現代宗教研究第42号 2008年03月 発行
『不都合な真実』から見えてくるもの—地球温暖化問題の問題を考える—
『不都合な真実』から見えてくるもの
─地球温暖化問題の問題を考える─
梅 森 寛 誠
地球温暖化の危機を警告した米元副大統領アル・ゴア氏の『不都合な真実』(AN INCONVENIENT TRUTH)は、映画や書籍を通じて、世界的な話題を集めました。そして、二〇〇七年のノーベル平和賞は、ゴア氏とIPCC(気候変動に関する政府間パネル)が受賞しました。京都議定書に於ける温室効果ガス削減の課題をその実行に向けて後押しするものと、概ね好意的にとらえることができるでしょう。
これより先、第九十五定期宗会での宗務総長・施政方針挨拶でも『不都合な真実』に触れ、地球温暖化問題について述べています。宗門教師として無関心でいることは許されないと思われます。
今後、地球温暖化問題への関心の高まりと共に、同書(映画)への話題が増えることも予測されます。そこで本稿では、そこから見えてくるもの、及び当問題の本質に対する所見を若干述べ、本質を考え議論・実行するための糸口として提起したいと思います。
『不都合な真実』の要旨
宗務総長・施政方針挨拶(平成十九年三月八日)では次のように述べる。
『不都合な真実』と言うドキュメンタリー映画が話題を集めアカデミー賞を受賞しております。地球温暖化問題を正面から捉え、二酸化炭素排出の削減を世界に訴えております。近年の世界規模の異常気象は、私たち人類の傲慢さへの強烈な報復と言えるでしょう。私たちの子孫に、この美しい地球をしっかり残していく義務があります。
この映画の撮影チームがニューオーリンズ行きの航空券を手にしていたその時に、地球温暖化による影響と思われるハリケーン「カトリーナ」(二〇〇五年八月)が猛威をふるった、という。書籍では巨大ハリケーンについて一章を設けている。地球温暖化や環境問題に無頓着だった米ブッシュ現政権にとって、同ハリケーンは一定の修正を余儀なくされたものだっただけに、この時期のゴア氏の活動は政治的にも意味があったことが伺える。洪水や干ばつ等も含め、こうした異常気象の出現は、この問題の深刻さに否が応でも向き合わせられる代表例だ。映画や書籍では、キリマンジャロの雪やヒマラヤの氷河が溶けていく、極地の氷がもろくなっていく、その結果、異常気象に加え、海水面の上昇は海抜の低い島嶼や海岸部での居住を不可能にし、天候パターンの変化が疾病を蔓延させたり、と数多くの地球規模の問題を、近年のデータや調査結果を交えて指摘する。「観測史上、気温の高い上位十年は、すべて一九九〇年以降に集中している」「二酸化炭素濃度は気温と同じように上下動し、現在、この六五万年で最も高い所まで跳ね上がっている。急上昇したのはこの二百年間、つまり産業革命が起こったあと」(趣意)そして、こうした温暖化の事実や原因について、最近の科学者の知見として、疑う余地のないほどに合意している旨も付け加える。(カリフォルニア大学で、過去十年間に論文審査を受けて科学の学術雑誌に発表された「地球温暖化」に関する論文数九二八の中、その原因を疑う論文はゼロ)
映画や書籍の出来ばえとは別に、その中で示された事実の重みは誰しもが深く認識せざるを得ないものだ。基本的な方向性は既に示されている。「人類の傲慢さへの強烈な報復」が迫るのであれば、私たちはその事実に真摯に向き合い、生き方を改めることも含めた根本的な対応を行うべきだろう。書籍では「できることから始めよう」と自宅や移動時の省エネやリサイクルを盛んに訴える。こうした啓蒙的な主張は、これまで理解や努力が充分になされていなかった米国民が主たる対象であることが、そのわかり易い説明からも見てとれる。曲がりなりにも「環境問題」や省エネ等の言葉に接する機会の多い日本に住む者にとっては、あるいは新鮮味に欠ける表現と受け取られかねないが、まずは、深刻さを増した事実を謙虚に受け止めるべきだろう。
「身近な所から」だけでいいか
さて、地球温暖化問題については、原発との関係を中心に以前「原発増設で温暖化対策、という過ち」と題した拙稿(『現代宗教研究』四〇号所収)で、既に述べた。今回『不都合な真実』に於ける危機への対応策として、日本の国策として「原子力政策大綱」で理由付けする原発推進の姿は微塵も見られない。拙稿では「京都議定書をめぐる国際舞台では、原発の新増設による二酸化炭素抑制策は相手にされないのが現実のようで、国内向けとは使い分けをしている」と述べたが、まずはその正当性が裏付けられた形だ。
一方で、「できることから始めよう」は、一見妥当な表現で一定の説得性をもつようにも思える。「身近な所から」の呼びかけも予想される。しかし、注意が必要だ。再び前記拙稿を引けば「環境問題に関しては、宗門レベルでも九〇年代より中央教研会議等を通じて盛んに論じられ‥ただこの時は、全般に観念的・抽象的枠を出ず、森林破壊やゴミ問題との関連に於いても、割り箸や卒塔婆等、身近な話題と言いつつ物事が矮小化された論議と化していた印象がある」前掲書(映画)のヒットやゴア氏らのノーベル平和賞受賞を追い風に運動が拡がるとすれば、それは具体的な行動を促すだけに、基本的に歓迎はしたい。が、ライフスタイルに大きな影響を及ぼさないという留保条件を付した上での行動であるとしたら、それらはしばしば自己満足感を伴わせがちなので、いささか厄介だ。
例えば、前掲書には対応策として、トヨタのプリウスの名を挙げてまで、ハイブリッド車を推奨する。「環境」を武器に米国で爆発的に売上を伸ばしたトヨタの高笑いが聞こえそうだが、下請け会社や労働者への殺人的管理を意味する「ジャストインタイム」制を誇るような会社体質の問題を一切不問に付したにしても、この車は温暖化打開策にどこまで有効なのだろうか。「二系統の動力装置を持ち、構造が複雑で、重量が増えた分だけ余計な天然資源を使用し、エネルギー変換を繰り返すハイブリッド車が真の意味で環境負担の少ない低燃費車なのか」という指摘(『トヨタの正体続』)もあるが。また、水素供給面で問題を残す燃料電池車も、良いことづくめのように紹介されている。要するに、エネルギー多消費のライフスタイルこそが問題の根源であるはずが、何故かそれには触れられていないのである。
同様のことは「省エネ型の電気製品を選ぼう」にも見てとれる。確かに、最近の冷蔵庫やエアコン等に於いて省エネ化が格段に進み、どんどん買い替えた方が温暖化防止に有効だ、という考え方は数値上も一応の説得力をもつ。ハイブリッド車同様、メーカーの売上にも貢献できて、良いことづくめのようにも見える。すなわちここでも、消費者は何ら傷付かずして、環境に配慮し地球温暖化防止に役立っている、という満足感を得るわけだが、これでは、技術が向上し改良を加えることによって難題は解決される、という幻想を消費者に与えかねないのではないか。原子力の開発も、廃棄物処理の方策が未解決のまま、将来の技術的解決を期待しつつ(将来世代に押し付け解決を先送りして)強引に踏み切り強力に推進した結果、今や解決どころか破局すら視野に入るほどの事態を自ら招いている。
そうした小手先の人智や技術(それ自体人類の傲慢さに関係する)で地球温暖化の難題は解決に向かうのだろうか。もっとも、急速に進む極地の氷の溶解や熱帯雨林の消失の展開が、私たちに議論や葛藤、はたまた努力目標や自己満足のための時間を与えてくれるかは、甚だ心もとない。
なお、参考に近年のエネルギー需給状況を見れば、二〇〇〇年度・原油換算で、産業部門は一億九五〇〇万Kl(四七・二%)、民生部門は一億一七〇〇万Kl(二八・三%)、運輸部門は一億一〇〇万Kl(二四・五%)。
そして一九九〇年度比で見ると、産業が一三・三%、民生が三一・五%、運輸が二一・八%、全体で二〇%、それぞれアップしている。また、二〇三〇年度の需給見通しを、省エネが進展したケースで見ると、二〇〇〇年度比で、産業が五・一%、民生が二・七%、運輸が二二・八%、それぞれ削減する見通しを立てている(総合資源エネルギー調査会需給部会「二〇三〇年のエネルギー需給展望」∧二〇〇三年三月∨による)。これらの数値の分析は様々だろうが、ここで論じている「できることから」や「身近な所から」は、全体の二〜三割に該当する民生部門の、さらに四〜五割程度の家庭消費の中に位置付けられる。つまり、全体の約一割強の範囲に過ぎない。もちろん、個々の努力を無力・無益と見るつもりはない。近年伸び率が高く、将来も劇的な削減は予測されていない部門であればこそ、省エネやライフスタイル転換の努力に期待する余地はあろう。が、それでもごく限られた中での変化にとどまるであろうことは認識すべきだ。
南北間の不平等、という視点
そもそも地球温暖化とは、日々世界規模で進む現象だ。地球大の視点が必要になるのは当然である。確かに『不都合な真実』では、映画でも書籍でも、世界各地の憂慮すべき現実は、映像・写真を通じて提供してくれる。そしてその原因に於いて米国が突出していることは示す。「米国は一国で、南米、アフリカ、中東、オーストラリア、日本、アジアのすべてを合計した以上の温室効果ガスを排出している」と。が、ここからは(『不都合な真実ECO入門編』を読む限りに於いては)いわゆる南北問題の視点は希薄な印象を受ける。
現実として、地球温暖化に直結するエネルギー多消費は続いている。オイルピークが言われはじめた石油埋蔵に関しては、今後「石油争奪戦争」が頻発する可能性さえ指摘される。熱帯雨林の大量伐採・消失も止まらない。従来の「北」側(先進国)の多国籍企業によって「南」が収奪される構図に加え、「南」(途上国)自体の消費量増加も次第に顕著になると思われる。地球温暖化問題の解決にはそれらの目線が不可避だ。エネルギー多消費という原因がはっきりしている以上、まずは米国に代表される先進国が削減努力を率先して行うことが求められよう。途上国への負の関与、責任の押し付けや転嫁は止めるべきだ。
実はそれらが、京都議定書をめぐる議論の中で浮上しているようだ。同議定書では、二〇〇八〜一二年の間に温室効果ガスの排出を全体で一九九〇年比で五・二%削減を目指し、先進国地域でそれぞれ削減率が定められた。が、米国の離脱や、経済成長著しい中国やインドに削減義務がないことをもって、その効果を危ぶむ声は根強い。もともと同議定書は完璧には程遠く、「ポスト京都」に向けてさらなる国際的議論を加えていくべきものだが、中印の扱いも焦点にはなってこよう。その辺りについて、明日香壽川・東北大教授は次のように述べる。
途上国、特に中国やインドの「参加問題」を考えると、明らかに理不尽なのは人口の大きさの無視である。たしかに、多くの排出量予測モデル計算が、途上国全体の排出量は二〇三〇〜二〇五〇年の間には先進国全体の排出量を超えるとしている。しかし、(中略)人口が一〇倍あれば、アウトプットが一〇倍あっても何らおかしくないはずである。
一人あたりの排出量の大きさの無視もおかしい。実際には、途上国は人口が一〇倍でもアウトプットはもっと小さい。なぜならば、一人あたりでは、先進国に住む人々は途上国に住む人々の数倍の温室効果ガスを出しているからである。例えば、米国は中国の約六倍、インドの約一〇倍を排出している(日本はそれぞれ約三倍と五倍)。すなわち、加害者責任(汚染者責任)という原則のもとでは、先進国の人々は数倍の責任を負っている。一方、中国だけで数千万人、世界全体では約一六億人がまだ無電化地域に住んでいるとされる。すなわち、人口増加中の途上国の人々に対して現時点で削減義務を課すのは、「人口制限を行い、電気を使っていない人間は永遠に電気を使うな」と命令することに等しいのである。
─豊かさと公平性をめぐる攻防 ─(『世界』二〇〇七年九月号)
このように、南北間の公平性の視点を欠いた地球温暖化の議論の方向性が正しくないことは特に強調しておきたい。『不都合な真実』がそこまでくさびを入れていないとしたら大変惜しまれる所だが、読者の賢明な判断を待つ、ということなのかも知れない。ところが今、現実社会には、地球温暖化防止を名目に掲げた、ある策動が地球規模で目立ちはじめている。
バイオ燃料ブームの実態
『不都合な真実』(書籍)では、「移動時の排出量を減らそう」と「燃費向上や代替燃料、ハイブリッド技術のさらなる革新」に期待を寄せる。「私たちは、トウモロコシや木材、大豆といった持続可能な作物から得られるさまざまなバイオ燃料など、その革新の応用例を目の当たりにしている」と。ところが今、このバイオエタノールやバイオディーゼルのバイオ燃料をめぐる動向が、急激に大問題になろうとしている。この問題に詳しい天笠啓祐氏の著述(『バイオ燃料 畑でつくるエネルギー』他)に沿って、概略を見ていきたい。
二〇〇六年から〇七年にかけて、世界的に穀物や飼料の価格が高騰した。特にトウモロコシの相場が米国で急騰、輸出品にも影響が及んでいる。大豆や菜種や小麦も高値が続いているという。バイオ燃料への移行こそがその原因だ。米国のトウモロコシの栽培面積は大幅に増加し、大豆は減っているという。地球温暖化対策を口実に、途上国の食料が車に奪われる、温暖化とは別次元の深刻な懸念が浮上しつつあるのだ。
バイオ燃料は主に自動車燃料に用いられる。脱地球温暖化と石油代替燃料の切り札として導入されたが。すなわち、バイオ燃料も燃やせば石油同様二酸化炭素を発生させるが、原料が植物である故に、成長過程では光合成で二酸化炭素を吸収する。よって二酸化炭素発生量は差し引きゼロと見なされる(実際は、燃料製造過程で化石燃料が相当量使用される)。京都議定書では、温室効果ガス削減率達成のために排出量を売買取引(国外で対策をとった削減分を自国でカウントできるシステム等)できる制度(京都メカニズム)が採用されたが、バイオ燃料もそれに該当することから急増したことが考えられる。環境問題に不熱心な現ブッシュ政権が突如「地球温暖化問題に」と言い出したこともあって、米国の食料・エネルギー戦略と見る識者もある。
そうした事情にてバイオ燃料はにわかに脚光を浴びているが、前述した途上国の食料を奪うこと以外にも、欠点は指摘される。まず、効率が非常に悪い。仮に日本の畑すべてにトウモロコシを栽培したとしてバイオエタノール生産は一千Klにしかならず、日本の自動車燃料消費量の約一割程度だ。実際、現段階の世界の生産量にして七割弱。また、トウモロコシから一・一〜一・五lのエタノールをつくるために一lの石油を必要とするという。その上、バイオエタノール車のlあたりの走行距離はガソリン車の六割程度、バイオディーゼル車は軽油車の九割程度にとどまる。途上国の食料を脅かす割に、燃料としての質は極めて悪い。
しかのみならず、驚くべきことに、地球温暖化対策にというバイオ燃料が、環境破壊ないし温暖化に一役買おうとする事実すらある。効率の悪さから広大な栽培敷地を求め、ブラジルではサトウキビ等の、マレーシアやインドネシアではアブラヤシ等の栽培のために、熱帯雨林の大量伐採が進んでいる。そしてこれらの地域では、暴力的な用地買収や立ち退き、劣悪な労働環境も伝えられる。一体何のためのバイオ燃料なのだろうか。
さらには、バイオ燃料用の作物が、安全面環境面で食料としては抵抗の大きかった遺伝子組み換え作物が主流になってくる、という大問題を抱える。製造効率を上げるためという口実が使われるようだ。よって、米国モンサント社に代表される多国籍企業によるアグリビジネスの独断場が労せずして用意されるわけだ。
京都議定書で九〇年比六%削減が課せられていながら六・四%増加(〇六年速報値)となった、つまり温暖化対策を本気で取り組む気のない日本政府は、削減率達成のために排出量取引の「京都メカニズム」を活用することになりそうだが、その有力な部分にバイオ燃料が組み込まれているという。こうして見てくると、バイオ燃料は地球温暖化対策を口実にした、「北」の「南」に対する収奪にほかならない、とまで思えてくる。
かように、ほとんど悪役となったバイオ燃料だが、顕在化したのはごく最近で『不都合な真実』以降であることは、ゴア氏の名誉のためにも押さえておきたい。とはいえ、こうした事態は、環境破壊や温暖化の元凶というべき自動車依存体質(省エネは勧めつつ)の基本を転換させるのを怠ったことから必然的に生じたものと思う。由々しきことに「環境にやさしい」「地球温暖化のために」と言って消費者にひとたび幻想を与えれば、そうでない実態があろうと、企業イメージを高め、売上も伸ばすことができるのだ。細心の注意を促すほかない。
『ダーウィンの悪夢』
こうした南北問題の観点から想起させられる表記のドキュメンタリー映画がある。少々本題からはずれるかも知れないが、本年(二〇〇七年)の中央教研会議に於ける講師・宮台真司氏の講演でも言及された内容にも関わるので紹介したい。
映画評論家の側面ももつ宮台氏が高い評価を与えたフーベルト・ザウパー監督によるこの映画は、舞台はタンザニア・ヴィクトリア湖。ナイルパーチという外来種の巨大肉食魚が、半世紀程前、湖に放流されたことから物語ははじまった。この白身の魚は在来の魚を食いつくし急速に繁殖していった。生態系は崩れ環境は悪化したが、ナイルパーチは「大金になる魚」として、EUへ(日本にも)輸出用にと加工工場もつくられ一大産業地域が形成された。EU諸国に空輸するために、旧ソ連地域からパイロットが巨大魚を満載させて往復するようになった。工場主や一部のビジネスマンは巨利を得た。一方、周辺住民は現金を求めてナイルパーチ漁に群がった。が、その多くは仕事にありつけず、貧困が広がっていった。やがて、生活のために女たちは、パイロットやビジネスマン、あるいは漁師たち目当てに娼婦となった。そしてエイズが発症、死と貧困を拡大させた。町にはストリートチルドレンが増えた。彼らはナイルパーチ梱包材でできた粗悪ドラッグに身をやつす。地元の人々にとってこの魚は高値で手が出ない。残り物の頭や骨を焼いたものを食す。その時に発生するアンモニアで失明する人も。EUからこの魚を運ぶためにやってきた飛行機から大量の武器(旧ソ連製小銃)が見つかった。アンゴラ紛争に絡む密売らしい。「アンゴラの子どもは、クリスマスに銃を贈られ、ヨーロッパの子どもはブドウをもらう」(映画の一シーン)
この映画は決して、東アフリカの地域にとどまる話でも、環境破壊の実態をドキュメントしただけの作品でもない。『ダーウィンの』という表題通り、現代社会に於ける適者生存・自然淘汰(ダーウィニズム)の極致をいやというほど見せつけられる。今や、現実社会がダーウィン的世界を超えるほどの、弱肉強食の生存競争を熾烈化させて恥じない姿をさらけ出しているのではないか。世界を覆う市場主義とグローバリゼーションは、デモクラシーと経済発展を掲げながら、「北」の「南」へのさらなる暴力と収奪を加えている。ところが、映画では工場主やパイトロット、「コンドームは勧めません」と言う牧師も含め、「悪人」は登場しない。皆それぞれの立場で「悪夢」の循環を歯車となって支えている。おぞましくもやるせない。が、私たちが「北」側に立っていることは自覚しなければならない。ナイルパーチは「白スズキ」の名で私たちの食卓にも上がっている。その代償が、貧困、エイズ、小銃なのだ。私たちはストリートチルドレンや娼婦たちと向き合うことができるだろうか。
ここは映画評論の場ではないし比較すべき事象でもないが、『不都合な真実』のメッセージは『ダーウィンの悪夢』の衝撃的事実の前にしぼんでしまうだろう。もちろん、省エネも節約も「できることから」もいいが、それがもてる「北」側の視点にとどまる限り、真の解決は望み得ないのではないか。地球温暖化問題も含めて。そして、前項にあげたバイオ燃料をとりまく直近の情況が、『ダーウィンの悪夢』に重なって見えてしまうことも付け加えておきたい。
結びとして
さて、小論を一旦まとめたい。
ゴア氏の『不都合な真実』で訴える地球温暖化問題は深刻さを増してきている。呼応するように、市民レベルでも(宗門レベルでも)関心が高まっている。私は、同書(映画)や危機の打開のための動き自体には理解同調したい。しかし、それが同書に示す「できるところから」程度にとどまり満足感を充足させるものに過ぎないのであれば、問題の解決にはさほど貢献しないだろうと思う。例えば車に過度に依存する生活様式はそのままにしての省エネ車への買い替えにどれだけの意味があるのか。一方、国際社会でも京都議定書を経て、その打開に向けて動き出してはいる。が、そこには温室効果ガス排出量取引を認める「京都メカニズム」の存在等、その効果が疑わしいものも含まれ、南北間の不平等という無視し得ない側面もある。最近脚光を浴びつつあるバイオ燃料もその一つと思われる。これは、効率の悪さに加え、熱帯雨林の大量伐採や遺伝子組み換え作物の導入といった、環境や安全に於ける懸念を増させる、本来の目的に逆行する可能性すら指摘される。映画『ダーウィンの悪夢』を彷彿させる南北問題が拡がる恐れも否定できない。
最後に、宗門教師としてこうした問題に臨む根拠を示す必要があるのかも知れない。私たちにとって馴染みの深い自我偈では早速「衆生見劫盡 大火所焼時 我此土安穏 天人常充満 園林諸堂閣 種種寶荘厳 寶樹多花果 衆生所遊楽」あるいは「我浄土不毀 而衆見焼盡 憂怖諸苦悩 如是悉充満」が目に飛び込む。三毒にまみれた私たちが自らの手で滅びようとしている姿と、久遠の釈尊の浄土の姿を対比して表出しているもの、と理解している。「少欲知足」『普賢菩薩勧發品』は何度も引用されてきている。
言うまでもないが、釈尊や宗祖の時代には地球温暖化問題はあるはずがない。ただ、人間(衆生)の貪・瞋・癡のあさましさは共有されていた。それが、今や地球大に拡がろうとしているわけだ。つまり、省エネ節電はそのスタート地点だとしても、人間のあり方を見つめ信仰の寸心を改めない限り、解決の道はない。いわば、そこにこそ今日の私たちが関わっていかなければならない役割が用意されていると思量する。
とはいえ、現代の諸相は複雑化している。たとえ動機に悪気がなくとも結果に於いて悲惨な事態を導くことも、バイオ燃料のケース(極端には『ダーウィンの悪夢』に見る通り)に於いても起こり得ることを心すべきだろうと思う。これなどは、宗門の前に掲げた『環境・平和・いのち』が互いに連関して動いていることを如実に示す。また、南條兵衛七郎殿御書に於ける宗祖の次の指摘も想起する。「悪は愚癡の人も悪としればしたがはぬ邊もあり。火を水を以てけすが如し。善は但善と思ふほどに、小善に付て大悪の起る事をしらず。:善なれども大善をやぶる小善は悪道に墮るなるべし」誰の眼にも明らかな悪ははっきりと拒否できるが、説得力をもった大義名分に幻惑されて善と思わされ、「小善」を修した結果、大悪に加担してしまった、というケースは跡を絶たないのではないか。
宗門運動「立正安国・お題目結縁運動」推進の中で、特に立正安国の「国」に対する理解をどう求めるのか、これまでにもあったように、議論の機会は多そうだ。そこで留意すべきは、「宗祖の立正安国」ということだろう。決して「立正安家庭」と読み替えてはいけないと考えている。「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(宮沢賢治)のなら。
【参考図書・記事】
◇『宗報』二二九号(平成一九年四月号) (日蓮宗)
◇『不都合な真実ECO入門編』アル・ゴア(枝廣淳子=訳)(ランダムハウス講談社)
◇映画『不都合な真実』パンフレット(株式会社博報堂DYメディアパートナーズ)
◇『知恵蔵』二〇〇七(朝日新聞社)
◇「原発増設で温暖化対策という過ち」拙稿(『現代宗教研究』第四〇号 日蓮宗現代宗教研究所)
◇『トヨタの正体』横田一・佐高信・週刊金曜日取材班(株式会社金曜日)
◇『トヨタの正体続』週刊金曜日編(株式会社金曜日)
◇『原子力市民年鑑』二〇〇七(原子力資料情報室 編)
◇「本当の『不都合な真実』を知ろう」拙稿 (『鳴り砂』二─〇三三号 みやぎ脱原発・風の会)
◇「豊かさと公平性をめぐる攻防」明日香壽川 (『世界』二〇〇七年九月号)
◇『バイオ燃料 畑でつくるエネルギー』天笠啓祐(コモンズ)
◇『これから起こる原発事故』(宝島社)
◇映画『ダーウィンの悪夢』パンフレット(ピターズ・エンド)