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教化学研究1 現代宗教研究第44号別冊 2010年03月 発行

教化学の意義と仏教臨床について

 

教化学の意義と仏教臨床について
 
影 山 教 俊
 
◇はじめに
 かつて第一回日蓮宗教化学研究発表大会(一九九九年)の開催にあたり、当時この研究大会を企画し、日蓮宗現代宗教研究所の主任であった私は、教化学についてこう述べた。
 昨今は宗教の問題ではなく、宗教が問題となり、宗教そのものの存在意義すら問われております。オウム真理教は仏教を名乗る狂気のテロ集団として、あれほど反社会的な犯罪を犯していても、いまだに入信する若者があとを絶たない。先日はグル(導師)と称する教祖に、ミイラ化した遺体がまだ生きているなどと、まともそうに見える大人たちまでが、生死の判定すら曖昧になるほど信じ込まされてしまった。専門家はそれをマインド・コントロールされたからだと説明する。
 ところで、これら似非宗教の掲げている思想は、仏教学という学問からは、いとも簡単に否定できるほど稚拙なものです。しかし、実際には思想的に否定されていても、そこには多くの信者が集い宗教活動が現前として行われ、宗教としての集団や組織が維持されている。
 この事実が物語ることは、仏教学の学問性が宗教そのものを反映していなという事実です。ここに宗教活動の現場からの声として、「教化学」の確立が急がれる所以があります。現在、医学界が医療と看護を分離し、医療の科学(医科学)に比して、看護の現場の声として「看護学」が確立されたように、いま仏教学に比して宗教活動の現場から「教化学」を確立することが急務であるといえる。(以下省略)
 ここでは教化学を看護学に比して、医学が病気を治療するための学問であれば、看護学は治療される患者のための学問であり、この意味でまさに教化学は看護学そのものであると言ったのである。しかし、それは教化学の位置づけについて述べたまでであり、具体的に「教化学とは何か」ということについては述べていない。今回は「教化学とは仏教臨床である」という観点から、「教化学とは何か」について論じたい。
1 教化学と教学の相異とは
○なぜ教学は現代的意義を解明されなければならないか
 「教化学と何か」と考えれば、これまで「教化学は教学の現代的意義の解明にある」(現代宗教研究所規定)と言われてきた。しかし、よく考えれば、なぜ教学の現代的意義を解明しなければならないのか、その理由について今まで具体的に論ぜられていないことに気づく。
 確かに、仏教の教学的な理解が現代的ではないから、現代人には仏教の古典的な用語がよく理解できないからなど、現代教化の諸事情に則った形では教学の問題点が指摘されてきた。だがその諸事情とは、伝統仏教の各教団が自らの宗派における布教教化が遅々として進まないという事実、その現象を指すのであって、それが教学の現代的意義が解明されなければならない理由ではない。
 このように、これまでの「教化学研究」は、教学の現代的意義を解明しなければならない理由をそのままに残し、これまでと同様に教学の観点から論じられている。教学の観点とは言うまでもなく、仏教を思想信条として論ずることである。
 そのため、これまでの教化学研究は、教学の場合と同様に「現代的意義を解明しなければならない」というジレンマに陥っていたのである。つまり、教学と教化学の観点が同様の観点に立っているのだから、表紙を替えてみても中身の変わらない本のようなものになっているである。
 ここで、いま問題を指摘した「現代的な意義を解明されなければならない教学」に目を向ければ、周知のように教学とは「宗教の教義の理論と研究」(『広辞苑』第五版)のことである。このように仏教を思想信条として理解することは、それは仏教文献を言語理性に基づいて哲学的(観念化)に理解することである。すると教学が現代的意義を解明しなければならない理由が見える。それは仏教を哲学的に理解するという「仏教の学び方」そのものに問題があるということになる。
○仏教が哲学化される以前の仏教の学び方について
 ならば仏教が哲学的に理解される以前、仏教はどのような学びが実践されていたのだろうか。現代仏教の学び方について考えれば、仏教を思想信条として学問的に探求する教学という方法と、さらに仏教に伝承している修行法(僧院生活の全体)によって体験的に探求する方法がある。しかし、実際には現代では仏教を思想信条として学問的に探求する方法が主流となり、修行法による体験的な探求法などは殆ど顧みられていない。
 ところで、仏教の学び方には「行学二道」、「行学一体」という伝統的な習いある。この学問的な探求法と体験的な探求法が併存した学び方は、「行と学の不離不即の全体」であるとされてきた。まさに「行学の二道をはげみ候べし。行学たへ(絶)なば仏法はあるべからず」(『諸法実相抄』)と、日蓮聖人の聖訓の如くである。この事実から現代仏教の学び方は伝統的な習いからは変節していることが分かる。
○仏教の学問的な探求の問題点について
 この変節が何時どの様にして始まったのかと言えば、明治政府の仏教弾圧による明治八年の大教院制度が端緒となる近現代史的な事実によって、現代仏教では仏教を思想信条として学問的に探求する方法が主流となったのである。そして、このような仏教の学問的な探求は、あくまでも言語理性に基づく論理学を前提にした学問である。論理学はロジック(Logic)の訳語で、どのような推論が正しいかを体系的に探求する学問のことである。そもそも論理学とは、ロジックという言葉が物語るように、ギリシャ語の「神の言葉」であるロゴス(Logos)にその語源があり、聖書(神の言葉)を言語理性によってどのように理解し論証するかの学問である。
 キリスト教では、神の経綸は契約書としての聖書に全て存在すると考える。神の言葉が全ての始まりだからである。聖書に書かれていることは、神の経綸としてこの世に具体化する。そのため契約書である聖書の文言を精確に解釈し、思想信条として哲学化(観念化)することは、キリスト教では神の経綸を知ることであり、それは信仰そのものである。
 ところが、さきのように仏教の学び方は「行と学の不離不即の全体」であり、僧院生活の中で培われて来たものである。そのため仏教文化は論理学によって解釈され学問化された瞬間、体験的に探求された仏教文化は観念化され、具体性(現実・身体)を失うという運命を背負うことになる。だからこそ仏教の学び方は、解釈し理解すること目的とせずに、行学二道の信行生活という伝統的な習いが重んじら、実践されてきたのである。
○伝統的な仏教の学び方とその目的について
 ここで行学二道という伝統的な仏教の学び方へと目を向ければ、それは仏教の学問的な探求法によって解釈し理解された思想信条を体験的に主体化することが目的になっていることが分かる。ここに教化学と教学の相異があり、学問的に解釈し理解された思想信条(教学)を体験的に主体化することが教化学なのである。
 そして、このような行学二道という仏教の伝統的な習いは、「師資相承」という形で継承されてきたことは周知の通りである。師資相承は武道や工芸などの技能的なことばかりではなく、算術から天文方までおよそ概念を扱う分野でも、師匠から伝統的な技術を学ぶことを通じて、精神性を養ってきたのである。師匠の技能的な所作を学ぶこと、それは単に技能の真似ぶ(学ぶ)に止まらず、「自分ならばこうする」という自我を修めることが大前提となる。そこでは「技術の上手・下手」が問われていたのではなく、師匠に仕えることで精神修養が行われていたのである。
 仏教は行学二道という学び方を通じて、単なる精神修養とは異なる仏教独特の宗教性の獲得を目指していたと言える。現代仏教の学問的な探求では「分かった、理解した」という知的な要請がメインテーマであるが、行学二道の学び方によって精神性の向上が図られていたのである。現代的な表現をすればメンタル・ヘルスが行われていたと言える。
(注1)
 明治八年に諸檀林が全廃され、日蓮宗大教院(立正大学へといたる前身)が開設された段階で、宗門の法器養成は諸派統一した日蓮宗という行政機関に委ねられた。本来の行学二道の学問所であった檀林教育は、大教院が取って代わって実施したのである。
 日蓮宗大教院によって実施された。そこでは文明開化の名のもとに日本諸学の洋学化を目論んだ東京大学を模した学問的感化によって、洋学を学んだ学者先生によって日蓮聖人の宗教も、哲学的思惟によって思想信条として取り扱われ、それが日蓮聖人の宗教だと錯覚される。
 檀林における法器養成のあり方、日本の宗教的なあり方は「学び(真似び)ごととして、伝承ごとをどう感じ、どう自分にうつすか」という伝統の継承にあったが、そこでは文言を知識的に理解し解釈する西洋の実証的な文化のあり方、そのような知のあり方へと変化してしまったといえる。そのそも法器養成という宗教教育が日蓮教学を学ぶだけで実現できるというのは大きな誤りといえる。
2 教化学の観点とは
 学問的に解釈し理解された思想信条(教学)を体験的に主体化することが教化学であると指摘したが、観念としての思想信条を体験的に主体化する「おこない」はどの様な学問領域によって研究が可能になるだろうか。
 さきの医科学に比して看護学が確立されたように、教化学研究を一つの学問として確立するためにどの様な学問領域が考えられるのだろうか。教化学は学問的に解釈し理解された思想信条(教学)を体験的に主体化することだと言ったが、このような主体化の過程を仏教は伝統的にどの様に実践されてきたのだろうか。日蓮聖人並びに、日蓮聖人が師とも仰いだ天台大師の指南に従えば、次のような文言が見える。
○天台大師に見る主体化の過程について
 まず天台大師の『摩訶止観』は「大師己心中所行法門」と称している点に着目したい。なぜなら、「己心中所行法門」と称する所以は、『摩訶止観』そのものが大師ご自身の修行体験を心理学的に解説した指南書だからである。この観点で『摩訶止観』を読み進むと、今までとは大きく異なったニュアンスで修行そのものが見えてくる。そして、そのメイン・テーマとなる第七章「正しく止観を修す」では、修行による三昧の体験を次のように語っている。
 私たちの眼前ある現象世界(諸法)は、実に私たちの純粋な精神世界(識陰)の産物なのである。もしこの純粋な精神世界を体験しようとするならば、修行法(止観業)によって丈を去って尺、尺を去って寸に就くように、私たちの心身を構成する五蘊(panca-skandha、人間の肉体と精神を構成する五つの集まり)、色陰(肉体的要素)・受陰(感受機能)・想陰(表象機能)・行陰(意識の統合機能)・識陰(意識の認識作用)の五つの要素の中で、とくに身体的な要素である色陰・受陰・想陰・行陰から徐々に離れてゆき、最終的には三昧の境に入って身体的な要素を超えて、純粋な精神世界(識陰)そのものになることが必要である。
 修行によって体験される純粋な精神世界そのものは、実は私たちの無意識の世界(不可思議の境)のことだから、日常私たちが自分であると認識している意識(思議の境)から、それを理解するのは難しいのである。それは体験による経験則であって知識的に解釈できるものではない。
 どうだろう、天台大師は、通常私たちが自分と認識する意識を「思議の境」と呼び、また修行法によって体験した純粋な精神世界を「不可思議の境」と呼んで、現代心理学にいう意識と無意識の関係から修行を解説していることが分かる。まさに天台は修行法について、身体という物の世界に引きずられた意識状態から脱して、純粋な精神世界と合一(三昧・samādhi)するシステムそのもの、また無意識の世界にある純粋な精神性を意識化する心理過程であると解説しているのである。この意味で仏教を現代風にいえば、まさに心の探究法そのいものだといえる。
 このように修行法の実際によって三昧を誘導した体験者の解説は、観念的な仏教用語に依りながらも、その言葉には体験によって身体性が付加されているため、観念的な解釈の域を超えて、現代心理学のように体験をどう具体的に報告するかに力点が置かれている。修行者は常に冷静な目で自らの体験を捉え、理性的な知のあり方によって解説しているのである。このような視点で修行法を眺めると、いままでとは違った視界が開かれてくるはずである。
○日蓮聖人に見る主体化の過程について
 さらに日蓮聖人は『観心本尊抄』で、まず冒頭に『摩訶止観』を引用して「夫れ一心に十法界を具す。一法界に又十法界を具すれば百法界なり。一界に三十種の世間を具すれば百法界に即ち三千種の世間を具す。此三千一念の心に在り若心無くんば已みなん。介爾も心あれば即ち三千を具す。乃至所以に称して不可思議境と為す。意此に在り。」と、意識(介爾も心あれば)と無意識(不可思議境)の関係を前提に、次のように語っている。
 なぜ修行(観心)するかといえば、それは自分自身の心(己心)を観じて、地獄界から仏界(十法界)のあること知る必要があるからだ。当然のことだが、他人の粗ばかりを探していても、自分の姿は見えない。自分の姿を知りたければ、明鏡に自分の姿を映してみることが必要だ。これと同じように、お経文の所々にあなたは菩薩だ、仏だと記述されているが、法華経並びに天台大師所述の摩訶止観等の明鏡に自分を映して、確かに私の「こころ」に菩薩界や仏界があると気づかなければ意味がないのだ。(『観心本尊鈔』意訳)」
 これも一目瞭然である。日蓮聖人は「観心者観我己心見十方界」と述べて、四大によって構成されている心身(自具六根)の中に、生死を超えた生命(自具十界百界千如一念三千)の探究法を説いている。言わんとすることは、餓鬼であるか、畜生であるか、はたまた菩薩であるか、最終的には純粋な精神性である仏界(buddhahātu)を発見し、意識がそれにどう結びつくか、どう意識化するかが大切なのだ、と言うのである。観心(修行法)によって、自己意識を己心に内在するどのような精神性と結びつけるかによって自己成長がはかられる、と考えていることが分かる。
 日蓮聖人は観心(法華経並びに天台大師所述の摩訶止観等の明鏡に自分を映す)という主体化によって、己心に具わる純粋な精神性を意識化し、この自己自身の内側にあって変化しない本来の純粋な精神性と出会うことを心理学的に解説しているのである。じつに日蓮聖人は仏教を自己存在の基盤を追求する技法として「観心」を示しているのである。
○教化学を取り巻く学問領域と仏教臨床について
 このように、天台大師は『法華経』の基本理念である一念三千を体験的に捉え、天台は第七章「修正止観」の第一「観不思議境観」のあり方を意識としての「思議の境」と、無意識としての「不可思議の境」(一念三千)として理解している。
 さらに日蓮聖人は、その「一念三千は十界互具から始まる」(『開目抄』)として、己心を観じて十法界(十界)を見るというあり方を意識(己心)と無意識(十界)から理解している。これらのあり方は、現代心理学からは意識と無意識の力関係を論ずる力動心理学(深層心理学)そのものである。これらの主体化の過程で獲得されるものは、さきにも述べたが行学二道の学び方を通じた精神性の向上であって、観念的な理解ではない。まさにメンタル・ヘルスそのものである。
 これによって観念としての思想信条を体験的に主体化する行為は、心理学や生理学などの学問領域の知見から、仏教を「おこない」として捉える臨床的な観点が必要であることが分かった。さらに教化学とは、仏教の臨床的な理解、仏教臨床そのものであることも明らかになったと言える。
(注2)
○「しかるに界内外の陰入はみな心に由って起る。(中略)いままさに丈を去って尺に就き尺を去って寸に就き、色等の四陰を置いてただ識陰を観ずべし。識陰とは心これなり。(中略)不可思議の境は説くこと難し、先に思議の境を明かして、不可思議の境を顕れ易からしめん」。(大正四六 五二C)(岩波文庫『摩訶止観』上 二七八頁〜二七九頁、以下『摩訶止観』と略記)
○五陰(paJa-skandha、新訳では五蘊といい五つの集まり)のあり方とは、肉体的要素としての色陰(vrūpa-s.)・感受機能としての受陰(vedanā-s.)・表象機能としての想陰(samjJā-s.)・意識の統合機能としての行陰(samskāra-s.)・意識の認識作用としての識陰(svijJāna-s.)の五つの要素のことである。
(注3)
 観心之心如何。答曰観心者観我己心見十方界。是云観心也。譬如雖見他人六根未自面六根不見自具六根。向明鏡之時始見自具六根。設諸経之中所々雖載六道並四聖 不見法華経並天台大師所述摩訶止観等明鏡。不知自具十界百界千如一念三千也。(『昭和定本』第一巻 七〇四頁)
3 仏教臨床としての教化学について
 ここで教化学と教学の関係について卑近な例えをすれば、自動車とその図面の関係に似ている。教学のスタンスを自動車の図面とすれば、図面上の自動車を見て、エンジンの大きい車の方が速く走れるか? どうか?、と議論しているようなものである。その議論はその自動車を走らせれば一目瞭然である。教化学のスタンスはその自動車を実際に走らせるという臨床にある。
 まさに教化学のスタンスは、この仏教の自動車を走らせるこという臨床のことで、仏教臨床に他ならない。さらにそれは信行実践そのものに他ならない。ここで教化学としての仏教臨床の学術的な研究方法の一端を「事例報告」という形で発表する。
 さきに仏教は行学二道という伝統的な習いによって、単なる精神修養とは異なる仏教独特の宗教性の獲得を目指した。そこではメンタル・ヘルスが行われていたと指摘した。この事例報告は、悩み苦しんでいる方が私たちが日常的に行っている読誦・唱題の信行実践によって、実習者の心や身体がどの様に変化して「メンタル・ヘルス」が実現するか、その過程を心理学的、生理学的な知見から論じたものである。
 まさに日蓮聖人の観心「法華経並びに天台大師所述の摩訶止観等の明鏡に自分を映す」ことの具体的な理解である。こういう実証的な事例報告をたくさん積み上げることによって、まず信行実践で心身が変化するという事実が明らかになる。さらに心理的に不健康な指標が健康的な指標へと変化すれば、心理学的な意識と無意識の関係から、「十界互具・一念三千や仏界所具の九界」という、己心に関係する仏教用語も現代的な意味に読みとることも可能となると言える。
○症例報告〈不安感、脱力感、めまい、食欲不振、夜眠れない女性の場合〉
【実習者】 K・M 二十二歳 女性 一五〇㎝/四十五㎏ OL
【家族歴】 祖父:脳溢血にて死去、父母:心筋梗塞を患いその後脳溢血にて死去、母:偏頭痛にて頻繁に通院、母方の叔父:ノイローゼで通院経験あり
【主 訴】 不安感、脱力感、めまい、食欲不振、夜眠れない
【診断名】 不安神経症 Y医院Y医師により診断
【既往症】 小学生時代に喘息の治療を受けた経験がある
【現病歴】 家庭信行開始をX年とする
 X−2年、十八歳時に高校を卒業して某会社に一般事務職員として入社する。X−1年、入社一年後の十九歳時に会社の情報処理がコンピューター化され、これまでの帳簿などをテキスト・データ化が行われることになる。実習者はデータ化のオペレータとして責任を持たされ、ほぼ半年間に渡ってデータ化の責務に追われる。
 すると朝起きてもスッキリとせず、不安感や脱力感に苛まれて、めまいや食欲不振が続き、欠勤が目立つようになる。Y病院を受診すると「不安神経症」と診断されて、薬を処方される。医師に指導されるままに薬を服用する。すると服用によって不安感や脱力感という気分的なものはすぐに改善され、仕事に復帰できた。その後も脱力感や食欲不振は続いていたが依然と比べれば、その症状はずっと軽減され、オペレターとしての責務を果たしながら一年余りすぎた。
 しかし、症状が改善したからといっても、通院して薬が手放せない状況は続いていた。医師は軽い薬だから心配ないというが、実習者は薬について「このまま服用していて良いものだろうか」と不安をいだいていた。その頃祖母の「そんな薬ばかりのでないで、私とお経でも読んでご先祖に守ってもらったら」の言葉で、お寺の信行会に参加する。
【生育・生活歴】
 二人姉弟の長女として誕生する。四歳の時、両親が離婚し、二歳の弟と共に母親の実家へと転居する。実家には母の妹が祖父母と共に生活していたために、その近所で母親が務めた工務店の寮に転居する。
 その後母親が地方公務員試験に受かり、学校給食の職員や、地元の公共施設の職員として、転居がくり返される。中学三年から高校卒業までの四年間は三人家族だったが、安定した生活をしたという。中学生時代には生徒会役員、高校時代は卓球部のキャプテンをする。
【信行歴】
 X年三月よりX+1年九月 お寺での信行会毎月一回 一時間(方便品・自我偈・運想・唱題・法話)、後は毎日出勤前に二十分程度の読経・唱題をしていた。
【信行活動による心身の変化】
 信行活動によって変化する心と身体を生理心理学的に評価した。以下、生理学資料[Physiology]は、安静時血圧・心拍数・止息時間(自然呼吸を吐き出した時間)を信行会参加の前(Before)・後(After)で計測し、その生理的な変化の優位差をA−B=Cとして評価したものである。評価の基準としてA−B=Cがマイナスの場合は副交感神経系の優位、プラスの場合は副交感神経系が優位と考えている。
 また心理学資料[Psychology]は、実習者の訴えを心の形で理解するために、TEG(東大式エゴグラム)を行った。およそ半年ごとに四回実施した。
◇[Physiology]
 上記の生理データは、信行会参加の前後で計測したデータA−B=Cは、そのほとんどがマイナスであり、信行活動によって生理学的に副交感神経系の優位を示している。
◇[TEG Psychology]
 実習者の訴えを理解するために、TEG(東大式エゴグラム)を行った。およそ半年ごとに四回実施した。以下の表がそれである。
○X年三月
 まずこのエゴグラフを簡単に解説すると、TEG(東大式エゴグラム)の指標は、CP(父親の批判的態度)・NP(母親の養育的態度)・A(大人的態度)・FC(自由な子供の態度)・AC(依存する子供の態度)の五つで構成されている。
 この実習者は、社会的な是非に関わる父性性の指標CP(父親の批判的態度)が18と高く、加えて依存性に関わる指標AC(依存する子供の態度)も20と高い。ところが、養育的な母性性に関わる指標NP(母親の養育的態度)が0と低いうえに、大人としての判断力や行動力に関わる指標A(大人的態度)も、また自由な感情に関わる指標FC(自由な子供の態度)が共に低い。
 そのためCPが高いために、周囲の人や会社の上役に対する批判的な感情が動きやすく、加えてPCが高いために、その批判的な感情を表現できず悶々としている。さらにNPやAやFCという肯定的な指標が低いために、その悶々として感情が増長されているといえる。実習者の主訴はこのような感情の動きによって起こっていると理解できる。TEGのタイプではU型亜系の葛藤型タイプである。(グラフX─3)
○X年九月
 半年後否定的な指標であるCPは15、ACは16へと共に下がり、肯定的な指標のNP、FCは増える傾向を見せている。(グラフX─9)
○X+1年三月
 一年後は肯定的な指標であるNP、A、FCは確実に増えている。(グラフX+1─3)
○X+1年九月
 一年半後はCPは14、ACは15と少なくなり、肯定的な指標のNPが若干低いものの、AもFCも増えている。とくにFCの自由度を示す指標は15と増えて、ただ我慢するだけではなく、仕事の上の問題を周囲と相談しながら、出来ることはできる、できないことは無理だと、伝えられるようになっている。(グラフX+1─9)
 以上を要約すれば、信行活動を実習することで、上記のように、生理学的なデータでは信行活動後は常に副交感神経系が優位になって、安定しいることが分かる。さらにTEGによる心理学的なデータでは、周囲に対するな心理的な変化が起きている。はじめは、是非の判断にこだわる感情が強く動いていながら、その感情を具体的に主張できないために、それがストレスとなって不安感、脱力感、めまい、食欲不振、夜眠れないの主訴を抱えていたと考えられる。
 その心理的な状態が信行活動を続けることで、三ヶ月後の九月には、TEGの指標は健康的な方向へと推移し、一年後の三月の指標ではほぼ健康といって良い状態へと変化している。当初服用していた薬も、信行活動をはじめて三ヶ月頃にはすでに、医師と相談して止めているという。
【本人の語りに基づく報告】
 実習者は、以下のように自分自身の状態を報告している。当初、お寺での読経や唱題行は、単なるおまじないのようなことだと考えていた。しかし、指導されるままにゆったりと呼吸を調え、朗々とお経を読み、お題目を唱えることで、とても気分をリラックスさせることが出来た。また木柾や大太鼓の音やリズムも心地よさを与えてくれた。
 そういう感覚が体験できるようになると、眠れなかったことや食欲不振なども改善されて、その年の夏頃には薬を飲まなくても不安感はなくなっていた。もともと医師からは軽い薬だから、不安がなければ飲まなくても良いから、と言われていたので、そのまま止めてしまった。
 また周囲の人のとの付きあいでも、ある程度、嫌なことや、自分のしたいことを主張できるようになったり、自分の気分をコントロールできるようになったと感じている。一年ほどたった頃から、自分は変わったかなと感じている。
【考察】
 信行活動を実習することで、それまでの是非の判断にこだわる感情が強く動いていながら、その感情を具体的に主張できないというストレスが、不安感、脱力感、めまい、食欲不振、夜眠れないの主訴となっていたと考えられる。それが本人の語りにあるように、手足の重さや血流の変化など身体の感覚が意識できるようになると、気分がリラックスするようになると、症状が改善したという。心理テストもそれを裏付けていると言える。
 
āū
 
呼吸数/ 心拍数/ 止息時間/ 収縮期血圧/ 拡張期血圧/
min min sec mg mg
x年3月 B 14 84 18 116 77
x年3月 A 12 69 15 104 64
A−B=C −2 −5 −3 −12 −13
x年9月 B 12 88 16 128 83
x年9月 A 10 69 16 113 74
A−B=C −2 −19 0 −15 −9
x+1年3月 B 20 94 14 113 75
x+1年3月 A 13 77 14 101 68
A−B=C −7 −17 0 −12 −7
x+1年9月 B 13 79 14 132 85
x+1年9月 A 11 76 13 121 83
A−B=C −2 −3 −1 −11 −2
 
CP NP A FC AC
X年3月 18 0 0 5 20
X年9月 15 5 0 10 16
X+1年3月 16 6 6 9 14
X+1年9月 14 8 12 15 15
 
*この小論は第十回日蓮宗教化学研究発表大会で発表した論考を整理加筆したものである。
 
(グラフX─3)
 
(グラフX─9)
 
(グラフX+1─3)
 
(グラフX+1─9)

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