教化学研究2 現代宗教研究第45号別冊 2011年03月 発行
特別発表 現代葬儀事情
特別発表
現代葬儀事情
皆様はじめまして。葬儀相談員をしております、市川愛と申します。葬儀相談員という仕事は、二〇〇四年に、私が日本で初めて作った仕事になるのですけれども、消費者の皆様空の質問や相談にお答えして、主に葬儀の事前準備のサポートを行なっております。また、全国に伺ってお葬式をテーマにした講演をしておりますので、そういった活動を通して消費者の生の声に常々触れております。本来であれば、私のような若輩者が、先生方の前でお話させていただくというのは、大変恐縮するのですけれども、消費者の声をお届けできる機会と捉えまして、いただいたお題、現代葬儀事情について、お話させていただきます。よろしくお願いいたします。ところで、先程からお名前がちらほら出ていらっしゃる、島田先生、昨年、週刊朝日という雑誌の企画で対談をさせていただいた際にですね、「葬儀相談員なんていう仕事が成り立つほうがおかしい」と言う風に言われて(笑)、大変複雑な思いをしたのを思い出しました。まあ、時間もありますので、本題に入らせていただきたいと思います。まず、私が感じている結論から申し上げますと、今後はですね、これまでの常識であるとか、暗黙知、そういったものがどんどん通じなくなっていくだろうというのが、今、私が全国に伺って感じているところです。これまでは「こういうものだから」であるとか「こういう場合はこうすべきですよ」というものが通用していたことが、今後は通用しなくなる。現にそういった消費者の方が実際に増えてきています。そういう方々が何を欲しているかというと、「なぜこうしなければならないのか」「どうしてこれが必要なのか」という、説明なんですね。例えば、お布施に関しても、「お布施は費用ではなくて、あくまでもお布施」と言っても通じないんですね。葬儀に直面された方というのは、もうそれどころではありません。お布施の意味を調べようとか、理解しようとか、そういうものではなく、「お葬式の時にお金が出ていく」というふうに捉える方が大変多いです。今後のキーワードとしては、私は分かりやすさだと思っています。この分かりやすさというものに価値を置かれている方が今後増えていくと。実際に私が接している方々でもそういう方のほうが圧倒的に多いです。この、分かりやすさって何だろう、というふうに考えたときに、私は映画『おくりびと』以降、ガラっと変わってきたように感じています。まず、おくりびと以降、メディア・マスコミが葬儀というものに注目しました。
先日、雑誌社の方とお話ししたところ、「葬儀特集は部数が出る・売れる」とおっしゃいます。また、番組制作の方も、「葬儀は数字が取れる」と。葬儀がそういうものにガラっと変わったんですね。五年前は考えられなかったですね。五年前を皆さん思い出していただくと分かると思うのですが、葬儀の特集の番組が半年に一回あったかなかったか、そのくらいでした。雑誌でも、葬儀、と銘打って一冊まるまる特集を組むことなど、五年前はなかったと思います。ところがここ数年、ダイヤモンドですとか、プレジデントですとか、週刊朝日ですとか、そういった大手のなのある雑誌が、一冊まるまる葬儀の特集を組む。こうした、メディアが注目しているという現状も、分かりやすさ重視に拍車をかけている要因になっていると思います。なぜかというと、メディアというものは、分かりやすさしか見ていないからなんですね。実際にテレビの方に伺った話しでは、ちょっと乱暴な言い方になりますが、主婦の方がストレスなく見ていられる内容というのは、中学生でも分かる内容、と言われているそうなんですね。だから、分かりやすいものしか流せないのです。難しいことを言い始めるとチャンネルを変えられてしまいますし、理解できなさそうな内容が掲載されていても、手が伸びないんですよね。そして、私もメディアの方に取材を受けていて感じるのですが、例えば二時間じっくり、いろいろなことについてお話して、最後の方、ほんの一〇分程度、最近聞いたトラブルの話をすると、後日出た記事の殆どがトラブルの内容になっていたりするんですね。そういうふうに、センセーショナルなものであるとか、わかりやすいもの、ぱっと見て、「あ、こうなのね」、「へえ、こうなんだ」、そういうものが注目されて世に出ていくんです。そういうものにしか消費者の方々は接していないので、分かりやすくないと見たくない。こういったことになっていくんです。皆さん分からないことをわざわざ調べないんですね、難しいことを言われると、思考をシャットダウンしてしまうんです。それで、その後どうなるかというと、じゃあなくてもいいんじゃない、という風に。ちょっと乱暴な考え方かと思われるかもしれませんが、必要性を感じなければ、じゃあ無くてもいんじゃない、と思ってしまうのが、本当に率直なご意見だと思うんですね。で、今後分かりにくいものがどうなっていくのか。必要ないものとして切り捨てられる危険性はあると思います。分かりにくいものといえば、既存の葬儀もそうですし、仏教のことも皆さん分からないんですね。皆さん、仏教に関して、一般の消費者の方って、本当に素人なんです。ちょっとでも分からないこと、難しいことがあると、例えば葬儀に関してもですね、見積書を産まれて初めて見る喪主の方、わからない項目がズラズラ並んでいて読み解けないんですね。なので、もう思考を停止して、「お任せします」。で、葬儀が終わって冷静になったときに振り返ってみると、なんかおかしい、いつもの消費活動と違う、そういうふうに思って不信感が募っていく。私はこれまで沢山の方からご意見を伺って、そういうふうに思うようになりました。特に、講演の時のご質問でも多いのですが、皆さんお寺との付き合いかたが分からないとおっしゃるんですね。私がその質問にどうお答えしているのかと申しますと、「もう少し足を運んでみたらどうでしょうか」というふうにお伝えしています。例えばお墓参りに行って、お墓参りだけして帰ってくるのではなくて、ちょっとご住職にごあいさつをしてみたらどうですか、と。そうすると皆さんどう仰るかというとですね、「何を話せばいいか分からない」と。まあ最初はそうだと思うんですね、今まで話したことがないわけですから。でも、「こんにちは」だけでも、「こんにちは、お墓参りに来ました」だけでも、それが何回か重なれば世間話も生まれるんじゃないかな、と私は思うのです。こうした、世間話ができる間柄から、その先に、建設的な関係が構築できるのではないかと思うんです。私の身内の話で恐縮なのですが、二〇〇七年に母を見送った時に、父が、もうそれこそ二十数年ぶりに菩提寺に連絡をしました。それまで殆ど行き来がなくて、叔母に全てを任せていたという状況だったんですけれども、母の葬儀が終わった後に、二十数年ぶりにお寺さんと関わった父がですね、足繁くお寺に通うようになったんです。で、どうして? と聞いてみたら、やっぱりすごく、ありがたかったそうなんです。葬儀の二日間、いろいろ声をかけてもらった。そして母をしっかり見送ることができたというのは、やっぱりお寺さんのお陰だったということで、すごくありがたかったと。もう今では年に五、六回は必ず行きますし、お墓参りの時には、お菓子などを持って、お茶を一杯ご一緒したくて、すいません時間取ってください、なんて電話をしながら、行ってお話しして帰ってきます。やっぱり、ありがたいと一回でも思った方が、その後変わるんだなというのを、恥ずかしながら、父を見て勉強しました。なので、今、檀家離れですとか、お寺と一般の方の距離がどんどん離れている、なんて言われていますが、それって、その片方どちらでもいいので、一歩、歩み寄れば、その後変わってくるのではないかなと、私はわりと楽観的に考えてはおります。少々話がずれましたが、分かりづらさに話を戻しますと、今の風潮の葬儀では、皆さん、最低限でいいとおっしゃる方が多いです。そして、戒名は要らないなんていう。こういう風潮が出てきていますけれども、これらは、分かりづらさから出てきた兆しなのだと捉えることができると思います。私の父もそうでしたが、お寺と関わるのが初めての方達、例えば、お父様が亡くなったときには、お母様がすべてを取り仕切って、葬儀からお寺と
接する窓口をすべてやった、息子は何もしなかった。こうなると、そのお母様が亡くなったときに、息子さんはどうしていいかまったく分からないんですね。お布施がいくらか分からない。言ってくれないと包みようがない、っていうのが、やはり普通の感覚だと思います。で、この「分かりやすさ」というものに注目したのが、大手企業、だと私は思いました。大手企業、先ほど話しが出ていました、イオンですよね。イオンという会社は、分かりやすさを、安心というものに変換して、販売しているのです。そして、大手企業の参入はイオンだけではありません。SBI証券
のグループ企業である、SBIライフリビングは、「くらべる葬儀」というウェブサービス、これは価格コム方式の紹介業ですけれども、それを公開しています。現在提携は八四社、今後も増えていくと思います。そしてこれもびっくりしたのですが、ファミリーマートが葬儀に参入するというニュースもありました。プレスリリースから抜粋して読み上げます。
ファミリーマートの葬儀ビジネスは、葬儀料金を透明化して提示する他、全国の寺院や、寺院を持たずの活動している僧侶と連携し、宗派を問わずに要請に応じて派遣するなど、葬儀一切を提案できる体制を整備したい考え。受注は同社のネットショッピングサイト、ファミマ・ドット・コムや、店頭の活用を考えている。具体的な参入時期は明示していない。
これもまた、同じく紹介業としての参入だと思うのですけれども、三社とも、料金の透明化、明瞭化をうたっています。しかし、これは透明化っぽい見せ方をしているだけだと思うのです。というのも、葬儀の総額は、個々の要望を聞かなければ、明示しようがないんです。プランのパッケージの、例えば三十九万八千円だとか、百万円を切りましたとか、そういう見せ方はできても、その中に必要な全てが含まれているわけではないというのを、殆ど出していない。それは、明朗化に見せていて、実は明朗ではないんです。そして、大手の参入というものは、その殆どが、葬儀社ではなくて、紹介業なんです。何故かというと、全国津々浦々、こんなにしきたりや風習が違う日本で、全国展開できるはずがないんです。受注はできたとしても、葬儀の現場は、その地元の葬儀社さんにお任せしないと無理なんですね。例えば、火葬の順番が逆転している地域もあれば、通夜振舞いの食事を参列者が取る地域・取らない地域がある。それを全国均一のパッケージ化することの方が無茶なんじゃないかと思うのです。そのうえ、紹介業というのは、葬儀社で参入することにと比べて、簡単に参入できるんですね。まず、人件費が圧倒的に少ない。実働ではなくコールセンターですから、数人で回せます。実は私は、葬儀業界に入って最初の二年間は、葬儀の紹介業に務めていたんですね。そこからいろいろ問題意識を感じて独立したのですが、本当に数人でコールセンターは回せます。全国展開していたとしても。ですから人件費は殆どかからないんです。そして、設備投資も要りません。さらに、店舗も要りません。ただ、ウェブサイトだけしっかりと、綺麗に公開して、クリックしてもらえるだけの広告費をかけていれば、お客様は検索して利用してくれる。または、イオンのように、これまでの会員というインフラを持っていれば、その方々が相談してくれる。なので、やることといえば、提携先を増やすことだけなんですね。日本で葬儀の紹介業がはじまったのは、だいたい十五、六年前からですが、当時は殆ど、紹介料を払ってまで登録したいという葬儀社さんはいらっしゃらなかったそうです。その中で葬儀社を回り、形作っていったと。今では積極的に加盟したいという葬儀社さんも増え、登録するのが当たり前となり、紹介業も何社あるかわからないくらいです。そして、同じように寺院やお寺を持たずに活動している僧侶と連携し、お布施の額一律でいくら、と紹介するというのも、ほぼハードルがない状態で、サービスをリリースすることができる。全てをひとことで言えば、分かりやすさを安心感としてみせることで、集客をするシステムなんです。しかし、葬儀というのはそんなコンビニエンスなものではないと私は思っています。直葬が都会では三割なんて言われていますが、その直葬を行う方々の多くは、それぞれの田舎にお骨で連れ帰って、しっかりと法要されたりですとか、お骨葬を行われたりされています。東京で葬儀をする意味が無いから、直葬を選択されているのです。意味が無いとはどういうことかというと、例えば、田舎のご両親のどちらかを、東京の病院に入れてあげるために呼び寄せていたが、その甲斐なく東京で亡くなった場合、東京には親の知り合いがひとりもいない。じゃあこっちで葬儀をしてもしょうがないから、数十万円かけて遺体のまま田舎に帰るよりも、東京で荼毘にだけ伏して、田舎でしっかり供養しましょう。こういう方がたくさんいるということなんです。「三割が遺体処理である直葬を選んでいる」今、マスコミはこのように言っていますけれども、遺体処理をしたい方が三割ではないんですね。もう一つ申し上げたいのが、葬儀、儀式をせずに遺体処理としての直葬をされた方々の中には、心のバランスを崩されてしまう方もいらっしゃいます。ちゃんと見送らなかったことに、すごく後悔されてしまうんです。そこにどうして助言者がいなかったのだろうと、私はとても悲しくなります。そういうご相談者に私が申し上げられるのは、お葬式はやり直しができませんが、供養をこれから始めたいのであれば、いくらでもいつスタートしてもいいと。菩提寺がなければ近くのお寺さんでもいいですし、それこそ、そこで納得できるのであれば、派遣に登録されているお坊さんでも、誰でもいいから。とりあえず何もできなかったことに後悔するのであれば、そういうことを一歩やってみてくださいというアドバイスをするんですけれども、直葬、火葬のみというものは、広まって欲しくないなあと思っています。今回いただいたテーマ、現代葬儀事情ですけれども、葬儀業界というのは、婚礼業界の十年遅れをずーっと、歩んでいるそうなんです。どういうことかというと、ジミ婚が流行った十年後に密葬ブームが来ている。婚礼の結婚式場紹介所がどんと広まった十年後に、葬儀の紹介業が広まってきている。婚礼業界は未来の葬儀業界を映しているという可能性が高いんですね。そんな中で婚礼業界を見て思うのが、今後、葬儀は家のものではなく、個人のものになっていくと思うのです。それがいいのか悪いのかというのは、その方が、実際に、葬儀に対してどういうふうにしっかりとした考え方を持てるのか、というところだと思うんですね。何も考えずに「私らしければいい」で、そのまま亡くなってしまうと、遺されたご家族がすごくあたふたしてしまうんですけれども、しっかりとご自身で葬儀を見つめて、考えて、私はこうしたい、なぜならばこういう理由だからと残せば、ご家族を無用のストレスから救うことになります。最近は終活という、就職活動ではなく、終わる活動と書くほうの終活が広まってきていますが、葬儀に関してもそうですし、お寺に関しても、終活をしっかりと進めている方は気付くんですよね。葬儀とお寺とは切り離して考えられないと。自分の家に菩提寺があるのかどうか、今までは考えたこともないけれど、調べてみたいとか、親戚に聞いてみようとか。そうすることによって、どんどん自分のルーツが見えてくる、そんな終活をされている方が増えています。なので、今後、終活をする方が増えることによって、私は状況が好転していくのではないかと思っています。そこに、助言者として、僧侶の皆様が御檀家さんたちへ、分かりやすくアドバイスを発信していただけたらなあと思うんです。本日頂いたお時間で何が言いたかったかというと、やはり、平たい言葉で、通訳がいらないような言葉で教えてあげて欲しいと思うんです。適切なアドバイザー、親身になってくれる助言者さえいれば、直葬で後悔する人も減っていくと思いますし、解釈は人それぞれであっても、迷ってしまう方々のために、例えばお布施に関するアドバイスもしてあげて欲しいと思うんです。一般の方々は、葬儀に直面してからではゆっくり考える暇などありません。しかし、普段から何かしらの情報発信をしてもらえれば、それなりに伝わるといいますか、「ああそういうことなんだ」と思ってくれさえすれば、皆さん勉強しようと考えてくださると思うんです。実は、私の父のところには、二十数年間、菩提寺からははがき一通すら来なかったんですね。叔母のほうには寄付のお願いなどが届いていたそうですが。これは不満を言っているわけではなく、それだと、やっぱり分からないよ、というのが正直なところだと思うのです。それで葬儀に直面してから二十数年ぶりというか、まあ生まれて初めて、菩提寺のご住職と父が話すことになる。やっぱり緊張が先立って、聞きたいことも聞けないいです。こんな質問をしたら失礼になるんじゃないか、こんな事聞いたら怒られてしまうんじゃないか、そういうふうに考えるのです。分からない、ということに対して、次に出てくる感情は恐怖心なんです。普段からやりとりさえあれば、そういった普段からの情報発信、しかも分かりやすい言葉で書かれていて、お寺の方々の人柄が伝わるような、そういった寺報でもいいですし、ニュースレターのような、そういった内容のものでやりとりさえできていれば、いざという時に、お檀家さんは安心だと思うんですね。もうひとつ、個人的なことで恐縮なんですが、私が母の葬儀で後悔しているのが、枕経をあげてあげられなかったことなんです。葬儀の事前準備はいろいろとしていたんですけれども、母が他界した瞬間から頭が真っ白になりまして、私ほか家族が誰も思いつかなかったんですね。菩提寺に電話したときにも、枕経の話は出なかった。で、後から考えて、あ、枕経をしてあげてなかった、と思いだしてしまったんですね。葬儀が終わった後に。それが、今でも父と話すとたまに出てくる後悔なんですね。ただ知らなかった、思いつかなかったというのが正直なところなんですね。よくよく考えれば、ああそうか、必要だったなって思うんですけれども、その時にはだれも気づかない。助言もない。一般の方々は、普段自分から葬儀や仏事を勉強しようとは思いません。情報はメディアやマスコミという媒体から降ってくる、偏った情報だけです。そういう偏った情報ではなく、皆さんそれぞれの地域の作法もあるでしょうし、お寺ごとの考え方もあるでしょうから、そのことを分かりやすく教えてあげてほしい、というのが、本日の私の主旨でございます。拙いお話で大変恐縮でしたが、ご清聴いただきありがとうございました。