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現代宗教研究第42号 2008年03月 発行

「但行礼拝」考

 

「但行礼拝」考
髙 佐 宣 長
 
     一
 
 平成十九年の四月より、新しい宗門運動である「立正安国・お題目結縁運動」が実動に入った。
 この運動は、平成十八年度の「日蓮宗布教方針(伝道企画会議ノート)」に記される「宗門運動『立正安国・お題目結縁運動』の基本大綱」の〔基本理念〕によれば「法華経に説かれる『生命の絶対尊重』を基本理念とし、『立正安国の実現』を眼目とする信仰運動」であるとされる(尚、この「基本大綱」中には「但行礼拝」の語は見当たらない)。
 そして、次頁の表(ゴチック体、網掛けは引用者による)に示す通り、この運動は、
 社会活動(一般社会〈未信徒〉向け)=「但行礼拝」活動
Ⅱ 宗内活動(教師・檀信徒向け)  =「宗門再生」活動
Ⅲ その他の活動の展開
に大別される。
 未信徒向けの社会活動は「但行礼拝」活動として括られているのである。
 「宗門再生」活動以下については、小稿の考察の対象外であり、省略する。
 さて、「社会活動」すなはち「但行礼拝」活動は、さらに
1 「いのちの活動」
2 世界立正平和活動
に区分され、前者は、また、
①但行礼拝活動
②生命尊重社会の実現
へと展開され、更に、その①但行礼拝活動は、
・常不軽菩薩の「但行礼拝」の実践
・社会に生きる唱題活動の展開
と項目立てられている。
 また、
社会に目を向けた活動に力点が置かれること
宗門檀信徒をこの活動の担い手の主体とする
の二点が、この宗門運動の二つの特色であるとされている。(平成十九年度布教方針「宗門運動実施計画の取り組みについて」)
 つまり、「但行礼拝」は、現今の宗門運動に於いて、
1、「いのち」の活動
2、世界立正平和活動
を含んだ、宗門運動の「社会活動」の総称的なものとしての意味を付与されつつ、
1、「いのち」の活動
の一部でもあり、また、具体的には、「但行礼拝」そのものとともに、唱題活動として実施されるという、重層的複雑多岐な(しかし、何故そうした意味で用いられるかという論理の筋道が見えにくい)言葉として使用されており、檀信徒が担い手となって一般社会(未信徒)に向けて「但行礼拝」をすることこそがこの運動の力点になっている、ということとなる。
 因みに、この運動のもう一つの柱と目されている「祖山総登詣」に於いても(尚、「祖山総登詣」は、Ⅱ「宗内活動」の2の「寺院・信行活動活性化」の2の「宗祖霊跡等護持顕彰」の一項として分類されている)、登詣者に配布される「総登詣之証」に「但行礼拝」の文字が記されている。
 
 小稿では、法華経ならびに日蓮聖人の思想に於ける「但行礼拝」についての教学的な内容を確認した上で、これを右のような意味内容を付与して宗門運動の中核をなす語として用い、檀信徒に「但行礼拝」自体の実践を慫慂することについての教化学的な意味について考察し、筆者なりの筋道を検討してみたい。
 
     二
 
 「但行礼拝」は、言うまでもなく、妙法蓮華経の常不軽菩薩品に説かれる言葉である。
 
  最初威音王如来。既已滅度。正法滅後。於像法中。増上慢比丘。有大勢力。爾時有一菩薩比丘。名常不軽。得大勢。以何因縁。名常不軽。是比丘凡有所見。若比丘。比丘尼。優婆塞。優婆夷。皆悉礼拝讃歎。而作是言。我深敬汝等。不敢軽慢。所以者何。汝等皆行菩薩道。当得作仏。而是比丘。不専読誦経典。但行礼拝。乃至遠見四衆。亦復故往。礼拝讃歎。而作是言。我不敢軽於汝等。汝等皆当作仏故。(『正蔵』九・五〇下)
  (最初の威音王如来、既已に滅度したまいて、正法滅して後、像法の中に於いて、増上慢の比丘、大勢力あり。爾の時、ひとりの菩薩比丘あり。常不軽と名づく。得大勢よ、何の因縁を以てか、常不軽と名づくるや。是の比丘は凡そ見る所あらば、若しは比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷を、皆な悉く礼拝し讃歎して、是の言を作せばなり。「我れ深く汝等を敬う。敢えて軽慢せず。所以はいかん。汝等は皆、菩薩の道を行じて、当に仏と作ることを得べければなり。」と。而も、是の比丘は、専ら経典を読誦するにはあらずして、但だ礼拝を行ずるのみなり。乃至、遠くに四衆を見ても、また故らに往きて、礼拝し讃歎して、是の言を作せり。「我れ敢えて汝等を軽しめず。汝等は皆当に仏と作るべきが故なり。」と(1)
 
 右の法華経の説示から注意すべきと思われる点を幾つか上げる。
一、「増上慢比丘。有大勢力」とあることに示される通り、「但行礼拝」の対象は逆縁の四衆である。伝統教学に於いては、常不軽菩薩の礼拝行は「折伏」と解されており、──近時、摂折については些か議論があるが、紙数の都合もあり、小稿ではそれについては論じないこととするけれども──常不軽菩薩の教化(教化といっても「但行礼拝」によるそれは「結縁」のみであると言って可いであろう)の対象は増上慢の四衆であり、「但行礼拝」は「逆化」である。
 右引用文中の「四衆」は一切衆生を含意するとの説もあるが、後で引くように、「増上慢四衆。比丘。比丘尼。優婆塞。優婆夷。」の文もあり、増上慢(比丘の勢力下にあるところ)の四衆と解するべきであろう。
一、「但」は、選択を意味する文字であり、「但行礼拝」とは、礼拝のみを行ずること、換言すれば、礼拝以外のことをしないことである。
  「不専読誦経典。但行礼拝」とは、経典を読誦することを全くせず、礼拝するのみ、 という意味であると解するのが自然であると考えられる。
  「不専読誦経典」は、その部分の漢訳のみを限定的にみると部分否定のようにも解し得るが、それでは「但行礼拝」の句との整合が取れない。「経典を読誦することのみを専らにするのではなく(=経典を読誦することもするけれども)、礼拝だけをする」と解釈したのでは、経文の論理が濁ってしまう。
  サンスクリット語の原典をみても、「その菩薩大士は、比丘でありながら、講説もせず、読詠もしない(2)とあり、全否定と解した方が適切であろう。
一、但し、「礼拝」を行ずることには「我深敬汝等」以下の二十四字の言をなすことが含まれる。因みに、サンスクリット語には「礼拝」に相当する語はなく、「ただ‥‥すべて近づいて右のように告げるだけである」となっている。(3)
  すなわち「但行礼拝」とは、元来、経典を読誦せずに「我深敬汝等」以下の二十四字の言を、増上漫の四衆になすこと、とも言えそうである。
 
 また、常不軽菩薩品の中程には、次のようにある。
  是比丘。臨欲終時。於虚空中。具聞威音王仏。先所説法華経。二十千万億偈。悉能受持。即得如上。眼根清浄。耳鼻舌身意根清浄。得是六根清浄巳。更増寿命。二百万億。那由佗歳。広為人説。是法華経。於時増上慢四衆。比丘。比丘尼。優婆塞。優婆夷。軽賎是人。為作不軽名者。見其得大神通力。楽説弁力。大善寂力。聞其所説。皆信伏随従。(『正蔵』九・五一上)
  (是の比丘、終らんとする時に臨みて、虚空の中に於いて、具さに威音王仏の先に説きたまえる所の法華経の二十千万億の偈を聞き、悉く能く受持して、即ち上の如き、眼根の清浄と耳鼻舌身意根の清浄とを得たり。是の六根の清浄を得巳りて、更に寿命を増すこと二百万億那由佗歳にして、広く人の為に是の法華経を説けり。時に増上慢の四衆たる比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の、是の人を軽じ賎めて、為に不軽の名を作せし者は、その大神通力・楽説弁力・大善寂力を得たるを見、其の所説を聞きて、皆信伏し随従せり。)
 右の説示を整理すると次のようになろう。
一、常不軽菩薩は、寿命が尽きようとするときに、法華経を聞き、六根清浄を得、寿命を延ばしている。すなわち、それ以前には、法華経に接していない。(4)
一、法華経を聞き、延命の後は、広く法華経を説いている(「不専読誦経典。但行礼拝」はしなくなる)。
一、増上慢の四衆は、常不軽菩薩の説く法華経を聞き、これに信伏し随従する(それ以前は、信伏していない=常不軽菩薩の教化は表面的には効果がない)。
 
 つまり、「但行礼拝」は、法華経を聞く前段階の因行であると解し得るのではなかろうか。聞法の後は、常不軽菩薩自身も「但行礼拝」していない。「但行礼拝」という教化活動は、増上慢の四衆を信伏せしめていない。「但行礼拝」をなした常不軽菩薩は、迫害受難に遭ったのみである。
 言うまでもなく、常不軽菩薩は、釈尊の前生であるが、これは、「但行礼拝」という行は、釈尊の前生(であるような特別の機根を有する者)にのみ可能な行(例えば、虎に捨身するような)であるということを示唆しているのではないかとも考えられる。
 すなわち、「但行礼拝」は、像法の時代(時)に、増上慢が大勢力を有する地(国)で、釈尊の前生たる常不軽菩薩(師)が、増上慢の四衆(機)に、法華経に接する前に行った教化(教・序)であり、現代に於いて、そのまま実行するのは、五綱教判のいずれの綱目に於いても適わないものであると言わねばならないことになってしまう。
 以上を、法華経にみられる「但行礼拝」の内容として確認しておきたい。
 
     三
 
 では日蓮聖人は「但行礼拝」をどう捉えておられるのか。
 
  後五百歳以誰人法華経行者可知之。予未信我智慧。雖然自他返逆侵逼 以之信我智。敢非為他人。又我弟子等存知之。日蓮是法華経行者也。紹継不軽跡之故。軽毀人頭破七分 信者福積安明。(『聖人知三世事』八四三)
  (後五百歳には誰人を以て法華経の行者とこれを知る可きや。予はいまだ我が智慧を信ぜず、然りと雖も自他の返逆侵逼あり。これを以て我が智を信ず、あえて他人のためにあらず。また我が弟子等、これを存知せよ。日蓮はこれ法華経の行者なり。不軽の跡を紹継するの故に、軽毀する人は頭七分に破れ、信ずる者は福を安明に積まん。)
 右の通り、大聖人が「不軽の跡を紹継する」ことを言明されておられることは間違いない。
 但し、「紹継不軽跡」とは、「但行礼拝」を行ずること、ではない。両者を直結させて解釈する向きも少なくないが、常不軽菩薩に関する日蓮聖人の言及をみるとき、「但行礼拝」をするとか、「但行礼拝」せよ、との説示はなされていない。
 大聖人の「但行礼拝」の語についての説示を見ると、真蹟の現存する御遺文のみならず、写本のみの御遺文にも見当たらず、『御義口伝』にあるのみである。
  第六 但行礼拝事 御義口伝云礼拝者合掌也。合掌者法華経也。此即一念三千也。故不専読誦経典但行礼拝云也。(『御義口傳』常不軽品三十箇大事  二六七八)
  (第六 但行礼拝の事。 御義口伝に云はく、礼拝とは合掌なり。合掌とは法華経なり。此れ即ち一念三千なり。故に「不専読誦経典但行礼拝」と云ふなり。)
 余りに短い解文であるから、どう解釈すべきか迷うが、礼拝=合掌=法華経=一念三千、との関係性を示して、「但行礼拝」を行ずることは、そのまま法華経、一念三千を行ずることを意味することを明かし、「不専読誦経典」を会通されたのであろう。
 但し、前述の通り、「但行礼拝」には、「我深敬汝等」の二十四字を告げることは含まれる(「我深敬汝等」の二十四字を告げることが但行礼拝である)ので、この文についての日蓮聖人の説示をみてみると、以下のようなものがある。
 
  薬王菩薩は法華経の御前に臂を七万二千歳が間ともし給、不軽菩薩は多年が間二十四字のゆへに無量無辺の四衆罵詈毀辱杖木瓦礫而打擲之せられ給き。所謂二十四字と申我深敬汝等不敢軽慢所以者何汝等皆行菩薩道当得作仏等[云云]。かの不軽菩薩は今の教主釈尊なり。昔の須頭檀王は妙法蓮華経の五字の為に、千歳が間阿私仙人にせめつかはれ身を床となさせ給て、今の釈尊となり給。(『日妙聖人御書』六四三)
 
  疑云 正像二時相対 末法 時与機共正像殊勝也。何捨其時機偏指当時乎。答云 仏意難測。予未得之 試案一義以小乗経勘之 正法千年教行証三具備之。像法千年有教行無証。末法有教無行証等[云云]。以法華経探之 正法千年具 三事者於在世結縁法華経者 其後生正法以小乗教行為縁得小乗証也。於像法者在世結縁微薄之故於小乗無証此人以権大乗為縁生十方浄土。於末法者大小益共無之。小乗有教無行証。大乗有教行冥顕証無之。其上正像之時 所立権小二宗漸漸入末法執心強盛以小打大以権破実 国土大体謗法者充満也。依仏教堕悪道者多自大地微塵 行正法得仏道者少於爪上土。当此時諸天善神捨離其国 但有邪天邪鬼等入住王臣比丘比丘尼等身心 可令罵詈毀辱法華経行者時也。雖爾於仏滅後捨四味三教等邪執帰実大乗法華経 諸天善神並地涌千界等菩薩守護法華行者。此人得守護之力以本門本尊・妙法蓮華経五字令広宣流布於閻浮提歟。例如威音王仏像法之時 不軽菩薩以我深敬等二十四字 広宣流布於彼土 招一国杖木等大難也。彼二十四字与此五字其語雖殊 其意同之。彼像法末与是末法初全同。彼不軽菩薩初随喜人 日蓮名字凡夫也。(『顕仏未来記』七九三)
  (疑つて云く、正像の二時を末法に相対するに、時と機とともに正・像はことに勝るるなり。何ぞ其の時機を捨てて偏へに当時を指すや。答へて云く、仏意測り難し。予いまだこれを得ざれども、試みに一義を案じ小乗経を以てこれを勘ふるに、正法千年は教・行・証の三つ、具さにこれを備ふ。像法千年には教・行のみ有りて証なし。末法には教のみ有りて行・証なし等云云。法華経を以てこれを探るに、正法千年に三事を具するは、在世に於いて法華経に結縁する者、その後、正法に生れて小乗の教・行を以て縁となして小乗の証を得るなり。像法に於いては在世の結縁微薄のゆゑに、小乗に於いて証することなく、この人、権大乗を以て縁となして十方の浄土に生ず。末法に於いて、大小の益ともにこれなし。小乗には教のみ有りて行・証なし。大乗には教・行のみ有りて冥・顕の証これなし。その上、正像の時、所立の権・小の二宗、漸漸末法に入りて執心強盛にして、小を以て大を打ち、権を以て実を破り、国土に大体謗法の者、充満するなり。仏教に依りて悪道に堕する者、大地の微塵よりも多く、正法を行じて仏道を得る者、爪上の土よりも少し。この時に当りて諸天善神その国を捨離し、ただ邪天・邪鬼等あつて王臣・比丘・比丘尼等の身心に入住し、法華経の行者を罵詈毀辱せしむべき時なり。爾りと雖も、仏の滅後において四味・三教等の邪執を捨て実大乗の法華経に帰せば、諸天善神ならびに地涌千界等の菩薩、法華の行者を守護せん。この人は守護の力を得て本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮提に広宣流布せしめんか。例せば威音王仏の像法の時、不軽菩薩、我深敬等の二十四字を以て彼の土に広宣流布し、一国の杖木等の大難を招きしが如し。彼の二十四字と此の五字と、其の語ことなりと雖も、其の意これ同じ。彼の像法の末と是の末法の初めと全く同じ。彼の不軽菩薩は初随喜の人、日蓮は名字の凡夫なり。)
 
  今反詰云 不軽品云 而作是言我深敬汝等等[云云]。四衆之中有生瞋恚心不浄者悪口罵詈言是無智比丘。又云 衆人或以杖木瓦石而打擲之等[云云]。勧持品云 有諸無智人 悪口罵詈等 及加刀杖者[云云]。此等の経文は悪口罵詈乃至打擲すれどもとかれて候は、説人の失となりけるか。(『撰時抄』一〇〇四)
 
  仏法の中に、内薫外護と申大なる大事ありて宗論にて候。法華経には我深敬汝等。涅槃経には、一切衆生悉有仏性。馬鳴菩薩の起信論には、以真如法常薫習故妄心即滅法身顕現。弥勒菩薩の瑜伽論には見たり。かくれ(隠)たる事のあらはれ(顕)たる徳となり候なり。(『崇峻天皇御書』一三九一)
 
  第五 我深敬汝等不敢軽慢所以者何汝等皆行菩薩道当得作仏事 御義口伝云此廿四字妙法五字替其意同之。廿四字略法華経也。(『御義口伝』二六七八)
 
 詳説する余裕がないが、『顕仏未来記』や『撰時抄』の文をみる時、大聖人が常不軽菩薩の跡を紹継すると仰るのは、受難・法難との関連の上でのことであることが明らかであろう。大聖人御自身が「但行礼拝」をなされた証拠は存在せず、──と言うよりは、唱題受持を第一の行とする大聖人の教義・教学から考えて、「但行礼拝」自体をなされることはあり得ないと言うべきである。七百五十余年の日蓮門下の歴史に於いても、「但行礼拝」自体を実践された先師を、筆者は寡聞にして知らない。
     四
 
 以上のように、法華経や日蓮聖人に於ける「但行礼拝」の内容を検考して来るとき、果たして、これが、檀信徒が担う社会向け活動、いのちの活動、として、適当なのかどうか、ということになるであろう。
 そこで、以上に確認されたようなポイントをどのように会通し、解説するかということとなるが、既述の通り、「但行礼拝」というのは、実は、単に礼拝するのではなく、我深敬汝等の二十四字を告げる、ということが含まれるのであり、寧ろ、それを告げることこそが、但行礼拝の内実である、という点から考えてみるのが宜いのではないだろうか。
 
 右に引いた、我深敬汝等の二十四字に対する、大聖人の言辞をもう一度見よう。
 『見仏未来記』(彼二十四字与此五字其語雖殊 其意同之。彼像法末与是末法初全同。)や『御義口伝』(此廿四字妙法五字替其意同之。廿四字略法華経也。)の説示にある通り、この二十四字は妙法蓮華経の五字と同意であると示されている。
 この説示を踏まえて、先ほど引いた「但行礼拝事 御義口伝云礼拝者合掌也。合掌者法華経也。此即一念三千也。故不専読誦経典但行礼拝云也。」という『御義口伝』の但行礼拝解釈に戻れば、どうやら、唱題そのものが但行礼拝であり、唱題は但行礼拝を包含する、という会通が許されるものと思われる。
 申すまでもなく、日蓮教学に於ける妙法五字は「釈尊の因行果徳の二法」を具足するものであり、如来寿量そのものでもあるから、「いのちの活動」の呼称ともなり得ようし、立正安国の実乗の一善そのものともなろうから(いま、それが、題目であるか三大秘法であるか法華経であるかと言ったことは問わないこととする)、こうしたコンテクストを以て、現在展開されている宗門運動の、小稿の冒頭に記したような「但行礼拝」をめぐる系統付けが首肯され得るものとなって来るのではないだろうか。
 従って、但行礼拝活動という名称で呼ばれてなされることの実際の内容は、唱題そのものであれば可い、と言うよりも、唱題そのものでなければならないのではないかと思われるが、実際には、但行礼拝そのものを、常不軽菩薩が上慢の四衆に対してなしたのと同様に、万民になすことを以て運動の内容とすべきとするような解釈が行われているようであり、これでは宗門運動として不適切ではないか、誤解を招きはしないかと案じている次第である。
 
 そうなると、宗門檀信徒が担い手の主体となる、対社会への活動に力点が置かれるこの宗門運動の柱に、「但行礼拝」という、未信徒は勿論、檀信徒にも伝わりにくい呼称を何故用いる必要があるのか、ということが問われはするのであるが。
 
  註
(1)本稿中の法華経ならびに日蓮聖人遺文からの引用は、全て『日蓮宗電子聖典』による。但し、『大正蔵経』ならびに『昭和定本 日蓮聖人遺文』の該当頁を記す。書き下しは、引用者による。
(2)『大乗仏典 法華経㈼』(松濤誠廉・丹治昭義・桂紹隆 訳)中央公論社 一六五頁
(3)同右
(4)これについて、常不軽菩薩品の冒頭に、
   若比丘。比丘尼。優婆塞。優婆夷。持法華経者。若有悪口。罵詈誹謗。獲大罪報。如前所説。(若し比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷にして、法華経を持つ者を、若し悪口、罵詈、誹謗すること有らば、大いなる罪報を獲んこと、前に説く所の如し。)
  とあることなどから、常不軽菩薩は、但行礼拝をする時点で既に法華経を受持していたとの議論がある。
   法華経は重層性を有する経典であり、経中に自らの経名を説示するなどして、自身に言及することがしばしばあり、そうした場合、その法華経が如何なる法華経であるかを吟味する必要が生じる場合もある。
   この場合、「但行礼拝」時での法華経受持を強調し過ぎると、寿命が尽きんとした際に、法華経を聞き、六根清浄を得、寿命を延ばしたとの経文が空文化してしまうことになることを看過してはならない。
   「但行礼拝」をする常不軽菩薩が、言わば「法華経の精神」を体現していたことは当然であるが、何もこれは常不軽菩薩に限った話ではなく、法華経に登場し、肯定的に描写される仏・菩薩等に共通することと言えよう。
   寧ろ、常不軽菩薩品の場合は、「法華経の精神」を体現して「但行礼拝」していた常不軽菩薩が、その寿命が尽きようとする時に初めて法華経を聞いたと説示されていることの意味をよくよく考える必要があるのではかなろうか。すなわち、法華経を聞いていない時点であればこそ、「但だ礼拝を行」じた、と解する方が自然なのではないだろうか(まさか「法華経を読誦せず、但だ礼拝を行じた」とは、説けないであろう)。換言すれば、「但行礼拝」は、五種法師のような「如説修行」すべき行として説示されていないと解した方が適切であるように思われる。

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