教化学研究1 現代宗教研究第44号別冊 2010年03月 発行
映画「おくりびと」と葬儀教化
映画「おくりびと」と葬儀教化
伊 藤 立 教
要旨 世論は世間の常識だが、「作られる」こともある。原作といわれている『納棺夫日記』の著者が原作表示を拒否しているにもかかわらず、映画「おくりびと」の与えた印象が、歌謡「千の風になって」のように一人歩きし、葬儀に対する世論を作り上げている観がある。葬儀を教化の機会と考える僧侶として、世論が出尽くしたと思われる今日、これを検証し、日蓮宗教化の視点を明示する必要があると考える。
映画 「おくりびと」平成二十年(二〇〇八)作品、九月十三日全国ロードショー開始、監督滝田洋二郎、主演本木雅弘、カラー一三一分、二〇〇八映画「おくりびと」製作委員会(TBS他)制作、松竹配給、英語名タイトル「デパーチャーズ(旅立ち)」、平成二十一年三月二十三日米アカデミー賞外国語映画賞受賞、他に八八賞受賞、日本国内映画館観客五六〇万人、DVD宣伝文に「ユーモアと感動が融和した異色作」とある。平成二十一年九月二十一日、TBS系テレビでノーカット放送された。
※以下本文中、○印は引用箇所、日付はいずれも平成二十一(二〇〇九)年。
(1)アカデミー賞受賞直後の反応
○納棺師という日本独自の境地を描いた作品が世界に通じた(朝日新聞平成二十一年二月二十四日付朝刊)日本人の死生観を描いた映画の快挙(讀賣新聞二月二十四日付朝刊)戦争を見飽きた米国人にとって「癒し」の映画─アカデミー賞外国語賞委員長マーク・ジョンソン(毎日新聞三月一日付朝刊)
米アカデミー賞に外国語映画賞ができて五十年、日本映画の初めての受賞とあって、祝賀気分があふれた。これまでに、黒澤明監督「羅生門」の名誉賞、宮崎駿監督「千と千尋の神隠し」の長篇アニメーション賞など、十一作品で各賞を受賞している。ちなみに今回は、加藤久仁生監督作品「つみきのいえ」も短編アニメーション賞を受賞している。
「おくりびと」制作のきっかけとなった青木新門著『納棺夫日記』の舞台は富山県富山市だが、この映画は山形県酒田市ら庄内地方が舞台となっている。庄内地方は、「たそがれ清兵衛」などの藤沢周平原作映画の舞台として人気がある。現代劇ながら、日本人にも好まれる風景と、神秘的な異文化が、アメリカ人の興味をそそったのではないか。
(2)映画「おくりびと」に対する評論
○宗教にこだわりが少ない日本人だからこそ、先端的に洗練させた文化だと思う。世界をリードしているのかもしれない。─映画評論家佐藤忠男(毎目新聞三月二日付朝刊文化欄)遺体を大切に扱う文化が、米国人に新鮮だったのではないか─明治大学名誉教授越智道雄(米国文化)(朝日新聞週刊アエラ三月九日号)世界中のではなく、アメリカからの称賛を受けたということだ。─映画評論家寺脇研(毎日新聞三月十三日付朝刊論点)
そうだろうか。「遺体を大切に扱う」納棺師は、「世界をリードしているのかもしれない」日本文化になってしまっているのか。
○人の死に際の崇高さを、宗教ではなく、徹底した「人と人との間の思いやりに満ちた技術」の中に見る。それは、「千の風になって」の大流行にも見られるような、現実の宗教や宗教者には拒否反応を示しながらも、死者と生者の絆の中に自分と世界の深い存在のありかを感じる、現代人の心情に深くフィットするものだったのである。─東京工業大学准教授上田紀行(文化人類学)(讀賣新聞二月二十四日付朝刊文化欄)
「現実の宗教や宗教者には拒否反応を示しながらも、死者と生者の絆の中に自分と世界の深い存在のありかを感じる」現代人は、歌謡「千の風になって」と同様に、心情的アニミズムに突き動かされて、映画「おくりびと」を受け容れてしまっているのか。宗教、とくに創唱宗教仏教は、現代人に拒絶されているのか。僧侶は、現代人の「宗教者のいない宗教」アニミズムヘの退行現象に為す術がないのか。
○映画監督・井筒和幸氏が十四日、東京・中央区の築地本願寺で開催された「平和を願う集い」(主催=念仏者九条の会・東京支部)で講演、『おくりびと』を、「差別助長映画だ!」と酷評。(中略)「田舎の人をあまりにもバカにしている。葬儀屋や納棺師さんを名指しで差別する地域が、日本中どこにある!あざといウソー」と断罪した。「オスカー受賞程度で、ノーベル賞を与えられたみたいにお祭り騒ぎしている。日本には文化の浄化装置がない。まさに文化ファッショだ」と嘆いた。(週刊仏教タイムス三月十九日号)
主人公が河原に立っている場面は、酒田市に隣接する遊佐町の日光川で撮影されており、筆者の妻が生まれ育ったお寺のすぐ近くである。主人公が東京から移り住んで就職する葬儀社は、酒田市中心地にある日和山公園の坂道に立つ建物である。鶴岡も含めた庄内地方は全国でも有数の穀倉地帯で、江戸期には米を運搬する廻船が京阪の上方文化も運んできた。ために、言葉は関西誼りで柔らかく、料理も上品な薄味、田舎らしからぬ風情がある。筆者がよく知っているこの土地では、あからさまな差別、葬祭業への蔑視はない。井筒氏の指摘は、もっともである。
○「納棺師」のネーミングを案出、(中略)葬送儀礼も企業が創り、ネーミングし、全国に広める時代─宗教ジャーナリスト藤田庄市(週刊仏教タイムス四月三十日五月七日合併号)
筆者の住む三重県地域には、「納棺師」という伝統も職業もない。これはまさに、現代の葬祭業者が「創り、ネーミングし、広め」ようとしている葬送儀礼なのである。
映画「おくりびと」制作のきっかけとなったといわれている『納棺夫日記』著者の青木新門氏は、アカデミー賞受賞後すぐに、つぎのように指摘している。
(3)『納棺夫日記』著者青木新門氏の指摘
○この映画が評判になるにつれ「なぜ原作者の名が記されてないのか」とよく聞かれた。私はその度にあいまいな返事をしてやり過ごしてきたが、それは私の生き方にかかわる問題であった。平安時代中期に『往生要集』を著した恵心僧都源信という高僧がいた。紫式部の『源氏物語』に横川の僧都として登場している。後の法然や親鸞にも影響を与え、親鸞は七高僧の一人として讃えている。源信は弱冠二十歳前後で当時の村上天皇の前で仏法を説く講師に選ばれ、下賜された褒美の品(織物)を故郷に一人暮らす母親へ送ったところ、母は源信を諫める和歌を添えてその品を送り返してきたという。その和歌は〈後の世を渡す橋とぞ思ひしに世渡る僧となるぞ悲しきまことの求道者となり給へ〉といった諫めの歌であった。私は後の世を渡す橋のつもりで『納棺夫日記』を書いたのだった。映画「おくりびと」は世渡る納棺夫が描かれていた。私は著作権を放棄してでも一線を画すべきと身を引いたのであった。(北日本新聞二月二十七日付夕刊悠閑春秋)
そう、映画「おくりびと」は青木氏にとって、著作権を放棄してでも一線を画すべき代物なのである。世渡る納棺夫が描かれているこの映画について、
○最後がヒューマニズム、人間中心主義で終わっている。私が強調した宗教とか永遠が描かれていない。(中略)死者と生者のきずなが大事だよと映画は教えてくれるけど、最後は「癒し」なんですよね。そこで止まっていたら、やがて人間中心主義・ヒューマニズムは、自己中心主義になるのではないでしょうか。癒しだけだと、その場を取り繕うことになりかねません。におい消しみたいなもので、においそのものを断っているわけではない。においそのものを断つには、宗教的なものが必要になるんです。(中略)宗教に目覚めたのは、三〇〇〇体の遺体を送ってきた経験からですよ。(毎日新聞三月二日付朝刊文化欄)
と語っている。
この映画は、青木氏が『納棺夫日記』で強調した宗教や永遠は描かれず、生きている人間の癒しで終わっている。
○いつの間にか私は、「人は死んだら何処へ往くのだろうか?」と真剣に考えるようになっていた。やがて多くの納棺の現場でいろいろな事件に遭い、死に行く人や死者たちから死の実相を教わり、人は死んだら何処へ往くのか、おぼろげにわかった気がした。即ち死後の世界を私なりにイメージとして描けるようになった。それは岨も光って見える清浄光明な美しい世界であった。《筆者後注》これが宗教のいう〈永遠〉というものであり、仏教の説く〈浄土〉なのだろうかと思った。うれしくなって〈後の世を渡す橋〉の一助になればと『納棺夫日記』を著したのであった。(中略)そこ(=映画「おくりびと」─筆者注)に見られるのは、現実の仏教や僧侶には拒否反応を示しながらも、死者と生者の絆を確かめ合うといった癒しの構図であった。即ちヨーロッパ近代思想の人間愛で終わっていた。人は宗教を見失ったとき、癒しを求める。そんな現代人の心情に見事にフィットしたのが「千の風になって」であり「おくりびと」であった。(中略)この世を安心して生きるには、後の世も安心であることが絶対条件なのである。それは私が納棺の現場で死者たちから教わった真実であり、ブッダが説く真理であった。(中略)お棺を取り巻く遺族たちは僧侶が何を読誦しているのか知る由もなく、恩愛にしがみついているのが現状である。恩愛を是認するのが西洋近代思想のヒューマニズムに他ならない。(中略)ここにヒューマニズムの限界をみる。こうした人たちが大勢を占めるようになるにつれ、生死一如の仏教思想は先細りとなってゆく。生と死を分け、死を忌むべき悪としてとらえ、生に絶対の価値を置く今日の不幸は、誰もが必ず死ぬという事実の前で、絶望的な矛盾に直面することである。(中略)葬式の現場では、仏教が見えにくくなっている。(中略)浄土往きを説きながら浄土への願生もない浄土門の僧侶や、成仏せよといいながら成仏への求道心もない聖道門の僧侶によって戒名や法名がつけられ、葬式の導師を勤めている現状では、仏教葬離れは当然のことである。〈死〉は医者が見つめ、〈死体〉は納棺師が見つめ、〈死者〉は恩愛断ち難い人が見つめ、僧侶は死も死体も死者もなるべく見ないようにしてお布施を数えているのが現状である限り、仏教の再生は望むべくもない。仏教の再生を望むのであれば、世渡り僧であることを改め、後の世を渡す橋となることではないだろうか。僧侶が仏典や経典を学ぶだけでなく、生死の現場に立ち、法に従い、後の世を渡す橋となるなら、「千の風になって」や「おくりびと」に癒しを求めた人々がこぞって三宝(仏・法・僧)を敬うようになるに違いない。そうなることを私は在家仏教徒の一人として心から願っている。(月刊寺門興隆平成二十一年六月号)《筆者後注─日蓮聖人は、「妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる。是を本尊とは申す也(日女御前御返事・定遺二二七五頁)」と仰せ。》
青木氏は、歌謡「千の風になって」や映画「おくりびと」がもてはやされるのは日本仏教の危機、ととらえている。「仏教の再生を望む」なら、僧侶が「世渡り僧であることを改め」て「仏典や経典を学ぶだけでなく、生死の現場に立ち、法に従い、後の世を渡す橋となるなら、『千の風になって』や『おくりびと』に癒しを求めた人々がこぞって三宝(仏・法・僧)を敬うようになるに違いない。そうなることを私は在家仏教徒の一人として心から願っている」と提言している。これも、一方の世論である。
(4)「葬式仏教」でさえ、なくなる
○この映画により、『納棺師』や『エンバーミング』が日本の伝統文化に則ったものと受け止められることは、仏教の本来的な意義が益々失われてしまう─という危惧がある。(中略)遺族が故人を、“自らが希望する”姿に近づける納棺。葬儀本来の意義はそこに見られない。戒名ではなく、故人は何時までも俗名のまま送られてしまう。(中略)地方僧侶の記憶では、納棺は、ほんの少し前までは家族が死者を偲びながら、家族だけで行った。そこに僧侶は枕経として立ち会い、息をしているうちに、安心を故人に与えつつ、共に見送った。宗教界自体が伝統の相続を怠ったとは言えないだろうか。(中略)家族が共に見守るいのちのリレーが消え失せようとしているかのようだ。納棺に、いのちの連続性を見つけられないまま、葬儀が単に『別れ』の儀式になる時、「葬式仏教」でさえ、なくなってしまわないのだろうか。(文化時報三月二十八日号今朝の話題)
筆者が小学生の頃(五十年前)は、死ぬ間際の人の枕辺で臨終正念を祈るのが枕経であった。現在のように死亡後の最初の回向をさすようになったのは、いつごろからで、なぜそうなったのか、よくわからない。世間は、「宗教界自体が伝統の相続を怠った」とみている。
以上、「世論」をみてきた。次に僧侶の反応をみてみる。
(5)僧侶の出番が無くなってからでは遅い
○本年八月の仏教看護・ビハーラ学会年次大会シンポジウム「映画『おくりびと』を観て我々は何を考え感じたか」には、関心をもって臨みました。(中略)次の指摘は重要な点と考えます。「映画は送りっぱなしで行先がわかりません。宗教を持たない者は癒しを求めます。行先がわからなくては救いになりません」と。(中略)支える側にしっかりした死生観があれば、動じることなく臨終に向き合えるものです。(中略)シンポジウムの会場で「僧侶の役割は死に行く者や家族が共々に仏法に出会える縁となること。僧侶の出番が無くなってからでは遅いのでは」という発言がありました。─日蓮宗ビハーラネットワーク世話人藤塚義誠(日蓮宗新聞九月二十日付もっと身近にビハーラ)
まさしく、「僧侶の役割は死に行く者や家族が共々に仏法に出会える縁となること。僧侶の出番が無くなってからでは遅い」。
映画「おくりびと」は直葬奨励映画か。歌謡「千の風になって」同様、アニミズム(宗教者のいない宗教)に逆戻りの観がある。創唱宗教仏教が、アニミズムでは解決できない死の恐怖から人々を救った。僧侶が仏教を説かないから、人々は葬儀の意義がわからない。葬儀は教化の絶好の機会、霊山往詣(即身成仏の法華経行者が、本処である霊山の久遠本仏のもとへ還帰していくこと。法華経修行者の住所は、いずれであっても常寂光土が顕現し、一歩も行かずに霊山へ昼夜に往復することが出来る。「先づ生前を安んじ、さらに没後を扶けん─立正安国論」。日蓮聖人は、第一に現実の世界を仏国土化することに中心を置き、更にその上で没後の霊山浄土へ往詣することを願われた(─日蓮宗事典)を説くべし。枕経は、死ぬ間際の人を安心させて臨終正念を祈るもの。それは、見送る人にも安心を与え、自身の死を考えさせる機会になる。通夜説教は未信徒教化の好機、葬儀式場は無宗教者勧誘の場。送られる死者と送る生者を導く僧侶になろう。
※歌謡「千の風になって」については、拙稿「『千の風になって』の教化学的考察─そのスピリチュアリズム的側面」(平成二十年三月日蓮宗現代宗教研究所発行「現代宗教研究」第四十二号所載)あり。
以上の論考を平成二十一年十一月五日第十回日蓮宗教化学研究発表大会で発表後、次の三論に出会ったので、紹介する。
○戦後復興や高度成長は日本人の古い死生観(死生一如─筆者注)の一掃のうえに成り立ったのである。(中略)昨年のリーマンショックによって二十世紀型資本制とその発展形態は完全に破壊された。それはそのまま価値観の激変を余儀なくされていった。わたしの周囲でも物質主義への懐疑と反省が急速に膨みはじめている。老若男女を問わずにだ。興味の方向は確実に精神的な領域に向けられつつある。精神的な領域とは極言すれば、宗教的な領域だと置き替えてもいい。(中略)宗教とは死生観を基軸とした諸々の観念の集積と定義してもいいだろう。(中略)今日の日本人は戊辰のころや、イスラム教徒とちがい、極端に死を嫌悪し畏怖するようになっている。しかし、それが二十世紀モデルの経済システムが嗇したものだとすれば、その破綻によってふたたび変質を余儀なくされるだろう。死生観を軸とする話題は静かに、だが確実に日本人の口の端にのぼることになる。それはそのまま宗教全般の見直しに繋がっていくにちがいない。(中略)宗教の時代にはいろうとしている現在、日本人の日常のなかに散らばっている仏教的なものの掘り起こしはとりあえずの第一作業とならざるをえまい。オウム真理教の後遺症のせいか、日本の仏教界はそういうことに臆病過ぎた。しかし、このままの状態がつづくと、宗教の時代の再到来にあたって、怠慢の謗りは免れないだろう。─直木賞作家船戸与一「宗教の時代の再到来」(月刊寺門興隆平成二十一年十一月号)
○私の生まれたアメリカには「out of sight out of mind」という諺がある。視野に入らないものは心に入って来ない、忘れられている、という意味である。(中略)世の和尚さんたち、葬儀やご法事で慰め、癒しの説法をして欲しい。─山形弁研究家ダニエル・カール「私はお坊さんを尊敬しています」(月刊寺門興隆平成二十一年十一月号)
○理屈ではわりきれない、何かやむにやまれぬものに突き動かされて実践される宗教儀礼から、連綿と続く大きな生命のつながりを実感するのである。(中略)死者儀礼は仏教が支えてきた部分が大きいので、「お盆」は仏教の儀礼がメインラインを形成している。しかし、仏教の「供養」という行為だけではなく、祖霊信仰の要素が習合していることはあきらかである。(中略)柳田國男はお盆の起源は仏教ではなく、祖霊(歳神)信仰だと考えていたようである。(中略)そもそも、日本宗教文化においては、死生観や死者のナラティブ(語られ続ける物語)自体が不明瞭なのである。本来、宗教儀礼・死者儀礼は、それぞれの宗教体系に沿ったナラティブによって意味づけがなされる。そしてその物語に合った宗教儀礼の形態を創っていく。(中略)宗教は、生と死に最終的な意味づけをする。ゆえに、各宗教・各宗派・各宗教者はそれぞれに生と死の文脈をもっている。その物語は、その体系内で機能し、特有のエートス(行為規範)を形成していく。これに対して、日本文化の「生と死の物語」は、どのような宗教体系のストーリーが主旋律になっているのかが説明しにくい。(中略)こうしてみると、あらためて宗教儀礼や死生観がいかに一筋縄でいかないかに気づかされる。(中略)ゆえに多くの僧侶は、不明瞭なまま、各自がそれぞれに折り合いをつけながら、日々宗教儀礼を行っているのではないのだろうか。(中略)それは、宗教儀礼が「思想・理念・信仰よりも関係性が先立っている」からである。たとえば、葬儀や法事は、明確な信仰がなくても参加できる。誰しも、自分とは異なる宗教の儀礼に加わった経験があるだろう。つまり、信じていなくても儀礼は成立するということだ。生と死を超える「関係性」、この感性こそ宗教儀礼を底支えしているのではないかと思うのである。─兵庫大学教授釈徹宗「日本人に必要なのは宗教なのか宗教儀礼なのか」(月刊寺門興隆平成二十一年十一月号)
この教化学研究発表大会第一会場で、映画「おくりびと」を映画館・テレビ・DVDなどで観たことがある人は、一八名中一二名であった。
参考図書
青木新門著『納棺夫日記』増補改訂版 文春文庫 文藝春秋 一九九六年
百瀬しのぶ著『おくりびと』 小学館文庫 小学館 二〇〇八年 映画のシナリオ本
天童荒太著『悼む人』 文藝春秋 二〇〇八年 直木賞受賞作品
小林光恵著『死化粧 最期の看取り』宝島社文庫 宝島社 二〇〇九年 エンゼルメイク
【付記】本発表の資料収集にあたり、日蓮宗現代宗教研究所所員に御協力いただいたことを感謝する。