現代宗教研究第38号 2004年03月 発行
幸福の科学における布教伝道
幸福の科学における布教伝道
(日蓮宗現代宗教研究所研究員) 内山善行
それでは、幸福の科学における布教伝道、ということで発表させて頂きます。約三十分位で、終わらせたいと思います。
内容的に言いますと、本来ならば正会員から直接話を聞いてまとめるべきだったんですけども、チャンスがありませんで、準会員という、誌友会員と言いますけども、その誌友会員の話と書物から本発表の内容が構成されているということをお断りしておきます。まず、幸福の科学における布教伝道というタイトルですけども、布教と伝道の違いはどうかということを辞書で調べましたところ、布教という言葉は主に、仏教で使う、伝道は主にキリスト教で使われている、という風に書いてあります。しかし小説なんかによると、小川邦夫なんかだと、キリスト教を布教するとか、そういうような使い方もしております。大川隆法は自分で、宗教を伝道するというような言葉を使っておりますので、布教伝道というタイトルに致しました。島薗進の『ポストモダンの新宗教』という本の表を参照しますと、現在一千万人という会員の状況であります。創立後十四年で一千万ということは、かなり特異な存在ではなかろうかと思います。一九八六年に、たった四人で創立したのに、三年後には一万三千人、その十一年後には一千万人という、これは驚くべきことだろうと思います。これはどういうことなのだろうか、どんな秘密があるのだろうかということで、幸福の科学について調べてみようと思ったのがきっかけです。先日、丸善に行ったところ、幸福の科学の書籍コーナーが置かれて、そこでは、月刊誌の「幸福の科学」が無料で置いてありました。八重洲ブックセンターでも、丸善ほどではないけれども幸福の科学の出版物がかなり置かれています。それらの書店には、日蓮宗関連の書籍はほとんど置かれてないという状況も目に入りました。会員は非常に勉強熱心で、幸福の科学の書物は大体読んでいると言われています。そして、かなりのペースで次から次へと刊行される大川隆法の書物に感動して入会する者もかなり多いと言われています。会員数が急速に伸びたのは、出版物による効果だろうと幸福の科学の教団でも分析しています。会員は、正会員と誌友会員と二つに分けられますけれども、誌友会員というのは月刊誌「幸福の科学」を講読契約している人を言います。正会員には、本を十冊以上とかそういう条件があるんですけれど、幸福の科学の誌友会員というのは、書物を申し込むだけでなれるという、「幸福の科学」を申し込むだけでなれるという、二つの会員があります。誌友会員の中には、お坊さんもかなりいると言っていました。幸福の科学の状況を知りたいという人もかなりそういう書籍を取っているので、そういう人達も数に加えられて一千万という発表になっているんだろうかと思いますけれども、先日、ある誌友会員に尋ねたところ、そんなことはないでしょう、私の会員番号は六千番台だっていう風な答えも返ってきました。「文化庁」の宗教年鑑平成十四年版を見ると、日本の宗教信者数が二億一四七五万五四八五人となっています。そして今年の文部科学省統計数理研究所の調査推計によりますと、日本の総人口は一億二七二一万四五〇〇人ですから、日本の総人口よりも宗教信者数が八七五四万人も多い数になっています。このことから、幸福の科学の一千万人会員数もそのまま受け取るわけにはいきませんけれども、急速に発展した教団の布教方法と教義について探ってみることは参考になるのではなかろうかと思います。
全体の流れを見てみますと、幸福の科学の教団の歩み自体が布教であって、教団の歩みにおいて徐々に教義が形成されてきたというような印象を受けます。現代人が聞きたいこと知りたいことを、時代精神に合致した形で、しかもマスメディアを巧みに操作して人々に伝えてきたということが言えると思います。その一例として、毎日新聞社から出版した『「幸福の科学」現象を追う 新時代の啓示宗教』という本がありますけれども、一般書を装っていますけれども実は、幸福の科学の宣伝をその裏に込めて出版しているという状況も伺われます。でまあ、この教団の発展の秘密を探ってみた結論として的確に表現しているのが、米山義男という人の『幸福の科学 仏国土ユートピアの建設』という本の中に書いてありますので、これが結論ではなかろうかと思います。『幸福の科学の会員数の飛躍的増大は、教団発行の雑誌や、書籍を読むことで、会員になれるという手軽さ、通常の教団のように宗教的な「お勤め」がなくて、セミナーや研修会で「学習」することで信仰を深めるという、ある意味でのスマートさによって支えられていると言える。そしてもう一つは、大々的な宣伝戦略である。例えば、会員数が五六〇万人になった九一年には、年初に出版された「アラーの大警告」「ノストラダムス戦慄の啓示」の宣伝に、テレビCMが流された。また幸福の科学は、この年三月に東京都から宗教法人の認証を得ましたし、七月には初めて東京ドームを借り切って「ご生誕祭」を実施して、大川隆法が地球最高神霊である「エル・カンターレ」である、ということを自分で宣言しました。その宣伝のために、首都圏と関西圏で幸福の科学のステッカーを貼ったタクシーが走り回って、首都圏の空に幸福の科学をPRする飛行船が舞った。この、宗教団体のイメージを突き破る大宣伝には、電通などの大手広告代理店が参加して、二十億円の広告費が注ぎ込まれたと言われている』と、こういうようなことがありますけど、こういうことがかなり効果を上げて会員数の増大を招いた、と思われます。以上の結論の元に、教団の歩み、教義の形成、会員資格などによって、布教と教義を探ってみたいと思います。
新新宗教、には三つの類型があると言われています。隔離型、個人参加型、中間型という三つの形で、隔離型というのはそれは統一教会、オウム真理教など、世俗の職業生活や家族生活を放棄して共同生活を送る形。個人参加型というのは、個人が好む範囲でそういう宗教活動に関わってくれば良いとするタイプ。中間型というのは、新宗教のそういう内容に近いものと言われるもので、信徒による信仰共同体が存在していながらも、共同体は世俗社会との繋がりを持って、世俗社会の中で理想社会を作っていこうという傾向がある、こういう三つの型、であります。幸福の科学も、始めは個人参加型の性格が色濃かったんですけれども、段々と教祖への個人崇拝、学習と試験による昇進システム、他宗批判あるいは外部との摩擦などを通して結束力を高めて、中間型の特徴を強めてきております。
大川隆法の教団の歩みですが、最初は、幸福を科学していくという、一種の勉強サークルのような形であったんですけれども、段々と教学を整えてきて、昭和六十二年に『大陽の法』、という教義内容を書いたもの、世界観、歴史観、人間観を述べた本を発刊してから、段々と知識人文化人インテリ層の会員が増えてきたわけですけれども、それだけでは会員数を増やすことはできないということを自覚したのか、あるいはまた自分がいろんな宗教を謳ってきたので、霊的力を導入すれば会員が増えると思ったのか、奇蹟の力を強く打ち出すようになります。てかざしと思われる病気治しの、方法なども、使っています。頭痛、眩暈、喘息、腰痛、リウマチ、心臓病、胃腸の病気など、悪霊がついているのが主流の病気は、パワーを入れるか、悪霊を取り除いて成仏させるかすれば、嘘のように三、四分でケロッと治ってしまうというようなことを語っています。こういうような病気治しの方向に走って、ついには自分がお釈迦様の生まれ変わりだということを宣言。仏法僧とは、現代において仏とは、釈尊の生まれ変わりである大川隆法、法とは、自分の、教え、僧とは、幸福の科学、あるいは幸福の科学の会員、というような形で、仏法僧ということを捉えています。最近の著作の扉を見ると、大川隆法は地球系霊団の最高大霊であるエル・カンターレというものが地上に下生された存在で、過去、その意識の一部分が、釈尊として生まれたと言っています。お釈迦様は、その宇宙最高神霊の一部分が宿ったもので、大川隆法はその全体、全身全霊が自分に宿った本体意識というようなことを語っているわけです。
出版と講演で会員を伸ばしてきたわけですけれども、教団のシステムを見ますと、受験制度とか研修制度が導入されて、会員の中にも、やる気を起こして自分も講師になろう、人前で法を説こうということで勉強に励んで、その試験を合格すると、準講師、支部講師、本部講師、応用本部講師登用への道が開けるというシステムになっています。会員の資格には、正会員と誌友会員と二つありますけれども、正会員として入会を希望する者はまず、十冊以上の霊言集とか大川隆法の著作を読んで、その後に入会願書を提出します。入会願書には、住所氏名、職種、役職、といったありきたりの項目の他に、入会の目的や、入会後の抱負、所属している宗教、また宗教団体での活動歴、役職を記入する欄があります。本部では、ここに書いてある内容を審査して合否を判定するというシステムを採用しておりました。正会員になるためには、十冊読破が必要条件だったんで、買って読むか読まないかは別として、十冊買わなければなりませんので、頭の悪い人は読んでも論文書けないでしょうから、書こうと思って十冊買う、そして、読んだ会員を目当てにまた本を出版するので、十数冊の初期の霊言集というのは、確実に販売数を伸ばすことになりました。正会員の資格としては、講師の道が開かれるという特典、誌友会員は、特にそういう資格はないんですけれども、誰でも自由に申し込めるということ。正会員の入会金が三五〇〇円、月会費が二〇〇〇円となっております。誌友会員は、月会費が一二〇〇円で、入会金二〇〇〇円ということになっていましたけれども、最近の書籍を見ますと正会員は、『新・大陽の法』という本を読んで入会願書に感想を記入して会員として相応しいと認められた方、あるいは、研修会に参加してそういう経験があり正会員の推薦を受けた方、このいずれか一方を満たした方で、三帰誓願式を受けた方、と改正されています。ま、入会に際しては、最寄りの、日蓮宗では寺院と言いますけど幸福の科学では精舎と言っております、精舎の支部、拠点において三帰誓願式にのぞむ、ということになっています。誓願式とは、仏は即ち大川隆法総裁、法は大川隆法の説く教え、僧は幸福の科学の集団あるいはそのルール、という三つに帰依することを誓う儀式であると言われています。幸福の科学の教義として、四正道とか、魂の構造、こういうものがありますけれども、こういうような、教え教義によって、教学的なものは成り立っています。こうした複雑で観念的にしてただ信ずるしかないような教義は、幸福の科学の誌友会員にとっても理解しがたいようです。ある会員は、『大陽の法』は難しくてよく解らない、でも月刊誌の「幸福の科学」は解りやすい。月刊誌「リバティー」はいいことが書いてあるので毎月買って読んでいる、というような意見もありました。渡辺昇一も大川隆法との対談の中で、『大陽の法』という書物は解らないところが多いと言っています。『大陽の法』自身は難解ですけれども、それ以外の大川の本を見てみますと、判りやすいような文章で書かれています。大川自身が語っているところによると、小学校五年生でもわかるようにと思っていつも書いているんですけれども、と書いてあります。そしたら大勢の人が読んでくれる、というようなことを書いてあります。
大川隆法と教団の歩みということになりますと、日蓮聖人との関係がまず第一に、浮かんできます。一九八一年の三月に、日興上人から通信があったと言っています。そして、一週間から十日ほどして日蓮聖人から通信が始まって、自動書記の形で日蓮聖人の霊と会話をしたと言っています。大川隆法が日蓮聖人に、私の使命はどこにあるのか、一体どういう使命を持っているのかと質問をすると、日蓮聖人は、「人を愛し、人を生かし、人を許せ、人を信じ、世を信じ、神を信じよ」と言ったといいます。また一九八五年には、『日蓮聖人の霊言』という本を出していますけれども、この本によりますと日蓮聖人が語るには、「あなた方が団体を造っていくのではないのです。人びとが集まってくるのです。それを誤ってはいけない。あなた方が組織を造るのではないのです。あなた方はほおっておくのです。法を広めるのであります。ただ結果的に人が集まってくるのです。広がる広がらないはまかせておけばよいのです」、というような日蓮聖人からの通信があったと、言っています。第二点として、「これからの伝道形式としては、文章による啓蒙の方向をとっていく。この方法、方向が賢明です。あまり、現象、降霊現象をやり始めると、現象のみを求める人たちが後を絶たなくなってきます。それはきりがないことです」というような日蓮聖人の霊言があったという、この日蓮聖人の忠告によって、幸福の科学は文章伝道でいく、という活動方針が導き出されたと語っています。幸福の科学という名称は、日蓮の霊言に由来しています。これは、日蓮聖人が語ったところによると、「宗教でなくてもいいのです。要は世界の仕組みを知らせ、そこに住んでいる人びとが幸福になればそれでいいのです。これは幸福科学であり、幸福への哲学であります」ということで、幸福の科学という名称が日蓮聖人の霊言によってついたという風に言っています。一九八七年の四月に、『日蓮聖人霊示集』という本を発刊して、会員は日蓮聖人の霊示集を読むことによって個別の悩みは解決できるということで、これ以後、個別の相談は受けないということを宣言しています。
一九九一年には会員一五二万人達成ということで、東京ドームを借り切ってご生誕祭を実施して、自分が地球最高神霊のエル・カンターレである、そして今世紀中に日本国民全てを、そしていずれは全人類を幸福の科学に入会させるのだと断言しております。同年九月にフライデー事件が起こりましたけれども、この事件の背後には幸福の科学を脱退した元GLAの信者達が、マスコミにプライベートな部分を暴いたというようなことが言われています。一九九四年ぐらいから、他宗教批判というものが始まります。一千万団体の社会的使命として、幸福の科学以外の宗教や宗派は邪教と見なして、その矛先は、創価学会、オウム真理教、統一教会、コスモメイト(現ワールドメイト)、GLA、エホバの証人に向けられて、他宗批判を行っていますけれども、その内容を見ると、実地に調査した結果ではなくして、全て報道によればなんとかということで他宗批判を行っているところが問題ではないかなと思われます。
教団の主な収入源は大川の出す単行本で、ベストセラーを連発して、一九九五年五月に発表された高額納税番付で全国七十七位にランク入りして、税額は三億五二九七万円、宗教家としてはトップで、著書は一九九四年一年間で八五〇万部も売れたと言われています。
まあ教義における問題例としては、生物学的な観点から三点、現代生物学とは違う内容で、こういうことがちょっと違うのではないかということが言われています。そして、創価学会批判をしてるんですけども、それが本宗批判に通じるような内容もあるので、これはちょっと見逃せないので、これに対する反撃体制を我々は、整えておかなきゃならないと思うような点があります。四点ありますけれどもその一番目は、「創価学会が依って立つ日蓮。日蓮が依って立つ天台本覚思想。その思想が、仏法真理に反して全くの間違いであることを指摘し、多くの人々の迷妄の霧を晴らしたいと考える。日蓮の最大の主張である、南無妙法蓮華経を唱えれば救われる、即身成仏できるという考えも、成仏を安易に考える天台本覚思想に完全に毒されたものである」と述べて、最澄から始まった天台本覚思想が日本の仏教を駄目にした最大の毒水であって、その最澄を最も尊敬し教学を受け継ぐことを主張した日蓮は間違っていると、本覚思想から日蓮批判を行っている点があります。本覚思想は天台大師から始まったというような誤った批判もありますけれども、田村芳郎教授の、鎌倉新仏教調査の研究を読みますと、その萌芽というものは空海にあるし、また、最澄もその萌芽はあるけれども、本覚思想が基盤を固めたのは、円喜、円珍からであるというようなことを述べております。二番目の点、「日蓮は言う、法華経こそが正しい教えなのだ。法華経、これは最後の最勝の教えで、これを説くために今まで方便の教えがあったのであり、これ以外にはない。仏と法華経とを比べると、法華経は釈尊の父母であり、法華経の方が、釈尊より尊いのだという、と、こう生前の日蓮は平気で書いている。これは仏と法の順序を間違っている。日蓮の仏教理解は極めて歪んだ間違ったものであったことは、この一事をもって証明できる。まさに三宝の順を弁えぬ、邪義そのものである」という風に語っています。それから、「元来、日蓮の説いた南無妙法蓮華経の唱題は、せいぜい人々を信仰心に目覚めさせる段階、すなわち信解脱の段階、五次元程度の覚りにしか導けない。鎌倉時代の文盲の人の多い時代にとられた緊急避難的な方法に過ぎなかったのである。題目だけで即身成仏など、絶対にありえない。煩悩を絶つ力すらないのである」。また、「お題目が一念三千とは笑止千万。南無妙法蓮華経とは、泥沼に咲くあの蓮の華のような清らかな正しい教えに帰依しますというくらいの意味であるが、こんな文句を唱えれば救われるなどとは釈尊はただの一度も言っていない。こんな文句を百万回唱えたところで心の修行にならないことは、常識ある人間であればわかることである」。創価学会に向けた発言ですけれども、これは、また、本宗に対する攻撃にも繋がってくるわけです。このような批判に対する反撃体制を我々は整えておかなければならないと、思います。
今後の我々にとっての課題ですけれども、その教義の内容はともかくとして、大川隆法の個人的魅力というものがかなり大きいことが言えると思います。入会申込書には、「本会の研究対象は、宗教、哲学、政治、経済、心理、医療、健康、芸術、歴史、文学、国際問題、科学、教育など、一切の学問領域を超えた領野であり、人間精神の向上と発展を課題の中心とする」と書いてありますけれども、大川は博学多識にして、その教養はあらゆる分野にわたっていて、その講演の声を聞きますと、明るくてテンポがあって、話しぶりは滑らかで淀みがないような感じを受けます。そして、教えを説くことに喜びを感じ、楽しんで法を説いてるかのようであります。山折哲雄はそのような大川隆法について、次のように語っています。「我々の周辺には、オドオドした教師達、信念のない政治家たち、そして金儲けに狂奔する経済人たちが、何とうようよしていることか。そんな中で、俺こそは仏陀の生まれ変わりだと称する人物は、たとえ胡散臭い匂いを周囲に発散していようとも、一陣の冷風を吹き付ける稀な人物であることは確かではあるまいか」というようなことを述べています。我々教師の中に、教えを説くことに喜びを感じ、楽しんで法を説いている者がどれくらいいるでしょうか。心には折伏精神を抱きつつ、摂受的立場に立って、インテリ層及び一般大衆の広い層にまたがる者たちに文章を通して働きかけ、知的満足を与え、信仰に導いていくような、幸福の科学の布教体制は、本宗教師にとって考察の余地があり、今後の一つの課題となると思います。
NHKの平成十年の調査によりますと、一九九〇年代後半から、若年層、中年層、高年層、(若年層は十六歳から二十九歳、中年層は三十歳から四十九歳、そして高年層は五十歳以上)その全ての年齢層で、信仰とか、信心というものが急減しています。霊的な精神世界についての調査結果としては、若年層が中年層とか高年層を上回っている、という状況があります。即ち、若年層が霊的な精神世界に対して一番興味を持っている、という結果が出ております。これらの調査をもとに、今我々は、信仰心が欠落しつつある現今の人びとにどのような布教方法が有効なのか、また霊的な精神世界に興味を持っている者が多い若年層に対して霊山浄土をどのように語っていくべきかということも、今後の布教の課題となるのではなかろうかと思います。
以上、大雑把に述べてみましたけれども、教義的なものに関しては、レジュメの中を読んでもらえば、面倒な内容ですけれども、大川隆法は多分、小学校の頃から、父親から教育を受けてきたので、そういうものが重なって、こういうものを作ったのではなかろうかと思います。以上です。