現代宗教研究第38号 2004年03月 発行
教学とその現代化について思うまま
教学とその現代化について思うまま
(日蓮宗現代宗教研究所嘱託) 石川教道
一 教学とその現代化への方向
「教学の現代化」ということが言われて久しいようだが、こうしたことが言われ出した現実的背景には、
全国の寺院教会結社教師の活動に、仏教思想・法華経・日蓮聖人御言・宗学等の教義学的内容(総称して教学とす)の必要性が薄くなってきたこと。極論すると、こうしたものが無くても寺院教会結社の宗教活動に大きな影響がないと意識され出してきたこと。
が挙げられる。こうした活動意義の変化は、日本の高度経済成長の影響もあって、本宗寺院も徐々に経済的基盤を安定させ、寺院護持から寺院経営にその主体を移してきたことによる、変化と考えられる。
こうした寺院の変化は、教学の必要性から離れ出したと共に、新たな問題を生み出している。それは、
㈰ 寺院教会結社の宗教活動が、人の心に訴える教えを示せなくなってきているということ。言い換えれば、寺院経営は成り立っているが人を導く教えがない、人の心に訴える教えのない寺院になり出してきているということ。
㈪ よって住職教師も、教えに基づいた姿勢や信仰を示さなくなると共に、示せなくなっている。
という、問題に至っている。葬儀等の一般仏事における寺院と檀信徒との違和感によるトラブルの一つも、こうしたところにあるとも考えられる。
こうした現状をもとに、
宗教活動は教学に裏付けられた活動であるべきという立場から、現場に活きた教学、現代的な立場での教学の把握が求められるようになってきた。
と考えられる。つまり、教えや信仰を中心に形成されていない寺院や教師への、基本に戻れという要求が「教学とその現代化」の裏に秘められていると考えられるのである。言い換えれば、教学とその現代化は、現代の寺院や教師の再構築・再教育を目的としたところにあると言っても過言ではないであろう。となると、その現代化は単なる教学の研究によってなされることではなく、教学をもととした、現場の活動をより活性化させるところにあり、しいて言えば、布教伝道の分野で考えることになろうかと考えられる。言い換えれば、現代化とは、教学の客観的研究の中にあるのではなく、布教伝道の上で考えることと思われる。
二 教学及び調査研究の充実とは別の現代化
現代化は布教伝道において考えることと言っても、客観的な教学研究の成果の上に立って言えることで、数学研究は重要な分野である。ただ、数学の研究と現代化は別の範疇のものとして考えるべき内容である。
その意味で、今までの現代宗教研究所において行われてきた教学研究と調査研究の成果は今後においても重要な意味を持つものであるが、現代化については別に考えるべきであろう。
三 教学とその現代化に伴う布教伝道的グループ
教学の現代化の意味するところが、現場の寺院教会結社及び教師の、「教え」を中心とした資質の向上にあるとするならば、客観的教学から、「教え」の主体的受け止め方に変換する、つまり教学の信仰的理解・信行的理解へと導くための検討グループが必要となろう。それは、現場において布教活動をしている経験ある教師を中心とする布教伝道グループによってなされるべきことと考えられる。
四 現代化を考える布教伝道グループの内容
㈰ 現場から教学を考えるのではなく、教学から現場のあり方を検討し、その現場に最も要求されている教学内容を提示すること。
㈪ その教学内容は現場の人達に充分、理解と認識、さらに了解できる形で提供できる内容に変換し提示すること。
等が基本的内容となるか、と考えられる。