現代宗教研究第40号 2006年03月 発行
天台止観の身体観について—とくに自按摩を中心として—
天台止観の身体観について
—とくに自按摩を中心として—
(日蓮宗現代宗教研究所嘱託) 影 山 教 俊
1 身体観を考えた経緯について
はじめに、これまで天台止観業の作法とその実際を理解するため、現代医学の神経生理・生化学にもとづく身体観に立った研究方法から考察を試みた。心理療法としての「自律訓練法」と『天台小止観』との文献的な比較研究を始め、また天台止観業の生理学的な考察によってえられた結果は、ほぼ従来から行われてきた東洋的修行法の心理学的、生理・化学的な研究成果とほぼ一致するものであり、これらの研究のうち比較的まとまった初期の成果である「超越瞑想(TM)の生理学的効果」の報告などとも一致するものであった*1。
この研究方法から明らかになったものは、自律訓練法などを含めて、東洋的修行法によって誘導される変性意識状態(Altered State of Consiousness)は、生理的には身体の活動機能の賦活化(ergotropicエネルギー消費的)の状態を抑制して、疲労回復、保護機制、負担除去、達成能力の回復、正常化および治癒に属するメカニズムを活性化(trophotropicエネルギー補充的)させるという認識に止まり、それ以上の意義づけができなかった。
とくに自律訓練法と『天台小止観』の三昧状態を誘導するプロセスの比較においても、第八章「魔事を覚知せよ」、第九章「病患を治す」は共に特殊事項として、心理学的、生理学的な意味づけができなかった。それは現在私たちが常識的に理解している西洋医学的な身体観、神経生理・生化学にもとづく身体観と、『天台小止観』などの文献が撰述された時代の生命概念に支えられた身体観とは大きな相違があるからだと気づいた。
ここで『天台小止観』の中で意義づけのできない箇所をあげれば、次のようである。
○『天台小止観』には調身として、その坐法を示す場合、「半跏坐であっても、全結跏であっても、左脚が右脚の上になる」*2、その指示は何故か。
○また坐禅を組むための「法界定印」などの印相としては「左の掌をもって右手の上に置く」*3、その指示は何故か。
○また「自按摩の法のごとくにして、手足を差異せしむることなかれ」*4とあるが、この自按摩とは、その実際とは何なのか。
○坐禅を組むとは「口は軽く結び、舌を挙げて上齶に向ける」*5のは何故か。
○意識が沈んでいる時(沈の相)に「意識を鼻端に集中し」、意識が散漫になっている時(浮の相)に「意識を臍のなかに集中する」*6となぜ心が静まり安定するのか。
○また関口真大博士も指摘している『天台小止観』に示される丹田は「臍下一寸を憂陀那と名づく」*7であり、『摩訶止観』は「臍の下を去ること二寸半なり」*8と二つの丹田が示されているが、それは何故なのか。
このように意義づけのできない箇所について、『天台小止観』『摩訶止観』などの文献に具体的な説明はない。しかし、天台大師はその時代の生命概念に支えられた身体観によって、それらを統一的に理解していたはずである。とくに天台大師の身体観を論ずるために、六世紀までに流布していた陰陽五行説にもとづく中国的な身体観と、四大理論にもとづくインド仏教的な身体観を念頭におきながら理解を進めた。
まず天台大師の最も晩年の撰述である大部の『摩訶止観』から、病気(病患)という身体性に直接関わる記述を抜き出し、それを『天台小止観』、『六妙法門』、『禅門修証』、『禅門口訣』などの修行論に見られる病気(病患)と比較対照して、おおよそ天台大師三〇才代から六〇才代までの身体観を探ってみた。
すると天台大師の六〇才代の最も晩年の撰述である『摩訶止観』の「観病患境」の身体観には、『天台小止観』第九章「治病」ばかりではなく、三〇才代に撰述された『禅門修証』第六章第四節「明治病方法」の構成要素とほとんど相応しているため、これは天台大師が青年時代からある一貫した身体観を持っており、それが晩年の『摩訶止観』にいたって集大成されたことが明らかになった。
そして、天台大師の身体観は、六世紀までに流布していた陰陽五行説にもとづく中国的な身体観と、四大理論(三大理論)にもとづくインド仏教的な身体観が併存し、折衷されていることが分かった。また、その折衷のあり方は、あくまでも中国伝統の『黄帝内経』などを中心とした身体観、陰陽五行説の気の生理学に支えられた身体観を前提として、その上にインド仏教より継承した四大論に支えられた身体観を折衷していることである。
つまり、この意味で天台大師の身体観は二つが併存しているが、基本的には気の生理学に支えられた身体観が色濃く見られ、それは生命現象をはじめ、自然界や人間界のあらゆる現象を離合集散して見ようとする気の概念であった。私たち人間を「心ー気ー身体」という機能的構造によって把握し、気の生理学を媒介として心と身体の関係を理解していた。さらには「経絡」という気の流れるルートの発見を発見し、このルートを通じて身体全体に気がめぐり、臓腑(蔵府)や身体各部の密接な連絡・相関性が見いだされて、人間の有機的・全体的な把握が可能になったのである*9。
これによって今後は中国仏教などの修行論を評価する場合には、とくに天台大師の撰述した『摩訶止観』『天台小止観』など修行法の指南書に見られる所作の意味を理解するためには、陰陽五行説の気の生理学に支えられた身体観を十分に考慮しなければ、それらが正しい理解できないということが明らかになったのである*10。
2 天台大師の身体観を踏まえた修行法の理解の試み
ここで、これまで意味の分からなかった修行法の作法とその実際を理解すると、次のようになる。
○関口真大博士の指摘する二つの丹田
『天台小止観』では「臍下一寸を憂陀那と名づく」*111といい、『摩訶止観』では「丹田は臍の下を去ること二寸半なり」*112という。ではこの憂陀那、丹田とは何か。
まず気の生理学では、人間の身体を「上部の頭から頚」までを上焦、「中部の胴体の肋骨から横隔膜」までを中焦、「下部の下腹」までを下焦という三つの部分(三焦)に分けており、道教ではその中心辺りを上丹田、中丹田、下丹田と理解しており、当時は丹田といっても厳密にある部分のみを限定していた分けていたわけではなく、この場合はおおよそ下腹の中心部全体を下丹田と呼んでいたといえる。
また「気の生理学」でいう気血の流れるルートである「経絡」を示している『霊枢』の経脈篇や『十四経発揮』などから理解すると、『天台小止観』の「臍下一寸」の場所は、奇経八脈の一つ任脈上の「気海」(厳密には臍下一寸〜一寸五分)に相応すると考えられ、『摩訶止観』の「臍下二寸半」の場所は、やはり任脈上の「関元」(厳密には臍下二寸五分〜三寸)に相応する*113。
そして、「気海」は、正経と呼ばれる気血の流れる十二ルートの腎経と膀胱経などの泌尿生殖器系の機能に関係する募穴である。「関元」は、胃経と脾経などの消化器系の機能に関係する募穴である。これらのことから天台大師は、『黄帝内経』などの気の生理学の医学的知識と、ご自身の体験という経験即の知識から、この二つの丹田を分けて考えおり、病気の種類などによって使い分けていたといえる。
また『天台小止観』の「憂陀那」とは、本来インド医学のアーユル・ヴェーダやヨーガなどで生命作用を説明する理論にプラーナ(pra=cd=ab29n・a、呼吸風=呼吸)・アパーナ(apa=cd=ab29n・a、下風=排泄作用)・ヴィヤーナ(viya=cd=ab29n・a、媒介作用)・サマーナ(sama=cd=ab29n・a、等風=消化同化作用)・ウダーナ(uda=cd=ab29na、上風=上昇作用)の五風の一つで、上昇作用を司るウダーナであるといえる*114。
つまり、インド医学やヨーガでは、身体を五つの部分に分けて考え、その身体の五つの部分に応じて中国医学の「気」に相当する「プラーナ」と呼ぶ生命エネルギーも五つに分け、それを五風と呼んでいる。その中で身体の一番上部に位置して、プラーナの摂取される場所をウダーナ(憂陀那)と呼び、上風や口中の風を意味している。
そして、インドのヨーガでは、人間の身体を多重の存在として、肉体身、微細身、原因身の三つの次元で捉えており、とくにその微細身(longa-s=cd=f087ar=cd=ab33=cd=ab29ra)では、気の生理学でいう気エネルギー(プラーナ)を摂取する場所をカンダ・スターナ(kandha-sta=cd=ab29na)と呼び*115、その場所は中国医学の「関元」と相応する。この意味で天台大師は、外気を関元から摂取することで気力の充実を促し、より高次元の霊性の開発する行法を経験的に知っていたといえる。
インドのアーユル・ヴェーダ医学の原典『チャラカ・サンヒター』(㈵・一二・八)には、それを具体的に「風大(va=cd=ab29ta)は正常な状態にある時には、身体(tantra)の組織(yantra)を保持するものであり、プラーナ・ウダーナ・サマーナ・ヴィヤーナ・アパーナの五種よりなり、様々な運動を促進させ、心理器官を制御し、すべての感覚器官を活性させ、・・・・・身体の全ての組織を統合するものであり、身体の各部の結合をもたらすものである」と示している*16。
しかし、気の生理学には、呼吸法で丹田に気をめぐらせる方法があり、漢代の『伸鑒』という医学書には「関元とは呼吸する気を関蔵(蓄え)て、四方の気をうけ授けるものである」と示され*117、それはウダーナから呼吸によって摂取されたプラーナ(生命エネルギー)が、「関元」に収蔵されるという考え方を示しており、それを「関元」と同義語の「丹田」と呼んだといえる。
○沈の相と浮の相の意味について
また意識が沈んでいる時(沈の相)には「まさに念を鼻端に係け、心をして縁のなかに住在して分散の意なからしむべし」といい、意識が散漫になっている時(浮の相)には「よろしく心を下に向けて安んじ、縁を臍のなかに係け、諸の乱念を制すべし」といい、そこに意識集中するだけで心が静まり安定するというのは何故か。
まず気の生理学では、先に述べたように、人間の身体を三つの部分「上焦、中焦、下焦」の「三焦」に分けているが、この三焦の焦は「こげる」という熱の意味から、三つの場所の気、三気を示している。そして、この三気の状態を陰陽関係から見ると、上焦・中焦は陽気であり、下焦は陰気に相当し、身体における気のバランス関係は「下実上虚」(気のバランスが下半身で重く上半身で軽い)となり安定する。
また、気をめぐらせる行気という方法では「意守」「一守」といって、意識を一所に集中することで気を動かし、そして、陰陽の本性から呼吸する時の呼気は陽気で上昇し、吸気は陰気で下降するという性質を利用して気の動きをコントロールすることが示されている。
つまり、私たちの意識が沈んでいる時(沈の相)や、意識が散漫になっている時(浮の相)には、身体における「下実上虚」という気の自然なバランス関係が崩れていることであり、意識が「沈の相」にある時は「念を鼻端に係け」て集中し、意識が「浮の相」にある時には「心を下に向け」て集中し、一守することで、陰陽の自然なバランス関係を作るように指示しているといえる。
○趺坐(結跏・半跏)の脚の位置、定印の掌の位置はなぜ左が上になるのか
『天台小止観』には調身として、坐法を示す場合には「結跏坐であっても、半跏坐であっても左脚が右脚の上になるよう」に指示をする。また法界定印などの印相も、「左の掌をもって右手の上に置く」*11118ように指示をする。それは何故か。
まず気の生理学によれば、手足の指端には、三陰三陽の関係で説明される十二の経絡系の始点と終点が集中しており、またそこで気エネルギーが滞らないように中継している。その母指の指先は「太陰の肺経」の始点なので、その指先をつき合わせることは、左右の十二経絡中を流れる気エネルギーの左右のバランス、陰陽関係のバランスを取る最適な方法となる*119。
つまり、肺経は呼吸器系に関係する経絡系で、このような定印を取りながら呼吸を調えて行くと左右の鼻の通りが良くなり呼吸が安定する。それは母指の「太陰の肺経」が第二指の「陽明の大腸経」につながり、その流れは鎖骨を通って鼻孔の端(迎香)へと繋がっているからである。ちなみに、この迎香は鼻炎などの治療点として、深く呼吸と関わっているところである*20。
また定印も「左の掌をもって右手の上に置き」、坐法も「左脚が右脚の上になるように」どちらも「左上」になるように位置させるのは、繰り返すが気エネルギーには陰陽関係があり、陰性の気は降下し陽性の気は上昇する方向へ流れる*221。つまり、陰性に配当される左側の手足が上に位置し、陽性に配当される右側の手足が下にある場合には気の陰陽関係が成立し、気エネルギーが安定して左右の手足の末端で流注し循環させることを意図しているといえる。
○坐禅を組むときに舌を上顎につけることについて
坐禅を組むために「口は軽く結び、舌を挙げて上顎に向ける」*222ように指示するのは何故か。
これは気の生理学には気を巡らせる方法があり、とくに道教系医学には長寿養生法としての行法に小周天がある。*223。これは身体の正中線上を背中から前面へと流れる気エネルギーの流注を意識することで、その両脇を流れる(詳しくは後述するが)全身の気エネルギーの充実を促す腎経・膀胱経の経絡系を刺激し、心身が共に安定する「下実上虚」を実現する方法である。
この場合に任脈と呼ばれる奇経(経絡の重要なものには、十二の正経と八つの奇経がある)があり、これらを総括して経絡という。そして、十二の正経は六臓六腑が配当されており、また奇経には十二の経脈を河川の本流にたとえると、その放水路のような補助的に働くルートで、正経を補助して全体のバランスを取る。任脈・督脈はその代表的な奇経である*224。そして、任脈が身体の正中線上を前面を上から下へと流れて、督脈は背中を下から上へと流れている。そして、腎経・膀胱経はその奇経に沿って流れているが、任脈・督脈も腎経・膀胱経も共に舌根のところで途絶えている。そのために内気の流れを円滑に流注させるためには、舌根を上顎に付けることによって、これらの経脈を流れる気エネルギーの流注を促しているといえる。
○臍下丹田に気力が充実することの意味について
さきのように古来より仏教の修行法では、臍下丹田に気力を充実させ、心身が共に安定する「下実上虚」を実現することが重要となっている。そのとき修行者の身体はどのような状態になっているのか。
いままで報告されているヨーガや禅瞑想に対する研究の生理学的な所見によれば、誘導された瞑想状態によって、全体として基礎代謝率は低下し、腎臓や肝臓の動脈血流量をはじめ内臓系の血流は抑制され減少している。しかし、大脳血流量だけは増加するという(R=cd=ab22K=cd=ab22Wallace1971年、R=cd=ab22Jevning 1978年)*25。
このような報告を気の生理学に支えられた身体観に立脚するならば、次のように理解できる。まず気の生理学では血液を含む体液系を「気血」という概念で説明する。そして、この気血は、気(陰)・血(陽)として陰陽関係があり拮抗している。
この概念でさきの報告を整理すると、瞑想状態が誘導されたときに大脳血流量が増大し、また内臓血流量が抑制されて減少しているということは、人間の身体を「上焦、中焦、下焦」の三焦に分け、この三気の状態を陰陽関係から見ると、「上焦、中焦」は陽気(血)、「下焦」は陰気(気)という気の生理と一致する。つまり、気エネルギーの状態は陰気が下半身に充実して重く、逆に上半身では陽気が充実し軽くなり安定していることを意味し、修行法でいう「下実上虚」の安定した状態が実現されていることを意味する。現代の先端科学のAMIによる実証的な測定によっても、体液系(陰気)と血液系(陽気)の拮抗していることが知られている。
3 自按摩の実際とは何か
さて、自按摩であるが「まさに身を正しゅうすべし。まずまさにその体ならびに諸の支節を挺動すること、七、八反をなすべし。自按摩の法のごとくにして、手足を差異せしむることなかれ」*226の実際とは何であろうか。
まず天台大師の撰述の中で、この『天台小止観』の「自按摩の法」に類似するものを挙げれば次のようである。
・『禪門口訣』「爾時即随随經十息許、復數數經十息許、乃微動手脚次動如按摩法」*227
・『釋禪波羅蜜次第法門』「先當挺動其身并諸支節、作七八反、如自按摩法、勿令手足差異」*228
これらはまさに『天台小止観』と同様であり、『釋禪波羅蜜次第法門』にいたってはまったく同じである。ちなみに、『摩訶止観』では「雖制其事、而令女人洗拭按摩、染心共語相視」*229と、按摩の記述はあるものの、女性に身体を洗ってもらったり、マッサージ(按摩)をさせてはならないという生活の規範についての記述で、『天台小止観』の自按摩のように、天台止観を実習するための作法、身体技法としての意味とは異なる。
また、八世紀の湛然述『止觀輔行傳弘決』には「亦令近身當心安置、挺動支節七八許度、如按摩法、勿曲勿聳正頭直項令鼻對臍」*230と、『天台小止観』と同様の記述があり、やはり天台止観を実習するための作法として扱われている。
では、これら以外の「自按摩」の記述を挙げれば次のようである。
・七世紀、新羅元暁撰『起信論疏』「次當正身、前當搖動其身、并諸支節、依七八反如自按摩法、勿令手足差異」*331
・七世紀、唐法蔵撰『大乘起信論義記』「次當正身、先挺動其身、開諸支節作七八反、如自按摩法、亦勿令手足差異、正身端直令脊骨相對勿曲勿聳」*31A
・八世紀、唐浄覚集『楞伽師資記』「先端身正坐、寛衣解帶、放身縦體、自按摩七八翻、令心腹中氣出盡、即滔然得性清虚恬淨、身心調適然、安心神則」*31B
これらはさきの『天台小止観』と同様に修行を実習するための作法として示されているが、これらの文献は天台大師以降のものであり、内容的にも『天台小止観』などを依用していると思われるものである。
また、上記以外にも『四分律行事鈔資持記』、『廬山記』には、「自按摩」の記述はあるが、さきの『摩訶止観』と同様のマッサージ(按摩)の意味であって、修行を実習するための身体技法としてではない。
さらに六世紀前後の経典群の中で「按摩」の記述を挙げれば次のようである。
一、 『中阿含經』「四大之種、從父母生、飲食長養、常衣被覆、坐臥按摩、澡浴強忍」*332五世紀、東晉 瞿曇僧伽提婆訳。
二、 『大方廣佛華厳經』「皆往營助、於師長處、按摩塗洗」*333四世紀、唐 般若訳。
三、 『大寶積經』菩薩蔵會「菩薩摩訶薩、行尸羅波羅蜜多時、發如是念、身是不堅性非牢固、當假覆蔽洗濯按摩」*334八世紀、唐玄奘訳。
四、 『大般涅槃經卷』「若菩薩摩訶薩父母師長若病苦時、自手洗拭捉持按摩、以是業縁得手足軟」*335五世紀、宋 慧厳等依泥=cd=61a2經加之。
五、 『治禪病祕要法』「第八節金剛色童子、手持二瓶、以金剛色藥、灌兩耳中、及一切毛孔、如按摩法、停調諸節、身如鉤鎖、遊諸節間」*336
六、 「爲於行者、按摩調身」*37二世紀、劉宋 沮渠京聲訳。
七、 『五分律』「便馳往問、何所患苦、答言骨節皆痛、彼即爲按摩、比丘尼言、聽汝處處按摩、但不得行欲」*338五世紀、劉宋 佛陀什 竺道生等訳。
八、 『摩訶僧祇律』「身自供給晨起問訊、與出大小行器唾壺著常處、與按摩身體授與衣鉢、共入聚落令在前行到檀越家」*339
九、 「若須按摩油塗身者、應倩女人爲之」*40五世紀、東晉 佛陀跋陀羅、法顯訳。
一〇、『十誦律』「爾時来還大疲極、僧房中臥自言脚痛躑痛脅痛背痛、語諸比丘尼、與我按摩、諸比丘尼言、善女、從何處来、答言、入某家出某家、出某家復入某家、問言、汝爲佛事僧事耶、答言、不爲、諸比丘尼言、若不爲佛事僧事去者、何以故、爲作是行得大疲極、是中有比丘尼、少欲知足行頭陀、聞是事心不喜、種種因縁呵責言、云何名比丘尼、晝日一身獨行、種種因縁呵已」*441五世紀、後秦 弗若多羅共羅什訳。
一一、『根本説一切有部毘奈耶雜事』「當須早起親問二師、四大安隱起居輕利、除小便器爲按摩身、其師若言我今有疾、應問所患便往醫處、具説病由請方救療、如醫所教便爲療治」*442七世紀、唐 義淨訳
一二、『根本説一切有部毘奈耶頌』「次可到師邊、安置於坐物、巾水土齒木、寒温須適時、有時應早起、審就師邊、敬重按摩身、生殊勝福」*443七世紀、唐義浄訳。
一三、『大智度論』「或有人不著容色但染著威儀、進止坐起行住禮拜俯仰揚眉頓睫親近按摩」*44四世紀、後秦 鳩摩羅什訳。
一四、『十住毘婆沙論』「除身殺生劫盗邪婬、餘殘打縛閉繋鞭杖牽挽等、但不死而已、如是不善身業非奪命等所攝、善中迎送合掌禮拜恭敬問訊洗浴按摩布施等善身業非不殺生等所攝」*45四世紀、後秦 鳩摩羅什訳。
一五、『阿毘達磨大毘婆沙論』「世尊避衰老位故捨壽行、所化有情事未究竟復留三月、如陀夷一時爲佛按摩支體見異常相」*446七世紀、唐 玄奘訳。
一六、『阿毘達磨順正理論』「豈不求食爲除飢渇、如何飢渇亦名爲食、由此二種、亦於根大能増益故、如按摩等」*447七世紀、唐 玄奘訳。
一七、『瑜伽師地論』「増房補益色香味具精妙飲食、過今夜分至於明日、於角武事當有力能、所謂按摩拍鞠托石跳躑蹴」*448七世紀、唐 玄奘訳。
一八、「渉路作業有劬勞者、爲治勞苦求按摩等以爲對治」*449
一九、『倶舎論疏』「由此二種亦於根、大能増益故、如按摩等」*50八世紀、唐 法寶撰。
二〇、『南海寄歸内法傳』「弟子方乃爲師、按摩身體」*551七世紀、唐 義浄撰。
いま経典群の中から二〇の「按摩」の記述をあげたが、五と六の『治禪病祕要法』の「按摩」は「自按摩」の意味合いで用いられているが、その他はおよそ疲労したときには、沐浴したり、油を塗ったりして、それからマッサージをするというような養生法であることが分かった。
さて「按摩の法」がおおよそ養生法として施療のためのマッサージであることが分かったが、さきの『天台小止観』の実習するための作法で、「自按摩」という身体技法とは如何なるものだろうか。
さきに中国医学の源泉となる『黄帝内経』などの正統医学書についてふれたが、それらには具体的に記述されていない按摩法、調気導引法などに関わるものが、道教系の医師たちによって六世紀ころから編纂されはじめた。その医学書の中に孫思=cd=21d0著『備急千金要方』(六五〇年〜六五八年)があるが、その巻二十七「養生」第四 按摩法には、「按摩には『天竺按摩』と呼ばれて婆羅門の法がある。手を挙げたり肩を回したり、立ったり坐ったりしながら身体を曲げたり伸ばしたり、脚を開いたり閉じたり、ゆったりと呼吸を調える。また『老子按摩法』といい、呼吸法を使わず、立ったままゆったりと動きながら手を挙げたり肩を回したり、脚を伸ばしたり広げたり、自分の身体に施療する方法」が示されている*552。
この記述からいえば、按摩の中で「天竺按摩で婆羅門の法」は、まさにインドの行者の修行法であるというから、今日でいう「ヨーガのアーサナ(yoga-a=cd=ab29sana)」そのものである。ちなみに、ヨーガのアーサナについてふれておけば、五世紀頃のインドにおいてパタンジャリのスートラ(patan=cd=f089jala-su=cd=ab29tra)と呼ばれたヨーガ・スートラ(yogaa-su=cd=ab29tra)には、ヨーガの八部門(as・ta=cd=ab29n・ga-yoga)があり、アーサナが位置づけられている。「[二・二八]ヨーガの諸部門を修行してゆくにつれて、次第に心のけがれが消えてゆき、それに応じて英智の光が輝きを増し、終には弁別智(viveka-khya=cd=ab29ti)が現れる。[二・二九]ヨーガは次の鉢部門からなる。禁戒(ya=cd=ab29ma)、勧戒(niya=cd=ab29ma)、坐法(a=cd=ab29sana)、調気法(pra=cd=ab29n・a=cd=ab29ya=cd=ab29ma)、制感(pratya=cd=ab29ha=cd=ab29ra)、凝念(dha=cd=ab29ra=cd=ab29n・a)、静慮(dhya=cd=ab29na)、三昧(sam・a=cd=ab29dh=cd=ab33=cd=ab29)」*553と第三番目に挙げられている。そして「[二・四六](坐法)坐り方は、安定した、快適なものでなければならない。[二・四七]安定した、快適な坐り方に成功するには、緊張をゆるめ、心を無辺なものへ合一(asama=cd=ab29patti、定)させなければならない」*54とあり、ほぼ『天台小止観』の「自按摩の法」と同様のことが示されている。
このような自按摩の法は、止観を実習するまえに身体の気血の循環を促進すために、肩や股間の関節を動かす方法を示しているのである。この方法の効用はといえば、中国医学の基礎文献である『黄帝内経』『霊枢』「九鍼十二原」に「五臓に六腑あり、六腑には十二の経絡があり、その十二の経絡は四つの関節から出ている。この四つの関節は五臓を治す」とあり、肩や股間の屈伸や回転運動が経絡の気血の流れを良くし、五臓六腑の病気までも治すことができるという。また、按摩法は古くは按摩・導引法と呼ばれ、その起源は漢代の馬王堆帛書の「導引図」に見られるなどかなり古くから行われていたことが分かっている*555。
このように気の生理学に支えられた身体観を前提とすると、今まで理解できなかった修行法の作法とその実際の一つ一つについての理解が可能になり、また今まで西洋医学に支えられた身体観によって行われて来た、修行に対する医学的な研究方法の成果も、気の生理学などの概念によって解説できる道が開けたといえる。
〈脚注〉
*1 日蓮宗現代宗教研究所刊
『現代宗教研究』第二十七号所収 唱題行の生理学的、心理学的研究 |修行プロセスの生理学的研究|
『現代宗教研究』第二十八号所収 現行の沙弥校カリキュラムの実際とその実証的評価 |修行による意識の変容プロセスを前提として|
『現代宗教研究』第三十号所収 教相と観心の実証的な評価について |『天台小止観』の生理心理学的な考察を前提として|
『教化学論集』第1号所収 修行による変性意識状態の誘導の比較について |坐禅と読経時の脳波と心拍数の比較から|
*2 関口真大『天台小止観』岩波文庫 七三頁
*3 同右 七三頁
*4 同右 七三頁
*5 同右 七五頁
*6 同右 七七頁
*7 同右 一六五頁
*8 関口真大『摩訶止観』下 岩波文庫 一九三頁
*9 丸山敏秋『黄帝内経と中国古代医学書』 四一四頁 東京美術 一九八六年
*10 日蓮宗現代宗教研究所刊
『現代宗教研究』第二十九号所収 『摩訶止観』「観病患境」における治病の分類 |天台止観に見られる「気の生理学」を前提として|
『現代宗教研究』第三十一号所収 修行における行法の評価[㈰水行の評価] |行動科学における皮膚電気生理学の実験研究から|
『現代宗教研究』第三十二号所収 天台大師の病気の治療法、二つの基礎概念について |『摩訶止観』を中心として|
『現代宗教研究』第三十四号所収 律蔵経典群に見える仏教医学について |律藏とインド古典医学の比較から|
『現代宗教研究』第三十五号所収 仏教教団ではどの様に癒しを行っていたか |律藏経典群から読みとれる疾病誌について|
『現代宗教研究』第三十五号所収 律藏経典群に見られる耆婆の治療法
*11 『天台小止観』 一六五頁
*12 『摩訶止観』下 一九三頁
*13 本間祥白『図解十四経発揮』医道の日本社 一七二頁〜一七三頁
*1114 佐保田鶴治『解説ヨーガ・スートラ』平河出版 一四六頁 二〇七頁
*1115 佐保田鶴治『ヨーガ根本教典』平河出版 「ハタ・ヨーガ・プラティーピーカー」三・一〇三〜一一五 二四六頁〜二五〇頁
本山 博『密教ヨーガ』宗教心理出版 一三四頁〜一三五頁
*16 幡井勉編『生命の医学アーユルヴェーダ』白樹社 一〇四頁
*17 平河出版『道教』1所収二六五頁 坂田祥伸「養生術」
*18 『天台小止観』七三頁
*19 長濱善夫『東洋医学概説』創元社 二四六頁〜二五二頁
*20 同上 二三六頁
*21 同一六二頁〜一六四頁
*22 『天台小止観』 七五頁
*2223 参考文献
本山博訳『太乙金華宗旨』宗教心理出版
『道教事典』平河出版社 二七五頁
*24 『東洋医学概説』 一九二頁〜一九四頁
*25 参考文献
池見酉次郎『心療内科学』、医歯薬出版
同 『現代心身医学』
M・ガヤシ『ヨーガと心理療法』誠心書房
M・A・ウェスト『瞑想の心理学』川島出版
安藤治『瞑想の精神医学』春秋社
*26 『天台小止観』 七三頁
*27 大正四六 五八一C
*28 大正四六 四八九C
*229 大正四六 三六C
*30 大正四六 二七五B
*31 大正四四 二二二C
*31A 大正四四 二八三B
*31B 大正八五 一二八九A
*332 大正 一 四六四C
*33 大正一〇 七八二B
*34 大正一一 二四三C
*335 大正一二 七八〇A
*36 大正一五 三三五A
*337 同上 三四一B
*38 大正二二 七七B
*339 大正二二 四一九B
*40 同上 四五六C
*41 大正二三 三〇八A
*42 大正二四 三八二A
*43 大正二四 六一九C
*44 大正二五 二一八A
*45 大正二六 九五A
*46 大正二七 六五六A
*47 大正二九 五〇九B
*48 大正三〇 四〇六B
*49 大正三〇 六七一C
*50 大正四一 六〇四C
*51 大正五四 二二二B
*52 『道教』1所収二六八頁〜二六九頁 坂田祥伸「養生術」
江戸医学影北宋本『備急千金要方』巻二十七 養生・調気法第五 四八三頁下
*53 『解説ヨーガ・スートラ』 一〇一頁
*54 同 一一二頁
*55 『道教』1所収二四八頁 坂田祥伸「養生術」
(この小論は第五十八回日蓮宗教学研究発表大会で発表した論考を整理加筆したものである。)