現代宗教研究第40号 2006年03月 発行
創価学会と日蓮宗の「小樽問答」再現記録
研究資料
創価学会と日蓮宗の「小樽問答」再現記録
(日蓮宗現代宗教研究所主任) 伊 藤 立 教
昭和三十年三月十一日、北海道小樽市公会堂で、創価学会と日蓮宗が討論する、いわゆる「小樽問答」が開かれた。
ことの発端から問答にいたるまでの経緯については、日蓮宗現代宗教研究所編『日蓮宗の近現代』(平成八年三月一日発行)に詳しいが、まだ不明な部分も少なくない。当初は、末端の創価学会員と日蓮宗僧侶の間で交渉が進められ、日蓮宗対日蓮正宗の法論となるはずだった。それが、日蓮正宗代表(代理)として創価学会が前面に浮上してから、法義的な意味あいよりも創価学会による「政略的イベント」へと変質してしまった。
「問答」とは名ばかりで、昭和二十六年に始まった創価学会折伏大行進の一環として利用する目的が見え隠れしたものであった。しかし、創価学会側から、創価学会が勝った、日蓮宗が負けた、ということばかりが喧伝され、その実態を知る者はほとんどいない。当研究所の若い研究員に聞いても、知らない者が多い。
「小樽問答」から満五十年たった平成十七年十二月八・九日、今も残る小樽市公会堂で、二時間十五分の録音テープを全部聞く研究員現地研修会を行った。その感想は衝撃的で、伊藤主任、山口所員他研究員十名から意見続出、創価学会が問題とした「身延山門前のお土産店で曼荼羅本尊を売っている」ことなど、日蓮宗として考えるべきこともあり、この「小樽問答」の内容を広く知ってもらう必要があると痛感した。
一方の当事者となった小樽市妙龍寺の現住職土屋大乗師にも話を伺い、「小樽問答」は決して過去の出来事では済まされない問題であるとの認識から、「小樽問答」記録再現作業に着手した。
創価学会は昭和三十年五月に『創價學會日蓮宗身延派法論対決勝利の記録—小樽問答誌』(以下、『小樽問答誌』と略す)初版を出版、昭和三十七年には増補改訂版を出版している。『小樽問答誌』は創価学会の立場での「小樽問答」全記録集である以上、客観性には問題がある。事実、発言が修正されていたり、都合のよい注釈が加えられていることが、妙龍寺所蔵録音テープを実際に聞いて判明した。身延山久遠寺では『みのぶ』誌の昭和三十年四月号で特集したが、「小樽問答」の部分は要約抜粋である。日蓮宗宗務院は昭和三十年七月二十八日に『創価学会批判』を出版、日蓮宗側講師長谷川義一師は昭和三十一年三月に『小樽問答の眞相』という小冊子を出版しているが、記録と記憶をもとに所感を述べているもので、「小樽問答」の忠実な再現ではない。
本稿は、北海道小樽市日蓮宗妙龍寺所蔵「小樽問答」実況録音を、可能な限り忠実に文章に再現したものである。
「小樽問答」の最後で、石田次男聖教新聞主幹(創価学会理事)が「日蓮正宗側の大勝利」といい、池田大作司会(現創価学会名誉会長)が「日蓮正宗創価学会が誰が聞いても誰が見ても正しい」といっている。この「小樽問答」は、創価学会が日蓮正宗の教義をもって「勝利」したのである。その創価学会が平成三年に日蓮正宗から破門された現在、「小樽問答」をどう評価するのか。「小樽問答」五十周年の平成十七年、創価学会は「宗門は法論から逃げた。創価学会が戦ったのだ」と喧伝している。
本稿は、以下の要領で作成した。
一、マイクを通していない登壇者以外の声は、ヤジとして( )の中に記した。
一、文中、三ヶ所テープ交換のために音が入ってない所があるが、《音が消える》《音が入る》と記し、『小樽問答誌』から該当箇所を補った。
一、一般質問者の氏名も、わかる範囲で記した。
一、文中、必要に応じて( )の中に注を記した。
本稿作成にあたり、土屋大乗師のご理解を得たことを記し、心から御礼申し上げる。
日蓮宗現代宗教研究所・同記録作成チーム
伊藤立教主任・八竹成奉研究員・山口功倫所員
創価学会と日蓮宗の「小樽問答」再現記録
「小樽問答」関係者一覧(当時、敬称略)
講師
日蓮宗代表
室住 一妙 明治三十七年新潟県生まれ、立正大学卒業、身延山短期大学身延山高等学校勤務。のち身延山短期大学学頭
長谷川義一 明治三十年東京都生まれ、東京都妙顕寺住職、日蓮宗東京北部布教師会長、元立正大学教授。日蓮宗常任布教師
創価学会代表
小平 芳平 大正十年長野県生まれ、昭和十六年十月入信、創価学会教学部長・教学部教授・大白蓮華編集長。のち公明党参議院議員。
辻 武寿 大正七年埼玉県生まれ、昭和十五年七月入信、創価学会青年部長・教学部教授・蒲田支部幹事。のち公明党参議院議員、創価学会副会長・参議会議長。
司会者
日蓮宗 松井義海(日蓮宗宗会議員)
創価学会 池田大作(創価学会渉外部長)
一般質問者(姓名判明者のみ)
日蓮宗(質問順)
小松智元(苫小牧法華寺)
望月徳英(函館實行寺)
三和連城(余市法華寺)
水野英嶺(川上妙巌寺)
創価学会(質問順)
龍 登 (男子第一部隊幹部)
龍 年光(青年部参謀)
細井精道(日達、のちの日蓮正宗大石寺六十六世法主)
一、両司会者挨拶
日蓮宗側司会挨拶 本日はこの画期的な日蓮宗講師側と日蓮正宗創価学会教学部との対決の学会を開催致しましたるところ、多数ご来場賜わりまして、司会者と致しまして、誠に感謝感激に堪えない次第であります。謹しんでお礼を申し述べます。
開会に先き立ちまして、お題目の三唱を致したく思いますので、どうぞ、その場でご起立をお願い致します。(ヤジ、「どっちの題目だ」、「身延か」)
南無妙法蓮華経
南無妙法蓮華経
南無妙法蓮《妙龍寺所蔵のテープでは、ここから音が消える》華経
本日の会合の司会者と致しまして取り運びます順序、その他のことにつきまして一言申し上げます。先ず最も大切でありますことは、会場が非常に多数詰めかけておりますために、非常な混乱も起るということが想像されるのでありまするが、画期的なこの学会でございます。聴衆の各人が一言一句も聴き洩らすようなことがありましては、誠にこの希有の大会をして汚濁に頻するということにも相成ると存じますので、両司会者の《音が入る》指図に従いまして飽くまでも静粛裡にこの大会が終了せられますよう、皆様の自粛自戒をお願い申し上げる次第でごあります。
なお時間が、ただ今より開会せられまして、九時十分に終了ということになっております。講師は各二名づつ登壇致します。講師の弁論は始め一人各十二分、更にその補足を致しまするのが五分、その順序は司会の側におきまして抽選を致して決します。一般質問は二十分、えー司会者が指名致しました来聴者皆様方からの質問に応ずることに相成っております。
なお講師の弁論が終りました後、講師間の質疑応答を三十分致しまする。本日の学会におきまして勝敗を決するというような、別に判者、判定人を別に設けておりません。そのために勝敗ということには頓着しないのでありまするが、もしも講師間におきましてその答弁に窮した場合、約二分間を経過するものは、これは負けたりというふうにみなしてもよろしいのでございます。
そのように実は、司会者側におきまして取り決めを致してあります。
なお会場にはそれぞれ、私どもの日蓮宗側と日蓮正宗の側から警備の方が出ております。司会者の命には絶対従って頂きまして、各会場係、警備の方の指図に従って頂きたいと存じます。
大体申し上げる事項は右のような次第でありまするが、くれぐれも静粛を旨として頂くことを切にお願い申し上げます。
それではただ今より、日蓮宗側の講師としてお招き致しました先生をご紹介申し上げます。
長谷川義一先生であります。(拍手)
室住一妙先生であります。(拍手)
失礼を致しました。
創価学会側司会挨拶 (拍手)えー学会の司会を致します池田と申します。(拍手)
全国にわたりまして、日蓮正宗の仏法の正しいゆえんによって、全国にわたる、間違った邪教といい切れる日蓮宗身延派の信者が何千何万と創価学会日蓮正宗の信者になったということは、実に日蓮正宗が正しいという証拠であります。(拍手)
したがって今身延派では、その身延の信仰があくまで日蓮大聖人様に対する敵であり、仏敵であり、それに気づき、日蓮正宗の仏法のみが経文の上でも哲学の上でも事実の現証の上でも正しいという証拠のゆえに、身延をやめて日蓮正宗の信徒になったのであります。(拍手)
ゆえに、ゆえに、その状態に躍気となって、今身延派はあの手この手を使って大衆を誑かせ、日蓮正宗の誹謗をなしておる状態が今日の結果になったと思うのであります。(拍手)されば、されば、私も身延の本山に行ってまいりました。あくまでも日蓮大聖人様は、「日蓮が魂を墨に染め流して書きて候ぞ、信ぜさせ給え」、そう申せられたご意志に背き、身延の本山そのものが、全体が、稲荷を拝み、蛇を拝み、あるいは小乗の丈六の釈迦を拝み、その雑乱ぶりたるや狂態の沙汰である感を覚えたのであります。(拍手)
世間では身延山があくまでも祖山であるというふうに考えておりますが、身延と日蓮正宗との法の勝劣は、厳然たるものであり、未だかつて大聖人様の真髄たる日蓮正宗の仏法が、身延などの邪宗邪義に敗けておるわけが絶対にないのであります。(拍手)
本日ここに、日蓮宗、又わが日蓮正宗創価学会の教学部の小平芳平氏それから辻武寿氏が、身延の権威者であられるようなお方と対決、また法論をする状態によって、皆様が明らかに、いかに日蓮正宗が正しく、いかに日蓮宗身延派が邪道であるかということが、はっきりなされることと思う次第でございます。(拍手)
学会教学部の先生方のご紹介を、私から致します。(拍手)
こちらにおられるのが、創価学会教学部小平芳平先生でございます。(拍手)
こちらにおられるのが、教学部、やはり辻武寿先生でございます。(拍手)
どうかさきほど、身延派の司会者が申されましたが、司会者の間におきましても、絶対に審判は司会者の権限にあり、また法論のしっかりした正邪というものを、あくまでもお取りしたいと考えておりますし、また場合によっては皆様方の賛否の状態も伺いたいと存じております。どうかこれから両講師のお話に入りますけれども、よくよくお聴き願いたいと思います。簡単でございますが、ご挨拶と致します。(拍手)
二、各十二分間の講演
日蓮宗側司会 それではただ今より日蓮宗講師側の長谷川先生のご講演をお願い致します。
(拍手)どうぞ宜しくお願い致します。
日蓮宗・長谷川講師 戦後におきまして、いろいろな新興の宗教が興っております。かなりに、中には批判すべきものが非常に多いのでございます。今回、私、参りまして、いちおうご参考のために一つご披露を致しまするというと、かなりに誤った如くの狂信的な態度もあるということを、非常に遺憾とするものであります。(拍手)
読売新聞の三月四日の夕刊をみてごらんなさい、こういうことが書いてございます。題して、「破滅の狂信」というのであります。家庭を破滅に導くが如くの狂信がある、ということを出ておる。それは、夫が新興宗教に迷ったというために、奥さんが憐れなる物語を新聞紙上に提供致しております。子供、三人抱え、ささやかなる商いを致しておりまするが、昨年夏からして主人がおとくい先から奨められ、○○(まるまる)学会という宗教に入り、朝晩二度、そして何か困ったことがあるというと一時間以上もお題目を唱えております。そのため、仕事がおろそかになり、店もさびれていきまするが、それもお祈りが足りないのだといってお勧めに従いまするので、借金もふえ、最近は、家を外にして折伏と称し、人々に入会をすすめて歩く、このために先祖より伝わるところの仏壇も戒名も皆焼いてしまい、こんな宗教に(ヤジ)入るのを取締まる法律はないでしょうかというのだ。(ヤジ)黙って下さい。家が栄えぬのは一家中が信じないからといって、そこに問題がおきている。そういったかなり誤っておるのが、ここに○○(まるまる)学会といっておるのでございます。(笑声、ヤジ)
ご存知でございましよう。そういったごとくの宗教があるということも、一つの事実でございます。これは紹介したまででございまするが、そこに極端に変曲に教えを曲げて、我々にいろいろな悪罵宣伝するというようなことは、充分に我々は知らなくてはならないと思っているのでございます。(拍手)
仏法は道理である。道理を曲げて盲信し、過信し、かくのごときの事例が提供されたということにおいて、私たち非常に嘆くもんでございます。本日は、小平先生と私は昭和二十四年以来、友人でございます。(ヤジ)よく知っております。こういったかたはそんなおかしなことはいわないでありましょうけれども、下におりまするかたがたが、かなりいたずらに我々に対して悪口し、我々に対して或ることを強要するがごとき卑劣な態度をもっておるということは、我々はいかにも残念であるということを、まず第一に皆様方に申し上げておきたいんでございますよ。(拍手、「そのとおり」)
いわゆる…組織をもってやっておるようではございまするけれども、(ヤジ、「やめろ」)私たち下谷の教団におきましては、かなり諸君方のために大きな被害をもっているということが沢山あるのでございますよ。(ヤジ)いくらでも事例はあげまするけれどもですね、我々下谷の仏教会のごときにおき、私は東京でございまするが、少くともですね、信仰をもっておる者が、(ヤジ)おのれの仮面をかぶってないがしらにして、そうして無理に強要し、まるで押合い問答をするがごとき卑劣な態度をもってするということは、日興上人の流れを汲んでおりまする者として、多大にこれは監視をしなければ、私は、ならないと思っているのでございまする。(拍手)
だんだんに法門の話も出ていくようではございまするけれども、開口一番私は、東都の新聞に発表せられたところの○○(まるまる)学会のその狂信ぶりを皆様方にご披露致しまして、どうかそういうものに迷わないように、一つお考えをもう一遍願いたいのでございまする。(拍手、ヤジ)まだある?(「登壇の主旨がわからぬのか」)
登壇の主旨ではございません。(ヤジ)これからして、小平氏があるいは辻さんもお話になるでしょう。それに従いまして、我々の実論というものを徐々に開陳を致したいのでございまするが、まず以て私からして、こういったことがあったということを一応ご紹介して、皆様方の反省を促したいのでございます。(拍手)
創価学会側司会 それでは創価学会の辻武寿先生が登壇します。(拍手)
創価学会・辻講師 ただいま長谷川先生から、縷々と学会に対する批判がございました。何千何万という数多くの中には、かりに幹部の指導が不徹底であって間違いが起こるということもありますけれども、ほとんどの者が、大獄からまぬがれて、大きな宿命を打開して、歓喜に満ちてやっているのが創価学会の現状であります。(「そうだ」、拍手)
それはさておきまして、私は身延山に一言いたしたい。
宗教で最も大事なことは、本尊である。本尊とは、(拍手)本尊とは「根本を尊敬する」ということであります。しこうして日蓮大聖人は、「末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや、答えていわく法華経の題目を以て本尊とすべきなり」、明らかに御妙判に明言しておられるのであります。
ところが先日、身延山へ行って驚きました。まずお釈迦様の像があると思えば、日蓮大聖人の像もある。七面山へ行けば、七面大明神とか七面天女とか申しまして、龍やら蛇やら得体のわからないような畜生が祀ってある。そのほか、稲荷が祀ってあるかと思えば大黒天が祀ってある。餓鬼道も畜生界も修羅界も何でも構わず拝んでいるというのが、現身延派の現状であります。(拍手)
「法華経の題目を以て本尊とすべきなり」という日蓮大聖人に対する師敵対といわなくって、何ということが出来ましょうか。(拍手)
そうかと思えば三十種類もの色々なお守り札がありまして、祠という祠、そういう所には、至る所にお賽銭箱があって、信心なんかどうでもいい、賽銭さえ上ればいい。(「そうだ」)これが身延派の現状なんだ。
経王殿の御書には、「鬼子母神、十羅刹女、法華経の題目を持つ者を守護すべしと見えたり」。鬼子母神も、法華経をたもってこそ、大聖人様のご本意であるお曼荼羅を拝してこそ、自分の頭を割れようとも飛んできて守護するというのが鬼子母神の願いなんだ。(拍手)
我々は、鬼子母神の所へ行って何を頭を下げて拝む必要がある。我こそ大聖人様の子として弟子として、末法の法華経の行者として広宣流布のために邁進している時に、(「そうだ」)鬼子母神が飛んできて仕えるはずであります。(拍手)
いわんや、畜生、龍神を拝むということは何事であるか。開目抄において、「諸宗、本尊に迷えり」、大聖人様は喝破せられております。(「そうだ」、拍手)身延には、身延には定まった本尊がない。(拍手)日蓮大聖人様の、大聖人様の仰せられた本尊を拝んでいない。釈迦を拝めとは誰がいったか。ましてや丈六の劣応身、三蔵経の劣応身を拝むということは、大聖人様の意志にも反することである。
我々創価学会は、大聖人様のご本意である弘安二年の十月十二日の本門戒壇の大御本尊様に向って、ただ一つの本尊に対して、心から帰依しているから功徳があるのであります。(「そうだ」、拍手)
この本尊雑乱に対して、身延山はいかに大聖人様にお答えするつもりでありましょうか。いかに創価学会に対して返答をするつもりであろうか、明らかな返答を承りたいと思うのであります。(「そうだ」、拍手)
また、身延山は非常に貴いところである、尽未来際までも日蓮大聖人の魂がお棲みする所であるから身延は貴いのだと、こう身延では主張するのであります。しかし、考えてもごらんなさい。何が何でも身延は貴いとは、日蓮大聖人は仰せられてはおりませんよ。「法妙なるがゆえに人貴く、人貴きがゆえに処貴し」。(「そうだ」、拍手)妙法が、清らかな妙法が続いてこそ身延山も貴かったのでありますけれども、今このように鬼子母神や龍神や大黒天や稲荷を祀っていたならば、たとえ大聖人様の御魂があるとしても、そこを捨て去るのが当然のことだと思います。(拍手)
また、「かかる不思議なる法華経の行者の住処なれば、いかでか霊山浄土に劣るべき」と。霊山浄土は、大聖人様のご本懐である本門戒壇の大御本尊様のおわせる富士大石寺こそ本当の霊山浄土でなくて、どこに霊山浄土がありましょうか。(拍手)
拝む本尊が貴ければ、その本尊が感応してこちらに功徳が出るのであります。(「そうだ」、拍手)
稲荷を拝めばピョンピョン飛びあがる。蛇を拝めばのた打ちまわる。犬を拝めば匂いが強くなるけれども、畜生道に堕ちるのだ。身延山こそ師敵対、大謗法の棲み家であります。(「そうだ」、拍手)
また身延山では、いろいろな荒行をする。水をかぶったり祈祷をしたり、そういうことは大聖人様が許されたのでありましょうか。(拍手)「利根と通力とには依るべからず」。又、荒行するなんてことは、これは外道である、バラモンのやることです。(拍手、「そうだ」)
大聖人様の教えは、ただ御本尊様に向って南無妙法蓮華経と唱え、朝に夕に方便品と寿量品を読誦するというのが大聖人様の仰せなんだ。この清らかな仏法はただただ日蓮正宗にのみ伝わっておる仏法であり、他宗の窺い知れないところであります。(「そうだ」、拍手)
私は本尊雑乱ということを以て、徹底的に身延を爆撃する。(「そうだ」、拍手)これに対して、身延の明らかなる返事を重ねて承わりたいと思います。(「そうだ」、拍手)
日蓮宗側司会 続きまして、日蓮宗側講師、室住一妙先生をご紹介致します。(拍手、「がんばれ」)
日蓮宗・室住講師 (ヤジ)身延山は、日蓮大聖人の真実の魂の打ち込まれた山であります。(ヤジ)ご一代の(ヤジ)ご一代の功徳は身延山、九ヶ年の間経を読み題目を唱えて、国のために一切衆生のために祈られた山であります。(拍手、ヤジ)
世界が、日本がいかようになろうとも、焼けてただれようとも、山は決して崩れないものであります。(笑声、ヤジ、「だまれ」、「やかましい」)
山は決して焼けないものであります。(笑声、ヤジ、「黙れ」、「静かにしないか」)御本尊、御本尊は、日蓮大聖人の魂であります。お題目に違いありません。身延山の諸堂には、悉く題目のク、ク、功徳が、釈尊の一体の仏の中にも、宗祖のご尊像の中にも打ち込められてあるのであります。この為に全国の信者は心から喜んで、賽銭もあげるのであります。(笑声、ヤジ、「乞食だ」)
乞食のような、乞食のような箱ではありません。(笑声、ヤジ、「それが仏法か」、「何でもいいから聞けっていってんでねえか」)
…それにゆえに…、身延の歴代は…(「水、水」)身延の歴代は、この大法護持のために……身を以って護っておられるのであります。この間の身延爆撃の聖教新聞(注、昭和三十年一月)におきましても、その生きた証拠があるのであります。私は前の法主(注、望月日謙上人)の弟子であります。その前の法主の最期臨終のことを、聖教新聞には発表せられております。あれは全くの正反対であります。黒くなって死んだとか、大酒飲みであったとか、それは全くの大嘘であります。(ヤジ、拍手)私は身を以てお仕えもし、最期ご臨終も見ておるのであります。また私以外にも、ここに生きた証人があるのであります。それを、まっかな正反対なことを以て身延の謗法の結果であると結論するのは、私個人においても全く大嘘であるということを、皆さんに証明できるのであります。(拍手)
いかに、いかに嘘をいおうとも、えー、いかにデタラメをいおうとも、生きた証人が、我々、私ここに、その一事をもっても論証できるのであります。(ヤジ多数、「忘れてないでゆっくりしゃべろ」、「どんどんしゃべれ」、「泣くならやめれ」、「黙って聴け」、「なんのために来たんだ、静かに聴けよ」、「聴こう聴こう」)
日蓮宗側司会 どうぞ皆さん、性急なヤジはやめて、もう少し静かにお聴き願います。
(ヤジ多数、「しっかりやれ」、「さあ、それからどうした」、「時間なくなるぞ」、「会場に反応するんじゃない」)
ひとつご祈祷の問題にしましても、ご祈祷は宗祖ご自分の功徳を代々伝持せられたものでありまして、荒行するということはその信念鍛錬の一つの方法でありまして、その、水を浴びる浴びないは別の問題であります。(ヤジ)いかなるものでも、いかなるものでも、信仰があればおのずから感応するものでありますけれども、その信仰鍛練のために水を浴び、あるいはいろいろな修行も、その人にとっての必要であります。・・・・・・えー、七面山のことにつきましても、七面大明神は、その、宗祖のご在世中に、山のそういう霊気が感応して奇蹟を示現し、後世それが祀られたのでありまして、すべての人々は、その、山、山、山の一つの守護神として、これを報恩のために、あるいは祈願のために参詣するのでありまして、その基づくところは、大聖人のご生命である信仰に結ばんがために、悉くこれを機縁にしておるのであります。(ヤジ、「何のことかわからん」、「默って聴け」、「質問」、ヤジ)
信仰は……、(「時間になるぞ」)大石寺、大石寺は……、身延に霊骨が、霊骨がないと申しまするけれども、厳然としてあるのであります。(ヤジ、「どこの馬の骨だ」)
馬の骨ということは……(笑声)……馬の骨ということは……(笑声、ヤジ) ……大石寺、大石寺派の勝手にいうことでありまして……、真の、真の真骨は、代々、代々の法主が、これを護持して来たのであります。
(ヤジ、「時間になりますよ」、「水、一杯飲んでやりなさいよ」、「どうした、しっかりやれ」)
身延、身延山全山は、この聖人の、大聖人の妙法護持のために、あらゆる努力をしておるのであります。(ヤジ、「論旨支離滅裂だぞ」、ヤジ多数)
本尊は…(ヤジ)…、本尊は、衆生の各々の心の真心にある題目を以て本尊とするのであります。この導きが、僧……、僧侶の役目なのであります。(笑声、ヤジ多数、「もう少し、ご法義の話は、ご法義」、「それでも坊主か」)
創価学会側司会 講師の方は、どんどんお話になって下さい。(ヤジ、「話して、話して、時間がたつよ」、「早く、早く」、「それで坊主か」、「漫談を聴きたいんですから、早くやって下さいよ」、「しっかり話して、話して」、「どうしたの」、「坊主」、「早くして下さい」、笑声)
創価学会側司会 講師のかたは続行して下さい。(ヤジ、「先生お願いします」、「話し続けて下さい」、「坊主どうした」、「早くやれ」、「早く話して話して、ご法義、ご法義」、「聴きたいんですよ、聴きに来たんですよ」、「どこまででしたかね、先生」、「お前の姿を見に来たんじゃない」、「おい、座れ座れ」、「説法できっか」、「ご法義、ご法義」)
創価学会側司会 あと一分三十秒です。(騒然、拍手)
日蓮宗側司会 静粛に静粛に。静粛に静粛…。(ヤジ多数、騒然)
創価学会側司会 あと一分ですから。(ヤジ、「ご法義、早く話した」、「もっと早くしゃべんなさい、ほれ」、「どうした坊主」、「ご法義聴きに来たんだよ、ご法義」)
創価学会側司会 あと三十秒。(ヤジ、「あと二十秒だぞ」、「鬼子母神鬼子母神」、「どうした」、「顔を上げろ、顔を」、「時間だぞ」、騒然、ヤジ多数)
創価学会側司会 時間でございます。(騒然、拍手)次に、次に、どうぞおかけ下さい。次に、日蓮正宗創価学会の小平芳平先生をご紹介致します。(拍手、騒然)
学会側・小平講師 えー、日興、日興上人が日蓮大聖人の仏法を正しく受け継がれたということは、厳然たる歴史上の事実であります。(「そうだ」、拍手)
今そのことをいろいろな面から論証したいのでありますが、ただ一つだけ申し上げて次へ移ってまいります。
それは、当時の身延の地頭は波木井殿でありました。この波木井殿は、大聖人様の入滅された後、身延山にはもはや大聖人様はおられない、その寂しさの、おー、感情のありました時に、日興上人様が堂々と第二代のご法主上人として身延山へ登られました。(拍手)
その時に波木井殿は、えー、日興上人様に非常にお喜びの手紙を差し上げまして、「日興上人様が身延にお出でになられましたことは、大聖人様が再び身延へ来られたかのように嬉しく思う、世間のことにつけても、仏法のことにつけても、何一つ不足はありません、身延へお出でになったことを重ね重ね嬉しく思います」と、このように波木井殿は日興上人に手紙を差し上げたのであります。その手紙は現在、富士の西山本門寺にきちっと残っておるのであります。(「そうだ」、拍手)
しかしながら、それから三年経ち五年経つうちに、ほかの五老僧は誰一人身延の山へ参りません。日興上人様はただ一人身延山にお出でになりまして、大聖人様の後を受け継ぎまして、弟子の養成、それから全国への布教、これに当っておられたのでありますが、そののち、民部日向という六老僧の中の一人でありますが、この人が身延へやって参りました。ところが地頭の波木井殿は、あれほど日興上人様がお出でになったことを喜んでおきながら、五年経ち六年経つうちに、すっかり民部日向の謗法にかぶれたのであります。(「そうだ」、拍手)
その一つ一つの具体的な事実は、あるいは原殿御書、あるいは、えー、門徒存知の事、その他、各文書にはっきりしているのであります。(「そうだ」、拍手)
その中を申し上げますならば、三島明神、あるいは箱根の権現様、そういう所へ波木井はお詣りに行ったのであります。あるいは又、釈迦の仏像を立てると、本尊にするというふうにいいだした。日興上人様は、大聖人様の教えでは、御本尊様は南無妙法蓮華経、三大秘法の御本尊様でなくてはならない。(拍手)
釈迦の、釈迦の仏像を建てることはあいならん、このように波木井殿を厳しく誡められているのであります。(「そのとおり」)
それからまた、波木井殿は念仏に供養をした。このような謗法が重なりまして、日興上人様は厳しく波木井殿を誡められましたが、波木井殿は聴こうとしない、しかも、私は民部日向の弟子である、日興上人の弟子じゃないと、このようなことまで、暴言をはなつようになったのであります。これによりまして日興上人様は、これ以上謗法の山にいても、どう仕様もない、大聖人様は、えー、地頭謗法ならん時は、日蓮が魂は謗法の山に住まないと、こういう意味のことを大聖人様はご遺言なさった。(拍手)
そのことは、私がただ推量していうのではなくて、美作房御返事というお手紙に、はっきりと出ておるのであります。(「そうだ」、拍手)
このようないきさつの後、日興上人様は奮然と、決然と立って、本門戒壇建立の霊地富士へ移られたのであります。(「そうだ」、拍手)
えー、その時の日興上人様のご心境を、原殿御書に拝したいと思います。
「身延の沢を罷り出でて候事、面目なさ本意なさ申し尽くし難く侯えども」、日興上人様としては、身延を出るということは本意ない事である。「打ち還し案じ候えば」、さて考え直してみるならば、「いずくにても聖人の御義を相継ぎ進らせて、世に立て候わん事こそ詮にては侯え」、たとえ富士へ移ろうとどこへ移ろうと、大聖人様の法義を正しく打ち立てるこそが、ことこそ、第一に必要な事である、との仰せでございます。(拍手)
えー、「さりともと思い奉るに御弟子悉く師敵対せられ候ぬ」
よくお考えになっていただきたい、と思います。日興上人様を除いて、以外の弟子はすべて、ことごとく、師敵対せられた。大聖人様に敵対せられた。
「日興一人本師の正義を存じて、本懐を遂げ奉り侯べき仁に相當って覚え侯えば、本意忘るること無く候」と。
このように日興上人様は、ただ日興一人(注、いちにん)、大聖人様の正しい教義を奉じて広宣流布するのであると、このようにご決意をお述べになっているのであります。(拍手)
しかるに、さきほどらい、ご両師のお話では、身延山の山へは大聖人様の命が吹き込んである、そのような御書がどこにありますか。(「そうだ」、拍手)
大聖人様は、「日蓮が魂を墨に染め流して書きて候ぞ」、この大御本尊こそ大聖人様のご本懐であり、この大御本尊こそ我々末法の衆生が即身成仏のできる唯一無二の大御本尊ではないか。(拍手)
このような状態でありますから、今でこそ身延と中山といえば親戚のように思うかも知れない。しかしながら、ある時には大いに喧嘩をした。その一つは中山の僧侶であります人が、「身延なんていうのは、とんでもない謗法の山だ。あんな山の前で、馬から降りても相成らん。まして身延へ詣るなんていうことは、とんでもないことだ」、このようにいっているではないか。(「そうだ」、拍手)
えー、まだ歴史上の根拠を申し上げると、際限ないのでありますが、このように日興上人様がただひとり正しく大聖人様のご正義を伝承されて今日に至っている。これこそ日蓮正宗富士大石寺である、そのことを申し上げて終ります。(「そうだ」、拍手)
三、各五分間の補足講演
日蓮宗側司会 引き続きまして講師間の討論に移りたいと思います。失礼を致しました。えー、えー、ただ今から、引き続きまして補足の演説をお願い致します。
日蓮宗側講師、長谷川先生にお願いします。(拍手)
日蓮宗・長谷川講師 身延の勧請問題に対しまするお話がございましたけれども、私一つここに補足致しておきまするのが、ただいま小平先生によっていわれておりますところの弘安二年のこの閻浮総与の本尊のことでございます。
このことは日蓮聖人の御妙判のどこにも書いてない、ということを私は断言をする。(拍手)
しかも、しかも日興上人書いていない。日道の三師伝を見ましても、それに触れてないじゃございませんか。相当の問題が出た時の、家中抄に、家中抄において初めて板本尊ということができておる。しかも、そこも、添え書きというものが、何だかんだかさっぱりわからない。私、研究致しまする時に、本山の第二十、四十八世の、本山の四十八世の富士大石寺日量貫首の、富士大石寺の明細誌を見るというと、「現当二世の為に造立すること件の如し、本門戒壇の願主、弥四郎国重、法華講衆」と、こうなっておる。そうしとったら、それが違うんだってんだ。どっちがいいんだか、さっぱり解らない。(ヤジ)そしたら、どうしたのかというならば、「右造立件の如し、弘安二年十月十二日、本門戒壇の本尊也、願主弥四郎国重、法華講衆」というのがこの説の本当だという。本山のご住職が明細帳に書いたのがさっぱりあてにならないというような御本尊は、かなりに私は問題がある。(拍手)
事実これは、古い文献には一つもない。一つも、このことはないのでございますよ。(ヤジ)弥四郎国重、というものでも相当の問題が起きるわけなんだ。しかもこの、仏滅度後本尊のいわゆる、何と申しまするか、仏滅度後二千二百二十余年あるいは三十年と書かなくちゃいけないというのであるそうですが、見た人によりまするというと、仏滅度後二千二百二十余年ということになっているわけだ。してみるというと、本尊七箇之相承に従いまするならば、三十年と書け、ということになっておる。そうすれば、その時分には品物がない、ということがはっきり証拠立てるように私は考えておるのでございます。(拍手)御本尊七箇之相承は「高祖御談、日興之を写す」しかも仏滅度後は、三十余年と書かなくちゃならんということに書いてございまするけれども、見た人によりまするというと、はっきり二十年であるということがあるのでございますよ。私いっぺん拝見に行きたいんだけれども、他門の坊さんには見せないからして、眼が潰れるってんだよ。見せませんからして、解らないけれども、佛滅度後二千二百二十余年ということがはっきりしておるのでございますよ。しかもまたこれがですね、科学的にいうならば、今からしてですね七百年も昔、身延の山でもってですね、お祖師様が大きな楠板に彫ったかどうかというんでありますよ。しかも十間四面の草庵におきまして、日蓮聖人が彫ったということを誰もが知らないというようなことは、かなりおかしな議論ではありませんか。(拍手、ヤジ)
しかも今から七百年も昔、かなり寒い身延の山に、(「身延を焼くぞ」)楠のですね(ヤジ)、楠の(ヤジ)、楠の(ヤジ)、楠の(ヤジ)、楠の自然生の樹木があるかないかということも、かなり疑問であるということも、これも一応考えなくちゃならないと思う。(ヤジ、「坊さんじゃねえぞ」)
あらゆる諸方面からして、時間が今は五分であるからして申し上げられませんけれども、私はその閻浮総与の板曼荼羅というものの(ヤジ、「おまえに言う資格があるのか」)本当のことを、私は疑う。我々は日蓮聖人がそこにおいて、一期の大事、あるいは当身の大事、開目抄を作り、しかも本尊抄を作り、そののちにおきまして、(発言を遮って)
創価学会側司会 時間ですっ!
日蓮宗・長谷川講師 いわゆる示顕した本尊が正しい、ということを断言します。(拍手、ヤジ)
創価学会側司会 次に学会側、(ヤジ)辻先生にお願い致します。(拍手)
創価学会・辻講師 えー、ただ今、大石寺の本尊のことにつきまして長谷川先生から攻撃がありましたが、えー、これについては、小平先生から詳しく説明があります。心配することはありません。(拍手)
一つだけ私が申し上げておきたいのは、出世の本懐ということであります。
「仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、その中の大難申すばかりなし、先々に申すがごとし、余は二十七年なり」。
伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う。余は二十七年なり、余は二十七年にして出世の本懐を遂げたということはどういうことか。二十七年目にして初めて南無妙法蓮華経をお唱えになったのではありません。そこに重大な意義があると思います。これは小平先生の分野に属しますから、私は沢山いいたいことがあるので、そのほうをやらせていただきます。(拍手)
先ず最初に、さきほど、室住先生がおっしゃいました、仏像に、身延の仏像には魂がある。何故、身延の仏像に魂があるのか、その文証を挙げてもらいたいのであります。(拍手)
その次に、人のために祈祷をしてもよいということをおっしゃいましたけれども、そういう御書はどこにあるか。「利根と通力とにはよるべからず」、祈祷は止めてあるはずであります。(「そうだ」、拍手)
その次に、三つ目、信仰あればおのずから感応するということをいいましたけれども、それは確かにそのとおり、狐でも狸でも鬼子母神でも信仰すれば感応がある。但し、畜生道の感応があることを私は断言する。(拍手)仏を拝め奉れば仏の感応がある、畜生を拝めば畜生の感応がある。(「そのとおり」、拍手)
身延山は畜生の感応があるから、堕地獄だ。(「そうだ」、拍手)
次に、七面山のことについて。山の伝記であって、奇蹟があったと。守護神として、報恩のため祈願のためにしている。そういう伝記や、奇蹟が仮にあったとしても、与えて、あったとしても、そういうものを本尊にせよということを大聖人様がおっしゃったか、どうか。(「そうだ」、拍手)
「法華経の題目をもって本尊とすべし」とはっきり仰せられているにかかわらず、龍神や畜生を本尊とする理由いかに。(「そうだ」、拍手)
次に、ご霊骨は身延でご法主が代々お護りして来たというけれども、これは、日興上人様が日蓮大聖人様一切の宝ものと一緒にご霊骨だけ置いて来るわけがない、ちゃんと大石寺にございます。(拍手)
次に本尊は、衆生の真心をもって題目とする、衆生の真心の題目をもって本尊とするということをおっしゃいました。それでは、心が本尊か。真心が本尊だと…、それなら三大秘法は要らない。本尊と題目と戒壇、まあ、戒壇は与えていってあるとしましょう、戒壇。題目も唱えればそれはある。じゃ、本尊は、本尊は心だと。心が本尊ですか。なら三大秘法は、二大秘法である。(笑声、拍手)
さてこれを奪っていうならば、本尊は、身延に正しい本尊は一つもない。(「そうだ」、拍手)
それが証拠には、《テープ交換のため以下なし》「南無妙法蓮華経、身延山七十七世日嚴」、そんな本尊がどこにありますか。「南無妙法蓮華経、日蓮」、こうお認めになったのが御本尊でなければならないのであります。(拍手)
だから本尊に迷う。《音が入る》「諸宗本尊に迷えり」という大聖人様の言葉が、ひしひしと私の胸を打つのであります。身延山に本尊はない。(拍手)ことに身延山の開山である日向、日向の常住本尊は大石寺にあるんだ。(「そうだ」、拍手)
もう一つ、長谷川先生は顕本法華のご僧侶と承わっておりましたのに、いつの間にか身延山の用心棒にお成りになられた。まことに結構です。(拍手)これはどういうわけでいらっしゃいますか。失礼しました。(拍手)
日蓮宗側司会 次に、室住先生をご紹介致します。(「しゃべれよ、今度は」、ヤジ)
(ヤジ多数、「しっかりやれよ」、「室住さん」、「遠慮すんな、遠慮すんな」、「室住先生」、「負けたな」、「早くやれ」、拍手)
お静かに願います。
日蓮宗・室住講師 一つ、補足をしておきます。衆生の心がお題目に結びつけられた時に、それが本尊というのであります。(笑声)お題目は、大聖人の、また仏様の御魂である。この御魂に我々が信ずる時、そこに本当の本尊が開顕せられるのであります。(拍手)
その中に、自ら三大秘法は具足して来るのであります。(笑声、ヤジ、「証拠出せ」)
その、その本尊の(ヤジ、「証拠出せ、証拠」、「黙って聞け」)、その本尊の全体を日女御前御書には衆生の信心の妙法に対するお題目の信心のところに真の本尊があるぞ、とこうお示しになってあります。(ヤジ、「狐を拝めとはないんじゃないかい」)
狐を、狐を拝むということは決して(ヤジ)、決して(ヤジ)、決して(ヤジ、日蓮宗側司会「掛け合いのヤジはやめて下さい」……身延においては、狐を拝むということはないのであります。(ヤジ、「お稲荷か」)稲荷というものは、身延においては決して拝んでおらないのであります。(ヤジ、「拝んでいるぞ」、「拜んでるからヘビになるんじゃねえか」)
それは……本尊としては(ヤジ、「嘘をつけ」)、本尊としては、大聖人の御心であるお題目よりほかにはないのであります。(ヤジ、「分かった」)身延においても、それは実行しておるのであります。(笑声、「おい、七面山どうした、七面山」、「鬼子母神」、ヤジ多数、騒然)
日蓮宗側司会 貴重な時間ですから、ヤジのために講師が申されませんことは惜しいと思いますので、皆様の自粛を更にお願い致します。(ヤジ、「早く話した話した」、「時間なくなるぞ」、「もうやめたのか」、「坊主かこのやろう」」)
創価学会側司会 えー、どうやら何もいわないでお座りになりました。(ヤジ)これはダメらしいと思うのですが。(「そうだ」、拍手)
小平先生に…。(拍手)
創価学会側・小平講師 えー、(ヤジ)さきほど、長谷川先生から弘安二年の御本尊は疑わしい、ただそれだけのことで、一体何がどうしたというのか。もう少し具体的にして欲しい。指摘して欲しい。(拍手)
特に、特に私が具体的にお聞きしたいことは、それでは、もし弘安二年の御本尊が駄目だ、もし日蓮正宗が駄目だというなら、どこの信仰が正しいのか。狐や稲荷を、鬼子母神を、それを祀っているような、それが大聖人様の教えであるか。こういうことを何等ご説明も出来ないで、ただ、大石寺の御本尊は怪しい、それではお話にならんと思う。(拍手)
えー、しかしながら、えー、そのことは、すでに私も実際に雑誌に発表してあります。それで、かいつまんで二、三のことを申し上げておきます。
ただいま長谷川先生は、戒壇の御本尊が、弘安二年の御本尊が初めて記録に現れたのは家中抄だと仰せられる。しかしながら、そうではないんです。とっくの昔から、記録はあるんです。たとえて申しますれば、房州の日我というような人も、「この御本尊は大変立派な御本尊だ、大変なことだ」というふうに、きちっと記録を残しておる。そういうことを知らないのです。(「そうだ」、拍手)
それから、それではもっと昔になぜ記録がないかというんですよ、これはです、信心が無ければ御本尊はわからないのですよ。(「そうだ」、拍手)えー、さきほど申し上げました波木井殿の四箇の謗法、あるいは三箇の謗法と申しますが、この謗法の中にも、波木井殿は何でもかでも釈迦の仏像を立てようとしている。そういう信心のわからない者に、信心のない者に、御本尊様がわかるわけはないじゃありませんか。(「そのとおり」、拍手)
御本尊様は信じて大利益を受ける、これが御本尊様です。(「そのとおり」)それにもかかわらず、ただ飾り物か見世物みたいに、あの時代にあった、無かった、それは信心のない者は、今日本国中の人でもです、信心のない者には富士大石寺の御本尊がわからない、当り前のことですよ。(「そのとりだ」、拍手)
えー、五老僧をはじめ、波木井殿にしても、何でもかでも釈迦を本尊にしようとした。そのことを日興上人様は五人所破抄において、あるいは門徒存知において、厳しく破折されておられます。そういう状態でありますから、いつから身延ではお曼荼羅を拝むということになったんだろうか、これをお聞きしたい。(「そうだ」、拍手)
あるいは、お曼荼羅がいらないならいらないということをお聞きしたい、以上。(「そうだ」、拍手)
四、一般聴衆からの質問と応答
創価学会側司会 それでは、次に質問に入ります。質問のほうは、えー、学会の先生方に対してでも、または身延派の先生方に対しても、自由でございます。そうして司会が交互に、そのー、質問者の、あのー……。質問のほうは二十分間ございます。それで司会者が交互に指しますから、そのかたがどちらの先生方に指しても構いません。お伺いしてもかまいませんから、そのようにお願いしたいとおもいます。じゃ、どうぞ。(「はい!」)じゃ、いちばん最初に質問、手を上げた方。
質問 あのー、さきほど、室住さんのおっしゃった中で、私は何が何だかさっぱり解らないんですが、もっと説明して下さい。私たちは、学会側がこうして質問して何も返答のないところでこうやって終わってしまいますと、まことに身延の方は負けたんじゃないかと思いますが、このひとっつも返答ありません。はっきりとしたところを、汗を拭いてお答え下さい。(拍手、ヤジ、「早く、早く」)
日蓮宗側司会 なお、この質問に対して、答弁のほうは、えー、三分目に、えー、用意の合図を致します。そして更に五分になりますと答弁の時間を切ることに致します。
室住 質間の内容を承わります。
質問 えー、さきほど、狐を拝まないとこういうお話でございました。そのお答えの中に、何だか結論がわかんなくなっちゃって終わったのですが、私も矢張り日蓮宗をやっておりまして、狐をさんざん拝んでおるです。その結果がですね、あなたのおっしやるのは拝んでいないと。そういうことがどうも解りませんが、よく…。(拍手)
室住 えー、キッ、狐は(笑声)稲荷の、稲荷という正体ではないのでありまして、狐はその種々の神、えー、神のお使いとして仕えておるのでありまして、(ヤジ、「その証拠は」)稲荷というのは、稲荷というのはそれぞれの、ある霊的な神を稲荷と称するのでありまして……、(ヤジ、「大聖人様のお使いか」、「何の使いか」、「教えてやろうか、知らなきゃ」、「知らないだろ」、「大聖人様は狐をまつれといっておいでにならんよ」)
もちろん、大聖人は狐をまつれとはいってありません。(ヤジ、笑声、拍手、騒然)
質問 今、室住さんはおっしゃったけども、ぼくのうちでは、肺病で非常に苦んで死んだのが二人いるんです。こういう事実は、狐を拝んだ証拠です。だから大聖人の敵なんですよ。(拍手、ヤジ)
室住 それは個人が勝手に拝んでいるのでありまして、(ヤジ)身延で拝ましているのではありません。(ヤジ、「拝ましているのは誰だ」、「勝手なこというな」)
身延の、身延の者ではありません。(笑声、ヤジ多数、「賽銭泥棒」)
日蓮宗側司会 次、質問の方ありませんか。
質問 えー、さきほどから大石寺派の御本尊が正しい、正しいと仰せになっておりますが、私たち、はっきりとうなずけない。学的な証拠を挙げましてご説明をされておらないのであります。それで大石寺派の本尊のほうが正しいということを、佐渡始顕の本尊と比べまして、学的なる証拠を挙げまして、ご説明を願います。(拍手、ヤジ)
それから今一つです。日興上人は山を去られまする時に骨を持って行かないということはないということを仰せになっておられ、聞き違いか知れませんが、そういっております。もし持っておいでになったとすれば、いわゆる骨盗人ではないかと私は考えます。(拍手、騒然)日興上人のご文章のどこに書いてあるかを、ご説明していただきたい。(拍手、ヤジ)
小平 何を?
質問 日興上人がもって行ったということを、一体どこに証明して、どこに書かれてあるのかということを。(ヤジ)
小平 えー、大聖人様の出世のご本懐は、三大秘法のご建立にあった。このことを知らないから、そのような疑問が起きるのです。(「そうだ」、拍手)
三大秘法と申しますと、本門の題目。次に本門の題目は、大聖人様は御年三十二歳の時にお立てになっている。しかして次の本門の御本尊につきましては、大聖人様は、佐渡以来、なるほど、御本尊をお顕わしになっている。しかしながら三大秘法と申しますと、本門の本尊の戒壇、国立の戒壇というものが建立されなくては、三大秘法が満足しないのです。
この国立戒壇に安置されるべき御本尊と致しまして、大聖人様は弘安二年十月十二日の本門戒壇の御本尊としてお立てになっておられるわけです。(「そのとおり」、拍手)
もしも、もしもあなたが佐渡始顕が正しいと思うならば、なるほど、華厳経は一番先に説いた。それでは華厳経を信じたいのか。このように逆にお聞きしたい。(「そうだ」、拍手)
佐渡始顕、佐渡始顕と申しますと、なるほど佐渡において初めて顕わされた御本尊です。初めがいいというのなら釈迦五十年の説法の一番始めの華厳経をやればよいではないか。(拍手、ヤジ、「詭弁だ、詭弁だ、詭弁ですよ、それは」「そんな文証がどこにある」)
日蓮宗側司会 聴衆者同士の野次はごめん!
小平 いや、聴衆同士じやない。僕にいっているんだ。(笑声)
何が詭弁ですか、あんた。大聖人様の出世の本懐は三大秘法だということを、身延派の誰がいいましたか、え。最近になって、最近になって、国立の戒壇がどうのこうのという人が出て来ただろうか、出て来ないだろうか、私は知らない。(笑声、拍手)
とにもかくにも日興上人様は、大聖人様から本門の戒壇、国立の戒壇を建立せよ、とのご命令を受けている。(ヤジ、「証拠は、証拠は」、「証拠はどこにある」)(日蓮宗側司会「時間でございます」)もう一つあるんだけど、どうする。(ヤジ)もう一つあるんでしょ。(ヤジ、「今のは証拠がない」)
証拠は大石寺にある。証拠は大石寺にある。(拍手)もし、それを知りたいのならば、信心を奮い起して拝みに行け。(「そうだ」、拍手)信心のない者に、見せる、見せない、見世物じゃあるまいし、信心のない者が拝めるわけがないではないか。(拍手、ヤジ、「逃げるな逃げるな」)
創価学会側司会 時間になりましたから、次、質問、どうぞ。
質問 創価学会の辻先生にお願い致します。さきほど辻先生から、何箇条かの質問が出ましたが、それに対して室住先生がお答え願えないんですが、そのままで我々はですね、えー、よろしいのでありましょうか。辻先生のご心境なりですね、その、室住先生のお答えできなかったことに対して批判なりを頂きたいと思います。(「そうだ」、拍手)
辻 私がさきほど、仏像、身延の仏像に魂があるという文証を出せ、祈祷をしてもよいという文証を出せ、それから信仰あればおのずから感応するということについて、私は申し上げましたが。また、七面山の伝記や奇蹟をもって守護神としても差し支えないという大聖人様の教えはどこにあるか、それから、大石寺の霊骨のこと。御本尊は衆生の真心が題目である。それは、与えていっても二大秘法にしかならない。本尊建立ということ、三大秘法、本尊が立たなきゃ三大秘法にはならないんですから、このことについて質問致しましたけれども、はっきりした答弁がございません。それは、知らないものと私は解しているのであります。(「そうだ」、拍手)
日蓮宗側司会 次の質問。(「はい」、「はい」)次の質問はありませんか。(「はい、質問だ、質問」、「坊主ばっかりか」、「創価学会も」)
質問 えー、(ヤジ)ただいまの板本尊のご答弁でございますが、(ヤジ、日蓮宗側司会「ヤジは、どうぞご遠慮下さい」)あなたがたはこちらにはすぐ、文証を出せ、文証を出せと、(ヤジ、「聞こえないよお」、「当たり前だ」)板本尊が書かれた、あなたがたにとってそれほど大事な御本尊であるならば、大聖人のご文章の中にそれが出てこないということはないわけであります。(ヤジ、「ひや、ひや」、「そのとおり」)
それについてあなたは全然触れずに、ただ三大秘法という言葉をもってそれをごまかしておられる。(ヤジ)
私はそういうことをお聞きするんじゃなくて、(小平「ああ、そうじゃないの」)如何にして板本尊が大聖人のご真筆であり、かつ又唯一の御本尊であるかということを、大聖人のいわゆる、あなたがたのいう文証によって示していただきたいと思います。(拍手)
小平 えー、お答えします。御本尊様を、えー、御本尊様は各種あります。佐渡始顕の御本尊、あるいは紫辰殿の御本尊、あるいは万年救護の御本尊、というふうにあると伺っております。
これらの御本尊の中で、大聖人様がお手紙なり何なり書き遺された御本尊様がありますか。(拍手、「そうだ、そうだ」)
佐渡始顕がいいというのなら、佐渡始顕というお手紙が、あるいはご文章がどこにありますか。(「そうだ」、拍手)
しかしながら、御本尊様には必ず添え書きがございます。あるいは何々房に授与す、あるいはどこどこの住職何々坊に授与す、あるいは万年救護、紫辰殿、このようなそれぞれ御本尊の意義がおしたため遊ばされておられます。その意義の、御本尊様の意義として、本門戒壇、このように大聖人様が御本尊様にきちっとおしたためになっているんですよ。(「そうだ」、「そのとおり」、拍手)
そのことを、そのことを、身延のお坊さんだと思いますが、知らないのですよ。(拍手)ところが我々は、たびたび大石寺へ参詣致しまして、そのことをきちっと拝しておる。だから疑う、向うでは疑う。疑うたって、信心を興して拝する以外にないではないですか。(「そうだ」、拍手、ヤジ、「誰だって同じだよ。誰だって信心をもって拝むんだよ、本尊を」)
その信心がねえ。えっ、その信心が、狐、狐や蛇が飛び出すような信心ではいかん、とさきほどから申し上げてるのです。(拍手)
創価学会側司会 はい、次にご質問の方。(「はいっ、質問」)どうぞ。
質問 長谷川義一先生にお伺い致します。どうぞ、壇上へお出で願います。(「笑声」)二つお伺い致します。さきほど、読売新聞の問題について論ぜられましたが、あれは社説でございしましょうか、何でございましょうか。
長谷川 あれは人生相談に、ああいったふう(注、発言を遮って)
質問 投書でございますかっ。
長谷川 えっ。(「投書じゃないか」)
質問 投書の真偽を確められましたか。(「そうだ」、拍手、ヤジ)
長谷川 あれは……(ヤジ)、あれは読売、読売(ヤジ)、えっ。
質問 投書の真偽を確かめた上で、この重大な法論に問題を提出されましたか。(「重大問題だっ」)一片の作文かも知れないではないか。(ヤジ、「そうだ」、拍手、騒然)
長谷川 少くなとも、少なくともですね、(ヤジ)読売新聞に出ておりまするのは、そういう投書がありまして、森三千代が答えておるのでございますよ。
質問 あなたはその問題を法義の問題として出す以上、(ヤジ)真偽を確かめたかっ。(ヤジ)
長谷川 法義の問題よりは、こういった事実があるということを紹介致しておる。(ヤジ)
質問 事実かどうか調べたか。(ヤジ、「自分で調べたかっていってんだ」、「調べたわけでもないのに持ってきたのか」、「いうだけでいいのか」、「調べたか否か」、拍手、騒然)
長谷川 そういうことをですね、一つの事例として発表したので、ですからして○○(まるまる)学会といっているじゃあないか。
質問 答弁を求める。真偽を確かめたかっ。(ヤジ)
長谷川 真偽を確かめる、確かめないより、天下の木鐸とするものが、いい加減なことはないと私は信じますよ。(拍手、ヤジ)
質問 それでは与えて、真偽も確かめずに、この重大な問題に軽々しく提出したものとして話を続けます。次にお伺い致しますが、信仰相談欄である以上は、その回答があったはずでございます。その回答も、併せてお出しになったでしょか。
長谷川 回答も出ております。
質問 どういうふうに出ておりますか。
長谷川 これは、第三者の、おー、森三千代がですね、えー、普通に答えております。
質問 その回答も出さずに。
長谷川 これは、一応……。
(ヤジ、「冷静に冷静に」、「静かに聴け」、「興奮するな」、「興奮しちゃだめです」、「答えないのか」、騒然)
長谷川 あなたがガーガー言ってるから、こっちが待ってるんだ。あなたがたが、ガーガー静粛にやらないで受け答えをするからして、こちらができないんだ。
日蓮宗側司会 お聞きになったことのご返事もあるまで、静かにお聞き願いたいと思います。(ヤジ)
質問 えー、回答欄も併せてお出しに、なぜ願えなかったのですか。
長谷川 回答欄のほうはですね、私は事実の方の話を致しまして、回答欄の方は、あそこではですね、軽々しく宗教のですね、それはひかえておりますよ。そういうことのないように、何とかしてですな、(ヤジ)何とかしてそれをするようにというようなお答えがあるわけなんだ。(ヤジ)読みましょうか。(ヤジ、「読む必要はない」「おかしいではないか。詭弁ではないか」)
長谷川 詭弁じゃございません。(ヤジ)
質問 それではお伺い致しますが、回答欄も併せ出さないで、一片の作文にしか過ぎない投書を持ち出して、この重大な法論で…。
日蓮宗側司会 長谷川先生、時間…。
質問 あなたの…。
長谷川 時間でありまするからして、(ヤジ、怒号)…致します。(ヤジ、怒号)
日蓮宗側司会 それでは、次のご質間の方、ございませんか。はい、そちら。(ヤジ、騒然)
質問 あのー、小平先生にご質問致します。(騒然)さきほどから、本尊問題について、かなりやかましくいわれております。(騒然)身延には本尊がないとか、あるとか、(「たくさんある」)大石寺派には板本尊があってそれが一番尊いとかいわれておりますが、(ヤジ、「やかましい」、騒然)大聖人の書かれた本尊は、その時と場合によっていろいろ、その示表されておるところの、その形式が多少異なっております。(騒然)しかしながら我々は、そういう本尊の形式にこだわっておったのでは誠にこれは繁雑なことでありまして、(騒然)いったい本尊そのものが何を表現しているか、本尊は、本尊そのものが有難いのか、本尊に表現されておるものが有り難いのか、そこのところをはっきりさせてもらいたいなと思います。(騒然)
恐らく本尊に表現させておるものが(ヤジ、騒然)、何を表現したのか、(ヤジ)何があるか、それをお伺いしたい。(騒然)本尊に表現されたその内容そのものが尊い、尊い。(騒然)だからしてそれを写し出したところの本尊も尊いということになる。(ヤジ、「…いえよ、おとっつぁん」)要するに今は違うけれども、(ヤジ、騒然)元は陛下は尊い。(ヤジ、騒然)であるからしてそれを写したところのお写真も尊いということになる。(ヤジ、騒然)であるから、その内容はどういうふうにあんたが把握しておられますか、それをお伺いしたい。(ヤジ、「…質問だかわからない」)
小平 えー、今のご質問は何を質問しているか私には掴めない。(拍手、ヤジ、騒然)天皇陛下がありがたいから、それを写した写真もありがたい。それじゃあ、(ヤジ)御本尊様をただ写して歩けばよいのですか。だから、だから、身延の山へ行けば、あっちでも、こっちでも、お安くまけておきますっていって御本尊を売るんでしょう。(拍手、怒号)
創価学会側司会 次、ご質問。次、ご質問どうぞ。(「今のは答弁でない」)どうぞ。(「司会に従え」)どうぞ、どうぞ。(騒然、「小平先生にお願いします」「小平先生に」と多数の声、ヤジ)
創価学会側司会 どうぞ、司会のとおりに…。(ヤジ、怒号、騒然)黙って下さい、黙って下さい。(「小平先生に」)静粛に、順番がございます。次、質問どうぞ。(ヤジ)
質問 室住先生にお伺い致します。(騒然)
創価学会側司会 静粛に。(騒然)
質問 (騒然のまま)あなたは今、釈尊の像にも大聖人の像にも魂が入っておるといいましたが、これはどういう意味ですか。もう一つ、衆生の心と題目と合致するところが本尊であると申しましたが、それならば、大聖人様は本尊を書写する必要がないではありませんか。(「そうだ」、拍手、騒然)
室住 (「しっかり」)信仰の標的に、(「標的?」)的として書き表わされたのでありまして、その題目に向って我々が信仰する時に、お題目の仏性が開発せられるのであります。(「俺より悪いな」)
質問 御本尊は何のために大聖人はお書きになったか、というんだ。(ヤジ)心の中に南無妙法蓮華経があるならば、大聖人様は佐渡始顕も臨終滅度の御本尊をお書きになることはいらないではないか。(「そうだ、そうだ」、拍手)
室住 お題目が、お題目は仏性としてありますけれども、これを真に開発するために、題目の文字を以て顕わされたのであります。(拍手、「観心本尊抄本尊抄、観心本尊抄本尊抄読めよ」、ヤジ)
日蓮宗側司会 次の質問者、(ヤジ)次の質問のかた、おりませんか。
質問 さきほど…(「聞こえないからあがって下さい」)身延山では…。(ヤジ、騒然)
創価学会側司会 マイクを貸して下さい。マイクを…。
質問 さきほど承っておるというと、身延山では…。
創価学会側司会 マイクをね、そちらへあれして、そちらでやって下さい。壇上は講師以外あがれませんから、そちらへ持って行って、そう、それをそうして下さい。(ヤジ)
質問 さきほど聞きますると、身延山では、日興師の…(ヤジ、「聞こえない」)しかしながら、しかしながら(「老人だから」)しかしながら、本尊は、本尊は日蓮聖人が書かれたものでなけりゃ、利益がないというのが、わしゃわかりません。(ヤジ、「馬鹿ヤロー」)日頂上人の、日朗上人の……。(注、ヤジと怒号で質問者と司会者の声聴き取れず)
日蓮宗側司会 (騒然)…質問の時間…ましたので、……たいと思いまます。(拍手、ヤジ、怒号)
五、講師の討論
創価学会側司会 申し上げます。(ヤジ、「黙って聴いて下さい」、「南無妙法蓮華経の…」、騒然)申し上げます。今、こちらの司会者がいわれましたように、(ヤジ)質問の時間が一杯になりましたので、質問はこれで打ち切りたいと思います。(拍手、怒号、「さっさと降りろ」)
それでは、申し上げますが、最後に創価学会の先生方と、それから、身延派の先生方と両者で対決を致します。(拍手、怒号、騒然、「室住さんがんばれよ」)
それでは申し上げますが、(騒然)両者の司会者によりまして決めた方法によってやります。
最初に、創価学会の先生から身延派の先生にご質問を致します。そして、大体一問題について七分間、その間、途中において二分以上の応答ができない場合は、出来なかったほうの先生が負け、(拍手)またその審判がはっきりしない場合は、司会者両者によって皆様方の賛否をお願いするようになっておりますから、よろしくお願い致します。(拍手、騒然)
それからもう一つ、両者の先生方は、どちらの先生がお答えになられてもいいことになっております。(〔小声で〕決めたんです。何なんですか。失敬、決めたんです、くじを引いて)この順序は、さきほど司会者と両者の司会の補佐の人と集まってくじをひいて決めた方法でございますから、(拍手)全部司会者のいう通りに任せていただきたいと思います。(怒号、拍手、騒然)
それでは始めます。最初に、創価学会の先生から問題を出していただきます。(拍手)
辻 さきほどから私が、終始一貫して主張しておりますところの本尊雑乱につきまして、身延山で、えー、龍神を拝んだり、あるいは鬼子母神を拝んだり、大聖人様の像、あるいは釈迦の像を拝んだりする、そういう本尊雑乱ということは、なぜそういうことをやるのか、なぜ「法華経の題目を以て本尊とすべし」という大聖人様の御意に反してまで、そういうことをやって、平気でいるのかということについて、明らかな弁明をお願い致したいと思います。(拍手)
長谷川 えー、ちょっと弁明致しておきまするが、時間、何分?五分?(「七分以内、七分以内」)えー、私が身延の用心棒になったというようなことを申しまするが、私は、新たな日蓮宗を設立したという意味においてなっておるわけだ。それだけいっておきまして、そこで本尊の問題に移りまするが、本尊はどこ迄も……、(ヤジ)実在不滅の、実在不滅の久遠本仏釈迦牟尼仏を以て、我々は中心と、本仏と致しておりまするが、(ヤジ)その応現の仕方におきまして、久遠示現の意味におきまして、そこに別勧請致しておりまするものが、所謂・・…・(ヤジ、「狐か」)鬼子母神であり、そういったものなんだ。しかも、それらはことごとく本有の光明に照らされておりまするところの、一つの縁ありまする者には、それによって救われ、それによって導かれまして、最後、大本尊に行くように私は考えております。(ヤジ、拍手)
辻 何でも拝んでいいのなら、「諸宗、本尊に迷えり」と大聖人様が仰られるわけがないんであります。(「そうだ」、拍手)
そういうのを、いつから、いつから本当の本尊に行くというなら、一体いつになったら行くのか。もう末法になってから、あー、久しいし、大聖人様滅後七百年もたっております。いつになったら、一体そういうことになるんですか。(拍手、ヤジ)
長谷川 身延のそれのみ論じておりますけれども、私を以て論じまするならば、(ヤジ、「答えろ」)私を以て論じまするならば、身延の本尊、身延の本尊、といって攻撃を致しておりますけるれども、皆様がたのいわゆる本仏論というものが、いかなるものであるかということを、はっきり聞いてっからして、我々は本尊問題に入りたい。(拍手、ヤジ)
辻 なんら、こちらの問題に対して答えないで別の問題を出すということは、(騒然)答えられないからだと思います。(騒然、「卑怯だ」)あくまでも文証を挙げて、文証を挙げて、あくまでもはっきり答えていただきたい。(拍手、怒号)
長谷川 我々は、衆生を、(ヤジ)静かに。(ヤジ)衆生を救済するいろいろな手段も、ある程度は必要でございましょう。その意味におきまして、一応そこで摂入し、あるいは引入する意味において、一念三千の哲学の上からして、(ヤジ)その、別勧請というものを肯定する。(ヤジ)しかしながら最後は、私どもは、実在不滅のその御本尊の実体にすがるということにおいて、我々のほうの本尊観があるわけであります。(拍手、ヤジ)
辻 手段として、手段として、稲荷を拝んでも、七面山を拝んでも、鬼子母神を拝んでも、何を拝んでも、手段としてならいいという文証を挙げて下さい。(「そうだ」、拍手)
長谷川 どこまでも私たちは、日蓮聖人が図顕されました、その、本尊のご実体が本尊であるということはよくわかっておりまするが、(ヤジ、騒然)いわゆる善巧方便の、いわゆる善巧方便の立ち場からして、そこに引入の意味において、それを許しておるのでございます。(ヤジ)
辻 入引…入引してもいい、そういういろいろな本尊を拝んでもいいという文証を挙げて下さい、と申し上げておるんです。(拍手、ヤジ、「文証を挙げろ、文証」)
長谷川 文証、文証と申しまするが、いわゆる、(ヤジ)題目の光明に照らされて本有の尊形となった、という意味において、そこのところをご了解願いたい。(ヤジ、「文証は」)
辻 文証を出して下さい、という。出さなければ、ない、とこっちで考える以外にないが、どうですか。(拍手、怒号、騒然)
日蓮宗側司会 あと、あと三十秒です。(すぐさまヤジ、「二十秒っ」)
長谷川 妙法の五字に照らされて、本有の尊形になる、というご文証がわからないですか。(騒然、ヤジ、怒号)
創価学会側司会 今の問題について、身延派の先生が文証を出した、と思った方は立って下さい。(「これは決めてあるのか」、ヤジ、騒然)
決めてあります。決めてあります。(「坊主、黙れ」、怒号)
分かりました。分かりました。今の問題は分かりましたので、これで決めてあります。(拍手、怒号)
日蓮宗側司会 お静かに願います。ただいま賛否を問うたようでありまするが、司会の論旨もはっきり致しませんで、えー、しかもこの……には承知致しておりません、私どもは。従ってこれは、時間が経ちました後に、そういうことにつきましての、皆様方の是非の賛否をお取りすることがあるかも知れないけれども、まだ対論の途中においては少し、そういう問題に詰めるのは早い、私はそう思います。(ヤジ、怒号、騒然)
次に日蓮宗側から…質問…。
(騒然、「次の問題」、「司会者が、さっき言ったでないか」)
長谷川 私は法華の……(ヤジ、「静かにやれ」、「文証、文証」、騒然)私は、本仏、本仏は、いわゆる釈迦牟尼仏をもって本仏とする。(ヤジ)しかしながら、(ヤジ、怒号)しかしながら諸君がたは、「某は下種の教主なり」といって、日蓮聖人を御本仏に致しまするが、もしもそうであったとしたならば、法華経におきまする三世益物の、この上行の理論というものが、根底からしてくつがえされるということを、私は思うのであります。(ヤジ)
小平 えー、えー、今のご質問は、大聖人様が御本仏であるとするならば、法華経が三世にわたって利益するということがこわれるではないかという、こういうご質問なんです。
お答えします。えー、きちっと大聖人様の御妙判の上からお答えします。(「そうだ」、拍手)
大聖人様は……、(ヤジ「人を馬鹿にするようなことを言うな」)大聖人様は…(ヤジ、「退場せい、退場」、「お前が退場せい」、「黙って聴け」、「向こうから三番目うるさいぞ」)
え、ちょっと静にして、(ヤジ)文証をあげればいいんじゃないか。(ヤジ)えー、大聖人様は…。(ヤジ)
創価学会側司会 静かに願います。
小平 静かに、静かに。
大聖人様が法華経を弘めたと考えるのが、そもそもの誤りなんです。なぜ誤りかというならば、大聖人様は…(ヤジ)
創価学会側司会 静粛に願います。どうか続けて下さい。
小平 はい、大聖人様は、「日蓮が法華経の智解は天台・伝教には千萬が一分も及ぶことなけれども、難を忍び慈悲のすぐれたることは、をそれをもいだきぬべし」、このように仰せになっているではないか。(「本当だ」、拍手)
法華経を弘めたのは、釈迦仏法の像法時代において、天台・伝教が弘めたんだ。この天台・伝教が、法華経を弘めて弘めて、弘め尽くしてしまって、もはや末法において大聖人様が法華経を弘める理由は一つもない。(ヤジ)だからこそ、だからこそ大聖人様は、「天台・伝教の千萬が一分も及ばない」と仰せになっているではないか。(「本当だ」、拍手)
そこで、そこで大聖人様は、えー、各種の御書において、前代未聞、前代未聞、このように絶えず仰せになっている。もし釈迦の法華経を弘めるならば、何も前代未聞ではないではないか。(「そうだ」、拍手)
すでに、すでに、釈迦の法華経は天台が、あるいは伝教大師が弘めて、広宣流布している。それをもう一度大聖人様がやり直すなら、何も、前代未聞、前代未聞、といわれる必要がない。
そこで、なぜ、大聖人様が御本仏か、ということをはっきり申し上げるならば、開目抄において「一切衆生の尊敬すべきもの三あり、主師親これなり」と仰せになっている。(拍手)
しかして、しかして、大聖人様は同じく開目抄においても、また、そのほかの御書においても、「日蓮は日本国一切衆生の父母である、主君である、師匠である」、このように断定されておられる。だから大聖人様を御本仏と拝さなければならない。このように申し上げます。(拍手)
長谷川 日蓮が、(創価学会側司会「あと一分です」)日蓮が天台・伝教の後を継ぐ慈悲勝れなん、といったことにおいて、それが本仏であるという証拠にはならん。
これは、末法に予言せられたる法華経の行者の意味においての開目抄でありまするので、それを以て本仏の証拠とすることは、私は断じて承服できません。(「そうだ」、拍手)
小平 えー、ただいまの方は、私があんなに懇切にご答弁したのに感違いした。というのは、「日蓮が慈悲広大ならば」の御文は、大聖人様が釈迦の法華経をそのまま末法へ弘めたのではないという、そのために私は申し上げた。(「そうだ」)
しかして、大聖人様が御本仏であるということは、主師親の三徳の上から、私は申し上げたはずです。(「そうだ」、拍手)
長谷川 主師親の三徳あるのは、これが本化上行の応身(創価学会側司会「時間でございます」)(日蓮宗側司会「あと一分、あと一分」)えっ…(騒然)本化上行、与えられ、法華経に予言せられたる本化上行の意味において……。
創価学会側司会 時間でございます。(「妨害だよ、妨害」「まだ時間じゃない」騒然、ヤジ)待って下さい、待って下さい。時間は間違いございません。間違いございません。(ヤジ、「その時計違ってるぞ」)いま小平先生が長谷川先生に対する答弁をしていないと仰せのかたは、どうかお立ち下さい。(「なに」、「わからねえ」、「いま何いってるんだ」)
今、一つの大問題です。この問題に対して、長谷川先生の質問に対して小平先生が答えてない、という方はお立ち下さい。(ヤジ、「答えている」「何を」、怒号、「分からない」)
答えていないようでございますね。(拍手、「身延は何やってんだ」、怒号)わかりました。誰が見てもお立ちになったほうと、お立ちにならないほうがはっきりしております。(「何を言ってんだっ」、怒号)
では、次の問題。じゃ、学会の先生。次の問題。(「帰りましょ」)
(約一分間、場内騒然、怒号、ヤジ、「講師続行」)
小平 えー、続けます。続けます。続けます。私の質問致したいことは、身延においては結局本尊が何かわからん。そこで、さきほど身延の山がありがたいようなことをおっしゃった。そのことを仏教の哲学の上から、また大聖人様の教えの上から、なぜそのような山がありがたいか、このことをお教え願いたい。(拍手)
長谷川 私はあくまで、日蓮聖人が九ヶ年間、心安く読誦し奉りました身延のお山というものは、あくまでも神聖としたいのであります。(拍手、ヤジ)
小平 えー、お答えになっておりません。それはあなたの人情です。(「そうだ」、拍手)
私がご質問することは、仏教の哲学の上から、しかしてまた経文なり、大聖人様の御書を引いてお答え願いたい。(「そうだ」、拍手)
長谷川 「日蓮が住む所は本朝の霊山なり」といっております。(「そうだ」)しかし、それに対しまして、必ず、日蓮聖人がお出でになったんだからしてそうだ、と質問するのでございましょうけれども、私たちはあくまでも、日蓮聖人が心安く読誦されました身延の山というものはあくまで神聖なり、ということを主張するものでございます。(拍手、ヤジ)
小平 えー、それでは、それではですね。えー、大聖人様がお出でになったところなら、そこに狐があっても蛇があっても、龍神があっても、それでもありがたいのですかっ。(「そうだ」、拍手)
長谷川 それは、さきほどお答え致しました如く、本有の光明に照ら、妙法の光明に照らされて本有の尊形となっておるという、そういうものがありましても、別に私は、それによって日蓮聖人の魂が身延の山からして出るということはないと思っております。(「そうだ」、拍手)
小平 それはあくまでも、あなたの人情論である。(「そうだ」、拍手)その証拠に私は一つの御文を引くから、はっきりと反駁してほしい。
それは、日興上人様は、「地頭謗法、が謗法の時は謗法の山に日蓮が魂は棲まない」と、はっきり、大聖人様のご遺言であると美作房御返事にお書きになっている。(「そうだ、そうだ」、拍手)
それはどうか。(拍手)
長谷川 日蓮聖人の魂が身延の山におるということを、私は、波木井殿御書によりまして、「一閻浮提の中、日本国、日本国は甲斐の国、甲斐の国、波木井の郷は久遠実成、釈迦牟尼如来金剛の宝座なり、天魔波旬も悩ますべからず、上行菩薩日蓮大聖人の霊窟なり」とあるのでございます。
その気持において私たちは、あくまでも本朝の霊山として、そこに大聖人が棲神ましますものと信ずるものであります。(「そうだ」、拍手)
小平 私の質問していることは、謗法の山には棲まないという、大聖人様のご精神をどうするか、こういうわけです。(拍手、「身延は謗法の山だぞ」)
長谷川 謗法の山だ、謗法の山だ、というけれども、それはあなたがたの方で謗法の山というので、我々におきましては、謗法の山ではございません。(拍手、ヤジ)
小平 日興上人が、いいですか。日興上人が、えー、謗法の山なりとして断定して、身延を下られたわけです。そのあと身延は、どのような仏法があるんですか。どのような正しい法があるんですか。(「そうだ、そうだ」、拍手)
長谷川 日興上人のみを一点張りにして、立論致しておりまするからして、(ヤジ)そういう議論が出まするけれども、我々、二祖日向上人以来、代々正儀伝統の人が不惜身命の活動をもったために、かくの如く、天うらうら、天下泰平、(ヤジ)天下津々浦々に至るまで日蓮主義的の発展があるということを、我々は十分に考えていかなければなりません。(拍手)
小平 えー、皆さんね、身延にですよ、日興上人がいなくなったあと、身延の山がどういう状態だったですか。お寺はどこにあったですか。(「そうだ」)なるほどそれ以来、代々に続いているというんですが、誰が後を継いだんですか。(拍手)
長谷川 高祖日蓮大聖人、二祖日向以来、連綿として続いておりまする。(拍手、ヤジ)
小平 大聖人様が第一世で、二世は日興上人。これはわかっていますよ。そのあとは誰か。その後がどのように正しい仏法を伝えているのか、それをお聞きしているんです。(「そうだ」、拍手)
長谷川 ちょっと私のいいましたのが、あるいは誤解して…、私どもは日向でございまするから、日興上人ではございません。二祖日向以来であります。代々そうです。(ヤジ)
日蓮宗側司会 時間でございます。(ヤジ)
《テープ交換のため音が消える》
長谷川 私の質問致しますことは、少くとも、本門・迹門を束ねて脱益といって用がない、としまするけれども、それは本当のことでございますか。
小平 法華経の本門も迹門も、熟益であり脱益であって、末法の我々に用事がない。そのとおりであります。(拍手)
長谷川 末法の我々に用事がないとしますならば、《音が入る》本尊抄を眺めましても、法華取要抄を眺めましても、本門というものが末法為正であるということが書いてあるじゃありませんかっ。(拍手)
小平 その、その文を挙げて下さい。どの文ですか。(「そうだ」)
長谷川 「日蓮等の類いは」と、書いてあるではありませんか。
(「何」、「何だって」、ヤジ)
小平 何ですか。その文を挙げて下さい。その文を挙げて下さい。(「そうだ」、拍手)
(ヤジ、騒然、「しっかりと」、「急ぐ必要はない」、「こら、しっかりやれ」、「文証を挙げろ」)
長谷川 本尊抄にいわく、「本門を以て之を論ずるならば、一向に末法の初めを以て正機と為す」、大体その辺にしておきましょう。(「何だい」、ヤジ、怒号)その前後をみていただきます。(ヤジ、怒号)何だ、何だとあなたがたはいいまするけれども、少くとも教学を論じておりまする者ならば、観心本尊抄のそこを申しますれば、大体わかるであります。(ヤジ、怒号、「はっきりしろ、はっきり」「おい、喧嘩か」「講演聴きに来たのか」)
小平 えーとね、こういうわけです。「本門を以てこれを論ずれば末法の初めを正機と為す」、なるほど、観心本尊抄にそのような御文がございます。大聖人様はなぜそれが、なぜその大聖人の御文が、法華経の本門が末法に必要である、必要であるというとちょっと語弊がありますが、なぜその文に依って本門でなければならない、というのですか。
長谷川 本門は題目の詮ずるところの一つの下地であるということを、よくお考えを願いたいのでございます。正宗におきましては、本門が駄目である。その、文底の妙法ということを論じまするが、その妙法というものは、本門がなければ、本門寿量品がなければ、論ずることができないじゃあ、ありませんか。(拍手)
小平 えー、本門は題目を詮ずるしたくですか。(「下地だ」)えっ、(「下地」)下地。下地はいらんじゃないですか、(「そのとおり」)どうですか、皆さん。(「そうだ」、拍手)塔を建てるのに、下地として足場を作る。塔が出来あがったら、下地となった足場は取り払うんである。(怒号、拍手)
長谷川 その、下地と申し上げましたけれども、(笑声)五重三段(ヤジ)、五重相対の上におきまして、(ヤジ)俗に教観相対といい、あるいは種脱相対ということにおいて、本門は能詮であり、そこに所詮の題目があるということを、よくお考えを願いたいのであります。(ヤジ、笑声)
小平 えー、それでは、えー、その下地になるものはいらないと。えっ、下地というのは言い間違いですか。(「そうだ、はっきりしろ」)
長谷川 本門という一つの法相論の上におきまして、教判でございまするからして、いわゆる本迹相対、その、一品二半というものを認めていくのでございます。もしも下地ということが悪ければ、それは取り消しておきます。(ヤジ、「謝れ」、怒号)
小平 下地は、ちょっといいですか。下地はいらない、とはっきりしております。下地といったのは、いい間違いですか、どうか!(「そうだ」、拍手)
長谷川 いわゆる、本門は、本門があるがために、そこに、詮ずるところの題目があるというところを(ヤジ)、よおく、お考えを願います。(ヤジ、「下地だろ下地」)
小平 下地はいらないか。下地といったのはいい間違いかどうか、はっきりゆって下さい。(拍手、怒号)
長谷川 下地といいましても……、(ヤジ、「下地はいるのか」)それはですね、教観相対する時の、教という立場においていっておるのでございます。(ヤジ、「はっきりしろ」)
日蓮宗側司会 それでは、予定致しました時間が経過致しました。(ヤジ、「わからなきゃ聴かしてやろうか、本門…」、怒号、「室住さん、顔色悪いぞ」、「室住さん、どうした」、騒然)
創価学会側司会 それでは、お待ち下さい。それでは、学会側並びに身延派の先生方の対決はこれで終わりますが、最後に学会側から一名、それから身延側から一名、お二人が最後のご挨拶を願いたいと思います。(拍手)
日蓮宗側司会 予定致しました時間が既に……。
(日蓮宗側司会の発言を遮って壇上に上り)
石田次男(創価学会理事) えー私、聖教新聞の主幹でございますが、聖教新聞に嘘を書いてある、と。
しかし小倉新太郎という身延の大本願人が、じかにその場で見てきていっているんです。これは、東京の服部工務店の店主です。絶対に本人から聞いてあります。(「じゃ、室住さんは嘘をいったんだな」)もちろんです。
次にですね、(室住「違います」)身延のご僧侶は、身延のご僧侶、いかにも正しいようなことを言っておりますが、今の管長増田日遠、この人の背中一面に刺青を彫っている。あちこちの金を借り倒している。不渡手形まで発行している。世間の注意さえも破っているのは、いかなる仏法を学んでいるのでありましょう?(「そうだ」、拍手)
私、じかに身延の方々とも話しております。新聞の主幹でございます。(場内騒然)
また、じかに身延にも行って見ております。明治年間の、あの身延全山の焼失は、無間地獄の大罰を受けた証拠でなくて何でありましょう。(拍手、「そうだ」)
日蓮宗側司会 人身攻撃に渡るので、弁士中止。(拍手、「そのとおり」)
石田次男 このような現証がある以上は……。(騒然)
また、今日の会合の答弁のできない現状は、(ヤジ)身延が負けたことが明らかです。(騒然)日蓮正宗側の大勝利であります。これで終ります。(ヤジ、「身延の信者は堕地獄だ」、「先制攻撃なかなかうまい」、怒号)
日蓮宗側司会 それでは、大変に本日は長時間にわたりまして、いろいろ、先生方のご対決を願えまして、有益豊富なるご意見の開陳をいただきまして、誠に主宰致しまする者と致しまして、感謝にたえない次第でございます。
「九ヶ年の間心安く法華経を読み給え候山なれば、墓をば身延山に建てさせ給え、未来際までも心は身延山に住むべく候」、と仰せられました。
(場内騒然となる)
大聖人のお心を私どもの心として…。(騒然)本日は誠にありがとう存じました。閉会の言葉と致します。(騒然)
創価学会側司会 どうも、今日の……ちょっと待って下さい。
(場内騒然の中に)
本日は、本日は、本日は、最後に、本日はこれで終りますが、全部の、本日の対決の状態は、タイプレコーダー(注、テープレコーダーの言い間違いか?)に取ってあります。(「そうだ」、拍手)
しこうして、本日の状態は、全部タイプレコーダーに厳然と取ってございます。(拍手)しかるに、本日、現状だけの、今までの対決の状態を見まして、断固として、正宗が、日蓮正宗創価学会が、誰が聞いても誰が見ても正しいということは、厳然とわかることであると思います。(拍手、騒然)ご苦労さまでございました。解散します。解散。ご苦労さまでございました。
あとは、全部タイプレコーダーに・・・・・・・
(騒然のまま)
(創価学会歌合唱〈胸にピストル向けらりょと……〉・・・手拍子)
(拍手、騒然)