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現代宗教研究第40号 2006年03月 発行

日蓮宗における内棲宗教—霊断師会について

 

ミニ講演
日蓮宗における内棲宗教—霊断師会について
(東洋大学社会学部教授) 西 山   茂  
 ご紹介いただきました西山でございます。今日、タイムリーというか、顕正会についての現宗研出版物が二冊、ここに用意してあるようですが、私が内棲宗教という言葉を使い始めた発端は、実はこの顕正会の研究にあったんですね。レジュメに沿って、そのお話からしていきたいと思います。
 三枚のレジュメと二枚の資料が付いていますが、まずレジュメの一枚目から始めさせていただきたいと思います。「発端」と書いてあるところですが、これが私が内棲宗教ということを考え始めた発端であります。一九七四年に、顕正会、当時妙信講といっていたんですが、これが国立戒壇を強情に主張し続けて宗門の制止を聞かないということで、日蓮正宗から講中解散処分を受けていますね。その妙信講の研究から、実は内棲宗教という言葉が始まったわけであります。後で探しやすいようにということで、当時の私の論文がどこに載っているか、頁まで全部書かせていただいていますので、興味おありの方は探せると思いますので、どうかお読みいただきたいと思います。
 その時の、着眼点といいますか、それは何であったかというと、既成教団の中に新宗教教団がある、こういう驚きといいますか、これが出発点だったのです。今までは新宗教というと、既成宗教とは無関係に勃興してきたもの、というようなイメージが強かったのですが、そうではなく、新宗教というのは、既成教団と大いに関係あるのだということを思い付いたわけですね。ですから括弧の中に「既成—新興の連続」と書いていますが、両者は連続してるのだということが、一つの着眼であります。
 もう一つの着眼点は、宗教組織の境界維持を曖昧にする教団内の教団の存在ということですね。宗教社会学はヨーロッパから始まりましたが、ヨーロッパはご存知の通りキリスト教の地域ですね。そういうキリスト教の、特にセクト的なキリスト教の場合は、バウンダリーの維持、組織境界の維持ということにこだわるんですね。ですから、異物が自分の中にあるということは絶対に許せない。そういうような要素が強いのです。勿論イスラム教にも同じような傾向があります。ところが、日本の場合はそうでなくて、教団の中に教団がある、ということですね。これは大変面白い。教団性の高い低いもありますから、内棲宗教の種類によって違うでしょうけども、しかし教団という塊の中にもう一つ塊がある、ということですね。これは非常に面白いと思います。始めから内棲宗教という言葉でなくて、当初は内棲セクトという言葉を使いました。
 ご承知の通り、妙信講は根本主義、ファンダメンタリズムの立場で、国立戒壇ということを強盛に主張する。現在の顕正会もそうであります。他宗謗法論、要するに、他宗邪宗教論というものを創価学会が主張してましたけれども、彼らはもっと強くそれを主張します。こういうラジカルな所をセクトと押さえてですね、そのようなものが実は既成宗教の中にある、これが面白いと思いました。それで内棲セクト、という風に命名しました。定義的には、特定の教団に所属しつつも、イデオロギー的・実践的・組織的に、それとは相対的に区別された独自の宗教集団としてのアイデンティティを保持していて、かつ、排他主義的な性格を有する、そういう宗教集団のこと、こういうことであります。既成の教団とは相対的に区別された独自の宗教集団としてのアイデンティティという場合、相対的に区別されたという所がミソでありまして、絶対的に違ったらこれは教団の中に教団としていられないわけでありますから、当然、相対的に違うということだけで、絶対的に違うわけではない。
 さて、そのような意味合いで使い始めた内棲セクトという概念ですが、その後、どういう風に展開していったのでありましょうか。私は、創価学会や本門佛立講の教団自立化過程、独立化過程の研究にこれを応用していったわけであります。と同時に、セクトという概念との切り離しを図りまして、内棲教団、内棲宗教という風に言うようになってまいりました。
 具体的には、「正当化の危機と教学革新」という論文で正本堂完成以後の石山教学の変化を取り扱いました。ご承知のように、創価学会は正本堂をもって戒壇とする、従って国立戒壇とはもう言わない、ということで政教一致という批判を逃れたわけですが、それ以後の日蓮正宗内部の在勤教師会とか正信会の人達の流れを、一定の教学革新の流れと押さえて、これを書きました。それからもう一つは、創価学会が最後に破門されて、独立していくわけですが、その教団自立化の過程を「内棲宗教の自立化と宗教様式の革新」という論文にまとめました。
 このほかに、「本門佛立講の研究」、「本門佛立講の成立と展開」という論文があります。これは、佛立開導といわれている長松日扇の百遠諱の記念論文集の中に書かせていただいたものです。このように、創価学会・佛立講などが、初めは宗内にあって内棲宗教であったものが、やがて独立していく過程、こういうものを追ったわけですね。こういうものとして、この時期の私の内棲概念は展開していったわけであります。つまり、セクト概念と切り離して、内棲教団・内棲宗教という言葉を使っているわけであります。
 さて、もう一つの段階は、内棲宗教論を日本の新宗教の類型化や宗教一般の分析にまで一般化していった段階です。これは、戦後の日本の新宗教研究の一つの集大成とも言うべき『新宗教事典』、この中に「組織」という項目を書きまして、内棲型とか借傘型とか提携型とか、完全自立型とか、こういう風に新宗教を類型化し、その一つとして、内棲型新宗教というタイプを設定させてもらったわけです。ですから、こういう段階では、内棲型というのは四つのタイポロジーの中の一つとして使っているということになります。
 ところで、新宗教の分類概念として始まった内棲セクトとか内棲宗教とか内棲教団の概念ではありますが、必ずしも新宗教だけに拘らない概念であることが、あとで分かりました。といいますのは、日本福祉大学を作った鈴木修学という方は名古屋の日蓮宗法音寺の開山ですが、この方は仏教感化救済会という戦争前からあった教団を、戦後、二度と弾圧されたくないということで日蓮宗に帰属させました。彼自身が荒行をやりまして、三度、満行しています。あそこの指導者はみな出家得度してお坊さんになります。内容的には非常に自立性の高い、法音寺教団ともいうべきもので、これは僧侶と寺院をもつ日蓮宗の中の内棲宗教です。そういうものもあるので、新宗教研究という枠の中には簡単に収まりきれない現象にまで内棲宗教という言葉が適用されるようになったと、こういうことです。
 もう一つ、私は、『日本社会論の再検討』という本の中でも、同じような類型を紹介しています。とくに、借傘型と内棲型の違いについては、こんな様に説明してあります。既成教団に所属してる点では借傘型と内棲型は同じである。しかし、両者が根本的に違う点は、借傘型の場合はただの傘借りで所属が便宜的であるが、内棲型の場合は信念と実践と組織に関わる宗教様式の核心部分を既成教団から継承しているという点である。もちろん、内棲型には、既成教団の宗教様式に付加した新たな要素というものもある。この新たな要素があるので、既成教団の側から見ると違和感がある。こうして、内棲教団は既成教団から相対的に区別される存在になるわけです。本日お話しする霊断師会にも同じようなことがいえるかと思います。
 以上、内棲宗教とは何かということについて、お話させていただいたわけですが、今日の私のお話は、その内棲宗教という概念を以て、日蓮宗の中にある霊断師会というものを考えようという宿題でしたので、次の話に進ませていただきたいと思います。具体的には、霊断師会の信・行・組織体系の特徴という所にいきたいと思います。お断りしておきますが、私は直接的に霊断師会を調査研究の対象にしたことはありません。普通ですと、いろいろな新宗教に対して長い時間かけてインタビューしたり質問したりするのですが、そういう経験は霊断師会に対してはありません。従って資料不足は否めないということをまず最初にお断りしておきたいと思います。あくまで、私の分かった範囲でご説明させていただきたい、ということです。
 参考資料は、以下の通りであります。まずは、霊断師会の昔の『行学講習摘録』です。次に、『宗門改造』です。なかでも、「望月・執行両教授の誤謬を批判し大崎宗学の歪曲を是正する」という高佐日煌氏の大崎宗学批判の論文です。これは数年に亘って続いて、『宗門改造』に連載されているものです。一から始まって三十九まで、だいたい四十回ほどやっています。七三号から一二六号まで、私は、ここに来る前に全部目を通してきました。これ霊断師会の中の人も、全部読んだ人は余りいないと聞いていますが、私は全部読んできました。それから、『よろこび』という雑誌です。今は出ていないのでしょうか、昔は出ていました。それから『聖徒タイムス』、これは今でも出ているのではないでしょうか。聖徒団の機関紙です。それから、戦前期の皇道仏教行道会の関係資料があります。この辺は『思想月報』とか『特高月報』とかいう戦争前の権力の側の資料の中にもあります。
 それから、戦後になりまして、霊断師会の創祖となった高佐貫長(日煌)氏が、一九四九年に行道文庫から『十字仏教』という本を書いています。しかし、これを読んだだけでは、新日蓮教学はよく分かりません。新日蓮教学を分かろうとすると、『宗門改造』、特に望月・執行両教授と論争したものを読まないと分からないのですが、一九八四年に、霊断師会が『新日蓮教学概論』をまとめて出されましたので、これを読めばある程度分かると考えていいでしょう。しかし、私から見ると、これは高佐氏の考えを分かるには、まだ不十分といえます。やはり、これは、特に望月・執行両教授との論争、これを克明に読まないと駄目ではないかと私は思います。
 霊断法の具体的なやり方に関しては、長谷部八郎氏の『祈祷儀礼の世界』という本を読まないと分からないのです。あるいは、藤田庄一さんが「宗門未公認の霊断法が千二百ヶ寺信者三十万人に発展した理由」という論文を、雑誌『月刊住職』二四六号(一九九四年九月)に出しています。こういうものを読めば、実際の現場で霊断がどのように行われているのかが分かるわけです。
 それから、新日蓮教学、特に『宗門改造』での望月・執行教授批判に対する反論が、雑誌『大崎学報』の一一五号(一九六二年十二月)に載っています。そこに立正大学の執行教授が「本尊論の根本課題—特に霊断教学の所論を中心として—」というものを書いております。
 これを読むと、宗門側というよりも大崎教学側が、どんな風に、この高佐日煌氏の新日蓮教学を捉えているかということが分かります。大崎教学の側は、これでもう決着がついた、長い間批判されてきたがこれで反批判できたとする意見もあるのですが、必ずしも私はそうとは思いません。特に本尊論で論争があったわけです。一尊四士本尊論と妙法曼荼羅本尊論との対決です。執行氏や望月氏は、一尊四士本尊論です。『日蓮宗読本』などには、そのように書いてあるのです。しかし、日蓮宗の中でも、本尊を巡る論争はいまだ定まっていないと私は思っています。『宗門改造』で高佐氏が、望月・執行先生の一尊四士論を激しく批判してるのですが、執行論文がこれに対するまっとうな批判になってるかどうか。これはやはり疑問のある所だと思うのです。但し、執行氏は、高佐教学の弱い所を突くという点では成功しています。高佐氏らは実修実証の久遠実成の釈尊をとらないで宇宙の一大霊仏としての無作三身仏をとる。要するに、密教でいう大日如来と同じだと。久成の釈尊をとらないで大日如来といってるのだから日蓮宗ではないと、執行氏はこういう所をかなり突いています。これはまた後程、そこを巡っての霊断師会の信行論の所で触れてみたいと思います。
 次は、霊断師会の信念体系の特徴は何か、という所に進ませていただきたいと思います。私は社会学者で、宗学或いは教学についてはよく分かりませんので、間違っていましたらご指摘いただければありがたいと思います。本尊論に関しては、一尊四士を排し妙法曼荼羅を本尊とすると、こういう立場がまずあります。でも、これは決して霊断師会だけではありません。宗門自身が檀信徒にご本尊を、と言われた時には臨滅度時の妙法曼荼羅を与えているわけです。ですから、妙法曼荼羅がいけないということはいえないわけです。日蓮門下の他の宗門の多くも、妙法曼荼羅本尊論の立場をお取りになっている。
 それから、久遠実成釈迦牟尼仏、これを新日蓮教学の観点からいうと、個人格の仏、釈尊単体とは考えません。霊断師会の教学では、もっと一重立ち入った所に、無作三身仏を立てる、ということであります。この一重立ち入った所に立てられたご本仏が、お釈迦様の名前を借りて久遠実成釈迦牟尼仏という場合もあるが、そうとすると個人格の釈迦と間違えやすいので、これを寿量仏ないし南無妙法蓮華経仏という、こういう立場があります。無作三身仏を南無妙法蓮華経というなりという「御義口伝」の文言がありますが、そういう立場をとるわけです。「御義口伝」とか口伝法門にやたらに頼るという立場には、勿論、問題もあるわけですが、この無作三身仏については、寿量本仏、寿量品の仏というような、色々ないい方があります。寿量御本仏ともいいますね。これは普遍人格で、この普遍人格が個人格としてインドに現れた場合に、これを釈尊というと、こういう風に捉えます。これは、宇宙大生命ともいえましょう。神といういい方を、高佐氏は平気で使います。
 それから、これが地球上で我々の人類の上にどういう風にお現れになるかというと、「総和の九識」という風にいいます。「九識心王真如の都」という言葉がありますが、この九識阿摩羅識、この総和が本仏であるという風に考える。だから全人類の九識、これを本仏と考えるということです。宇宙大生命即本仏という考え方、また、それが人間に現れた時には総和の九識、こういうように考えるということは、対馬路人・西山茂・島薗進たちが雑誌の『思想』に書いた「新宗教における生命主義的救済観」と合致しています。もっとも、これは霊断師会だけではありませんで、創価学会等も同じような特徴を持っています。宇宙大生命に即して本尊を捉える、ということです。創価学会では、人間を「総和の九識」とはいいませんが、妙法蓮華経の当体、当体蓮華といいます。霊断師会と近似している所もあります。もっとも、日蓮宗の内部でよく見ますと、無作三身仏という言葉の捉え方は色々ですが、よく使われています。無作三身仏は教学的に非常に危ない概念といわれています。無作三身仏という言葉は、日蓮聖人のご真筆にはないといわれています。しかし、宗門の中で、優陀那院日輝も清水龍山も使っています。しかし、戦後のテキストクリーティークの影響で、大崎宗学では実修実証の仏ということが強調されるようになりましたから、無作三身の考え方は否定されているというのが大崎宗学の現状ではないかと思います。
 先程も霊断師会は、無作三身仏のお名前を南無妙法蓮華経という立場であると申し上げましたけれども、玄題を無作三身仏の名と解し、妙法曼荼羅を十界に特化されたその顕現体と見ます。無作三身仏は無相の霊仏だが、現象的には十界の大調和の姿として現れる。高佐氏のこのような曼荼羅論、あるいは本仏論は、戦前の彼の天皇本尊論にも通じています。始めに無相の霊仏(天皇)があって、それが現象(臣民の種々の働き)として現れてくる。本質即現象なのですが、本質が現象界に現れてくる時には曼荼羅の十界の衆生になる。これを仏界縁起論とか随縁真如論で説明していくやり方です。私の立場としては本化仏教というものは、本来、随縁真如論ではなく、一念三千による成仏論ではなかろうかと思うのですが、このような立場というのが霊断師会には見られます。
 次に、日蓮聖人が末代幼稚の首にかけしめたもうといったお題目です。一大秘法のお題目観、自然譲与のお題目観は、どのようになっているのでしょうか。お題目を信唱受持するだけ、これだけで成仏できる、これが本化仏教の基本的な立場だと思うのです。ここが天台とは違う所で、題目の信唱受持で凡夫が仏になれる、即身成仏するということです。ここの所を霊断師会では、仏位相続という風に言っているわけです。末法の凡夫もこの信唱受持による仏位相続によって仏となることができると。また、その仏位相続によって、末法の我々が成仏観上の本仏となるということがいえる、こういう風にいってるわけです。
 最近、創価学会の松戸行雄という人が凡夫本仏をいってます。彼は、日蓮本仏という立場を一歩すすめて、凡夫本仏論に行くのですが、霊断師会では仏位相続論という言葉を使って、成仏観上の凡夫本仏の論理を組み立てているわけです。この他に仏陀観という言葉があるのですが、仏陀観というのは、完成された仏の姿ということで、具体的には、釈尊として現れた仏のことを仏陀観上の仏といいます。しかし、成仏観のうえで凡夫が仏になるという言い方をする時は凡夫本仏の立場をとる、という風にして成仏観と仏陀観を分けます。それで、我々にとっては凡夫が体の仏で、釈尊は用の仏です。体用本迹論の観点から凡夫本仏論の立場をとっているわけであります。仏陀観上の教相本仏は釈尊ですが、成仏観上の観心本仏は、名字即の凡夫が本仏になるのです。これを一応区別しています。
 霊断師会の教学は天台本覚論である、凡夫そのまま本仏であると言うではないかと仰るかも知れませんが、そうではないのです。彼らも、一応、信唱受持、名字即という立場をとってますから。名字をいただいたという一行が加わっていますし、完成された釈尊を仏陀観上の本仏として見ていますので、天台本覚論とは区別されるでしょう。彼らも種脱勝劣をいって脱益の仏よりも下種の仏を重視にしますが、かといって富士派のように脱を捨てて種を取るという立場を必ずしも取りません。仏陀観上の釈尊も大切にするという意味では富士派とも違う、という風に考えることができる。富士派は法体異の立場ですが、彼らはむしろ法体同ではないかと、私は思っております。なお、創価学会の松戸氏が凡夫本仏論を最近唱えていますので、松戸氏の論文も参照していただきたいと思っています。
 霊断師会は、信唱受持、名字即成仏を仏位相続の中身として、一行はさんであるのです。従って、凡夫がそのまま本仏であるというわけではないのですから、本覚法門そのものとは言えない。けれども、本覚法門的な所がないかと言えばそれはあるのです。高佐日煌氏もそれは認めていて、食わず嫌いで本覚法門を逃げてはいけない、日蓮聖人自身が本覚法門を経ているのだから本覚法門は大切だと、こういうことをいっています。「御義口伝」等を大切にしていますから、密教的といえるかも知れません。彼は、元々、本化仏教には密教的な要素があるのだということも言っていますから、それで何が悪いというような論理もあるわけです。
 それから、四十五字法体段という有名な「観心本尊抄」の御文を独自に解釈しています。これも、他の大崎宗学などではしていない所です。霊断師会では四種本尊観といっています。本尊を考える時に四つの見方がありますよ、ということです。ご承知の通り、四十五字法体段は、今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたるということから始まりますが、この、今本時の娑婆世界という所が浄土本尊観を指す、それから、仏過去にも滅せず未来にも生せずで仏本尊観を、所化以て同体で凡夫本尊観を、これ即ち己心の三千具足三種世間也で法本尊観を、それぞれ現しているということです。この四十五字法体段は、本因本果本国土という因果国の三妙を合論して在世事一念三千の法体に結ぶ重要な文言なのですが、霊断教学では不思議なことに、因果国の三妙が合論された事一念三千が三妙と横並びになってるのです。普通は、因果国三妙合論在世事一念三千と持っていき、これを末法に別付嘱として南無妙法蓮華経一大秘法と結要していくのですが、そうではなくて、因果国の三妙と、それが合論された事一念三千の法とが横並びになって解釈されているのです。
 かくして仏位相続された末法の名字即の凡夫が、九識霊断法によって九識の本体界に合一することで運命を予知し、今後の方途を予見することができると、こういう風に霊断師会では解釈するのです。新日蓮教学、或いは霊断師会教学、或いは高佐教学は、それ自身として結構面白いし、価値もあるのでしょう。ですから、霊断法よりも新日蓮教学のほうに興味を持って霊断師会に入っていくお坊さんというのがいなくはないのです。しかし、両者は繋がっている。九識論という観点で繋がっているのです。ここの所が一つのミソだと思います。これは高佐氏一流の自解仏乗で、日蓮宗にも本化仏教一般にもないものです。霊断法そのものも、高佐氏の発明であると思います。だから、霊断師会は日蓮宗の内棲宗教であると、このように言う根拠になるかもしれません。
 霊断師会の実践体系の特徴は何かということですが、これは霊断法につきると思います。これは妙法蓮華経の五種類の文字を記した金属製円板、これ霊璽と言いますが、これを各五枚、計二十五枚を袋に入れて用意する。そこから、相談者が無作為に五枚取り出す。霊断師は五種類の文字を彫った印判を、取り出された円板の文字の順に二十五のます目をとった表に押していく。これを五回繰り返し、表を埋め、文字の並び方から独自の判断を下す、こういう風に駒沢大学の長谷部教授はいっています。これは霊断のやり方ですが、このほかに倶生霊神符を配布したりしますから、こういうものと一緒になってる。あるいは修法師会に入っている人もいますので、修法師会の木剣祈祷が併用されることもあると、こんな風に伺っております。私自身は霊断を実際に見学したことはありませんので、これは人の論文の紹介であります。
 霊断師会の組織体系の特徴は何かということですが、これにはいろいろあります。在家の聖徒団を末寺に組織し、その統合体が身延山に団参などをしています。また、寺院の活性化のため、寺院僧侶による霊断師会を組織しています。以後、信・行・組織体系の独自性を強化し、数年前に藤田庄市さんが調べた時には千二百ヶ寺信者三十万人という勢力にまで発展しています。日蓮宗には五千ヶ寺あるということですから、千二百ヶ寺といえばかなりのものです。三十万という数字もかなりのものです。今はもう少し発展していると思います。目下、修法師会と同様の公認を求めて宗門と交渉中ということですから、私は学者らしく客観的に紹介しないといけない。したがって、ここでは、極端に誉めたり、極端にくさすということは控えたいと思います。第三者ということですね。
 では、霊断師会は内棲宗教かどうか、ということが問題になります。残りの十五分でもってこれについてお話させていただきたいと思っております。まず、信念の側面からいいますと、日蓮宗には多様な宗教伝統があります。顕本法華宗系の流れも戦後には入っています。富士派の流れも入っています。即ち、勝劣派の勢力が流れ込んできております。一致派とはいうものの、勝劣派の流れも汲んでいるのが今日の実際の日蓮宗の姿です。いろいろな宗教伝統が混在してるのが日蓮宗なのです。従って、異流義を判定する標準が非常に曖昧になっている、ということがあると思います。ですから、霊断師会は異流義だというように簡単にはいえない。
 本迹一致の伝統教学のなかにあっても、教相重視と観心重視、造像本尊と妙曼本尊、法本尊と仏本尊、超越の本尊と内在の本尊、己心本尊論とあります。コシンのシンを身と書く己身本尊論もあります。また、実修実証の仏と無作三身仏、こういうようないろいろな考え方の対立が、渦を巻いて日蓮宗の中にあるというのが現実であります。従って、今までもそうですし、現在もそうですし、これからもそうでしょうが、日蓮宗には正統と異端の別が付かなかったし、今も付いてないし、これからも付かないだろう、ということがあるのです。
 実践の側面では霊断法が注目されるのですが、修法師会の祈祷との違い目は、宗門の公認・非公認の違い目でしかないと私は思っています。従って、これは政治の問題、勢力の問題、こういう風に思ってます。どちらが正しいかということを判定するのは、宗教の場合には難しい問題です。日蓮正宗と創価学会や、正信会とか顕正会の場合もそうなのですが、時の法主を味方にするほうが勝ちとか、あるいは、選挙で宗会の大勢を占めれば勝ちとか、そういうこともあります。ですから、政治の世界のことには学者があまり首を突っ込まないほうがいいと思いますので、私は公平な立場から、霊断師会の霊断と修法師会の祈祷との違いは、宗門が公認しているか非公認かの違いしかないと、いっておきたいと思います。また、公認されれば偉いのか、非公認だから駄目なのか、ということも一概には言えません。勢力関係が逆になったりすれば、また逆になるのですから。ですから、政治の問題だということが言える。
 もっと立ち入った議論をさせていただきますと、霊断にした所で祈祷にした所で、唱題成仏の正行からいえば、方便行でしかないと私は思ってます。方便行は色々あっていいのです。何故ならば、なんとかしてお題目の正行に結縁させたいという気持ちから色々の方便を使うことは悪くないといえるからです。また、そうしなければいけないでしょう。逆に、方便を真実に繋がなければ、どちらであっても謗法になると私は思っています。霊断師会が内棲宗教であるかを判断する際に、霊断師会と修法師会の双方に加わっている寺院僧侶が多く、彼らに一義的な帰属がみられないということも重要な点です。実際、両方に入ってる人が多いのです。霊断師会が、霊断師会にだけ所属させて僧侶を拘束する、それで団結を守る、ということになれば、内棲教団としての特徴が強いと言えるのですが、そうではなく、散らばってあちこちに参加してるのですから、霊断師会は内棲教団性に欠けると私は思っています。
 それから、所属寺院間に幸龍寺との本末、法縁関係があるわけではない。ところが、名古屋の法音寺は、全国に散らばっている法音寺系のお寺や教会を末寺のような形にしています。支院といってますが、これを中央集権的に法音寺に所属させています。そういうような関係は、霊断師会にはないのですから、むしろ法音寺のほうが内棲宗教性が高いといってもいいでしょう。
 また、所属寺院が日蓮宗の各布教区に所属していて、戦前までの本門佛立講のような特別教区制をとってはいない。佛立講は、日蓮宗八品派の中で特別布教区ということでひとくくりにしてあったのです。ところが、霊断師会はそういうような形をとっていない。戦前までの本門佛立講は紛うことない内棲宗教でありましたが、それとも違う。従って、内棲宗教性は、戦前までの本門佛立講より弱いということがいえると思います。
 さらに、霊断師会として宗教法人格を取得していない。これも決定的ですね。創価学会は、戦後、日蓮正宗とは別に、東京都知事認証の独立した宗教法人格を取ってしまっています。ですから、日蓮正宗は創価学会を警戒しました。私の聞く限り、霊断師会はまとまって宗教法人格を取ったということは聞いておりません。
 それでも、いろいろな特徴からすると、特に組織面からすると、内棲宗教性はかなり強いと見ることもできるのですが、日蓮宗内に類似のグループが他にないともいえないわけですから、一概に霊断師会だけを捉えて内棲宗教であると騒ぐのもどうかと思います。
 結局、これが結論部分になるのですが、内棲宗教とは関係概念であるということになります。関係概念というのは、内棲教団と母教団との関係、この関係でもって決まるということです。従って、八品派や富士派のように、イデオロギー的な境界、バウンダリー、境目が明確な集団には内棲宗教ということが言えても、日蓮宗のように多様な宗教伝統が混在していて正統がどこであるか分からないような教団では簡単にはいえない。私は、もはや、日蓮宗イコール一致派教団とは言えないと思っています。何故ならば、一致派だけではない、顕本法華宗とか富士派が入り込んでるからです。彼らのことを一致派ではないと責めることはできないのですから、一致派教団とはいえない、このように思うのです。そのような教団においては、簡単に内棲宗教という言葉は適用できないのではないか、こういう風に思うのです。
 従って、今、宗門の中で、霊断師会自身が、宗門の公認を求めている段階、非常に政治的に重要な段階に達していますので、これが内棲宗教かそうでないかについては、慎重な判断をしたほうがいい、と私は思っております。
 最後に、資料の①と②がありますので、これについても簡単に説明させていただきたいと思います。
 資料①は、在家日蓮宗浄風会に関するものです。浄風会というのは本門佛立講の分派でありまして、明治末から大正期にできたものです。これは在家主義を掲げてまして、佛立講が八品派の中で既成化してしまったことに反発して純粋在家主義の旗を掲げて独立したものです。しかし、戦争前においては、なかなか国家の宗教統制の枠から逃れられませんので、七転八倒し、戦後になってようやく在家教団として独立した在家教団です。その過程を分析したものが、この「戦前期における純粋在家主義運動の運動過程」という論文です。この論文は私の内棲宗教論を下敷きにしているのです。既に私が申し上げましたようなことを書いてありますので、これはご参考までに添付したということです。こういうようなことで、内棲宗教論を適用して浄風会を分析したという、間もなく出るであろう論文の紹介です。
 もう一つの資料②ですが、これは日本福祉大学を創設した法音寺開山の鈴木修学氏、この人のことについて書いた私の論文の未定稿です。これも、実は内棲宗教論なのです。先程もご紹介しましたように、戦後に日蓮宗の修法師会の荒行を三行満行した鈴木修学氏が、日蓮宗の中で教団を維持しようと腹を決めて日蓮宗に入りました。ですがだいぶ日蓮宗とは性格が違いまして、法音寺教団とでもいうべきような存在の仕方をしています。これは荒行堂の副伝師であった田中日常上人が言った言葉です。彼は、現在の法音寺教団は、強い独自性と自治権を持つ点で法音寺教団とでも称すべき、日蓮宗に於いても特異な存在であると述べています。どういう風に特異かということですが、それは、戦争前までの仏教感化救済会という所から引き継いできた彼らの伝統です。彼らは、釈尊→杉山辰子→村上斎→鈴木修学という独自の法灯を主張しています。彼らは、杉山辰子は安立行の再来と考えています。日蓮宗は、当然、上行の血脈を持った教団ですが、彼らは安立行の血脈を主張してるのです。こうした所が日蓮宗と少し違います。これは、霊断師会よりももっと違う所です。彼らは、釈尊から鈴木修学に至る「諸仏の代理」の血脈を主張し、功徳をいただきたいと思うならば、この血脈に沿わなければいただけない、だから徳は本部から送っていただくものだ、それで病気が治る、こういうことをいうのです。ですから、私は、法音寺教団は配徳アンシュタルトであるといっているのです。そのほかにも、幹部が「ご神通」がけといって背中をさする行とか、いろいろなことがあります。米題目や豆題目といったものも含めて色々あります。こうしたものは、日蓮宗の伝統とは異なっている。異なってはいますが、そういうような異なった伝統を持った法音寺教団というものが日蓮宗の中にはあるのですから、決して霊断師会だけが日蓮宗の中の異物ではないのです。異物的な存在は他にもいっぱいあるということの例証として、この資料②を添付させていただきました。
 後で詳しく、資料の①と②をお読みになっていただきたいと思います。私の今日のミニ講演は、三枚にわたるレジュメに限るということです。不正確であったかも知れませんが、私なりに理解をさせていただいた内棲宗教の概念とそれを適用した場合の霊断師会の位置づけということで、本日のお話とさせて頂きました。拙い話でありましたが、これで終わりにさせていただきます。ありがとうございました。
 

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