で「昭和ひとけた世代」であった)。この増加は、当該年代の男性のみ自殺の増加が急激であったのが理由であった。
年少者の自殺
統計的な数は常に少ないが、衝撃的である。小児は生死について、まだ確かな観念を確立していないので、真に自殺といえるのは、十代後半からという説もある。
中高年者の自殺
年齢とともに自殺率は上昇する傾向がある。配偶関係からの調査から、配偶者との死別・離別などの家庭環境の変化が他の年代に比して大きく影響しているという指摘がある。中高年男性の自殺は、特に最近では、求人倍率や失業率の変化と自殺率がほぼ連動している様子が統計から確認される。この年代の男性は、その社会的な位置からも、経済的な変動の影響を大きく蒙るためであろうと推測されている。
高齢者の自殺
高齢者の自殺が自殺全体の約四分の一を占めている。高齢者の自殺は古今東西を問わず、多いとされる。日本では、高齢者への福祉介護や高齢者自身の活性化も一因であろう、以前は高かった高齢者の自殺率が大幅に減少してきている。
日本の高齢化
日本の人口構成そのものが高齢化してきていることが、最近の自殺率の上昇と自殺数の増加と密接に関係しているのではないかと思われる。昭和六十年と平成十二年では総人口はほぼ同じなのに、人口の重心は移動して、少子高齢化の様相が顕著となってきている。高年齢層では自殺が多い傾向とも考え合わせれば、しばらくは急激な減少は望めないようにも思われる。
疾患
アルコール中毒や精神病の患者は自殺率が特に高い。精神病との関連については、医師によって評価がかなり異なる。一部の医師は、自殺者は一時的にせよ、ほぼ全員が、精神的にバランスを崩し、鬱病などの精神病であったと診断できると主張している。近年の自殺は過労やストレスから、鬱状態となり、それが自殺念慮になってしまうケースが多いといわれ、労働条件の改善や薬剤投与を中心とした鬱病治療が自殺減少に大きな役割を果たすとして、注目されている。鬱病については、初期と軽快期に自殺の危険性が高く、どん底から快方に向かう三週間ほどが、自殺を遂行するだけの力が戻っているだけにかえって危険であるといわれる。
戦争
戦争・内乱などの動乱期には自殺は減少し、それが終結すると増加する。また、貧困の状態では、自殺率が低下することが多いといわれる(統計の不備や検視機能の不十分さにも関係しているのかもしれない)。急激な社会生活の変動のため、自己の拠って立つ所が不安定となり、精神的にもバランスが危うくなるという点では同じであるからか、好景気でもかえって自殺が増加することもあることがデュルケームなどによって指摘されている。
自殺と殺人(自責性と他罰性)
既にデュルケームの時代から、自殺率と殺人率が反比例している様子が統計的に確認され、一つの法則となっている。現在の状況でも、たとえばアメリカでは、自殺率は日本より低いが(平成十三年は約十二・〇)、殺人の発生率は日本に比較すると遙かに多く、自殺と他殺の合計では、死亡率は日本よりもかなり高くなっている。自殺と殺人は、攻撃性が自己に向かうか他者に向かうかの差異はあるが、一種の「自己破壊」行為であり攻撃性の発露であるという点では共通する場合がある、という説も古来ある。日本でも青少年層の自殺率低下と犯罪・非行の増加に相関関係があるという研究がある。
未遂
日本の自殺の未遂は若年の女子に特に多く、若年層ほど未遂率が高い。年代が上昇すると低下し、男性のほうが未遂は少ない。
群発自殺
自殺についての報道の影響で、自殺が流行することがある。特に少年は影響を受けやすいため、取り上げ方に注意が必要である。
第二節
近年の増加の実態について考える前提として、後記の統計諸表を御覧いただければ明瞭であるが、日本近代の自殺数の増減を概観したい。まず、日露戦争中や第一次世界大戦中には、自殺率は低かったが、世界恐慌の際は上昇し、自殺率は二十を越えた。第二次世界対戦中は激減し、戦後は激増した。特に昭和二十九年から三十四年は世界的にも最悪水準の自殺率となった。三十三年の二五・七がピークで、三十五年の二一・六まで八年間続いて二十を越した。しかし、高度成長とともに驚異的に減少し、昭和四十二年には、戦後最低(十四・二、厚生省)を記録した。この頃から昭和五十七年までは十五〜十八程で安定していたが、昭和五十九年から、自殺が再び増加し、六十一年には二万五千人を超えた。その後、バブル期の好況を挟んで、不景気が続き、自殺も漸増していった。平成九年から同十年にかけて、自殺者の数が特に大きく増加した。その増加の内訳をみると、男性の増加が著しく、平成九年には男性の自殺は女性のおよそ二倍であったが、平成十年以降は約二・五倍弱に増加している。男女差については、国、時期、年代を問わず、ほとんどの場合、男性の自殺率は女性の一・五倍、二倍から三倍以上となっている。日本の女性の自殺率は、男性を十とすると七〜八であり、世界的には高い比率であった。男性の対女性比率は最低は一九六九年の一二九・二である。昭和五十八年には二五一・七まで差が拡大し、一旦低下したが平成五年以降は二倍以上となっており、ここ三年ほどは二四〇を越している。男性の自殺の増加が特に著しいのが、近年の日本の自殺増加の特徴の一つである。
また、日本の自殺率の上下には失業率の上下と強い相関関係があるという研究が既になされている。統計表でも、その様相が伺える。最近の自殺増加が、不況と強く連動していることは確認できるのではないかと考える。なお、地方公務員の自殺率は十三・〇(平成十三年)と低く、不況下でも身分や収入の安定していることも関係していると思われる。
最近の自殺の増減と経済の連動関係は明らかであると思われる。しかし、経済的な理由で、しかも餓死に近いような極限状況でもないのに、命を自ら絶つ人がいることは、あまりにも悲しいことである。
第三節
日本が世界的にも珍しいほどの自殺大国である、としばしば耳にする。しかも、日本の自殺が多いのは無常観や浄土観など仏教思想の影響の影響である、という分析をする人もあるが、諸外国との比較からも、的はずれであり、むしろ言い掛かりに近いのではと感じられる。実際は、下記の資料にもあるように、かっては自殺のかなり多い時期もあり、最近増加しているにせよ、長い期間を通してみれば、他の欧米諸国と大きな差はなく、ドイツとフランスにはさまれるような率で推移してきていたといってよい。仏教が特に自殺と関係するわけでもない一例として、上座部仏教の国であるタイでは、自殺率も低く、しかも殺人などの犯罪発生率も低い。誰もが一度は出家するというお国柄が大きな原因なのであろう(但し、女子自殺率の上昇、九十年代の急激な経済発展とミニバブルの崩壊、エイズの流行などにより、変化の兆しがあるという報告もある)。
キリスト教では、本来は、聖書には明確に自殺を禁止するという記述はないといわれる。しかし、アウグイティヌス(三五四〜四三〇)の展開した教学が広まった事により一変し、自殺も自己への殺人、という考え方が以降確立した。欧州諸国では、一九世紀まで、自殺は犯罪と同一視され、法でも罰が加えられていた。但し、宗教的・法的な強烈な禁止にもかかわらず、自殺抑止の効果はそれほど大きくはなかったらしい(自殺を認定せず精神錯乱などで処理した例も多かったらしい)。新教では一人々々が神と対峙するが、旧教では神父が罪を許す権限を持ち、それが新旧の自殺率の差につながっているという説もある。
イスラム諸国の統計では自殺率が大変に低い。「イスラム社会」との関係があるのであろう。但し、ヨーロッパ圏へ移住したイスラム教徒の自殺率はかえって高いといわれる。この事例とは逆であるが、デュルケームは大集団に囲まれた小集団ではかえって自殺が減るとして、自殺禁止規定のないユダヤ教で自殺が大変少ない理由の一つと考察している(一九七〇年のシアトルでの調査では、日系人の自殺率は白人の二十・五に対し、十・四と低く、日本本国よりも低いという結果がある)。ガイアナでの集団自殺(一九七九年)などの衝撃的事例もあるが、現世を超越した信仰に触れて、深く考える経験をもつだけでも、自殺の防止には大きな効果があるのではないかと思われる。
なお、あくまで個人的かつ断片的な印象であるが、諸書に紹介された自殺者の遺書を読むと、会社の仕事については細かく記されていたり、家族への言葉はあつても、宗教的な言及は断片的な「涅槃」「天国」などの言葉のほかは、あまりみられないような気がした。また、自殺した人々の挿話で僧侶や宗教的な背景が語られる事は極めて少ないように思われる。あえて問題提起するならば、自殺してしまった人々の中には、寺院や僧侶との接点が少なく、十分に教えを受けられなかった人も多かったのではなかろうか、逆に深い信仰に触れた人には自殺は少ないのではなかろうか、という印象をもった。自殺のなかには、船が転覆するように、一時的に精神的バランスを崩したがために、取り返しのつかなくなってしまった自殺もかなりあるのであろう。自殺が「孤独の病」ともしばしば表現されるような様相を示している事を考え併せても、私たち教師の努力の余地はまだまだ大きいのではなかろうか。寺院へ自ら来ない人々への伝道の方策をも考えるべきではなかろうか。また、自殺した人の遺族や関係者は、後から自責の念に苛まれる事が多く、二次被害もあるといわれる。法要などを通じて助力できるのではと思われる。
ここ数年の統計からは、自殺の増加傾向は鈍ってきているようにみえる。経済の先行きは不透明であるが、自殺について多くの報道がなされ、自殺予防のためのアピールや運動をする人々が増えてきていることからも、自殺はこれ以上増加せず、減少に転じてゆくのではないか、と期待できるのではなかろうか。本宗の寺院・教師の正法弘通も、自殺だけを特に意識していないものでも、自殺の減少に十分に貢献できているであろうと思われる。
以上、最近の自殺の増加について、統計の概要と、諸研究をもととした要約を行ってみた。ごく基礎的な内容であり、表面的な段階にとどまってしまったが、幾分かでも参考にしていただければ幸いである。なお、既に、自殺の防止などの問題に関心をもって活動している方からご教示があれば、大変幸甚に存じます。
参考文献
自殺に関する文献は極めて多数であり、多くの書を参考にさせていただいたが、そのうちごく一部を示すにとどめ、あとは省略した。
「自殺の急増について」『厚生の指標』三三ー四、一九八六年、厚生統計協会
「中高年の自殺」『厚生の指標』四五ー六、一九九八年、同右
「人口動態統計にみる自殺の現状」『厚生の指標』第四十五巻八号、一九九八年、同右
「自殺に関する常識テスト」『治療』六八ー四〜十二、一九八六年
『精神科ムック』一六 金原出版、一九八七年
『現代のエスプリ』一五一 至文堂
『現代のエスプリ』別冊一〜五 至文堂