現代宗教研究第37号 2003年03月 発行
第十二回法華経・日蓮聖人・教団論セミナー講演 イスラームの「原理主義」の誤解をただす―仏教者の視点と役割―
平成一四年二月五日
第一二回法華経・日蓮聖人・教団編セミナー講演
イスラームの「原理主義」の誤解をただす
=cd=ba52=cd=ba52仏教者の視点と役割=cd=ba52=cd=ba52
(中央大学教授) 眞 田 芳 憲
ただいま、ご紹介をいただきました眞田でございます。時間が限られておりますので、すぐお話に入りたいと思うのでございます。
私達の周辺には、いわゆるムスリムと言われますイスラーム教徒の数はそう多くありません。また、イスラーム文化というものとの接点もあまり多くありません。そんなことから、イスラームというものがなかなか見えにくいし、分かりにくくなっているのではなかろうかと思います。
ところが、昨年の九月一一日の米国同時多発テロという衝撃的な事件がありましてから、現在の世界の動きは、イスラームというものの理解を抜きにしては語れない、世界の政治も世界の文化も語ることができないというような状況になっていると思います。それにも関わらず、イスラームと申しますと、つい、イスラーム原理主義と思ったり、あるいは過激派であるとか、テロ事件であるとか、そういうものと結び付いて理解される傾向があります。
昨年、日本ムスリム協会の役員の方々とお話をしておりましたら、九・一一事件の後、かなり脅迫電話が舞い込んでいるということを話しておられました。そして講演を頼まれて地方に行っても、石を投げられるような経験さえするというようなお話がありました。それぐらい、恐らくイスラームというものがなかなか理解されていないのであろうと思うのであります。
クルアーン(コーラン)にはこういう言葉がございます。「人々よ、われは一人の男と一人の女からあなた方を創り、種族と部族に分けた。これは、あなた方をお互いに知り合うようにさせるためである(聖クルアーン四九・一三)」。神が人類を様々な種族と部族に分けたのは、人間を相争わせるためではない、それは互いに理解し合い、平和の道を生きよという神の祝福として人々を種族と部族に分けた、というのであります。
それにも関わらず、人間は神の道を踏み外してしまいました。クルアーンにはこう書いてあります。「人間は元来、ただ一族であった。もし以前にあなたの主から下されたお言葉がなかったならば、その相違については彼らの間に採決下されてしまったであろう」(同上一〇・一九)。つまり、神は神の祝福として、人々を種族と部族に分けたにも関わらず、なぜ、それが相敵対するかと言えば、人間が神の心がどこにあるかということを知らないからということであります。つまり、神の心を知らない、神の教えを知らない、これを「無明」、すなわち私のレジュメの㈽のところに記してあります、ジャーヒリーヤーがこれであります。こういった真理というものを知らないで、人間が自分の利害・利益・貪欲のままに生きる、それによってますます神の道から外れていったが故に、人間は相争うようになったと、イスラームは見ているのであります。
恐らく、今のイスラームの現状を本当に憂いている多くのムスリムの指導者達はこのような考え方を持っていると言ってよいでありましょう。こうした視点から、原理主義というものを正しく理解しておく必要があるのではないかと思います。
現在、世界の人口を六〇億人としますと、キリスト教徒が二〇億人、イスラーム教徒の数は、統計というものが無い地域・国でありますから、はっきりと押さえることができませんが、少なくとっても一〇億人、多くとって一四億人、あるいは一五億人とかなり幅があります。一応、一三〜一四億人と見ておいていいのであろうかと思いますが、ヒンズーが九億人、仏教が三億五〇〇〇万人と言われている中で、イスラーム教徒の数を仮に一四億人といたしますと、世界人口の五人に一人、あるいは四人に一人がムスリム(イスラーム教徒)であるということになります。
このような事柄は、私どもがヨーロッパやアメリカで生活をしていますと、たちどころに、周辺に住む人に、いかに多くのムスリムがいるかということに気付きます。しかし、残念ながら日本では、そのようなことはほとんど気付くことはないのでありますが、実に多くのムスリムが周辺にいるということは確かであります。
そうしますと、世界にはこのような多くのムスリムがいるわけですから、中にはとんでもない変な人もいるのは当たり前でありまして、ちょうど戦前、いわゆる日蓮主義ということで、国柱会という組織、そして中には北一輝のような方も出てくるかと思えば、一方では宮沢賢治のような方も出てくる。様々であります。同じ法華経という信仰を持っていても、それによって全ての人々が同一に論じられるかというと、決してそうではありません。ものの考え方により、法華経の理解により、解釈によって非常に多くの違いが出てくることは当然でありまして、その点を考えますと、一四億人のムスリムがいるとすると、そこには様々な考え方を持つムスリムもいるということもまた、考えておいていただきたいと思うのであります。
イスラームは砂漠の宗教と言われますけれども、決して砂漠の宗教ではありません。なぜなら、ムスリムの中で一番人口の多いのはインドネシアでありまして、インドネシアは砂漠の地ではありません。そういうところに一番人口が多いというのをどのような説明するかということになります。イスラームの地域といっても非常に多様であり、非常に変化に富んでおります。
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そのことをまずご理解をしていただいた上で話を進めたいと思います。ところで、「イスラームは原理主義だ」とよく言われます。ちょっと待ってください。「原理主義、ファンダメンタリズム」という言葉ですが、これは一体どういうことを意味しているかということであります。イスラームには「原理主義」という言葉はありません。元々「原理主義」という言葉が使われましたのは、キリスト教のプロテスタント、特にアメリカの一九三〇年代のプロテスタントの保守主義運動の中で出てきた言葉であります。
例えば、ダーウィンの進化論が学校で教えられると、キリスト教の旧約聖書の世界の創造、人類の創造が全部否定されてしまうことになります。そこで、学校で進化論を教えてはならないという考え方が主張されたのであります。これが原理主義、ファンダメンタリズムであります。現にこれを教えた先生は、裁判にかけられて有罪になって、学校では進化論を教えてはならないという判決が下されました。さらには、いわゆる社会的な布教、自由主義的な布教ということをも、これも本来のキリスト教の教義からは相反するということで保守派のプロテスタントの人々の原理主義という立場から批判されたのであります。
このような意味合いをもつ原理主義と、よく言われるイスラームの「原理主義」とはずいぶん趣が違います。イスラームには原理主義という言葉はありませんが、あえて使うならば、皆さんに資料として差し上げました中で、㈼の四(別表㈰)にムスリム同胞団のイスラーム観とサラフィー主義というのがあります。「サラフィー」というのは「先達」という意味であります。つまり、先達の教えに戻って生活し、行動するということであります。「先達」と申しますと、仏教で言えば釈尊や釈尊の十大弟子、こういう方々の考え方、教え、行動を模範として生きよということでありますから、「サラフィー主義」というのは、言ってみれば、「イスラーム本来のイスラームに戻れ」、「イスラームの原点に戻れ」ということであります。これを西洋の人々は「原理主義」と呼んでいるのであります。
恐らく今日、ご参会のご僧侶の方々は、法華経、あるいは日蓮聖人のご遺文のお教えのままに日々生活をしようと考えてらっしゃるはずであります。それは釈尊の教えに忠実に生きる、これを「原理主義」と言ったらそうなるかも知れません。その教えに、原理に忠実に生きるとなれば、原理主義と言っていいかも知れません。しかし、それは本来のファンダメンタリズムというキリスト教の持っていた意味とは違います。「本来の教えに忠実に生きる」ということを以ってすれば、皆さんとても「原理主義者」でなければならないし、なるべきだと私は思います。そう考えますと、イスラームの「原理主義」というのは、むしろ私は、言葉を避けるべきだと思うのであります。それは、あくまでも「イスラームの原点に戻って生きる」ということであります。
さて、今日の私のレジュメで、なぜ、タリバンはバーミヤンの石仏を破壊したかということから始めておりますが、こんな話をしておりますと、時間があっという間に経ってしまいます。私はかつて、バーミヤンの石仏の事件が起きました時に、毎日新聞の依頼を受けて書いた、文章の中で、これは神学の論争、クルアーン解釈の問題で、そこを中心として考えていかないと問題が解けませんよ、ということを指摘しておいたのであります。
この事件が起きまして、ユネスコもおおいに動きました。日本の仏教者も、あるいはスリランカや東南アジアの仏教者も反対の声を挙げました。イスラーム諸国もそうでありました。特にイスラーム諸国会議機構は、タリバンと同じスンニー派に属するエジプト・アズハルの宗教指導者であります共和国ムフティの、エジプトの最高の宗教指導者ですが、ムハンマド・ワースイルという方を中心とする代表団を、アフガニスタンに派遣いたしました。そして、代表団はタリバンの幹部と会見いたしまして、「石仏の破壊とは、イスラーム社会からの理解を得られない」と主張しました。タリバンの最高指導者のムハンマド・オマール氏の仏像破壊令はイスラームの教えに反するものであるから白紙撤回すべきである、と要請をしたのであります。それに対してタリバン側は、「要請は法的、宗教的根拠が欠落している。代表団はイスラームの遺跡が破壊されたインドやイェルサレムに行くべきである」と反論いたしました。代表団によるタリバンの説得が失敗に終わり、帰国いたします。そしてエシプト政府の新聞で「アフラーム」はこう伝えております。「タリバンはイスラームとイスラーム教徒のイメージを歪めた。真のイスラームが求めているのは、表現、思想、報道の自由や人道尊重だ、文明世界に合致する文化的な創造である」。
イスラーム世界においても、このように考え方は違います。どうしてか、ということになるわけです。これはクルアーンの解釈の問題です。そういう問題の本質にかかわる事柄が、私たちの新聞等々での情報には極めて乏しいということを申し上げておきたいのであります。
三番目の、なぜアルカイダにサウディアラビア人が多いのかということであります。どうして多いのか、いろんな理由が求められると思いますけれども、これもサウディアラビアという国がどのようにして建国されたのかということを理解しないとよく見えてこないところであります。
今日、私は一月一一日の朝日新聞を持ってまいりましたが、ご覧の方々が多いかと思います。二月一三日から「ハッジ」が始まります。「ハッジ」というのは巡礼でありまして、世界のいたるところからサウディアラビアのメッカ、メディナの二大聖地に巡礼がまいります。世界中から約二〇〇万人集まるわけであります。
ところが、このハッジをめぐりまして、サウディ政府は非常に困惑しております。過激派を封じ込めなければならない。すなわち、反体制運動が起きておりますので、その締め付けというものが今、行なわれているわけです。どこまで締め付けが行なわれるか、成功するかどうかはわかりません。なぜこういうことをしなければならないか、ということであります。
その資料が、今日差し上げた資料の㈵の二(別表㈪)のワッハーブ派というところでございます。サウディアラビアという国ができましたのは、一九三二年のことであります。建国にいたる歴史は長いのでありまして、一八世紀の半ばまで至ります。ムハンマド・ブン・アブドゥル・ワッハーブというイスラーム復興運動指導者が、当時サウディアラビア半島を支配していた極めて宗教的に乱れた、倫理的に乱れた社会に対して、本来のイスラームに基づいた新しい宗教運動を起こすということを行なったのであります。その宗教運動の根幹は、クルアーンと預言者ムハンマドのスンナ、後に触れますけれども、仏教で言えば、クルアーンは釈尊の教え、そして法華経とも考えていいし、スンナは日蓮聖人のご遺文と考えて位置づけたほうがわかりやすいかも知れません。そういう、クルアーンと預言者ムハンマドのスンナに厳密に基づいた純粋な初期のイスラームに戻れ、イスラームの根源的な教え、唯一神信仰の根源に戻れという運動を起こすのであります。そのためには、神秘主義に汚染された聖者崇拝、それから聖者の墓に詣でるなどの偶像崇拝につながる行為を厳しく批判いたしまして、神の唯一性〈タウヒード〉と神の予定〈カダル〉を強調したのであります。
神の唯一性については、これは重要な概念でありますので、後ほど少しお話したいと思いますが、そのように宗教運動が起きました時に、一方にサウド王家が政治的な支配権を持ち、様々な部族、種族を統合いたしまして、アラビアに統一国家を作るという気運が生じてきます。その時にワッハーブという宗教的な力と、サウドという政治的な権力とが手を結びまして、そして今のサウド王家を作られたのであります。ワッハーブが亡くなりましてからは、サウド王家が宗教権力をも握ります。今はサウド王家が宗教権力と政治権力の両方の権力を持ちまして、聖地の指導者として支配しているということになります。
そのようなサウディアラビアの建国の精神というものを考えました時に、現在のサウディアラビアという国はどういう状況になっているかということであります。聖地を持つ国内に、他国のイスラーム教徒であっても同じイスラーム教徒を迫害するアメリカ軍の軍隊を駐留させているということは、イラスームの建国の精神から見てどういうことになるのか。湾岸終戦後にいたっても、依然としてイスラーム聖地に米軍が駐留したままである。駐留軍の数は三〇〇〇人と言うけれども、「とんでもない、三万人はいるだろう」と言われております。アメリカ軍に提供される費用は兵士一人に一日一五〇〇ドルと言われています。日本の場合に、沖縄の駐留米軍に対してどれぐらいの国家予算が出されているかは知りませんが、少なくとも一日一五〇〇ドルというお金が支払われ、他方それによって国民の生活はだんだん苦しくなってきている。原油であがってくる膨大なオイルダラーも、最近はそれほど豊かにはなっておりません。
このようなアメリカ駐留軍の実態に加えて、支配者層の、特にサウド王一族の堕落した生活もしばしば問題にされるわけであります。こういった事柄は建国の精神に反するものでありますから、反体制運動が起きてくるのは当たり前であります。その反体制運動は、今度の九月一一日の同時多発テロ以後でありましても、サウディ国内で一連の事件を起こしております。一〇月六日にはダーランの商店街でパキスタン系と見られます人物が自爆し、米国人死者一人を含む十数人が死傷している。ラマダンが明けた一二月一一日にも約一〇〇〇人の若者が集結して反体制運動を起こす。逮捕された三〇〇人の中には、二人の王子が含まれているということがあります。
その他、様々な事件が起きているという事実をどう考えるかということになります。こういった事柄を見てまいりますと、なぜこのような事件が起きてくるのかということを考えなければならない。表面的な問題の理解では事柄の実相は見えてこないのであります。
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そこで、そういう問題意識を持っていただくということを前提としまして、次の点に移りたいと思います。
ムスリムのアンデンティティ自覚のための歴史認識ということでありますが、今日は時間があまりありませんので、歴史的な認識は多く語ることはできません。けれどもどうでしょうか、皆さんは今日ご飯をいただいただろうと思いますが、米と言えば、英語ではライス。ライスという言葉は、元々はスペインからきた言葉でありまして、スペイン語でこれをアロスというのであります。スペイン語のアロスという言葉は、元々はアルツというアラビア語からきた言葉であります。米の語源はアラビア語であります。それから今日は当然、お砂糖も召し上がっていると思います。英語でシュガーと申します。シュガーというのはアラビア語ではズッカと申します。これまた砂糖の語源は、アラビア語であります。シャーベット、シロップ、レモン、みんなアラビア語であります。
私達が日常使っている言葉で、日常用品の中でアラビア語に由来するものがたくさんあります。我々は意識していないだけであります。アルコールもそうであります。アルコール、アルカリといった、頭にal(アル)という言葉がつく英語、あるいはドイツ語、ヨーロッパ語でalがつく単語の多くは、アラビア語からきているとお考えいただいて結構だと思います。alというのはアラビア語の定冠詞であります。そうしたものが元々はアラビアからヨーロッパに入っていったのであり、文化の面にしても、医学や哲学の領域では、アラビアの哲学、アラビアの医学を理解しなくては、今日の近代哲学や近代医学も理解できないと言われているわけですね。古代ギリシアの哲学は、直接ヨーロッパの近代へと伝わったわけではなく、アラビアを経由してギリシア語がアラビア語に変り、アラビア語がラテン語に翻訳されてヨーロッパに入っているのであります。十字軍の時の戦争状況を見ると、アラビア圏の方がヨーロッパよりはるかに文化程度は高かったわけであります。
ところが、一七世紀からどんどんとヨーロッパに侵食をされまして、中東世界というのはヨーロッパの植民地主義、帝国主義、そういう支配の中に組み込まれていくことになります。そういうヨーロッパの帝国主義、植民地主義によって西欧主導の国際秩序の中に組み込まれた結果、かつてヨーロッパ文明を圧倒していた時代から見れば逆転した、ヨーロッパ文明によりむしろ非常に劣ったイスラーム文明というイメージの下で、イスラーム教徒は悲惨で、貧しい生活、抑圧された生活を余儀なくされているのであります。それでは、当のイスラーム教徒達は、自分達の状況をどのように見ていたか、そして現在も見ているかということであります。
彼らは、自分達を支配した、植民地化したヨーロッパがすべて悪いと見ておりません。むしろ、ヨーロッパに植民地化され、自分達のアイデンティティを失った自分達自身にも責任があると見ているのであります。自分達のアンデンティティの根源であるイスラームという教えを自分達自らが軽視し、そこから遠ざかってしまった、イスラームというものがあるにも関わらず、それに従った生活をしていないところに、ヨーロッパにつけこまれて、今の悲惨な状況に追い込まれたのであると見ているのであります。
そのごく一端だけを資料に載せておきました。㈼の二(別表㈫)であります。ムハンマド・アサドという人は、根っからのイスラーム教徒ではありません。彼はオーストリアのウィーンの正統ユダヤ人のラビィの家庭に生まれました。ユダヤ教徒の聖職者の息子であります。そして、第一次世界大戦後のヨーロッパのウィーンで生活しながら、退廃した当時の精神的生活に満足せずに、ウィーン大学を中退し、新聞記者となって中東世界を歩く、その中で彼はムスリムに改宗をいたします。そして先ほど申しましたサウディアラビアの建国にも協力し、最終的にはパキスタンが独立をした時に招かれてパキスタンのイスラーム再建省の初代大臣になります。その後は、パキスタンの国連大使として、「イスラームの大使」、「アンバサダー・オブ・イスラーム」と称賛されるほど国際世界でイスラームの顔として大変に活躍した人であります。
アサドの述べている事柄を少し紹介しておきました。「ムスリムの衰退は」、つまりムスリムが植民地化されて、ヨーロッパのいわゆる精神的な、あるいは政治的な奴隷になっていくということを考えて結構だと思いますが、「ムスリムの衰退は、イスラームの欠点からではなく、それを実践しないムスリム自身の失敗によるのである。ムスリムがイスラームを高貴にしたのでない。イスラームがムスリムを偉大にしたのである。だが、時とともに信仰が習慣となり、未来へ向かって押し進められるべき人生と社会のプログラムであることを止めた時から、彼らの文明の原動力は失われ、創造的衝動は影を潜め、怠惰と硬化と文化的衰退に犯されていったのである」と述べております。「ムスリムがイスラームを高貴にしたのではない」、これを仮に仏教と置き換えてみたら、あるいは法華経と置き換えてみたらどうなるでありましょうか。これはアサドだけの問題ではありません。私たち日本の問題にも通ずるものでありましょう。
もう一つ紹介しておりますのは、ユースム・アル=カラダーウィーという人の考え方でありまして、朝日新聞の二〇〇〇年四月二九日に対談の形で出た言葉であります。アル=カラダーウィーは、現在のイスラームの最も代表的な、最も人気の高い法学者の一人であります。元々エジプト人ですが、エジプト政府から追放されて、現在エジプトにはおりません。イスラーム世界で最も代表的な法学者の一人である彼は、「一体あなたの運動は何ですか?」という質問を受けます。「あなたの運動は何か」という質問に対する答えとして、「それはイスラームに目覚めることです。それも過去にしがみつくのではない、近代化に沿った形でイスラーム共同体を広げるのが目的です。政教分離も世俗主義も排した、民族主義的なイスラーム運動であります。そのためには政権と民主主義の間の溝を、それぞれが暴力に訴えるという破壊ではなく、対話による建設的な手段で埋めなければならない。そういった運動に対する警戒心がイスラーム世界の政権内部にあるのは、嘆かわしい」と述べているわけであります。今、我々にとって必要なのはイスラームに目覚めることだ、いかに人々がイスラームに目覚めて、イスラームに従って生きるか、それも単に過去の伝統にしがみつくということではなくて、今の新しい社会情勢の中に適合し得るような形でイスラームを展開させることだ、そして、その場合決して政教分離の世俗主義というものを認めない、世俗主義を排除した、あくまでも民族主義的なイスラーム運動である、と述べているのであります。
㈼の四(別表㈰)に、ムスリム同胞団のイスラーム観と書いておりますが、元々はカラダーウィーは、ムスリム同胞団のエジプトのメンバーでありました。ところが、彼は、国家権力から睨まれまして刑務所にぶち込まれ、そして追放された人であります。ムスリム同胞団というのは、現在のイスラーム世界における最も大きな、代表的なイスラーム運動の組織であります。ムスリム同胞団の世界観をサラフィー主義と呼んでいる、そのサラフィーというのは「先達」という意味であることは前に申しました。
「サラフィ主義の二〇の原則」を挙げておきましたが、ここでは二つの原則だけを見るにとどめます。第一原則、「イスラームは人間生活の全ての現象に対応する包括システムである」。これだけではなかなか理解しにくいと思います。イスラームというのは「生活」である、イスラームは単なる宗教ではないということであります。宗教と申しますと、私は、文化の最も根源的なものであると考えておりますが、人によっては、宗教は文化の一分野にしかすぎないと考える人もおりましょう。しかし、ここに出てくる「イスラームは生活である」ということは、ムスリム個人の内面の魂の世界から、日常の社会生活において、社会的な人間として、あるいは企業人として、学校人として、宗教人として、あるいは国際人として、あらゆる場においてイスラームを実践するということであります。「人間生活のすべての現象に対する包括システムであるというのは、そのような意味でご理解していただければと思うのであります。そして、事実「宗教」(ディーン)という言葉、アラビア語の「ディーン」は、「生活」という意味でもあります。生活でありますから、ムスリムは、信仰は信仰、生活は生活というように区別することができません。信仰即生活であります、生活即信仰であります。ですから、ムスリムの公私の全生活がすべてイスラームでなければなりません。イスラームと、経済や政治、法律というものが分化することが許されない、政教分離は許されないということになります。
それから、第二原則でありますが、「クルアーンとスンナこそ全てのムスリムがイスラームの軌範を知るための典拠である」ということは、ムスリムが行動する場合に、何が良いか悪いか、それを判断する基準を何に求めるかということであります。あるいは、ある現象が起きました。その現象をもってこれを善しとするか、悪しとするか、この判断の根拠、これをどこに求めるかということであります。私どもは政教分離の世界に生きておりますから、何が良いか悪いか、ある行為があって、その行為が合法的であるか合法的でないかの判断は、憲法であるとか、あるいは様々な法律を基準にすると思います。しかし、信仰者であるならば、自ずから、釈尊だったら、日蓮聖人だったらどういうお考えであろうかというように、法華経とかご遺文のことが頭に入ってくる、こういうことによって、自分達が、何が正しいか何が正しくないかの判断の根拠として物事の是非を考えているはずであります。ムスリムは、あらゆる判断の根拠に、クルアーンとスンナを置け、あらゆる判断の対象は、自分の個人的な生活ばかりではなく、社会行為や企業行為、国家行為の全てがクルアーンとスンナに基礎が置かれなければならないということであります。しかもクルアーンはアラビア語の語法に則って解釈されねばならない、恣意的であってはならない、スンナの解釈は信頼のおける伝承学者によらねばならないのであります。
しかし、「イスラームは生活である」と言っても、これからだけでは恐らくムスリム同胞団のイスラーム観というものはわからない。その上、これがわからないと、現在のテロ事件も解釈できないのであります。
さて、なぜこういう考え方が出てきているかということでありますが、ジャーヒリーヤーとイスラームというところ、㈽−一(別表㈬)で触れておきました。実は、ムハンマドが預言者として自覚したのが六一〇年であります。ちょうど日蓮聖人が法華経での立教を宣言されたと同じように、ムハンマドも宗教史の世界では、六一〇年に立教を宣言したと言われているわけであります。それ以前が「ジャーヒリーヤー」、つまり「無明時代」、いわゆる仏教的な末法思想に基づくところの「闘諍堅固白法隠没」というような時代と考えてよろしいかと思います。そういう中で、イスラームのムハンマドは、イスラームというものの正しい法に目覚めねばならないという宣言を行ないました。この宣言を行なったのが六一〇年でありまして、これがいわゆるイスラームの立教と言われているのですが、実は、これは、そういう考え方は実はイスラームの神学的立場からは出てまいりません。イスラームというものは、資料の㈽の四(別表㈭)に書いておきましたけれども、「イブラーヒームの宗教」、イブラーヒームというのはアブラハム、アブラハムのアラビア語ですから、「アブラハムの宗教」と理解しているのであります。
ジャーヒリーヤーにつきましては、資料として黒田先生の『イスラーム辞典』からの引用をしておきましたから、そこを見ていただきたいと思います。こうしたことの中で、イスラームの神学的立場から、イスラームがなぜ「イブラーヒームの宗教」と言うのかというと、それは新しい宗教を興したのではないということです。ユダヤ教、キリスト教の後に、これらとは全く別個の新しい宗教、いわゆる新興宗教だという理解は、イスラームはとらないのであります。
それではどういう理解をしているか、ということであります。㈽の二(別表㈮)に二五人の預言者とあります。イスラーム世界の中東の歴史は「預言者の歴史」、そして「神の啓示の歴史」であります。この神は唯一神ですから、一神教の信仰の歴史と理解していただきます。まず、神は天地を創られました。そして人間を創られました。人間を創ったけど、お互いが理解し合うように、それぞれに部族に分けました。ところで、人間を創ったのは神の意志をこの地上に実現する、神の定めた意志をこの地上に実現するために、神は人間を創られたのであります。従って、人間は創造主である神の意志にしたがって生きるように義務付けられております。神の意志というのはどのようにして分かるかといえば、それは預言者です。預言者は神の言葉を預かるということで、占うという意味ではございません。神から神の言葉をいただいて、それを人々に伝えて、この神の言葉にしたがって人々は宗教共同体、つまり仏教徒の言葉を使えばサンガを作って、そこで神の意志にしたがった生活をしていこうじゃないかというわけであります。
そうすると、クルアーンに二五人の預言者が出てきます。最初にアラビア語でアーダム、( )の中のアダムは、旧約聖書や新約聖書で使われる言葉であります。そしてそれが次にイドリース(ノア)ですね。それから次にイブラーヒーム(アブラハム)です。それからアブラハムの弟がルート(ロト)でございます。イスマーイール(イシュマエル)、アブラハムの子供でございます。それでヤコブとありまして、そして最後はイーサー、イエス・キリストのことですが、最後にイスラームのムハンマドと、二五人の預言者が出てきているのであります。神はご自分の意志を、預言者を通して伝えます。それで預言者が神の意志を人々に伝えました。ところが、一〇〇年、二〇〇年、五〇〇年、千年と経って、次第に人々が神の御心、神の教えから離れた生活をするようになりますと、そこでジャーヒリーヤーという無明時代が始まります。そうすると、神は、また新たに別の預言者に、その時代にふさわしい形で預言者を送られて神の意志を伝える。このようにして歴史の中で二五人の預言者が出てまいります。
例えば、神は、エジプトで非常に悲惨な生活をしていたユダヤ教徒に対して、ムーサー(モーゼ)に十戒と言われる言葉を伝えます。この言葉を伝えて、彼らに神の教えに則った正しい生活をするようにと教え訓しました。このモーゼに与えられた預言の書が「トーラー」と呼ばれるもので、これがいわゆる「旧約聖書」と呼ばれているものであります。
ところがそれからまた、長い歳月が流れます。そうすると、ユダヤ教徒も神の意志から離れた生活をするようになります。例えば選民思想、我々は神から特別に選ばれた民族であるという選民思想ですが、この唯一の神の信仰ということからすれば、すべてが一神教徒でありまして、民族によって優秀である、優秀でないというような考え方は出てくるはずはない。ユダヤ教徒の中に、このような選民思想が現れることによって、人々が神の道から逸脱した物の考え方や生活をするようになると、再び神は預言者をこの地上に送り出す。それがイエスであります。改めて神はイエスを通して神の言葉を伝える。それが愛の宗教という愛の教え、「インジール」というものであります。その「インジール」を光源とする新しい宗教共同体が、いわゆるキリスト教徒という宗教共同体が出てくることになります。このインジールというのが「新約聖書」ということになるわけであります。
ところが、このキリスト教徒も歴史の流れの中でいつしかまた堕落するというわけです。例えば、神というものは生まれないものであって、しかも生むものでもない存在者であればこそ絶対者であるとするならば、神の子イエス・キリストという考え方は、そもそも唯一神の考え方からは出てこない。ですから、三位一体という考え方は、唯一神の信仰から逸脱したということになります。そこで、改めて今度はムハンマドに神の教えが啓示される。「本当の意味の唯一神というものの信仰を正しく伝えなさい」と、ムハンマドに神の意志が伝わったというのであります。
すると神の意志は、「あくまでも純粋な一神教、絶対的な一神教の根源に帰れ」ということになります。どこに帰るのかとなりますと、この二五人の預言者の中で一番象徴的な人物がアブラハムです。アラビア語でイブラーヒームと呼ばれるアブラハムであります。旧約聖書をご覧になった方はおわかりかと思いますが、イブラーヒームは、神の命令で自分の子供をモリヤの山に連れて行って、そこに祭壇を設け、そしてそこに自分の息子を生け贄として神に捧げなさいと神から言われるわけです。イブラーヒームは、その神の意志にしたがって子供を連れて行き、そして山頂に祭壇を作って薪を置いて、そこに子供を縛って殺そうとする、その時、神ははじめて、イブラーヒームが神に対して絶対的に服従するという心、神に対して信従する、神に対して絶対的に信頼し服従するという心を理解し、子羊を別に差し出して、生け贄にするように命ずるわけです。これは、イブラーヒームがどこまでも、神の教えに対して服従するか、信従するかということを試されたわけでありまして、そういう意味でイブラーヒームは、神に対して絶対的に服従した人ということで尊敬されているのであります。
そういう意味で、イスラームでは、ムハンマドは立教者というよりも、むしろ「イブラーヒームの信仰に戻る」一神教の宗教改革者として理解されているのであります。そして「神に対して絶対的に服従する」ということが、実は「イスラーム」という言葉であります。仏教徒の言葉に直しますと、「帰依」であるとか、「帰命」ということになる。アラビア語の「イスラーム」とは、神に対して絶対的に帰依、服従するという意味であります。
そしてこの「イスラーム」ということと「ムスリム」(イスラーム教徒)は、全く言葉の語根が同じであります。日本語とか英語にしますとそんな感じがしませんが、アラビア語では語根が同じなんです。つまり、これはイスラーム、神に絶対的に服従するという動詞の現在分詞の形がムスリム、イスラーム教徒となっておりまして、「神に対して絶対的に服従する者」という意味であります。そして神に対して絶対的に服従することによって生じる状態、これが「サラーム」であります。サラームとは「平和」という意味ですけれども、イスラーム、ムスリム、サラームの三者はどれも同じ一つの言葉から出ております。
そうすると、「サラーム」とは、絶対的に服従することによって生ずる自分の心の平安な状態だけでなく、社会の平和、繁栄の状態ということになります。私はこれを、イスラームとムスリムとサラームとの三位一体と位置づけるわけであります。その意味で、私達日本人は、政教分離の生活をしておりますから、イスラームから見ると神に対して絶対的に服従しているとは言えないことになります。人間から見ると、聖なるものは聖、俗なるものは俗、社会は社会、私は私と分けることはできる。しかし神から見たら、それは人間の都合によるものある。神は人間を創られた以上、創造主たる神の意志をこの地上に実現して欲しい、しかも人間の生活のあらゆる局面において神の意志を実現せよということでありますから、そういう意味で政教一致の絶対的服従というイスラームの意味は、政教分離の日本人が言う場合とはニュアンスが全く違ってくることになります。
そして、「神の道に対して絶対的に服従する」、「神の道を歩む」、仏教徒でいう「仏道を歩む」でありますが、その神の道を歩む努力をするということを「ジャーハラ」と申します。「ジャーハラ」という言葉の名詞形が「ジハード」、新聞等々で「聖戦」と呼ばれている言葉です。ジハードには、本来は聖戦なんて意味はありません。神の道をそのまま生きるということ、仏道を精進することが「ジハード」であります。
クルアーンに「アッラーの色染め」(聖クルアーン二・一三八)という言葉が出てまいります。「アッラーの色染め」とは、ムスリムたる者は神の目で見、神の耳で聞き、神の鼻で匂い嗅ぎ、神の口で語るということであります。「アッラーの色染め」、イスラームは、これを人々に求めるわけであります。一一世紀の偉大なイランの思想家でガザリーという人がおりますが、ガザリーはこう述べております。「人間の生活全体が、その一瞬一瞬が、神の臨在の感覚で満たされていなければならない。そういう生活様式に人生を作り上げていくことによって、人は神に真の意味で仕えることができるのである」。「神に絶対的に服従する」というイスラームという言葉の真意は、その生活の一瞬一瞬において神がそこにおられるという、仏教で言えば仏が生活の全局面において遍在しておられるということをどこまで自覚して生きているかというのと同じことであろうと思うのでありますが、そうした「アッラーの色染め」の生活を生きるということにあるということになりましょう。
そこで、実はイスラームの六信五行についてお話しなければなりませんが、時間がありませんので少しだけお話しておきます。この六信というのは六つのことを信じるということでございますが、「唯一神アッラーを信じる」、「諸啓典を信じる」、「諸預言者を信ずる」、「諸天使を信じる」、「復活、天命を信じる」ということです。注意をしていただきたいのは、「諸啓典」と複数形を使っております。つまり、イスラームですからクルアーンだけが彼らの信仰の啓典であるとは考えていないということです。これは預言者が人々に伝えた言葉は、例えばユダヤ人の旧約聖書であろうと、キリスト教徒の新約聖書であろうと唯一神の啓示の言葉である以上すべてそれを信じるという意味であります。預言者、これも複数形です。これはムハンマドだけを信じるということではありません。二五人の預言者がおりますが、それも全部信じるということでありまして、イスラームだからムハンマドだけしか信じない、あるいはクルアーンしか信じないということではないということであります。それから、後にも触れますが、復活を信じるとあります。来世を信じるということであります。
五行は信仰告白、礼拝、喜捨、断食、聖地巡礼の五行を行なうということですが、これは時間の関係上、省いておきたいと思います。
さて、ざっと話をしたわけですけれども、そうしたことを念頭に置きながら、実はイスラーム世界のことを理解する場合に、私たちがなかなか理解できない、あるいは新聞、マスコミなどもなかなかわかりやすく説明してくれないということの理由は、私たち日本人の宗教的な感性というものが非常に鈍くなっているからだろうと思っております。特にマスコミの、宗教に対する感性というのは非常に弱いということは、つくづく痛感することが多うございます。特に「宗教が社会である」、「社会が宗教である」というような中東世界に起きてくる現象を理解するには、宗教的感性というのが必要不可欠なものとなります。
例えば、サウディアラビアで入国をする時にビザが必要である、ビザに何を信仰しているかという項目があります。ここに「無宗教」だと書いたら絶対に入国は認められません。なぜか。若い学生諸君にも言うのでありますが、恐らく今、日本人は自分が何宗の檀家だ、等々だといっても、自分が信仰を持っている自覚は、多くはないと思うのであります。すると「無宗教」と書きます。すると入国ができない、なぜか。信仰を持たない人間はアナーキストである、何を考えているかわからないということです。ですからこれはテロリストです。何やるかわからない、何考えているかわからない。信仰を持っていれば、自己と絶対的存在である神との相対関係の中に自己を位置づけて考えて行動する人間であるかがわかる、ところが、信仰がなければ自分が神様ですから、しかもその都度その都度自分の利害打算で絶対者として動く人間ですから何するかわからない、だから入国は認めない、これは中東世界の常識なんだけれども、この常識は私達には理解できないと思うんです。
こうした中東世界に出てくる事柄や現象、あるいはイスラーム世界に出てくる事柄や現象をどのように理解するかという場合に、頭に入れておかなければならないことがあります。イスラーム社会の解析の鍵、原理とも言うべきもので、これがタウヒード、ウンマ、シャリーアという三つの原理でありまして、これについての理解がないと、イスラーム世界の実相は見えてこないのであります。
第一のタウヒードというのは神の唯一性ということであります。つまり、神がこの地上のもの、世界を全て創られた、人間も創られた、だから神に全て収斂されてくる、従って、神の方から見れば、聖なるもの、俗なるものという区別はできるはずがないということになります。個人と社会とか、肉体と精神とか、現世と来世とか、こんな区別も出てこないということであります。言ってみれば、神の絶対性、唯一性というものをどこまで信じ切れるか、服従し切れるかということでございます。
服従するということは、例えば、資料の㈵=cd=ba52二(別表㈪)のところに、ムハンマド・ブン・アブドゥル・ワッハーブとありますが、このアブドゥルという言葉でありますが、私どもは死んではじめて戒名をいただくわけでありますけれども、ムスリムは生まれた時に既に神の名前をいただいているわけで、アブドゥルというのは「アブド」が「奴隷」という意味ですから、「アブドゥル」は「アラーの奴隷」という意味です。イスラーム教徒には非常にアブドゥルという名前が多うございます。ところが、神は九九の美称を別に持っておりますので、この美称を使って様々な名前をつけますが、結果的にはすべて「神の奴隷」ということになります。この世においてもあの世においても神の奴隷のごとく歩めという意味がその名前に含められているのであります。イスラームというのは神に対して絶対に服従するということですから、絶対に服従するということは、奴隷が主人に仕えるごとく仕えるということです。こうしたタウヒードの考え方は命名ばかりではありません。日常生活の中にも様々出てまいります。
現世と来世の対立ということが言われますが、現世しか考えないということは人間のあさはかであります。創造主神から見れば、現世も来世もない。そうお考えになる。むしろ、重要なのは来世であって、現世というものはあくまでも来世をいかに生きるかというための仮の宿でしかない。だから、どれほど現世が辛かろう、労多きものであったとしても、それを神の意志に従って正しく生きる、生き切ることによって、来世で復活して天国への道が保証されるのである。天国の道こそが最終点であって、現世はあくまでも仮の宿でしかすぎないというのであります。従って、ここから殉教の論理が出てまいります。この殉教問題は、テロ事件の殉教と微妙に絡まる問題です。けれども、殉教の問題というのは現世だけが目的ではない、来世こそが目的なんだというところに出てくる事柄であります。
それから第二のウンマです。共同体、サンガということでございます。サンガについては、恐らく仏教的に申しますと、様々な仏教世界論というのも出てくるのであろうと思いますが、ムスリムは三つの世界観を持っているように思うのであります。元々中東世界は、どこの世界もそうであるのかも知れませんが、国境というものはないのであります。国境は人間が勝手に作ったものでありまして、国境はありません。ムスリムは牧畜の民でありますから、草があるところはどこへでも行くわけでありまして、それを国境で切られたら生活はできません。広大な山脈があるとか、あるいは川があるとか、そんなぐらいで地域が切れていたはずです。それをスケールで線を引くというのは、二〇世紀に入ってからのヨーロッパの植民地主義がやった仕事でありまして、元々国境はないわけです。
第二次世界大戦後新しくいろんな国ができました。今、シリア人とかエジプト人という言葉が出てきますけれども、しかし、彼らの考えでは単にシリア人だ、エジプト人だと言っても、実はアラブ人であるということで共有するものがあります。と同時に、イラスーム教徒であるということですべて兄弟姉妹だ、連帯し合う、ということになりますが、このことが私達は理解できない。「お前は誰だ」という自己のアイデンティティを求める時にどう答えるか、日本人と答えるか、恐らく彼らは、「私はムスリムである」と答える人が多いのではないでしょうか。自分のアイデンティティは、シリア人であろうと、エジプト人であろうと、イスラーム教徒である、ムスリムであることによって自己のアイデンティティを決める、そういうような考え方をします。
ですから、毎年ハッジの季節になりますと世界からメッカに二〇〇万人以上の人々が集まる。この二〇〇万人がカーバー神殿をぐるぐるものすごいスピードで回るんです。その時には全ての人々が自分の生まれてきた地方の洋服を全部脱ぎ捨てます。そして、針の入っていない二枚の白衣で、世界中の人々が自分達の母国に持っていたネイティブなものを全部捨てて、同じ衣服で、同じ言葉で、同じ行動で巡礼を行なう。そして巡礼は改めてそこにおいて神との契約を更新する仕事なんです。自分は神から生み出され、創られたものとして、神の意志に従って生きているか、生活しているかどうか、イスラームをしているかどうか、ジハードをしているかどうかということを確認し、改めて神との契約を更新するという儀式になっているわけです。このことを、汎イスラーム主義と申しますが、私達の場合はいかがでしょうか。やはり世界中で仏教徒に会いますと、心の通い合いができます。けれども、彼らの結び付きの強さというものとはかなり趣を異にするものがあるように感ずるのであります。
さて、そのような彼らの共同体観、世界観からすると、仮にどこかで誰かイスラーム教徒が迫害されておりますと、例えば、アフガニスタンで迫害されているとすると、エジプト人やシリア人やサウディ人も、当然これは共鳴して何とか救済の手を差し伸べねばならないとというイスラーム世界全体の国際的な連帯意識が出てまいります。
第三のシャリーアというのはいわゆるイスラーム法です。ムスリムが個人としても、あるいは会社であろうと、あるいは国家であろうと、ある行為をする時に、この行為が神から許されている行為であるか許されていない行為かどうかを判断する規準が、シャリーアと言われているものです。これを仏法と言ってもいいかも知れません。政教分離の社会では、仏法というものと世法というものをきちんと分けて分離されてしまっています。仏法と世法が切断されて矛盾し合ったとしても、あまり問題にされない。けれども、イスラームでは世法の法律というものは、シャリーアの一番下に位置づけられ、カーヌーン(国家制定法)と呼ばれ、決してシャリーアとは呼ばれません。カーヌーンは、どんなことがあってもクルアーンとスンナに一致していなければなりません。クルアーンとスンナに認容されてはじめてカーヌーンができるわけです。
例えば、私達にとって有事立法が問題になってくるのは憲法との関わりでありましょう。ところが彼らは憲法との関わりだけでなくて、神はどう考えているか、神はどう見るのか、あるいはムハンマドはどう教えているか、神の意志やムハンマドの教えに反すればどんなものであっても認められないと理解しているのが彼らの考え方です。その憲法的表現が例えば、エジプト憲法第二条「イスラーム法学は立法の主要な淵源である」とあります。これはシャリーアという、クルアーンとスンナを中核とするイスラーム法が、国家が法律を作っていく場合の全ての根源でなければならないという国家法の宣言であります。
サウディアラビア憲法もそうでありまして、「サウディアラビア王国はアラブのムスリム独立王国であり、その宗教はイスラームである。そしてクルアーンと聖預言者ムハンマドのスンナが、法律上及び憲法上の諸規定の究極の主要な淵源である」と定められてありますが、国家の行為によって法律を作ること、国家の行為として行政を行なう、裁判を行なうといった行為はすべからくクルアーンとスンナに依拠していなければならない。これが政教一致であります。これはタウヒードの考え方からすれば当然のことであります。
さて、イスラームとテロリズムについて考えてみたいと思います。イスラームはテロリズムにどう関係あるのかということが問題になってまいります。テロリズムを考えます時に、イスラーム世界では、個人であろうと、組織であろうと、集団であろうと、国家であろうと、テロ行為が正当化されるためには、クルアーンとスンナがこれを是認しなければ行なうことができないのであります。
そうすると、アメリカの同時多発テロ事件は、イスラームから見たらどういうことになるかということになります。クルアーンにはこう記されております。「人を殺した者、地上で悪を働いたという理由もなく人を殺すものは、全人類を殺したのと同じである。人の生命を救う者は全人類の生命を救ったのと同じである」(聖クルアーン五・三二)。無実の人を一人でも殺す、無差別に殺すということは、全人類を殺すのと同じであると、神は教え諭しているのであります。そうしますと、クルアーンに忠実であればあるほど、つまりクルアーンの原理に忠実であればあるほどテロはできないということになるはずであります。自殺についても同様でありまして、「信仰する者よ、あなたがた自身を、殺したり害してはならない」(同上四・二九)と、クルアーンは自殺を禁止しております。ムハンマドも禁止しております。
そして、神の教え、つまりシャリーアに違反するものは許しがたい大罪であるとして厳しく戒められております。「あなた方信仰する者よ、シャリーアを越えてはならない。法を越えてはならない。アッラーは法を越える者をみれたまわない」(同上五・八七)と。イスラームでは、テロ行為はいかなる形のものであれ、許されない行為であります。イスラームの教えに忠実であればあるほど、無実の者を殺すことは神の道に反する大罪であります。
しかし、ここから問題が出てまいります。いかなる場合においても人を殺してはならないのか、という問題です。いかなる場合であっても戦ってはならないのか、ということが問題になります。ムスリムにあっては、侵略戦争は禁止されております。自分から侵略することは禁止されておりますれけども、侵略された場合の自衛戦争は認められているのであります。自衛権を行使して敵と戦うことは許容されております。クルアーンにはこう記されてあります。「汝らに戦いを挑むものがあればアッラーの道のために戦え。しかし、侵略的であってはならない。アッラーは侵略者を愛さない」(同上二・一九〇)と、イスラーム法は自衛戦争を肯定するものの、侵略戦争を断固として認めない。侵略戦争は認めない、自衛戦争は認めるという立場に立って、どういう自衛戦争は認められるかということの戦争理論が構築されておるわけです。
イスラームでは、すでに九世紀頃から自衛戦争のための国際戦時法の理論というものが体系化されておりまして、シヤルと呼ばれるイスラーム国際法がこれであります。これはイスラームの戦争と平和の理論として体系化された法であります。ここにおいては、非戦闘員、婦女であるとか、未成年であるとか、身体障害者、修道僧、隠者、精神異常者、医師や看護婦といった人々の殺害行為は禁止されておりますし、農作物や果樹の損傷、つまり自然破壊につながるような農作物の損傷や損壊、あるいは、樹木の伐採、こういう自然破壊も禁止されています。平和と戦争についての詳細な理論が、既に今から一二〇〇年も前に出されているのであります。こうしたことを考えてみますと、イスラームは仏教の絶対平和主義とはいささか趣を異にするかも知れません。
=cd=70c5
ブッシュ大統領は、「正義の戦い」というようなことを言いました。しかし、その表現は単細胞的な表現にすぎないようにしか思われないのであります。かつて、フランスの思想家でパスカルは彼の著名な書物『随想録』(パンセ)の中で「ピレネー山脈を越えれば今一つの正義がある」といった有名な言葉を残しております。アメリカの正義、あるいはアフガニスタンの正義、あるいはフランスの正義、ドイツの正義、あるいはキリスト教徒の正義、イスラーム教徒の正義といったように、これまでの人類の歴史において正義は相対的なものとして利用されておるのであります。そういう正義論から果たして何が生み出されるのか、国家の権力者が正義を犯した者は誰かと、犯人探しをすることはよろしいかも知れませんけれども、果して本当の真実は出てくるのでしょうか。イスラームには仏教の縁起観という考え方はありません。「目には目、歯には歯」といった考え方は、厳然としてあります。これは中東世界の長い長い歴史が常に争いのあった歴史、日本の自然風土と違って、常に人々が争っていた歴史でありますから、争わなければ殺される、生きるか死ぬかという歴史でありました。そういう歴史の中で、戦いというものをどう見るか、どのように生きるかということを考えていたと思います。残念ながら彼らには、仏教の持っている縁起観という考え方はありません。そのことはキリスト教においても同様であります。
なぜ、九・一一といった事件が起こったのか、この因縁果報という縁起の法を洞察しない限り、事件の実相を見極めることはできないし、和解の道を探ることもできない。ですから、口で平和とか寛容と言ったところでも、まず、なぜこのようなテロ事件が起きてきているかということを見てみなければならないと思うのであります。
そうなりますと、私はテロが起きる根本に潜んでいるものは何かというと、四つのものが挙げられると思います。五〇〇〇人近い人間を殺すというのは、よほど「憎悪」を持っていなければなりません。どうしてこのような憎悪を持てるのか、人々をして憎悪に駆り立てるものは何か。それは「不公正」であります。それは中東の歴史を見てみなければならない、あるいはアジアの歴史を見てみなければわからないのであります。一〇〇年間、二〇〇年間という中で、不公正な国際秩序の中に甘んじてこなければならなかった人々がいかに多いかということを、私たちは見ておかなければならないと思うのであります。そして、「圧制」もそうです。今のサウディアラビアにおいても、王政の下で人々が苦しんでいることがあるわけで、こういう人々がどのように発言するのか、発言しようと思ってもできない「閉塞状況」の中に閉じ込められているのであります。パレスチナもそうであります。こういう中で自分達が発言する場合は、自爆しかないのではないか、こういう状況に追い込まれているのであります。
このような現在の世界的な現実について、我々がどのようにして実相を見極めていくのか、これを見極めなければ、私達はイスラーム世界の人々の苦しみを共有する、共感することはできないのではなかろうかと思うのであります。私は、ムハンマドのことを思います時、お叱りを受けるかも知れませんが、日蓮聖人のことと結び付くのであります。日蓮聖人の数々あるご法難というのがございました。同じようにムハンマドも大変な法難を数多く経験して、二〇数回の戦争をしなければなりませんでした。殺される危機にもしばしば見舞われました。
立正安国論の言葉を借りれば、「人々がみんな正法に背いて、悉く悪に帰しているから」ということの中で法を説かれていくと同じように、ムハンマドも様々な法難に遭いながらイスラームを説きました。そしてそれも単に精神の問題だけではなくて、イスラームという真理に基づいた国をどう作るか、イスラーム共同体をどう作るかということが、イスラームという正法に基づいた共同体をどう作るかということが、ムハンマドの使命であったように思うわけであります。そういうところに、私は日蓮聖人のお教えに結び付くものを感じるわけです。
=cd=70c6
さて、そういう中で私達が今、本当にしなければならないことは、何よりも今起きている現実の実相をしっかりと見極めていくことだと思うのであります。その上で、私達のそれぞれの立場においてできる事柄は何かということが、はじめてはっきりとその姿を現してくるのではないかと思います。私は今度のタリバンの崩壊を見て、つくづくムハンマドの言葉を思うのであります。
「人間社会に二つのものがある。これが健全だとすべての人が健全であるが、それが腐っていると、すべての人が腐ってしまう。そのふたつとは、ウラマーとウマラーである」という言葉があります。ウラマーというのは宗教指導者でありますが、これは非常に幅広く、宗教に関わる一切の仕事に関わる方々をウラマーと呼ぶわけです。こうした宗教者指導者が腐ってしまうと、社会は腐ってしまうと述べているわけです。
私は、タリバンについて日本の新聞は非常に間違った理解をしていると思います。タリバンというのは神学生ではありません。単なる学生ということでありまして、ターリブという言葉は、「求める者」という意味でしかありません。本当に神学の勉強をしようと思ったならば、今は、エジプトのカイロのアズハル大学で一三年間も勉強しなければ神学を学んだことにならない。恐らく日蓮宗におきましても、日蓮教学を学ぶとすると相当な年数が必要であろうと思いますが、ターリブというのはそういう神学生ではないのであります。彼らが学んだ学校はマドラサと申します。マドラサというのは、読み、書き、ソロバンを学ぶところ、寺子屋であります。読み書きの基本はクルアーンでありますから、例えば今のシリアにまいりましても、幼稚園では全てクルアーンを教えます。クルアーンの暗誦を三歳の子供がしているわけです。マドラサという寺子屋でイスラームを学んだからといって、高度の神学を学んだということにはなりません。
その上、アフガニスタンは、二〇数年間も混乱の極みでありまして、その間で彼らの教育水準というのはどんどん低下せざるを得なかったはずであります。そこで、いわゆる神学論争というものが、どのレベルでできるかということになります。私は冒頭に、タリバンのバーミヤン石仏の破壊に触れました。アズハルの世界第一級の学者が行っていろんな教えを諭したとしても、神学のレベルが違う。違うから理解できない。私はタリバンの神学理解というものが、まさに私達がお経文を読む時に、義に基づいて語を解釈するのではなくて、語そのものだけを取り出して理解するのと同じであります。偶像崇拝は駄目だと、それだけで終わり、なぜムハンマドが偶像崇拝はいけないと言ったのか、そのムハンマドの偶像崇拝は駄目だというイスラームの精神を理解せずしてはできないはずなのに、それができなかったのであります。両者の間に神学解釈のレベルが違っていたのであります。
タリバンも確かに良いこともいたしました。犯罪が無くなりました。けれども、女性の人権を無視する、あるいはその他様々で非常に愚直な行為を行なったということは、彼らのイスラーム理解の程度の低さによるものと言わざるを得ないのであります。そこに私は彼らのウラマーという宗教的=政治的指導者が腐ってしまったために、社会は暗黒化して、結果的にはタリバンが崩壊していく、このようなことをつくづくと痛感しているわけであります。
時間がまいりましたので、この辺で私のお話を閉じましてご質問をいただきたいと思います。ずいぶん飛ばしましたし、少し端折ったことからわかりにくい点もあったと思いますけれども、私の理解できる範囲内においてご質問にお答えしたいと思います。
質疑応答
Q:今日は大変貴重なお話を拝聴できましてありがとうございます。結論の部分に関連して、イスラームの正統的な理解というものと、今回のタリバンの理解のレベルに差があるというお話がございましたが、バーミヤンの大仏を破壊したということに対して正統派の人達が批判した、しかし、それが結果としては何ら世界的な支持を得るような声にまではならなかった、そういう意味からすると、そうした正統派の力というのは影響力を持っていなかったと言えます。そのことからすると、今日でもインドにまいりますと、イスラーム政権の下に倒された仏像がたくさんございます。最近もカンボジアのアンコールワットから、破壊された仏像というものがたくさん出てきた、これは恐らくムスリムのしわざであろうということが言われています。そうなると、今のお話とは別に、ムスリムの中には自浄作用というのか、過去の歴史に学んで自浄していくということも感じないように思うんですが。そういったことからしても、バーミヤンの大仏の破壊というものも、どうしても許しがたいことではあるし、不条理なものを感じるのですが。
A:別の視点から見ますと=cd=ba52=cd=ba52。例えば、私どもがエジプトにまいります。すると、エジプトの神殿遺跡は破壊されておりません。神殿の神像や王の像は、ムスリムから見ますと偶像崇拝以外なにものでもない偶像ですけれども、きちんと保存されているわけです。
そうすると、これは何で説明したらいいんだろう。逆に破壊をした、確かにムスリムがやったものであろうと思います。そういうことと、破壊しないで保存しておくというものとの違いは何なのだろうと思うんです。偶像崇拝ということの持つ宗教的な意味を、当時のムスリムがどのように理解していたか、例えばアフガニスタンのヘラーナは、シルクロードで大変に富んだ土地でありました。ですから、あういう文化が盛んになって、しかしそこではきちんと保存されていたわけです。それが旧タリバンによって壊された。長い間人々によって壊されないできたという事実もまた、見ておかなければならないと思うんです。タリバンがやった行為についてはいろんなコメントが出されております。私は、はっきり言えば正しいものかどうかわかりませんけれども、例えば、「タリバンが国際世論の中から存在を無視されているから、もう一度注意を喚起させるためにあういう暴挙を行なったのである」と言う人もいます。何がさせたのか、あるいは、タリバンが自分達のアフガニスタンにおける存在というのをしっかりと確認させたということがあるかも知れませんし、何が彼らにそういう行動をおこさせたのかは、私にはわかりません。けれども、一方において長い年月、最近まで大石仏が保持されてきたということも否定しがたい事実でして、我々はこれを受け止めておかなければならないのではないかと思うんです。
それから、おっしゃる通りムスリムによって様々な石仏が破壊されているという事実もあります。自浄作用があるかどうか、これは、イスラーム世界は、アフリカ、西アジア、それから南アジア、東南アジア、東アジア、非常に広うございます。その広さの中でイスラームというものは冒頭に申しましたように、一様ではない多様性を持っているということを申しました。多様性を持っているイスラームが、その時の政治的状況によって、様々な具体的な政治行為や破壊行為ということが出てくることもありうると見ておかなければならないのではないかと思うんです。
例えば、比叡山の僧兵の問題だって、どのようなことが言えるんだろうかと思います。私達の日本の歴史の中でも仏教徒の僧兵というものがあって、それが破壊したり破壊されたりしあったという事実を考えます時に、ある行為というのが何で起きるか、その辺の分析をきちっとしておかなければならない。単にイスラームだからこうであって、自浄作用がイスラームの中に無いのではないかとなります時には、もう少しいくつかの角度からこの問題を抑えておく必要があるのではないかと考えております。
Q:イスラーム社会というのは一夫多妻制を認めています。それは教義にはあるのですか。
A:あります。クルアーンとスンナに根拠が無ければ、どんな制度も存在し得ないわけです。ですから、現在のその制度があるということはクルアーンに根拠があるということです。
それはクルアーンの第三章四節というところであります。そこには、公平に取り扱うことができるならば、二人、三人、四人まで娶ることができると説かれております。ここで、「公平に取り扱うことができるならば」、という言葉が問題となります。このクルアーンの三章四節の神の啓示が下されたのは、どういう背景があったかということであります。どのような背景かというと、ウフドの戦いという戦いがありました。イスラーム共同体が生まれてまだ間もない頃です。その時に四倍近い敵と戦いまして、ムスリムは七〇人ほどの戦死者を出します。全ムスリムの約一割が死んでしまうわけです。父親が、あるいは夫が死にますと、遺された妻や子供達はどうなるかという問題が起きました。全くの砂漠の地帯です。農業の田んぼや麦などがあればいいんですが、何もないところです。そういうところで女性が生活するということは、困難です。
そこで、美人であろうがなかろうが、年にも関係なく、とにかく同じ仲間の、死んだ戦友の遺族をどう救済するか、共同体全体で考えようということで、神の啓示が下されたと言われているわけです。こうした制度は日本の鎌倉時代の御家人の間でも無かったわけではない。したがって、これは戦争の悲惨さの中で苦しむ未亡人や遺児達の救済のために下された啓示であって、一種の社会福祉制度ということになります。
そうすると、重要なのは、「公平に取り扱うことができるならば」、という条件がついてであります。公平に取り扱うことができなければ一人で我慢するしかないんです。クルアーンには、別の章句で、通常の男ならとても公平に取り扱うことはできない、という言葉があります。どちらの言葉が正しいんだろうかということになる。男は二人以上の女性を同時に愛せない、一人しか愛せるものではないと記しているんですね。しかし一方では四人までいいとあるわけで、神はどっちだと言うのか、これは解釈の問題です。
今日のクルアーンは解釈では、原則的には一夫一婦が原則、ただし、いろんな事情があって、例えば奥さんに子供ができないとか、あるいは戦争で男子と女性の数に違いが出てくるとか、特殊な状況があった時の、特例中の特例として公平に取り扱うものだけが四人までいいよという理解をしているのが一般的な解釈だと思います。
現在の国家法も、シリア法もエジプト法もそうですけれども、クルアーンとスンナに基づいて作られていますから、複数の妻を娶ることを許しております。けれども、そのためには国家裁判所が介入いたします。そしてこれを単に経済的に公平に取り扱うかだけでなくて、精神的にも愛情の面においても公平に取り扱うことができるかどうかということを、国家裁判所が介入して決めるというようになっております。
私も結婚いたしましたけれども、日本では結婚する場合に婚姻契約書を取り交わす人はいないと思います。結婚は契約です。ですから、私達が例えば家を借りる、マンションを借りるという時は、必ず賃貸借契約を結びます。結婚は家を借りるよりもっともっと大事でございまして、大事であるにも関わらず、契約書を取り交わしません。ムスリムは違います、彼らは契約書を取り交わさないと結婚できないんです。そして、契約書の中でどうしても定めておかなければならない条件がいくつかあります。例えば結納金の金額や納入時期を定めなければ婚姻契約は有効に成立しません。これもクルアーンに定められておりますので、国家法もそのような規定を定めておかねばならないのです。そういう条件の中で、例えば妻が、私の許可なく二番目の奥さんをもらってはいけない、もしそれに違約したら、離婚請求をしますよという条項を入れることができます。そうした婚姻契約書が作れるのです。
そういうことを考えますと、妻の地位というものが一見非常に弱いように見えても、実際の婚姻制度を見てまいりますとそうではありません。私達以上に、女性の地位を強く保護するように仕組まれているように思えてならないのであります。イスラーム世界では、ハーレムであるとか女性のベールとか、そういうもので女性が差別されているという印象を強く与えているのではないかと思うんです。実際、これはどんな制度でも、ひとたびクルアーンに書いてあることが、一〇〇年、二〇〇年経ちますといろんな垢がつきます。いくら日蓮聖人が法華経の真髄を説かれたとしても、それが一〇〇年、五〇〇年もすればいろんな垢がつくのではないでしょうか。伝統に垢がついてくる、その伝統の垢をとっていかなければならないのが、宗教者の使命だと思うんですけど、どんな真理と言っても、それが長い習慣の中で悪い垢がついてくる、一夫多妻制の問題もそうであろうと思います。
そうしたクルアーンの真理が長い年月の中で垢がついて、いわゆる男中心のクルアーン観というものが出てくることになる。しかし、エジプトもそうですが、一夫一婦制が原則であります。四人まで娶ることができたとしても、公平に取り扱うことができるならばということが前提でありますから、男は愛情の面においてとても公平にはできない、こういうことから、イスラームでは一夫一婦が原則なんだというように、女性解放運動の人々は、一〇〇年も前から説いているわけであります。
Q:法華経の中には、仏様がこの世にお出になった出世の本懐は、衆生を仏になすことだということが書かれております。クルアーンとは神の意志を地上に実現するために人を創ったとおっしゃいましたが、その人を創った神の意志というものと、服従と目覚めということの違いかと思いますが、仏に成すという方向性とは軌を一にするものなのか、全く違うものなのかをお教えいただければと思います。
A:違うと思います。一神教の世界では人間は神にはなれないんです。ですから、あくまでも創造主と非創造物という関係です。私達のように仏になるために生まれてきたという発想はイスラームからは出てこないと思います。イスラームのタウヒードの考え方ですけれども、神は創造主ですから万有の支配者なんです。創造したものである以上は、全部自分の所有物なんです。ですから人間には何もないわけです。すべて神からいただいたもの、学生によく言うんですが、私はこうしているけど、私のものは実は何一つ無いかも知れないねえと言うわけです。イスラーム一神教の場合は、創造主と非創造物の関係は、絶対につながらない、人間の方からはつながらない、神の方から、神の恩寵としてつながる。イスラームでは神は首のここにいらっしゃると言います。首のここに神が宿る、人間はそれを知らないだけだ。神はすぐ近くにいるんだよ、人間はよこしまな考え方が多いので気付かないだけだと言います。しかし、仏教の場合、自分という存在と宇宙の大生命との関係は切れているどころか、一体であります。一神教の場合は両者の関係は厳然と切れているのだろうと思います。そこが根本的違いだと見ております。
これに関連して、一つ付け加えておきます。神は万物を創造しました。それで、全部神の手で創造されたものだから被創造物の価値は同じであると言います。等価性という原理であります。万物は、等価値であると同時に、それはそれで、そのものにふさわしい形で差異性を与えられている、従って、万物は自己にふさわしい形の差異性を与えられているのであるから、その差異性に基づいてそれぞれにふさわしい役割を果しなさいと言うのであります。かといって、違ったものを否定してもいいかというとそうではなくて、全てが等しいんだよと。だから人間も、水も空気も全部神が創ったものであるからすべて等価値である、でも水は水、空気は空気、人間は人間とそれぞれの役割があるということを言うのであります。ここにおいて、仏教とイスラームとの間に共通性なり類似性を見出せるかもしれません。
以上
〔資料〕
別表㈰
㈼−4 (ムスリム同胞団のイスラーム観=サラフィー主義[イスラーム復古主義:イスラーム原点回帰主義])
第一原則:「イスラームは人間生活の企ての現象に対応する包括的なシステムである。それは国家と祖国、あるいは政府とウンマ[宗教共同体]であり、倫理と権力、あるいは慈悲と正義であり、文化と法、あるいは学問と司法制度であり、物資と財、あるいは利得と富であり、ジハード[聖戦]と宣教、あるいは軍隊と思想であり、またそれは真なる信条であると同時に正しい宗教儀礼形態なのである。」
第二原則:「クルアーンとスンナ[預言者の信仰]こそ、全てのムスリムがイスラームの規範を知るための典拠である。クルアーンは、アラビア語の語法に則って解釈されねばならず、煩瑣に堕してはならず、かといって恣意的であってもならない。またスンナの解釈は信頼の於ける伝承学者の拠らねばならない。」
ムスタァー・アッスィバーイー著(中田孝訳)『預言者伝』二〇〇一年五月。
別表㈪
㈵−2 19 ワッハーブ派
一八世紀半ばにアラビア半島のナジュド出身のムハンマド・ブン・アブドゥル・ワッハーブ(一七〇三−九一)によって起こされたイスラーム復興改革運動でもある。彼はハンバリー派(イスラーム四大法学派の内、最も厳格な派)の法学を学び、十四世紀の同派の法学者イブン・タイミーヤの思想に強い影響を受けて、コーラン(クルアーン)と預言者のスンナ(預言者ムハンマドの言行録から得られる正しい伝統)に厳密に基づく、純粋な初期イスラームの思想に戻ることを主張した。特にスーフイズムによって汚染された聖者崇拝や聖者の墓に詣でるなどの偶像崇拝につながる行為を激しく非難し、神の唯一性(タウヒード)と神の予定(カダル)を強調した。ナジュドのダルイーヤの豪族であったムハンマド・ブン・サウードの保護を受け、サワード家の勢力拡大運動に参加した。サウード家は十九世紀初めにイラクのカルバラーを攻撃したり、メッカ、マディーナを占領したが、オスマン帝国の指令を受けたエジプトのムハンマド・アリー軍によって滅ぼされた。しかし一九一六年にアブドゥル・アジーズ・ブン・サウードがリヤードを奪回し、ヒジャーズ王フセインをメッカから追い払って、メッカ、マディーナの二大聖地を含むアラビア半島の主要部分を獲得し、一九三二年サウジアラビア王国を建設すると、この思想はアラビア半島の主流思想となった。現在のサウジアラビア王国はこの思想に基づく宗教国家体制を取っている。ワッハーブ派という呼称は部外者からのものであり、サウジアラビアでは法学上はハンバリー派であるとし、信徒はムワッヒドゥーン(一神教徒)と呼ばれている。サウード家の興亡と一体となって展開したこの改革運動は近代のイスラーム復興主義運動の先駆けとなった。
(NHK学園『イスラームの世界必携』 以下『必携』)
別表㈫
㈼−2 ムハンマド・アサド
「クルアーンの頁に見たものは物質的な宇宙観ではない。全く逆に、強烈な神の意識であり、神の創造による全宇宙の知的および合理的認識が要求されていることである。知性と肉体、精神面の欲求と社会的必要が手を取り合う調和の世界。ムスリムの衰退は、イスラームの欠点からではなく、それを実践しないムスリム自身の失敗によるものである。……ムスリムがイスラームを高貴にしたのではない。イスラームがムスリムを偉大にしたのだ。だが、時とともに信仰が習慣となり、未来へ向かって推し進められるべき人生と社会のプログラムであることを止めたときから、彼らの文明の原動力は失われ、創造的衝動は影をひそめ、怠惰と硬化と文化的衰退に侵されていったのである。」(ムハンマド・アサド(アサド・クルバンアリー訳)「メッカへの道」)
別表㈬
㈽−1 ジャーヒリーヤ時代(無明時代)Jahiliyah
一般にはアラビア半島でイスラームが布教される以前の時代をさす。また狭義ではイエスの没後からムハンマドが布教を開始するまでの、預言者不在の時代を意味する。イスラームの光がいまださしそめる以前の時代ということで、無明時代という日本訳が一般的である。
イスラーム登場以前のアラビア半島では、多神教崇拝や宿命観(マナーヤー)が一般的であった。
当時のアラビア人は、もっぱら部族意識を基調に生活していた。部族こそすべて、個人の利益、価値判断はすべて部族のそれに優先されるような状況のもので、個の意識の成長、発展、それにもとづく文化的繁栄などは、望まれるよしもなかった。同族の者に対する強い愛情と、それに匹敵するような異部族敵視の共存、すなわち主従関係を前提とする同族間の愛情と他部族に対する対抗心は、結局当時のアラビア半島をちりぢりに分断するばかりであった。
無明時代のアラビア人の理想的美質は、ムルーア(男らしさ)の中に要約される。精神的、肉体的に強健で、親しい者には優しく、寛大で、敵に対してはすばらしい勇気を示す。苛酷な気候、風土のもとで生活する部族の柱となる人間には、とりわけこのような特質が要求されていた。当時は一年のうち、不文律で神聖月とされていた四か月を除いては、異部族間の略奪が公然と許されていたのである。
その後六世紀の後半に及んで、アラビア半島の住民、とりわけメッカを中心とする人々の間に生活形態の変化が起ってくる。それ以前から聖地メッカの主宰権をもっていたクラィシュ族は、当時台頭してきた東西中継貿易を積極的に営み、これに成功して巨額の利益をあげていた。その結果メッカの豪商たちの間では、徐々に現世的な富のみを最高の価値とし、その他の価値には盲いているような金権的倫理が優勢を占めるようになってきた。利潤のあくなき追求に目を奪われ、商業の独占を計ってたがいに他を排除せんとする拝金主義者たちの倫理は、在来の部族倫理とも抵触し、一種の道徳的不安をかもし出さずにはおかなかった。
宗教的には多神教、倫理的には部族的倫理とその後の金権的倫理の登場が、ジャーヒリーヤ時代の基本的な特徴である。
(黒田壽郎編『イスラーム辞典』)
別表㈭
㈽−4 20 イブラーヒームの宗教
「啓典の民よ、なぜ汝らはイブラーヒームのことで論争するのか。律法と福音とは、彼以後に下されたのではないか。」(第三章六十五節)「イブラーヒームはユダヤ教徒でもキリスト教徒でもなかった。しかし彼は純正なムスリム(帰依する者)であり、多神教徒ではなかった。本当にイブラーヒームに最も近い人々は、彼の追従者とこの預言者(ムハンマド)、またこの教えを信奉する者たちである。」(第三章六十七−六十八節)。このような啓示を受けたムハンマドはイスラームの教えはイブラーヒームの宗教の復興であると宣言し、ユダヤ教徒の非難に対抗した。コーランの内容がユダヤ教の律法と食い違うのは、コーランが間違いなのではなく、ユダヤ教徒たちがイブラーヒーム以来の正しい教えを改竄したからに他ならないと、ムハンマドは主張した。(『必携』)
別表㈮
㈽−2 2 二十五人の預言者
イスラームの聖典クルアーンの中には預言者の名前が二十五人記されている。その預言者たちは同時に使徒でもある。その二十五人は次の通りである。アーダム(アダム)、イドリース(エノクであるとの説あり)、ヌーフ(ノア)、フード、サーリフ、イブラーヒーム(アブラハム)、ルート(ロト)、イスマーイール(イシュマエル)、イスハーク(イサク)、ヤアコーブ(ヤコブ)、ユースフ(ヨセフ)、シュアイブ、アイユーブ(ヨブ)、ズルキフル、ムーサー(モーゼ)、ハールーン(アロン)、ダーウード(ダビデ)、スライマーン(ソロモン)、イリヤース(エリヤ)、アルヤサア(エリシャ)、ユーヌス(ヨナ)、ザカリーヤー(ザカリヤ)、ヤヒヤー(ヨハネ)、イーサー(イエス)、ムハンマドである。(『必携』)