教化学研究2 現代宗教研究第45号別冊 2011年03月 発行
葬儀を考える─法号について
葬儀を考える─法号について
1、はじめに
平成二二年五月、宗教学者島田裕巳氏が、『戒名は、自分で決める』という新書を幻冬舎から出版した。裏表紙には「戒名料の相場は四〇万円。たった一〇文字程度の死後の名前が、かくも高額なのはなぜか?(中略)立派な戒名を授かるには一〇〇万円を超えることもある。この戒名こそが葬式を贅沢な物にしているのだ。(中略)俗名(生前の名前)で葬られること、いっそ自分で戒名を付けることまで提唱した新時代の死の迎え方。簡単!『戒名作成チャート』付き」とある。島田氏の論旨は、・居士、信士と言った戒名のランクには対極に差別戒名があることが前提となる。よって位号を付けることは死後に差別意識を持ち込むことになる。・戒名を付けるという行為は仏典の何処を探しても根拠がない。・戒名は僧侶が付ける必要はなく、本人が付けてもよい。また、創価学会が既にしているように俗名のまま葬られてもよい。……というものであり、おおむね伝統教団に対する辛辣な批判が展開されている。巻頭には「戒名作成チャート」なる物がつけられ、そこに並んだ漢字を一定の法則で並べることにより自分に相応しい戒名を作ることが出来るとしている。この本は九万部を売り上げ(宗教関係の新書としては好調な数字である)、イオングループの葬祭事業参入のニュースと相まって、戒名問題に関する世間の高い関心を示す結果となった。
本稿では、先ず筆者の自坊で実際にあった事例を取り上げ、さらに『戒名は、自分で決める』で主張された島田氏のわれわれ伝統教団に対する批判を検証していきたいと思う。
2、こんな葬式ならしなきゃよかった
都内の、ある葬儀社に父親の葬儀を頼んだという方からこんな話を聞きました。喪主は田舎にある菩提寺とはつきあいがほとんど無く、葬儀社に僧侶の手配からお布施の金額まで、すべてを「お任せ」にしていました。被葬者の俗名は「斉藤敬治(仮名)」さん。葬儀社の紹介でやってきた僧侶が付けた法名は「治斉院法藤日敬信士」。僧侶はたどたどしく読経し、二〇分ほどの葬儀を済ますとさっさと帰っていきました。真偽のほどは判りませんが、日蓮宗の僧籍をもっていると説明したそうです。喪主は、僧侶のあまりのいい加減さに悔しさがこみ上げてきて、父親に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまいました。そして後日、田舎の菩提寺を遺骨と供に訪ね、改めて葬儀を依頼しました。喪主は、この時初めて、心の底からほっとしたといいます。
このケースがまだしも救いがあったのは、菩提寺が斉藤さんに毎年、年賀状を送っていたことでした。父親の遺品を整理していて、たまたま住所が判明した訳ですが、もし、都会に引っ越した檀家が、田舎の菩提寺と没交渉のままになっていたら、このような被害にあっても泣き寝入りするほか無いのかもしれません。
島田氏が『戒名は、自分で決める』で批判したかったのはこのような事例では無かろうか。特に都市部に於いて、檀信徒と寺院の関係が希薄化し、ついには寺檀関係が消滅してしまう。一方田舎では過疎化が進み、都市部に檀信徒が流出してもそのまま放置してしまう。この、都市部、過疎地域双方の寺院の怠慢が産んだ「自分の家の宗旨が判らない」という「浮遊仏教徒(筆者の造語である)」が巷に溢れてしまったために、所謂「マンション坊主」や「派遣坊主」が大手を振って営業しているのである。
島田氏自身も著作の中で祖母が寺院と戒名料、寄付を巡ってトラブルになったと明かしており、この問題を巡って執筆する動機となったとしているが、島田氏が葬儀を取り巻く現状に感じている憤りに、耳を傾ける責任がわれわれ僧侶の側にあるのは確かである。しかし、ここで島田氏の論理のねじれについて言及しなければならない。島田氏が憂う事態を作り出しているのは、直接的には「マンション坊主」「派遣坊主」とよばれる僧侶もどきの存在である。また、彼等を使役する葬儀社の問題といってもよい。ところが、島田氏は、責任追及の矛先をわれわれ伝統宗派に向けている。伝統教団が、戒名の意味を説明してこなかったから、日本社会は戒名の制度自体にうさんくささを感じている、また、院号・位号のつく戒名を乱発することで寺院は経済的に潤っているのだと。
ここに論理のねじれが存在する。島田氏が糾弾すべきは、僧侶もどきあるいは、伝統教団に属しながら「八宗兼学」の葬儀に対応している異形の僧侶達ではなかったか。曹洞宗においては、他宗の法式による葬儀を執り行った者は僧籍を剥奪するなど懲罰の対象にすると聞く。我宗も、もしそのような僧侶を発見した場合、宗制第四五号第二七条による懲戒規定を厳格に適用すれば、堂々と島田氏の批判に反論することも出来よう。
3、居士の栄光、信士の誇り
「院殿号や院号のちょうど反対側にはこの差別戒名の存在がある。それは、戒名という物が現実の世界、現世に存在する格差や差別をあの世にまで持ち込む役割を果たしていることを意味する。その点で差別戒名だけが差別を助長するのではなく、戒名のランク自体が『差別的』なのである」P五二
歴史上、初めて院殿号が登場したのは足利尊氏(一三〇五?五八)の「等持院殿仁山妙義大居士(鎌倉では長寿寺殿)」である。島田氏は、院殿号の対極に被差別部落の差別戒名があるとしているが、一四世紀初頭のこの時代、差別戒名は存在し得ない。戒名が授与されるのは、相当に地位の高い人物、貴族や国人衆クラス以上、またはそれに準ずる武士であり、一般庶民は戒名を授かるどころか仏式の葬儀さえ営まれることなく、埋葬さえされなかった。差別戒名が登場するのは近世に入り、所謂カワタ寺が被差別階級の人々を寺請制度のもとに管理するようになってからである。また、昭和五七年より実施されている日蓮宗における差別法号(戒名)調査では、今のところ日蓮宗僧侶が授与した差別法号(戒名)は発見されていない。これらのことから、島田氏の主張する対極構造は成立しない事が判る。院号・位号は、純粋に居士の栄光をたたえ、信士の誇りを示すために付けられてきたのである。
七五四年、聖武天皇は鑑真より菩薩戒を受け「勝満」という戒名を授かった。これが我が国における最初の戒名とされる。その後暫く、仏教は貴族や武士だけの物という状態が続いた。平安時代の後期、浄土教が法然によって弘められ、鎌倉時代、宗祖をはじめとする鎌倉仏教が弘まると、仏法は庶民にも安心を与えていった。室町時代に入り、宋の国の禅宗に於いて成立した『禅苑清規』が日本に将来されると、これの「亡僧」の項をもととして葬儀式の原型がうまれ、各宗派に影響を与えていったが、ここではまだ相当に階層の高い人物しか葬儀を営むことはゆるされなかった。一五世紀の半ば頃、それまで町から離れた場所に霊場を設け遺骸を放置していたのが、墓地をもった寺院が市中に現れ、墓に遺骸を納めるという習慣が生まれた。近世にはいると、寺請制度のもと、幕藩体制の支配下ではほぼすべての日本人がいずれかの寺院の檀家として登録され、ある程度の財力があれば戒名(法号)を授かり、葬式を以て人生を締めくくることが出来るようになった。幕末には優陀那院日輝上人により現在執り行っている葬儀式につながる法式が確立された。近代にいたり、廃仏毀釈による経済的問題の副産物という側面をもっているのだが、多くの庶民に院号・位号が授与されるようになった。そして現代、仏教徒であれば必ず法号(戒名)を授与され、人生を僧侶の引導によって締めくくり、遺体は捨て置かれることはなく墓地に埋葬される。
大変おおざっぱだが、葬儀、法号(戒名)の歴史を俯瞰してみた。島田氏は「院号のインフレ化」と呼んで特に明治以降の動向を批判的に書いている(デフレの方が正しいと思う)が、そうであろうか。被葬者にとって中・近世よりも現代の方が幸せなのは論を待たない。誰しも野辺に捨て置かれるよりは、懇ろに導師に教訣を与えられ、安住の地として墓地に埋葬され、家族が墓参りに定期的に来てくれた方が、死後の安心のクオリティーは格段に高い。大乗仏教の目的を、一切衆生を得道させ成仏に導くものとし、菩薩行を抜苦与楽とするならば、現在の葬儀および法号(戒名)授与の形態は、より進化したものと言えるのではないか。
故人の記憶は消滅しやすいものだ。その家が絶えてしまったような場合、百年先には故人のことを語る者が誰もいなくなってしまうと言うことは残念ながらあり得る事態だ。しかし、法号(戒名)の授与を寺院に属する教師に受けていれば、その寺院が存続する限り過去帳に保存され供養をうけつづける事が出来る。院号・位号がついていれば、霊位を想うよすがにもなる。国の歴史、人類の歴史は故人(個人)の歴史の集積である。院号・位号を授けることは故人を歴史の一部と位置づけることである。
つぎに、島田氏の日本式の戒名を授与することは仏典には全く記されていない、また戒名料とは入檀料に他ならない、という指摘について考えてみたい。
われわれは原理主義的に原始仏教を信仰しているのではなく、日本に於いて発達してきた日本仏教を信仰している。法号(戒名)を授与することは長い歴史の中で完成された日本仏教のスタイルであることは既に見た。実は島田氏もこの本の最後の方でこのスタイルを否定するものではないと認めている。
戒名料が寺檀関係を結ぶ際の入檀料であるとする指摘については、かつて筆者は市からの依頼で行旅死亡人の葬儀を引き受けたことがあるが、この時も法号は付けた。行旅死亡人であるので氏名年齢不詳である。当然檀家に成りようがない。当然布施もない。しかし教訣を渡すとき必要だから付けたのである。ここに経済原理は存在しない。法華経の経力を頼んで霊山往詣に送り出すのであるから、「題目受持の一戒」を被葬者の霊魂に託したのである。
抑も宗教とはギブアンドテイクとは違う場所で活動することが多い。宗派を問わず僧侶がボランティア活動に参加する者が多いのもそのためである。島田氏の視線はあまりに経済原理的すぎるのではないだろうか。
つぎに、戒名は僧侶が付ける必要はなく本人が付けてもよい、また俗名のまま葬られてもよい、という指摘について考える。
これには個人主義的価値観を強く感じた。僧侶に対する不信感がその根底にはあるのを酌むとしても、生き様、死に様、そして死後についてもすべて自分の価値観のみで押し通そうというのである。老後は息子の世話にはならないとか、面倒な近所づきあいは死ぬまで(死んでも)しないという価値観と通底するものがある。
昨今社会問題となっているものに「孤独死」「無縁社会」といったものがあり、現代宗教研究所でも今年の中央教研大会などで集中的に取り上げてきた。その中で見えてきたのは、家族との絆の崩壊、地域との絆の崩壊、「家を守る」といった意識の消滅などが社会的下地としてあったということである。これらは行きすぎた個人主義がもたらした要因という一面もあるだろう。この国が、このまま超高齢社会に突入すれば大混乱に陥ってしまうことは火を見るよりも明らかなことである。島田氏の主張が、このグロテスクな社会問題に拍車を掛けることに成りかねないと言ったら言い過ぎだろうか。
戒名とは戒をたもつ者の名である。日蓮宗では法号と言うが、「題目受持の一戒」はたもたなければならない。その名を授ける者は戒師でなければならない。俗名のまま葬られたいという者には、よくよく法号の意義、歴史を説明し、納得を得るよう努力せねばならない。ただ、たとえ逆化であろうとも法華経に結縁した者は仏果を得るわけであるから、霊山往詣は可能である。
紙面の制約もあり、島田氏の批判に充分に答えることが出来たとは思っていない。また、島田氏の主張の中にはわれわれ伝統教団の僧侶が真摯に耳を傾けなければならない問題が存在することも確かである。
とくに、パソコンを使って戒名を付ける僧侶が居るというのは驚きである。また法外な戒名料、布施を請求するというケース。これらの素行の悪い僧侶達がいるかぎり、幾ら理想を叫んでも一般人の耳目には空々しく映るのも事実であろう。全員が判で押したように品行方正な僧侶になってしまったのではまた困るのだが、われわれが襟を正すよい機会を島田氏が与えてくれたと理解するのがよい。
また、戒名料、葬儀の際の布施は寺院の維持のために必要だと檀家に説明すべきだという提言もあった。これも検討されるべき主張である。そして、第二項で指摘した「浮遊仏教徒」を作り出さないことが、何よりも重要なことであり、伝統教団にとって喫緊の課題である。