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現代宗教研究第40号 2006年03月 発行

女人変じて妙の一字となる—女たちの如是我聞—

 

女人変じて妙の一字となる
 ——女たちの如是我聞——
(東京都久成寺副住職) 小 澤 妙 慧  
 本日は、超宗派の仏教者、及び仏教関係者である女性たちにより結成された「女性と仏教ネットワーク」会員として、積み重ねてきた活動をもとに、仏教界で生きる女性たちの声を皆様にお届けしたいと思います。
 十七年前に教師資格を得てから、仏教界の現実に違和感を抱くようになった私は、同じような思いを抱く女性たちと勉強会を続け、一九九六年に東海、一九九七年に関東で「女性と仏教ネットワーク」を立ち上げました。以来、私たちは『仏教とジェンダー 女たちの如是我聞』『ジェンダーイコールな仏教をめざして 続女たちの如是我聞』という二冊の本を上梓して、新聞・雑誌等への寄稿など社会的にも発言する機会を得てきました。皆様ご存知の、寺院やホテル・旅館などに置かれ、日本人ばかりでなく海外の人の目にも広く触れる『仏教聖典』という書物があります。その本の中には女性の生き方という部分があり、そこには差別的な女性観が列挙されていました。ここを読んだ女性たちは、逆に仏教が嫌いになってしまうのではないかと危惧されるほどです。その点につき私たちの研究会で検討し、、改定要望書を送付しました。二〇〇四年改訂版では修正がなされました。
 本日は、私たちのこれまでの実践から学んだことをお伝えできたらと思っております。わたしたち女性の直面する問題を仏教者として真摯に受け止め、ときほぐしていくことが仏教再生の道でもあり、男女共同参画の教団実現へとつながるのではないかと考えるからです。
 では、最初に、私の個人的な歴史から始めさせていただきます。それは私がなぜ法華経信仰者になったのかということを、お話することになるからです。私が生まれ育ったのは、山梨県のお寺で、隣の村には父方の祖父の寺がありました。その祖父の寺で、私は小学校高学年の頃、性差別の原点というべき経験をしております。祖母が病気だったので、母が時々手伝いに行ってたわけですね。ある日母がいない時に、私の祖父が檀家さんにこういう風に言ってるのが聞こえたんです。「女の子ばっかり五人も産んで」と。それは明らかに、母が男の子を産まないということを非難しているのだと子ども心に感じました。そういう口調の祖父の言葉を耳にして、私は非常に驚いたわけです。私にとってはもうほんとに素晴らしい母でしたから、どうしてそんなことを言われなければならないのかと悲しかったわけです。昭和五十年代でしたから、女性が僧侶になり住職を勤めることなど,祖父も母も頭の中にはなかったのではないでしょうか。
 その後結婚し、アルバイトや時にはフルタイムの勤めをもつ兼業主婦として二人の子育てをする中で,日本社会の仕組みに気付いていきました、学生時代には実感できなかった性差別の現実が、社会的制度や人々の意識の中にあるのだということに。夫が高度経済成長を担う猛烈サラリーマンでしたから、良い妻良い母であろうとしていた私は、三十代後半の頃,心身ともに追い詰められ大病を患っています。苦しみ悩む日々、同じような女性たちのように、相談室・カウンセラー・占い師などを訪れました。しかしどこも納得がいかないままのある日、はっと気付いたんですね、父の後ろ姿が浮かんで。私には法華経があると解った時、目が覚める思いでした。自分の前には法華経信仰という大切な宝があったのに、それに気付かないであちこちうろうろして、そして法華経に辿り着きました。そんなわけで、私と法華経の出会いというのは衣裏繋珠の喩えを思い起こさせるものでした。
 得度以来、現職の僧侶の方のお話を聞いたり、書かれたものを読むさまざまな機会がありました。でも多くの場合、女性に対しては、「自我を殺して夫や義父母に尽くせ」などと女らしい生き方を勧めるものが大半でした。女性たちはこの世の苦しみや悩みを抱き仏法の門を叩いたのに、世間の常識と何ら変わりのない、時によってはもっと女性たちを苦しみに追い込むような話を聞かされているのです。こんなことでは女性が、寺や仏教というものに拒否反応をもってしまうのではないかと、私は男性僧侶の法話に疑問を抱くようになりました。「生まれを問うな、行いを問え」と説かれた釈尊や日蓮聖人は、本当にそのようなことを教えておられるのかと不思議に思い、改めてご遺文を一人で読み始めた頃、女性宗教者がつくっている「フェミニズム・宗教・平和の会」に出会いました。この会はキリスト教関係の女性たちが始めたもので、仏教関係の女性は少なかったのですが、日本全国に会員がいて、毎月東京で例会を開いていました。キリスト教というと外国の宗教だから、日本の男性とは違ってフェミニストが多いんじゃないかと思ってしまいます。しかし、キリスト教世界における女性差別を知ってみると、欧米の男権社会を支える役目を果たしてきたのがキリスト教だと納得させられました。
 ここでキリスト教の女性観について、少し話してみます。キリスト教世界における女性差別について考えることは、仏教界の性差別にも光を当てることになると思いますので。
 西洋世界の女性差別の元ともいう考えは、アリストテレスの生殖論のなかにみられます。女性の劣等性を生物学的に立証したもので、彼は「女は男の出来そこないである」とまでいっているそうです。こうした一般社会の男性たちの差別的女性観が、キリスト教の中にも流れ込んでいます。アダムとエヴァの話に象徴されるごとく、性行為によって原罪が受け継がれたと考えられ、一般女性はエヴァの末裔として罪深さを負っているという風にきめつけられたわけです。現在のキリスト教会でも、聖句の中で女性に対し、「信仰と愛と清さを保ち続け、貞淑であるなら、子を産むことで救われる」と説くものもあります。このようなキリスト教の女性観は、別の形で文書のなかにもみえます。「婦人が教えたり、男の上に立つことを許しません。むしろ静かにしているべきです。何故なら、アダムは騙されなかったが、女は騙され、罪を犯したのだから」。ここにみられるように女性は、処女か、それとも母か、という形でしかその存在を認められないという女性観が、キリスト教社会の中で出来上がっていきます。ラテン語で女性を表わすフェミナの意味は、信仰薄き存在という意味だったと聞くと、これはもう驚くべき女性差別だと思わないわけには行きません。
 このような西洋社会とキリスト教会の女性観を見ますと、仏教圏における女性観との類似性に気が付かれると思います。
 日蓮聖人が「法華経より他の一切経を見候には、女人とはなりたくもなく候はず」(『四條金吾殿女房御返事』)とお書きになっていらっしゃるように、大乗経典にもさまざまな女性蔑視の文言がみられます。現在の社会に至る迄、日本の中でそれらの差別的女性観が生き残り、私だけでなく何人もの女性たちが、男性僧侶の法話、その書かれたものなどでそれらに遭遇しているのです。
 長い間キリスト教世界では、女性は男性より劣った存在として、「第二の性」と位置付けられてきました。ところが近年、男性のみにより独占されてきたキリスト教神学の世界にフェミニスト神学という新しい流れが生まれ、女性神学研究者による次のような聖書解釈が為されています。
 創世記には、よく知られたエヴァはアダムの骨から作られたという第二章のほかに、第一章の創造譚があるそうです。そこには、「神によって男と女が同じ人間として創造された」と書いてあります。このように、キリスト教の出発点においては開放的な人間像が息づいていたのに、男性がずっと教会をつくってきた結果、差別的女性観が長い間流布されることになったわけです。西洋社会でも女性たちは長い間社会の表舞台から排除されていたので、男性と同じことをするに当っては男性の名前を使うなどという場合がありました。ショパンの愛人であるジョルジュ・サンドとか、イギリスのジョージ・エリオットという二人の有名な小説家がそうです。現在の社会でも女性たちが社会的に認められようと思うと、男性と同じようにがんばって男性並に働いてこそ、という考え方があります。こうした、男性をモデルとしてそれに合わせた形で女性の生き方が決められる場合、女性の主体性は蔑ろにされてしまいます。そのような男女の関係を表わす仏教用語に、「変成男子」という言葉がありますね。中世社会以来日本仏教の中で使われてきた変成男子の思想は、いまだに社会の枠組みの中に生き残っているようです。
 「フェミニズム・宗教・平和の会」のなかで女性の視点から既成の宗教について見直す作業を続けるうちに、キリスト教と仏教では微妙な違いがあることに気付いてきました。そこでもっと仏教独自の会を立ち上げたいと、有志が語らって「女性と仏教・関東ネットワーク」が創立されました。ちょうど一年ほど前に馬島さんたちが「東海ネットワーク」を立ち上げていたので、二つの組織は協力しあいながら、それぞれ独自な活動を続けてきました。
 この会には、宗派を越えて女性仏教者および研究者、寺族、仏教に関心を持つ女性の他、神職の女性も参加しています。日本の宗教界に生きる女性が必ず直面するのが、性差別(ジェンダーの不平等)の問題です。これを共通テーマに、各々の実践を持ち寄り、女性の視点で仏教を見なおし、失われた宗教性を回復したいと願っています。では、「女性と仏教ネットワーク」の活動を通じて明らかになった問題を紹介していきます。
 会員である女性たちが書いた文章をみると、個人的な悩みや苦しみと向き合うことで、それまでの何の不思議もなく見過ごされていた仏教界の常識が、全く違う様相をもって私たちの前に立ち表れてくることに気付きます。自分だけのものと思って耐えていたり、言葉や形にして表現することをためらってきたものが、実は個人的なとるにたらないことなどではなく、広く仏教界に生きる女性たちに共通した問題であることがわかってきました。その原因を探っていくと、現在の仏教教団の構造自体に深く根ざした問題でした。それなのにこれまで「何の問題もない」と考えられてきたのは、教団が男性のみによって構成された典型的男性優位社会だったからでしょう。ですから、仏教界における女性差別の問題は、男性たちには見えず、聞こえず、わかりもしないこととなっていたのかもしれません。
 どの教団においても、縁の下の力持ちといわれてきた寺族や女性たちが「当たり前に流れている便利な日常」を支えてきました。それについて、ある寺族女性の言葉を紹介します。「夫である住職を立て、留守を預かり、出しゃばらず、控え目にして逆らわないことが女の美徳と思い、何の疑問も持たずにやってきた」。だいたい、この方の発言が、一般的な寺族の方の感想だと思うんです。ところが、この女性の本音はというと、「しかし、その間は不平・不満・愚痴が多く、それらをお聴聞の場で解消するよう努めてきた」というのです。又別の、寺にきて三十年という女性は、「お寺は僧侶もお庫裡もどちらも大切。それなのに男尊女卑の典型のような世界に見えます。女性の立場は弱くて何の力もない。こんなのおかしいと思ってもなかなか声をあげることは出来ない」と話しています。女性たちのなかには、寺の現実と向き合い、こうした思いを抱きながらも自分なりのストレス解消法を見つけ、[それなりに幸せならいいか]と日を送る人たちも多いでしょう。しかしその幸せも、「住職の付属物でいる限りは」という限定付きのようです。そのコインの裏側には、長い年月を寺に尽くしてきた女性に、「住職に万が一のことがあれば、私は風呂敷包み一つで寺を出る覚悟」といわせる、寺族女性の不安定な地位が貼り付いているのではないでしょうか。
 どの教団に於いても、制度的には確かに一見、男女平等であるかのように建前上は整備が為されてきました。ですから男性である僧侶の方々は、「我が教団には女性差別などあるわけがない」と思っている人が大半なのでしょう。同じ現実を生きていても、その受け取り方に微妙な違いがあることが感じられます。特に差別の問題に関しては、足を踏んでいる側の人間は踏まれた側の痛みがわからないといわれます。男女の間にこのような見解の相違が生じたのは、女性の視点を無視して男性が女性のあり方を決めてきた、仏教教団の歴史にも原因が求められるといえましょう。女性たちもそれに異議を唱えることなく、「お寺に住めるだけでありがたいのだから、不満など言うべきではない」と甘んじて従ってきたのがこれまでの姿でした。
 例えば、寺族の研修会ひとつみても、これまでの慣習だと、「いつも上から聞かせてもらうもの、勉強させてもらうもの」でしたから、自主的に女性たちの手で準備された内容のものはなかなか実現することは難しいようです。時には女性たちの積極的な動きがみられても、男性僧侶が横槍を入れてくることがあります。ある宗派で、地方の女性たちが作り上げた寺族会の会報が、配布直前で夫である僧侶たちの手で握りつぶされるということがありました。「若い女性たちにも自分の置かれた状況と、お寺が抱える問題について考えてほしい」との願いを込めて作成された会報でした。男性たちの言い分は、「女性の権利ばかり主張されるのは困るし、こんな疑問を妻たちが持ち始めれば自分たちには答えられない、こんなものを勝手に出すのはおかしい」というものでした。寺の中の女性が声をあげようとすると、身近な男性にその必要はないと阻止される、という一般社会の人間には理解しがたい現実があります、そこには、「寺族には無知でいてほしい」と願う男性たちの本心が読み取れます。無知つまり無力なままでいてほしいと望む夫たちの「期待する女性像」に自分を当てはめて生きてきたのが、これまでの女性たちでした。仏教界には、尼僧や寺族たちに期待される人間像というものがあります。それは、往々にして男性にとり都合の良い女性像である場合が多いのです。今でも、夫である住職の権威に服従するように婚約者を育て上げたと自慢気に話す若い男性僧侶もいると聞くと、寺にいる女性達が自立することの難しさを思わないわけには行きません。
 長い間ほぼ世襲制により受け継がれてきた結果、寺の中の男女関係には、女は男に従うものという既成概念が浸透しているようです。女性たちの問いかけに対しても、「俺のおふくろは苦労したから、おまえも文句いうな」などと、聞く耳を持たない男性がいます。母親の苦労の中味をわかろうともしない彼は、「おまえは何の資格もないのに」とか、「一人で稼げるのか」などと妻を追い詰めていくことさえあるのです。各教団における僧侶とその妻の関係があまり平等とはいえないものである場合、僧侶たちはその差別的女性観を元として仏の教えを説くことがあるようです。
 男性僧侶だけでなく、女性仏教者であっても差別的な考えを口にする場合があります。地方でわりに指導的な立場にいる尼僧さんが、「どんなに修行を積んだ尼僧でも、出家したての男性僧侶より下がらなければいけない」とおっしゃるのを聞いたときは驚きました。この方は仏の教えを皆さんの前で説いていられる方なので、私は唖然としたんです。信仰などない人の発言なら、ああそうかですむんですが。この考え方の源を辿りますと、原始仏教教団の時代に、尼僧たちを守るために作られた「八敬法」という戒律に行き着きます。その後の仏教の歴史に於いて、「八敬法」の中に書かれたことが、当初の目的とは異なり、女性たちを男性の下位に位置付けるために用いられる、というはき違えが起こってきたのです。男僧よりも尼僧は下がった位置にいなければいけないという形で、それが長い間受け継がれて、現在の尼僧さんの意識の底にまで残っていることに、それはびっくりしました。その反対に、お年を召した方でもこのような考え方をはっきり否定して、今の時代は男僧さんのほうが戒律を多く持たなければ?などと皮肉ることもあります。
 日本仏教の歴史を辿ると、伊藤美妙師が『現代宗教研究』第三八号に書かれたように、八世紀中ごろまでは女性差別はあまり見られません。最初の出家僧は、善信尼他二名の女性であったということに象徴されるように、古代の日本社会では尼僧さん達が沢山いて、女性が正当に評価され、自由に活動していました。そして法華滅罪の寺といわれる光明皇后が建てた国分尼寺にしても、国家鎮護と一般的な滅罪を祈る寺だったんですね。後の世になり、女性罪業観の深まりと共に女性の罪障の消滅を願う寺というように変化してくるわけです。ところが武士の世の中になり、男達が社会を統率するようになった中世の頃から、仏教界でも女性の地位が低くなり、差別的な教えが説かれるようになりました。法華経の中にある「女身垢穢非是法器」つまり「女の身は穢れているので法器に非ず」という部分にも光が当てられることになります。この言葉が出てくるから法華経は女性差別のお経だなんて誤解している人もいますが、あそこはよく読んでみますと、龍女はもう成仏した形で出てきているんですね。女であり子供でもある龍女なんかがどうして成仏できるのかと、その成仏を信じられない舎利弗の疑惑を打ち砕く形で、龍女は男の姿になってみせているわけです。男の姿といっても、日常的な男の姿じゃないんですね。三十二相八十種好という形をとった仏教的な、成仏の象徴としての姿である点に注目したいと思います。このような法華経の真意を離れて、女性の成仏を扱ったこの部分が安易に現実世界の男女に結び付けられた結果、差別が生じ世間に流布していったと考えられます。「女身垢穢非是法器」という文言の部分は、鳩摩羅什によるサンスクリットから中国語への翻訳の際に取り入れられたそうです。ということは、サンスクリット原典にはみられないこの文言は、翻訳時の女性差別がとてもきつい中国儒教社会の常識を取り入れたものと考えられます。ですから、その点に留意して法華経を説いていくことが大切だと思うのです。日蓮聖人が変成男子を否定なさって女人成仏を説かれたことを再認識したうえで法華経を説かれると、その素晴らしさが皆さんに伝わると思うのです。
 私たちの勉強会ではこうした、仏教界に端を発した性差別の原因とそのプロセスを探ろうと、女性の視点で仏典を読み込む作業を続けてきました。そこで、性差別を考えるにあたり、長い間大きな役割を果たしてきた二つの経典について考えてみたいと思います。
 まず第一に、中世から近世にかけて大流行した血盆経信仰を取り上げてみます。女性特有の生理現象が血の穢れであり、そのために女性は地獄に堕ちるとされていたのが当時の社会通念でした。そうした女性たちを救おうと、中国伝来の偽経、「血盆経」供養を各宗派の僧侶たちが庶民に勧めてきました。ある宗派では、戦前まで授戒会で御符として「女人成仏血盆経」が授与されていたそうです。最近、知り合いの女性からこんな話を聞きました、「私の生理の期間、穢れているから近寄らないでくれって夫が言うんですよ」。なんと前近代的な! とあきれてしまいますが、こんなに極端な形ではないにしろ、人びとの意識の底には未だに「穢れた存在」として女性をみるまなざしが隠れているような気がします。しかし女性の視点で見ると、近世の女性たちはこの差別経典を乗り越え、たくましく生きたことが判明しています。表舞台を男性に独占された当時の女性たちは、不自由な封建社会の枠を乗り越え、女たちだけの信仰グループである講に参集し、そこで自分たちの悩み苦しみを語り合い共有することで、有益な情報を得たり、楽しみを共にする仲間を作っていったのでした。
 次の経典は、浄土教における所依の経典、「無量寿経・第三十五願」です。そこでは、女性は本来疑い深い存在であるから、その女身を嫌悪することによって、初めて変成男子、つまり男性に変わって往生できると説いています。真宗中興の祖といわれる蓮如上人は「お文」のなかで、繰り返し女の身は罪深いと述べています。この「お文」は、その後長い間全国の寺々で使われて、女性蔑視観が人々の意識に刷り込まれていきました。
 もちろん女性蔑視観の形成に関与したのは仏教だけではなく、神道の血穢観やその他さまざまな社会的要素が複雑に絡み合っています。しかし日本仏教の歴史に於いて、女性は穢れた罪深い存在であるという女性蔑視観に基づいた救いの教えが、長い間何の疑いもなく受け継がれてきたのも事実なのです。女性を"一旦おとしめておいて救う"というやりかたや、"男にならなければ救われない"という考え方が近代社会になっても何の疑いもなく男性宗教者により引き継がれ、人々に仏の教えと称して手渡されてきたのです。こうした仏教的女性蔑視観は伏流水の如く私たちの意識下を流れていて、何かあると表面に顔を出すということがわかります。今は違いますが、学生時代の私はずっと、女ではなく男になりたいと思っておりました。同世代の女性に、同じ考えの人は多かったと思います。いま思うと、男性より劣った存在として扱われる点が納得できなかったのではないでしょうか。
 現代社会に至るまで、大方の仏教者が自覚のないまま女性差別の考えを仏の教えとして説いてきたのとは対照的に、鎌倉仏教の祖師の中には、女性に対する曇りのないまなざしを持たれた方がいらっしゃいました。私達の宗祖日蓮聖人と、曹洞宗の宗祖道元禅師です。日蓮聖人につきましては皆様よくご存知なので、道元禅師について述べたいと思います。
 深草時代の道元禅師は、永平寺に入られてからとは違い、庶民の中に入って布教されました。巷の在俗の男女に対しての布教ということで、今よりもっと差別の強かった時代、多くの悩みを抱えた中世の女性達が集まってこられたわけです。『正法眼蔵』の中の「礼拝得髄」の章で、道元禅師は次のように書かれています。「正法眼蔵を伝持せらん比丘尼は、四果支佛および三賢十聖も来たりて礼拝問法せんに、比丘尼この礼拝を受くべし。男児なにをもてか貴ならん。虚空は虚空なり、四大は四大なり、五蘊は五蘊なり。女流も又かくの如し、得道はいずれも得道す。ただし、いずれも得法を敬重すべし、男女を論ずることなかれ」。日蓮聖人の『諸法実相抄』の中のお言葉、「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非んば唱へがたき題目也」が想起されます。
 このように、同じ時代を生きた二人の祖師は、仏法を求めるのに男や女の別はないと女性を正当に評価されています。このような考え方は当時の、変成男子せねば女性は成仏できない、と考えられていた一般社会の常識を打ち破るものでした。道元禅師は女人禁制という最も宗教的な女性排除の思想をも、「日本国に笑うべきものがある」と、因習だとして激しく批判しています。「女性が禁欲の対象となるというのなら、その相手である男はどうなのか」とも書かれています。禅師は、当時の社会で一方的に罪深い存在と女性が断定されていたことに異議を唱えられたわけです。
 確かに宗教の中で女人禁制がずっと継承されてきた一つの原因というのは、やはり仏教の出発点において、修行者・出家者にとって禁欲というのが非常に大きなテーマだった点にあると思います。その場合、男性が禁欲を守れないということは、その男性の咎ではなくて女性が誘惑したからと考えられていくわけです。その点は、全くキリスト教の考え方と同じですね。そこで禁欲の対象である女性を聖域から遠ざけること、つまり女性の修行者であっても、女性は女人禁制の山には登れなかったり、一定の寺社には参詣できないという女人禁制が始まるわけです。こんな形で、女性たちが日本仏教の担い手であり真の主人公でありながら、その中心から遠ざけられてきたことの持つ意味は重いといえるでしょう。
 それではここで宗祖日蓮聖人が、中世社会で罪業深き存在と貶められていた女性たちに、仏の教えをどのようにお説きになったかを見ていきたいと思います。祖師が説かれた「法華経信仰による即身成仏」という女人成仏のあり方には、中世社会の一般的女人成仏論が持っていた「変成男子説」は全くみられません。このような新しい女人成仏の地平を祖師が切り拓くことが出来たのは、末法的状況にあった当時の歴史的現実と対峙するなかで、如来の誓願を実現する仏使上行菩薩としての自覚を持たれ、その信仰主体を確立していかれたからではないでしょうか。その結果、信仰の地平に於いては、性差(ジェンダー)を越え、男女が倶に並び立つことができるという発想が可能となったのです。それなのに日蓮聖人の教えを受け継ぐ立場にいる僧侶の方が、祖師の真意に反して、ともすれば差別的とも言える内容の説教をされるのはなぜなのか、を考えてみたいと思います。ご遺文のなかには、妻である女性は夫である男性を頼り生きていく身である、という封建的女性観が登場しています。今でもその部分が男性僧侶により引用されることが多く、その言葉だけが一人歩きをさせられることがあります。「女性が下がって家庭の中で他者への献身に努めれば円く収まる」という、新宗教を頼っていく女性たちに説かれる女の道と似たようなことが話されているわけです。
 しかし祖師の場合は、そんなことをお説きになっているわけではありません。ご遺文を繙きますと、対機説法の常としてまず、封建社会に生きる女性たちの現実に則してお話は始められています。しかしお手紙を読み進めていくと、「女だからこうしなさい」などと書かれているわけではないのです。例えば四條金吾殿の妻に対しては、「師としての夫に導かれよ」と信仰上の夫婦の関係を教示されてはいても、封建的な上下関係を強いる「夫に従え」などという言葉など、どこにも見られません。一方、池上家の兄弟の妻たちに当てたお手紙では、「此法門のゆへには設ひ夫に害せらるとも悔る事なかれ」(『兄弟抄』、と激励されています。そこには、法華経信仰を貫くためには夫には従わず逆に夫を導け、と呼びかける日蓮聖人の熱い心が込められています。封建の世に於いては夫に従う形で身を処していたのが、多くの女性たちの姿でした。祖師はそのような現状を知りつつ、「信心」という人間的尊厳に立ち、夫に働きかけ、倶に成仏へと向かわせる道程を指し示されたのです。その時、夫と妻の間の世俗的上下関係は消滅し、男女は同じ地平に並び立つことができるのでした。だからこそ日蓮聖人の教えは、当時の女性たちの心の深い部分に響き、その全存在を支えるものとなったのでしょう。
 仏教教団の歴史はこれまで、男性の色によって染め上げられてきました。又、教えを説くのは男性、ひたすら拝聴するのが女性、という構図が男女の間に横たわっていました。このような固定した役割分担を解体していく道が、未来を切り拓くことになるでしょう。ここ二十年ほどの仏教界の動きをみますと、そのような道を探して、どの教団に於いても女性たちが自分たちなりのやり方で小さな会を立ち上げ、現状に対する異議申し立てを試みています。その代表的なものに「真宗大谷派における女性差別を考える女たちの会」があります。一九八六年の発足以来、教団の女性差別を問い、男女が共に歩む教団をめざし、具体的な問題提起を続けています。教団では、その声を取り入れ、制度の見直しなどが行われています。それについての詳細は、次回のミニ講演で尾畑潤子さんからお話があると思います。
 女性たちは長い年月、たとえ息苦しさを感じていても、「尼僧だから、あるいは寺族なんだからそれで当然なんだ」と師匠や夫である僧侶に教え込まれた生き方に従い生活してきました。ところが、自分の内なる声に促され、世間から期待される尼僧像や寺族像に自分を合わせて生きることから自由になった時、「気付いてしまったら黙ってはいられない」と、多くの女性たちが語りだしています。女性たちはこのような小さな会とのつながりの中で、自分たちの人間性を回復していきます。仏教界に身を置きながら仏の教えに触れられなかったもどかしさも消えて、「信仰」とか「成仏」についての血の通ったイメージを、共に歩む仲間と語り合い、それを実践に移すことができるようになっていくのです。日本各地の寺で、自分たちの身の回りから、生きにくい現実を変えていこうと、女性たちを中心とした動きが始まっています。私たち女性がそう感じる社会とは、男性にとっても又異なる形での縛りがあるのではないでしょうか。女性たちの働きかけにより、男女がそのことに気付き、互いの声に耳傾けることで仏教界に宗教性を蘇えらせていきたいものです。
 仏教の歴史をみると、日蓮聖人のように生活者としての女性に透徹したまなざしを注がれた宗教者は少ないのではないでしょうか。源信の『往生要集』には、「愛し合っている男と女も、みなこのように不浄なのである」と書かれています。性愛という人間関係の基本的営為に対し、不浄観をもって排除したのが僧侶たちでしたが、その対極にあるのが日蓮聖人の女性観であったといえましょう。「罪業深き存在」とか「修行の妨げになるから」と一方的に排除されたり、「母性のみが評価される」、または「男性の救済者として観音に祭りあげられる」などの極端な女性像と、多くの負の女性観が仏教界で生産され続けてきました。それらが女性たちの生を縛ってきたことを、橋本多佳子の句「仏母たりとも女人は悲し灌仏会」にみることが出来ます。そこには、いくら持ち上げられても正当に評価されない女性の悲しみが表現されています。
 日蓮聖人が描き出したような等身大の女性像を回復することで、改めて男女がお互いの関係を築きなおすことができるのではないでしょうか。私たちは法華経と日蓮聖人の御教えに込められた人間観に立ち戻り、お互いを隔てている「性差別」という壁を取り除く必要があるのではないでしょうか。
 祖師が私たち女性に贈ってくださった宗教的メッセージ、「女人変じて妙の一字となる」(『王日殿御返事』)を胸底深く秘め、仏道を歩みたいと思っています。
 

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