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教化学研究2 現代宗教研究第45号別冊 2011年03月 発行

御遺文に学ぶ災難と飢餓人口十億人の現在

御遺文に学ぶ災難と飢餓人口十億人の現在

三 谷 祥 祁

 お手元に、わたくし手作りの研究資料を四点お配りしていただきました。
 一点は発表の骨子をまとめたレジュメです。二点目は〈災難に関わる語彙周辺〉と書かれた十五ページの一覧表がございます。それは、日蓮宗電子聖典から抜粋させていただき、意図する探求のために作成したものです。上段一列には、どの御遺文に、どの言葉が使われているのかを知るために、災難に関わる二十五種の語彙を表示しました。法華経にも見られる語彙には、上段の該当番号内を黄色にしています。飢餓は、立正安国論、立正安国論(広本)、兄弟鈔、師子王御書に見られますが、日蓮聖人の御文章には、飢餓よりも飢渇(けかち)が多く使われておりますので、検索語彙を飢餓と同義語の飢渇にしました。左側には、六〇一編の御遺文を年代順に書いています。日蓮聖人の御真蹟現存、御真蹟曽存、御真蹟断片現存、御真蹟断簡現存の書は番号内を青色にしました。御遺文には、台風、災害、環境、貧困、平和などの言葉は使われておりませんので、状況を知るために検索熟語を一文字にもしました。左の御遺文と上段の語彙が交差するところに語彙数を書きました。左記()内は、六〇一編の御文章に見える総語彙数です。
 二十五種の語彙は、悪(一九七三語)・難(一四七〇語)・死(八〇三語)・魔(三二九語)・病(二四二語)・乱(一四三語)・蒙古(一〇二語)・害(八十九語)・大風(八十三語)・流罪(八十二語)・疫病(六十四語)・禍(五十一語)・災難(四十六語)・大火(四十三語)・地震(三十七語)・彗星(三十三語)・天変(三十二語)・飢饉(三十一語)・旱魃(二十九語)・飢渇(二十八語)・叛逆(二十七語)・地夭(二十七語)・侵逼(二十五語)・大雨(二十三語)・貧窮(二十三語)です。法華経(四四〇七語)と南無妙法蓮華経(三二七語)の語彙をそのあとにつけました。
 二十五種の中から、検索語彙が特に多い御遺文は、守護国家論38歳(二四七語)を筆頭に、開目抄51歳(二二一語)、立正安国論・広本57歳(一八六語)、立正安国論39歳(一四九語)、撰時抄54歳(一二七語)、災難対治鈔39歳(一〇八語)、報恩抄55歳(九十八語)、種種御振舞御書54歳(六十九語)、観心本尊抄52歳(六十六語)、兄弟抄54歳(六十一語)、法蓮抄54歳(五十四語)の順になっています。法華経が非常に多く使われている御遺文は、守護国家論一九〇語、開目抄一五九語、撰時抄一二八語、報恩抄一五六語です。蒙古の語彙は、四十七歳時の御執筆、安国論御勘由来に始まり、弘安五年十月七日六十一歳、池上での波木井殿御書までの十五年間、六十六編の御文章に書かれています。天変地妖の荒れ狂う我が国土は蒙古の危機が重なり、長い歳月を滅亡か属国かの恐怖にさらされていたのでした。
 立正安国論は正嘉元年秋の大地震をきっかけとして、ご撰述されたようですが、ご当地、池上宗仲公の館に於いて安国論の最終御講義をされたこと、文応元年三十九歳の七月十六日、北条時頼公へご奏進以降の二十数年間、片時も離さず大難にも屈せず立正安国論の理念を保ち続けられた真の根源は、正嘉元年よりも、もっと以前にあり、ご出家の動機と志に関わっていると思っていました。幼い頃から天変地異の惨状を見聞きし、知っておられ、ご縁者へのご供養をされるためにも、使命感を抱きご出家をして仏となり「恩ある人をも助けん」と誓願されたと思っています。
 そこで、日蓮聖人はどのような社会環境の中を生きてこられたのかを知るために、お手元の三点目の資料〈天変地異史〉を作成しました。それは頼朝が安房へ上陸以降、鎌倉幕府成立前後から日蓮聖人の国家諫暁までの八十年間の災害記録です。
 ご覧のように、昔の二つの都が天変地異の集中砲火を浴びていました。京都が、鎌倉が、毎年のように地震の被害に遭っています。地震、旱魃、大雨、洪水、大火、彗星出現などの天変地妖に埋め尽くされた表になってしまいました。天災が猛威を振るう中、源平争乱、比企氏の乱、承久の乱、宝治合戦が加わり、戦のために田畑は荒らされ放題、人々の生活は困窮するばかりでした。飢えた百姓や民衆たちが飢餓難民として都へ逃避するために、京の都も飢饉に陥り、賀茂川をせきとめるほどの不幸がありました。『方丈記』には、その様子が記され、亡骸四万二千三百体余りの額に阿字を書き続け供養をされた僧隆暁の名が見えますが、この方は、京都に預けられた頼朝の三男、七歳の貞暁を育てた師匠です。後に、貞暁法印は高野山で、五坊寂静院を開基されました。本化別頭仏祖統紀では、日蓮聖人の高野御登頂は、宝治二年二十七歳の時ですから、貞暁法印が一二三一年に遷化されてから、十七年目のことでした。
 鎌倉は相模湾に面しているために、地震による津波で八幡宮の社殿、家屋が流されています。相模トラフが日本海溝から房総半島の間を通って相模湾へ走っています。日蓮聖人のふるさと房総半島最南端安房国の地震・津波の被害も甚大であったことが安房の災害史などに伝わっており、ご生誕の地もなくなってしまっています。
 〈天変地異史〉には、三つの大飢饉があります。日蓮聖人のお爺さまの時代、一一八一年、源平争乱の最中に起こった「養和の大飢饉」がありました。十二歳の日蓮聖人が清澄寺へ入られた当時は、鎌倉期最大の「寛喜の大飢饉」の真只中でした。この飢饉は、国民の総数を三分の一に減少させた全国最大規模の飢饉であったと記録されています。立正安国論をご執筆された頃は、「正嘉の大飢饉」の真只中でした。地震に遭われたことは数知れず、鎌倉期最大の大飢饉を宗祖は、二度も体験されておられました。災難に貧窮する衆生をお救いするために、安国論をご撰述し、正法への至心を説き続けられた強いご信念は、正嘉元年秋の大地震が起こる遥か以前から萌芽されておられたと思います。日蓮聖人御誕生前年の承久の乱は、後鳥羽上皇や愛妾亀菊の荘園への年貢滞りが要因の一つになっておりますが、これも、飢饉の故に起こったものでした。日蓮聖人は、度重なる惨状を打開するために、天も国家も相手に諌め続けたご生涯でした。日蓮聖人は法華経への信仰を説き、現代に通じる人類永遠のテーマである環境問題の解決を鎌倉幕府に諫言されたのです。その日から、七百五十年後の現在、この二十一世紀の今、安国論に書かれた天変地妖など、日蓮聖人が危惧しておられた大難が、世界のあちらこちらで猛威を振るっています。
 現代世界の他国侵逼難は人を殺傷する戦争や経済戦争です。世界から見た自界叛逆難は、アフガニスタン、チェチェン、ソマリア、スーダンなどの内戦を指します。星宿変化難と日月薄蝕難は、太陽や月、星の天体活動が及ぼす災難ですが、中には、人間によるCO2の大量放出と相乗して、地球の気候変動に関わっている場合が知られています。
 お手元の四点目の作成資料(平成二十二年度世界の災害記録)をご覧下さい。この世界の災害記録は伝染病に罹患する人衆疾疫難、雨の被害を受ける非時風雨難、旱魃・渇水の過時不雨難が含まれます。現代は、鎌倉期には想像も出来なかった近代科学繁栄ゆえの大災害が起こっています。四月、アイスランドの氷河火山の噴火により飛行機が飛べず、三十カ国もの空港閉鎖のケース。四月、アメリカ・メキシコ湾海洋油田の爆発事故により拡大した海面の油を消すために有害な石油分散剤撒布による二次汚染。六月、ウクライナのチェルノブイリ原発事故で汚染されたブリャンスク州で二十八ヵ所の森林火災。十月、ハンガリーのアルミニュム工場廃液貯水池の決壊などの災害がありました。
 度重なる戦乱や大規模な気候変動も影響して、世界の飢餓人口は十億人を超えていましたが、先月、WEP・国連世界食料計画の発表では、本年、九億二五〇〇万人に減少すると報道されました。リーマンショック、シカゴの穀物取引市場や国内価格の下落により、命の糧が得られやすくなったのだと思います。飢餓の原因は、気候変動、環境破壊、戦争・紛争による貧困、原油の高騰、穀物が動物の飼料やバイオ燃料になるなどの理由が挙げられます。世界の環境破壊と食料危機は、日本も大きな接点を持っています。日本は、世界最大の食料輸入国であり、食料の六十パーセントを輸入しています。それらには、外国の水、資源、労働などの厖大なエネルギーが含まれています。一年間で消費される食料の二割は、生ゴミとして捨てられる運命にあります。
 「私達の食べている物は、どこから来て、どのようにして手元に届くのか。それに携わっている人たちは、どのような暮らしをしているのか」を探求しますと、世界の現状が見えてきます。貧しい国の農民が育てた穀物を輸入する豊かな国は、たくさんの食べ物を作り、穀物を車のエネルギーに転換し、食肉産業の飼料にして、多くの牛や豚を育てています。気候変動の影響下で経済大国が買えば買うほど、穀物市場は高騰し、貧しい国は困窮します。つまり、食料飽食、エネルギー飽食が、飢餓の一因になっているのです。サブ・サハラ・アフリカ(サハラ砂漠より南側の国々)に生まれて、お乳の出ない乳房を頼りに、やっと五歳まで生き延びた栄養不足の子が、発達障害や病魔に勝てず、亡くなっています。
 「生まれたところが違うから、しょうがない」、「なにかしてあげたいが遠すぎるなあ」などの話をする前に、今日から飢餓を無くすために、私達ができることを考えたいと思います。たとえば、(一)遠来の物を買わない、買えば、貧困層の子供たちの食べ物を搾取する、生産と輸送には、たくさんのCO2が排出される、この関係性を認識する。(二)なるべく車に乗らず、公共機関を利用する(飢餓が起こる原因に理由が示されています)。この地上に暮らす私達は、いま飢餓の世界に生きているのです。日常では目にすることの無い出来事のため、遠くの国で苦しむ人のいたみが届きにくいのです。そのことに気付き、世界に目を向ければ目的意識は高まります。人としていかにふるまうかにより、暖かい心が伝わります。飢餓をなくすことは、鎌倉期最大の飢饉を体験された日蓮聖人の悲願でした。立正安国論は、飢餓、けかちの中から望みを託して生まれたのです。今世紀、人類が有史以降初めて直面するグローバルな環境問題は、鎌倉時代に、日蓮聖人が魁られ、生涯を掛けての根幹のテーマであったことを強く認識しました。今回の研究資料から、飽食国は、環境・貧困・飢餓撲滅の責任ある立場に立たされていることを改めて学ばせていただきました。作成の研究資料一点を要約、抜粋し、左記に添付しました。アラビア数字は祖壽、地震は鎌倉地震です。
 (参考文献は、社団法人日本地震学会の年表・吾妻鏡・日本天災地変誌・日本地震資料・日本災変通志など)

〈天変地異史〉日蓮聖人の国家諫暁迄の四十年間
一二二一年(承久三年) 正月、鎌倉乞食千人に施行。五月承久の乱。九月まで火事多発、一月 十月地震
一二二二年(貞応元年)1 二月十六日御誕生、五、十月地震、七月、十一月大地震 八月の十六日間連夜彗星
一二二三年(貞応二年)2 二、五、十月、大地震
一二二四年(元仁元年)3 二、四、五、六、九、十一月 地震 五月、京都大地震
一二二五年(嘉禄元年)4 正月、三、五、十、十一月、地震 十月大地震 火事頻々
一二二六年(嘉禄二年)5 三、四、六、七、八、十、十二月地震 火災頻々 二月?六月、天下大疫病
一二二七年(安貞元年)6 正月、二、三、四、五、十二月 地震、九月 大地震 疫病
一二二八年(安貞二年)7 四、五、九、十二月 地震、大風 火災頻々
一二二九年(寛喜元年)8 一、六月、地震、一、十二月、大地震、鎌倉飢饉、広沢の池渇水
一二三〇年(寛喜二年)9 正月京都地震、鎌倉各月、地震多発 全国大凶作 飢饉 人身売買、餓死者多数
一二三一年(寛喜三年)10 「寛喜の大飢饉」人身売買激増 正月、二月、京都大風、火事頻繁
一二三二年(貞永元年)11 「寛喜の大飢饉」凶作。八月 貞永式目施行。九月地震 彗星、十月彗星出現
一二三三年(天福元年)12 「寛喜の大飢饉」清澄寺ご入門。京都咳病流行、三月大風大雨 七月井戸乾く
一二三四年(文暦元年)13 「寛喜の大飢饉」二、八月京都大地震 八月末?九月中炎早続き、霧島山噴火
一二三五年(嘉禎元年)14 三月大地震 四月四回、五月五回、九月地震 七月甚雨 鎌倉中洪水、正月京都大火
一二三六年(嘉禎二年)15 二、四月地震 六月三回地震 十一月大火
一二三七年(嘉禎三年)16 六月京都大地震 八月鎌倉大地震 十一月鎌倉洪水
一二三八年(暦仁元年)17 〈鎌倉ご遊学中〉十一、十二月鎌倉地震
一二三九年(延応元年)18 〈鎌倉ご遊学中〉五月一日 幕府・人身売買禁止令。十月風雨甚大 地震 大火
一二四〇年(仁治元年)19 〈鎌倉ご遊学中〉彗星 正月二、四、八、九、十一月。地震 一、二、三、四、八月
一二四一年(仁治二年)20 〈鎌倉ご遊学中〉正月彗星。二、四、五月大地震
一二四二年(仁治三年)21 正月大雪 二月地震 火災頻々 清澄へご帰山 〈比叡・近畿地方ご遊学の途へ〉
一二四三年(寛元元年)22 〈比叡・近畿ご遊学中〉正月京都大火、三月鎌倉甚雨 五月大地震
一二四四年(寛元二年)23 〈比叡・近畿ご遊学中〉七月京都地震、七、九月鎌倉地震 十一月大洪水、鎌倉天変
一二四五年(寛元三年)24 〈比叡・近畿ご遊学中〉一、二、三月彗星 七月京都、近江、大地震
一二四六年(寛元四年)25 〈比叡・近畿ご遊学中〉一、十二月京都大地震、鎌倉四、五月地震 十一、十二月大地震
一二四七年(宝治元年)26 〈比叡・近畿ご遊学中〉六?八月 関東大兵乱(宝治合戦)、 十月、十一月大地震
一二四八年(宝治二年)27 〈比叡・近畿ご遊学中〉高野登頂 三月近畿地方 大風雨 大洪水、
一二四九年(建長元年)28 〈比叡・近畿ご遊学中〉一、二、三、四月 京都出火 三月京都中大焼亡
一二五〇年(建長二年)29 〈比叡・近畿ご遊学中〉七月鎌倉地震十数回 九月名越辺り焼亡
一二五一年(建長三年)30 〈比叡・近畿ご遊学中〉一月二度、八月京都地震、鎌倉六月ひょう、七月降雪、十月地震
一二五二年(建長四年)31 〈比叡・近畿ご遊学中〉鎌倉二月大火、五月地震 七月大地震 五月京都洪水 大飢饉の年
一二五三年(建長五年)32 清澄帰山 四月二十八日 立教開宗 六月大地震 九月地震 十二月大火 鎌倉ご草庵
一二五四年(建長六年)33 一月鎌倉大火 人家百宇被災 五月京都大地震 七月鎌倉大風雨 十一月大地震
一二五五年(建長七年)34 六月大流星 十二月京都地震 この年、赤斑病流行、児童多く死亡
一二五六年(康元元年)35 一月鎌倉洪水 雷電 六月大雨洪水 六、七月霜雪降る 十一月大地震 旱魃疫病の年
一二五七年(正嘉元年)36 「正嘉の大飢饉」八月関東南部、鎌倉大地震 大旱魃 大地震 大疫病 餓死人数知れず
一二五八年(正嘉二年)37 「正嘉の大飢饉」六月寒冷 冬の如し 五穀熟せず大飢饉 餓死者の数を知らず
一二五九年(正元元年)38 「正嘉の大飢饉」『守護国家論』撰述 大疫病、餓死人多し 天下大飢饉
一二六〇年(文応元年)39 「正嘉の大飢饉」『災難興起由来』『災難退治鈔』撰述 三月大地震 四月鎌倉中焼亡
             七月『立正安国論』撰述・奏進 八月地震 大飢饉 疫病、〈松葉ヶ谷法難〉

二〇一〇年十一月十日発表 於・宗務院

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