ホーム > 刊行物 > 現代宗教研究 > 現代宗教研究第41号 > 日本の人口動態と本宗における過疎過密問題への対策

刊行物

PDF版をダウンロードする

現代宗教研究第41号 2007年03月 発行

日本の人口動態と本宗における過疎過密問題への対策

 

日本の人口動態と本宗における過疎過密問題への対策
(東京都妙源寺修徒) 小 林 正 人  
一、はじめに
 本年二〇〇六(平成十八)年四月二十四日付の新聞に、二十六という市町村により行われた市長選挙の結果が載っていました。いわゆる「平成の大合併」といわれる市町村の合併に伴って行われた市町村選挙です。平成の大合併は、日本の少子高齢化、また過疎・過密問題を見据えて、その規模拡大によって総合的な行政主体を構築する目的で始まったもので、合併が本格化した一九九九(平成十一)年四月から、一区切りの二〇〇六(平成十八)年四月まで、市町村数が四〇%も減少しました。出生率の低下に起因する少子高齢化、人口の減少、そして過疎・過密問題は、日本の均衡ある発展、国土・文化の保全という面で、日本の根幹を揺るがす問題だと言われています。無論、国も種々の対策を講じてはいるものの、それらの問題が、進行の一途を辿っているという現状にあって、仏教の観点からこれからの寺院の役割を明確にしていくということは必然のことであり、またそのために社会の変化を見据え、宗門を挙げての統一的な意識構築が必要であると考えます。
二、日本の人口動態と過疎・過密
 日蓮聖人の時代、鎌倉時代には、日本の総人口は五〇〇〜七〇〇万人であったと推測されています。現在の人口が約一億二千八〇〇万人ですから、現在のおよそ二十分の一だったと考えられます。その後人口は右肩上がりの増加を続けてきましたが、近年、その増加率は急速に鈍化し、政府が国会に提出した平成十七年度版「少子化社会白書」では二〇〇六(平成十八)年から総人口の減少が始まるとされていました。しかし現実には、それを待たずに人口が減少し始めました。人口の増加率が鈍化する主因は少子化です。少子化に伴って高齢化も進んでおり、二〇二〇年には、四人に一人が高齢者になると推測されています。少子高齢化は既に、経済、産業、教育とあらゆる分野に影響を及ぼしていることは、ニュース、新聞等でよく知られる所です。人口の減少、少子高齢化が社会に与える影響としては、
・労働人口の減少、消費市場の縮小、これによる経済成長の停滞
・社会保障費の増加による国民の負担つまり税金の増加
・社会の活力低下、個人主義と相まって、ニートの増加、格差社会の拡大
・労働力確保のため諸外国からの労働力を誘致。外国人の割合が増加する
などが挙げられます。
 総務省がまとめた人口推計によると、二〇〇六(平成十八)年四月一日現在、十五歳未満の総人口に占める割合は、過去最低の一三・七%を更新しました。もしこのまま人口減少が進むと、二一〇〇年には、日本の人口は現在の半分の六四〇〇万人になると予測されます。また、少子化がこのまま低下を続ける低位推計での予測では、同年に約四六五〇万人になると推測されています。これは現在の総人口の約三分の一、明治時代の人口規模と同等です。そして、このもっと先、千年後の西暦三〇〇〇年になると、なんと、日本人が一三〇人になってしまう計算になります。
 人口の減少には、今の人口が多すぎるという意見もあり、賛否両論がありますが、少子化は出生率の低下という要因と、出生者数の減少という要因が相まって起こる現象であり、今後も人口が減少することは間違いないといえます。
 冒頭で、日本の総人口は近年まで増加してきたと述べましたが、産経新聞の記事によると、平安時代と江戸時代に長期に亘って人口が停滞した時期がありました。この時期の特徴というのは、平和で、安定した時代であり、女性が男性と同等の社会的地位を確立した時代であったと言います。紫式部などもその一例です。社会の安定期には、女性の意志が働きやすくなると言います。今日人口が停滞していることも、女性の社会的意志が作用したと言えそうです。現在、社会は安定し三十五歳以下における男女の学歴差はありません。少子化は女性の社会進出と、地位向上によって働いた社会的意識の表れと言えそうです。しかし逆に、女性が仕事と子育てを両立できる社会というものが形成されれば、女性は子供を産みやすくなると言われています。
 さて、少子高齢化と共に問題となっているのが、過疎・過密です。過疎・過密は総人口の減少とも密接な関係があります。現在、東京、大阪、神奈川、愛知、埼玉、千葉の六都府県に、総人口の四割が住んでいます。そして残りの四十一道府県のうち、市町村の半数以上が過疎地と認定されている県が、三分の一の十七県あります。昭和三十年代以降、高度経済成長の中で、農村、漁村地域から都市地域に向けて、若者を中心とする大幅な人口移動が行われました。例えば岩手県では、高度経済成長の当時、新規卒業者等が、首都圏や太平洋ベルト地帯へ流出しました。金の卵ともてはやされた中学卒業生等は、集団就職列車で上京、また、続く出稼ぎブームによって主力労働者が故郷を去り、農家は大黒柱を失いました。このような急速な人口の流出により、地域が防災、教育、そして保険など、地域共同体の基礎条件の維持が難しくなる状態を過疎といいます。多くの過疎地において若者の流出による高齢化が進んでいます。また地域産業の停滞や商店などの産業経済の停滞は、住民の基本的生活にも都市部との格差を生み、更に人口が流出していくという懸念材料に、地方自治体は頭を悩ませています。一方、人口の受け皿となった都市部においては、急激な人口密集により、インフラが追いつかず、町の賑わいとは裏腹に、人間関係の希薄化・無関心化が進み、心の孤独感はストレスや鬱病という精神的病を増加させています。精神的病はまた凶悪な非人道的犯罪などにも繋がる要因となり得、子供を外で遊ばせられない、という育児不安を募る要因を増加させるという悪循環を生む結果となります。このように、人口不足と、人口過剰という両極端な現状が、日本国内で存在し、それぞれに問題を抱えています。
 過疎地は、全国に比べ少子高齢化が二十年先行していると言われています。今後も、雇用機会や利便性を求めて地方から都市部への人口移動は進むと予測されます。日本は工業国です。したがって、日本が諸国に対し比較優位性を保つためには、工業の持続的発展が不可欠です。工業の中心は都市部であり、都市部の発展が日本経済の発展ですから、若い労働力が都市部へ移動することはやむを得ないことと言えます。今後少子化が進めば、労働力の減少はさらに表面化することになります。現在でも、団塊世代の退職による労働力減少が「二〇〇七年問題」といわれ、労働力確保のため、都市の企業は地方から若い労働力を誘致する手立てを始めています。人の集まる都市部では、財政が潤うのは当然ですし、国も都市部の発展を優先させます。都心ではマンションの建設や商業施設の建設が相次いでいるという現状が、それを物語っています。以上のことからも、過疎・過密問題は更に進むことは間違いないと思われます。
 政府も当然危機意識をもって、法律による過疎対策を進めてきました。二〇〇〇(平成十二)年には、「過疎地域自立促進特別措置法」が制定され、二〇〇九年までの一〇年間、過疎対策が実施されています。このような過疎対策は遡れば一九七〇(昭和四十五)年の「過疎地域対策緊急措置法」から行われています。その後十年毎に、「過疎地域振興特別措置法」、「過疎地域活性化特別措置法」、そして二〇〇〇(平成十二)年からは、「過疎地域自立促進特別措置法」と十年を一区切りとして取り組まれてきました。これらを見ると、当初の対策が、都市部への若者の流出を防ぐために、過疎地の利便性や雇用拡大等を図る目的だったこと、それから十年、二十年と時が経るにつれ、その目的が地方の特性を生かし、自立した過疎地域経済、過疎地経済の確立を図る方向へと、より踏み込んだ内容になったことが分かります。そこには、都市部、都市部周辺、そして過疎地域、それぞれの環境にあった役割分担を明確にしようというビジョンが伺えます。具体的には、都市部は人口過密に対して、より安全で快適な生活環境の構築のため、インフラの整備を進めることになります。都市部周辺は、短時間で都市部へ行くことができることと広い居住空間を確保できることを生かして、飽和状態にある都市部の人口の受け皿としての役割を担っていくと思われます。それでは、地方はどのような役割を担えるでしょうか。それは、日本を、日本たらしめる、国土と文化の保全であると思います。人口が減少し、経済成長が停滞した時、日本が世界第二位の経済大国でいられるかどうか、日本が経済大国という肩書きを失った時に、何が残るのか。それは、日本を囲む海、国土の七〇%を占める森林、そして豊かな農耕地帯、島国日本が独自に培ってきた文化です。豊かな自然資源を生かして、日本の国土、文化の保全という役割を確立していくことが、地方の担っていく重要な役割と言えます。
 以上は、日本の人口動態、少子化と過疎・過密の先にある日本について述べました。人口が減少し始めた現在、日本社会は大きな転換期を迎えています。それは当然、日蓮宗に対しても様々な問題を投げかけています。
三、宗祖御降誕八〇〇年を見据えた宗門の展望
 今から十五年後の二〇二一年、本宗では、宗祖ご降誕八〇〇年を迎えます。八〇〇年という歳月を、歴史的に振り返れば、農業から工業へ、人力から機械化へ、特に最近の変化は、短時間でも著しく急激ですから、十年後、いや一年後の社会ですら、予測がなかなか難しいことです。それを考える時、また現実の寺院での生活や檀家さんとの話から感じることは、伝統を重んじることの大切さと同時に、僧侶一人ひとりが社会の変化を見つめる目を持つことが、今、必要とされるのではないでしょうか。
 今、寺院の護持を考える時、経済基盤の問題があります。何事も運営し、保全していくためには、日本の社会では、お金を中心とする経済基盤の確立が不可欠です。それは寺院もしかりです。寺院の経済基盤の中心はお布施です。今日、全国にコンビニよりも多くの寺院があるという現状、このたくさんの寺院が残っているのも、江戸時代から確立されてきた寺請制度、これによって、寺院が国から、またお檀家さんからの安定収入を得たことによると言っても過言ではないでしょう。したがって、今日、寺院にとってとりわけ問題となっている、また、これから問題となるのも、寺檀関係の希薄化、檀家さんの減少、イコール寺院収入の減少、という問題です。それを前提とした時、過疎地において、ゴーストタウン化した町にある寺院は、当然、苦しい運営を強いられているし、これから人口の減少は止められないとすると、当然、今安定している寺院にとっても、各寺院、そして宗門を挙げての対策が必要になるといえます。
 本宗においては、宗会において゛国内開教対策委員会=cd=ba39が発足されました。これは過密地寺院や、これから人口が増える地域を主眼においた委員会です。また、二〇〇六(平成十八)年の三月に行われた宗会では、゛過疎地域寺院活性化検討委員会=cd=ba39が発足され、過疎地における過疎寺院の対策が始まりました。宗門としてこれから対策を進めるにあたって、まずは各寺院の現状の正確な把握が必要になり、それが前提となります。現在、過疎地と認定される地域にある、日蓮宗寺院の数は、七五三寺院あります。日蓮宗の総寺院五一八七寺院の一四・五%にあたります。次に、正確な情報収集が必要となります。そして、全国平等の調査、対策を実施するためには、宗務所各管区、各教区単位または新たな統括組織というものを設ける必要性も考えられるべきではないかと思います。その上で、必要な寺院への宗門のバックアップが検討されます。ただしバックアップの方法も、お金、物、人、そのいずれかが適切であるかを見極めることが大切です。当然寺院という特殊性から難しい問題も絡んでくることですので、これから宗門、宗会において過疎地域委員会がどのように進んでいくか、難しくも重要な問題です。
 積極的な方法として、各地域毎に、日蓮宗寺院と他宗派寺院の配置、そして人口のこれからの動態を考慮した上で、日蓮宗の未開拓地域を選定して、布教所の設置、また寺院の建立が考えられます。例えば現在、政令指定都市が全国に十六市あります。東京、札幌、仙台、埼玉、千葉、川崎、福岡等です。この政令指定都市に、総人口の約三割が住んでおり、宗門運動中もこの割合は増加を続けると予想されます。また、過疎地域寺院に関して、都市部に近い位置に布教所などの開設、これは宗門のバックアップが必要になりますが、都市部と、過疎地寺院の密接な助け合いやコンタクトが一つの課題です。人口の多い都市部にある寺院と、そうでない寺院とでは、危機感に大変大きな温度差があります。安定は油断や怠慢を生みます。現在安定している寺院も、檀家収入が今後、安定収入とは言い切れませんから、継続的宗門の発展を考えると、これからの、更なる仏教、そしてお題目布教の実践が必要です。
 宗門においての対策を考えるとき、当然全教師の意識の統一が不可欠となります。寺院護持には経済基盤の確立が必要との意見を述べましたが、寺院の公益性ということを考えなければなりません。寺院は公益法人です。学校法人と同じく公益法人のなかの宗教法人ですから、公益に付す事業を行うことが前提となります。宗教法人が、広く人々に宗教的情操を説き、国民の精神的安定を図ること、又これに付与することによって日本の安定に繋がる。これが宗教法人が税制で優遇される所以です。しかも本来優遇ではなく、宗教法人が払うべき税金を国民が払ってくれている、だからこそ、私達は公益的な活動をする、しなければならないのです。このような宗教的・公益的精神への改革と統一が急務であると思われます。人口減少、それに伴っての檀家さんの減少は、寺院と僧侶に対して、その資質、また、檀家の意義の再考を寺院に対して投げかけているのではないでしょうか。
 運営が大変な寺院はたくさんあります。過疎地においては、寺院の統廃合の必要性が一般でも広く言われています。しかしそれは、最後の手段であると考えます。「一、」で過疎・過密の現状と地方の文化がこれから重要になっていくことを述べましたが、それは何故か。日本人は自国の文化を知らないと揶揄されます。それは、人から問われる機会が少ないからなのではないでしょうか。人口の減少による労働力不足は諸外国からの労働力を受け入れることになります、それは新聞などでもよく言われていることです。異文化の流入は、仏教が日本へ入ってきた時、きっとそうであったように、文化の融合、そして摩擦、排除を招くことになります。その刺激に、日本人は少なからず、自国の文化を問うことになるでしょう。日本人の文化、風習は、神道と共に、仏教の文化であるので、厳しくも期待の目が、お寺に向けられるのではないでしょうか。人口減少は、その時が遠くないことを示しています。逆に都市部では勿論、地方でも大変賑わいのあるお寺はたくさんあります。それらの寺院に共通して言えることは、寺院の活動内容を広く公開し、公共のために付す精神、心を持って活動し、檀家さんが多いとか、少ないとかに関わらず、経済基盤を獲得していることです。それらの寺院は、寺院を必要とする人達によって支えられています。また、決して、賑わいがなくとも、そこにある、そこに寺院があるということが、地域にとって心の安らぎであったり、おじいちゃん、おばあちゃんの憩いの場である場合、地域に守られてひっそりとでも存続していますし、これからも存続していくのではないでしょうか。
四、まとめ
 今後、日本の人口の減少、過疎・過密の拡大は必至です。そこから発生する寺院運営の諸問題を考える時、宗門にとって課題山積のようですが、その根幹にあるのは、これからの寺院のあるべき姿、檀家とは、そして僧侶とは如何なるものかという問いです。寺院で活動する教師が、勿論私も含めて、僧侶のあるべき姿、自覚を持つと同時に、環境や、地域の特性、そして寺院に求められるニーズを如何に捉え、見極めていくか。「言うは易し行うは難し」ですが。まずは、寺院にできること、寺院にしかできないことを見つけるために、宗門が、そして個々の教師が情報交換をできるネットワーク作りが必要ではないでしょうか。必要とされるものは何であれ、どんな形であれ、そこに残っていくと思いますし、当然その逆も言えることと思います。それは、私自身自らに言い聞かせて、肝に銘じてまいります。
 ちなみに二〇〇四(平成十六)年五月に、内閣府・政府広報室によって行われた、二十歳以上、三千人を対象とする、観光立国に関する特別世論調査(複数回答可)よると、「日本の、どのような魅力が日本ブランドか」という問いに対し、「海、山、川、などの自然環境」と答えた人が五三%、一方、「近代的な都市文化」と答えた人が、一四・七%、そして、「神社、仏閣、などの歴史的建造物や町並み」と答えた人が六五・九%いたそうです。寺院は日本の風景であり、日本の文化です。
 

PDF版をダウンロードする