現代宗教研究第42号 2008年03月 発行
宗立学寮に関する覚え書き
宗立学寮に関する覚え書き
菅 野 龍 清
平成十六年度から宗立学寮の寮監を勤めさせていただいている。それ以前には併設の浄延院の副住職として、また副寮監として十一年間宗立学寮の寮生を間近に見てきた。それらの生活の中から思うところを雑感として述べさせていただく機会を得た。雑感であり、覚え書きであるから、何か大層な事を言えるわけではなく、また建設的な提言ができるわけでもない。まずはそのことをお詫びしお許し頂きたいと思う。
一
日蓮宗における宗立学寮は宗憲第六条における「本宗の行学は、不断に修するほか、立正大学、身延山大学その他の教育機関、特に信行道場、日蓮宗布教研修所、布教院、僧風林、宗立学寮、加行所及び声明養成講習所において行う」に基づき、日蓮宗宗立学寮規定において「立正大学生にして本宗の僧籍を有する者を寮生として収容し、僧風教育と団体生活を通じて道念の涵養と智徳の発揚をはかり、有為な法器を育成する」ことを目的として設立されている。さらに学寮内においては堀之内学寮においては「学寮三誓」、谷中学寮においては「寮則三章」が定められている。ほとんど同様の文章なのであるが、それぞれは以下のように定められている。
「学寮三誓」
一、法華経の行者たる誇りを堅持し、品性、人格の向上につとめること
一、異体同心の祖訓を体し、互いに切磋琢磨して行学二道に精進すること
一、秩序と規律を守り、寮友あい助け、共同生活の意義を高らしめること
「寮則三章」
一、法華経の行者たる誇りを高く保ち、自他の人格を尊重し言動を慎むこと
一、異体同心の祖訓を体し、互いに励まして独立の精神を養い行学二道に精進すること
一、日常の規律については、寮監の指導のもとに、寮生の自主的協議によって、これを遵守すること
すなわち、宗立学寮においては上記の寮則を基本にいわゆる僧風生活が営まれるわけであるが、いわば日蓮宗僧侶として基礎を涵養することを目的としている。そしてこの目的を成就するために必要なことは規律ある日々の生活であり、その生活の基本となるのは日々の勤行と掃除と食事である。この三つは寮生活が続く限り存在する。この三つが充実しなければ学寮生活は成立しない。
二
宗立学寮に在籍する寮生の人数は年代によって多生の推移はあるものの、両学寮にそれぞれ三十名から四十名前後である。堀之内学寮には一・二年生、谷中学寮には三・四年生が在籍している。このような棲み分けをしている理由は宗門子弟に対する教育的配慮からではなく、立正大学における過去の授業の履修に基づいた結果である。簡単にいえば仏教学部の一・二年生は熊谷校舎、三・四年生は大崎校舎に分かれていたからである。現在仏教学部は四年間大崎一貫教育に推移したので、先に述べた棲み分けを解消して学寮も四年一貫の教育がなされるべきであるかもしれない。現に仏教学部の大崎一貫教育への転換に際し新学寮建設について議論がなされた際、「四年一貫の学寮を建設すべき」との意見もあった。これは四年間一貫の僧風教育・団体生活がもたらす教育効果を熟知された傾聴すべき意見であると思う。ただ現在まで二十八年間に及ぶ二学年ずつ棲み分けた二つの学寮という在り方は、当初は教育的配慮からなされたものでなかったにしろ、結果的に予期しない教育効果を生み出している。まず第一に一・二年と三・四年とが場所を変えて生活することでそれぞれ指導方法を明確に変えることができるということが挙げられる。例えば読経について言えば、入寮直後の一年生には全くお経が読めないということを想定した上で指導を始め、二年時終了までに要品読誦を可能とさせる。谷中移行の後に初めて一部経の指導を行い、宗定法要式の内容も学習する。また勤行導師についても堀之内では二年時に夕勤導師を勤め、谷中に移行してから朝夕勤それぞれの導師を勤める等々が挙げられる。
さらに今ひとつ教育的効果と思える事があり、それは上級生の有無と大いに関係している。全員にアンケートしたわけではないが多くの卒寮生に対して「どの学年の時が一番楽しかったか」と聞くと大方は「二年生の時」と答える。逆に「一番辛かった学年は?」と聞くと「一年生の時」と答えることが大半かと思うとそうでもなく「三年生の時」と答える者がかなり存在する。熊谷(あるいは堀之内)の二年生時が一番楽しいと感じるのは言うまでもない、それまでの辛い一年時を終えて後輩ができる、しかも煩い上級生先輩は谷中に行ってしまっているとなれば精神的に楽になるのは想像に難くない。一方、二年時にそのような寮生活を送っていたにもかかわらず、三年になると不慣れな谷中に移って新たに覚えることが多い上に、上級生が再び登場し下級生はいなくなる。一年生に戻ったようなものである。しかも三年生というのは宗立学寮の中心となって行事を企画運営する最も重要かつ多忙な学年である。寮監、副寮監からの諸注意もことにうるさく、四年生からのチェックも厳しい。加えて履修する授業が最も多いので自由時間も少ない、というわけで精神的にも体力的にも厳しいと感じてしまうのも宜なるかな、と思う。しかし谷中移行時に強制的に初心に戻してしまうというやり方は上級生にありがちな増上漫や怠惰を防ぐことができるという点で一定の教育的効果があるように思われる。この時、寮監・副寮監が心を砕くべき事は一年生が早く寮生活に慣れること、二年生が一年生の模範として、また適切に一年生に接してるかをよく観察すること、三年生が精神的な面で心が折れないように、また四年生が名目上でなく真実の意味で最上級生として寮生の模範となるべく手助けすることである。(余談ではあるが、右に述べたことは卒寮生、つまり四年間を学寮で生活した者が卒寮後に述懐することであり、在寮生に聞いてもこのような答えにはならないと思う。在寮生の本音は「今が一番辛い」ということに尽きるのではないか)
右に述べたことは二つの学寮が学年によって分けられてることよって生じる教育的効果、メリットの一端であるが、当然デメリットもあるわけでその最たるものが、曖昧な言葉であるが一体感というものであろう。一年生や二年生は四年生と会話をすることは滅多にないであろう。もしも四年一貫の学寮であれば、また違った接し方、つきあい方があるはずであるが、現在の学寮ではほとんど交渉のないままであるのは残念である。今後、共に大崎校舎に通う中で、すなわち学寮の外で、個人的に或いは、学寮生が関わることのできる「御遺文研究会」「布教会」「プンダリーカ」等のサークル活動等で密接な交流が生まれ、それが宗立学寮全体の一体感として成熟してくれることを切に望んでいる。
三
毎年三年生が熊谷学寮(現在は堀之内学寮)から移行し、最初の朝勤導師を勤めた際に自己紹介をしてもらっているが、その中でほとんどの寮生が口にすることは、寺の息子として生まれた、そのことに対する苦悩である。自らの人生が、寺に生まれため跡継ぎとなることにのみ定められてしまっているという状況、あるいは思いこみの中で十代後半になるにつれ、多くは高校在学中に有り体に言ってしまえば「僧侶になりたくない、でもそうもいかない」と思い悩むのである。あるいは僧侶になることは決意しているものの「師父のような僧侶になる自信がない」と悩むのである。誰でも一度は通る道なのかもしれない。自らの人生の行く末が希望に満ち、あらゆる選択肢に溢れているように見える十代には当然の悩みである。また自らの未熟さを自覚して将来への不安がかき立てられることも、僧侶に限らず実社会でも多く見られる若者の悩みであろう。こんな事を言っては大変不遜であるが、実のところ私は悩む彼らの姿を出家以前の釈尊と重ねてしまうことが多い。勿論、釈尊の悩みは自分の将来に対する悩みなどといった小さなことではなく、人間存在に対する根源的な深い悩みであることは言うまでもない。しかし結局その苦悩を解決するため父母を妻子を捨てて出家した釈尊と、その釈尊の弟子たる僧侶の子弟が寺院という「家」から出ることができない、あるいはできるならば出ない方が良いとされている日本の仏教界の現状は皮肉である。私はこの現状を否定して仏教者はすべからく本来の出家を目指すべきだとか、南方上座部仏教を模範として行くべきだなどとは全く考えていない。現状の中で新たな僧侶像を確立するべきであると考えている。では具体的にそれは何かと問われれば、甚だ曖昧でありきたりの意見となってしまうが、やはり世俗にまみれて、社会と深く関わり合いながら生きるべきと考える。
例えば次のような意見もある。現代の仏教者は寺院という存在なくしてはその存在意義すら見いだせなくなってしまっている。寺院があってこその僧侶、寺院=僧侶というのが社会における仏教者、僧侶のイメージであろう。我々自身がそれを充分に納得しており、かつ明治以後、結婚して子供をもうけ、その子を寺院の後継者として跡を継がせることが、住職のあるいは檀信徒の一つの大きな目的となっている、そのことに納得し、そうなることが最善であると考えることが定着している。すなわち「出家者」と名乗っていながら最も「出家」に遠い存在に甘んじることを妥協としている。もはや我々は出家以後遊行の生涯を送られた釈尊から遠く隔たった存在になってしまった。つまり我々は釈尊の弟子、日蓮聖人の弟子としての自覚がある限り、「仏教者」「仏教徒」ではあるが、すでに「出家者」としての資格は無くしてしまっているのではないだろうか、と。
こういう釈尊在世の時代を含めた大乗仏教成立以前の仏教にあたかも憧憬するかのように、その時代の「出家者」の全てを頭陀行に精進する全き聖人と見なして理想化することは間違いではないと思うが、我々は、現代の日本仏教における僧侶はそういう「出家者」を目指すことは甚だ困難である。むしろ積極的に社会に関わり合っていく、貢献していくことに現代の仏教僧侶の一つの形がある。過去にも現在にも様々な形、役職で社会に貢献している方々が宗門の中でも大勢おられる。さて、先ほどの寮生の自己紹介では次のような定型句で終わることが多い。すなわち「立派な僧侶となるよう精進してまいります」と。学寮生としてこれに過ぎる誓いの文言はないだろう。これをお決まりの文句、うわべだけ取り繕った文言だと人はいうであろうか。私はそうは思わない。仮に言った本人が法話の最後の帳尻合わせのつもりで言ったとしても私はそのようには受け取らない。言葉通りにそのまま受け取る。様々に悩んだ末に僧侶として出発点に立った彼らがそれでも日蓮聖人の末弟として在ろうとしている以上、素直に受け止める、それが寮監としての最低の礼儀である、と思っている。そして卒寮の後には御師範や先輩諸師、或いは檀信徒からの様々な薫陶を受け、宗門僧侶として適切に社会に貢献すべき道を模索していくべきである。
四
学寮生活団体生活では個人行動はある程度制限されてしまうが、それは全体、例えば学寮の生活を円滑にするために必要な軌範である。ただそういった生活規範に慣れる慣れないには個人差がある。なじめない、いつまで経っても慣れず苦痛に感じてしまうという人もいる。例えば寮生活には「プライバシー」がないと言われることがよくある。「プライバシー」という言葉の意味は、おそらくは「自分一人が放置され干渉を受けない時間を有する権利」あるいは「他の者と隔絶した空間・時間を所有する権利」または「個人的行動に融通がきく時間を所有できる権利」ということであろうか。そうであれば「プライバシーがない」とは上記のような空間・時間を個人が所有することはできないという意味になる。少なくとも今まで私はそのように理解し、そういう意味では確かにプライバシーはほとんどないといえる。同じ釜の飯を食い、間仕切りなどあるはずもなく机をならべ、他人の寝顔を間近に見ながら就寝し、トイレに入れば壁一つ隔てた相手の腹具合までもわかってしまうような生活にプライバシーなどあるはずもない。ただこのことを苦痛と感じ、なかなか慣れることができないと悩む寮生が多くなってきたように思われる。これは一つの例であってこの他にも各人様々な悩みがあるが、これらの問題の解決について結局のところ個人の努力に依るところが大きいのであるが、寮監・副寮監も寮生一人一人に対して精一杯誠意ある対応をしていきたいと常に考えている。如何せん寮生に限らず昨今は悩みを他者に打ち明けるということが少なくなっているようにも思え、まして寮監などという年上の人間に直截に悩みを打ち明けるなどというとは残念ながらまずあり得ない。寮監は年を取り、寮生との年齢的な隔たりは開く一方である。この問題を解決するためだけではないが、一つの解決策として副寮監の存在がある。彼らは比較的若く、寮生との年齢的隔たりも小さいだけでなく、学寮出身者であるため生活面でも寮生の本音を察することが多い。彼らの存在が寮監と寮生とを繋ぎ、学寮運営に大きな効果を上げてきた事は確かであり、今後もそれは変わらないであろう。しかしその副寮監にさえも本心を打ち明けることのできない寮生もあり、また同級生にも打ち分けられない場合もある。今後は学寮という大きな枠組みの中で原則を違えずに、しかも個人個人の性格をより熟知し、深く関わり合っていく必要がある。しかし人に悩みを打ち明けられないということは、人と深く関わり合うのを避けていることの表れとも言える。特に明らかに上下関係のある場合において上からの歩み寄りが却って逆効果となってしまう危険性もあり、そこに教育の難しさがある。そこで上下関係のない第三者によって心のメンテナンスを行うことも必要である。堀之内学寮では対象が一・二年生ということもあり、すでにカウンセラーを導入している(個人情報については寮監に対しても原則的には秘匿)。谷中学寮では二十歳以上の成人ということで今までは導入していなかったが今後は必要であろう。
以上のように教育上、様々に配慮しなければならないことや困難な事があるものの(私のような直接関わる人間が言うのも如何なものかとも思うが)宗立学寮という宗門設立の僧風団体生活が可能な施設があることは子弟教育上、大変有益であり、今後も将来有望な宗門子弟が僧侶として、日蓮聖人の弟子として、それぞれ胸に秘めた志を現実とするための手助けをしていきたいと思う。雑ぱくな思いつきを綴った稚拙な一文であり、紙面を汚すことに忸怩たる思いに耐えないが、これをもって覚え書きとさせていただく。