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現代宗教研究第40号 2006年03月 発行

漢訳「妙法蓮華経」の書き下し基礎研究

 

漢訳「妙法蓮華経」の書き下し基礎研究(その一)
 
(日蓮宗現代宗教研究所顧問) 木 村 勝 行
 
  (一)
 漢訳された妙法蓮華経(以下妙経と略す)の完成(四〇六年)以来、本年は一六〇〇年にあたる。教化学上妙経はその中心的な役割を持ち、布教の原点である。故にその原点ともいうべき妙経の研究は日々怠りなく理解を深めていくことは当然である。
 法華経の普及版は各種出版されており紹介を省くけれども、鳩摩羅什大師訳(以下羅什と略す)を依経とする妙経解釈は漢文体の訓読、あるいはその書き下しによるところ多大である。私も今回、妙経二十八冊書き終えて出版した。本論考では書き下しの方法を考えたい。いわゆる「漢字の」文字と音声表現、その語意の辞書があるわけではない。中国の三世紀〜五世紀、しかも前秦後秦の時代の長安に於いて、訳経に関する梵文、トカラ文や文法書は伝えられず、直接に本文を解読する上で困難があるし、また歴史的な制約もある。また、妙経のテキストについても各種あり、日本では妙経八巻本を使用しているが、現代中国では七巻本が普及している。
 チベット版、モンゴル版の法華経はラマ僧の高学年の教科で読まれている。インドでは梵本法華経の普及、伝聞は聴くことができなかった。もはや古典となってしまったものか、「梵文経典」の普及については報告できない。インド、中央アジアの梵文仏教については宿題として残る。自国の言語によって妙経が流布する時代なのかもしれない。
 
  (二)
 梵文妙経の成立年代は先学の諸論考があり、前一世紀より一世紀頃、大乗経典形成初期とすることが定説である。妙経の外形的な研究の成果は多大であり、法華経の歴史的価値を成立年代によって、少しでも理解が与えられるならば、この上ないわけである。また、妙経の基礎研究の第一歩でもある。
 次に漢文体の書物、前漢書、後漢書や漢訳浄土三部経などによって、漢文の文法を取り出す補助的な作業があるが、これも外形的な研究の一つである。しかし、いわゆる書き下しには欠くことのできない作業であった。記述者の時代により、また地域により、漢字は自由に読まれ活用されてきた。ことに経文は呉音文化によって形成されている。漢音文化と異質な部分と、共通する部分があり、漢字音義は地域によって異なると思って解釈する必要があった。これらは南北朝時代になると、もっとも激しくなっていく。国家の分裂や統一による影響を受けている。
 羅什大師の時代もまた魏晋の時代から五胡十六国分裂時代であった。呉文化を採用し、呉文化による統一を目指すものであり、黄河、山東省などの四書五経、いわゆる儒教の漢文化と競った。しかしこれらの論考も妙経の外形的な研究にすぎない。求めているものは、内的な研究論考である。妙経の生命というべき経文の形成と成立である。釈尊在世には経典は作られず、入滅後、大迦葉尊者の提唱と阿難尊者の多聞という、いわゆる経典結集の伝承による。
 これらの史実は「阿難はつねに侍者となりて法蔵を護持す」
「阿難はつねに多聞を楽しみ、われ(釈迦)はつねに勤めて精進す」
「阿難はわが法を護持し、また将来の諸仏の法蔵を護りてもろもろの菩薩衆を教化し成就せん。その本願はかくのごとし。」(人記品第九)
と釈尊にのべさせている。
「阿難の多聞」これは史実であり、滅後の今日、その教えの伝承を法蔵護持と位置付けて、これは阿難の本願としている。なぜなら、経典は阿難にはじまる歴史だからである。
 
  (三)
 数多くの一切経は阿難尊者の本願を受け継いできた経典である。この妙経の内容は阿難の本願に立って、方便品の九部経、法師品の十二部経に引き継がれ法華経に至ったことを示す。
 法華経の言語はサンスクリット梵文に俗語の混合していること、プラーグリット、マガディ語が混入されていると文献上の報告(渡辺照宏法華経物語等)にある通りである。つまり経典は俗語から雅語である梵語へと移行していった。その契機は前四世紀のパーニニの梵語の文法書の出現であり、サンスクリット文学運動の起こりである。大乗経典はすべて梵語である。ことに法華経の偈文は俗語で書かれていることはプラークツット語時代の文献である。俗語の偈は朗読されてきたものをそのまま書かれたと見なければならない。
 しかし、法華経はサンスクリットによる大乗経の運動の中で、編纂されたものであり、長行をサンスクリットにされ、偈文には俗語を含みながら、サンスクリット化されたと考えられる。
 このような経典の外形的に形成過程を見ると、古い詩型に詞書をつけるという形がうまれたといえる。布施浩岳先生の考察と一致する。そこで長行を省き、偈のみで法華経を構成すると、つまり経の骨組みと編集過程が見えてくる。妙経の古い俗語の層を発見する。ここで問題になるのは自我偈こそ最も古い形であり、内容的には法華経一経の主柱である。
 自我偈という核があって成立している経典であり、優陀那(自説)に当たる部分がこの偈であり、この偈に長行を加えるとき、サンスクリット語で加えたと考えられる。各品にも長行と偈というくりかえしが生じた。
「我は仏を得てよりこのかた経たるところのもろもろの劫数、無量百千万億載阿僧祇なり」
「時にわれ衆僧とともに霊鷲山に出ず」(自我偈)
釈尊の侍者として長年仕えた阿難尊者の本願でもあり、仏弟子たちや檀徒の願いでもあろう。長行の発題者は弥勒菩薩である。弥勒の登場する場面は序品第一、涌出品第十五、寿量品第十六、分別功徳品第十七、随喜功徳品第十八の五品である。これらは長行の追加編集のときにかかれたものであり、未来仏である弥勒信仰との弥勒の回心を包含、融合したものであるという考証は妥当性があると思われる。
 ギリシャ、ローマの神話の神像が、仏教に入って菩薩像となったことは重要であり、インド旧住世界の文殊とは異なる。他国より来れる新来の菩薩神像であった。ギリシャ、ローマ、イラン、オリエントなどの諸宗教(これは多神教)との国際的な交流、あるいは自国の神々との交流によって書かれた経典と見るべきであり、化城諭品には十方の梵天(神)の勧請によつて大通智勝仏が法を説くという物語の経典であり、数々の神像に対し、仏の原像が説かれる。釈迦も、また十六王子その一員であつた。
 また弥勒菩薩には寿量品中心の涌出品十五〜随喜品十八の五品が説かれている。ここでは仏寿を聞いた弥勒自身の信心為本がのべられ、信心は随喜に始まることが説かれている。人類は基本的に多神教社会であるけれども、今日では一神教の発展があり、どのように対応すべきかが今日的な課題である。一神教に対応して「仏を得る」という態度を理論化するにある。
 長行と偈の関係については、第十五、第十七、第十八の文型は一致する。寿量品の長行、偈の二つ文型は異質であり、別のものであることは疑いないけれども、偈文によって構築された仏陀像は一経を通じて変わらない。長行は諸仏の大王の地位、権能をしめす。この経典の特徴は「仏陀像を説き」「仏陀が説く」という二部構成になっている。
 仏を説明部分と仏のメッセージの部分である。仏陀のメッセージの部分に立脚してみるならば、一経は末世の実相を深く洞察して、生々しく悪世の実相を描写し、①智恵によって、②方便によって、③譬喩によって、㈬因縁によって、㈭信心によって、㈮随喜によって、㈯化身仏によって救われる者たちが活写されている。
 この経典には本述二門の典拠は見当たらなかった。かえって疑いを深めてしまった。これは私の信心が浅いからであり、日蓮聖人の起顕竟の法門に従って迷妄をさます理由であり、仏法とは未曽有の法である。未曽有の法を説く仏陀像を種々の姿で示す。
 俗語の妙経の書かれたのは中インドであり、サンスクリット化はマウリア朝インド、ガンダーラではないかと推定する。推定の理由は、前一三七年頃、ガンダーラに仏教美術がおこる、また月氏族の動向である。初代クシャン朝のインドガンダーラ進出は西紀五〇年であり、前漢書の記述では、前一三九年、前漢武帝の月氏への使者の記事、前漢の哀帝代の月氏の使者の記事(魏略)は前二年である。これはバリトリア時代の月氏である。月氏は前漢の匈奴征服の呼びかけに加わらず、南下し、ガンダーラ、カーブルに入った。スキタイ系の月氏族によって妙経が編纂されたとは思われないが、梵文妙経と異なったトハラ語妙経の伝承によれば、前一世紀のバクトリアの可能性もある。後考。バクトリアは国名であり、グレコ=バクトリア、サカ族、月氏族と支配者が変わる。
 
  (四)
 方便品第二、譬喩品第三、信解品第四、薬草諭品第五、授記品第六の五品は仏弟子舎利弗尊者、須菩提尊者、大伽葉尊者、迦旃延尊者、目連尊者ら五師への授記を説く。もし、序品が除かれるならぱ、方便品は序文の役目をしている。舎利弗の勧請と五千人退場(起去)、人間の聞法をのぞむ者と嫌うものとの二者に対して仏の心を示している。聞法を望むものへの長行と偈文と比較すると、偈文は長行の二倍あり、仏の法のあらましを述べている。因縁、譬諭、言辞、方便の四点をもって諸仏は法を説かれること。さらに方便品に「修多羅(経)、伽陀(偈)および本事、本生、未曽有を説きまた因縁、譬諭ならびに祇夜(重偈)、優波提舎(論議)の経」の九部経と説き、小法をたのしむものには涅槃門を説いたにすぎず、いまだ仏道を完成したとは述べなかったという。これより大乗を説くのであると。しかし仏の九部の法は大乗に入る本であると。小智より大智へと説かれると。(正法華経十巻や梵本には欠如している)序文の役割を果たし、先の仏教をまとめ(教法流布)、授記品で四師に授記している。また化城諭品をはさんで五百弟子受記品第八、授学無学人記品第九には富楼那尊者、阿若きょう陳如、五百羅漢、千二百羅漢衆、阿難尊者、羅=cd=61c4羅尊者、学無学二千人に記を授けている。
 勧持品に摩訶波闍波提尼、耶輸陀羅尼は大いなる法師であり、仏となろうと授記している。これは寿量品の「衆僧とともに霊鷲山に出ず」の衆僧に当たる。経典において、修多羅、伽陀、祇夜の文型をもって、弟子たちに未曽有の法を示し、因縁、譬諭をもって説明し、授記を与えている。九部の法、十二部経は阿難以来の経典史を整理し、大乗経である妙経解読のキーワードである。
 
  (五)
 漢文妙経はテキストとして見ると、①マガティ語、②サンスクリット語、③トカラ語、四番目が漢訳妙経ということになる。訳経史上、羅什大師訳が広い範囲に流布し、漢字圏に無関係になっている。漢訳妙経と依経とするに当たって、日本語化する必要はいうまでもないとしても、古典文学、漢文体の翻訳文学としてもテキストの「書き下し」は必要であろう。古代中国に来るインド、中央アジアの高僧たちは経典を所持し、これを中国語訳されるが、所持経典は梵文経典と胡語経典の二種類であり、直訳と重訳によって漢文経典が誕生する。胡語の法華経は知ることができないが、法顕や玄奘は胡語の経典にはなく、直接梵文を求めていた。彼等の通った西域の国々の僧徒は梵文を学習していること、小乗、大乗を習い、ホータン、ヤルカンドは大乗を学習していると伝聞している。
 正法華経十巻漢訳者、竺法護(月氏出身)はクロライナ王国(ぜんぜん国)より来て、敦煌菩薩と称された。これは梵文より直訳であろう。羅什の場合は重訳と見る。
 正法華経(東晋の時代)妙法蓮華経(姚秦の時代)共に呉音文化であり、呉音義によって読んでいくことになる。しかし、日本語には漢字辞典の内容は主に漢音義を中心にかかれていること、呉音や唐音の語義には注意が払われていない。この点でももはや経文は古典入りとなって、死語になる運命が待っている。漢字の音声に伴う微妙な語意や文意が無視されて直訳され、文脈が混乱するのが現代語の法華経である。ことに妙経の後半になると甚だしい。これが漢文解読の実態である。むろん、梵文経典があるという希望もあるが、梵文経典の日本語訳となると、異文化の日本語化は困難であり、成功しているとは思えない。かえって、まずいものになっている。翻訳文学の限界かと思わせる。インド、中央アジアの高僧たちの名訳には及ばない。
 妙経の前半のまとめと後半への重要な観点を示すものは法師品である。薬王菩薩を登場させて、人間とはなにか、仏教とはなにかの二点を示し、経典と共に生きる法師となれ、人々は法師に学ぶことが悪世に菩薩の道を得ると、薬王菩薩の本事は本事品第二十三に自己を灯明とするとでてくる。仏弟子たちの在り方である。舎利弗尊者ら出家在家に授記の法を説き、梵天勧請によって神々に法を説き、今また法師品によって、人と神のために在家にもあれ、出家にもあれ、法師像を提起された。彼等は「如来の使いなり」と。
 先に大通智勝仏の物語によって横に広がった世界、宝塔品では虚空に直立した宝塔(仏塔の中の大仏塔)と諸仏参集の世界を展開し、その尊厳を示す、大楽説菩薩を聴手に多宝如来の本事と誓願を説く。続いて提婆品には釈迦の忍精進と提婆の成仏物語、文殊の本事による竜王竜女の成仏物語、勧持品の悪世悪人の成仏物語、安楽行品には文殊の旧住世界の四安楽行を説く。ことに「楽(ラク)」はどう読むか。行を楽しむ、あるいは楽しい行と読むべきだとするならば、悪世に忍え得る菩薩が誕生する。このように法師、宝塔、提婆、勧持、安楽行の五品は悪世悪人の充満する国土に一貫した忍慈悲の心が流れている。
 涌出品、寿量品、分別功徳品、随喜功徳品の四品は他方来の弥勒を聴手とする一つの流れがあり、文脈で読むべきである。
 旧住の文殊よりさらに古い地涌の弟子たち、地球の国の国人たち、国境もなければ人種や階級、身分もない、大地の仲間である。安穏の国土の主は久遠の釈迦仏(仏の中の大王仏)である。人類史における宗教の原点、原像を示す。神のような人もあれば、人のような神もある。神人一如の地涌の菩薩たちとともにある。大通智勝如来の物語の世界と多宝如来の物語る世界に重ねて虚空会を見るべきである。梵天の世界を除くことはない。妙経は聖なる神々の物語である。その頂点に立つのが釈迦仏である。
 分別功徳品について大いに誤解があり、読まれることはほとんどない。これは分別の功徳なのか、功徳を分別するのか、文法上どちらが正しいのか、「仏寿」を分別、わきまえてこそ、功徳としての信心が確立しよう。諸本の解読は混迷を深めている。
 次に法師功徳品、常不経菩薩品については、別品ではない一体の文脈と見るべきである。法師の功徳は経典による六根清淨であり、それは視力聴力などの五官をこえた新しい視力であり、聴力の創造がある。法師の超能力について、常精進菩薩を聴手に説かれている。六根清淨とは精進波羅密の徳目である。得大勢菩薩(大勢至菩薩)に説かれた成者王如来の常不軽物語は法師品の経典五種行をほこる増上慢を礼拝する実践である。増上慢に対する嫌みな行である。真の礼拝行は、常精進があって六根清淨を成熟させていく行によってこそ、不軽の礼拝が成立する。
 法師功徳品、不経菩薩品については常精進菩薩と常不軽菩薩は表裏をなしている文体である。常精進の功徳と常不軽の功徳を説いているものである。両品は一体のものである。
 地涌の菩薩については、地踊か地涌か、大地におどる菩薩が、大地よりわき出ずる菩薩が、伝承する諸本の違いがある。また神力品については「仏寿無量」の徳を付嘱される虚空と大地に繰り広げるドラマである。神力偈が古型である。
 薬王菩薩本事品以下普賢菩薩勧発品までには粗雑な訓読による混乱が多い。菩薩たちの本事に学び、六波羅密の各徳目の実践の事例を述べている。仏教実践のケーススタディである。二十八品の妙経にさらに経文が付加され、二十九品、三十品とあっても不思議ではない。敦煌文書には二十九、三十品とあると伝聞する。法華経には複数の菩薩の本事の記述が続いていく性質のものである。
 

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