現代宗教研究第41号 2007年03月 発行
「男女共同参画」と「日本仏教」
平成十七年度第十六回法華経・日蓮聖人・日蓮教団論研究セミナー(公開講座)
日蓮教団の分かりやすい近現代
講演 「男女共同参画と日本仏教」駿河台大学教授 門馬幸夫氏
「分かりやすい明治政府の宗教政策」明治大学教授 圭室文雄氏
日時 平成十八年二月九日(木)
会場 日蓮宗宗務院(東京都大田区池上一—三二—一五)
対象 公開講座—日蓮宗教師・寺族・檀信徒
「男女共同参画」と「日本仏教」
(駿河台大学教授) 門 馬 幸 夫
一、はじめに
お早うございます。ただいま紹介にあずかりました駿河台大学の教員をしております、門馬という者でございます、よろしくお願い致します。今日、こちらに参りますことにつきましては、日本仏教史研究会というセミナーが長野で開かれました折に、「現宗研」の伊藤先生から、圭室先生と同席しました折にお願いをされたというようなことで、安易に引き受けてしまいました。私のような浅学非才の者が、表題のような報告をさせていただくというのは、たいへん僭越だと思いますけれども、よろしくお願いを申し上げます。
それからお断りを申し上げなければいけないのは、「男女共同参画と日本仏教」というタイトルでお話をということだったのですけれども、フェミニズムとか女性学が性差別のほうの研究では近年、優れた研究が出されていると思われますが、私自身は必ずしもそういう研究のことを詳しく知っているということではございませんで、そのため、お聞き苦しい点がございましたら、ご容赦をお願いしたいと思います。
また、「日本仏教」ということに関しましても、ここで「日本」というのは、歴史的、社会的に展開されてきた「日本」という風に受け止めていますが、「日本仏教」、或いは「仏教」という点に関しましても、熟知をしているわけではございません。私自信は一応、宗教社会学というような事柄を勉強してきましたのですけれども、「仏教」については、門外漢でもあるわけです。ですからこの報告で、異なった意見、或いは思い違いをしているのではないかと思われる点がございましたら、ぜひともお教えをいただきたいと思います。
私自身は宗教社会学或いは宗教民俗学というようなことを専攻しましたために、いい点もございました。それはこちらと関係のある立正大学で、やはり宗教社会学の理論的な研究をなさっている先生に望月先生という方がいらっしゃいますけれども、その方ともお知り合いになれまして、学恩をこうむったと思う点です。私は最初、宗教社会学のほうでデビューをしました時には観音信仰のことも研究しておりました。そののち、立正大学で長く在籍なされておりました沼義照博士の古希記念論文集に、観音信仰をやっているから一文を寄せろと言われまして、僭越にも沼先生の論文集にも加えさせていただきました。
また、私が、差別問題といいますか、そういう問題と深く関わるようになりましたのは、その観音信仰を研究していた当時からかなり年月が経ってからです。私が曹洞宗関係の駒澤大学の博士課程におりました時に、曹洞宗で部落差別の問題が生じたわけです。その時にそうした問題の調査や研究をしてくれということで、曹洞宗の宗務庁で、当時、嘱託のような、研究職のような身分で、始めたのが契機でございます。それが一九八四年ぐらいだと思いますから、今から二十数年経っておりますけども、それから差別問題にも少し足を踏み入れたというようなことでございます。ただ差別問題につきましても、全般については、もちろん理解をしているというわけではないということも併せてご了承をお願いいたします。この点は「仏教教団」理解という事につきましても同様でございます。
二、差別問題との遭遇
さて本題のほうに入りたいと思いますが、私が差別問題との遭遇、これは今日配布しましたレジュメの㈵に書いてありますが、私自身が曹洞宗と関係しました点が非常に大きかったと思われます。それまでは部落差別の問題や、その他の差別問題という点について、よく分からなかったというのが実際でした。、現在も、部落差別や或いは女性差別とか、障害差別などを幾分か勉強をして少しは理解ができた点はあるとは思いますが、こうした差別問題のかなりの部分については、私自身、まだよく分からないというのが実情でございます。
私が知る限り、日本の仏教教団、特に既成仏教教団といわれる教団と差別問題との遭遇は、曹洞宗の部落問題を嚆矢として始まったといっても過言ではないと思われます。実際には勿論、これは歴史的にも、日本社会に仏教が到来した時から差別問題と仏教との関係はあるのだろうと思いますけれども、歴史的な展開では、このときほどの「衝撃」をもたなかったともいい得るわけです。歴史的な展開過程では差別問題と部落問題との遭遇は本願寺派が、真宗ですね、真宗のほうがかなり早い段階から部落問題と遭遇しているわけです。江戸時代あるいは明治、その時代もありましたのでしょうけれども、それが教団ないし仏教、宗教と仏教者に、自覚的に受け止められて遭遇したというようなことは余りなかったと思われるわけです。
例えば、一九二二(大正十一)年に水平社宣言が出されるのですけども、その時に、実は何故出されたかというと、本願寺派の問題とのからみで、と言いますか、それが契機となって水平社宣言が出されている、というようなこともございます。ですが、例えば部落差別問題一つを取り上げても、それが必ずしも日本の仏教教団全体にわたって、問題とされたわけではなくて、当時はごく一部の教団に留まったと思われるのです。
で、私が曹洞宗と関係しました折り、これは五〜六年前ですけれども、被差別部落と見なされてきた人たちの調査を栃木県と京都のほうの二カ所でいたしました。これは参考文献に、米印がついていますけれども、それの四番目に「戒名・過去帳・檀家制度に関する中間報告」『曹洞宗人権擁護推進本部紀要』第三号、二〇〇二年とある資料です。二〇〇〇(平成一二)年頃に調査した時に、そこでアンケートを採りました。その質問で、「差別戒名があることを、この日本の仏教教団と部落問題が遭遇する以前から知っていたか」という質問をしたところ、回答者の二割の人が「知っている」と答えました。一九七九(昭和五十四)年の世界宗教者平和会議差別発言事件(いわゆる「町田発言」と言われるもの)が、日本の仏教教団と部落差別の問題が大々的になったきっかけなのですけれども、被差別部落とみなされたきた人たちの間では、差別戒名の存在を、それ以前から知っていたというのです。
被差別部落とみなされてきた人たちは、宗派所属で言いますと、真宗が一番多く、八割を占めるくらいだろうと言われております。実数は分からないのですけれども、およその推定でそう言われているのですが。次いで多いのは日蓮宗と曹洞宗だろうということです。後は浄土系や真言系、時宗系や天台系がそれに次ぐといわれております。その、各宗派に属する被差別部落とみなされてきた人たちが、差別戒名は以前からあったということを知っていた、つまり「差別発言」が問題になる以前から知っていたということは、私にとってかなりの「衝撃」でした。
なぜかと言いますと、このことに対して、日本の仏教教団側は、それを知り得ていなかった。ということは、日本の仏教教団は民衆の実態を捉えていなかったというふうにも見られるわけです。これは、ある種、日本の仏教教団側の、括弧付きにですが、「無知」というか、括弧付きの「鈍感さ」というようなものの問題があるのではないかというふうに思われるわけです。別の機会にそのようにコメントした記憶があるのですけれども、そういうような問題があって衝撃を受けたわけです。ただ、そういうような意味では、差別問題との遭遇は、こうした部落差別の問題を通して、各教団が「差別問題」と遭遇したといえるわけです。
差別発言事件のあと、「同和問題に取り組む宗教教団連帯会議」というのが、その後各宗教教団を束ねる形で発足を見まして、各宗派が共同してこういう部落問題を考えようということが出てきたわけです。日本の仏教教団はそれ以降、部落差別や他の差別ですね、障害者差別とか、そういう問題に対して、ようやく目を向けるようになった、と思われるわけです。もちろんこうした問題をもう少し拡大して、例えば「暴力」という問題のようなものにまで拡大しますと、これは例えば、戦前に展開された戦時教学という問題があるわけです。私の記憶でいえば、市川白玄という学者などを除けば、仏教教団や、或いは仏教を研究する人たちについては、こうした問題に取り組み、反省的に評価を試みるということがなかなかできなかった、と思われるわけです。
ですから、今日、このようなタイトルで話をするというのは、仏教教団、日本仏教と言ってもいいかも知れませんが、やはりごく最近になってからの話ではないか、というふうに思うわけです。それで、この差別問題との遭遇から様々な教団や教学の足元を見てみようとか、或いは仏教、或いは宗教者、仏教者の、その足元を見ようというふうになった点で、部落差別問題と仏教教団の出会いがあったのは、それなりに意味があったのではないかと思っているわけです。
ただ、それにしましても、一九八〇年代くらいから、例えば部落差別というような問題が始まりましたが、以降、なかなか仏教教団の取り組みは遅々として進まない点もありました。男女共同参画と言わないまでも、例えば人権問題と仏教との接点を探るというような問題は、日本社会ではまだ出て来にくい問題設定かもしれません。私の記憶では、英語の文献で「ブッディズム アンド ヒューマンライツ」(Buddhism And Human Rights, Curzon 1998)という本が既に出されていると記憶してますが、日本仏教関係者、或いは仏教学専門の人でも、或いは私の専攻している宗教社会学といった分野の研究者でも、ヒューマンライツ、すなわち「人権」と「仏教」というような視点で一冊の本をものするというのはまだあまりない、というふうに思うわけです。
ですから、こうした問題設定は、まだこれから、色々考えねばならない問題がある、というふうに考えます。で今日は、最初に私が遭遇しました、部落差別の問題で少し述べまして、そのあと、部落差別とも関わるのですけれも、仏教との関係における女性差別の問題を述べ、そのあと、まとめのほうと言いますか、今現在、私自身が問題点と考えている点を少し述べまして、お時間までお話をさせていただきたいと思います。
三、教学・思想の問題
さて、部落差別については、「教学思想の問題」というふうにレジュメには書いて置きましたが、この問題に私が遭遇して思うには、日本仏教に関しましては、ただし今は何が日本仏教で、誰が日本の仏教徒なのかというような問題は少しおきまして、部落差別、或いは障害者差別、女性差別や様々な差別があるのですが、これらと仏教が関わる問題で、「教学の問題」がまず一つあるのではないか、と思うわけです。
もちろん教学という問題を、どのように考えるのか、それは仏教の、大乗教典のレベルなのか、それとも教団が信奉している、宗祖の教えのレベルの問題なのか、例えば曹洞宗ですと、禅系の教団ですから、中国禅の思想の問題などにもさかのぼる問題ともなるわけです。また曹洞宗などの場合は、道元という人が宗祖となっているわけですけれども、その人の思想の問題なのか、それから、そういう思想を受け継いで展開した教学の問題、解釈の問題なのか とか、様々な問題が考えられるわけです。
それで、ここで扱う問題点では「大乗仏教」の教典ということでお話を進めたいと思います。仏教学の研究者の一部の人たちは「大乗」という用語の使用はそもそも差別的だから、今はテラヴァーダーとマハヤーナーと言おうとか言う人たちもいるやにも聞いていますが、歴史的に研究上、使用されてきて分かりやすいということからも、ここでは「大乗」と用語を使用いたします。差別語の場合、使用する文脈・コンテクスト、意味性によって使用する言語が差別語になり得る、ならない、という複雑な問題もありますが、ここでは伝統的な用語法で、大乗というふうに言っておきたいと思います。特に後で述べます、部落差別や女性差別に共通する問題で、「法華経における差別思想」という点では、これは仏教学の権威でもありました田村芳郎博士の論に依拠しながら、お話しをさせていただきたいと思いますが、そこでは経典における問題が取り上げられておりまして、私も田村博士のいう通りの部分、すなわちそこには差別思想が存在している、と思っているわけです。
で、まず、仏教経典にある言説と、経典を解釈する、例えば解説本のようなもの、解釈書があります。更にそれを実際に布教の場面で使う布教書といったケースというのがあり、これらはかなり違う解釈をしている場合もたいへん多いわけです。つまり経典上における解釈、教典といった場合にも、サンスクリット言語解釈における問題と、それからパーリ語、その訳といった問題がまず以て存在しているわけです。次にそれの漢文訳の問題と、それを日本語に訳す問題。それからその日本語訳を利用して、今度は実際にそれを布教のような形で述べる際の問題、と、仏教教学の問題と言いましても、非常に複雑な展開プロセスの問題があるわけです。
ですから後で申し上げますが、私自身は、法華経がただちに差別経であると言っているわけではなく、差別記述があるということで見なければならない、と思うわけです。そしてそういうものが、特徴的なものとして敷衍されやすいわけです。更に、教学思想の問題を考える際、いわゆる日本仏教のものとして取り入れられた「お経」の中には、中国や日本で作成されたと言っていいのか分かりませんけれども、「偽経」のような問題もあります。
これには例えば、「善悪因果経」というものがあります。これは研究上、明らかに偽経とされているものなのですが、実際は日本仏教史上、「業」・「因果」の中身を説明したものとして、実際に展開される場合には、ものすごく用いられてきたわけです。仏教の「業」を説くときに、歴史上、ほとんどの説教者が「善悪因果経」あるいは、その亜流である「善悪因果和讃」というようなものを用いて説くわけです。この中にある文章で言うと、「現世のありさまは、皆これ過去生の因果」だというように説いてしまうわけです。
ですから日本仏教の「教学」といった場合に、何を以て「日本仏教の教学」というのかは、難しいわけですけれども、そういう問題が広くあります。しかし、「日本仏教」といった場合、そういうものを含んだ意味で「日本仏教」と、私の場合は捉えているわけです。
余談ですが、ある研究会の席上で、「仏教とはいかなるものか」という問いが出ました。そうすると、ある研究者が、それは「無我」だと答えました。そのほかにも「無自性」「空」であるというふうな答話もなされました。ですからおなじく「仏教」と言いましても、定義が人によって様々に違うという問題があるわけです。ですが、ここでは主に、これから話すものもそうですけれども、歴史的に展開されてきて、「仏教」として扱われているもの、まあ、広く普遍的に解釈されたもの、人口に広く膾炙されたものまで含むということで、お話をさせていただきます。
これと関連する話ですが、田村芳郎博士も、「法華経における差別思想」という講演の中で、例えば、法華経で差別記述があるのは、あれは「迹門」(筆者注=法華経二十八品のうち、前半の序品から安楽行品に至る14品。歴史上の釈迦が、三乗が方便で一乗が真実であることを説いた部分)であるから問題はない、「本門」(筆者注=法華経二十八品のうち、後半の従地涌出品から普賢品に至る14品。釈尊の成仏が久遠の昔であることを明らかにする)にはないから問題はない、ということに反論しまして、「本門」にも差別的な記述がある、とおっしゃっております。日蓮系の教学を展開する一部の人たちが、あれは「迹門」だから問題はないのだ、という言い方は当たらないのではないか、という指摘をしているわけです。私自身もそれには同意をしておきたいと思うのです。で、そういう問題がありますので、私の場合は専門家から見て「非仏教的なもの」まで含んだ非常に広い意味で「仏教」と使っているわけです。
例えば「善悪因果経」を実際誰が書いて、誰が説教してきたのかというと、それは多くの場合は僧侶のような人たち、或いは僧籍を持った学者の人達、そういう人たちが書いてきたと思われるのです。それらが問題とされると、決まってそれはほんとは仏教じゃないよという言い方(いいわけ?)も出てきますけれども、それも広い意味で「仏教」とされてきている点を見なければならないと思われるわけです。では、ほんとの「仏教」ってなんだ、という話になるのですけれども、ここでは議論が拡散しますので、この点については留保をしておきたいと思います。
で、差別問題に遭遇した時にわかったのですが、もう一つ複雑な問題もあります。それは教学の歴史的な展開といった点です。特に、「業」、「旃陀羅」問題とか「本覚思想」とかという問題を扱う際、大乗教典から日本仏教の展開過程の中で敷衍されてきたような部分で、それらが顕著に見られる点です。それから今度は教団毎に様々な教学の差異性があります。例えば「業」論です。私が関係しました曹洞宗の場合、教学の中では「業」思想は江戸時代ではあまり重きを置かれなかった。曹洞宗の宗祖、道元の著書にはむろん展開されているのですが、教団として教学的に展開したのは幕末の頃から明治にかけてでして、曹洞宗の布教で用いられている「修証義」が作成され布教されだしてから「業」の教えが積極的に説かれてくるわけです。
曹洞宗の関係する大学に、ご承知のように駒澤大学がありますが、そこに仏教学部が存在し教学を担う部分があるわけですが、そこでも「業」に関する研究はほとんど見られないわけです。そこではむしろ江戸宗学や中国禅、すなわち宋代の禅宗史、江戸の宗学、言ってみれば仏教史、History of Zen Buddism というような研究がほとんど多いわけです。明治になりますと学制が公布され東大の中にインド哲学学科というのが設けられたこともあって、今度はそちらは文献学的研究になるわけです。そうすると、仏教における「業」思想というのは差別問題との関係ではあまり研究はされていないのですけれども、実際の仏教の布教の場面では、やはり「業」思想が使われているわけです。
例えば「障害者」問題との関連で「業」思想が使われたりするわけです。ある仏教関係の雑誌で「業」思想特集が組まれたことがありますが、これは昭和の年代になってからですが、「ダウン症候群」に生まれたのは「業」なのではないか、ということを仏教者が雑誌論文の中で述べているわけです。これは曹洞宗の中でもわりと名のある僧の方がそういうふうに言っているわけです。ですから研究としてよりは、現実の布教などの場面で「業」と「障害者」との関係が述べられてくるわけです。ただ「業」や「旃陀羅」という思想が関係してくるのは、歴史的には真宗のほうが非常に多いと考えられます。真宗関係の過去の教学者の中には、被差別部落とみなされてきた人たちが仏教でいう「旃陀羅」である、とか、「旃陀羅」というのは被差別部落民である、とはっきり書いている人もいるわけです。
で、これは私も非常に驚いたのですけれども、皆さんも持っている仏教辞書に、中村元博士の「仏教語大辞典」というものがあると思いますけれども、この中で、中村元先生は「旃陀羅」という定義を、こういうふうに言っています。
「チャンダーラ(旃陀羅)」、これはサンスクリット語の不可触民である、というふうに訳されています。これは以前は「不可触賤民」というふうに訳していました。「旃陀羅」というのは、「チャンダーラの音写であり、厳熾(ごんし)・暴悪の者、屠者、屠畜をする者ですね、殺者などと漢訳する、インドにおける四姓外の賤民。狩猟、屠殺、荊戮(ケイリク)などを生業とする、もっとも賤しく、カースト外の者と見なされた者、彼らは蔑視・嫌悪され、人間とは見なされず、犬や豚と同類と見なされた」、と出てきます。
これは中村元博士監修の、東京書籍刊の『仏教語大辞典』に出てきたものですが、これが出版されたのが一九七九(昭和五四)年です。七九(昭和五四)年の段階で「旃陀羅」という訳を「チャンダーラ」の音訳だと当てて、「人間ではない、犬や豚と同じ」だ、というふうに記述しているわけです。しかもこの「旃陀羅」というのは日本における被差別部落とみなされてきた人たち、とされてきたわけです。さらに『仏教語大辞典』の場合、この「旃陀羅」の解釈をする際、仏教の典籍を数多く挙げるという手法を取っているのです。これは、この「旃陀羅」解釈がでたらめではない、というために多くの典拠の仏教典籍を挙げているわけです。
ただ中村博士の名誉のために申しておけば、この後、岩波から出した仏教辞典では「旃陀羅」の語は、差別的に利用され、被差別部落と関係する語のように扱われてきた、というふうに訂正をされて出版されています。これはたぶん、部落部落と仏教教学の問題が取り上げられ、『仏教語大辞典』の用語の意味だけでは不十分と判断され、「旃陀羅」という語の意味を変えたのだと想定されるわけです。しかし岩波で出した仏教辞典では「旃陀羅」の語の意味は変えましたけど、仏典にはまだそのまま残っているのです。そういう意味では、仏典というのは、そういう意味で、ある部分については、差別イデオロギーの提供をしてきたのではないか、というふうに思っているわけです。
で、「業」、「旃陀羅」問題という教学問題の場合、被差別部落の問題と深く関わりますけれど、「業」という仏教思想が差別問題とももっとも深く関わった思想ではないかと思われるわけです。つまり「業」思想というものが、差別のイデオロギーの提供としましては、かなり決定的なものがあったのではないか、と思われるわけです。差別には様々なものがありますけれども、部落差別や女性差別や障害差別ですね、或いはハンセン病者に対する差別とか。それらのすべてと言っていいぐらいに、ほとんどの場合で「業」論が関係している、いないものはないと言っていいぐらいなわけです。
例えば、新宗教の一部の教団に見られる、「因縁を断ち切る」というような布教の言い方に至るまで、「業」の用法、或いは「業」による考え方が使われているわけです。あるいは性差別の場合でいえば「女は業が深い」などと使われてきて、「業」の解釈が性差別はもとより、部落差別、障害者差別、或いは水子供養に至るまで、これは使用されてきたのではないかと思っています。「業」については、たぶんその意味では部落差別や女性差別、或いは障害差別等々、様々な差別の根拠づけ、イデオロギー的なものを提供してきたのではないかと思われるわけです。
何故そうなのか、仏教ないし仏教学ほんらいの「業」の考え方は違うというのに関わらず、何故そうなったのか、というと、これは田村芳郎博士が「法華経における差別思想」の中で言っているのですけれども、日本の仏教者、特に専門的職能として僧の人たちは社会意識が薄かった、社会意識が薄かったために、社会制度的なものを、仏教用語を使用して説明した、すなわち実体的に当てはめて説いたのではないか、という意味のことを言っているわけです。「旃陀羅」は被差別部落とみなされてきた人たちのことである、と説明したわけです。これが部落差別の原因の一つともなったのではないか、というわけです。
たしかに仏教の専門的職能としての仏教者、宗教者の方々が、社会認識を欠如しているという印象が私自身、感じる場合が多かったというように記憶がございます。そういう意味では、その社会認識が薄いがために、逆にその社会制度を、当然の如くして、むしろ反映させて説いてきた、或いは布教した、ということがよけいに差別思想に適合的なものとして説かれたのではなかったのか、というふうに思っております。
「業」・「旃陀羅」・「本覚思想」、こうした思想が、問題になったのは、私が曹洞宗に関わったおり、部落解放同盟から、道元の教え、宗祖道元禅師の教えには、そういう差別思想があるのか、そういう問題を曹洞宗で検討せよというような話し合いがなされまして、曹洞宗側では検討するということになりました。その時以来の問題設定というふうに認識されます。私は当時、曹洞宗の人権擁護推進本部の嘱託という身分で、シンクタンクのような役割を果たしておりましたが、「業」・「旃陀羅」・「本覚思想」などの問題を検討するため、駒澤大学の先生方を中心とし様々な大学の先生方も集めまして、今の問題と差別問題を検討するチームを設けたわけです。その時の先生の中には、袴谷憲昭先生とか、松本史郎先生などという、のちに「本覚思想」批判で著名となる先生がたがいらっしゃいましたが、その検討の過程の中から、「本覚思想」が差別思想と関係しているのだ、という、私にとっては青天の霹靂のような、問題が出されました。
その当時は全く分からなかったのですが、その先生方の本を紐解くと、どうもこういうことらしいのです。これは後でも触れますが、田村芳郎博士も「本覚思想」を扱った岩波の古典文学体系の中で、博士自身は「本覚思想」の大変な大家でもありますけれども、「本覚思想」も様々ありますが、この場合には中古天台の思想ということらしいのですけれども、端的に言えば「もとよりの悟り」というようことを言いまして、「現実の絶対肯定」が行われる思想、というふうに言ってよいかと思われます。これを通俗的に解釈しますと、「そのままでいい」とか「ありのままでいい」、というような話に収斂する思想、というふうにとらえていい思想と思われます。これですと、身分差別などがある社会では、差別があっても「ありのままでいい」ということになるわけです。「もとよりの悟り」を得ているのだから現実がすべて肯定される、差別があってもそれが肯定される、ということになるわけです。もっとも日蓮系の教学のほうでは、この「本覚思想」というのは否定されているようでございます。
知る限り「本覚思想」を明確に否定してるというのは、一般的には道元の『正法眼蔵』とか、日蓮系の思想だと思うのですけれども、曹洞系では宗祖の道元は、「本覚思想」を否定したと見られるのですけれども、実際の曹洞宗の僧侶の人たちは「本覚思想」を説いてしまうわけです。「本覚思想」をあらわす有名な言葉には、「真如」という言葉があります。「真の如し」というものですけれども、それを通俗的に解釈し、要するに「そのままでいい」、それが「真如」である、とするわけです。
ただこの場合、非常に難しいのですけれども、「そのままでいい」というのは、二つの働きを持つのではないか、と私は考えているわけです。宗教的な問題はさておき、例えば自分が苦難の状況にある時に、「そのままでいい」と言われることは、心理学的には、たぶん「癒し」というか、「助かった」というような、そういう機能を持つのだろうと思われるわけです。これはプラスの機能というふうに働く場合があると想定されるわけです。
しかし、「そのままでいい」というのは、同時に社会的な場面にそれを移しますと、非常に困る問題を含むものともなってしまうわけです。人間というのは、個人的存在であると同時に、社会的存在でもありますから。たとえば女性学のほうでは、個人的な問題は同時に社会的な問題でもある、というような問題意識が半ば常識化されていますが、社会的な性差別の問題は個人的な問題として表出をするわけです。その点で、個人的な問題や社会的な問題が解決を志向されなく、「そのままでいい」というのは、個人には「癒し」になっても、社会的に見たら、限りない差別の現実肯定になる、というのは非常に困った思想となるわけです。
「本覚思想」の特徴こそは、実にこの点にあるわけです。これは田村芳郎博士も、大久保先生という天台の「本覚思想」研究者(大久保良峻『天台教学と本覚思想』法蔵館、一九九八)も、その最大の特徴は「現実肯定」にあると言っているわけです。この現実肯定というのはどういうことかといいますと、例えば江戸時代の身分支配が貫徹する差別社会にスライドさせますと、差別的な身分社会が「そのままでいい」ということになるわけです。そうしますと、その差別社会が丸ごと肯定をされる、ということになるわけです。
また、この問題と関連する「業」の問題もあります。田村芳郎博士も述べているのですけれど、例えば「業」の問題で、「不共業」と「共(グウ)業」という問題を考えてこなかった、という問題もあります。「不共業」というのは「共にしない業」であるからしてこれは個人の「業」であると。「共業」というのは「共に作る業」であり、いわば社会的に形成される「業」ということになります。しかし現実の教学的なものの歴史的展開では、この「不共業」や「共業」の問題をあまり顧みないで、実は「業」は「三世両重の因果」とかの説明で済ませてきた、そこから、社会的な問題が、個人の問題にすり替えられてきた、というようなことも指摘をしているわけです。「本覚思想」は、そういう問題を持っているわけです。「ありのままでいい」、「そのままでいい」というのは、ある部分にとっては、救済になり得る可能性はあるのですが、社会的な面では、それは壮大な、現実秩序の限りない肯定になる、ということが問題になるわけです。
「本覚思想」の問題は、前述の袴谷憲昭さんや松本史郎さんたちが言い出しまして、一時はインド哲学学会などでもこれが議論され、活発な議論となって満堂の聴衆を集めたということも聞いております。私も実際、松本さんたちの著書(袴谷憲昭『本覚思想批判』大蔵出版、松本史郎『縁起と空』大蔵出版など)を読みましても、「本覚思想」が、やはりそういうふうに働いてきたと思うわけです。もっとも、ある意味では、「もとよりの悟り」というようなこと、「みんな平等」なんだよということを本当に徹底的に推し進めるならば、それはそれで革命的な思想となるかもしれません。が実際にはそうではなく、現実肯定という水準で思想が展開してきた、という問題が潜んでいるわけです。
また、これに関連しまして、田村芳郎博士が東大の退官記念の講演の時に、「本覚思想」的な言葉とみられる「山川草木悉皆成仏」というような言葉を巡って講演をしました。すなわちこの言葉が、どの仏典に出てくるかということが田村芳郎博士の、最後の講義でしたが、この時の講義では、「山川草木悉皆成仏」という言葉は大乗経典にはなかった、これは日蓮聖人あたりが使ったのが最初ではないか、というのです。つまり「山川草木悉皆成仏」という言葉は、大乗経典にはないのだというのが田村博士の最後の講義における結論でした。「本覚思想」たる「山川草木悉皆成仏」という言葉は、いわば日本仏教における「造語」ではないか、というわけです。「山川草木悉皆成仏」という言葉で、「みんな同じだよ、みんな平等だよ」という意味を仏教用語として込めてきたと思われるものが、実は原典と見なされる大乗経典にはなく、それはのちの思想として展開された言葉なわけです。しかし、この言語も建前になっていて、実際には差別構造の温存がなされる「本覚思想」の言葉と見なされるわけです。
また、これとは多少区別されるものに、差別を肯定した思想として、真宗のほうで説かれてきた問題に、「真俗二諦論」という問題があります。私自身は、これは、ある意味での「本覚思想」と見なされる思想と思っているのですが、これはかつてこの件で差別発言をし糾弾された事例が真宗のほうでありました。その発言内容は、「僧侶なるものは、(僧侶というのはいったい何者なのかというのは少し置いておくとして)仏教教理、或いは自己を極めるということをやっているので、部落問題などをやっている暇がない。最近は、女性の人たちが、色々しゃしゃり出てきて、やかましくなっている、昔は女性は表に出ないで奥におったもんだ」などと、述べた事件です。
これは運動団体の糾弾の対象となったものですが、そういう発言をしたトップの僧侶が真宗系の教団にいたわけです。これは、仏教者にとっては、自己を極める(己自究明)ということが先決問題だから部落差別などの社会的な問題に関わってはいられない、ということを宣言したに等しいわけです。私自身も、この糾弾会に二回ほど立ち会いましたが、その時に、この「真俗二諦論」というのが若干議論をされたわけです。
つまり僧侶は世俗のことにはかかわらない、というのですが、運動団体の側からは、我々は被差別の民とされ「旃陀羅」とされて差別を受けてきた、それも真宗の門徒として、いわゆる「穢多」身分とされ「穢寺」に所属させられてきた、そのことをどう考えるのか、差別とか社会的な問題は歴史的にも真宗とまぎれもなく関係をしてきたが、そのことをどうするのか、と問われて、真宗側が言葉に詰まっていた記憶があります。それが「真俗二諦論」という思想の問題としてあるわけです。
四、寺院と社会との関係
それから、差別イデオロギーと見なされるものは、仏教経典にある場合もあれば、仏教の偽経的なもの、或いは人口に膾炙される場合、つまり布教される過程で出てくるものもあります。たとえば現代ではそれが直接に発現するということはあまり無いわけですけれども、「穢れ」などという文化的な観念、宗教的な観念も差別と深く関わってきたわけです。資料に出ています、野村文子・薄井篤子編の『女性と教団 日本宗教のオモテとウラ』(国際宗教研究所編、一九九六)という本に、曹洞宗の、当時、宗学研究所にいた中野優子さんという人が「寺庭婦人」について論文を書いていますが、彼女が以前に書いた論文によれば、仏教は、様々な場面でそういう「穢れ」というような思想を敷衍してきた、と言っています。
かく言う私自身も「穢れ」についての論文をものしてきたわけですが、こうした問題は教典などにも枚挙にいとまがないほど挙げられるわけです。実は「法華経」にもそれが出てくるわけです。法華経にも「女身垢穢(くえ)」、女性の身体は「垢」と「穢」に満ちているという意味ですね、「女身垢穢」であると出てくるわけです。女性をこのように位置づけているのは、もちろん「法華経」だけではありません。阿含経の中にもそういうのが出てきます。宝積経というお経の中では、さらに、女性は「外面如夜叉、内面似菩薩」等とも書かれていまして、似たような記述の問題というのは、大乗経典といったような経典のたぐいにもしばしば見られるわけです。
で、こういう問題というのは、さらに、仏教の経典の解釈として歴史的にはそれが布教・敷衍されてきている、というような問題があるのだと思われます。これは、「業」、「旃陀羅」とか「本覚思想」とか「真俗二諦論」とかの仏教教学が、「穢れ」などの文化観念をも取り込んで、それらが、ある種のイデオロギーと化し、ある部分、教えのある部分が差別イデオロギー的な役割を果たして、歴史的に展開されてきたのではないかと思われるわけです。さらにそれは、今度は布教をする場面とか、或いは寺院が展開する中で、寺院と社会の関係、というようなものにもやはり反映をしてきて、そこで身分秩序に沿った差別的な関係が教学として構築されてきたという側面があると見なされるわけです。
寺院と社会との関係における差別的な関係というのは、具体的にどういうことかと言いますと、日蓮系とか、その他の禅系や真言系などの場合ではあまりないのだと思いますが、真宗系でははっきりあったわけです。それはどういうことかというと、レジュメの右側の一番左側に記してありますが、身分制度との関係で寺院ヒエラルヒー(階梯)が構築されていた問題です。身分制度と関係する教団構成の問題といいますと、江戸時代のことかと思われるかもしれませんが、かつて真宗には「穢寺」(地域によっては「穢多寺」ともいわれた)という制度がありました。これは被差別身分とされてきた人たちが、「一般」の寺院ではなく、被差別身分とされてきた門徒のみで特定の寺院に所属が決められ、いわば「檀家」とされた制度的なものでした。
しかもこの「穢寺」は制度として、同様な「穢寺」だけが、寺院の組み合わせを作らされておりまして、これが一九八〇年代まで残っていた地域があったわけです。もちろん部落差別やその他の差別問題と真宗教団との遭遇がありまして、教団側は解消への取り組みをしたわけですが、八十年代前半までその組織が残ってきたというのは、いかにこうした問題が根深い問題をもっているかという証左になると思われるわけです。真宗の場合、寺院の一定数の組み合わせを「組」といいますが、いわば「部落組」を構成し、現今では解消されたとはいえ、それが近・現代にまで残されてきたということに、驚かされるものがあります。
関西地域では被差別部落民と見なされてきた人たちの寺院所属が真宗には多いわけですけれども、身元調査、これは特に結婚とか或いは就職の際に、被差別部落出身かどうかという身元調査、多くは興信所によってなされるのですけれども、調査の項目に、真宗の寺院所属かどうか、という問題がありました。これは、真宗系の寺院に問い合わせ、住職が「イイエ」と答えても「ハイ」と答えても、興信所にとっては調査が完了するという巧妙な仕組みの身元調査でした。どうしてかというと、真宗系に被差別部落と見なされてきた人たちが所属していることが多いと、あらかじめの知識として伝わっていますから、特定の人の身元を調査する際、興信所のほうでは寺院に電話をかけて、もし寺院側が「イイエ」と答えたら、それは被差別部落じゃない。「ハイ」と答えた場合には今度は被差別部落であるという可能性が五十%以上成立するわけです。で、実際に真宗の調査では、約三十%近い寺院が、過去にそういう調査を受けたことがあると真宗の『宗報』には載っていました。
真宗の事例は、教団自体が現代にいたるまで差別構造を内包させてきた問題であるとも言い得るわけです。いまの「穢寺」制度につきましても、構造化されたものを持っていました。宗務行政上、末端の「穢寺」は、手次寺といいますか、中本寺というのがありまして、そこに所属をするわけです。そこから、本山所属ということになるのですけれども、以前は、特に「穢寺」の住職は、法主から、「自剃刀」といい直接の「剃刀」を受けることはなかったわけです。それから、法主が通る際、廊下の上にあがれなく、廊下の下から反対向きに礼をすることが強制された事例などがあるわけです。
真宗のような、あからさまな事例は別として、制度や慣習として、そのような制度的形態が現代まで引き次がれている問題を私自身も経験しています。関東地方の被差別部落と見なされてきた地区の調査をした時にも、なかば地域の「穢寺」、「穢多寺」と見なされてきた寺院の存在があったわけです。
一週間ぐらいの調査で何回か群馬県のある市の調査に入ったのですが、その市の中の四ヶ寺が、被差別部落と見なされてきた人たちだけが所属している寺院、になっていたわけです。この地域で各種の聞き取り調査をしたわけですが、この四ヶ寺に所属していない、いわば「一般」の人たちに話を聞いたら、「ああ、あの寺はあっちだよ」と言うのです。この地方で「あっち」というのは、当該の四ヶ寺は、被差別部落民と見なされてきた人たちのことを指すわけです。当該地方では、あそこの寺院に所属する者は、「あっち」だということを知っている。これは、差別用語を使わなくても、差別ができるという事例なのです。つまり、「ああ、あれはあっちだよ」、と言うだけで差別が成立してしまうわけです。当該地域では、そのお寺についてもそうなのです。「あそこは、あっちのほうが多いから」というわけです。この言葉をよく分析すれば、それはやはり差別意識からの言説だと思われるわけです。実際に過去帳を調べた際、一ヶ寺は別な宗派に所属していまして残る三ヶ寺の戒名について調べましたら、ほとんど、いわゆる「差別戒名」が出てきました。
寺院と被差別部落民と見なされてきた人たちとの関係で、私が経験したことをもう少しお話をいたします。これは山梨県に調査に行った時に、調査した事例なのですけれど、寺院の檀家の人たちの会合に日にちの差異があった件です。お寺の総代会のような会合が開かれる場合に、昭和三十年代まで、こうした慣習(的差別?)が続いていたといいます。それは「一般」檀家と、被差別部落の檀家と見なされた人たちと、違った日に、会合が設けられていたものです。同じ寺の案件なのに「一般」の檀家の人は前の日に会合をし、被差別部落民と見なされてきた人たちの檀家の会合は次の日に行われる、という、差別的な「会合」なわけです。
もっとひどい事例もありました。お寺で宴席が設けられた際、被差別部落民と見なされてきた人たちだけの椀膳が別になっていた件です。被差別部落民と見なされてきた人たち専用の、下のほうに印が打ってある椀膳が寺にあり、寺院で会合をする際には、被差別部落民と見なされてきた人たちの席には、その印が付いた椀膳で出された、というのです。これがその椀膳です、と、ある寺院で見せられたことが実際にありました。この習慣はいつ頃まであったのですか、と訪ねたら、昭和三十年代ぐらいまでありましたと住職が話しておりました。寺院と社会との関係では、教団なり寺院の構成の問題で、やはり差別的な問題もまだまだ残っている部分があると思われるわけです。
この点は差別戒名の調査からも結構よく分かりました。差別戒名というのは、ご承知のように、被差別部落民と見なされてきた人たち、だけに差別的な戒名(法名)を付与したものですが、これは、日本仏教各宗派に存在している、と言い得ます。差別戒名の調査では第一に墓地の調査をします。墓地は、ムラ共同墓地や寺院に隣接した境内墓地、隣接の共同墓地、或いは個人の持っている個人墓地というように、幾つかのパターンに分かれていますが、共同墓地に行きますと、だいたい各宗派共通になっているケースが多く、そこに差別(法)戒名がある場合が多いわけです。
神奈川県で調査をしました時にある共同墓地に行った時に、日蓮系だと思われる差別(法)戒名を目撃した経験があります。その墓石の上のほうに南無妙法蓮華経と書いてありまして、その下の位階部分には、○○穢男、と彫られていました。「穢れ」という字が入っていまして、それが被差別部落民と見なされてきた人たちの共同墓地にあったわけです。これは日蓮系なのではないかと私は推測したのですけれども、その時の調査では墓石の施主の菩提寺がどこか分からないということで、それ以上の調査は不能でした。私自身は、差別(法)戒名の件一つを取ってみても、部落差別と寺院の関係の中では、殆どの教団、既成仏教の教団が関わってきたのではないかというふうに思っております。
それからレジュメでは、「差別発言」というふうに記されている問題を次に触れてみたいとと思います。これは補足ですが、女性差別にも共通する問題があるのですけれども、「差別発言」の問題は、宗教者、仏教者の社会認識および宗教認識自体が、非常に問題とされるべき、ものと見なされるものです。僧自体が差別的な認識を持っていることが多いわけです。自身では気づかないまま、差別意識をそのまま持っているケースも中にはあるわけです。
また、私が感じた限りでは、仏教者というか、特に僧侶・住職のことですが、関わった限りでは、男性の仏教者で、若干曹洞宗で経験した知見に限られますけれども、僧侶の持つ「傲慢」性という問題が結構「差別発言」の背後にあるケースが多いと感じています。これは、差別発言が、ただ単に社会認識がない、つまり部落問題を知らなかった、だけではない問題が背後にあるような気がいたします。先ほど紹介しました「己事究明」発言をした真宗系の元宗務総長の場合は、「自己を究めるのに夢中で、部落問題とか女性問題なんかやっている暇がない」といった発言自体、非常に他者を見下している「傲慢」性というか、それに満ちた発言をしているわけです。たぶん仏教者の差別意識が露見する問題というのは、宗教認識や社会認識についてもそうですが、その置かれた「地位」と無関係とは思えません。
共同体などでは「お坊様」は、会合の席では上座に座る場合が多いわけです。民俗学のほうの調査で、「お坊様」のことを何と呼ぶかという調査があるのですが、ある地域では僧侶が「長袖様」と呼ばれている所がありました。もちろんこれは一部の地域ですが。明治以降、「長袖様」という呼称は決まっていまして、何かの会合で、上座に座る人たちのことを指します。「警察の署長」と、「学校の校長先生」と「僧侶」がそうなわけです。地域の会合で「長袖様」と呼ばれている人々は、地位が高いというふうに受け取られていたわけです。
で、「地位が高い」と自認する人の中には、それが「習い性」となるといいますか、他者に対して「上からものを言う」態度となるケースが多いと考えられます。もちろん地位が高くてもそうでない人もいるのですが、概して、そうなりがちな問題があると思われます。そうすると、説教の時に、そういう「傲慢」性で以て発言するという問題が出てくるわけです。私も大学の教員をしていますので、つい「偉そうに話しをしている」のかも知れませんが、そうすると、偉そうに他人に「教えてやる」、というような態度で話をするか、「傲慢」性に満ちた態度で話しをすることになる、と思うわけです。曹洞宗に関係していた時に、「差別発言」の事情聴取とか、その問題解決に当たったケースがあったのですが、実は「差別発言」の背後には、僧侶の社会認識や宗教認識だけの問題だけではなく、その「傲慢」性というような問題が深く関与している、と思われるわけです。その意味では、寺院の僧侶という身分は、よほど気をつけないと、ある種の「傲慢」性というようなものが、やはり醸成されやすいのではないか、と思われるわけです。
五、仏教と女性差別
次に、仏教と女性差別のような問題に少し移りたいと思います。仏教と女性差別の問題では、先ほど述べました「業」論の展開とか「本覚思想」との関わりの問題、すなわち仏教教学の思想の問題と深い関わりがあるものと思われます。それと、教団の制度的問題とも関わり、さらに制度的な問題以外にも、寺院生活の中に取り込まれている家父長的な慣習、の問題なども仏教と女性差別の問題構成として挙げられると思います。
教学思想の問題についてはこれまでも論じられてきてはいますが、これに関連する、つい最近の著書のみを挙げるとすれば、レジュメの下のほうの参考文献に挙げた野村文子・薄井篤子編の『女性と教団』(ハーベスト社)とか、川橋範子・黒木雅子さんの『混在するめぐみ』(人文書院)とかが挙げられます。原始仏教では女性を差別していない、と仏教を擁護する立場からは、先の著書などに反論する形となりますが、植木雅俊氏の『仏教のなかの女性観』(岩波書店)とか、少し古いものですと大越綾子さんの『女性と宗教』(岩波書店)などがいづれも女性差別と仏教との関係を紐解いています。
それで、近畿大学の先生をなさっている大越綾子さんは、『女性と宗教』という岩波から出ている本の中で、教団や教学を含む意味での仏教は、構造的に性暴力を内包させているという、きびしい指摘を行って問題を提起しているわけです。「性暴力」という問題は、たとえば「女犯」の問題などがそうした事例にあたると考えてよいでしょう。有名なものには、たとえば親鸞上人の、京都「六角堂の夢告」における「回心体験」、「女犯偈」に出てくる、浄土宗に帰依をするきっかけとなったコンバージョンの問題などがあります。
私自身、このことを、立正大の沼先生の古希記念論文集の中の観音信仰を扱った論文で書いた記憶があるのですけれども、これは親鸞の回心体験として出てくるものです。親鸞が六角堂に籠もっていたら暁に観音の夢を見て、それが契機となって吉水の法然のもとに行ったということなのですが、これは、親鸞の妻の一人の恵信尼とされる人が、娘の覚信尼に宛てたとされる書状の中に出てくるわけです。親鸞の夢に出てきた観音(実は女性)は、貴方に、これは親鸞にですね、犯されても、一生臨終まで親鸞を見守り極楽往生をさせてあげます、という夢告がきっかけとなって法然の元へ行く、というのです。夢告文には「女犯偈」として「行者宿報にて、犯せられんとも」などと出てくるわけです。
さきの大越さんは、これを取り上げて、これは「性暴力」ではないのかと言っているわけです。で、彼女が一番最後のほうで指摘をするのは、日本仏教は、といってもいいと思いますが、仏教は非暴力的な宗教なのか、という疑問を投げかけているわけです。つまりキリスト教のようにキリストを人類のために生け贄に捧げたという話じゃなくて、仏教は平和的で優しい、のか、慈悲を説き、その点では平和的な、という一部の評価があるけれども、そうではないのではないか。「性暴力」ということを肯定している部分もあるのではないか、というのです。
実際に真宗系の教団に属する研究者のあいだでは、一部をのぞいて今の親鸞の女性の性体験を媒介とした「回心体験」なるものを解釈しきれていない、と思われるわけです。もちろん真宗の中でも、これは問題があるのではないかという問題提起があり、実際そういう著書(たとえば遠藤一著『仏教とジェンダー』明石書店)なども出ていますけれども、それは一部の人にとどまり、多くの真宗教学者によっては、そこの部分は、あまり触れられていない、というのが現状なわけです。で、仏教と関係する女性差別の場合には、この教学思想の問題が、教団の制度的問題としても絡んできて、大きな問題を持つものとなっていると思われるわけです。
先ほど触れた田村芳郎博士は、一九八〇年代に「法華経における差別思想」という講演会を「新宗連」の同和推進協議会という所で二回行ってまして、その講演記録によりますと、田村博士は、仏教と差別問題を考える際、まず第一に「階級差別」(の記述)があると言っています。これは法華経の「安楽行品」などの記述に見られると指摘をしています。「安楽行品」に出てくる記述は、「僧たる者は、このような者たちには、親近してはいけない」という箇所です。「親近(シンゴン)」というのは「親しく近い」という意味ですので、「親近してはいけない人たち」というのは、身分の卑しいとされた者や異人種、女性や身体に異常がある者、異教徒の者たち、などには近付いてはいけない、というのです。この記述から、逆に僧の地位は特別なのだということが伺えるわけです。博士はこれは「階級差別」なのではないかというわけです。
それから次には「職業差別」があると言います。法華経で、「これこれの職業の者に近付いてはいけない」という記述がしばしば出てきますので、それらの記述は職業差別にあたるのではないか、というわけです。この記述は、仏道修行者が近づいてはいけないとされる職業を記述しているのですが、この記述は、当時のインドにおけるカースト制度などの背景を考える必要がある、とも思われるわけです。
次に田村博士は「女性差別」に触れます。その場合、法華経の研究者の中には、そうした記述が出てくるのは「迹門」の部分で、研究者の言う、その箇所は「流通ぶん」のところだから、いわゆるの「女性差別」とは少し違うのだ、という言い方を否定しているわけです。女性差別の記述は「薬王菩薩本地品」という箇所などにも出てきます。もちろんこれは「変成男子」という問題とも繋がっているのですけれども、ただ、「変成男子」の記述が「提婆達多品」に出てくるのは、これは「迹門」だから、少し重さが違うのだ、という研究者がいるけれども、これも違うのではないか、という指摘を田村博士がしているわけです。
それから、田村博士は四つめの差別の記述があると指摘をしています。それは「病気の差別」というものです。病人への差別ということでしょうか。法華経の中では、たとえば「癩病」(ハンセン病)が挙げられます。これはほとんどの仏典で「業病」とされているものです。それから「結核」。これらに対しては、法華経は駄目だと記述しているわけです。従って、この病者への差別(記述)を含めて、法華経の中には、四種類の差別があるのではないかと言っているわけです。
ただ田村博士は講演の中では、これらは「方便」として説かれたのではないか、と言っています。つまり、たとえば先ほど出てきました、「仏教とは何か」というような問いを発せられた時に、いや「仏教というのは無我である」とか、「無自性」、「空」であるといったような抽象的な答えをした時に、それだけではなかなか仏教が説こうとする「真理」を伝えられない、ということが出てくるわけです。そのことを、田村博士は「真実説」と言っていますけれども、そういう仏教の核心的な部分に近づけないから、「方便」として説明的なものを説いたのではないか、そこに差別(記述)が出てきたのだ、ということを言っているわけです。
ただ、差別的記述が全体的に「方便」として説かれた、としても、それが人々のあいだに敷衍されますから、やはりそれは「差別」の思想として働いてしまう側面が強く出てくるわけです。それで、女性研究者たちは、そうした記述に基づいた思想を女性差別の代表的なものとして挙げるわけです。たとえばさきの、法華経の「提婆達多品」に出てくる「変成男子」の教説などがそうですね。これは、サーガラ竜王の娘が、男子に変わることによって成仏をした、という教説ですが、これはやはり「女性差別」と見なされるものだ、というわけです。現代的視点から見れば、女性のままで成仏できない、というのは女性差別ではないか、というわけです。
日蓮系の一部の教学者は、むしろ「変成男子」の教説を使って、日蓮聖人は、むしろこれこそが女人救済のお経であると確信して、女性を救うために説いたのだ、と主張しています。しかし、これには田村博士も疑問を呈していて、ほんとにそうだろうか、今、日蓮聖人が生きていたら、私は会って質問したいと述べていまして、田村博士も、さすがに、まったき意味において、これは女性の救済ではない、というようなことを言っているわけです。
法華経の中の「普賢菩薩勧発品」が抱える問題というのは、もう少し問題が厄介であると考えられます。これは先ほど述べた田村博士の分類では「病気差別」の事例となるものですけれども、仏教徒が近付くべきじゃない、或いは遠ざけるべきもの、として登場をするのですが、法華経を誹謗したり、法華経への不信の結果、どうなるか、というと、その結果は、「業病」とか「癩病」或いは「結核」となる、という形で出てくるわけです。
もしそうなら、今度はそれは、現実の「癩病」や「結核」を病んでいる病者は、「業病」のものたちである、となるわけです。現実に「癩病」に関していえば、つい、このあいだまで、そう信じられてきたわけです。これは、仏典が思想提供をし現実に機能して、結果としてハンセン病者に対する差別が生じてきたと思われるわけです。また、仏教の基礎的教学である「倶舎論」などにも、これらの病気は「宿業」として出て来るわけです。その意味では、現代から見て差別的な箇所は、仏教の、本筋的な所でも出てくる、と言えるわけです。
では全体的に、このような問題をどういうふうに考えればいいかというと、田村芳郎博士によれば、そういう箇所は、もう(仏教の教えから)捨てるべきである、とはっきり何度も明言しております。仏教の教説として使えない所、今まで仏教と思っていた所の教学、教説に関して、もう使えない所は捨てるべきだ、教学を選別する時期に来ているのだ、というわけです。そういうことを言っているわけです。仏典自体が歴史的なものであり、歴史を超えられない部分があるということを考えると、私自身ももそれに近い感じは持っているわけです。
この場合、難しいのは、仏典などを選別する、自浄能力といったものの責任ある機関・所在がない、ということです。仏教界の保守性といったような問題も関わりますけれど、実は、経典というのは現在時点では、誰も責任を持ち得ないものになっているのです。仏教経典は、個人の力で、或いは法華経の、ここと、ここの箇所は使いません、とか宣言することが、なかなか難しいわけです。仏典に対しては誰も責任主体がないのですから。
もちろん「人権」という思想、言葉は仏教用語にはなくて、近代の思想です。ヨーロッパ近代の思想、視点を、日本社会が、特に戦後、取り入れて、そこから出てきた用語であるわけです。多くの「日本人」は、その自覚を持っているとは言い難いものがあります。民主主義などは当たり前、と考えていますが、しかし、近代、現代の人権思想に立って、私は物を考え、私は判断している、という視点から物を見るべきだろうと思われるわけです。もちろん、その人権についての理解の幅はありますから、何をもって人権とし、何が非人権的であるかというのは非常に難しい問題ではあるのですけれども、やはりどこかで、近代的な「人権」の視座に立って、差別的なものがある、ということを選別する作業を、やはりしなければいけない、というふうに、田村博士の提言を聞いて、思うわけです。
つまり今日的な視点では、経典が伝統的なものといえども、差別的なものもあるわけです。伝統的なもののうちに、差別的なものがあるという事例では、たとえば相撲などがあげられます。相撲協会は、女性を「土俵」に上げないという問題があります。しばらく前のことですが、歴代の官房長官が、総理大臣杯、優勝杯を手渡すという習慣になっていたので、女性初の官房長官になった森村真弓さんが、優勝杯を手渡そうとして、それを拒否されたことがありました。理由は、森山さんが女性であり、女性は「土俵」にはあげない、という相撲協会の姿勢にあったわけです。相撲協会は、これは伝統であるというふうに言っているわけです。この事例からすると、伝統は差別をするという問題があるのだろう、と思われるわけです。ただ伝統というのは、新しく作られるという問題もあります。伝統というのは歴史の中で、以前からあったものに何かが付加されていく側面がたいへん多いというわけです。
話を元に戻せば、法華経における差別的な箇所の中で、さきほどの四種類の、分類では階級差別や職業差別、或いは女性差別や病気の差別があって、それが「方便」として説かれたものであろうと、それらは、やはり現在、再考を要する、ものとなっていると思われるわけです。今日、そうした箇所は説けないなら、説けないという形ではっきりとさせるべきだということを、田村博士は言っているわけです。私もそのように思うわけです。むろん誰がそれをするかというと、これが非常に難しい面がありますが、仏教の教学には、今日、そのことが要請されていると思われるわけです。
それから、仏教教学と絡んだ差別問題に、制度的な問題も上げられます。それは女性差別の問題です。これは、教学的に女性が差別されてきた問題と、それから日本の仏教教団として形成されててきた問題の中で、歴史的に形成されてきた制度的な問題がある、といえるわけです。
レジュメの中の右側に、「教団とは?」とクエスチョンマーク付けて、「比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷」と書いて置きましたけれども、私の理解では、「仏教徒」というのは、一般的には、「比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷」という形で観念され、考えられてきていますが、教団というのは、この「比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷」が信仰的な意味での教団を形成する概念だと思われるわけです。信仰上の教団の概念は、もとは「僧伽」(サンガ)というか「ソウギャ」ですね。その場合には、「比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷」で成立すると考えられてきたわけなのですけれども、日本の寺院にあっては、とりわけ江戸時代以降の檀家制度を含んだ、教団の制度的問題では、これは「僧伽」ではなくなったのだと思われるわけです。
レジュメの下のほうに「家父長制的寺院」とあって、そこにクエスチョンマークが付いていますけれども、これは、日本社会の「寺院」というのは、もちろん、その教団の思想を媒介するもの、つまり「僧伽」ですね、修行道場というような形で、理念的には作られているのですけれども、実際的には、この問題は複雑な問題を孕むことになったと思われるわけです。どうしてかというと、寺院というのは、それを守る「住職」係とその「家族」が存在しているからです。
参考文献に、宗教社会学の第一人者と見なされる森岡清美さんの著書を二つ挙げておりますけれども、『真宗教団と「家」制度』(創文社)、それから『真宗教団における家の構造』(お茶の水書房)というのを挙げておりますが、この中でも指摘されていることなのですが、実は、寺院といいますのは、寺院それ自体が「家制度」となっているわけです。たとえば真宗では、それが制度的に構成されているのです。住職になるものが男系で、これは最近改められているとは聞いていますが、女性は「防守」ということになっているわけです。
ところで、宗教研究者のあいだでは、「新宗教」研究という分野を研究するのが新しく、既成仏教教団の研究は現在でも重要視されてこなかったのでけれども、宗教社会学で今挙げた、森岡清美先生の著書、『真宗教団と「家」制度』は一九六二年刊で、増補版が後で出ていますけども、これは日本の宗教社会学の研究では最大の金字塔ではなかったかと思っていいくらいの著作ですが、その中で、森岡さんは、寺院の「家制度」という問題を取り上げています。
「家」なるものは、宗教社会学の中の重要なテーマでもあるのですが、マックス・ウェーバーという、有名な社会学者が「伝統的支配」というような問題を取り上げる際、その中で「家」の問題も取り上げているのです。「家」をどういうふうに定義しているのかというと、ウェーバーは、ドイツ語のハウスゲマインシャフト(Housegemeinshft)というふうに言っているのですが、このハウスゲマインシャフトというのは「家共同体」と訳されます。なぜこういうふうに言っているかというと、「家」なるものは実はなかなか難しい概念を含んでいるからなのです。
英語で言うとファミリー(family)というのは「家族」、ハウスホールド(household)というのは「世帯」、それから、ハウス(house)というのは建物を意味します。では日本の「家」というのは何だ、というと、どうもファミリーにも還元できないし、ハウスにも還元できない、ハウスホールドにも還元できない。しいていうなら、それらを含んだ、「家共同体」が「家」である、と言えるわけです。それで「家」は、私自身の理解では、ハウスゲマインシャフト、「家共同体」というふうに存在し、それが歴史的にも連綿と続くものである、と観念されているわけです。このウェーバーの考え方が日本の「家」に関する学会、森岡さんなどにも踏襲され、私も理論装置として使っているのですが、一般的な「家」概念の分析に用いられるようになったわけです。さらに「家」は、「家名の継承」というようなものをも含むわけです。「家名」、これは「家の観念」といってもいいものです。
この「家名の継承」は、さらに「家産」の継承問題を含んでいるわけです。これは財産です、家財産。これを今度は「経営する」という問題が出てくるわけです、家産経営。つまり「家」というのは、そういう複雑な問題を持っているわけです。さらに「家」は、「家長」なるものを必要としてきました。これは近代では明治憲法で規定されました。「家長」が、「家権威」のもとで家族の統制をするわけです。これが、いわゆるの「家父長制」ということになるわけです。
この「家父長制」というのは、たとえば家族成員のですね、ある意味、戦前までは生殺与奪の権を握っていたといっても過言ではないわけです。「家長」の命令で、たとえば自分のうちが貧乏な時は、娘を身売りし、息子を奉公に出すというようなことは「家長権」によって可能であった、わけです。実際、戦前まではそうしたことは周りにあったわけです。そうすると、「家」なるものがそういう「家名の継承」なり、「家産の経営」なるものを含むならば、「寺院」も、それに相当するものを持ってしまっている、わけです。
「家長」に相当する者は、「住職」というわけなのです。森岡先生は、これを「住職家」というふうに言っています。寺院が、それ自体で家制度というような実態を有している上に、さらに「住職家」というのが入ってきているわけです。「家」によって寺院が形成されている、とも言えるわけです。信仰上の「僧伽」、の概念がそこに加わっていますが、しかし実際的には、住職家なる人たちが、そこで居住する寺院を運営することになる、というわけです。
寺院の場合、では「家産」というのは、いったい誰のものかというと、私有財産と公有、公有財産と分けた場合、それは私有ではない、と見られますが、この問題は実際は「あいまい」なものになりがちです。寺院の財産は現在は宗教法人法によって分けられているのですが、そこに「経営者」として「住職家」が入り込んでくるため、「財産」は大部分、法人の「寺院」のものとされていても、「住職家」が私有財産のように扱う、という問題が生じるからです。
「住職家」の「住職」は、ある部分に限っては、ただの経営者じゃなくて、信仰の伝道者として赴任したもの、と考えられるのですが、住職家の問題で複雑なのは、さらにそこに、「比丘・比丘尼」じゃない人が、住職の「奥さん」ないしその子供たちの家族集団、という形で入ってくることから生じる問題です。これが、いわゆる「寺族」の問題になるわけです。
レジュメに書かれた「比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷」、このうち「優婆塞・優婆夷」というのは在俗の信者ということですが、「僧伽」は「比丘、比丘尼」の修行道場であって、この人たちだけですと、「寺族」の問題は原則として生じないわけです。ところが、近代以降、要するに明治以降、妻帯、「肉食妻帯」と言っておりますけれども、それが「肉食妻帯、勝手たるべし」ということで、日本の仏教教団がこぞって「肉食妻帯」をする、ということになるわけです。もっとも、仏教史学者の圭室先生にお聞きすれば分かると思うのですが、実際には江戸時代にすでに「妻帯」というのは非公式的にはしていたのだそうです。川柳に「(セックスを)せぬは仏、(妻帯を)隠すは上人」という言葉も江戸時代にはあるくらいで、実際上は、妻帯がかなりの部分で公然となっていたと言われているわけです。
曹洞宗の場合は「寺族規定」となっていまして、「寺庭婦人」という規定の名称はなくなっているかどうかは少し不分明ですけれど、その「寺族問題」という問題構成のうえで言えば、たとえば川橋さんという方は、『混在するめぐみ』という本の中で、この「寺族」が差別的に扱われてきたと主張をしています。しかも教団は、その「寺族」の意見を聞かないできた(いる)のは問題ではないかと指摘をしています。
私の理解では「比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷」の間に、「住職家」、その「家」なるものが入ってきた、つまり「僧伽」に、家族・在俗の人が入る形になった問題があると思うわけです。しかも、その在俗たる「家族」を、「僧伽」(寺院?)のどこに、「優婆塞・優婆夷」なのか、或いは「比丘・比丘尼」の教団の側に入れるべきなのか、これがよく分からない、という話になってきたのではないか、と思われる点が生じてきていると思われるわけです。
ただ、近代の寺院、日本の仏教の寺院の展開にとっては、「比丘・比丘尼」の間に、住職家が入ってきたために、ここで問題が複雑になったと思うのです。最近、話に聞いた所によれば、曹洞宗関係のある識者は、住職の「奥さん」を位置づけなければならないから、「比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷」の中間に、「近事男」(ゴンジナン)、「近事女」(ゴンジニョ)というのを持ってくればいい、と論じているそうです。ただ問題は、こうした問題が整理されないまま、「近事男」・「近事女」というのを持ってくればいい、というのは、現在、提起されている問題の解決にはならないばかりか、かなり安易な思考ではないかと思われるわけです。「寺庭婦人」というのは実質的には住職の配偶者を指すと思われますが、さきの大越さんや川橋さんなどの論者は、寺院における「寺庭婦人」という存在は、男僧や仏教教団にとって、都合よく使ってきた、のではないか、寺庭婦人=女性を排除しつつ、実は都合よく使ってきた、のではなかったのか、という指摘をしているわけです。
それで、今、お手元に配布しています、日蓮宗の「寺族寺庭婦人規程」を見ていただきたいと思います。これは「現宗研」のほうから、私が敢えていただいたものなのですけれども、「寺族寺庭婦人規程」の第一条、傍線を引っ張ってある部分に注目をお願いします。傍線を入れたのは私なのですけれども、これには、「本宗の寺院、教会、結社に住職、担任、教導と同居する親族で、本宗の教義を信奉する者を寺族とする。但し、教師又は教師補はこれを除く」とあります。
この第一条の「寺族」というのは、見ましたところ、たぶん、男僧、つまり住職の子ども、のような人を指して言っているのかと推測するのですが、そう推測しておきます。それから、この規定の三条は、「寺族のうち成年に達した女性で住職が認めた者は、寺庭婦人とする」とあります。これは、女性で成人に達しない者は、「寺庭婦人」とはならない、という意味でしょうか。成人というのは法律的に解釈すると二十歳を超えた者で、しかもこれは住職が認めなかったら「寺庭婦人」ではないのか、というような疑問も、推測されることになると解釈可能ですね。この規定をを作るにあたっては、もちろん色々議論があったと思いますが、解釈ではそうなります。
それから「第四条」は、「寺庭婦人は、率先して寺族の務めを果たし、寺院子弟の教育と後継者の育成に努めなければならない」とあります。この「寺族の務め」というのは、何を意味するのか、という問題がまずあると思われます。普通に考えれば、「寺族の務め」というのは、檀家の相手をし、拭き掃除をし、或いは、場合によっては寺院の行事にも参加し、或いは仏教の教義的なものにも理解を深め、住職には食事を作ってあげること、子供の教育をすること、などが考えらます。これが「寺族の務め」になるのかと思われます。
では住職、男性の住職は、何をするのでしょうか。もちろん本来の住職の努め、仏教を宣揚し先祖供養をするのはそうなのですが、住職のする「寺族の務め」というのはないのでしょうか。
それから規定の中には、「寺院子弟の教育と後継者の育成」と出てきています。そうすると、住職は、「後継者の育成」とか「子弟の教育」をしなくともよい、というのでしょうか。いや、これはもちろん住職もそれをするのは当たり前だから書いていないと、たぶん反論が来ると思います。しかしこの場合に問題となるのは、なぜ「寺庭婦人」のみ、にこの条文が書いてあるのか、ということです。規程にないものはする必要がないという別の問題もあるわけですが、男性の僧はこれが当たり前で、女性のみちゃんとやれ、ということに受け取られかねない。少なくともそう解釈されます。男僧に対しては、つまり住職は、率先して仏教の務めを果たし寺院子弟の教育と後継者の育成に努めなければならない、という別、規、定、の、条、文、があるのでしょうか。もしも男僧と「寺庭婦人」の立場が対等・平等ならば、住職の務めとして条文化されているのか、ということです。
普通は僧侶の務めということで、別に条文化されたものがあるとは思いますが、それには「寺院子弟の教育と後継者の育成に努めなければならない」というふうにはなっていない、と思われます。つまり、「寺族」だけに、この第四条の規程があると推測されるわけです。「寺族寺庭婦人規程」にのみ、「後継者の育成」と言っているのは、どういうことなのでしょう。曹洞宗でかつてこの問題を取り上げた際にも、『宗報』に「寺族」からの投書があったのですが、「寺庭婦人」は寺院のために身を粉にして働き子育てや寺の行事で自分の身体が幾つあっても足りない、というような内容の投書でした。これは一般のところから寺に「お嫁さん」に入ったと思われるケースでしたけれども、そういう意見があったのです。
このような規程は、たぶん制度的な問題を抱えていると見ていいのではないでしょうか。先ほど述べたように、「比丘・比丘尼」だけの「寺院」ではなく、「寺庭婦人」、或いはその娘、成人した娘と、仮に、この条文通りに同居したとしても、その人たちに対して、教団的にはどう扱って、どのように遇しようというのか、それがやはり見えてこない問題があります。この「寺族」に対して、義務だけは課されている、と見なされるのですが、権利はどうする、この人たちへの権利はどうなっているのか、ということがやはり見えてこない。
その点からすると、日本の、と言っていいと思われますが、日本の既成仏教の「寺院」は、家父長制的にできている、と思わざるを得ません。「家父長制」というのは、先ほど確認しましたように、家長がいて家を統制し、家名を継ぎ、家産経営というような次第を含みます。「寺院」というのは、いまだに、これに類似した点を脱してはいないものがあると思われるのです。
曹洞宗の場合、「寺庭婦人」には教師資格も制限があります。「寺族」は寺院の責任役員を構成する、「寺族代表」になることができるのですが、「寺族代表」になるには、住職の「夫人」は、「準教師」という資格が必要とされるわけです。規定でそのようになっているわけです。それで、「準教師」の資格を持つには、一定期間、通信教育を受けなくてはならない、ということになっています。ところが教師資格というのは、男僧の場合、僧の場合は、「準教師」というのはないのです。つまり「準教師」というのは、住職の「寺庭婦人」、住職の配偶者だけに課せられた教師資格なのです。
男僧は、二等教師から始まって、一等教師、正教師と、順に階梯を上っていくようになっているわけですが、「準教師」は、それどまり、なのです。つまり「準教師」という資格は、「寺族代表」になる、寺院の経営的側面を補佐する、或いはこの規定でいう、第四条のためにだけ作られたような規則だ、と理解できるわけです。この点は日蓮宗の場合はどうなのでしょうか。そういうふうに教師資格がなっているのでしょうか。もしなっている場合、それは、「性別役割分業」のような、問題があるもの、と見なさざるを得ないでしょう。何故ならば、そのためにだけ作られた「準教師」というのは、まず僧の場合には当てはまらないわけですし、「後継者の育成」というのは「女性」のみの仕事というふうになるわけですので、これはやはり性別役割分業を奨励しているということになるわけです。
いまの性別役割分業に関連する点が曹洞宗の場合、もう一つあります。それは、「特定代務者」という役割に関わる制度です。住職が不幸にして亡くなった場合などの「後継者」の問題ですが、仮に、寺院に小学生の男の子がいるというケースを想定します。その場合に曹洞宗はどうするのかというと、その男の子が僧侶になるまで、「寺族代表」が「特定代務者」というのになることができる、とする制度を設けているわけです。「特定代務者」というのは、いわば住職婦人で「寺族代表」であるのですが、そのためには「準教師」の資格が必要とされ、「後継者」が育つまで、それを見守る者、として、この「特定代務者」という制度ができているわけです。もちろん正式には僧になる「修行」をしていませんから、葬式、法事とかの式次第はできない、ということになります。
そうすると、この「特定代務者」という制度自体は、一面では、寺院を存続させるためにだけ設けられた資格、というような話になるわけです。そうしますと、さきの批判にあったように、「寺族」は、都合よく使われてきたのではないかという推測も成立するとも思われるわけです。問題は、こうした問題の位置づけをする時に、どのように位置づけるか、というようなことが大きな争点になるような気がいたします。
たとえば真宗は、ここでいう「寺族」を位置づけて、「坊守」としているわけです。しかし「坊守」という存在は、位置づけられたために、かえって「性別役割分業」が明確になってしまった、という側面が出てきたと思われる点があります。つまり、ここで見た規定の第四条のようなことを、「坊守」にあたる者がしなければいけない、ということになるわけです。「坊守」については、そういう側面があるのではないかということを川橋さんという方が指摘をしているわけです。
「寺族」を、教団の中で、どういうふうに位置づけるのか、ということが難しいという面がありますが、もう一つの問題に、仮に「位置づけた」として、その地位なり資格は、一般の「優婆塞・優婆夷」とされてきた、一般檀家の「婦人」の立場と、どう違うのか、などという問題も生じると思われます。これまでのフェミニズム研究の成果を間違って受け取っているかも知れませんけれども、現在の見解では、「主婦権」というものは成立しない、というのが一般的な考えだと思われます。「主婦権」というものが成立しない、とすると、寺院に限って、住職の配偶者の「主婦権」というものが成立するのか、ということになるわけです。
以前に、住職自身が、自己の配偶者をどう考えているのか、「教団人」として考えているのか、「在俗」の「奥さん」というふうに思っているのか、そうした点を探る機会がありました。曹洞宗で住職に千人くらいアンケートを採ったことがありました。その時に住職の意識を引き出すため、次のような設問をしました。「住職をしていて、住職の配偶者、奥さんが亡くなった時に、葬儀はどういう戒名を授けましたか」、という質問をしたのです。どういう意味かというと、「僧伽」を一応、「比丘・比丘尼」の集団とした場合、住職の「奥さん」を「比丘・比丘尼」という「仏教教団」の中に含めて考えているならば、亡くなった時に僧侶と同じ法名なり戒名を与えようとするだろう、と見なされるわけです。亡くなった住職の「奥さん」の法名・戒名を、一般在俗の女性の戒名と同じような文字、位階にする、というのなら、配偶者である住職の「奥さん」といえども、その存在を、「在俗」者とみなしているのではないか、と考えられたわけです。
で、結果のみを言うとすれば、住職の配偶者が亡くなった時に葬儀において法名・戒名を授ける時に、三分の二近くは、「○○院○○大姉」にすると答えているのです。つまり、曹洞宗の千人あまりの調査に限っていえば、住職の六割近くは、少なくとも、住職の「奥さん」は、「比丘・比丘尼」というカテゴリーに入らない、という認識をしているのではないかと見られるわけです。つまりこの場合、住職の「奥さん」というのは「在俗」だということに思われるわけです。
私自身は、いまの「寺族寺庭婦人規程」の「第四条」に見られるような規定は、やはり、ある種の「性別役割分業」を前提として規程されているものと見なすものなのですが、しかし、この問題を解決するためには、もう少し、各仏教教団の中で、教学との関連や制度的なものの検討が必要であろうと思われます。日蓮系の教団におきましても、この問題は、やはり、もう少し研究が必要だろうと思われるわけです。
それから、もう一つは、「尼僧」「比丘尼」というか、それに関わる問題もあります。「比丘尼」となっている人たち対して、差別がないか、というと、これもまた現実にはある、と思われるわけです。それは、さきほどにも言いましたように、教団の制度的な問題として考えられるわけです。これは、『女性と教団』という本の中で、中野さんという人が指摘をしているのですけれども、「尼」に対する差別的なこととして、「法臘」(ホウロウ)を積んだ「尼」といえども、寺院行事などでは、一番下に置かれる、というような点があります。「法臘」というのは、修行、要するに僧になって何年かということなのですが、「法臘」を重ねた「尼」の場合であっても、一番若い僧の下に座らせられたとか、寺院の手伝いにいっても、勝手向きのことをさせられて、法事とか主なる行事には参加させられなかった、といった差別的な待遇がしばしば行われる、というのです。
「尼」の人たちは、「平僧地」という、昔でいえば一番、「格下」の寺院の住職にあてられているようなケースが多い、と言われています。つまり檀家数が少なく、「寺格」といいますか、その「寺格」も、低いと見られる所で住職をしている場合が多い、と思われるわけです。どうかすると、自分のお寺の葬式の場合でも、「本寺」の和尚が来て、「法主」を振り、その収入、布施とかを「本寺」の和尚さんが管理する、というような場合さえ存在するわけです。そうした点からしますと、「住職婦人」のみならず、「尼」が差別的な待遇と見なされることから脱しているわけではない、と思われるわけです。曹洞宗の場合は「尼」を取りましたから、男女を問わず、みな「和尚」、「僧」ということになっていますけれども、それでもそういう問題があるわけです。
教団の中には、制度的問題に関わる慣習、習慣みたいなものが、まだ、抑圧的な問題として残っているということが指摘できるわけです。「尼」としては、もちろん男僧とひけをとらず女性の住職として活躍をしている人も存在し、寺院の住職としてやっている人もいれば、配偶者のいる人もいます。ただ一般的に言えば、比丘尼、つまり「尼」の人たちは、多く婚姻をしていないのに対して、男僧はほとんど婚姻をしている、という現実はあります、そこにアンバランスなものがあるという指摘もあります。
また、「尼」の人たちは、信仰的な「僧伽」、サンガの意識を持っているのに対して、「住職夫人」は必ずしもそうではない、という現実もあると推測されます。共通して言えるのは、恐らく両方とも、まだ抑圧的、差別的な問題がある、ということだと思われるわけです。システムとしては、そういう問題がまだあるのだろうと思われるわけです。事実、私が関わったケースでは、葬式の時に導師ができない、という相談を受けたこともあります。
制度的には、寺院の住職自体が抱える問題が「日本仏教」の場合にはあります。実際には寺院の業務の大半は、ご先祖様を祀る「先祖崇拝」というのが、どの教団もあります。「先祖崇拝」というのは、諸戸素純という人が、先祖崇拝の起源は中国ではないか、というふうに言っていますが(『祖先崇拝の宗教学的研究』山喜房)、私もそうだと思うのですが、それが徳川の政策によって檀家制度として成立し、一般に住職がする仕事というのは、ご先祖様を祀ること、となってきたわけです。極端なことを言えば、住職は教義なんか説いてくれなくて結構、墓守りをしてくれればいい、と檀家から言われる場合すらあるわけです。
つまり住職自身にも、何というか、信仰と現実の実践活動の間には、ある種の乖離がある、いや乖離を強制される側面があるわけです。もちろん寺院にとっては「ご先祖様」を祀るというのは、寺院経営上の、重要な金銭的収入となっているために、これが主な仕事とされてきた、ということが言えるわけです。檀家のほうは、住職が「ご先祖様」を祀る仕事が本職である、と認識をしているわけです。
ギャップは、「戒名」などの認識などにも伺えます。これもまた曹洞宗の調査からなのですが、その時の調査でも、僧侶は「戒名」の付与は、信仰上、信仰があったかどうか、帰依したかどうか、寺によく来たかどうか、ということなどで、或いは、施主家の先祖の戒名を見て付ける、というふうに回答しているのに対し、一般檀信徒は、(戒名は)お金によって、あれは変わるものだ、というふうに見ていわけです。つまり住職・寺院側では信仰で付けているんだ、と理解しているのに対して、一般檀信徒のほうは、金でなんとかなるもの、というような意識のギャップがあると見なされるわけです。
で、このような問題が、「仏教」本来の教学的な普及を妨げている、大きな要因ともなったりしているわけです。住職が、教団、或いは仏教の信仰を、現場で実践することが難しい、というわけです。それで住職が、葬式法事の司会者というような立場になりがちである、ということなのです。葬式法事をただちに否定しているわけではありませんが、現実にはそういう問題があって、これらにも対応を迫られていると思われるわけです。
それとともに、いま述べてきた問題の解決を志向するためにも、教団にとっては、教団とはいかなるものか、いったい教団の範囲は、どのように考えるべきなのか、などという問題を、恐らく今後、真摯に研究しなければならないだろうと思われます。つまり教団は、信仰上の理念的な「比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷」という話だけでは、すでに成立をしなくなっている、と思われるわけです。日本仏教の場合、こうした点を、教団側として研究し、どのように位置づけるのか、が当面の重要な課題でもある、と思われるわけです。
寺院の問題には、そのほかに「家制度」というようなものに絡む問題もあります。「係争問題」といいますか、よく起きる問題です。住職が亡くなって配偶者だけが取り残されて、子どもがいなかった場合に、配偶者は、寺院の外に出されるというケースがあるわけす。その場合に、住職を亡くした配偶者のほうは、寺院は私たちの財産である、というふうに思っているわけです。そうすると、それは、寺院に対する「私有財産」というようなものが、すでに観念上、成立していて、そこで「係争問題」が起きる、ということになるわけです。
「家制度」に関わるような問題は、やはり寺院に絡んでいるからだと思われるわけです。「家制度」の中に於ける、住職の配偶者、或いは子弟における抑圧的な構造というものが寺院・教団の中にある、という認識が必要なことだろうと思われるわけです。
六、若干の結語
時間が少しオーバーしましたが、問題点としては、先ほどの、様々な部落差別や女性差別の状態と教団の問題などを述べてきましたが、なんと言っても必要なものは、「教学の現代化」が必要だと思われるわけです。その場合に、どのように現代化するかというと、やはり「人権」という問題をもう一度考える必要があると思われます。「仏教」には元々「人権」の概念があるんだという単純な話ではなくて、そういうものが、今日の教団、寺院として、どこかでは必要とされていると思うのです。そうでなければ、現代社会に対峙できない、対話できないという問題が出てくる、と思われるわけです。
それから教団の制度改革の問題、「比丘・比丘尼」の問題、先ほどの、現実の住職の配偶者、「寺庭婦人」という問題で指摘をしてきましたが、こういうものの、がやはり改革が図られなければならないでしょう、と思われるわけです。むろん、ただ改革が図られても、慣習としてやはり出てくる、根深い問題だと認識する必要もあります。
もう一つは、改革をするにあたって、ぜひ必要なものもあります。それは、僧の自己認識、これは社会認識、或いは宗教認識と言っていいと思いますけれども、僧がどこまで信仰を体現するのか、という問題です。たとえば「業」などの教えを説く時に、「業」の教えは、説いてはいけないということではなく、むしろ説かれるべきものなのですが、その時に、マイナスの要因を引き出す場合が多いわけです。「女は業が深い」などと説くわけです。現実にはそれが女性差別的な言説となり、女性差別的な制度化を実践する契機となってきたと見なされるわけです。
このプロセスを止めるためには、僧がどこまで、近代的な人権思想を踏まえた上で、仏教の咀嚼をして説くか、ということだと思うのです。で、私自身は、現代社会の僧侶の抱える問題は、むしろ、仏教の教えを吟味しないところにも、その一因があったのではないか、とも思っているわけです。
檀家制度はいずれ、ゆるい坂のように崩壊していくのではないかと見ているわけですが、もちろん十年や二十年ですぐに崩れる、という話ではないのですが、その時に僧侶は、何を民衆に説くのであろうか、と思うわけです。ある意味で、寺院・教団は危機に直面しているとも言えますが、その時に、寺院・教団自体が、「家制度」的なものを引きずったままでいていいのだろうか、と思うわけです。
さきの「第四条」の「寺院子弟の教育」というのは、まさに「家父長制度」的な意味合いを表現しているのではないかと思うのですけれども、「住職婦人」を、どのように位置づけるのか、教団内における「尼」と「僧」の対等・平等はどうなのか、などという研究が、いまこそ早急に求められているのではないか、と思われるわけです。で、そういう問題の認識というのは、僧侶・住職に求められているわけです。
「尼」や「寺族」、「寺庭婦人」という問題は、教団的な問題としていえば、ひとえに教団の改革によってくるところが大きい、のではないかと思うのです。是非とも、当事者の声も聞きながら、改革をする必要があると思われます。一部の教団のほうでは、とりあげている向きもあるのですけれど、教団自体では本格的には論議に至っていない、という場合が多いと思われます。
他方で、仏教学者のほうはどうかといえば、文献学的な研究で非常に忙しいというか、そちらのほうを中心にして、教団のことにはあまり関わらない、という傾向があります。では誰が「教学の現代化」を担い、誰が教団の制度を改革していくのか、ということですね。
誰が僧侶の自己認識、社会認識を上げていくかというと、現実では私は寺院・教団の僧侶以外にはないと思うわけです。従って、寺院・教団・僧侶をどう考えるかを含めて、やはり差別問題とどう対峙するか、先ほどの英語のタイトルじゃないですけど、Buddhism And Human Rights、という立場にたって、研究をし、改革をしていく必要があると思うわけです。時間をかなり超過しました。教学と教団と差別というものに関して、また部落差別と女性差別などについて、若干、述べてきましたが、仏教の専門的研究者ではありませんので、その点については誤解があるかも知れませんが、ご容赦いただきますようお願い申し上げ、話を終わらせていただきたいと思います。どうもご静聴ありがとうございました。(拍手)