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お知らせ

記事公開日:2018年11月30日

教団付置研究所懇話会 第17回年次大会

【シンポジウム】
教団付置研究所懇話会 第17回年次大会

【主催】
教団付置研究所懇話会(今年度当番:大本教学研鑽所)

【日時】
2018年11月29日 10時30分~16時30分

【場所】
みろく会館3階ホール(京都府亀岡市天恩郷 大本本部内)

【発表者】
発表1
「死者儀礼の再構築 ―キリスト教は日本の葬送文化から何を学んだかー」
中道基夫氏(NCC宗教研究所関西学院大学神学部教授)
 
この発表では、はじめに、現代の日本のプロテスタント教会が直面する葬儀に関する問題点として、欧米キリスト教中心主義から、日本の葬送文化との「異教徒的」要素を排除し、祖先教によって支えられている日本精神を完成させたことを挙げられた上で、
教会・教義中心的葬儀から遺族への(グリーフケア)中心的葬儀が求められる。死・死別について語り合うことのできる教会を目指すことをお話しいただきました。
特に、周死期ケアの重要性や、悲しむ場、悲しむ時としての儀礼や、ゆっくりと進む儀礼としての葬儀の復権、2人称の死(グリーフケア)を重視する教会として、
臨終に宗教者が立ち会えることによって、その後の葬儀への移行を容易にする。「遺族の言葉を祈りの中に含められるか」共感する祈りといった、遺族中心の葬儀観、
そして、遺族への慰め、復活の希望を語り「天国での再会」となり、
「葬儀で終わるのではなく、葬儀から始まるキリスト教死者儀礼の構築」という、これからのキリスト教での葬儀観についてご説明いただきました。
 
発表2
「「真如苑の葬儀」時代への対応の一例として」
桑原一郎氏(宗教情報センター真如苑教学部長)
 
真如苑で行われている葬儀の特徴や昨年のデータに基づいた葬儀の傾向を発表されました。
真如苑の葬儀は、真言宗の引導作法の一つである室町末から江戸時代初期に成立したとされる「無常導師作法」を基とした次第により執り行われています。しかし、「無常導師作法」は、沢山の所作を必要とし、更には堂内作法に続き野辺作法も加わる為、大変時間がかかってしまいます。そこで真如苑開祖真乗はこの作法を集約して、仏教と縁が無かった人でも成仏させて、衆生を仏道に導き入れるという本来の引導の意味を重視し、参列者にも内容が理解しやすい法儀を心がけ「無常導師次第」というものに改編しました。
元々世間では、法要の時間が長い程、ありがたいという意識がありましたが、人々の時間感覚のスピードが早まった現代では、同じ結果が得られるならば、時間は短い方がいいという意識に変わってきました。真乗は半世紀前までは葬儀は30分程度が理想と考えを示しており、以前のように伝統的で時間のかかるものではなく、時代の考えに合った所要時間で行うものに変えました。
また現在では、通夜なしや俗名による葬儀の希望、参列者の少人数化も増加し、特に通夜なしの葬儀が全体の22%あり、このうちの10%は炉前読経(直葬)となっている。
経済的な事情や核家族化、時間間隔のスピード化によりどんどん事情が変わっていくことは止められません。
真如苑では葬儀の意義として、死生観、宗教観に応じて故人や遺族に死を受容させる儀式を仮定しておりますが、新しい多様な葬儀の在り方、ニーズに対して理解を示し、柔軟な形で信仰に結び付けていく対応を必要としています。故人となってから死生観や宗教観に影響を及ぼすことは不可能であると考える為、葬儀がスタートではなくゴールとなるように生前から聖職者への親しみと信頼を涵養し、聖なる存在に仰慕させていく取り組みが必要であると述べられました。
 
発表3
「一回性の弔いから、連続性の弔いへ」
冨島信海氏(浄土真宗本願寺派総合研究所研究員)
 
宗勢基本調査などの詳細な資料に基づき、近年の葬送儀礼の急激な変化を確認、分析した後、宗教者の果たすべき役割について考察されました。
さらに、宗教者と葬儀に関わる人との意識的乖離に対して「弔い」に対する合意形成の必要性、そして死に伴う「一回性の弔い」に留まらない「連続性のある弔い」の重要性を提言しました。
そこで具体的な方法として、浄土真宗で重点を置いている法話の機会と内容を再検討することを挙げられました。
 
発表4
「出口王仁三郎が解く霊魂観-葬送儀礼と追善供養は、家族・親族の極めて大切な営み-」
森良秀氏(大本教学研鑽所 教学委員・大本本部祭務部長)
 
この発表では、まず、葬式の簡略化など葬祭をめぐる今日の社会状況や、葬式は何のために挙げるのかという問題意識を前提に、
葬儀における宗教者の役割を、
葬送・・・・死者の霊魂を弔うこと
宗教者・・・死者の霊魂の霊界への橋渡し役
と話されていました。
また、東日本大震災で、遺体を見つけて貰うことが有難い、葬式を挙げられることの幸せ、真心を込めて葬儀をあげることから、葬儀という営みが人間の尊厳に直結していると再確認されたこと、
出口王仁三郎の解く「霊界観」や「死生観」と「中有界の情態」の説明を交えながら、
大本による葬祭と霊祭の意義を、
死とは一切の終わりではなく精霊の無限の向上のために神が定められた大道
葬祭は、霊界に至る道程のなかで最も大切な祭祀
元津大神様(造化神)の大稜威による霊魂の安定と向上を願い、
遺族親族・知人友人が夫々に心から葬送の式を仕えるもの      
現界にある子孫は夫々の祖先の向上を大神に祈り追善供養のまことを捧げる
先祖はその真心を享け向上し子孫を守る
霊界の実在と霊魂の不滅を信じ、真心を込めた「みたままつり」
必ず死者の霊魂に響き、霊界での向上に役立つ
と述べられました。

【趣旨】
 今日、私たちは、時代、社会の進展にともない、種々の現代的諸問題に直面しています。平和、人権、環境、生命倫理等から家庭・学校教育の崩壊、種々の青少年問題、倫理の荒廃、そして宗教的価値観の喪失など、無視できない問題が山積しています。こうした状況下に、私たちは宗教者としてどう対応したらいいのでしょうか。これはいわゆる既成仏教とか、新宗教とか、神道とか、あるいはキリスト教とかの宗教、宗派の差を超えて、日本の宗教者全員の関心とするところでありましょう。
 日本の各宗教教団付置の研究所としても、それぞれに考え、悩み、何らかの対応を行ってきています。しかし、同様の問題を抱えて努力していながら、同じ宗教者として考えていること、やっていることが、お互いにほとんど見えていません。何か横に連なる機関があり、相互に情報と意見を交換することが出来れば有益であろう、という声がかなり前からありました。この傾向は特に昨年9.11の同時多発テロでいっそう強まったといえましょう。
 そこで有志が相集い、平成14年2月4日(NCC宗教研究所)、4月24日(浄土宗総合研究所)の2回にわたる準備会を経て、「教団付置研究所懇話会」を発足させようということになりました。その趣旨は、私たち教団付置の研究所は、現代の諸問題にどのような関心を持ち、何をしているのか。それぞれの教義・世界観を基としながら、現代社会に開かれた教団たらしめるべく、どのように努力しているのか。こうした事柄に関して相互に情報を交換し、それぞれの立場を尊重しつつ協力できる可能性を探りたい。そしてこの動きが、教団の差をこえて、日本社会に「真の宗教性の復権」をもたらすことに資するものでありたいと願うものであります。
 教団付置研究所、といっても規模の大小、教団との関係、純粋アカデミズムか具体的な教化方法の検討か、など、事情はそれぞれに異なります。しかし、そうした違いを違いとして尊重しながら、日本の宗教者相互の理解を少しでも助長し、宗教者としての協調と連帯を増進する機会となり得れば、と希望しています。
(「教団付置研究所懇話会」発足へのお誘い(趣意書)より抜粋)
 

【コメント】
今回で17回目となる教団付置研究所懇話会年次大会。仏教・神道・キリスト教など各教団に付設されている研究所が一堂に会して情報共有を行う場です。今回は120名近い参加者が集まりました。
例年、当番教団をはじめとする実行委員会によりテーマが設定されることが多いのですが、今年度は、
「なぜ、葬儀は必要なのか? ー葬送儀礼の意味と宗教者の役割ー」
という、仏教界においても重要な問題がテーマとなりました。
各先生の発表を伺うと、教団(教義)が異なれども、葬儀観や死生観、葬儀における問題などは通底したものが多いことに気づかされます。
葬儀を単なる通過儀礼として終わらせるのではなく、遺族のケアなど、その後にも発展するような葬儀との向き合い方は、どの教団においても問われてくるものであると再確認をする機会となりました。