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現代宗教研究第40号 2006年03月 発行

本覚法門と現代仏教

 

研究ノート
 
本覚法門と現代仏教
 
(日蓮宗現代宗教研究所研究員) 小 瀬 修 達  
 
  本覚法門の成立から現代の日蓮門下の教理に与える影響までを、次の三節を以て論じてみる。
 一、本覚法門の成立では、本覚思想の起源から中古天台における本覚法門の成立、宗祖の本覚法門に対する見解を考える。二、宗門における顕本論の展開では、宗祖の顕本論に対する二つの解釈、事顕本・理顕本を軸として、宗門の流れを室町期から江戸末期まで俯瞰する。三、現代仏教における顕本論として、現代の仏教における本覚法門の影響を、日蓮宗、九識霊断、日蓮正宗について検証する。
 
 一、本覚法門の成立
 
①本覚思想の起源「大乗起信論」
 本覚思想の起源は、「大乗起信論」にみられる。本論は、六世紀 馬鳴菩薩著、梁国太清四年(西暦五五〇年)真諦三蔵訳とされ、主に華厳宗内で研究された。同宗の第三祖法蔵の「大乗起信論義記」等の註釈書がある。本編は、因縁分・立義分・解釈分・修行信心分・勧修利益分の五分により構成される。大綱を説く「立義分」では、「大乗」の「法」と「義」について説明する。「法」とは大乗の法体であり、大乗の本質を衆生の心として、衆生心を「一心二門」に分析して説明し、「義」とは大乗の意義であり、衆生心の本質を真如として、衆生が成佛し真如の全現した姿、すなわち佛の在り方(佛身論)を体・相・用の「三大」に分けて説明する。
 
・一心二門 衆生心
 
 衆生の日常心である「一心」を、「心真如門」(本質面)と「心生滅門」(現象面)の二門に分けて説明する。
 「心真如門」は、衆生心の真如(ありのまま)の相が、大乗の体(本質)であるとして、心が主客の分離から離れた状態を「心真如」と云い、自他・善悪・生滅等相対的対立の無い一法界、平等・絶対の本質面を説く。「大乗起信論義疏」(浄影寺慧遠撰)では、この心真如門の心真如相を第九識(無垢識)としている。
 「心生滅門」は、真如に無明が薫習することにより妄念が生じ、主客が分離して、自他の分別に始まる相対的差別相や時間の概念等となるとして現象面を説く。このように、真如が無明の縁に随い現象界を成立させる事を随縁真如と云う。また、真如に無明が熏習することは、不生不滅の「如來蔵」(真如が煩悩に覆われた状態)と生滅の無明が和合して非一非異の状態にある「阿梨耶識」(真妄和合識)であり、ここより現象界が生じるとする。「阿梨耶識」には覚(本覚・始覚)・不覚の二義があり、衆生心が無明妄念の「不覚」の状態から、修行により如來蔵の煩悩に覆われた真如が徐々に現れてゆく段階が「始覚」であり、無明煩悩を完全に断じ真如の全現した状態が「本覚」(衆生心に本来備わる覚り)に同じるものとする。したがって、この真如の全現した本覚において心真如の本質界に帰一し成佛するのである。この様に真如が衆生の内から覚…智慧として働きかける事を「内熏」といい、外から佛菩薩として現じて導く事を「外熏」という。
・三大佛身論
 大乗の「義」について、一心二門で示された大乗の体である心真如は、佛身としては法身であり、この佛の在り方を佛身論として体・相・用の「三大」に説く。「体大」とは、佛の本体である真如=法身であり、法身は一切法に偏在する故に、真如門・生滅門、衆生・佛とも平等に真如が備わるとする。「相大」とは、法身に備わる諸徳(智慧、慈悲等)すなわち「性功徳」であり、衆生心に内在する法身である「如來蔵」にこの「性功徳」が具足する事を説く。「体大」と「相大」は、それぞれ法身佛の理と智を表すが、この理智不二法身が「方便身」として世間に現れて衆生を救済(利他)する報身と化身(応身)の作用を「用大」(真如の外熏、用熏習)という。
 
②真言密教
 弘法大師空海(七七四〜八三五)は、「釈摩訶衍論」(大乗起信論の註釈書)を用いて真言密教を理論化した。「十住心論」「弁顕密二教論」「即身成仏義」等。教相においては「三大」の「体大」に六大無礙、「相大」に四曼功徳、「用大」に三密加持をそれぞれ配した。「体大」では、大日法身の体は六大(能生)であり、地水火風空は理、識は智を表す。万物(四種法身・曼荼羅・三種世間)はこの六大により構成される(所生)故に、大日如来と衆生は本来不二平等である(理具成佛)とし、「相大」では、六大随縁の相を四種曼荼羅に分類して十界を説明し、四曼の功徳を自身に顕現する顕徳成佛を説き、「用大」では、三密加持(法身・衆生の三密相応)による即身成佛(加持成佛)を説いた。この理具・顕徳・加持成佛を三種即身成仏という。
 兩部曼荼羅おいて本尊大日如來(法身)の「智」を「金剛頂経」所説の「金剛界曼荼羅」に、「理」を「大日経」所説の「胎藏界曼荼羅」に配することから、実質的には「起信論」の理智不二法身によって理論化されたものと考えられる。また、佛身論である四種法身(報身・応身も全て法身とみなす)において、自性身(法身)から自受用身・他受用身(報身)、変化身・等流身(応身)が生ずる説も、「起信論」の理智不二法身から報身、化身(応身)を生ずる説と同系統の佛身論である。
 兩部曼荼羅における理・智の配当は、東密・台密共通であり、「智法身・金剛界曼荼羅」は、大日如来の智徳を示し、如來が悟りの世界(果)を示す為に菩薩となり、修行して金剛界如來となる過程(従因至果)を表した曼荼羅で「始覚」に配される。「理法身・胎藏界曼荼羅」は衆生本具の理性を示し、衆生の内(心臓)に具する法身を曼荼羅中央の中台八葉院(八葉九尊)として如來の慈悲・智慧が中央から外界の六道へと向けられる様(従果向因)を表した曼荼羅であり、衆生に内在する法身を説くことから「本覚」に配される。
③中古天台〔中古…平安末期から江戸時代中期〕
 天台宗は、伝教大師以降、円仁、円珍が入唐求法して密教を伝え、五大院安然の代に東密が導入された。以降、密教中心の教理が続いたが、叡山中興一八世慈慧大師良源(九一二〜九八五)の代に論議制度を立てて法華円教(顕教)の宗旨を再興した。この門下に慧心院源信・檀那院覚運の二師が出て顕密合談の学風を興し、以来、慧心・檀那両流の下で密教の金胎両部に基づく本覚の教理と天台の法華経本門の教理が融合して中古天台における本覚本門の教理が成立した。
 密教と天台学との融合の先駆けは、智証大師円珍が「顕密一如本佛義」において法華経本門の無作三身(釈迦牟尼佛)と大日如来を同一視し、本門三佛(身)を金剛界の事佛、迹門三佛を胎藏界の理佛としたことに始まる。中古天台においては、胎藏界の衆生に内在する覚りを意味した「本覚」が、本覚佛として金剛界の法身自体の覚りを表す語となり、金剛界・本門に従果向因本覚、胎藏界・迹門に従因至果始覚が配され、本覚佛の無作三身を本地佛とした本覚本門思想の成立となった。
 
  起信論 真言 中古天台
  理智不二法身→大日如来→無作三身
              法華本門
 
 慧檀両流の由来や思想上の相違について説かれる最古の文献は、「漢光類聚抄」(平安末〜鎌倉初期成立)である。この書によれば、伝教大師が入唐求法の際に道邃・行滿二師より相承した二箇の法門(宗旨…天心独朗観・三千三観—観心、宗教…四教五時本迹等—教相)が円仁に授けられ、以来歴代座主に相伝したが、良源の代に弟子の慧心院源信と檀那院覚運へ別々に相承され、源信には二箇の法門、特に宗旨(観心)を、覚運には宗教(教相)のみを伝え、以降、慧檀両流に分かれて相伝されたとする。宗祖においても「檀那僧正は教を伝ふ、慧心僧都は観をまなぶ」と「四条金吾殿御返事」昭和定本六三四頁にある。
 以後、中古天台の文献「天台名匠口決抄」「玄義私類聚」「止観の見聞添註」等は、いずれもこの説を踏襲し、加説したものであり、次の様な配当がみられるが、これ等は慧心流の相伝であり、実際は、慧檀両流とも同一傾向、同程度の口伝主義の本覚思想とされる。
 次に、慧檀両流の実際の思想内容を、教判、教理、観心、口伝、の四項目に分けて説明する。
 
・教判 三種法華・四重興廃
 主な教判には、三種法華・四重興廃の二形式が挙げられる。三種法華とは、根本法華(佛の内証)・隠密法華(法華経以外の一切の教)・顕説法華(経文上に唯一佛乗と説く実際の法華経)の三種であり、法華経の開会に基づき、一切の教を法華経に帰一させる絶待教判である。四重興廃とは、爾前・迹門・本門・観心の四重を立て、前劣後勝に相対させ、最後に本門本地佛の無作三身(教相)と観心を相対させて、観心の止観を最勝とする観心主義の相待教判である。
 
・教理 本覚本門
 教理内容は本門思想に立脚し、本迹二門の浅深勝劣を区別し、寿量品極説の無作三身を本門の体とするものであり、四重興廃の中では第二重の本門と迹門の相対がこれに該当する。実際の内容は、次に示すものであるが、事理・色心等を相対させ、無作三身の顕現である現実相を絶対肯定し、凡夫即佛を説く。
 本門の発迹顕本には、「事顕本」と「理顕本」の二種がある。事顕本とは事成顕本であり、寿量品所説の五百億塵点劫の譬えに示された教相上の久遠実成の佛の顕本である。理顕本では、文上・教相に説かれる久遠実成を仮設とし、文底・観心の理本覚、無作三身を本地佛として顕本する。
 中古天台における本覚思想の原理を、次の図を参考に説明してみる。「本覚」の語源となる「大乗起信論」の一心二門の内、心生滅門(現象界)…阿梨耶識(真妄和合識)の覚(本覚・始覚)・不覚の二義の中で説かれる、衆生に内在する本来的な覚りが「①本覚」であったが、中古天台では、「②本覚真如」として心真如門(本質界)における根本原理の真如・法身を表す語となり、現象界を、この本覚真如・無作三身の③顕在化として観ずるのである。これを観心として「天心独朗観」等という。本質界の真如の不変性を「不変真如」、現象界の真如の随縁性を「随縁真如」といい、中古天台では、迹門に「不変真如」、本門に「随縁真如」を配する。また、本質界…文底・観心、無作三身の顕本が「理顕本」、現象界…文上・教相、久遠実成の顕本が「事顕本」となる。
・観心 天心独朗観・本門事観
 森羅三千(心生滅門—現象界)全ての存在は、②本覚・無作三身(心真如門—本質界)の表れ振舞(③顕在化)と観ずる(前図参照)。この無作三身の境地(凡夫即佛佛即法界)を自覚する一念を「天心独朗観」・「本門事観」等と云い、中古天台における止観の正行とする。四重興廃で選択された観心行である。 
 
・口伝 慧心・檀那両流の口伝法門
 前に教判・教理・観心で示した内容を、口伝法門とする。種類・形式が複雑多様であり、奥儀として、慧心流—三重七箇の大事、檀那流—玄旨帰命檀の伝授、いづれも一心三観、無作三身が主体的内容であり、一心三観を修行して無作三身を證得し、自受用本佛となる主旨である。
 
○中古天台の実情
 
 宗祖「立正観鈔」昭和定本八五〇頁
「当世の天台宗の学者は、天台の石塔の血脈を秘し失う故に、天台の血脈相承の秘法を習い失つて、我と一心三観の血脈とて我意に任せて書を造り、錦の袋に入れて頸に懸け、箱の底に埋めて高直に売る故に邪義国中に流布して、天台の佛法を破失せるなり。天台の本意を失い、釈尊の妙法を下す。」 
 文の通り、道邃より伝教大師へ伝授された正統な血脈は絶え、偽造した複雑多様な血脈が高額で売られ、これが全国に流布した為に天台宗全体の荒廃を招いたとしている。
 
「官職といはず、學問文芸といはず、すべてが世襲の株となつて、たゞ傳授の形をのみ尊び、門流學閥の競争を事とすることは、少くとも平安末期より鎌倉時代に至つて、やうやく著しくなつた所である。況や、僧侶の妻帯、血統相續のごときも、またすでに平安朝以來著しくあらわれてきて居る。(中略)
 傳授料を出ださざるに於ては、決して一流の大事、秘傳血脈を相傳すべからずとなして、公然これを売買せらる々に至つては、即ち口傳法門そのものが商品化し、また同時にそれが各門流の経済生活をうるほし、その財政を支持する一箇の株となつて、完全にその私有財産化したことは争へない事實である。」
「日本佛教の開展とその基調下」八一、八九頁 
 この様に、口伝血脈の世襲・売買、偽書の濫造、僧侶の妻帯等が生じ、行学の廃頽を起したのである。
 
④日蓮聖人
 
 「開目抄」昭和定本五四九頁
「当世も法華経をば皆信じたるやうなれども、法華経にてはなきなり。其故は法華経と大日経と、法華経と華厳経と、法華経と阿弥陀経と一なるやうをとく人をば悦で帰依し、別々なるなんど申人をば用ず。たとい用れども本意なき事とをもへり。」 
 法華経と大日経・華厳経・阿弥陀経とを一つにしたものが、中古天台本覚思想である。佐後の宗祖は、本覚思想の影響(本門事具一念三千等)を受けつつも、口伝血脈を否定し、大日経・華厳経・阿弥陀経等爾前諸経の影響を受けたもの(無作三身等)を排除した。中古天台の理本覚の凡夫即佛に対し、題目受持をもって人界具佛界を認め、本門事の一念三千、即身成仏を説く。
 中古天台と宗祖との相違点を、a佛身論、b無作三身、c佛界と現実世界、d口伝法門、e教判の各面から検証してみる。
 
 a佛身論
 
 ・真言(理智不二)法身為正大日如来
 
 真言宗の大日如来は、「起信論」の理智不二法身を基に理論化された佛である。「起信論」の佛身論である「三大」(体大…理・相大…智・用大…利他)の内、法身佛は、体大(理)・相大(智)を具えた理智不二・無始無終の存在として本質界に在り、これを本体として現象界に報身・化身(応身)を方便身として顕現させる(用熏習)が、真言では全てを法身とみなして、自性法身(理智不二法身)を本体として受用法身(報身)…自受用・他受用、変化法身(化身)…変化・等流として出現する。両者は同系統の佛身論であり、法身佛自体に智慧・功徳が「性功徳」として本来具足しているところが特徴である。
 ・中古天台(理顕本)法身為正無作三身
 智証大師円珍は、「顕密一如本佛義」において、法華経本門の無作三身(釈迦牟尼佛、当時の無作は円教の意)と大日如来を同一視し、本門三佛(身)を金剛界の事佛、迹門三佛を胎藏界の理佛に配した。これにより、無作三身と大日如来は二佛同体となった。以後、中古天台では法華中心となったが、密教の理を持つ法身為正の無作三身が法華経の本地佛となった。理顕本において文上久遠実成の佛を迹佛として文底無作三身を本佛としたことは、実質的には天台の三身説を仮説として、密教の理智不二法身を本佛としたこととなる。
 
  起信論    真言   中古天台
  理智不二法身→大日如来→無作三身(本地佛、分身散体して一切の仏を生じる)
              法華本門
 
  (理顕本)無作三身  →(事顕本)久遠実成三身
      |
  (理智不二)法 身  →(方便身)
 
 ・天 台(事顕本)報身為正  久遠実成釈迦牟尼佛
 
「法華文句」九下、壽量品一六、大正蔵経三四、一二九a
「此の品の詮量は、通じて三身を明かす。
若し別意に従はば、正しく報身に在り。何を以ての故に義便に文會す。
義便とは、報身の智慧は上に冥じ下に契うて三身宛足す、故に義便と言う。
文會とは、〔我れ成佛してより已來、甚だ大に久遠なり。〕
故に能く三世に衆生を利益したまうと、所成は即ち法身、能成は即ち報身、
法と報と合するが故に、能く物を益す、故に文會と言う。
此を以て之を推すに、正意は是れ報身佛の功徳を論ずる也。」
 
 本門寿量品所説、久遠実成の釈迦牟尼佛は、本時成道において報身の智慧が法身の理境を証して、「法と報と合する」(境智冥合)ことによって成立した佛である。
 三身即一の佛身の中心は報身佛であり、報身佛の智慧は、上は法身佛(境)と境智冥合して一体となり、一佛乗の真理を体現し、下は応身佛の智慧となって衆生を利益する。すなわち、三身即一の内、報身智が主体となって久遠の教化活動(「三世に衆生を利益したまう」)を行ってきたのである。故に、報身為正である。宗祖の佛身論も同説である。
 
      法 身(理境)
  久遠実成 →冥合    →応 身
      報 身(智慧)
 
 ・日蓮聖人(事顕本)報身為正 久遠実成釈迦牟尼佛
「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」 昭和定本七一一頁
「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与えたもう。」
 
「法華玄義」一上、七番共解一票章(宗玄義)、大正蔵経三三、六八三a
「宗とは要也。所謂る佛の自行の因果を以て宗と為す也。(中略)
 意を取て言を爲さば、因は久遠之實修を窮め、果は久遠之實證を窮む。」
 
 妙法五字の功徳内容は「釈尊の因行果徳の二法」であり、この二法は、「佛の自行の因果」すなわち、佛が自ら修行して得た因行果徳であるから報身佛の功徳である。「因は久遠之實修を窮め、果は久遠之實證を窮む」。この報身佛成道の「實修…因・實證…果」を以って、妙法五字の功徳とするのである。これに対し、「起信論」の理智不二法身は、無始無終の法身佛自体に智慧・功徳が「性功徳」として本来具わっているものであり、報身佛の因行果徳に基づく功徳ではない。したがって、この理智不二法身を基とした無作三身からは、「釈尊の因行果徳の二法」という功徳概念は生じ得ない訳である。
 
 b無作三身…理顕本
 
 昭和定本正編では、「三大秘法鈔」「授職灌頂口伝鈔」「教行証御書」「当体義鈔」に無作三身の語(最澄の「守護国界章」の無作三身説は別意の為除く)が見られるが、五大部等主要遺文は事顕本の佛であり、無作三身の説が見られないことから、宗祖の本意としては事顕本の久遠実成の佛、対機説法として無作三身も説かれたと考えられる。また、室町期の日興門流の成立(執行海秀説)とされる「御義口伝」上下巻には、二十一ヶ所見られる。
 
 c佛界と現実世界
 
・天 台・日蓮聖人…娑婆即寂光(相即論) 
 
「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」昭和定本七一二頁
「今本時の娑婆世界は、三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり。仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず、所化以て同体なり。此れ即ち己心の三千具足、三種の世間也。」
 娑婆世界(現実世界)と常寂光土(円教法身浄土)の相即、法身は娑婆世界に遍満している境であり、報身智が境智冥合してこれを証した時(久遠実成)、娑婆即寂光の浄土が認識された。衆生においては、妙法五字を唱題受持する時、この娑婆即寂光の「常住の浄土」が認識される。
 
 ・真 言・中古天台…真如随縁(縁起論)
 
 法身佛の世界である「心真如門」の本質界と、現実世界である「心生滅門」の現象界の二面に分け、「心真如門」の本質である真如が随縁変動して「心生滅門」の現象界を顕現していると説く「随縁真如」に立脚し、(心真如門)本質界の大日如来・無作三身(本覚)が(心生滅門)現実世界へ流出、顕現すると説く。特に中古天台では、現象界の一切を本覚・無作三身の顕在と見て凡夫即佛を説く理本覚である。
 d口伝法門…不変真如・随縁真如
 
 心真如門(本質界)における真如の不変性(不変真如)、心生滅門(現象界)における真如の随縁性(随縁真如)であり、中古天台では、不変真如を迹門、随縁真如を本門に配する。
 日蓮聖人は、「立正観鈔」昭和定本八四九頁に説かれている。
 「問う、天台この一言の妙法これを証得したまえる証拠これありや。
 答う、この事天台一家の秘事なり。世に流布せる学者これを知らず。灌頂玄旨の血脈とて、天台大師自筆の血脈一紙これあり、天台御入滅の後は石塔の中にこれあり。伝教大師御入唐の時、八舌の鑰を以てこれを開き、道邃和尚より伝受したもう血脈とはこれなり。この書に云く、一言の妙旨、一教の玄義と文。伝教大師の血脈に云く、夫れ一言の妙法とは、両眼を開いて五塵の境を見る時は随縁真如なるべし。両眼を閉じて無念に住する時は不変真如なるべし。故にこの一言を聞くに万法茲に達し、一代の修多羅一言に含す文。」
 文の通り、道邃より伝教大師へ伝授された「灌頂玄旨の血脈」における「不変真如・随縁真如」の説を紹介している。中国天台宗第六祖妙楽大師は、「金剛=cd=63b7論」に天台宗として初めて「起心論」の不変真如・随縁真如を引用し、以降、天台の教理に用いられるようになった。妙楽大師の弟子である第七祖道邃和上より伝授されたとする真如随縁不変の血脈もこの様な事柄が背景にあると考えられる。
 「当世の天台宗の学者は、天台の石塔の血脈を秘し失う故に、天台の血脈相承の秘法を習い失つて、我と一心三観の血脈とて我意に任せて書を造り、錦の袋に入れて頸に懸け、箱の底に埋めて高直に売る故に邪義国中に流布して、天台の佛法を破失せるなり。天台の本意を失い、釈尊の妙法を下す。」     「立正観鈔」昭和定本八五〇頁
 このように、宗祖は、正統な「灌頂玄旨の血脈」はすでに絶えて実在しない(「天台の石塔の血脈を秘し失う」)と述べられ、他の口伝法門は我意に任せて偽造された事実を挙げ、血脈相承を否定されている。また、この事により、天台宗全体の荒廃を招いたとしている。前に中古天台の項目で示した無作三身や不変真如・随縁真如等中古天台の口伝血脈の内容を表す用語が五大部等主要御遺文中に見られず、御遺文正編全体においても少ない点からも、血脈相承の否定、批判から、その内容の否定に至ったと考えられる。
 不変真如・随縁真如の説は、昭和定本正編には、この御遺文のみ。また、室町期の日興門流において成立したといわれる「御義口伝」上下巻には、随縁真如の語は六ヶ所見られる。ことに、迹門—不変真如、本門—随縁真如の配当が多く見られる。
 
 e教判
 
 「観心本尊抄」四種三段の第四本法三段や、「開目抄」五重相対の第五教観相対は、本門寿量品文上の久遠実成の説相(教相)に対して、寿量品の文底観心である妙法五字を選択する教判である。「観心本尊抄」に「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。」とあるように、文上久遠実成釈迦牟尼佛(事顕本)の功徳が文底(内証)の妙法五字の功徳となるのであり、末法の観心としての妙法五字は事顕本の佛の功徳に他ならない。故に、文上・文底の相対は表裏一体の関係にあり、文底観心も事顕本の範疇にあるのである。よって、中古天台の四重興廃とは異なる見解である。この文上・文底の相対を中古天台の佛身論に置き換えて、本門寿量品文上の久遠実成の釈迦牟尼佛(事顕本)を迹佛とし、文底観心の佛として無作三身を本佛としたものが、日蓮門下における理顕本である。
 
二、宗門における顕本論の展開  室町期〜江戸末期まで
 
室町期の宗門…中古天台心酔時代
 天台宗の円頓房尊海は、永仁四年(一二九六年)武蔵国仙波無量寿寺(八三〇年慈覚大師円仁開基、現川越喜多院)を伏見天皇の勅許を得て中興、正安三年(一三〇一年)後二条天皇の綸旨により、坂東五百八十ケ寺を末寺とする関東天台宗総本山(仏地院…無量寿寺中院)となり、関東天台教学の拠点寺院(仏地院…中院、仏蔵院…北院)としてその徒である仙波門徒が慧心流天台学を学んだ。当時、圓明日澄・平賀日意・身延日朝・日意・日伝を始とする日蓮門下も仙波で慧心流天台学を学び、各門流に中古天台の影響を与えた。同時に慧心流三重七箇をはじめとする口伝相承が、宗門内にもたらされた。
 
 関東天台に影響を受けた日蓮門下の教学(関東教学)は、教団の関西進出に伴い、関東の学者により京都の門流の教学へ移植され、京都が教学の中心の地となった。室町期における各門流の学者による顕本論を理顕本・事顕本に分けると、次の様になる。
 
  ◎理顕本
  身延日朝   身 延  一 致
  正行日源   中 山  一 致
  平賀日意   比企谷  一 致
  妙顕寺日具  四 条  一 致
  妙覚寺日住  四 条  一 致
  本成寺日陣  陣 門  勝 劣
  大石寺日有  富 士  勝 劣
 
  ◎事顕本
  圓明日澄   六 条  一 致
  慶林日隆   八 品  勝 劣
  承慧日修   真 門  勝 劣
 
 以上の様に室町期の教学は、一致派・勝劣派ともに無作三身を本佛とする理顕本が主流であり、この傾向は南北朝より台頭し、室町時代に入って最盛期を迎えたものであった。
 
 一致派の理顕本は、基本的に中古天台の理顕本と同様であり、寿量品文上(能顕)の久遠実成の佛を迹佛とし、文底観心(所顕)の法身為正の無作三身を本佛として、凡夫即佛の立場をとる理本覚であった。
 八品派慶林日隆の事顕本は、寿量品所説の久遠実成…報身佛の実修実証による成道(報身為正)であり、五百億塵点劫の有限性(有始)に対し、成道を繰り返すこと(繰返顕本)により無始無終の永遠性を説いた。種脱判を用いて本門正宗分の寿量品一品二半を釈尊在世の脱益に、流通分の神力品結要附属を中心とした本門八品(涌出品〜嘱累品)を釈尊滅後の下種益として本因妙下種の行を説いた。また、寿量品一品二半の法体を絶待妙、本門八品を相待妙に配し、末法下種の立場を絶待妙上の相待妙とし、その体を一とした。
 関東教学を母胎として成立した京都の教学は、天文法難(一五三六)後、その中心を泉南(堺)に移した。堺妙国寺の佛心日=cd=4ad0が三光無師会を開き、天台三大部を講義し、その門下の一如日重は、受派の立場から豊臣秀吉の千僧会出・不出問題(一五九五)で不受派の妙覚寺日奥と対立、日重の勝利を契機として関東・関西の一致派教団の大部分が日重門下に帰していった。この対立は教学的には、日重の天台学(原始天台)中心、開権顕実の絶待判(開会)に立脚した通仏教的な関西教学と、不受派日奥の廃権立実の相待判(教判)に立脚した折伏主義である旧関東教学との対立でもあった。後に、両者は観心論において趙宋天台(趙宋時代、四明智礼が山家派の中心となり原始天台復帰運動を起こし、華厳化した山外派の教理と対立)の一念三千の一念を悟りの真心とみる山外派を支持する受派と、一念を凡夫の妄心とみる山家四明派を支持する不受派との対立となった。
 
 
 関東においては、日重門下の心性日遠の一門によって、身池対論(一六三〇)を挟んで、飯高・中村の各檀林の学閥である法類が形成されていった。日要・日耀・日祐の門下は飯高檀林の学閥を形成し、江戸後期には、松和田谷(総称勇師法類)の通師法類・潮師法類、中台谷の脱師法類、城下谷の池上三法類(中道庵・樹下庵・妙玄庵)・堺法類となり、身延・池上等の継承者を出した。日逹・日暹・日護門下は中村檀林の学閥を形成し、東法眷の境師(玉澤)法類・逹師法類、西法眷の奠師法類・莚師法類となり、妙顕寺・本圀寺・玉澤妙法華寺等の継承者を出した。小西檀林は不受派の化主守玄日領の流罪後荒廃したが、日寛により中興され、法脈から小室妙法寺・茂原藻原寺等の継承者を出した。
 天台学偏重の檀林教育から宗学の復興を目指した一妙院日導(一七二四〜八九)は、『祖書綱要』を著したが、顕本論においては、寿量品文上の久遠実成の佛を迹佛とし、文底観心の無作三身を本佛として凡夫即佛の立場をとる中古天台的な理本覚、理顕本であった。
 優陀那日輝(一八〇〇〜五九)は、『綱要正議』を著し、日導の『祖書綱要』の理本覚に立脚した教理の修正を試みた。すなわち、現実の衆生をそのまま無作本覚佛の顕れと見る凡夫即佛の理本覚、法身為正の教理から、佛智を妙法の体として佛智の体得を行(信心正因、三業一致)とする佛智為本の教学へと改めたが、本尊は久遠実成本有無作の本佛であり、理顕本の範囲内での修正であった。日輝教学は、門下である日薩・日鑑・日修等によって継承され、現代教学の起点となり、以降、文献学の進歩等による批判・修正を踏まえて、今日の教学(事顕本)へと至る。また、『充洽園礼誦儀記』が『宗定日蓮宗法要式』に引用され、今なお影響を与えている。
 
 
三、現代仏教における顕本論
 
①日蓮宗の本尊
 日蓮宗の本尊である佛は、「日蓮宗宗義大綱」に、
 「本門の本尊は、伽耶成道の釈尊が、寿量品でみずから久遠常住の如來であることを開顕された仏である。宗祖は、この仏を本尊と仰がれた。そして釈尊の悟りを南無妙法蓮華経に現わし、虚空会上に来集した諸仏諸尊が、この法に帰一している境界を図示されたのが大曼荼羅である。」とある通り、事顕本の佛である。
 また、これを解釈した『宗義大綱読本』八五〜八六頁には、次の通り説明がある。
「〔本門の本尊〕
 ①本尊の実体 本門の本尊の実体は日蓮宗宗憲の第一条に明記してある通り、「久遠実成本師釈迦牟尼佛」である。これは報恩抄に三秘の第一として、
  日本乃至一間浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。
と述べられた定言の通りである。
 本門の教主釈尊は観心本尊抄では、
  五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり。
と示される。(中略)
「三身」とは一身即三身の仏であり、かつ「正在報身」である。その三身ともに無始無終なる姿を「三身にして無始の古仏」という。」
 以上の通り日蓮宗の本尊は、事顕本、報身為正である。
 
『宗定日蓮宗法要式』(昭和二六年初版)(一七四頁)では、最近まで「引導文」に、
「能居所居、身土色心、倶体倶用無作の三身、本門寿量の当体蓮華の佛とは日蓮が弟子檀 那等の中の事なり」
と、「当体義鈔」(昭和定本七五九頁)の文が存在したが、『平成版宗定日蓮宗法要式』(一八六頁)では削除された。これについて、「教義にかかわる事項は勧学院に諮問し慎重に改訂を施した。」(四五〇頁)とある。よって、実践面においても、事顕本の仏に統一された事となる。また、同『宗定日蓮宗法要式』の「運想」の適文として、『充洽園礼誦儀記』の「奉唱妙法…無作三身の覚体」の文が挙げられているが、「祖文その他、適宜の文を用いるが宜い。」(二四三頁)とあり、元々運想の文は特定していない為、改訂されなかったものと考えられる。
 
②九識霊断、新日蓮教学概論
 
「更に、深解を加えれば、この五字の中に、寿量大霊仏の大曼荼羅界が秘められている。この無相密在の大曼荼羅界が、有相に顕在して大自然となり、文化となり、社会生活を構成し、総在せしめている。それが九識の本体界である。」『新日蓮教学概論』二〇二頁
 
「『此の品の所詮は久遠実成なり。久遠とは、はたらかさず、つくろはず、もとの儘と云ふ義なり。無作の三身なれば、初めて成ぜず、是れ働かさざるなりが卅二相八十種好を具足せず、是れ繕はざるなり。本有常住の仏なれば本の儘なり。是を久遠と云ふなり。久遠とは南無妙法蓮華経なり。実成(まことにひらけたり)、無作と開けたるなり云云』(御義口伝)(一四四〇)(「御義口伝」昭和定本日蓮聖人遣文二六七一頁|筆者註)と説かれたるがごとく、久遠元初より、完全具足せる実在であって、全く本然のものである。今、法華経如来寿量品に至って、全仏教の結晶として、久遠実成無作三身が開顕せられた。
 すなわち、法身、報身、応身の三身を一身に具足して闕減無き仏が、寿量品所顕の本師釈迦尼仏であり、仏陀観の詮及に依って説き明かされた、釈尊の本地開顕である。また寿量品に説かれるが如く、本地身は全宇宙の生命の大根源にして、無相に密在する為、本門寿量仏と尊称するのである。
 この寿量仏の観念を、現実の上に移行したとき、すなわち、体験に拠った内証の境、その神秘不可思議な門をくぐつて、日常生活に戻ってみたとき、『今日蓮等の類ひの意は、総じては如来とは一切衆生なり。別して日蓮の弟子檀那なり』という祖意が判然と会通できる。したがって生ある者、全てが無相に密在する真如(本体界)を本質とするものである。我々日蓮門下は、南無妙法蓮華経を信唱受持することに依って、仏位を相続し、本門寿量仏を有相に顕現せしめんとしている。この一大事の達成手段として、一大秘法の五字を下種するという実践宗教としての行法が必要なのである。」『新日蓮教学概論』二一四頁
 
「御義口伝」は現在、室町期に日興門流で成立したものとされているが、本書の参考文献に挙げられる『本化聖典大辞林』が出版された当時は、真撰とされていた。「御義口伝」を真撰とするか否かで顕本論においても意見の分かれるところであろうが、これ等を真撰として理顕本の教理を展開したものが本書の教学である。
 理顕本の本覚法門は、源流となる「大乗起信論」の一心二門を理論基盤にもつものであり、「本体界」が「心真如門」に、「現象界」が「心生滅門」にそれぞれ該当し、「本体界」(真如)が随縁変動して「現象界」を顕在させているとする真如随縁論(本覚思想では「本体界」を本覚として、「現象界」は本覚の顕現と見る)を基調とする思想である。以下、次の図参照。
 「本体界」(大曼荼羅界)に無相密在する無作三身(寿量大霊仏)を本地佛「全宇宙の生命の大根源」として、この佛が「現象界」の有相に顕在して大自然、文化、社会生活等一切を成立せしめている。したがって、「現象界」は、「生ある者、全てが無相に密在する真如(本体界)を本質とする」真如随縁論により成立しているのである。
 「本体界」から「現象界」へ、「南無妙法蓮華経を信唱受持することに依って、仏位を相続し、本門寿量仏を有相に顕現せしめん」ことが日蓮門下の使命であり、「一大秘法の五字を下種」することがその実践方法である。
 
「信仰は、七・八両識の本能・理性に止住することなく、現実の現象を超えて、その奥に現象を顕現せしむる第九識の本体界に合一することである。それは個々の人間に分霊した主我の一大生命への帰省であり、これに祈りが伴えば、必然に超心理現象である思念伝達・霊感・霊験等の不可思議が現れるのである。」  『新日蓮教学概論』九一頁
 
 無作三身の「本体界」は、『新日蓮教学概論』では九識であり、信仰とは、「現象を顕現せしむる第九識の本体界に合一すること」である。また、「現象界」における祈りによって「本体界」と合一し、その内容を感得することが「超心理現象である思念伝達・霊感・霊験等」である。この様に「現象界」において「本体界」の情報内容を知る手段として、「九識霊断法」等があると考えられる。
 霊断においては、唯識論・心理学・祖文等を参考に、「九識を追究し、補足する心理学」として「整識観」…「五段配当の九箇心識」という独自の心理学を樹立し、「本体界」の九識を神秘識—仏性・主我とした。四徳波羅密…常楽我浄の我波羅密とは、佛の大自在我を示すが、「主我」とはこの大我意識を示すと考えられる。
 
  「五段配当の九箇心識」              『新日蓮教学概論』三六頁
   第一〜五識 眼・耳・鼻・舌・身識 知覚識(第一段)
   第 六 識  意  識      判断識(第二段)
   第 七 識  本  能      無明識(第三段)
   第 八 識  理  性      法性識(第四段)
   第 九 識  仏  性      神秘識(第五段)
 
「この日蓮仏教を光輝あらしめるものは、『云う事後にあへばこそ人も信ずれ』である。霊感を使わずして日蓮仏教を弘めることはできないのである。それは大衆の信頼に応え得ないからである。霊験があって、はじめて大衆を救うことができ、大衆がその現証を知って祈るところに利生があって、令法久住になるのである。(中略)
 その秘鍵こそ、一大秘法の五字に納まる功徳を受得する三大秘法の行法そのものであり、三大秘法の持つ密教的効果である。先に本化の修法あり、(中略)多年信唱受持の神秘を研鑽して、遂に先人未発の境たる「九識霊断法」「倶生霊神符」「五種護符」「充霊法華三昧法」が創始され、本門の題目、祈りをもって初信門にして久遠本仏の霊験神秘の救護に安心する真の日蓮仏教が確立したのである。」               『新日蓮教学概論』二七八頁
 
 「本体界」(九識)と「現象界」の媒介者として、霊断師が位置づけられる。「霊験」とは、「本体界」と合一したことを証する「現証」であり、これによって大衆の信頼を得る事となる為、聖徒にとって重要な要素となる。「本体界」(九識)の「霊験神秘」を「三大秘法の持つ密教的効果」により引き出す方法として、「九識霊断法」「倶生霊神符」「五種護符」「充霊法華三昧法」等が開発されたとする。
 以上の通り、現在の日蓮宗の事顕本の教理に対し、本書においては、理顕本の教理を発展させた内容である。
 
③日蓮正宗
 
 日蓮正宗における宗祖本佛論は、室町期の大石寺九世日有(一四〇九〜八二)に始まり、江戸中期の二六世堅樹日寛(一六六五〜一七二六)の石山教学を組織大成した「六巻抄」に完成を見るものである。現代の日蓮正宗・法華講・創価学会においても、「六巻抄」に基づく宗祖本佛論が教化されている。 
 大石寺日有の宗祖本佛論は、八品派慶林日隆が事顕本を基に説いた種脱判を理顕本上の佛身論に置き換えて説いたものである。すなわち、理顕本は、寿量品文上の久遠実成釈迦牟尼佛を迹佛、文底の無作三身を本佛として凡夫即佛を説いたものであるが、これに日隆の種脱判を用いて文上の久遠実成釈迦牟尼佛(一品二半)を脱益に配し、文底の無作三身を八品所顕の本因妙…下種益に配して、凡夫即佛から宗祖本佛(下種益教主)を想定したものと考えられる。後に、種脱判は日寛の下種三種教判において権実・本迹・種脱の相対判の中、種脱判に本門内の法体勝劣をたて文底下種益を事一念三千、題目(観心)勝、文上脱益を寿量品一品二半(教相)劣とし、本尊論では宗祖本佛、釈迦脱佛とした。
 種脱判以前に、宗祖本佛である実際の理由は、「法華本門宗血脈相承事(本因妙抄)」(『富士宗学要集』一巻八頁)に、「釈尊久遠名字即の位の御身の修行を、末法今時の日蓮が名字即の身に移せり。『理は造作に非ざる故に天真と曰ふ。証智円明の故に独朗と云ふ』の行儀、本門立行の血脈之を注す。」と、ある。
 つまりは、中古天台の「天心独朗観」によって無作三身の理本覚の境地を顕し、凡夫即佛、名字即成と見たときに宗祖本佛を感得したのである。「本因妙抄」は、偽書とされている。
 
「観心本尊抄文段上    富山大石寺二十六世日寛謹んで記す
 夫れ当抄に明かす所の観心の本尊とは、一代諸経の中には但法華経、法華経二十八品の中には但本門寿量品、本門寿量品の中には但文底深密の大法にして本地唯密の正法なり。
 この本尊に人あり法あり。人は謂く、久遠元初の境智冥合、自受用報身。法は謂く、久遠名字の本地難思の境智の妙法なり。法に即してこれ人、人に即してこれ法、人法の名は殊なれども、その体は恒に一なり。その体は一なりと雖も、而も人法宛然なり。応に知るべし、当抄は人即法の本尊の御抄なるのみ。これ則ち諸仏諸経の能生の根源にして、諸仏諸経の帰趣せらるる処なり。故十方三世の恒妙の諸仏の功徳、十方三世の微塵の経々の功徳、皆咸くこの文底下種の本尊に帰せざるなし。」                              同右四巻二一三頁
 
「本地自行の自受用身は即ち是れ本因妙の教主釈尊なり。本因妙の教主釈尊は即ち是れ末法出現の蓮祖聖人の御事なり。是れ則ち行位全く同じき故なり。名異体同の御相伝本因妙の教主日蓮之れを思い合わすべし、之れを思い合わすべし。故に当文の意人法体一の故に蓮祖を以って本尊と為すべし云云。」「六巻抄、末法相応抄下」
同右三巻一六八頁
 
 寿量品文底の久遠元初の本因妙を根本一理として、題目(法)と久遠元初自受用報身・再誕宗祖本佛(人)の「人即法の本尊」が成立する。この本因妙を「諸仏諸経の能生の根源」の種子として、「文上」現象界に久遠実成の釈尊(迹佛、脱佛)をはじめとした諸仏諸経を生成している。「久遠元初自受用報身」とは、自受用報身成道の時を「久遠元初」=本因妙成立の時とした本有無作三身であり、これを文底本佛として文上の久遠実成釈迦牟尼佛を迹佛とすることから、基本的には中古天台の理顕本を踏襲したものである。これ等中古天台本覚思想の源流となる「大乗起信論」の一心二門の世界観からみると(次の図参照)、心真如門(本質界)…文底・能生・理顕本、心生滅門(現象界)…文上・所生・事顕本となり、本質界の根本一理である久遠元初の本因妙を「能生の根源」として「所生」の現象界における諸佛他一切を顕現させているとする真如随縁論であることが認識できる。
 
「御義口伝巻上」において、
「信解品六箇大事(中略)又云信不変真如理也。其故信知一切法皆是仏法体達実相一理信也。解随縁真如也。自受用智云也。」(昭和定本二六二七頁)
と、信解の解の字を「随縁真如」自受用報身の智慧としている。また、「御講聞書」(昭和定本二五八一頁)にも同じ随縁真如…自受用智の配当がある事から、当時の中古天台においてこの説が定着していたのであろう。つまりは、自受用報身の智慧の働きが「随縁真如」である。
 曼荼羅本尊の中央の題目を「能生の根源」とし、周辺の釈迦、多宝をはじめとする十界諸尊をその「所生」とする教理は、真言宗の曼荼羅において、中央の大日如来を能生、周辺の諸尊を所生とする教理と共通する。台密において大日如来と無作三身が二佛同体となり、以降の中古天台においても無作三身は密教の理をもつ本地佛となったのである。
 
 以上の通り、大石寺の教学は、理顕本の教理の上に、種脱判や報身為正説等事顕本の教理を移植したものであり、本質的には、中古天台の理顕本が教理基盤となるのである。
 
    参考文献
 
  『大乗起信論』平川 彰        大蔵出版
  『日本佛教の開展とその基調』硲 慈弘 名著普及会
  『天台教学史』島地大等        隆文館
  『本覚思想論』田村芳朗        春秋社
  『本尊論の根本課題』執行海秀     大崎学報所収
  『日蓮宗教学史』執行海秀       平楽寺書店
  『昭和定本日蓮聖人遺文』       日蓮宗
  『日蓮聖人事典』           日蓮宗
  『宗義大綱読本』日蓮宗勧学院     日蓮宗新聞社
  『宗定日蓮宗法要式』・同平成版    日蓮宗
  『国訳一切経』            大東出版
  『新日蓮教学概論』日蓮宗霊断師会   行道文庫
  『富士宗学要集』           大石寺
 

 

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