現代宗教研究第41号 2007年03月 発行
新宗門運動のコンセプト
新宗門運動のコンセプト
(山梨県忠安寺住職) 進 藤 義 遠
改めて、お題目を三遍、ご唱和願いたいと思います。
南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経。
おはようございます。(おはようございます)本日は皆様方の尊いお時間を私のために割いていただけるということで、こうして講演のお時間をいただきましたことを、まずもって感謝申し上げます。私にとっては、現宗研は、とっても懐かしい、ステージでありまして、所長さんや主任さん、影山上人さんとは、これまでにも何度となくお互いにさまざまなことで喧々囂々の議論を交わして参りました。そうした意味においてはどなた様も実に良き友であり、貴重な師範であります。勿論、初めてお目に掛かる方々もおられますし、折に触れてどこかでお目に掛かった方々もおいででありますが、いづれにせよ暫くお時間をいただきたいと思います。極めて限られた時間でありますので、非常に雑駁なお話になろうかと思いますがどうぞご容赦願いたいと思います。
さて今日、私が皆様方の前に提供致しました資料は、過日(本年の二月の二十三日)山梨県と静岡県の「山静教研会議」の際、読売エージェンシーの石井哲也氏にいただいたご講演をもとに自分なりに「新宗門運動」のあり方について考えをめぐらせ、作成したコンセプトであります。
ちなみに当日の会議では我々日蓮宗教師がものを考えたり、行動をしたりするためのコンセプトメイクをどのようにして行っていったらよいかということを石川先生にご講演をいただき、その後、参加された教師の方々とご一緒にいくつかの例題をもとに私共がこれから考えるべき宗門運動について考えていただきました。
今日は、皆様方とご一緒に、我々が、我々の宗門活動、或いはそれぞれの寺院活動をしていくための、コンセプトメイクということをお考えいただきたいと思います。
もう既に、皆様方は、ご承知のこととは存じますが、私達日蓮宗教師が弘教をしていくためには、それなりの心得が必要であろうかと思います。その中の一つは、「しっかりとしたテーマを持つ」ということであります。このテーマを持つということは、主たる目的、「主題」をハッキリと掲げるということであります。二つめにはビジョンを描くということです。ビジョンを描くということは、近い将来において、私達が具体的にどういうようなものをそこに目標として設定するかということであります。まあ、ある意味でいえば、未来像であります。
ところで私も含めて、私達坊さんというのは非常に高邁な理想を掲げることはよく致します。現に例えば我々は、よく「一天四海皆帰妙法」とか「立正安国の実現」とかいうことを言うんであります。しかし、それらがあまりにも現実からかけ離れたビジョンであるために、自分の置かれた環境(現実社会)の中でそれをどのように具体化すべきかとか、そのために自分自身が何をどうすべきかということを自問自答しようとするといっこうにその答えを用意できないというジレンマに陥ってしまうのであります。つまり、いつになってもはっきりした目標や課題の設定が出来ないまま時間だけが過ぎていってしまうのです。そういう欠陥を私達は持っているように思うのです。些か生意気でありますが、私が今回「山静教研会議」において何故、コンセプトメイクということを参加された教師の方々に提示したのかというと、どうも私達僧侶というのは先にも申し上げるように高邁な理想に、自分自身が酔ってしまって現実に行動をする具体的な行動原理というものをシッカリと構築することができないことへの真摯な反省をすべきだと考えたからに他なりません。ご案内の通り、今、民間企業では平均年齢三十五、六、乃至四十二、三の人がオピニオンリーダーとして、つまり、その領域、或いはもっと広い社会の人間のリーダーとして時代を引っ張っているのです。私達は、例えば「次世代へのアプローチ・・・伝える」等というキャッチフレーズを考えたり、アドバルーンなるものを上げたいりはいたしますが、それじゃ一体、「次世代へのアプローチ」とは何なのか、そのためにどんなことをすべきなのかということになると、具体的なビジョンやコンセプトメイクが不十分な為に十分な成果を挙げることなく時の流れに身を任せてしまうことが決して少なくないのです。そういうことを考えた時に、では私たちに何が足りないのかというと、くどい話になってしまうのですが、まず第一にテーマが何であるのか、そしてそのためのビジョンをどのようなものにするのか、そのためのコンセプトをどう作り上げていくのか、さらには自分達が具体的にどのような行動を起すのかを体系的に組み立てるということが殊更必要になってくるのではないかと思うのであります。
今日、これから取り上げようとするテーマは、そのための具体的なコンセプトをどのようにメイキングしていくか。そして、この具体的なコンセプトをメイクしていくために必要なツール、つまり道具を、どこに探し出し、どのようにして活用していくか、こういうことを実際にやってみようということなのです。
私は寺の倅ではありませんでした。サラリーマンの倅が二十八歳で今の寺の住職になって三十年、今年はなんと三十一年目を迎えました。その間、大勢の方々のお力をいただいて、今日この日があるわけでございますが、私は、皆さん方もそうでしょうが、自分自身の三つの大事、三つのテーマを自分に掲げて、今日この日まで参りました。
しかしよく考えてみますと、これは、一人私のテーマではなくて、皆さん方に共通したテーマではなかろうかと考え、今ここに挙げてみることといたしました。その一つは、仏弟子、とりわけ、法華経の仏様の弟子になったという大事であります。仏弟子とはいっても、とりわけ法華経の仏の弟子になった。それがどういう意味合いを持つのか。これが、一つめの大事であります。二つめの大事は、大きく分けると、今も言ったように、サラリーマンの倅が出家したわけですから、私にとっては出家の大事があります。勿論、今日では、長い過去の仏教の中における出家と、そうでないもの、即ち在家との違いということになると、些か、その区別のつきかねる時代ではあります。私は、一念三千を論じていく時に、いわゆる「三世間」ということについて、我々は、少しばかり心得違いをしているというを近年知ることができました。
我々には、世間法という法があります。ある時に、まあ俗に言う出家をして、離世間、世間というものを離れるという、そういう世間を生きることになりました。そして、ここが大事なのですが、改めて、そういう世間を離れた者が再び、この娑婆世界に入ってきて、法を説いた、お釈迦様というお方はそういうとてつもない仕事をなされた方なのです。つまり、出世間というのは、そういう意味では、世間と離世間の世界を更に超えた所で再び、この世界に立ち戻ってきて法を説いたことだと教えていただいたのです。
ここにおいでの皆さん方には、当たり前すぎることかもしれませんが菩提樹の下で悟りを開かれた、仏様が、仏様になった最大の理由は何か。それは勿論伝説とはいいながら、梵天に促されて、あの菩提樹の下を立って鹿野苑にやってきて、五比丘のために法を説き始めたということだろうと思うのであります。ご自身が悟りを開かれて、もう既に、自己の悟りを終えた、一人の、シッダルタという覚者が自分だけの安穏の境地、涅槃の境地に留まるのではなくて、再び、この混乱した、或いは迷っている、時代社会に舞い戻ってきて、そこに生活する人達に向かって再び法を説き始めた、実は、そこから、仏の出世間というものが始まったのかな、そういう風に思うんであります。
その話をしていますと、話がいつになっても終わりませんので今日はここで止めさせていただきます。こうした「出家の大事」はさらに進んで言えば、私達一人一人が、日蓮が門家、日蓮が弟子、或いは日蓮が一子と呼ばれる、そういう者として、今ここにいるということでなければなりません。
そして、三つ目は、ここにおられる方々が等しく既に一山の住持であったり、これから一山の住持となるに違いない、或いは、布教所や結社のリーダーとして活動されるであろうに違いないお方であるということであります。つまり私たちが一つの山の住持になった、或いはそのようなステータスを持つようになったということの意味もまた、実は、出家の、或いは我々が出世にしたことの大事である、そういう風に思うんであります。
さて、今、私がここで論じているのは、テーマの問題であります。テーマの問題とは何でありましょうか。
そもそも法華経の仏が出世した、その本懐とは何でありましたか。どなたか如何ですか。法華経の仏の本懐。○○上人どうでしょうか。うん。如何ですか。○○さん如何ですか。(法華経の仏の本懐ですか。)はい。(全く差別なく成仏をする、させるということだと思います。)そうですね。
皆様も十分ご承知のように『法華経』方便品においてお釈迦様は、「如我等無異」と仰せになられて、一切衆生をして、有情も非情も、とにかくありとあらゆるいのちあるものを自らと等しい仏の境地に導きいれようと思し召されて、この世にお出ましになったとご自身の出世の本懐を明らかにお示しになられました。
じゃあ、その法華経の仏が、そのような思いでこの世にお出ましになって、その次に願われたことは何だったのでしょうか。
時間がありませんから私のほうで結論めいたことを申し上げますと、間違いなく、法華経の仏は未来の我々に「滅後の令法久住」を託されたということでありましょう。ご自身がお亡くなりになった後、この法を久しくしてこの地(娑婆世界)に留め置くこと、それこそが法華経の仏の願いであったんだとそういう風に私は思うのであります。
さあできました。法華経の仏のテーマができました。
それは「一切衆生をして皆等しく仏たらしめることであり、そして、ご自身が亡き後もこの法を久しく一切衆生に受持せしめて、亡き後の人々をも法華経によって、仏にせしめること」、それが法華経の仏の本懐であり、願いであると。
それでは私達の祖師である、法華経の行者日蓮の出世の本懐(テーマ)は、何だったのでしょうか。皆さん考えてみてください。法華経の行者、日蓮の本懐は何か。これは、私流の解釈ですから、これから折に触れてまた皆さんと大いに、そのことについては議論をしなければいけないことですが、私はこのように思っています。
法華経の行者日蓮、お祖師様は、日蓮大聖人は、あの龍口以来、佐渡に渡られて、変化の人であると思われる最蓮房を目の前にして、佐渡におけるおよそ足かけ四カ年の間、ひたすら、ご自身の出世の本懐(テーマ)を自問自答され、遂には『開目抄』によって法華経の行者としての自覚に立たれ(人開顕)、『観心本尊抄』によって、法華経の教えの究極を「事の一念三千」に帰結せしめ(法開顕)、自らの心中に感得した本尊を紙幅の大曼荼羅として図顕遊ばされ、重ねてご自身の、今生における使命のなんたるかを自覚なされて、「立正安国」の実現を後の者に託していかれたのであります。
法華経の行者日蓮聖人がその本懐とされたこと(テーマ)をもう少し見方を変えて申し上げるのであれば、それは久遠実成の本師釈迦牟尼仏が、その久遠の昔において一切衆生に本因として下種された成仏の種を、『法華経』神力品において別附属をされた本化別頭の菩薩である日蓮聖人が末法当今というこの時代に出現し、飲みやすいように五字七字の題目というカプセルに包み込んで一切衆生に含ましめる、そういうことを自らの本懐とされたのだといってよいのではないかと思うのです。
さあ、これで法華経の行者日蓮という人の本懐(テーマ)もハッキリしてきたように思われます。
さて私は、本日皆様にお配りした『ATD』という本の中で、これからの時代は間違いなく、「統合」と「蘇生」に向かって歩き始めたと強調することをはばかりませんでした。皆さんもご案内の通り、一般社会、ことに産業界ではどんどんどんどんM&Aが進んで、いわゆる買収と合併をしながら、企業がいわゆるリストラというんですか、再構築をしながら、再統合を図っています。医療の分野でも、今は西洋医学と東洋医学、或いは漢方、そういったものを統合しようという動きが活発化し、アメリカのワイン博士のような人も出てきました。そういうことを見聞しておりますと、間違いなく、時代は「統合」と「蘇生」の時代に向かっているといわざるを得ません。
この「統合」と「蘇生」の時代を支える最も基本的な思想形成をなしうる宗教が仏教、仏教の中でも『法華経』、とりわけ「日蓮の宗教」であると私は考えるのです。そういうことを、我々がどれだけ自分の問題として、受け止められるかということが、今、とても大きな問題だと、そのように私は考えています。そういう意味で、只今申し上げた本化上行としての自覚に立たれた日蓮聖人の本懐(テーマ)こそは、そのまま末法の今日における私たち日蓮門家の人々一人一人の究極の出世の本懐(テーマ)であってしかるべきだと思うのであります。そのような自覚のもとに展開されるお題目下種結縁運動こそがとりもなおさず「立正安国」の実現を可能にする運動でもあるといえるのではないでしょうか。
およそ不遜の弟子?の分際で、このように申し上げるのは実のところ生意気なことであると重々承知の上で言わせていただけるのであれば、私は常々お師匠様の「立正安国」は単なる国家諫暁というよりは、巨大な怪物にとてつもない課題を提示することで、諸宗との「公場対決」を促し、遂には純粋法華一乗の大戒壇をこの日本国に建立することではなかったかと思うのです。しかし、残念ながら、お師匠様が生きた鎌倉という時代社会の中にあっては、お師匠様のその声に耳傾ける者は爪上の土ほどに僅かであり、時として後人(優陀那院日輝の「庚戊雑記」)をして失敗であるとすら言わしめたのでありました。しかし、当の時代社会がこれを受け入れなかったからといって、その言動や運動を失敗であると決め付けることにはいささか早計の感があるように思えます。私はお師匠様における「立正安国」は後代の私たちのためにお師匠様がその身命を賭されて「宣揚」をなされたお師匠様、法華経の行者・日蓮聖人の出世の本懐(テーマ)であったと確信しております。
恐らく、お師匠様は、ご自身がお亡くなりになる時に、或いはそれ以前に、自らの生きた時代、いわゆるお師匠様流に言えば、教・機・時・国・序の「五綱」を明らかにする過程で、ご自身の時代がどのような時代であったかをある時期にお察しになったに違いないと思うのです。それが故に、お師匠様は、ご自身の未来記として『撰時抄』をお遺しになられたのだと思うのであります。そして強く日蓮が門下、弟子、檀那の者達に、この「立正安国」を応分の時代社会の中で必ず実現せよと期待と願いとをこめてお遺しになられたのだと考えるのであります。もし、我々がそのように受け止めるのであれば、改めて我々は「立正安国」ということを自分の問題として、正しくこの時代社会の中で、もっと言えば国際社会の中で、この地上にあって実現していく、させていく、そういう役割をお師匠様から「付属されたんだ」と受け止めなければならないのだろうと思うのであります。
それが、今、申し上げましたように、私達の、私達の本懐(テーマ)なのです。
この私が、あなた様が日蓮聖人の弟子になった、門家になったのです。
もし、そんな私が、或いはあなた様がいつの日かお師匠様に直接対峙し、或いは面伏するような時を迎えたら、その時、私たちはなんと言ってお師匠様に自らの今生における生きようを申し述べたらよいのでしょう。どう言えば、お師匠様から、いえいえ久遠の本仏様から「善哉善哉」とお褒めのお言葉を頂戴し、このくさき頭を撫でていただけるのでありましょうか。
お師匠様の「未来人」への期待に精一杯応えられるよう生かしていただく、それこそが、私達が日蓮宗の教師になった本義でなければ、とうていお師匠様にお目にかかることなど叶うまいと思うのであります。「丑寅のわたりどの」は遥か遠くに霞んでしまうに相違ありません。
さあ、そこで、今、もし、法華経の仏の弟子であるという大事、法華経の行者日蓮の弟子、檀那であるという大事を自らの出世の本懐(テーマ)として掲げる私たちが、具体的活動ビジョンを拠点としての寺にあってどのように構築していったらいいのかということを考えて見たいと思います。
勿論、この事柄は長い長いタイムスパンを必要とするものであります。もしかしたら百年後、二百年後、或いは五百年後、千年後の「立正安国」についても考えなければいけないのですが、今、私達は残念ながら、自分の余命を考えた時、さすがに千年後の「立正安国」を自分の問題として現実化することはできません。実感できないビジョンは所詮絵に描いた餅に過ぎません。せめて、せめて自分の息のあるうちに、せめて、せめて孫子の代に何らかの成果を見たいものと夢見ずにはいられません。私は、昭和二十二年の一月の生まれですので、今年五十九歳。数えで六十歳になりました。せいぜい生きて二・三十年。そう思うとのんびりもしていられません。
ご案内の通り、所謂「七五〇」は既に終わりました。ちなみに「七五〇」の点検をされた方々のご意見を聴くと、「非常に低調なものであった」と、多くの方々が口を揃えて仰います。もし、それらの言葉を鵜呑みにするのだとしたら、そのような「七五〇」を作ってきたのは、今ここにいる私達なのだということにも気づかなければなりません。もしそうであるとしたら、本気でそのことを真摯に反省して次の「聖誕八〇〇年」に向かって一歩でも二歩でも前に進んで行ける宗門や私たちであるように生きていく責任と使命があるように思われます。私は只今も申し上げましたとおり数えで六十歳です。ですから、これから十八年、もう既に始まりましたその十八年間は、もし仮に久遠の仏様やお師匠様から十八年の命をいただけるのであれば、終わる頃には七十八歳になる私ですが、八十なんなんとするそれまでに自分の責任と使命とを自己啓発し、今こそそのための行動をしていきたい、そのように思うわけであります。
確かに自分勝手な夢に酔うている、そういう感もなきにしもあらずで現実に行動していくとなったら、そう容易なものではないだろうと思ってはいます。しかしながら、そのようにして自分自身を揺り動かしていかないと、いつになっても私も、宗門も、「惰眠を貪る獅子」のままで終わりそうに思えてなりません。
いささか私事でありますが、私は中学の三年ぐらいから高校を卒業するくらいまで「立正佼正会」という巨大新興宗教教団の中にトップリとその身を漬け込んだ人間であります。その中で色々なものを勉強させてもらいましたが、たまたま縁があってこの既成教団日蓮宗の世界に飛び込むことになりました。極めて生意気なことでありますが、その時の私の最大のテーマはできるものならばこの日蓮宗という「眠れぬ獅子」を覚醒させたいということでありました。勿論今もなおその思いは、いささかも変わっておりません。折角『法華経』や、「日蓮の宗教」という百獣の王としての力を持ちながら、もし惰眠を貪っているのだとしたら、どこかでこの獅子が目覚めるための努力をしなきゃいけない。しかし、獅子は、いくら外側で「おい、起きろ、おい獅子め」と声をかけても、うおーっと吼えはしてもまたすぐに眠ってしまうに相違ない。だとしたら内側から、その獅子の身中で、心ある人達が本気になって、獅子としての自分の力量を、或いは集団の力量に気づき、より勇敢で威厳のある獅子となっていくことがどれほど大事なことかということを今こそ私たちは真剣に考えなければいけない、そのように私は思うのであります。
昨年私は「布教研修所」で主任という大役を勤めさせていただいた関係でマレーシアに行ってまいりました。ご存知の方もおられると思いますがマレーシア人の七〇%はイスラム教徒です。たまたま私たちが出会った日蓮宗信徒といわれる方々は、中国福建省からこられた華僑の人達でありました。でも、この人達の殆ど、いや、全ての人達はSGIから、たまたま、日蓮宗に改宗をした人たちでありました。なんとマレーシアでは、南無妙法蓮華経と言ったり、日蓮宗、或いは日蓮と言ったら、それは即SGIなのです。しかも、その声を聞くと、たいがいのマレーシア人や現地人はいやな顔をするのです。私達が、大切にしなければならないお題目や、日蓮、そういうお師匠様の名前が、よその国に行った時にいやらしいもの、耳障りなもの、そのようにして伝えられているのだとしたらどうでしょうか。しかも、その責任がSGIにあるのではなくて、私達にあるのだとしたら・・・。私は去年そのことをとても強く感じました。
少し話が横道に逸れてしまったようですので本題に戻らせていただきます。
今皆さんのお手元に二つの資料がいっておることと思います。最初の資料はいわゆるコンセプトを作っていくための方法論を示したものです。まず初めに私が何故これを皆さんに提示したかという理由を申し上げたいと思います。皆様方の中には今日までそれぞれに素晴らしい活動を既になさっている方がおられると思うのですが、ここでそれらの一々をもう一度よ〜く考えてみてください。皆さん方は自分がやっている行動を一体どれだけ自分自身の中で整理整頓して、この部分はこの引出へ、この部分はこの引出へ、この仕事はこういう目的のため、この仕事はこれからどう展開させようなどと考えて、自分なりにボックスを決めて、その中に入れ、ドラえもんではありませんが必要に応じてそれを引き出すような仕組みを、構築というか、コンセプトしておられるでしょうか。何となく、色々なことで、色々なことに挑戦をして、色んなことに出会って、自分なりに色々な大衆に向かってのアプローチや、或いは様々なものに向かってのアプローチをなされていても、それがどういう形になっているのかという体系化ということになると、私も含めて些か心許ない方達も多いのではないかと思うのです。それゆえに実はこのコンセプトメイクということが大事なことなのだということを皆さんにご理解いただきたいと思ってこの度の資料を提示したのであります。
それでは資料に基づいて少しばかり説明をさせていただきたいと思います。
まずはステップ1について説明いたします。
およそ一般社会でいえば一つの会社が一つの商品を売ろうとする時に一番必要なものはマーケットリサーチであるといわれています。さてマーケットリサーチというのは市場調査ということですから、つまりは自分たちが販売しようとする商品の売れ筋を的確に把握して利益を上げる為に必要な調査ということになります。いつ、どこで、どのような人々のニーズを得て商品が買われていくのか、よく売れるためには何が必要か。そんなことの必要十分条件を正確に把握し、具体的販売戦略を作っていくことになるわけです。
そのために必要な要素が資料に示されているような七つのファクター(要素)ということになるわけです。
① 市場環境、
② 実際にこちらが提示できるサービス、
③ 自分達が活動できるエリア、
④ 当然そこに起こる競合相手、
⑤ 実際にユーザーとして生活をしている人々、
⑥ それから、そのマーケッティングをしていくために必要なチャネルとなる人間関係、
⑦ 或いは一般社会とのコミュニケーション、
こういうことを、きちんと分析をしていかないと、十分な目標の設定をできないし、またその目標を具体的に展開して達成することはできませんよ、というのがステップ1ということになるわけです。
そうすると、こういうものが見えてくると、ステップ2として、実際に、問題点と市場チャンス、つまり、実際に物を売っていく、そういう、今がチャンスだな、ここからこういう風に押していけばこれができるんだな、この人とこの人にアクセスをしなければ、これは進まないんだな、そういうような、市場におけるチャンスが、見つけ出せるようになるというわけです。
しかし、より具体的に市場でのチャンスを発見する為に私たちはSWOT分析と言われるものを使うわけです。この方法は広告業界では当たり前のことのようですが、ちなみにSWOTとはStrength(強み)、Weakness(弱み)、Opportunity(機会)、Threat(脅威)の頭文字を採ってつなげたものです。これらの事柄を自分のコンセプトを作っていく過程にセッティングした時、私たちは初めて自分の目標設定をすることが可能となるわけです。
例えば、私たちは先ほども申し上げましたように「みんな一緒にほとけとなろう」と願い、一切衆生を全部成仏させようとしているわけですが、実際には、それを展開していくためのきちんとしたターゲットを見つけていかないと駄目なのです。今日おいでの方の中に自衛隊にお勤めの方がおられると聞きましたが、いかがですか?自衛隊では実際に作戦を練り、行動をする時に、どこでもいいから撃てなんていうことは言わないのではありませんか。(ございません。)そうですよね、当然ですよね。
今日はそのことについて十分にお話することはできませんが、今日の時代社会は三つの大きなファクターによって動いているといっても言い過ぎではないと思うんです。即ちその一つはスピード、次はコレクト、三つめはスペシャリティです。スピードは皆さんよく分かりますよね。どんどんどんどんまだまだ、加速化して、世界はあっという間にどんどんどんどん小さくなりました。今は、空間から時間で物を考える、空間軸から時間軸で物を考える時なんだそうです。二十四時間開いているマーケット、(国際市場は、もう二十四時間制は当たり前なんです)為替や株式のマーケットの現場にいたら二十四時間どころじゃない二十六時間生きてなければ、大変なことになることが山ほどあるのだそうです。そういう時代なんです。次にあるのはコレクトです。コレクトとは何か。正確さです。これは近年の戦争を見れば一番よく分かります。私は戦後生まれの人間ですけど、あの広島や長崎がなぜあんな悲惨な事態の中に投げ込まれなければならなかったか、そのためにどれほど多くの人々が不幸を味わわねばならなかったか、あれは戦争がコレクトではなかったからです。無差別にどんどんどんどん、爆撃をして、或いは、原爆を落として無差別に人を殺したからなんです。しかし今、世界の軍事情勢は様変わりし、どんどんどんどんコレクト化されてきました。つまり限りなく正確さを求めるようになってきたのです。遥か洋上から撃ったミサイルがですよ、誤差僅か1メートルで目的地に着弾するんです。これは、まさしくコレクトです。そして、三つ目はスペシャル。近年私たちは平気で「男女共同参画」社会を求めて努力を惜しんではならないなどということを申します。私も少しばかり地域の行政の要請を受けてこの問題に取り組んだことがありますが、この件で人々が最も誤解をしていると思われるのは、なにもかもみんな押しなべて平らかにしようと願っているということかもしれません。実際の時代社会はそのような願いとはまったく逆の方向に流れているというのにそのことに気づかないまま時代のトレンドに逆行しているという愚行こそ問題視しなければならないと思います。即ち時代社会は今当に限りなくスペシャル、つまり差別化の時代になっていこうとしているのです。大事なことはそうした時代社会の流れの中でどのようにして、そうでない共通性を見つけて、そこにコネクトしていくかっていうことがはっきり分かっていかないと、やはり、この「男女共同参画」の問題も、いっぱい矛盾したことを生み出してしまうように思われてなりません。まあそれはともかく、いずれにしても、そういうことを通して、今、はっきりとしたターゲットを、自分達の前にしつらえていく、用意していくことが大事なんだということをご理解いただければ有り難いと思います。
先ほどもお話を聴いておりましたら、「伝える、次世代へのアプローチ」という我が宗門の新たなる運動におけるミニテーマ?のようなものが話されておりました。
私共の教区でも管区でもそうです、皆さん方も多分そうでしょうが、私たちは「次代へのアプローチ」というとすぐ、十代二十代、或いは幼い子供達、そのような人達が次世代だと考えてしまうんです。それは、マーケットリサーチが足りないからだと思うのです。ついこの間も、NHKスペシャルという番組でやっておりました。ご覧になった方もいるかも知れません。吉田拓郎、私共と同じ位の年齢です、そう六十前後です。確か彼は六十になりました。その彼が六十になってから新しい音楽に向かって、新しい世界作りをしようと、今躍起になっているのだそうです。ご案内の通り、団塊の人達、昭和二十一年二十二年、二十三年、この人達全部合わせると二千万以上いるんだそうです。皆様も既にご案内の通り、今、「昭和三十年代」が、レトロではないけれど、時代のブームになっています。なんとそうした時代に生まれた人たちが、もう一度自分達の力でこの次の時代、次の世代を組み立ててみたいと本気で考えているらしいというのです。彼らが本気になって織りなしていく文化や社会。ちょっとばかりおもしろくありませんか。私はその張本人の一角に位置しているのですからことのほかおもしろくてしかたありません。このことは次の時代社会を担っていく人が、一概に十代二十代の人達であるとは言えないということなのです。どんどんどんどん少子化が進んでいって、先ごろ政府が驚きをこめて発表したように、これから日本の人口は、急坂を転げ落ちるように減少傾向を顕著にしていくに違いありません。単純に、生産性や生産能力ということから考えたら、この人達が少なくなることは、日本の国力が落ち込んでいくことを意味します。しかし、その一方で、六十代以降の人達が、これからの十年なり二十年なりの中で、その持っている能力を、更にもう一度、リ・エンジニアリング(再構築)していったら、また日本は違う日本として、世界のコアになり得るかもしれません。いえ私はそうだと確信します。そういう時代を、私たちは見据えなければいけないのではないでしょうか。そういう意味でもターゲットというものをはっきり見極めていくということが大事になるのです。そうなった時に、それらも含めてじゃあどういうコンセプトがあるだろうか、それを考えていくことが、これからの私たちには大事なことなんだということなのです。
さて、今皆さんのお手元に資料が二頁三頁四頁五頁とずっとあるんですが、これ等はまたどこかの機会で、或いは皆さん方が、こんな奴がいてこんな宗門運動に対することも考えているのかな、ということで見ておいてください。というのは、この話をしていたらこの時間内では足りませんので、今日皆さん方と実際に考えてみたいのは最初に言ったように私たちがそれぞれのお寺で実際に宗門運動を展開していくに当たってどういうコンセプトの見つけ方があるだろうかということでありますので、ここからは参考までに私の生き様をお話させていただきたいと思います。ちょっと先に断っておきますが、過日、所長さんや主任さんにお願いをして、先ほどのご案内に、一時間の講演で三十分の質疑応答とあったのですが、ちょっとそれはできませんので、一時間半、私のお話をさせてください、とお願いしてありますので、皆さんもそのようにご承知おきください。その前に早く終われば、また皆さんのご質問をお受けしたいと思います。
お手元の資料の中に「立正安国お題目結縁運動とAIDMAの法則」というのがあると思いますので、そちらをお開きください。皆さま方の中で「AIDMAの法則」という言葉を聞いたことのある方はどのくらいおられますか。「AIDMAの法則」あっ、おられますか。はい、ありがとうございます。しかし、お一人、お二人ほどのようですね。
これもまた、多くの広告会社にとっては広告事業をしていくための「いろは」なんだそうです。アテンションプリーズ、アテンションプリーズ。大衆の関心を惹きつける最も効果的な広告作りに日々しのぎを削っている広告会社。そこでの「いろは」の一つに「AIDMAの法則」は位置しているのです。皆さま方も殆どお気づきだと思いますが、私たちは一日中、もし、仮に一日中テレビを見ていたとしたら、そのテレビの中で、民放ですよ、どのくらい、CMというものに出会っていると思いますか。べらぼうな量のCMに出会っていますよね。そして、そのCMを通して私たちは自分達に様々な既成概念というか、インプットされた情報を以って時代社会を理解し、認識しているのです。例えば、仮に「ボス」、「ボス」と聞いたら皆さんは何を想像されますでしょうか?まあ陸軍のお方はボスっていったら上司ですかね、はいボスと聞いたら何か思い出す人。今は多くの人がコーヒーと答えるんでしょうね。
それでは、キレとかコクとかという言葉を聞いたらどうでしょう。すぐキリンと思うでしょ。
只今も申し上げましたようにボスって言ったら缶コーヒーですよね。でも、その缶コーヒーボスはどこで作っているのかと問われたら口ごもる人は意外に多いのです。ボスと聞いて缶コーヒーと答えても、それを作るメーカーがアサヒであるのかサントリーであるのかキリンであるのか知らない人は結構多いんです。
つまりそれは私たちの中にボスと聞いたら缶コーヒー、缶コーヒーならボスという暗号が昼夜に亘って埋め込まれ、朝、会社に行く前にボスを買い、夜、会社帰りにボスを買うという不思議な方程式が出来上がっているからなんです。その仕掛け人が博報堂のような広告会社であり、その企画のノウハウとしてこの「AIDMAの法則」が使われているということなのです。
さて、AIDMAの五文字は、お手元の資料の中に、赤い字で書かれている、Attention、Interest、Desire、Action、Memory、この五つの頭文字のことであります。これは今から八十五年前、一九二〇年にアメリカの経済学者によって提示されたものなのだそうです。そもそも、お師匠様(日蓮聖人)というお方の生き方というのは私流に言わせていただくと、世界一の、世界最高級のパフォーマンスそのものであったと思うのです。「南無妙法蓮華経」という世界最高級のブランドを持って、最高級のパフォーマンスをした人が日蓮聖人というお方なんです。お師匠様はワールドクラスのパフォーマンスをしたお方なんだと私は常々思っています。それではお師匠様は、どんなパフォーマンスをなされたのかというと、まずはそこにあるように「アテンションプリーズ」と大衆や幕府に向って呼びかけたのです。『法華経』を無視し、これを誹謗するその人達に、まずは自分の方を向かせる、そのための呵責謗法であり、国家諌暁であったのです。私はよく言うのですが、仮にお師匠様があの時代に、ただ一介の僧侶として布教活動をし、単に他宗の批評だけしていたとしても、それだけではきっと、『法華経』やその教えを広く大衆に理解し、信仰してもらうことは叶わなかったでありましょうし、まして七百年以上の歳月を隔てた今日まで、その信仰の命脈を持ち続けることはできなかったでしょう。お師匠様の時代社会を見る目や、将来を洞察する深い霊性が激しく国家を諌暁するというとてつもないパフォーマンスを通して、逆縁を順縁に変えていくという予想もつかない難事業を可能にさせたといってもよいでしょう。これが、お師匠様のアテンションプリーズ、アドバタイズなのであります。
鎌倉の辻に立って諸宗を激しく批判する日蓮を振り向かせ、『立正安国論』を幕府に奏進し、これを諫暁するという無謀とも思える行動の一つひとつが、お師匠様流のキャンペーンであったというのは言いすぎでありましょうか。私は今年から宗務院で会議のある日は、池上の駅を降りると、この格好(作務衣に五条をつけた)で太鼓を叩いてここ宗務院までまいります。僅か十分か、十五分です。本門寺にお参りをして、この格好で帰ってきます。お陰さまで毎日、来るたびに、ここで保育園の子供たちと「おはよう」の挨拶を交わすことができるようになりました。今日は初めて池上で植木市を見ているおばさんから五十円玉を一ついただきました。金銭の問題ではなくて、それが私流の「お題目結縁運動」でもあるのです。まあそれは、ひとまずここへ置くとして、実はそういう、キャンペーンがとっても大切なことだと私は最近やっと気がついたのです。
皆さんそう思いませんか。失礼な言い方かも知れませんが、歌手の人達や街頭でギターを弾いている人達、彼らは自分の仕事が少しでも周囲の人々や社会に、それなりのアピールができるようにとキャンペーンをしているんです。真剣になってキャンペーンをする。そして、その結果が、時に路上にいたギター弾きをテレビのブラウン管に呼び入れ、時にはその年のヒットチャートを作るような人にしたりするではありませんか。そういう、つまりアドバタイズとキャンペーンをしていく人達が、この中から出てこないと、大衆のアテンション(関心)を引き出すことはできないでしょう。人々に、一つの方向を向かせる、そうするとやがてその人達は、次にあるようにインタレスト(興味)を持ち始めるようになるのです。昨日私は富山から帰ってきたのですが、その電車の中でもこの格好でいました。この格好でいたら高校生の女の子が、「何これっ」と言いながら、私の傍らを通り過ぎていきました。「何これっ」。私は十数年前から毎月二・三回唱題行脚を行っておりましてつい最近までは所謂行脚スタイルを採用いたしておりました。しかし、皆さんもご案内の通り、白衣をたくし上げ、居士衣をつけ、手甲・脚絆を付けてという作業はきわめて手間がかかり、思い立ってもすぐには行きたい時に行けません。そこで、作務衣の上にホックをつけて、五条をつけて、御数珠を首にかければ、いつでも、どんな時でも出かけられるようにしたのです。しかも、五条をはずしたら、今日もこれから秋葉原行くんですが、秋葉原へも行けるというのでこのスタイルにしたのですが、なんとその姿に例の若い高校生は「何これっ」て言ったわけです。それでも私はこのスタイルにこだわっているわけです。
この間富山では小杉という駅の前で三十分太鼓を叩いて礼拝行をさせていただきました。そしたら、おばあちゃんと小学校の女の子が来て百円玉を一つくれました。その百円玉がどんなに重いかを題材にしてお招きをいただいたお寺でのお説教をさせていただきました。実はそういうことの一つひとつが、私流のパフォーマンスでありキャンペーンなのです。そうすると、不思議なことに人は振り向くんです。当然、興味を持つ人もいるんです。私が歩いていて、一番興味を持ってくれるのは小学生です。小学生がすぐ寄って来ます、「何してるの。」「何?」「何それ?」。私は最初のうち彼らになんと答えていいかわかりませんでした。何てその子たちに答えてあげたら、その子たちが納得してくれるのだろうかと考えるとなかなかうまい答えが見当たらなかったのです。そこで、しばらくしてから小学生のためのチラシを作ったんです。何故私がお題目を唱えて太鼓を叩いて歩いているのかを全部ひらがなで書いてみたんです。そうしておいて小学生が近くにやって来たらそれをあげるようにしたんです。ある時には小学校四年生と五年生の女の子が「このこと私の学級新聞に書いてもいい」って聴いてくれたので「ぜひ書いてちょうだい」とこちらからもお願いしました。私はこういうことが「AIDMAの法則」が言うところのインタレストだと理解いたしております。ここに女性の方が何人かおられますね。「いかがですか、最近銀座に行かれましたか?」「新宿でもいいですが」皆さんよくウインドウショッピングなさいますよね。ショーウインドの向こうには本当に恨めしいほどに素晴らしいものが山ほどに飾ってありますよね。バッグもある、ドレスもある。みんな喉から手が出そうなものばかり、でも高い。だから、ひとまずはウインドウショッピングして通り過ぎていきます。でも、ふっと目がとまったら立ち止まります。そして、更に欲しくなった時そこにデザイア(欲求)、即ち「欲しい、何としてもそれが欲しい」という欲求の心が強く沸きます。そして、そのデザイア(欲求)こそがアクション(具体的な行動)の原動力となってウインドウの向こうにある商品を「買う」というより具体的行動へと私たちを誘っていくわけです。
この「AIDMAの法則」は、それが提示された一九二〇年頃、或いは四〇年、五〇年頃には、AIDMAだけで十分だったんです。ところが近年ではさまざまな外的条件が加味されて新たな要素が付け加えられるようになりました。この法則は今やあらゆるところで採用されるようになりました。特に最近ではインターネットが発達し、人間同士の交流も、会社での会議も、商品の売買も、当たり前のようにしてインターネット上で行われるようになりました。そこでは今までとは随分違った生活システムが作動するようになりました。昔は、販売会社へ行って車をじかに見ました。三菱の「アイ」ができました、「アイ」を見に行きたい、でもなかなか「アイ」に会えない。出てこないから。でもネット上ではもう既に「アイ」のプロモーション始まってるんですね。そうするとネットでもって「アイ」にアクセスするじゃないですか。すると今度の「アイ」はなかなか面白いな、何か宇宙の卵みたいだな、なんて具合です。作ったデザイナーは、あれは宇宙の卵をイメージして「アイ」を作ったのだといいます。何せ天下の三菱が作ったんですからねえ。例えばエンジンの性能もいいでしょう、値段もいいでしょう。「軽」だとはおよそ見えません。でもあれがいずれ町を走ったらやっぱり面白いですよ。つまるところ、ここで私が皆さんに何を申し上げたいのかといいますと、今日多くの人々は、ひとつのものに興味を持ち、それが欲しいなという「デザイア(欲求)」の心が起こった時、すぐそれを手にしたり、取りに行ったりしないということなのです。ではどうするかというとまずは検索という仕事をするんです。先ほども申し上げたように私は今日秋葉原行きたいと思っています。パソコンを見たいからです。でもその前に何があるのかといえばインターネットでめぼしい商品を検索して、欲しいもの、安い所をあちこちと探すんですね。同じ商品で、どうしてこの店はこんなに安いのかなと思いながら、検索をかけるんですね。検索するのは何故かって言ったら一方でそれを比較して、全く同じ商品なのに、値段が安ければここの店で買おうかな、と思うからです。その一方でネット上ではPCが十万円で売れてる。自分の近くのヤマダ電機では十一万円だ。この場合ネット上で買うより、ヤマダ電機に行ってポイント付けてもらって買うほうが安く買えるかなって思ったら、それはキャンセルしてヤマダで買うじゃありませんか。地元のヤマダで。そういうことを今我々は現実に、検索をし、比較をし、検討をして手に入れるようになったんです。場合によっては試供品がありますからね、そうでしょう。今女の人なんかには、どんどんどんどん試供品タダでくれます。それを使ってみて自分の肌に馴染めばそれを使う人がいる。ロイヤル化していく。そういう風にして、確信をした人が、実はアクションを起こしているわけなのです。こういったことが実は、時代の一つの大きな意識構造の変化なんですね。そして、ここからが大事なんですが、そこにあるようにメモリーしていくんです。今言ったように、AIDまで行くと、人はアクションを起こして、その商品が今言たように自分の中で、自分の中に記憶されていく、入っていく。そして、その商品が、いいと思った時、お手元の資料にあるSとRが機能するのです。「エバンジェリスト」って書かれていますよね。エバンジェリストって何かというと、口コミ屋さんです。昨今インターネット上で「ブログ」という言葉が頻繁に見受けられるようになりました。この「ブログ」が持つ機能とは何かと言ったらそれが口コミなんです。リアルに自分が体験したものを、ブログを通して「これはほんとに良かったよ」、「すごくいいんだよ」、「私こんな所が気に入っちゃった」と広告します。専門家以上に専門的な素人の口コミ屋さんなんです。そういう人が、たくさん出てくると、どんどんどんどんそこに人が集まってくるようになるのです。かつては、原宿が若者の街でした。しかし今は渋谷が若者の街になりました。別に、渋谷のどこかの商店街が渋谷を若者の街だなんて広告宣伝したわけじゃないんです。もしかしたら原宿の子が「この間渋谷に行ったら面白いとこがあったよ、渋谷っ子になろうよ」といって今では、すっかり渋谷の子になってしまったのです。だからいずれ池上の子だってあるかも知れないんです。そういう文化を生み出しているのは、みんなこのエバンジェリスト達なんです。そしてもう一つ、実は、もっと大事なことは、その右にあるようにロイヤル化ってことなんです。ロイヤル化とは何かといったら「お得意さん」です。その人が、自分のロイヤルになる。ロイヤルになるってことは、もう絶対他のとこには見向きもしないってことなんです。皆さんお檀家さんというのはそういう意味では一人ひとりが、自分やお寺のロイヤルなんです。「うちのお寺」なんていう言葉がありますよね。その人がうちのお寺って考えてるってことは、そのお寺はその人が、大事にするという責任を同時に背負ってるということでもあるのです。やってくれるかどうかは別にして。つまりその人はそのお寺にとって、忠安寺なら忠安寺にとってのロイヤルなんです。そういうエバンジェリストやロイヤルがどんどんどんどんできていくことが実はとりもなおさず、私たちが、一つのお寺というステージを通して、檀信徒を、本当の意味での檀信徒を殖やしていくことだろうと私は思うんです。実は、そういうことを、この「AIDMAの法則」の中で、チェックをしていくと、意外に私たちは、自分がやっている仕事というものを、「ああ、今は私がアテンションしている所だな、ああ、この人は私にちょっと興味を持ってくれたな」などと一つ一つ確認していくことができるようになるのです。そうでしょ、私たち教師にとって大事なことは、どれだけよいファンを持つことができるかどうかなんです。あの人の話を聞いてみたい、あの人に会ってみたい、あの人なら相談したい。あの人の尖った顎が見てみたい、そういうファンができるかどうかが、日々問われているのです。しかも有り難いことに、そのようなファンを作っていくステージとして、私たちはお寺というものを持っているわけです。、これほど素晴らしいものはないではありませんか。これは余談になりますが、余談でもあるけど大事なことですが、今宗門は「開教」という大きな目標を打ち出しました。皆さんよく考えてください、宗門の立派な方には失礼ですけど、ただ単に入れ物を作って、都市にこの法華経が広まったらよいなどと考えているのだとしたら、それはとんでもない思い違いです。そんな生やさしいことでお寺が都市に一つできるはずはないのです。
仮に私が「開教」をしよう、太鼓一丁で「開教」をしようと誓願を立てたといたしましょう。一体どんなことが起こるのでしょうか。はからずも先日、次のような体験をいたしましたので、そのことを参考に「開教」ということについて考えてみましょう。
その日私は太鼓を叩いて半日歩きました。半日歩いて、この太鼓の上に貰った浄財は二百円です。夕暮れが近づきました。もし、私に帰る所がなかったら私はどうするんでしょうかね。その二百円で、おにぎり一個買って、もうお茶は買えませんね。どこかの水道水でも飲むことになるのでしょうかね。ひとまずそれで腹を肥やして、さて、その夜の寝床はどうするんでしょうね。どこかのお寺を訪ねるか、或いはどなたかにお願いをして、一晩仮の宿をいただくしかないでしょうね。私はひ弱な人間ですからそんな日が二日も三日も続いたらたぶん、ギブアップでしょうね。この度は、幸いお寺というベースキャンプがありましたから、そこに帰ることができました。でも、それが叶わないときは・・・・。
考えると身震いしてしまいます。
もう一つ「開教」にとって大事なこと、それは「定着」ということです。通りすがりではだめなのです。その土地に私という人間のイメージが定着しないと開教にはつながらないのです。晴れた日には必ずあの人がやってくる、雨が降ってもあの人はやってくる、何月何日何曜日にあの人は必ずやってくる、そういうことが、その土地の人の意識の中にシッカリと定着しない限り、その土地の人は、私の存在を遠い人としか見てくれない。単なる通りすがりの人としてしか見てくれないのです。池上本門寺は駅から十数分ですが、途中にはお花屋さんもあるしお寿司屋さんもある。もうそのうちの何人かの人達は、一ヵ月に一遍くらいここをどんどこどんどこ太鼓を叩いてくるおっちゃんがいるな、そうきっと思っておられることでしょう。勿論誰一人出てきてご苦労様は言いません。でも、そういう出会いが、間違いなく毎月一回、池上の駅から本門寺の方に向って太鼓を叩いて歩く坊主がいるということが、定着をすれば、もしかすると、この土地にありながら本門寺にお参りしたことのない人がひょっこりと本門寺にお参りするかも知れません。或いは、ひょっと私に声をかけるかも知れません。そういうことが、実は、大事な私たちの「開教」における具体的な活動になっていくんだろう、そういう風に思ったりもするのです。
さあ、後残された時間二十分しかありませんので先を急がせていただきます。
皆さんのお手元に「お寺はみんなのふるさとです」という資料がありますね。これは私が「私にとってのお題目結縁、立正安国」というテーマを掲げました時に、何が私にとって必要なことかを考えて作った一般向けのチラシです。ここでのテーマは自分のベースキャンプであるお寺をどのようにしたら、一般大衆と共に有意義なお寺たらしめることができるか、お師匠様(日蓮聖人)の教えを広めるためのステージにできるか、ということを目標として掲げた苦心の作品のひとつです。「お寺はみんなのふるさとです」はシリーズ化されています。その出発点は「ふるさと」の歌の中にありました。「兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川・・・・・」最近少し年を取ってきたせいでしょうかね、この唱歌の歌詞にとっても胸を打たれて、これを最初に書きました。さらに、これをもとにして「ふるさと寺」をコンセプトメイクしたのが、今、皆様のお手元にある資料であります。
簡単に言いますとその一頁にはステップ1として、市場環境の分析をしました。詳細については時間がありませんので、各自後で読んでいただくこととして概略だけここで説明をしておきたいと思います。
まず第一に今私たちが、お寺の住職として、あるいは日蓮宗教師として考えなければならないのは、それぞれが直面してる檀家の寺離れということです。もっといえば、檀家そのものが寺を離れているというよりは、檀家の家族が単身赴任とか、子供が外へ出てしまうとかという理由で家を離れてしまっているという事態が急激に進んでいるということであります。地方のお寺は、とりわけその傾向が強いようです。このことは寺院の形骸化に拍車をかけています。
次にあるのはサービスということです。お寺側がそういう檀家に対してしているサービスとは一体どんなことでしょうか。
また自分のお寺が地域社会の中でどんなふうにイメージされているのでしょうか。
さらには、その宗教活動を展開していく際に、いいにつけ悪いにつけ、どのような競合相手がいるだろうか。
実際に日々、それぞれのテリトリーの中で生活者はどういうことをお寺に願い、期待しているのだろうか。逆に、どのようなことでお寺に不満や不足に持っているのだろうか。を考えてみる必要がありそうです。
もう一つは、いわゆるサービスを提供をする側とそれを受け取る側との間の関係がどうなっているか。実際のコミュニケーションはどういうものになっているのか、ということを考えなければなりません。
二番目に考えなければならない大事は「発想の転換」をどのようにして行うかということです。
私はここ十年ほど毎年、四十人余りの社員がいる会社の社員研修を担当してるんですが、そこで「一体みんなにとってお寺ってどういう所ですか」と質問した結果をまとめたものがお手元の資料です。ご覧になるとわかりますが返ってきた答えは、ほぼ、私共が想像するようなものでありました。例えば、「お寺はどういう所ですか?」って問うとみんな等しく「墓参りする所」ってこう答えるんですね。これは至極当たり前のことであります。
ところがこの時のテーマが「発想の転換」ということでしたので私も思い切って「発想の転換」をしてみようと思ったんですね。そこで「お寺=お墓参りする所」。という方程式にただそのまま答えを出してしまったのでは「発想の転換」にはなりません。けれど、もしそれに「楽しいお墓参りができる」とか、「本当に自分がそこに行けば自分の先祖に会えるんだ」という気持ちにさせるための演出ができるとか、お参りする人にとって居心地の良い場所にできるとかしたら、より多くの人がお寺に来るだろうな、そういうことを思ったんです。でもこのことは皆さん方も等しく思うんですね。そこでもう一工夫してみることにしたのです。
実を申しますと私のお寺の檀家数は私が入った時には五十数軒でした。私のお寺は人口急増地帯にありましたので、ひとつの町だけで四万五千人くらいいるんです。
私はこういう人間ですので、増やそうと思えば相当数の墓地を増設することも可能でしたし、当然檀家数も増やすことが可能でした。しかし、三十年を経過した今日檀家さんは百軒なんです。これから先も増やす予定はないので、私の檀家は百軒なんです、檀家百軒。ところが檀家百軒の寺が千人の信徒を持つことは可能だと考えたのです。檀家が百軒あったら千人の人と出会えるんです。分かりますか、この発想。これはどういうことかというと、皆さん方も檀家管理をなさっていると思うんですが、データベースがきちんとすると千人の人とのつながりがあることに気づくのです。
これはどういう勘定かと申しますと、まず檀家当主がいます。この人には妻がいたり子供がいたり、或いは兄弟がいたりします。こんなことは至極当然のことであります。ところがここら辺の出会いを親密にするとおおよそ一軒のうちに必ず十人のヒューマン・ネットワークができるんです。そうすると、その人達が例えば、遠藤家なら遠藤家があって、遠藤家の○○さんが今、東京の三菱商事で働いています。その家族の消息は・・・。こんな具合に芋ずるを引っ張っていくと大変なことになるのです。
そこで、今私が始めたことの一つが「ふるさと便り」というものです。これは普通のA4、B4のサイズの紙に季節の写真を貼り付けた「お便り」です。この「お便り」で一番大事なのは面倒なことではあるのですが、手書きの手紙を書くということです。ちなみにこの四月に「お便り」を出したら、五軒ぐらいのお宅から手書きの手紙が返ってきました。やはり「パーソン・ツー・パーソン」、すなわち人と人が直接出会えるようなチャンスを作る、その仕組みを作ることがとっても大事なのだとつくづく教えられたような気がいたしております。そのためのデータベースであったりすれば、それが一番いいのかなという風に思えてきたりいたします。
先ほどの会社での質問の答えの中におもしろい回答がありましたのでこれもご紹介方々皆様と一緒に「発想の転換」という観点に立って考えて見たいと思います。
その回答というのは「お寺って時代遅れだ」というのです。私はこの答えを最初に聞いた時に、「ああなるほどな、確かにお寺っていうのは時代遅れで、古臭いよな」と考えました。ところが、その回答者の意図や感性は違うところにありました。その人が言った「時代遅れ」というのは古い文化や歴史をずっと保ってくれているところという思いなんです。そのようなイメージとしてお寺というところを前向きにというか好意的にというか捉えておられたのです。そういう意味での「時代遅れ」なんですね。つまりその人はお寺の持つ「時代遅れさ」を自分にとっては心地よいものと受け止めて「時代遅れだ」って言ったんです。その時これも「発想の転換」のひとつなのだと私は気づかされたのです。このことは発想を自分の側だけの物差しだけで計ろうとすると大事なことを見落としたり、計り損ねたりするということを私たちに教え示しているといえましょう。ひとつの出来事を違う角度から、違うように見つめてみると、いっぱいいっぱい、面白いことが出てくるんですね。
もう一つ、「お寺は肝試しをした怖くて懐かしいところ」という回答があります。
子供の頃には皆さんもお寺で肝試しをした経験を持たれているお方も多かろうと思います。その肝試しができる所がいいっていうんです。また甘茶を貰いに行くところという回答もありました。まあそれはともかく、大事なことは、それら大衆、生活者たちの願いや希望に応えるためのコンセプトメイクをどうするか。お寺の持ってる強みや弱みや機会や脅威を理解し具体的なターゲットを定めて有意義なコンセプトを作り上げていく、、そのことがとっても大事になってくるわけです。
お寺はハードとして本堂とか境内地とか墓地を持っていますし、ソフトとしては当然、住職の思想信条とか宗派の教義とか、或いは寺族などが考えられます。田舎のお寺は特にそうですけど、和尚よりは「大黒さん(奥さん)」がいい人かどうかで随分違うもんです。時に自分の倅の友達がお寺に遊びに来て、そこで新しい人間模様を作っていくということも山ほどあるわけです。
そもそもお寺や住職との出会いなどというものは、大概の人々にとっては自分達の日常的ではない非日常的の空間なのですから、その点から言えばまったく異質な時空間であると考えているです。しかしながら今言ったように「発想の転換」をすると、異質のものだからこそ魅力のあるステージだと考えていけるわけですし、一般の人の中にもそれを期待している人が少なからずおいでになるわけです。例えば、こういう会議室で瞑想に耽りたいといってもなかなかその気持ちになれません。しかし、お寺の本堂で瞑想に耽りたいと思って、一人瞑想に耽る、その人にとってはお寺の本堂は極めて意味のある充実した空間であるに相異ありません。そういうステージとしてお寺という空間を提供していくこともこれからは大いに必要になってくるでしょう。
もう一つ、私がこのお寺というステージを利用して一般の人とやっているのが「お題目写経」です。A4の、和紙にお題目を二十遍ずつ書いてもらいます。二十遍書くのに一時間かかるんです。お寺の本堂で書いて、その後、唱題行をしてお茶を飲んで帰るという、二時間のスパンで、二日かけて、自分の好きな時間に来れるように企画をしました。現在十四、五名の方が来ていますが、それも今言ったように自分達の非日常的な空間の中で、それをしていくということが、自分にとっての満足に、その人にとっての満足になる、そういうようなこともあるんですね。
このようなわけで私がこれからしばらくやっていこうと思っていることの一つに「ふるさと寺」を作っていきたいという思いがありまして、これまでお話させていただきましたように、自分が活動するベースキャンプとしてのお寺が、お経やお題目でどんどんどんどん充実していって、それなりの力を持っていければ、外にテントを張った時にも、何かあった時にもベースキャンプがちゃんと支えてくれるだろうと私は考えるようになりました。住職が一人で百遍唱える題目を、十人で百遍唱えてもらえれば本堂には千遍のお題目がとりあえずたまるということです。勿論、お題目の中身とか、シンの入り方とか、それは、別にしても、単純に数合わせだけでいえばそういうことになるわけですね。だから、そこにたくさんのエネルギーを注ぎ込んで、そのベースキャンプを基盤として人と人が「ふるさと寺」につながっていければということを考えているわけです。そのためのコンセプトメークをしようというわけです。
さて、それでは一体「ふるさと」の機能は何でしょうか。
ここでは四つの機能を取り上げておきたいと思います。
一つ目はつなぐこと、
二つ目はであうこと、
三つ目はかえること、
四つ目はつたえること、
です。
具体的な内容については資料の六頁に書いておきました。後でご覧いただければと思います。
ここで取り上げたようなことが、「ふるさと寺」と称するところで幾つか具体化していけば、全部ができるとは言い難いですが、それらの幾つかが具体化していけば、「ふるさと寺」というお寺が百軒の檀家で千人、或いはそれ以上の人々が出会うステージになれるかも知れない、いえなり得ると思うのです。そうなった時に自ずから、そのお寺は活性化していくでしょうし、そしてそのお寺に起居をする人が次のステージを、あちらこちらに用意してくれるに違いないだろう、そういう風に私は思っております。
これもごくごく最近の例ですが、ある女性が家族や学校、社会から捨てられた子供達の面倒を見たいということで、山間地にある古い民家を借り受けて活動を始めたんですね。彼女は一所懸命廊下を磨いたりしながら、その活動のステージに名前をつけようと思案しておったのだそうですがなかなか思いつかなかったのだそうです。ところがたまたま私の出した「ふるさと便り」を目にして「昨日、先生から手紙が来て、名前が決まりました。ふるさとです」と電話をしてきました。果たせるかな彼女が自らの活動のステージに「ふるさと」という名前をつけ、そこで彼女なりの人間模様を描き、色々な人に出会って、『法華経』やお題目の法輪が広がるのだとしたら、そこは「ふるさと寺」の支店、別院のようなものになるかもしれません。そういうものが、あそこにもここにも、幾つかできて、それぞれの持っている人間性(キャラクター)や技量によって、ついには『法華経』と「お題目」でつながれるようになっていくのであれば、それこそが「お題目結縁、立正安国」の実現に他ならないのであり、お師匠様から私たちに与えられた使命の一端を果たすことになるのだろうと、そんな風にも思う昨今です。
非常に駆け足でお話をしてしまったので、途中、十分思うところをお伝えできなかったこと、或いはご理解をしていただけなかったこともあろうかと思います、ひとまず、現在思っていることの一端を述べさせていただいきました。まあタイトルは「新宗門運動のためのコンセプト」云々と申しましたけれど、そんな大それたものではなくて、今現実に私達一人ひとりが、お師匠様(日蓮聖人)の弟子として何をさせていただかなきゃいけないのか、今こそ、私たち一人一人がそのことを本気になって考えて、それぞれがお持ちになっている、才能、或いは置かれたステージの中で、その本領を発揮していただくよすがにしていただければと思います。
それからもう一つ、これが今日私が皆様に一番言いたかったことなのですが、そうした活動を、決して個人プレイとしてではなく宗門人共通の課題として、仕事として組み立てて頂きたいと思います。どういう風に組織化して、宗門なら宗門の力とするのか、教団なら教団の力とするのかをきちんとお互いがネットワークを組んで組み立てていく、織り上げていくということがとっても大事なことだと思うのです。特に、現宗研の皆さん方には強くこのことをお願いしておきたいと思います。これからの伝道ということを考える時に、ただおらが寺が良くて、後は知ったことではないというのでは宗門が良くなるはずはありません。それはお師匠様(日蓮聖人)の意に添うものではありません。お師匠様(日蓮聖人)は、「天台・伝教は、自行ばかりにて、さて止みぬ。日蓮の法門は自行化他にわたりての南無妙法蓮華経なり」と仰せであります。化他という仕事は徹底した自行に他なりません。もっと言えば化他というのは、裏を返せば自行を徹底することでしかないのです。
「単独力」という力があります。確かに私たちは、最後の所でみんなで一緒に力を合わせて行動し、組織を作っていくのですが、それをしていくための一歩一歩はそれをやっていこう、やり抜いていこうという、その人自身の「単独力」に委ねられるのです。また、それが求められもするのです。かつて茂田井先生は、その晩年の宗教活動の拠点とされた庵の名前に『単己庵』という名前をつけられました。先生がその時に仰ったのは「あの、従地涌出品の中には、無量の菩薩が大地から湧き出てくる際に、たった一人でやって来て、お釈迦様に挨拶をされた地涌の菩薩がおられた。僕はそういう菩薩がたまらなく好きなんだよ。だから、それにあやかって『単己庵』と名づけることにしたんだよ」と仰ったことがありました。是非、そういう意味で、いっぺん、非常に矛盾していることかも知れませんが、しっかりとした個々のプレーをきちんと確立し、同時にそれを統合し、組織化して、教団として動ける力にしていくということをお考え頂きたいと思います。と同時に、それをやり抜いていく人間一人ひとりが眼前の課題を自分自身の「出世の本懐」として受け止め、実現させる為の努力を惜しまない決意を確立して頂きたいと思います。それこそがお師匠様(日蓮聖人)の願われる願いであり、『法華経』の本仏の願いである「みんな一緒に仏となろう」「みんなを私と同じ仏にしたい」という願いを共有することであろうかと思います。
以上、とりとめのないお話になってしまいましたけれども、どうか、皆さん方には寛大なるお心をお持ちいただいて私の拙い話をご理解をいただき、この胸中思うところをお酌み取りいただいて、それぞれの立場で宗門運動のコンセプトと、具体的な行動計画を作られることを切にお願いをして、時間が来ましたので私の役目を終わらせていただきます。最後にお題目を三遍唱えて終わります。南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経。
どうも今日は尊いご縁をいただきまして、ありがとうございました。