現代宗教研究第38号 2004年03月 発行
全女性教師アンケート報告書から見た、これからの女性教師像
研究ノート
全女性教師アンケート報告書から見た、
これからの女性教師像
(日蓮宗現代宗教研究所研究員) 伊藤美妙
はじめに
戦後、日本社会は大きく変化しました。女性の社会進出もその一つであり、幅広い分野で活躍しています。また、受け入れる側も、男女雇用機会均等法や男女共同参画など制度の対応は進展しています。しかしながら仏教界では未だに、女性は劣位に於かれていると言わざるを得ません。日蓮宗に於いても例外ではなく、過去に一人だけ宗会議員が選出されただけで、女性教師が宗門の決定機関に関わることはほとんど無く、宗政に女性教師の声を取り上げて貰う機会さえないのが現状でした。しかし実際には女性教師や寺庭婦人がお寺を守り、住職を支え、法器を養成するという責務を担ってきました。現宗研の女性教師プロジェクトでは、現状を把握するため日蓮宗の全女性教師にアンケート調査を行いましたが、回答した女性教師中、寺院関係者が過半数を占め、その内約七割が既婚者(離死別を含む)でした。女性教師の多くは、陰の力として宗門や寺院を支えてきました。その女性達の力が、停滞しつつある教団に活力をよみがえさせる一助とならないでしょうか。これから私達女性教師は、教団内に真の男女平等、共同参画を実現し、共に歩む教団を目指して努力していきたいと思います。
今回の女性教師アンケート調査の結果を踏まえ、五つの観点から、これからの女性教師像を考えてみました。
一、せっかく信行道場を出てもなにも活動していない人がいること。
全女性教師の内、何も宗教活動してない方は約一割ですが、教師以外の収入で生計を立てている方が全体の約四割もいます。その内現在、住職・担任・教導であっても寺院生活や宗教活動では生計が立てられない方が約二割もいるのが女性教師の実情です。また、信行道場入場時の立場のところでわかるように、回答者の内、在家の方が全体の四割近くにあたります。在家出身者では、教師以外の収入で生計を立てている方が過半数を占めます。在家の方達は信行道場を修了後、布教活動の場所が決まっていないということもあります。そこで、宗門としてどのように布教の場所を提供できるのかを考えてみました。
平成十四年度より宗務院に開設されました総合相談所やミトラサンガでやっている相談窓口を、もっと活用する方法がないかと考えてみました。民間で行っている人材派遣のように、一定期間法務を手伝って欲しい方のところに出向いて行きお手伝いをする、また、病気やお産の寺庭婦人の代わりに法務のお手伝いをするなど、短期間の手伝いに女性教師を派遣するのはどうでしょうか。大きなお寺以外は、寺庭婦人がお寺の様々な雑務を担っていることが多いと思います。寺庭婦人が病気やお産の時、そういう仕事を代わって貰う人がいなくて、ゆっくり休めないこともあると思います。その時に、代わりにお寺の法務や雑務をお手伝い出来る人が必要だと思います。もし、条件がお互いに合えば、雇用するということにもなるかも知れません。また、過疎地域で代務住職のお寺が数多くあります。そこの住職に女性教師を派遣するか、正式に次の住職が決まるまでの間、代理として派遣することは出来ないでしょうか。総合相談所やミトラサンガの相談窓口をもっと活用するように、声がけをしていきたいと思います。その際に懸念されることは、今回のアンケート調査もそうでしたが、在家の方に情報が届かないことです。現在住んでいる住所と宗務院に届けている住所が違っているとか、移転していても届けが無いことがあるようです。ですから、色々な知らせを出しても本人の所には届いていないように思われます。また、師僧さんのところに届いても本人のところにまでは、届いてないこともあると思います。それらに関しては、師僧さんが信行道場修了後もきめ細かな指導をして頂きたいと思いますし、また身近な女性教師の協力、それから地域の宗務所長さん達が把握して、宗門からの情報が届くように考えて頂けないでしょうか。
それと気になることは、女性教師の能力が正しく評価されていないことです。立場を与えられたら男性教師と同じように活躍できる女性はたくさんいると思いますが、女性教師に職場を提供する男性教師の方が少ないような気がします。どちらかというと、女性教師は敬遠されているような傾向にあると思います。機会が与えられず、経験を積めないことが、女性教師達が自信を持てない原因や、男性教師に引け目を感じる原因となっているのではないでしょうか。
二、「何か活動したい」という意欲を布教や社会貢献に活かしたい
このアンケート報告書にもありますが、「布教したい」とか「社会貢献をしたい」という意欲が充分活かされているとは言い難い現状があります。現在の立場というところを見ますと、女性は住職・担任・教導の方は少なく、約三十二パーセントで、非住職の方が約六十六パーセントです。これを全教師で見ると住職が五十三・三パーセント、非住職が四十六・七パーセントとなっています(平成十四年度八月三十一日現在)。二十パーセントくらいの差があるわけです。非住職ということは、フリーに制約を受けず活動が出来るという利点もあります。そのような立場を活用できる布教を探って見たいと思います。
女性教師は男性教師と異なった特色として、声明、法要が中心ではなく、もっと広い範囲で活動をしてみたい人が多いことです。例えば「ボランティア活動をしたい」とか、「子供達への布教とか親達への布教」、「悩み事の相談をしたい」という声があります。アンケート調査報告書の「将来活動してみたいこと」のところで、社会活動に対して関心の多いことが解りました。この事を考えてみますと、男性教師とは違う立場で活動するのもいいのではないかと思います。最近の子育てに関する問題、子供への虐待、育児放棄、少子化傾向とかを考えますと、そういう方達への教化に取り組むのも一考でしょう。今、一般社会ではカウンセラー養成講座が盛んで、参加者を見るとほとんどが女性です。女性は本来、話を聞いたり、話をすることが得意だと思います。カウンセリングの資質を磨き、布教教化に活かしてはどうでしょうか。社会全体が癒しの時代であると言われるように、精神的にいやされたいと願っている人が多くなってきていると思われます。女性教師は、立場の所でもわかるように、結婚し子供を産んでそれから教師になった人が多いわけですから、母親としての経験、子育ての経験、それから老人介護、自分の親を見ているという経験、そういうことをカウンセリングに活かし布教活動を始める方が、より女性には取り組みやすいのではないかと思います。
日本の女性の平均寿命は、八十三歳を越えました。平均的には夫の死後、十五年余りも一人で生きることになります(96年厚生白書より)。また経済面に於いても、六十以上の女性が左右しています。ローンなど負債を差しひいた個人の純金融資産の五十%強に当たる四百五十六兆円を六十歳以上の高齢者が保有しています。有力金融筋の試算では、そのうち九十二兆円が六十歳以上の単身女性だそうです(九七年六月末)。その女性達の教化に、同性である女性教師がもっと戦力になるべきではないでしょうか。高齢化、少子化、流動化の三つの経路を通じて女性が経済を左右する日本は、ウーマノミクス(女性主導の経済)の時代を迎えつつあると言われています。新興宗教を見ましても、教化の戦力は女性達です。日蓮宗に於いても、女性教師の力を活かす研究がもっとなされても良いのではないかと思います。男性と同じ土俵に立つばかりでなく、身近な媒介を通して社会に密着した布教をしていくこと、それが女性の特性を生かした布教ではないかと思います。今後は、各家庭、個人への布教力の養成が大事になってくるのではないでしょうか。家庭での仏事を司り、信仰の中心を担ってきたのは、一般在家でも寺院家庭においても、女性の力が大きいでしょう。各家庭での信仰実践、生活感覚に基づく布教展開が女性の強みとなると思います。
それと今後、ますます、寺族や寺庭婦人の教師が増えていくと思われます。皆さんに別に資料が渡っていると思いますが、資料の一を見て下さい。これは、「出家の家族論」という特集から抜粋してきたものです。その中で、「パパの跡を継ぐわ」と題して載っていたものです。この女性のお父さんが僧侶です。そのお父さんの跡を継いで、一人は出家して僧侶になり、一人はお寺の執事として対外的な交渉に当たるなど、画期的な取り組みをしています。今まではお寺の息子さんが継ぐ例が一般的で、娘さんが継ぐことはあまりありませんでした。しかし、最近の状況を見ますと、この「お父さんの跡を継ぐ」というように、女性の中にも後継ぎとして教師を目指し、普通に結婚して家庭を持とうと考える女性達が増えてきています。浄土宗ではこの十年間で、尼僧の割合が若年層で増加、老年層で減少し、伝統的尼僧が激変しました。女性にとって剃髪といい非婚といい、外形的であるが故にもっとも重い戒律を守る尼僧が減り、少数派とはいえ、一時的な剃髪・持戒の修行で父(住職)の跡を継ぐ、あるいは夫とともに寺を担おうという二、三十歳の女性が増加しているそうです。
日蓮宗に於いても、実家のお寺の跡を継ぐため、夫と共にお寺を護持するため、女性教師になる方が増えて来ると予想されます。信行道場入場の動機にも、「父の跡を継ぐ」「病弱な夫を助けるため」「寺族として育ち、自ら希望」「寺庭婦人として護持・信仰上から」「お寺にいて少しでも役立ちたいと思ったので」等の声がありました。信行道場の書記を経験した方から聞いたことですが、最近は寺族、寺庭婦人が信行道場に入ることが多くなったと聞いています。こういう方達は、実際に寺院運営に取り組んでいるわけですし、住職の手助けとして長年実務に携わってきています。そういう方達が、もっと前線に出て活躍できる場所を作るように考えたいと思います。
また、寺庭婦人の中には、子育てをしている方もいます。そう言う方達に法器養成の立場で、積極的に関わってもらい、意見を出して頂くことができるのではないかと思います。それと住職の補佐、住職と檀信徒を繋ぐパイプの役、それから女性として得た、子育てや親の介護、主婦としての経験を通して、檀信徒や一般の方々に家庭における宗教の役割の大切さをアピールする事が可能なのではないかと思います。また、寺庭婦人の研修会の講師として女性教師をお願いするのはどうでしょうか。経験者として、色々なことを教えることが出来ると思います。これからは寺庭婦人にも、もっと積極的に寺院運営に関わって欲しいと思います。
それには、宗門に於ける寺庭婦人の位置づけも再考して頂きたいと思います。平成十四年に寺庭婦人の位置づけがなされましたが、まだまだ明確ではないと思います。漠然としたものではなく、もっとはっきりと保証される立場を作って頂きたいと思います。
他の宗派では女性教師や寺庭婦人に対してどのような対応をしてきているかを、最近の情報から見ていきたいと思います。資料の二ですが、これは曹洞宗の資料です。今年の宗議会で、「現実には寺族が後継者を育成しているのではないか」という意見が出ています。最近曹洞宗では、僧侶養成機関の志願者が減少しているそうです。「心配される後継者問題は実は寺族(子弟を産み、育てる)を含めてしか的が当たらない現実がある」という意見が出されています。法器養成ということに関して色々問題が提起されていますが、その問題解決にあたっては、やはり女性教師や寺庭婦人の方々の意見も採り入れなければ解決はできないのではないかという意見が出されています。
また寺院においての女性の視点と男性側から見る寺族問題というのは、どうしてもずれがあるということも言われています。その辺の事に関しては、日蓮宗においても、現在宗政の決定機関は、男性教師によって構成されていて、ほとんどは男性教師によって決められています。宗門のあり方を考えると、女性の視点というか女性の意見も取り入れなければいけない時代に来ているのではないでしょうか。
つぎに資料の三ですが、これは真言宗の豊山派では、女性が男性教師に引け目を感じることなく活動するために、「特別養成機関」の必要性を指摘しています。女性にしかできない柔らかいこともあるし、宗内に女性課長が誕生してもいいのではないか、各委員会に女性も入れて女性の意見も採り入れたらいいのではないか、という意見が出されています。
資料の四ですが、真宗大谷派では宗政にも女性を参画させ改革していこうと、実際に二人の女性議員が誕生しています。また、資料の五では浄土真宗本願寺派で教区会議員に今年女性議員が初めて当選した記事が、さらに資料六では浄土真宗高田派で初めての女性課長が誕生した記事が載っています。
女性に対する取り組みは、やはり真宗が一番進んでいるように思います。資料七の真宗大谷派の取り組み方をみますと、男女共同参画が進んでいます。六年前から女性室という女性だけの会議室を設け、宗門の中にどのように女性の声を取り入れていくか、または宗門における女性問題に取り組んでいます。これについては後で詳しく述べたいと思います。
では日蓮宗ではどうなのかというと、過去に宗会議員に京都の方で尼僧法団から一人選出されたきりです。報告書の中での、「役職経験はありますか」の設問に、「ある」という方は二割しかいなく、「ない」という方が八割です。このように日蓮宗では、女性教師が意見を言う場がなかったと思います。ですから、これから「女性男性共同参画」、「両性で形成する教団」を考えると、女性が宗門の中の役職機関や委員会などの宗政の決定機関に、もっと参加する方法を考えていかなければならないと思います。
女性教師がどのように宗政に参加していくか、またどのように意見を発信していくかを考えた時、教団の中における女性に対する差別が気になります。この問題が、女性教師の宗門における活発な活動の妨げになっている気がします。教団の中に、女性を中心とした家族に対する差別があると思います。僧侶の妻帯ということを、根本から考えていかなければこの問題は解決出来ないと思います。
「僧侶の妻帯を公認することによって、僧侶の立場を損ない、仏教教団自身の自己崩壊を狙った」とさえいわれた明治の太政官布告から百三十年も経っています。しかしながら百三十年間、この問題について教団の中で真剣に論議されたことはなかったような気がします。ここに来ていろいろな宗派において、僧侶の家族について議論されています。それについては、女性の側から声を出していって、ようやく教団の中でも僧侶の家族についての問題が活発に議論されています。本来教義上は存在しないはずの寺庭婦人ですが、実際にはその寺庭婦人がお寺を支えています。しかし寺庭婦人は、自分たちにとって不都合な点や不利なことがあっても、意見を言う場がないため、ずっと自分たちの中で解決しながら我慢してきた部分がたくさんあるような気がいたします。それがここ数年において、女性の側から活発に意見が出されている原因ではないかと思います。ですから、これからもし宗門が男女共同参画、男女平等という事に本格的に取り組むなら、「出家の家族論」について、教師全体で真剣に考えてみなければいけないと思います。
三、男性教師と同じ土俵では活動しにくい現状
アンケートの中の報告書のなかにあるように、法要の出座経験が少ないのです。四十・八パーセントの方が、自分の自坊や師匠寺以外の法要に出たことが「ない」と答えています。また、管区外の法要に出たという人は約二十%しかいません。
このように女性教師は、宗門法要や管区の法要に出座する経験がほとんどなく、大きな法要に出座させてもらえる機会が少ないような気がいたします。私事ですが、昨年清澄においての管区の法要に出座させて頂きました。その時に山務員の方に、清澄で行われた慶讃法要で女性教師が出座したのは今回が初めてだと言われました。このように、大きな法要に女性教師を出座させられない原因が何かあるのではないかと思います。
その原因を考えてみた時、アンケート報告書の中に実際の声として載せましたが、「女性の声では物故者は成仏できない」、「法要の中に女性の声が入ると、法要の全体の雰囲気が壊れてしまう」、「法要の格が下がる」といわれた、などの声がありました。このような現状を男性教師の方々にも知って頂き、意識の改善を是非お願いしたいと思います。
またそれと同時に女性教師の側も、出座する機会がないものですから、「法要に出る事に対して自信が持てない」という意見もたくさんありました。女性の側のその自信の無さを解決するには、経験を積むしかないと思います。そのために女性教師同士が集まり、声明とか布教についての勉強会を開き、取り組んでいきたいと思っております。男性教師の中には、宗門に声明の修行の場、布教の場というのがあるのに、という意見もあると思います。確かに信行道場を修了した後の研修機関としては、布教研修所、布教院、声明師養成講習会がありますが、女性教師はなかなか入行出来ない状況にあります。その原因は、女性教師の得度や信行道場の年齢の高さにあると思います。度牒の年令を見て頂くと解ると思いますが、四十代から五十代が一番多く四十一・三%です。男性教師だともっと早い時期に度牒しているのではないでしょうか。また信行道場入場の年令も、四十代が二十七%、五十代が二十五・五%と多いのです。このように高年齢で若い男性達と共に修行することは、体力的、精神的大変さがあると思います。これは男性からすると、甘えじゃないか、と言われるかも知れませんが、四十代、五十代の人が現在の布教院や声明師養成講習会に行くには、年齢的にきついところがあるような気がします。また、寺庭婦人でもある女性教師が多いことを考えると、一、二週間も自坊をあけることは難しい気がします。ですからその前段階の声明や、布教の女性教師特別養成機関の検討が必要だと思います。男性教師優勢の教団での少数派の女性教師が抱える問題を解決するための、現実的な配慮をお願いしたいと思いします。
アンケート調査では、女性教師が感じる不都合についての回答として、「女性である限り、女の立場、気持ちがわかる。特に妻、母、姑、家事と両立はむずかしい」「育児の為、会議、法要、研修になかなかいけない」「男性教師に、子供もいるのに、大体女が出てくるのは好かん、と言われる」「子供の学校行事、地域の婦人会等と両立出来る活動で生計に負担にならない活動があればよいのですが、難しい今日です」「活動したい気持ちはありますが、年齢的にも体調のことがあり残念です」などの声がありました。このように焦燥感、無力感、閉塞感を懐いている女性教師の存在も、見逃せません。また、これから活動してみたいことに、「布教場所や機会が少ない。女性として嫁として母親として経験したことは布教に役立つと思う」「悩み多い人に寄り添い、少しでも法華経の教えに近づくように導きたい」とあるように、活動のしにくさ、不自由さ、歯がゆさを懐きつつも、前向きなエネルギーや活動への思いにつなげていこうとする気持ちが伺えます。この、「何か活動したい」という熱い思いが萎えることのない宗門の実現を目指して、努力していきたいと切に思います。
四、寺院において未だ女性は一段低く扱われていること
女性差別、蔑視という観点からいうと、仏教教団は未だ女性の人権についてそれぞれの課題を背負っていると思います。お経の中にも、女性を差別しているような表現箇所が多々あります。その例として、『涅槃経』の中の「女性の心は川のように曲がっている」とか、『大智度論』のように「女性の心は風のようにとらえ所がない」とか、「五障三従」という言葉は、『増一阿含経』『中阿含経』それから『玉耶経』『転女成仏経』等にたくさん出てきます。これらの女性に厳しい言葉にまつわる教義の整理、検討を今一度しなければならないと思います。
歴史的に調べますと、『日本書記』には、日本で最初の出家者は司馬達等の娘達の善信尼など三人の女性であると書かれており、それを指して「仏法の初、これより作(おこ)れり」と述べています。その後、聖武天皇の妻光明皇后によって、国分尼寺が建立され、多くの尼僧さん達が出現しました。また、東大寺大仏の左右の脇士は観音菩薩と虚空蔵菩薩でしたが、観音菩薩は信勝尼、虚空蔵菩薩は善光尼という尼が造立したと伝えられています。信勝尼は坂田寺、善光尼は橘寺の尼で古代を代表する官尼です。初期の日本仏教では、多くの尼が活躍していました。ところが平安中期以降、『転女成仏経』や『薬師如来本願経』それから『大無量寿経』の流布などによって、変成男子の説が一般化していき、女性に対する差別が広まっていったと言われています。牛山佳幸さんの説によりますと、「八世紀中頃から、尼や尼寺の差別待遇が始まったと思われる。このころから儒教倫理、道徳を導入したため、やがてそれに応じて家族のスタイルに変化を遂げ、日本にも家父長制度が成立したと考えられる。この家父長制度によって、法会において尼僧の同席が禁じられるなど女性差別が始まったのではないか」と述べています。また牛山氏は、「九世紀以降、尼さんの出家・得度が減少していくのは家父長制家族の成立によって、家長が女性の出家を好ましく思わないという風潮が生じたからであり、女性は家にいて、親や夫に仕え子供を産み育てるべきであるという、儒教的観念が影響している」と言われています。
また一方では、吉田一彦氏の説によりますと、「七世紀末に『日本国』が成立し『天皇』号も成立して中国の皇帝制度を模倣した天皇制国家がスタートした。仏教は七世紀後半から国家と関わりを持ちはじめ、官制度が成立すると、公式の尼僧が誕生し、『国家の仏教』の実施を担当した。国家の儀礼としての仏教儀礼は七世紀末頃から八世紀を通じて少しずつ整い、一年間の行事の大体の姿が固まってきた。そうした国家の恒例の仏教儀礼は男性たちが挙行するものとして設定されていたと考えられる」と述べています。官尼の衰退や地位の低下は、国家は男性が運営するという思想によると言われています。
日本において最初は、決して女性を差別したり蔑視していたわけではありません。儒教の道徳観念や、国家は男性が運営するという思想が、仏教の女性差別と思われるような言葉と相まって、日本における女性差別や蔑視が定着してきたと思われます。このことを、もう一度検証し直す必要があると思います。
それでは、日蓮聖人の教えは一体どうなのかというと、日蓮聖人は最澄の教えを受け継ぎ、鎌倉時代に女人成仏を唱えていました。鎌倉時代に女人成仏を唱えていたのは、日蓮聖人だけだと思います。日蓮聖人の女人成仏というのは、男子に変わって成仏するというのではなく、女性は女性のままで成仏できるのだというというところに日蓮聖人の特色があるわけです。ですが、現在の日蓮宗の宗門に生かされているのかというと、そうではないように感じます。
現実には日蓮宗においても、未だに「提婆達多品」で言われていることは変成男子だと思っている方もいます。今回、「提婆達多品」における女人成仏についてどのように解釈しているかを数人の方に聞いたところ、若い方は女性のままで成仏するととらえていましたが、年配の方には男子に変わって成仏すると考えている方もおりました。
このように、日蓮宗でも女人成仏について、日蓮聖人の本意からははずれて捉えられているという現実があると思います。そのために女性教師を軽んじたり、蔑視する傾向があるのではないかと思われます。
真宗以外の他宗では、僧侶の妻帯が破戒であると捉えられています。戒律からすれば、妻帯ということが明言できない教義上の問題があるために、家族論とか妻帯ということが議論されてこなかったと思います。しかし、日蓮宗の場合には、宗祖の戒律観とか女人成仏の法門から考えますと、僧侶の妻帯は破戒にあたらないような気がします。例えば阿仏房とか千日尼夫妻の例などを見ますと、日蓮聖人は在家出家を認めていたのではないかと思われます。しかしながら、妻帯が日蓮宗において破戒にあたるのかそうではないのかはまだ解らないのでこれから調べていきたいと思います。
私達女性教師プロジェクトチームとしては、日蓮聖人の教えにしても、また石橋湛山先生や石川教張先生の教えからしても、女性は同等に平等に扱われるべきではないかと考えます。石橋湛山先生は、婦人が社会において蔑視されたり軽蔑される要素というのは、女性自身に問題があるのではなく、男性が早くから社会に出て活躍して地位とか立場を得たように、女性はそういう経験をしていないためにどうしても社会において立場が低くなるのだといわれています。ですから女性も、男性と同じようにそういう機会を与え、修行を重ねると、能力が備わると言われています。
私たちもその通りだと考えます。これからの宗門の男女共同参画、平等ということを考えますと、その経験と機会をもっと作って頂きたいと思います。三年前より、現宗研で女性教師プロジェクトを作って下さいましたし、各プロジェクトや会議に女性教師の参加を配慮して頂いています。また今年になって初めて、宗門の委嘱する委員会に女性教師が一人入ることができましたので、これからだんだんといろいろな分野において女性教師が活躍していけるのではないかと期待しているところです。
五、仲間を作るための女性教師のネットワークづくり
私達女性教師プロジェクトでは、アンケート調査をする以前は、女性教師の全国組織を作ることは不可欠であると考えていました。しかし、アンケート調査見を見る限りでは、時期尚早だと判断しました。全国的組織が出来たら入会するかどうかと尋ねたところ、「する」という方が百七十二人いましたけれど、「しない」という方も百四十八人いました。このことを考えますと、全国的組織まではまだ必要としていないのではないかと思います。
「しない」という方の年齢層を調べてみると、高齢者が多く、全国的組織ができても出席出来ないと言う方が多くいました。そこで、全国的組織はしばらく様子を見てからと言う結論に至りました。
女性教師は、日蓮宗において全教師の二割弱しかいません。全体的にはまだまだ少ないので、その少ない女性教師が協力しあって相互に情報交換とか、研修の場とかを設けながら、互いに研鑽していく事が必要ではないかと思います。現在はというと、尼僧法団があります。しかしながら、尼僧法団に尋ねたところ、「現在会員がだんだん減ってきていているし、会員が高齢化してきて、現在のところ活動はほとんど行っていない」と言う回答でした。その原因は、剃髪が原則なので、若い女性教師が入ってきてくれないということでした。尼僧法団は、剃髪の尼僧さんが原則ですが、最近は有髪の尼僧さんにも声を掛けているそうです。それでもなかなか有髪の尼僧さんは参加してくれないと言っていました。現在、日蓮宗には有髪の尼僧さんと、剃髪の尼僧さんがいます。このアンケートの回答を見ていますと、有髪の尼僧さんと剃髪の尼僧さんに少し温度差が感じられます。剃髪と有髪の女性には、ちょっとした意識の違いがあるような気がします。ですから、女性教師と一口に言っても、その辺をまとめることの難しさがあると思います。しかし、二割しかいない女性教師は、お互いに協力し合い努力していかない限り、宗門の中で女性教師の立場は向上していかないと思います。今後女性教師プロジェクトとしては、私達を中心に情報交換や、勉強会を企画していきたいと思っています。
それではどういう組織を作っていけばいいのかと考えたところ、身近なところで組織を作っていく事も一つの方策だと思います。教区で女性教師の会を作り、情報交換、勉強会や社会活動をしていく、また感性で結ばれた仲間同士で会を作るなど、少人数から始めて行く方法があると思います。北海道の西部管内では尼僧会が作られ、月一回くらいの勉強会を開いていますし、名古屋でも尼僧会があり、活発に活動していると聞いています。このように各教区や管区で会を作り、全国組織に広げていくことも考えられると思います。
先程のナンバー七の資料ですが、真宗大谷派における女性の参画ということで、女性室が設けられているわけです。これについて詳しく述べさせて頂きます。真宗大谷派の女性室は、国の男女共同参画基本法成立よりも早い一九九六年十二月より開設されています。宗門における女性の立場の向上を図ろうということで、この女性室が開設されたわけです。
真宗大谷派では、女性教師は全体の三割近くいます。ところが近年まで、女性住職は少なかったようです。女性教師が住職になるにはハードルが高かったようです。そういうところも含め改善して欲しいということで、女性室が開設されたわけです。真宗大谷派は、皆さんもご存知のように、坊守(ぼうもり)という言葉が独特にあり、結婚してお寺に住むと同時に坊守としての地位というのが確保されるわけです。ところがそれから教師や住職になるのは難しく、ハードルが高かったようです。そこで、坊守制度を改善して欲しいという女性の声があがり始めたようです。ここでは、男女両性で作る教団を掲げて色々な取り組みをしています。公開講座を開いたり、勉強会、それからポスターやパンフレットを作ったり、広報誌などの制作をしており、男女両生で作る教団を目指して進んでいます。このように女性問題に対しての取り組みは、真宗大谷派が一番進んでいると思います。
日蓮宗の中でも、男女共同参画や、男女平等を実現しようとした時、このような女性教師への対応が必要ではないかと思います。というのは、現状では女性教師の進出がなかなかできない状態ですから、女性室のような組織を作って、女性教師を育成し、研鑽する場が必要だと思います。できれば現宗研の中に女性教師プロジェクトができましたので、それを継続しながら、その中で教義の研究や勉強会、研修会の開催、広報の発行などを進めていけば、女性教師の向上に繋がると考えます。
終わりに
以上が、五つの観点から見た私の意見でした。明治維新の太政官布告から百三十年経ち、社会は明治、大正を経て、第二次世界大戦から戦後の価値観の転倒、そして高度成長、バブルの崩壊、家父長制から核家族への変化、男女間の社会的な性意識の変化など、時代は大きく変容しました。しかし伝統仏教における「出家の家族」については、今まで論議もされず、現状を追認し、教義上でも放置して来たのではないでしょうか。その結果、多くの一般寺院が世襲制により成り立ち、僧侶(出家)も一般社会の人(在家)と日常的にはほとんど変わらない生活をしています。その中で、家族制度と寺院制度、「家」と「寺」の混同による数多くの問題が出現してきました。今こそ、教団や寺院で男女が対等な立場で教団や教義の在り方を考え見直すことが、伝統教団にとって新たな時代を切り拓く活力にならないでしょうか。
参考文献
『日蓮の女人成仏法門について』石川教張 大崎学報一五五号所収
『石橋湛山評論集』岩波文庫
『日本史のなかの女性と仏教』吉田一彦・勝浦令子・西口順子 法蔵館所収
「現代教化 VOL8」教化情報センター21の会
「中外日報」平成十五年三月六日号、平成十五年四月三日号、平成十五年五月三日号
「文化時報」平成十五年三月十二日号、平成十五年四月三十日号
「仏教タイムス」平成十五年三月十三日号
『女たちが日本を変えていく』日本経済新聞社編