現代宗教研究第37号 2003年03月 発行
研究ノート「寺庭婦人のリスク〜音羽幼女殺害事件より考える〜」
研究ノート
「寺庭婦人のリスク〜音羽幼女殺害事件より考える〜」
(日蓮宗現代宗教研究所研究員) 灘 上 智 生
【1】はじめに
平成一三年度の中央教化研究会議において、第四現代社会問題部会では、「宗門の機構改革〜変容する現代社会に対応する伝道宗門として更に内容の充実を図るために〜」というテーマでパネルディスカッションを行い、私もパネラーの一人として参加した。現代社会及び人々の意識変化に伴い、宗門も時代に即応した教団に生まれ変わるため、さまざまな検討が重ねられ、『宗門新機構要綱』が提示され、それに基づき現在宗門は運営されている。しかし一口に時代に即応した体制といっても、具体的な全体像は想像し難い。社会、人の意識が如何に変容しているかを考慮しない改革の視座は内向的となり、機構改革のための機構改革になりかねない。また伝道布教の拠点たる寺院の抱える不安要素を直視することなくして、真の改革は実行には移せないとの問題意識の基、社会の変化が当然として与える、寺庭婦人への影響を考察し、『現代社会における寺庭婦人の憂鬱』というテーマで発表をした。参加者の反応は、テーマがテーマなだけに、さまざまであった。灘上君も大変なんだという人もいれば、このような悩みを抱えているようでは寺庭婦人などやっていられないだろうから離婚したほうが良い、このような悩みを抱える寺庭婦人をこそ念頭に考えなければならない、などの意見感想が寄せられた。この発表内容は、何人かの寺庭婦人と話をし、私の思考実験的なものであったためか、参加者にとって現実味がなく、自分のところは大丈夫だという雰囲気が大半であった。しかし、現実に目を向ければ、寺庭婦人が新宗教に入信してしまったり、檀信徒と暴力事件を起こしたりと、問題が起こっているのも確かである。
昨年の中央教化研究会議の時点では、以下に論じる「音羽幼女殺害事件」の詳細はまだあまり明らかにされておらず、私もパネルディスカッションの中で、「そういえば山田みつ子さんもお坊さんの奥さんでしたね」程度の扱いしかしていなかったと記憶している。この事件が、報道された当初は、子供の受験をめぐる問題の結果生じた事件であり、「お受験殺人事件」などと言われていたように思う。逮捕された犯人は、僧侶の妻という報道がなされており、聞いたときは大変驚いた。この事件は、我々寺院関係者には、ショッキングな事件であり、皆の記憶の片隅には存在する出来事であろう。この事件を扱うことにより、寺庭婦人という存在と適度な距離をとることができ、ある程度客観的に扱うことが可能になる。そこから、自分を棚上げしたところの思い切った発想、問題点が見えてくるかもしれない。この「音羽幼女殺害事件」を題材に寺庭婦人の抱える悩み、問題点を考えて行きたい。この事件の背景などの詳細は、平成十三年末に刊行された、佐木隆三著『音羽幼女殺害事件 山田みつ子の「心の闇」』(青春出版社)を参考にしている。著者は、この事件の裁判を傍聴することを通して、薄紙をはぐように、事件の全貌を明らかにしようとしている。この作業は、彼女の生い立ちや結婚生活が如何なものであったのかを探るのに貴重な資料となる。
寺族や寺庭婦人に関することを扱うと、身近な問題だけあって、皆が発言でき活発な論議になるが、あまりにも個人的で偏った内容になるか、他者の眼を気にして当たり障りのない意見となってしまう。またアンケートは、アンケートを作る側の想定したものしか問うことができないため、深刻な問題などが表面に上ってくることが少ない。ただし、アンケートの中のフリーアンサーなど、自由に思ったことを書いてくださいといった問いについては、本心でないながらも抱えている問題が垣間見られることがある。では次に平成八年度に行われた『宗勢調査報告書』を参考に、寺庭婦人の現況を見てみたい。
【2】『宗勢調査報告書』にみる寺庭婦人の現況
この『宗勢調査報告書』は、日蓮宗宗制第九号宗勢調査会規定に基づく宗勢に関する報告であり、調査対象者は、住職(担任及び教導を含む)、教師、寺庭婦人とし、それぞれに調査票を配布して実施した。調査実施時点での寺院、教会、結社数は五二四一ヶ寺、教師数は七九六二人であった。寺庭婦人に対するアンケートの回収数は、三五六五件であった。寺庭婦人の総数が不明のため、回収率は計算できないが、寺院及び住職に当てた調査票の回収数四二七五件(八一・六%)から考えると、かなり高い回収率といえるのではないか。以下、報告書の内容を簡単に見てみたい。
寺庭婦人の構成
まず、寺庭婦人の定義について述べられている。それは、日蓮宗宗制の宗憲に於いて「寺院、教会、結社に住職、担任、教導と同居する親族で本宗の教義を信奉し、寺族台帳に登録された寺族」とし、その「寺族のうち、成年に達した婦人を寺庭婦人」と規定している。
回答者の内訳は、「住職の妻」が二九四三人(八二・六%)、「非住職の妻」が四六六人(一三・一%)であり、年代層は、「四〇歳代」二六・八%、「五〇歳代」二二・五%、「六〇歳代」一九・八%、「三〇歳代」一四・一%、「七〇歳代」一一・七%、「二〇歳代」二・七%、「八〇歳以上」二・二%であった。出身別では、「非寺院出身者」が、七六・二%、「寺院出身者」が二三・二%であった。
=cd=70c0 寺庭婦人会及び研修会等
寺庭婦人自身の管区における寺庭婦人会結成状況は、「結成」七三・五%、「未結成」一四・一%、「不明」一一・七%となっており、その研修会、会合、行事等への参加経験については、「ある」五一・九%、「ない」四七・四%であった。また、寺庭婦人を対象にした、研修会や勉強会等が開催された場合、「参加したい」四一・五%、「参加したくない」九・一%、「参加したいが難しい」三七・二%であった。
研修会や勉強会等が開催された場合に参加したいと回答した寺庭婦人一四八〇人に対して、どのようなことを学びたいかと尋ねたところ、「寺庭婦人の心構え」五八・九%、「仏事の知識」五四・九%、「日蓮宗の歴史や教義」四二・七%であった。
宗勢調査に協力してくれる寺庭婦人は、やはり積極的に寺庭婦人という立場に適応していこうとする姿勢が見られる。研修会などにも七八・七%の寺庭婦人が参加したいとの意思を示している。しかし、その中の約半数が、参加したいが難しいということは寺を空けることが難しい立場にあるということだろう。
=cd=70c1 年金制度への期待
昭和六三年四月より、教師の布教活動の発展、安定に寄与し、併せて教師の福祉向上を目的として、教師年金が制度化された。この年金制度加入には教師資格という条件が現在必要であるが、今後、寺庭婦人の福祉向上の一環として加入が認められるようになった場合の考えについて尋ねたところ、四四・一%の寺庭婦人が加入に前向きの考えを示した。
寺院といえども、生活の保証がなければ、安心して布教のできない時代であり、至極当然の要望であるといえるのではないか。
寺庭婦人の役割
寺院に於いてどのような仕事をしているかという設問であるが、無回答が二千六百三十人で七三・八%を占めた。選択肢の内容的には、かなり細かく想定できる仕事内容を取り上げているように思えるが、それが逆に煩瑣に感じられてしまったのだろうか。または、選択肢の内容のほとんどを行っているという現実があるのかもしれない。
一方、檀信徒との接し方については、「寺院行事を通して」六四・一%、「参詣時の対話」五二・七%、「婦人会、信行会を通して」一九・七%、「各種相談を通して」一二・一%としっかりと答えている。
現在の悩み
「特別になし」三三・五%、「自分の趣味や交際の時間が持てない」二三・八%、「経済的不安」二〇・五%、「参詣者の接待に追われて時間がない」一一%であった。出身とのクロス集計では、「非寺院出身者」は、「経済的な不安」「結婚前のイメージとかけ離れている」「お寺の妻として特別な目で見られる」という悩みが「寺院出身者」より高くなっていた。逆に、「寺院出身者」は、「参詣者の接待に追われて時間がない」が多かった。
「寺院出身者」は、寺で育っているため、良い意味でも悪い意味でも寺院に慣れているため、「非寺院出身者」とは悩みの傾向が異なるのであろう。
宗門への期待
「寺庭婦人用資料・情報の充実」三一%、「寺庭婦人の福祉共済の充実」二六・七%、「寺庭婦人を対象とする各種研修の充実」二〇・七%であった。
そして最後に、宗門に対して何かご意見等があれば、自由にお書きくださいという自由回答の内容を整理したものが掲載されている。それは、㈰寺院・僧侶に対しての意見、㈪寺庭婦人会・研修会に対しての意見、㈫宗門に対しての意見としてまとめられている。具体的な意見が、箇条書きで書かれているが、それを寺庭婦人の悩みということで捉えなおすと次のようにまとめられる。経済的問題、職場待遇改善、寺庭婦人の身分保障、寺庭婦人としてのスキル向上のための研修、後継者問題である。これらが、いわば適応型の寺庭婦人が抱える問題点である。
では、宗門は今回の機構改革において、如何なる寺庭婦人像を描いているのであろうか。以下、『宗門新機構要綱』に見てみたい。
【3】『宗門新機構要綱』に見る寺庭婦人像
『宗門新機構要綱』の中に、寺庭婦人のことが多く語られているわけではない。宗門の描く寺庭婦人像は、次の記述から想定することができる。
「伝道部は、伝道宗門構成の三要素たる教師・寺族・檀信徒を中心とした布教体制の整備と布教教化活動のレベル向上を目指すものであり、そのためには、住職・担任・教導および教師を扶けて、檀信徒教化・寺門繁栄に携わる寺族・寺庭婦人の中心となる人々の研修を企画推進していくものである。」
この内容から明らかなように、宗門は寺庭婦人を、従来からの住職・担任・教導の布教を支える縁の下の力持ち的存在と捉えている。確かに、自分の周囲を見ても宗門の描く寺庭婦人像に適応する方が多いように思う。しかし、今この時点において、寺庭婦人の抱えるリスクを考えることは、予防接種的役目を果たすのではないだろうか。
【4】音羽幼女殺害事件に見る寺庭婦人の心の闇
音羽幼女殺害事件の公訴事実の要旨
一九九九年一一月二二日午前一一時五〇分ごろ、東京都文京区大塚五丁目所在の公衆トイレにおいて、若山春奈(当時二歳)に対し、殺意を持って、その頸部をマフラーで締め付け、同所において、窒息死させて殺害し、その場所において、死体を黒色手提げバックに入れ、いったん東京都文京区音羽一丁目所在の被告人方に運び込んだ後、列車などを利用して、静岡県志太郡大井川町まで運び、死体を同所の土中に埋め、もって死体を遺棄したものである。
=cd=70c0 山田みつ子の物語
山田みつ子は、静岡県に生まれる。実家では、父の継母である祖母と同居し、血のつながりのない関係であるから、母が対人関係に気を使っていた。そういう複雑な家庭で育ち、子供のころから口数は多くなかった。
中学一年のとき、盲腸炎をこじらせて長期入院し、一学期の成績はオール「1」だった。しかし、学校で補修を受けるなどして勉学に励み、成績は上がったが、過剰に反応する性格になった。
埼玉県立衛生短期大学看護科二年の実習で、糖尿病の人が減量しているのを見て、ダイエットをはじめ、止まらなくなり、拒食症になった。原因はアルバイトを休んでしまい、ぽっかりと胸に穴が開いたようなさびしい気持ちだった。
一九八四年三月短大卒業後看護婦の資格を取り、浜松医科大病院に就職したころは、過食症が続いていた。食欲を抑えきれず、体重が増えてしまう。約一ヶ月で退職してしまい、実家に帰り、食べては寝る生活。どんどん太ってみっともなく、近所の人からあれこれ言われないように、外出しなくなった。家の中で運動することもなく、薬も飲んでいない。「何とかしよう」と思いながら、病院で治療を受けることもなかった。風邪薬を大量に飲んで自殺を図ったのは、生活状態に絶望していたからで、飲めば死ぬと思った。しかし、失敗に終わってから、「こんなことではいけない」と思い、再就職を決意して、夜明け前の暗いうちにマラソンをし、ダイエット食を試した。
静岡市内の静岡日赤病院に再就職した一九八六年の夏に、「南無の会」に入り、後の夫である副住職と知り合う。参加した理由を問われ、彼女は「死にたくないのに死んでいく患者に、生命の理不尽さを感じます。患者の精神的な葛藤を、少しでもケアできたらと願っています」と答えている。自分の心の底に、不安があったのかも知れず、「人生を良く生きたい」「自分らしく人生を全うしたい」という目標を持っていたが、その頃も摂食障害になっていた。それでも職場では、良い看護婦として一生懸命やろうと思い、自分の弱いところを見せず、完全主義者としてがんばり、職場で医師たちからも評価された。そういう精神状態が、自分にとってきつかったので、睡眠薬で自殺を図った。
四年間にわたって、「南無の会」に参加していたが、五年目から参加しなくなったので、副住職は、「何か心境の変化でもあったのだろうか」と、幾分気がかりだった。一九九二年九月、彼女はいきなり目白台の禅寺に電話をかけてきて、副住職を自己啓発セミナーに誘った。副住職は参加を断るが、このときから二人は個人的に付き合うようになり、一九九三年四月三〇日に結婚して、愛知県の夫の実家で披露宴を行い、五月から東京音羽のマンションに新居を構えた。
夫は、結婚するまでは、寺の庫裡に住んでいたが、住職から「通え」と指示され賃貸マンションを探した。彼を副住職として迎えたのは、住職の体調が悪化し、二人の息子が寺を継がないからで、後継者を求めていたからである。副住職は檀家の受けが良かったが、住職の気持ちが変わり、身内に継がせようと思うようになった。結婚式も当初は寺でやり、披露するつもりでいたが、「よそでやれ」と指示された。副住職はアシスタントであり、臨済宗においては権限がない。彼の年齢と、住職の年齢、副住職を一三年半も務めたということは特殊なケースで、知人たちからは、「飼い殺し」と言われた。夫と住職の関係が彼女にわかった時、彼女は、「こんなことなら、結婚するんじゃなかった。」と言った。
一方、彼女は、結婚する時、どんな生活になるのか、想像がつかないけれども、お寺にはいるのだから、仏様のことも勉強しなければならない。「いろんな人が立ち寄れるような家庭にしたい」と思った。中学一年のときの長期入院した後、母方の祖母に言われて、学校に行く前に仏壇に線香をあげ、般若心経を唱えていた。その頃から仏教に興味があり、法話を聞くのが好きだった。副住職の夫と結婚して、「良き妻、良き寺の嫁であらねばならぬ」と、過剰に適応したのは、小さい頃からの影響がある。お寺では、住職夫婦と夫の間で悩みながら、「お檀家さんがこの寺へ来て、すがすがしい気分になれたらなあ」と思っていた。夫との関係は、お互いに尊敬しあって、苦しいことも楽しいことも、分かち合える妻でありたかった。だから「従順であらねばならない」と。
夫は三八歳で結婚したときから、九つ下の妻について、「けばけばしくない性格で、何も趣味を持たず、寺の仕事をよく手伝ってくれることだし、自分にとって理想的だ」と思ってきた。また、妻は人から悪く見られないように気を使っていた。
結婚後の彼女は、「寺の嫁」の妻として、住職と夫の板ばさみになって、気の休まらぬ日々を過ごしていた。夫は合理主義者で、厳しい戒律の禅寺で教育を受けており、寺で出した自分のごみは、マンションへ持ち帰った。家事は妻が自由にやりたいのに、夫があれこれ制限する。長男を出産し、育児不安にかられる生活の中で、夫に受け入れられず別居も考えた。そのような時期の一九九四年初夏に、春奈ちゃんの母親と知り合い、親近感を抱いた。父親が胃がんで入院したため、心配事を夫に話しても、相手にしてもらえず、ストレスで口がきけなくなる日もあり、周期的にうつ状態になった。子供の教育についても、夫との対立があり、夫の子育てへの非協力的態度に不満を持つようになった。夫婦の間に会話は乏しく、夫には相談相手になってもらえなかった。妻の言葉は聞いていたとしても、心を開かなかったところに、思いやりのなさがあった。
一九九六年五月、父が病死したが、彼女は葬儀に行けなかった。住職の妻が、曾孫に会うためアメリカへ行き、留守を頼まれていた。周期的うつ状態は続いていた。春奈ちゃんの母親と交際を続けていた。
一九九八年春頃、寺で後継者問題が起こり、「寺の嫁」として尽くしてきた彼女は、被害者意識が高まった。しかし寺の行事は土・日曜日に集中して、ずっと休日のない生活が続いた。
一九九八年夏頃、夫に「幼稚園を換えたい」と相談したが、賛成が得られず、彼女としては、春奈ちゃんの母親と、顔をあわせないように努めた。彼女は、精神的なバランスを保つことが困難になり、長男の頭や顔を、たたいたり殴ったりするようになった。寺でおとなしくさせるための躾でもあったが、春奈ちゃんの母親への否定的な感情を込めて、長男への体罰があった。
一九九九年三月頃、錯綜した混乱を抱え込む中で、「春奈ちゃんの母親がいなくなればよい」が「春奈ちゃんがいなくなればよい」と、対応しやすいほうへ置き換えられ、同年一二月犯行にいたることになる。
=cd=70c1山田みつ子の心の闇から見る寺庭婦人のリスク
著者は、様々な角度から、彼女の心の闇に迫ることを試みている。著書を通読することにより、春奈ちゃん殺害事件の背後に潜んでいる山田みつ子の抱える心理的葛藤を中心として、時系列的に見てきた。ここまで見れば、単なるお受験殺人ではないことは明らかである。以下、上記で述べた内容について、彼女が寺庭婦人ということを考えながら、寺庭婦人の抱えるリスクを考えてみたい。
彼女は、夫になる僧侶と南無の会で知り合い結婚しているわけであるが、彼女が入会した理由を問われ対外的には、「死にたくないのに死んでいく患者に、生命の理不尽さを感じます。患者の精神的な葛藤を、少しでもケアできたらと願っています」という看護婦として優等生的で、いかにも看護婦として理想的な問題意識を持っているかのような答えである。しかし一方で、本人は摂食障害に苦しみ、自分の心の底に不安を持ち、「人生を良く生きたい」「自分らしく人生を全うしたい」という実存的な悩みを持っていた。そのような彼女が仏教に救いを求め、南無の会に入会したのではないか。そこで知り合った僧侶である夫には、普通の夫に求める以上の宗教的な救いを投影していたとしたら、結婚生活は自分の理想と現実のギャップに直面するだけの毎日となってしまう。付き合うきっかけが、彼女が夫を自己啓発セミナーに誘ったということであるというのも気になる。自己啓発セミナーを受けているということは、現実の自分を変えたいという欲求の証拠であり、自己啓発セミナーに求めていた自己実現を結婚に描いたとしたら。夫婦の間では、夫は僧侶でいることができないのは当然のことで、本来僧侶が妻を持つこと自体に矛盾があるのであるから、僧侶と夫という立場を割り切って理解しなければならない。彼女は、その割りきりができずに、夫に失望してしまい、そのことは彼女自身の自己実現も不可能にすることになったのではないか。
また、彼女を取り巻く環境も、彼女が描いていたものとは異なっていたはずである。いずれは住職になり、安定を手に入れることができる副住職と思った夫が、実は危うい立場であったわけであり、将来的な不安を抱えていたのではないか。お寺では、住職夫婦と夫の間で板ばさみとなり悩みながら、一方で寺庭婦人としては大変まじめで熱心な人であった。彼女は、結婚するときには、お寺にはいるのだから、仏様のことも勉強しなければならない、副住職の夫と結婚して、良き妻、良き寺の嫁であらねばならぬと、過剰に適応したのである。また人から悪く見られないように気を使っていたということからわかるとおり、絶えず他人の目を気にして、良き寺庭婦人として頑張っていたわけである。彼女の完全主義という性格は、寺という慣習の中では徹底するのは困難であり、返ってその長所が災いし、危険性に転化してしまった。この状態は彼女にとって無理をしていることであり、寺庭婦人の燃え尽き症候群とも言えるのではないか。
夫の彼女に対する印象というのも気になる。けばけばしくない性格で、何も趣味を持たず、寺の仕事をよく手伝ってくれることだし、自分にとって理想的だと思ってきたということである。これは、妻として彼女を愛しているというよりは、寺庭婦人として副住職である自分にとって都合が良い女性であったということなのではないか。「自首する前に、皇居の周りを歩いて、ベンチに座り込み、妻の話を聞いた。結婚してから、二人だけでじっくり話したのは、このときが初めてだった。私が妻の悩みを聞いて、気持ちをくんでアドバイスしてあげていれば、こんなことにはならなかっただろう」と夫は法廷にて述べている。彼女は、もっと夫に話を聞いてもらいたかったに違いない。僧侶として、檀信徒の悩みに耳を傾けはするが、一番身近である妻の悩みに対して聞く耳をもてないというのは彼だけではないであろう。われわれも、肝に銘じなければならない。
夫は合理主義者で、厳しい戒律の禅寺で教育を受けており、家事は妻が自由にやりたいのに、夫があれこれ制限したようである。僧侶にとって本来生活そのものが修行であるが、それを妻に強制してしまうことは、彼女にとってはつらいことであったであろう。僧侶という性格上、説教・布教といった絶えず上から物事をなすという態度を家庭に持ち込み、寺族を教導することは、本来家族が持っている受け止める力を発揮できないものにしてしまうのではないか。
また彼女は周期的にうつ状態になっていたようである。上記の夫のコメントの中に、自分が気持ちを汲んでアドバイスしてあげればというのがあった。僧侶であり、本来心の専門家という勘違いが、彼女の精神状態を悪化させたのではないか。家族が精神的に調子の悪い状態であれば、とりあえず精神科への受診を勧めるべきである。自分が高みに立った状態でアドバイスをといった気持ちでは、うつ状態の人を救うことなどできないはずである。
以上、山田みつ子の物語として述べた内容に関して、注を付けるような形で、彼女が寺庭婦人であるために抱えるにいたったと考えられるリスクを見てきた。彼女は寺庭婦人に不適応であったとは決して言えない。むしろ、本性としては適応しにくい心理的な問題を抱えていながら、過剰に適応しようと努力していたと言える。僧侶である夫が、もう少し彼女に対して思いやりの心があればと残念でならない。
次章では、彼女の抱えていた悩みを含めた形で、現代の寺院において寺庭婦人が抱える可能性のある悩みを見てみたいと思う。この作業は、弱さの情報公開であり、これを通して悩んでいるのは自分だけではないという安心感が生まれ、結果としてリスクを回避する効果があると思う。
【5】寺庭婦人の憂鬱
寺庭婦人と一言で言っても、さまざまなタイプがいるのは当然で、十人十色といっても過言ではない。しかしそれをあえてタイプ分けすると次のようになるのではないか。まず宗門が期待する理想的な寺庭婦人像である。新機構改革要綱で見たとおり、住職の布教を支える縁の下の力持ち的存在である。このような寺庭婦人が、寺庭婦人会の大勢を構成しているのではないか。またその中から、より一層仏教に興味を持ち、信仰を持つ結果として寺庭婦人の出家という現象が考えられる。
また、寺庭婦人というよりは、僧侶である夫の立場を相対化し、たまたま結婚した人がお坊さんをしているだけで、私は夫の妻としての役割をこなすといった、いわば寺庭婦人を生業と割り切りこなすタイプも想像できる。
上記に述べた、㈰出家する寺庭婦人、㈪寺庭婦人会のメンバー、㈫生業として割り切る僧侶の妻、彼女たちは、宗勢調査報告に見られるように、自由な時間が持てず忙しいといった悩みを抱えた、適応型の寺庭婦人像と考えられる。
今回考えてみたいのは、寺庭婦人という立場につらい気持ちを抱えながらも、頑張っている寺庭婦人像である。山田みつ子もそうであったように、表面的には何の問題もなく寺庭婦人をこなしていながらも、深層には大きな不安や悩みを抱えていることがある。それはどのような要因によるものなのかを考えてみたい。
後継者問題
平成八年度の宗勢調査報告書に寺院後継者問題についての報告が載っている。寺院における後継者または予定者の有無について、「いる」寺院が二七〇四ヶ寺(六三・三%)、「いない」寺院が一四四〇ヶ寺(三三・七%)であった。この「いない」寺院一四四〇ヶ寺に対して、「まだ考えていない」が三八二ヶ寺(二六・五%)、「子供がいない」が二六三ヶ寺(一八・三%)、「弟子がいない」二〇五ヶ寺(一四・二%)であった。今後どのような対応を考えているかという設問には、「子供を養子として迎える」二五六ヶ寺(一七・八%)、「代務寺にしてもらう」二一八ヶ寺(一五・一%)、「その他」三三九ヶ寺(二三・五%)となっていた。
この調査で、今後の対応というところに、「子供を養子として迎える」、「代務寺にしてもらう」という答えは、住職の回答というところに注意しなければならない。住職が現職なり、元気なうちは、問題ないであろうが、住職に先立たれた場合、寺庭婦人の立場というのは非常に不安定である。対応の答えが「その他」が一番多かったということで、その内容が気になる。住職は、後継ぎがいなくても自分が元気であれば極端な話し安心であるが、寺庭婦人はそうはいかない。住職は自分が死んだ後の、寺庭婦人の生活保障を考える義務がある。
=cd=70c0 個人化の影響
近年顕著になった社会変化として、個人化が上げられる。離婚、結婚しない、子供を持たない、といった人生の選択をするものが多くなった。マスコミでは「家族崩壊」として報道されている。つまり、婚姻の公的意味づけの希薄化であり、従来とは異なった、子供や配偶者を持たないライフコースが市民権を獲得したことを意味する。それは個人を単位とする社会の成立であり、従来の家族における制約が取り払われた状態といえる。特に、家族における女性の意識の変化は顕著である。従来の家意識の持っていた、親から子へといった縦のラインではなく、女性はむしろ自分たち夫婦が主体の横のラインを重視する傾向にある。
この社会の変化から、寺庭婦人といえども無関係ではいられないだろう。寺という制約が寺庭婦人にとって重いものと感じるものになれば、「休みがなく、お手伝い代わりに使われる」といった昔であれば当たり前であった姿が、受け入れられなくなってくる。寺院の中においては、縁の下の力持ちであり、住職を支える役目という寺庭婦人像は、寺院内におけるジェンダー(社会的・文化的・経済的に複雑かつ精緻に作られる性差)の問題をはらむことになる。夫婦という横のラインを前提とする意識の基では、従来の理想的な寺庭婦人像は変更を迫られることになるのではないか。
また家意識の希薄化は、お寺の奥さんという寺庭婦人の前提を崩す危険性がある。「夫と結婚したのであって、寺と結婚したのではない」という意識は寺庭婦人という立場の否定を意味することになる。
平成八年度の宗勢調査報告書では、寺院の世襲化問題が論じられている。現在の寺院の住職となった理由について、「親子による世襲」が一九〇四ヶ寺(四四・五%)と圧倒的な割合であった。この傾向は今後ますます強まると予想されているが、この事は寺庭婦人が後継者をつくる「産む性」と依然として捉えられていることを意味する。結婚すればすぐ子供ができるという雰囲気が蔓延しているように思う。さまざまな理由で子供ができない夫婦もいると思うし、子供はいらないと思っている夫婦もいると思う。私も結婚した当初「まだ子供できないの」「つくりかた教えてあげようか」などと言われた記憶がある。そのようなコメントに、いちいち真剣に答えても疲れてしまうので、受け流すことになる。男の私でもそのようなことを言われるのだから、寺庭婦人の後継ぎをつくるというプレッシャーは相当なものではないだろうか。私は、結婚した人に「まだ子供できないの」とは絶対訊かないようにしている。
個人化という意識変化は、上記で述べたことを考慮すると、寺庭婦人を悩み多い状態に追い込んでいくことになるのではないか。
=cd=70c1 核家族化の影響
ライフスタイルの変化により、世帯の構造が変わってきている。平均世帯の規模も一九六〇年に四・一四人だったものが、一九九五年には二・八二人と減少している。核家族世帯の割合は戦後増加し、一九八〇年には六〇・三%まで増加した。その後やや減少し、一九九五年では五八・七%となっている。一人住まいの単独世帯は一九七〇年に二〇・三%であったものが、一九九五年には二五・六%まで上昇した。また三世代同居は、一九七〇年に一六・一%であったのが、一九九五年には一〇・五%となっている。
また、平成八年度宗勢調査報告書に出ているように、寺庭婦人の七六・二%が「非寺院出身者」ということは、寺庭婦人といえども結婚前は核家族や単独世帯が大半ということがわかる。この事実は、寺に嫁いだ寺庭婦人にとって、寺という環境に馴染みにくい土壌となっているのではないか。その結果、寺族という大家族に対して違和感を持つことが考えられる。大家族ということに関して現代の問題としては、介護の問題が挙げられるであろう。一般家庭でも、この介護という問題を抱えている家庭は多いと思う。それぞれの家庭の状況にあわせて対応することになるが、そこに家が寺院、家庭が寺族ということで、なんとか自分のところで介護しなければという、人を救う立場の寺院・僧侶・寺庭婦人という意識が働いたとしたら、そのしわ寄せは寺庭婦人のところに集まることになるだろう。体外的には、寺庭婦人であっても、家庭においては妻という自意識における使い分けを行い、過度の精神的な負担を軽減することも必要ではないか。
最近聞くところによると、結婚しても当初は寺に住まず近くから通うという副住職夫婦が増えてきたようである。住職との結婚だと難しいが、相手が副住職であれば、徐々に寺院という環境に慣れていくのもひとつの方法ではないだろうか。
寺庭婦人像への過剰反応
平成八年度宗勢調査報告の現在の悩みにあったように、非寺院出身者の悩みとしては、「結婚前のイメージとかけ離れている」「お寺の妻として特別な目で見られる」が、寺院出身者より多くなっているという結果であった。山田みつ子の物語でも見たように、一般的には、僧侶と結婚するということは、お寺の奥さんになることであり、彼女のように「お寺に入るのだから、仏様のことも勉強しなければ」と、良い意味で適応しようと努力する人も多いであろう。
これらから類推されることは、寺院という環境はわれわれ僧侶が考えている以上に社会からは、仏とかかわるという聖なるイメージで考えられており、またその存在は社会において別世界を形成しているということである。そのため、寺に嫁ぐ人は、山田みつ子が思ったような気持ちになるし、いざ入ってみれば自分のイメージとのギャップにがっかりするわけである。また、その別世界の住人は、社会からの視線に対し、過剰に反応することになってしまうのではないか。
また、仏教のことも学ばなければといった、良い積極的な思いは、裏を返せば聖なる空間の住人である寺庭婦人は仏教のことに精通しなければという自意識に変わり、その思いと現実との差にストレスを感じる結果となる。例えば、夫の職業を聞かれたとき、素直に言えないということがあるそうだが、その深層には、寺庭婦人としての自信のなさや、特別な目で見られることの嫌悪が隠れているのではないか。社会の視線に敏感な寺庭婦人であれば、僧侶の妻とはどうあるべきかという理想像を対外的に演じ、例えばおしゃれなど贅沢と見られることを避け、こっそりと遊ぶなど、かなり閉塞感のある束縛された私生活を送らないとも限らない。寺庭婦人という立場は、自分たちも檀信徒と同様に生きることに悩み、時に無力であるという明白な現実を隠蔽し、不自然なほど毅然とした態度で生活することを強いてしまうのではないか。そして、そのような自分自身の二面性に疲れていくのである。
僧侶であれば、志を持って宗門で確立された修行のカリキュラムをこなすことによって、アイデンティティの確立がなされ、それは自己肯定感につながる。しかし寺庭婦人の場合、修行ではなく結婚というものがイニシエーションとなってしまうため、そこにアイデンティティを築くのは困難なのではないだろうか。寺庭婦人たちが、社会において胸を張って「私はお寺の奥さんよ」といえるようなカリキュラムが必要な時代になっているのではないか。
宗教的親和性の欠如
社会において、新霊性運動といったスピリチュアリティに関して一部では興味を示す雰囲気もあるが、大半の人々は宗教と無関係な生活を送っているのではないか。核家族化の影響であろうが、実家には仏壇がなく、先祖供養や御墓参りをしたことがなく、世間が考える信仰である先祖供養というステレオタイプさえも理解できないという悩みが生じる可能性もある。「信じる」と簡単に言うが、何を信じるのかと問われると、言葉に詰まってしまうのではないか。そのような理解しがたい宗教に、関わらなければならない重圧を感じる寺庭婦人がいたとしても不思議ではない。ただ単に、お手伝い・お茶くみと割り切ってしまえば、このような悩みを抱えるはずもないが、大部分の寺庭婦人が真剣に寺院における自分の立場を宗教的なことを含めて、考えているに違いない。寺庭婦人として、宗教的などんな部分に関わっていけるのか、関わったほうが良いのかわからないという人も多いのではないだろうか。そのような思いが、寺庭婦人の平成八年度宗勢調査報告に見た、研修意欲にも表れているように思う。
自らが宗教にかかわり、その状態がしっくりくるといった宗教的親和性は、一朝一夕に築けるものではなく、これは日ごろの生活、そして夫である僧侶との関係においてつくられていくものであろう。
【6】おわりに
僧侶のこれまでの一般的な考え方としては、家庭のことや寺の雑務は寺庭婦人に任せ、布教のため・寺門繁栄のためつくすということを当然とするものであった。そして寺庭婦人もその寺庭婦人像を忠実に演じていた。現在も少なからずその雰囲気は存続している。しかし社会における変化は目覚しく、寺院もその影響下にある。宗門としても、あまり寺族や寺庭婦人の問題に関しては、個人的な問題であまり関わらないとする傾向が大勢を占めていた。しかし、現状は「寺院」と「寺族」に関する様々な問題が生じてきているように思う。一般社会であれば、会社と家庭との間にはある程度距離感がある。また、自営業としても、そこの奥さんが寺庭婦人ほど特異な存在とはならないであろう。寺族の場合、その存在は寺院の中に含まれることになり、社会からはいやが上にもお寺の人と見られる。山田みつ子の物語で見たように、寺院における問題は寺族に持ち込まれることになり、寺族は恒常的なストレスを抱えることになる。このストレスという問題は、人それぞれであり、同じ状況をストレスと感じない人もいる。したがって、画一的な対策が取れるわけではなく、ケース・バイ・ケースなのは当然である。ここで大切となってくるのは、寺庭婦人にとっては夫の僧侶であり、寺族においては父である僧侶である。家族も個の集まりではなく有機的な関係性を持つシステムと考えることが重要である。夫であり、父である僧侶が、今までの認識を改め、現状より多少なりとも寺庭婦人を含めた寺族の言葉に耳を傾けることが必要とされているのである。また同じ寺院という環境にいながらも、寺族は自分とは違う思いを持っているということを再認識する必要があるのではないか。
寺庭婦人にとって大事なことは、理想的寺庭婦人という内部に組み込まれた価値観から自由になり、寺院という環境において、彼女が彼女として存在すると感じられる自己同一性の感覚を保証されることである。そのためには、夫である僧侶の協力が不可欠である。夫である僧侶は「うちは大丈夫」と思うのではなく、少しでも寺庭婦人が抱えているかもしれない悩みに対して思いをめぐらし、たまには感謝の言葉をかけることも必要であろう。また、寺庭婦人が望むのであれば、受けることのできる学習プログラムが必要である。彼女たちは、忙しい日々を送っており、研修会にはなかなか出席することができない現実があることを考えると、通信制の学習プログラムが良いのではないだろうか。宗門が上から押し付ける教育的なものではなく、寺庭婦人が自発的に受けることのできる生涯学習的なものを宗門は作らなければならない時代を迎えているのではないだろうか。
寺庭婦人に自己肯定感が芽生え、自分の居場所を見出すことができれば、自ずとやりがいを見つけ、自他共に認める立派な寺庭婦人となっていくのではないだろうか。その過程を僧侶である夫は、理解を示しながら見守ることが大切である。