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資料室

写本遺文 2000年01月 発行

写本遺文

#0001-300.TXT 戒体即身成仏義 仁治三(1242 or 1266) [p0001]

安房国清澄山住人 蓮長 撰
一者 小乗戒体。
二者 権大乗戒体。
分為四門
三者 法華開会戒体。 法華涅槃之戒体小有不同
四者 真言宗戒体。

 第一に小乗の戒体とは四種有り。五戒は俗男俗女戒。八斎戒は四衆通用。二百五十戒は比丘戒。五百戒は比丘になり。而るに四種倶に五戒を本と為す。婆沙論に云く ̄以近事律儀与此律儀為門為依為加行故〔近事律儀は此の律儀の与に門と為り依と為り加行と為るを以ての故に〕云云。近事律儀とは五戒也。されば比丘の二百五十戒・比丘尼の五百戒も始めは五戒也。[p0001]
 五戒とは、諸の小乗経に云く_一者不殺生戒。二者不偸盗戒。三者不邪婬戒。四者不妄語戒。五者不飲酒戒〔一には不殺生戒。二には不偸盗戒。三には不邪婬戒。四には不妄語戒。五には不飲酒戒〕[以上五戒]。一者不殺生戒。二者不偸盗戒。三者不邪婬戒。四者不妄語戒。五者不飲酒戒]。此の五戒と申すは色身二法の中には色法也。殺・盗・婬の三は身に犯す戒。不妄語戒・不飲酒戒は口に犯す戒。身口は色法也。[p0001]
 此の戒を持つに作・無作・表・無表と云う事有り。作と表と同じ事也。無作と無表も同じ事也。表と申す事は戒を持たんと思ひて師を請ず。中国は十人、辺国は五人。或は自誓戒もあり。道場を荘厳し焼香懺悔して師は高座にして戒を説けば今の受くる者左右の十指を合わせて持つと云ふ。是れを表色と云ひ作とも申す。此の身口の表作に依て必ず無表無作の戒体は発する也。世親菩薩云く ̄無欲無表離表而生〔欲の無表は表を離れて生ずること無し〕文。此の文は必ず表有って、無表色は発すと見えたり。無表色を優婆塞五戒経の説には_譬如有面有鏡則有像現。如是因作便有無作〔譬へば面有り鏡有れば則ち像現有るが如し。是の如く作に因って便ち無作有り〕云云。此の文には鏡は第六心王なり。面は表色合掌の手なり。像は発する所の無表色也。[p0001-0002]
 又倶舎論に云く ̄無表依止大種転時 如影依樹光依珠宝〔無表の大種に依止して転ずる時、影は樹に依り光は珠宝に依るが如し〕云云。此の文は表色は樹の如く珠の如し。無表色は影の如く光の如しと見えたり。[p0002]
 此れ等の文を以て表・無表、作・無作を知るべし。五戒を受持すれば人の影の身に添ふが如く、身を離れずして有る也。此の身失すれば未来には其の影の如くなる者は遷るべき也。色界・無色界の定共戒の無表も同じ事也。又悪を作るも其の悪の作・表に依て地獄・餓鬼・畜生の無作・無表色を発して悪道に堕ちる也。[p0002]
 但し小乗経の意は、此の戒体をば尽形寿一業引一生の戒体と申す也。尽形寿一業引一生と申すは此の身に戒を持ちて其の戒力に依て無表色は発す。此の身と命と捨て尽くして彼の戒体に遷る也。一度人間天上に生ずれば、此の戒体を以て二生三生と生るゝこと無し。只一生にて其の戒体は失ひぬる也。譬へば土器を作って一度つかひて後の用に合わざるが如し。倶舎論に云く ̄別解脱律儀尽寿或昼夜〔別解脱の律儀は尽寿と或は昼夜なり〕云云。又云く ̄一業引一生云云。此の文に尽寿一生等と云へるは尽形寿と云ふ事也。天台大師の御釈に三蔵尽寿と釈し給へり。[p0002]
 然るに此の戒体をば不可見無対色と申して凡夫の眼には見えず、但し天眼を以て之を見る。定中には心眼を以て之を見ると云へり。[p0002-0003]
 然るに私に此の事を勘へたるに、既に優婆塞五戒経に有面有鏡則有像現と云ひて、鏡を我が心に譬へ、面を我が表業に譬へ、像をば無表色に譬ふ。既に我が身に五根有り、左右の十指を合すれば五影を生ず。知んぬべし。実に無表色も五根十指の如くなるべきを。又倶舎論に中有を釈するに ̄同浄天眼見。業通疾具根〔同じと浄天との眼に見ゆ。業通あり、疾なり、根と具す〕云云。此の文分明也。無表色に五根の形有らばこそ、中有の身には五根を具すとは釈すらめ。提謂経の文を見るに、人間の五根・五蔵・五体は五戒より生ずと見えたり。乃至、依報の国土の五方・五行・五味・五星、皆五戒より生ずと説けり。止観弘決に委しく引かれたり。[p0003]
 されば戒体は微細の青・黄・赤・白・黒・長・短・方・円の形也。止観弘決の六に云く ̄如提謂経中。木主東方 東方主肝 肝主眼 眼主春 春主生 生存則木安。故云不殺以防木。金主西方 西方主肺 肺主鼻 鼻主秋 秋主収。収蔵則金安。故云不盗以防金。水主北方 北方主腎 腎主耳 耳主冬 婬盛則水増。故云不婬以禁水。土主中央 中央主脾 脾主身 土王四季。故提謂経云 不妄語主如四時。身遍四根。妄語亦爾。遍於諸根 違心説故。火主南方 南方主心 心主舌 舌主夏 酒乱増火。故不飲酒以防火〔提謂経の中の如し。木は東方を主どる 東方は肝を主どる 肝は眼を主どる 眼は春を主どる 春は生を主どる 生存すれば則ち木安し。故に不殺と云ひて以て木を防む。金は西方を主どる 西方は肺を主どる 肺は鼻を主どる 鼻は秋を主どる 秋は収を主どる。収蔵すれば則ち金安し。故に不盗と云ひて以て金を防む。水は北方を主どる 北方は腎を主どる 腎は耳を主どる 耳は冬を主どる 婬盛んなれば則ち水増す。故に不婬と云ひて以て水を禁む。土は中央を主どる 中央は脾を主どる 脾は身を主どる 土は四季に王たり。故に提謂経に云く 不妄語は四時の如しと。身は四根に遍す。妄語も亦爾なり。諸根に遍し、心に違して説くなり。火は南方を主どる 南方は心を主どる 心は舌を主どる 舌は夏を主どる 酒乱れば火を増す。故に不飲酒以て火を防む〕[文]。[p0003]
 此の文は天台大師、提謂経の文を以て釈し給へり。されば我等が見る所の山河・大海・大地・草木・国土は、五根・十指の尽形寿の五戒にてまうけ(儲)たり。五戒破るれば此の国土次第に衰へ、又重ねて五戒を持たずして此の身の上に悪業を作れば、五戒の戒体破失して三途に入るべし。是れ凡夫の戒体也。[p0003-0004]
 声聞・縁覚はこの表色の身と無表色の戒体を、苦・空・無常・無我と観じて見惑を断ずれば、永く四悪趣を離る。又重ねて此の観を思惟して思惑を断じ三界の生死を出づ。妙楽の釈に云く ̄破見惑故離四悪趣。破思惑故離三界生〔見惑を破るが故に四悪趣を離る。思惑を破るが故に三界の生を離る〕[文]。[p0004]
 此の二乗は法華已前の経には、灰身滅智の者、永不成仏と嫌われし也。灰身と申すは、十八界の内、十界半の色法を断ずる也。滅智と申すは、七心界半を滅する也。[p0004]
 此の小乗経の習ひは、三界より外に浄土有りと云はず。故に外に生処無し。小乗の菩薩は未断見思(未だ見思を断ぜざる)故に凡夫の如し。仏も見思の惑を断尽して入滅すと習ふが故に、菩薩・仏は凡夫・二乗の所摂也。[p0004]
 此の教の戒に三あり。欲界の人天に生るゝ戒をば律儀戒と云ふ也。色界・無色界へ生るゝ戒をば定共戒と云ふ也。声聞・縁覚の見思断の、無漏の智と共に発得する戒をば道共戒と名づく。天台の釈に云く ̄今言戒者 有律儀戒・定共戒・道共戒。此名源出三蔵。律是遮止儀是形儀。能止形上諸悪。故称為戒。定是静摂。入定之時 自然調善防止諸悪也。道是能通。発真已後自無毀犯。初果耕地虫離四寸道共力也〔今戒と言ふは、律儀戒・定共戒・道共戒有り。此の名の源は三蔵より出でたり。律は是れ遮止、儀は是れ形儀なり。能く形上の諸悪を止む。故に称して戒と為す。定は是れ静摂なり。入定の時、自然に調善にして諸悪を防止する也。道は是れ能通なり。真を発して已後、自ら毀犯無し。初果、地を耕すに、虫、四寸を離る、道共の力也〕[文]。[p0004]
 又表業無けれども無表色を発得する事之有り。光法師云く ̄如是十種別解脱律儀 非必定依表業而発〔是の如き十種の別解脱律儀は、必定、表業に依て発するに非ず〕云云。此の文は表業無けれども無表色発することありと見えたり。[p0004-0003]

 第二に権大乗の戒体とは、諸経に多しと云へども梵網経・瓔珞経を以て本と為す。梵網経は華厳経の結経。瓔珞経は方等部、浄土の三部経等の結経なり。されば法華已前の戒体をば此の二経を以て知るべし。[p0005]
 梵網経の題目に云く_梵網経盧舎那仏説菩薩心地戒品[文]。此の題目を以て人天・二乗を嫌ひ、仏因仏果の戒体を説かざると知るべき也。されば天台の御釈に云く ̄所被之人唯為大士不為二乗〔被る所の人は唯大士の為にして二乗の為にせず〕。又云く ̄既別部外称菩薩戒経〔既に別に部の外に菩薩戒経と称す〕[文]。又云く ̄於三教中即是頓教。明仏性常住一乗妙旨〔三教の中に於ては即ち是れ頓教なり。仏性常住一乗の妙旨を明かす〕[文]。三教と申すは頓教は華厳経、漸教は阿含・方等・般若、円教は法華・涅槃也。一乗と申すは未開会の一乗也。法華の意を以て嫌はん時は、宣説菩薩歴劫修行と下すべき也。[p0005]
 又梵網経に云く_一切発心菩薩亦誦〔一切発心の菩薩も亦誦すべし〕[十信当之]。十発趣[十住] 十長養「十行」 十金剛[十向]。又云く_十地仏性常住妙界[已上]。四十一位、又は五十二位。此の経と華厳経には四十一位、又五十二位の論、之有り。此の経を権大乗と云ふ事は、十重禁戒・四十八軽戒を七衆同じく受くる故に小乗経には非ず。又疑ふべき処は、華厳・梵網の二経には別円二経を説く。別教の方は法華に異なるべし。円教の方は同じかるべし。[p0005]
 されば華厳経には_初発心時便成正覚〔初発心の時、便ち正覚を成ず、と〕。梵網経には_衆生受仏戒即入諸仏位位同大覚已真是諸仏子〔衆生、仏戒を受くれば即ち諸仏の位に入り、位、大覚に同じ。已に真に是れ諸仏の子なり〕[文]。[p0005]
 答て云く、法華已前の円の戒体を受けて、其の上に生身得忍を発得する也。或は法華已前の円の戒体は別教の摂属なり。法華の戒体は受・不受を云はず。開会すれば戒体を発得する事、復是の如し。此の経の十重禁戒とは、第一不殺生戒・第二不偸盗戒・第三不邪婬戒・第四不妄語戒・第五不{酉+古}酒戒・第六不説四衆過罪戒・第七不自讃毀他戒・第八不慳貪戒・第九不瞋恚戒・第十不謗三宝戒なり。又瓔珞経の戒は、題目に菩薩瓔珞本業経と云へり。此の経も梵網経の如く菩薩戒也。此の経に五十二位を説く。経に云く_若退若進者十住以前一切凡夫。若一劫二劫乃至十劫。修行十信得入十住〔若しは退き若しは進むは、十住以前の一切の凡夫なり。若しは一劫二劫乃至十劫。十信を修行して十住に入ることを得〕云云。又云く_十住・十行・十回向・十地・等覚妙覚云云。此の経は一一の位に多劫を歴て仏果を成ず。菩薩は十信の位にして仏果の為に十無尽戒を持つ。二乗と成らん為に非ず。故に住前十信の位にして退すれば悪道に堕つ。又人天に生じて生を尽くせども戒体は失はず。無量劫を歴て仏果に至るまで壊れずして金剛の如くにて有る也。[p0005-0006]
此の経に云く_凡聖戒尽心為体。是故心亦尽戒亦尽。菩薩戒有受法而無捨法 有犯不失尽未来際〔凡聖の戒は尽く心を体と為す。是の故に心亦尽くれば戒も亦尽く。菩薩戒は受法のみ有って而も捨法無く、犯有れども失せず未来際を尽くす〕。又云く_心無尽故戒亦無尽〔心無尽なるが故に戒も亦無尽なり〕[文]。又云く_仏子受無尽戒已 其受者過度四魔越三界苦 従生至生不失此戒。常随行人乃至成仏〔仏子、無尽戒を受け已れば、其の受くる者、四魔を過度し三界の苦を越え、生より生に至るまで此の戒を失はず。常に行人に随ひ、乃至、成仏す〕[文]。[p0006]
 天台大師の云く ̄三蔵尽寿菩薩至菩提爾時即廃〔三蔵は寿を尽くし、菩薩は菩提に至り、爾時に即ち廃す〕[文]。[p0006]
 此の文は小乗戒は凡夫・聖人・二乗の戒共に尽形寿の戒。菩薩戒は凡夫より仏果に至るまで、其の中間に無量無辺劫を歴れども戒体は失せずと云ふ文也。[p0006]
 されば此の戒を持ちて犯すれども猶お二乗・外道に勝れたり。故に経に云く_有而犯者 勝無不犯。有犯名菩薩 無不犯名外道〔有って而も犯する者は、無くして犯せざるに勝れたり。有って犯するも菩薩と名づけ、無きは犯せざるも外道と名づく〕[文]。此の文の意は、外道は菩薩戒を持たず、犯さずとも菩薩とは名づけず。菩薩は戒を破犯すれども、仏果の種子は破失せざる也。[p0006-0007]
 此の梵網・瓔珞の二経は心を戒体と為す様なれども、実には色処を戒体と為す也。小乗には身口を本体と為し、大乗には心を本体と為すと申すは一往の事也。実には身口の表を以て戒体を発す。戒体は色法也。故に大論に云く ̄戒是色法〔戒は是れ色法なり〕[文]。故に天台の梵網経の疏に正しく戒体を出だす。 ̄第二出体者 初戒体者不起而已。起即性無作色〔第二に体を出だすとは、初めに戒体とは起らずして而も已ぬ。起れば即ち性無作の色なり〕[文]。不起而已とは、表なければ戒体発せずと云ふなり。起即性無作色とは、戒体は色法と云ふ文也。近来唐土の人師、梵網・法華の戒体の不同を弁へず雑乱して天台の戒体を談じ失へり。[p0007]
 瓔珞経の十無尽戒とは、第一不殺生戒・第二不偸盗戒・第三不邪婬戒・第四不妄語戒・第五不{酉+古}酒戒・第六不説四衆過罪戒・第七不慳貪戒・第八瞋恚戒・第九不自讃毀他戒・第十不謗三宝戒也。梵網・瓔珞の十重禁戒・十無尽戒も初めに五戒を連ねたり。大小乗の戒は五戒を本と為す。故に涅槃経には具足根本業清浄戒とは是の五戒の名也。一切の戒を持つとも五戒無ければ諸戒具足すること無し。五戒を持てば諸戒を持たざれども諸戒を持つに為りぬ。諸戒を持つとも五戒を持たざれば諸戒も持たれず。故に五戒を具足根本業清浄戒と云ふ。されば天台の釈に云く ̄五戒既是菩薩戒根本矣〔五戒は既に是れ菩薩戒の根本なりと〕。諸戒の模様を知らんと思はば能く能く之を習ふべし。[p0007]

 第三に法華開会の戒体とは、仏因仏果の戒体也。唐土の天台宗の末学、戒体を論ずるに或は理心を戒体と云ひ、或は色法を戒体と論ずれども、未だ梵網・法華の戒体の差別に委しからず。法華経一部八巻二十八品、六万九千三百八十四字、一一の文字、開会の法門実相常住の無作の妙色に非ずという事莫し。此の法華経は三乗・五乗・七方便・九法界の衆生を皆毘盧遮那の仏因と開会す。三乗は声聞・縁覚・菩薩、五乗は三乗に人天を加へたり。七方便は蔵通の二乗四人、三蔵教の菩薩、通教の菩薩、別教の菩薩三人、已上七人。九法界は始め地獄より終り菩薩界に至るまで、此れ等の衆生の身を押さへて仏因と開会する也。其の故は、此れ等の衆生の身は皆戒体也。[p0008]
 但し疑はしき事は、地獄・餓鬼・畜生・修羅の四道は戒を破りたる身也。全く戒体無し。人・天・声聞・縁覚の身は尽形寿の戒に酬ひたり。既に一業引一生の戒体、因は是れ善悪、果は是れ無記の身也。其の因既に去りぬ。何なる善根か有て法華の戒体と成るべき哉。菩薩は又無量劫を歴て成仏すべしと誓願して発得せし戒体也。須臾聞之即得究竟の戒体と成るべからず。此れ等の大なる疑ひ有る也。[p0008]
 然るを法華経の意を以て之を知れば、十界共に五戒也。其の故は、五戒破れたるを四悪趣と云ふ。五戒は失ひたるに非ず。譬へば家を造りてこぼち置きぬれば材木と云ふ物なり。数の失せたるに非ず。然れども人の住むべき様無し。還て家と成れば又人住むべし。[p0008]
 されば四悪趣も五戒の形は失はず。魚鳥も頭有り、四支有る也。魚のひれ四つ有り。即ち四支也。鳥は羽と足と有り、是れも四支也。牛馬も四足あり、二の前の足は即ち手也。破戒の故に四足と成りてすぐにたゝざる也。足の多く有る者も四足の多く成りたるにて有る也。蠕蛇(やまかゞち)の足無く腹ばひ行くも、四足にて歩むべきことはりなれども、破戒の故に足無くして歩むにて有る也。畜生道此の如し。餓鬼道は多くは人に似たり。地獄は本の人身也。苦を重く受けん為に本身を失はずして化生する也。[p0008-0009]
 大覚世尊も五戒を持ちたまへる故に浄飯王宮に生れたまへり。諸の法身の大士、善財童子・文殊師利・舎利弗・目連も皆天竺の婆羅門の家に生まれて、仏の化儀を助けんとて、皆人の形にて御座しき。梵天・帝釈の天衆たるも、龍神・修羅の悪道の身も、法華経の座にしては皆人身たりき。此れ等は十界に互りて五戒が有りければこそ、人身にては有るらめ。諸経の座にては四悪趣の衆生、仏の御前にて人身たりし事は不審なりし事也。[p0009]
 舎利弗を始めとして千二百の阿羅漢、梵王・帝釈・阿闍世王等の諸王、韋提希等の諸の女人、皆、欲令衆生。開仏知見。使得清浄故〔衆生をして仏知見を開かしめ清浄なることを得せしめんと欲するが故に〕と開会せし事は、五戒を以て得たる六根・六境・六識を改めずして押さへて仏因と開会する也。龍女が即身成仏は、畜生蛇道の身を改めずして、三十二相之即身成仏也。畜生の破戒にて表色なき身も三十二相の無表色の戒体を発得するは、三悪道の身即五戒たる故也。[p0009]
 されば妙楽大師の釈には五戒を十界に互し給へり。 ̄別論雖然通意可知。余色・余塵・余界亦爾。是故須明仁譲等五〔別して論ずれば、然りと雖も通の意と知るべし。余色・余塵・余界も亦爾り。是の故に須らく仁譲等の五を明かすべし〕云云。[p0009-0010]
 余色とは、九界の身、余塵とは、九界の依報の国土、余界とは、九界也。此の文は人間界を本として五常五戒を余界へ互す也。[p0010]
 但し持たざる五戒は、如何に三悪道には有りけるぞと云ふに、三悪道の衆生も人間に生まれたりし時、五戒を持ちて其の五戒の報ひを得ずして三途に堕ちたる衆生も有り。是の善根をば未酬の善根と云ふ。又既に人間に生まれたる事もあり。是れをば已酬の善根と云ふ。又無始の色身有り。此れ等の善根を押さへて正了縁の三仏性と開会する時、我が身に善根有りとも思はざるに、此の身を押さへて_欲令衆生。開仏知見。使得清浄故〔衆生をして仏知見を開かしめ清浄なることを得せしめんと欲するが故に〕と説かるゝは、人天の果報に住する五戒十善も、権乗に趣ける二乗も菩薩も、_皆已成仏道〔皆已に仏道を成じき〕 汝等所行 是菩薩道〔汝等が所行は 是れ菩薩の道なり〕と説かれたる也。[p0010]
 されば天台の御釈に云く ̄昔方便未開 住謂果報。今開方便行即是縁因仏性能趣菩提〔昔は方便未だ開せず、果報に住すと謂へり。今方便の行、即ち是れ縁因仏性と開するに能く菩提に趣かしむ〕云云。妙楽大師は ̄趣向権乗道者 以一実観一大弘願礼之導之〔権乗の道に趣向せし者も、一実の観、一大の弘願を以て之を礼し之を導く〕云云。[p0010]
 是の如く意を得る時、九界の衆生の身を仏因と習へば五戒即仏因也。法華以前の経には此の如き説無き故に、凡夫・聖人の得道は有名無実〔名のみ有って実無き〕也。[p0010]
 されば此の経に云く_但離虚妄 名為解脱 其実未得 一切解脱〔但虚妄を離るるを 解脱を得と名く 其れ実には未だ 一切の解脱を得ず〕[文]。愚かなる学者は、法華已前には二乗計り色心を滅する故に得道を成ぜず。菩薩・凡夫には得道を成ずべしと思へり。爾らざる事也。十界互具する故に妙法也。さるにては十界に互りて二乗・菩薩・凡夫を具足せり。故に二乗を成仏せずと云はば、凡夫・菩薩も成仏せずと云ふ事也。法華の意は、一界の成仏は十界の成仏也。法華已前には仏も実仏に非ず。九界を隔てし仏なる故に。何に況んや九界をや。[p0010-0011]
 されば天台大師は一代聖教を十五遍御覧有りき。陳隋二代の国師として造り給ひし文は、天竺・唐土・日本に、玄義・文句・止観の三十巻はもてなされたり。御師は六根清浄の人南岳大師也。此の人の御釈の意一遍に此れ在り。[p0011]
此の人を人師と申して、さぐるならば経文分明也。無量義経に云く_四十余年。未顕真実〔四十余年には未だ真実を顕さず〕云云。法華已前は虚妄方便の説なり。法華已前にして一人も成仏し、浄土にも往生してあらば、真実の説にてこそあらめ。又云く_過無量無辺不可思議阿僧祇劫。終不得成。無上菩提〔無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぐれども、終に無上菩提を成ずることを得ず〕[文]。法華経には正直捨方便 但説無上道〔正直に方便を捨てて 但無上道を説く〕云云。法華経已前の経は不正直の経、方便の経。法華経は正直の経、真実の経也。法華経已前に衆生の得道があらばこそ、行じ易き観経に付きて往生し、大事なる法華経は行じ難ければ行ぜじと云はめ。[p0011]
 但し釈迦如来の御経の様に意得べし。観経等は此の法華経へ教へ入れん方便の経也。浄土の往生して成仏を知るべしと説くは、権経の配立、観経の言説也。真実には此土にて我が身を仏因と知って往生すべき也。此の道理を知らずして浄土宗の日本の学者、我が色心より外の仏国土を求めさする事は、小乗経にもはづれ、大乗にも似ず。師は魔師、弟子は魔民。一切衆生の其の教を信ずるは三途の主也。法華経は理深解微〔理は深く解は微なり〕我が機に非ず。毀らばこそ罪にてはあらめと云ふ。是れは毀るよりも法華経を失ふにて一人も成仏すまじき様にて有る也。設ひ毀るとも人に此の教を教へ知らせて、此の教をもてなさば、如何かは苦しかるべき。毀らずして此の経を行ずる事を止めんこそ弥いよ怖き事にては候へ。此れを経文に説かれたり。_若人不信 毀謗此経 則断一切 世間仏種 或復・蹙 而懐疑惑〔若し人信ぜずして 此の経を毀謗せば 則ち一切世間の 仏種を断ぜん 或は復・蹙して 疑惑を懐かん〕。其人命終 入阿鼻獄〔其の人命終して 阿鼻獄に入らん〕。従地獄出 当堕畜生 若狗野干〔地獄より出でては 当に畜生に堕つべし 若し狗野干としては〕。或生驢中 身常負重〔或は驢の中に生れて 身に常に重きを負い〕。於此死已 更受蟒身〔此に於て死し已って 更に蟒身を受けん〕。常処地獄 如遊園観 在余悪道 如己舎宅〔常に地獄に処すること 園観に遊ぶが如く 余の悪道に在ること 己が舎宅の如く〕[文]。[p0012]
 此の文を各御覧有るべし。若人不信と説くは末代の機に協はずと云ふ者の事也。毀謗此経の毀はやぶると云ふ事也。法華経の一日経を皆停止して称名の行に成し、法華経の如法経を浄土の三部経に引き違へたる、是れを毀と云ふ也。権教を以て実教を失ふは、子が親の頚を切りたるが如し。又観経の意にも違ひ、法華経の意にも違ふ。謗と云ふは但口を以て誹り、心を以て謗るのみ謗には非ず。法華経流布の国に生まれて、信ぜず、行ぜざるも即ち謗也。則断一切 世間仏種〔則ち一切世間の 仏種を断ぜん〕と説くは、法華経は末代の機に協はずと云ひて一切衆生の成仏すべき道を閉づる也。或復・蹙〔或は復・蹙して〕と云へるは、法華経を行ずるを見てくちびるをすくめて、なにともなき事をする者かな。祖父が大なる足の履、小さき孫の足に協はざるが如くなんど云ふ者也。而懐疑惑〔疑惑を懐かん〕とは、末代に法華経なんどを行ずるは実とは覚へず、時に協はざる者をなんど云ふ人也。此の比の在家の人毎に未だ聞かざる先に天台・真言は我が機に協はずと云へるは、只天魔の人にそひて生まれて思はする也。[p0012-0013]
 妙楽大師の釈に云く ̄故知無心趣宝所 化城之路一歩不成〔故に知んぬ。心、宝所に趣くこと無くんば、化城の路一歩も成らず〕[文]。法華経の宝所を知らざる者は、同居の浄土・方便土の浄土へも至るまじき也。又云く ̄縦有宿善如恒河沙 終無自成菩提之理〔縦ひ宿善有ること恒河沙の如くなるも、終に自ら菩提を成ずるの理無し〕[文]。称名・読経・造像・起塔・五戒・十善・色無色の禅定、無量無辺の善根有りとも、法華開会の菩提心を起こさん者は、六道四生をば全く出でまじき也。[p0013]

 法華経の悟りと申すは易行の中の易行也。只五戒の身を押さへて仏因と云ふ事也。五戒の我が体は即身成仏とも云はれざる也。小乗の意、権大乗のをきて(約束)は、表にて無表を発す。此の法華経は三世の戒体也。已酬・未酬倶に仏因と説いて、三悪道の衆生も戒体を発得す。龍女が三十二相の戒体を以て知んぬべし。況んや人・天・二乗・菩薩をや。法華経一部に列なれる九界の衆生は、皆即身成仏にて之有りし也。[p0013]
 止観に云く ̄中道之戒 無戒不備 是名具足。持中道戒〔中道の戒は、戒として備はらざること無し。是れを具足と名づく。中道の戒を持つなり〕云云。中道の戒とは、法華の戒体也。無戒不備とは、律儀・定・道の戒也。此の五戒を十界具足の五戒と知る時、我が身に十界を具足す。我が身に十界を具すと意得し時、欲令衆生 仏之知見、と説いて、自心に一分の行無くして即身成仏する也。尽形寿の五戒の身を改めずして仏身と成る時は、依報の国土も又押さへて寂光土也。[p0013-0014]
 妙楽の釈に云く ̄豈離伽耶別求常寂。非寂光外別有娑婆〔豈に伽耶を離れて別に常寂を求めん。寂光の外に別に娑婆有るに非ず〕[文]。法華已前の経に説ける十方の浄穢土は、只仮設の事に成りぬ。[p0014]
 又妙楽大師の釈に云く ̄不見国土浄穢差品〔国土、浄穢の差品を見ず〕云云。又云く ̄衆生自於仏依正中生殊見苦楽昇沈。浄穢宛然成壊斯在〔衆生自ら仏の依正の中に於て殊見を生じて、苦楽昇沈す。浄穢宛然として成壊斯に在り〕[文]。[p0014]
 法華の覚りを得る時、我等が色心生滅の身、即ち不生不滅也。国土も爾の如し。此の国土の牛馬六畜も皆仏也。草木日月も皆聖衆也。[p0014]
 経に云く_是法住法位 世間相常住〔是の法は法位に住して 世間の相常住なり〕[文]。此の経を意得る者は、持戒・破戒・無戒、皆開会の戒体を発得する也。経に云く_是名持戒 行頭陀者〔是れを戒を持ち 頭陀を行ずる者と名く〕云云。[p0014]
 法華経の悟りと申すは、此の国土と我等が身と釈迦如来の御舎利と一つと知る也。経に云く_観三千大千世界。乃至無有。如芥子許。非是菩薩。捨身命処〔三千大千世界を観るに、乃至芥子vの如き許りも、是れ菩薩にして身命を捨てたもう処に非ることあることなし〕[文]。此の三千大千世界は、皆釈迦如来の菩薩にておはしまし候ひける時の御舎利也。我等も此の世界の五味をなめて設けたる身なれば、又我等も釈迦菩薩の舎利也。故に経に云く_今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子〔今此の三界は 皆是れ我が有なり 其の中の衆生は 悉く是れ吾が子なり〕等云云。法華経を知ると申すは此の文を知るべきなり。我有と申す有は其れ真言宗に非ざれば知り難し。但し天台は真性軌と釈し給へり。舎利と申すは天竺の語、此土には身と云ふ。我等衆生も則ち釈迦如来の御舎利也。[p0014]
 されば多宝塔と申すは我等が身。二仏と申すは自身の法身也。真実には人天の善根を仏因と申すは、人天の身が釈迦如来の舎利なるが故也。法華経を是の体に意得れば、則ち真言の初門也。[p0014]
 此の国土、我等が身を、釈迦菩薩成就の時、其の菩薩の身を替へずして成仏し給へば、此の国土、我等が身を捨てずして、寂光浄土・毘盧遮那仏にて有る也。十界具足の釈迦如来の御舎利と知るべし。此れをこそ大日経の入漫荼羅具縁品には慥かに説かれたる也。[p0015]
 真言の戒体は、人、之を見て師に依らずして相承を失ふべし。故に別に記して一具に載せず。但標章に載する事は、人をして顕教より密教の勝るゝを知らしめんが為也。[p0015]

  仁治三年[壬寅][p0014]

#0004-500.TXT 蓮盛鈔(禅宗問答鈔) 建長七(1255) [p0017]

 禅宗云く 涅槃時世尊登座 拈華示衆。迦葉破顔微笑〔涅槃の時、世尊座に登り、拈華して衆に示す。迦葉、破顔微笑せり〕。仏言く 吾有正法眼蔵涅槃妙心実相無想微妙法門。不立文字、教外別伝、付属摩訶迦葉而已〔吾に正法眼蔵涅槃妙心実相無想微妙の法門有り。文字を立てず、教外に別伝し、摩訶迦葉に付属するのみ〕。[p0017]
 問て云く 何なる経文ぞや。[p0017]
 禅宗答て云く 大梵天王問仏決疑経の文也。[p0017]
 問て云く 件の経、何れの三蔵の訳ぞや。貞元・開元の録の中に曾て此の経無し。如何。[p0017]
 禅宗答て云く 此の経は秘経也。故に文計り天竺より之を渡す云云。[p0017]
 問て云く 何れの聖人、何れの人師の代に渡りしぞや。跡形無き也。此の文は上古の録に載せず。中頃より之を載す。此の事禅宗の根源也。尤も古録に載すべき。知んぬ偽文也。[p0017]
 禅宗云く 涅槃経二に云く_我今所有 無上正法 悉以付嘱 摩訶迦葉〔我れ今所有の無上の正法、悉く以て摩訶迦葉に付嘱す〕云云。此の文如何。[p0017]
 答て云く 無上之言は大乗に似たりと雖も是れ小乗を指す也。外道之邪法に対すれば小乗をも小乗といはん。例せば大法東漸といへるを、妙楽大師解釈の中に、通指仏教と云ひて大小権実をふさ(總)ねて大法と云ふ也云云。外道に対すれば小乗も大乗を云はれ、下臈なれども分には殿と云はるるがごとし。涅槃経三に云く_ 若以法宝付嘱阿難及諸比丘不得久住。何以故。一切声聞及大迦葉悉当無常。如彼老人受他寄物。是故応以無上仏法付属諸菩薩。以諸菩薩善能問答。如是法宝則得久住。無量千世増益熾盛利安衆生。如彼壮人受他寄物。以是義故諸大菩薩乃能問耳〔若し法宝を以て、阿難及び諸の比丘に付嘱せば、久住することを得ず。何を以ての故に。一切の声聞及び大迦葉は悉く当に無常なるべし。彼の老人の他の寄物を受けざるが如し。是の故に応に無上の仏法を以て諸の菩薩に付属すべし。諸の菩薩は善能く問答するを以てなり。是の如き法宝は則ち久住することを得。無量千世にも増益熾盛にして衆生を利安すべし。彼の壮なる人の他の寄物を受くるが如し。是の義を以ての故に諸大菩薩乃し能く問ふのみ〕。[p0017]
大小の付属、其れ別なること分明也。同経の十に云く_汝等文殊 当為四衆広説大法。今此以経法付属於汝。乃至 迦葉阿難等来復当付属如是正法〔汝等文殊、当に四衆の為に広く大法を説くべし。今此の経法を以て汝に付属す。乃至、迦葉阿難等も来らば復当に是の如き正法を付属す〕云云。故に知んぬ、文殊迦葉に大法を付属すべしと云云。仏より付属する処の法は小乗也。悟性論に云く ̄人心をさとる事あれば、菩提の道を得る故に仏と名づく。菩提に五あり、何れの菩提ぞや。得道又種種也。何れの道ぞや。余経に明かす所は大菩提にあらず。又無上道にあらず。経に云く_四十余年 未顕真実〔四十余年には未だ真実を顕さず〕云云。[p0017-0018]
 問て云く法華は貴賎男女何れの菩提の道を得べきや。[p0018]
 答て云く 乃至於一偈 皆成仏無疑〔乃至一偈に於てもせば 皆成仏せんこと疑なし〕云云。又云く_正直捨方便 但説無上道〔正直に方便を捨てて 但無上道を説く〕云云。是に知んぬ、無上菩提也。_須臾聞之。即得究竟阿耨多羅三藐三菩提〔須臾も之を聞かば即ち阿耨多羅三藐三菩提を究竟することを得ん〕也。此の菩提を得ん事須臾も此の法門を聞く功徳也。[p0018]
 問て云く 須臾とは三十須臾を一日一夜と云ふ。須臾聞之の須臾は之を指すか、如何。[p0018]
 答ふ 件の如し。天台止観の二に云く ̄無須臾廃〔須臾も廃すること無し〕云云。弘決に云く ̄不許暫廃故云須臾。故須臾刹那也〔暫くも廃することを許さざる故に、須臾と云ふ。故に須臾は刹那なり〕。[p0018]
 問て云く 本分の田地にもとづくを禅の規模とす。[p0018]
 答ふ 本分の田地とは何者ぞや。又何れの経に出でたるぞや。法華経こそ人天の福田なればむね(宗)と人天を教化し給ふ。故に仏を天人師と号す。此の経を信ずる者は己身の仏を見るのみならず、過現未の三世の仏を見る事、浄頗梨に向ふに色像を見るが如し。経に云く_又如浄明鏡悉見諸色像〔また、浄明鏡の悉く諸の色像を見るが如し〕云云。[p0018]
 禅宗云く 是心即仏 即身是仏と。[p0019]
 答て云く 経に云く_心是第一怨。此怨最為悪。此怨能縛人 送到閻魔処。汝独地獄焼 為悪業所養 妻子兄弟等 親族不能救〔心は是れ第一の怨なり。此の怨、最も悪と為す。此の怨能く人を縛り、送って閻魔の処に到る。汝独り地獄に焼かれて、悪業の為に養う所の妻子兄弟等親族も救ふこと能わず〕云云。涅槃経に云く_願作心師 不師於心〔願って心の師と作るとも、心を師とせざれ〕云云。愚痴無懺の心を以て即心即仏と立つ。豈に未得謂得未証謂証之人に非ずや。[p0019]
 問ふ 法華宗の意如何。[p0019]
 答ふ 経文に具三十二相 乃是真実滅〔三十二相を具しなば 乃ち是れ真実の滅ならん〕云云。或は速成就仏身〔速かに仏身を成就することを得せしめんと〕云云。禅宗は理性の仏を尊て、己れ仏に均しと思ひ、増上慢に堕つ。定んで是れ阿鼻の罪人也。故に法華経に云く_増上慢比丘。将墜於大坑〔増上慢の比丘は将に大坑に墜つべし〕。[p0019]
 禅宗云く 毘盧の頂上を踏むと。[p0019]
 云く 毘盧とは何者ぞや。若し周遍法界の法身ならば山川大地も皆是れ毘盧の身土也。是れ理性の毘盧也。此の身土に於ては狗野干の類も是れを踏む。禅宗の規模にあらず。若し実に仏の頂を踏まん歟、梵天も其の頂を見ずと云へり。薄地争でか之を踏むべき耶。夫仏は一切衆生に於て主師親之徳有り。若し恩徳広き慈父を踏まんは不孝逆罪之大愚人・悪人也。孝子の典籍尚お以て此の輩を捨つ。況んや如来の正法をや。豈に此の邪類邪法を讚めて、無量の重罪を獲んや、云云。在世の迦葉は頭頂礼敬と云ふも、滅後の暗禅は頂上を踏むと云ふ。恐るべし。[p0019]
 禅宗云く 教外別伝 不立文字。[p0019]
 答て云く 凡そ世流布之教に三種を立つ。此れに二十七種あり。二には道教。此れに二十五家あり。三には十二分経。天台宗には四教八教を立つる也。此れ等を教外と立つる歟。医師の法には外経師と云ふ。人間の言には姓のつづかざるをば外戚と云ふ。仏経には経論にはなれたるをば外道と云ふ。涅槃経に云く_若有不順仏所説者 当知是人是魔眷属〔若し仏の所説に順わざる者あらば、当に知るべし、是の人は是れ魔の眷属なり〕云云。弘決の九に云く ̄法華已前猶是外道弟子也〔法華已前猶お是れ外道の弟子なり〕云云。[p0019-0020]
 禅宗云く 仏祖不伝〔仏祖伝えず〕云云。[p0020]
 答て云く 然らば、何ぞ西天の二十八祖・東土の六祖を立つる耶。付属摩訶迦葉の立義、已に破るゝ歟。自語相違は如何。[p0020]
 禅宗云く 向上の一路は先聖不伝云云。[p0020]
 答ふ 爾らば今の禅宗も向上に於ては解了すべからず。若し解せずんば、禅に非ざる歟。凡そ向上を歌いて以て軽慢に住し、未だ妄心を治せずして見性に奢り、機と法と相乖くこと此の責め尤も親し。旁く化儀を妨ぐ、其の失転た多し。謂く教外と号し、剰へ教外を学び、分筆を嗜みながら不立文字〔文字を立てず〕。言と心と相応せず。豈に天魔の部類・外道の弟子に非ずや。仏は文字に依て衆生を度し給ふ也。[p0020]
 問ふ 其の証拠如何。[p0020]
 答て云く 涅槃経十五に云く_願諸衆生 悉是受持出世文字〔願わくは諸の衆生、悉く是れ出世の文字を受持せよ〕。像法決疑経に云く_依文字故度衆生得菩提〔文字に依るが故に衆生を度し菩提を得〕云云。若し文字を離れば何を以てか仏事とせん。禅宗は言語を以て人に示さざらんや。若し示さずといはば南天竺の達磨は四巻の楞伽経に依て五巻の疏を作り、恵果に伝ふる時、我れ漢地を見るに、但此の経のみあて人を度すべし。汝此れに依て世を度すべし云云。若し爾れば、猥りに教外別伝と号せん乎。次に不伝之言に至りては、冷煖自知する也。此れを以て法華に云く_捨悪知識 親近善友〔悪知識を捨てて 善友に親近するを見ん〕。止観に云く ̄不値師者 邪慧日増 生死月甚 如稠林曵曲木 無有出期〔師に値はざれば、邪慧日に増し、生死月に甚く、稠林に曲木を曵くが如く、出期有ること無し〕云云。凡そ世間の沙汰、尚お以て他人に談合す。況んや出世の深理、寧ろ輒く自己を本分とせん耶。故に経に云く_不可見近如人睫 不可見遠空中の鳥の跡のごとし〔近きを見るべからざること人の睫の如く、遠きを見ざること空中の鳥の跡のごとし〕云云。上根上機の坐禅は且く之を置く。当世の禅宗は、瓮を蒙りて壁に向ふが如し。経に云く_盲冥無所見。不求大勢仏及与断苦法 深入諸邪見 以苦欲捨苦〔盲冥にして見る所なし。大勢の仏および断苦の法を求めず。深く諸の邪見に入て苦を以て苦を捨てんと欲す〕云云。弘決に云く ̄世間顕語尚不識 況中道遠理。常密教寧当可識〔世間の顕語、尚お識らず、況んや中道の遠理をや。常の密教、寧ろ当に識るべけんや〕云云。当世の禅は皆是れ大邪見の輩也。就中、三惑未断の凡夫の語録を用て四智円明の如来の言教を軽んずる、返す返す過てる者哉。疾の前に薬なし、機の前に教なし。等覚の菩薩尚お教を用ひき。底下の愚人何ぞ経を信ぜざる云云。是れを以て漢土に禅宗興ぜしかば其の国忽ちに亡びき。本朝の滅すべき瑞相に闇証の禅師充満す。止観に云く ̄此則法滅夭怪 亦是時代夭怪〔此れ則ち法滅の夭怪。亦是れ時代の夭怪なり〕云云。[p0020-0021]
 禅宗云く 法華宗は不立文字の義を破す。何故ぞ仏は一字不説と説き給ふや。[p0021]
 答ふ 汝、楞伽経の文を引く歟。本法自法の二義を知らざる歟。学ばずんば習ふべし。其の上、彼の経に於ては、未顕真実と破られ畢んぬ。何ぞ指南と為さん。[p0021]
 問て云く 像法決疑経に云く_不見如来説一句法〔如来、一句の法を説きたまふを見ず〕云云。如何。[p0021]
 答ふ 是れは常施菩薩の言也。法華経には_菩薩聞是法 疑網皆已除 千二百羅漢 悉亦当作仏〔我是の法音を聞いて 未曾有なる所を得て 心に大歓喜を懐き 疑網皆已に除こりぬ〕と云ふ。八万の菩薩も千二百の羅漢も悉く皆列座し、聴聞随喜す。常施一人は見ず。何れの説に依るべき。何に況んや次下に_然諸衆生 有見出没 説法度人〔然るに諸の衆生、出没有るを見て、法を説いて人を度す〕云云。何ぞ不説之一句を留めて可説之妙理を失ふべき。汝が立義、一一大僻見也。執情を改めて法華に帰伏すべし。然らずんば、豈に無道心に非ず耶。[p0021-0022]

#0005-400.TXT 諸宗問答鈔 建長七(1255) [p0022]

 問て云く 法華宗の法門は天台・妙楽・伝教等の釈をば御用ひ候哉如何。[p0022]
 答て云く 最も此の御釈共を明鏡の助証として立て申す法門にて候。[p0022]
 問て云く 何を明鏡として立てられ候ぞや。彼の御釈共には爾前権教を簡び捨てらる事候はず。随て或は初後仏慧円頓義斉とも、或は此妙彼妙妙義無殊〔此の妙、彼の妙、妙義に殊ることなし〕とも釈せられ、華厳と法華と、仏慧は同じ仏慧にて異なること無しと釈せられ候。通教別教の仏慧も法華と同じと見えて候。何を以て偏に法華勝れたりとは仰せられ候哉。意得られず候、如何。[p0022]
 答て云く 天台の御釈を引かれて候は定めて天台宗にて御坐候らん。然らば天台の御釈には教道・証道とて二筋を以て六十巻を作られ候。教道は即ち教相の法門にて候。証道は則ち悟りの方にて候。只今引かれ候釈の文共は教証の二の中には何れの文と御得意候て引かれ候や。若し教門の釈にて候はば、教相には三種の教相を立て候。爾前・法華を釈して勝劣を判ぜられたり。三種の教相には何哉と之を尋ぬべし。若し三種の教相と申すは一には根性の融不融の相、二には化導の始終不始終の相、三には師弟の遠近不遠近の相也と答へば、さては只今引かるゝ御釈は何れの教相にて引かれ候哉と尋ぬべき也。根性の融不融の下にて釈せらると答へば又押し返して問ふべし。根性の融不融の下には約教・約部とて二法門あり何れ哉と尋ぬべし。若し約教の下と答へば又問ふべし。約教・約部に付けて与奪の二の釈候。只今の釈は与の釈なる歟、奪釈なる歟と之を尋ぬべし。[p0022-0023]
若し約教・約部をも与奪をも弁へずと云はば、さては天台宗の法門は堅固に御無沙汰にて候けり。尤も天台法華の法門は教相を以て諸仏の御本意を宣べられたり。若し教相に闇くして法華の法門をいへば ̄雖讃法華経還死法華心〔法華経を讃むると雖も還て法華の心を死(ころ)す〕とて、法華の心を殺すと云ふ事にて候。其の上 ̄若弘余経不明教相 於義無傷。若弘法華不明教相者 文義有闕〔若し余経を弘むるに教相を明らめざるも、義に於て傷つくることなし。若し法華を弘むるに教相を明さざれば、文義闕けることあり〕と釈せられて、殊更教相を本として天台の法門は建立せられて候。仰せられ候如く、次第も無く偏円をも簡ばず、邪正も選ばず法門申さん物をば信受せざれと、天台堅く誡められ候也。是れ程知食せられざる候ひけるに中々天台の御釈を引かれ候事浅{暖(日→けものへん)}御事也と責むべきなり。[p0023]
但し天台の教相を三種に立てらるゝ中に、根性の融不融の相の下にて相待妙・絶待妙とて二妙を立て候。相待妙の下にて又約教・約部の法門を釈して仏教の勝劣を判ぜられて候。約教の時は一代教を蔵通別円の四教に分けて、之に付けて勝劣を判じける時は、前三為・、後一為妙とは判ぜられて、蔵通別の三教をば・教と簡び、後一をば妙法と選び取られ候ども、この時もなほ爾前権教の当分の得道を許し、且つ華厳等の仏慧と法華の仏慧とを等しからしめて、只今の初後仏慧円頓義斉の与の釈を作られ候也。然りと雖も、約部の時は一代の教を五字に分けて五味に当て、華厳部・阿含部・方等部・般若部・法華部と立てられ、前四味為、後一を為妙と判じて、奪の釈を作られ候也。然らば奪の釈に云く ̄細人人二倶犯 過随過辺説倶名人〔細人人、二倶に犯す。過随過辺、倶に名づけて人と説く〕と立て了ぬ。此の釈の意は華厳経にも別円二教を説いて候間、円の方は仏慧と云はる也。方等部にも蔵通別円の四教を説き候間、円の方は又仏慧也。般若部にも通別円の後三教を説いて候間、其れも円の方は仏慧也。然りと雖も、華厳は別教と申す悪物を連れて説かれ候間、悪物に連れたる仏慧なりとて簡ばるなり。方等の円も前三教の悪物を連れたる仏慧なり。然る間、仏慧の名は同じと雖も、過辺に従ひてと云はれて、わるき円教の仏慧と下され候也。之に依て四教にても真実の勝劣を判ずるときは、一往三蔵名為小乗 再往三教名為小乗〔一往は三蔵を名づけて小乗となし、再往は三教を名づけて小乗となす〕と釈して、一往の時は二百五十戒等の阿含三蔵教の法門を總じて小乗の法と簡び捨てらるれども、再往の釈の時は三蔵教と、大乗と云ひつる通教と、別教との三教皆小乗法と、本朝の智証大師も法華論の記と申す文を作りて判釈せられて候也。[p0023-0024]
次に絶待妙と申すは開会の法門にて候也。此の時は爾前権教とて嫌ひ捨てらるゝ所の教を皆法華の大海に収め入るゝ也。随て法華の大海に入りぬれば爾前の権教とて嫌はる者無き也。皆法華の大海の不可思議の徳として、南無妙法蓮華経と云ふ一味にたゝきなしつる間、念仏・戒・真言・禅とて別の名言を呼び出すべき道理かつて無きなり。随て釈に云く ̄〔諸水入海 同一鹹味 諸智入如実智 失本名字〔諸水、海に入れば同一の鹹味なり。諸智、如実智に入れば本の名字を失ふ〕等と釈して、本の名字を一言も呼び顕すべからずと釈せられて候。世間の天台宗は開会の後は相待妙の時斥ひ捨てられし所の前四味の諸経の名言を唱ふるも、又諸仏菩薩の名言を唱ふるも、皆是れ法華の妙体にて有る也。大海に入らざる程こそ各別の思ひなりけれ。大海に入て後に見れば日来悪し善と斥ひ用ひけるは大僻見にて有りけり。斥はるゝ諸流も、用ひらるゝ冷水も、源はたゞ大海より出でたる一水にて有りけり。然れば何水と呼びたりとても、ただ大海の一水に於て別々の名言をよびたるにてこそあれ各別々々の者と思ひてこそ過はあれ、只大海の一水と思ひて何れをも心に任せて有縁に随て唱へ持つに苦しかるべからずとて、念仏をも真言をも何れをも心に任せて持ち唱ふるなり。[p0024-0025]
今云ふ 此の義は与へて云ふ時はさも有るべき歟と覚ゆれども、奪って云ふ時は随分の堕地獄の義也。其の故は縦ひ一人此の如く意得、何れをも持ち唱ふるとても、此の心子を得ざる時は、只例の偏見偏情にて持ち唱ふれば、一人成仏するとも万人は皆地獄に堕すべき邪見の悪義也。爾前に立つる所の法門の名言と其の法門の内に談ずる所の道理の所詮とは、皆是れ偏見偏情によりて入邪見稠林 入邪見稠林〔邪見の稠林 若しは有若しは無等に入り〕の権教也。然らば此れ等の名言を持て持ち唱へ、此れ等の所詮の理を観ずれば偏に心得、心得ず、みな地獄に堕すべし。心得たりとて唱へ持つ者は牛蹄に大海を収めるもの、是の如きは僻見の者也。何ぞ三悪道を免れん。又心得ざる者の唱へ持つは本より迷惑の者なれば、邪見権教の執心に依て無間大城に入らん事疑ひ無き者也。開会の後も教と斥ひ捨つるなり。悪法をば名言をも所詮の極理をも唱へ持つべからず。[p0025-0026]
弘決二の釈に云く ̄相対絶待倶須離悪。円著尚悪。況復余耶〔相対絶待倶に須らく悪を離るべし。円に著する尚お悪なり。況んや復余をや〕云云。此の文の心は相待妙の時も絶待妙の時も倶に須らく悪法をばはなるべし。円に著する尚お悪也。況復余耶〔況んや復余をや〕と云ふ文也。円とは満足の義也。余とは闕減の義なり。円教の十界平等に成仏する法をすら著したる方を悪ぞと斥ふ。況んや復十界平等に成仏せざるの悪法の闕たるを以て執著をなして、朝夕受持読誦解説書写せんをや。仮令爾前の円を今の法華に開会し入るゝとも、爾前の円は法華と一味となる事無し。法華の体内に開会し入れられても、体内の権と云はれて実とは云はれざるなり。体内の権を体外に取り出だして且く_於一仏乗。分別説三〔一仏乗に於て分別して三と説きたもう〕する時、権に於て円の名を付けて三乗の中の円教と云はれたるなり。[p0026]
之に依て古へも金杖の譬へを以て三乗にあてゝ沙汰する事あり。譬へば金の杖を三に打ち折りて一づゝ三乗の機根に与へて、何れも皆金なり、然らば何ぞ同じ金に於て差別の思ひを成して勝劣を判ぜんやと談合したり。此れはうち開く所はさもやと覚えたれども、悪く学ぶ者の心得なり。今云ふ 此の義は譬へば法華の体内の権の金杖を仏三根に宛て、三度打ち振り給へる其の影を機根が見付けずして、皆真実の思ひを成して、己が見に任せたるなり。其れ真実には金杖を打ち折りて三になしたる事が有らばこそ、今の譬へは合譬とは成る。仏は権の金杖を折らずして三度振り給へるを、機根有りて三に成りたりと執著し心得たるは、返す返す不心得の大邪見也、大邪見也。三度振りたるも法華の体内の権の功徳を体外の三根に宛て三度振りたるにてこそ有れ。全く妙体不思議の円実を振りたる事無きなり。然れば体外の影の三乗を体内の本の権の本体へ開会し入るれば、本の体内の権と云はれて、全く体内の円とは成らざるなり。此の心を以て体内体外の権実の法門をば意得弁ふべき物なり。[p0026-0027]

 次に禅宗の法門は或は教外別伝 不立文字と云ひ、或は仏祖不伝と云ひ、修多羅の教は月をさす指の如しとも云ひ、或は即身即仏とも云ひ、文字をも立てず、仏祖にも依らず、教法をも修学せず、画像木像をも信用せずと云ふなり。[p0027]
 反詰して云く 仏祖不伝と候こそ、月氏二十八祖・東土六祖とて相伝はせられ候哉。其の上迦葉尊者何ぞ一重だの花房を釈尊より授けられ、微笑して心の一法を霊山にして伝へたりとは自称する哉。又祖師無用ならば何ぞ達磨大師を本尊とする哉。修多羅の法無用ならば何ぞ朝夕の所作に真言陀羅尼をよみて、首楞厳経・金剛経・円覚経等を読誦する哉。又仏菩薩を信用せざれば、何ぞ南無三宝と行住坐臥に唱ふる哉、と責むべき也。[p0027-0028]
 次に聞知せざる言を以て種々申し狂はば云ふべし、およそ機には上中下の三根あり。随て法門も三根に与へて説く事なり。禅宗の法門にも理致・機関・向上とて三根に宛て法門を示され候也。御辺は某が機をば三根の中には何れと知り分けて聞知せざる法門を仰せられ候哉。又理致の分歟、機関の分歟、向上の分に候歟、と責むべきなり。理致と云はば下根に道理を云ひきかせて禅の法門を知らする名目なり。機関とは中根の者には何なるか本来の面目と問へば、庭前の柏樹子なんど答へたることばづかひをして禅法を示す様なり。向上と云はば上根の者の事なり。此の機は祖師よりも伝へず、仏よりも伝へず、我として禅の法門を悟る機也。迦葉霊山微咲の花に依て心の一法を得たりと云ふ時に是れなほ中根の機也。所詮の法門と云ふ事は迦葉一枝の花房を得たりしより以来出来せる法門也。抑そも伝ふる時の花房は木の花歟、草の花歟、五色の中には何さま色の花哉。又花の葉は何重の華哉。委細に之を尋ぬべきなり。此の花を有間に云ひ出だしたる禅宗有らば、実に心の一法をも一分得たる者と知るべきなり。たとひ得たりとは存知すとも真実の仏意には叶ふべからず。如何となれば法華経を信ぜざる故也。此の心は法華経方便品の終りの長行に委しく見えたり。委しくは引いて拝見し奉るべき也。[p0028-0029]
 次に禅の法門は何としても物に著する所を離れよと教えたる法門にて有る也。さあと云へば其れは情也。かうと云ふも其れも情也。あなたこなたへすべり、止まらざる法門にて候也。夫を責むべき様は、他人の情に著したらん計りをば沙汰して、己が情量に著し封せらる所をば知らざる也。云ふべきさまは、御辺は人の情計りをば責むれども、御辺の人情ぞと執したる情をなど離れずと反詰すべき也。凡そ法として三世諸仏の説きのこしたる法は無き也。汝仏祖不伝と云ひて仏祖よりも伝へずとなのらば、さては禅法は天魔の伝ふる所の法門なり、如何。然る間、汝断常の二見を出でず、無間地獄に堕せん事疑ひ無しと云ひて、何度もかれが云ふ言にて、やゝもすれば己がつまる語也。されども非学匠は理につまらっずと云ひて、他人の道理をも自分の道理をも聞知せざる間、闇証の者とは云ふ也。都て理におれざる也。譬へば行く水にかずかく(書)が如し。[p0029]
 次に即身即仏とは、即身即仏なる道理を立てよと責むべし。其の道理を立てずして、無理に唯即身即仏と云はば、例の天魔の義也と責むべし。但即身即仏と云ふ名目を聞くに、天台法華宗の即身即仏の名目づかひを盗み取りて、禅宗の家につかふと覚へたり。然れば法華に立つる様なる即身即仏なる歟、如何とせめよ。若し其の義無く押して名目をつかはば、つかはるゝ語は無障礙の法也。譬へば民の身として国王と名乗らん者の如く也。如何に国王と云ふとも、言には障りなし。己が舌の和やかなるまゝに云ふとも、其の身は即ち土民の卑しく嫌われたる身也。又瓦礫を玉と云ふ者の如し。石瓦を玉と云ひたりとも曾て石は玉にならず。汝が云ふ所の即身即仏の名目も此の如く有名無実也。不便也、不便也。[p0029-0030]
 文字は是れ一切衆生の心法の顕れたる質也。されば人のかける物を以て其の人の心根を知りて相する事あり。凡そ心と色法とは不二の法にて有る間、かきたる物を以て其の人の貧福をも相する也。然らば文字は是れ一切衆生の色心不二の質也。汝若し文字を立てざれば、汝が色心をも立つべからず。さてと云ふも、かうと云ふも、有と無との二見をば離れず。無と云はば無の見也とせめよ。有と云はば有の見也とせめよ。何れも何れも叶わざる事也。[p0030]
 次に修多羅の教は月をさす指の如しと云ふは、月を見て後は徒者と云ふ義なる歟。若し其の義にて候はば、御辺の親も徒者と云ふ義歟。又師匠は弟子の為の徒者歟。又大地は徒者歟。又天は徒者歟。如何となれば父母は御辺を出生するまでの用にてこそあれ、御辺を出生して後はなにかせん。人の師は物を習ひ取るまでこそ用なれ、習ひ取りて後は無用也。夫れ天は雨露を下すまでこそあれ、雨ふりて後は天無用也。大地は草木を出生せんが為也、草木を出生して後は大地無用也と云はん者の如し。是れを世俗の者の譬へに、喉過ぎぬればあつさわすれ、病癒えぬれば医師をわすると云ふらn譬へに少しも違はず相似たり。[p0030-0031
 ]所詮修多羅と云ふも文字也。文字是三世諸仏気命也〔文字は是れ三世諸仏の気命なり〕と天台釈し給へり。天台は震旦の禅宗の祖師の中に入りたり。何ぞ祖師の言を嫌はん。其の上御辺の御辺の色心也。凡そ一切衆生の三世不断の色心也。何ぞ汝本来の面目を捨て不立文字徒云ふ耶。是れ昔し移宅しけるに我が妻を忘れたる者の如し。真実の禅法をば何としてか知るべき。哀なる禅の法門かなと責むべし。[p0031]

 次に華厳・法相・三論・倶舎・成実・律宗等の六宗の法門、いかに花をさかせても、申しやすく返事すべき方は、能く能くいはせて後、南都の帰伏状を唯よみきかすべき也。既に六宗の祖師が帰伏の状をかきて桓武天皇に奏し奉る。仍て彼の帰伏状を山門に納められぬ。其の外内裏にも記されたり。諸道の家家にも記し留めて今にあり。其れより以来、華厳宗等の六宗の法門、末法の今に至るまで一度も頭をさし出ださず。何ぞ唯今事新しく捨てられたる所の権教無得道の法にをいて真実の思ひをなし、此の如く仰せられ候ぞや。心得られずとせむべし。[p0031]

 次に真言宗の法門は、先づ真言三部経は大日如来の説歟、釈迦如来の説歟と尋ね定めて、釈迦の説を云はば、釈尊五十年の説教にをいて已今当の三説を分別せられたり。其の中に大日経等の三部は何れの分にをさまり候ぞと之を尋ぬべし。三説の中にはいづくにこそおさまりたりと云はば、例の法門にてたやすかるべき問答也。若し法華と同時の説也、義理も法華と同じと云はば、法華は是れ純円一実の教にて曾て方便を交へて説く事なし。大日経等は四教を含用したる経也。何ぞ時も同じ義理も同じと云はんや、謬り也とせめよ。[p0031-0032]
 次に大日如来の説法と云はば、大日如来の父母と、生ぜし所と、死せし所を委しく沙汰し問ふべし。一句一偈も大日の父母なし、説所なし、生死の所なし。有名無実の大日如来也。然る間、殊に法門せめやすかるべき也。若し法門の所詮の理を云はば、教主の有無を定めて、説教の得不得をば極むべき事也。設ひ至極の理密・事密を沙汰すとも、訳者に虚妄有り、法華の極理を盗み取りて事密真言とか立てられてあるやらん、不審也。[p0032]
 次に大日如来は法身と云はば、法華よりは未顕真実と嫌ひ捨てられたる爾前権教にも法身如来と説かれたり。何ぞ不思議なるべきやと云ふべき也。若し無始無終の由を云ひていみじき由を立て申さば、必ず大日如来に限らず、我等一切衆生螻蟻蚊虻に至るまでみな無始無終の色心也。衆生に於て有始有終と思ふは外道の僻見也。汝外道に同ず、如何と云ふべき也。[p0032-0033]

 次に念仏は是れ浄土宗所用の義也。此れ又権教の中の権教也。譬へば夢の中の夢の如し。有名無実にして其の実無き也。一切衆生願ひて所詮なし。然らば云ふ所の仏も有名無実の阿弥陀仏也。何ぞ常住不滅の道理にしかんや。されば本朝の根本大師の御釈に云く ̄有為報仏夢中権果 無作三身覚前実仏〔有為の報仏は夢中の権果、無作の三身は覚前の実仏〕と釈して、阿弥陀仏等の有為無常の仏をば大にいましめ、捨てをかれ候也。既に憑む所の阿弥陀仏有名無実にして、名のみ有りて其の体なからんには、往生すべき道理をば、委しく須弥山の如く高く立て、大海の如くに深く云ふとも、何の所詮有るべきや。又経論に正しき明文ども有りと云はば、明文ありとも未顕真実の文也。浄土の三部経に限らず、華厳経等より初めて何の経教論釈にか成仏の明文無からん耶。然れども権教の明文なる時は、汝等が所執の拙きにてこそあれ、経論に無き僻事也。何れも法門の道理を宣べ厳り、依経を立てたりとも夢中の権果にて無用の義に成るべき也。返す返す。[p0033]

#0006-5K0.TXT 念仏無間地獄鈔 建長七(1255) [p0034]

 念仏は無間地獄之業因也。法華経は成仏無得道之直路也。早く浄土宗を捨て法華経を持ち生死を離れ菩提を得べき事。[p0034]
 法華経第二譬諭品に云く_若人不信 毀謗此経 則断一切 世間仏種〔若し人信ぜずして 此の経を毀謗せば 則ち一切世間の 仏種を断ぜん〕。其人命終 入阿鼻獄 具足一劫 劫尽更生 如是展転 至無数劫〔 其の人命終して 阿鼻獄に入らん 一劫を具足して 劫尽きなば更生れん 是の如く展転して 無数劫に至らん〕云云。此の文の如きは方便の念仏を信じて真実の法華を信ぜざらん者は無間地獄に堕すべき也。[p0034]
 念仏者云く 我等が機は法華経に及ばざる間、信ぜざる計り也。毀謗する事はなし。何の失に地獄に堕つべき乎。[p0034]
 法華宗云く 信ぜざる條は承伏なる歟。次に毀謗と云ふは即ち不信也。信は道の源、功徳の母と云へり。菩薩の五十二位は十信を本と為し、十信の位は信心を始めと為し、諸の悪業煩悩は不信を本と為す云云。然らば譬諭品の十四誹謗も不信を以て体と為せり。今の念仏門は不信と云ひ、誹謗と云ひ、争でか入阿鼻獄之句を遁れん乎。其の上浄土宗には現在の父たる教主釈尊を捨て、他人たる阿弥陀仏を信ずる故に、五逆罪之咎に依て、必ず無間大城に堕つべき也。経に_今此三界 皆是我有〔今此の三界は 皆是れ我が有なり〕と説き給ふは主君の義也。_其中衆生 悉是吾子〔其の中の衆生は 悉く是れ吾が子なり〕と云ふは父子の義也。_而今此処 多諸患難 唯我一人 能為救護〔而も今此の処は 諸の患難多し 唯我一人のみ 能く救護を為す〕と説き給ふは師匠の義也。而も釈尊付属の文に此の法華経をば付嘱有在と云云。何れの機か漏るべき。誰人か信ぜざらん乎。而るに浄土宗は主師親たる教主釈尊の付属に背き、他人たる西方極楽世界の阿弥陀如来を憑む。故に主に背けり。八逆罪の凶徒なり。違勅の咎、遁れ難し。即ち朝敵也。争でか咎無からん乎。次に父の釈尊を捨つる故に五逆罪の者也。豈に無間地獄に堕ちざるべけん乎。次に師匠の釈尊に背く故に七逆罪の人也。争でか悪道に堕ちざらん乎。此の如く、教主釈尊は娑婆世界の衆生には主師親の三徳を備へて大恩の仏にて御坐す。此の仏を捨て他方の仏を信じ、弥陀・薬師・大日等を憑み奉る人は、二十逆罪の咎に依て悪道に堕つべき也。[p0034-0035]
浄土の三部経とは釈尊一代五時の説教の内、第三方等部の内より出でたり。此の四巻三部の経は全く釈尊の本意に非ず。三世諸仏の本懐にも非ず。唯暫く衆生誘因の方便也。譬へば塔をくむに足代をゆふ(結)が如し。念仏は足代也。法華は宝塔也。法華を説き給ふまでの方便也。法華の塔を説き給ふて後は念仏の足代をば切り捨つべき也。然るに法華経を説き給ふて後、念仏に執著するは塔をくみ立てて後、足代に著して塔を用ひざる人の如し。豈に違背の咎無からん乎。[p0035]
然れば法華の序分、無量義経には四十余年。未顕真実〔四十余年には未だ真実を顕さず〕と説き給ひて念仏の法門を打ち破り給ふ。正宗法華経には正直捨方便 但説無上道〔正直に方便を捨てて 但無上道を説く〕と宣べ給ひて念仏三昧を捨て給ふ。之に依て阿弥陀経の対告衆長老舎利弗尊者、阿弥陀経を打ち捨て、法華経に帰伏して、華光如来と成り畢んぬ。四十八願付属之阿難尊者も浄土の三部経を抛ちて、法華経を受持して、山海慧自在通王仏成り了ぬ。阿弥陀経の長老舎利弗は千二百の羅漢の中に智慧第一の上首の大声聞、閻浮第一の大智者也。肩を竝ぶる人なし。阿難尊者は多聞第一の極聖、釈尊一代の説法を空に誦せし広学の智人也。かゝる極位の大阿羅漢すら尚お往生成仏の望みを遂げず。仏在世の祖師、此の如し。祖師の跡を踏むべくは、三部経を抛ちて法華経を信じ、無上菩提を成ずべき者也。[p0035-0036]
仏の滅後に於ては、祖師先徳多しと雖も、大唐楊州の善導和尚にまさる人なし。唐土第一の高祖也云云。始めは楊州の明勝と云はる聖人を師と為して法華経を習ひたりしが、道綽禅師に値ひて浄土宗に移り、法華経を捨て念仏者と成り、一代聖教に於て聖道・浄土の二門を立てたり。法華経等の諸大乗経をば聖道門と名づけ、自力の行と嫌へり。聖道門を修行して成仏を願はん人は、百人にまれに一人二人、千人にまれに三人五人得道する者や有らんずらん。乃至千人に一人も得道なき事も有るべし。観経等の三部経を浄土門と名づけ、此の浄土門を修行して他力本願を憑みて往生を願はん者は、十即十生百即百生とて十人は十人、百人は百人、決定往生すべしとすゝめたり。観無量寿経を所依と為して四巻の疏を作る。玄義分・序分義・散善義、是れ也。其外、法事讃上下・般舟讃・往生礼讃・観念法門経、此れ等を九帖の疏と名づけたり。善導念仏し給へば口より仏の出で給ふと云ひて、称名念仏一遍を作すに三体づつ口より出だし給ひけりと伝へたり。毎日の所作には阿弥陀経六十巻、念仏十万遍、是れを欠く事なし。諸の戒品を持ちて一戒も破らず、三衣は身の皮の如く脱ぐ事なく、鉢{缶+并}は両目の如く身を離さず、精進潔斎す。女人を見ずして一期生、不眠三十年也と自歎す。凡そ善導の行儀法則を云へば、酒肉五辛を制止して口に齧まず手に取らず。未来の諸の比丘も是の如く行ずべしと定めたり。一度酒を飲み、肉を食ひ、五辛等を食ひ、念仏申さん者は三百万劫が間地獄に堕つべしと禁めたり。善導が行儀法則は本律の制に過ぎたり。法然房が起請文にも書き載せたり。一天四海、善導和尚を以て善知識と仰ぎ、貴賎上下皆悉く念仏者と成れり。[p0036-0037]
但し一代聖教の大王、三世諸仏の本懐たる法華の文には、若有聞法者 無一不成仏〔若し法を聞くことあらん者は 一りとして成仏せずということなけん〕と説き給へり。善導は法華経を行ぜん者は千人に一人も得道の者有るべからずと定む。何れの説に付くべき乎。無量義経には念仏をば未顕真実とて実に非ずと言ふ。法華経には正直捨方便 但説無上道〔正直に方便を捨てて 但無上道を説く〕とて、正直に念仏の観経を捨て無上道の法華経を持つべしと言ふ。此の両説水火也。何れの辺に付くべき乎。善導が言を信じて法華経を捨つべき歟。法華経を信じて善導の義を捨つべき歟、如何。[p0037]
夫れ一切衆生皆成仏道の法華経、一聞法華経 決定成菩提の妙典、善導が一言に破れて千中無一虚妄の法と成り、無得道教と云はれ、平等大慧の巨益は虚妄と成り、多宝如来の皆是真実の証明の御言妄語と成る乎。十方諸仏の上至梵天の広長舌も破られ給ひぬ。三世諸仏の大怨敵と為り、十方如来成仏の種子を失ふ大謗法の科甚だ重し。大罪報の至り、無間大城の業因也。之に依て忽ちに物狂ひにや成りけん。所居の寺の前の柳の木に登りて、自ら首をくゝりて身を投げ死し畢んぬ。邪法のたゝり踵を回さず、冥罰爰に見(あらは)れたり。最後臨終の言に云く ̄、此身可厭 被責諸苦 暫無休息。即登所居 寺前柳木 向西願曰 仏威神以取我 観音勢至来又扶我。唱畢青柳上投身自絶〔此の身厭ふべし、諸苦に責められ暫くも休息なし、と。即ち所居の寺の前の柳の木に登り、西に向ひ願ひて曰く 仏の威神以て我を取り、観音勢至来りて又我を扶けたまえと。唱へ畢りて青柳の上より身を投げて自ら絶す〕云云。三月十七日くびをくゝりて飛びたりける程に、くゝり縄や切れけん、大旱魃の堅土の上に落ちて腰骨を打ち折て、二十四日に至るまで七日七夜の間、悶絶躄地しておめきさけびて死畢んぬ。[p0037-0038]
さればにや是れ程の高祖をば往生の人の内には入れざるやらんと覚ゆ。此の事全く余宗の誹謗に非ず、法華宗の妄語にも非ず、善導和尚直筆の類聚伝の文也云云。而も流れを汲む者は其の源を忘れず、法を行ずる者は其の師の跡を踏むべし云云。浄土門に入て師の跡を踏むべくは、臨終の時善導が如く自害有るべき歟。念仏者として首をくゝらずんば師に背く咎有るべきか、如何。[p0038]
日本国には法然上人、浄土宗の高祖也。十七歳にして一切経を習ひ極め、天台六十巻に渡り、八宗を兼学して、一代聖教の大意を得たりとのゝしり、天下無双の智者、山門第一の学匠也云云。然るに天魔や其の身に入りにけん、広学多聞の智慧も空しく、諸宗の頂上たる天台宗を打ち捨て、八宗の祖となる念仏者の法師と成りにけり。大臣公卿の身を捨て民百生と成るが如し。選択集と申す文を作りて、一代五時の聖教を難破し、念仏往生の一聞を立てたり。仏説法滅尽経に云く_五逆濁世魔道興盛魔作沙門壊乱吾道〔五濁悪世には魔道興盛し、魔沙門と作つて吾道を壊乱せん〕。~悪人転多如海中沙〔悪人転た多く海中の沙の如く〕。~ 善人甚少若一若二人〔善人は甚だ少くして若しは一若しは二人〕等云云。即ち法然房是れ也と山門の状に書かれたり。我が浄土宗の専修の一行をば五種の正行と定め、権智顕密の諸大乗をば五種の雑行と簡(きらひ)て、浄土門の正行をば善導の如く決定往生と勧めたり。観経等の浄土の三部経の外、一代顕密の諸大乗経、大般若経を始めと為して、終り法常住経に至るまで貞元録に載す所の六百三十七部、二千八百八十三巻は皆是れ千中無一の徒物也。長く得道有るべからず。難行聖道門は文を閉じ、之を抛ち、之を捨て浄土門に入るべしと勧めたり。一天の貴賎首を傾け、四海の道俗掌を合わせ、或は勢至の化身と号し、或は善導の再誕なりと仰ぎ、一天四海になびかぬ木草なし。智慧日月の如く世間を照らして肩を竝ぶる人なし。名徳は一天に充て善導に超へ、曇鸞・道綽にも勝れたり。貴賎上下、皆選択集を以て仏法の明鏡なりと思ひ、道俗男女悉く法然房を以て生身の弥陀と仰ぐ。然りと雖も、恭敬供養する者は愚痴迷惑之在俗の人、帰依渇仰する人は無智放逸之邪見の輩也。権者に於ては之を用ひず。賢哲又之に随ふこと無し。[p0038-0039]
然る間、斗賀尾の明慧房は天下無双の智人、広学多聞の名匠也。摧邪輪三巻を造りて選択の邪義を破し、三井寺の長吏実胤大僧正は希代の学者、名誉の才人也。浄土決疑集三巻を作りて専修の悪行を難じ、比叡山の住侶仏頂房隆真法橋は天下無双の学匠、山門探題の棟梁也。弾選択上下を造りて法然房が邪義を責む。加之、南都・山門・三井より度度奏聞を経て、法然が選択之邪義、亡国之基為るの旨、訴え申すに依て、人王八十三代土御門院の御宇承元元年二月上旬に、専修念仏之張本たる安楽・住蓮等を捕縛へ、忽ちに頭を刎られ畢んぬ。法然房源空は、遠流之重科に沈み畢んぬ。其の時摂政左大臣家実と申すは近衛殿の御事也。此の事は皇代記に見えたり。誰か之を疑はん。加之、法然房死去の後も又重ねて山門より訴え申すに依て、人王八十五代後堀河院の御宇嘉禄三年、京都六個所の本所より法然房が選択集竝びに印版を責め出だして、大講堂の庭に取り上げて、三千の大衆会合し、三世の仏恩を報じ奉る也とて、之を焼失せしめ、法然房が墓所をば犬神人に仰せ付けて之を掘り出だして鴨河に流され畢んぬ。宣旨・院宣・関白殿下の御教書を五畿七道に成し下されて、六十六箇国に念仏の行者一日片時も之を置くべからず、対馬の島に追い遣るべき之旨、諸国の国司に仰せ付けられ畢んぬ。此れ等の次第、両六波羅の注進状、関東相模守の請文等、明鏡なる者也。[p0039-0040]
嘉禄三年七月五日に山門に下されし宣旨に云く ̄専修念仏之行者は諸宗衰微之基なり。ここに因て代代の御門、頻りに厳旨を降らされ、殊に禁遏を加ふるところなり。而るを頃年又興行を構へて山門訴え申さしむるの間、先符に任せて仰せ下さること先に畢んぬ。其の上且くは仏法の陵夷を禁せんが為、且くは衆徒之鬱訴をやわらぐるに依る。其の根本と謂るゝ隆寛・成覚・空阿弥陀仏等を以て、其の身を

#0007-500.TXT 一生成仏鈔 建長七(1255) [p0042]

夫無始の生死を留めて、此度決定して無上菩提を証せんと思はば、すべからく衆生本有の妙理を観ずべし。衆生本有の妙理者 妙法蓮華経是也。故に妙法蓮華経と唱へたてまつれば、衆生本有の妙理を観ずるにてあるなり。文理真正の経王なれば文字即実相也。実相即妙法蓮華経也。唯所詮一心法界の旨を説き顕を妙法と名く。故に此経を諸仏の智慧とは云ふなり。一心法界の旨者 十界三千の依正色心・非情草木・虚空刹土いづれも除かず、ちりも残らず、一念の心に収て、此の一念の心法界に・満するを指て万法とは云なり。此の理を覚知するを一心法界とも云なるべし。[p0042]
 但妙法蓮華経と唱へ持つと云とも若己身の外に法ありと思はば、全く妙法にあらず、・法なり。・法は今経にあらず。今経にあらざれば方便也。権門也。方便権門の教ならば、成仏の直道にあらず。成仏の直道にあらざれば、多生曠劫の修行を経て、成仏すべきにあらざる故に一生成仏叶がたし。故に妙法と唱へ蓮華と読ん時は、我一念を指て妙法蓮華経と名くるぞと、深く信心を発すべきなり。都て一代八万の聖教・三世十方の諸仏菩薩も我心の外に有とはゆめゆめ思ふべからず。[p0042-0043]
 然れば仏教を習ふといへども、心性を観ぜざれば全く生死を離るゝ事なきなり。若心外に道を求て、萬行万善を修せんは、譬ば貧窮の人日夜に隣の財を計へたれども、半銭の得分もなきが如し。然れば天台の釈の中には ̄若不観心不滅重罪〔若し観心せざれば重罪滅せず〕とて、若心を観ぜざれば、無量の苦行となると判ぜり。故にかくの如きの人をば仏法を学して外道となると恥しめられたり。爰を以て止観には ̄雖学仏教還同外見〔仏教を学ぶと雖も還りて外見と同じ〕と釈せり。[p0043]
 然間仏の名を唱へ経巻をよみ、華をちらし、香をひねるまでも、皆我が一念に納たる功徳善根なりと、信心を取べきなり。依之浄名経の中には諸仏の解脱を衆生心行に求めば衆生即菩提なり生死即涅槃なりと明せり。又衆生の心けがるれば土もけがれ、心清ければ土も清しとて、浄土と云ひ穢土と云も土に二の隔なし。只我等が心の善悪によると見えたり。衆生と云も仏と云も亦如此。迷ふ時は衆生と名づけ、悟る時をば仏と名づけたり。譬ば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し。只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり。是を磨かば必ず法性真如の明鏡となるべし。深く信心を発して、日夜朝暮に又怠らず磨くべし。何様にしてか磨くべき。只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを、是をみがくとは云なり。[p0043-0044]
 抑も妙とは何と云ふ心ぞや。只我が一念の心不思議なる処を妙とは云ふなり。不思議とは心も及ばず語も及ばずと云ふ事なり。然ればすなわち、起るところの一念の心を尋ね見れば、有りと云はんとすれば色も質もなし。又無しと云はんとすれば様様に心起る。有と思ふべきに非ず、無と思ふべきにも非ず。有無の二の語も及ばず、有無の二の心も及ばず。有無に非ずして、而も有無に・して、中道一実の妙体にして不思議なるを妙とは名づくるなり。[p0044]
 此妙なる心を名づけて法とも云ふなり。此法門の不思議をあらはすに譬を事法にかたどりて蓮華と名づく。一心を妙と知ぬれば、亦変じて余心をも妙法と知る処を妙経とは云ふなり。然ればすなわち、善悪に付て起り起る処の念心の当体を指て、是れ妙法の体と説き宣べたる経王なれば、成仏の直道とは云ふなり。此旨を深く信じて妙法蓮華経と唱へば、一生成仏更に疑あるべからず。故に経文には於我滅度後 応受持斯経 是人於仏道 決定無有疑〔 我が滅度の後に於て 斯の経を受持すべし 是の人仏道に於て 決定して疑あることなけん〕とのべたり。努努不審をなすべからず。穴賢穴賢。一生成仏の信心。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。[p0044-0045]

#0008-500.TXT 主師親御書 建長七(1255 or 1264) [p0045]

 釈迦仏は我等が為には主也・師也・親也。一人してすくひ護ると説き給へり。阿弥陀仏は我等が為には主ならず、親ならず、師ならず。然れば天台大師是れを釈して曰く ̄西方仏別縁異。仏別故隠顕義不成。縁異故父子義不成。又此経首末全無此旨。閉眼穿鑿。〔旧は西方無量寿仏を以て、以て長者に合す。今は之を用ひず。西方は仏別にして縁異なるなり。仏別なるが故に、隠顕の義成ぜず。縁異なるが故に父子の義成ぜず。又此の経の首末、全く此の旨無し。眼を閉ぢて穿鑿せよ〕と。[p0045]
 実なるかな、釈迦仏は中天竺の浄飯大王の太子として、十九の御年家を出で給ひて檀特山と申す山に篭もらせ給ひ、高峰に登りては妻木をとり、深谷に下りては水を結び、難行苦行して御年三十と申せしに仏にならせ給ひて、一代聖教を説き給ひしに、上には華厳・阿含・方等・般若等の種種の経経を説かせ給へども、内心には法華経を説かばやとおぼしめされしかども、衆生の機根まちまちにして一種ならざる間、仏の御心をば説き給はで、人の心に随ひ万の経を説き給へり。此の如く四十二年が程は心苦しく思し食しかども、今法華経に至りて我願既に満足しぬ。我が如くに衆生を仏になさんと説き給へり。久遠より已来、或は鹿となり、或は熊となり、或時は鬼神の為に食はれ給へり。此の如き功徳をば法華経を信じたらん衆生は_是真仏子〔是れ真の仏子〕とて、是れ実の我が子なり、此の功徳を此の人に与へんと説き給へり。是れ程に思し食したる親の釈迦仏をばないがしろに思ひなして_唯以一大事と説き給へる法華経を信ぜざらん人は、争でか仏になるべきや。能く能く心を留めて案ずべし。[p0045-0046]
 二の巻に云く_若人不信 毀謗此経 則断一切 世間仏種〔若し人信ぜずして 此の経を毀謗せば 則ち一切世間の 仏種を断ぜん〕。乃至不受 余経一偈〔乃至 余経の一偈をも受けざるあらん〕と。文の心は仏にならん為には、唯法華経を受持せん事を願ひて、余経の一偈一句をも受けざれと。三の巻に云く_如従飢国来 忽遇大王膳〔飢えたる国より来って 忽ちに大王の膳に遇わんに〕と。文の心は飢えたる国より来りて忽ちに大王の膳にあへり。心は犬野干の心を致すとも、迦葉・目連等の小乗の心をば起さざれ、破れたる石は合ふとも、枯木に花はさくとも、二乗は仏になるべからずと仰せられしかば、須菩提は茫然として手の一鉢をなげ、迦葉は涕泣の声大千界を響かすと申して歎き悲しみしが、今法華経に至りて迦葉尊者は光明如来の記別を授かりしかば、目連・須菩提・摩訶迦旃延等は是れを見て、我等も定めて仏になるべし。飢えたる国より来りて忽ちに大王の膳にあへるが如しと喜びし文也。[p0046-0047]
 我等衆生無始曠劫より已来、妙法の如意宝珠を片時も相離れざれども、無明の酒にたぼらかされて、衣の裏にかけたりとしらずして、少なきを得て足りぬと思ひぬ。南無妙法蓮華経とだに唱へ奉りたらましかば、速やかに仏に成るべかりし衆生どもの、五戒十善等のわずかなる戒を以て、或は天に生まれて、大梵天・帝釈の身と成りていみじき事と思ひ、或時は人に生まれて、諸の国王・大臣・公卿・殿上人等の身と成りて是れ程のたのしみなしと思ひ、少なきを得て足りぬと思ひ悦びあへり。是れを仏は夢の中のさかへ(栄)まぼろしのたのしみ也。唯法華経を持ち奉り速やかに仏になるべしと説き給へり。[p0047]
 又四の巻に云く_而此経者。如来現在。猶多怨嫉。況滅度後〔而も此の経は如来の現在すら猶お怨嫉多し、況んや滅度の後をや〕等云云。釈迦仏は師子頬王の孫、浄飯王には嫡子也。十善の位をすて、五天竺第一なりし美女耶輸多羅女をふりすてゝ、十九の御年に出家して勤め行ひ給ひしかば、三十の御年成道し御坐て三十二相八十種好の御形にて、御幸なる時は大梵天王・帝釈左右に立ち、多聞・持国等の四天王先後圍繞せり。法を説き給ふ御時は四弁八音の説法は祇園精舎に満ち、三智五眼の徳は四海にしけり。然れば何れの人か仏を人か仏を悪むべき。なれども尚お怨嫉するもの多し。まして滅度の後一亳の煩悩をも断ぜず、少しの罪をも弁へざらん法華経の行者を、悪み嫉む者多からん事は雲霞の如くならんと見えたり。然れば則ち末代悪世に此の経を有りのまゝに説く人には敵多からんと説かれて候に、世間の人人我も持ちたり、我も読み奉り、行じ候に、敵なきは仏の虚言歟、法華経の実ならざる歟。又実の御経ならば当世の人人経をよみまいらせ候は虚よみ歟。実の行者にてはなき歟、如何。能く能く心得べき事也。明らむべき物也。[p0047-0048]
 四の巻の多宝如来は釈迦牟尼仏御年三十にして仏に成り給ふに、初めには華厳経と申す経を十方華王のみぎりにして別円頓大の法輪、法慧功徳林・金剛幢・金剛蔵等の四菩薩に対して三七日の間説き給ひしにも来り給はず。其の二乗の機根叶はざりしかば、瓔珞細軟の衣をぬぎっすて、麁弊垢膩之衣を著、波羅奈国鹿野苑に趣いて、十二年の間生滅四諦の法門を説き給ひしに、阿若拘隣等の五人証果し、八万の諸天は無生忍を得たり。次に欲・色二界の中間大宝坊の儀式、浄名の御室には三万二千の牀を立て、般若白鷺池の辺十六会の儀式、染浄虚融の旨をのべ給ひしにも来り給はず、法華経にも一の巻乃至四の巻人記品までも来り給はず、宝塔品に至りて初めて来り給へり。釈迦仏先四十余年の経を我と虚事と仰せられしかば人用ふる事なく、法華経を真実也と説かせ給へども、仏は無虚妄の人とて永く虚言し給はずと聞きしに、一日ならず二日ならず、一月ならず、二月ならず、一年二年ならず、四十余年の程虚言したりと仰せらるれば、又此の経を真実也と説き給ふも虚言にやあらんずらんと不審をなしゝかば、此の不審釈迦仏一人しては舎利弗を初め、事はれがたかりしに、此の多宝仏宝浄世界よりはるばると来らせ給ひて、法華経は皆是真実〔皆是れ真実〕なりと証明し給ひしに、先の四十余年の経々を虚言と仰せらるゝ事、実の虚言に定まれり。[p0048-0049]
又法華経より外の一切経を空に浮かべて、文文句句阿難尊者の如く覚へ富楼那の弁説の如くに説くとも其れを難事とせず。又須弥山と申す山は十六万八千由旬の金山にて候を、他方世界へつぶて(礫)になぐる者ありとも難事には候はじ。仏の滅度の後当世末代悪世に法華経を有りのまゝに能く説かん、是れを難しとすと説き給へり。五天竺第一の大力なりし提婆達多も、長三丈五尺広一丈二尺の石をこそ仏になげかけて候ひしか。又漢土第一の大力楚の項羽と申せし人も、九石入りの釜に水満ち候ひしをこそひさげ(提)候ひしか。其れに是れは須弥山をばなぐる者は有りとも、此の経を説の如く読み奉らん人は有りがたしと説かれて候に、人ごとに此の経をよみ書き説き候。経文を虚言に成して当世の人人を皆法華経の行者と思ふべき歟。能く能く御心得有るべき事也。[p0049]
 五巻の提婆達多品に云く_若有善男子。善女人。聞妙法華経。提婆達多品。浄心信敬。不生疑惑者。不堕地獄。餓鬼。畜生。生十方仏前〔若し善男子・善女人あって、妙法華経の提婆達多品を聞いて、浄心に信敬して疑惑を生ぜざらん者は、地獄・餓鬼・畜生に堕ちずして十方の仏前に生ぜん〕と。此の品には二つの大事あり。一には提婆達多と申すは阿難尊者には兄、斛飯王には嫡子、師子頬王には孫、仏にはいとこにて有りしが、仏は一閻浮提第一の道心者にてましましゝに怨をなして、我は又閻浮提一の邪見放逸の者とならんと誓ひて、万の悪人を語らひて仏に怨をなして三逆罪を作りて現身に大地破りて無間大城に堕ちて候ひしを、天王如来と申す記別を授けらるる品にて候。[p0049-0050]
然れば善男子と申すは男此の経を信じまひらせて聴聞するならば、提婆達多程の悪人だにも仏になる。まして末代の人はたとひ重罪なりとも多分は十悪をすぎず。まして深く持ち奉る人仏にならざるべきや。[p0050]
二には娑竭龍王のむすめ龍女と申す八歳のくちなは仏に成りたる品にて候。此の事めづらしく貴き事にて候。其の故は華厳経には_女人地獄使。能断仏種子。外面似菩薩。内心如夜叉〔女人は地獄の使いなり。能く仏の種子を断つ。外面は菩薩に似て、内心は夜叉の如し〕と。文の心は女人は地獄の使い、よく仏の種を立つ。外面は菩薩に似たれども内心は夜叉の如しと云へり。又云く_一度女人を見る者はよく眼の功徳を失ふ。設ひ大蛇をば見るとも女人を見るべからずと云ひ、又有る経に云く_所有三千界男子諸煩悩合集為一人女人之業障〔あらゆる三千界の男子の諸の煩悩合集して一人の女人の業障と為る〕と。三千大千世界にあらゆる男子の諸の煩悩を取り集めて女人一人の罪とすと云へり。或経には三世の諸仏の眼は脱けて大地に堕つとも、女人は仏に成るべからずと説き給へり。然るに此の品の意は畜生たる龍女だにも仏に成れり。まして我等は形のごとく人間の果報也。彼が果報にはまされり。争でか仏にならざるべきやと思し食すべきなり。[p0050-0051]
中にも三悪道におちずと説かれて候。其の地獄と申すは八寒八熱乃至八大地獄の中に、初め浅き等活地獄を尋ぬれば、此の一閻浮提の下一千由旬也。其の中の罪人は互いに常に害心をいだけり。もしたまたま相見れば猟師が鹿にあへるが如し。各各鉄の爪を以て互いにつかみさく。血肉皆尽きて唯残りて骨のみあり。或は獄卒棒を以て頭よりあなうら(跖)に至るまで皆打ちくだく、身も破れくだけて猶お沙の如し。焦熱なんど申す地獄は譬へんかたなき苦也。鉄城四方に回りて文を閉じたれば力士も開きがたく、猛火高くのぼつて金翅のつばさもかけるべからず。[p0051]
餓鬼道と申すは其の住処に二あり。一には地の下五百由旬の閻魔王宮にあり。二には人天の中にもまじつて其の相種種也。或は腹は大海の如く、のんどは鉄の如くなれば、明けても暮れても食すともあくべからず。まして五百生七百生なんど飲食の名をだにもきかず。或は己れが頭をくだきて脳を食するもあり。或は一夜に五人の子を生みて夜の内に食するもあり。或は一夜に五人の子を生みて夜の内に食するもあり。万菓林に結べり。取らんとすれば悉く剣の林となり、万水海に入る、飲まんとすれば猛火となる。如何にしてか此の苦をまぬがるべき。[p0051-0052]
次に畜生道と申すは其の住所に二あり。根本は大海に住す。枝末は人天に雑はれり。短き物は長き物にのまれ、小さき物は大なる物に食はれ、互いに相食んでしばらくもやすむ事なし。或は鳥獣と生れ、或は牛馬と成りて重き物をおほせられ、西へ行かんと思へば東へやられ、東へ行かんとすれば西へやらる。山野に多くある水草をのみ思ひて余は知るところなし。[p0052]
 然るに善男子善女人此の法華経を持ち、南無妙法蓮華経と唱へ奉らば、此の三罪を脱るべしと説き給へり。何事か是れにしかん。たのもしきかな、たのもしきかな。又五の巻に云く_我闡大乗教 度脱苦衆生〔我大乗の教を闡いて 苦の衆生を度脱せん〕と。心はわれ大乗の教をひらいてとは法華経を申す。苦の衆生とは地獄の衆生にもあらず、餓鬼道の衆生にもあらず、只女人を指して苦の衆生とは名づけたり。五障三従と申して、三つしたがふ事有りて、五つの障りあり。龍女は我と女人の身を受けて女人の苦をつみしれり。然らば余をば知るべからず、女人を導かんと誓へり。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。[p0052]

日 蓮 花押[p0052]

#0009-300 回向功徳鈔 康元元(1256) [p0053]

 涅槃経に云く_死人に閻魔王勘へて四十九の釘をうつ。先づ目に二つ、耳に二つ、舌に六つ、胸に十八、腹に六つ足に十五打つ。也。各各長さ一尺也[取意]。[p0053]
 而るに娑婆に孝子有りて彼の追善の為に僧を請ぜんとて人をはしらしむる時、閻魔王宮に此の事知れて、先づ足に打ちたる十五の釘をぬく。其の故は、仏事の為に僧を請ずるは功徳の初めなる間、足の釘を抜く。爰に聖霊の足自在也。[p0053]
 さて僧来りて仏を造り、御経を書く時、腹の六の釘を抜く也。次に仏を作り開眼の時、胸の十八の釘をば抜く。さて仏を造り奉り、三身の功徳を読み上げ奉りて、生身の仏になし奉り、冥途の聖霊の為に説法し給へと読み上げ候時、聖霊の耳に打ちて候ひし二つの釘を抜く也。此の仏を見上げまいらせてをがむ時に、目に二つ打ちたる釘を抜き候也。娑婆にて聖霊の為に題目を声をあげて唱へ候時、我が志す聖霊も唱ふる間、舌に六打ちて候ひし釘を抜き候也。[p0053]
 而るに加様に孝子有りて迹を訪へば、閻浮提に仏事をなすを閻魔法王も本より権者の化現なれば之を知りて罪人に打ちたる釘を抜き免じて候也。後生を訪ふ孝子なくば何れの世に誰か抜きえさせ候べきぞ。其の上わづかのをどろ(茨棘)のとげのたちて候だに忍び難く候べし。況んや一尺の釘一つに候とも悲しかるべし。まして四十九まで五尺の身にたてゝは何とうごき候べきぞ。聞くにきもをけし、見るに悲しかるべし。其れを我も人も此の道理を知らず。父母兄弟の死して候時、初七日と云ふ事をも知らず。まして四十九日百箇日と云ふ事をも、一周忌と云ふ事をも、第三年と云ふ事をも知らず。訪はざらん志の程浅遠かるべし。聖霊の苦患をたすけずんば不孝の罪深し。悪霊と成りてさまたげを成し候也。[p0053-0054]
 良郭・阿用子二人同じく死し候ひて閻魔の廟に参りたり。同業なれば黒縄地獄へ堕すべしと沙汰ある。爾の時に小疾鬼娑婆へ行きて追善の様を見て参れと仰せければ、刹那の程に冥途より来りて見るに、良郭は孝子ありて作善をいとなみ、僧を請じ、仏を造り、経を書き、大乗妙典を読誦して訪ふ事念比也。故に閻魔法王に申す。浄頗梨の鏡を取り出し御覧あれば申すに違はず。一生涯の間造る処の罪業を、皆此の功徳に懸け合はせて見れば、罪業は軽し善根のふだ(札)は重し。真善妙有の功力なるが故に、衆罪は霜露の如く忽ちに罪障生滅して、・利天上の果報を得て、威徳の天人と成りて行かすべしと下地せられたり。[p0054]
 阿用子我が身の事はいかにとむねに当りて思ふ処に、閻魔法王仰せらるゝ様は、阿用子の孝子はなにと有るぞと御尋ねあれば、されば候。娑婆に訪ふべき孝子一人もこれ無く候。縦ひ候と申すとも善根をなす事も候はず。まして僧を請じ仏を造り、経を書き、大乗妙典を讃歎する事候はず。一分の善根も無き由申しければ、汝があやまりにやとて、頗梨鏡召し寄せて彼が罪障を浮かべて披見し給へば、げに訪ふ事もなし。縦ひ兄弟あれども作善もなし。初七日とも知らず四十九日までも仏事なし。閻魔法王不便に思し召すせども、自業自得果の道理背き難ければ、黒縄地獄へつかはす。爾の時阿用子申さく、我娑婆にありし時、馬車財宝も多かりしを、他人にはゆづらざりしに、何に妻子も兄弟も訪はざるらんと、天に叫び地を叩けども更に助くる者なし。三七日のさよ(小夜)なかに、宗帝王の筆を染めて阿用子が姓名を委しく注し、四七日の明ぼのに、倶生神にもたせつゝ五官王に引き渡しけり。彼札にまかせて黒縄地獄へ向ふ。[p0054-0055]
 彼の地獄のありさまは縦横一万由旬也。獄卒罪人を掎して熱鉄地に臥させて、熱鉄の縄を以てよこさまに身にすみを打ち、熱鉄の斧を持て縄にしたがひてきりわり、或はのこぎりを以て其の身をひき、或は刀を持て其の身をさききる事百千段段也。五体身分処処に散在せり。或は獄卒罪人をとらへて、あつき鉄の縄を持て其の身を絞絡す。縄身肉をとをり、骨にいたる事限りなし。骨微塵にくだけ破るゝなり。或は鉄の山の上に鉄の幡ほこを立て、幡ほこの端に鉄の縄をはり、下に熱鉄の釜あり。其の罪人に鉄の山をせをはせて、縄の上を行かしむるに、遥かの鉄のかまへをち入る事、大豆の如くなり。かくの如く苦をうくる事、人間の一百年を以て・利天の一日一夜として、其の寿一千歳也。・利天の一千歳の寿を一日一夜として此の地獄の苦一千歳也。殺生・偸盗の者此の黒縄地獄におつるなり。[p0055-0056]
 然れば良郭は迹に孝子有りて訪わば、苦患をのがれて・利天へ生まれたり。阿用子は孝子なく迹訪ふことなければ、一千歳の間、無量の苦を五尺の身に受けて悲しみ極まりなし。昔を以て今を思ふに、孝子なき人かくの如くならんか。又訪ふ事なくは、何の世にか浮かぶべきや。我父母の物ゆづられながら、死人なれば何事のあるべきと思ひて、後生を訪はざれば、悪霊と成り、子子孫孫にたゝり(崇)をなすと涅槃経と申す経に見えたり。他人の訪ぬよりも、親類財を与へられて彼の苦を訪はざらん志の程うたてかるべし。悲しむべし悲しむべし、哀れむべし哀れむべし。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。[p0056]
七月二十二日 日 蓮 花押[p0056]
侍従殿

#0010-4K0.TXT 一代聖教大意 正嘉二(1258) [p0057]

 四教は一には三蔵教・二には通教・三には別教・四には円教なり。[p0057]

 始めに三蔵とは阿含経之意也。此の経の意は六道より外を明かさず。但六道「地餓畜修人天」之内の因果の道理を明かす。但し正報は十界を明かす也。地・餓・畜・修・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏也。依報が六にて有れば六界と申す也。此の教の意は六道より外を明かさざれば三界より外に浄土と申す生処ありと云はず。又三世に仏は次第次第に出世すとは云へども、横に十方に列べて仏有りとも云はず。[p0057]
 三蔵とは一には経蔵[亦云く 定蔵]、二には律蔵[亦云く 戒蔵]、三には論蔵[亦云く 慧蔵]。但し経律論の定戒慧・戒定慧・慧定戒と云ふ事ある也。[p0057]
 戒蔵とは五戒・八戒・十善戒・二百五十戒・五百戒也。定蔵とは味禅[定名]・浄禅・無漏禅也。慧蔵とは苦・空・無常・無我之智慧也。戒定慧の勝劣を云ふは、但上の戒計りを持つ者は三界之内欲界の人天に生を受くる凡夫也。但し上の定計りを修する人は戒を持たずとも特定の力に依てうえの戒を具する也。此の底の内に味禅・浄禅は三界の内の色無色界へ生ず。無漏禅は声聞・縁覚と成りて見思を断じ尽くし、灰身滅智する也。慧は又、苦・空・無常・無我と色心を観ずれば、上の戒定を自然に具足して声聞・縁覚とも成る也。故に戒より定勝れ、定より慧は勝れたり。而れども、此の三蔵教の意は戒が本体にてある也。されば阿含経を總結する遺教経には戒を説ける也。此の教の意は依報には六界、正報には十界を明かせども、依報に随て六界を明かす経と名づくる也。又正報に十界を明かせども、縁覚・菩薩・仏も声聞の覚りを過ぎざれば但声聞教と申す。されば仏も菩薩も縁覚も灰身滅智する教也。声聞に付けて七賢七聖之位あり。六道は凡夫なり。[p0057-0058]
    ┌─ 一五停心 [p0058]
┌云智事也 ┌─三賢──┼─ 二別想念処 [p0058]
│   │  └─ 三總想念処 [p0058]
   七賢 ────┤ [p0058]
  │ ┌─ 一・法 [p0058]
  │ ├─ 二頂法 [p0058]
  └─四善根─┤ [p0058]
├─ 三忍法 [p0058]
└─ 四世第一法 [p0058]

 此の七賢の位は六道の凡夫より賢く、生死を厭ひ煩悩を具しながら発さざる賢人也。譬へば外典の許由・巣父が如し。[p0058]

  ┌─ 一 数息 ── 息を数へて散乱を治す [p0058]
  ├─ 二 不浄 ── 身の不浄を観じて貪を治す [p0058]
  五停心─┼─ 三 慈悲 ── 慈悲を観じて疾妬を治す [p0058]
  ├─ 四 因縁 ── 十二因縁を観じて愚癡を治す [p0058]
└─ 五 界方便── 地水火風空識の六界を観じて障道を治す   [亦云 念仏] [p0058]

  ┌─ 一 身 ── 外道は身を浄と云ひ、仏は不浄と説きたまふ   │ [p0059]
  ├─ 二 受 ── 外道は三界を楽と云ひ、仏は苦と説きたまふ   │ [p0059]
別想念処四─┤ [p0059]
  ├─ 三 心 ── 外道は心を常と云ひ、仏は無常と説きたまふ   │ [p0059]
└─ 四 法 ── 外道は一切衆生に有我と云ひ、仏は無我と説きたまふ [p0059]

 外道は常心・楽受・我法・浄身、仏は苦・不浄・無常・無我と説く。[p0059]
 總想念処──先の苦・不浄・無常・無我を調練して観ずる也。[p0059]
 ・法────智慧の火、煩悩の籬を蒸せば煙の立つ也。故に・法と云ふ。[p0059]
 頂法────山の頂に登りて四方を見るに雲無きが如し。世間・出世間の因果の道理を委しく知りて闇無き事に譬へたる也。始め五停心より此の頂法に至るまで、退位と申して、悪縁に値へば悪道に堕つ。而れども此の頂法の善根は失せずと習ふ也。[p0059]
 忍法────此の位に入る人は永く悪道に堕ちず。[p0059]
 世第一法──此の位に至るまでは賢人也。但し今に聖人となるべし。[p0059]

    ┌─ 随信行──鈍根 [p0059]
   ┌─ 一に見道   二 ─┤ [p0059]
   │     └─ 随法行──利根 [p0059]
 ┌正ト云事也│   [p0060]
 │    │     ┌─一、信解──鈍根 [p0060]
七聖者 ───┼─ 二に修道   三 ─┼─二、見得──利根 [p0060]
   │ └─三、身証──利鈍に亘る[p0060]
   │
   │ ┌阿羅漢 ┌─ 慧解脱──鈍根 [p0060]
   └─ 三に無学道  二 ─┤ [p0060]
└─ 倶解脱──利根 [p0060]

 見思の煩悩を断ずる者を聖と云ふ。此の聖人に三道あり。見道とは見思の内の見惑を断じ尽くす。此の見惑を尽くす人をば初果の聖者と申す。此の人は欲界の人天に生まるとも、永く地・餓・畜・修の四悪趣には堕ちず。天台云く ̄破見惑故離四悪趣〔見惑を破るが故に四悪趣を離る〕[文]。此の人は未だ思惑を断ぜず、貪瞋癡身に有り。貪欲ある故に妻を帯す。而れども他人の妻を犯さず。瞋恚あれども物を殺さず。鋤を以て地をすけば虫自然に四寸去る。愚痴なる故に我が身初果の聖者と知らず。婆沙論に云く ̄初果聖者妻八十一度一夜犯〔初果の聖者は妻を八十一度一夜に犯すと〕[取意]。天台の解釈に云く ̄初果耕地虫離四寸道共力也〔初果、地を耕すに虫四寸離るは道共の力なり〕と。第四果の聖者阿羅漢を無学と云ひ、亦は不生と云ふ。永く見思を断じ尽くして三界六道に此の生の尽きて後生ずべからず。見思の煩悩無きが故也。[p0060]
又此の教の意は三界六道より外に処を明かさざれば外の生処有りと知らず。身に煩悩有りとも知らず。又生因無く但灰身滅智と申して身も心もうせ虚空の如く成るべしと習ふ。法華経にあらずば永く仏になるべからずと云ふは二乗是れ也。此の教の修行の時節は声聞は三生[鈍根]六十劫[利根]。又一類の最上の利根の声聞一生の内に阿羅漢の位に登る事有り。縁覚は四生[鈍根]百劫[利根]菩薩は一向凡夫にて見思を断ぜず。而も四弘誓願を発し、六度萬行を修し、三僧祇百大劫を経て三蔵教の仏と成る。仏と成る時始めて見思を断尽する也。見惑とは、一には身見[亦云 我見]・二には辺見[亦云 断見常見]・三には邪見[亦云 撥無見]・四には見取見[亦云 劣謂勝見]・五には戒禁取見[亦云 非因計因。非道計道見]なり。見惑は八十八有れども此の五が本にて有る也。思惑とは、一には貪・二には瞋・三には癡・四には慢なり。思惑は八十一有れども此の四が本にて有る也。[p0060-0061]
此の法門は阿含経四十巻・婆沙論二百巻・正理論・顕宗論・倶舎論に具さに明かせり。別して倶舎宗と申す宗有り。又諸の大乗に此の法門少々明かしたる事あり。謂く方等部の経・涅槃経等なり。但し華厳・般若・法華には此の法門無し。[p0061]

 次に通教とは[大乗の始め也]。又戒定慧の三学あり。此の経のおきて、大旨は六道を出でず。少分利根なる菩薩六道より外を推出だすことあり。声聞・縁覚・菩薩共に一つ法門を習ひ、見思を三人共に断じ、而も声聞・縁覚は灰身滅智の意に入る者もあり、入らざる者もあり。此の教に十地あり。[p0061]

  ┌─ 一 乾慧地 ──── 三賢 \ [p0061]
  │       >賢人 [p0061]
  ├─ 二 性地 ───── 四善根/ [p0061]
  │    ┌─見道位 [p0061]
  ├─ 三 八人地 ─────── 聖人 [p0061]
  │ >見惑断 [p0061]
  ├─ 四 見地 ──────── 初果聖人 [p0061]
  │
  十地  ├─ 五 薄地  \   [p0061]
  │  \
  ├─ 六 離欲地 ──> 思惑断 [p0061]
  │ /
  ├─ 七 已弁地 ──阿羅漢── 見思断尽 [p0062]
  │
  ├─ 八 辟支仏地 ────── 見思尽 [p0062]
  │
  ├─ 九 菩薩地  [p0062]
  │
  └─ 十 仏地 ──────── 見思断尽 [p0062]

 此の通教の法門は別して一経に限らず、方等経・般若経・心経・観経・阿弥陀経・双観経・金剛般若等の経に散在せり。此の通教の修行の時節は動踰塵劫を経て仏に成ると習ふなり。又一類疾く成ると云ふ辺もあり。[p0062]
 已上、上の蔵通二教は六道の凡夫本より仏性ありとも談ぜず。初めて修すれば声聞・縁覚・菩薩・仏とおもひおもひ成ると談ずる義也。[p0062]

 次に別教。又戒定慧の三学を談ず。此の教は但菩薩の計り(許り)にて声聞・縁覚を雑えず。菩薩戒とは三聚浄戒也。五戒・八戒・十善戒・二百五十戒・五百戒。梵網の五十八戒・瓔珞の十無尽戒・華厳の十戒・涅槃経の自行の五支戒・護他の十戒・大論の十戒。此等は皆菩薩の三聚浄戒の内、摂律儀戒也。摂善法戒とは八万四千の法門を摂す。饒益有情戒とは四弘誓願也。定とは観・練・薫・修の四種の禅定なり。慧とは心生十界の法門也。五十二位を立つ。五十二位とは、一に十信・二に十住・三に十行・四に十回向・五に十地・等覚[一位]・妙覚[一位]已上五十二位。[p0062]

  ┌─ 一 十信  ────── 退位 [p0063]
  │     \──── 凡夫菩薩未断見思 [p0063]
  │
  ├─ 二 十住  \───── 不退位 [p0063]
  │ \ / /
  ├─ 三 十行  ──×─< [p0063]
  │         / \ \
五十二位  ├─ 四 十回向 ────── 見思塵沙断菩薩 [p0063]
  │
  ├─ 五 十地  ────\   [p0063]
  │     > 無明断菩薩
  ├─ 六 等覚  ────/ [p0063]
  │
  └─ 七 妙覚  ────── 無明断尽仏 [p0063]

 此の教は大乗なり。戒定慧を明かす。戒は前の蔵通二教に似ず、尽未来際の戒、金剛法戒也。此の教の菩薩は三悪道をば恐れとせず。二乗道を三悪道と云ひて、地・餓・畜等の三悪道は仏の種子を断ぜず、二乗道は仏の種子を断ず。大荘厳論に云く ̄雖恒処地獄 不障大菩提。若起自利心 是大菩提障〔恒に地獄に処すと雖も、大菩提を障らず。若し自利の心を起さば、是れ大菩提の障りなり〕と。此の教の習ひは真の悪道とは三無畏の火坑なり。真の悪人とは二乗を立てる也。されば悪をば造るとも二乗の戒をば持たじと談ず。故に大般若経に云く_若菩薩設 恒河沙劫((歹+克)河沙) 受妙五欲 於菩薩戒 猶不名犯。若起一念 二乗之心 即名為犯〔若し菩薩設ひ恒河沙劫((歹+克)河沙)に妙なる五欲を受くるとも、菩薩戒に於て猶お犯すと名づけず。若し一念にも二乗の心を起さば、即ち名づけて犯となす〕[文]。此の文に妙なる五欲とは、色声香味触の五欲なり。色欲とは青黛・珂雪・白歯等。声欲とは絲竹管絃。香欲とは沈檀芳薫。味欲とは猪鹿等の味。触欲とは軟膚等なり。此の五欲には、恒河沙劫((歹+克)河沙)の間著すとも菩薩戒は破れず。一念にも二乗の心を起さば菩薩戒は破ると云へる文也。[p0063-0064]
 太賢古跡に云く ̄雖貪所汚 不尽大心 無無余犯 故名無犯〔貪に汚さると雖も、大心尽きず。無余の犯なきが故に無犯と名づく〕[文]。二乗の戒に趣くを菩薩の破戒とは申す也。華厳・般若・方等、總じて爾前の経にはあながちに二乗をきらうなり。定慧此れを略す。[p0064]
 梵網経に云く_戒謂為平地 定謂為室宅。智慧為燈明〔戒をば謂て平地となし、定をば謂て室宅となす。智慧はこれ燈明なり〕[文]。此の菩薩戒は人・畜・黄門・二形の四種を嫌はず。但一種の菩薩戒を授く。此の教の意は五十二位を一々の位に多倶低劫を経て衆生界を尽くして仏に成るべし。一人として一生に仏に成る物無し。又一行を以て仏に成る事無し。一切行を積みて仏と成る。微塵を積みて須弥山と成るが如し。華厳・方等・般若・梵網・瓔珞等の経に此の旨分明也。但し二乗界の此の戒を受くる事を嫌ふ。妙楽の釈に云く ̄遍尋法華已前諸教 実無二乗作仏之文〔遍く法華已前の諸教を尋ぬるに実に二乗作仏の文なし〕[文]。[p0064]

 次に円教。此の円教に二有り。一には爾前の円・二には法華・涅槃の円也。爾前の円に五十二位又戒定慧あり。[p0064]
 爾前の円とは華厳経の法界唯心の法門。文に云く_初発心時便成正覚〔初発心の時便ち正覚を成ず〕と。又云く_円満修多羅[文]。浄名経に云く_無我無造無受者 善悪之業不敗亡〔無我無造にして受者なけれども、善悪の業敗亡せず〕[文]。般若経に云く_従初発即坐道場〔初発心より即ち道場に坐す〕[文]。観経に云く_韋提希応時 即得無生法忍〔韋提希、時に応じて即ち無生法忍を得〕[文]。梵網経に云く_衆生受仏戒 位同大覚位 即入諸仏位 真是諸仏子〔衆生、仏戒を受くれば、位、大覚位に同じ、即ち諸仏の位に入り、真に是れ諸仏の子なり〕[文]。此れは皆爾前の円の証文也。此の教の意は又五十二位を明かす。名は別教の五十二位の如し。但し義はかはれり。其の故は五十二位が互いに具して浅深も無し、勝劣も無し。凡夫も位を経ずとも仏に成る。又往生する也。煩悩も断ぜざれども仏に成るに障り無く、一善一戒を以ても仏に成る。少々開会の法門を説く処もあり。所謂、浄名経には凡夫を会す。煩悩悪法も皆会す。但し二乗を会せず。般若経の中には二乗の所学の法門をば開会して二乗の人と悪人をば開会せず。観経等の経に凡夫一亳の煩悩をも断ぜずして往生すと説くは、皆爾前の円教の意也。法華経の円経は後に至りて書くべし[已上四教]。[p0064-0065]

 次に五時。五時とは一には華厳経[結経ハ梵網経]別円二教を説く。二には阿含経[結経ハ遺教経]但三蔵教の小乗の法門を説く。三には方等経・宝積経・観経等の説時を知らざる大乗経也[結経ハ瓔珞経]。蔵通別円の四教を皆説く。四には般若経[結経ハ仁王経]通教・別教・円教の後三教を説く。三蔵教を説かず。華厳経は三七日の間の説。阿含経は十二年之説。方等・般若は三十年之説。已上、華厳より般若に至る四十二年也。山門之義には方等は説時定まらず。説処定まらず。般若経三十年と申す。寺門の義には方等十六年般若十四年と申す。秘蔵之大事之義には方等・般若は説時三十年。但し方等は前、般若は後と申す也。[p0065]
 仏は十九出家、三十成道と定むる事は大論に見えたり。一代聖教五十年と申す事は涅槃経に見えたり。法華経已前四十二年と申す事は無量義経に見えたり。法華経八箇年と申す事は涅槃経の五十年の文と無量義経の四十二年之文の間を勘ふれば八箇年也。已上、十九出家、三十成道、五十年之転法輪、八十入滅と定むべし。[p0065]
 此等の四十二年之説教は皆法華経之汲引之方便也。其の故は、無量義経に云く_我先道場。菩提樹下。端坐六年。得成阿耨多羅三藐三菩提〔我先に道場菩提樹下に端坐すること六年にして、阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たり〕 ○以方便力。四十余年。未顕真実〔方便力を以てす。四十余年には未だ真実を顕さず〕。初説四諦〔初め四諦を説いて〕[阿含経也]。次説方等。十二部経。摩訶般若。華厳海空。〔次に方等十二部経・摩訶般若・華厳海空を説いて〕[文]。私に云く 説の次第に順ずれば、華厳・阿含・方等・般若・法華・涅槃なり。法門の浅深之次第を列ねば、阿含・方等・般若・華厳・法華・涅槃と列ぬべし。されば法華経・涅槃経に爾の如く見えたり。[p0065]
 華厳宗と申す宗は、智儼法師・法蔵法師・澄観法師等の人師華厳経に依て立てたり。倶舎宗・成実宗・律宗は、宝法師・光法師・道宣等の人師、阿含経に依て立てたり。法相宗と申す宗は、玄奘三蔵・慈恩法師等、方等部の内に上生経・下生経・成仏経・深密経・解深密経・瑜伽論・唯識等の経論に依て立てたり。三論宗と申す宗は、般若経・百論・中論・十二門論・大論等の経論に依て吉蔵大師立てたり。華厳宗と申す宗は、華厳と法華・涅槃は同じく円教と立つ。余は皆列と云ふなるべし。法相宗には深密・解深密経と華厳・般若・法華・涅槃は同じ程の経と云ふ。三論宗とは般若経と華厳・法華・涅槃は同じ程の経也。但し法相之依経の諸小乗経は劣也と立つ。此等は皆法華已前の諸教に依て立てたる宗也。爾前の円を極として立てたる宗ども也。宗々の人々の諍いは有れども、経々に依て勝劣を判ぜん時はいかにも法華経は勝れたるべき也。人師之釈を以て勝劣を論ずる事無し。[p0065-0066]
 五には法華経と申すは開経には無量義経[一巻] 法華経八巻 結経には普賢経[一巻]。上の四教四時の経論を書き挙ぐる事は此の法華経を知らん為也。法華経の習ひとしては前の諸経を習はずして永く心得こと莫き也。
 爾前の諸経は一経一経を習ふに又余経を沙汰せざれども苦しからず。故に天台の御釈に云く ̄若弘余経不明教相於義無傷。若弘法華不明教相者文義有闕〔もし余経を弘むるには教相を明らめざれども、義に於て傷むことなし。もし法華を弘むるには教相を明かさずんば文義闕けることあり〕[文]。法華経に云く_雖示種種道 其実為仏乗〔種々の道を示すと雖も 其れ実には仏乗の為なり〕[文]。種種道と申すは爾前一切の諸経也。為仏乗とは法華経之為に一切之経を説くと申す文也。[p0066]
 問ふ 諸経の如きは或は菩薩の為、或は人天の為、或は声聞・縁覚の為、機に随て法門もかわり益もかわる。此の経は何なる人の為ぞや。[p0066]
 答ふ 此の経は相伝に有らざれば知り難し。悪人善人・有智無智・有戒無戒・男子女人・四趣八部。総じて十界之衆生の為也。所謂、悪人は提婆達多・妙荘厳王・阿闍世王。善人は韋提希等の人天の人。有智は舎利弗、無智は須利槃特。有戒は声聞・菩薩、無戒は龍・畜也。女人は龍女也。総じて十界の衆生円の一法を覚る也。此の事を知らざる学者、法華経は我等凡夫の為には有らずと申す。仏意恐れ有り。此の経に云く_一切菩薩。阿耨多羅三藐三菩提。皆属此経〔一切の菩薩の阿耨多羅三藐三菩提は皆此の経に属せり〕[文]。此の文は菩薩とは九界之衆生、善人悪人女人男子、三蔵教の声聞・縁覚・菩薩、通教之三乗、別教之菩薩、爾前之円教之菩薩、皆此の経の力に有らざれば仏に成るまじと申す文也。又此の経に云く_薬王。多有人。在家出家。行菩薩道。若不能得。見聞読誦。書持供養。是法華経者。当知是人。未善行菩薩道。若有得聞。是経典者。乃能善行。菩薩之道。〔薬王、多く人あって在家・出家の菩薩の道を行ぜんに、若し是の法華経を見聞し読誦し書持し供養すること得ること能わずんば、当に知るべし、是の人は未だ善く菩薩の道を行ぜざるなり。若し是の経典を聞くこと得ることあらん者は、乃ち能善菩薩の道を行ずるなり〕。此の文は顕然に権教之菩薩の三祇百劫・動踰塵劫・無量阿僧祇劫之間之六度萬行四弘誓願は此の経に至らざれば菩薩之行には有らず、善根を修したるにも有らずと云ふ文也。[p0066-0067]
 又菩薩の行無ければ仏にも成らざる事も顕然也。天台・妙楽の末代之凡夫を勧進する文。文句に云く ̄好堅処地牙已百囲。頻伽在殼声勝衆鳥〔好堅、地に処して牙已に百囲せり。頻伽、かこいに在りて声衆鳥に勝れたり〕[文]。此の文は法華経の五十展転の第五十之功徳を釈する文也。仏苦(ねんごろ)に五十転々にて説き給ふ事、権教之多劫之修行、又大聖之功徳よりも此の経之須臾結縁、愚人之随喜之功徳、百千万億勝れたる事教に見えつれば、此の意を大師譬へを以て顕し給へり。好堅樹と申す木は一日に百囲にて高くをう。頻伽と申す鳥は、幼きだも諸の大小之鳥之声に勝れたり。権教之修行之久しき諸の草木の遅く生長するを譬へ、法華之行速やかに仏に成る事を一日に百囲なるに譬ふ。権教の大小の聖をば諸鳥に譬へ、法華之凡夫之はかなきを殼の声の衆に勝るに譬ふ。
 妙楽大師重ねて釈して云く ̄恐人謬解者不測初心功徳之大 而推功上位蔑此初心。故今示彼行浅功深以顕経力〔恐らくは人謬り解せん者初心の功徳之大なることを測らずして、功を上位に推り此の初心を蔑にせん。故に今彼の行浅く功深きことを示して以て経力を顕はす〕[文]。末代之愚者は法華経は深理にしていみじけれども、我が下機に叶はずと云ひて法を挙げ機を下して退する者を釈する文也。又妙楽大師末代に此の法を捨てられん事を歎ひて云く ̄聞此円頓不崇重者 良由近代習大乗者雑濫故也〔此の円頓を聞いて崇重せざる者は良に近代大乗を習う者の雑濫に由るば故也〕。況んや ̄像末情澆信心寡薄 円頓教法溢蔵盈函不暫思惟。便至瞑目。徒生徒死。一何痛哉〔像末は情澆く、信心寡薄にして 円頓の教法蔵に溢れ函に盈つれども暫くも思惟せず。便ち目を瞑くに至る。徒に生じ徒に死す。一に何ぞ痛き哉〕。[p0067-0068]
有人云く 聞いて而も行わずんば、汝に於て何ぞ預からん。此れは未だ深く久遠之益を知らず。善住天子経の如き、文殊、舎利弗に告ぐ。法を聞き謗を総じて地獄に堕つるは恒沙の仏を供養する者に勝れたり。地獄に堕つると雖も、地獄より出でて還りて法を聞くことを得ると。此れは仏を供し法を聞かざる者を以て校量せり。聞いて而も謗を生ずる、尚お遠種と為る。況んや聞いて思惟し勤めて修習せんを耶と。[p0068]
 又云く ̄一句染神咸資彼岸。思惟修習永用舟航。随喜見聞恒為主伴。若取若捨経耳成縁。或順或違終因斯脱〔一句も神に染みぬれば咸く彼岸を資く。思惟修習、永く舟航に用たり。随喜見聞、恒に主伴と為る。若しは取、若しは捨、耳に経ては縁を成ず。或は順、或は違、終に斯れに因て脱す〕[文]。私に云く ̄若取若捨 或順或違之文は肝に銘ずる也。法華翻経後記に云く ̄「釈僧肇記」 什[羅什三蔵也] 対姚興王曰 予昔在天竺国時 遍遊五竺 尋討大乗 従大師須利耶蘇摩(冫+食)受理味 摩頂此経属累言 仏日西山隠遺耀照東北。茲典有縁東北諸国。汝慎伝弘〔姚興王に対して曰く 予、昔天竺国に在りし時、遍く五竺に遊んで、大乗を尋討し、大師須利耶蘇摩に従て理味を(冫+食)受するに、頂を摩でて此の経を属累して言く 仏日西山に隠れ遺耀東北を照らす。茲の典東北の諸国に有縁なり。汝、慎んで伝弘せよ〕[文]。私に云く 天竺よりは此の日本は東北之州也。慧心之一乗要決に云く ̄日本一州円機純一 朝野遠近同帰一乗 緇素貴賎悉期成仏。唯一師等 若不信受 為権為実。為権者可貴。浄名云 覚知衆魔事而不随其行 以善力方便 随意而度。為実者可哀。此経云 当来世悪人 聞仏説一乗 迷惑不信受 破法堕悪道〔日本一州円機純一なり。朝野遠近同じく一乗に帰し、緇素貴賎悉く成仏を期す。唯一師等あて、若し信受せざれば権とや為ん実とや為ん。権と為さば貴むべし。浄名に云く ̄衆の魔事を覚知して而も其の行に随はず、善力方便を以て意に随て而も度すと。実と為さば哀れむべし。此の経に云く 当来世の悪人は 仏説の一乗を聞いて 迷惑して信受せず 法を破して悪道に堕せん〕[文]。[p0068-0069]
妙法蓮華経。[p0069]
妙は天台玄義に云く ̄所言妙者妙名不可思議也〔言ふ所の妙とは、妙は不可思議に名づくるなりと〕。又云く ̄発秘密之奥蔵称之為妙〔秘密の奥蔵を発く、之を称して妙と為す〕。又云く ̄妙者最勝修多羅甘露門也。故言妙也〔妙とは最勝修多羅甘露の門なり。故に妙と言ふなり〕。[p0069]
法は玄義に云く ̄所言法者 十界十如 権実之法也〔言ふ所の法とは十界十如、権実の法なり〕。又云く ̄示権実之正軌故号為法〔権実の正軌を示す故に号して法と為す〕。[p0069]
蓮華は玄義に云く ̄蓮華者譬権実之法也〔蓮華とは権実の法を譬ふるなり〕。又云く ̄指久遠本果 喩之以蓮 会不二之円道 譬之以華〔久遠の本果を指す、之を喩ふるに蓮を以てし、不二の円道に会す、之を譬ふるに華を以てす〕[文]。経は又云く ̄声為仏事 称之為経〔声、仏事を為す、之を称して経と為す〕[文]。[p0069]
 私に云く 法華以前之諸経に、小乗は心生ずれば六界、心滅すれば四界也。通教以て是の如し。爾前の別円の二教は心生の十界也。小乗之意は六道四生之苦楽は衆生之心より生ずと習ふなり。されば心滅すれば六道の因果は無き也。大乗の心は心より十界を生ず。華厳経に云く_心如工画師造種種五陰。一切世間界中無法而不造〔心は工画師の如く種種の五陰を造る。一切世間界の中に法として造らざること無し〕[文]。_造種種五陰とは、十界之五陰也。仏界をも心法をも造ると習ふ。心が過去・現在・未来の十方之仏と顕ると習ふ也。華厳経に云く_若人欲了知三世一切仏 応当如是観。心造諸如来〔若し人三世一切の仏を了知せんと欲せば、まさに是の如く観ずべし。心は諸の如来を造ると〕。[p0069]
 法華已前之経之おきては上品之十悪は地獄之引業、中品之十悪は餓鬼の引業、下品之十悪は畜生の引業、五常は修羅の引業、三帰・五戒は人の引業、三帰・十善は六欲天の引業也。有漏の坐禅は色界・無色界の引業、五戒・八戒・十戒・十善戒・二百五十戒・五百戒之上に苦・空・無常・無我之観は声聞・縁覚之引業。五戒・八戒・乃至三聚浄戒之上に六度・四弘之菩提心を発すは菩薩也。仏界の引業也。蔵通二教には仏性之沙汰無し。但菩薩之発心を仏性と云ふ。別円二教には衆生に仏性を論ず。但し別教之意は二乗に仏性を論ぜず。爾前之円教は別教に附して、二乗之仏性之沙汰無し。此れ等は皆・法也。[p0069-0070]
 今の妙法蓮華経とは此れ等の十界を互いに具すと説く時、妙法と申す。十界互具と申す事は十界の内に一界に余の九界を具し、十界互いに具すれば百法界なり。玄義二に云く ̄又一法界具九法界 即有百法界〔又一法界に九法界を具すれば即ち百法界千如是有り〕。法華経とは別の事無し。十界之因果は爾前の経に明かす。今は十界之因果互具をおきてたる計り也。爾前之経意は菩薩をば仏に成るべし、声聞は仏に成るまじなんど説けば、菩薩は悦び声聞はなげき人天等はおもひもかけずなんとある経も有り。或は二乗は見思を断じて六道を出でんと念ひ、菩薩はわざと煩悩を断ぜずして六道に生まれて衆生を利益せんと念ふ。或は菩薩の頓悟成仏を見、或は菩薩の多倶低劫の修行を見、或は凡夫往生之旨を説けば菩薩・声聞の為には有らずと見て、人之不成仏は我が不成仏、人の成仏は我が成仏、凡夫の往生は我が往生、聖人の見思断は我等凡夫の見思断とも知らずして、四十二年は過ぎし也。[p0070]
 而るに今の経にして十界互具を談ずる時、声聞之自調自度之身に菩薩界を具すれば六度万行も修せず、多倶低劫も経ぬ声聞が諸の菩薩のからくして修したりし無量無辺の難行道が声聞に具する間、をもはざる外に声聞が菩薩と云はる。人をせむる獄卒、慳貪なる凡夫も亦菩薩と云はる。仏も又因位に居して菩薩界に摂せられ、妙覚ながら等覚也。薬草喩品に声聞を説いて云く_汝等所行 是菩薩道〔汝等が所行は 是れ菩薩の道なり〕。又我等六度をも行ぜざるが、六度満足の菩薩なる文。経に云く_雖未得修行。六波羅蜜。六波羅蜜。自然在前〔未だ六波羅蜜を修行することを得ずと雖も、六波羅蜜自然に在前し〕。我等一戒をも受けざるが、持戒の者と云はる文。経に云く_是則勇猛 是則精進 是名持戒 行頭陀者〔是れ則ち勇猛なり 是れ則ち精進なり 是れを戒を持ち 頭陀を行ずる者と名く〕[文]。[p0070]
問て云く 諸経にも悪人成仏。華厳経の調達之授記、普超経の闍王の授記、大集経の婆籔天子之授記。又女人成仏。胎経の釈女之成仏。畜生成仏。阿含経の鴿雀之授記。二乗成仏。方等だらに経・首楞厳経等也。菩薩の成仏は華厳経等。具縛の凡夫の往生は観経之下品下生等。女人の女身を転ずるは双観経之四十八願之中の三十五之願。此れ等は法華経之二乗・龍女・提婆・菩薩の授記に何なるかわりめかある。又設ひかわりめはありとも諸経にても成仏はうたがひなし、如何。[p0070-0071]
 答ふ。予之習ひ伝ふる処の法門、此の答に顕るべし。此の答に法華経の諸経に超過し、又諸経の成仏を許し、許さぬは聞こふべし。秘蔵之故に顕露に書さず。[p0071]
 問て曰く 妙法を一念三千と云ふ事、如何。[p0071]
 答ふ 天台大師此の法門を覚り給ひて後、玄義十巻・文句十巻・覚意三昧・小止観・浄名疏・四念処・次第禅門等之多くの法門を説き給ひしかども、此の一念三千をば談義し給はず。但十界・百界・千如の法門ばかりにておはしましし也。御年五十七之夏四月の比、荊州之玉泉寺と申す処にて、御弟子章安大師と申す人に説き聞かせ給ひし止観十巻あり。上の四帖に猶おをしみ給ひて但六即・四種三昧等計りの法門にてありしに、五の巻より十境十乗を立てて一念三千の法門は書し給へり。此れを妙楽大師末代之人に勧進して言く ̄竝以三千而為指南 ○請尋読者心無異縁〔竝びに三千を以て指南と為せり ○請ふ、尋ね読まん者心に異縁無かれ〕[文]。六十巻三千丁之多くの法門も由無し。但此の初めの二三行を意得べき也。止観の五に云く ̄夫一心具十法界。一法界又具十法界百法界。一界具三十種世間百法界即具三千種世間。此三千在一念心〔夫れ一心に十法界を具す。一法界に又十法界を具すれば百法界なり。一界に三十種の世間を具すれば、百法界に即ち三千種の世間を具す。此の三千一念の心に在り〕[文]。妙楽承け釈して云く ̄当知身土一念三千。故成道時称此本理一身一念遍於法界〔当に知るべし、身土は一念三千なり。故に成道の時此の本理に称うて一身一念法界に遍ねし〕[文]。[p0071-0072]
日本之伝教大師、此の叡山建立の時、根本中堂之地を引き給ひし時、地中より舌八ある鑰を引き出したりき。此の鑰を以て入唐の時に天台大師より第七代妙楽大師の御弟子道邃和尚に値ひ奉りて天台の法門を伝へし時、天機秀発の人たりし間、道邃和尚悦んで天台之造り給へる十五之経蔵を開き見せしめ給ひしに、十四を開いて一の蔵を開かず其の時伝教大師云く 師此の一蔵を開き給へと請ひしに、邃和尚云く 此の一蔵は開くべき鑰無し。天台大師自ら出世して開く給ふべしと云云。其の時、伝教大師、日本より随身の鑰を以て開き給ひしに、此の経蔵開きたりしかば、経蔵之内より光室に満ちたりき。その光の本を尋ぬれば此の一念三千の文より光を放ちたりし也。ありがたかりし事也。其の時邃和尚は返りて伝教大師を礼拝し給ひき。天台大師の後身と云云。依て天台之経蔵の所釈は遺り無く日本に互りし也。天台大師之御直筆の観音経、章安大師之直筆之止観、今比叡山の根本中堂に収めたり。[p0072]

  ┌─ 一 自性 ─── 自力 ─── 伽毘羅外道 [p0072]
  │  二 他性 ─── 他力 ─── ・楼僧伽外道 [p0072]
  四性計─┤ [p0072]
  │  三 共性 ─── 共力 ─── 勒沙婆外道 [p0072]
  └─ 四 無因性─── 無因力─── 自然外道 [p0072]

 外道に三人あり。一には仏法外の外道[九十五種之外道]・二には仏法成の外道[小乗]・三には附仏法之外道[妙法を知らざる大乗の外道也]。今の法華経は自力も定めて自力にあらず。十界の一切衆生を具する自なる故に。我が身に本より自の仏界、一切衆生の他の仏界我が身に具せり。されば今仏に成るに新仏にあらず。又他力も定めて他力に非ず。他仏も我等凡夫の自ら具せる故に。又他仏が我等の如き自に現同する也。共と無因は略す。[p0072-0073]
 法華経已前之諸経は十界互具を明かさざれば仏に成らんと願ふには必ず九界を厭ふ。九界を仏界に具せざる故也。されば必ず悪を滅し煩悩を断じて仏には成ると断ず。凡夫の身を仏に具すと云はざるが故に。されば人天・悪人之身をば失ひて仏に成ると申す。此れをば妙楽大師は厭離断九之仏と名づく。されば爾前之経之人々は仏之九界之形を現ずるをば、但仏之不思議之神変と思ひ、仏の身に九界が本よりありて現ずるとは云はず。されば実を以てさぐり給ふに、法華経已前には但権者の仏のみ有りて、実の凡夫が仏に成りたりける事は無き成り。煩悩を断じ九界を厭ひて仏に成らんと願ふには、実には九界を離れたる仏無き故に、往生したる実の凡夫も無し。人界を離れたる菩薩界も無き故に、但法華経之仏の爾前にして十界の形を現じて、所化とも能化とも悪人とも善人とも外道とも云はれし也。実の悪人・善人・外道・凡夫は方便之権を行じて真実の教えとうち思ひなしすぎし程に、法華経に来りて方便にてありけり、実には見思無明も断ぜざりけり、往生もせざりけりなんと覚知する也。一念三千は別に委しく書すべし。[p0073]
 此の経には二妙あり。釈に云く ̄此経唯論二妙。一相待妙・二絶待妙〔此の経はただ二妙を論ずと。一には相待妙・二には絶待妙なり〕。相待妙の意は前の四時の一代聖教に法華経を相対して爾前と之を嫌ひ、爾前をば当分と云ひ法華を跨節と申す。絶待妙之意は一代聖教は即法華経なりと開会す。又法華経に二事あり。一には所開・二には能開なり。開・示・悟・入之文、或は皆已成仏道等の文。一部八巻二十八品六万九千三百八十四字。一一之字の下に妙之字あるべし。此れ能開之妙也。此の法華経は知らずして習ひ談ずる物は、但爾前の経の利益也。阿含経開会の文は、経に云く_我此九部法 随順衆生説 入大乗為本〔我が此の九部の法は 衆生に随順して説く 大乗に入るに為れ本なり〕と云云。華厳経開会の文は安楽行品之十八空之文。観経等之往生安楽開会之文は_於此命終。即往安楽世界〔此に於て命終して、即ち安楽世界〕等の文。散善開会之文は_一称南無仏 皆已成仏道〔一たび南無仏と称せし 皆已に仏道を成じき〕文。一切衆生開会之文は_今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子〔今此の三界は 皆是れ我が有なり 其の中の衆生は 悉く是れ吾が子なり〕。外典開会之文は若説俗間経書。治世語言。資生業等。皆順正法〔若し俗間の経書・治世の語言・資生の業等を説かんも、皆正法に順ぜん〕[文]。兜率開会の文、人天開会の文、しげきゆへにいださず。此の経を意得ざる人は、経の文に、此の経を読みて人天に生ずと説く文を見、或は兜率・・利なんどにいたる文を見、或は安養に生ずる文を見て、穢土に於て法華経を行せば、経はいみじけれども行者不退の地には至らざれば、穢土にして流転し、久しく五十六億七千万歳之晨を期し、或は人畜等に生まれて隔生する間、自らの苦み限りなしなんと云云。或は自力の修行なり、難行道なり等云云。此れは恐らくは爾前法華之二途を知らずして、自ら癡闇に迷ふのみにあらず、一切衆生之仏眼を閉じる人也。兜率を勧めたる事は小乗経に多し。少しは大乗経にも勧めたり。西方を勧めたる事は大乗経に多し。此れ等は皆所開之文也。法華経之意は、兜率に即して十方仏土中、西方に即して十方仏土中、人天に即して十方仏土中云云。法華経は悪人に対しては十界の悪を説くは悪人五眼を具しなんどすれば悪人の極まりを救ひ、女人に即して十界を談ずれば十界皆女人なる事を談ず。何にも法華円実之菩提心を発さん人は迷ひの九界へ業力を引かるゝ事無き也。此の意を存じ給ひけるやらん。[p0073-0074]
 法然上人も一向念仏之行者ながら、選択と申す文には雑行・難行道には法華経・大日経等をば除かれたる処も有り。委しく見よ。又慧心の往生要集にも法華経を除きたり。たとい法然上人・慧心、法華経を雑行・難行道として末代之機に叶はずと書し給ふとも、日 蓮は全くもちゆべからず。一代聖教之おきてに違ひ、三世十方之仏陀之誠言に違する故に。いわうやそのぎ無し。而るに後の人々の消息に法華経を難行道、経はいみじけれども末代之機に叶はず。謗ぜばこそ罪にても有るらめ、浄土に至りて法華経をば覚るべしと云云。日蓮之心はいかにも此の事はひが事と覚る也。かう申すもひが事にや有らん。能々智人に習ふべし。[p0074-0075]
   正嘉二年二月十四日 [p0075]
日 蓮 撰[p0075]

#0011-500.TXT 一念三千理事 正嘉二(1258) [p0075]

 十二因縁図[p0075]
 問ふ 流転の十二因縁とは何等ぞや。[p0075]
 答ふ 一には無明。倶舎に云く ̄宿惑位無明〔宿惑の位無明なり〕[文]。無明とは昔愛欲の煩悩起りしを云ふ也。男は父に瞋を成して母に愛を起す。女は母に瞋を成して父に愛を起す也。倶舎の第九に見えたり。倶舎に云く ̄宿諸業名行〔むかしの諸業を行と名づく〕[文]。昔の造業を行とは云ふ也。業に二有り。一には牽引の業也。我等が正しく生を受くべき業を云ふ也。二には円満の業也。余の一切の造業也。所謂、足を折り、手を切る先業を云ふ也。是れは円満の業也。三には識。倶舎に云く ̄識正結生蘊〔識とは正しく生を結する蘊なり〕[文]。正しく母の腹の中に入る時の五蘊也。五蘊とは、色・受・想・行・識也。亦五陰とも云ふ也。四には名色。倶舎に云く ̄六処前名色〔六処の前は名色なり〕[文]。五には六処。倶舎に云く ̄従生眼等根 三和前六処〔眼等の根を生ずるより、三和の前の六処なり〕[文]。六処とは、眼・耳・鼻・舌・身・意の六根出来するを云ふ也。六には触。倶舎に云く ̄於三受因異 未了知名触「三受の因異なるに於て、未だ了知せざるを触と名づく」[文]。非は熱とも知らず、水は寒とも知らず、刀は人を切る物とも知らざる時也。七には受。倶舎に云く ̄在婬愛前受〔婬愛の前に在るは受なり〕[文]。寒熱を知りて未だ婬欲を発さざる時也。八には愛。倶舎に云く ̄貪資具婬愛〔資具と婬とを貪るは愛なり〕[文]。女人を愛して婬欲等を発すを云ふ也。九には取。倶舎に云く ̄為得諸境界 遍馳求名取〔諸の境界を得んが為に遍く馳求するを取と名づく〕[文]。今世に有る時、世間を営みて、他人の物を貪り取る時を云ふ也。十には有。倶舎に云く ̄有謂正能造 牽当有果業〔有は、謂く、正しく能く当有の果を牽く業を造る〕[文]。未来又此の如く、生を受くべき業を造るを有とは云ふ也。十一には生。倶舎に云く ̄結当有名生〔当の有を結するを生と名づく〕[文]。未来に正しく生を受けて母の腹に入る時を云ふ也。十二には老死。倶舎に云く ̄至当受老死〔当の受に至るまでは老死なり〕[文]。生老死を受くるを老死憂悲苦悩とは云ふ也。[p0075-0076]
 問ふ 十二因縁を三世両重に分別する方、如何。[p0076]
 答ふ 無明と行とは過去の二因なり。識と名色と六入と蝕と受とは現在の五果なり。愛と取と有とは現在の三因なり。生と老死とは未来の両果也。私の略頌に云く 過去の二因[無明・行]・現在の五果[識・・名色・六入・蝕・受]・現在の三因[愛・取・有]・未来の両果[生・老死]。[p0076-0077]
 問ふ 十二因縁流転の次第、如何。[p0077]
 答ふ 無明縁行。行縁識。識縁名色。名色縁六入。六入縁触。触縁受。受縁愛。愛縁取。取縁有。有縁生。生縁老死憂悲苦悩〔無明は行に縁たり、行は識に縁たり、識は名色に縁たり、名色は六入に縁たり、六入は触に縁たり、触は受に縁たり、受は愛に縁たり、愛は取に縁たり、取は有に縁たり、有は生に縁たり、生は老死憂悲苦悩に縁たり〕。是れ其の生死海に流転する方也。此の如くして凡夫とは成る也。[p0077]
 問ふ 還滅の十二因縁の様、如何。[p0077]
 答ふ 無明滅則行滅。行滅則識滅。識滅則名色滅。名色滅則六入滅。六入滅則触滅。触滅則受滅。受滅則愛滅。愛滅則取滅。取滅則有滅。有滅則生滅。生滅則老死憂悲苦悩滅〔無明滅すれば則ち行滅す、行滅すれば則ち識滅す、識滅すれば則ち名色滅す、名色滅すれば則ち六入滅す、六入滅すれば則ち触滅す、触滅すれば則ち受滅す、受滅すれば則ち愛滅す、愛滅すれば則ち取滅す、取滅すれば則ち有滅す、有滅すれば則ち生滅す、生滅すれば則ち老死憂悲苦悩滅す〕。是れ其の還滅の様也。仏は還りて煩悩を失ひて行く方也。私に云く 中夭の人には十二因縁具さに之無し。又天上にも具さには之無し。又無色界にも具さには之無し。[p0077]

 一念三千理事[p0077]
 十如是とは、如是相は身也[玄の二に云く ̄相以拠外覧而可別〔相以て外より覧、而るに別るべし〕文。籤の六に云く ̄相唯在色〔相は唯色にあり〕文]。如是性は心也「玄の二に云く ̄性以拠内自分不改〔性以て内より自分を改めず〕文。籤の六に云く ̄性唯在心〔性は唯心にあり〕文]。如是体は身と心也[玄の二に云く ̄主質名為体〔主質を名づけて体となす〕]。如是力は身と心也[止に云く ̄力者堪任為用〔力は堪任を用となす〕]如是作は身と心也[止に云く ̄建立名作〔建立を作と名づく〕文]。如是因は心也[止に云く ̄因者招果為因。亦名為業〔因とは果を招して因となす。亦名づけて業となす〕文]。如是縁[止に云く ̄縁者縁。由助業〔縁とは縁なり。業を助けるによる〕文]。如是果[止に云く ̄果者剋獲為果〔果とは剋獲するを果となす〕文]。如是報[止に云く ̄報者酬因曰報〔報とは酬因を報と曰ふ〕]。如是本末究竟等[玄の二に云く ̄初相為本 後報為末〔初相を本となし、後の報を末となす〕]。[p0077]
 三種世間とは 五陰世間[止に云く ̄十種陰果不同故。故名五陰世間也〔十種の陰果、同じからざる故。故に五陰世間と名づくるなり〕]。衆生世間[止に云く ̄十果衆生寧得不異。故名衆生世間也〔十の果の衆生、寧ろ異ならざることを得。故に衆生世間と名づくるなり〕]。国土世間なり[止に云く ̄十種所居通称国土世間〔十種の所居、通じて国土世間と称す〕文]。[p0077]
 五陰とは 新訳には五蘊と云ふ也。陰とは聚集の義也。一に色陰、五色是れ也。二に受陰、領納是れ也。三に想陰、倶舎に云く ̄想取像為体〔想は像を取るを体となす〕[文]。四に行陰、造作、是れ行也。五に識陰、了別、是れ識也。止の五に婆沙を引いて云く ̄識先了別 次受領納 想取相貎 行起違従 色由行感〔識、先づ了別し、次に受は領納し、想は相貎を取り、行は違従を起し、色は行に由て感ずと〕。[p0077-0078]
 百界千如三千世間の事。[p0078]
 十界互具、即ち百界と成る也。地獄[衆生世間、十如是]、五陰世間[十如是]、国土世間[十如是、地下赤鉄]。餓鬼[衆生世間、十如是]、五陰世間[十如是]、国土世間[十如是、地下]。畜生[衆生世間、十如是]、五陰世間[十如是]、国土世間[十如是、水・陸・空]。修羅[衆生世間、十如是]、五陰世間[十如是]、国土世間[十如是、海畔底]。人[衆生世間、十如是]、五陰世間[十如是]、国土世間[十如是、須弥の四州]。天[衆生世間、十如是]、五陰世間[十如是]、国土世間[十如是、宮殿]。声聞[衆生世間、十如是]、五陰世間[十如是]、国土世間[十如是、同居土]。縁覚[衆生世間、十如是]、五陰世間[十如是]、国土世間[十如是、同居土]。菩薩[衆生世間、十如是]、五陰世間[十如是]、国土世間[十如是、同居・方便・実報]。仏[衆生世間、十如是]、五陰世間[十如是]、国土世間[十如是、寂光土]。[p0078]
 止観の五に云く ̄心与縁合則三種世間 三千性相皆従心起〔心と縁と合すれば、すなわち三種世間、三千の性相、皆心より起る〕[文]。弘の五に云く ̄故至止観正明観法竝以三千而為指南。乃是終窮究竟極説。故序中云説己心中所行法門。良有以也。請尋読者心無異縁〔故に止観に正しく観法を明かすに至りて、竝びに三千を以て指南と為せり。乃ち是れ終窮究竟の極説なり。故に序の中に説己心中所行法門と云ふ。良に以有る也。請ふ、尋ね読まん者心に異縁無かれ〕[文]。又云く ̄不明妙境一念三千 如何可識一摂一切。三千不出一念無明。是故唯有苦因苦果〔妙境の一念三千を明かさずんば、如何ぞ一に一切を摂することを識るべけん。三千は一念の無明を出でず。是の故にただ苦因苦果のみあり〕[文]。又云く ̄一切諸業不出 十界・百界・千如・三千世間〔一切の諸業、十界・百界・千如・三千世間を出でざるなり〕[文]。籤の二に云く ̄仮即衆生 実即五陰及以国土 即三世間。千法皆三。故有三千〔仮はすなわち衆生、実はすなわち五陰および国土、すなわち三世間なり。千の法は皆三なり。故に三千あり〕[文]。弘の五に云く ̄於一念心 不約十界 収事不遍。不約三諦 摂理不周。不語十如 因果不備。無三世間 依正不尽〔一念の心に於て、十界に約せば事を収むることを遍からず。三諦に約せざれば、理を摂すること周からず。十如を語らざれば、因果、備わらず。三世間なくんば、依正、尽きず〕[文]。記の一に云く ̄若非三千摂則不遍。若非円心不摂三千〔若し三千に非ざれば、摂すること則ち遍からず。若し円心に非ざれば三千を摂せず〕[文]。[p0078-0079]
玄の二に云く ̄但衆生法太広 仏法太高。於初学為難。心則為易〔ただ衆生法ははなはだ広く、仏法ははなはだ高し。初学に於て難となす。心はすなわち易しとなす〕[文]。弘の五に云く ̄心如工画師画種種五陰。一切世間中無法而不造。如心仏亦爾。如仏衆生然。心仏及衆生是三無差別。若人欲求知三世一切仏<若人欲了知三世一切仏> 応当如是観。心造諸如来〔初めに華厳を引くとは_心は工画師の如く種種の五陰を画く。一切世間の中に法として造らざること無し。心の如く仏も亦爾なり。仏の如く衆生も然なり。心と仏と及び衆生、是の三差別無し。若し人三世一切の仏を求め知らんと欲せば<若し人三世一切の仏を了知せんと欲せば>、まさに是の如く観ずべし。心は諸の如来を造ると〕。金・論に云く ̄実相必諸法。諸法必十如。十如必十界。十界必身土〔実相は必ず諸法。諸法は必ず十如。十如は必ず十界。十界は必ず身土なり〕[文]。[p0079]
 三身の事。[p0079]
 先づ法身とは。大師、大経を引いて ̄一切世諦若於如来 即是第一義諦。衆生顛倒謂非仏法〔一切の世諦は、若し如来に於ては即ち是れ第一義諦なり。衆生顛倒して仏法に非ずと謂へり〕と釈せり。然れば則ち、自他・依正・魔界仏界・染浄・因果は異なれども、悉く皆諸仏の法身に乖く事非ざれば、善星比丘が不信なりしも楞伽王の信心に同じく、般若蜜外道が意の邪見なりしも、須達長者が正見に異ならず。即ち知んぬ、此の法身の本は衆生の当体也。十方諸仏の行願は実に法身を証する也。次に法身とは。大師の云く ̄法如如智 乗於如如真実之道 来成妙覚。智称如理 従理名如 従智名来。即法身如来。名盧舎那 此翻浄満〔法如如の智、如如真実の道に乗じて、来りて妙覚をなす。智、如の理に称ふ、理に従て如と名づけ、智に従て来と名づく。すなわち法身如来なり。盧舎那と名づけ、此れには浄満と翻す〕と釈せり。此れは如如法性の智、如如真実の道に乗じて、妙覚究竟の理智法界と冥合したる時、理を如と名づく。智は来也。[p0079]

#0012-500.TXT 總在一念鈔 正嘉二(1258) [p0080]

 釈籤の六に云く ̄總在一念 別分色心〔總は一念にあり、別は色心を分かつ〕と云云。[p0080]
 問て云く 總在一念とは、其れ何なる者ぞや。[p0080]
 答て云く 一遍に思ひ定め難しといへども、且く一義を存せば、衆生最初の一念也と定む。心を止めて倩つら按ずるに、我等が最初の一念は、無没無記と云ひて、善にも定まらず、悪にも定まらず、闇闇湛湛たる念也。是れを第八識と云ふ。此の第八識は万法の總体にして、諸法總在して備わるが故に是れを總在一念と云ふ。但し是れは八識の事の一念也。此の一念動揺して一切の境界に向ふといへども、所縁の境界を未だ分別せず。是れを第七識と云ふ。此の第七識又動揺し、出でゝ善悪の境に対して、悦ぶべきをば喜び、愁ふべきをば愁へて、善悪の業を結ぶ。是れを第六識と云ふ。此の六識の業感して来生の色報を獲得する也。[p0080]
 譬へば最初の一念は湛湛たる水の如し。次に動揺して一切の境界に向ふと、水の風に吹かれて動ずれども波とも泡とも見分けざるが如し。又動揺して善悪の境界に対して、喜ぶべきをば喜び、愁ふべきをば愁ふとは、水の波涛と顕れて高く立ち登るが如し。次に来生の色報を獲得すとは、波涛の岸に打ちあげられて大小の泡となるが如し。泡消えるは我等が死に還るが如し。能く能く思惟すべし。波と云ひ泡と云ふも一水の所為也。是れは譬へ也。[p0080]
 法に合せば最初の一念展転して色報をなす。是れを以て外に全く別に有るにあらず。心の全体が身体と成る也。相構へて各別には意得べからず。譬へば是れ水の全体寒じて大小の氷となるが如し。仍て地獄の身と云ひて洞然猛火の中の盛んなる焔となるも、乃至仏界の体と云ひて色相荘厳の身となるも、只是れ一念の所作也。之に依て悪を起せば三悪の身を感じ、菩提心を発せば仏菩薩の身を感ずる也。是れを以て一心の業感の氷にとぢられて十界とは別れたる也。故に十界は源其の体一にして只是れ一心也。一物にて有りける間、地獄界に余の九界を具し、乃至仏界に又余の九界を具す。是の如く十界互いに具して十界即百界と成るなり。此の百界の一界に各各十如是あるが故に百界は千如是となるなり。此の千如是を衆生世間にも具し、五陰世間にも具し、国土世間にも具せるが故に、千如是は即三千となれり。此の三千世間の法門は我等が最初の一念に具足して全く闕減無し。此の一念即色心となる故に、此の身は全く三千具足の体也。是れを一念三千の法門と云ふ也。之に依て地獄界とて恐るべきにあらず、仏界とて外に尊ぶべきにあらず。此の一心に具して事理円融せり。全く余念無く不動寂静の一念に住せよ。[p0080-0081]
 上に云ふところの法門、是れを観ずるを実相観と云ふ也。余念は動念也。動念は無明也。無明は迷ひ也。此の観に住すれば此の身即本有の三千と照らすを仏とは云ふ也。是れを以て妙楽大師云く ̄当知身土一念三千。故成道時称此本理一身一念遍於法界〔当に知るべし、身土は一念三千なり。故に成道の時此の本理に称うて一身一念法界に遍ねし〕と云云。若し此の観に堪へざる人は余の観に移りて最初の一念の起る心を観ずべし。起る心とは寂静の一念動じて迷ひ初める心也。此の動の念は全く三諦也。三諦とは、心の体は中也。起る所の念は仮也。念に自性無きは空也。此の三観を成就する時、動ずる念は即ち不動念と成る也。是れ無明即明と観ずるを唯識観と云ふ也。縦ひ唯識観を成すといへども、終には実相観の人に成る也。故に義例に云く ̄[妙楽の釈]本末相映 事理不二〔本末相映し、事理不二なり〕と云へり。本とは実相観、末とは唯識観、事とは唯識観、理とは実相観也。此の不思議観成ずる時、流転生死一時に断壊して観音は三十三身を顕し、此の理具を照らして妙音は三十四身を現ずる者也。若し然らずんば仏の分身、菩薩の化身、之を現ずるに由無し。又此の理を得ざる時は胎金両部の千二百余尊、大日の等流身・変化身も更に以て意得難し。是れ等の法門は性具の一念の肝要なり。秘蔵すべし、秘蔵すべし。[p0081-0082]
 此の一念三千を天台釈して云く ̄夫一心具十法界。一法界又具十法界百法界。一界具三十種世間 百法界即具三千種世間。此三千在一念心。若無心而已。介爾有心即具三千〔夫れ一心に十法界を具す。一法界に又十法界を具すれば百法界なり。一界に三十種の世間を具すれば百法界に即ち三千種の世間を具す。此の三千一念の心に在り。若し心無くんば而已。介爾も心有れば即ち三千を具す〕と云云。介爾とは、妙楽釈して云く ̄謂細念也〔細念を謂ふなり〕と云云。意はわずかにと云ふ也。仍て意得べき様は次第を以て云ふ時は一心は本、十界は末也。是れ思議の法門也。不思議を以て云ふ時は一心の全体十界三千と成る故に取別つべき物にもあらず、表裏も之無し。一心即三千、三千即一心也。[p0082-0083]
 譬へば不覚の人は氷の外に水ある様に是れを思ふ。能く能く心得る人は氷即水也。故に一念と三千と差別無く一法と心得べし。仍て天台釈して云く ̄只心是一切法 一切法是心。故非縦非横 非一非異。玄妙深絶。非識所識 非言所言。所以称為不可思議境。意在於此等〔ただ心これ一切法、一切法これ心なり。故に縦に非ず横に非ず、一に非ず異なるに非ず。玄妙深絶なり。識の識るところに非ず、言の言ふところに非ず。ゆえに称して不可思議境となす。こころここに在り〕と云云。故に一念三千の不思議は国土世間に三千を具するが故に、草木瓦石も皆本有の三千を具して円満の覚体也。然れば即ち我等も三千を具するが故に本有の仏体也。仍て無間地獄の衆生も三千を具し、妙覚の如来と一体にして差別無き也。是れを以て提婆が三逆の炎、忽ちに天王如来の記を蒙る。地獄すら尚お爾也。何に況んや余の九界をや。心智都て滅せる二乗すら尚お成仏す。何に況んや余の八界をや。故に十界の草木も一一に本有の三千の仏体にして、悪心悪法と云ひて捨つべき物之無く、善心善法と云ひて取るべき物之無し。[p0082-0083]
 故に今の経には此の理を説き顕すが故に妙法蓮華経とは題する也。妙法とは十界の草木等に三千を具す。一法として捨つべき物なきが故也。蓮華とは此の理を悟る人は必ず仏と等しく蓮華の臺に処し、蓮華を以て身を荘厳し蓮華を以て国土をかざる故に云ふ也。知んぬ、此の身即三世の諸仏の体也。若し此の理を得ざる者をば仏種とは名づけず。故に妙楽釈して云く ̄若非正境 縦無妄偽 亦不成種〔若し正境に非ずんば、たとひ妄偽なしとも、また種とならず〕と云云。爰に知んぬ、法華以前の諸経は権法を説き交ゆるが故に塵劫を経歴して受持すとも仏種となるべからず。仏智を説き顕さざるが故也。仏智を説かざるが故に悪人女人成仏すとは云はず。故に天台釈して云く ̄他経但記菩薩不記二乗。但記善不記悪。他経但記男不記女。但記人天不記畜。今経皆記也〔他経は但菩薩に記して二乗に記せず。但善に記して悪に記せず。他経は但男に記して女に記せず。但人天に記して畜に記せず。今経は皆記す也〕と云云。妙楽釈して云く ̄縦有経云諸経之王 不云已今当説最為第一。兼但体帯其義可知〔縦い経有って諸経之王と云うとも、已今当説最為第一と云わず。兼・但・体・帯、其の義知んぬべし〕と云云。此の釈の如きんば爾前の諸経は方便にして成仏の直因に非ざる也。[p0083-0084]
 問て云く 法華以前の諸経の中に円教と云ひて殊勝の法門を説く、何ぞ強ちに爾前の諸経をば仏の種子と成らずと之を簡ぶ耶。[p0084]
 答て云く 円教を説くと云へども、彼の円は仏の種子を失へる声聞・縁覚・悪人・女人を成仏すと説かざるが故に、円教の至極にあらず。究竟に非ざるが故に、仏意を挙げず。故に仏智にもあらず。されば成仏の種子に非ざる也。之に依て諸経をば法華に対して皆簡ぶ也。爰を以て大師の云く ̄細人麁人二倶犯過。従過辺説倶名麁人〔細人、麁人、二倶に過を犯す。過の辺に従て説いて倶に麁人と名づく〕と云云。仍て余経をば妙法蓮華経と名づけざる也。[p0084]
 問て云く 一文不通の愚人、南無妙法蓮華経と唱へては何の益か有らんや。[p0084]
 答ふ 文盲にして一字を覚悟せざる人も信を至して唱へたてまつれば、身口意の三業の中には先づ口業の功徳を成就せり。若し功徳成就すれば仏の種子をむねの中に収めて必ず出離の人と成る為り。此の経の諸経に超過する事は謗法すら尚お逆縁と説く。不軽軽毀の衆、是れ也。何に況んや信心を致す順縁の人をや。故に伝教大師云く ̄信謗彼此 決定成仏と云云。[p0084-0085]
 問て云く 成仏之時、三身とは、其の義如何。[p0085]
 答ふ 我が身の三千円融せるは法身也。此の理を知り極めたる智慧の身と成るを報身と云ふ也。此の理を究竟して、八万四千の相好より虎狼野干の身に至るまで之を現じて、衆生を利益するを応身と云ふ也。此の三身を法華経に説いて云く ̄如是相。如是性。如是体。と云云。相は応身、性は報身、体は法身也。此の三身は無始より已来我等に具足して闕減なし。然りと雖も迷ひの雲に隠されて是れを見ず。悟りの仏と云ふは、此の理を知る法華経の行者也。此の三身は、昔は迷ひて覚らず知らず、仏の説法に叩かれて近く覚りたりと説くをば迹門と云ふ也。此の三身の理をば我等具足して一分も迷わず、三世常住にして遍せざる所無しと説くをば本門と云ふ也。若し爾らば本迹は只久近の異にして其の法体全く異ならず。是れを以て天台釈して云く ̄本迹雖殊 不思議一〔本迹殊なりと雖も、不思議一なり〕と云云。悟りとは只此れ理体を知るを悟りと云ふ也。譬へば庫蔵の戸を開きて宝財を得るが如し。外より来らず。一心の迷ひの雲晴れぬれば、三世常住の三身三諦の法体也。鏡に塵積もりぬれば形現ぜず。明らかなれば万像を浮かぶるが如し。塵の去る事は人の磨くによる。像の浮かぶ事は磨くに非ずばならじ。若し爾らば転迷覚悟は行者の所作による。三千・三諦・三身の理体は全く人の所作に非ず。只是れ本有也。又迷ひを修行する事は人の作なりといへども、但迷ひの去る処を見ざるなり。百年の闇室に火をともすが如し。全く闇の去るところを見ず。是れ転迷覚悟 返流尽源也。無明即迷は、唯迷悟に名づけ、無明法性は、全く其の体一也。穴賢穴賢。[p0085-0086]
 各別には心得べからず。もし迷悟異体と心得ならば成仏の道遼遠ならん事、一須弥より一須弥に至るが如し。本より不二なる理体に迷ふが故に衆生と云ひ、是れを悟を仏と云ふ也。よくよく此の大旨を心得て失錯有るべからざる也。我等が生死一大事也。出離の素懐也。豈に宝の山に入りて手を空しくせんや。後悔千万すとも敢えて益無し。閻魔の責め、獄卒の杖は、全く人を撰ばず、只罪人を打つ。若し人間に生まれて其の難処を去らざれば百千万劫を経歴すとも仏法の名字を聞かず。三界に昇沈して六道流浪の身となるべし。出離の要法を聞かざる事、悲しむべし、悲しむべし。恐るべし、恐るべし。獄卒阿防羅刹の責めを蒙らん事を。[p0086]

#0014-200 十住毘婆沙論尋出御書 正元元(1259) [p0087]

昨日武蔵前司殿の使して念仏者等召相られて候しなり。又十郎使て候はんずるか。十住毘婆沙論を内内可見事候。抛万事尋出給候。[p0087]
〔昨日武蔵前司殿使いとして念仏者等召し相せられて候ひしなり。又十郎の使いにて候はんずるか。十住毘婆沙論を内内見るべき事候。万事を抛ちて尋ね出だし給候へ〕[p0087]
十月十四日 日 蓮 花押[p0087]
武蔵公御房[p0087]
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十住毘婆沙論十四巻令拝上。今一巻者求失候也。御要以後者早早可返給候。愚身も必ず参候て可承候。昨日論談=五十展転之随喜誠以難有候。又袴品可賜。穴賢穴賢。恐恐。[p0088]
〔十住毘婆沙論十四巻、拝上せしむ。今一巻は求め失せ候也。御要以後は早早返し給はるべく候。愚身も必ず参り候て承るべく候。昨日の論談=五十展転の随喜、誠に以て有り難く候。又袴品賜るべし。穴賢穴賢。恐恐〕。[p0088]
十月十一日 判[p0088]
日蓮阿闍梨御房[p0088]

#0016-5K0.TXT 十法界事 正元元(1259) [p0137]

 二乗、三界を出でざれば、即ち十方界の数量を失ふ云云。
 問ふ 十界互具を知らざる者、六道流転の分段の生死を出離して、而も変易の土に生ずべけん乎。[p0137]
 答ふ 二乗は既に見思を断じ、三界の生因無し。底に由てか界内の土に生ずることを得ん。是の故に二乗は、永く六道に生ぜず。故に玄の第二に云く ̄夫生変易 則有三種。三蔵二乗 通教三乗 別教三十心〔夫れ変易に生ずるにすなわち三種あり。三蔵の二乗、通教の三乗、別教の三十心〕[已上]。此の如き等の人は皆通惑を断じ、変易の土に生ずることを得て界内分段の不浄の国土に生ぜず。[p0137]
 難じて云く 小乗の教は但是れ心生の六道を談じて、是れ心具の六界を談ずるに非ず。是の故に二乗は六界を顕さず。心具を談ぜず。云何ぞ但六界の見思を断じて六道を出づべきや。故に寿量品に云く_一切世間。天人。及阿修羅。とは、爾前迹門両教の二乗三教の菩薩竝びに五時円人を皆天人修羅と云ふ。豈に未断見思の人と云ふに非ず乎。[p0137]
 答ふ 十界互具とは、法華の淵底、此の宗の沖微也。四十余年の諸経之中には之を秘して伝へず。但し四十余年の諸経の中に無数の凡夫見思を断じて無漏の果を得、能く二種の涅槃の無為を証し、塵数の菩薩、通別の惑を断じ、頓に二種の生死之縛を超ゆ。無量義経の中に四十余年の諸経を挙げて未顕真実と説くと雖も、而も猶お爾前三乗之益を許す。法華の中に於て_正直捨方便と説くと雖も、尚お_見諸菩薩。授記作仏。と説く。此の如き等の文、爾前の説に於て当分之益を許すに非ず乎。但し爾前の諸経に二事を説かず。謂く、実の円仏無く、又久遠実成を説かず。故に等覚の菩薩に至るまで、近成を執するの思ひ有り。此の一辺に於て、天人と同じく能く迷ひの門を挙げ、生死煩悩一時に断壊することを証せず。故に唯未顕真実と説けり。六界の互具を明かさざるが故に出づべからずとは、此の難甚だ不可也。六界互具せば即ち十界互具す。何となれば権果心生とは、六凡の差別也。心生を観ずるに、何ぞ四聖の高下無からん乎。第三重の難に云く所立の義、誠に道理有るに似たり。委しく一代聖教の前後を検するに法華本門竝びに観心の智慧を起こさざれば円仏と成らず。故に実の凡夫にして権果をも得ず。所以に彼の外道、五天竺に出でて四顛倒を立つ。如来出世して四顛倒を破せんが為に苦空等を説く。此れ則ち外道の迷情を破せんが為なり。是の故に外道の我見を破して、而も無我に住するは、火を捨て水に随ふが如し。堅く無我を執して、而も見思を断じ六道を出づると謂へり。此れ迷ひの根本なり。故に色心倶に滅之見に住す。大集等の経経に断常の二見と説くは是れ也。例せば有漏外道の自らは得道なりと念へども、無漏智を望むれば未だ三界を出でず。仏教に値はずして、而も三界を出づるといはば、是の処(ことはり)有ること無し。小乗の二乗も亦復是の如し。鹿苑施小之時、外道の我を離れて無我の見に住す。此の情を改めずして四十余年草菴に止宿する之思ひ暫くも離るる時無し。又大乗の菩薩に於て心生の十界を断ずと雖も、而も心具の十界を論ぜず。又或時は、九界の色心を断尽して仏界の一理に進む。是の故に自ら念はく、三惑を断尽して変易の生を離れ、寂光に生まるべしと。然るに九界を滅すれば是れ則ち断見也。進んで仏界に昇れば即ち常見と為す。九界の色心常住を滅すと欲ふは豈に九法界に迷惑するに非ず乎。又妙楽大師云く ̄但言観心 則不称理〔但し心を観ずと言はば、則ち理にかなはず〕[文]。此の釈の意は、小乗の観心は小乗の理に称はざる耳。又天台の文句第九に云く ̄七方便竝非究竟滅〔七方便ならびに究竟の滅にあらず〕[已上]。此の釈は、是れ、爾前の前の三教の菩薩は実には不成仏と云へる也。但し未顕真実と説くと雖も、三乗の得道を許し、正直捨方便を説くと雖も、而も_見諸菩薩。授記作仏。と云ふは、天台宗に於て三種の教相有り。第二の化導の始終之時、過去の世に於て法華結縁之輩有り。爾前の中に於て且く法華のために三乗当分の得道を許す。所謂、種熟脱の熟益の位なり。是れは尚お迹門の説なり。本門観心の時は、是れ実義に非ず。一応許す耳。其の実義を論ずれば、如来久遠之本に迷ひ、一念三千を知らざれば、永く六道の流転を出づべからず。故に釈に云く ̄円乗之外 名為外道〔円乗の外を名づけて外道となす〕[文]。又_諸善男子。~ 楽於小法。徳薄垢重者〔諸の善男子、~小法を楽える徳薄垢重の者~〕と説く。若し而れば、経釈共に道理必然也。[p0137-0139]
 答ふ 執難有りと雖も、其の義不可也。所以は如来の説教は機に備わりて虚しからず。是れを以て頓等の四教・蔵等の四教は、八機の為に設ける所にて得益無きに非ず。故に無量義経には_是故衆生。得道差別〔是の故に衆生の得道差別して〕と説く。誠に知んぬ。_終不得成。無上菩提〔終に無上菩提を成ずることを得ず〕と説くと雖も、而も三法四果之益無きに非ず。但是れ速疾頓成と歴劫迂回之異なる耳。是れ一向に得道無きに非ざる也。是の故に或は三明六通も有り、或は普賢色身の菩薩も有る。縦ひ一心三観を修して以て同体の三惑を断ぜずとも、既に折智を以て見思を断ず。何ぞ二十五有を出でざらん。是の故に解釈に云く ̄若遇衆生 令修小乗 我則堕慳貪。此為事不可。((低)人→のぎへん)出二十五有〔もし衆生に遇ひて小乗を修せしめば、我すなわち慳貪に堕せん。此の事不可なりとなす。((低)人→のぎへん)二十五有を出づ〕[已上]。当に知るべし。_此為事不可と説くと雖も而も出界有り。但是れ不思議の空を観ぜざるが故に、不思議の空智を顕さずと雖も、何ぞ小分の空解を起さざらん。若し空智を以て見思を断ぜずと云はば、開善の無声聞の義に同ずるに非ずや。況んや今経は正直捨権、純円一実之説なり。諸の爾前の声聞の得益を挙げて諸漏已尽。無復煩悩〔諸漏已に尽くして復煩悩なく〕と説き、又_実得阿羅漢。不信此法<若不信此法>。無有是処〔実に阿羅漢を得たる有って、若し此の法を信ぜずといわば、是の処あることなけん〕と云ひ、又_過三百由旬。化作一城〔三百由旬を過ぎ、一城を化作して〕と説く。若し諸の声聞全く凡夫に同ぜば、五百由旬、一歩も行くべからず。又云く_是人雖生。滅度之想。入於涅槃。而於彼土。求仏智慧。得聞是経〔是の人滅度の想を生じて涅槃に入ると雖も、而も彼の土に於て仏の智慧を求め是の経を聞くことを得ん〕[已上]。此の文既に証果の羅漢、法華の座に来らずして無余涅槃に入り、方便土に生じて法華を説くを聞くと見えたり。若し爾らば、既に方便土に生じて何ぞ見思を断ぜざらん。是の故に、天台・妙楽も彼土得聞〔彼の土において聞くことを得〕と釈す。又爾前の菩薩に於て_始見我身。聞我所説。即皆信受。入如来慧〔始め我が身を見我が所説を聞き、即ち皆信受して如来の慧に入りき〕と。故に知んぬ。爾前の諸の菩薩、三惑を断じて仏慧に入ることを。故に解釈に云く ̄初後仏慧 円頓義斉〔初後の仏慧、円頓の義斉し〕[已上]。或は云く ̄故挙始終 意在仏慧〔故に始終を挙ぐるに 意、仏慧あり〕。若し此れ等の説相経釈共に非義ならば、正直捨権之説、唯以一大事之文、妙法華経皆是真実之証誠皆以て無益也。皆是真実の言は豈に一部八巻に互るに非ず乎。釈迦・多宝・十方分身之舌相至梵天の神力・三世諸仏誠諦不虚之証誠虚しく泡沫に同ぜん。但し小乗の断常の二見に至りては、且く大乗に対して小乗を以て外道に同ず。小益無きに非ざる也。又七方便竝びに究竟の滅に非ざるの釈、或は復但心を観ずと云はば、則ち理に称はずとは、又是れ円実の大益に対して七方便の益を下して、竝究竟滅即不称理と釈する也。[p0139-0140]
第四重の難に云く 法華本門の観心之意を以て一代聖教を按ずるに、菴羅果を取りて掌中に捧ぐるが如し。所以は何。迹門の大教起れば爾前の大教亡ぼし、本門の大教起れば迹門・爾前の亡ぼし、観心の大教起れば本迹・爾前共に亡ぼす。此れは是れ如来所説の聖教、従浅至深して、次第に迷ひを転ずる也。然れども如来の説、一人の為にせず。此の大道を説きて迷情を除かざれば、生死を出で難し。[p0140]
若し爾前の中に八教有りとは 頓は則ち華厳。漸は則ち三昧。秘密と不定とは前四味に互る。蔵は則ち阿含方等に互る。通は此れ方等・般若。円・別は、是れ則ち前四味の中に鹿苑の説を除く。此の如く、八機各各不同なれば、教説も亦異なり、四教の教主、亦是れ不同なり。当教の機根、余仏を知らず。故に解釈に云く ̄各各見仏独在其前〔おのおの、仏独りその前にましますと見る〕。人天の五戒・十善、二乗の四諦・十二、菩薩の六度・三祇百劫・或は動喩塵劫・或は無量阿僧祇劫、円教の菩薩の初発心時便成正覚。明らかに知んぬ。機根別なる故に、説教亦別なり。教別なる故に行も亦別なり。行別なる故に得果も別也。此れ則ち各別の利益にして不同也。然るに今、法華方便品に_欲令衆生開仏知見と説きたまふ。爾時、八機竝びに悪趣の衆生、悉く皆同じく釈迦如来と成り、互いに五眼を具し、一界に十界を具し、十界に百界を具せり。是の時、爾前の諸経を思惟するに、諸経の諸仏は、自界の二乗を、二乗は又菩薩界を具せず。三界の人天の如きは、成仏の望み絶えて、二乗・菩薩の断惑即是自身の断惑なりと知らず。三乗・四乗の智慧は、四悪趣を脱るに似たりと雖も、互いに界界を隔てて、而も皆是れ一体なり。昔の経は二乗は但自界の見思を断除すと思ふて、六界の見思を断ずることを知らず。菩薩も亦是の如し。自界の三惑を断尽せんと欲すと雖も、六界・二乗の三惑を断ずることを知らず。真実に証する時、一切衆生即十衆生、十衆生即一衆生也。若し六界の見思を断ぜざれば、二乗の見思を断ずべからず。是の如く説くと雖も、迹門は但九界の情を改め、十界互具を明かす。故に即ち円仏と成る也。爾前当分之益を嫌ふこと無きが故に_三界諸漏已尽〔諸漏已に尽くして〕_過三百由旬〔三百由旬を過ぎ〕_始見我身〔始め我が身を見〕と説けり。又爾前入滅の二乗は、実には見思を断ぜず。故に六界を出でずと雖も、迹門は二乗作仏の本懐なり。故に_而於彼土。~得聞是経〔而も彼の土に於て~是の経を聞くことを得ん〕と説く。既に彼土得聞と云ふ。故に知んぬ。爾前の諸経には、方便土無し。故に実には実報竝びに常寂光無し。菩薩の成仏を明かす。故に実報・寂光を仮立す。然れども、菩薩に二乗を具す。二乗成仏せずんば、菩薩も成仏すべからざる也。衆生無辺誓願度も満せず。二乗の沈空尽滅は、即ち是れ菩薩の沈空滅尽也。凡夫、六道を出でざれば、二乗も六道を出づべからず。尚お、下劣の方便土を明かさず。況んや勝れたる実報・寂光を明さん乎。実に見思を断ぜば、何ぞ方便を明かさざらん。菩薩、実に実報・寂光に至らば、何ぞ方便土に至ること無からん。但断無明と云ふが故に、仮に実報・寂光を立つと雖も、而も上の二土無きが故に、同居の中に於て影現の実報・寂光を仮立す。然るに、此の三百由旬、実には三界を出づること無し。迹門には但是れ始覚の十界互具を説きて、未だ必ず本覚本有の十界互具を明かさず。故に所化の大衆、能化の円仏、皆是れ悉く始覚也。[p0140-0142]
 若し爾らば、本無今有の失、何ぞ免ることを得ん乎。当に知るべし、四教の四仏、則ち円仏と成るは、且く迹門の所談也。是の故に、無始の本仏を知らず。故に無始無終之義欠けて、具足せず。又無始色心常住之義無し。但し_是法住法位〔是の法は法位に住して〕と説くことは、未来常住にして、是れ過去常に非ず也。本有の十界互具を顕さざれば、本有の大乗菩薩界無き也。故に知んぬ。迹門の二乗は、未だ見思を断ぜず。迹門の菩薩は未だ無明を断ぜず。六道の凡夫、本有の六界に住せざれば、有名無実なり。故に涌出品に至りて、爾前・迹門の断無明の菩薩を_五十小劫。~謂如半日〔五十小劫、~半日の如しと謂わしむ〕と説く。是れ則ち寿量品の久遠円仏の非長非短不二之義に迷ふが故なり。[p0142]
爾前・迹門の断惑とは、外道の有漏の断の退すれば起るが如し。未だ久遠を知らざるを以て、而も或者の本と為す也。故に四十一品断の弥勒、本門立行の発起影向当機結縁の地涌千界の衆を知らず。既に一分の無始無明を断じて、而も十界の一分の無始法性を得たり。何ぞ等覚の菩薩を知らざらん。設ひ等覚の菩薩を知らざれども、争でか当機結縁の衆を知らざらん。_乃不識一人〔乃し一人をも識らず〕之文は最も未断三惑の故歟。是れを以て本門に至り、則ち爾前・迹門に於て随他意の釈を加へ、又天人修羅に摂し、_貪著五欲〔五欲に貧著し〕_妄見網中〔妄見の網の中〕_為凡夫顛倒〔凡夫の顛倒せるを為て〕と説く。釈の文には ̄我坐道場不得一法〔我、道場に坐して一法をも得ず〕と云ふ。蔵通両仏の見思断も、別円二仏の無明断も、竝びに皆見思無明を断ぜず。故に随他意と云ふ。酒家の衆生、三惑を断ずと謂へるは、是れ実の断に非ず。[p0142-0143]
 答の文に、開善の無声聞の義に同ずる、とは、汝も亦光宅の有声聞の義に同ずる歟。天台は、有無共に破す也。開善は爾前に於て、無声聞を判じ、光宅は法華に於て有声聞を判ず。故に有無共に有り難し。天台は爾前には則ち有り、今経則ち無し。所化の執情には、則ち有り、長者の見には則ち無し。此の如き破文、皆是れ爾前・迹門相対の釈にて、有無共に今の難に非ざるなり。但し七方便竝びに究竟の滅に非ず。又但し心を観ずと言はば、則ち理に称はずとの者は、円益に対し、当分の益を下して、非究竟滅即不称理と云ふ也、といはば、金論には、偏に清浄の真如を指す。尚お小の真を失へり。仏性安ぞ在らんと云ふ釈をば云何が会すべき。但し此の尚失小真の釈は、常には出だすべからず。最も秘蔵すべし。但し妙法蓮華経皆是真実の文を以て迹門に於て爾前得道を許すが故に、所以に無量義経に大荘厳等の菩薩の四十余年の得益を挙ぐるを、仏の答ふるに_未顕真実の言を以てす。又涌出品の中に弥勒疑ひて云く_如来為太子時。出於釈宮。去伽耶城不遠 乃至 四十余年〔如来太子たりし時釈の宮を出でて、伽耶城を去ること遠からず 乃至 四十余年を過ぎたり。〕[已上]。仏答て云く_一切世間。天人。及阿修羅。皆謂今釈迦牟尼仏。出釈氏宮。去伽耶城不遠。得三菩提<坐於道場。得阿耨多羅三藐三菩提。然善男子>我実成仏已来。〔一切世間の天・人及び阿修羅は、皆今の釈迦牟尼仏釈氏の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず、三菩提を得<道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を得たりと謂えり。然るに善男子>我実に成仏してより已来〕[已上]。我実成仏とは、寿量品已前を未顕真実と云ふに非ず哉。是の故に記の九に云く ̄昔七方便 至誠諦者 言七方便権者 且寄昔権。若対果門 権実倶是随他意也〔昔七方便より誠諦に至るまでは、七方便の権と言ふは、且く昔の権に寄す。もし果門に対すれば、権実倶に是れ随他意なり〕[已上]。此の釈は明らかに知んぬ。迹門をも尚お随他意と云ふ也。[p0143]
寿量品の皆実不虚〔皆実にして虚しからず〕を天台釈して云く ̄約円頓衆生 於迹本二門 一実一虚〔円頓の衆生に約すれば迹本二門に於て一実一虚なり〕[已上]。記の九に云く ̄故知。迹実於本猶虚〔故に知んぬ。迹の実は本に於て猶お虚なり〕[已上]。迹門既に虚なること論に及ぶべからず。但し皆是真実とは、若し本門に望むれば、迹は是れ虚なりと雖も、一座の内に於て虚実を論ず、故に本迹両門倶に真実と言ふ也。例せば迹門法説之時、譬説・因縁の二周も此の一座に於て聞知せざること無し。故に名づけて顕と為すが如し。記の九に云く ̄若方便教二門倶虚。因門開竟望於果門 則一実一虚。本門顕竟則二種倶実〔もし方便教は二門ともに虚なり。因門開きおわりて果門に望むれば、すなわち一実一虚なり。本門顕れおわれば、すなわち二種ともに実なり〕[已上]。此の釈の意は、本門本門未だ顕れざる以前は、本門に対すれば、尚お迹門を以て名づけて虚と為す。若し本門顕れ已りぬれば、迹門の仏因は、即ち本門の仏果なるが故に、天月水月本有之法と成りて、本迹倶に三世常住と顕るゝ也。一切衆生の始覚を名づけて迹門の円因と言ひ、一切衆生の本覚を名づけて本門の円果と為す。修一円因 感一円果とは是れ也。是の如く法門を談ずる之時、迹門・爾前は、若し本門顕れざれば六道を出でず。何ぞ九界を耶。[p0143-0144]

#0018-500.TXT 爾前得道有無御書 正元二(1260 or 1274) [p0148]

 爾前当分跨節得道有無の事。[p0148]
 仏滅後、月氏には一千年之間、論師は心に存じて之を弘めず。仏法漢土に渡りて、五百余年、二千六十余の訳者・人師も此の義無し。陳隋の初めに天台智者大師一人始めて此の義を立て給ふ。日本国には欽明より桓武に至るまで二百余年、又此の義を知らず。伝教大師始めて之を覚り、粗之を弘通したまへり。其の後、今に至るまで四百余年、漸漸に習ひ失せて、当世は知る人之無し。纔かに之を知れども、夢の如く囈語(ねごと)の如し。今日蓮宿習有りて、粗之を覚り知らす。此の国の道俗の習ひ、高慢無智にして日蓮を蔑如して之を習はず。然るに国主は狂へるが如く、万民は、矜を為し、終に苦海に沈まん歟。諸人未だ之を知らず。余宗余家の学者が此の義を習はん時は、先づ爾前の経経に当分跨節之得道之由、粗之を知らしめて、復返りて彼の義を破して之を建立する也。[p0148]
 所謂、天台宗の意は、四教を立て一代を摂尽す。四教とは、蔵通別円是れ也。蔵に三有り。所謂、阿含の蔵・方等の蔵・涅槃の蔵也。尽くして一の蔵と為し、三蔵教と称す。通に三有り。所謂、方等の通・般若の通・涅槃の通也。束ねて一の通と為す。別に四有り。所謂、華厳の別・方等の別・般若の別・涅槃の別なり。束ねて一の別と為す也。円に五有り。所謂、華厳の円・方等の円・般若の円・法華の円・涅槃の円なり。束ねて一の円と為す也。一代を以て、四教に摂尽するに、一句一字も残らず。此の四教の中に三蔵は、小乗教也。七賢七聖を立つ。七賢は未断見思の位也。然りと雖も、忍世第一に入れば、不退の位に住して、永く四悪趣に還らず。世世生生に人天に往き生まれて終に七賢に入る。七聖とは、已断見思の位也。所謂、見惑を破する故に四悪趣を離ると、思惑を破する故に三界の生を離ると、是れ也。縁覚も此の如し。菩薩も亦見思を断じて、成仏す。当分の得道とは是れ也。[p0148-0149]
 通教は大乗の初門也。十地有り。乾慧と性地との二地は、賢位にして未断見思也。三蔵の七賢の如し。第三地より第十地に至るまで、八地有り。声聞は三地より七地に至るまで見思を断じ畢る。縁覚は第八地に留まり、菩薩は第九地・第十地に至りて見思を断尽して分に成仏す。是れも又当分の得道也。[p0149]
 別教は、五十二位を立つ。所謂、十信・十住・十行・十回向・十地・等覚・妙覚也。十信に見思を伏す。蔵の七賢、通の初地・二地の如し。十住は初住に見を断じ、二住より七住に至るまで思惑を断尽す。蔵の七賢・通の下の八地の如し。十住の下の三住に上品の塵沙を断じ、十行・十回向に中品の塵沙を尽くす。十回向の後心に無明を伏し、初地に至るまで一品の無明を断じ、乃至等覚・妙覚に十二品を断ず。此の仏は、二種の生死を超過す。[p0149]
 円教にも同じく五十二位を立つ。其の名は別教の如し。其の義は水火の異なり也。第一の初心に見惑を断じ、第二信より第七信に至るまでに思惑を断ずること、蔵通の七聖下の八地と、別の十住の初住より七住に至るまでの如し。八・九・十の後の三信は次いでの如く、上中下の三品の塵沙を断ず。第十信の後心には無明を伏すること、別の十回向の後心の如し。十住・十行・十回向・十地・等・妙には四十二品の無明、之を断尽し畢んぬ。此れは即ち爾前の三の円の跨節の得道也。[p0149]
 今浄土の三部経は天台の意に依れば、前四味之中には方等部也。具さに四教を説く。観経の中に蔵を以ては阿含・方等・涅槃の三蔵教を摂尽す。通を以ては方等・般若・涅槃の通、之を摂尽す。別を以ては華厳・方等・般若・涅槃の別、之を摂尽す。円を以ては華厳・方等・般若・法華・涅槃の円、之を摂尽す。一代聖教をば観経に摂尽し、八万法蔵をば阿弥陀の三字に収蔵す。末代の凡夫に南無阿弥陀仏と唱へしむ。豈に大善根に有らず乎。其の上、観無量寿経之心は、末代の悪世を以て面と為し、未断惑の凡夫に六字の名号を唱へしめ、他力本願に乗じて同居の浄土に往生せしむ。此れ偏に天台大師の本意、龍樹菩薩の所欲也。三国一同の正義也。[p0149-0150]
 但し二乗作仏と久遠実成計りは観経に之無し。末代の凡夫は二乗作仏に非ず。久遠実成の教主釈尊の事も我等は之を沙汰して何か為せんと。此の外、華厳宗・三論宗・法相宗・真言宗・禅宗・浄土宗等は天台の教相を一分も之を用ひず。各正に我が宗の元祖を崇重し、曾て自宗の依経を重すること、宛も天台の法華経を信仰するが如し。[p0150]
 所謂、華厳宗は、法華経を以て華厳経の方便と為し、方便の法華経すら尚お得道有り。真実の華厳経、何ぞ成仏無からん乎と。真言宗は、顕密の二道を分かてり。法華経は顕教にして釈尊の所説なり。民の万言の如く空拳を捧げて小兒を誑かすが如し也。密教は大日如来の所説なり。天子の一言の如し也。猶お雲霧を払ひて満月を見るが如し。空拳の方便たる法華すら尚お当分之得道之有り。最上秘密之真言経に豈に跨節の成仏、之無からん乎。秘密は三国大同治国の法、諸宗一帰の密宗也と。法相宗の云く 法華の一乗は方便の教、深密の五意は真実の教なり、等と云々。三論宗の云く 般若経は三世諸仏の智母、一切衆生の慈父なり。後生は且く之を置く。今生を以て之を案ずるに、帝釈・龍王、修羅と戦ふ之時、何れの経をか用ひん。仁王経是れ也。普明の死を脱する、豈に仏力に非ず乎。現を以て当を推するに、第一の秘法也。月氏・漢土・日本、異なると雖も、三国一同に最初の本宗也。何ぞ邪義を以て当分跨節の得道之無しと為さん乎。其の上、法華・涅槃の二経を見聞するに、爾前の得益、之を許すこと之多し。序分に列ぬる二界八番の衆、皆爾前得道の人人也。舎利弗、方等の時を挙げて云く_我昔従仏。聞如是法。見諸菩薩。授記作仏〔我昔仏に従いたてまつりて是の如き法を聞き、諸の菩薩の授記作仏を見しかども〕。譬諭品に云く_羊車。鹿車。牛車〔羊車・鹿車・牛車〕。涌出品に云く_始見我身。聞我所説。即皆信受。入如来慧〔始め我が身を見我が所説を聞き、即ち皆信受して如来の慧に入りき〕云云。涅槃経に云く_我初成道等云云。天台の云く ̄此妙彼妙義無殊〔此の妙、彼の妙、義において殊なることなし〕云云。或は云く ̄初後仏慧円頓義斉〔初後の仏慧、円頓の義ひとし〕云云。或は云く ̄他経但記菩薩不記二乗〔他経は但菩薩に記して二乗に記せず〕等云云。又妙楽の云く ̄菩薩処処得入〔菩薩は処々に得入す〕等云云。爾前の得道、之を許すの文、釈以て此の如し。其の上一大事の大難之有り。法華已前、四十余年之間の得道の人人は、如何。此の如き重重の大難之有り。此れ等の諸難一一に之を挙げて条を取るに大火に乾草を投げ、大海に小火を入るゝが如し。自宗・諸宗、重重の不審を打ち滅し畢んぬ。爾前の経経には一分も得道無しと申し候也。然りと雖も身に当りて易き事国土に之を知らざる歟。諸人不審を残し候歟。我慢を捨てゝ之を学ばゞ何ぞ之を悟らざらん乎。[p0150-0151]
日 蓮 花押[p0151]

#0019-400.TXT 二乗作仏事 正元二(1260) [p0152]

 爾前得道の旨たる文。[p0152]
 経に云く_見諸菩薩等云云。又云く_始見我身〔始め我が身を見〕等。此れ等の文の如きは、菩薩、初地・初住に叶ふ事有ると見たる也。故に_見諸菩薩の文の下には_而我等不預斯事〔而も我等は斯の事に預らず〕。又、始見の文の下には_除先修習〔先より修習して<小乗を学せる者をば>除く〕。等云云。此れは爾前に二乗作仏無しと見たる文也。[p0152]
 問ふ。顕露定の教には二乗作仏を許す耶。顕露不定の教は之を許す歟。秘密には之を許す歟。爾前の円には二乗作仏を許す耶。別教には之を許す歟。[p0152]
 答ふ 所詮は重重の問答有りと雖も、皆之を許さざる也。所詮は、二乗界の作仏を許さずんば、菩薩界の作仏も許されざる歟。衆生無辺誓願土の願の闕くるが故也。釈は菩薩の得道と見たる経文を消する之計り也。所詮、華・方・般若の円の菩薩も初住に登らず。又、凡夫二乗は勿論也。_化一切衆生 皆令入仏道〔一切衆生を化して 皆仏道に入らしむ〕の文の下にて此の事は意得べき也。[p0152]
 問ふ 円の菩薩に向ひては、二乗作仏を説く歟。[p0152]
 答ふ 説かざる也。未曾向人<而未曾向人>。説如此事〔未だ曾て人に向って此の如きの事を説かず〕の釈に明らか也。[p0152]
 問ふ 華厳経の三無差別の文は、十界互具の正証也や。[p0152]
 答ふ 次下の経に云く_[廿五]如来智慧大薬王樹唯於二処不能為作生長利益。所謂声聞・縁覚〔如来の智慧大薬王樹は唯二処に於て生長の利益をなすこと能わず。所謂、声聞・縁覚なり〕等云云。二乗作仏を許さずと云ふ事分明也。若し爾らば本分は、十界互具と見へたれども、実には二乗作仏無ければ、十界互具を許さざる歟。其の上、爾前の経は法華経を以て定むべし。既に_除先修習〔先より修習して<小乗を学せる者をば>除く〕等云云と云ふ。華厳は菩薩に向ひて二乗作仏無しと云ふ事分明也。方等・般若も又以て此の如し。惣じて爾前の円に意得べき様、二有り。一には阿難結集の已前に、仏は一音に必ず別円二教の義を含ませ、一一の音に必ず四教三教を含ませたまへる也。故に純円の円は、爾前経には無き也。故に円といへども、今の法華経に対すれば別に摂すと云ふ也。籤の十に_又一一位 皆有普賢行布二門。故知。兼用円門摂別〔また一一の位に、皆普賢行布の二門あり。故に知んぬ。兼ねて円門を用ひて別に摂す〕と釈する也。此の意にて爾前に得道無しと云ふ也。二には阿難結集の時、多羅葉に注するに、一段は純別、一段は純円に書ける也。方等・般若も此の如し。此の時は、爾前の純円に書ける処は、粗法華に似たり。住中多明円融之相〔住の中に多く円融の相を明かす〕等と釈するは此の意也。天台智者大師は、此の道理を得給ひし故に、他師の華厳など惣じて爾前の経を心得しにはたがひ給へるなり。此の二の法門をば如何として天台大師は心得給ひしぞとさぐれば、法華経の信解品等を以て一一の文字、別円の菩薩及び四教三教なりけりとは、心得給ひしなり。又、此の智慧を得る之後、彼等の経に向ひて見る時は、一向に別、一向に円等と見えたる処あり。阿難結集のしはざなりけりと見給へる也。天台一宗の学者の中に此の道理を得ざるは、爾前の円と法華の円と始終同じ義と思ふ故に、一処のみ円教の経を見て、一巻・二巻等純円の義を存す故に、彼の経等に於て、成仏往生の義理を許す人人是れ多きなり。華厳・方等・般若・観経等の本分に於て、阿難、円教の巻を書くの日に、即身成仏云云、即得往生等とあるを見て、一生乃至順次生に往生成仏を遂げんと思ひたり。阿難結集已前の仏口より、出だす所の説教にて意を案ずれば、即身成仏・即得往生の裏に歴劫修行・永不往生の心を含めり。句の三に云く 摂論を引きて云く ̄了義経依文判義〔了義経は文に依て義を判じ〕等と云ふ意也。爾前の経を文の如く判ぜば、仏意に乖くべしと云ふ事は是れ也。記の三に云く ̄法華已前不了義故〔法華已前は不了義の故に〕と云へり。此の心を釈せる也。籤の十に云く ̄唯至法華 説前教意 顕今教意〔唯法華に至りて前教の意を説いて今教の意を顕す〕。釈の意は是れ也。[p0152-0154]
 抑そも他師と天台との意の殊なる様は如何。他師は一一の経経に向ひて、彼の経経の意を得たりと謂へり。天台大師は法華経に四十余年の経経を説きたまへる意をもて諸経を釈する故に、阿難尊者の書きし所の本文にたがひたる様なれども仏意に相叶ひたる也。且く観経の疏の如き経説には、見えざれども、一字に於て四教を釈す。本文は一処は別教、一処は純円に書き、別円を一字に含する義をば法華にて書きけり。法華にして爾前の経の意を知らしむる也。若し爾らば、一代聖教は、反覆すと雖も、法華経無くんば一字も諸経の心を知るべからざる也。又法華経を読誦する行者も此の意を知らずんば、法華経を読むにては有るべからず。爾前の経は深経なればと云ひて、浅経の意をば顕さず、浅経なればと云ひて又深義を含まざるにも非ず。法華経の意は、一一の文字は皆爾前経の意を顕し、法華経の意をも顕す。故に一字を読むは、一切経を読むなり。一字を読まざるは、一切経を読まざるなり。若し爾らば、法華経無き国には諸経有りと雖も得道は難かるべし。滅後に一切経を読むべき之様は、華厳経にも必ず法華経を列ねて彼の経の意を顕し、観経にも必ず法華経を列ねて其の意を顕すべし。諸経も又以て此の如し。而るに月支の末の論師及び震旦の人師此の意を弁えず、一経を講じて、各我得たりと謂ふ。又超過諸経之謂を成せるは、曾て一教の意を得ざるのみに非ず、謗法の罪に堕する歟。[p0154]
 問ふ 天竺の論師・震旦の人師の中に天台の如く阿難結集已前の仏口の諸経を此の如く意得たる論師・人師、之有る歟。[p0154]
 答ふ 無著菩薩の摂論には四意趣を以て諸経を釈し、龍樹菩薩の大論には四悉檀を以て一代を得たり。此れ等は粗此の意を釈すとは見えたれども、天台の如く分明には見えず。天親菩薩の法華論、又以て此の如し。震旦国に於ては、天台以前の五百年の間には、一向に此の義無し。玄の三に云く ̄天竺大論尚非其類〔天竺の大論、尚お其類に非ず〕云云。籤の三に云く ̄今家章疏附理憑教。凡所立義 不同他人随其所弘偏讃己典。若弘法華 偏讃尚失。況復余耶〔今家の章疏、理に附して教に憑る。凡そ所立の義、他人の其の弘むる所に随て偏に己が典を讃むるに同じからず。若し法華を弘むるは、偏に讃むる尚お失す。況んや復余をや〕[文]。何となれば、既に開権顕実と云ふ。何ぞ一向に権を毀るべきや。華厳経の心仏及衆生是三無差別〔心と仏と及び衆生、是の三差別無し〕の文は、華厳の人師、此の文に於て一心覚不覚の三義を立つるは、源、起信論の名目を借りて此の文を釈するなり。南岳大師は妙法の二字を釈するに、此の文を借りて三法妙の義を存せり。天台智者大師は、之を依用す。此に於て天台宗の人は華厳・法華同等の義を存する歟。又澄観も心仏及衆生の文に於て一心覚不覚の義を存するのみに非ず。性悪の義を存して云く ̄澄観釈 彼宗謂此為実。此宗立義理無不通〔澄観の釈に彼の宗には此れを謂て実となす。此の宗の立義、理、通ぜざるはなし〕等云云。此れ等の法門許すべきや、不哉。[p0154-0155]
 答て云く 弘の一に云く ̄若無今家諸円文意 彼経偈旨理実難消〔若し今家の諸の円文の意無くんば、彼の経の偈の旨理、実に消し難からん〕。同じく五に云く ̄不解今文如何消偈心造一切三無差別〔今の文を解せずんば如何ぞ偈の心造一切三無差別を消せん〕[文]。記の七に云く ̄忽都未聞性悪之名〔忽ち都て未だ性悪の名を聞かず〕と云へり。此れ等の文の如きんば、天台の意を得ずんば、彼の経の偈の意、知り難き歟。又震旦の人師の中には、天台之外には性悪の名目あらざりける歟。又法華経に非ずんば、一念三千の法門、談ずべからざる歟。天台已後の華厳の末師竝びに真言宗の人、性悪を以て自宗の依経の詮と為すは、天竺より伝はりける歟。祖師より伝はる歟。又天台の名目を偸んで自宗の内証と為すと云へる歟。能く能く之を験すべし。[p0154-0155]
 問ふ 性悪の名目は天台一家に限るべし。諸宗には之無し。若し性悪を立てずんば、九界の因果を如何が仏界の上に現ぜん。[p0155]
 答ふ 義例に云く ̄性悪若断等云云。[p0155]
 問ふ 円頓止観の証拠と一念三千の証拠に華厳経の心仏及衆生是三無差別〔心と仏と及び衆生、是の三差別無し〕の文を引くは、彼の経に円頓止観及び一念三千をを説くといふ歟。[p0155-0156]
 答て云く 天台宗の中には、爾前の円と法華の円と同の義を存す。[p0156]
 問ふ 六十巻の中に前三教の文を引いて円の義を釈せるは、文を借りると心を得んや。爾前の円の文を引いて法華の円の義を釈するをば借らずと存ぜんや。若し爾らば、三種の止観の証文に、爾前の諸経を引く中に、円頓止観の証拠に華厳の_菩薩於生死等の文を引けるをば、妙楽釈して云く ̄還借教味 以顕妙円〔還りて教味を借りて、以て妙円を顕す〕と。此の文は諸経の円の文を借りると釈しけるに非ずや。若し爾らば_心仏及衆生の文を一念三千の証拠に引く事は之を借りるにて有るべし。[p0156]
 答ふ 当世の天台宗は、華厳宗の見を出でざる事を云ふ歟。華厳宗の心は、法華と華厳とに於て同勝の二義を存す。同は法華・華厳の所詮の法門之同じとす。勝は二義あり。古の華厳宗は教主と菩薩衆等に対して勝の義を談ず。近代の華厳宗は、華厳と法華とに於て同勝の二義有りと云云。其の勝において又二義ありといふ。迹門は華厳と同勝の二義あり。華厳の円と法華迹門の相待妙の円とは同也。彼の円も判麁、此の円も判麁の故也。籤の二に云く ̄故須二妙以妙三法。故諸味中雖有円融全無二妙〔故に二妙を須ひて以て三法を妙ならしむ。故に諸味の中に円融有りと雖も全く二妙無し〕。私志記に云く ̄昔八中円 与今相待円同〔昔の八の中の円は、今の相待の円と同じ〕と云へり。是れは同也。記の四に云く ̄以法界之論 無非華厳。以仏恵之論 無非法華〔法界を以てこれを論ずれば、華厳に非ざるは無し。仏恵を以てこれを論ずれば、法華に非ざるは無し〕云云。又云く_応知。華厳尽未来際 即是此経常在霊山〔応に知るべし。華厳の尽未来際は、すなわちこれこの経の常在霊山なり〕云云。此れ等の釈は、爾前の円と法華の相待妙と同ずる釈也。迹門の絶待開会は、永く爾前の円と異なり。籤の十に云く ̄此法華経 開権顕実 開迹顕本。此両意永異余経〔此の法華経は開権顕実・開迹顕本す。この両意は永く余経と異なれり〕と云へり。記の四に云く ̄若以仏恵為法華 即〔もし仏恵を以て法華となさば、即ち〕等云云。此の釈は、仏恵を明かすは爾前・法華に互り、開会は唯法華に限ると見えたり。是れは勝也。爾前の無得道なる事は分明也。其の故は、二妙を以て一法を妙ならしむる也。既に爾前の円には絶待の一妙を闕く。衆生も妙の仏と成るべからざる故に。籤の三に云く ̄妙変為麁〔妙、変じて麁となる〕等の釈、是れ也。華厳の円が変じて別と成ると云ふ為也。本門は、相待・絶待の二妙倶に爾前の分無し。又迹門にも、之無し。爾前・迹門は異なれども、二乗は見思を断じ、菩薩は無明を断ずと申すことは、一応之を許して、再往は之を許さず。本門寿量品の意は、爾前・迹門に於て一向三乗倶に三惑を断ぜずと意得るべきなり。此の道理を弁へざる之間、天台の学者は、爾前・法華の一応同の釈を見て永異の釈を忘れ、結句、名は天台宗にて其の義は華厳宗に堕ちたり。華厳宗に堕ちるが故に方等・般若の円に堕ちぬ。結句は善導等の釈の見を出でず。結句後には謗法の法然に同じて_如師子身中虫自食師子〔師子の身中の虫の自ら師子を食うが如くならん〕[文]。[仁王経の下に]_大王我滅度後未来世中四部弟子諸小国王・太子・王子・乃是住持護三宝者 転更滅破三宝 如師子身中虫自食師子。非外道<非外道也>。多壊我仏法 得大罪過〔大王、我が滅度の後、未来世の中の四部の弟子・諸の小国の王・太子・王子・乃ち是の三宝を住持し護る者、転た更に三宝を滅破せんこと師子の身中の虫の自ら師子を食うが如くならん。外道に非ざる也。多く我が仏法を壊り、大罪過を得〕云云。籤の十に云く ̄始従住前至登住 来全是円義。従第二住至次第七住 文相次第 又似別義。於七住中 又弁一多相即自在。次行向地又是次第差別之義又一一位 皆有普賢行布二門。故知。兼用円門摂別〔始め住前より登住に至る、このかた全く是れ円の義。第二住より次第の七住に至る、文相次第して、又別の義に似たり。七住の中に於て又一多相即自在を弁ず。次の行・向・地、また是れ次第差別の義なり。また一一の位に、皆普賢行布の二門あり。故に知んぬ。兼ねて円門を用ひて別に摂す〕。[p0156-0157]

#0022-400.TXT 十法界明因果鈔 文応元(1260.04・21) [p0171]

沙門 日蓮撰[p0171]
 八十華厳六十九に云く_得入普賢道 了知十法界〔普賢道に入ることを得て、十法界を了知す〕と。法華経第六に云く_地獄声。畜生声。餓鬼声。比丘声。比丘尼声[人道]。天声[天道]。声聞声。辟支仏声。菩薩声。仏声[已上、十法界の名目也]。[p0171]
 第一に地獄界とは 観仏三昧経に云く_造五逆罪。揆無無因果 誹謗大乗 犯四重禁 虚食信施之者堕此中〔五逆罪を造り、無因果を揆無し、大乗を誹謗し、四重禁を犯し、虚しく信施を食するの者此の中に堕す〕と[阿鼻地獄也]。正法念経に云く_殺盗婬欲 飲酒妄語者 堕此中〔殺・盗・婬欲・飲酒・妄語の者、この中に堕す〕[大叫喚地獄也]。正法念経に云く_殺生偸盗邪婬者 堕此中〔殺生・偸盗・邪婬の者、此の中[衆合地獄なり]に堕す〕と[衆合地獄也]。涅槃経に云く_殺有三謂下中上。○下者蟻子乃至一切畜生。乃至 以下殺因縁堕於地獄 乃至 具受下苦。〔殺に三有り、謂く下中上なり。○下とは蟻子乃至一切の畜生なり。乃至 下殺の因縁を以て地獄 乃至<畜生・餓鬼>に堕して、具さに下の苦を受く〕[已上]。[p0171-0172]
 問て云く 十悪・五逆等を造りて地獄に堕するは、世間の道俗、皆之を知れり。謗法に依て、地獄に堕するは、未だ其の相貎を知らず、如何。[p0172]
 答て云く 賢慧菩薩の造勒那摩提の訳、究竟一乗宝性論に云く ̄楽行於小法 謗法及法師 ○不識如来教 説乖修多羅 言是真実義〔楽ひて小法を行じて、法及び法師を謗じ ○如来の教を識らずして、説くこと、修多羅に乖ひて是れ真実の義と言ふ〕[文]。此の文の如きんば、小乗を信じて真実義と云ひ大乗を知らざるは、是れ謗法也。天親菩薩の説真諦三蔵の訳、仏性論に云く ̄若憎背大乗 此是因一闡提。為令衆生捨此法故〔もし大乗に憎背するは、此れは是れ一闡提の因なり。衆生をして此の法を捨てしむるをもっての故に〕[文]。此の文の如きんば、大小流布之世に、一向に小乗を弘め、自身も大乗に背き、人に於ても大乗を捨てしむる、是れを謗法と云ふ也。天台大師の梵網経疏に云く ̄謗是乖背名 【糸+圭】解不称理不当実 異解説者皆名為謗也。乖己宗故罪得〔謗は是れ乖背の名、すべてこの解、理に称はず、実にあたらず、異解して説く者を、皆名づけて謗となすなり。己が宗に乖くが故に罪を得〕[文]。法華経の譬諭品に云く_若人不信 毀謗此経 則断一切 世間仏種〔若し人信ぜずして 此の経を毀謗せば 則ち一切世間の 仏種を断ぜん〕。乃至 其人命終 入阿鼻獄〔其の人命終して 阿鼻獄に入らん〕[文]。此の文の意は、小乗の三賢已前、大乗の十信已前、末代の凡夫十悪・五逆・不孝父母・女人等を嫌はず。此れ等、法華経の名字を聞いて、或は題名を唱へ、一字、一句、四句、一品、一巻、八巻等を受持読誦し、乃至亦上の如く行ぜん人を随喜し讃歎する人は、法華経より之外、一代の聖教を深く習ひ、義理に達し、大小乗の戒を持てる、大菩薩の如き者よりも勝れて往生成仏を遂ぐべしと説くを、信ぜずして、還りて法華経は地住已上の菩薩の為、或は上根上智の凡夫の為にして、愚人・悪人・女人・末代の凡夫等の為には非ずと言はん者は、即ち一切衆生の成仏の種を断じて阿鼻獄に入るべしと説ける文也。[p0172-0173]
 涅槃経に云く_於仏正法 永無護惜建立之心〔仏の正法に於て、永く護惜建立の心なし〕[文]。此の文の意は、此の大涅槃経の大法、世間に滅尽せんを惜しまざる者は、即ち是れ誹謗の者也。天台大師、法華経の怨敵を定めて云く ̄不喜聞者為怨〔聞くことを喜ばざる者を怨となす〕[文]。謗法は多種也。大小流布の国に生まれて一向に小乗の法を学して身を治め、大乗に還らざるは、是れ謗法也。亦華厳・方等・般若等の諸大乗経を習へる人も、諸経と法華経と等同之思ひを作し、人をして等同の義を学ばしめ、法華経に還らざるは、是れ謗法也。亦、偶たま円機有る人の法華経を学ぶをも、我が法に付け世利を貪るが為に、汝が機は法華経に当らざる由を称して、此の経を捨て、権経に還らしむるは、是れ大謗法也。此の如き等は、皆地獄の業也。人間に生ずること、過去の五戒は強く、三悪道の業因は弱きが故に、人間に生ずるなり。亦当世之人も、五逆を作る者は少なく、十悪は盛んに之を犯す。亦、偶たま後生を願ふ人の十悪を犯さずして、善人の如くなるも、自然に愚痴の失に依て身口は善く、意は悪き師を信ず。但我のみ此の邪法を信ずるに非ず。国を知行する人、人民に聳めて我が邪法に同ぜしめ、妻子・眷属・所従の人を以て、亦聳め従へ我が行を行ぜしむ。故に正法を行ぜしむる人に於て結縁を作さず。亦民所従等に於ても随喜之心を至さしめず。故に自他共に謗法の者と成りて修善止悪の如き人も自然に阿鼻地獄の業を招くこと、末法に於て多分之有る歟。[p0173]
 阿難尊者は、浄飯王の甥・斛飯王の太子・提婆達多の舎弟・釈迦如来の従子なり。如来に仕へ奉りて二十年。覚意三昧を得て一代聖教を覚れり。仏入滅の後、阿闍世王、阿難に帰依し奉る。仏滅の後四十年の比、阿難尊者、一の竹林之中に至るに、一りの比丘有り。
誦一法句偈云 若人生百歳 不見水潦涸 不如生一日 而得覩見之[已上]。阿難聞此偈 語比丘云 此非仏説。汝不可修行。爾時比丘 問阿難云 仏説如何。阿難答云 若人生百歳 不解生滅法 不如生一日 而得解了[已上]。此文仏説也。汝所唱偈 此文謬也。爾時比丘得此偈 語本師比丘。本師云 我汝所教偈 真仏説也。阿難所唱偈非仏説。阿難年老衰言多錯誤。不可信。此比丘 亦捨阿難偈 唱本謬偈。阿難又入竹林 聞之非我所教偈。重語之比丘不信用〕〔一の法句の偈を誦して云く もし人生じて百歳なりとも、水の潦涸を見ずんば、生じて一日にして、しかもこれを覩見することを得るにしかず[已上]。阿難、此の偈を聞き、比丘に語りて云く これ仏説に非ず。汝修行すべからず、と。そのときに比丘、阿難に問て云く 仏説は如何。阿難答て云く もし人生じて百歳なりとも生滅の法を解せずんば、生じて一日してしかもこれを解了することを得んにはしかず[已上]。この文仏説なり。汝が唱ふるところの偈はこの文を謬りたるなり。そのときに比丘、此の偈を得て本師の比丘に語る。本師の云く 我汝に教ふるところの偈は真の仏説なり。阿難が唱ふるところの偈は仏説に非ず。阿難、年老衰して、言、錯誤多し。信ずべからず、と。この比丘、また阿難の偈を捨てて本の謬りたる偈を唱ふ。阿難、また竹林に入りてこれを聞くに、我が教ふるところの偈に非ず。重ねてこれを語るに、比丘信用せざりき〕等云云。仏の滅後四十年にさへ既に謬り出来せり。何に況んや、仏の滅後既に二千余年を過ぎたり。仏法天竺より唐土に至り、唐土より日本に至る。論師・三蔵・人師等伝来せり。定めて謬り無き法は万が一なる歟。何に況んや、当世の学者、偏執を先と為して我慢を挿み、火を水と諍ひ、之を糾さず。偶たま仏の教の如く教えを宣ぶる学者をも之を信用せず。故に謗法ならざる者は万が一なる歟。[p0173-0174]
 第二に餓鬼道とは 正法念経に云く_昔貪財屠殺之者 受此報〔昔、財を貪り、屠り殺せし者、この報を受く〕。亦云く_丈夫自【口+敢】美食 不与妻子。或婦人自食 不与 受此報〔丈夫、自ら美食を【口+敢】ひ妻子に与へず。或は婦人、自ら食して夫子に与へざるは、この報を受く〕。亦云く_為貪名利 不浄説法之者 受此報〔名利を貪らんが為に不浄に説法せし者、この報を受く〕。亦云く_昔【酉+古】酒加水 受此報〔昔、酒をうるに水を加ふる者、この報を受く〕。亦云く_若人労而得少物 誑惑取用之者 受此報〔もし人労して少ない物を得たるを、誑惑して取り用ふるの者、この報を受く〕。亦云く_昔行路之人 病苦疲極 欺取其売 与直薄少之者 受此報〔昔、行路の人、病苦ありて疲極せるに、その売りものを欺き取り、直を与ふること薄少なりしの者、この報を受く〕。亦云く_昔典主刑獄 取人飲食之者 受此報〔昔、刑獄を典主して人の飲食を取りし者、この報を受く〕。亦云く_昔伐陰涼樹 及伐衆僧園林之者 受此報〔昔、陰涼しき樹を伐り、及び衆僧の園林を伐りし者、この報を受く〕[文]。法華経に云く_若人不信 毀謗此経〔若し人信ぜずして 此の経を毀謗せば〕 ○常処地獄 如遊園観 在余悪道 如己舎宅〔常に地獄に処すること 園観に遊ぶが如く 余の悪道に在ること 己が舎宅の如く〕[文]。慳貪・偸盗等の罪に依て、餓鬼道に堕せることは、世人知り易し。慳貪等無き諸善人も謗法により、亦謗法の人に親近し自然に其の義を信ずるに依て餓鬼道に堕することは智者に非ざれば、之を知らず。能く能く恐るべき歟。[p0174-0175]
 第三に畜生道とは_愚痴無慚 徒受信施 他物不償者 受此報〔徒らに信施を受けて、他の物もて償はざりし者、この報を受く〕。法華経に云く_若人不信 毀謗此経〔若し人信ぜずして 此の経を毀謗せば〕。○当堕畜生〔当に畜生に堕つべし〕[文]。[[已上、三悪道也][p0175]
 第四に修羅道とは 止観の一に云く ̄若其心念念常欲勝彼 不堪下人軽他珍己。如鵄高飛下視。而外揚仁義礼智信 起下品善心 行阿修羅道〔もしその心念々に常に彼に勝れんことを欲し、堪えざれば人を下し他を軽しめ己を珍とす。鵄の高く飛びてみおろすがごとし。しかも外には仁義礼智信を揚げて、下品の善心を起し、阿修羅の道を行ずるなり〕[文]。[p0175]
 第五に人道とは 報恩経に云く_三帰五戒生天〔三帰・五戒は天に生ず〕[文]。[p0175]
 第六に天道とは 二有り。欲天には十善を持ちて生れ、色無色天には、下地は麁・苦・障、上地は静・妙・離の六行観を以て生ずるなり。[p0175]
 問て云く 六道の生因は是の如し。抑そも、同時に五戒を持ちて人界の生を受くるに、何ぞ生盲・聾・【やまいだれ/音】【やまいだれ/亞】・【やまいだれ/坐】陋・【やまいだれ/戀】躄・背傴・貧窮・多病・瞋恚等、無量の差別有り耶。[p0175]
 答て云く 大論に云く ̄若破衆生眼 若屈衆生眼 若破正見眼 言無罪福。是人死堕地獄 罪畢為人 従生而盲。若復盗仏塔中 火珠及諸燈明。如是等種種 先世業因縁失眼〔もしは衆生の眼を破り、もしは衆生の眼をくじり、もしは正見の眼を破り、罪福なしと言はん。この人死して地獄に堕し、罪畢わって人となり、生れてより盲ひなり。もしはまた仏塔の中の火珠および諸の燈明を盗む。是の如き等の種種の先世の業・因縁をもて眼を失ふ〕。○聾者是 先世因縁 師父教訓 不受不行。而反瞋恚。以是罪故聾。復次截衆生耳 若破衆生耳 若盗仏塔僧塔諸善人福田中【牛+建】稚鈴貝鼓。故得此罪。先世截他舌 或塞其口 或与悪薬令不得語 或聞師教父母教勅断其語〔聾とは、これ先世の因縁・師父の教訓を受けず、行ぜず。而も反って瞋恚す。この罪を以ての故に聾となる。またつぎに衆生の耳を截り、もしは衆生の耳を破り、もしは仏塔・僧塔諸の善人福田の中の【牛+建】稚・鈴貝および鼓を盗む。故にこの罪を得るなり。先世に他の舌を截り、或はその口を塞ぎ、或は悪薬を与へて語ることを得ざらしめ、或は師の教え・父母の教勅聞き、その語を断つ〕。○〔先世破他坐禅 破坐禅舎 以諸呪術 呪人令瞋 闘諍婬欲。今世諸結使厚重 如婆羅門 失其稲田 其婦復死 即時狂発 裸形而走〔先世に他の坐禅を破り、坐禅の舎を破り、諸の呪術を以て人を呪して瞋り、闘諍し、婬欲せしむ。今世に諸の結使厚く重なること、婆羅門のその稲田を失ひ、その婦また死して即時に狂発し、裸形にしてしかも走りしが如くならん〕。先世奪仏阿羅漢辟支仏食 及父母所親食 雖値仏世 猶故飢渇。以罪重故〔先世に仏・阿羅漢・辟支仏の食、及び父母したしくするところの食を奪へば、仏世に値ふと雖もなお飢渇す。罪の重きを以ての故なり〕。○先世好行 鞭杖拷掠閉繋 種種悩故 今世得病〔先世にこのみて鞭杖・拷掠・閉繋を行じ、種種に悩ますが故に、今世に病を得るなり〕。○先世破他身 截其頭 斬其手足 破種種身分 或壊仏像 毀仏像鼻及諸賢聖形像。或破父母形像。以是罪故 受形多不具足。復次不善法報 受身醜陋〔先世に他の身を破り其の頭を截り、其の手足を斬り、種種の身分を破り、或は仏像を壊り、仏像の鼻及び諸の賢聖の形像を毀り、或は父母の形像を破る。この罪を以ての故に形を受くるに、多く具足せず。復次に不善法の報、身を受くること醜陋なり〕[文]。[p0175-0176]
 法華経に云く_若人不信 毀謗此経〔若し人信ぜずして 此の経を毀謗せば〕。若得為人 諸根暗鈍 <【石+累】陋【兀+王】躄> 盲聾背傴〔若し人となることを得ては 諸根暗鈍にして <【石+累】陋【兀+王】躄> 盲聾背傴ならん〕。○口気常臭 鬼魅所著 貧窮下賎 為人所使 多病【やまいだれ/肖】痩 無所依怙〔口に気常に臭く 鬼魅に著せられん 貧窮下賎にして 人に使われ 多病【やまいだれ/肖】痩にして 依怙する所なく〕。○若他反逆 抄劫窃盗 如是等罪 横羅其殃〔若しは他の反逆し 抄劫し窃盗せん 是の如き等の罪 横まに其の殃に羅らん〕。又八の巻に云く_若復見受持。是経典者。出其過悪。若実。若不実。此人現世。得白癩病。若有軽笑之者。当世世牙歯疎欠。醜唇平鼻。手脚繚戻。眼目角【目+來】。身体臭穢。悪瘡膿血。水腹短気。諸悪重病。〔若し復是の経典を受持せん者を見て其の過悪を出さん。若しは実にもあれ若しは不実にもあれ、此の人は現世に白癩の病を得ん。若し之を軽笑することあらん者は、当に世世に牙歯疎き欠け、醜唇・平鼻・手脚繚戻し、眼目角【目+來】に、身体臭穢にして悪瘡・膿血・水腹・短気・諸の悪重病あるべし〕[文]。[p0176]
 問て云く 何なる業を修する者が六道に生じて、而も其の中の王と成る乎。[p0176]
 答て云く 大乗の菩薩戒を持ちて、而も之を破る者は色界の梵王・欲界の魔王・帝釈・四輪王・禽獣王・閻魔王等と成る也。心地観経に云く_諸王所受諸福楽 往昔曾持三浄戒 戒徳薫修所招感 人天妙果獲王身〔諸王の受くる所の諸の福楽は、往昔、曾て三の浄戒を持ち、戒徳薫修して招き感ずる所の人天の妙果、王の身を獲る〕。○中品受持菩薩戒 福徳自在輪転王 随心所作尽皆成 無量人天悉遵奉。下上品持大鬼王 一切非人咸率伏。受持戒品雖欠犯 由戒勝故得為王。下中品持禽獣王 一切飛走皆帰伏。於清浄戒有欠犯 由戒勝故得為王。下下品持【王+炎】魔王 処地獄中常自在。雖毀禁戒生悪道 由戒勝故得為王〔中品に菩薩戒を受持すれば福徳自在の輪転王として心の所作に随て尽く皆成じ、無量の人天悉く遵奉す。下の上品を持てば、大鬼王として、一切の非人、咸く率伏す。戒品を受持して欠犯すと雖も、戒の勝るるによるが故に王と為ることを得。下の中品を持てば、禽獣の王として一切の飛走、皆帰伏す。清浄の戒に於て欠犯有るも、戒の勝るるによるが故に王と為ることを得。下の下品を持てば、【王+炎】魔王として、地獄の中に処して常に自在なり。禁戒を毀り悪道に生ずと雖も、戒の勝るるによるが故に王と為ることを得〕。○若有不受如来戒 終不能得野干身。何況能感人天中 最勝快楽居王位〔もし如来の戒を受けざること有れば、終に野干の身をも得ること能わず。何に況んや、能く人天の中の最勝の快楽を感じて王位に居せんをや〕[文]。[p0176-0177]
 安然和尚の広釈に云く ̄菩薩大戒 持成法王 犯成世王。而戒不失 譬如金銀 為器用貴 破器不用 而宝不失〔菩薩の大戒は、持ちて法王と成り、犯して世王と成る。而も戒の失せざること、譬へば金銀を器と為すに用ふるに貴く、器を破りて用ひざるも、而も宝は失せざるが如し〕。亦云く 無量寿観に云く ̄〔劫初より已来、八万の王有りて其の父を殺害す。此れ則ち菩薩戒を受け国王と作ると雖も、今殺の戒を犯して皆地獄に堕すれども、犯戒の力も王と成るなり〕。大仏頂に云く_発心菩薩 犯罪暫作 天神地祇〔発心の菩薩、罪を犯せども暫く天神地祇と作ると〕。大随求に云く_天帝命尽 忽入驢腹 由随求力 還生天上〔天帝、命尽きて忽ち驢の腹に入れども、随求の力によりて還りて天上に生ずと〕。[p0177]
 尊勝に云く_善住天子 死後七返 応堕畜生身 由尊勝力 還得天報。昔有国王。千車運水 救焼仏塔。自起【りっしんべん+喬】心 作修羅王。昔梁武帝 五百袈裟 施須弥山五百羅漢。誌公往施 五百欠一。衆云犯罪 暫作人王。即武帝是。昔有国王 治民不等。今作天王 為大鬼王。即東南西 三天王是。【牛+句】留孫末 成菩薩発誓 現作北王。毘沙門是〔善住天子、死後七返畜生の身に堕すべきを、尊勝の力によりて還りて天の報を得たりと。昔、国王有り。千車をもて水を運び、仏塔の焼くるを救ふ。自ら【りっしんべん+喬】心を起して修羅王と作る。昔、梁の武帝、五百の袈裟を須弥山の五百の羅漢に施す。誌公往きて五百に施すに一を欠く。衆の云く 罪を犯すも暫く人王と作らんと。即ち武帝是れなり。昔、国王有りて民を治むること等しからず。今、天王と作れども大鬼王為り。即ち東南西の三天王是れなり。【牛+句】留孫の末に菩薩と成りて発誓し、現に北王と作る。毘沙門、是れなり〕云云。[p0177]
 此れ等の文を以て之を思ふに、小乗戒を持ちて破る者は六道の民と作り、大乗戒を破る者は六道の王と作り、持つ者は仏と成る、是れ也。[p0177]
 第七に声聞道とは 此の界の因果をば阿含小乗十二年の経に分明に、之を明かせり。諸大乗経に於ても大に対せんが為に、亦之を明かせり。[p0177]
 声聞に於て四種有り。一には優婆塞俗男也。五戒を持ちて苦・空・無常・無我の観を修し、自調自度の心強くして敢えて化他之意無く、見思を断尽して阿羅漢と成る。此の如くする時、自然に髪を剃るに自ら落つ。二には優婆夷俗女也。五戒を持ち、髪を剃るに自ら落つること男の如し。三には比丘僧也。二百五十戒[具足戒也]を持ちて、苦・空・無常・無我の観を修し、見思を断じて阿羅漢と成る。此の如くする之時、髪を剃らざれども生ぜず。四には比丘尼也。五百戒を持つ。余は比丘の如し。一代諸経に列座せる舎利弗・目連等の如き、声聞、是れ也。永く六道に生ぜず。亦仏菩薩とも成らず。灰身滅智して決定して仏に成らざるなり。小乗戒の手本たる尽形寿の戒は、一度依身を壊れば永く戒の功徳無し。上品を持てば二乗と成り、中下を持てば人天に生じて民と為る。之を破れば三悪道に堕して罪人と成る也。[p0178]
 安然和尚の広釈に云く ̄三善世戒 因生感果 業尽堕悪。譬如楊葉 秋至似金 秋去地落。二乗小戒 持時果拙 破時永捨。譬如瓦器 完用卑 若破永失〔三善の世戒は、因生じて果を感じ、業尽きて悪に堕す。譬へば楊葉の秋至れば金に似れども、秋去れば地に落つるが如し。二乗の小戒は持つ時は果拙く、破る時は永く捨つ。譬へば瓦器の完くして用ふるに卑しく、若し破れば永く失せるが如し〕[文]。[p0178]
 第八に縁覚道とは 二有り。一には部行独覚。仏前に在りて声聞の如く小乗の法を習ひ、小乗の戒を持ち、見思を断じて永不成仏の者と成る。二には麟喩独覚。無仏の世に在りて、飛花落葉を見て、苦・空・無常・無我の観を作し、見思を断じて永不成仏の身と成る。戒も亦声聞の如し。此の声聞・縁覚を二乗とは云ふ也。[p0178]
 第九に菩薩界とは 六道の凡夫之中に於て自身を軽んじ他人を重んじ悪を以て己に向け善を以て他に与へんと念ふ者有り。仏、此の人の為に諸の大乗経をに於て菩薩戒を説きたまへり。[p0178]
 此の菩薩戒に於て三有り。一には摂善法戒。所謂、八万四千の法門を習ひ尽くさんと願す。二には饒益有情戒。一切衆生を度して之後、自らも成仏せんと欲す、是れ也。三には摂律儀戒。一切の諸戒を尽く持たんと欲する、是れ也。華厳経の心を演ぶる梵網経に云く_仏告諸仏子言 有十重波羅提木叉。若受菩薩戒 不誦此戒者非菩薩。非仏種子。我亦如是誦。一切菩薩已学 一切菩薩当学 一切菩薩今学〔仏諸の仏子に告げて言く 十重の波羅提木叉有り。若し菩薩戒を受けて此の戒を誦せざる者は菩薩に非ず。仏の種子に非ず。我も亦是の如く誦す。一切の菩薩は已に学し、一切の菩薩は当に学し、一切の菩薩は今学す〕。菩薩と言ふは二乗を除いて一切の有情也。小乗の如きは戒に随て異なる也。菩薩戒は爾らず。一切の有心に必ず十重禁等を授く。一戒を持つを一分の菩薩と云ひ、具さに十分を受くるを具足の菩薩と名づく。故に瓔珞経に云く_有一分受戒 名一分菩薩 乃至二分三分四分十分 具足受戒〔一分の戒を受くること有れば一分の菩薩と名づけ、乃至二分三分四分十分なるを具足の受戒といふ〕[文]。[p0178-0179]
 問て云く 二乗を除くの文、如何。[p0179]
 答て云く 梵網経に菩薩戒を受くる者を列ねて云く_若受仏戒者 国王・王子・百官・宰相・比丘比・丘尼・十八梵天・六欲天子・庶民・黄門・婬男・婬女・奴婢・八部・鬼神・金剛神・畜生 乃至 変化人 但解法師語 尽受得戒 皆名第一清浄者〔若し仏戒を受くる者は、国王・王子・百官・宰相・比丘比・丘尼・十八梵天・六欲天子・庶民・黄門・婬男・婬女・奴婢・八部・鬼神・金剛神・畜生 乃至 変化人にもあれ、但、法師の語を解するは、尽く戒を受得すれば、皆第一清浄の者と名づく〕[文]。此の中に於て二乗無き也。方等部の結経たる瓔珞経にも亦二乗無し。[p0179]
 問て云く 二乗所持の不殺生戒と、菩薩所持の不殺生戒と、差別如何。[p0179]
 答て云く 所持の戒名は同じと雖も、持つ様、竝びに心念、永く異なる也。故に戒の功徳も亦浅深有り。[p0179]
 問て云く 異なる様如何。[p0179]
 答て云く 二乗の不殺生戒は永く六道に還らんと思はず。故に化導の心無し。亦仏菩薩に成らんと思はず。但灰身滅智の思ひを成す。譬へば木を焼き灰と成して之後、一塵も無きが如し。故に此の戒をば瓦器に譬ふ。破れて後用ふること無きが故なり。菩薩は爾らず。饒益有情戒を発して此の戒を持つが故に機を見て五逆十悪を造り、同じく此の戒は犯せども、破れず。還りて弥いよ戒体を全くす。故に瓔珞経に云く_有犯不失尽未来際〔犯有れども失せず未来際を尽くす〕[文]。故に此の戒をば金銀の器に譬ふ。完くして持つ時も、破する時も、永く失せざるが故也。[p0179-0180]
 問て云く 此の戒を持つ人は、幾劫を経てか成仏する乎。[p0180]
 答て云く 瓔珞経に云く_未上住前〔未だ住に上らざる前〕。○若経一劫二劫三劫乃至十劫 得入初住位中〔若し一劫・二劫・三劫 乃至十劫を経て、初住の位の中に入ることを得〕[文]。文の意は、凡夫に於て此の戒を持つを信位の菩薩と云ふ。然りと雖も、一劫二劫乃至十劫之間は、六道に沈淪し、十劫を経て不退位に入り、永く六道の苦を受けざるを不退の菩薩と云ふ。未だ仏に成らざるに、還りて六道に入れども苦無き也。[p0180]
 第十に仏界とは 菩薩の位に於て四弘誓願を発すを以て戒と為す。三僧祇之間、六度万行を修し、見思・塵沙・無明の三惑を断尽して仏と成る。故に心地観経に云く_三僧企耶大劫中 具修百千諸苦行 功徳円満遍法界 十地究竟証三身〔三僧企耶大劫の中に具さに百千の諸の苦行を修し、功徳円満して法界に遍く十地究竟して三身を証す〕[文]。因位に於て諸の戒を持ち、仏果の位に至りて仏身を荘厳す。三十二相八十種好は即ち是れ戒の功徳の感ずる所也。但し仏果の位に至れば戒体を失ふ。譬へば華の果と成りて華の形無きが如し。故に天台の梵網経の疏に云く ̄至仏乃廃〔仏に至りて乃ち廃す〕[文]。[p0180]
 問て云く 梵網経等の大乗戒は、現身に七逆を造ると、竝びに決定性の二乗とを許す乎。[p0180]
 答て云く 梵網経に云く_若欲受戒時 師応問言。汝現身不作七逆罪耶。菩薩法師 不得与七逆人現身受戒〔若し戒を受けんと欲する時は、師の問に応じて言ふ。汝現身に七逆の罪を作らざる耶と。菩薩の法師は七逆の人のために現身に戒を受けしむることを得ず〕[文]。此の文の如きんば、七逆の人は現身に受戒を許さず。大般若経に云く_若菩薩設 【歹+克】伽沙劫 受妙五欲 於菩薩戒 猶不名犯。若起一念 二乗之心 即名為犯〔若し菩薩、設ひ恒河沙劫に妙の五欲を受くるとも、菩薩戒に於ては猶お犯と名づけず。若し一念に二乗の心を起さば、即ち名づけて犯と為す〕[文]。大荘厳論に云く ̄雖恒処地獄 不障大菩提。若起自利心 是大菩提障〔恒に地獄に処すと雖も、大菩提を障げず。若し自利の心を起さば、是れ大菩提の障りなり〕[文]。此れ等の文の如きんば、六凡に於ては菩薩戒を授け、二乗に於ては制止を加ふる者也。二乗戒を嫌ふは、二乗所持の五戒・八戒・十戒・十善戒・二百五十戒等を嫌ふに非ず。彼の戒は菩薩も持つべし。但二乗の心念を嫌ふ也。[p0180-0181]
 夫れ以みれば、持戒は父母・師僧・国王・主君・一切衆生・三宝の恩を報ぜんが為也。父母は養育之恩深し。一切衆生は互いに相助くる恩重し。国王は、正法を以て世を治むれば、自他安穏也。此に依て善を修すれば恩重し。主君も亦彼の恩を蒙りて父母・妻子・眷属・所従・牛馬等を養ふ。設ひ爾らずと雖も、一身を顧みる等の恩、是れ重し。師は亦邪道を閉じ、正道に趣かしむる等の恩、是れ深し。仏恩は言ふに及ばず。是の如く無量の恩分之有り。而るに二乗は、此れ等の報恩皆欠けたり。故に一念も二乗之心を起すは、十悪・五逆に過ぎたり。一念も菩薩之心を起すは、一切諸仏之後心之功徳を起せる也。已上、四十余年之間大小乗の戒也。[p0181]
 法華経の戒と言ふは、二有り。一には相待妙の戒、二には絶待妙の戒也。先づ相待妙の戒とは、四十余年の大小乗の戒と法華経の戒と相対して、爾前を麁戒と云ひ、法華経を妙戒と云ふ。諸経の戒をば未顕真実の戒・歴劫修行の戒・決定性の二乗戒と嫌ふ也。法華経の戒は、真実の戒・速疾頓成の戒・二乗の成仏を嫌はざる戒等を、相対して麁妙を論ずるを相待妙の戒と云ふ也。[p0181]
 問て云く 梵網経に云く_衆生受仏戒 即入諸仏位 位同大覚已 真是諸仏子〔衆生、仏戒を受くれば即ち諸仏の位に入り、位、大覚に同じ。已に真に是れ諸仏の子なり〕[文]。華厳経に云く_初発心時便成正覚〔初発心の時、便ち正覚を成ず、と〕[文]。大品経に云く_初発心時即坐道場〔初発心の時、即ち道場に坐す〕[文]。此れ等の文の如きんば、四十余年の大乗戒に於て、法華経の如く速疾頓成の戒有り。何ぞ但歴劫修行の戒なりと云ふ乎。[p0181]
 答て云く 此れに於て二義有り。一義に云く 四十余年之間に於て、歴劫修行之戒と速疾頓成之戒と有り。法華経に於ては但一つの速疾頓成之戒のみ有り。其の中に於て四十余年之間の歴劫修行之戒に於ては、法華経の戒に劣ると雖も、四十余年之間の速疾頓成之戒に於て、法華経の戒に同じ。故に上に出だす所の衆生、仏戒を受くれば即ち諸仏の位に入る等の文は、法華経の須臾聞之。即得究竟の文に、之同じ。但し無量義経に四十余年の経を挙げて歴劫修行等と云へるは、四十余年之内の歴劫修行之戒計りを嫌ふ也。速疾頓成之戒をば嫌はざる也。一義に云く 四十余年之間の戒は、一向歴劫修行の戒。法華経の戒は速疾頓成の戒也。但し上に出だす所の四十余年の諸経の速疾頓成之戒に於ては、凡夫地より速疾頓成するに非ず。凡夫地より無量の行を成して無量劫を経、最後に於て凡夫地より即身成仏す。故に最後に従へて、速疾頓成とは説く也。委悉に之を論ぜば、歴劫修行の所摂なり。故に無量寿経には總て四十余年の経を挙げて、仏、無量義経の速疾頓成に対して宣説菩薩。歴劫修行〔菩薩の歴劫修行を宣説せしかども〕と嫌ひたまへり。大荘厳菩薩、此の義を承けて領解して云く_過無量無辺不可思議阿僧祇劫。終不得成。無上菩提。何以故<所以者何>。不知菩提。大直道故。行於険径。多留難故〔無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぐれども、終に無上菩提を成ずることを得ず。所以は何ん、菩提の大直道を知らざるが故に、険径を行くに留難多きが故に。〕。乃至 行大直道。無留難故〔大直道を行じて留難なきが故に〕[文]。若し四十余年之間に、無量義経・法華経の速疾頓成之戒、之有れば、仏猥りに四十余年の実義を隠したまふ之失、之有らん云云。二義之中に後の義を作る者は存知の義也。相待妙の戒、是れ也。[p0181-0182]
 次に絶待妙の戒とは、法華経に於て別の戒無し。爾前の戒、即ち法華経の戒也。其の故は、爾前の人天の楊葉戒・小乗阿含経の二乗の瓦器戒・華厳・方等・般若・観経等の歴劫菩薩の金銀戒之行者、法華経に至りて互いに和会して一同と成る。所以に人天の楊葉戒の人は二乗の瓦器・菩薩の金銀戒を具し、菩薩の金銀戒に人天の楊葉・二乗の瓦器を具す。余は以て知りぬべし。三悪道の人は現身に於て戒無し。過去に於て人天に生まれし時、人天の楊葉・二乗の瓦器・菩薩の金銀戒を持ち、退して三悪道に堕す。然りと雖も其の功徳、未だ失せず、之有り。三悪道の人、法華経に入る時、其の戒、之を起す。故に三悪道にも又十界を具す。故に爾前の十界の人、法華経に来至すれば皆持戒也。故に法華経に云く_是名持戒〔是れを戒を持ち〕[文]。安然和尚の広釈に云く ̄法華云 能説法華 是名持戒〔法華に云く_能く法華を説く、是れを持戒と名づく、と〕[文]。爾前経の如く師に随て戒を持たず。但此の経を信ずるが、即ち持戒也。爾前の経には十界互具を明かさず。故に菩薩、無量劫を経て修行すれども、二乗・人天等の余戒の功徳無く、但一界の功徳を成す。故に一界の功徳を以て成仏を遂げず。故に一界の功徳も亦成せず。爾前の人、法華経に至りぬれば余界の功徳を一界に具す。故に爾前の経、即ち法華経なり。法華経、即ち爾前の経也。法華経は爾前の経を離れず。爾前の経は法華経を離れず。是れを妙法と言ふ。此の覚り起て後は、行者、阿含小乗経を読むも、即ち一切の大乗経を読誦し、法華経を読む人也。故に法華経に云く_決了声聞法 是諸経之王〔声聞の法を決了して 是れ諸経の王なるを聞き〕[文]。阿含経即法華経と云ふ文也。_於一仏乗。分別説三〔一仏乗に於て分別して三と説く〕文。華厳・方等・般若、即ち法華経と云ふ文也。_若説俗間経書。治世語言。資生業等。皆順正法〔若し俗間の経書・治世の語言・資生の業等を説かんも、皆正法に順ぜん〕[文]。一切の外道・老子・孔子等の経は、即ち法華経と云ふ文也。梵網経等の権大乗の戒と法華経の戒とに多くの差別有り。一には彼の戒は二乗・七逆の者を許さず。二には戒の功徳に仏果を具せず。三には彼は歴劫修行の戒也。是の如き等の多くの失有り。法華経に於ては二乗・七逆の者を許す上、博地の凡夫、一生之中に仏位に入り妙覚に至りて因果の功徳を具する也。[p0182-0183]
正元二年[庚申]四月二十一日 日 蓮花押[p0183]

#0023-500.TXT 唱法華題目鈔 文応元(1260.05・28) [p0184]

 有る人予に問て云く 世間之道俗させる法華経の文義を弁へずとも、一部・一巻・四要本・自我偈・一句等を受持し、或は自らも読み書き、若しは人をしてもよみかゝせ、或は我と読みかゝざれども、経に向ひ奉り合掌礼拝をなし、香華を供養し、或は上の如く行ずる事なき人も、他の行ずるを見てわづかに随喜の心ををこし、国中に此経の弘まれる事を悦こばん。是体の僅かの事によりて世間の罪にも引かれず、彼の功徳に引かれて、小乗の初果の聖人の度度人天に生まれて而も悪道に堕ちざるが如く、常に人天の生をうけ、終に法華経を心得るものと成りて、十方浄土にも往生し、又此の土に於ても即身成仏する事有るべきや。委細に之を聞かん。[p0184]
 答て云く させる文義を弁へたる身にはあらざれども、法華経・涅槃経竝びに天台・妙楽の釈の心を以て推し量るに、かりそめにも法華経を信じて聊かも謗を生ぜざらん人は、余の悪に引かれて悪道に堕つべしとはおぼえず。但し悪知識と申してわづかに権経を知れる人、智者の由をして、法華経を我等が機に叶ひ難き由を和らげ申さんを誠と思ひて、法華経を随喜せし心を打ち捨て、余教へ移り果てゝ、一生さて法華経へ返り入らざらん人は、悪道へ堕つべき事も有りなん。[p0184-0185]
 仰せに付けて疑はしき事侍り。実にてや侍るらん。法華経に説かれて候とて智者の語らせ給ひしは、昔三千塵点劫の当初(そのかみ)、大通智勝仏と申す仏います。其の仏の凡夫にていましける時、十六人の王子をはします。彼の父の王仏にならせ給ひて、一代聖教を説き給ひき。十六人の王子も亦出家して其の仏の御弟子とならせ給ひけり。大通智勝仏法華経を説き畢らせ給ひて定に入らせ給ひしかば、十六人の王子の沙弥、其の前にしてかはるがはる法華経を講じ給ひけり。其の所説を聴聞せし人幾千万といふ事をしらず。当座に悟りをえし人は不退の位に入りにき。又法華経をおろか(疎略)に心得る結縁の衆もあり。其の人人当座中間に不退の位に入らずして、三千塵点劫をへたり。其の間又つぶさに六道四生に輪廻し、今日釈迦如来の法華経を説き給ふに不退の位に入る。所謂舎利弗・目連・迦葉・阿難等是れ也。猶お猶お信心薄き者は、当時も覚らずして未来無数劫を経べきか。知らず、我等も大通智勝仏の十六人の結縁の衆にもあるらん。此の結縁の衆をば天台・妙楽は名字・観行の位にかなひたる人なりと定め給へり。名字・観行の位は一念三千の義理を弁へ、十法成乗の観を凝らし、能く能く義理を弁へたる人也。一念随喜五十展転と申すも天台・妙楽の釈の如きは、皆観行五品の初随喜の位と定め給へり。博地の凡夫の事にはあらず。[p0185]
 然るに我等は末代の一字一句等の結縁の衆、一分の義理をも知らざらんは、豈に無量の世界の塵点劫を経ざらんや。是れ偏に理深解微の故に、教は至りて深く、機は実に浅きがいたす処也。不如只唱弥陀名号 順次生往生西方極楽世界 永得不退無生忍 阿弥陀如来・観音・勢至等法華経説給時聞得悟〔只弥陀の名号を唱へて順次生に西方極楽世界に往生し、永く不退の無生忍を得て、阿弥陀如来・観音・勢至等の法華経を説き給はん時聞いて、悟りを得るには如かず〕。然るに弥陀の本願は有智無智・善人悪人・持戒は戒等をも撰ばず、只一念唱ふれば臨終に必ず阿弥陀如来本願の故に来迎し給ふ。[p0185-0186]
 是れを以て思ふに、此土にして法華経の結縁を捨て、浄土に往生せんとおもふは、億千世界の塵点を経ずして、疾く法華経を悟るがため也。法華経の機根にあたはざる人の、此の穢土にて法華経にいとまをいれて、一向に念仏を申さざるは、法華経の証は取り難く、極楽の業は定まらず、中間になりて、中中法華経をおろそかにする人にてやおはしますらん、と申し侍るは、如何に。其の上只今承り候へば、僅かに法華経の結縁計りならば、三悪道に堕ちざる計りにてこそ候へ、六道の生死を出づるにはあらず。念仏の法門はなにと義理を知らざれども、弥陀の名号を唱へ奉れば、浄土に往生する由を申すは、遥かに法華経よりも弥陀の名号はいみじくこそ聞こえ侍れ。[p0186]
 答て云く 誠に仰せめでたき上、智者の御物語にて侍るなれば、さこそと存じ候へども、但し若し御物語のごとく侍らば、すこし不審なる事侍り。大通結縁の者をあらあらうち(打)あてがい申すには、名字・観行の者とは釈せられて侍れども、正しく名字即の位の者と定められ侍る上、退大取小とて法華経をすてゝ権経にうつり、後には悪道に堕ちたりと見えたる上、正しく法華経を誹謗して之を捨てん者也。設ひ義理を知るやうなる者なりとも、謗法の人にあらん上は、三千塵点・無量塵点も経べく侍るか。五十展転一念随喜の人人を観行初随喜の位の者と釈せられたるは、末代の我等が随喜等は彼の随喜の中には入るべからずと仰せ候か。是れを天台・妙楽初随喜の位と釈せられたりと申さるゝほどにては、又名字即と釈せられて侍る釈はすてらるべきか。[p0186-0187]
 所詮仰せの御義を委しく案ずれば、をそれにては候へども、謗法の一分にやあらんずらん。其の故は法華経を我等末代の機に叶ひ難き由を仰せ候は、末代の一切衆生は穢土にして法華経を行じて詮無き事也と仰せらるゝにや。若しさやうに侍らば、末代の一切衆生の中に此の御詞を聞いて、已に法華経を信ずる者も打ち捨て、未だ行ぜざる者も行ぜんと思ふべからず。随喜の心も留め侍らば謗法の分にやあるべかるらん。若し謗法の者に一切衆生なるならば、いかに念仏を申させ給ふとも、御往生は不定にこそ侍らんずらめ。[p0187]
 又弥陀の名号を唱へ、極楽世界に往生をとぐべきよしを仰せられ侍るは、何なる経論を証拠として此の心はつき給ひけるやらん。正しくつよき証文候か。若しなくば其の義たのもしからず。前に申し候つるがごとく、法華経を信じ侍るは、させる解なけれども三悪道には堕つべからず候。六道を出づる事は一分のさとりなからん人は有り難く侍るか。但し悪知識に値ひて法華経随喜の心を云ひ破られて候はんは及ばざる歟。[p0187-0188]
 又仰せに付けて驚き覚え侍り、其の故は法華経は末代の凡夫の機に叶ひ難き由を智者申されしかば、さか(左歟)と思ひ侍る処に、只今の仰せの如くならば、弥陀の名号を唱ふとも、ゆゝしき大事にこそ侍れ。仰せ大通結縁の者は謗法の故に六道に回るも又名字即の浅位の者也。又一念随喜五十展転の者も又名字・観行即の位と申す釈は、何の処に候やらん。委しく承り候はばや。又義理をも知らざる者の僅かに法華経を信じ侍るが、悪知識の教えによて法華経を捨て権経に移るより外の、世間の悪業に引かれては悪道に堕つべからざる由、申さるゝは証拠あるか。又無智の者の念仏申して往生すると何に見えてあるやらんと申し給ふこそ、よ(世)に事あたらしく侍れ。双観経等の浄土の三部経・善導和尚等の経釈に明らかに見えて侍らん上は、なにとか疑ひ給ふべき。[p0188]
 答て曰く 大通結縁の者を退大取小の謗法、名字即の者と申すは私の義にあらず。天台大師文句第三の巻に云く ̄聞法未度。而世世相値 干今有住声聞地者。即彼時結縁衆釈〔法を聞いて未だ度せず。而るに世々に相値ふて、今まで声聞地に住する者有り。即ち彼の時の結縁の衆なり〕と釈し給ひて侍るを、妙楽大師の疏、記の第三に重ねて此の釈の心を述べ給ひて云く ̄但未入品。倶名結縁故〔但、未だ品に入らず。倶に結縁と名づくるが故に〕[文]。文の心は大通結縁の者は名字即の者となり。又天台大師玄義の第六に大通結縁の者を釈して云く ̄若信若謗 因倒因起。如喜根雖謗 後要得度〔若しは信、若しは謗、因って倒れ因って起る。喜根を謗ずと雖も、後かならず度を得るが如し〕[文]。文の心は大通結縁の者の三千塵点を経るは謗法の者なり。例せば勝意比丘が喜根菩薩を謗ぜしが如しと釈す。五十展転の人は五品の初めの初随喜の位と申す釈もあり。又初随喜の位の先の名字即と申す釈もあり。疏の記の第十に云く ̄初法会聞容是初品。第五十人 必在随喜位初人也〔初めて法会にて聞こえいれるは、是れ初品なり。第五十人は必ず随喜の位の初めに在る人なり〕[文]。文の心は初会聞法の人は必ず初随喜の位の内、第五十人は初随喜の位の先の名字即と申す釈なり。[p0188-0189]
 其の上五種法師にも受持・読・誦・書写の四人は自行の人、大経の九人の先の四人は解無き者也。解説は化他、後の五人は解有る人と証し給へり。疏の記の第十に五種法師を釈するには ̄或全未入品〔或は全く未だ品に入れず〕。亦云く ̄一向未入凡位〔一向、未だ凡位に入れず〕[文]。文の心は五種法師は観行五品と釈すれども、又五品已前の名字即の位とも釈する也。此れ等の釈の如きんば義理を知らざる名字即の凡夫が随喜等の功徳も、経文の一偈一句一念随喜の者、五十展転の内に入るかと覚え候。[p0189]
 何に況んや此の経を信ぜざる謗法の者の罪業は譬諭品に委しくとかれたり。持経者を謗ずる罪は法師品にとかれたり。此の経を信ずる者の功徳は分別功徳品・随喜功徳品に説けり。謗法と申すは違背の義。随喜と申すは随順の義也。させる義理を知らざれども、一念も貴き由申すは違背・随順の中には何れにか取られ候べき。[p0189-0190]
 又末代無智の者のわづかの供養随喜の功徳は経文には載せられざるか如何。其の上天台・妙楽の釈の心は、他の人師ありて法華経の乃至童子戯、一偈一句・五十展転の者を、爾前の諸経のごとく上聖の行儀と釈せられたるをば謗法の者と定め給へり。然るに我釈を作る時、機を高く取りて、末代造悪の凡夫を迷はし給はんは、自語相違にあらずや。故に妙楽大師、五十展転の人を釈して云く ̄恐人謬解者不測初心功徳之大 而推功上位蔑此初心。故今示彼行浅功深以顕経力〔恐らくは人謬り解せん者初心の功徳之大なることを測らずして、功を上位に推り此の初心を蔑にせん。故に今彼の行浅く功深きことを示して以て経力を顕はす〕[文]。[p0190]
 文の心は謬りて法華経を説かん人の、此の経は利智精進上根上智の人のためといはん事を、仏をそれて、下根下智末代の無智の者の、わづかに浅き随喜の功徳を、四十余年の諸経の大人上聖の功徳に勝れたる事を顕さんとして、五十展転の随喜は説かれたり。故に天台の釈には、外道・小乗・権大乗までたくらべ来りて、法華経の最下の功徳が勝れたる由を釈せり。所以に阿竭多仙人は十二年が間恒河の水を耳に留め、耆兎仙人は一日の中に、大海の水をすいほす。此の如き得道の仙人は、小乗阿含経の三賢の浅位の一通もなき凡夫には百千万倍劣れり。三明六通を得たりし小乗の舎利弗・目連等は、華厳・方等・般若等の諸大乗経の未断三惑の一通もなき一偈一句の凡夫には百千万倍劣れり。華厳・方等・般若経を習ひ極めたる等覚の大菩薩は、法華経を僅かに結縁をなせる未断三惑無悪不造の末代の凡夫には百千万倍劣れる由、釈の文顕然也。[p0190-0191]
 而るを当世の念仏宗等の人、我が身の権経の機にて実経を信ぜざる者は、方等・般若の時の二乗のごとく、自身をはぢ(恥)しめてあるべき処に敢えて其の義なし。あまさへ世間の道俗の中に、僅かに観音品・自我偈なんどを読み、適たま父母孝養なんどのために一日経等を書く事あれば、いゐさまたげて云く 善導和尚は念仏に法華経をまじうるを雑行と申し、百の時は希に一二を得、千の時はは希に三五を得ん。乃至千中無一と仰せられたり。何に況んや智慧第一の法然上人は法華経等を行ずる者をば、祖父の履、或は群賊等にたとへられたりなんどいゐうとめ侍るは、是の如く申す師も弟子も阿鼻の焔をや招かんずらんと申す。[p0191]
 問て云く 何なるすがた竝びに語を以てか法華経を世間にいゐうとむる者には侍るや。よにおそろしくことおぼえ候へ。[p0191]
 答て云く 始めに智者の申され候と御物語候つるこそ、法華経をいゐうとむる悪知識の語にて侍れ。末代に法華経を失ふべき者は、心には一代聖教を知りたりと思ひて而も心には権実二経を弁へず。身には三衣一鉢を帯し、或は阿練若に身をかくし、或は世間の人にいみじき智者と思はれて、而も法華経をよくよく知る由を人に知られなんどして、世間の道俗には三明六通の阿羅漢の如く貴ばれて、法華経を失ふべしと見えて候。[p0191-0192]
 問て云く 其の証拠、如何。[p0192]
 答て云く 法華経勧持品に云く_有諸無智人 悪口罵詈等 及加刀杖者 我等皆当忍〔諸の無智の人 悪口罵詈等し 及び刀杖を加うる者あらん 我等皆当に忍ぶべし〕文。妙楽大師此の文の心を釈して云く ̄初一行通明邪人。即俗衆也〔初めに一行は通じて邪人を明かす。即ち俗衆也〕文。文の心は此の一行は在家の俗男俗女が権経の比丘等にかたらはれて敵をなすべしとなり。[p0192]
 経に云く_悪世中比丘 邪智心諂曲 未得謂為得 我慢心充満〔悪世の中の比丘は 邪智にして心諂曲に 未だ得ざるを為れ得たりと謂い 我慢の心充満せん〕文。妙楽大師此の文の心を釈して云く ̄次一行明道門増上慢者〔次いで一行は道門増上慢の者を明かす〕文。文の心は悪世末法の権経の諸の比丘、我れ法を得たりと慢じて法華経を行ずるものゝ敵となるべしといふ事也。[p0192]
 経に云く_或有阿練若 納衣在空閑 自謂行真道 軽賎人間者 貪著利養故 与白衣説法 為世所恭敬 如六通羅漢 是人懐悪心 常念世俗事 仮名阿練若 好出我等過 ○常在大衆中 欲毀我等故 向国王大臣 婆羅門居士 及余比丘衆 誹謗説我悪 謂是邪見人 説外道論議〔或は阿練若に 納衣にして空閑に在って 自ら真の道を行ずと謂うて 人間を軽賎する者あらん 利養に貪著するが故に 白衣のために法を説いて 世に恭敬せらるること 六通の羅漢の如くならん 是の人悪心を懐き 常に世俗の事を念い 名を阿練若に仮つて 好んで我等が過を出さん ○常に大衆の中に在って 我等を毀らんと欲するが故に 国王大臣 婆羅門居士 及び余の比丘衆に向って 誹謗して我が悪を説いて 是れ邪見の人 外道の論議を説くと謂わん〕已上。大師此の文を釈して云く ̄三七行明僣聖増上慢者〔三に七行は僣聖増上慢の者を明かす〕[文]。経竝びに釈の心は、悪世の中に多くの比丘有りて、身には三衣一鉢を帯し、阿練若に居して行儀は大迦葉等の三明六通の羅漢のごとく、在家の諸人にあふがれて、一言を吐けば如来の金言のごとくをもはれて、法華経を行ずる人をいゐやぶらんがために、国王大臣等に向ひ奉りて、此の人は邪見の者也、法門は邪法也、なんどいゐうとむるなり。[p0192-0193]
 上の三人の中に、第一の俗衆の毀りよりも、第二の邪智の比丘の毀は猶おしのびがたし。又第二の比丘よりも、第三の大衣の阿練若の僧は甚だし。此の三人は当世の権教を手本とする文字の法師、竝びに諸経論の言語道断の文を信ずる暗禅の法師、竝びに彼等を信ずる在俗等、四十余年の諸経と法華経との権実の文義を弁へざる故に、華厳・方等・般若等の心仏衆生、即心是仏、即往十方等の文と、法華経の諸法実相、即往十方西方の文と語の同じきを以て切りのかはれるを知らず、或は諸経の言語道断、心行所滅の文を見て一代聖教には如来の実事をば宣べられざりけりなんどの邪念をおこす。故に悪鬼、此の三人に入りて末代の諸人を損じ国土をも破る也。故に経文に云く ̄濁劫悪世中 多有諸恐怖 悪鬼入其身 罵詈毀辱我〔濁劫悪世の中には 多くの諸の恐怖あらん 悪鬼其の身に入って 我を罵詈毀辱せん〕。乃至 不知仏方便 随宜所説法〔仏の方便 随宜所説の法を知らず〕[文]。文の心は濁悪世の時、比丘、我が信ずる所の教は仏の方便随宜の法門ともしらずして、権実を弁へたる人出来すれば、罵り破しなんどすべし。是れ偏に悪鬼の身に入りたるをしらずと云ふなり。[p0193-0194]
 されば末代の愚人のおそるべき事は、刀杖・虎狼・十悪・五逆よりも、三衣一鉢を帯せる暗禅の比丘と竝びに権経の比丘を貴しと見て実経の人をにくまん俗侶等也。故に涅槃経二十二に云く_於悪象等心無怖畏。於悪知識生怖畏心。何以故 是悪象等唯能壊身不能壊心。悪知識者二倶壊故〔悪象等に於ては心に恐怖すること無かれ。悪知識に於ては怖畏の心を生ぜよ。何を以ての故に。是の悪象等は唯能く身を壊りて心を壊ること能わず。悪知識は二倶に壊るが故に〕。乃至 為悪象殺不至三趣。為悪友殺必至三趣〔悪象の為に殺されては三趣に至らず。悪友の為に殺されては必ず三趣に至る〕[文]。此の文の心を章安大師宣べて云く ̄諸悪象等 但是悪縁 不能生人悪心。悪知識者 甘談詐媚 巧言令色 牽人作悪。以作悪故 破人善心。名之為殺。即堕地獄〔諸の悪象等は但是れ悪縁にして人に悪心を生ましむること能わず。悪知識は、甘談詐媚、巧言令色もて人を牽ひて悪を作さしむ。悪を作すを以ての故に人の善心を破る。之を名づけて殺と為す。即ち地獄に堕す〕[文]。文の心は、悪知識と申すは甘くかたらひ詐り媚び言を巧みにして愚痴の人の心を取りて善心を破るといふ事也。[p0194]
 總じて涅槃経の心は、十悪・五逆の者よりも謗法・闡提のものをおそるべしと誡めたり。闡提の人と申すは法華経・涅槃経を云ふうとむる者と見えたり。当世の念仏者等、法華経を知り極めたる由をいふに、因縁譬喩をもて釈し、よくよく知る由を人にしられて、然して後には此の経のいみじき故に末代の機のおろかなる者及ばざる由をのべ、強き弓重き鎧、かひなき人の用にたゝざる由を申せば、無智の道俗さもと思ひて実には叶ひまじき権経に心を移して、僅かに法華経に結縁しぬるをも翻し、又人の法華経を行ずるをも随喜せざる故に、師弟倶に謗法の者となる。之に依て謗法の衆生、国中に充満して適たま仏事をいとなみ法華経を供養し追善を修するにも、念仏等を行ずる謗法の邪師の僧来りて、法華経は末代の機に叶ひ難き由を示す。故に施主も其の説を実と信じてある間、訪らる過去の父母・夫婦・兄弟等は弥いよ地獄の苦を増し、孝子は不孝・謗法の者となり、聴聞の諸人は邪法を随喜し悪魔の眷属となる。日本国中の諸人は仏法を行ずるに似て仏法を行ぜず。適たま仏法を知る智者は、国の人に捨てられ、守護の善神は法味をなめざる故に威光を失ひ、利生を止め、此の国をすて他方に去り給ひ、悪鬼は便りを得て国中に入り替わり、大地を動かし悪風を興し、一天を悩まし五穀を損ず。故に飢渇出来し、人の五根には悪鬼入りて精気を奪ふ。是れを疫病と名づく。一切の諸人善心無く多分は悪道に堕すること、ひとへに悪知識の教を信ずる故なり。[p0194-0195]
 仁王経に云く_諸悪比丘多求名利於国王太子王子前自説破仏法因縁破国因縁。其王不別信聴此語横作法制不依仏戒。是為破仏破国因縁〔諸の悪比丘、多く名利を求め、国王・太子・王子の前に於て、自ら破仏法の因縁・破国の因縁を説かん。其の王別えずして此の語を信聴し、横に法制を作りて仏戒に依らず。是れを破仏・破国の因縁と為す〕[文]。此の文の心は末法の諸の悪比丘、国王・大臣の御前にして、国を安穏ならしむる様にして終に国を損じ、仏法を弘むる様にして還りて仏法を失ふべし。国王・大臣、此の由を深く知し食さずして、此の言を信受する故に、破国失仏教〔国を破り仏を失ふ〕と云ふ文也。此の時日月度を失ひ、時節もたがひて、夏はさむく、冬はあたゝかに、秋は悪風吹き、赤き日月出で、望朔にあらずして日月蝕し、或は二つ三つ等の日出来せん。大火・大風・彗星等をこり、飢饉・疫病等あらんと見えたり。国を損じ人を悪道におとす者は悪知識に過ぎたる事なきか。[p0195-0196]
 問て云く 若しかやうに疑ひ候はば我が身は愚者にて侍り、万の智者の御語をば疑ひ、さて信ずる方も無くして空しく一期過ごし侍るべきにや。[p0196]
 答て云く 仏の遺言に_依法不依人と説かせ給ひて候へば、経の如くに説かざるをば何にいみじき人なりとも御信用あるべからず候か。又_依了義経 不依不了義経〔了義経に依て、不了義経に依らざれ〕と説かれて候へば、愚痴の身にして一代聖教の前後浅深を弁へざらん程は了義経に付かせ給ひ候へ。了義経・不了義経も多く候。阿含小乗経は不了義経、華厳・方等・般若・浄土の観経等は了義経。又四十余年の諸経を法華経に対すれば、不了義経、法華経は了義経。涅槃経を法華経に対すれば、法華経は了義経、涅槃経は不了義経。大日経を法華経に対すれば、大日経は不了義経、法華経は了義経也。故に四十余年の諸経竝びに涅槃経を打ち捨てさせ給ひて、法華経を師匠と御憑み候へ。法華経をば国王・父母・日月・大海・須弥山・天地の如くおぼしめせ。諸経をば関白・大臣・公卿・乃至万民・衆星・江河・諸山・草木等の如くおぼしめすべし。我等が身は末代造悪の愚者・鈍者・非法器の者、国王は臣下よりも人をたすくる人、父母は他人よりも子をあはれむ者、日月は衆星より暗を照らす者、法華経は機に叶はずんば、況んや余経は助け難しとおぼしめせ。又釈迦如来と阿弥陀如来・薬師如来・多宝仏・観音・勢至・普賢・文殊等の一切の諸仏菩薩は我等が慈悲の父母。此の仏菩薩の衆生を教化する慈悲の極理は唯法華経にのみ、とどまれりとおぼしめせ。諸経は悪人・愚者・鈍者・女人・根欠等の者を救ふ秘術をば未だ説き顕さずとおぼしめせ。法華経の一切経に勝れ候故は但此の事に侍り。[p0196-0197]
 而るを当世の学者、法華経をば一切経に勝れたりと讃めて、而も末代の機に叶はずと申すを、皆信ずる事、豈に謗法の人に侍らずや。只一口におぼしめし切らせ給ひ候へ。所詮、法華経の文字を破りさきなんどせんには法華経の心やぶるべからず。又世間の悪業に対して云ひうとむるとも、人人用ふべからず。只相似たる権経の義理を以て云ひうとむるにこそ、人はたぼらかさるれとおぼしめすべし。[p0197]
 問て云く 或智者の申され候ひしは、四十余年の諸経と八箇年の法華経とは、成仏の方こそ爾前は難行道、法華経は易行道にて候へ。往生の方にては同じ事にして易行道に侍り。法華経を書き読みても十方の浄土阿弥陀仏の国へも生まるべし。観経等の諸経に付けて弥陀の名号を唱へん人も往生を遂ぐべし。只機縁の有無に随て何れをも諍ふべからず。但し弥陀の名号は人ごとに行じ易しと思ひて、日本国中に行じつけたる事なれば、法華経の余行よりも易きにこそと申されしは如何。[p0197-0198]
 答て云く 仰せの法門はさも侍るらん。又世間の人も多くは道理と思ひたりげに侍り。但し身には此の義に不審あり。其の故は前に申せしが如く、末代の凡夫は智者と云ふともたのみなし、世こぞりて上代の智者には及ぶべからざるが故に。愚者と申すともいやしむべからず、経論の証文顕然ならんには。[p0198]
 抑そも無量義経は法華経を説くが為の序分也。然るに始め寂滅道場より今の常在霊山の無量義経に至るまで、其の年月日数を委しく計へ挙げれば四十余年也。其の間の所説の経を挙ぐるに華厳・阿含・方等・般若也。所談の法門は三乗五乗所習の法門也。修行の時節を定むるには、宣説菩薩。歴劫修行〔菩薩の歴劫修行を宣説せしかども〕と云ひ、随自意・随他意を分かつには、是れを随他意と宣べ、四十余年の諸経と八箇年の所説との語同じく義替われる事を定むるには、文辞雖一。而義各異〔文辞一なりと雖も而も義各異なり〕ととけり。成仏の方は別にして、往生の方は一つなるべしともおぼえず。華厳・方等・般若、究竟最上の大乗経、頓悟・漸悟の法門、皆未顕真実と説かれたり。此の大部の諸経すら未顕真実なり。何に況んや浄土の三部経等の往生極楽ばかり未顕真実の内にもれんや。其の上経経ばかりを出だすのみにあらず、既に年月日数を出だすをや。然れば、華厳・方等・般若等の弥陀往生已に未顕真実なる事疑ひ無し。観経の弥陀往生に限りて豈に多留難故〔留難多きが故に〕の内に入らざらんや。[p0198-0199]
 若し随自意の法華経の往生極楽を随他意の易行也と之を立てらるれば、権実雑乱の失大謗法たる上、一滴の水漸漸に流れて大海となり、一塵積もりて須弥山となるが如く、漸く権経の人も実経にすゝまず、実経の人も権経におち、権経の人次第に国中に充満せば、法華経随喜の心も留まり、国中に王なきが如く、人の神を失せるが如く、法華・真言の諸の山寺荒れて、諸天善神龍神等一切の聖人国を捨てゝ去らば、悪鬼便りを得て乱れ入り、悪風吹きて五穀も成しめず、疫病流行して人民をや亡ぼさんずらん。[p0199]
 此の七八年が前までは諸行は永く往生すべからず、善導和尚の千中無一と定まらさせ給ひたる上、選択には諸行を抛てよ、行ずる者は群賊と見えたり、なんど放語を申し立てしが、又此の四五年の後は選択集の如く人を勧めん者は、謗法の罪によて師檀共に無間地獄に堕つべしと経に見えたりと申す法門出来したりげに有りしを、始めは念仏者こぞりて不思議の思ひをなす上、念仏を申す者無間地獄に堕つべしと申す悪人外道あり、なんどのゝしり候ひしが、念仏者無間地獄に堕つべしと申す語に智慧つきて各選択集を委しく披見する程にげにも謗法の書とや見なしけん。千中無一の悪義を留めて、諸行往生の由を念仏者毎に之を立つ。然りと雖も唯口にのみゆるして、心の中は猶お本の千中無一の思ひ也。在家の愚人は内心の謗法なるをばしらずして、諸行往生の口にばかされて、念仏者は法華経をば謗ぜざりけるを、法華経を謗ずる由を聖道門の人の申されしは僻事也と思へるにや。一向諸行は千中無一と申す人よりも謗法の心はまさりて候也。[p0199-0200]
 問て云く 天台宗の中の人の立つる事あり、天台大師、爾前と法華と相対して爾前を嫌ふに二義あり。一には約部。四十余年の部と法華経の部と相対して爾前は麁なり、法華は妙なりと之を立つ。二には約教。経に麁妙を立て、華厳・方等・般若等の円頓速疾の法門をば妙と歎じ、華厳・方等・般若等の三乗歴別の衆生の法門をば前三教と名づけて麁也と嫌へり。円頓速疾の方をば嫌はず、法華経に同じて一味の法門とせりと申すは如何。[p0200]
 答て云く 此の事は不審にもする事侍るらん。然るべしとおぼゆ。天台・妙楽より已来今に論有る事に侍り。天台の三大部六十巻、總じて五大部の章疏の中にも、約教の時は爾前の円を嫌ふ文無し。只約部の時ばかり爾前の円を押さふさね(聚束)て嫌へり。[p0200-0201]
 日本に二義あり。園城寺には智証大師の釈より起りて、爾前の円を嫌ふと云ひ、山門には嫌はずと云ふ。互いに文釈あり。倶に料簡あり。然れども今まで事ゆかず。但し予が流の義には不審晴れておぼえ候。其の故は天台大師、四教を立て給ひしに四の筋目あり。一には爾前の経に四教を立つ。二には法華経と爾前と相対して、爾前の円を法華の円に同じて前三教を嫌ふ事あり。三には爾前の円をば別教に摂して、前三教を嫌ひ、法華の円をば純円と立つ。四には爾前の円をば法華に同ずれども、但し法華経の二妙の中の相待妙に同じて絶待妙には同ぜず。此の四の道理を相対して六十巻をかんがうれば狐疑の氷解けたり。一一の証文は且つは秘し、且つは繁き故に之を載せず。又法華経の本門にしては爾前の円と迹門の円とを嫌ふ事不審なき者也。爾前の円をば別教に摂して、約部の時は前三為麁、後一為妙と云ふ也。此の時は爾前の円は無量義経の歴劫修行の内に入りぬ。又伝教大師の註釈の中に、爾前の八教を挙げて四十余年未顕真実の内に入れ、或は前三教をば迂回と立て、爾前の円をば直道と云ひ、無量義経をば大直道と云ふ。委細に見るべし。[p0201-0202]
 問て云く 法華経を信ぜん人は本尊竝びに行儀竝びに常の所行は何にてか候べき。[p0202]
 答て云く 第一に本尊は法華経八巻・一巻一品・或は題目を書きて本尊と定むべし。法師品竝びに神力品に見えたり。又たへたらん人は釈迦如来・多宝仏を書きても造りても法華経の左右に之を立て奉るべし。又たへたらん人は十方の諸仏・普賢菩薩等をもつくりかきてまつるべし。行儀は本尊の御前にして必ず坐立行なるべし。道場を出でては行住坐臥をゑらぶべからず。常の所行は題目を南無妙法蓮華経と唱ふべし。たへたらん人は一偈一句をも読み奉るべし。助縁には南無釈迦牟尼仏・多宝仏・十方諸仏・一切の諸菩薩・二乗・天人・龍神・八部等心に随ふべし。愚者多き世となれば一念三千の観を先とせず。其の志あらん人は必ず習学して之を観ずべし。[p0202]
 問て云く 只題目計りを唱ふる功徳如何。[p0202]
 答て云く 釈迦如来、法華経をとかんとおぼしめして世に出でましましゝかども、四十余年の程は法華経の御名を秘しおぼしめして、御年三十の比より七十余に至るまで法華経の方便をまうけ、七十二にして始めて題目を呼び出させ給へば、諸経の題目に是れを比ぶべからず。其の上、法華経の肝心たる方便・寿量の一念三千・久遠実成の法門は妙法の二字におさまれり。天台大師玄義十巻を造り給ふ。第一の巻には略して妙法蓮華経の五字の意を宣べ給ふ。第二の巻より七の巻に至るまでは又広く妙の一字を宣べ、八の巻より九の巻に至るまでは法華経の三字を釈し、第十の巻には経の一字を宣べ給へり。経の一字に華厳・阿含・方等・般若・涅槃経を収めたり。妙法の二字は玄義の心は百界千如・心仏衆生の法門なり。止観十巻の心は一念三千・百界千如・三千世間・心仏衆生三無差別と立て給ふ。一切の諸仏・菩薩・十界の因果・十界の草木瓦礫等妙法の二字にあらずと云ふ事なし。華厳・阿含等の四十余年の経経、小乗経の題目には大乗経の功徳を収めず。又大乗経にも往生を説く経の題目には成仏の功徳をおさめず。平等意趣をもつて他仏自仏とおなじといひ、或は法身平等をもて自仏他仏同じといふ。実には一仏に一切仏の功徳をおさめず。今法華経は四十余年の諸経を一経に収めて、十方世界の三身円満の諸仏をあつめて、釈迦一仏の分身の諸仏と談ずる故に、一仏一切仏にして妙法の二字に諸仏皆収まれり。故に妙法蓮華経の五字を唱ふる功徳莫大也。諸仏諸経の題目は法華経の所開也妙法は能開也、としりて法華経の題目を唱ふべし。[p0202-0203]
 問て云く 此の法門を承りて又智者に尋ね申し候えば、法華経のいみじき事は左右に及ばず候。但し器量ならん人は唯我が身計りは然るべし。末代の凡夫に向ひて、ただちに機をも知らず、爾前の経を云ひうとめ、法華経を行ぜよと申すは、としごろの念仏なんどをば打ち捨て、又法華経には未だ功も入らず、有にも無にもつかぬやうにてあらんずらん。又機も知らず、法華経を説かせ給はば、信ずる者は左右に及ばず。若し謗ずる者あらば定めて地獄に堕ち候はんずらん。其の上、仏も四十余年の間、法華経を説き給はざる事は_若但讃仏乗 衆生没在苦〔若し但仏乗を讃めば 衆生苦に没在し〕の故なりと。在世の機すら猶お然なり。何に況んや末代の凡夫をや。去れば譬諭品には仏舎利弗に告げて言はく_無智人中 莫説此経〔無智の人の中にして 此の経を説くことなかれ〕と云云。此れ等の道理を申すは如何が候べき。[p0203-0204]
 答て云く 智者の御物語と仰せ承り候へば、所詮末代の凡夫には機をかがみて説け。左右なく説いて人に謗ぜさする事なかれとこそ候なれ。彼の人さやうに申され候はば御返事候べきやうは、抑そも_若但讃仏乗〔若し但仏乗を讃めば〕 乃至 無智人中〔無智の人の中にして〕等の文をいだし給はば、又一経の内に凡有所見〔凡そ見る所ある〕、我深敬汝等〔我深く汝等を敬う〕等と説きて、不軽菩薩の杖木瓦石をもつてうちはられさせ給ひしをば顧みさせ給はざりしは如何と申させ給へ。[p0204]
 問て云く 一経の内に相違の候なる事こそ、よに心得がたく侍れば、くはしく承り候はん。[p0204]
 答て云く 方便品等には機をかがみて此の経をとくべしと見え、不軽品には謗ずとも唯強ひて之を説くべしと見え侍り。一経の前後水火の如し。然るを天台大師会して云く ̄本已有善 釈迦以小而将護之 本未有善 不軽以大而強毒之〔本已に善有るには釈迦小を以て之を将護し、本未だ善有らざるには不軽大を以て之を強毒す〕文。文の心は本善根ありて今生の内に得解すべき機あらば、暫く権経をもてこしらへて後に法華経を説くべし。本と大の善根もなく、今も法華経を信ずべからず、なにとなくとも悪道に堕ちぬべき故に、但押して法華経を説いて、之を謗ぜしめて逆縁ともなせと会する文也。此の釈の如きは、末代には善無き者は多く、善有る者は少なし。故に悪道に堕せん事疑ひ無し。同じくは法華経を強ひて説き聞かせて毒鼓の縁と成すべき歟。然れば法華経を説いて逆縁を結ぶべき時節なる事諍ひ無き者をや。[p0204-0205]
 又法華経の方便品に五千の上慢あり。略開三顕一を聞いて広開三顕一の時、仏の御力をもて座をたゝしめ給ふ。後に涅槃経竝びに四依の辺にして今生に悟りを得せしめ給ふと、諸法無行経に喜根菩薩、勝意比丘に向ひて大乗の法門を強ひて説ききかせて謗ぜさせしと、此の二つの相違をば天台大師会して云く ̄如来以悲故発遣 喜根以慈故強説〔如来は悲を以ての故に発遣し、喜根は慈を以ての故に強説す〕[文]。文の心は、仏は悲の故に、後のたのしみをば閣いて、当時法華経を謗じて地獄にをちて苦にあうべきを悲しみ給ひて、座をたゝしめ給ひき。譬へば母の子に病あると知れども、当時の苦を悲しみて左右なく灸を加へざるが如し。喜根菩薩は慈の故に、当時の苦をばかへりみず、後の楽を思ひて、強ひて之を説き聞かせしむ。譬へば父は慈の故に子に病あるを見て、当時の苦をかへりみず、後を思ふ故に灸を加へるが如し。又仏在世には仏法華経を秘し給ひしかば、四十余年の間は等覚・不退の菩薩、名をしらず。其の上寿量品は法華経八箇年の内にも名を秘し給ひて、最後にきかしめ給ひき。末代の凡夫には左右なく如何がきかしむべきとおぼゆる処を、妙楽大師釈して云く ̄仏世は当機故簡。末代結縁故聞〔仏世は機にあたる故に簡ぶ。末代は結縁の故に聞かせしむ〕と釈し給へり。文の心は、仏在世には仏一期の間、多くの人不退の位にのぼりぬべき故に、法華経の名義を出だして謗ぜしめず、機をこしらへて之を説く。仏滅後には当期の衆は少なく結縁の衆多きが故に、多分に付いて左右なく法華経を説くべしと云ふ文也。[p0205-0206]
 是れ体の多くの品あり。又末代の師は多くは機を知らず。機を知らざらんには強ひて但実経を説くべき歟。されば天台大師の釈に云く ̄等是不見 但説大無咎〔等しく是れ見ずんば、但大を説くに咎無し〕[文]。文の心は機をも知らざれば大を説くに失なしと云ふ文也。又時機を見て説法する方もあり。皆国中の権人権経を信じて実経を謗じ強ちに用ひざれば、弾呵の心をもて説くべき歟。時に依て用否あるべし。[p0206]
 問て云く 唐土の人師の中に、一分一向に権大乗に留めて実経に入らざる者はいかなる故か候。[p0206]
 答て云く 仏世に出でましまして先づ四十余年の権大乗小乗の経を説き、後には法華経を説きて言はく、若以小乗化 乃至於一人 我則堕慳貪 此事為不可〔若し小乗を以て化すること 乃至一人に於てもせば 我則ち慳貪に堕せん 此の事は為めて不可なり〕[文]。文の心は、仏但爾前の経計りを説いて法華経を説き給はずば仏慳貪の失ありと説かれたり。後に属累品にいたりて、仏右の御手をのべて三たび諌めをなして、三千大千世界の外八方四百万億那由他の国土の諸菩薩の頂をなでて、未来には必ず法華経を説くべし。若し機たへずば、余の深法の四十余年の経を説きて機をこしらへて法華経を説くべしと見えたり。後に涅槃経に重ねて此の事を説きて、仏滅後に四依の菩薩ありて法を説くに又法の四依あり。実経をついに弘めずんば、天魔としるべきよしを説かれたり。故に如来の滅後、後の五百年・九百年の間に出で給ひし龍樹菩薩・天親菩薩等、遍く如来の聖教を弘め給ふに、天親菩薩は先に小乗の説一切有部の人、倶舎論を造りて阿含十二年の経の心を宣べて、一向に大乗の義理を明かさず。次に十地論・摂大乗論・釈論等を造りて四十余年の権大乗の心を宣べ、後に仏性論・法華論等を造りて粗実大乗の義を宣べたり。龍樹菩薩も亦然也。[p0206-0207]
 天台大師、唐土の人師として一代を分かつに大小権実顕然也。余の人師は僅かに義理を説けども分明ならず。又証文たしかならず。但し末の論師竝びに訳者・唐土の人師の中に大小をば分けて、大にをいて権実を分かたず、或は語には分かつといへども心は権大乗のをもむきを出でず。此れ等は不退諸菩薩 其数如恒沙 <一心共思求> 亦復不能知〔不退の諸の菩薩 其の数恒沙の如くにして <一心に共に思求すとも> 亦復知ること能わじ〕とおぼえて候也。[p0207]
 疑て云く 唐土の人師の中に慈恩大師は十一面観音の化身、牙より光を放つ。善導和尚は弥陀の化身、口より仏をいだす。この外の人師、通を現じ徳をほどこし三昧を発得する人世に多し。なんぞ権実二経を弁へて法華経を詮とせざるや。[p0207-0208]
 答て云く 阿竭多仙人、外道は十二年の間耳の中に恒河の水をとゞむ。婆籔仙人は自在天となりて三目を現ず。唐土の道士の中にも張階は霧をいだし、鸞巴は雲をはく。第六天の魔王は仏滅後に比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・阿羅漢・辟支仏の形を現じて四十余年の経を説くべしと見えたり。通力をもて智者愚者をばしるべからざるか。唯仏の遺言の如く、一向に権経を弘めて実経をつゐに弘めざる人師は、権経に宿習ありて実経に入らざらん者は、或は魔にたぼらかされて通を現ずるか。但法門をもて邪正をたゞすべし。利根と通力とにはよるべからず。[p0208]
文応元年[太歳庚申]五月二十八日 日 蓮花押[p0208]
於鎌倉名越書竟〔鎌倉の名越に於て書き畢んぬ〕[p0208]

#0025-500.TXT 椎地四郎殿御書 弘長元(1261.04・28) [p0227]

 先日御物語の事について、彼の人の方へ相尋ね候ひし処、仰せ候ひしが如く少しもちがはず候ひき。これにつけても、いよいよはげまして法華経の功徳を得給ふべし。師曠(しこう)が耳、離婁(りろう)が眼のやうに聞見させ給へ。[p0227]
 末法には法華経の行者必ず出来すべし。但し大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし。火に薪をくわへんにさかんなる事なかるべしや。大海へ衆流入る、されども大海は河の水を返す事ありや。法華大海の行者に諸河の水は大難の如く入れども、かへす事、とがむる事なし。諸河の水入る事なくば大海あるべからず。大難なくば法華経の行者にはあらじ。天台の云く ̄衆流入海 薪熾於火〔衆流、海に入り、薪、火をさかんにす〕等云云。法華経の法門を一字一句なりとも人にかたらんは、過去の宿縁ふかしとおぼしめすべし。経に云く_亦不聞正法 如是人難度〔亦正法を聞かず。是の如き人、度し難し〕と云云。此の文の意は正法とは法華経也。此の経をきかざる人は度しがたしと云ふ文なり。法師品には_若是善男子。善女人。~則如来使〔若し是の善男子・善女人、~則ち如来の使なり〕と説かせ給ひて、僧も俗も尼も女も一句をも人にかたらん人は如来の使と見えたり。貴辺すでに俗也、善男子の人なるべし。此の経を一文一句なりとも聴聞して神にそめん人は、生死の大海を渡るべき船なるべし。妙楽大師の云く ̄一句染神咸資彼岸。思惟修習永用舟航〔一句も神に染みぬれば咸く彼岸を資く。思惟修習、永く舟航に用たり〕云云。[p0227-0228]
 生死の大海を渡らんことは妙法蓮華経の船にあらずんばかなふべからず。抑そも法華経の如渡得船〔渡りに船を得たるが如く〕の船と申す事は、教主大覚世尊、巧智無辺の番匠として、四味八教の材木を取り集め、正直捨権とけづりなして、邪正一如ときり合わせ、醍醐一実のくぎ(釘)を丁とうつて、生死の大海へをしうかべ、中道一実のほばしらに界如三千の帆をあげて、諸法実相のおひて(追風)をえて、以信得入の一切衆生を取りのせて、釈迦如来はかぢ(楫)を取り、多宝如来はつなで(綱手)を取り給へば、上行等の四菩薩は函蓋相応してきりきりとこぎ給ふ所の船を、如渡得船の船とは申す也。是れにのるべき者は日蓮が弟子檀那等也。能く能く信じさせ給へ。四條金吾殿に見参候はば能く能く語り給候へ。委しくは又又申すべく候。恐恐謹言。[p0228]
四月二十八日 日 蓮花押[p0228]
椎地四郎殿え[p0228]

#0026-500.TXT 船守弥三郎許御書 弘長元(1261.06・27) [p0229]

 わざと使いを以て、ちまき・さけ・ほしひ・さんせう(山椒)・かみ(紙)しなじな給候ひ畢んぬ。又つかひ申され候は、御かくさせ給へと申し上げ候へと。日蓮心得申すべく候。[p0229]
 日蓮去る五月十二日流罪の時、その津につきて候ひしに、いまだ名をもきゝをよびまいらせず候ところに、船よりあがりくるしみ候ひきところに、ねんごろにあたあらせ給候ひし事はいかなる宿習なるらん。過去に法華経の行者にてわたらせ給へるが、今末法にふなもりの弥三郎と生れかわりて日蓮をあわれみ給ふか。たとひ男はさもあるべきに、女房の身として食をあたへ、洗足てうづ其の外さも事ねんごろなる事、日蓮はしらず不思議とも申すばかりなし。ことに三十日あまりありて内心に法華経を信じ、日蓮を供養し給ふ事いかなる事のよしなるや。かゝる地頭・万民、日蓮をにくみねたむ事鎌倉よりもすぎたり。みるものは目をひき、きく人はあだ(怨)む。ことに五月のころなれば米とぼしかるらんに、日蓮を内内にはぐくみ給ひしことは、日蓮が父母の伊豆の伊東かわな(川奈)と云ふところに生れかわり給ふか。[p0229]
 法華経の第四に云く_及清信士女 供養於法師〔及び清信士女を遣わして 法師を供養せしめ〕と云云。法華経を行ぜん者をば、諸天善神等、或はをとことなり、或は女となり、形をかへ、さまざまに供養してたすくべしと云ふ経文也。弥三郎殿夫婦の士女と生まれて、日蓮法師を供養する事疑ひなし。さきにまいらせし文につぶさにかきて候ひし間今はくはしからず。ことに当地頭の病悩について、祈せい申すべきよし仰せ候ひし間、案にあつかひ(扱)て候。然れども一分信仰の心を日蓮に出だし給へば、法華経へそせうとこそをもひ候へ。此の時は十羅刹女もいかでか力をあわせ給はざるべきと思ひ候て、法華経・釈迦・多宝・十方の諸仏竝びに天照・八幡・大小の神祇等に申して候。定めて評議ありてぞしるしをばあらはし給はん。よも日蓮をば捨てさせ給はじ。いたき(痛)とかゆきとの如く、あてがわせ給はんとおもひ候ひしに、ついに病悩なをり、海中いろくづの中より出現の仏体を日蓮にたまわる事、此の病悩のゆへなり。さだめて十羅刹女のせめなり。此の功徳も夫婦二人の功徳となるべし。[p0229-0230]
 我等衆生無始よりこのかた生死海の中にありしが、法華経の行者となりて無始色心本是理性、妙境妙智金剛不滅の仏身とならん事、あにかの仏にかわるべきや。過去久遠五百塵点のそのかみ唯我一人の教主釈尊とは我等衆生の事なり。法華経の一念三千の法門、常住此説法のふるまいなり。かゝるたうとき法華経と釈尊にてをはせども凡夫はしる事なし。寿量品に云く_令顛倒衆生 雖近而不見〔顛倒の衆生をして 近しと雖も而も見ざらしむ〕とはこれなり。迷悟の不同は沙羅の四見の如し。一念三千の仏と申すは法界の成仏と云ふ事にて候ぞ。雪山童子のまへにきたりし鬼神は帝釈の変作なり。尸毘王の所へにげ入りし鳩は毘首羯磨天ぞかし。班足王の城へ入りし普明王は教主釈尊にてまします。肉眼はしらず、仏眼は此れをみる。虚空と大海とには魚鳥の飛行するあとあり。此れ等は経文に見えたり。木像即金色なり、金色即木像なり。あぬるだ(阿【少/兔】楼駄)が金はうさぎとなり、死人となる。釈摩男がたなごゝろには、いさご(沙)も金となる。此れ等は思議すべからず。凡夫即仏なり、仏即凡夫なり、一念三千我実成仏これなり。[p0230-0231]
 しからば夫婦夫ありは教主大覚釈尊の生まれかわり給ひて日蓮をたすけ給ふか。伊東とかなわ(川奈)のみちのほどはちかく候へども心はとをし。後のためにふみをまいらせ候ぞ。人にかたらずして心得させ給へ。すこしも人しるならば御ためあしかりぬべし。むねのうちにをきて、かたり給ふ事なかれ。あなかしこあなかしこ。南無妙法蓮華経[p0231]
弘長元年六月二十七日 日 蓮花押[p0231]
船守弥三郎殿遣之〔船守弥三郎殿へ之を遣はす〕[p0231]

#0027-400.TXT 同一鹹味御書 弘長元(1261) [p0232]

 夫れ味に六種あり。一には淡・二には鹹・三には辛・四には酸・五には甘・六には苦なり。百味の【食+肴】膳を調ふといへども一の鹹の味なければ大王の膳とならず。山海の珍味も鹹なければ気味なし。[p0232]
大海に八の不思議あり。一には漸漸転深〔漸漸に転た深し〕。二には深難得底〔深くして底を得難し〕。三には同一鹹味〔同じ一鹹の味なり〕。四には潮不過限〔潮限りを過ぎず〕。五には有種種宝蔵〔種種の宝蔵有り〕。六には大身衆生在中居住〔大身の衆生中に在りて居住す〕。七には不宿死屍〔死屍を宿めず〕。八には万流大雨収之不増不減〔万流大雨、之を収めて不増不減なり〕なり。[p0232]
 漸漸転深とは、法華経は凡夫無解より聖人有解に至るまで皆仏道を成ずるに譬ふるなり。深難得底とは法華経は唯仏与仏の境界にして等覚已下は極むることなきが故なり。同一鹹味とは、諸河に鹹なきは諸教に得道なきに譬ふ。諸河の水大海に入りて鹹となるは諸教の機類法華経に入りて仏道を成ずるに譬ふ。潮不過限とは、妙法を持つ人寧ろ身命を失するとも不退転を得るに譬ふ。有種種宝蔵とは、諸仏菩薩の万行万善諸波羅蜜の功徳妙法に納まるに譬ふ。大身衆生在中居住とは、仏菩薩大智慧あるが故に大身衆生と名づく。大身・大心・大荘厳・大調伏・大説法・大勢・大神通・大慈・大悲おのづから法華経より生ずるが故なり。不宿死屍とは、永く謗法一闡提を離るゝが故也。不増不減とは、法華の意は一切衆生の仏性同一性なるが故也。[p0232-0233]
 蔓草漬けたる桶【缶+并】の中の鹹は大海の鹹に随て満ち干きぬ。禁獄を被る法華の持者は桶【缶+并】の中の鹹の如く、火宅を出で給へる釈迦如来は大海の鹹の如し。法華の持者を禁むるは釈迦如来を禁むるなり。梵釈四天も如何驚き給はざらん。十羅刹女の頭破作七分の誓ひ、此の時に非ずんば何の時か果たし給ふべき。頻婆娑羅王を禁獄せし阿闍世早く現身に大悪瘡を感得しき。法華の持者を禁獄する人、何ぞ現身に悪瘡を感ぜざらん耶。[p0233]
日 蓮花押[p0233]

#0028-400.TXT 四恩鈔(伊豆御勘気鈔) 弘長二(1262) [p0233]

 抑そも此の流罪の身になりて候につけて二つの大事あり。一には大なる悦びあり。其の故は、此の世界をば娑婆と名づく、娑婆と申すは忍と申す事也。故に仏をば能忍と名けたてまつる。此の娑婆世界の内に百億の須弥山、百億の日月、百億の四州あり。其の中の中央の須弥山日月四州に仏は世に出でてまします。此の日本国は其の仏の世に出でてまします国よりは丑寅の角にあたりたる小島也。此の娑婆世界より外の十方の国土は、皆浄土にて候へば、人の心もやはらかに、賢聖をのり悪む事も候はず。此の国土は、十方の浄土にすてはて(果)られて候十悪・五逆・誹謗賢聖・不孝父母・不敬沙門等の科の衆生が、三悪道に堕ちて無量劫を経て、還りて此の世界に生まれて候が、先生の悪業の習気失せずして、やゝもすれば十悪・五逆を作り、賢聖をのり、父母に孝せず沙門をも敬はず候也。故に釈迦如来世に出でてましませしかば、或は毒薬を食に雑へて奉り、或は刀杖・悪象・師子・悪牛・悪狗等の方便を以て害し奉らんとし、或は女人を犯すと云ひ、或は貴賎の者、或は殺生の者と云ひ、或は行合奉る時は面を覆ひて眼に見奉らじとし、或は戸を閉じ窓を塞ぎ、或は国王大臣の諸人に向ひては邪見の者也、高き人を罵る者なんど申せし也。大集経・涅槃経等に見えたり。[p0233-0234]
 させる失も仏にはおはしまさざりしかども、只此の国のくせかあたわとして、悪業の衆生が生まれて集まりて候上、第六天の魔王が此の国の衆生を他の浄土へ出ださじと、たばかりを成して、かく事にふれてひがめる事をなす也。此のたばかりも詮する所は、仏に法華経を説かせまいらせじ料と見えて候。其の故は魔王の習ひとして、三悪道の業を作る者をば悦び、三善道の業を作る者をばなげく。又、三善道の業を作る者をばいたう(甚)なげかず、三乗とならんとする者をばいたうなげく。又、三乗となる者をばいたうなげかず、仏となる業をなす者をば強ちになげき、事にふれて障りをなす。法華経は一文一句なれども、耳にふるゝ者は既に仏になるべきと思ひて、いたう第六天の魔王もなげき思ふ故に、方便をまはして留難をなし、経を信ずる心をすてしめんとたばかる。而るに仏の在世の時は濁世也といへども、五濁の始めたりし上、仏の御力をも恐れ、人の貪瞋癡邪見も強盛ならざりし時だにも、竹杖外道は神通第一の目連尊者を殺し、阿闍世王は悪象を放ちて三界の独尊ををどし奉り、提婆達多は証果の阿羅漢蓮華比丘尼を害し、瞿伽梨尊者は智慧第一の舎利弗に悪名を立てき。[p0234-0235]
 何に況んや世漸く五濁の盛んになりて候をや。況んや世末代に入りて法華経をかりそめにも信ぜん者の人にそねみねたまれん事はおびただしかるべきか。故に法華経に云く_如来現在。猶多怨嫉。況滅度後〔而も此の経は如来の現在すら猶お怨嫉多し、況んや滅度の後をや〕云云。始めに此の文を見候ひし時はさしもやと思ひ候ひしに、今こそ仏の御言は違はざりけるものかなと、殊に身に当りて思ひ知られて候へ。日蓮は身に戒行なく心に三毒を離れざれども、此の御経を若しや我も信を取り人にも縁を結ばしむるかと思ひて、随分世間の事おだやかならんと思ひき。世末になりて候へば、妻子を帯して候比丘も人の帰依をうけ、魚鳥を服する僧もさてこそ候か。日蓮はさせる(爾)妻子をも帯せず魚鳥をも服せず。只法華経を弘めんとする失によりて、妻子を帯せずして犯僧の名四海に満ち、螻蟻をも殺さざれども悪名一天に弥れり。恐らくは在世に釈尊を諸の外道が毀り奉りしに似たり。是れ偏に法華経を信ずる事の、余人よりも少し経文の如く心をもむけたる故に、悪鬼其の身に入りてそねみをなすかとをぼえ候へば、是れ程の貴賎無智無戒の者の、二千余年已前に説かれて候法華経の文にのせられて、留難に値ふべしと仏記しをかれまいらせて候事のうれしさ申し尽くし難く候。[p0235-0236]
 此の身に学問つかまつりし事、やうやく二十四五年にまかりなる也。法華経を殊に信じまいらせ候ひし事はわづかに此の六七年よりこのかた也。又信じて候ひしども懈怠の身たる上、或は学問と云ひ、或は世間の事にさえ(障)られて、一日にわづかに一巻一品題目計り也。去年の五月十二日より今年正月十六日に至るまで、二百四十余日の程は、昼夜十二時に法華経を修行し奉ると存じ候。[p0236]
 其の故は法華経の故にかゝる身となりて候へば、行住坐臥に法華経を読み行ずるにてこそ候へ。人間に生を受けて是れ程の悦びは何事か候べき。凡夫の習ひ我とはげみて菩提心を発して、後生を願ふといへども、自ら思ひ出だし十二時の間に一時二時こそははげみ候へ。是れは思ひ出ださぬにも御経をよみ、読まざるにも法華経を行ずるにて候か。無量劫の間、六道四生を輪廻し候ひけるには、或は謀反をおこし強盗夜打等の罪にてこそ国主より禁をも蒙り流罪死罪にも行はれ候らめ。是れは法華経を弘むるかと思ふ心の強情なりしに依て、悪業の衆生に讒言せられて、かゝる身になりて候へば、定めて後生の勤めにはなりなんと覚え候。是れ程の心ならぬ昼夜十二時の法華経の持経者は、末代には有りがたくこそ候らめ。[p0236-0237]
 又止む事なくめでたき事侍り。無量劫の間六道に回り候けるには、多くの国主に生まれ値ひ奉りて、或は寵愛の大臣関白等ともなり候ひけん。若し爾らば国を給はり、財宝官禄の恩を蒙りけるか。法華経流布の国主に値ひ奉り、其の国にて法華経の御名を聞いて修行し、是れを行じて讒言を蒙り、流罪に行われまいらせて候国主には未だ値ひまいらせ候はぬ歟。法華経に云く_是法華経。於無量国中。乃至名字。不可得聞。何況得見。受持読誦〔是の法華経は無量の国の中に於て、乃至名字をも聞くことを得べからず何に況や見ることを得受持し読誦せんをや〕云云。されば此の讒言の人、国主こそ我が身には恩深き人にはをわしまし候らめ。[p0237]
 仏法を習ふ身には必ず四恩を報ずべきに候か。四恩とは、心地観経に云く_一には一切衆生の恩、一切衆生なくば、衆生無辺誓願度の願を発し難し。また悪人無くして菩薩に留難をなさずは、いかでか功徳をば増長せしめ候べき。二には父母の恩、六道に生を受くるに必ず父母あり。其の中に或は窃盗・悪律儀・謗法の家に生まれぬれば、我と其の科を犯さざれども其の業を成就す。然るに今生の父母は我を生みて法華経を信ずる身となせり。梵天・帝釈・四天王・転輪聖王の家に生まれて、三界四天をゆづられて人天四衆に恭敬せられんよりも、恩重きは今の某が父母なる歟。三には国王の恩、天の三光に身をあたゝめ、地の五穀に神を養ふこと皆是れ国王の恩也。其の上、今度法華経を信じ、今度生死を離るべき国主に値ひ奉れり。争でか少分の怨に依ておろかに思ひ奉るべきや。[p0237-0238]
 四には三宝の恩、釈迦如来無量劫の間、菩薩の行を立て給ひし時、一切の福徳を集めて六十四分と成して功徳を身に得給へり。其の一分をば我が身に用ひ給ふ。今六十三分をば此の世界に留め置きて、五濁雑乱の時、非法の盛んならん時、謗法の者国に充満せん時、無量の守護の善神も法味をなめずして威光勢力減ぜん時、日月光を失ひ天龍雨をくださず地神地味を減ぜん時、草木根茎枝葉華菓薬等の七味も失せん時、十善の国王も貪瞋癡をまし父母六親に孝せずしたしからざらん時、我が弟子、無智無戒にして髪ばかりを剃りて守護神にも捨てられて、活命のはかりごとなからん比丘比丘尼の命のさゝへとせんと誓ひ給へり。又果地の三分の功徳二分をば我が身に用ひ給ひ、仏の寿命百二十まで世にましますべかりしが八十にして入滅し、残る所の四十年の寿命を留め置きて我等に与へ給ふ恩をば、四大海の水を硯の水とし、一切の草木を焼いて墨となして、一切のけだものゝ毛を筆とし、十方世界の大地を紙と定めて注し置くとも、争でか仏の恩を報じ奉るべき。報の恩を申さば法は諸仏の師也。諸仏の貴き事は法に依る。されば仏恩を報ぜんと思はん人は報の恩を報ずべし。次に僧の恩をいはゞ仏宝法宝は必ず僧によて住す。譬へば薪なければ火無く、大地無ければ草木生ずべからず。仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法無戒なる沙門を失ありと云ひて、是れを悩ますは此の人仏法の大燈明を滅せんと思へと説かれたり。然らば僧の恩を報じ難し。[p0238-0239]
 されば三宝の恩を報じ給ふべし。古の聖人は雪山童子・常啼菩薩・薬王大士・普明王等、此れ等は皆我が身を鬼のうちかひ(打飼)となし、身の血髄をうり、臂をたき、頭を捨て給ひき。然るに末代の凡夫、三宝の恩を蒙りて三宝の恩を報ぜず。いかにしてか仏道を成ぜん。然るに心地観経等には仏法を学し円頓の戒を受けん人は必ず四恩を報ずべしと見えたり。[p0239]
 某は愚痴の凡夫血肉の身也。三惑一分も断ぜず。只法華経の故に罵詈毀謗せられて、刀杖を加へられ、流罪せられたるを以て、大聖の臂を焼き、髄をくだき、頭をはねられたるになぞら(擬)へんと思ふ。是れ一つの悦び也。[p0239-0240]
 第二に大なる歎きと申すは、法華経第四に云く_若有悪人。以不善心。於一劫中。現於仏前。常毀罵仏。其罪尚軽。若人以一悪言。毀【此/言】在家出家。読誦。法華経者。其罪甚重〔若し悪人あって不善の心を以て一劫の中に於て、現に仏前に於て常に仏を毀罵せん、其の罪尚お軽し。若し人一の悪言を以て、在家・出家の法華経を読誦する者を毀【此/言】せん、其の罪甚だ重し〕等云云。此れ等の経文を見るに、信心を起し、身より汗を流し、両眼より涙を流す事雨の如し。我一人此の国に生まれて多くの人をして一生の業を造らしむる事を歎く。彼の不軽菩薩を打擲せし人、現身に改悔の心を起せしだにも、猶お罪消え難くして千劫阿鼻地獄に堕ちぬ。今我に怨を結べる輩は未だ一分も悔る心もおこさず。是れ体の人の受くる業報を大集経に説きて云く_若し人あて千万億の仏の所にして仏身より血を出ださん。意に於て如何。此の人の罪をうる事寧ろ多しとやせんや否や。大梵王言さく、若し人只一仏の身より血を出ださん、無間の罪尚お多し。無量にして算をおきても数をしらず、阿鼻大地獄の中に堕ちん。何に況んや万億の仏身より血を出ださん者を見んをや。終によく広く彼の人の罪業果報を説く事ある事なからん。但し如来をば除き奉る。仏の言はく、大梵王若し我が為に髪を剃り、袈裟をかけ、片時も禁戒をうけず、欠犯をうけん者を、なやまし、のり、杖をもて打つなんどする事有らば、罪をうる事彼よりは多し。[p0240-0241]
弘長二年[壬戌]正月十六日 日 蓮花押[p0241]
工藤左近尉殿[p0241]

#0029-4K0.TXT 教機時国鈔 弘長二(1262) [p0241]

                       本朝沙門 日蓮 註之[p0241]
 一に教とは、釈迦如来所説の一切経の経律論五千四十八巻八十秩。天竺に流布すること一千年、仏の滅後、一千一十五年に当りて、震旦国に仏経渡る。後漢の孝明皇帝、永平十年丁卯より唐の玄宗皇帝、開元十八年庚午に至るまで、六百六十四歳之間に一切経渡り畢んぬ。此の一切の経律論の中に小乗・大乗・権経・実経・顕教・密教あり。此れ等を弁ふべし。此の名目は論師人師よりも出でず仏説より起る。十方世界の一切衆生、一人も無く之を用ふべし。之を用ひざる者は外道と知るべき也。[p0241]
 阿含経を小乗と説く事は方等・般若・法華・涅槃等之諸大乗経より出でたり。法華経には一向に小乗を説きて法華経を説かざれば慳貪に堕すべしと説きたまふ。涅槃経には一向に小乗経を用ひて仏を無常なりと云はん人は、舌、口中に爛るべしと云云。[p0241-0242]
 二に機とは、仏教を弘むる人は必ず機根を知るべし。舎利弗尊者は金師に不浄観を教え、浣衣の者に数息観を教ふる間、九十日を経て所化の弟子、仏法を一分も覚らずして、還りて邪見を起し一闡提と成り畢んぬ。仏は金師に数息観を教へ浣衣の者に不浄観を教へたまふ。故に須臾の間に覚ることを得たり。智慧第一の舎利弗すら尚お機を知らず。何に況んや末代の凡師機を知り難し。但し機を知らざる凡師は所化の弟子に一向に法華経を教ふべし。[p0242]
 問て云く_無智人中 莫説此経〔無智の人の中にして 此の経を説くことなかれ〕の文は如何。[p0242]
 答て云く 機を知るは智人之説法する事也。又、謗法の者に向ひては一向に法華経を説くべし。毒鼓の縁と成さんが為也。例せば不軽菩薩の如し。亦智者となるべき機と知らば、必ず先づ小乗を教へ次に権大乗を教へ後に実大乗を教ふべし。愚者と知らば、必ず先づ実大乗を教ふべし。信謗共に下種と為れば也。[p0242]
 三に時とは、仏教を弘めん人は必ず時を知るべし。譬へば農人の秋冬田を造るに種と地と人の功労とは違はざれども一分も益無く還りて損ず。一段を作る者は少損也。一町・二町等の者は大損也。春夏に耕作すれば、上中下に随て皆分分に益有るが如し。仏法も亦復是の如し。時を知らずして法を弘めば益無き上、還りて悪道に堕する也。仏出世したまひて必ず法華経を説んと欲するに、設ひ機有れども時無きが故に、四十余年此の経を説きたまはず。故に経に云く_説時未至故〔説時未だ至らざるが故なり〕等云云。仏の滅後の次の日より正法一千年は持戒の者は多く破戒の者は少なし。正法一千年の次の日より像法一千年は破戒の者は多く無戒の者は少なし。像法一千年の次の日より末法一万年は破戒の者は少なく無戒の者は多し。正法には破戒無戒を捨てて持戒の者を供養すべし。像法には無戒を捨てて破戒の者を供養すべし。末法には無戒の者を供養すること仏の如くすべし。但し法華経を謗ぜんものをば、正像末の三時に互りて持戒の者をも無戒の者をも破戒者のをも共に供養すべからず。供養せば必ず国に三災七難起り、必ず無間大城に堕すべき也。法華経の行者の権経を謗ずるは、主君・親・師の、所従・子息・弟子等を罰するが如し。権経の行者の法華経を謗ずるは、所従・子息・弟子等の主君・親・師を罰するが如し。又当世は、末法に入りて二百十余年也。権経念仏等の時歟。法華経の時歟。能く能く時刻を勘ふべき也。[p0242-0243]
 四に国とは、仏教は必ず国に依て之を弘むべし。国には寒国・熱国・貧国・富国・中国・辺国・大国・小国、一向に偸盗国・一向に殺生国・一向に不孝国等、之有り。又一向に小乗の国・一向に大乗の国・大小兼学の国も、之有り。而るに日本国は一向に小乗の国歟。一向に大乗の国歟。大小兼学の国歟。能く能く之を勘ふべし。[p0243]
 五に教法流布の先後とは、未だ仏法渡らざる国には、未だ仏法を聞かざる者あり。既に仏法渡れる国には仏法を信ずる者あり。必ず先に弘まる法を知りて後の法を弘むべし。先に小乗・権大乗弘まらば、後に必ず実大乗を弘むべし。先に実大乗弘まらば、後に小乗・権大乗を弘むべからず。瓦礫を捨てて金珠を取るべし。金珠を捨てて瓦礫を取ること勿れ[已上]。[p0243]
 此の五義を知りて仏法を弘めば、日本国の国師とも成るべき歟。所以に法華経は一切経之中の第一の経王なりと知るは、是れ教を知る者也。但し光宅の法雲・道場の慧観等は、涅槃経は法華経に勝れたりと。清凉山の澄観・高野の弘法等は華厳経・大日経等は法華経に勝れたりと。嘉祥寺の吉蔵・慈恩寺の基法師等は般若・深密等の二経は法華経に勝れたりと。天台山の智者大師只一人のみ一切経の中に法華経を勝れたりと立てるのみに非ず、法華経に勝れる経、之有りと云はん者を諌暁せよ。止まずんば、現世に舌、口中に爛れ、後生は地獄に堕つべし等云云。[p0243]
 此れ等の相違を能く能く、之を弁へたる者は教を知れる者也。当世の千万の学者等、一一之に迷へる歟。若し爾らば、教を知れる者、之少なき歟。教を知れる者、之なくば、法華経を読む者之無し。法華経を読む者之無ければ国師となる者無き也。国師となる者無ければ国中の諸人、一切経之大小・権実・顕密の差別に迷ふて、一人に於ても生死を離るゝ者は爪上の土よりも少なし。恐るべし恐るべし。[p0243-0244]
 日本国の一切衆生は、桓武皇帝より已来四百余年、一向に法華経の機也。例せば霊山八箇年の純円の機為るが如し[天台大師・聖徳太子・鑒真和尚・根本大師・安然和尚・慧心等の記、之有り]。是れ、機を知れる者也。而るに当世の学者の云く 日本国は一向に称名念仏の機也等云云。例せば舎利弗の機に迷ふて所化の衆を一闡提と成せしが如き也。日本国の当世は、如来の滅後二千二百一十余年。後五百歳に当りて妙法蓮華経広宣流布之時刻也。是れ、時を知る也。而るに日本国の当世の学者或は法華経を抛ちて、一向に称名念仏を行じ、或は小乗の戒律を教へて叡山の大僧を蔑み、或は教外を立てて法華の正法を軽しむ。此れ等は時に迷へる者歟。例せば勝意比丘が喜根菩薩を謗じ、徳光論師が弥勒菩薩を蔑みて阿鼻の大苦を招きしが如き也。日本国は一向に法華経の国也。例せば舎衛国の一向に大乗なりしが如き也。又天竺には一向に小乗の国・一向に大乗の国・大小兼学の国も、之有り。日本国は一向に大乗の国也。大乗の中にも法華経の国為るべき也[瑜伽論・肇公記・聖徳太子・伝教大師・安然等の記、之有り]。是れ、国を知る者也。而るに当世の学者、日本国の衆生に一向に小乗の戒律を授け、一向に念仏者等と成すは、譬へば宝器に穢食を入れたるが等云云[宝器は、譬へば伝教大師の守護章に在り]。日本国には欽明天皇の御宇に仏法百済国より渡り始め、桓武天皇に至りて二百四十余年之間、此の国に小乗・権大乗のみ弘め、法華経有りと雖も其の義未だ顕れず。例せば震旦国に法華経渡りて三百余年之間、法華経有りと雖も、其の義未だ顕れざるが如し。桓武天皇の御宇に伝教大師有りて、小乗・権大乗の義を破して法華経の実義を顕せしより已来、又異義無く純一に法華経を信ず。設ひ華厳・般若・深密・阿含・大小之六宗を学する者も、法華経を以て所詮と為す。況んや天台・真言の学者を乎。何に況んや在家無智の者を乎。例せば崑崙山に石無く、蓬莱山に毒無きが如し。[p0244-0245]
 建仁より已来今まで五十余年之間、大日・仏陀、禅宗を弘め、法然・隆寛、浄土宗を興し、実大乗を破して権宗に付き、一切経を捨てて教外を立つ。譬へば珠を捨てて石を取り、地を離れて空に登るが如し。此れは教法流布の先後を知らざる者也。[p0245]
 仏誡めて云く_値悪象不値悪知識〔悪象に値ふとも悪知識に値はざれ〕等云云。法華経の勧持品に後五百歳二千余年に当りて法華経の敵人三類有るべしと記し置きたまへり。当世は後五百歳に当れり。日蓮仏語の実否を勘ふるに、三類の敵人、之有り。之を隠さば法華経の行者に非ず。之を顕さば、身命定めて喪はん歟。法華経第四に云く_而此経者。如来現在。猶多怨嫉。況滅度後〔而も此の経は如来の現在すら猶お怨嫉多し、況んや滅度の後をや〕等云云。同じく第五に云く_一切世間多怨難信〔一切世間に怨多くして信じ難く〕。又云く_我不愛身命 但惜無上道〔我身命を愛せず 但無上道を惜む〕同じく第六に云く_不自惜身命〔自ら身命を惜まず〕涅槃経の第九に云く_譬如王使 善能談論 巧於方便 奉命他国 寧喪身命 終不匿王所説言教。智者亦爾。於凡夫中不惜身命 要必宣説 大乗方等〔譬へば王の使の善能く談論して、方便に巧みなる、命を他国に奉くるに寧ろ身命を喪ふとも終に王の所説の言教を匿さざるがごとし。智者も亦爾なり。凡夫の中に於て身命を惜しまず〕云云。章安大師釈して云く ̄寧喪身命不匿教者 身軽法重死身弘法〔寧喪身命不匿教とは身は軽く法は重し。身を死して法を弘む〕云云。此れ等の本文を見れば、三類の敵人を顕さずんば、法華経の行者に非ず。之を顕すは法華経の行者也。而れども必ず身命を喪はん歟。例せば師子尊者・提婆菩薩等の如くならん云云。[p0245]
二月十日 日 蓮花押

#0030-500.TXT 行者仏天守護鈔 弘長二(1262.02・17) [p0246]

 釈迦仏ある経の中に、此の三千大千世界の梵天・帝釈・日月・星宿・四大天王・阿修羅・龍神等を一人ももらさず集めさせ給ひて、又十方無量世界の仏菩薩・乃至堅牢地神等を集めさせ給ひて、我が滅後正像末の持戒・破戒・無戒の弟子等を、第六天の魔王・悪鬼神、人王・人民・比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の身に入りかはりて悩乱せんを、みながらきゝながら対治を加へずいましめずんば、多宝の梵釈四天等治罰すべし。若し然らずんば三世の仏の出世にももれ、永く梵釈等の位を失ひて無間大城にしづむべしと、釈迦・多宝・十方の仏の御前にて起請をかき給へり。[p0246]
 されば法華経をたもつ人をば、釈迦・多宝・十方の諸仏、梵天・帝釈・日月・四天・龍神、日本守護の天照太神・八幡大菩薩、人の眼をおしむがごとく、諸天の帝釈を敬ふがごとく、母の子を愛するが如く守りおぼしめし給ふべき事、影の身にしたがふが如くなるべし。経文に云く_諸天昼夜。常為法故。而衛護之〔諸天昼夜に常に法の為の故に而も之を衛護し〕云云。[p0246]
四月十七日 日 蓮花押[p0246]

#0033-500.TXT 持妙法華問答鈔 弘長三(1263) [p0274]
伝日持代作允可[p0274]

 抑そも希に人身をうけ、適たま仏法をきけり。然るに法に浅深あり、人に高下ありと云へり。何なる法を修行してか速やかに仏になり候べき。願はくは其の道を聞かんと思ふ。[p0274]
 答て云く 家々に尊勝あり、国々に高貴あり。皆其の君を貴み、其の親を崇むといへども、豈に国王にまさるべきや。爰に知んぬ。大小権実は家々の諍ひなれども、一代聖教の中には法華独り勝れたり。是れ頓証菩提の指南、直至道場の車輪也。[p0274-0275]
 疑て云く 人師は経論の心を得て釈を作る者也。然らば則ち宗々の人師、面々各々に教門をしつらひ、釈を作り、義を立て証得菩提を志す。何ぞ虚しかるべきや。然るに法華独り勝るると候はば、心せばくこそ覚え候へ。[p0275]
 答て云く 法華独りいみじと申すが心せばく候はば、釈尊程心せばき人は世に候はじ。何ぞ誤りの甚だしきや。且く一経一流の釈を引いて其の迷ひをさとらせん。無量義経に云く_種種説法。種種説法。以方便力。四十余年。未顕真実〔種種に法を説きき。種種に法を説くこと方便力を以てす。四十余年には未だ真実を顕さず〕云云。此の文を聞いて大荘厳等の八幡の菩薩一同に_無量無辺不可思議阿僧祇劫。終不得成。無上菩提〔無量無辺不可思議阿僧祇劫を<過ぐれども>、終に無上菩提を成ずることを得ず〕と領解し給へり。此の文の心は、華厳・阿含・方等・般若の四十余年の経に付いて、いかに念仏を申し、禅宗を持ちて仏道を願ひ、無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぐるとも、無上菩提を成ずる事を得じと云へり。しかのみならず、方便品には_世尊法久後要当説真実〔世尊は法久しゅうして後 要ず当に真実を説きたもうべし〕ととき、又_唯有一乗法 無二亦無三〔唯一乗の法のみあり 二なく亦三なし〕と説いて此の経ばかりまこと也と云ひ、又二の巻には_唯我一人 能為救護〔唯我一人のみ 能く救護を為す〕と教へ、_但楽受持 大乗経典 乃至不受 余経一偈〔但楽って 大乗経典を受持して 乃至 余経の一偈をも受けざるあらん〕と説き給へり。[p0275]
 文の心は、たゞわれ一人してよくすくひまもる事をなす。法華経をうけたもたん事をねがひて、余経の一偈をもうけざれと見えたり。又云く_若人不信 毀謗此経 則断一切 世間仏種〔若し人信ぜずして 此の経を毀謗せば 則ち一切世間の 仏種を断ぜん〕。乃至 其人命終 入阿鼻獄〔其の人命終して 阿鼻獄に入らん〕と云云。此の文の心は、若し人此の経を信ぜずして此の経にそむかば、則ち一切世間の仏のたねをたもつもの也。その人は命をはらば無間地獄に入るべしと説き給へり。此れ等の文をうけて天台は、将非魔作仏〔将に魔の仏と作って〕の詞正しく此の文によれりと判じ給へり。唯人師の釈計りを憑みて、仏説によらずば何ぞ仏法と云ふ名を付すべきや。言語道断の次第也。之に依て智証大師は経に大小なく理に偏円なしと云ひて、一切人によらば仏説無用也と釈し給へり。天台は若深有所以 復与修多羅合者録而用之。無文無義不可信受〔若し深く所以有らば、復修多羅と合わせば録して之を用ふ。文無く義無きは信受すべからず〕。又云く ̄無文証者 悉是邪謂〔文証無きは悉く是れ邪の謂〕とも云へり。いかが心得べきや。[p0275-0276]
 問て云く 人師の釈はさも候べし。爾前の諸経に、此経第一とも説き、諸経の王とも宣べたり。若し爾らば仏説なりとも用ふべからず候歟、如何。[p0276]
 答て云く 設ひ此経第一とも諸経の王とも申し候へ、皆是れ権教也。其の語によるべからず。之に依て、仏は了義経によりて不了義経によらざれと説き、妙楽大師は ̄縦有経云諸経之王 不云已今当説最為第 兼但対帯 其義可知〔縦ひ経に有りて諸経之王と云ふとも已今当説最為第一と云はず、兼但対帯、其の義を知るべし〕と釈し給へり。此の釈の心は、設ひ経ありて諸経の王とは云ふとも、前に説きつる経にも後に説かんずる経にも此の経はまされりと云はずば、方便の経としれと云ふ釈也。されば爾前の経の習ひとして、今説く経より後に又経を説くべき由を云はざる也。唯法華経計りこそ最後の極説なるが故に、已今当の中に此の経独り勝れたりと説かれて候へ。されば釈には ̄唯至法華 説前教意 顕今教意〔唯法華に至りて前教の意を説いて今教の意を顕す〕と申して、法華経にて如来の本意も、教化の儀式も定まりたりと見えたり。之に依て、天台は ̄如来成道四十余年 未顕真実。法華始顕真実〔如来成道四十余年、未だ真実を顕さず。法華、始めて真実を顕す〕と云へり。此の文の心は、如来世に出でさせ給ひて四十余年が間真実の法をば顕はさず。法華経に始めて仏になる実の道を顕し給へりと釈し給へり。[p0276-0277]
 問て云く 已今当の中に法華経勝れたりと云ふ事はさも候べし。但し有る人師の云く 四十余年未顕真実と云ふは法華経にて仏になる声聞の為也。爾前の得益の菩薩の為には未顕真実と云ふべからずと云ふ義をばいかが心得候べきや。[p0277]
 答て云く 法華経は二乗の為也、菩薩の為にあらず。されば未顕真実と云ふ事二乗に限るべしと云ふは徳一大師の義歟。此れは法相宗の人也。此の事を伝教大師破し給ふに、現在・食者、造偽章数巻、作謗法謗人<謗法亦謗人>何不堕地獄〔現在の食者は、偽章数巻を作りて法を謗じ人を謗ず。何ぞ地獄に堕せざらんや〕と破し給ひしかば、徳一大師其の語に責められて舌八にさけてうせ給ひき。[p0277]
 未顕真実とは二乗の為也と云はば、最も理を得たり。其の故は如来布教之元旨は元より二乗の為也。一代の化儀、三周の善巧、併ら二乗を正意とし給へり。されば華厳経には地獄の衆生は仏になるとも、二乗は仏になるべからずと嫌ひ、方等には高峯に蓮の生ひざるやうに、二乗は仏の種をいり(焦)たりと云はれ、般若には五逆罪の者は仏になるべし、二乗は叶ふべからずと捨てらる。かゝるあさましき捨て者の仏になるを以て如来の本意とし、法華経の規模とす。之に依て、天台の云く ̄華厳大品不能治之。唯有法華 能令無学還生善根 得成仏道。所以称妙。又闡提有心猶可作仏。二乗滅智心不可生。法華能治所以称妙〔華厳・大品も之を治すること能わず。唯法華のみ有りて、能く無学をして還りて善根を生じ仏道を成ずることを得せしむ。所以に妙と称す。又闡提は心有り猶お作仏すべし。二乗は智を滅す、心生ずべからず。法華は能く治す、所以に妙と称す〕云云。此の文の心は、委しく申すに及ばず。誠に知んぬ、華厳・方等・大品の法薬も、二乗の重病をばいやさず。又三悪道の罪人をも菩薩ぞと爾前の経はゆるせども、二乗をばゆるさず。之に依て、妙楽大師は_余趣会実 諸経或有 二乗全無。故合菩薩 対於二乗 従難而説〔余趣を実に会すること諸経に、或は有れども二乗は全く無し。故に菩薩に合して二乗に対し、難しきに従いて而も説く〕と釈し給へり。[p0277-0278]
 しかのみならず、二乗の作仏は一切衆生の成仏を顕すと天台は判じ給へり。修羅が大海を渡らんをば、是れ難しとやせん。嬰兒の力士を投げん、何ぞたやすしとせん。然らば則ち仏性の種ある者は仏になるべしと爾前に説けども、未だ焦種の者作仏すべしとは説かず。かゝる重病をたやすくいやすは、独り法華の良薬也。只須らく汝仏にならんと思はば、慢のはたほこ(幢)をたをし、忿りの杖をすてゝ、偏に一乗に帰すべし。名聞名利は今生のかざり、我慢偏執は後生のほだし(紲)也。嗚呼、恥づべし恥づべし、恐るべし恐るべし。[p0278]
 問て云く 一を以て万を察する事なれば、あらあら法華のいわれを聞くに耳目始めて明らか也。但し法華経をばいかやうに心得候てか、速やかに菩提の岸に至るべきや。伝え聞く、一念三千の大虚には慧日くもる事なく、一心三観の広池には智水にごる事なき人こそ、其の修行に堪えたる機にて候なれ。然るに南都の修学に臂をくたす事なかりしかば、瑜伽・唯識にもくらし。北嶺の学問に眼をさらさざりしかば、止観・玄義にも迷へり。天台・法相の両宗はほとぎ(瓮)を蒙りて壁に向へるが如し。されば法華に機には既にもれて候にこそ、何んがし候べき。[p0278-0279]
 答て云く 利智精進にして観法修行するのみ法華の機ぞと云ひて、無智の人を妨ぐるは当世の学者の所行也。是れ還りて愚痴邪見の至り也。一切衆生皆成仏道の教なれば、上根上機は勧念観法も然るべし。下根下機は唯信心肝要也。されば経には浄心信敬。不生疑惑者。不堕地獄。餓鬼。畜生。生十方仏前〔浄心に信敬して疑惑を生ぜざらん者は、地獄・餓鬼・畜生に堕ちずして十方の仏前に生ぜん〕と説き給へり。いかにも信じて次の生の仏前を期すべき也。譬へば高き岸の下に人ありて登る事あたはざらんに、又岸の上に人ありて縄をおろして、此の縄にとりつかば我れ岸の上に引き登さんと云はんに、引く人の力を疑ひ縄の弱からん事をあやぶみて、手を収めて是れをとらざらんが如し。争でか岸の上に登る事をうべき。若し其の詞に随ひて、手をのべ是れをとらへば即ち登る事をうべし。唯我一人 能為救護〔唯我一人のみ 能く救護を為す〕の仏の御力を疑ひ、以信得入の法華経の教への縄をあやぶみて、決定無有疑〔決定して疑あることなけん〕の妙法を唱へ奉らざらんは力及ばず。菩提の岸に登る事難かるべし。不信の者は堕在泥梨の根元也。されば経には_生疑不信者 則当堕悪道<即当堕悪道>〔疑を生じて信ぜざることあらん者は 即ち当に悪道に堕つべし〕と説かれたり。[p0279-0280]
 受けがたき人身をうけ、値ひがたき仏法にあひて争でか虚しくて候べきぞ。同じく信を取るならば、又大小権実のある中に、諸仏出世の本意、衆生成仏の直道の一乗をこそ信ずべけれ。持つ処の御経の諸経に勝れてましませば、能く持つ人も亦諸人にまされり。爰を以て経に云く 能く是の経を持たん者は_於一切衆生中。亦為第一〔一切衆生の中に於て亦為れ第一なり〕と説き給へり。大聖の金言疑ひなし。然るに人此の理をしらず見ずして、名聞・狐疑・偏執を致せるは堕獄の基也。只願はくは経を持ち、名を十方の仏陀の願海に流し、譽れを三世の菩薩の慈天に施すべし。然らば法華経を持ち奉る人は、天龍八部・諸大菩薩を以て我が眷属とする者也。[p0280]
 しかのみならず、因身の肉団に果満の仏眼を備へ、有為の凡膚に無為の聖衣を著ぬれば、三途に恐れなく、八難に憚りなし。七方便の山の頂に登りては九法界の雲を払ひ、無垢地の園に花開け、法性の空に月明らかならん。是人於仏道 決定無有疑〔是の人仏道に於て 決定して疑あることなけん〕の文憑みあり。唯我一人 能為救護〔唯我一人のみ 能く救護を為す〕の説疑ひなし。一念信解の功徳は五波羅蜜の行に越へ、五十展転の随喜は八十年の布施に勝れたり。頓証菩提の教は遥かに群典に秀で、顕本遠寿の説は永く諸乗に絶えたり。爰を以て八歳の龍女は大海より来りて経力を刹那に示し、本化の上行は大地より涌出して仏寿を久遠に顕す。言語道断の経王、心行所滅の妙法也。[p0280-0281]
 然るに此の理をいるかせにして、余経にひとし(等)むるは、謗法の至り、大罪の至極也。譬へを取るに物なし。仏の神変にても何ぞ是れを説き尽くさん。菩薩の智力にても争でか是れを量るべき。されば譬喩品に云く_若説其罪 窮劫不尽〔若し其の罪を説かんに 劫を窮むとも尽きじ〕と云へり。文の心は、法華経を一度もそむける人の罪をば、劫を窮むとも説き尽くし難しと見えたり。然る間、三世の諸仏の化導にももれ、恒沙の如来の法門にも捨てられ、冥きより冥きに入りて、阿鼻大城の苦患争でか免れん。誰か心あらん人、長劫の悲しみを恐れざらんや。爰を以て経に云く_見有読誦 書持経者 軽賎憎嫉 而懐結恨 ~ 其人命終 入阿鼻獄〔経を読誦し書持すること あらん者を見て 軽賎憎嫉して 結恨を懐かん ~ 其の人命終して 阿鼻獄に入らん〕云云。文の心は、法華経をよみたもたん者を見て、かろしめ、いやしみ、にくみ、そねみ、うらみをむすばん。其の人は命をはりて阿鼻大城に入らんと云へり。大聖の金言誰か是れを恐れざらんや。正直捨方便の明文、豈に是れを疑ふべきや。然るに人皆経文に背き、世悉く法理に迷へり。汝何ぞ悪友の教へに随はんや。されば邪師の法を信じ受くる者を、名づけて毒を飲む者也と天台は釈し給へり。汝能く是れを慎むべし、是れを慎むべし。[p0281]
 倩つら世間を見るに法をば貴しと申せども、其の人をば万人是れを悪む。汝能く能く法の源に迷へり。何にと云ふに、一切の草木は地より出生せり。是れを以て思ふに、一切の仏法も又人によりて弘まるべし。之に依て、天台は仏世すら猶お人を以て法を顕はす。末代いづくんぞ法は貴けれども人は賎しと云はんや、とこそ釈して御坐候へ。されば持たるゝ法だに第一ならば、持つ人随て第一なるべし。然らば則ち其の人を毀るは其の法を毀る也。其の子賎しむるは即ち其の親を賎しむ也。爰に知んぬ、当世の人は詞と心と總てあはず、孝経を以て其の親を打つが如し。豈に冥の照覧恥ずかしからざらんや。地獄の苦み恐るべし恐るべし。慎むべし慎むべし。[p0281-0282]
 上根に望めても卑下すべからず。下根を捨てざるは本懐也。下根に望めても【りっしんべん+喬】慢ならざれ。上根ももるゝ事あり、心をいたさざるが故に。[p0282]
 凡そ其の里ゆかしけれども道たえ縁なきには、通ふ心もをろそかに、其の人恋しけれども憑めず契らぬには、待つ思ひもなをざりなるやうに、彼の月卿雲客に勝れたる霊山浄土の行きやすきにも未だゆかず。我即是父の柔軟の御すがた見奉るべきをも未だ見奉らず。是れ誠に袂ををくた(腐)し、胸をこがす歎きならざらんや。暮れ行く空の雲の色、有明方の月の光までも心をもよほす思ひ也。事にふれ、をりに付けても後生を心にかけ、花の春、雪の朝も是れを思ひ、風さはぎ、村雲まよふ夕べにも忘るゝ隙なかれ。出づる息は入る息をまたず。何なる時節ありてか、毎自作是念の悲願をわすれ、何なる月日ありてか、無一不成仏の御経を持たざらん。昨日が今日になり、去年の今年となる事も、是れ期する処の余命にはあらざるをや。總て過ぎにし方をかぞへて、年の積もるをば知るといへども、今行く末にをいて、一日片時も誰か命の数に入るべき。臨終已に今にありとは知りながら、我慢・偏執・名聞・利養に著して妙法を唱へ奉らざらん事は、志の程無下にかひなし。[p0282-0283]
 さこそは皆成仏道の御法とは云ひながら、此の人争でか仏道にものうからざるべき。色なき人の袖にはそぞろに月のやどる事かは。又命已に一念にすぎざれば、仏は一念随喜の功徳と説き給へり。若し是れ二念三念を期すと云はば、平等大慧の本誓、頓教一乗皆成仏の法とは云はるべからず。流布の時は末世法滅に及び、機は五逆謗法をも収めたり。故に頓証菩提の心におきてられて、狐疑執著の邪見に身を任す事なかれ。生涯幾ばくならず。思へば一夜のかりの宿を忘れて幾ばくの名利をか得ん。又得たりとも是れ夢の中の栄へ、珍しからぬ楽しみ也。只先世の業因に任せて営むべし。世間の無常をさとらん事は、眼に遮り耳にみてり。雲とやなり、雨とやなりけん、昔の人は只名をのみきく。露とや消え、煙とや登りけん。今の友も又みえず。我れいつまでか三笠の雲と思ふべき。春の花の風に随ひ、秋の紅葉の時雨に染まる。是れ皆ながらへぬ世の中のためしなれば、法華経には_世皆不牢固 如水沫泡焔〔世は皆牢固ならざること 水沫泡焔の如し〕とすゝめたり。_以何令衆生 得入無上道〔何を以てか衆生をして 無上道に入り〕の御心のそこ、順縁・逆縁の御ことのは、已に本懐なれば、暫くも持つ者も又本意にかないぬ。[p0283-0284]
 又本意に叶はば仏の恩を報ずる也。非も深重の経文心安ければ、唯我一人の御苦みもかつかつ(僅僅)やすみ給ふらん。釈迦一仏の悦び給ふのみならず、諸仏出世の本懐なれば、十方三世の諸仏も悦び給ふべし。我即歓喜 諸仏亦然〔我即ち歓喜す 諸仏も亦然なり〕と説かれたれば、仏悦び給ふのみならず、神も即ち歓喜し給ふなるべし。伝教大師是れを講じ給ひしかば、八幡大菩薩は紫の袈裟を布施し、空也上人是れを読み給ひしかば、松尾の大明神は寒風をふせがせ給ふ。されば七難即滅七福即生と祈らんにも此の御経第一也。現世安穏と見えたれば也。他国侵逼難・自界反逆難の御祈祷にも、此の妙典に過ぎたるはなし。令百由旬内。無諸衰患〔百由旬の内に諸の衰患なからしむべし〕と説かれたれば也。[p0284]
 然るに当世の御祈祷はさかさま也。先代流布の権教也。末代流布の最上真実の秘法にあらざる也。譬へば去年の暦を用ゐ、烏を鵜につかはんが如し。是れ偏に権教の邪師を責めて未だ実教の明師に値せ給はざる故也。惜しい哉、文武の卞和があら玉、何くにか収めけん。嬉しい哉、釈尊出世の髻中の妙珠、今度我が身に得たる事よ。十方諸仏の証誠としているがせならず。さこそは_一切世間多怨難信〔一切世間に怨多くして信じ難く〕と知りながら、争でか一分の疑心を残して、決定無有疑の仏にならざらんや。過去遠々の苦みは、徒にのみこそうけこしか。などか暫く不変常住の妙因をうへざらん。未来永々の楽しみはかつかつ心を養ふとも、しゐてあながちに電光朝露の名利をば貪るべからず。_三界無安 猶如火宅〔三界は安きことなし 猶お火宅の如し〕は如来の教へ、所以諸法 如幻如化は菩薩の詞也。寂光の都ならずは、何くも皆苦なるべし。本覚の栖を離れて何事か楽しみなるべき。[p0284-0285]
 願はくは_現世安穏。後生善処〔現世安穏にして後に善処に生じ〕の妙法を持つのみこそ、只今生の名聞後生の弄引なるべけれ。須らく心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ、他をも勧めんのみこそ、今生人界の思い出なるべき。南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 [p0285]
日 蓮花押[p0285]

#0034-500.TXT 月水御書(報大学三郎妻書)文永元(1264.04・17) [p0286]

 伝へ承はる御消息の状に云く 法華経を日ごとに一品づつ、二十八日が間に一部をよみまいらせ候ひしが、当時は薬王品の一品を毎日の所作にし候。ただもとの様に一品づつよみまいらせ候べきやらんと云云。[p0286]
 法華経は一日の所作に一部八巻二十八品、或は一巻、或は一品・一偈・一句・一字、或は題目計りを南無妙法蓮華経と只一遍となへ、或は又一期の間に只一度となへ、或は又一期の間にただ一遍唱ふるを聞いて随喜し、或は又随喜する声を聞いて随喜し、是れ体に五十展転して末になりなば志もうすくなり、随喜の心の弱き事、二三歳の幼稚の者のはかなきが如く、牛馬なんどの前後を弁へざるが如くなりとも、他経を学する人の利根にして智慧かしこく、舎利弗・目連・文殊・弥勒の如くなる人の、諸経を胸の内にうかべて御坐まさん人々の御功徳よりも、勝れたる事百千万億倍なるべきよし、経文竝びに天台・妙楽の六十巻の中に見え侍り。されば経文には_以仏智慧。籌量多少。不得其辺〔仏の智慧を以て多少を籌量すとも其の辺を得じ〕と説かれて、仏の御智慧すら此の人の功徳をばしろしめさず。仏の智慧のありがたさは、此の三千大千世界に七日、若しは二七日なんどふる雨の数をだにもしろしめして御坐候なるが、只、法華経の一字を唱へたる人の功徳をのみ知しめさずと見えたり。何に況んや、我等逆罪の凡夫の此の功徳をしり候ひなんや。[p0286-0287]
 然りと云へども如来滅後二千二百余年に及んで、五濁さかりになりて年久し。事にふれて前なる事ありがたし。設ひ善を作す人も一の善に十の悪を造り重ねて、結句は小善につけて大悪を造り、心には大善を修したりと云ふ慢心を起す世となれり。然るに如来の世に出でさせ給ひて候ひし国よりしては、二十万里の山海をへだてゝ、東によれる日域辺土の小嶋にうまれ、五障の雲厚うして、三従のきづなにつながれ給へる女人なんどの御身として、法華経を御信用候は、ありがたしなんどとも申すに限りなく候。[p0286-0287]
 凡そ一代聖教を披き見て、顕密二道を究め給へる様なる智者学匠だにも、近来は法華経を捨て念仏を申し候に、何なる御宿縁ありてか、此の法華経を一偈一句もあそばす御身と生まれさせ給ひけん。されば御消息を拝し候へば、優曇華を見たる眼よりもめづらしく、一眼の亀の浮木の穴に値へるよりも乏しき事かなと、心ばかりは有りがたき御事に思ひまいらせ候間、一言一点も随喜の言を加へて、善根の余慶にもやとはげみ候へども、只恐らくは雲の月をかくし、塵の鏡をくもらすが如く、短き拙き言にて、殊勝にめでたき御功徳を申し隠し、くもらす事にや候らんと、いたみ思ひ候ばかり也。然りと云へども、貴命もだす(黙止)べきにあらず。一滴を江河に加へ、【火+爵】火を日月にそへて、水をまし光を添ふると思し食すべし。[p0287-0288]
 先づ法華経と申すは八巻・一巻・一品・一偈・一句乃至題目を唱ふるも、功徳は同じ事と思し食すべし。譬へば大海の水は一滴なれども無量の江河の水を収めたり。如意宝珠は一珠なれども万宝をふらす。百千万億の滴珠も又これ同じ。法華経は一字も一の滴珠の如し。乃至万億の字も又万億の滴珠の如し。諸経諸仏の一字一名号は、江河の一滴の水、山海の一石の如し。一滴に無量の水を備へず、一石に無数の石の徳をそなへもたず。若し然らば、此の法華経は何れの品にても御坐しませ、只御信用の御坐さん品こそめづらしくは候へ。總じて如来の聖教は、何れも妄語の御坐しますとは承り候はねども、再び仏教を勘へたるに、如来の金言の中にも大小・権実・顕密なんど申す事、経文より事起りて候。随て論師・人師の釈義にあらあら見えたり。[p0288-0289]
 詮を取りて申さば、釈尊の五十余年の諸経の中に、先四十余年の説教は猶おうたがはしく候ぞかし。仏自ら無量義経に、四十余年未顕真実と申す経文まのあたり説かせ給へる故也。法華経に於ては、仏自ら一句の文字を正直捨方便 但説無上道〔正直に方便を捨てて 但無上道を説く〕と定めさせ給ひぬ。其の上、多宝仏大地より涌出させ給ひて、妙法蓮華経皆是真実と証明を加へ、十方の諸仏皆法華経の坐にあつまりて、舌を出だして法華経の文字は一字也とも妄語なるまじきよし助成をそへ給へり。譬へば大王と后と長者等の一味同心に約束をなせるが如し。[p0289]
 若し法華経の一字をも唱へん男女等、十悪・五逆・四重等の無量の重業に引かれて悪道におつるならば、日月は東より出でさせ給はぬ事はありとも、大地は反覆する事はありとも、大海の潮はみちひぬ事はありとも、破れたる石は合ふとも、江河の水は大海に入らずとも、法華経を信じたる女人の、世間の罪に引かれて悪道に堕つる事はあるべからず。若し法華経を信じたる女人、者をねたむ故、腹のあしきゆへ、貪欲の深きゆへなんどに引かれて悪道に堕ちるならば、釈迦如来・多宝仏・十方の諸仏、無量曠劫よりこのかた持ち着たり給へる不妄語戒忽ちに破れて、調達が虚誑罪にも勝れ、瞿伽利が大妄語にも超えたらん。争でかしかるべきや。法華経を持つ人憑もしく有りがたし。[p0289]
 但し一生が間一悪をも犯さず、五戒・八戒・十戒・十善戒・二百五十戒・五百戒・無量の戒を持ち、一切経をそらに浮かべ、一切の諸仏菩薩を供養し、無量の善根をつませ給ふとも、法華経計りを御信用なく、又御信用はありとも諸経諸仏にも竝べて思し食し、又竝べて思し食さずとも、他の善根をば隙なく行じて時々法華経を行じ、法華経を用ひざる謗法の念仏者なんどにも語らひをなし、法華経を末代の機に叶はずと申す者を失とも思し食さずば、一期の間行じさせ給ふ処の無量の善根も忽ちにうせ、竝びに法華経の御功徳も且く隠れさせ給ひて、阿鼻大城に堕ちさせ給はん事、雨の空にとゞまらざるが如く、峰の石の谷へころぶが如しと思し食すべし。十悪・五逆を造れる者なれども、法華経に背く事なければ、往生成仏は疑ひなき事に侍り。一切経をたもち、諸仏菩薩を信じたる持戒の人なれども、法華経を用ひる事無ければ、悪道に堕ちる事疑ひなしと見えたり。予が愚見をもて近来の世間を見るに、多くは在家・出家・誹謗の者のみあり。[p0289-0290]
 但し御不審の事、法華経は何れの品にも先に申しつる様に愚かならねども、殊に二十八品の中に勝れてめでたきは方便品と寿量品にて侍り。余品は皆枝葉にて候也。されば常の御所作には、方便法の長行と寿量品の長行とを習ひ読ませ給候へ。又別に書き出だしてもあそばし候べく候。余の二十六品は見に影の随ひ、玉に宝の備はるが如し。寿量品・方便品をよみ候へば、自然に余品はよみ候はねども備はり候なり。薬王品・提婆品は女人の成仏往生を説かれて候品にては候へども、提婆品は方便品の枝葉。薬王品は方便品と寿量品の枝葉にて候。されば常には是の方便品・寿量品の二品をあそばし候て、余の品をば時々御いとまのひまにあそばすべく候。[p0290-0291]
 又御消息の状に云く 日ごとに三度づゝ七つの文字を拝しまいらせ候事と、南無一乗妙典と一万遍申し候事とをば、日ごとにし候が、例の事に成りて候程は、御経をばよみまいらせ候はず。拝しまいらせ候事も一乗妙典と申し候事も、そらにし候は苦しかるまじくや候らん。それも例の事の日数の程は叶ふまじくや候らん。いく日ばかりにてよみまいらせ候はんずる等云云。[p0291]
 此の段は一切の女人ごとの御不審に常に問はせ給候御事にて侍り。又古へも女人の御不審に付きて申したる人も多く候へども、一代聖教にさして説かれたる処のなき歟の故に、証文分明に出だしたる人もおはせず。日蓮粗聖教を見候にも、酒肉・五辛・婬事なんどの様に、不浄を分明に日月をさして禁めたる様に、月水をいみたる経論を未だ勘へず候也。在世の時、多く盛んの女人尼になり、仏法を行ぜしかども、月水の時と申して嫌はれたる事なし。是れをもて推し量り侍るに、月水と申す物は外より来れる不浄にもあらず、只女人のくせ(癖)かたわ生死の種を継ぐべき理にや。又長病の様なる物也。例せば屎尿なんどは人の身より出づれども能く浄くなしぬれば別にいみもなし。是れ体に侍る事歟。されば印度・尸那なんどにもいたくいむ(忌)よしも聞こえず。[p0291]
 但し日本国は神国也。此の国の習ひとして、仏菩薩の垂迹不思議に経論にあひに(相似)ぬ事も多く侍るに、是れをそむけば現に当罰あり。委細に経論を勘へ見るに、仏法の中に随方毘尼と申す戒の法門は是れに当れり。此の戒の心は、いたう(甚)事かけ(欠)ざる事をば、少々仏教にたがふとも其の国の風俗に違ふべからざるよし、仏一つの戒を説き給へり。此の由を知らざる智者共、神は鬼神なれば敬ふべからずなんど申す強義を申して、多くの檀那を損ずる事ありと見えて候也。若し然らば此の国の明神、多分は此の月水をいませ給へり。生を此の国にうけん人々は大に忌み給ふべき歟。但し女人の日の所作は苦しかるべからずと覚え候歟。[p0292]
 元より法華経を信ぜざる様なる人々が、経をいかにしても云ひうとめんと思ふが、さすがにただちに経を捨てよとは云えずして、身の不浄なんどにつけて、法華経を遠ざからしめんと思ふ程に、又不浄の時、此れを行ずれば経を愚かにしまいらするなんどをどして罪を得させ候也。此の事をば一切御心得候て、月水の御時は七日までも其の気の有らん程は、御経をばよませ給はずして、暗に南無妙法蓮華経と唱へさせ給候へ。礼拝をも経にむかはせ給はずして拝せさせ給ふべし。又不慮に臨終なんどの近づき候はんには、魚鳥なんどを服せさせ給ひても候へ。よみぬべくば経をもよみ、及び南無妙法蓮華経とも唱へさせ給候べし。又月水なんどは申すに及び候はず。又南無一乗妙典と唱へさせ給ふ事、是れ同じ事には侍れども、天親菩薩・天台大師等の唱へさせ給ひ候ひしが如く、只南無妙法蓮華経と唱へさせ給ふべき歟。是れ子細ありてかくの如くは申し候也。穴賢穴賢。[p0292]
文永元年卯月十七日 日 蓮花押[p0292]
大学三郎殿御内 御報[p0292]

#0035-500.TXT 題目弥陀名号勝劣事 文永元(1264) [p0293]

 南無妙法蓮華経と申す事は唱へがたく、南無阿弥陀仏、南無薬師如来なんど申す事は唱へやすく、又文字の数の程も大旨は同じけれども、功徳の勝劣は遥かに替わりて候也。[p0293]
 天竺の習ひ、仏出世の前には二天三仙の名号を唱へて天を願ひけるに、仏世に出でさせ給ひては仏の御名を唱ふ。然るに仏の名号を二天三仙の名号に対すれば、天の名は瓦礫のごとし、仏の名号は金銀・如意宝珠等の如し。又諸仏の名号は題目の妙法蓮華経に対すれば、瓦礫と如意宝珠の如くに侍る也。[p0293]
 然るを仏教の中の大小権実をも弁へざる人師なんどが、仏教を知りがほにして、仏の名号を外道等に対して如意宝珠に譬へたる経文を見、又法華経の題目を如意宝珠に譬へたる経文と喩への同じきをもて、念仏と法華経とは同じ事と思へる也。又世間に貴しと思ふ人の只弥陀の名号ばかりを唱ふるに随て、皆人一期の間一日に六万遍十万遍なんど申せども、法華経の題目をば一期に一遍も唱へず。或は世間に智者と思はれたる人人、外には智者気にて内には仏教を弁へざるが故に、念仏と法華経とは只一也。南無阿弥陀仏と唱ふれば法華経を一部よむにて侍るなんど申しあへり。是れは一代の諸経の中に一句一字もなき事也。設ひ大師先徳の釈の中より出でたりとも、且つは観心の釈か、且つはあて事歟、なんど心得べし。[p0294]
 法華経の題目は過去に十万億の生身の仏に値ひ奉りて、功徳を成就する人、初めて妙法蓮華経の五字の名を聞き、始めて信を致す也。諸仏の名号は外道・諸天・二乗・菩薩の名号にあはすれば、瓦礫と如意宝珠とを同じと思ひ、一と思ふが如し。止観の五に云く ̄設厭世者翫下劣乗攀附枝葉 狗狎作務敬猿猴為帝釈 崇瓦礫是明珠。此黒闇人豈可論道〔設い世を厭う者も下劣の乗を翫び枝葉を攀附し、狗作務に狎れ猿猴を敬うて帝釈と為し、瓦礫を崇んで是れ明珠なりとす。此の黒闇の人、豈に道を論ずべけんや〕等云云。文の心は設ひ世をいとひて出家・遁世して山林に身をかくし、名利名聞をたちて一向に後世を祈る人人も、法華経の大乗をば修行せずして権教下劣の乗につきたる名号等を唱ふるを、瓦礫を妙珠なんどと思ひたる僻人に譬へ、聞き悪道に行くべき者と書かれて侍る也。[p0294-0295]
 弘決の一には妙楽大師善住天子経をかたらせ給ひて、法華経の心を顕はして云く ̄聞法生謗 堕於地獄 勝於供養 恒沙仏者等〔法を聞いて謗を生じ地獄に堕するは、恒沙の仏を供養する者に勝る〕等云云。法華経の名を聞いてそしる罪は、阿弥陀仏・釈迦仏・薬師仏等の恒河沙の仏を供養し名号を唱ふるにも過ぎたり。[p0295]
 されば当世の念仏者の念仏を六万遍乃至十万遍申すなんど云へども、彼にては終に生死をはなるべからず。法華経を聞くをば千中無一・雑行・未有一人得者なんど名づけて、或は抛てよ、或は門を閉じよ、なんど申す謗法こそ設ひ無間大城に堕つるとも、後に必ず生死は離れ侍らんずれ。同じくは今生に信をなしたらばいかによく候なん。[p0295]
 問ふ 世間の念仏者なんどの申す様は、此の身にて法華経なんどを破する事は争でか候べき。念仏を申すも、とくとく極楽世界に参りて法華経をさとらんが為也。又或は云く、法華経は不浄の身にては叶ひがたし、恐れもあり。念仏は不浄をも嫌はねばこそ申し候へ、なんど申すはいかん。[p0295]
 答て云く 此の四五年の程は、世間の有智無智を嫌はず此の義をばさなんめりと思ひて過ぎる程に、日蓮一代聖教をあらあら引き見るに、いまだ此の二義の文を勘へ出ださず。詮ずるところ、近来の念仏者竝びに有智の名匠とおぼしき人人の、臨終の思ふやうにならざるは是れ大謗法の故也。ひとごとに念仏申して、浄土に生まれて、法華経をさとらんと思ふ故に、穢土にして法華経を行ずる者をあざむき、又行ずる者もすてゝ念仏を申す心は出で来る也と覚ゆ。謗法の根本此の義より出でたり。法華経こそ此の穢土より浄土に生ずる正因にては侍れ。念仏は未顕真実の故に、浄土の直因にはあらず。然るに浄土の正因をば極楽にして、後に修行すべき物と思ひ、極楽の直因にあらざる念仏をば浄土の正因と思ふ事僻案也。[p0295-0296]
 浄土門は春沙を田に蒔きて秋米を求め、天月をすてゝ水に月を求むるに似たり。人の心に叶ひて法華経を失ふ大術此の義にはすぎず。[p0296]
 次に不浄念仏の事。一切念仏者の師とする善導和尚・法然上人は、他事にはいわれなき事多けれども、此の事にをいてはよくよく禁められたり。善導の観念法門経に云く_酒肉五辛を手に取らざれ、口にかまざれ。手にとり口にもかみて念仏申さば、手と口に悪瘡付くべしと禁め、法然上人は起請を書きて云く 酒肉五辛を服して念仏申さば予が門弟にあらずと云云。不浄にして念仏を申すべしとは当世の念仏者の大妄語也。[p0296]
 問て云く 善導和尚・法然上人の釈を引くは彼の釈を用ふるや否や。[p0296-0297]
 答て云く しからず。念仏者の師たる故に、彼がことば己が祖師に相違するが故に、彼の祖師の禁めをもて彼を禁むる也。例せば世間の沙汰の彼が語の彼の文書に相違するを責むるが如し。[p0297]
 問て云く 善導和尚・法然上人には何事の失あれば用ひざるや。[p0297]
 答て云く 仏の御遺言には、我が滅度の後には四依の論師たりといへども、法華経にたがはば用ふべからずと、涅槃経に返す返す禁め置かせ給ひて侍るに、法華経には我が滅度の後末法に諸経失せて後、殊に法華経流布すべき由一所二所ならず、あまたの所に説かれて侍り。随て天台・妙楽・伝教・安然等の義に此の事分明也。然るに善導・法然、法華経の方便の一分たる四十余年の内の未顕真実の観経等に依て、仏も説かせ給はぬ我が依経の読誦大乗の内に法華経をまげ入れて、還りて我が経の名号に対して読誦大乗の一句をすつる時、法華経を抛てよ、門を閉じよ、千中無一なんど書かせて侍る僻人をば、眼あらん人是れを用ふべしやいなや。[p0297]
 疑て云く 善導和尚は三昧発得の人師、本地阿弥陀仏の化身、口より化仏を出だせり。法然上人は本地大勢至菩薩の化身、既にに日本国に生まれては念仏を弘めて、頭より光を現ぜり。争でか此れ等を僻人と申さんや。又善導和尚・法然上人は汝が見るほどの法華経竝びに一切経をば見給はざらんや。定めて其の故是れあらん歟。[p0297]
 答て云く 汝が難ずる処をば世間の人人定めて道理と思はん歟。是れ偏に法華経竝びに天台・妙楽の実経実義を述べ給へる文義捨て、善導・法然等の謗法の者にたぼらかされて、年久しくなりぬるが故に思はする処也。先づ通力ある者を信ぜば、外道・天魔を信ずべき歟。或外道は大海を吸ひ干し、或外道は恒河を十二年まで耳に湛えたり。第六天の魔王は三十二相をいうとも、天魔外道には勝れず。其の上仏の最後の禁めに、通を本とすべからずと見えたり。[p0297-0298]
 次に善導・法然は一切経、竝びに法華経をばおのれよりも見たりなんどの疑ひ、是れ又謗法の人のためには、さもと思ひぬべし。然りといへども、如来の滅後には先の人は多分賢きに似て、後の人は大旨ははかなきに似たれども、又先の世の人の世に賢き名を取りてはかなきも是れあり。外典にも、三皇・五帝・老子・孔子の五経等を学びて賢き名を取れる人も、後の人にくつがへされたる例是れ多き歟。内典にも又かくの如し。仏法漢土に渡りて五百年の間は名匠国に充満せしかども、光宅の法雲・道場の慧観等には過ぎざりき。此れ等の人人は名を天下に流し、智水を国中にそゝぎしかども、天台智者大師と申せし人、彼の義どもの僻事なる由を立て申せしかば、初めには用ひず。後には信用を加えし時、始めて五百余年の間の人師の義どもは僻事と見えし也。日本国にも仏法渡りて二百余年の間は、異義まちまちにして、何れを正義とも知らざりし程に、伝教大師と申す人に破られて、前二百年の間の私義は破られし也。其の時の人人も当時の人の申す様に、争でか前前の人は一切経竝びに法華経をば見ざるべき。定めて様こそあるらめ、なんど申しあひたりしかども叶はず。経文に違ひたりし義どもなれば終に破れて止みにき。当時も又かくの如し。此の五十余年が間は善導の千中無一、法然が捨閉閣抛の四字等は、権者の釈なればゆへこそあらんと思ひて、ひら信じに信じたりし程に、日蓮が法華経の或は悪世末法時〔悪世末法の時〕、或は於後末世〔後の末世の時に〕、或は令法久住等の文を引きむかへて相違をせむる時、我が師の私義破れて疑ひあへる也。詮ずるところ、後五百歳の経文の誠なるべきかの故に、念仏者の念仏をもて法華経を失ひつるが、還りて法華経の弘まらせ給ふべき歟と覚ゆ。[p0299]
 但し御用心の御為に申す。世間の悪人は魚鳥鹿等を殺して世路を渡る。此れ等は罪なれども仏法を失ふ縁とはならず。懺悔をなさざれば三悪道にいたる。又魚鳥鹿等を殺して売買をなして善根を修する事もあり。此れ等は世間には悪と思はれて遠く善となる事もあり。仏教をもて仏教を失ふこそ失ふ人も失ふとも思はず。只善を修すると打ち思ひて、又そばの人も善と打ち思ひてある程に、思はざる外に悪道に堕つる事の出来候也。当世には念仏者なんどの日蓮に責め落とされて、我が身は謗法の者也けりと思ふ者も是れあり。聖道の人人の御中にこそ実の謗法の人人は侍れ。彼の人人の仰せらるゝ事は、法華経を毀る念仏者も不思議也。念仏者を毀る日蓮も奇怪也。念仏と法華とは一体の物也。されば法華経を読むこそ念仏を申すよ。念仏申すこそ法華経を読むにては侍れと思ふ事に候也と、かくの如く仰せらるゝ人人、聖道の中にあまたをはしますと聞こゆ。随て檀那も此の義を存じて、日蓮竝びに念仏者をおこがましげに思へる也。[p0299-0300]
 先づ日蓮が是れ程の事をしらぬと思へるははかなし。仏法漢土に渡り初めし事は後漢の永平也。渡りとどまる事は唐の玄宗皇帝開元十八年也。渡れるところの経律論五千四十八巻、訳者一百七十六人。其の経経の中に、南無阿弥陀仏は即南無妙法蓮華経也と申す経は、一巻一品もおはしまさざる事也。其の上、阿弥陀仏の名を仏説き出だし給ふ事は、始め華厳より終り般若経に至るまで、四十二年が間に所所に説かれたり。但し阿含経をば除く。一代聴聞の者是れを知れり。妙法蓮華経と申す事は仏の御年七十二、成道より已来四十二年と申せしに、霊山にましまして無量義処三昧に入り給ひし時、文殊・弥勒の問答に過去の日月燈明仏の例を引いて_我見燈明仏 乃至 欲説法華経〔我燈明仏を見たてまつりしに 乃至 法華経を説かんと欲するならん〕と先例を引きたりし時こそ、南閻浮提の衆生は法華経の御名をば聞き初めたりしか。三の巻の心ならば、阿弥陀仏等の十六の仏は昔大通智勝仏の御時、十六の王子として法華経を習ひて、後に正覚をならせ給へりと見えたり。弥陀仏等も凡夫にてをはせし時は、妙法蓮華経の五字を習ひてこそ仏にはならせ給ひて侍れ。全く南無阿弥陀仏と申して正覚をならせ給ひたりとは見えず。妙法蓮華経は能開也。南無阿弥陀仏は所開也。能開所開を弁へずして、南無阿弥陀仏こそ南無妙法蓮華経よと物知りがほに申し侍る也。[p0300-0301]
 日蓮幼少の時、習ひそこなひの天台宗・真言宗に教へられて、此の義を存じて数十年の間ありし也。是れ存外の僻案也。但し人師の釈の中に、一体と見えたる釈どもあまた侍る。彼は観心の釈歟。或は仏の所証の法門につけて述べたるを、今の人弁へずして、全体一也と思ひて、人を僻人に思ふ也。御景迹(ごきょうざく)あるべき也。[p0301]
 念仏と法華経と一つならば、仏の念仏説かせ給ひし観経等こそ如来出世の本懐にては侍らめ。彼をば本懐ともをぼしめさずして、法華経を出世の本懐と説かせ給ふは、念仏と一体ならざる事明白也。其の上多くの真言宗・天台宗の人人に値ひ奉りて候ひし時、此の事を申しければ、されば僻案にて侍りけりと申す人是れ多し。敢えて証文に経文を書きて進ぜず候はん限りは御用ひ有るべからず。是れこそ謗法となる根本にて侍れ。あなかしこあなかしこ。[p0301-0302]
日 蓮花押[p0302]

#0036-5K0.TXT 法華真言勝劣事 文永元(1264.07・29) [p0302]

 東寺の弘法大師空海の所立に云く ̄法華経猶劣華厳経。何況於大日経乎〔法華経は猶お華厳経に劣れり。何に況んや大日経に於てをや〕云云。慈覚大師円仁・智証大師・安然和尚等の云く ̄法華経理同大日経。於印真言事者是猶劣也〔法華経の理は大日経に同じ。印と真言との事に於ては、是れ猶お劣れる也〕云云[其の所釈、余処に之を出だす]。[p0302]
 空海は大日経・菩提心論等に依て、十住心を立て、顕密の勝劣を判ず。其の中の第六の他縁大乗心は法相宗。第七の覚心不生心は三論宗。第八の如実一道心は天台宗。第九の極無自性心は華厳宗、第十の秘密荘厳心は真言宗なり。此の所立の次第は浅きより深きに至る。其の証文は大日経の住心品と菩提心論とに出づと云へり。然るに出だす所の大日経の住心品を見て他縁大乗・覚心不生・極無自性を尋ぬるに、名目経文之有り。然りと雖も、他縁・覚心・極無自性之三句を法相・三論・華厳に配する名目、之無し。其の上覚心不生と・極無自性と之中間に如実一道之文義、共に之無し。但し此の品之初めに_云何菩提。謂如実知自心〔云何なるか菩提。謂く 如実に自心を知る〕等の文、之有り。此の文を取りて此の二句之中間に置いて天台宗と名づけ、華厳宗に劣る之由、之を存す。住心品に於ては、全く文義、共に之無し。有文有義・無文有義之二句を欠く、信用に及ばず。菩提心論の文に於ても、法華・華厳の勝劣、都て之を見ざる上、此の論は龍猛菩薩の論と云ふ事、上古より諍論、之有り。此の諍論絶えざる已前に亀鏡に立つる事は竪義之法に背く。[p0302-0303]
 其の上、善無畏・金剛智等、評定有りて大日経之疏義釈を作れり。一行阿闍梨の執筆也。此の疏義釈之中に、諸宗の勝劣を判ずるに、法華経与大日経 広略之異也〔法華経と大日経とは広略の異なり也〕と定め畢んぬ。空海之徳、貴しと雖も、争でか先師之義に背くべし乎と云ふ難強し[此れ、安然之難也]。之に依て空海之門人、之を陳するに、旁陳答、之有り。或は守護経、或は六波羅蜜経、或は楞伽経、或は金剛頂経等に見ゆと多く会通すれども、總じて難勢を免れず。[p0303]
 然りと雖も、東寺の末学等、大師の高徳を恐るる之間、強ちに会通を加へんと為れども、結句会通の術計り之無く、問答之法に背いて、伝教大師最澄は弘法大師之弟子也と云云。又宗論の甲乙等、旁論ずる事、之有り云云。[p0303]
 日蓮案じて云く 華厳宗之杜順・智儼・宝蔵等、法華経之始見今見の文に就いて、法華・華厳斉等之義、之を存す。其の後、澄観、始今之文に依て斉等之義を存すること、祖師に違せず。其の上、一往の弁を加へ、法華と華厳と斉等也。但し華厳は法華経より先也。華厳経之時、仏最初に法慧功徳林等の菩薩に対して出世之本懐、之を遂ぐ。然れども、二乗竝びに下賎之凡夫等、根機未熟之故に、之を用ひず。阿含・方等・般若等之調熟に依て、還りて華厳経に入らしむ。之を今見の法華経と名づく。大陳を破るに余残堅からざるが如し等。然れば実に華厳経、法華経に勝れたり等云云。本朝に於て勤操等に値ひて此の義を習学して後、天台・真言を学すと雖も旧執を改めざるが故に此の義を存す歟。何に況んや華厳経は法華経に勝る之由、陳隋より已前、南三北七、皆此の義を存す。天台已後も又諸宗、此の義を存せり。但弘法一人に非ざる歟。[p0303-0304]
 但し澄観、始見今見之文に依て、華厳経は法華経より勝れりと料簡する才覚に於ては、天台智者大師、涅槃経之是経出世 乃至 如法華中〔是の経の出世は 乃至 法華の中の~如し〕之文に依て、法華・涅槃斉等の義を存するのみに非ず、又勝劣之義を存すれば、此の才覚を学びて此の義を存する歟。此の義、若し僻案ならば、空海之義も又僻見なるべき也。天台・真言の書に云く ̄法華経与大日経 広略之異也。略者法華経也。与大日経と雖斉等理 印真言略之故也。広者大日経。非説極理 説印真言故也。又法華経大日経 有同劣二義。謂理同事劣也。又有二義。一大日経五時摂也。是与義也。二大日経非五時之摂也。是奪義也〔法華経と大日経とは広略の異なり也。略とは法華経也。大日経と斉等の理なりと雖も、印・真言、之を略する故也。広とは大日経なり。極理を説くのみに非ず、印・真言をも説ける故也。又法華経と大日経とに同劣の二義有り。謂く 理同事劣也。又二義有り。一には大日経は五時の摂也。是れ与の義也。二には大日経は五時之摂に非ざる也。是れ奪の義也〕。又云く ̄法華経譬如裸形猛者。大日経帯甲冑猛者〔法華経は譬へば裸形の猛者の如し。大日経は甲冑を帯せる猛者なり〕等云云。又云く ̄無印真言者 不可知其仏〔印・真言無きは其の仏を知るべからず〕等云云。[p0304]
 日蓮不審して云く 何を以て之を知る。理は法華経と大日経と斉等也と云ふ事を。[p0304]
 答ふ 疏義釈竝びに慈覚・智証等之所釈に依る也。[p0304]
 求て云く 此れ等の三蔵大師等は、又何を以て之を知るや。理は斉等の義也と。[p0304]
 答て云く 三蔵大師等をば疑ふべからず等云云。[p0304]
 難じて云く 此の義、論議の法に非ざる上、仏の遺言に違背す。慥かに経文を出だすべし。若し経文無くんば、義分無かるべし、如何。[p0304]
 答ふ 威儀形色経・瑜祇経・観智儀軌等也。文は口伝すべし。[p0304]
 問て云く 法華経に印・真言を略すとは、仏より歟。[p0304]
 答て云く 或は仏と云ひ、或は経家と云ひ、或は訳者と云ふなり。[p0304]
 不審して云く 仏より真言印を略して法華経と大日経と理同事勝の義、之有りといはゞ、此の事何れの経文ぞ乎。文証の所出を知らず、我が意の浮言ならば、之を用ふべからず。若し経家・訳者より之を略すといはゞ、仏説に於てはなんぞ理同事勝の釈を作るべきや。法華経と大日経とは全体斉等なり。能く能く子細を尋ぬべき也。[p0304-0305]
 私に日蓮云く 威儀形色経瑜祇経等の文の如くんば、仏説に於ては法華経に印・真言有る歟。若し爾らば、経家・訳者、之を略せる歟。六波羅蜜経の如きは、経家、之れを略す。旧訳之仁王経の如きは、訳者、之れを略せる歟。若し爾らば、天台・真言之理同事異の釈は、経家並びに訳者之時より法華経・大日経之勝劣也。全く仏説の勝劣に非ず。此れ天台・真言之極也。天台宗之義勢、才覚の為に此の義を難ず。天台・真言之僻見、此の如し。東寺所立之義勢は且く之を置く。僻見眼前の故也。[p0305]
 抑そも天台・真言宗の所立の理同事勝に二難有り。一には法華経と大日経との理同之義、其の文全く之無し。法華経と大日経との先後、如何。既に義釈に二経之前後、之を定め畢りて、法華経は先、大日経は後なりと云へり。若し爾らば、大日経は法華経の重説也、流通也。一法を両度、之を説くが故也。もし所立の如くんば法華経之理を重ねて之を説くを大日経と云ふ。然れば則ち、法華経と大日経と敵論之時は、大日経之理、之を奪ふて法華経に付くべし。但し、大日経の得分は、但印・真言計り也。印契は身業、真言は口業也。身・口のみにして意なくば印・真言有るべからず。手・口等を奪ふて法華経に付けなば、手無くして印を結び、口無くして真言を誦せば、虚空に印・真言を誦結すべき歟。如何。裸形之猛者と甲冑を帯せる猛者と之事。裸形の猛者の進んで大陳を破ると、甲冑を帯せる猛者の退いて一陳をも破らざるとは、何れが勝るゝ哉。又、猛者は法華経也。甲冑は大日経也。猛者無くんば、甲冑何の詮か、之有らん。之は理同之義を何ずる也。[p0305-0307]
 次に事勝の義を難ぜば。法華経には印・真言無く、大日経には印・真言、之有りと云云。印契・真言之有無に付いて二経之勝劣を定むるに、大日経に印・真言有りて、法華経に之無き故に劣ると云はば、阿含経には世界建立・賢聖の地位、是れ分明也。大日経には之無し。若し爾らば、大日経は阿含経より劣る歟。双観経等には四十八願是れ分明也。大日経に之無し。般若経には十八空、是れ分明也。大日経には之無し。此れ等の諸経に劣ると云ふべき歟。又、印・真言無くんば、仏を知るべからず等と云云。今反詰して云く ̄ 理無くんば仏有るべからず。仏無くんば印契・真言一切徒然と成るべし。彼難じて云く 賢聖並びに四十八願等をば印・真言に対すべからず等と云云。今反詰して云く 最上の印・真言、之無くば法華経は大日経等より劣る歟。若し爾らば、法華経には二乗作仏・久遠実成之有り。大日経には之無し。印・真言と、二乗作仏・久遠実成とを対論せば天地雲泥也。諸経に印・真言を簡ばず、大日経、之を説きて何の詮か有るべき乎。二乗若し、灰断之執改めずんば、印・真言も無用也。一代之聖教に、皆二乗を永不成仏と簡ぶ。随て大日経にも之を隔つ。皆、成仏までこそ無からめ、三分が二、之を捨て、百分が六十余分、得道せずんば、仏の大悲、何かせん。凡そ、理の三千、之れ有りて成仏すと云ふ上には、何の不足か有るべき。成仏に於ては、疔(丁→亜)なる仏・中風の覚者は、之有るべからず。之を以て案ずるに、印・真言は規模無き歟。又諸経には、始成正覚の旨を談じて三身相即の無始の古仏を顕さず。本無今有之失有れば、大日如来は有名無実也。寿量品に此の旨を顕す。釈尊は、点の一月、諸仏菩薩は、萬水に浮かべる影なりと見えたり。委細之旨は且く之を置く。[p0306]
 又、印・真言無ければ、祈祷有るべからずと云云。是れ又以ての外の僻見也。過去・現在の諸仏、法華経を離れて成仏すべからず。法華経を以て正覚成り給ふ。法華経の行者を捨て給はゞ、諸仏還りて凡夫と成りたまふ。恩を知らざる故也。[p0306-0307]
 又、未来の諸仏之中の二乗も、法華経を離れては永く枯木・敗種也。今は再生也。華果也。他経之行者と相論を為すときは、華光如来・光明如来等は、何れの方に付くべき乎。華厳経等の諸経の仏・菩薩・人天乃至四悪趣等之衆は皆法華経に於て一念三千・久遠実成の説を聞きて、正覚を成ずべし。何れの方に付くべき乎。真言宗等と外道並びに小乗・権大乗之行者等と、敵対相論を為す之時は、甲乙知り難し。法華経の行者に対する時は、龍と虎と、師子と兎と之闘ひの如く、諍論、分絶えたる者也。慧亮、脳を破する之時、次弟、位に即き、相応加持する之時、真済之悪霊、伏せらるゝ等、是れ也。一向真言の行者は、法華経の行者に劣れる証拠、是れ也。[p0307]
 問て云く 義釈之意は、法華経・大日経共に二乗作仏・久遠実成を明かす耶、如何。[p0307]
 答て云く 共に之を明かす。義釈に云く ̄此経心之実相彼経諸法実相〔此の経の心の実相は、彼の経の諸法実相なりと〕云云。又云く ̄本初是寿量義〔本初は是れ寿量の義なり〕等と云云。[p0307]
 問て云く 華厳宗の義に云く 華厳経には二乗作仏・久遠実成、之を明かす。天台宗は之を許さず。宗論は且く之を置く。人師を捨てゝ本経を存せば、華厳経に於ては二乗作仏・久遠実成の相似の文、之れ有りと雖も、実には之無し。之を以て之を思ふに、義釈には大日経に於て二乗作仏・久遠実成を存すと雖も、実には之無き歟。如何。[p0307]
 答て云く 華厳児湯の如く、相似之文、之れ有りと雖も、実義、之無き歟。私に云く 二乗作仏無くんば、四弘誓願、満足すべからず。四弘誓願、満足せずんば、又別願も満すべからず。總別の二願、満せずんば、衆生之成仏も有り難き歟。能く能く意得べし云云。[p0307]
 問て云く 大日経の疏に云く ̄大日如来無始無終。遥勝五百塵点〔大日如来は無始無終なりと。遥かに五百塵点に勝れたり〕。如何。[p0307-0308]
答ふ 盧遮那の無始無終なる事、華厳・浄名・般若等之諸大乗経に、之を説く。独り大日経のみに非ず。[p0308]
 問て云く 若し爾らば五百塵点は、際限有れば有始有終也。無始無終は際限なし。然れば則ち、法華経は諸経に破せらるゝ歟、如何。[p0308]
 答て云く 他宗之人は此の義を存す。天台一家に於て此の難を会通する者有り難き歟。今、大日経並びに諸大乗経之無始無終は、法身之無始無終也。三身之無始無終に非ず。法華経の五百塵点は、諸大乗経の破せざる伽耶之始成、之を破したる五百塵点也。大日経等の諸大乗経には全く此の義無し。宝塔の涌現、地涌之涌出、弥勒之疑ひ、寿量品之初めの三誓四請。弥勒菩薩、領解之文に、仏説希有法 昔所未曾聞〔仏希有の法を説きたまふ、昔より未だ曾て聞かざる所なり〕等の文、是れ也。大日経六巻、並びに供養法の巻・金剛頂経・蘇悉地経等の諸の真言部之経の中に、未だ三止四請、二乗之劫国名号、難信難解等の文を見ず。[p0308]
 問て云く 五乗の真言、如何。[p0308]
 答ふ 未だ二乗の真言を知らず。四諦・十二因縁之梵語のみ有る也。又、法身平等に会すること有らんや。[p0308]
 問て云く 慈覚・智証等、理同事勝之義を存す。争でか此れ等の第四等に過ぎん乎。[p0308]
 答て云く 人を以て人を難ずるは、仏之誡め也。何ぞ汝、仏之制誡に違背する乎。但、経文を以て勝劣之義を存すべし。[p0308]
 難じて云く 末学之身として祖師之言に背かば、之を難ぜざらん耶。[p0308]
 答ふ 末学の祖師に違背する、之を難ぜば何ぞ智証・慈覚之天台・妙楽に違するを、何ぞ之を難ぜざる耶。[p0308]
 問て云く 相違如何。[p0308]
 答て云く 天台・妙楽之意は、已今当の三説之中に、法華経に勝れたる経、之れ有るべからず。若し法華経に勝れたる経有りといはゞ、一宗之宗義、之を壊るべきの由、之を存す。若し大日経、法華経に勝るといはゞ、天台・妙楽之宗義、忽ちに破るべき乎。[p0308-0309]
 問て云く 天台・妙楽之已今当の宗義、証拠経文に有り乎。[p0309]
 答て云く 之有り。法華経法師品に云く_我所説経典。無量千万億。已説。今説。当説。而於其中。此法華経。最為難信難解〔我が所説の経典無量千万億にして、已に説き今説き当に説かん。而も其の中に於て此の法華経最も為れ難信難解なり〕等と云云。此の経文の如きんば、五十余年之釈迦所説之一切経の内には法華経最第一也。[p0309]
 難じて云く 真言師の云く 法華経は釈迦所説の一切経之中に第一也。大日経は大日如来所説の経也と。[p0309]
 答て云く 釈迦如来より外に大日如来、閻浮提に於て八相成道して大日経を説ける歟[是一]。六波羅蜜経に云く_〔過去現在並釈迦牟尼仏之所説諸経分為五蔵 其中第五陀羅尼蔵真言也〔過去・現在、並びに釈迦牟尼仏の所説の諸経を分かちて五蔵と為し、其の中の第五の陀羅尼蔵は真言なり〕と。真言の経、釈迦如来の所説に非ずといはゞ、経文に違す〔是二〕。我所説経典等の文は、釈迦如来の正直捨方便之説也。大日如来之証明、分身之諸仏、広長舌相之経文也〔是三〕。五仏章、尽く諸仏皆法華経を第一也と時給ふ〔是四〕。以要言之、如来一切所有之法〔要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法〕、乃至 皆於此経宣示顕説〔皆此の経に於て宣示顕説す〕等と云云。此の経文の如くならば、法華経は釈迦所説之諸経の第一なるのみに非ず、大日如来、十方無量諸仏之諸経之中に、法華経第一也。此の外、一仏二仏之所説の諸経之中に、法華経に勝れたる之経有りと、之云はば、信用有るべからず[是五]大日経等之諸の真言経之中に法華経に勝れたる由の経文、之無し[是六]。仏より外之天竺・震旦・日本国之論師・人師之中に、天台大師より外の人師、所釈之中に、一念三千之名目、之無し。若し一念三千を立てざれば、性悪之義、之無し。性悪之義、之無くんば、仏・菩薩の普現色身、不動・愛染等の降伏の形、十界之曼荼羅、三十七尊等、本無今有の外道之法に同ず歟[是七][p0309-0310]
 問て云く 七義之中、一一難勢、之有り。然りと雖も、六義は且く之を置く。第七義、如何。華厳之澄観・真言之一行等、皆性悪之義を存す。何ぞ諸宗に此の義無しと云ふ哉。[p0310]
 答て云く 華厳の澄観・真言の一行は、天台所立之義を盗んで、自宗の義と成す歟。此の事余処に勘へたるが如し。[p0310]
 問て云く 天台大師の玄義の三に云く ̄法華總括衆経〔法華は衆経を總括す。T33,704b,23,〕。乃至 舌爛口中〔舌、口中に爛る。T33,704b,25〕~莫以人情局彼太虚也〔人情を以て彼の大虚を局むること莫れ。T33,704c,3〕。釈籤の三に云く ̄不了法華宗極之旨。謂記聲聞事相而已不如華嚴般若融通無礙。~諌曉不止舌爛何疑〔法華宗極の旨を了せずして、聲聞に記する事相、而るに已に、華嚴・般若の融通無礙なるに如かずと謂ふ。~諌曉すれども止まず。舌の爛れんこと、何ぞ疑はん〕。乃至 已今當妙於茲固迷。舌爛不止。猶爲華報。謗法之罪苦流長劫〔已今當の妙、ここに於いて固く迷へり。舌爛れて止まざるは、猶ほ、これ華報なり。謗法の罪苦、長劫に流る〕等云云。若し、天台・妙楽之釈、実ならば、南三北七、並びに華厳・法相・三論・東寺之弘法等、舌爛れんこと、難の疑ひ有らん耶。乃至、苦流長劫の者なる歟。是れは且く之を置く。慈覚・智証等之、親り此の宗義を承けたる者、法華経は大日経より劣るの義、存すべし。若し、其の義ならば、此の人、人の舌爛口中苦流長劫は、如何。[p0310]
 答て云く 此の義は最も上之難の義也。口伝に在り云云。[p0310]
文永元年[甲子]七月二十九日之を記す 日 蓮[p0310]

#0037-500.TXT 当世念仏者無間地獄事 文永元(1264.09・22) [p0311]

安房国長狭郡東条花房の郷、蓮華寺に於て、浄円房に対して、日蓮阿闍梨、之を註す。文永元年[甲子]九月二十二日。[p0311]
 問て云く 当世の念仏者、無間地獄と云ふ事。其の故、如何。[p0311]
 答て云く 法然之選択に就いて云ふ也。[p0311]
 問て云く 其の選択の意、如何。[p0311]
 答て云く 後鳥羽院の天下を治む、建仁年中、日本国に一の彗星を出せり。名を源空法然と曰ふ。選択一巻を記して六十余紙に及べり。科段を十六に分かつ。第一段の意は、道綽禅師の安楽集に依て聖道・浄土の名目を立つ。其の聖道門とは、浄土の三部経等を除いて、自余の大小乗の一切経、殊には朝家帰依之真言等の八宗の名目、之を挙げて聖道門と名づく。此の諸経・諸仏・諸宗は、正像之機に値ふと雖も、末法に入て之を行ぜん者、一人も生死を離るべからずと云云。又、曇鸞法師の往生論註に依て、難易の二行を立つ。[p0311]
 第二段の意は、善導和尚の五部九巻の書に依て正雑二行を立つ。其の雑行とは、道綽の聖道門の料簡の如し。又此の雑行は、末法に入ては往生を得る者、千中無一〔千の中に一も無き〕也。下の十四段には、或は聖道・難行・雑行をば、小善根・随他意・有上功徳等と名づけ、念仏等を以ては、大善根・随自意・無上功徳等と名づけ、念仏に対して末代の凡夫、此れを捨てよ、此の門を閉ぢよ、之を閣けよ、之を抛てよ等の四字を以て之を制しす。[p0311]
 而るに日本国中の無智の道俗を始め、大風に草木の従ふが如く、皆此の義に随て、忽ちに法華・真言等に随喜之意を止め、建立の思ひを廃す。而る間、人毎に平形の念珠を以て弥陀の名号を唱へ、或は毎日三万遍・六万遍・四十八万遍・百満遍等唱ふる間、又他の善根も無く、念仏堂を造ること、稲麻竹葦の如し。結句は法華・真言等の智者とおぼしき人人も、皆、或は帰依を受けんが為、或は往生極楽の為、皆本宗を捨て念仏者となり、或は本宗ながら念仏の法門を仰げる也。[p0312]
 今云く 日本国中の四衆の人人は、形は異なり替わると雖も、意根は皆一法を行じて悉く西方の往生を期す。仏法繁盛の国と見えたる処に一の大なる疑ひを発すことは、念仏宗の亀鏡と仰ぐべき智者達、念仏宗の大檀那為る大名・小名、並びに有徳の者、多分は臨終思ふ如くならざる之由、之を聞き、之を見る。[p0312]
 而るに善導和尚、十即十生と定め、十遍乃至一生之間の念仏者は一人も漏れず、往生を遂ぐべしと見えたり。人の臨終と、善導の釈とは水火也。爰に念仏者、会して云く ̄、往生に四つ在り。一には意念往生、般舟三昧経に出でたり。二には正念往生、阿弥陀経に出でたり。三には無記往生、群疑論に出でたり。四には狂乱往生、観経の下品下生に出でたり。[p0312]
 詰めて曰く 此の中の意・正の二、且く之を置く。無記往生は何れの経論に依て懐咸禅師、之を書かる哉。経論に之無くば、信用取り難し。第四の狂乱往生とは、引証は観経の下品下生の文なり。第一に悪人臨終之時、妙法を覚れる善知識に値ひて覚る所の諸法実相を説かしめて、之を聞きて正念存じ難く、十悪・五逆・具諸不善の苦に逼められて、妙法を覚ることを得ざれば、善知識、実相の初門と為る故に、称名して阿弥陀仏を念ぜよと云ふに、音を揚げて唱へ了ぬ。此れは苦痛に堪へ難くして正念を失ふ。狂乱之者に非ざる歟。狂乱之者、争でか十念を唱ふべき。例せば正念往生の所摂也。全く狂乱の往生には例すべからず。[p0312]
 而るに汝等が本師と仰ぐ所の善導和尚は、此の文を受けて転教口称とは云ふとも狂乱往生とは云はず。其の上汝等が昼夜十二時祈る所の願文に云く 願はくは弟子等、命終の時に臨んで、心、顛倒せず、心、錯乱せず、心、失念せず、身心、諸の苦痛無く、身心の快楽、禅定に入るが如し等云云。此の中に錯乱とは、狂乱歟。而るに十悪・五逆を作らざる当世の念仏の上人達、並びに大檀那等の臨終の悪瘡等の諸の悪重病、並びに臨終の狂乱は、意得ざる事也。[p0312-0313]
 而るに善導和尚の十即十生と定め、又、定得往生等の釈の如きは、疑ひ無き之処、十人に九人、往生すと雖も、猶お不審発るべし。何に況んや念仏宗の長者たる、善慧・隆観・聖光・薩生・南無・真光等、皆、悪瘡等の重病を受けて、臨終に狂乱して死する之由、之を聞き、又、之を知る。其れ已下の念仏者の臨終の狂乱、其の数を知らず。善導和尚の定むる所の十即十生は闕けて、嫌へる所の千中無一と成らんぬ。無一と定められし法華・真言の行者は、粗、臨終正念なる由、之を聞けり。[p0313]
 念仏法門に於ては、正像末之中、には末法に殊に流布すべし。利根鈍根・善人悪人・持戒破戒等の中には、鈍根・悪人・破戒等、殊に往生すべしと見えたり。故に道綽禅師は唯有浄土一門と書かれ、善導和尚は十即十生と定め、往生要集には濁世末代の目足と云へり。念仏は、時機已に叶へり。行ぜん者、空しかるべからざる之処に、是の如きの相違は大なる疑ひ也。若し、之に依て本願を疑はゞ、仏説を疑ふに成らんぬ。進退惟れ谷まれり。此の疑ひを以て念仏宗の先達並びに聖道の先達に之を尋ぬるに一人として答ふる人、之無し。[p0313]
 念仏者、救ひて云く 汝は法然上人の捨閉閣抛の四字を謗法と過(とかたる)歟。汝が小智の及ばざる所也。故に、上人、此の四字を私に之を書くと思へる歟。源(もと)、曇鸞・道綽・善導之三師の釈より、之出でたり。三師の釈、又、私に非ず。源(もと)浄土三部経・龍樹菩薩の十住毘婆沙論より出づ。双観経の上巻に云く_設我仏得乃至十念〔設ひ我、仏を得。乃至、十念〕等云云。第十九の願に云く_設我得仏修諸功徳発菩提心〔設ひ我、仏を得、諸の功徳を修め、菩提心を発す〕等云云。下巻に云く_乃至一念等云云。第十八願の成就の文也。又下巻に云く_其上輩者一向専念、其中輩者一向専念、其下輩者一向専念〔其の上輩は一向専念、其の中輩は一向専念、其の下輩は一向専念〕と云云。此れは十九願の成就の文也。[p0314]
 観無量寿経に云く_仏告阿難汝好持是語。是語持者即是持無量寿仏名〔仏阿難に告げたまわく、汝好く是の語を持て。是の語を持つ者は、即ち是れ無量寿仏の名を持つ〕等云云。阿弥陀経に云く_不可以小善根。乃至一日七日〔小善根を以てすべからず。乃至、一日、七日〕等云云。[p0314]
 先づ双観経の意は、念仏往生・諸行往生と説けども、一向専念と云ひて、諸行往生を捨て了ぬ。故に弥勒の付嘱には一向に、念仏を付属し了ぬ。観無量寿経の十六観も上の十五の観は諸行往生・下輩の一観の三品は、念仏往生也。仏、阿難尊者に念仏を付属するは、諸行を捨つるい意也。阿弥陀経には、双観経の諸行・観無量寿経の前十五観を束ねて小善根と名づけ、往生を得ざる之法と定め畢んぬ。双観経には念仏をば無上功徳と名づけて、弥勒に付属し、観経には、念仏をば芬陀利華と名づけて阿難に付属し、阿弥陀経には念仏を場大善根と名づけて舎利弗に付属す。終りの付属は、一経の肝心を付属する也。又、一経の名を付属する也。三部経には諸の善根多しと雖も、その中に念仏最も也。故に題目には無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経等と云へり。釈摩訶衍論・法華論等の論を以て、之を勘ふるに、一切経の初めには必ず南無の二字有り。梵本を以て之を言はゞ、三部経の題目には南無、之れ有り。双観経の修諸の二字に、念仏より外の八幡聖教残るべからず。観無量寿経の三福九品等の読誦大乗の一句に一切経残るべからず。阿弥陀経の念仏の大善根に対する小善根之語に法華経等、漏るべき哉。總じて浄土の三部経之意は、行者の意楽に随はんが為に、暫く諸行を挙ぐと雖も、再び念仏に対する時は、諸行の文を閉ぢて、捨閉閣抛する事顕然也。[p0314]
 例せば法華経を説かんが為に無量義経を説く之時に、四十余年の経を捨てゝ法華之門を開くが如し。龍樹菩薩、十住毘婆沙論を造りて一代聖教を難易の二道に分かてり。難行道とは、三部経の外の諸行也。易行道とは念仏也。経論、此の如く分明なりと雖も、震旦の人師、此の義を知らず。唯、善導一師のみ此義を発得せり。[p0314-0315]
 所以に双観経の三輩を観念法門に書きて云く ̄一切衆生根性不同有上中下。随其根性仏皆勧専念無量寿仏名〔一切衆生根性不同にして上中下あり、其の根性に随つて仏皆無量寿仏の名を専念することを勧む〕等云云。此の文の意は、発菩提心修諸功徳〔菩提心を発して、諸の功徳を修む〕等の諸行は、他力本願之念仏に値はざりし以前に修する事よと、有りけるを、忽ちに之を捨てよと云ふとも、行者用ふべからず。故に暫く諸行を許す也。実には念仏を離れて諸行を以て往生を遂ぐる者、之無しと書きし也。観無量寿経の_仏告阿難等の文を、善導の疏の四に之を受けて曰く ̄上来、定散両門を説くと雖も、仏の本願に望むれば、意、衆生をして一向に専ら弥陀仏の名を称せしむるに在〔上来、定散両門の益を説くと雖も、仏の本願に望むれば、意、衆生をして一向に専ら弥陀仏の名を称せしむるに在り〕云云。定散とは八万の権実、顕密の諸経を尽くして、之を摂して念仏に対して之を捨てる也。善導の法事讃に阿弥陀経の大小善根の故を釈して云く ̄極楽無為涅槃界。随縁雑善恐難生。故使如来選要法教念弥陀専修〔極楽は無為涅槃界なり。随縁の雑善、恐らくは生じ難し。故に、如来、要法を選びて、弥陀を念ずることを教へて、専らに修せしむ〕等云云。諸師の中に、三部経之意を得たる人は但導一人のみなり。[p0315]
如来之三部経に於ては、是の如く有れども、正法・像法之時は、根機、猶ほ利根の故に、諸行往生の機も之有りける歟。然るに、機根衰へて末法と成る間、諸行の機、漸く失せて念仏之機と成れり。更に阿弥陀如来は善導和尚と生れて震旦に此の義を顕し、和尚、日本に生れて初めは叡山に入りて修行し、後には叡山を出でゝ一向に専修念仏して三部経の意を顕し給ひし也。汝、捨閉閣抛之四字を謗法と過(とが)むること、未だ導和尚之釈、竝びに三部経の文を窺はざる歟。狗の雷を齧むが如く、地獄の業を増す。汝、知らずんば浄土家の智者に問へ。[p0315]
 不審して云く 上の所立之義を以て、法然之捨閉閣抛の謗言を救ふか。[p0315-0316]
 実に浄土の三師並びに龍樹菩薩、仏説により此の三部経之文を開くに、念仏に対して諸行を傍と為す事、粗、経文に、之見えたり。経文に嫌はれし程の諸行、念仏に対して之を嫌ふこと、過むべきに非ず。但、不審なる之処は、双観経の念仏已外之諸行、観無量寿経の念仏已外之定散、阿弥陀経の念仏之外の小善根之中に、法華・涅槃・大日経等の極大乗経を入れ、念仏に対して不往生之善根ぞと仏の嫌はせ給ひけるを、龍樹菩薩三師、並びに法然、之を嫌はゞ、何の失有らん。但、三部経之小善根等之句に、法華・涅槃・大日経等、入るべしとも覚えざるは、三師並びに法然之釈を用ひざる也。無量義経の如きは、四十余年未顕真実と説き、法華八箇年を除きて、已前四十二年に、説く所の大小権実の諸経は、一字一点も未顕真実の語に漏るべしとも覚えず。[p0316]
 加之、四十二年之間に説く所の阿含・方等・般若・華厳の名目、之を出せり。既に大小の諸経を出して生滅無常を説ける諸の小乗経を阿含之句に摂し、三無差別の法門を説ける諸大乗経を華厳海空之句に摂し、十八空等を説ける諸大乗経を般若之句に摂し、弾訶の意を説ける諸大乗経を方等之句に摂す。[p0316]
 是の如く年限を指し、経の題目を挙げたる無量義経に依て、法華経に対して諸経を嫌ひ、嫌へる所之諸経に依れる、諸宗を下すこと、天台大師の私に非ず。汝等が浄土の三部経之中には念仏に対して諸行を嫌ふ文は之れ有れども、嫌はざる諸行は、浄土の三部経より之外の五十年の諸経也と云ふ現文は、之無し。[p0316]
 又、無量義経の如く、阿含・方等・般若・華厳等をも挙げず。誰か知る、三部経には諸の小乗経、並びに歴劫修行の諸経等の諸行を、仏、小善根と名づけ給ふと云ふ事を。左右無く、念仏より之外の諸行を小善等と云へるを、法華・涅槃等の一代の教也と打ち定めて、捨閉閣抛の四字を置きては、仏意に背く覧と不審する計り也。[p0316]
 例せば王の所従には人之中、諸国の中の凡下等、一人も残るべからず。民が所従には、諸人、諸国の主は入るべからざるが如し。[p0316-0317]
 誠に浄土の三部経等が、一代超過之経ならば、五十年の諸経を嫌ふも、其の謂れ、之れ有りなん。三部経之文より事起こりて、一代を摂すべきとは見えず。但、一機一縁の小事也。末代に於て之を行ぜん者は、千中無一と定むるは、近くは依経に背き、遠くは仏意に違ふ者也。[p0317]
 但し、龍樹の十住毘婆沙論の難行の中に、法華・真言等を入ると云ふは、論文に分明に之れ有り耶。設ひ論文に之れ有れども、慥かなる経文、之無くば、不審之内也。龍樹菩薩は権大乗の論師為りし時の論なる歟。又、訳者の入れたる歟と意得べし。[p0317]
 其の故は、仏は無量義経に四十余年は難行道、無量義経は易行道と定め給ふ事、金口の明鏡也。龍樹菩薩、仏の記文に当たりて出世し、諸経之意を演ぶ。豈に仏説なる難易の二道を破りて、私に難易の二道を立てん耶。[p0317]
 随て、十住毘婆沙論の一部始中終を開くに、全く法華経を難行之中に入れたる文、之無し。只、華厳経之十地を釈するに、第二地に至り畢わりて宣べず。又、此の論に諸経の歴劫修行之旨を挙ぐるに、菩薩、難行道に出し、二乗地に堕して、永不成仏之思ひを成す由、見えたり。法華已前の論なる事疑ひ無し。[p0317]
 龍樹菩薩の意を知らずして、此の論の難行之中に法華・真言を入れたりと料簡する歟。浄土の三師に於ては、書釈を見るに、難行・雑行・聖道之中に、法華経を入れたる意、粗、之れ有り。然りと雖も、法然が如き放言の事、之無し。[p0317]
 加之、仏法を弘めん輩は、教・機・時・国・教法流布の前後を【てへん+僉】む歟。如来在世に、前の四十余年には、大小を説くと雖も、説時未至故〔説くとき未だ至らざる故に〕本懐を演べたまはず。機、有りと雖も、時無ければ大法を説きたまはず。霊山八年之間、誰か機にあらざる。時も来る故に、本懐を演べたまふに、権機移りて実機と成る。法華経の流通並びに涅槃経には実教を前とし、権教を後とすべき之由、見えたり。在世には、実を隠して権を前にす。滅後には実を前として権を後と為すべし。道理顕然也。[p0317-0318]
 然りと雖も、天竺国には正法一千年之間は外道有り。一向小乗の国有り、又、一向大乗の国有り。又、大小兼学の国有り。漢土に仏法渡りても、又、天竺の如し。日本国に於ては、外道も無く、小乗之機も無く、唯、大乗の機のみ有り。大乗に於ても法華より之外の機無し。但し、仏法日本に渡り始めし時、暫く小乗の三宗、権大乗の三宗を弘むと雖も、桓武の御宇に、伝教大師の御時、六宗の情を破りて天台宗と成りぬ。倶舎・成実・律の三宗の学者も、彼の教の如く七賢・三道を経て見思を談じ、二乗と成らんとは思はず。只、彼の宗を習ひて、大乗の初門と為し、彼の極を得んとは思はず。権大乗の三宗を習へる者も、五性各別等の宗義を捨てゝ、一念三千、五輪等の妙観を窺ふ大小・権実を知らざる在家の檀那等も、一向に法華・真言の学者の教えに随て之を供養する間、日本一州は、印度・震旦には似ず、一向純円之機也。[p0318]
 恐らくは、霊山八年之機の如し。之を以て之を思ふに、浄土の三師は、震旦の権大乗の機に超えず。法然に於ては、純円之機、純円之教、純円之国を知らず。権大乗の一分為る観経等の念仏を、権実をも弁へず、震旦の三師之釈、之を以て此の国に流布せしめ、実機に権法を授け、純円の国を権教の国と成し、醍醐を嘗める者に蘇味与ふるの失、誠に甚だ多し。[p0318]
日 蓮花押[p0318]

#0039-300 上野殿後家尼御返事 文永二(1265.07・11) [p0328]

 御供養の物種種給畢んぬ。[p0328]
 抑そも上野殿死去の後はをとづれ冥途より候やらん。きかまほしくをぼへ候。ただし、あるべしともをぼへず。もし夢にあらずんばさがたをみる事よもあらじ。まぼろしにあらずんばみゝえ給ふこといかが候はん。さだめて霊山浄土にてさば(娑婆)の事をばちうや(昼夜)にきき、御覧じ候らむ。妻子等は肉眼なればみ(見)させ、きか(聞)せ給ふ事なし。ついには一所とをぼしめせ。 生生世世の間、ちぎりし夫はちぎりし夫は大海のいさごのかずよりもをゝくこそをはしまし候ひけん。今度のちぎりこそ、まことのちぎりのをとこ(夫)よ。[p0328]
 そのゆへは、をとこのすゝめによりて法華経の行者とならせ給へば、仏とをがませ給ふべし。いきてをはしき時は生の仏、今は死の仏。生死ともに仏なり。即身成仏と申す大事の法門これなり。法華経の第四に云く_若有能持 則持仏身〔若し能く持つことあるは 則ち仏身を持つなり〕云云。夫れ浄土と云ふも地獄と云ふも外には候はず。ただ我等がむねの間にあり。これをさとるを仏といふ。これにまよふを凡夫と云ふ。これをさとるは法華経なり。[p0328-0329]
 もししからば、法華経をたもちたてまつるものは、地獄即寂光とさとり候ぞ。たとひ無量億歳のあひだ権教を修行すとも、法華経をはなるるならば、ただいつも地獄なるべし。此の事日蓮が申すにはあらず。釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏の定めをき給ひし也。されば権教を修行する人は、火にやくるもの又火の中へいり、水にしづむものなをふち(淵)のそこへ入るがごとし。法華経をたもたざる人は、火と水との中にいたるがごとし。法華経誹謗の悪知識たる法然・弘法等をたのみ、阿弥陀経・大日経等を信じ給ふは、なを火より火の中、水より水のそこへ入るが如し。いかでか苦患をまぬかるべきや。等活・・黒縄・無間地獄の火坑、紅蓮大紅蓮の氷の底に入り、しづみ給はん事疑ひなかるべし。法華経の第二に云く_其人命終 入阿鼻獄〔其の人命終して 阿鼻獄に入らん〕。如是展転 至無数劫〔是の如く展転して 無数劫に至らん〕云云。故聖霊は此の苦をまぬかれ給ふ。すでに法華経の行者たる日蓮が檀那なり。[p0329]
 経に云く_設入大火。火不能焼〔設い大火に入るとも火も焼くこと能わじ〕。若為大水所漂。称其名号。即得浅処〔若し大水に漂わされんに、其の名号を称せば即ち浅き処を得ん〕。又云く_火不能焼。水不能漂〔火も焼くこと能わず、水も漂わすこと能わじ〕云云。あらたのもしやあらたのもしや。[p0329]
 詮ずるところ、地獄を外にもとめ、獄卒の鉄杖、阿坊羅刹のかしやく(呵責)のこゑ、別にこれなし。此の法門ゆゆしき大事なれども、尼にたいしてまいらせて、おしへまいらせん。例せば龍女にたいして文殊菩薩は即身成仏の秘法をとき給ひしがごとし。これをきかせ給ひて後は、いよいよ信心をいたさせ給へ。法華経の法門をきくにつけて、なをなを信心をはげむをまことの道心者とは申すなり。[p0329-0330]
 天台の云く ̄従藍而青云云。此の釈の心はあいは葉のときよりもなを、そむ(染)ればいよいよあをし。法華経はあいのごとし。修行のふかきはいよいよあをきがごとし。[p0330]
 地獄と云ふ二字をば、つち(土)をほる(穿)とよめり。人の死する時、つちをほらぬもの候べきか。これを地獄と云ふ。死人をやく火は無間の火炎なり。妻子眷属の死人の前後にあらそひゆくは獄卒阿坊羅刹なり。妻子等のかなしみなくは獄卒のこゑなり。二釈五寸の杖は鉄杖也。馬は馬頭、牛は牛頭なり。穴は無間大城、八万四千のかまは八万四千の塵労門。家をきりいづるは死出の山。孝子の河のほとりにたゝずむは三途の愛河なり。別に求むる事はかなしはかなし。[p0330]
 此の法華経をたもちたてまつる人は此れをうちかへし、地獄は寂光土、火焔は報身如来の智火、死人は報身如来、火坑は大慈悲為室の応身如来、又つえ(杖)は妙法実相のつえ、三途の愛河は生死即涅槃の大海、死出の山は煩悩即菩提の重山なり。かく御心得させ給へ。即身成仏とも開仏知見とも、これをさとり、これをひらくを申す也。提婆達多は阿鼻獄を寂光極楽とひらき、龍女が即身成仏もこれより外は候はず。逆即是順の法華経なればなり。[p0330-0331]
 これ妙の一字の功徳なり。龍樹菩薩の云く ̄譬如大薬師能変毒為薬〔譬へば大薬師の能く毒を変じて薬と為すが如し〕云云。妙楽大師の云く ̄豈離伽耶別求常寂。非寂光外別有娑婆〔豈に伽耶を離れて別に常寂を求めん。寂光の外別に娑婆有るに非ず〕云云。又云く ̄実相必諸法 諸法必十如 十如必十界 十界必身土〔実相は必ず諸法。諸法は必ず十如。十如は必ず十界。十界は必ず身土なり〕云云。法華経に云く_諸法実相乃至本末究竟等云云。寿量品に云く_我実成仏已来。無量無辺〔我実に成仏してより已来無量無辺〕云云。此の経文に我と申すは十界なり。十界本有の仏なれば浄土に住するなり。[p0331]
 方便品に云く_是法住法位 世間相常住〔是の法は法位に住して 世間の相常住なり〕云云。世間のならひとして三世常恒の相なれば、なげくべきにあらず、をどろくべきにあらず。相の一字は八相なり。八相も生死の二字をいでず。かくさとるを法華経の行者の即身成仏と申す也。[p0331]
 故聖霊は此の経の行者なれば即身成仏疑ひなし。さのみなげき給ふべからず。又なげき給ふべきが凡夫のことわりなり。ただし聖人の上にもこれあるなり。釈迦仏御入滅のとき、諸大弟子等のさとり(悟)のなげき、凡夫のふるまひ(振舞)を示し給ふか。いかにもいかにも、追善供養を心のをよぶほどはげみ給ふべし。古徳のことばにも、心地を九識にもち、修行をば六識にせよとをしへ給ふ。ことわりにもや候らん。此の文には日蓮が秘蔵の法門かきて候ぞ。秘しさせ給へ、秘しさせ給へ。あなかしこ、あなかしこ。[p0331-0332]
七月十一日 日 蓮 花押[p0332]
上野殿後家尼御前御返事[p0332]

#0040-500.TXT 女人成仏鈔 文永二(1265) [p0332]

 提婆品に云く_仏告諸比丘。未来世中。乃至 蓮華化生〔仏諸の比丘に告げたまわく、未来世の中に。乃至 蓮華より化生せん〕。此の提婆品に、二箇の諌暁あり。所謂、達多の弘経は釈尊の成道を明かし、又、文殊の通経は龍女の作仏を説く。[p0332]
 されば此の品を長安宮に一品切り留めて、二十七品を世に流布する間、秦の代より梁の代に至るまで、七代の間の王は、二十七品の経を講読す。其の後、満法師と云ひし人、此の品、法華経になき由を読み出され候て後、長安城より尋ね出だし、今は二十八品にて弘まらせ給ふ。[p0332]
 さて此の品に浄心信敬の人のことを云ふに、一には不堕三悪道〔三悪道に堕せず〕、二には_生十方仏前〔十方の仏前に生ぜん〕、三には_所生之処。常聞此経〔所生の処には常に此の経を聞かん〕、四には若生人天中。受勝妙楽〔若し人天の中に生れば勝妙の楽を受け〕、五には若在仏前。蓮華化生〔若し仏前にあらば蓮華より化生せん〕と也。[p0332-0333]
 然るに一切衆生、法性真如の都を迷ひ出でて、妄想顛倒の里に入りしより已来、身口意の三業になすところ、善根は少なく、悪業は多し。されば経文には_一人一日中八億四千念。念念中所作、皆是三途業〔一人一日の中に八億四千念あり。念念の中に作す所、皆是れ三途の業なり〕等云云。[p0333]
 我等衆生、三界二十五有のちまたに輪回せし事、鳥の林に移るが如く、死しては生じ、生じては死し、車の場(には)に回るが如く、始め終わりもなく、死し生ずる悪業深重の衆生也。[p0333]
 爰を以て心地観経に云く_有情輪回生六道 猶如車輪無始終 或為父母為男女 生生世世互有恩〔有情、輪回して六道に生ずること、なほ車輪の始終なきが如く、或は父母となり、男女となり、生生世世、互いに恩あり〕等云云。法華経二の巻に云く_三界無安 猶如火宅 衆苦充満〔三界は安きことなし 猶お火宅の如し 衆苦充満して〕等云云。[p0333]
 涅槃経二十二に云く_菩薩摩訶薩観諸衆生為色香味触因縁故 従昔無量無数劫以来常受苦悩。一一衆生一劫之中所積身骨 如王舎城毘富羅山。所飲乳汁如四海水。身所出血多四海水。父母兄弟妻子眷属命終涕泣 所出目涙多四海水。尽地草木為四寸籌 以数父母亦不能尽。無量劫已来 或在地獄畜生餓鬼 所受行苦不可称計。亦一切衆生骸骨耶〔菩薩摩訶薩、諸の衆生を観るに、色・香・味・触の因縁のための故に、昔の無量無数劫より已来、常に苦悩を受く。一一の衆生、一劫の中に積む所の身の骨は、王舎城の毘富羅山の如く、飲むところの乳汁は、四海の水の如く、身より出だすところの血は、四海の水より多く、父母・兄弟・妻子・眷属の命終に泣して出だすところの目涙は四大海の水より多し。地の草木を尽くして四寸のかづとりとなして、以て父母を数ふるに、また尽くすこと能わず。無量劫より已来、或は地獄・畜生・餓鬼に在りて受くるところの行苦、称計すべからず。また一切衆生の骸骨をや〕云云[p0333]
 是の如く、いたづらに命を捨てるところの骸骨は、毘富羅山よりも多し。恩愛あはれもの涙は四大海の水よりも多けれども、仏法の為には一骨をもなげ(投)ず。一句一偈を聴聞して、一滴の涙をもおとさぬゆへに、三界の籠樊(ろうはん)を出でず、二十五有のちまたに流転する衆生にて候也。[p0333-0334]
 然る間、如何として三界を離るべきと申すに、仏法修行の功力に依て無明のやみはれて法性真如の覚りを開くべく候。[p0334]
 さては仏法は何なるをか修行して生死を離るべきぞと申すに、但一乗妙法にて有るべく候。されば慧心僧都、七箇日加茂に参籠して、出離生死は何なる教えにてか候べきと祈請申され候ひしに、明神御託宣に云く 釈迦説教一乗留 諸仏成道在妙法 菩薩六度在蓮華 二乗得道在此経〔釈迦の説教は一乗に留まり、諸仏の成道は妙法に在り、菩薩の六度は蓮華に在り、二乗の得道は此の経に在り〕云云。[p0334]
 普賢経に云く_此大乗経典。諸仏宝蔵。十方三世。諸仏眼目。出生三世諸如来種〔此の大乗経典は諸仏の宝蔵なり。十方三世の諸仏の眼目なり。三世の諸の如来を出生する種なり〕[p0334]
 此の経より外はすべて成仏の期有るべからず候上、殊更女人成仏の事は此の経より外は更にゆるされず。結句爾前の経にてはをびたゞしく嫌はれたり。[p0334]
 されば華厳経に云く_女人地獄使。能断仏種子。外面似菩薩。内心如夜叉〔女人は地獄の使いなり。能く仏の種子を断つ。外面は菩薩に似て、内心は夜叉の如し〕。銀色女経に云く_三世諸仏眼堕落於大地 法界諸女人永無成仏期〔三世諸仏の眼は大地に堕落すとも法界の諸の女人は永く成仏の期無し〕云云。[p0334]
 或は又、女人には五障三従の罪深しと申す。其者(そは)内典には五障を明かし、外典には三従を教へたり。其の三従者、小くして父母に従ひ、盛んにしては夫に従ひ、老いては子に従ふ。一期身を心に任せず。[p0334]
 されば栄啓期が三楽を歌ひし中にも、女人と生まれざるを以て一楽とす。[p0334]
 天台大師云く ̄他経但記菩薩不記二乗。但記善不記悪。今経皆記〔他経は但菩薩に記して二乗に記せず。但男に記して女に記せず〕とて、全く余経には女人の授記これなしと釈せり。[p0334]
 其の上、釈迦・多宝の二仏塔中に並坐し給ひし時、文殊、妙法を弘めん為に海中に入り給ひて、仏前に帰り参り給ひしかば、宝浄世界の多宝仏の御弟子智積菩薩は龍女成仏を難じて云く_我見釈迦如来。於無量劫。難行苦行。積功累徳。求菩薩道。未曾止息。観三千大千世界。乃至無有。如芥子許。非是菩薩。捨身命処。為衆生故〔我釈迦如来を見たてまつれば、無量劫に於て難行苦行し功を積み徳を累ねて、菩薩の道を求むること未だ曾て止息したまわず。三千大千世界を観るに、乃至芥子の如き許りも、是れ菩薩にして身命を捨てたもう処に非ることあることなし、衆生の為の故なり〕等云云。[p0334-0035]
 所謂、智積・文殊、再三問答いたし給ふ間は、八万の菩薩、万二千の声聞等、何れも耳をすまして御聴聞計りにて一口の御助言に及ばず。[p0335]
 然るに智慧第一の舎利弗、文殊の事をば難ずる事なし。多くの故を以て龍女を難ぜらる。所以に女人は垢穢にして非是法器〔是れ法器に非ず〕と小乗権教の意を以て難ぜられ候ひしかば、文殊が龍女成仏の有無の現証は今仏前にして見え候べしと仰せられ候ひしに、案にたがはず、八歳の龍女蛇身をあらためずして仏前に参詣し、価値三千大千世界と説かれて候如意宝珠を仏に奉りしに、仏悦んで是れを請け取り給ひしかば、此の時、智積菩薩も舎利弗も不審を開き、女人成仏の路をふみわけ候。されば女人成仏の手本是れより起りて候。委細は五の巻の経文、之を読むべく候。[p0335]
 伝教大師の秀句に云く ̄能化龍女無歴劫行 所化衆生無歴劫行。能化所化倶無歴劫妙法経力即身成仏〔能化の龍女、歴劫の行なく、所化の衆生も歴劫の行なし。能化所化倶に歴劫なし。妙法経力即身成仏〕。天台の疏に云く ̄智積執別教為疑 龍女明円釈疑 身子挟三蔵権難 龍女以一実除疑〔智積は別教に執して疑ひを為し、龍女は円を明かして疑ひを釈し、身子は三蔵の権を挟んで難じ、龍女は一実を以て疑ひを除く〕。海龍王経に云く_龍女作仏 国土号光明国 名号無垢証如来〔龍女、作仏し、国土を光明国と号し、名を無垢証如来と号す〕云云。[p0335-0336]
 法華経已前の諸経の如きは、縦ひ人中天上の女人なりといふとも成仏の思ひ絶えたるべし。然るに龍女、畜生道の衆生として、戒緩の姿を改めずして即身成仏せし事は不可思議也。是れを始めとして、釈尊の姨母摩訶波闍波提比丘尼等、勧持品にして一切衆生喜見如来と授記を被り、羅羅の母耶輸陀羅女も眷属の比丘尼と共に具足千万光相如来と成り、鬼道の女人たる十羅刹女も成仏す。然れば尚ほ殊に女性の御信仰あるべき御経にて候。[p0336]
 抑そも、此の経の一文一句を読み、一字一点を書く、尚ほ出離生死証大菩提の因也。然れば彼の字に結縁せし者、尚ほ炎魔の廳より帰され、六十四字を書きし人は其の父を天上へ送る。何に況んや阿鼻の依正は極聖の自心に処し、地獄天宮皆是果地如来也〔地獄、天宮、皆是れ果地の如来なり〕。盧身土不逾凡下一念。遮那覚体不出衆生迷妄。妙文増霊山浄土 六万九千露点副紫磨金輝光〔盧の身土は凡下の一念を逾えず。遮那の覚体も衆生の迷妄を出でず。妙文は霊山浄土に増し、六万九千の露点は紫磨金の輝光を副へ〕給ふべし。[p0336]
 殊に過去聖霊は御存生の時より御信心、他に異なる御事なりしかば、今日依講経功力 仏前受生 登仏果菩提勝因〔今日、講経の功力に依て、仏前に生を受け、仏果菩提の勝因に登り〕給ふべし云云。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。[p0336]

#0042-500.TXT 女人往生鈔 文永二(1265) [p0343]

 第七の巻に後五百歳二千余年の女人の往生を明かす事を云はば、釈迦如来は十九にして浄飯王宮を出で給ひて、三十の御年成仏し、八十にして御入滅ならせ給ひき。三十と八十との中間を数ふれば年紀五十年也。其の間、一切経を説き給ひき。何れも皆、衆生得度の御ため無虚妄の説、一字一点もおろかなるべからず。又、凡夫の身として是れを疑ふべきにあらず。[p0343]
 但し、仏説より事起こりて、小乗・大乗、権大乗・実大乗、顕教・密教と申す名目、新たに出来せり。一切衆生には皆成仏すべき種備はれり。[p0344]
 然りと雖も、小乗経には此の義を説き顕さず。されば仏、我ととかせ給ふ経なれども、諸大乗経には多く小乗経を嫌へり。又、諸大乗経にも法華以前の四十余年の諸大乗経には、一切衆生に多分仏性の義をば許せども、又、一類の衆生には無仏性の義を説き給へり。一切衆生多分仏性の義は巧みなれども、一流医務仏性の義がつたなき故に、多分仏性の巧みなる言も、又、拙き言と成りぬべし。[p0344]
 されば涅槃経に云く_雖信衆生是仏性有 不必一切皆悉有之。是故名為信不具足〔衆生にこの仏性ありと信ずと雖も、必ずしも一切皆悉くこれあらず。是の故に名づけて信不具足となす〕等云云。此の文の心は、一切衆生に多分仏性ありと説けども、一類に無しと説かば、所化の衆生は闡提の人と成るべしと云ふ文也。四十余年の衆生は三乗・五乗、倶に闡提の人と申す文也。[p0344]
 されば仏、無量義経に四十余年の諸経を結して云く_四十余年未顕真実[文]。されば智者は且く置く、愚者に於ては且く四十余年の御経をば仰ぎて信をなして置くべし。法華経こそ正直捨方便 但説無上道〔正直に方便を捨てて 但無上道を説く〕、妙法華経 皆是真実と釈迦・多宝の二仏、定めさせ給ふ上、諸仏も座に列なり給ひて舌を出させ給ひぬ。一字一文、一句一偈也とも信心を堅固に発して疑ひを成すべからず。[p0344]
 其の上、疑ひを成すならば、生疑不信者即当堕悪道〔疑いを生じて信ぜざらん者ば即ち当に悪道に堕すべし〕。若人不信 乃至 其人命終 入阿鼻獄〔若し人信ぜずして 乃至 其の人命終して 阿鼻獄に入らん〕と、無虚妄の御舌をもて定めさせ給ひぬれば、疑ひをなして悪道におちては何の詮か有るべきと覚ゆ。[p0344-0345]
 されば二十八品何れも疑ひなき其の中にも、薬王品の後五百歳の文と勧発品の後五百歳の文とこそ、殊にめづらしけれ。勧発品には此の文三処にあり。一処には後五百歳に法華経の南閻浮提に可流布由〔流布すべき由〕を説かれて候。一処には後五百歳の女人の法華経を持ちて、大通智勝仏の第九の王子、阿弥陀如来の浄土、久遠実成の釈迦如来の分身の阿弥陀の本門同居の浄土に往生すべき様を説かれたり。[p0345]
 抑そも仏には偏頗御坐すまじき事とこそ思ひ侍るに、後五百歳の男女ならば男女にてこそ御坐すべきに、余処に後五百歳の男女、法華経を持ちて往生成仏すべき由の委細なるに、重ねて後五百歳の女人の事を説かせ給へば、女人の御為にはいみじく聞こゆれども、断師の疑ひは尚ほある歟と覚える故に、仏には偏頗のおわするかとたのもしくなき辺もあり。旁、疑はしき事也。[p0345]
 然りと雖も力及ばず。後五百歳二千余年已後の女人は法華経を行じて、阿弥陀仏の国に往生すべしとこそ御覧じ侍りけめ。[p0345]
 仏は悉達太子として御坐ししが十九の御出家也。三十の御年に仏に成らせ給ひしたりしかば、迦葉等の大徳通力の人人千余人付けまいらせたりしかども、猶ほ五天竺の外道、怨み奉りてあやうかりしかば、浄飯大王おほせありしやうは、悉達太子をば位を譲り奉りて転輪聖王と仰ぎ奉らんと思し召ししかども、其の甲斐もなく出家して仏となり給ひぬ。今は又、人天一切衆生の師と成らせ給ひぬれば、我一人の財にあらず。一切衆生の眼目也。[p0345-0346]
 而るを外道に云ひ甲斐なくあやまたせ奉る程ならば侮るとも甲斐なけん。されば我を我と思はん一門の人人は出家して仏に付き奉れと仰せありしかば、千人の釈子出家して仏に付き奉る。千人の釈子一一に浄飯王宮にまひり、案内を申して御門を出で給ひしに、九百九十八人は事ゆへなく御門の橋を打ち渡りき。提婆達多と瞿伽利とは橋にして馬倒れ冠ぬげたりき。相人之を見て、此の二人は仏の聖教の中利益あるべからず。還りて仏教によて重罪を造りて阿鼻地獄に堕つべしと相したりき。[p0346]
 又、震旦国には周の第十三、平王の御宇に、かみをかうふり、身赤裸なる者出で来れり。相人、相して云く 百年に及ばざるに、世、将に亡びなんと。此れ等の先相に寸分も違はず。遂に瞿伽利、現身に阿鼻地獄に提婆と倶に堕ち、周の世も百年の内に亡びぬ。此れ等は皆仏教の智慧を得たる人は一人もなし。但、二天・三仙・六師と申す外典、三皇五帝等の儒家共也。三惑一分も断ぜず、五眼の四眼既に欠けて但肉眼計り也。一紙の外をもみず、一法も推し当てん事難かるべし。然りと雖も、此れ等の事、一分も違はず。[p0346]
 而るに仏は五重の煩悩の雲晴れ、五眼の眼曇無く、三千大千世界・無量世界・過去未来現在を掌の中に照知照見せさせ給ふが、後五百歳の南閻浮提の一切の女人、法華経を一字一点も信じ行ぜば、本地同居の安楽世界に往生すべしと、知見し給ひける事の貴く憑敷(たのもしき)事云ふ計りなし。[p0346-0347]
 女人の御身として漢の李夫人・楊貴妃・王昭君・小野小町・和泉式部と生まれさせ給ひたらんよりも、当世の女人は喜ばしかるべき事也。彼等は寵愛の時にはめづらしかりしかども一期は夢の如し。当時は何れの悪道にか侍らん。彼の時は世はあがり(上代)たりしかども、或は仏法已前の女人、或は仏法の最中なれども後五百歳の已前也。仏の指し給はざる時なれば覚束なし。[p0347]
 当世の一切の女人は仏の記し置き給ふ後五百歳二千余年に当たりて是れ実の女人往生の時也。例せば冬は氷乏しからず。春は花珍しからず。夏は草多く、秋は菓多し。時節此の如し。当世の女人往生も亦此の如し。貪多く、愚多く、慢多く、嫉多きを嫌はず。何に況んや過無からん女人をや。[p0347]
 問て云く 内外典の詮を承るに道理には過ぎず。されば天台釈して云く ̄明者貴其理 暗者守其文〔明者は其の理を貴び、暗者は其の文を守る〕[文]。釈の心はあきらかなる者は道理をたつとび、くらき者は文をまもると会せられて侍り。さればこそ此の後五百歳若有女人の文は、仏説なれども心未だ顕れず。其の故は正法千年は四衆倶に持戒也。故に女人は五戒を持ち、比丘尼は五百戒を持ちて、破戒無戒の女人は市の中の虎の如し。像法一千年には破戒の女人、比丘尼、是れ多く、持戒の女人は、是れ希也。末法に入りては無戒の女人、是れ多し。されば末法の女人いかに賢しと申すとも、正法・像法の女人には過ぐべからず。又、減劫になれば日日に貪瞋癡増長すべし。貪瞋癡強盛なる女人を法華経の機とすべくは末法万年等の女人をも取るべし。貪瞋癡微薄なる女人をとらば正像の女人をも取るべし。今とりわけて後五百歳二千余年の女人を仏の記させ給ふ事は第一の不審也。[p0347-0348]
 答て云く 此の事第一の不審也。然りと雖も、試みに一義を顕すべし。夫れ仏と申すは大丈夫の相を具せるを仏と名づく。故に女人には大丈夫の相無し。されば諸小乗経には多分は女人成仏を許さず。少分成仏往生を許せども、又、有名無実也。然りと雖も、法華経は九界の一切衆生、善悪・賢愚・有心無心・有性無性・男子女人、一人も漏れなく成仏往生を許さる。然りと雖も、経文、略を存する故に、二乗作仏、女人・悪人の成仏、久遠実成等をこまやかに説きて、男子・善人・菩薩等の成仏をば委細にあげず。人此れを疑はざる故歟。然るに在世には仏の威徳の故に成仏やすし。仏の滅後には成仏は難く往生は易かるべし。然りと雖も、滅後には二乗少なく善人少なし。悪人のみ多かるべし。悪人よりも女人の生死を離れん事かたし。然りと雖も、正法一千年の女人は像法・末法の女人よりも少なし、なをざりなるべし。諸経の機たる事も有りなん。像法の末、末法の始めよりの女人は殊に法器にあらず。諸経の力及ぶべからず。但、法華経計り助け給ふべし。[p0348-0349]
 故に次ぎ上の文に十喩を挙ぐるに、川流江河の中には大海第一、一切の山の中には須弥山第一、一切の星の中には月天子第一、衆星と月との中には日輪第一等とのべて千万億の已今当の諸経を挙げて江河・諸山・衆星等に譬へて、法華経をば大海・須弥・日月等に譬へ、此の如く讃め已りて殊に後五百歳の女人に此の経を授け給ひぬるは、五濁に入り、正像二千年過ぎて末法の始めの女人は殊に諂曲なるべき故に、諸経の力及ぶべからず、諸仏の力も又及ぶべからず。但、法華経の力のみ及び給ふべき故に、後五百歳の女人とは説かれたる也。されば当世の女人は法華経を離れては往生協ふべからざる也。[p0349]
 問て云く 双観経に法蔵比丘の四十八願の第三十五に云く ̄設我得仏十方無量不可思議諸仏世界其有女人 聞我名字歓喜信楽発菩提心厭悪女身 寿終之後復為女像者不取正覚〔たとひ我仏を得たらむに、十方無量不可思議の諸仏の世界に、それ女人有りて、我が名字を聞きて、歓喜、信楽して菩提心を発し、女身を厭悪せんに、寿終の後、復、女のかたちとならば、正覚を取らじ〕[文]。[p0349]
 善導和尚の観念法門に云く ̄乃由弥陀本願力故 女人称仏名号正命終時 即転女身得成男子。弥陀接手菩薩扶身 坐宝華上随仏往生 入仏大会証悟無生〔すなわち弥陀の本願力によるが故に、女人、仏の名号を称へば正しく命終の時、即ち女身を転じて男子と成ることを得。弥陀は、手に接し、菩薩は身を扶け、宝華の上に坐して、仏に随て往生し、仏の大会に入りて無生を証悟せん〕[文]。[p0349]
 又云く_一切女人若不因弥陀名願力者 千劫万劫恒河沙等劫 終不可転得女身〔一切の女人、もし弥陀の名願力によらざれば、千劫、万劫、恒河沙等の劫にも、ついに女身を転じ得べからず〕等[文]。[p0349-0350]
 此の経文は弥陀の本願に依て女身は男子と成りて往生すべしと見えたり。又善導和尚の不因弥陀名願力者等の釈は弥陀の本願によらずは女人の往生有るべからずと見えたり。以何。[p0350]
 答て云く 双観経には女人往生の文は有りといへども、法華経に説かるゝところの川流江河の内、或は衆星の光なり。末代後五百歳の女人、弥陀の願力に依て往生せん事は、大石を小船に載せ、大冑(おほよろひ)を弱兵に着せたらんが如し。[p0350]

#0043-500.TXT 聖愚問答鈔 文永二(1265) [p0350]

 聖愚問答鈔上
 夫れ、生を受けしより死を免れざる理りは、賢き御門より卑しき民に至るまで人ごとに是れを知るといへども、実に是れを大事とし是れを歎く者、千万人に一人も有りがたし。無常の現起するを見ては、疎きをば恐れ親しきをば歎くといへども、先立つははかなく、留まるはかしこきやうに思ひて、昨日は彼のわざ今日は此の事とて、徒らに世間の五欲にほだされて、白駒のかげ過ぎやすく、羊の歩み近づく事をしらずして、空しく衣食の獄につながれ、徒らに名利の穴にをち、三途の級里に帰り、六道のちまたに輪回せん事、心有らん人、誰か歎かざらん、誰か悲しまざらん[p0350-0351]
 嗚呼、老少不定は娑婆の習ひ、会者定離は浮き世のことはりなれば、始めて驚くべきにあらねども、正嘉の初め世を早うせし人のありさまを見るに、或は幼き子をふりすて、或は老いたる親を留めをき、いまだ壮年の齢にて黄泉の旅に趣く心の中、さこそ悲しかるらめ、行くもかなしみ、留まるもかなしむ。彼楚王伴神女残情於一片之朝雲 劉氏値仙客慰思於七世之公胤。如予者縁底休愁〔彼の楚王が神女に伴ひて、情けを一片の朝の雲に残し、劉氏が仙客に値ひし、思ひを七世の公胤に慰む。予が如き者、なにによりて愁ひを休めん〕。[p0351]
 かゝる山左(やまかつ)のいやしき心なれば身には思ひのなかれかしと云ひけん人の古事さへ思出られて、末の代のわすれがたみにもとて、難波のもしほ草をかきあつめ、水くきのあとを形の如くしるしをく也。悲しい哉、痛ましい哉。[p0351]
 我等無始より已来、無明の酒に酔ひて六道四生に輪回して、或時は焦熱・大焦熱の炎にむせび、或時は紅蓮・大紅蓮の氷にとぢられ、或時は餓鬼飢渇の悲しみに値ひて、五百生の間飲食の名をも聞かず。或時は畜生残害の苦みをうけて、小さきは大きなるにのまれ、短きは長きにまかる、是れを残害の苦と云ふ。[p0351]
 或時は脩羅闘諍の苦をうけ、或時は人間に生まれて八苦をうく。生老病死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五盛陰苦等也。[p0351]
 或時は天上に生まれて五衰をうく。此の如く、三界の間を車輪のごとく回り、父子の中にも親の親たる子の子たる事をさとらず、夫婦の会ひ遇へるも会ひ遇ひたる事をしらず、迷へる事は羊目に等しく、暗き事は狼眼に同じ。我を生みたる母の由来をもしらず、生を受けたる我が身も死の終りをしらず。[p0351-0352]
 嗚呼、受け難き人界の生をうけ、値ひ難き如来の聖教に値ひ奉れり。一眼の亀の浮木の穴にあへるがごとし。今度、若し、生死のきづなをきらず、三界の籠樊を出でざらん事かなしかるべし、かなしかるべし。[p0352]
 爰に或智人来りて示して云く 汝が歎く所、実に而なり。此の如く、無常のことはりを思ひ知り、善心を発す者は麟角よりも希也。此のことはりを覚らずして、悪心を発す者は牛毛よりも多し。汝早く生死を離れ菩提心を発さんと思はば、吾最第一の法を知れり。志あらば汝が為に是れを説きて聞かしめん。[p0352]
 其の時、愚人、座より起ちて合掌して云く 我は日来、外典を学し、風月に心をよせて、いまだ仏教と云ふ事を委細にしらず。願はくは上人、我が為に是れを説き給へ。[p0352]
 其の時、上人の云く 汝耳を伶倫が耳に寄せ、目を離朱が眼にかつて、心をしづめて我が教えをきけ。汝が為に之を説かん。[p0352]
 夫れ、仏教は八万の聖教多けれども、所習の父母たる事、戒律にはしかず。されば天竺には世親・馬鳴等の薩、唐土には慧曠・道宣と云ひし人、是れを重んず。我が朝には人皇四十五代聖武天皇の御宇に、鑒真和尚、此の宗と天台宗と両宗を渡して、東大寺の戒壇、之を立つ。爾しより已来、当世に至るまで、崇重年旧り尊貴、日に新たなり。[p0352-0353]
 就中、極楽寺の良観上人は上一人より下万民に至るまで、生身の如来と是れを仰ぎ奉る。彼の行儀を見るに、実に以て爾也。飯嶋の津にて六浦の関米を取りては、諸国の道を作り、七道に木戸をかまへて人別の銭を取りては、諸河に橋を渡す。慈悲は如来に斉しく、徳行は先達に超えたり。汝早く生死を離れんと思はば、五戒・二百五十戒を持ち、慈悲をふかくして物の命を殺さずして、良観上人の如く道を作り橋を渡せ。是れ第一の法也。汝、持たんや否や。[p0353]
 愚人、弥いよ合掌して云く 能く能く持ち奉らんと思ふ。具さに我が為に是れを説き給へ。抑そも五戒・二百五十戒と云ふ事は、我等未だ存じせず。委細の是れを示し給へ。[p0353]
 智人云く 汝は無下に愚か也。五戒・二百五十戒と云ふ事をば孩児(おさなご)も是れを知る。然れども汝が為に之を説かん。五戒とは、一には不殺生戒、二には不偸盗戒、三には不妄語戒、四には不邪婬戒、五には不飲酒戒、是れ也。二百五十戒の事は多き間、之を略す。[p0353]
 其の時に、愚人、礼拝恭敬して云く 我、今日より深く此の法を持ち奉るべし。[p0353]
 爰に予が年来(としごろ)の知音、或所に隠居せる居士、一人あり。予が愁歎を訪はん為に来れるが、始めには往事渺茫として夢に似たる事をかたり、終には行末の冥冥として弁へ難き事を談ず。欝を散らし思ひをのべて後、世に問ひて云く 抑そも人の世に有る、誰か後生を思はざらん。貴辺、何なる仏法をか持ちて出離をねがひ、又、亡者の後世をも訪ひ給ふや。[p0353]
 予、答て云く 一日、或上人来りて我が為に五戒・二百五十戒を授け給へり。実に以て心肝にそみて貴し。我深く良観上人の如く、及ばぬ身にもわろき道を作り、深き河には橋をわたさんと思へる也。[p0353-0354]
 其の時、居士、示して云く 汝が道心、貴きに似て愚か也。今談ずる処の法は浅ましき小乗の法也。されば仏は則ち八種の諭(たとへ)を設け、文殊は又、十七種の差別を宣べたり。或は螢火日光の諭を取り、或は水精瑠璃の諭あり。爰を以て三国の人師も其の破文、一に非ず。[p0354]
 次に行者の尊重の事。必ず人の敬ふに依て法の貴きにあらず。されば仏は依法不依人と定め給へり。我伝へ聞く、上古の持律の聖者の振る舞いは ̄言殺言収有知浄之語。行雲廻雪作死屍想〔殺を言ひ、収を言ふには知浄の語あり。行雲廻雪には死屍の想ひをなす〕。而るに今の律僧の振る舞いを見るに、布絹財宝をたくはへ、利銭借請を業とす。教行既に相違せり。誰か是れを信受せ。次に道を作り橋を渡す事、還りて人の歎き也。飯嶋の津にて六浦の関米を取る、諸人の歎き是れ多し。諸国七道の木戸、是れも旅人のわづらい、只、此の事に在り。眼前の事なり。汝、見ざるや否や。[p0354]
 愚人、色を作して云く 汝が智分をもて上人を謗し奉り、其の法を誹る事、謂れ無し。知りて云ふ歟、愚にして云ふ歟。おそろし、おそろし。[p0354]
 其の時、居士、笑ひて云く 嗚呼、おろかなり、おろかなり。彼の宗の僻見をあらあらもうすべし。[p0354]
 抑そも、教に大小有り、宗に権実を分かてり。鹿苑施小の昔は化城の戸ぼそに導くといへども、鷲峰開顕の筵には其の得益、更に之無し。[p0354]
 其の時、愚人、茫然として居士に問て云く 文証・現証、実に似て然也。さて何なる法を持ちてか生死を離れ、速やかに成仏せん耶。[p0354-0355]
 居士、示して云く 我、在俗の身なれども深く仏道を修行して、幼少より多くの人師の語を聞き、粗、経教をも開き見るに、末代我等が如くなる無悪不造のためには念仏往生の教にしくはなし。されば慧心僧都は、夫れ、往生極楽之教行は、濁世末代之目足也と云ひ、法然上人は諸経の要文を集めて一向専修の念仏を弘め給ふ。中にも弥陀の本願は諸仏超過の崇重也。始め無三悪趣の願より、終り得三法忍の願に至るまで、いづれも悲願目出けれども、第十八の願、殊に我等が為に殊勝也。又、十悪・五逆をもきらはず、一念、多念をもえらばず。されば上一人より下万民に至るまで、此の宗をもてなし給ふ事、他に異なり。又、往生の人それ幾ばくぞや。[p0355]
 其の時、愚人の云く 実に小を恥じて大を慕ひ、浅を去て深に就くは、仏教の理のみに非ず、世間にも是れ法也。我早く彼の宗にうつらんと思ふ。委細に彼の旨を語り給へ。彼の仏の悲願の中に五逆・十悪をも簡ばずと云へる、五逆とは何等ぞや、十悪とは如何。[p0355]
 智人の云く 五逆とは殺父・殺母・殺阿羅漢・出仏身血・破和合僧、是れを五逆と云ふ也。十悪とは身に三・口に四・意に三、也。身に三とは、殺・盗・婬、口に四とは妄語・綺語・悪口・両舌、意に三とは、貪瞋癡、是れを十悪と云ふ也。[p0355]
 愚人云く 我今解しぬ。今日よりは他力往生に憑みを懸(かく)べき也。[p0355-0356]
 爰に愚人、又云く 以ての外、盛んにいみじき密宗の行人あり。是れも予が歎きを訪はんが為に来臨して、始めには狂言綺語のことはりを示し、終りには顕密二宗の法門を談じて、予に問て云く 抑そも汝は何なる仏法をか修行し、何なる経論をか読誦し奉るや。[p0356]
 予、答て云く 我一日、或居士の教えに依て、浄土の三部経を読み奉り、西方極楽の教主に憑みを深く懸る也。[p0356]
 仏教に二種有り。一には顕教、二には密教也。顕教の極理は密教の初門にもには及ばずと云云。汝が執心の法を聞けば釈迦の顕教也。我が所持の法は大日覚王の秘法也。実に三界の火宅を恐れ、寂光の宝臺を願はば、須らく顕教をすてゝ、密教につくべし。[p0356]
 愚人、驚きて云く 我いまだ顕密二道と云ふ事を聞かず。何なるを顕教と云ひ、何なるを密教と云へるや。[p0356]
 行者云く 予は是れ頑愚にして敢えて賢を存ぜず。然りと雖も、今、一二の文を挙げて汝が蒙昧を挑(かかげ)ん。顕教とは、舎利弗等の請いに依て、応身如来の説き給ふ諸経也。密教とは、自受法楽の為に法身大日如来の金剛薩を所化として説き給ふ処の大日経等の三部也。[p0356]
 愚人云く 実に以て然なり。先非をひるがへして賢き教に付き奉らんと思ふ也。[p0356]
 又、爰に萍(うきくさ)のごとく諸州を回り、蓬のごとく県県に転ずる非人の、それとも知らず来り門の柱に寄り立ちて含笑(ほくそゑみ)語る事なし。あやしみをなして是れを問ふに、始めには云ふ事なし。後に強いて問を立つる説き、彼が云く 月蒼蒼として風忙忙たりと。形質常に異に、言語又通ぜず。其の至極を尋ぬれば、当世の禅法、是れ也。[p0356-0357]
 予、彼の人の有様を見、其の言語を聞きて、仏道の良因を問ふ時、非人の云く 修多羅の教は月をさす指、教綱(けうまう)は是れ言語にとどこほる妄事なり。我、心の本分におちつかんと出で立つ法は、其の名を禅と云ふ也。[p0357]
 愚人云く 願はくは、我、聞かんと思ふ。[p0357]
 非人の云く 実に其の志深くば、壁に向ひ坐禅して本心の月を澄ましめよ。[p0357]
 爰を以て西天には二十八祖系乱れず、東土には六祖の相伝、明白也。汝、是れを悟らずして教網にかゝる。不便不便。是心即仏、即心是仏なれば、此の身の外に更に何か仏あらんや。[p0357]
 愚人、此の語を聞きて、つくづくと諸法を観じ、閑かに義理を案じて云く 仏教万差にして理非明らめ難し。宜なる哉、常啼は東に請ひ、善哉は南に求め、薬王は臂を焼き、楽法は皮を剥ぐ。善知識、実に値ひ難し。或は教内と談じ、或は教外と云ふ。此のことはりを思ふに未だ淵底を究めず。法水に臨む者は、深淵の思ひを懐き、人師を見る族は薄氷の心を成せり。[p0357]
 爰を以て金言には、依法不依人と定め、又、爪上土の譬あり。若し、仏法の真偽をしる人あらば、尋ねて師とすべし。求めて崇むべし。[p0357]
 夫れ人界に生を受くるを天上の絲にたとへ、仏法の視聴は浮木の穴に類せり。身を軽くして法を重くすべしと思ふに依て衆山に攀、歎きに引かれて諸寺を回る。足に任せて一つの巌窟に至るに、後には青山峨峨として松風常楽我浄を奏し、前には碧水湯湯として岸うつ波、四徳波羅蜜を響かす。深谷に開敷せる花も中道実相の色を顕し、広野に綻ぶる梅も、界如三千の薫りを添ふ。言語道断心行所滅せり。謂つべし、商山の四皓の所居とも、又、知らず、古仏経行の迹なる歟。景雲朝たに立ち、霊光夕べに現ず。[p0357-0358]
 嗚呼、心を以て計るべからず、詞を以て宣ぶべからず。予、此の砌に沈吟とさまよひ、彷徨とたちもとをり、徙倚(しい)とたゝずむ。此の処に忽然として一りの聖人坐(いま)す。其の行儀を拝すれば、法華読誦の声深く心肝に染みて、閑窓の戸ほそを伺へば玄義の牀に臂をくたす。[p0358]
 爰に聖人、予、が弘法の志を酌み知りて、詞を和らげ、予に問て云く 汝、なにゝ依て此の深山の窟(いはや)に至れるや。[p0358]
 予、答て云く 生をかろくして法をおもくする者也。[p0358]
 聖人、問て云く 其の行法、如何。[p0358]
 予、答て云く 本より我は俗塵に交わりて未だ出離を弁へず。適たま善知識に値ひて、始めには律、次には念仏・真言・並びに禅。此れ等を聞くといへども、未だ真偽を弁へず。[p0358]
 聖人云く 汝が詞を聞くに、実に以て然也。身をかろくして法をおもくするは先聖の教へ、予が存ずるところ也。抑そも、上は非想の雲の上、下は那落の底までも、生を受けて死をまぬかるゝ者やはある。[p0358]
 然れば外典のいやしきをしえにも、朝有紅顔誇世路 夕為白骨朽郊原〔朝に紅顔有りて世路に誇るとも、夕べには白骨と為りて郊原に朽ちぬ〕と云へり。雲上に交わりて雲のびんづらあざやかに、雪のたもとをひるがへすとも、其の楽しみををもへば夢の中の夢也。山のふもと蓬がもとはつゐの栖也。玉の臺(うてな)・錦の帳も後世の道にはなにかせん。小野小町、衣通姫(そとをりひめ)が花の姿も無常の風にちり、樊【口+會】・張良が武芸に達せしも獄卒の杖をかなしむ。[p0358-0359]
 されば心ありし古人の云く あはれなり 鳥べの山の夕煙 をくる人とて とまるべきかは。末のつゆ 本のしづくや 世の中の をくれさきだつ ためしなるらん。先亡後滅の理り、始めて驚くべきにあらず。願ふても願ふべきは仏道。求ても求むべきは経教也。[p0359]
 抑そも、汝が云ふところの法門をきけば、或は小乗、或は大乗、位の高下は且く之を置く。還りて悪道の業たるべし。[p0359]
 爰に愚人、驚いて云く 如来一代の聖教はいづれも衆生を利せんが為也。始め七処八会の筵より終り跋提河の儀式まで、何れか釈尊の所説ならざる。設ひ一分の勝劣をば判ずとも、何ぞ悪道の因と云ふべきや。[p0359]
 聖人云く 如来一代の聖教に権有り、実有り。大有り、小有り。又、顕密二道相分ち、其の品、一に非ず。須らく其の大途を示して汝が迷ひを悟らしめん。[p0359]
 夫れ、三界の教主釈尊は、十九歳にして伽耶城を出でて、檀特山に籠もりて難行苦行し、三十成道の刻みに、三惑頓に破し、無明の大夜、爰に明けしかば、須らく本願に任せて一乗妙法蓮華経を宣ぶべしといへども、機縁万差にして其の機、仏乗に堪へず。然れば四十余年に所被の機縁を調へて、後八箇年に至りて出世の本懐たる妙法蓮華経を説き給へり。[p0359]
 然れば仏の御年七十二歳にして、序分の無量義経に説き定めて云く_我先道場。菩提樹下。端坐六年。得成阿耨多羅三藐三菩提。以仏眼観。一切諸法。不可宣説。所以者何。知諸衆生。性欲不同。性欲不同。種種説法。種種説法。以方便力。四十余年。未顕真実〔我先に道場菩提樹下に端坐すること六年にして、阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たり。仏眼を以て一切の諸法を観ずるに、宣説すべからず。所以は何ん、諸の衆生の性欲不同なることを知れり。性欲不同なれば種種に法を説きき。種種に法を説くこと方便力を以てす。四十余年には未だ真実を顕さず〕[文]。[p0359-0360]
 此の文の意は仏の御年三十にして寂滅道場菩提樹の下に坐して、仏眼を以て一切衆生の心根を御覧ずるに、衆生成仏の直道たる法華経をば説くべからず。是れを以て空拳を挙げて嬰児をすかすが如く、様様のたばかりを以て四十余年が間は、いまだ真実を顕さずと年紀をさして、青天に日輪の出で、暗夜に満月のかゝるが如く、説き定めさせ給へり。此の文を見て何ぞ同じ信心を以て仏の虚事と説かるゝ法華已前の権教に執著して、めづらしからぬ三界の故宅に帰るべきや。[p0360]
 されば法華経の一の巻、方便品に云く_正直捨方便 但説無上道〔正直に方便を捨てて 但無上道を説く〕[文]。此の文の意は前四十二年の経経、汝が語るところの念仏・真言・禅・律を正直に捨てよと也。此の文明白なる上、重ねていましめして第二の巻、譬諭品に云く_但楽受持 大乗経典 乃至不受 余経一偈〔但楽って 大乗経典を受持して 乃至 余経の一偈をも受けざるあらん〕[文]。此の文の意は、年紀かれこれ煩はし、所詮法華経より自余の経をば一偈をも受くべからずとなり。[p0360]
 然るに八宗の異義蘭菊に、道俗形を異にすれども、一同に法華経をば崇むる由を云ふ。されば此れ等の文をばいかが弁へたる。正直に捨てよと云ひて余経の一偈をも禁むるに、或は念仏、或は真言、或は禅、或は律、是れ余経にあらずや。[p0360-0361]
 今此の妙法蓮華経とは、諸仏出世の本意、衆生成仏の直道也。されば釈尊は付属を宣べ、多宝は証明を遂げ、諸仏は舌相を梵天に付けて皆是真実と宣べ給へり。此の経は一字も諸仏の本懐、一点も多生の助け也。一言一語も虚妄あるべからず。此の経の禁めを用ひざる者は諸仏の舌をきり、賢聖をあざむく人に非ずや。其の罪実に怖るべし。[p0361]
 去れば二の巻に云く_若人不信 毀謗此経 則断一切 世間仏種〔若し人信ぜずして 此の経を毀謗せば 則ち一切世間の 仏種を断ぜん〕[文]。此の文の意は若人此経の一偈一句をも背かん人は過去・現在・未来、三世十方の仏を殺さん罪と定む。経教の鏡をもて当世にあてみるに、法華経をそむかぬ人は実に以て有りがたし。事の心を案ずるに不信の人尚ほ無間を免れず。況んや念仏の祖師法然上人は法華経をもて念仏に対して抛てよと云云。五千七千の経教に何れの処にか法華経を抛てよと云ふ文ありや。三昧発得の行者生身の弥陀仏とあがむる善導和尚、五種の雑行を立てゝ、法華経をば千中無一とて千人持つとも一人も仏になるべからずと立てり。経文には若有聞法者 無一不成仏〔若し法を聞くことあらん者は 一りとして成仏せずということなけん〕と談じて、此の経を聞けば十界の依正、皆仏道を成ずと見えたり。[p0361]
 爰を以て五逆の調達は天王如来の記に預かり、非器五障の龍女も南方に頓覚成道を唱ふ。況んや復、【虫+吉】【虫+羌】(きつかう)の六即を立てゝ機を漏らす事なし。善導の言と法華経の文と実に以て天地雲泥せり。何れに付くべきや。[p0361-0362]
 就中、其の道理を思ふに、諸仏衆経の怨敵、聖僧衆人の讎敵也。経文の如くならば、争でか無間を免るべきや。[p0362]
 爰に愚人色を作して云く 汝以賎身恣吐莠言。悟而言歟。迷而言歟。理非難弁〔汝賎身を以て恣に莠言を吐く。悟りて言ふ歟。迷いて言ふ歟。理非、弁へ難し〕。忝なくも善導和尚は弥陀善逝の応化、或は勢至菩薩の化身と云へり。法然上人も亦然也。善導の後身といへり。上古の先達たる上、行徳秀発し、解了底を極めたり。何ぞ悪道に堕ち給ふと云ふや。[p0362]
 聖人云く 汝が言然也。予も仰ぎて信を取ること此の如し。但し、仏法は強ちに人の貴賎には依るべからず。只経文を先とすべし。身の賎をもて其の法を軽んずる事なかれ。有人楽生悪死 有人楽死悪生の十二字を唱へし摩大国の狐は帝釈の師と崇められ、諸行無常等の十六字を談ぜし鬼神は雪山童子に貴まる。是れ必ず狐と鬼神との貴きに非ず。只法を重んずる故也。[p0362]
 されば我等が慈父教主釈尊、雙林最後の御遺言、涅槃経の第六には、依法不依人とて、普賢・文殊等の等覚已還の大薩法門を説き給ふとも、経文をてに把らずは用ゐざれとなり。天台大師云く ̄与修多羅合者録而用之。無文無義不可信受〔復修多羅と合わせば録して之を用ふ。文無く義無きは信受すべからず〕[文]。釈の意は経文に明らかならんを用ひよ。文証無からんをば捨てよと也。伝教大師云く ̄依憑仏説莫信口伝〔仏説に依憑して口伝を信ずること莫れ〕[文]。前の釈と同意也。龍樹菩薩云く ̄依修多羅白論。不依修多羅黒論〔修多羅に依るは白論なり。修多羅に依らざるは黒論なり〕[文]。意は経の中にも法華已前の権教をすてゝ此の経につけよと也。経文にも論文にも、法華に対して諸余の経典を捨てよと云ふ事分明也。[p0362-0363]
 然るに開元の録に挙ぐる所の五千七千の経巻に、法華経を捨てよ、乃至抛てよと嫌ふことも、又、摂雑行捨之〔雑行に摂して之を捨てよ〕と云ふ経文も全く無し。[p0363]
 されば慥かの経文を勘へ出だして、善導・法然の無間の苦を救はるべし。今世の念仏の行者・俗男・俗女、経文に違するのみならず、又師の教にも背けり。五種の雑行とて、念仏申さん人のすつべき日記、善導の釈、之れ有り。[p0363]
 其の雑行とは選択に云く ̄第一読誦雑行者除上観経等往生浄土経已外於大小乗顕密諸経受持読誦悉名読誦雑行〔第一に読誦雑行といふは、上の観経等の往生浄土の経を除いての已外、大小乗の顕密の諸経において受持し読誦するを、ことごとく読誦雑行と名づく〕。第三礼拝雑行者除上礼拝弥陀已外於一切諸余仏菩薩等及諸世天等礼拝恭敬悉名礼拝雑行第四称名雑行者除上称弥陀名号已外称自余一切仏菩薩等及諸世天等名号悉名称名雑行第五讃歎供養雑行者除上弥陀仏已外於一切諸余仏菩薩等及諸世天等讃歎供養悉名讃歎供養雑行〔第三に礼拝雑行といふは、上の弥陀を礼拝するを除いての已外、一切の諸余の仏・菩薩等およびもろもろの世天等において礼拝恭敬するを、ことごとく礼拝雑行と名づく。第四に称名雑行といふは、上の弥陀の名号を称するを除いての已外、自余の一切の仏・菩薩等およびもろもろの世天等の名号を称するを、ことごとく称名雑行と名づく。第五に讃歎供養雑行といふは、上の弥陀仏を除いての已外、一切の諸余の仏・菩薩等およびもろもろの世天等において讃歎供養するを、ことごとく讃歎供養雑行と名づく〕[文]。
 此の釈の意は、第一の読誦雑行とは、念仏申さん道俗男女、読むべき経あり、読むまじき経ありと定めたり。読むまじき経は法華経・仁王経・薬師経・大集経・般若心経・転女成仏経・北斗寿命経、ことさらうち任せて諸人読まるゝ八巻の中の観音経、此れ等の諸経を一句一偈も読むならば、たとひ念仏を志す行者なりとも、雑行に摂せられ、往生すべからずと云云。[p0363]
 予、愚眼を以て世を見るに、設ひ念仏申す人なれども、此の経経を読む人は多く師弟敵対して七逆罪と成りぬ。 又、第三の礼拝雑行とは、念仏の行者は弥陀三尊より外は上に挙ぐる所の諸仏・菩薩・諸天・善神を礼するをば礼拝雑行と名づけ、又、之を禁む。[p0363-0364]
 然るを日本は神国として伊奘諾・伊奘冊尊、此の国を作り、天照太神、垂迹御坐して、御裳濯河(みもすそかは)の流れ久しくして今にたえず。豈に、此の国に生を受けて此の邪義を用ふべきや。又普天の下に生まれて三光の恩を蒙りながら、誠に日月星宿を破する事、尤も恐れ有り。[p0364]
 又、第四の称名雑行とは、念仏申さん人は、唱ふべき仏菩薩の名あり、唱ふまじき仏菩薩の名あり。唱ふべき仏菩薩の名とは、弥陀三尊の名号、唱ふまじき仏菩薩の名号とは、釈迦・薬師・大日等の諸仏、地蔵・普賢・文殊・日月星、二所と三嶋と熊野と羽黒と天照大神と八幡大菩薩と、此れ等の名を一遍も唱へん人は念仏を十万遍、百万遍申したりしとも、此の仏菩薩日月神等の名を唱ふる過に依て無間にはおつとも、往生すべからずと云云。我、世間を見るに、念仏を申す人も此れ等の諸仏・菩薩・諸天・善神の名を唱ふる故に、是れ又、師の教に背けり。[p0364]
 第五の讃歎供養雑行とは、念仏申さん人は供養すべき仏は弥陀三尊を供養するせん外は、上に挙げたる所の仏菩薩諸天善神に香華のすこしをも供養せん人は、念仏の功は貴とけれども、此の過に依て雑行に摂すと是れをきらふ。然るに世をみるに、社壇に詣でては、幣帛(へいはく)を捧げ、堂舎に臨みては礼拝を致す。是れ又師の教に背けり。汝、若し不審ならば選択を見よ。其の文明白也。[p0364-0365]
 又、善導和尚の観念法門経に云く ̄酒肉五辛誓発願手不捉口不喫。若違此語即願身口倶著悪瘡〔酒肉五辛、誓ひて発願して手に捉らざれ、口に喫まざれ。もしこの語に違せば、すなわち身口ともに悪瘡を著せんと願せよ〕[文]。此の文の意は念仏申さん男女尼法師は、酒を飲まず、漁鳥を食はざれ。其の外にら(韮)ひる(薤)等の五つのからくくさき物を食はざれ。是れを持たざる念仏者は、今生には悪瘡身に出でて、後生には無間に堕つべしと云云。然るに念仏申す男女尼法師、此の誡めをかへりみず、恣に酒を飲み漁鳥を食ふ事、剣を飲む譬にあらずや。[p0365]
 爰に愚人云く 誠是聞此法門 念仏法門実雖往生 其行儀難修行。況彼所憑経論皆以権説也。不可往生之条分明也。但破真言事無其謂。夫大日経者大日覚王秘法也〔誠に是れ、此の法門を聞くに、念仏の法門、実に往生すと雖も、其の行儀、修行し難し。況んや彼の憑むところの経論は皆以て権説なり。往生すべからざるの条、分明なり。ただし真言を破することは其の謂れなし。夫れ、大日経とは大日覚王の秘法なり〕[p0365]
 大日如来より系も乱れず、善無畏・不空、之を伝へ、弘法大師は日本に両界の曼陀羅を弘め、尊高三十七尊秘奥なる者也。然るに顕教の極理は尚ほ密教の初門にも及ばず。爰を以て後唐院は法華尚不及 況自余教乎〔法華尚及ばず、況や自余の教をや〕と釈し給へり。此の事、如何が心うべきや。[p0365]
 聖人示して云く 予も始めは大日に憑みを懸け、密宗に志を寄す。然れども、彼の宗の最底を見るに其の流義も亦謗法也。汝が云ふ所の、高野の大師は、嵯峨天皇の御宇の人師也。[p0365]
 然るに皇帝より仏法の浅深を判釈すべき由の宣旨を給ひて、十住心論十巻、之を造る。此の書、広博なる間、要を取りて三巻に之を縮め、其の名を秘蔵宝鑰と号す。始め異生羝羊心より終り秘密荘厳心に至るまで十に分別し、第八法華・第九華厳・第十真言と立てゝ、法華は華厳にも劣れば大日経には三重の劣と判じて、如此乗乗自乗得仏名望後作戯論〔此の如きの乗乗は自乗に仏の名を得れども、後に望めば戯論と作る〕書きて、法華経を狂言・綺語と云ひ、釈尊をば無明に迷へる仏と下せり。仍て伝法院を建立せし弘法の弟子正覚房は、法華経は大日経のはきものとりに及ばず、釈迦仏は大日如来の牛飼にも足らずと書けり。[p0365-0366]
 汝、心を静めて聞け。一代五千七千の経教、外典三千余巻にも、法華経は戯論、三重の劣、華厳経にも劣り、釈尊は無明に迷へる仏にて、大日如来の牛飼にも足らずと云ふ慥かなる文ありや。設ひさる文有りと云ふとも能く能く思案あるべき歟。[p0366]
 経教は西天より東土に(およ)ぼす時、訳者の意楽に随て経論の文、不定也。さて後秦の羅什三蔵は、我漢土の仏法を見るに多く梵本に違せり。我が約する所の経、若し誤りなくば、我死して後、身は不浄なれば焼かると云ふとも、舌計りは焼けざらんと常に説法し給ひしに、焼き奉る時、御身は皆骨となるといへども、御舌計りは青蓮華の上に光明を放ちて、日輪を映奪し給ひき。有り難き事也。さてこそ殊更彼の三蔵所訳の法華経は唐土にやすやすと弘まらせ給ひしか。[p0366]
 然れば延暦寺の根本大師、諸宗を責め給ひしには、法華を訳する三蔵は舌の焼けざる験あり、汝等が依経は皆誤れりと破し給ふは是れ也。涅槃経にも我が仏法は他国へ移らん時、誤り多かるべしと説き給へば、経文に設ひ法華経はいたずら事、釈尊をば無明に迷へる仏也とありとも、権教・実教、大乗・小乗、説時の前後、訳者、能く能く尋ぬべし。[p0366-0367]
 所謂、老子・孔子は九思一言三思一言、周公旦は食するに三度吐き、沐浴するに三度にぎる。外典のあさましき猶ほ是の如し。況んや内典の深義を習はん人をや。[p0367]
 其の上、此の義、経論に迹形(あとかた)もなし。人を毀り法を謗じては悪道に堕つべしとは弘法大師の釈也。必ず地獄に堕せんこと疑ひ無き者也。[p0367]
 爰に愚人、茫然とほれ、忽然となげひて良久しくして云く、此の大師は内外の明鏡、衆人の導師たり。徳行世に勝れ、名誉普く聞こえて、或は唐土より三鈷を八万余里の海上をなぐるに、即ち日本に至り、或は心経の旨をつづるに蘇生の族途に彳む。然らば此の人ただ人にあらず。大聖権化の垂迹也。仰ぎて信を取らんにはしかじ。[p0367]
 聖人云く 予、も始めは然なり。但し仏道に入りて理非を勘へ見るに、仏法の邪正は必ず得通自在にはよらず。是れを以て仏は依法不依人と定め給へり。前に示すが如し。彼の阿伽陀仙は恒河を片耳にただへて十二年、耆兎仙は一日の中に大海をすひほす。張階は霧を吐き、欒巴(らんば)は雲を吐く。然れども未だ仏法の是非を知らず。因果の道理をも弁へず。異朝の法雲法師は講経勤修の砌に須臾に天華をふらせしかども、妙楽大師は ̄感應若斯猶不稱理〔感応このごときも、なお理にかなはず〕[T33,836c,28]とて、いまだ仏法をばしらずと破し給ふ。[p0367]
 夫れ、此の法華経と申すは已今当の三説を嫌ひて、已前の経をば未顕真実と打ち破り、肩を並ぶる経をば今説の文を以てせめ、已後の経をば当説の文を以て破る。実に三説第一の経也。第四の巻に云く_薬王今告汝我所説諸経 而於此経中 法華最第一〔薬王今汝に告ぐ 我が所説の諸経 而も此の経の中に於て 法華最も第一なり〕[文]。此の文の意は霊山会上に薬王菩薩と申せし菩薩に仏告げて云く、始め華厳より終り涅槃経に至るまで無量無辺の経恒河沙等の数多し。其の中には今の法華経最第一と説かれたり。然るを弘法大師は一の字を三と読まれたり。[p0367-0368]
 同巻に云く_我為仏道 於無量土 従始至今 広説諸経 而於其中 此経第一〔我仏道を為て 無量の土に於て 始より今に至るまで 広く諸経を説く 而も其の中に於て 此の経第一なり〕此の文の意は亦釈尊無量の国土にして或は名字を替へ、或は年紀を不同になし、種種の形を現じて、説く所の諸経の中には此の法華経を第一と定められたり。[p0368]
 同じく第五巻には、最在其上と宣べて大日経・金剛頂経等の無量の経の頂に此の経は有るべしと説かれたるを、弘法大師は最在其下と謂へり。釈尊と弘法と、法華経と宝鑰とは実に以て相違せり。釈尊を捨て奉りて弘法に付くべき歟。又、弘法を捨てゝ釈尊に付き奉るべき歟。又、経文に背ひて人師の言に随ふべき歟。人師の言を捨てゝ金言を仰ぐべき歟。用捨、心に有るべし。[p0368]
 又第七の巻、薬王品に十諭を挙げて教を歎ずるに、第一は水の譬へ也。江河を諸経に譬へ大海を法華に譬へたり。然るを大日経は勝れたり、法華は劣れりと云ふ人は、即ち大海は小河よりもすくなしと云はん人也。然るに今の世の人は海の諸河に勝る事をば知るといへども、法華経の第一なる事をば弁へず。第二は山の譬へなり。衆山を諸経に譬へ須弥山を法華に譬へたり。須弥山は上下十六万八千由旬の山也。何れの山か肩を並ぶべき。法華経を大日経に劣ると云ふ人は富士山は須弥山より大也と云はん人也。第三は星月の譬へ也。諸経を星に譬へ、法華経を付きに譬ふ。月と星とは何れ勝れりたりと思へるや。乃至次下には_此経亦復如是。一切如来所説。若菩薩所説。若声聞所説。諸経法中。最為第一〔此の経も亦復是の如し。一切の如来の所説、若しは菩薩の所説、若しは声聞の所説、諸の経法の中に最も為れ第一なり〕とて此の法華経は只釈尊一代の第一と説き給ふのみにあらず、大日及び薬師・阿弥陀等の諸仏、普賢・文殊等の菩薩の一切の所説諸経の中に此法華経第一と説けり。[p0368-0369]
 されば若し此の経に勝れたりと云ふ経有らば外道天魔の説と知るべき也。其の上、大日如来と云ふは久遠実成の教主釈尊、四十二年和光同塵して其の機に応ずる時、三身即一の如来、暫く盧遮那と示せり。是の故に開顕実相の前には釈迦の応化と見えたり。爰を以て普賢経には_釈迦牟尼仏。名毘盧遮那遍一切処。其仏住処。名常寂光〔釈迦牟尼仏を毘盧遮那遍一切処と名けたてまつる。其の仏の住処を常寂光と名く〕と説けり。[p0369]
 今、法華経は十界互具・一念三千・三諦即是・四土不二と談ず。其の上に一代聖教の骨髄たる二乗作仏・久遠実成は今経に限れり。汝、語る所の大日経・金剛頂経等の三部の秘経に此れ等の大事ありや。善無畏・不空等、此れ等の大事の法門を盗み取りて、己が経の眼目とせり。本経本論には迹形もなき誑惑なり。急ぎ急ぎ是れを改むべし。[p0369-0370]
 抑そも大日経とは四教含蔵して尽形寿戒等を明かせり。唐土の人師は天台所立の第三時方等部の経なりと定めたる権教也。あさまし、あさまし。汝実に道心あらば急ぎて先非を悔ゆべし。夫れ以みれば、此の妙法蓮華経は一代の観門を一念にすべ、十界の依正を三千につづめたり。[p0370]

 聖愚問答鈔下
 爰に愚人、聊か和らぎて云く 経文は明鏡也。疑慮をいたすに及ばず。但し法華経は三説に秀で、一代に超えるといへども、言説に拘はらず経文に留まらざる、我等が心の本分の禅の一法にはしくべからず。凡そ万法を払遣して言語の及ばざる処を禅法とは名づけたり。されば跋提河の辺り沙羅林の下にして、釈尊金棺より御足を出し拈華微笑して、此の法門を迦葉に付属ありしより已来、天竺二十八祖系も乱れず。唐土には六祖次第に弘通せり。達磨は西天にしては二十八祖の終り、東土にしては六祖の始め也。相伝をうしなはず、教網に滞るべからず。[p0370-0371]
 爰を以て大梵天王問仏決疑経に云く_吾有正法眼蔵 涅槃妙心 実相無相 微妙法門。教外別伝。不立文字。付属摩訶迦葉〔吾に正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相、微妙の法門有り。教外に別に伝ふ。文字を立てず。摩訶迦葉に付属す〕とて、迦葉に此の禅の一法をば教外に伝ふと見えたり。都て修多羅の経教は月をさす指、月を見て後は何かはせん。心の本分禅の一理を知りて後は、仏教に心を留むべしや。されば古人の云く 十二部経は總て是れ閑文字と云云。仍て此の宗の六祖慧能の壇経を披見するに実に以て然也。言下に契会して後は経は何かせん。此の理、如何が弁へんや。[p0371]
 聖人示して云く 汝、先づ法門を置きて道理を案ぜよ。抑そも一代の大途を伺はざれば、十宗の淵底を究めずして国を諌め人を教ふべき歟。汝が談ずる所の禅は我最前に習ひ極めて其の至極を見るに甚だ以て僻事也。[p0371]
 禅に三種あり。所謂、如来禅と教禅と祖師禅と也。汝が言ふ祖師禅等の一端、之を示さん。聞きて其の旨を知れ。若し教を離れて之を伝ふといはば、教を離れて理無く、理を離れて教無し。理、全く教、教、全く理、と云ふ道理、汝、之を知らざる乎。拈華微笑して迦葉に付属し給ふと云ふも是れ教也。不立文字と云ふ四字も即ち教也、文字也。此の事、和漢両国に事旧(ことふり)ぬ。今いへば事新しきに似たれども、一両の文を勘へて汝が迷ひを払はしめん。補注十一に云く ̄又復若謂滞於言説者 且娑婆世界将何以為仏乎。禅徒豈不言説示人乎。無離文字談解脱義。豈不聞乎〔また、もし言説に滞るといはば、且く娑婆世界には何をもちて、以て仏事となるや。禅徒、あに言説をもて人に示さざらんや。文字を離れて解脱の義を談ずること無し。あに聞かざらんや〕。乃至、次下に云く ̄豈達磨西来直指人心見性成仏。而華厳等諸大乗経無此事耶。嗚呼世人何其愚也。汝等当信仏所説。諸仏如来言無虚妄〔あに達磨西来して直ちに人の心を指して、性を見て成仏すと。而るに華厳等の諸大乗経に此の事無からんや。ああ、世人、何ぞ其れ愚かなるや。汝等まさに仏の所説を信ずべし。諸仏如来は、みこと虚妄なし〕。[p0371-0372]
 此の文の意は、若し教文にとどこほり、言説にかゝはるとて、教の外に修行すといはば、此の娑婆国にはさて如何がして仏事善根を作すべき。さやうに云ふところの禅人も、人に教ふる時は言を以て云はざるべしや。其の上、仏道の解了を云ふ時、文字を離れて義なし。又、達磨、西より来りて直指人心仏也〔直ちに人心を指して仏なり〕と云ふ。是れ程の理は華厳・大集・大般若等の法華已前の権大乗にも在在処処に之を談ぜり。是れをいみじき事とせんは無下に云ひがひなき事也。[p0372]
 嗚呼、今世の人、何ぞ甚だひがめるや。只中道実相の理に契当せる妙覚果満の如来の誠諦の言を信ずべき也。又、妙楽大師の弘決の一に此の理を釈して云く ̄世人蔑教尚理觀者誤哉誤哉〔世人、教を蔑ろにして理観をえらぶは誤れるかな、誤れるかな〕[T46,179b,16]。此の文の意は、今の世の人人は観心観法を先として経教を尋ね学ばず。還りて教をあなづり、教をかろしむる、是れ誤れりと云ふ文也。[p0372]
 其の上、当世の禅人、自宗に迷へり。続高僧伝を披見するに、習禅の初祖、達磨大師の伝に云く ̄藉教悟宗〔教によりて宗を悟る〕と。如来一代の聖教の道理を修学し、法門の旨・宗宗の沙汰を知るべき也。[p0372]
 又、達磨の弟子六祖の第二慧果の伝に云く ̄達磨禅師以四巻楞伽授可云 我観漢地唯有此経。仁者依行自得度世〔達磨禅師、四巻の楞伽をもて可に授けて云く、我、漢の地を観るに、ただ此の経のみあり。きみ依行せば、自ら世を度することを得ん〕と。此の文の意は、達磨大師、天竺より唐土に来りて四巻の楞伽経をもて慧可に授けて云く、我、此の国を見るに此の経殊に勝れたり。汝、持ち、修行して仏に成れと也。[p0372]
 此れ等の祖師、既に経文を前とす。若し之に依て経に依ると云はば、大乗歟、小乗歟、権教歟、実教歟、能く能く弁ふべし。或は経を用ふるには禅宗も楞伽経・首楞厳経・金剛般若経等による。是れ皆法華已前の権教覆蔵の説也。只諸経に是心即仏即身是仏等の理の片を説ける一両の文と句とに迷ひて、大小、権実、顕露、覆蔵をも尋ねず。只、立不二不知而二 謂己均仏〔不二を立てて而二を知らず。己、仏に均しと謂ふ〕の大慢を成せり。彼の月氏の大慢が迹をつぎ、此の尸那の三階禅師が古風を追ふ。然りと雖も、大慢は生きながら無間に入り、三階は死して大蛇と成りぬ。をそろし、をそろし。[p0372-0373]
 釈尊は、三世了達の解了朗らかに、妙覚果満の智月潔くして、未来を鑒みたまひ、像法決疑経に記して云く_諸悪比丘或有修禅不依経論。自逐己見を以非為是 不能分別是邪是正。向道俗作如是言 我能知是我能見是。当知此人速滅我法〔諸の悪比丘、或は禅を修すること有りて経論に依らず。自ら、己、見を逐ひて、非を以て是と為し、是れ邪、是れ正と分別すること能わず。く道俗に向ひて是の如き言を作さく、我能く是れを知り、我能く是れを見ると。当に知るべし、此の人は速やかに我が法を滅す〕と。此の文の意は、諸の悪比丘あて禅を信仰して経論をも尋ねず、邪見を本として法門の是非をば弁へずして、而も男女尼法師等に向ひて、我よく法門を知れり、人はしらずと云ひて、此の禅を弘むべし。当に知るべし。此の人は我が正法を滅すべしと也。此の文をもて当世を見るに宛も符契の如し。汝慎むべし、汝畏るべし。[p0373]
 先に談ずる所の天竺に二十八祖有りて、此の法門を口伝すと云ふ事、其の証拠、何に出でたるや。仏法を相伝する人、二十四人、或は二十三人と見えたり。然るを二十八祖と立つる事、所出の翻訳、何れにかある。全く見えざるところ也。此の付法蔵の人の事、私に書くべきにあらず。如来の記文分明也。[p0373-0374]
 其の付法蔵伝に云く ̄復有比丘名曰師子。於【网/がんだれ/(炎+リ)】賓国大作仏事。時彼国王名弥羅掘。邪見熾盛 心無敬信 於【网/がんだれ/(炎+リ)】賓国毀壊塔寺殺害衆僧。即以利剣用斬師子。頸中無血唯乳流出。相付法人於是便絶〔また比丘あり。名を師子と曰ふ。【网/がんだれ/(炎+リ)】賓国に於て大に仏事を作す。時に彼の国王をば弥羅掘と名づけ。邪見熾盛にして心に敬信無く、【网/がんだれ/(炎+リ)】賓国に於て塔寺を毀壊し衆僧を殺害す。即ち利剣を以て、用て師子を斬る。頸の中に血なく、ただ乳のみ流出す。法を相付する人、ここに於て便ち絶えん〕。此の文の意は仏我入涅槃の後に我が法を相伝する人、二十四人あるべし。其の中に最後弘通の人に当たるをば師子比丘と云はん。【网/がんだれ/(炎+リ)】賓国と云ふ国にて我が法を弘むべし。彼の国の王をば檀弥羅王と云ふべし。邪見放逸にして仏法を信ぜず、衆僧を敬はず、堂塔を破り失ひ、剣を以て諸僧の頸をきらん時に、頸の中に血無く、只乳のみ出づべし。是の時に仏法を相伝せん人、絶ゆべしと定められたり。案の如く仏の御言違はず、師子尊者、頸をきられ給ふ事、実に以て爾也。王のかいな共につれて落ち畢んぬ。[p0374]
 二十八祖を立つる事、甚だ以て僻見也。禅の僻事是れより興るなるべし。今、慧能が壇経に二十八祖を立つる事は達磨を高祖と定むる時、師子と達磨との年紀、遥かなる間、三人の禅師を私に作り入れて、天竺より来れる付法蔵、系を乱れずと云ひて、人に重んぜさせん為の僻事也。此の事異朝にして事旧ぬ。[p0374]
 補注の十一に云く ̄今家承用二十三祖。豈有哉。若立二十八祖者 未見所出翻訳也。近来更有刻石鏤版図状七仏二十八祖 各以一偈伝受相付。嗚呼仮託何其甚歟。識者有力宜革斯弊〔今家は二十三祖を承用す。豈にり有らん哉。若し二十八祖を立つるは、未だ所出の翻訳を見ざる也。近来、更に石に刻み、版に鏤み、七仏二十八祖を図状し、おのおの一偈を以て伝受相付すること有り。ああ、仮託、何ぞ其れ甚だしきや。識者、力有らばこの弊を宜しく革たむべし〕。是れも二十八祖を立て、石にきざみ版にちりばめて伝ふる事、甚だ以て誤れり。此の事を知る人あらば此の誤りをあらためなをせと也。祖師禅、甚だ僻事なる事、是にあり。[p0374-0375]
 先に引く所の大梵天王問仏決疑経の文を教外別伝の証拠に、汝、之を引く。既に自語相違せり。其の上、此の経は説相権教也。又、開元・貞元の両度の目録にも全く載せず。是れ録外の経なる上、権教と見えたり。然れば世間の学者、用ゐざるところ也。証拠とするにたらず。抑そも今の法華経を説かるゝ時、益をうる輩、迹門界如三千の時、敗種の二乗、仏種を萌す。四十二年の間は永不成仏と嫌はれて、在在処処の集会にして罵詈誹謗の音をのみ聞き、人天大会に思ひうとまれて、既に飢え死ぬべかりし人人も、今の経に来りて舎利弗は華光如来、目連は多摩羅跋栴檀香如来、阿難は山海慧自在通王仏、羅羅は蹈七宝華如来、五百の羅漢は普明如来、二千の声聞は宝相如来の記に預かる。顕本遠寿の日は微塵数の菩薩、増道損生して、位、大覚に隣る。[p0375]
 されば天台大師の釈を披見するに、他経には菩薩は仏になると云ひて、二乗の得道は永く之無し。善人は仏になると云ひて悪人の成仏を明かさず。男子は仏になると説きて、女人は地獄の使いと定む。人天は仏になると云ひて、畜類は仏になるといはず。然るを今の経は是れ等が皆仏になると説く、たのもしきかな。末代濁世に生を受くといへども、提婆が如くに五逆をも造らず三逆をも犯さず、而るに提婆猶ほ天王如来の記を得たり。況んや犯さざる我等が身をや。八歳の龍女既に蛇身を改めずして南方に妙果を証す。況んや人界に生を受けたる女人をや。只得難きは人身、値ひ難きは正法也。[p0375-0376]
 汝早く邪を翻し正に付き凡を転じて聖を証せんと思はば、念仏・真言・禅・律を捨てゝ此の一乗妙典を受持すべし。若し爾らば妄染の塵穢を払ひて、清浄の覚体を証せん事、疑ひなかるべし。[p0376]
 爰に愚人云く 今、聖人の教誡を聴聞するに日来の蒙昧忽ちに開けぬ。天真発明とも云ひつべし。理非顕然なれば誰か信仰せざらんや。但し世情を見るに上一人より下万民に至るまで、念仏・真言・禅・律を深く信受し御坐す。さる前には国土に生を受けながら争でか王命を背かんや。其の上我が親と云ひ、祖と云ひ、旁(かたがた)念仏等の法理を信じて他界の雲に交わり畢んぬ。又日本には上下の人数幾ばくか有る。然りと雖も、権教権宗の者は多く、此の法門を信ずる人は未だ其の名をも聞かず。仍て善処悪処をいはず、邪法正法を簡ばず、内典五千七千の多きも、外典三千余巻の広きも、只主君の命に随ひ、父母の義に叶ふが肝心也。[p0376]
 されば教主釈尊は、天竺にして孝養報恩の理を説き、孔子は大唐にして忠功孝高の道を示す。師の恩を報ずる人は肉をさき身をなぐ。主の恩をしる人は弘胤は腹をさき豫譲は剣をのむ。親の恩を思ひし人は丁蘭は木をきざみ伯瑜は杖になく。儒・外・内、道は異なりといへども報恩謝徳の教は替わる事なし。然らば主師親のいまだ信ぜざる法理を我始めて信ぜん事、既に違背の過に沈みなん。法門の道理は経文明白なれば疑網都て尽きぬ。後生を願はずば来世苦に沈むべし。進退惟れ谷れり、我如何せんや。[p0376-0377]
 聖人云く 汝此の理を知りながら猶ほ是の語をなす。理の通ぜざる歟、意の及ばざる歟。我釈尊の遺法をまばび、仏法に肩を入れしより已来、知恩をもて最とし、報恩をもて前とす。世に四恩あり。之を知るを人倫と名づけ、知らざるを畜生とす。予、父母の後世を助け、国家の恩徳を報ぜんと思ふが故に、身命を捨つる事敢えて他事にあらず、唯、知恩を旨とする計り也。先づ汝目をふさぎ、心を静めて道理を思へ。我は善道を知りながら、親と主との悪道にかゝらんを諌めざらんや。又、愚人狂ひ酔ひて毒を服せんを我知りながら、是れをいましめざらんや。其の如く法門の道理を存じて、火血刀の苦を知りながら、争でか恩を蒙る人の悪道におちん事を歎かざらんや。身をもなげ命をも捨つべし。諌めてもあきたらず、歎きても限りなし。今生に眼を合はする苦み、猶ほ是れを悲しむ。況んや悠悠たる冥途の悲しみ、豈に痛まざらん哉。恐れても恐るべきは後世、慎みても慎むべきは来世也。[p0377]
 而るを是非を論ぜず親の命に随ひ、邪正を簡ばず主の仰せに順はんと云ふ事、愚痴の前には忠孝に似たれども、賢人の意には不忠不孝、是れに過ぐべからず。[p0377-0378]
 されば教主釈尊は転輪聖王の末、師子頬王の孫、浄飯王の嫡子として五天竺の大王たるべしといへども、生死無常の理をさとり、出離解脱の道を願ひて、世を厭ひ給ひしかば、浄飯大王是れを歎き、四方に四季の色を顕して、太子の御意を留め奉らんと巧み給ふ。先づ東には霞たなびくたえまより、かりがねこしぢ(越路)に帰り、窓の梅の香り玉簾の中にかよひ、でうでうたる花の色、もゝさへづり(百囀)の鴬、春野気色を顕はせり。南には泉の色白たへにして、かの玉川の卯の華、信太(しのた)の森のほとゝぎす、夏のすがたを顕はせり。西には紅葉常葉に交はればさながら錦をおり交え、萩ふく風閑かにして松の嵐ものすごし。過ぎにし夏のなごりには、沢辺にみゆる螢の光あまつ空なる星かと誤り、松虫・鈴虫の声声涙を催せり。北には枯野の色いつしかものうく、波の汀につらゝゐて、谷の小川もをとさびぬ。かゝるありさまを造りて御意をなぐさめ給ふのみならず、四門に五百人づつの兵(つはもの)を置きて守護し給ひしかども、終に太子の御年十九と申せし二月八日の夜半の比、車匿(しゃのく)を召して金泥駒(こんぢく)に鞍置かせ、伽耶城を出でて檀特山(だんどくせん)に入り十二年、高山(たかね)に薪をとり深谷(みさは)に水を結て難行苦行し給ひ、三十成道の妙果を感得して、三界の独尊一代の教主と成りて、父母を救ひ群生を導き給ひしをば、さて不幸の人と申すべき歟。[p0378-0379]
 仏を不孝の人と云ひしは九十五種の外道也。父母の命に背きて無為に入り、還りて父母を導くは孝の手本なる事、仏、其の証拠なるべし。彼の浄蔵・浄眼は父の妙荘厳王外道の法に著して仏法に背き給ひしかども、二人の太子は父の命に背きて雲雷音王仏の御弟子となり、終に父を導きて娑羅樹王仏と申す仏になし申されけるは、不孝の人と云ふべき歟。経文には_棄恩入無為 真実報恩者〔恩を棄て無為に入るは、真実報恩の者なり〕と説かれて、今生の恩愛をば皆すてゝ仏法の実の道に入る、是れ実に恩をしれる人也と見えたり。[p0379]
 又、主君の恩の深きこと、汝よりも能くしれり。汝、若し知恩の望みあらば深く諌め、強ひて奏せよ。非道にも主命に随はんと云ふ事、佞臣の至り不忠の極まり也。[p0379]
 殷の紂王は悪王、比干は忠臣也。政治、理に違ひしを見て強ひて諌めしかば、即ち比干は胸を割る。紂王は比干死して後、周の王に打たれぬ。今の世までも、比干は忠臣と云はれ、紂王は悪王といはる。夏の桀王を諌めし龍蓬は頭をきられぬ。されども桀王は悪王、龍蓬は忠臣とぞ云ふ。主君を三度諌むるに用ゐずは山林に交はれとこそ教へたれ。何ぞ其の非を見ながら黙せんと云ふや。[p0379]
 古の賢人、世を遁れて山林に交わりし先蹤を集めて、聊か汝が愚耳に聞かしめん。殷の代の大公望は渓{はけい}と云ふ谷に隠る。周の代の伯夷・叔斉は首陽山と云ふ山に籠もる。秦の綺里季は商洛山に入り、漢の厳光(げんくわう)は狐亭に居し、晋の介子綏(かいしすゐ)は綿上山(めんじやうざん)に隠れぬ。此れ等をば不忠と云ふべき歟。愚かなり。汝、忠を存ぜば諌むべし。孝を思はば言ふべき也。[p0379-0380]
 先づ、汝、権教権宗の人は多く、此の宗の人は少なし。何ぞ多を捨て少に付くべきか、と云ふ事。必ず多きが尊くして少なきが卑しきあらず。賢善の人は希に愚悪の者は多し。麒麟・鸞鳳は禽獣の奇秀也。然れども是れは甚だ少なし。牛羊・烏鴿は畜鳥の拙卑也。されども是れは転た多し。必ず多きがたつとくして少なきがいやしくば、麒麟をすてゝ牛羊をとり、鸞鳳を閣きて烏鴿をとるべき歟。摩尼金剛は金石の霊異也。此の宝は乏しく、瓦礫土石は徒物の至り、是れは又巨多也。汝が言の如くならば、玉なんどをば捨てゝ瓦礫を用ふべき歟。はかなし、はかなし。聖君は希にして千年に一たび出で、賢佐は五百年に一たび顕る。摩尼は空しく名のみ聞く。麒麟誰か実を見たるや。世間・出世、善き者は乏しく、悪き者は多き事、眼前也。[p0380]
 然れば何ぞ強ち少なきをおろかにして、多きを詮とするや。土砂は多けれども米穀は希也。木皮は充満すれども布絹は些少也。汝、只、正理を以て前とすべし。別して人の多きを以て本とすることなかれ。[p0380]
 爰に愚人、席をさり、袂をかいつくろひて云く 誠に聖教の理をきくに、人身は得難く、天上の絲筋の海底の針に貫けるよりも希に、仏法は聞き難くして、一眼の亀の浮木に遇ふよりも難し。今既に得難き人界に生をうけ、値ひ難き仏教を見聞しつ。今生をもだしては又何れの世にか生死を離れ菩提を証すべき。[p0380-0381]
 夫れ、一劫受生の骨は山よりも高けれども、仏法の為にはいまだ一骨をもすてず。多生恩愛の涙は海よりも深けれども、尚お後世の為には一滴をも落とさず。拙きが中に拙く、愚かなる我中に愚かなり。設ひ命を捨て身をやぶるとも、生を軽くして仏道に入り、父母の菩提を資け、愚身が獄縛をも免るべし。能く能く教えを示し給へ。[p0381]
 抑そも法華経を信ずる其の行相、如何。五種の行の中には先づ何れの行をか修すべき。丁寧に尊教を聞かんことを願ふ。[p0381]
 聖人示して云く 汝、汝交蘭室友成麻畝性。〔蘭室の友に交はり麻畝の性と成る〕。誠に禿樹の禿に非ず、春に遇ひて栄え華さく。枯れ草の枯れるに非ず、夏に入りて鮮やかに注ふ。若し先非を悔いて正理に入らば、湛寂の潭に遊泳して無為の宮に優遊せん事疑ひなかるべし。[p0381]
 抑そも仏法を弘通し、群生を利益せんには、先づ教・機・時・国・教法流布の前後を弁ふべきものなり。所以は時に正像末あり、法に大小乗あり、修行に摂折あり。摂受の時、折伏を行ずるも非也。折伏の時、摂受を行ずるも失也。然るに今世には摂受の時歟、折伏の時歟、先づ是れを知るべし。摂受の行は此の国に法華一純に弘まりて、邪法・邪師、一人もなしといはん、此の時は山林に交わりて観法を修し、五種・六種、乃至十種等を行ずべき也。折伏の時はかくの如くならず。経教のおきて蘭菊に、諸宗のおぎろ(頤口)譽れを檀(ほしいまま)にし、邪正肩を並べ、大小先を争はん時は、万事を閣きて謗法を責むべし。是れ折伏の修行也。此の旨を知らずして摂折途に違はば、得道は思ひもよらず、悪道に堕つべしと云ふ事、法華・涅槃に定め置き、天台・妙楽の解釈にも分明也。是れ仏法修行の大事なるべし。[p0381-0382]
 譬へば文武両道を以て天下を治むるに、武を先とすべき時もあり、文を旨とすべき時もあり。天下無為にして国土静かならん時は文を先とすべし。東夷南蛮西戎北狄蜂起して野心をさしはさまんには武を先とすべき也。文武のよき事計りを心えて時をもしらず、万邦安堵の思ひをなして世間無為ならん時、甲冑をよろひ兵杖をもたん事も非也。又、王敵起こらん時、戦場にして武具をば閣きて筆硯を提(ひつさげ)ん事、是れも亦、時に相応せず。摂受折伏の法門も亦、是の如し。正法のみ弘まて邪法・邪師無からん時は、深谷にも入り、閑静にも居して、読誦書写をもし、観念工夫をも凝らすべし。是れ天下の静かなる時、筆硯を用ふるが如し。権宗謗法、国にあらん時は、諸事を閣きて謗法を責むべし。是れ合戦の場に兵杖を用ふるが如し。[p0382]
 然れば章安大師、涅槃の疏に釈して云く ̄昔時平而法弘。応持戒勿持杖。今時嶮而法翳。応持杖勿持戒。今昔倶嶮応倶持杖。今昔倶平応倶持戒。取捨得宜不可一向〔昔の時は平にして而も法弘まる。応に戒を持すべし、杖を持すこと勿れ。今の時は嶮にして而も法かくる。応に杖を持すべし、戒を持すこと勿れ。今昔倶に嶮なれば、応に倶に杖を持すべし。今昔倶に平なれば、応に倶に戒を持すべし。取捨宜しきを得て一向にすべからず〕。[p0382-0383]
 此の釈の意、分明也。昔は世もすなをに、人もただしくして、邪法邪義無かりき。されば威儀をただし、穏便に行業を積みて、杖をもて人を責めず、邪法をとがむる事無かりき。今の世は濁世也。人の情もひがみゆがんで、権教謗法のみ多ければ正法弘まりがたし。此の時は読誦書写の修行も観念工夫修練も無用也。只、折伏を行じて、力あらば威勢を以て謗法をくだき、又、法門を以ても邪義を責めよと也。取捨、其の旨を得て、一向に執する事なかれと書けり。今の世を見るに、正法一純に弘まる国歟、邪法の興盛する国歟、勘ふべし。[p0383]
 然るを浄土宗の法然は念仏に対して法華経を捨閉閣抛とよみ、善導は法華経を雑行と名づけ、剰へ千中無一とて千人信ずとも一人得道の者あるべからずと書けり。真言宗の弘法は法華経を華厳にも劣り、大日経には三重の劣と書き、戯論の法と定めたり。正覚房は法華経は大日経のはきものとりにも及ばずと云ひ、釈尊をば大日如来の牛飼にもたらずと判ぜり。禅宗は法華経を吐きたるつばき、月をさす指、教網なんど下す。小乗律等は法華経は邪教、天魔の所説と名づけたり。此れ等、豈に謗法にあらずや。責めても猶ほあまりあり。禁めても亦たらず。[p0383]
 愚人云く 日本六十余州、人替わり法異なりといへども、或は念仏者、或は真言師、或は禅、或は律。誠に一人として謗法ならざる人はなし。然りと雖も、人の上、沙汰してなにかせん。只、我心中に深く信受して、人の誤りをば余所の事にせんと思ふ。[p0383-0384]
 聖人示して云く 汝云ふ所、実にしかなり。我も其の義を存ぜし処に、経文には或は不惜身命とも、或は寧喪身命とも説く。何故にかやうには説かるゝやと存ずるに、只人をはばからず経文のまゝに法理を弘通せば、謗法の者多からん世には必ず三類の敵人有りて、命に及ぶべしと見えたり。其の仏法の違目を見ながら、我もせめず国主にも訴へずば、教へに背きて仏弟子にはあらずと説かれたり。[p0384]
 涅槃経、第三に云く 若善比丘 見壊法者 置不呵責 駈遣挙処 当知是人 仏法中怨。若能駈遣 呵責挙処 是我弟子 真声聞也〔若し善比丘ありて法を壊る者を見て、置いて呵責し駈遣し挙処せずんば、当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり。若し能く駈遣し呵責し挙処せば、是れ我が弟子、真の声聞なり〕。
 此の文の意は仏の正法を弘めん者、経教の義を悪く説かんを聞き見ながら、我もせめず、我が身及ばずば国主に申し上げても是れを対治せずば、仏法の中の敵也。若し経文の如くに、人をもはばからず、我もせめ、国主にも申さん人は、仏弟子にして真の僧也と説かれて候。[p0384]
 されば仏法中怨の責めを免れんとて、かやうに諸人に悪まるれども、命を釈尊と法華経斗に奉り、慈悲を一切衆生に与へて、謗法を責むるを、心えぬ人は口をすくめ眼を瞋らす。汝、実に後世を恐れば、身を軽しめ法を重んぜよ。[p0384]
 是を以て章安大師云く ̄寧喪身命不匿教者 身軽法重死身弘法〔寧喪身命不匿教とは身は軽く法は重し。身を死して法を弘む〕。此の文の意は身命をばほろぼすとも正法をかくさざれ。其の故は身はかろく法はおもし。身をばころすとも法をば弘めよと也。[p0384]
 悲しい哉、生者必滅の習ひなれば、設ひ長寿を得たりとも、終には無常をのがるべからず。今世は百年の内外(うちと)の程を思へば夢の中の夢也。非想の八万歳、未だ無常を免れず。利の一千年も猶ほ退没の風に破らる。況んや人間、閻浮の習ひは、露よりもあやうく、芭蕉よりももろく、泡沫よりもあだ也。水中に宿る月のあるかなきかの如く、草葉にをく露のをくれさきだつ身也。若し此の道理を得ば、後生を一大事とせよ。[p0384-0385]
 歓喜仏の末の世の覚徳比丘、正法を弘めしに、無量の破戒、此の行者を怨みて責めしかば、有徳国王正法を守る故に、謗法を責めて終に命終して阿仏の国に生まれて、彼の仏の第一の弟子となる。大乗を重んじて五百人の婆羅門の謗法を誡めし仙豫国王は不退の位に登る。憑もしい哉、正法の僧を重んじて邪悪の侶を誡むる人かくの如くの徳あり。されば今の世に摂受を行ぜん人は謗人と倶に悪道に堕ちん事疑ひ無し。[p0385]
 南岳大師の四安楽行に云く ̄若有菩薩将護悪人不能治罰 乃至 其人命終与諸悪人倶堕地獄〔若し菩薩有って悪人を将護して治罰すること能わず。乃至 其の人命終して諸の悪人と倶に地獄に堕ちなん〕。[p0385]
 此の文の意は、若し仏法を行ずる人有りて、謗法の悪人を治罰せずして、観念思惟を専らにして、邪正権実をも簡ばず、詐りて慈悲の姿を現ぜん人は、諸の悪人と倶に悪道に堕つべしと云ふ文也。[p0385]
 今、真言・念仏・禅・律の謗人をたださず、いつはて慈悲を現ずる人、此の文の如くなるべし。[p0385]
 爰に愚人、意を竊かにし、言を顕にして云く 誠に君を諌め、家を正しくする事、先賢の教へ、本分に明白也。外典此の如し。内典是れに違ふべからず。悪を見ていましめず、謗を知りてせめずば、経文に背き祖師に違せん。其の禁め殊に重し。今より信心を致すべし。但し此の経を修行し奉らん事叶ひがたし。若し其の最要あらば証拠を聞かんと思ふ。[p0385-0386]
 聖人示して云く 今、汝の道意を見るに鄭重慇懃也。所謂、諸仏の誠諦得道の最要は只是れ妙法蓮華経の五字也。檀王の宝位を退き龍女が蛇身を改めしも、只此の五字の致すところ也。[p0386]
 夫れ以みれば、今の経は受持の多少をば一偈一句と宣べ、修行の時刻をば一念随喜と定めたり。凡そ八万法蔵の広きも、一部八巻の多きも、只是の五字を説んがため也。霊山の雲の上、鷲峰の霞の中に、釈尊、要を結び、地涌付属を得ることありしも、法体は何事ぞ、只此の要法に在り。天台・妙楽の六千帳の疏、玉を連ぬるも、道邃・行満の数軸の釈、金(こがね)を並ぶるも、併せながら此の義趣を出でず。誠に生死を恐れ涅槃を欣ひ、信心を運び渇仰を至さば、遷滅無常は昨日の夢、菩提の覚悟は今日のうつゝなるべし。只、南無妙法蓮華経とだにも唱へ奉らば、滅せぬ罪や有るべき、来らぬ福(さいはひ)や有るべき。真実也。甚深也。是れを信受すべし。[p0386]
 愚人、合掌して膝を折りて云く 貴命、肝に染み、教訓、意を動かせり。然りと雖も、上能兼下の理なれば、広きは狭きを括り、多は少を兼ぬ。然る処に五字は少なく文言は多し。首題は狭く八軸は広し。如何ぞ功徳斉等ならんや。[p0386]
 聖人云く 汝、愚か也。捨少取多の執、須弥よりも高く、軽狭重広の情、溟海よりも深し。今の文の初後は必ず多きが尊く、少なきが卑しきにあらざる事、前に示すが如し。爰に、又、小が大を兼ね、一が多に勝ると云ふ事、之を談ぜん。[p0386-0387]
 彼の尼類樹の実は芥子三分が一のせい(長)也。されども五百輌の車を隠す徳あり。是れ小が大を含めるにあらずや。又、如意宝珠は一つあれども万宝を雨らして欠ける処、之無し。是れ又、少が多を兼ねたるにあらずや。世間のことわざにも一は万が母といへり。此れ等の道理を知らずや。所詮、実相の理の背契を論ぜよ。強ち多少を執する事なかれ。[p0387]
 汝、至りて愚か也。今一つの譬を仮ん。夫れ妙法蓮華経とは一切衆生の仏性也。仏性とは法性也。法性とは菩提也。所謂、釈迦・多宝・十方の諸仏・上行・無辺行等、普賢・文殊・舎利弗・目連等、大梵天王・釈帝桓因・日月・明星・北斗七星・二十八宿・無量の諸星・天衆・地類・龍神・八部・人天大会・閻魔法王、上は非想の雲の上、下は那落の炎の底まで、所有、一切衆生の備ふる所の仏性を妙法蓮華経とは名づくる也。されば一遍此の首題を唱へ奉れば、一切衆生の仏性が皆よばれて爰に集まる時、我が身の法性の法報応の三身ともにひかれて顕れ出でる。是れを成仏とは申す也。例せば籠の内にある鳥の鳴く時、空を飛ぶ衆鳥の同時に集まる。是れを見て籠の内の鳥も出でんとするが如し。[p0387]
 爰に愚人云く 首題の功徳、妙法蓮華経の義趣、今聞く所、詳か也。但し此の旨趣正しく経文にのせたりや如何。[p0387]
 聖人云く 其の理、詳かならん上は、文を尋ぬるに及ばざる歟。然れども請いに随て之を示さん。[p0387-0388]
 法華経第八陀羅尼品に云く_汝等但能擁護。受持法華名者。福不可量〔汝等但能く法華の名を受持せん者を擁護せんすら、福量るべからず〕。此の文の意は、仏、鬼子母神・十羅刹女の法華経の行者を守らんと誓ひ給ふを読むるとして、汝等、法華の首題を持つ人を守るべしと誓ふ。其の功徳は三世了達の仏の智慧も尚ほ及び難しと説かれたり。仏智の及ばぬ事、何かあるべき。なれども法華の題名受持の功徳ばかりは是れを知らずと宣べたり。[p0388]
 法華一部の功徳は只妙法等の五字の内に籠もれり。一部八巻文文ごとに、二十八品、生起かはれども、首題の五字は同等也。譬へば日本の二字の中に六十余州島二つ、入らぬ国やあるべき。籠もらぬ郡やあるべき。飛鳥とよべば空をかける者と知り、走獣といへば地をはしる者と心うる。一切、名の大切なる事、蓋し以て是の如し。天台は名詮自性句詮差別〔名は自性をとき、句は差別をとく〕[T34,151a,6,0,]とも、名者大綱とも判ずる、此の謂れ也。又、名は物をめす徳あり、物は名に応ずる用あり。法華題名の功徳も、亦以て此の如し。[p0388]
 愚人云く 聖人の言の如くは、実に首題の功徳、大也。但、知ると知らざるとの不同あり。我は弓箭に携わり兵杖をむねとして未だ仏法の真味を知らず。若し然れば、得る所の功徳、何ぞ其れ深からんや。[p0388]
 聖人云く 円頓の教理は初後全く不二にして、初位に後位の徳あり。一行一切行にして功徳備わらざるは之無し。若し汝の言の如くは、功徳を知りて植えずんば、上は等覚より下は名字に至るまで、得益更にあるべからず。今の経は唯仏与仏と談ずるが故也。[p0388]
 譬諭品に云く_汝舎利弗 尚於此経 以信得入 況余声聞〔汝舎利弗 尚お此の経に於ては 信を以て入ることを得たり 況んや余の声聞をや〕。文の心は大智舎利弗も法華経には信を以て入る、其の智分の力にはあらず。況んや自余の声聞ををやと也。[p0388-0389]
 されば法華経に来りて信ぜしかば、永不成仏の名を削りて、華光如来となり。嬰児に乳をふくむるに、其の味をしらずといへども、自然に其の身を成長す。医師が病者に薬を与ふるに、病者、薬の根源をしらずといへども、服すれば任運と病癒ゆ。若し薬の源をしらずと云ひて、医者の与ふる薬を服せずば其の病癒ゆべしや。薬を知るも知らざるも、服すれば病の癒ゆる事、以て是れ同じ。既に仏を良医と号し、法を良薬に譬へ、衆生を病人に譬ふ。[p0389]
 されば如来一代の教法を擣和合して、妙法一粒の良薬に丸ぜり。豈に知るも知らざるも、服せん者、煩悩の病癒えざるべしや。病者は薬をもしらず病をも弁へずといへども、服すれば必ず癒ゆ。行者も亦然也。法理をもしらず煩悩をもしらずといへども、只信ずれば見思・塵沙・無明の三惑の病を同時に断じて、実報寂光の臺(うてな)にのぼり、本有三身の膚を磨かん事、疑ひあるべからず。[p0389]
 されば伝教大師云く ̄能化所化倶無歴劫妙法経力即身成仏〔能化所化倶に歴劫なし。妙法経力即身成仏す〕と。法華経の法理を教へん師匠も、又、習はん弟子も、久しからずして法華経の力をもて、倶に仏になるべしと云ふ文也。[p0389]
 天台大師も法華経に付きて玄義・文句・止観の三十巻の釈を造り給ふ。妙楽大師は、又、釈籤・疏記・輔行の三十巻の末文を重ねて消釈す。天台六十巻とは是れ也。玄義には、名体宗用教の五重玄を建立して、妙法蓮華経の五字の功能を判釈す。五重玄を釈する中の宗の釈に云く ̄如提綱維無目而不動。牽衣一角無縷而不來。〔綱維をささぐるに、目としてしかも動かざること無く、衣の一角を牽くに縷としてしかも来らざること無きがごとし〕[T33,683a,11~12,[p0389-0390]
 意は、此の妙法蓮華経を信仰し奉る一行に、功徳として来らざる事なく、善根として動かざる事なし。譬へば網の目無量なれども、一つの大網を引くに動かざる目もなく、衣の絲筋巨多(あまた)なれども、角を取るに絲筋として来らざることなきが如しと云ふ義也。[p0390]
 さて文句には、如是我聞より作礼而去まで文文句句に因縁・約教・本迹・観心の四種の釈を設けたり。次に止観には、妙解の上に立てたる所の観不思議境の一念三千、是れ本覚之立行、本具の理心也。今爰に委しくせず。[p0390]
 悦ばしい哉。生を五濁悪世に受くるといへども、一乗の真文を見聞する事を得たり。煕連恒沙の善根を致せる者、此の経にあひ奉りて信を取ると見えたり。汝、今、一念随喜の信を致す。函蓋相応、感応道交、疑ひ無し。
 愚人、頭を低れて手を挙げて云く 我、今よりは一実の経王を受持し、三界の独尊を本師として、自今身至仏身 此信心敢無退転〔今身より仏身に至るまで、此の信心、敢えて退転なけん〕。設ひ五逆の雲厚くとも、乞ふ提婆達多が成仏を続き、十悪の波あらくとも、願はくは王子覆講の結縁に同じからん。[p0390]
 聖人云く 人の心は水の器にしたがふが如く、物の性は月の波に動くに似たり。故に汝、当座は信ずといふとも後日は必ず翻へさん。魔来り鬼来るとも騒乱する事なかれ。[p0390-0391]
 夫れ、天魔は仏法をにくむ、外道は内道をきらふ。されば豬の金山を摺り、衆流の海に入り、薪の火を盛んになし、風の求羅をますが如くせば、豈に好き事にあらずや。[p0391]

#0045-500.TXT 秋元殿御返事 文永三(1266.01・11) [p0405]

 御文、委しく承り候ひ畢んぬ。[p0405]
 御文に云く、末法の始五百年にはいかなる法を弘むべしと思ひまいらせ候しに、聖人の仰を承り候に、法華経の題目に限て弘むべき由、聴聞申して御弟子の一分に定り候。殊に五節供はいかなる由来、何なる所表、何を以て正意としてまつり候べく候や云云。[p0405-0406]
 夫れ、此事は日蓮委しく知る事なし。然りと雖も、粗、意得て候。[p0406]
 根本大師の御相承ありげに候。總じて真言・天台両宗の習也。委しくは曾谷殿へ申し候。次での御時は御談合あるべき歟。[p0406]
 先づ五節供の次第を案ずるに、妙法蓮華経の五字の次第の祭也。正月は妙の一字のまつり、天照大神を歳の神とす。三月三日は法の一字のまつり也。辰を以て神とす五月五日は蓮の一字のまつり也。午を以て神とす。七月七日は華の一字の祭也。申を以て神とす。九月九日は今日の一字のまつり、戌を以て神とす。此の如く心得て、南無妙法蓮華経と唱へさせ給へ。現世安穏後生善処疑ひなかるべし。[p0406]
 法華経の行者をば一切の諸天不退に守護すべき経文也。経の第五に云く_諸天昼夜。常為法故。而衛護之〔諸天昼夜に常に法の為の故に而も之を衛護し〕云云。又云く_天諸童子 以為給使 刀杖不加 毒不能害〔天の諸の童子 以て給使を為さん 刀杖も加えず 毒も害すること能わじ〕云云。[p0406]
 諸天とは梵天・帝釈・日月・四大天王等也。法とは法華経也。童子とは七曜・二十八宿・摩利支天等也。臨兵闘者皆陳列在前(りんひゃうとうしやかいあちんれつざいぜん)。是又刀杖不可の四字也。此等は随分の相伝也。能能案じ給べし。[p0406]
 第六に云く ̄一切世間治生産業皆与実相不相違背〔一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず〕云云。五節供の時も唯南無妙法蓮華経と唱へて悉地成仏せしめ給へ。委細は又又申すべく候。[p0406-0407]
 次に法華経は末法の始め五百年に弘まり給ふべきと聴聞仕り御弟子となると仰せ候事。[p0407]
 師檀となる事は三世の契り種熟脱の三益別に人を求めんや。在在諸仏土 常与師倶生〔在在諸仏の土に 常に師と倶に生ず〕。若親近法師 速得菩薩道 随順是師学 得見恒沙仏。〔若し法師に親近せば 速かに菩薩の道を得 是の師に随順して学せば 恒沙の仏を見たてまつることを得ん〕の金言違ふべきや。提婆品に云く_所生之処。常聞此経〔所生の処には常に此の経を聞かん〕の人はあに貴辺にあらずや。其故は次上に未来世中。若有善男子。善女人〔未来世の中に若し善男子・善女人あって〕と見えたり。善男子とは法華経を持つ俗の事也。弥信心をいたし給べし、信心をいたし給べし。恐恐謹言。[p0407]
正月十一日[p0407]
日 蓮 花押[p0407]
秋元殿御返事殿[p0407]
安房の国ほた(保田)より出す[p0407]

#0047-300 是名五郎太郎殿御返事 文永四(1267.12・05) [p0414]

 漢の明、夜夢みしより迦竺二人の聖人初めて長安のとぼそに臨みしより以来、唐の神武皇帝に至るまで、天竺の仏法震旦に流布し、梁の代に百済国の聖明王より我が朝の人王三十代欽明の御宇に仏法初めて伝ふ。其れより已来一切の経論・諸宗・皆日域にみてり。[p0414]
 幸いなるかな生を末法に受くるといへども、霊山のきゝ耳に入り、身は辺土の居せりといへども、大河の流れ掌に汲めり。[p0414]
 但し委しく尋ね見れば、仏法に於て大小・権実・前後のおもむきあり。若し此の義に迷ひぬれば、邪見に住して、仏法を習ふといへども、還りて十悪を犯し、五逆を作る罪よりも甚だしきなり。爰を以て世を厭ひ道を願はん人、先づ此の義を存ずべし。例せば彼の苦岸比丘等の如し。故に大経に云く_若し邪険なる事有らんに、命終の時当に阿鼻地獄に堕つべしと云へり。[p0414]
 問ふ 何を以てか邪見の失を知らん。予不肖の身たりといへども、随分後世を畏れ仏法を求めんと思ふ。願はくは此の義を知らん。若し邪見に住せば、ひるがへして正見におもむかん。[p0414-0415]
 答ふ 凡眼を以て定むべきにあらず。浅智を以て明らむべきにあらず。経文を以て眼とし、仏智を以て先とせん。但恐らくは、若し此の義を明さば、定めていかりをなし、憤りを含まん事を。さもあらばあれ、仏勅を重んぜんにはしかず。其れ世人は皆遠きを貴み近きをいやしむ。但愚者の行ひなり。其れ若し非ならば遠くとも破すべし。其れ若し理ならば近くとも捨つべからず。人貴むとも非ならば何ぞ今用ひん。[p0415]
伝へ聞く、彼の南三北七の十流の学者、威徳ことに勝れて天下に尊重せられし事、既に五百余年まで有りしかども、陳隋二代の比、天台大師是れを見て邪義なりと破す。天下に此の事を聞いて大きに是れをにくむ。然りといへども、陳王・隋帝の賢王たるに依て、彼の諸宗に天台を召し決せられ、邪正をあきらめて、前五百年の邪義を改め、皆悉く大師に帰す。又我が朝の叡山の根本大師は、南都・北京の碩学と論じて、仏法の邪正をただす事皆経文をさきとせり。[p0415]
今当世の道俗貴賎、皆人をあがめて法を用ひず、心を師として経によらず。之に依て或は念仏権教を以て大乗妙典をなげすて、或は真言の邪義を以て一実の正法を謗ず。此れ等の類豈に大乗誹謗のやからに非ずや。若し経文の如くならば、争でか那落の苦しみを受けざらんや。之に依て其の流れをくむ人もかくの如くなるべし。[p0415-0416]
 疑て云く 念仏・真言は是れ或は権或は邪義、又行者或は邪見或は謗法なりと。此の事甚だ以て不審なり。其の故は弘法大師は是れ金剛薩・の化現、第三地の化身なり。法然上人は大勢至菩薩の化身なり。かくの如きの上人を豈に邪見の人と云ふべきや。[p0416]
 答て云く 此の事本より私の語を以て是れを難ずべからず。経文を先として是れをただすべきなり。真言の教は最極の秘密なりと云ふは、三部経の中に於て蘇悉地経を以て王とすと見えたり。全く諸の如来の法の中に於て第一也と云ふ事を見ず。凡そ仏法を云ふは、善悪の人をゑらばず皆仏になすを以て第一に定むべし。是れ程の理をば何なる人なりとも知るべきことなり。若し此の義に依らば経と経とを合せて是れを糺すべし。今法華経には二乗成仏あり。真言経には之なし。あまつさへ、あながちに是れをきらへり。法華経には女人成仏之あり。真言経にはすべて是れなし。法華経には悪人の成仏之あり。真言経には全くなし。何を以てか法華経に勝れたりと云ふべき。[p0416]
又若し其の瑞相を論ぜば、法華には六瑞あり。所謂雨華地動し、白毫相の光り上は有頂を極め下は阿鼻地獄を照らせる是れ也。又多宝の塔大地より出で、分身の諸仏十方より来る。しかのみならず、上行等の菩薩の六万恒河沙五万四万三万乃至一恒沙半恒沙等大地よりわきいでし事、此の威儀不思議を論ぜば何を以て真言・法華にまされりと云はん。[p04160-0417]
此れ等の事委しくのぶるにいとまあらず。はづかに大海の一滴を出だす。爰に菩提心論と云ふ一巻の文あり。龍猛菩薩の造と号す。此の書に云く ̄唯真言法中即身成仏故是説三摩地法。於諸経中闕而不書〔唯真言法の中のみに即身成仏する故に是の三摩地の法を説く。諸経の中に於て闕けて而も書かせず〕と云へり。此の語は大に不審なるに依て、経文に就いてこれを見るに、即身成仏の語は有りとも、即身成仏の人全くなし。たとひありとも、法華経の中に即身成仏あらば、諸教の中にをいて、かい(闕)て而もかゝずと云ふべからず。此の事甚だ以て不可なり。但し此の書は全く龍猛の作にあらず。委しき旨は別に有るべし。設ひ龍猛菩薩の造なりとも、あやまりなり。故に大論に、一代をのぶる肝要として、般若は秘密にあらず二乗作仏なし。法華は是れ秘密なり。二乗作仏ありと云へり。又云く 二乗作仏あるは是れ秘密、二乗作仏なきは是れ顕教と云へり。若し菩提心論の語の如くならば、別しては龍樹の大論にそむき、総じては諸仏出世の本意、一大事の因縁をやぶるにあらずや。[p0417]
今龍樹・天親等は皆釈尊の説教を弘めんが為に世に出づ。付法蔵二十余人の其の一也。何ぞ此の如き妄説をなさんや。彼の真言は是れ般若経にも劣れり。何に況んや法華に竝べんや。爾るに弘法の秘蔵宝鑰に、真言に一代を摂するとして、法華を第三番に下し、あまつさへ戯論なりと云へり。謹んで法華経を披きたるに、諸の如来の所説の中に第一なりと云へり。又已今当の三説に勝れたりと見えたり。又薬王の十論の中に法華を大海にたとへ、須弥山にたとへたり。若し此の義に依らば、深き事何ぞ海にすぎん。明らかなる事何ぞ日輪に勝れん。高き事何ぞ須弥山に越ゆる事有らん。諭を以て知んぬべし。何を以てか法華に勝れたりと云はんや。大日経等に全く此の義なし。但己が見に任せて永く仏意に背く。[p0417-0418]
妙楽大師曰く ̄請有眼者委悉尋之〔請ふ、眼有らん者は委悉に之を尋ねよ〕と云へり。法華経を指して華厳に劣れりと云はば、豈に眼ぬけたるものにあらずや。又大経に云く_若し仏の正法を誹謗する者あらん、正に其の舌を断つべしと。嗚呼誹謗の舌は世世に於て物云ふことなく、邪見の眼は生生にぬけて見ること無からん。加之、若人不信 毀謗此経 乃至 其人命終 入阿鼻獄〔若し人信ぜずして 此の経を毀謗せば 乃至 其の人命終して 阿鼻獄に入らん〕の文の如くならば、定めて無間大城に堕ちて無量億劫のくるしみを受けん。善導・法然も是れに例して知んぬべし。誰か智慧有らん人、此の謗法の流れを汲みて共に阿鼻の焔にやかれん。行者能く畏るべし。此れは是れ大邪見の輩也。[p0418]
所以に如来誠諦の金言を按ずるに云く 我が正法をやぶらん事は、譬へば猟師の身に袈裟をかけたるが如し。或は須陀・・斯那含・阿羅漢・辟支仏及び仏の色心を現じて我が正法を壊らんといへり。今此の善導・法然等は種種の威を現じて、愚痴の道俗をたぶらかし、如来の正法を滅す。[p0418-0419]
就中、彼の真言等の流れ、偏に現在を以て旨とす。所謂畜類を本尊として男女の愛法を祈り、荘園等の望みをいのる。是の如き少分のしるしを以て奇特とす。若し是れを以て勝れたりといはば、彼の月氏の外道等にはすぎじ。彼の阿竭多仙人は十二年の間恒河の水を耳にたたへたりき。又耆菟仙人の四大海を一日の中にすひほし、・留外道は八百年の間石となる。豈に是れすぎたらんや。又瞿曇仙人が十二年の程、釈身と成り説法せし、弘法が刹那の程にびるさな(毘盧遮那)の身と成りし、其の威徳を論ぜば如何。若し彼の変化のしるしを信ぜば即ち外道を信ずべし。当に知るべし、彼威徳ありといへども、猶お阿鼻の炎をまぬがれず。況んやはづかの変化にをいてをや。況んや大乗誹謗にをいてをや。是れ一切衆生の悪知識也。近付くべからず。畏るべし畏るべし。[p0419]
仏曰く_悪象等に置いては畏るゝ心なかれ。悪知識に於ては畏るゝ心なかれ。悪知識に於ては畏るゝ心をなせ。何を以ての故に、悪象は但身をやぶり意をやぶらず。悪知識は二共にやぶる故に。此の悪象等は但一身をやぶる、悪知識は無量の身無量の意をやぶる。悪象等は但不浄の臭き身をやぶる、悪知識は浄身及び浄心をやぶる。悪象は但肉身をやぶる、悪知識は法身をやぶる。悪象の為にころされては三悪に至らず。悪知識の為に殺されたるは必ず三悪に至る。此の悪象は但身の為のあだ也。悪知識は善法の為にあだ也と。故に畏るべきは大毒蛇・悪鬼神よりも、弘法・善導・法然等の流れの悪知識を畏るべし。[p0419-0420]
 略して邪見の失を明かすこと畢んぬ。此の使あまりに急ぎ候ほどに、とりあへぬさまに、かたはしばかりを申し候。此の後又便宜に委しく経釈を見調べてかくべく候。穴賢穴賢。外見あるべからず候。若し命つれなく候はば仰せの如く明年の秋下り候て且つ申すべく候。恐恐。[p0420]
十二月五日 日 蓮 花押[p0420]
星名五郎太郎殿御返事[p0420]

#0050-5K0.TXT 宿屋入道許御状 文永五(1268.08・21) [p0424]

 其の後は書絶えて申さず、不審極まり無く候。抑そも去る正嘉元年[丁巳]八月二十三日戌亥の刻の大地震。日蓮諸経を引きて之を勘ふるに、念仏宗と禅宗等とを御帰依有るか之故に、日本守護の諸大善神、瞋恚を作して起こす所の災い也。若し此の対治無くんば、他国の為に此の国を破らるべき之由、勘文一通、之を撰し、正元二年[庚申]七月十六日、御辺に付し奉りて、故最明寺入道殿へ之を進覧せり。其の後九箇年を経て、今年、大蒙古国より牒状、之有る之由、風聞す等云云。[p0424]
 経文の如きんば、彼の国より此の国を責むる事必定也。而るに日本国には日蓮一人、当に彼の西戎を調伏する之人に為るべしと兼ねて之を知り、論文、之を勘ふ。君の為、国の為、神の為、仏の為、内奏を経らるべき歟。委細之旨は見参を遂げて申すべく候。[p0424-0425]
文永五年八月二十一日 日 蓮 花押[p0425]
宿屋左衛門入道殿[p0425]

#0052-5K0.TXT 与北条時宗書 文永五(1268.10・11) [p0426]

 謹んで言上せしめ候。抑そも正月十八日、西戎大蒙古国の牒状到来すと。日蓮先年諸経の要文を集め、之を勘へたること立正安国論の如く少しも違はず普合しぬ。日蓮は聖人の一分に当れり。未萠を知るが故也。[p0426]
 然る間、重ねて此の由を驚かし奉る。急ぎ、建長寺・寿福寺・極楽寺・多宝寺・浄光明寺・大仏殿等の御帰依を止めたまへ。然らずんば、重ねて而も又、四方より責め来るべき也。速やかに蒙古国の人を調伏して、我が国を安泰ならしめ給へ。彼を調伏せられん事、日蓮に非ざれば叶ふべからず也。[p0426]
 陳臣、国に在れば則ち其の国正しく、争子、家に在れば則ち其の家直し。国家の安危は政道の直否に在り。仏法の邪正は経文の明鏡に依る。[p0426]

 夫れ、此の国は神国也。神は非礼を稟けたまはらず。天神七代・地神五代の神神、其の外諸天善神等は、一乗擁護の神明なり矣。然而(しかも)法華経を以て食と作し、正直を以て力と為す。[p0426]
 法華経に云く_諸仏救世者 住於大神通 為悦衆生故 現無量神力〔諸仏救世者 大神通に住して 衆生を悦ばしめんが為の故に 無量の神力を現じたもう〕。一乗棄捨之国に於ては、豈に善神怒りを成さざらん耶。[p0426]
 仁王経に云く_一切聖人去時七難必起〔一切の聖人去らん時は七難必ず起こらん〕矣。彼の呉王は伍子胥が詞を捨て吾が身を亡ぼし、桀紂は龍比を失ひて国位を喪ぼす。今、日本国既に蒙古国に奪われんとす。豈に歎かざらん乎。豈に驚かざらん乎。[p0426]
 日蓮が申す事は御用ひ無くんば、定めて後悔、之有るべし。日蓮は法華経の御使也。経に云く_則如来使。如来所遣。行如来事〔則ち如来の使なり。如来の所遣として如来の事を行ずるなり〕。三世諸仏の事とは法華経也。此の由、方方へ之を驚かし奉る。一所に集めて御評議有りて御報に預かるべく候。[p0426]
 所詮は万祈を抛ちて諸宗を御前に召し合わせ、仏法の邪正を決し給へ。澗底の長松、未だ知らざれば良匠之誤り。闇中の錦衣を未だ見ざれば愚人之失なり。三国の仏法の分別に於ては殿前に在り。所謂、阿闍世・陳・隋桓武、是れ也。敢えて日蓮が私曲に非ず。只偏に大忠を懐く。故に身の為に之を申さず。神の為・君の為・国の為・一切衆生の為に言上せしむる所也。恐恐謹言。[p0426-0427]
文永五年[戊辰]十月十一日 日 蓮花押[p0427]
謹上 宿屋入道殿[p0427]

#0053-5K0.TXT 与宿屋入道書 文永五(1268.10・11) [p0427]

 先年勘へたる之書、安国論に普合せるに就いて言上せしめ候ひ畢んぬ。抑そも正月十八日、西戎大蒙古国より牒状到来すと。之を以て之を按ずるに、日蓮は聖人の一分に当たり候歟。[p0427]
 然りと雖も、未だ御尋ねに預からざる候之間、重ねて諌状を捧ぐ。希はくは御帰依の寺僧を停止せられ宜しく法華経に帰依せしむべし。若し然らずんば、後悔なんぞ追はん。此の趣を以て十一所に申せしめ候也。定んで御評定議有るべく候歟。偏に貴殿を仰ぎ奉る。早く日蓮が本望を遂げしめ給へ。[p0427]
 十一箇所と申すは、平左衛門尉殿に申せしむる所也。委悉、申し度候と雖も、上書分明なる之間、省略せしめ候。御気色を以て御披露庶幾せしむる所に候。恐恐謹言[p0427]
文永五年[戊辰]十一月十一日 日 蓮花押[p0427]
謹上 宿屋入道殿[p0427]

#0054-5K0.TXT 与平左衛門尉頼綱書 文永五(1268.10・11) [p0428]

 蒙古国の牒状到来に就いて言上せしめ候ひ畢んぬ。[p0428]
 抑そも先年日蓮、立正安国論に之を勘へたるが如く、少しも違はず普合せしむ。[p0428]
 然る間、重ねて訴状を以て愁鬱を発かんと欲す。爰を以て、諌旗を公前に飛ばし争戟を私後に立つ。併せながら貴殿は一天の屋梁為り、万民の手足為り。争でか此の国滅亡の事を歎かざらん耶、慎まざらん乎。早く須く対治を加へて謗法之咎を制すべし。 [p0428]
 夫れ以みれば一乗妙法蓮華経は諸仏正覚之極理、諸天善神之威食也。之を信受するに於ては、何ぞ七難来り、三災興らん乎。剰へ此の事を申す日蓮をば流罪せらる。争でか日月星宿、罰を加へざらん哉。聖徳太子は、守屋之悪を倒して仏法を興し、秀郷は将門を挫きて名を後代に留む。然らば法華経の強敵為る御帰依の寺僧を対治して、宜しく善神之擁護を蒙るべき者也。[p0428]
 御式目を見るに、非拠を制止すること分明也。争でか日蓮が愁訴に於ては御叙(もちひ)無からんや。豈に御起請文を破るに非ず乎。[p0428]
 此の趣を以て方方へ愚状を進らす。所謂鎌倉殿、宿屋入道殿、建長寺、寿福寺、極楽寺、大仏殿、長楽寺、多宝寺、浄光明寺、弥源太殿、並びに此の状、合わせて十一箇所也。各各御評議有りて速やかに御報に預かるべく候。[p0428-0429]
 若し爾らば、卞和之璞(あらたま)磨きて玉と成り、法王髻中之妙珠此の時に顕れん而已。全く身の為に之を申さず。神の為、君の為、国の為、一切衆生の為に言上せしむる之処也。件の如し。恐恐謹言。[p0429]
文永五年[戊辰]十月十一日 日 蓮花押[p0429]
謹上 宿屋入道殿[p0429]

#0055-5K0.TXT 与北条弥源太書 文永五(1268.10・11) [p0429]

 去る月御来臨、急ぎ急ぎ御帰宅、本意無く存ぜしめ候ひ畢んぬ。[p0429]
 抑そも蒙古国の牒状到来の事、上一人より下万民に至るまで、驚動、極まり無し。然りと雖も、何の故なること、人、未だ之を知らず。日蓮兼ねて存じせしむる之間、既に一論を造りて之を進覧せり。徴し先に達して顕れば、則ち災い後に来る。[p0429]
 去る正嘉元年丁巳八月二十三日戌亥の刻、大地震。是れ併せながら此の瑞に非ず乎。[p0429]
 法華経に云く_如是相と。天台大師云く ̄蜘蛛下喜事来、鵲鳴行人来〔蜘蛛下りて喜ぶこと来り、鵲鳴いて行人来る〕。易に云く ̄吉凶於動生〔吉凶、動に於て生ず〕と。此等の本文、豈に替わるべけん乎。所詮、諸宗の帰依を止めて一乗妙経を信受せしむ之由、勘文を捧げ候。[p0429]
 日本亡国之根源は、浄土・真言・禅宗・律宗の邪法悪法より起これり。諸宗を召し合わせ、諸経の勝劣を分別せしめ給へ。[p0429-0430]
 殊に貴殿は相模の守殿の同姓なり。根本滅するに於ては枝葉豈に栄えん乎。早く蒙古国を調伏し国土安穏ならしめたまへ。[p0430]
 法華を謗ずる者は三世諸仏の大怨敵也。天照大神・八幡大菩薩等、此の国を放ちたまふ故に、大蒙古国より牒状来る歟。自今已後各各生取りと成り、他国の奴と成るべし。[p0430]
 此の趣、方方へ之を驚かし、愚状を進らせしめ候也。恐恐謹言。[p0430]
文永五年[戊辰]十月十一日 日 蓮花押[p0430]
謹上 弥源太入道殿[p0430]

#0056-5K0.TXT 与建長寺道隆書 文永五(1268.10・11) [p0430]

 夫れ、仏閣軒を並べ法門屋に拒る。仏法の繁栄は身毒・尸那に超過し、僧宝の形儀は六通の羅漢の如し。[p0430]
 然りと雖も、一代諸経に於て未だ勝劣浅深を知らず。併せながら禽獣に同じ。忽ち三徳の釈迦如来を抛ち、他方の仏菩薩を信ず。是れ豈に逆路伽耶陀の者に非ずや。念仏は無間地獄の業、禅宗は天魔の所為、真言は亡国の悪法、律宗は国賊の妄説と云云。[p0430]
 爰に、日蓮去る文応元年之比、之を勘へたるの書を立正安国論と名づく。宿屋入道を以て故最明寺殿に奉りぬ。[p0430]
 此の書の所詮は、念仏・真言・禅・律等の悪法を信ずる故に、天下に災難頻りに起こり、剰へ他国より此の国を責めらるべき之由、之を勘へたり。[p0430-0431]
 然而るに去る正月十八日、牒状到来すと。日蓮が之を勘へたる所に少しも違わず普合せしむ。諸寺諸山の祈祷威力滅する故歟。将た又、悪法の故なる歟。[p0431]
 鎌倉中の上下万人、道隆聖人をば仏の如く之を仰ぎ、良観聖人をば羅漢の如く之を尊む。其の外、寿福寺・多宝寺・浄光明寺・長楽寺・大仏殿の長老等は我慢心充満 未得謂為得の増上慢の大悪人なり。何ぞ蒙古国の大兵を調伏せしむべけん乎。[p0431]
 剰へ日本国中の上下万人、悉く生取りと成るべく、今世には国を亡ぼし、後世は必ず無間に堕せん。日蓮が申す事を御用ひ無くんば、後悔、之有るべし。[p0431]
 此の趣、鎌倉殿・宿屋入道殿・平左衛門尉殿等へ之を進状せしめ候。一処に寄り集まりて御評議有るべく候。[p0431]
 敢えて日蓮が私曲之義に非ず。只、経論の文に任す之処也。具さには紙面に載せ難し。併せながら対決之時を期す。書は言を尽くさず。言は心を尽くさず。恐恐謹言。[p0431]
文永五年[戊辰]十月十一日 日 蓮花押[p0431]
進上 建長寺道隆聖人 持者御中[p0431]

#0057-5K0.TXT 与極楽寺良観書 文永五(1268.10・11) [p0432]

 西戎大蒙古国簡牒の殊に就いて、鎌倉殿、其の外へ書状を進らせしめ候。[p0432]
 日蓮去る文応元年之比、勘へ申せし立正安国論の如く、毫末計りも之に相違せず候。此の事如何。[p0432]
 長老忍性、速やかに嘲弄之心を翻し、早く日蓮房に帰せしめ給へ。もし然らずんば、軽賎人間者 与白衣説法之失、脱れ難き歟。[p0432]
 依法不依人とは如来の金言也。良観聖人の住処を法華経に説きて云く_或有阿練若 納衣在空閑〔或は阿練若に 納衣にして空閑に在って〕。阿練若は無事と翻す。争でか日蓮を讒奏する之条、住処と相違せり。併せながら三学に似たる矯賊の聖人也。僣聖増上慢にして、而も今生は国賊、来世は那落に堕在せんこと必定矣(ならん)。聊かも先非を悔いなば日蓮に帰すべし。此の趣は鎌倉殿を始め奉り、建長寺等、其の外へ披露せしめ候。[p0432]
 所詮、本意を遂げんと欲せば、対決に如かず。即ち、三蔵浅近之法を以て諸経中王之法華に向ふは、江河と大海と華山と妙高との勝劣の如くならん。蒙古国調伏の秘法、定めて御存知有るべく候歟。[p0432]
 日蓮は日本第一の法華経の行者、蒙古国退治の大将為り。於一切衆生中。亦為第一〔一切衆生の中に於て亦為れ第一なり〕とは是れ也。[p0432]
 文言多端、理を尽くす能わず。併せながら省略せしめ候。恐恐謹言。[p0432]
文永五年[戊辰]十月十一日 日 蓮花押[p0432]
謹上 極楽寺長老良観聖人 御所[p0432]

#0058-5K0.TXT 与大仏殿別当書 文永五(1268.10・11) [p0433]

 去る正月十八日、西戎大蒙古国より牒状到来し候ひ畢んぬ。其の状に云く 大蒙古国皇帝、日本国王に書を上る。大道之行はるゝ其の義、【しんにょう+貎】たり矣。信を構へ睦を修す、其の理何ぞ異ならん。乃至、至元三年丙寅正月日と。右、此の状の如きんば、返牒に依て日本国を襲ふべき之由、分明也。[p0433]
 日蓮兼ねて勘へ申せし立正安国論に少しも相違せず。急やかに退治を加へ給へ。然れば日蓮を於て之を叶ふべからず。早く我慢を倒して日蓮に帰すべし。今生空しく過ぎなば、後悔何ぞ追はん。委しく之を記すること能わず。此の趣、方方へ申せしめ候。一処に聚集し、御調伏有るべく候歟。[p0433]
文永五年[戊辰]十月十一日 日 蓮花押[p0433]
謹上 大仏殿別当御房[p0433]

#0059-5K0.TXT 与寿福寺書 文永五(1268.10・11) [p0433]

 風聞の如きんば、蒙古国の簡牒、去る正月十八日、慥かに到来候ひ畢んぬ。[p0433]
 然れば先年日蓮が勘へし書の立正安国論の如く、普合せしむ。恐らくは日蓮は未萠を知る者なる歟。之を以て之を按ずるに、念仏・真言・禅・律等の悪法一天に充満して、上下の師と為る之故に、此の如き他国侵逼難起れる也。法華不信の失に依て皆一同に後生は無間地獄に堕すべし。早く邪見を翻し、達磨の法を捨てゝ一乗正法に帰せしむべし。[p0433-0434]
 然る間、方方へ披露せしめ候之処也。早早、一処に集まりて御評議有るべく候。委しくは対決之時を期す。恐恐謹言。[p0434]
  文永五年十月十一日 日 蓮花押[p0434]
謹上 寿福寺 侍司御中[p0430]

#0060-5K0.TXT 与浄光明寺書 文永五(1268.10・11) [p0434]

 大蒙古国の皇帝、日本国を奪ふべき之由、牒状を渡す。此の事、先年、立正安国論に勘へ申せし如く、少しも相違せしめず。[p0434]
 内内、日本第一の勤賞に行はるべき歟と存ぜしめ候之処、剰へ御称歎に預からず候。是れ併せながら鎌倉中著の類、律宗・禅宗等が向国王大臣 誹謗説我悪之故也。早く二百五十戒を抛ちて、日蓮に帰して成仏を期すべし。若し然らずんば、堕罪無間之根源矣(ならん)。[p0434]
 此の趣、方方へ披露せしめ候ひ畢んぬ。早く一処に集まりて対決を遂げしめ給へ。日蓮庶幾せしむる処也。敢えて諸宗を蔑如するに非ざる耳。法華の大王戒に対して小乗虻{もんみやう}戒、豈に相対に及ばん乎。笑うべし、笑うべし。[p0434-0435]
文永五年十月十一日 日 蓮花押[p0435]
謹上 浄光明寺 持者御中[p0435]

#0061-5K0.TXT 与多宝寺書 文永五(1268.10・11) [p0435]

 日蓮、故最明寺殿に奉る之書、立正安国論、御披見候乎。未萠を知りて是れを勘へ申す処也。[p0435]
 既に去る正月、蒙古国の簡牒、到来す。何ぞ驚かざらん乎。此の事不信千万矣。縦ひ日蓮は悪しと雖も、勘ふる所の相ひ当るに於ては用ひざらん哉。早く一所に集まりて、御評議有るべし。[p0435]
 若し日蓮が申す事を御用ひ無くんば今世には国を亡ぼし、後世は必ず無間大城に堕すべし。[p0435]
 此の旨方方へ之を申せしめし也。敢えて日蓮が私曲に非ず。委しくは御報に預かるべく候。言は心を尽くさず。書は言を尽くさず。併せながら省略せしめ候。恐恐謹言。[p0435]
文永五年十月十一日 日 蓮花押[p0435]
謹上 多宝寺 侍司御中[p0435]

#0062-5K0.TXT 与長楽寺書 文永五(1268.10・11) [p0436]

 蒙古国調伏之事に就いて方方へ披露せしめ候ひ畢んぬ。[p0436]
 既に日蓮、立正安国論に勘へたるが如く、普合せしむ。早く邪法・邪教を捨て、実報・実教に帰すべし。若し御用ひ無くんば、今生は国を亡ぼし、身を失ひ、後生には必ず那落に堕すべし。速やかに一処に集まりて談合を遂げ、評議せしめ給へ。日蓮、庶幾せしむる所也。[p0436]
 御報に依て其の旨を存すべく候之処也。敢えて諸宗を蔑如するに非ず。但、此の国の安泰を存する計り也。恐恐謹言。[p0436]
文永五年十月十一日 日 蓮花押[p0436]
謹上 長楽寺 侍司御中[p0436]

#0063-5K0.TXT 弟子檀那中御書 文永五(1268.10・11) [p0436]

 大蒙古国の簡牒、到来に就いて十一通の書状を以て方方へ申し候。定めて日蓮が弟子檀那、流罪・死罪、一定ならん耳。少しも是れを驚くこと莫れ。方方への強言、申すに及ばず。是れ併せながら強毒之故也。[p0436]
 日蓮、庶幾せしむる所に候。各各用心有るべし。少しも妻子眷属を憶ふこと莫れ。権威を恐るゝこと莫れ。今度、生死之縛を切りて仏果を遂げしめ給へ。[p0436]
 鎌倉殿・宿屋入道・平左衛門尉・弥源太・建長寺・寿福寺・極楽寺・多宝寺・浄光明寺・大仏殿・長楽寺[已上十一箇所]。[p0436]
 仍て十一通の状を書きて諌訴せしめ候ひ畢んぬ。定めて子細有るべし。日蓮が所に来りて書状等、披見せしめ給へ。恐恐謹言。[p0436]
文永五年[戊辰]十月十一日 日 蓮花押[p0436]
日蓮弟子檀那中[p0436]

#0068-500.TXT 六郎恒長御消息 文永六(1269.09) [p0440]

 所詮、念仏を無間地獄と云ふ義に二有り。一には念仏は無間地獄とは、日本国一切の念仏宗の元祖法然上人の選択集に、浄土三部を除きてより以外、一代の聖教、所謂、法華経・大日経・大般若経・等の一切大小の経を書き上げて、捨閉閣抛等云云。之に付きて聖人亀鏡と挙げられし浄土の三部経の其の中に、双観経に阿弥陀仏の因位、法蔵比丘の四十八願に云く_唯除五逆誹謗正法〔唯五逆と誹謗正法とを除く〕と云云。法然上人も乃至十念の中には入り給ふといえども、法華経の文を閉じよと書かれ候へば、阿弥陀仏の本願に、漏れたる人に非ずや。其の弟子、其の檀那等も亦以て此の如し。[p0440-0441]
 法華経の文には_若人不信 乃至 其人命終 入阿鼻獄と云云。阿弥陀仏の本願と、法華経の文と真実ならば、法然上人は無間地獄に堕ちたる人に非ずや。一切の経の性相に定めて云く 師堕弟子堕弟子堕檀那堕〔師、堕つれば弟子堕つ。弟子堕つれば檀那堕つ〕と云云。譬へば謀反の者の郎従等の如し。御不審有らば選択を披見あるべし[是一][p0441]
 二には念仏を無間地獄とは法華経の序分、無量義経に云く_以方便力。四十余年。未顕真実〔方便力を以てす。四十余年には未だ真実を顕さず〕云云。次下の文に云く_過無量無辺 乃至 終不得成。無上菩提〔無量無辺 乃至 過ぐれども、終に無上菩提を成ずることを得ず〕云云。[p0441]
 仏、初成道の時より、白鷺池の辺りに至るまで、年紀をあげ、四十余年と指して其の中の一切経を挙ぐる中に、大部の経四部、其の四部の中に、次説方等。十二部経〔次に方等十二部経〕云云。是れ念仏者の御信用候三部経也。此れを挙げて真実に非ずと云云。次に法華経に云く_世尊法久後 要当説真実〔世尊は法久しゅうして後 要ず当に真実を説きたもうべし〕とは、念仏等の不真実に対し、南無妙法蓮華経を真実と申す文也。[p0441]
 次下に云く_仏自住大乗〔仏は自ら大乗に住したまえり〕 乃至 若以小乗化 乃至於一人 我則堕慳貪 此事為不可〔若し小乗を以て化すること 乃至一人に於てもせば 我則ち慳貪に堕せん 此の事は為めて不可なり〕。此の文の意は、法華経を仏胸に秘しをさめて、観経念仏等の四十余年之経計りを人々に授けて、法華経を説かずして黙止するならば、我は慳貪の者也、三悪道に堕すべしと云ふ文也。仏すら尚ほ唯念仏を行じて一生を過ごし、法華経に移らざる時は地獄に堕つべしと云云。況んや末代の凡夫、一向に南無阿弥陀仏と申して一処をすごし、法華経に移りて南無妙法蓮華経と唱へざる者、三悪道を免るべき耶。[p0441-0442]
 第二の巻に云く_今此三界等云云。此の文は日本国、六十六箇国嶋二つの大地は、教主釈尊の本領也。娑婆以て此の如く、全く阿弥陀仏の領に非ず。其中衆生 悉是吾子〔其の中の衆生は 悉く是れ吾が子なり〕と云云。日本国の四十九億九万四千八百二十八人の男女、各父母有りといへども、其の詮を尋ぬれば教主釈尊の御子也。三千余社の大小の神祇も釈尊の御子息也。全く阿弥陀仏の子には非ざる也。[p0442]
九月 日 日 蓮花押[p0442]
南部六郎恒長殿[p0442]

#0072-300 真間釈迦仏供養逐状 文永七(1270.09・26) [p0457]

 釈迦仏造立の御事。無始曠劫よりいまだ顕れましまさぬ己身の一念三千の仏、造り顕しましますか。はせまいりてをがみまいらせ候わばや。欲令衆生。開仏知見〔衆生をして仏知見を開かしめ〕 乃至 然我実成仏已来〔然るに<善男子>我実に成仏してより已来〕は是也。但し仏の御開眼の御事は、いそぎいそぎ伊よ房(伊与房)をもてはたしまいらせさせ給ひ候へ。法華経一部、御仏の御六根によみ入れまいらせて、生身の教主釈尊になしまいらせて、かへりて迎ひ入れまいらせさせ給へ。自身竝びに子にあらずばいかんがと存じ候。[p0457]
 御所領の堂の事等は、大身阿闍梨がききて候。かへすがへすをがみ結縁しまいらせ候べし。いつぞや大黒を供養して候ひし其の後より世間なげかずしておはするか。此の度は大海のしほの満つるがごとく、月の満ずるが如く、福きたり命ながく、後生は霊山とおぼしめせ。[p0457]
九月二十六日 日 蓮 花押[p0457]
進上 富木殿御返事[p0457]

#0075-500.TXT 富木殿御返事 文永七(1270) [p0461]

 白米(しらよね)一ほかひ(行器)本斗六升たしかに給候。ときれう(斎料)も候はざりつるに悦び入候。何事も見参にて申べく候。[p0461]
乃 時 花押[p0461]
富木殿[p0461]

#0076-500.TXT 善無畏三蔵鈔(師恩報酬鈔)文永七(1270) [p0461]

 法華経は一代聖教の肝心、八万法蔵の依りどころ也。大日経・華厳経・般若経・深密経等の諸の顕密の諸経は震旦・月氏・龍宮・天上・十方世界の国土の諸仏の説教恒沙塵数也。大海を硯水とし、三千大千世界の草木を筆としても書き尽くしがたき経経の中をも、或は此れを見、或は計り推するに、法華経は最第一におはします。[p0461]
 而るを印度の宗、[→4p0462]日域の間に仏意を窺はざる論師・人師多くして、或は大日経は法華経に勝れたり。或人々は法華経は大日経に劣るのみならず、華厳経にも及ばず。或人々は法華経は涅槃経・般若経・深密経等には劣る。或人々は辺辺あり、互いに勝劣ある故に。或人の云く 機に随て勝劣あり、時機に叶へば勝れ、叶はざれば劣る。或人の云く 有門より得道すべき機あれば、空門をそしり有門をほむ。余も是れを以て知るべしなんど申す。其の時の人々の中に此の法門を申しやぶる人なければ、おろかなる国王等深く是れを信ぜさせ給ひ、田畠等を帰信して徒党あまたになりぬ。其の義久しく旧ぬれば、只正法なんめりと打ち思ひて、疑ふ事もなく過ぎ行く程に、末世に彼等が論師・人師より智慧賢き人出来して、彼等が持つところの論師・人師の立義、一々に或は所依の経々に相違するやう、或は一代聖教の始末浅深等を弁へざる故に専ら経文を以て責め申す時、各々宗々の元祖の邪義、扶け難き故に陳(のべ)方を失ひ、或は疑て云く云く 論師・人師定めて経論に証文ありぬらん。我が智及ばざれば扶けがたし。或は疑て云く 我が師は上古の賢哲なり、今我等は末代の愚人なり、何度思ふ故に、有徳高人をかたらひえて怨のみなすなり。[p0461ー0462]
 しかりといへども、予、自他の偏黨をなげすて、論師・人師の料簡を閣きて専ら経文によるに、法華経は勝れて第一におはすと意得て侍る也。[→7p0463]法華経に勝れておはする御経ありと申す人出来候はば、思し食すべし。此れは相似の経文を見たがへて申す歟。又、人の私に我とつくりて事を仏説に寄せて候歟。智慧おろかなる者弁へずして、仏説と号するなんどと思し食すべし。慧能が壇経、善導が観念法門経、天竺・震旦・日本国に私に経を説きおける邪師、其の数多し。其の外、私に経文を作り、経文に私の言を加へなんそせる人々是れ多し。[p0462-0463]
 然りと雖も、愚かなる者は是れを真と思ふ也。譬ば天に日月にすぎたる星有りなんど申せば、眼無き者はさもやなんど思はんが如し。私は上古の賢哲、汝は末代の愚人なんど申す事をば、愚かなる者はさもやと思ふ也。此の不審は今に始まりたるにあらず。[p0463]
 陳隋の大に智法師と申せし小僧一人侍りき。後には二代の天子の御師、天台智者大師と号し奉る。此の人始めいやしかりし時、但漢土五百余年の三蔵人師を破るのみならず、月氏一千年の論師をも破せしかば、南北の智人等雲の如く起こり、東西の賢哲等星の如く列なりて、雨の如く難を下し、風の如く此の義を破りしかども、終に論師・人師の偏邪の義を破して天台一宗の正義を立てにき。[p0463]
 日域の桓武の御宇に最澄と申す小僧侍りき。後には伝教大師と号し奉る。欽明已来の二百余年の人師の諸宗を破りしかば、始めは諸人いかりをなせしかども、後には一同に御弟子となりにき。[→8p0463]此等の人々の難に我等が元祖は四依の論師、上古の賢哲なり。汝は像末の凡夫・愚人也、とこそ難じ侍りしか。正像末には依るべからず、実経の文に依るべきぞ。人には依るべからず、専ら道理に依るべき歟。[p0463-0464]
 外道、仏を難じて云く 汝は成劫の末、住劫の始めの愚人也。我等が本師は先代の智者、二天三仙是れ也。なんど申せしかども、終に九十五種の外道とこそ捨てられしか。[p0464]
 日蓮八宗を勘へたるに、法相宗・華厳宗・三論宗等は権経に依て、或は実経に同じ、或は実経を下せり。此の論師・人師より誤りぬと見えぬ。倶舎・成実は子細ある上、律宗なんどは小乗最下の宗也。人師より権大乗、実大乗にもなれり。真言宗・大日経等は未だ華厳経等にも及ばず。何に況んや涅槃・法華経等に及ぶべしや。[p0464]
 而るに善無畏三蔵は、華厳・法華・大日経等の勝劣を判ずる時、理同事勝の謬釈を作りしより已来、或はおごり(傲)をなして法華経は華厳経にも劣りなん、何に況んや真言経に及ぶべしや。或は云く 印・真言のなき事は法華経に諍ふべからず。或は云く 天台宗の祖師多く真言宗を勝ると云ひ、世間の思ひも真言宗勝れたるなんめりと思へり。[p0464]
 日蓮此の事を計るに、人多く迷ふ事なれば委細にかんがへたる也。粗、余所に注せり。見るべし。又、志あらん人々は存生の時習ひ伝ふべし。人の多くおもふにはおそるべからず。又、時節の久近にも依るべからず。専ら経文と道理とに依るべし。[2→p0465][p0464-0465]
 浄土宗は曇鸞・道綽・善導より誤り多くして、多くの人々を邪見に入れけるを、日本の法然、是れをうけ取りて人ごとに念仏を信ぜしむるのみならず、天下の諸宗を皆失はんとするを、叡山三千大千の大衆・南都興福寺・東大寺の八宗より是れをせく(塞)故に、代々の国王勅宣を下し、将軍家より御教書をなしてせけ(塞)どもとどまらず。弥々繁盛して、返りて主上・上皇・万民等にいたるまで皆信伏せり。[p0465]
 而るに日蓮は安房国東条片海の石中(いそなか)の賎民が子也。威徳なく、有徳のものにあらず。なににつけてか、南都北嶺のとどめがたき天子の虎牙の制止に叶はざる念仏をふせぐべきとは思へども、経文を亀鏡と定め、天台・伝教の指南を手ににぎりて、建長五年より今年文永七年に至るまで、十七年が間、是れを責めたるに、日本国の念仏大体留まり了ぬ。眼前に是れ見えたり。又、口にすてぬ人々はあれども、心ばかりは念仏は生死をはなるゝ道にはあらざるけると思ふ。[p0465]
 禅宗以て是の如し。一を以て万を知れ。真言等の諸宗の誤りをだに留めん事、手ににぎりておぼゆる也。況んや、当世の高僧真言師等は其の智牛馬にもおとり、螢火の光にもしかず。只、死せるものゝ手に弓箭をゆひつけ、ねごとするものに物をとふが如し。手に印を結び、口に真言は誦すれども、其の心中には義理を弁へる事なし。結句、慢心は山の如く高く、[2→p0466]欲心は海よりも深し。是れは皆、自ら経論の勝劣に迷ふより事起こり、祖師の誤りをたゞさざるによる也。[p0466]
 所詮、智者は八万法蔵をも習ふべし。十二部経をも学すべし。末代濁悪世の愚人は、念仏等の難行・易行等をば抛ちて、一向に法華経の題目を南無妙法蓮華経と唱へ給ふべし。日輪東方の空に出でさせ給へば、南浮の空皆明らかなり。大光を備へ給へる故也。螢火は未だ国土を照らさず。宝珠は懐中に持ちぬれば、万物皆ふらさずと云ふ事なし。瓦石は財をふらさず。念仏等は法華経の題目に対すれば、瓦石と宝珠と、螢火と日光との如し。我等が昧眼を以て螢火の光を得て、物の色を弁ふべしや。旁(かたがた)、凡夫の叶ひがたき法は、念仏・真言等の小乗・権経也。[p0466]
 又、我が師釈迦如来は一代聖教乃至八万法蔵の説者也。此の娑婆無仏の世の最先に出でさせ給ひて、一切衆生の眼目を開き給ふ御仏也。東西十方の諸仏菩薩も皆此の仏の教えなるべし。譬へば、皇帝已前は人、父をしらずして畜生の如し。尭王以前は四季を弁へず、牛馬の癡なるに同じかりき。仏世に出でさせ給はざりしには、比丘比丘尼の二衆もなく、只男女二人にて候ひき。今、比丘比丘尼の真言師等、大日如来を御本尊と定めて釈迦如来を下し、念仏者等が阿弥陀仏を一向に持ちて釈迦如来を抛ちたるも、教主釈尊の比丘比丘尼也。元祖が誤りを伝へ来るなるべし。[p0466]
 此の釈迦如来は、[→p0467]三の故ましまして、他仏にかはらせ給ひて娑婆世界の一切衆生の有縁の仏となり給ふ。一には此の娑婆世界の一切衆生の世尊にておはします。阿弥陀仏は此の国の大王にはあらず。釈迦歩圧は譬へば我が国の主上の如し。先づ此の国の大王を敬ひて、後に他国の王をば敬ふべし。天照太神・正八幡宮等は我が国の本主也。迹化の後、神と顕れさせ給ふ。此の神にそむく人、此の国の主となるべからず。されば天照太神をば鏡にうつし奉りて内侍所と号す。八幡大菩薩に勅使有りて物申しあはさせ給ひき。大覚世尊は我等が尊主也。先づ御本尊と定むべし。[p0467]
 二には、釈迦如来は娑婆世界の一切衆生の父母也。先づ我が父母を孝し、後に他人の父母には及ぼすべし。例せば、周の武王は父の形を木像に造りて、車にのせて戦の大将と定めて天感を蒙り、殷の紂王をうつ。舜王は父の目の盲たるをなげきて涙をながし、手をもてのごひ(拭)しかば本のごとく眼あきにけり。此の仏も又是の如く、我等衆生の眼をば開仏知見とは開き給ひしか。いまだ他仏は開き給はず。[p0467]
 三には、此の仏は娑婆世界の一切衆生の本師也。此の仏は賢劫第九、人寿百歳の時、中天竺浄飯大王の御子、十九にして出家し、三十にして成道し、五十余年が間一代聖教を説き、八十にして御入滅、舎利を留めて一切衆生を正像末に救ひ給ふ。阿弥陀如来・薬師仏・[→p0468]大日等は、他土の仏にして此の世界の世尊にてはましまさず。此の娑婆世界は十方世界の中の最下の処、譬へば此の国土の中の獄門の如し。十方世界の中の十悪五逆・誹謗正法の重罪逆罪の者を諸仏如来擯出し給ひしを、釈迦如来此の土にあつめ給ふ。三悪並びに無間大城に堕ちて、其の苦をつぐのひて人中天上には人中天上には生れたれども、其の罪の余残ありてややもすれば正法を謗じ、智者を罵る罪つくりやすし。例せば神事は阿羅漢なれども瞋恚のけしきあり。畢陵は見思を断ぜしかども慢心の形みゆ。難陀は婬欲を断じても女人に交わる心あり。煩悩を断じたれども余残あり。何に況んや凡夫にをいてをや。[p0468]
 されば釈迦如来の御名をば能忍と名づけて此の土に入り給ふに、一切衆生の誹謗をとがめずよく忍び給ふ故也。此等の秘術は他仏のかけ(欠)給へるところ也。阿弥陀仏等の諸仏世尊悲願をおこさせ給ひて、心にははぢ(恥)をおぼしめして、還りて此界にかよひ、四十八願・十二大願なんどは起こさせ給ふなるべし。観世音等の他土の菩薩も亦復是の如し。仏には常平等の時は一切諸仏は差別なけれども、常差別の時は各に十方世界に土をしめて有縁・無縁を分かち給ふ。大通智勝仏の十六王子、十方に土をしめて一々に我が弟子を救ひ給ふ。其の中に釈迦如来は此の土に当たり給ふ。我等衆生も又生を娑婆世界に受けぬ。[→4p0469]いかにも釈迦如来の教化をばはなるべからず。[p0468-0469]
 而りといへども人皆是れを知らず。委しく尋ねあきらめば、唯我一人 能為救護〔唯我一人のみ 能く救護を為す〕と申して釈迦如来の御手を離るべからず。而れば此の土の一切衆生、生死を厭ひ御本尊を崇めんとおぼしめさば、必ず先づ釈尊を木画の像に顕して御本尊と定めさせ給ひて、其の後力おはしまさば、弥陀等の他仏にも及ぶべし。然るを当世、聖行なき此土の人々の仏をつくりかゝせ給ふに、先づ他仏をさきとするは、其の仏の御本意にも釈迦如来の御本意にも叶ふべからざる上、世間の礼儀にもはづれて候。されば優填大王の赤栴檀いまだ他仏をばきざませ給はず。千頭王の画像も釈迦如来也。[p0469]
 而るを諸大乗経による人々、我が所依の経々を諸経に勝れたりと思ふ故に、教主釈尊をば次さまにし給ふ。一切の真言師は大日経は諸経に勝れたりと思ふ故に、此の経に詮とする大日如来を我等が有縁の仏と思ひ、念仏者等は観経等を信ずる故に阿弥陀仏を娑婆有縁の仏と思ふ。当世はことに善導・法然等が邪義を正義と思ひて浄土の三部経を指南とする故に、十造る寺は八九は阿弥陀仏を本尊とす。在家・出家・一家・十家・百家・千家にいたるまで持仏堂の仏は阿弥陀也。其の外、木画の像、一家に千仏万仏まします。大旨は阿弥陀仏也。[p0469]
 而るに当世の智者とおぼしき人々、是れを見てわざはひとは思はずして、[→p0470]我が意に相ひ叶ふ故に、只称美讃歎の心のみあり。[p0470]
 只、一向悪人にして因果の道理をも弁へず、一仏をも持たざる者は還りて失なきへんもありぬべし。我等が父母、世尊は主師親の三徳を備へて、一切の仏に擯出せられたる我等を、唯我一人 能為救護とはげませ給ふ。其の恩大海よりも深し。其の恩大地よりも厚し。其の恩虚空よりも広し。[p0470]
 二つの眼をぬいて仏前に空の星の数備ふとも、身の皮を剥いで百千万天井にはるとも、涙を閼伽の水として千万億劫仏前に備ふとも、身の肉血を無量劫仏前に山の如く積み、大海の如く湛ふとも、此の仏の一分の恩徳を報じ尽くしがたし。[p0470]
 而るを当世の僻見の学者等、設ひ八万法蔵を極め、十二部経を諳んじ、大小の戒品を固く持ち給ふ智者なりとも、此の道理に背かば悪道を免るべからずと思し食すべし。[p0470]
 例せば善無畏三蔵は真言宗の元祖、烏萇奈国(うちょうなこく)の大王、仏種王の太子也。教主釈尊は十九にして出家し給ひき。此の三蔵は十三にして位を捨て、月氏七十箇国、九万里を歩き回りて諸経・諸論・諸宗を習ひ伝へ、北天竺金粟王の塔の下にして天に仰ぎ祈請を致し給へるに、虚空の中に大日如来を紂王として胎蔵界の曼陀羅顕れさせ給ふ。慈悲の余り、此の正法を辺土に弘めんと思し召して漢土に入り給ひ、玄宗皇帝に秘法を授け、旱魃の時、雨の祈りをし給ひしかば、三日が内に天より雨ふりしなり。此の三蔵は、[→p0471]千二百余尊の種子尊形三摩耶一事もくもりなし。当世の東寺等の一切の真言宗、一人も此の御弟子に非ざるはなし。[p0470-0471]
 而るに此の三蔵、一時に頓死ありき。数多の獄卒来りて鉄縄七すぎ懸けたてまつり、閻魔王宮に至る。此の事第一の不審也。いかなる罪あて(有)此の責めに値ひ給ひけるやらん。今生は十悪は有りもやすらん。五逆罪は造らず。過去を尋ねぬれば、大国の王となり給ふ事を勘ふるに、十善戒を堅く持ち五百の仏陀に仕へ給ふ也。何の罪かあらん。其の上、十三にして位を捨て出家し給ひき。閻浮第一の菩提心なるべし。過去・現在の軽重の罪も滅すらん。其の上、月氏に流布する所の経論・諸宗を習ひ極め給ひし也。何の罪か消えざらん。又、真言密教は他に異なる法なるべし。一印一真言なれども手に結び、口に誦すれば、三世の重罪も滅せずと云ふことなし。無量倶低劫の間、作る所の衆の罪障も、此の曼荼羅を見れば一時に皆生滅すとこそ申し候へ。況んや此の三蔵は千二百余尊の印・真言を諳に浮かべ、即身成仏の観、道鏡に懸かり、両部潅頂の御時、大日覚王となり給ひき。如何にして閻魔の責めに預かり給ひけるやらん。[p0471]
 日蓮は顕密二道の中に勝れさせ給ひて、我等易易と生死を離るべき教に入らんと思ひ候て、真言の秘教をあらあら習ひ、此の事を尋ね勘へるに、一人として答をする人なし。此の人悪道を免れずば、当世の一切の真言師並びに一印一真言の道俗、[→2p0472]三悪道の罪を免るべきや。[p0471-0472]
 日蓮此の事を委しく勘ふるに、二つの失有りて閻魔王の責めに預かり給へり。一つには、大日経は法華経に劣るのみに非ず、涅槃経・華厳経・般若経等にも及ばざる経にて候を、法華経に勝れたりとする謗法の失也。二つには、大日如来は釈尊の分身也。而るを大日如来は教主釈尊に勝れたりと思ひし僻見也。此の謗法の罪は無量劫の間、千二百余尊の法を行ずとも悪道を免るべからず。[p0472]
 此の三蔵、此の失挽れ難き故に、諸尊の印・真言を作せども叶はざりしかば、法華経第二譬諭品の_今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子 而今此処 多諸患難 唯我一人 能為救護〔今此の三界は 皆是れ我が有なり 其の中の衆生は 悉く是れ吾が子なり 而も今此の処は 諸の患難多し 唯我一人のみ 能く救護を為す〕の文を唱へて、鉄の縄を免れさせ給ひき。[p0472]
 而るに善無畏已後の真言師等は、大日経は一切経に勝るゝのみに非ず、法華経に超過せり。或は法華経は華厳経にも劣るなんど申す人もあり。此等は人は異なれども其の謗法の罪は同じき歟。又、善無畏三蔵、法華経と大日経と大事とすべしと深理をば同ぜさせ給ひしかども、印と真言とは法華経は大日経に劣りけるとおぼせし僻見計り也。其れ已後の真言師等は大事の理をも法華経は劣れりと思へり。印・真言は又申すに及ばず。謗法の罪遥かにかさみたり。閻魔の責めにて堕獄の苦を延ぶべしとも見へず。直ちに阿鼻の炎をや招くらん。[p0472]
 大日経には本、一念三千の深理なし。此の理は法華経に限るべし。善無畏三蔵、[→2p0473]天台大師の法華経の深理を読み出させ給ひしを盗み取りて大日経に入れ、法華経の荘厳として説かれて候大日経の印・真言を彼の経の得分と思へり。理も同じと申すは僻見也。真言印契を得分と思ふも邪見也。譬へば人の下人の六根は主の物なるべし。而るを我が財(たから)と思ふ故に多くの失出で来る。此の譬を以て諸経を解るべし。劣る経に説く法門は勝れたる経の得分と成るべきなり。[p0472-0473]
 而るを日蓮は安房国東条の郷、清澄山の住人也。幼少の時より虚空蔵菩薩に願を立てて云く 日本第一の智者となし給へと云云。虚空蔵菩薩、眼前に高僧とならせ給ひて明星の如くなる智慧の宝珠を授けさせ給ひき。其のしるしにや、日本国の八宗並びに禅宗・念仏宗等の大綱、粗、伺ひ侍りぬ。殊には建長五年の比より、今文永七年に至るまで、此の十六七年の間、禅宗と念仏宗とを難ずる故に、禅宗・念仏宗の学者、蜂の如く起こり、雲の如く集まる。是れをつむ(詰)る事、一言二言には過ぎず。結句は天台・真言等の学者、自宗が為に天台・真言は念仏宗・禅宗に等しと料簡しなして、日蓮を破するなり。此れは日蓮を破する様なれども、我と天台・真言等を失ふものなるべし。能々恥ずべき事也。[p0473]
 此の諸経・諸論・諸宗の失を弁へる事は虚空蔵菩薩の御利生、本師道善房の御恩なるべし。[→8p0474]亀魚(かめ)すら恩を報ずる事あり。況んや人倫をや。此の恩を報ぜんが為に清澄山に於て仏法を弘め、道善御房を導き奉らんと欲す。[p0474]
 而るに此の人、愚痴におはする上、念仏者也。三悪道を免るべしとも見えず。而も又、日蓮が教訓を用ふべき人にあらず。然れども、文永元年十一月十四日、西条華房の僧坊にして見参に入りし時、彼の人云く_我、智慧なければ請用の望みもなし。年老いていらへ(綵)なければ念仏の名僧をも立てず、世間に弘まる事なれば唯南無阿弥陀仏と申す計り也。又、我が心より起こらざれども事の縁有りて、阿弥陀仏を五体まで作り奉る。是れ又過去の宿習なるべし。此の科に依て地獄に堕つべきや等云云。[p0474]
 爾の時に日蓮、意に念はく、別して中違ひまいらする事無けれども、東條左衛門入道蓮智が事に依て此の十余年の間は見奉らず。但し中不和なるが如し。穏便の義を存じおだやかに申す事こそ礼儀なれと思ひしかども、生死界の習ひ、老少不定也。又二度見参の事難かるべし。此の人の兄、道義房義尚、此の人に向ひて無間地獄に堕つべき人と申して有りしが、臨終思ふ様にましまさざりけるやらん。此の人も又しかるべしと哀れに思ひし故に、思ひ切りて強々に申したりき。阿弥陀仏を五体作り給へるは五度無間地獄に堕ち給ふべし。其の故は正直捨方便の法華経に、釈迦如来は我等が親父、阿弥陀仏は伯父と説かせ給ふ。我伯父をば五体まで作り供養させ給ひて、[8→p0474]親父をば一体も作り給はざるけるは、豈に不孝の人に非ずや。[p0474-0475]
 中々山人海人なんどが、東西をしらず一善をも修せざる者は、還りて罪浅き者なるべし。当世の道心者が後世を願ふとも、法華経・釈迦仏をば打ち捨て、阿弥陀仏・念仏なんどを念々に捨て申さざるはいかんがあるべかるらん。打ち見る処は善人とは見えたれども、親を捨てゝ他人につく失免るべしとは見えず。一向悪人はいまだ仏法に帰せず、釈迦仏を捨て奉る失も見えず、縁有りて信ずる辺もや有らんずらん。善導・法然並びに当世の学者等が邪義に就いて、阿弥陀仏を本尊として一向に念仏を申す人々は、多生曠劫をふるとも、此の邪見を翻へして、釈迦仏・法華経に帰すべしとは見えず。[p0475]
 されば雙林最後の涅槃経に、十悪・五逆よりも過ぎてをそろしき者を出させ給ふに、謗法闡提と申して二百五十戒を持ち、三衣一鉢を身に纏へる智者共の中にこそ有るべしと見え侍れと、こまごまと申して候ひしかば、此の人もこゝろえずげに思ひておはしき。傍座の人々もこゝろえずげにをもはれしかども、其の後承りしに、法華経を持たるゝの由承りしかば、此の人邪見を翻し給ふ歟。善人に成り給ひぬと悦び思ひ候処に、又、此の釈迦仏を造らせ給ふ事申す計りなし。当座には強げなる様に有りしかども、法華経の文のまゝに説き候ひしかばかう(斯)おれさせ給へり。忠言逆耳良薬苦口〔忠言耳に逆らひ、良薬口に苦し〕、[→p0476]と申す事は是れ也。[p0475-0476]
 今既に、日蓮、師の恩を報ず。定めて仏神納受し給はん歟。各々此の由を道善房に申し聞かせ給ふべし。仮令、強言なれども、人をたすくれば実語・軟語なるべし。設ひ軟語なれども、人を損ずるは妄語・強言也。当世学匠等の法門は、軟語・実語と人々は思し食したれども皆強言・妄語也。仏の本意たる法華経に背く故なるべし。日蓮が念仏申す者は無間地獄に堕すべし、禅宗・真言宗も又謬の宗也なんど申し候は強言とは思し食すとも実語・軟語なるべし。例せば此の道善御房の法華経を迎へ、釈迦仏を造らせ給ふ事は日蓮が強言より起こる。日本国の一切衆生の亦復是の如し。[p0476]
 当世此の十余年已前は一向念仏者にて候ひしが、十人が一二人は一向に南無妙法蓮華経と唱へ、二三人は両方になり、又、一向念仏申す人も疑ひをなす故に心中に法華経を信じ、又、釈迦仏を書き造り奉る。是れ亦日蓮が強言より起こる。譬へば栴檀は伊蘭より生じ、蓮華は泥より出でたり。而るに念仏は無間地獄に堕ちると申せば、当世、牛馬の如くなる智者共が日蓮が法門を仮染めにも毀るは、糞犬が師子王をほへ、癡猿が帝釈を笑ふに似たり。[p0476]
文永七年 日 蓮花押[p0476]
義城房浄顕房[p0476]

#0077-500.TXT 真言天台勝劣事 文永七(1270) [p0477]

 問ふ 何なる経論に依て真言宗を立つる耶。[p0477]
 答ふ 大日経・金剛頂経・蘇悉地経、並びに菩提心論。此の三経一論に依て真言宗を立つる也。[p0477]
 問ふ 大日経と法華経と何れか勝れたる耶。[p0477]
 答ふ 法華経は或は七重、或は八重の勝也。大日経は七八重劣也。[p0477]
 難じて云く 古より今に至るまで、法華より真言劣れると云ふ義、都て之無し。之に依て弘法大師は十住心を立てゝ法華は真言より三重の劣と解釈し給へり。覚鑁〈かくばん〉は法華は真言の履取りに及ばずと釈せり。打ち任せては密教勝れ顕教劣る也と世挙って此れを許す。七重の劣と云ふ義は甚だ珍しき者をや。[p0477]
 答ふ 真言は七重の劣と云ふ事珍しき義也と驚かるゝは理也。所以に法師品に云く_已説。今説。当説。而於其中。此法華経。最為難信難解〔已に説き今説き当に説かん。而も其の中に於て此の法華経最も為れ難信難解なり〕云云。又云く_於諸経中。最在其上〔諸経の中に於て最も其の上にあり〕云云。此の文のこゝろは、法華は一切経の中に勝れたり[此其一][p0477]
 次に無量義経に云く_次説方等。十二部経。摩訶般若。華厳海空〔初め四諦を説いて 乃至 次に方等十二部経・摩訶般若・華厳海空を説いて〕云云。又云く_真実甚深。甚深甚深〔真実甚深甚深甚深なり〕云云。此の文の心は、無量義経は諸経の中に勝れて甚深の中にも猶ほ甚深也。然れども法華の序分にして機もいまだなましき(不熟)故に、正説の法華には劣る也[此其二]。[p0477]
 次に涅槃経九に云く_是経出世如彼果実多所利益安楽一切 能令衆生見於仏性。如法華中八千声聞 得授記成大果実 如秋収冬蔵更無所作〔是の経の出世は、彼の果実の一切を利益し安楽する所多きが如く、能く衆生をして仏性を見せしむ。乃至 法華の中の八千の声聞に記を授けることを得て大果実成ずるが如し、秋収冬蔵して更に所作無きが如し〕。云云。[→5p0477]籤の一に云く ̄一家義意謂二部同味然涅槃尚劣〔一家の義意。謂く二部同じ味なれども、然も涅槃、なお劣る〕云云。文の心は涅槃経も醍醐味、法華経も醍醐味。同じ醍醐味なれども涅槃経は尚ほ劣る也。法華経は勝れたりと云へり。涅槃経は既に法華の序分の無量義経よりも劣り、醍醐味なるが故に華厳経には勝れたり[此其三]。[p0477-0478]
 次に華厳経は最初頓説なるが故に般若には勝れ、涅槃経の醍醐味には劣れり[此其四]。[p0478]
 次に蘇悉地経に云く_猶不成者或腹転読大般若経七返〔なお成ぜざる者は、或はまた大般若経を七遍転読すること〕云云。此の文の心は大般若経は華厳経に劣り、蘇悉地経には勝ると見えたり[此其五]。[p0478]
 次に蘇悉地経に云く_於三部中 此経為王〔三部の中に於て此の経を王と為す〕云云。此の文の心は蘇悉地経は大般若経には劣り、大日経・金剛頂経には勝ると勝ると見えたり。[此其六][p0478]
 此の義を以て大日経は法華経より七重の劣とは申す也。法華本門に望むれば八重の劣とも申す也。[p0478]
 次に弘法大師の十住心を立てゝ法華は三重劣ると云ふ事は、安然の教時義と云ふ文に十住心の立て様を破して云く 五つの失有り。謂く 一には大日経の義釈に違する失。二には金剛頂経に違する失。三には守護経に違する失。四には菩提心論に違する失。五には衆師に違する失也。此の五つの失を陳ずる事無くしてつまり給へり。然る間、法華は真言より三重の劣と釈し給へるが、大なる僻事也。謗法に成りぬと覚ゆ。[p0478]
 次に覚鑁の法華は真言の履取りに及ばずと舎利講の式に書かれたるは下に任せたる言也。証拠無き故に謗法なるべし。[p0478]
 次に世を挙げて密教勝れ、顕教劣ると、[→p0479]此れを云ふ事、是れ偏に弘法を信じて法を信ぜざる也。所以に弘法をば安然和尚、五失有りと云ひて、用ひざる時は世間の人は何様に密教勝ると思ふべき。抑そも密教勝れ顕教劣るとは何れの経に説きたるや。是れ又、証拠無き事を世を挙げて申す也。[p0478-0479]
 猶ほ難じて云く 大日経等は是れ中央大日法身、無始無終の如来、法界宮、或は色究竟天、他化自在天にして、菩薩の為に真言を説き給へり。法華は釈迦応身、霊山にして二乗の為に説き給へり。或は釈迦は大日の化身也とも云へり。成道の時は、大日の印可を蒙りて、字の観を教へられ、後夜に仏になる也。大日如来だにもましまさずば、争でか釈迦仏母仏に成り給ふべき。此等の道理を以て案ずるに、法華より真言勝れたる事は、云ふに及ばず也。[p0479]
 答て云く 依法不依人の故に、いかやうにも経説のやうに依るべき也。大日経は釈迦の大日となて説き給へる経也。故に金光明最勝王経の第一には中央釈迦牟尼と云へり。又、金剛頂経の第一にも中央釈迦牟尼仏と云へり。大日と釈迦とは一つ中央の仏なるが故に、大日経をば釈迦の説とも云ふべし。大日の説とも云ふべし。又、盧遮那と云ふは天竺の語、大日と云ふは此土の語也。釈迦牟尼を毘盧遮那と名づくと云ふ時は大日は釈迦の異名也。加之、旧訳の経に盧舎那と云ふをば、新訳の経には毘盧遮那と云ふ。然る間、新訳の経の毘盧遮那法身と云ふは、九や金剛頂経の経の毘遮那多受用身也。故に大日法身と云ふは法華経の自受用報身にも及ばず。[4→p0480]況んや法華経の法身如来にはまして及ぶべからず。法華経の自受用法身とは真言には分絶えて知らず也。法報不分二三莫弁と天台宗にもきらはるゝ也。随て華厳経の新訳の仏とは意得べきや。[p0479-0480]
 次に大日は只是れ釈迦の異名也。なにしに別の仏とは意得べきや。[p0480]
 次の法身の説法と云ふ事、何れの経の説ぞや。弘法大師の二教論には楞伽経に依て法身の説法を立て給へり。其の楞伽経と云ふは釈迦の説にして、未顕真実の権教也。法華経の自受用身に及ばざれば、法身の説法とはいへども、いみじくもなし。此の上に法は定めて説かず、報はに義に通ずるの二身の有るをば一向知らず也。故に大日法身の説法と云ふは定めて法華の他受用身に当る也。[p0480]
 次に大日無始無終と云ふ事、既に_我昔坐道場 降伏於四魔〔我昔道場に坐して、四魔を降伏す〕とも宣べ、又、降伏四魔解脱六趣満足一切智智之明〔四魔を降伏し六種を解脱し、一切智智の明を満足す〕等云云。此れ等の文は大日は始めて四魔を降伏して、始めて仏に成るとこそ見えたれ。全く無始の仏とは見えず。又、仏に成りて何程を経ると説かざる事は権教の故也。実経にこそ五百塵点等をも説きたれ。[p0480]
 次に法界宮とは、色究竟天歟。又、何の処ぞや。色究竟天、或は他化自在天は法華天台宗には別教の仏の説処と云ひていみじからぬ事に申す也。又、為菩薩説〔菩薩の為に説く〕とも高名もなし。例せば華厳経は一向菩薩の為なれども、尚ほ法華の方便とこそ云はるれ。只、仏出世の本意は仏に成り難き二乗の、仏に為るを[5→p0481]一大事とし給へり。[p0480-0481]
 されば大論には二乗の仏に成るを密教と云ひ、二乗作仏を説かざるを顕教と云へり。此の趣ならば真言の三部経は二乗作仏の旨無きが故に還りて顕教と云ひ、法華は二乗作仏を旨とする故に密教と云ふべき也。随て諸仏秘密之蔵と説けば子細無し。世間の人、密教勝ると云ふはいかやうに意得たる耶。但し若し顕教に於て修行する者は久しく三大無数劫を経ると云ふ故に、是れ、三蔵四阿含経を指して顕教と云ひて、権大乗までは云はず。況んや法華実大乗までは都て云はず也。[p0481]
 次に釈迦は大日の化身、字を教へられてこそ仏には成りたれと云ふ事。此れは偏に六波羅蜜経の説也。彼の経一部十巻は此れ釈迦の説也。大日の説には非ず。是れ未顕真実の権教也。随て成道の相も三蔵教の教主の相也。六年苦行の後の儀式なるをや。彼の経説の五味を天台は盗み取りて己が宗に立つると云ふ無実を云ひ付けらるゝ弘法大師の大なる僻事也。所以に天台は涅槃経に依て立て給へり。全く六波羅蜜経には依らず。況んや天台死去の後、百九十年あて貞元四年に渡れる経也。何として天台は見給ふべき。不実の過、弘法大師にあり。およそ彼の経説は未顕真実也。之を以て法華経を下さん事甚だ荒量也。[p0481]
 猶ほ難じて云く 如何に云ふとも印・真言・三摩耶尊形を説く事は大日経程法華経には之無し。事理倶密の談は真言ひとりすぐれたり。其の上、真言の三部経は釈迦一代五時の摂属に非ず。[→6p0481]されば弘法大師の宝鑰には釈摩訶衍論を証拠として法華は無明の辺域、戯論の法と釈し給へり。爰を以て法華劣り真言勝ると申す也。[p0481-0482]
 答ふ 凡そ印相・尊形は是れ権経の説にして実教の談に非ず。設ひ之を説くとも権実大小の差別浅深有るべし。所以に阿含経等にも印相有るが故に、必ず法華に印相・尊形を説くことを得ずして之を説かざるに非ず。説くまじければ是れを説かぬにこそ有れ。法華は只三世十方の仏の本意を説きて、其の形がとある、かうあるとは云ふべからず。例せば世界建立の相を説かねばとて、法華は倶舎より劣るとは云ふべからざるが如し。[p0482]
 次に事理倶密の事。法華は理秘密、真言は事理倶密なれば勝るゝとは何れの経に説かるや。抑そも法華の理秘密とは、何様の事ぞや。法華の理とは迹門開権顕実の理過。其の理は真言には分絶えて知らざる理也。法華の事とは又、久遠実成の事也。此の事又真言になし。真言に云ふ所の事理は未開会の権教の事理也。何ぞ法華に勝るべき乎。[p0482]
 次に一代五時の摂属に非ずと云ふ事。是れ往古より諍ひ也。唐決には四教有るが故に方等部に摂すと云へり。教時義には、一切智智一味の開会を説くが故に、法華の摂と云へり。二義の中に方等の摂と云ふは吉義也。所以に一切智智一味の文を以て、法華の摂と云ふ事、甚だいはれなし。彼は法開会の文にして、全く人開会なし。争でか法華の摂と云はるべき。法開会の文は、方等・般若にも盛んに談ずれども、[→3p0483]法華に等しき事なし。彼の大日経の始終を見るに、四教の旨具さにあり。尤も方等の摂と云ふべし。所以に開権顕実の旨、有らざれば法華と云ふまじ。一向小乗三蔵の義無ければ阿含部とも云ふべからず。般若畢竟空を説かねば般若部とも云ふべからず。大小四教の旨を説くが故に方等部と云はずんば何れの部とか云はん。又一代五時を離れて外に仏法有りと云ふべからず。若し有らば二仏並出の失あらん。又、其の法を釈迦統領の国土にきたして弘むべからず。[p0483]
 次に弘法大師、釈摩訶衍論を証拠と為して法華を無明の辺域、戯論の法と云ふ事、是れ以ての外の事也。釈摩訶衍論とは、龍樹菩薩の造也。是れは釈迦如来の御弟子也。争でか弟子の論を以て師の一代第一と仰せられし法華経を押し下ろして戯論の法等と云ふべき耶。而も論に其の明文無し。随て彼の論の法門は別教の法門也。権教の法門也。是れ円教に及ばず。又実教に非ず。何してか法華を下すべき。其の上、彼の論に幾ばくの経をか引くらん。されども法華経を引く事は都て之無し。権論の故也。地体、弘法大師の華厳より法華を下されたるは遥かに仏意にはくひ違ひたる心地也。用ふべからず、用ふべからず。[p0483]
日 蓮花押[p0483]

#0078-500.TXT 四条金吾女房御書 文永八(1271.05・07) [p0484]

 懐胎のよし承り候畢ぬ。それについては符の事仰せ候。日蓮相承の中より撰み出して候。能能信心あるべく候。たとへば秘薬なりとも、毒を入れぬれば薬の用すくなし。つるぎ(剣)なれども、わるびれたる人のためには何かせん。就中〈なかにも〉、夫婦共に法華の持者也。法華経流布あるべきたね(種)をつぐ所の玉の子出で生れん。目出度覚え候ぞ。[p0484]
 色心二法をつぐ人也。争かをそなはり候べき。とくとくこそうまれ候はむずれ。此薬をのませ給はば疑ひなかるべきなり。闇なれども燈入りぬれば明かなり。濁水にも月入りぬればすめり。明かなる事日月にすぎんや。浄き事蓮華にまさるべきや。法華経は日月と蓮華となり。故に妙法蓮華経と名く。日蓮又日月と蓮華との如くなり。[p0484]
 信心の水すまば、利生の月必ず応を垂れ、守護し給ふべし。とくとくうまれ候べし。[p0484]
 法華経に云く_如是妙法。又云く_安楽産福子云云。口伝相承の事は此弁口にくはしく申しふくめて候。則如来使なるべし。[p0484]
 返す返すも信心候べし。天照太神〈あまてるおふかみ〉は玉をそさのをのみこと(素盞雄尊)にさづけて、玉の如くの子をまふけたり。然る間、日の神我子となづけたり。さてこそ正哉吾勝〈あかつ〉とは名けたれ。[→4p0485]日蓮うまるべき種をさづけて候へば争か我子にをとるべき。有一宝珠価直三千等。無上宝聚 不求自得〔無上の宝聚 求めざるに自ら得たり〕。釈迦如来皆是吾子等云云。[p0484-0485]
 日蓮あに此義にかはるべきや。幸なり幸なり。めでたしめでたし。又又申すべく候。あなかしこ あなかしこ。[p0485]
文永八年五月七日 日 蓮花押[p0485]
四條金吾殿[女房]御返事[p0485]

#0079-500.TXT 月満御前御書 文永八(1271.05) [p0485]

 若童〈わらはべ〉生れさせ給ひし由承り候。目出たく覚へ候。殊に今日は八日にて候。彼と云ひ、此と云ひ、所願しを(潮)の指が如く、春の野に華の開けるが如し。然ればいそぎいそち名をつけ奉る。月満御前と申すべし。[p0485]
 其上此国の主八幡大菩薩は卯月八日にうまれさせ給ふ。娑婆世界の教主釈尊も又卯月八日に御誕生なりき。今の童女、又月は替れども八日にうまれ給ふ。釈尊八幡のうまれ替りとや申さん。[p0485]
 日蓮は凡夫なれば能は知らず。[→2p0485]是併がら日亜連が符を進らせし故也。さこそ父母も悦び給ふ覧。殊に御祝として餅・酒・鳥目一貫文送給候ひ畢ぬ。是また御本尊・十羅刹に申上て候。[p0485-0486]
 今日の仏生れさせまします時に三十二の不思議あり。此事、周書異記と云ふ文にしるしおけり。釈迦仏は誕生し給ひて七歩し、口を自ら開いて天上天下唯我独尊三界皆苦我当度之の十六字を唱へ給ふ。今の月満御前はうまれ給てうぶごゑに南無妙法蓮華経と唱へ給ふ歟。[p0486]
 法華経に云く_諸法実相。天台云く ̄声為仏事等云云。日蓮又かくの如く推し奉る。譬ば雷の音、耳しひの為に聞事なく、日月の光り目くらの為に見る事なし。定て十羅刹女は寄合てう(産)水をなで養ひ給らん。あらめでたやあらめでたや。[p0486]
 御悦び推量申候。念頃に十羅刹女・天照太神等にも申して候。あまりの事に候間委は申さず。是より重て申すべく候。穴賢穴賢。[p0486]
日 蓮花押[p0486]
四條金吾殿御返事[p0486]

#0080-2K0 南部六郎殿御書 文永八(1271.05・16) [p0487]

 眠れる師子に手を付けざれば瞋らず。流れにさをを立てざれば並立たず。謗法を呵嘖せざれば留難なし。_若善比丘見壊法者置不呵責〔若し善比丘ありて、法を壊る者を見て置いて呵責し〕の置の字ををそれずんば今は吉。後を御らんぜよ。無間地獄は疑ひ無し。故に南岳大師の四安楽行に云く ̄若有菩薩将護悪人不能治罰 令其長悪悩乱善人敗壊正法 此人実非菩薩。外現詐侮常作是言 我行忍辱。其人命終与諸悪人倶堕地獄〔若し菩薩有って悪人を将護して治罰すること能わず。其れをして悪を長ぜしめ、善人を悩乱し、正法を敗壊せば、此の人は実に菩薩に非ず。外には詐侮を現し常に是の言を作さん、我は忍辱を行ず、と。其の人命終して諸の悪人と倶に地獄に堕ちなん〕云云。十輪経に云く_若誹謗者。不応共住。亦不親近<亦不応親近>。若親近共住者。即趣阿鼻地獄〔若し誹謗の者ならば、共に住すべからず。亦、親近すべからず。若し親近し共住せば、即ち阿鼻地獄に趣かん〕云云。[p0487]
 栴檀の林に入りぬれば、たをらざるに其の身に薫ず。誹謗の者に親近すれば所修の善根悉く滅して倶に地獄に堕落せん。故に弘決の四に云く ̄若人本無悪親近悪人後必成悪人悪名遍天下〔若し人、もと悪無けれども悪人に親近すれば後に必ず悪人と成りて悪名天下に遍し〕云云。[p0487]
 凡そ謗法に内外あり。国と家との二是れ也。外には日本六十六ヶ国の謗法是れ也。打ちとは王城九重の謗是れ也。此の内外を禁制せずんば宗廟社禝の神に捨てられて、必ず国家亡ぶべし。如何と云ふに、宗廟とは国王の神を崇む。社とは地の神也。禝とは五穀の總名、五穀の神也。此の両神法味に飢へて国を捨て給ふ故に国土既に日日衰減せり。[p0487]
 故に弘決に云く ̄地広不可尽敬。封為社。禝謂五穀總名即五穀神也。故天子所居左宗廟右社禝布列四時五行。故以国亡為失社禝矣〔地、広くして尽く敬すべからず。封じて社と為す。禝とは謂く 五穀の總名にして即ち五穀の神也。故に天子の居する所には、宗廟を左にし、社禝を右にし、四時五行を布き列ぬ。故に国の亡ぶるを以て社禝を失ふと為す〕。[p0487]
 故に山家大師は国に謗法の声有るによて万民数を減らし家に讃教の勤めあれば七難必ず退散せんと。故に分分の内外有るべし。[p0487-0488]
五月十六日 日 蓮 花押[p0488]
南部六郎殿[p0488]

#0082-500.TXT 四条金吾殿御書 文永八(1271.07・12) [p0493]

 雪のごとく白く候白米一斗、古酒のごとく候油一筒、御布施一貫文。態〈わざわざ〉使者を以て盆料送り給び候。殊に御文の趣有難くあはれに覚え候。[p0493]
 抑そも盂蘭盆と申すは源目連尊者の歯は青提女と申す人、慳貪の業によりて五百生餓鬼道にをち候ひて候を、目連救ひしより事起りて候。然りと雖も仏にはなさず、其の故は我身いまだ法華経の行者ならざる故に母をも仏になす事なし。霊山八箇年の座席にして法華経を持ち、南無妙法蓮華経と唱へて多摩羅跋栴檀香仏となり給ひ、此時母も仏になり給ふ。[p0493]
 又施餓鬼の事仰せ候。法華経第三に云く_如従飢国来 忽遇大王膳〔飢えたる国より来って 忽ちに大王の膳に遇わんに〕云云。此文は中根の四大声聞、、醍醐の珍膳をおと(音)にもきかざりしが、今経に来て始て醍醐の味をあくまでになめて、昔しうへ(飢)たる心を忽にやめし事を説き給ふ文也。若し爾らば、餓鬼供養の時は此文を誦して南無妙法蓮華経と唱へてとぶらひ給ふべく候。[→9p0494][p0493-0494]
 總じて餓鬼にをいて三十六種類相わかれて候。其中に【護[言→金]】身餓鬼と申すは目と口となき餓鬼にて候。是は何なる修因ぞと申すに、此世にて夜討強盗などをなして候によりて候。食吐餓鬼と申すは人の口よりはき出す物を食し候。是も修因是の上し。又人の食をうばふに依り候。食水餓鬼と云ふは父母孝養のために手向る水などを呑餓鬼なり。有財餓鬼と申すは馬のひづめの水をのむがき(餓鬼)なり。是は今生にて財ををしみ、食をかくす故也。無財がきと申すは生れてより以来、飲食の名をもきかざるがきなり。食法がきと申すは出家となりて仏法を弘むる人、我は法を説けば人尊敬するなんど思ひて、名聞名利の心を以て人にすぐれんと思ひて今生をわたり、衆生をたすけず、父母をすくふべき心もなき人を、食法がきとて法をくらふがきと申すなり。[p0494]
 当世の僧を見るに、人にかくして我一人ばかり供養をうくる人もあり。是は狗犬の僧と涅槃経に見えたり。是は未来には牛頭と云ふ鬼となるべし。又人にしらせて供養をうくるとも、欲心に住して人に施す事なき人もあり。是は未来には馬頭と云ふ鬼となり候。又在家の人々も、我が父母、地獄・餓鬼・畜生におちて苦患をうくるをばとぶらはずして、我は衣服・飲食にあきみち、牛馬眷属充満して我心に任せてたのしむ人をば、[1→p0495]いかに父母のうらやましく恨み給ふらん。僧の中にも父母師匠の命日をとぶらふ人はまれなり。定めて天の日月、地の地神いかりいきどをり給ひて、不孝の者とおもはせ給ふらん。形は人にして畜生のごとし。人頭鹿〈にんづろく〉とも申すべき也。[p0495]
 日蓮此の業障をけしはてゝ、未来は霊山浄土にまいるべしとおもへば、種々の大難雨のごとくふり、雲のごとくにわき候へども、法華経の御故なれば苦をも苦とおもはず。かゝる日蓮が弟子檀那となり給ふ人々、殊に今月十二日に妙法聖霊は法華経の行者也、日蓮が檀那也。いかでか餓鬼道におち給ふべきや。定めて釈迦・多宝・十方の諸仏の御宝前にましまさん。是こそ四條金吾殿の母よ母よと、同心に頭をなで悦びほめ給らめ。あはれいみじき子を我はもちたりと、釈迦仏とかたらせ給らん。[p0495]
 法華経に云く_若有善男子。善女人。聞妙法華経。提婆達多品。浄心信敬。不生疑惑者。不堕地獄。餓鬼。畜生。生十方仏前所生之処。常聞此経。若生人天中。受勝妙楽。若在仏前。蓮華化生。〔若し善男子・善女人あって、妙法華経の提婆達多品を聞いて、浄心に信敬して疑惑を生ぜざらん者は、地獄・餓鬼・畜生に堕ちずして十方の仏前に生ぜん。若し人天の中に生れば勝妙の楽を受け、若し仏前にあらば蓮華より化生せん〕と云云。[p0495]
 此経文に善女人と見へたり、妙法聖霊の事にあらずんば誰が事にやあらん。[p0495]
 又云く_此経難持 若暫持者 我即歓喜 諸仏亦然〔此の経は持ち難し 若し暫くも持つ者は 我即ち歓喜す 諸仏も亦然なり 是の如きの人は 諸仏の歎めたもう所なり〕云云。[p0495]
 日蓮讃歎したてまつる事はもののかずならず、諸仏所歎と見えあらたのもしや、あらたのもしやと、信心をふかくとり給ふべし、信心をふかくとり給ふべし。[→7p0496]南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。恐恐謹言。[p049-0496]
七月十二日 日 蓮花押[p0496]
四條金吾殿御返事[p0496]

#0085-5K0.TXT 一昨日御書 文永八(1271.09・12) [p0501]

 一昨日、見参に罷り入り候之条、悦び入り候。抑そも人之世に在る誰か後世を思はざらん。仏之出世は専ら衆生を救はんが為也。[p0501]
 爰に日蓮、比丘と成りてより、旁、法門を開き、已に諸仏之本意を覚り、早く出離之大要を得たり。其の要は、妙法蓮華経、是れ也。一乗之崇重、三国之繁盛、儀、眼前に流る。誰か疑網を貽さん哉。[p0501]
 而るに専ら正路に背き、偏に邪途を行ず。然る間、聖人国を捨て、神瞋りを成し、七難並び起りて四海閑かならず。方〈くに〉今の世は悉く関東に帰し、人皆土風を貴ぶ。就中、日蓮、生を此の土に得る。豈に、吾が国を思はざらん哉。仍て立正安国論を造りて故最明寺入道殿之御時、宿屋の入道を以て見参に入れ畢んぬ。[p0501]
 而るに近年之間、多日之程、犬戎、浪を乱し、夷敵、国を伺ふ。先年勘へ申す所、近日普合せしむる者也。彼の太公之、殷国に入りしは、西伯之礼に依る。張良之秦朝を量りしは漢王之誠を感ずればなり。是れ皆時に当たりて賞を得、謀りを帷帳之中に回らし、千里之外に決せし者也。[p0501]
 夫れ、未萠を知る者は六正の聖臣也。[→p0502]法華を弘むる者は諸仏之使者也。[p0501-0502]
 而るに日蓮忝なくも鷲嶺鶴林之文を開きて鵝王烏瑟志を覚る。剰へ将来を勘へたるに、粗、普合することを得たり。先哲に及ばざると雖も、定んで後人には希なるべき者也。法を知り国を思ふ志、尤も賞せらるべき之処、邪法邪教之輩、讒奏讒言する之間、久しく大忠を懐いて、いまだ微望を達せず。剰へ不快之見参に罷り入ること、偏に難治之次第を愁ふる者也。[p0502]
 伏して惟みれば、泰山に昇らずんば天の高きを知らず、深谷に入らずんば地の厚きを知らざる。仍て御存知の為、立正安国論一巻、之を進覧す。勘へ載する所之文、九牛之一毛也。未だ微志を尽くさざる耳。[p0502]
 抑そも貴辺は当時天下之棟梁也。国中之良材を損せん哉。早く賢慮を回らして須く異敵を退くべし。世を安んじ、国を安んずるを忠と為し、孝と為す矣。是れ偏に身の為に之を述べず。君の為、仏の為、神の為、一切衆生の為に言上せしむる所也。恐恐謹言。[p0502]
文永八年九月十二日 日 蓮花押[p0502]
謹上 平左衛門尉殿[p0502]

#0087-500.TXT 四条金吾殿御消息 文永八(1271.09・21) [p0504]

 度度の御音信〈おとづれ〉申しつくしがたく候。[p0504]
 さてもさても去る十二日の難のとき、貴辺たつのくち(龍口)までつれさせ給ひ、しかのみならず腹を切らんと仰せられし事こそ、不思議とも申すばかりなけれ。[p0504]
 日蓮過去に妻子所領眷属等の故に身命を捨てし所いくそばくかありけむ。或は山にすて、海にすて、或は河、或はいそ等、路のほとりか。然れども法華経のゆへ、題目の難にあらざれば、捨てし身も蒙る難等も成仏のためならず。成仏のためならざれば、捨てし海河も仏土にもあらざるか。[p0504]
 今度法華経の行者として流罪死罪に及ぶ。流罪は伊東、死罪はたつのくち。相州たつのくちこそ日蓮が命を捨てたる処なれ。仏土におとる(劣)べしや。[p0504]
 其故はすでに法華経の故なるがゆへなり。経に云く_十方仏土中 唯有一乗法〔十方仏土の中には 唯一乗の法のみあり〕と。此意なるべき歟。此経文に一乗法と説給ふは法華経の事也。十方仏土の中には法華経より外は全くなきなり。除仏方便説と見えたり。[p0504]
 若し然らば、日蓮が難にあう所ごとに仏土なるべき歟。娑婆世界の中には日本国、日本国の中には相模の国、相模の国の中には片瀬、片瀬の中には龍口に、日蓮が命をとどめをく事は、[→8p0505]法華経の御故なれば寂光土ともいふべき歟。神力品に云く_若於林中。若於園中。~若山谷曠野。是中 乃至 而般涅槃。〔若しは林中に於ても、若しは園中に於ても~若しは山谷曠野にても、是の中 乃至 般涅槃したもう〕とは是れ歟。[p0504-0505]
 かゝる日蓮にともなひて、法華経の行者として腹を切らんとの給ふ事、かの弘演が腹をさいて主の懿公がきも(肝)を入れたるよりも、百千万倍すぐれたる事也。日蓮霊山にまいりてまづ四條金吾こそ、法華経の御故に日蓮とをなじく腹切んと申候なり、と申上候べきぞ。[p0505]
 又かまくらどのの仰せとて、内内佐渡の国へつかはすべき由承り候。三光天子の中に、月天子は光物とあらはれ、龍口の頚をたすけ、明星天子は四五日已前に下て日蓮に見参し給ふ。いま日天子ばかりのこり給ふ。定で守護あるべきかと、たのもしたのもし。[p0505]
 法師品に云く_則遣変化人 為之作衛護〔則ち変化の人を遣わして 之が為に衛護と作さん〕疑ひあるべからず。安楽行品に云く_刀杖不加。普門品に云く_刀尋段段壊。此等の経文よも虚言にては候はじ。強盛の信力こそありがたく候へ。恐恐謹言。[p0505]
文永八年九月二十一日 日 蓮花押[p0505]
四條金吾殿[p0505]

#0090-500.TXT 土籠御書 文永八(1271.10・09) [p0509]

 日蓮は明日佐渡の国へまかるなり。今夜のさむきに付ても、ろう(牢)のうちのありさま、思ひやられていたはしくこそ候へ。あはれ殿は、法華経一部を色心二法共にあそばしたる御身なれば、父母六親一切衆生をもたすけ給べき御身也。[p0509]
 法華経を余人のよみ候は、口ばかりことば(言)ばかりはよめども心はよまず。心はよめども身によまず。[→2p0509]色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ。[p0509]
 天諸童子 以為給使 刀杖不加 毒不能害〔天の諸の童子 以て給使を為さん 刀杖も加えず 毒も害すること能わじ〕と説かれて候へば、別の事はあるべからず。籠をばし出させ給ひ候はば、とくとくきたり給へ。見たてまつり、見えたつまつらん。恐恐謹言。[p0509]
文永八年[辛未]十月九日 日 蓮花押[p0509]
筑後殿[p0509]

#0091-500.TXT 佐渡御勘気鈔(与清澄知友書)文永八(1271.10・10) [p0510]

 九月十二日に御勘気を蒙りて、今年十月十日佐渡の国へまかり候也。本より学文し候ひし事は仏教をきはめて仏になり、恩ある人をもたすけんと思ふ。仏になる道は、必ず身命をすつるほどの事ありてこそ仏にはなり候らめと、をしはからる。[p0510]
 既に経文のごとく悪口罵詈 刀杖瓦礫 数数見擯出と説れて、かゝるめに値候こそ法華経をよむにて候らめと、いよいよ信心もおこり、後生もたのもしく候。死して候はば、[→5p0511]必ず各各をもたすけたてまつるべし。[p0510-0511]
 天竺に師子尊者と申せし人は檀弥羅王に頚をはねられ、提婆菩薩は外道につきころさる。漢土に竺道生と申せし人は蘇山と申す所へながさる。法道三蔵は面にかなやき(火印)をやかれて江南と申す所へながされき。是皆法華経のとく(徳)仏法のゆへなり。[p0511]
 日蓮は日本国東夷東條安房国海辺の旃陀羅が子也。いたづらにくち(朽)ん身を、法華経の御故に捨まいらせん事、あに石に金をかふるにあらずや。各各なげかせ給べからず。道善の御房にもかう申しきかせまいらせ給ふべし。領家の尼御前へも御ふみと存じ候へども、先かゝる身のふみなればなつかしやと、おぼさざるらんと申しぬると、便宜あらば各各物語申させ給候へ。[p0511]
十月 日 日 蓮花押[p0511]

#0093-500.TXT 富木入道殿御返事 文永八(1271.11・23) [p0516]

 此比は十一月下旬なれば、相州鎌倉に候ひし時の思には、四節の転変は万国皆同じかるべしと存じ候し処に、此北国佐渡の国に下著候て後、二月は寒風頻に吹て、霜雪更に降ざる時はあれども、日の光をば見ることなし。八寒を現身に感ず。[p0516]
 人の心は禽獣に同じく主師親知らず。何に況んや仏法の邪正、師の善悪は思ひもよらざるをや。此等は且く之を置く。[p0516]
 去十月十日に付られ候し入道、寺泊より還し候し時、法門を書き遣はし候き。推量候らむ。[p0516]
 已に眼前也。仏滅後二千二百余年に月氏・漢土・日本・一閻浮提の内に ̄天親龍樹内鑒冷然。外適時宜各権所拠〔天親・龍樹、内鑒冷然にして、外は時の宜しきに適い各権りに拠る所あり〕云云。天台・伝教は粗釈し給へども之を弘め残せる一大事の秘法を此国に初て之を弘む。日蓮豈に其の人に非ず乎。[p0516]
 前相已に顕れぬ。去正嘉之大地震前代未聞の大瑞也。神世十二、仁王九十代、仏滅後二千二百余年未曾有の大瑞也。神力品に云く_於仏滅度後<以仏滅度後> 能持是経故 諸仏皆歓喜 現無量神力〔仏の滅度の後に於て 能く是の経を持たんを以ての故に 諸仏皆歓喜して 無量の神力を現じたもう〕等云云。如来一切。所有之法〔如来の一切の所有の法〕。[p0516]
 但此大法弘まり給ふならば爾前・迹門の経教は一分も益なかるべし。伝教大師云く ̄日出星隠〔日出ずれば星隠れ〕云云。遵式の記に云く_末法初照西〔末法の初め西を照らす〕等云云。法已に顕れぬ。前相先代に超過せり。日蓮、粗、之を勘ふるに是時の然らしむる故也。[→6p0517]経に云く_有四導師。一名上行〔四導師あり。一を上行と名け〕。又云く_悪世末法時 能持是経者〔悪世末法の時 能く是の経を持たん者は〕。又云く_若接須弥 擲置他方〔若し須弥を接って 他方の~擲げ置かんも〕云云。[p0516-0517]
 又、貴辺に申し付けし一切経の要文、智論の要文、五帖一処に取集められうべく候。其外論釈の要文散在あるべからず候。又小僧達談義あるべしと仰らるべく候。[p0517]
 流罪の事痛く歎かせ給ふべからず。勧持品に云く、不軽品に云く。命限り有り、惜しむべからず。遂に願ふべきは仏国也云云。[p0517]
文永八年十一月二十三日 日 蓮花押[p0517]
富木入道殿御返事[p0517]
小僧達少少還し候。此の国の為体、在所之有様、御問有るべく候。筆端に載せ難く候。[p0517]

#0095-500.TXT 生死一大事血脈鈔 文永九(1272.02・11) [p0522]

日蓮、之を記す。[p0522]
 御状、、委細に披見せしめ候ひ畢んぬ。[p0522]
 夫れ生死一大事血脈とは、所謂妙法蓮華経是れ也。[p0522]
 其の故は釈迦・多宝、二仏宝塔の中にして上行菩薩に譲り給ひて、此の妙法蓮華経の五字、過去遠遠劫より已来寸時も離れざる血脈也。妙は死、法は生也。此の生死の二法が十界の当体也。[p0522]
 又、之を当体蓮華とも云ふ也。天台云く ̄当知依正因果悉是蓮華之法〔当に知るべし、依正の因果は悉く是れ蓮華の法なり〕と云云。此の釈に依正と云ふは生死也。生死、之れ有れば、因果、又、蓮華の法なる事明らけし。[p0522]
 伝教大師云く ̄生死二法一心妙用。有無二道本覚真徳〔生死の二法は一心の妙用。有無の二道は本覚の真徳なり〕[文]。[p0522]
 天地・陰陽・日月・五星・地獄乃至仏果、生死の二法に非ずと云ふことなし。是の如く生死も唯妙法蓮華経の生死也。[p0522]
 天台の止観に云く ̄起是法性起 滅是法性滅〔起は是れ法性の起。滅は是れ法性の滅〕云云。。釈迦・多宝の二仏も生死の二法也。[p0522]
 然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三は全く差別無しと解りて、妙法蓮華経と唱へ奉る処を、生死一大事の血脈とは云ふ也。[p0522]
 此の事、但、日蓮が弟子檀那等の肝要也。法華経を持つとは是れ也。所詮、臨終、只今にありと解りて、信心を致して南無妙法蓮華経と唱ふる人を、是人命終。為千仏授手。令不恐怖。不堕悪趣〔是の人命終せば、千仏の手を授けて、恐怖せず悪趣に堕ちざらしめたもうことを為す〕と説かれて候。悦ばしい哉、一仏二仏に非ず、百仏二百仏に非ず、千仏まで来迎し手を取り給はん事、歓喜の感涙押さへ難し。[→17p0522]法華不信の者は_其人命終 入阿鼻獄と説かれたれば、定めて獄卒迎えに来りて手をや取り候はんずらん。浅猿〈あさまし〉浅猿。十王は裁断し、倶生神は呵責せん歟。[p0522-0523]
 今、日蓮が弟子檀那等、南無妙法蓮華経と唱へんほどの者は、千仏の手を授け給はん事、譬へば夕顔の手を出すが如くと思食せ。[p0523]
 過去に法華経の結縁強情なる故に、現在に此の経を受持す。未来に仏果を成就せん事疑ひ有るべからず。過去の生死、現在の生死、未来の生死、三世の生死に法華経を離れ切れざるを法華の血脈相承とは云ふ也。謗法不信の者は_即断一切<則断一切> 世間仏種とて、仏に成るべき種子を断絶するが故に生死一大事の血脈、之無き也。[p0523]
 總じて日蓮が弟子檀那等、、自他彼此の心なく水魚の思ひを成して、異体同心にして南無妙法蓮華経と唱へ奉る処を、生死一大事の血脈とは云ふ也。然も今日蓮が弘通する諸の所詮、是れ也。[p0523]
 若し然らば、広宣流布の大願も叶ふべき者歟。剰へ日蓮が弟子の中に異体異心の者、之れ有れば、例せば城者として城を破るが如し。日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめて、仏に成る血脈を継がしめんとするに、還りて日蓮を種種の難に合わせ、結句此の嶋まで流罪す。[p0523]
 而るに貴辺、日蓮に随順し、又、難に値ひ給ふ事、心中思ひ遣られて痛ましく候ぞ。金は大火にも焼けず、大水にも漂はず、朽ちず。鉄は水火共に堪へず。賢人は金の如く、愚人は鉄の如し。貴辺豈に真金に非ず哉。法華経の金を持つ故歟。[p0523]
 [→14p0524]経に云く_衆山之中。須弥山為第一。此法華経。亦復如是〔衆山の中に、須弥山為れ第一なるが如く、此の法華経も亦復是の如し〕。又云く_火不能焼。水不能漂〔火も焼くこと能わず、水も漂わすこと能わじ〕。[p0534]
 過去の宿縁追い来りて今度日蓮が弟子と成り給ふ歟。釈迦・多宝こそ御存知候らめ。在在諸仏土 常与師倶生〔在在諸仏の土に 常に師と倶に生ず〕よも虚事候はじ。[p0534]
 殊に生死一大事の血脈相承の御尋ね、先代未聞の事也。貴し貴し。此の文に委悉也。能く能く心得させ給へ。[p0534]
 只、南無妙法蓮華経、釈迦・多宝・上行菩薩血脈相承と修行し給へ。火は焼き照らすを以て行と為し、水は垢穢を浄むるを以て行と為し、風は塵埃を払ふを以て行と為し、又、人畜草木の為に魂となるを以て行と為し、大地は草木を生ずるを以て行と為し、天は潤すを以て行と為す。妙法蓮華経の五字も又、是の如し。本化地涌の利益、是れ也。上行菩薩、末法、今の時、此の法門を弘めんが為に御出現、之れ有るべき由、経文には見え候へども如何候やらん。上行菩薩出現すとやせん、出現せずとやせん。日蓮、先づ、粗、弘め候なり。[p0534]
 相構へ相構へて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経臨終正念と祈念し給へ。[p0534]
 生死一大事の血脈、此れより外に全く求むることなかれ。煩悩即菩提生死即涅槃とは是れなり。信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり。委細之旨、又又申すべく候。恐恐謹言。[p0534]
文永九年[壬申]二月十一日 桑門 日 蓮花押[p0534]
最蓮房上人御返事[p0534]

#0097-500.TXT 草木成仏口決 文永九(1272.02・20) [p0532]

 問て云く 草木成仏とは、有情非情の中、何れぞ哉。[p0532]
 答て云く 草木成仏とは非情の成仏也。[p0532]
 問て云く 情・非情、共に今経に於て成仏する乎。[p0532]
 答て云く 爾也。[p0532]
 問て云く 証文、如何。[p0532]
 答て云く 妙法蓮華経、是れ也。妙法は有情の成仏也。蓮華とは非情の成仏也。有情は生の成仏、非情は死の成仏、生死の成仏と云ふが、[→2p0533]有情非情の成仏の事也。[p0532-0533]
 其の故は、我等衆生、死する時、塔婆を立て、開眼供養するは死の成仏にして草木成仏也。止観の一に云く ̄一色一香無非中道。妙楽云く ̄ ̄然亦共許色香中道 無情仏性惑耳驚心〔然るに亦共に色香中道を許せども無情仏性は耳を惑わし心を驚かす〕。此の一色とは五色の中には何れの色ぞや。青黄赤白黒の五色を一色と釈せり。一とは法性也。[p0533]
 爰を以て妙楽は色香中道と釈せり。天台大師も無非中道といへり。一色一香の一は二三相対の一には非ざる也。中道法性をさして一と云ふ也。所詮、十界・三千・依正等をそなへずと云ふ事なし。此の色香は草木成仏也。是れ即ち蓮華の成仏也。色香と蓮華とは言はかはれども草木成仏の事也。[p0533]
 口決に云く 草にも木にも成る仏也云云。此の意は草木にも成り給へる寿量品の釈尊也。経に云く_如来秘密。神通之力〔如来の秘密・神通の力を〕云云。法界は釈迦如来の御身に非ずと云ふ事なし。理の顕本は死を顕す、妙法と顕る。事の顕本は生を表す、蓮華と顕る。理の顕本は死にて有情をつかさどる。事の顕本は生にして非情をつかさどる。[p0533]
 我等衆生のために依怙依託なるは非情の蓮華がなりたる也。我等衆生の言語音声、生の位には妙法が有情となりぬるなり。我等一身の上には有情非情具足せり。爪と髪とは非情也。きるにもいたまず。其の外は有情なれば切るにもいたみ、くるしむなり。一身所具の有情非情、十如是の因果の二法を具足せり。[→4p0533]衆生世間・五陰世間・国土世間、此の三世間、有情非情也。一念三千の法門をふりすゝぎ(振濯)たてたるは大曼荼羅なり。当世の習ひそこないの学者、ゆめにもしらざる法門也。天台・妙楽・伝教、内にはかがみ(鑑)させ給へどもひろめ給はず。一色一香とのゝししり、或耳驚心とさゝやき給ひて、妙法蓮華と云ふべきを円頓止観とかへさせ給ひき。されば草木成仏は死人の成仏なり。[p0533-0534]
 此等の法門は知る人すくなきなり。所詮、妙法蓮華経をしらざる故に迷ふところの法門なり。敢えて忘失する事なかれ。恐恐謹言。[p0534]
 二月二十日 日 蓮花押[p0533]
最蓮房御返事[p0533]

#0100-500.TXT 佐渡御書 文永九(1272.03・20) [p0610]

 此の文は富木殿のかた、三郎左衛門殿、大蔵たう(塔)のつじ(辻)十郎入道殿等、さじきの尼御前、一一に見させ給ふべき人人の御中へ也。京・鎌倉に軍に死せる人人を書き付けてたび候へ。[10→p0611]外典鈔・文句の二・玄の四の本末・勘文・宣旨等これへの人人もち(持)わたらせ給へ。[p0610-0611]
 世間に人の恐るゝ者は火炎の中と刀剣の影と此の身の死するとなるべし。牛馬猶ほ身を惜しむ、況んや人身をや。癩人猶ほ命を惜しむ。何に況んや壮人をや。[p0611]
 仏説きて云く_以七宝布満三千大千世界 不如以手小指供養仏経〔七宝を以て三千大千世界に布き満ちるとも、手の小指を以て仏経を供養せんにはしかず〕[取意]。雪山童子の身をなげし、楽法梵志が身の皮をはぎし、身命に過ぎたる惜しき者のなければ、是れを布施として仏法を習へば必ず仏となる。[p0611]
 身命を捨つる人、他の宝を仏法に惜しむべしや。又、財宝を仏法におしまん物、まさる身命を捨つるべきや。世間の法にも重恩をば命を捨てて報ずるなるべし。又、主君の為に命を捨つる人はすくなきやうなれども其の数多し。男子ははぢ(恥)に命を捨て、女人は男の為に命をすつ。魚は命を惜しむ故に池にすむ(栖)に、池の浅木戸とを歎きて池の底に穴をほりてすむ。しかれどもゑ(餌)にばかされて釣をのむ。鳥は木にすむ。木のひきゝ(低)事をおぢて木の上枝に住む。しかれども、ゑにばかされて網にかゝる。人も又、是の如し。世間の浅き事には身命を失へども、大事の仏法なんどには捨つる事難し。故に仏になる人もなかるべし。[p0611]
 仏法は摂受・折伏時によるべし。譬へば世間の文武二道の如し。[→5p0612]されば昔の大聖は時によりて法を行ず。雪山童子・薩王子は身を布施とせば法を教へん、菩薩の行となるべしと責めしかば身をすつ。肉をほしがらざる時身を捨つべし乎。紙なからん世には身の皮を紙とし、筆なからん時は骨を筆とすべし。破戒無戒を毀り、持戒正法を用ひん世には、諸戒を堅く持つべし。儒教・道教を以て釈教を制止せん日には、道安法師・慧遠法師・法道三蔵等の如く王と論じて命を軽くすべし。釈教の中に小乗・大乗・権経実教雑乱して妙珠と瓦礫と牛驢の二乳を弁へざる時は、天台大師・伝教大師等の如く大小・権実・顕密を強盛に分別すべし。[p0611-0612]
 畜生の心は弱きをおどし、強きをおそる。当世の学者等は畜生の如し。智者の弱きをあなづり王法の邪をおそる。諛臣と申すは是れ也。強敵を伏して始めて力士をしる。悪王の正法を破るに、邪正の僧等が方人をなして智者を失はん時は、師子王の如くなる心をもてる者、必ず仏になるべし。例せば日蓮が如し。[p0612]
 これおごれるにはあらず。正法を憎む心の強盛なるべし。おごる者は必ず強敵に値ひておそるゝ心、出来する也。例せば脩羅のおごり、帝釈にせめられて、無熱池の蓮の中に小身と成りて隠れしが如し。[p0612]
 正法は一字一句なれども時機に叶ひぬれば必ず得道なる(成)べし。千経万論を修学すれども時機に相違すれば叶ふべからず。[p0612]
 宝治の合戦すでに二十六年、[2→p0613]今年二月十一日、十七日、又合戦あり。外道悪人は如来の正法を破りがたし。仏弟子等、必ず仏法を破るべし。獅子身中の虫の師子を食む等云云。大果報の人をば他の敵やぶりがたし、親しみより破るべし。薬師経に云く_自界反逆難、是れ也。仁王経に云く_聖人去時七難必起〔聖人去らん時は七難必ず起こらん〕云云。金光明経に云く_三十三天各生瞋恨由其国王縦悪不治〔三十三天、おのおの瞋恨を生ずるは、其の国王、悪をほしいままにして治せざるによる〕等云云。[p0612-0613]
 日蓮は聖人にあらざれども、法華経を説の如く受持すれば聖人の如し。又、世間の作法、兼ねて知るによて、注し置くこと、是れ違ふべからず。現世に云ひをく言の違はざらんをもて、後生の疑ひをなすべからず。[p0613]
 日蓮は此の関東の御一門の棟梁也、日月也、亀鏡也、眼目也日蓮捨て去る時、七難必ず起るべしと、去る九月十二日、御勘気を蒙りし之時、大音声を放ちてよばはりし事これなるべし。纔かに六十日乃至百五十日に此の事起る歟。是れは華報なるべし。実果の成ぜん時、いかがなげかはし(歎)からんずらん。[p0613]
 世間の愚者の思ひに云く 日蓮智者ならば何ぞ王難に遇ふ哉なんと申す。日蓮兼ねて存知也。父母を打つ子あり、阿闍世王なり。仏・阿羅漢を殺し血を出す者あり、提婆達多、是れ也。六臣これをほめ、瞿伽利等これを悦ぶ。日蓮、当世には此の御一門の父母也。仏・阿羅漢の如し。然るを流罪して主従共に悦びぬる。あはれに無慚なる者也。[p0613]
 謗法の法師等が自ら禍の已に顕るゝを歎き志賀、かくなるを一旦は悦ぶなるべし。[→7p0614]後には彼等が歎き日蓮が一門に劣るべからず。例せば泰衡がかせると(弟)を討ち、九郎判官を討ちて悦びしが如し。既に一門を亡ぼす大鬼の此の国に入るなるべし。法華経に云く_悪鬼入其身、是れ也。[p0614]
 日蓮も又かくせめ(責)らるゝも先業なきにあらず。不軽品に云く_其罪畢已等云云。不軽菩薩の無量の謗法の者に罵詈打擲せられしも先業の所感なるべし。何に況んや、日蓮今生には貧窮下賎の者と生れ、旃陀羅(漁者)が家より出でたり。心こそすこし法華経を信じたる様なれども、身は人身に似て畜身也。魚鳥を混丸して赤白二とせり。其の中に識神をやどす。濁水に月のうるれるが如し。糞嚢に金をつゝめる(包)なるべし。心は法華経を信ずる故に、梵天・帝釈をも猶ほ恐ろしと思はず。身は畜生の身なり。色心不相応の故に愚者のあなづる道理也。心も又、身に対すればこそ月金にもたとふ(譬)れ。[p0614]
 又、過去の謗法を案ずるに誰か知る。勝意比丘が魂にもや、大天が神にもや。不軽軽毀の流類歟、失心の余残なる歟。五千上慢の眷属なる歟、大通第三の余流にもやあるらん。宿業はかりがたし。[p0614]
 鉄は炎打てば剣となる。賢聖は罵詈して試みるなるべし。我、今度の御勘気は世間の失、一分もなし。偏に先業の重罪を今生に消して、後生の三悪を脱れんずるなるべし。[p0614]
 [→36等p0614]般泥経に云く_有当来之世仮被袈裟 於我法中出家学道 懶惰懈怠誹謗 此等方等契経。当知此等皆是今日諸異道の輩〔当来の世、仮に袈裟をこうむりて我が法の中に於て出家学道し、懶惰、懈怠にして、此れ等の方等契経を誹謗すること有らん。当に知るべし、此れ等は皆是れ今日の諸の異道の輩なり〕等云云。[p0614-0615]
 此の経文を見ん者、自身をはづべし。今、我等が出家して袈裟をかけ、懶惰懈怠なるは、是れ仏在世の六師外道が弟子也と仏記し給へり。法然が一類・大日が一類・念仏宗・禅宗と号して、法華経に捨閉閣抛の四字を副へて制止を加へて権経の弥陀称名計りを取り立て、教外別伝と号して法華経を月をさす指、只文字を数ふるなんど笑ふ者は、六師が末流の仏経の中に出来せるなるべし。うれへなるかなや。[p0615]
 涅槃経に、仏、光明を放ちて地の下一百三十六地獄を照らし給ふに、罪人一人もなかるべし。法華経の寿量品にして皆成仏せる故也。但し一闡提人と申して謗法の者計り地獄守に留められたりき。彼等がうみ(生)ひろげ(広)て、今の世の日本国の一切衆生となれる也。日蓮も過去の種子、已に謗法の者なれば、今生に念仏者にて数年が間、法華経の行者を見ては未有一人得者千中無一等と笑ひし也。今謗法の酔いさめて見れば、酒に酔へる者、父母を打ちて悦びしが、酔いさめて後、歎きしが如し。歎けども甲斐なし。此の罪消しがたし。何に況んや過去の謗法の心中にそみ(染)けんをや。[p0615]
 経文を見候へば、烏の黒きも鷺の白きも先業のつよく(強)そみけるなるべし。外道は知らずして自然と云ひ、今の人は謗法を顕して扶けんとすれば、我が身に謗法なき由をあながち(強)に陳答して、[→7p0616]法華経の門を閉ぢよと法然が書けるをとかく(左右)あらかひ(争)なんどす。念仏者はさてをきぬ。天台・真言等の人人、彼が方人をあながちにする也。[p0615-0616]
 今年正月十六日、十七日に佐渡の国の念仏者等数百人、印性房と申すは念仏者の棟梁也。日蓮が許に来りて云く 法然上人は法華経を抛てよとかゝせ給ふには非ず。一切衆生に念仏を申させ給ひて候。此の大功徳に御往生疑ひなしと書き付けて候を、山僧等の流されたる並びに寺法師等、善哉善哉とほめ候を、いかがこれを破し給ふと申しき。鎌倉の念仏者よりもはるかにはかなく候ぞ。無慚とも申す計りなし。[p0616]
 いよいよ日蓮が先生・今生・先日の謗法おそろし。かゝりける者の弟子と成りけん、かゝる国に生まれけん。いかになるべしとも覚えず。[p0616]
 般泥経に云く_〔善男子、過去に無量の諸罪、種種の悪業を作らんに、是の諸の罪報、或は形状醜陋〕善男子過去作無量諸罪種種悪業。是諸罪報 或被軽易 或形状醜陋 衣服不足 飲食疎 求財不利 生貧賎家及邪見家 或遭王難〔善男子、過去に無量の諸罪種種の悪業を作る。是の諸の罪報は、○或は軽易せらる 或は形状醜陋 衣服足らず 飲食・疎{そそ} 財を求むるに利あらず 貧賎の家・及び邪見の家に生まれ 或は王難に遭う〕等云云。又云く_及余種種人間苦報。現世軽受斯由護法功徳力故〔及び余の種種の人間の苦報あらん。現世に軽く受くるは斯れ護法の功徳力に由るが故なり〕等云云。[p0616]
 此の経文は日蓮が身なくば殆ど仏の妄語となりぬべし。一には或被軽易、二には或形状醜陋、三には衣服不足、四飲食疎、五には求財不利、六には生貧賎家、七には及邪見家、八には或遭王難等云云。此の八句は只日蓮一人が身に感ぜり。高山に登る者は必ず下り、我人を軽しめば、還りて我が身人に軽易せられん。形状端厳をそしれば醜陋の報いを得。人の衣服飲食をうばへば必ず餓鬼となる。[4→p0617]持戒尊貴を笑へば貧賎の家に生ず。正法の家をそしれば邪見の家に生ず。善戒を笑へば国土の民となり王難に遇ふ。是れは常の因果の定まれる法也。[p0616-0617]
 日蓮は此の因果にはあらず。法華経の行者を過去に軽易せし故に、法華経は月と月とを並べ、星と星とをつらね、華山をかさね、玉と玉とをつらねたるが如くなる御経を、或は上げ或は下して嘲弄せし故に、此の八種の大難に値へる也。此の八種は尽未来際が間一つづつこそ現ずべかりしを、日蓮つよく法華経の敵を責むるによて一時に聚まり起こせる也。譬へば民の郷郡なんどにあるには、いかなる利銭を地頭におほせ(債)たれども、いたく(甚)せめ(責)ず、年年にのべゆく。其の所を出づる時に競ひ起るが如し。斯由護法功徳力故等は是れ也。[p0617]
 法華経には_有諸無智人 悪口罵詈等〔諸の無智の人 悪口罵詈等し〕。加刀杖瓦石〔刀杖瓦石を加うとも〕。乃至向国王大臣 婆羅門居士〔国王大臣 婆羅門居士 ~向って〕。数数見擯出〔数数擯出せられ〕。等云云。獄卒が罪人を責めずば地獄を出づる者かたかりなん。当世の王臣なくば日蓮が過去謗法の重罪消し難し。日蓮は過去の不軽の如く、当世の人人は彼の軽毀の四衆の如し。人は替われども因は是れ一也。父母を殺せる人、異なれども、同じ無間地獄に堕つ。いかなれば不軽の因を行じて日蓮一人釈迦仏とならざるべき。又、彼の諸人は跋陀婆羅等と云はれざらんや。但、千劫阿鼻地獄にて責められん事こそ不便にはおぼゆれ。[→p0618]是れをいかんとすべき。彼の軽毀の衆は始めは謗ぜしかども、後には信伏随従せりき。罪、多分は滅して少分有りしが、父母千人殺したる程の大苦をうく。当世の諸人は翻す心なし。譬諭品の如く無数劫をや経んずらん。三五の塵点をやおくらんずらん。これはさてをきぬ。[p0617-0618]
 日蓮を信ずるやうなりし者どもが、日蓮がかくなれば、疑ひををこして法華経をすつるのみならず、かへりて日蓮を教訓して我賢しと思はん僻人等が、念仏者よりも久しく阿鼻地獄にあらん事不便とも申す計りなし。脩羅が、仏は十八界、我は十九界と云ひ、外道が云く 仏は一究竟道、我は九十五究竟道と云ひしが如く、日蓮御房は師匠にておはせども余りにこは(剛)し。我等はやはらかに法華経を弘むべしと云はんは、螢火が日月をわらひ、蟻塚が華山を下し、井江が河海をあなづり、鳥鵲〈かささぎ〉が鸞鳳〈らんほう〉をわらふなるべし、わらふなるべし。南無妙法蓮華経。[p0618]
文永九年[太歳壬申]三月二十日 日 蓮花押[p0618]
日蓮弟子檀那等御中[p0618]
佐渡の国は紙候はぬ上、面面に申せば煩ひあり、一人ももるれば恨みありぬべし。此の文を心ざしあらん人人は寄合て御覧じ、料簡候て心なぐさませ給へ。世間に勝る歎きだにも出来すれば劣る歎きは物ならず当時の軍に死する人人、実不実は置く、幾ばくかかなしかるらん。いざは(伊沢)の入道さかべ(酒部)の入道いかになりぬらん。かはのべ(河辺)の山城得行寺殿等の事いかにと書き付けて給ふえし。外典の書の貞観政要すべて外典の物語、八宗の相伝等、此れ等がなくしては消息もかゝれ候はぬに、かまへてかまへて給候べし。[p0618]

#0102-500.TXT 最蓮房御返事(供物書) 文永九(1272.04・13) [p0620]

夕さりは相ひ構へて相ひ構へて御入り候へ。得受職人功徳法門、委しく御申し候はん。[p0620]
 御札之旨、委細は承り候ひ畢んぬ。都よりの種種の物、慥かに給候ひ畢んぬ。鎌倉に候ひし時こそ常にかゝる物は見候ひつれ。此の島に流罪せられし後は、未だ見ず候。此の体の物は辺土の小島にてはよによに目出度き事に思ひ候。[p0620]
 御状に云く 去る二月の始めより御弟子となり、帰伏仕り候上は、自今以後は人数ならず候とも御弟子の一分と思し食され候はば、恐悦に相ひ存ずべく候云云。[p0620]
 [→5p0620]経の文には_在在諸仏土 常与師倶生とも、或は若親近法師 速得菩薩道 随順是師学 得見恒沙仏とも云へり。釈には ̄本従此仏初発道心 亦従此仏住不退地に〔もと此の仏に従ひて初めて道心を発し、また、此の仏に従ひて不退地に住せん〕とも、或は云く ̄従此仏菩薩結縁 還於此仏菩薩成就〔此の仏菩薩に従ひて結縁し、還りて此の仏菩薩に於て成就す〕とも云へり。[p0620-0621]
 此の教釈を案ずるに、過去無量劫より已来、師弟の契約有りし歟。我等末法濁世に於て生を南閻浮提大日本国にうけ、忝なくも諸仏出世之本懐たる南無妙法蓮華経を口に唱へ心に信じ身に持ち手に翫ぶ事、是れ偏に過去の宿習なる歟。[p0621]
 予、日本の体を見るに、第六天の魔王、智者の身に入りて正師を邪師となし、善師を悪師となす。経に ̄悪鬼入其身とは是れ也。[p0621]
 日蓮、智者に非ずと雖も第六天の魔王、我が身に入らんとするに、兼ねての用心深ければ、身によせつけず。故に天魔力及ばずして、王臣を始めとして良観等の愚痴の法師原に取り付きて日蓮をあだむなり。[p0621]
 然るに今時は師に於て、正師・邪師・善師・悪師の不同ある事を知りて、邪悪の師を遠離し、正善の師に親近すべきなり。設ひ徳は四海に斉しく、智慧は日月に同じくとも、法華経を誹謗するの師をば悪師・邪師と知りて、是れに親近すべからざる者也。[p0621]
 或経に云く_若誹謗者不応共住。若親近共住即趣阿鼻獄〔若し誹謗の者には共に住すべからず。若し親近し、共に住せば、即ち阿鼻獄に趣かん〕と禁め給ふ、是れ也。いかに我が身は正直にして、世間出世の賢人の名をとらんと存ずれども、悪人に親近すれば、自然に十度に二度三度、其の数に随ひ以て行くほどに、終に悪人になるなり。[p0621]
 [→7p0622]釈に云く ̄若人本悪無 親近於悪人 後必成悪人 悪名偏天下〔若し人、本、悪無きも、悪人に親近すれば、後、必ず悪人と成り、悪名天下に偏からん〕云云。[p0621-0622]
 所詮、其の邪悪の師とは今の世の法華誹謗の法師也。涅槃経に云く_菩薩 於悪象等心無恐怖。於悪知識生怖畏心。~為悪象殺不至三趣。為悪友殺必至三趣〔菩薩、悪象等に於ては心に恐怖すること無かれ。悪知識に於ては怖畏の心を生ぜよ。~悪象の為に殺されては三趣に至らず。悪友の為に殺されては必ず三趣に至る〕。法華経に云く_悪世中比丘 邪智心諂曲〔悪世の中の比丘は 邪智にして心諂曲に〕云云。[p0622]
 先先申し候如く、善無畏・金剛智・達磨・慧可・善導・法然、東寺の弘法・園城寺の智証・山門の慈覚・関東の良観等の諸師は、今経の正直捨方便の金言を読み候には正直捨実教但説方便教と読み、或は_於諸経中。最在其上〔諸経の中に於て最も其の上にあり〕の経文をば於諸経中。最在其下と、或は_法華最第一の経文をば法華最第二第三等と読む。故に此れ等の法師原を邪悪の師と申し候ひき。[p0622]
 さて正善の師と申すは、釈尊の金言の如く諸経は方便、法華は真実と、正直に読むを申すべく候也。華厳の七十七の入法界品、之を見るべし云云。法華経に云く_善知識者。是大因縁。所謂化導。令得見仏。発阿耨菩提<発阿耨多羅三藐三菩提心>〔善知識は是れ大因縁なり。所謂化導して、仏を見阿耨多羅三藐三菩提の心を発すことを得せしむ〕等云云。[p0622]
 仏説の如きは、正直に四味・三教・小乗・権大乗の方便の諸経、念仏・真言・禅・律等の諸宗並びに所依の経を捨てて、但唯、以一大事因縁の妙法蓮華経を説く師を正師・善師とは申すべきなり。[p0622]
 然るに日蓮末法の初めの五百年に日域に生を受け、如来の記文の如く三類の強敵を蒙り種種の災難に相ひ値ひて身命を惜しまずして南無妙法蓮華経と唱へ候は、正師歟、邪師歟。能く能く御思惟、之れ有るべく候。[p0622]
 上に挙ぐる所の諸宗の人人は我こそ法華経の意を得て法華経を修行する者よと名乗り候へども、[→2p0623]予が如く弘長には伊豆の国に流され、文永には佐渡島に流され、或は龍の口の頚の座等、此の外種種の難、数を知らず。経文の如くならば予は正師也、善師也。諸宗の学者は悉く邪師也、悪師也と思し食し候へ。[p0623]
 此の外、善悪二師を分別する経論の文等、是れ広く候へども、兼ねて御存知の上は申すに及ばず候。[p0623]
 只今の御文に自今以後は日比の邪師を捨て偏に正師と憑むとの仰せは不信に覚へ候。我等が本師釈迦如来、法華経を説んが為に出世ましませしには、他方の仏菩薩等来臨影響して釈尊の行化を助け給ふ。されば釈迦・多宝・十方の諸仏等の御使として来りて日域に化を示し給ふにもやあるらん。[p0623]
 経に云く_我於余国。遣化人。為其集聴法衆。亦遣化。~随順不逆〔我余国に於て、化人を遣わして其れが為に聴法の衆を集め、亦化の~随順して逆らわじ〕。[p0623]
 此の経文に比丘と申すは貴辺の事也。其の故は聞法信受、随順不逆、眼前也。争でか之を疑ひ奉るべき耶。設ひ又、在在諸仏土 常与師倶生の人也とも三周の声聞の如く下種之後に退大取小して五道六道に沈輪し給ひしが、成仏の期来至して順次に得脱せしむべきゆへにや。[p0623]
 念仏・真言等の邪法・邪師を捨てゝ日蓮が弟子となり給ふらん。有り難き事也。何れの辺に付けても、予が如く諸宗の謗法を責め彼等をして捨邪帰正せしめ給ひて、順次に三仏、座を並べ常寂光土に詣でて釈迦・多宝の御宝前に於て、我等、無始より已来師弟の契約有りける歟、無かりける歟。又、釈尊の御使として来りて化し給へる歟、さぞと仰せを蒙りてこそ我が心にも知られ候はんずれ。何様にもはげませ給へ、はげませ給へ。[p0623]
 [→6p0624]何となくとも貴辺に去る二月の比より大事の法門を教へ奉りぬ。結句は卯月八日夜半、寅の時に妙法の本円戒を以て受職潅頂せしめ奉る者也。此の受職を得る之人、争でか現在なりとも妙覚の仏を成ぜざらん。若し今生妙覚ならば、後生豈に等覚等の因分ならんや。実に無始曠劫之契約、常与師倶生の理ならば、日蓮今度成仏せんに貴辺豈に相ひ離れて悪趣に堕罪したまふべき哉。[p0623-0624]
 如来の記文は仏意の辺に於ては、世出世に就いて更に妄語無し。然るに法華経には_於我滅度後 応受持斯経 是人於仏道 決定無有疑〔我が滅度の後に於て 斯の経を受持すべし 是の人仏道に於て 決定して疑あることなけん〕。或は_速為疾得<則為疾得> 無上仏道〔則ち為れ疾く 無上の仏道を得たり〕等云云。[p0624]
 此の記文虚しくして我等が成仏今度虚言ならば、諸仏の御舌もきれ、他方の塔も破れ落ち、二仏並坐は無間地獄の熱鉄の床となり、方・実・寂の三土は地・餓・畜の三道と変じ候べし。争でかさる事候べきや。あらたのもしやたのもしや。[p0624]
 是の如く思ひつづけ候へば、我等は流人なれども身心共にうれしく候也。大事の法門をば昼夜に沙汰し、成仏の理をば時時刻刻にあぢはう。是の如く過ぎ行き候へば、年月を送れども久しからず、過ぐる時刻も程あらず。[p0624]
 例せば釈迦・多宝の二仏、塔中に並坐して、法華の妙理をうなづき合ひ給ひし時、五十小劫。仏神力故。令諸大衆。謂如半日。〔五十小劫、仏の神力の故に諸の大衆をして半日の如しと謂わしむ〕と云ひしが如く也。[p0624]
 劫初より以来、父母・主君等の御勘気を蒙り、遠国の島に流罪せらるゝ之人、我等が如く悦び身に余りたる者よもあらじ。されば我等が居住して一乗を修行せん之処は何れの処にても候へ、常寂光の都為るべし。[6→p0625]我等が弟子檀那とならん人は、一歩を行かずして、天竺の霊山を見、本有の寂光土へ昼夜に往復し給ふ事、うれしとも申す計り無し。申す計り無し。[p0625]
 余りにうれしく候へば契約一つ申し候はん。貴辺の御勘気疾く疾く許させ給ひて都へ御上り候はば、日蓮も鎌倉殿はゆるさじとの給ひ候とも諸天等に申して鎌倉に帰り、京都へ音信〈おとづれ〉申すべく候。又、日蓮先立ちてゆり(許)候て鎌倉へ帰り候はば、貴辺をも天に申して古京へ帰し奉るべく候。恐恐謹言。[p0625]
四月十三日 日 蓮花押[p0625]
最蓮房 御返事[p0625]

#0103-5K0.TXT 得受職人功徳法門鈔 文永九(1272.04・15) [p0625]

 受職とは因位之極際に始めて仏位を成ずる之義也。此の受職に於て諸経と今経と之異なり有り。余経の意は等覚の菩薩、妙覚の果位に叶ふ之時、他方の仏来りて妙覚之智水を以て等覚之頂きに潅ぐを受職之位潅頂と云ふ也。又、諸経には第十の法雲地に等覚を合摂し、又、等覚に妙覚を合説する也。所詮、受職位を等覚之菩薩に限りて等覚以前の所位に、[→p0626]之を置かざる事は、是れ権経方便なるが故也云云。[p0625-0626]
 次に法華実教之受職とは、今経之位は聖者よりも凡夫に受職し善人よりも悪人に受職し、上位よりも下位に受職し、乃至、持戒よりも毀戒、正見よりも邪見、利根よりも鈍根、高貴よりも下賎、男よりも女、人天よりも畜生等に受職し給ふ教也。故に未断見思の衆生の我等も皆悉く受職す。故に五即、五十一位共に受職潅頂之義あり。釈に云く ̄教弥権位弥高教弥実位弥下〔教いよいよ権なれば位いよいよ高く、教いよいよ実成れば位いよいよ下れり〕と云ふは、此の意也。[p0626]
 問ふ 諸経論の意は、等覚已前之四十位に尚ほ受職之義無し。今、何ぞ住前未証之位に受職之義を明かす耶。[p0626]
 答ふ 天台、六即を立て、円人の次位を判ず。尚ほ是れ円教の教門にして証道之実義に非ず。何に況んや五十二位は別教の権門に附する之廃立なるをや也。若し、法華の実位に約して探して之を言はゞ、与奪之二義有り。謂く、与の義とは、一位に皆五十一位を具し二位は権実二教之教門に附す。故に未断煩悩の凡夫も妙法を信受する之時、妙覚之職位を成ず。豈に此の人に於て受職之義無からん耶。[p0626]
 経に云く_於我滅度後 応受持斯経 是人於仏道 決定無有疑〔我が滅度の後に於て 斯の経を受持すべし 是の人仏道に於て 決定して疑あることなけん〕。又云く_須臾聞之。即得究竟阿耨菩提<即得究竟阿耨多羅三藐三菩提>〔須臾も之を聞かば即ち阿耨菩提を究竟することを得ん〕[文]。[p0626]
 文に仏道究竟とは是れ妙覚の果位也。但し、天台等之釈に分証之究竟と釈し給ふは一位に諸位を具する之時、一位皆分証究竟之二益有り。此の辺に約して解釈せば、分証・究竟に亙と判じ給へり云云。[p0626]
 今経の受職潅頂之人に於て二人あり。一には道、二には俗也。道に於て復二あり。一には修学解了之受職、二には只信行之受職也。俗に於ても又二あり。道に例して知るべし。[p0626]
 比丘の信行は俗の修学に勝る。又、比丘の信行は俗の終信に同じ。[5→p0626]俗の修学解行は信行の比丘の始信に同ず。何を以ての故に。比丘能く悪を忍へばなり。又、比丘出家之時、分、受職を得く。俗は、能く悪を忍ぶ之義有りと雖も、受職之義無し。故に修学解了之比丘は仏位に同じ。是れ即ち如来之使いなれば也。[p0626-0627]
 経に云く_当知是人。与如来共宿〔当に知るべし、是の人は如来と共に宿するなり〕。又云く_愍衆生故。生此人間〔衆生を愍むが故に、此の人間に生ずるなり〕。是の故に作法の受職潅頂の比丘をば信行の比丘と俗衆と共に礼拝を致し、供養し恭敬せん事仏を敬ふが如くすべし。若親近法師 速得菩薩道 随順是師学 得見恒沙仏〔若し法師に親近せば 速かに菩薩の道を得 是の師に随順して学せば 恒沙の仏を見たてまつることを得ん〕故也。自門尚ほ是の如し。何に況んや他門を耶。[p0627]
 問ふ 修学解了の比丘の受職と信行比丘乃至俗衆受職との相貎、如何。[p0627]
 答ふ 信行の比丘の受職と俗衆之受職と是れ同じ。何を以ての故に。此の信行の比丘と在家の衆とは、但、信行受持之功徳なれば也。[p0627]
 経に云く_仏告薬王。又如来滅度之後。若有人。聞妙法華経。乃至。一偈一句。一念随喜者。我亦与授。阿耨菩提記<阿耨多羅三藐三菩提記>〔仏、薬王に告げたまわく、又如来の滅度の後に、若し人あって妙法華経の乃至一偈・一句を聞いて一念も随喜せん者には、我亦阿耨菩提の記を与え授く。〕。又云く_是人歓喜説法。須臾聞之。即得究竟阿耨菩提故<即得究竟阿耨多羅三藐三菩提故>〔須臾も之を聞かば即ち阿耨菩提を究竟することを得んが故なり〕。又云く_此経難持 若暫持者 我即歓喜 諸仏亦然 如是之人~住淳善地〔此の経は持ち難し 若し暫くも持つ者は 我即ち歓喜す 諸仏も亦然なり 是の如きの人は~淳善の地に住するなり〕。提婆品に云く_浄心信敬。不生疑惑者。不堕地獄。餓鬼。畜生。生十方仏前〔浄心に信敬して疑惑を生ぜざらん者は、地獄・餓鬼・畜生に堕ちずして十方の仏前に生ぜん〕。[p0627]
 是の如き等の諸文、一に非ず。具さには之を記すこと能わず。無智の道俗は自らの成仏計りの功徳にして利他之功徳無し。例せば第五十の人の師の徳無きが如し。無智の道俗も亦復是の如し。少分、利他之徳有りと雖も、法師品之下品の師に劣れり。況んや上品の師を耶。法師品下品の師とは、分の解了、之れ有りて、法会の聞くを違へず、能く竊かに一人の為にも説く也。其の理、法華経と如来の本懐とに違はざる故に、所化も信受すれば利を得るが故に、無智の道俗は少分の教化有りと雖も、語に言失有り、謗に又、違ふ所有り。[→3p0627]故に知んぬ。今の無智の道俗は、但、仰ひで信じ、仰ひで行じ、仰ひで受持せり。又、弘経之師に於て之を供養す。[p0627-0628]
 経に云く_若欲住仏道 成就自然智 常当勤供養 受持法華者 其有欲疾得 一切種智慧 当受持是経 竝供養持者〔若し仏道に住して 自然智を成就せんと欲せば 常に当に勤めて 法華を受持せん者を供養すべし 其れ疾く 一切種智慧を得んと欲することあらんは 当に是の経を受持し 竝に持者を供養すべし〕[p0628]
 問ふ 今の文に持者とは無智の道俗等也、如何。[p0628]
 答ふ 経の始終、上下之師に約して持者と名づくる故也。仍て、受職の比丘は無智の道俗の功徳を具するのみならず、己が修学解行と、作法受得之受職と、又、利他之功徳と此れ等の功徳を取り集めて一身に具する故に勝と云ふ也。[p0628]
 難じて云く 若し爾らば、経文の以信得入と云ふ文に背けり、如何。[p0628]
 答ふ二乗は利他の行無し。故に以信得入と云ふ也。[p0628]
 重ねて難じて 他経の文に八万聖教を知ると雖も、後世を知らざるは無智等といふは如何。[p0628]
 答ふ 今の師は自ら後世を知る之上、又、他を利す故に勝と云ふ也。例せば五十人之功徳を挙げて初会聴法之人の功徳を況するに、上の四十九人は、皆、自行化他之徳を具し、第五十人は自行に限りて化他の徳無きが如し、云云。次に、正しく修学解行の受職の比丘の功徳を言はば、是れに於て上下の二師有り。謂く、上の師は広く人の為に説き、下の師は能く竊かに一人の為に説く也。上下之不同有りと雖も、同じく五種法師也。[p0628]
 経に云く_若善男子。善女人。於法華経。乃至一句。受持。読誦。解説。書写。乃至 当知此人。是大菩薩。成就阿耨菩提<成就阿耨多羅三藐三菩提>。哀愍衆生。願生此間。広演分別。妙法華経。何況尽能受持。種種供養者。薬王。当知是人。自捨清浄業報。於我滅度後。愍衆生故。生於悪世。広演此経。若是善男子。善女人。我滅度後。能窃為一人。[→2p0629]説法華経。乃至一句。当知是人。則如来使。如来所遣。行如来事。何況於大衆中。広為人説〔若し善男子・善女人、法華経の乃至一句に於ても受持・読誦し解説・書写し、乃至 当に知るべし、此の人は是れ大菩薩の阿耨菩提<阿耨多羅三藐三菩提>を成就して、衆生を哀愍し願って此の間に生れ、広く妙法華経を演べ分別するなり。何に況んや、尽くして能く受持し種々に供養せん者をや。薬王、当に知るべし、是の人は自ら清浄の業報を捨てて、我が滅度の後に於て、衆生を愍むが故に悪世に生れて広く此の経を演ぶるなり。若し是の善男子・善女人、我が滅度の後、能く窃かに一人の為にも法華経の乃至一句を説かん。当に知るべし、是の人は則ち如来の使なり。如来の所遣として如来の事を行ずるなり。何に況んや大衆の中に於て広く人の為に説かんをや〕。[p0628-0629]
 今の品之下品の師とは、広為人説之一師に於て、上下之師を分かつ也。釈は且く之を置く。文に入りて之を見るに、上に五種法師を挙げ畢りて、愍衆生故。生於悪世。広演此経。と云ひ、若是とおさふ(押)る一句の文の内に、能窃為一人とも広為人説とも云へり。文の意は、広演此経之人、時に宜しくして、竊かに一人の為に法華経を説きて、尚ほ如来の使なり。何に況んや大衆の中に於て、広く人の為に説んやと云ふ文也。今の文には五種法師を挙ぐ。余処並びに他の経論には六種、十種の法師を明かす也。謂く大論の六種の法師、天王般若の十種の法師、乃至、如来行の一師、自行化他の二師、身口意の三師、又、身口意誓の四師あり。此れ等の師師は、今の品の五種法師之具する所の功徳也。[p0629]
 然して予、下賎なりと雖も、忝なくも大乗を学し諸経の王に事ふる者なり。釈迦、既に妙法之智水を以て日蓮之頂きに潅ぎて面授口決せしめ給ふ。日蓮、又、日浄に受職せしむ。受職之後は、他の為に之を説き給へ。経文の如きんば、如来之使いなり。如来の所遣として如来の事を行ずる人也。[p0629]
 経に利他之功徳を説きて云く_是人一切世間。所応贍奉。応以如来供養。而供養之。当知此人。是大菩薩。成就阿耨菩提<成就阿耨多羅三藐三菩提>〔是の人は一切世間の贍奉すべき所なり。如来の供養を以て之を供養すべし。当に知るべし、此の人は是れ大菩薩の阿耨菩提<阿耨多羅三藐三菩提>を成就して〕。又云く_当知是人。自捨清浄業報〔当に知るべし、是の人は自ら清浄の業報を捨てて〕。又云く_当知是人。以仏荘厳。而自荘厳。則為如来。肩所荷担。其所至方。応随向礼〔当に知るべし、是の人は仏の荘厳を以て自ら荘厳するなり。則ち如来の肩に荷担せらるることを為ん。其の所至の方には随って向い礼すべし〕云云。[p0629]
 一部の文、広くして具さに記すること能わず。受職法師之功徳、是の如し。是の故に若し此の師を供養せん之人は、福を安明に積み、此の師を謗ぜん之人は、罪を無間に開く。[p0629]
 伝教大師云く ̄讃者積福於安明。謗者開罪於無間〔讃る者は福を安明に積み、謗る者は罪を無間に開く〕、此の意也。[→7p0629]供養恭敬讃歎此師〔此の師を供養し、恭敬し讃歎[p0630]せん〕之人の功徳を仏説きて言はく_有人求仏道 而於一劫中 合掌在我前 以無数偈讃 由是讃仏故 得無量功徳 歎美持経者 其福復過彼〔人あって仏道を求めて 一劫の中に於て 合掌し我が前にあって 無数の偈を以て讃めん 是の讃仏に由るが故に 無量の功徳を得ん 持経者を歎美せんは 其の福復彼れに過ぎん〕。[p0629-0630]
 問ふ 何を以ての故に弘経之師を供養する功徳は、是の如く一劫の中に於て無数の偈を以て仏を讃める功徳より勝れたるぞや。[p0630]
 答ふ 仏は衆生を引導すること自在神力の故に、此の経を説くこと難からず。凡師は自在之三昧を得ざる故に此の経を説くこと則ち難し。故に一劫讃仏之功徳に勝ると云ふ也。されば此の弘経之人は、如来共宿之人也。[p0630]
 経に云く_如来滅後。欲為四衆。説是法華経者。云何応説。是善男子。善女人。入如来室。著如来衣。坐如来座。爾乃応為四衆。広説斯経〔如来の滅後に四衆の為に是の法華経を説かんと欲せば、云何してか説くべき。是の善男子・善女人は、如来の室に入り如来の衣を著如来の座に坐して、爾して乃し四衆の為に広く斯の経を説くべし〕。等云云。是の如き之人なれば如来、変化之人を遣はして供養すべし、と見えたり。経に云く_以不懈怠心。為諸菩薩。及四衆。広説是法華経〔不懈怠の心を以て、諸の菩薩及び四衆の為に、広く是の法華経を説くべし。〕。時時に説法者をして我が身を見ることを得せしむ。本師教主釈迦如来、是の如く之を守護し供養し給ふ。何に況んや我等凡夫を耶。故に、若し之を供養し礼拝する人は、最上之功徳を得る也。故に、今時之弘経の僧をば当に世尊を供養するが如くにすべし。是れ則ち今経のをきてなり。[p0630]
 若し此の師を悪口罵詈し誹謗すれば種種之重罪を受くることを得る也。経に云く_若於一劫中 常懐不善心 作色而罵仏 獲無量重罪 其有読誦持 是法華経者 須臾加悪言 其罪復彼過〔若し一劫の中に於て 常に不善の心を懐いて 色を作して仏を罵らんは 無量の重罪を獲ん 其れ 是の法華経を読誦し持つことあらん者に 須臾も悪言を加えんは 其の罪復彼れに過ぎん〕。又云く_若有人軽毀之言。汝狂人耳。空作是行。終無所獲〔若し人あって之を軽毀して言わん、汝は狂人ならく耳。空しく是の行を作して終に獲る所なけんと〕。当如敬仏〔当に仏を敬うが如くすべし〕。又経に云く_見有読誦 書持経者 軽賎憎嫉 而懐結恨 此人罪報 汝今復聴 其人命終 入阿鼻獄〔経を読誦し書持すること あらん者を見て 軽賎憎嫉して 結恨を懐かん 此の人の罪報を 汝今復聴け 其の人命終して 阿鼻獄に入らん〕。五百問論に云く ̄殺大千界微塵数仏其罪尚軽[2→p0631] 毀謗此経罪多於彼。永入地獄無有出期。毀読誦此経者亦復如是〔大千界微塵数の仏を殺すは、其の罪なお軽し。此の経を毀謗するの罪、彼より多し。永く地獄に入りて出期有ること無し。此の経を読誦する者を毀{きし}するもまたまたまた是の如し〕。論師・人師等の釈、之多しと雖も之を略し畢んぬ。[p0630-0631]
 然るに我が弟子等の中、未得謂為得 未証謂証之輩有りて出仮利生之僧を軽毀せん。此の人の罪報、具さに聞くべし。今時之念仏・真言・全・律等の大慢・謗法・一闡提等より勝れたること百千万倍ならん。爰に無智の僧侶、纔かに法華経の一品二半乃至一部、或は要文一十乃至一帖二帖等の経釈を習ひ、広学多聞之僧侶に於て同位等行の思ひを成す、之僧侶、是の如き罪報を得ん。[p0631]
 無智の僧侶、尚ほ是の如き之罪報を得ん。何に況んや無智の俗男俗如を耶。又、信者の道俗の軽毀、尚ほ是の如し。況んや不信謗法の輩を耶。[p0631]
 問ふ 何が故ぞ、妙法之受職を受くる人、是の如く功徳を得る耶。[p0631]
 答ふ 此の妙法蓮華経は本地甚深之奥蔵、一大事因縁之大白法なり。化導、三説に勝れ、功、一期に高く、一切衆生をして現当の悉地成就せしむる之法なるが故に、此の経受職之人は是の如く功徳を得る也。[p0631]
 釈に云く ̄法妙故人貴〔法、妙なるが故に人貴し〕等云云。或は云く ̄好堅処地芽既百闡 頻迦在卵勝声衆鳥〔好堅、地に処して、芽既に百闡、頻迦、卵に在りて声衆鳥に勝る〕等云云。或は云く 妙楽云く ̄然約此経功高理絶得作此説。余経不然〔然も此の経の功高く理絶するに約して、此の説を作すを得る。余経は然らず〕等云云。[p0631]
 縦ひ爾前方便の極位の菩薩なりとも、今経の初心始行の凡夫の功徳には及び給はず。何に況んや我等末法五濁乱漫に生を受け三類の強敵を忍んで南無妙法蓮華経と唱ふ。豈に如来の使に非ず耶。豈に霊山に於て親り仏勅を受くる之行者に非ず耶。是れ豈に初随喜等の類に非ず耶。第五十の人すら尚ほ方便の極位の菩薩の功徳に勝れり。何に況んや五十已前の諸人を耶。是の如く莫大の功徳を今時に得受せんと欲せば、、正直捨方便〔正直に方便を捨て〕、念仏・真言・禅・律等の諸宗諸経を捨て、[→3p0631]但南無妙法蓮華経と唱へ給へ。至心に唱へたてまつるべし、唱へたてまつるべし。[p0631-0632]
日域沙門 日 蓮花押[p0632]
文永九年[壬申]四月十五日の夜半に之を記し畢んぬ。[p0632]

#0104-500.TXT 同生同名御書 文永九(1272.04) [p0632]

此の御文は藤四郎殿の女房と、常によりあひて御覧あるべく候。[p0632]
 大闇をば日輪やぶる。女人の心は大闇のごとし、法華経は日輪のごとし。幼子は母をしらず、母は幼子をわすれず。釈迦仏は母のごとし、女人は幼子のごとし。二人たがひに思へばすべてはなれず。一人は思へども、一人思はざればあるときはあひ、あるときはあわず。仏はをもふものゝごとし。女人はおもはざるものゝごとし。我等仏ををもはゞいかでか釈迦仏見え給はざるべき。[p0632]
 石を朱といへども朱とならず、珠を石といへども石とならず。権経の当世の念仏等は石の如し。[→12p0633]念仏は法華経ぞと申すとも法華経等にあらず。又、法華経をそしるとも、朱の石とならざるがごとし。[p0633]
 昔、唐国〈もろこし〉に徽宗皇帝と申せし悪王あり。道士と申すものにすかされて、仏像経巻をうしなひ、僧尼を皆還俗せしめしに、一人として還俗せざるものなかりき。其の中に法道三蔵と申せし人こそ、勅宣をおそれずして面にかなやき(火印)をやかれて、江南と申せし処へ流されて候ひしが、今の世の禅宗と申す道士の法門のやうなる悪法を御信用ある世に生まれて、日蓮が大難に値ふことは法道に似たり。[p0633]
 おのおのわずかの御身と生まれて、鎌倉にゐながら人目をもはゞからず、命をもおしまず、法華経を御信用ある事、たゞ事ともおぼえず。[p0633]
 但おしはかるに、濁水に玉を入れぬれば水のすむがごとし。しらざる事をよき人におしえられて、其のまゝに信用せば道理にきこゆるがごとし。釈迦仏・普賢菩薩・薬王菩薩・宿王華菩薩等の各々のご心中に入り給へるか。法華経の文に閻浮提に此の経を信ぜん人は、普賢菩薩の御力也と申す是れなるべし。[p0633]
 女人はたとへば藤のごとし、をとこは松のごとし。須臾もはなれぬれば立ちあがる事なし。はかばかしき下人もなきに、かゝる乱れたる世に此のとの(殿)をつかはされたる心ざし、大地よりもあつし、地神定めてしりぬらん。虚空よりもたかし、梵天帝釈もしらせ給ひぬらん。[p0633]
 [→7p0634]人の身には同生同名と申す二のつかひ(使)を、天生まるゞ時よりつけさせ給ひて、影の身にしたがふがごとく須臾もはなれず、大罪小罪大功徳小功徳すこしもおとさず、かはるかはる天にのぼ(上)て申し候、と仏説き給ふ。此の事は、はや天もしろしめしぬらん。たのもしゝたのもしゝ。[p0633-0634]
四月 日 日 蓮花押[p0634]
四條金吾殿女房 御返事[p0634]

#0105-500.TXT 四条金吾殿御返事(煩悩即菩提)文永九(1272.05・02) [p0634]

 日蓮が諸難について御とふらひ(訪)、今にはじめざる志しありがたく候。[p0634]
 法華経の行者としてかゝる大難にあひ候は、くやしくおもひ候はず。いかほど生をうけ死にあひ候とも、是れほどの果報の生死は候はじ。又、三悪四趣にこそ候ひつらめ。今は生死切断し、仏果をうべき身となればよろこばしく候。[p0634]
 天台・伝教等は迹門の理の一念三千の法門を弘め給ふすら、なほ怨嫉の難にあひ給ひぬ。日本にしては伝教より義真・円澄・慈覚等、[→p0634]相伝して弘め給ふ。[p0634-0635]
 第十八代の座主慈慧大師なり。御弟子あまたあり。其の中に檀那・慧心・僧賀・禅瑜等と申して四人まします。法門又二つに分かれたり。檀那僧正は教を伝ふ、慧心僧都は観をまなぶ。されは教と観とは日月のごとし。教は浅く、観はふかし。されば檀那の法門はひろくしてあさし、慧心の法門はせばくしてふかし。[p0635]
 今、日蓮が弘通する法門はせばきやうなれどもはなはだふかし。其の故は彼の天台・伝教等の所弘の法よりは一重立ち入りたる故也。本門寿量品の三大事とは是れ也。南無妙法蓮華経の七字ばかりを修行すればせばきが如し。されども三世の諸仏の師範、十方薩の導師、一切衆生皆成仏道の指南にてましますなればふかきなり。[p0635]
 経に云く_諸仏智慧。甚深無量〔諸仏の智慧は甚深無量なり〕云云。此の経文に諸仏とは十方三世の一切諸仏、真言宗の大日如来、浄土宗の阿弥陀、乃至諸宗・諸経の仏菩薩、過去未来現在の總諸仏、現在の釈迦如来等を諸仏と説き挙げて、次に智慧といへり。此の智慧とはなにものぞ、諸法実相十如果成の法体也。其の法体とは又なにものぞ、南無妙法蓮華経、是れ也。[p0635]
 釈に云く ̄実相深理本有妙法蓮華経〔実相の深理、本有の妙法蓮華経〕といへり。其の諸法実相と云ふも釈迦多宝の二仏とならう(習)なり。諸法をば多宝に約し、実相をば釈迦に約す。是れ又、境智の二法也。多宝は境なり、釈迦は智なり。境智而二にしてしかも境智不二の内証なり。[6→p0635]此れ等はゆゝしき大事の法門也。[p0635-0636]
 煩悩即菩提 生死即涅槃と云ふもこれなり。まさしく男女交会のとき南無妙法蓮華経ととなふるところを、煩悩即菩提 生死即涅槃と云ふなり。生死の当体不生不滅とさとるより外に生死即涅槃はなきなり。[p0636]
 普賢経に云く_不断煩悩。不離五欲。得浄諸根。滅除諸罪〔煩悩を断ぜず五欲を離れずして、諸根を浄め諸罪を滅除することを得〕。止観に云く ̄無明塵労即是菩提 生死即涅槃〔無明塵労は即ち是れ菩提なり。生死は即ち涅槃なり〕。寿量品に云く_毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身〔毎に自ら是の念を作す 何を以てか衆生をして 無上道に入り 速かに仏身を成就することを得せしめんと〕。方便品に云く_世間相常住〔世間の相常住なり〕等は此の意なるべし。此の如く、法体と云ふも全く余には非ず、たゞ南無妙法蓮華経の事なり。[p0636]
 かゝるいみじくたうとき法華経を、過去にてひざ(膝)のしたにをきたてまつり、或はあなづり(蔑)くちひそみ(顰蹙)、或は信じ奉らず、或は法華経の法門をならうて一人をも教化し、法命ををつぐ人を、悪心をもてとによせ、かくによせおこつきわらひ(謔弄)、或は後生のととめなれども、先づ今生かなひがたければしばらくさしをけ、なんどと無量にいひうとめ、謗ぜしによ(依)て、今生に日蓮種々の大難にあうなり。[p0636]
 諸経の頂上たる御経をひきく(低)をき奉る故によりて、現世に又人にさげ(下)られ用ひられざるなり。譬諭品に人にしたしみつくとも、人、心いれて不便とおもふべからずと説きたり。[p0636]
 然るに貴辺、法華経の行者となり、結句大難にもあひ、日蓮をもたすけ給ふ事、[→p0637]法師品の文に_遣化四衆 比丘比丘尼 優婆塞・優婆夷と説き給ふ。此の中の優婆塞とは、貴辺の事にあらずんばたれをかさゝむ。すでに謗を聞きて信受して逆らはざればなり。不思議や、不思議や。[p0637]
 若し然らば、日蓮、法華経の法師なる事、疑ひなき歟。則ち如来使にもにたるらん、行如来持もぎょうずるになりなん。多宝塔中にして二仏並坐の時、上行菩薩に譲り給ひし題目の五字を、日蓮、粗ひろめ申すなり。此れ即ち、上行菩薩の御使歟。貴辺、又、日蓮にしたがひて法華経の行者として諸人にかたり給ふ。是れ豈に流通にあらずや。[p0637]
 法華経の信心をとをし給へ。火をきるにやすみぬれば火をえず。強盛の大信力をいだして法華宗の四條金吾、四條金吾と鎌倉中の上下万人、乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ。あしき名さへ流す、況んやよき名をや。何に況んや法華経ゆへの名をや。女房にも此の由を云ひふくめて、日月両眼さう(双)のつばさ(翼)と調ひ給へ。[p0637]
 日月あらば冥途あるべきや。両眼あらば三仏の顔貌拝見、疑ひなし。さうのつばさあらば寂光の宝刹へ飛ばん事、須臾刹那なるべし。委しくは又々申すべく候。恐惶謹言。[p0637]
五月二日 日 蓮花押[p0637]
四條金吾殿 御返事[p0637]

#0110-500.TXT 真言見聞 文永九(1272.05・05) [p0649]

 問ふ 真言亡国とは、証文何れの経論に出でたる耶。[p0649]
 答ふ 法華誹謗、正法向背の故也。[p0649]
 問ふ 亡国の証文、之無くば、云何に信ずべき耶。[p0649]
 答ふ 謗法之段は勿論なる歟。若し謗法ならば亡国・堕獄、疑ひ無し。凡そ謗法とは、謗仏謗僧也。[→2p0650]三宝一体なる故也。是れ涅槃経の文也。爰を以て法華経には則断一切 世間仏種〔則ち一切世間の 仏種を断ぜん〕と説く。是れを即ち一闡提と名づく。涅槃経の一と十と十一とを委細に見るべき也。[p0649]
 罪に軽重有れば、獄に浅深を構へたり。殺生・偸盗等、乃至一大三千世界の衆生を殺害すれども、等活・黒縄等の上、七大地獄之因として無間に堕ちる事は都て無し。阿鼻の業因は、経論の掟は五逆・七逆・因果撥無・正法・誹謗の者也。但し五逆之中に一逆を犯す者は無間に堕すと雖も、一中劫を経て罪を尽くして浮かぶ。一戒をも犯さず道心堅固にして後世を願ふと雖も、法華に背きぬれば無間に堕して展転無数劫と見えたり。然れば則ち謗法は無量の五逆に過ぎたり。是れを以て国家を祈らんに天下将に泰平なるべしや。諸法は現量に如かず。[p0649-0650]
 承久の兵乱之時、関東には其の用意もなし。国主として調伏を企て四十一人の貴僧に仰ぎて十五壇之秘法を行はる。其の中に守護経の法を紫宸殿にして御室始めて行はる。七日に満せし日、京方〈かみがた〉負け畢んぬ。亡国之現証に非ず乎。是れは僅かに今生之小事也。権教邪法に仍て悪道に堕せん事、浅猿〈あさまし〉かるべし。[p0650]
 問ふ 権教邪執之証文は如何。既に真言教は大日覚王の秘法、即身成仏の奥蔵也。故に上下一同に是の法に帰し、天下悉く大法を仰ぐ。海内を静め天下を治むる事、偏に真言之力也。然るを権教邪法と云ふ事、如何。[p0650]
 答ふ 権教と云ふ事。四教含蔵、帯方便之説なる経文顕然なれば也。然らば四味の諸経に同じて久遠を隠し二乗を隔つ。[→10p0650]況んや尽形寿の戒等を述ぶれば小乗権教なる事、疑ひ無し。爰を以て遣唐の疑問に、禅林寺の広修・国清寺の維之決判、分明に方等部之摂と云ひし也。[p0650-0651]
 疑て云く 経文の権教は且く之を置く。唐決之事は、天台の先徳円珍大師、之を破す。大日経の旨帰に ̄法華尚不及 況自余教乎〔法華尚及ばず、況や自余の教をや〕云云。既に祖師の所判也。誰か之に背くべき耶。[p0651]
 決して云く 道理、前の如し。依法不依人之意也。但し此の釈を智証の釈と云ふ事、不審也。其の故は授決集の下に云く ̄若望華厳・法華・涅槃等経是摂引門〔若し華厳・法華・涅槃等の経に望むれば是摂引門なり〕と云へり。広修・維を破する時は法華尚不及と書き、授決集には是摂引門と云ひて、二義相違せり。旨帰が円珍之作ならば、授決集は智証の釈に非ず。授決集が実作ならば、旨帰は智証之釈に非ず。授決集が智証之釈と云ふ事、天下之人、皆、之を知る上、公家の日記にも之を載せり。旨帰は人多く之を知らず。公家の日記にも之無し。此を以て彼を思ふに後の人作りて智証の釈と号する歟。能く能く尋ぬべき也。[p0651]
 授決集は正しき智証の自筆也。密家に四句の五蔵を設けて十住心を立て論を引き、伝を三国に寄せ、家々の日記と号し、我が宗を厳るとも、皆是れ妄語、胸臆之浮言にして、荘厳己義之法門也。[p0651]
 所詮、法華経は大日経より三重の劣、戯論之法にして、釈尊は無明纏縛之仏と云ふ事、慥かなる如来之金言経文を尋ぬべし。証文無くんば何と云ふとも法華誹謗の罪過を免れず。此の事当家之肝心也。返す返す忘失する事勿れ。[p0651]
 何れの宗にも正法誹謗之失、之有り。対論之時は、但此の一段に在り。仏法は自他宗異なりと雖も、翫ぶ本意は、道俗貴賎共に離苦得楽現当二世の為也。[→2p0652]謗法に成り伏して悪道に堕すべくは、文殊の智慧・富楼那の弁説、一分も無益也。無間に堕する程の邪法の行人にて国家を祈祷せんに将た善事と為すべき耶。顕密対判之釈は且く之を置く。華厳に法華劣ると云ふ事能く能く思惟すべき也。[p0651-0652]
 華厳経の十二に云く[四十華厳也]_又彼所修一切功徳六分之一常属於王。如是障修及造不善所有罪業六分之一還属於王〔また彼の所修の一切功徳の六分の一は常に王に属す。是の如く修および造を障る不善所有の罪業の六分の一は還りて王に属す〕[文]。[p0652]
 六波羅蜜経の六に云く_若王境内有犯殺者其王便獲第六分罪。偸盗・邪行及以妄語亦復如是。何以故 若法非法王為根本。於罪於福第六一分皆属於王〔若し王の境内に殺を犯す者あれば、其の王すなわち第六分の罪を獲ん。偸盗・邪行および妄語も、またまた是の如し。何を以ての故に。若しは、法も非法も王を根本と為す。罪に於ても福に於ても第六の一分は皆王に属するなり〕云云。[p0652]
 最勝王経に云く_由愛敬悪人治罰善人故 他方怨賊来国人遭喪乱〔悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に、他方の怨賊来りて国人喪乱に遭ふ〕等云云。大集経に云く_若復有諸刹利国王作諸非法 悩乱世尊声聞弟子 若以毀罵刀杖打斫及奪衣鉢種種資具 若他給施作留難者我等令彼自然卒起他方怨敵 及自国土亦令兵起病疫飢饉非時風雨闘諍言訟。又令其王不久復当亡失己国〔若しは復諸の刹利国王有て諸の非法を作して世尊の声聞の弟子を悩乱し、若しは以て毀罵し刀杖をもて打斫し及び衣鉢種種の資具を奪ひ、若しは他の給施せんに留難を作さば我等彼をして自然に他方の怨敵を卒起せしめん、及び自の国土にも亦兵起り病疫飢饉し非時の風雨闘諍言訟せしめん。又其王をして久しからざらしめ復当に己が国を亡失す〕云云。[p0652]
 大三界義に云く_爾時諸人共聚衆内立一有徳之人名為田主 而各以所収之物六分之一以貢輪田主。以一人為主以政法治之。因茲以後立刹利種大衆欽仰恩流率土。復名大三末多王〔爾の時に諸人共にあつまりて衆の内に一の有徳の人を立てて、名づけて田主と為し、而しておのおの所収の物、六分の一を以て、以て田主に貢輪す。一人を以て主と為し、政法を以て之を治む。茲に因て、以後、刹利種を立て、大衆、欽仰して恩を率土に流す。また大三末多王〈たいさんまたおう〉と名づく〕[已上、倶舎に依て之を出す也][p0652]
 顕密の事[p0652]
 無量義経十功徳品に云く [第四功徳の下]深入諸仏。秘密之法。所可演説。無違無失〔深く諸仏秘密の法に入って、演説する所違うことなく失なく〕。[p0652]
 [→5p0653]抑そも大日之三部を密教と云ひ、法華経を顕教と云ふ事、金言、出だす所を知らず。所詮、真言を密と云ふは、是の密は隠密之密なる歟、微密之密なる歟。物を秘するに二種有り。一には金銀等を蔵に籠むるは微密也。二には片輪等を隠すは隠密也。[p0652ー0653]
 然れば則ち真言を密と云ふは隠密也。其の故は始成と説く故に長寿を隠し、二乗を隔つる故に記小無し。此の二つは教法之心膸、文義之綱骨也。微密之密は法華也。[p0653]
 然れば則ち文に云く 四巻法師品に云く_薬王。此経是諸仏。秘要之蔵〔薬王此の経は是れ諸仏の秘要の蔵なり〕云云。五巻安楽行品に云く_文殊師利。此法華経。諸仏如来。秘密之蔵。於諸経中。最在其上〔文殊師利、此の法華経は是れ諸の如来の第一の説、諸説の中に於て最も為れ甚深なり〕云云。寿量品に云く_如来秘密。神通之力〔如来の秘密・神通の力を〕云云。如来神力品に云く_如来一切。秘要之蔵〔如来の一切の秘要の蔵〕云云。[p0653]
 加之、真言の高祖、龍樹菩薩、法華経を秘密と名づく。二乗作仏有るが故にと釈せり。次に二乗作仏無きを秘密とせずば真言は即ち秘密の法に非ず。所以は何ん。大日経に云く_仏説不思議真言相道法。不共一切声聞・縁覚。亦非世尊普為一切衆生〔仏、不思議真言の相・道・法を説きて一切の証文縁覚を共にせず。また、世尊普く一切衆生の為にするに非ず〕云云。二乗を隔つる事、前四味之諸教に同じ。随て唐決には方等部の摂と判ず。経文には四教含蔵と見えたり。[p0653]
 大論第百巻に云く ̄[第九十品の釈]問曰。更有何法甚深勝般若者。而以般若嘱累阿難。而余経嘱累菩薩。答曰。般若波羅蜜非秘密法。而法華等諸経。説阿羅漢受決作仏。大菩薩能受用。譬如大薬師能以毒為薬。〔問て云く 更に何れの法か甚深にして般若に勝れたる者有りて、而も般若を以て阿難に嘱累し、而も余経をば菩薩に嘱累するや。答て曰く 般若波羅蜜は秘密の法に非ず。而も法華等の諸経に。阿羅漢の受決作仏を説きて、大菩薩、能く受用す。譬へば大薬師の能く毒を以て薬と為すが如し〕云云。[p0653]
 玄義の六に云く ̄譬如良医。能変毒為薬。二乗根敗不能反復。名之為毒。今経得記。即是変毒為薬。故論云。[→2p0654]余経非秘密。法華為秘密也。復有本地所説諸経所無。在後当広明云云〔譬へば良医の能く毒を変じて薬と為すが如し。二乗の根敗、反復すること能はず。之を名づけて毒と為す。今経に記を得るは、即ち是れ、毒を変じて薬と為す。故に論に云く 余経は秘密に非ず。法華を秘密と為すなり。また本地所説の有り。諸経に無き所なり。後に在りて当に広く明かす〕云云。[p0653-0654]
 籤の六に云く ̄第四引証中言論云等者。大論文証也。言秘密者。非八教中之秘密。但是前所未説為秘。開已無外為蜜。次復有下。本門。言在後者。指第七巻。〔第四に引証の中、論云等と言ふは、大論の文証なり。秘密と言ふは、八教の中の秘密には非ず。ただ是れ前に未だ説かざる所を秘と為し、開き已れば外無きを蜜と為す〕[文][p0654]
 文句の八に云く ̄方等・般若雖説実相之蔵。亦未説五乗作仏。亦未発迹顕本。頓漸諸経皆未融会。故名為秘〔方等・般若に実相の蔵を説くと雖も、また未だ五乗の作仏を説かず。また未だ発迹顕本せず。頓漸の諸経は、皆、未だ融会せず。故に名づけて秘と為す〕。[文]
 記の八に云く ̄大論云 法華是秘密付諸菩薩。如今下文召於下方 尚待本眷属。験余未堪〔大論に云く 法華は是れ秘密にして諸の菩薩に付す、と。今下の文に下方を召すが如きは、尚お本眷属を待つ。あきらけし、余は未だ堪へず〕。秀句の下に龍女之成仏を釈して身・口密なりと云へり云云。[p0654]
 此れ等之経論釈は分明に法華経を諸仏は最第一と説き、秘密教と定め給へるを、経論に文証も無き妄語を吐き、法華を顕教と名づけて之を下し、之を謗ず。豈に大謗法に非ずや。[p0654]
 抑そも唐朝之善無畏・金剛智等、法華経と大日経の両経に理同事勝之釈を作るは梵華両国共に勝劣歟。法華経も天竺には十六里之宝蔵に有れば無量の事有れども、流沙葱嶺等の険難、五万八千里十万里之路次、容易ならざる間、枝葉は之を略せり。此れ等は訳者之意楽に随ふ。広を好み略を悪む人も有り。略を好み広を悪む人も有り。然れば則ち玄奘は広を好み四十巻之般若経を六百巻に成し、羅什三蔵は略を好みて千巻之大論を百巻に縮めたり。印契・真言之勝るると云ふ事、是れを以て弁へ難し。羅什所訳の法華経には是れを宗とせず。不空三蔵の法華儀軌には印・真言、之れ有り。仁王経も羅什の所訳には印・真言、之無し。不空所訳之経には之を副えたり。是れを知んぬ、訳者の意楽也と。[p0654]
 其の上、法華経には為説実相印と説きて合掌の印、[→p0655]之れ有り。譬諭品には_我此法印 為欲利益 世間故説〔我が此の法印は 世間を利益せんと 欲するを為ての故に説く〕云云。此れ等の文、如何。只広略の異なる歟。又、舌相の言語、皆是れ真言也。法華経には ̄治生産業皆与実相不相違背〔一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず〕と宣べ、亦是前仏<亦是先仏>。経中所説〔亦是れ前の仏経の中に説く所なり〕と説く。此れ等は如何。真言こそ有名無実之真言、未顕真実之権教なれば、成仏得道、跡形も無し。始成を談じて久遠無ければ、性徳本有之仏性も無し。三乗が仏の出世を感ずるに三人に二人を捨て、三十人に二十人を除く。皆令入仏道の仏の本願、満足すべからず。十界互具は思ひもよらず。まして非情の上の色心の因果、争でか説くべき耶。[p0655]
 然らば陳隋二代の天台大師が法華経の文を解りて印契の上に立て給へる十界互具・百界千如・一念三千を善無畏は盗み取りて我が宗の骨目とせり。彼の三蔵は唐の第七玄宗皇帝の開元四年に来る。如来入滅より一千六百六十四年歟。開皇十七年より百二十余年也。何ぞ百二十余年已前に天台之立て給へる一念三千の法門を盗み取りて我が物とする耶。而るに己が依経たる大日経には、衆生の中に機を簡び、前四味の諸経に同じて二乗を簡べり。まして草木成仏は思ひよらず。されば理を云ふ時は盗人也。[p0655]
 又、印契・真言、何れの経にか之を簡べる。若し爾らば、大日経に之を説くとも規模ならず。一代に簡ばれ、諸経に捨てらる二乗作仏は、法華に限れり。二乗は無量無辺劫の間、千二百余尊の印契・真言を行ずとも、法華経に値はずんば成仏すべからず。印は手の用、真言は口の用也。其の主が成仏せざれば、[→2p0656]口と手と別に成仏すべき耶。一代に超過し三説に秀でたる二乗の事をば物とせず。事に依る時は印・真言を尊む者、劣謂勝見之外道也。[p0655-0656]
 無量義経説法品に云く_四十余年。未顕真実〔四十余年には未だ真実を顕さず〕文。一の巻に云く_世尊法久後 要当説真実〔世尊は法久しゅうして後 要ず当に真実を説きたもうべし〕[文]。又云く_一大事因縁故。出現於世。〔一大事の因縁を以ての故に世に出現したもう〕。四の巻に云く_薬王今告汝我所説諸経 而於此経中 法華最第一〔薬王今汝に告ぐ 我が所説の諸経 而も此の経の中に於て 法華最も第一なり〕[文]。又云く_已説。今説。当説〔已に説き今説き当に説かん〕[文]。宝塔品に云く_我為仏道 於無量土 従始至今 広説諸経 而於其中 此経第一〔我仏道を為て 無量の土に於て 始より今に至るまで 広く諸経を説く 而も其の中に於て 此の経第一なり〕[文]。安楽行品に云く_此法華経。是諸如来。第一之説。於諸説中。最為甚深〔此の法華経は是れ諸の如来の第一の説、諸説の中に於て最も為れ甚深なり〕[文]。又云く_此法華経。諸仏如来。秘密之蔵。於諸経中。最在其上〔文殊師利、此の法華経は是れ諸の如来の第一の説、諸説の中に於て最も為れ甚深なり〕[文]。薬王品に云く_此法華経。亦復如是。於諸経中。最為其上〔此の法華経も亦復是の如し。諸経の中に於て最も為れ其の上なり〕[文]。又云く_此経亦復如是。於衆経中。最為其尊〔此の経も亦復是の如し。衆経の中に於て最も為れ其の尊なり〕[文]。又云く_此経亦復如是。諸経中王〔此の経も亦復是の如し。諸経の中の王なり〕[文]。又云く_此経亦復如是。一切如来所説。若菩薩所説。若声聞所説。諸経法中。最為第一〔一切の如来の所説、若しは菩薩の所説、若しは声聞の所説、諸の経法の中に最も為れ第一なり〕。[p0656]
 玄の十に云く ̄已今当説。最為難信難解。前経是已説随他意〔已今当説 最為難信難解。前の経は、是れ已に他意に随て説く〕[T33,800c,17,6,][文]。秀句の下に云く ̄謹案法華経法師品偈云 薬王今告汝 我所説諸経 而於此経中 法華最第一〔謹んで案ずるに、法華経法師品の偈に云く 薬王今汝に告ぐ 我が所説の諸経 而も此の経の中に於て 法華最も第一なり〕[文]。又云く ̄当知已説四時経〔当に知るべし、已説は四時の経なり〕[文]。文句の八に云く ̄今法華。論法<論法一切差別融通帰一法。〔今、法華は、法を論ずれば〕。記の八に云く ̄当鉾<当鋒難事法華已前>〔鉾に当たる〕云云。又云く ̄明知他宗所依経。不是王中王〔明らかに知んぬ。他宗所依の経は、是れ王の中の王ならず〕云云。[p0656]
 釈迦・多宝・十方之諸仏、天台・妙楽・伝教等は法華経は真実、華厳は方便也。未顕真実 正直捨方便 不受余経一偈 若人不信 乃至 其人命終 入阿鼻獄と云云。弘法大師は法華は戯論、華厳は真実なりと云云。[3→p0657]何れを用ふべき耶。[p0656-0657]
 宝鑰に云く ̄如此乗乗自乗得名望後作戯論〔此の如き乗々自乗に名を得れども後に望めば戯論と作す〕[文]。又云く ̄謗人謗法定堕阿鼻獄〔謗人、謗法は定めて阿鼻獄に堕せん〕[文]。[p0657]
 記の五に云く ̄是則戯論非求法也。故実相外皆名戯論〔故に実相の外は、皆、戯論と名づく〕[T34,272c,28,7][文]。梵網経疏に云く ̄第十謗三宝戒。亦云謗菩薩法戒。或云邪見邪説戒。謗法是乖背之名。【糸+圭】是解不称理。言不当実。異解説者。皆名為謗也〔第十謗三宝戒。亦は謗菩薩戒と云ひ、或は邪見と云ふ。謗は是れ乖背の名なり。すべて是の解り、理に称はず。言は実に当たらずして、異解して説く者を皆名づけて謗と為すなり〕[文]。[p0657]
 玄の三に云く ̄無文証者悉是邪。偽同彼外道<謂同彼外道非二諦摂也>〔文証無くば悉く是れ邪まなり。偽りは彼の外道と同じ〕[T33,702b,21~22][p0657]
 弘の十に云く ̄今人信他所引経論。謂為有憑。不尋宗源謬誤何甚〔今の人、他の所引の経論を信じて、謂て憑み有りと為す。宗の源を尋ねざれば、謬誤、何ぞ甚だし〕[T46,440b,3~4,]。[p0657]
 守護章上之中に云く ̄若有所説経論明文権実・大小・偏円・半満可簡択〔若し所説の経論の明文有らば、権実・大小・偏円・半満を簡択すべし〕[文]。[p0657]
 玄の三に云く ̄広引経論荘厳己義〔広く経論を引きて己の義を荘厳す〕。[T33,713b,24,10,][文]。[p0657]
 抑そも弘法之法華経は真言より三重の劣、戯論之法にして尚ほ華厳にも劣ると云ふ事。[p0657]
 大日経六巻に供養法の巻を加へて七巻三十一品、或は三十六本には、何れの品、何れの巻に見えたる耶。加之、蘇悉地経三十四品、金剛頂経三巻三品、或一巻に全く見えざる也。又、大日経並びに三部之秘経には何れの巻、何れの品にか十界互具、之有り耶。都て無き也。法華経には事理共に有る也。所謂、久遠実成は事也。二乗作仏は理也。善無畏等之理同事勝は臆説也。信用すべからざる者也。[p0657]
 凡そ真言之誤り多き中に、一 十住心に第八法華・第九華厳・第十真言云云。何れの経論に出でたる耶。一 善無畏之四句と弘法の十住心とは眼前の違目也。何ぞ師弟敵対する耶。一 五時を立つる時、六波羅蜜経の陀羅尼蔵を何ぞ必ず我が家の真言と云ふべき耶。一 震丹の人師、争でか醍醐を盗むといふ。年紀、何ぞ相違する耶。[p0657]
 其の故は開皇十七年より唐の徳宗の貞元四年戊辰の歳に至るまで百九十二年也。[18→p0658]何ぞ天台入滅百九十二年の後に渡れる六波羅蜜経之醍醐を盗み給ふべき耶。顕然の違目也。若し爾れば、謗人謗法定堕阿鼻獄は自責なる耶。一 弘法の心経の秘鍵の五分に何ぞ法華を摂する耶。能く能く尋ぬべき事也。[p0657-0658]
 真言七重難。[p0658]
 一 真言は法華経より外に大日如来の所説なり云云。若し爾れば大日の出世成道説法利生は釈尊より前歟、後歟、如何。対機説法の仏は八相作仏す。父母は誰ぞ。名字は如何。娑婆世界之仏と云はば、世に二仏無く国に二主無きは聖教の通判也。涅槃経の三十五の巻を見るべし。若し他土の仏也と云はば、何ぞ我が主師親の釈尊を蔑ろにして他方疎遠の仏を崇むるや。不忠也。不孝也。逆路伽耶陀也。若し一体と云はば何ぞ別仏と云ふ耶。若し別仏ならば何ぞ我が重恩之仏を捨つる耶。唐尭は老い衰へたる母を敬ひ虞舜は頑ななる父を崇む[是れ一][p0658]
 六波羅蜜経に云く_所謂過去無量【歹+克】伽沙諸仏世尊所説正法 我今亦当作如是説。所謂八万四千諸妙法蘊 而令阿難陀等の諸大弟子一聞於耳皆悉憶持〔所謂、過去無量【歹+克】伽沙の諸仏世尊の所説の正法、我今亦当に是の如き説を作すべし。所謂、八万四千の諸の妙法蘊、しかも阿難陀等の諸大弟子をして一たび耳に聞きて皆悉く憶持せしむ〕。此の中の陀羅尼蔵を弘法我真言と云へる。若し爾れば、此の陀羅尼蔵は釈迦之説に非ざる歟。此の説に違すべし[是れ二][p0658]
 凡そ法華経は無量千万億の已説今説当説に最第一也。諸仏の所説、菩薩の所説、声聞の所説に此の経第一也。諸仏の中に大日、漏るべき耶。法華経は正直無上道の説。大日等の諸仏、長舌を梵天に付けて真実と示し給ふ。[p0658]
 威儀形色経に、身相黄金色にして常に満月輪に遊び、定慧智拳の印、法華経を証誠すと。[→p0659]又、五仏章之仏も法華経第一と見えたり[是れ四]。[p0658-0659]
 要を以て之を言はば、以要言之。如来一切。所有之法 乃至 皆於此経。宣示顕説〔要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法 乃至 皆此の経に於て宣示顕説す〕云云。此等の経文は釈迦諸説の諸経の中に第一なるのみに非ず、三世の諸仏の諸説の中に第一也。此の外一仏二仏之経の中に法華経に勝れたる経有りと言はば不可用〔用ふべからず〕。法華経は三世不壊之経なる故也[是れ五]。[p0659]
 又大日経等の諸経之中に法華経に勝るゝ〔勝法華経〕経文無之〔之無し〕[是れ六][p0659]
 釈尊御入滅より已後、天竺の論師二十四人之付法蔵、其の外大権之垂迹、震旦之人師、南三北七之十師、三論・法相之先師之中に、天台宗より外に十界互具百界千如一念三千と談ずる人無之〔之無し〕。若不立一念三千者〔若し一念三千を立てざれば〕、性悪の義無之〔之無し〕。無性悪義者〔性悪の義無くば〕、仏菩薩之普賢色身、真言両界之漫荼羅五百七百の諸尊は、同本無今有外道之法〔本無今有の外道之法に同ぜん〕歟。若立十界互具百界千如〔若し十界互具百界千如を立てば〕、本経何れの経にか十界皆成之旨、説之耶〔之を説けるや〕。天台円宗見聞之後、邪知荘厳の為に盗み取れる法門也。才芸を誦し浮言を吐くには不可依〔依るべからず〕。正しき経文金言を可尋〔尋ぬべき〕也。[是れ七][p0659]
 涅槃経の三十五に云く_我於処処経中説言 一人出世多人利益。一国土中二転輪王。一世界中二仏出世 無有是処〔我処処の経の中に於て説て言く 一人出世すれば多人利益す。一国土の中に二の転輪王あり。一世界の中に二仏出世すといはゞ、是のことはり有ること無し〕[文]。大論の九に云く ̄十方恒河沙三千大千世界名為一仏世界。是中更無余仏。実一釈迦牟尼仏〔十方恒河沙三千大千世界を名づけて一仏世界と為す。是の中に更に余仏無し。実には一りの釈迦牟尼仏なり〕[文]。記の一に云く ̄世無二仏国無二主。一仏境界無二尊号〔世には二仏無く国には二主無し。一仏の境界には二尊の号無しと〕[文]。持地論に云く ̄世無二仏国無二種一仏境界無二尊号〔世に二仏無く国に二種無く一仏の境界に二尊の号無し〕[文]。[p0659]
七月 日 日 蓮花押[p0660]

#0112-400.TXT 四条金吾殿御返事(梵音声書)文永九(1272) [p0660]

 夫れ斉の桓公と申せし王、紫をこのみて服(き)給ひき。楚の荘王と言ひし王は女の腰のふとき事をにくみしかば、一切の遊女腰をほそからせんがために餓死しけるものおほし。しかれば一人の好む事をば我が心にあはざれども万民随ひし也。たとへば大風の草木をなびかし、[→2p0661]大海の衆流をひくが如し。風にしたがはざる草木はをれうせざるべしや。小河大海におさまらずばいづれのところにおさまるべきや。[p0660-0661]
 国王と申す事は、先生に万人すぐれて大戒を持ち、天地及び諸神ゆるし給ひぬ。其の大戒の功徳をもちて、其の住むべき国土を定む。二人、三人等を王とせず。地王・天王・海王・山王等、悉く来りてこの人をまほる。いかにいはんや其の国中の諸民、其の大王を背くべしや。此の王はたとひ悪逆を犯すとも、一・二・三度等には無左右〔とこう無く〕、此の大王を不罰〔罰せず〕。但諸天等の御心叶はざる者は、一往は天変地夭等をもちてこれをいさむ。事過分すれば諸天善神等、其の国土を捨離し給ふ。若しは此の大王の戒力つき、期来りて国土のほろぶる事もあり。又逆罪多くにかさなれば隣国に破らるゝ事もあり。善悪に付けて国は必ず王に随ふものなるべし。[p0661]
 世間、此の如し。仏法も又然也。仏陀すでに仏法を王法に付し給ふ。しかればたとひ聖人・賢人なる智者なれども、王にしたがはざれば仏法流布せず。或は後には流布すれども始めには必ず大難来る。迦貳志加王は仏の滅後四百余年の王なり。健陀羅国を掌のうちににぎれり。五百の羅漢を帰依して婆沙論二百巻をつくらしむ。国中總じて小乗也。其の国に大乗弘めがたかりき。発舎密多羅王は五天竺を随へて仏法を失ひ、衆僧の首をきる。誰の智者も叶はず。太宗は賢王也。玄奘三蔵を師として法相宗を持ち給ひき。[6→p0662]誰の臣下かそむきし。此の法相宗は大乗なれども五性各別と申して、仏教中のおほきなるわざはひと見えたり。なを外道の邪法にもすぎ悪法也。月支・震旦・日本三国共にゆるさず。終に日本国にして伝教大師の御手にかゝりて此の邪法、止め畢んぬ。大なるわざはひなれども太宗これを信仰し給ひしかば、誰の人かこれをそむきし。[p0661-0662]
 真言宗と申すは大日経・金剛頂経・蘇悉地経による。これを大日の三部と号す。玄宗皇帝の御時、善無畏三蔵・金剛智三蔵天竺より将来れり。玄宗これを尊重し給ふ事、天台・華厳等にもこえたり。法相・三論にも勝れて思し食すが故に、漢土總じて大日経は法華経に勝ると思ひ、日本国当世にいたるまで、天台宗は真言宗に劣るなりとおもふ。彼の宗を学する東寺天台の高僧等、慢過慢をおこす。但し大日経と法華経とこれをならべて偏黨を捨て是れを見れば、大日経は螢火の如く、法華経は明月の如く、真言宗は衆星の如く、天台宗は如日輪〔日輪の如し〕。[p0662]
 偏執の者の云く 汝未だ真言宗の深義を習ひきはめずして彼の無尽の科を申す、と。[p0662]
 但し真言宗、漢土に渡りて六百余年、日本に弘まりて四百余年、此の間の人師の難等あらあらこれをしれり。伝教大師一人、此の法門の根源をわきまへ給ふ。[p0662]
 しかるに当世日本国第一の科是れ也。以勝思劣〔勝るを以て劣ると思ひ〕、以劣思勝〔劣を以て勝ると思ふ〕之故に、大蒙古国を調伏する時、還りて〔襲はれんと欲す〕、是れ也。[p0662]
 華厳宗と申すは法蔵法師が所立の宗也[→7p0662]。則天皇后の御帰依ありしによりて諸宗肩をならべがたかりき。しかれば王の威勢によりて宗の勝劣はありけり。法に依て勝劣はなきやうなり。たとひ深義を得たる論師・人師なりといふとも、王法には勝ちがたきゆへに、たまたま勝たんとせし仁は大難にあへり。所謂、師子尊者は檀弥羅王のために首を刎らる。提婆菩薩は外道のために殺害せらる。竺の道生は蘇山に流され、法道三蔵は面に火印をされて江南に放たれたり。[p0662-0663]
 而るに日蓮は法華経の行者にもあらず、僧侶の数にもいらず。然而して随世人〔世の人に随ひて〕阿弥陀仏の名号を持ちしほどに、阿弥陀仏の化身とひびかせ給ふ善導和尚の云く ̄十即十生・百即百生 乃至 千中無一と。勢至菩薩の化身とあをがれ給ふ法然上人、料簡此釈〔此の釈を料簡して〕云く ̄末代に念仏の外の法華経等を雑ふる念仏においては千中無一、一向念仏者十即十生〔一向に念仏せば十即十生と〕云云。[p0663]
 日本国の有智・無智仰ぎて此の義を信じて、于今〔今まで〕五十余年一人も疑ひを加へず。唯日蓮の諸人にかはる所は、阿弥陀仏の本願には唯除五逆誹謗正法〔唯五逆と誹謗正法とを除く〕とちかひ、法華経には_若人不信 毀謗此経 則断一切 世間仏種〔若し人信ぜずして 此の経を毀謗せば 則ち一切世間の 仏種を断ぜん〕乃至 其人命終 入阿鼻獄〔其の人命終して 阿鼻獄に入らん〕と説かれたり。此れ善導・法然、謗法の者なれば、たのむところの阿弥陀仏にすてられをはんぬ。余仏余経においては我と抛ちぬる上は、救ひ給ふべきに不及〔及ばず〕。法華経の文の如きは無間地獄疑ひなしと云云。[p0663]
 而るを日本国はをしなべて彼等が弟子たるあひだ[15→p0664]、此の大難まぬがれがたし。無尽の秘計をめぐらして日蓮をあだむ、是れ也。[p0664]
 前々の諸難はさておき候ひぬ。去る九月十二日御勘気をかふりて、其の夜のうちに首をはねらるべきにて候ひしが、いあkなる事にやよりけん。彼の夜は延びて此の国に来りていままで候に、世間にもすてられ、仏法にも被捨〔捨てられ〕、天にもとふらはれず。二途にかけたるすてものなり。[p0664]
 而るを何なる御志にてこれまで御使をつかはし、御身には一期の大事たる悲母の御追善第三年の御供養を送りつかはされたる事、両三日はうつゝともおぼへず。彼の法勝寺の修行が、いはを(硫黄)が嶋にてとしごろつかひける童にあひたりし心地也。胡国の夷陽公といひしもの、漢土にいけどられて北より南へ出でけるに、飛びちがひける雁を見てなげきけんもこれにはしかじとおぼへたり。[p0664]
 但し法華経に云く_若善男子<若是善男子>。善女人。我滅度後。能窃為一人。説法華経。乃至一句。当知是人。則如来使。如来所遣。行如来事〔若し(是の)善男子・善女人、我が滅度の後、能く窃かに一人の為にも法華経の乃至一句を説かん。当に知るべし、是の人は則ち如来の使なり。如来の所遣として如来の事を行ずるなり。〕等云云。[p0664]
 然者〔然れば〕日蓮賎身なれども、教主釈尊の勅宣を頂戴して此の国に来れり。此れを一言もそしらん人々は罪を無間に開き、一字一句も供養せん人は、無数の仏を供養するにもすぎたりと見えたり。[p0664]
 教主釈尊は一代の教主、一切衆生の導師也。八万法蔵は皆金言、十二部経は皆真実也[7→p0665]。無量億劫より以来、持ち給ひし不妄語戒の所詮は、一切経是れ也。いづれも疑ふべきにあらず。但し是れは總相也。別してたづぬれば、如来の金口より出来して小乗・大乗・顕・密・権経・実経是れあり。今この法華経は、仏、正直捨方便 乃至 世尊法久後要当説真実と説き給ふ事なれば、誰の人か疑ふべき。なれども多宝如来証明を加へ、諸仏舌を梵天に付け給ふ。されば此の御経は一部なれども三部也、一句なれども三句也、一字なれども三字也。此の法華経の一字の功徳は、釈迦・多宝・十方の諸仏の御功徳を一字におさめ給ふ。たとへば如意宝珠の如し。一珠も百珠も同じき事也。一珠も無量の宝を雨らす、百珠も又無尽の宝あり。たとへば百草を抹りて一丸乃至百丸となせり。一丸も百丸も共に病を治する事これをなじ。譬へば大海の一{いったい}も衆流を備へ、一海も万流の味をもてるが如し。[p0665]
 妙法蓮華経と申すは總名也。二十八品と申すは別名也。月支と申すは天竺の總名、別しては五天竺是れ也。日本と申すは總名也。別しては六十六州これあり。如意宝珠と申すは釈迦仏の御舎利也。龍王これを給ひて頂上に頂戴して、帝釈是れを持ちて宝をふらす。仏の身骨の如意宝珠となれるは、無量劫所持の大戒、身に薫じて骨にそみ、一切衆生をたすくる珠となる也。たとへば犬の牙の虎の骨にとけ(渙)、魚の骨の※うの気に消ゆるが如し。乃至師子の筋を琴の絃にかけてこれを弾けば[5→p0666]、余の一切の獣の筋の絃、皆きらざるにやぶる。仏の説法をば獅子吼と申す、乃至法華経は獅子吼の第一也。[p0665-0666]
 仏には三十二相そなはり給ふ。一々の相皆百福荘厳也。肉髻・白毫なんど申すは菓の如し。因位の華の功徳等と成りて三十二相を備へ給ふ。乃至無見頂相と申すは、釈迦仏の御身は丈六也。竹杖外道は釈尊の御長をはからず、頂を見奉らんとせしに御頂を不見〔見たてまつらず〕。応持菩薩も御頂を不見〔見たてまつらず〕。大梵天王も御頂をば不見〔見たてまつらず〕。これはいかなるゆへぞとたずぬれば、父母・師匠・主君を、頂を地につけて恭敬し奉りしゆへに此の相を感得せり。[p0666]
 乃至梵音声と申すは仏の第一の相也。小王・大王・転輪王等此の相を一分備へたるゆへに、此の王の一言に国も破れ国も治まる也。宣旨と申すは梵音声の一分也。万民の万言不及一王一言〔一王の一言に及ばず〕三墳五典なんど申すは小王の御言也。此の治小国〔小国を治め〕乃至大梵天王三界の衆生を随ふる事、仏の大梵天王・帝釈等をしたがへ給ふ事もこの梵音声也。此れ等の梵音声成一切経〔一切経と成りて〕一切衆生を利益す。其の中に法華経は釈迦如来の御志を書き顕はして、此の音声を文字と成し給ふ。仏の御心はこの文字に備はれり。たとへば種子と苗と草と稲とはかはれども心はたがはず。釈迦仏と法華経の文字とはかはれども、心は一也。然れば法華経の文字を拝見せさせ給ふは、生身の釈迦如来にあひ進らせたりとおぼしめすべし。[p0666]
 此の志、佐渡の国までおくりつかはされたる事[12→p0667]、すでに釈迦仏知食し畢んぬ。実に孝養の詮也。恐恐謹言。[p0666-0667]
文永九年  月  日 日 蓮 花押[p0667]
四條三郎左衛門の尉殿御返事[p0667]
 

#0114-500.TXT 経王御前御書 文永九(1272) [p0686]

 種種御送り物給候ひ畢んぬ。法華経第八妙荘厳王品と申すには、妙荘厳王と浄徳夫人とは浄蔵・浄眼と申す太子に導かれ〔被導〕給ふと説かれて候。経王御前を儲けさせ給ひて候へば、現世には跡をつぐべき孝子也[6→p0687]。後生には又導かれて〔被導〕仏にならせ給ふべし。
 今の代は濁世と申して乱れて候世也。其の上眼前に世の中乱れて見え候へば、皆人今生には弓箭の難に値ひて修羅道におち、後生には悪道疑ひなし。而るに法華経を信ずる人人こそ仏には成るべしと見え候へ。御覧ある様にかゝる事謂れ無き〔無謂〕事なれども、古も今も人の損ぜんとては善言(よきこと)を用ひぬ習ひなれば、終には用いられず世の中亡びんとする也。[p0687]
 是れ偏に法華経釈迦仏の御使を責める故に梵天・帝釈・日月・四天等の責めを蒙りて候也。又世は亡び候とも日本国は南無妙法蓮華経とは人ごとに唱へ候はんずるにて候ぞ。如何に申さじと思ふとも毀らん人には弥いよ申し聞かすべし。命生きて御坐ば御覧有るべし。又如何に唱ふるとも日蓮に怨をなせし人無量劫の後に日蓮之弟子と成りて成仏すべし〔成日蓮之弟子可成仏〕。恐恐謹言。[p0687]
日 蓮花押[p0687]
四條金吾殿御返事[p0687]

#0115-500.TXT 祈祷経送状 文永十(1273.01・28) [p0688]

 御礼の旨委細承り畢んぬ。兼ねては又末法に入りて法華経を持ち候者は、三類之強敵を蒙り候はん事は面拝之時大概(おおむね)申し候ひ畢んぬ〔御礼旨委細承畢。兼又入末法持法華経候者 蒙三類之強敵候はん事は面拝之時大概申候畢〕。仏の金言にて候上は、不審を致すべからず候か〔不可致不審候歟〕。[p0688]
 然らば則ち日蓮も此の法華経を信じ奉り候て後は、或は頭にを蒙り、或は打たれ、或は追われ、或は首の座に臨み、或は流罪せられ候ひし程に、結句は此の嶋まで遠流せられ候ひぬ。何なる重罪の者も現在計りこそ罪科せられ候へ。日蓮は三世の大難に値ひ候ひぬと存じ候。[p0688]
 其の故は現在の大難は今の如し。過去の難は当世の諸人等が申す如くば、如来在世の善星・瞿伽利等の大悪人が重罪の予習を失せずして如来の滅後に生まれて是の如く仏法に敵をなすと申し候、是れ也。[p0688]
 次に未来の難を申し候はば、当世の諸人の部類等、謗じ候はん様は、此の日蓮房は存生之時は種種の大難にあひ、死門に赴く之時は自身を自ら食して死ぬる上は、定めて大阿鼻地獄に堕罪して無辺の苦を受くるらんと申し候はんずる也。[p0688]
 古より以来世間出世の罪科の人、貴賎・上下・持戒毀戒・凡聖に付けて多く候へども、但其れは現在ばかりにてこそ候に、日蓮は現在は申すに及ばず、過去・未来に至るまで三世の大難を蒙り候はん事は、只偏に法華経の故にて候也。日蓮が三世の大難を以て法華経の三世の御利益を覚し食され〔被覚食〕候へ。[p0688]
 [0→p0689]過去久遠劫より已来未来永劫まで、妙法蓮華経の三世の御利益尽くすべからず候也。[p0689]
 日蓮が法華経の方人(かたふど)を少分仕り候だにも加様の大難に遭ひ候。まして釈尊の世世番番の法華経の御方人を思ひ遣りまいらせ候に道理申す計りなくこそ候へ。されば勧持品の説相は暫時も廃せず〔不廃〕。殊更殊更貴く覚え候。[p0689]
 一御山籠の御志の事。凡そ末法折伏の行に背くと雖も、病者にて御坐候上、天下の災い・国土の難・強盛に候はん時、我が身につみ知り候はざらんより外は、いかに申し候とも国主信ぜられまじく候へば、日蓮尚お籠居の志候。まして御分之御事はさこそ候はんずらめ。假使山谷に籠居候とも、御病も平愈して便宜も吉(よく)候はば、身命を捨て弘通せしめ給ふべし〔吉候者 捨身命可令弘通給〕。[p0689]
 一仰せを蒙りて候末法の行者息災延命の祈祷の事。別紙に一巻註し進らせ候。毎日一返闕如無く読誦被るべく候〔一蒙仰候末法行者息災延命祈祷事。別紙一巻註進候。毎日一返無闕如可被読誦候〕。[p0689]
 日蓮も信じ始め候ひし日より毎日此れ等の勘文を誦し候ひて仏天に祈誓し候によりて、種種の大難に遇ふと雖も法華経の功力・釈尊の金言深重なる故に今まで相違なく〔無相違〕候也。[p0689]
 其れに付けて法華経の行者は身心に退転無く、身に詐親無く、一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、慥かに後生は申すに及ばず今生も息災延命にして勝妙の大果報を得、広宣流布之大願をも成就すべき也。[p0689]
 [0→p0690]一御状に十七出家の後は妻子を帯せず肉を食せず〔一御状十七出家後不帯妻子不食肉〕等云云。
 権経を信ぜし大謗法の時の事は何なる持戒の行人と申すとも、法華経に背く〔背法華経〕謗法罪の故に、正法の破戒の大俗よりも百千万倍劣る候也。彼の謗法の比丘は持戒也と雖も無間に堕す〔彼謗法比丘雖持戒也堕無間〕。正法の大俗は破戒也と雖も成仏疑ひ無き〔雖破戒也成仏無疑〕故也。[p0690]
 但し今の御身は念仏等の権経を捨て正法に帰し給ふ故に、誠に持戒の中の清浄聖人なり。尤も比丘と成りては権宗の人すら尚お然るべし。況んや正法の行人を哉。假使権宗の時の妻子也とも、かゝる大難に遇はん時は、振り捨てゝ正法を弘通すべき之処に、地体より聖人、尤も吉、尤も吉。相構えて相構えて向後(きゃうこう)も夫妻等の寄り来るとも遠離して一心に障礙無く〔無障礙〕国中の謗法をせめて釈尊之化儀を資け奉るべき〔可奉資釈尊之化儀〕者也。[p0690]
 猶お猶お向後は此の一巻の書を誦して仏天に祈誓し御弘通有るべく候。[p0690]
 但し此の書は弘通之志有らん人に取りての事なり。此の経の行者なればとて器用に能はざる者には左右無く之を授与すべからず候歟。穴賢穴賢。恐恐謹言。
文永十年[癸酉]正月二十八日[p0690]
日 蓮花押[p0690]

#0116-3K0 法華宗内証仏法血脈 文永十(1273.02・15) [p0691]
法華宗内証仏法血脈(原文漢文)
     文永十年二月。五十二歳著。
     外一八ノ一〇。遺一四ノ二三。縮九一七。類二九四。

 夫れ妙法蓮華経宗とは、久遠実成三身即一の釈迦大牟尼尊、常寂光土、霊山浄土唯一教主の所立なり。所謂妙法蓮華経第七に「仏説言諸経中王」已上経文。霊山の聴衆たる天台大師の云く「今経則ち諸経の法王と成る、最も為第一なり」文。妙楽大師の云く「法華の外に勝法なし、故に云く、法華は無上の法王なり」と。伝教大師の云く「仏の諸法の王たるが如く、此経も亦復是の如し、諸経の中の王なり」已上経文と。当に知るべし、仏は無上の法王なり、法華は無上の妙典なり。明かに知んぬ、他宗の所依の経は諸王所喩の経なることを。天台法華宗の所依の経は王中の王の所喩の経なり、他宗には都て此の十喩なし、唯だ法華のみ此の十喩あり。若し他宗の経に此の十喩ありと雖も当分、跨節を分別すべきのみ。釈尊の宗を立つる法華を極と為す。本法の故に時を待ち機を待つ。論師の宗を立つる、自見を極と為す、随宜の故に」文。又或処に云く「当に知るべし、他宗は権教、権宗、当分の宗なり。天台法華宗は実教、実宗、跨節の宗なり。天台法華宗の諸宗に勝るゝことは所依の経に依るが故なり。自讃毀他にあらず、庶くは有智の君子、経を尋ねて宗を定めよ」已上取意。若し法華宗の外に宗ありと言はゞ、国に二主あり一世界に二仏出世の道理あらん。若し爾らざれば法華実宗の外に、全く権教方便の権宗あるべからざる者なり。当に知るべし、今の法華宗とは諸経中王の文に依つて、之を建立す。仏立宗とは釈迦独尊の所立の宗なる故なり。妙法蓮華経結要付属血脈相承の譜。
 久遠実成大覚世尊常寂光土霊山会上多宝塔中三身即一の釈迦牟尼如来。
 謹んで法華経の神力、属累の両品を案ずるに、云く「為属累故説此経功徳猶不能尽、以要言之、如来一切所有之法、如来一切自在神力、如来一切秘要之蔵、如来一切甚深之事、皆於此経宣示顕説、已上結要五字也。是故汝等於如来滅後応当一心受持読誦、〇所以者何当知是処即是道場、諸仏於此得〇三菩提、諸仏於此転於法輪、諸仏於此而般涅槃」文。属累品に云く「今以付属汝等汝等応当一心流布此法広令増益、如是三摩、諸菩薩摩訶薩頂〇令一切衆生普得聞知」文。又云く「説是語時、十方無量分身諸仏、皆大歓喜」已上経文。両品の文分明なり。妙法五字を以て上行菩薩に付属し給ふと云ふ事。
 問ふ、何れの土に於て、誰人を証人と為して、上行等の本眷属に於て妙法の五字を付属するや。答ふ、寂光土に於て、多宝仏と十方分身の諸仏とを上首と為して、自界他方の一切諸仏、菩薩、声聞、縁覚、釈梵、諸王、人天等を証拠と為して、これを付属し給ふなり。問ふ、証人は経文分明なり。寂光土とは証拠如何。答へて云く、妙楽大師の疏記の五に云く「今日の前には寂光の本より三土の迹を垂る、法華の会に至つて三土の迹を摂して寂光の本に帰す」文。難じて云く、霊山は娑婆世界なり、何ぞ寂光と云ふや。答へて云く、釈に云く「豈に伽耶を離れて別に常寂を求めんや、寂光の外に別に娑婆あるに非ず」文。但し正しき証文は経論分明なり、所謂法華の寿量品と結経の普賢経と法華論と
等なり。而るに日蓮一人之を感得するに非ず、天台、妙楽等此等の経論の文を引いて、常寂光土を釈成し給ふなり。就中、本朝第一日本国の天台法華宗の高祖伝教大師の釈の内証仏法血脈に云く「天台法華宗相承師師血脈譜一首。常寂光土第一義諦霊山浄土久遠実成多宝塔中大牟尼尊。謹んで観普賢経を案ずるに云く「時空中声則説是語、釈迦牟尼仏名毘盧遮那遍一切処、其仏住処名常寂光」。又法華論を案ずるに云く「我浄土不毀而衆見焼尽とは報仏如来真実の浄土は第一義諦の所摂なるが故に」。又法華経の如来寿量品を案ずるに云く「然我実成仏已来久遠若斯」。又云く「於阿僧祇劫常在霊鷲山」。又法華論を案ずるに云く「八には同一塔坐とは化仏、非化仏、法仏、報仏等を示現するは、皆大事を成ぜんが為の故なり」(已上文)。
 謹んで此等の文意を案ずるに、釈迦如来霊山事相の常寂光土に於て、本眷属上行等の菩薩を召し出して、付属の弟子と定め、宝塔の中の多宝如来の前に我が十方分身の諸仏を集め、上の証人と為て結要の五字を以てこれを付属す。三世の諸仏これを諍ふべからず。何に況や菩薩、二乗、人、天等をや。問ふ、本眷属地涌の大士親しく霊山寂光土に於て結要の付属を受けて、末代弘経の時、何れの土に於て付属を宣ぶるや。答ふ、付属の法は即ち妙法なれば付属の土も又寂光土なり。爰に知んぬ、末法の弘経妙法の者の其の土豈に寂光ならざらんや。神力品に末法弘経の国土の相を説いて「園中樹下(乃至)山谷昿野」等を挙げ畢つて「当知是処即是道場、諸仏於此得阿耨多羅三藐三菩提、諸仏於此転於法輪、諸仏於此而般涅槃」文。即是道場とは常寂光土の宝処なり。得三菩提とは諸仏成正覚の処なり。転於法輪とは諸仏不退の説法の処。而般涅槃とは諸仏不生不滅の理を顕す処なり。是れ則ち内証外用事理の寂光を説くなり。故に知んぬ、末法今の時法華経所坐の処、行者所住の処、道俗男女、貴賎上下所住の処、併ながら皆是れ寂光なり。所居既に浄土なり。能居の人豈に仏に非ずや。法妙なる故に人貴し、人貴き故に処尊しとは此の意なり。
 本眷属上行等の地涌の菩薩。
 謹んで法華経の意を案ずるに云く「迹化の衆は末法の弘経に堪へざれば、結要の付属を授けざるなり。所以は何ん、迹化は三類の強敵を忍ぶこと能はざる故なり。本眷属に之を付属し給ふ事は能く此の土に堪へ、能く三類の強敵を忍ぶ故に、教主釈尊三たび上行等の菩薩の頂を摩でて、結要を以て之を付属し給ふなり」。
 問ふ、何を以てか迹化の弟子、此の土の弘経に堪へずと云ふ事を知ることを得ん。答ふ、迹化の菩薩等は本化の衆に対すれば、未断惑なるが故なり。難じて云く、今迹化の菩薩とは、華厳、方等、般若、法華迹門の坐席に列なる所の住、行、向、地、等覚の大菩薩なり。本門寿量の説を聞いて長遠果地の実益を得べき大菩薩なり。地涌の菩薩仮使位高しと雖も、等覚無垢に過ぐべからず。何ぞ迹化を本化に対して未断惑の菩薩と言ふや。答ふ、華厳、方等、般若得道の菩薩、其の位、地、住已上、乃至等覚に居すと雖も、爾前方便の円果なるが故に法華迹門の円果に対すれば、未顕真実の権果なり、故に実の断惑の果に非ず。故に伝教大師の釈に云く「円教の即是の菩薩等は、是れ直道なりと雖も大
直道ならず。今是の一の法門は既に先説に異なり、故に下の経文に四十余年未顕真実と云ふ」文。又云く「平等の直道は権の一乗を捨つ。是の故に説いて四十余年未顕真実と云ふなり」文。四味三教の席に於ては極果の菩薩と雖も、迹門の円に対すれば当分方便の権果にして実道の益に非ず、何に況や本門の円に対する時は、一毫未断惑の凡夫なり。問ふ、爾前迹門の菩薩を本門に対して、未断惑の菩薩なりと言ふ証拠如何。答ふ、経文既に迹化の補処、本化の衆を見るに不識一人と云ふ。若し同位等行の菩薩ならば、何ぞ不識一人と云はんや。地涌は已に破無明の菩薩其の数無量無辺なり。其の中に一人をも識らずとは迹化は未断惑なるが故なり。迹化補処の智力未断惑の位なる故に、尚之を知らず、何に況や爾前頓大の菩薩等をや。但し爾前迹門の菩薩を本門の本眷属に対して、未断惑の菩薩と云ふ事日蓮一人の言にあらず、霊山の聴衆、天台、妙楽等の釈分明なり。所謂涌出品の「五十小劫仏神力故、令諸大衆謂如半日」の文を釈して云く「解る者は、短に即して而も長なれば五十小劫と見る、惑へる者は、長に即して而も短なれば半日の如しと謂ふ」云云。妙楽大師之を受けて、釈して云く「菩薩已に無明を破る。之を称して解と為す、大衆は仍賢位に居せり、之を名けて惑と為す」云云。此等の文証分明なり、故に知んぬ、迹化の衆此の土の弘経に堪へざる事は未断惑の故なり。未断惑なる故に能く三類の敵を忍ばず。此れを以ての故に仏本眷属已断惑の菩薩を召出し、多宝分身の諸仏の前に於て妙法の五字を付属し給ふなり。
 大師天竺、須梨耶蘇摩。
 謹んで翻経の記を案ずるに云く「大師須梨耶蘇摩、左の手に法華経を持ち、右の手に鳩摩羅什の頂を摩でゝ、三蔵に授与して云く、仏日西に入りて遺耀将に東北に及ばんとす、此の典は東北の諸国に縁あり、汝謹んで之れを伝弘せよ」と云云。又開元釈教の録を案ずるに云く「什公又須梨耶蘇摩に従つて大乗を諮稟すと。以て知んぬ、羅什天竺の蘇摩に帰託して師と為すことを」云云。
 羅什三蔵。
 謹んで開元釈教の録を案ずるに云く「沙門鳩摩羅什妙法蓮華経を訳し、此に至つて乃ち言く、此の語は梵本と義同じ、若し伝ふる所謬りなくんば、身を焚くの後に舌焦爛せざらしめん」と。秦の弘始年中を以て卒す。即ち逍遥園に於て外国の法に依つて尸を焚く、薪滅して形化するも唯舌のみ変ぜず、弘法の徴ありと。
 問ふ、此の二師を列ぬる事は結要付属の師資の故か。答ふ、天竺の妙法蓮華経を東土に将来せし訳者なる故に之を列ねたるのみ。
 妙法蓮華経一部八巻。
 謹んで開元釈教の録を案ずるに云く「什の所訳、妙法蓮華経八巻」云云。
 末法法華一乗の行者、法華宗の沙門日蓮。
 謹んで法華経の法師品を案ずるに云く「当知此人是大菩薩成就阿耨多羅三藐三菩提、哀愍衆生願生此間広演分別妙法華経」文。又云く「於我滅度後愍衆生故、生於悪世広演此経」文。又云く「而此経者如来現在猶多怨嫉」文。又云く「我滅度後能窃為一人、説法華経乃至一句、当知是人則如来使、如来所遣行於如来事、何況於大衆中広為人説」文。問ふ、血脈相承とは仏法の流水、断絶せざるの名にして三世常恒なり。而るに今列ぬる所の次第の如きは、中絶これ多し如何。答ふ、今列ぬる所の血脈相承の次第とは、内証の次第を列ぬ、何ぞ難を致すや。内証を以て本とする事は当家に限らず、他家にも例あり。謂ゆる天台、禅宗、浄土宗等の師資相承も必ず所難の如くならず、皆悉く内証を以て本と為すなり。先づ天台宗相承の中絶をいはゞ、此の宗龍樹を高祖と為すなり。而るに龍樹と慧文と其の中間断絶して人なし。所以に天台相承の血脈に云く「今天台承くる所第十三龍樹よりを高祖と為す。由は龍樹は無畏、中観論を造る。高斉の沙門慧文禅師は中観論に依つて得道し南岳の思禅師に授く、南岳は天台智者に伝ふ」と云云。同書の註に云く「師久く大乗の法要を思ふに、師となるに人なし、乃ち大経蔵の前に於て、発願して云く、若し抽きて経を得ば仏を礼して師と為ん、抽きて論を得ば菩薩を礼して師と為さん」と。故さらに焼香背手し、大経蔵の中に於て抽きて中観論を得たり。是れ龍樹の造る所、読んで因縁所生法即空即仮即中の文に至り、此れに因て悟道す。故に龍樹を禀けて始祖と為すなり。此の文は龍樹と慧文と其の中間人なしと雖も、中論の因縁所生法等の文に依て龍樹を高祖となすなり。今日蓮が相承も亦復是の如し。法華経の「能窃為一人説法華経乃至一句当知是人則如来使」等の文に依て釈迦如来を本師と為し、結要の付属を勘へ上行菩薩の流れを汲んで、師資相承の血脈を列ぬるなり。問ふ、法華宗の名言これ同じ、何ぞ天台を高祖と為ざるや。答ふ、今外相は天台宗に依るが故に天台を高祖と為し、内証は独り法華経に依るが故に釈尊、上行菩薩を直師とするなり。難じて云く、汝偏執なり。答へて云く、日蓮一人に限らず、天台大師も外相は慧文、南岳に依ると雖も内証は道場所証の妙悟に依て釈迦を本師とするなり。所謂禀承南岳証不由他の釈是なり。天台相承の血脈に云く「智者兼て法華三昧旋陀羅尼を用ひて、一家教観の戸を開拓して偏に他に同ぜず。已に永平第九に至りて荊溪の記主なり、今備に祖図を列ぬることは、伝ふる所が自ら金口なることを顕さん為の故に、一家の祖龍樹を示さんとする者なり。又天台大師の玄義の序に云く「曽て講を聴かずして自ら仏乗を解す」と。又云く「玄く法華の円意を悟る」云云。又天台内証仏法の血脈相承の義記に云く「内証仏法の伝は天台大師大蘇山普賢道場に於て、三昧開発の時霊山一会儼然として未だ散ぜず、時に釈尊より天台に面授口決し給ふ」云云。天台内証仏法の血脈に云く「古僧来つて四教を授く」と云云。同義記に云く「古僧とは霊山の釈迦なり」云云。日蓮が相承も是の如く法華経に依つて開悟し、法華宗の血脈を列ぬるなり。次に禅宗血脈相承の断絶をいはゞ師子尊者よりなり云云。次に浄土宗血脈の断絶は、無畏論に云く「善導経蔵に入り目を閉ぢ手に任せて、これを取るに浄土の三部経を得たり、其れより已来阿弥陀を高祖と為す。阿弥陀の垂迹は善導なり」と云ふなり。此の外諸宗の相承一一皆中絶す、委しくこれを記せず。故に知んぬ、諸宗皆内証を以て師資相承の血脈を建立す。今当家の相承、大旨は天台の相承に附順すべしと雖も、内証真実を以て釈尊、上行菩薩を高祖と為し奉るのみ。
  文永十年二月十五日             法華宗比丘 日蓮撰
(微下ノ一六。考六ノ四二。)

#0117-300 妙法曼荼羅供養事 文永十(1273) [p0698]
妙法曼陀羅供養事(第一書)
     文永十年。五十二歳作。与千日尼書。
     内二八ノ五。遺一四ノ三〇。縮九二五。類六八二。

 妙法蓮華経の御本尊供養候ぬ。此曼陀羅は、文字は五字七字にて候へども、三世諸仏の御師、一切の女人の成仏の印文也。冥途にはともしびとなり死出の山にては良馬となり、天には日月の如し地には須弥山の如し。生死海の船也、成仏得度の導師也。此大曼陀羅は仏滅後二千二百二十余年の間一閻浮提の内には未だひろまらせ給はず。病によりて薬あり、軽病には凡薬をほどこし重病には仙薬をあたうべし。仏滅後より今までは二千二百二十余年の間は、人の煩悩と罪業の病軽かりしかば、智者と申す医師たちつづき出させ給て病に随て薬をあたえ給き。所謂倶舎宗、成実宗、律宗、法相宗、三論宗、真言宗、華厳宗、天台宗、浄土宗、禅宗等也。彼の宗宗に一一に薬あり。所謂華厳の六相十玄、三論の八不中道、法相の唯識観、律宗の二百五十戒、浄土宗の弥陀の名号、禅宗の見性成仏、真言宗の五輪観、天台宗の一念三千等也。今世既に末法にのぞみて諸宗の機にあらざる上、日本国一同に一闡提大謗法の者となる。又物に譬れば父母を殺す罪、謀叛ををこせる科、出仏身血等の重罪等にも過たり。三千大千世界の一切衆生の人の眼をぬける罪よりも深く、十方世界の堂塔を焼はらへるよりも超たる大罪を、一人して作れる程の衆生日本国に充満せり。されば天は日日に眼をいからして日本国をにらめ、地神忿を作して時時に身をふるう也。然而我朝の一切衆生は皆我身に科なしと思ひ、必ず往生すべし成仏をとげんと思へり。赫赫たる日輪をも無目者は見ず知らず。譬ばたいこ(鼓)の如くなる地震をもねぶれる者の心にはをぼえず。日本国の一切衆生如是。女人よりも男子の科はをゝく、男子よりも尼のとがは重し。尼よりも僧の科はをゝく、破戒の僧よりも持戒の法師のとがは重し。持戒の僧よりも智者の科はをもかるべし。此等は癩病の中の白癩病、白癩病の中の大白癩病なり。末代の一切衆生はいかなる大医いかなる良薬を以てか治すべきとかんがへ候へば、大日如来の智拳印並に大日の真言、阿弥陀如来の四十八願、薬師如来の十二大願、衆病悉除の誓も此薬に及ぶべからず。つやつや病消滅せざる上いよいよ倍増すべし。此等の末法の時のために教主釈尊多宝如来、十方分身の諸仏を集させ給て一の仙薬をとどめ給へり。所謂妙法蓮華経の五の文字也。此文字をば法慧、功徳林、金剛薩?、普賢、文殊、薬王、観音等にもあつらへさせ給はず。何に況や迦葉、舎利弗等をや。上行菩薩等と申て四人の大菩薩まします。此菩薩は釈迦如来五百塵点劫よりこのかた御弟子とならせ給て、一念も仏をわすれずまします大菩薩を召出して授けさせ給へり。されば此良薬を持たん女人等をば此四人の大菩薩前後左右に立そひて、此女人たゝせ給へば此大菩薩も立せ給ふ。乃至此女人道を行く時は此菩薩も道を行き給ふ。譬へばかげと身と水と魚と、声とひびきと月と光との如し。此四大菩薩南無妙法蓮華経と唱たてまつる女人をはなるるならば、釈迦、多宝、十方分身の諸仏の御勘気を此菩薩の身に蒙らせ給べし。提婆よりも罪深く瞿伽利よりも大妄語のものたるべしとをぼしめすべし。あら
悦ばしや、あら悦ばしや。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
                         日蓮花押
(啓三二ノ一〇〇。鈔二〇ノ三六。語四ノ三二。音下ノ三六。拾六ノ三五。扶一二ノ二五。)

#0122-300 諸法実相鈔 文永十(1273.05・17) [p0723]
諸法実相鈔
     文永十年五月。五十二歳著。与最蓮房日浄書。
     受二ノ一一。遺一四ノ五三。縮九五八。類六八四。

 問て云く、法華経の第一方便品に云く「諸法実相(乃至)本末究竟等」云云。此の経文の意如何。答へて云く、下地獄より上仏界までの十界の依正の当体、悉く一法ものこさず妙法蓮華経のすがたなりと云ふ経文なり。依報あるならば必ず正報住すべし。釈に云く「依報正報常に妙経を宣ぶ」等云云。又云く「実相は必ず諸法、諸法は必ず十如、十如は必ず十界、十界は必ず身土」云云。又云く「阿鼻の依正は全く極聖の自心に処し、毘盧の身土は凡下の一念を逾ず」云云。此等の釈義分明なり。誰か疑網を生ぜんや。されば法界のすがた妙法蓮華経の五字にかはる事なし。釈迦、多宝の二仏と云も妙法等の五字より用の利益を施し給ふとき、事相に二仏と顕はれて宝塔の中にしてうなづき(点)合ひ給ふ。かくのごとき等の法門、日蓮を除きては申し出す人一人もあるべからず。天台、妙楽、伝教等は心には知り給へども、言に出し給ふまではなし、胸の中にしてくらし(暮)給へり。其れも道理なり。付属なきが故に、時のいまだいたらざる故に、仏の久遠の弟子にあらざる故に、地涌の菩薩の中の上首上行、無辺行等の菩薩より外は、末法の始めの五百年に出現して法体の妙法蓮華経の五字を弘め給ふのみならず、宝塔の中の二仏並座の儀式を作り顕すべき人なし。是即ち本門寿量品の事の一念三千の法門なるが故なり。されば釈迦、多宝の二仏と云ふも用の仏なり。妙法蓮華経こそ本仏にてはおはし候へ。経に云く「如来秘密神通之力」是れなり。如来秘密は体の三身にして本仏なり。神通之力は用の三身にして迹仏ぞかし。凡夫は体の三身にして本仏ぞかし。仏は用の三身にして迹仏なり。然れば釈迦仏は我等衆生のためには主、師、親の三徳を備へ給ふと思ひしに、さにては候はず、返て仏に三徳をかふら(蒙)せたてまつるは凡夫なり。其故は如来と云ふは天台の釈に「如来とは十方三世の諸仏、二仏、三仏、本仏、迹仏の通号なり」と判じ給へり。此釈に本仏と云ふは凡夫なり、迹仏と云ふは仏なり。然れども迷悟の不同にして生仏異なるに依て。倶体倶用の三身と云ふ事をば衆生しらざるなり。さてこそ諸法と十界を挙げて実相とは説かれて候へ。実相と云ふは妙法蓮華経の異名なり。諸法は妙法蓮華経と云ふ事なり。地獄は地獄のすがたを見せたるが実の相なり。餓鬼と変ぜば地獄の実のすがたには非ず。仏は仏のすがた、凡夫は凡夫のすがた、万法の当体のすがたが妙法蓮華経の当体なりと云ふ事を諸法実相とは申すなり。天台云く「実相の深理、本有の妙法蓮華経なり」と云云。此釈の心は実相の名言は迹門に主づけ、本有の妙法蓮華経と云ふは本門の上の法門なり。此釈能能心中に案じさせ給へ候へ。日蓮末法に生れて上行菩薩の弘め給ふべき所の妙法を先立て粗ひろめ、つくりあらはし給ふべき本門寿量品の古仏たる釈迦仏、迹門宝塔品の時涌出し給ふ多宝仏、涌出品の時出現し給ふ地涌の菩薩等をまづ作り顕はしたてまつる事、予が分斉にはいみじき事なり。日蓮をこそにくむとも内証にはいかが及ばん。さればかゝる日蓮を此島まで遠流しける罪無量劫にもきへぬべしともおぼへず。譬喩品に云く「若説其罪窮劫不尽」とは是れなり。又日蓮をも供養し、又日蓮が弟子檀那となり給ふ事、其功徳をば仏の智慧にてもはかりつくし給ふべからず。経に云く「以仏智慧籌量多少不得其辺」といへり。地涌の菩薩のさきがけ日蓮一人なり。地涌の菩薩のかずにもや入りなまじ。若日蓮地涌の菩薩のかずに入らば、あに日蓮が弟子檀那地涌の流類にあらずや。経に云く「能窃為一人説法華経乃至一句。当知是人則如来使、如来所遺行如来事」。あに(豈)別人の事を説き給ふならんや。さればあまりに人の我をほむるときはいかやうにもなりたき意の出来し候なり。是れほむる処の言よりをこり候ぞかし。末法に生れて法華経を弘めん行者は、三類の敵人あて流罪死罪に及ばん。然れどもたえて弘めん者をば衣を以て釈迦仏をほう(覆)べきぞ。諸天は供養をいたすべきぞ。かた(肩)にかけ、せ(背)なかにをう(負)べきぞ。大善根のものにてあるぞ。一切衆生のためには大導師にてあるべしと。釈迦仏、多宝仏、十方の諸仏菩薩、天神七代、地神五代の神神、鬼子母神、十羅刹女、四大天王、梵天、帝釈、閻魔法王、水神、風神、山神、海神、大日如来、普賢、文殊、日月等の諸尊たちにほめられたてまつる間、無量の大難をも堪忍して候なり。ほめ(讃)られぬれば我身の損ずるをもかへりみ(顧)ず、そしられ(毀)ぬる時は又我身のやぶるるをもしらず。ふるまう事は凡夫のことはざ(諺)なり。いかにも今度信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一
門となりとをし(通)給べし。日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか。地涌の菩薩にさだまりなば釈尊の久遠の弟子たる事あに疑はんや。経に云く「我従久遠来教化是等衆」とは是れなり。末法にして妙法蓮華経の五字弘めん者は男女はきらふべからず。皆地涌の菩薩の出現にあらずんば唱へがたき題目なり。日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第にとなへつたふるなり。未来も又しかるべし。是あに地涌の義にあらずや。剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地をまととするなるべし。ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給べし。釈迦仏、多宝仏、十方の諸仏、菩薩、虚空にして二仏うなづきあひ、さだめさせ給しは別の事にはあらず。ただひとへ(唯偏)に末法の令法久住の故なり。既に多宝仏は半座を分けて釈迦如来にたてまつり給し時、妙法蓮華経のはた(旛)をさし顕はし、釈迦、多宝の二仏大将としてさだめ給し事、あに(豈)いつはり(偽)なるべきや。しかしながら我等衆生を仏になさんとの御談合なり。日蓮は其座には住し候はねども、経文を見候に、すこしもくもりなし。又其座にもやありけん、凡夫なれば過去をしらず、現在は見へて法華経の行者なり、又未来は決定として当詣道場なるべし。過去をもこれを以て推するに虚空会にもやありつらん、三世各別あるべからず。此の如く思ひつづけて候へば、流人なれども喜悦はかりなし。うれしき(嬉)にもなみだ、つらき(厭苦)にもなみだ(涙)なり。涙は善悪に通ずるものなり。彼の千人の阿羅漢、仏の事を思ひいでて涙をながし、ながしながら文殊師利菩薩は妙法蓮華経と唱へるを、千人の阿羅漢の中の阿難尊者はなき(泣)ながら如是我聞と答ふ。余の九百九十人はなくなみだを硯の水として、又如是我聞の上に妙法蓮華経とかきつけしなり。今日蓮もかくの如し。かゝる身となるも妙法蓮華経の五字七字を弘むる故なり。釈迦仏、多宝仏、未来日本国の一切衆生のために、とどめ(留)をき給ふ処の妙法蓮華経なりと。かくのごとく我も聞きし故ぞかし。現在の大難を思ひつづくるにもなみだ、未来の成仏を思ふて喜ぶにもなみだせきあへず。鳥と虫とはなけ(鳴)どもなみだをちず、日蓮はなかねどもなみだひまなし。此のなみだ世間の事にはあらず、たゞひとへに法華経の故なり。若しからば甘露のなみだとも云つべし。涅槃経には父母、兄弟、妻子、眷属にわかれ(別)て流すところのなみだは、四大海の水よりもをゝし(多)といへども、仏法のためには一滴をもこぼさずと見えたり。法華経の行者となる事は過去の宿習なり。同じ草木なれども仏とつくらるるは宿縁なるべし。仏なりとも権仏となるも又宿業なるべし。此の文には日蓮が大事の法門どもかきて候ぞ。よくよく見ほどか(解)せ給へ、意得させ給ふべし。一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給へ。あひかまへてあひかまへて信心つよく候て三仏の守護をかうむらせ給ふべし。行学の二道をはげみ候べし。行学たへ(絶)なば仏法はあるべからず。我もいたし人をも教化候へ。行学は信心よりをこるべく候。力あらば一文一句なりともかたら(談)せ給べし。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。恐恐謹言。
  五月十七日                 日蓮花押
 追申候。日蓮が相承の法門等前前かき進らせ候き。ことに此文には大事の事どもしるし(記)てまいらせ候ぞ。不思議なる契約なるか。六万恒沙の上首上行等の四菩薩の変化歟。さだめてゆへあらん。総じて日蓮が身に当つての法門わたしまいらせ候ぞ。日蓮もしや六万恒沙の地涌の菩薩の眷属にもやあるらん。南無妙法蓮華経と唱へて日本国の男女をみちびかんとおもへばなり。経に云く「一名上行(乃至)唱導之師」とは説かれ候はぬか。まことに宿縁のをふところ予が弟子となり給ふ。此文あひかまへて秘し給へ。日蓮が己証の法門等かきつけて候ぞ。とどめ畢んぬ。
   最蓮房御返事

#0123-300 義浄房御書(己心仏界鈔)文永十(1273.05・28) [p0730]
義浄房御書(清澄第三書)(己心仏界鈔)
     文永十年五月。五十二歳作。
     外二五ノ一。遺一四ノ六〇。縮九六五。類六八九。

 御法門の事委く承り候畢。法華経の功徳と申は唯仏与仏の境界、十法分身の知恵も及ぶか及ばざるかの内証也。されば天台大師も妙の一字をば「妙とは妙は不可思議に名く」と釈し給て候なるぞ。前前御存知の如し。然れども此経に於て重重の修行分れたり。天台、妙楽、伝教等計しらせ給ふ法門也。就中伝教大師は天台の後身にて渡らせ給へども、人の不審を晴さんとや思食けん、大唐へ決をつかはし給事多し。されば今後の所詮は十界互具、百界千如、一念三千と云事こそゆゆしき大事にては候なれ。此法門は摩訶止観と申す文にしるされて候。次に寿量品の法門は日蓮が身に取てたのみあることぞかし。天台、伝教等も粗しらせ給へども、言に出して宣給はず。龍樹、天親等も亦是の如し。寿量品の自我偈に云く「一心欲見仏不自惜身命」云云。日蓮が己心の仏界を此文に依て顕す也。其故は寿量品の事の一念三千の三大秘法を成就せる事此経文なり。秘すべし、秘すべし。叡山の大師渡唐して此文の点を相伝し給処也。一者一道清浄の義、心者諸法也。されば天台大師心の字を釈して云「一月三星心果清浄」云云。日蓮云、一者妙也、心者法也、欲者蓮也、見者華也、仏者経也。此五字を弘通せんには「不自惜身命」是也。一心に仏を見る。心を一にして仏を見る。一心を見れば仏也。無作の三身の仏果を成就せん事は恐らくは天台、伝教にも越へ龍樹、迦葉にも勝れたり。相構へ相構へて、心の師とはなるとも、心を師とすべからずと仏は記し給しなり。法華経の御為に身をも捨て、命をも惜まざれと強盛に申せしは是也。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
  文永十年五月二十八日              日蓮花押
   義浄房御返事
(微下ノ四一。考五八ノ三四。)

#0124-200 如説修行鈔 文永十(1273.05) [p0731]
如説修行鈔
     文永十年五月。五十二歳著。
     内二三ノ二九。遺一四ノ六一。縮九六六。類六三一。

 夫れ以れば末法流布の時、生を此土に受け此経を信ぜん人は、如来の在世より猶多怨嫉の難甚だしかるべしと見えて候なり。其故は在世は能化の主は仏なり。弟子又大菩薩、阿羅漢なり。人、天、四衆、八部、人非人等なりといへども、調機調養して法華経を聞かしめ給ふ。猶怨嫉多し、何に況や末法今の時は教機時刻到来すといへども、其師を尋ぬれば凡師なり。弟子又闘諍堅固、白法隠没、三毒強盛の悪人等なり。故に善師をば遠離し、悪師には親近す。其上真実の法華経の如説修行の行者の師弟檀那とならんには、三類の敵人決定せり。されば此経を聴聞し始めし日より思ひ定むべし。況滅度後の大難の三類甚しかるべしと。然るに我弟子等が中にも兼て聴聞せしかども、大小の難来る時は今始めて驚き、きもをけして信心を破りぬ。兼て申さざりけるか。経文をさきとして猶多怨嫉況滅度後況滅度後と朝夕をしへし事は是なり。予が或は所ををわれ或は疵を蒙り、或は両土の御勘気を蒙りて、遠国に流罪せらるるを見聞すとも、今始めて驚くべきにあらざるものをや。問て云く、如説修行の者は現世安穏なるべし。何が故ぞ三類の強敵盛んならんや。答へて云く、釈尊は法華経の御為に今度九横の大難にあひ給ふ。過去の不軽菩薩は法華経の故に杖木瓦石を蒙り、竺の道生は蘇山に流され、法道は面に火印をあてられ、師子尊者は頭をはね(刎)られ、天台大師は南三北七にあだまれ、伝教大師は六宗ににくまれ(憎)給へり。此等の仏、菩薩、大聖等は法華経の行者として、而も大難にあひ給へり。此等の人人を如説修行の人と云はずんば、いづくにか如説修行の人を尋ねん。然るに今の世は闘諍堅固、白法隠没なる上、悪国、悪王、悪臣、悪民のみありて、正法を背きて邪法邪師を崇重すれば、国土に悪鬼乱れ入りて三災七難盛んに起れり。かゝる時尅に日蓮仏勅を蒙むりて、此土に生れけるこそ時の不祥なれ。法王の宣旨背きがたければ経文に任せて、権、実二教のいくさを起し、忍辱のよろひ(鎧)を著て、妙教の剣をひつさげ、一部八巻の肝心妙法五字のはた(旗)をさし上げて、未顕真実の弓をはり正直捨権の箭をはげて、大白牛車にうち乗て権門をかつぱと破り、かしこへをしかけこゝへをしよせ、念仏、真言、禅、律等の八宗、十宗の敵人をせむるに、或はにげ、或はひきしりぞき、或は生取にせらるゝ者は我弟子となる。或はせめ返しせめをとしすれども、かたきは多勢なり。法王の一人はぶせい(無勢)なり。今までいくさやむ事なし。法華折伏、破権門理の金言なれば、ついに権教権門の輩を一人もなくせめをとして法王の家人となし、天下万民諸乗一仏乗となりて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱へ奉らば、吹く風枝をならさず、雨土くれ(壞)をくだかず、代はぎのう(義農)の世となりて、今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人、法共に不老不死の理を顕さん時を各各御らん(覧)ぜよ。現世安穏の証文疑ひあるべからざる者なり。問て云く、如説修行の行者と申さんは、何様に信ずるを申し候べきや。答へて云く、当世日本国中の諸人一同に如説修行の人と申し候は、諸乗一仏乗と開会しぬれば、何れの法も皆法華経にして勝劣、浅深ある事なし。念仏を申すも真言を持つも禅を修行するも、総じて一切の諸経並に仏、菩薩の御名を持ちて唱ふるも、皆法華経なりと信ずるが如説修行の人とは云はれ候なり等云云。予が云く、然らじ、所詮仏法を修行せんには人の言を用ゆべからず、只仰いで仏の金言をまほるべきなり。我等が本師釈迦如来は初成道の始めより一乗を説かんと思召ししかども、衆生の機根未熟なりしかば、先権教たる方便を四十余年が間説きて後に、真実たる法華経を説かせ給ひしなり。此経の序分、無量義経にして権、実のはうじ(榜示)を指して方便、真実を分け給へり。所謂「以方便力四十余年未顕事実」是なり。大荘厳等の八万の大士、施権、開権、廃権等のいはれを得意分け給ひて領解して云く、法華已前の歴劫修行等の諸経は「終不得成無上菩提」と申しきり給ひぬ。然して後正宗の法華に至つて「世尊法久後要当説真実」と説き給ひしを始めとして、「無二亦無三除仏方便説正直捨方便乃至不受余経一偈」といましめ給へり。是より已後は唯有一仏乗の妙法のみ一切衆生を仏になす大法にて、法華経より外の諸経は一分の得益もあるまじきを、末代の学者何れも如来の説教なれば皆得道あるべしとて、或は真言、或は念仏、或は禅宗、三論、法相、倶舎、成実、律等の諸宗諸経を取取に信ずるなり。是の如きの人をば「若人不信毀謗此経、即断一切世間仏種、(乃至)其人命終入阿鼻獄」と定め給へり。此等のをきて(諚)の明鏡を本として一分もたがえず、唯だ一乗の法を信ずるを如説修行とは仏は定めさせ給へり。難じて云く、左様に方便権教たる諸経諸仏を信ずるを法華経と云はばこそ、只一経に限りて経文の如く五種の修行をこらし、安楽行品の如く修行せんは如説修行の者とは云はれ候まじ
きか、如何。答へて云く、凡そ仏法を修行せん者は、摂、折二門を知るべきなり。一切の経、論此の二を出でざるなり。されば諸中国の学者等、仏法をあらあらまなぶといへども、時刻相応の道をしらず、四節四季取取に替れり。夏は熱く冬はつめたく春は花さき秋は菓なる。春種子を下して秋菓を取るべし。秋種子を下して春菓を取らんに豈取らるべけんや。極寒の時は厚き衣は用なり、極熱の夏はなにかせん。冷風は夏の用なり、冬はなにかせん。仏法も亦復是の如し。小乗の流布して得益あるべき時もあり、権大乗の流布して得益あるべき時もあり、実教の流布して仏果を得べき時もあり。然るに正、像二千年は小乗、権大乗の流布の時なり。末法の始めの五百年には純円一実の法華経のみ広宣流布の時なり。此時は闘諍堅固、白法隠没の時と定めて権、実雑乱の砌なり。敵ある時は刀杖弓箭を持つべし、敵なき時は弓箭兵杖何にかせん。今の時は権教が即ち実教の敵と成るなり。一乗流布の時は権教ありて、敵と成りてまぎらはしくば実教より之を責むべし。是を摂、折修行の中には法華経の折伏と申すなり。天台云く「法華折伏破権門理」とまことに故あるかな。然るに摂受たる四安楽の修行を今の時行ずるならば、冬種子を下して春菓を求むる者にあらずや。にはとりの暁になくは用なり、よひになくは物怪なり。権、実雑乱の時法華経の敵を責めずして山林に閉ぢ篭りて摂受を修行せんは、あに法華経修行の時を失う物怪にあらずや。されば末法今の時法華経の折伏の修行をば、誰か経文の如く行じ給へしぞ。誰人にてもおはせ諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独り成仏の法なりと音も惜まずよばはり給ひて、諸宗の人、法共に折伏して御覧ぜよ。三類の強敵来らん事疑ひなし。我等が本師釈迦如来は在世八年の間折伏し給ひ、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年、今日蓮は二十余年の間権理を破す。其間の大難数を知らず。仏の九横の難に及ぶか及ばざるは知らず。をそらくば天台、伝教も法華経の故に日蓮が如く大難に値ひ給ひし事なし。彼は只悪口怨嫉計りなり。是は両度の御勘気遠国に流罪せられ、龍口の頸の座、頭の疵等、其外悪口せられ、弟子等を流罪せられ、篭に入れられ、檀那の所領を取られ御内を出されし。此等の大難には龍樹、天台、伝教も争でか及び給ふべき。されば如説修行の法華経の行者には三類の強敵打ち定んであるべしと知り給へ。されば釈尊御入滅の後二千余年が間に、如説修行の行者は釈尊、天台、伝教の三人はさてをき候ひぬ。末法に入ては日蓮並に弟子檀那等是なり。我等を如説修行の者といはずんば釈尊、天台、伝教等の三人も如説修行の人なるべからず。提婆、瞿伽利、善星、弘法、慈覚、智証、善導、法然、良観房等は即ち法華経の行者と云はれ、釈尊、天台、伝教、日蓮並に弟子檀那は、念仏、真言、禅、律等の行者なるべし。法華経は方便権教と云はれ、念仏等の諸経は還つて法華経となるべきか。東は西となり西は東となるとも、大地は所持の草木共に飛び上つて天となり、天の日月、星宿は共に落ち下つて地となるためしはありとも、いかでか此理あるべき。哀なるかな、今日本国の万民、日蓮並びに弟子檀那等が三類の強敵に責められて、大苦にあうを見て悦んでわらふとも、昨日は人の上今日は身の上なれば、日蓮並びに弟子檀那共に霜露の命の日影を待つ計りぞかし。只今仏果に叶ひて寂光の本土に居住して自受法楽せん時、汝等が阿鼻大城の底に沈みて大苦に値はん時、我等何計り無慙と思はんずらん。汝等何計りうらやましく思はんずらん。一期をすぎん事程もなければいかに強敵重なるとも、ゆめゆめ退する心なかれ、恐るる心なかれ。たとひ頸をばのこぎりにてひき、どう(胴)をば、ひしほこ(稜鉾)を以てつゝき、足にはほだし(?)を打ち、きり(錐)を以てもむ(捫)とも、命のかよはんほどは南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱へて、唱へ死にしぬ(死)るならば、釈迦、多宝、十方の諸仏、霊山会上にして御契約なれば、須臾のほどに飛び来りて、手をとりかたに引きかけて霊山へはしり参り給はば、二聖、二天、十羅刹女は受持の者をおうごし、諸天善神は天蓋をさし、旛を上げて我等を守護して、たしかに寂光の宝刹へ送り給ふべきなり。あらうれしや、あらうれしや。
  文永十年癸酉五月 日              日蓮花押
   人人御中へ
  此書御身を離さず常に御覧あるべく候。
(啓三〇ノ五八。鈔一八ノ三。語三ノ五六。音下ノ三〇。拾五ノ五〇。扶一一ノ五〇。)

#0127-3K0 波木井三郎殿御返事 文永十(1273.08・03) [p0745]
波木井三郎殿御返事(波木井第二書)(原文漢文)
     文永十年八月。五十二歳作。
     外二四ノ三四。遺一五ノ二。縮九八〇。類四七九。

 鎌倉に筑後房、弁阿闍梨、大進阿闍梨と申す小僧等之あり。之を召して御尊び有る可し、御談義有る可し。大事の法門等粗申す。彼等は日本に未だ流布せざる大法少々之を有す。随つて御学問注し申す可き也。

 鳥跡飛び来れり。不審の晴ること疾風の重雲を巻て明月に向ふが如し。但し此の法門当世の人上下を論ぜず信心を取り難し。其故は仏法を修行するは現世安穏後生善処等と云云。而るに日蓮法師、法華経の行者と称すと雖も留難多し。当に知るべし仏意に叶はざる歟等云云。但し此の邪難先案の内、御勘気を蒙るの後始めて驚く可きに非ず。其故は法華経の文を見聞するに、末法に入て教の如く法華経を修行する者は留難多かる可きの由経文赫赫たり、眼有らん者は之を見る歟。所謂法華経の第四に云く「如来現在猶多怨嫉況滅度後」。又五の巻に云く「一切世間多怨難信」等云云。又云く「有諸無智人悪口罵詈等加刀杖瓦礫」等云云。又云く「悪世中比丘」等云云。又云く「或有阿蘭(練)若納衣在空閑乃至与白衣説法為世所恭敬如六通羅漢」等云云。又云く「常在大衆中欲毀我等故向国王大臣婆羅門居士及余比丘衆誹謗説我悪」等云云。又云く「悪鬼入其身罵詈毀辱我」等云云。又云く「数数見擯出」等云云。大涅槃経に云く「有一闡提作羅漢像住於空閑処誹謗方等大乗経典。諸凡夫人見已皆謂真阿羅漢是大菩薩」等云云。又云く「正法滅後於像法中当有比丘似像持律少読誦経貧嗜飲食長養其身。乃至雖服袈裟猶如猟師細視徐行如猫伺鼠」等云云。又般泥?経に云く「有似阿羅漢一闡提乃至」等云云。予此の明鏡を捧げ持つて日本国に引き向けて之を浮べたるに一分も陰り無し。或有阿蘭若納衣在空閑とは何人ぞや。為世所恭敬如六通羅漢とは又何人ぞや。諸凡夫見已皆謂真阿羅漢是大菩薩とは此れ又誰ぞや。持律少読誦経は又如何。是の経文の如く、仏、仏眼を以て末法の始を照見したまひ、当世に当つて此等の人人無くんば世尊の謬乱也。此の本迹二門と双林の常住と誰人か之を信用せん。今日蓮仏語の真実を顕さんが為、日本に配当して此経を読誦するに、「或有阿蘭若住於空処」等と云ふは、建長寺、寿福寺、極楽寺、建仁寺、東福寺等の日本国の禅、律、念仏等の寺寺也。是等の魔寺は比叡山等の法華天台等の仏寺を破せん為に出来する也。「納衣持律」等とは当世の五七九の袈裟を着たる持斎等也。「為世所恭敬是大菩薩」とは道隆、良観、聖一等也。世と云ふは当世の国主等也。「有諸無智人諸凡夫人」等とは日本国中の上下万人也。日蓮凡夫たるの故に仏教を信ぜず。但し此事に於ては水火の如く手に当てゝ之を知れり。但し法華経の行者有らば悪口、罵詈、刀杖、擯出等せらるべし云云。此の経文を以て世間に配当するに一人も之なし。誰を以てか法華経の行者と為さん。敵人は有りと雖も法華経の持者は無し。譬へば東有つて西無く、天有つて地無きが如し。仏語妄説と成るを如何。予、自讚に似たりと雖も、之を勘へ出して仏語を扶持す。所謂日蓮法師是也。其上仏不軽品に自身の過去の現証を引いて云く「爾時有一菩薩名常不軽」等云云。又云く「悪口罵詈」等。又云く「或以杖木瓦石而打擲之」等云云。釈尊我が因位の所行を引き載せて、末法の始めを勧め励ましたまふ。不軽菩薩既に法華経の為に杖木を蒙りて忽に妙覚の極位に登らせたまひぬ。日蓮此経の故に現身に刀杖を被り二度遠流に当る。当来の妙果之を疑ふ可けんや。如来の滅後に四依の大士正像に出世して此経を弘通したまふの時にすら猶留難多し。所謂付法蔵第二十の提婆菩薩、第二十五の師子尊者等或は命を断たれ頸を刎らる。第八の仏駄密多、第十三の龍樹菩薩等は赤き旛を捧げ持ちて七年十二年王の門前に立てり。竺の道生は蘇山に流され、法祖は害を加へられ、法道三蔵は面に火印を捺され、慧遠法師は呵嘖せられ、天台大師は南北の十師に対当し、伝教大師は六宗の邪見を破す。是等は皆王の賢愚に当るに依つて用取ある耳。敢て仏意に叶はざるに非ず。正像猶以て是の如し。何に況や末法に及ぶや。既に法華経の為に御勘気を蒙れば幸の中の幸也。瓦礫を以て金銀に易るとは是也。但し歎きは仁王経に云く「聖人去時七難必起」等云云。七難とは所謂大旱魃、大兵乱等是也。最勝王経に云く「由愛敬悪人治罰善人故星宿及風雨皆不以時行」等云云。愛悪人とは誰人ぞや。上に挙る所の諸人也。治罰善人とは誰人ぞや。上に挙る所の数数見擯出の者也。星宿とは此の二十余年の天変地夭等是也。経文の如くならば日蓮を流罪するは国土滅亡の先兆也。其上御勘気已前に其由之を勘へ出す。所謂立正安国論是也。誰か之を疑はん。之を以て歎と為す。但し仏滅後今に二千二百二十二年也。正法一千年には龍樹、天親等仏の御使と為つて法を弘む。然りと雖も但小、権の二教を弘通して実大乗をば未だ之を弘通せず。像法に入つて五百年に天台大師漢土に出現して南北の邪義を破失して正義を立てたまふ。所謂教門の五時、観門の一念三千是也。国を挙げて小釈迦と号す。然りと雖も円定、円慧に於ては之を弘宣して円戒は未だ之を弘めず。仏滅後一千八百年に入つて日本の伝教大師世に出現して欽明より已来二百余年の間六宗の邪義之を破失す。其上天台の未だ弘めたまはざる円頓戒之を弘宣したまふ。所謂叡山円頓の大戒是也。但し仏滅後二千余年三朝の間数万の寺寺之あり。然りと雖も本門の教主の寺塔、地涌千界の菩薩の別に授与したまふ所の妙法蓮華経の五字未だ之を弘通せず。経文には有つて国土には無し。時機の未だ至らざる故歟。仏記して云く「我滅度後後五百歳中広宣流布於閻浮提無令断絶」等云云。天台記して云く「後の五百歳遠く妙道に沾はん」等云云。伝教大師記して云く「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り、法華一乗の機今正しく是其時なり」等云云。此等の経釈は末法の始を指し示す也。外道記して云く「我が滅後一百年に当つて仏世に出でたまふ」と云云。儒家に記して云く「一千年の後仏法漢土に渡る」等云云。是の如き凡人の記文すら尚以て符契の如し。況や伝教、天台をや。何に況や釈迦、多宝の金口の明記をや。当に知るべし残る所の本門の教主妙法の五字一閻浮提に流布せんこと疑無き者歟。但し日蓮法師に度度之を聞きける人人猶此の大難に値つての後之を捨つる歟。貴辺は之を聞きたまふこと一両度一時二時歟。然りと雖も未だ捨てたまはず御信心の由之を聞く、偏に今生の事に非じ。妙楽大師の云く「故に知んぬ末代一時聞くことを得、聞き已つて信を生ずること宿種なるべし」等云云。又云く「像末に運居し此の真文を矚るに、妙因を植たるに非ざるよりは実に遇ひ難しと為す」等云云。法華経に云く「過去供養十万億仏之人生人間信此法華」。又涅槃経に云く。「熈連一恒供養人生此悪世信此経」等云云(取意)。阿闍世王は父を殺害し母を禁固せん悪人也。然りと雖も涅槃経の座に来つて法華経を聴聞せしかば、現世の悪瘡を治するのみに非ず四十年の寿命を延引したまひ結句無根初住の仏記を得たり。提婆達多は閻浮第一の一闡提の人、一代聖教に捨て置かれしかども此経に値ひ奉りて天王如来の記別を授与せらる。彼を以て之を推するに末代の悪人等の成仏不成仏は罪の軽重に依らず。但し此経の信不信に任す可し。而るに貴辺は武士の家の仁、昼夜殺生の悪人也。家を捨てずして此所に至つて何なる術を以てか三悪道を脱るべきや、能能私案有る可き歟。法華経の心は「当為即妙不改本意」と申して罪業を捨てずして仏道を成ずる也。天台の云く「佗経は但善に記して悪に記せず、今経は皆記す」等云云。妙楽の云く「唯だ円教の意は逆即是順なり、自余の三教は逆順定るが故に」等云云。爾前分分の得度有無の事、之を記す可しと雖も名目を知る人に之を申す也。然りと雖も大体之を教ゆる弟子これあり。此の輩等を召して粗聞くべし。其時之を記し申す可し。恐恐謹言。
 文永十年太歳癸酉八月三日           日蓮花押
 甲斐国南部六郎三郎殿御返事
(考八ノ三二。)

#0128-300 経王殿御返事 文永十(1273.08・15) [p0750]
経王殿御返事(第三書)(報四条氏書)
     文永十年八月。五十二歳作。
     外二二ノ一四。遺一五ノ七。縮九八五。類八六一。

 其後御をとづれ(音信)きかまほしく候つるところに、わざ(態)と人ををくり給候。又何よりも重宝たるあし(銭)山海を尋るとも、日蓮が身には時に当りて大切に候。夫について経王御前の事、二六時中に日月天に祈り申候。先日のまほり(守)暫時も身をはなさずたもち給へ。其本尊は正法、像法二時には習へる人だにもなし。ましてかき顕し奉る事たえたり。師子王は前三後一と申てあり(蟻)の子を取らんとするにも又たけき(猛)ものを取らんとする時もいきをひ(勢)を出す事はただをなじき事也。日蓮守護たる処の御本尊をしたゝめ参らせ候事も師子王にをとるべからず。経に云く「師子奮迅之力」とは是也。又此曼荼羅能能信ぜさせ給べし。南無妙法蓮華経は師子吼の如し。いかなる病さはり(障)をなすべきや。鬼子母神、十羅刹女法華経の題目を持つものを守護すべしと見えたり。さいはい(幸)は愛染の如く、福は毘沙門の如くなるべし。いかなる処にて遊びたはふるともつゝが(恙)あるべからず。「遊行無畏如師子王」なるべし。十羅刹女の中にも皐諦女守護ふかかるべき也。但し御信心によるべし。つるぎ(剣)なんどもすゝまざる(不進)人のためには用る事なし。法華経の剣は信心のけなげ(勇)なる人こそ用る事なれ。鬼にかなぼう(鉄棒)たるべし。日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意は法華経也。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし。妙楽云く「顕本遠寿を以て其命と為す」と釈し給ふ。経王御前にはわざはひ(禍)も転じて幸となるべし。あひかまへて御信心を出し此御本尊に祈念せしめ給へ。何事か成就せざるべき。「充満其願如清涼池現世安穏後生善処」疑なからん。又申候、当国の大難ゆり候はばいそぎいそぎ鎌倉へ上り見参いたすべし。法華経の功力を思ひやり候へば不老不死目前にあり。ただ歎く所は露命計也。天たすけ給へと強盛に申候。浄徳夫人龍女の跡をつがせ給へ。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。あなかしこ、あなかしこ。
  八月十五日               日蓮花押
 経王御前御返事
(微下ノ一九。考八ノ七。)

#0130-200 大果報御書 文永十(1273.09) [p0753]

者どもをば少少はをひだし、或はきしやう(起請)かかせえ、はう(法)にすぎて候ひつるが、七月末八月の始めに所領かわり、一万予束の作毛をさへかられて、山やにまとひ候ゆへに、日蓮なをばうしつるゆへかとのゝしり候上、御かへりの後、七月十五日より已下いしはいと申す虫ふりて、国大体三分之うへそんじ候ぬ。をほかた人のいくべしともみへず候。これまで候をもいたたせ給上、なに事もとをもひ候へども、かさねての御心ざしはうにもすぎ候か。[p0753]
 なによりもおぼつかなく候ひつる事は、とののかみの御気色いかんがとをぼつかなく候ひつるに、なに事もなき事申すばかりなし。かうらい(高麗)むこ(蒙古)の事うけ給はり候ひぬ。なにとなくとも釈迦如来法華経を失ひ候ひつる上は、大果報ならば三年はよもとをもひ候ひつるに、いくさ(軍)けかち(飢渇)つづき候ひぬ。国はいかにも候へ、法華経のひろまらん事疑ひなかるべし。御母の御事、経を読み候事に申し候なり。此の御使いそぎ候へばくはしく申さず候。恐恐。[p0753]

#0134-3K0 当体義鈔 文永十(1273) [p0757]
当体義鈔(原文漢文)
     文永十年。五十二歳著。
     内二三ノ九。遺一五ノ一〇。縮九八八。類六九一。

 問ふ、妙法蓮華経とは其体何物ぞや。答ふ、十界の依、正即ち妙法蓮華の当体なり。問ふ、若爾れば我等が如き一切衆生も妙法の全体なりと云はるべきか。答ふ、勿論なり。経に云く「所謂諸法(乃至)本末究竟等」云云。妙楽大師云く「実相は必ず諸法、諸法は必ず十如、十如は必ず十界、十界は必ず身土」云云。天台云く「十如、十界、三千の諸法は、今経の正体なるのみ」云云。南岳大師云く「云何なるを名けて妙法蓮華経と為すや。答ふ、妙とは衆生妙なるが故に、法とは即ち是衆生法なるが故に」云云。又天台釈して云く「衆生法妙」と云云。問ふ、一切衆生の当体即ち妙法の全体ならば、地獄、乃至九界の業因、業果も皆是妙法の体なりや。答ふ、法性の妙理には染、浄の二法有り。染法は熏じて迷となり、浄法は熏じて悟となる。悟は即ち仏界なり迷は即ち衆生なり。此迷悟の二法は二なりと雖も然も法性真如の一理なり。譬へば水精の玉の日輪に向へば火を取り、月輪に向へば水を取る。玉の体は一なれども縁に随つて其功同じからざるが如し。真如の妙理も亦復是の如し、一妙真如の理なりと雖も、悪縁に遇へば迷となり善縁に遇へば悟となる。悟は即ち法性なり迷は即ち無明なり。譬へば人夢に種種の善悪の業をみ、夢覚めて後に之を思へば我が一心に見る所の夢なるが如し。一心は法性真如の一理なり、夢の善悪は迷悟の無明法性なり。是の如く意得れば悪迷の無明をすてゝ善悟の法性を本となすべきなり。大円覚脩多羅了義経に云く「一切諸衆生、無始幻無明、皆従諸如来円覚心建立」云云。天台大師の止観に云く「無明の痴惑本是法性なり、痴迷を以ての故に法性変じて無明と作る」云云。妙楽大師の釈に云く「理性は体なし全く無明に依る。無明体なし全く法性に依る」云云。無明は所断の迷、法性は所証の理なり。何ぞ体一なりと云ふやと云へる不審をば、此等の文義を以て意得べきなり。大論九十五の夢の譬、天台一家の玉の譬誠に面白く思ふなり。正しく無明法性其体一なりと云ふ証拠は法華経に云く「是法住法位世間相常住」云云。大論に云く「明と無明と異なく別なし、是の如く知るをば是を中道と名く」云云。但真如の妙理に染、浄の二法ありと云ふ事証文これ多しと雖も、華厳経に云く「心仏及衆生是三無差別」の文と、法華経の諸法実相の文とには過べからざるなり。南岳大師の云く「心体に染、浄の二法を具足して、而も異相なく一味平等なり」云云。又明鏡の譬、真実に一二なり。委くは大乗止観の釈の如し。又能き釈には(籤の六に云く)「三千理に在れば同く無明と名け、三千果成ずれば咸く常楽と称し、三千改むる事なければ無明即明。三千並に常なれば倶体倶用なり」文。此釈分明なり。問ふ、一切衆生皆悉く妙法蓮華の当体ならば我等が如き愚痴闇鈍の凡夫も即ち妙法の当体なりや。答ふ、当世の諸人これ多しと雖も二人を出でず。謂権教の人、実教の人なり。而も権教方便の念仏等を信ずる人は妙法蓮華の当体と云はるべからず。実教の法華経を信ずる人は即ち当体の蓮華、真如の妙体是なり。涅槃経に云く「一切衆生信大乗故名大乗衆生」文。南岳大師の四安楽行に云く「大強精進経に云く、衆生与如来同共一法身清浄妙無比称妙法蓮華経」文。又云く「法華経を修行するは此一心一学に衆果普く備はり、一時に具足して次第入に非ず。亦蓮華の一華に衆果を一時に具足するが如し。是を一乗の衆生の義と名く」文。又云く「二乗、声聞及び鈍根の菩薩は方便道の中に次第に修学す。利根の菩薩は正直に方便を捨てゝ次第行を修せず。若法華三昧を証すれば衆果悉く具足す、是を一乗の衆生と名く」文。南岳の釈の意は次第行の三字をば当世の学者は別教なりと料簡す。然るに此釈の意は法華の因果具足の道に対して方便道を次第行と云ふ。故に爾前の円、爾前の諸大乗経並びに頓漸大小の諸経なり。証拠は無量義経に云く「次説方等十二部経、摩訶般若、華厳海空、宣説菩薩歴劫修行」文。大強精進経の同共の二字に習ひ相伝するなり。法華経に同共して信ずる者は妙経の体なり。不同共の念仏者等は既に仏性法身如来に背くが故に妙経の体に非ず。利根の菩薩は正直に方便を捨てゝ次第行を修せず、若法華経を証する時は衆果悉く具足す、是を一乗の衆生と名くるなり。此等の文の意を案ずるに三乗、五乗、七方便、九法界、四味、三教、一切の凡聖等をば大乗の衆生妙法蓮華の当体とは名くべからざるなり。設ひ仏なりと雖も権教の仏をば仏界の名言を付くべからず。権教の三身は未だ無常を免れざる故に、何に況や其余の界界の名言をや。故に正、像二千年の国王、大臣よりも末法の非人は尊貴なりと釈するも此意なり。所詮妙法蓮華の当体とは法華経を信ずる日蓮が弟子檀那等の父母所生の肉身是なり。南岳釈して云く「一切衆生は法身の蔵を具足す。仏と一にして異り有る事なし。〇是故に法華に云く「父母所生清浄常眼耳鼻舌身意亦復如是」文。又云く「問て云く、仏何れの経の中に眼等の諸根を説て名けて如来とするや。答へて云く、大強精進経の中に「衆生与如来同共一法身清浄妙無比称妙法蓮華経」文。文他経にありと雖も下の文顕れ已れば通じて引用する事を得るなり。正直に方便を捨てゝ但法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱ふる人は煩悩、業、苦の三道、法身、般若、解脱の三徳と転じて、三観、三諦即一心に顕れ、其の人の所住之処は常寂光土なり。能居、所居、身土、色心、倶体倶用、無作三身の本門寿量の当体蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり。是即ち法華の当体自在神力の顕す所の功能なり。敢て之を疑ふべからず、之を疑ふべからず。問ふ。天台大師妙法蓮華の当体譬喩の二義を釈し給へり。爾れば其当体譬喩の蓮華の様は如何。答ふ、譬喩の蓮華とは施、開、廃の三釈委く之を見るべし。当体蓮華の釈は玄義の第七に云く「蓮華は譬に非ず当体に名を得、類せば劫初に万物名なし、聖人理を観じて準則して名を作るが如し」文。又云く「今蓮華の称は是喩を仮るに非ず、乃ち是法華の法門なり。法華の法門は清浄にして因果微妙なり、此法門を名けて蓮華となす。即ち是法華三昧の当体の名にして譬喩に非ず」。又云く「問ふ、蓮華定んで是法華三昧の蓮華なりや、定んで是華草の蓮華なりや。答ふ、定んで是法蓮華なり。法蓮華は解し難し故に草花を喩となす。利根は名に即して理を解し譬喩を仮らず。但法華の解をなす。中下は未だ悟らず譬を須ひて乃ち知る。易解の蓮華を以て難解の蓮華に喩ふ。故に三周の説法あつて上中下根に逗ふ。上根に約すれば是法の名、中下に約すれば是譬の名なり。三根合論し双て法譬を標ず。是の如く解する者は誰と諍ふ事を為んや」云云。此釈の意は至理は名なし、聖人理を観じて万物に名を付る時、因果倶時不思議の一法これあり。之を名けて妙法蓮華と為す。此妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して闕減なし。之を修行する者は仏因仏果同時に之を得るなり。聖人此法を師と為して修行覚道し給へば、妙因妙果倶時に感得し給ふが故に妙覚果満の如来と成り給ひしなり。故に伝教大師云く「一心の妙法蓮華とは因華果台倶時に増長する当体の蓮華なり。三周各各当体譬喩あり。総じて一経に皆当体譬喩あり。別して七譬、三平等、十無上の法門あつて皆当体蓮華あり。此理を詮する教を名て妙法蓮華経と為す」云云。妙楽大師の云く「須く七譬を以て各蓮華権実の義に対すべし。〇何者蓮華は只是為実施権、開権顕実七譬皆然なり」文。又劫初に華草あり、聖人理を見て号て蓮華と名く。此華草因果倶時なる事妙法蓮華に似たり。故に此華草同く蓮華と名く。水中に生ずる赤蓮華、白蓮華等の蓮華是なり。譬喩の蓮華とは此華草の蓮華なり。此華草を以て難解の妙法蓮華を顕す。天台大師の妙法難解、仮譬易顕と釈するは是の意なり。問ふ、劫初より已来何人か当体の蓮華を証得せしや。答ふ、釈尊五百塵点劫の当初此妙法の当体蓮華を証得して、世世番番に成道を唱へ能証、所証の本理を顕し給へり。今日又中天竺摩訶陀国に出世して此蓮華を顕さんと欲すに機なく時なし。故に一の法蓮華に於て三の草華を分別し三乗の権法を施し、擬宜誘引せしこと四十余年なり。此間は衆生の根性万差なれば種種の草華を施設して終に妙法蓮華を施し給はず。故無量義経に云く「我先道場菩提樹下(乃至)四十余年未顕真実」文。法華経に至て四味、三教の方便の権教小乗種種の草華を捨てゝ唯一の妙法蓮華を説き、三の華草を開して一の妙法蓮華を顕す時、四味、三教の権人に初住の蓮華を授けしより始めて開近顕遠の蓮華に至つて、二住、三住、乃至十住、等覚、妙覚の極果の蓮華を得るなり。問ふ、法華経は何れの品、何れの文にか正しく当体譬喩の蓮華を説き分たるか。答ふ、若し三周の声聞に約して之を論ぜば、方便の一品は皆是れ当体蓮華を説けるなり。譬喩品、化城喩品には譬喩蓮華を説きしなり。但方便品にも譬喩蓮華なきにあらず、余品にも当体蓮華なきにあらざるなり。問ふ、若し爾らば正しく当体蓮華を説きし文は何れぞや。答ふ、方便品の諸法実相の文是なり。問ふ、何を以て此文が当体蓮華なりと云ふ事を知ることを得るや。答ふ、天台、妙楽今の文を引いて今経の体を釈せし故なり。又伝教大師釈して云く「問ふ、法華経は何を以て体となすや。答ふ、諸法実相を以て体となす」文。此釈分明なり当世の学者此釈を秘して名を顕さず然るに此文名けて妙法蓮華と曰ふ義なり。又現証は宝塔品の三身是現証なり。或は涌出の菩薩、龍女の即身成仏是なり。地涌の菩薩を現証となす事は経文に如蓮華在水と云ふ故なり。菩薩の当体と聞たり。龍女を証拠となす事は「詣霊鷲山坐千葉蓮華大如車輪」と説き給ふ故なり。又妙音、観音の三十三四身なり、是をば解釈には法華三昧の不思議自在の業を証得するに非ざるよりは、安ぞ能く此三十三身を現ぜんと云云。或は「世間相常住」文。此等は皆当世の学者の勘文なり。然りと雖も日蓮は方便品の文と神力品の如来一切所有之法等の文となり。此文をば天台大師も之を引て今経の五重玄を釈せしなり、殊更此一文正しき証文なり。問ふ、次上に引く所の文証、現証殊勝なり、何ぞ神力の一文に執するや。答ふ、此一文は深意ある故に殊更に吉なり。問ふ、其深意如何。答ふ、此文は釈尊本眷属地涌の菩薩に結要の五字の当体を付属すと説給へる文なる故なり。久遠実成の釈迦如来は「如我昔所願今者已満足化一切衆生皆令入仏道」とて御願既に満足し、如来の滅後後五百歳中広宣流布の付属を説かんがため地涌の菩薩を召し出して本門の当体蓮華を、要を以て付属し給へる文なれば、釈尊出世の本懐、道場所得の秘法、末法の我等が現当二世を成就する当体蓮華の誠証は此文なり。故に末法今時に於て如来の御使より外に当体蓮華の証文を知つて出す人都てあるべからざるなり。真実以て秘文なり。真実以て大事なり。真実以て尊きなり。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。(爾前円菩薩等。今経大衆有八万欲聞具足道云云是なり。)問ふ、当流の法門の意は諸宗の人来つて、当体蓮華の証文を問はん時は法華経何れの文を出すべきや。答ふ、二十八品の始めに妙法蓮華経と題す、此文を出すべきなり。問ふ、何を以て品品の題目は当体蓮華なりと云ふ事を知ることを得るや。故は天台大師今経の首題を釈する時蓮華とは譬喩を挙ると云ふて譬喩蓮華と釈し給へる者なりや。答ふ、題目の蓮華は当体譬喩を合説す。天台の今の釈は譬喩の辺を釈する時の釈なり。玄文第一の本迹の六譬は此意なり。同く第七は当体の辺を釈するなり。故に天台は題目の蓮華を以て当体譬喩の両説を釈する故に失なし。問ふ、何を以て題目の蓮華は当体譬喩合説すと云ふ事を知る事を得んや。南岳大師も妙法蓮華経の五字を釈する時「妙とは衆生妙なるが故に、法とは衆生法なるが故に、蓮華とは是譬喩を借るなり」文。南岳、天台の釈に既に譬喩蓮華なりと釈し給ふ如何。答ふ、南岳の釈も天台の釈の如し云云。但当体譬喩合説すと云事経文分明ならずと雖も、南岳、天台既に天親、龍樹の論に依て合説の意を判釈せり。所謂法華論に云く「妙法蓮華とは二種の義あり。一には出水の義、乃至泥水を出るをば諸の声聞、如来と大衆との中に入て坐し諸の菩薩の蓮華の上に坐して、如来無上智慧清浄の境界を説くを聞いて、如来の密蔵を証するが如くなるに喩ふるが故に。二に華開とは諸の衆生大乗の中に於て其心怯弱にして信を生ずること能はず。故に如来の浄妙法身を開示して信心を生ぜしめんが故なり」文。諸の菩薩の諸の字は法華已前の大小の諸菩薩、法華経に来つて仏の蓮華を得ると云事法華論の文分明なり。故に知んぬ、菩薩処処得入とは方便なり。天台此論の文を釈して云く「今論の意を解せば、若し衆生をして浄妙法身を見せしむと言はゞ、此妙因の開発するを以て蓮華とするなり。若し如来と大衆とに入るに蓮華の上に坐すると言はゞ、此は妙報の国土を以て蓮華とするなり。又天台が当体譬喩合説する様を委細に釈し給ふ時、大集経の「我今敬礼仏蓮華」と云ふ文と、法華論の今の文とを引証して釈して云く「若大集に依ば行法の因果を蓮華となす。菩薩上に処するは即ち是れ因の華なり。仏の蓮華を礼するは即ち是果の華なり。若し法華論に依れば依報の国土を以て蓮華となす。復菩薩が蓮華の行を修するに由つて、報に蓮華の国土を得。当に知るべし依正因果悉く是蓮華の法なり。何ぞ譬をもて顕すことを須ひん。鈍人の法性の蓮華を解せざる為の故に、世の華を挙げて譬となす。亦何の妨かあるべき」文。又云く「若し蓮華に非ずんば何に由つて遍く上来の諸法を喩へん。法、譬双べ弁ずる故に妙法蓮華と称するなり」文。次に龍樹菩薩の大論に云く「蓮華とは法、譬並び挙ぐるなり」文。伝教大師が天親、龍樹の二論の文を釈して云く「論の文但妙法蓮華経と名くるに二種の義あり、唯蓮華に二種の義ありと謂にはあらず。凡そ法喩とは相似するを好となす、若し相似せざれば何を以てか佗に解せしめん。是の故に釈論に法譬並び挙ぐ。一心の妙法蓮華は因華果台倶時に増長す。此の義解し難し、喩を仮れば解し易し。此理教を詮ずるを名けて妙法蓮華経となす」文。此等の論文釈義分明なり。文に在て見るべし。包蔵せざるが故に合説の義極成せり。凡そ法華経の意は譬喩即法体、法体即譬喩なり。故に伝教大師釈して云く「今経は譬喩多しと雖も、大喩は是七喩なり。此の七喩即法体、法体即譬喩なり。故に譬喩の外に法体なく法体の外に譬喩なし。但法体とは法性の理体なり、譬喩とは即ち妙法の事相の体なり。事相即理体なり、理体即事相なり。故に法、譬一体と云ふなり。是を以て論文、山家の釈に「皆蓮華を釈するには法譬並び挙ぐ」等云云。釈の意分明なる故重ねて云はず。問ふ、如来の在世に誰か当体の蓮華を証得せるや。答ふ、四味三教の時は三乗、五乗、七方便、九法界、帯権の円の菩薩並びに教主、乃至法華迹門の教主、総じて本門寿量の教主を除くの外は本門の当体蓮華の名をも聞かず。何に況や証得せんをや。開三顕一の無上菩提の蓮華尚四十余年には之を顕さず。故に無量義経に終不得成無上菩提とて迹門開三顕一の蓮華は爾前に之を説かずと云ふなり。何に況や開近顕遠本地難思境智冥合本有無作の当体蓮華をば迹化弥勒等之を知るべきや。問ふ、何を以て爾前の円の菩薩、迹門の円の菩薩は本門の当体蓮華を証得せずと云ふ事を知る事を得ん。答ふ、爾前の円の菩薩は迹門の蓮華を知らず、迹門の円の菩薩は本門の蓮華を知らざるなり。天台云く「権経の補処は迹化の衆を知らず、迹化の衆は本化の衆を知らず」文。伝教大師云く「是れ直道なりと雖も大直道ならず」云云。或は云く「未だ菩提の大直道を知らざるが故に」云云。此意なり。爾前、迹門の菩薩は一分断惑証理の義分ありと雖も、本門に対する時は当分の断惑にして跨節の断惑にあらず、未断惑と云はるゝなり。されば菩薩処処得入と釈すれども二乗を嫌ふ時、一往得入の名を与ふるなり。故に爾前、迹門の大菩薩が仏の蓮華を証得する事は本門の時なり。真実の断惑は寿量の一品を聞きし時なり。天台大師、涌出品の五十小劫仏神力故令諸大衆謂如半日の文を釈して云く「解者は短に即して長、五十小劫を見る。惑者は長に即して短、半日の如しと謂へり」文。妙楽之を受て釈して云く「菩薩已に無明を破す之を称して解となし、大衆仍ほ賢位に居す、之を名けて惑となす」文。
釈の意分明なり。爾前、迹門の菩薩は惑者なり。地涌の菩薩のみ独り解者なりと云ふ事なり。然るに当世天台宗の人の中に本迹の同異を論ずる時異りなしと云ひて此文を料簡するに、解者の中に迹化の衆を入れたりと云ふは大なる僻見なり。経の文釈の義分明なり。何ぞ横計をなすべけんや。文の如きは地涌の菩薩五十小劫の間、如来を称揚するを霊山迹化の衆は半日の如く謂へりと説き給へるを、天台は解者、惑者を出して迹化の衆は惑者の故に半日と思へり。是即ち僻見なり。地涌の菩薩は解者の故に五十小劫と見る。是即ち正見なりと釈し給へるなり。妙楽之を受けて無明を破する菩薩は解者なり、未だ無明を破せざる菩薩は惑者なりと釈し給ひし事文に在て分明なり。迹化の菩薩なりとも住上の菩薩をば已に無明を破する菩薩なりと云ん学者は、無得道の諸経を有得道と習ひし故なり。爾前、迹門の当分に妙覚の位ありと雖も本門寿量の真仏に望むる時は、惑者仍居賢位者と云はるゝなり。権教の三身の未だ無常を免れざる故は夢中の虚仏なるが故なり。爾前と迹化の衆とは、未だ本門に至らざる時は未断惑の者と云はれ、彼に至る時正しく初住に叶ふなり。妙楽の釈に云く「開迹顕本皆初住に入る」文。仍居賢位の釈これを思ひ合すべし。爾前、迹化の衆をば惑者未だ無明を破せざる仏、菩薩なりと云事、真実なり、真実なり。故に知んぬ、本門寿量の説顕れて後は、霊山一会の衆皆悉く当体蓮華を証得するなり。二乗、闡提、定性、女人等も悪人も、本仏の蓮華を証得するなり。伝教大師一大事の蓮華を釈して云く「法華の肝心一大事の因縁は蓮華の所顕なり。一とは一実行相なり、大とは性広博なり、事とは法性の事なり。一究竟事は円の理智行円の身、若、脱なり。一乗、三乗、定性、不定、内道、外道、阿闡、阿顛皆悉く一切智地に到る。是の一大事仏の知見を開示し悟入して一切成仏す」文。女人、闡提、定性、二乗等の極悪人霊山に於て当体蓮華を証得するを云ふなり。問ふ、末法今時誰人か当体蓮華を証得せるや。答ふ、当世の体を見るに大阿鼻地獄の当体を証得する人これ多しと雖も、仏の蓮華を証得せるの人これなし。其故は無得道の権教方便を信仰して、法華の当体真実の蓮華を毀謗する故なり。仏説いて云く「若人不信毀謗此経、則断一切世間仏種乃至其人命終入阿鼻獄」文。天台云く「此経は遍く六道の仏種を開す。若し此経を謗ぜば義、断に当れり」文。日蓮云く、此経は是十界の仏種に通ず。若し此経を謗ぜば義、是十界の仏種を断ずるに当る。是の人無間に於て決定して堕在す、何ぞ出る期を得んや。然るに日蓮が一門は正直に権教の邪法、邪師の邪義を捨てゝ、正直に正法、正師の正義を信ずる故に、当体蓮華を証得して常寂光の当体の妙理を顕す事は、本門寿量の教主の金言を信じて南無妙法蓮華経と唱ふるが故なり。問ふ、南岳、天台、伝教等の大師法華経に依つて一乗円宗の教法を弘通し給ふと雖も未だ南無妙法蓮華経と唱へ給はざるは如何。若し爾らば此大師等は未だ当体蓮華を知らず。又証得し給はずと云ふべきや。答ふ、南岳大師は観音の化身、天台大師は薬王の化身なり等云云。若し爾らば霊山に於て本門寿量の説を聞きし時は、之を証得すと雖も在生の時は妙法流布の時に非ず。故に妙法の名字を替へて止観と号して、一念三千、一心三観を修し給ひしなり。但し此等の大師等も南無妙法蓮華経と唱ふる事を自行真実の内証と思食されしなり。南岳大師の法華懺法に云く「南無妙法蓮華経」文。天台大師云く「南無平等大慧一乗妙法蓮華経」文。又云く「稽首妙法蓮華経」云云。又帰命妙法蓮華経」云云。伝教大師の最後臨終の十生願の記に云く「南無妙法蓮華経」云云。問ふ、文証分明なり。何ぞ是の如く弘通し給はざるや。答ふ、此に於て二意あり、一には時の至らざるが故に、二には付属に非ざるが故なり。凡そ妙法の五字は末法流布の大白法なり、地涌千界の大士の付属なり。是の故に南岳、天台、伝教等は内に鑑みて、末法の導師に之を譲つて弘通し給はざりしなり。
                          日蓮花押
(啓三〇ノ一四。鈔一八ノ四一。語三ノ五四。音下ノ三〇。科三ノ二二。拾五ノ四六。扶一一ノ三九。)

#0135-3K0 当体義鈔送状 文永十(1273) [p0768]
当体義鈔送状(原文漢文)
     文永十年。五十二歳著。与最蓮房日浄書。
     外三ノ一四。遺一五ノ二一。縮一〇〇〇。類七〇二。

 問ふ、当体の蓮華解し難し。故に譬喩を仮りて之を顕すとは経文に証拠あるか。答ふ、経に云く「不染世間法如蓮華在水従地而涌出」云云。地涌の菩薩の当体蓮華なり。譬喩は知るべし。以上後日に之を改め書すべし。此法門は妙経所詮の理にして釈迦如来の御本懐、地涌の大士に付属せる末法に弘通せん経の肝心なり。国主信心あらん後、始めて之を申す可き秘蔵の法門なり。日蓮最蓮房に伝へ畢んぬ。
                          日蓮花押
(考二ノ三二。)

#0137-300 呵嘖謗法滅罪鈔 文永十(1273) [p0779]
呵責謗法滅罪鈔(四条第七書)
     文永十年。五十二歳作。与四条金吾書。
     外一六ノ一三。遺一五ノ三二。縮一〇一一。類四八四。

 御文委しく承り候。法華経の御ゆへに、已前に伊豆国に流され候しも、かう(斯)申せば謙ぬ口と人はおぼすべけれども、心ばかりは悦び入て候き。無始より已来法華経の御ゆへに実にても虚事にても科に当るならば、争かかゝるつたなき凡夫とは生れ候べき。一端はわびしき(不楽)様なれども法華経の御為なればうれしと思候しに、少し先生の罪は消ぬらんと思しかども、無始より已来十悪、四重、六重、八重、十重、五無間、誹謗正法、一闡提の種種の重罪、大山より高く大海より深くこそ候らめ。五逆罪と申は一逆を造る、猶一劫無間の果を感ず。一劫と申は人寿八万歳より百年に一を減じ、如是乃至十歳に成ぬ。又十歳より百年に一を加れば次第に増して八万歳になるを一劫と申す。殺親者此程の無間地獄に堕て隙もなく大苦を受るなり。法華経誹謗の者は心には思はざれども、色にも嫉み戯にも?る程ならば、経にて無れども法華経に名を寄たる人を軽しめぬれば、上の一劫を重て無数劫、無間地獄に堕候と見えて候。不軽菩薩を罵打し人は始こそさありしかども、後には信伏随従して不軽菩薩を仰ぎ尊ぶ事、諸天の帝釈を敬ひ我等が日月を畏るるが如くせしかども、始め?りし大重罪消かねて千劫大阿鼻地獄に入て、二百億劫三宝に捨られ奉りたりき。五逆と謗法とを病に対すれば五逆は霍乱の如して急に事を切る、謗法は白癩病の如し。始は緩に後漸漸に大事也。謗法の者は多くは無間地獄に生じ少しは六道に生を受く。人間に生ずる時は貧窮下賎等、白癩病等と見えたり。日蓮は法華経の明鏡をもて自身に引向へたるに、都てくもりなし。過去の謗法我身にある事疑なし。此罪を今生に消さずば未来争か地獄の苦をば免るべき。過去遠遠の重罪をば何にしてか、皆集て今生に消滅して未来の大苦を免れんと勘しに、当世時に当て謗法の人人国国に充満せり。其上国主既に第一の誹謗の人たり。此時此の重罪を消さずば何の時をか期すべき。日蓮が小身を日本国に打覆てのゝしらば、無量無辺の邪法四衆等無量無辺の口を以て一時に?るべし。爾時に国主謗法の僧等が方人として日蓮を怨み、或は頸を刎ね或は流罪に行ふべし。度度かゝる事出来せば無量劫の重罪一生の内に消なんと謀てたる大術少も違ふ事なく、かゝる身となれば所願も満足なるべし。然ども凡夫なれば動すれば悔る心有ぬべし。日蓮だにも如是侍るに、前後も弁へざる女人なんどの各仏法を見ほどかせ(解)給ぬが、何程か日蓮に付てくやし(悔)とおぼすらんと心苦しかりしに、案に相違して日蓮よりも強盛の御志どもありと聞へ候は偏に只事にあらず。教主釈尊の各の御心に入替らせ給歟と思へば感涙難押。妙楽大師の釈に云記七「故に知んぬ末代一時も聞くことを得、聞き已て信を生ずる事宿種なるべし」等云云。又云弘二「運像末に在て此真文を矚る。宿に妙因を殖るに非ざれば実に値ひ難しと為す」等云云。妙法蓮華経の五字をば四十余年此を秘し給ふのみにあらず、迹門十四品に猶是を抑へさせ給ひ、寿量品にして本果、本因の蓮華の二字を説顕し給ふ。此五字をば仏、文殊、普賢、弥勒、薬王等にも付属せさせ給はず。地涌の上行菩薩、無辺行菩薩、浄行菩薩、安立行菩薩等を寂光の大地より召出して此を付属し給ふ。儀式ただ事ならず。宝浄世界の多宝如来大地より七宝の塔に乗じて涌現せさせ給ふ。三千大千世界の外に四百万億那由陀の国土を浄め、高さ五百由旬の宝樹を尽く一箭道に殖並て宝樹一本の下に五由旬の師子の座を敷並べ、十方分身の仏尽く来り坐し給ふ。又釈迦如来は垢衣を脱で宝塔を開き、多宝如来に並給ふ。譬ば晴天に日月の並べるが如し。帝釈と頂生王との善法堂に有が如し。此界の文殊等佗方の観音等、十方の虚空に雲集せる事星の虚空に充満するが如し。此時此土には華厳経の七処八会。十方世界の台上の盧舎那仏の弟子法慧、功徳林、金剛憧、金剛蔵等の十方刹土、塵点数の大菩薩雲集せり。方等の大宝坊雲集の仏、菩薩、般若経の千仏、須菩提、帝釈等、大日経の八葉、九尊の四仏、四菩薩、金剛頂経の三十七尊等。涅槃経の倶尸那城へ集会せさせ給し十方法界の仏、菩薩をば文殊、弥勒等互に見知して御物語是ありしかば、此等の大菩薩は出仕に物狎たりと見え候。今此四菩薩出させ給て後、釈迦如来には九代の本師三世の仏の御母にておはする文殊師利菩薩も一生補処とのゝしらせ給ふ。弥勒等も此の菩薩に値ぬれば物とも見えさせ給はず。譬ば山かつが月卿に交り、猿猴が師子の座に列るが如し。此人人を召て妙法蓮華経の五字を付属せさせ給き。付属も只ならず十神力を現じ給ふ。釈迦は広長舌を色界の頂に付給へば、諸仏亦復如是四百万億那由陀の国土の虚空に諸仏の御舌、赤虹を百千万億並べたるが如く充満せしかば、おびただしかりし事也。如是不思議の十神力を現じて結要付属と申て法華経の肝心を抜出して四菩薩に譲り、我が滅後に十方の衆生に与へよと慇懃に付属して、其後又一つの神力を現じて文殊等の自界、佗方の菩薩、二乗、天人、龍神等には一経乃至一代聖教をば付属せられしなり。本より影の身に随て候様につかせ給ひたりし迦葉、舎利弗等にも此五字を譲給はず。此はさてをきぬ。文殊、弥勒等には争か惜み給べき器量なくとも嫌給べからず。方方不審なるを或は佗方の菩薩は此土に縁少しと嫌ひ、或は此土の菩薩なれども娑婆世界に結縁の日浅し、或は我弟子なれども初発心の弟子にあらずと嫌はれさせ給ふ程に、四十余年並に迹門十四品の間は一人も初発心の御弟子なし。此四菩薩こそ五百塵点劫より已来教主釈尊の御弟子として、初発心より又佗仏につかずして、二門をもふまざる人人なりと見えて候。天台の云「但下方の発誓を見る」等云云。又云「是我が弟子なり、応に我法を弘むべし」等云云。妙楽の云「子、父の法を弘む」等云云。道暹云「法是れ久成の法なるに由るが故に久成の人に付す」等云云。此妙法蓮華経の五字をば此四人に被譲候。而に仏滅後正法一千年、像法一千年、末法に入て二百二十余年が間月氏、漢土、日本一閻浮提の内に、未だ一度も出させ給はざるは何なる事にて有らん。正くも譲らせ給はざりし文殊師利菩薩は仏滅後四百五十年まで此土におはして大乗経を弘させ給ひ。其後も香山、清凉山より度度来て大僧等と成て法を弘め、薬王菩薩は天台大師となり、観世音は南岳大師と成り、弥勒菩薩は傅大士となれり。迦葉、阿難等は仏滅後二十年、四十年法を弘め給ふ。嫡子として譲られさせ給へる人の未だ見えさせ給はず。二千二百余年が間教主釈尊の絵像、木像を賢王、聖主は本尊とす。然れども但小乗、大乗、華厳、涅槃、観経、法華経の迹門、普賢経等の仏。真言、大日経等の仏。宝塔品の釈迦、多宝等をば書どもいまだ寿量品の釈尊は山寺、精舎にましまさず、何なる事とも量がたし。釈迦如来は後五百歳と記し給ひ。正像二千年をば法華経流布の時とは仰せられず、天台大師は「後の五百歳遠く妙道に沾はん」と未来に譲り、伝教大師は「正像稍過ぎ已て末法太だ近きに有り」等書給て、像法の末は未だ法華経流布の時ならずと我と時を嫌ひ給ふ。さればをしはかる(推量)に地涌千界の大菩薩は、釈迦、多宝、十方の諸仏の御譲、御約束を空く黙止てはてさせ給べき歟。外典の賢人すら時を待つ。郭公と申す畜鳥は卯月、五月に限る。此大菩薩も末法に出べしと見えて候。いかんと候べきぞ。瑞相と申事は内典、外典に付て必ず有べき事先に現ずるを云ふ也。蜘蛛かゝて喜事来り、?鵲鳴て客人来ると申て小事すら験先に現ず、何に況や大事をや。されば法華経序品の六瑞は一代超過の大瑞也。涌出品は又此には似べくもなき大瑞也。故に天台の云「雨の猛きを見ては龍の大きなる事を知り、華の盛なるを見ては池の深き事を知る」と書れて候。妙楽云「智人は起を知り、蛇は自ら蛇を知る」と云云。今日蓮も之を推して智人の一分とならん。去る正嘉元年太歳丁巳八月二十三日戌亥の刻の大地震と、文永元年太歳甲子七月四日の大彗星、此等は仏滅後二千二百余年の間未だ出現せざる大瑞也。此大菩薩の此大法を持て出現し給べき先瑞歟。尺の池には丈の浪たたず、驢吟ずるに風鳴らず。日本国の政事乱れ、万民歎くに依ては此大瑞現じがたし。誰か知ん法華経の滅、不滅の大瑞なりと。二千余年の間悪王の万人に?らるる、謀叛の者の諸人にあだまるる等。日蓮が失もなきに高きにも下きにも罵詈、毀辱、刀杖、瓦礫等ひまなき事二十余年也。唯事にはあらず。過去の不軽菩薩の威音王仏の末に多年の間罵詈せられしに相似たり。而も仏彼の例を引て云「我滅後の末法にも然るべし」等と記せられて候に、近は日本遠は漢土等にも法華経の故にかゝる事有とは未聞。人は悪で是を云はず。我と是を云はば自讃に似たり。云ずば仏語を空くなす過あり。身を軽して法を重ずるは賢人にて候なれば申す。日蓮は彼の不軽菩薩に似たり。国王の父母を殺すも民が老妣を害するも、上下異なれども一因なれば無間におつ。日蓮と不軽菩薩とは位の上下はあれども、同業なれば、彼の不軽菩薩成仏し給はば日蓮が仏果疑ふべきや。彼は二百五十戒の上慢の比丘に罵られたり。日蓮は持戒第一の良観に讒訴せられたり。彼は帰依せしかども千劫阿鼻獄におつ。此は未だ渇仰せず、不知無数劫をや経ずらん。不便也、不便也。疑て云、正嘉の大地震等の事は去る文応元年太歳庚申七月十六日宿屋の入道に付て故最明寺入道殿へ所奉勘文の立正安国論には、法然が選択に付て日本国の仏法を失ふ故に天地瞋をなし、自界叛逆難と佗国侵逼難起るべしと勘へたり。此には法華経の流布すべき瑞なりと申す。先後の相違有之歟如何。答て云、汝能問之。法華経第四に云「而此経者如来現在猶多怨嫉況滅度後」等云云。同第七に況滅度後を重て説て云「我滅度後後五百歳中広宣流布於閻浮提」等云云。仏滅後の多怨は後五百歳に妙法蓮華経の流布せん時と見えて候。次下に又云「悪魔魔民諸天龍夜叉鳩槃荼」等云云。行満座主、伝教大師を見て云く「聖語朽ちず今此人に遇へり。我が披閲する所の法門、日本国の阿闍梨に授与す」等云云。今又如是。末法の始に妙法蓮華経の五字を流布して、日本国の一切衆生が仏の下種を懐妊(姙)すべき時也。例せば下女が王種を懐妊すれば諸女瞋りをなすが如し。下賎の者に王頂の珠を授与せんに大難来らざるべしや。「一切世間多怨難信」の経文是也。涅槃経に云「聖人に難を致せば佗国より其国を襲ふと」云云。仁王経亦復如是取意。日蓮をせめて弥天地四方より大災雨の如くふり、泉の如くわき浪の如く寄せ来るべし。国の大蝗虫たる諸僧等、近臣等が日蓮を讒訴する弥盛ならば大難倍来るべし。帝釈を射る脩羅は箭還て己が眼にたち、阿那婆達多龍を犯さんとする金翅鳥は自ら火を出して自身をやく。法華経を持つ行者は帝釈、阿那婆達多龍に劣るべきや。章安大師の云「仏法を壊乱するは仏法の中の怨なり。慈無くして詐はり親むは即ち是彼が怨なり」等云云。又云「彼が為に悪を除くは即ち是彼が親なり」等云云。日本国の一切衆生は法然が捨閉閣抛と禅宗が教外別伝との誑言に誑されて、一人もなく無間大城に堕べしと勘へて、国主万民を憚からず大音声を出して、二十余年が間よばはりつるは、龍逢、比干の直臣にも劣るべきや。大悲千手観音の一時に無間地獄の衆生を取出すに似たる歟。火の中の数子を父母一時に取出さんと思ふに、手少なければ慈悲前後有に似たり。故に千手、万手、億手ある父母にて在すなり。爾前の経経は一手、二手等に似たり。法華経は「一切衆生を化して皆仏道に入らしむ」と、無数手の菩薩是也。日蓮は法華経並に章安の釈の如ならば日本国の一切衆生の慈悲の父母也。天高けれども耳と(疾)ければ聞せ給らん。地厚けれども眼早ければ御覧あるらん、天地既に知食しぬ。又一切衆生の父母を罵詈するなり、父母を流罪するなり。此国此両三年が間の乱政は、先代にもきかず法に過てこそ候へ。抑悲母の孝養の事仰せ遣され候。感涙難押。昔元重等の五童は五郡の異姓の佗人也。兄弟の契をなして互に相背かざりしかば財三千を重たり。我等親と云者なしと歎て、途中に老女を儲て母と崇めて、一分も心に違はずして二十四年也。母忽に病に沈んで物いはず。五子天に仰て云、我等孝養の感無して母もの云ざる病あり、願くは天、孝の心を受給はば此母に物いはせ給へと申す。其時に母五子に語て云、我は本是大原の陽猛と云ものの女也。同郡の張文堅に嫁す、文堅死にき。我に一の児あり、名をば烏遺と云き。彼が七歳の時乱に値て行く処をしらず。汝等五子に養はれて二十四年此事を語らず。我子は胸に七星の文あり。右の足の下に黒子ありと語り畢て死す。五子葬をなす途中にして国令の行くにあひぬ。彼人物記する嚢を落せり。此の五童が取れるになし(成)て禁め置れたり。令来て問て云、汝等は何くの者ぞ。五童答て云、上に如言。爾時令上よりまろび下て天に仰ぎ地に泣く。五人の縄をゆるして我座に引上せて物語して云、我は是烏遺也。汝等は我親を養ひける也。此二十四年の間多くの楽みに値へども、悲母の事をのみ思出て楽みも楽しみならず。乃至大王の見参に入れて五県の主と成せたりき。佗人集て佗の親を養ふに如是。何況や同父、同母の舎弟、妹女等がいういう(悠悠)たるを顧みば天も争か御納受なからんや。浄蔵、浄眼は法華経をもて邪見の慈父を導き、提婆達多は仏の御敵、四十余年の経経にて捨られ臨終悪くして、大地破て無間地獄に行しかども、法華経にて召還して天王如来と記せらる。阿闍世王は父を殺せども、仏涅槃の時法華経を聞て阿鼻の大苦を免れき。例せば此佐渡国は畜生の如く也。又法然が弟子充満せり。鎌倉に日蓮を悪みしより百千万億倍にて候。一日も寿あるべしとも見えねども、各御志ある故に今まで寿を支へたり。是を以て計るに法華経をば釈迦、多宝、十方の諸仏、大菩薩、供養恭敬せさせ給へば、此仏菩薩は各各の慈父悲母に、日日夜夜十二時にこそ告させ給はめ。当時主の御おぼえのいみじくおはするも慈父悲母の加護にや有らん。兄弟も兄弟とおぼすべからず只子とおぼせ、子なりとも梟鳥と申す鳥は母を食ふ。破鏡と申す獣の父を食んとうかがふ。わが子四郎は父母を養ふ子なれども悪くばなにかせん。佗人なれどもかたらひぬれば命にも替るぞかし、舎弟等を子とせられたらば今生の方人人目申計りなし。妹等を女と念はばなどか孝養せられざるべぎ。是へ流されしには一人も訪人もあらじとこそおぼせしかども、同行七、八人よりは少からす。上下のくわて(資糧)も各の御計ひなくばいかがせん。是偏に法華経の文字の各の御身に入替らせ給て、御助あるとこそ覚ゆれ。何なる世の乱れにも、各各をば法華経、十羅刹、助け給へと、湿木より火を出し、乾土より水を儲けんが如く強盛に申す也。事繁ければとどめ候。
  四条金吾殿御返事              日蓮花押
(微下ノ七。考六ノ九。)

#0139-2K0 其中衆生御書 文永十(1273) [p0795]
其中衆生御書(原文漢文)
     身延山録外写本。縮、続九六。類一七一三。

「其中衆生悉是吾子、而今此処多諸患難、唯我一人能為救護」等云云。此の経文は釈尊は三義を備へ、阿弥陀等の諸仏は三義闕けたり。此の義前前の如し。但し唯だ我一人の経文は小乗経の語にも非ず、諸大乗経の帯権赴機の説にも非ず、多宝、十方の仏の証明を加へし金言なり。今の念仏者等の賢父の教言なり。明王の奉詔なり、聖師の教訓なり。三義に背き二十逆罪を犯し入阿鼻獄の人と成る事、悲しむべし悲しむべし。是は法華経の初門の法門なり、次第に深く之を説く云云。迹門には三千塵点已来、娑婆世界の衆生は、阿弥陀等の諸仏に棄てられ畢んぬ。化城喩品に云く「爾時聞法者各在諸仏所、(乃至)以是本因縁今説法華経」云云。此の如き経文は(文に云く)、娑婆世界の衆生は過去三千塵点已来一人として阿弥陀等の十方の十五仏の浄土へは生るる者これなし。天台(文会十六之四十四)云く、旧西方無量寿仏を以て以て長者を合す、今之を用ひず。西方は仏別に縁異なり、仏別なり、故に穏顕の義成ぜず。縁異なり、故に子父の義成ぜず。又此経の首末全く此旨なし、眼を閉じて穿鑿せよ。妙楽云く「西方等とは〇、況や宿昔の縁別に、化道同じからざるをや。結縁は生の如く成熟は養の如し、生養の縁異なれば子父成ぜず」等云云。此の如き文は十方の諸仏は養父、教主釈尊は親父なり。天台に多くの釈ありと雖も、此の釈を以て本と為すべし。所所に弥陀を讃むる事は且らく依経による。例せば世親等の阿含経を讚めたるが如し。本門を以て之を論ずれば五百塵点已来釈尊の実子なり。然りと雖も或は世間に著して法華を捨て、或は小乗、権大乗経に著して法華経を捨て、或は迹門に著して本門を知らず、或は当説に著して法華を捨て、或は十方の浄土に心を懸け、或は弥陀の浄土に心を懸くる等。今七宗、八宗等の悪師に遇ふて法華を捨つるの間今に五百塵点を歴たり。涅槃経の二十二に云く、天台(玄会六下之六十二)云く「若し悪友に値へば則ち本心を失ふ」。疑って云く、本迹二門の流通たる薬王品に弥陀の浄土を勧めたり、如何。答へて云く、薬王品の弥陀は爾前迹門の弥陀に非ず、名同体異とは是なり。無量義経に云く「言辞是一而義別異」云云。妙楽(記会二十九 四十五)云く「更に観経等を指すことを須ひざるなり」と。一切之を以て知るべし。所詮発起、影向等の深位の菩薩は、十方の浄土より娑婆世界へ来り、娑婆世界より十方の浄土へ往く。

#0141-3K0 授職潅頂口伝鈔 文永十一(1274.02・15) [p0800]
授職潅頂口伝鈔(原文漢文)
     文永十一年二月。五十三歳著。
     外一八ノ二〇。遺一六ノ四。縮一〇二七。類七〇二。

                            日蓮撰之
 大乗真実の門跡秘伝の肝心、成仏の落居、真実の口伝なり、門跡とは霊山浄土釈迦如来の門跡なり。夫れ親り霊山浄土の二処三会の説を聞くに、本迹二門二十八品は真実の経なり。所謂二十八品一一文文是真仏にして三身即一、法、報、応の三身なり。問ふ、一経は二十八品なり。毎日の勤行、我等の堪へざる所なり。如何に之を読誦せんや。答ふ、二十八品本迹の高下、勝劣、浅深は教相の所談なり。今は此義を用ひず。仍て二経の肝心は迹門の方便品、本門の寿量品なり。天台、妙楽の云く「迹門の正意は実相を顕すに在り、本門の正意は寿の長遠を顕す」云云。問ふ、方便、寿量の二品の功徳の法門如何が意得べきや。答ふ、先づ方便品の教相を言はゞ、此品の肝要は界、如、実相の法を説いて三諦即是の悟を得せしむるを詮と為す。彼の十如の中には相、性、体の三如是を以て正体と為す。次の如く仮、空、中の三諦、応、報、法の三身なり。余の七如是は彼の相、性、体の作用なり。住前、住上の一心三観は此品を悟らしむ。四十一位に皆仏界の智あり。其智慧漸く増長とて本末究竟の位に住するなり。此相、性、体の三は能観に約せば一心三観、所観に約せば三身の覚体なり。迹門は始覚の三観三身、本門は無作の三観三身なり。心を止めて之を案ずべし。迹門は従因向果、十如、十界の成仏、三周の声聞等是なり。本門は此十如、十界は従本垂迹、無作の十界は普現難思の行相なるべし。然れば則ち此品の十如、十界の悟は本迹二門に通ぜしむるなり已上教相の所談なり。次に南無妙法蓮華経方便品の観心とは、一心の妙法蓮華経の方便品なるが故に三種の方便には絶待対不思議の秘妙の方便即ち我等が一心なり。十如実相も衆生の心法なり。五仏の開権顕実も我等が一念なり。仏知見に開示悟入するなり。五乗の開会も我等が一念なり。管絃歌舞の曲も起立塔像の善も皆悉く我等が一心の妙法の方便なり。南無霊山浄土釈迦牟尼如来の方便品、南無五仏顕一の方便品、南無三種の方便品、南無十如、十界、実相の方便品。実相は必ず諸法、諸法は必ず十如、十如は必ず十界、十界は必ず身土なり、甚深なり。次に南無妙法蓮華経如来寿量品。夫れ二十八品は両箇大事の得益なり。所謂一心三観と無作三身なり。而るに此品より以前の十四品は一心三観を以て始覚の三身を成ず。此品より以下の十四品は彼の成ずる所の三身三観を本覚無作と明す、故に法華一部の大綱は衆生をして成仏せしむる行果は此両箇を出でず、故に品品の肝心は別の才覚なきなり。此上に迹門の境智、本門の境智、本迹不二の境智冥合之を思ふて定むべし。右此品の肝要は釈尊の無作三身を明して弟子の三身を増進せしめんと欲す。今の疏に云く「今正しく本地三仏の功徳を詮量す。故に如来寿量品と言ふなり」已上文。此三身は無始本覚の三身なりと雖も、且く五百塵点劫の成仏を立つ。三身即三世常住なり。今弟子の始覚の三身も亦我が如く顕して三世常住の無作を成ずべきなり。次に此品の観心とは妙法一心の如来寿量品なるが故に我等凡夫の一念なり。一念は即ち如来久遠の本寿本地、無作の三身、本極法身の本因本果の如来なり。所居の土は常在霊山四土具足の本国土妙なり。又釈尊と我等とは本地一体不二の身なり。釈尊と法華経と我等との三は全体不思議の一法にして全く三の差別なきなり。されば日蓮等の類並びに弟子檀那、南無妙法蓮華経と唱ふる程の者は久遠実成の本眷属妙なり。此人の所居の土は久遠実成の本国土妙なり。釈尊霊山浄土にして本地地涌の菩薩に授職潅頂して言はく、飢時の飲食、寒時の衣服、熱時の冷風、昏時の睡眠、皆是本有無作の無縁の慈悲にして利益にあらざることなし。仍て十妙異なりと雖も一切功徳の法門なり。一念唯遠本寿量の妙果なり。南無常寂光の本地無作三身即一の釈迦牟尼如来、南無久遠一念の如来寿量品、南無十方法界唯一心の妙法蓮華経。右此二品を是の如く意得て一遍なりとも読誦すれば我等が肉身即三身即一の法身なり。此の如く意得て至心に南無妙法蓮華経と唱ふれば、久遠本地の諸法無作の法身の如来等は皆我等が一身に来集し給ふ。是故に慇懃の行者は分段の身を捨てゝも即身成仏、捨てずしても即身成仏なり。文永十一年二月十五日。霊山浄土の釈迦如来結要付属の日蓮謹んで授職潅頂するなり。妙覚より初住、乃至凡夫までなり。初住より妙覚に登るなり、是れ始覚なり。我等が成仏を云ふなり。

結要付属無作の戒体即身成仏授職潅頂の次第作法。
 勧請し奉る五百塵点劫霊山浄土の釈迦牟尼如来
 勧請し奉る五百由旬宝浄世界の多宝如来
 勧請し奉る五百塵点本地地涌の上行菩薩已上執受戒師
 勧請し奉る本化迹化等の諸大菩薩
 勧請し奉る身子目連等の諸の賢聖衆
 勧請し奉る日月五星の諸天善神
 勧請し奉る日本国中の諸大明神
  已上本体の勧請
 勧請し奉る十方分身諸の釈迦牟尼仏
 勧請し奉る十方常住一切の三宝衆僧
 勧請し奉る自界他方無辺法界の衆生利益の仏神薩?衆僧
 勧請し奉る内海外海の龍神王等
 勧請し奉る閻魔法皇五道の冥官、神祇冥衆等、已上総勧請
  作法受得本門円頓戒の文
 寿量品長行偈頌の一巻
 方便品広略顕一の一巻
 証明品此経難持の文
 神力品如来一切所有之法の文已上経文
 天台云く円頓者初縁実相の文
 妙楽大師云く実相必諸法の文
 又云く当知身土一念三千の文
 伝教大師云く正像稍過已末法太有近法華一乗機今正是其時の文已上四文
 右此の血脈は霊山浄土の釈迦如来より始めて相伝なり。二人と相伝し給はざる口伝なり

            ┌─後身伝教大師──日本授職潅頂
            │ 後身天台大師──大唐授職潅頂
            │ 薬王菩薩────天竺授職潅頂
 大恩教主釈迦牟尼如来─┤ 迹門付属────授職潅頂
            │ 本門付属────授職潅頂
            │ 上行菩薩────天竺授職潅頂
            └─日蓮大徳────日本授職潅頂

 右此の血脈は霊山浄土の釈迦如来より始めて二人とも相伝せざる処なり。設ひ身命に及ぶとも広宣流布の聖人に非ざれば、之を許すべからず。仍て誓願状これあるべきなり。
 文永十一年二月十五日、霊山浄土の釈迦如来、結要付属日蓮謹んで授職潅頂するなり。

#0142-300 弥源太殿御返事 文永十一(1274.02・21) [p0805]
弥源太殿御返事(北条第二書)
     文永十一年二月。五十三歳作。
     外二二ノ三三。遺一六ノ八。縮一〇三二。類九四四。

 抑日蓮は日本第一の僻人也。其故は皆人の父母よりもたかく、主君よりも大事におもはれ候ところの阿弥陀仏、大日如来、薬師等を御信用ある故に三災七難先代にこえ、天変、地夭等昔にも過ぎたりと申す故に、結句は今生には身をほろぼし国をそこなひ、後生には大阿鼻地獄に堕給べしと。一日片時もたゆむ事なくよばわりし故にかかる大難にあへり。譬ば夏の虫の火にとびくばり、ねずみがねこ(猫)のまへに出たるが如し。是あに我身を知て用心せざる畜生の如くにあらずや。身命を失う事併ながら心より出れば僻人也。但し石は玉を含む故にくだかれ、鹿は皮肉の故に殺され、魚はあぢはひある故にとらる。すい(翠)は羽ある故にやぶらる。女人はみめかたちよ(美)ければ必ずねたまる。此意なるべき歟。日蓮は法華経の行者なる故に、三類の強敵あつて種々の大難にあへり。然るにかかる者の弟子檀那とならせ給事不思議也、定て子細候らん。相構て能能御信心候て霊山浄土へまいり給へ。又御祈祷のために御太刀、同刀あはせて二送給はて候。此太刀はしかるべきかぢ(鍛匠)作候歟と覚へ候。あまくに(天国)或は鬼きり(切)、或はやつるぎ(八剣)。異朝にはかむしやうばくや(干将莫耶)が剣に争かことなるべきや。此を法華経にまいらせ給ふ。殿の御もちの時は悪の刀、今仏前へまいりぬれば善の刀なるべし。譬ば鬼の道心をおこしたらんが如し。あら不思議や、不思議や。後生には此刀をつえ(杖)とたのみ給べし。法華経は三世の諸仏発心のつえ(杖)にて候ぞかし。但日蓮をつえはしらともたのみ給べし。けはしき(嶮)山あしき道つえをつきぬればたをれず。殊に手をひかれぬればまろぶ事なし。南無妙法蓮華経は死出の山にてはつえはしらとなり給へ。釈迦仏、多宝仏、上行等の四菩薩は手を取り給べし。日蓮さきに立候はば御迎にまいり候事もやあらんずらん。又さきに行せ給はば日蓮必ず閻魔法王にも委く申べく候。此事少もそら(虚)事あるべからず。日蓮法華経の文の如くならば通塞の案内者なり。只一心に信心おはして霊山を期し給へ。ぜに(銭)と云ものは用にしたがつて変ずるなり。法華経も亦復是如。やみには灯となり、渡りには舟となり、或は水ともなり、或は火ともなり給なり。若し然れば法華経は「現世安穏後生善処」の御経なり。其上日蓮は日本国の中には安州のものなり。総じて彼国は天照太神のすみそめ(住初)給し国なりといへり。かしこにして日本国をさぐり出し給ふ。あはの(安房)国御くりや(厨)なり。しかも此国の一切衆生の慈父非母なり。かかるいみじき国なれば定で故ぞ候らん。いかなる宿習にてや候らん。日蓮又彼国に生れたり、第一の果報なるなり。此消息の詮にあらざれば委はかかず。但おしはかり給べし。能能諸天にいのり申べし。信心にあかなく(無倦)して所願を成就し給へ。女房にもよくよくかたらせ給へ。恐恐謹言。
二月二十一日                     日蓮花押
弥源太殿御返事
(微下ノ三四。考八ノ一七)

#0150-300 異体同心事(報太田氏書)文永十一(1274.08・06) [p0829]
異体同心事(太田第二書)(報太田氏書)
     文永十一年八月。五十三歳作
     内三九ノ三五。遺一六ノ二八。縮一〇五四。類八一三。

 白小袖一、あつわたの小袖はわき(伯耆)房のびんぎに鵞目一貫並にうけ給る、はわき房さど(佐渡)房等の事あつわら(熱原)の者どもの御心ざし、異体同心なれば万事を成じ、同体異心なれば諸事叶事なしと申事は外典三千余巻に定りて候。殷の紂王は七十万騎なれども同体異心なればいくさにまけぬ。周の武王は八百人なれども異体同心なればかちぬ。一人の心なれども二の心あれば、其心たがいて成ずる事なし。百人千人なれども一つ心なれば必ず事を成ず。日本国の人人は多人なれども体同異心なれば諸事成ぜん事かたし。日蓮が一類は異体同心なれば、人人すくなく候へども大事を成じて、一定法華経ひろまりなんと覚へ候。悪は多けれども一善にかつ事なし。譬へば多の火あつまれども一水にはきへぬ。此一門も又かくのごとし。其上貴辺は多年としつもりて奉公法華経にあつくをはする上、今度はいかにもすぐれて御心ざし見えさせ給よし人人も申候。又かれらも申候。一一に承りて日天にも大神にも申上て候ぞ。御文はいそぎ御返事申べく候ひつれども、たしかなるびんぎ候はでいままで申候はず。べんあさり(弁阿闍梨)がびんぎ、あまりそうそうにてかきあへず候き。さては各各としのころいかんがとをぼしつる。もうこ(蒙古)の事すでにちかづきて候か。我国のほろびん事はあさましけれども、これだにもそら事になるならば、日本国の人人いよいよ法華経を謗じて万人無間地獄に堕べし。かれだにもつよる(強)ならば国はほろぶ(亡)とも謗法はうすくなりなん。譬へば灸治をしてやまいをいやし、針治にて人をなをすがごとし。当時はなげくとも後は悦びなり。日蓮は法華経の御使、日本国の人人は大族王の一閻浮提の仏法を失しがごとし。蒙古国は雪山の下王のごとし。天の御使として法華経の行者をあだむ人人を罰せらるるか。又現身に改悔ををこしてあるならば、阿闍世王の仏に帰して白癩をやめ(治)四十年の寿をのべ、無根の信と申位にのぼりて、現身に無生忍をえたりしがごとし。恐恐謹言。
 八月六日                     日蓮花押
(啓三六ノ一〇〇。鈔二五ノ七五。語五ノ三八。拾八ノ三七。扶一五ノ四九。)

#0151-300 弥源太入道殿御返事 文永十一(1274.09・17) [p0831]
弥源太入道殿御返事(北条第三書)
     文永十一年九月。五十三歳作。
     外九ノ三一。遺一六ノ二九。縮一〇五六。類九四六。

 別事候まじ。憑み奉り候上は最後はかうと思食候へ。河野辺入道殿のこひしく候に、漸く後れ進らせて其かたみと見まいらせ候はん。さるにても候へば如何が空しかるべきや。さこそ覚え候へ。但し当世は我も法華経をしりたりと毎人申候。時に法華経の行者はあまた候。但し法華経と申経は転子病と申す病の様に候。転子と申は親の様なる子は少く候へども此病は必ず伝り候也。例せば犬の子は母の吠を伝へ、猫の子は母の用を伝て鼠を取る。日本国は六十六箇国嶋二。其中に仏の御寺は一万一千三十七所。其内に僧尼或は三千、或は一万、或は一千一百、或は十人、或は一人候へども、其源は弘法大師、慈覚大師、智証大師、此三大師の御弟子にて候。山の座主、東寺、御室、七大寺の検校、園城寺の長吏、伊豆、箱根、日光、慈光等の寺寺の別当等も皆此三大師の嫡嫡也。此人人は三大師の如く読べし。其此三大師法華経と一切経との勝劣を読候しには、弘法大師は法華経最第三と。慈覚、智証は法華経最第二、或は戯論なんどこそ読候しか。今又如是。但し日蓮が眼には僻目にてや候らん。法華経最第一、皆是真実と釈迦仏、多宝仏、十方の諸仏は説て証明せさせ給へり。此三大師には水火の相違にて候。其末を受る人人彼跡を継で、彼所領田畠を我物とせさせ給ぬれば、何に諍はせ給とも三大事の僻事ならば、此科遁れがたくやおはすらんと見え候へども、日蓮は怯弱者にて候へば、かく申事をも人御用なし。されば今日本国の人人の我も我も経を読といへども、申事用べしとも不覚候。是はさて置候ぬ。御音信も候はねば、何にと思て候つるに御使うれしく候。御所労の御平癒の由うれしく候、うれしく候。尚可蒙仰候。恐恐謹言。
 九月十七日                     日蓮花押
弥源太入道殿御返事
(微上ノ二五。考四ノ一〇。)

#0152-300 主君耳入此法門免与同罪事 文永十一(1274.09・26) [p0833]
主君耳入此法門免与同罪事(四条第八書)
      文永十一年九月。五十三歳作。与四条金吾書。
      内一七ノ四五。遺一六ノ三一。縮一〇五八。類八六二。

  銭二貫文給畢ぬ。
 有情の第一の財は命にすぎず。此を奪者は必ず三途に堕つ。然ば輪王は十善の始には不殺生、仏の小乗経の始には五戒、其始には不殺生、大乗梵網経の十重禁の始には不殺生、法華経の寿量品は、釈迦如来の不殺生戒の功徳に当て候品ぞかし。されば殺生をなす者は三世の諸仏にすてられ、六欲天も之を守ることなし。此由は世間の学者も知れり、日蓮もあらあら得意て候。但し殺生に子細あり、彼被殺者の失に軽、重あり。我父母、主君、我師匠を殺せる者をかへりて害せば、同じつみなれども重罪かへりて軽罪となるべし。此れ世間の学者知れる処なり。但し法華経の御かたきをば大慈大悲の菩薩も供養すれば必ず無間地獄に堕つ。五逆の罪人も彼を怨とすれば必ず人天に生を受く。仙豫国王、有徳国王は五百無量の法華経のかたきを打て今は釈迦仏となり給ふ。其御弟子迦葉、阿難、舎利弗、目連等の無量の眷属は、彼時に先を懸け陣をやぶり、或は殺し或は害し、或は随喜せし人人也。覚徳比丘は迦葉仏也。彼時に此王、王を勧めて法華経のかたきをば、父母宿世叛逆の者の如くせし大慈大悲の法華経の行者也。今の世は彼の世に当れり。国主、日蓮が申事を用るならば彼がごとくなるべきに、用ひざる上かへりて彼がかたうどとなり、一国こぞりて日蓮をかへりてせむ。上一人より下万民にいたるまで、皆五逆に過たる謗法の人となりぬ。されば各各も彼が方ぞかし。心は日蓮に同意なれども身は別なれば、与同罪のがれがたきの御事に候に、主君に此法門を耳にふれさせ進せけるこそありがたく候へ。今は御用なくもあれ、殿の御失は脱れ給ひぬ。此より後には口をつつみておはすべし。又天も一定、殿をば守らせ給らん。此よりも申也。かまへてかまへて、御用心候べし。いよいよにくむ人人ねら(狙)ひ候らん。御さかもり(酒宴)夜は一向に止給へ。只女房と酒うち飲でなにの御不足あるべき。佗人のひる(昼)の御さかもり、おこたる(油断)べからず。酒を離れてねらうひま(隙)有るべからず。返す返す。恐恐謹言。
  九月二十六日                  日蓮花押
  左衛門尉殿御返事
(啓二七ノ八九。鈔一七ノ四一。語三ノ二三。扶一〇ノ三八。拾四ノ二二。)

#0153-200 上野殿御返事(与南条氏書)文永十一(1274.11・11) [p0835]
上野殿御返事(与南条氏書)(上野第三書)
     文永十一年十一月。五十三歳作。与南条七郎二郎書。
     内三五ノ三九。遺一六ノ三四。縮一〇六一。類九六一。

 聖人二管、柑子一篭、蒟蒻十枚、薯?一篭。牛房一束種種の物送給候。得勝、無勝の二童子は仏に沙の餅を供養したてまつりて閻浮提三分が一の主となる。所謂阿育大王これなり。儒童菩薩は錠光仏に五茎の蓮華を供養したてまつりて仏となる。今の教主釈尊これなり。法華経の第四に云「有人求仏道而於一劫中合掌在我前以無数偈讃。由彼讃仏故得無量功徳歎美持経者其福復過彼」等云云。文の心は仏を一劫が間供養したてまつるより、末代悪世の中に人のあながち(強)ににくむ(憎)法華経の行者を供養する功徳はすぐれたりととかせ給ふ。たれの人のかゝるひが(僻)事をばおほせらるるぞと疑ひおもひ候へば、教主釈尊の我とおほせられて候也。疑はんとも信ぜんとも御心にまかせまいらする。仏の御舌は或は面に覆ひ、或は三千大千世界に覆ひ、或は色究竟天までも付給ふ。過去遠遠劫よりこのかた一言も妄語のましまさざるゆへ也。されば或る経に云「須弥山はくづるとも大地をばうちかへすとも仏には妄語なし」ととかれたり。日は西よりいづとも大海の潮はみちひ(満干)ずとも、仏の御言はあやまりなしとかや。其上此法華経は佗経にもすぐれさせ給へば、多宝仏も証明し、諸仏も舌を梵天につけ給ふ。一字一点も妄語は候まじきにや。其上殿はをさなく(幼少)をはしき。故親父は武士なりしかども、あながちに法華経を尊み給しかば、臨終正念なりけるよしうけ給き。其親の跡をつがせ給て又此経を御信用あれば、故聖霊いかに草のかげにても喜びおぼすらん。あわれいき(生)てをはさばいかにうれしかるべき。此経を持つ人人は佗人なれども同霊山へまいりあはせ給也。いかにいはんや故聖霊も殿も同く法華経を信じさせ給へば同ところに生させ給べし。いかなれば佗人は五六十までも親と同しらが(白髪)なる人もあり。我わかき(若)身に親にはやく(早)をくれ(後)て教訓をもうけ給はらざるらんと、御心のうち(中)をしはかる(推量)こそなみだ(涙)もとまり候はね。抑日蓮は日本国をたすけんとふかくおもへども、日本国の上下万人一同に、国のほろぶべきゆへにや用られざる上、度度あだ(怨)をなさるれば力をよばず山林にまじはり候ぬ。大蒙古国よりよせ(寄)て候と申せば、申せし事を御用あらばいかになんどあはれなり。皆人の当時のゆき(壱岐)つしま(対馬)のやうにならせ給はん事、おもひやり候へばなみだもとまらず。念仏宗と申は亡国の悪法也。このいくさ(軍)には大体人人の自害をし候はんずる也。善導し申す愚痴の法師がひろめはじめて自害をして候ゆへに、念仏をよくよく申せば自害心出来し候ぞ。禅宗と申し当時の持斎、法師等は天魔の所為也。教外別伝と申て神も仏もなしなんど申す、ものくるは(狂)しき悪法也。真言宗と申す宗は本は下劣の経にて候しを、誑惑して法華経にも勝なんど申て多の人人、大師、僧正なんどになりて日本国に大体充満して上一人より頭をかたぶけ(傾)たり。これが第一の邪事に候を昔より今にいたるまで知人なし。但伝教大師と申せし人こそしりて候しかどもくはしく(委)もおほせられず。さては日蓮ほぼこの事をしれり。後白河の法皇の太政の入道にせめられ給し、隠岐法王のかまくら(鎌倉)にまけさせ給し事みな真言悪法のゆへなり。漢土にこの法わたりて玄宗皇帝ほろびさせ給ふ。この悪法かまくらに下て、当時かまくらにはやる(流行)僧正、法印等は是也。これらの人人このいくさ(軍)を調伏せば、百日たゝかふべきは十日につづまり(縮)、十日のいくさは一日にせめらるべし。今始て申にあらず、二十余年が間音もをし(惜)まずよばはり候ぬるなり。あなかしこあなかしこ。この御文は大事の事どもかきて候。よくよく人によませてきこしめせ。人もそしり候へ、もの(物)ともおもはぬ法師等なり。恐恐謹言。
  十一月十一日                    日蓮花押
 南条七郎次郎殿御返事
(啓三五ノ三五。鈔二五ノ一四。語五ノ一四。拾七ノ五六。扶一四ノ五三。)

#0156-2K0 顕立正意鈔 文永十一(1274.12・15) [p0840]
顕立正意鈔(原文漢文)
     文永十一年十二月。五十三歳著。
     内一三ノ二五。遺一六ノ四五。縮一〇七三。類四九六

 日蓮去る正嘉元年太歳丁巳八月二十三日、大地震を見て之を勘へ定めて、書ける立正安国論に云く「薬師経の七難の内、五難忽ちに起つて二難猶残れり。所以佗国侵逼難、自界叛逆難なり。大集経の三災の内、二災早く顕れ、一災未だ起らず所以兵革の災なり。金光明経の内の種種の災禍一一起ると雖も、佗方の怨賊国内を侵掠する此の災未だ露れず、此の難未だ来らず。仁王経の七難の内、六難今盛にして一難未だ現ぜす。所以四方より賊来つて国を侵すの難なり。加之国土乱れん時は先づ鬼神乱れ、鬼神乱るるが故に万民乱ると。今此文に就いて具に事の情を案ずるに、百鬼早く乱れ万民多く亡びぬ。先難是明かなり。後災何ぞ疑はん。。若し残る所の難、悪法の科に依つて並び起り競ひ来らば其の時何とせんや。帝王は国家を基として天下を治む。人臣は田園を領して世上を保つ。而るに佗方より賊来て而も此国を侵逼し、自界叛逆して此の地を掠領せば、豈に驚かざらんや、豈に騒がざらんや。国を失ひ家を滅せば何れの所にか世を遁れん」等云云已上立正安国論の言。今日蓮重ねて記して云く、大覚世尊記して云く「苦得外道有七日可死、死後生於食吐鬼。苦得外道言、七日内不可死、我得羅漢不生餓鬼道」等云云。「瞻婆城長者婦懐妊六師外道云、生於女子、仏記云、生於男子」等云云。仏記して云く「卻後三月我当般涅槃」等云云。一切の外道云く、是妄語なり等云々。仏の記の如く二月十五日に般涅槃し給ふ畢ぬ。法華経の第二に云く「舎利弗汝於未来世過無量無辺不可思議劫○当得作仏号曰華光如来」等云云。又第三の巻に云く「我此弟子摩訶迦葉於未来世当得奉観三百万億乃至於最後身得成為仏名曰光明如来」等云云三巻。又第四の巻に曰く「又如来滅度之後、若有人聞妙法華経乃至一偈一句、一念随喜者、我亦与授阿耨多羅三藐三菩提記」等云云。此等の経文は仏未来世の事を記し給ふ。上に挙ぐる所の苦得外道等の三事、普(符)合せずんば誰か仏語を信ぜん。設ひ多宝仏、証明を加え、分身の諸仏、長舌を梵天に付け給ふとも信用し難きか。今亦以て是の如し。設ひ日蓮富楼那の弁を得て、目連の通を現ずとも、勘ふる所当らずんば誰か之を信ぜん。去る文永五年に蒙古の牒状、渡来する所をば我が朝に賢人あらば、之を怪むべし。設ひ其を信ぜずとも、去る文永八年九月十二日、御勘気を蒙りしの時吐く所の強言、次の年二月十一日に普(符)合せしむ。情あらん者は之を信ずべし。何に況や今年既に彼の国災兵の上二箇国を奪ひ取る。設ひ木石たりと雖も、設ひ禽獣たりと雖も感ずべく驚くべきに、偏に只事に非ず。天魔の国に入りて酔へるが如く狂へるが知く、歎くべし哀むべし、恐るべし厭ふべし。又立正安国論に云く「若し執心翻らずして亦曲意猶ほ存せば、早く有為の郷を辞して必ず無間の獄に堕せん」等云云。今普合するを以て未来を案ずるに、日本国上下万人阿鼻大城に堕せんこと大地を的とせん。此等は且く之を置く、日蓮が弟子等又此の大難脱れ難きか。彼の不軽軽毀の衆は現身に信伏随従の四字を加ふれども、猶ほ先謗の強きに依って先づ阿鼻大城に堕して千劫をば経歴して大苦悩を受く。今日蓮が弟子等も亦是の如し。或は信じ或は伏し或は従い随ひ或は従ふ。但名のみ之を仮て心中に染みず、信心薄き者は設ひ千劫をば経ずとも、或は一無間或は二無間、乃至十百無間疑ひなからん者か。是を免れんと欲せば、各薬王楽法の如く臂を焼き皮を剥ぎ、雪山国王等の如く身を投げ心を仕へよ。若し爾らずんば五体を地に投げ、偏身に汗を流せ。若し爾らずんば珍宝を以て仏前に積め。若し爾らずんば奴婢と為て持者に奉へよ。若し爾らずんば等云云。四悉檀を以て時に適ふのみ。我が弟子の中にも信心薄淡者は臨終の時阿鼻獄を現ぜん。其時我を恨むべからず等云云。
文永十一年太歳甲戌十二月十五日           日蓮花押

#0158-2K0 立正観抄 文永十一(1274) [p0844]
立正観鈔(原文漢文)
     文永十一年。五十三歳著。
     内三八ノ一。遺一六ノ三七。縮一〇六四。類一五九五。

                         日蓮撰
 法華止観同異決
 当世天台の教法を習学するの輩、多く観心修行を貴んで法華本迹二門を捨つと見えたり。今問ふ、抑も観心修行と言ふは、天台大師の摩訶止観の説己心中所行法門の一心三観、一念三千の観に依るか。将又世流布の達磨の禅観に依るか。若し達磨の禅観に依るといはゞ教禅とは未顕真実妄語方便の禅観なり。法華経妙禅の時には正直捨方便と捨てらるゝ禅なり。祖師達磨禅とは教外別伝の天魔禅なり。共に是れ無得道妄語の禅なり。仍つて之を用ゆべからず。若し天台の止観の一心三観に依るとならば止観一部の廃立、天台の本意に背くべからざるなり。若し止観修行の観心に依るとならば法華経に背くべからず。止観一部は法華経に依つて建立す。一心三観の修行は妙法の不可得なるを感得せんが為なり。故に知んぬ、法華経を捨てゝ但観を正と為るの輩は大謗法、大邪見、天魔の所為なることを。其故は天台の一心三観とは法華経に依つて三昧開発するを己心証得の止観とは云ふ故なり。問ふ、天台大師の止観一部並に一念三千、一心三観、己心証得の妙観は、併ながら法華経に依ると云ふ証拠如何。答ふ、予反詰して云く、法華経に依らずと見えたる証文如何。人之を出して云く「此の止観は天台智者説己心中所行の法門を説く」。或は又「故に止観に至つて正しく観法を明す。故に序の中に説己心中所行法門と云へり、良に以有るなり」文。難じて云く、此文は全く法華経に依らずと云ふ文に非ず。既に説己心中所行法門と云ふが故なり。天台の所行の法門は法華経なるが故に此意は法華経に依ると見えたる証文なり。但し佗宗に対するの時は問答大綱を存すべきなり。所謂云ふべし、若し天台の止観法華経に依らずといはゞ速に捨つべきなりと。其故は天台大師兼て約束して云く「脩多羅と合せば録して之を用ひよ。無文無義は信受すべからず」云云。伝教大師の云く「仏説に依憑して口伝を信ずること莫れ」文。龍樹の大論に云く「脩多羅白論に依つて脩多羅黒論に依らざれ」文。教主釈尊の云はく「依法不依人」文。天台は法華経に依り龍樹を高祖にしながら経文に違し、我が言を翻じて外道邪見の法に依つて、止観一部を釈する事、全く有るべからざるなり。問ふ、正しく止観は法華経に依ると見えたる文これありや。答ふ、余りに多きが故に少少之を出さん。止観に云く「漸と不定とは置いて論ぜず。今経に依つて更に円頓を明さん」文。弘決に云く「法華の経旨を攅めて、不思議の十乗十境の待絶、滅絶、寂照の行を成ず」文。止観(初丁)大意に云く「今家の教門は龍樹を以て始祖と為す。慧文は但内観を列ぬるのみ」。南岳、天台に?んで復法華三昧陀羅尼を発するに因つて、義門を開拓して観法周備す。〇若し法華を釈するには弥々須く権実、本迹を暁了すべし、方に行を立つべし。此経独り妙と称することを得。方に此に依つて以て観の意を立つべし。五方便及び十乗軌行と云ふは即ち円頓止観は全く法華に依る。円頓止観は即ち法華三昧の異名なるのみ」文。文句の文会記(一巻十九)に云く「観と経と合すれば佗の宝を数ふるに非ず。方に知んぬ、止観一部は是法華三昧の筌蹄なりと云ふことを。若し此意を得れば方に経旨に会はん」云云。唐土の人師行満の釈せる学、天台宗法門大意に云く「摩訶止観一部の大意は法華三昧の異名を出でず。経に依つて観を修す」文。此等の文証分明なり。誰か之を論ぜん。問ふ、天台四種の釈を作るの時観心の釈に至つて本迹の釈を捨つと見えたり。又法華経は漸機の為に之を説き止観は直達の機の為に之を説くと、如何。答ふ、漸機の為に劣を説き頓機の為に勝を説くならば、今の天台宗の意は華厳、真言等の経は法華経に勝れたりと云ふべきや。今の天台宗の浅猿さは真言は事理倶密の教なる故に法華経に勝れたりと謂へり。故に止観は法華に勝ると云へるも道理なり、道理なり。次に観心の釈の時本迹を捨つと云ふ難は、法華経の何れの文にか人師の釈を本として仏教を捨てよと見えたるや。設ひ天台の釈なりとも釈尊の金言に背き、法華経に背かば全く之を用ゆべからざるなり。依法不依人の故に龍樹、天台、伝教元よりの御約束なるが故なり。其の上天台の釈の意は、迹の大教起れば爾前の大教亡じ、本の大教興れば迹の大教亡じ、観心の大教興れば本の大教亡ずと釈するは、本体の本法をば妙法不思議の一法に取り定めての上に修行を立つるの時、今像法の修行は観心の修行を詮とするに、迹を尋ぬれば迹広く本を尋ぬれば本高くして極むべからず。故に末学機に叶ひ難し、但己心の妙法を観ぜよと云ふ釈なり。然りと雖も妙法を捨てよとは釈せざるなり。若し妙法を捨てば何物を己心と為して観ずべきや。如意宝珠を捨てゝ貧窮を取りて宝と為すべきか。悲しい哉、当世天台宗の学者は念仏、真言、禅宗等に同意するが故に、天台の教釈を習ひ失ひて法華経に背き大謗法の罪を得るなり。若し止観を法華経に勝ると云はゞ種種の過之あり。止観は天台の道場所得の己証なり。法華経は釈尊の道場所得の大法なり是一。釈尊は妙覚果満の仏なり。天台は住前末証なれば名字、観行、相似には過ぐべからず。四十二重の劣なり是二。法華は釈尊、乃至諸仏出世の本懐なり。止観は天台出世の己証なり是三。法華経は多宝の証明あり、来集の分身は広長舌を大梵天に付く、皆是真実の大白法なり。止観は天台の説法なり是四。是の如き等の種種の相違之あれども、仍之を略するなり。又一の問答に云く、所被の機上機なる故に勝ると云はゞ実を捨てゝ権を取れ。天台「教弥権位弥高」と釈し給ふ故なり。所被の機下劣なる故に劣ると云はゞ権を取つて実を捨てよ。天台の釈には「教弥実位弥下」と云ふ故なり。然り而して止観は上機の為に之を説き法華は下機の為に之を説くと云はゞ、止観は法華に劣れる故に機を高く説くと聞えたり。実にさもや有るらむ。天台大師は霊山の聴衆として如来出世の本懐を宣べ給ふと雖も、時至らざるが故に妙法の名字を替て止観と号す。迹化の衆なるが故に本化の付属を弘め給はず。正直の妙法を止観と説きまぎらかす故に有のまゝの妙法ならざれば帯権の法に似たり。故に知んぬ。天台弘通の所化の機は在世帯権の円機の如し。本化弘通の所化の機は法華本門の直機なり。止観法華は全く体同じと云はむは、尚人師の釈を以て仏説に同ずる失甚重なり。何に況や止観は法華経に勝ると云ふ邪義を申し出すは、但是本化の弘経と迹化の弘通と、像法と末法と迹門の付属と本門の付属とを、末法の行者に云ひ顕させむ為の仏天の御計なり。爰に知んぬ、当世の天台宗の中に此義を云ふ人は、祖師天台の為には不知恩の人なり。豈に其過を免れんや。夫れ天台大師は昔霊山に在りては薬王と名け、今漢土に在りては天台と名け、日本国の中にては伝教と名く。三世の弘通倶に妙法と名く。是の如く法華経を弘通し給ふ人は、在世の釈尊より外は三国に其名を聞かず。有り難く御坐す大師を其の末学、其の教釈を悪しく習ひて失無き天台に失を懸けまつる、豈に大罪に非ずや。今問ふ、天台の本意は何なる法ぞや。碩学等の云く、一心三観是なり。今云く、一実円満の一心三観とは誠に甚深なるに似たれども尚以て行者修行の方法なり。三観とは因の義なるが故なり。慈覚大師の釈に云く「三観とは法体を得せしめんが為の修観なり」云云。伝教大師の云く「今止観修行とは法華の妙果を成ぜんが為なり」云云。故に知んぬ一心三観とは果地果徳の法門を成ぜんが為の能観の心なることを。何に況や三観とは言説に出でたる法なる故に、如来の果地果徳の妙法に対すれば可思議の三観なり。問ふ、一心三観に勝れたる法とは何なる法ぞや。答ふ、此事誠に一大事の法門なり。唯仏与仏の境界なるが故に我等が言説に出すべならざるが故に之を申すべからず。是を以て経文には「我法妙難思、不可以言宣」云云。妙覚果満の仏すら尚不可説不思議の法と説き給ふ。何に況や等覚の菩薩已下、乃至凡夫をや。問ふ、名字を聞かずんば、何を以て勝法有りと知ることを得んや。答ふ、天台己証の法とは是なり。当世の学者は血脈相承を習ひ失ふ故に之を知らざるなり。故に相構へ相構へて秘すべく秘すべき法門なり。然りと雖も汝の志神妙なれば其名を出すなり。一言の法とは是なり。伝教大師の「一心三観伝於一言」と書き給ふ是なり。問ふ、未だ其の法体を聞かず如何。答ふ、所詮一言とは妙法是なり。問ふ、何を以て妙法は一心三観に勝れたりと云ふ事を知ることを得るや。答ふ、妙法は所詮の功徳なり。三観は行者の観門なるが故なり。此の妙法を仏説いて言く「道場所得法、我法妙難思、是法非思量、不可以言宣」云云。天台の云く「妙は不可思議、言語道断、心行所滅なり。法は十界十如、因果不二の法なり」。三諦と云ふも三観と云ふも三千と云ふも、共に不思議法とは云へども、天台の己証、天台の御思慮の及ぶ所の法門なり。此の妙法は諸仏の師なり。今の経文の如くならば久遠実成の妙覚極果の仏の境界にして、爾前迹門の教主、諸仏、菩薩の境界にあらず。経に「唯仏与仏乃能究尽」とは迹門の界如三千の法門をば、迹門の仏が当分究竟の辺を説けるなり。本地難思の境智の妙法は迹仏等の思慮に及ばず、何に況や菩薩、凡夫をや。止観の二字をば観名仏知、止名仏見と釈すれども迹門の仏知、仏見にして、妙覚極果の知見には非ざるなり。其故は止観は天台己証の界如三千、三諦三観を正と為す。迹門の正意是なり。故に知んぬ迹仏の知見なりと云ふ事を。但止観に絶待不思議の妙観を明すと云ふとも、只一念三千の妙観に且く与へて絶待不思議と名くるなり。問ふ、天台大師真実に此の一言の妙法を証得し給はざるや。答ふ、内証は爾るなり。外用に於ては之を弘通し給はざるなり。所謂内証の辺をば秘して外用には三観と号して一念三千の法門を示現し給ふなり。問ふ、何が故ぞ知り乍ら弘通し給はざるや。答ふ、時至らざるが故に付属に非ざるが故に迹化なるが故なり。問ふ、天台此の一言の妙法之を証得し給へる証拠之有りや。答ふ、此事天台一家の秘事なり。世に流布らる学者之をしらず。潅頂玄旨の血脈とて天台大師自筆の血脈一紙之有り。天台御入滅の後は石塔の中に之有り。伝教大師御入唐の時八舌の鑰を以て之を開き、道邃和尚より伝受し給ふ血脈とは是なり。此書に云く「一言妙旨、一教玄義」文。伝教大師の血脈に云く「夫れ一言の妙法とは両眼を開いて五塵の境を見る時は随縁真如なるべし。両眼を閉ぢて無念に住する時は不変真如なるべし。故に此の一言を聞くに万法茲に達し一代の脩多羅一言に含す」文。此の両大師の血脈の如くならば天台大師の血脈相承の最要の法は妙法の一言なり。一心三観とは所詮妙法を成就せん為の修行の方法なり。三観は因の義妙法は果の義なり。但し因の処に果有り果の処に因有り。因果倶時の妙法を観ずるが故に是の如き功能を得るなり。爰に知んぬ、天台至極の法門は法華本迹未分の処に無念の止観を立て、最秘の上法とすと云へる邪義大なる僻見なりと云ふ事を。四依弘経の大薩?は既に仏経に依つて諸論を造る。天台何ぞ仏説に背いて無念の止観を立て給はんや。若し此の止観法華経に依らずといはゞ天台の止観、教外別伝の達磨の天魔の邪法に同ぜん。都て然るべからず、哀れなり哀れなり。伝教大師(顕戒論上巻九)の云く「国主の制に非ざれば以て遵行すること無し、法王の教に非ざれば以て信受すること無し」文。又云く「四依、論を造るに権有り実有り。三乗旨を述るに三有り一有り。所以に天台智者は三乗の旨に順じて四教の階を定め、一実の道に依つて一仏乗を建つ。六度別有り戒度何ぞ同じからん。受法不同なり威儀豈に同じからんや。是の故に天台の伝法は深く四依に依り、亦仏経に順ふ」文。本朝の天台宗の法門は伝教大師より之を始む。若し天台の止観法華経に依らずといはゞ、日本に於ては伝教の高祖に背き漢土に於ては天台に背く。両大師の伝法既に法華経に依る、豈に其の末学之に違せんや。違するを以て知んぬ、当世の天台家の人人其名を天台山に借ると雖も、所学の法門は達磨の僻見と善無畏の妄語とに依るといふ事を。天台、伝教の解釈の如くんば、己心中の秘法は但妙法の一言に限るなり。然り而して当世の天台宗の学者は、天台の石塔の血脈を秘し失ふ故に、天台の血脈相承の秘法を失ひて、我と一心三観の血脈とて我意に任せて書を造り、錦の袋に入れて頸に懸け箱の底に埋めて高直に売るが故に、邪義国中に流布して天台の仏法破失せるなり。天台の本意を失ひ釈尊の妙法を下す。是偏に達磨の教訓、善無畏の勧めなり。故に止観をも知らず、一心三観、一心三諦をも知らず。一念三千の観をも知らず、本迹二門をも知らず。相待絶待の二妙をも知らず、法華の妙観をも知らず。教相をも知らず、権実をも知らず。四教八教をも知らず、五時五味の施化をも知らず。教、機、時、国相応の義は申すに及ばず、実教にも似ず権教にも似ざるなり。道理なり道理なり。天台、伝教の所伝は禅、真言より劣れりと習ふ故に、達磨の邪義、真言の妄語と打ち成りて権教にも似ず実教にも似ず、二途に摂せざるなり。故に大謗法罪顕れて止観は法華経に勝ると云ふ邪義を申し出して、過無き天台に失を懸けたてまつる故に高祖に背く不孝の者、法華経に背く大謗法罪の者と成るなり。夫れ天台の観法を尋ぬれば大蘇道場に於て三昧開発せしより已来、目を開いて妙法を思へば随縁真如なり。目を閉ぢて妙法を思へば不変真如なり。此の両種の真如は只一言の妙法にあり。我が妙法を唱ふる時万法茲に達し一代の脩多羅一言に含す。所詮迹門を尋ぬれば迹広く本門を尋ぬれば本高し。如じ己心の妙法を観ぜんにはと思食されしなり。当世の学者此意を得ざるが故に天台己証の妙法を習ひ失ふて、止観は法華経に勝り、禅宗は止観に勝りたりと思ひて、法華経を捨てゝ止観に付き、止観を捨てゝ禅宗に付くなり。禅宗の一門云く、松に藤懸る、松枯れ藤枯れて後如何。上らずして一枝なむど云へる天魔の語を深く信ずる故なり。脩多羅の教主は松の如く其の教法は藤の如し。各各に諍論すと雖も仏も入滅し教法の威徳も無し。爰に知んぬ、脩多羅の仏教は月を指す指なり。禅の一法のみ独妙なり。之を観ずれば見性得達するなりと云ふ。大謗法の天魔の所為を信ずる故なり。然り而して法華経の仏は寿命無量常住不滅の仏なり。禅宗は滅度の仏と見るが故に外道の無の見なり。「是法住法位、世間相常住」の金言に背く僻見なり。禅は法華経の方便無得道の禅なるを真実常住の法と云ふが故に外道の常見なり。若し与へて之を言はゞ仏の方便三蔵の分斉なり。若し奪つて之を言はゞ但外道の邪法なり。与は当分の義、奪は法華の義なり。法華の奪の義を以ての故に禅は天魔外道の法と云ふなり。問ふ、禅を天魔の法と云ふ証拠如何。答ふ、前前に申すが如し。(啓四三六ノ一。鈔二五ノ〇。語五ノ二五。拾八ノ一六。扶一五ノ二〇、)
 延山本ノ奥ニ云ク「正中二年乙丑三月洛中三条京極ニ於テ最蓮房ノ本御自筆、有ル人之ヲ書ス。時ニ正中二年乙丑十二月二十日之ヲ書写セルナリ、身延山。元徳二庚、卯午月中旬重ネテ写セルナリ。 日進花押」  稲田海素記 

#0165-2K0 立正観抄送状 文永十二(1275.02・28) [p0870]
立正観鈔送状(門弟第十七書)(原文漢文)
     文永十二年二月。五十四歳作。与最蓮房日浄書。
     内三八ノ一五。遺一七ノ四。縮一〇八四。類一六〇二

 今度の御使、誠に御志の程顕れ候ひ畢んぬ。又種種の御志慥かに給候ひ畢んぬ。抑も承はり候当世の天台宗等、止観は法華経に勝れ、禅宗は止観に勝る、又観心の大教興る時は、本迹の大教を捨つと云ふ事、先づ天台一宗に於て流流各別なりと雖も、恵心檀那の両流を出でず候なり。恵心流の義に云く「止観の一部は本、迹二門に亙るなり。謂く、止観の六に云く「観は仏知と名け、止は仏見と名く、念念の中に於て止観現前す。乃至三乗の近執を除く」文。弘決の五に云く「十法既に是れ法華の所乗なり、是の故に還つて法華の文を用て歎ず。若し迹説に約せば、即ち大通智勝仏の時を指して以て積劫と為し、寂滅道場を以て妙悟と為す。若し本門に約せば、我本行菩薩道の時を指して以て積劫と為し、本成仏の時を以て妙悟と為す。本、迹二門只是れ此の十法を求悟するなり」文。始めの一文は本門に限ると見えたり、次の文は正しく本、迹に亙ると見えたり。止観は本、迹に亙ると云ふ事、文証此に依るなりと云へり。次に檀那流には止観は迹門に限ると云ふ証拠は、弘決の三に云く「還つて教味を借つて以て円妙を顕す、○故に知んぬ一部の文共に円成開権の妙観を成ずることを」文。此文に依らば止観は法華の迹門に限ると云ふ事、文に在つて分明なり。両流の異義替れども本、迹を出でず。当世の天台宗何くより相承して、止観は法華経に勝ると云ふや。但し予が所存は止観、法華の勝劣は天地雲泥なり。若し与へて之を論ぜは、止観は法華迹門の分斉に似たり。其故は天台大師の己証とは十徳の中の第一は自解仏乗、第九は玄悟法華円意なり。霊応伝の第四に云く「法華の行を受けて二七日境界す」文。止観の一に云く「此の止観は天台智者己心中所行の法門を説く」文。弘決の五に云く「故に止観に至つて、正しく観法を明す。並に三千を以て指南と為す。故に序の中に云く、説己心中所行法」文。己心所行の法とは一念三千、一心三観なり。三観、三諦の名義は瓔珞、仁王の二経に有りと雖も、一心三観、一念三千等の己心所行の法門をば、迹門十如実相の文を依文として釈成し給ひ畢んぬ。爰に知んぬ止観一部は迹門の文斉に似たりと云ふ事を、若し奪つて之を論ぜば爾前権大乗は即ち別教の分斉なり。其故は天台己証の止観とは道場所得の妙悟なり。所謂天台大師大蘇の普賢道場に於て三昧開発し証を以て師に白す。師の曰く、法華の前方便陀羅尼なりと。霊応伝の第四に云く「智?師に代つて金字経を講ず、一心具足万行の処に至つて?疑ひ有り。思、為に釈して曰く、汝が疑ふ所は此れ乃ち大品次第の意なるのみ、未だ是れ法華円頓の旨にあらず」文。講ずる所の経既に権大乗経なり、又次第と云へり、故に別教なり。開発せし陀羅尼又法華の前方便と云へり。故に知んぬ爾前帯権の経、別教の分斉なりと云ふ事を。己証既に前方便の陀羅尼なり、止観とは説己心中所行法門と云ふが故に、明かに知んぬ法華の迹門に及ばずと云ふ事を。何に況や本門をや。若し此意を得ば檀那流の義尤も吉なり。此等の趣きを以て、止観は法華に勝ると申す邪義をば問答有るべく候か。委細の旨は別に一巻書き進らせ候なり。又日蓮相承の法門血脈慥かに之を註し奉る。恐恐謹言。
  文永十二乙亥二月二十八日           日蓮花押
 最蓮房御返事
(啓三六ノ二〇。鈔二五ノ四九。語五ノ二七。拾八ノ一九。扶一五ノ二四。)

#0169-300 四条金吾殿御返事(此経難持)文永十二(1275.03・06)[p0894]
四条金吾殿御返事(四条第九書)(此経難持)
     文永十二年三月。五十四歳作 
     受二ノ一九。遺一七ノ一三。縮一〇九四。類七〇七。

 此経難持事。抑も弁阿闍梨が申し候は、貴辺のかたらせ(語)給ふ様に持らん者は、現世安穏後生善処と承りてすでに去年より今日まで、かたの如く信心をいたし申候処に、さにては無して大難雨の如く来り候と云云。真にてや候らん、又弁公がいつはりにて候やらん。いかさまよきついでに不審をはらし奉らん。法華経の文に「難信難解」と説き給ふは是也。此経をききうくる人は多し、まことに聞受る如くに大難来れども憶持不忘の人は希なる也。受るはやすく持はかたし、さる間成仏は持にあり。此経を持ん人は難に値べしと心得て持つ也。「則為疾得無上仏道」は疑なし。三世の諸仏の大事たる南無妙法蓮華経を念ずるを、持とは云也。経に云「護持仏所属」といへり。天台大師の云「信力の故に受け、念力の故に持つ」云云。又云「此経は持ち難し、若し暫くも持つ者は我即ち歓喜す、諸仏も亦然なり」云云。火にたきぎ(薪)を加る時はさかん也。大風吹ば求羅は倍増する也。松は万年のよはひを持つ故に枝をまげらる。法華経の行者は火と求羅との如し、薪と風とは大難の如し。法華経の行者は久遠長寿の如来也。修行の枝をきられまげられん事疑なかるべし。此より後は此経難持の四字を暫時もわすれず案じ給べし。〇恐恐。
   文永十二年乙亥三月六日
                 日蓮花押
四条金吾殿

#0171-300 曾谷入道殿御返事 文永十二(1275.03) [p0912]
曽谷入道殿御返事(曽谷第三書)
     文永十二年三月。五十四歳作。
     外一二ノ七。遺一七ノ四二。縮一一二六。類八二六。

 方便品の長行書進せ候。先に進じ候し自我偈に相副て読たまふべし。此経の文字は皆悉く生身妙覚の御仏也。然れども我は肉眼なれば文字と見る也。例せば餓鬼は恒河を火と見る、人は水と見る、天人は甘露と見る。水は一なれども果報に随て別別也。此経の文字盲眼の者は之を見ず。肉眼の者は文字と見る、二乗は虚空と見る、菩薩は無量の法門と見る。仏は一一の文字を金色の釈尊と御覧有べき也。即持仏身とは是也。されども僻見の行者は加様に目出度渡らせ給ふを破し奉る也。唯相構て相構て異念なく人心に霊山浄土を期せらるべし。心の師とはなるとも心を師とせざれとは、六波羅蜜経の文ぞかし。委細は見参の時を期し候。恐恐謹言。
 文永十二年三月   日                 日蓮花押
 曽谷入道殿
(微上ノ三一。考四ノ三七。)

#0176-100 種種御振舞御書 建治元(1275 or 1276) [p0959]
種種御振舞御書(与光日尼書)
     建治二年。五十五歳著。
     内二三ノ三九。内二三ノ一。遺二〇ノ五〇。縮一三八六。
     類三九一。内一四ノ一。内二〇ノ三六。

 去る文永五年後の正月十八日、西戎大蒙古国より日本国ををそう(襲)べきよし牒状をわたす。日蓮が去る文応元年太歳庚申に勘へたりし立正安国論すこしもたがわ(違)ず普(符)合しぬ。此書は白楽天が楽府にも越へ仏の未来記にもをとらず。末代の不思議なに事かこれにすぎん。賢王聖主の御世ならば、日本第一の権状にもをこなわれ現身に大師号もあるべし。定んで御たづねありていくさ(軍事)の僉義をもいゐあわせ、調伏なんども申しつけられずらんとをもひしに、かうのぎなかりしかば、其年の末十月に十一通の状をかきてかたがたへをどろかし申す。国に賢人なんどもあるならば不思議なる事かな。これはひとへにただ事にはあらず。天照大神、正八幡宮の僧につい(託)て、日本国のたすかるべき事を御計らひのあるかと、をもわるべきにさわなくて、或は使を悪口し或はあざむき、或はとりも入れず或は返事もなし。或は返事をなせども上へも申さず。これひとへにただ事にはあらず。設ひ日蓮が身の事なりとも、国主となりまつり事(政)をなさん人人は、取りつぎ申したらんには政道の法ぞかし。いわうやこの事は上の御大事いできらむ(出来)のみならず、各各の身にあたりてをほいなるなげき出来すべき事ぞかし。而るを用る事こそなくとも悪口まではあまりなり。これひとへに日本国の上下万人、一人もなく法華経の強敵となりて、としひさし(年久)くなりぬれば、大禍のつもり大鬼神の各各の身に入上へ、蒙古国の牒状に正念をぬかれてくるうなり。例せば殷の紂王に比干といゐし者、いさめ(諌)をなせしかば用ひずして胸をほる。周の文、武の王にほろぼされぬ。呉王は伍子助がいさめを用ひず自害をせさせしかば、越王勾踐の手にかかる。これもかれがごとくなるべきといよいよふびん(不便)にをぼへて、名をもをしまず命をもすてて強盛に申しはりしかば、風大なれば波大なり、龍大なれば雨たけきやうに、いよいよあだをなし、ますますにくみて御評定に僉義あり。頸をはぬべきか鎌倉ををわる(追)べきか、弟子檀那等をば所領あらん者は所領を召して頸をきれ、或はろう(籠)にてせめ、あるいは遠流すべし等云云。日蓮悦んで云く、本より存知の旨なり。雪山童子は半偈のために身をなげ、常啼菩薩は身をうり、善財童子は火に入り、楽法梵士は皮をはぐ。薬王菩薩は臂をやく、不軽菩薩は杖木をかうむり、師子尊者は頭をはねられ、提婆菩薩は外道にころさる。此等はいかなりける時ぞやと勘うれば天台大師は適時而已とかかれ、章安大師は取捨得宜不可一向しるされ、法華経は一法なれども機にしたがひ時によりて其行万差なるべし。仏記して云く「我が滅度正像二千年すぎて末法の始に、此法華経の肝心題目の五字計を弘めんもの出来すべし。其時悪王、悪比丘等大地微塵より多くして、或は大乗或は小乗等をもてきそは(競)んほどに、此題目の行者にせめられて、在家の檀那等をかたらひて、或はのり(罵)或はうち(打)或はろう(牢)に入れ或は所領を召し、或は流罪、或は頸をはぬべしなどいふとも、退転なくひろむるほどならば、あだをなすものは、国主はどし打をはじめ、餓鬼のごとく身をくらひ、後には佗国よりせめらるべし。これひとへに梵天、帝釈、日月、四天等の法華経の敵なる国を、佗国より責めさせ給ふなるべし」ととかれて候ぞ。各各我弟子となのらん人人は、一人もをく(臆)しをもわるべからず。をや(親)ををもひ、めこ(妻子)ををもひ、所領をかえりみることなかれ。無量劫よりこのかたをやこ(親子)のため、所領に命すてたる事は大地微塵よりもをほし。法華経のゆへにはいまだ一度もすてず。法華経をばそこばく行ぜしかども、かゝる事出来せしかば退転してやみにき。譬へばゆ(湯)をわかして水に入れ、火を切にとげざるがごとし。各各思ひ切り給へ、此身を法華経にかうる(替)は石に金をかへ糞に米をかうるなり。仏滅後二千二百二十余年が間迦葉、阿難等、馬鳴、龍樹等、南岳、天台等、妙楽、伝教等だにも、いまだひろめ給はぬ法華経の肝心、諸仏の眼目たる妙法華経の五字、末法の始めに一閻浮提にひろませ給ふべき瑞相に日蓮さきがけ(魁)したり。わたうども(和党共)二陣三陣つづきて迦葉、阿難にも勝ぐれ、天台、伝教にもこへよかし。わづかの小鳥のぬしら(主等)がをどさん(威嚇)ををぢ(恐)ては、閻魔王のせめ(責)をばいかんがすべき。仏の御使となのりながらをく(臆)せんは無下の人人なりと申しふくめぬ。さりし程に念仏者、持斎、真言師等自身の智は及ばず訴状も叶はざれば、上郎、尼ごぜん(御前)たちにとりつきて、種種にかまへ申し、故最明寺の入道殿、極楽寺の入道殿を無間地獄に堕ちたりと申し、建長寺、寿福寺、極楽寺、長楽寺、大仏寺等をやきはらへと申し、道隆上人、良観上人等を頸をはねよと申す。御評定になにとなくとも日蓮が罪禍まぬかれがたし、但し上件の事一定申すかと、召し出してたづね(訊)らるべしとて召出されぬ。奉行人の云く、上へのをほせかくのごとしと申せしかば、上件の事一言もたがわず申す。但し最明寺殿、極楽寺殿を地獄という事はそらごとなり。此法門は最明寺殿御存生の時より申せし事なり。詮ずるところは上件の事どもは此国ををもひて申す事なれば、世を安穏にたもたんとをぼさば、彼法師ばらを召合せてきこしめせ。さなくして彼等にかわりて理不尽に失に行はるるほどならば国に後悔ありて、日蓮御勘気をかほら(蒙)ば仏の御使を用ひぬになるべし。梵天、帝釈、日月、四天の御んとがめ(咎)ありて、遠流死罪の後百日一年三月(一本年に作る)七年が内に自界叛逆難とて、此御一門どしうち(同志打)はじまるべし。其後は佗国侵逼難とて四方より、ことには西方よりせめられさせ給ふべし。其時後悔あるべし。平左衛門尉と申し付けしかども、太政の入道のくるひ(狂)しやうに、すこしもはばかる事なく物にくるう。去る文永八年太歳辛未九月十二日御勘気をかほる。其時の御勘気のやうも常ならず法にすぎてみゆ。了行が謀反ををこし、大夫の律師が世をみださんとせしを、めし(召)とられしにもこえたり。平左衛門尉大将として、数百人の兵者にどうまろ(胴丸)きせて、ゑぼし(烏帽子)かけして眼をいからし声をあらうす。大体事の心を案ずるに、太政入道の世をとりながら国をやぶらんとせしにに(似)たり。ただ事ともみへず。日蓮これを見てをもうやう、日ごろ月ごろをもひまうけたりつる事はこれなり。さいわひなるかな法華経のために身をすてん事よ。くさきかうべ(臭頭)をはなたれば、沙に金をかへ石に珠をあきなへる(貿)がごとし。さて平左衛門尉が一の郎従、少輔房と申す者はしりよりて、日蓮が懐中せる法華経第五の巻を取り出して、おもて(面)を三度さいなみ(呵責)て、さんざんとうちちらす。又九巻を兵者ども打ちらして、あるいは足にふみ、あるいは身にまとひ、あるいはいたじき(板敷)たゝみ(畳)等、家の二三間にちらさぬ所もなし。日蓮大高声を放ちて申す、あらおもしろや平左衛門尉がものにくるうを見よ。とのばら(殿原)但今ぞ日本国の柱をたをすとよばわりしかば、上下万人あわてて見へし。日蓮こそ御勘気をかほればをく(臆)して見ゆべかりしに、さわなくしてこれはひがごと(僻事)なりとやをもひけん、兵者どものいろ(色)こそへんじて見へしが、十日並に十二日の間、真言宗の失、禅宗、念仏等、良観が雨ふらさぬ事、つぶさに平左衛門尉にいゐきかせてありしに、或ははとわらひ或はいかりなんどせし事どもは、しげければしるさず。せん(詮)ずるところは六月十八日より七月四日まで、良観が雨のいのり(祈)して日蓮にかかれてふらしかね、あせ(汗)をながしなんだ(涙)のみを下して雨ふらざりし上、逆風ひまなくしてありし事、三度までつかひをつかわして一丈のほり(堀)をこへぬもの、十丈二十丈のほりをこうべきか。いづみしきぶ(和泉式部)がいろごのみ(好色)の見にして、八斎戒にせい(制)せるうた(和歌)をよみて雨をふらし、能因法師が破戒の身としてうたをよみて天雨を下せしに、いかに二百五十戒の人人、百千人あつまりて、七日二七日せめ(責)させ給ふに雨の下らざる上に大風は吹き候ぞ。これをもん(以)て存ぜさせ給へ。各各の往生は叶ふまじきぞとせめられて、良観がなき(泣)し事、人人につきて讒せし事一一に申せしかば、平左衛門尉等かたうど(方人)しかなへ(叶)ずして、つまりふし(詰伏)し事どもはしげければかかず。さては十二日の夜武蔵守殿のあづかりにて夜半に及び、頸を切らんがために鎌倉をいでしに、わかみやこうぢ(若宮小路)にうちつゝみて、四方の兵のうちつゝみてありしかども、日蓮云く、各各さわがせ給ふな、べち(別)の事はなし。八幡大菩薩に最後に申すべき事ありとて、馬よりさしおりて高声に申すやう、いかに八幡大菩薩はまことの神か。和気の清丸(麿)が頸を刎られんとせし時は、長一丈の月と顕れさせ給ひ、伝教大師の法華経をかう(講)ぜさせ給ひし時は、むらさきの袈裟を御布施にさづけさせ給ひき。今日蓮は日本第一の法華経の行者なり。其上身に一分のあやまちなし。日本国の一切衆生の法華経を謗じて無間大城におつべきを、たすけんがために申す法門なり。又大蒙古国よりこの国をせむるならば、天照大神、正八幡とても安穏にはをはすべきか。其上釈迦仏法法華経を説き給ひしかば多宝仏十方の諸仏菩薩あつまりて、日と日と月と月と星と星と鏡と鏡とをならべたるがごとくなりし時、無量の諸天並に天竺、漢土、日本国等の善神、聖人あつまりたりし時、各各法華経の行者にをろか(疎略)なるまじき由の誓状まいらせよとせめられしかば、一一に御誓状を立てられしぞかし。さるにては日蓮が申すまでもなし、いそぎ(急)いそぎこそ誓状の宿願をとげ(遂)させ給ふべきに、いかに此処にはをちあわせ給はぬぞとたかだか(高高)と申す。さて最後には日蓮今夜頸切られて霊山浄土へまいりてあらん時は、まづ天照大神、正八幡こそ起請を用ひぬかみにて候けれと、さしきりて教主釈尊に申し上候はんずるぞ。いたし(痛)とをぼさば、いそぎ(急)いそぎ御計らひあるべしとて又馬にのりぬ。ゆゐ(由井)のはまにうちいでて御りやう(霊)のまへにいたりて又云く、しばしとのばら(殿原)これにつぐ(告)べき人ありとて、中務三郎左衛尉と申す者のもとへ、熊王と申す童子をつかわしたりしかばいそぎいでぬ。今夜頸切れへまかるなり。この数年が間願ひつる事これなり。此娑婆世界にしてきじ(雉)となりし時は、たか(鷹)につかまれ、ねずみ(鼠)となりし時は、ねこにくらわれき。或はめ(妻)に、こ(子)に、かたきに身を失ひし事大地微塵より多し。法華経の御ためには一度だも失ふことなし。されば日蓮貧道の身と生れて父母の孝養心にたらず、国の恩を報ずべき力なし。今度頸を法華経に奉りて其功徳を父母に回向せん。其あまりは弟子檀那等にはぶく(配当)べしと申せし事これなりと申せしかば、左衛門尉兄弟四人馬の口にとりつきて、こしごへ(越越)たつ(龍)の口にゆきぬ。此にてぞあらんずらんとをもうところに、案にたがわず兵士どもうちまわりさわぎしか^ば、左衛門尉申すやう、只今なりとな(泣)く。日蓮申すやう、不かく(覚)のとのばらかな、これほどの悦びをばわらへ(笑)かし。いかにやくそく(約束)をばたがへらるるぞと申せし時、江のしまのかたより月のごとくひかり物、まり(鞠)のやうにて辰巳のかたより戌亥のかたへひかりわたる。十二日の夜のあけぐれ(味爽)人の面もみへざりしが、物のひかり月よ(夜)のやうにて人人の面もみなみゆ。太刀取目くらみたふれ臥し、兵共おぢ怖れけうさめ(興醒)て一町計りはせのき、或は馬よりをりてかしこまり、或は馬の上にてうずくま(蹲踞)れるもあり。日蓮申すやう、いかにとのばら(殿原)、かゝる大に禍なる召人にはとを(遠)のくぞ、近く打よれや打よれやとたかだか(高高)とよばわれども、いそぎよる人もなし。さてよ(夜)あけばいかにいかに、頸切べくわいそぎ切べし、夜明けなばみぐるし(見苦)かりなんとすゝめ(勧)しかども、とかくのへんじ(返事)もなし。はるか計りありて云く、さがみ(相模)のえち(依智)と申すところへ入らせ給へと申す。此は道知る者なし。さきうち(先打)すべしと申せども、うつ人もなかりしかば、さてやすらう(休憩)ふどに、或る兵士の云く、それこそその道にて候へと申せしかば、道にまかせてゆく。午の時計りにえち(依智)と申すところへゆきつきたりしかば、本間の六郎左衛門がいへ(家)に入ぬ。さけ(酒)とりよせてものゝふども(兵士共)にのませてありしかば、各かへるとてかうべ(頭)をうなたれ(低頭)、手をあさへ(叉)て申すやう、このほどはいかなる人にてやをはすらん、我等がたのみ(憑)て候阿弥陀仏を、そしらせ給ふとうけ給はればにくみまいらせて候つるに、まのあたり(親)をがみ(拝)まいらせ候つる事どもを見て候へば、たふとさ(貴)にとしごろ(年頃)申しつる念仏はすて候ぬとて、ひうちぶくろ(火打袋)よりずず(数珠)とりいだしてすつる者あり。今は念仏申さじとせいじやう(誓状)をたつる者もあり。六郎左衛門が郎従等番をばうけとりぬ。さえもんのじょう(左衛門尉)もかへりぬ。其日の戌時計りにかまくら(鎌倉)より、上の御使とてたてぶみ(立文)をもん(以)て来ぬ。頸切れという、かさね(重)たる御使かと、ものゝふども(兵士共)はをもひてありし程に、六郎左衛門が代、右馬のじよう(尉)と申すの者、立ぶみもちてはしり来り、ひざまづひ(跪)て申す、今夜にて候べし、あらあさましやと存じて候つるに、かゝる御悦びの御ふみ来りて候。武蔵守殿は今日卯時にあたみ(熱海)の御ゆ(湯)へにて候へば、いそぎあやなき(無益)事もやと、まづこれへはしりまいりて候と申す。かまくら(鎌倉)より御つかひは二時にはしりて候。今夜のうちにあたみの御ゆへはしりまいるべしとてまかりいでぬ。追状に云く「此人はとがなき人なり。今しばらくありてゆる(赦)させ給べし。あやまち(過)しては後悔あるべし」と云云。(是より以下古来より星下鈔と号し録内十四巻初紙に出づ)其夜は十三日兵士ども数十人、坊の辺り並に大庭になみゐ(並居)て候き。九月十三日の夜なれば月大にはれてありしに、夜中に大庭に立ち出でて月に向ひ奉りて自我偈少少よみ奉り、諸宗の勝劣法華経の文あらあら申して、抑も今の月天は法華経の御座に列りまします名月天子ぞかし。宝塔品にして仏勅をうけ給ひ、嘱累品にして仏に頂をなでられまいらせ、「如世尊勅当具奉行」と誓状をたてし天ぞかし。仏前の誓は日蓮なくんば虚くてこそをわすべけれ。今かゝる事出来せばいそぎ悦びをなして、法華経の行者にもかはり仏勅をもはたして、誓言のしるし(験)をばとげさせ給べし。いかに今しるしのなきは不思議に候ものかな。何なる事も国になくしては鎌倉へもかへらんとも思はず。しるしこそなくともうれしがを(嬉顔)にて澄渡らせ給ふはいかに。大集経には「日月不現明」ととかれ、仁王経には「日月失度」とかかれ、最勝王経には「三十三天各生慎恨」とこそ見え侍るに、いかに月天いかに月天とせめしかば、其しるしにや天より明星の如くなる大星下りて、前の梅の木の枝にかかりてありしかば、ものゝふども(兵士共)皆ゑん(椽)よりとびをり、或は大庭にひれふし或は家のうしろへにげぬ。やがて即ち天かきくもりて大風吹き来て、江の島のなるとて空のひびく事大なるつづみを打がごとし。明れば十四日卯時に十郎入道と申すもの来りて云く、昨日の夜の戌の時計りにかうどの(守殿)に大なるさわぎあり。陰陽師を召して御うらなひ候へば、申せしは大に国みだれ候べし、此の御房御勘気もゆへなり。いそぎいそぎ(急急)召しかえさずんば、世の中いかが候べかるらんと申せば、ゆり(許)させ給へ候と申す人もあり。又百日の内に軍あるべしと申しつればそれを待つべしとも申す。依智にして二十余日、其間鎌倉に或は火をつくる事七八度、或は人をころす事ひまなし。讒言の者の云く、日蓮が弟子共の火をつくるなりと。さもあるらんとて日蓮が弟子等を鎌倉に置くべからずとて、二百六十余人にしるさる、皆遠島へ遣すべし。ろう(牢)にある弟子共をば頸をはねらるべしと聞ふ。さる程に火をつくる者は、持斎、念仏者が計事なり。其由はしければかかず。同十月十日に依智を立つて同十月二十八日に佐渡の国へ著ぬ。十一月一日に六郎左衛門が家のうしろ(後)みの家より塚原と申す山野の中に、洛陽の蓮台野のやうに死人を捨つる所に、一間四面なる堂の仏もなし。上はいたま(板間)あはず四壁はあばらに、雪ふりつもり(降積)て消ゆる事なし。かゝる所に所持し奉る釈迦仏を立まいらせ、しきがは(敷皮)打しき、蓑うちきて夜をあかし日をくらす。夜は雪、雹、雷電ひまなし。昼は日の光もささせ給はず、心細かるべきすまゐ(住居)なり。彼の李陵が胡国に入りてがんかうくつ(巌崛)にせめられし、法道三蔵の徽宗皇帝にせめられて面にかやなき(火印)をさされて、江南にはなたれ(放)しも只今とおぼゆ。あらうれしや檀王は阿私仙人にせめられて法華経の功徳を得給ひき。不軽菩薩は上慢の比丘等の杖にあたりて一乗の行者といはれ給ふ。今日蓮は末法に生れて妙法蓮華経の五字を弘めてかゝるせめ(責)にあへり。仏滅度後二千二百余年が間、恐らくは天台智者大師も「一切世間多怨難信」の経文をば行じ給はず。数数見擯出の明文は但日蓮一人なり。「一句一偈、我皆与授記」は我なり。「阿耨多羅三藐三菩提」は疑ひなし。相模守殿こそ善知識よ。平左衛門こそ提婆達多よ。念仏者は瞿伽利尊者、持斎等は善星比丘。在世は今にあり、今は在世なり。法華経の肝心は諸法実相ととかれて本末究竟等とのべ(宣)られて候は是なり。摩訶止観第五に云く「行解既に勤めぬれば三障四魔粉然として競ひ起る」文。又云く「猪の金山を摺り、衆流の海に入り、薪の火を熾にし、風の求羅を益すが如きのみ」等云云。釈の心は法華経を教のごとく機に叶ふて解行すれば七の大事出来す。其中に天子魔とて第六天の魔王、或は国王、或は父母、或は妻子、或は檀那、或は悪人等について、或は随つて法華経の行者をさえ(支)或は違してさう(支)べき事なり。何れの経をも行ぜよ、仏法を行ずるには分分に随つて留難あるべし。其中に法華経を行ずるには強盛にさうべし。法華経ををしへの如く時機に当つて説き行ずるには殊に難あるべし。故に弘決の八に云く「若し衆生生死を出でず仏乗を慕はずと知れば、魔是の人に於て猶親の想を生す」等云云。釈の心は人善根を修すれども念仏、真言、禅、律等の行をなして法華経を行ぜざれば、魔王親のおもひをなして人間につきて其人をもてなし供養す。世間の人に実の僧と思はせんがためなり。例せば国主のたとむ(貴)僧をば諸人供養するが如し。されば国主等のかたきにするは既に正法を行ずるにてあるなり。釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ。今の世間を見るに人をよくなすものは、かたうど(方人)よりも強敵が人をばよくなしけるなり、眼前に見えたり。此鎌倉の御一門の御繁昌は義盛と隠岐の法皇ましまさずんば、争か日本の主となり給ふべき。されば此人人は此御一門の御ためには第一のかたうどなり。日蓮が仏にならん第一のかたうどは景信、法師には良観、道隆。道阿弥陀仏と平左衛門尉、守殿ましまさずんば、争か法華経の行者とはなるべきと悦ぶ。かくてすごす程に、庭には雪つもりて人もかよはず、堂にはあらき風より外はをとづるる(訪)ものなし。眼には止観、法華をさらし、口には南無妙法蓮華経と唱へ、夜は月星に向ひ奉りて諸宗の違目と、法華経の深義を談ずる程に年もかへりぬ。いづく(何処)も人の心のはかなさは、佐渡の国の持斎、念仏者の唯阿弥陀仏、生喩房、印性房、慈道房等の数百人寄合ひて僉議すと承る。聞及べる阿弥陀仏の大怨敵、一切衆生の悪知識の日蓮房此国にながされたり。なにとなくとも此国へ流されたる人の始終、いけ(活)らるる事なし。設ひいけ(活)らるるともかへ(帰る)る事なし。又打ころしたれども御とがめ(咎)なし。塚原と云ふ所に只一人あり。いかにがう(剛)なりとも、力つよく(強)とも、人なき処なれば集りていころせ(射殺)かしと云ふものありけり。又なにとなくとも頸を切らるべかりけるが、守殿の御台所の御懐妊(姙)なればしばらくきられず、終には一定ときく。又云く、六郎左衛門尉殿に申してきらずんばはからう(謀)べしと云ふ。多くの義の中にこれについて守護所に数百人集りぬ。六郎左衛門尉の云く、上より殺しまいすざまじき副状下りて、あなづる(蔑)べき流人にはあらず、あやまちあるならば重連が大なる失なるべし。それよりは只法門にてせめ(攻)よかしと云ひければ、念仏者等或は浄土の三部経、或は止観、或は真言等を、小法師が頸にかけさせ或はわき(腋)にはさ(挟)ませて正月十六日にあつまる。佐渡の国のみならず、越後、越中、出羽、奥州、信濃等の国国より集れる法師等なれば、塚原の堂の大庭山野に数百人、六郎左衛門尉兄弟一家、さならぬもの、百姓の入道等、かずをしらず集りたり。念仏者は口口に悪口をなし、真言師は面面に色を失ひ、天台宗ぞ勝つべきよしをのゝしる。在家の者どもは聞ふる阿弥陀仏のかたきよとのゝしり、さわぎひびく事震動雷電の如し。日蓮は暫くさはがせて後、各各しづまらせ給へ。法門の御為にこそ御渡りあるらめ、悪口等よしなしと申せしかば、六郎左衛門を始めて諸人然るべしとて、悪口せし念仏者をばそくび(素首)をつきいだしぬ。させ止観、真言、念仏の法門一一にかれが申す様を、でつしあげ(牒楊)て承伏せさせては、ちやう(丁)とはつめつめ(詰詰)一言二言にはすぎず。鎌倉の真言師、禅宗、念仏者、天台の者よりもはかなきものどもなれば、只思ひやらせ給へ。利剣をもてうり(瓜)をきり大風の草をなびかす(靡)が如し。仏法のおろか(疎漏)なるのみならず或は自語相違し、或は経文をわすれて論と云ひ釈をわすれて論と云ふ。善導が柳より落ち、弘法大師の三鈷を投たる、大日如来と現じたる等をば、或は妄語或は物にくるへる処を一一にせめたるに、或は悪口し或は口を閉ぢ或は色を失ひ、或は念仏ひが(僻)事なりけりと云ふものもあり。或は当座に袈裟、平念珠をすてて念仏申すまじきよし、誓状を立る者もあり。皆人立ち帰る程に六郎左衛門尉も立ち帰る。一家の者も返る。日蓮不思議一つ云はんと思ひて、六郎左衛門尉を大庭よりよび返して云く、いつか鎌倉へのぼり給ふべき。かれ答へて云く、下人共に農せさせて七月の比と云云。日蓮云く、弓箭とる者はをゝやけ(公)の御大事にあひて所領をも給はり候をこそ、田畠つくるとは申せ、只今いくさ(軍)のあらんずるに急ぎうちのぼり高名して所知を給はらぬか。さすがに和殿原はさがみ(相模)の国には名ある侍ぞかし。田舎にて田つくりいくさ(軍)にはづれ(外)たらんは、耻なるべしと申せしかば、いかにや思ひげ(気)にてあはて(急遽)てものもいはず。念仏者、持斎、在家の者どももなにと云ふ事ぞやと恠しむ。さて皆帰りしかば去年の十一月より勘へたる開目抄と申す文二巻造りたり。頸切らるるならば日蓮が不思議とどめんと思ひて勘へたり。此文の心は日蓮によりて日本国の有無はあるべし。譬へば宅に柱なければもたず、人に魂なければ死人なり。日蓮は日本の人の魂なり。平左衛門既に日本の柱をたをし(倒)ぬ。只今世乱れてそれとなくゆめの如くに妄語出来して、此の御一門どしうち(同志打)して後には佗国よりせめらるべし。例せば立正安国論に委しきが如し。かやうに書き付けて中務三郎左衛門尉が使にとらせぬ。つきたる弟子等もあらぎ(強義)かなと思へども力及ばざりげにてある程に、二月の十八日に島に船つく。鎌倉に軍あり、京にもあり、そのやう申す計りなし。六郎左衛門尉其夜るにはやふね(早舟)をも(以)て一門相具してわたる。日蓮にたな心(掌)を合せてたすけさせ給へ。去る正月十六日の御言、いかにやと此程疑ひ申しつるに、いくほどなく三十日が内にあひ候ぬ。又蒙古国も一定渡り候なん。念仏無間地獄も一定にてぞ候はんずらん。永く念仏申し候まじと申せしかば、いかに云ふとも相模守殿等の用ひ給はざらんには日本国の人用ゆまじ、用ゐずば国必ず亡ぶべし。日蓮幼若の者なれども法華経を弘むれば釈迦仏の御使ぞかし。わづかの天照大神、正八幡なんどと申すは、此国には重んずけれども梵釈、日月、四天に対すれば小神ぞかし。されども此神人なんどをあやまち(過)ぬれば、只の人を殺せるには七人半なんど申すぞかし。太政入道、隠岐の法皇等のほろび給ひしは是なり。此はそれにはに(似)るべくもなし。教主釈尊の御使なれば天照大神、正八幡宮も頭をかたぶけ(傾)手を合せて地に伏し給ふべき事なり。法華経の行者をば梵釈左右に侍り、日月前後を照し給ふ。かゝる日蓮を用ひぬるとも、あしくうやま(敬)はば国亡ぶべし。何に況や数百人ににく(憎)ませ二度まで流しぬ。此国の亡びん事疑ひなかるべけれども、且く禁をなして国をたすけ給へと、日蓮がひかうればこそ今までは安穏にありつれども、はう(法)に過ぐれば罰あたりぬるなり。又此度も用ひずば大蒙古国より打手を向けて日本国ほろぼさるべし。ただ平左衛門尉が好むわざわひなり。和殿原とても此島とても安穏なるまじきなりと申せしかば、あさましげにて立ち帰りぬ。さて在家の者ども申しけるは、此御坊は神通の人似てましますか、あらおそろしおそろし。今は念仏者をもやしなひ(養)持斎をも供養すまじ。念仏者良観が弟子の持斎等が云く、御坊は謀反の内に入りたりけるか。さて且くありて世間しずまる。又念仏者集り僉議す。かう(斯)てあらんには我等かつえしぬ(餓死)べし、いかにもして此法師を失はばや、既に国の者も大体つきぬいかんがせん。念仏者の長者の唯阿弥陀仏、持斎の長者の性諭房、良観が弟子の道観等、鎌倉に走り登りて武蔵守殿に申す。此御坊島に候ものならば堂塔一宇も候べからず、僧一人も候まじ。阿弥陀仏をば或は火に入れ或は河にながす。夜もひるも高き山に登りて、日月に向つて大音声を放つて上を呪咀し奉る。其音声一国に聞ふと申す。武蔵の前司殿是をきき上へ申すまでもあるまじ。先国中のもの日蓮房につくならば、或は国をおひ(逐)或はろう(牢)に入れよと私の下知を下す。又下文下る。かくの如く三度。其間の事申さざるに心をも(以)て計りぬべし。或は其前をとをれり(通行)と云ふてろう(牢)に入れ、或は其御坊に物をまいらせ(進)けりと云ふて国をおひ、或は妻子をとる(捕)。かくの如くして上へ此由を申されければ、案に相違して去る文永十一年二月十四日の御赦免の状、同三月八日に島につきぬ。念仏者等僉議して云く、此れ程の阿弥陀仏の御敵、善導和尚、法然上人をのる(罵)ほどの者が、たまたま御勘気を蒙りて此島に放されたるを、御赦免あるとていけ(活)て帰さんは、心うき(憂)事なりと云ふてやうやうの支度ありしかども、何なる事にやありけん、思はざるに順風吹き来りて島をばたちしかば、あはい(間合)あしければ百日五十日にもわたらず。順風には三日なる所を須臾の間に渡りぬ。越後のこう(国府)、信濃の善光寺の念仏者、持斎、真言等は雲集して僉議す。島の法師原は今までいけ(活)てかへす(還)は、人かつたい(乞丐)なり。我等はいかにも生身の阿弥陀仏の御前をばとをす(通)まじと僉議せしかども、又越後のこう(国府)より兵者どもあまた日蓮にそひて善光寺をとをりしかば力及ばず、三月十三日に島を立ちて、同三月二十六日に鎌倉へ打入りぬ。同四月八日平左衛門尉に見参しぬ。さき(前)にはにるべくもなく威儀を和げてただし(正)くする上、或人道は念仏をとふ、或俗は真言をとふ、或人は禅をとふ。平左衛門尉は爾前得道の有無をとふ。一一に経文を引ひて申す。平左衛門尉は上の御使の様にて、大蒙古国はいつか渡り候べきと申す。日蓮答へて云く、今年は一定なり。それにとつては日蓮已前より、勘へ申すをば御用ひなし。譬へば病の起りを知らざらん人の病を治せば弥よ病は倍増すべし。真言師だにも調伏するならば弥よ此国軍にまく(負)べし。穴賢、穴賢。真言師総じて当世の法師等をもて御いのり(祈)あるべからず。各各は仏法をしらせ給ふておわすにこそ申すともしらせ給はめ。又何なる不思議にやあるらん、佗(他)事にはことにして日蓮が申す事は御用ひなし。後に思ひ合せさせ奉らんが為に申す。隠岐の法皇は天子なり、権大夫殿は民ぞかし。子の親をあだまんをば天照大神うけ給ひなんや。所従が主君を敵とせんをば正八幡は御用ひあるべしや。いかなりければ公家はまけ給ひけるぞ。此は偏に只事にはあらず。弘法大師の邪義、慈覚大師、智証大師の僻見をまことと思ひて、叡山、東寺、園城寺の人人の鎌倉をあだみ給ひしかば還著於本人とて其失還つて公家はまけ給ひぬ。武家は其事知らずして調伏も行はざればかちぬ。今又かくの如くなるべし。ゑぞ(蝦夷)は死生不知のもの、安藤五郎は因果の道理を弁へて堂塔多く造りし善人なり。いかにとして頸をばゑぞ(蝦夷)にとられぬるぞ。是をもて思ふに此御坊たちだに御祈あらば、入道殿事にあひ給ひぬと覚え候。あなかしこあなかしこ。さい(左云)はざりけるとおほせ候なとしたゝか(剛強)に申付け候ぬ。(是より已下古来、法印祈雨鈔と号し録内二十三巻初紙に出づ)さてかへり(帰)きき(聞)しかば、同四月十日より阿弥陀堂法印に仰付られて雨の御いのりあり。此法印は東寺第一の智人、をむろ(御室)等の御師、弘法大師、慈覚大師、智証大師の真言の秘法を鏡にかけ、天台、華厳等の諸宗をみな胸にうかべたり。それに随ひて十日よりの祈雨に十一日に大雨下りて風ふかず、雨しづかにて一日一夜ふりしかば、守殿御感のあまりに金三十両むまやうやう(馬様様)の御ひきで(引出)物ありときこふ。鎌倉中の上下万人手をたゝき口をすくめ(蹙)てわらう(笑)やうは、日蓮ひが(僻)法門申してすでに頸をきられんとせしが、とかう(左右)してゆり(許)たらば、さではなくして念仏、禅をそしるのみならず、真言の密教なんどをもそしるゆへに、かゝる法のしるし(験)めでたしとのゝしりしかば、日蓮が弟子等けうさめ(興醒)てこれは御あら義と申せし程に、日蓮が申すやうは、しばしまて(少時待)弘法大師の悪義まことにて国の御いのり(祈)となるべくは、隠岐の法皇こそいくさ(戦)にかち給はめ。をむろ(御室)最愛の児、せいたか(勢多迦)も頸をきられざるらん。弘法の法華経を華厳経にをとれり(劣)とかける状は、十住心論と申す文にあり。寿量品の釈迦仏をば凡夫なりとしるされ(記)たる文は秘蔵宝鑰に候。天台大師をぬす(盗)人とかける状は二教論あり。一乗法華経をとける仏をば真言師、はきものとり(履物取)にも及ばずとかける状は、正覚房が舎利講の式にあり。かゝる僻事を申す人の弟子阿弥陀堂の法印が日蓮にかつ(勝)ならば、龍王は法華経のかたきなり。梵釈四王にせめられなん。子細ぞあらんずらんと申せば弟子どものいはく、いかなる子細のあるべきぞと、をこつき(嘲笑)し程に日蓮云く、善無畏も不空も雨のいのりに雨はふりたりしかども、大風吹きてありけるとみゆ。弘法は三七日すぎて雨をふらしたり。此等は雨ふらさぬがごとし。三七二十一日にふらぬ雨やあるべき。設ひふりたりともなんの不思議かあるべき。天台のごとく千観なんどのごとく、一座なんどこそたうと(尊)けれ。此は一定やう(様)あるべしといゐもあはせず大風吹き来る。大小の舎宅、堂塔、古木、御所等を、或は天に吹きのぼせ或は地に吹きいれ、そらには大なる光物とび地には棟梁みだれたり。人人をもふきころし(吹殺)、牛馬をゝく(多)たふれ(斃)ぬ。悪風なれども秋は時なればなほゆる(許)すかたもあり、此は夏四月なり。其上日本国にはふかず。但関東八箇国なり。八箇国にも武蔵、相模の両国なり。両国の中には相州につよくふく。相州にもかまくら(鎌倉)、かまくらにも御所若宮、建長寺、極楽寺等につよくふけり。ただ事ともみへずひとへにこのいのりのゆへにやとをぼへて、わらひ口すくめせし人人もけふさめ(興醒)てありし上、我弟子どももあら不思議やと舌をふるう。本よりご(期)せし事なれば、三度国をいさめ(諌)んに、もちゐ(用)ずば国をさるべしと。されば同五月十二日にかまくらをいでて此山に入り、同十月に大蒙古国よせて、壱岐、対馬の二箇国を打取らるるのみならず、太宰府もやぶれて少弐入道、大友等ききにげ(聞逃)ににげ、其外の兵者ども其事ともなく大体打たれぬ。又今度よせるならば、いかにも此国よはよは(弱弱)と見ゆるなり。仁王教には「聖人去時七難必起」等云云。最勝王教に云く「由愛敬悪人治罰善人故、(乃至)佗方怨賊来国人遭喪乱」等云云。仏説まことならば此国に一定悪人のあるを、国主たつとませ(貴)給ひて、善人をあだませ給ふにや。大集教に云く「日月不現明四方皆亢早、如是不善業悪王悪比丘毀壌我正法」云云。仁王教に云く「諸悪比丘多求名利於国王太子王子前、自説破仏法因縁破国因縁、其王不別信聴此語、是為破仏法破国因縁」等云云。法華経に云く「濁世悪比丘」等云云。経文まことならば此国に一定悪比丘のあるなり。夫れ宝山には曲林をき(伐)る、大海には死骸をとどめず。仏法の大海、一乗の宝山には五逆の瓦礫、四重の濁水をば入るれども誹謗の死骸と一闡提の曲林をばをさめざるなり。されば仏法を習はん人、後世をねがはん人は法華誹謗をおそるべし。皆人をぼするやうはいかでか弘法、慈覚等をそしる人を用ゆべきと、佗人はさてをきぬ。安房国の東西の人人は此事を信ずべきなり。眼前の減証あり。いのもりの円頓房、清澄の西尭房、道義房、かたうみの実智房等はたうと(貴)かりし僧ぞかし。是等の臨終はいかんがありけんと尋ぬべし。これらはさてをきぬ。円智房は清澄の大堂にして三箇年が間、一字三体の法華経を我とかきたてまつりて十巻をそら(諳)にをぼへ、五十年が間一日一夜に二部つづよまれしぞかし。かれをば皆人は仏になるべしと云云。日蓮こそ念仏者よりも道義房と円智房とは無間地獄の底にをつべしと申したりしが、此人人の御臨終はよく候けるかいかに。日蓮なくば此人人をば仏になりぬらんとこそをぼすべけれ。これをもつてしろしめ(知食)せ。弘法、慈覚等はあさましき事どもはあれども、弟子ども隠せしかば公家にもしらせ給はず。末の代はいよいよあをぐ(仰)なり。あらはす人なくば未来永劫までもさであるべし。拘留外道は八百年ありて水となり、迦毘羅外道は一千年すぎてこそ其失はあらわれしか。夫れ人身をうくる事は五戒の力による。五戒を持てる者をば二十五の善神これをまほる(守)上、同生同名と申して二の天生れしよりこのかた、左右のかた(肩)に守護するゆへに、失なくて鬼神あだむことなし。しかるに此国の無量の諸人なげきをなすのみならず、ゆき(壱岐)つしま(対馬)の両国の人皆事にあひぬ。太宰府又申すばかりなし。此国はいかなるとがのあるやらん。しら(知)まほゝしき(欲)事なり。一人二人こそ失もあるらめ。そこばく(若干)の人人いかん。これひとへに法華経をさぐ(下)る弘法、慈覚、智証等の末の真言師、善導、法然が末の弟子等、達麿等の人人の末の者ども国中に充満せり。故に梵釈四天等の法華経の座の誓状のごとく、頭破作七分の失にあてらるるなり。疑つて云く、法華経の行者をあだむ者は頭破作七分ととかれて候に、日蓮房をそしれども頭もわれぬは、日蓮房は法華経の行者にはあらざるかと、申すは道理なりとをぼへ候はいかん。答へて云く、日蓮を法華経の行者にてなしと申さば、法華経をなげすて(抛)よとかける法然等、無明の辺域としるせる弘法大師、理同事勝と宣たる善無畏、慈覚等が法華経の行者にてあるべきか。又頭破作七分と申す事はいかなる事ぞ。刀をもてきるやうにわる(破)るとしれるか。経文には「如阿梨樹枝」とこそとかれたれ。人の頭に七滴あり。七鬼神ありて一滴食へば頭をいたむ、三滴食へば寿絶えんとす。七滴皆食へば死するなり。今の世の人人は皆頭阿梨樹の枝のごとくにわれたれども、悪業ふかくしてしらざるなり。例せばてをい(手負)たる人の或は酒にゑひ、或はね(寝)いりぬればをぼへざるが如し。又頭破作七分と申すは或は心破作七分と申して、頂の皮の底にある骨のひびたふ(響破)るなり。死ぬる時はわるる事もあり。今の世の人人は去る正嘉の大地震、文永の大彗星に皆頭われて候なり。其頭のわれし時せひぜひやみ(喘息)、五臓の損ぜし時あかき(赤痢)腹をやみしなり。これは法華経の行者をそしりしゆへにあたり(当)し罰とはしらずや。(是より已下録内二〇巻三十六紙光日鈔の末文二四〇余字を以て改めて此章の段落となす)されば鹿は味ある故に人に殺され、亀は油ある故に命を害せらる。女人はみめ(眉目)形よければ嫉む者多し。国を治むる者は佗国の恐れあり、財ある者は命危ふし。法華経を持つ者は必ず成仏し候。故に第六天の魔王と申す三界の主、此経を持つ人をば強ちに嫉み候なり。此魔王疫病の神の目にも見えずして人に付き候やうに、古酒に人の酔候如く、国主、父母、妻子に付て法華経の行者を嫉むべしと見えて候。少しも違はざるは当時の世にて候。日蓮は南無妙法蓮華経と唱ふる故に、二十余年所を追はれ二度まで御勘気を蒙り、最後には此山にこも(籠)る。此山の体たらくは、西は七面の山、東は天子のたけ(岳)、北は身延の山、南は鷹取の山。四の山高きこと天に付き、さがしきこと飛鳥もとびがたし。中に四の河あり。所謂富士河、早河、大白河、身延河なり。其中に一町ばかり間の候に庵室を結びて候。昼は日をみず夜は月を拝せず、冬は雪深く夏は草茂り、問ふ人希なれば道をふみ(踏)わくることかたし。殊に今年は雪深くして人問ふことなし。命を期として法華経計りをたのみ奉り候に、御音信ありがたく候。しらず釈迦仏の御使か、過去の父母の御使かと申すばかりなく候。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
(啓三〇ノ七〇。鈔一八ノ六。語三ノ五六。記下ノ二四。拾五ノ五三。扶一一ノ五二。)

#0177-200 上野殿御返事 建治元(1275.05・03) [p0987]
上野殿御返事(上野第四書)
     建治元年五月。五十四歳作。与上野太郎書
     外八ノ一一。遺一八ノ一。縮一一七三。類九三六。

 さつきの二日にいも(芋)のかしらいし(石)のやうにほされ(乾)て候を一駄、ふじ(富士)のうへの(上野)よりみのぶ(身延)の山へをくり給て候。仏の御弟子にあなりち(阿那律)と申せし人は、天眼第一のあなりちとて十人の御弟子のその一。迦葉、舎利弗、目蓮、阿難にかた(肩)をならべし人也。この人のゆらひ(由来)をたづねみれば、師子頬王と申せし国王の第二の王子にこくぼん(斛飯)王と申し人の御子。釈迦如来のいとこ(従弟)にておはしましき。この人の御名三候。一には無貧、二には如意、三にはむれう(無?)と申す。一一にふしぎの事候。昔うえ(飢)たるよ(世)にりだそんじや(利咤尊者)と申せしたうとき(貴)辟支仏ありき。うえたるよに七日とき(斎)もならざりけるが、山里にれうし(猟師)の御器に入て候けるひえ(稗)のはん(飯)をこひてならせ給ふ。このゆへにこのれうし(猟師)現在には長者となり、のち九十一劫が間人中天上にたのしみをうけて、今最後にこくぼん(斛飯)王の太子とむまれ(生)させ給ふ。金のごき(御器)にはん(飯)とこしなへ(永久)にたえ(絶)せず。あらかん(阿羅漢)とならせ給ふ。御眼三千大千世界を一時御らんありていみじくをはせしが、法華経第四の巻にして普明如来と成べきよし仏に仰をかほらせ(蒙)給き。妙楽大師此事を釈して云く「稗飯軽しと雖も所有を尽し及び田勝るゝを以ての故に故に勝報を得る」と云云。釈の心かろきひえのはんなれども、此よのほかにはもた(持)ざりしをたうと(貴)き人のうえておはせしに、まいらせてありしゆへにかゝるめでたき人となると云云。此身のぶ(延)のさわは石なんどはおほく候。されどもかゝるものなし。その上夏のころなれば民のいとまも候はじ。又御造営と申し、さこそ候らんに山里の事ををもひやらせ(思遺)給てをくりたび(送給)て候。所詮はわがをや(我親)のわかれ(別)をしさ、父の御ために釈迦仏法華経へまいらせ給にや。孝養の御心か、さる事なくば梵王、帝釈、日月、四天その人の家をすみか(栖)とせんとちか(誓)はせ給て候は、いふにかひなきものなれども、約束と申事はたがへぬ事にて候に、さりともこの人人はいかでか仏前の御約束をばたがへさせ給べき。もし此事まことになり候はば、わが(我)大事とをもはん人人のせいし(制止)候。又おほきなる難来るべし。その時すでに此事かなう(叶)べきにやとおぼしめして、いよいよ強盛なるべし。さるほどならば聖霊仏になり給べし。成給ふならば来てまほり(守)給べし。其時一切は心にまかせんずるなり。かへすがへす人のせいし(制止)あらば、心にうれしく(嬉)おぼすべし。恐恐謹言。
  五月三日                       日蓮花押
 上野殿御返事
(微上ノ二一。考三ノ四四。)

#0184-200 浄蓮房御書 建治元(1275.06・27) [p1072]
浄蓮房御書(各別書)
     建治元年六月。五十四歳作。
     内一九ノ二七。遺一九ノ一〇。縮一二六一。類一六一四。

 細美帷一送り給候畢ぬ。善導和尚と申す人は漢土に臨?と申国の人也。幼少の時密州と申す国の明勝と申す人を師とせしが、彼の僧は法華経と浄名経を尊重して、我も読誦し人をもすゝめしかば善導に此を教ゆ。善導此を習ひて師の如く行ぜし程に過去の宿習にや有けん。案じて云く「仏法には無量の行あり、機に随て皆利益あり。教いみじといへども機にあたらざれば虚きがごとし。されば我法華経を行ずるは我が機に叶はずばいかんが有べかるらん。教には依べからず」と思て一切経蔵に入り、両眼を閉て経をとる。観無量寿経を得たり。披見すれば此経に云く「為未来世為煩悩賊之所害者説清浄業」等云云。華厳経は二乗のため、法華経、涅槃経等は五乗にわたれどもたいし(大旨)は聖人のためなり。末法の我等が為なる経は唯観経にかぎれり。釈尊最後の遺言には涅槃経にはすぐべからず。彼経には七種の衆生を列たり。第一は入水則没の一闡提人也。生死の水に入しより已来いまに出ず。譬へば大石を大海に投入たるがごとし。身重して浮ぶことを習はず、常に海底に有り。此を常没と名く。第二をば出已復没と申す。譬へば身に力有とも浮ぶことをならはざれば出で已て復入ぬ。此は第一の一闡提の人には有ねども一闡提のごとし。又常没と名く。第三は出已不没と申す、生死の河を出でてよりこのかた没することなし。此は舎利弗等の声聞なり。第四は出已即住。第五は観方。第六は浅処。第七到彼岸等也。第四、第五、第六、第七は縁覚、菩薩也。釈迦如来世に出させ給て一代五時の経経を説給ひて、第三已上の人人を救ひ給ひ畢ぬ。第一は捨させ給ぬ。法蔵比丘、阿弥陀仏此をうけとて四十八願を発して迎とらせ給ふ。十方三世の仏と釈迦仏とは第三已上の一切衆生を救ひ給ふ。あみだ(阿弥陀)仏は第一、第二を迎とらせ給ふ。而に今末代の凡夫は第一、第二に相当れり。而を浄影大師、天台大師等の佗宗の人師は此事を弁へずして、九品の浄土に聖人も生ると思へり。?が中の?也。一向末代の凡夫の中に上三品は遇大始て大乗に値へる凡夫。中三品は遇小始て小乗に値へる凡夫。下三品は遇悪、一生造悪、無間非法の荒凡夫。臨終の時始て上の七種の衆生を弁へたる智人に行きあいて、岸上の経経をうちすてて水に溺るゝの機を救はせ給ふ。観経の下品、下生の大悪業に南無阿弥陀仏を授たり。されば我一切経を見るに法華経等は末代の機には千中無一也。第一、第二の我等衆生は第三已上の機の為に説れて候。法華経等を末代に修行すれば身は苦んで益なしと申て、善導和尚は立所に法華経を抛すてて観経を行ぜしかば三昧発得して、阿弥陀仏に見参して重て此法門を渡し給ふ、四帖の疏是也。導の云く「然るに諸仏の大悲は苦なる者に於て心偏に常没の衆生を愍念す。是を以て勧めて浄土に帰せしむ。亦水に溺るゝの人の如く急に須く偏に救ふべし。岸上の者何ぞ用て済ふことをなさん」と云云。又云く「深心と言へるは即ち是深信の心也。亦二種有り、一には決定して自身は現に是罪悪生死の凡夫なり。昿劫より已来常に没し常に流転して出離の縁有ること無しと深信す」。又云く「二には決定して彼の阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受したまふこと疑ひ無く慮り無く、彼の願力に乗ずれば定んで往生を得ると深信す」云云。此の釈の心は上にかき顕して候。浄土宗の肝心と申は此也。我等末代の凡夫は涅槃経の第一第二也。さる時に釈迦仏の教には「無有出離之縁」。法蔵比丘の本願にては「定得往生と知るを三心の中の深心とは申す也」等云云。此又導和尚の私義には非ず。綽禅師と申せし人の涅槃経を二十四反かう(講)ぜしが、曇鸞法師の碑の文を見て立所に涅槃経を捨てて観経に遷て後、此法門を導には教て候也。鸞法師と申せし人は斉の代の人也。漢土にては時に独歩の人也。初には四論と涅槃経とをかうぜしが、菩提流支と申す三蔵に値ひて四論、涅槃を捨て観経に遷りて往生をとげし人也。三代が間伝へて候法門也。漢土、日本には八宗を習ふ智人正法すでに過て像法に入りしかば、かしこき人人は皆自宗を捨てて浄土念仏に遷りし事此也。日本国のいろはは天台山の恵心の往生要集此也。三論の永観が十因往生講式、此等皆此法門をうかがい得たる人人也。法然上人亦爾也云云。日蓮云く、此義を存ずる人人等も但恒河の第一第二は一向浄土の機と云云。此此法門の肝要か。日蓮涅槃経の三十二、三十六を開き見るに、第一は誹謗正法の一闡提、常没大魚と名けたり。第二は又常没、其第二の人を出さば提婆達多、瞿伽利、善星等也。此は誹謗五逆の人人なり。詮する所第一、第二は謗法と五逆也。法蔵比丘の「設ひ我仏を得んに十方衆生至心に信楽して我国に生れんと欲し、乃至十念して若生ぜずんば正覚を取らじ。唯五逆と誹謗正法とを除く」云云。此願の如きんば法蔵比丘は恒河の第一第二を捨はててこそ候ぬれ。導和尚の如くならば末代の凡夫阿弥陀仏の本願には千中無一也。法華経の結経たる普賢経には五逆と誹謗正法は一乗の機と定給ひたり。されば末代の凡夫の為には法華経は十即十生百即百生也。善導和尚が義に付て申す詮は私案にはあらず。阿弥陀仏は無上念王たりし時娑婆世界は已にすて給ぬ。釈迦如来は宝海梵志として此の忍土を取給畢ぬ。十方の浄土には誹謗正法と五逆と一闡提とをば迎べからずと、阿弥陀仏、十方の仏誓給ひき。宝海梵志の願に云く「即ち十方浄土の擯出の衆生を集めて我当に之を度すべし」云云。法華経に云く「唯我一人能為救護」等云云。唯我一人の経文は堅きやうに候へども釈迦如来の自義にはあらず。阿弥陀仏等の諸仏我と娑婆世界を捨しかば、教主釈尊唯我一人と誓てすでに娑婆世界に出給ぬる上はなにをか疑ひ候べき。鸞、綽、導、心、観、然等の六人の人人は智者也。日蓮は愚者也。非学生也。但上の六人は何の国の人ぞ、三界の外の人か六道の外の衆生歟。阿弥陀仏に値奉りて出家受戒して沙門となりたる僧歟。今の人人は将門、純友、清盛、義朝等には種性も及ばず威徳も足らず。心のかうさ(剛)は申ばかりなけれども朝敵となりぬれば、其人ならざる人人も将門か純友かと舌にうちからみ(?)て申ども彼の子孫等もとがめず。義朝なんど申は故右大将家の慈父也。子を敬ひまいらせば父をこそ敬ひまいらせ候べきに、いかなる人人も義朝、為朝なんど申すぞ。此則ち王法の重く逆臣の罪のむくい(報)也。上の六人又かくのごとし。釈迦如来世に出させ給て一代の聖教を説をかせ給ふ。五十年の説法を我と集て浅深勝劣、虚妄真実を定て四十余年は「未顕真実已今当第一」等と説せ給しかば、多宝、十方の仏、真実なりと加判せさせ給て定めをかれて候を、彼六人は未顕真実の観経に依て、皆是真実の法華経を第一第二の悪人の為にはあらずと申さば、今の人人は彼にすかされて数年を経たるゆへに、将門、純友等が所従等彼を用ひざりし百姓等を、或は切り或は打ちなんどせしがごとし。彼をおそれて従ひし男女は、官軍にせめられて彼人人と一時に水火のせめに値しなり。今日本国の一切の諸仏、菩薩一切経を信ずるやうなれども、心は彼の六人の心也。身は又彼の六人の家人也。彼の将門等は官軍の向はざりし時は、大将の所従知行の地且く安穏なりしやうなりしかども、違勅の責近づきしかば所は脩羅道となり、男子は厨者の魚をほふる(屠)がごとし。炎に入り水に入りしなり。今日本国又かくのごとし。彼六人が僻見に依て今生には守護の善神に放されて三災七難の国となり、後生には一業所感の衆生なれば阿鼻大城の炎に入べし。法華経の第五巻に末代の法華経の強敵を仏記し置給へるは「如六通羅漢」と云云。上の六人は尊貴なること六通を現ずる羅漢の如し。然に浄蓮上人の親父は彼等の人人の御檀那也。仏教実ならば無間大城疑なし。又君の心を演るは臣、親の苦をやすむるは子也。目連尊者悲母の餓鬼の苦を救ひ、浄蔵、浄眼は慈父の邪見を翻し給き。父母の遺体は子の色心也。浄蓮上人の法華経を持ち給ふ御功徳は慈父の御力也。提婆達多は阿鼻地獄に堕しかども天王如来の記を送給き。彼は仏と提婆と同性一家なる故也。此は又慈父也、子息也。浄蓮上人の所持の法華経いかでか彼の故聖霊の功徳とせなざるべき。事多しと申せども止め畢ぬ。三反人によませてきこしめせ。恐恐謹言。
  六月二十七日                日蓮花押
 返す返す。するが(駿河)の人人みな同じ御心と申させ給ひ候へ。
(啓二八ノ五七。鈔一八ノ一。語三ノ三二。音下ノ二五。拾四ノ四四。扶一〇ノ六三。)

#0188-300 四条金吾殿御返事 建治元(1275.07・22) [p1092]
四条金吾殿御返事(四条第十一書)
     建治元年七月。五十四歳作。
     受五ノ一二。遺一九ノ三二。縮一二八七。類八六九。

 態御使喜び入て候。又柑子五十、鵞目五貫文給候畢ぬ。各各御供養と云云。又御文中に云、去十六日に有僧と寄合て候時諸法実相の法門を申合たりと云云。今経は出世の本懐一切衆生皆成仏道の根元と申も、只此諸法実相の四字より外は全くなき也。されば伝教大師は万里の波涛をしのぎ(凌)給て相伝しまします此文也。一句万了の一言とは是也。当世天台宗の開会の法門を申も此経文を悪く得意邪義を云出し候ぞ。只此経を持て南無妙法蓮華経と唱て「正直捨方便但説無上道」と信ずるを、諸法実相の開会の法門とは申也。其故は釈迦仏、多宝如来、十方三世の諸仏を証人とし奉候也。相構てかくの如く心得させ給て、諸法実相の四の文字を時時あじわへ(味)給べし。良薬に毒をまじう(交)る事有るべき乎。うしほ(潮)の中より河の水を取出す事ありや。月は夜に出、日は昼出給ふ、此事諍ふべき乎。此より後には加様に意得給て御問答あるべし。但し細細は論難し給べからず。猶も申さばそれがし(我等)の師にて候日蓮房に御法門候へとうち咲て、打返し打返し仰せ給べく候。法門を書つる間御供養の志は不申候。難有難有。委くは自是ねんごろに可申候。
  建治元年乙亥七月二十二日
                    日蓮花押
   四条中務三郎左衛門尉殿御返事

#0189-200 高橋殿御返事 建治元(1275.07・26) [p1093]
高橋入道殿御返事(高橋第二書)(加島書)
     建治元年七月。五十四歳作。真蹟在富士西山本門寺及大石寺断編。
     内三五ノ四三。遺一九ノ二四。縮一二七八。類五〇五。

 進上 高橋入道殿御返事              日蓮
 我等が慈父大覚世尊は人寿百歳の時、中天竺に出現しましまして一切衆生のために一代聖教をとき給ふ。仏在世の一切衆生は、過去の宿習有て仏に縁あつかりしかば、すでに得道成ぬ。我滅後の衆生をばいかんがせんとなげき給しかば、八万聖教を文字となして、一代聖教の中に小乗経をば迦葉尊者にゆづり、大乗経並に法華経、涅槃等をば文殊師利菩薩にゆづり給ふ。但八万聖教の肝心法華経の眼目たる妙法蓮華経の五字をば迦葉、阿難にもゆづり給はず。又文殊、普賢、観音、弥勒、地蔵、龍樹等の大菩薩にもさづけ給はず。此等の大菩薩等ののぞみ(望)申せしかども仏ゆるし給はず。大地の底より上行菩薩と申せし老人を召いだして、多宝仏、十方の諸仏の御前にして、釈迦如来七宝の塔中にして、妙法蓮華経の五字を上行菩薩にゆづり給ふ。其故は我が滅後の一切衆生は皆我子也。いづれも平等に不便にをもうなり。しかれども医師の習ひ、病に随て薬をさづくる事なれば、我滅後五百年が間は迦葉、阿難等に小乗経の薬をもて一切衆生にあたへよ。次の五百年が間は、文殊師利菩薩、弥勒菩薩、龍樹菩薩、天親菩薩に、華厳経、大日経、般若経等の薬を一切衆生にさづけよ。我滅後一千年すぎて像法の時には薬王菩薩、観世音菩薩、法華経の題目を除いて余の法門の薬を一切衆生にさづけよ。末法に入なば迦葉、阿難等、文殊、弥勒菩薩等、薬王、観音等のゆづられしところの小乗経、大乗経、並に法華経は文字はありとも衆生の病の薬とはなるべからず。所謂病は重し薬はあさし。其時上行菩薩出現して、妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生にさづくべし。其時一切衆生此の菩薩をかたきとせん。所謂さる(猿)のいぬ(犬)をみたるがごとく、鬼神の人をあだむがごとく、過去の不軽菩薩の一切衆生にのり(罵)あだまれしのみならず、杖木瓦礫にせめられしがごとく、覚徳比丘が殺害に及れしがごとくなるべし。其時は迦葉、阿難等も或は霊山にかくれ恒河に没し、弥勒、文殊等も或は都率の内院に入り或は香山に入せ給ひ、観世音菩薩は西方にかへり、普賢菩薩は東方にかへらせ給ふ。諸経は行ずる人はありとも守護の人なければ利生あるべからず。諸仏の名号は唱るものありとも天神これをかご(加護)すべからず。但小牛の母をはなれ金鳥のたか(鷹)にあへるがごとくなるべし。其時十方世界の大鬼神、一閻浮提に充満して四衆の身に入て、或は父母をがいし、或は兄弟等を失はん。殊に国中の智者げなる、持戒げなる僧尼の心に、此鬼神入て国主並に臣下をたぼらかさん。此時上行菩薩の御かび(加被)をかほりて、法華経の題目南無妙法蓮華経の五字計を一切衆生にさづけば、彼の四衆等並に大僧等、此の人をあだむ事、父母のかたき、宿世のかたき、朝敵、怨敵のごとくあだむべし。其時大なる天変あるべし。所謂日月蝕し、大なる彗星天にわたり、大地震動して水上の輪のごとくなるべし。其後は自界叛逆難と申て、国主、兄弟並に国中の大人をうちころし、後には佗国侵逼難と申て鄰国よりせめられて、或はいけどりとなり或は自殺をし国中の上下万民皆大苦に値べし。此ひとへに上行菩薩の菩薩のかび(加被)をかをほりて、法華経の題目をひろむる者を、或はのり(罵)或はうちはり、或は流罪し或は命をたちなんどするゆへに、仏前にちかひをなせし梵天、帝釈、日月、四天等の法華経の座にて、誓状を立てて法華経の行者をあだまん人をば、父母のかたきよりもなをつよくいましむべしとて、かうゆへなりとみへて候に、今日蓮日本国に生て一切経並に法華経の明鏡をもて、日本国の一切衆生の面に引向たるに寸分もたがはぬ上、仏の記し給し天変あり地夭あり。定て此国亡国となるべしとかねてしりしかば、これを国主に申ならば、国土安穏なるべくもたづねあきらむべし。亡国となるべきならばよも用じ。用ぬ程ならば日蓮は流罪、死罪となるべしとしりて候しかども、仏いましめて云「此事を知ながら身命ををしみて、一切衆生にかたらずば、我が敵たるのみならず一切衆生の怨敵なり。必ず阿鼻大城に堕べし」と記し給へり。此に日蓮進退わづらひて、此事を申ならば我身いかにもなるべし。我身はさてをきぬ。父母、兄弟並に千万人の中にも、一人も随ものは国主、万民にあだまるべし。彼等あだまるるならば仏法はいまだわきまへず、人のせめはたへがたし。仏法を行ずるは安穏なるべしとこそをもうに、此の法を持によて大難出来するはしんぬ。此法を邪法なりと誹謗して悪道に堕べし。此も不便なり。又此を申ずば仏誓に違する上一切衆生の怨敵なり。大阿鼻地獄疑なし。いかんがせんとをもひしかども、をもひ切て申出ぬ。申始し上は、又ひきさすべきにもあらざれば、いよいよつより申せしかば、仏の記文のごとく国主もあだみ万民もせめき。あだをなせしかば天もいかり(瞋)て日月に大変あり、大せいせい(彗星)も出現しぬ。大地もふり(震)かへしぬべくなりぬ。どしうち(同士打)もはじまり、佗国よりもせめるなり。仏の記文すこしもたがわず。日蓮が法華経の行者なる事も疑はず。但去年かまくら(鎌倉)より此ところへにげ入候し時、道にて候へば各各にも申べく候しかども申事もなし。又先度の御返事も申候はぬ事は、べち(別)の子細も候はず。なに事にか各各をばへだてまいらせ候べき。あだをなす念仏者、禅宗、真言師等をも並に国主等もたすけんがためにこそ申せ。かれ等のあだをなすは、いよいよ不便にこそ候へ。まして一日も我かた(方)とて心よせなる人人は、いかでかをろか(疎)なるべき。世間のをそろしさに妻子ある人人のとをざかるをば、ことに悦ぶ身なり。日蓮に付てたすけ(助)やりたるかたわなき上、わづかの所領をも召るならば、子細もしらぬ妻子、所従等がいかになげかんずらんと心ぐるし。而も去年の二月に御勘気をゆりて三月の十三日に佐渡の国を立、同月の二十六日にかまくらに入る。同四月の八日平左衛門尉にあひたりし時、やうやうの事どもとひし中に蒙古国はいつよす(寄)べきと申せしかば、今年よすべし。それにと(取)て日蓮はなし(離)て日本国にたすくべき者一人もなし。たすからんとをもひしたう(慕)ならば、日本国の念仏者と禅と律僧等が頸を切てゆい(由比)のはま(浜)にかくべし。それも今はすぎぬ。但皆人のをもひて候は、日蓮をば念仏師と禅と律をそしるとをもひて候。これは物のかずにてかずならず。真言宗と申宗がうるわし(麗)き日本国の大なる呪咀の悪法なり。弘法大師と慈覚大師此事にまどひて此国を亡さんとするなり。設ひ二年、三年にやぶるべき国なりとも、真言師にいのらする程ならば一年、半年に、此くにせめらるべしと申きかせて候き。たすけんがために申を此程あだまるる事なれば、ゆり(赦免)て候し時、さど(佐渡)の国よりいかなる山中海辺にもまぎれ入べかりしかども、此事をいま一度平左衛門に申きかせて、日本国にせめのこされん衆生をたすけんがために、のぼりて候き。又申きかせ候し後は、かまくらに有べきならねば、足にまかせていでしほどに、便宜にて候しかば設ひ各各はいとはせ給とも、今一度はみたてまつらんと千度をもひしかども、心に心をたたかい(煩悶)てすぎ候き。そのゆへはするが(駿河)の国は守殿の御領、ことにふじ(富士)なんどは、後家尼ごぜんの内の人人多し。故最明寺殿、極楽寺殿のかたきといきどをら(憤)せ給なれば、ききつけられば各各の御なげきなるべしと、をもひし心計なり。いまにいたるまでも不便にをもひまいらせ候へば、御返事までも申ず候き。この御房たちのゆきすり(通行)にもあなかしこ、あなかしこ。ふじ(富士)かじま(賀島)のへんへ立よるべからずと申せども、いかが候らんとをぼつかなし。ただし真言の事ぞ御不審にわたらせ給候らん。いかにと法門は申とも御心へあらん事かたし。但眼前の事をもて知しめせ。隠岐法皇は人王八十二代、神武よりは二千余年、天照太神入かわらせ給て人王とならせ給ふ。いかなる者かてきすべき上、欽明より隠岐の法皇にいたるまで漢土、百済、新羅、高麗よりわたり来る大法、秘法、叡山、東寺、園城、七寺、並に日本国にあがめをかれて候。此は皆国を守護し、国主をまほらんため也。隠岐の法皇世をかまくらにとられたる事を口をしとをぼして、叡山、東寺等の高僧等をかたらひて、義時が命をめしとれと行ぜし也。此事一年、二年ならず数年調伏せしに権大夫殿はゆめゆめしろしめさざりしかば一法も行じ給はず。又行ずとも叶べしともをぼへずありしに、天子いくさ(軍)にまけさせ給て、隠岐国へつかはされさせ給ふ。日本国の王となる人は、天照太神の御魂の入かわらせ給王也。先生の十善戒の力といひ、いかでか国中の万民の中にはかたぶくべき。設ひとが(失)ありともつみ(罪)あるをや(親)を失なき子のあだむにてこそ候ぬらめ。設ひ親に重罪ありとも子の身として失に行はんに、天うけ給べしや。しかるに隠岐の法皇のはぢ(恥)にあはせ給しはいかなる大禍ぞ。此ひとへに法華経の怨敵たる、日本国の真言師をかたらはせ給しゆへなり。一切の真言師は潅頂と申て、釈迦仏等を八葉の蓮華にかき(書)て、此を足にふみて秘事とするなり。かゝる不思議の者ども諸山、諸寺の別当とあをぎてもてなすゆへに、たみの手にわたりて現身にはぢにあひぬ。此大悪法又かまくらに下て御一門をすかし、日本国をほろぼさんとする也。此事最大事なりしかば弟子等にもかたらず、只いつはりをろかにて念仏と禅等計をそしりてきかせし也。今は又用られぬ事なれば身命もおしまず弟子どもにも申也。かう申せばいよいよ御不審あるべし。日蓮いかにいみじく尊くとも慈覚、弘法にすぐるべきか。この疑すべてはる(晴)べからず。いかにとかす(解)べき。但し皆人はにくみ候に、すこしも御信用のありし上、此までも御たづねの候は只今生計の御事にはよも候はじ、定て過去のゆへ歟。御所労の大事にならせ給て候なる事、あさまししく候。但しつるぎはかたきのため、薬は病のため。阿闍世王は父をころし仏の敵となれり。悪瘡身に出て後、仏に帰伏し法華経を持ちしかば、悪瘡も平愈し寿をも四十年のべたりき。而も法華経は「閻浮提人病之良薬」とこそとかれて候へ。閻浮の内の人、病の身なり。法華経の薬あり。三事すでに相応しぬ、一身いかでかたすからざるべき。但し御疑のわたり候はんをば力をよばず。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
覚乗房、はわき(伯耆)房に度度よませてきこしめせ、きこしめせ。
七月十三日                   日蓮花押
進上 高橋六郎兵衛入道殿御返事
(啓三五ノ三七。鈔二五ノ一四。語五ノ一四。拾七ノ五七。扶一四ノ五三。)

#0190-300 乙御前御消息(与日妙尼書)建治元(1275.08・04) [p1095]
乙御前御消息(与日妙尼書)
     建治元年八月。五十四歳作。与妙常日妙書。
     内一四ノ一五。遺一九ノ三三。縮一二八八。類一〇六六。

 漢土にいまだ仏法のわたり候はざりし時は、三皇、五帝、三王、乃至大公望、周公旦、老子、孔子つくらせ給て候し文を、或は経となづけ或は典等となづく。此文を披いて人に礼儀をおしへ、父母をしらしめ王臣を定めて世をおさめしかば、人もしたがひ(従)天も納受をたれ給ふ。此にたがい(違)し子をば不孝の者と申し、臣をば逆臣の者とて失にあてられし程に、月氏より仏経わたりし時、或一類は用ふべからずと申し、或一類は用ふべしと申せし程に、あらそひ出来て召合せたりしかば外典の者負て仏弟子勝にき。其後は外典の者と仏弟子を合せしかば、氷の日にとくるが如く火の水に滅するが如く、まくるのみならずなにともなき者となりし也。又仏経漸くわたり来し程に、仏経の中に又勝劣、浅深候けり。所謂小乗経、大乗経、顕経、密経、権経、実経也。譬ば一切の石は金に対すれば一切の金に劣れども、又金の中にも重重あり、一切の人間の金は閻浮檀金には及び候はず。閻浮檀金は梵天の金には及ばざるがごとく、一切経は金の如くなれども又勝劣、浅深ある也。小乗経と申す経は世間の小船のごとく、わづかに人の二人三人等は乗れども百千人は乗せず。設ひ二人三人等は乗れども此岸につけ(著)て彼岸へは行がたし。又すこしの物をば入るれども大なる物をば入れがたし。大乗と申すは大船也。人も十、二十人も乗る上大なる物をもつみ、鎌倉よりつくし(筑紫)、みち(陸奥)の国へもいたる。実経と申すは又彼大船の大乗経にはにるべくもなし。大なる珍宝をもつみ、百千人のりてかうらい(高麗)なんどへもわたりぬべし。一乗法華経と申す経も又如是。提婆達多と申は閻浮第一の大悪人なれども法華経にして天王如来となりぬ。又阿闍世王と申せしは父をころせし悪王なれども、法華経の座に列りて一偈一句の結縁衆となりぬ。竜女と申せし蛇体の女人は、法華経を文殊師利菩薩説給ひしかば仏になりぬ。其上仏説には悪世末法と時をさゝせ給て、末代の男女にをくらせ(贈)給ぬ。此こそ唐船の如くにて候一乗経にてはおはしませ。されば一切経は外典に対すれば石と金との如し。又一切の大乗経、所謂華厳経、大日経、観経、阿弥陀経、般若経等の諸の経経を法華経に対すれば、蛍火と日月と、華山と蟻塚との如し。経に勝劣あるのみならず、大日経の一切の真言師と法華経の行者とを合すれば、水に火をあはせ露と風とを合するが如し。犬は師子をほうれ(吠)ば腹さくる、脩羅は日輪を射奉れば頭七分に破る。一切の真言師は犬と脩羅との如く、法華経の行者は日輪と師子との如し。氷は日輪の出ざる時は堅き事金の如し。火は水のなき時はあつき(熱)事鉄をやけるが如し。然ども夏の日にあひぬれば堅氷のとけやすさ、あつき火の水にあひてきへ(消)やすさ。一切の真言師は気色のたうとげさ、智慧のかしこげさ、日輪をみざる者の堅き氷をたのみ(恃)、水をみざる者の火をたのめ(怙)るが如し。当世の人人の蒙古国をみざりし時のおごり(?)は、御覧ありしやうにかぎり(限)もなかりしぞかし。去年の十月よりは一人もおごる者なし。きこしめししやうに日蓮一人計こそ申せしが、よせて(寄手)だにきたる(来)程ならば面をあはする人もあるべからず。但さる(猿)の犬ををそれかえる(蛙)の蛇ををそるるが如くなるべし。是偏に釈迦仏の御使たる法華経の行者を、一切の真言師、念仏者、律僧等ににくませて我と損じ、ことさらに天のにくまれ(悪)をかほれる国なる故に、皆人臆病になれる也。譬ば火が水をおそれ、木が金をおぢ、雉が鷹をみて魂を失ひ、ねずみ(鼠)が猫にせめらるるが如し。一人もたすかる者あるべからず。其時はいかがせさせ給べき。軍には大将軍を魂とす。大将軍をくし(憶)ぬれば歩兵臆病也。女人は夫を魂とす、夫なければ女人魂なし。此世に夫ある女人すら世の中渡りがたふ(難)みえて候に、魂もなくして世を渡らせ給ふが、魂ある女人にもすぐれ(勝)て心中かひがひしくおはする上、神にも心を入れ仏をもあがめ(崇)させ給へば人に勝れておはする女人也。鎌倉に候し時は念仏者等はさてをき候ぬ。法華経を信ずる人人は志あるもなきも知られ候はざりしかども、御勘気をかほりて佐渡の島まで流されしかば、問訪ふ人もなかりしに、女人の御身としてかたがた御志ありし上、我と来り給し事うつつ(現)ならざる不思議也。其上いま(今)のまうで(詣)又申すばかりなし。定て神もまぼらせ給ひ十羅刹も御あはれみ(憐)ましますらん。法華経は女人の御ためには、暗きにともしび(灯)海に船、おそろしき所にはまほりとなるべきよし、ちかはせ(誓)給へり。羅什三蔵は法華経を渡し給しかば、毘沙門天王は無量の兵士をして葱嶺を送りし也。道昭法師野中にして法華経をよみしかば、無量の虎来て守護しき。此も又彼にはかはるべからず。地には三十六祇、天には二十八宿まほらせ給ふ上、人には必ず二の天影の如くにそひ(添)て候。所謂一をば同生天と云ふ、二をば同名天と申す、左右の肩にそひて人を守護すれば失なき者をば天もあやまつ事なし、況や善人におひてをや。されば妙楽大師のたまはく「必ず心の固に仮て神の守り則ち強し」等云云。人の心かたければ神のまほり必ずつよしとこそ候へ。是は御ために申すぞ。古への御心ざし申す計なし、其よりも今一重強盛に御志あるべし。其時は弥弥十羅刹女の御まほりもつよかるべしとおぼすべし。例には佗を引べからず。日蓮をば日本国の上一人より下万民に至るまで、一人もなくあやまたん(失)とせしかども、今までかう(斯)て候事は一人なれども心のつよき故なるべしとおぼすべし。一船に乗ぬれば船頭のはかり事わるければ一同に船中の諸人損じ、又身つよき人も心かひな(柔弱)ければ多くの能も無用也。日本国にはかしこき人人はあるらめども大将のはかり事つたなければかひなし。壱岐、対馬九ケ国のつはもの並に男女多く或はころされ、或はとらはれ(擒)、或は海に入り或はがけ(崖)よりおち(堕)しものいくせんまん(幾千万)と云ふ事なし。又今度よせ(寄)なば先にはにるべくもあるべからず。京と鎌倉とは但壱岐、対馬の如くなるべし。前にしたく(支度)していづくへもにげ(逃)させ給へ。其時は昔し日蓮を見じ聞じと申せし人人も、掌をあはせ法華経を信ずべし。念仏者、禅宗までも南無妙法蓮華経と申すべし。抑法華経をよくよく信じたらん男女をば肩にになひ、背におうべきよし経文に見えて候上、くまらえん(鳩摩羅?)三蔵と申せし人をば木像の釈迦をわせ給て候しぞかし。日蓮が頭には大覚世尊かはらせ給ぬ、昔と今と一同也。各各は日蓮が檀那也、争か仏にならせ給はざるべき。いかなる男をせさせ(為夫)給ふとも、法華経のかたきならば随ひ給べからず。いよいよ強盛の御志あるべし。氷は水より出たれども水よりもすざま(凄冷)し、青き事は藍より出たれどもかさぬ(重)れば藍よりも色まさる。同じ法華経にてはをはすれども志をかさぬれば、佗人よりも色まさり利生もあるべき也。木は火にやかるれども栴檀の木はやけず、火は水にけさる(消)れども仏の涅槃の火はきえず。華は風にちれども浄居の華はしぼ(萎)まず、水は大旱魃に失れども黄河に入ぬれば失せず。檀弥羅王と申せし悪王は、月氏の僧の頸を切りしにとがなかりしかども、師子尊者の頸を切し時刀と手と共に一時に落ちにき。弗沙密多羅王は鶏頭摩寺を焼し時、十二神の棒にかふべ(頭)わられにき。今日本国の人人は法華経のかたきとなりて身を亡し国を亡しぬる也。かう申せば日蓮が自讃也と心えぬ人は申す也。さにはあらず是を云はずば法華経の行者にはあらず。又云ふ事後にあへ(合)ばこそ人も信ずれ。かう(斯)ただかきをき(書置)なばこそ、未来の人は智ありけりとはしり候はんずれ。又「身軽法重死身弘法」とのべて候はば、身は軽ければ人は打はり悪むとも法は重ければ必ず弘まるべし。法華経弘まるならば死かばね(屍)還て重くなるべし。かばね重くなるならば此かばねは利生あるべし、利生あるならば今の八幡大菩薩といははる(斎祀)るやうにいはうべし。其時は日蓮を供養せる男女は、武内若宮なんどのやうにあがめ(崇)らるべしとおぼしめせ。抑一人の盲目をあけて候はん功徳すら申すばかりなし。況や日本国の一切衆生の眼をあけて候はん功徳をや。何に況や一閻浮提四天下の人の眼のしい(盲)たるをあけて候はんをや。法華経の第四に云く「仏滅度後能解其義是諸天人世間之眼」等云云。法華経を持つ人は一切世間の天人の眼也と説れて候。日本国の人の日蓮をあだみ候は一切世間の天人の眼をくじる(刳)人也。されば天もいかり日日に天変あり、地もいかり月月に地夭かさなる。天の帝釈は野干を敬ひて法を習しかば、今の教主釈尊となり給ひ、雪山童子は鬼を師とせしかば、今の三界の主となる。大聖上人は形を賎みて法を捨ざりけり。今日蓮おろかなりとも野干と鬼とに劣るべからず。当世の人いみじくとも、帝釈、雪山童子に勝るべからず。日蓮が身の賎きについて巧言を捨て候故に、国既に亡びんとするかなしさよ。又日蓮を不便と申しぬる弟子どもをも、たすけがた(難)からん事こそなげかしくは覚え候へ。いかなる事も出来候はば是へ御わたりあるべし、見奉らん。山中にて共にうえ(餓)死にし候はん。又乙御前こそおとなし(成長)くなりて候らめ。いかにさかし(敏)く候らん。又又申すべし。
  八月四日                     日蓮花押
  乙御前へ
(啓二五ノ二二。鈔一四ノ三四。註一五ノ二五。音上ノ一五。語二ノ五五。拾三ノ三〇。扶九ノ二五。)

#0192-200 妙心尼御前御返事 建治元(1275.08・25) [p1105]
妙心尼御前御返事(第一書)
     建治元年八月。五十四歳作。
     外九ノ一三。遺一九ノ五三。縮一三一〇。類一〇八二。

 すず(種々)の御志送給候畢ぬ。をさなき(幼)人の御ために御まほり(守)さづけまいらせ候。この御まほりは法華経のうちのかんじん(肝心)一切経のげんもく(眼目)にて候。たとへば天には日月、地には大王、人には心、たからの中には如意宝珠のたま、いえ(家)にははしら(桂)のやうなる事にて候。このまんだら(曼荼羅)を身にたもちぬれば、王を武士のまほるがごとく、子ををやのあい(愛)するがごとく、いを(魚)の水をたのむがごとく、草木のあめ(雨)をねがう(楽)がごとく、とりの木をたのむ(恃)がごとく、一切の仏神等のあつまりまほり(守)、昼夜にかげのごとくまほらせ給ふ法にて候。よくよく御信用あるべし。あなかしこ、あなかしこ。恐恐謹言。
 八月二十五日                  日蓮花押
 妙心尼御前御返事
(考四ノ三。)

#0193-300 単衣鈔(与南条氏書上野殿御返事)建治元(1275.08) [p1106]
単衣鈔(第三書)(与南条氏書)(上野殿御返事)
     建治元年八月。五十四歳作。
     内一八ノ一二。遺一九ノ五四。縮一三一一。類九六六。

 単衣一領送り給候畢ぬ。棄老国には老者をすて、日本国には今法華経の行者をすつ。抑も此国開闢より天神七代、地神五代、人王百代あり。神武より已後九十代欽明より仏法始りて六十代七百余年に及べり。其中に父母を殺す者、朝敵となる者、山賊、海賊数を知らざれども、いまだきかず法華経の故に日蓮程人に悪まれたる者はなし。或は王に悪まれたれども民には悪まれず、或は僧は悪めば俗はもれ男は悪めば女はもれ、或は愚痴の人は悪めば智人はもれたり。此は王よりは民、男女よりは僧尼、愚人よりは智人悪む。悪人よりは善人悪む。前代未聞の身也。後代にも有べしともおぼえず。故に生年三十二より今年五十四に至るまで二十余年の間、或は寺を追出され或は処をおわれ、或は親類を煩はされ或は夜打にあひ、或は合戦にあひ或は悪口数をしらず。或は打たれ或は手を負ふ。或は弟子を殺され或は頸を切られんとし、或は流罪両度に及べり。二十余年が間一時片時も心安き事なし。頼朝の七年の合戦もひま(間)やありけん。頼義が十二年の闘諍も争か是にはすぐべき。法華経の第四に云く「如来現在猶多怨嫉」等云云。第五に云く「一切世間多怨難信」等云云。天台大師も恐くはいまだ此経文をばよみ給はず、一切世間皆信受せし故也。伝教大師も及び給べからず。況滅度後の経文に不符合故に、日蓮日本国に出現せずば如来の金言も虚くなり、多宝の証明もなにかせん。十方の諸仏の御語も妄語となりなん。仏滅後二千二百二十余年月氏、漢土、日本に一切世間多怨難信の人なし。日蓮なくば仏語既に絶なん。かゝる身なれば蘇武が如く雪を食として命を継ぎ、李陵が如く蓑をきて世をすごす。山林に交つて果なき時は空くして両三日を過ぐ、鹿の皮破れぬれば裸にして三四月に及べり。かゝる者をば何としてか哀とおぼしけん。未だ見参にも入らぬ人の膚を隠す衣を送り給候こそ、何とも存じがたく候へ。此帷をきて仏前に詣でて法華経を読奉り候なば、御経の文字は六万九千三百八十四字、一一の文字は皆金色の仏也。衣は一なれども六万九千三百八十四仏に一一にきせまいらせ給へる也。されば此衣を給て候はば夫妻二人ともに此仏尋ね坐して、我檀那也と守らせ給らん。今生には祈となり財となり、御臨終の時は月となり日となり、道となり橋となり、父となり母となり、牛馬となり輿となり車となり、蓮華となり山となり、二人を霊山浄土へ迎へ取りまいらせ給べし。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
  建治元年乙亥八月  日              日蓮花押
   此文は藤四郎殿女房と、常により合て御覧あるべく候。
(啓二七ノ一一四。鈔一七ノ五一。註一八ノ二四。音下ノ二四。語三ノ二七。拾四ノ三二。扶一〇ノ四六。)

#0194-300 阿仏房尼御前御返事(報千日尼書)建治元(1275.09・03)[p1106]
阿仏房尼御前御返事(第二書)(報千日尼書)
     建治元年九月。五十四歳作。
     外二三ノ三六。遺一九ノ五六。縮一三一四。類七〇八。

 御文に云く「謗法の浅深軽重に於ては罪報如何なり耶」云云。夫法華経の意は一切衆生皆成仏道の御経也。然りといへども信ずる者は成仏をとぐ、謗ずる者は無間大城に堕つ。「若人不信毀謗斯経即断一切世間仏種、乃至其人命終入阿鼻獄」とは是也。謗法の者にも浅深軽重の異あり。法華経を持ち信ずれども誠に色心相応の信者、能持此経の行者はまれなり。此等の人は介爾ばかりの謗法はあれども深重の罪を受る事はなし。信心はつよく謗法はよはき故也。大水を以て小火をけすが如し。涅槃経に云く「若善比丘見壊法者置不呵責駆遣挙処当知是人仏法中怨若能駆遣呵責挙処是我弟子真声聞」云云。此経文にせめられ奉りて日蓮は種種の大難に値といへども、仏法中怨のいましめ(誡)を免んために申す也。但し謗法に至て浅深あるべし。偽り愚かにしてせめざる時もあるべし。真言、天台宗等は法華誹謗の者いたう呵責すべし。然れども大智慧の者ならでは日蓮が弘通の法門分別しがたし。然る間まづまづさしをく事あるなり、立正安国論の如し。いふといはざるとの重罪免れ難し。云ひて罪のまぬがるべきを見ながら聞ながら置ていまし(禁)めざる事、眼耳の二徳忽に破れて大無慈悲也。章安云く「慈無くして詐り親むは即ち是彼が怨なり」等云云。重罪消滅しがたし、弥利益の心尤も可然也。軽罪の者をばせむる時もあるべし、又せめずしてをくも候べし。自然になをる(直)辺あるべし。せめて自佗の罪を脱れてさてゆる(免)すべし。其故は一向謗法になればまされる(勝)大重罪を受る也。「為彼除悪即是彼親」とは是也。日蓮が弟子檀那の中にも多く如此事共候。さだめて尼御前もきこしめして候らん。一谷の入道の事、日蓮が檀那と内には候へども、外は念仏者にて候ぞ。後生はいかんとすべき。然れども法華経十巻渡して候し也。弥信心をはげみ給ふべし。仏法の道理を人に語らむ者をば男女、僧尼必ずにくむべし。よしにくま(憎)ばにくめ、法華経、釈迦仏、天台、妙楽、伝教、章安等の金言に身をまかすべし。如説修行の人とは是也。法華経に云く「於恐畏世能須臾説」云云。悪世末法の時、三毒強盛の悪人等集りて候時、正法を暫時も信じ持ちたらん者をば天人供養あるべしと云ふ経文也。此度大願を立て後生を願はせ給へ。少し謗法不信のとが候はば無間大城疑なかるべし。譬ば海上を船にのるに船をろそかにあらざれども、あか(水)入ぬれば必ず船中の人人一時に死する也。なはて(畷)堅固なれども蟻穴あれば必ず終に湛へたる水のたまら(溜)ざるが如し。謗法不信のあかをとり信心のなはてをかたむべき也。浅き罪ならば我よりゆるして功徳を得さすべし。重きあやまちならば信心をはげまして消滅さすべし。尼御前の御身として謗法の罪の浅深軽重の義をとはせ給ふ事、まことにありがたき女人にておはすなり。龍女にあに(豈)をとるべきや。「我闡大乗教度脱苦衆生」とは是也。「其の義趣を問ふは是則ち為難し」と云ひて、法華経の義理を問ふ人はかたしと説れて候。相構へ相構へ力あらん程は謗法をばせめさせ給べし。日蓮が義を助け給ふ事、不思議に覚え候ぞ不思議に覚え候ぞ穴賢、穴賢。
       九月三日            日蓮花押
 阿仏房尼御前御返事
(考八ノ二九。)

#0196-300 蒙古使御書(与大内氏書)建治元(1275.09) [p1112]
蒙古使御書(西山第二書)(与大内氏書)
     建治元年。五十四歳作。与西山高橋入道書。
     外二ノ七。遺一九ノ六〇。縮一三一八。類一〇四三。

 鎌倉より事故なく御下の由承り候てうれしさ申計なし。又蒙古の人の頸を刎られ候事承り候。日本国の敵にて候念仏、真言、禅、律等の法師は、切れずして科なき蒙古の使の頸を刎られ候ける事こそ不便に候へ。子細を知ざる人は勘へあてて候を、おごり(?)て云と思ふべし。此二十余年の間、私には昼夜に弟子等に歎申、公には度度申せし事是也。一切の大事の中に国の亡るが第一の大事にて候也。最勝王経に云「害中極重者無過失国位」等云云。文の心は一切の悪の中に国王と成て政悪くして、我国を佗国に破らるるが第一の悪にて候と説れて候。又金光明経に云「由愛敬悪人治罰善人故、乃至佗方怨賊来国人遭喪乱」等云云。文の心は国王と成て悪人を愛し、善人を科にあつれば必ず其国佗国に破らるると云文也。法華経第五に云「為世所恭敬如六通羅漢」等云云。文の心は法華経の敵の相貌を説て候に、二百五十戒を堅く持ち迦葉、舎利弗の如くなる人を、国主これを尊て法華経の行者を失なはむとするなりと説れて候ぞ。夫大事の法門と申は別に候はず。時に当て我が為国の為、大事なる事を少も勘へたがへざるが智者にては候也。仏のいみじきと申は、過去を勘へ未来をしり三世を知しめすに過て候御智慧はなし。設ひ仏にあらねども龍樹、天親、天台、伝教なんど申せし聖人、賢人等は仏程こそなかりしかども、三世の事を粗知しめされて候しかば、名をも未来まで流されて候き。所詮万法は己心に収りて一塵もかけ(闕)ず、九山八海も我身に備りて日月、衆星も己心にあり。然といへども盲目の者の鏡に影を浮べるに見えず、嬰児の水火を怖れざるが如し。外典の外道、内典の小乗、権大乗等は、皆己心の法を片端片端説て候也。然といへども法華経の如く説ず。然れば経経に勝劣あり、人人にも聖賢分れて候ぞ。法門多多なれば止候畢。鎌倉より御下りそうそうの御隙に使者申す計なし。其上種種の物送り給候事悦入て候。日本は皆人の歎き候に日蓮が一類こそ歎の中に悦び候へ。国に候へば蒙古の責はよも脱れ候はじなれども、国のために責られ候し事は天も知しめして候へば、後生は必ずたすかりなんと悦候に、御辺こそ今生に蒙古国の恩を蒙らせ給て候へ。此事起らずは最明寺殿の十三年に当らせ給ては御かりは所領にては申す計なし。北条六郎殿のやうに筑紫にや御坐なん。是は各各の御心のさからせ(忤逆)給て候也。人の科をあてる(当)にはあらず。又一には法華経の御故にたすからせ給て候ぬるか。ゆゆしき御僻事なり。是程の御悦まいりても悦びまいらせ度候へども、人聞つゝましく(包兼)候てとどめ候畢。                       乃時  
                日蓮花押
 西山殿御返事
(微上ノ五。考二ノ三。)

#0199-300 観心本尊得意鈔 建治元(1275.11・23) [p1119]
観心本尊得意鈔(富木第十九書)
     建治元年十一月。五十四歳作。
     内三九ノ二八。遺一九ノ七〇。縮一三三〇。類一三一一。

  鵞目一貫文、厚緜の白小袖一、筆十管、墨五丁給畢ぬ。
 身延山は知食が如く冬は嵐はげしく、ふり積雪は消えず。極寒の処にて候間昼夜の行法も、はだ(膚)うすにては堪がたく辛苦にて候に。此小袖を著ては思あるべからず候也。商那和修は付法蔵の第三の聖人也。此因位を仏説て云「乃往過去に病の比丘に衣を与ふる故に生生世世に不思議自在の衣を得たり」。今御小袖は彼に似たり、此功徳は日蓮は之を知るべからず、併ながら釈迦仏に任せ奉り畢ぬ。抑も御状に云く、教信の御房、観心本尊鈔の未得道教等の文字に付て、迹門を読まじと疑心の候なる事、不相伝の僻見にて候歟。去る文永年中に此書の相伝は整足して貴辺に奉り候しが。後其通を以て御教訓有るべく候。所詮在在所所に迹門を捨よと書て候事は、今我等が読所の迹門にては候はず、叡山天台宗の過時の迹を破して候也。設ひ天台、伝教の如く法のまゝに弘通ありとも、今末法に至ては去年の暦の如し。何に況や慈覚より以来、大小、権実に迷ふて大謗法に同ずるをや。此の間像法の時の利益も之なし、増して末法に於けるをや。一北方の能化難じて云、爾前の経をば未顕真実と捨ながら、安国論には爾前経を引、文証とする事自語相違と云ふ不審の事前前申せしごとし。総じて一代聖教を大に分て二と為す。一には大綱二には網目也。初の大綱とは成仏得道の教也。成仏得道の教とは唯法華経也。次に網目とは法華已前の諸経也。彼諸経等は不成仏の教也。成仏得道の文言之を説くと雖も但だ名字のみ有つて其の実義は法華に之あり。伝教大師の決権実論に云く「権智の所作は唯名のみ有て実義有ること無し」云云。但権教に於ても成仏得道の外、説相虚しかるべからず。法華の為の網目なるが故に。所詮成仏の大綱をば法華に之を説ども其余の網目は衆典に之を明す。法華の為めの網目なるが故に法華の証文に之を引き用ゆべき也。其上法華経にて実義あるべきを、爾前の経にして名字計ののしること全く法華の為め也。然る間尤法華の証文となるべし。問、法華を大綱とする証如何。答ふ、天台云「当に知るべし、此経は唯如来説教の大綱を論じて網目を委細にせざる也」。問、爾前を網目とする証文如何。答ふ、妙楽の云く「皮膚毛綵衆典に出在せり」文。問ふ、成仏は法華に限ると云ふ証如何。答ふ、経に云く「唯有一乗法無二亦無三」文。問ふ、爾前は法華の為との証如何。答ふ、経に云く「雖示種種道為仏乗」。委細申し度く候と雖も心地違例して候程省略せしめ候。恐恐謹言。
  十一月二十三日                 日蓮花押
   富木殿御返事
  帥殿の物語しは、下総に目連樹と云ふ木の候よし申し候し。其木の根をほりて十両ばかり、両方の切目には焼金を宛てて、紙にあつく(厚)つゝみて風ひかぬ様にこしらへ(拵)て、大夫次郎が便宜に給候べきよし御伝あるべく候。
(啓三六ノ九四。鈔二五ノ七五。語五ノ三六。音下ノ四六。拾八ノ三六。扶一五ノ四五)

#0201-3K0.TXT 除病御書 建治元(1275) [p1124]

其の上、日蓮の身竝びに弟子等、過去謗法之重罪未だ尽くさざる之上、現在多年之間、謗法の者と為り、亦謗法の国に生まる。当時、信心深からざる歟。豈に之を脱れん乎。但し貴辺、此の病を受くる之理、或人之を告ぐ。予、日夜朝暮に法華経に申し上げ、朝暮に青天に訴ふ。除病之由、今日之を聞く。喜悦、何事か之に過ぎん。事事見参を期せん。恐恐。[p1124]

#0202-300 上野殿御消息(本門取要鈔 与南条氏書)建治元(1275)[p1124]
上野殿御消息(上野第八書)(本門取要鈔)(与南条氏書)
     建治元年。五十四歳作。
     外九ノ一八。遺二〇ノ三二。縮一三六六。類九六九。

 三世の諸仏の世に出させ給ても皆皆四恩を報ぜよと説き、三皇、五帝、孔子、老子、顔回等の古の賢人は四徳を修せよと也。四徳と者、一には父母に孝あるべし。二には主に忠あるべし。三には友に合て礼あるべし。四には劣れるに逢て慈悲あれと也。一に父母に孝あれとはたとひ親はもの(物)に覚えずとも、悪ざまなる事を云とも、聊かも腹も立ず誤る顔を見せず親の云事に一分も違へず。親によき物を与へんと思てせめてする事なくば一日に二三度えみ(笑)て向へと也。二に主に合て忠あるべしとは、いさゝかも主にうしろめたなき(後痛)心あるべからず。たとひ我身は失はるとも主にはかまへ(構)てよかれ(善)と思べし。かくれ(隠)ての信あればあらはれ(顕)ての徳ある也と云云。三には友にあふて礼あれとは、友達の一日に十度二十度来れる人なりとも、千里二千里来る人の如く思ふて礼儀いさゝかをろか(疎)に思べからず。四に劣れる者に慈悲あれとは、我より劣りたらん人をば我子の如く思て一切あわれみ慈悲あるべし。此を四徳と云ふ也。是の如く振舞を賢人とも聖人とも云べし。此の四の事あれば余の事にはよからねどもよき者也。如是四の得を振舞ふ人は外典三千巻をよまねども読たる人となれり。一仏教の四恩と者、一には父母の恩を報ぜよ。二には国主の恩を報ぜよ。三には一切衆生の恩を報ぜよ。四には三宝の恩を報ぜよ。一に父母の恩を報ぜよとは、父母の赤白二?和合して我身となる。母の胎内に宿る事二百七十日、九月の間三十七度死るほどの苦みあり。生落す時たへがたしと思ひ念ずる息、頂より出る煙り梵天に至る。さて生落されて乳をのむ事一百八十余石、三年が間は父母の膝に遊び、人となりて仏教を信ずれば先づ此父と母との恩を報ずべし。父の恩の高き事須弥山猶ひきし、母の恩の深き事大海還て浅し。相構て父母の恩を報ずべし。二に国主の恩を報ぜよとは、生れて已来衣食のたぐひより初て、皆是国主の恩を得てある者なれば「現世安穏後世善処」と祈り奉るべし。三に一切衆生の恩を報ぜよとは、されば昔は一切の男は父なり女は母なり、然る間生生世世に皆恩ある衆生なれば皆仏になれと思ふべき也。四に三宝の恩を報ぜよと者、最初成道の華厳経を尋れば経も大乗、仏も報身如来にて坐ます間、二乗等は昼の梟夜の鷹の如くして、かれを聞といへども耳しい目しいの如し。然る間四恩を報ずべきかと思ふに女人をきらはれたる間母の恩報じがたし。次に仏阿含小乗経を説給し事十二年、是こそ小乗なれば我等が機にしたがふべきかと思へば、男は五戒、女は十戒、法師は二百五十戒、尼は五百戒を持て三千の威儀を具すべしと説たれば、末代の我等かなふ(叶)べしともおぼえねば母の恩報じがたし。況や此経にもきらはれたり。方等、般若四十余年の経経に皆女人をきらはれたり。但天女成仏経、観経等にすこし女人の得道の経有といへども、但名のみ有て実なき也。其上未顕真実の経なれば如何が有けん。四十余年の経経に皆女人を嫌れたり。又最後に説給たる涅槃経にも女人を嫌はれたり。何れか四恩を報ずる経有と尋れば、法華経こそ女人成仏する経なれば、八歳の龍女成仏し、仏の姨母?曇弥、耶輸陀羅比丘記別にあづかりぬ。されば我等が母は但女人の体にてこそ候へ。畜生にもあらず、蛇身にもあらず。八歳の龍女だにも仏になる、如何ぞ此経の力にて我母の仏にならざるべき。されば法華経を持つ人は父と母との恩を報ずる也。我心には報ずると思はねども此経の力にて報ずる也。然る間釈迦、多宝等の十方無量の仏、上行、地涌等の菩薩も、普賢、文殊等の迹化の大士も、舎利弗等の諸大声聞も、大梵天王、日月等の明主、諸天も八部王も、十羅刹女等も日本国中の大小の諸神も、総じて此法華経を強く信じまいらせて、余念なく一筋に信仰する者をば、影の身にそふが如く守らせ給ひ候也。相構て相構て心を翻へさず一筋に信じ給ふならば、現世安穏後世善処なるべし。恐恐謹言。
                             日蓮花押
  上野殿
(微上ノ二四。考四ノ五。)

#0206-300 南条殿御返事(初春書) 建治二(1276.01・19) [p1137]
南条殿御返事(上野第九書)(初春書)
     建治二年正月。五十五歳作。与南条七郎次郎書。
     内三五ノ三六。遺二〇ノ四〇。縮一三七四。類九七二。

 はる(春)のはじめの御つかひ、自佗申こめ(篭)まいらせ候。さては給はるところのすず(種種)の物の事、もちい(餅)七十まい(枚)、さけひとつゝ(酒一筒)、いもいちだ(芋一駄)、河のりひとかみぶくろ(一紙袋)、だいこんふたつ(二把)、やまのいも七ほん等也。ねんごろ(懇)の御心ざしはしなじな(品品)のものにあらはれ候ぬ。法華経の第八の巻に云「所願不虚亦於現世得其福報」。又云「当於今世得現果報」等云云。天台大師云「天子の一言虚しからず」。又云「法王虚しからじ」等云云。賢王となりぬればたとひ身をほろぼすともそら(虚)事せず。いわうや釈迦如来は普明王とおわせし時は、はんぞく(班足)王のたて(館)へ入せ給き。不妄語戒を持せ給しゆへ也。かり(伽梨)王とおはせし時は「実語少人大妄語入地獄」とこそおほせありしか。いわうや法華経と申は仏我と「要当説真実」となのらせ給し上、多宝仏、十方の諸仏あつまらせ給て、日月衆星のならばせ給がごとくに候しざせき(座席)也。法華経にそら(虚)事あるならばなに事をか人信ずべき。かゝる御経に一華一香をも供養する人は過去に十万億の仏を供養する人也。又釈迦如来の末法に世のみだれ(乱)たらん時、王臣万民心を一にして一人の法華経の行者をあだまん時、此行者かんぱち(旱魃)の小水に魚のすみ、万人にかこまれ(囲)たる鹿のごとくならん時、一人ありてとぶら(訪)はん人は生身の教主釈尊を一劫が間、三業相応して供養しまいらせたらんより、なを功徳すぐるべきよし如来の金言分明也。日は赫赫たり、月は明明たり、法華経の文字はかくかくめいめい(赫々明々)たり。めいめいかくかくたるあきらか(明)なる鏡にかを(顔)をうかべ、すめる(澄)水に月のうかべるがごとし。しかるに「亦於現世得其福報」の勅宣、「当於今世得現果報」の鳳詔、南条の七郎次郎殿にかぎりてむなしかるべしや。日は西よりいづる世、月は地よりなる時なりとも、仏言むなしからじとこそ定させ給しか。これをも(以)ておもふに慈父過去の聖霊教主釈尊の御前にわたらせ給ひ、だんな(檀那)は又現世に大果報をまねかん事、疑あるべからず。かうじん(幸甚)かうじん。
  正月十九日                     日蓮花押
 南条殿御返事
(啓三五ノ三七。鈔二五ノ一三。語五ノ一三。拾七ノ五五。扶一四ノ五二。)

#0208-300 大井荘司入道御書 建治二(1276.02) [p1143]
大井荘司入道御書(各別書)
     建治二年。五十五歳作。
     外二ノ二四。遺二二ノ二二。縮一五三四。類九五六。

 柿三本、酢一桶、くぐたち(菜)土筆給候畢ぬ。唐土に天台山と云ふ山に龍門と申て百丈の滝あり。此滝の麓に春の初より登らんとして多の魚集れり。千万に一も登ることを得れば龍となる。魚、龍と成らんと願ふこと民の昇殿を望むが如く、貧なるものの財を求るが如し。仏に成ことも亦此の如し。彼滝は百丈早き事合張の天より箭を射徹すより早し。此滝へ魚登らんとすれば、人集りて羅網をかけ釣をたれ弓を以て射る、左右の辺に間なし。空には?、鷲、鵄、烏、夜は虎、狼、狐、狸何にとなく集りて食ひ噬む。仏になるをも是を以て知ぬべし。有情輪廻、生死六道と申て我等が天竺に於て師子と生れ、漢土、日本に於て虎狼野干と生れ、天には?鷲、地には鹿蛇と生れしこと数をしらず。或は鷹の前の雉、猫の前の鼠と生れ、生ながら頭をつゝき(啄)しゝむら(肉)をかまれ(咬)しこと数をしらず。一劫が間の身、骨は須弥山よりも高く、大地よりも厚かるべし。惜き身なれども云に甲斐なく奪れてこそ候けれ。然ば今度法華経の為に、身を捨て命をも奪れ奉れば、無量無数劫の間の思ひ出なるべしと思ひ切給ふべし。穴賢、穴賢。又又申すべし。恐恐謹言。
  建治二年丙子                     日蓮花押
   大井荘司入道殿
(微上ノ六。考二ノ一〇。)

#0209-300 阿仏房御書 建治二(1276 or 1271.03・13)[p1144]
阿仏房御書(阿仏房第一書)
     文永九年三月。五十一歳作。
     外二ノ三〇。遺一三ノ一。縮八二五。類六八〇。

 御文委く披見いたし候畢。抑宝塔の御供養の物、銭一貫文、白米しなじな(品品)をくり物たしかにうけとり候畢。此趣御本尊法華経にもねんごろに申上候。御心やすくおぼしめし候へ。一御文に云「多宝如来涌現の宝塔何事を表し給や」と云云。此法門ゆゝしき大事なり。宝塔をことわるに天台大師文句の八に釈し給し時、証前、起後の二重の宝塔あり。証前は迹門、起後は本門なり。或は又閉塔は迹門、開塔は本門、是即ち境智の二法也。しげきゆへにこれををく。所詮三周の声聞法華経に来て己心の宝塔を見ると云事也。今日蓮が弟子檀那又又かくのごとし。末法に入て法華経を持つ男女のすがたより外には宝塔なきなり。若然者貴賎上下をえらばず南無妙法蓮華経ととなうるものは、我身宝塔にして我身又多宝如来也。妙法蓮華経より外に宝塔なきなり。法華経の題目宝塔なり、宝塔又南無妙法蓮華経也。今阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり、此五大は題目の五字也。然者阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房。此より外の才覚無益なり。聞信戒定進捨慙の七宝を以てかざりたる宝塔也。多宝如来の宝塔を供養し給かとおもへばさにては候はず我身を供養し給ふ。我身又三身即一の本覚の如来なり。かく信じ給て南無妙法蓮華経と唱へ給へ。こゝさながら宝塔の住処也。経に云「有説法華経処我此宝塔涌現其前」とはこれなり。あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ。子にあらずんばゆづる事なかれ、信心強盛の者に非んば見する事なかれ。出世の本懐とはこれなり。阿仏房しかしながら北国の導師とも申つべし。浄行菩薩うまれかわり給てや。日蓮を御とふらひ(訪)給か。不思議なり不思議なり。此御志をば日蓮はしらず、上行菩薩の御出現の力にまかせ(任)たてまつり候ぞ。別の故はあるべからず、あるべからず。宝塔をば夫婦ひそかにをがませ給へ。委くは又又申べく候。恐恐謹言。
  文永九年壬申三月十三日             日蓮花押
   阿仏房上人所へ
(考二ノ一五。)

#0210-300 南条殿御返事 建治二(1276.03・18) [p1146]
南条殿御返事(上野第十一書)(大橋書)
     建治二年三月。五十五歳作。真蹟在富士大石寺。
     内三三ノ一。遺二一ノ九。縮一四三三。類九七五。

 かたびら(帷)一、しを(塩)いちだ(一駄)、あぶら(油)五そう(升)給候了ぬ。ころも(衣)はかん(寒)をふせぎ、又ねつ(熱)をふせぐ、み(身)をかくし、みをかざ(厳)る。法華経の第七やくわうぼん(薬王品)に云「如裸者得衣」等云云。心は、はだかなるもののころもをえたるがごとし。もん(文)の心はうれし(嬉)き事をとかれ(説)て候。ふほうざう(付法蔵)の人のなかに商那和衆(修)と申人あり、衣をきてむまれ(生)させ給ふ。これは先生に仏法にころも(衣)をくやう(供養)せし人なり。されば法華経に云「柔和忍辱衣」等云云。こんろん(崑崘)山には石なし、みのぶ(身延)のたけ(岳)にはしを(塩)なし。石なきところなはたま(玉)よりもいしすぐれたり。しを(塩)なきところにはしをこめ(米)にもすぐれて候。国王のたから(宝)は左右の大臣なり、左右の大臣をば塩梅と申す。みそ(味噌)しを(塩)なければよ(世)わたりがたし、左右の臣なければ国をさま(治)らず。あぶら(油)と申は、涅槃経に云「風のなかにあぶらなし、あぶらのなかにかぜなし」。風をぢ(治)する第一のくすりなり。かたがたのもの(旁々物)をくり(送)給て候。御心ざしのあらわれて候事申ばかりなし。せんずるところ(所詮)は、こなんでうどの(故南条殿)の法華経の御しんよう(信用)のふかかりし事のあらわるゝか。王の心ざしをば臣のべ、をや(親)の心ざしをば子の申のぶるとはこれなり。あわれことの(故殿)のうれしとをぼすらん。つくし(筑紫)にをゝはし(大橋)太郎と申しける大名ありけり。大将どのの御かんき(勘気)をかほり(蒙)て、かまくら(鎌倉)ゆいのはま(由井浜)つちのろう(土牢)にこめられて、十二年めし(囚)はじしめ(耻)られしとき、つくし(筑紫)をうちいでしに、ごぜん(御前)にむかひて申せしは、ゆみや(弓箭)とるみ(身)となりて、きみ(君)の御かんき(勘気)をかほらんことはなげきならず、又ごぜん(御前)にをさなく(幼稚)よりなれ(馴)しかば、いまはなれ(離)ん事いうばかりなし。これはさてをきぬ。なんし(男子)にても、によし(女子)にても一人なき事なげきなり。ただし(但)くわいにん(懐姙)のよしかたらせ給ふ。をうなご(女子)にてやあらんずらん、をのこご(男子)にてや候はんずらん。ゆくへ(行方)をみざらん事くちをし(口惜)。又かれが人となりてちゝ(父)というものもなからんなげき、いかがせんとをもへども、力及ばずとていでにき。かくて月ひ(日)すぐればことゆへなく生にき。をのこご(男子)にてありけり。七歳のとしやまでら(山寺)にのぼせてありければ、ともだち(友達)なりけるちごども(児共)をやなしとわらひ(笑)けり。いへ(家)にかへりてはゝ(母)にちゝ(父)をたづねけり。はゝ(母)のぶる(宣)かたなくして、なく(泣)より外にことなし。此ちご(児)申す、天なくしては雨ふらず、地なくしてはくさ(草)をいず。たとひ母ありともちゝ(父)なくばひと(人)となるべからず。いかに父のありどころ(在所)をばかくし(隠)給ぞとせめしかば、母せめられて云ふ、わちご(和児)をさな(幼稚)ければ申さぬなり、ありやう(有様)はかう(斯)なり。此のちご(児)なくなく(泣泣)申やう、さてちゝ(父)のかたみ(形見)はなきかと申せしかば、これありとて、をゝはし(大橋)のせんぞ(先祖)の日記、ならびにはら(腹)の内なる子にゆづれる自筆の状なり。いよいよをや(親)こひしく(恋)てなく(泣)より外の事なし。さていかがせんといいしかば、これより郎従あまたとも(伴)せしかども、御かんき(勘気)をかほり(蒙)ければみなちりうせ(散失)ぬ。そののちはいき(生)てや、又しに(死)てや、をとづる(訪)る人なしとかたりければ、ふしころびなきていさむ(諌)るをももちい(用)ざりけり。はゝ(母)いわく、をのれ(己)をやまでら(山寺)にのぼする事はをや(親)のけうやう(孝養)のためなり。仏に花をもまいらせよ、経をも一巻よみて孝養とすべしと申せしかば、いそぎ寺にのぼりていえ(家)へかへる心なし昼夜に法華経をよみしかば、よみわたりけるのみならずそら(諳)にをぼへてありけり。さて十二のとし(年)出家をせずしてかみ(髪)をつゝみ、とかくしてつくし(筑紫)をにげいで(逃出)て、かまくら(鎌倉)と申ところへたづねいりぬ。八幡の御前にまいりてふしをがみ(伏拝)申けるは、八幡大菩薩は日本第十六の王、本地は霊山浄土に法華経をとかせ給し教主釈尊なり。衆生のねがい(願)をみて(満)給がために神とあらわれさせ給ふ。今わが(我)ねがい(願)みて(満)させ給へ。をや(親)は生て候か、しに(死)て候かと申て、いぬ(戌)の時より法華経をはじめてとら(寅)の時までによみければ、なにとなくをさなきこへ(声)ほうでん(宝殿)にひびきわたり、こゝろすご(凄)かりければ、まいりてありける人人もかへる事をわすれにき。皆人いち(市)のやうにあつまり(集)てみければ、をさなき人にて法師ともをぼえず、をうな(女)にてもなかりけり。をりしもきやう(京)のにいどの(二位殿)御さんけい(参詣)ありけり。人め(目)をしのばせ(忍)給てまいり給たりけれども、御経のたうとき(貴)事つねにすぐれたりければ、はつる(果)まで御聴聞ありけり。さてかへらせ給てをはしけるがあまりなごり(名残)をしさに、人をつけてをきて大将殿へかゝる事ありと申せ給ければ、めし(召)て持仏堂にして御経よませまいらせ給けり。さて次日又御聴聞ありければ、西のみかど(御門)人さわぎけり。いかなる事ぞとききしかば、今日はめしうど(囚人)のくび(頸)きらるるとのゝしりけり。あわれわがをや(我親)はいままで有べしとはをもわねども、さすが人のくび(頸)をきらるると申せば、我身のなげきとをもひ(思)てなみだ(涙)ぐみたりけり。大将殿あやしとごらん(御覧)じて、わちご(和児)はいかなるものぞ、ありのまゝに申せとありしかば、上くだん(件)の事一一に申けり。をさふらひ(御侍)にありける大名、小名、みす(翆簾)の内みなそで(袖)をしぼり(絞)けり。大将殿かぢわら(梶原)をめし(召)てをほせありける、大はし(橋)太郎というめしうど(囚人)まいらせよとありしかば、只今くび(頸)きらんとてゆいのはま(由比浜)へつかわし候ぬ。いまはきりてや候らんと申せしかば、このちご(児)御まへ(前)なりけれどもふしころびなき(泣)けり。をゝせ(仰)ありけるは、かぢわら(梶原)われとはしり(走)て、いまだ切ずばぐ(具)してまいれとありしかば、いそぎいそぎ(急急)ゆいのはま(由比浜)へはせ(馳)ゆく。いまだいたらぬに、よば(呼)わりけれは、すでに頸切とて刀をぬきたりけるときなりけり。さてかぢわら(梶原)をゝはし(大橋)の太郎をなわ(縄)つけながらぐ(具)してまいりて、をゝには(大庭)にひきすへ(引据)たりければ、大将殿このちご(児)にとらせよとありしかば、ちご(児)はしりをり(走下)てなわ(縄)をときけり。大はし(橋)の太郎はわが子ともしらず、いかなる事ゆへにたすかるともしらざりけり。さて大将殿又めし(召)てこのちご(児)にやうやう(様様)の御ふせ(布施)たび(給)て、をゝはし(大橋)の太郎をたぶ(給)のみならず、本領をも安堵ありけり。大将殿をほせ(仰)ありけるは、法華経の御事は昔よりさる御事とわききつたへ(聞伝)たれども、丸は身にあたりて二のゆへあり。一には故親父の御くび(頸)を大上(政)入道に切られてあさましともいうばかりなかりしに、いかなる神仏にか申べきとをもいしに、走湯山の妙法尼より法華経をよみつたへ千部と申せし時、たかを(高雄)のもんがく(文覚)房、をや(親)のくびをもち来てみせたりし上、かたき(敵)を打のみならず日本国の武士の大将を給てあり。これひとへに法華経の御利生なり。二にはこのちご(児)がをや(親)をたすけぬる事不思議なり。大橋の太郎というやつは頼朝きくわい(奇怪)なりとをもう。たとい勅宣なりともかへし(返)申てくび(頸)をきりてん。あまりのにくさ(憎)にこそ十二年まで、土のろう(牢)には入てありつるにかゝる不思議あり。されば法華経と申事はありがたき事なり。頼朝は武士の大将にて、多くのつみ(罪)をつもりてあれども、法華経を信じまいらせて候へば、さりともとこそをもへどなみだ(涙)ぐみ給けり。今の御心ざしみ候へば、故なんでうどの(南条殿)はただ子なればいとをし(愛)とわをぼしめしけるらめども、かく法華経をも(以)て我がけうやう(孝養)をすべしとはよもをぼしたらじ。たとひつみ(罪)ありていかなるところにをはすとも、この御けうやう(孝養)の心ざしをば、えんまほうわう(閻魔法皇)ぼんでん(梵天)たひしやく(帝釈)までもしろしめしぬらん。釈迦仏、法華経もいかでかすてさせ給べき。かのちご(児)のちゝ(父)のなわ(縄)をときしと、この御心ざしかれにたがわず。これはなみだ(涙)をもちてかきて候なり。又むくり(蒙古)のをこれるよしこれにはいまだうけ給らず。これを申せば日蓮房はむくり(蒙古)国のわたるといへばよろこぶと申す、これゆわれ(謂)なき事なり。かゝる事あるべしと申せしかば、あだがたき(仇敵)と人ごとにせめしが、経文かぎりあれば来なり。いかにいうともかなう(叶)まじき事なり。失もなくして国をたすけんと申せし者を用こそあらざらめ。又法華経の第五の巻をも(以)て日蓮がおもて(面)をうちしなり。梵天、帝釈是を御覧ありき。鎌倉の八幡大菩薩も見させ給き。いかにも今は叶まじき世にて候へば、かゝる山中にも入ぬるなり。各各も不便とは思へども助けがたくやあらんずらん。よるひる(夜昼)法華経に申候なり。御信用の上にも力もをし(惜)まず申せ給へ。あえてこれよりの心ざしのゆわき(弱)にはあらず。各各の御信心のあつくうすき(厚薄)にて候べし。たいし(大旨)は日本国のよき人人は、一定いけどりにぞなり候はんずらん。あらあさましや、あさましや。恐恐謹言。 
  後三月二十四日                    日蓮花押
   南条殿御返事
(啓三四ノ二六。鈔二三ノ四七。語四ノ四八。拾七ノ二六。扶一三ノ二六。)

#0214-300.TXT 妙密上人御消息 建治二(1276.閏03・05) [p1162]

 青鳧五貫文給候ひ畢んぬ。[p1162]
 夫れ五戒の始めは不殺生戒、六波羅蜜の始めは檀波羅蜜也。十善戒・二百五十戒・十重禁戒等の一切の諸戒の始めは皆不殺生戒也。上大聖より下蚊虻に至るまで命を財とせざることはなし。これを奪へば又第一の重罪也。如来世に出で給ひては生をあわれむを本とす。生をあわれむしるしには命を奪はず、施食を修するが第一の戒にて候也。人に食を施すに三の功徳あり。一には命をつぎ、二には色をまし、三には力を授く。命をつぐは、人中天上に生まれては長命の果報を得、仏に成りては法身如来と顕れ、其の身虚空と等し。力を授くる故に、人中天上に生まれては威徳の人と成りて眷属多し。仏に成りては報身如来と顕れて蓮華の臺に居し、八月十五夜の月の青天に出でたるが如し。色をます故に、人中天上に生まれては三十二相を具足して端正なる事華の如く、仏に成りては応身如来と顕れて釈迦仏の如くなるべし。夫れ須弥山の始めを尋ぬれば一塵也。大海の初めは一露也。一を重ぬれば二となり、二を重ぬれば三乃至十百千万億阿僧祇の母は唯一なるべし。[p1162]
 されば日本国には仏法に始まりし事は天神七代・地神五代の後、人王百代其の初めの王をば神武天皇と申す。神武より第三十代に当りて欽明天皇の御宇に、百済国より経竝びに教主釈尊の御影、僧尼等を渡す。用明天皇の太子の上宮と申せし人、仏法を読み初め、法華経を漢土よりとりよせさせ給ひて疏を作りて弘めさせ給ひき。それより後、人王三十七代孝徳天皇の御宇に、観勒僧正と申す人、新羅国より三論宗・成実宗を渡す。同じき御代に道昭と申す僧、漢土より法相宗・倶舎宗を渡す。同じき御代に審祥大徳、華厳宗を渡す。第四十四代元正天皇の御宇に、天竺の上人、大日経を渡す。第四十五代聖武天皇の御宇に、鑑真和尚と申せし人、漢土より日本国に律宗を渡せし次いでに、天台宗の玄義・文句・円頓止観・浄名疏等を渡す。然れども真言宗と法華宗との二宗をばいまだ弘め給はず。[p1162-1163]
 人王第五十代桓武天皇の御代に、最澄と申す小僧あり、後には伝教大師と号す。此の人、入唐已前に真言宗と天台宗の二宗の章疏を十五年が間、但一人見置き給ひき。後に延暦二十三年七月に漢土に渡り、かへる年の六月に本朝に著せ給ひて、天台・真言の二宗を七大寺の碩学数十人に授けさせ給ひき。其の後、于今四百年也。[p1163]
 総じて日本国に仏法渡りて于今七百余年也。或は弥陀の名号、或は釈迦の名号等をば、一切衆生に勧め給へる人人はおはすれども、いまだ法華経の題目南無妙法蓮華経と唱へよと勧めたる人なし。日本国に限らず、月氏等にも仏滅後一千年の間、迦葉・阿難・馬鳴・龍樹・無著・天親等の大論師、仏法を五天竺に弘通せしかども、漢土に仏法渡りて数百年の間、摩騰迦・竺法蘭・羅什三蔵・南岳・天台・妙楽等、或は疏を作り、或は経を釈せしかども、いまだ法華経の題目をば弥陀の名号の如く勧められず。唯自身一人計り唱へ、或は経を講ずる時講師計り唱へる事あり。[p1163-1164]
 然るに八宗九宗等、其の義まちまちなれども、多分は弥陀の名号、次には観音の名号、次には釈迦仏の名号、次には大日・薬師等の名号をば、唱へ給へる高祖先徳等はおはすれども、何なる故有ってか一代諸教の肝心たる、法華経の題目をば唱へざりけん。其の故を能く能く尋ね習ひ給ふべし。譬へば大医の一切の病の根源、薬の浅深は弁へたれども、故なく大事の薬をつかふ事なく、病に随ふが如し。[p1164]
 されば仏の滅後、正像二千年の間は煩悩の病軽かりければ、一代第一の良薬の妙法蓮華経の五字をば勧めざりける歟。今末法に入りぬ。人毎に重病有り。阿弥陀・大日・釈迦等の軽薬にては治し難し。又月はいみじけれども、秋にあらざれば光を惜しむ。花は目出たけれども、春にあらざればさかず。一切時による事なり。[p1164]
 されば正像二千年の間は題目の流布の時に当らざる歟。又仏教を弘めるは仏の御使也。随て仏の弟子の譲りを得る事格別也。正法千年に出でし論じ、像法千年に出でる人師等は、多くは小乗・権大乗の法華経の或は迹門・或は枝葉を譲られし人人也。いまだ本門の肝心たる題目を譲られし上行菩薩、世に出現し給はず。此の人末法に出現して、妙法蓮華経五字を一閻浮提の中、国ごと人ごとに弘むべし。例せば当時日本国に弥陀の名号の流布しつるが如くなるべき歟。[p1164-1165]
 然るに日蓮は何れの宗の元祖にもあらず、又枝葉にもあらず。持戒・破戒にも闕けて無戒の僧、有智・無智にもはづれたる牛羊の如くなる者也。何にしてか申し初めけん。上行菩薩の出現して弘めさせ給ふべき妙法蓮華経の五字を、先立ちてねごとの様に、心にもあらず、南無妙法蓮華経と申し初めて候ひし程に唱ふる也。所詮よき事にや候らん、又悪き事にや侍るらん、我もしらず、人もわきまへがたき歟。但し法華経を開きて拝し奉るに、此の経をば等覚の菩薩・文殊・弥勒・観音・普賢までも輒く一句一偈をも持つ人なし。唯仏与仏と説き給へり。[p1165]
 されば華厳経は最初の頓説、円満の経なれども、法華経の四菩薩に説かせ給ふ。般若経は又華厳経程こそなけれども、当分は最上の経ぞかし。然れども須菩提これを説く。但法華経計りこそ、三身円満の釈迦の金口の妙説にては候なれ。されば普賢・文殊なりとも輒く一句一偈をも説き給ふべからず。何に況んや末代の凡夫我等衆生は一字二字なりとも自身には持ちがたし。諸宗の元祖等法華経を読み奉れば、各各其の弟子等は我が師は法華経の心を得給へりと思へり。然れども詮を論ずれば、慈恩大師は深密経・唯識論を師として法華経をよみ、嘉祥大師は般若経・中論を師として法華経をよむ。杜順・法蔵等は華厳経・十住毘婆沙論を師として法華経を読み、善無畏・金剛智・不空等は大日経を師として法華経をよむ。此れ等の人人は各法華経をよめりと思へども、未だ一句一偈もよめる人にはあらず。詮を論ずれば、伝教大師ことはりて云く、雖讃法華経還死法華心〔法華経を讃むると雖も還て法華の心を死す〕云云。例せば外道は仏経をよめども外道と同じ。蝙蝠が昼を夜と見るが如し。又赤き面の者は白き鏡も赤しと思ひ、太刀に顔をうつせるもの円かなる面をほそながしと思ふに似たり。[p1165-1166]
 今日蓮は然らず。已今当の経文を深くまほり、一経の肝心たる題目を我も唱へ人にも勧む。麻の中の蓬、墨うてる木の、自体は正直ならざれども自然に直ぐなるが如し。経のまゝに唱ふればまがれる心なし。当に知るべし。仏の御心の我等が身に入らせ給はずば唱へがたき歟。[p1166]
 又それ他人の弘めさせ給ふ仏法は皆師より習ひ伝へ給へり。例せば鎌倉の御家人等の御知行、所領の地頭、或は一町二町なれども皆故大将家の御恩也。何に況んや百町千町一国二国を知行する人人をや。賢人と申すはよき師より伝へたる人、聖人と申すは師無くして我と覚れる人也。仏滅後、月氏・漢土・日本国に二人の聖人あり。所謂天台・伝教の二人也。此の二人をば聖人とも云ふべし。又賢人とも云ふべし。天台大師は南岳に伝へたり。是れは賢人也。道場にして自解仏乗し給ひぬ。又聖人也。伝教大師は道邃・行満に止観と円頓の大戒を伝へたり、これは賢人也。入唐已前に日本国にして真言・止観の二宗を師をなくしてさとり極め、天台宗の智慧を以て六宗七宗に勝れたりと心得給ひしは是れ聖人也。然れば外典に云く 生而知之者上也「上者聖人名也」。学而知之者次也[次者賢人名也]〔生れながらにして之を知る者は上なり[上とは聖人の名なり]。学んで之を知るは次なり[次とは賢人の名なり]〕。内典に云く_我行無師保〔我が行は師の保(たすけ)なし〕等云云。[p1166-1167]
 夫れ教主釈尊は娑婆世界第一の聖人也。天台・伝教の二人は聖賢に通うずべし。馬鳴・龍樹・無著・天親等、老子・孔子等は或は小乗、或は権大乗、或は外典の聖賢也。法華経の聖賢には非ず。今日蓮は聖にも賢にも非ず。持戒にも無戒にも、有智にも無智にも当らず。然れども法華経の題目の流布すべき後五百歳二千二百二十余年の時に生まれて、近くは日本国、遠くは月氏・漢土の諸宗の人人唱へ始めざる先に、南無妙法蓮華経と声高によばはりて二十余年をふる間、或は罵られ、打たれ、或は・をかうほり、或は流罪に二度、死罪に一度定められぬ。其の外の大難数をしらず。譬へば大湯に大豆を漬し、小水に大魚の有るが如し。経に云く_而此経者。如来現在。猶多怨嫉。況滅度後〔而も此の経は如来の現在すら猶お怨嫉多し、況んや滅度の後をや〕。又云く_一切世間。多怨難信〔一切世間に怨多くして信じ難く〕。又云く_有諸無智人 悪口罵詈等〔諸の無智の人 悪口罵詈等し〕。或は云く_加刀杖瓦石〔刀杖瓦石を加うとも〕。或は_数数見擯出〔数数擯出せられ〕等云云。此れ等の経文は日蓮日本国に生ぜずんば、但仏の御言のみ有って其の義空しかるべし。譬へば花さき菓みならず、雷なりて雨ふらざらんが如し。仏の金言空しくて、正直の御経に大虚妄を雑へたるなるべし。[p1167-1168]
 此れ等を以て思ふに、恐らくは天台・伝教の聖人にも及ぶべし。又老子・孔子をも下しぬべし。日本国の中に但一人南無妙法蓮華経と唱へたり。これは須弥山の始めの一塵、大海の始めの一露也。二人三人十人百人、一国二国六十六箇国、已に島二つにも及びぬらん。今は謗ぜし人人も唱へ給ふらん。又上一人より下万民に至るまで、法華経の神力品の如く、一同に南無妙法蓮華経と唱へ給ふ事もやあらんずらん。木はしずかならんと思へども風やまず。春を止めんと思へども夏となる。日本国の人人は法華経は尊とけれども、日蓮房が悪ければ南無妙法蓮華経とは唱へまじとことはり給ふとも、今一度も大蒙古国より押し寄せて、壱岐・対馬の様に、男をば折ち死し、女をば押し取り、京・鎌倉に打ち入りて、国主竝びに大臣百官等を搦め取り牛馬の前にけたてつよく責めん時は、争でか南無妙法蓮華経と唱へざるべき。法華経の第五の巻をもて、日蓮が面を数箇度打ちたりしは、日蓮は何とも思はず、うれしくぞ侍りし。不軽品の如く身を責め、勧持品の如く身に当りて貴し貴し。但し法華経の行者を悪人に打たせじと、仏前にして起請をかきたりし梵王・帝釈・日月・四天等、いかに口惜しかるらん。現身にも天罰をあたらざる事は、小事ならざれば、始中終をくゝ(括)りて其の身を亡ぼすのみならず、議せらるるか。あへて日蓮が失にあらず。謗法の法師等をたすけんが為に、彼等が大過を自身に招きよせさせ給ふ歟。[p1168-1169]
 此れ等を以て思ふに、便宜ごとの青鳧五連の御志は日本国に法華経の題目を弘めさせ給ふ人に当れり。国中の諸人、一人二人乃至千万億の人、題目を唱ふるならば存外に功徳身にあつまらせ給ふべし。其の功徳は大海の露をあつめ、須弥山の微塵をつむが如し。[p1169]
 殊に十羅刹女は法華経の題目を守護せんと誓はせ給ふ。之を推するに、妙密上人竝びに女房をば母の一子を思ふが如く、・牛の尾を愛するが如く、昼夜にまほらせ給ふらん。たのもしたのもし。[p1169]
 事多しといへども委しく申すにいとまあらず。女房にも委しく申し給へ。此れは諂へる言にはあらず。金はやけば弥いよ色まさり、剣はとげば弥いよ利くなる。法華経の功徳はほむれば弥いよ功徳まさる。二十八品は正しき事はわずかなり。讃むる言こそ多く候へと思し食すべし。[p1169]
閏三月五日 日 蓮 花押[p1170]
{木+(福-示)}谷(くわがやつ)妙密上人御返事

#0218-300 春麥御書 建治二(1276.05・28) [p1180]

女房の御参詣こそ、ゆめともうつゝともありがたく候ひしか。心ざしはちのはと申す。当時の御いもふゆのたかうな(笋)のごとし。あに(豈)なつ(夏)のゆき(雪)にことならむ。春麥一俵・芋一篭・笋二丸給ひ畢んぬ。 五月二十八日勧[p1180]

#0219-300 四条金吾殿御返事 建治二(1276.06・27) [p1181]
四条金吾殿御返事(四条第十三書)
     建治二年六月。五十五歳作。
     宝外八。遺二一ノ一五。縮一四四一。類七一一。

 一切衆生南無妙法蓮華経と唱るより外の遊楽なきなり。経に云「衆生所遊楽」云云。此文あに自受法楽にあらずや。衆生のうちに貴殿もれ給べきや。所とは一閻浮提なり日本国は閻浮提の内なり。遊楽とは我等が色心、依正ともに一念三千自受用身の仏にあらずや。法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし。「現世安穏後生善処」とは是なり。ただ世間の留難来るともとりあひ給べからず。賢人、聖人も此事はのがれず。ただ女房と酒うちのみて南無妙法蓮華経ととなへ給へ。苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき、苦楽ともに思ひ合せて南無妙法蓮華経とうちとなへい(唱居)させ給へ。これあに自受法楽にあらずや。いよいよ強盛の信力をいたし給へ。恐恐謹言。
  建治二年丙子六月二十七日
                 日蓮花押
 四条金吾殿御返事

#0224-300 報恩鈔送文(与浄顕房書)建治二(1276.07・26) [p1250]
報恩鈔送文(清澄第五書)(与浄顕房書)
     建治二年七月。五十五歳作。
     外三ノ一二。遺二一ノ八六。縮一五一一。類一九七。

 御状給り候畢。親疎となく法門と申は、心に入れぬ人にはいはぬ事にて候ぞ御心得候へ。御本尊図して進せ候。此法華経は仏の在世よりも仏の滅後、正法よりも像法、像法よりも末法の初には、次第に怨敵強なるべき由をだにも御心へあるならば、日本国に是より外に法華経の行者なし。これを皆人存候ぬべし。道善御房の御死去之由去月粗承り候。自身早早と参上し、此御房をもやがてつかはすべきにて候しが、自身は内心は存ぜずといへども人目には遁世のやうに見えて候へばなにとなく此山を出ず候。此御房は又内内の申候しは、宗論やあらんずらんと申せしゆへに、十方にわか(分)て経論等を尋しゆへに国国、寺寺へ人をあまたつかはして候に、此御房はするが(駿河)の国へつかはして当時こそ来て候へ。又此文は随分大事の大事どもをかきて候ぞ。詮なからん人人にきかせなばあし(悪)かりぬべく候。又設ひさなくともあまたになり候はばほかさま(外様)にもきこえ候なば、御ため又このため安穏ならず候はんか。御まへ(前)と義城房と二人、此御房をよみてとして、嵩かもり(森)の頂にて二、三編、又故道善御房の御はか(墓)にて一辺よませさせ給ては、此御房にあづけさせ給てつねに御聴聞候へ。たびたびになり候ならば心づかせ給事候なむ。恐恐謹言。
  七月二十六日                 日蓮花押
   清澄御房
(考二ノ三二。)

#0225-300 西山殿御返事(与大内氏書)建治二(1276) [p1252]
西山殿御返事(西山第三書)(与大内氏書)
     建治二年。五十五歳作。
     受二ノ二四。遺二二ノ一。縮一五一三。類一〇四五。

 青鳧五貫文給候畢。夫雪至て白ければそむる(染)にそめられず、漆至てくろ(黒)ければしろ(白)くなる事なし。此よりうつりやすきは人の心也。善悪にそめられ候。真言、禅、念仏宗等の邪悪の者にそめられぬれば必ず地獄にをつ。法華経にそめられ奉れば必ず仏になる。経に云「諸法実相」云云。又云「若人不信乃至入阿鼻獄」云云。いかにも御信心をば雪、漆のごとくに、御もち有べく候。恐恐。
  建治二年丙子                    日蓮花押
   西山殿御返事
(微上ノ七。考二ノ五。)

#0226-300 曾谷殿御返事(成仏用心鈔)建治二(1276.08・03) [p1253]
曽谷殿御返事(曽谷第五書)(成仏用心鈔)
     建治二年八月。五十五歳作。与曽谷入道法蓮書。
     外二五ノ一七。遺二二ノニ。縮一五一三。類七一二。

 夫れ法華経第一方便品に云く「諸仏智慧甚深無量」云云。釈に云く「境淵無辺なる故に甚深と云ひ、智水測り難き故に無量と云ふ」と。抑も此経、釈の心は仏になる道は豈に境、智の二法にあらずや。されば境と云ふは万法の体を云ひ、智と云ふは自体顕照の姿を云ふ也。而るに境の淵ほとり(辺)なくふかき時は、智慧の水ながるる事つゝがなし。此の境、智合しぬれば即身成仏する也。法華以前の経は境、智各別にして、而も権教方便なるが故に成仏せず。今法華経にして境、智一如なる間、開、示、悟、入の四仏知見をさとりて成仏する也。此内証に声聞、辟支仏更に及ばざるところを、次下に「一切声聞辟支仏所不能知」と説かるる也。此境、智のに二法は何物ぞ、但南無妙法蓮華経の五字也。此の五字を地涌の大士を召出して結要付属せしめ給ふ。是を本化付属の法門とは云ふ也。然るに上行菩薩等末法の始めの五百年に出生して、此の境、智の二法たる五字を弘めさせ給ふべしと見えたり。経文赫赫たり、明明たり、誰か是を論ぜん。日蓮は其人にも非ず、又御使にもあらざれども、先序分にあらあら弘め候也。既に上行菩薩、釈迦如来より妙法の智水を受けて、末代悪世の枯稿の衆生に流れかよはし給ふ。是智慧の義也。釈尊より上行菩薩へ譲り与へ給ふ。然るに日蓮又日本国にして此法門を弘む。又是には総、別の二義あり。総、別の二義少しも相そむけば成仏思もよらず、輪廻生死のもとい(基)たらん。例せば大通仏の第十六の釈迦如来に下種せし今日の声聞は、全く弥陀、薬師に遇て成仏せず。譬ば大海の水を家内へくみ(汲)来らんには家内の者皆縁をふるべき也。然れども汲み来るところの大海の一滴を閣きて、又他方の大海の水を求めん事は大僻案也、大愚痴也。法華経の大海の智慧の水を受たる根源の師を忘れて、余へ心をうつさば必ず輪廻生死のわざはい(禍)なるべし。但し師なりとも誤ある者をば捨つべし、又捨てざる義も有るべし。世間仏法の道理によるべき也。末世の僧等は仏法の道理をばしらずして、我慢に著して師をいやしみ、檀那をへつらふなり。但正直にして少欲知足たらん僧こそ真実の僧なるべけれ。文句一に云く「既に未だ真を発さゞれば第一義天に慙ぢ、諸の聖人に愧づ、即ち是有羞の僧なり。観慧若し発するは即ち真実の僧なり」云云。涅槃経に云く「若善比丘見壊法者置不呵責駈遺挙処当知是人仏法中怨若能駈遺呵責挙処是我弟子真声聞也」云云。此文の中に「見壊法者」の見と、「置不呵責」の置とを能能心腑に染むべきなり。法華経の敵を見ながら置てせめずんば、師、檀ともに無間地獄は疑ひなかるべし。南岳大師の云く「諸の悪人と倶に地獄に堕ちん」云云。謗法を責ずして成仏を願はば、火の中に水を求め、水の中に火を尋ぬるが如くなるべし。はかなし、はかなし。何に法華経を信じ給ふとも謗法あらば必ず地獄にをつべし。うるし(漆)千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し「毒気深入失本心故」は是也。経に云く「在在諸仏土常与師倶生」。又云く「若親近法師速得菩薩道随順是師学得見恒沙仏」。釈に云く「本此仏に従つて初めて道心を発し、亦此仏に従つて不退地に住す」。又云く「初め此仏、菩薩に従つて結縁し、還此仏、菩薩に於て成就す」云云。返す返すも本従たがへずして成仏せしめ給ふべし。釈尊は一切衆生の本従の師にて、而も主、親の徳を備へ給ふ。此法門を日蓮申す故に、忠言耳に逆ふ道理なるが故に流罪せられ、命にも及びしなり。然どもいまだこりず候。法華経は種の如く、仏はうへての如く、衆生は田の如く也。若此等の義をたがへさせ給はば、日蓮も後生は助け申すまじく候。恐恐謹言。
  建治二年丙子八月三日               日蓮花押
 曽谷殿
(微下ノ二五。考八ノ四一。)

#0227-3K0 道妙禅門御書 建治二(1276.08・10) [p1256]
道妙禅門御書(各別書)(原文漢文)
     建治二年八月。五十五歳作。
     外一三ノ一一。遺二二ノ四。縮一五一六。類一六九五。

 御親父祈祷の事承はり候間、仏前にて祈念申すべく候。祈祷に於ては顕祈顕応、顕祈冥応、冥祈冥応、冥祈顕応の祈祷ありと雖も、只肝要は此経の信心を致し給ひ候はゞ、現当の所願満足あるべく候。法華第三に云く「雖有魔及魔民皆護仏法」。第七に云く「病即消滅不老不死金言不可疑之」。妙一尼御前当山参詣有り難く候。巻物一巻之を進らせ候披見有るべく候。南無妙法蓮華経。
  建治二年丙子八月十日               日蓮花押
  道妙禅門
(考四ノ四九。)

#0228-300 四条金吾殿御返事(有知弘正法事)建治二(1276.09・06)[p1256]
四条金吾殿御返事(四条第十五書)(有知弘正法事)
     建治二年九月。五十五歳作。
     内一七ノ三〇。遺二二ノ五。縮一五一七。類八七五。

 正法をひろむる事は必ず智人によるべし。故に釈尊は一切経をとかせ給て小乗経をば阿難、大乗経をば文殊師利、法華経の肝要をば一切の声聞、文殊等の一切の菩薩をきらひて上行菩薩をめして授させ給き。設ひ正法を持てる智者ありとも、檀那なくんば争か弘るべき。然ば釈迦仏の檀那は梵王、帝釈の二人なり。これは二人ながら天の檀那なり。仏は六道の中には人天、人天の中には人に出させ給ふ。人には三千世界の中央五天竺、五天竺の中には摩竭提国に出させ給て候しに、彼国の王を檀那とさだむべき処に彼国の阿闍世王は悪人なり。聖人は悪王に生れあふ事、第一の怨にて候しぞかし。阿闍世王は賢王なりし父をころす、又うちそう(添)わざはひと提婆達多を師とせり。達多は三逆罪をつくる上、仏の御身より血を出したりし者ぞかし。不孝の悪王と謗法の師とよりあひて候しかば、人間に二のわざはひにて候しなり。一年、二年ならず、数十年が間仏にあだをなしまいらせ、仏の御弟子を殺せし事数をしらず、かゝりしかば天いかりをなして天変しきりなり、地神いかりをなして地夭申に及ばず。月月に悪風、年年に飢饉、疫癘来て万民ほとんどつきなんとせし上、四方の国より阿闍世王を責む。既にあやうくなりて候し程に、阿闍世王或は夢のつげにより或は耆婆がすゝめにより、或は心にあやしむ事ありて、提婆達多をばうち捨て仏の御前にまいりて、やうやう(様々)にたいはう(怠報)申せしかば身の病忽にいえ、他方のいくさも留り国土安穏になるのみならず、三月の七日に御崩御なるべかりしが命をのべて四十年なり。千人の阿羅漢をあつめて、一切経ことに法華経をかきをかせ給き。今我等がたのむところの法華経は阿闍世王のあたへさせ給ふ御恩なり。是はさてをきぬ。仏の阿闍世王にかたらせ給し事を日蓮申ならば、日本国の人は今つくれる事どもと申さんずらんなれども、我が弟子、檀那なればかたり(語)たてまつる。仏言く、我滅後末法に入て又調達がやうなるたうとく五法を行ずる者国土に充満して、悪王をかたらひて但一人あらん智者を或はのり、或はうち或は流罪或は死に及ぼさん時、昔にもすぐれてあらん天変地夭、大風、飢饉、疫癘年年にありて他国より責べしと説れて候。守護経と申す経の第十の巻の心なり。当時の世にすこしもたがはず、然に日蓮は此一分にあたれり。日蓮をたすけんと心ざす人人少少ありといへども或は心ざしうすし。或は心ざしはあつけれども身がうご(合期)せず、やうやう(様々)にをはするに御辺は其一分なり。心ざし人にすぐれてをはする上、わづかの身命をささう(支)るも又御故なり。天もさだめてしろしめし地もしらせ給ぬらん。殿いかなる事にもあはせ給ならば、ひいへに日蓮がいのちを天のたたせ(断)給なるべし。人の命は山海空市まぬかれがたき事と定て候へども、又「定業亦能転」の経文もあり。又天台の御釈にも定業をのぶる釈もあり。前に申せしやうに蒙古国のよするまでつゝしませ給なるべし。主の御返事をば申させ給べし。身に病ありては叶がたき上、世間すでにかうと見え候。それがしが身は時によりて憶病はいかんが候はんずらん。只今の心はいかなる事も出来候はば、入道殿の御前にして命をすてんと存候。若やの事候ならば越後よりはせ上らんは、はるか(遥)なる上不定なるべし。たとひ所領をめさるるなりとも今年はきみをはなれ(離)まいらせ候べからず。是より外はいかに仰せ蒙るともをそれまいらせ候べからず。是よりも大事なる事は日蓮の御房の御事と、過去に候父母の事なりとのゝしらせ給へ。すてられまいらせ候とも命はまいらせ候べし。後世は日蓮の御房にまかせまいらせ候と、高声にうちなのり居させ給へ。
  建治二年丙子九月六日
                   日蓮花押
  四条金吾殿
(啓二四ノ七〇。鈔一七ノ二六。註一八ノ六。語三ノ二〇。拾四ノ一六。扶一〇ノ二一)

#0229-300 九郎太郎殿御返事 建治二(1276.09・15) [p1260]
九郎太郎殿御返事(上野第十二書)(与南条九郎太郎書)
     建治二年九月。五十五歳作。
     外九ノニ八。遺二二ノ八。縮一五二〇。類九七九。

 いえの芋一駄送給候。こんろん(崑崙)山と申す山には玉のみ有て石なし。石ともし(乏)ければ玉をも(以)て石をかう。はうれいひん(彭蠡浜)と申す浦には木草なし。いを(魚)もて薪をかう。鼻に病あるものはせんだん(栴檀)香用にあらず。眼なき者には明なる鏡なにかせん。此身延の沢と申す処は甲斐国波木井の郷の内の深山也。西には七面のかれと申すたけ(岳)あり、東は天子のたけ、南は鷹取のたけ、北は身延のたけ、四山の中に深き谷あり。はこ(箱)のそこ(底)のごとし。峯にははかう(巴峡)の猿の音かまびすし、谷にはたいかいの石多し。然どもするが(駿河)のいも(芋)のやうに候石は一も候はず。いも(芋)のめずらしき事くらき夜のともしび(灯)にもすぎ、かはける(渇)時の水にもすぎて候ひき。いかにめづらしからずとはあそばされて候ぞ。されば其には多く候歟。あらこひし(恋)あらこひし。法華経釈迦仏にゆづりまいらせ候ぬ。定て仏は御志ををさめ給なれば御悦候らん。霊山浄土へまひらせ給たらん時御尋あるべし。恐恐謹言。
  建治二年丙子九月十五日          日蓮花押
   九郎太郎殿御返事
(微上ノ二五。考四ノ八)

#0231-300 松野殿御返事 建治二(1276.12・09) [p1264]
松野殿御返事(松野第二書)
     建治二年十二月。五十五歳作。
     外八ノ三八。遺二二ノ一〇。縮五二二。類六三七。

 鵞目一結、白米一駄、白小袖一送給畢ぬ。抑此山と申は南は野山漫漫として百余里に及べり。北は身延山高く峙ちて白根が岳につづき、西には七面と申す山峨峨として白雪絶えず。人の住家一宇もなし。適問くる物とては梢を伝ふ猿猴なれば、少も留る事なく還るさ急ぐ恨みなる哉。東は富士河漲りて流沙の浪に異ならず。かゝる所なれば訪人も希なるに加様に度度音信せさせ給ふ事不思議の中の不思議也。実相寺の学徒日源は日蓮に帰伏して所領を捨て、弟子檀那に放され御座て我身だにも置処なき由承り候に、日蓮を訪ひ衆僧を哀みさせ給事誠の道心也。聖人也。已に彼人は無双の学生ぞかし。然るに名聞名利を捨てて某が弟子と成て、我身にには我不愛身命の修行を致し、仏の御恩を報ぜんと面面までも教化申し、此の如く供養等まで捧げしめ給事不思議也。末世には狗犬の僧尼は恒沙の如しと仏は説せ給て候也。文の意は末世の僧、比丘尼は名聞名利に著し、上には袈裟、衣を著たれば形は僧、比丘尼に似たれども内心には邪見の剣を提て、我出入する檀那の所へ余の僧尼をよせじと無量の讒言を致し、余の僧尼を寄せずして檀那を惜まん事、譬ば犬が前に人の家に至て物を得て食ふが、後に犬の来を見ていがみほへ食合が如くなるべしと云心也。是の如の僧尼は皆皆悪道に堕すべき也。此学徒日源は学生なれば此文をや見させ給けん。殊の外に僧衆を訪ひ顧み給事誠に有難く覚え候。御文に云、此経を持ち申て後退転なく十如是自我偈を読奉り、題目を唱へ申候也。但し聖人の唱させ給ふ題目の功徳と、我等が唱へ申す題目の功徳と何程の多少候べきやと云云。更に勝劣あるべからず候。其故は愚者の持たる金も智者の持たる金も、愚者の然(燃)せる火も智者の然せる火も其差別なき也。但し此経の心に背て唱へば其差別有べき也。此経の修行に重重のしなあり。其大概を申ば記の五に云「悪の数を明す事をば今の文には説不説と云ふ耳」。有人此を分ちて云く「先に悪因を列ね次に悪果を列ぬ。悪の因に十四あり。一に?慢、二に懈怠、三に計我、四に浅識、五に著欲、六に不解、七に不信、八に顰蹙、九に疑惑、十に誹謗、十一に軽善、十二に憎善、十三に嫉善、十四に恨善也。」此十四誹謗は在家出家に亙るべし。可恐可恐。過去の不軽菩薩は一切衆生に仏性あり。法華経を持ば必ず成仏すべし。彼を軽んじては仏を軽んずるになるべしとて礼拝の行をば立させ給し也。法華経を持ざる者をさへ若持やせんずらん、仏性ありとてかくの如く礼拝し給ふ。何に況や持てる在家出家の者をや。此経の四の巻には「若は在家にてもあれ出家にてもあれ、法華経を持ち説者を一言にても毀る事あらば、其罪多き事釈迦仏を一劫の間直に毀り奉る罪には勝たり」と見へたり。或は「若実若不実」とも説れたり。以之思之忘れても法華経を持つ者をば互に毀るべからざる歟。其故は法華経を持つ者は必ず皆仏也。仏を毀ては罪を得也。加様に心得て唱る題目の功徳は釈尊の御功徳と等しかるべし。釈に云「阿鼻の依、正は全く極聖の自身に処し、毘盧の身、土は凡下の一念を逾えず」云云。十四誹謗の心は文に任て推量あるべし。加様に法門を御尋候事誠に後世を願せ給人歟。「能聴是法者斯人亦復難」とて此経は正き仏の御使、世に出ずんば仏の御本意の如く説事難き上、此経のいはれを問尋て不審を明め能信ずる者難かるべしと見えて候。何に賎者なりとも少し我より勝れて智慧ある人には此経のいはれを問尋給ふべし。然るに悪世の衆生は我慢偏執、名聞名利に著して彼が弟子と成べき歟。彼に物を習はば人にや賎く思はれんずらんと、不断悪念に住して悪道に堕すべしと見えて候。法師品には「人有て八十億劫の間無量の宝を尽して仏を供養し奉らん功徳よりも、法華経を説ん僧を供養して後に須臾の間も此経の法門を聴聞する事あらば、我大なる利益功徳を得べしと悦ぶべし」と見えたり。無智の者は此経を説者に使れて功徳をうべし。何なる鬼畜なりとも法華経の一偈一句をも説ん者をば、「当起遠迎 当如敬仏」の道理なれば仏の如く互に敬べし。例ば宝塔品の時の釈迦、多宝の如くなるべし。此三位房は下劣の者なれども少分も法華経の法門を申者なれば、仏の如く敬て法門を御尋あるべし。「依法不依人」此を思ふべし。されば昔独の人有て雪山と申す山に住給き、其名を雪山童子と云ふ。蕨をおり菓を拾て命をつぎ、鹿の皮を著物とこしらへ肌をかくし、閑に道を行じ給き。此雪山童子おもはれけるは、倩世間を観ずるに生死無常の理なれば生ずる者は必ず死す。されんば憂世の中のあだはかなき事、譬へば電光の如く朝露の日に向て消るに似たり。風の前の灯の消やすく、芭蕉の葉の破やすきに異ならず。人皆此無常を遁れず、終に一度は黄泉の旅に趣くべし。然れば冥途の旅を思に、闇闇としてくらければ日月星宿の光もなく、せめて灯燭とてともす火だにもなし。かゝる闇き道に又ともなふ人もなし。裟婆にある時は親類、兄弟、妻子、眷属集つて、父は慈みの志高く母は悲みの情深く、夫妻は海老同穴の契とて、大海にあるえびは同じ畜生ながら夫妻ちぎり細かに、一生一処にともなひて離去る事なきが如く、鴛鴦の衾の下に枕を並て遊び戯る中なれども、彼冥途の旅には伴なふ事なし。冥冥として独り行く誰か来て是非を訪はんや。或は老少不定の境なれば、老たるは先立ち若きは留る。是は順次の道理也。歎の中にもせめて思なぐさむ方も有ぬべし。老たるは留り若きは先立つ。されば恨の至て恨めしきは、幼くして親に先立つ子、歎の至て歎かしきは、老て子を先立つる親也。是の如く生死無常、老少不定の境あだにはか(果敢)なき世の中に、但昼夜に今生の貯をのみ思ひ、朝夕に現世の業をのみなして、仏をも敬はず法をも信ぜず、無行無智にして徒らに明し暮して、閻魔の庁庭に引迎へられん時は何を以てか資料として三界の長途を行き、何を以て船筏として生死の曠海を渡て実報、寂光の仏土に至ん哉と思ひ、迷へば夢、覚れば寤。しかじ夢の憂世を捨てて寤の覚を求んにはと思惟し、彼山に篭て観念の牀の上に妄想顛倒の塵を払ひ、偏に仏法を求め給所に、帝釈遥に天より見下し給て思食さるる様は、魚の子は多けれども魚となるは少なく、菴羅樹の花は多くさけども菓になるは少なし。人も又此の如し。菩提心を発す人は多けれども退せずして実の道に入者は少し。都て凡夫の菩提心は多く、悪縁にたぼらかされ、事にふれて移りやすき物也。鎧を著たる兵者は多けれども、戦に恐をなさざるは少なきが如し。此人の意を行て試ばやと思て、帝釈、鬼神の形を現じ童子の側に立給ふ。其時仏、世にましまさざれば、雪山童子普く大乗経を求るに聞ことあたはず。時に諸行無常、是生滅法と云音ほのかに聞ゆ。童子驚き四方を見給に人もなし。但鬼神近付て立たり。其形けはしくをろろしく(恐)して頭のかみは炎の如く、口の歯は剣の如く、目を瞋らして雪山童子をまほり奉る。此を見るにも恐れず、偏に仏法を聞事を喜び怪しむ事なし。譬ば母を離れたるこうし(犢)ほのかに母の音を聞つるが如し。此事誰か誦しつるぞ、いまだ残の語あらんとて普く尋求るに、更に人もなければ若も此語は鬼神の説つる歟と疑へども、よもさもあらじと思ひ彼身は罪報の鬼神の形也。此偈は仏の説給へる語也。かゝる賎き鬼神の口より出べからずとは思へども、亦殊に人もなければ若し此語汝が説つるかと問へば、鬼神答て云ふ、我に物な云ぞ。食せずして日数を経ぬれば飢疲れて正念を覚えず。既にあだごと云つるならん。我うつけ(現)る意にて云へば知事もあらじと答ふ。童子の云、我は此半偈を聞つる事、半なる月を見るが如く半なる玉を得るに似たり。慥に汝が語也。願は残る偈を説給へとのたまふ。鬼神の云、汝は本より悟あれば聞ずとも恨は有べからず。吾は今飢に責られたれば物を云べき力なし。都て我に向て物な云ぞと云ふ。童子猶物を食ては説かんやと問ふ、鬼神答て食ては説てんと云ふ。童子悦びてさて何物をか食とするぞと問へば、鬼神の云、汝更に問べからず、此を聞ては必ず恐を成ん。亦汝が求むべき物にもあらずと云へば、童子猶責て問給はく、其物をとだにも云はば、心みにも求んとの給ば、鬼神の云、我は但人の和らかなる肉を食し、人のあたゝかなる血を飲む。空を飛び普く求れども、人をば各守り給ふ仏神ましませば心に任せて殺しがたし。仏神の捨て給ふ衆生を殺して食する也と云ふ。其時雪山童子の思給はく、我法の為に身を捨て、此偈を聞畢らんと思て、汝が食物こゝに有り外に求べきにあらず。我身いまだ死せず、其肉あたゝか也。我身いまだ寒ず、其血あたゝかならん。願は残の偈を説給へ、此身を汝に与んと云ふ。時に鬼神大に瞋て云、誰か汝が語を実とは憑むべき。聞て後には誰をか証人として糺さんと云ふ。雪山童子の云、此身は終に死すべし。徒に死せん命を法の為に投ば、きたなくけがらはし(汚穢)き身を捨てて、後生は必ず覚を開き仏となり清妙なる身を受べし。土器を捨てて宝器に替るが如くなるべし。梵天、帝釈、四大天王、十方の諸仏菩薩を皆証人とせん。我更に偽るべからずとの給り。其時鬼神少し和いで若汝が云処、実ならば偈を説かんと云ふ。其時雪山童子大に悦んで、身に著たる鹿の皮を脱で法座に敷き、頭を地に付け掌を合せ、跪き、但願くは我為に残の偈を説給へと云て、至心に深く敬ひ給ふ。さて法座に登り鬼神偈を説て云、生滅滅已、寂滅為楽と、此時雪山童子是を聞き、悦び貴み給ふ事限なく、後世までも忘れじと度度誦して深く其心にそめ、悦敷処はこれ仏の説給へるにも異ならず、歎敷処は我一人のみ聞て人の為に伝へざらん事をと深く思て、石の上、壁の面、路の辺の諸木ごとに此偈を書付け、願は後に来ん人必ず此文を見、其義理をさとり実の道に入れと云畢て、即ち高き木に登て鬼神の前に落給へり。いまだ地に至らざるに鬼神俄に帝釈の形と成て、雪山童子の其身を受取て、平かなる所にすえ奉て恭敬礼拝して云、我暫く如来の聖教を惜て、試に菩薩心を悩し奉る也。願くは此罪を許して後世には必ず救ひ給へと云ふ。一切の天人又来て、善哉善哉、実に是れ菩薩也と讃給ふ。半偈の為に身を投て、十二劫生死の罪を滅し給へり。此事涅槃経に見えたり。然れば雪山童子の古を思へば半偈の為に猶命を捨給ふ。何に況や此経の一品一巻を聴聞せん恩徳をや。何を以てか此を報ぜん。尤も後世を願はんには、彼雪山童子の如くこそあらまほしくは候へ。誠に我身貧にして布施すべき宝なくば我身命を捨て、仏法を得べき便あらば身命を捨てて仏法を学すべし。とても此の身は徒らに山野の土と成べし。惜みても何かせん。惜むとも惜みとぐべからず。人久しといえども百年には過ず、其間の事は但一睡の夢ぞかし。受がたき人身を得て適出家せる者も、仏法を学し謗法の者を責ずして徒らに遊戯雑談のみして、明し暮さん者は法師の皮を著たる畜生也。法師の名を借て世を渡り、身を養ふといへども、法師となる義は一もなし。法師と云ふ名字をぬすめる盗人也。恥べし、恐べし。迹門には「我不愛身命但惜無上道」ととき、本門には「不自惜身命」ととき、涅槃経には「身軽法重死身弘法」と見えたり。本迹両門、涅槃経共に身命を捨て法を弘むべしと見えたり。此等の禁を背く重罪は目には見えざれども、積りて地獄に堕る事、譬ば寒熱の姿形もなく眼には見えざれども、冬は寒来て草木人畜をせめ、夏は熱来て人畜を熱悩せしむるが如くなるべし。然に在家の御身は但余念なく、南無妙法蓮華経と御唱ありて、僧をも供養し給が肝心にて候也。それも経文の如くならば随力演説も有べき歟。世の中、ものう(憂)からん時も今生の苦さへかなしし。況や来世の苦をやと思食ても南無妙法蓮華経と唱へ、悦ばしからん時も今生の悦びは夢の中の夢、霊山浄土の悦びこそ実の悦びなれと思食合せて、又南無妙法蓮華経と唱へ、退転なく修行して、最後臨終の時を待て御覧ぜよ。妙覚の山に走り登て四方をきつと見るならば、あら面白や、法界寂光土にして、瑠璃を以て地とし金の縄を以て八の道を界へり。天より四種の花ふり虚空に音楽聞えて、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき、娯楽、快楽し給ぞや。我等も其数に列りて遊戯し楽むべき事、はや近づけり。信心弱くしてはかゝる目出たき所に行べからず、行べからず。不審の事をば尚尚、承はるべく候。穴賢穴賢。
建治二年丙子十二月九日               日蓮花押
松野殿御返事
(微上ノ二二。考三ノ四九。)

#0234-300 本尊供養御書(報南条平七郎書)建治二(1276.12) [p1276]
本尊供養御書(上野第十三書)(報南条平七郎書)
     建治二年十二月。五十五歳作。与南条平七郎書
     内二三ノ三八。遺二二ノ二一。縮一五三三。類九八〇。

 法華経御本尊供養の御僧膳料米一駄、蹲鴟一駄送給候畢。法華経の文字は六万九千三百八十四字、一一の文字は我等が目には黒き文字と見え候へども、仏の御目には一一に皆御仏也。譬へば金粟王と申せし国王は沙を金となし、釈摩男と申せし人は石を珠と成し給き。玉泉に入ぬる木は瑠璃と成る。大海に入ぬる水は皆しははゆ(鹹)し。須弥山に近づく鳥は金色也。阿伽陀薬は毒を薬となす。法華経の不思議又如是。凡夫を仏に成し給ふ。蕪はうづら(鶉)となり、山の芋はうなぎ(鰻)となる。世間の不思議以て如く是。何に況や法華経の御力をや。犀の角を身にたいしぬれば、大海に入るに水身を去る事五尺、栴檀と申す香を身にぬりぬれば大火に入るに焼る事なし。法華経を持まいらせぬれば八寒地獄の水にもぬれず、八熱地獄の大火にも焼けず。法華経の第七に云「火不能焼、水不能漂」等云云。事多しと申せども年せまり(迫)て御使いそぎ候へば筆をとどめ候畢ぬ。
 建治二年丙子十二月 日             日蓮花押
   南条平七郎殿御返事
(三〇ノ六七。鈔一九ノ五。語三ノ五六。拾五ノ五二。扶一一ノ五一。)

#0235-300 松野殿御消息 建治二(1276) [p1277]
松野殿御消息(松野第三書)
     建治二年。五十五歳作。
     外九ノ五。遺二二ノ二三。縮一五三五。類一〇二八。

 昔乃往、過去の古へ、珊提嵐国と申国あり。彼国に大王あり。無諍念王と申き。彼王に千の王子あり。又彼王の第一の大臣を宝海梵志と申す。彼梵志に子あり、法蔵と申す。彼無諍念王の千の太子は穢土を捨てゝ浄土を取り給ふ。其故は此娑婆世界は何なる所と申せば、十方の国土に、父母を殺し正法を誹謗し聖人を殺せる者、彼の国国より此の娑婆世界へ追入られて候。例せば此の日本国の人大科有る者の獄に入れらるゝが如し。我力に叶はざれば哀愍せずして捨給ふ。宝海梵志一人請取て娑婆世界の人の師と成給ふ。宝海梵志の願に云「我れ未来世の穢悪土の中に於て当に作仏する事を得べし。即ち十方浄土より擯出せる衆生を集めて我れ当に之を度すべし」と誓ひ給き。無諍念王と申は阿弥陀仏成也。其千の太子は今の観音、勢至、普賢、文殊等也。其宝海梵志と申は今の釈迦如来也。此娑婆世界の一切衆生は十方の諸仏に抜捨られしを、釈迦一人許して扶けさせ給を唯我一人と申す也。
松野殿                    日蓮花押
(微上ノ二三。考四ノ一。)

#0236-300 破良観等御書 建治二(1276) [p1278]

良観・道隆・悲願聖人等が極楽寺・建長寺・寿福寺・普門寺等を立て、叡山の円頓大戒を蔑如するが如し。此れは第一には破僧罪也。二には仏の御身より血を出だす。今の念仏者等が教主釈尊の御入滅の二月十五日ををさへとり阿弥陀仏の日とさだめ、仏生日の八日をば薬師仏の日といゐ、一切の真言師が大日如来をたのみて、教主釈尊は無明に迷へる仏、我等が履とりにも及ばず、結句は潅頂して釈迦仏の頭をふむ。禅宗の法師等は教外別伝とのゝしりて、一切経をほんぐ(反古)にはをとり、我等は仏に超過せりと云云。此れは南印度の大慢ばら門がながれ、出仏身血の一分也。第三に蓮華比丘尼を打ちころす。これ仏の養母にして阿羅漢なり。此れは阿闍世王の提婆達多をすてて仏につき給ひし時、いかりをなして大火胸をやきしかば、はらをすへかねて此の尼のゆきあひ候ひたりしを、打ち殺せしなり。今の念仏者等が念仏と禅と律と真言とをせめられて、のぶるかたわなし、結句は檀那等をあひかたらひて、日蓮が弟子を殺させ、予が頭等にきずをつけ、ざんそう(讒奏)をなして二度まで流罪、あわせて頚をきらせんとくわだて、弟子等数十人をろう(牢)に申し入るゝのみならず、かまくら(鎌倉)内に火をつけて、日蓮が弟子の所為なりとふれまわして、一人もなく失とせしが如し。[p1278-1279]
 而るに提婆達多が三逆罪は仏の御身より血をいだせども爾前の仏、久遠実成の釈迦にあらず。殺羅漢も爾前の羅漢、法華経の行者にはあらず。破和合僧も爾前小乗の戒なり、法華円頓の大戒の僧にもあらず。大地われて無間地獄に入りしかども、法華経の三逆ならざれば、いたう(甚)も深くあらざりけるかのゆへに、提婆は法華経にして天王如来とならせ給ふ。今の真言師・念仏者・禅・律等の人人竝びに此れを御帰依ある天子竝びに将軍家、日本国の上下万民は、法華経の強敵となる上、一乗の行者の大怨敵となりぬ。[p1279]
 されば設ひ一切経を覚り、十方の仏に帰依し、一国の堂搭を建立し、一切衆生に慈悲ををこすとも、衆流大海に入りかんみ(鹹味)となり、衆鳥の須弥山に近づきて同色となるがごとく、一切の大善変じて大悪となり、七福かへりて七難をこり、現在眼前には他国のせめきびしく、自身は兵にやぶられ、妻子は敵にとられて、後生には無間大城に堕つべし。此れをもんてをもうに、故弥四郎殿は設ひ大罪なりとも提婆が逆にはすぐべからず。何に況んや小罪なり。法華経を信ぜし人なれば無一不成仏疑ひなきものなり。[p1279]
 疑て云く 今の真言師等を無間地獄と候は心へられぬ事なり。今の真言は源弘法大師・伝教大師・慈覚大師・智証大師、此の四大師のながれなり。此の人人地獄に堕ち給はずわ、今の真言師いかで堕ち候べき。[p1279-1280]
 答て云く 地獄は一百三十六あり。一百三十五の地獄へは堕つる人雨のごとし。其の因やすきゆへなり。一の無間大城へは堕つる人かたし。五逆罪を造る人まれなるゆへなり。又仏前には五逆なし。但殺父・殺母の二逆計りあり。又二逆の中にも仏前の殺父・殺母は決定として無間地獄へは堕ちがたし。畜生の二逆のごとし。而るに今日本国の人人は又一百三十五の地獄へはゆきがたし。日本国の人人形はことなれども同じく法華経誹謗の輩なり。日本国異なれども同じく法華誹謗の者となる事は、源伝教より外の三大師の義より事をこれり。[p1280]
 問て云く 三大師の義如何。[p1280]
 答て云く 弘法等の三大師は其の義ことなれども、同じく法華経誹謗は一同なり。所謂善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵の法華経誹謗の邪義なり。[p1280]
 問て云く 三大師の地獄へ堕つる証拠如何。[p1280]
 答て云く 善無畏三蔵は漢土・日本国の真言宗の元祖なり。彼の人すでに頓死して閻魔のせめにあへり。其のせめに値ふ事は他の失ならず。法華経は大日経に劣ると立てしゆへなり。而るを此の失をしらずして、其の義をひろめたる慈覚・智証、地獄を脱るべしや。但し善無畏三蔵の閻魔のせめにあづかりし故をだにもたづねあきらめば、此の事自然に顕れぬべし。善無畏三蔵の針の縄七すぢつきたる事は、大日経の疏に我とかかれて候上、日本醍醐の閻魔堂・相州鎌倉の閻魔堂にあらわせり。此れをもんて慈覚・智証等の失をば知るべし。[p1280-1281]
 問て云く 法華経と大日の三部経の勝劣は経文如何。[p1281]
 答て曰く 法華経には於諸経中。最在其上〔諸経の中に於て最も其の上にあり〕と説かれて、此の法華経は一切経の頂上の法なりと云云。大日経七巻・金剛頂経三巻・蘇悉地経三巻、已上十三巻の内、法華経に勝ると申す経文は一句一偈もこれなし。但蘇悉地経ばかりにぞ_於三部中此教為王〔三部の中に於て此の経を王と為す〕と申す文候。此れは大日の三部経の中の王なり。全く一代の諸経の中の大王にはあらず。例せば本朝の王を大王といふ。此れは日本国の内の大王なり。全く漢土・月支の諸王に勝れたる大王にはあらず。法華経は一代の一切経の中の王たるのみならず、三世十方の一切の諸仏の所説の中の大王なり。例せば大梵天王のごときんば諸の小王・転輪王・四天王・釈王・魔王等の一切の王に勝れたる大王なり。金剛頂経と申すは真言教の頂上、最勝王経と申すは外道・天仙等の経の中の大王、全く一切経の中の頂上にはあらず。法華経は一切経の頂上の宝珠なり。論師人師をすてて専ら経文をくらべばかくのごとし。[p1281]
而るを天台宗出来の後、月氏よりわたれる経論竝びにわたくしの言をまじへて事を仏説によせ、或は事を月氏の経によせなんどして、私の筆をそへ仏説のよしを称す。善無畏三蔵等は法華経と大日経との勝劣を定むるに理同事勝と云云。此れは仏意にはあらず。仏説のごとくならば大日経等は四十余年の内、四十余年の内にも華厳・般若等には及ぶべくもなし。但阿含小乗経にすこしいさてたる経也。而るを慈覚大師等は此の義を弁へずして、善無畏三蔵を重くをもうゆへに、理同事勝能義を実義とをもえり。[p1281-1282]
弘法大師は又此れ等にはにるべくもなき僻人なり。所謂法華経は大日経に劣るのみならず、華厳経等にもをとれり等云云。而るを此の邪義を人に信ぜさせんために、或は大日如来より写瓶せりといゐ、或は我まのあたり霊山にしてきけりといゐ、或は師の慧果和尚の我をほめし、或は三鈷をなげたりなんど申す種種の誑言をかまへたり。愚かな者は今信をとる。[p1282]
又天台の真言師は慈覚大師を本とせり。叡山の三千人もこれを信ずる上、随て代代の賢王の御世に勅宣を下す。其の勅宣のせん(詮)は法華経と大日経とは同醍醐、譬へば鳥の両翼、人の左右の眼等云云。今の世の一切の真言師は此の義をすぎず。此れ等は螢火を日月に越ゆとをもひ、蚯蚓を花山より高しという義なり。其の上、一切の真言師は潅頂となづけて、釈迦仏を直ちにかきてしきまんだら(敷曼陀羅)となづけて、弟子の足にふませ、或は法華経の仏は無明に迷へる仏、人の中のえぞ(夷)のごとし。真言師が履とりにも及ばず、なんどふみ(文)につくれり。今の真言師は此の文を本疏となづけて、日日夜夜に談義して、公家・武家のいのりとがうして、ををくの所領を知行し、檀那をたぼらかす。[p1282-1283]
事の心を案ずるに、彼の大慢ばら門がごとく、無垢論師にことならず。此れ等は現身に阿鼻の大火を招くべき人人なれども、強敵のなければさてすぐるか。而りといへども、其のしるし眼前にみへたり。慈覚と智証との門下等闘諍ひまなく、弘法と聖覚が末孫が本寺と伝法院、叡山と薗城との相論は修羅と修羅と猿と犬とのごとし。此れ等は慈覚の無想に日をいる(射)とみ、弘法の現身妄語のすへか。[p1283]
仏、末代を記して云く、謗法の者は大地微塵よりも多く、正法の者は爪上の土よりすくなかるべし。仏記まことなるかなや、今日本国かの記にあたれり。予はかつしろしめされて候がごとく、幼少の時より学問に心かけし上、大虚空蔵菩薩の御宝前に願を立て、日本第一の智者となし給へ。十二のとしより此の願を立つ。其の所願に子細あり。今くはしくのせがたし。其の後、先づ浄土宗・禅宗をきく。其の後、叡山・薗城・高野・京中・田舎等処処に修行して自他宗の法門をならひしかども、我が身の不審はれがたき上、本よりの願に、諸宗何れの宗なりとも偏黨執心あるべからず。いづれも仏説に証拠分明に道理現前ならんを用ふべし。論師・訳者・人師等にはよるべからず。専ら経文を詮とせん。又法門によりては、設ひ王のせめなりともはばかるべからず。何に況んや其の已下の人をや。父母師兄等の教訓なりとも用ふべからず。人の信不信はしらず。ありのまゝに申すべしと誓状を立てしゆへに、三論宗の嘉祥・華厳宗の澄観・法相宗の慈恩等をば、天台・妙楽・伝教等は無間地獄とせめたれども、真言宗の善無畏三蔵・弘法大師・慈覚・智証等の僻見はいまだせむる人なし。善無畏・不空等の真言宗をすてて天台による事は、妙楽大師の記の十の後序竝びに伝教大師の依憑集にのせられたれども、いまだくはしからざればにや、慈覚・智証の謬・は出来せるかと強盛にせむるなり。[p1283-1284]
かく申す程に、年卅二、建長五年の春の比より念仏宗と禅宗等とをせめはじめて、後に真言宗等をせむるほどに、念仏者等始めにはあなづる。日蓮いかにかしこくとも明円房・公胤僧正・顕真座主等にはすぐべからず。彼の人人だにもはじめは法然上人をなん(難)ぜしが、後にみな堕ちて、或は上人の弟子となり、或は門下となる。日蓮はかれがごとし。我つめん、我つめんとはやりし程に、いにしへの人人は但法然をなんじて、善導・道綽等をせめず。又経の権実をいわざりしかばこそ、念仏者はをごりけれ。[p1284]
今日蓮は善導・法然等をば無間地獄につきをとして、専ら浄土の三部経を法華経にをしあはせてせむるゆへに、螢火に日月、江河に大海のやうなる上、念仏は仏のしばらくの戯論の法、実にこれをもんて生死をはなれんとをもわば、大石を船に造り大海をわたり、大山をにな(荷)て険難を越ゆるがごとしと難ぜしかば、面をむかうる念仏者なし。後には天台宗の人人をかたらひて、どしうち(同志打)にせんとせしかども、それもかなはず。天台宗の人人もせめられしかば、在家出家の心ある少少念仏と禅宗とをすつ。[p1284-1285]
念仏者・禅宗・律僧等、我が智力叶はざるゆへに、諸宗に入りあるきて種種の讒奏をなす。在家の人人は不審あるゆへに、各各の持僧等、或は真言師、或は念仏者、或はふるき天台宗、或は念仏者、或はふるき天台宗、或は禅宗、或は律僧等をわきにはさみて、或は日蓮が住処に向ひ、或はかしこへよぶ。而れども一言二言にはすぎず。迦旃延が外道をせめしがごとく、徳慧菩薩が摩沓婆をつめ(詰)しがごとく、せめしゆへに其の力及ばず。人は智かしこき者すくなきかのゆへに、結句は念仏者等をばつめさせて、かなはぬところには、大名してものをぼへぬ侍ども、たのしくて先後も弁へぬ在家の徳人等、挙って日蓮をあだするほどに、或は私に狼藉をいたして日蓮がかたの者を打ち、或は所ををひ、或は地をたて、或はかんだう(勘当)をなす事かずをしらず。[p1285]
上に奏すれども、人の主となる人はさすが戒力といゐ、福田と申し、子細あるべきかとをもひて、左右なく失にもなされざりしかば、きりもの(権臣)どもよりあひて、まちうど(町人)等をかたらひて、数万人の者をもんて、夜中におしよせ失はんとせしほどに、十羅刹の御計らひにてやありけん、日蓮其の難を脱れしかば、両国の吏心をあわせたる事なれば、殺されぬをとがにして伊豆の国へながされぬ。最明寺殿計りこそ、子細あるかとおもわれて、いそぎゆるされぬ。さりし程に、最明寺入道殿隠れさせ給ひしかば、いかにも此の事あしくなりなんず。いそぎかくるべき世なりとはをもひしかども、これにつけても法華経のかたうどつよくせば、一定事いで来るならば身命をすつるにてこそあらめと思ひ切りしかば、讒奏の人人いよいよかずをしらず。上下万民皆父母のかたき、とわり(遊女)をみるがごとし。不軽菩薩の威音王仏のすへ(末)にすこしもたがう事なし。[p1285-1286]

#0237-3K0 法華経二十重勝諸経義 建治三(1277.01・23) [p1287]
法華経二十重勝諸経義(原文漢文)(与大内氏書)
     建治三年。五十六歳著。与西山氏書。
     外二二ノ二四。遺二四ノ一。縮一六六六。類一三一六。

 南無妙法蓮華経。東春に云く、問ふ、何が故ぞ経を謗じて無間に入るや。答ふ、一乗は是極楽の経なり。極妙の法を謗ずるが故に極苦の処を感ずるなり。初めには極法及以尊人を謗ずる故に賎獣の報を受く。二には平等大慧の経を謗ずる故に愚獣の報を受く。三には仏に権、実の二教有り、権に執じて而も実を破る故に一目の報を得。四には法を謗り人を毀るの時、心に瞋恚を生ずる故に蛇身の報を受く。経に其形長大とは大法を瞋る故に大苦の身報を受く。対つて法を聞かざる故に聾病の報を受く。行法を受けざる故に無足の報を受く。愚痴にして経を謗ずる故に暗鈍の報を得。?慢の心にして謗ずる故に挫陋の報を得。微妙の法を謗ずる故に醜陋の報を得。正直の経を謗ずる故に背傴の報を得。経に貧窮下賎為人所使とは経に万徳を備ふるを福貴と為す。富貴の経を謗ずる故に貧賎の報を得。一乗に乗じて四方に遊び大自在を得。今自在の経を謗ずる故に不自在の報を得る、故に人の為に使はると云ふ。此経は能凡夫、二乗、菩薩の病を破る。下の経に「若人有病病即消滅」と云ふ。無病の経を謗ずる故に多病の報を得。記の四に云く「今義に依り文に附するに略して十双有り以て異相を弁ず。一には二乗に近記を与へ、二には如来の遠本を開し。三には随喜は第五十の人を歎じ、四には聞益は一生補処に至る。五には釈迦は五逆の調達を指して本師と為し、六には文殊は八歳の龍女を以て所化と為す。七には凡そ一句を聞くにも咸く授記を与ふ、八には経名を守護するに功量るべからず。九には品を聞て受持すれば永く女質を辞す、十には若し聞て読誦すれば老いず死なず。十一には五種の法師は現に相似を獲、十二には四安楽行は夢に銅輪に入る。十三には若し悩乱する者は頭七分に破れ、十四には供養すること有る者は福十号に過たり。十五には況や已、今、当は一代に絶えたる所なり、十六には其教法を歎ずるに十喩をもつて称揚す。十七には地従り涌出せるを阿逸多一人をも識らず。十八には東方の蓮華をば龍尊王未だ相本を知らず。十九には況や迹化には三千の墨点を挙げ、二十には本成をば五百の微塵に喩へたり。本、迹の事の希なる諸経に説かず」と云云。一に二乗に近記を与ふとは経に云く「舎利弗汝於未来世過無量無辺不可思議劫、供養若干千億仏奉持正法具足菩薩所行之道当得作仏。号曰華光如来○国名離垢」。私に云く、三周の声聞の授記に総、別有り。経の第五に云く「我先総説一切声聞皆已授記」文。弘決の六に云く「遍く法華已前の諸経を尋ぬるに、実に二乗作仏の文無し」云云。二に如来の遠本を開すとは、経に云く「我実成仏已来無量無辺百千万億那由佗劫、譬如五百千万億那由佗阿僧祇三千大千世界仮使有人抹為微塵」。三に随喜は第五十の人を歎ずとは、経に云く「不如是第五十人聞法華経一偈随喜功徳、百分千分百千万億分不及其一乃至算数譬喩所不能知」委しくは経の如し。四に聞益は一生補処に至るとは、経に云く「復有一四天下微塵数菩薩摩訶薩、一生当得阿耨多羅三藐三菩提」。五に釈迦は五逆の調達を指して本師と為すとは、経に云く「爾時王者則我身是、時仙人者今提婆達多是、由提婆達多善知識故令我具足六波羅密」。六に文殊は八歳の龍女を以て所化と為すとは、経に云く「文殊師利言有、娑竭羅龍王女○於刹那頃発菩提心○得不退転、慈悲仁譲志意和雅能至菩提」。七に凡そ一句を聞くにも咸く授記を与ふとは、経に云く「聞妙法華経乃至一偈一句一念随喜者、我皆与授記当得阿耨多羅三藐三菩提、又如来滅度之後若有人、聞妙法華経乃至一偈一句、一念随喜者我亦与授阿耨菩提記」云云。八に経名を守護するに功量るべからずとは、陀羅尼品に云く「汝等但能擁護受持法華名者福不可量」。九に品を聞て受持せば永く女質を辞すとは、薬王品に云く「若有女人聞是薬王菩薩本事品、能受持者尽是女身後不復受」。十に若し聞いて読誦せば老いず死なずとは、七の巻に云く「若人有病得聞是経、病即消滅不老不死」。十一に五種法師は現に相似を護るとは、経の六に云く「若読若誦若解説若書写、是人当得八百眼功徳、千二百耳功徳、八百鼻功徳、千二百舌功徳、八百身功徳、千二百意功徳、以是功徳荘厳六根皆令清浄」云云。十二に四安楽行は夢に銅輪に入るとは、経に云く「又見自身在山林中、修習善法、証諸実相、深入禅定、見十方仏」。又云く「夢作国王捨宮殿眷属及上妙五欲行詣於道場、在菩提樹下而処師子座求道過七日得諸仏之智」十三に若し悩乱する者は頭七分に破るとは、陀羅尼品に云く「若不順我呪悩乱説法者頭破作七分如阿梨樹枝」。十四に供養すること有る者は福十号に過ぐとは、経に云く「有人求仏道而於一劫中合掌在我前、以無数偈讃。由是讃仏故得無量功徳、歎美持経者其福復過彼」。十五に況や已今当は一代に絶えたる所とは、経に云く「已説今説当説、而於其中、此法華経最為難信難解」。又云く「薬王今告汝、我所説諸経、而於此経中法華最大一」云云。十六に其教法を歎ずるに十喩を以て称揚すとは、薬王品に云く「譬如一切川流江河諸水之中海為第一。衆山之中須弥山為第一、衆山之中月天子日天子転輪聖王帝釈大梵天王一切凡夫聖人四果支仏声聞辟支仏中菩薩仏」。十七に地従り涌出せるをば阿逸多一人をも識らずとは、涌出品に云く「四方地震裂皆従中涌出。世尊我昔来未曽見是事、○我於此衆中乃不識一人、忽然従地出願説其因縁」。十八に東方の蓮華をば龍尊王未だ相本を知らずとは、妙音品に云く「妙音菩薩不起于座身不動揺而入三昧。以三昧力化作八万四千衆宝蓮華。○爾時文殊師利法王子見是蓮華而白仏言、世尊是何因縁先現此瑞」。十九に況や迹化には三千の黒点を挙ぐとは、化城喩品に云く「譬如三千大千世界所有地種。仮使有人磨以為墨過於東方千国土乃下一点、大如微塵。又過千国土復下一点。彼仏滅度已来復過是数」。二十に本成功をば五百の微塵に喩ふとは、経に云く「我実成仏已来無量無辺百千万億那由佗劫。譬如五百千万億那由佗阿僧祇三千大千世界尽以為塵一塵一劫」云云。涅槃経に云く「除此正法更無救護、是故応当還帰正法」。釈に云く「妙法の外更に余経無く、唯だ一乗の法のみ有りて更に余乗無し」云云。釈に云く「諸法実相を除きて余は皆魔事と名く」。
 建治三年丁丑                 日蓮 花押
 西山殿
(微下ノ二〇。考八ノ一三。)

#0240-300 兵衛志殿女房御書 建治三(1277.03・02) [p1293]
兵衛志殿女房御書(第一書)
     建治三年三月。五十六歳作。
     外一〇ノ一七。遺二二ノ二四。縮一五三六。類九二八。

 先度仏器まいらせさせ給候しが、此度此尼御前、大事の御馬にのせさせ給ひて候由承り候。法にすぎて候御志かな。これは殿はさる事にて女房のはからひか。昔儒童菩薩と申せし菩薩は、五茎の蓮華を五百の金銭を以てかいとり、定光菩薩を七日七夜供養し給ひき。女人あり瞿夷となづく、二茎の蓮華を以て自ら供養して云く、凡夫にてあらん時は世世生生夫婦とならん、仏にならん時は同時に仏になるべし。此ちかひ(誓)くちずして九十一劫の間夫婦となる。結句儒童菩薩は今の釈迦仏、昔の瞿夷は今の耶輸多羅女。今法華経の勧持品にして具足千万光相如来是也。悉達太子檀特山に入給ひしには金泥駒、帝釈の化身。摩騰迦、竺法蘭の経を漢土に渡せしには、十羅刹化して白馬となり給ふ。此馬も法華経の道なれば百二十年御さかへの後、霊山浄土へ乗り給ふべき御馬なり。恐恐謹言。
 建治三年丁丑三月二日                 日蓮花押
 兵衛志殿女房
(微上ノ二七。考四ノ二四。)

#0241-300 六郎次郎殿御返事(報二檀越書)建治三(1277.03・19)[p1294]
六郎次郎殿御返事(各別書)(報二檀越書)
     建治三年三月。五十五歳作。
     外一〇ノ二七。遺二二ノ二五。縮一五三七。類一六九六。

 白米三斗、油一筒、給畢ぬ。いまにはじめぬ御心ざし申つくしがたく候。日蓮が悦候のみならず釈迦仏定て御悦候らん。「我則歓喜諸仏亦然」は是也。明日三位房をつかはすべく候。その時委細申すべく候。恐恐。
  建治三年丁丑三月十九日              日蓮花押
   六郎次郎殿
   次郎兵衛殿
(考四ノ二四。)

#0249-200 頼基陳状(三位房龍象房問答記)建治三(1277.06・25)[p1346]
頼基陳状(答江馬入道書)
     建治三年六月。五十六歳作。
     内二九ノ一。遺二三ノ九。縮一六〇一。類五六五。

 去六月二十三日御下文。島田左衛門入道殿、山城民部入道殿両人の御承りとして同二十五日謹で拝見仕り候畢ぬ。右仰下之状に云く「龍象御房の御説法の所に被参候ける次第、をほかた穏便ならざる由、見聞の人遍く一方ならず同口に申合候事驚き入候。徒党の仁、其数兵杖を帯して出入す」云云。此条跡形も無き虚言也。所詮誰人の申入候けるやらん、御哀憐を蒙りて被召合実否を糾明され候はば可然事にて候。凡そ此事の根源は去六月九日、日蓮聖人御弟子三位公、頼基が宿所に来り申て云く、近日龍象房と申す僧京都より下て大仏の門の西桑谷に止住して日夜に説法仕るが申て云く、現当の為仏法に御不審存ぜむ人は、来て問答可申旨説法せ令むる間、鎌倉中の上下釈尊の如く貴み奉る。しかれども問答に及ぶ人なしと風聞し候。彼へ行向て問答を遂げ、一切衆生の後生の不審をはらし候はむと思候。聞給はぬかと被申しかども折節官仕に無隙候し程に思立たず候しかども、法門の事と承りてたびたび罷り向て候へども頼基は俗家の分にて候。一言も不出候し上は悪口に不及事厳察可足候。こゝに龍象房説法の中に申て云く、此見聞満座の御中に御不審の法門あらば可被仰と申されし処に、日蓮房弟子三位公問て云く、生を受しより死をまぬかるまじきことはり始てをどろくべきに候はねども、ことさら当時日本国の災?に死亡する者数を不知、眼前の無常人毎に思しらずと云ふ事なし。然る所に京都より上人御下あて人人の不審をはらし給よし承りて参て候つれども、御説法の最中骨無くも候なばと存じ候し処に、可問事有らむ人は各各不憚問給へと候し間悦び入候。先ず不審に候事は末法に生を受て辺土のいやしき身に候へども、中国の仏法幸に此国にわたれり。是非可信受処に経は五千、七千数多也。然而一仏の説なれば所詮は一経にてこそ候らむに、華厳、真言、乃至八宗、浄土、禅とて十宗まで分れてをはします。此等の宗宗も門はことなりとも所詮は一かと推する処に、弘法大師は我朝の真言の元祖、法華経は華厳経、大日経に相対すれば門の異なるのみならず、其理は戯論の法、無明の辺域也。又法華宗の天台大師等「諍盗醍醐」等云云。法相宗の元祖慈恩大師の云く「法華経は方便、深密経は真実、無性有情永不成仏」云云。華厳宗の澄観の云く「華厳経は本教、法華経は末教、或は華厳は頓頓、法華は漸頓」等云云。三論宗の嘉祥大師の云く「諸大乗教の中には般若教第一」云云。浄土宗の善導和尚の云く「念仏は十即十生、百即百生、法華経等は千中無一」云云。法然上人の云く「法華経を念仏に対して捨閉閣抛、或は行者は群賊」等云云。禅宗の云く「教外別伝不立文字」云云。教主釈尊は法華経をば「世尊法久後要当説真実」。多宝仏は「妙法蓮華経皆是真実」。十方分身の諸仏は「舌相至梵天」とこそ見て候に、弘法大師は法華経をば戯論の法と被書たり。釈尊、多宝、十方の諸仏は「皆是真実」と被説て候。いづれをか信じ候べき。善導和尚、法然上人は法華経をば「千中無一、捨閉閣抛」。釈尊、多宝、十方分身の諸仏は「無一不成仏皆成仏道」と云云。三仏と導和尚、然上人とは水火也。雲泥也。何をか信じ候べき何をか捨候べき。就中彼導、然両人所仰双観経の法蔵比丘の四十八願の中に第十八願に云く「設ひ我仏を得るとも唯だ五逆と誹謗正法とを除く」云云。たとひ弥陀の本願実にして往生すべくとも、正法を誹謗せむ人人は弥陀仏の往生には除かれ奉るべき歟。又法華経の二の巻には「若人不信其人命終入阿鼻獄」云云。念仏宗に詮とする導、然両人は経文実ならば阿鼻大城をまぬかれ給ふべしや。彼上人地獄に堕給はせば末学、弟子、檀那等自然に悪道に堕ん事疑なかるべし。此等こそ不審に候へ。上人は如何と問給はれしかば、龍上人答て云く「上古の賢哲達をばいかでか疑ひ奉るべき。龍象等が如くなる凡僧等は仰で信じ奉り候」と答へ給しををし返して、此仰こそ智者の仰とも不覚候へ。誰人か時の代にあをがるる人師等をば疑ひ候べき。但涅槃経に仏最後の御遺言として「依法不依人」と見えて候。人師にあやまりあらば経に依れと仏は説れて候。御辺はよもあやまりましまさじと被申候。御房の私の語と仏の金言と比べんには、三位は如来の金言に付まいらせむと思候也と申されしを、象上人、人師にあやまり多しと候はいづれの人師に候ぞと問はれしかば、上に申つる所の弘法大師、法然上人等の義に候はずやと答へ給ひ候しかば、象上人は鳴呼叶ひ候まじ、我朝の人師の事は忝くも問答仕るまじく候。満座の聴衆皆皆其流にて御座す、鬱憤も出来せば定てみだりがはしき事候なむ。恐あり恐あり。申されし処に三位房の云く、人師のあやまり誰ぞと候へば経論に背く人師達をいだし候し憚あり、かなふまじと仰せ候にこそ進退きはまりて覚え候へ。法門と申は人を憚り世を恐て、仏の説給ふが如く経文の実義を不申者愚者の至極也。智者、上人とは覚え給はず。悪法世に弘りて人悪道に堕ち国土滅すべしと見へ候はむに、法師の身として争かいさめず候べき、然ば則ち法華経には「我不愛身命」。涅槃経には「寧喪失身命」等云云。実の聖人にてをはせば何が身命を惜みて世にも人にも恐れ給べき。外典の中にも龍蓬と云し者、比干と申せし賢人は頸をはねられ胸をさかれしかども、夏の桀、殷の紂をばいさめてこそ賢人の名をば流し候しか。内典には不軽菩薩は杖木をかほり師子尊者は頭をはねられ、竺の道生は蘇山にながされ法道三蔵は面に火印をさされて江南にはなたれしかども、正法を弘めてこそ聖人の名をば得候しかと難ぜられ候しかば龍聖人の云く「さる人は末代にはありがたし。我我は世をはばかり人を恐るる者にて候。さやうに被仰人とてもことばの如くには、よもをはしまし候はじと候しかば、この御房争か人の心をば知給べき。某こそ当時日本国に聞え給ふ日蓮上人の弟子として候へ。某が師匠の聖人は末代の僧にて御坐候へども、当世の大名僧の如く望で請用もせず人をも諂はず、聊か異なる悪名もたたず。只此国に、真言、禅宗、浄土宗等の悪法並に謗法の諸僧満満て上一人をはじめ奉りて下万民に至まで、御帰依ある故に法華経教主釈尊の大怨敵と成て、現世には天神地祇にすてられ他国のせめにあひ、後生には阿鼻大城に堕ち給べき由、経文にまかせて立給し程に、此事申さば大なるあだあるべし、不申者仏のせめのがれがたし。いはゆる涅槃経に「若善比丘見壞法者当知是人仏法中怨」等云云。世に恐て不申者我身悪道に可堕と御覧じて身命をすてて、去る建長年中より今年建治三年に至まで二十余年が間あえてをこたる事なし。然れば私の難は数を不知、国王の勘気は両度に及びき。三位も文永八年九月十二日の勘気の時は共奉の一行にて有しかば、同罪に被行て頸をはねらるべきにてありしは、身命を惜むものにて候かと申されしかば、龍象房口を閉て色を変候しかば、此御房申されしは是程の御智慧にては、人の不審をはらすべき由の仰無用に候けり。苦岸比丘、勝意比丘等は我正法を知て人をたすくべき由存ぜられて候しかども、我身も弟子、檀那等も無間地獄に堕候き。御法門の分斉にてそこばくの人を救はむと説給ふが如くならば、師、檀共に無間地獄にや堕給はんずらむ。今日より後は如是御説法は御はからひあるべし。加様には申まじく候へども悪法を以て人を地獄にをとさん邪師をみながら責顕はさずば返て仏法の中の怨なるべしと、仏の御いましめのがれがたき上聴聞の上下皆悪道にをち給はん事、不便に覚え候へば如此申候也。智者と申は国のあやうきをいさめ人の邪見を申とどむるこそ智者にては候なれ。是はいかなるひが事ありとも、世の恐しければいさめじと申されむ上は力不及。某文殊の智慧も富楼那の弁説も詮候はずとて被立候しかば諸人歓喜をなし合掌、今暫く御法門候へかしと留め申されしかどもやがて帰り給ひ了ぬ。此外は別の子細候はず。且は御推察あるべし。法華経を信じ参せて、仏道を願ひ候はむ者の争か法門の時、悪行を企て悪口を宗とし候べき。しかしながら御ぎやうさく(?迹)可有候。其上日蓮聖人の弟子となのりぬる上、罷帰りても御前に参りて法門問答の様かたり申候き。又た其辺に頼基しらぬもの候はず。只頼基をそねみ候人つくり事にて候にや。早早召合せられん時其隠れ有る可からず候。又被仰下状に云く「極楽寺の長老は世尊の出世と仰ぎ奉る」。此条難かむ(堪)の次第に覚え候。其故は日蓮聖人は御経にとかれてましますが如くば、久成如来の御使、上行菩薩の垂迹、法華本門の行者、五五百歳の大導師にて御座候聖人を、頚をはねらるべき由の申条を書て殺罪に申し行はれ候しがいかが候けむ、死罪を止て佐渡の島まで遠流せられ候しは良観上人の所行に候はずや。其訴状は別紙に有之。抑生草をだに伐べからずと六斎日夜説法に被給ながら、法華経正法を弘むる僧を断罪に可被行旨被申立者、自語相違に候はずや如何。此僧豈天魔の入れる僧に候はずや。只此事の起は良観房常の説法に云く、日本国の一切衆生を皆持斎になして八斎戒を持たせて、国中の殺生天下の酒を止めむとする処に日蓮房が謗法に障られて、此願難叶由歎き給ひ候間、日蓮聖人此由を聞給て、いかがして彼が誑惑の大慢心をたをして無間地獄の大苦をたすけむと仰ありしかば、頼基等は此仰法華経の御方人大慈悲の仰にては候へども、当時日本国別して武家領食の世きらざる人にてをはしますを、たやすく仰ある事いかがと弟子共同口に恐れ申候し程に、去る文永八年(太歳辛未)六月十八日大旱魃の時、彼御房祈雨の法を行ひて万民をたすけんと付申候由、日蓮聖人聞給ひて此体は小事なれども此次でに、日蓮が法験を万人に知らせばやと仰ありて、良観房の所へ仰つかはすに云く、七日の内にふらし給はば日蓮が念仏無間と申す法門すてて良観上人の弟子と成て二百五十戒持つべし。雨ふらぬほどならば彼御房の持戒げ(気)なるが大誑惑は顕然なるべし。上代も祈雨に付て勝負を決したる例これ多し。所謂護命と伝教大師と、守敏と弘法と也。仍て良観房の所へ周防房、入沢入道と申す念仏者を遣す。御房と入道は良観が弟子、又念仏者也。いまに日蓮が法門を用る事なし。是を以て勝負とせむ。七日の内に雨降ならば本の八斎戒、念仏を以て往生すべしと思べし。又雨らずば一向に法華経になるべしといはれしかば、是等悦て極楽寺の良観房に此由を申候けり。良観房悦びないて(泣)七日の内に雨ふらすべき由にて、弟子百二十余人頭より煙を出し声を天にひびかし、或は念仏、或は請雨経、或は法華経、或は八斎戒を説て種種に祈請す。四五日まで雨の気無ければたましいを失て、多宝寺の弟子等数百人呼集て力を尽て祈たるに七日の内に露ばかりも雨降らず。其時日蓮聖人使を遣す事三度に及ぶ。いかに泉式部と云し淫女、能因法師と申せし破戒の僧、狂言綺語の三十一字を以て忽にふらせし雨を、持戒持律の良観房は法華、真言の義理を極め、慈悲第一と聞へ給ふ上人の数百人の衆徒を率て七日之間にいかにふらし給はぬやらむ。是を以て思て給へ。一丈の堀を不越者、二丈三丈の堀を越けんや。やすき(易)雨をだにふらし給はず、況やかたき往生成仏をや。然れば今よりは日蓮怨み給ふ邪見をば是を以て翻し給へ。後生をそろしくをぼし給はば約束のまゝにいそぎ来給へ。雨ふらす法と仏になる道をしへ奉らむ。七日の内に雨こそふらし給はざらめ、旱魃弥興盛に八風ますます吹重りて民のなげき弥弥深し。すみやかに其いのりやめ給へと第七日の申時、使者ありのまゝに申処に良観房は涙を流す、弟子、檀那同じく声をおしまず口惜がる。日蓮御勘気を蒙る時此事御尋ね有しかば有のまゝに申給き。然れば良観房身上の恥を思はば跡をくらまして山林にもまじはり、約束のまゝに日蓮が弟子ともなりたらば道心の少にてもあるべきに、さはなくして無尽の讒言を構て殺罪に申し行はむとせしは、貴き僧かと日蓮聖人かたり給き。又頼基も見聞き候き。佗事に於てはかけはく(掛畏)も主君の御事畏入候へども、此事はいかに思候ともいかでかと思はれ候べき。又仰下状に云く「龍象房、極楽寺長老、見参の後は釈迦、弥陀とあをぎ奉る」と云云。此条又恐入候。彼龍象房は洛中にして人の骨肉を朝夕の食物とする由令露顕間、山門の衆徒峰起して世末代に及て悪鬼国中に出現せり。山王の御力を以て対治を加むとて住所を焼失し、其身を誅罰せむとする処に自然に逃失し、行方を不知処にたまたま鎌倉中に又人肉を食之間、情ある人恐怖せしめて候に仏、菩薩と仰ぎ給ふ事、所従の身として争か主君の御あやまりをいさめ申さず候べき。御内のをとなしき人人いかにこそ存じ候へ。同下状に云く「是非につけて主親の所存には相随はんこそ仏神の冥にも世間の礼にも手本」と云云。此事最第一の大事にて候へば私の申状恐入候間本文を引べく候。孝経に云く「子以て父に争はざる可からず、臣以て君に争はざる可からず」。鄭玄曰く「君父不義有らんに臣子諌めざるは則ち亡国破家の道也」。新序に曰く「主の暴を諌めざれば忠臣に非ざる也。死を畏れて言はざるは勇士に非ざる也」。伝教大師云く「凡そ不誼に当っては則ち子以て父に争はざる可からず。臣以て君に争はざる可からず。当に知るべし、君臣父子師弟、以て師に争はざる可からず」文。法華経に云く「我不愛身命但惜無上道」。涅槃経に云く「譬如王使善能談論巧於方便奉命他国、寧喪身命終不匿王所説言教、智者亦尓」文。章安大師云く「寧喪身命不匿教とは身は軽く法は重し、身を死して法を弘む」文。又云く「仏法を壞乱するは仏法の中の怨なり、慈無くして詐り親しむは即ち是れ彼の怨なり。能糾治する者は彼の為に悪を除くは則ち是れ彼が親なり」文。頼基をば傍輩こそ無礼なりと思はれ候らめども、世事にをき候ては是非父母主君の仰に随ひ参らせ候べし。其にと(取)て重恩の主の悪法の者に、たぼらかされ(誑)ましまして悪道に堕ち給はむをなげくばかり也。阿闍世王は提婆、六師を師として教主釈尊を敵とせしかば、摩竭提国皆仏教の敵となりて闍王の眷属五十八万人仏弟子を敵とする中に、耆婆大臣計仏弟子也。大王は上の頼基を思食すが如く仏弟子たる事を、御心よからず思食ししかども最後には六大臣の邪義をすてて、耆婆が正法にこそつかせ給ひ候しが、其の如く御最後をば頼基や救ひ参らせ候はんずらむ。如此令申候へば阿闍世は五逆罪の者也。彼に対するかと思食しぬべし。恐にては候へども彼には百千万倍の重罪にて御座すべしと、御経の文には顕然に見させ給て候。所謂「今此三界皆是我有、其中衆生悉是吾子」文。文の如くば教主釈尊は日本国の一切衆生の父母也、師匠也、主君也。阿弥陀仏は此三の義ましまさず。而るに三徳の仏を閣て佗仏を昼夜朝夕に称名し、六万八万の名号を唱まします。あに不孝の御所作にわたらせ給はずや。弥陀の願も釈迦如来の説せ給しかども終にくひ返し給て「唯我一人」と定め給ぬ。其後は全く二人、三人と見候はず。随て人にも父母二人なし。何の経に弥陀は此国の父、何の論に母たる旨見へて候。観経等の念仏の法門は法華経を説せ給はむ為のしばらくのしつらひ也。塔くまむ為の足代の如し。而るを仏法なれば始終あるべしと思ふ人大僻案也。塔立てて後足代を貴ぶほどのはかなき者也。又日よりも星は明と申す者なるべし。此人を経に説て云く「雖復教詔而不信受其人命終入阿鼻獄」。当世日本国の一切衆生の釈迦仏を抛て阿弥陀仏を念じ、法華経を抛て観経等を信ずる人、或は如此謗法の者を供養せむ俗男、俗女等、存外に五逆、七逆、八虐罪ををかせる者を智者と竭(渇)仰する諸大名僧並に国主等也。「如是展転至無数劫」とは是也。如此僻事をなまじいに承りて候間次を以て令申候。官仕をつかまつる者上下ありと申せども分分に随て主君を重ぜざるは候はず。上の御ため現世後生あしくわたらせ給べき事を秘かにも承りて候はむに、傍輩世に憚て申上ざらむは、与同罪にこそ候まじき歟。随て頼基は父子二代命を君にまいらせたる事顕然也。故親父(中務某)故君の御勘気かふらせ給ける時、数百人の御内の臣等心かはりし候けるに、中務一人最後の御供奉して伊豆国まで参て候き。頼基は去る文永十一年二月十二日の鎌倉の合戦の時、折節伊豆国に候しかば十日申時に承りて唯一人、筥根山を一時に馳越て御前に自害すべき八人の内に候き。自然に世しづまり候しかば于今君も安穏にこそわたらせ給ひ候へ。尓来大事、小事に付て御心やすき者にこそ思含れて候。頼基が今更何につけて疎縁に思まいらせ候べき。後生までも随従しまいらせて頼基成仏し候はば君をもすくひまいらせ、君成仏しましまさば頼基もたすけられまいらせむとこそ存じ候へ。其に付ひて諸僧の説法を聴聞仕りて何か成仏の法とうかがひ候処に、日蓮聖人御房は三界の主、一切衆生の父母、釈迦如来の御使、上行菩薩にて御坐候ける事の法華経に説れてましましけるを信じまいらせたるに候。今こそ真言宗と申す悪法日本国に渡て四百余年、去る延暦二十四年に伝教大師日本国にわたし給たりしかども、此国にあしかりなむと思食し候間宗の字をゆるさず。天台法華宗の方便となし給ひ畢ぬ。其後伝教大師御入滅の次をうかがひて、弘法大師、伝教に偏執して宗の字を加えしかども叡山は用ゆる事なかりしほどに、慈覚、智証短才にして二人の身は当山に居ながら、心は東寺の弘法に同意するかの故に、我大師には背て始て叡山に真言宗を立てぬ。日本亡国の起り是也。尓来三百余年、或は真言勝れ法華勝れ、一同なむど諍論事きれざりしかば王法も無左右不尽。人王七十七代後白河法皇の御宇に、天台の座主明雲一向に真言の座主になりしかば、明雲は義仲にころされぬ。「頭破作七分」是也。第八十二代隠岐法皇の御時、禅宗、念仏宗出来て真言の大悪法に加て国土に流布せしかば、天照太神、正八旛(幡)、百の王、百代の御誓やぶれて王法すでに尽ぬ。関東の権大夫義時に天照太神、正八旛の御計として国務をつけ給ひ畢ぬ。爰に彼の三の悪法関東に落下りて存外に御帰依あり。故に梵釈、二天、日月、四天いかりを成し、先代未有の天変地夭を以ていさむれども、用ひ給はざれば隣国に仰付て法華経誹謗の人を治罰し給ふ間、天照太神、正八旛も力及び給はず。日蓮聖人一人此事を知食せり。如此厳重の法華経にてをはして候間、主君をも導きまいらせむと存じ候故に、無量の小事をわすれて于今仕はれまいらせ候。頼基を讒言申す仁は君の御為不忠の者に候はずや。御内を罷出候はば君たちまちに無間地獄に堕させ給べし。さては頼基仏に成り候ても甲斐なしとなげき存じ候。抑彼の小乗戒は富楼那と申せし大阿羅漢、諸天の為に二百五十戒を説き候しを、浄名居士たんじ(弾)て云く「穢食を以て宝器に置く事無かれ」等云云。鴦崛摩羅は文殊を呵責し、「鳴呼、蚊蚋の行は大乗空の理を知らず」。又小乗戒をば文殊は十七の失を出し、如来は八種の譬喩を以て是をそしり給ふに、驢乳と説き蝦蟆に譬られたり。此等をは鑑真の末弟子は伝教大師をば悪口の人とこそ嵯峨天皇には奏し申し候しかども経文なれば力及び候はず。南都の奏状やぶれて叡山の大戒壇立候し上は、すでに捨られ候し小乗に候はずや。頼基良観房を蚊虻蝦蟆の法師也と申すとも、経文分明に候はば御とがめあるべからず。剰へ起請に及ぶべき由、蒙仰之条存外に歎き入候。頼基不法時病にて起請を書き候程ならば、君忽に法華経の御罰を蒙らせ給ふべし。良観房が讒訴に依て釈迦如来の御使日蓮聖人を流罪し奉りしかば、聖人の申し給ひしが如く百日が内に合戦出来りて、若干の武者滅亡せし中に、名越の公達横死にあはせ給ひぬ。是偏に良観房が失ひ奉りたるに候はずや。今又龍象、良観が心に用意せさせ給ひて、頼基に起請を書しめ御座さば、君又其罪に当らせ給はざるべしや。如此道理を不知故歟。又君をあだし奉らむと思ふ故歟。頼基に事を寄せて大事を出さむとたばかり候人等、御尋ねあて可被召合候。恐惶謹言。
   建治三年丁丑六月二十五日               四条中務尉頼基 請文
(啓三三ノ二二。鈔二ノ五三。語四ノ八。拾六ノ四九。扶一二ノ四四。)

#0254-300 兵衛志殿御返事 建治三(1277 or 1281.08・21) [p1370]
兵衛志殿御返事(池上第三書) 
     建治元年八月。五十四歳作。真蹟京都在立本寺。
     外九ノ三六。遺一九ノ五〇。縮一三〇六。類九二六。

 鵞目二貫文、武蔵房円日を使にて給候畢んぬ。
 人王三十六代皇極天皇と申せし王は女人にてをはしき。其時入鹿臣と申す者あり。あまりおごりのものぐるわし(狂)さに王位をうばはんとふるまいしを、天皇、王子等不思議とはをぼせしかども、いかにも力及ざりしほどに、大兄王子、軽王子等なげかせ給て、中臣の鎌子と申せし臣に申しあわせさせ給しかば、臣申さく、いかにも人力はかなうべしとはみへ候はず。馬子が例をひきて、教主釈尊の御力ならずば叶がたしと申せしかば、さらばとて釈尊を造奉りていのりしかば、入鹿ほどなく打たれにき。此中臣の鎌子と申人は、後には姓をかへて藤原鎌足と申し内大臣になり大職冠と申す人、今の一の人(藤原)の御先祖なる。此釈迦仏は今の興福寺の本尊なり。されば王の王たるも釈迦仏、臣の臣たるも釈迦仏、神国の仏国となりし事も、えもんのたいう(右衛門大夫)殿の御文と引合て心へさせ給へ。今代の佗国にうばわれんとする事、釈尊をいるかせにする故なり。神の力も及べからずと申はこれなり。各各二人はすでにとこそ人はみ(見)まらせ(進)しかども、かくいみじくみへさせ給はひとひ(偏)に釈迦仏、法華経の御力なりとをぼすらむ。又此にもをもひ候。後生のたのもしさ申ばかりなし。此より後もいかなる事ありとも、すこしもたゆむ(弛)事なかれ。いよいよはりあげてせむべし。設ひ命に及ともすこしもひるむ事なかれ。あなかしこあなかしこ。恐恐謹言。 
  八月二十一日                日蓮花押
   兵衛志殿御返事
(微九上ノ四一。考四ノ一一。)

#0256-300 日女御前御返事 建治三(1277.08・23) [p1374]
日女御前御返事(第一書)
     建治三年八月。五十六歳作。与松野六郎左衛門後家尼書。
     外二三ノ一二。遺二三ノ三四。縮一六二四。類七二一。

 御本尊供養の御為に鵞目五貫、白米一駄、菓子其数送り給候畢ぬ。抑此御本尊は在世五十年の中には八年、八年の間にも涌出品より属累品まで八品に顕れ給ふなり。さて滅後には正法、像法、末法の中には、正像二千年にはいまだ本門の本尊と申す名だにもなし。何に況や顕れ給はんをや、又顕すべき人なし。天台、妙楽、伝教等は内には鑒み給へども、故こそあるらめ言には出し給はず。彼の顔淵が聞し事意にはさとるといへども言に顕していはざるが如し。然るに仏滅後二千年過て末法の始の五百年に出現せさせ給ふべき由、経文赫赫たり。明明たり。天台、妙楽等の解釈分明也。爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん。竜樹、天親等、天台、妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を、末法二百余年の比、はじめて法華弘通のはた(旌)じるしとして顕し奉るなり。是全く日蓮が自作にあらず、多宝塔中大牟尼世尊、分身の諸仏すりかたぎ(摺形木)たる本尊也。されば首題の五字は中央にかかり、四大天王は宝塔の四方に坐し、釈迦、多宝、本化の四菩薩肩を並べ、普賢、文殊等、舎利弗、目連等坐を屈し、日天、月天、第六天の魔王、竜王、阿修羅、其外不動、愛染は南北の二方に陳(陣)を取り、悪逆の達多、愚痴の竜女一座をはり、三千世界の人の寿命を奪ふ悪鬼たる鬼子母神、十羅刹女等、加之日本国の守護神たる天照太神、八旛(幡)大菩薩、天神七代、地神五代の神神、総じて大小の神祇等、体の神つらなる。其余の用の神豈もるべきや。宝塔品に云く「接諸大衆皆在虚空」云云。此等の仏、菩薩、大聖等、総じて序品列坐の二界八番の雑衆等、一人ももれず此御本尊の中に住し給ひ、妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる、是を本尊とは申す也。経に云く「諸法実相」是也。妙楽云く「実相は必ず諸法、諸法は必ず十如、乃至十界は必ず身土」云云。又云く「実相の深理、本有の妙法蓮華経」等云云。伝教大師云く「一念三千即自受用身、自受用身とは出尊形の仏なり」文。此故に未曽有の大曼荼羅とは名付奉るなり。仏滅後二千二百二十余年には、此御本尊いまだ出現し給はずと云ふ事也。かゝる御本尊を供養し奉り給ふ女人、現在には幸をまねぎ、後生には此御本尊左右前後に立そひて、闇に灯の如く、険難の処に強力を得たるが如く、彼こへまはり此へより、日女御前をかこみ(囲)まほり給ふべきなり。相構へ相構へとわり(後妻)を我家へよせ(寄)たくもなき様に、謗法の者をせかせ給べし。「捨悪知識親近善友]とは是也。此御本尊全く余所に求むる事なかれ。只我等衆生法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱る胸中の肉団におはしますなり。是を九識心王真如の都とは申す也。十界具足とは十界一界もかけず一界にある也。依之曼陀羅とは申す也。曼陀羅と云は天竺の名也、此には輪円具足とも功徳聚とも名くる也。此御本尊も只信心の二字にをさまれり、以信得入とは是也。日蓮が弟子檀那等「正直捨方便不受余経一偈」と無二に信ずる故によ(依)て、此御本尊の宝塔の中へ入るべきなり。たのもし、たのもし。如何にも後生をたしなみ(嗜)給ふべし、たしなみ給ふべし。穴賢。南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切也。信心の厚薄によるべきなり。仏法の根本は信を以て源とす。されば止観四に云く「仏法は海の如し、唯信のみ能く入る」。弘決四に云く「仏法は海の如し、唯信のみ能く入るとは孔丘の言、尚信を首と為す、況や仏法の深理をや。信無くして寧ろ入らんや。故に華厳経に、「信為道元功徳母」等。又止一に云く「何が円の法を聞き、円の信を起し、円の行を立て、円の位に住せん」。弘一に云く「円信と言ふは理に依つて信を起す。信を行の本と為す」云云。外典に云く「漢王臣の説を信ぜしかば河上の波忽に氷り、李広父の讎なりと思ひしかば草中の石羽を飲む」と云へり。所詮天台、妙楽の釈分明に信を以て本とせり。彼漢王も疑はずして大臣のことばを信ぜしかば、立波こほり行ぞかし。石に矢のたつ、是又父のかたきと思ひし至信の故也。何に況や仏法においてをや。法華経を受持ちて南無妙法蓮華経と唱ふる、即ち五種の修行を具足するなり。此事伝教大師入唐して道邃和尚に値奉りて、五種頓修の妙行と云ふ事を相伝し給ふなり。日蓮が弟子檀那の肝要是より外に求める事なかれ。神力品に云く。委くは又又可申候。穴賢、穴賢。
  建治三年八月二十三日                 日蓮花押
   日女御前御返事
(微下ノ二二。考八ノ二二。)

#0257-300 四条金吾殿御返事 建治三(1277) [p1378]
四条金吾殿御返事(四条第十八書)(告誡書)
     建治三年。五十六歳作。
     内三九ノ三七。遺二三ノ三七。縮一六二八。類八八四。

 御文あらあらうけ給て、長き夜のあけとをき道をかへりたるがごとし。夫仏法と申は勝負を先とし、王法と申は賞罰を本とせり。故に仏をば世雄と号し王をば自在となづけたり。中にも天竺をば月氏という、我国をば日本と申す。一閻浮提八万の国の中に大なる国は天竺、小なる国は日本なり。名のめでたきは印度第二、扶桑第一なり。仏法は月の国より始て日の国にとどまるべし。月は西より出で東に向ひ、日は東より西へ行事天然のことはり、磁石と鉄と雷と象華とのごとし。誰か此ことはりをやぶらん。此国に仏法わたりし由来をたづぬれば、天神七代、地神五代すぎて人王の代となりて、第一神武天皇、乃至第三十代欽明天皇と申せし王をはしき、位につかせ給て三十二年治世し給しに、第十三年壬申十月十三日辛酉に此国より西に百済と申す国あり。日本国の大王の御知行の国なり。其国の大王聖明王と申せし国王あり。年貢を日本国にまいらせしついでに、金銅の釈迦仏並に一切経、法師、尼等をわたしたりしかば、天皇大に悦て群臣に仰て西蕃の仏をあがめ奉るべしやいなや。蘇我の大臣いなめ(稲目)の宿弥と申せし人の云「西蕃の諸国みな此を礼す、とよあき(豊秋)やまと(日本)あに独背哉」と申す。物部の大むらじ(連)をこし(尾輿)の中臣のかまこ(鎌子)等奏て曰「我国家天下に君たる人はつねに天地しやそく(社稷)百八十神を、春夏秋冬にさいはい(祭拝)するを事とす。しかるを今更あらためて西蕃神を拝せばをそらくは我国の神いかりをなさん」と云云。爾時天皇わかちがたくして勅宣す。此事只心みに蘇我の大臣につけて一人にあがめさすべし、佗人用る事なかれ。蘇我の大臣うけ取て大に悦び給て、此釈迦仏を我か居住のをはだ(小墾田)と申ところに入まいらせて安置せり。物部大連不思議なりとていきどをりし程に、日本国に大疫病をこりて死せる者大半に及ぶ、すでに国民尽ぬべかりしかば、物部大連隙を得て此仏を失べきよし申せしかば勅宣なる。早く佗国の仏法を可棄云云。物部大連御使として仏をば取て、炭をもてをこしつち(槌)をもて打くだき、仏殿をば火をかけてやきはらひ、僧尼をばむち(笞)をくはへき。其時天に雲なくして大風ふき雨ふり、内裏天火にやけあがて、大王並に物部大連、蘇我臣三人共に疫病あり。きるがごとく、やくがごとし。大連は終に寿絶ぬ、蘇我と王とはからくして蘇生す。而ども仏法を用ることなくして十九年すぎぬ。第三十一代の敏達天皇は欽明第二の太子、治十四年なり。左右の両臣は一は物部の大連が子にて弓削の守屋、父のあとをついで大連に任ず。蘇我の宿弥の子は蘇我の馬子と云云。此王の御代に聖徳太子生れ給へり、用明の御子敏達のをい(甥)なり。御年二歳の二月東に向て無名の指を開て、南無物と唱へ給へば御舎利掌にあり。是日本国の釈迦仏を念ずるの始なり。太子八歳なりしに八歳の太子云「西国の聖人釈迦牟尼仏の遺像、末世に之を尊めば則ち禍を銷し福を蒙る。之を蔑れば則ち災を招き寿を縮む」等云云。大連、物部弓削、宿弥守屋等いかりて云「蘇我は勅宣を背き佗国の神を礼す」等云云。又疫病未息人民すでにたえぬべし。弓削守屋又此を間奏す云云。勅宣に云「蘇我の馬子仏法を興行す、宜く仏法を卻くべし」等云云。此に仏法守屋中臣の臣勝海大連等両臣と与に寺に向て堂塔を切たうし、仏像をやきやぶり寺には火をはなち、僧尼の袈裟をはぎ笞をもつてせむ(責)。又天皇並に守屋、馬子等疫病す。其言に云「焼がごとしきるがごとし。又瘡をこる、はうそう(疱瘡)といふ。馬子歎て云「尚三宝を仰がんと。勅宣に云く、汝独行へ但し余人を断てよ」等云云。馬子欣悦し精舎を造て三宝を崇めぬ。天皇は終に八月十五日崩御云云。此年は太子は十四なり。第三十二代用明天皇の治二年、欽明の太子聖徳太子の父也。治二年丁未四月に天皇疫病あり、皇勅して云「三宝に帰せんと欲す」云云。蘇我大臣詔に随ふ可しとて遂に法師を引て内裏に入る。豊国の法師是也。物部守屋、大連等大に瞋り横に睨で云「天皇を厭魅す」と終に皇隠れさせ給ふ。五月に物部守屋が一族渋河の家にひきこもり多勢をあつめぬ。太子と馬子と押寄てたたかう、五月、六月、七月の間に四箇度合戦す。三度は太子まけ給ふ、第四度め(目)に太子願を立て云「釈迦如来の御舎利塔を立て四天王寺を建立せん」と。馬子願て云「百済より所渡の釈迦仏を寺を立てて崇重すべし」と云云。弓削なの(名乗)て云「此は我放つ矢にはあらず、我先祖崇重の府都の大明神の放ち給ふ矢なり」と。此矢はるかに飛で太子の鎧に中る。太子なのる、此は我が放つ矢にはあらず四天王の放給ふ矢なりとて、迹見赤梼と申す舎人にいさせ給へば、矢はるかに飛で守屋が胸に中りぬ。はだのかはかつ(秦川勝)をちあひて頸をとる。此合戦は用明崩御、崇峻未だ位に即き給はざる其中間なり。第三十三崇峻天皇位につき給ふ。太子は四天王寺を建立す、此釈迦如来の御舎利なり。馬子は元興寺と申す寺を建立して、百済国よりわたりて候し教主釈尊を崇重す。今代に世間第一の不思議は善光寺の阿弥陀如来という誑惑これなり。又釈迦仏にあだをなせしゆへに三代の天皇並に物部の一族むなしくなりしなり。又太子教主釈尊の像一体つくらせ給て元興寺に居せしむ、今の橘寺の御本尊これなり。此こそ日本国に釈迦仏つくりしはじめなれ。漢土には後漢の第二の明帝、永平七年に金神の夢を見、博士蔡?、王透等の十八人を月氏につかはして仏法を尋させ給しかば、中天竺の聖人摩謄迦、竺法蘭と申せし二人の聖人を同永平十年丁卯の歳、迎へ取て崇重ありしかば漢土にて本より皇の御いのり(祈)せし儒家、道家の人人数千人此事をそねみてうつた(訴)へしかば、同永平十四年正月十五日に召合せられしかば、漢土の道士悦をなして唐土の神百霊を本尊としてありき。二人の聖人は仏の御舎利と釈迦仏の画像と、五部の経を本尊と恃怙給ふ。道士は本より王前にして習たりし仙経、三墳、五典、二聖、三王の書を、薪につみこめてやきしかば古はやけざりしがはい(灰)となりぬ。先には水にうかびしが水に沈ぬ。鬼神を呼しも来らずあまりのはずかしさに、?善信、費叔才なんど申せし道士等はおもひ死にししぬ。二人の聖人の説法ありしかば、舎利は天に登て光を放て日輪みゆる事なし。画像の釈迦仏は眉間より光を放給ふ。呂慧通等の六百余人の道士は帰伏して出家す。三十日が間に十寺立ぬ。されば釈迦仏は賞罰ただしき仏なり。上に挙る三代の帝並に二人の臣下釈迦如来の敵とならせ給て、今生は空く後生は悪道に堕ぬ。今代も又これにかはるべからず。漢土の道士、信、費等日本の守屋等は漢土、日本の大小の神祇を信用して、教主釈尊の御敵となりしかば、神は仏に随奉り行者は皆ほろびぬ。今の代も如此上に挙る所の百済国の仏は教主釈尊なり。名を阿弥陀仏と云て日本国をたぼらかして釈尊を他仏にかへたり。神と仏と仏と仏との差別こそあれども、釈尊をすつる心はただ一なり。されば今の代の滅せん事又疑なかるべし。是は未申法門也、可秘可秘。又吾一門の人人の中にも信心もうすく、日蓮が申事を背給はば蘇我がごとくなるべし。其故は仏法日本に立し事は蘇我の宿弥と馬子との父子二人の故ぞかし。釈迦如来の出世の時の梵王、帝釈の如にてこそあらまじなれ、物部と守屋とを失し故に、只一門になりて位もあがり国をも知行し、一門も繁昌せし故に高挙をなして、崇峻天皇を失ひたてまつり王子を多殺し、結句は太子の御子二十三人を馬子がまご(孫)入鹿の臣下失ひまいらせし故に、皇極天皇、中臣鎌子が計として教主釈尊を造奉りて、あながちに申せしかば、入鹿の臣並に父等の一族一時に滅ぬ。此をもて御推察あるべし。又我此一門の中にも申しとをらせ給はざらん人人はかへりて失あるべし。日蓮をうらみさせ給な。少輔房、能登房等を御覧あるべし。かまへて、かまへて此間はよ(余)の事なりとも御起請かかせ給べからず。火はをびただしきやうなれども暫くあればしめ(滅)る。水はのろき(鈍)やうなれども無左右失ひがたし。御辺は腹あしき人なれば火の燃がごとし、一定人にすかされなん。又主のうらうら(遅遅)と言和にすかさせ給ならば、火に水をかけたるやうに御わたりありぬと覚ゆ。きた(鍛)はぬかね(金)はさかんなる火に入ればとく(疾)とけ候。冰をゆ(湯)に入がごとし。剣なんどは大火に入れども暫はとけず。是きたへる故なり。まへにかう申はきたうなるべし。仏法と申は道理なり。道理と申は主に勝物なり。いかにいとを(愛)しはな(離)れじと思ふめ(妻)なれども、死しぬればかひなし。いかに所領ををししとをぼすとも死ては他人の物、すでにさかへ(栄)て年久し、すこしも惜む事なかれ。又さきざき申がごとく、さきざきよりも百千万億倍御用心あるべし。日蓮は少より今生のいのり(祈)なし、只仏にならんとをもふ計なり。されども殿の御事をばひまなく法華経、釈迦仏、日天に申なり。其故は法華経の命を継ぐ人なればと思ふなり。穴賢、穴賢。あらかるべからず。吾家にあらずんば人に寄合事なかれ。又夜廻の殿原はひとりもたのもしき事はなけれども、法華経の故に屋敷を取られたる人人なり、常はむつば(眤)せ給べし。又夜の用心の為と申し、かたがた殿の守りとなるべし。吾方の人人をば少少の事をばみ(見)ずきか(聞)ずあるべし。さて又法門なんどを聞ばやと仰せ候はんに、悦んで見え給ふべからず。いかんが候はんずらん。御弟子どもに申てこそ、見候はめとやはやは(和和)とあるべし。いかにもうれしさにいろに顕れなんと覚え聞んと思ふ心だにも付せ給ならば、火をつけてもすがごとく天より雨の下がごとく、万事をすてられんずるなり。又今度いかなる便も出来せば、したため候し陳状を上らるべし。大事の文なればひとさはぎ(一騒)はかならずあるべし。穴賢穴賢。
                    日蓮花押
 四条金吾殿
(啓三六ノ一〇三。鈔二五ノ七七。語五ノ三九。音下ノ四六。拾八ノ三八。扶一五ノ五〇。)

#0258-300 四条金吾殿御返事 建治三(1277) [p1386]
四条金吾殿御返事(四条第十九書)
     建治三年。五十六歳作。
     続、中一六。遺二三ノ四五。縮一六三六。類七二四。

 法華経本迹相対論。迹門尚始成正覚の旨を明す。故にいまだ留難かかれり。本門はかゝる留難去たり。雖然題目五字に相対する時末法の機にかなはざる法なり。真実一切衆生色心の留難を止むる秘術は、唯南無妙法蓮華経なり。
  四条金吾殿御返事
                    日蓮

#0261-300 松野殿御返事 建治三(1277.09・09) [p1389]
松野殿御返事(松野第四書)
     建治三年九月。五十六歳作。
     外九ノ六。遺二三ノ四五。縮一六三六。類一〇二九。

 鵞目一貫文、油一升、衣一、筆十管給候。今に始めぬ御志申尽がたく候へば、法華経、釈迦仏に任せ奉り候。先立より申候、但在家の御身は余念もなく、日夜朝夕南無妙法蓮華経と唱候て最後臨終の時を見させ給へ。妙覚の山に走り登り、四方を御覧ぜよ。法界は寂光土にして瑠璃を以て地とし、金の縄を以て八の道をさかひ、天より四種の花ふり虚空に音楽聞え、諸仏菩薩は皆常楽我浄の風にそよめき給へば、我等も必ず其数に列ならん。法華経はかゝるいみじき御経にてをはしまいらせ候。委細はいそぎ候間申さず候。恐恐謹言。
建治三年丁丑九月九日             日蓮花押
松野殿御返事
追申候、目連樹十両許給はり候べく候。
(考四ノ二。)

#0264-300 兵衛志殿女房御返事 建治三(1277.11・07) [p1398]
兵衛志殿女房御返事(第二書)
     建治三年十一月。五十六歳作。与日妙書。
     外二二ノ二三。遺二三ノ五七。縮一六五〇。類九三一。

 銅の御器二給畢ぬ。釈迦仏三十の御年仏になり始てをはし候時、牧牛女と申せし女人、乳のかい(粥)をに(煮)て仏にまいらせんとし候し程に、いれてまいらすべき器なし。毘沙門天王等の四天王、四鉢を仏にまいらせたりし。其鉢をうちかさねてかい(粥)をまいらせしに仏にはならせ給ふ。其鉢後には人ももら(盛)ざりしかども常に飯のみち(満)し也。後に馬鳴菩薩と申せし菩薩伝へて、金銭三貫にほう(報)じたりし也。今御器二を千里にをくり、釈迦仏にまいらせ給へば、かの福のごとくなるべし。委くは申さず候。
建治三年丁丑十一月七日               日蓮花押
兵衛志殿女房御返事
(微下ノ一九。考八ノ一二。)

#0265-300 太田殿女房御返事 建治三(1277.11・08) [p1399]
太田殿女房御返事(第二書)
     建治三年十一月。五十六歳作。
     内三八ノ二三。遺二三ノ五八。縮一六五一。類八一九。

 柿のあをうらの小袖、わた十両に及んで候か。此大地の下に二の地獄あり。一には熱地獄、すみ(炭)ををこし野に火をつけ、せうまう(焼亡)の火、鉄のゆ(湯)のごとし。罪人のやくる事は大火に紙をなげ、大火にかなくづ(木屑)をなぐるがごとし。この地獄へはやきとり(焼盗)と火をかけて、かたきをせめ物をねたみて胸をこがす女人の堕る地獄也。二には寒地獄、此地獄に八あり。涅槃経に云く「八種の寒氷地獄所謂阿波波地獄、阿叱叱地獄、阿羅羅地獄、阿婆婆地獄、優鉢羅地獄、波頭摩地獄、拘物頭地獄、芬陀利地獄」云云。此八大かん(寒)地獄は、或はかんにせめられたるこえ(声)或は身のいろ等にて候。此国のすわ(諏訪)の御いけ、或は越中のたて(立)山のかへる(北風)、加賀の白山のれい(嶺)のとり(鳥)のはね(羽)をとぢられ、やもめをうな(寡婦)のすそ(裾)のひゆ(冷)る、ほろゝ(雉子)の雪にせめられたるをもてしろしめすべし。かん(寒)にせめられてをとがい(頤)のわなめく等を阿波波、阿叱叱、阿羅羅等と申す、かんにせめられて身のくれないにに(似)たるを紅蓮、大紅蓮等と申すなり。いかなる人の此地獄にをつるぞと申せば、此世にて人の衣服をぬすみとり、父母、師匠等のさむげなるをみまいらせて、我はあつくあたゝかにして昼夜をすごす人人の堕る地獄也。六道の中に天道と申すは、其所に生ずるより衣服とゝのをりて生るるところ也。人道の中にも商那和修、鮮白比丘尼等は、悲母の胎内より衣服とゝのをりて生れ給へり。是はたうとき(貴)人人に衣服をあたへたるのみならず、父母、主君、三宝にきよく(清)あつき(厚)衣をまいらせたる人也。商那和修と申せし人は、裸形なりし辟支仏に衣をまいらせて、世世生生に衣服身に随ふ。?曇弥と申せし女人は、仏にきんばら衣をまいらせ(進)て、一切衆生喜見仏となり給ふ。今法華経に衣をまいらせ給ふ女人あり。後生にはかん(寒)地獄の苦をまぬかれさせ給ふのみならず、今生には大難をはらひ其功徳のあまりを、男女のきんだち(公達)きぬ(衣)にきぬをかさね、いろ(色)にいろをかさね給べし。穴賢、穴賢。
  建治二年丁丑十一月十八日               日蓮花押
   太田入道殿女房御返事
(啓三六ノ三一。鈔二五ノ五二。語五ノ二九。拾八ノ二一。扶一五ノ二七。)

#0267-300 曾谷入道殿御返事(如是我聞鈔)建治三(1277.11・28)[p1407]
曽谷入道殿御返事(曽谷第六書)(如是我聞鈔)
     建治三年。五十六歳作。
     外一二ノ二。遺二三ノ五九。縮一六五三。類七二五。

 妙法蓮華経一部一巻小字経御供養のために御布施に小袖二重、鵞目十貫並に扇百本。文句の一に云「如是とは所聞の法体を挙ぐ」と。記の一に云「若し超八の如是に非ずんば安んぞ此経の所聞と為さん」云云。華厳経の題に云「大方広仏華厳経如是我聞」云云。摩訶般若波羅蜜経「如是我聞」云云。大日経の題に云「大毘盧遮那神変加持経如是我聞」云云。一切経の如是は何なる如是ぞやと尋ぬれば、上の題目を指て如是とは申也。仏何の経にてもとかせ給し其所詮の理をさして、題目とはせさせ給しを阿難、文殊、金剛手等、滅後に結集し給し時、題目をうちをいて如是我聞と申せし也。一経の内の肝心は題目におさまれり。例せば天竺と申国あり、九万里七十箇国也。然ども其中の人畜、草木、山河、大地、皆月氏と申二字の内にれきれきたり。譬ば一四天下の内に四洲あり、其中の一切の万物は月に移りてすこしもかくるる事なし。経も又如是其経の中の法門は其経の題目の中にあり。阿含経の題目は一経の所詮無常の理をおさめたり。外道の経の題目のあう(阿?)の二字にすぐれたる事百千万倍也。九十五種の外道、阿含経の題目を聞てみな邪執を倒し、無常の正路におもむきぬ。般若経の題目を聞ては体空、但中、不但中の法門をさとり、華厳経の題目を聞人は、但中、不但中のさとりあり。大日経、方等、般若経の題目を聞人は或折空、或体空、或但空、或不但空、或但中、不但中の理をばさとれども、いまだ十界互具、百界千如、三千世間の妙覚の功徳をばきかず。その詮を説ざれば法華経より外は理即の凡夫也。彼経経の仏、菩薩はいまだ法華経の名字即に及ばず。何に況や題目をも唱へざれば観行即にいたるべしや。故に妙楽大師の記に云「若し超八の如是に非ずんば安んぞ此経の所聞と為さん」云云。彼彼の諸経の題目は八教の内也。網目の如し、此経の題目は八教の網目に超て大綱と申物也。今妙法蓮華経と申す人人はその心をしらざれども、法華経の心をうるのみならず一代の大綱を覚り給へり。例せば一、二、三歳の太子位につき給ぬれば、国は我が所領也。摂政、関白已下は我所従なりとはしらせ給はねども、なにも此太子の物也。譬ば小児は分別の心なけれども、悲母の乳を口にのみぬれば自然に生長するを、趙高が様に心おごれる臣下ありて太子をあなづれば身をほろぼす。諸経諸宗の学者等法華経の題目ばかりを唱る太子をあなづりて、趙高が如くして無間地獄に堕る也。又法華経の行者の心もしらず題目計を唱るが、諸宗の智者におどされて退心をおこすは、こがい(胡亥)と申せし太子が、趙高におどされころされしが如し。南無妙法蓮華経と申は一代の肝心たるのみならず、法華経の心也。体也、所詮也。かゝるいみじき法門なれども仏滅後二千二百二十余年の間、月氏に付法蔵の二十四人弘通し給はず。漢土の天台、妙楽も流布し給はず、日本国には聖徳太子、伝教大師も宣説し給はず。されば和法師が申は僻事にてこそ有らめと諸人疑て信ぜず、是又第一の道理也。譬ば昭君なんどをあやし(怪)の兵なんどが、おかし(犯)たてまつるをみな人よもさはあらじと思へり。大臣、公卿なんどの様なる天台、伝教の弘通なからん法華経の肝心南無妙法蓮華経を、和法師程のものがいかで唱べしと云云。汝等是を知や、烏と申鳥は無下のげす鳥なれども、鷲?の不知年中の吉凶を知れり。蛇と申す虫は龍象に及ばざれども七日の間の洪水を知ぞかし。設龍樹、天台の知給はざる法門なりとも経文顕然ならばなにをか疑はせ給べき。日蓮をいやしみて南無妙法蓮華経と唱させ給はぬは、小児が乳をうたがふてなめず、病人が医師を疑て薬を服せざるが如し。龍樹、天親等は是を知給へども、時なく機なければ弘通し給ざるか。余人は又しらずして宣伝せざるか。仏法は時により、機によりて弘る事まれば、云にかひなき日蓮が時にこそあたりて候らめ。所詮妙法蓮華経の五字をば当時の人人は名と計思へり。さにては候はず体也。体とは心にて候。章安云「蓋し序王とは経の玄意を叙し、玄意は文の心を逑す」云云。此釈の心は妙法蓮華経と申は、文にあらず義にあらず、一経の心なりと釈せられて候。されば題目をはなれて法華経の心を尋ぬる者は、猿をはなれて肝をたづねしはかなき亀也。山林をすてて菓を大海の辺にもとめし猿猴也。はかなしはかなし。
  建治三年丁丑霜月二十八日              日蓮花押
 曽谷次郎入道殿
(微上ノ三一。考四ノ三四。)

#0269-300 大白牛車書 建治三(1277.12・17) [p1411]
大白牛車書(上野第十七書)
     建治三年十二月。五十六歳。
     外五ノ四。遺二三ノ六四。縮一六五八。類九八八。

 夫法華経第二の巻に云「乗此宝乗直至道場」云云。日蓮は建長五年四月二十八日初て此大白牛車の一乗法華の相伝を申顕はせり。而に諸宗の人師等雲霞の如くよせ来候。中にも真言、浄土、禅宗等蜂の如く起りせめたゝかふ。日蓮大白牛車の牛の角最第一也と申てたゝかふ。両の角は本迹二門の如く二乗作仏、久遠実成是也。すでに弘法大師は法華最第一の角を最第三となをし、一念三千、久遠実成、即身成仏は法華に限れり、是をも真言経にありとなをせり。かゝる謗法の族を責んとするに返て弥怨をなし候。譬ば角をなをさんとて牛をころしたるが如くなりぬべく候ひしかども、いかでさは候べき。抑此車と申は本迹二門の輪を妙法蓮華経の牛にかけ、三界の火宅を生死生死と、ぐるりぐるりとまはり(廻)候ところの車也。ただ信心のくさび(轄)に志のあぶら(膏)をささせ給て、霊山浄土へまいり給べし、又心王は牛の如し、生死は両の輪の如し。伝教大師云「生死の二法は一心の妙用、有無の二道は本覚の真徳なり」と云云。天台云「十如は只是、乃至今の境は是体」云云。此の文釈能能案じ給べし。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
  十二月十七日                 日蓮花押
(微上ノ一五。考三ノ一四。)

#0270-300 法華初心成仏鈔 建治三(1277) [p1413]
法華初心成仏鈔
     建治三年。五十六歳著。与岡宮妙法尼書。
     内二二ノ一。遺二四ノ五。縮一六七一。類三二七。

 問ふて云く、八宗、九宗、十宗の中に何れか釈迦仏の立て給へる宗なるや。答へて云く、法華宗は釈迦所立の宗なり。其故は已説、今説、当説の中には法華経第一なりと説き給ふ。これ釈迦仏の立て給ふ所の御語なり。故に法華経をば仏立宗と云ひ又は法華宗とも云ふ。又は天台宗とも云ふなり。故に伝教大師の釈に云く「天台所釈の法華宗は釈迦世尊所立の宗」と云へり。法華より外の経には、またく(全)已今当の文なきなり。已説とは法華より已前の四十余年の諸経を云ふ。今説とは無量義経を云ふ。当説とは涅槃経を云ふ。此三説の外に法華経ばかり成仏する宗なりと仏定め給へり。余宗は仏涅槃し給ひて後、或は菩薩、或は人師たちの立てたる宗なり。仏の御定を背きて菩薩人師の立てたる宗を用ゆべきか、菩薩、人師の言を背きて仏の立て給へる宗を用ゆべきか。又何れをも思ひ思ひに我心に任せて、志あらん経法を持つべきかと思ふ処に、仏これを兼て知食して、末法五濁悪世に、真実の道心あらん人人の持つべき経を定め給へり。経に云く「依法不依人、依義不依語、依知不依識。依了義経不依不了義経」文。此文の心は菩薩、人師の言には依るべからず、仏の御定を用ひよ。華厳、阿含、方等、般若経等の真言、禅宗、念仏宗等の法には依らざれ。了義経を持つべし。了義経と云ふは法華経を持つべしと云ふ文なり。問ふて云く、今日本国を見るに当時五濁の障りおもく、闘諍堅固にして瞋恚の心たけく、嫉妬の思ひ甚し。かゝる国、かゝる時には何れの経をかひろむべきや。答へて云く、法華経をひろむべき国なり。其故は法華経に云く「閻浮提内広令流布使不断絶」等云云。喩伽論には「丑寅の隅に大乗妙法蓮華経の流布すべき小国ありと見えたり」。安然和尚云く「我日本国」等云云。天竺よりは丑寅の角に此日本国は当るなり。又恵心僧都の一乗要決に云く「日本一州円機純一にして朝野遠近同じく一乗に帰し、緇素、貴賎悉く成仏を期せん」云云。此文の心は日本国は京、鎌倉、筑紫、鎮西、みちをく(陸奥)、遠きも近きも法華一乗の機のみありて、上も下も、貴も賎も、持戒も破戒も、男も女も、皆おしなべて法華経にて成仏すべき国なりと云ふ文なり。譬へば昆崙山に石なく蓬莱山に毒なきがごとく、日本国は純に法華経の国なり。而るに法華経は元よりめでたき御経なれば、誰か信ぜざると語には云ふて、而も昼夜、朝暮に弥陀念仏を申す人は、薬はめでたしとほめて朝夕毒を服する者の如し。或は念仏も法華経も一つなりと云はん人は、石も玉も、上臈も下臈も、毒も薬も一つなりと云はん者の如し。其の上法華経を怨み、嫉み、悪み、毀り、軽しめ、賎しむやからのみ多し。経に云く「一切世間多怨難信」。又云く「如来現在猶多怨嫉況滅度後」の経文すこしもたがわず当れり。されば伝教大師の釈に云く「代を語れば則ち像の終り、末の初め、地を尋ぬれば唐の東、・の西、人を原れば則ち五濁の生、闘諍の時なり。経に云く、猶多怨嫉況滅度後。此言良に以あるなり」と。此等の文釈をもつて知るべし。日本国に法華経より外の真言、禅、律宗、念仏宗等の経教、山山、寺寺、朝野、遠近に弘まるといへども、正しく国に相応して仏の御本意に相叶ひ、生死を離るべき法にはあらざるなり。問ふて云く、華厳宗には五教を立て、余の一切の経は劣れり、華厳経は勝ると云ひ、真言宗には十住心を立てて、余の一切経は顕教なれば劣り、真言宗は密教なれば勝れたりと云ふ。禅宗には余の一切経をば教内と簡ひて、教外別伝不立文字と立てて、壁に向ひ悟れば禅宗独り勝れたりと云ふ。浄土宗には正雑二行を立てて法華経等の一切経をば捨閉閣抛し雑行と簡ひ、浄土の三部経のみを機に叶ひめでたき正行なりと云ふ。各各我慢を立て互に偏執をなす。何れか釈迦仏の御本意なるや。答へて云く、宗宗各別に我が経こそすぐれたれ、余経は劣れりと云ひて、我宗をよしと云ふ。事は唯是れ人師の言にて仏説にあらず。但し法華経計りこそ仏五味の譬を説きて、五時の教にあてて此経の勝れたる由を説き、或は又已今当の三説の中に、仏になる道は法華経に及ぶ経なしと云ふ事は、正しき仏の金言なり。然るに我経は法華経に勝れたり、我宗は法華宗に勝れたりと云はん人は、下臘が上臘を凡下と下し、相伝の従者が主に敵対して我が下人なりと云はんが如し。何ぞ大罪に行なはれざらんや。法華経より余経を下す事は人師の言葉にあらず、経文分明なり。譬へば国王の万人に勝れたりとなのり、侍の凡下を下臘と云はんに何の禍かあるべきや。此経は是仏の御本意なり。天台妙楽の正意なり。問ふて云く、釈迦一期の説法は皆衆生のためなり。衆生の根性万差なれば説法も種種なり。何れも皆得道なるを本意とす。然れば我が有縁の経は人のためには無縁なり、人の有縁の経は我が為には無縁なり。故に余経の念仏によりて得道なるべき者の為には無縁なり。観経等はめでたし、法華経等は無用なり。法華によりて成仏得道なるべき者の為には、余経は無用なり、法華経はめでたし。「四十余年未顕真実」と説くも「雖示種種道其実為成仏」と云ふも、「正直捨方便但説無上道」と云ふも、法華得道の機の前の事なりと云ふ事、世こぞつてあはれ然るべき道理哉なんど思へり。いかが心うべきや。もし爾らば大乗、小乗の差別もなく、権教、実教の不同もなきなり。何れをか仏の本意と説き、何れをか成仏の法と説き給へるや、甚だいぶかしいぶかし。答へて去く、凡そ仏の出世は始めより妙法を説かんと思食しかども、衆生の機縁万差にして、とヽのをらざり(不調しかば、三七日の間思惟し、四十余年の程こしらへおおせて、最後に此妙法を説き給ふ。故に「若但讃仏乗衆生没在苦不能信是法破法不信故堕於三悪道」と説き、世尊法久後要当説真実」とも云へり。此文の意は始めより此仏乗を説かんと思食しかども、仏法の気分もなき衆生は信ぜずして定めて謗りをいたさん。故に機をひとしなに誘へ給ふほどに初めに華厳、阿含、方等、般若等の経を四十余年の間説き、最後に法華経を説き給ふ時、四十余年の座席にありし身子目連等の万二千の声聞、文殊、弥勒等の八万の菩薩、万億の輪王等、梵王、帝釈等の無量の天人、各爾前に聞きし処の法をば「如来の無量の知見を失へり」と云云。法華経を聞いては「無上宝珠不求自得」と悦び給ふ。されば「我等従昔来数聞世尊説未曽聞如是深妙之上法」とも、「仏説希有法昔所未曽聞」とも説き給ふ。此等の文の心は四十余年の程、若干の説法を聴聞せしかども、法華経のやうなる法をばすべてきかず、又仏もついに説かせ給はずと法華経をほめたる文なり。四十二年のきヽ(聴)と今経のきヽとをば、わけ(分)たくらぶ(比)べからず。それを法華経得道の人のためにして、爾前得道の者のためには無用なりと云ふ事大なる誤なり。をのずから四十二年の経の内には、一機一縁のためにしつらう(造)ところの方便なれば、設ひ有縁無縁の沙汰はありとも、法華経は爾前の経経の座にして得益しつる機どもを押ふさね(聚束)て一純に調へて説き給ひし間、有縁無縁の沙汰あるべからざるなり。悲しい哉、大小、権実みだりがはしく仏の本懐を失ひて、爾前得道の者のためには法華経無用なりと云へる事を、能能慎むべし、恐るべし。古の徳一大師と云ひし人、此義を人にも教へ我心にも存じて、さて法華経を読み給ひしを、伝教大師此人を破し給ふ言に「法華経を讃すと雖も還つて法華の心を殺す」と責め給ひしかば、徳一大師は舌八にさけて失せ給ひき。問ふて云く、天台の釈の中に「菩薩処処得入」と云ふ文は、法華経は但二乗の為にして菩薩の為ならず。菩薩は爾前の経の中にしても得道なると見えたり。若し爾らば「未顕真実」も「正直捨方便」等も、総じて法華経八巻の内皆以て二乗の為にして、菩薩は一人もあるまじきと意うべきか、如何。答へて云く、法華経は但二乗の為にして菩薩の為ならずと云ふ事は、天台より已前唐土に南三北七と申して、十人の学匠の義なり。天台は其義を破し失せて今は弘まらず。若し菩薩なしと云はば「菩薩是法を聞いて義網皆已に除く」と云へる、豈に是れ菩薩の得益なしと云はんや。それに尚鈍根の菩薩は二乗とつれ(連)て得益あれども、利根の菩薩は爾前の経にて得益すと云はば「利根、鈍根等しく法雨を雨らす」と説き、「一切の菩薩の阿耨多羅三藐三菩提は皆此経に属せり」と説くは何に。此等の文の心は利根にてもあれ鈍根にてもあれ、持戒にてもあれ破戒にてもあれ、貴きもあれ賎くもあれ、一切の菩薩、凡夫、二乗は法華経にて成仏得道なるべしという文なるをや。又法華得益の菩薩は皆鈍根なりと云はば、普賢、文殊、弥勒、薬王等の八万の菩薩をば鈍根なりと云ふべきか。其外に爾前の経にて得道する利根の菩薩と云ふは、何様なる菩薩ぞや。抑も爾前に菩薩の得道と云ふは法華経の如き得道にて候か。其ならば法華経の得道にて爾前の得分にあらず。又法華経より外の得道ならば已今当の中に何れぞや。いかさまにも法華経ならぬ得道は当分の得道にて真実の得道にあらず。故に無量義経には「是故衆生得道差別」と云ひ、又「終不得成無上菩薩」と云へり。文の心は爾前の経経には得道の差別を説けども、終に無上菩薩の法華経の得道はなしとこそ仏は説き給ひて候へ。問て云く、当時は釈尊入滅の後今に二千二百三十余年なり。一切経の中に何れの経が時に相応して弘まり利生も有るべきや。大集経の五箇の五百歳の中の第五の五百歳に当時はあたれり。其第五の五百歳をば「闘諍堅固白法隠没」と云つて、人の心たけく腹あしく、貪欲、瞋恚強盛なれば軍合戦のみ盛にして、仏法の中に先き先きひろまりし所の真言、禅宗、念仏、持戒等の白法は隠没すべしと仏説き給へり。第一の五百歳、第二の五百歳、第三の五百歳、第四の五百歳を見るに、成仏の道こそ未顕真実なれ、世間の事法は仏の御言、一分もたがわず。是を以て之を思ふに、当時の「闘諍堅固白法隠没」の金言もたがう事あらじ。若し爾らば末法には何れの法も得益あるべからず、何れの仏、菩薩も利生あるべからずと見へて候をば、いかに候べき。さてもだし(黙止)て何れの仏、菩薩にもつかへたてまつらず、何れの法をも行ぜず、憑む方なくして候べきか。後生をば如何思ひ定め候べきや。答へて云く、末法当時は久遠実成の釈迦仏、上行菩薩、無辺行菩薩等の弘めさせ給ふべき法華経二十八品の肝心たる、南無妙法蓮華経の七字計り此の国に弘まりて利生得益もあり、上行菩薩の御利生盛んなるべき時なり。其故は経文明白なり。道心堅固にして志あらん人は委しく是を尋ね聞くべきなり。浄土宗の人人「末法万年には余経悉く滅し弥陀一教のみ」と云ひ、又「当今末法是れ五濁の悪世、唯浄土の一門のみあつて通入すべき路なり」と云つて、虚言して大集経に云くと引けども彼経に都て此文なし。其上あるべき様もなし。仏の在世の御言に当今末法五濁の悪世には、但浄土の一門のみ入るべき道なりとは説き給べからざる道理顕然なり。本経には「当来の世経道滅尽し特此経を留めて止住すること百歳ならん」と説けり。末法一万年の百歳とは全く見えず。然るに平等覚経、大阿弥陀経を見るに仏滅後一千年の後の百歳とこそ意え(得)られたれ。然るに善導が惑へる釈をば尤も道理と人皆思へり。是は諸僻案の者なり。但し心あらん人は世間のことはりをもつて推察せよ。大旱魃のあらん時は大海が先にひるべきか、小河が先にひるべきか。仏是を説き給ふには法華経は大海なり、観経、阿弥陀経等は小河なり。されば念仏等の小河の白法こそ先にひるべしと経文にも説き給ひて候ひぬれ。大集経の五箇の五百歳の中の「第五の五百歳白法隠没」と云へると、双観経に「経道滅尽」と云へるとは但一つ心なり。されば末法には始めより双観経等の経道滅尽すと聞えたり。経道滅尽と云へるは経の利生の滅すと云ふ事なり。色の経巻あるにはよるべからず。されば常時は経道滅尽の時に至つて二百歳に余れり。此時は但法華経のみ利生得益あるべし。されば此経を受持して南無妙法蓮華経と唱へ奉るべしと見えたり。薬王品には「後五百歳中広宣流布於閻浮提無令断絶」と説き給ひ、天台大師は「後の五百歳遠く妙道に沾はん」と釈し、妙楽大師は「且く大教の流行すべき時に拠る」と釈して、後五百歳の間に法華経弘まりて、其後は閻浮提の内に絶え失せる事あるべからずと見えたり。安楽行品に云く「於後来世法欲滅時、受持読誦斯経典者」文。神力品に云く「爾時仏告上行等菩薩大衆為嘱累故説此経功徳猶不能尽。以要言之如来一切所有之法如来一切自在神力如来一切秘要之蔵如来一切甚深之事皆於此経宣示顕説」云云。此等の文の心は釈尊入滅の後、第五の五百歳と説くも、末世と云ふも濁悪世と説くも、正、像二千年過ぎて末法の始め、二百余歳の今時は唯法華経計り弘まるべしと云ふ文なり。其故は人既にひがみ(僻)、法も実にしるし(験)なく仏神の威験もましまさず、今生後生の祈りも叶はず。かゝらん時はたよりを得て天魔波旬乱れ入り、国土常に飢渇して天下も疫癘し、佗国侵逼難、自界叛逆難とて我国に軍合戦常にありて、後には佗国より兵どもをそひ(襲)来りて、此国を責むべしと見えたり。此の如き闘諍堅固の時は余経の白法は験失せて、法華経の大良薬を以て此大難をば治すべしと見えたり。法華経を以て国土を祈らば、上一人より下万民に至るまで悉く悦び栄え給べき鎮護国家の大白法なり。但し阿闍世王、阿育大王は始めは悪王なりしかども、耆婆大臣の語を用ひ、夜叉尊者を信じ給ひて後にこそ賢王の名をば留め給ひしか。南三北七を捨てて智?法師を用ひ給ひし陳王、六宗の碩徳を捨てて最澄法師を用ひ給ひし桓武天皇は、今に賢王の名を留め給へり。智?法師と云ふは天台大師と号し奉る。最澄法師は後には伝教大師と云ふ是なり。今の国主も又是の如し。現世安穏後生善処なるべき此大白法を信じて、国土に弘め給はば、万国に其身を仰がれ後代に賢人の名を留め給ふべし。知らず、又無辺行菩薩の化身にてやましますらん。又妙法の五字を弘め給はん智者をば、いかに賎くとも上行菩薩の化身か。又釈迦如来の御使かと思ふべし。又薬王菩薩、薬上菩薩、観音、勢至等の菩薩は正像二千年の御使なり。此等の菩薩達の御番は早過ぎたれば、上古の様に利生あるまじきなり。されば当世の祈りを御覧ぜよ。一切叶はざる者なり。末法今の世の番衆は上行、無辺行等にてをはしますなり。此等を能能明らめ信じてこそ、法の験も仏、菩薩の利生もあるべしとは見えたれ。譬へばよき火打と、よき石のかどと、よきほくそと、此三つ寄り合ひて火を用ゆるなり。祈りも又是の如し。よき師とよき檀那とよき法と是三つ寄り合ひて、祈りを成就し国土の大難をも払ふべき者なり。よき師とは指したる世間の失無くして、聊のへつらふ(諂)ことなく、少欲知足にして慈悲あらん僧の経文に任せて、法華経を読み持ちて、人をも勧めて持たせん僧をば、仏は一切の僧の中に、吉第一の法師なりと讃められたり。吉檀那とは貴人にもよらず、賎人をもにくまず、上にもよらず下をもいやじまず、一切人をば用ひずして、一切経の中に法華経を持たん人をば、一切の人の中に吉人なりと仏は説き給へり。吉法とは此法華経を最為第一の法と説れたり。已説の経の中にも、今説の経の中にも、当説の経の中にも此経第一と見えて候へば吉法なり。禅宗、真言宗等の経法は第二、第三なり。殊に取り分けて申せば真言の法は第七重の劣なり。然るに日本国には第二、第三、乃至第七重の劣の法をもつて、御祈祷あれども未だ其証拠をみず。最上第一の妙法をもつて御祈祷あるべきか。是を「正直捨方便但説無常道唯此一事実」と云へり。誰か疑ひをなすべきや。問ふて云く、無智の人来りて生死を離るべき道を問はん時は、何れの経の意をか説くべき。仏如何が教へ給へるや。答へて云く、法華経を説くべきなり。所以に法師品に云く「若有人問何等衆生於未来世当得作仏応示是諸人等於未来世必得作仏」云云。安楽行品に云く「有所難問不以小乗法答但以大乗而為解説」云云。此等の文の心は何なる衆生か仏になるべきと問はば、法華経を受持し奉らん人必ず仏になるべしと答ふべきなり。是仏の御本意なり。之に付いて不審あり。衆生の根性区にして念仏を聞かんと願ふ人もあり、法華経を聞かんと願ふ人もあり。念仏を聞かんと願ふ人に法華経を説いて聞かせんは、何の得益かあるべき。又念仏を聞かんが為に請じたらん時にも強て法華経を説くべきか。仏の説法も機に随ひて得益あるをこそ本意とし給ふらんと不審する人あらば云ふべし。元より末法の世には無智の人に機に叶ひ、叶はざるを顧みず、但強て法華経の五字の名号を説いて持たすべきなり。其故は釈迦仏昔不軽菩薩と云はれて法華経を弘め給ひしには、男女、尼法師がおしなべて用ひざりき。或は罵られ謗られ、或は打たれ追はれ一しなならず、或は怨まれ嫉まれ給ひしかども、少しもこり(懲)もなくして強て法華経を説き給ひし故に、今の釈迦仏となり給ひしなり。不軽菩薩を罵りまいらせし人は口もゆがまず、打ち奉りしかいな(腕)もすくまず。付法蔵の師子尊者も外道に殺されぬ。又法道三蔵も火印を面にあてられて江南に流され給ひしぞかし。まして末法にかひなき僧の法華経を弘めんには、かゝる難あるべしと経文に正しく見えたり。されば人是を用ひず機に叶はずと云へども、強て法華経の五字の題名を聞かすべきなり。是ならでは仏になる道はなきが故なり。又或人不審して云く、機に叶はざる法華経を強て説いて謗ぜさせて、悪道に人を堕さんよりは、機に叶へる念仏を説いて発心せしむべし。利益もなく謗ぜさせて返つて地獄に堕さんは法華経の行者にもあらず。邪見の人にてこそあるらめと不審せば云ふべし。経文には何体にもあれ、末法には強て法華経を説くべしと仏の説き給へるをば、さていかが心うべく候や。釈迦仏、不軽菩薩、天台、妙楽、伝教等はさて邪見の人、外道にておはしまし候べきか。又悪道にも堕ちず三界の生を離れたる二乗と云ふ者をば仏のの(宣)給はく、設ひ犬、野干の心をば発すとも二乗の心もつべからず。五逆、十悪を作りて地獄には堕つとも、二乗の心をばもつべからずなんどと禁められぞかし。悪道に堕ちざるほどの利益は争でかあるべきなれども、其をば仏の御本意とも思食さず、地獄には堕つるとも、仏になる法華経を耳にふれぬれば、是を種として必ず仏になるなり。されば天台、妙楽も此心を以て強て法華経を説くべしとは釈し給へり。譬ば人の地に依りて倒れたる者の返つて地をおさへて起が如し。地獄には堕つれども疾浮んで仏になるなり。当世の人何となくとも法華経に背く失に依りて地獄に堕ちん事疑ひなき故に、とてもかくても法華経を強て説き聞すべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓の縁となつて仏になるべきなり。何にとしても仏の種は法華経より外になきなり。権教をもて仏になる由だにあらば、なにしてか仏は強て法華経を説いて謗ずるも信ずるも利益あるべしと説き、我不愛身命とは仰せらるべきや。よくよく此等を道心ましまさん人は御心得あるべきなり。問ふて云く、無智の人も法華経を信じたらば、即身成仏すべきか。又何れの浄土に往生すべきぞや。答へて云く、法華経を持つにおいては深く法華経の心を知り、止観の座禅をし一念三千、十境十乗の観法をこらさん人は、実に即身成仏し解を開く事もあるべし。其外に法華経の心をもしらず、無智にしてひら(但)信心の人は浄土に必ず生るべしと見えたり。されば「生十方仏前」と説き、或は「即往安楽世界」と説きき。是の法華経を信ずる者の往生すといふ明文なり。之に付いて不審あり。其故は我身は一にして十方の仏前に生るべしと云ふ事心得られず。何れにてもあれ一方に限るべし。正に何れの方をか信じて往生すべきや。答へて云く、一方に定めずして十方と説くは最もいはれあるなり。所以に法華経を信ずる人の一期終る時には、十方世界の中に法華経を説かん仏のみもとに生るべきなり。余の華厳、阿含、方等、般若経を説く浄土へは生るべからず。浄土十方に多くして、声聞の法を説く浄土もあり、辟支仏の法を説く浄土もあり、或は菩薩の法を説く浄土もあり。法華経を信ずる者は此等の浄土には一向生れずして法華経を説き給ふ浄土へ直ちに往生して、座席に列て法華経を聴聞して、やがてに仏になるべきなり。然るに今世にして法華経は機に叶はずと云ひうとめて、西方浄土にて法華経をさとるべしと云はん者は、阿弥陀の浄土にても法華経をさとるべからず、十方の浄土にも生るべからず、法華経に背く咎重きが故に永く地獄に堕つべしと見えたり。「其人命終入阿鼻獄」と云へる是なり。問ふて云く「即往安楽世界阿弥陀仏」と云云。此文の心は法華経を受持し奉らん女人は阿弥陀仏の浄土に生るべしと説き給へり。念仏を申しても阿弥陀の浄土に生るべしと云ふ。浄土既に同じ念仏も法華経も等と心え候べきか、如何。答へて云く、観経は権教なり、法華経は実教なり。全く等しかるべからず。其故は仏世に出でさせ給ひて四十余年の間、多くの法を説き給ひしかども、二乗と悪人と女人とをば簡ひはてられて、成仏すべしとは一言も仰せられざりしに、此経にこそ敗種の二乗も三逆の調達も五障の女人も、仏になるとは説き給ひ候つれ、其旨経文に見えたり。華厳経には「女人地獄使能断仏種子外面似菩薩内心如夜叉」云へり。銀色女経には「三世の諸仏の眼は抜けて大地に落つるとも法界の女人は永く仏になるべからず」と見えたり。又経に云く「女人は大鬼神なり。能く一切の人を喰ふ」と。龍樹菩薩の大論には「一度女人を見れば永く地獄の業を結ぶ」と見えたり。されば実にてやありけん、善導和尚は謗法なれども女人をみずして一期生と云はれたり。又業平が歌にも「葎をいてあれたるやど(宿)のうれ(憂)たきは、かりにも鬼のすだく(集)なりけり」と云ふも、女人をば鬼とよめるにこそ侍れ。又女人には五障三従と云ふ事あるが故に罪深しと見えたり。五障とは一には梵天王、二には帝釈、三には魔王、四には転輪聖王、五には仏にならずと見えたり。又三従とは女人は幼き時は親に従ひて心にまかせず、人となりては男に従ひて心にまかせず、年よりぬれば子に従ひて心にまかせず。加様に幼き時より老耄に至るまで三人に従ひて心にまかせず、思ふ事をもいはず見たき事をも見ず、聴聞したき事をもきかず、是を三従とは説くなり。されば栄啓期が三楽を立てたるにも女人の身と生まれざるを一つの楽しみといへり。加様に内典外典にも嫌はれたる女人の身なれども、此経を読まねどもかかねども身と口と意とにうけ持ちて、殊に口に南無妙法蓮華経と唱へ奉る女人は、在世の龍女、?曇弥、耶輸陀羅女の如くに、やすやすと仏になるべしと云ふ経文なり。又安楽世界と云ふは一切の浄土をば皆安楽と説くなり。又阿弥陀と云ふも、観経の阿弥陀にはあらず、所以に観経の阿弥陀仏は法蔵比丘の阿弥陀四十八願の主じ、十劫成道の仏なり。法華経にも迹門の阿弥陀は、大通智勝仏の十六王子の中の第九の阿弥陀にて、法華経大願の主の仏なり。本門の阿弥陀は釈迦分身の阿弥陀なり。随つて釈にも「須らく更に観経等を指すべからず」と釈し給へり。問ふて云く、経に「難解難入」と云へり。世間の人此文を引いて法華経は機に叶はずと申し候は、道理と覚え候は如何。答へて云く、謂なき事なり。其故は此経を能くも心えぬ人の云ふ事なり。法華より已前の経は解り難く入り難し。法華の座に来りては解り易く入り易しと云ふ事なり。されば妙楽大師の御釈に云く「法華以前は不了義なるが故に、故に難解と云ふ、即ち今の教には?く皆実に入るを指す故に易知と云ふ」文。此文の心は法華より已前の経にては機つたなく(拙)して解り難く入り難し。今の経に来りては機賢くなりて解り易く入り易しと釈し給へり。其上「難解難入」と説かれたる経が機に叶はずば先づ念仏を捨てさせ給ふべきなり。其故は双観経に「難中之難無過此難」と説き、阿弥陀経には「難信之法」と云へり。文の心は此経を受け持たん事は難きが中の難きなり、此に過ぎたる難きはなし。難信の法なりと見えたり。問ふて云く、経文に「四十余年未顕真実」と云ひ、又「過無量無辺不可思議阿僧祇劫、終不得成無上菩提」と云へり。此文は何体の事にて候哉。答へて云く、此文の心は釈迦仏一期五十年の説法の中に、始めの華厳経にも真実をとかず、中の方等、般若にも真実をとかず。此故に禅宗、念仏、戒等を行ずる人は、無量無辺劫をば過ぐとも、仏にならじと云ふ文なり。仏四十二年の歳月を経て後、法華経を説き給ふ文には「世尊法久後要当説真実」と仰せられしかば、舎利弗等の千二百の羅漢、万二千の声聞、弥勒等の八万人の菩薩、梵天、帝釈等の万億の天人、阿闍世王等の無量無辺の国王、仏の御言を領解する文には「我等従昔来数聞世尊説未曽聞如是深妙之上法」と云つて、我等仏に離れ奉らずして四十二年若干の説法を聴聞しつれども、いまだ是の如く貴き法華経をばきかずと云へる。此等の明文をばいかが心えて、世間の人は法華経と余経と等しく思ひ、剰へ機に叶はねば闇の夜の錦、こぞ(去年)の暦なんど云ひて、適持つ人を見てば賎しみ、軽しめ、悪み、嫉み、口をすくめなんどする。是れ併ながら謗法なり。争か往生成仏もあるべきや、必ず無間地獄に堕つべき者と見えたり。問ふて云く、凡そ仏法を能く心得て仏意に叶へる人をば、世間に是を重んじ一切是を貴む。然るに当世法華経を持つ人人をば、世にこぞって悪み、嫉み、軽しめ、賎しみ、或は是を追ひ出し、或は流罪し、供養をなすまでは思ひもよらず、怨敵の様ににくまるろはいかさまにも、心わろくして仏意にもかなはず、ひが(僻)さまに法を心得たるなるべし。経文には如何が説きたるや。答へて云く、経文の如くならば末法の法華経の行者は、人に悪まるる程に持つを実の大乗の僧とす。又経を弘めて人を利益する法師なり。人に吉と思はれ、人の心に随ひて貴しと思はれん僧をば、法華経のかたき、世間の悪知識と思ふべし。此人を経文には猟師の目を細めて鹿をねらひ、猫の爪を隠して鼠をねらふが如くにして、在家の俗男、俗女の檀那を、へつらひ、いつわり、たぼらかすべしと説き給へり。其上勧持品には法華経の適人三類を挙げられたるに「一には在家の俗男俗女なり。此俗男俗女は法華経の行者を憎み、罵り、打ちはり、きり殺し、所を追ひ出だし、或は上へ讒奏して遠流し、なさけなくあだむ者なり。二には出家の人なり。此人は慢心高くして内心には物も知らざれども、智者げにもてなして世間の人に学匠と思はれて、法華経の行者を見ては、怨み、嫉み、軽しめ、賎しみ、犬、野干よりもわろきやうを人に云ひうとめ、法華経をば我れ一人心得たりと思ふ者なり。三には阿練若の僧なり。此僧は極めて貴き相を形に顕し、三依一鉢を帯して山林の閑なる所に篭り居て、在世の羅漢の如く諸人に貴まれ、仏の如く万人に仰がれて、法華経を説の如くに読み持ち奉らん僧を見ては憎み嫉んで云く、大愚痴の者、大邪見の者なり。総て慈悲なき者、外道の法を説くなんど云はん。上一人より仰ひで信を取らせ給はば、其の已下万人も仏の如くに供養をなすべし。法華経を説の如くよみ持たん人は必ず此三類の敵人に怨まるべきなりと仏説き給へり。問ふて云く、仏の名号を持つ様に法華経の名号を取り分けて持つべき証拠ありや、如何。答へて云く、経に云く「仏告諸羅刹女善哉善哉汝等但能擁護受持法華名者福不可量」と云云。此文の意は十羅刹の法華の名を持つ人を護らんと誓言を立て給ふを、大覚世尊讃めて言はく、善哉善哉汝等南無妙法蓮華経と受け持たん人を守らん功徳、いくら程とも計りがたくめでたき功徳なり。神妙なりと仰せられたる文なり。是我等衆生の行住坐臥に南無妙法蓮華経と唱ふべしと云う文なり。凡そ妙法蓮華経とは我等衆生の仏性と梵王、帝釈等の仏性と、舎利弗、目連等の仏性と、文殊、弥勒等の仏性と、三世の諸仏の解の妙法と一体不二なる理を妙法蓮華経と名けたるなり。故に一度妙法蓮華経と唱ふれば、一切の仏、一切の法、一切の菩薩、一切の声聞、一切の梵王、帝釈、閻魔法王、日月、衆星、天神、地神、乃至地獄、餓鬼、畜生、修羅、人天、一切衆生の心中の仏性を、唯だ一音に喚び顕し奉る功徳無量無辺なり。我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて、我が己心中の仏性、南無妙法蓮華経とよびよばれて、顕れ給ふ処を仏とは云うなり。譬へば篭の中の鳥なけば、空とぶ鳥のよばれて集まるが如し。空とぶ鳥の集まれば篭の中の鳥も出でんとするが如し。口に妙法をよび奉れば、我身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ。梵王、帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ。仏、菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ。されば「若暫持者我則歓喜諸仏亦然」と説き給ふは此の心なり。されば三世の諸仏も妙法蓮華経の五字を以て仏に成り給ひしなり。三世の諸仏の出世の本懐、一切衆生皆成仏道の妙法と云ふは是なり。是等の趣を能能心得て仏になる道には、我慢偏執の心なく南無妙法蓮華経と唱へ奉るべき者なり。
                       日蓮 御在判
(啓二九ノ八七。鈔一八ノ三三。語三ノ四九。拾五ノ三四。扶一一ノ二四。)

#0271-2K0 実相寺御書 建治四(1278.01・16) [p1433]
実相寺御書(門弟第廿一書)(原文漢文)
     建治四年正月。五十七歳作。与豊前房日源書。
     外四ノ一。遺二四ノ二六。縮一六九二。類一六四〇。

 新春の御札の中に云く、駿河の国実相寺の住侶、尾張阿闍梨と申す者、玄義の四の巻に涅槃経を引いて、「小乗を以て大乗を破し、大乗を以て小乗を破するは盲目の因也」と釈せらるるの由申候なるは、実にて候やらん。反詰して云く、小乗を以て大乗を破し、大乗を以て小乗を破するは盲目ならば、弘法大師、慈覚大師、智証等はされば盲目となり給たりける歟。善無畏、金剛智、不空等は盲目と成給ふと殿はの給かとつめよ。玄義の四に云く「問ふ、法華に麁を開して麁皆妙に入る、涅槃何の意ぞ更に次第の五行を明す耶。答ふ、法華は仏世の人の為に権を破して実に入れ、復麁有ること無く教意整足せり。涅槃は末代の凡夫の見思の病重く、一実に定執して方便を誹謗し甘呂(露)を服すと雖も、事に即して而も真なること能はず、命を傷けて早夭するが為の故に戒、定、慧を扶けて大涅槃を顕す。法華の意を得れば涅槃に於て次第の行を用ひざる也」。籖の四に云く「次に料簡の中、扶戒定慧と言ふは、事戒、事定、前三教の慧、並に事法を扶くるが為の故なり。具には止観の対治助開の中に説くが如し。今時の行者或は一向に理を尚ぶときは則ち己聖に均と謂ひ、及び実に執して権を謗す。或は一向に事を尚ぶときは則ち功を高位に推り及び実を謗して権を許す。既に末代に処して聖旨を思はず、其れ誰か斯の二の失に堕せざらん。法華の意を得れば則ち初後倶に頓なり。請ふ心を揣り臆を撫で自ら浮沈を暁れと」等云云。此釈に迷惑する者歟。此釈は所詮、或一向尚理とは達磨宗に等しき也。及執実謗権とは華厳宗、真言宗也。或一向尚事とは浄土宗、律宗也。及謗実許権とは法相宗也。夫れ法華経の妙の一字に二義有り、一は相待妙、麁を破して妙を顕す、二は絶対妙、麁を開して妙を顕す。爾前の諸経並に法華已後の諸経は、破麁顕妙の一分之を説くと雖も開麁顕妙は全分之無し。爾るに諸経に依憑する人師彼彼の経経に於て破、顕の二妙を存し、或は天台の智慧を盗み、或は民家に天下を行ふ耳。設ひ開麁を存すと雖も破の義免れ難き歟。何に況や上に挙ぐる所の一向執権或は一向執実等の者をや。而るに彼阿闍梨等は自科を顧みざる者にして、嫉妬するの間、自眼を回転して大山を眩と観る歟。先づ実を以て権を破し権執を絶して実に入るは、釈迦、多宝、十方の諸仏の常儀也。実を以て権を破する者を盲目と為せば釈尊は盲目の人歟。乃至、天台、伝教は盲目の人師なる歟如何。笑ふ可し、返す返す。四十九院等の事、彼の別当等は無智の者たる間日蓮に向つて之を恐る、小田一房等怨を為す歟。弥よ彼等が邪法滅すべき先兆也。根露るれば枝枯れ、源竭れば流尽ると云ふ本文虚しからざる歟。弘法、慈覚、智証三大師の法華経誹謗の大科四百余年の間隠せる根露はれ枝枯る。今日蓮之を糾明せり。拘留外道が石と為つて数百年陳那菩薩に責られ石即ち水と為る。尼?が立てし塔は馬鳴之を頽す。臥せる師子に手を触れば瞋を為す等是也。
   建治四年正月十六日          日蓮花押
 駿河国実相寺豊前公御房御返事(微上ノ八。考二ノ三九。)

#0273-200 四条金吾殿御書 建治四(1278.01・25) [p1436]
四条金吾御書(四条第廿一書)
     建治四年正月。五十七歳作。
     内三九ノ三一。遺二四ノ二八。縮一六九四。類八九〇。

 鷹取のたけ(岳)、身延のたけ、なゝいた(七面)がれのたけ、いゝだに(飯谷)と申し木のもと(本)かや(萱)のね(根)、いわ(巌)の上、土の上いかにたづね候へども、をひ(生)て候ところなし。されば海にあらざればわかめ(海藻)なし、山にあらざればくさびら(茸)なし。法華経にあらざれば仏になる道なかりけるか。これはさてをき候ぬ。なによりも承はりてすずしく(爽)候事は、いくばくの御にくまれ(憎)の人の御出仕に人かずにめしぐ(召具)せられさせ給て、一日二日ならず御ひまもなきよし、うれしさ申ばかりなし。えもんのたいう(右衛門大夫)のをや(親)に立あひて、上の御一言にてかへりてゆり(許)たると殿のすねん(数年)が間のにくまれ、去年のふゆ(冬)はかうとききしに、かへりて日日の御出仕の御ともいかなる事ぞ。ひとへに天の御計、法華経の御力にあらずや。其上円教房の来て候しが申候は、えま(江馬)の四郎殿の御出仕に御とものさふらひ二十四、五、其中にしう(主)はさてをきたてまつりぬ。ぬし(主)のせい(身長)といひ、かを(面)たましひ(魂)、むま(馬)、下人までも中務のさえもんのじやう(左衛門尉)第一なり。あはれ(天晴)をとこ(男)やをとこやと、かまくらわらはべ(童)はつじち(辻)にて申あひて候しとかたり候。これにつけてもあまりにあやしく候。孔子は九思一言、周公旦は浴する時は三度にぎり、食する時は三度はかせ給ふ。古の賢人なり今の人のかがみなり。されば今度はことに身をつゝしませ給べし。よる(夜)はいかなる事ありとも一人そと(外)へ出させ給べからず。たとひ上の御めし有ともまづ下人をごそ(御所)へつかわして、なひなひ一定をききさだめて、はらまきをきてはちまき(鉢巻)し、先後左右に人をたてて出仕し、御所のかたわらに心よせのやかたか、又我がやかたかにぬぎをきてまいらせ給べし。家へかへらんにはさき(前)に人を入て、とのわき(戸側)はしのした(橋下)むまや(厩)のしり、たかどの(高殿)一切くらきところをみせて入べし。せうまう(焼亡)には我が家よりも人の家よりもあれ。たから(財)ををしみてあわてて火をけすところへづつとよるべからず。まして走出る事なかれ。出仕より主の御ともして御かへりの時はみかど(御門)より馬よりをりて、いとまのさしあうよしはうくわんに申ていそぎかへるべし。上のをゝせなりともよ(夜)に入て御ともして御所にひさかるべからず。かへらむには第一心にふかきえうじん(用心)あるべし。ここをばかならずかたきのうかがうところなり。人のさけ(酒)たばん(賜)と申ともあやしみて、あるひは言をいだし、あるひは用ることなかれ。又御をとゝ(舎弟)どもには常はふびんのよしあるべし。つねにゆせに(湯銭)ざうりのあたい(艸履値)なんど心あるべし。もしやの事のあらむにはかたきはゆるさじ。我ためにいのちをうしなはんずる者ぞかしとをぼして、とがありともせうせう(少々)の失をばしらぬやうにてあるべし。又女るひはいかなる失ありとも一向に御けうくん(教訓)までもあるべからず。ましていさかう(争)ことなかれ。涅槃経に云「罪雖極重不及女人」等云云。文の心はいかなる失ありとも女のとがををこなはざれ。此賢人なり、此仏弟子なりと申文なり。此文は阿闍世王父を殺すのみならず、母をあやまたむとせし時、耆婆、月光の両臣がいさめたる経文なり。我母心ぐるしくおもひて、臨終までも心にかけしいもうと(女弟)どもなれば、失をめん(免)じて不便というならば、母の心やすみて孝養となるべしとふかくをぼすべし。佗人をも不便というぞかし、いわうやをとをとどもをや。もしやの事の有には一所にていかにもなるべし。此等こそとどまりいてなげ(歎)かんずれば、をもひで(思出)にとふかくをぼすべし。かやう申は佗事はさてをきぬ。双六は二ある石はかけられず、鳥は一の羽にてとぶことなし。将門、さだたふ(貞任)がやうなりしいふしやう(勇将)も、一人は叶はず。されば舎弟等を子とも郎等ともうちたのみてをはせば、もしや法華経もひろまらせ給て世にもあらせ給わば、一方のかたうど(方人)たるべし。すでにきやう(京)のだいり(内裏)、院のごそ(御所)、かまくらの御所並に御うしろみ(後見)の御所、一年が内二度正月と十二月とにやけ(焼失)候ぬ。これ只事にはあらず、謗法の真言師等を御師とたのませ給上、かれら法華経をあだみ候ゆへに天のせめ、法華経十羅刹の御いさめあるなり。かへりて大さんげ(懺悔)あるならばたすかるへんもあらんずらん。いたう天の此国ををしませ給ゆへに大なる御いさめあるか。すでに佗国が此国をうちまきて国王、国民を失はん上、仏神の寺社百千万がほろびんずるを、天眼をもつて見下てなげかせ給なり。又法華経の御名をいういう(優々)たるものどもの唱を、誹謗正法の者どもがをどし候を天のにくませ給ふ故なり。あなかしこあなかしこ。今年かしこく(賢)して物を御らんぜよ。山海空市まぬかるるところあらばゆきて今年はすぎぬべし。阿私陀仙人が仏の生れ給しを見ていのちををしみしがごとし、を
しみしがごとし。恐恐謹言。
  正月二十五日             日蓮花押
  中務左衛門尉殿
(啓三六ノ九七。鈔二五ノ七六。語五ノ三七。扶一五ノ四七。)

#0275-200 三沢鈔 建治四(1278.02・23) [p1443]
三沢鈔(三沢第二書)
     建治四年二月。五十七歳作。真蹟在京都妙覚寺。
     内一九ノ二〇。遺二四ノ三四。縮一七〇二。類五七八。

  かへすがへす、するが(駿河)の人人みな同じ御心と申せ給候へ。柑子一百、こぶ(昆布)、のり(海苔)、をご(於胡)等の生の物、はるばるとわざわざ山中へをくり給て候。ならびにうつぶさ(内房)の尼ごぜんの御こそで(小袖)一給候了ぬ。
 さてはかたがたのをほせ(仰)くはしくみほどき(見解)候。抑仏法をがく(学)する者は大地微塵よりをほけれども、まことに仏になる人は爪上の土よりもすくなしと、大覚世尊涅槃経にたしかにとかせ給て候しを、日蓮みまいらせ候ていかなればかくわ、かた(難)かるらむとかんがへ候しほどに、げにもさならむとをもう事候。仏法をばがく(学)すれども或は我が心のをろかなるにより、或はたとひ智慧はかしこきやうなれども師によりて我心のまがる(曲)をしらず。仏教をなを(直)しくならひ(習)うる事かたし。たとひ明師並に実経に値奉りて正法をへ(得)たる人なれども、生死をいで仏にならむとする時には、かならず影の身にそうがごとく雨に雲のあるがごとく、三障四魔と申て七の大事出現す。設ひからくして六はすぐれども第七にやぶられぬれば仏になる事かたし。其六は且くをく。第七の大難は天子魔と申物なり。設ひ末代の凡夫一代聖教の御心をさとり、摩訶止観と申大事の御文の心を心えて仏になるべきになり候ぬれば、第六天の魔王此事を見て驚きて云、あらあさましや此者此国に跡を止ならば、かれが我身の生死をいづるかはさてをきぬ。又人を導くべし。又此国土ををさへとり(押取)て我土を浄土となす、いかんがせんと候て、欲、色、無色三界の一切の眷属をもよをし(催)仰せ下して云、各各ののうのう(能能)に随てかの行者をなやまし(悩)てみよ。それにかなわずば、かれが弟子だんな並に国土の人の心の内に入かわりて、あるひはいさめ(諌)、或はをどし(威)てみよ。それに叶はずば我みづからうちくだりて、国主の身心に入かわりてをどして見むに、いかでかとどめ(止)ざるべきとせんぎ(僉議)し候なり。日蓮さきよりかゝるべしとみほどき(見解)候て、末代の凡夫の今生に仏になる事は大事にて候けり。釈迦仏の仏にならせ給し事を経経にあまたとかれて候に、第六天の魔王のいたしける大難いかにも忍ぶべしともみへ候はず候。提婆達多、阿闍世王の悪事は、ひとへに第六天の魔王のたばかりとこそみて候へ。まして「如来現在猶多怨嫉況滅度後」と申て、大覚世尊の御時の御難だにも、凡夫の身、日蓮にかやうなる者は片時一日も忍がたかるべし。まして五十余年が間の種種の大難をや。まして末代には此等は百千万億倍すぐべく候なる大難をば、いかでか忍び候べきと心に存じて候しほどに、聖人は未萠を知と申て、三世の中に未来の事を知をまことの聖人とは申なり。而に日蓮は聖人にあらざれども日本国の今の代にあたりて、此国亡亡たるべき事をかねて知て候しに、此こそ仏のとかせ給て候「況滅度後」の経文にあたりて候へ。此を申いだすならば仏の指せ給て候未来の法華経の行者なり。知て而も申さずば世世生生の間、をうし(?)ことどもり(?)生れん上、教主釈尊の大怨敵其国の国主の大讎敵佗人にあらず。後生は又無間大城の人此なりとかんがへみて或は衣食にせめられ、或は父母、兄弟、師匠、同行にもいさめられ、或は国主、万民にもをどされしに、すこしもひるむ(撓)心あるならば一度に申し出さじと、としごろ(年来)ひごろ(日来)心をいましめ候しが、抑過去遠遠劫より定て法華経にも値奉り菩提心もをこしけん。なれども設ひ一難、二難には忍びけれども、大難次第につづき来りければ退しけるにや。今度いかなる大難にも退せぬ心ならば、申出すべしとて申出て候しかば、経文にたがわず此の度度の大難にはあいて候しぞかし。今は一こうなり、いかなる大難にもこらへてんと我身に当て心みて候へば、不審なきゆへに此山林には栖候なり。各各は又たといすてさせ給とも一日かたときも我が身命をたすけし人人なれば、いかでか佗人にはに(似)させ給べき。本より我一人いかにもなるべし。我いかにしなるとも心に退転なくして仏になるならば、とのばら(殿原)をば導きたてまつらむと、やくそく(約束)申て候き。各各は日蓮ほども仏法をば知せ給ざる上俗なり。所領あり、妻子あり、所従あり、いかにも叶がたかるべし。只いつわりをろか(偽愚)にて、をはせかしと申し候きこそ候へけれ。なに事につけてか、すて(捨)まいらせ候べき。ゆめゆめをろか(疎)のぎ(儀)候べからず。又法門の事はさど(佐渡)の国へながされ候し已前の法門は、ただ仏の爾前の経とをぼしめせ。此国の国主我代をもたもつ(持)べくば、真言師等にも召合せ給はんずらむ。爾時まことの大事をば申べし。弟子等にもなひなひ(内内)申ならば、ひらう(披露)してかれら(彼等)しり(知)なんず。さらばよもあわ(合)じとをもひて各各にも申ざりしなり。而に去る文永八年九月十二日の夜、たつ(龍)の口にて頸をはね(刎)られんとせし時よりのち(後)ふびんなり、我につきたりし者どもに、まこと(真)の事をいわ(言)ざりけるとをも(思)て、さど(佐渡)の国より弟子どもに内内申す法門あり。此は仏より後迦葉、阿難、龍樹、天親、天台、妙楽、伝教、義真等の大論師、大人師は、知てしかも御心の中に秘せさせ給し。口より外には出し給はず。其故は仏制して云く「我滅後末法に入らずば此の大法いうべからず」とありしゆへなり。日蓮は其御使にはあらざれども、其の時剋にあたる上、存外に此法門をさとりぬれば、聖人の出させ給ふまでまづ序分にあらあら申なり。而に此法門出現せば、正法、像法に論師、人師の申せし法門は、皆日出て後の星、光巧匠の後に拙を知るなるべし。此時には正、像の寺堂の仏像、僧等の霊験は皆きへうせ(消失)て、但此大法耳一閻浮提に流布すべしとみへて候。各各はかかる法門にちぎり(契)有人なれば、たのもしとをぼすべし。又うつぶさ(内房)の御事は御としよらせ(年老)給て御わたりありし。いたわしく(痛)をもひまいらせ候しかども、うぢがみ(氏神)へまいり(参)てあるついでと候しかば、けさん(見参)に入るならば定てつみ(罪)ふかかるべし。其故は神は所従なり、法華経は主君なり。所従のついでに主君へのけさんは世間にもをそれ候。其上尼の御身になり給てはまづ仏をさき(先)とすべし。かたがたの御とが(失)ありしかば、けさんせず候。此又尼ごぜん一人にはかぎらず。其外の人人もしもべ(下部)のゆ(温泉)のついでと申者を、あまたをひかへし(追返)て候。尼ごぜんはをや(親)のごとくの御とし(齢)なり。御なげき(歎)いたわしく候しかども、此義をしら(知)せまいらせんためなり。又との(殿)はをとゝし(一昨年)かの(彼)けさんの後そらごとにてや候けん、御そらう(所労)と申せしかば、人をつかわしてきかん(聞)と申せしに、此御房たちの申せしはそれはさる事に候へども、人をつかわしたらば、いぶせ(不審)くやをもはれ候はんずらんと申せしかば、世間のならひはさもやあるらむ。げん(現)に御心ざしまめ(実)なる上、御所労ならば御使も有なんとをもひしかども、御使もなかりしかば、いつわりをろかにてをぼつかなく候つる上、無常は常のならひなれどもこぞ(去年)ことし(今年)は、世間はう(法)にすぎてみみへまいらすべしともをぼほ(覚)へず。こひし(恋)くこそ候つるに御をとづれ(音信)ある、うれしとも申計なし。尼ごぜん(御前)にもこのよしをつぶつぶ(委細)とかたり申させ給候へ。法門の事こまごまとかきつへ(書伝)申べく候へども、事ひさしくなり候へばとどめ候。ただし禅宗と念仏宗と律宗等の事は、少少前にも申て候。真言宗がこと(殊)に此国とたうど(唐土)とをばほろぼして候ぞ。善無畏三蔵、金剛智三蔵、不空三蔵、弘法大師、慈覚大師、智証大師、此六人が大日の三部経と法華経との優劣に迷惑せしのみならず、三三蔵事をば天竺によせて、両界をつくりいだし狂惑しけるを、三大師うちぬかれて日本へならひわたし(習渡)、国主並に万民につたへ、漢土の玄宗皇帝も代をほろぼし、日本国もやうやくをとろへ(衰)て八幡大菩薩の百王のちかい(誓)もやぶれて、八十二代隠岐法王、代を東にとられ給しは、ひとへに三大師の大僧等がいのり(祈)しゆへに「還著於本人」して候。関東は此悪法、悪人を対治せしゆへに、十八代をつぎて百王にて候べく候つるを、又かの悪法の者どもを御帰依有ゆへに、一国には主なければ梵釈、日月、四天の御計として、佗国にをほせ(仰)つけてをどして御らむ(覧)あり。又法華経の行者をつかわして御いさめあるを、あやめずして彼の法師等に心をあわせて、世間、出世の政道をやぶり、法にすぎて法華経の御かたきにならせ給ふ。すでに時すぎぬれば此国やぶれなんとす。やくびやう(疫病)はすでにいくさ(軍)にせんふ(先符)せわ(ば)またしるしなり。あさまし、あさまし。
二月二十三日                   日蓮花押
みさわどの
(啓二八ノ五一。鈔一七ノ六八。註一八ノ四一。語三ノ三一。音下ノ二五。拾四ノ四四。扶一〇ノ五九。)

#0276-200 上野殿御返事 建治四(1278.02・25) [p1450]
上野殿御返事(上野第十八書)(蹲鴟書)(報南条氏書)
     建治四年二月。五十七歳作。
     外五ノ二四。遺二四ノ四一。縮一七〇九。類九八九。

 蹲鴟、くしがき(串柿)、焼米、栗、たかんな(筍)、すづつ(酢筒)給候畢ぬ。月氏に阿育大王と申す王をはしき。一閻浮提四分の一をたなごころ(掌)ににぎり(握)、龍王をしたがへ(随)て雨を心にまかせ、鬼神をめしつかひ(召使)給き。始は悪王なりしかども後には仏法に帰し、六万人の僧を日日に供養し、八万四千の石の塔をたて給ふ。此大王の過去をたづぬれば、仏在世に徳勝童子、無勝童子とて二人のをさなき(幼)人あり。土の餅を仏に供養し給て一百年の内に大王と生たり。仏はいみじしといへども法華経にたい(対)しまいらせ候へば蛍火と日月との勝劣、天と地との高下なり。仏を供養してかゝる功徳あり、いわうや法華経をや。土のもちい(餅)をまいらせてかゝる不思議あり。いわうやすず(種種)のくだ(果)物をや。かれはけかち(飢渇)ならずいまはうへたる国也。此をもん(以)てをもふに、釈迦仏、多宝仏、十羅刹女いかでかまほら(守)せ給はざるべき。抑今の時法華経を信ずる人あり。或は火のごとく信ずる人もあり、或は水のごとく信ずる人もあり。聴聞する時はもへたつ(燃立)ばかりをもへども、とほ(遠)ざかりぬればすつる心あり。水のごとくと申はいつもたい(退)せず信ずる也。此はいかなる時もつね(常)はたい(退)せずとわ(問)せ給ば、水のごとく信ぜさせ給へる歟。たうとし(貴)たうとし。まこと(実)やらむ、いえ(家)の内にわづらひ(煩)の候なるは、よも鬼神のそい(所為)には候はじ、十らせち(羅刹)女の信心のぶんざい(分際)を御心みぞ候らむ。まことの鬼神ならば法華経の行者をなやまし(悩)て、かうべ(頭)をわらんとをもふ鬼神の候べき歟。又釈迦仏法華経の御そら(虚)事の候べきかと、ふかくをぼしめし候へ。恐恐謹言。
 二月廿五日              日蓮花押
(微上ノ一四。考三ノ九。)

#0281-300 教行証御書 弘安元(1279 or 1275.03・03) [p1479]
教行証御書(報日進書)
     文永十二年三月。五十四歳著。与三位房日進書(或云与三位房日行書)
     外二〇ノ四。遺一七ノ三一。縮一一一五。類三一八。

 夫、正像二千年に小乗、権大乗を持ちて、其功を入れて修行せしに依て大体其益あり。然りと雖も彼彼の経経を修行せし人人の自依の経経にして益を得ると思へども、法華経を以て其意を探れば一分の益なし。所以は何んとなれば、仏の在世にして法華経に結縁せしが其機の熟否に依て、円機純熟の者は在世にして仏に成れり。根機微劣の者は正、像に退転して、権大乗経の浄名、思益、観経、仁王、般若経等にして其証果を取れること在世の如し。されば正法には教、行、証の三つ倶に兼備せり。像法には教行のみありて証なし。今末法に入ては教のみ有りて行証なく、在世結縁の者一人もなし。権実の二機悉く失せり。此時は濁悪たる当世の逆謗の二人に始めて本門の肝心寿量品の南無妙法蓮華経を以て下種と為す。「是好良薬今留在此汝可取服勿憂不差」とは是なり。乃往過去の威音王仏の像法に大乗を知る者一人もなかりしに、不軽菩薩出現して教主説き置き給ひし二十四字を一切衆生に向つて唱へしめしが如し。彼の二十四字を聞きし者は一人もなく、亦不軽大士に値ひて益を得たり。此れ則ち前の聞法を下種とせし故なり。今も亦是の如し。彼は像法、此れは濁悪の末法。彼は初随喜の行者、此れは名字の凡夫。彼は二十四字の下種、此れは唯五字なり。得道の時節ことなりと雖も成仏の所詮は全体是同じかるべし。問て云く「上に挙ぐる所の正、像、末法の教、行、証各別なり。何ぞ妙楽大師は「末法の初め冥利なきにあらず。且く大教の流行すべき時に拠る」と釈し給ふや、如何。答へて云く、得意に云く、正、像に益を得し人人は顕益なるべし。在世結縁の熟せるが故に。今末法には初めて下種す、冥益なるべし。已に小乗、権大乗、爾前、迹門の教、行、証に似るべくもなし。現に証果の者これなし。妙楽の釈の如くんば冥益なれば人是を知らず、見ざるなり。問て云く、末法に限りて冥益と知る経文これありや、答へて云く、法華経第七薬王品に云く「此経則為閻浮提人病之良薬若人有病得聞是経病即消滅不老不死」等云云。妙楽大師云く「然も後の五百は且く一往に従ふ。末法の初め冥利なきにあらず。且く大教の流行すべき時に拠るが故に五百と云ふ」等云云。問て云く、汝が引く所の経、文、釈は末法の初め五百に限ると聞たり。権大乗経等を修行の時節尚末法万年と云へり如何。答へて云く、前釈已に且従一往と云へり。再往は末法万年の流行なるべし。天台大師上の経文を釈して云く「但当時大利益を獲るのみに非ず。後の五百歳遠く妙道に沽ほはん」等云云。是れ末法万年を指せる経釈に非ずや。法華経第六分別功徳品に云く「悪世末法時能持是経者」。安楽行品に云く「於末法中欲説是経」。此等は皆末法万年と云ふ経文なり。彼彼の経経の説は四十余年未顕真実なり。或は結集者の意拠か。依用し難し。拙い哉、諸宗の学者法華経の下種を忘れ、三、五塵点の昔を知らず。純円の妙経を捨てゝ亦生死の苦海に沈まん事よ。円機純熟の国に生を受けて、徒らに無間大城に還らんこと不便とも申す許りなし。崑崙山に入りし者の一の玉をも取らずして貧国に帰り、栴檀林に入りて瞻蔔を蹈まずして瓦礫の本国に帰る者に異ならず。第三の巻に云く「如従飢国来忽遇大王膳」。第六に云く「我此土安穏〇我浄土不毀」等云云。状に云く「難問に云く、爾前当分の得道」等云云。涅槃経第三に「善男子応当修習」の文を立つべし。之を受けて弘決第三に「所謂久遠必無大者」と会して、爾前の諸経にして得道せし者は、久遠初業に依るなるべしと云つて一分の益これなき事を治定して、其後滅後の弘経に於ても亦復是の如く、正像の得益証果の人は在世の結縁に依るなるべし等云云。又彼が何度も爾前の得道を云はば、無量義経に四十余年の経経を仏我れと未顕真実と説き給へば我等が如き名字の凡夫は仏説に依りてこそ成仏を期すべく候へ、人師の言語は無用なり。涅槃経には依法不依人と説かれて大に制せられて候へば、なんど立てて未顕真実と打ち捨て打ち捨て「正直捨方便世尊法久後」なんどの経、釈をば秘して左右なく出すべからず。又難問に云く、得道の所詮は爾前も法華経もこれ同じ。其故は観経の往生或は其外例の如し等云云と立つべし。又「未顕真実」其外「但以仮名字」等云云と。又同時の経ありと云はば、法師品の已、今、当の説をもて会すべきなり。玄義の三、籤の三の文を出すべし。経、釈能能料簡して秘すべし。一状に云く、真言宗等云云。答ふ、彼が立つる所の如き、弘法大師の戯論、無明の辺域、何れの経文に依るやと云つて、彼の依経を引かば云ふべし。大日如来は三世の諸仏の中には何れぞやと云つて、善無畏三蔵、金剛智等の偽りをば汝は知れるやと云つて、其後一行筆受の相承を立つべし。大日経には一念三千跡を削れり。漢土にして偽りしなり。就中僻見あり、毘盧の頂上を蹈む証文は三世の諸仏の所説にこれありや。其の後彼云く等云云と立つべし。大慢婆羅門が高座の足等云云。彼此是の如き次第、何なる経文、論文に之を出すやと等云云。其外常に教へし如く問答対論あるべし。設ひ何なる宗なりとも真言宗の法門を云はば真言の僻見を責むべく候。次に念仏の曇鸞法師の難行易行、道綽が聖道浄土、善導が雑行正行、法然が捨閉閣抛の文、此等の本経本論を尋ぬべし。経に於て権実二経あること例の如し。論に於ても又通別の二論あり。黒白の二論あること深く習ふべし。彼の依経の浄土三部経の中に是の如き等の所説ありや。又人毎に念仏、阿弥陀等之を讃す、又前の如し。所詮和漢両国の念仏宗が法華経を雑行なんど捨閉閣抛する本経本論を尋ぬべし。若し慥かなる経文なくんば、是の如く権経より実経を謗るの過罪、法華経の譬喩品の如くんば阿鼻大城に堕落して展転無数劫を経歴し給はんずらん。彼の宗の僻謬を本として此三世諸仏の皆是真実の証文を捨てる、其罪実と諸人に評判せさすべし。心有らん人誰か実否を決せざらんや。而して後に彼の宗の人師を強ちに破すべし。一経の株を見て万経の勝劣を知らざる事未練なる者哉。其の上我と見明らめずとも釈尊並びに、多宝、分身の諸仏の定判し給へる経文法華経計り皆是真実なるを不真実、未顕真実を已顕真実と僻める眼は牛羊の所見にも劣れる者なるべし。法師品の已今当、無量義経の歴劫修行、未顕真実何なる事ぞや。五十余年の諸経の勝劣ぞかし。諸経の勝劣は成仏の有無なり。慈覚、智証の理同事勝の眼、善導、法然の余行非機の目、禅宗が教外別伝の所見は東西動転の眼目、南北不弁の妄見なり。牛羊よりも劣り蝙蝠鳥にも異ならず。依法不依人の経文、毀謗此経の文をば如何に恐れさせ給はざるや。悪鬼入其身の無明の悪酒に酔ひ沈み給ふらん。一切は現証には如かず。善無畏、一行が横難横死、弘法、慈覚が死去の有様実に正法の行者是の如くにあるべく候や。観仏相海経等の諸経並びに龍樹菩薩の論文如何が候や。一行禅師の筆受の妄語、善無畏のたばかり(欺罔)、弘法の戯論、慈覚の理同事勝、曇鸞、道綽が余行非機、是の如き人人の所見は権経権宗の虚妄の仏法の習にてや候らん。それほどに浦山敷もなき死去にて候ぞやと、和らかに又強く両眼を細めに見、顔貌に色を調へて閑かに言上すべし。状に云く「彼此経経挙得益数」等云云。是れ不足に候と先づ陳ぶべし。其後汝等が宗宗の依経に三仏の証誠これありや未だ聞かず。よも多宝分身は御来り候はじ。此仏は法華経に来り給ひし間、一仏二言はやはか(豈)御坐し候べきと。次に六難九易何なる経の文にこれありや。若し仏滅後の人人の偽経は知らず。釈尊の実説五十年の説法の内には一字一句もあるべからず候なんど立つべし。五百塵点の顕本これありや。三千塵点の結縁説法ありや。一念信解五十展転の功徳何なる経文に説き給へるや。彼の余経には一、二、三、乃至、十功徳すらこれなし。五十展転まではよも説き給ひ候はじ。余経には一、二の塵数を挙げず。何に況や五百、三千をや。二乗の成、不成、龍畜、下賎の即身成仏今の経に限れり。華厳、般若等の諸大乗経にこれありや。二乗作仏は初めて今経に在り、よも天台大師程の明哲の弘法、慈覚の如き、無文無義の偽はおはし給はじと我等は覚え候。又悪人の提婆、天道国の成道、法華経に並びて何なるに経かこれありや。然りと雖も万の難を閣いて何なる経にか十法界の開会等草木成仏これありや。天台、妙楽の無非中道、惑耳驚心の釈は慈覚、智証の理同事勝の異見に之を類すべく候や。已に天台等は三国伝灯の人師、普賢開発の聖師、天真発明の権者なり。豈に経論になき事を偽り釈し給はんや。彼彼の経経に何なる一大事かこれあるや。此経には二十の大事あり。就中五百塵点顕本の寿量品に何なる事を説き給へるとか人人は思召し候。我等が如き凡夫無始已来生死の苦底に沈輪して、仏道の彼岸を夢にも知らざりし衆生界を、無作本覚の三身と成し、実に一念三千の極理を説くなんど浅深を立つべし。但し公場ならば然るべし私に問註すべからず。慥かに此法門は汝等が如き者は人毎に座毎に日毎に談ずべくんば、三世諸仏の御罰を蒙るべきなり。日蓮己証なりと常に申せし是なり。大日経にこれありや。浄土三部経の成仏已来凡歴十劫之に類すべきや、なんど前後の文乱れず一一に会すべし。其後又云ふべし、諸人は推量も候へ、是の如くいみじき御経にて候へばこそ、多宝遠来して証誠を加へ、分身来集して三仏の御舌を梵天に付け、不虚妄とは罵しらせ給ひしか。地涌千界出現して濁悪末代の当世に別付属の妙法蓮華経を、一閻浮提の一切衆生に取り次ぎ給ふべき仏の勅使なれば、八十万億の諸大菩薩をば止ね善男子と嫌はせ給ひしか等云云。又彼の邪宗の者どもの習として強ちに証文を尋ぬる事これあり。涌出品並びに文句の九、記の九の前三後三の釈を出すべし。但日蓮の門家の大事これに如かず。又諸宗の人大論の自法愛染の文を問難とせば大論の立所を尋ねて後、執権謗実の過罪をば龍樹は存知なく候ひけるか。余経は秘密に非ず、法華是れ秘密と仰せられ、譬如大薬師と此経計り成仏の種子と定めて、又悔ひ返して「自法愛染不免堕悪道」と仰せられ候べき歟。さであらば仏語には「正直捨方便不受余経一偈」なんど法華経の実語には大に違背せり。よもさにては候はじ。若し末法の当世時剋相応せる法華経を謗じたる弘法、曇鸞なんどを、付法蔵の論師釈尊の御記文にわたらせ給ふ菩薩なれば、鑒知してや記せられたる論文なるらん。おぼつかなしなんどあざむく(嘲弄)べし。御辺や不免堕悪道の末学なるらん。痛敷候。未来無数劫の人数にてやあるらんと立つべし。又律宗の良観が云く、法光寺殿へ訴状を奉る其状に云く、忍性年来歎いて云く、当世日蓮法師と云へる者世に在り。斎戒は堕獄す云云。所詮何なる経論にこれあるや、是一。又云く、当世日本国上下誰か念仏せざらん。念仏は無間の業と云云。是れ何なる経文ぞや、慥かなる証文を日蓮房に対して之を聞かん是二。総じて是れ体の爾前得道の有無の法門六箇条云云。然るに推知するに極楽寺良観が已前の如く日蓮に相値て宗論あるべきの由、罵る事これあらば目安を上げて極楽寺に対して申すべし。其の師にて候者は去る文永八年に御勘気を蒙り佐州へ遷され給ふて後、同じき文永十一年正月の比御免許を蒙り鎌倉に帰る。其後平の金吾に対して様様の次第申し含ませ給て、甲斐国の深山に閉ぢ篭らせ給て後は何なる主上女院の御意たりと云へども、山の内を出でゝ諸宗の学者に法門あるべからざる由仰せ候。随て其弟子に若輩のものにて候へども、師の日蓮の法門九牛が一毛をも学び及ばず候といへども、法華経に付けて不審ありと仰せらるる人わたらせ給はば存じ候なんど云つて、其後は随問而答の法門申すべし。又前六箇条一一の難門兼兼申せしが如く、日蓮が弟子等は臆病にては叶ふべからず。彼彼の経経と法華経と勝劣、浅深、成仏不成仏を判ぜん時、爾前迹門の釈尊なりとも物の数ならず。何に況や其以下の等覚の菩薩をや。まして権宗の者どもをや。法華経と申す大梵王の位にて民とも下し、鬼畜なんどと下しても、其過あらんやと得意て宗論すべし。又彼の律宗の者どもが破戒なること山川の頽るるよりも尚無戒なり。成仏までは思ひもよらず、人天の生を受くべしや。妙楽大師云く「若し一戒を持てば人中に生ずることを得。若し一戒を破れば還つて三途に堕す」と。其の外斎法経、正法念経の制法、阿含経等の大小乗経の斎法斎戒、今程の律宗忍性が一党誰か一戒をも持てる、還堕三途は疑ひなし。若しは無間地獄にや落ちんずらん、不便なんど立てて、宝塔品の持戒行者是を罵るべし。其後良あつて此法華経の本門の肝心妙法蓮華経は、三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字となせり。此五字の内に豈に万戒の功徳を納めざらんや。但此具足の妙戒は一度持ちて後行者破らんとすれども破れず。是を金剛宝器戒とや申しけんなんど立つべし。三世の諸仏は此戒を持ちて法身、報身、応身なんど何れも無始無終の仏にならせ給ふ。此を「諸教の中に於て之を秘して伝へず」とは天台大師は書き給へり。今末法当世の有智、無智、在家、出家、上下万人、此妙法蓮華経を持ちて説の如く修行せんに豈に仏果を得ざらんや。さてこそ決定無有疑とは滅後濁悪の法華経の行者を定判せさせ給へり。三仏の定判に漏れたる権宗の人人は決定して無間なるべし。是の如くいみじき戒なれば爾前迹門の諸戒は今一分の功徳なし。功徳なからんに一日の斎戒も無用なり。但此本門の戒の弘まらせ給はんには必ず前代未聞の大瑞あるべし。所謂正嘉の地動、文永の長星是なるべし。抑も当世の人人何れの宗宗にか本門の本尊、戒壇等を弘通せる、仏滅後二千二百二十余年に一人も候はず。日本人王三十代欽明天皇の御宇に仏法渡て今に七百余年、前代未聞の大法此国に流布して、月氏、漢土、一閻浮提の内の一切衆生仏に成るべき事こそ、あり難けれあり難けれ。又已前の重、末法には教、行、証の三倶に備れり。例せば正法の如し等云云。已に地涌の大菩薩上行出でさせ給ひぬ。結要の大法亦弘まらせ給ふべし。日本、漢土、万国の一切衆生は金輪聖王の出現の先兆の優曇華に値へるなるべし。在世四十二年並びに法華経の迹門十四品に、之を秘して説かせ給はざりし大法、本門正宗に至つて説き顕し給ふのみ。良観房が義に云く、彼の良観が日蓮遠国へ下向と聞く時は、諸人に向つて急ぎ急ぎ鎌倉へ上れかし。為に宗論を遂げて諸人の不審を晴さんなんど自讃毀他する由其聞え候。此等も戒法にてやあるらん。強ちに尋ぬべし。又日蓮鎌倉に罷上る時は門戸を閉ぢて内へ入るべからずと之を制法し、或は風気なんど虚病して罷り過ぎぬ。某は日蓮に非ず。其弟子にて候まゝ少し言のなまり(訛)法門の才覚は乱れがはしくとも、律宗国賊替るべからずと云ふべし。公場にして理運の法門申し候へばとて雑言、強言、自讃気なる体、人目に見すべからず。浅猿しき事なるべし。弥身口意を調へ、謹んで主人に向ふべし。主人に向ふべし。
  三月二十一日                   日蓮花押
 三位阿闍梨御房へ之を遺す。
(微下ノ一三。考七ノ二。)

#0282-200 上野殿御返事 弘安元(1278.04・01) [p1490]
上野殿御返事(上野第十九書)(法要書)(与南条氏書)
     弘安元年四月。五十七歳作。
     内三二ノ二〇。遺二四ノ四六。縮一七一四。類七二八。

 白米一斗、いも(芋)一駄、こんにやく(蒟蒻)五枚、わざ(態)と送給候畢ぬ。なによりも石河の兵衛入道殿のひめ(姫)御前の度度御ふみ(文)をつかはしたりしが、三月の十四五やげ(夜比)にて候しやらむ御ふみ(文)ありき。この世中をみ候に病なき人もこねん(今年)なんどをすぐべしとみへ候はぬ上、もとより病ものにて候が、すでにきう(急)になりて候。さいご(最後)の御ふみ也とかかれて候しが、さればつい(終)にはか(果敢)なくならせ給ぬるか。臨終に南無阿弥陀仏と申あはせて候人は、仏の金言なれば一定の往生とこそ人も我も存候へ。しかれどもいかなる事にてや候けん、仏のくひ(悔)かへさせ給て「未顕真実正直捨方便」ととかせ給て候があさましく候ぞ。此を日蓮が申候へばそら(虚)事うわのそらなりと日本国にはいかられ候。此のみならず仏の小乗経には十方に仏なし、一切衆生に仏性なしととかれて候へども、大乗経には十方に仏まします。一切衆生に仏性ありととかれて候へば、たれか小乗経を用候べき。皆大乗経をこそ信じ候へ。此のみならずふしぎ(不思議)のちがひめ(違目)ども候ぞかし。法華経は釈迦仏已今当の経経を皆くひ(悔)かへしうちやぶりて、此経真実也ととかせ給て候しかば、御弟子等用事なし。爾時多宝仏証明をくわへ、十方の諸仏舌を梵天につけ給き。さて多宝仏はとびら(扉)をたて、十方の諸仏は本土にかへらせ給て後は、いかなる経経ありて法華経を釈迦仏やぶらせ給とも、佗人わえ(和会)になりてやぶりがたし。しかれば法華経已後経経の普賢経、涅槃経等には法華経をばほむる(讃)事はあれどもそしる事なし。而を真言宗の善無畏等、禅宗の祖師等此をやぶり。日本国皆此事を信じぬ。例せば将門、貞任なんどにかたらはれし人人のごとし。日本国すでに釈迦、多宝、十方の仏の大怨敵となりて数年になり候へば、やうやくやぶれゆくほどに、又かう申者を御あだみあり。わざはひ(禍)にわざはひのならべるゆへに、此国土すでに天のせめ(責)をかほり(蒙)候はんずるぞ。此人は先世の宿業か、いかなる事ぞ臨終に南無妙法蓮華経と唱させ給ける事は、一眼のかめ(亀)の浮木の穴に入り、天より下すいと(糸)の大地のはり(針)の穴に入がごとし。あらふしぎ(不思議)ふしぎ。又念仏は無間地獄に堕ると申事をば経文に分明なるをばしらずして、皆人日蓮が口より出たりとおもへり。天はまつげ(睫毛)のごとしと申はこれなり。虚空の遠とまつげの近きと人みなみる事なり。此尼御前は日蓮が法門だにひが(僻事)に候はば、よも臨終には正念には住し候はじ。又日蓮が弟子等の中になかなか法門しりたりげに候人人はあしく候げに候。南無妙法蓮華経と申は法華経の中の肝心、人の中の神のごとし。此にもの(物)をならぶ(並)れば、きさき(后)のならべて二王をおとこ(男)とし、乃至きさき(后)の大臣已下になひなひ(内々)とつぐ(嫁)がごとし。わざはひ(禍)のみなもと(源)なり。正法、像法には此法門をひろめ(弘)ず、余経を失はじがため也。今末法に入ぬれば余経も法華経もせん(詮)なし、但南無妙法蓮華経なるべし。かう申出して候もわたくし(私)の計にはあらず、釈迦、多宝、十方諸仏、地涌千界の御計也。此南無妙法蓮華経に余事をまじ(交)へばゆゆしき(由由敷)ひが(僻)事也。日出ぬればとほしび(灯)せん(詮)なし。雨のふるに露なにのせん(詮)かあるべき。嬰児に乳より外のものをやしなう(養)べき歟。良薬に又薬を加ぬる事なし。此女人はなにとなけれども、自然に此義にあたりて、しををせる(為遂)なり。たうとしたうとし。恐恐謹言。
 四月一日                  日蓮花押
 上野殿御返事
(啓三四ノ二三。鈔二三の四五。語四ノ四七。拾七ノ二五。扶一三ノ二三。)

#0285-300 太田左衛門尉御返事 弘安元(1278.04・23) [p1495]
太田左衛門尉御返事(太田第六書)
     弘安元年四月。五十七歳作。
     外一二ノ一九。遺二四ノ四九。縮一七一九。類八二一。

 当月十八日之御状同廿三日之午剋許に到来軈て拝見仕候畢ぬ。御状の如く御布施鳥目十貫文、太刀、五明一本、焼香廿両給候。抑も専ら御状に云く、某今年は五十七に罷成候へば大厄の年歟と覚え候。なにやらんして正月の下旬之比より卯月の此比に至候まで、身心に苦労多く出来候。本より人身を受くる者は必ず心身に諸病相続して、五体苦労あるべしと申乍ら更に云云。此事最第一の歎事也。十二因縁と申法門あり。意は我等が身は以諸苦為体。されば先世に業を造る故に諸苦を受け、先世の集煩悩が諸苦を招き集め候。過去の二因、現在の五果、現在の三因、未来の両果とて三世次第して一切の苦果を感ずる也。在世の二乗が此等の諸苦を失はんとて沈空理、灰身滅智して菩薩の勤行精進の志を忘れ、空理を証得せん事を真極と思也。仏方等の時此等の心地を弾呵し給し也。然るに生を此の三界に受けたる者、苦を離るゝ者あらんや。羅漢の応供すら猶如此、況や底下の凡夫をや。さてこそいそぎ生死を離るべしと勧め申候へ。此等体の法門はさて置ぬ。御辺は今年は大厄と云云。昔伏義の御宇に黄河と申す河より亀と申魚、八卦と申す文を甲に負て浮出たり。時の人此文を取挙て見れば、人の生年より老年の終までの厄の様を明たり。厄年の人の危き事は少水に住む魚を鴟鵲なんどが伺ひ、灯の辺に住める夏の虫の火中に入んとするが如くあやうし。鬼神やゝもすれば此人の神を伺ひなんやまさんとす。神内と申す時は諸の神在身、万事叶心。神外と申す時は諸神識の家を出て万事を見聞する也。当年は御辺は神外と申て諸神佗国へ遊行すれば慎んで除災得楽を祈り給べし。又木性の人にて渡せ給へば今年は大厄なりとも、春夏の程は何事か渡らせ給べき。至門性経に云「木遇金抑揚火得水光滅土値木時痩金入火消失水遇土不行」等云云。指て引申べき経文にはあらざれども、予が法門は四悉檀を心に懸て申なれば、強に成仏の理に不違者且く世間普通の義を可用歟。然に法華経と申御経は身心の諸病の良薬也。されば経に云「此経則為閻浮提人病之良薬。若人有病得聞是経病則消滅不老不死」等云云。又云「現世安穏後生善処」等云云。又云「諸余怨敵皆悉催滅」等云云。取分奉る御守、方便品、寿量品、同くは一部書て進らせ度候へども、当時は難去隙ども入事候へば略して二品奉り候。相構相構不離御身重つゝみ(包)て御所持可有者也。此方便品と申は迹門の肝心也。此品には仏十如実相の法門を説て十界の衆生の成仏を明し給へば、舎利弗等は此を聞いて無明の惑を断じ真因の位に叶ふのみならず。未来華光如来と成て、成仏の覚月を離垢世界の暁の空に詠ぜり。十界の衆生の成仏の始は是也。当時の念仏者、真言師の人人成仏は我依経に限れりと深く執するは、此等の法門を不習学して未顕真実の経に所説の名字計なる授記を執する故也。貴辺は日来は此等の法門に迷ひ給しかども、日蓮が法門を聞て、賢者なれば本執を忽に翻し給て法華経を持給のみならず、結句は身命よりも此経を大事と思食す事不思議が中の不思議也。是は偏に今の事に非ず、過去の宿縁開発せるにこそ、かくは思食らめ。難有難有。次に寿量品と申は本門の肝心也。又此品は一部の肝心、一代聖教の肝心のみならず。三世の諸仏の説法の儀式の大要也。教主釈尊寿量品の一念三千の法門を証得し給事は、三世の諸仏と内証等きが故也。但し此法門は釈尊一仏の己証のみに非ず諸仏も亦然也。我等衆生の無始已来六道生死の浪に沈没せしが、今教主釈尊の所説の法華経に奉値事は乃往過去に此寿量品の久遠実成の一念三千を聴聞せし故也。難有法門也。華厳、真言の元祖、法蔵、澄観、善無畏、金剛智、不空等が、釈尊一代聖教の肝心なる寿量品の一念三千の法門を盗取て、自本自の依経に不説華厳経、大日経に有一念三千と云て、取入るる程の盗人にばかされて末学深く此見を執す。無墓、無墓。結句は真言の人師の云く「争つて醍醐を盗みて各自宗に名く」云云。又云く「法華経の二乗作仏、久遠実成は無明の辺域、大日経に説く所の法門は明の分位」等云云。華厳の人師の云く「法華経に説く所の一念三千の法門は枝葉、華厳経の法門は根本の一念三千也」云云。是無跡形僻見也。真言、華厳経に一念三千を説たらばこそ、一念三千と云名目をばつかわめ。おかしおかし。亀毛兔角の法門なり。正く久遠実成の一念三千の法門は前四味並に法華経迹門十四品まで秘させ給て有しが、本門正宗に至て寿量品に説顕し給へり。此一念三千の宝珠をば妙法五字の金剛不壊の袋に入て、末代貧窮の我等衆生の為に残し置せ給し也。正法、像法に出させ給し論師、人師の中に此大事を不知。唯龍樹、天親こそ心の底に知せ給しかども色にも出させ給はず。天台大師は玄、文、止観に秘せんと思召しかども、末代の為にや止観十章第七正観の章に至て粗書せ給たりしかども薄葉に釈を設てさて止給ぬ。但理観の一分を示して事の三千をば斟酌し給ふ。彼天台大師は迹化の衆也。此日蓮は本化の一分なれば盛に本門の事の分を弘むべし。然に如是大事の義理の篭らせ給ふ御経を、書て進らせ候へば弥信を取らせ給べし。勧発品に云く「当起遠迎当如敬仏」等云云。安楽行品に云く「諸天昼夜常為法故而衛護之(乃至)天諸童子以為給使」等云云。譬喩品に云く「其中衆生悉是吾子」等云云。法華経の持者は教主釈尊の御子なれば、争か梵天、帝釈、日月、衆星も昼夜朝暮に守らせ給はざるべきや。厄の年、災難を払はん秘法には不過法華経。たのもしきかな、たのもしきかな。さては鎌倉に候し時は細細申承はり候しかども、今は遠国に居住候に依て期面謁事更になし。されば心中に含たる事も使者、玉章にあらざれば、不及申。歎かし歎かし。当年の大厄をば日蓮に任せ給へ。釈迦、多宝、十方分身の諸仏の法華経の御約束の実不実は是にて量るべき也。又又可申候。
 弘安元年戌寅四月二十三日              日蓮花押
 太田左衛門尉殿御返事
(微上ノ三二。考四ノ四〇。)

#0286-300 華果成就御書 弘安元(1278.04) [p1500]
華果成就御書(清澄第六書)(与浄顕房義浄房書)
     弘安元年四月。五十七歳作。
     外二五ノ三〇。遺二四ノ五四。縮一七二四。類七九六。

 其後なに事もうちたへ申し承はらず候。さては建治の比、故道善房聖人のために二札かきつかはし奉り候を、山高き森にてよませ給て候よし悦び入候。たとへば根ふかきとき(時)んば枝葉かれず、源に水あれば流かはかず。火はたきぎ(薪)かく(欠)ればたへぬ。草木は大地なくして生長する事あるべからず。日蓮法華経の行者となつて、善悪につけて日蓮房、日蓮房とうたはるる。此御恩さながら故師匠道善房の故にあらずや。日蓮は草木の如く師匠は大地の如し。彼地涌の菩薩の上首四人にてまします。「一名上行、乃至四名安立行菩薩」云云。末法には上行出世し給はば安立行菩薩も出現せさせ給べき歟。さればいね(稲)は華果成就すれども、必ず米の精大地にをさまる。故にひつぢ(再苗)おひ(生)いでて二度華果成就するなり。日蓮法華経を弘る功徳は必ず道善房の身に帰すべし。あらたうと(貴)、たうと。よき弟子をもつ(持)ときんば師弟仏果にいたり、あしき弟子をたくはひぬれば、師弟地獄にをつといへり。師弟相違せばなに事も成べからず。委くは又又申べく候。常にかたりあわせ(語合)て、出離生死して同心に霊山浄土にてうなづき(頷)かたり給へ。経に云「示衆有三毒、又現邪見相我弟子如是方便度衆生」云云。前前申すが如く御心得あるべく候。穴賢穴賢。
  弘安元年戊寅卯月  日            日蓮花押
   浄顕房
   義浄房
(考八ノ四九。)

#0287-300 松野殿御返事 弘安元(1278.05・01) [p1501]
松野殿御返事(第一書)
     弘安元年五月。五十七歳作。与妙法尼書。
     外九ノ四。遺二四ノ五五。縮一七二五。類一〇三二。

 日月は地におち、須弥山はくづるとも、彼女人仏に成らせ給はん事疑なし。あらたのもしや、たのもしや。
 干飯一斗、古酒一筒、ちまき(角綜)、あうざし(青?)、たかんな(筍)、方方の物送り給て候。草にさける花、木の皮を香として仏に奉る人、霊鷲山へ参らざるはなし。況や民のほね(骨)をくだける白米、人の血をしぼれるが如くなるふるさけ(古酒)を、仏、法華経にまいらせ給へる女人の成仏得道疑ふべしや。
  五月一日                  日蓮花押
   妙法尼御返事
(考四ノ一。)

#0290-300 南条殿女房御返事 弘安元(1278.05・24) [p1504]
南条殿八木書(第五書)(八木書)(与南条氏妻書)
     弘安元年五月。五十七歳作。
     外一四ノ四二。遺二四ノ五七。縮一七二八。類九九〇。

 八木二俵送り給候畢ぬ。度度の御志申し尽しがたく候。夫れ水は寒積れば氷となる。雪は年累つて水精となる。悪積れば地獄となる、善積れば仏となる。女人は嫉妬かさなれば毒蛇となる。法華経供養の功徳かさならば、あに竜女があとをつがざらん。山といひ河といひ、馬といひ下人といひ、かたがたかんなん(艱難)のところに度度の御志申すばかりなし。御所労の人の臨終正念、霊山浄土疑なかるべし、疑なかるべし。
 五月二十四日                      日蓮花押
  御返事
(微下ノ四。考五ノ二七。)

#0292-3K0 阿仏房御返事 弘安元(1278 or 1277.06・03) [p1508]
阿仏房御返事(阿仏房第二書)(原文漢文)
     建治三年六月。五十六歳作。
     外二〇ノ一八。遺二三ノ一。縮一五九一。類七六六。

 御状の旨委細承はり候畢ぬ。大覚世尊説いて曰く「生老病死、生住異滅」等云云。既に生を受けて齢六旬に及ぶ、老又疑ひ無し。只残る所は病死の二句なる而已。然而正月より今月六月一日に至り、連連此の病息むことなし。死ぬる事疑ひ無き者歟。経に云く「生滅滅已、寂滅為楽」云云。今は毒身を棄てゝ後に全身を受くれば、豈に歎く可けん乎。
  建治三年丁丑六月三日              日蓮花押
    阿仏房
(考七ノ一四。)

#0297-200 窪尼御前御返事(与持妙尼書)弘安元(1278.06・27) [p1525]
窪尼御前御返事(第一書)(三物書)(与持妙尼書)
     弘安元年五月。五十七歳作。真蹟在安房保田妙本寺。
     外五ノ一六。遺二四ノ五六。縮一七二六。類五八四。

 粽五把、笋十本、千日ひとつゝ給畢ぬ。いつもの事に候へどもながあめ(長雨)ふりてなつ(夏)の日ながし。山はふかく、みち(路)しげければふみわくる人も候はぬに、ほとゝぎす(郭公)につけての御ひとこへ(一声)ありがたし、ありがたし。さてはあつわら(熱原)の事こんど(今度)をもつてをぼしめせ、さきもそら(虚)事なり。かうのとの(守殿)は人のいいしにつけてくはしく(委)もたづね(訊)ずして、此御房をながし(流)ける事あさましとをぼしてゆるさせ給ひてののちは、させるとが(科)もなくては、いかんが又あだ(怨)せらるべき。すへ(末)の人人の法華経を心にはあだめども、うへにそしらばいかんがとをもひて、事にかづけて人をあだむほどに、かへりてさきざきのそら事のあらわれ候ぞ。これはそらみげうそ(虚御教書)と申す事は、み(見)ぬさきよりすい(推)して候。さど(佐渡)の国にても、そらみげうそを三度までつくりて候しぞ。これにつけても上と国との御ためあはれなり。木のしたなるむし(虫)の木をくらひたうし、師子の中のむしの師子を食ひうしなふやうに、守殿の御をん(恩)にてすぐる人人が、守殿の御威をかりて一切の人人ををどしなやましわづらはし候うへ、上の仰とて法華経を失ひて国もやぶれ、主をも失ふて、返つて各各が身をほろぼさんあさましさよ。日蓮はいやしけれども、経は梵天、帝釈、日月、四天、天照太神、八幡大菩薩のまほらせ給ふ御経なれば、法華経のかたをあだむ人人は、剣をのみ(呑)火を手ににぎるなるべし。これにつけてもいよいよ御信用のまさらせ給ふ事、たうとく候ぞ、たうとく候ぞ。
  五月三日                     日蓮花押
   窪尼御返事
(考三ノ五。)

#0298-300 妙法尼御前御返事(六難九易)弘安元(1278.07・03) [p1526]
妙法尼御前御返事(第二書)(六難九易)
     弘安元年七月。五十七歳作。
     外一六ノ二六。遺二五ノ一。縮一七四一。類七三一。

 先法華経につけて御不審をたてて、其趣を御尋ね候事ありがたき大善根にて候。須弥山を佗方世界へつぶてになぐる(擲)人よりも、三千大千世界をまりの如くにけあぐる(蹴上)人よりも、無量の余の経典を受持ちて人に説きかせ、聴聞の道、俗に六神通をえせしめんよりも、末法のけふこのごろ(今日此頃)法華経の一句、一偈のいはれをも尋ね問ふ人はありがたし。此趣を釈し説て人の御不審をはらさすべき僧も、ありがたかるべしと法華経の四の巻宝塔品と申す処に六難九易と申して大事の法門候。今此御不審は六の難き事の内也。爰に知ぬ、若御持ちあらば即身成仏の人なるべし。此法華経には我等が身をば法身如来、我等が心をば報身如来、我等がふるまひ(振舞)をば応身如来と説れて候へば、此経の一句、一偈を持ち、信ずる人は皆此功徳をそなへ(備)候。南無妙法蓮華経と申すは是一句、一偈にて候。然れども同一句の中にも肝心にて候。南無妙法蓮華経と唱ふる計りにて仏になるべしやと、此御不審所詮に候。一部の肝要、八軸の骨髄にて候。人の身の五尺、六尺のたましひ(神)も、一尺の面にあらはれ、一尺のかほのたましひも、一寸の眼の内におさまり候。又日本と申す二の文字に、六十六箇国の人、畜、田畠、上下、貴賎、七珍、万宝、一もかくる事候はず収めて候。其ごとく南無妙法蓮華経の題目の内には、一部八巻、二十八品六万九千三百八十四の文字、一字ももれ(漏)ず、かけ(闕)ずおさめて候。されば経には題目たり、仏には眼たりと楽天ものべられて候。記の八に「略して経題を挙ぐるに玄に一部を収む」と妙楽も釈しおはしまし候。心は略して経の名計りを挙るに一部を収むと申す文也。一切の事につけて所詮肝要と申す事あり。法華経一部の肝心は南無妙法蓮華経の題目にて候。朝夕御唱へ候はば、正く法華経一部を真読にあそばすにて候。二返唱ふるは二部、乃至百返は百部、千返は千部、加様に不退に御唱へ候はば、不退に法華経を読人にて候べく候。天台の六十巻と申す文には、此やうを釈せられて候。かゝる持ちやすく、行じやすき法にて候を、末代悪世の一切衆生のために説をかせ給ひて候。経文に云く「於末法中」。「於後末世法欲滅時受持読誦」。「悪世末法時能持是経者」。「後五百歳中広宣流布」と。此等の文の心は当時末法の代には、法華経を持ち信ずべきよしを説れて候。かゝる明文を学しあやまりて、日本、漢土、天竺の謗法の学匠達、皆念仏者、真言、禅、律の小乗、権教には随ひ行じて法華経を捨はて候ぬ。仏法にまどへるをばしろしめされず、形まことしげなれば云ふ事も疑ひあらじと計り御信用候間、をもはざるに法華経の敵、釈迦仏の怨とならせ給ひて、今生には祈る所願も虚しく命もみじかく、後生には無間大城をすみか(栖)とすべしと、正く経文に見えて候。さて此経の題目は習ひ読む事なくして大なる善根にて候。悪人も女人も、畜生も地獄の衆生も、十界ともに即身成仏と説れて候は、水の底なる石に火のあるが如く、百千万年くらき(闇)所にも灯を入れぬればあかく(明)なる。世間のあだなるものすら尚加様に不思議あり、何に況や仏法の妙なる御法の御力をや。我等衆生の悪業、煩悩、生死、果縛の身が、正、了、縁の三仏性の因によりて、即ち法、報、応の三身と顕れん事疑ひなかるべし。妙法経力即身成仏と伝教大師も釈せられて候。心は法華経の力にては、くちなは(蛇)の竜女も即身成仏したりと申す事也。御疑候べからず。委くは見参に入候て申すべく候と申させ給へ。
  弘安元年戊寅七月三日                 日蓮花押
   妙法尼御前御返事
(考六ノ一五。)

#0300-200 時光殿御返事 弘安元(1278.07・08) [p1532]
時光御返事(上野第二十書)(報南条氏書)
     弘安元年七月。五十七歳作
     内三二ノ八。遺二五ノ六。縮一七四七。類九九一。

 むぎ(麦)、しろきこめ(白米)一駄、はじかみ(生薑)送り給畢ぬ。こくぼんわう(斛飯王)の太子あなりち(阿那律)と申人は家にましまし(在)し時は、俗姓は月氏国の本主てんりん(転輪)聖王のすえ、師子けう(頬)王のまご(孫)浄飯王のおひ(甥)、こくぼん(斛飯)王には太子也。天下にいやし(賎)からざる上、家中には一日の間一万二千人の人出入す。六千人はたから(財)をかり(借)き、六千人はかへりなす。かゝる富人にておはする上天眼第一の人、法華経にては普明如来となるべきよし仏記し給ふ。これは過去の行はいかなる大善とたづぬるにむかしれうし(猟師)あり、山のけだもの(獣)をとりてすぎけるが、又ひえ(稗)をつくり食とするほどに飢たる世なればものもなし。ただひえのはん(稗飯)一ありけるをくひければ、りだ(利咤)と申す辟支仏の聖人来て云、我七日の間食なし、汝が食者えさせよとこわ(乞)せ給しかば、きたなき俗のごき(御器)に入てけがしはじめて候と申ければ、ただえさせよ今食せずば死ぬべしと云ふ、おそれながらまいらせつ。此聖人まいり給しがただひえ(稗)一つび(粒)をとりのこし(取残)て、れうし(猟師)にかへし(返)給き。ひえ(稗)へん(変)じていのこ(豬)となる。いのこ変じて金となる。金変じて死人となる。死人変じて又金人となる。指をぬいて売れば本のごとし。かくのごとく九十一劫長者と生れ、今はあなりち(阿那律)と申て仏の弟子なり。わづかのひえなれども、飢たる国に智者の御いのち(命)をつぐゆへに、めでたき(目出度)ほう(報)をう(得)。迦葉尊者と申せし人は仏の御弟子の中には第一にたとき(貴)人也。此人の家をたづぬれば摩かだい(竭提)国の尼くりだ(句律陀)長者の子也。宅にたたみ(畳)千でう(畳)あり、一でうはあつさ七尺、下品のたゝみは金千両なり。からすき(犁)九百九十九、一のからすき(犁)は金千両。金三百四十石入たるくら(倉)六十かゝる大長者なり。婦は又身は金色にして十六里をてらす。日本国の衣通姫にもすぎ漢土のりふじん(李夫人)にもこえたり。此夫婦道心を発て仏の御弟子となれり。法華経にては光明如来といはれさせ給ふ。此二人の人人の過去をたづぬれば麦飯を辟支仏に供養せしゆへに迦葉尊者と生れ、金のぜに(銭)一枚を仏師にあつらへて、毘婆尸仏の像の御はく(箔)にひき(引)し貧人のめ(妻)となれり。今日蓮は聖人にはあらざれども法華経に御名をたてり。国主ににく(憎)まれて我が身をせく上、弟子かよう(通行)人も、或はのり(罵)或はうち、或は所領をとり、或はところをおふ。かゝる国主の内にある人人なれば、たとひ心ざしあるらん人人もとふ(問)事なし。此事事ふりぬ。なかにも今年は疫病と申し飢渇と申しとひ(問)くる人人もすくなし。たとひやまひ(病)なくとも飢て死なん事うたがひなかるべきに、麦の御とぶらひ(訪)金にもすぎ珠にもこえたり。彼のりた(利咤)がひえ(稗)が変じて金人となる。此の時光が麦、何ぞ変じて法華経の文字とならざらん。此の法華経の文字は釈迦仏となり給ひ、時光が故父親の左右の御羽となりて霊山浄土へとび給へ。かへりて時光が身をおほひ(覆)はぐくみ給へ。恐恐謹言。
 七月八日                日蓮花押
  上野殿御返事
(啓三四ノ一二。鈔二三ノ四一。音下ノ三九。語四ノ四四。拾七ノ一九。扶一三ノ一九)

#0303-300 弥源太入道殿御消息 弘安元(1278.08・11) [p1548]
弥源太入道殿御消息(北条第四書)
     弘安元年八月。五十七歳作。
     外九ノ二九。遺二五ノ二一。縮一七六三。類九四七。

 一日の御帰路をぼつかなく候つる処に、御使悦入て候。御用事の御事共は伯耆殿の御文に書せて候。然に道隆の死て身の舎利となる由の事、是は何とも人不知、用まじく候へば兔角申て詮は候はず。但し仏の以前に九十五種の外道ありき、各各是を信じて仏に成ると申す。又皆人も一同に思て候し程に。仏世に出させ給て九十五種は、皆地獄に堕たりと説せ給しかば、五天竺の国王、大臣等は仏は所詮なき人也と申す。又外道の弟子どもも我師の上を云れて悪心をかき候。竹杖外道と申す外道、目連尊者を殺せし事是也。苦得外道と申せし者を、仏記して云、七日の内に死して食叶鬼と成べしと説せ給しかば外道瞋をなす。七日の内に食叶鬼と成たりしかば、其を押隠して得道の人の御舎利買べしと云き。其より外に不思議なる事、不知数。但し道隆が事は見ぬ事にて候へば、如何様に候やらん。但し弘通するところの説法は共に本権教より起りて候しを、今は教外別伝と申て物にくるひて、我と外道の法と云歟。其上建長寺は現に眼前に見えて候。日本国の山寺の敵とも可謂様なれども、事を御威によせぬれば皆人恐れて不云。是は今生を重して後生は軽する故也。されば現身に彼寺の故に亡国すべき事当りぬ。日蓮は度度知て日本国の道俗の科を申せば、是は今生の禍後生の福也。但し道隆の振舞は日本国の道俗知て候へども、上を畏れてこそ尊み申せ、又内心は皆うとみて候らん。仏法の邪正こそ愚人なれば知らずとも、世間の事は眼前なれば知ぬらん。又一は不用とも、人の骨の舎利と成る事は、易く知れ候事にて候。仏の舎利は火にやけず水にぬれず、金剛のかなづち(鎚)にてうてども不摧。一くだきして見よかし。あらやすしあらやすし。建長寺は所領を取られてまどひたる男どもの入道に成て、四十、五十、六十なんどの時、走り入て候が用は無之、道隆がかげ(蔭)にしてすぎぬるなり。云に甲斐なく死ぬれば不思議にて候を、かくして暫くもすぎき。又は日蓮房が存知の法門を、人に疎ませんとこそたばかりて候らめ。あまりの事どもなれば誑惑顕れなんとす。但しばらくねう(忍)じて御覧ぜよ。根露れぬれば枝かれ
(枯)、源渇けば流尽ると申事あり。恐恐謹言。
  弘安元年戊寅八月十一日          日蓮花押
弥源太入道殿
(微上ノ四〇。考四ノ八。)

#0305-300 妙法比丘尼御返事 弘安元(1278.09・06) [p1551]
妙法比丘尼御返事(第四書)
     弘安元年九月。五十七歳作。
     内一三ノ二九。遺二五ノ二五。縮一七六八。類五八五。

 御文に云く、たふかたびら(大布帷)一、あによめ(嫂)にて候女房のつたうと云云。又おはり(尾張)の次郎兵衛殿六月二十二日に死なせ給ふと云云。付法蔵経と申す経は、仏我滅後に我法を弘むべきやうを説せ給ひて候、其中に我滅後正法一千年が間次第に使をつかはすべし。第一は迦葉尊者二十年、第二は阿難尊者二十年、第三は商那和修二十年、乃至第二十三は師子尊者なりと云云。其第三の商那和修と申す人の御事を仏の説せ給ひて候やうは、商那和修と申すは衣の名なり、此人生れし時衣をき(著)て生れて候き、不思議なりし事なり。六道の中に地獄道より人道に至るまでは、何なる人も始はあかはだか(赤裸)にて候に、天道こそ衣をきて生れ候へ。たとひ何なる賢人、聖人も人に生るるならひは皆あかはだかなり。一生補処の菩薩すら尚はだかにて生れ給へり、何に況や其外をや。然るに此人は商那衣と申すいみじき衣にまとはれて生れさせ給ひしが、此衣は血もつかず、けがるる事もなし。譬ば池に蓮のをひ、をし(鴛)の羽の水にぬれざるが如し。此人次第に生長ありしかば、又此衣次第に広く長くなる。冬はあつく(厚)夏はうすく(薄)、春は青く、秋は白くなり候し程に、長者にてをはせしかば何事もともし(乏)からず。後には仏の記しをき給ひし事たがふ事なし。故に阿難尊者の御弟子とならせ給ひて御出家ありしかば、此衣変じて五条、七条、九条等の御袈裟となり候き。かかる不思議の候し故を仏の説かせ給ひしやうは、乃往過去阿僧祇劫の当初、此人は商人にて有りしが、五百人の商人と共に大海に船を浮べてあきなひをせし程に海辺に重病の者あり。しかれども辟支仏と申して貴人なり。先業にてや有りけん、病にかかりて身やつれ、心をぼれ(耄)不浄にまとはれてをはせしを、此商人あはれみ奉りてねんごろに看病して生しまいらせ、不浄をすゝぎすてて麁布の商那衣をきせまいらせてありしかば、此聖人悦びて願して云く、汝我を助けて身の恥を隠せり、此衣を今生、後生の衣とせんとてやがて涅槃に入り給ひき。此功徳によりて過去無量劫の間、人中、天上に生れ、生るる度ごとに此衣身に随ひて離るる事なし。乃至今生に釈迦如来の滅後、第三の付嘱をうけて商那和修と申す聖人となり、摩突羅国の優留荼山と申す山に大伽藍を立てて、無量の衆生を教化して仏法を弘通し給ひし事二十年なり。所詮、商那和修比丘の一切のたのしみ、不思議は皆彼衣より出生せりとこそ説れて候へ。而るに日蓮は南閻浮提日本国と申す国の者なり。此国は仏の世に出でさせ給ひし国よりは東に当りて二十万余里の外、遥なる海中の小島なり。而るに仏御入滅ありては既に二千二百二十七年なり。月氏、漢土の人の此国の人人を見候へば、此国の人の伊豆の大島、奥州の東のえぞ(夷)なんどを見るやうにこそ候らめ。而るに日蓮は日本国安房国と申す国に生れて候しが、民の家より出でて頭をそり袈裟をきたり。此度いかにもして仏種をもうへ(殖)、生死を離るる身とならんと思ひて候し程に、皆人の願はせ給ふ事なれば、阿弥陀仏をたのみ奉り、幼少より名号を唱へ候し程に、いさゝかの事ありて、此事を疑ひし故に一の願をおこす。日本国に渡れる処の仏経並に菩薩の論と人師の釈を習ひ見候はばや。又倶舎宗、成実宗、律宗、法相宗、三論宗、華厳宗、真言宗、法華天台宗と申す宗どもあまた有りときく上に、禅宗、浄土宗と申す宗も候なり。此等の宗宗、枝葉をばこまかに習はずとも、所詮肝要を知る身とならばやと思ひし故に、随分にはしりまはり、十二十六の年より三十二に至るまで二十余年が間、鎌倉、京、叡山、園城寺、高野、天王寺等の国国、寺寺あらあら習ひ回り候し程に、一の不思議あり、我等がはかなき心に推するに仏法は唯一味なるべし。いづれもいづれも心に入れて習ひ願はば生死を離るべしとこそ思ひて候に、仏法の中に入りて悪く習ひ候ぬれば、謗法と申す大なる穴に堕入りて、十悪、五逆と申して日日、夜夜に殺生、偸盗、邪淫、妄語等をおかす人よりも、五逆罪と申して父母等を殺す悪人よりも、比丘、比丘尼となりて身には二百五十戒をかたく持ち、心には八万法蔵をうかべて候やうなる智者、聖人の一生が間に一悪をもつくらず、人には仏のやうにをもはれ、我身も又さながらに悪道にはよも堕じと思ふ程に、十悪、五逆の罪人よりもつよく地獄に堕て、阿鼻大城を栖として永く地獄をいでぬ事の候けるぞ。譬ば人ありて世にあらんがために国主につかへ奉る程に、させるあやまち(過)はなけれども我心のたらぬ上、身にあやしきふるまひかさなるを、猶我身にも失ありともしらず、又傍輩も不思議ともをもはざるに、后等の御事によりてあやまつ事はなけれども、自然にふるまひ(振舞)あしく、王なんどに不思議に見へまいらせぬれば、謀反の者よりも其失重し。此身とがにかかりぬれば父母、兄弟、所従なんども又かるからざる失にをこなはるる事あり。謗法と申す罪をば我もしらず人も失とも思はず。但仏法をならへば貴しとのみ思ひて候程に、此人も又此人にしたがふ弟子、檀那等も無間地獄に堕つる事あり。所謂勝意比丘、苦岸比丘なんど申せし僧は、二百五十戒をかたく(堅)持ち、三千の威儀を一もかけずありし人なれども、無間大城に堕ちて出づる期見へず。又彼比丘に近づきて弟子となり檀那となる人人、存の外に大地微塵の数よりも多く、地獄に堕ちて師とともに苦を受けしぞかし。此人後世のために衆善を修せしより外は、又心なかりしかどもかゝる不祥にあひ(値)て候しぞかし。かゝる事を見候しゆへにあらあら経、論を勘へ候へば、日本国の当世こそ其に似て候へ。代末になり候へば、世間のまつり事のあらき(粗)につけても、世中あやうかるべき上、此日本国は佗国にもにず仏法弘まりて、国をさまる(治)べきかと思ひて候へば、中中仏法弘まりて世もいたく衰へ、人も多く悪道に堕つべしと見へて候。其故は日本国は月氏、漢土よりも堂、塔等の多き中に大体は阿弥陀堂なり。其上家ごとに阿弥陀仏を木像に造り、画像に書き、人毎に六万、八万等の念仏を申す。又佗方を抛ちて西方を願ふ愚者の眼にも貴しと見へ候上、一切の智人も皆いみじき事なりとほめさせ給ふ。又人王五十代桓武天皇の御宇に弘法大師と申す聖人此国に生れて、漢土より真言宗と申すめずらしき法を習ひ伝へ、平城、嵯峨、淳和等の王の御師となりて東寺、高野と申す寺を建立し、又慈覚大師、智証大師と申す聖人、同く此宗を習ひ伝て叡山、園城寺に弘通せしかば、日本国の山寺一同に此法を伝へ、今に真言を行ひ、鈴をふりて公家、武家の御祈をし候。所謂二階堂、大御堂、若宮等の別当等是也。是は古も御たのみある上、当世の国主等家には柱、天には日月、河には橋、海には船の如く御たのみ(憑)あり。禅宗と申すは又当世の持斎等を建長寺等にあがめさせ給ひて、父母よりも重んじ神よりも御たのみあり。されば一切の諸人頭をかたぶけ、手をあさふ(叉)。かゝる世にいかなればにや候らん。天変と申して彗星長く東西に渡り、地夭と申して大地をくつがへすこと、大海の船を大風の時大波のくつがへすに似たり。大風吹いて草木をからし、飢饉も年年にゆき、疫病月月におこり、大旱魃ゆきて河池、田畠皆かはきぬ。如此三災、七難数十年起りて民半分に減じ、残りは或は父母或は兄弟、或は妻子にわかれて歎く声、秋の虫にことならず。家家のちりうする事冬の草木の雪にせめられたるに似たり。是はいかなる事ぞと経論を引見候へば、仏の言く、法華経と申す経を謗じ、我を用ひざる国あらばかゝる事あるべしと、仏の記しをかせ給ひて候。御言にすこしもたがひ候はず。日蓮疑つて云く、日本には誰か法華経と釈迦仏をば謗ずべきと疑ふ。又たまさか謗ずる者は少少ありとも、信ずる者こそ多くあるらめと存じ候。爰に此日本の国人ごとに阿弥陀堂をつくり念仏を申す。其根本を尋ぬれば道綽禅師、善導和尚、法然上人と申す三人の言より出でて候。是浄土宗の根本、今の諸人の御師なり。此三人の念仏を弘めさせ給ひし時にのたまはく「未有一人得者、千中無一、捨閉閣抛」等云云。いふこゝろは阿弥陀仏をたのみ奉らん人は、一切の経、一切の仏、一切の神をすてて、但阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と申すべし。其上ことに法華経と釈迦仏を捨てまいらせよとすゝめしかば、やすきまゝに案もなくばらばらと付候ぬ。一人付始めしかば万人皆付候ぬ。万人付しかば、上は国主、中は大臣、下は万民一人も残る事なし。さる程に此国存の外に釈迦仏、法華経の御敵人となりぬ。其故は「今此三界皆是我有其中衆生悉是吾子而今此処多諸患難唯我一人能為救護」と説いて、此日本国の一切衆生のためには釈迦仏は主なり、師なり、親なり。天神七代、地神五代、人王九十代の神と王とすら、猶釈迦仏の所従なり。何に況や其神と王との眷属等をや。今日本国の大地、山河、大海、草木等は皆釈尊の御財ぞかし。全く一分も薬師仏、阿弥陀仏等の佗仏の物にはあらず。又日本国の天神、地神、九十余代の国主並に、万民、牛馬生と生る生ある者は皆教主釈尊の一子なり。又日本国の天神、地神、諸王、万民等の天地、水火、父母、主君、男女、妻子、黒白等を弁へ給ふは、皆教主釈尊御教の師也。全く薬師、阿弥陀等の御教にはあらず。されば此仏は我等がためには、大地よりも厚く虚空よりも広く、天よりも高き御恩まします仏ぞかし。かゝる仏なれば王臣、万民倶に人ごとに、父母よりも重んじ、神よりもあがめ(崇)奉るべし。かくだにも候はば何なる大科有りとも、天も守護してよもすて給はじ、地もいかり給ふべからず。然るに上一人より下万民に至るまで、阿弥陀堂を立て阿弥陀仏を本尊ともてなす故に、天地の御いかりあるかと見え候。譬ば此国の者が漢土、高麗等の諸国の王に心よせ(寄)なりとも、此国の王に背き候なば其身はたもちがたかるべし。今日本国の一切衆生も如是。西方の国主阿弥陀仏には心よせなれども、我国主釈迦仏に背き奉る故に、此国の守護神いかり給ふかと愚案に勘へ候。而るを此国の人人、阿弥陀仏を或は金、或は銀、或は銅、或は木画等に志を尽し財を尽し、仏事をなし、法華経と釈迦仏をば或は墨画、或は木像にはく(箔)をひかず、或は草堂に造りなんどす。例せば佗人をば志を重ね、妻子をばもてなして父母におろかなるが如し。又真言宗と申す宗は、上一人より下万民に至るまで此を仰ぐ事日月の如し。此を重んずる事珍宝の如し。此宗の義に云く、大日経に法華経は二重、三重の劣なり。釈迦仏は大日如来の眷属なりなんど申す。此事は弘法、慈覚、智証の仰せられし故に、今四百余年に叡山、東寺、園城、日本国の智人一同の義也。又禅宗と申す宗は真実の正法は教外別伝也。法華経等の経経は教内也。譬ば月をさす指、渡りの後の船、彼岸に到りてなにかせん、月を見ては指は用事ならず等云云。彼人人謗法ともをもはず、習ひ伝へたるまゝに存の外に申すなり。然れども此言は釈迦仏をあなづり法華経を失ひ奉る因縁となりて、此国の人人皆一同に五逆罪にすぎたる大罪を犯しながら而も罪ともしらず。此大科次第につもりて人王八十二代隠岐法皇と申せし王、並に佐渡院等は我が相伝の家人にも及ばざりし、相州鎌倉の義時と申せし人に代を取られさせ給ひしのみならず、島島にはなたれて歎かせ給ひしが、終には彼島島にして隠れさせ給ひぬ。神ひは悪霊となりて地獄に堕ち候ぬ。其召仕はれし大臣巳下は、或は頭をはねられ或は水火に入り、其妻子等は或は思死に死に、或は民の妻となりて今五十余年、其外の子孫は民のごとし。是偏に真言と念仏等をもてなして法華経、釈迦仏の大怨敵となりし故に、天照太神、正八幡等の天神、地祇十方の三宝にすてられ奉りて現身には我所従等にめせられ、後生には地獄に堕ち候ぬ。而るに又代東にうつり(遷)て年をふるまゝに、彼国主を失ひし真言宗等の人人、鎌倉に下り相州の足下にくぐり入りて、やうやうにたばかる故に、本は上臘なればとて、すかされて鎌倉の諸堂の別当となせり。又念仏者をば善知識とたのみて大仏、長楽寺、極楽寺等とあがめ、禅宗をば寿福寺、建長寺等とあがめをく。隠岐法皇の果報の尽き給ひし失より百千万億倍すぎたる大科鎌倉に出来せり。かゝる大科ある故に天照太神、正八幡等の天神、地祇、釈迦、多宝、十方の諸仏一同に大にとがめ(咎)させ給ふ故に、隣国に聖人有りて万国の兵をあつめたる大王に仰付て、日本国の王臣、万民を一同に罰せんとたくませ給ふを、日蓮かねて経論を以て勘へ候し程に、此を有のまゝに申さば、国主もいかり万民も用ひざる上、念仏者、禅宗、律僧、真言師等定めて忿をなしてあだを存じ、王臣等に讒奏して我身に大難おこりて、弟子乃至檀那までも少しも日蓮に心よせなる人あらば科になし。我身もあやうく命にも及ばんずらん。いかが案もなく申し出すべきと、やすらひし程に外典の賢人の中にも、世のほろぶべき事を知りながら申さぬは、諛臣とてへつらへる者、不知恩の人なり。されば賢なりし竜逢、比干なんど申せし賢人は、頸をきられ胸をさかれしかども、国の大事なる事をばはばからず申候き。仏法の中には仏いましめて云く、法華経のかたきを見て世をはばかり恐れて申さずば、釈迦仏の御敵、いかなる智人善人なりとも必ず無間地獄に堕つべし。譬へば父母を人の殺さんとせんを子の身として父母にしらせず、王をあやまち奉らんとする人のあらむを臣下の身として知りながら、代をおそれて申さざらんがごとしなんど禁られて候。されば仏の御使たりし提婆菩薩は外道に殺され、師子尊者は檀弥羅王に頭をはねられ、竺の道生は蘇山へ流され、法道は面にかなやき(火印)をあてられき。此等は皆仏法を重んじ、王法を恐れざりし故ぞかし。されば賢王の時は仏法をつよく立れば、王両方を聞あきらめて、勝れ給ふ智者を師とせしかば国も安穏なり。所謂陳、隋の大王、桓武、嵯峨等は天台智者大師を南北の学者に召合せ、最澄和尚を南都の十四人に対論せさせて論じかり(勝)給ひしかば、寺をたてて正法を弘通しき。大族王、優陀延王、武宗、欽宗、欽明、用明、或は鬼神、外道を崇重し或は道士を帰依し或は神を崇めし故に、釈迦仏の大怨敵となりて身を亡し、世も安穏ならず。其時は聖人たりし僧侶大難にあへり。今日本国すでに大謗法の国となりて佗国にやぶらるべしと見えたり。此を知りながら申さずば、縦ひ現在は安穏なりとも後生には無間大城に堕つべし。後生を恐れて申すならば、流罪死罪は一定なりと思定めて、去る文応の比故最明寺入道殿に申上ぬ。されども用ひ給ふ事なかりしかば、念仏者等此由を聞て上下の諸人をかたらひ、打殺さんとせし程にかなはざりしかば、長時武蔵守殿は極楽寺殿の御子なりし故に親の御心を知りて、理不尽に伊豆国へ流し給ぬ。されば極楽寺殿と長時と彼一門皆ほろぶるを各御覧あるべし。其後何程もなくして召返されて後、又経文の如く弥申しつよる。又去る文永八年九月十二日に佐渡国へ流さる。日蓮御勘気の時申せしが如くどしうち(同志打)はじまりぬ。それを恐るるかの故に又召返されて候。しかれども用ゆる事なければ万民も弥弥悪心盛なり。縦ひ命を期として申したりとも国主用ひずば国やぶれん事疑なし。つみしらせて後用ひずば我失にはあらずと思ひて、去る文永十一年五月十二日相州鎌倉を出て、六月十七日より此深山に居住して、門一町を出ず既に五箇年をへたり。本は房州の者にて候しが、地頭東条左衛門尉景信と申せしもの、極楽寺殿、藤次左衛門入道、一切の念仏者にかたらはれて度度の問註ありて、結句合戦起りて候上極楽寺殿の御方人理をまげられしかば、東条の郡ふせがれ(塞)て入る事なし。父母の墓を見ずして数年なり。又国主より御勘気二度なり、第二度は外には遠流と聞へしかども内には頸を切べしとて、鎌倉竜口と申す処に九月十二日の丑の時に頸の座に引すへられて候き。いかがして候けん月の如くにをはせし物、江島より飛出でて使の頭へかかり候しかば使おそれ(恐)てきらず。とかう(兔角)せし程に子細どもあまたありて其夜の頸はのがれぬ。又佐渡国にてきらんとせし程に、日蓮が申せしが如く鎌倉にどしうち始りぬ。使はしり(走)下て頸をきらず、結句はゆるされぬ。今は此山に独すみ候。佐渡国にありし時は、里より遥にへだたれる野と山との中間に、つかはら(塚原)と申す御三昧所あり。彼処に一間四面の堂あり。そらはいたま(板間)あわず、四壁はやぶれたり。雨はそと(外)の如し、雪は内に積る。仏はおはせず、筵畳は一枚もなし。然れども我根本より持ちまいらせて候教主釈尊を立まいらせ、法華経を手ににぎり蓑をき(著)、笠をさして居たりしかども、人もみへず食もあたへずして四箇年なり。彼蘇武が胡国にとめられて十九年が間、蓑をき(著)雪を食としてありしが如し。今又此山に五箇年あり。北は身延山と申して天にはしだて、南はたかとりと申して鶏足山の如し。西はなゝいたがれと申して鉄門に似たり、東は天子がたけと申して富士の御山にたいし(太子)たり。四の山は屏風の如し。北に大河あり、早河と名く、早き事箭をいるが如し。南に河あり、波木井河と名く、大石を木葉の如く流す。東には富士河、北より南へ流れたり、せんのほこ(千鉾)をつくが如し。内に滝あり、身延の滝と申す、白布を天より引が如し。此内に狭小の地あり、日蓮が庵室なり。深山なれば昼も日を見奉らず、夜も月を詠むる事なし。峯にははかう(巴峡)の猿かまびすしく、谷には波の下る音鼓を打がごとし。地にはしか(敷)ざれども大石多く、山には瓦礫より外には物もなし。国主はにくみ給ふ、万民はとぶらはず。冬は雪道を塞ぎ夏は草をひしげり、鹿の遠音うらめしく、蝉の鳴声かまびすし。訪人なければ命もつぎがたし。はだへをかくす衣も候はざりつるに、かゝる衣ををくらせ給ふこそいかにとも申すばかりなく候へ。見し人聞し人だにもあはれとも申さず。年比なれし弟子、つかへし下人だにも皆にげ失とぶらはざるに、聞もせず見もせぬ人の御志哀れなり。偏に是別れし我が父母の生れかはらせ給ひけるか。十羅刹女の人の身に入りかはりて思ひよらせ給ふ歟。唐の代宗皇帝の代に蓬子将軍と申せし人の御子李如暹将軍と申せし人、勅定を蒙りて北の胡地を責し程に、我勢数十万騎は打取れ、胡国に生取れて四十年漸くへ(経)し程に、妻をかたらひ子をまうけたり。胡地の習、生取をば皮の衣を服せ毛帯をかけさせて候が、只正月一日計り唐の衣冠をゆるす。一年ごとに漢土を恋ひて、肝をきり涙をながす。而程に唐の軍おこりて唐の兵胡地をせめし時、ひまをえて胡地の妻子をふりすててにげ(逃)しかば、唐の兵は胡地のえびすとて捕へて頸をきらんとせし程に、とかうして徳宗皇帝にまいらせてありしかば、いかに申せども聞もほどかせ給はずして、南の国呉越と申す方へ流されぬ。李如暹歎て云く「進んでは涼原の本郷を見ることを得ず、退いては胡地の妻子に逢ふことを得ず」云云。此心は胡地の妻子をもすて、又唐の古き栖をも見ず、あらぬ国に流されたりと歎く也。我身には大忠ありしかどもかゝる歎あり。日蓮も又如此。日本国を助けばやと思ふ心に依て申出す程に、我生れし国をもせかれ、又流されし国をも離れぬ。すでに此深山にこもりて候が彼李如暹に似て候也。但し本郷にも流されし処にも、妻子なければ歎く事はよもあらじ。唯父母のはか(墓)と、なれ(馴)し人人のいかがなるらんと、をぼつかなしとも申す計りなし。但うれしき事は武士の習ひ、君の御為に宇治、勢多を渡し、前をかけんなんどしてありし人は、たとひ身は死すれども名を後代に挙げ候ぞかし。日蓮は法華経のゆへに度度所をおはれ、戦をし身に手をおひ(負)、弟子等を殺され、両度まで遠流せられ既に頸に及べり。是偏に法華経の御為なり。法華経の中に仏説せ給はく、我滅度の後、後の五百歳二千二百余年すぎて、此経閻浮提に流布せん時、天魔人の身に入りかはりて此経を弘めさせじとて、たまたま信ずる者をば、或はのり(罵)打ち、所をうつし(遷)或はころしなんどすべし。其時先さきをしてあらん者は、三世、十方の仏を供養する功徳を得べし。我又因位の難行、苦行の功徳を譲るべしと説せ給ふ(取意)。されば過去の不軽菩薩は法華経を弘通し給ひしに、比丘、比丘尼等の智慧かしこく、二百五十戒を持てる大僧ども集りて、優婆塞、優婆夷をかたらひて不軽菩薩をのり(罵)打ちせしかども、退転の心なく弘めさせ給ひしかば終には仏となり給ふ。昔の不軽菩薩は今の釈迦仏なり。それをそねみ打ちなんどせし大僧どもは千劫、阿鼻地獄に堕ぬ。彼人人は観経、阿弥陀経の数千の経、一切の仏名、弥陀念仏を申し、法華経を昼夜に読しかども、実の法華経の行者をあみだしかば、法華経、念仏、戒等も助け給はず、千劫阿鼻地獄に堕ぬ。彼比丘等は始には不軽菩薩をあだみしかども後には心をひるがへして、身を不軽菩薩に仕ふる事やつこ(奴僕)の主に随ふがごとく有りしかども無間地獄をまぬかれず。今又日蓮にあだをせさせ給ふ日本国の人人も如此。此は彼には似るべくもなし。彼は罵打しかども国主の流罪はなし、杖木、瓦石はありしかども疵をかほり(蒙)、頸までには及ばず。是は悪口、杖木は二十余年が間ひまなし。疵をかほり、流罪、頸に及ぶ。弟子等は或は所領を召され、或はろう(牢)に入れ、或は遠流し、或は其内を出し、或は田畠を奪ひなんどする事、夜打、強盗、海賊、山賊、謀叛等の者よりもはげしく行はる。此又偏に真言、念仏者、禅宗等の大僧等の訴なり。されば彼人人の御失は大地よりも厚ければ、此大地は大風に大海に船を浮べるが如く動転す。天は八万四千の星、瞋をなし昼夜に天変ひまなし、其上日月大に変多し、仏滅後既に二千二百二十七年になり候に、大族王が五天の寺をやき、十六の大国の僧の頸を切り、武宗皇帝の漢土の寺を失ひ、仏像をくだき、日本国の守屋が釈迦仏の金銅の像を炭火を以てやき、僧尼を打ちせめては還俗せさせし時も、是程の彗星、大地震はいまだなし。彼には百千万倍過て候大悪にてこそ候ぬれ。彼は王一人の悪心、大臣以下は心より起る事なし。又権仏と権経との敵也、僧も法華経の行者にはあらず。是は一向に法華経の敵、王一人のみならず、一国の智人並に万民等の心より起れる大悪心なり。譬ば女人物をねため(嫉)ば胸の内に大火もゆる故に、身変じて赤く身の毛さかさまにたち、五体ふるひ面に炎あがり、かほは朱をさしたるが如し。眼まろ(円)になりてねこ(猫)の眼のねずみをみるが如し。手わななきてかしわ(柏)の葉を風の吹くに似たり。かたはら(傍)の人、是を見れば大鬼神に異ならず。日本国の国主、諸僧、比丘、比丘尼等も又如是。たのむところの弥陀念仏をば日蓮が無間地獄の業と云ふを聞き、真言は亡国の法と云ふを聞き、持斎は天魔の所為と云ふを聞いて、念珠をくりながら歯をくひちがへ、鈴をふるにくび(頸)をどりおり、戒を持ちながら悪心をいだく。極楽寺の生仏の良観聖人、折紙をさゝげて上へ訴へ、建長寺の道隆聖人は輿に乗りて奉行人にひざまづく。諸の五百戒の尼御前等は、はく(帛)をつかひてでんそう(伝奏)をなす。是偏に法華経を読みてよまず聞きてきかず、善導、法然が千中無一と、弘法、慈覚、達磨等の皆是戯論、教外別伝のあまきふる酒にえは(酔)せ給ひてさかぐるひ(酒狂)にておはするなり。法華最第一の経文を見ながら大日経は法華経に勝れたり、禅宗は最上の法也、律宗こそ貴けれ、念仏こそ我等が分にはかなひたれと申すは、酒に酔る人にあらずや。星を見て月にすぐれたり、石を見て金にまされり、東を見て西と云ひ天を地と申す物ぐるひを本として、月と金は星と石とには勝れたり、東は東、天は天なんど、有のまゝに申す者をばあだませ給はば、勢の多きに付くべきか、只物ぐるひの多く集れるなり。されば此等を本とせし云ふにかひなき男女の皆地獄に堕ちん事こそあはれに候へ。涅槃経には仏説き給はく、末法に入りて法華経を謗じて地獄に堕つる者は大地微塵よりも多く、信じて仏になる者は爪上の土よりも少しと説れたり。此以計らせ給ふべし。日本国の諸人は爪上の土、日蓮一人は十方の微塵にて候べき歟。然るに何なる宿習にてをはすれば御衣をば送らせ給ふぞ。爪上の土の数に入らんとをぼすか。又涅槃経に云く「大地の上に針を立てて大風の吹かん時、大梵天より糸を下さんに糸のはし(端)すぐ(直)に下りて針の穴に入る事はありとも、末代に法華経の行者にはあひがたし」。法華経に云く、大海の底に亀あり、三千年に一度海上にあがる、栴檀の浮木の穴にゆきあひてやすむべし。而るに此亀一目なるが而も僻目にて西の物を東と見、東の物を西と見る也。末代悪世に生れて法華経並に南無妙法蓮華経の穴に身を入るる男女にたとへ給へり。何なる過去の縁にてをはすれば此人をとふ(訪)らんと思食す御心はつかせ給ひけるやらん。法華経を見まいらせ候へば、釈迦仏の其人の御身に入らせ給ひてかゝる心はつくべしと説れて候。譬へばなにとも思はぬ人の酒をのみてえい(酔)ぬればあらぬ心出来り、人に物をとらせばやなんど思ふ心出来る。此は一生慳貪にして餓鬼道に堕つべきを、其人の酒の縁に菩薩の入りかはらせ給ふなり。濁水に珠を入れぬれば水すみ、月に向ひまいらせぬれば人の心あこがる。画にかけ(書)る鬼には心なけれどもおそろし(怖)。とわり(後妻)を画にかけば我夫をばとらねどもそねまし。錦のしとねに蛇をおれる(織)は服せんとも思はず。身のあつき(熱)にあたゝか(温)なる風いとはし。人の心も如此。法華経の方へ御心をよせさせ給ふは、女人の御身なれども竜女が御身に入らせ給ふ歟。さては又尾張次郎兵衛尉殿の御事、見参に入りて候し人なり。日蓮は此法門を申候へば佗人にはにず多くの人に見えて候へども、いとをしと申す人は千人に一人もありがたし。彼人はよも心よせには思はれたらしなれども、自体人がらにくげ(憎気)なるふりなく、よろづの人になさけあらんと思ひし人なれば心の中はうけずこそをぼしつらめども、見参の時はいつはりをろかにて有りし人なり。又女房の信じたるよしありしかば実とは思ひ候はざりしかども、又いたう法華経に背く事はよもをはせじなればたのもしきへんも候。されども法華経を失ふ念仏並に念仏者を信じ、我身も多分は念仏者にてをはせしかば後生はいかがとをほつかなし。譬ば国主はみやづかへ(宦仕)のねんごろなるには恩のあるもあり、又なきもあり。少しもをろか(疎)なる事候へばとがになる事疑なし。法華経も如此。いかに信ずるやうなれども法華経の御かたきにも知れ、知ざれ、まじはりぬれば無間地獄なし。是はさてをき候ぬ。彼女房の御歎いかがとをしはかるにあはれなり。たとへばふじのはな(藤花)のさかんなるが松にかかりて、思ふ事もなきに松のにはかにたふれ、つた(蔦)のかき(垣)にかかれるがかきの破れたるが如くにをぼすらん。内へ入れば主なし、やぶれたる家の柱なきが如し。客人来れども外に出でてあいしらうべき人もなし。夜のくらきにはねや(閨)すさまじく、はか(墓)をみればしるしはあれども声もきこへず。又思ひやる死出の山、三途の河をば誰とか越え給ふらん、只独り歎き給ふらん。とどめをきし御前たちいかに我をばひとりやる(独遣)らん。さはちぎらざりとや歎かせ給ふらん。かたがた秋の夜のふけゆくまゝに冬の嵐のをとづるる声につけても弥弥御歎き重り候らん。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
 弘安元年戊寅九月六日              日蓮花押
   妙法尼御前御かたへ
(啓二四ノ八〇。鈔一四ノ六。註一五ノ一。語二ノ五二。記上ノ二四。拾三ノ二七。扶九ノ一五。音下ノ一四。)

#0306-300 上野殿御返事 弘安元(1278.09・19) [p1571]
上野殿御返事(上野第廿一書)(塩一駄書)(与南条氏書)
     弘安元年九月。五十七歳作。
     内三二ノ二三。遺二五ノ四九。縮一七九三。類九九三。

 塩一駄、はじかみ(生薑)送給候。金ををくして日本国の沙のごとくならば、たれかたから(宝)としてはこのそこ(筺底)にをさむべき。餅多くして一えんぶだいの大地のごとくならば、たれか米の恩をおもく(重)せん。今年は正月より日日に雨ふり、ことに七月より大雨ひまなし。このところは山中なる上、南ははきり河、北ははや河、東は富士河。西は深山なれば長雨、大雨時時日日につづく間、山さけ(裂)て谷をうづみ(埋)石ながれて道をふせぐ。河たけくして船わたらず、福人なくして五穀ともし(乏)、商人なくして人あつまる事なし。七月なんどはしほ(塩)一升をぜに(銭)百、しほ五合を麦一斗にかへ候しが、今はぜんたい(全体)しほ(塩)なし。何を以てかかう(買)べき。みそ(味噌)もたえ(絶)ぬ。小児のち(乳)をしのぶがごとし。かゝるところにこのしほ(塩)を一駄給て候御心ざし、大地よりもあつく、虚空よりもひろし。予が言は力及ぶべからず。ただ法華経と釈迦仏とにゆづりまいらせ候。事多しと申せども紙上にはつくしがたし。恐恐謹言。
 弘安元年九月十九日              日蓮花押
   上野殿御返事
(啓三四ノ二五。鈔二三ノ四六。音下ノ四〇。語四ノ四八。拾七ノニ六。扶一三ノ二六)

#0307-200 本尊問答鈔 弘安元(1278.09) [p1573]
本尊問答鈔
     弘安元年九月。五十七歳著。与浄顕房日仲書
     内九ノ一七。遺二五ノ五〇。縮一七九四。類三四八。

 問て云く、末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや。答へて云く、法華経の題目を以て本尊とすべし。問て云く、何れの経文何れの人師の釈にか出でたるや。答ふ、法華経の第四法師品に云く「薬王在在処処、若説若読、若誦若書、若経巻所住之処、皆応起七宝塔極令高広厳飾。不須復安舎利、所以者何、此中已有如来全身」等云云。涅槃経の第四如来性品に云く「復次迦葉、諸仏所師所謂法也、是故如来恭敬供養以法常故諸仏亦常」云云。天台大師の法華三昧に云く「道場の中に於て好き高座を敷き法華経一部を安置せよ、亦必ずしも形像、舎利並びに余の経典を安ずることをもちいざれ。唯だ法華経一部を置け」と等云云。疑つて云く、天台大師の摩訶止観の第二の四種三昧の御本尊は阿弥陀仏なり。不空三蔵の法華経の観智の儀軌は釈迦、多宝を以て法華経の本尊とせり。汝何ぞ此等の義に相違するや。答へて云く、是私の義にあらず、上に出だすところの経文並に天台大師の御釈なり。但し摩訶止観の四種三昧の本尊は阿弥陀仏とは、彼の常座、常行、非行非座の三種の本尊は阿弥陀仏なり。文殊問経、般舟三昧経、請観音経等による。是は爾前の諸経の内、未顕真実の経なり。半行半坐三昧には二あり。一には方等経の七仏、八菩薩等を本尊とす、彼経による。二には法華経の釈迦、多宝等を引き奉れども、法華三昧を以て案ずるに法華経を本尊とすべし。不空三蔵の法華儀軌は宝塔品の文によれり。此は法華経の教主を本尊とす、法華経の正意にはあらず。上に挙ぐる所の本尊は釈迦、多宝、十方の諸仏の御本尊、法華経の行者の正意なり。問て云く、日本国に十宗あり。所謂倶舎、成実、律、法相、三論、華厳、真言、浄土、禅、法華宗なり。此の宗は皆本尊まちまちなり。所謂倶舎、成実、律の三宗は劣応身の小釈迦なり。法相、三論の二宗は大釈迦仏を本尊とす。華厳宗は台上のるさな(盧遮那)報身の釈迦如来。真言宗は大日如来。浄土宗は阿弥陀仏。禅宗にも釈迦を用ひたり。何ぞ天台宗に法華経を本尊とするや。答ふ、彼等は仏を本尊とするに是は経を本尊とす、其の義あるべし。問ふ、其の義如何、仏と経といづれが勝れたるや。答へて云く、本尊とは勝れたるを用ゆべし。例せば儒家には三皇、五帝を用て本尊とするが如く、仏家にも又釈迦を以て本尊とすべし。問て云く、然らば汝、云何ぞ釈迦を以て本尊とせずして、法華経の題目を本尊とするや。答ふ、上に挙ぐるところの経釈を見給へ、私の義にはあらず。釈迦と天台とは法華経を本尊と定め給へり。末代今の日蓮も仏と天台との如く法華経を以て本尊とするなり。其故は法華経は釈尊の父母、諸仏の眼目なり。釈迦、大日総じて十方の諸仏は法華経より出生し給へり。故に今能生を以て本尊とするなり。問ふ、其の証拠如何。答ふ、普賢経に云く「此大乗経典諸仏宝蔵、十方三世諸仏眼目、出生三世諸如来種」等云云。又云く「此方等経是諸仏眼、諸仏因是得具五眼、仏三種身従方等生、是大法印印涅槃海。如此海中能生三種仏清浄身、此三種身人天福田応供中最」等云云。此等の経文、仏は所生、法華経の能生。仏は身なり、法華経は神なり。然れば則ち木像、画像の開眼供養は唯だ法華経にかぎるべし。而るに今木画の二像をまうけて、大日仏眼の印と真言とを以て開眼供養をなすはもと(最)も逆なり。問て云く、法華経を本尊とすると大日如来を本尊とするといづれか勝るや。答ふ、弘法大師、慈覚大師、智証大師の御義の如くならば、大日如来はすぐれ法華経は劣るなり。問ふ、其の義如何。答ふ、弘法大師の秘蔵宝鑰、十住心に云く「第八法華経、第九華厳、第十大日経」等云云。是れは浅きより深きに入る。慈覚大師の金剛頂経の疏、蘇悉地経の疏、智証大師の大日経の旨帰等に云く「大日経第一、法華経第二」等云云。問ふ、汝が意如何。答ふ、釈迦如来、多宝仏、総じて十方の諸仏の御評定に云く、已、今、当の一切経の中に法華最為第一云云。問ふ、今日本国中の天台、真言等の諸僧並に王臣、万民疑つて云く、日蓮法師め(奴)は弘法、慈覚、智証大師等に勝るべきか如何。答ふ、日蓮反詰して云く、弘法、慈覚、智証大師等は釈迦、多宝、十方の諸仏に勝るべきか是一。今日本の国王より民までも教主釈尊の御子なり。釈尊の最後の御遺言に云く「依法不依人」等云云。法華経第一と申すは法に依るなり。然るに三大師等に勝るべしやとの(宣)給ふ諸僧、王臣、万民、乃至所従、牛馬等にいたるまで、豈に不孝の子にあらずや是二。問ふ、弘法大師は法華経を見給はずや。答ふ、弘法大師も一切経を読み給へり。其の中に法華経、華厳経、大日経の浅深、勝劣を読み給ふに、法華経を読み給ふ様に云く「文殊師利此の法華経は諸仏如来秘密の蔵なり、諸経の中に於て最も其下に在り」。又読み給ふ様に云く「薬王今汝に告ぐ、我が所説の諸経あり、而も此経の中に於て法華最第三」云云。又慈覚、智証大師の読み給ふ様に云く「諸経の中に於て最も其の中に在り」。又「最も為れ第二」等云云。釈迦如来、多宝仏、大日如来、一切の諸仏、法華経を一切経に相対して説いての給はく「法華第一」。又説いて云く「法華最も其上に在り」云云。所詮釈迦、十方の諸仏と慈覚、弘法等の三大師といづれを本とすべきや。但し事を日蓮によせて釈迦、十方の諸仏には永く背きて三大師を本とすべきか如何。答ふ、弘法大師は讃岐の国の人、勤操僧正の弟子なり。三論、法相の六宗を極む。去る延暦二十三年五月、桓武天皇の勅宣を帯びて漢土に入り、順宗皇帝の勅に依りて青龍寺に入りて、慧果和尚に真言の大法を相承し給へり。慧果和尚は大日如来よりは七代になり給ふ。人はかはれども法門はをなじ。譬へば瓶の水を猶ほ瓶にうつすがごとし。大日如来と金剛薩?、龍猛、龍智、金剛智、不空、慧果、弘法との瓶は異なれども、所伝の智水は同じ真言なり。此大師、彼の真言を習ひて三千の波涛をわたりて日本国に付き給ひ、平城、嵯峨、淳和の三帝にさづけ奉る。去る弘仁十四年正月十九日に東寺を建立すべき勅を給ひて、真言の秘法を弘通し給ふ。然らば五畿、七道、六十六ケ国、二つの島にいたるまでも鈴をとり杵をにぎる人、たれかこの(此)末流にあらざるや。又慈覚大師は下野の国の人、広智菩薩の弟子なり。大同三年御歳十五にして伝教大師の弟子となりて叡山に登りて十五年の間六宗を習ひ、法華、真言の二宗を習ひ伝へ、承和五年に御入唐、漢土の会昌天子の御宇なり。法全、元政、義真、宝月、宗叡、志遠等の天台、真言の碩学に値ひ奉りて顕、密の二道を習ひ極め給ふ。其の上、殊に真言の秘教は十年の間功を尽し給ふ。大日如来よりは九代なり。嘉祥元年仁明天皇の御師となり給ふなり。仁寿、斉衡に金剛頂経、悉蘇地経の二経の疏を造り、叡山に総持院を建立して第三の座主となり給ふ。天台の真言これよりはじまる。又智証大師は讃岐の国の人、天長四年御年十四、叡山に登りて義真和尚の御弟子となり給ふ。日本国にては義真、慈覚、円澄、別当等の諸徳に八宗を習ひ伝へ、去る仁寿元年に文徳天皇の勅を給ひて漢土に入り、宣宗皇帝の大中年中に、法全、良?和尚等の諸大師に七年の間、顕、密の二教、習ひ極め給ひて、去る天安二年に御帰朝、文徳、清和等の皇帝の御師なり。何れも現の為め、当の為め月の如く日の如く、代代の明主、時時の臣民、信仰余り有り帰依怠りなし。故に愚痴の一切偏に信ずるばかりなり。誠に「依法不依人」の金言を背かざるの外は、争か仏によらずして弘法等の人によるべきや。所詮其の心如何。答ふ、夫れ教主釈尊の御入滅一千年の間、月氏に仏法の弘通せし次第は先五百年は小乗、後の五百年は大乗、小大、権実の諍はありしかども顕、密の定めはかすかなりき。像法に入りて十五年と申せしに漢土に仏法渡る。始めは儒道と釈教と諍論して定めがたかりき。されども仏法やうやく弘通せしかば小大、権実の諍論いできたる。されどもいたく(甚)の相違もなかりしに、漢土に仏法渡りて六百年、玄宗皇帝の御宇に善無畏、金剛智、不空の三三蔵月氏より入り給ひて後真言宗を立てしかば、華厳、法華等の諸宗は以ての外にくだされき。上一人より下万民に至るまで、真言には法華経は雲泥なりと思ひしなり。其の後徳宗皇帝の御宇に妙楽大師と申す人、真言は法華経にあながちに(強)をとりたりとおぼしめししかども、いたく立てる事もなかりしかば、法華、真言の勝劣を弁へる人なし。日本国は人王三十代欽明の御時、百済国より仏法始めて渡りたりしかども、始めは神と仏との諍論こわく(強)して三十余年はすぎ(過)にき。三十四代推古天皇の御宇に聖徳太子始めて仏法を弘通し給ふ。慧観、観勒の二の上人百済国よりわたりて三論宗を弘め、孝徳の御宇に道昭、禅宗をわたす。文武の御宇に新羅国の智鳳、法相宗をわたす。第四十四代元正天皇の御宇に善無畏三蔵、大日経をわたす。然れども弘まらず。聖武の御宇に審祥大徳良弁僧正等華厳宗をわたす。人王四十六代孝謙天皇の御宇に唐代の鑒真和尚、律宗と法華経をわたす。律をばひろめ、法華をば弘めず。第五十代桓武天皇の御宇に延暦二十三年七月に伝教大師勅を給ひて漢土に渡り、妙楽大師の御弟子、道邃、行満に値ひ奉りて法華宗の定慧を伝へ、道宣律師に菩薩戒を伝へ、順暁和尚と申せし人に真言の秘教を習ひ伝へて日本国に帰り給ひて、真言、法華の勝劣は漢土の師のをしへに依りては定め難しと思食しなければ、こゝにして大日経と法華経と彼釈と此釈とを引き並べて勝劣を判じ給ひしに、大日経は法華経に劣りたるのみならず、大日経の疏は天台の心をとりて我宗に入れたりけりと勘へ給へり。其後弘法大師真言経を下されけることを遺恨とや思食しけむ。真言宗を立てんとたばかりて法華経は大日経に劣るのみならず、華厳経に劣れりと云云。あはれ慈覚、智証、叡山、園城にこの義をゆるさずば、弘法大師の僻見は日本国にひろまらざらまじ。彼の両大師華厳、法華の勝劣をばゆるさねど法華、真言の勝劣をば永く弘法大師に同心せしかば、存外に本師伝教大師の大怨敵となる。其の後日本国の諸碩徳等各智慧高く有るなれども、彼の三大師にこえざれば今四百余年の間、日本一同に真言は法華経に勝れけりと定め畢んぬ。たまたま天台宗を習へる人人も真言は法華に及ばざるの由存ぜども、天台座主、御室等の高貴におそれて申す事なし。あるは又其義をもわきまへぬかのゆへに、からくして同の義をいへば、一向真言師はさる事おもひもよらずとわらふなり。然れば日本国中に数十万の寺社あり、皆真言宗なり。たまたま法華宗を並ぶとも、真言は主の如く法華は所従の如くなり。若しは兼学の人も心中は一同に真言なり。座主、長吏、検校、別当、一向に真言たるうへ、上に好むところ下皆したがふ事なれば、一人ももれず真言師なり。されば日本国或は口には法華最第一とはよめども、心は最第二、最第三なり。或は身、口、意共に最第二、三なり。三業相応して最第一と読める法華経の行者は、四百余年が間一人もなし。まして能持此経の行者はあるべしともおぼへず。「如来現在猶多怨嫉況滅度後」の衆生は上一人より下万民にいたるまで法華経の大怨敵なり。然るに日蓮は東海道十五ケ国の内、第十二に相当る安房の国長狭郡東条の郷片海の海人が子なり。生年十二、同郷の内清澄寺と申す山にまかりて、遠国なるうへ寺とはなづけて候へども修学の人なし。然而随分諸国を修行して学問し候しほどに、我身は不肖なり人はをしへず。十宗の元起、勝劣たやすくわきまへ(弁)がたきところに、たまたま仏、菩薩に祈請して一切の経論を勘へて十宗に合せたるに、倶舎宗は浅近なれども、一分は小乗経に相当するに似たり。成実宗は大小兼雑して謬悟あり。律宗は本は小乗、中比は大乗、今は一向に大乗宗とおもへり。又伝教大師の律宗あり別に習ふ事なり。法相宗は源権大乗経の中の浅近の法門にてありけるが、次第に増長して権実と並び、結句は彼の宗宗を打ち破らんと存ぜり。譬へば日本国の将軍、将門、純友等のごとし、下にいて上を破る。三論宗も又権大乗の空の一分なり。此れも我れ実大乗とおもへり。華厳宗は又権大乗と云ひながら余宗にまされり。譬へば摂政、関白のごとし。然而法華経を敵となして立てる宗なる故に、臣下の身を以て大王に順ぜむとするがごとし。浄土宗と申すも権大乗の一分なれども、善導、法然がたばかり(誑)かしこく(惑)して、諸経をば上げ観経をば下し、正、像の機をば上げ末法の機をば下して、末法の機に相叶へる念仏を取り出して、機を以て経を打ち、一代の聖教を失ひて念仏の一門を立てたり。譬へば心かしこく(賢)して身は卑しき者が身を上げて、心はかなき(儚)ものを敬ひて賢人をうしなふがごとし。禅宗と申すは一代聖教の外に真実の法有りと云云。譬へばをや(親)を殺して子を用ひ、主を殺せる所従のしかも其の位につけ(就)るがごとし。真言宗と申すは一向に大妄語にて候が、深く其の根源をかくして候へば浅機の人あらはし(顕)がたし。一向に誑惑せられて数年を経て候。先づ天竺に真言宗と申す宗なし、然るに有りと云云。其の証拠を尋ぬべきなり。所詮大日経こゝにわたれり、法華経に引向けて其の勝劣を見るの処、大日経は法華経より七重下劣の経なり。証拠、彼の経此の経に分明なり(此に之を引かず)。しかるを或は云く、法華経に三重の主君、或は二重の主君なりと云云。以ての外の大僻見なり。譬へば劉聡が下劣の身として愍帝に馬の口をとらせ、超高が民の身として横に帝位につきしがごとし。又彼の天竺の大慢婆羅門が釈尊を床として坐せしがごとし。漢土にも知る人なく、日本にもあやめ(怪)ずしてすでに四百余年をおくれり。是の如く仏法の邪正乱れしかば王法も漸く尽きぬ。結局は此の国佗国にやぶられて亡国となるべきなり。此の事日蓮独り勘へ知れる故に仏法のため王法のため、諸経の要文を集めて一巻の書を造る。仍て故最明寺入道殿に奉る、立正安国論と名けき。其の書にくはしく申したれども愚人は知り難し。所詮現証を引いて申すべし。抑も人王八十二代隠岐の法王と申す王有き。去る承久三年太歳辛巳五月十五日伊賀太郎判官光末を打捕まします。鎌倉の義時をうち給はむとての門出なり。やがて五畿、七道の兵を召して、相洲鎌倉の権の太夫義時を打ち給はんとし給ふところに、還つて義時にまけ給ひぬ。結句我巳は隠岐の国に流され、太子二人は佐渡の国、阿波の国に流され給ふ。公卿七人は忽ちに頸をはねられき。これはいかにとしてまけ給ひけるぞ。国王の身として民のごとくなる義時を打ち給はんは、鷹の雉を取り猫の鼠を食にてこそあるべけれ。これは猫のねずみにくはれ、鷹の雉にとられたるやうなり。しかのみならず調伏の力を尽くせり。所謂天台の座主慈円僧正、真言の長者、仁和寺の御室、園城寺の長吏、総じて七大寺、十五大寺。智慧、戒行は日月の如く、秘法は弘法、慈覚等の三大師の心中の深密の大法、十五壇の秘法なり。五月十九日より六月の十四日にいたるまであせ(汗)をながし、なづき(頭脳)をくだきて行ひき。最後には御室紫宸殿にして日本国にわたり(渡)ていまだ三度までも行はぬ大法、六月八日始めて之を行ふ程に、同じき十四日に関東の軍兵、宇治、勢多をおしわたして洛陽に打ち入りて三院を生取奉りて、九重に火を放ちて一時に焼失す。三院をば三国へ流罪し奉りぬ。又公卿七人は忽ちに頸をきる。しかのみならず御室の御所に押入りて、最愛の弟子の小児勢多伽と申せしをせめいだして終に頸を切にき。御室堪へずして思ひ死畢り給ぬ、母も死し童も死す。すべて此いのり(祈)をたのみし人、いく千万といふ事をしらず死にき。たまたまいき(生)たるもかひ(甲斐)なし。御室祈りを始め給ひし六月八日より同じき十四日まで、なかをかぞふれば七日に満じける日なり。此の十五壇の法と申すは一字金輪、四天王、不動、大威徳、転法輪、如意輪、愛染王、仏眼六字、金剛童子、尊星王、太元守護経等の大法なり。此の法の詮は国敵、王敵となる者を降伏して命を召し取りて其の魂を密厳浄土へつかはすと云ふ法なり。其の行者の人人も又軽からず。天台の座主、慈円、東寺、御室、三井の常住院の僧正等の四十一人並びに伴僧等三百余人なり云云。法と云ひ行者と云ひ、又代も上代なり。いかにとしてまけ(負)給ひけるぞ。たとひかつ(勝)事こそなくとも即時にまけ(負)おはりてかゝるはぢ(恥)にあいたりける事、いかなるゆへといふ事を余人いまだ知らず。国主として民を討たん事、鷹の鳥をとらんがごとし。たとひまけ給ふとも、一年二年十年二十年もささうべきぞかし。五月十五日におこりて六月十四日にまけ給ひぬ、わづかに三十余日なり。権の大夫殿は此の事を兼ねてしらねば祈祷もなしかまへもなし。然而日蓮小智を以て勘へたるに其の故あり。所謂彼の真言の邪法の故なり。僻事は一人なれども万国のわづらひなり。一人として行ずとも一国二国やぶれぬべし、況や三百余人をや。国主とともに法華経の大怨敵となりぬ。いかでかほろびざらん。かゝる大悪法とし(年)をへて、やうやく関東におち下りて諸堂の別当、供僧となり連連と行へり。本より辺域の武士なれば教法の邪正をば知らず、ただ三宝をばあがむべき事とばかり思ふゆへに、自然としてこれを用ひきたりてやうやく年数を経る程に、今佗国のせめをかうん(蒙)て此国すでにほろびなんとす。関東八ケ国のみならず叡山、東寺、園城、七寺等の座主、別当、皆関東の御はからひとなりぬるゆへに、隠岐の法皇のごとく大悪法の檀那となり定まり給ひぬるなり。国主となる事は大小皆梵王、帝釈、日月、四天の御計ひなり。法華経の怨敵となり定まり給はば、忽ちに治罰すべきよしを誓ひ給へり。随つて人王八十一代安徳天皇に、太政入道の一門与力して兵衛佐頼朝を調伏せんがために、叡山を氏寺と定め山王を氏神とたのみしかども、安徳は西海にしづみ明雲は義仲に殺さる。一門皆一時にほろび畢んぬ。第二度なり。今度は第三度にあたるなり。日蓮がいさめを御用ひなくて真言の悪法を以て大蒙古を調伏せられば、日本国還つて調伏せられなむ。「還著於本人」と説けりと申すなり。然らば則ち罰を以て利生に思ふに、法華経にすぎたる仏になる大道はなかるべきなり。現世の祈祷は兵衛佐殿、法華経を読誦する現証なり。此の道理を存ぜる事は父母と師匠との御恩なれば、父母はすでに過去し給ひ畢んぬ。故道善御房は師匠にておはしまししかども法華経の故に地頭におそれ給ひて、心中には不便とおぼしつらめども、外にはかきのやうににくみ給ひぬ。後にはすこし信じ給ひたるやうにきこへしかども、臨終にはいかにやおはしけむ、おぼつかなし。地獄まではよもおはせじ。又生死をはなるる事はあるべしともおぼへず。中有にやただよひましますらむとなげかし。貴辺は地頭のいかりし時、義城房と共に清澄寺を出でておはせし人なれば、何となくともこれを法華経の御奉公とおぼしめして、生死をはなれさせ給ふべし。此の御本尊は世尊説きおかせ給ひて後、二千二百三十余年が間、一閻浮提の内にいまだひろめたる人候はず。漢土の天台、日本の伝教ほぼしろしめして、いさゝかひろめさせ給はず。当時こそひろまらせ給ふべき時にあたりて候へ。経には上行、無辺行等こそ出でてひろめさせ給ふべしと見へて候へども、いまだ見へさせ給はず。日蓮は其の人には候はねども、ほぼこゝろへて候へば、地涌の菩薩の出でさせ給ふまでの口ずさび(口号)に、あらあら申して況滅度後のほこさきに当り候なり。願はくば此の功徳を以て父母と師匠と一切衆生に回向し奉らんと祈請仕り候。其の旨をしらせまいらせむがために御不審を書きおくりまいらせ候に、佗事を捨てて此の御本尊の御前にして一向に後世をもいのらせ給ひ候へ。又これより申さんと存じ候。いかにも御房たち、はからひ申させ給へ。
  弘安元年戌寅九月 日               日蓮花押
(啓二〇ノ三七。鈔九ノ二四。註一〇ノ二八。音下ノ九。語二ノ三二。記上ノ二二。拾三ノ四。扶七ノ八。)

#0308-300 太田殿女房御返事 弘安元(1278.09・24) [p1587]
太田殿女房御返事(第三書)
     弘元年九月。五十七歳作。
     内三四ノ一。遺二六ノ一。縮一八〇九。類八二五。

 八木(米)一石付十合者大旱魃の代にかはけ(渇)る物に水をほどこしては、大竜王と生れて雨をふらして人天をやしなう(養)。うえ(飢)たる代に食をほどこせる人は国王と生れて其国ゆたかなり。過去の世に金色と申す大王ましましき、其国をば波羅奈国と申す。十二年が間旱魃ゆきて人民うえ死ぬ事おびただし。宅中には死人充満し道路には骸骨充満せり。其時大王一切衆生をあはれみて、おゝくの蔵をひらきて施をほどこし給き。蔵の中の財つきて唯一日の御供のみのこりて候し。衆僧をあつめて供養をなし、王と后と衆僧と万民と皆うえ死なんとせし程に、天より飲食雨のごとくふりて、大国一時に富貴せりと金色王経にとかれて候。此も又かくのごとし。此供養によりて現世には福人となり後生には霊山浄土へまいらせ給べし。恐恐謹言。
  九月二十四日                   日蓮花押
   大(太)田入道殿女房御返事
(啓三四ノ四九。鈔二三ノ五五。語五ノ一。拾七ノ三三。扶一三ノ四一。音下ノ四一。)

#0312-300 四条金吾殿御返事 弘安元(1278.10) [p1592]
四条金吾殿御返事(四条第廿五書)(所領書)
    弘安元年十月。五十七歳作。
    内一七ノ五一。遺二六ノ二。縮一八一〇。類八九九。

  鵞目一貫文給候畢ぬ。
 御所領上より給らせ給て候なる事、まこととも覚へず候。夢かとあまりに不思議に覚へ候。御返事なんどもいかやうに申べしとも覚へず候。其故はとの(殿)の御身は日蓮が法門の御ゆへに日本国並にかまくら中御内の人人きうだち(公達)までうけず、ふしぎにをもはれて候へば、其御内にをはせむだにも不思議に候に、御恩をかうほらせ給へばうちかへし又うちかへしせさせ給へば、いかばかり同れいどももふしぎとをもひ、上もあまりなりとをぼすらむ。さればこのたびはいかんが有べかるらんとうたがひ思候つる上、御内の数十人の人人うつたへ(訴)て候へば、さればこそいかにもかなひがたかるべし。あまりなる事なりと疑候つる上、兄弟にもすてられてをはするに、かゝる御をん(恩)面目申ばかりなし。かの処はとのをか(殿岡)の三倍とあそばして候上さど(佐渡)の国のもののこれに候が、よくよく其処をしりて候が申候は,三箇郷の内にいかだと申は第一の処也。田畠はすくなく候へどもとくははかり(量)なしと申候ぞ。二所はみねんぐ(御年貢)千貫、一所は三百貫と云云。かゝる処也と承はる。なにとなくともどうれい(同隷)といひ、したしき人人と申し、すて(捨)はてられてわらひよろこびつるに、とのをかにをとり(劣)て候処なりとも、御下文は給たく候つるぞかし。まして三倍の処也と候。いかにわろくともわろきよし人にも又上へも申させ給べからず候。よきところよきところと申給はば、又かさねて給はらせ給べし。わろき処徳分なしなむと候はば、天にも人にもすてられ給候はむずるに候ぞ。御心へあるべし。阿闍世王は賢人なりしが父をころせしかば、即時に天にもすてられ大地もやぶれて入ぬべかりしかども、殺されし父の王一日に五百りやう(輛)五百りよう、数年が間仏を供養しまいらせたりし功徳と、後に法華経の檀那となるべき功徳によりて、天もすてがたし、地もわれず、ついに地獄にをちずして仏になり給き。との(殿)も又かくのごとし、兄弟にもすてられ同れいにもあだまれきうだち(公達)にもそばめ(窄)られ日本国の人にもにくまれ給つれども、去文永八年の九月十二日の子丑の時日蓮が御勘気をかほりし時、馬の口にとりつきて鎌倉を出て、さがみ(相模)のえち(依智)に御ともありしが、一閻浮提第一の法華経の御かたうどにて有しかば、梵天、帝釈もすてかねさせ給へるか。仏にならせ給はん事もかくのごとし。いかなる大科ありとも法華経をそむかせ給はず候し、御ともの御ほうこう(奉公)にて仏にならせ給べし。例せば有徳国王の覚徳比丘の命にかはりて、釈迦仏とならせ給がごとし。法華経はいのり(祈)とはなり候けるぞ。あなかしこあなかしこ。いよいよ道心堅固にして今度仏になり給へ。御一門の御房たち、又俗人等にもかゝるうれしき事候はず。かう申せば今生のよく(慾)とをほすか、それも凡夫にて候へばさも候べき上、欲をもはなれずして仏になり候ける道の候けるぞ。普賢経に法華経の肝心を説て候「不断煩悩不離五欲」等云云。天台大師の摩訶止観に云「煩悩即菩提生死即涅槃」等云云。龍樹菩薩の大論に法華経の一代にすぐれていみじきやうを釈して云「譬へば大薬師の能毒を変じて薬と為すが如し」等云云。小薬師は以薬治病、大医は大毒をもつて大重病を治す等云云。
 弘安元戊寅年十月  日             日蓮花押
  四条金吾殿御返事
(啓二七ノ九三。鈔一七ノ四五。語三ノ二四。音下ノ二三。拾四。扶一〇ノ三八。)

#0314-200 上野殿御返事 弘安元(1278.閏10・13) [p1596]
上野殿御返事(上野第廿二書)(柑子書)(与南条氏書)
     外八ノ一〇。遺二六ノ五。縮一八一三。類九九四。

 いえのいも(芋)一駄、こうじ(柑子)一こ(篭)、ぜに(銭)六百のかわり御ざ(座)のむしろ(筵)十枚給畢ぬ。去今年は大えき(疫)此の国にをこりて人の死事、大風に木のたうれ大雪に草のおるるがごとし。一人ものこ(残)るべしともみへず候き。しかれども又今年の寒温時したがひて、五穀は田畠にみち草木はやさん(野山)におひふさがりて、尭舜の代のごとく成劫のはじめかとみへて候しほどに、八月九月の大雨大風に日本一同に不熟ゆきて、のこれ(残)る万民冬をすごしがたし。去る寛喜、正嘉にもこえ、来らん三災にもおとらざるか。自界叛逆して盗賊国に充満し、佗界きそい(競)て合戦に心をつひやす。民の心不孝にして父母を見事佗人のごとく、僧尼は邪見にして狗犬と猿猴とのあへるがごとし。慈悲なければ天も此国をまほら(守)ず、邪見なれば三宝にもすてられたり。又疫病もしばらく(暫)はやみ(止)てみえしかども、鬼神かへり入かのゆへに、北国も東国も西国も南国も一同に、やみなげく(病歎)よしきこえ候。かゝるよ(世)にいかなる宿善にか、法華経の行者をやしなわ(養)せ給事、ありがたく候。ありがたく候。事事見参の時申べし恐恐謹言。
 後十月十二日               日蓮花押
 上野殿御返事
(考三ノ四四。)

#0315-300 千日尼御前御返事 弘安元(1278.閏10・19) [p1597]
千日尼御前御返事(第四書)(青鳧書)
     弘安元年閏十月。五十七歳作。
     内一九ノ六一。遺二六ノ六。縮一八一四。類七七四。

 青鳧一貫文、干飯一斗、種種の物給候畢ぬ。仏に土の餅を供養せし徳勝童子は阿育大王と生れたり。仏に漿をまひらせし老女は辟支仏と生れたり。法華経は十方三世の諸仏の御師なり。十方の仏と申すは東方善徳仏、東南方無憂徳仏、南方栴檀徳仏、西南方宝施仏、西方無量明仏、西北方華徳仏、北方相徳仏、東北方三乗行仏、上方広衆徳仏、下方明徳仏也。三世の仏と申すは過去荘厳劫の千仏、現在賢劫の千仏、未来星宿劫の千仏、乃至華厳経、法華経、涅槃経等の大小、権実、顕密の諸経に列り給へる一切の諸仏、尽十方世界の微塵数の菩薩等も皆悉く法華経の妙の一字より出生し給へり。故に法華経の結経たる普賢経に云く「仏三種身従方等生」等云云。方等とは月氏の語、漢土には大乗と翻ず。大乗と申すは法華経の名也。阿含経は外道の経に対すれば大乗経。華厳、般若、大日経等は阿含経に対すれば大乗経、法華経に対すれば小乗経也。法華経に勝れたる経なき故に一大乗経也。例せば南閻浮提八万四千の国国の王王は、其国国にては大王と云ふ、転輪聖王に対すれば小王と申す。乃至六欲四禅の王王は大小に渡る。色界の頂の大梵天王独り大王にして、小の文字をつくる事なきがごとし。仏は子也、法華経は父母也。譬ば一人の父母に千子有て一人の父母を讃歎すれば千子悦をなす、一人の父母を供養すれば千子を供養するになりぬ。又法華経を供養する人は十方の仏、菩薩を供養する功徳と同じき也。十方の諸仏は妙の一字より生じ給へる故也。譬ば一の師子に百子あり、彼百子諸の禽獣に犯さるるに一の師子王吼れば百子力を得て諸の禽獣皆頭七分にわる。法華経は師子王の如し、一切の獣の頂とす。法華経の師子王を持つ女人は一切の地獄、餓鬼、畜生等の百獣に恐るる事なし。譬ば女人の一生の間の御罪は諸乾草の如し、法華経の妙の一字は小火の如し。小火を衆艸につきぬれば衆艸焼亡ぶるのみならず、大木大石皆焼失せぬ。妙の一字の智火以て如此。諸罪消るのみならず、衆罪かへりて功徳となる、毒薬変じて甘露となる是也。譬ば黒漆に白物を入ぬれば白色となる。女人の御罪は漆の如し、南無妙法蓮華経の文字は白物の如し。人は臨終の時地獄に堕る者は黒色となる上、其身重き事千引の石の如し。善人は設ひ七尺、八尺の女人なれども色黒き者なれども臨終に色変じて白色となる。又軽き事鵞毛の如し、軟なる事兜羅緜の如し。佐渡の国より此国までは山海を隔てて千里に及び候に、女人の御身として法華経を志ましますによりて、年年に夫を御使として御訪あり。定て法華経、釈迦、多宝、十方の諸仏其御心をしろしめすらん。譬ば天月は四万由旬なれども、大地の池には須臾に影浮び、雷門の鼓は千万里遠けれども打ば須臾に聞ゆ。御身は佐渡の国にをはせども心は此国に来れり。仏に成る道も如此。我等は穢土に候へども心は霊山に住べし。御面を見てはなにかせん、心こそ大切に候へ。いつか(早晩)いつか釈迦仏のをはします霊山会上にまひりあひ候はん。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
恐恐謹言
     弘安元年後十月十九日          日蓮花押
  千日尼御前御返事
(啓二八ノ九五。鈔一八ノ一二。音下ノ二六。語三ノ三七。拾四ノ五〇。扶一〇ノ七三。)

#0316-300. 四条金吾殿御返事(必仮心固神守則強書)弘安元(1278.閏10・22)[p1600]
四条金吾殿御返事(四条第廿六書)(必仮心固神守則強御書)
    弘安元年十月。五十七歳作。
    外二ノ二。遺二六ノ八。縮一八一七。類九〇一。

 今月二十二日信濃より送られ候し物の日記。銭三貫文、白米、能米俵一、餅五十枚、酒大筒一、小筒一、串柿五把、柘榴十。
 夫王は民を食とし民は王を食とす。衣は寒温をふせぎ、食は身命をたすく。譬ば油の火を継ぎ水の魚を助くるがごとし。鳥は人の害せん事を恐れて木末に巣くふ。然れども食のために地にをり(下)てわなにかゝる。魚は淵の底に住て浅き事を悲みて、穴を水の底に掘てすめども餌にばかされて釣をのむ。飲食と衣薬とに過たる人の宝や候べき。而るに日蓮は佗人にことなる上、山林の栖、就中今年は疫癘、飢渇に春夏はすごし、秋冬は又前にも過たり。又身に当て所労大事になりて候つるを、かたがたの御薬と申し、小袖、彼しなじなの御治法にやうやう験候て、今所労平癒し本よりもいさぎよくなりて候。弥勒菩薩の瑜伽論、龍樹菩薩の大論を見候へば、定業の者は薬変じて毒となる、法華経は毒変じて薬となると見えて候。日蓮不肖の身に法華経を弘めんとし候へば天魔競ひて食をうばはんとする歟と思て、不歎候つるに今度の命たすかり候は偏に釈迦仏の貴辺の身に入替らせ給て御たすけ候歟、是はさてをきぬ。今度の御返りは神を失ひて歎き候つるに事故なく鎌倉に御帰候事、悦いくそばくぞ。あまりのおぼつかなさに鎌倉より来る者ごとに問候つれば、或人は湯本にて行合せ給と云ひ、或人はこふづ(国府津)にと、或人は鎌倉にと申候しにこそ、心落居て候へ。是より後はおぼろげならずは御渡りあるべからず。大事の御事候はば御使にて承り候べし。返す返す今度の道はあまりにおぼつかなく候つるなり。敵と申者はわすれさせてねらうものなり。是より後に若やの御旅には御馬をおしましませ給ふべからず、よき馬にのらせ給へ。又供の者どもせん(詮)にあひぬべからんもの、又どうまろ(胴丸)もちあげぬべからん。御馬にのり給べし。摩訶止観第八に云。弘決第八に云「必ず心の固きに仮て神の守り則強し」云云。神護ると申も人の心つよきによるとみえて候。法華経はよきつるぎ(剣)なれども、つかう人によりてものをきり候か。されば末法に此経をひろめん人人、舎利弗と迦葉と観音と妙音と文殊と薬王と此等程の人やは候べき。二乗は見思を断じて六道を出でて候、菩薩は四十一品の無明を断じて十四夜の月のごとし。然れども此等の人人にはゆずり給はずして地涌の菩薩に譲り給へり。さればよくよく心をきたは(鍛)せ給にや。李広将軍と申せしつはものは虎に母を食れて虎にに(似)たる石を射しかば、其矢羽ぶくらまでせめぬ、後に石と見ては立事なし。後には石虎将軍と申き。貴辺も又かくのごとく、敵はねらふらめども法華経の御信心強盛なれば大難もかねて消候歟。是につけてもよくよく御信心あるべし。委く紙には尽しがたし。恐恐謹言。
  後十月二十二日                 日蓮花押
 四条左衛門殿御返事
(微上ノ六。考二ノ一。)

#0329-300 松野殿後家尼御前御返事 弘安二(1279.03・26) [p1627]
松野殿後家尼御前御返事(第二書)
     弘安二年三月。五十八歳作。
     内三四ノ三九。遺二六ノ二三。縮一八三四。類一〇三五。

 法華経第五巻安楽行品に云く「文殊師利此法華経於無量国中、乃至名字不可得聞」云云。此文の心は我等衆生の三界六道に輪廻せし事は、或は天に生れ、或は人に生れ、或は地獄に生れ、或は餓鬼に生れ、畜生に生れ、無量の国に生をうけて無辺の苦しみをうけて、たのしみにあひしかども一度も法華経の国には生ぜず。たまたま生れたりといへども南無妙法蓮華経と唱へず。となふる事はゆめ(夢)にもなし、人の申すをも聞かず。仏のたとへを説せ給ふに、一眼の亀の浮木の穴に値ひがたきにたとへ給ふなり。心は大海の中に八万由旬の底に亀と申す大魚あり、手足もなくひれ(鰭)もなし、腹のあつき事はくろがねのやけるがごとし。せなか(背)のこう(甲)のさむき事は雪山ににたり。此魚の昼夜朝暮のねがひ時時剋剋の口ずさみには、腹をひやしこう(甲)をあたゝめんと思ふ。赤栴檀と申す木をば聖木と名く、人の中の聖人也。余の一切の木をば凡木と申す、愚人の如し。此栴檀の木は此魚の腹をひやす木なり。あはれ此木にのぼりて腹をば穴に入てひやし、こうをば天の日にあててあたゝめばやと申す也。自然のことはりとして千年に一度出る亀也。しかれども此木に値ふ事かたし。大海は広し、亀はちいさし、浮木はまれなり。たとひよ(余)のうきき(浮木)にはあへども栴檀にはあはず。あへども亀の腹をえりはめたる様に、がい分に相応したる浮木の穴にあひがたし。我身をち入なばこうをもあたゝめがたし。誰か又とりあぐべき。又穴せばくして腹を穴に入れえずんば、波にあらひをとされて大海にしづみなむ。たとひ不思議として栴檀の浮木の穴にたまたま行あへども、我一眼のひがめる故に浮木西にながるれば東と見る故に、いそいでのらんと思ひておよげ(泳)ば弥弥とをざかる。東に流るを西と見る、南北も又如此云云。浮木にはとをざかれども近づく事はなし。如是無量無辺劫にも一眼の亀の浮木の穴にあひがたき事を仏説給へり。此喩をとりて法華経にあひがたきに譬ふ。設ひあへどもとなへがたき題目の妙法の穴に、あひがたき事を心うべき也。大海をば生死の苦海也、亀をば我等衆生にたとへたり。手足のなきをば善根の我等が身にそなはらざるにたとへ、腹のあつきをば我等が瞋恚の八熱地獄にたとへ、背のこうのさむきをば貪欲の八寒地獄にたとへ、千年大海の底にあるをば我等が三悪道に堕て浮びがたきにたとへ、千年に一度浮ぶをば三悪道より無量劫に、一度人間に生れて釈迦仏の出世にあひがたきにたとう。余の松木、ひの(桧)木の浮木にはあひやすく、栴檀にはあひがたし。一切経には値ひやすく法華経にはあひがたきに譬へたり。たとひ栴檀には値ふとも相応したる穴にあひがたきに喩ふる也。設ひ法華経には値ふとも肝心たる南無妙法蓮華経の五字を、となへがたきにあひたてまつる事のがたきにたとう。東を西と見、北を南と見る事をば、我等衆生かしこがほに智慧有る由をして、勝を劣と思ひ劣を勝と思ふ。得益なき法をば得益あると見る、機にかなはざる法をば機にかなう法と云ふ。真言は勝れ法華経は劣り、真言は機にかなひ、法華経は機に叶はずと見る是也。されば思ひよらせ給へ。仏月氏国に出させ給ひて、一代聖教を説せ給ひしに、四十三年と申せしに初めて法華経を説せ給ふ。八箇年が程一切の御弟子皆如意宝珠のごとくなる法華経を持ち候き。然れども日本国と天竺とは二十万里の山海をへだてて候しかば、法華経の名字をだに聞ことなかりき。釈尊御入滅ならせ給ひて一千二百余年と申せしに漢土へ渡し給ふ。いまだ日本国へは渡らず。仏滅後一千五百余年と申すに、日本国の第三十代欽明天皇と申せし御門の御時、百済国より始めて仏法渡る。又上宮太子と申せし人唐土より始めて仏法渡させ給ひて、其より以来于今七百余年の間一切経並に法華経はひろまらせ給ひて、上一人より下万人に至るまで、心あらむ人は法華経を一部、或は一巻、或は一品持ちて、或は父母の孝養とす。されば我等も法華経を持つと思ふ。しかれども未だ口に南無妙法蓮華経とは唱へず、信じたるに似て信ぜざるが如し。譬ば一眼の亀のあひがたき栴檀の聖木にはあいたれども、いまだ亀の腹を穴に入ざるが如し。入ざればよしなし、須臾に大海にしづみなん。我朝七百余年の間、此法華経弘まらせ給ひて、或は読人、或は説人、或は供養せる人、或は持人、稲麻竹葦よりも多し。然どもいまだ阿弥陀の名号を唱ふるが如く、南無妙法蓮華経とすゝむる人もなく、唱ふる人もなし。一切の経、一切の仏の名号を唱ふるは凡木にあうがごとし。未だ栴檀ならざれば腹をひやさず、日天ならざれば甲をもあたゝめず。但目をこやし心を悦ばしめて実なし、華さいて菓なく言のみ有りてしわざなし。但日蓮一人ばかり日本国に始めて是を唱へまいらする事、去る建長五年の夏のころより于今二十余年の間、昼夜朝暮に南無妙法蓮華経と是を唱ふる事は一人也。念仏申す人は千万也。予は無縁の者也、念仏の方人は有縁也、高貴なり。然ども師子の声には一切の獣声を失ふ、虎の影には犬恐る。日天東に出ぬれば万星の光は跡形もなし。法華経のなき所にこそ弥陀念仏はいみじかりしかども、南無妙法蓮華経の声出来しては、師子と犬と、日輪と星との光くらべのごとし。譬ば鷹と雉とのひとしからざるがごとし。故に四衆とりどりにそねみ、上下同くにくむ。讒人国に充満して、奸人土に多し。故に劣を取りて勝をにくむ。譬ば犬は勝れたり、師子をば劣れり、星をば勝れ、日輪をば劣るとそしる(誹)が如し。然る間邪見の悪名世上に流布しやゝもすれば讒訴し、或は罵詈せられ、或は刀杖の難をかふる(蒙)、或は度度流罪にあたる。五の巻の経文にすこしもたがはず。さればなむだ(涙)左右の眼にうかび、悦び一身にあまれり。こゝに衣は身をかくしがたく、食は命をささへがたし。例せば蘇武が胡国にありしに雪を食として命をたもつ、伯夷は首陽山にすみし、蕨ををりて身をたすく。父母にあらざれば誰か問ふべき、三宝の御助にあらずんばいかでか一日片時も持つべき。未だ見参にも入らず候人のかやうに度度御をとづれのはんべるは、いかなる事にやあやしくこそ候へ。法華経の第四巻には、釈迦仏凡夫の身にいりかはらせ給ひて、法華経の行者をば供養すべきよしを説れて候。釈迦仏御身に入らせ給ひ候歟。又過去の善根のもよをしか。竜女と申す女人は法華経にて仏に成りて候へば、末代に此経を持ちまいらせん女人を、まほらせ(守護)給ふべきよし誓はせ給ひし、其御ゆかりにて候か。貴し、貴し。
 弘安二年己卯三月二十六日               日蓮花押
  松野殿後家尼御前御返事
(啓三四ノ一〇八。鈔二四ノ三七。語五ノ四。音下ノ四一。拾七ノ四二。扶一三ノ五九)

#0330-300 上野殿御返事 弘安二(1279.04・20) [p1632]
上野殿御返事(上野第廿五書)(報南条治郎房書)
     弘安二年四月。五十八歳作。
     外五ノ二。遺二六ノ二八。縮一八三九。類六〇〇。

 抑日蓮種種の大難の中には、龍口の頸の座と東条の難にはすぎず。其故は諸難の中には命をすつる程の大難はなきなり。或はのり(罵)せめ、或は処をおわれ、無実を云つけられ、或は面をうたれしなどは物のかずならず。されば色心の二法よりをこりてそしられ(謗)たる者は、日本国の中には日蓮一人也。ただしありとも法華経の故にはあらじ。さてもさてもわすれ(忘)ざる事は、せうばう(少輔房)が法華経の第五の巻を取て日蓮がつら(面)をうちし事は、三毒よりをこる処のちやうちやく(打擲)なり。天竺に嫉妬の女人あり。男をにくむ故に家内の物をことごとく打やぶり、其上にあまりの腹立にや、すがたけしき(姿気色)かわり、眼は日月の光のごとくかがやき(輝)、くちは炎ををはく(吐)がごとし。すがた(姿)は青鬼赤鬼のごとくにて年来男のよみ奉る法華経の第五の巻をとり、両の足にてさむざむ(散々)にふみける。其後命つきて地獄にをつ。両の足ばかり地獄にいらず、獄卒鉄杖をもつてうてどもいらず、是は法華経をふみし逆縁の功徳による。今日蓮をにくむ故にせうばう(少輔房)が第五の巻を取て予がをもて(面)をうつ、是も逆縁となるべきか。彼は天竺此は日本。かれは女人、これはをとこ。かれは両のあし、これは両の手。彼は嫉妬の故、此は法華経の御故也。されども法華経の第五の巻はをなじきなり。彼女人のあし(足)地獄に入ざらんに此両の手無間に入るべきや。ただし彼は男をにくみて法華経をばにくまず、此は法華経と日蓮とをにくむなれば一身無間に入るべし。経に云「其人命終入阿鼻獄」と云云。手ばかり無間に入るまじとは見へず、不便なり不便なり。ついには日蓮にあひて仏果をうべき歟。不軽菩薩の上慢の四衆のごとし。夫第五の巻は一経第一の肝心なり。龍女が即身成仏あきらかなり。提婆はこゝろの成仏をあらはし、龍女は身の成仏をあらはす。一代に分絶たる法門也。さてこそ伝教大師は法華経の一切経に超過して勝れたる事を十あつめ給たる中に、即身成仏化導勝とは此事也。此法門は天台宗の最要にして即身成仏義と申て文句の義科也。真言、天台の両宗の相論なり。龍女が成仏も法華経の功力也。文殊師利菩薩は「唯常宣説妙法華経」とこそかたらせ給へ、唯常の二字は八字の中の肝要也。菩提心論の「唯真言法中」の唯の字と、今の唯の字といづれを本とすべきや。彼の唯の字はをそらくはあやまり也。無量義経に云「四十余年未顕真実」。法華経に云「世尊法久後要当説真実」。多宝仏は「皆是真実」とて法華経にかぎりて即身成仏ありとさだめ給へり。爾前経にいかやうに成仏ありともとけ(説)、権宗の人人無量にいひくるふ(言狂)とも、ただほうろく(炮烙)千につち(槌)一なるべし。法華折伏破権門理とはこれなり。尤もいみじく秘奥なる法門也。又天台の学者慈覚よりこのかた玄、文、止の三大部の文をとかくれうけん(料簡)し義理をかまう(構)とも、去年のこよみ(暦)昨日の食のづとし、けう(今日)の用にならず。末法の始の五百年に法華経の題目をはなれて成仏ありといふ人は、仏説なりとも用ゆべからず。何に況や人師の義をや。爰に日蓮思ふやう、提婆品を案ずるに提婆は釈迦如来の昔の師なり。昔の師は今の弟子なり、今の弟子はむかしの師なり。古今能所不二にして法華の深意をあらはす。されば悪逆の達多には慈悲の釈迦如来師となり。愚痴の龍女には智慧の文殊師となり。文殊、釈迦如来にも日蓮をとり(劣)奉るべからざる歟。日本国の男は提婆がごとく、女は龍女にあひに(相似)たり、逆順ともに成仏を期すべきなり。是提婆品の意なり。次に勧持品に八十万憶那由佗の菩薩の異口同音の二十行の偈は日蓮一人よめり。誰か出でて日本国、唐土、天竺三国にして仏滅後によみたる人やある。又我よみたりとなるのる(名乗)べき人なし。又あるべしとも覚へず。「及加刀杖」の刀杖の二字の中にもし杖の字にあう人はあるべし。刀の字にあひたる人をきかず。不軽菩薩は「杖木瓦石」と見たれば杖の字にあひぬ、刀の難はきかず。天台、妙楽、伝教等は「刀杖不加」と見たれば、是又かけ(欠)たり。日蓮は刀杖の二字ともにあひぬ。剰へ刀の難は前に申がごとく東条の松原と龍口となり。一度もあう人なきなり、日蓮は二度あひぬ。杖の難にはすでにせうばう(少輔房)につら(面)をうたれしかども第五の巻をも(以)てうつ。うつ杖も第五の巻、うたるべと云経文も五の巻、不思議なる未来記の経文也。さればせうばう(少輔房)に日蓮数十人の中にしてうたれし時の心中には、法華経の故とはをもへども、いまだ凡夫なればうたて(無情)かりける間、つえ(杖)をもうばひ(奪)ちから(力)あるならばふみをり(踏折)すべきことぞかし。然れどもつえは法華経の五の巻にてまします。いまをもひいで(思出)たる事あり。子を思ふ故にやをや(親)つぎ(槻)の木の弓をも(以)て学文せざりし子にをしへ(教)たり。然る間此子うたて(無情)かりしは父、にく(憎)かりしはつぎ(槻)の木の弓。されども終には修学増進して自身得脱をきわめ、又人を利益する身となり、立還て見るればつぎ(槻)の木をも(以)て我をうち(打)し故也。此子そとば(卒堵婆)に此木をつくり父の供養のためにたて(立)てむけり(手向)と見へたり。日蓮も又かくの如くあるべき歟。日蓮仏果をえむに争かせうばう(少輔房)が恩をすつべきや。何に況や法華経の御恩の杖をや。かくの如く思ひつづけ候へば感涙をさへ(措)がたし。又涌出品は日蓮がためにはすこしよみある品也。其故は上行菩薩等の末法に出現して、南無妙法蓮華経の五字を弘むべしと見へたり。しかるに先日蓮一人出来す。六万恒沙の菩薩よりさだめて忠賞をかほる(蒙)べしと思へばたのもしき事也。とにかくに法華経に身をまかせ信ぜさせ給へ。殿一人にかぎるべからず、信心をすゝめ給て過去の父母等をすくわせ(救)給へ。日蓮生れし時よりいまに一日片時もこころやすき事はなし。此法華経の題目を弘めんと思ばかりなり。相かまへて相かまへて自佗生死はしらねども、御臨終のきざみ生死の中間に日蓮かならずむかい(迎)にまいり候べし。三世の諸仏の成道はねうし(子丑)のをわり、とら(寅)のきざみ(刻)の成道也。仏法の住処、鬼門の方に三国ともにたつなり。此等は相承の法門なるべし。委くは又又申すべく
候。恐恐謹言。
 かつへて食をねがひ、渇して水をしたがうがごとく、恋て人を見たきがごとく、病にくすり(薬)をたのむがごとく、みめかたちよき人べに(紅)しろいもの(粉)をつくるがごとく、法華経には信心をいたさせ給へ。さなくしては後悔あるべし云云。
 弘安二年己卯卯月二十日             日蓮花押
 上野殿御返事
(微上ノ一六。考三ノ一。)

#0332-300 新池殿御消息 弘安二(1279.05・02) [p1639]
新池殿御消息(各別書)(報新池左衛門書)
     弘安二年五月。五十八歳作。
     内三六ノ八。遺二六ノ三三。縮一八四四。類六〇四。

 八木三石送給候。今一乗妙法蓮華経の御宝前に備へ奉りて南無妙法蓮華経と只一遍唱まいらせ候畢ぬ。いとをしみ(最愛)の御子を霊山浄土へ決定無有疑と送りまいらせんがため也。抑因果のことはりは華と果との如し。千里の野の枯たる草に蛍火の如くなる火を一つ付ぬれば、須臾に一草、二草、十百千万草につきわたりてもゆれば十町、二十町の草木一時にやけつきぬ。龍は一?の水を手に入て天に昇ぬれば三千世界に雨をふらし候。小善なれども法華経に供養しまいらせ給ぬれば功徳此の如し。仏滅後一百年と申せしに、月氏国に阿育大王と申せし王ましましき。一閻浮提八万四千の国を四分が一御知行ありき。龍王をしたがへ鬼神を召仕はせ給ふ。六万の羅漢を師として八万四千の石塔を立て、十万億の金を仏に供養し奉らんと誓はせ給き。かゝる大王にてをはせし其因位の功徳をたづぬれば、ただ土の餅一釈迦仏に供養し奉りし故ぞかし。釈迦仏の伯父に斛飯王と申す王をはします。彼王に太子あり阿那律となづく。此太子生れ給しに御器一持出たり。彼御器に飯あり食すれば又出き又出き、終に飯つくる事なし。故にかの太子のをさな名をば如意となづけたり。法華経にて仏に成り給ふ、普明如来是也。此太子の因位を尋ればうへ(飢)たる世にひえ(稗)の飯を辟支仏と申す僧に供養せし故ぞかし。辟支仏を供養する功徳すら此の如し。況や法華経の行者を供養せん功徳は無量無辺の仏を供養し進らする功徳にも勝れて候也。抑日蓮は日本国の者也。此国は南閻浮提七千由旬の内に八万四千の国あり、十六の大国、五百の中国、十千の小国、無量の粟散国あり。其中に月氏国と申す国は大国也。彼国に五天竺あり。其より東海の中に小島あり、日本国是也。中天竺よりは十万余里の東也。仏教は仏滅度後正法一千年が間は、天竺にとどまりて余国にわたらず。正法一千年の末、像法に入て一十五年と申せしに漢土へ渡る。漢土に三百年すぎて百済国に渡る。百済国に一百年已上、一千四百十五年と申せしに、人王三十代欽明天皇の御代に日本国に始て釈迦仏の金銅の像と一切経は渡りて候き。今七百余年に及び候。其の間一切経は五千余巻、或は七千余巻也。宗は八宗、九宗、十宗也。国は六十六箇国二の島、神は三千余社、仏は一万余寺也。男女よりも僧尼は半分に及べり。仏法の繁昌は漢土にも勝れ、天竺にもまされり。但し仏法に入て諍論あり。浄土宗の人人は阿弥陀仏を本尊とし、真言の人人は大日如来を本尊とす。禅宗の人人は経と仏とをば閣て達磨を本尊とす。余宗の人人は念仏者、真言等に随へられ何れともなけれども、つよきに随ひ多分に押れて阿弥陀仏を本尊とせり。現在の主師親たる釈迦仏を閣て佗人たる阿弥陀仏の十万億の佗国へ、にげ(遁)行べきよしをねがはせ給候。阿弥陀仏は親ならず主ならず師ならず。されば一経の内虚言の四十八願を立給たりしを、愚なる人人実と思て物狂はしく金拍子をたゝきおどり(躍)はねて念仏を申し、親の国をばいとひ出ぬ。来迎せんと約束せし阿弥陀仏の約束の人は来らず、中有のたびの空に迷て謗法の業にひかれて三悪道と申す獄屋へおもむけば、獄卒、阿防、羅刹悦をなしとらへ(捉)からめ(搦)てさひなむ事限りなし。これをあらあら経文に任てかたり申せば、日本国の男女四十九億九万四千八百二十八人ましますが、某一人を不思議なる者に思て余の四十九億九万四千八百二十七人は皆敵と成て、主師親の釈尊をもちひぬだに不思議なるに、かへりて或はのり或はうち或は処を追ひ、或は讒言して流罪し死罪に行はるれば、貧なる者は富るをへつらひ(諛)、賎き者は貴きを仰ぎ、無勢は多勢にしたがう事なれば、適法華経を信ずる様なる人人も世間をはばかり人を恐て、多分は地獄へ堕る事不便也。但し日蓮が愚眼にてやあるらん、又宿習にてや候らん。「法華経最第一。已今当説難信難解。唯我一人能為救護」と説れて候文は如来の金言也。敢て私の言にはあらず。当世の人は人師の言を如来の金言と打思ひ、或は法華経に肩を並て斉しと思ひ、或は勝れたり或は劣なれども機にかなへりと思へり。しかるに如来の聖教に「随佗意、随自意」と申事あり。譬ば子の心に親の随ふをば随佗意と申す。親の心に子の随ふをば随自意と申す。諸経は随佗意也、仏一切衆生の心に随ひ給ふ故に。法華経は随自意也。一切衆生を仏心に随へたり。諸経は仏説なれども是を信ずれば衆生の心にて永く仏にならず。法華経は仏説也、仏智也。一字一点も是を深く信ずれば我身即仏となる。譬ば白紙を墨に染れば黒くなり、黒漆に白物を入れば白くなるが如し。毒薬変じて薬となり衆生変じて仏となる故に妙法と申す。然に今の人人は高も賎も現在の父たる釈迦仏をばかろしめて、佗人の縁なき阿弥陀、大日等を重じ奉るは、是不孝の失にあらずや、是謗法の人にあらずやと申せば日本国の人一同に怨ませ給也。其もことはり也。まがれる(曲)木はすなを(直)なる縄をにくみ、いつはれる者はただしき政りごとをば心にあはず思ふ也。我朝人王九十一代之間に謀叛の人人は二十六人也。所謂大山の王子、大石の小丸、乃至将門、すみとも(純友)、悪左府等也。此等の人人は吉野とつ(十津)河の山林にこもり、筑紫、鎮西の海中に隠るれば、島島のえびす、浦浦のものゝふどもうたんとす。然れどもそれは貴き聖人、山山、寺寺、社社の法師、尼、女人はいたう敵と思事なし。日蓮をば上下の男女、尼法師貴き聖人なんど云はるる人人は殊に敵となり候。其故はいづれも後世をば願へども男女よりは僧尼こそ願ふ由はみえ候へ。彼等は往生はさてをきぬ。今生の世をわたるなかだち(中人)となる故也。智者、聖人又我好し我勝れたりと申し、本師の跡と申し所領と申し、名聞利養を重くしてまめやかに道心は軽し。仏法はひがさま(僻)に心得て愚痴の人也、謗法の人也と言をも惜まず人をも憚らず、「当知是人仏法中怨」の金言を恐て、「我是世尊使処衆無所畏」と云ふ文に任ていたくせむる間、「未得謂為得我慢心充満」の人人争かにくみ嫉まざらんや。されば日蓮程天人七代、地人五代、人王九十余代に、いまだ此程法華経の敵に三類の敵人にあだまれたる者なき也。かゝる上下万人一同のにくまれ者にて候に此まで御渡り候し事、おぼろげの縁にはあらず、宿世の父母歟、昔の兄弟にておはしける故に思付せ給ふ歟。又過去に法華経の縁深して今度仏にならせ給べきたね(種)の熟せるかの故に、在俗の身として世間ひまなき人の公事のひまに思出させ給けるやらん。其上遠江国より甲州波木井の郷身延山へは、道三百余里に及べり。宿宿のいぶせさ、嶺に昇れば日月をいただき、谷へ下れば穴へ入かと覚ゆ。河の水は矢を射るが如く早し、大石ながれて人馬むかひ難し、船あやうくして紙を水にひたせるが如し。男は山かつ女は山母の如し。道は縄の如くほそく木は艸の如くしげし、かゝる所へ尋ね入せ給て候事何なる宿習なるらん。釈迦仏は御手を引き帝釈は馬となり、梵王は身に随ひ日月は眼となりかはらせ給て入せ給ひけるにや。ありがたしありがたし。事多しと申せども此程風おこりて身苦しく候間留め候畢ぬ。
  弘安二年己卯五月二日              日蓮花押
   新池殿御返事
(啓三五ノ四八。鈔二五ノ二四。音下ノ四三。語五ノ一七。拾八ノ二。扶一五ノ二。)

#0335-300 四菩薩造立鈔 弘安二(1279.05・17) [p1647]
四菩薩造立鈔(富木第廿六書)
     弘安二年五月。五十八歳作。
     外一五ノ三三。遺二六ノ四二。縮一八五四。類三五九。

 白小袖一、薄墨染衣一、同色袈裟一帖、鵞目一貫文給候。今に始めざる御志言を以て宣がたし。何の日を期してか対面を遂げ、心中の朦朧を申し披かん哉。 一、御状に云、本門久成の教主釈尊を造り奉り、脇士には久成地涌の四菩薩を造立し奉るべしと兼て聴聞仕候き。然れば聴聞の如くんば何の時乎と云云。夫仏世を去せ給て二千余年に成ぬ。其間月氏、漢土、日本国一閻浮提の内に仏法の流布する事、僧は稲麻のごとく法は竹葦の如し。然るにいまだ本門の教主釈尊、並に本化の菩薩を造り奉りたる寺は一処も無し。三朝の間に未だ聞かず。日本国に数万の寺寺を建立せし人人も本門の教主、脇士を造るべき事を知らず。上宮太子、仏法最初の寺と号して四天王寺を造立せしかども、阿弥陀仏を本尊として脇士には観音等四天王を造り副たり。伝教大師、延暦寺を立給に、中堂には東方の鵞王の相貌を造て本尊として、久成の教主、脇士をば建立し給はず。南京七大寺の中にも此事を未だ聞かず。田舎の寺寺以て爾也。かたがた不審なりし間、法華経の文を拝見し奉りしかば其旨顕然也。末法闘諍堅固の時にいたらずんば造るべからざる旨分明也。正、像に出世せし論師、人師の造らざりしは仏の禁を重ずる故也。若し正法、像法の中に久成の教主釈尊並に脇士を造るならば、夜中に日輪出で日中に月輪の出たるが如くなるべし。末法に入て始の五百年に上行菩薩の出させ給て造り給べき故に、正法、像法の四依の論師、人師は言にも出させ給はず、龍樹、天親こそ知せ給たりしかども口より外へ出させ給はず。天台智者大師も知せ給たりしかども、迹化の菩薩の一分なれば、一端は仰出させ給たりしかども、其実義をば宣出させ給はず。但ねざめの枕に時鳥の一音を聞しが如くにして、夢のさめて止ぬるやうに弘め給候ぬ。夫より已外の人師はまして一言をも仰出し給事なし。此等の論師、人師は霊山にして迹化の衆は末法に入ざらんに正、像二千年の論師、人師、本門久成の教主釈尊並に久成の脇士、地涌の上行等の四菩薩を影ほども申出すべからずと御禁ありし故ぞかし。今末法に入れば尤仏の金言の如きんば造るべき時なれば本仏、本脇士造り奉るべき時也。当時は其時に相当れば地涌の菩薩やがて出させ給はんずらん。先其程四菩薩を建立し奉るべし。尤今は然るべき時也と云云。されば天台大師は「後の五百歳遠く妙道に沾はん」としたひ、伝教大師は「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り、法華一乗の機、今正に是其時なり」と恋させ給ふ。日蓮は世間には日本第一の貧者なれども、仏法を以て論ずれば一閻浮提第一の富者也。是時の然らしむる故也と思へば、喜び身にあまり、感涙押へがたし、教主釈尊の御恩報じ奉り難し。恐くは付法蔵の人人も日蓮には果報は劣らせ給ひたり。天台智者大師、伝教大師等も及び給べからず。最も四菩薩を建立すべき時也云云。問て云く、四菩薩を造立すべき証文之れ有り耶。答へて云く、涌出品に云く「有四導師一名上行、二名無辺行三名浄行四名安立行」等云云。問て云、後五百歳に限るといへる経文之れ有り耶。答へて云く、薬王品に云く、「我滅度後後五百歳中広宣流布於閻浮提無令断絶」等云云。
 一、御状に云、大田方の人人一向に迹門に得度あるべからずと申され候由、其聞候と、是は以の外の謬也。御得意候へ。本、迹二門の浅深、勝劣、与奪、傍正は時と機とに依べし。一代聖教を弘むべき時に三あり。機もて爾也。仏滅後正法の始の五百年は一向小乗、後の五百年は権大乗、像法一千年は法華経の迹門等也。末法の始めには一向に本門也。一向本門の時なればとて迹門を捨べきにあらず。法華経一部に於て前の十四品を捨べき経文無之。本迹の所判は一代聖教を三重に配当する時、爾前、迹門は正法、像法、或は末法は本門の弘らせ給べき時也。今の時は正には本門、傍には迹門也。迹門無得度と云て、迹門を捨てて一向本門に心を入させ給人人は、いまだ日蓮が本意の法門を習はせ給はざるにこそ。以の外の僻見也。私ならざる法門を僻案せん人は、偏に天魔波旬の其身に入替て、人をして自身ともに無間大城に堕べきにて候。つたなしつたなし。此法門は年来貴辺に申含めたる様に人人にも披露あるべき者也。総じて日蓮が弟子と云て法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ。さだにも候はば釈迦、多宝、十方の分身、十羅刹も御守候べし。其さへ尚人人の御心中は量りがたし。
 一、日行房死去の事、不便に候。是にて法華経の文読み進らせて南無妙法蓮華経と唱へ進せ。願くは日行を釈迦、多宝、十方の諸仏、霊山へ迎へ取せ給へと申上候ぬ。身の所労いまだきらきら(快然)しからず候間、省略せしめ候。又又申すべく候。恐恐謹言。
   弘安二年五月十七日          日蓮花押
  富木殿御返事
(考五ノ六八。)

#0338-300 上野殿御返事 弘安二(1279.08・08) [p1653]
上野殿御返事(上野第廿六書)(報南条氏書)
     弘安二年八月。五十八歳作。
     内三五ノ三八。遺二六ノ四八。縮一八六〇。類九九八。

 鵞目一貫、しほ(塩)一たわら(俵)、蹲鴟一俵、はじかみ(生薑)少少、使者をも(以)て送給畢ぬ。あつきには水を財とす、さむきには火を財とす、けかち(飢渇)には米を財とす、いくさ(軍)には兵杖を財とす、海には船を財とす、山には馬をたからとす。武蔵、下総に石を財とす。此の山中にはいえのいも(芋)海のしほ(塩)を財とし候ぞ。竹子(筍)木子(茸)等候へども、しほ(塩)なければそのあぢわひ(味)つち(土)のごとし。又金と申もの国王も財とし民も財とす。たとへば米のごとし、一切衆生のいのち(命)なり、ぜに(銭)又かくのごとし。漢土に銅山と申す山あり。彼の山よりいでて候ぜに(銭)なれば、一文もみな三千里の海をわたりて来るものなり。万人皆たま(玉)とおもへり。此を法華経にまいらせさせ給ふ。釈まなん(摩男)と申せし人のたな心には石変じて珠となる。金ぞく(粟)王は沙を金となせり。法華経は草木を仏となし給ふ。いわうや心あらん人をや。法華経は焼種の二乗を仏となし給ふ。いわうや生種の人をや。法華経は一闡提を仏となし給ふ。いわうや信ずるものをや。事事つくしがたく候。又又申すべし。恐恐謹言。
  八月八日                    日蓮花押
 上野殿御返事
(啓三五ノ三四。鈔二五ノ一三。音下ノ四二。語五ノ一三。拾七ノ五六。扶一四ノ五二)

#0339-300 曾谷殿御返事 弘安二(1279.08・17) [p1654]
曽谷殿御返事(曽谷第七書)
     弘安二年八月。五十八歳作。
     内三七ノ一七。遺二七ノ一。縮一八六二。類一三二五。

 焼米二俵給畢ぬ。米は少と思食候へども人の寿命を継物にて候。命をば三千大千世界にても買はぬ物にて候と仏は説せ給へり。米は命を継物也。譬ば米は油の如く命は灯の如し。法華経は灯の如く、行者は油の如し。檀那は油の如く、行者は灯の如し。一切の百味の中には乳味と申て牛の乳第一なり。涅槃経の七に云「猶如諸味中乳最為第一」云云。乳味をせん(煎)ずれば酪味となる、酪味をせんずれば乃至醍醐味となる。醍醐味は五味の中の第一也。法門を以て五味にたとへば儒家の三千、外道の十八、大経に衆味の如し、阿含経は醍醐味なり。阿含経は乳味の如く、観経等の一切の方等部の経は酪味の如し。一切の般若経は生蘇味、華厳経は熟蘇味、無量義経と法華経と涅槃経とは醍醐の如し。又涅槃経は醍醐のごとし、法華経は五味の主の如し。妙楽大師云「若し教旨を論ずれば法華は唯開権顕遠を以て教の正主と為す、独り妙の名を得る意此に在り」云云。又云「故に知んぬ法華は為醍醐の正主」等云云。此釈は正く法華経は五味の中にはあらず。此釈の心は五味は寿命をやしなふ、寿命は五味の主也。天台宗には二の意あり。一には華厳、方等、般若、涅槃、法華、同く醍醐味也。此釈の心は爾前と法華とを相似せるににたり。世間の学者等此筋のみを知て、法華経は五味の主と申法門に迷惑せるゆへに諸宗にたぼらかさるる也。開未開異なれども同く円なりと云云。是は迹門の心なり。諸経は五味、法華経は五味の主と申法門は本門の法門也。此法門は天台、妙楽粗書せ給ひ候へども分明ならざる間、学者の存知すくなし。此釈に「若論教旨」とかかれて候は、法華経の題目を教旨とはかかれて候。開権と申は五字の中の華の一字也。顕遠とかかれて候は五字の中の蓮の一字也。「独得妙名」とかかれて候は妙の一字也。「意在於此」とかかれて候は、法華経を一代の意と申は題目なりとかかれて候ぞ。此を以て知べし、法華経の題目は一切経の神、一切経の眼目也。大日経等の一切経をば法華経にてこそ開眼供養すべき処に、大日経等を以て一切の木画の仏を開眼し候へば、日本国の一切の寺塔の仏像等、形は仏に似れども心は仏にあらず、九界の衆生の心なり。愚痴の者を智者とすること是より始れり。国のついへ(費)のみ入て祈とならず、還て仏変じて魔となり鬼となり、国主乃至万民をわづらはす是也。今法華経の行者と檀那との出来する故に百獣の師子王をいとひ、草木の寒風をおそるるが如し。是は且くをく。法華経は何故ぞ諸経に勝て一切衆生の為に用る事なるぞと申に、譬ば草木は大地を母とし、虚空を父とし、甘雨を食とし、風を魂とし、日月をめのと(乳母)として生長し、華さき菓なるが如く、一切衆生は実相を大地とし、無相を虚空とし、一乗を甘雨とし、已今当第一の言を大風とし、定慧力荘厳を日月として妙覚の功徳を生長し、大慈大悲の華さかせ、安楽仏果の菓なつて一切衆生を養ひ給ふ。一切衆生又食するによりて寿命を持つ。食に多数あり。土を食し、水を食し、火を食し、風を食する衆生もあり。求羅と申す虫は風を食す。うぐろもち(?鼠)と申す虫は土を食す。人の皮、肉、骨髄等を食する鬼神もあり。尿、糞等を食する鬼神もあり。寿命を食する鬼神もあり。声を食する鬼神もあり。石を食するいを(魚)くろがね(鉄)を食するばく(獏)もあり。地神、天神、龍神、日月、帝釈、大梵王、二乗、菩薩、仏は、仏法をなめて身とし魂とし給ふ。例せば乃往過去に輪陀王と申す大王ましましき。一閻浮提の主也、賢王也。此王はなに物をか供御とし給と申せば、白馬の鳴声をきこしめて身も生長し、身心も安穏にしてよをたもち給ふ。れいせば蝦蟆と申す虫母のなく声を聞て生長するがごしし。秋のはぎ(萩)のしか(鹿)の鳴に華のさくがごとし。象牙草のいかづち(雷)の声にはらみ(孕)柘榴の石にあふてさかうるがごとし。されば此王白馬ををほくあつめてかはせ給ふ。又此白馬は白鳥をみてなく馬なれば、をほくの白鳥をあつめ給しかば我身の安穏なるのみならず、百官万乗もさかへ天下も風雨時にしたがひ、佗国もかうべ(頭)をかたぶけ(傾)てすねん(数年)すごし給に、まつり(政)事のさをい(相違)にやはむべりけん、又宿業によつて果報や尽けん、千万の白鳥一時にうせ(失)しかば又無量の白馬もなく事やみぬ。大王は白馬の声をきかざりしゆへに、華のしぼめるがごとく月のしよく(蝕)するがごとく、御身の色かはり力よはく、六根もうもう(?々)として、ぼれ(耄)たるがごとくありしかば、きさき(后)ももうもうしくならせ給ふ。百官万乗もいかんがせんとなげき(歎)、天もくもり(曇)地もふるひ(震)大風かんばち(旱魃)し、けかち(飢渇)、やくびやう(疫病)に人の死する事、肉はつか(塚)骨はかはら(瓦)とみへしかば、佗国よりもをそひ来れり。此時大王いかんがせんとなげき給しほどに、せんする所は仏、神にいのるにはしくべからず、此国にもとより外道をほく国国をふさげり。又仏法という物ををほくあがめをきて国の大事とす。いづれにてもあれ白鳥をいだして白馬をなかせん法をあがむべし。まづ外道の法にをほせつけて数日をこなはせけれども、白鳥一疋もいでこず、白馬もなく事なし。此時外道のいのりをとどめて仏教にをほせつけられけり。其時馬鳴菩薩と申す小僧一人あり、めしいだされければ此僧の給はく、国中に外道の邪法をとどめて仏法を弘通し給べくば、馬をなかせん事やすしといふ。勅宣に云、をほせのごとくなるべしと。其時馬鳴菩薩三世十方の仏にきしやう(祈請)し申せしかば、たちまちに白鳥出来せり。白馬は白鳥を見て一こへなきけり。大王馬の声を一こへきこしめして眼を開き給ふ、白鳥二ひき(疋)乃至百千いできたりければ、百千の白馬一時に悦なきけり。大王の御いろなをること日しよく(蝕)のほんにふく(本復)するがごとし、身の力、心のははり事、先先には百千万ばい(倍)こへたり。きさきも(后)よろこび、大臣、公卿いさみて万民もたな心をあはせ、佗国もかうべをかたぶけたりとみへて候。今のよ(世)も又是にたがう(違)べからず。天神七代、地神五代、已上十二代は成劫のごとし。先世のかいりき(戒力)と福力とによて、今生のはげみなれども国もおさまり人の寿命も長し。人王のよ(代)となりて二十九代があいだは、先世のかいりき(戒力)もすこしよはく、今生のまつり(政)事もはかなかりしかば、国にやうやく三災、七難をこりはじめたり。なをかんど(漢土)より三皇、五帝の世ををさむべきふみ(文書)わたりしかば、其をもて神をあがめて国の災難をしづむ。人王第三十代欽明天王の世となりて、国には先世のかいふく(戒福)うすく、悪心がうじやう(強盛)の物をほく出来て善心をろかに悪心はかしこし。外典のをしへ(教)はあさし。つみ(罪)もをもきゆへに外典すてられ、内典になりしなり。れい(例)せばもりや(守屋)は、日本の天神七代、地神五代が間の百八十神をあがめたてまつりて、仏教をひろめずして、もとの外典となさんといのりき。聖徳太子は教主釈尊を御本尊として、法華経、一切経をもんしよ(文書)として、両方のせうぶ(勝負)ありしに、ついには神はまけ仏はかたせ給て、神国はじめて仏国となりぬ。天竺、漢土の例のごとし。「今此三界皆是我有」の経文あらはれさせ給べき序也。欽明より桓武にいたるまで二十よ(余)代、二百六十余年が間、仏を大王とし神を臣として世ををさめ給しに、仏教はすぐれ神はをとりたりしかども、未だよ(代)をさまる事なし。いかなる事にやとうたがは(疑)りし程に、桓武の御宇に伝教大師と申す聖人出来して、勘へて云、神はまけ仏はかたせ給ぬ。仏は大王、神は臣か(下)なれば、上下あひついでれいぎ(礼儀)ただしければ、国中をさまるべしとをもふに国のしづかならざる事ふしん(不審)なるゆへに、一切経をかんがへて候へば道理にて候けるぞ。仏教にをほきなるとがありけり。一切経の中に法華経と申す大王をはします。ついて華厳経、大品経、深密経、阿含経等はあるいは臣の位、あるいはさふらい(侍)のくらい、あるいはたみ(民)の位なりけるを、或は涅槃経は法華経にはすぐれたり三論宗、或は深密経は法華経にすぐれたり法相宗、或は華厳経は法華経にすぐれたり華厳宗、或は律宗は諸宗の母也なんど申て、一人として法華経の行者なし。世間に法華経を読誦するは還てをこつ(笑)きうしなう也。依之天もいかり、守護の善神も力よはし云云。所謂法華経をほむといえども返て法華の心をころす等云云。南都七大寺、十五大寺、日本国中の諸寺、諸山の諸僧等此ことばをききてをほきにいかり、天竺の大天、漢土の道士、我国に出来せり。所謂最澄と申す小法師是也。せん(詮)する所は行あはむずる処にてかしら(頭)をわれ、かた(肩)をきれをとせ、うてのれ(打詈)と申せしかども、桓武天皇と申す賢王たづねあきらめて、六宗はひが(僻)事なりけりとて、初てひへい(比叡)山をこんりうして天台法華宗とさだめをかせ、円頓の戒を建立し給のみならず七大寺、十五大寺の六宗の上に法華宗をそへ(副)をかる。せんする所六宗を法華経の方便となされしなり。れい(例)せば神の仏にまけて門まほりとなりしがごとし。日本国も又又かくのごとし。法華経第一の経文初て此国に顕れ給ひ、「能窃為一人説法華経」の如来の使、初て此国に入給ぬ。桓武、平城、嵯峨の三代、二十余年が間は日本一州皆法華経の行者なり。しかれば栴檀には伊蘭、釈尊には提婆のごとく、伝教大師と同時に弘法大師と申す聖人出現せり。漢土にわたりて大日経、真言宗をならい、日本国にわたりてありしかども伝教大師の御存生の御時は、いたう法華経に大日経すぐれたりといふ事はいはざりけるが、伝教大師去弘仁十三年六月四日にかくれさせ給てのち、ひまをえたりとやをもひけん、弘法大師去弘仁十四年正月十九日に真言第一、華厳第二、法華第三は戯論の法、無明の辺域、天台宗等は盗人なりなんど申す書ともをつくりて、嵯峨の皇帝を申かすめたてまつりて、七宗に真言宗を申くはえて七宗を方便とし、真言宗は真実なりと申立畢ぬ。其後日本一州の人ごとに真言宗になりし上、其後又伝教大師の御弟子慈覚と申人、漢土にわたりて天台、真言の二宗の奥義をきはめて帰朝す。此人金剛頂経、蘇悉地経二部の疏をつしりて、前唐院と申寺を叡山に申立畢ぬ。此には大日経第一、法華経第二、其中に弘法のごとくなる過言かずうべからず、せむぜむにせうせう申畢ぬ。智証大師又此大師のあとをついで、をんじやう(園城)寺に弘通せり。たうじ寺とて国のわざはい(禍)とみゆる寺是也。叡山の三千人は慈覚、智証をはせずは、真言すぐれたりと申をばもちいぬ人もありなん。円仁大師に一切の諸人くち(口)をふさがれ、心をたぼらかされてことば(言)をいだす人なし。王、臣の御きえ(帰依)も又伝教、弘法にも超過してみへ候へば、えい(叡)山、七寺、日本一州一同に法華経は大日経にをとりと云云。法華経の弘通の寺寺ごとに真言ひろまりて、法華経のかしら(頭)となれり。かくのごとくしてすでに四百余年になり候ぬ。やうやく此邪見ぞうじやう(増上)して八十一、乃至五の五王すでにうせぬ。仏法うせしかば王法すでにつき畢ぬ。あまさへ(剰)禅宗と申大邪法、念仏宗と申小邪法、真言と申大悪法、此悪宗はな(鼻)をならべて一国にさかんなり。天照太神はたましいをうしなつて、うぢご(氏子)をまほ(守)らず。八幡大菩薩は威力よはしくて国を守護せず。けつく(結句)は佗国の物とならむとす。日蓮此よしを見るゆへに、「仏法中怨倶堕地獄」等のせめをおそれて粗国主にしめせども、かれらが邪義にたぼらかされて信じ給事なし。還て大怨敵となり給ぬ。法華経をうしなふ人、国中に充満せりと申ども人しる事なければ、ただぐち(愚痴)のとがばかりにてある事、今は法華経の行者出来せり。日本国の人人、痴の上にいかり(怒)ををこす、邪法をあい(愛)し正法をにくむ。三毒がうじやう(強盛)なる一国、いかでか安穏なるべき。壊劫の時は大の三災をこる、いはゆる火災、水災、風災也。又減劫の時は小の三災をこる、ゆはゆる飢渇、疫病、合戦なり。飢渇は大貪よりをこり、やくびやう(疫病)はぐち(愚痴)よりをこり、合戦は瞋恚よりをこる。今日本国の人人四十九億九万四千八百二十八人の男女、人人ことなれども同一の三毒なり。所謂南無妙法蓮華経を境としてをこれる三毒なれば、人ごとに釈迦、多宝、十方の諸仏を一時にのりせめ(罵責)流しうしなうなり。是即ち小の三災の序なり。しかるに日蓮が一るい(類)いかなる過去の宿しう(習)にや。法華経の題目のだんな(檀那)となり給らん。是をもてをぼしめせ。今梵天、帝釈、日月、四天、天照太神、八幡大菩薩、日本国の三千一百三十二社の大小のじんぎ(神祇)は過去の輪陀王のごとし。白馬は日蓮なり、白鳥は我らが一門なり。白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり。此声をきかせ給ふ梵天、帝釈、日月、四天等いかでか色をまし、ひかり(光)をさかんになし給はざるべき。いかでか我等を守護し給はざるべきとつよづよとをぼしめすべし、抑貴辺の去三月の御仏事に鵞目其数有しかば、今年一百よ人の人を山中にやしなひで十二時の法華経をよましめ談義して候ぞ。此らは末代悪世には一えんぶだい(閻浮提)第一の仏事にてこそ候へ、いくそばくか過去の聖霊もうれしくをぼすらん。釈尊は孝養の人を世尊となづけ給へり。貴辺あに世尊にあらずや。故大進阿闍梨の事なげかしく候へども、此又法華経流布出来すべきいんえん(因縁)にてや候らんとをぼしめすべし。事事命ながらへば其時申すべし。
 弘安二年巳卯八月十七日                  日蓮花押
 曽谷の道宗御返事
(啓三五ノ九四。鈔二五ノ三六。音下ノ四四。語五ノ二三。拾八ノ八。扶一五ノ一三。) 

#0341-300 寂日房御書 弘安二(1279.09・16) [p1669]
寂日房御書(門弟第廿三書)(与日家書)
     弘安二年九月。五十八歳作。与中老日家書。
     受二ノ二六。遺二七ノ一〇。縮一八七二。類六〇九。

 これまで御をとづれ(音信)かたじけなく候。夫人身をうくることはまれなるなり。すでにまれなる人身をうけたり、又あひがたきは仏法、是又あへり。同仏法の中にも法華経の題目にあひたてまつる。結句題目の行者となれり。まことにまことに過去に十万億の諸仏を供養する者也。日蓮は日本第一の法華経の行者也。すでに勧持品の二十行の偈の文は日本国の中には日蓮一人よめり。八十万億那由陀の菩薩は口には宣たれども修行したる人一人もなし。かゝる不思議の日蓮をうみ出せる父母は日本国の一切衆生の中には大果報の人也。父母となるも子となるも必ず宿習なり。若し日蓮が法華経釈迦如来の使ならば父母あに其故なからんや。例せば妙荘厳王、浄徳夫人、浄蔵、浄眼の如し。釈迦、多宝の二仏、日蓮が父母と変じ給ふ歟。然らずんばは八十万億の菩薩のうまれかわり給ふ歟。又上行菩薩等の四菩薩の中の垂迹歟。不思議に覚え候ぞ。一切の物にわたりて名の大切なる也。さてこそ天台大師は五重玄義のはじめに名玄義と釈し給へり。日蓮となのる事自解仏乗とも云つべし。かやうに申せば利口げにきこへたれども道理のさすところさもやあるらん。経に云「如日月光明能除諸幽冥斯人行世間能滅衆生闇」と此文の心よくよく案じさせ給へ。斯人行世間の五の文字は上行菩薩末法の始の五百年に出現して、南無妙法蓮華経の五字七字の光明をさしいだし(指出)て無明煩悩の闇をてらすべしと云事也。日蓮は此の上行菩薩の御使として日本国の一切衆生に法華経をうけたもてとすゝめしは是也。此人にしてもをこたらず候也。今の経文の次下に説て云「於我滅度後応受持此経是人於仏道決定無有疑」云云。かゝる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思て、日蓮と同く法華経を弘むべき也。法華経の行者といはれぬる事はや不祥也、まぬかれがたき身也。彼のはんくわい(樊噌)ちやうりやう(張良)まさかど(将門)すみとも(純友)といはれたる者は、名ををしむ故にはぢを思故についに臆したることはなし。同じはぢなれども今生のはぢはもののかずならず、ただ後生のはぢこそ大切なれ。獄卒、だつえば(奪衣婆)、懸衣翁が三途河のはた(端)にていしやう(衣装)をはが(剥)ん時を思食て、法華経の道場へまいり給べし。法華経は後生のはぢをかくす衣也。経に云「如裸者得衣」云云。此御本尊こそ冥途のいしやうなれ、よくよく信じ給べし。をとこ(男)のはだへ(膚)をかくさざる女あるべしや。子のさむさをあわれまざるをや(親)あるべしや。釈迦仏法華経はめ(妻)とをやとの如くましまし候ぞ。日蓮をたすけ給事は今生の恥をかくし給人也。後生は又日蓮御身のはぢをかくし申べし。昨日は人の上今日は我身の上なり。花さけばこのみなりよめ(嫁)のしうとめ(姑)になる事候ぞ。信心をこたらずして南無妙法蓮華経と唱へ給べし。度度の御音信申しつくしがたく候ぞ。此事寂日房くわしくかたり給へ。恐恐謹言。
  九月十六日                   日蓮花押

#0342-200.TXT 伯耆殿御書 弘安二(1279.09・20) [p1671]

形像舎利並余経典 唯置法華経一部〔形像舎利並び余経典、唯法華経一部を置く〕と申す釈と、直専持此経。則上供養<直専持此経即上供養>〔直ちに専ら此の経を持つ。則ち上供養〕の釈をかまうべし。余経とは小乗経と申さば、況彼華厳 ○以法化之。故云 乃至不受 余経一偈〔況んや彼の華厳 ○法を以て之を化するに<同じからず>。故に乃至不受 余経一偈と云ふ〕の釈を引け。[p1671]
はわきどのへ[p1671]
弘安二年九月二十日 日 蓮[p1671]

#0344-2K0 伯耆殿御返事 弘安二(1279.10・12) [p1676]
伯耆殿御返事(門弟第三十三書)(原文漢文)
     弘安二年十月。五十八歳作。与伯耆殿、日秀、日弁書。
     縮、続一九九。類一七〇一。

 大体此趣を以て書き上ぐべきか。但し熱原の百姓等安堵せしめば、日秀等別に問注有るべからざるか。大進房、弥藤次入道等の狼藉の事に至りては、源行智の勧に依りて殺害刃傷する所なり。若し又起請文に及ぶべき事、之を申さば僉めて書くべからず。其故は人に殺害刃傷せられたる上、重ねて起請文を書き失を守らば、古今未曽有の沙汰なり。其上行智の所行書かる如くならば、身を容るゝ処なく行ふべきの罪方なきか、穴賢、穴賢。此旨を存し問注の時強強と之を申すは、定めて上聞に及ぶべきか、又行智証人を立て申さば、彼等の人人行智と同意して、百姓等が田畠数十苅り取る由之を申し、若し又証文を出さば、謀書の由之を申せ。悉く証人の起請文を用ゆべからず。但し現証の殺害刃傷のみ、若し其義に背く者は日蓮の門家に非ず候。恐恐。
  弘安二年十月十二日             日蓮花押
 伯耆殿
     日秀
     日弁 等下

#0346-2K0.TXT 変毒為薬御書 弘安二(1279.10・17) [p1683]

 今月十五日[酉時]御文 同じき十一日[酉時]到来。彼等、御勘気を蒙る之時、南無妙法蓮華経と唱へ奉ると云云。偏に只事に非ず。定めて平の金吾之身に十羅刹の入り易はりて法華経の行者を試みたまふ歟。例せば雪山童子・尸毘王等の如し。将た又悪鬼入其身〔悪鬼其の身に入る〕者歟。釈迦・多宝・十方の諸仏・梵帝等、五々百歳之法華経の行者を守護を為すべき之御誓ひは是れ也。大論に云く ̄能変毒為薬〔能く毒を変じて薬と為すが如し〕。天台の云く ̄変毒為薬〔毒を変じて薬と為す〕云云。妙の字虚ならざらんは、定めて須臾に賞罰有らん歟。伯耆房等不覚此の旨を存じて問注を遂ぐべし。平の金吾に申すべき様は、去る文永之御勘気之時の、聖人の仰せ忘れ給ふ歟。其の殃、未だ畢らず。重ねて十羅刹の罰を招き取る歟。最後に申し付けん。恐々。[p1683]
弘安二年十月十七日戌時 日 蓮 花押[p1683]
聖人等御返事[p1684]
この事のぶるならば、此方にはとがなりと、みな人申すべし。又大進房が落馬あらわるべし。あらはれば、人々ことにおづべし。天の御計らひ也。各々もおづる事なかれ。内よりもてゆかば、定めて子細いできぬとおぼふる也。今度の使いにはあわぢ房を遣はすべし。[p1684]

#0347-200 四条金吾殿御返事(剣形書)弘安二(1279.10・23) [p1683]
四条金吾殿御返事(四条第廿七書)(剣形書)
    弘安二年十月。五十八歳作。与四条金吾日頼書。
    外一三ノ一六。遺二七ノ二六。縮一八八九。類九〇六。

 先度強敵とりあひ(取合)について御文給き。委く見まいらせ候。さてもさても敵人にねらはれさせ給しか。前前の用心といひ又けなげといひ、又法華経の信心つよき故に難なく存命せさせ給ひ、目出たし目出たし。夫運きはまりぬれば兵法もいらず、果報つきぬれば所従もしたがはず。所詮運ものこり果報もひかゆる故なり。ことに法華経の行者をば諸天善神守護すべきよし、属累品にして誓状をたて給ひ、一切の守護神、諸天の中にも我等が眼に見へて守護し給は日月天也。争か信をとらざるべき。ことにことに日天の前に摩利支天まします。日天法華経の行者を守護し給はんに、所従の摩利支天尊すて給べしや。序品の時「名月天子、普香天子、宝光天子、四大天王与其眷属万天子倶」と列座し給ふ。まりし天は三万天子の内なるべし。もし内になくば地獄にこそおはしまさんずれ。今度の大事は此天のまほりにあらずや。彼天は剣形を貴辺にあたへ、此へ下りぬ、此日蓮は首題の五字を汝にさづく、法華経受持のものを守護せん事疑あるべからず。まりし天も法華経を持て一切衆生をたすけ給ふ。「臨兵闘者皆陣列在前」の文も法華経より出たり。「若説俗間経書治世語言資生業等皆順正法」とは是也。これにつけてもいよいよ強盛に大信力をいだし給へ。我が運命つきて諸天守護なしとうらむる事あるべからず。将門はつはものの名をとり兵法の大事をきはめたり。されども王命にはまけぬ。はんくわひ(樊噌)ちやうりやう(張良)もよしなし。ただ心こそ大切なれ。いかに日蓮いのり申とも不信ならば、ぬれたるほくちに火をうちかくるがごとくなるべし。はげみをなして強盛に信力をいだし給べし。すぎし存命不思議とおもはせ給へ。なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給べし。「諸余怨敵皆悉摧滅」の金言むなしかるべからず。兵法剣形の大事も此妙法より出たり、ふかく信心をとり給へ。あへて臆病にては叶べからず候。恐恐謹言。
  十月二十三日                 日蓮花押
 四条金吾殿御返事
(微下ノ一。考四ノ四九。)

#0348-3K0 三世諸仏総勘文教相廃立 弘安二(1279.10) [p1686]
三世諸仏総勘文教相廃立(原文漢文)
     弘安二年十月。五十八歳著。
     内一四ノ二四。遺二七ノ二八。縮一八九二。類一三三三。

 夫れ一代聖教とは総て五十年の説教なり。是を一切経とは言うなり。此を分って二となす。一には化佗二には自行なり。一には化佗の経とは法華経より前の四十二年の間説き給える諸の経教なり。此をば権教と云い亦は方便と名く。此は四教の中には三蔵教と通教と別教との三教なり。五時の中には華厳と阿含と方等と般若となり。法華より前の四時の経教なり。又十界の中には前の九法界なり。又夢と寤との中には夢中の善悪なり。又夢をば権と云い寤をば実と云うなり。是の故に夢は仮に有りて体性なきが故に名けて権と云うなり。寤は常住にして不変の心の体なるが故に之を名けて実と為す。故に四十二年の諸の経教は生死の夢の中の善悪の事を説く故に権教と言う。夢中の衆生を誘引し、驚覚して法華経の寤と成さんと思食しての支度方便の経教なり、故に権教と言う。斯に由って文字の読みを糾して心得べきなり。故に権をば権と読むなり。権なる事の手本には夢を以て本となす。又実をば実と読む。実事の手本は寤なり、故に生死の夢は権にして性体なれば権なる事の手本なり。故に妄想と云う。本覚の寤は実にして生滅を離れたる心なれば真実の手本なり、故に実相と云う。是を以て権実の二字を糾して一代聖教の化佗の権と自行の実との差別を知るべきなり。故に四教の中には前の三教と五時の中の前の四時と十法界の中の前の九法界は、同じく皆夢中の善悪の事を説くなり、故に権教と云う。此の教相をば無量義経に「四十余年未顕真実」文と説き給う。未顕真実の諸経は夢中の権教なり。故に釈籤に云く「性殊なること無しと雖も、必ず幻に藉て幻の機と幻の感と、幻の応と幻の赴とを発す。能応と所化と並びに権実に非ず」文。此れ皆夢幻の中の方便の教なり。性雖無殊等とは夢見る心性と寤の時の心性とは、只一の心性にして総て異なること無しと雖も、夢の中の虚事と寤の時の実事との二事一の心法なるを以て、見るも思うも我心なりと云う釈なり。故に弘決(弘会五之三三)に云く「前の三教の四弘の能所を泯す」文。四弘とは衆生の無辺なるを度せんと誓願し、煩悩の無辺なるを断ぜんと誓願し、法門の無尽なるを知らんと誓願し、無上菩提を証せんと誓願す。此を四弘と云う。能とは如来なり。所とは衆生なり。此四弘は能の仏も所の衆生も前三教は皆夢中の是非なりと釈し給えるなり。然れば法華以前の四十二年の間の説教たる諸経は未顕真実の権教なり方便なり。法華経に取り寄るべき方便なるが故に真実には非ず。此は仏自ら四十二年の間説き集め給いて後に、今の法華経を説かんと欲して先ず序分の開経の無量義経の時、仏自ら勘文し給える教相なれば人の語も入るべからず。不審をも生すべからず。故に玄義に云く「九界を権となし仏界を実となす」文。九法界の権は四十二年の説教なり。仏法界の実は八箇年の説、法華経これなり。故に法華経をば仏乗と云うなり。九界の生死は夢の理なれば権教と云い、仏界の常住は寤の理なれば実教と云う。故に五十年の説教一代の聖教、一切の諸経は化佗の四十二年の権教と、自行の八箇年の実経と合して五十年なり。権と実との二の文字を以て鏡に懸けて陰りなし。故に三蔵教を修行すること、三僧祇、百大劫を歴て終りに仏に成んぬと思えば、我身より火を出して灰身入滅とて灰と成て失せるなり。通教を修行すること七阿僧祇、百大劫を満てゝ仏に成んぬと思えば、前の如く同様に灰身入滅して跡形も無く失せぬるなり。別教を修行すること二十二大阿僧祇、百千万劫を付くして終わりに仏に成んぬと思えば、生死の夢の中の権教の成仏なれば、本覚の寤の法華経の時には別教には実仏なし。夢中の果なり、故に別教の教道には実の仏無きなり。別教の証道には初地に始めて一分の無明を断じて一分の中道の理を顕し、之を見れば別教は隔歴不融の教と知って円教に移り入りて、円人と成り已って別教には留まらざるなり。上中下の三根の不同有るが故に初地、二地、三地乃至等覚までも円人となる。故に別教の面には仏なきなり。故に有教無人と云うなり。故に守護国界章(下之中初)に云く「有為の報仏は夢の中の権果前三教の修行の仏、無作の三身は覚の前の実仏なり後の円教の観心の仏」。又云く「権教の三身は未だ無常を免れず前三教の修行の仏。実教の三身は倶体倶用なり後の円教の観心の仏。此釈を能能意得べきなり。権教は難行、苦行して適仏に成ぬと思えば夢の中の権の仏なれば、本覚の寤の時には実の仏なきなり。極果の仏なければ有教無人なり。況や教法実ならんや。之を取て修行せんは聖教に迷えるなり。此の前三教は仏に成らざる証拠を説き置き給いて末代の衆生に恵解を開かしむるなり。九界の衆生は一念の無明の眠の中に於て生死の夢に溺れて本覚の寤を忘れ、夢の是非に執じて冥き従り冥きに入る。是の故に如来は我等が生死の夢の中に入て、顛倒の衆生に同じで夢中の語を以て夢中の衆生を誘い、夢中の善悪の差別の事を説いて漸漸に誘引し給うに、夢中の善悪の事重畳して様様に無量無辺なれば、先づ善事に付て上中下を立つ。三乗の法是なり。三三九品なり。此の如く説き已て後に又上上品の根本善を立てゝ上中下三三九品の善と云う。皆悉く九界生死の夢の中の善悪の是非なり。今是をば総じて邪見外道と為す授要記の意。此上に又上上品の善心は本覚の寤の理なれば、此を善の本と云うと説き聞かせ給いし時に、夢中の善悪の悟の力を以ての故に寤の本心の実相の理を始めて聞知せられし事なり。是時に仏説て言く、夢と寤との二は虚と実との二の事なれども心法は只一なり。眠の縁に値ぬれば夢なり。眠去ぬれば寤の心なり。心法は只一なりと開会せらるべき下地を造り置かれし方便なり此は別教の中道の理也。是故に未だ十界互具、円融相即を顕さざれば成仏の人なし。故に三蔵教より別教に至るまでの四十二年の間の八教は皆悉く方便なり。夢中の善悪なれば只暫く之を用いて衆生を誘引し給う支度方便なり。此の権教の中にも分分に皆悉く方便と真実と有りて権実の法闕けざるなり。四教一一に各四門有て差別有ることなし。語も只同じ語なり、文字も異なることなし。斯に由て語に迷うて権実の差別を分別せざる時を仏法滅すと云う。是の方便の教は唯穢土に在て総じて浄土にはなし。法華経に云く「十方仏土中唯有一乗法、無二亦無三、除仏方便説」文。故に知ぬ十法の仏土になき方便教を取て往生の行と為し、十法の浄土に有る一乗の法をば之を嫌て取らずして成仏すべき道理有るべしや、否や。一代の教主釈迦如来一切経を説き勘文し給いて言く、三世の諸仏同様に一つ語、一つ心に勘文し給へる説法の儀式なれば、我も是の如く一言も違わざる説教の次第なり云云。方便品に云く「如三世諸仏説法之儀式、我今亦如是説無分別法」文。無分別の法とは一乗の妙法なり。善悪を簡ぶことなく草木樹林、山河大地にも一微塵の中にも各互に十法界の法を具足す。我心の妙法蓮華経の一条は十方の浄土に周偏して闕ること無し。十方浄土の依報、正報の功徳荘厳は我心の中に在て、片時も離るゝことなき三身即一の本覚の如来にて是の外には法なし。此一法計り十方の浄土にありて余法有ること無し。故に無分別法と云う是なり。此の一乗妙法の行をば取らずして、全く浄土にも無き方便の教を取て成仏の行と為さんは迷の中の迷なり。我仏に成りて後に穢土に立還りて、穢土の衆生を仏法界に入らしめんが為に、次第に誘入して方便の教を説くを化佗の教とは云うなり。故に権教と言い又方便とも云う。化佗の法門の有様大体略を存して斯の如し。二に自行の法とは是法華経八箇年の説なり。是経は寤の本心を説き給う。唯衆生の思い習わせる夢中の心地なるが故に夢中の言語を借て寤の本心を訓るなり。故に語は夢中の言語なれども意は寤の本心を訓ゆ。法華経の文と釈との意此の如し。之を明め知らずんば経の文と釈の文とに必ず迷うべきなり。但し此化佗の夢中の法門も寤の本心に備われる徳用の法門なれば、夢中の教を取て寤の心に摂るが故に、四十二年の夢中の化佗方便の法門も、妙法蓮華経の寤の心に摂まりて心の外には法無きなり。此を法華経の開会とは云うなり。譬へば衆流を大海に納るが如きなり。仏の心法妙と衆生の心法妙と此二妙を取て、己心に摂むるが故に心の外に法なきなり。己心と心性と心体との三は己身の本覚の三身如来なり。是を経に説て云く「如是相随身如来如是性報身如来如是体法身如来」。此を三如是と云う。此三如是の本覚の如来は十方法界を身体となし、十方法界を心性となし十方法界を相好となす。是故に我身は本覚三身如来の身体なり。法界に周偏して一仏の徳用なれば一切の法は皆是仏法なりと説き給いし時、其座席に列りし諸の四衆、八部も畜生も、外道等も一人も漏れず皆悉く妄想の僻目僻思立所に散止して、本覚の寤に還て皆仏道を成ず。仏は寤の人の如く衆生は夢見る人の如し。故に生死の虚夢を醒して本覚の寤に還るを、即身成仏とも平等大恵とも無分別法とも皆成仏道とも云う。只一の法門なり。十方の仏土は区に分れたりと雖も通じて法は一乗なり。方便なきが故に無分別法なり。十界の衆生は品品に異なりと雖も実相の理は一なるが故に無分別なり。百界、千如、三千世間の法門殊なりと雖も十界互に具するが故に無分別なり。夢と寤と虚と実と各別異なりと雖も一心の中の法なるが故に無分別なり。過去と未来と現在とは三なりと雖も一念の心中の理なれば無分別なり。一切経の語は、夢中の語とは譬へば扇と樹との如し。法華経の寤の心を顕す言とは譬へば月と風との如し。故に本覚の寤の心の月輪の光は無明の闇を照し、実相般若の智恵の風は妄想の塵を払う。故に夢の語の扇と樹とを以て寤の心の月と風とを知らしむ。是故に夢の余波を散じて寤の本心に帰せしむるなり。故に止観に云く「月重山に隠るれば扇を挙て之を類し、風大虚に息ぬれば樹を動して之を訓ゆるが如し」文。弘決に云く「真常性の月煩悩の山に隠る。煩悩一に非ず故に名けて重と為す。円音の教風は化を息て寂に帰す、寂理無礙なること猶大虚の如し。四依の弘教は扇と樹との如し(乃至)月と風とを比知するなり」文。「夢中の煩悩の雲重畳せること山の如く其数八万四十の塵労にて、心性本覚の月輪を隠す。扇と樹との如くなる経論の文字、言語の教を以て月と風との如くなる本覚の理を覚知せしむる聖教なり。故に文と語とは扇と樹との如し」文。上の釈は一住の釈とて実義に非ざるなり。月の如くなる妙法の心性の月輪と、風の如くなる我心の般若の恵解とを訓え知らしむるを妙法蓮華経と名く。故に釈籤に云く「声色の近名を尋ねて無相の極理に至ると」文。声色の近名とは扇と樹との如くなる夢中の一切の経論の言説なり。無相の極理とは月と風との如くなる寤の我身の心性の寂光の極楽なり。此極楽とは十方法界の正報の有情と、十方法界の依報の国土と和合して一体三身即一なり、四土不二にして法身の一仏なり、十界を身と為るは法身なり、十界を心と為るは報身なり、十界を形と為るは応身なり、十界の外に仏なし、仏の外に十界無くして依正不二なり、身土不二なり。一仏の身体なるを以て寂光土と云う。是故に無相の極理とは云うなり。生滅無常の相を離れたるが故に無相と云うなり。法性の淵底、玄宗の極地なり。故に極理と云う。此無相の極理なる寂光の極楽は一切有情の心性の中に在て清浄無漏なり、之を名けて妙法の心蓮台とは云うなり。是故に心外無別法と云う。此を一切法は皆是仏法なりと通達解了すとは云うなり、生と死と二の理は生死の夢の理なり、妄想なり転倒なり。本覚の寤を以て我心性を糾せば、生ず可き始めも無きが故に死すべき終りも無し。既に生死を離れたる心法に非ずや。劫火にも焼けず水災にも朽ちず、剣刀にも切られず弓箭にも射られず。芥子の中に入るれども芥子も広からず、心法をも縮めず。虚空の中に満れども虚空も広からず、心法も狭からず。善に背くを悪と云い悪に背くを善と云う。故に心の外に善なく悪なし。此善と悪とを離るゝを無記と云うなり。善悪無記此外には心無く心の外には法無し。故に善悪も浄穢も凡夫、聖人も大地も大小も東西も、南北も四維も上下も言語道断し心行所滅す。心に分別して思い言い顕す言語なれば心の外に分別も無し、言と云うは心の思を響かして声に顕すを云うなり。凡夫は我心に迷うて知らず覚えらざるなり。仏は之を悟り顕し給うを神通と名くるなり。神通とは神の一切の法に通じて礙り無きなり。此自在の神通は一切の有情の心にて有るなり。故に孤狸も分分に通を現ずる事、皆心の神の分分の悟なり。此心の一法より国土世間も出来する事なり。一代聖教とは此事を説きたるなり。此を八万四千の法蔵とは云うなり。是皆悉く一人の身中の法門にて有るなり。然れば八万四千の法蔵は我身一人の日記文書なり。此の八万法蔵を我身中に孕み持ち懐き持ちたり。我が身中の心を以て仏と法と浄土とを我身より外に思い願い求むるを迷とは云うなり。此の心が善悪の縁に値いて善悪の法をば造り出せるなり。華厳経に云く「心如工画師造種種五陰、一切世間中無法而不造。如心仏亦爾如仏衆生然、三界唯一心心外無別法、心仏及衆生是三無差別」文。無量義経に云く「従無相不相一法出生無量義」文。無相不相の一法とは一切衆生の一念の心是なり、文句(文会五ノ五十四)に釈して云く「生滅無常の相なきが故に無相と云うなり。二乗の有余、無余の二つの涅槃の相を離るゝが故に不相と云うなり」云云。心の不思議を以て経論の詮要とするなり。此の心を悟り知るを名けて如来と云う。之を悟り知っての後は、十界は我身なり我心なり我が形なり、本覚の如来は我身心なるが故なり。之を知らざる時を名けて無明と為す、無明は明らかなることなしと読むなり。是れ我心の有様を明かに覚らざるなり。之を悟り知る時を名けて法性と云う。故に無明と法性とは一心の異名なり。名言は二なりと雖も心は只一つ心なり。斯に由て無明をば断ずべからざるなり。夢の心の無明なるを断ぜば、寤の心を失うべきが故に、総じて円教の意は一毫の惑をも断ぜず。故に一切の法は皆是仏法なりと云うなり。法華経に云く「如是相一切衆生の相好。本覚の応身如来。如是性一生衆生の心性。本覚の報身如来。如是体一切衆生の身体。本覚の法身如来。」。此三如是より後の七如是出生して合して十如是となれるなり。此十如是は十法界なり。此十法界は一人の心より出で八万四千の法門と成るなり。一人を手本として一切衆生平等なる事是の如し。三世の諸仏の総勘文にして御判慥に印る正本の文書なり。仏の御判とは実相の一印なり。印とは判の異名なり。余の一切の経には実相の印なければ正本の文書に非ず。全く実の仏なし、実の仏無きが故に夢中の文書なり。浄土に無きが故なり。十法界は十なれども十如是は一なり。譬へば水中の月は無量なりと雖も虚空の月は一なるが如し。九法界の十如是は夢中の十如是なるが故に水中の月の如し。仏法界の十如是は本覚の寤の十如是なれば虚空の月の如し、是故に仏界の一の十如是顕れぬれば、九法界の十如是の水中の月の如くなるも一も闕減なく、同時に皆顕れて体と用と一具にして一体の仏となる。十法界を互に具足して平等なる十界の衆生なれば、虚空の本月も水中の末月も一人の身中に具足して闕る事無し。故に十如是は本末究竟して等しく差別なし。本とは衆生の十如是なり、末とは諸仏の十如是なり。諸仏は衆生の一念の心より顕れ給えば、衆生は是本なり諸仏ほ是末なり。然るを経に「今三界皆是我有、其中衆生悉是吾子」文と云うは、仏成道の後に化佗の為の故に迹の成道を唱えて、生死の夢中にして本覚の寤を説き給うなり。知恵を父に譬え愚痴を子に譬えて是の如く説き給えるなり。衆生は本覚の十如是なりと雖も、一念の無明眠の如く心を覆うて生死の夢に入て本覚の理を忘れ、髪筋を切る程に過去、現在、未来の三世の虚夢を見るなり。仏は寤の人の如くなれば生死の夢に入て衆生を驚かし給える知恵は夢の中にての父母の如く、夢の中なる我等は子息の如くなり。此道理を以て悉是吾子と言い給うなり。此理を思い解けば諸仏と我等とは本の故にも父子なり末の故にも父子なり、父子の天性は本末是同じ。斯に由って己心と仏心とは異ならずと観ずるが故に、生死の夢を覚して本覚の寤に還るを即身成仏と云うなり。即身成仏は今我身の上の天性、地体なり。煩も無く障もなき衆生の運命なり、果報なり冥加なり。夫れ以れば夢の時の心を迷に譬え、寤の時の心を悟に譬う。之を以て一代聖教を覚悟するに跡形も無き虚夢を見て心を苦め、汗水と成って驚きぬれば我身も家も臥所も一所にて異ならず、夢の虚と寤の実との二事を目にも見心にも思えども所も只一所なり。身も只一身にて二の虚と実との事あり。之を以て知んぬべし。九界生死の夢みる我心も仏界常住の寤の心も異ならず。九界生死の夢みる所が仏界常住の寤の所にて変らず。心法も替らず在所も差わざれども、夢は皆虚事なり寤は皆実事なり。止観(止会五三ノ四十三)に云く「昔荘周というものあり。夢に胡蝶と成って一百年を経たり。苦は多く楽は少く、汗水と成って驚きぬれば胡蝶にも成らず、百年も経ず、苦もなく楽もなく、皆虚事なり皆妄想なり」巳上取意。弘決に云く「無明は夢の蝶の如く、三千は百年の如し。一念実無きこと猶蝶に非ざるが如く、三千も亦無きこと年を積むに非ざるが如し」文。此釈は即身成仏の証拠なり。夢に蝶と成る時も荘周は異ならず。寤に蝶と成らずと思う時も別の荘周なし。我身を生死の凡夫なりと思う時は夢に蝶と成るが如く僻目僻思なり。我身は本覚の如来なりと思う時は本の荘周なるが如し、即身成仏なり。蝶の身を以て成仏すと云うに非ざるなり。蝶と思うは虚事なれば成仏の言なし、沙汰の外の事なり。無明は夢の蝶の如しと判じつれば、我等が僻思は猶し昨日の夢の如く性体無き妄想なり。誰の人か虚夢の生死を信受して疑を常住涅槃の仏性に生ぜんや。止観(止観五四ノ七)に云く「無明の痴惑本是法性、痴迷を以ての故に法性変じて無明と作り、諸の顛倒の善、不善等を起す。寒来って水を結んで変じて堅冰と作るが如く、又眠来って心を変じて種々の夢有るが如し。今当に諸の顛倒は即ち是法性なり。一ならず異ならずと体すべし。顛倒起滅すと雖も旋火輪の如し。顛倒の起滅を信ぜずして唯此の心但だ是法性と信ず。起は是法性の起、滅は是法性の滅なり。其を体するに実に起滅せざるを妄りに起滅すと謂えり。只妄想を指すに悉く是法性なり。法性を以て法性に架け、法性を以て法性を念ず。常に是法性なり、法性ならざる時なし」文。是の如く法性ならざる時の隙も無き理の法性に、夢の蝶の如くな無明に於て実有の思を生じて之に迷うなり。止観の九(止会九三の四十二)に云く「譬へば眠の法、心を覆うて一念の中に無量の世事を夢みるが如し。乃至寂滅真如には何の次位か有らん。乃至一切衆生即大涅槃なり。復滅すべからず、何の次位高下、大小有らんや。不性不性不可説、因縁あるが故に亦説くことを得べし。十因縁の法、生の為に因と作る、虚空に画き方便して樹を種るが如し。一切の位を説くのみ」文。十法界の依報、正報は法身の仏一体三身の徳なりと知って、一切の法は皆是仏法なりと通達し解了する、是を名字即と為く。名字即の位より即身成仏す。故に円頓の教には次位の次第なし。故に玄義(玄会五上ノ三十二)に云く「末代の学者多く経論の方便の断伏を執じて諍闘す。水の性の冷かなるが如き飲まずんば安ぞ知らん」文。天台の判に云く「次位の網目は仁王、瓔珞に依り、断伏の高下は大品、智論に依る」文。仁王、瓔珞、大品、大智度論、是経論は皆法華已前の八教の経論なり。権教の行は無量劫を経て昇進する次位なれば位の次第を説けり。今法華は八経に虚えたる円なれば速疾頓成にして、心と仏と衆生と此三は我一念の心中に摂めて、心の外に無しと観ずれば下根の行者すら尚一生の中に妙覚の位に入る。一と多と相即すれば一位に一切の位皆是具足せり。故に一生に入るなり。下根すら是の如し、況や中根の者をや。何に況や上根をや。実相の外に更に別の法無し、実相には次第なきが故に位無し。総じて一代聖教は一人の法なれば、我身の本体を能能知るべし。之を悟るを仏と云い、此は華厳経の文の意なり。弘決の六(弘会六二ノ四十五)に云く「此身の中に具に天地に倣うことを知る。頭の円なるは天に像り、足の方なるは地に像る、身内の空種なるは即ち是虚空なり。腹の暖かなるは春夏に法り、背の剛きは秋冬に法り、四体は四時に法り、大節の十二は十二月に法り、小節の三百六十は三百六十日に法り、鼻の息の出入は山沢渓谷の中の風に法り、口の息の出入は虚空の中の風に法り、眼は日月に法り、開閉は画夜に法り、髪は星辰に法り、眉は北斗に法り、脈は江河に法り、骨は玉石に法り、皮肉は地上に法り、毛は叢林に法り、五臓は天に在っては五星に法り、地に在っては五岳に法り、陰陽に在っては五行に法り、世に在っては五常に法り、内に在っては五神に法り。行を修するには五徳に法り、罪を治するには五刑に法ることを知る。謂く、墨(いれずみ)、?(はなきる)、?(あしきる)、宮(かくしどころきる)、大辟(くびきる)。此五刑は人を様様に之を傷ましむ。其数三千の罰有り、此を五刑という。主領には五官と為す。五官は下の第八の巻に博物誌を引くが如し。謂く苟萠等なり。天に昇りては五雲と曰い化して五龍と為る。心を朱雀と為し、腎を玄武と為し、肝を青龍と為し、肺を白虎と為し脾を勾陳と為す。又云く、五音、五明、六芸皆此より起る、亦復当に内治の法を識るべし。覚心内に大王となっては百重の内に居り、出でゝは即ち五官に侍衛せらる。肺をば司馬となし、肝をば司徒となし、脾をば司空となし、四支をば民子となし、左をば司命と為し、右をば司録となし、人命を主司す、乃至臍をば太一君等と為すと。禅門の中に広く其相を明す」文。人身の本体委く検すれば是の如し。然るに此金剛不壞の身を以て生滅無常の身なりと思う僻思いは、譬へば荘周が夢の蝶の如しと釈し給えるなり。五行とは地水火風空なり。五大種とも五蘊とも五戒とも五常とも五方とも五智とも五時とも云う。只一物にて経経の異説なり。内典、外典の名目の異名なり。今経に之を開いて一切衆生の心中の五仏性、五智の如来の種子と説けり。是即ち妙法蓮華経の五字なり。此五字を以て人身の体を造るなり。本有常住なり。本覚の如来なり。是を十如是と云う。是を唯仏輿仏乃能究尽と云う。不退の菩薩と極果の二乗と少分も知らざる法門なり。然るを円頓の凡夫は初心より之を知る故に即身成仏するなり。金剛不壞の体なり。是を以て明かに知んぬべし。天崩れば我身も崩るべし。地裂けば我身も裂くべし。地水火風滅亡せば我身も亦滅亡すべし。然るに此五大種は過去、現在、未来の三世は替ると雖も、五大種は替ること無し。正法と像法と末法との三時殊なりと雖も、五大種は是一にして盛衰転変なし。薬草喩品の疏(文会十八之三十二)には円教の理は大地なり。円頓の教は空の雨なり。又蔵通別の三教は三草と二木となり。其故は此草木は円理の大地より生じて、円教の空の雨に養はれて五乗の草木は栄れども、天地に依て我栄えたりと思ひ知らざるに由るが故に、三教の人天、二乗、菩薩をぱ草木に譬へて説くなり不知恩の故に草木の名を得たり。今法華に始めて五乗の草木は円理の母と円教の父とを知るなリ。一地の所生なれぱ父の恩を知るが如く、一雨の所潤なれば父の恩を知るが如し。薬草喩品の意是の如くなり。釈迦如来五百塵天劫の当初凡夫にて御座せし時、我身は地水火風空なりと知て即座に悟を門き給ひき。後に化佗の為に世世番番に出世成道し、在在処処に八相作仏し王宮に誕生し、樹下に成道して始めて仏に成る様を衆生に見知らせて、四十余年に方便の教を儲け衆生を誘引す。其の後方便の諸の経教を捨てゝ、正直の妙法蓮華経の五智の如来の種子の理を説き顕して、其中に四十余年の方便の諸経を丸かし納れて、一仏乗と丸し人一の法と名く。一人が上の法なり。他人の綺えざる正しき文書を造りて慥なる御判の印あり。三世諸仏の手継ぎの文書を釈迦仏より相伝せられし時に、三千三百万億那由佗の国土の上の虚空の中に満ち塞がれる若干の菩薩達の頂を摩で尽して、時を指して末法近来の我等衆生の為に慥に此由を説き聞かせて、仏の譲状を以て末代の衆生に慥に授与すべしと、慇懃に三度まで同じ御語に時給ひしかば、若干の菩薩達各々数を尽して身を曲げ頭を低れ、三度まで同じ言に各々我も劣らじと事請を申し給ひしかば、仏心安くをぼしめして本覚の都に還り給ふ。三世諸仏の説法の儀式、作法には、只同じ御言に時を指たる末代の譲状なれぱ、只一向に後五百歳を指して此妙法蓮華経を以て成仏すべき時なりと、譲状の表に載せたる手継経文なり。安楽行品には末法に入て近来初心の凡夫、法華経を修行して成仏すべき様を説き置かれしなり。身も安楽行、口も安楽行、意も安楽行なる自行の三業も、誓願安楽の化他の行も同じく「於後末世法欲滅時」と云云。此は近来の時なり、已上四所に有り。薬王品には二所に説かれ勧発品には三所に説かれたり。皆近来を指して譲り置かれたる正しき文書を用ひずして、凡夫の言に付き愚痴の心に任せて三世諸仏の譲状に背き奉り、永く仏法に背かば三世の諸仏、何に本意無く口惜しく心憂く歎き悲みをぼしめすらん。涅槃経に云く「依法不依人」云云。痛しい哉悲しい哉。末代の学者仏法を習学して還つて仏法を滅す。弘決(弘会一、五之二)に之を悲しんで曰く「此の円頓を聞いて崇重せざるものは、良に近代大乗を習ふ者の雑濫するに由るが故なり。況や像、末情澆く信心寡薄、円頓の教法蔵に溢れ函に盈れども暫くも思惟せず、使ち瞑目に至る。徒らに生じ徒らに死す。一に何ぞ痛しき哉」文。同四(弘会四、四之二十)に云く「然るに円頓の教は本凡夫に被らしむ。若し凡に益するに擬せずんぱ仏何ぞ自ら法性の土に住して、渋性の身を以て諸の菩薩の為に此の円頓を説かざる、何ぞ諸の法身の菩薩のために凡身を示して、此の三界に現ずることを須ひんや。乃至一心凡に在つて即ち修習すべし」文。所詮己身と仏身と一なりと観ずれば速に仏に成るなり。故に弘決(弘会二、一之三十一)に又云く「一切の諸仏は己心は仏心に異ならずと観ずるに由るが故に成仏することを得」文。此を観心と云ふは、実に己心と仏心と一心なりと悟れぱ臨終を礙はるべき悪業もあるまじ。生死に留まるべき妄念もあるまじ。一切の法は皆是仏法なりと知ぬれば教訓すべき善知識も入るべからず。思ふと思ひ、言ふと言ひ、為すと為し、儀ひと儀ふ。行、住、座臥の四威儀の所作は、皆仏の御心と和合して一体なれば、過も無く障もなき自在の身となる。此を自行と云ふなり。此の如く白在なる自行の行を拾て、跡行もあるまじき無明、妄想なる僻思の心に住して、三世の諸仏の教訓に背き奉れば冥きより冥きに人り、永く仏法に背くこと悲しむべく悲しむべし。只今こそ打返し思ひ直して悟りぬれば返て即身成仏は我身の外には無しと知りぬれ。我心の鏡と仏の心の鏡とは只一鏡なりと雖も、我等は裏に向つて我性の理を見ず、故に無明と云ふ。如来は面に向つて我性の理を見給へり。故に明と無明とは其体只一なり、鏡は一の鏡なりと雖も向ひ様に依つて明昧の差別あり。鏡に裏ありと雖も面の障りとは成らず。只向ひ様に依つて得失の二あり。相即融通して一法の二義なり。化化の法門は他鏡の裏に向ふが如し。化他の時の鏡も自行の時の鏡も、我心性の鏡は只一にして替ることなし。鏡をば即身に譬へ、面に向ふをば成仏に譬へ、裏に向ふをぱ衆生に譬へ、鏡に裏あるをば性悪を断ぜざるに譬へ、裏に向ふ時に面の徳無きをば化佗の功徳に譬ふるなり。衆生の仏性の顕れざるに譬ふるなり。自行と化佗とは得失の力用なり。玄義の一(玄会一上ニ十)に云く「薩婆悉達、祖王の弓を彎て満るを名けて力と為す。七つの鉄鼓に中り、一つの鉄囲山を貫き、地を洞し水輪に徹するが如き、名けて用と為す自行のカ用なり。諸の方便教は力用の微弱なること凡人の弓箭の如し。何んとなれば昔の縁は化佗のニ智を禀て理を照すこと遍からず、信を生ずること深からず、疑を除くこと尽さず、已上化佗。今の縁は自行の二智を禀て仏の境界を極め、法界の信を越し円妙の道を増し、根本の惑を断じ曳易の生変を損ず。但だ生身及び生身得忍の両種の菩薩のみ倶に益するのみに非ず、法身と法身の後心との両種の菩薩も亦以て倶に益す。化の功広大に利澗弘深なる蓋し此の経の力用なり、已上化佗。自行と化佗との力用勝劣分明なること勿論なり。能能之を見よ。一代聖教を鏡に懸たる経相なり。極仏境界とは十如是の法門なり。十界互に其足して十具界十如の因果、権実の二智、二境は我身の中に有って、一人も漏るゝことなしと通達し解了して仏語を悟り極るなり。起法界信とは十法界を体と為し十法界を心と為し、十法界を形と為し給へる本覚の如来は、我が身の中に増しましけりと信ず。増円妙道とは自行と化佗との二は相即円融の法なれば珠と光と宝との三徳は、只一の珠の徳なるが如し。片時も相離れず仏法に不足なし、一生の中に仏に成るべしと慶喜の念を増すなり。断根本惑とは一念無明の眠を覚まして本覚の寤に還れば、生死も涅槃も倶に昨日の夢の如く跡形もなきなり。損変易生とは同居土の極楽と方便土の極楽と実報土の極楽との三土に往生せる人、彼の土にて菩薩の道を修行して仏に成らんと欲するの間、因移果易して次第に進み昇り劫数を経て、成仏の待遠なるを変易の生死と云ふなり。下位を拾つるをば死と云ひ上化に位進むをば生と云ふ。是の如く変易する生死は浄土の苦悩にてあるなり。爰に凡夫の我等が此の穢土に於て法華を修行すれぱ、十界互具、法界一如なれば浄土の菩薩の変易の生は損じ、仏道の行は増して変易の生死を一生の中に促て仏道を成ず。故に生身及び生身得忍の菩薩の増道損生するなり。法身菩薩とは生身を拾てゝ実報土に居するなり。後心菩薩とは等覚の菩薩なリ。但し迹門には生身及び生身得忍の菩薩を利益するなり。木門には法身と後身との菩薩を利益す。但し今は迹門を開して本門に摂めて一の妙法と成す。故に凡夫の我等穢土の修行の行力を以て、浄土の十地、等覚の菩薩を利益する行なるが故に化の功広大なり、化他の徳用。利澗弘深とは自行の徳用、円頓の行者は自行と化佗と一法をも漏さず一念に具足して、横に十方法界に遍するが故に弘きなリ。豎には三世に亙つて法性の淵底を極むるが故に深きなり。此経の自行の力用是の如し。化佗の諸経は自行を具せざれば鳥の片翼を以て空を飛ばんとするが如し、故に成仏の人もなし。今法華経は自行、化佗の二行を開会して具せざること無きが故に、鳥の二つの翼を以て飛ぷに障りなきが如く、成仏滞りなし、薬王品には十喩を以て自行と化佗との力用の勝劣を判ぜり。第一の譬に云く、諸経は諸水の如く法華は大海の如し云云、取意。実に自行の法華経の大海には化佗の諸経の衆水を入るゝこと昼夜に絶えず。入ると雖も増ぜず減ぜず不可思議の徳用を顕す。諸経の衆水は片時の程も法華経の大海を納むることなし自行と化佗との勝劣是の如し。一を以て諸を例せよ。上来の譬喩は皆仏の所説なり。人の語を入れず。此旨を意得れば一代聖教鏡に懸けて陰りなし、此文釈を見て誰の人か迷惑せんや。三世の諸仏の総勘文なり。敢て人の会釈を引き入るべからず。三世諸仏の出世の本懐なり。一切衆生成仏の直道なり。四十二年の化佗の経を以て立つる所の宗宗は、華厳、真言、達磨、浄土、法相、三論、律宗、倶舎、成実等の諸宗なり。此等は皆悉く法華より已前の八教の中の教なり。皆是方便なり、兼、但、対、帯の方便誘引なり。三世諸仏の説教の次第なり。此次第を糾して法門を談ずべきなり。若し次第を違はゞ仏法に非ざるなり。一代教主の釈迦如来も三世諸仏の説教の次第を糾して一字も違へず、我も亦是の如しとて、経に云く「如三世諸仏説法之儀式我今亦如是説無分別法」文。若し之に違へば永く三世の諸仏の本意に背く。佗宗の祖師各々我が衆を立てゝ法華宗と争ふこと、誤の中の誤り迷の中の迷ひなり。徴佗学の決(授決集下四十四)に之と破して云く、山王院「几そ八万法蔵、共行相を統るに四教を出でず。頭辺に示すが如く蔵、通、別、円は即ち声門、縁覚、菩薩、仏乗なり。真言、禅門、華厳、三論、唯識、律業、成具三諭等の能と所と教と理とは争か此四を過ぎん。若し過ぐと言はゞ豈に外邪に非ずや。若し山でずと言はゞ便ち佗の所期を問ひ得よ、即ち四条の果なり。然して後に答に随つて推徴して理を極めよ。我が四教の行相を以て並べ検へて彼の所期の果を決定せよ。若し我と違はゞ随つて即ち之を詰めよ。且らく華厳の五教の如き各各に修因向果あり。初、中、後の行一ならず、一教一果是れ所期なるべし。若し蔵、通、別、円の因と果とに非ずんぱ、是れ仏教ならざるのみ。三種の法輪、三時の教等、中に就て定むべし。汝何者を以てか所期の乗とする。若し仏乗なりと言はゞ未だ成仏の観行を見ず。若し菩薩と言はゞ此亦即離の中道の異なりあるなり。汝正く何れをか取る。設離の辺を取らば果として成ずべきなし。如即是を要せば仏に例して之を難ぜよ、誤つて真言を誦すとも三観一心の妙趣に会せずんぱ、恐らくは歴別の人に同じて妙理を証せじ。所以に他の所期の極に遂ひて理に準じて、我宗の理なり、徴すべし。因明の道理は外道と対す、多くは小乗及以別教に在り。若し法華、華厳、涅槃等の経に望むれば是れ接引門なり。権に機に対して設けたり、終に以て引進するなり。邪小の徒をして会して真理に至らしむるなり。所以に論ずる時は、四依撃目の志を存して之を執着すること莫れ。又須らく佗の義を将て自義を対検して随つて是非を決すべし。執して之を怨むこと莫れ、大底他は多く三教にあり。円旨至つて少き耳。先徳、大師の所判是の如し。諸宗の所立鏡に懸て陰りなし。末代の学者何ぞ之を見ずして妄に教教門を判ぜんや。大綱の三教を能能学すべし。頓(空)と漸(仮)と円(中)との三教なり。是一代聖教の総の三諦なり。頓漸のニは四十二年の説なり、円教の一は八箇年の説なり、合して五十年なり。此外に法なし、何に由てか之に迷はん。衆生にある時には此を三諦と云ひ、仏果を成ずる時には此を三身と云ふ、一物の異名なり。之を説き顕すを一代聖教と云ふ。之を開会して只一の総の三諦と成ずる時に成仏す。此を開会と云ひ此を自行と云ふ。又佗宗所立の宗宗は此の総の三諦を分別して八と為す。各各に宗を立つるに円満の理闕て成仏の理なし。是の故に余宗は実仏なきなり。故に之を嫌ふ、意は不足を嫌ふなり。円教を取つて一切諸法を観ずれぱ円融円満して十五夜の月の如く、不足なくして満足し究竟すれぱ、善悪をも嫌はず折節をも選ばず、静処をも求めず人品をも択ぱず、一切諸法は皆是れ仏法なりと知りぬれば、諸法を通達し非道を行ふとも即ち仏道を成ずるが故なり、天(妙)地(法)水(蓮)火(華)風(経)は是五智の如来なり。一初衆生の身心の中に住在して、片時も離るゝことなきが故に世間と出世と和合して心中にあつて、心外には全く別の法なきなり。故に之を聞く時立ち所に速かに仏果を成ずること滞なき道理至極するなり。総の三諦とは譬へば珠(中)と光(空)と宝(仮)との此三諦あるに由て如意宝珠と云ふが如し。故に総の三諦に譬ふ。若し亦珠の三徳を別別に取り放てば何の用にも叶ふ可からず。隔別の方使教の宗宗も亦是の如し。珠をぱ法身に譬へ、光をば報身に譬へ、実をば応身に譬ふ。此の総の三徳を分別して宗を立つるを不足と嫌ふなり、之を丸して一と為すを総の三諦と云ふ。此の総の三諦は三身即一の本覚の如来なり。又寂光をぱ鏡に譬へ、同居と方便と実報の三土をば鏡に遷る像に譬ふ。四土も一土なり。三身も一仏なり。今は此の三身と四土と和合して仏の一体の徳なるを寂光の仏と云ふ。寂光の仏を以て円教の仏と為し、円教の仏を以て寤の実仏と為す。余の三土の仏は夢中の権仏なり。此は三世の諸仏の只同じ語に勘文し給へる総の教相なれば、人の語も入るまじ会釈もあるまじ。若し之に違はゞ三世の諸仏に背き奉る大罪の人々なり、天魔外道なり。永く仏法に背くが故に之を秘蔵して佗人には見せざれ。若し秘蔵せずして妄りに之を披露せば、仏法に証理なくして二世の冥加なからん。謗する人出来せば三世の諸仏に背くが故に、二人乍ら倶に悪道に堕ちなんと識るが故に之を戒むるなり。能能秘蔵して深く此理を証し三世諸仏の御本意に相叶ひニ聖、二天、十羅刹の擁護を蒙り、滞りなく上上品の寂光の往生を遂げ、須臾の間に九界生死の夢の中に還り来つて、身を十方法界の国土に遍じ、心を一切有情の身中に入れて、内よりは観発し外よりは引導し内外相応し因縁和合して、自在神通の慈悲の力を施し広く衆生を利益すること滞りあるべからず。三世の諸仏は此を一大事の因縁とおぼしめして世間に出現し給へり。一とは、中道なり法華なり。大とは、空諦なり華厳なり。事とは、暇諦なり阿含と方等と般若となり。已上一代の総の三諦なり。之を悟り知る時仏果を成ずるが故に出世の本懐、成仏の直道なり。因とは一切衆生の身中に総の三諦あつて常仕不変なり。此を総じて因と云ふなり。縁とは三因仏性は有りと雖も、善知識の縁に値はざれば悟らず、知らず、顕れず。善知識の縁に値へば必ず顕るゝか故に縁と云ふなり。然るに今此の一と大と事と因と縁との五事和合して、値ひ難き善知識の縁に値ひて五仏性を顕さんこと何の滞りかあらんや。春の時来つて風雨の縁に値ひぬれぱ、無心の草木も皆悉く萌え出生して、華敷き栄へて世に値ふ気色なり。秋の時に至つて月光の縁に値ひぬれば、草木皆悉く実成熟して一切の有情を養育し、寿命を続き長養し、終に成仏の徳用を顕す。之を疑ひ之を信ぜざる人あるべけんや。無心の草木すら猶以て是の如し、何に況や人倫に於てをや。我等は迷の几夫なりと雖も一分の心もあり解もあり、善悪を分別し折節を思い知る。然るに宿縁に催されて生を仏法流布の国土に受けたり。善知識の縁に値ひなば因果を分別して、成仏すべき身を以て、善知識の縁に値ふと雖も猶草木にも劣りて、身中の三因仏性を顕さずして黙止せる言あるべきや。此度必ず必ず生死の夢を覚し、本覚の寤に還つて生死の紲を切るべし。今より已後は夢中の法門を心に懸くべからざるなり。三世の諸仏と一心と和合して、妙法蓮華経を修行し、障りなく開悟すべし。自行と化佗との二教の差別は鏡に懸て陰りなし。三世諸仏の勘文是の如し。秘すべし秘すべし。
 弘安二年己卯十月 日
                    日蓮花押
(啓二五ノ三五。鈔一五ノ一。註一五ノ三六。語二ノ五七。拾三ノ三三。扶九ノニ七。音下ノ一五。)

#0349-300 持妙尼御前御返事(妙心尼御前御返事)弘安二(1279.11・02)[p1706]
持妙尼御前御返事(第四書)(報妙心尼書)
     弘安二年十一月。五十八歳作。
     外九ノ一四。遺二七ノ一七。縮一八七九。類一〇八四。

 御そう(僧)、ぜんれう(膳料)送り給畢ぬ。すでに故入道殿のかくるる日にておはしける歟。とかうまぎれ候けるほどにうちわすれて候ける也。よもそれにはわすれ給はじ、蘇武と申せしつわものは漢王の御使に胡国と申す国に入りて十九年、め(妻)もおとこ(夫)をはなれ、おとこもわするる事なし。あまりのこひし(恋)さにおとこの衣を秋ごとにきぬた(碪)のうへにてうちけるが、おもひやとをり(通)てゆきにけん、おとこのみゝ(耳)にきこへけり。ちんし(陳子)というしものは、めおとこはなれ(夫婦別)けるに、かがみ(鏡)をわりてひとつづつとりにけり。わするる時は鳥いでて告げけり。さうし(相思)といいしものはおとこをこひてはか(墓)にいたりて木となりぬ。相思樹と申すはこの木也。大唐へわたるにしが(志賀)の明神と申す神をはす(御座)。おとこのもろこし(唐)へゆきしをこひて神となれり。しま(島)のすがたおうな(女)ににたり。まつら(松浦)さよひめ(佐保姫)といふ是也。いにしへよりいまにいたるまでをやこ(親子)のわかれ、主従のわかれいづれかつらからざる。されどもおとこをんな(男女)のわかれほど、たとへなかりけるはなし。過去遠遠より女の身となりしが、このおとこ娑婆最後のぜんちしき(善知識)なりけり。ちりしはな(散花)、をちしこのみ(落果実)もさきむすぶ、などかは人の返らざるらむ。こぞ(去年)もうく(憂)ことしも(今年)つらき月日かな。おもひはいつもはれぬものゆへ、法華経の題目をとなへまいらせ(進)て、まいらせ。
   十一月二日                     日蓮花押 
    持妙尼御前御返事
(微上ノ二〇。考四ノ四。)

#0354-300 中興入道御消息 弘安二(1279.11・30) [p1712]
中興入道消息(各別書)
     弘安二年十一月。五十八歳。於身延山作。
     内一八ノ一五。遺二七ノ四九。縮一九一七。類六一五。

 鵞目一貫文送給候畢ぬ。妙法蓮華経の御宝前に申上候畢ぬ。抑も日本国と申す国は、須弥山よりは南、一閻浮提の内縦広七千由旬なり、其内に八万四千の国あり。所謂五天竺、十六の大国、五百の中国、十千の小国、無量の粟散国、微塵の島島あり。此等の国国は皆大海の中にあり。たとへば池にこのは(木葉)のちれるが如し。此日本国は大海の中の小島なり。しほ(潮)みてば見へず、ひ(干)ればすこしみゆるかの程にて候しを、神のつき出させ給て後、人王のはじめ神武天皇と申せし大王をはしましき。それよりこのかた三十余代は仏と経と僧とはましまさず、ただ人と神とばかりなり。仏法をはしまさねば地獄もしらず浄土もねがはず。父母、兄弟のわかれ(別)ありしかどもいかんがなるらん。ただ露のきゆるやうに日月のかくれさせ給やうにうちをもいてありけるが、然るに人王第三十代欽明天皇と申す大王の御宇に、此国より戌亥の角に当て百済国と申す国あり。彼国よりせいめい(聖明)王と申せし王、金銅の釈迦仏と此仏の説せ給へる一切経と申すふみ(文書)と此をよむ僧をわたしてありしかば、仏と申す物もいき(生)たる物にもあらず、経と申す物も外典の文にもにず、僧と申す物も物はいへども道理もきこへず、形も男女にもにざりしかば、かたがたあやしみをどろきて、左右の大臣大王の御前にしてとかう僉議ありしかども、多分はもちうまじきにてありしかば、仏はすてられ僧はいましめられて候しほどに、用明天皇の御子聖徳太子と申せし人、びだつ(敏達)二年二月十五日東に向て南無釈迦牟尼仏と唱て御舎利を御手より出し給て、同六年に法華経を読誦し給ふ。それよりこのかた七百余年王は六十余代に及ぶまで、やうやく仏法ひろまり候て日本六十六箇国二の島にいたらぬ国もなし。国国、郡郡、郷郷、里里、村村に、堂塔と申し寺寺と申し、仏法の住所すでに十七万一千三十七所なり。日月の如くあきらかなる智者代代に仏法をひろめ、衆星のごとくかがやくけんじん(賢人)国国に充満せり。かの人人は自行には或は真言を行じ、或は般若、或は仁王、或は阿弥陀仏の名号、或は観音、或は地蔵、或は三千仏、或は法華経読誦しをるとは申せども、無智の道俗をすゝむるにはただ南無阿弥陀仏と申べし。譬ば女人の幼子をまうけたるに或はほり(堀)或はかわ(河)、或はひとり(独)なるには、母よ母よと申せばききつけぬれば、かならず佗事をすててたすくる習なり。阿弥陀仏も又如是、我等は幼子なり、阿弥陀仏は母なり。地獄のあな餓鬼のほりなんどにをち入ぬれば、南無阿弥陀仏と申せば音と響との如く必ず来てすくひ給なりと一切の智人ども教へ給しかば、我日本国かく申しならはして年ひさしくなり候。然に日蓮は中国都の者にもあらず、辺国の将軍等の子息にもあらず、遠国の者民が子にて候しかば、日本国七百余年に一人もいまだ唱へまいらせ候はぬ、南無妙法蓮華経と唱へ候のみならず、皆人の父母のごとく日月の如く、主君の如く、わたり(渡)に船の如く、渇して水のごとくうえて飯の如く思て候南無阿弥陀仏を、無間地獄の業なりと申候ゆへに、食に石をたひ(炊)たる様にがんせき(巌石)に馬のはねたるやうに、渡りに大風の吹来たるやうに、じゆらく(聚楽)に大火のつきたるやうに、俄にかたきのよせたるやうに、とわりのきさき(后)になるやうにをどろきそねみねたみ候ゆへに、去る建長五年四月二十八日より今弘安二年十一月まで、二十七年が間退転なく申しつより候事、月のみつるがごとくしほのさすがごとく、はじめは日蓮只一人唱へ候しほどに、見人、値人、聞人耳をふさぎ眼をいからかし、口をひそめ、手をにぎりは(歯)をかみ、父母、兄弟、師匠、ぜんう(善友)もかたきとなる、後には所の地頭、領家かたきとなる。後には一国さはぎ、後には万人をどろくほどに、或は人の口まねをして南無妙法蓮華経ととなへ、或は悪口のためにとなへ、或は信ずるに似て唱へ或はそしるに似て唱へなんどする程に、すでに日本国十分が一分は一向南無妙法蓮華経、のこりの九分は或は両方或はうたがひ、或は一向念仏者なる者は父母のかたき主君のかたき宿世のかたきのやうにのゝしる。村主、郷主、国主等は謀叛の者のごとくあだまれたり。かくの如く申す程に大海の浮木の風に随て定なきが如く、軽毛の虚空にのぼりて上下するが如く日本国ををはれあるく程に、或時はうたれ或時はいましめられ、或時は疵をかほふり(蒙)或時は遠流、或時は弟子をころされ或時はうちをはれなんどする程に、去る文永八年九月十二日には御かんき(勘気)をかほりて北国佐渡の島にうつされ(遷)て候しなり。世間には一分のとがもなかりし身なれども、故最明寺入道殿、極楽寺入道殿を地獄に堕たりと申す法師なれば謀叛の者にもすぎたりとて、相州鎌倉龍口と申処にて頸を切んとし候しが、科は大科なれども法華経の行者なれば左右なくうしなひなばいかんがとやをもはれけん。又遠国の島にすてをきたるならばいかにもなれかし。上ににくまれたる上万民も父母のかたきのやうにおもひたれば、道にても又国にても若はころすか、若はかつえしぬ(餓死)るかにならんずらんとあてがはれて有しに、法華経、十羅刹の御めぐみ(恵)にやありけん。或は天とが(失)なきよしを御らんずるにやありけん。島にてあだむ者は多かりしかども中興の次郎入道と申せし老人ありき。彼人は年ふりたる上心かしこく身もたのし(楽)くて、国の人にも人とをもはれたりし人の此御房はゆへある人にやと申しけるかのゆへに、子息等もいたう(甚)もにくまず。其已下の者どもたいし(大旨)彼等の人人の下人にてありしかば、内内あやまつ事もなく唯上の御計のまゝにてありし程に、水は濁れども又すみ、月は雲かくせども又はるることはりなれば、科なき事すでにあらわれていいし事もむなしからざりけるかのゆへに、御一門諸大名はゆるす(許)べからざるよし申されけれども、相模守殿の御計ひばかりにてついにゆりて候てのぼりぬ。ただし日蓮は日本国には第一の忠の者なり。肩をならぶる人は先代にもあるべからず、後代にもあるべしとも覚えず。其故は去る正嘉年中の大地震、文永元年の大長星の時、内外の智人其故をうらなひ(占考)しかどもなにのゆへいかなる事の出来すべしと申す事をしらざりしに、日蓮一切経蔵に入て勘へたるに、真言、禅宗、念仏、律等の権小の人人をもつて法華経をかろしめたてまつる故に、梵天、帝釈の御とがめにて西なる国に仰付て日本国をせむ(攻)べしとかんがへて故最明寺入道殿にまいらせ候き。此事を諸道の者をこつきわらひ(嘲笑)し程に、九箇年すぎて去る文永五年に大蒙古国より日本国ををそう(襲)べきよし牒状わたりぬ。此事のあふ(合)故に念仏者、真言師等あだみて失はんとせしなり。例せば漢土に玄宗皇帝と申せし御門の御后に上陽人と申せし美人あり。天下第一の美人にてありしかば楊貴妃と申すきさきの御らんじて、此人王へまいるならば我がをぼへ(寵)をとりなんとて宣旨なりと申しかすめて、父母、兄弟をば或はながし或は殺し、上陽人をばろう(牢)に入て四十年までせめたりしなり。此もそれにに(似)て候。日蓮が勘文あらわれて大蒙古国を調伏し、日本国かつならば此法師は日本第一の僧となりなん。我等が威徳をとろうべしと思かのゆへに讒言をなすをばしろしめさずして、彼等がことばを用て国を亡さんとせらるるなり。例せば二世王は趙高が讒言によりて李斯を失ひ、かへりて趙高が為に身をほろぼされ、延喜の御門はしへい(時平)のをとど(大臣)の讒言によりて菅丞相を失ひて地獄におち給ぬ。此も又かくの如し。法華経のかたきたる真言師、禅宗、律僧、持斎、念仏者等が申す事を御用ありて日蓮をあだみ給ゆへに、日蓮はいやし(賎)けれども所持の法華経を釈迦、多宝、十方の諸仏、梵天、帝釈、日月、四天、龍神、天照太神、八幡大菩薩。人の眼をおしむ(惜)がごとく、諸天の帝釈をうやまう(敬)がごとく、母の子を愛するがごとくまほりおもん(守重)じ給ゆへに、法華経の行者をあだむ人を罰し給事、父母のかたきよりも朝敵よりも重く大科に行ひ給なり。然に貴辺は故次郎入道殿の御子にてをはするなり、御前は又よめ(嫁)なり。いみじく心かしこかりし人の子とよめとにをはすればや、故入道殿のあとをつぎ国主も御用なき法華経を御用あるのみならず、法華経の行者をやしなはせ給てとしどし(年年)に千里の道をおくり(送)むかへ(迎)、去りぬる幼子のむすめ(娘)御前の十三年に丈六のそとば(卒堵波)をたてて、其面に南無妙法蓮華経の七字を顕してをはしませば、北風吹ば南海のいろくづ(魚族)其風にあたりて大海の苦をはなれ、東風きたれば西山の鳥鹿其風を身にふれて畜生道をまぬかれて都率の内院に生れん。況やかのそとばに随喜をなし手をふれ眼に見まいらせ候人類をや。過去の父母も彼そとばの功徳によりて天の日月の如く浄土をてらし、孝養の人並に妻子は現世には寿を百二十年持ちて、後生には父母とともに霊山浄土にまいり給はん事、水すめば月うつり、つづみ(鼓)をうて(打)ばひびき(響)のあるがごとしとをぼしめし候へ等云云。此より後後の御そとばにも法華経の題目を顕し給へ。
   弘安二年己卯十一月卅日          身延山 日蓮花押
    中興入道殿女房
(啓二八ノ一。鈔一七ノ五四。註一八ノ二八。音下ノ二四。語三ノ二七。拾四ノ二三。扶一〇ノ四六。記上ノ四六。)

#0355-300 右衛門太夫殿御返事 弘安二(1279.12・03) [p1719]
右衛門太夫殿御返事(池上第九書)(報宗仲書)
     弘安二年十二月。五十八歳作。与宗仲書
     外二五ノ五。遺六ノ一。縮一九二五。類九三九。

 仰も久しく申し承はらず候の処に御文到来畢んぬ。殊にあをきうら(青裏)の小袖一、ぼうし(帽子)一、をび一すぢ、鵞目一貫文、くり(栗)一篭たしかにうけとりまいらせ候。当今は末法の始の五百年に当りて候。かゝ時刻に上行菩薩御出現あつて南無妙法蓮華経の五字を、日本国の一切衆生にさづけ給べきよし経文分明也。又流罪死罪に行るべきよし明かなり。日蓮は上行菩薩の御使にもに(似)たり、此法門を弘る故に。神力品に云「如日月光明能除諸幽冥斯人行世間能滅衆生闇」等云云。此経文に斯人行世間の五の文字の中の人の文字をば誰とか思食す。上行菩薩の再誕の人なるべしと覚えたり。経に云「於我滅度後応受持斯経是人於仏道決定無有疑」云云。貴辺も上行菩薩の化儀をたすくる人なるべし。
  弘安二年己卯十二月三日            日蓮花押
   右衛門太夫殿御返事
(考八ノ三七。)

#0356-200 窪尼御前御返事 弘安二(1279.12・17) [p1720]
窪尼御前御返事(第五書)(十字御消息)(報持妙尼書)
     弘安二年十二月。五十八歳作。
     外五ノ三五。遺二八ノ二。縮一九二六。類一一〇五。

 十字五十まい(枚)、くしがき(串柿)一れん(連)、あめをけ(飴桶)一、送り給畢ぬ。御心ざしさきざきかきつくしてふで(筆)もつひ、ゆびもたたぬ。三千大千世界に七日ふる雨のかずはかずへつくしてん。十方世界の大地のちりは知る人もありなん。法華経の一字供養の功徳は、知りがたしとこそ仏はとかせ給ひて候へ。此をもて御心へ(得)あるべし。恐恐謹言。
 十二月二十七日                   日蓮花押
  くぼの尼御前御返事
(考三ノ一三)

#0358-3K0 本門戒体鈔 弘安二(1279) [p1722]
本門戒体鈔(原文漢文)
     弘安二年。五十八歳著。
     内三〇ノ一七。遺二七ノ一八。縮一八八一。類三六三。

 大乗戒並びに小乗戒の事。
 凡そ二百五十戒を受て大僧の名を得るなり。受戒は辺国は五人、中国は十人なり。十人とは三師、七証なり。三師とは和尚と阿闍梨と教授となり。十人共に五徳を具す。二百五十戒を別解脱戒と云ひ、亦は具足戒とも云ふなり。小乗の五戒を受くるを優婆塞、優婆夷と云ふなり。八斎戒も亦是の如し。五戒を受くるに必ず二師あり。二師とは和尚と阿闍梨となり。八斎戒も亦是の如し。小乗戒は経巻ありと雖も師資相承無き者には戒を授けざるなり。菩薩の前にして仏の前に非ざれば戒を授けざるなり。大乗戒の事(師は必ず五徳を具する僧なり。常には一師二師なり。一師とは名目梵網経に出づ。二師とは和尚と阿闍梨となり。)具に十重禁戒を受くるを大僧と名くるなり。亦具足戒とも云ふなり。一戒二戒を受るをば具足戒とは云はざるなり。日本国には伝教大師より始めて一向大乗戒を立つるなり。伝教已前には通受戒なり。通受戒とは小乗戒を受ては威儀を正し、大乗戒を受ては成仏を期するなり。大小乗の戒を兼ね受るを通受戒と云ふ。日本国には小乗の別解脱戒の弘る事は鑒真和尚の時より始まれり。鑒真已前は沙弥戒なり。千里の内に五徳を具せし僧なければ自誓受戒す。自誓受戒とは道場に坐して一日二日、乃至一年二年罪障を懺悔す。普賢、文殊等来りて告て毘尼薩毘尼薩と云はん時自誓受戒すべし。即ち大僧と名く。毘尼薩毘尼薩とは滅罪滅罪し云ふ事なり。若し五徳を具する僧あれば好相を見ずして受戒するなり。十重禁戒を破る者も懺悔すれば之を授く。四十八軽も亦復是の如し。五逆、七逆は論なり。経文分明ならず。授けざるは道理なり。仏は則ち盧舎那仏、二十余の菩薩、羅什三蔵、南岳、天台、乃至道邃、伝教大師等なり。達磨、不空は天竺より此戒を受けたり。已上常人の義なり。日蓮云く、彼は梵網の意か。伝教大師の顕戒論に云く「大乗戒に二あり。一には梵網経の大乗、二には普賢経の大乗なり。普賢経は一向自誓受戒なり」。常の人は梵網千里の外の自誓受戒と、普賢経の自誓受戒とこれ同じと思へるなり。日蓮云く、水火の相違なり。所以者何、伝教大師の顕戒論に二義有り。「一には梵網経の十重、四十八軽戒の大僧戒、二には普賢経の大僧戒なり。梵網経の十重禁、四十八軽戒を以て眷属戒となすなり。法華経、普賢経の戒を以て大王戒となすなり。小乗のに二百五十戒等は民戒、梵網経の戒は臣戒、法華経、普賢経の戒は大王戒なり」と云云。普賢経の戒師は千里の外にも千里の内にも、五徳あるも五徳なきも、等覚已下の生身の四依の菩薩等を以て、全く伝受戒の師に用ゆべからず。受戒に必ず三師、一証、一伴なり、已上五人なり。三師とは一は生身の和尚は霊山浄土の釈迦牟尼如来なり。響の音に応ずるが如く清水に月の移るが如く、法華経の戒を自誓受戒する時必ず来り給ふなり。然れば則ち何ぞ生身の釈迦牟尼如来を捨てゝ、更に等覚の元品未断の四依等を用ひんや。若し円教の四依あらば伝戒の為にこれを請ずべし。伝受戒のためにはこれを用ゆべからず。疑つて云く、小乗の戒、梵網の戒何ぞ生身の如来来らざるや。答へて云く、小乗の釈迦は灰身滅智の仏なり。生身既に破れたり。譬へば水瓶に清水を入れて佗の全瓶に移せば本瓶既に破るが如し。小乗の釈迦は五分法身の水を以て迦葉、阿難等の全瓶に移して仏既に灰断に入り了んぬ。乃至仏、四果、初果、四善根、三賢及以博地の凡夫、二千二百余年の間次の瓶に五分法身の水を移せば前瓶は即ち破壊す。是の如く展転するの程に凡夫の土器の瓶に、此の五分法身の水を移せば未だ佗瓶に移さゞるの前に五分法身の水漏失す。更に何れの水を以てか佗の瓶に移さんや。小乗の戒体も亦復是の如し。正像既に尽きぬ、末法の濁乱に有名無実なり。二百五十戒の僧等は但土器の瓶のみ有つて全く五分法身の水なきなり。是の如き僧等は形は沙門に似れども、戒体なきが故に天これを護らず。唯悪行のみを好んで愚人を誑惑するなり。梵網大乗の戒は、譬へば金銀の瓶に仏性法身の清水を入れて亦金銀の瓶に移すが如し。終には破壊すべしと雖も瓦器、土器に勝れて其用強し。故に小乗の二百五十戒の僧の持戒よりも、梵網大乗の破戒の僧は国の依怙となる。然りと雖も此戒も終には漏失すべきものなり。普賢経の戒は正、像、末の三時に亙つて、生身の釈迦如来を以て戒師となす、故に等覚已下の聖、凡の師を用ひざるなり。小乗の劣応身、通教の勝応身、別教の台上の盧遮那、爾前の円教の虚空為座の毘盧遮那仏すら猶以てこれを用ひず。何に況や、其已下の菩薩、声聞凡夫等の師をや。但だ法華迹門の四教開会の釈迦如来之を用ひて和尚となすなり。二は金色世界の文殊師利菩薩之を請じて阿闍梨となす。四味、三教並に爾前の円教の文殊には非ず。此は法華迹門の文殊なり。三は都史多天宮の弥勒慈尊之を請じて教授となす。小乗未断惑の弥勒乃至通別円等の弥勒には非ず。亦無著菩薩のために阿輸舎国に来下して授けし所の大乗師の弥勒にも非ず。此は迹門方便品を授くる所の弥勒なり。已上三師なり。一証とは十方の諸仏なり、此は則ち小乗の七証に異なるなり。一伴とは同伴なり、同伴とは同く受戒の者なり。法華の序品に列なる所の二乗菩薩、二界八番の衆なり。今の戒とは小乗の二百五十戒等並に梵網の十重禁、四十八軽戒、華厳の十無尽戒、瓔珞の十戒等を捨てゝ、未顕真実と定め畢つて方便品に入つて持つ所の五戒、八戒、十善戒、二百五十戒、五百戒乃至十重禁戒等なり。経に是名持戒とは則ち此意なり。迹門の戒は爾前大小の諸戒には勝ると雖も而も本門の戒には及ばざるなり。十重禁とは一には不殺生戒、二には不偸盗戒、三には不邪淫戒、四には不妄語戒、五には不?酒戒、六には不説四衆過罪戒、七には不自讃毀佗戒、八には不慳貪戒、九には不瞋恚戒、十には不謗三宝戒なり。第一不殺生戒とは爾前の諸経の心は仏は不殺生戒を持つと説けり。然りと雖も法華の心は爾前の仏は殺生第一なり。所以者何、爾前の仏は一往世間の不殺生戒を持つに似たりと雖も、未だ出世の不殺生戒を持たず。二乗、闡提、無性の有情等の九界の衆生を殺して成仏せしめず。能化の仏未だ殺生罪を免れず。何に況や所化の弟子をや。然るを今の経は悉く成仏せしむ云云。今身より仏身に至るまで爾前の殺生罪を捨てゝ、法華寿量品の久遠の不殺生戒を持つや不や、持つと三返。第二に不偸盗戒とは爾前の諸経の心は仏は不偸盗戒を持つと説けり。然りと雖も法華の心は爾前の仏は偸盗第一なり。所以者何、爾前の仏は一往世間の不偸盗戒を持つに似たりと雖も、未だ出世の不偸盗戒を持たず。二乗、闡提等の九界の衆生の仏性の玉を盗んで成仏せしめず。能化の仏未だ偸盗罪を免れず、何に況や所化の弟子をや。然るを今の経に悉く成仏せしむ云云。今身より仏身に至るまで爾前の偸盗罪を捨てゝ、法華寿量品の久遠の不偸盗戒を持つや不や、持つと三返。第三に不邪淫戒とは爾前の諸経の心は仏不邪淫戒を持つと説けり。然りと雖も法華の心は爾前の仏は邪淫第一なり。所以者何、爾前の仏は一往世間の不邪淫戒を持つに似たりと雖も、未だ出世の不邪淫戒を持たず。二乗、闡提等の九界の衆生の仏性の智水を犯して成仏せしめず。能化の仏未だ邪淫の罪を免れず、何に況や所化の弟子をや。然るを今の経に悉く成仏せしむ云云。今身より仏身に至るまで爾前の邪淫罪を捨てゝ、法華寿量品の久遠の不邪淫戒を持つや不や、持つと三返。第四に不妄語戒とは、爾前の諸経の心は仏は不妄語戒を持つと説けり。然りと雖も法華の心は爾前の仏は妄語第一なり。所以者何、爾前の仏は一往世間の不妄語を持つに似たりと雖も未だ出世の不妄語戒を持たず。二乗、闡提等の九界の衆生の色心を破つて成仏せしめず。能化の仏未だ妄語罪を免れず。何に況や所化の弟子をや。然るを今の経に悉く成仏せしむ云云。今身より仏身に至るまで爾前の妄語罪を捨てゝ、法華寿量品の久遠の不妄語戒を持つや不や、持つと三返。第五に不?酒戒とは、爾前の諸経の意は仏は不?酒戒を持つと説けり。然りと雖も法華経の心は爾前の仏は?酒第一なり。所以者何、爾前の仏は一往世間の不?酒戒を持つに似たりと雖も未だ出世の不?酒戒を持たず。二乗、闡提等九界の衆生をして無明の酒を飲ましめて成仏せしめず。能化の仏未だ?酒罪を免れず。何に況や所化の弟子をや。然るを今経に悉く成仏せしむ云云。今身より仏身に至るまで爾前の?酒罪を捨てゝ、法華寿量品の久遠の不?酒戒を持つや不や、持つと三返。第六に不説四衆過罪戒とは爾前の諸経の心は仏不説過罪戒を持つと説けり。然りと雖も法華経の心は爾前の仏は説過罪第一なり。所以者何、爾前の仏は一往世間の不説過罪を持つに似たりと雖も、未だ出世の不説過罪戒を持たず。二乗、闡提等の九界の衆生の過罪を説て成仏せしめず。能化の仏未だ説過罪を免れず。何に況や所化の弟子をや。然るを今の経に悉く成仏せしむ云云。今身より仏身に至るまで爾前の説過罪を捨てゝ、法華寿量品の久遠の不説過罪戒を持つや不や、持つと三返。第七に不自讃毀佗戒とは、爾前の諸経の心は仏は不自讃毀佗戒を持つと説けり。然りと雖も法華の意は爾前の仏は自讃毀佗第一なり。所以者何、爾前の仏は一往世間の不自讃毀佗戒を持つに似たりと雖も、未だ出世の不自讃毀佗戒を持たず。二乗、闡提等の九界の衆生を毀りて成仏せしめず。能化の仏未だ自讃毀佗の罪を免れず。何に況や所化の弟子をや。然るを今経に悉く成仏せしむ云云。今身より仏身に至るまで爾前の自讃毀佗罪を捨てゝ、法華寿量品の久遠の不自讃毀佗戒を持つや不や、持つと三返。第八に不慳貪戒とは、爾前の諸経の心は仏は不慳貪戒を持つと説けり。然りと雖も法華の心は爾前の仏は慳貪第一なり。所以者何、爾前の仏は一往世間の不慳貪戒を持つに似たりと雖も未だ出世の不慳貪戒を持たず。二乗、闡提等の九界の衆生の仏性の玉を慳みて成仏せしめず。能化の仏未だ慳貪罪を免れず。何に況や所化の弟子をや。然るを今の経に悉く成仏せしむ云云。今身より仏身に至るまで爾前の慳貪罪を捨てゝ、法華寿量品の久遠の不慳貪戒を持つや、不や、持つと三返。第九に不瞋恚戒とは爾前の諸経の心は仏不瞋恚戒を持つと説けり。然りと雖も法華の意は爾前の仏は瞋恚第一なり、所以者何、爾前の仏は一往世間の不瞋恚戒を持つに似たりと雖も、未だ出世の不瞋恚戒を持たず。二乗、闡提等の九界の衆生を瞋りて成仏せしめず。能化の仏未だ瞋恚罪を免れず。何に況や所化の弟子をや。然るを今の経に悉く成仏せしむ云云。今身より仏身に至るまで爾前の瞋恚罪を捨てゝ、法華寿量品の久遠の不瞋恚戒を持つや不や、持つと三返。第十に不謗三宝戒とは爾前の諸経の意は仏不謗三宝戒を持つと説けり。然りと雖も法華の意は爾前の仏は謗三宝第一なり。所以者何、爾前の仏は一往世間の不謗三宝戒を持つに似たりと雖も、未だ出世の不謗三宝戒を持たず。二乗、闡提等の九界の衆生の三宝を謗つて成仏せしめず。能化の仏未だ謗三宝罪を免れず。何に況や所化の弟子をや。然るを今の経に悉く成仏せしむ云云。今身より仏身に至るまで爾前の謗三宝罪を捨てゝ、法華寿量品の久遠の不謗三宝戒を持つや不や、持つと三返。
(啓三三ノ五四。鈔二〇ノ五七。語四ノ三三。音下ノ三八。拾六ノ五三。扶一二ノ五二)

#0360-300 秋元殿御書(筒御器鈔) 弘安三(1280.01・27) [p1729]
筒御器鈔(秋元第二書)(秋元御書)
     弘安三年一月。五十九歳作。与秋元太郎兵衛書。
     内二一ノ一五。遺二八ノ五。縮一九二九。類六四五。

 筒御器一具付三十並に盞付六十送給候畢。御器と申はうつはものと読候。大地くぼければ水たまる、青天浄ければ月澄り。月出ぬれば水浄し。雨降ば草木昌へたり。器は大地のくぼきが如し、水たまるは池に水の入が如し。月の影を浮ぶるは法華経の我等が身に入せ給ふが如し。器に四の失あり、一には覆と申てうつぶける也。又はくつがへ(覆)す、又は盞をおほふ也。二には漏と申て水もる也。三には汗と申てけがれたる也。水浄けれども糞の入たる器の水をば用る事なし。四には雑也。飯に或は糞、或は石、或は沙、或は土なんどを、雑へぬれば人食ふ事なし。器は我等が身心を表す。我等が心は器の如し。口も器、耳も器なり。法華経と申は仏の智慧の法水を、我等が心に入ぬれば、或は打返し或は耳に聞じと、左右の手を二の耳に覆ひ、或は口に唱へじと吐出しぬ。譬ば器を覆するが如し。或は少し信ずる様なれども、又悪縁に値て信心うすくなり、或は打捨て、或は信ずる日はあれども捨る月もあり、是は水の漏が如し。或は法華経を行ずる人の一口は南無妙法蓮華経、一口は南無阿弥陀仏なんど申は、飯に糞を雑へ 沙石を入たるが如し。法華経の文に、「但楽受持大乗経典乃至不受余経一偈」等と説は是也。世間の学匠は法華経に余行を雑へても苦しからずと思へり。日蓮もさこそ思候へども経文は爾らず。譬ば后の大王の種子を妊(姙)めるが、又民ととつげば王種と民種と雑りて、天の加護と氏神の守護とに捨てられ其国破るる縁となる。父二人出来れば、王にもあらず民にもあらず、人非人也。法華経の大事と申は是也。種、熟、脱の法門、法華経の肝心也。三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏に成給へり。南無阿弥陀仏は仏種にはあらず、真言五戒等も種ならず。能能此事を習ひ給べし、是は雑也。此覆、漏、汗、雑の四の失を離れて候器をば完器と申て、またき(全)器也。塹つゝみ(堤)漏らざれば水失る事なし。信心のこゝろ全ければ平等大慧の智水乾く事なし。今此筒の御器は固く厚く候上漆浄く候へば、法華経之御信力の堅固なる事を顕し給歟。毘沙門天は仏に四の鉢を進せて、四天下第一の福天と云はれ給ふ。浄徳夫人は雲雷音王仏に、八万四千の鉢を供養し進せて妙音菩薩と成給ふ。今法華経に筒御器三十、盞六十進せて、争か仏に成らせ給はざるべき。抑日本国と申は十の名あり。扶桑、野馬台、水穂、秋津洲等也。別しては六十六箇国、島二、長三千余里、広不定也。或は百里、或は五百里等。五畿七道、郡五百八十六、郷三千七百二十九、田代上田一万一千一百二十町、乃至八十八万五千五百六十七町。人数四十九億八万九千六百五十八人也。神社三千一百三十二社、寺一万一千三十七所。男十九億九万四千八百二十八人、女二十九億九万四千八百三十人也。其男の中に只日蓮第一の者也。何事の第一とならば、男女に悪まれたる第一の者也。其故は日本国に国多く人多と云へども、其心一同に南無阿弥陀仏を口ずさみとす。阿弥陀仏を本尊とし九方を嫌ひて西方を願ふ。設ひ法華経を行ずる人も、真言を行ふ人も戒を持つ者も、智者も愚人も、余行を傍として念仏を正とし罪を消さん。謀は名号也。故に或は六万、八万、四十八万返、或は十返、百返、千返也。而を日蓮一人、阿弥陀仏は無間の業、禅宗は天魔の所為、真言は亡国の悪法、律宗、持斎等は国賊也と申す故に、上一人より下万人に至るまで、父母の敵、宿世の敵、謀叛、夜討、強盗よりも、或は畏れ或は瞋り、或は詈り或は打つ。是を?る者には所領を与へ、是を讃むる者をば其内を出し、或は過料を引せ、殺害したる者をば褒美なんどせらるる上、両度まで御勘気を蒙れり。当世第一の不思議の者たるのみならず、人王九十代仏法渡ては七百余年なれども、かかる不思議の者なし。日蓮は文永の大彗星の如し、日本国に昔より無き天変也。日蓮は正嘉の大地震の如し、秋津洲に始ての地夭也。日本国に代始りてより已に謀叛の者二十六人。第一は大山の王子、第二は大石の山丸、乃至第二十五人は頼朝、第二十六人は義時也。二十四人は朝に責られ奉り獄門に首を懸られ山野に骸を曝す。二人は王位を傾け奉り国中を手に拳る。王法既に尽ぬ。此等の人人も日蓮が万人に悪まれたるに過ぎず。其由を尋ぬれば法華経には最第一の文あり。然を弘法大師は法華最第三、慈覚大師は法華最大二、智証大師は慈覚の如し。今叡山、東寺、園城寺之諸僧、法華経に向ては法華最第一と読ども其義をば第二、第三と読也。公家と武家とは子細は知しめさねども、御帰依の高僧等皆此義なれば師檀一同の義也。其外禅宗は教外別伝と云云。法華経を蔑如する言也。念仏宗は千中無一、未有一人得者と申す、心は法華経を念仏に対して挙て失ふ義也。律宗は小乗也。正法の時すら仏免し給事なし、況や末法に是を行じて国主を誑惑し奉るをや。姐己、妹喜、褒似之三女が、三王を誑かして代を失ひしが如し。かゝる悪法国に流布して法華経を失ふ故に、安徳、尊成等の大王、天照太神、正八幡に捨てられ給て、或は海に沈み或は島に放たれ給ふ、相伝の所従等に傾けられ給しは天に捨てられさせ給ふ故ぞかし。法華経の御敵を御帰依有しかども是を知人なければ其失を知事もなし。「智人は起を知り、蛇は自ら蛇を識る」とは是也。日蓮は智人に非ざれども、蛇は龍の心を知り、烏の世の吉凶を計るが如し。此事計を勘へ得て候也。此事を申ならば須臾に失に当るべし。申さずば又大阿鼻地獄に堕べし。法華経を習には三義あり、一には謗人、勝意比丘、苦岸比丘、無垢論師、大慢婆羅門等が如し。彼等は三衣を身に纏ひ一鉢を眼に当て、二百五十戒を堅く持て、而も大乗の讎敵と成て無間大城に堕にき。今日本国の弘法、慈覚、智証等は持戒は彼等が如く、智慧は又彼比丘に不異。但大日経真言第一、法華経第二、第三と申事、百千に一も日蓮が申様ならば無間大城にやおはすらん。此事は申も恐あり、増て書付までは如何と思ひ候へども、法華経最第一と説かれて候に、是を二、三等と読ん人を聞て人を恐れ国を恐れて申さずば、即是彼怨と申て一切衆生の大怨敵なるべき由、経と釈とにのせられて候へば申候也。人を恐れず代を憚からず云事、「我不愛身命但惜無上道」と申は是也。不軽菩薩の悪口杖石も佗事に非ず、世間を恐れざるに非ず、唯法華経の責の苦なれば也。例せば祐成、時宗が大将殿の陳(陣)の内を簡ざりしは、敵の恋しく恥の悲しかりし故ぞかし。此は謗人也。謗家と申は都て一期の間法華経を謗ぜず、昼夜十二時に行ずれども謗家に生ぬれば必ず無間地獄に堕つ。例せば勝意比丘、苦岸比丘之家に生て或は弟子と成り、或は檀那と成し者共が、心ならず無間地獄に堕たる是也。譬ば義盛が方の者、軍をせし者はさて置ぬ。腹の内に有し子も産を待たれず、母の腹を裂れしが如し。今日蓮が申す弘法、慈覚、智証の三大師の法華経を、正く無明の辺域、虚妄の法と被書候は、若法華経の文実ならば叡山、東寺、園城寺、七大寺、日本一万一千三十七所之寺寺の僧は、如何が候はんずらん。先例の如くならば無間大城疑なし。是は謗家也。謗国と申は謗法の者、其国に住すれば其一国皆無間大城になる也。大海へは一切の水集り、其国は一切の禍集る、譬ば山に草木の滋きが如し。三災月月に重なり、七難日日に来る。飢渇発れば其国餓鬼道と変じ、疫病重なれば其国地獄道となる。軍起れば其国脩羅道と変ず。父母、兄弟、姉妹を簡ばず妻とし夫と憑めば其国畜生道となる。死して三悪道に堕るにはあらず、現身に其国四悪道と変ずる也。此を謗国と申す。例せば大荘厳仏の末法、師子音王仏の濁世の人人の如し。又報恩経に説れて候が如んば、過去せる父母、兄弟、姉妹一切の人、死せるを食し又行たるを食す。今日本国亦復如是。真言師、禅宗、持斎等人を食する者国中に充満せり。是偏に真言の邪法より事起れり。龍象房が人を食しは万が一顕れたる也。彼に習て人の肉を或は猪、鹿に交へ、或は魚鳥に切雑へ、或はたゝき加へ或はすし(鮨)として売る。食する者不知数、皆天に捨られ、守護の善神に放されたるが故也。結句は此国佗国より責られ、自国どし(同士)打して此国変じて無間地獄と成べし。日蓮此大なる失を兼て見し故に与同罪の失を脱れんが為め、仏の呵責を思ふ故に知恩報恩の為め国の恩を報ぜんと思て、国主並に一切衆生に令告知也。不殺生戒と申は一切の諸戒の中の第一也。五戒の初にも不殺生戒、八戒、十戒、二百五十戒、五百戒、梵網の十重戒、華厳の十無尽戒、瓔珞経の十戒等の初には皆不殺生戒也。儒家の三千の禁の中にも大辟こそ第一にて候へ。其故は「遍満三千界無有直身命」と申て、三千世界に満る珍宝なれども命に替る事はなし。蟻子を殺者尚地獄に堕つ、況や魚鳥等をや。青艸を切者猶地獄に堕つ、況や死骸を切者をや。如是重戒なれども法華経の敵に成れば、此を害するは第一の功徳と説給也。況や供養を可展哉。故に仙予国王は五百人之法師を殺し、覚徳比丘は無量の謗法者を殺し、阿育大王は十万八千の外道を殺し給き。此等の国王比丘等は閻浮第一之賢王、持戒第一之智者也。仙予国王は釈迦仏、覚徳比丘は迦葉仏、阿育大王は得道の仁也。今日本国も又如是。持戒、破戒、無戒、王臣、万民を不論、一同の法華経誹謗之国也。設ひ身の皮をはぎて法華経を奉書、肉を積で供養し給とも必ず国も滅び身も地獄に堕給べき大なる科あり。唯真言宗、念仏宗、禅宗、持斎等の身を禁て法華経によせよ。天台六十巻を空に浮て、国主等には智人と被思人人の或は智の不及歟、或は知れども世を恐るる歟の故に、或は真言宗をほめ、或は念仏、禅、律等に同ずれば、彼等が大科には百千超て候。例せば成良、義村等が如し。慈恩大師は玄賛十巻を造て法華経を讃て地獄に堕つ。此人は太宗皇帝の御師、玄奘三蔵の上足、十一面観音の後身と申ぞかし。音は法華経に似たれども心は爾前の経に同ずる故也。嘉祥大師は法華玄十巻を造て既に無間地獄に堕べかりしが、法華経を読事を打捨て天台大師に仕しかば地獄の苦を脱れ給き。今法華宗の人人も又如是。比叡山は法華経の御住所、日本国は一乗の御所領也。而を慈覚大師は法華経の座主を奪取て真言の座主となし、三千の大衆も又其所従と成ぬ。弘法大師は法華宗の檀那にて御坐ます嵯峨の天皇を奪取て、内裏を真言宗の寺と成せり。安徳天皇は明雲座主を師として、頼朝の朝臣を調伏せさせ給し程に、右大将に被罰のみならず、安徳は西海に沈み、明雲は義仲に殺され給き。尊成王は天台座主慈円僧正、東寺、御室並に四十一人之高僧等を奉請し下し、内裏に大壇を立て義時、右京、権太夫殿を調伏せし程に、七日と申せし六月十四日に洛陽破て王は隠岐国、或は佐渡島に被遷、座主、御室は或は被責、或は思死に死給き。世間の人人此根源を知事なし。此偏に法華経、大日経之勝劣に迷へる故也。今も又日本国、大蒙古国の責を得て、彼不吉の法を以て御調伏を被行と承る。又日記分明也。此事を知ん人争か可不歎。悲哉、我等誹謗正法の国に生て大苦に値はん事よ。設ひ謗身は脱ると云とも謗家謗国の失如何せん。謗家の失を脱んと思はば父母、兄弟等に此事を語り申せ。或は被悪歟、或は信ぜさせまいらする歟。謗国之失を脱れんと思はば、国主を諌暁し奉りて死罪歟、流罪歟に可被行也。「我不愛身命、但惜無上道」と被説、「身軽法重、死身弘法」と被釈し是也。過去遠遠劫より今に仏に成らざりける事は、加様の事に恐て云出さざりける故也。未来も亦復可如是。今日蓮が身に当てつみ知れて候。設ひ此事を知る弟子等の中にも、当世の責のおそろしさと申し、露の身難消に依て、或は落ち、或は心計は信じ或はとかうす。御経の文に難信難解と被説候が、身に当て貴く覚え候ぞ。謗ずる人は大地微塵の如し。信ずる人は爪上の土の如し。謗ずる人は大海、進む人は一?。天台山に龍門と申所あり、其滝百丈なり。春の始に魚集りて此滝へ登るに、百千に一も登る魚は龍と成る。此滝の早き事矢にも過ぎ電光にも過たり。登がたき上に春の始に此滝に漁父集りて魚を取る、網を懸る事百千重、或は射て取り或は酌で取る。鷲、?、鴟、梟、虎、狼、犬、狐集りて昼夜に取り食ふ也。十年、二十年に一も龍となる魚なし。例せば凡下の者の昇殿を望み下女が后と成んとするが如し。法華経を信ずる事、此にも過て候と思食せ。常に仏禁めて言く、何なる持戒智慧高く御坐て、一切経並に法華経を進退せる人也とも、法華経の敵を見て責め罵り国主にも不申、人を恐て黙止するならば必ず無間大城に堕べし。譬ば我は謀叛を発さねども、謀叛の者を知て国主にも申さねば、与同罪、彼謀叛の者の如し。南岳大師の云「法華経の讎を見て呵責せざる者は謗法の者也。無間地獄の上に堕ん」と。見て申さぬ大智者は無間の底に堕て、彼地獄の有ん限は出べからず。日蓮此禁を恐るる故に、国中を責て候程に一度ならず流罪、死罪に及びぬ。今は罪も消え過も脱れなんと思て、鎌倉を去て此山に入て七年也。此山の為体日本国の中には七道あり。七道の内、東海道十五箇国。其内に甲州飯野、御牧、波木井三箇郷之内、波木井と申此郷之内、戌亥の方に入て二十余里の深山あり。北は身延山、南は鷹取山、西は七面山、東は天子山也。板を四枚つい立たるが如し。此外を回て四の河あり。従北南へ富士河、自西東へ早河、此は後也。前に西より東へ波木井河、中に一の滝あり、身延河と名けたり。中天竺之鷲峰山を此処に移せる歟。将又漢土の天台山の来る歟と覚ゆ。此四山、四河之中に手の広さ程の平かなる処あり。爰に庵室を結で天雨を脱れ、木の皮をはぎて四壁とし、自死の鹿の皮を衣とし、春は蕨を折て身を養ひ、秋は果を拾て命を支へ候つる程に、去年十一月より雪降り積て改年の正月今に絶る事なし。庵室は七尺、雪は一丈、四壁は冰を壁とし、軒のつらゝ(氷柱)は道場荘厳の瓔珞の玉に似たり。内には雪を米と積む。本より人も来らぬ上雪深して道塞がり、問人もなき処なれば、現在に八寒地獄の業を身につぐのへり。生ながら仏には成ずして、又寒苦鳥と申鳥にも相似たり。頭は剃事なければうづら(鶉)の如し。衣は冰にとぢられて鴛鴦の羽を冰の結べるが如し。かゝる処へは古へ昵びし人も不問、弟子等にも捨られて候つるに、此御器を給て雪を盛て飯と観じ、水を飲でこんず(漿)と思ふ。志のゆく所思遣せ給へ。又又可申候。恐恐謹言。
弘安三年正月二十七日                    日蓮花押
秋元太郎兵衛殿御返事
(啓二九ノ四一。鈔一八ノ二二。語三ノ四六。記下ノ一九。拾五ノ二七。扶一一ノ一七。)

#0362-300 日住禅門御返事 弘安三(1280.03・03) [p1743]
日住禅門御返事(各別書)
     弘安三年三月。五十九歳作。
     外二ノ二八。遺二八ノ一八。縮一九三四。類一六九七。

 委細に示し給候条是非なく候。仍て祖父妙厳聖霊御志ねんごろに回向いたすべく候。経文に「是人於仏道決定無有疑」と此文をひまなく御唱あるべく候。日月は地となり地は天となるとも、此経の行者の三悪道に落る事あるべからず。恐恐謹言。
  三月三日                   日蓮花押
   日住禅門御返事
(考二ノ一四。)

#0363-300 上野殿御返事 弘安三(1280.03・08) [p1744]
上野殿御返事(上野第三十書)(報南条氏書)
     弘安三年三月。五十九歳作。
     外八ノ五。遺二八ノ一八。縮一九四三。類一〇〇一。

 故上野殿御忌日の僧膳料米一たはら(俵)、たしかに給候畢ぬ。御仏に供しまいらせて自我偈一巻よみまいらせ候べし。孝養と申はまづ不孝を知て孝をしるべし。不孝と申は酉夢と云ふ者父を打しかば天雷身をさく(裂)。班婦と申せし者母をのり(詈)しかば毒蛇来てのみ(呑)き。阿闍世王父をころせしかば白癩病の人となりにき。波瑠璃王は親をころせしかば、河上に火出て現身に無間にをちにき。佗人をころしたるには、いまだかくの如くの例なし。不孝をも(以)て思ふに孝養の功徳のおほきなる事もしられたり。外典三千余巻は佗事なし、ただ父母の孝養ばかりなり。しかれども現世をやしなひ(養)て後生をたすけず。父母の恩のおもき事は大海のごとし。現世をやしなひ(養)後生をたすけざれば一?のごとし。内典五千余巻又佗事なし、ただ孝養の功徳をとけるなり。しかれども如来四十余年の説教は孝養にに(似)たれどもその説いまだあらはれず。孝が中の不孝なるべし。目連尊者の母の餓鬼道の苦をすくひ(救)しは、わづかに人天の苦をすくひていまだ成仏のみち(道)にはいれず。釈迦如来は御年三十の時、父浄飯王に法を説て第四果をえしせしめ給へり。母の摩耶夫人をば御年三十八の時、阿羅漢果をえせしめ給へり。此等は孝養にに(似)たれども還て仏に不孝のとが(失)あり。わづかに六道をばはなれ(離)しめたれども父母をば永不成仏の道に入給へり。譬へば太子を凡下の者となし王女を匹夫にあはせたるが如し。されば仏説て云「我則堕慳貪此事為不可」云云。仏は父母に甘露をおしみて麦飯を与へたる人、清酒をおしみて濁酒をのませたる不孝第一の人也。波瑠璃王のごとく現身に無間大城におち、阿闍世王の如く即身に白癩病をもつきぬべかりしが、四十二年と申せしに法華経を説給て「是人雖生滅度之想人於涅槃而於彼土求仏智慧得聞是経」と。父母の御孝養のために法華経を説給しかば、宝浄世界の多宝仏も実の孝養の仏なりとほめ給ひ、十方の諸仏もあつまりて一切諸仏の中には孝養第一の仏也と定め奉りき。これをもつて案ずるに、日本国の人は皆不孝の仁ぞかし。涅槃経の文に不孝の者は大地微塵よりも多しと説給へり。されば天の日月、八万四千の星、各いかりをなし、眼をいからかして日本国をにらめ給ふ。今の陰陽師の天変頻りなりと奏し申す是也。地夭日日に起て、大海の上に小船をうかべたるが如し。今の日本国の小児は魄をうしなひ、女人は血をはく(吐)是也。貴辺は日本国第一の孝養の人なり。梵天、帝釈をり下て左右の羽となり、四方の地神は足をいただい(頂)て父母とあをぎ(仰)給らん。事多しといへどもとどめ候畢ぬ。恐恐謹言。
  弘安三年三月八日              日蓮花押
  進上 上野殿御返事
(微上ノ二〇。考三ノ四二。)

#0365-200 妙心尼御前御返事 弘安三(1280.05・04) [p1747]
妙心尼御前御返事(第三書)(妙字御消息)
     弘安三年五月。五十九歳作。
     外五ノ二六。遺二八ノ二一。縮一九四六。類一〇八六。

 すず(種種)のもの給て候。たうじ(当時)はのう(農)時にて人のいとまなき時、かやう(斯様)にくさぐさのものどもをくり給て候事、いかにとも申すばかりなく候。これもひとへに故入道殿の御わかれ(別)のしのびかたきに後世の御ためにてこそ候らんめ。ねんごろにごせ(後世)をとぶらはせ給ひ候へばいくそばくうれしくおはしますらん。とふ人もなき草むらに露しげきやうにて、さばせかい(娑婆世界)にとどめをきし、をさなき(幼)ものなんどのゆくへ(行末)きかまほし。あの蘇武が胡国に十九年ふるさとの妻と子とのこひしさに雁の足につけしふみ、安部中麻呂が漢土にて日本へかへされざりし時、東よりいでし月をみてあのかすがの(春日野)の月よとながめしも、身にあたりてこそおはすらめ。しかるに法華経の題目をつねはとなへさせ給へば、此の妙の文じ(字)御つかひ(使)に変ぜさせ給ひ、或は文殊師利菩薩、或は普賢菩薩、或は上行菩薩、或は不軽菩薩等とならせ給ふ。ちんし(陳子)がかがみ(鏡)のとり(鳥)のつねにつげ(告)しがごとく、蘇武がめ(妻)のきぬた(碪)のこえのきこへしがごとく、さばせかいの事を冥途につげさせ給ふらん。又妙の文字は花のこのみとなるがごとく半月の満月となるがごとく、変じて仏とならせ給ふ文字也。されば経に云く「能持此経則持仏身」。天台大師云く「一一文文是真仏」等云云。妙の文字は、三十二相八十種好円備せさせ給ふ釈迦如来にておはしますを、我等が眼つたなくして文字とはみまいらせ候也。譬へばはちす(蓮)の子の池の中に生て候がやうに候はちすの候を、としより(年老)て候人は眼くらくしてみず。よる(夜)はかげ(影)の候をやみにみざるがごとし。されども此妙の字は仏にておはし候也。又此妙の文字は月也、日也、星也、かがみ也、衣也、食也、花也、大地也、大海也。一切の功徳を合せて妙の文字とならせ給ふ。又は如意宝珠のたま也。かくのごとくしらせ給ふべし。くはしくは又又申すべし。
  五月四日                         日蓮花押
 はわき(伯耆)殿申させ給へ。
(考三ノ一〇。)

#0366-300 妙一尼御前御返事 弘安三(1280.05・18) [p1749]
妙一尼御前御返事(第三書)
     弘安三年五月。五十九歳作。
     外二五ノ七。遺二八ノ二二。縮一九四八。類七三六。

 夫信心と申すは別にはこれなく候。妻のをとこ(夫)をおしむが如く、をとこの妻に命をすつるが如く、親の子をすてざるが如く、子の母にはなれざるが如くに、法華経、釈迦、多宝、十方の諸仏、菩薩、諸天善神等に信を入奉りて、南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを信心とは申候也。しかのみならず「正直捨方便、不受余経一偈」の経文を、女のかがみ(鏡)をすてざるが如く、男の刀をさすが如く、すこしもすつる心なく案じ給べく候。あなかしこ、あなかしこ。
  五月十八日                     日蓮花押
   妙一尼御前御返事
(考八ノ三八。)
×

#0368-0k0 新田殿御書 弘安三(1280.05・29) [p1752]

使いの御志限り無き者歟。経は法華経、顕密第一の大法也。仏は釈迦仏、諸仏第一の上仏也。行者は法華経の行者に相似たり。三事既に相応せり。檀那の一願必ず成就せん歟。恐々謹言。[p1752]
日 蓮 花押[p1752]
新田殿[p1753]
 竝女房御方 御返事[p1753]

#0369-200 窪尼御前御返事 弘安三(1280.06・27) [p1753]
窪尼御前御返事(第六書)(報持妙尼書)
     弘安三年六月。五十九歳作。
     外五ノ一三。遺二八ノ二五。縮一九五一。類一一〇五。

 仏の御弟子の中にあなりち(阿那律)と申せし人は、こくぼん(斛飯)王の御子いえ(家)にたからをみてておはしき。のちに仏の御でし(弟子)となりては、天眼第一のあなりちとて三千大千世界を御覧ありし人、法華経の座にては普明如来とならせ給ふ。そのさきのよ(前世)の事をたづぬれば、ひえ(稗)のはん(飯)を辟支仏と申す仏の弟子にくやう(供養)せしゆへなり。いまの比丘尼はあわ(粟)のわさごめ(早稲米)、山中にをくりて法華経にくやう(供養)しまひらせ給ふ。いかでか仏にならせ給はざるべき。恐恐謹言。
 六月二十七日                  日蓮花押
  くぼの尼御前御返事
(考三ノ四。)

#0373-300 浄蔵浄眼御消息 弘安三(1280.07・07) [p1768]
浄蔵浄眼御消息(松野第七書)(与松野氏書)
     弘安三年七月。五十九歳作。
     外一三ノ四。遺二八ノ三四。縮一九六二。類一〇四〇。

 きごめ(生米)の俵一、瓜篭一、根芋品品の物給候畢ぬ。楽徳と名付ける長者に身を入れて、我身も妻も子も夜も昼も責遣れける者が、余りに責られ堪がたさに、隠て佗国に行て其国の大王に宦仕へける程に、きりもの(権勢家)に成て関白と成ぬ。後に其国を力として、我本の主の国を打取ぬ。其時本の主、此関白を見て大に怖れ、前に悪く当りぬるを悔ひかへして宦仕へ様様の財を引ける。前に負ぬる物の事は思ひもよらず、今只命のいきん事をはげむ。法華経も又斯の如く、法華経は東方の薬師仏の主、南方、西方、北方、上下の一切の仏の主也。釈迦仏等の仏の法華経の文字を敬ひ給ふことは、民の王を恐れ星の月を敬ふが如し。然るに我等衆生は第六天の魔王の相伝の者、地獄、餓鬼、畜生等に押篭められて気もつかず、朝夕獄卒を付て責る程に兔角して法華経に懸り付ぬれば、釈迦仏等の十方の仏の御子とせさせ給へば梵王、帝釈だにも恐れて寄付ず、何に況や第六天の魔王をや。魔王は前には主なりしかども、今は敬ひ畏てあしう(悪)せば、法華経十方の諸仏の御見参にあしうや入んずらんと、恐れ畏て供養をなす也。何にしても六道の一切衆生をば法華経へつけじとはげむ也。然るに何なる事にやをはすらん。皆人の憎み候日蓮を不便とおぼして、かく遥遥と山中へ種種の物送りたび候事一度二度ならず、ただごとにあらず。偏へに釈迦仏の入替らせ給へるか。又をくれさせ給ひける御君達の御仏にならせ給て、父母を導かんために御心に入替らせ給へるか。妙荘厳王と申せし王は悪王なりしかども、御太子浄蔵、浄眼の導かせ給しかば、父母二人共に法華経を御信用有て、仏にならせ給しぞかし。是もさにてや候らんあやしく覚え候。甲斐公が語りしは、常の人よりもみめ形も勝れて候し上、心も直くて智慧賢く、何事に付てもゆゆしかりし人の、疾はかなく成し事の哀れさよと思ひ候しが、又倩思へば、此子なき故に母も道心者となり、父も後世者に成て候は只とも覚え候はぬに。又皆人の悪み候法華経に付せ給へば、偏へに是なき人の二人の御身に添て、勧め進せられ候にやと申せしが、さもやと覚え候。前前は只荒増の事かと思て候へば、是程御志の深く候ひける事は始て知て候。又若やの事候はば、くらき闇に月の出るが如く、妙法蓮華経の五字月と露れさせ給べし。其月の中には釈迦仏、十方の諸仏、乃至前に立せ給ひし御子息の露れさせ給べしと思召せ。委くは又又申すべし。恐恐謹言。
七月七日                     日蓮花押
(微下ノ一。考四ノ四八。)

#0375-300 妙一女御返事 弘安三(1280.07・14) [p1777]
妙一女御返事(第一書)(真言法華即身成仏鈔)
     弘安三年七月。五十九歳作。
     内二一ノ三〇。遺二八ノ三六。縮一九六四。類一六四四。

 問て云く、日本国に六宗、七宗、八宗あり、何れの宗に即身成仏を立つる耶。答へて云く、伝教大師の意は唯法華経に限り、弘法大師の意は唯真言に限れり。問て云く、其の証拠如何。答へて云く、伝教大師の秀句に云く「当に知るべし、佗宗所依の経には都て即身入なし。一分即入すと雖も八地已上に推して凡夫身を許さず。天台法華宗のみ具に即入の義あり」云云。又云く「能化所化倶に歴劫無し、妙法経力即身成仏す」等云云。又云く「当に知るべし、此文に成仏する所の人を問て此経の威勢を顕す也」等云云。此釈の心は即身成仏は唯法華経に限る也。問て云く、弘法大師の証拠如何。答へて云く、弘法大師の二教論に云く、「菩提心論に云く、唯真言法の中に即身成仏する故は、是三摩地法を説くなり。諸経の中に於て闕て書さず」。諭して曰く、此論は龍樹大聖の所造、千部の論の中に秘蔵、肝心の論也。此中に諸経と謂ふは、佗受用心及び変化身等の所説の法、諸の顕教也。是の三摩地法を説くとは、自性法身の所説、秘密真言の三摩地の行是也。金剛頂十万頌の経等と謂ふ是也。問て云く、此の両大師所立の義、水火也。何れを信ぜん乎。答へて云く、此の二大師倶に大聖なり。同年に入唐して両人同じく真言の密教を伝授す。伝教大師の両界の師は順暁和尚、弘法大師の両界の師は慧果和尚なり。順暁、慧果の二人倶に不空の御弟子也。不空三蔵は大日如来六代の御弟子也。相伝と申し本身といい、世間の重んずる事日月のごとし、左右の臣にことならず。末学の膚にうけて是非しがたし。定て悪名天下に充満し、大難其身に招く歟。雖然試に難じて両義の是非を糾明せん。問て云く、弘法大師の即身成仏は真言に限ること何れの経文、何れの論文ぞ乎、答へて云く、弘法大師は龍樹菩薩の菩提心論に依る也。問て云く、其の証拠如何。答へて云く、弘法大師の二教論に菩提心論を引いて云く、「唯真言法の中のみ、乃至諸教の中に於て闕て書さず。」云云。問て云く、経文有り乎。答へて云く、弘法大師の即身成仏義に云く、「六大無礙にして常に瑜伽なり。四種の曼荼各離れず。三密加持すれば速疾に顕る、重重にして帝網のごとくなるを即身と名く。法然として薩般若を具足す。心王、心数刹塵に過ぎたり、各五智、無際智を具す。円鏡力の故に実の覚智なり」等云云。疑つて云く、此釈は何れの経文に依る乎。答へて云く、金剛頂経、大日経等に依る。求めて云く、其の経文如何。答へて云く、弘法大師其の証文を出して云く「此の三昧を修する者は現に仏菩提を証す」文。又云く、此の身を捨てずして神境通を逮得し、大空位に遊歩して身秘密を成ず」文。又云く「我れ本より不生なるを覚る」文。又云く「諸法は本より不生なり」云云。難じて云く、此等の経文は大日経、金剛頂経の文也。雖然経文は、或は大日如来の成正覚の文、或は真言行者の現身に五通を得るの文、或は十回向の菩薩、現身に歓喜地を証得する文にして、猶生身得忍に非ず。何に況や即身成仏をや。但し菩提心論は一には経に非ず、論を本とせば背上向下の科依法不依人の仏説に相違す。東寺の真言師日蓮を悪口して云く、汝は凡夫也。弘法大師は三地の菩薩也。汝未だ生身得忍に非ず。弘法大師は帝の眼前に即身成仏を現ず。汝未だ勅宣を承けざれば大師にあらず日本国の師にあらず等云云(是一)。慈覚大師は伝教、義真の御弟子、智証大師は義真慈覚の御弟子、安然和尚は安慧和尚の御弟子也。此三人の云く、法華天台宗は理秘密の即身成仏、真言宗は事理倶密の即身成仏云云。伝教、弘法の両大師何れもをろかならねども聖人は偏頗なき故に、慈覚、智証、安然の三師は伝教の山に栖といへども其義は弘法、東寺の心也。随て日本国四百余年は異義なし。汝不肖の身としていかんが此悪義を存ずるや(是二)。答へて云く、悪口をはき悪心ををこさば汝にをいては此義申すまじ。正義を聞んと申さば申すべし。但し汝等がやうなる者は物をいはずばつまり(詰)ぬとをもうべし。いうべし、悪心ををこさんよりも悪口をなさんよりも、きらきらとして候経文を出して、汝が信じまいらせたる弘法大師の義をたすけよ。悪口、悪心をもてをもうに、経文には即身成仏無きか。但し慈覚、智証、安然等の事は、此又覚、証の両大師、日本にして教大師を信ずといへども、漢土にわたりて有りし時、元政、法全等の義を信じて心には教大師の義をすて、身は其山に住すれどもいつわりてありしなり。問て云く、汝が此義はいかにしてをもひだしけるぞや。答て云く、伝教大師の釈に云く「当に知るべし、此文は成仏する所の人を問ひて此経の威勢を顕す也」とかかれて候は、上の提婆品の「我於海中」の経文をかきのせてあそばして候。釈の心はいかに人申すとも即身成仏の人なくば用ゆべからずとかかせ給へり。いかにも純円一実の経にあらずば即身成仏はあるまじき道理あり。大日経、金剛頂経等の真言経には其人なし。又経文を見るに兼、但、対、帯の旨分明也。二乗成仏なし、久遠実成あとをけづる。慈覚、智証は善無畏、金剛智、不空三蔵の釈にたぼらかされてをはするか。此人人は賢人、聖人とはをもへども、遠を貴みて近をあなづる人也。彼三部経に印と真言とあるにばかされて大事の即身成仏の道をわすれたる人人也。然るを当時叡山の人人法華経の即身成仏のやうを申すやうなれども、慈覚大師、安然等の即身成仏の義也。彼人人の即身成仏は有名無実の即身成仏也。其義専ら伝教大師の義に相違せり。教大師は分段の身を捨ても捨ずしても法華経の心にては即身成仏也。覚大師の義は分段の身をすつれば即身成仏にあらずとをもわれたるが、あへて即身成仏の義をしらざる人人也。求て云く、慈覚大師は伝教大師に値い奉りて習い相伝せり、汝は四百余年の年紀をへだてたり、如何。答て云く、師の口より伝うる人必ずあやまりなく後にたづねあきらめたる人をろそかならば、経文をすてて四依の菩薩につくべきか、父母の譲状をすてて口伝を用ゆべきか。伝教大師の御釈無用也、慈覚大師の口伝真実なるべきか。伝教大師の秀句と申す御文に一切経になき事を十いだされて候に、第八に「即身成仏化導勝」とかかれて、次下に「当に知るべし、此文成仏する所の人を問ひて此経の威勢を顕す也。乃至当に知るべし、佗宗所依の経には都て即身入無し」等云云。此釈を背きて覚大師の事理倶密の大日経の即身成仏を用ゆべきか。求て云く、教大師の釈の中に菩提心論の唯の字、用ひざる釈有りや否や」。答て云く、秀句に云く「能化所化倶に歴劫無く、妙法経力即身成仏す」等云云。此釈は菩提心論の唯の字を用ひずと見へて候。問て云く、菩提心論を用ひざるは龍樹を用ひざるか。答て云く、但恐くは訳者の曲会、私情の心也。疑て云く、訳者を用ひざれば法華経の羅什をも不可用歟。答て云く、羅什には現証あり、不空には現証なし。問て云く、其証如何。答て云く、舌の焼ざる証なり。具には聞べし。求て云く、覚、証等は此事を知ざる歟。答て云く、此両人は無畏等の三蔵を信ずる故に伝教大師の正義を用ひざる歟。此則ち人を信じて法をすてたる人人なり。問て云く、日本国にいまだ覚、証、然等を破したる人をきかず、如何。答て云く、弘法大師の門家は覚、証を用ゆべしや。覚、証の門家は弘法大師を用ゆべしや。問て云く、両方の義相違すといへども汝が義のごとく水火ならず、誹謗正法とはいわず如何。答て云く、誹謗正法者其相猊如何、外道が仏教をそしり小乗が大乗をそしり、権大乗が実大乗を下し実大乗が権大乗に力をあわせ、詮するところは勝を劣という。法にそむくがゆへに謗法とは申すか。弘法大師の大日経を法華経、華厳経に勝れたりと申す証文ありや。法華経には華厳経、大日経を下す文分明也。所謂已、今、当等也。弘法尊しと雖も釈迦、多宝、十方分身の諸仏に背く大科免れ難し。事を権門に寄せて日蓮ををどさんより但正文を出せ。汝等は人をかたうどとせり。日蓮は日月、帝釈、梵王をかたうどとせん。日月天眼を開いて御覧あるべし。将又日月の宮殿には法華経と大日経と華厳経とおはすと、けうし(校)あわせて御覧候へ。弘法、慈覚、智証、安然の義と日蓮が義とは何れがすぐれて候。日蓮が義もし百千に一も道理に叶いて候はばいかにたすけさせ給はぬぞ。彼人人の御義もし邪義ならば、いかに日本国の一切衆生の無限の報をへ(得)候はんをば不便とはをぼせ候はぬぞ。日蓮が二度の流罪結句は頸に及びしは、釈迦、多宝、十方の諸仏の御頸を切らんとする人ぞかし。日月は一人にてをはせども四天下の一切衆生の眼也、命也。日月は仏法をなめて威光勢力を増し給ふと見へて候。仏法のあぢわい(味)をたがうる人は日月の御力をうばう人、一切衆生の敵也。いかに日月は光を放ちて彼等が頂をてらし、寿命と衣食とをあたへてやしない給ふぞ。彼三大師の御弟子等が法華経を誹謗するは、偏に日月の御心を入させ給ひて謗ぜさせ給ふか。其義なくして日蓮がひが事ならば日天もしめし、彼等にもめしあわせ(召合)、其理にまけ(負)てありとも其心ひるがへらずば、天寿をもめしとれかし。其義はなくしてただ理不尽に彼等にさる(猿)の子を犬にあづけ、ねづみの子を猫にたふ(与)やうに、うちあづけてさんざんにせめさせ給ひて彼等を罰し給はぬ事心へられず。日蓮は日月の御ためにはをそらくは大事の御かたきなり。教主釈尊の御前にてかならずうたへ(訴)申すべし。其時うらみさせ給ふなよ。日月にあらずとも地神も海神もきかれよ、日本の守護神もきかるべし。あへて日蓮が曲意はなきなり。いそぎいそぎ御計あるべし。ちち(遅々)せさせ給ひて日蓮をうらみさせ給ふなよ。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。恐恐。
   七月十四日                     日蓮花押
    妙一女御返事
(啓二九ノ七四。鈔一八ノ二八。語三ノ四八。拾五ノ三三。扶一一ノ二一。)

#0376-300 内房女房御返事 弘安三(1280.08・14) [p1784]
内房女房御返事(報中臣某女書)
     弘安三年八月。五十九歳作。
     外一〇ノ八。遺二八ノ四三。縮一九七一。類一一一五。

 内房よりの御消息に云く、八月九日父にてさふらひ(候)し人の百箇日に相当りてさふらふ(候)。御布施料に十貫まいらせ候。乃至あなかしこあなかしこ。御願文の状に云く「読誦し奉る妙法蓮華経一部、読誦し奉る方便、寿量品三十巻、読誦し奉る自我偈三百巻、唱へ奉る妙法蓮華経の題名五万返」云云。同状に云く「伏して惟れば先考の幽霊生存の時、弟子遥に千里の山河を陵(凌)ぎ、親り妙法の題名を受け、然る後三十日を経ずして永く一生の終を告ぐ」等云云。又云く「嗚呼閻浮の露庭に白骨、仮に塵土と成るとも霊山の界上に亡魂定めて覚蘂を開かん」。又云く「弘安三年女弟子大中臣氏敬白す」等云云。夫以れば一乗妙法蓮華経は月氏国にては一由旬の城に積み、日本国にては唯八巻也。然るに現世後生を祈る人、或は八巻或は一巻、或は方便、寿量、或は自我偈等を読誦し讃歎して、所願を遂げ給ふ先例多之。此は且く置之。奉唱妙法蓮華経の題名五万返と云云。此の一段を宣べんと思ひて先例を尋ぬるに、其例少なし。或は一返、二返唱へて利生を蒙る人粗これ有る歟。いまだ五万返の類を聞かず。但し一切の諸法に亙りて名字あり、其名字皆其体徳を顕はせし事也。例せば石虎将軍と申すは、石の虎を射徹したりしかば石虎将軍と申す。的立の大臣と申すは、鐡的を射とをしたりしかば的立の大臣と名く。是皆名に徳を顕はせば、今妙法蓮華経と申候は、一部八巻二十八品の功徳を五字の内に収め候。譬へば如意宝珠の玉に万の宝を収めたるが如し。一塵に三千を尽くす法門是也。南無と申す字は敬ふ心也。随ふ心也。故に阿難尊者は、一切経の如是の二字の上に南無等云云。南岳大師云く「南無妙法蓮華経」云云。天台大師云く「稽首南無妙法蓮華経」云云。阿難尊者は斛飯王の太子、教主釈尊の御弟子也。釈尊御入滅の後六十日を過ぎて迦葉等の一千人、文殊等の八万人、大閣講堂にして集会し給ひて仏の別れを悲しみ給ふ上、我等は多年の間随逐するすら六十日の間の御別れを悲しむ。百年、千年、乃至末法の一切衆生は何をか仏の御形見とせん。六師外道と申すは八百年以前に、二天、三仙等の説き置きたる四韋陀、十八大経を以てこそ師の名残とは伝へて候へ。いざさらば我等五十年が間、一切の声聞、大菩薩の聞き持ちたる経経を書置きて、未来の衆生の眼目とせんと僉議して、阿難尊者を高座に登せて仏を仰ぐ如く、下座にして文殊師利菩薩、南無妙法蓮華経と唱へたりしかば、阿難尊者此を承取りて如是我聞と答ふ。九百九十九人の大阿羅漢等は筆を染めて書留め給ひぬ。一部八巻二十八品の功徳は此五字に収めて候へばこそ、文殊師利菩薩かくは唱へさせ給ふらめ。阿難尊者又さぞかしとは答へ給ふらめ。又万二千の声聞、八万の大菩薩、二界八番の雑衆も有りし事なれば合点せらるらめ。天台智者大師と申す聖人、妙法蓮華経の五字を玄義十巻、一千丁に書給ひて候。其心は華厳経は八十巻、六十巻、四十巻、阿含経数百巻大集方等数十巻、大品般若四十巻、六百巻、涅槃経四十巻、三十六巻、乃至月氏、龍宮、天上、十方世界の大地微塵の一切経は、妙法蓮華経の経の一字の所従也。妙楽大師重ねて十巻造るを釈籤と名けたり。天台以後に渡りたる漢土の一切経、新訳の諸経は皆法華経の眷属也云云。日本の伝教大師重ねて新訳の経経の中の大日経等の真言の経を、皆法華経の眷属と定められ候畢ぬ。但し弘法、慈覚、智証等は此義に水火也。此義後に粗書きたり。譬へば五畿、七道、六十六箇国、二の島。其中の郡、荘、村、田、畠、人、牛馬、金銀等は、皆日本国の三字の内に備りて一も闕くる事なし。又王と申すは三の字を横に書きて一の字を豎(竪)さまに立てたり。横の三の字は天地人也。豎の一文字は王也、須弥山と申す山の大地をつきとをして傾かざるが如し。天地人を貫きて少しも傾かざるを王とは名けたり。王に二あり、一には小王也。人王、天王是也。二には大王也。大梵天王是也。日本国は大王の如し、国国の受領等は小王也。華厳経、阿含経、方等経、般若経、大日経、涅槃経等の已、今、当の一切経は小王也。譬へば日本国中の国王、受領等の如し。法華経は大王也。天子の如し。然れば華厳宗、真言宗等の諸宗の人人は国主の内の所従等也。国国の民の身として天子の徳を奪ひ取るは、下剋上、背上向下、破上下乱等これ也。設ひいかに世間を治めんと思ふ志ありとも、国も乱れ人も亡びぬべし。譬へば木の根を動さんに枝葉静なるべからず、大海の波あらからんに船おだやかなるべきや。華厳宗、真言宗、念仏宗、律僧、禅僧等は、我身持戒正直に智慧いみじく尊しといへども、其身既に下剋上の家に生れて法華経の大怨敵となりぬ。阿鼻大城を脱るべきや。例せば九十五種の外道の内には正直有智の人多しといへども、二天、三仙の邪法を承けしかば終には悪道を脱るる事なし。然るに今の世の南無阿弥陀仏と申す人人、南無妙法蓮華経と申す人を、或は笑ひ或はあざむく。此は世間の譬に稗の稲をいとひ、家主の田苗を憎む是也。是国将なき時の盗人也、日の出でざる時の?也。夜打、強盗の科めなきが如く、地中の自在なるが如し。南無妙法蓮華経と申す国将と日輪とにあはば、大火の水に消へ猿猴が犬に値ふなるべし。当時南無阿弥陀仏の人人、南無妙法蓮華経の御声の聞えぬれば、或は色を失ひ、或は眼を瞋らし、或は魂を滅し、或は五体をふるふ(震)。伝教大師云く「日出づれば星隠れ、巧を見て拙きを知る」。龍樹菩薩云く「謬辞失ひ易く邪義扶け難し」。徳慧菩薩云く「面に死喪の色有り、言に哀怨の声を含む」。法歳云く「昔の義は虎、今は伏鹿なり」等云云。此等の意を以て知ぬべし。妙法蓮華経の徳あらあら申し開くべし。毒薬変じて薬となる、妙法蓮華経の五字は悪変じて善となる。玉泉と申す泉は石を玉となす、此五字は凡夫を仏となす。されば過去の慈父尊霊は存在に南無妙法蓮華経と唱へしかば即身成仏の人也。石変じて玉と成るが如し、孝養の至極と申候也。故に法華経に云く「此我二子、已作仏事」。又云く「此二子者是我善知識」等云云。乃往過去の世に一の大王あり、名を輪陀と申す。此王は白馬の鳴くを聞きて色もいつくしく力も強く、供御を進らせざれども食にあき給ふ。佗国の敵も冑を脱ぎ掌を合す。又此白馬鳴く事は白鳥を見て鳴きけり。然るに大王の政や悪かりけん、又過去の悪業や感じけん。白鳥皆失て一羽もなかりしかば白馬鳴く事なし。白馬鳴かざりければ大王の色も変じ力も衰へ、身もかじけ謀も薄くなりし故に国既に乱れぬ。佗国よりも兵者せめ来らんに、何とかせんと歎きし程に、大王の勅宣に云く「国には外道多し、皆我帰依し奉る仏法も亦かくの如し。然るに外道と仏法と中悪し、何にしても白馬を鳴かせん方を信じて、一方を我国に失ふべしと」云云。爾時一切の外道集りて白鳥を現じて白馬を鳴かせんとせしかども白鳥現ずる事なし。昔は雲を出し霧をふらし(降)、風を吹かせ波をたて、身の上に火を出し水を現じ、人を馬となし馬を人となし、一切自在なりしかども、如何がしけん、白鳥を現ずる事なかりき。爾時馬鳴菩薩と申す仏子あり、十方の諸仏に祈願せしかば、白鳥則ち出来りて白馬則ち鳴けり。大王此を聞食し、色も少し出て来り力も付き、はだへ(膚)もあざやか(鮮)なり。又白鳥、又白鳥、千の白鳥出現して、千の白馬一時に鶏の時をつくる様に鳴きしかば、大王此声を聞食し、色は日輪の如し、膚は月の如し、力は那羅延の如し、謀は梵王の如し。爾時に綸言汗の如く出て返らざれば、一切の外道等其寺を仏寺となしぬ。今日本国亦かくの如し。此国は始めは神代也。漸く代の末になる程に人の意曲り、貪瞋痴強盛なれば神の智浅く、威も力も少し。氏子共をも守護しがたかりしかば、漸く仏法と申す大法を取り渡して人の意も直に、神も威勢強かりし程に、仏法に付き謬り多く出来せし故に国あやう(危)かりしかば、伝教大師漢土に渡りて日本と漢土と月氏との聖教を勘へ合せて、おろか(愚)なるをば捨て賢きをば取り、偏頗もなく勘へ給ひて、法華経の三部を鎮護国家の三部と定め置きて候しを、弘法大師、慈覚大師、智証大師と申せし聖人等、或は漢土に事を寄せて、或は月氏に事を寄せ、法華経を或は第三、第二、或は戯論或は無明の辺域等押下し給ひて、法華経を真言の三部と成さしめて候し程に、代漸く下剋上し、此邪義既に一国に弘まる。人多く悪道に落ちて神の威も漸く滅し、氏子をも守護しがたき故に八十一、乃至八十五之五主は、或は西海に沈み、或は四海に捨てられ、今生には大鬼となり後生は無間地獄に落給ひぬ。然りといえども此事知れる人なければ改める事なし。今日蓮此事をあらあら知る故に、国の恩を報ぜんとするに日蓮を怨み給ふ。此等さて置きぬ。氏女の慈父は輪陀王の如し。氏女は馬鳴菩薩の如し、白鳥は法華経の如し、白馬は日蓮の如し、南無妙法蓮華経は白馬の鳴くが如し。大王の聞食して、色も盛んに力も強きは、過去の慈父、氏女の南無妙法蓮華経の御音を聞食して仏に成らせ給ふが如し。
 弘安三年八月十四日                 日蓮花押
  内房女房御返事
(微上ノ二七。考四ノ一八。)

#0377-200 上野殿御返事(子財書) 弘安三(1280.08・26) [p1791]
上野殿御返事(上野第卅二書)(子財書)(与四条氏書)
     弘安三年八月。五十九歳作。
     外一〇ノ二七。遺二九ノ一。縮一九七八。類九〇八。

 女子は門をひらく、男子は家をつぐ。日本国を知ても子なくば誰にかつがすべき。財を大千にみて(満)ても子なくば誰にかゆづるべき。されば外典三千余巻には子ある人を長者といふ。内典五千余巻には子なき人を貧人といふ。女子一人男子一人、たとへば天には日月のごとし、地には東西にかたどれり。鳥の二のはね(羽)、車の二のわ(輪)なり。さればこの男子をば日若御前と申させ給へ。くはしく(委)は又又申べし。
  八月二十六日                 日蓮花押
   上野殿御返事
(微上ノ四七。考四ノ二四。)

#0378-300 松野殿女房御返事 弘安三(1280.09・01) [p1792]
松野殿女房御返事(第四書)
     弘安三年九月。五十九歳作。
     外一三ノ七。遺二九ノ一。縮一九七九。類一〇四二。

 白米一斗、芋一駄、梨子一篭、名荷、はじかみ、枝大豆、えびね(山葵)、旁の物給候ぬ。濁れる水には月住まず、枯たる木には鳥なし。心なき女人の身には仏住み給はず。法華経を持つ女人は澄める水の如し、釈迦仏の月宿らせ給ふ。譬へば女人の懐み始めたるには吾身には覚えねども、月漸く重なり日も屡過れば、初にはさかと疑ひ後には一定と思ふ。心ある女人はをのこご(男子)、をんな(女)をも知る也。法華経の法門も亦かくの如し。南無妙法蓮華経と心に信じぬれば、心を宿として釈迦仏懐まれ給ふ。始めはしらねども漸く月重なれば心の仏夢に見え、悦こばしき心漸く出来し候べし。法門多しといへども止め候。法華経は初は信ずる様なれども後遂る事かたし。譬へば水の風にうごき、花の色の露に移るが如し。何として今までは持たせ給ふぞ。是偏へに前生の功力の上、釈迦仏の護り給ふ歟。たのもしし、たのもしし。委くは甲斐殿申すべし。
  九月一日                       日蓮花押
   松野殿女房御返事
(考四ノ四八。)

#0383-300 妙一女御返事 弘安三(1280.10・05) [p1796]
妙一女御返事(第二書)(法華即身成仏鈔)
     弘安三年十月。五十九歳作。
     外一八ノ二六。遺二九ノ三。縮一九八一。類一一四四。

 去る七月中旬之比、真言、法華即身成仏の法門大体註し進せ候し。其後は一定法華経の即身成仏を御用ひ候らん。さなく候ては当世の人人の得意候無得道の即身成仏なるべし。不審也。先日書いて進らせ候し法門能心を留めて御覧あるべし。其上即身成仏と申す法門は、世流布の学者は皆一大事とたしなみ申す事にて候ぞ。就中予が門弟は万事をさしをきて此一事に可留心也。建長五年より今弘安三年に至るまで二十七年の間、在在処処にして申し宣たる法門繁多なりといへども、所詮は只此の一途也。世間の学者の中に真言家に立たる即身成仏は、釈尊所説の四味三教に接入したる大日経等の三部経に、別教の菩薩の授職潅頂を至極の即身成仏等と思ふ。是は七位の中の十回向の菩薩の歓喜地を証得せる為体也。全く円教の即身成仏の法門にあらず。仮令経文にあるよしを罵るとも、歓喜行証得の上に得たるところの功徳を沙汰する分斎にてあるなり。是十地の菩薩の因分の所行にして十地等覚は不知果分。円教の心を以て奪ていへば六即の中の名字、観行の一念に同じ。与て云ふ時は観行即の事理和融にして理慧相応の観行に及ばず。或は菩提心論の文により、或は大日経の三部の文によれども即身成仏にこそあらざらめ。生身得忍にだにも云ひよせざる法門也。されば世間の人人菩提心論の唯真言法中の文に落されて、即身成仏は真言宗に限ると思へり。依之正しく即身成仏を説給ひたる法華経をば戯論等云云。止観五に云く「設世を厭ふ者も下劣の乗を玩んで枝葉に攀附す。狗作務に狎れ、猿猴を敬ひて帝釈と為し、瓦礫を崇めて是明珠とす。此の黒闇の人豈に道を論ず可けんや」等云云。此意なるべし。歎かはしき哉、華厳、真言、法相の学者徒にいとまをついやし即身成仏の法門をたつる事よ。夫先法華経の即身成仏の法門は龍女を証拠とすべし。提婆品に云く「於須臾頃便成正覚」等云云。乃至「変成男子」。又云く「即往南方無垢世界」云云。伝教大師云く「能化の龍女も歴劫の行無く所化の衆生も亦歴劫無し。能化所化倶に歴劫無し。妙法経力即身成仏す」等云云。又法華経の即身成仏に二種あり、迹門は理具の即身成仏、本門は事の即身成仏也。今本門の即身成仏は当位即妙本有不改と断ずるなれば、肉身を其まゝ本有無作の三身如来と云へる是也。此法門は一代諸経の中に無之。文句に云く「諸経の中に於て之を秘して伝へず」等云云。又法華経の弘まらせ給ふべき時に二度有り、所謂在世と末法と也。修行に又二意有り。仏世は純円一実、滅後末法の今の時は、一向本門の弘まらせ給ふべき時也。迹門の弘まらせ給ふべき時は已に過て二百余年になり。天台、伝教こそ其能弘の人にてましまし候しかどもそれもはや入滅し給ひぬ。日蓮は今時を得たり、豈此所属の本門を弘めざらんや。本迹二門は機も法も時も遥に各別也。問て云く、日蓮計知此事乎。答て云く、天親、龍樹内鑑冷然等云云。天台大師云く「後の五百歳遠く妙道に沾はん」伝教大師云く「正、像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り、法華一乗の機今正しく是其時なり、何を以てか知ることを得る」。安楽行品に云く「末世法滅時」云云。此等論師、人師、末法闘諍堅固の時、地涌出現し給ひて本門の肝心南無妙法蓮華経の弘まらせ給ふべき時を知て、恋させ給ひて如是釈を設けさせ給ひぬ。尚尚即身成仏者、迹門は能入の門、本門は即身成仏の所詮の実義なり。迹門にして得道せる人人、種類種、相対種の成仏、何れも其実義は本門寿量品に限れば常にかく観念し給へ、正観なるべし。然るにさばかりの上代の人人だにも即身成仏には取り煩はせ給ひしに、女人の身として度度如此法門を尋ねさせ給ふ事は偏に只事にあらず。教主釈尊御身に入り替らせ給ふにや。龍女が跡を継ぎ給ふ歟。又?曇弥女、二度来れる歟。不知、御身は忽に五障の雲晴て寂光の覚月を詠め給ふべし。委細は又又可申候。
 弘安三年十月五日                日蓮花押
  妙一女御返事
(考六ノ五三。)

#0384-300 四条金吾殿御返事 弘安三(1280.10・08) [p1799]
四条金吾殿御返事(四条第廿八書)
     弘安三年十月。五十九歳作。
     外二ノ五。遺二九ノ七。縮一九八五。類九〇八。

 自殿岡米送給候。今年七月盂蘭盆供の僧膳にして候。自恣の僧、霊山之聴衆、仏陀、神明も納受随喜し給らん。尽せぬ志、連連の御訪、言を以て尽しがたし。何となくとも殿の事は後生菩提疑なし。何事よりも文永八年の御勘気の時、既に相模国龍口にて頸切れんとせし時にも、殿は馬の口に付て足歩赤足にて泣悲み給事実にならば腹きらんとの気色なりしをばいつの世にか思忘るべき。それのみならずさどのしまにはなたれ、北国のゆきのしたにうづまれ、北山のたけの山おろしにいのちたすかるべしともをぼへず、年来のどうほうにもすてられ、こきやうへかへる事は、大海のそこのちびきの石のおもひして、さずがに凡夫なればいにしへの人人もこひしきに、在俗の宦仕隙なき身に、此経を信ずる事こそ希有なるに、山河を凌ぎ蒼海を経て遥に尋ね来給ふ志、香城に骨を砕き雪嶺に身を投し人人にも、争か劣り給べき。又我身はこれ程に浮び難かりしが、いかなりける事にてや、同十一年の春の比赦免せられて鎌倉に帰り上りけむ。倩事の情を案ずるに今は我身に過あらじ。或は命に及ばんとし、弘長にはいづの国、文永にはさどのしま、かんげうさいさんに及べば留難てうでうせり。仏法中怨のかいしやく我はやはやまぬかるらん。しかれば今山林に世を遁れ、みちを入る事をすゝみおもひしに人人のかたるさまざまなりしかども、旁存ずるむねあるによりて、当国当山に入てすでに七年の春秋ををくる。又身の智分をば且く置ぬ。法華経の方人として難を忍び、疵を蒙る事は漢土の天台大師にも越え、日域の伝教大師にも勝たり。是は時の然らしむる故なり。我身法華経の行者ならば霊山の教主釈迦、宝浄世界の多宝如来、十方分身の諸仏、本化の大士、迹化の大菩薩。梵釈、龍神、十羅刹女も定て此砌におはしますらん。水あれば魚すむ、林あれば鳥来る。蓬莱山には玉多く、摩黎山には栴檀生ず、麗水の山には金あり。今此所も如此。仏、菩薩の住給ふ功徳聚の砌也。多くの月日を送り読誦し奉る所の法華経の功徳は虚空にも余りぬべし。然るを毎年度度の御参詣には、無始の罪障も定て今生一世に消滅すべきか。弥はげむべしはげむべし。
  十月八日                 日蓮花押
   四条中務三郎左衛門殿御返事
(微上ノ七。考二ノ二。)

#0386-300 刑部左衛門尉女房御返事 弘安三(1280.10・21) [p1803]
刑部左衛門尉女房御返事
     弘安三年十月。五十九歳作。与尾張刑部妻書。
     外四ノ二〇。遺二九ノ八。縮一九八七。類一一二一。

 今月飛来の雁書に云く「此十月三日母にて候もの十三年に相当れり、銭二十貫文」等云云。夫外典三千余巻には忠孝の二字を骨とし、内典五千余巻には孝養を眼とせり。不幸の者をば日月も光ををしみ、地神も瞋をなすと見へて候。或経に云く「六道の一切衆生仏前に参り集りたりしに、仏彼等が身の上の事を一一に問給ひし中に、仏地神に、汝大地より重きものありやと問給ひしかば、地神敬んで申さく、大地より重き物候と申す。仏の曰く、いかに地神偏頗をば申すぞ、此三千大千世界の建立は皆大地の上にそなわれり。所謂須弥山の高さ十六万八千由旬、横三百三十六万里也。大海は縦横八万四千由旬也。其外の一切衆生、草木等は皆大地の上にそなわれり。此を持てるが大地より重き物有らんやと問給ひしかば、地神答て云く、仏は知食しながら人に知らせんとて問給ふ歟。我地神となること二十九劫也。其間大地を頂戴して候に、頸も腰も痛むことなし。虚空を東西南北へ馳走するにも重きこと候はず。但不孝の者のすみ(住)候所が身にあまりて重く候也。頸もいたく腰もおれぬべく、膝もたゆく足もひかれず、眼もくれ魂もぬけべく候。あわれ此人の住所の大地をばなげすてばやと思ふ心たびたび出来し候へば、不孝の者の住所は常に大地ゆり(震)候也。されば教主釈尊の御いとこ提婆達多と申せし人は閻浮提第一の上臘、王種姓也。然れども不孝の人なれば我等彼の下の大地を持つことなくして、大地破れて無間地獄に入り給ひき。我等が力及ばざる故にて候と、かくの如く地神こまごまと仏に申上げ候しかば、仏はげにもげにもと合点せさせ給ひき。又仏歎て云く「我滅後の衆生の不孝ならん事、提婆にも過ぎ瞿伽利にも超えたるべし」等云云(取意)。涅槃経に「末代悪世に不孝の者は大地微塵よりも多く、孝養の者は爪上よりもすくなからん」と云云。今日蓮案じて云く、此経文は殊にさもやとをぼへ候。父母の御恩は今初て事あらたに申すべきには候はねども、母の御恩の事、殊に心肝に染みて貴くをぼへ候。飛鳥の子をやしなひ地を走る獣の子にせめられ候事、目もあてられず魂もきえぬべくをぼへ候。其につきても母の御恩忘れがたし。胎内に九月の間の苦み、腹は鼓をはれるが如く、頸は針をさげたるが如し。気は出づるより外に入る事なく、色は枯れたる草の如し。臥ば腹もさけぬべし、坐すれば五体やすからず。かくの如くして、産も既に近づきて腰はやぶれてきれぬべく、眼はぬけて天に昇るかとをぼゆ。かゝる敵をうみ落しなば大地にもふみつけ、腹をもさきて捨つべきぞかし。さはなくして我が苦を忍びて急ぎいだきあげて、血をねぶり不浄をすゝぎて胸にかきつけ、懐きかゝへて三箇年が間慇懃に養ふ。母の乳をのむ事一百八十斛(石)三升五合也。此乳のあたひは一合なりとも三千大千世界にかへぬべし。されば乳一升のあたひを検へて候へば米に当れば一万一千八百五十斛五升、稲には二万一千七百束に余り、布には三千三百七十段(反)也。何に況や一百八十斛三升五合のあたひをや。佗人の物は銭の一文、米一合なりとも盗みぬればろう(牢)のすもり(巣守)となり候ぞかし。而るを親は十人の子をば養へども子は一人の母を養ふことなし。あたゝかなる夫をば懐きて臥せども、こごへたる母の足をあたゝむる女房はなし。給弧独園の金鳥は子の為に火に入り、?尸迦夫人は夫の為に父を殺す。仏の云く「父母は常に子を念へども子は父母を念はず」等云云。影現王の云く「父は子を念ふといえども子は父を念はず」等是也。設ひ又今生には父母に孝養をいたす様なれども後生のゆくへまで問ふ人はなし。母の生きてをはせしには心には思はねども一月に一度、一年に一度は問ひしかども、死し給ひてより後は初七日より二七日、乃至第三年までは人目の事なれば形の如く問訪ひ候へども、十三年四千余日が間の程はかきたえ問ふ人はなし。生きてをはせし時は一日片時のわかれをば、千万日とこそ思はれしかども、十三年四千余日の程はつやつやをとづれなし。如何にきかまほしくましますらん。夫外典の孝経には唯今生の孝のみををしへて、後生のゆくへをしらず。身の病をいやして心の歎きをやめざるが如し。内典五千余巻には人天、二乗の道に入れていまだ仏道へ引導する事なし。夫目連尊者の父をば吉占師子、母をば青提女と申せしなり。母死して後餓鬼道に堕ちたり。しかれども凡夫の間は知る事なし。証果の二乗となりて天眼を開きて見しかば、母餓鬼道に堕ちたりき。あらあさましやといふ計りもなし。餓鬼道に行きて飯をまいらせしかば、纔に口に入るかと見えしが、飯変じて炎となり、口はかなへの如く、飯は炭をおこせるが如し。身は灯炬の如くもえあがりしかば、神通を現じて水を出だして消す処に水変じて炎となり、弥火炎のごとくもえあがる。目連自力には叶はざる間、仏の御前に走り参り申してありしかば、十方の聖僧を供養し、其生飯を取りて纔に母の餓鬼道の苦をば救ひ給へる計り也。釈迦仏は御誕生の後七日と申せしに母の摩耶夫人にをくれまいらせましましき。凡夫にてわたらせ給へば母の生処を知しめすことなし。三十の御年に仏にならせ給ひて、父浄飯王を現身に教化して証果の羅漢となし給ふ。母の御ためには?利天に昇り給ひて、摩耶経を説給ひて父母を阿羅漢となしまいらせ給ひぬ。此等をば爾前の経経の人人は孝養の二乗、孝養の仏とこそ思ひ候へども立還て見候へば不孝の声聞、不孝の仏也。目連尊者程の聖人が母を成仏の道に入れ給はず。釈迦仏程の大聖の父母を二乗の道に入れ奉りて永不成仏の歎きを深くなさせまいらせ給ひしをば、孝養とや申すべき、不孝とや云ふべき。而るに浄名居士、目連を毀りて云く「六師外道が弟子也」等云云。仏自身を責めて云く「我則堕慳貪此事為不可」等云云。然らば目連は知らざれば科浅くもやあるらん。仏は法華経を知ろしめしながら、生きてをはする父に惜み、死してまします母に再び値奉りて説かせ給はざりしかば、大慳貪の人をばこれより外に尋ぬべからず。つらつら事の心を案ずるに仏は二百五十戒をも破り、十重禁戒をも犯し給ふ者也。仏法華経を説せ給はずば、十方の一切衆生を不孝に堕し給ふ大科まぬかれがたし。故に天台大師此事を宣べて云く「過則ち仏に属す」云云。有人云く「是十方三世の仏、本誓に違背し、衆生を欺誑すること有るなり」等云云。夫四十余年の大小、顕密の一切経、並に真言、華厳、三論、法相、倶舎、成実、律、浄土、禅宗等の仏、菩薩、二乗、梵釈、日月及び元祖等は、法華経に随ふ事なくば何なる孝養をなすとも「我則堕慳貪」の科脱るべからず。故に仏本願に趣きて法華経を説給ひき。而るに法華経の御座には父母ましまさざりしかば、親の生れてまします方便土と申す国へ贈り給て候なり。其御言に云く「而於彼土求仏智慧得聞是経」等云云。此経文は智者ならん人人は心をとどむべし。教主釈尊の父母の御ために説せ給ひて候経文也。此法門は唯天台大師と申せし人計りこそ知りてをはし候ひけれ。其外の諸宗の人人知らざる事也。日蓮が心中に第一と思ふ法門也。父母に御孝養の意あらん人人は法華経を贈り給ふべし。教主釈尊の父母の御孝養には法華経を贈り給ひて候。日蓮が母存生してをはせしに仰せ候し事をも、あまりにそむきまいらせて候しかば、今をくれ(後)まいらせて候があながちに、くやし(悔)く覚へて候へば、一代聖教を検へて母の孝養を仕らんと存じ候間、母の御訪ひ申させ給ふ人人をば、我身の様に思ひまいらせ候へば、あまりにうれしく思ひまいらせ候間、あらあらかきつけて申候也。定めて過去聖霊も忽に六道の垢穢を離れて霊山浄土へ御参り候らん。此法門を知識に値はせ給ひて度度きかせ給ふべし。日本国に知る人すくなき法門にて候ぞ。くはしくは又又申すべく候。恐恐謹言。
 十月二十一日                    日蓮花押
  尾張刑部左衛門尉殿女房御返事
(微上ノ一四。考二ノ四三)

#0390-300 日厳尼御前御返事 弘安三(1280.11・29) [p1819]
日厳尼御前御返事
     弘安三年十一月。五十九歳作。与岩本日源母書。
     外二ノ二五。遺二九ノ三〇。縮二〇一〇。類一一二九。

 弘安三年十一月八日。尼、日厳の立申す立願の願書、並に御布施の銭一貫文、又たふかたびら(太布帷子)一つ、法華経の御宝前、並に日月天に申上候畢ぬ。其上は私に計り申すに及ばず候。叶ひ叶はぬは御信心により候べし。全く日蓮がとがにあらず。水すめば月うつる、風ふけば木ゆるぐごとく、みなの御心は水のごとし、信のよはき(弱)はにごる(濁)がごとし。信心のいさぎよきはすめる(澄)がごとし。木は道理のごとし、風のゆるがすは経文をよむがごとしとをぼしめせ。恐恐。
 十一月二十九日。                  日蓮花押
  日厳尼御前御返事
(考二ノ一一。)

#0392-300 四条金吾許御文(八幡抄)弘安三(1280.12・16) [p1821]
四条金吾許御文(第六書)(八幡鈔)
    弘安三年十二月。五十八歳作。与四条金吾女房書。
    内一六ノ五八。遺二九ノ三〇。縮二〇一一。類九一〇。

 白小袖一、緜十両慥に給候畢ぬ。歳もかたぶき(傾)候又処は山中風はげしく庵室はかご(篭)の目の如し。うちしく物は草の葉、きたる物はかみぎぬ(紙衣)、身のひゆる(冷)事は石の如し、食物は冰の如くに候へば此御小袖給候て頓て身をあたゝまらんとをもへども、明年の一日とかかれて候へば、迦葉尊者の鶏足山にこもりて慈尊の出世五十六億七千万歳をまたるるもかくやひさし(久)かるらん。これはさてをき候ぬ。しいぢ(椎地)の四郎がかたり申候御前の御法門の事、うけ給り候こそよにすずしく覚え候へ。此御引出物に大事の法門一かき付てまいらせ候。八幡大菩薩をば世間の智者、愚者大体は阿弥陀仏の化身と申候ぞ。其もゆへなきにあらず、中古の義に或は八幡の御託宣とて阿弥陀仏と申しける事少少候。此はをのをの心の念仏者にて候故にあかき石を金と思ひ、くひせ(株)をうさぎ(兔)と見るが如し。其実には釈迦仏にておはしまし候ぞ。其故は大隅国に石体銘と申す事あり。一の石われて二になる。一の石には八幡と申す二字あり。一の石の銘には「昔霊鷲山に於て妙法華経を説き今正宮の中に在つて大菩薩と示現す」と云云。是釈迦仏と申す第一の証文也。此よりもことにまさしき事候。此八幡大菩薩は日本国人王第十四代仲哀天皇は父也。第十五代神功皇后は母也。第十六代応神天皇は今の八幡大菩薩是也。父の仲哀天皇は天照太神の仰にて新羅国を責んが為に渡給しが、新羅の大王に調伏せられ給て仲哀天皇ははかた(博多)にて崩御ありしかば、きさき(后)の神功皇后は此太子を御懐妊(姙)ありながらわたらせ給しが、王の敵をうたんとて数万騎のせい(勢)をあい具して新羅国へ渡り給しに、浪の上船の内にて王子御誕生の気いでき見え給ふ。其時神功皇后ははら(腹)の内の王子にかたり給ふ。汝は王子か女子か、王子ならばたしかに聞給へ。我は君の父仲哀天皇の敵を打んが為に新羅国へ渡る也。我身は女の身なれば汝を大将とたのむべし。君日本国の主となり給べきならば今度生れ給はずして軍の間、腹の内にて数万騎の大将となりて父の敵を打せ給へ。是を用ひ給はずして只今生れ給ほどならば海へ入奉らんずる也。我を恨に思給なと有ければ王子本の如く胎内にをさまり給けり。其時石のをび(帯)を以て胎をひやし、新羅国へ渡り給て新羅国を打したがへて、還て豊前国うさ(宇佐)の宮につき給ひ、こゝにて王子誕生あり。懐胎の後三年六月三日と申す甲寅の年四月八日に生れさせ給ふ、是を応神天皇と号し奉る。御年八十と申す壬申の年二月十五日にかくれ(崩御)させ給ふ。男山の主、我朝の守護神、正体めづらしからずして霊験新たにおはします、今の八幡大菩薩是也。又釈迦如来は住劫第九の減人寿百歳の時、浄飯王を父とし摩耶夫人を母として、中天竺伽毘羅衛国らんびに(蘭毘尼)薗と申す処にて甲寅年四月八日に生れさせ給ぬ。八十年を経て東天竺倶尸那城跋提河の辺にて二月十五日壬申にかくれ(入滅)させ給ぬ。今の八幡大菩薩も又如是。月氏と日本と父母はかわれども、四月八日と甲寅と、二月十五日と壬申とはかわる事なし。仏滅度の後二千二百二十余年が間月氏、漢土、日本、一閻浮提の内に聖人、賢人と生るる人をば、皆釈迦如来の化身とこそ申せどもかゝる不思議は未見聞。かゝる不思議の候上八幡大菩薩の御誓は、月氏にては法華経を説て正直捨方便となのらせ給ひ、日本国にしては正直の頂にやどらんと誓給ふ。而に去る十一月十四日の子の時に御宝殿をやい(焼)て天にのぼらせ給ぬる故をかんがへ候に、此神は正直の人の頂にやどらんと誓へるに、正直の人の頂の候はねば居処なき故に、栖なくして天にのぼり給ける也。日本国の第一の不思議には釈迦如来の国に生れて、此仏をすてて一切衆生皆一同に阿弥陀仏につけり。有縁の釈迦をばすて奉り無縁の阿弥陀仏をあをぎたてまつりぬ。其上親父釈迦仏の入滅の日をば阿弥陀仏につけ、又誕生の日をば薬師になしぬ。八幡大菩薩をば崇るやうなれども又本地を阿弥陀仏になしぬ。本地垂迹を捨る上に此事を申す人をばかたきとする故に、力及ばせ給はずして此神は天にのぼり給ぬる歟。但し月は影を水にうかぶる、濁れる水には栖ことなし。木の上草の葉なれども澄める露には移る事なれば、かならず国主ならずとも正直の人のかうべにはやどり給なるべし。然れば百王の頂にやどらんと誓給しかども、人王八十一代安徳天皇、二代隠岐法皇、三代阿波、四代佐渡、五代東一条等の五人の国王の頂にはすみ給はず。諂曲の人の頂なる故也。頼朝と義時とは臣下なれども其頂にはやどり給ふ。正直なる故歟。此を以て思に法華経の人人は正直の法につき給ふ。故に釈迦仏猶是をまほり給ふ。況や垂迹の八幡大菩薩争か是をまほり給はざるべき。浄き水なれども濁ぬれば月やどる事なし、糞水なれどもすめば影を惜み給はず。濁水は清けれども月やどらず、糞水はきたなけれどもすめば影ををしまず。濁水は智者、学匠の持戒なるが法華経に背くが如し。糞水は愚人の無戒なるが、貪欲ふかく瞋恚強盛なれども法華経計を無二無三に信じまいらせて有が如し。涅槃経と申す経には法華経の得道の者を列て候に、??蝮蠍と申て糞虫を挙させ給ふ。龍樹菩薩は法華経の不思議を書給ふに昆虫と申て糞虫を仏になす等云云。又涅槃経に法華経にして仏になるまじき人をあげられて候には、「一闡提人如阿羅漢如大菩薩」等云云。此等は濁水は浄けれども月の影を移す事なしと見えて候。されば八幡大菩薩は不正直をにくみて天にのぼり給ふとも、法華経の行者を見ては争か其影をばをしみ給べき。我一門は深く此心を信ぜさせ給べし。八幡大菩薩は此にわたらせ給ふ也。疑ひ給ふ事なかれ疑ひ給ふ事なかれ。恐恐謹言。
    十二月十六日               日蓮花押
 四条金吾殿女房御返事
(啓二六ノ一〇二。鈔一六ノ三三。註一七ノ九。語三ノ一〇。拾四ノ九。扶一〇ノ一。音下ノ二〇。)

#0394-200 上野殿御返事 弘安三(1280.12・27) [p1828]
上野殿御返事(上野第卅三書)(報南条氏書)
     弘安三年十二月。五十九歳作。
     内三二ノ一七。遺二九ノ三七。縮二〇一八。類一〇一二。

 鵞目一貫文送給畢ぬ。御心ざしの候へば申候ぞ。よく(慾)ふかき御房とおぼしめす事なかれ。仏にやすやす(易々)となる事の候ぞ、をしへまいらせ候はん。人のものををしふると申は、車のおも(重)けれども油をぬればまわり、ふね(船)を水にうかべてゆきやす(行易)きやうにをしへ候なり。仏になりやすき事は別のやう候はず。旱魃にかわけ(渇)るものに水をあたへ、寒冰にこごへ(凍)たるものに火をあたふるがごとし。又二なき物を人にあたへ、命のたゆ(絶)るに、人のせ(施)にあふがごとし。金色王と申せし王は、其国に十二年の大旱魃あ(有)て、万民飢死る事かずをしらず。河には死人をはし(橋)とし、陸にはがいこつ(骸骨)をつか(塚)とせり。其時金色大王大菩提心ををこして、おほきに施をほどこし給き。せ(施)すべき物みなつきて蔵の中にただ米五升だにのこれり。大王の一日の御くご(供御)なりと臣下申せしかば、大王五升の米をとり出て一切の飢たるものに或は一りう(粒)二りう、或は三りう(粒)四りうなんどあまねくあたへさせ給てのち、天に向せ給て朕は一切衆生のけかち(飢渇)の苦にかはり(代)て、うえじに(飢死)候ぞとこえをあげてよばはらせ給しかば、天きこしめし(聞召)て甘呂(露)の雨を須臾に下し給き。この雨を手にふれ(触)かを(顔)にかかりし人、皆食にあきみちて一国の万民せちな(刹那)のほどに命よみがへ(蘇)りて候けり。月氏国にす(須)達長者と申せし者は七度貧になり七度長者となりて候しが、最後の貧の時は万民皆にげうせ(逃失)死をはりてただめおとこ(夫妻)二人にて候し時五升の米あり、五日のかつて(糧)とあて(当)候し時、迦葉、舎利弗、阿難、羅?羅、釈迦仏五人次第に入せ給て、五升の米をこひ(乞)とらせ給き。其日より五天竺第一の長者となりて、祇園精舎をばつくりて候ぞ。これをも(以)てよろづを心へ(得)させ給へ。貴辺はすでに法華経の行者に似させ給へる事、さる(猿)の人に似、もちい(餅)の月に似たるがごとし。あつはら(熱原)のものどものかく(斯)をしませ給へる事は、承平の将門、天喜の貞当(任)のやうに此国のものどもはおもひて候ぞ。これひとへに法華経に命をすつるゆへ也。またく(全)主君にそむく人とは天御覧あらじ。其上わづかの小郷にをほくの公事ぜめ(責)にあてられて、わが身はのる(乗)べき馬なし、妻子はひきかかるべき衣なし。かゝる身なれども法華経の行者の山中の雪にせめられ、食ともし(乏)かるらんとおもひやらせ給て、ぜに(銭)一貫をくら(送)せ給へるは、貧女がめおとこ(夫婦)二人して一の衣をきたりしを乞食にあたへ、りだ(利咤)が合子の中なりしひえ(稗)を辟支仏にあたへたりしがごとし。たうとし(貴)たうとし。くはしく(委)は又又申べし。恐恐謹言。
 十二月二十七日               日蓮花押
 上野殿御返事
(啓三四ノ二〇。鈔二三ノ四五。語四ノ四七。音下ノ四〇。拾七ノ二三。扶一三ノ二三)

#0402-200 上野殿御返事 弘安四(1281.03・18) [p1861]
上野殿御返事(上野第卅四書)
     弘安四年三月。六十歳作。
     外八ノ七。遺三〇ノ五。縮二〇四九。類一〇一五。

 蹲鴟一俵給畢ぬ。又かうぬし(神主)のもとに候御乳、塩一疋並に口付一人候。さては故五郎殿の事はそのなげき(歎)ふり(古)ずとおもへども、御けさん(見参)ははるか(遥)なるやうにこそおぼえ候へ。なをもなを(尚尚)も法華経をあだ(怨)む事はたえ(絶)つとも見候はねば、これよりのちもいかなる事か候はんずらめども、いままでこらへ(堪)させ給へる事まことしからず候。仏の説ての給はく「火に入てやけぬ者はありとも大水に入てぬれ(濡)ぬ者はありとも、大山は空へとぶとも、大海は天へあがるとも、末代悪世に入ば須臾の間も法華経は信じがたき事」にて候ぞ。徽宗皇帝は漢土の主じ、蒙古国にからめとられさせ給ぬ。隠岐法王は日本国のあるじ、右京の権大夫殿にせめられさせ給て島にてはて(果)させ給ぬ。法華経のゆへにてだにもあるならば即身に仏にもならせ給なん。わづかの事には身をやぶり命をすつれども、法華経の御ゆへにあやし(少)のとが(科)にあたらんとおもふ人は候はぬぞ。身にて心み(試)させ給候ぬらん。たうとし(尊)たうとし。恐恐謹言。
  三月十八日                日蓮花押
   上野殿御返事
(考三ノ四三。)

#0403-200 三大秘法稟承事(報太田氏書)弘安四(1281.04・08) [p1862]
三大秘法禀承事(報太田氏書)
     弘安四年四月。六十歳著。与太田金吾書。
     外一五ノ二八。遺三〇ノ六。縮二〇五一。類二三九。

 夫れ法華経の第七神力品に云く「以要言之、如来一切所有之法、如来一切自在神力、如来一切秘要之蔵、如来一切甚深之事皆於此経宜示顕説」等云云。釈に云く「経中の要説、要四事に在在り」等云云。問ふ、所説の要言の法とは何物ぞや。答ふ、夫れ釈尊成道より四味三教、乃至法華経の広開三顕一の席を立ちて、略開近顕遠を説かせ給ひし涌出品までに、秘せさせ給ひし実相証得の当初修行し給ひし処の寿量品の本尊と戒壇と題目の五字なり。教主釈尊此の秘法をば三世に隠れ無く普賢、文殊等にも譲り給はず、況や其の以をや。されば此の秘法を説かせ給ひし儀式は、四味、三教並びに法華経の迹門十四品に異なりき。所居の土は寂光本有の国土なり、能居の教主は本有無作の三身なり、所化以て同体なり。かゝる砌なれば久遠称揚の本眷属上行等の四菩薩を寂光の大地の底よりはるばると召し出して付属し給ふ。道迅律師云く「法是れ久成の法なるに由る故に久成の人に付す」等云云。問て云く、其の所属の法門仏の滅後に於ては、何れの時に弘通し給ふべきや。答へて云く、経の第七薬王品に云く「後五百歳中広宣流布於閻浮提無令断絶」等云云。謹んで経文を拝見し奉るに仏の滅後正像二千年過ぎて、第五の五百歳闘諍堅固白法隠没の時云云。問て云く、夫れ諸仏の慈悲は天月の如し、機縁の水澄めば利生の影を万機の水に移すべき処に、正像末の三時の中に末法に限ると説き給は、教主釈尊の慈悲に於て偏頗あるに似たり如何。答ふ、諸仏の和光利物の月影は九法界の闇を照すと雖も、謗法一闡捉の濁水には影を移さず。正法一千年の機の前には唯小乗、権大乗相叶へり。像法一千年には法華経の迹門の機に相応せり。末法に入つて始めの五百年には法華経の本門前後十三品をば置きて、只寿量品の一品を弘通すべき時なり。機法相応せり。今此の本門寿量の一品は像法の後の五百歳尚ほ堪えず。況や始めの五百年をや、何に況や正法の機には迹門尚ほ日浅し、まして本門をや。末法に入つて爾前、迹門は全く出離生死の法にあらず、但だ専ら本門寿量の 品に限りて出離生死の要法なり。是を以て思ふに諸仏の化導に於て全く偏頗なし等云云。問ふ、仏の滅後正像末の三時に於て、本化、迹化の各各の付属分明なり。但寿量の一品に限りて末法濁悪の衆生の為なりといへる経文未だ分明ならず、慥に経の現文を聞かんと欲す如何。答ふ、汝強ちに之を問ふ、聞いて後に堅く信を取るべきなり。所謂寿量品に云く「是好良薬今留在此、汝可取服、勿瓦不差」等云云。問ふ、寿量品は末法悪世に限る。経文顕然なる上は、私に難勢を加ふぺからず。然りと雖も三大秘法其の体如何。答へて云く、予が己心の大事之に如かず、汝が志無二なれぱ少し之を云はん。寿量品に建立する所の本尊は五百塵点の当初より以来此土有縁、深厚本有、無三身の教主釈尊ぜれなり。寿量品に云く「如来秘密神通之力」等云云。疏の九に云く「一身即三身なるを名けて秘となし、三身即一身なるを名けて密となす。又昔より説かざる所を名けて秘となし、唯だ仏のみ自ら知るを名けて密と為す。仏三世に於て等しく三身有り、諸教の中に於て之を秘して伝へず」等云云。題目とは二つの意あり、所謂正、像と末法となり。正法には天親菩薩、龍樹菩薩、題目を唱へさせ給ひしかども、自行計に唱てさて止みぬ。像法には南岳、天台等、亦南無妙法蓮華経と唱へ給へども自行の為にして広く佗の為に説かず、是れ理行の題目なり。末法に入りて今日蓮が唱ふる所の題目は、先代に異なり自行、化佗に亙る南無妙法蓮華経なり。名、体、宗、用、経の五重玄の五字なり。戒壇とは王法、仏法に冥し、仏法、王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王、覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戎壇を建立すべき者か、時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是れなり。三国並びに一閻浮提の人懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王、帝釈等も来下して踏給ふべき戒壇なり。此の戒法を立てて後延暦寺の戒壇は、迹門の理戒なれば益あるまじき処に、叡山に座主始まつて第三、第四の慈覚、智証、存外に本師伝教、義真に背きて、理同事勝の狂言を本として、我が山の戒法をあなづリて戯論とわらひし故に、存外に延暦寺の戒、清浄無染の中道の妙戒なりしが、徒らに土泥となりぬる事云ふても余りあり、歎きても何かはせん。彼の摩黎山の瓦礫の土となり、栴檀林の荊辣となるにも過ぎたるなるべし。夫れ一代聖教の邪正、偏円を弁へたらん学者の、人をして今の延暦寺の戒壇を踏ましむべきか。此の法門は義理を案じて義をつまぴらかにせよ。此の三大秘法は二千余年の当初地涌千界を上首として、日蓮慥に教主大覚世尊より口決せし相承なり。今日蓮が所行は霊山の禀承に芥爾計りの相違なき、色も替はらぬ寿量品の事の三大事なり。問ふ、一念三千の正しき証文如何。答ふ、次に出し申すべし、此に於て二種あり。方便品に云く「諸法実相、所謂諸法、如是相(乃至)欲令衆生開仏知見」等云云。底下の凡夫理性所具の一念三千か。寿量品に云く「然我実成仏已来無量無辺」等云云。大覚世尊、久遠実成の当初証得の一念三千なり。今日蓮が時に之を感じて、此の法門広宣流布するなり。予が年来己心に秘すと雖も、此の法門を書き付けて留め置かずんば、門家の遺弟等定めて無慈悲の讒言を加ふべし。其後は何と悔ゆとも叶ふまじと存ずる間、貴辺に対して書き送り候。一見の後秘して佗見あるへからず、口外も詮なし。法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給ひ候は、此の三大秘法を含みたる経にて渡らせ給へばなり。之を秘すべし。之を秘すべし。
弘安四年卯月八日 日蓮花押
太田金吾殿御返事
(微下ノ六。考五ノ五九)

#0405-300 八幡宮造営事 弘安四(1281.05・26) [p1867]

 此の法門申し候事すでに二十九年也。日々の論議、月々の難、両度の流罪に身つかれ、心いたみ候ひし故にや、此の七八年が間、年々に衰病をこり候つれども、なのめにて候つるが、今年は正月より其の気分出来して、既に一期をわりになりぬべし。其の上、齢既に六十にみちぬ。たとひ十に一、今年は過ぎ候とも、一二をばいかでかすぎ候べき。[p1867]
 忠言逆耳〔忠言は耳に逆らひ〕、良薬口苦〔良薬は口に苦し〕とは先賢の言也。やせ病の者は命をきらう、佞人は諌めを用ひずと申す也。この程は上下の人人の御返事申す事なし。心もものうく、手もたゆき故也。しかりと申せども此の事大事なれば苦を忍んで申す。ものうしとおぼすらん。一篇きこしめすべし。村上天皇の前、中書王の書を投げ給ひしがごとくなることなかれ。[p1867]
 さては八万宮の御造営につきて、一定さむそうや有らんずらむ、と疑ひまいらせ候也。をやと云ひ、我が身と申し、二代が間きみにめしつかはれ奉りて、あくまで御恩のみ(身)なり。設ひ一事相違すとも、なむのあらみ(恨?)かあるべき。わがみ賢人ならば、設ひ上よりつかまつるべきよし仰せ下さるゝとも、一往はなに事につけても辞退すべき事ぞかし。幸ひに讒臣等がことを左右によせば、悦んでこそあるべきに、望まるゝ事一の失也。[p1867]
 此れはさてをきぬ。五戒を先生に持ちて今生に人身を得たり。されば云ふに甲斐なき者なれども、国主等謂れなく失にあつれば、守護の天のいかりをなし給ふ。況んや命をうばわるゝ事は天の放ち給ふなり。いわうや日本国四十五億八万九千六百五十九人の男女をば、四十五億八万九千六百五十九の天まほり給ふらん。然るに他国よりせめ来る大難は脱るべしとも見へ候はぬは、四十五億八万九千六百五十九人の人々の天にも捨てられ給ふ上、六欲・四禅・梵釈・日月・四天等にも放たれまいらせ給ふにこそ候ひぬれ。[p1868]
 然るに日本国の国主等、八幡大菩薩をあがめ奉りなば、なに事のあるべきと思はるゝが、八幡は又自力叶ひがたければ、宝殿を焼きてかくれさせ給ふか。然るに自らの大科をばかへりみず、宝殿を造りてまほらせまいらせむとおもへり。日本国の四十五億八万九千六百五十九人の一切衆生が、釈迦・多宝・十方分身の諸仏、地涌と娑婆と他方と本国の小神天照太神・八幡大菩薩の力及び給ふべしや。其の時、八幡宮はつくりたりとも此の国他国にやぶられば、くぼきところ(凹処)にちり(塵)たまり、ひきゝ(低)ところに水あつまると、日本国の上一人より下万民にいたるまでさたせむ事は兼ねて又知れり。[p1868]
 八幡大菩薩は本地は阿弥陀ほとけにまします。衛門の大夫は念仏無間地獄と申し、阿弥陀仏をば火に入れ水に入れ、其の堂をやきはらひ、念仏者のくびを切れと申す者也。かゝる者の弟子檀那と成りて候が、八幡宮を造りて候へども、八幡大菩薩用ひさせ給はぬゆへに、此の国はせめらるゝなりと申さむ時はいかがすべき。[p1868-1869]
 然るに天かねて此の事をしろしめすゆへに、御造営の大ばんしやう(万匠)をはづされたるにやあるらむ。神宮寺の事のはづるゝも天の御計らひ歟。[p1869]
 其の故は去る文永十一年四月十二日の大風ふきて、其の年他国よりおそひ来るべき前相也。風は是れ天地の使いなり。まつり事あらければ風あらしと申すは是れ也。又今年四月二十八日を迎へて此の風ふき来る。而るに四月二十六日は八幡むね上げと承はる。三日の内の大風は疑ひなかるべし。蒙古の使者の貴辺が八幡宮を造りて、此の風ふきたらむに、人わらひさたせざるべしや。返す返す穏便にして、あだみうらむる気色なくて、身をやつし、下人をもぐせず、よき馬にものらず、のこぎり(鋸)かなづち(鎚)手にもち、こし(腰)につけて、つねにえめ(咲)るすがたにておわすべし。此の事一事もたがへさせ給ふならば、今生には身をほろぼし、後生には悪道に堕ち給ふべし。返す返す法華経うらみさせ給ふ事なかれ。恐々。[p1869]
五月二十六日 花押[p1869]
大夫志殿[p1869]

#0407-3K0 小蒙古御書 弘安四(1281.06・16) [p1871]
小蒙古御書(諸人書)(原文漢文)(与門人等書)
     弘安四年六月。六十歳作。
     外五ノ二八。遺三〇ノ一〇。縮二〇五五。類六二一。

 小蒙古の人大日本国に寄せ来るの事、我が門弟並に檀那等の中に、若し佗人に向ひ将又自ら言語に及ぶべからず。若し此旨に違背せば門弟を離すべき等の由存知する所なり。此旨を以て人人に示すべく候なり。
  弘安四年太歳辛巳六月十六日             花押
   人人御中
(考三ノ一一)

#0408-2K0 曾谷二郎入道殿御報 弘安四(1281.閏07・01) [p1871]
曽谷二郎入道殿御報(曽谷第八書)(原文漢文)
     弘安四年七月。六十歳作。
     外一二ノ九。遺三〇ノ一一。縮二〇五六。類一六五〇。

 去る七月十九日の消息、同じく三十日に到来す。世間の事は且く之を置く、専ら仏法に逆ふ事、法華経第二に云く「其人命終入阿鼻獄」等云云。問て云く、其人とは何等の人を指す乎。答へて云く、次上に云く「誰我一人能為救護、雖復教詔而不信受」。又云く「若人不信」。又云く「或復顰蹙」。又云く「見有読誦書持経者、軽賎憎嫉而懐結恨」。又第五に云く「生疑不信者即当堕悪道」。第八に云く「若有人軽毀之言汝誑人耳、空作是行終無所獲」等云云。其人とは此等の人人を指す也。彼の震旦国の天台大師は南北の十師等を指す也。此の日本国の伝教大師は六宗の人人と定む也。今日蓮は弘法、慈覚、智証等の三大師、並に三階、道綽、善導等を指して其人と云ふ也。入阿鼻獄とは涅槃の第十九に云く「仮使一人独堕是獄其身長大八万由延遍満其中間無空処其身周匝受種種苦、設有多人身亦遍満不相妨礙」。同じく三十六に云く「沈没在阿鼻地獄所受身形縦広八万四千由旬」等云云。普賢経に云く「謗方等経是大悪報応堕悪道過於暴雨必定阿鼻地獄」等とは入阿鼻獄是也。日蓮云く、夫れ日本国は道は七、国は六十八箇国、郡は六百四、郷は一万余、長さ三千五百八十七里也。人数は四十五億八万九千六百五十九人、或は云く四十九億九万四千八百二十八人也。寺は一万一千三十七所、社は三千一百三十二社。今法華経の入阿鼻獄とは此等の人人を指す也。問て云く、衆生に於て悪人、善人の二類有り生処も又善悪の二道有る可し。何ぞ日本国の一切衆生一同に入阿鼻地獄の者と定むる乎。答へて云く、人数多しと雖も業を造る事是れ一也。故に同じく阿鼻獄と定むる也。疑つて云く、日本国の一切衆生の中或は善人或は悪人あり。善人とは五戒、十戒乃至二百五十戒等也。悪人とは殺生、偸盗、乃至五逆、十悪等是也。何ぞ一業と言はん乎。答へて云く、夫れ小善、小悪は異なると雖も法華経の誹謗に於ては善人、悪人、智者、愚者倶に妨げ之なし。是の故に同じく入阿鼻獄と云ふ也。問て云く、何を以てか日本国の一切衆生一同に法華誹謗の者と言ふ耶。答へて云く、日本国の一切衆生多なりと雖も、四十五億八万九千六百五十九人に過ぎず。此等の人人貴賎上下の勝劣有りと雖も、是の如き人人の憑む所は唯三大師に在り。師とする所は三大師を離るゝこと無し。設ひ余残の者有りと雖も、信行、善導等の家を出づ可からざる也。問て云く、三大師とは誰人ぞ乎。答へて云く、弘法、慈覚、智証の三大師也。疑つて云く、此の三大師は何の重科有るに依つて日本国の一切衆生を経文の「其人」の内に入る乎。答へて云く、此の三大師は大小乗持戒の人、面には八万の威儀を備へ或は三千等之を具す、顕密兼学の智者也。然れば則ち日本国四百余年の間上一人より下万民に至るまで、之を仰ぐ事日月の如く之を尊む事世尊の如し。猶徳の高き事は須弥にも超へ智慧の深き事は蒼海にも過ぐるが如し。但恨くは法華経を大日、真言に相対して勝劣を判ずる時、或は戯論の法と云ひ或は第二、第三と云ひ、或は教主をば無明の辺域と名け或は行者をば盗人と名く。彼の大荘厳仏の末の六百四万億那由陀の四衆の如し。各各業因異なりと雖も師の苦岸等四人と倶に同じく無間地獄に入りぬ。又師子音王仏の末法の無量無辺の弟子等の中に貴賎の異ありと雖も同じく勝意が弟子為るが故に一同に阿鼻大城に堕ちぬ。今日本国も亦復是の如し。去る延暦、弘仁年中に伝教大師、六宗の弟子檀那等を呵責する語に云く「其の師の堕つる所弟子も亦堕つ。弟子の堕つる所檀越も亦堕つ。金口の明説慎まざる可けんや、慎まざるべけんや」等云云。疑つて云く、汝が分斉に何を以てか三大師を破する乎。答へて云く、予敢て彼の三大師を破せざる也。問て云く、汝が上の義如何、答へて云く、月氏より漢土、本朝に渡る所の経論五千、七千余巻也。予粗之を見るに弘法、慈覚、智証に於ては世間のことは且く之を置く。仏法に入つては謗法第一の人人と申す也。「誹謗大乗者従射箭早堕地獄」とは如来の金言なり。将又謗法罪の深重は弘法、慈覚等を一同に定め給ひ畢んぬ。人の語は且く之を置く。釈迦、多宝の二仏の金言虚妄ならずんば、弘法、慈覚、智証に於ては定めて無間大城に入らん。十方分身の諸仏の舌堕落せずんば、日本国中の四十五億八万九千六百五十九人の一切衆生、彼の苦岸等の弟子檀那等の如く、阿鼻地獄に堕ちて、熱鉄の上に於て仰ぎ臥して九百万億歳、伏臥して九百万億歳、左脇に臥して九百万億歳、右脇に臥して九百万億歳、是の如く熱鉄の上に在つて三千六百万億歳にして、然して後此の阿鼻より転じて、佗方に生じて大地獄に有りて、無数百千万億那由佗歳、大苦悩を受けん。彼は小乗経を以て権大乗を破し、罪を受くること是の如し。況や今の三大師は、未顕真実の経を以て、三世の仏陀の本懐の説破するのみにあらず、剰へ一切衆生成仏の道を失ふ。深重の罪過。現未来の諸仏も争か之を窮む可けん乎。争か之を救ふ可けん乎。法華経の第四に云く「已説、今説、当説而於其中、此法華経最為難信難解」。又云く「最在其上」並に「薬王の十喩」等云云。佗経に於ては華厳、方等、般若、深密、大雲、密厳、金光明経等の諸経の中に経経の勝劣、之を説くと雖も、或は小乗経に対して此の経を第一と曰ひ、或は真俗二諦に対して中道を第一と曰ひ或は印、真言等に対して第一と為す。此等の説有りと雖も全く已今当の第一にあらざる也。然而に末の論師、人師等謬執の年積り、門徒又繁多也。爰に日蓮彼の依経に無き由を責るの間、弥瞋恚を懐いて是非を糾明せず。唯だ大妄語を構へて国主、国人等を誑惑し、日蓮を損ぜんと欲す。衆ケ(家)の難を蒙らしむるのみにあらず、両度の流罪、剰へ頸の座に及ぶ是也。此等の大難忍び難き事、不軽の杖木にも過ぎて、将又勧持の刀杖にも越へたり。又法師品の如きは「末代弘通於法華者如来使也。軽賎此人之輩罪、過蔑如於教主釈尊一中劫」等云云。今日本国には提婆達多、大慢婆羅門等が如く、無間地獄に堕つべき罪人は国中、三千五百八十七里の間に、満つる所の四十五億八万九千六百五十九人の衆生之あり。彼の提婆、大慢等の無極の重罪を此の日本国の四十五億八万九千六百五十九人に対せば、軽罪の中の軽罪也。其の理如何、答ふ、彼等悪人為りと雖も、全く法華を誹謗する者にあらざる也。又提婆達多は恒河第二の人、第二は一闡提也。今の日本国の四十五億八万九千六百五十九人は皆恒河第一の罪人なり。然れば則ち提婆が三逆罪は軽毛の如く、日本国の挙ぐる所の人人の重罪は猶大石の如し。定めて梵、釈日本国を捨て、同生同名も国中の人を離れ、天照大神、八幡大菩薩も争か此の国を守護せん。去る治承等の八十一、二、三、四、五代の五人の大王、頼朝、義時と此の国を御諍ひ有つて、天子と民との合戦也。猶鷹駿と金鳥との勝負の如くなれば、天子の頼朝等に勝つこと必定也。決定也。然りと雖も五人の大王負け畢んぬ。兔、師子王に勝ちし也。負けるのみにあらず、剰へ或は蒼海に沈み、或は島島に放たる。誹謗法華いまだ年歳を積まざる時、猶以て是の如し。今度は彼に似る可からず。彼は但だ国中の災許り也。其の粗之を見るに蒙古の牒状の已前に去る正嘉、文永等の大地震、大彗星の告に依つて、再三之を奏すと雖も国主敢て信用無し。然而に日蓮が勘文粗仏意に叶ふ歟の故に此の合戦既に興盛也。此の国の人人、今生には一同脩羅道に堕し、後生には皆阿鼻大城に入らんこと疑ひ無き者也。爰に貴辺と日蓮とは師檀の一分也。然りと雖も有漏の依身は国主に随ふ故に、此の難に値はんと欲する歟。感涙押へ難し。何の代にか対面を遂げん乎。唯だ一心に霊山浄土を期せらる可き歟。設ひ身は此の難に値ふとも心は仏心に同じ、今生は脩羅道に交り、後生は必ず仏国に居せん。恐恐謹言。
 弘安四年閏七月一日                   日蓮花押
 曽谷二郎入道殿御返事
(微上ノ三一。考四ノ三七。)

#0410-300 治部房御返事 弘安四(1281.08・22) [p1880]
治部房御返事(門弟第廿八書)
     弘安四年八月。六十歳作。
     外四ノ二七〇。遺三〇ノ二〇。縮二〇六六。類七八七。

 白米一斗、茗荷の子、はじかみ(生薑)一つと(苞)送給候畢ぬ。仏には春の花秋の紅葉、夏の清水冬の雪を進せて候人人皆仏に成せ給ふ。況や上一人は寿命を持せ給ひ、下万民は珠よりも重し候稲米を、法華経にまいらせ給人争か仏に成ざるべき。其上世間に人の大事とする事は主君と父母との仰なり。父母の仰を背けば不孝の罪に堕て天に捨られ、国主の仰を用ざれば違勅の者と成て命をめさる。されば我等は過去遠遠劫より菩提をねがひしに、或は国をすて或は妻子をすて或は身をすてなんどして、後生菩提をねがひし程に、すでに仏になり近づきし時は、一乗妙法蓮華経と申御経に値まいらせ候し時は、第六天の魔王と申三界の主をはします。すでに此もの仏にならんとするに二の失あり。一には此もの三界を出るならば我所従の義をはなれなん。二には此もの仏になるならば、此ものが父母兄弟等も又娑婆世界を引越しなん。いかがせんとて身を種種に分て、或は父母につき或は国主につき、或は貴き僧となり或は悪を勧め、或はおどし或はすかし、或は高僧或は大僧、或は智者或は持斎等に成て、或は華厳或は阿含、或は念仏或は真言等を以て法華経にすすめ、かへて仏になさじとたばかり候なり。法華経第五の巻には末法に入ては、大鬼神第一には国王、大臣、万民の身に入て、法華経の行者を或は罵り或は打ち切て、それに叶はずんば無量無辺の僧と現じて、一切経を引てすかすべし。それに叶はずんば二百五十戒、三千の威儀を備へたる大僧と成て、国主をすかし国母をたぼらかして、或はながし(流罪)或はころしなんどすべしと説れて候。又七の巻の不軽品、又四の巻の法師品、或は又二の巻の譬喩品、或は涅槃経四十巻、或は守護経等に委細に見へて候が、当時の世間に少しもたがひ候はぬ上、駿河国賀島荘は殊に目前に身にあたらせ給て覚へさせ給候らん。佗事には似候はず、父母、国主等の法華経を御制止候を用候はねば、還て父母孝養となり、国主の祈りとなり候ぞ。其上日本国はいみじき国にて候。神を敬ひ仏を崇る国なり。而ども日蓮が法華経を弘通し候を、上一人より下万民に至まで御あだみ候故に、一切の神を敬ひ一切の仏を御供養候へども、其功徳還て大悪となり。やいと(灸治)の還て悪瘡となるが如く、薬の還て毒となるが如し。一切の仏神等に祈り給ふ御祈は還て科と成て、此国既に佗国の財と成候。又大なる人人皆平家の亡びしが様に、百千万億すぎての御歎たるべきよし、兼てより人人に申聞せ候畢ぬ。又法華経をあだむ人の科にあたる分斉をもて、還て功徳となる分斉をも知せ給べし、例せば父母を殺す人は何なる大善根をなせども、天是を受け給事なし。又法華経のかたきとなる人をば父母なれども殺しぬれば、大罪還て大善根となり候。設ひ十方三世の諸仏の怨敵なれども法華経の一句を信じぬれば、諸仏捨て給事なし。是を以て推せさせ給へ。御使いそぎ候へば委くは申さず候。又又申すべく候。恐恐謹言。
  八月二十二日                日蓮花押
   治部房御返事
(微上ノ一〇。考二ノ四四。)

#0411-300 南条兵衛七郎殿御返事(鶏冠書)弘安四(1281.09・11)[p1883]
南条兵衛七郎殿御返事(上野第卅五書)(鶏冠書)
     弘安四年九月。六十歳作。
     内二二ノ二八。遺三〇ノニニ。縮二〇六九。類六二二。

 御使の申候を承り候。是の所労難儀のよし聞候。いそぎ療治をいたされ候て可有御参詣候。

 塩一駄、大豆一俵、とつさか(鶏冠菜)一袋、酒一筒給候。上野国より御帰宅候後未入見参候。牀敷存候し処に品品の物ども取副候て、御音信に預候事申尽難き御志にて候。今申せば事新に相似て候へども、徳勝童子は仏に土の餅を奉て、阿育大王と生て南閻浮提を大体知行すと承り候。土の餅は物ならねども仏のいみじく渡せ給へばかくいみじき報を得たり。然に釈迦仏は我を無量の珍宝を以て億劫の間供養せんよりは、末代の法華経の行者を一日なりとも供養せん功徳は、百千万億倍過ぐべしとこそ説せ給て候に、法華経の行者を心に入て数年供養し給事難有御志哉。如金言者定て後生は霊山浄土に生れ給べし、いみじき果報なる哉。其上此処は人倫を離れたる山中也。東西南北を去て里もなし。かゝるいと心細き幽窟なれども、教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり。されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処也。舌の上は転法輪の所、喉は誕生の処、口中は正覚の砌なるべし。かゝる不思議なる法華経の行者の住処なれば、いかでか霊山浄土に劣るべき。法妙なるが故に人貴し人貴きが故に所尊と申は是也。神力品に云「若於林中若於樹下若於僧坊乃至而般涅槃」云云。此砌に望まん輩は無始の罪障忽に消滅し、三業の悪転じて三徳を成ぜん。彼中天竺の無熱池に臨し悩者が「心中の熱気を除愈(瘉)して其願を充満すること清涼池の如し」とうそぶき(嘯)しも、彼此異なりといへども、其意は争か替るべき。彼月氏の霊鷲山は本朝此身延の嶺也。参詣遥に中絶せり。急急に可企来臨。是にて待入て候べし。哀哀申しつくしがたき御志かな、御志かな。
 弘安四年九月十一日               日蓮花押
  南条兵衛七郎殿御返事
(啓三〇ノ一。鈔一八ノ二六。音下ノ二九。語三ノ五二。記下ノ二一。扶一一ノ三三。)

#0412-300 上野殿御返事 弘安四(1281.09・20) [p1885]
上野殿御返事(上野第卅六書)(報南条氏書)
     弘安四年九月。六十歳作。
     外八ノ八。遺三〇ノ二四。縮二〇七一。類一〇一六。

 いえのいも(芋)一駄、ごばう(牛蒡)一つと、大根六本。いもは石のごとし、ごばうは大牛の角のごとし。大根は大仏堂の大くぎ(釘)のごとし。あぢわひ(味)は?利天の甘露のごとし。石を金にかうる国もあり、土をこめ(米)にうる(売)ところもあり。千金の金をもてる者うえ(飢)てし(死)ぬ。一飯をつと(苞)につゝめる者にこれをとれ(劣)り。経に云「うえ(飢)たるよ(世)にはよね(米)たつとし(貴)」と云云。一切の事は国により時による事也。仏法は此道理をわきまう(弁)べきにて候。又又申すべし。恐恐謹言。
  弘安四年九月廿日                日蓮花押
   上野殿御返事
(考三ノ四三。)

#0414-000 越州嫡男並妻尼事 弘安四(1281.10・27) [p1889]

 九月九日の{厂+(人+鳥)}鳥、同十月二十七日飛来仕り候ひ了んぬ。抑そも越州の嫡男並びに妻尼の事、是非を知らざれども、此の御一門の御事なれば、謀反より之外は異島・流罪は過分の事歟。将た又、四条三郎左衛門尉殿の便風、今まで参付せざる之条、何事ぞ。定めて三郎左衛門尉殿より申す旨候歟。伊予殿の事存外の性情、智者也。当時、学問隙無く[p1889]

#0419-300 大夫志殿御返事 弘安四(1281.12・11) [p1898]
大夫志殿御返事(池上第十二書)(報宗仲書)
     弘安四年十二月。六十歳作。
     外九ノ三六。遺三〇ノ三四。縮二〇八四。類九四三。

 聖人一つゝ、味文字一をけ、生和布一こ(篭)、聖人と味文字はさてをき候ぬ。生和布は始てにて候。将又病の由聞せ給て、不日に此物して御使をもん(以)て脚力につかわされて候事、心ざし大海よりふかく、善根は大地よりも厚し。かうじん(幸甚)かうじん。恐恐。         
  十二月十一日    日蓮花押
   大夫志殿御返事
(微上ノ二五。考四ノ一一。)

#0420-200 窪尼御前御返事 弘安四(1281.12・27) [p1899]
窪尼御前御返事(第七書)
     弘安四年十二月。六十歳作。
     外五ノ一四。遺三〇ノ三五。縮二〇八四。類一一〇六。

 しなじなのものをくり給て候。善根と申すは大なるによらず、又ちいさきにもよらず、国により人により時によりやうやう(様々)にかわりて候。譬へばくそ(糞)をほしてつきくだき、ふるいてせんだん(栴檀)の木につくり、又女人、天女、仏につくりまいらせて候へども、火をつけてやき候へばべち(別)の香なし、くそくさし。そのやうにものをころし、ぬすみ(盗)をして、そのはつを(其初穂)をとりて功徳、善根をして候へどもかえりて悪となる。須達長者と申せし人は月氏第一の長者、ぎおん(祇園)精舎をつくりて仏を入れまいらせたりしかども、彼寺焼けてあとなし。この長者もと、いを(魚)をころしてあきなへ(商)て長者となりしゆへにこの寺ついにうせにき。今の人人の善根も又かくのごとく、大なるやうなれどもあるひはいくさ(戦)をして所領を給ひ、或はゆえなく民をわづらはしてたから(財)をまうけて善根をなす。此等は大なる仏事とみゆれども仏にもならざる上、其人人あと(跡)もなくなる事なり。又人をもわづらはさず、我心もなお(直)しく、我とはげみて善根をして候も、仏にならぬ事もあり。いはく(云)、よきたね(良種)をあしき田にうえぬればたねだにもなき上、かへりて損となる。まことの心なれども供養せらるる人だにもあしければ功徳とならず。かへりて悪道におつる事候。此は日蓮を御くやう(供養)は候はず。法華経の御くやうなれば釈迦仏、多宝仏、十方の諸仏に、此功徳はまかせ(任)まいらせ候。抑今年の事申しふりて候上、当時はとし(歳)のさむき事生れて已来いまだおぼへ候はず。ゆき(雪)なんどのふりつもりて候事おびただし。心ざしある人もとぶらひがたし。御をとずれ、をぼろげの御心ざしにあらざる歟。恐恐謹言。
 十二月二十七日                日蓮花押
  くぼの尼御前御返事
(考三ノ五)

#0421-300 大白牛車御消息 弘安四(1281) [p1900]
大白牛車御消息(各別書)
     弘安四年。六十歳作。
     外二五ノ四。遺三〇ノ三六。縮二〇八六。類一一三〇。

 抑法華経の大白牛車と申すは我も人も法華経の行者の乗べき車にて候也。彼車をば法華経譬諭(喩)品と申すに懇に説せ給て候。但し彼御経は羅什存略の故に委くは説給はず。天竺の梵品には車の荘り物其外聞、信、戒、定、進、捨、慙の七宝まで委く説給ひて候を日蓮あらあら披見に及び候。先此車と申すは縦横五百由旬の車にして、金の輪を入れ銀の棟をあげ、金の縄を以て八方へつり縄をつけ、三十七重のきだはし(階)をば銀を以てみがき(磨)たて、八万四千の宝の鈴を車の四面に懸られたり。三百六十ながれのくれなひの錦旙を玉のさほ(棹)にかけながし、四万二千の欄干には四天王の番をつけ、又車の内には六万九千三百八十余体の仏菩薩宝蓮華に坐し給へり。帝釈は諸の眷属を引つれ給ひて千二百の音楽を奏し、梵王は天蓋を指懸け、地神は山河大地を平等に成し給ふ。故に法性の空に自在にとびゆく車をこそ大白牛車とは申すなれ。我より後に来り給はん人人は、此車にめされて霊山へ御出有べく候。日蓮も同じ車に乗て御迎にまかり向ふべく候。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。
                          日蓮花押
(考八ノ三七。)

#0422-200 西山殿後家尼御前御返事(西山殿御返事)弘安四(1281)[p1902]
西山殿御返事(西山第六書)(大内氏妻書)
     弘安四年。六十歳作。
     外二ノ一〇。遺三〇ノ三七。縮二〇八七。類一〇四五。

 あまざけ一をけ、やまのいもところ(野老)せうせう給畢ぬ。梵網経と申す経には一紙一草と申してかみ一枚、くさひとつ。大論と申すろん(論)にはつちのもちゐ(土餅)を、仏にくやう(供養)せるもの、閻浮提の王となるよしとかれ(説)かかれて候。これはそれにはに(似)るべくもなし。そのうへをとこ(夫)にもすぎわかれ、たのむかたもなきあま(尼)のするが(駿河)の国西山と申すところより、甲斐国はきゐ(波木井)の山の中にをくられたり。人にすて(捨)られたるひじり(聖)の寒にせめられて、いかに心ぐるしかるらんとをもひやらせ給ひて、をくられたる歟。父母にをくれ(後)しよりこのかた、かゝるねんごろの事にあひて候事こそ候はね。せめての御心ざしに給候かとおぼえて、なみだ(涙)もかきあへ候はぬぞ。日蓮はわるき者にて候へども、法華経はいかでかおろか(痴)におはすべき。ふくろ(袋)はくさ(臭)けれども、つゝめる金はきよし。池はきたなけれども、はちす(蓮)しやうじやう(清浄)也。日蓮は日本第一のえせ(僻)もの也。法華経は一切経にすぐれ給へる経也。心あらん人、金をとらん(取)とおぼさば、ふくろをすつる事なかれ。蓮をあひ(愛)せは池をにくむ事なかれ。わるくて仏になりたらば、法華経の力あらはるべし。よつて臨終わるくば法華経の名ををりなん。さるにては日蓮はわるくても、わるかるべしわるかるべし。恐恐謹言。
  月 日
   御返事
(微上ノ五。考二ノ五。)

#0423-300 妙法尼御前御返事(明衣書)弘安四(1281) [p1903]
妙法尼御前御返事(第五書)(明衣書)
     弘安四年。六十歳作。
     外二〇ノ二。遺三〇ノ三八。縮二〇八九。類一一〇〇。

 明衣一給畢ぬ。女人の御身、男にもをくれ、親類をもはなれ、一二人あるむすめ(娘)もはかばかしからず便りなき上、法門の故に人にもあだまれさせ給ふ女人。さながら不軽菩薩の如し。仏の御姨母、摩訶波闍波提比丘尼は女人ぞかし。而るに阿羅漢とならせ給ひて声聞の御名を得させ給ひ、永不成仏の道に入らせ給ひしかば、女人の姿をかへきさき(后)の位を捨てて仏の御すゝめを敬ひ、四十余年が程五百戒を持ちて昼は道路にたゝずみ、夜は樹下に坐して後生をねがひしに、成仏の道を許されずして、不成仏のうきなを流させ給ひし、くちをしかりし事ぞかし。女人なれば過去遠遠劫の間、有に付けても無に付けてもあだな(虚名)を立てし、はず(恥)かしく、口惜かりしぞかし。其身をいとひて形をやつし、尼と成りて候へばかゝるなげきは離れぬとこそ思ひしに相違して、二乗となり永不成仏と聞きしは、いかばかりあさましくをわせしに、法華経にして三世の諸仏の御勘気を許され。一切衆生喜見仏と成らせ給ひしは、いくら程かうれしく悦ばしくをはしけん。さるにては法華経の御為と申すには、何なる事有りとも背かせ給ふまじきぞかし。其に仏の言く「以大音声普告四衆誰能於此娑婆国土広説妙法華経」等云云。我も我もと思ふに諸仏の恩を報ぜんと思はん尼御前、女人達。何事をも忍びて我滅後、此娑婆世界にして法華経を弘むべしと三箇度までいさめさせ給ひしに、御用ひなくして「於佗方国土広宣此経」と申させ給ひしは能能不得心の尼ぞかし。幾くか仏悪しとをぼしけん。されば仏はそばむき(側見)て八十万億那由佗の諸菩薩をこそ、つくづくと御覧ぜしか。されば女人は由なき道には名を折命を捨つれども、成仏の道はよはかりけるやとをぼへ候に、今末代悪世の女人と生れさせ給ひて、かゝるものをぼえぬ島のえびす(夷)に、のられ打たれ責められしのび(忍)、法華経を弘めさせ給ふ、彼比丘尼には雲泥勝れてありと仏は霊山にて御覧あるらん。彼比丘尼の御名を一切衆生喜見仏と申すは別の事にあらず。今の妙法尼御前の名にて候べし。王となる人は過去にても現在にても十善を持つ人の名也。名はかはれども師子の座は一也。此名もかはるべからず。彼仏の御言をさかがへ(倒返)す尼だにも一切衆生喜見仏となづけらる。是は仏の言をたがへず、此娑婆世界まで名を失ひ、命をすつる尼也。彼は養母として捨て給はず、是は佗人として捨てさせ給はば偏頗の仏也。争かさる事は候べき。況や「其中衆生悉是吾子」の経文の如くならば今の尼は女子也。彼尼は養母也。養母を捨てずして女子を捨つる仏の御意やあるべき。此道理を深く御存知あるべし。しげければとどめ候畢ぬ。
                           日蓮花押
   妙法尼御前
(微下ノ一三。考七ノ一。)

#0426-300 春初御消息 弘安五(1282.01・20) [p1907]
春初御消息(上野第卅七書)(報南条氏書)
     弘安五年正月。六十一歳作。与上野氏書
     外五ノ三三。遺三〇ノ四一。縮二〇九二。類一〇二二。

 ははき(伯耆)殿かきて候事、よろこびいりて候。

 春の初の御悦、木に花のさくがごとく、山に草の生出がごとし我も人も悦入て候。さては御送物の日記、八木一俵。白塩一俵、十字三十枚、いも(芋)一俵給候畢ぬ。深山の中に白雪三日の間に庭は一丈につもり、谷はみね(峯)となり、みねは天にはし(梯)かけたり。鳥鹿は庵室に入り樵牧は山にさしいらず。衣はうすし食はたえたり。夜はかんく(寒苦)鳥にことならず、昼は里へいでんとおもふ心ひまなし。すでに読経のこえもたえ観念の心もうすし。今生退転して未来三五を経ん事をなげき候つるところに、此御とぶらひ(訪問)に命いき(活)て又もや見参に入候はんずらんとうれしく候。過去の仏は凡夫にておはしまし候し時、五濁乱慢の世にかゝる飢たる法華経の行者をやしなひて、仏にはならせ給ぞとみえて候へば、法華経まことならば此功徳によりて過去の慈父は成仏疑なし。故五郎殿も今は霊山浄土にまいりあはせ給て、故殿に御かうべ(頭)をなでられさせ給べしと。おもひやり候へば涙かきあへられず。恐恐謹言。
  正月二十日              日蓮花押
   上野殿御返事
(考三ノ一三。)

#0431-300 上野殿御書 弘安五(1282 or 1275.08・18) [p1914]
上野殿御書(上野第六書)(報南条氏書)
     建治元年八月。五十四歳作。
     外二三ノ二四。遺一九ノ四〇。縮一二九六。類九六五。

 態と御使ありがたく候。それについてはやかたづくり(屋形造)の由承り目出度こそ候へ。いつか参候てわたまし申候はばや。一棟札の事承り候。書候て此伯耆公に進せ候。此経須達長者祇園精舎を造候き。然にいかなる因縁にやよりけん須達が家七度まで火災にあひ候時、長者此由仏に問奉るなり。仏答ての給はく、汝が眷属貪欲ふかき故に此火災をこる也。長者申さく、さていかんして此火災をふせぎ申べきや。仏の給はく辰巳の方より瑞相あるべし。汝精進して彼の方に向へ。彼方より光ささば鬼神三人来らん。此鬼神の来ていはく、南海に鳥あり、罵忿となづく、此鳥のすむ処に火災なし。又此鳥一の文を唱べし、其文に云「聖主天中天迦陵頻伽声、哀愍衆生者我等今敬礼」云云。此文を唱へんには必ず三十万里が内には火難をこらじと。此三人の鬼神かくのごとく告べき也云云。須達仏の仰のごとくせしかば、少もちがはず候き。其後火災なき也と見へたり。これによつて滅後末代にいたるまで此経文を書て火災をやめ候。今以てかくのごとくなるべく候。返す返すも能能信じ給べき経文也。是は法華経の第三の巻化城喩品に説かれて候。委くは此御房に申しふくめて候。恐恐謹言。
  八月十八日                       日蓮花押
 上野殿御返事
(微下ノ三八。考八ノ二六。)

#0432-200 身延山御書 弘安五(1282 or 1275.08・18) [p1915]
身延山御書
     建治元年八月。五十四歳。於身延山著。
     内一八ノ一。遺一九ノ四一。縮一二九七。類四一一。

 誠に身延の栖は、ちはやふる神もめぐみ(恵)を垂れ、天下りましますらん。心無きしず(賤)の男、しずの女までも心を留めぬべし。哀れを催す秋の暮には、草の庵に露深く、檐にすだく(集多)さゝがに(蜘蛛)の糸玉を連き、峰の紅葉いつしか色深うしてたえだえ(断断)に伝ふ、懸樋の水に影を移(映)せば、名にしおふ龍田河の水上もかくやと疑はれぬ。又後ろには蛾蛾たる深山そびへ(聳)て、梢に一乗の果を結び、下枝に鳴く蝉の音滋く、前には湯湯たる流水湛えて、実相真如の月浮び、無明深重の闇晴て法性の空に雲もなし。かゝる砌なれば、庵の内には昼は終日に一乗妙典の御法を論談し、夜は竟夜要文誦持の声のみす。伝へ聞く釈尊の住み給ひけん鷲峰を我が朝此の砌に移し置きぬ。霧立ち嵐はげし(烈)き折折も山に入りて薪をこり(伐)露深きにも草を分けて深谷に下りて芹をつみ、山河の流もはや(速)き巌瀬に菜をすゝぎ、袂しほれ(濡)て干わぶる思ひは、昔の人丸(麻呂)が詠じける、和歌の浦にもしほ(藻汐)垂つつ世を渡る海士もかくやとぞ思ひ遺る。つくづくと浮身の有様を案ずるに、仏の法を求め給ひしに異ならず。昔釈尊楽法梵志としては、皮をはぎ(剥)て紙とし、髄の水を取りて硯の水とし、肉を割きて墨とし、骨を摧きて筆として、下方の迦葉仏に値ひ奉りて「如法応修行、非法不応行、今世若後世、行法者安穏」云云と、此文を伝へ給ふ。薩垂王子としては飢えたる虎のために身を与へ、雪山童子としては半偈のために身をなげ(投)、尸毘王としては鳩のために肉を秤にかけ、乞眼婆羅門には眼をくじりて取らせ給ひき。又仏大国の王と御座し時は宿善内に催し、月卿雲客の政を忘れ、百官万乗に仰がれ給ふ十善の楽も、風の前の灯、あだなる春の夜の夢、籬につたふ槿華の日影をまつ程ぞかし。然るに過去の戒善いみじきに依りて、今生には大国の王たりと云へども、無常の殺鬼にさそわれて一期空しくて後、修するところの善なくんば阿鼻大城の炎の底に沈み、刹利も須陀もかはらぬためし(例)にて三熱の炎にまじはり、鉄縄五体をしばり、三熱のまろかし(弾丸)を口に入れ、阿防羅刹、三鈷のひしほこを手に取り邪見の音をあららかにして、五体身分を取取に責るならば音を天に響かし叫ぶとも地に伏して歎くとも、百官万乗も来つて助くることなく、親類、眷属も来つて救ふことなからん。又錦帳の内にしてよなよな(夜々)のねざめの牀にして天にあらば比翼の鳥、地に住まば連理の枝とならんと、月日を送り年を重ねて契りし妻子も、来つて訪ふ事はあらじなんどと、様様に思ひつゞけ給ひて、自ら蔵を開きて金銀等の七珍万宝を僧に供養し、象眼妻子を布施し、然して後大法の螺をふき大法の鼓を撃つて、四方に法を求め給ふ。爾時に阿私仙人と申す仙人来つて申しける様は、実に法を求め給ふ志御坐さば、我が云はん様に仕へ給へと云ひければ、大に悦んで山に入つては果を拾ひ薪をこり、菜をつみ水をくみ、給仕し給へる事千歳なり。常に御口ずさみには「情存妙法故身心無懈惓」とぞ唱へ給ひける。文の心は常に心に妙法を習はんと存ずる間、身にも心にも仕うれども、ものうき事なしと云へり。此の如くして習ひ給ひける法は即ち妙法蓮華経の五字なり。爾時の王とは今の釈迦牟尼仏是なり。仏の給仕して法を得給ひし事を、我が朝に五七五七七の句に結び置きけり。今如法経の時伽陀に誦する歌に、法華経を我が得し事は薪こり菜つみ水くみつかえてぞえし。此歌を見るに今は我身につみしられて哀れに覚えけるなり。実に仏になる道は師に仕ふるには過ぎず。妙楽大師の弘決の四に(弘会四ノ四十一)云く「若し弟子有つて師の過を見さば、若は実にも若は不実にも其の心自ら法の勝利を壊失す」云云。文の心は若し弟子あ(有)て師の過を見さば若は実にもあれ、若は不実にもあれ、已に其の心有るは身自ら法の勝利を壊り失ふ者なり云云。又止観の一(止会一ノ二十九)に云く「如来慇懃に此の法を称歎し給へば聞く者歓喜す。常啼は東に請ひ善財は南に求め、薬王は手を焼き普明は頭を刎らる。一日に三たび恒河沙の身を捨つるとも尚を一句の力を報ずること能はず。況や両肩に荷負すること百千万劫すとも寧ろ仏法の恩を報ぜんや」云云。文の心は如来ねんごろに此法を称歎し給へば、聞く者即ち歓喜す。常啼菩薩は東に法を請ひ、善財菩薩は南に法を求め、薬王菩薩は臂を焼き普明王は頭を刎られたり。一日に三度恒河の沙の数程身をば捨つるとも、尚一句の法恩を報ずる事あたはじ。況や二の肩に荷負て百千万劫すとも、寧ろ仏法の恩を報ずる事あるべからずと云へる心なり。止観の五(止会五ノ一十一)に云く「香城に骨を粉き雪嶺に身を投とも、亦何ぞ以て徳を報ずるに足らんや」と云へり。弘決の四(弘会四ノ四十)に云く「昔毘摩大国と云ふ国に狐あり、師子に追はれて逃けるが水もなき渇井に落ち入りぬ。師子は井を飛び越へて行きぬ。彼の狐井より上らんとすれども、深き井なれば上る事を得ざりき、既に日数を経るほどに飢死なんとす。其の時狐文を唱へて云く「禍かな、今日苦に逼められて、便ち当に命を丘井に没すべし。一切万物皆無常なり。恨むらくは身を以て師子に飼はざれることを。南無帰命十方仏、我心の浄くして已むことなきを表知し給へ」文。文の心は禍なるかな今日苦にせめられて即ち当に命を渇井に没すべし。一切の万物は皆是無常なり、恨むらくは身を師子に飼はざりけることを。南無帰命十方仏、我が心の浄きことを表知し給へと喚りき。爾時に天の帝釈狐の文を唱ふる事を聞き給ひて自ら下界に下り。井の中の狐を取り上げ給ひて法を説き給へと、の(宣)給ひければ、狐の云く、逆なるかな弟子は上に師は下に居たる事をと云ひければ、諸天笑ひ給へり。帝釈誠にことわり(理)と思食して、下に居給ひて法を説き給へとの給ひければ又狐云く、逆なるかな師も弟子も同座なる事をと云ひければ、帝釈諸天の上の御衣をぬぎ重ねて高座として登せて法を説かしむ。狐説いて云く「人有り生を楽ひ死を悪む。人有り死を楽ひ生を悪む」云云。文の心は人有りて生くる事を楽つて死せん事をにくみ、又人有りて死せん事を楽つて生きん事をにくむと。此の文を狐に値ひて帝釈習ひ給ひて狐を師として敬はせ給ひけり。天台の御釈(止会四ノ四九)に云く「雪山は鬼に随ひて偈を請ひ天帝は畜を拝して師となす。嚢臭きをもて其金を捨つる事なかれ」と釈し給へり。されば何に賤しき者なりとも実の法を知りたらん人を、いるがせ(忽)にする事あるべからず。然れば法華経の第八に云く「若実若不実此人現世得白癩病」云云。文の心は法華経の行者のとがを、若は実にもあれ、若は不実にもあれ云はん者は現世には白癩の病をうけ、後生には無間地獄に堕つべしと説かれたり。是等の理を思ひつづくるに大地の上に針を立てて大梵天宮より糸を下して、あやまたず糸の針の穴に入る事は有りとも我等が人間に生るる事は難く、又億億万劫不可思議劫をば過ぐるとも、如来の聖教に値ひ奉る事難し。而るに受け難き人間に生をうけ値ひ難き聖教に値ひ奉る。設ひ聖教に値ふと云えども、悪知識に値ふならば、三悪道に堕ちん事疑ひあるべからず。師堕つれば弟子堕つ、弟子堕つれば檀那堕つと云ふ文あるが故に、今幸に一乗の行者に値ひ奉れり。皮をはぎ肉を切り千歳仕へざれども、恣に一念三千、十界十如、一実中道、皆成仏道の妙法を学ぶ。実に過去の宿善拙くして末法流布の世に生れ値はざれば、未来永永を過ぐとも解脱の道難かるべし。又世間の人の有様を見るに口には信心深き事を云ふといえども、実に神にそむる人は千万人に一人もなし。涅槃経に云く「仏法を信ぜずして悪道に堕せん者は大地の土の如く仏法を信じて仏に成らん者は爪上の土の如し」と説き給へるも理なり。昔仏摩耶の恩を報じ給はんがために俄に人にも知られ給はずして、?利天へ四月十五日に昇らせ給ひて御坐けるに、五天竺の国王大臣を始めとしてあやしのしづ(賤)の男しづの女までも、仏を失ひ奉りて啼き悲みける歎き限りなく、誠に子を失ひ親にをくれたるが如し。いとをし(愛)き妻を恋ひ、男を恋ふる思の暗すら忍び難し。何に況や大覚世尊の「三十二相八十種好紫磨金色」の粧ひ厳くして、迦陵頻伽の御声を以て一切衆生を皆仏に成し給はんと御経を説かせ給ふ。慈悲深重に御坐す仏の御余波、惜み進らする歎き思ひ遺るに、上陽人の上陽宮に閉じ籠られて歎きし歎きにも勝れ、尭王の娘、娥皇、女英の二人舜王に別れ奉りて歎きし歎きにも勝れ、蘇武が胡国に流されて十九年、雪中に住みけん思にも勝れたり。余の御恋しさに木を以て仏の御形を作り奉るに、三十二相の一相をだにも作り似せ奉らず。爾時に優填大王と申しける王、赤栴檀と云ふ木を以て、?利天より毘首羯摩天を請して作り奉りける、仏の?利天へ本仏の御迎へに参らせ給ひけるも優填大王の信心深き故なり。是こそ一閻浮提に仏を作り奉りける始めなれ。又須達長者と云ひける人あり、仏は?利天に御坐すが、七月十五日に天竺へ下り給ふべきよし聞えければ、御儲に御堂を作らんとしけるに御堂造るべき地を持ざりければ、波期匿王の太子祇陀太子と云ひける人、祇陀林と云ふ苑を持ち給ひたりけるに広さ四十里有りける。此苑に人太刀刀を持ちて入れば折砕ける苑なり。須達、祇陀太子に値ひ奉りて此苑を売らせ給へ、御堂を造らんと云ひければ、太子の(宣)給ふ様、此苑四十里に金を厚さ四寸に敷給はば売らんとの給ひけり。須達之を買ふべき由を申しければ、太子の給はく、戯れにこそ云ひつれ、実には叶ふまじとの給ひけり。須達申しける様は天子に二言なしと云ふ。争か仮染の戯にも虚言をし給ふべきと申して、波期匿王に此由を申しけり。大王の給はく、祇陀太子は我位を継ぐべき者なり。争か仮染の戯にも虚言をすべきと仰せられければ、太子力なく売らせ給ひけり。須達四十里に金を四寸に敷いて買ひ取りて悦んで御堂を造らんとしけるに、舎利弗来りて縄をひき地をわり(割)けるに、舎利弗空を見上げてわらひけり。須達が云く、大聖は威儀を乱さざる理なり、いかにわらわせ給ふぞと怪み申しければ、舎利弗の云く、汝此堂を造らんとすれば六欲天に軍起る。かゝる大善根を修する者なれば我が天へこそ迎へんずれとて、互に諍をなす事のをかしと覚ゆるなり。汝は一期百年の後には兜率の内院に生るべしとぞの給ひける。然して後此堂を作り畢れり。其の名を祇園精舎と云ふ。此の祇園精舎へ七月十五日の夜、仏入らせ給ふべき由有りしかば、梵天、帝釈は?利天より金、銀、水精の三つの橋をかけたりける。中の橋を仏は入らせ給ふに、仏の左には梵天、右には帝釈互ひに仏に天蓋を指しかけまいらせ、仏の御後には四衆、八部、迦葉、迦栴延、目連、須菩提、千二百の羅漢、万二千の声聞、八万の菩薩等を引具して下り給ひけるに、五天竺に有りと在る人皆たえだえ(分分)に随つて油を儲けてともしけり。万灯をともす人もあり千灯をともす人もあり、或は百灯、乃至一灯をともす人もありけるに、此に貧女と云ふ者ありけり。貧しき事譬ふべき方もなし。身に纏ふ物とてはとふ(十府)のすがごも(菅薦)にも及ばざる藤の衣計りなり。四方に馳走すとも一灯の代を求むるにあたはず。空しく歎き思ひつもれる涙、油ならましかば百千万灯にともすとも尽きじ。思ひの余に自髪を切り、手づからかづら(鬘)にひねりて油一灯にかへてわづかにぞともしたりけるに、仏神も三宝も天神も地神も納受を垂れ給ひけるにや、藍風、毘藍風と申す大風吹て灯を吹き消しけるに、貧女が一灯計りぞ残りたりける。此の光にて仏は祇園精舎へ入らせ給ひけり。之を以て之を思ふにたのしくて若干の財を布施すとも、信心よはくば仏に成らんこと叶ひ難し。縦ひ貧なりとも信心強ふして志深からんは、仏にならんこと疑ひあるべからず。されば無勝徳勝と云ひける者は土の餅を仏に供養し奉りて、此の功徳に依て閻浮提の主阿育大王と生れて、終に八万四千の石塔を造り国国に送り給ひ、後に菩提の素懐をとげ給ふ。されば法華経にて四十余年が程きらはれし女人も仏に成り、五逆、闡提と云はれし提婆も仏になりけり。然れば末代濁世の謗法、闡提、五逆たる僧も俗も尼も女も、此経にて仏に成らん事疑ひなし。然れば法華経代七に云く「於我滅度後応受持此経是人於仏道決定無有疑」云云。此文こそよによに憑敷候へ。此等をさまざま思ひつづけて観念のとこの上に夢を結べば、妻恋ふ鹿の音に目をさまし、我身の内に三諦即一、一心三観の月曇りなく澄みけるを、無明深重の雲引覆ひつつ昔より今に至るまで、生死の九界に輪廻すること、此の砌にしられつつ自らかくぞ思ひつづける。
 立わたる身のうき雲も晴ぬべしたえぬ御法の鷲の山風。
建治元年八月二十一日                日蓮花押

#0434-300 波木井殿御書 弘安五(1282.10・07) [p1925]
波木井殿御書(波木井第五書)(与南部氏等書)
     弘安五年十月。六十一歳。於武蔵池上作。
     外二五ノ三三。遺三〇ノ五三。縮二一〇七。類三八五。

 日蓮は日本国人王八十五代後堀河院の御宇、貞応元年壬午、安房国長狭郡東条郷の生也。仏滅後二千百七十一年に当る也。八十六代四条院天福元年癸巳、十二歳にして清澄寺に登り、道善御房の坊に居て学文す。于時延応元年己亥十八歳にして出家し、其後十五年が間一代聖教総じて内典、外典に亙て無残見定、生年三十二歳にして建長五年癸丑三月二十八日念仏は無間の業なりと見出しけるこそ時の不祥なれ。如何せん此法門を申さば誰か可用、返て怨をなすべし。人を恐て不申者仏法の怨となりて大阿鼻地獄に堕べし。経文には末法に法華経を弘る行者あらば上行菩薩の示現なりと思ふべし。言ざる者は仏法の怨なりと仏説給へり。経文に任せて云ならば日本国は皆一同に日蓮が敵と成べし。釈迦仏は娑婆に八千度生れ給しに尸毘王とありし時は鳩の命にかはり、薩?王子とありし時は飢たる虎に身を与へ、雪山童子たりし時は半偈の為に投身、堅誓師子とありし時は猟師に殺され、千頭の鹿王と成ては我身をれふし(猟師)に射させて妊(姙)胎の鹿を助、三千大千世界に我身命を捨置給はざる処なし。此功徳は皆一切衆生の中には法華経を信ずる人人に与んと誓給き。我不愛身命の法門なれば捨命、此法華経を弘めて日本国の衆生を成仏せしめん。纔の小島の主君に恐れて是をいはずんば堕地獄閻魔の責をば如何せん。国主の用給ふ禅は天魔なる由、鎌倉殿の用給ふ真言の法は亡国の由、極楽寺の良観房は国賊なる由、浄土宗の無間大阿鼻獄に堕べき由、其外余宗皆地獄に可堕由一一に記し、立正安国論を作り宿谷の禅門を使として最明寺殿の見参に入れ奉る。此は生年三十九の文応元年庚申歳也。日蓮が立申す法門を一偈一句も答る人一人もなし。上下一同に悪嫉て讒奏申すに依て、生年四十弘長元年辛酉歳五月十二日には伊豆国伊東荘へ配流し、伊東八郎左衛門尉の預にて三箇年也。同三年癸亥二月二十二日赦免せらる。「如来現在猶多怨嫉況滅度後」の法門なれば日蓮此法門の故に怨まれて死んことは決定也。今一度旧里へ下て親き人人をも見ばやと思て、文永元年甲子十月三日に安房国に下て三十余日也。同十一月十一日には安房国東条の松原と申大道にて、申酉の時計にて候しが、数百人の念仏者の中に取篭られ、日蓮は但一人物の用にあふべき者は纔に三四人候しかども、射る箭は雨のふるが如く打太刀は電光の如し。弟子一人当座に打殺され候、又二人は大事の手を負候ぬ。自身計りは射れ打れ切れ候しかども、如何候けん打漏されてかまくら(鎌倉)に登る。文永五年戊辰後正月蒙古国より日本国を襲べき由牒状これを渡す。同十月に訴状を書て重て法光寺殿の見参に入奉りしに御祈祷申すべき由有しかども、日蓮が云、建長寺、極楽寺等の念仏者、禅宗等が堂塔を焼払、彼等が頸を由井が浜にて悉切失はるべく候。不然者只今此日本国の人人佗国より責られ、同士打して自界叛逆難あるべし。かまくら中の持斎の僧を御供養候事は但牛を飼せ給にてこそ候へと申たりしかば、日蓮房は鎌倉殿を牛飼と申候と讒奏申に依て、文永八年辛未九月十二日には頸の座に登り相模の龍口へ遣はさる。今は最後と思しかば御霊の宮の前にて馬をひかへ熊王丸を使として四条左衛門尉に知せしかば、かちはだしにて馬の口に取付て路すがら啼悲んで、事実にならば腹を切んとせし志をば何の世にかは忘るべく候。法華経に命を進らせ日蓮より前に腹を切んと思きりし事をば釈迦仏先知食して候なり。既に頸切れんとせしが其夜は延候て相模の依智へわたされ本間の六郎左衛門が預おきぬ。明十三日の夜ふけ方に不思議現ず。大星下て庭の梅の枝に懸りき。爾る故にや死罪を留められ流罪に行はれ佐渡国へ遣はさる。十月十日相模の依智を立て同二十八日佐渡国へ著ぬ。本間六郎左衛門尉が後見の家より北に塚原と申て、洛陽の蓮台野の様に死人を送る三昧原ののべにかき(垣)もなき草堂に落著ぬ。夜は雪ふり風はげし、きれたる蓑を著て夜を明す。北国の習なれば北山の嶺の山をろしのはげしき風身にしむ事をば但思やらせ給へ。彼国の守護も国主の御計なれば日蓮を怨。其外万民も皆其命に従ふ。かまくら(鎌倉)にては念仏者、禅、律、真言等が一同にそしよう(訴訟)申て、何にも日蓮を鎌倉へかへさぬ様にと計らひ、極楽寺の良観房も武蔵前司殿の私の御教書を申下して弟子に持せて佐渡国へ渡て怨をなす。其に随て地頭並に念仏者等が、日蓮が居たるあたりに夜も昼も立副て、通ふ人を強にあやまたんとすれば叶ふべき様もなし。何より問べき人一人もなし。天の御計にてや候けん阿仏房の日蓮を扶持せし事は、偏へに悲母の佐渡国に生れ替らせ給て日蓮が命を助給ふ歟。漢土に沛公と申せし者あり、王此者を相辱めて重て勅宣を下して、沛公をうつて進らせたらん者には捕忠の賞を給べき宣旨ありしかば、沛公山辺に隠居して命助かりがたかりしに、沛公が妻山辺に尋行て時時助候き。彼は夫妻なれば年来の情捨がたければ尋けん。此は佗人なれども人目を隠れ忍て、日蓮を憐愍し或は処をおはれ、或は過代を引なんどせしかば、内内志ありし人も何とも申人一人もなし。さすがに凡夫なれば佗国に住ぬれば古郷の恋しき事申す計なし。日蓮無謬、日本国の一切衆生を仏に成さんと思ふ志こそなからめ。日本国の一切の男女等はさて置ぬ。禅僧、律僧、真言宗、浄土宗の人人日蓮を見たりしは夜討、強盗、謀叛、殺害の人を見よりも猶怖しげなり。されども法華経の正理なれば別の謬なくて、佐渡国にて四箇年と申せし、同十一年甲戌二月十四日被赦免、同三月二十六日にかまくら(鎌倉)へ上りぬ。同四月八日に平左衛門尉が云、御房は法華経の法門には今はこり(懲)させ給やと云しかば、日蓮云、王地に生れたれば身は随がへられ奉る様なれども、心は随ひ奉るべからず。念仏は無間地獄、禅は天魔の所為なる事は無疑。殊に真言宗が此国の大なる禍也。末法に法華経の行者は人に怨まれてかゝる難有べしと仏説給て候へば、偏に釈迦如来の御神、我身に入せ給てこそ候へ。されば我身ながら悦身に余れり。日蓮は日本の大難を払ひ国を持べき日本国の柱也。余を失ふならば日本国の柱を倒也。但今此国に大悪魔入り満て国土ほろびん時にこそ、日蓮が立申す法華経の法門正義とは見え候べけれ。経文限りあれば無力。其時こそ人人は思知り給らめと云しかば、日本国を呪咀申者なりとて、法華経の第五巻を以て日蓮がつら(面)をうちしなり。此事は梵天、帝釈も御覧あり、かまくら(鎌倉)八幡大菩薩も見させ給き。如何にも今は叶まじき世也。国の恩を報ぜんがために国に留り三度は諌べし。用ずんば山林に身を隠せと云本文ありと本より存知せり。何なる山中にも篭て命の程は法華経を読誦し奉らばやと思より外は佗事なし、時に五十三。同五月十二日かまくら(鎌倉)を立て甲斐国へ分入る。路次のいぶせき峯に登れば日月をいただくが如し、谷に下れば穴に入が如し。河たけく(猛)して船渡らず、大石流れて箭をつくが如し。道は狭して縄の如し、草木しげりて路みえず。かゝる所へ尋入事浅からざる宿習也。かゝる道なれども釈迦仏は手をひき、帝釈は馬となり、梵王は身に立そひ、日月は眼に入かはらせ給故にや、同十七日甲斐国波木井の郷へ著ぬ。波木井殿に対面有しかば大に悦び、今生は実長が身に及ばん程は見つぎ奉るべし。後生をば聖人助け給へと契りし事はただごととも覚えず。偏に慈父悲母の波木井殿の身に入かはり日蓮をば哀れみ給歟。其後身延山へ分入て山中に居し、法華経を昼夜読誦し奉り候へば、三世の諸仏、十方の諸仏、菩薩も此砌におはすらん。釈迦仏は霊山に居して八箇年法華経を説給ふ。日蓮は身延山に居して九箇年の読誦也。伝教大師は比叡山に居して三十余年の法華経の行者也。雖然彼山は濁山也。我此山は天竺の霊山にも勝れ、日域の比叡山にも勝れたり。然れば吹風もゆるぐ木草も流るる水の音までも、此山には妙法の五字を唱へずと云ことなし。日蓮が弟子檀那等は此山を本として参るべし。此則ち霊山の契也。此山に入て九箇年也、仏滅後二千二百三十余年也。日蓮ひとつ志あり、一七日にして返る様に安房国にやりて旧里を見せばやと思て、時に六十一と申す弘安五年壬午九月八日身延山を立て武蔵国千束郷池上へ著ぬ。釈迦仏は天竺の霊山に居して八箇年法華経を説せ給ふ。御入滅は霊山より艮に当れる東天竺倶尸那城跋提河の純陀が家に居して入滅なりしかども、八箇年法華経を説せ給ふ山なればとて御墓をば霊山に建させ給き。されば日蓮も如是身延山より艮に当て武蔵国池上右衛門大夫宗長が家にして可死候歟。縦いづくにて死候とも九箇年の間心安く法華経を読誦し奉り候山なれば、墓をば身延山に立させ給へ。未来際までも心は身延山に可住候。日蓮は日本六十六箇国島二の内に五尺に足ざる身を一つ置処なく候しが、波木井殿の御育みにて九箇年の間、身延山にして心安く法華経を読誦し奉り候つる志をば、いつの世にかは思忘候べき。しらずや此人は無辺行菩薩の再誕にてや御座すらむ。日蓮は日本第一の法華経の行者也。日蓮が弟子、檀那等の中に日蓮より後に来り給候はば、梵天、帝釈、四大天王、閻魔法皇の御前にても、日本第一の法華経の行者日蓮房が弟子檀那なりと名乗て通り給べし。此法華経は三途川にては船となり、死出の山にては大白牛車となり、冥途にては灯となり、霊山へ参る橋也。霊山へましまして艮の廊にて尋ねさせ給へ、必ず待奉るべく候。但各各の信心に依べく候。信心だも弱くばいかに日蓮が弟子檀那と名乗せ給とも、よも御用は候はじ。心に二ましまして信心だに弱く候はば、峯の石の谷へころび(転)、空の雨の大地へ落ると思食せ。大阿鼻地獄疑ひあるべからず。其時日蓮を恨させ給な、返す返すも各の信心に依べく候。大通結縁の者は地獄に堕て三千塵点劫を経候き、久遠下種の輩は地獄に堕て五百塵点劫を経たる事、大悪知識にあふて法華経をおろそか(疎略)に信ぜし故也。返す返すも能能信心候て事故なく霊山へましまして、日蓮を尋ねさせ給へ。其時委く可申候。南無妙法蓮華経。
  弘安五年壬午十月七日           日蓮花押
  波木井殿  其外人人
(微下ノ二六。考八ノ五一。)