現代宗教研究第40号 2006年03月 発行
現代に於ける折伏
現代に於ける折伏
(日蓮宗現代宗教研究所嘱託) 早 坂 鳳 城
近年、日蓮聖人、或は本宗に於ける、摂受と折伏について、従来の折伏為本の考え方に対し、むしろ摂受を本意とすべきとの学説が提出され、論議がなされている。
言うまでもなく、摂受と折伏とは、本来的に、ともに化導法であり弘教法である。衆生・対告衆の善を摂め取り成長させるように導くことによって正法を弘める方法が摂受であり、衆生・対告衆の悪を挫き破って導くことによって正法を弘める方法が折伏であるとされている。
摂受・折伏の名称は『勝鬘経』十受章に次のようにあることによる。
我れ力を得ん時、彼々の処に於いて此の衆生を見ば、応に折伏すべき者は之を折伏し、応に摂受すべき者は之を摂受せん。何を以ての故に、折伏摂受を以ての故に法をして久しく住せしむ。
すなわち、折伏すべきを折伏し、摂受すべきを摂受するのであり、それによって法を久住せしめるのである。
摂受とは、摂取容受の意であるとされる。摂(おさ)め受け入れ包容して導くことである。母の愛にも似た穏やかで柔和な態度による寛容的教化法をいう。相手の義をしばらく容認して争わず、漸進的に正法の世界に摂入することである。
折伏とは、破折調伏の意であるとされる。摂受とは反対に、相手のあやまりを許さずその邪義を徹底的に破折して、正義に帰伏せしめる厳格な導き方をいう。摂受が母の愛にたとえられるのに対し、折伏は厳しいがその底に子を思う慈悲をたたえた、父の誡めにたとえられる。
摂折の二門は摂受・折伏、折伏・摂受と併称され、両者は常に不離の関係として説かれて来ている。すなわち、摂受と折伏とは、その化導の形式において、与と奪、柔と剛、寛と厳、悲と慈という対照を示すかとも思われるが、悲母の愛も慈父の厳も詮ずるところは子を救わんとする親の心であり、それと同じく摂受・折伏も行儀ないしは方法論の相違であって、本質(法体)の異なりではないと考えられている。
しかし、精神においてそうではあっても、「与」(しばらく正義をおいて、与えて彼の義を容れる)を表とし「奪」(相手の主張を斥け、奪って正義を樹立する)を内に含む摂受と、「奪」を表とし「与」を内にしまう折伏とは、そこに画然とした区別があることもまた事実であり、時と場合とによってはどちらか一方をとらなければならないこともある。
従って、先の『勝鬘経』に説かれたところの、「折伏すべきを折伏し、摂受すべきを摂受する」、その折伏すべき、摂受すべきとは如何なるものであるか、が問われなければならないのである。
日蓮聖人は、『開目抄』において次のように説示されている。
夫れ摂受折伏と申す法門は水火のごとし。火は水をいとう。水は火をにくむ。摂受の者は折伏をわらう。折伏の者は摂受をかなしむ。無知悪人の国土に充満の時は摂受を前きとす。安楽行品のごとし。邪智謗法の者の多き時は折伏を前きとす。常不軽品のごとし。(略)末法に摂受折伏あるべし。所謂悪国・破法の両国あるべきゆえなり。日本国の当世は悪国か破法の国かとしるべし。(定六〇六頁)
すなわち、「無知悪人の国土に充満の時」は摂受、「邪知謗法の者の多き時」は折伏という、明確な御指南である。
また、『如説修行抄』には
正像二千年は小乗・権大乗の流布の時也。末法の始の五百年には純縁一実の法華経のみ広宣流布の時也。此時は闘諍堅固白法隠没の時と定めて、権実雑乱の砌也。敵有るじは弓前兵杖何にかせん。今の時は権教即実教の敵と成る也。一乗流布の時は権教有て敵と成りてまぎらはしくば実教より之を責むべし。是を摂折に二門の中には法華経の折伏と申す也。(定七三五頁)
とある。
末法の始めの五百年は闘諍堅固白法隠没の時であると同時に法華経の広宣流布の時であり、実教が権教を敵として責める時であるから、法華経の折伏の時であるとされたのである。
然るに、近年の摂受本意論によれば、『開目抄』の「常不軽品のごとし。」は衍文、すなわち、誤って本文中に書き入れたものであって、『如説修行抄』は聖人の御真作ではなく偽作であるなどとして、末法に於いて日蓮聖人が折伏を弘教方法として選択されたのではないと主張しているのである。
日蓮聖人の真意が奈辺にあったかという問題は、優れて学術的なものであり、一般の教師が容易に立ち入り得るものではないので、専門的な研究者による研究の成果、議論の推移を見守るより他ならない。
岩間総長は、昨年(平成十六年)の宗会で施政方針挨拶に於いて、
「摂受・折伏の問題については、勧学院と現代宗教研究所からなる日蓮宗総合研究会議を開催し、『布教伝道の現場に於ける摂受・折伏の在り方と理念的裏付—宗門の現代社会への対応のあり方』を諮問し、『摂受・折伏の意を正しく理解すること、摂受・折伏は共に大慈悲心の発露であること、また布教伝道を行なうにあたっては、個性や特性を発揮して摂受・折伏を使い分け、人々を法華経信仰へとみちびかなければならない』という答申書が提出されましたので、現場の教師は、この答申をもとにして布教活動に邁進して頂きたいと思います。」と発言されている。
この問題は、宗政の側が行司となって、結論を出したりし得る、或はすべき、問題ではなさそうであるから、この発言も誠に故あることであるが、しかし、「伝道教団」を標榜しする宗門の基本姿勢に関することであるから、あまり中途半端にしておくのも如何かと案ぜられもするのである。
従って、専門の研究者や勧学院に於ける更なる研究と議論に待ちつつも、当面は、伝統教学たる折伏為本の立場に立って、布教伝道を考えることもあってよいのではないだろうか。
実は、この問題は、所謂現場にとっては、さほど大きな影響をもたらさないものであるようでもある。すなわち、摂受本意論者の主張によれば、日蓮聖人は一切折伏を行ぜられなかったとのことであり、折伏為本論者の所説によれば、日蓮聖人の弘教は折伏以外ではなかったとのことであるからである。
すなわち、同じ日蓮聖人の布教伝道に対し、一方は折伏であると解し、他方は摂受であると捉えているのである。例えば、『立正安国論』による国家諫暁は、常識的には折伏であるが、摂受本意論を唱える研究者によれば、これとても摂受として把握されるのである。
日蓮門下にあって亀鑑とすべきは、日蓮聖人であるのは言うまでもない。われわれ現代の日蓮門下は、現代に日蓮聖人が在らせられたならば如何なる弘教をなされたかを検考し、及ばずながらもせめてその一分を実践せんとすることを、為すべき布教の姿勢とすべきであろう。
そうした観点に立ったときに注目されるのは、この摂受折伏問題についての論争に於いても議論の焦点となっている、不軽菩薩の但行礼拝である。日蓮聖人が不軽菩薩の後継をもって自認されていたことを受け、折伏為本論者が折伏の真骨頂と捉え、摂受本意論者が摂受の象徴と解したのが、この不軽菩薩の行法である。
常不軽菩薩が刀杖瓦石の難に堪えながら、ひるむことなく「我れ深く汝等を敬う。敢えて軽慢せず。所以はいかん。汝等皆菩薩の道を行じて当に作仏することを得べし」の二十四字を高唱して但行礼拝した行は、この二十四字の教の魂を衆生にうえつけ、直ちに相手の根本善を刺激して仏性を顕発する化導法であるとされる。
天台大師は、不軽品を釈するに際し、衆生の機を本已有善と本未有善との二類に分けられた。本已有善とは、過去に法華経を聞いて成仏の種子を心田に下された者、本未有善はまだ聞法せず、成仏の種子を有しない者をいう。
日蓮聖人は、この天台智顗の説示を承け、末法には在世結縁の者(本已有善)は後を絶ち、全ての衆生が本未有善となるとされ、その衆生に下種結縁されるために、不軽行にならった弘法をこころみられたのである。
常不軽菩薩に倣い、自らも謗法の徒と対決し、その迫害を甘受して、釈尊の因行果徳たる題目の五字を下種せんとせられたのであった。下種とは仏の種を下すことで、成仏の因を失った衆生を救済する真の成仏である。これが不軽の毒鼓の縁であり、勧持品の菩薩行としての末世の弘教であったのである。聖人は勧持品と不軽品の三世にわたる相関を述べられて、「日蓮は即ち不軽菩薩たるべし」(定五一五頁)と述べられている。
世間には、徒らに攻撃的暴力的に布教することを以て折伏であるとする誤解がある。今、折伏為本の立場に敢えて立とうとするのは、無論そのような誤解された折伏を言うのではない。日蓮聖人が折伏を基とされたとすれば、その聖人の精神の基調には常不軽菩薩の仏性礼拝と衆生救済の悲願があったのである。
すなわち、折伏為本であろうと摂受本意であろうと、われわれ日蓮門下のなすべきことは、ただ題目の五字の下種以外にはないであろう。すなわち、南無妙法蓮華経を伝え広めることである。日蓮聖人が「釈尊の因行果徳の二法」の具足されるものとして感得され、それを受持することによって自然に釈尊の「因果の功徳を譲り与へ」られると示され、われわれに遺して下さった、教主釈尊が末代に留められた唯一の衆生済度の大法たる妙法蓮華経の五字を、またわれわれの周囲、われわれの次の世代、次の次の世代へと伝え取り次ぐことこそが、現代に於ける折伏にほかならないであろう。