現代宗教研究第40号 2006年03月 発行
「男女共同参画」準備段階「曹洞宗寺族相談窓口」を訪問して
「男女共同参画」準備段階
「曹洞宗寺族相談窓口」を訪問して
(日蓮宗現代宗教研究所研究員) 宇 都 宮 恵 禎
はじめに
鉢植えの蘭を頂くとする。今、この一瞬をと可憐に咲き開く花もあれば、これから開かんとばかりに頑なに力を秘める蕾もある。その反対に、その美しさを十分に広げたのか、花弁に皺が寄ってきた一輪も、またある。
蕾まできちんと咲かせようと思うのならば、萎れてきたかなと見られる花を摘まむとよいという。萎れてきても、尚咲こうとして栄養分を吸う。その分をこれから咲く若い蕾にまわすためだ。その手段もよいが、それも虚しい気がする。同様に、一鉢に二本の枝があると、太い枝のほうが栄養分をより吸ってしまう。だから、どちらかを切り、花瓶にでも挿しておくとよい。お互いのため、共存ではなく、違う生き方もあるということだろうか。
人間から見て、人と花とでは環境が違う。しかし、先記したことは私たちが日常行っていることと置き換えられないであろうか。自分の置かれている環境のそとを見ることで、かえって己の姿が判ることはよくあることである。その気付きの一つに、「曹洞宗寺族相談窓口(当時は準備中)」を訪問したことを報告したい。
昨年度は現代宗教研究所研究調査分担、教団・教化プロジェクトの「世間の目線にたった布教(宗務院女性室設置)」の現地調査のために、真宗大谷派「女性室」を訪問した。今年度は「男女共同参画」をも視野に入れて、「曹洞宗寺族相談窓口(当時は準備中)」を伊藤立教主任・伊藤美妙研究員と訪問した。実は、先方が用意した資料はない。話を進めていく中で、「尼僧団のあゆみ」という、年表と名簿が記載されている冊子を頂いた。こちらが質問した内容と先方の回答とを、六点にまとめてここに挙げる。
曹洞宗女性得度者数 一〇九五名/二六〇一四名
曹洞宗女性教師数 七一五名/一六四九八名
① 寺族相談窓口を設置するきっかけは何ですか?
第一に寺族問題が大きく表面化してきたこと。明確な回答は得られなかったが、寺族問題を広く一般的に扱ってきた「福祉課」という部署だけで対応するには困難な状況になってきた。住職遷化後の寺族に対する支援不足の声(後継者がいなければ即、寺院を出ていかねばならない等)が、時代の後押しもあって大きく訴えられるようになってきた。実は、「寺族」という位置づけがはっきりしていない。住職の配偶者でしかない。
② 「女性教師の会」等はありますか?
三箇所ある曹洞宗尼僧堂出身者で成り立つ尼僧団はある。ただ、宗門内外に働きかける活動を主体とした団体はない。外国人女性で日本に滞在し、資格を取得し、海外で布教している開教師はいる。しかし、日本人の尼僧はいない。
③ 「尼僧」に関する宗門内における問題点は何ですか?
若い出家者が少ない。即ち、後継者不足につながる。現時点では若い女性出家者を増やすより、高齢の尼僧に対するバックアップが優先であるという。高齢の尼僧は独身が大半で身寄りがなく、施設等に入所し、弟子に世話になるケースが多い。その弟子も四、五十代が若い世代に当たるという。
④ 女性の出家者が減っているのは何故だと考えていますか?
この質問に関しては、曹洞宗と本宗とは教師資格を取得する過程が違うことを前提。また、本宗より修行期間が長い(最低半年から二年間)ため、女性が長期にわたり世俗から離れることは困難なため(結婚・育児等)であるか、と質問をした。しかし、曹洞宗の方ではそのように考えてはいない。曹洞宗では、女性の出家者は生涯独身を貫き、お給仕に専念するという「出家主義」であるという。女性教師数七一五名中既婚者は約六名程度であるという。独身の女性教師にとっては、既婚者が大半を占める男僧に対し「邪道」という意識を持ってみているという。本宗の「尼僧法団」と体質が似ている。この「出家主義」が若い女性の出家者激減の大きな要因であるという。
⑤ 女性が住職を継ぐことにハードルはありますか?
現在の宗制では、女性が後継者になることに支障はない。しかし先記したように、尼寺も後継者不足で男僧が継ぐことになってしまっている。本宗はここ数年、住職遷化後に寺庭婦人が後継者になる寺院が増えてきている。また、子供である娘が後継者となるケースも多い。しかし、曹洞宗では女性が住職になるという意識があまりないという。子供が娘だけだとしたら、男僧が婿に入り住職になるのが通例であるという。地域差もあるが、女性が住職を継ぐことを好まない檀家もあるという。
⑥ 出家の理由
曹洞宗尼僧堂の指導者の話では(この方には直接会っていない)、「遁世」ということで出家し僧堂に入ることを希望する者が多いという。本宗在家出家者の「自分が救われた法華経、お題目を弘めていきたい」という布教をしていくという意識との違いを感じる。
六点から見えてくるもの
これから話を進めていくにあたり、あえて曹洞宗の宗憲、得度・教師取得の課程、寺族規定等には触れないでおきたい。制度そのものより、各々が持つ意識に重点を置きたい。
① 寺族問題とは保証問題
寺族には、寺生活の悩み以上の苦悩がある。急に住職が不在、あるいは住職の職を遂行できない状態で、後継者が決まっていない、その予定もないという時、寺族(住職の家族)はどのようにして生活をしていけばよいのか。「寺から出される」ということは、今現在あることである。寺庭と一般家庭の違いの一つに、「私物」ではないという点がある。例え書類上であっても、住職の仕事が勤まるものがいなければ、その場を追われることになる。世間では「専業主婦」業に対し改めて労働価値を見直す取り組みがあるが、寺庭婦人を含む寺族の労働はどこまで保証されるのであろうか。「私物」ではないのでお引取り願います、では済まないから「相談窓口」が開かれたのだ。
② 宗門に組み込まれていない存在
曹洞宗女性教師の開教師は多く、その歴史は古い。こちらの「開教師は何人いますか」という質問に「いなかったな…」と答えること自体、女性教師の存在が宗門とは別のところに位置しているのかもしれない。
③ 現存する「出家主義」とは何か。
③の原因に④がある。①にも記したように、ここでも後継者問題があがる。女性教師で住職の者は、女性教師に法統を継いでもらうことを望むケースが多い。それが叶わずに男性教師が住職になってしまう。実のところ、性に拘ってしまうのだ。④に記したように、女性教師数七一五名中既婚者は約六名程度であり、生涯独身を貫くことが「正道」というならば、「時代に即さない」という言葉を借りて後継者は育ちにくい環境である。妻帯をする僧侶を「邪道」とみるならば、自然に道は別れてしまう。ただ、ここで考えるのは「出家主義」とは何であろうか。同様に、「出家教団」とは何をもってそのようにいえるのか。出家主義を掲げる伝統教団を実際に動かしている僧侶は、男性である。その多くが妻帯をしている。それを「邪道」と見なしているが、出家主義を貫く「正道」の僧侶は、その意思を継いでくれる後継者がいないことに頭を抱えている。
④ 活字にならない宗憲
曹洞宗では、女性が住職になるという意識があまりないという。現在の宗憲では、女性が住職になることに支障はないという。しかし、何故か後継者は育たない。自分がやろうと手を挙げる者もいない。保守的な体質が根強いならば、非常にやりにくいものである。また、住職になれないと自分に言い聞かせてしまってはいないだろうか。宗憲に規程されれば、それに則り、行えばよい。しかし、行う人の意識が変わらねば生きた活字とならない。もっと大事なのは、変えようとする意識を持って行動することであろう。
目を通して頂けば分かることだが、六点に共通していえることは、本宗も然りということである。そして「男女共同参画」という観点からすると、現状を良しとする点は無いに等しい。
ただ、昨年度に訪問した真宗大谷派「女性室」、今年度の「曹洞宗寺族相談窓口」の話を伺っていて肌で感じたことは、本宗のほうが「明るくチャンスに恵まれている」ことだ。それにもかかわらず、その機会を多くの女性教師が知らずに見逃してしまっている現状がある。何故であろうか。
個人的な話で恐縮であるが、数年前に茶道に精通する「プロフェッショナル」な女性と話したことを紹介したい。本宗の荒行は女性には認められていないということに対して、「随分と女性は守られているのね」と言われた。どちらかといえば、「女性には出来ないことがある」事に被害者意識を持っていた自分には、ショッキングな一言であった。荒行が認められないという事は脇に置いておき、性差間にとらわれるあまり、性を過剰に意識しすぎて、己の性の特性を無視してはいないだろうか。時代に即した宗門であろうとするのであれば、チャンスは平等に与えられるべきであろう。ただし、チャンスを得られない原因を他者に向けることは、もうやめたい。
筆者は教師になり数年しか経たないころ、ある寺院関係の役職を頂いた。右も左も分からずに会議が数回開かれたある日、「尼僧さんを積極的に役に就くよう、中央から要請があったのですか。」「ありました。」というやりとりがあった。会話の尼僧さんとは、筆者のことである。ただ、会議に顔を出しているだけで役に立たないというニュアンスを含む、こんなやり取りを目の当たりにし、自分の能力不足を悔やみ、平然と本人を目の前にしてやりとりをすることを悔しいと思った。自分の能力不足を悔やむのなら、自ら学び行動するしかない。しかし、その感情を外部に向けると、相手を責めるだけのことになるのであろう。この一件で、「はじめに」に記した「蘭」の花の生かし方が似通ってくる。世間では「男女共同参画」を推進していこうと叫ばれる中、宗門も今まで見慣れなかった女性教師を起用することで何か得るものがあるならば、と働きかける。しかし、筆者のように、場になれない能力不足の者ができることは限られているのだ。
萎れた花も、茎から落ちるまで見届ける。硬い蕾はどんどん栄養素を吸って花開こうとする(そうであって欲しい)。そして、茎となるパイプがしっかりとしなければ、栄養素を供給することができずに共倒れである。あまねく活動の場を与え、すべての人が生かされるようにする。一見、上手に言い回しているが、仕事の能率はあがっていない。どの部分であろうか、怠っていることになろう。
「男女共同参画」との引き合いに、男女の格差を取り上げてみたい。数年で、女性の社会進出が増大したことに伴い、本宗も女性教師の活躍に期待する声を聞くことも度々ある。
人材は適材適所に配置しなければ、あるいは、本人の努力とバックアップがなければ発展しない。会社なら、損失にあたることもある。ただ、空いているスペースを埋めるために女性教師を就けるのでは如何なものか。また、どこに配置してよいのか、扱い方に悩むことも考えられる。ただ、本人の努力とバックアップがマッチすれば、宗門の一機関として発展しうる可能性は大きく秘めている。
『宗報』平成一八年一月号「宗勢調査報告書平成一六年度」参照
全教師数八二七九人、回答をよせた教師五三〇四人中、
男性教師四七二六人(八九・一%)女性教師数五五七人(一〇・五%)
住職数は、三一七八人中、
男性教師数二九七六人(九三・五%)女性教師数二〇八人(六・五%)
一目瞭然、男女の比率からいっても、圧倒的な数である。男性教師により、宗務は執行されている。
法事一件を執り行うにしても、式次第の内容に教師の性差は関係ない。僧侶は、声明なり読経をして法要一座を営む。それにもかかわらず、「尼僧には引導はわたせない」という僧侶、檀信徒の感覚はどこから出てくるのだろうか。ここでは能力の格差を重点に置くとすると、声明がより上手に唱えられる、読経の声がすばらしい等能力に差があるのならわかる。特定の僧侶に個人的感情(信者であるとか)を持っていることも理解する。ただ、尼僧全体を排除する言動の論理的な理由はないのだ。歴史的な経緯、男性教師による教義のとなえ方から女性を軽視することは、数多く語られてきた。宗教は未だ、その概念に呪縛されたままである。そして、能力に大差はなくても、土地柄などで尼僧の地位が低いものであったら、差そのものがつけられない状態になのである。
宗門として、教線拡大は自明なものであるが、そのためには活動の場の確保、維持が必要である。過疎地域の廃寺をとどめるなどの場を設け、人材を送り込む。しかし、このような経済的に恵まれないところは、多くのものが嫌悪する。そのような不便を強いられるところに、女性教師を住職に就かせる話もあった。何を基準に適材適所なのか、理解し難い。実際、都会の優等寺院などは定員オーバーの状態で住職の空きはない。動ける人材は宗務所等の内輪が多く、宗門の外部への働きは難しいのが実情である。手一杯の宗務に女性の進出となると、どこかに皺寄せがくることは想像に難くない。実のところ、宗門における「男女共同参画」は男女の比率からいっても、実現しにくい。皮肉なことに、女性教師を登用すれば、その扱いは「特別」ということになり兼ねない。
前段階が最も難しい
多くのジェンダーを語る記事を読むと、被害内容を書き連ね、女性の感性と重要性を説き続け、最後は女性の勇気ある行動に期待すると賛美して締める。まさにその通りで、相手に引き上げてもらうことは期待してはならない。自発的に行動をしていかねば、何もうまれない。機会に恵まれずに今、何から行動に移していけばよいのか分からない女性教師も存在する。そういう教師をも含め、共に引き上げていく「日連宗女性教師の会」の連携プレーが、男性教師の刺激となればと期待する。
女性の登用をどんなに法律で制定しても、男女それぞれが意識を変えていかねば、歯車が噛み合わない。常にどこに行っても女性がいることで、それが当り前になることもある。ただ、法律で制定されているからそのようにする、ということでは中身が変わらない。裏を返せば、制定されていないなら女性は必要ない、と言いかねないではないか。「曹洞宗寺族相談窓口」を訪問してわかることだが、まず、男女それぞれの意識改革を考えねば、「男女共同参画」は実現しないであろう。
参考資料
日蓮宗宗報平成一八年一月号「宗勢調査報告書平成一六年度」
曹洞宗宗憲
曹洞宗寺族規程
参考文献
現代思想「経済という語で何を指しているのか」立岩真也 平成一七年一〇月より連載中 青土社『混在するめぐみ』川橋範子・黒木雅子 人文書院
「曹洞宗尼僧団のあゆみ」
明治34年 五次曹洞宗宗議会において「尼僧学林設置案」を可決
〃 35年 富山尼僧学林創立
〃 36年 関西尼僧学林創立、長野尼僧学林創立
〃 40年 新潟尼僧学林創立
大正14年 駒大へ初めて尼僧の聴講が許可される
第一回全国尼衆大会を総持寺で開催
昭和2年 中村師、開教師として上海に赴任。
〃 3年 井上師、開教師といて釜山に赴任。
〃 4年 宗制において「尼教師分限称号例」を発布し、尼僧の教師資格を確認。
〃 11年 京都・妙説庵内に尼僧堂を創立。
〃 13年 小島師が開教師としてハワイへ赴任。
〃 14年 平岩師が開教師として中国へ赴任。
〃 15年 佐藤師が開教師として北京へ赴任。
室賀師が開教師としてハワイへ赴任。
伊藤師が開教師としてハワイへ赴任。
〃 19年 全国代表が宗務院に集合し尼僧団結成実行委員会を開催。団名は「曹洞宗尼僧護国団」と決定。団長に総務(後の宗務総長=cd=ba52以後昭和32年まで尼僧団団長には時の宗務総長が就任)
内川師が開教師として朝鮮へ赴任。
〃 20年 団名を「曹洞宗尼僧団」と改称。
〃 21年 東京宗務院内に尼僧団本部事務所を新設。
全国代表が登院し、終戦による新宗制制定を控えた特別宗会に「尼僧の法階や教師分限を男僧と平等にすべきこと」その他の請願書を提出。
宗議会で請願書が満場一致で可決。審議会を経た新宗制では嗣法(師僧から伝授)が許され教師資格が男女とも同格同名となり、尼師僧が認められ、尼安居が許され、選挙権が附与されることになった。
〃 22年 宗門教育体系確立審議会に三師が参加し「尼僧に対しての地位向上と教育教化」を要望。
教育の機会均等、被選挙権の要求、その他嘆願書を教学部に提出。
「尼師家養成機関設置」の嘆願書を教学部に提出。
〃 23年 臨時宗議会に男女差別撤廃の嘆願書提出。
尼僧に被選挙権が許可される。
駒大が共学となり、四人の尼僧が初めて正式に学部に入学。
〃 24年 宗務庁主催の地方特殊布教講習会に初めて尼僧の受講が許され、数名が尼僧会を代表して参加し、布教実習も行う。
〃 25年 名古屋市に愛知尼僧団支部経営の清水保育園を開設。
四尼学林がそれぞれ愛知・富山・新潟・長野専門尼僧堂として許可される。
〃 26年 小島賢道師が宗議会議員に任命される。
宗制審議会に伝戒嗣法に関する請願書を提出。
弟子の得度と伝法が、宗制審議会を通過。
ルンビニ園に陛下より御下賜金。
〃 27年 新宗制公布。弟子への得度と伝法が許され、男僧・尼僧の差別が撤廃される。
〃 29年 第三回世界仏教徒会議ビルマ大会に、法団代表として小島師を送ることに決定。
〃 30年 岩井師が開教師としてハワイへ赴任。
井上師が留学僧として全日仏よりビルマへ派遣される。
〃 32年 初めて「団長は時の宗務総長がこれを兼任する」という不文律が破棄され、尼僧の団長就任を得た。
陛下よりルンビニ園へ御下賜金。
〃 33年 両陛下、ルンビニ園を御視察。
〃 34年 ハワイ在住の尼僧開教師によってハワイ支部「ライチー」誕生。
福谷師が開教師としてハワイに赴任。
〃 40年 輪番制大八回尼僧総会において、男・尼僧の差別待遇撤廃、宗制一本化の嘆願書を提出。
〃 41年 男僧・尼僧の差別を撤廃し、宗制を一本化することの「嘆願書」を全国団員の代表理事・評議員の署名を添えて時の内局に提出。
〃 42年 青少年指導者中央研修会に青年教化推進委員の一人として青山俊薫師が出席。スカウト部門には全国で唯一の尼僧団団員によるガールスカウト運動の推進者として(昭和37年に長野第11団を結成)長野の塚田宗顕師らが参加した。
〃 43年 「おたより」18号で男僧・尼僧差別待遇の実態と宗門における泥沼的選挙の在り方を取り上げて特集し、宗門に一波紋を投ずる。
曹洞宗尼僧青年会が「仏母会」として発足。
宗制一本化を目指す運動の一連として①尼僧にも師家の道を開いて欲しい、②寺族にも資格のみを安易に与えず、厳しい修行の規定を設けよ、の二項目の申請書を当局へ提出する。
〃 45年 第二八回曹洞宗宗議会において、人材養成の一貫としてついに宗制上における男僧・尼僧の差別撤廃が決議され、半世紀以上にわたる平等への悲願はようやく実った。宗制の主な改正点①法階は尼上座、尼座元、尼和上、尼大和上となる。②尼安居は廃止され、結制は法地でないとできないから、准法地の場合は寺格を昇等させること。③転衣、端世ができる。④特別尼僧堂を開設する。
〃 46年 尼僧の有髪問題がマス・コミをにぎわしているのをとりあげ「おたより」58号で「現代尼僧の在り方」として有髪問題を特集。
〃 47年 四師が尼僧団推薦により尼僧界初の権大教師の辞令を受けられる。
「宗会議員選挙の在り方についての嘆願書」を宗制審議会会長・宗務総長に提出。主な内容は宗議会議員の泥沼的選挙の禍根を除くために、①開票を教区単位から宗務所単位にする、②選挙方法に地方区・全国区制を採用する、など選挙方法の改正を嘆願、全国尼僧団団員を代表する役員の署名を添えて提出。
〃 49年 尼僧の歴史始まって以来、尼僧のみによる拝登諷経が本山の特別の配慮により厳修された。
〃 51年 全国僧堂堂長会議が宗務庁において開かれ、50年山形総会で審議され一等教師への道を開かれたい旨の上申書が愛知専門尼僧堂から提出。
〃 54年 「東西霊性の交流」実施、日本尼僧を代表して青山俊薫師・井川悦導師が渡欧。
〃 55年 曹洞宗東南アジア難民救済会議発足。全国からの協力金四〇〇万を曹洞宗東南アジア難民救済会議へ送る。
尼僧団育英会(仮名)を設ける。
永平寺七百年にしてはじめて尼僧のみの法要二祖国師七百回大遠忌。
尼僧団拝登諷経厳修。
〃 60年 60年度理事・評議員会を開催し男僧尼僧の差別をなくすよう意見が出される。次の要望事項が宗務総長に提出された。
○男僧尼僧の差別を無くすること イ、行持規範における差別 ロ、回向上における差別 ハ、各地方のおける差別ある取り扱い
〃 61年 法階の「尼」が無くなり男僧尼僧の平等の道が開かれた。
平成3年 団員の要望により11月理事・評議委員会開催の際、本部講習会を併設することが決定された。また、各支部尼僧講習会に人権学習が義務づけられる。
〃 5年 大本山永平寺より平成五年九月御征忌会に尼僧団焼香師推薦の依頼状届き、天野師に決定した。
〃 7年 阪神大震災被災地へ焚きだし等。各支部団員等交替で約一ヶ月間ボランティア活動に参加する。
〃 11年 トルコ・台湾大震災地義援金三〇〇〇〇〇円を日本赤十字に送る。
〃 14年 高祖道元禅師七百五十大恩忌御正当法要へ尼僧団代表笹川師が列席焼香する。
大本山永平寺高祖道元禅師七百五十回大遠忌法要に三師が焼香師を務める。