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現代宗教研究第41号 2007年03月 発行

明治初期の肉食妻帯について

 

明治初期の肉食妻帯について
(日蓮宗現代宗教研究所研究員) 坂 輪 宣 政  
 今回、明治初期の肉食妻帯について、という題名でございますが、明治三十三年から三十五年頃の当時の雑誌『仏教』、或いは『新仏教』などを中心に致しまして、肉食妻帯の問題について、一種の争論が起こりましたので、その点を中心に、発表させていただきます。最近におきましても、イスラムの戒律の問題など、戒、或いは律というものが話題となり、このことにつきまして、現代仏教についても、様々な意見が発表されております。その、重要な論点の一つとして妻帯の問題がございますので、その妻帯の、現在に至る原因の一つとして、当時の資料を見ていきます。まず最初に、論争の一コマでございますが、資料の最初の、「前古庵漫語」と言いますのは、『仏教』一七六号という雑誌に、来馬簾外氏が寄せたものでございますが、この論が、妻帯推進の意見としてよくまとまっておりますので、これをまず最初に見ていきたいと思います。この論では、住職が、妻がない場合には、一人で多くの役をこなさなければならないため、様々な不都合があり、また住職は多忙であって、布教などに専念できない、として、その結果として、借財が起こったりする、そのようなことが、妻のない場合の、不利な場合として、このように来馬氏は述べており、更に、妻があれば、このような日常の細かいことを引き回して、そして留守番など、他人にはまかせきれない様々なことを親身にしてくれるので、僧にとって有益であると、また寺院、信徒にとっても有効であると述べております。この見方は、古いタイプの女性観であり、女性は穢れであるというような意見とも異なりますけれども、新しく、女性というものを日常的な仕事を裏方として行い男性の補助となる、そのような存在として見ていく、その延長上にもあると取れますので、まあ、このような形での妻というものが、あったほうがいいという意見というのは、そのような問題点もあるとは思います。そして妻帯と仏教ということでございますが、この妻帯につきましては、江戸時代までは妻帯は禁止されていたと、通説でございますが、実際には必ずしもそうではなく、妻帯して実子相続を原則とする坊官、或いは、修験者などもおりましたし、浄土真宗におきましては肉食妻帯が当然でありました、そして、他の、本来妻帯を禁止していると言われる宗派でも、実際には妻帯していることがしばしばであったとも言われております。そしてこのように、来馬氏は、妻帯することが新時代の仏教というものを発展させる要因であり、有効であると主張して、論を張ったということでありますが、それに対して、『新仏教』二巻十号に、杉村縦横氏が、妻帯の反対論、「僧侶の妻帯を難ず」というものを寄稿致しました。杉村氏は寺院の建物や収入は個人のものではない、住職の死後妻子が困るなどの三つの論点を挙げて、この妻帯というものは、もとより不可であるということを述べたものですが、それに対し来馬氏は、その以後の『仏教』誌に再度寄稿して、杉村氏に答えて、更に、妻帯というものをなすべきである、と述べました。この当時、浄土宗の宗会で嫡子相続の提案がなされるなど、様々な動きがありまして、この妻帯というものにつきまして、論争が起こり、色々な所で意見が表明されていましたので、この両者の論争というものもその一環であります。当時、僧侶の妻帯というものにつきましては、まさに、あまり好意的には思われていなかったようであります。例えば樋口一葉の『たけくらべ』などでは、父親が真宗の僧侶であるのに、しじゅうウナギを買いにいくのが、非常に恥ずかしいというようなことを述べてあったり、夏目漱石の『こころ』などにも、僧侶が付け文をして、いづらくなるとかそういうことが述べられるなど、様々に、小説などにもその様子が取り上げられ、僧侶の妻帯というものがあまり好ましく思われていなかったということは確かであろうと思われます。そして、このような論争があった後に、『仏教』に、世襲論について、ある投書がありました。資料のように、「世襲論についての一妻帯実行者からの当初」とありますが、このように、僧侶というものが公に妻帯できないために、細君になる者には芸者などが多く、非常に不適切な人物が多く、そのために寺院や信徒が迷惑している、そのような意見がこの投書以外にも幾つか見られます。その実相というのがどうであるか分からず、かなり誇張しているものもあるのではないかと思われますが、公に妻帯できればこのような問題は解決するという意見を述べて、妻帯をするべきであるという推進をした人がかなりいたようにも思われます。そして実際に、この当時、僧侶の妻が、もしも僧侶が死亡した時、投書子のいうように生活に困るということも、これも確かであったろうと思われます。そして結局、このような争論の幾つかを見ていきますと、僧侶の妻帯というのがほぼ常態化しているのに、世間的にそれが認め難いために、後ろに隠されている、そのような雰囲気が濃厚であったように思われます。そして、ここにも幾つかの問題につながっていたのだろうと思います。当時日露戦争のちょうど真っ直中であり、輪袈裟が登場するなど様々な変化もありましたが、その現代に続く問題と致しましては、近世までの「出家者」という身分制の、身分の特性というものが、「肉食妻帯等勝手たること」という、明治五年の布告以来、身分特権というものが失われ、実際に
戸籍も作られまして、一人の人間として、こう申したら変ですけども、僧侶という特別な身分というものはなくなったわけでございますが、その後の、現在に至る過程で、僧侶というものが結婚して家庭を持つということになりますがそれが、宗祖或いは仏祖の本意に基づくものであるかどうか、そのような論点からも様々な争論が述べられました。資料の(二)の、各論者の意見ですが、明治初期の戒律復興運動で有名な福田行誡は、この『雪窓問答』など様々な意見を著しまして、この妻帯肉食これに対する反対を述べました。また、『弾僧侶妻帯論』などもありまして、明治初期には、戒律に違反するものである、仏祖の意に反するなどの理由から、このような妻帯反対論がかなりありました。それにつきましてちょっと異色なのは田中智学でありまして、『仏教夫婦論』、或いは『宗門維新論』などを次々発表致しまして数年のうちに能化持戒から僧の結婚可へとかわり、さらに次の住職世襲などにも新しく構想を述べて、このようにすべきであると強く述べていたわけであります。現実に、仏教宗門などは、この智学の言ったことにかなり近くなっているようには思われます。また、ほかにも『密巌教報』など色々な所に、世襲或いは妻帯を利とする意見もありました。そしてこのうち、よくまとまっておりましたのが、什門の田邊善知の容認論でありまして、善知は、この、新しい時代にあたって、妻帯して立派な家庭を作るということは、却って、仏教の進展に有利という風に述べて、その理由と致しまして様々な面から論述し、日蓮聖人の、或いは、釈尊の当時の戒律から始めまして、さまざま述べまして、そのように結論をしております。ここには、特色のある意見として寺院に対する婦人というものが、もしも悪い人であると、本人や実子を大切にして、弟子育成の費用を真っ先にけずってしまうので、寺院の機能がそこなわれるということが、彼の熱心に説いている所でありまして、それが、他の論者と少し異なります。その次の資料の、この螺蛤という人、これはペンネームですが、妻帯公許の、かなり激しい意見を述べているものでありまして、新しい、即ち科学的な、科学にも合致しない古い戒律などは捨てるべきであり、人間の生理、或いは、本性などというものは、切れないものであるから、それを無視することはないだろう、などという様々な新しい意見を述べています。そして、この論者は、婦人というものは単に、男性に奉仕するものではなく、婦人は独立として様々な役割を果たせるものであるという論点がありまして、これは、他の、例えば最初の来馬氏の論考などとはかなり違った点であります。この論者はやはり、住職の世襲というものをすることが、宗門の利点になる、そのように考えるし、実態と乖離した宗制というものを早く改正すべきであると述べております。実際に、この後各宗門で宗制が改正され、寺族規定などが設けられるなど、様々な変化があります。そして最後に、鈴木大拙の意見ではありますが、大拙は当時、アメリカに留学しておりまして、アメリカから、何回か、「禅宗」などの雑誌に自分の意見を書き送っております。大拙は、自分と致しましてはやはり、肉食妻帯は宗制などの問題ではなく、本人の覚悟によるものであるといいます。ただし、大拙は、後には僧侶は無妻主義のほうが良いなど主張することがありまして、その後思想に変化があったようにも思われます。資料のように彼は肉食についても面白い意見を述べております。このような、妻帯についての論争というものは、キリスト教の週報などにも載りました、キリスト教のほうでは、あまり熱心ではなく、現状は妻帯なのに、今ごろこんなことをいっている、というような、むしろ醒めた批評をもつという。そして『萬朝報』などにも、一般紙ですが、一般新聞などにもこういう風に取り上げられ、話題を呼んだことが分かります。ただしやはり、この『萬朝報』でも、妻帯には賛成だが僧侶の妻となる女性の、来歴・人品などが問題であっては困るという意見が述べられ、この点が当時の、そうですね、人々のかなり気にする点ではあったように思います。実際に、新聞などには、このような女性問題につきまして、興味本位で扇情的な記事を書いて、その僧侶などのことを取り上げる趣もあったということを、当時の記事などを見ると、時々発見されますので、そこが一つの問題であったように考えます。そして、このように他の『禅宗』誌など、『新仏教以外』の様々な動きがありました。そして、その次の資料はちょっと変わった投書だったのですが、妻帯した僧侶に対する批判的な意見というものが、特に
投書欄などにしばしばあるように思い、その一つをとりあげました。そして最後ではありますが、参考資料と致しまして、この明治三十三年頃の、僧侶の、東京近郊の中等寺院の収支報告のようなものがございましたので、これもちょっと参考程度に取り上げております。住職夫妻と、男の子女の子の二人と、一人の所化、そして下男下女というような構成で、このように年間八十九円くらいのお金がかかる、と編集者は述べております。そして、僧侶というものが、やはり教育を受けて、何らかの、寺院とは別の活動もしたほうがよいという意見も述べております。この内容を見ますと、食費の部分がかなり高いことですから、エンゲル係数も高く現在とはかなり様相が異なっている、ということが分かります。妻帯することによって、家族が増えるということが、果たして寺院にとって、収支の点で良かったのか悪かったのかということもこう考えてみると、ちょっと疑問ではありましたが、妻帯推進論者にあっては、妻子があったほうが却って安定するという意見が多く、この点については多少疑問であります。そして最後ですが、「陸軍武官結婚条例」という、ちょっと変わったものではありますが、これを出しましたのは、僧侶の、先ほどから結婚する相手のことで色々問題になったりしておりますが、それは単に、僧侶のみの問題ではなく、当時の家庭環境などが非常に、現代とは違って良くなかった、零細な、例えば一人家族が亡くなったらいきなり貧しい所に沈んでしまう、そのような状況もあり、いい家庭を持ち、ということがなかなか難しかったということも、時代的な背景としてあったのではないか、そのように考え一例として出したものです。結局、明治三十五年ころには妻帯が一般的となっていたのに、宗制など表向きは否定されていたままで、妻子の地位も不安定で、僧の結婚に否定的な眼を向ける人もあり、僧の妻が寺院にふさわしい人物ではない、という形の批判もあり、逆に積極的に家庭をつくることを推進しようとする人々もいて、論争が起こっていたというわけです。このような戒律の問題に興味を持ちましたのは、一つには、先年インドネシアにおきまして、味の素の工場で、豚からとった酵素を使って製品を作っていたところ、それがイスラム教徒にとって、非常に怒りを買ったという問題がありまして、このことからも、創唱宗教の戒律と、大乗仏教との戒律というものがかなり異なるということを考えてみたいと思ったわけでございます。現代では、ごく普通の人間が平常の生活でなにげなく行うことが、果たして戒律に適っているかどうか、ということはなかなかわからないこともあります。例えば、海老の養殖問題というものが十年ぐらい前から言われておりまして、東南アジアで海老は、日本人が買ってくれるというので、非常に養殖が盛んになり、それによって自然が壊されてしまう、或いは、人々の生活が悪くなってしまう、そういったことがあるとするならば、海老を買うというごく普通のことが、倫理的でない行動ともなりうるのではないかというような、そういう批判をする人々が出てきたりしています。このような、現代のとても複雑な社会の中で、これから新しい時代の問題にも対応しうる、日常的な規範である戒というものをどう考えていくか、その積極的な提示ということができるかなどということも、今後考えてみたいとも思います。これで終わらせていただきます。
 

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