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現代宗教研究第43号 2009年03月 発行

教学の現代化について

第九回日蓮宗教化学研究発表大会

教学の現代化について
 髙 佐 宣 長
 
 
 些か大きすぎるタイトルであり、とても筆者如きが十全に論じ得ることではなく、また、研究と呼ぶに価するような内容を持ち得るものでもないが、問題提起としての意味合いをも籠めてのものとして、御海容戴きたい。
 先ず、「教学の現代化」の必要性ということから考えてみることとしたい。
 そもそも、「教学の現代化」の必要性を云々する、というような必要があろうとは思いもよらなかったのであるが、平成二十年九月十日、十一日に開催された中央教化研究会議(以下、中央教研と略記)での、或る分科会の議論を拝聴していて、些か愕然とした、ということが、小稿を記さんとする動機となっている。
 平成二十年の中央教研は、「日蓮宗の教化学を考える─『立正安国』の精神をどう伝えるか」をテーマに開催され、第一分科会「現代と教学」部会では、「『立正安国』が目指すものは何か」というテーマで、討議がなされた。
 平成二十年三月の定期宗会に於いて、小松宗務総長が、その施政方針挨拶の中で、平成二十一年の『立正安国論』奏進七五〇年の際には「平成の立正安国メッセージ」を発信される旨を言明された。平成二十年の中央教研は、このことを承けて、奏進七五〇「平成の立正安国メッセージ」に反映し得る提言となるような討議を、と呼び掛けての教研会議であった。
 ところが、各分科会での議論を拝聴させて頂くべく巡回していた折、第一分科会の様子を窺うと、
─『立正安国論』は完成しており、手を加えるべきではない。
とか、
─日蓮聖人は、「日蓮が如くにし候へ」と仰っているのであるから、それを改変したりするべきでない。
というような論議が交わされているのを耳にした。
 つまり、「現代の立正安国論」というような発想自体が許されない、として、「平成の立正安国メッセージ」などは不要であるとする論調がその場を支配していたのである。
 無論、そうした議論の中には、
─一般向けに「立正安国メッセージ」を発信出来るほど、宗内に共通認識があるのか、闔宗にその為の準備が整っているのか。
というような問いかけもあり、これはこれで考えなければならない問題を含んでいると思わされたのも確かである。
 今般の宗門運動「立正安国・お題目結縁運動」は、ボトム・アップを基調とすることになっているという。事実、現在三十七項目が掲げられている運動の実施項目が決定されるに際しては、七十四管区の伝道企画会議の成果を踏まえたと聞いている。しかしながら、所謂下からの盛り上がりという状況は余り見られない、とも指摘されているようである。また、宗門運動本部企画推進会議の議論や動きなども、宗内全体にはなかなか見えにくくなっているようでもある……。
 この問題は、小稿の目的とは直接関係しないので、ここまでとするが、この際であるから、平成二十一年に「平成の立正安国メッセージ」を一般に発信するとなれば、一般教師への周知を経て、言わば、宗門人の一人ひとりが、一般社会に向けて発信する、くらいの「覚悟」が必要なのかもしれない、ということを、この場を借りて、中央教研からの問題提起として御報告しておきたいと思う。平成十九年には、チベット問題やミャンマー問題で宗務総長声明が発せられたが、「平成の立正安国メッセージ」は、そうした声明とは自ずから性質を異にするものであろうから。
 さて、話を戻すが、我々、日蓮門下たるもの、「総じて日蓮が弟子と云て法華経を修行せん人々は日蓮が如くにし候へ。」という祖師の御指南に従うことは当然というべきであるが、この「日蓮が如くに」するということをの意味内容をどう解するかがということが、問われなければならないであろう。
 伊藤瑞叡博士は、『立正安国論』を読み解く上での「研究の観点と方法」について、次の七項目を上げておられる。
  (1) 現代の価値動向・思考方法・理念論理を絶対化(△視)する観点から、安国論の価値動向・思考方法・理念論理を相対化して分析する方法をもって、その真価(△実性と価値)を問う。
  (2) 西洋の諸国家論を比較の基準とする観点から、論の国家論を相対化して分析する方法をもって、その国家思想の真価を問う。
  (3) 安国論の価値動向・思考方法・理念論理を絶対化(△視)する観点から、現代の価値動向・思考方法・理念論理を相対化して分析する方法をもって、現代の動向等を批判し改革を提言する。
  (4) いずれの観点・方法も共に客観性を志向しても、なお主観による。(中略)
     よって問題はかくして明証される論の主張論理に各自の主観が共感できるか否かにあることになる。
     しかし何か(時代思潮・偏党己義)の口実にしたり何かのために曲解したりすることは作者を冒涜するもので不当である。
  (5) 立正安国論を論理実証の観点から形状・構造・機能分析を方法として分析して、文面構成による、その実践思想の論理的構造・理念的意趣(文底)を明証すると、論の目的合理性は理性的批判(すなわち本来の意味での折伏nigraha)と建設的提言(=申上)にある、と知られる。(後略)
  (6) (略)
  (7) 日蓮門下の私どもは、無疑曰信の信心(ś raddha¯)をもって、行学の二道に精励して、祖書を現量し比量により、即ち学道における正当なる分析解明により分析判断・総合判断して聖教量として、その真実性(astiva)の価値を明証するべきである。(後略)
 このうち、(1)から(3)は、それぞれ、『安国論』の受け止め方、取り組み方の姿勢の代表的なものであると言えよう。
 教学の現代化を云々する立場が、(3)の立場に与しないことは言うまでもないが、では、それが「日蓮が如くに」することなのかと言えば、そうではないのではあるまいか。
 (3)の立場は、所謂、原理主義、教条主義に類するものであり、こうした態度を取ることは、真の意味で、「日蓮が如くに」することにはならないであろう。
 無論、これは筆者の主観ではあるけれども。
 さて、では、(1)が良いのかとなると、やはりさにあらず、であり、教学の現代化を図らんとする以上、(3)よりは(1)に近い立場にはなろうが、それでは「日蓮が弟子」とは言い難い。結局のところ、(1)と(3)の立場を如何にバランスさせ得るか、ということが、問われることになろうか。
 上述の、中央教研の第一分科会で、「今日蓮聖人が御在世であられたら、どうお考えになるか」という視点の必要性を説いておられた方があったが、筆者もこれに賛同するものである。
 勿論、それを得るためには、伊藤博士が先の資料の(7)で仰っているような方法で、祖書を研究する必要があるであろうと思われる。ここでは、そのヒントとして、山川智應博士によって示された、「日蓮聖人の研究態度としての三證具足」という観点を取り上げてみたい。
 三證とは、
 道理(理證)
 文證
 現證
の三である。
 山川博士は、日蓮聖人を論じた、史上最初の学位論文である『法華思想史上の日蓮聖人』の附録論文「日蓮聖人の研究態度としての三證具足」に於いて、日蓮聖人の姿勢に三證具足という観点があったことを指摘し、そこに「科学的研究との類似」性を見、日蓮聖人は「人間の論理的歩みを、もつとも正しく歩まれた」と評している。
 仏教は、釈尊以来、もともと合理性を尊ぶ宗教であったと言って可いかと思われるが、日蓮聖人に於いては、この姿勢が徹底されていたと言って可いのではないであろうか。
 そして、公場対論を常に想定し、「智者に我義やぶられずば用じとなり。」と仰ったことにも伺えるように、現代的に言えば、批判的理性を重んずる姿勢を持たれていた。この姿勢を継承することこそが、「日蓮が弟子」たる要件であり、「日蓮が如くに」することの第一歩ではないかと思われる。
 しからば、日蓮思想を、現代の科学的合理的理性からの批判に耐えうる三證具足の教学として体系化することこそ、教学の現代化の目指すところと考えても可いのではないであろうか。
 しかしながら、これは、言うは易くして行うは難いことである。そもそも、日蓮聖人の思想・教学自体、現代の観点から観たとき、三證が具足しているとまで評価することが出来るかと言えば、なかなか難しいところがあると言わざるを得ないであろう。
 先ず、道理(理證)という観点については、日蓮聖人が使われた「道理」自体が、鎌倉時代当時の論理でのものであるから、現代にそのまま通用するわけではない。
 次に、文證について言えば、これは、三證のうち、最も大きな問題を含むかとも思われる。
 すなわち、日蓮聖人が究極の文證とされた仏教経典は、今日では、無条件で文證としての価値を有するとはとても言えないのである。かつて釈尊の直説であると信じられていたものが、そうでないことが明らかになっているのであるから、極端なものの言い方をすれば、どの経に何と書いてあろうと、それだけでは、何の意味もないことになりかねない。
 換言すれば、日蓮聖人が文證とされたもののほとんどは、今日では文證として通用しないという事態が起きていることを、私たちは充分に認識しなければならないのである。
 些か私事に渡って恐縮であるが、先だって、筆者の身内の学説について、今更ながらの批判を公にしてくださった方があった。それはそれで結構なのだけれども、曰く、五時八教を否定するからダメだ、というような議論がなされていて、唖然とした覚えがある。
 五時八教のうちの五時説を肯定して、換言すれば、全ての仏教経典を釈尊金口の直説である、というようなスタンスを取って、教学の現代化など果たしうる筈がないと言わなければなるまい。
 教学の現代化というのは、日蓮教学を、現代人を説得しうるものにするということであり、この現代人には、クリスチャンもイスラム教徒も無神論者も含まれねばならないことは言うまでもない。
 われわれ仏教徒が、聖書やコーランにこう書いてある、と言われても、何の説得力も感じないように、仏教の経典にこう書いてある、というだけでは、現代の文證たり得ないのは自明のことであろう。
 なぜ仏教なのか、なぜ法華経なのかを根本から問いただすことが必要なのである。日蓮聖人が法華経を選んだから法華経を選ぶ、では、教学の現代化などあり得ないし、それは「日蓮が如くに」することでもない。
 法華経は釈尊が説かれたものではないことを認めた上で、教学を再構築するのでなければ、未信徒教化など、夢のまた夢になってしまうに違いない。
 現證についても、同様である。現證が現證として受容されるということは、それを現證として受容する理證や文證があって、始めて現證が現證となる。従って、日蓮聖人が現證とされたものは、そのまま現代の現證にはならないと考えなければなるまい(些か余計なことまで言えば、たとえば、本宗には「臨終正念」という教えがあり、日蓮聖人はこれを大事にされたが、果たして、現代にどこまで主張すべきであるのか、というような問題にも、このことは繋がるであろう)。
 さて、以上のように現代的に三證を考えて直してみた上で、『立正安国論』を観てみたとき、果たして、『立正安国論』は「完成しているものであるから、手を加えたりしてはいけない」というようなものであるのかどうか。
 無論、『安国論』は当時としては完成していたものであったであろう。しかしながら、仮に、『安国論』が現存しないとして、筆者なり、本宗の誰かなりが、同じ内容のものを書いて、総理大臣なり天皇陛下なりに奏進したとしよう。
 恐らくは、少しアタマのおかしい僧侶として無視されるのが関の山ではないだろうか。
 もしくは、オウムか顕正会のまがいもの、くらいにしか、見なされないのではないであろうか。
○第一問答 客の問い
  三宝世に在し百王いまだ窮らざるに、この世早く衰え、その法何ぞ廃れたるや。これ何なる禍により、これ何なる誤りによるや。
○第一問答 主人の答え
  つらつら微管を傾け、いささか経文を披きたるに、世皆正に背き、人悉く悪に帰す。故に、善神は国を捨てて相去り、聖人は所を辞して還らず。ここをもつて、魔来り鬼来り、災起り難起る。
○第二問答 客の問い
  神聖去り辞し、災難並び起るとは、何れの経に出でたるや。その証拠を聞かん。
○第二問答 主人の答え
  その文繁多にして、その証弘博なり。
  薬師経に云く、「もし刹帝利・灌頂王等の災難起こらん時には、いわゆる人衆疾疫の難・他国侵逼の難・自界叛逆の難・星宿変怪の難・日月薄触の難・非時風雨の難・過時不雨の難あらん」と〈已上〉《云云》。
  それ四経の文朗かなり。万人誰か疑わん。しかるに盲瞽の輩、迷惑の人、妄りに邪説を信じて、正教を弁えず。故に天下世上、諸仏衆経において、捨離の心を生じて、擁護の志なし。よつて善神・聖人、国を捨て所を去る。ここをもつて悪鬼外道、災をなし難を致すなり。
 紙数の都合もあるので、第二問答までの一部を引用したが、どうであろうか。虚心坦懐にこの文を読んで、抵抗なく受け容れ、それに信伏する現代人が果たしているであろうか。
 客は仏教徒として設定されているから、過半の人々が無宗教であることを公言して憚らない現代日本にあって、この設定がどこまで有効なのかが、先ず問われなければならないであろう。
 第一、第二問答とも、主人の答えは、経典に文證がある、ということを述べているわけであるが、前述の通り、金光明経、大集経、仁王経、薬師経のいずれであるかを問わず、或いは法華経であろうと、現代に於いては文證としての有効性を無条件で有することは出来ない。
 件の、薬師経の七難の部分の引用を引いたが、この七難のうち、少なくとも、星宿変怪・日月薄触の二つの難を、現代日本人で難と捉える人はいないと言うべきであり、だとすれば、他国侵逼・自界叛逆の二難についても、日蓮聖人当時と同様に考えるわけには行かないと言わざるを得ない。
 つまり、四つの経の文がどんなに「朗か」であろうと、「万人誰か疑わん」とはならないのである。
 北条時頼もしくは鎌倉幕府という、明確な未信徒を対告衆として設定し、これを法華の実乗の一善に帰せしめんとした『立正安国論』ですら、かくの如しである。況んや、信徒に向けて書かれた、法華経信仰を前提としているような御著作や書簡の類が、現代の未信徒を教化するに対し、どれだけ有効であるのか。教学という面でのみ言えば、大いに疑問であるということになるであろう。
 日蓮宗の「宗制」に於いて、現代宗教研究所は次のように規程されている。
  第一条 日蓮教学の現代的意義を解明し、時代に適応する信行及び布教体系の確立に寄与するため、日蓮宗現代宗教研究所(以下「研究所」という。)を宗務院に置く。
  第二条 研究所は、宗務総長を補佐し、左の研究及び調査を行う。
      一 教学の現代的解明に関する研究
      二 現代における日蓮主義の研究
      三 現代における諸問題の日蓮主義的把握に関する研究
      (以下略)
 現代の未信徒を教化し得る現代教学、現代教化学をうち立てることは、至難のことであるが、急務である。現宗研のみならず、宗門を上げて取り組むべき課題であると言って過言ではあるまい。
(1) 『四菩薩造立鈔』の「総じて日蓮が弟子と云て法華経を修行せん人々は日蓮が如くにし候へ。」のことであろう。尚、以下御遺文からの引用は、全て日蓮宗電子聖典に拠る。
(2) 東京都西部教化センター刊『「立正安国論」をいかに読むか』二一六頁
(3) なお、口頭発表時点で、まさに「管見」から漏れていたのであるが、伊藤博士御自身が、『立正安国思想の基礎的新研究』〔法華学報別冊第拾肆號〕に於いて、右の(7)を
    ……祖書を現量(→現証)し比量(→理証)により、即ち学道における正当なる分析解明により分析判断・総合判断して聖教量(→文証)として、その真実性(astiva)の価値を明証するべきである。
   と書き直しておられる(同書一〇頁)。
    白状すれば、伊藤博士は筆者の早稲田大学での卒業論文の指導教授であり、筆者はその際、伊藤博士から、山川博士の著書を読むように御教導頂いたのであった。
(4) 『法華思想史上の日蓮上人』六二四頁(淨妙全集刊行会)
 
*「日蓮宗新聞」平成二十年十一月二十日号が、教化学研究発表大会の模様を報じた際、他の数人の発表者とともに、筆者の発表について取り上げて下さった。それに対し、読者からの要望があったとして、補説する機会を与えられた(平成二十一年一月十日号)。
  当初、筆者の署名原稿になるのかどうかがハッキリしないままで執筆したのであったが、最終的に、署名原稿として掲載された。
  関連論考として、以下に転載させて頂くこととする。
 
大乗非仏説と法華経
 仏教の経典は、一部の例外を除き、「如是我聞(このように私は聞いた)」という言葉から始まっています。釈尊の説法を聞き写したという形式をとるのです。
 仏陀釈尊は、三十歳で覚りを開き、八十歳で涅槃に入るまで教えを説き続けられ、それが「経」として記録されたと考えられました。
 この一代五十年の説法を五時に分類し、成道された当初の三七日間は華厳経を説き、次の十二年間に阿含経典を説き、次の十六年間に方等部経典を説き、次の十四年間に般若経典を説き、最後の八年間に法華経を説き、入滅時に涅槃経を説かれた、というのが、天台大師以来の伝統的な考え方でした。
 しかし、大乗非仏説、すなわち、大乗経典は釈尊の金口直説ではないとする考え方は、インドでも早くからあり、例えば大品般若経には、新興仏教である般若経が既成仏教から非仏説として非難されたことを反映したと見られる説示がみられるなどします。
 我が国では、江戸時代に富永仲基が仏典を批評的に研究し、諸経典は釈尊滅後の仏教諸派が逐次に時代を追って作成したものであり、仏教の歴史的発展の所産であることを論じ、大乗非仏説を唱えました。これは、近代仏教学の先駆けとして評価されるものです。
 今日の仏教学では、文献学的な考証を土台としながら、大乗経典に限らず、全ての仏教経典は、釈尊が自ら説かれた言葉をそのまま記録したものではなく、釈尊の滅後、数百年の間に編纂されて来たものであり、仏教が、時代とともにさまざまな思想と交流しつつ、深化・発展してきたことを明らかにしています。
 法華経は、研究者によって、その成立年代や成立過程、成立期間に対する見解は様々ではありますが、おおよそ西暦紀元前一世紀から紀元後二世紀くらいまでの間に編纂されたものであると考えられています。
 つまり、学問的には、大乗非仏説は疑いのない事実として認められているのであり、法華経もその例外ではあり得ません。
 しかし、それは経典の「価値」とは全く別の問題であることも、言うまでもないことです。
 仏教経典は、いずれの経典であれ、その経典の編纂者が、釈尊の覚りを真摯に探究し、それを追体験して、釈尊の覚りの精神を言葉によって表現したものです。言うなれば、経典編纂者が聞き取った釈尊の声の記録であり、時空を超えた「如是我聞」なのです。
 そして、現代の仏教学界にあっても、その白眉と評価されている経典は、やはり法華経であると言って過言ではありません。
 

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