現代宗教研究第42号 2008年03月 発行
念(今の心の在り方)を考える
念(今の心の在り方)を考える
竜 澤 泰 孝
幻想の世界から実相の世界へ
我々が日々 生き 知見している この世界は
自らが創り出している幻想の世界であり
個々の人々は 同じ地球上に生活しながらも
全く違った世界を生きているものともいえる
それを人知見と呼ぶならば
仏さまの世界を仏知見の世界と呼ぶことが出来る
私の生きるこの處は
安らかで、穏やかで、衆生の遊楽する處なり
と仏様はみずから述べておられます
人は仏知見の世界に生きることこそが
最も望ましい生き方であると考えられます
なぜならば、そこにこそ、時間と空間を超越した仏の世界、
つまり、安らかで穏やかな、
究極の幸せといえる実相の世界が待ち受けているのですから
※実相—㈰実際の有様。実際の事情。㈪(仏)すべてのものの、生滅変化する仮りのすがたの奥にある真実のすがた。
幻想—根拠のない空想。とりとめのない想像。
岩波国語辞典
一、念のあり方が味を左右する
機械で握った寿司と達人の握った寿司
機械で握った寿司と、その道の達人が握った寿司(ご飯も、ネタの魚も、材料の全部を全く同じものを使用し、同じ握り具合で)ではどちらが美味しいでしょうか?と聞かれたら、貴方はどちらの方が美味しいと答えるでしょうか。
日本人の多くは、寿司の達人が握った方がおいしいと思う。と答えるのではないでしょうか。
では、その理由はなんですか?と問われると、その理由を答えられる人はとても少ないのではないかと私は推測しています。
約二十年前、甲府で有名なお寿司屋さんが、内装工事をするのでお清めのお経を上げて下さい。というので伺いました。随分と多額なお布施をして下さいましたので、数日後に小学生だった長男を連れてお寿司を食べにいきました。
その帰宅途中の会話です。
息子 お父さん不思議なことがあるねー
私 何が
息子 だって同じお寿司を握ってもらっても、あのおじちゃんが握った時はすごくおいしいのに、あのおにいちゃんが握った時はあんまり美味しくないよ
私 よく気がついたねー、あのおじちゃんは何十年もおいしい寿司をたべさせたいと真剣に思い、技術を磨くと共にその思いを積み重ねてきたんだよ、だからその思いの深さによってお寿司があんなに美味しくなるんだよ、あのお兄ちゃんは、一生懸命やっているんだけど、お寿司の形までは上手に出来ても、まだそこに強い思い(念)を込めることが出来ないからなんだよ
そのような会話をしたことをよく覚えています。
グッチゆうぞうさんの言葉(念を込めることによって味わいを増す)
タレントで歌手でもあるグッチゆうぞうさんは、料理もとても上手で、よくNHK教育テレビなどで見かけます。
ある料理番組の時、彼はこのように言っていました。
「チャーハンを妙めている時、美味くなれー、と大きな声を出していうと本当においしくなるんです。」
料理の達人の共通していう言葉(思念が味の決め手)
料理の達人が美味しく仕上げるコツを聞かれて共通していう言葉は
「美味しいものを食べさせてあげたいというその思いが大切なのです。」
葬儀の時の食事
私が僧侶として活動を始めたのは昭和五十一年からだが、私の住む甲府の近辺では、当時は通夜も葬儀も自宅で行うことがほとんどであった。その折に、近所の女性方が集まって食事を作るのだが、あのおばあちゃんはいい人だったねー。そういう時の食事はとてもおいしいのだが、あのおじいちゃんは多くの人を苦しめてなんていう生き方をしたんだろうねー。という人の時は、食べたとたんに、何ともまずい味がする。昔は遠くに買い物に行けないので、ほぼ同じ素材で、同じ組の人達が、毎回同じような物を作るのだが、うまい時とまずい時が極端に違うので、やがて、「なるほど、人の思いというものは食べるものにも端的に反映されるのだな」と私自身が納得したのである。
「母親が、可愛いわが子のために握るおむすびほどおいしいものはない」ということを聞いた覚えがあるが、なるほどそうだろうと思うのである。
法華経では、
「妙法蓮華経提婆達多品第十二 我過去の劫を念うに 大法を求むるをもっての故に 世の国王と作れりと雖も五欲の樂を貪らざりき」「妙法蓮華経普賢菩薩勧發品第二十八 普賢、若し是の法華経を受持し読誦し正臆念し修習し書写することあらん者は、當に知るべし、是の人は則ち釈迦牟尼佛を見るなり 中略 是の人は釈迦牟尼佛の衣に覆はるることを為ん。是の如きの人は亦世楽に貪著せじ。 中略 是の人は少欲知足にして能く普賢の行を修せん。」
食物三徳御書 定遺一六〇九頁
人は食をたからとす。 中略 食には三つの徳あり。一には命をつぎ、二にはいろ(色)をまし、三には力をそう。人に物をほどこせば我が身のたすけとなる。譬へば、人のために火をともせば、我がまへあきらかなるがごとし。悪をつくるものをやしなへば命をますゆへに氣ながし。色をますゆへに眼にひかりあり。力をますゆへに、あし(足)はやく、て(手)きく。かるがゆへに食をあたへたる人、かへりていろもなく、氣もゆわ(弱)く、力もなきほう(報)をうるなり。
世尊は過去の劫に、五欲の樂を貧らなかったことや(提婆達多品)、法華経を受け持つ者は欲少なくして足ることを知れり(普賢菩薩勧發品)、と教えている。また、日蓮聖人は、食は宝であり、命を持続していくものであり、悪人に食を与えるならば、悪は栄え、与えた方は、気も弱くなり力も失って行く報いを受ける道理をお教え下さっている。
また、身延での
「飢渇申すばかりなし 米一合も売らず餓死しぬべし」富木殿御書八〇九頁
という窮乏生活を思えば、弟子檀那である我々が、信仰の道を忘れて食への執着を持ち過ぎることなどは、控えねばならぬのは当然であろう。だが、拒食症、過食症などということがよく聞かれる現代においては、適度な食欲と、受け難き人の身を生きることへの深い感謝を持ち、健全な食生活を営みながら、成仏への道に励むことが必要であろうと思われる。一応、それらはともかくとして、食べる物のうまいとかまずいとかいう人の持つ味の感覚は、素材や調理方法は当然のことながら、作る人の思念のあり方によっても大きく左右されるのではないか、と私は考えている。
以上の事柄は、人間の味覚という微妙な感覚について、世間でいう科学的考察ではなく、自ら体験した事柄を主観的に羅列したに過ぎないと思われるかも知れないが、人間の思念が実際生活に及ぼす影響を考える上で貴重な糸口となるものではないかと私は考えている。
二、念と天気
これはユングが中国研究家のドイツ人、リヒャルト・ヴィルヘルムから聞いた話とされているものです。ヴィルヘルムが中国のある地方に居たとき、干ばつが起こりました。数ヶ月間、雨が降らず、雨乞いの祈りなどをしましたが、無駄でした。この村の人々は、最後の手段として、「雨降らし男」(レイン・メーカー)を呼びました。彼は招かれて村にやってきて、村と外界との境界線のあたりに小屋を作り、そこに寵もりました。
四目後に、望み通りの結果を得て、村中は大喜びとなりました。
ここで話は終わりなのですが、ヴィルヘルムは、その男、雨降らし男と呼ばれる男に直接会って、どうしてこのようなことになったのかと尋ねました。
彼はいいました。「わたしは何もしていない。これはわたしの責任ではない」。ヴィルヘルムは不信に思い、「ではあなたはこの三日の間、なにをしていたのか」と問いかけます。
雨降らし男はいいます。「この村では、天から与えられた秩序によって、人々が生きていなかった。従って、村は「道(タオ)」の状態ではなかったのです。ですから、本来、降るべき雨が降らず、この村には「道(タオ)」から外れた事態が起こっていました。すなわち干ばつです。
わたしはこの村に招かれ、この村に足を踏み入れてしまいました。ですから、私自身も、自然の秩序に反する状態になってしまいました。そこでわたしは三日間籠もり、自分自身が「道(タオ)」の状態になるのを待ったのです。
わたしは天と地と一つになり、再び、「道(タオ)」の状態になりました。すると、自然に雨が降ってきたのです。村に「道(タオ)」が蘇ったのです。
そういうわけで、わたしは何もしていません。わたしはただ自分白身の失われてしまった中心を取り戻しただけだからです。
河合隼雄は、このたとえ話を、治療時に起こる「自然(じねん)モデル」の一例として用いています。自然(じねん)とは、「おのずからなる」こと。人為的に歪曲され、汚染されていないあるがままの在り方を意味しています。そしてこれは森羅万象(ありとしあらゆるもの)との一体性、あるいは万物と自己とが基本的には一つであることを、そのまま生きる姿勢となります。
かって棟方志功氏が晩年に言った言葉、「わたしは自分の仕事には、責任を持っていません」に通じるものがあり、心理療法を行うものが、「道」の状態にあることによって、因果的にではなく、非因果的に、縁を深くもったものの中に「道」の状況が自然に生み出されることを期待するものなのです。(参考文献として、河合隼雄著「心理療法序説」を用いました)
「雨降らし男」の全文を、甲府市高源寺住職齊藤政通上人より頂きました。
藤井日達上人の実例
ウィーン仏舎利塔落慶供養御法話(藤井日達上人)昭和五十八年九月二十五日御仏舎利塔前
御仏舎利塔落慶供養は、常に野外—露天で営まれねばなりません。その為に最も心配なのは天気であります。今日も朝の間は雨が降りまして、法要がどうなるか非常に心配しました。それで一門の人は、ドナウ川の竜神に御神酒を捧げまして、天気を回復せしめてくれとお願いしました。今日そんな事が出来るものかは知りませんけれども、御神酒を上げてお題目を唱え太鼓を撃ちますと、天気が忽ち変わって晴天になった、と喜んでおります。今日此の天気を恵んでくれた事を深く感謝致します。
以上は日本山妙法寺発行の天鼓より掲載したものですが、人の念が天の気をも左右し得る、という好い例だと思われます。
黒柳尭憲上人のこと
黒柳上人は、日蓮宗の開教師としてカナダやアメリカにて活躍された後、日本に戻って、平成十七年与論島に与論法華道場を建立なされた。明治時代の廃仏毀釈によって仏教寺院が破却され、以来百年間仏教の痕跡も残さぬまま来てしまった与論島に、日蓮宗寺院を新寺建立なされた功績は、計り知れぬものがあります。
さて、その黒柳上人がお話下された実話だが、その前年、風速七十メートルもの台風が与論の住まい付近を通過することが天気予報で知らされ、このまま台風が通過したのでは、仮の道場が風で飛ばされてしまうであろう、というので、一晩中観音経を繰り返し唱えました。
すると、不思議にも台風はそれてしまい。被害を受けずに済んだというのであります。
私はこの件は、法華経読誦の功徳であろうと受け止めております。
私自身の体験
昭和六十二年十月二十日午後二時、この日北海道根室標津(知床半島の付け根付近に位置する)の原野に、北海道先住民族供養塔を建立した。
北海道先住民族とは、昭和の初めまで現存していたと土地の長老は証言しているが、体長一メートル程度で、アイヌの人々とまた違う(八千年位前にアイヌから分かれた種族ではないかと研究家から聞いた覚えがあるが)種族なのであります。ポー川(標津川)史蹟自然公園には、住居跡(竪穴式住居であり、その付近に一万個以上も点在している)も残され、矢尻や丸木舟など、多くの遺品が展示されている。(アイヌの人々と同様に文字文化は持っていなかった)
その先住民は、明治以降日本人が急激に北海道に移住したため、生存が危うくなり、最後まで生き残った人々は、丸木舟に乗って国後・択捉島方面に漕ぎ出して行ったため、おそらく海流にのまれて全減してしまったであろうというのである。(国後、択捉島に残っている可能性が全く無いとはいえないが)
その先住民の供養塔を建立した。(導師は美幌町本妙寺の岡本錬城上人)十二月二十日の午前中は大雨であった。昼近くになって私は思わず言ってしまった。こんなはずは無い、何故なら、先住民の供養を七年間行ってきて、今ここに供養塔の開眼を迎えたのだから、この慶事に晴れないはずは無い。そう言って祈念を続けているうちに雨はだんだん小降りとなり、供養の時間を迎えたころには素晴らしい青空が広がって、無事開眼供養を済ますことが出来たのであります。
たまたまそうなったといわれればそれまでだが、私には諸天の御加護と受けとめることが出来たのであります。
良観上人の祈雨と日蓮聖人の法験(先に御遺文の該当箇所を載せその後に石川教張師著作の文を掲載)
頼基陳状 定遺一三五三
去文永八年太歳辛未六月十八日大干魃の時、彼御房祈雨の法を行ヒて萬民をたすけんと申シ付け候由、日蓮聖人聞キ給て、此體は小事なれども此次でに日蓮が法驗を萬入に知らせばやと仰セありて、良観房の所へ仰セつかはすに云ク、七日ノ内にふらし給はば、日蓮が念佛無間と申ス法門すてて、良観上人の弟子と成リて二百五十戒持つべし。雨ふらぬほどならば、彼御房の持戒げ(氣)なるが大誑惑ナルは顯然なるべし。
中略
良観房の所へ周防房・入澤ノ入道と申ス念佛者を遣ハス。
御房と入道は良観が弟子又念佛者也。いまに日蓮が法門を用ル事なし。是を以って勝負とせむ。七日ノ内に雨降ルならば、本の八齋戒・念佛を以て往生すべしと思フベし。又雨ふらずば一向に法華経になるべしといはれしかば、是等悦ヒて極樂寺の良観房に此由を申シ侯けり。良観房悦ヒない(泣)て七日ノ内に雨ふらすべき由ニテ、弟子百二十餘人頭より煙を出シ、聲を天にひびかし、或は念佛、或は晴雨經、或は法華経、或は八齋戒を説キて種種に祈請す。四五日まで雨の氣無ケレバ、たましゐを失ヒて、多賓寺の弟子等數百人呼ヒ集メて力を盡シて祈りたるに、七日ノ内に露ばかりも雨降らず。其時目蓮聖人使を遣す事三度に及フ。
いかに泉式部と云ヒし婬女、能因法師と申せし破戒の僧、狂言綺語の三十一文字を以て忽チにふらせし雨を、持戒持律の良観房は法華・真言の義理を極メ慈悲第一と聞へ給フ上人の、數百人の衆徒を率ヒて七日之間にいかにふらし給はぬやらむ。是を以って思ひ給へ。
一丈ノ堀を越へ不ル者二丈三丈の堀を越へてんや。やすき雨をだにふらし給はず、況やかた(難)き往生成佛をや。
然レば今よりは日蓮怨み給フ邪見をば是を以て翻ヘシ給へ。後生をそろしくをぼし給はば、約束のまゝにいそぎ來リ給へ。雨ふらす法と佛になる道をしへ奉らむ。七日ノ内に雨こそふらし給はざらめ。旱魃彌興盛に八風ますます吹キ重て民のなげき彌彌深シ。すみやかに其いのりやめ給へと、第七日の申ノ時使者ありのまゝに申ス處に、良観房は涙を流す。弟子檀那同シく聲をおしまず口惜シがる。
石川教張著 日蓮の人間像より
幕府は文永八年六月十八日、極楽寺良観に祈雨を命じた。
極楽寺良観(一二一七〜一三〇三)は忍性という。
良観は幕府の意向を受けて文永六年には江ノ島で祈雨の効験をあらわしていた。
良観自身も、「つねに心にまかせて雨を降らす」と豪語していた(下山御消息一三二一頁)。
祈雨の法は、六月十八日より二十四日までの七日間にわたって行われることになった。
日蓮聖人は、「この程度は小事であるが、ついでに日蓮の法驗を萬人に知らせよう」と思った。
この機会をとらえて、良観房忍性の「持戒げに隠された大いなるたぶらかし」を白日のもとにさらそうと考えたのである。このとき、良観は五十五歳、日蓮聖人は五十歳。両者は、祈雨をめぐって初めて対決した。
日蓮聖人は、良観の弟子の周防房、入沢入道という念仏者にこう申し入れた。
「今まで日蓮の教えを用いてこなかったのだから、今度は祈雨で勝負しよう。七日のうちに雨が降ったら念佛は無間地獄に堕ちるという批判を止めて念仏往生を信用しよう。戒律もたもって良観の弟子となろう。もし降らなかったならば法華経を信ずるべきである」。
二人は喜んで良観房忍性に伝えた。
良観は、七日のうちに降らしてみせると言い、手を打ち喜び勇んで祈雨の法をはじめた。
良観は、百二十余人の弟子を引き連れ、頭から煙を出し、声を天に響かせ、念仏を唱え、晴雨経を読み、法華経をも読み、八斎戒を説くなどして種々な方法で祈った。
やがて、四日間が過ぎ、五日目になっても雨の降る兆すらない。良観は焦った。あらたに多宝寺の弟子を数百人も呼び集め、力を尽くして祈りに祈った。
この大祈雨法にもかかわらず、雨は一滴も降らなかった。
この間、日蓮聖人は三度も使いを派遣してこう告げさせている。
〈昔、和泉式部や能因法師ですら、三十一文宇を詠んで雨を降らせた。持戒持律、慈悲第一の良観上人は数百人を引き連れて祈りながら、なぜ雨を降らすことができないのか。
一丈の堀を越えられない者が、二丈、三丈の堀を越えられようか。雨さえ降らせられない者が、どうして往生や成仏をさせられようか。約束したように、邪見を翻したまえ。
日蓮のもとへ来たりたまえ。祈雨の法と仏になる道とを教えてあげよう〉。
これを聞いて、良観は涙を流し、弟子たちは声をあげて口惜しがったという(頼基陳状一三五三〜四頁)
「人知見では安穏な世はつくれない」
平成十九年(二〇〇七)九月二十日発行日蓮宗新聞「日蓮宗金曜講話」全国日蓮宗檀信徒協議会副会長・元帯広市長田本憲吾氏
前略
「人知見」を超えるもの、それはすなはち「仏知見」です。これは方便品の中にある言葉で、分かりやすく言えば、仏さまの知恵や見識をお借りすることといってもいいでしょう。
当時の私は経典を空暗記していただけでした。そのため内容をしっかり理解するには至っておらず、それを市政に生かせなかったことを悔やんでいます。人間のあさはかな知恵に溺れ、み仏の叡智をお借りしようとしなかったことには、ただただ恥じ入るばかりです。
私は市長時代を振り返り「人知見」では安穏な世をつくれないことを痛感しました。ですから私は、自分自身の失敗や反省を込めて、この宗門運動の「仏知見」による社会づくりに大いに期待をしています。
僧侶の方々に一層の指導を受け、信仰を増進させ、僧侶檀信徒一体となってこの宗門運動を成功させ、安穏な世の中の実現を目指そうではありませんか。
以上紙面より抜粋
これらのことが述べられた紙面に眼を通した時、私は深く大きな感動に包まれました。
人知見では安穏な世はつくれない、仏知見を持って安穏な社会作りをして行こうという、現実の社会的実践を経て、それらを土台として行われた提言は、正しく仏国土の建設、「立正安国・お題目結縁運動」を進める我々の進むべき方向であり、法華経を信じお題目を唱えて行く者の目指すべき究極の道であります。
そしてそれこそが、本佛釈尊の毎自作是念という一念に同心することであり、我々一人ひとりが妙法に帰依する、具体的な成仏の方向を教えてくれているものだと思われます。
今回は、私の体験と知見の上から、 念(今の心の在り方)を考える 一、念のあり方が味を左右する 二、念と天気というテーマで発表させていただいたのですが、これらは仏知見とは言えぬ人知見の見解であり、小事であります。発表時間、ならびに発表原稿の紙数の関係もあり、ここで一時終わらざるを得ませんが、次回に発表の機会をいただけましたら、同じ主題にて、「仏と成るための一念」という内容で引き続き発表させていただきたいと考えております。
三、善意の念と邪悪の念
白のエネルギーと黒のエネルギー
私は、人の念はエネルギーを持っているものだと考えている。そしてそのエネルギーには、善意の念は白く輝くようなプラスエネルギーを持ち、邪悪の念は黒く沈んだマイナスエネルギーを持つのではないか、とそのように仮定している。だから、善意の念がこもった物を持つだけでも、それを持った人間に快い思いを抱かせ、悪意の念がこもった物を持つと、暗い思いを抱かせるのではないか、そのエネルギーが、祈願・供養をすると現世にも霊界にも影響を与えるのだと考えている。生霊も死霊も念のエネルギーを持ち、現世も、霊界も互いに影響を及ぼしあっているのではないかと考えている。
心の二重螺旋構造
心は七佛通戒偈に示される如く、善を行えば自ら其の意は浄められ、明るく向上していく方向に向う、また、悪いことと思いながらも行うならば、心は暗く沈んで行く方向に向う、善と悪とがせめぎあって、善を行えば仏と成る方向に向かい、悪を行えば暗く苦しむ地獄の方向に向う、螺旋を描くかのように高下する其の心の有様は、まるでDNAの二重螺旋構造に酷似している。
心の有り様を信徒に説く場合、私はそのような譬えを使って「そのようなものではないかと仮定している」と説明しているのだが、果たしてそれでいいのだろうか、未だ確信とまでは至っていない。
読者のご叱正をたまわりますれぱ幸いであります。