ホーム > 刊行物 > 現代宗教研究 > 現代宗教研究第40号 > 今成元昭師の「如説修行鈔書説」ならびに「摂折解釈」を批判する

刊行物

PDF版をダウンロードする

現代宗教研究第40号 2006年03月 発行

今成元昭師の「如説修行鈔書説」ならびに「摂折解釈」を批判する

 

研究論文
 
今成元昭師の「如説修行鈔偽書説」ならびに「摂折解釈」を批判する
 
(日蓮宗現代宗教研究所研究員) 山 崎 斎 明  
 
はじめに
 立正大学名誉教授今成元昭師の主張した「日蓮聖人摂受本懐説」や「如説修行鈔偽書説」は、宗門内外に大きな波紋を起こした。
 今成師の研究方法は、日蓮聖人遺文に対し「文学的もしくは文献学的な検証を加えること」を基本としているという。文学的・文献学的検証とは、たとえば、「如説修行」の語の有無や使用回数、また、「如説修行・折伏」の語に対する当時の使用法を文学書に求め、そこから得た情報をもとにして、日蓮聖人遺文を解釈していくというものである。
 今成説に対して、多くの批判があったが、総じて教義における批判に今成師はほとんど無反応で、自説を繰り返すだけのように思える。今成師の主張が、「個人的一文学論である」という次元であるならば、一向にかまわないが、個人的一文学論として主張しているのではなく、「古来から現在に至るまでの日蓮聖人折伏説は誤りで如説修行鈔は偽書である」と言い、「教義の訂正」を主張している。ならば、今成師は、日蓮教団創始以来認知されてきた「如説修行鈔真書説」や「日蓮聖人折伏説」に始めて異義を唱えた勧学職教師として、文献学や文学論だけに留まらず、法華経教学・日蓮教学を土台とした教義教学論など、あらゆる方向からの批判に対して、反論する責任と義務がある。
 筆者は、今成師が主張する「文学的文献学的解釈による如説修行鈔偽書説および摂受折伏論」に対して、同意しかねるので、次の三点について意見を述べようと思う。
 第一章 「文学論的考察による如説修行鈔偽書説」を批判する
 第二章 「折伏は武力・暴力である」という今成説を批判する
 第三章 「開目抄・摂折問答部分」の今成解釈を批判する
 今成師の著述は多いが、最近公にされた論考に、『教団における偽書の生成と展開、(以下、『今成論文・教団における偽書』と略す)』(『佛教文學』第二十九号所収・平成十七年三月)がある。これは自説を補強するために執筆したと今成師自身が述べている。以下、これを中心にして、必要に応じて過去の今成師の著述についても触れることにした。
 なお、この論考は、吉田弘信師の『摂折論一考』(『宗報』平成十六年十二月号)に後続するものであり、今成師が日蓮宗現代宗教研究所に所望された「再吟味の要望」(『宗報』平成十七年三月号)に応じて書いた一文である。
 
 第一章 「文学論的考察による如説修行鈔偽書説」を批判する
 (一) 当時の文学で使用された概念は御遺文解釈の概念になりうるか
[今成師の主張]
 今成師いわく、
  日蓮の摂受・折伏観は、武力・暴力に関わるという行軌の範疇を出るものではありません。『如説修行鈔』に強調されているような、思想や言論に関する折伏などは全く考えられていないのです。なお、摂受・折伏ということを行軌の方便として、把えるのが、日蓮個有の発想ではなくて、当時の一般的なものであったということは銘記しておく必要があるでしょう。(『今成論文・教団における偽書』一四二頁)
[筆者の批判]
 今成師は、当時の文献の折伏の語の使用例を挙げて、「折伏は暴力を意味する」傍証にしている。しかし、それは「日蓮聖人御自身が当時の一般世間で使用されていた概念で折伏の語を解釈された」という証拠にはならない。聖人も当時の社会で生存されていたのであるから、当時の世間で折伏が暴力という意味で俗語化していたならば、俗語化した折伏の語の意味を認知されていたと思う。しかし、こと仏教の教学上の道理を説く場合、日蓮聖人が当時一般的に使用されていた折伏の概念を、そのまま用いて仏教教理を説かれたとは思えない。
 そのことは、『開目抄』の御文からも知ることが出来る。「夫摂受折伏と申す法門は水火のごとし」(定本六〇六頁)の前段に、「汝が不審をば世間の学者多分道理とをもう。いかに諌暁すれども日蓮が弟子等も此をもひすてず。一闡提人のごとくなるゆへに、先天台妙楽等の釈をいだしてかれが邪難をふせぐ。」(定遺六〇六頁)と言われている。この御文は本論考の重要な箇所であり、詳しくは後述するので、ここでは深くは立ち入らないが、その意味は「我が日蓮の弟子たちも、世間の学者たちと同じように、摂受折伏の意味や実践を誤解している者もいて、一闡提人のごとく誤解に固執しているので、天台・妙楽等の釈を提示して邪論を破り、摂受折伏の正義を述べる」という内容で、天台、妙楽、章安の文を引用して摂受折伏の義が述べられている。(注1)
 これは、聖人御在世当時の世間一般の仏道修行に対する常識的見解と聖人が説く仏道修行の意味が異なっていたということを示している。もし、一般世間の常識的仏道修行や摂受折伏義を聖人が認知して、その通俗概念を是認しているならば、『開目抄』で天台妙楽の文を引用して、わざわざこのような摂受折伏の義を述べる必要はない。
 元来、思想や教えというものは、往々にして、世間の常識や観念と異なる場合が多く、新しい思想や教えを説くために、世間の常識や流行語を使用し利用することは有効な伝達方法ではある。だから、聖人が御在世当時の世間一般で使用された語や概念を利用された可能性は十分ありうる。が、しかし、十分注意しなくてはならないのは、先に提示した『開目抄』のように、こと、仏教の第一義を説く時に、一般世間で認知されている語や常識的観念では伝達が困難である場合は、通俗概念を否定して仏教の本義を明らかにして教えを説かれたと思う。
 今成師は著書で、
  私が中世仏教の特質をことさららしく述べてきたのは、「平家物語」をその根源において支えている無常観が、前記のような中世新仏教的なそれであることを強調したいがためである。「平家物語」における仏教、無常観について論じようとする者は、仏教語句として現れた思想や行為を手がかりとして考察をすすめるのが一般である。しかし、前篇で述べたように、「平家物語」の生成には、僧団の教説資料が預って大きな力をなしており、僧団の所有した多くの「平家」が、そのまま「平家物語」の部分として温存されていることは確実である。だから仏教語句として現れた思想や行為が、一筋縄ではとても押さえきれない程の多様さを示しているのも当然であるといえる。そこで、その雑多とも云える仏教についての各別的検討や分類整理の他に、個々の仏教語句に把われないところの、この物語に貫流する精神を汲み上げる努力も一方ではなされなければならないのではあるまいか。仏教語句を媒介としないところの、深層における仏教思想の探求をおろそかにすべきではないと思うのである。(『平家物語流伝考』二四九|二五〇頁、風間書房、昭和五十五年)
と述べている。一般文学における仏教語句の取り扱いにおいてならば、今成師の研究方法は認められるだろうが、日蓮聖人遺文は一般文学と同じではない。御遺文は平家物語のような類の文学書ではなく、法華経教説書である。仏教専門書である日蓮聖人遺文に対する研究に、このような文学解釈法を使用することは、日蓮聖人遺文研究の正当な研究方法であるとは言えない。当時の宗教書や文学書での仏教用語の使用方法を知ることは、日蓮遺文の解明に無意味ではないが、それはあくまで一般的に使用された類例とを知るにすぎない。日蓮聖人遺文をはじめとする鎌倉新仏教や旧仏教などは、経・論・釈を根拠とした教理教学の上に構築された思想であり、そのような教学を持つ宗教思想の場合は、まず教理教学から用語の概念を考察するのが基本であり、文学書等から得た概念は、日蓮聖人遺文の正しい解釈の概念にはなりえない、と筆者は考える。
 (二) 「如説修行」という語の有無から推測する判断は妥当であるか
[今成師の主張]
 今成師いわく、
  「如説修行」という成語は、『法華経』その他の諸経典に散見し、日蓮遺文中にも経典の引用語としては見出すことができるが、日蓮自身の言葉として用いられている例は『如説修行鈔』を除いては皆無である。この事実は、日蓮が「如説修行」の語を敢て回避した結果のものであるとしか考えられないのである(『日蓮論形成の典拠をめぐって』—折伏為本論の場合— 渡邊寶陽先生古稀記念論文集『日蓮教学教団史論叢』所収、以下『今成論文・日蓮論形成』と略す。二二六頁)
[筆者の批判]
 今成師が研究の対象とみなす日蓮聖人遺文はかなり限定されている。その限定された御遺文の範囲内で考えた場合、「如説修行」の語が、『如説修行鈔』だけにしか使用されていないとしても、『如説修行鈔』が偽書であるという論拠にはならない。『開目抄』の「本門寿量品の文の底にしづめたり」(定遺五三九頁)という御文や、『四信五品鈔』の「以信代慧」(定遺一二九六頁)のように、全御遺文中で、ただ一度しか使用されていない例もある。しかも「如説修行」の語は『法華経』にある語であり、「如説修行」の語の使用回数が御書の真偽の判定理由にはならない。
 真偽未決の御書を真書扱いにしたとしても、御遺文全体の総合量からすると、確かに「如説修行」の語の引用回数は少ない。しかし、聖人は、「如説修行」の語よりも「法華経の題目を受持する」「題目を唱える」という表現を圧倒的に多く使用されている。そもそも『法華経』そのものが、「如説修行」より「受持」を多く使用している。『日蓮宗電子聖典』で「如説修行」と「受持」の語を検索すると、
 『法華経』における「如説修行」の使用回数=計六品・計九回、
            「受持」の使用回数=計二十品・計八十五回。
 『御遺文』における「如説修行」の使用回数=計三書・計三回、
            「受持」の使用回数=計三十一書・計五十七回。
 「受持」は、ただ「持」とか、「護持」と表記される場合もあって、「受持」だけの検索で推論できないし、筆者の検索方法や集計の未熟も大いにあるので断言は差し控えるが、一往のこととして述べると、計三十一書・計五十七回の「受持」の使用例は、そのほとんどが経釈の引用である。聖人御自身のお言葉として使用されているのは、『観心本尊抄』と『宝軽法重事』(定遺一一七八頁)である。しかし、『宝軽法重事』の「受持」は経文に対して説明する際に使用されているので、聖人御自身の御文としての使用例は、『観心本尊抄』の「釈尊因行果徳二法妙法蓮華経五字具足。我等受持此五字自然譲与彼因果功徳」(定遺七一一頁)だけである。この「受持」の使用例から言えることは、聖人は「受持」や「如説修行」という語を御自分の言葉として使用するよりは、経文の引用で使用される傾向が圧倒的に多い。いずれにせよ、五種法師の「受持」で即身成仏を主張する日蓮聖人の教えからすれば、「如説修行」の語よりも、「受持」や「法華経を持つ」等の表現を多く用いられたといえる。
 (三) 『薬王品』の「如説修行」を回避したという説について
[今成師の主張]
 今成師いわく、
  「如説修行」という成語は、『法華経』その他の諸経典に散見し、日蓮遺文中にも経典の引用語としては見出すことができるが、日蓮自身の言葉として用いられている例は『如説修行鈔』を除いては皆無である。この事実は、日蓮が「如説修行」の語を敢て回避した結果のものであるとしか考えられないのであるが、その理由は、『薬王菩薩本事品』中の「如説修行」の語の用法にあったのではないかと推測される。なぜなら、『薬王品』には、若如来滅後 後五百歳中 若有女人 聞是経典 如説修行 於此命終 即往安楽世界阿彌陀仏大菩薩衆囲繞住所 生蓮花中宝坐之上 と説かれているからである。『薬王品』の、如説修行の者は極楽浄土に化生するという教説は、古来、多くの人々の厚い信仰を集めて流伝していた。(中略) 右の事実を知れば、日蓮が教説の中に「如説修行」の語を用いていない理由は容易に理解できるであろう。いうまでもなく、日蓮が「如説修行」の語を口にするならば、忽ちに、念仏信者たちの、『薬王品』の経文を盾にとっての攻撃の矢面に曝されるであろうことは火を見るよりも明らかであるからである。論談の名手日蓮が、そのような危険な道に足を踏み入れるはずはあるまい。(『今成論文・日蓮論形成』二二六|八頁)
[筆者の批判]
 今成師は、「日蓮聖人は如説修行という語は用いられなかった。用いない理由は、薬王品に記載された『如説修行』を聖人は回避した」という。そう理解することは妥当なのだろうか。日蓮聖人は、
  諸大乗経には成仏往生をゆるすやうなれども、或改転の成仏、一念三千の成仏にあらざれば、有名無実の成仏往生なり(『開目抄』五八九|九〇頁)
と言われている。「成仏往生」「往生成仏」は御遺文中にも多々ある。
 『薬王品』には、
  若し如来の滅後、後の五百歳の中に、若し女人あって是の経典を聞いて説の如く修行せば、此に於て命終して、即ち安楽世界の阿弥陀仏の大菩薩衆の圍繞せる住処に往いて、蓮華の中の宝座の上に生ぜん(平楽寺版訓読『妙法蓮華経』三四五頁)
とある。だが、『法華経』も日蓮聖人も、往生を推奨しているのではない。
 『一代聖教大意』において、『薬王品』の文を浄土教開会の文として、
  観経等の往生安楽開会の文は 此に於て命終して即ち安楽世界に往く等の文。(定遺七四頁)
と記述されている。この御文の意味は、先の『開目抄』の御文と合わせ見ると、浄土経で説く極楽往生の義は『寿量品』が説かれてこそ、往生の義が成り立つのであり、成仏も往生も『寿量品』で成立するという意味であると思われる。『法華経』ならびに日蓮聖人の教えは、『法華経』の教えで即身成仏することである。だが、『法華経薬王品』の往生は、その教相のごとく往生であって、即身成仏ではない。
 『薬王品』の教相で説かれる往生を要約すると、次のような内容である。『法華経薬王品』を聞法受持して如説修行すると安楽世界の阿弥陀仏の大菩薩衆が圍繞する住処に往生する。そして貪瞋痴慢に悩まされず菩薩の神通・無生法忍を得る。無生法忍を得た後に、その眼根清浄の眼根を以って七百万二千億那由佗恒河沙等の諸仏如来を見る、というものである。つまり、『法華経薬王品』を聞いて如説修行して命終し阿弥陀仏の浄土に往生しても、諸仏を見るまでには果てしない道程があるのである。その上、極楽往生の条件について、『無量寿経』には、「但し五逆と正法誹謗するものは除く。」(『浄土三部経』上 一三六頁等、岩波文庫)、という但し書きがあるのであるから、『法華経』を差し置いて『無量寿経』等の諸経を依経とすることは正法誹謗ということになる。『法華経』は成仏の教えであり、往生を説く浄土経は方等部の教えである。法華以前の三乗の教えは『法華経』で三乗方便一乗真実と否定されるから、いかにいわんや往生をやである。往生は三乗の宝処と同様に有名無実である。
 このように、『薬王品』の経文を以って極楽往生を語る当時の念仏信仰は、成仏の義を捨てて往生の義を立てるのであり、『四信五品鈔』で、「恵心の往生要集の序に誑惑せられて、法華の本心を失い、弥陀の権門に入る。退大取小の者なり。」(定遺一二九六頁)と、『法華経』の本心を失う念仏を批判されている。
 また、『報恩抄』の巻末には、
  日蓮が慈悲曠大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ。此功徳は伝教天台にも超へ龍樹・迦葉にもすぐれたり。
  極楽百年の修行は穢土の一日の功に及ばず。正像二千年の弘通は末法一時に劣るか。是はひとへに日蓮が智のかしこきにはあらず。時のしからしむる耳。(定遺一二四八|九頁)
とある。この文中の「極楽百年の修行は穢土一日の功に及ばす」の文は、聖人が『無量寿経』を『法華経』の教理で領解された御文である。『無量寿経』には、
  まさに度世を求めて、生死衆悪の本を抜断すべし。まさに三途の、無量の憂畏苦痛の道を離るべし。
  汝らよ、ここにおいて広く徳本を植え、恩を布き恵みを施して、道禁を犯すことなかれ。忍辱・精進して、心を一にし、智慧をもって、うたたあい教化して、徳をなし善を立てよ。心を正しく意を正しくして、斎戒清浄なること、一日一夜すれば、無量寿国に在りて善をなすこと百歳するに勝れたり。所以はいかに。かの仏の国土は、無為自然にして、みなもろもろの善を積みて、一毛髪の悪もなければなり。
  またこの世において善を修すること、十日十夜すれば、他方の諸仏の国土において善をなすこと千歳するに勝れたり。(『浄土三部経・上 無量寿経』 二〇〇頁、岩波文庫)
とある。周知のように『報恩抄』は、故道善房の追善のために書かれたが、当時の清澄は念仏化乃至真言化しており、念仏信仰をしていた道善房の門弟や、かつての兄弟子、浄顕房・義浄房らが、『無量寿経』のこの経文を知らないはずはない。聖人が浄土教学を領解され、浄土教学を法華経で破折された事例である。
 この『報恩抄』の御文は、聖人が『無量寿経』を領解された上で述べられていることを、既に勝呂信静博士は指摘されている。(『日蓮思想の根本問題』四四|四六頁・教育新潮社、一九六五年)
 日蓮聖人の浄土教領解について、曇鸞・道綽・善導に対する破折は『立正安国論』ほか多くの御遺文にあり、周知のことなので省略する。念のために、聖人が浄土教学を領解されていたことについて述べておく。聖人は法然の『選択集』を標的にされた。法然の学説は、曇鸞・道綽・善導を依りどころにしており、曇鸞・道綽・善導は天親・龍樹を依拠としている。龍樹・天親は、それぞれ『十住毘婆沙論』『浄土論』の著作があるが、聖人は龍樹・天親が浄土教の論を書いた理由を承知の上で、天台と同じように「天親・龍樹、内鑑冷然」と言われている。『開目抄』に
  法華経の種に依って、天親菩薩は種子無上を立てたり、天台の一念三千これなり(定遺五七九頁)
とある。これは天台の一念三千説を踏んで述べられたもので、日蓮聖人の唯識学説の領解文である。
 龍樹学説の領解文としては、
  中論四巻二十七品の肝心は因縁所生法の四句の偈なり。この四句の偈は華厳・般若等の四教三諦の法門なり。いまだ法華開会の三諦をば宣べ給はず。(『撰時抄』定遺一〇二一頁)
などがある。このように、龍樹・天親を領解した聖人が、曇鸞・道綽・善導を承継する法然を謗法者として破折されることは、聖人にとってすこぶる容易なことであり、法然以下の学識者と論戦することを回避する理由は何もない。
 また、日蓮教学には五義(五綱)の教判がある。五綱の序について、『撰時抄』では、
  此念仏と申は双観経・観経・阿弥陀経の題名なり。権大乗経の題目の広宣流布するは、実大乗経の題目の流布せんずる序にあらずや。心あらん人は此をすい(推)しぬべし。権経流布せば実経流布すべし。権経の題目流布せば実経の題目又流布すべし。(定遺一〇四七|八頁)
と言われており、日蓮聖人は、念仏流布は法華経の題目の序奏であると認識されている。また、
  当世の念仏は法華経を国に失う念仏なり。たとい善たりとも、義分あたれりというとも、先名をいむべし。(『十章鈔』定遺四九一頁)
  善に付け悪につけ法華経をすつる、地獄の業なるべし。(『開目抄』定遺六〇一頁)
と言われ、たとえ、念仏に義分があろうとも、『法華経』を捨てるようなことは断固制止される日蓮聖人から見て、念仏は五義のいずれから見ても折伏の対象である。念仏信者の攻撃を恐れて、『法華経薬王品』記載の「如説修行」の語の使用を回避したということは、日蓮聖人の教判から見ても考えられない。
 (四) 『如説修行鈔』の文章表現について
[今成師の主張]
 今成師いわく、
  『如説修行鈔』には「如説修行」という言葉が十三回も使われています。(中略)、『如説修行鈔』の作者は、自らを法戦の闘将に見立てて、法王の宣旨、背きがたければ、経文に任せて権実二教のいくさを起し、忍辱の鎧を着て妙教の剣を提げ、一部八巻の肝心妙法五字の旗を指上げて、未顕真実の弓をはり、正直捨権の箭をはげて、大白牛車に打乗て、権門をかっぱと破り、かしこへおしかけ、こゝへおしよせ、(中略)、今に至りて軍やむ事なし。「法華折伏破権門理」の金言なれば、終に権教権門の輩を一人もなくせめをとして法王の家人となし、と、軍談調の躍動的な美文を綴っているのですが、日蓮の真蹟類には、このような文飾を見出すことができません。(『今成論文・教団における偽書』一四三|五頁)
 今成師いわく、
  日蓮は、頭脳明晰であって、その文章は、総体の構成にしろ部分の用語にしろ、配慮が行き届いていて隙がありません。しかし『如説修行鈔』は文章構成の乱れや用語の不統一が目立つ悪文で、とても日蓮の文章とは思われません。まず総体の構成について云うならば、『如説修行鈔』は、『立正安国論』と同じように、問者と日蓮とが問答をする形式になっているのですが、その第二問の「如説修行の行者と申さんは何様に信ずるを申すべきや」という問者の質問に対して、「答へて云く。当世、日本国中の諸人一同に如説修行の人と申し候は・・・」と答弁する人物は日蓮であるはずであるのに、その人物の発言は、「予が云はく。然らず。」と、日蓮によって否定されるという混乱が見られます。また、一篇の後半すべてが一人物(日蓮)の発言で占められていて問答体構成の前半と体裁を異にしているのも、作者の構想力の貧困さが指摘されることであります。(『今成論文・教団における偽書』一四三頁)
[筆者の批判]
 「如説修行」の連続使用について
 『如説修行鈔』の中に「如説修行」の語が十三回使用されているということは、明らかにこの語を意識的に使用している証拠である。たとえば日蓮聖人は『忘持経事』の冒頭には「忘れる」という語を十三回、『顕謗法鈔』には「謗法」という語を五十回使用されている。こういう連続使用は意識して使用されているのであり、語句の連続使用は、聖人だけでなく誰でもが使用する文章表現であり、使用された語の多少や使用頻度は真偽判断の証拠になりえない。
 軍談調について
 日蓮聖人の文章には軍談調とまでは言わなくとも剛毅で意気高い表現は多い。今成師は、「日蓮聖人は『平家』といわれる軍談の、要所を抜き書きしてもっておられたことが日祐の『本尊聖教録』によってわかる」(『現代宗教研究』第三十三号・平成十年・六六頁)と述べている。また、今成師著『平家物語流伝考』の巻末にある「付篇 軍記物・説話関係 日蓮遺文抄」(同書二五三|三三八頁)は、日蓮聖人が御在世当時の一般世間の大衆の趣向を聞知され、軍談調の文学に精通されていたことを示すものであり、聖人が軍談調で文章を書く気持ちさえあれば、いつでも書くことができる状況であったことが分る。
 なお、今成師は過去に公にした次の著書の中で、日蓮聖人の文体の中に軍記物語の影響があることを認め、『如説修行鈔』を偽書としてではなく日蓮聖人作という扱いで紹介している。(注2)
 『仏教文学の世界』NHKブックス 昭和五十三年(一八九|九〇頁)
 『挫折を超えて日蓮』 講談社 一九八九年 (一四〇頁)
 『平家物語流伝考』 風間書房 昭和四十六年初版 (四九頁)
 『宗教と文学』 秋山書店 昭和五十二年(一四四|九頁)
 構想力の問題について
 『如説修行鈔』の「如説修行の行者と申さんは何様に信ずるを申すべきや」(定遺七三三|五頁)という問答について、今成師は、「作者の構想力の貧困さが指摘される」と言う。しかし、この箇所の内容は、『法華経』の一仏乗思想が簡潔明瞭に凝縮されて書かれているところである。『如説修行鈔』に、「総じて一切の諸経ならびに仏菩薩の御名を持て唱るも、皆法華経也と信ずるが如説修行の人とはいわれ候也」(定遺七三四頁)とあり、このようなことが当時一般的に理解されていた状況であった。だから、日蓮聖人は「今の日本国の人々は法華経で諸乗一仏乗と開会しているのだからどの教え(念仏・真言・禅等々)も法華経の如説修行であると思っているかもしれない。しかし、そうではない。法華経でしか成仏できないのであるから、本当の如説修行とは法華経を受持することしかないのだ」ということを言われている。確かにこの個所は全体の中で読みにくく感ずる個所ではあるが、よく読むと、前段(「予が云はく。然らず。」の前まで)は、当時の日本国での如説修行の解釈の様子が短い文章の中で良く表現されており、後段は、法華経の意義について経文に即して端的に説明されている。この第二問答は、「構想力が貧困」どころか、内容は法華経教学が凝縮して説かれており、末法の法華経の行者が法華経をどのように信じることが本当の法華経の如説修行の行者というのか、経文を示して如説修行の定義を示された最重要なところである。聖人の消息文のすばらしさは、松本清張、増谷文雄等々(注3)の日蓮信者でない各氏たちからも賞賛されている。日蓮門下にとって、聖人の消息は、逆境の中でも不退転の信心を鼓舞する心の支えである。『如説修行鈔』は生命的危機にあっても、不惜身命の志で題目を受持して成仏するのだと、法華経の基本的教学を教え諭した消息文である、と筆者は拝察する。
 (五) 今成師の日蓮聖人観について
[今成師の主張]
 今成師いわく、
  「権実雑乱の時、法華経の御敵を責めずして山林に閉じ籠り、摂受を修行せんは、あに法華経修行の時を失う物怪にあらずや」とは、まさに、身延山に退いた日蓮、および日蓮の行為を容認する弟子たちに対する非難の怒聲であると考えざるを得ません。つまり、日蓮の身延山入山を不満とする折伏派の人たちによって作られたのが、今日話題にしている偽書であると思われます。それらの偽書は、日蓮教団内部の、主として摂受派の人々を対象として発信されるものですから、広く社会に通用するものである必要はありません。一般性を欠いていても構わないのであります。(『今成論文・教団における偽書』一四七頁)
[筆者の主張]
 今成説によれば摂受派からすると折伏派は異端となるのであり、異端である人々によって作製された日蓮聖人非難の怒声の偽書であるとする『如説修行鈔』が、日蓮教団内において古来偽書という伝承は一切なく、なぜ真書として伝承されてきたのであろうか。特に今成師が言う摂受派からの偽書の指摘がないのは実に不自然である。
 今成師が主張する「日蓮聖人摂受本懐説」や「如説修行鈔偽書説」は、表面的には、摂受折伏の従来の義に対する概念の解釈問題のように見えるかもしれない。しかし、今成説は単なる仏教用語の概念の解釈論争で解決される性質のものではないと思う。その理由は、今成師の主張は同師の仏教観、法華経観、日蓮聖人観の投影であり、今成師が日蓮聖人や御遺文に対してどのような理解の仕方をしているのかという次元にまで掘り下げて検討しなければ、今成説との接点を見い出すことはできないと思われるので、今成師の懐く日蓮聖人像について言及する。(注4)
 今成師の過去の著作に、『日蓮のこころ』がある。この本のはしがきには、「従前の宗教的日蓮伝というべき諸伝に対して、いわば文学的日蓮伝の創出が本書の趣旨である。」と述べている。本文中には、「『平家』を享受したと思われるこのころから、日蓮には・・・」(同書一四四頁)とか、「この一見不可解とも思われる日蓮の転機が、日蓮が『平家』を読み、「武」の姿勢を決定したのと時を同じくして訪れているのは偶然ではないように思われる。」(同書一五三頁)、というように、法華経や御遺文が主軸ではなく、『平家』が主軸に置かれた解釈のように思われる箇所が多々ある。
 日蓮聖人遺文を、『平家』を機軸にして解釈する今成師独自の文学的解釈法は、佐渡以前と佐渡以後の区別にも見られる。周知のように、佐前佐後の区別は、「法門の事は佐渡の国へながされ候し已前の法門は、ただ仏の爾前の経とをぼしめせ。」(『三澤鈔』定遺一四四六|七頁)の御文を元に三大秘法の開顕の有無を以って区別されて来た。『観心本尊抄』等々の御著作や、本門本尊大曼荼羅の図顕からみても、この区別は当然であるが、佐前佐後の日蓮聖人の宗教観や教義教学が変化しているのではない。
 ところが、今成師は、佐前と佐後の区別を三秘の開顕の有無で区別するのでなく、『平家』等の無常文学による影響によって、日蓮聖人の人間観や宗教観は佐前佐後、変化したと述べている。
 今成師いわく、
  佐渡配流期あたりを境にして、日蓮の宗教が変化することは宗学者一般の認めるところであるが、宗教の変化はそれを受持する人間の変革とともにあるものである以上、宗教書以外の『平家』のような作品との接触が、日蓮の人間観を変え、それが新しい宗教観の支えとなっているというような側面も重視されなければならないのではなかろうか(『日蓮のこころ』一四二|三頁)
  日蓮がいかに正直に三回目のころの敗北感を語っているかがわかるであろう。(中略)
  日蓮は、社会変革にかける情熱のほとんどを燃やし尽くしまっているように見える。(中略)
  とりあえずは幕府の膝もとまで戻ってきて、為政者に面会はしたのだけれども、すげなくあしらわれると、『立正安国論』呈出以来十余年にわたって継続してきた権力への抵抗を、ぱったりとやめてしまうのである。(中略)
  本来ならば佐渡から直接、山中・海辺にさすらう隠遁聖になってしまいたかった日蓮が、最期の夢を托してたどりついた鎌倉に、やはり青い鳥はいなかったというわけである。鎌倉を去って隠遁するという日蓮の意図は、弾圧に耐えながら師の留守を護ってきた弟子たち、あるいは身を粉にして継続してきた赦免運動の成就を喜ぶ弟子たちをどれほど失望させたことであったろう。(『日蓮のこころ』二〇一|四頁)
と。また、
  だいたい「王地に生まれたれば、身をば随えられ奉るようなりとも、心をば随えられ奉るべからず」という言葉は、一見いかにも雄々しくあるが、実はの心境を語るものであって、古く中国の白楽天あたりからいわれており、わが国では、平安時代中期のあまりにも官僚的な摂関制社会に嫌気がさした慶滋保胤が「身は暫く柱下(官僚社会)に在りといえども、心はなお山中に住むが如し」(『六波羅蜜寺供華会』詩序)とか、「朝(朝廷)に在りては、身、しばらく王事(政治権力)に随い、家に在りては、心、永く仏那(仏)に帰る(帰依する)」(『池亭記』)と記し、それを受けた中世の隠者鴨長明が「『身は朝にありて、心は隠にあり』とぞ侍る」(『発心集』)と共感を示している慣用の言葉なのである。日蓮がこれを用いる場合も、その言葉の持つ伝統的なか、げ、り、に身を寄せていたと考えなければなるまい。(『日蓮のこころ』二〇一頁)
と言っている。
 日蓮聖人が隠者の慣用の言葉を使用していたとしても、聖人が隠者との共感を示している証明にはならない。だが、今成師は、この言葉の使用例を以って、日蓮聖人を巷の隠者と同じように解釈して「隠遁聖になってしまいたかった日蓮」(『日蓮のこころ』二〇三頁)と述べている。
 さらに、次のようなことを述べている。今成師は、当時の日蓮教団は摂受派と折伏派の二派の内部対立があったとして、
  教団そのものが崩壊の危機に直面している折りしも、日蓮が、そのいずれかを採りいずれかを捨てることができましょうか。それは不可能なことです。とするならば、両者を生かす手立てに失敗した今は、両者の前から、そっと姿を消す以外に道はないではありませんか。消極的なようではありますが、それが、教団の将来に夢を託すことのできる唯一の方法であったはずなのです。結果からいえば、日蓮のとった方法は良い方向に展開しました。山にこもった日蓮の跡を慕って集う人々によって、教団の立て直しは意外に早く進みました。(『挫折をこえて日蓮』一七六|七頁)
  晩年の日蓮は、身延退隠時に弟子たちの期待を裏切ったことに対する償いの営みに生命を懸けたのだということになる。(『日蓮のこころ』二二五頁)
  多くの弟子たちの期待に背いて身延に退隠した師としての責任をはたすことができない、というのが日蓮の最期の想いだったと思われるのである。(『日蓮のこころ』二二七頁)
と言うのである。今成師の日蓮聖人像とは、世俗の人生いろいろに対し無常観や厭世観を懐いて人前から、そっと姿を消すという中世の隠遁者そのものである。また、かつては『佐渡御書』のように折伏を剛情に主張し、門弟を叱咤激励していた本人が、幕府の対応に絶望し失意の中で門弟を裏切り教団から退いて隠者になろうと身延に入山したが、人々が集まって来て教団の立て直しができた、という。隠者になりたくて入山したが隠者になれなかったのだから、日蓮聖人は中世の隠者よりも、はるかに不徹底な凡夫であり、実に無責任な方だったということになる。このように、今成師の主張の根底にある日蓮聖人は、仏教を極めた僧ではなく、信念や主張に一貫性がない悩める凡夫僧日蓮である。今成師にとって、日蓮聖人遺文と平家等の中世文学の関わりは五十年以上にわたるライフワークであるとお見受けするが、忌憚なく申し上げるならば、今成師は御遺文を主軸に考察するのではなく、中世の文学を主軸にして御遺文を読まれているようである。
 しかし、日蓮聖人の信念や主張は『立正安国論』以来池上御入滅まで一貫しており、身延期の御遺文の中からは、「門弟を裏切って懺悔の日々をおくるような日蓮聖人」を見出すことはできない。「失意と絶望で無常観に溺れ、教団を捨てる日蓮聖人像」は間違いであると筆者は思わざるをえない。
 では、身延入山はいかなる理由であったのだろうか。日蓮聖人は佐渡赦免後から鎌倉で平左衛門尉と会うまでの間において、御自分の意見が受け入れられなかった場合は、鎌倉を去る決意であった、と筆者は推測する。過去の幕府の聖人に対する態度からして、幕府がどのような程度のものであるか実体はおおよそ認識されており、過度の期待は持たれていなかった。実際に平頼綱と面会して、聖人は幕府に対して決定的に愛想をつかし、蒙古襲来の件など種々の理由もあっただろうが、幕府を見限り新たな決意で身延へ入山されたと思う。
 天台大師も伝教大師も喧騒な場所から離れて教義教学の研鑽・集成と流布を実行した。日蓮聖人も同じように、幕府の態度如何によって、喧騒な場所から離れて末法における法華経教学の体系の確立と門弟の教育を本格的に実行しようと決意されていたから、結果的に鎌倉着後四十余日という早さで身延入山となったのではないだろうか。
 「日蓮はこれ法華経の行者なり。不軽の跡を紹継するの故に」と御遺文にある。不軽菩薩が杖木瓦石を受けた後、遠くに住してなお声高に唱えたのと同じように、聖人は不軽菩薩の事跡を継承され、鎌倉を後にして遠く身延山に住して、「実乗の一善に帰せよ」と法華経教学の奥義を、なお声高に、説法されたものと筆者は推測する。
 入山直後に執筆された『法華取要抄』は本門の本尊・戒壇・題目の名目を始めて明らかにした重要遺文であるが、実に堂々たる名文であり、とても失意の人の筆とは思われない。このような大丈夫の風格ある御遺文は『法華取要抄』だけではない。身延期の御遺文は以前の御遺文に比べて、より澄み切ったものが感ぜられる。それとともに、真言批判は充実し、『四信五品鈔』などには天台妙楽の義を踏みながらも、聖人独自の深い見解を披露され、格調高い御遺文が多い。一方では「当世には日本第一の大人なり」と御自身を自賛して「汝が大慢は仏教に明すところの大慢にも百千万億倍すぐれたり。」(『撰時抄』定遺一〇五六頁)と語る表現や、「所詮、真言禅宗等の謗法の諸人等を召し合せ、是非を決せしめば、日本国一同に日蓮が弟子檀那とならん。我が弟子等の出家は主上上皇の師となり、在家は左右の臣下に列ならん。はたまた一閻浮提皆この法門を仰がん。」(『諸人御返事』定遺一四七九頁)と言われる御文には、隠者思想のかけらもない。
 また、「日蓮が慈悲曠大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ」等々の自信溢れる表現は随所にあり、これら身延期の御遺文は、『開目抄』の「智者に我義やぶられずば用いじとなり。その外の大難、風の前の塵なるべし。我れ日本の柱とならむ、我れ日本の眼目とならむ、我れ日本の大船とならむ、等とちかいし願、やぶるべからず」という誓願と自信の同一線上にあるものであり、弟子を裏切った後ろめたさなどは身延期の御書からは一切感じられない。
 以上述べたように、日蓮聖人の宗教観は一貫している。また、当時の文学や文献から抽出された一般的常識の概念で以って、法華経教学の専門書である日蓮聖人遺文の読解の概念に代用することは、正しい日蓮遺文解釈法ではない。日蓮聖人遺文の正しい解読方法は、日蓮聖人が規定された概念、および、聖人が承認された教判である五時八教等の法華経教学を踏まえた概念によって読解されるべきである。
(注1)この御文の意味は、西條義昌師(季刊『教化情報』第十号二十一頁・東京西部教化センター)と同意である。
(注2)『如説修行鈔』を真書として紹介している今成師の文章を二点記載する。今成師いわく、
   このように絶対の信念に裏づけられた実践力・行動力を秘めているところに日蓮の剛健な文体が成立する。
   日蓮蒙仏敕此土に生けるこそ時の不祥なれ。法王の宣旨背がたければ、任経文権実二教のいくさを起し、忍辱の鎧を著て妙教の剣を提げ、一部八巻の肝心妙法五字の旗を指上て、未顕真実の弓をはり、正直捨権の旗をはげて、大白牛車に打乗て、権門をかっぱと破り、(中略)。至今軍やむ事なし。法華折伏破権門理の金言なれば、終に権教権門の輩を一人もなくせめをとして法王の家人となし・・・・(『如説修行鈔』)。
   「かっぱ」というような地方の俗語、重厚な仏語をとりまぜ・短い文節の反覆法・対句法を駆使して戦陣の闘将の荒々しい息づかいを感じさせるこの文章は、軍記物語の戦闘場面の一節に接するようである。いや、軍記物語のどの一節もこれほどの迫力を持っているものはない。(『仏教文学の世界』一八九|九〇頁)」
  と述べ、『如説修行鈔』の文章を賞賛している。また『平家物語流伝考』では、次のように述べている。
   日蓮が、軍記物における変革期英雄語りの影響を多大に受けたであろうことが考えられる。右のように考えなければ、日蓮によって、「日蓮蒙仏敕此土に生けるこそ時の不祥なれ。法王の宣旨背がたければ(乃至)。至今軍やむ事なし。・・・」というような類の独特な文章の記された契機を理解することはできないであろう。己が教団を法王の宣旨をうけた法華経宣説の軍団に見たて、自らを軍団の武将に擬し、武将のいでたちや戦陣の様相をリアルに描きあげるこの日蓮の発想と表現とは、(中略)、どうしても当時盛行した軍記物の影響を考えざるを得ないのである。」(同書四九頁)と。
(注3)松本清張氏いわく、「日蓮の消息には、その教義の解釈は別にしても、文章は情理を尽くし、しかも雄勁簡潔であって、鎌倉文学の白眉たるを失わない。文学史家は日蓮消息をもっと注目してよいと思う。」(『日本思想大系・日蓮』戸頃重基編 月報一九七〇年 岩波書店)また(『日蓮・書簡を通してみる人と思想』増谷文雄著筑摩叢書七八・昭和四十二年初版)
(注4)語義の解釈による批判ではなく、根本的な理解の仕方に対する批判には、たとえば、長尾雅人氏の上田義文氏に対する批判がある。「唯識義の基盤としての三性説」(『唯識と中観』長尾雅人著所収(四五五頁)岩波書店・一九七八年)
 
 第二章 「折伏は武力・暴力である」という今成説を批判する
 (一) 「刀杖執持、乃至、首斬」「頭破作七分」は、武力・暴力を容認する文なのか
[今成師の主張]
 今成師いわく、
  「強盛の菩提心ををこして退転せじと願し」、「身命財を捨てて」邪法を「調伏」するのが、摂受にも折伏にも通じる宗教行為であると認知していた日蓮は、摂受と折伏との概念の相違を如何に把えていたのであろうか。この疑問に対する解答は『開目抄』に引かれている前記の諸書からの引用文中に明示されている。即ち日蓮は、止観云「夫仏両説。一摂・二折。安楽行『不称長短』是摂義。大経『執持刀杖乃至斬首』、是折義」と、智=cd=61aeによる摂受・折伏の定義を示し、さらにその折伏義に関して、弘決云「夫仏両説等者○大経『執持刀杖』者、第三云『護正法者不受五戒不修威儀』乃至、下文『仙豫国王』等文。又新医禁云『若有更為当断其首』。如是等文、竝是折伏破法之人」という湛然の解説を付しているのである。右に知られる通り、日蓮によって認知されているところの摂受と折伏との決定的な相違は、折伏が究極的には武力・暴力の行使を許すものであり、摂受にはそれが無いということなのである。(『今成論文・日蓮論形成』二一六頁)
 今成師いわく、
 そこで特に注目しなければならないのは、日蓮の云う折伏とは、『涅槃経』に説かれているところの、「刀杖を執持し、乃至、首を斬る」という、武力・暴力の行使を容認するものであるということです。したがって日蓮は、『涅槃経』そのものだけではなく、天台智=cd=61aeの『摩訶止観』や『法華文句』、妙楽湛然の『摩訶止観輔行伝弘決』などを引用して折伏と弓箭刀杖との関わりを繰り返し説いているのですが、僅かに存在するという『法華経』中の折伏関連記述についても、天台智=cd=61aeの『法華文句』の説を受け入れて、『法華経』を誹謗する者は「頭が七分に破れる」という陀羅尼品の一節を挙げているのです。要するに日蓮の認識する折伏とは、武力・暴力の介在を容認するものでありました。従ってそれは出家者には許されない行為なのであります。出家者と折伏との関係は、その出家者の有する宗教的真価に信伏した為政者や天神らが、それぞれの威力によって邪法の徒に懲罰を加えるという形で存在するものなのであります。(中略)そこで明らかにしておかなければならないことは、秀れた宗教者は、その卓越した人格によって折伏を(間接的に)出現させる存在であり、折伏の(直接的な)実行は、神や為政者が担当するということです。(『今成論文・教団における偽書』一三九|一四〇頁)
 今成師いわく、
 また日蓮の云う折伏が、行儀の中でも武力・暴力の介入を認めるものであるということは、日蓮が引用している『涅槃経』や『法華経』の文言によって明らかであることは前に述べましたが、これも当時の一般的な認識でありました。(中略)日蓮の折伏についての発言が、経典の中の「刀杖」「斬首」「頭破」といった部分に限ってなされているのは、当時の、きわめて常識的な事であったわけです。(同一四三頁)
[筆者の批判]
 筆者には、なぜ、「刀杖執持、乃至、首斬」や「頭破作七分」が、すぐさま、「武力暴力」と結びつくのか、理解しがたい。以下、「刀杖執持、乃至、首斬」や「頭破作七分」の意味について述べるが、その前に、今成師の著述で使用している「折伏」の語の概念が特異なので触れておく。
  今成師の使用する特異な折伏の概念について
 今成師は「折伏が究極的には武力・暴力の行使を許す」と言うが、今成師が使用する「折伏」の意味は、「究極的な意味」という但し書きで折伏の語を使用しているのではなく、「折伏を武力・暴力と同義の概念」で使用されている例が多々ある。たとえば、
 ①「ここには『止観』などによって認知されていた折伏観が、被災の体感として語り出されている。」(『今成論文・日蓮論形成』二一七頁)
 ②「自らの蒙っている迫害を被折伏体験として受け止めていた」(同二一八頁)
 ③「理念としても体験としても゛折伏=cd=ba39には違和感を懐いていたはずであるが、そうすると、折伏をも是とする仏説を如何に理解すべきであるかという大きな課題が、日蓮を折伏者として非難する世評に如何に応えるかという目前の課題と絡みあって、かつては思考の外にあった摂折問題への関与を深めざるを得なくなったのが、佐渡配流期の日蓮であったと認知される。」(同二一八頁)
 ④「日蓮自身が、『日蓮といゐし者は、去年九月十二日子丑の時に頚はねられぬ』と、論理を超えた叫びを上げなければならないほどの極限的な折伏を受け、その非道を痛感していた折のことであるのを思えば当然のことであるといえる。」(同二二二頁)
 ⑤「日蓮が、その被折伏体験を不軽菩薩らのそれになぞらえて語るようになった」(同二二四頁)
 ⑥「日蓮にとっては、受難は寧ろ歓迎すべき成仏の契機でありますので、武力・暴力の折伏をもって自分を圧殺しようとする為政者・役人らに対し・・・」(『今成論文・教団における偽書』一四九頁)
などと、述べている。
 特に、③④⑥は、今成師の折伏観がよく表れている。④の「極限的な折伏を受け、その非道を痛感し」とあるが、ここで使用されている「折伏」は、「武力・暴力」と同義語である。法華経の行者が、謗法者を折伏することは、行者にとっては折伏であり、謗法者にとっては被折伏である。しかし、不軽菩薩や日蓮聖人が攻撃された場合は、法難あるいは受難等と言うべきであり、「折伏を受ける」とか「被折伏体験」などという表現はできないはずである。今成師が使用している折伏の概念は、いわゆる仏教語の折伏概念でなく、中世文学における「折伏すなわち武力・暴力」の概念をそのまま使用している。
 以下、止観、弘決の「刀杖執持、乃至、首斬」および御遺文の「頭破作七分」が武力暴力を意味するものであるか否かを見る。
1『摩訶止観』の「刀杖執持、乃至、首斬」
 天台は、「如安楽行不称長短は是摂義。大経執持刀杖乃至斬首は是折義」(定遺六〇五頁)と述べている。「大経『執持刀杖乃至斬首』を、ただ「是折」というのでなく「是折義」と「義」の文字をつけて釈している。ここでいう「義」とは「意味(正しい道理)」ということと理解すべきである。「執持刀杖乃至斬首」を文字通りの直訳をして、世間一般で言う斬首などを意味しているのでない。
 だから、天台釈の意味は、「刀杖を執持し、乃至首を斬れ、という涅槃経の経文の意味は、誤った固定的観念を持つ者には、刀杖や首斬の如き態度、つまり誤った固定的観念(謗法)を斬り折伏する」と理解すべきである。
2『止観弘決』の「刀杖執持、乃至、首斬」
 妙楽も同様に、「大経に刀杖を執持すとは、第三に云く、正法を護る者は五戒を受けず、威儀を修せず。乃至下の文に仙予国王等の文あり。また新医禁じて云く、もし更になすことあれば、まさにその首を断つべし。かくのごとき等の文、並びにこれ破法の人を折伏するなり」(定遺六〇五頁)と述べている。要するに「刀杖執持、仙予国王、新医首断」等の文は、「破法の人を折伏する」意味であると妙楽は言う。だから「首断」の意味するところは、『止観』と同様に「折伏によって悪知識を封じ死滅させる意味」を指すのであり、「折伏=刀杖執持・首断→武力暴力→武力暴力肯定」ということを言っているのではない。
3『種種御振舞御書』の「頭破作七分」
  法華経の行者をあだむ者は頭破作七分ととかれて候に、日蓮房をそしれども頭もわれぬは、日蓮房は法華経の行者にはあらざるか。○、又頭破作七分と申事はいかなる事ぞ。刀をもてきるやうにわるるとしれるか。経文には如阿梨樹枝とこそとかれたれ。○、今の世の人々は皆頭阿梨樹の枝のごとくにわれたれども、悪業ふかくしてしらざるなり。例せばてを(手負)いたる人の、或は酒にゑひ、或はね(寝)いりぬれば、をぼえざるが如し。又頭破作七分と申は或心破作七分とも申して、頂の皮の底にある骨のひびたふ(響破)るなり。死る時はわるゝ事もあり。今の世の人々は去正嘉の大地震、文永の大彗星に皆頭われて候なり。(定遺九八四|五頁)
 ここで「法華経の行者をあだむ者は頭破作七分ととかれて候に、日蓮房をそしれども頭もわれぬは、日蓮房は法華経の行者にはあらざるかと」とか、「頭破作七分と申は或心破作七分とも申して」、と言われていることから判断すると、聖人は「頭破作七分」を、経文の文字面通りに「実際に頭が七分に破れてしまうこと」を言われているのではないことが分かる。
 『陀羅尼品』で十羅刹女・鬼子母神らが、「法華経の行者を悩乱させれば頭破作七分なること阿梨樹の枝の如くならん」という誓いを、この「心破作七分」を以って解釈すると、「正法誹謗の者が法華経の行者を悩乱することは、即ち、その謗法者は心破作七分の状態になっているという意味」である。
4『撰時抄』の「頭破作七分」
  もし経文のごとくならば日本国に仏法わたて七百余年、伝教大師と日蓮とが外は一人も法華経の行者はなきぞかし。いかにいかにとをもうところに、頭破作七分口則閉塞のなかりけるは道理にて候けるなり。此等は浅き罰なり。但一人二人等のことなり。日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり。此をそしり此をあだむ人を結構せん人は閻浮第一の大難にあうべし。これは日本国をふりゆるがす正嘉の大地震、一天を罰する文永の大彗星等なり。(定遺一〇一九頁)
と言われている。この御文の「頭破作七分」も武力・暴力を意味するものではなく、「現実として頭が割れる」という意味ではない。
5『法蓮鈔』の「頭破作七分」
  法華経第八云 頭破作七分。第五云 若人悪罵 口則閉塞等[云云]。如何ぞ数年が間罵とも怨とも其義なきや。答、反詰云 不軽菩薩を毀訾し罵詈し打擲せし人は口閉頭破ありけるか如何。問、然者経文に相違する事如何。答、法華経を怨む人に二人あり。(定遺九五六頁)
 この御文の意味は、「法華経で『法華経の行者を誹謗する者は頭が七分に破れる』とか『もし人が法華経の行者を罵れば、口が塞がる』とあるのに、どうして数年間にわたって、あなた(聖人)を罵や怨しても、罵怨した者が経文の通りにならないのはなぜか」という質問に対して、それならば反問するが、「不軽菩薩を罵倒したりした者たちは、口が塞がったり、頭が破れたりしたかどうか」と自問自答されている。この問答も明らかに、『安楽行品』の「口塞」や、『陀羅尼品』の「頭破作七分」を、日蓮聖人が経文の文字面どおりに「現実として頭が割れたり、口が塞がったりする」という意味で解釈されていない。
6『聖人知三世事』の「頭破作七分」
  日蓮はこれ法華経の行者なり。不軽の跡を紹継するの故に、軽毀する人は頭七分に破れ、信ずる者は福を安明に積まん。問て云く、何ぞ汝を毀る人、頭破七分なきや。答て云く、古昔の聖人は仏を除て已外これを毀る人、頭破ただ一人二人なり。今日蓮を毀呰する事非は、一人二人に限るべからず。日本一国一同に同じく破るるなり。いわゆる正嘉の大地震、文永の長星は誰が故ぞ。(定遺八四三頁)
 この御文は『撰時抄』の御文と同じ意味であり、「頭破作七分」は武力・暴力を意味するものではない。
7『兄弟鈔』の「頭破作七分」
  日月をのむ修羅は頭七分にわれ、仏を打し提婆は大地われて入にき。所対によりて罪の軽重はありけるなり。さればこの法華経は一切の諸仏の眼目、教主釈尊の本師なり。一字一点もすつる人あれば千万の父母を殺る罪にもすぎ、十方の仏の身より血出す罪にもこへて候けるゆへに、三五の塵点をば経候けるなり。此法華経はさてをきたてまつりぬ(定遺九二〇|一頁)
 この御文は法華経誹謗の罪の大なる事を説かれたものである。「仏を打し提婆は大地われて入にき」は、提婆が地獄界に堕する光景を「大地にわれて入る」と経文のままを述べられているのであり、現実に大地がわれて提婆達多がその中に入って行った、ということを意味しているのではない。修羅が頭破作七分になる光景も、現実に頭が七分に破れてしまうことを意味しているのではない。
8『四信五品鈔』の「頭破作七分」
  妙楽の云く、「もし悩乱する者は、頭七分に破れ、供養することあらん者は、福十号に過ぐ」と。優陀延王は賓豆盧尊者を蔑如して、七年の内に身を喪失し、相州は日蓮を流罪して、百日の内に兵乱に遇えり。経に云く、「もしまたこの経典を受持する者を見て、その過悪を出さん、もしは実にもあれ、もしは不実にもあれ、この人現世に白癩の病を得ん、乃至諸悪重病あるべし」。また云く、「当に世世に眼なかるべし」等云云。明心と円智とは現に白癩を得、道阿弥は無眼の者と成ぬ。国中の疫病は頭破七分なり。罰を以て徳を推するに、我門人等は「福過十号」疑いなき者なり。(定遺一二九九頁)
 この御文は、妙楽の文を引用して、法華経の行者の功徳と法華経誹謗乃至法華経の行者を誹謗する大罪について述べられたものである。ここの「頭破作七分」や「白癩の病乃至諸悪重病」の意味するところは、経文の文字面通り「実際に頭が七分に破れてしまうこと」等を意味しているのではない。もし、この妙楽の釈の「供養することあらん者は、福十号に過ぐ」を文字面通りに読むならば、「供養する者は福十号(=如来)よりも過ぎるから、供養する者は如来以上の尊い存在である」と解釈することになる。だが、仏教の常識を以ってすれば、そのような解釈はまったくの不可である事はいうまでもない。
 このように、経文や御遺文を文字面だけで判断したり、俗語化した概念や世間の常識で解釈した場合、仏教の本意とはかけ離れた誤読になることがある。今成師の主張する「日蓮の云う折伏が武力・暴力の介入を認める」という解釈は経文の一部を直訳した誤読であり、「刀杖執持、乃至、首斬」や「頭破作七分」の意味は、武力・暴力を意味するものではなく、天台・妙楽の言うように、誤った固定的観念を持つ者には、刀杖や首斬の如き断固たる態度で破折することを意味している。
 紙面の都合で『国府尼御前御書』『千日尼御前御返事』『日女御前御返事』の「頭破作七分」は割愛した。「頭破作七分の考察」を(注)で述べた。参照されたい。
 (二) 日蓮聖人の折伏の概念は武力・暴力の範疇なのか
[今成師の主張]
 今成師いわく、
  日蓮の摂受・折伏観は、武力・暴力に関わるという行軌の範疇を出るものではありません。『如説修行鈔』に強調されているような、思想や言論に関する折伏などは全く考えられていないのです。(中略)、また日蓮の云う折伏が、行儀の中でも武力・暴力の介入を認めるものであるということは、日蓮が引用している『涅槃経』や『法華経』の文言によって明らかであることは前に述べましたが、これも当時の一般的な認識でありました。(『今成論文・教団における偽書』一四二−三頁)
[筆者の批判]
 今成師は、「日蓮の摂受・折伏観は、武力・暴力に関わるという行軌の範疇を出るものではない」と言う。だが、『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』『勝鬘経』『大乗起信論』等に記載されている「折伏」の使用例を見ると、武力・暴力の義はない。詳細は(注)で述べたので参照されたい。
 今成師は、「法華折伏破権門理のような、思想や言論に関する折伏などは日蓮聖人の教えではない」という。この見解は、「天台、妙楽等の折伏の語は、思想や言論に関する折伏であるが、日蓮聖人の折伏義は天台・妙楽や馬鳴等の使用している折伏義ではなく、暴力である」と主張していると思われる。しかし筆者は「日蓮聖人の折伏義は、御自身が三国四師と言われているように、釈尊、天台大師、伝教大師と同じ思想的折伏義である」ということを主張する。
「開目抄に記述された釈尊」の折伏
 釈尊の折伏が思想や言論に関するいわゆる悪知識に対する折伏であることを示す御文が『開目抄』にある。
  釈尊が諸の声聞等者前四味の経々にいくそばくぞ(幾許)の呵嘖を蒙り、人天大会の中にして恥辱がましき事其の数をしらず。しかれば迦葉尊者の渧泣の音は三千をひびかし、須菩提尊者は亡然として手の一鉢をすつ。舎利弗は飯食をはき(吐)、富楼那は画瓶に糞を入ると嫌る。世尊鹿野苑にしては阿含経を讃歎し、二百五十戒を師とせよ、なんど慇懃にほめさせ給て、今又いつのまに我所説をばかうはそしらせ給と、二言相違の失とも申ぬべし。例せば世尊、提婆達多を汝愚人、人の唾を食と罵詈せさせ給しかば、毒箭の胸に入がごとくをもひて、うらみて云、瞿曇は仏陀にはあらず。我は斛飯王の嫡子、阿難尊者が兄、瞿曇が一類なり。いかにあしき事ありとも内内教訓すべし。此等程の人天大会に、此程の大禍を現に向て申すもの大人仏陀の中にあるべしや。されば先先は妻のかたき、今は一座のかたき、今日よりは生々世々に大怨敵となるべしと誓しぞかし。(定遺五六三|四頁)
 この御文の意味は、二百五十戒で阿羅漢果の涅槃が獲得できる、と思い込んでいる仏弟子たちの固定観念を弾呵折伏し、灰身滅智の虚妄を捨てさせ、大乗に引導させるために、「富楼那は画瓶に糞を入る」とか、「提婆達多を汝愚人なり、人の唾を食う」と、釈尊は呵責された、というものである。
 このような釈尊の激しい折伏のありさまを記述され、釈尊に対し最大の敬慕の念を懐かれた日蓮聖人が、釈尊と同じように情熱を持って悪知識の折伏をするのは当然である。釈尊も天台も権大乗の経論も「折伏」の意味は、無明煩悩の汚泥を除く対治のためで、今成師が主張するような「折伏=武力・暴力」の概念はない。
 以上のことから、「折伏とは、衆生の信解する所が誤りであると認知される時に、その誤った固定観念を厳しく指摘し、その観念を捨てさせ、正しい信解に導く化導法」であり、「摂受とは、順縁であり無知の衆生に対して寛容に接し益々信解を堅固にさせる化導法」であると言える。
(注)1『法華玄義』の折伏
    『玄義』には折伏の語が二箇所ある。一つは、巻第六に「折伏摂受」の語を連続して使用している箇所がある。
   「もし、折伏摂受を作すは仏、機縁をかんがみて、」と始まり、「四趣の衆生を折伏摂受す」、「両趣の衆生を折伏摂受す」、「声聞菩薩両界の衆生を折伏摂受す」、「通教の声聞菩薩両界の衆生を折伏摂受す」、「別界の菩薩衆生を折伏摂受す」、「円界の菩薩衆生を折伏摂受す」と述べている。(大正蔵経三十三巻七五〇頁b『国訳一切経』二三四頁)
    これは、仏が縁覚を除く八界の衆生を折伏摂受するという意味であり、これらの文の「折伏」の意味は、化導であり、武力・暴力とは一切関係がない。
    もう一つは、「法華は折伏して權門の理を破る。金沙大河の復た迴曲無きが如し。涅槃は摂受にして更に権門を許す。各おの因縁の為に存廃異なり有り。」(大正蔵経三十三巻七九二頁b『国訳一切経』三五五頁)である。
    ここで天台が述べていることは、「法華経は折伏、涅槃経は摂受」ということである。この「法華折伏破権門理」も、『如説修行鈔』の「法華折伏破権門理」も、思想や観念に対する折伏であって、武力・暴力の意味はない。
  2『法華文句』の折伏
    『文句』においての折伏の語は、「釈提婆品」と「釈安楽行品」にある。「釈提婆品」には、「精進に十利ありとは、他も折伏することあたわず、仏に摂せられ、非人に護られ、法を聞きて忘れず、未だ聞がざるをよく聞き、弁才を増長し、三昧の性を得、病悩少なく、食するに随てよく銷し、優鉢花の増長するが如し。云々」(大正新脩大蔵経・三十三巻一一五頁c『国訳一切経』三七七頁)とある。
    この箇所は、「檀に十利あり。慳煩悩を伏し捨身を相続す」という文で始まり、六波羅蜜のそれぞれに十利があることを説明した中の、精進波羅蜜の箇所の文章である。この箇所での「折伏」に武力暴力の意味はないと思われる。筆者は専門でないからよく分からないが、そう判断する理由は、六度の十利を述べた後に、「四事応(まさ)に檀・戒・忍・精進・禅・般若をそれぞれ修すべし」と、四事を六度で修行することを説いている。四事とは、簡単に言うと①破煩悩②菩提荘厳③自他の利④果徳(菩提涅槃)である。これらの箇所の最後に記述されている四事の般若の説明は、「四事まさに般若を修すべし。智慧は無明を破し、菩提を荘厳して衆生を摂す。智慧あって自ら楽しむるは来れ自利、能く衆生を教えふるはこれ利他、能く煩悩及び智障等を壊するはこれ大果なり。かくのごときの流例はこれ別教もて六度の相を明すなり」とある。この文から、六波羅蜜は煩悩智障等による遮蔽を破して、菩提涅槃の大果を獲得することが目的であることが分かる。だから、「精進に十利ありとは、他も折伏することあたわず」の文の「折伏」は虚妄の観念の対治の意味であり、武力・暴力を意味しているものではないと判断する。
    次の「釈安楽行品」の文は、『開目抄』にも引用されており、天台教学、日蓮教学において摂受折伏を論ずる場合、最重要な箇所である。詳しくは後述するので、ここでは、「折伏」の語が使用されている箇所が武力暴力を意味するか否かだけを見る。
    「おのおの一端を挙げて時に適ふのみ。理は必ず四を具す、何となれば、時に適ひ宜しきに稱ふは即ち世界の意、摂受は即ち為人の意、折伏は即ち対治の意、悟道は即ち第一義の意なり。(大正蔵経一一八頁c『国訳一切経』三八七頁) 天台は「折伏は即ち対治の意」と述べており、ここでは「折伏」の語が四悉檀の対治を指しており、武力暴力とは関係ないことは明らかである。
  3『摩訶止観』の折伏
    『止観』における「折伏」の語は、「たとえば虚空の中、明暗あい除かざるがごとし。仏・菩提を顕出するはすなわちこの意なり。もし人、性として貪欲多く、穢濁熾盛にして、対治し折伏すといえども、いよいよさらに増劇せば、ただ趣向をほしいままにせよ。何を以っての故ぞ。蔽もし起こらずんば、観を修することを得ざればなり。」(大正蔵経十七頁c。岩波文庫・摩訶止観・上・一〇五頁。『国訳一切経』六七頁)という文中にある。
    ここにある「折伏」もまた、菩提を獲得するにおいて障害となるものを対治する意味で、武力暴力とは関係がない。
  4『大乗起信論』の折伏
    日蓮聖人は、馬鳴の『大乗起信論』をよく御遺文に引用されている。
    『報恩抄』には「馬鳴菩薩は懺悔のために起信論をつくりて小乗を破りたまいき」(定遺一二二六頁)とある。また、「天親・竜樹・馬鳴・堅慧等は内鑑冷然たり。」(『観心本尊抄』定遺七〇九頁)とか、「馬鳴・龍樹・無著・天親等は権大乗を弘めて(略)内証は同じけれども、法の流布は迦葉・阿難よりも馬鳴・龍樹等はすぐれ、馬鳴等よりも天台はすぐれ、天台よりも伝教は超させ給たり。」(『報恩抄』定遺一二四六|八頁)とある。日蓮聖人は、馬鳴や無着は、龍樹・天親と同じように、法華経は広めなかったけれど内鑑冷然の聖者としてみなされている。これは聖人が、馬鳴の『起信論』をよく読まれ領解されていた証拠である。
    その『大乗起信論』に、「煩悩を折伏せんが為の故に云々」(岩波文庫・宇井伯寿・高崎直道版九三頁)という文がある。今成説の解釈からすると、この文の「煩悩を折伏せんが為」の「折伏」の意味を日蓮聖人は、「煩悩を究極的には武力暴力で駆逐する」という意味で解釈されたということになるが、この『起信論』の文に、そのような意味はない。
  5『勝鬘経』の折伏
    「世尊、我れ今日より、乃し菩提に至るまで、若し捕と養と、衆の悪律儀と及び諸の犯戒とを見れば、ついに棄捨せず。我れ力を得ん時、彼彼の処に於いて、此の衆生を見るに、応に折伏すべきは、而して之れを折伏し、心に摂受すべきは、而して之れを摂受せん。何を以ての故にとならば、折伏と摂受を以て、法をして久しく住せしめんが故なり。法の久しく住せば、天と人は充満し、悪道は減少して、能く如来の所転の法輪に於いて、而も随転することを得ん。是の利を見るが故に、救摂して捨せじ。」[十受章第二](『新国訳大蔵経』如来蔵・唯識部1・大蔵出版一七八|九頁)とある。
    この国訳本では、経文の「捕と養」を(注)で次のように解説している。「動物を捕らえたり殺したりすること」と。この注釈を念頭に入れて要約すると、この経文は、勝鬘夫人が釈尊に、「慈悲でないことや律等に反することを認知した場合、喜捨(布施)を止めて、力があれば力に応じて摂受・折伏をする。その理由は、折伏と摂受を以て、仏法を久住させるための故に」と今身より仏身に至るまでの誓いを述べているものである。つまり、摂受も折伏も、仏法をして久しく住せしめんがために正法を守護して流布させるための行であり、布施の禁止は『立正安国論』の第八問答における謗法禁止の方法と同じである。
 (三) 涅槃経の有徳王・仙予国王等の解釈について
[今成師の主張]
 今成師いわく、
  なお大変興味のあることは、第八「兵杖等」に対し、日蓮は『涅槃経』などを根拠として、「『法華経』守護の為の弓箭兵杖は、仏法の定むる法なり。例せば国王を守護せんがために刀杖を集むるが如し」(『行敏書』定遺五〇〇頁)と正当化し、さらに、「日蓮の身に疵を被り、弟子ら殺害に及ぶこと数百人なり。これ偏えに良観・念阿・道阿らの上人の大妄語より出たり」(同前)と切りかえしていることである。かつての日蓮は「釈迦の以前の仏教は,その罪を斬るといえども、能仁(釈迦牟尼仏)の後の経説は、則ちその施を止む」(『立正安国論』定遺二二四頁)という暴力否定主義者であったのに、この段階では武力の行使を認めるような発言をしているのである。(『日蓮のこころ』一五二頁)
[筆者の批判]
 今成師は、「かつての日蓮は暴力否定主義者であったのに、この段階では武力の行使を認めるような発言をしている」と述べている。今成師引用の『立正安国論』の御文の意味は、「謗法を禁断する方法として、昔の釈尊の事蹟を語るときは、仙予王や有徳王として謗法者の命を断ったことを説いているが、今の釈尊が教えるのは、謗法者に対して布施をしてはならないということである」(『日蓮聖人全集』口語訳による)
 『行敏訴状御会通』の意味は、「法華経守護のための弓箭兵杖は、仏法の定むる法なり。例せば、国王守護のために刀杖を集むるがごとし」である。『行敏訴状御会通』の御文を、今成師は、「暴力否定主義者であった日蓮が、武力の行使を容認した」証文とする。
 しかし、この御文にあるように、「法華経守護のため」、「国王守護のため」と、「守護」と言われている。「守護」とは正当防衛のことであり、正当防衛や自己防衛を、一般世間では暴力とは言わない。「暴力」とは不当、不法、無法な場合に使用される言葉である。正義を持たぬ力を暴力という。武力とは正当な場合でも不当な場合でも使用される。世間では、正当な武力行使を自己防衛といい、不法な武力行使を、過剰防衛とか、侵略、暴虐、という。
 日蓮聖人が引用される有徳王・覚徳比丘の刀杖等の武力行使は、正法の守護であり、正当防衛、自己防衛以外の何者でもない。有徳王・覚徳比丘のその有様は、そのまま小松原の工藤吉隆と日蓮聖人に当てはまり、工藤吉隆の刀杖等の武力行使は正法弘通の聖人を守護する刀杖である。
 御遺文の各所で述べられている法華経の行者の姿は、刀杖等の武力行使をして法華経を流布するというのではなく、刀杖等の武力行使をされて身命を落としても『法華経』を受持するというむしろ殉教に甘んずる行者の姿であり、まさに『如説修行鈔』の結文のような光景である。『法華経』で説く修行は忍辱精進であって、武力や暴力を盾に布教するなどというようなものではない。
 だから、『撰持抄』の「建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等が寺塔をばやきはらいて、彼等が頸をゆひのはまにて切らずは、日本国必ずほろぶべしと申し候ひ了んぬ。」(定遺一〇五三頁)などの御文を、文章の文字面だけで判断して、日蓮聖人が本当に斬首の殺生を肯定していると解釈するとするならば、それは誤読である。「頸をゆひのはまにて切る」という御文の意味は、悪知識の元凶である三類の強敵の口を沈黙させて悪知識の流布を断絶させる、という意味に解釈すべきではあるまいか。
 もし、鎌倉幕府が日蓮聖人の後ろ盾となって、聖人に武力の背景が備わったとするならば、聖人は、『立正安国論』の第八の問答のように悪知識の駆逐を、布施を止めて謗法人の口を塞ぐ、と思われる。もしも、聖人が武力を背景として、反対意見の人々の首を実際に切ろうとするならば、それは、まったく当時の極楽寺良観等と同じ次元の行為になり、日蓮聖人を聖者ということはできないだろう。
 だから、当時の国主が日蓮聖人に帰依したとしても、聖人は、武力の背景を利用せず公場対決によって法の勝劣を決定するべく努力されたと推察される。要するに、武力の背景の有無にかかわらず、聖人は公衆の面前で法論の戦わし正義を決着させようとされたと思う。その理由は、「仏法と申すは道理なり」と言われ、「智者に我義やぶられずば用いじ」と言われた日蓮聖人の布教活動の原動力は、『開目抄』に表明されているように、仏法の正義を獲得したという自信と日本国の衆生を寂光の本土に引導するという仏使としての自覚と誓願であり、このような、日蓮聖人の折伏観は『立正安国論』以来変わっていない。
 釈尊の教えは、小乗教のはじめから法華涅槃に至るまで、抜苦与楽の慈悲が根底にある。
 釈尊は、「あたかも、母が己(おの)が独り子を命を賭けて護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の慈しみのこころを起こすべし。」(岩波文庫『ブッダのことば』(スッタニパータ)第一四九偈・中村元訳・一九八四年・三八頁)と言われ、『涅槃経』にも「一子地に住す」(定遺六〇五頁)と言われている。
 また、仏教は、原始仏教のはじめより、法華涅槃に至るまで、さだめて心を問題にしてきた。
 『譬諭品』には
  諸苦の所因は 貪欲これ本なり 若し貪欲を滅すれば 依止する所なし 諸苦を滅尽するを 第三の諦と名く 滅諦の為の故に 道を修行す 諸の苦縛を離るるを 解脱を得と名く 是の人何に於てか 而も解脱を得る 但虚妄を離るるを 解脱を為と名く(『訓読妙法蓮華経』平楽寺本 一〇九頁)
とある。このように仏教とは、一言で言うならば、「苦の根源を、貪瞋痴慢の無明煩悩にあると見て、その虚妄を対治するための教え」である。心を見つめ、虚妄を対治して懺悔滅罪をする教えを説くのが仏教である。
 もし、「正義のためならば武力暴力で他者を侵害し生命を奪うことも是である」と、仏教が説くならば、そのような教えが慈悲の教えであると言えるだろうか。謗法が理由で暴力を受けたり殺害されるとしたら、近親者は勿論、その光景を見た人々は、仏教を慈悲の教えと思うだろうか。
 『立正安国論』の結文は、「速かに対治を回らして、早く泰平を致し、先ず生前を安んじ、さらに没後を扶けん。ただ我信ずるのみにあらず、また他の誤りを誡めんのみ。」という客人の決意の言葉で終わっている。(注3)
 また『開目抄』の結文は、「一子の重病を灸せざるべしや。日本の禅と念仏者とをみてせいせざるものはかくのごとし。慈なくして詐り親しむはこれ彼が怨なり。日蓮は日本国の諸人に親(した)しき父母なり。(略)彼がために悪を除くは即ちこれ彼が親なり」(定遺六〇七−八頁)とあり、折伏行は仏教の慈悲心のあらわれであり、父母が重病の子供に灸をするようなものであると言われている。
 父母のごとき慈悲心で、謗法者を破折したり口止めする方法は、布施の禁止で悪知識は駆逐できるのであり、実際に武力を行使したり、殺生をする必要はない。悪知識が善知識よりも広く強く流布する時に、王法の武力権力の背景で謗法を禁断し、正法護持の行者を守護するという意味で、賢王は仏法の守護者となる。有徳王や仙予国王の記述は、妙楽も「破法の人を折伏する」(定遺六〇五頁)と言っているように、折伏は武力暴力などではなく、あくまでも破邪顕正の正法守護を意味するものであると読み取るべきである。それを武力暴力の肯定の証文にしたり、『涅槃経』の「刀杖」等や、『法華経』の「頭破作七分」の経文を指して、「日蓮聖人の認識する折伏とは、武力・暴力の介在を容認する」と主張することは、仏教の本義である慈悲を忘却し経文の意味を考えずに文字面だけで直訳する皮相な読みであると言わざるをえない。
(注1)「頭破作七分の考察」について
    『法蓮鈔』には、「法華経を怨む人に二人あり。一人は先生に善根ありて、今生に縁を求て菩提心を発して、仏になるべき者は或は口閉、或は頭破。一人は先生に謗人也。今生にも謗じ、生生に無間地獄の業を成就せる者あり。是はのれども口則閉塞せず。譬ば獄に入て死罪に定る者は、獄の中にて何なる僻事あれども、死罪を行までにて別の失なし。ゆり(免)ぬべき者は獄中にて僻事あればこれをいましむるが如し。問云、此事第一の大事也。」(定遺九五六|七頁)とある。
    『安楽行品』の「口が閉塞(ふさが)る」と『陀羅尼品』の「頭破作七分」の句を使用して、『法華経』を怨む二つの種類を説明しておられる。第一種は「今生で菩提心を発して、頭を破られる」で、これは菩提心を持つ者が法華経の行者を謗る正法誹謗によって、頭破作七分して、正法に覚醒するという意味である。第二種は「今生でも正法を謗っても口が閉塞(ふさが)らず、頭も破られない(大意)」という意味である。
    『種種御振舞御書』と『撰時抄』と『法蓮鈔』に記載の「頭破作七分」は、文字面だけで見ると異なっており、一応に同じ表現であるとは言い難いので、次のように整理してみた。他の御文についての考察は割愛した。
   ①「十羅刹女等は、法華経の行者を擁護する」『法華経・陀羅尼品』
   ②「十羅刹女等は、法華経の行者を悩ます者を頭破作七分する」『法華経・陀羅尼品』
   ③「法華経を謗る者は頭破作七分になっている。謗法人は自分自身が頭破作七分であることを知らない」『種種御振舞御書』
   ④「浅い罰なので頭破作七分口則閉塞はないが、法華経の行者を謗った頭破作七分以上の罰として大地震等が起きている」『撰時抄』
   ⑤「前世で善根があり、今生で菩提心を持ち成仏すべき者は法華経誹謗をして、口則閉塞・頭破作七分する」『法蓮鈔』(第一種)
   ⑥「前世も今世でも法華経を誹謗する者は、生々に謗法の業があるから、口則閉塞・頭破作七分しない」『法蓮鈔』(第二種)
    これらの文を比較すると、「頭破作七分」には、『陀羅尼品』の経文が①②の二種類の意味があるように、御遺文に記述された「頭破作七分」にも次のように大きく二種類に大別される。
    (A)「菩提へ向かう行者は善業の報いによって、十羅刹女が善知識を守護して悪知識を折伏する」=「頭破作七分する」という「善知識の者を守護する」という意味。①⑤
    (B)「謗法者は悪業の報いによって、善知識と無縁で悪知識を所有している状態が頭破作七分である」という「悪知識の者を懲罰する」という意味。②③④⑥
    ④⑥は、文を文字面だけで読むと、「口則閉塞はない」「頭破作七分しない」ということになるが、文字面を額面どおり見ると②の経文に反する。⑥の表現は、⑤を前提に述べられた表現であり、⑤の反対の場合は、「頭破作七分しない」と表現しなければ、⑤の文の意味が消滅してしまう。だから、⑥は、「前世も今世でも法華経を誹謗する者は、生々に謗法の業があるから、口則閉塞・頭破作七分しないが、増道損生して善業を積み菩提心を起こした時、『法華経』を誹謗して、口則閉塞・頭破作七分する」と解釈するのが妥当であると思われる。④は地震等をさして「大罰がある」とするならば、大小は相対関係であるから必然的に小罰=「浅い罰」(→「頭破はない」)、ということになる。
    なお、『如説修行鈔』の結文に記述されている「二聖・二天・十羅刹女は受持の者を擁護し」は(A)の意味に該当し、「諸天善神は天蓋を指し旗を上げて我等を守護して慥に寂光の宝刹へ送り給べき也」は、「此経難持(乃至)一切天人皆応供養(『宝塔品』)」の経文と合致している。
    『陀羅尼品』の「頭破作七分」に関する御文は種種あるが、井上慧宏師は『日連聖人御遺文講義』で、『開目抄』に記載の、「又順次生に必地獄に堕べき者は重罪を造とも現罰(頭破七分・口則閉塞)なし。一闡提これなり」(定遺六〇〇頁)の文と『法蓮鈔』⑥の文は同意であると述べている。『開目抄』の御文では、「一闡提は現罰(頭破七分・口則閉塞)は無い」と言われているのであり、御遺文で記述されている「頭破作七分・口則閉塞」等は経文の文字面通りの意味を表しているものではない事例である。「頭破作七分の文について多義がある」(同書二七九頁)と指摘している。筆者がこのような難渋なことを述べた理由は、後述する「法華経と涅槃経の摂折関係」や『観心本尊抄』の「この四菩薩、折伏を現ずる時は、賢王と成って愚王を誡責し、摂受を行ずる時は、僧と成って正法を弘持す」も、このような相対表現で記述されていると思われるからである。
(注2)『日蓮聖人御遺文全集講義』②石川海典稿「摂折論概説」(二九七頁)』に『大日経』、『瑜伽論』、『悲華経』、『大集経』に記載の「摂受・折伏」の使用例が紹介されている。そこに紹介された権経や権門の論における「折伏」の語は、「正法を説き守護して、虚妄の観念を呵責(破折)する意味」である。『開目抄』の摂折論についても詳しく論述されているので披見されたい。
(注3)『現代宗教研究』第三十一号・平成九年・勝呂信静稿「『立正安国論』と日蓮聖人の国家思想」六|七頁』 第二十七回教化学研究集会の講演に加筆されたもので、多くの示唆を受けた。末尾に現代の日蓮宗や日蓮教学において回避すべからざる今日的問題提起も提示されている。披見されたい。
 第三章 「開目抄・摂折問答部分」の解釈について
 (一) 「常不軽品のごとし」と「涅槃経のごとし」は、どちらが整合性があるか
[今成師の主張]
 今成師いわく、
  『開目抄』の、摂受・折伏に関して述べられている一文については、その構成上からも、「常不軽品の如し」が不当な一句であることが指摘されます。なぜなら、日蓮は、折伏を解説するに当って、繰り返し『涅槃経』だけを引用してきたのですから、今、問題としている部分に、依拠すべき経典名を配置するとするならば、「涅槃経(大経)の如し」としなければならない筈なのです。そこに「常不軽品」が登場する必然性は全くありません。「折伏」を「常不軽品の如し」とする一句の、『開目抄』原典からの存在を認めようとする人は、それが、「摂受」を「安楽行品の如し」とする直前の一句に対応するものであると考えているようですが、それは違います。なぜなら、このあたりの文章は、日蓮の行為が安楽行品の経文に違背しているという冒頭の非難に應えたものでありますから、構文は、「常不軽品の如し」の一句以前で完結しているのであります。 (『今成論文・教団における偽書』一四〇|一頁)」
[筆者の批判]
 ここでは、今成師が、「後世の加筆であり、日蓮聖人の思想に反する」と断定する『開目抄』の「常不軽品のごとし」前後の摂折問答部分について、次のように三つに分けて考えてみる。
[第一部分]「答云 止観云 夫仏両説、(乃至)、取捨得宜不可一向等[云云]」
[第二部分]「汝が不審をば世間の学者多分道理とをもう。(乃至) 邪難をふせぐ」
[第三部分]「夫摂受折伏と申法門は水火のごとし。(中略)無智悪人の国土に充満の時は摂受を前とす。安楽行品のごとし。邪智謗法の者多時は折伏を前とす。常不軽品のごとし。(中略)。末法に摂受折伏あるべし。所謂悪国・破法の両国あるべきゆへなり。日本国当世は悪国か破法の国かとしるべし。」
 
[第一部分]は、止観・弘決・文句・涅槃経疏の引用箇所である。以下、これらの引用文の意味するところを述べる。
1『摩訶止観』引用文の意味
  止観云 夫れ仏に両説あり。一には摂、二には折なり。如安楽行に長短を称せざれと云ふが如きは是れ摂の義なり。大経に刀杖を執持し乃至首を斬れと云ふは是れ折の義なり。与奪途を殊にすと雖倶に利益せしむ等
 『止観』に記載の摂受折伏は、「如安楽行不称長短は是摂義」であり、「大経執持刀杖乃至斬首は是折義」である。前述したように「『安楽行品』で説く修行は摂受のことを意味しており、『涅槃経』で説く執持刀杖乃至斬首は折伏を意味する」という内容である。摂受・折伏を相対比較した場合、『涅槃経』の「刀杖執持、乃至、首斬」という表現は、法華経中のどの経文と比較しても、厳しい布教や受持の様態を示すものであり、そういう視点で相対比較すると、『法華経』は「摂受」であり、『涅槃経』は「折伏」となる。
 これは前述(第二章(二)注・1『法華玄義』の折伏)の「法華折伏破権門理」のところで触れた「法華経(折伏)、涅槃経(摂受)」と異なるが、次の『弘決』や『文句』の文で、「法華経・涅槃経にもそれぞれ摂折がある」と説かれ、『止観』、『弘決』、『文句』で記述されている文章の道理が通っていることが分かる。
    (補足)そもそも摂受・折伏は相対語である。自他、有無、善悪、勝劣、事理と同じように、摂受だけあるいは折伏だけが単独で存在するものではない。相対表現は相対比較するものによって、意味する内容が異なるのであり、仏教教学は種々の側面から法が説かれており、一側面から見ただけの概念で解釈できるものではない場合が多々ある。だから、「折伏=涅槃経」という固定的な認識は錯誤である。相対語は、どのような意味で使用されているか、前後左右の文章で意味を確認して解釈しないと、誤謬を犯すことになる。
    「摂受・折伏が相対語であること。折伏が暴力でないこと。および『法華経』『涅槃経』の摂受・折伏関係など」については、既に立正大学教授庵谷行亨師が指摘している。(『現代宗教研究』第三十八号・平成十六年「日蓮聖人における摂受と折伏について」)また同書には、第三十六回中央教化研究会議における今成師と立正大学教授伊藤瑞叡師の摂折論に関する講演録が掲載されている。披見されたい。
2『止観弘決』引用文の意味
  弘決に云く 夫れ仏に両説あり等とは、大経の執持刀杖とは、第三に云く、正法を護る者は五戒を受けず、威儀を修せず。乃至、下の文に仙予国王等の文あり。又新医禁じて云く 若し更に為すこと有れば、当に其首を断つべし。是の如き等の文、並に是れ破法之人を折伏するなり。一切経論此の二を出ず等(定遺六〇五頁)
 妙楽は、『涅槃経』にある「執持刀杖、乃至、断其首」、「仙予国王等」、「新医、首を断つ」の意味は、「破法の人を折伏すること」であると言い、「一切の経論には摂受折伏がある」と述べている。
3『法華文句』引用文の意味
  文句に云く、問う、大経は国王に親付し、弓を持し箭を帯し悪人を摧伏するを明す、此の経は豪勢を遠離し、謙下慈善なり、剛柔碩に乖く、云何ぞ異ならざらん。答ふ、大経は偏へに折伏を論す、一子地に住す、何ぞ曾て摂受無らん、此経は偏へに摂受を明す、頭を七分に破るとは折伏無きに非ず、おのおの一端を挙ぐるは時に適ふのみ。(定遺六〇五頁)
 ここの「大経は偏えに折伏を論ず、一子地に住す。いかんぞ曾て摂受なからん。この経は偏えに摂受を明せども、頭破七分という。折伏なきにあらず」の意味は、「涅槃経は折伏ばかりではない。住一子地とあるように摂受もある」というものである。「住一子地」とは、「如来からすると其中衆生悉是吾子であり、仏は衆生をわが子のように思われている」という意味であり、「法華経も摂受だけではない。頭破七分とあるように折伏もある」、と述べている。
 この『文句』の「各一端を挙ぐるは時に適ふのみ」(定遺六〇五頁)に後続して、天台は次のように言っている。
  おのおの一端を挙ぐるは時に適ふのみ。理は必らず四を具す、何となれば、時に適ひ宜しきに稱ふは即ち世界の意、摂受は即ち為人の意、折伏は即ち対治の意、悟道は即ち第一義の意なり。法門の釈を広ふせば、応に不動門不受門不行門を明すべし。(大正蔵経一一九頁a『国訳一切経』三八七頁)
 この文は前述(注)の「㈽『法華文句』の折伏」で示した文である。天台は、「時に適ひ宜しきに稱ふは世界悉檀」、「摂受は為人悉檀」、「折伏は対治悉檀」、「悟道は第一義悉檀」の意味であると述べている。ここの「理は必ず四を具す」という「理」とは何を意味するのであろうか。思うに、「大経(涅槃経)も此経(法華経)も、理においては四悉檀を具す」という意味であると推測される。もし、そうであるならば、『涅槃経』にも四悉檀があり、『法華経』にも四悉檀がある、ということになる。この解釈は、日蓮聖人が「四悉檀」について言われていることと合致する。
 『顕謗法鈔』には、
  摂論四意趣・大論四悉檀等は、無著菩薩・龍樹菩薩滅後の論師として、法華経を以一切経の心をえて四悉・四意趣等を用て爾前の経々の意を判なり。未開会の四意趣・四悉檀と開会の四意趣・四悉檀を同ぜば、あに謗法にあらずや。此等よくよくしるは教をしれる者なり。(定遺二七二頁)
とある(注1)。この御文は、『大智度論』『摂大乗論』は法華経を踏まえた上で敷衍した法門であるが、未開会経典(爾前権門)にも開会経典(法華経)にも四悉檀があり、麁妙の別があることを忘れて、四意趣・四悉檀を同一に見ると、正法誹謗になるという意味である。つまり、四悉檀は、爾前権経と『法華経』では義が異なる、ということを言われている。
  予が法門は四悉檀を心に懸て申すなれば、強に成仏の理に違わざれば且らく世間普通の義を用うべきか。(『太田左衛門尉御返事』一四九六頁)
  四悉檀をもって時に適うのみ。(『顕立正意抄』定遺八四二頁)
とある。この御文は日蓮聖人の教えは、法華開会を踏まえた「時にかない宜しきにかなうは即ち世界の意、摂受は即ち為人の意、折伏は即ち対治の意、悟道とは即ち第一義の意なり」の四悉檀、および「摂受・折伏」の二義が日蓮聖人の教えの中に含有されているということを示している。
 これは、『止観弘決』の「一切経論不出此二等」の文とも整合する。
4『涅槃経疏』引用文の意味
  今昔倶に嶮なれば、応に倶に杖を持すべし。今昔倶に平なれば応に倶に戒を持すべし。取捨宜しきを得て、一向にすべからず等(定遺六〇六頁)
 これは「平和な時は戒を持つ。平和でなければ杖を持つ。戒を持つか杖を持つかの取捨選択は、時と場合によって異なるのであり、どちらか一方に決められるべきものではない」という意味である。
 日蓮聖人は、このような天台、妙楽、章安の釈を根拠にして、聖人の教化法が、経文および天台・妙楽・章安釈にかなった教化法であることを説かれている。これらの引用部分は、「章安云 取捨得宜不可一向等。天台云適時而已等」の文を経て、「時機をしらず、摂折の二門を弁へずば、いかでか生死を離べき」(定遺六〇七頁)ということを述べるための、いわゆる日蓮聖人の教えにおける摂受・折伏の正しい理解と実践を説くための文証に相当する。
[第二部分]
  汝が不審をば世間の学者多分道理とをもう。いかに諌暁すれども日蓮が弟子等も此をもひすてず。一闡提人のごとくなるゆへに、先天台妙楽等の釈をいだしてかれが邪難をふせぐ(定遺六〇六頁)
 ここは、当時の世間の仏教界の常識的見解は、「楽(ねがっ)て人及経典の過を説かざれ。亦諸余の法師を軽慢せざれ」と、『安楽行品』のように修行するのが仏教者としての修行態度であるというものである。この常識的見解に対して、聖人が、「そうではない。摂受折伏は時による。謗法の時には折伏すべきである」ということを門弟にも示さんがために、聖人だけが主張する私義ではなく、天台・妙楽も既に述べている義である、と天台妙楽を引用する理由が述べられている。
[第三部分]
  夫摂受折伏と申す法門は水火のごとし。火は水をいとう。水は火をにくむ。摂受の者は折伏をわらう。折伏の者は摂受をかなしむ。無智悪人の国土に充満の時は摂受を前とす。安楽行品のごとし。邪智謗法の者多時は折伏を前とす。常不軽品のごとし。譬へば熱時に寒水を用、寒時に火をこのむがごとし。草木は日輪の眷属、寒月に苦をう、諸水は月輪の所従、熱時に本性を失。末法に摂受折伏あるべし。所謂悪国・破法の両国あるべきゆへなり。日本国当世は悪国か破法の国かとしるべし。(定遺六〇六頁)
 「夫れ摂受折伏と申す法門は・・・」以降は、摂受・折伏に対する日蓮聖人の見解が披露されている。[第一部分]で記載されている引用文について、今成師は「日蓮は折伏を解説するに当って、繰り返し涅槃経だけを引用してきた」と断言するが、この今成解釈は明らかに錯誤である。[第一部分]において引用された天台、妙楽の文には、『法華経』と『涅槃経』の摂受折伏が述べられており、聖人はこれらの引用文を全部踏まえた上で総括して述べられているのであって、「涅槃経だけを引用した」のではない。
 「常不軽品のごとし」について
  無智悪人の国土に充満の時は摂受を前とす。安楽行品のごとし。邪智謗法の者多時は折伏を前とす。常不軽品のごとし。(中略)末法に摂受折伏あるべし。所謂悪国・破法の両国あるべきゆへなり。日本国当世は悪国か破法の国かとしるべし。(定遺六〇六頁)
 この箇所で、「無智悪人の国土に充満の時は安楽行品のごとく摂受を前とする」ということは、『開目抄』の御文にあるから問題は無い。邪智謗法の者が多い時に行ずる折伏行とは、『不軽品』のごとき行を指しているか、『涅槃経』のごとき行を指しているか、それが問題である。
 なお、「常不軽品のごとし」という文が記載されていることについて、今成師は「聖人は常不軽品とは言われなかったので、後世の書き入れである」と断定していたが、『断簡三二一(定遺二九七六頁)』に「常不軽」の語があることが既に判明している。ここで問題にするべきことは、「常不軽品のごとし」の「常」の文字の有無などではなく、
(a)「不軽品のごとし」と見る場合、整合性があるのか、
(b)「涅槃経のごとし」と見る場合、整合性があるのか、
を道理で考えることである。
 では、まず,『安楽行品』のごとき「摂受行」とはどのような行なのだろうか。「開目抄・摂折問答部分」の[第一部分]の前文において日蓮聖人は「楽て人及経典の過を説かざれ。亦諸余の法師を軽慢せざれ」(定遺六〇五頁)と『安楽行品』の経文を示されている。『安楽行品』のごとき摂受行とは、「自分の方から進んで、諸経や邪法師の過失を説かない」ことを意味している。このことを念頭において、問題の箇所について検討してみる。
(a)「常不軽品のごとし」と解釈した場合
 『不軽品』では、どのような行が説かれているかというと、不軽菩薩は自分の方から、「我深敬汝等 不敢軽慢 所以者何 汝等皆行菩薩道 当得作仏」(我深く汝等を敬う。敢えて軽慢せず。所以はいかん。汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし)と発言して礼拝行をしている。
 この言動は、『安楽行品』の「楽(ねがっ)て人及経典の過を説かざれ。亦諸余の法師を軽慢せざれ」という行とは、かなり趣きが違う。
 不軽菩薩は明らかに自分の方から積極的に四衆に接近し、「我深く汝等を敬う。敢えて軽慢せず。・・・」と、「ことさらに往いて」説いている。この行為は四衆を瞋らせ杖木瓦石を受けることになる。それでも、遠くに住してなお声高に説く。このような行は四衆の過(とが)を自分の方から積極的に説いていることになり『安楽行品』で説く「長短を説かない修行」と比較すると、水火の相違である。
 『撰時抄』には、仏法は機を見て説くか、時を見て説くかの問答の中で、『譬諭品』『法師品』『安楽行品』の経文と、『不軽品』『勧持品』の経文を相対させ、「この両説は水火なり。いかんが心得べき」と問い、「答へて云く、天台云く、時に適うのみ。章安云く、取捨宜きを得て一向にすべからず等云云。」(定遺一〇〇四頁)と、『開目抄』と同じことを言われている。
 『開目抄』の「摂受折伏と申法門は水火のごとし」と、『撰持抄』の「この両説は水火なり」は、『安楽行品』と『不軽品』との教相が水火の相違であることを示す御文である。
 不軽菩薩の当時の四衆は二十四字に瞋恚するのであるから、不軽菩薩の時分は邪智謗法の者多き時分であり、聖人御在世の末法と状況はほとんど同じである。「不軽の跡を紹継するの故に、軽毀する人は頭七分に破れ、信ずる者は福を安明に積まん。」(『聖人知三世事』定遺八四三頁)と言われた日蓮聖人の言動とも符合する。
 また、「一代の肝心は法華経、法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり。」(『崇峻天皇御書』定遺一三九七頁)の御文もあり、「摂受は安楽品、折伏は不軽品」と、『法華経』の中での摂受折伏を比較して相対されたものと見ることは自然である。天台・妙楽等は『法華経』と『涅槃経』の相対比較をして、摂受・折伏を述べているが、聖人は、摂受・折伏の相対比較を了義経である『法華経』の『安楽行品』と『不軽品』を対比して示されたと見ることは理にかなう。よって「摂受行は安楽行品のごとき修行を意味し、折伏行は不軽品のごとき修行を意味する」ということは整合性があると言える。
(b)「涅槃経のごとし」と解釈した場合
 次にこの箇所を、「涅槃経のごとし」と見るとすると、「邪智謗法の者多時は折伏を前とす。涅槃経の経文の如く邪義を調伏する」という意味になる。ただし、折伏とは今成師が主張するような「折伏とは武力・暴力を意味する」という概念ではなく、ここでは「折伏とは教学的意味の破折を意味する」という正しい概念で考える。
 折伏を悪知識の対治という意味で「涅槃経のごとし」と見ると、『止観』の文字面だけは満足するが、『弘決』『文句』『涅槃経疏』を聖人が引用した意味は消滅してしまう。なぜならば聖人が天台・妙楽の釈を列挙された理由は、「法華経にも摂受折伏がある。涅槃経にも摂受折伏がある。末法にも摂受折伏はある。摂受折伏は時に依る。摂受折伏の時相応の区別を知って修行をしなければ成仏できない」ということである。
 言及するまでも無いことであるが、仮に、今成説のように「折伏は武力暴力の意味」という概念で解釈すると、武力を持たない行者は、折伏行はできないことになる。しかし、それでは、「邪智謗法の者多き時は折伏を前とす」の文は意味をなさない。また、「一切の経論この二を出でず」であるから、今成師が力説する『勝鬘経』にある摂受折伏も含めて、一切の折伏行は武力の背景が無い限り実践できないことになり、「一切の経・論・釈」で説かれる「折伏」は有名無実となる。もし、折伏行が有名無実ならば、摂受折伏は相対語なのであるから、必然的に摂受も有名無実になる。今成説には、このような自語相違がある。
 以上の点から、「涅槃経のごとし」というのは、『止観』の文の文字面は満たすが、『弘決』『文句』『涅槃経疏』を聖人が引用した意味が消滅するという理由で、整合性がすこぶる乏しいと言わざるを得ない。一方、「邪智謗法の者多き時は折伏を先とす。不軽品のごとし」と見ることは、教学的破斥を説く『不軽品』の教相とも符合し、『開目抄』の『止観』『弘決』『文句』『涅槃経疏』と聖人の御文の道理が通り、聖人が不軽菩薩を承継された発言や御事跡とも符号する。このように、仮に「常不軽品のごとし」の文が『開目抄』に無かったとしても、該当箇所は「不軽品のごとし」と見ることは、今成説よりも、はるかに整合性があると言える。
(注1)この『顕謗法鈔』の御文は、日蓮聖人が摂受折伏を法華経によって領解された証文である。今成師は「勝鬘経云 摂受 折伏」(定遺二九五五頁)」を根拠に、「日蓮は摂受折伏を勝鬘経から学んだ。」(『日蓮論の形成』二一五頁)と言う。しかし、同断片(定遺二九五五頁)には、『摂大乗論』の四意趣と『大智度論』の四悉檀の内容が記された後に「勝鬘経云 摂受 折伏」と書かれている。これは、爾前と法華の「四意趣・四悉檀・摂受折伏」は、「語」は同じでも「義」は異なることを聖人が門弟に教示するために記載された断簡であると認知する方が整合性がある。摂受折伏が相対語であることは仏教の初歩的常識であり、いずれにせよ、「聖人は摂折を勝鬘経から学んだ」とする今成説は、「法華最勝」、「了義経に依って不了義経に依らざれ」、「義に依って語に依らざれ」と常に法華経を基本にされた日蓮聖人の説に反する。
 (二) 『観心本尊抄』の「摂受・僧、折伏・賢王」の解釈について
[今成師の主張]
 今成師いわく、
  そこで明らかにしておかなければならないことは、秀れた宗教者は、その卓越した人格によって折伏を(間接的に)出現させる存在であり、折伏の(直接的な)実行は、神や為政者が担当するということです。この関係を日蓮は『観心本尊抄』の中で、(末法の世に裟婆世界に法華経を弘める菩薩は)、折、伏、を、現、ず、る、時は賢王と成りて愚王を誡責し、摂、受、を、行、ず、る、時は僧と成りて正法を弘持す。と正確に表現しています。(『今成論文・教団における偽書』一四〇頁)
[筆者の批判]
 「摂受・折伏」を「僧・賢王」とで相対して表現された御文の意味は、前述の「止観・弘決・文句の摂受折伏義」や「頭破作七分の考察」で述べた相対表現と同じ表現であって、固定的に解釈されるべきものではない。
 つまり、日蓮聖人は、法華経流布のための「摂受」と「折伏」を説明せんとするために、「僧」と「王」の有様の相違を以って説明されていると見るべきで、「折伏は王(在家)がするものである」とか、「摂受は僧に限る」という意味ではない。もし、「折伏は王(在家)がする」「摂受は僧がする」と固定的に解釈するならば、『開目抄』の「邪智謗法の者多時は折伏を前とす」の御文の意味は、「邪智謗法の者多時は折伏を前とする。折伏は在家がするものであり僧は折伏しない」という解釈をしなくてはならない。しかし、これでは理が通らない。日蓮聖人は四菩薩を「遣使還告」(『観心本尊抄』定遺七一六|七頁)と指摘し、「四菩薩が摂受折伏を行ずる(定遺七一九頁)」と言われている。これは、四菩薩が摂受折伏の化導によって『法華経』を広めることを意味し、この御文は、摂折を実践する主体は四菩薩なのであり、僧と在家が摂受折伏の役割を分担してことを示されているものではない。
 要するに、この『本尊抄』の「摂受・折伏」と「僧・賢王」の相対表現は、『止観』にある「摂受(安楽行品)、折伏(涅槃経)」と全く同じ道理で表現されたものであると考えるべきである。このように考えると、
  「僧も在家も、時に応じて、摂受・折伏をする」故に、
  「謗法破法の時国であるならば、僧も在家も折伏行をする」、
  「無知悪国の時国であるならば、僧も在家も摂受行をする」という意味になる。
 このような意味を前提にして、「摂受・折伏」の義を「賢王(在家)・僧(出家)」の相対語で表現された御文が『本尊抄』の「この四菩薩、折伏を現ずる時は賢王と成りて愚王を誡責し、摂受を行ずる時は僧と成りて正法を弘持す。」であると考えられる。このように見ると、この『観心本尊抄』の御文と、『開目抄』の「邪智謗法の者多時は折伏を前とす」や「末法に摂受折伏あるべし。所謂悪国・破法の両国あるべきゆへなり。日本国当世は悪国か破法の国かとしるべし。」の御文は支障なく道理が通る。
 (三) 不軽菩薩の行は折伏逆化ではないのか
[今成師の見解]
 今成師いわく、
  そのような次第ですから、『法華経』常不軽菩薩品の主人公で、あらゆる人の内に潜む仏性を拝み廻ったという不軽菩薩の営みが折伏行であるなどと、日蓮が考える筈は全くありません。『開目抄』の「邪智謗法の者の多き時は折伏を前とす。」に続くところの「常不軽品の如し」の一句が、日蓮以外の人物によって添加されたものであることは、思想・信仰の上から云って、火を見るよりも明らかなことであります。(『今成論文・教団における偽書』一四〇頁)
[筆者の批判]
 逆化や逆縁下種は、もともと、天台や妙楽の説であり、日蓮聖人は天台・妙楽に同意されて末法に適合した「逆化、逆縁下種、毒鼓の法門」を説かれた。
 毒鼓の縁とは、『日蓮宗事典』等によると、毒を塗った太鼓のことで、『涅槃経』の「譬えば人有りて雑毒薬を以て用いて大いなる鼓に塗り、大衆の中に於て之を撃って発せしむ。心聞かんと欲すること無しと雖も、之を聞いて皆死するが如し」が典拠である。毒の鼓は大衆の中で打てば、聞く者をして皆死に至らしめるという比喩である、と記されている。逆縁の衆生にとって法華経の聞法は、結果的に法華経誹謗となるが、その聞法と誹謗によって法華経と縁を結び、それが未来の成仏の種となる。これが逆化であり逆縁下種である。
 『観心本尊抄』に、
  末法の初、小を以て大を打ち、権を以て実を破し、東西共にこれを失し、天地顛倒せり。迹化の四依は、隠れて現前せず、諸天はその国を棄ててこれを守護せず。この時地涌の菩薩、始めて世に出現し、ただ妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ。因謗堕悪必因得益とはこれなり。我弟子、これを惟え。地涌千界は、教主釈尊の初発心の弟子なり(定遺七一九頁)
とある。ここにある「因謗堕悪必因得益」とは、妙楽の『法華文句記・釈常不軽菩薩品』に記載の文で、「逆化および逆縁下種」の典拠でもある。日蓮聖人『注法華経』の「不軽品」の箇所には、『文句記』のこの文と、『文句記』の元である『法華文句』の文が併記されている。毒鼓、逆化に関する天台、妙楽、日蓮聖人の文を(注)で示したので参照されたい。(注1)
 逆縁について日蓮聖人は、
  末法においては大・小、権・実、顕・密共に教のみあって得道なし。一閻浮提、皆、謗法となりおわんぬ。逆縁のためにはただ妙法蓮華経の五字に限るのみ。例せば不軽品のごとし。我が門弟は順縁、日本国は逆縁なり。(『法華取要抄』定遺八一六頁)
  かの不軽菩薩末世に出現して毒鼓を撃たしむるの時なり。(『曽谷入道殿許御書』定遺八九七頁)
  邪智謗法の者多時は折伏を前とす。(『開目抄』定遺六〇六頁)
 と言われており、不軽菩薩も日蓮聖人も逆縁の衆生を相手に毒鼓の説法をされたことが明示されている。
 要するに、不軽菩薩の行は逆縁の衆生に対する折伏逆化の行である。同様に、日蓮聖人は、信伏随従の門弟には順縁の教化を、謗法の逆縁の衆生に対しては、折伏逆化をされたのであって、このように、正法によって菩提を獲得する支障となる虚妄の観念を叩き破る教化法を「折伏」という。
 なお、渡邊寶陽先生古稀記念論文集『法華仏教文化史論叢』所収・「法華経のなかの「増上慢」」において、既に浅井円道博士は不軽菩薩の行が折伏行であること論述し、今成説を批判されている。披見されたい。
(注1)『法華文句』には、「問ふ、釈迦は出世して踟=cd=23b1して説かず、常不輕は一たび見て造次にして言ふは何ぞや。答ふ、本と巳に善有り、釈迦は小を以て而して之を將護したまふ、本と未だ善有らざれば、不輕は大を以て而して強て之を毒す云云。」(『国訳一切経』 四六九頁)とある。
    この天台の意味は、「釈尊は法華経をすぐには説かれなかったけれど、常不軽は「我深敬汝等 不敢軽慢 所以者何 汝等皆行菩薩道 当得作仏」と仏性があることを説いている。なぜか。」という問いに、「答える。釈尊在世の仏弟子等は、本と巳に善が有るので、小乗・権大乗と説法し蓄善を将護して引導したが、不軽菩薩の在世の四衆は、本と未だ善が有ることないので、不軽菩薩は実大乗の教えを以って、而して強いて之を毒する化導をした」というものである。
    日蓮聖人は、この天台の文を示して、「問うて曰く釈迦は出世して蜘=cd=23b1して説かず。今はこれいずれの意ぞ。造次にして説くは何ぞや。答えて曰く本已に善有るには釈迦小をもつてこれを将護し、もといまだ善有らざるには不軽大をもつてこれを強毒す等云云。釈の心は寂滅・鹿野・大宝・白鷺等の前四味の小大・権実の諸経・四教八教の所被の機縁、彼等の過去を尋ね見れば久遠大通の時において純円の種を下せしかども諸衆一乗経を謗ぜしかば三五の塵点を経歴す。しかりといえども下せしところの下種純熟のゆえに時至って自ら繋珠を顕す。ただ四十余年の間過去すでに結縁の者もなお謗の義有るべきのゆえに、しばらく権小の諸経を演説して根機を練らしむ。(中略)機根を知らずんば左右無く実経を与うべからず。今はすでに末法に入って在世の結縁の者は漸々に衰微して権実の二機皆ことごとく尽きぬ。かの不軽菩薩末世に出現して毒鼓を撃たしむるの時なり。」(『曽谷入道殿許御書』定遺八九六|七頁)と言われ、毒鼓の法門を説かれている。
    『注法華経』記載の『文句記』には、「問ふ。若し誘するに因って悪に堕せば、菩薩何が故に爲めに苦の因を作るや。答ふ、其れ善因無ければ、謗らざるも亦堕す。誘するに因って悪に堕せば、必す由、って益を得ん。人の地に倒れて還って地に從って起つが如し。故に正の謗を以って邪の堕を摂す」とある。
    この意味は、「問う。もし法を説くことによって、(菩薩の説法を)聞法した者が悪道に堕すというのならば、なぜ菩薩がそのような悪道に堕す原因である説法をするのか。答える。善因が無ければ、正法誹謗をしなくても悪道に堕ちる。聞法したことが原因で悪道に堕ちるが、必ずその聞法の下種という理由によって成仏の利益を得ることになる。人が地面に倒れて還って地面に従って起つようなものである。法華経誹謗によって悪道に堕ちるが、還って法華経を聞法したという縁により成仏する。」というものである。
    『法華文句』には、毒鼓について、「彼時四衆より下は毀者の果報をす、又二あり、先に得果を明す、後に古今を結す、毀者は善悪の両果を得、謗るが故に悪に堕す、佛性の名を聞く、毒鼓の力は善の果報を獲るなり。古今を結するに又二あり、初めに古今を結す。次に當知より下は、逆を挙げて以て順を顕はし、持を勧めて以て毀を遮す。経に大力有て終に大果を感ず、務めて當に五種の行を勤習すべし。」(大正蔵経一四一頁b、『国訳一切経』大東出版社 四七〇頁)とある。
    この意味は、「法華経を誹謗することは、成仏の正法を聞くという善の果と、成仏の正法を誹謗するという悪の果を得るにいたる縁であり、前者は順縁に、後者は逆縁に相当する。仏性の名を聞くという(成仏の法を聞法するという)毒鼓の力は修行により善の果報(仏道を精進し増道損生する果報)を獲得する。そして、妙法経力で境智冥合すれば即身成仏の大果を獲得する。だから務めてまさに五種の行を修行すべし」、という意味である。
   以上、長々と解説した理由は、天台、妙楽、日蓮聖人の御文に、毒鼓、逆化の法門が説かれていることを示すためである。
 (四) 法華経は折伏経典ではないのか
[今成師の主張]
 今成師いわく、
  『如説修行鈔』には、「法華は折伏にして権門の理を破す」という『法華玄義』の文言が再三にわたって引用され、それを典拠として、「今の時は権教即ち実教の敵となるなり。一乗流布の時は権教有て敵と成てまぎらはしくは実教より之を責むべし。これを摂折二門の中には法、華、経、の、折、伏、と申すなり。」といったことが繰返し説かれているのですが、日蓮の真蹟遺文類には、そのような発想は全く無く、『法華玄義』の「法華折伏破権門理」という成句の引用など『注法華経』にさえ一度も見られません。(略)『如説修行鈔』に強調されているような、思想や言論に関する折伏などは全く考えられていないのです。(『今成論文・教団における偽書』一四二頁)
 今成師いわく、
  そのために、『如説修行鈔』は、日蓮が唯一絶対のものとして信奉する『法華経』が権経の教理を破折する折伏経典であるということを強く主張し、『開目抄』の一節は、日蓮が理想的宗教者と仰ぐ不軽菩薩を、折伏本位の人であると特定しているのです。確かにその二件が証明されるならば、日蓮は間違いなく折伏本意の人であるということになるのですが、実は何れもが、日蓮の真撰遺文の内容とは違背するものであることが判明しました。(『今成論文・教団における偽書』一四五頁)
[筆者の批判]
 『如説修行鈔』に記載の「法華折伏破権門理」は『法華玄義』の成語であり、「如説修行」は経文の語である。『玄義』と経文の語を縦横に使用して『法華経』の修行を敷衍することが、なぜ偽書の理由になるのだろうか。聖人が他の御遺文においても経文からの引用で「如説修行」の語を使用しているという事実は、聖人が「如説修行」の語の使用を回避していない証拠ではあるまいか。しかも「法華折伏破権門理」は「法華最勝」と同義語であり、『法華経』を学ぶ者からすると、当然至極の成句である。このような短い句が『注法華経』に書かれてなくても不自然ではない。なぜ、今成師のような断定がいとも簡単にできるのか、甚だ不可解である。しかし今成師からすると、「日蓮聖人の折伏義は暴力であるから、法華折伏破権門理のような、思想や言論に関する折伏義は聖人の教えにはない」というのであろう。
 では、天台が言う「法華折伏破権門理」と日蓮聖人の教えは異なるのだろうか。まず、『法華玄義』の文の意味から検討する。天台は、
  法華は折伏して権門の理を破す。金沙大河の復た迴曲なきが如し。涅槃の摂受は更に権門の理を許す。おのおの因縁のために存廃異なりあり。然るに金沙百川の海に帰すること別ならず。(大正蔵経三十三巻七九二頁b)
と述べている。この文は、教えの義から見て、摂受と折伏を区別して表現している。
 「涅槃の摂受は更に権門の理を許す」という意味は、『涅槃経』は、蔵・通・別・円の四教を説く、という意味である。それに対して『法華経』は純円を説く。『涅槃経』は追説追泯の教えで、仏性常住を除けば、『涅槃経』は方等時と同じく四教を説く教えである。前四味はいうまでもなく四教を説く権経であるが、『涅槃経』も爾前に同じく四教を説くので、随自意の実教である『法華経』と相対比較すると、爾前経も『涅槃経』も随他意の権教である。
 「法華折伏破権門理」と同じ義を本門に立脚して解説された御文が、『開目抄』にある。
  本門にいたりて、始成正覚をやぶれば、四教の果をやぶる。四教の果をやぶれば、四教の因やぶれぬ。爾前迹門の十界の因果を打やぶて、本門十界の因果をとき顕す。此れ即ち、本因本果の法門なり。九界も無始の仏界に具し、仏界も無始の九界に備て、真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし(定遺五五二頁)
 この御文の意味は、『寿量品』で説く久遠実成の法門は、蔵・通・別・円の四教の因果、ならびに迹門の因果を打ち破って本因本果を説くということで、この本因本果の法門が十界互具・百界千如の一念三千説であるというものである。一方、『涅槃経』には本因本果は説いていない上に、蔵・通・別・円の四教を許す。四教を許すということは、四教の因果を「一往、認める」ということである。『法華経』は四教の因果を許さず、四教の因果を打ち破って本因本果の一念三千を説く。日蓮聖人は、
  一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり。龍樹天親知て、しかもいまだひろいいださず。但我が天台智者のみこれをいだけり。(『開目抄』定遺五三九頁)
  天台大師は弘通本迹始終。但本門三学未分明歟。(『下方他方旧住菩薩事』定遺二三二四頁)
  一念三千の出処は略開三之十如実相なれども、義分は本門に限。爾前は迹門の依義判文。(『十章鈔』定遺四八九頁)
と言われている。これらの御文は、天台の一念三千の法門は『寿量品』の開迹顕本を根拠としていることを示している。『開目抄』に「爾前迹門の十界の因果を打やぶて、本門十界の因果をとき顕す。此れ即ち、本因本果の法門なり。」とあるように、開迹顕本の本因本果の法門は、爾前迹門の始成の因果を打ち破って説かれる法門である。また「法華折伏破権門理」の法華とは、『法華経』二十八品を意味する。ゆえに、開迹顕本なくして「法華折伏破権門理」の真義は成立せず、開迹顕本と「法華折伏破権門理」は一体不離の関係にある。(注1)
 このように、教えの内容、すなわち、教えの義という視点で、『法華経』と『涅槃経』を相対比較すると、『法華経』は本無今有の権門の因果を破折する折伏経典である。一方、『涅槃経』は=cd=63d6拾教であり、権門の四教の因果を許すのであるから、方等時の『勝鬘経』『維摩経』『阿弥陀経』等と同等で、『法華経』と相対比較すると明らかに摂受経典である。『涅槃経』は法華・涅槃時として、第五時に配されるが、『法華経』と比較すると『涅槃経』は劣るから、『涅槃経』と区別して『法華経』は超八醍醐と言われる。このように、『法華経』と『涅槃経』が歴然と区別される理由は、『法華経』には久遠実成の顕本があるが、『涅槃経』にはそれが無く純一無雑の円教ではないということである。(注2)
 なぜ『法華経』が尊いのかというと、久遠実成の本因本果の法門、すなわち、一念三千の法門だけが成仏の教えであるからである。だから、日蓮聖人は、
  但天台の一念三千こそ仏になるべき道とみゆれ。(『開目抄』定遺六〇四頁)
  諸大乗経には成仏往生をゆるすやうなれども、或改転の成仏、一念三千の成仏にあらざれば、有名無実の成仏往生なり。(『開目抄』定遺五八九|九〇頁)
  法華経より外は仏になる道なし。(『撰時抄』定遺一〇五七頁)
と、『法華経』の一念三千の法門が、成仏の法であることを言われている。このような意味の御文は多々あり、特に『開目抄』や『観心本尊抄』には、一念三千の文字が頻繁に登場するが、それは一念三千の法門が、いかに重要な法門であるのかを物語っている。
 釈尊の悲願は、「毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身」である。この悲願のために一代聖教の転法輪が行われるのだから、一代聖教とは、四悉檀および摂受・折伏の二義によって説かれた速成就仏身のための教えであると言える。仏教の所詮は即身成仏であるが、爾前の教えでは煩悩の根本である無明を切ることはできない。『法華経』だけが、無明を切る成仏の教えである。このことを、日蓮聖人は、『諸経与法華経難易事』に
  外道の経は易信易解、小乗経は難信難解。小乗経は易信易解、大日経等は難信難解。大日経等は易信易解、般若経は難信難解なり。般若と華厳と、華厳と涅槃と、涅槃と法華と、迹門と本門と重々の難易あり。問うて云く、この義を知りてなんの詮かある利。答えて云く、生死の長夜を照す大灯、元品の無明を切る利剣はこの法門に過ぎざるか。(定遺一七五〇|一頁)
と言われている。要するに、『法華経』の教えだけが、元品の無明を切る成仏の法である。『法華経』以外では元品の無明を切ることができない、『法華経』以外では成仏できないから、『法華経』でなければいけない、と日蓮聖人は言われるのである。
 虚妄を真実と認識するのは、無明があるからであり、虚妄の観念に固執するから、正法でない誤った観念を正しいと錯誤する。虚妄の観念を固執する限り、他の説を聞こうとする気持ちや理解しようとする気持ちは起こらないから、折伏という化導法によって虚妄の固定的観念を打破する。「従地涌出阿逸多不識一人」とは、等覚の菩薩弥勒の元品の無明を意味しているのであり、『法華経』は、爾前権門の理を折伏して、虚妄の根源である元品の無明を叩き切る折伏経典である。爾前権門の教理である隔歴三諦を破り、即空即仮即中の円融三諦を説く法門が一念三千の法門であり、「法華折伏破権門理」によって顕れ説かれた法門が一念三千の法門である。『法華経』と他の一切経との教理の勝劣は、開迹顕本の有無である。だから、「法華折伏破権門理」は、法華最勝を因果の理で教示した『法華経』の魂とも言える成句である。
 
 以上、述べたように、折伏は武力暴力ではない。「開目抄の摂折問答部分」の解釈は、「法華経は摂受、涅槃経は折伏」また同時に「法華経は折伏、涅槃経は摂受」である。「法華経は摂受、涅槃経は折伏」と固定的に解釈されるべきものではない。「法華経にも涅槃経にも一切の経論にも摂受折伏はある」という意味である。
 ただし、因果の理から見ると、『法華経』は諸経中の王であり、成仏できない爾前権門の四教の因果の道理を破折するのであるから、そのような意味で、『法華経』は折伏経典である。
 「因謗堕悪必因得益」の箇所で引用した『観心本尊抄』の御文に、「末法の初、小を以て大を打ち、権を以て実を破し、東西共にこれを失し、天地顛倒せり。」(定遺七一九頁)とある。この御文は、今の日本国は小乗の(律宗)が大乗を打ち権教(念仏・禅・真言)が実教法華経を破ぶる状態である、と当時の権実雑乱の有様が述べられている。「(だから今末法の始めの)この時に地涌菩薩始めて世に出現し、ただ妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ。因謗堕悪必因得益」と、順縁の衆生には受持成仏の題目を、逆縁の衆生には下種結縁の題目を、地涌の菩薩が末代幼稚に服せしめると言われている。
 『如説修行鈔』にも「権実雑乱」を二度強調され、次のように言われている。
  然に正像二千年は小乗・権大乗流布の時也。末法の始の五百年には純円一実の法華経のみ広宣流布の時也。此時は闘諍堅固白法隠没の時と定めて、権実雑乱の砌(みぎり)なり。敵ある時は刀杖弓箭を持つべし。敵なき時は弓箭兵杖何かせん。今の時は権教即実教の敵と成るなり。一乗流布の時は権教ありて、敵と成りてまぎらはしくば実教よりこれを責むべし。これを摂折二門の中には法華経の折伏と申すなり。天台いわく、法華折伏破権門理と、まことに故あるかな。(定遺七三五—六頁)
 このように「法華折伏破権門理」は教学的破折であり、日蓮聖人の折伏は教学的破折であると理解することは、法華経教学から見ても、聖人御在世当時の布教の状況から見ても整合性がある。また『如説修行鈔』と『開目抄』に記載されている折伏義の説明部分は全く合致する。『如説修行鈔』には『開目抄』に記載の本因本果や一念三千義の解説は無いが、両書の述べられている内容は基本的にほとんど同じであり、『如説修行鈔』は『開目抄』の縮小版であると認知されうる関係にあると筆者は拝察する。
 また、謗法の人々を相手に法を説く場合は、折伏を前とするのは日蓮聖人の御判である。
 だから、日蓮聖人が、謗法の人々に対して逆化折伏という化導法で、信伏随従した人々には摂受という化導法で教化されたことは疑いない。だが、摂受・折伏は相対語であり、この相対語で表現するならば、日蓮聖人の教義も教化法も明らかに折伏である。しかも、事理の事という意味で、法華経の布教を見るならば、日蓮聖人は、釈尊、天台、伝教に比べて、より現実的な事の折伏をされたことは厳然たる事実であり、日蓮聖人の布教が破邪顕正の折伏であることは疑いない。
(注1)開権顕実と開迹顕本の一体不離については、たとえば、宇井伯寿著『佛教汎論』(六三四頁 岩波書店)、同著『印度哲学史』(二七六頁 一九三二年初版)
(注2)安藤俊雄著『天台学』七六|八一頁 平楽寺書店
 
おわりに
 今成師の研究方法は、日蓮聖人遺文の解釈を、当時の文学等の文献から得た概念で解釈するものである。この方法は文学書の解釈には使用できても、仏教教学の教理解釈に使用できる研究法ではない。もともと、日蓮聖人遺文の読解において使用されるべきではない世俗化した概念を使用して御遺文解釈をしたところに、今成師の基本的過失がある。
 個々人の主観は異なるのであるから、解釈の相違が生じるのはやむをえないが、今成師の主張において、筆者が強く不可解に思うのは、御遺文や天台・妙楽の文に対する今成師の信頼の程度である。
 日蓮聖人の主張される法華経第一は、天台大師の五時八教を根拠としている。経文解釈に際し、天台・妙楽の釈を多く引用されている事実は、聖人が天台大師や妙楽大師の言葉を、いかに信頼されていたかを示すものである。聖人は、釈尊・天台・伝教に御自身を加えられて「三国四師」と言われているが、釈尊と並び称する聖人御自身の自信もさることながら、天台大師に対する信頼の大なることを如実に示している。「日蓮は諸経の勝劣をしること、(中略)天台・伝教の跡をしのぶゆえなり。」(『開目抄』定遺五八九頁)とも言われている。天台大師の一念三千説なくして、日蓮聖人の『観心本尊抄』は説かれえず、したがって、「本門の三学」(『下方他方旧住菩薩事』定遺二三二四頁)や「天台・伝教のいまだ弘通しましまさぬ最大の深秘の正法」(『撰時抄』定遺一〇二九頁)を説くことも不可能である。逆化折伏や毒鼓の教説も、天台大師、妙楽大師、伝教大師(注1)、日蓮聖人のいわゆる三国四師等が説かれた法門である。
 ところが、今成師は、「日蓮の全く採用しなかった『法華折伏破権門理』の一句を敷衍することに終止しているから『如説修行鈔』は偽書である」と言い、「不軽行が折伏行である」とする『宗義大綱読本』の記載について、「この解釈は妙楽湛然が言い出したことでしょうけれども、本宗ではそれをずっと受け継ぐことになっていた」、「それから妙楽湛然になると、折伏が非常に多くなってきます。それで先走った言い方をしますと、日蓮聖人没後に湛然流の教学によって折伏本意の宗学が発達したということが言える」(『日蓮聖人の摂折観をめぐって』今成元昭講演録 季刊『教化情報』)第十号 日蓮宗東京西部教化センター 七|八頁)と述べておられる。
 このような御発言は、天台・妙楽釈を重視された日蓮聖人の教えに反する。聖人は「日蓮が法門は第三の法門也。世間粗如夢一二をば申ども、第三不申候。第三法門は天台・妙楽・伝教も粗示之未事了。所詮譲与末法之今也。」(『富木入道殿御返事』定遺一五八九−九〇頁)と言われ、天台・妙楽・伝教を尊重された上で、第三の法門を説かれたのである。天台の「法華折伏破権門理」の文を、引用回数を理由にいとも簡単に切り捨てるということは、今成師が天台・妙楽の釈を軽視されているからできることであると思われる。もし、天台妙楽釈を軽視するならば、日蓮聖人遺文の解釈においては重大な問題が生じる。
 天台三大部は『妙法蓮華経』の解説書である。天台の深い学識を認識するならば、この膨大で難解な三大部が存在することだけでも、『法華経』の摩訶不思議な難解さが分かる。なにより『法華経』の中に、即空即仮即中の三諦不思議の絶待妙を説く随自意の教えが含蓄されていると見抜き、『摩訶止観』で一念三千を説いた天台大師の教説は、われわれ凡智の及ばぬ領域である。
 その天台大師を絶賛された日蓮聖人の深く精緻な学識を認識するならば、今一度、尊敬と信頼の念をもって、聖人が引用された天台釈や妙楽釈を真面目に解釈して、日蓮聖人御遺文を拝読すべきではないだろうか。『法華経』の難解難入、難信難解の境界を解説したのが、天台三大部であり、日蓮聖人は、その天台の一念三千説に立脚して、出世の本懐である三大秘法を説かれたのである。
 教学とは、教えの学であるから、きわめて教条的なものである。(注2)
 そこが個人の主観を主張する芸術や、情勢の変化に応じて多様に変化する政治経済と大いに異なるところである。仏教に随方=cd=61b8尼(定遺二九二頁)という戒の法門がある。随方=cd=61b8尼とは、仏教の第一義を違えないならば、少々仏教の教えと相違しても、その国その時代の風俗を認めて良いという教えである。こういう戒の法門があるということ自体、仏教の第一義は違えてはならないという証拠である。そういう仏教の第一義において教学とは、自分勝手な解釈は一切許されない。
 つまり、仏教の第一義の目的である成仏に関する教えや修行について、日蓮聖人御自身が是非を決定されているものについては、既に聖人の判決は下されているのであるから御妙判に随うのは当然である。天台は『玄義』で「もし余経を弘むるには教相を明されざれども義において傷むこと無し。もし法華を弘むるには教相を明さずんば文義欠くること有り」と言っている。『法華経』の教相を、文字面だけで直訳解釈するような皮相な読みをすると、経文に表記された言語の意味も義も失うことになる。『法華経』は円融三諦であり、網の目のような整合性で説かれている。日蓮聖人や天台釈を指南にして、教相を明らかにして解読しなければ、相対語を駆使して説かれた純円一実の絶待妙の教えは解読できないのではないか、と筆者は思う。
 現代における布教について思うに、世界の人々に対して日蓮聖人の教えを説くのも大切であるが、むしろ、日蓮聖人の名を語り、実には、仏教や日蓮教学とは縁もゆかりも無い宗教が巷に存在している。看板は日蓮聖人の名を掲げているが、内容は聖人と無縁の教えに対して、「そういう教えは日蓮聖人の教えとは違う」と、その邪義を破折することは、日蓮聖人の教えを信奉する者の当然の行為である。「壊法の者を見て、すなわちよく駈遣し呵責し徴治せよ」とあるごとく、日蓮聖人の名を語る獅子身中の虫に対して破折しなければ、「もしこれら壊法の者を見て、呵責駈遣せざれぱ、当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり」である。無批判は仏法の怨、与同罪である。破法の時代に生きる者にとって破邪顕正の折伏行は出離生死のために絶対不可欠な行である。折伏することで、正法が守護されるのであり、邪法を邪法と知りながら、破折しなければ、正法を守護することはできない。正法の守護なくして未来の流布はありえない。
 現代における他宗との交流について思うに、日蓮聖人の教えが、まことの現世安穏後生善処の安楽を成就する唯一の法であると認識するならば、日蓮聖人の教えと異にする見解については、それは信仰の領域であるから、教義は教義で道理において正々堂々と、お互い真摯に法の勝利を求めて研鑽するように努力するべきである。
 しかし、社会奉仕や世界平和は信仰以外の領域である。だから、信仰を異にする人々と平和運動等に手を取り合って活動する事に、一体、何の異論があろうか。
 日蓮宗勧学職である今成元昭博士の御主張に対して、筆者のような末学が批判をするのは、まことに不遜の極みであると思うが、率直な意見を述べた。筆者から見て今成師は、見上げるような大木であり、大先達であられるので、今成師の御主張に対する批判は、礼を尽くした文章表現をするべきことは当然である。そのように努力したつもりではあるが主旨を明確にすることが肝要であると思い、このような文章表現になった。本論考において今成師に対し無礼があったとすれば、筆者の仏教ならびに日蓮教学に対する熱い思いの現れであるということで、ご容赦を願うものである。その上で、忌憚なきご意見を賜りたく、お願い申し上げる次第である。
(注1)「謗者開罪於無間。雖然於信者為天鼓 於謗者為毒鼓。信謗彼此決定成仏。」(『秀句十勝鈔』定遺二三八二頁)
(注2)『バウッダ・佛教』中村元・三枝充悳共著・小学館・昭和六十二年・三一一|三三〇頁
 

PDF版をダウンロードする