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現代宗教研究第42号 2008年03月 発行

『立正安国論』における戒律思想

 

『立正安国論』における戒律思想
 
小 瀬 修 達
 
 本稿は、第一節に「宗祖の戒律思想」として、日蓮聖人の戒律思想の初期から完成に至るまでを俯瞰し、第二節に「草案『災難興起由来』『災難対治鈔』と『立正安国論』の戒律思想の展開」として、草案とされる『災難興起由来』『災難対治鈔』と『立正安国論』の第四〜七問答の関連性を検証、第三節に「『立正安国論』における『涅槃経』正法護持思想の展開」として、『立正安国論』の第七〜八問答にみられる『涅槃経』正法護持思想の展開と以降の結論を考察し、第四節に『立正安国論』における戒律思想を全体を通して論証し結論とする。
 
一、宗祖の戒律思想
 
 日蓮聖人の戒律思想は、次に示す経緯を経て成立した。
 宗祖は、初期の研究である『戒体即身成仏義』において戒律の根本を五戒とし、法華経開会に基づく持経即持戒(五戒受戒)の即身成仏を説き、『止観弘決』の文より五戒と五常五行の相関性を説かれた。この様に、宗祖の初期研究の主題は戒律思想にあったのである。
 以降、『守護国家論』においては、『法華経』「宝塔偈」に基づき、「末代において四十余年の持戒なし。ただ法華経を持つを持戒となす。」(昭和定本九五頁)と、 末法の衆生は、「持経即持戒」であるとし、『涅槃経』を法華経の戒の流通分として「正法護持」を説かれた。すなわち、末法において法華経を護り持つことが持戒であるとの認識を持たれたのである。
 『立正安国論』の草案とされる『災難興起由来』『災難対治鈔』では、法然の破戒行為の対策として、『涅槃経』所説の破戒者(念仏者)=一闡提に対する布施の禁止を説かれた。また、『止観弘決』の文より五戒と五常五行の相関性を災難が起こる原理として説明した。
 『立正安国論』では、『守護国家論』に示された「持経即持戒」「正法護持」の立場から、法然の『撰択集』所説「捨閉閣抛」の法謗を「破戒」と見做して対峙し、念仏者(破戒者)に対する布施の禁止を説かれた。
 以降、宗祖の「持経即持戒」の思想は、『観心本尊抄』において『法華経』の功徳が妙法五字に集約され、題目受持の智慧行に戒・定・慧の三学を具備する事により完成する。
 以上の様に、宗祖の戒律思想を俯瞰すると、佐前における『立正安国論』へと至る思想には、戒律思想が基調にある事が推測し得るのである。    
 
 次に、前掲の個々の御遺文にみられる戒律思想を考察する。
 
『戒体即身成仏義』仁治三年(一二四二年)宗祖二一歳、鎌倉遊学中の研究成果。
 大乗・小乗のあらゆる戒律の根本は五戒であるとし、 法華開会の戒体として「此経を意得る者は、持戒・破戒・無戒皆開会の戒体を発得する也。経に云く〔是を戒を持ち頭陀を行ずる者と名く〕云云。」、「 五戒を以て得六根・六境・六識不改押へて仏因と開会する也。」、「九界の衆生の身仏因と習へば五戒即仏因也。」、「法華経の悟と申は易行の中の易行也。只五戒の身を押へて仏因と云事也。五戒の我体は即身成仏とも云れる也。」、「此五戒を十界具足の五戒と知る時、我身に十界を具足す。我身に十界を具すと意得る時、欲令衆生仏之知見と説て、自身に一分の行無して即身成仏する也。」と、法華経開会に基づく持経即持戒(五戒受戒)の即身成仏(五戒を保つ衆生の戒体においても九界具仏界が開会され十界互具が成立し即身成仏する)を説かれた。また、『止観弘決』「世法の法薬」の解説文を上げ、五戒と五常五行の相関性(五常五行即五戒)を説き、「五戒破るれば此国土次第に衰へ、又重て五戒を持たずして此身の上に悪業を作れば、五戒の戒体破失して三途に入るべし。是凡夫の戒体也。」と、五戒を破戒すると戒体が破され天地人の陰陽五行説に基づく相関性が崩れて国土や人民に災難が起こると説かれた。(昭和定本一〜一五頁)
 
『守護国家論』正元元年(一二五九年)宗祖三八歳
 「法華経に云く、〔此の経は持ち難し、もし暫くも持つ者は、我即ち歓喜す、諸仏もまた然なり、かくのごときの人は諸仏の歎めたもうところなり、これ則ち勇猛なり、これ則ち精進なり、これを戒を持ち、頭陀を行ずる者と名づく〕【末代において四十余年の持戒なし。ただ法華経を持つを持戒となす。これ三】。」(昭和定本九五頁)と、『法華経』「宝塔偈」に基づき、末法の衆生は「持経即持戒」との認識を持たれた。また、
 「涅槃経に云く、〔乗において緩なる者は、乃ち名づけて緩となす。戒において緩なる者をば名づけて緩とせず。菩薩摩訶薩、この大乗において心懈慢せずんば、これを奉戒と名づく。正法を護るがために、大乗の水をもつて自ら澡浴す。この故に菩薩破戒を現ずといえども、名づけて緩となさず〕【この文は法華経の戒を流通する文なり。これ四】。」(昭和定本九五頁)と、『涅槃経』は法華経の戒の流通分であるとして、「正法護持」すなわち、正法(法華経)を護り持つことが持戒である(正法護持即持戒)と、「持経即持戒」の具体的方法論を示された。
 
『災難興起由来』『災難対治鈔』正元二年(一二六〇年)宗祖三九歳、『立正安国論』草案。
 法然の『撰択集』所説「捨閉閣抛」の信仰姿勢を倫理道徳である五常の崩壊=五戒の破戒とみて、『摩訶止觀』所説「世法の法薬」(『戒体即身成仏義』の『止観弘決』の文は、この文の解説部分)の文を上げ、仏法流布以前の五常が仏法の五戒となる経緯や、五常五行と五戒の相関関係(五常五行即五戒)により災難が起こる理由をを説明する。この様な思想が『立正安国論』の内在原理となったと考えられる。法然の破戒行為の対策として、『涅槃経』所説の破戒者(念仏者)=一闡提に対する布施の禁止を説く。(昭和定本一五八〜六二頁、一六八〜七一頁)
 
『立正安国論』文応元年(一二六〇年)宗祖三九歳
 『災難興起由来』『災難対治鈔』と同様、法然の『撰択集』所説「捨閉閣抛」の信仰姿勢を破戒行為=一闡提と規定し、『守護国家論』に示された『涅槃経』所説の「正法護持」が「持戒」であるとの立場から、破戒者(念仏者)=一闡提に対する布施の禁止を説く。
 同年の『十法界明因果鈔』では、法華経の「相待妙戒」と「絶待妙戒」を説き、「相待妙戒」では、爾前経の歴劫修行戒と法華経の速疾頓成戒を対判し、「絶待妙戒」では、「爾前の戒即法華経の戒也」と、開会の立場から、「故に爾前の十界の人法華経に来至すれば皆持戒也。故に法華経に云く[是名持戒]文。」「爾前経の如く師に随って戒を持せず、但此経を信ずるが即ち持戒也。」と、「持経即持戒」を説かれた。(昭和定本一八一〜三頁)
 
『観心本尊抄』文永十年(一二七三年)宗祖五二歳
 『守護国家論』以来、「持経即持戒」「正法護持」の「持経」の持戒思想から、『観心本尊抄』では、「釈尊の因行・果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等この五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与えたもう。」(昭和定本七一一頁)と、『法華経』の功徳は、妙法五字に集約され、題目受持の智慧行に戒・定・慧の三学を具備することから、題目を心口意三業に受持することが持戒である(題目受持即持戒)として戒律思想が完成する。
 
※以上の宗祖の戒律思想の進化の過程を図示すると次の様になる。
 
 『戒体即身成仏義』…『摩訶止觀』五常五行即五戒=法華開会戒体
   ↓        ↓
                         『法華経』持経即持戒
 『守護国家論』……………………………………………
                         『涅槃経』正法護持即持戒
   ↓        ↓             ↓     (法華経戒流通分)     
 『災難興起由来』
         ……『摩訶止觀』五常五行即五戒
 『災難対治鈔』
   ↓        ↓             ↓
 『立正安国論』………(内在原理)…………………『涅槃経』正法護持即持戒
   ↓
 『観心本尊抄』……… 妙法五字受持即持戒(三学具備)
 
二、草案『災難興起由来』『災難対治鈔』と『立正安国論』の戒律思想の展開
 
 前節の戒律思想を背景として、『立正安国論』は、「持経即持戒」「正法護持」の立場から、法然の『撰択集』所説「捨閉閣抛」の法謗を「破戒」と見做して対峙したものであるが、第二節では、『立正安国論』の草案である『災難興起由来』や『災難対治鈔』所説の理論が、実際に『立正安国論』へと組み込まれる過程を検証する。
 
 『立正安国論』の草案とされる『災難興起由来』や『災難対治鈔』に説かれる、法然の『選択集』所説の念仏信仰が流行し、現実の世界に災害や疫病等の災難が起こるまでの順序とその解決策を示すと、次の様になる。 
 
 ㈰『選択集』の念仏信仰をする。
    ↓
 ㈪「捨閉閣抛」阿弥陀仏以外の仏・経を信仰せず供養しない。
    ↓               ↓
 ㈫礼儀道徳が欠如した行為をとる。 `㈫旧来寺院の荒廃→聖人善神捨国→悪鬼致災
    ↓                                                
 ㈬五常(仁・義・礼・智・信)を破る。
    ↓
 ㈭五戒(不殺生・不偸盗・不邪婬・不妄語・不飲酒)を破る。
    ↓
 ㈮世の中に地震・飢饉・疫病等の災難が起こる。
    ↓
 ㈯『選択集』の法謗・破戒を『涅槃経』所説の一闡提=破戒者と規定する。
    ↓
 ㉀災難を止める対策として『涅槃経』所説の一闡提(念仏者)への布施の禁止を示す。
 
 以上の『災難興起由来』『災難対治鈔』所説の㈰〜㉀に至る次第は、『立正安国論』の第四〜七問答所説の次第に該当するが、両者の関連性を ㈰→㈪→㈫`㈫、 ㈬→㈭→㈮、 ㈯→㉀ の順にみてゆく事とする。
 
㈰『選択集』念仏信仰→㈪「捨閉閣抛」→㈫礼儀道徳欠如 `㈫旧来寺院の荒廃、聖人善神捨国
 
 『災難興起由来』
「故に今の世の変災も、また国中の上下万人、多分に撰択集を信ずる故なり。弥陀仏より外の他仏・他経において、拝信を至す者においては、面を背けて礼儀を至さず、言を吐いて随喜の心なし。故に国土人民において、殊に礼儀を破り、道俗禁戒を犯す。」(昭和定本一五八頁)
 『災難対治鈔』
「今これを勘うるに、日本国中の上下万人、深く法然上人を信じてこの書をもてあそぶ。故に無智の道俗、この書の中の捨閉閣抛等の字を見て、浄土の三部経・阿弥陀仏より外の諸経・諸仏・菩薩・諸天善神等において、捨閉閣抛等の思をなし、彼の仏・経等において供養・受持等の志を起さず、還つて捨離の心を生ず。故に古の諸大師等の建立するところの鎮護国家の道場、零落せしむといえども、護惜建立の心なし。護惜建立の心なきが故にまた読誦供養の音絶え、守護の善神も法味を嘗めざる故に、国を捨てて去り、四依の聖人も来らざるなり。」 (昭和定本一六八頁)
 
 『立正安国論』【第四問答・答】
「しかるを法然の選択によつて、すなわち教主を忘れて西土の仏駄を貴び、付属を抛ちて東方の如来を閣き、ただ四巻三部の経典を専らにして、空しく一代五時の妙典を抛つ。ここをもつて、弥陀の堂にあらざれば皆供仏の志を止め、念仏の者にあらざれば早く施僧の懐を忘る。故に仏堂零落して瓦松の煙老い、僧房荒廃して庭草の露深し。しかりといえども、各護惜の心を捨てて、並に建立の思を廃す。ここをもつて住持の聖僧行きて帰らず。守護の善神去りて来ることなし。これ偏に法然の選択に依るなり。」(昭和定本二一七頁)
 
 ㈰『選択集』の念仏信仰をすると、「捨閉閣抛」の教えを実行し、㈪阿弥陀仏以外の仏・経を信仰せず供養しなくなると、`㈫旧来の寺院が没落し荒廃する。㈫これは、神仏に対する礼儀の欠如であると共に、世の中に倫理崩壊をもたらした。また、`㈫供養しなくなる事により守護の善神・聖人が国を捨て去ることとなる。
 
㈬五常を破る→㈭五戒を破る→㈮災難が起こる
 
A『災難興起由来』『災難対治鈔』
 
 「答えて曰く、仏法いまだ漢土に渡らざる前は、黄帝等五常を以て国を治む。その五常は、仏法渡りて後にこれを見れば、すなわち五戒なり。老子・孔子等もまた仏遠く未来を鑑み、国土に和し、仏法を信ぜしめんがために遣すところの三聖なり。夏の桀・殷の紂・周の幽等の、五常を破つて国を亡すは、すなわち五戒を破るに当るなり。また人身を受けて国主と成るは必ず五戒・十善に依る。外典は浅近の故に過去の修因・未来の得果を論ぜずといえども、五戒・十善を持ちて国王と成る。故に人五常を破ることあれば、上天変頻に顕れ、下地夭間侵すものなり。」
『災難興起由来』(昭和定本一五八頁)
 
 「答えて曰く、彼の時もまた災難あり。云く、五常を破り、仏法を失いし者これあるが故なり。いわゆる周の宇文・元嵩等これなり。難じて曰く、今の世の災難も五常を破りしが故にこれ起るといわば、何ぞ必ずしも選択集流布の失に依らんや。
 答えて曰く、仏法已前に五常をもつて国を治むるは、遠く仏誓をもつて国を治むるなり。礼儀を破るは仏の出したまえる五戒を破るなり。」 『災難対治鈔』(昭和定本一六八頁)
 
経 証
 「問うて云く、何を以てこれを知る。仏法いまだ漢土に渡らざる已前の五常は、仏教の中の五戒たること如何。答えて曰く、金光明経に云く、〔一切世間の所有の善論は皆この経による〕と。法華経に云く、〔もし俗間の経書・治世の語言・資生等を説くに皆正法に順ず〕と。普賢経に云く、〔正法をもつて国を治め、人民を邪枉せず、これを第三の懺悔を修すと名く〕と。涅槃経に云く、〔一切世間の外道の経書は、皆これ仏説にして外道の説に非ず〕と。止観に云く、〔もし深く世法を識れば、即ちこれ仏法なり〕と。弘決に云く、〔礼楽前に馳せ、真道後に啓く〕と。広釈に云く、〔仏三人を遣して旦く真旦を化し、五常を以て五戒の方を開く。(以下略)〕」
『災難興起由来』(昭和定本一五八〜九頁)、『災難対治鈔』(昭和定本一六九頁)
 
 この様に、㈬五常・㈭五戒を破す事により㈮災難が起きるという相関性については、『災難興起由来』『災難対治鈔』に経証として引用された『止観・弘決』の文の周辺に、その説明が見られる。前御遺文中の文(経証)は、次の『止観・弘決』の文中の文にそれそぞれ該当する。
 
『摩訶止觀』  巻第六上 四破法遍    世間の法薬
 「釈論に云く、〔(中略)衆生も亦爾なり、まさに三途に堕すべきに、聖人が愍念して世の善法を以て、権にこれを接引して悪趣を免がれしむ。然るに世の法薬は、凡愚は本より自ら知らざるも、皆これ聖人が迹を託して凡に同じ、無仏の世に出でて董蒙を誘誨したまうなり〕と。
大経に云く、〔一切世間の外道の経書は、みなこれ仏説なり、外道の説に非ず〕と。
金光明に云く、〔一切の世間の所有の善論は、みなこの経に因る。もし深く世法を識れば、すなわちこれ仏法なり〕と。
 なにをもっての故ぞ。十善を束ぬればすなわちこれ五戒なり。深く五常五行を知るは、義また五戒に似たり。仁慈矜養して他を害せざるは、すなわち不殺戒なり。義譲推廉にしておのれを抽いてかれに恵むは、これ不盗戒なり。礼制親規矩、髪を結い親を成すは、すなわち不邪婬戒なり。智鑒明利、所為秉直にして道理に中当するは、すなわち不飲酒戒なり。信は実録に契い誠節欺むかざるは、これ不妄語戒なり。周孔はこの五常を立てて世間の法薬となし、人の病を救治す。
 また五行は五戒に似たり。不殺は木を防ぎ、不盗は金を防ぎ、不婬は水を防ぎ、不妄語は土を防ぎ、不飲酒は火を防ぐ。また五経は五戒に似たり、礼は節に趣くことを明かす、これは飲酒を防ぐ。楽が心を和するは淫を防ぎ、詩が風刺するは殺を防ぎ、尚書が義譲を明かすは盗を防ぎ、易が陰陽を測るは妄語を防ぐ。是の如き等の世智の法、精しくは其の極に通ず、能く逾ゆることなく、能く勝るることなし、咸く信伏せしめて而して之を師導す。」
(仏教体系『摩訶止觀』第四、一五七〜九頁)
 
『止観輔行伝弘決』 巻第六の二 (前文の解釈) (『戒体即身成仏義』昭和定本三頁)
「また、【五行は五戒に似たり】とは、略して白虎通・博物誌の意を以て其の相を会釈せば、木は東方を主どり、東方は肝を主どり、肝は眼を主どり、眼は春を主どり、春は生を主どる。生存ずれば則ち木安ず。故に不殺は以て木を防ぐを云う。金は西方を主どり、西方は肺を主どり、肺は鼻を主どり、鼻は秋を主どり、秋は収を主どる。収蔵すれば則ち金安ず。故に不盜は以て金を防ぐ。水は北方を主どり、北方は腎を主どり、腎は耳を主どり、耳は冬を主どる。婬盛すれば則ち水増す。故に不婬は以て水を禁ず。土は中央を主どり、中央は脾を主どり、脾は身を主どる。土は四季に王たり。故に提謂経に云く、不妄語は四時の如し。身は四根にねし。妄語亦爾なり。諸根にじて、心に違して説くが故に。火は南方を主どり、南方は心を主どり、心は舌を主どり、舌は夏を主どる。酒乱ずれば火を増す。故に不飲酒は以て火を防ぐ。」(仏教体系『摩訶止觀』第四、一六〇頁)
『白虎通』…後漢代の五経の解説書、五行篇に五行説を説く。
『摩訶止觀』  巻第六下 四破法遍 
「元古混沌として未だ出世に宜しからず、辺表の根性は仏の興るを感ぜず、われ三聖を遣わしてかの真丹を化せしむ、`礼義まえに開き、大小乗の経はしかしてのちに信ずべしと。真丹すでに然れば十方もまた爾なり。故にまえに世法をもちいてこれを授与す。」
『止観輔行伝弘決』 巻第六下 (前文の解釈)
「佛教の流化實に茲に頼る。禮樂前に驅せ、眞道後に啓く。」
「三聖」…孔子・老子・顔回(孔子の弟子) (仏教体系『摩訶止觀』第四、一七六頁)
 これ等の文章は、『摩訶止觀』十乗観法中、第四破法遍の中、空より仮の現実に出た「入仮」の菩薩が、世間の衆生の煩悩に覆われた状態を「病」に見立て、仏法を「薬」として施す方法を説くものであり、三種の法薬の内、「世間の法薬」を説くものである。前御遺文中に経証として挙げられたの文は、この『止観・弘決』の文中のにそれぞれ該当する事から、この『摩訶止觀』「世間の法薬」所説の理論が、『災難興起由来』や『災難対治鈔』に説かれる五常が五戒となる経緯や、五常・五戒を破す事により世間に災難が起きるという相関性に内在する理論として用いられている事が確認できる。    
 「十善を束ぬればすなわちこれ五戒なり。深く五常五行を知るは、義また五戒に似たり。」  仏教伝来以前、「聖人が迹を託して凡に同じ、無仏の世に出でて董蒙を誘誨したまうなり」と、聖人が無仏の世に出でて、衆生に五常五行等を説き仏法伝来の先駆けとして教え導いてきたのである(「禮樂前に驅せ、眞道後に啓く。」)から、仏法伝来して五戒が弘まれば、世法の五常五行は仏法の五戒であったことが理解できるとする。この経証としてを上げているのである。〔等、儒道思想を仏法伝来の先駆けとみる思想は、『開目抄』(昭和定本五三六頁)に同文が引用される通り、佐後の思想に受継がれる事となる。〕
 
 次の表・図は、前掲『摩訶止觀』『止観輔行伝弘決』(仏教体系『摩訶止觀』第四、一五七〜一六〇頁)「深く五常五行を知るは、義また五戒に似たり。」以下に説かれる五戒【仏法】と五常・五経・五行等【世法】の相関関係を図示したものである。
 
 
 
【仏法】^t【世法】〔相生・相剋図〕
五 戒^t五常 五経 五行 五方 五臓 五識 五時  
不殺生戒^t仁  詩  木  東  肝  眼  春   
不偸盗戒^t義  尚  金  西  肺  鼻  秋   
不邪婬戒^t礼  楽  水  北  腎  耳  冬   
不飲酒戒^t智  礼  火  南  心  舌  夏   
不妄語戒^t信  易  土  中央 脾  身  土用 
 
 「但だ五と説くは、是れ天地の根、太乙の始め、神気の始めなり。以て天地を治し、陰陽を制御し、萬物を成就す。衆生の霊なり。天之を持して陰陽を和し、地之を持して萬物を生ず。人之を持して五臓を安んず。天地の神、萬物の祖なり。是の故に但だ五なり。」『止観輔行伝弘決』  仏教体系『摩訶止觀』第四、一五九頁
 春秋戦国時代成立、陰陽五行説では、万物生成の根源である太極が陰陽二気に分かれ、さらに陰の強弱(水・金)、陽の強弱(火・木)、中間(土)の五分したものが「五行」であり、この五行が各強弱に分化すると十干十二支、さらに各強弱に分化すると二十四節気となり、この間に万物が生成されるという。したがって、万物には五行の元気が内在し、五行には、木から火を、火から土を、土から金を、金から水を、水から木を生ずる「相生」と、木は土に、土は水に、水は火に、火は金に、金は木に剋つ「相剋」という二種の関係(〔相生・相剋図〕参照)があり、「相生」「相剋」のバランスを保つことで万物に内在する五行の調和が保たれるとする。
 儒教においては、前漢代の董仲舒が、当時流行した五行説の影響を受けて仁・義・礼・智の四徳に信を加え、仁・義・礼・智・信の五徳(五常)とし、五行に配当したものが始まりであるという(『中国哲学』宇野哲人)。以降、国王が五常を保つ政治を行うことで天地人の五行が相関して整い、平和な世の中となる説が成立する(「黄帝等五常を以て国を治む」)。『立正安国論』で云う「羲農之世」(昭和定本二二四頁)である。これに対し、五常を破す行為は、天地人の五行が相関して乱れ、世の中に災難をもたらす事となり(「故に人五常を破ることあれば、上天変頻に顕れ、下地夭間侵すものなり」)、国を亡ぼす(「五常を破つて国を亡す」)。  
 この様な、中国古典の五行相関・天人相関説に基づく、国王を中心とし、倫理道徳と一体となった政治理念(徳治政治)の把握が、宗祖の鎌倉幕府前執権(国主)への『立正安国論』上奏の契機となった訳である。
 天台教学において、前記の「深く五常五行を知るは、義また五戒に似たり。」と、五常五行を五戒と会通する思想は、法華経の開会思想中、「就類種開会」に属するものである。つまりは、同種類のものにおける開会であり、この場合、【佛法】の五戒の下に五常・五経等儒教を始とした中国思想を【世法】として開会する事から、「俗諦開会」でもある。開会以後(仏法伝来以後)、【仏法】である「五戒」を守る事で、【世法】である天地人の「五行」の相関性を統制する事となるのである。
 「今の世の災難も五常を破りしが故にこれ起るといわば、何ぞ必ずしも選択集流布の失に依らんや。答えて曰く、仏法已前に五常をもつて国を治むるは、遠く仏誓をもつて国を治むるなり。礼儀を破るは仏の出したまえる五戒を破るなり。」『災難対治鈔』(昭和定本一六八頁)
 この様に、前記『摩訶止觀』所説の五戒と五常五行の相関性を説く「就類種開会」の思想を根拠として、㈰㈪法然の『選択集』に基く念仏信仰により、㈫国民が礼儀を失い㈬「五常」㈭「五戒」を破すと天地人に相関する「五行」が乱れて㈮世の中に災難が起きると説明された訳である。
 以上の経緯を以て、㈰選択集流布→㈪「捨閉閣抛」→㈫礼儀を破る→㈬五常を破る→㈭五戒を破る→㈮災難が起きる。と、なるのである。
 
 宗祖二十一歳の著作とされる『戒体即身成仏義』(昭和定本三頁)において、『止観輔行伝弘決』の五常五行即五戒の解説文(前掲)を上げ、五戒と五常五行の相関性を説き、「五戒破るれば此国土次第に衰へ、又重て五戒を持たずして此身の上に悪業を作れば、五戒の戒体破失して三途に入るべし。是凡夫の戒体也。」と、五戒を破戒すると戒体も破して天地人の陰陽五行説に基づく相関性が崩れて国土や人民に災難が起こると説かれた。すなわち、【世法】に内在する五行の元気を【仏法】の定具戒における受戒により発得する「戒体」すなわち防非止悪の力(無表色)へと開会する事により、【仏法】の五戒の戒体が【世法】へと相関して与える影響を説かれた訳である。
 この様な宗祖の初期思想にみられる『摩訶止觀』「世間の法薬」所説の五戒と五常五行の相関性を説く理論が、『災難興起由来』『災難対治鈔』に応用された事が理解できる。
 真蹟図録では、三五『五行事』(昭和定本二九一八〜二一頁)に五戒と他の五行を同様に配当した図が見られる。
 
 B『立正安国論』
 【第五問答・答】
 「止観の第二に史記を引いて云く、〔周の末に被髪袒身にして礼度に依らざる者あり〕と。弘決の第二にこの文を釈するに、左伝を引いて曰く、〔初め平王の東遷するや、伊川に髪を被る者、野において祭るを見る。識者の曰く、百年に及ばじ、その礼先ず亡びぬ〕と。ここに知りぬ。徴前に顕われ、災後に致ることを。また〔阮藉逸才にして蓬頭散帯す。後に公卿の子孫皆これに教い、奴苟相辱しむる者を方に自然に達すといい、節競持する者を呼んで田舎となす。司馬氏の滅ぶる相となす〕と〈已上〉。また慈覚大師の入唐巡礼記を案ずるに云く、〔唐の武宗皇帝の会昌元年、勅して章敬寺の鏡霜法師をして、諸寺において弥陀念仏の教を伝えしむ。寺毎に三日巡輪すること絶えず。同二年、回鶻国の軍兵等、唐の堺を侵す。同三年、河北の節度使忽ち乱を起す。その後、大蕃国また命を拒み、回鶻国重ねて地を奪う。およそ兵乱は秦項の代に同じく、災火は邑里の際に起る。いかにいわんや、武宗大に仏法を破し、多く寺塔を滅す。乱を揆むること能わずして、遂にもつて事あり〕と〈已上取意〉。」(昭和定本二一八頁)
 『災難興起由来』『災難対治鈔』では、㈫礼儀を破る→㈬五常を破る→㈭五戒を破る→㈮災難が起きる。という経緯を『摩訶止觀』巻第六上「世間の法薬」所説の五戒と五常五行の相関性を説く理論で説明したが、『立正安国論』では、この文は用いず、『摩訶止觀』巻第二下「止観大意」所説の文が引用されている。『史記』(前漢、司馬遷著)の引用文の前文は、正しい観心を行じず悪法につく師が、「持戒修善の者を笑って、謂て非道と言い、純ら諸人に教えてく衆悪を造らしむ。」「その所説を聞くにその欲情に順ずればみな信伏随従し、禁戒を放捨し、」と、衆生に対し破戒行為を指導した為、遂に仏法を滅し国を亡ぼしたとあり(仏教体系『摩訶止觀』第二、四九〜五四頁) 、その例として、『史記』の文を引いたものである。
 『止観・弘決』の『史記』『左伝』(春秋左氏伝)より ㈫礼儀を破る→㈮災難が起きる。国が滅ぶ。『入唐求法巡礼行記』より、念仏を弘める→㈮災難が起きる。国が滅ぶ。と、『立正安国論』では、『摩訶止觀』巻第六上「世間の法薬」の文を用いていないが、五戒と五常五行の相関性を説く理論は内在原理に留められたのであろう。直接的には、次に示す理由が考えられる。
 
 『断177』(真蹟断簡)                 
「正嘉元年太歳丁巳八月廿三日戍亥尅先代□□大地振外典者種々勘文雖爾□他国此の国を責む可しと之□勘文之無し。日蓮あに□□みをなすところ正嘉二年戊午八月一日大風、同三年己未飢饉、正元元年己未 同三年庚申
流罪せられ 弘長三年癸亥二月廿四日御赦免。文永元年甲子七月上旬の四五日、東方に彗星出て光□□大体一国に満つ。陰陽家一々勘文す。然りと雖も止絶他国此国□□□知之但助利一人知□□人不用之如是次第、文永□年□今年文永五年戊辰正月上旬 豊前□□□至以蒙古国朝状を以て□□鎌倉殿。日蓮の勘文宛も符契の如し。」
(「昭和定本」二五三三頁)
 右文の内容は、正嘉元年より文永元年に至る天変地異(正嘉元年大地震・正嘉二年大風・正嘉三年飢饉・文永元年東方に彗星出現)に対する陰陽師等の「勘文」には、「他国侵逼難」の予言は無く、宗祖の『立正安国論』のみがこの「他国侵逼難」(蒙古襲来)を的中させたとの意味であるが、この様に、陰陽師等が天変地異に対する所見を鎌倉幕府へ「勘文」として提出していたことが認識できる。
 陰陽師は、陰陽五行説に基づいた天文観測の結果を「勘文」として鎌倉幕府に提出していた為、宗祖は、「私的勘文」である『立正安国論』において陰陽師等との理論の競合を避け、仏説である自論との差別化を図る為、陰陽五行説を含む『摩訶止觀』巻第六上「世間の法薬」の説を内在原理に留めて省略し、『止観・弘決』所説の『史記』『左伝』の文を引用されたものと考えられる。これ等の作業は、儒者として中国古典に造詣の深い大学三郎の校正を受けた際に助言を得て行われたものと考えられる。
 
㈯『選択集』法謗・破戒を『涅槃経』一闡提=破戒者と規定→㉀一闡提(念仏者)への布施の禁止
 
 A『災難興起由来』『災難対治鈔』
 
 「問うて曰く、如何が対治すべき。答えて曰く、治方また経にこれあり。涅槃経に云く、〔仏言く、ただ一人を除きて余の一切に施せ○正法を誹謗してこの重業を造る○ただかくのごとき一闡提の輩を除きて、その余の者に施さば、一切讃歎すべし〕と〈已上〉。この文のごとくんば、施を留めて対治すべしと見えたり。この外にもまた治方これ多し。具に出すに暇あらず。問うて曰く、謗法の者において供養を留め、苦治を加うるに罪ありやいなや。答えて曰く、涅槃経に云く、〔今無上の正法をもつて、諸王・大臣・宰相・比丘・比丘尼に付属す○正法を毀る者をば、王者・大臣・四部の衆、まさに苦治すべし○なお罪あることなけん〕と〈已上〉。
 問うて曰く、汝僧形をもつて比丘の失を顕すは罪業にあらずや。答えて曰く、涅槃経に云く、〔もし善比丘ありて法を壊る者を見て、置いて呵責し駈遣し挙処せずんば、まさに知るべし、この人は仏法の中の怨なり。もし能く駈遣し呵責し挙処せば、これ我弟子真の声聞なり〕と〈已上〉。予、この文を見るが故に、仏法中怨の責を免れんがために、見聞を憚からず、法然上人並に所化の衆等の阿鼻大城に堕つべき由を称す。」『災難対治鈔』(昭和定本一七〇〜一頁)、 同引用文『災難興起由来』(昭和定本一六一〜二頁)
 
 ㈯『選択集』所説「捨閉閣抛」の法謗・破戒を『涅槃経』所説の一闡提と規定し、㉀災難を止める対策として『涅槃経』所説の一闡提(念仏者)への布施の禁止を示す(「施を留めて対治すべし」)。『立正安国論』では、『涅槃経』の「破戒とは謂く、一闡提なり。」との文(引用文の直前の文)を上げ、念仏者が破戒者であることを明白にしている。
「問うて曰く、謗法の者において供養を留め、苦治を加うるに罪ありやいなや。」
「問うて曰く、汝僧形を以て比丘の失を顕すは、あに不謗四衆と不謗三宝との二重の戒を破るにあらずや。」
 念仏者への布施を禁止する行為自体「破戒」ではないか。答えとして、「正法を毀る者」「法を壊る者を見て、置いて呵責し駈遣し挙処」すること、つまりは、破戒者に対して呵責し制することを正しい行為とする『涅槃経』の「正法護持」の精神を示し、「仏法中怨の責を免れんがために」をその理由としている。
 
 B『立正安国論』
 
 【第六問答・答】
 「主人の曰く、予少量たりといえども、忝くも大乗を学す。蒼蠅、驥尾に附して万里を渡り、碧羅、松頭に懸りて千尋を延ぶ。弟子一仏の子と生まれ、諸経の王に事う。何ぞ仏法の衰微を見て、心情の哀惜を起さざらんや。その上、涅槃経に云く、〔もし善比丘ありて、法を壊る者を見て、置いて呵責し駈遣し挙処せずんば、まさに知るべし、この人は仏法の中の怨なり。もしよく駈遣し呵責し挙処せば、これ我が弟子、真の声聞なり〕と。余、善比丘の身たらずとえども、仏法中怨の責を遁れんがために、ただ大綱を撮つてほぼ一端を示す。」(昭和定本二一九頁)
 
 『立正安国論』においても、『涅槃経』の同文を引き、「仏法中怨の責を遁れんがために、ただ大綱を撮つてほぼ一端を示す。」と、上奏の理由としている。
 前掲の『涅槃経』寿命品の文は、『守護国家論』の「大文の第四に、謗法の者を対治すべき証文」の「第二に、正しく謗法の人の王地に処るを対治すべき証文」(昭和定本一一九頁)として、国内にいる法謗者を退治しなければならない根拠の証文として引用されたものである。
 
 【第七問答・答】
 「すなわち涅槃経に云く、〔仏の言く、ただ一人を除きて余の一切に施さば、皆讃歎すべし。純陀問うて言く、云何なるをか名づけて唯除一人となす。仏の言く、この経の中に説くところのごときは破戒なり。純陀また言く、我れ今いまだ解せず、ただ願わくはこれを説きたまえ。仏、純陀に語りて言く、破戒とは謂く、一闡提なり。その余のあらゆる一切に布施するは、皆讃歎すべし。大果報を獲ん。純陀また問いたてまつる。一闡提とはその義云何。仏の言く、純陀、もし比丘及び比丘尼・優婆塞・優婆夷あつて、麁悪の言を発し、正法を誹謗し、この重業を造りて永く改悔せず、心に懺悔なからん。かくのごとき等の人を名づけて一闡提の道に趣向すとなす。もし四重を犯し、五逆罪を作り、自ら定めてかくのごとき重事を犯すと知れども、しかも心に初めより怖畏・懺悔なく、あえて発露せず。彼の正法において永く護惜建立の心なく、毀呰軽賤して、言に禍咎多からん。かくのごとき等をまた一闡提の道に趣向すと名づく。ただかくのごとき一闡提の輩を除きて、その余に施さば一切讃歎すべし〕と。」(昭和定本二二〇頁)
 
 「破戒とは謂く、一闡提なり。」と、㈯『選択集』所説「捨閉閣抛」の法謗・破戒を『涅槃経』所説の一闡提=破戒者と規定し、㉀災難を止める対策として『涅槃経』所説の一闡提(念仏者)への布施の禁止を示す。『災難興起由来』『災難対治鈔』の『涅槃経』の引用文の前後を増補する事により、一闡提=破戒者の関係を明白にし、一闡提の破戒行為を具体的に説明している。
 
 ※『災難興起由来』『災難対治鈔』は、以上を結論として終わるが、『立正安国論』では、以降、『守護国家論』で示された法華経の戒の流通分である『涅槃経』の「正法護持」の精神を展開する。
 
三、『立正安国論』における『涅槃経』正法護持思想の展開
 
 【第七〜八問答】 
 次の⑴〜⑺では、『立正安国論』の第七〜八問答における展開をみてゆく事とする。
 ⑴『涅槃経』聖行品と⑵『涅槃経』金剛身品の文は、『守護国家論』の「大文の第四に、謗法の者を対治すべき証文」(⑴昭和定本一一八頁、⑵昭和定本一一五頁)として引用された経文である。また、⑶『涅槃経』金剛身品の文は、「大文の第六に、法華・涅槃に依る行者の用心」(昭和定本一二五頁)として引用された経文である。
 この様に、『立正安国論』の第七〜八問答では、『守護国家論』で研究された『涅槃経』の「正法護持」思想を中心に展開する。
                          
 【第七問答・答】
 ⑴『涅槃経』聖行品の釈尊の前世である仙予王が大乗を誹謗する婆羅門の命を断った故事や一闡提の婆羅門を殺しても罪報にならないという経説等により正法護持の例を示す。
   同じく聖行品を引き、殺生に上中下の三種がありいづれも罪の報いを受けるが、一闡提の婆羅門を殺しても三種の外で罪報にならないと前説を補足する。
   『仁王経』『涅槃経』を引き、仏が国王、四部の弟子等に正法を付属し法謗者の根絶を促すを示す。
    「また云く、〔我れ往昔を念うに、閻浮提において大国の王となれり。名を仙予と曰いき。大乗経典を愛念し敬重し、その心純善にして、麁悪嫉あることなし。善男子、我れその時において、心に大乗を重んず。婆羅門の方等を誹謗するを聞き、聞き已つて即時にその命根を断つ。善男子、この因縁をもつて、これより已来地獄に堕せず〕と。(中略)〔善男子、もしよく一闡提を殺すことあらん者は、すなわちこの三種の殺の中に堕せず。善男子、彼の諸の婆羅門等は、一切皆これ一闡提なり〕と〈已上〉。」(昭和定本二二〇頁)
 
 ⑵『涅槃経』金剛身品に説かれる正法護持の具体的方法として「刀剣・器杖を執持」する事を上げ、正法護持が持戒となる事を示す【正法護持即持戒】。
   「また云く、〔もし五戒を受持することあらん者は、名づけて大乗の人となすことを得ざるなり。五戒を受けざれども、正法を護るをもつて、すなわち大乗と名づく。正法を護る者は、まさに刀剣・器杖を執持すべし。刀杖を持つといえども、我れこれらを説きて、名づけて持戒と曰わん〕と。」(昭和定本二二一頁)
 
 ⑶『涅槃経』金剛身品に説かれる釈尊の前世である有徳王の国に、迦葉の前世である覚徳比丘が正法護持の為に王と共に破戒の比丘と戦い、来世において同じ阿仏の国の仏弟子となったという、正法護持の果報を示す。
  「また云く、〔(中略)仏法の末、その時に一の持戒の比丘あり。名を覚徳と曰う。その時に多く破戒の比丘あり。この説をなすを聞きて、皆悪心を生じ、刀杖を執持して、この法師を逼む。この時の国王、名を有徳と曰う。この事を聞き已つて、護法のための故に、すなわち説法者の所に往至して、この破戒の諸の悪比丘と極めて共に戦闘す。(中略)迦葉、その時の王とは我が身これなり。説法の比丘は迦葉仏これなり。迦葉、正法を護る者は、かくのごとき等の無量の果報を得ん。この因縁をもつて、我れ今日において、種種の相を得て、もつて自ら荘厳し、法身不可壊の身を成ず。仏、迦葉菩薩に告げたまわく、この故に法を護らん優婆塞等は、まさに刀杖を執持して、擁護することかくのごとくなるべし。〕」(昭和定本二二一〜二頁)
 
 ⑷ 同説の最後に、飢餓の為に出家した「禿人」の正法を護持する僧への迫害に対し、持戒の僧が刀杖を持つ者を供につける事について、刀杖を持つという正法護持の行為が持戒となる事を示す【正法護持即持戒】。また、「刀杖を持つといえども、命を断ずべからず」と、あくまでも、殺生を禁じている。
  「〔善男子、我れ涅槃の後、濁悪の世に、国土荒乱し、互に相抄掠し、人民飢餓せん。その時に多く飢餓のための故に、発心出家するものあらん。かくのごときの人を名づけて禿人となす。この禿人の輩、正法を護持するを見て、駈逐して出さしめ、もしは殺し、もしは害せん。
   この故に、我れ今、持戒の人、諸の白衣の刀杖を持つ者によつて、もつて伴侶となすことを聴す。刀杖を持つといえども、我れはこれらを説きて、名づけて持戒と曰わん。刀杖を持つといえども、命を断ずべからず〕と。」 (中略)(昭和定本二二二頁)
  
 ⑸『法華経』『涅槃経』所説の謗法の罪の重さと正法護持の功徳を説き、法然の『選択集』所説「捨閉閣抛」に基づく法謗、破戒行為の実例を挙げる。
  「(中略)法華・涅槃の経教は、一代五時の肝心なり。その禁実に重し。誰か帰仰せざらんや。しかるに謗法の族、正道の人を忘れ、剰え法然の選択に依って、いよいよ愚痴の盲瞽を増す。ここをもつて、或は彼の遺体を忍びて木画の像に露わし、或はその妄説を信じて莠言の模を彫り、これを海内に弘め、これを外に翫ぶ。仰ぐところはすなわちその家風、施すところはすなわちその門弟なり。しかる間、或は釈迦の手指を切りて弥陀の印相を結び、或は東方如来の鴈宇を改めて西土教主の鵝王を居え、或は四百余回の如法経を止めて西方浄土の三部経となし、或は天台大師の講を停めて善導の講となす。かくのごとき群類、それ誠に尽し難し。これ破仏にあらずや、これ破法にあらずや、これ破僧にあらずや。この邪義はすなわち選択によるなり。ああ悲しいかな、如来誠諦の禁言に背くこと。哀れなるかな、愚侶迷惑の麁語に随うこと。早く天下の静謐を思わば、すべからく国中の謗法を断つべし。」(昭和定本二二三頁)
 
 【第八問答・問】
 ⑹ 客、前に挙げた『涅槃経』に説かれる正法護持の為に、法謗の僧侶を斬首するという行為は、殺害・罪業の連鎖を生むと疑問を持つ。
  『大集経』所説の僧侶の持戒、破戒に拘らず、暴力等を加えてはならない等の経証、竹杖外道・提婆達多の例を挙げる。
  「客の曰く、もし謗法の輩を断じ、もし仏禁の違を絶たんには、彼の経文のごとく、斬罪に行うべきか。もししからば、殺害相加え、罪業何んがせんや。
   すなわち大集経に云く、〔頭を剃り袈裟を著せば、持戒及び毀戒をも、天人彼を供養すべし。すなわちこれ我れを供養するなり。彼はこれ我が子なり。もし彼を打することあれば、すなわちこれ我が子を打つなり。もし彼を罵辱せば、すなわちこれ我れを毀辱するなり〕と。(中略)」(昭和定本二二三〜四頁)
 【第八問答・答】
 ⑺ 主人、『涅槃経』所説の正法護持の為に、法謗の僧侶を斬首するという行為は、釈尊の過去世の話であり、成道後の釈尊の経説には、法謗の僧侶への布施を止める事を説くという。一切衆生が法謗者(念仏者)への布施を止める事で災難は防げると説く。
  「主人の曰く、客、明かに経文を見て、なおこの言をなす。心の及ばざるか、理の通ぜざるか。全く仏子を禁むるにあらず。ただ偏に謗法を悪むなり。夫れ釈迦の以前の仏教はその罪を斬るといえども、能仁の以後の経説はすなわちその施を止む。しかればすなわち、四海万邦、一切の四衆、その悪に施さず、皆この善に帰せば、何なる難か並び起り、何なる災か競い来らん。」(昭和定本二二四頁)
 
 
 ⑴〜⑺の経過を示すと次の様になる。
 
⑴ 主人、『涅槃経』聖行品の釈尊の前世である仙予王が大乗を誹謗する婆羅門の命を断った故事や一闡提の婆羅門を殺しても罪報にならないという経説等により正法護持の例を示す。
   ↓
⑵『涅槃経』金剛身品に説かれる正法護持の具体的方法として「刀剣・器杖を執持」する事を上げ、正法護持が持戒となる事を示す【正法護持即持戒】。
   ↓
⑶『涅槃経』金剛身品に説かれる釈尊の前世である有徳王の国に、迦葉の前世である覚徳比丘が正法護持の為に王と共に破戒の比丘と戦い、来世において同じ国の仏弟子となったという、正法護持の果報を示す。
   ↓
⑷ 同説の最後に、持戒の僧が刀杖を持つ者を供につける事について、刀杖を持つという正法護持の行為が持戒となる事を示す【正法護持即持戒】。また、「刀杖を持つといえども、命を断ずべからず」と、あくまでも、殺生を禁じている。
   ↓
⑸『法華経』『涅槃経』所説の謗法の罪の重さと正法護持の功徳を説き、法然の『選択集』所説「捨閉閣抛」に基づく法謗、破戒行為の実例を挙げる。
   ↓
⑹ 客、前に挙げた『涅槃経』に説かれる正法護持の為に、法謗の僧侶を斬首するという行為は、殺害・罪業の連鎖を生むと疑問を持つ。
 『大集経』所説の僧侶の持戒、破戒に拘らず、暴力等を加えてはならない等の経証、竹杖外道・提婆達多の例を挙げる。
   ↓
⑺ 主人、『涅槃経』所説の正法護持の為に、法謗の僧侶を斬首するという行為は、釈尊の過去世の話であり、成道後の釈尊の経説には、法謗の僧侶への布施を止める事を説くという。一切衆生が法謗者(念仏者)への布施を止める事で災難は防げると説く。
 
『守護国家論』において、『法華経』所説の「持経即持戒」を末法の衆生の持戒論とし、『涅槃経』は法華経の戒の流通分として、「正法護持」つまりは、正法(法華経)を護り持つことが、持戒である【正法護持即持戒】と、「持経即持戒」の具体的方法論を示された。
『立正安国論』において、これが採用され、法華経の戒の流通分としての『涅槃経』「正法護持」【正法護持即持戒】を⑴⑵⑶⑷一闡提=破戒者に対する自衛手段として示された訳である。⑺最終的には、「夫れ釈迦の以前の仏教はその罪を斬るといえども、能仁の以後の経説はすなわちその施を止む。」と、成道後の釈尊の経説は不殺生戒を含む故に「正法護持」の武力的性格は取り除かれ、法謗者への布施を止める事で災難は防げると説くのである。
 
※『涅槃経』のこの様な、「正法護持」の精神を暴力的表現として問題視する意見もあるが、当時の時代背景を考慮に入れると、次の点が指摘できる。
 
 ・⑴〜⑺の経過をみれば自明であるが、⑴⑵⑶⑷「正法護持」の武力行使的表現は、釈尊の過去世の説話の中で説かれるものであり、⑺最終的には、「夫れ釈迦の以前の仏教はその罪を斬るといえども、能仁の以後の経説はすなわちその施を止む。」と、成道後の釈尊の経説には、法謗の僧侶への布施を止める事を説き、不殺生戒を含む故に「正法護持」の武力的性格は取り除かれ、法謗者への布施を止める事で災難は防げると結論付けるのである。
 
 ・『立正安国論』の草案とされる『災難興起由来』『災難対治鈔』には『涅槃経』の一闡提(念仏者)への布施の禁止を示す事を結論として、「正法護持」の武力的記述はない。したがって、立案の時点で、念仏者への布施の禁止を結論とする事が決定されていたと推測できる。  
 
 ・『涅槃経』の「刀杖を持つ者」とは、当時における武士に該当する点から、武士の信仰のあり方を示唆したものと考えられる。武士は隠居後、出家して入道となる事が常道とされた当時、現役のまま、刀を携えたままでも「正法護持」の信仰ができるとして、 武士の在家信仰の規範を示したものと考えられる。武士は、主要檀信徒・布教対象であり、『立正安国論』の上奏先である執権を中心とした鎌倉幕府も武士の集団である事からも考えられる。
 
 ・宗祖は当時、念仏信徒からの迫害を受けており、「持戒の人、諸の白衣の刀杖を持つ者によつて、もつて伴侶となすことを聴す。」との引用文から、信者の武士の外護を受けていた事に対する正当性を示唆するものと考えられるが、あくまでも自己防衛の手段であり、「刀杖を持つといえども、命を断ずべからず」と、殺生を禁じる点を明示している。
 
 以降、第九問答では、客の領解において、
「早く一闡提の施を止めて、永く衆の僧尼の供を致して、佛海の白浪を収め、法山の緑林を截らば、世は羲農の世となり、国は唐虞の国とならん。しかして後、法水の浅深を斟酌し、佛家の棟梁を崇重せん。」  (昭和定本二二四頁)
 また、広本では、
「しかして後、顕密の浅深を斟酌し、真言・法華の勝劣を分別し、佛家の棟梁を崇重し、一乗の元意を開発せん。」  
(広本)(昭和定本一四七四頁)
 と、一闡提への施を止め災難を鎮める事を第一段階とし、次の段階において、教相判釈により法華一佛乗を開示すると説かれる。
 前述の通り、一闡提(破戒者)への施を止める事は、『涅槃経』において「正法護持」の実践例として説かれたものであり、これは、法華経の戒の流通分であるから、第一段階で『涅槃経』「正法護持」の実践として、一闡提(破戒者)への施を止め災難を鎮める事が実行されて後、正宗分である『法華経』が開示されると考えられる。
(一代三段…爾前経=序分、法華三部=正宗分、涅槃部=流通分)
 
 第九問答の以後の展開は、
「薬師経の七難の内、五難忽に起り、二難なお残せり。いわゆる他国侵逼・自界叛逆の難なり。」(昭和定本二二五頁)と、法然の念仏信仰が続けば、「他国侵逼・自界叛逆」の二難が起こることを予見し、『大集経』、『仁王経』、『法華経』、『涅槃経』を引き、
「広く衆経を披きたるに、専ら謗法を重しとす。悲しいかな、皆正法の門を出でて深く邪法の獄に入れり。」(昭和定本二二六頁)と、諸経に説かれる法謗の罪の重い事を示し、最後に、
「汝早く信仰の寸心を改めて、速かに実乗の一善に帰せよ。しかればすなわち三界は皆仏国なり。仏国それ衰えんや。十方は悉く宝土なり。宝土何ぞ壊れんや。国に衰微なく、土は破壊なくんば、身はこれ安全にして、心はこれ禅定ならん。この詞、この言、信ずべく崇むべし。」(昭和定本二二六頁)と、法華経への帰依を勧める。
 前文の関係からすると、一闡提への施を止めて災難を鎮めた上で、法華経に帰依するならば、娑婆即寂光の浄土が顕現するとの意味である。
 前に述べてきた通り、一闡提(破戒者)への施を止める事は、『涅槃経』において「正法護持」の実践例として説かれたものであり、これは、『守護国家論』によると法華経の流通分である事から、第一段階で『涅槃経』「正法護持」の実践として、一闡提(破戒者)への施を止め災難を鎮める事が実行されて後、正宗分である『法華経』への帰依を勧める事となるのである。
 
 
四、結
 
 これまで見て来た『災難興起由来』『災難対治鈔』、『立正安国論』における戒律思想の流れを図示すると次の様になる。
 
^k 『災難興起由来』『災難対治鈔』^t『立正安国論』(第四問答以降)
 
 ㈰選択集流布^t㈰選択集流布
   ↓^t↓
 ㈪「捨閉閣抛」^t㈪「捨閉閣抛」
   ↓^t↓
 ㈫礼儀を破る。^t㈫礼儀を破る。
`㈫旧来寺院の荒廃→聖人善神捨国    `㈫旧来寺院の荒廃→聖人善神捨国
   ↓^t↓
 ㈬五常を破る。(『摩訶止觀』
   ↓     五常五行即五戒)
 ㈭五戒を破る。
   ↓
 ㈮災難が起きる。 ^t㈮災難が起きる。悪鬼致災。
   ↓^t↓
 ㈯「捨閉閣抛」を一闡提=破戒者と規定。^t㈯「捨閉閣抛」を一闡提=破戒者と規定。
   ↓^t↓
 ㉀一闡提(念仏者)への布施の禁止を示す。^t㉀一闡提(念仏者)への布施の禁止を示す。
^t↓
             (『守護国家論』)㈷『涅槃経』「正法護持」の実践例を示す。
^t↓
^t㉂正法護持即持戒(持経即持戒)を説く。  
^t↓
^t㉃一闡提(念仏者)への布施の禁止を示す。
^t↓
^t㈹「他国侵逼・自界叛逆」二難の予言。
^t↓
^t㈺法華経への帰依を勧める。
 
 
 ㈰『選択集』の念仏信仰をすると、㈪「捨閉閣抛」の教えを実行し、阿弥陀仏以外の仏・経を信仰せず供養しなくなると、`㈫旧来の寺院が没落し荒廃する。㈫これは、神仏に対する礼儀の欠如であると共に、世の中に倫理崩壊をもたらした。また、`㈫供養しなくなる事により守護の善神・聖人が国を捨て去ることとなる。
 『災難興起由来』『災難対治鈔』では、㈫礼儀を破る→㈬五常を破る→㈭五戒を破る→㈮災難が起きる。までの経緯を『摩訶止觀』巻第六上「世間の法薬」所説の五戒と五常五行の相関性を説く理論で説明し、㈯㉀は、『涅槃経』を引用し、㈯「捨閉閣抛」を一闡提=破戒者と規定、㉀一闡提(念仏者)への布施の禁止を示し結論とする。
 『立正安国論』では、『摩訶止觀』五常五戒の説を内在原理に留め省略し、`㈫旧来寺院の荒廃→聖人善神捨国→㈮悪鬼致災とする。以降は前論同様、『涅槃経』を引用し、㈯『選択集』の法謗・破戒を『涅槃経』所説の一闡提=破戒者と規定、㉀一闡提(念仏者)への布施の禁止を示す。㈷〜㉃は、『守護国家論』に示された、「正法護持」の精神を説き、㈷『涅槃経』「正法護持」の実践例を示し、㉂正法護持が戒律になる事(正法護持即持戒)を説き、㉃一闡提(念仏者)への布施の禁止を示す。この様に、㈷以降は、『涅槃経』を法華経の戒の流通分として、「正法護持」つまりは、正法(法華経)を護り持つことが持戒である(正法護持即持戒)と、「持経即持戒」の具体的方法論を説かれ、解決策として一闡提(念仏者)への布施の禁止を示されたのであった。最後に、㈹「他国侵逼・自界叛逆」の二難を予言し、正宗分である㈺法華経への帰依を勧め結論とする。
 以上の通り、『立正安国論』は、法然の『選択集』所説の「捨閉閣抛」の教えから起った旧来寺院の没落や倫理崩壊を「破戒」と受け止め、『涅槃経』を『法華経』の戒の流通分とした「正法護持」(持経即持戒)の持戒論を以てこれに対処し、「破戒者(念仏者)」=一闡提への布施の禁止を示し、最後に『法華経』への帰依を勧めるという、宗祖の戒律思想を基調とした論文である事が認識できる。

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