現代宗教研究第41号 2007年03月 発行
『創価学会批判』を復刻して
『創価学会批判』を復刻して
(日蓮宗現代宗教研究所主任) 伊 藤 立 教
よろしくお願いします。レジュメ一枚、一束と、本が一冊ということでお願いを致します。創価学会が、平成三年の日蓮正宗からの破門以来、対話路線を敷いております。諸宗教と対話していこうという趣旨ですが、現在でも、日蓮宗を友好的に表現する時は日蓮宗と言うんですが、敵対的に表現する時には身延派と言います。使い分けを、聖教新聞等ではっきりしておりますので、決して対話路線、協調路線一本ではありません。心底には、総体革命といって、気がついたら全部創価学会の影響下にあるという世界を目指しておるわけですが、その点では、五千箇寺・八千教師を有する日蓮宗が、正当教団として、創価学会の間違っている点を意識して対応していかないと、他宗の方、他宗教の方にもご迷惑がかかることになると思いますので、そういう趣旨で発表してまいりたいと思います。
タイトルの「『創価学会批判』を復刻して」ということですが、お配りしたこの本が、その復刻本です。そしてこれが、創価学会が、折伏と称して昭和二十六年から強力に活動する元になった『折伏教典』です。復刻本はすこし色が薄いんですが、日蓮宗が出しました元々の『創価学会批判』は『折伏教典』と同じ色です。で、本の大きさも同じで、今回復刻に当たりまして、字が小さく読みにくいものですから一回り大きくしましたけれども、『折伏教典』を意識して作ってあります。頁数も、だいたい近いですね。かなり、『折伏教典』を意識してつくられています。こうして発行したのが、原本の『創価学会批判』です。
レジュメに書いておきましたように、原本は昭和三十年七月二十八日に日蓮宗宗務院が発行しました。その本を、本年(平成十八年)十月十三日に現宗研が編集して、宗務院が発行しました。原本の本文の頁は、変えてありません。とても誤植が多くて、それから脱字もありまして、このまま出しますと、旧仮名遣いのため読みにくいということもありまして、編集しました。読みやすくなりましたし、活字が大きくなりました。しかし、本文の三先生の主旨は、一切触っておりませんので、そういう点では復刻ということで、作りました。
どうしてこのように誤植が多くて、読みにくいものになっちゃってるのかな、ということですが、出した時の宗務院の情況を考えますと、昭和三十年三月十一日に、日蓮宗と創価学会との、いわゆる小樽問答なるものがあったのです。それがまじめな法論になってないことは、この本のはしがきに私、書かせてもらいましたけども、討論にもなっていません。この一事を指して、この五十一年間ずっと創価学会は、日蓮宗に勝ったと言い続けております。今年の三月十一日にも、彼らは、日蓮宗に勝ったと言い続けております。これを反論しておかないと、違うと言っておかないと、創価学会が勝ったことになっちゃう。そう思いまして、いわゆる小樽問答から五十年の機会に作りましたのが、『現代宗教研究』の最新号、平成十八年三月発行の第四十号に掲げました、レジュメの下のほうに書いてあります参考文献の「小樽問答再現記録」でございます。これにつきましては、『小樽問答誌』が創価学会から、『小樽問答の真相』が日蓮宗側講師の長谷川義一師から出ておりますけれども、『小樽問答誌』は創価学会の立場で書かれております。テープを忠実に聞いて起こしたのがこの『現代宗教研究』第四十号の「小樽問答再現記録」ですので、これで小樽問答をまず客観的に見ていただきたい。この小樽問答後に緊急に出した本が、『創価学会批判』ということです。
三月に小樽問答があって、七月に『創価学会批判』が出ているということは、異例の早さですね。日蓮宗としては異例に早く、現場に対応しようと、できるだけ早く現場に小樽問答の対策を取ってもらうような資料を配ろうというその一心で作られた。で、校正とかいうことも十分できなかったのが実状だと思いますので、執筆の三先生や、出しました宗務院の気持ちを考えますと、誤植が多いとかなんだとかいうことは後から言えますけれども、その意気込みは十分に理解させていただけるものと思っています。それで、内容については触らないけれども、旧仮名遣いを改めたり、誤植を直した本を出した、ということです。今回は、全寺院に配布です。ご希望がありましたら、お送りしております。で、相当お申し込みが、宗内、宗外からありまして、研究目的でお送りしております。まだ直し切れていない所がありますので、後ほど、訂正版を出したり、或いは第二版として作り直したいと思っております。お気づきの点がありましたら、お教え下さい。日蓮宗の全教師、信行道場生、布教研修所の資料としても、お配りするだけではなくて、活用していただきたいと思っております。
創価学会が日蓮宗を邪教と言っておる、そういうことに対して、何が先方の主張なのかを知ることは、それに対するこちらの姿が見えてきますので、日蓮宗とは何かということを逆説的に見るためにも、この本が使えると思っております。そういう位置付けで、ご活用願いたいと思っております。しかも原本は非売品で、実費頒布なんですね。今回この復刻版を全寺院に配ったような形ではなくて、「宗報」で広告をして、連絡があった方に実費でおわけしている形です。かなり神経を使ってですね、やった、つまり、小樽問答があって、それの直後にこれを出すと、今度こそもういっぺん、小樽問答の第二回目をやろうという風になりかねない、そういう切迫した事態があったわけですから、日蓮宗の教師、或いは関係者に限るというような気持ちになって、少しガードをしておるような気がします。これは、いま思うと分からないかも知れませんが、非常に緊迫感があったということ。私の師父も、昭和三十年ごろ、毎月二度のお題目講のたびに、お講が終わって信者さんたちとの話の場になると、小樽問答は酷いということを言い続けていましたのを、子供心にも覚えております。私が五歳の時の話ですが、いまだに緊張感を持って覚えておりますので、当時の宗務院、宗門は、大変な対応をしたんだと思います。
では中身に移ってまいります。執筆者名がないんですけれども、三つに分かれた、歴史編の部分を故宮崎英修先生、教理編を故執行海秀先生、思想を故菅谷正貫先生が執筆しておられます。内容は、「歴史編」、これのサブタイトルが「歴史から見た富士門流への批判」、ということで、宮崎先生が書いてらっしゃいます。「この本尊、曼荼羅が大石寺教学の伝統の上に占める位置は」、とあります。「石山門徒はこれによって自門を誇示しようした」と、「鵜呑みにしたのも致し方ない」という見解が書いてあります。そして、いわゆる二箇相承と両巻血脈、この四つの基本的な創価学会の文証についての批判を展開しております。「教理編」は執行先生が、学会教学の根本資料としての血脈書・相承書・御義口伝などを、批判的に検証をして、種脱判・題目論・宗祖本仏論・板曼荼羅本尊論を論破しています。詳しいことは、お配りしたこの本をご自身でご覧になって下さい。そして、「思想編」で菅谷先生は、「創価学会の暴力的性格と思想的欺瞞性」というサブタイトルなのですが、「宗門の発展は自ら発展させようと願うものの主観的立場を反映することとなる。私は宗門の将来の発展は科学的合理性を無視してはありえないと考えている。したがって学会批判は、科学的合理性の立場から展開されなければならない」として、学会に対する宗門人としての態度は、反撃することではなく、まず自省することであり、自粛することである、自分の問題として読みなさい、とおっしゃってます。私も、そう思います。一つだけ具体的に申しますと、身延の土産物屋さんでお曼荼羅本尊が吊して売られている、これが小樽問答での創価学会の具体的な日蓮宗批判の眼目です。本尊ほどの大事なものを土産物屋の店頭で吊して売っている、というのが創価学会からの批判ですが、いまだにその現状は改まっていないようです。この点を自省自粛することから始まるということだろう、と思っております。以上、三つの論文をご紹介申し上げました。
小樽問答につきましては、研究的な集大成は、平成八年に全教師に配布してあります、現宗研が作りました『他教団対応のあゆみ 日蓮宗の近現代』、この本にまとめてあります。こうやって、しっかり出してあり、宗門も対応しているんですが、はっきり言って現場の教師はこれを活用しておられない面が見受けられます。これが、日蓮宗の問題ではないかと思います。ですから、何とかしたいと思っている自分自身が何とかしなければならない、という菅谷先生のお言葉は、肝に銘じて、考えていただきたいと思っております。
来月発行の平成十八年十二月号「宗報」に書かせていただきました「現宗研の時事ノート」の中で、創価学会の会長が交代しましたことを書いておきました。実は池田大作名誉会長の長男の博正氏に世襲をしたい、というのが本音ではないかと分析しました。そして、創価学会の会長交代を、四大新聞紙の三つまでが政治欄で扱っています。宗教団体ではなくて政治団体である、ということを、この宗報の記事から読んでいただきたいと思っております。最近の創価学会につきましては、アメリカの『フォーブス』という雑誌の元記者が、『池田先生の世界』*という面白い本を書いております。分かりやすくて面白いので、是非ご参考になさって下さい。
* 元『フォーブス』アジア太平洋支局長ベンジャミン・フルフォード著『イケダ先生の世界|青い目の記者がみた創価学会』二〇〇六年一〇月二一日、宝島社発行