現代宗教研究第37号 2003年03月 発行
イスラーム原理主義をめぐって―眞田芳憲先生の講演に関連して―
イスラーム原理主義をめぐって
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(日蓮宗現代宗教研究所研究員) 中 井 本 秀
二〇〇一年九月一一日のアメリカにおける同時多発テロは、テロリズムそれ自体が理解しがたいほどの規模であっただけでなく、その後のアフガニスタンへの報復攻撃、イスラエル・パレスチナ紛争、イラクへの軍事攻撃の危機等、憎悪の連鎖を増幅するという憂慮すべき事態を招いてしまった。むろん、数千人に及ぶ一般市民の犠牲者を出したテロリズム自体は許されざる犯罪であるが、前号の所報で石川浩徳現宗研所長によって指摘されているように、アメリカによるアフガニスタン攻撃もとうてい容認できるものではないと思われる。いったい何がそうさせてしまったのか。
アメリカ政府の見解によれば、テロを引き起こしたのは、オサマ・ビン・ラーディン率いるアルカーイダというイスラーム過激派(若しくはイスラーム原理主義組織)であるという。サウディアラビア人であるオサマ・ビン・ラーディンがアメリカを憎むようになったのは、アメリカが湾岸戦争後もサウディアラビアに駐留し続けることに対して、異教徒が聖地を蹂躙していると考えたからだと言われている。また、アフガニスタンを実効支配していたタリバン政権についても、西欧的に近代化された社会から見れば、近代的価値観を取り入れていない前近代的な(イスラーム原理主義的な)支配を行っていると喧伝された。まるでイスラームという宗教自体に危険な問題因子が含まれているかの如き報道が続いたのである。
こうした状況下、現代宗教研究所においても、現今の世界情勢からして、イスラームという宗教に関する理解は不可欠であろうという判断から、イスラーム研究に着手することとなった。実際、昨年秋から今年にかけて、一般社会の中でこれまであまり注意を払われてこなかったイスラームという宗教に対する関心が高まり、イスラーム、中東問題専門家等による講演、シンポジウム等が数多く開催されてきている。筆者も、国際宗教研究所主催の講演会(『「イスラム原理主義」とその背景』)や、日本ムスリム協会・WCRP(世界宗教者平和会議)共催のシンポジウム(「イスラームを理解しよう=cd=ba52平和への対話と協力」)、立正大学仏教学部主催の講演会(「現代世界におけるイスラムの意義について」)、そして現宗研主催のこの講演会に出席した。いずれの講師の方々も、イスラーム若しくは中東地域研究の専門家で、専門とする学問分野は様々である。しかし、共通に主張されていることは、キリスト教を基盤にした宗教観や西欧近代的価値観の無自覚な適用(濫用)は、ことイスラームに関しては、誤解を生むことはあっても理解を促すことはないという基本姿勢をお持ちだったように思う。イスラームを理解するには、イスラームに合わせた思考枠を持つ必要があるということである。
ここに掲載されている眞田芳憲先生のご講演は、表題にある「イスラーム原理主義」だけでなく、広くイスラームの基本概念やテロリズムへの視点等、多岐に及び、イスラームに無知な私どもにも理解できるよう、ご配慮下さったもののようである。個人的には特に、イスラームの三極構造として、タウヒード(神の唯一性)、ウンマ(イスラーム共同体)、シャリーヤ(イスラーム法)を掲げ、イスラームの特質を見いだそうとする視点は、極めて興味深いものがあった。しかし、現在のところ、それらを扱うことは筆者の能力を越えるものでもあるので、表題の「イスラーム原理主義」に絞って私見を述べてみたいと思う。
イスラーム原理主義(Islamic Fundamentalism)とは何を指す術語なのであろうか。マスメディアで使われる「イスラーム原理主義」という語は、「イスラーム原理主義組織によるテロリズム」というような用法が多い。これに従えば、「イスラームの教えに忠実に、頑迷に従っていけば、暴力的で卑劣なテロリズムを引き起こすのは当然である」ということになってしまう。つまり、そんなことはありえないのに、イスラームは本質的に、卑劣な無差別殺人を許容する宗教だと決めつけることになってしまうのである。イスラームに対する悪意のこもったレッテル貼りである。
このように、テロリズムを頻発させる過激派組織に「イスラーム原理主義」という形容をかぶせることは、イスラームに対する偏見を助長させ、現在のイスラーム諸国の本当の姿を覆い隠すことになろう。従って、「イスラーム原理主義」が、イスラームの教えに忠実に従い、あらゆる側面で、すなわち、宗教的側面だけではなく、政治的にも経済的にも社会的にもイスラームが適用されるとする立場だとするならば、我々は、西欧近代的価値観からの一方的な評価ではなく、より事実に即した形で把握する必要があろう。大塚和夫氏は、この辺の状況を辛辣に、そして適切に表現している。
世俗化・政教分離・信仰の個人の内面化などが進行するはずの「近代」において、あえて前代の遺物であるカビのはえた「宗教」なんぞを持ち出して社会・政治改革を行おうとする「反動的」な「時代錯誤者たち」に、キリスト教社会で既に用いられ、類似したネガティヴなニュアンスをもつファンダメンタリズムというラベルを貼りつけ、蔑視しつつ理解したつもりになって安心するモダニストの姿が、むしろそこから浮かんでくるのです。そこには、自分たちと異なる文化のなかで生じている不可思議な出来事、不可解な行動を、「彼らの」世界認識の枠組みのなかに位置づけて内在的に理解しようとする地道な努力を払わずに、「自分たちの」枠組みを安易に用いてわかったつもりになっている、怠隋なエスノセントリズムすら感じられるのです。そのような姿勢のなかには、自分たちのもつイスラームや近代という固定観念を相対化し、異文化の理解を目指すといった真摯さは感じられません。(大塚和夫「ファンダメンタリズムとイスラーム」(井上順孝・大塚和夫編『ファンダメンタリズムとは何かー世俗主義への挑戦』一九九四年、新曜社、七四頁)
それでは、外部世界からは原理主義として映るイスラーム諸国の姿は、どのようにしてもたらされたのか。その起こりは、眞田先生のご講演において示されているように、一八世紀にアラビア半島で起こったワッハーブ運動であるとされている。それまで神秘主義や現世利益信仰がはびこっていたアラビア半島で、ムハンマドの時代のウンマ、すなわちイスラーム共同体に戻れという運動が起こったのである。このように、イスラームの本来の姿に立ち返れという運動を、イスラームの専門家たちは、イスラーム復興運動、乃至イスラーム主義と呼んでいる。
このような復興運動は、ほとんどの伝統宗教がその展開過程で経験する、所謂、原点回帰運動の一つとして理解してもよいであろう。たとえば、日蓮宗に於いても、一致派が室町から江戸中後期にかけて展開した教学は、中古天台の影響を強く受け、徹底した本覚法門を中心としたものであったと総括した上で、祖書中心主義へと回帰し、数百年に亘った一致派教学を乗り越えようとするのも、原点回帰運動の一形態と見なすこともできるのである。伝統宗教は、いずれも千年以上に亘って、それぞれの時代の政治体制、社会情勢等に敏感に反応しながら展開を遂げてきたのであるから、時代に相応した変化を含むのは当然であろう。しかし、ある程度の変化がもたらされると、不動の権威を持つ宗教的原点に回帰しようとする動きが現れてくるのである。キリスト教世界での宗教改革やプロテスタンティズムの勃興も同様の動機に基づくものと考えて良いであろう。
その意味で、イスラーム世界で顕在化したイスラーム復興運動も、一種の原点回帰運動として理解すべきである。ただ、たとえイスラーム復興運動がイスラーム世界を席巻したとしても、他の宗教の原点回帰運動と比較すると、現在のイスラーム諸国の状況は説明できないように思われるのである。ほとんどのイスラーム国は、近代国家の礎である近代法を取り入れておらず、原則としてイスラーム法に基づいた国家を形成している。経済にしても、資本主義国家でもなく、共産主義国家でもない、イスラーム法に基づいた経済運営を旨としている。また、西欧的価値観に対する抵抗も相当なものがあるが、これらは、単なる宗教の原点回帰運動といった視点からは説明できない。
イスラームの復興運動が現在の「原理主義」と呼ばれるようになった要因は、二つ考えられると思われる。一つは、イスラームという宗教の特質である。イスラームは、政治的、社会的、そして経済的側面においても、その影響力を強く発揮したという点である。イスラームは、本来、クルアーン(コーラン)、スンナ(ムハンマドの言行録)においても認められるが、とくにシャリーヤ(イスラーム法)に基づくウンマ(イスラーム共同体)の形成を通して、世俗社会に直接関わる教義体系を持つ。所謂、信仰や祈りといった宗教的側面だけでなく、生活すべてがイスラームなのである。基本的に出家主義である仏教からすれば、ほとんど正反対の宗教と言えるかもしれない。この点が原点回帰運動をして、極めて政治的色彩を濃くする原因となったと考えてよいのではないか。イスラーム原理主義という言葉を使わずに、政治的イスラーム(political Islam)と呼ぶ研究者が多いのも、以上のような観点に基づくものであろう。
二つ目は、一九世紀以降、ほとんどのイスラーム国が、欧米の利権争いに翻弄されたという歴史的経緯がある。しかも二〇世紀後半には、急激な西欧的近代化を図ったものの、ほとんどの国がそれに失敗し、その軋轢の中で、イスラームは、徐々に勢力を増していったものと言われている。西欧的近代化が行き詰まり、近代化の恩恵を受けられる人が少数の場合、大多数の人々の不満が、アイデンティティ・クライシスと結びつき、イスラームの原点への回帰へと向かうのは、宗教の歴史的展開という観点からすれば、当然の成り行きである。
「イスラーム原理主義」という術語の背景は、以上のようなものとして理解する必要がある。したがって、眞田先生が指摘されておられるように、「原理主義」(Fundamentalism)の語源と言われる、一九三〇年代のアメリカプロテスタントの保守主義運動とは似ても似つかないものなのである。
マックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中で指摘するように、現代の資本主義社会を構築したのは、アメリカのプロテスタント社会であるとすれば、もし仮に、アメリカ経済が破綻し、近代的価値観が崩壊するようなことがあれば、アメリカ国民の中で、プロテスタンティズムへの回帰運動が盛んとなり、プロテスタントとしての自覚が薄れてしまったがゆえに、行き詰まってしまったのだと考えることになるという予想も可能である。
最後に、筆者に、アメリカによるアフガニスタン攻撃がどれほど愚かなものであるかを知らしめてくれた一文を紹介したい。加藤尚武氏(鳥取環境大学学長・日本哲学会委員長)が、ご自身のホームページ(http://www.ethics.bun.kyoto-u.ac.jp/kato/)の中で発表されたものである。『ゲルニカを忘れないで』という題名の短文であるが、二〇〇一年九月二四日の日付であるから、アメリカによるアフガニスタン攻撃以前に草されたものである。ここに全文を引用する。
テロリズム攻撃のもっとも憎むべき点は、それが無差別殺人であるということである。そのビルで働く市民、その飛行機に乗り合わせた市民がすべて無差別に殺害されたということである。
テロリストが拷問をしたときテロリストに拷問をする、テロリストが生物兵器を用いたときテロリストに生物兵器を用いる、加害者に被害者と同じ苦しみを与えるのであるから、これは報復である。報復であるが正義ではない。「拷問は不正である」、「生物兵器の使用は不正である」という加害者と被害者に共通して適用される原則が守られていないからである。
テロリストが無差別殺人をしたとき、空爆によって、テロリストを客人として扱うタリバンの支配下にあるアフガニスタン国民を無差別殺人に処する 。これは報復でもないし正義でもない。「報復」でないのは、アフガニスタン国民は加害者ではないからである。「正義」でないのは、「無差別殺人は不正である」という共通の原則が守られていないからである。
一 スペインの町ゲルニカGuernicaにフランコ将軍の側にたったドイツ飛行機による無差別爆撃が行われたとき(一九三七)、世界中が憤激し、ピカソが大作ゲルニカを発表した。アメリカ大統領フーバーは「非戦闘員の殺傷が不正であること」を再確認する書簡を発表した。
二 しかし、アメリカが第二次世界大戦に参戦(一九四一)し、日本に対する空爆が有効な手段と見なされる段階になると「非戦闘員の殺傷が不正であること」という原則は事実上無視された。しかし「現存する戦闘行為を停止させる不可欠の手段」として正当化された。原爆の投下、ベトナムでの空爆、湾岸戦争での空爆、ユーゴスラビア内戦での空爆は、いずれも「現存する戦闘行為を停止させる不可欠の手段」として正当化された。
三 もしもテロリスト攻撃への報復という理由でアフガニスタンで空爆がなされるとしたら、もはや「現存する戦闘行為を停止させる不可欠の手段」という意味を持つことはない。「テロリストの次の攻撃に先手をうつ先制攻撃」として空爆が行われることになる。湾岸戦争での空爆、ユーゴスラビア内戦での空爆が、たとえ正当化されたとしても、同じ理由で正当化することのできない、空爆の新しい適用事例となる。
テロリズムの無差別殺人を憎むものが、空爆という先制攻撃をアフガニスタン国民に行うならば、無差別殺人という同じ罪を犯すことになる。世界はゲルニカの時代に逆流するのだろうか。ピカソの作品が訴えていたものが「非戦闘員の殺傷が不正であること」であったことを世界中が忘れようとしている。