真跡遺文 2000年01月 発行
真跡遺文
「遺文一巻」+「遺文二巻」+「図録」+「断簡」
#0002-000 富木殿御返事 建長五(1253) [p0015]
よろこびて御とのひと給えりて候。ひるはみぐりしう候えば、よるまいり候わんと存じ候。ゆうさりとりのときばかりに給うべく候。又御わた(渡)り候て法門をも御だんぎあるべく候。[p0015]
十二月九日[p0015]
日 蓮[p0015]
とき殿[p0015]
#0003-0K0 不動・愛染感見記 建長六(1254.06・25) [p0016]
{上段}[p0016]
生身愛染明王拝見[p0016]
正月一日日蝕之時 {梵字にて記入あり}[p0016]
{画}
大日如来より日蓮に至る二十三代嫡々相承[p0016]
建長六年六月二十五日[p0016]
日蓮授新仏[p0016]
{下段}
生身不動明王拝見[p0016]
十五日より十七日に至る {梵字にて記入あり}[p0016]
{画}
大日如来より日蓮に至る二十三代嫡々相承[p0016]
建長六年六月二十五日[p0016]
日蓮授新仏[p0016]
#0013-100 武蔵殿御消息 正元元(1259) [p0087]
摂論三巻は給候えども、釈論等の各疏候わざるあいだ事ゆかず候。おなじくは給候てみあわすべく候。見参之事、いつにてか候べき。仰せをかおり候わん。[p0087]
八講はいつにて候やらん。[p0087]
七月十七日 日 蓮 花押[p0087]
武蔵殿御房[p0087]
#0015-1K0 守護国家論 正元元(1259) [p0089]
夫れ以みれば偶たま十方微塵三悪の身を脱れて希に閻浮日本爪上の生を受く。亦、閻浮日域爪上の生を捨て十方微塵三悪の身を受けんこと疑い無き者也。然るに生を捨て悪趣に堕する縁、一に非ず。或は妻子眷属の哀憐に依り、或は殺生悪逆重業に依り、或は国主と成って民衆の歎きを知らざるに依り、或は法の邪正を知らざるに依り、或は悪師を信ずるに依る。此の中に於ても世間の善悪は眼前に在れば愚人も之を弁うべし。仏法の邪正・師の善悪に於ては、証果の聖人すら尚お之を知らず。況んや末代の凡夫に於てを乎。加之、仏日西山に隠れ、余光東域を照らしてより已来、四依の慧燈は日に減じ、三蔵の法流は月に濁る。実教に迷える論師は真理の月に雲を副え、権経に執する訳者は実教の珠を砕きて権経の石と成す。何に況んや震旦の人師の宗義、其の・{あやま}り無からん乎。何に況んや日本辺土の末学、誤りは多く実は少なき者歟。[p0089]
随って其の教を学する人数は龍鱗より多けれども、得道の者は麟角より希なり。或は権教に依るが故に、或は時期不相応の教に依るが故に、或は凡聖の教を弁えざるが故に、或は権実二教を弁えざるが故に、或は権教を実教と謂うに依るが故に、或は位の高下を知らざるが故なり。[p0089]
凡夫の習い、仏法に就いて生死の業を増すこと、其の縁一に非ず。中昔、邪智の上人有って末代の愚人の為に一切の宗義を破して選択集一巻を造る。名を鸞綽導の三師に仮て一代を二門に分かち、実教を録して権教に入れ、法華真言の直道を閉じて浄土三部の隘路を開く。亦浄土三部の義にも順ぜずして権実の謗法を成し、永く四聖の種を断じて阿鼻の底に沈むべき僻見なり。而るに世人之に順うこと、譬えば大風の小樹の枝を吹くが如く、門弟此の人を重んずること天衆の帝釈を敬うに似たり。[p0089]
此の悪義を破らんが為に亦多くの書有り。所謂、浄土決義鈔・弾選択・摧邪輪等也。此の書を造る人、皆碩徳の名一天に弥ると雖も、恐らくは未だ選択集謗法の根源を顕さず。故に還って悪法の流布を増す。譬えば盛んなる旱・{かんばつ}の時に小雨を降らせば草木弥いよ枯れ、兵者を打つ刻(とき)、弱き兵を先にすれば強敵倍の力を得るが如し焉。[p0089-0090]
予、此の事を歎く間、一巻の書を造って選択集の謗法の縁起を顕し、名づけて守護国家論と号す。願わくは一切の道俗、一時の世事を止めて永劫の善苗を種えよ。[p0090]
今、経論を以て邪正を直す。信謗は仏説に任せ、敢えて自義を存すること無し。[p0090]
分けて七門と為す。一には如来の経教に於て権実二教を定むることを明かす。二には正像末の興廃を明かす。三には選択集の謗法の縁起を明かす。四には謗法の者を対治すべき証文を出だすことを明かす。五には善知識、竝びに真実の法には値い難きことを明かす。六には法華・涅槃に依る行者の用心を明かす。七には問に随って答を明かす。[p0090]
大文の第一に如来の経教に於て権実二教を定むることを明かさば、此れに於て四有り。一には大部の経の次第を出して流類を摂することを明かす。二には諸経の浅深を明かす。三には大小乗を定むることを明かす。四には且(まさ)に権を捨て実に就くべきことを明かす。[p0090]
第一に大部の経の次第を出して流類を摂することを明かば。[p0090]
問て云く 仏、最初に何なる経を説きたもう乎。[p0090]
答て云く 華厳経也。[p0090]
問て云く 其の証如何。[p0090]
答て云く 六十華厳経の離世間浄眼品に云く_如是我聞。一時仏在摩竭提国寂滅道場始成正覚〔是の如きを我聞きき。一時、仏、摩竭提国寂滅道場に在って始めて正覚を成ず〕と。法華経の序品に放光瑞の時、弥勒菩薩十方世界の諸仏の五時の次第を見る時、文殊師利菩薩に問て云く_又覩諸仏 聖主師子 演説経典 微妙第一 其声清浄 出柔軟音 教諸菩薩 無数億万〔又諸仏 聖主師子 経典の 微妙第一なるを演説したもう 其の声清浄に 柔軟の音を出して 諸の菩薩を教えたもうこと 無数億万に〕。亦方便品に仏自ら初成道の時を説いて云く_我始坐道場 観樹亦経行 乃至 爾時諸梵王 及諸天帝釈 護世四天王 及大自在天 竝余諸天衆 眷属百千万 恭敬合掌礼 請我転法輪〔我始め道場に坐し 樹を観じ亦経行して 乃至 爾の時に諸の梵王 及び諸の天帝釈 護世四天王 及び大自在天 竝に余の諸の天衆 眷属百千万 恭敬合掌し礼して 我に転法輪を請す〕。此れ等の説は法華経に華厳経の時を指す文なり。故に華厳経の第一に云く_毘沙門天王[略]月天子[略]日天子[略]釈提桓因[略]大梵[略]摩醯首羅等[略、已上]と。[p0090-0091]
涅槃経に華厳経の時を説いて云く_既成道已梵天勧請。唯願如来当為衆生広開甘露門 乃至 梵王復言世尊一切衆生凡有三種。所謂利根・中根・鈍根。利根能受。唯願為説。仏言梵王諦聴諦聴。我今当為一切衆生開甘露門〔既に成道し已って梵天勧請すらく。唯願わくは如来、当に衆生の為に広く甘露の門を開きたもうべし。乃至 梵王復言く 世尊、一切衆生に凡そ三種有り。所謂、利根・中根・鈍根なり。利根は能く受く。唯願わくは為に説きたまえ。仏言く 梵王諦かに聴け、諦かに聴け。我今当に一切衆生の為に甘露の門を開くべし〕。亦、三十三に華厳経の時を説いて云く_如十二部経修多羅中微細之義我先已為諸菩薩説〔十二部経修多羅の中の微細之義を我先に已に諸の菩薩の為に説くが如し〕と。此れ等の文の如くば、皆、諸仏世に出たまいて一切経の初めには必ず華厳経を説きたまいし証文なり。[p0091]
問て云く 無量義経に云く_初説四諦 乃至 次説方等。十二部経。摩訶般若。華厳海空〔初め四諦を説いて 乃至 次に方等十二部経・摩訶般若・華厳海空を説いて〕。此の文の如くんば般若経の後に華厳経を説けり。相違如何。[p0091]
答て云く 浅深の次第なる歟。或は後分の華厳経なる歟。法華経の方便品に一代の次第浅深を列ねて云く_無有余乗[華厳経也]。若二[般若経也]。若三[方等経也]。此の意也。[p0091]
問て云く 華厳経の次に何れの経を説きたもう乎。[p0091]
答て云く 阿含経を説きたもう也。[p0091]
問て云く 何を以て之を知るや。[p0091]
答て云く 法華経の序品に華厳経の次の経を説いて云く_若人遭苦 厭老病死 為説涅槃〔若し人苦に遭うて 老病死を厭うには 為に涅槃を説いて〕。方便品に云く_即趣波羅奈 乃至 為五比丘説〔即ち波羅奈に趣く 乃至 五比丘の為に説きぬ〕と。涅槃経に華厳経の次の経を定めて云く_即於波羅奈国転正法輪宣説中道〔即ち波羅奈国に於て、正法輪を転じて中道を宣説す〕と。此れ等の経文は華厳経より後に阿含経を説く也。[p0091]
問て云く 阿含経の後に何れの経を説きたもう乎。[p0091]
答て云く 方等経也。[p0091]
問て云く 何を以て此れを知るや。[p0092]
答て云く 無量義経に云く_初説四諦 乃至 次説方等。十二部経。〔初め四諦を説いて 乃至 次に方等十二部経を説く〕と。涅槃経に云く_従修多羅出方等経〔修多羅より方等経を出す〕と。[p0092]
問て云く 方等とは天竺の語、此には大乗と云うなり。華厳・般若・法華・涅槃等、皆大乗方等也。何ぞ独り方等部に限って方等の名を立つる乎。[p0092]
答て曰く 実には華厳・般若・法華等、皆方等也。然りと雖も、今方等部に於て別して方等の名を立つることは私の義に非ず。無量義経・涅槃経の文顕然也。阿含の証果は一向小乗なり。次に大乗を説く。方等より已後、皆大乗と云うと雖も、大乗の始めなるが故に初めに従えて方等部を方等と云う也。例せば十八界の十半は色なりと雖も、初めに従えて色境の名を立つるが如し。[p0092]
問て曰く 方等部の諸経の後には何れの経を説きたもう乎。[p0092]
答て曰く 般若経也。[p0092]
問て曰く 何を以て此れを知るや。[p0092]
答て曰く 涅槃経に云く_従方等経出般若〔方等経より般若〈般若波羅蜜〉を出す〕と。[p0092]
問て曰く 般若経の後には何れの経を説きたもう乎。[p0092]
答て曰く 無量義経也。[p0092]
問て曰く 何を以て此れを知るや。[p0092]
答て曰く 仁王経に云く_二十九年中と。無量義経に云く_四十余年と。[p0092]
問て曰く 無量義経には般若経の後に華厳経を列ね、涅槃経には般若経の後に涅槃経を列ぬ。今の所立の次第は、般若経の後に無量義経を列ぬ。相違如何。[p0092]
答て曰く 涅槃経第十四の文を見るに涅槃経已前の諸経を列ねて涅槃経に対して勝劣を論じて、而も法華経を挙げず。第九の巻に於て法華経は涅槃経より已前なりと之を定めたもう。法華経の序品を見るに無量義経は法華経の序分也。無量義経には般若之次に華厳経を列ぬれども、華厳経を初時に遣ることは般若経の後は無量義経なれば也。[p0092]
問て曰く 無量義経の後に何れの経を説きたもう乎。[p0092]
答て曰く 法華経を説きたもう也。[p0092]
問て云く 何を以て此れを知るや。[p0092]
答て曰く 法華経の序品に云く_為諸菩薩説大乗経。名無量義。教菩薩法。仏所護念。仏説此経已。結跏趺坐。入於無量義処三昧〔諸の菩薩の為に大乗経の無量義・教菩薩法・仏所護念と名くるを説きたもう。仏此の経を説き已って、結跏趺坐し無量義処三昧に入って〕。[p0092]
問て曰く 法華経の後に何れの経を説きたもう乎。[p0093]
答て曰く 普賢経を説きたもう也。[p0093]
問て云く 何を以て此れを知るや。[p0093]
答て曰く 普賢経に云く_却後三月。我当般涅槃 乃至 如来昔於。耆闍崛山。及余住処。已広分別。一実之道。今於此処〔却って後三月あって我当に般涅槃すべし。乃至 如来昔耆闍崛山及び余の住処に於て、已に広く一実の道を分別せしかども、今此の処に於て〕と。[p0093]
問て曰く 普賢経の後に何れの経を説きたもう乎。[p0093]
答て曰く 涅槃経を説きたもう也。[p0093]
問て云く 何を以て此れを知るや。[p0093]
答て曰く 普賢経に云く_却後三月。我当般涅槃〔却って後三月あって我当に般涅槃すべし〕。涅槃経三十に云く_如来何故二月涅槃〔如来何が故ぞ二月に涅槃したもうや〕。亦云く_如来初生・出家・成道・転妙法輪皆以八日。何仏涅槃独十五日〔如来は初生・出家・成道・転妙法輪皆八日を以てす。何ぞ仏の涅槃独り十五日なるや〕と。[p0093]
大部の経大概是の如し。此れより已外、諸の大小乗経は次第不定也。或は阿含経より已後に華厳経を説き、法華経より已後に方等般若を説く。皆義類を以て之を収めて一処に置くべし。[p0093]
第二に諸経の浅深を明かば。[p0093]
無量義経に云く_初説四諦[阿含]~次説方等。十二部経。摩訶般若。華厳海空。宣説菩薩。歴劫修行〔初め四諦を説いて[阿含]~次に方等十二部経・摩訶般若・華厳海空を説いて、菩薩の歴劫修行を宣説せしかども〕。亦云く_四十余年。未顕真実〔四十余年には未だ真実を顕さず〕。又云く_無量義経。~尊無過上〔無量義経は尊にして過上なし〕と。此れ等の文の如くば四十余年の諸経は無量義経に劣ること疑い無き者也。[p0093]
問て曰く 密厳経に云く_一切経中勝〔一切経の中に勝れたり〕と。大雲経に云く_諸経転輪聖王〔諸経の転輪聖王なり〕と。金光明経に云く_諸経中之王〔諸経の中之王なり〕と。此れ等の文を見るに、諸大乗経の常の習い也。何ぞ一文を瞻て無量義経は四十余年の諸経に勝ると云う乎。[p0093]
答て云く 教主釈尊、若し諸経に於て互いに勝劣を説かば、大小乗の差別、権実の不同有るべからず。若し実に差別無きに互いに差別浅深等を説かば、諍論の根源、悪業起罪の因縁也。爾前の諸経の第一とは縁に随って不定也。或は小乗の諸経に対して第一、或は報身の寿を説いて諸経の第一、或は俗諦・真諦・中諦等を説いて第一と也。一切経の第一に非ず。今の無量義経のごときは四十余年の諸経に対して第一也。[p0093-0094]
問て云く 法華経と無量義経と何れか勝れたる乎。[p0094]
答て云く 法華経勝れたり。[p0094]
問て云く 何を以て之を知るや。[p0094]
答て云く 無量義経には未だ二乗作仏と久遠実成とを明かさず。故に法華経に嫌われて今説之中に入るなり。[p0094]
問て云く 法華経と涅槃経と何れか勝れたる乎。[p0094]
答て云く 法華経勝るる也。[p0094]
問て曰く 何を以て之を知るや。[p0094]
答て曰く 涅槃経に自ら如法華中等と説いて更無所作と云う。法華経に当説を指して難信難解と云わざる故也。[p0094]
問て云く 涅槃経の文を見るに、涅槃経已前をば皆邪見なりと云う、如何。[p0094]
答て云く 法華経は如来出世の本懐なる故に_今者已満足_今正是其時_然善男子。我実成仏已来等と説く。但し諸経の勝劣に於ては、仏、自ら_我所説経典無量千万億なりと挙げ了って、_已説今説当説等と説く時、多宝仏地より涌現して皆是真実と定め、分身の諸仏は舌相を梵天に付けたもう。是の如く諸経と法華経との勝劣を定め了んぬ。此の外、釈迦如来一仏の所説なれば、先後の諸経に対して法華経の勝劣を論ずべきに非ず。故に涅槃経に諸経を嫌う中に法華経を入れず。法華経は諸経に勝るる由之を顕す故也。但し邪見之文に至っては、法華経を覚知せざる一類の人、涅槃経を聞いて悟りを得る故に迦葉童子の自身、竝びに所引を指して涅槃経より已前を邪見等と云う也。経の勝劣を論ずるには非ず。[p0094]
第三に大小乗を定むることを明かさば。[p0094]
問て曰く 大小乗の差別、如何。[p0094]
答て云く 常途の説の如きは阿含部の諸経は小乗也。華厳・方等・般若・法華・涅槃等は大乗也。或は六界を明かすは小乗、十界を明かすは大乗也。其の外法華経に対して実義を論ずる時、法華経より外の四十余年の諸大乗経は皆小乗にして、法華経は大乗也。[p0094]
問て云く 諸宗に互って我が所拠の経を実大乗と謂い、余宗所拠の経を権大乗と云うこと常の習い也。末学に於て是非定め難し。未だ法華経に対して諸大乗経を小乗と称する証文を聞知せず、如何。[p0095]
答て云く 宗宗の立義、互いに是非を論ず。就中、末法に於て世間・出世に就いて非を先とし是を後とす。自ら是非を知らず、愚者の歎ずべき所也。但し且く我等が智を以て四十余年の現文を看るに、此の文を破る文無ければ人の是非を信用すべからざる也。其の上法華経に対して諸大乗経を小乗と称することは自答を存ずべきに非ず。法華経の方便品に云く_仏自住大乗 乃至 自証無上道 大乗平等法 若以小乗化 乃至於一人 我則堕慳貪 此事為不可〔仏は自ら大乗に住したまえり 乃至 自ら無上道 大乗平等の法を証して 若し小乗を以て化すること 乃至一人に於てもせば 我則ち慳貪に堕せん 此の事は為めて不可なり〕と。此の文の意は、法華経より外の諸経を皆小乗と説ける也。亦、寿量品に云く_楽於小法〔小法を楽える〕と。此れ等の文は法華経より外の四十余年の諸経を皆小乗と説ける也。天台・妙楽の釈に於て四十余年の諸経を小乗なりと釈すとも、他師、之を許すべからず。故に但経文を出す也。[p0095]
第四に且く権教を閣いて実経に就くことを明かさば。[p0095]
問て曰く 証文如何。[p0095]
答て曰く 十の証文有り。法華経に云く_但楽受持 大乗経典 乃至不受 余経一偈〔但楽って 大乗経典を受持して 乃至 余経の一偈をも受けざるあらん〕[是れ一]。涅槃経に云く_依了義経不依不了義経〔了義経に依て不了義経に依らざれ〕[四十余年を不了義経と云う。是れ二]。法華経に云く_此経難持 若暫持者 我即歓喜 諸仏亦然 如是之人 諸仏所歎 是則勇猛 是則精進 是名持戒 行頭陀者〔此の経は持ち難し 若し暫くも持つ者は 我即ち歓喜す 諸仏も亦然なり 是の如きの人は 諸仏の歎めたもう所なり 是れ則ち勇猛なり 是れ則ち精進なり 是れを戒を持ち 頭陀を行ずる者と名く〕[末代に於て四十余年の持戒無し。唯、法華経を持つを持戒と為す。是れ三]。涅槃経に云く_於乗緩者乃名為緩。於戒緩者不名為緩。菩薩摩訶薩於此大乗心不懈慢是名奉戒。為護正法以大乗水而自澡浴。是故菩薩雖現破戒不名為緩〔乗緩の者に於ては乃ち名づけて緩と為す。戒緩の者に於ては名づけて緩と為せず。菩薩摩訶薩、此の大乗に於て心懈慢せずんば、是れを奉戒と名く。正法を護るが為に大乗の水を以て而も自ら澡浴す。是の故に、菩薩、破戒を現ずと雖も名づけて緩と為さず〕[是の文、法華経の戒を流通する文也。是れ四]。法華経第四に云く_妙法華経 乃至 皆是真実〔妙法華経 乃至 皆是れ真実なり〕[此の文は多宝の証明也。是れ五]と。[p0095-0096]
法華経第八普賢菩薩の誓いに云く_於如来滅後。閻浮提内。広令流布。使不断絶〔如来の滅後に於て閻浮提の内に、広く流布せしめて断絶せざらしめん〕[是れ六]。法華経第七に云く_我滅度後。後五百歳中。広宣流布。於閻浮提。無令断絶〔我が滅度の後後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶せしめん〕[釈迦如来の誓い也。是れ七]。法華経第四に多宝、竝びに十方諸仏来集の意趣を説いて云く_令法久住 故来至此〔法をして久しく住せしめんが 故に此に来至したまえり〕[是れ八]。法華経第七に法華経を行ずる者の住処を説いて云く_於如来滅後。応当一心。受持読誦。解説書写。如説修行。所在国土 乃至 若経巻。所住之処。若於園中。若於林中。若於樹下。若於僧坊。若白衣舎。若在殿堂。若山谷曠野。是中皆応。起塔供養。所以者何。当知是処。即是道場。諸仏於此。得阿耨多羅三藐三菩提〔汝等如来の滅後に於て、応当に一心に受持・読誦し解説・書写し説の如く修行すべし。所在の国土に、乃至 若しは経巻所住の処あらん。若しは園中に於ても、若しは林中に於ても、若しは樹下に於ても、若しは僧坊に於ても、若しは白衣の舎にても、若しは殿堂に在っても、若しは山谷曠野にても、是の中に皆塔を起てて供養すべし。所以は何ん、当に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり。諸仏此に於て阿耨多羅三藐三菩提を得〕[是れ九]。[p0096]
法華経の流通たる涅槃経の第九に云く_我涅槃後正法未滅余八十年爾時是経於閻浮提当広流布。是時当有諸悪比丘抄掠是経分作多分能滅正法色香美味。是諸悪人雖復読誦如是経典滅除如来深密要義安置世間荘厳文飾無義之語。抄前著後抄後著前前後著中中著前後。当知如是諸悪比丘是魔伴侶 乃至 譬如牧牛女多加水乳。諸悪比丘亦復如是。雑以世語錯定是経。令多衆生不得正説正写正取尊重讃歎供養恭敬。是悪比丘為利養故不能広宣流布是経。所可分流少不足言如彼牧牛貧窮女人展転売乳乃至成糜而無乳味。是大乗経典大涅槃経亦復如是。展転薄淡無有気味。雖無気味猶勝余経是一千倍 如彼乳味於諸苦味為千倍勝。何以故是大乗経典大涅槃経於声聞経最為上首〔我涅槃の後、正法未だ滅せず。余の八十年の爾の時に是の経閻浮提に於て当に広く流布す。是の時当に諸の悪比丘有て是の経を抄掠〔かす〕め分けて多分と作し能く正法の色香美味を滅すべし。是の諸の悪人復是の如き経典を読誦すと雖も、如来の深密の要義を滅除して世間の荘厳の文飾無義之語を安置す。前を抄して後ろに著け、後ろを抄して前に著け、前後を中に著け、中を前後に著く。当に知るべし、是の如きの諸の悪比丘は是れ魔の伴侶なり。乃至 譬えば牧牛女の多く水を加うる乳の如し。諸の悪比丘も亦復是の如し。雑えるに世語を以てし錯いて是の経を定む。多くの衆生をして正説・正写・正取・尊重・讃歎・供養・恭敬することを得ざらしむ。是の悪比丘は利養の為の故に是の経を広宣流布すること能わず。分流すべき所少なくして言うに足らざること、彼の牧牛貧窮の女人、展転して乳を売り、乃至糜と成すに而も乳味無きが如し。是の大乗経典大涅槃経も亦復是の如し。展転薄淡にして気味有ること無し。気味無しと雖も、猶お余経に勝ること是れ一千倍なること、彼の乳味の諸の苦味に於て千倍勝るると為すが如し。何を以ての故に。是の大乗経典大涅槃経は声聞の経に於て最も為れ上首たり〕[是れ十]。[p0096-0097]
問て云く 不了義経を捨てて了義経に就くとは、大円覚修多羅了義経・大仏頂如来密因修証了義経、是の如き諸大乗経は、皆了義経也。依用を為すべき乎。[p0097]
答て曰く 了義・不了義は所対に随って不同なり。二乗・菩薩等の所説の不了義に対せば一代の仏説は皆了義也。仏説に就いて、亦小乗経は不了義、大乗経は了義也。大乗に就いて、又四十余年の諸経は不了義経、法華・涅槃・大日経等は了義経也。而るに円覚・大仏頂等之諸経は、小乗及び歴劫修行の不了義経に対すれば了義経也。法華経の如き了義に非ざる也。[p0097]
問て曰く 華厳・法相・三論等、天台・真言より以外の諸宗の高祖、各々其の依憑の経経に依て其の経々の深義を極めたりと欲えり。是れ、爾るべき乎、如何。[p0097]
答て云く 華厳宗の如きは、華厳経に依て諸経を判じて華厳経の方便と為す也。法相宗の如きは、阿含・般若等を卑しめ、華厳・法華・涅槃を以て深密経に同じ、同じく中道教と立つると雖も、亦法華・涅槃は一類之一乗を説くが故に不了義経なり。深密経には五性各別を存するが故に了義経と立つる也。三論宗の如きは、二蔵を立てて一代を摂し、大乗に於て浅深を論ぜず。而も般若経を以て依憑と為す。此れ等の諸宗の高祖、多分は四依の菩薩なる歟。定めて所存有らん。是非に及ばず。然りと雖も自身の疑いを晴らさんが為に且く人師の異解を閣いて諸宗の依憑の経々を開き見るに。[p0097]
華厳経は、旧訳は五十・六十。新訳は八十・四十なり。其の中に法華・涅槃の如く一代聖教を集めて方便と為すの文無し。四乗を説くと雖も、其の中の仏乗に於て十界互具・久遠実成を説かず。但し、人師に至って五教を立てて先の四教に諸経を収めて華厳経の方便と為す。[p0097]
法相宗の如きは、三時教を立つる時、法華等を以て深密経に同ずと雖も、深密経五巻を開き見るに、全く法華等を以て中道の内に入れず。[p0097-0098]
三論宗の如きは二蔵を立つる時、菩薩蔵に於て華厳・法華等を収め、般若経に同ずと雖も、新訳の大般若経を開き見るに、全く大般若を以て法華・涅槃に同ずるの文無し。華厳は頓教・法華は漸教等とは人師の意楽にして仏説に非ざる也。法華経の如きは、序分の無量義経に慥かに四十余年之年限を挙げ、華厳・方等・般若等の大部の諸経之題名を呼んで未顕真実と定め、正宗の法華経に至って一代之勝劣を定むる時、_我所説経典。無量千万億。已説。今説。当説〔我が所説の経典無量千万億にして、已に説き今説き当に説かん〕之金言を吐いて_而於其中。此法華経。最為難信難解〔而も其の中に於て此の法華経最も為れ難信難解なり〕と説きたもう時、多宝如来、地より踊出して_妙法蓮華経皆是真実と証誠し、分身の諸仏十方より尽く一処に集まって舌を梵天に付けたもう。[p0098]
今、此の義を以て、余、推察を加えるに、唐土日本に渡れる所の五千・七千余巻の諸経以外の天竺・龍宮・四天王・過去の七仏等の諸経、竝びに阿難の未結集の経、十方世界の塵に同ずる諸経の勝劣・浅深・難易、掌中に在り。無量千万億之中に豈に釈迦如来の所説の諸経漏るべき乎。已説・今説・当説之年限に入らざる諸経、之有るべき乎。願わくは末代の諸人、且つ諸宗の高祖の弱文無義を閣いて、釈迦・多宝・十方諸仏の強文有義を信ずべし。何に況んや、諸宗の末学偏執を先と為し、末代の愚者人師を本と為して経論を抛つる者に依憑すべき哉。故に法華の流通たる雙林最後の涅槃経に、仏、迦葉童子菩薩に遺言して言く_依法不依人 依義不依語 依智不依識 依了義経不依不了義経〔法に依て人に依らざれ 義に依て語に依らざれ 智に依て識に依らざれ 了義経に依て不了義経に依らざれ〕云云。予、世間を見聞するに自宗の人師を以て三昧発得智慧第一と称すれども、無徳の凡夫として実経に依て法門を信ぜしめず。不了義の観経等を以て時機相応の教と称し、了義の法華・涅槃を閣いて、譏りて理深解微の失を付く。如来の遺言に背いて、依人不依法 依語不依義 依識不依智 依不了義経不依了義経と談ずるに非ず乎。[p0098-0099]
請い願わくは、心有らん人は思惟を加えよ。如来の入滅は既に二千二百余之星霜を送れり。文殊・迦葉・阿難、経を結集せし已後、四依の菩薩重ねて世に出、論を造り経の意を申ぶ。末の論師に至って漸く誤り出来す。亦、訳者に於ても梵・漢未達の者、権教宿習の人有り。実の経論の義を曲げて権の経論の義を存せり。之に就いて亦唐土の人師、過去の権教の宿習の故に、権の経論心に叶う間実の経論を用いず。或は小し自義に違う文有れば理を曲げて会通を構え、以て自身の義に叶わしむ。設い後に道理と念うと雖も、或は名利に依り、或は檀那の帰依に依て、権宗を捨て、実宗に入らず。世間の道俗、亦無智の故に理非を弁えず。但人に依て法に依らず。設い悪法為りと雖も多人の邪義に随って一人の実説に依らず。而るに衆生の機、多くは流転に随い、設い出離を求むるにも亦多分は権経に依る。但恨むらくは悪業の身、善に付け悪に付け生死を離れ難き耳。然りと雖も、今の世の一切の凡夫、設い今生を損すと雖も、上に出す所の涅槃経第九の文に依て且く法華・涅槃を信ぜよ。[p0099]
其の故は世間の浅事すら多く展転する時は虚は多く実は少なし。況んや仏法の深義に於てを乎。如来の滅後二千余年の間、仏経に邪義を副え来り、万に一も正義無き歟。一代の聖教、多分は誤り有る歟。所以に心地観経の法爾無漏の種子、正法華経の属累の経末、婆沙論の一十六字、摂論の識を八九に分かつ、法華論と妙法華経との相違、涅槃論の法華煩悩に汚さる所の文、法相宗の定性・無性の不成仏、摂論宗の法華経の一称南無之別時意趣。此れ等は皆訳者、人師の誤り也。此の外に亦四十余年の経経に於て多くの誤り有る歟。設い法華・涅槃に於て誤り有るも誤り無きも、四十余年の諸経を捨て、法華・涅槃に随うべし。其の証、上に出し了んぬ。況んや誤り有るの諸経に於て信心を致さば生死を離るべき耶。[p0099-0100]
大文の第二に正像末に就いて仏法の興廃有ることを明かさば、之に就いて二有り。一には爾前四十余年の内の諸経と浄土の三部経と、末法に於て久住不久住を明かす。二には法華・涅槃と浄土三部経、竝びに諸経との久住不久住を明かす。[p0100]
第一に爾前四十余年の内の諸経と浄土の三部経と、末法に於て久住不久住を明かさば。[p0100]
問て云く 如来の教法は大小・浅深・勝劣を論ぜす。但時機に依て之を行ぜば定めて利益有るべき也。然るに賢劫・大術・大集経等の諸経を見るに、仏滅後二千余年已後は仏法皆滅して但教のみ有って行・証有るべからず。随って伝教大師の末法燈明記を開くに ̄我延暦二十年辛巳一千七百五十歳[一説也]。自延暦二十年已後亦四百五十余歳也。既入末法。設雖有教法無行証。於然者行仏法者万一難有得道歟。然見双観経当来之世経道滅尽我以慈悲哀愍特留此経止住百歳。其有衆生値斯経者随意所願皆可得度等文。釈迦如来一代聖教皆滅尽後 唯特留双観経念仏可利益衆生見了〔我延暦二十年辛巳一千七百五十歳[一説也]。延暦二十年より已後、亦四百五十余歳也。既に末法に入れり。設い教法有りと雖も行・証無けん。然るに於ては仏法を行ずる者、万に一も得道有り難き歟。然るに双観経の当来之世経道滅尽せんに我慈悲哀愍を以て特り此の経を留めて止住せんこと百歳ならん。其れ、衆生の斯の経に値うこと有らん者は意の所願に随って皆得度すべし、等の文を見る。釈迦如来一代の聖教皆滅尽の後、唯特り双観経の念仏のみを留めて衆生を利益すべしと見え了んぬ〕。[p0100]
此の意趣に依て粗浄土家の諸師の釈を勘うるに其の意無きに非ず。道綽禅師は ̄当今末法是五濁悪世 唯有浄土一門可通入路〔当今末法は是れ五濁悪世なり、唯浄土の一門のみ有って通入の路なるべし〕と書し、善導和尚は ̄万年三宝滅此経住百年〔万年に三宝滅し此の経のみ住すること百年なり〕と宣べ、慈恩大師は ̄末法万年余経悉滅弥陀一教利物偏増〔末法万年に余経悉く滅し、弥陀の一教利物偏に増す〕と定め、日本国の叡山の先徳、慧心僧都は一代聖教の要文を集め、末代の指南を教うる往生要集の序に云く ̄夫往生極楽之教行濁世末代之目足也。道俗貴賎誰不帰者。但顕密経法其文非一。事理業因其行惟多。利智精進之人未為難。如予頑魯之者豈敢矣〔夫れ、往生極楽之教行は濁世末代之目足也。道俗貴賎誰か帰せざる者あらん。但し、顕密の経法は其の文一に非ず。事理の業因其の行惟れ多し。利智精進之人は未だ難しと為さず。予が如き頑魯之者、豈に敢えてせん矣〕と。 乃至 次下に云く ̄就中念仏之教多利末代経道滅尽後濁悪衆生計也〔就中、念仏之教は多く末代の経道滅尽して後の濁悪の衆生を利する計り也〕と。総じて諸宗の学者も此の旨を存すべし。殊に天台一宗の学者、誰か此の義に背くべけん乎、如何。[p0100-0101]
答て云く 爾前四十余年の経経は各々時機に随って而も興廃有るが故に、多分は浄土の三部経より已前に滅尽有るべき歟。諸経に於ては多く三乗現身の得道を説く。故に末代に於ては現身得道の者、之少なり。十方の往生浄土は多くは末代の機に蒙らしむ。之に就いて、西方極楽は娑婆隣近なるが故に最下の浄土なるが故に、日輪東に出て西に没するが故に諸経に多く之を勧む。随って浄土の祖師のみ独り此の義を勧むるに非ず。天台・妙楽等も亦爾前の経に依るの日は且く此の筋有り。亦独り人師のみに非ず、龍樹・天親も此の意有り。是れ一義也。亦、仁王経等の如きは、浄土の三部経より尚お久しく、末法万年の後八千年住すべき也。故に爾前の諸経に於ては一定すべからず。[p0101]
第二に法華・涅槃と浄土の三部経との久住不久住を明かさば。[p0101]
問て云く 法華・涅槃と浄土の三部経と何れが先に滅すべき乎。[p0101]
答て云く 法華・涅槃より已前に浄土の三部経は滅すべき也。[p0101]
問て云く 何を以て此れを知るや。[p0101]
答て云く 無量義経に四十余年の大部の諸経を挙げ了って未顕真実と云う。故に双観経等の特留此経之言、皆方便也、虚妄也。華厳・方等・般若・観経等の速疾歴劫の往生成仏は無量義経の実義を以て之を検べるに_過無量無辺不可思議阿僧祇劫。終不得成。無上菩提 乃至 行於険径。多留難故〔無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぐれども、終に無上菩提を成ずることを得ず。乃至 険径を行くに留難多きが故に〕という経也。往生・成仏倶に別時意趣也。大集・双観経等の住滅の先後は皆随宜の一説也。法華経に来らざる已前は彼の外道の説に同じ。譬えば江河の大海に趣かず、民臣の大王に随わざるが如し。身を苦しめ行を為すとも法華・涅槃に至らずんば一分の利益無く、有因無果の外道なり。在世・滅後倶に教有って人無く、行有って証明無き也。諸木は枯るると雖も松柏は萎まず。衆草は散ると雖も鞠竹は変ぜず。法華経も亦復是の如し。釈尊の三説、多宝の証明、諸仏の舌相、偏に令法久住に在るが故也。[p0101-0102]
問て云く 諸経滅尽之後、特り法華経の留まるべき証文如何。[p0102]
答て云く 法華経の法師品に釈尊自ら流通せしめて云く_我所説経典。無量千万億。已説。今説。当説。而於其中。此法華経。最為難信難解〔我が所説の経典無量千万億にして、已に説き今説き当に説かん。而も其の中に於て此の法華経最も為れ難信難解なり〕云云。文の意は一代五十年の已今当之三説に於て最第一の経也。八万聖教の中に殊に未来に留めんと欲して説きたまいし也。[p0102]
故に次の品に多宝如来は地より踊出し、分身の諸仏は十方より一処に来集し、釈迦如来は諸仏を御使いと為して八方四百万億那由他の世界に充満せる菩薩・二乗・人天・八部等を責めて、多宝如来竝びに十方の諸仏、涌出来集の意趣は、偏に令法久住の為也。各々三説の諸経滅尽之後に慥かに未来五濁難信の世界に於て此の経を弘めんと誓言を立てよと云える時に、二万の菩薩、八十万億那由他の菩薩、各々誓状を立てて云く_我不愛身命 但惜無上道〔我身命を愛せず 但無上道を惜む〕と。千世界の微塵の菩薩、文殊等、皆誓って云く 我等於仏滅後 乃至 当広説此経〔我等仏の滅後に於て 乃至 当に広く此の経を説くべし〕云云。[p0102]
其の後仏十喩を挙げたもう。其の第一の喩えは川流江河を以て四十余年の諸経に譬え、法華経を以て大海に譬う。末代濁悪の無慙無愧の大旱・{かんばつ}之時、四味の川流江河は竭ると雖も法華経の大海は減少せず等と説き了って、次下に正しく説いて云く_我滅度後。後五百歳中。広宣流布。於閻浮提。無令断絶〔我が滅度の後後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん〕と定め了んぬ。[p0102]
倩つら文の次第を按ずるに、我滅度後之後の字は四十余年之諸経滅尽之後之後の字也。故に法華経の流通たる涅槃経に云く_応以無上仏法付諸菩薩。以諸菩薩善能問答。如是法宝則得久住。無量千世増益熾盛利安衆生〔応に無上の仏法を以て諸の菩薩に付すべし。諸の菩薩は善能問答するを以てなり。是の如き法宝は則ち久住することを得。無量千世にも増益熾盛にして衆生を利安すべし〕[已上]。此れ等の文の如くば、法華・涅槃は無量百歳にも絶ゆべからざる経也。此の義を知らざる世間の学者、大集権門の五五百歳之文を以て此の経に同じ、浄土の三部経より已前に滅尽すべしと存する立義は一経の先後の起尽を忘れたる也。[p0102-0103]
問て云く 上に挙ぐる所の曇鸞・道綽・善導・慧心等の諸師、皆法華・真言等の諸経に於て末代不相応の釈を作る。之に依て源空竝びに所化の弟子、法華・真言等を以て雑行と立て、難行道と疎み、行者をば群賊・悪衆・悪見之人等と罵り、或は祖父の履に類し[聖光房の語]、或は絃歌等にも劣ると云う[南無房の語]。其の意趣を尋ぬれば偏に時機不相応の義を存するが故也。此れ等の人師の釈を如何に之を会すべき乎。[p0103]
答て云く 釈迦如来一代五十年の説教、一仏の金言に於て権実二教を分け、権経を捨てて実経に入らしむ。仏語、顕然也。此に於て_若但讃仏乗 衆生没在苦〔若し但仏乗を讃めば 衆生苦に没在し〕の道理を恐れ、且く四十二年の権経を説くと雖も、_若以小乗化 乃至於一人 我則堕慳貪〔若し小乗を以て化すること 乃至一人に於てもせば 我則ち慳貪に堕せん〕之失を脱れんが為に、_入大乗為本〔大乗に入るに為れ本なり〕之義を存し、本意を遂げて法華経を説きたもう。然るに涅槃経に至って、我滅度せば必ず四依を出して権実二教を弘通せしめんと約束し了んぬ。故に龍樹菩薩は如来の滅後八百年に出世して十住毘婆沙等の権論を造りて華厳・方等・般若等の意を宣べ、大論を造りて般若・法華の差別を分かち、天親菩薩は如来の滅後九百年に出世して倶舎論を造りて小乗の意を宣べ、唯識論を造りて方等部の意を宣べ、最後に仏性論を造りて法華・涅槃の意を宣べ、了教・不了教を分かちて敢えて仏の遺言に違わず。[p0103]
末の論師、竝びに訳者の時に至っては、一向権経に執するが故に実経を会して権経に入れ、権実雑乱之失出来せり。亦人師の時に至っては、各々依憑の経を以て本と為すが故に余経を以て権経と為す。是れより弥いよ仏意に背く。[p0103-0104]
而るに浄土の三師に於ては、鸞・綽の二師は十住毘婆沙論に依て難易・聖浄の二道を立つ。若し本論に違いて法華・真言等を以て難易の内に入れば信用に及ばず。随って浄土論註竝びに安楽集を見るに、多分は本論の意に違わず。善導和尚は亦浄土の三部経に依て弥陀称名等の一行一願の往生を立つる時、梁・陳・隋・唐之四代の摂論師、総じて一代聖教を以て別時意趣と定む。善導和尚の存念に違う故に摂論師を破する時、彼の人を群賊に譬う。順次往生の功徳を賊するが故に。其の所行を雑行と称することは必ず万行を以て往生の素懐を遂ぐる故をば此の人初むる故に千中無一と嫌えり。是の故に善導和尚も雑行之言の中に敢えて法華・真言等を入れず。[p0104]
日本国の源信僧都は亦叡山第十八代の座主慈慧大師の御弟子也。多くの書を造れども皆法華を弘めんが為なり。而るに往生要集を造る意は、爾前四十余年の諸経に於て往生・成仏の二義有り。成仏の難行に対して往生易行の義を存し往生の業の中に於て菩提心観念の念仏を以て最上と為す。故に大文第十の問答料簡之中第七の諸行勝劣門に於ては、念仏を以て最勝と為す。次下に爾前最勝の念仏を以て法華経の一念信解の功徳に対して勝劣を判ずる時、一念信解の功徳は念仏三昧より勝ること百千万倍なりと定めたまえり。当に知るべし、往生要集の意は爾前最上の念仏を以て法華最下の功徳に対して、人をして法華経に入らしめんが為に造る所の書也。故に往生要集の後に一乗要決を造って自身の内証を述べる時、法華経を以て本意と為す。[p0104]
而るに源空竝びに所化の衆、此の義を知らざるが故に、法華・真言を以て三師竝びに源信の所破の難・聖・雑、竝びに往生要集の序の顕密之中に入れて三師竝びに源信を法華・真言の謗法の人と作す。其の上日本国の一切之道俗を化し、法華・真言に於て時機不相応之旨を習わしめて、在家出家の諸人に於て法華・真言の結縁を留む。豈に仏の記したもう所の_悪世中比丘 邪智心諂曲〔悪世の中の比丘は 邪智にして心諂曲に〕の人に非ず乎。亦_則断一切 世間仏種〔則ち一切世間の 仏種を断ぜん〕の失を免るべき乎。[p0104-0105]
其の上山門・寺門・東寺・天台竝びに日本国中の法華・真言等を習う諸人を群賊・悪衆・悪見の人等に譬うる源空が重罪、何れの劫にか其の苦果を経尽すべき乎。法華経の法師品に持経者を罵る罪を説いて云く_若有悪人。以不善心。於一劫中。現於仏前。常毀罵仏。其罪尚軽。若人以一悪言。毀・在家出家。読誦。法華経者。其罪甚重〔若し悪人あって不善の心を以て一劫の中に於て、現に仏前に於て常に仏を毀罵せん、其の罪尚お軽し。若し人一の悪言を以て、在家・出家の法華経を読誦する者を毀・{きし}せん、其の罪甚だ重し〕[已上経文]。一人の持者を罵る罪すら尚お是の如し。況んや書を造り日本国の諸人を罵らしむる罪を乎。何に況んや此の経を千中無一と定め、法華経を行ずる人に疑いを生ぜしむる罪を乎。何に況んや此の経を捨て、観経等の権経に遷さしむる謗法の罪を乎。[p0105]
願わくは一切の源空が所化の四衆、頓に選択集の邪法を捨て、忽ちに法華経に遷り、今度阿鼻の炎を脱れよ。[p0105]
問て云く 正しく源空が法華経を誹謗する証文如何。[p0105]
答て云く 法華経の第二に云く_若人不信 毀謗此経 則断一切 世間仏種〔若し人信ぜずして 此の経を毀謗せば 則ち一切世間の 仏種を断ぜん〕[経文]。不信の相貌は人をして法華経を捨てしむれば也。故に天親菩薩の仏性論の第一に此の文を釈して云く ̄若憎背大乗者此是一闡提因。為令衆生捨此法故〔若し大乗に憎背するは、此れは是れ一闡提の因なり。衆生をして此の法を捨てしむるを為ての故に〕[論文]。謗法の相貌は此の法を捨てしむるが故也。選択集は人をして法華経を捨てしむる書に非ず乎。閣抛之二字は仏性論の憎背の二字に非ず乎。亦法華経誹謗の相貌は四十余年の諸経の如く、小善成仏を以て別時意趣と定むる等也。故に天台の釈に云く_若不信小善成仏則断世間仏種也〔若し小善成仏を信ぜずんば則ち世間の仏種を断ずる也〕と。妙楽重ねて此の義を宣べて云く_此経遍開六道仏種。若謗此経義当断也〔此の経は遍く六道の仏種を開す。若し此の経を謗せば、義、断に当たる也〕と。[p0105]
釈迦・多宝・十方の諸仏・天親・天台・妙楽の意の如くんば、源空は謗法の者也。所詮選択集の意は人をして法華・真言を捨てしめんと定め書し了んぬ。謗法之義、疑い無き者也。[p0105-0106]
大文の第三に選択集謗法の縁起を出さば。[p0106]
問て云く 何れの証拠を以て源空を謗法の者と称する乎。[p0106]
答て云く 選択集の現文を見るに、一代聖教を以て二に分かつ。一には聖道・難行・雑行、二には浄土・易行・正行なり。其の中に聖・難・雑と云うは、華厳・阿含・方等・般若・法華・涅槃・大日経等なり[取意]。浄・易・正と云うは、浄土の三部経の称名念仏等也[取意]。聖・難・雑の失を判ずるには、末代の凡夫之を行ぜば百の時に希に一二を得、千の時に三五を得ん。或は千中無一、或は群賊・悪衆・邪見・悪見・邪雑の人等と定むる也。浄・易・正の得を判ずるには、末代の凡夫之を行ぜば十即十生百即百生〔十は即ち十生じ、百は即ち百生ぜん〕等也。謗法の邪義是れ也。[p0106]
問て云く 一代聖教を聖道・浄土、難行・易行、正行・雑行と分かつ。其の中に難・聖・雑を以て時機不相応と称すること、但源空一人の新義に非ず。曇鸞・道綽・善導の三師の義也。此れ亦此れ等の人師の私の按に非ず。其の源は龍樹菩薩の十住毘婆沙論より出たり。若し源空を謗法の者と称せば、龍樹菩薩竝びに三師を謗法の者と称するに非ず乎。[p0106]
答て云く 龍樹菩薩竝びに三師の意は、法華已前の四十余年の経々に於て難易等の義を存す。而るを源空より已来、龍樹竝びに三師の難行等の語を借りて法華・真言等を以て難・雑等の内に入れぬ。所化の弟子、師の失を知らず。此の邪義を以て正義なりと存し此の国に流布せしむるが故に、国中の万民悉く法華・真言等に於て時機不相応の想いを作す。其の上世間を貪る天台・真言の学者、世情に随わんが為に法華・真言等に於て時機不相応の悪言を吐いて選択集の邪義を扶け、一旦の欲心に依て釈迦・多宝竝びに十方の諸仏の御評定の令法久住於閻浮提広宣流布之誠言を壊り、一切衆生に於て一切三世十方の諸仏の舌を切る罪を得せしむ。偏に是れ_悪世中比丘 邪智心諂曲 未得謂為得 乃至 悪鬼入其身〔悪世の中の比丘は 邪智にして心諂曲に 未だ得ざるを為れ得たりと謂い 乃至 悪鬼其の身に入って〕仏の方便随宜所説の法を知らざるが故也。[p0106-0107]
問て云く 龍樹菩薩竝びに三師、法華・真言等を以て難・聖・雑之内に入れざるを源空が私に之を入るとは、何を以て之を知る乎。[p0107]
答て云く 遠く余処に証拠を尋ぬべきに非ず。即ち選沢集に之見えたり。[p0107]
問て云く 其の証文如何。[p0107]
答て云く 選沢集の第一篇に云く ̄道綽禅師立聖道浄土二門而捨聖道正帰浄土之文〔道綽禅師、聖道・浄土の二門を立て、聖道を捨てて正しく浄土に帰する之文〕と約束し了って、次下に安楽集を引く私の料簡の段に云く ̄初聖道門者就之有二。一者大乗二者小乗。就大乗中雖有顕密権実等不同 今此集意唯存顕大及以権大。故当歴劫迂回之行。準之思之応存密大及以実大〔初に聖道門とは、之に就て二有り。一には大乗、二には小乗なり。大乗の中に就いて顕密・権実等の不同有りと雖も、今此の集の意は唯顕大及以び権大を存す。故に歴劫迂回之行に当たる。之に準じて之を思うに、応に密大及以び実大をも存すべし〕[已上]。選択集の文也。此の文の意は道綽禅師の安楽集の意は、法華已前の大小乗経に於て聖道・浄土の二門を分かつと雖も、我、私に法華・真言等の実大・密大を以て四十余年の権大乗に同じて聖道門と称す。準之思之の四字是れ也。此の意に依るが故に亦曇鸞の難易の二道を引く時、私に法華・真言を以て難行道之中に入れ、善導和尚の正・雑二行を分かつ時も、亦私に法華・真言を以て雑行之内に入る。総じて選択集の十六段に互って無量の謗法を作す根源は偏に此の四字より起る。誤れる哉畏ろしき哉。[p0107]
爰に源空之門弟師の邪義を救って云く 諸宗の常の習い、設い経論の証文無しと雖も義類の同じきを聚めて一処に置く。而も選択集の意は法華・真言等を集めて雑行之内に入れ、正行に対して之を捨つ。偏に経の法体を嫌うに非ず。但風勢無き末代の衆生を常没の凡夫と定め、此の機に易行の法を撰ぶ時、称名念仏を以て其の機に当て、易行の法を以て諸教に勝ると立つ。権実・浅深等の勝劣を詮ずるに非ず。雑行と云うも嫌って雑と云うに非ず。雑と云うは不純を雑と云う。其の上諸の経論竝びに諸師も此の意無きに非ず。故に叡山の先徳の往生要集の意、偏に是の義也。所以に往生要集の序に云く 顕密教法其文一非。事理業因其行惟多。利智精進之人未為難。如予頑魯之者豈敢矣。是故依念仏一門〔顕密の教法は其の門一に非ず。事理の業因其の行惟れ多し。利智精進之人は未だ難しと為さず。予が如き頑魯之者、豈に敢えてせん矣。是の故に念仏の一門に依ると〕云云。[p0107-0108]
此の序の意は慧心先徳も法華・真言等を破するに非ず。但偏に我等頑魯之者、機に当たって法華・真言は聞き難く行じ難きが故に我が身鈍根なるが故なり。敢えて法体を嫌うには非ず。其の上序より以外正宗に至るまで十門有り。大文第八の文に述べて云く_今勧念仏非是遮余種種妙行。只是男女貴賎不簡行住坐臥不論時処諸縁修之不難 乃至 臨終願求往生得其便宜不如念仏〔今念仏を勧むること是れ余の種種の妙行を遮するに非ず。只是れ男女貴賎行住坐臥を簡ばず、時処諸縁を論ぜず。之を修するに難からず。乃至 臨終には往生を願求するに其の便宜を得ること念仏には如かず〕[已上]。此れ等の文を見るに源空の選択集と源信の往生要集と一巻三巻の不同有りと雖も、一代聖教の中には易行を撰んで末代の愚人を救わんと欲する意趣は但同じ事なり。源空上人真言・法華を難行と立てて悪道に堕せば、慧心先徳も亦此の失を免るべからず、如何。[p0108]
答て云く 汝師の謗法の失を救わんが為に、事を源信の往生要集に寄せて謗法の上に弥いよ重罪を招く者也。其の故は釈迦如来五十年の説教に、總じて先四十二年之意を無量義経に定めて云く_行於険径。多留難故〔険径を行くに留難多きが故に〕と。無量義経の已後を定めて云く_行大直道。無留難故〔大直道を行じて留難なきが故に〕。仏自ら難易・勝劣の二道を分かちたまえり。仏より外等覚已下末代の凡師に至るまで、自義を以て難易の二道を分け、是の義に背く者は外道・魔王の説に同じからん歟。随って四依の大士龍樹菩薩、十住毘婆沙論には法華已前に於て難易の二道を分かち敢えて四十余年已後の経に於て難行之義を存せず。其の上若し修し易きを以て易行と定めば、法華経の五十展転之行は称名念仏より行じ易きこと百千万億倍也。若し亦勝を以て易行と定めば、分別功徳品に爾前四十余年の八十万億劫の間、檀・忍・進・念仏三昧等の先の五波羅蜜の功徳を以て法華経の一念信解の功徳に比するに、一念信解の功徳は念仏三昧等の先の五波羅蜜に勝るること百千万億倍也。難易・勝劣と謂い、行浅功深と謂い、観経等の念仏三昧を法華経に比するに難行之中の極難行、勝劣之中の極劣也。[p0108-0109]
其の上悪人・愚人を扶けること亦教の浅深に依る。阿含十二年の戒門には現身に四重・五逆之者に得道を許さず。華厳・方等・般若・双観経等の諸経は阿含経より教深き故に観門の時重罪の者を摂すと雖も、猶お戒門の日は七逆の者に現身の受戒を許さず。然りと雖も決定性の二乗・無性の闡提に於て戒観共に之を許さず。法華・涅槃等には唯五逆・七逆・謗法の者を摂するのみに非ず、亦、定性・無性をも摂す。就中、末法に於ては常没の闡提之多し。豈に観経等の四十余年の諸経に於て之を扶くべけん乎。無性の常没・決定性の二乗は、但法華・涅槃等に限れり。四十余年の経に依る人師は彼の経の機を取る。此の人は未だ教相を知らざる故也。[p0109]
但し、往生要集は、一往序分を見る時は法華・真言等を以て顕密の内に入れて殆ど末代の機に叶わずと書すと雖も、文に入って委細に一部三巻の始末を見るに、第十の問答料簡の下に正しく諸行の勝劣を定むる時、観仏三昧・般舟三昧・十住毘婆沙論・宝積・大集等の爾前の経論を引いて一切の万行に対して念仏三昧を以て王三昧と立て了んぬ。最後に一つの問答有り。爾前の禅定・念仏三昧を以て法華経の一念信解に対するに、百千万億倍劣ると定む。復問を通ずる時、念仏三昧を万行に勝るると云うは爾前の当分也と云云。当に知るべし、慧心の意は往生要集を造って末代の愚機を調えて法華経に入れんが為也。例せば仏の四十余年の経を以て権機を調え法華経に入れたもうが如き也。[p0109]
故に最後に一乗要決を造る。其の序に云く ̄諸乗の権実は古来の諍也。倶に経論に拠って互いに是非を執す。余、寛弘丙午の歳冬十月、病中に歎いて云く 仏法に遇うと雖も仏意を了せず。若し終に手を空しくせば後悔何ぞ追わん。爰に経論の文義・賢哲の章疏、或は人をして尋ねしめ、或は自ら思択す。全く自宗・他宗之偏黨を捨て、専ら権智・実智之深奥を探るに終に一乗は真実之理、五乗は方便之説を得る者也。既に今生之蒙を開く、何ぞ夕死之恨みを遺さん[已上]。此の序の意は偏に慧心の本意を顕す也。自宗・他宗之偏黨を捨てるの時、浄土の法門を捨てざらん乎。一乗は真実之理を得る時、専ら法華経に依るに非ず乎。源信僧都は永観二年甲申の冬十一月、往生要集を造り、寛弘二年丙午の冬十月之比、一乗要決を作る。其の中間二十余年。権を先にし実を後にす。宛も仏の如く、亦龍樹・天親・天台等の如し。汝、往生要集を便りと為して師の謗法の失を救わんと欲すれども、敢えて其の義類に似ず。義類の同じきを以て一処に聚むとならば、何等の義類同じなる乎。[p0109-0110]
華厳経の如きは二乗界を隔つるが故に十界互具無し。方等・般若の諸経は、亦十界互具を許さず。観経等の往生極楽も、亦方便之往生也。成仏・往生倶に法華経の如き往生に非ず。皆別時意趣之往生・成仏也。其の上源信僧都の意は四威儀に行じ易きが故に念仏を以て易行と言い、四威儀に行じ難きが故に法華を以て難行と称せば、天台・妙楽の釈を破る人也。所以に妙楽大師の末代の鈍者・無智の者等の法華経を行ずるに普賢菩薩竝びに多宝・十方の諸仏を見奉るを易行と定めて云く ̄散心誦法華不入禅三昧。坐立行一心念法華文字〔散心に法華を誦し禅三昧に入らず。坐立行一心に法華の文字を念ず〕[已上]。此の釈の意趣は末代の愚者を摂せんが為也。散心とは定心に対する語也。誦法華とは八巻・一巻・一字・一句・一偈・題目・一心一念随喜の者、五十展転等也。坐立行とは四威儀を嫌わざる也。一心とは定の一心にも非ず、理の一心にも非ず、散心の中の一心也。念法華文字とは此の経は諸経の文字に似ず。一字を誦すと雖も八万法蔵の文字を含み、一切諸仏の功徳を納める也。[p0110-0111]
天台大師玄義の八に云く ̄手不執巻常読是経口無言声偏誦衆典仏不説法恒聞梵音心不思惟普照法界〔手に巻を執らざれども常に是の経を読み、口に言声無けれども偏く衆典を誦し、仏説法せざれども恒に梵音を聞き、心に思惟せざれども普く法界を照らす〕[已上]。此の文の意は、手に法華経一部八巻を執らざれども是の経を信ずる人は昼夜十二時の持経者也。口に読経の声を出さざれども法華経を信ずる者は日々時々念々に一切経を読む者也。仏の入滅は既に二千余年を経たり。然りと雖も法華経を信ずる者の許に仏の音声を留めて時々刻々念々に我死せざる由を聞かしむるなり。心に一念三千を観ぜざれども遍く十方法界を照らす者也。此れ等の徳は偏に法華経を行ずる者に備われる也。是の故に法華経を信ずる者は設い臨終の時、心に仏を念ぜず、口に経を誦せず、道場に入らずとも、心無くして法界を照らし、音無くして一切経を誦し、巻軸を取らずして法華経八巻を拳る徳、之有り。是れ豈に権教の念仏者の臨終正念を期して十念の念仏を唱えんと欲する者に百千万倍勝るる之易行に非ず乎。[p0111]
故に天台大師文句の十に云く ̄都勝諸教故言随喜功徳品〔都て諸教に勝るるが故に随喜功徳品と言う〕と。妙楽大師の法華経は諸経より浅機を取る。而るを人師此の義を弁えざるが故に法華経の機を深く取る事を破して云く ̄恐人謬解者不測初心功徳之大 而推功上位蔑此初心。故今示彼行浅功深以顕経力〔恐らくは人謬り解せん者初心の功徳之大なることを測らずして、功を上位に推り此の初心を蔑にせん。故に今彼の行浅く功深きことを示して以て経力を顕はす〕[已上]。以顕経力の釈の意趣は、法華経は観経等の権経に勝れたるが故に行は浅く功は深し、浅機を摂する故也。若し慧心の先徳、法華経を以て念仏より難行と定め、愚者・頑魯之者を摂せずと云わば恐らくは逆路伽耶陀之罪を招かざらん乎。亦恐人謬解之内に入らざらん乎。総じて天台・妙楽の三大部の本末の意には、法華経は諸経に漏れたる愚者・悪人・女人・常没の闡提等を摂したもう。他師、仏意を覚らざるが故に法華経を諸経に同じ、或は地住の機に取り、或は凡夫に於ても別時意趣の義を存す。此れ等の邪義を破して人天・四悪を以て法華経の機と定む。種類相対を以て過去の善悪を収む。人天に生ずる人、豈に過去の五戒・十善無からん乎、等と定め了んぬ。若し慧心此の義に背かば、豈に天台宗を知れる人ならん乎。[p0111-0112]
而るを源空深く此の義に迷うが故に、往生要集に於て僻見を起こし自ら失い他をも誤る者也。適たま宿善有って実経に入りながら一切衆生を化して権教に還らしめて、剰え実経を破せしむ。豈に悪師に非ず乎。彼の久遠下種・大通結縁の者の五百・三千塵点を経る如きは、法華の大教を捨てて爾前の権小に還るが故に、後には権教をも捨て六道に回りぬ。不軽軽毀之衆は千劫阿鼻地獄に堕つ。権師を信じて実経を弘むる者に誹謗を作したるが故也。而るに源空、我が身唯実経を捨てて権経に入るのみに非ず。人を勧めて実経を捨てて権経に入らしめ、亦権人をして実経に入らしめず。剰え実経の行者を罵る之罪、永劫にも浮かび難からん歟。[p0112]
問て云く 十住毘婆沙論は一代の通論也。難易の二道の内に何ぞ法華・真言・涅槃を入れざる乎。[p0112]
答て曰く 一代の諸大乗経に於て華厳経の如きは初頓・後分有り。初頓の華厳は二乗の成不成を論ぜず。方等部の諸経には、一向に二乗・無性闡提の成仏を斥う。般若部の諸経も之同じ。総じて四十余年の諸大乗経の意は法華・涅槃・大日経等の如く二乗・無性の成仏を許さず。此れ等を以て之を検べるに、爾前・法華の相違、水火の如し。滅後の論師龍樹・天親も亦倶に千部の論師也。造る所の論には通別の二論有り。通論に於ても亦二有り。四十余年の通論と一代五十年の通論と也。其の差別を分かつに決定性の二乗・無性闡提の成不成を以て論の権実を定むる也。[p0112]
而るに大論は龍樹菩薩の造、羅什三蔵の訳なり。般若経に依る時は二乗作仏を許さず、法華経に依れば二乗作仏を許す。十住毘婆沙論も亦龍樹菩薩の造、羅什三蔵の訳なり。此の論も亦二乗作仏を許さず。之を以て知んぬ。法華已前の諸大乗経の意を申す論也。[p0112-0113]
問て云く 十住毘婆沙論の何処に二乗作仏を許さざの文を出したる乎。[p0113]
答て云く 十住毘婆沙論の第五に云く[龍樹菩薩の造、羅什三蔵の訳] ̄若堕声聞地及辟支仏地是名菩薩死。則失一切利。若堕於地獄不生如是畏。若堕二乗地則為大怖畏。堕於地獄中畢竟得至仏。若堕二乗地畢竟遮仏道〔若し声聞地及び辟支仏地に堕するならば、是れを菩薩の死と名く。則ち一切の利を失す。若し地獄に堕すとも是の如き畏れを生ぜず。若し二乗地に堕すれば則ち大怖畏を為す。地獄の中に堕すとも畢竟して仏に至ることを得。若し二乗地に堕すれば畢竟して仏道を遮す〕[已上]。此の文二乗作仏を許さず。宛も浄名等の_於仏法中以如敗種〔仏法の中に於て以て敗種の如し〕の文の如し。[p0113]
問て云く 大論は般若経に依て二乗作仏を許さず。法華経に依て二乗作仏を許すの文如何。[p0113]
答て云く 大論の一百に云く[龍樹菩薩の造、羅什三蔵の訳] ̄問曰 更有何法甚深勝般若者 而以般若属累阿難 而以余経属累菩薩。答曰 般若波羅蜜非秘密法。而法華等諸経説阿羅漢受決作仏。所以大菩薩能受持用。譬如大薬師能以毒為薬〔問て曰く 更に何の法か甚深にして般若に勝れたる者に有って、而も般若を以て阿難に属累し、而も余経を以て菩薩に属累するや。答て曰く 般若波羅蜜は秘密の法に非ず。而るに法華等の諸経は阿羅漢の受決作仏を説く。所以に大菩薩能く受持用す。譬えば大薬師の能く毒を以て薬と為すが如し〕と。亦九十三に云く ̄阿羅漢成仏非論議者所。唯仏能了〔阿羅漢の成仏は論議者の知る所に非ず。唯仏のみ能く了したもう〕[已上]。此れ等の文を以て之を思うに、論師の権実は宛も仏の権実の如し。而るを権経に依る人師、猥りに法華等を以て観経等の権説に同じ、法華・涅槃等の義を仮て浄土三部経の徳と作し、決定性の二乗・無性の闡提、常没等の往生を許す。権実雑乱の失、脱れ難し。例せば外典の儒者の内典を賊みて外典を荘るが如し。謗法の失、免れ難き歟。[p0113]
仏自ら権実を分けたもう。其の詮を探るに決定性の二乗・無性有情之成不成是れ也。而るに此の義を弁えざる訳者、爾前の経経を訳せる時、二乗の作仏・無性の成仏を許す。此の義を知る訳者は爾前の経を訳する時、二乗の作仏・無性の成仏を許さず。之に依て仏意を覚らざる人師も亦爾前の経に於て決定性・無性の成仏を明かすと見て法華・爾前同じき思いを作し、或は爾前の経に於て決定・無性を嫌うの文を見て此の義を以て了義経と為し、法華・涅槃を以て不了義経と為す。共に仏意を覚らず。権実二経に迷えり。此れ等の誤りを出さば但源空一人に限るのみに非ず。天竺の論師竝びに訳者より唐土の人師に至るまで其の義有り。所謂地論師・摂論師の一代の別時意趣。善導・懐感之法華経の一称南無仏之別時意趣。此れ等は皆権実を弁えざるが故に出来する処の誤り也。論を造る菩薩、経を訳する訳者、三昧発得の人師猶お以て是の如し。何に況んや末代の凡師に於てを乎。[p0113-0114]
問て云く 汝末学の身に於て何ぞ論師竝びに訳者人師を破する乎。[p0114]
答て云く 敢えて此の難を致すこと勿れ。摂論師竝びに善導等の釈は権実二教を弁えずして、猥りに法華経を以て別時意趣と立つ。故に天台・妙楽の釈と水火を作す間、且く人師の相違を閣いて経論に付いて是非を検ぶる時、権実の二教は仏説より出たり。天親・龍樹重ねて之を定む。此の義に順ずるに人師をば且く之を仰ぎ、此の義に順ぜざる人師をば且く之を用いず。敢えて自義を以て是非を定むるに非ず、但相違を出す計り也。[p0114]
大文の第四に謗法の者を対治すべき証文を出さば、此れに二有り。一には仏法を以て国王大臣竝びに四衆に付属することを明かし、二には正しく謗法の人、王地に処るをば対治すべき証文を明かす。[p0114]
第一に仏法を以て国王大臣竝びに四衆に付属することを明かさば。[p0114]
仁王経に云く_仏告波斯匿王。 乃至 是故付属諸国王不付属比丘比丘尼清信男清信女。何以故無王威力故。 乃至 此経三宝付属諸国王四部弟子〔仏波斯匿王に告げたまわく。乃至 是の故に諸の国王に付属して、比丘・比丘尼・清信男・清信女に付属せず。何を以ての故に。王の威力無きが故に。乃至 此の経の三宝をば諸の国王四部の弟子に付属す〕[已上]。大集経二十八に云く_若有国王見我法滅捨不擁護於無量世修施戒慧悉皆滅失其国出三種不祥事。乃至 命終生大地獄〔若し国王有って我が法の滅せんを見て捨てて擁護せずんば、無量世に於て施戒慧を修すとも、悉く皆滅失して、其の国に三種の不祥の事を出さん。乃至 命終して大地獄に生ぜん〕[已上]。[p0114-0115]
仁王経の文の如くならば、仏法を以て先ず国王に付属し、次に四衆に及ぼす。王位に居る君、国を治むる臣は仏法を以て先と為して国を治むべき也。大集経の文の如くならば、王臣等、仏道の為に無量劫之間頭目等の施を施し、八万の戒行を持ち、無量の仏法を学ぶと雖も、国に流布する所の法の邪正を直さざれば、国中に大風・旱・{かんばつ}・大雨之三災起こりて万民を逃脱せしめ、王臣定めて三悪に堕せんと。[p0115]
亦雙林最後の涅槃経第三に云く_今以正法付属諸王・国王・大臣・宰相・比丘比・丘尼・優婆塞・優婆夷 乃至 不護法者名禿居士〔今正法を以て諸王・国王・大臣・宰相・比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷に付属す。乃至 法を護らざる者をば禿居士と名く〕。又云く_善男子護持正法者不受五戒不修威儀 応持刀剣・弓箭・鉾槊。〔善男子、正法を護持せん者は五戒を受けず、威儀を修せずして、応に刀剣・弓箭・鉾槊を持すべし〕。又云く_不受五戒為護正法乃名大乗。護正法者応当執持刀剣器杖〔五戒を受けざれども正法を護るを為て乃ち大乗と名く。正法を護る者は、応当に刀剣・器杖を執持すべし〕云云。四十余年の内にも梵網等の戒の如くならば、国王・大臣の諸人等の、一切の刀杖・弓箭・矛斧・闘戦之具を蓄うることを得ざれ。若し此れを蓄うる者は定めて現身に国王の位、比丘・比丘尼の位を失い、後生には三悪道の中に堕すべしと定め了んぬ。[p0115]
而るに今の世は道俗を択ばず弓箭・刀杖を帯せり。梵網経の文の如くならば、必ず三悪道に堕せんこと疑い無き者也。涅槃経の文無くんば、如何してか之を救わん。亦涅槃経の先後の文の如くならば、弓箭・刀杖を帯して悪法の比丘を治し、正法の比丘を守護せん者は先世の四重・五逆を滅して必ず無上道を証せんと定めたもう。[p0115]
亦金光明経第六に云く_若有人於其国土雖有此経未嘗流布。生捨離心不楽聴聞。亦不供養尊重讚歎。見四部衆持経之人亦復不能尊重乃至供養。遂令我等及余眷属無量諸天不得聞此甚深妙法 背甘露味失正法流 無有威光及以勢力。増長悪趣損減人天墜生死河乖涅槃路。世尊 我等四王竝諸眷属及薬叉等見如斯事 捨其国土無擁護心。非但我等捨棄是王。亦有無量守護国土諸大善神皆悉捨去。既捨離已其国当有種種災禍喪失国位。一切人衆皆無善心 唯有繋縛殺害瞋諍 互相讒諂抂及無辜。疫病流行 彗星数出 両日竝現 薄蝕無恒 黒白二虹表不祥相 星流地動 井内発声 暴雨悪風不依時節 常遭飢饉苗実不成 多有他方怨賊侵掠国内 人民受諸苦悩土地無有所楽之処〔若し人有って其の国土に於て此経有りと雖も未だ嘗て流布せず。捨離の心を生じて聴聞せんことを楽はず。亦供養し尊重し讃歎せず。四部の衆、持経之人を見て亦復尊重し、乃至供養すること能わず。遂にに我等及び余の眷属無量の諸天をして此の甚深の妙法を聞くことを得ずして、甘露の味に背き正法の流れを失い、威光及以勢力有ること無からしむ。悪趣を増長し人天を損減し生死の河に墜ちて涅槃の路に乖かん。世尊、我等四王竝びに諸の眷属及び薬叉等斯の如き事を見て、其の国土を捨てて擁護の心無けん。但我等のみ是の王を捨棄するに非ず。亦無量の国土を守護する諸大善神有らんも皆悉く捨去せん。既に捨離し已りなば其の国当に種種の災禍有って国位を喪失すべし。一切の人衆皆善心無く、唯繋縛殺害瞋諍のみ有り、互いに相讒諂し、抂げて辜無きに及ばん。疫病流行し、彗星数出て、両日竝び現じ、薄蝕恒無く、黒白の二虹不祥の相を表し、星流れ地動き、井の内に声発し、暴風悪風時節に依らず、常に飢饉に遭って苗実成らず、多く他方の怨賊有って国内を侵掠し、人民諸の苦悩を受け土地所楽之処有ること無けん〕[已上]。[p0115-0116]
此の経文を見るに世間の安穏を祈らん、而も国に三災起らば悪法流布する故なりと知るべし。而るに当世は随分国土の安穏を祈ると雖も、去る正嘉元年には大地大に動じ、同二年に大雨大風苗実を失えり。定めて国を喪ぼすの悪法此の国に有る歟と勘うる也。[p0116]
選択集の或段に云く ̄第一読誦雑行者除上観経等往生浄土経已外 於大小乗顕密諸経受持読誦悉名読誦雑行〔第一に読誦雑行とは上の観経等の往生浄土の経を除きて已外、大小乗顕密の諸経に於て、受持読誦するを悉く読誦雑行と名づく〕。次に書いて云く ̄次判二行得失者〔次に二行の得失を判ぜば〕とは、法華・真言等の雑行は失、浄土の三部経は得也。次下に善導和尚の往生礼讃の十即十生・百即百生・千中無一之文を書き載せて云く ̄私云 見此文弥須捨雑修専。豈捨百即百生専修正行堅執千中無一雑修雑行乎。行者能思量之〔私に云く 此の文を見るに弥いよ須らく雑を捨てて専を修すべし。豈に百即百生の専修正行を捨てて、堅く千中無一の雑修雑行に執せん乎。行者能く之を思量せよ〕[已上]。[p0116]
此れ等の文を見るに世間の道俗豈に諸経を信ずべけん乎。次下に亦書して法華経等の雑行と念仏の正行との勝劣難易を定めて云く ̄一者勝劣義 二者難易義。初勝劣義者念仏是勝余行是劣。次難易義者 念仏易修 諸行難修〔一には勝劣の義、二には難易の義なり。初めに勝劣の義とは念仏は是れ勝、余行は是れ劣。次に難易の義とは、念仏は修し易く、諸行は修し難し〕と。亦次下に法華・真言等の失を定めて云く ̄故知諸行非機失時。念仏往生当機得時〔故に知んぬ、諸行は機に非ず時を失う。念仏往生のみ機に当たり時を得たり〕。亦次下に法華・真言等の雑行の門を閉じて云く ̄随他之前暫雖開定散門随自之後還閉定散門。一開以後永不閉者唯是念仏一門〔随他之前には暫く定散の門を開くと雖も、随自之後には還って定散の門を閉ず。一たび開きて以後永く閉じざるは、唯是れ念仏の一門なり〕[已上]。最後の本懐に云く ̄夫速欲離生死二種勝法中且閣聖道門撰入浄土門。欲入浄土門正雑二行中且抛諸雑行撰応帰正行〔夫れ速に生死を離れんと欲せば、二種の勝法の中に且く聖道門を閣きて撰んで浄土門に入れ。浄土門に入らんと欲せば、正・雑二行の中に且く諸の雑行を抛ちて撰んで応に正行に帰すべし〕[已上]と。[p0116-0117]
門弟此の書を伝えて日本六十余州に充満するが故に、門人、世間無智の者に語って云く 上人智慧第一の身と為て此の書を造り真実の義を定めて法華・真言の門を閉じて後に開くの文無く、抛ちて後に還って取るの文無し、等と立つる間、世間の道俗一同に頭を傾け、其の義を訪う者には仮字を以て選択の意を宣べ、或は法然上人の物語を書す間法華・真言に於て難を付け、或は去年の暦・祖父の履に譬え、或は法華経を読むは管絃より劣る、と。[p0117]
是の如き悪書国中に充満する故に、法華・真言等国に在りと雖も聴聞せんことを楽わず。偶たま行ずる人有りと雖も尊重を生ぜず。一向念仏者、法華等の結縁を作すをば往生の障りと成ると云う。故に捨離の意を生ず。此の故に諸天妙法を聞くことを得ず。法味を嘗めざれば威光勢力有ること無く、四天王竝びに眷属此の国を捨て、日本国守護の善神も捨離し已んぬ。故に正嘉元年に大地大に震い、同二年に春の大雨苗を失い、夏の大旱・{かんばつ}に草木を枯らし、秋の大風に菓実を失い、飢渇忽ち起りて万民を逃脱せしむること金光明経の文の如し。豈に選択集の失に非ず乎。仏語虚しからざる故に悪法流布有って既に国に三災起れり。[p0117]
而るに此の悪義を対治せずんば仏の所説の三悪を脱るべけん乎。而るに近年より、予、我不愛身命但惜無上道之文を瞻る間、雪山・常啼之心を起し、命を大乗の流布に替え、強言を吐いて云く 選択集を信じて後世を願わん之人は必ず無間地獄に堕すべし、と。爾の時に法然上人の門弟選択集に於て上に出す所の悪義を隠し、或は諸行往生を立て、或は選択集に於て法華・真言等を破せざる由を称し、或は在俗に於て選択集の邪義を知らしめざらんが為に妄語を構えて云く 日蓮は念仏を称する人を三悪道に堕すと云う、と。[p0117-0118]
問て云く 法然上人の門弟諸行往生を立つる失、有りや否や。[p0118]
答て曰く 法然上人の門弟と称し諸行往生を立つるは逆路伽耶陀の者也。当世も亦諸行往生の義を立つ。而も内心には一向に念仏往生の義を存し、外には諸行不謗の由を聞かしむる也。抑そも此の義を立つる者は選択集の法華・真言等に於て失を付け、捨閉閣抛・群賊・邪見・悪見・邪雑人・千中無一等の語を見ざるや、否乎。[p0118]
第二に正しく謗法の人の王地に処るを対治すべき証文を出さば。[p0118]
涅槃経第三に云く_懈怠破戒毀正法者王者大臣四部之衆応当苦治。善男子是諸国王及四部衆当有罪不。不也 世尊。善男子是諸国王及四部衆尚無有罪〔懈怠にして戒を破し、正法を毀る者をば王者・大臣・四部之衆、応当に苦治すべし。善男子、是の諸の国王及び四部の衆は当に罪有りや不や。不也、世尊。善男子、是の諸の国王及び四部の衆は尚お罪有ること無し〕と。又十二に云く_我念往昔於閻浮提作大国王名曰仙豫。愛念敬重大乗経典其心純善無有・悪嫉悋 乃至 善男子我於爾時心重大乗。聞婆羅門誹謗方等聞已即時断其命根。善男子以是因縁従是已来不堕地獄。〔我往昔を念うに、閻浮提に於て大国王と作れり。名を仙豫と曰いき。大乗経典を愛念し敬重し、其の心純善にして・悪嫉悋有ること無し。善男子、我爾の時に於て心に大乗を重んず。婆羅門の方等を誹謗するを聞き、聞き已て即時に其の命根を断つ。善男子、是の因縁を以て是従り已来地獄に堕せず〕[已上]と。[p0118]
問て云く 梵網経の文を見るに比丘等の四衆を誹謗すれば波羅夷罪也。而るに源空が謗法の失を顕すは、豈に阿鼻の業に非ず乎。[p0118]
答て曰く 涅槃経の文に云く_迦葉菩薩言世尊 如来何故記彼当堕阿鼻地獄。善男子善星比丘多有眷属。皆謂善星是阿羅漢是得道果。我欲懐彼悪邪心故記彼善星以放逸故堕地獄〔迦葉菩薩、世尊に言さく、如来何が故ぞ当に彼の阿鼻地獄に堕すべしと記するや。善男子、善星比丘は多くの眷属有り。皆善星は是れ阿羅漢なり、是れ道果を得べしと謂えり。我彼が悪邪の心を壊かんと欲するが故に彼の善星は放逸を以ての故に地獄に堕せりと記す〕[已上]と。此の文に放逸とは謗法之名也。源空も亦彼の善星の如く謗法を以ての故に無間に堕すべし。所化の衆、此の邪義を知らざるが故に、源空を以て一切智人と号し、或は勢至菩薩、或は善導の化身なりと云う。彼が悪邪の心を壊らんが為の故に謗法の根源を顕す。梵網経之説は謗法の者の外の四衆也。仏誡めて云く 謗法の人を見て其の失を顕さざれば仏弟子に非ず、と。[p0118-0119]
故に涅槃経に云く_我涅槃後随其方面有持戒比丘威儀具足護持正法。見壊法者即駈遣呵責徴治。当知是人得福無量不可称計〔我涅槃の後、其の方面に随い持戒の比丘有って威儀具足し正法を護持す。法を壊る者を見て、即ち駈遣し呵責し徴治す。当に知るべし、是の人は福を得ること無量にして称計すべからず〕と。亦云く_若善比丘 見壊法者 置不呵責 駈遣挙処 当知是人 仏法中怨。若能駈遣 呵責挙処 是我弟子 真声聞〔若し善比丘あて法を壊る者を見て、置いて呵責し駈遣し挙処せずんば、当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり。若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子真の声聞也〕[已上]と。[p0119]
予、仏弟子の一分に入らんが為に此の書を造り謗法の失を顕し、世間に流布す。願わくは十方の仏陀、此の書に於て力を副え、大悪法の流布を止め、一切衆生之謗法を救わしめたまえ。[p0119]
大文の第五に善知識竝びに真実の法に値い難きことを明かさば、之に付いて三有り。一には受け難き人身、値い難き仏法なることを明かす。二には受け難き人身を受け値い難き仏法に値うと雖も、悪知識に値うが故に三悪道に堕することを明かす。三には正しく末代の凡夫の為に善知識を明かす。[p0119]
第一に受け難き人身、値い難き仏法なることを明かさば。[p0119]
涅槃経三十三に云く_爾時世尊取地少土置之爪上 告迦葉言 是土多耶 十方世界地土多乎。迦葉菩薩白仏言 世尊 爪上土者不比十方所有土也。善男子 有人捨身還得人身 捨三悪身得受人身。諸根完具生於中国 具足正信能修習道 修習道已能修正道 修正道已能得解脱 得解脱已能入涅槃 如爪上土 捨人身已得三悪身 捨三悪身得三悪身 諸根不具生於辺地 信邪倒見修習邪道 不得解脱常楽涅槃 如十方所有地土〔爾の時に世尊、地の少土を取って之を爪上に置き、迦葉に告げて言く 是の土多き耶、十方世界の地土多き乎。迦葉菩薩、仏に白して言さく 世尊、爪上の土は十方所有の土に比べざる也。善男子、人有り。身を捨てて還って人身を得、三悪の身を捨てて人身を受けることを得。諸根完く具して中国の生じ、正信を具足して能く道を修習し、道を修習し已って能く正道を修し、正道を修し已って能く解脱を得、解脱を得已って能く涅槃に入るは爪上の土の如く、人身を捨て已って三悪の身を得、三悪の身を捨てて三悪の身を得、諸根具せずして辺地に生じ、邪倒の見を信じて邪道を修習し、解脱・常楽の涅槃を得ざるは十方所有の地土の如し〕[已上経文]と。[p0119-0120]
此の文は多く法門を集めて一具と為せり。人身を捨てて還って人身を受くるは爪上の土の如く、人身を捨てて三悪道に堕ちるは十方の土の如し。三悪の身を捨てて人身を受くるは爪上の土の如く、三悪の身を捨てて還って三悪の身を得るは十方の土の如し。人身を受けるは十方の土の如く、人身を受けて六根を欠けざるは爪上の土の如し。人身を受けて六根を欠けざれども辺地に生ずるは十方の土の如く、中国に生ずるは爪上の土の如し。中国に生ずるは十方の土の如く、仏法に値うは爪上の土の如し。[p0120]
又云く_不作一闡提 断不善根 信如是等涅槃経典 如爪上土 乃至 作一闡提 断諸善根 不信是経者 如十方界所有地土〔一闡提を作らず、善根を断ぜず、是の如き等の涅槃経典を信ずるは爪上の土の如く 乃至 一闡提と作り、諸の善根を断じ、是の経を信ぜざるは十方界所有の地土の如し〕[已上経文]と。[p0120]
此の文の如くんば法華・涅槃を信ぜずして一闡提と作るは十方の土の如く、法華・涅槃を信ずるは爪上の土の如し。此の経文を見て弥いよ感涙押さえ難し。今日本国の諸人を見聞するに、多分は権教を行ず。設い身口には実教を行ずと雖も心には亦権教を存す。[p0120]
故に天台大師摩訶止観の五に云く ̄其痴鈍者毒気深入失本心故 既其不信則不入手 乃至 大罪聚人 乃至 設厭世者翫下劣乗攀附枝葉 狗狎作務敬猿猴為帝釈 崇瓦礫是明珠。此黒闇人豈可論道〔其れ痴鈍なる者は毒気深く入って本心を失うが故に、既に其れ信ぜざれば則ち手に入らず。乃至 大罪聚の人なり。乃至 設い世を厭う者も下劣の乗を翫び枝葉を攀附し、狗作務に狎れ猿猴を敬うて帝釈と為し、瓦礫を崇んで是れ明珠なりとす。此の黒闇の人、豈に道を論ずべけんや〕[已上]。源空竝びに所化の衆、深く三毒の酒に酔うて大通結縁の本心を失う。法華・涅槃に於て不信の思いを作し、一闡提と作り、観経等の下劣の乗に依て方便称名等の瓦礫を翫び、法然房の猿猴を敬うて智慧第一の帝釈と思い、法華・涅槃の如意珠を捨て、如来の聖教を褊するは権実二教を弁えざるが故也。故に弘決の第一に云く ̄聞此円頓不崇重者 良由近代習大乗者雑濫故也〔此の円頓を聞いて崇重せざる者は良に近代大乗を習う者の雑濫に由るば故也〕と。大乗に於て権実二教を弁えざるを雑濫と云う也。故に末代に於て法華経を信ずる者は爪上の土の如く、法華経を信ぜずして権教に堕落する者は十方微塵の如し。故に妙楽歎いて云く ̄像末情澆信心寡薄 円頓教法溢蔵盈函不暫思惟。便至瞑目。徒生徒死。一何痛哉〔像末は情澆く、信心寡薄にして 円頓の教法蔵に溢れ函に盈つれども暫くも思惟せず。便ち目を瞑くに至る。徒に生じ徒に死す。一に何ぞ痛き哉〕[已上]。此の釈は偏に妙楽大師、権者為る之間、遠く日本国の当代を鑒みて記し置く所の未来記也。[p0120-0121]
問て云く 法然上人の門弟之内にも一切経蔵を安置し法華経を行ずる者有り。何ぞ皆謗法の者と称せん乎。[p0121]
答て曰く 一切経を開き見るに、法華経を読むは難行道の由を称し選択集の悪義を扶けんが為なり。経論を開くに付いて弥いよ謗法を増すこと、例せば善星の十二部経・提婆達多の六万蔵の如し。智者の由を称するは自身を重んじ悪法を扶けんが為也。[p0121]
第二に受け難き人身を受け、値い難き仏法に値うと雖も悪知識に値うが故に三悪道に堕することを明かさば。[p0121]
仏蔵経に云く_大荘厳仏滅後五比丘。一人知正道度多億人 四人住邪見。此四人命終後堕阿鼻地獄。仰臥伏臥 左脇臥 右脇臥 各九百万億歳 乃至 若在家出家親近此人 竝諸檀越凡六百四万億人。与此四師倶生倶死 在大地獄受諸焼煮。大劫若尽是四悪人及六百四万億人従此阿鼻地獄転生他方大地獄中〔大荘厳仏の滅後に五比丘あり。一人は正道を知って多億の人を度し、四人は邪見に住す。此の四人命終して後阿鼻地獄に堕す。仰臥し、伏臥し、左脇に臥し、右脇に臥し、各々九百万億歳なり。乃至 若しは在家・出家の此の人に親近せしもの竝びに諸の檀越、凡そ六百四万億人あり。此の四師と倶に生じ倶に死して大地獄に在って諸の焼煮を受く。大劫若し尽きぬれば是の四悪人及び六百四万億の人、此の阿鼻地獄より他方の大地獄の中に転生す〕[已上]。[p0121]
涅槃経三十三に云く_爾時城中有一尼乾。名曰苦得 乃至 善星問苦得。答曰 我得食吐鬼身。善星諦聴 乃至 爾時善星即還我所作如是言 世尊 苦得尼乾命終之後生三十三天 乃至 爾時如来即与迦葉往善星所。善星比丘遥見我来。見已即生悪邪之心。以悪心故生身陥入堕阿鼻地獄〔爾の時に城中に一りの尼乾有り。名を苦得と曰う。乃至 善星苦得に問う。答て曰く 我食吐鬼の身を得。善星、諦かに聴け。乃至 爾の時に善星即ち我が所に還って是の如き言を作す、世尊、苦得尼乾は命終之後に三十三天に生ぜんと。乃至 爾の時に如来、即ち迦葉と善星の所に往きたもう。善星比丘、遥かに我来たるを見る。見已って即ち悪邪之心を生ず。悪心を以ての故に生身に陥ち入って阿鼻地獄に堕す〕[已上]。[p0121-0122]
善星比丘は仏の菩薩たりし時の子なり。仏に随い奉り、出家して十二部経を受け、欲界の煩悩を壊りて四禅定を獲得せり。然りと雖も悪知識たる苦得外道に値い、仏法の正義を信ぜざるに依て出家の受戒十二部経の功徳を失い生身に阿鼻地獄に堕す。苦岸等の四比丘に親近せし六百四万億の人は四師と倶に十方の大阿鼻地獄を経しなり。今の世の道俗は選択集を貴ぶが故に源空の影像を拝して一切経難行之邪義を読む。例せば尼乾の所化の弟子が尼乾の遺骨を礼して三悪道に堕せしが如し。願わくは今の世の道俗、選択集の邪正を知って後に供養恭敬致せ。爾らずんば定めて後悔有らん。[p0122]
故に涅槃経に云く_菩薩摩訶薩 於悪象等心無怖畏。於悪知識生怖畏心。何以故 是悪象等唯能壊身不能壊心。悪知識者二倶壊故。是悪象等唯壊一身 悪知識者壊無量善身無量善心。是悪象等唯能破壊不浄臭身 悪知識者能壊浄身及以浄心。是悪象等能壊肉身 悪知識者壊法身。為悪象殺不至三趣。為悪友殺必至三趣。是悪象等唯為身怨悪知識者為善法怨。是故菩薩常当遠離諸悪知識〔菩薩摩訶薩、悪象等に於ては心に怖畏すること無かれ。悪知識に於ては怖畏の心を生ぜよ。何を以ての故に。是の悪象等は唯能く身を壊りて心を壊ること能わず。悪知識は二倶に壊るが故に。是の悪象等は唯一身を壊り、悪知識は無量の善身、無量の善心を壊る。是の悪象等は唯能く不浄の臭き身を破壊し、悪知識は能く浄身及以び浄心を壊る。是の悪象等は能く肉身を壊り、悪知識は法身を壊る。悪象の為に殺されては三趣に至らず。悪友の為に殺されては必ず三趣に至る。是の悪象等は唯身の怨と為る、悪知識は善法怨と為らん。是の故に菩薩常に当に諸の悪知識を遠離すべし〕[已上]。[p0122]
請い願わくは今の世の道俗、設い此の書を邪義なりと思うと雖も且く此の念を抛ちて、十住毘婆沙論を開き、其の難行之内に法華経の入不入を検べ、選択集の準之思之の四字を按じて後に是非を致せ。謬って悪知識を信じて邪法を習い、此の生を空しくすること莫れ。[p0122-0123]
第三に正しく末代の凡夫の為の善知識を明かさば。[p0123]
問て云く 善財童子は五十余の知識に値いき。其の中に普賢・文殊・観音・弥勒等有り。常啼・班足・妙荘厳・阿闍世等は曇無竭・普明・耆婆・二子・夫人に値い奉りて生死を離れたり。此れ等は皆大聖也。仏、世を去って之後、是の如き之師を得ること難しと為す。滅後に於て亦龍樹・天親も去りぬ。南岳・天台にも値わず。如何ぞ生死を離るべき乎。[p0123]
答て曰く 末代に於て真実の善知識有り。所謂法華・涅槃是れ也。[p0123]
問て云く 人を以て善知識と為すは常の習い也。法を以て知識と為すの証有り乎。[p0123]
答て云く 人を以て知識と為すは常の習い也。然りと雖も末代に於ては真の知識無ければ法を以て知識と為すに多くの証有り。摩訶止観に云く ̄或従知識 或従経巻 聞上所説一実菩提〔或は知識に従い、或は経巻に従い、上に説く所の一実の菩提を聞く〕[已上]。此の文の意は経巻を以て善知識と為すなり。[p0123]
法華経に云く_若法華経。行閻浮提。有受持者。応作此念。皆是普賢。威神之力〔若し法華経の閻浮提に行ぜんを受持することあらん者は、此の念を作すべし、皆是れ普賢威神の力なりと〕[已上]。此の文の意は末代の凡夫、法華経を信ずるは普賢の善知識の力也。[p0123]
又云く_若有受持読誦。正憶念。修習書写。是法華経者。当知是人。則見釈迦牟尼仏。如従仏口。聞此経典。当知是人。供養釈迦牟尼仏〔若し是の法華経を受持し読誦し正憶念し修習し書写することあらん者は、当に知るべし、是の人は則ち釈迦牟尼仏を見るなり、仏口より此の経典を聞くが如し。当に知るべし、是の人は釈迦牟尼仏を供養するなり〕[已上]。此の文を見るに法華経は釈迦牟尼仏也。法華経を信ぜざる人の前には釈迦牟尼仏入滅を取り、此の経を信ずる者の前には滅後為りと雖も仏の在世也。[p0123]
又云く_若我成仏。滅度之後。於十方国土。有説法華経処。我之塔廟。為聴是経故。涌現其前。為作証明〔若し我成仏して滅度の後、十方の国土に於て法華経を説く処あらば、我が塔廟是の経を聴かんが為の故に、其の前に涌現して、為に証明と作って〕[已上]。此の文の意は我等法華の名号を唱えば多宝如来本願の故に必ず来りたもう。[p0123]
又云く_諸仏。在於十方世界説法。尽還集一処〔諸仏十方世界に在して説法したもうを、尽く一処に還し集めて〕[已上]。釈迦・多宝・十方諸仏・普賢菩薩等は我等が善知識也。若し此の義に依らば、我等も亦宿善、善財・常啼・班足等にも勝れたり。彼等は権経の知識に値い、我等は実経の知識に値えばなり。彼は権経の菩薩に値い、我等は実経の仏菩薩に値い奉ればなり。[p0123-0124]
涅槃経に云く_依法不依人 依智不依識〔法に依て人に依らざれ~智に依て識に依らざれ〕[已上]。依法と云うは法華・涅槃の常住の法也。不依人とは法華・涅槃に依らざる人也。設い仏菩薩為りと雖も法華・涅槃に依らざる仏菩薩は善知識に非ず。況んや法華・涅槃に依らざる論師・訳者・人師に於てを乎。依智とは仏に依る。不依識とは等覚已下也。今の世の世間の道俗、源空之謗法の失を隠さんが為に徳を天下に挙げて権化なりと称す。依用すべからず。外道は五通を得て能く山を傾け海を竭すとも神通無き阿含経の凡夫に及ばず。羅漢を得、六通を現ずる二乗は華厳・方等・般若の凡夫に及ばず。華厳・方等・般若等の等覚の菩薩も法華経の名字・観行の凡夫に及ばず。設い神通智慧有りと雖も権教の善知識をば用うべからず。我等常没の一闡提の凡夫、法華経を信ぜんと欲するは仏性を顕さんが為の先表也。[p0124]
故に妙楽大師云く ̄自非内薫何能生悟。故知生悟力在真如。故以冥薫為外護也〔内薫に非ざるよりは何ぞ能く悟りを生ぜん。故に知んぬ、悟りを生ずる力は真如に在り。故に冥薫を以て外護と為す也〕[已上]。法華経より外の四十余年の諸経には十界互具無し。十界互具を説かざれば内心の仏界を知らず。内心の仏界を知らざれば外の諸仏も顕れず。故に四十余年の権行の者は仏を見ず。設い仏を見ると雖も他仏を見る也。二乗は自仏を見ざるが故に成仏無し。爾前の菩薩も亦自身の十界互具を見ざれば二乗界の成仏を見ず。故に衆生無辺誓願度の願も満足せず。故に菩薩も仏を見ず。凡夫も亦十界互具を知らざるが故に自身の仏界顕れず。故に阿弥陀如来の来迎も無く、諸仏如来の加護も無し。譬えば盲人の自身の影を見ざるが如し。今、法華経に至って九界の仏界を開くが故に、四十余年の菩薩・二乗・六凡始めて自身の仏界を見る。此の時此の人の前に始めて仏・菩薩・二乗を立つ。此の時に二乗・菩薩始めて成仏し、凡夫始めて往生す。是の故に在世滅後の一切衆生の誠の善知識は法華経是れ也。常途の天台宗の学者は爾前に於て当分の得道を許せども、自義に於ては猶お当分の得道を許さず。然りと雖も此の書に於ては其の義を尽くさず。略して之を記す。追って之を記すべし。[p0124-0125]
大文の第六に法華・涅槃に依る行者の用心を明かさば。一代の教門の勝劣・浅深・難易等に於ては先の段に既に之を出す。此の一段に於ては一向に後世を念う末代常没の五逆・謗法・一闡提等の愚人の為に之を注す。略して三有り。一には在家の諸人、正法を護持するを以て生死を離るべく、悪法を持つに依て三悪道に堕することを明かす。二には但法華経の名字計りを唱えて三悪道を離るべきことを明かす。三には涅槃経は法華経の為の流通と成ることを明かす。[p0125]
第一に在家の諸人、正法を護持するを以て生死を離るべく、悪法を持つに依て三悪道に堕することを明かさば。[p0125]
涅槃経第三に云く_仏告迦葉 以能護持正法因縁故得成就是金剛身〔仏、迦葉に告げたまわく、能く正法を護持する因縁を以ての故に是の金剛身を成就することを得たり〕。亦云く_時有国王名曰有徳 乃至 為護法故 乃至 与是破戒諸悪比丘極共戦闘 乃至 王於是時得聞法已心大歓喜 尋即命終生阿・仏国〔時に国王有り、名を有徳と曰う。乃至 護法の為の故に、乃至 是の破戒の諸の悪比丘と極めて共に戦闘す。乃至 王是の時に於て法を聞くことを得已って心大いに歓喜し、尋いで即ち命終して阿・仏の国に生ず〕[已上]。此の文の如くならば在家の諸人、別の智行無しと雖も謗法の者を対治する功徳に依て生死を離るべき也。[p0125]
問て云く 在家の諸人、仏法を護持すべき様如何。[p0125]
答て曰く 涅槃経に云く_若有衆生 貪著財物 我当施財 然後以是 大涅槃経 勧之令読 乃至 先以愛語 而随其意 然後漸当 以是大乗 大涅槃経 勧之令読。若凡庶者 当以威勢 逼之令読。若・慢者 我当為其 而作僕使 随順其意 令其歓喜。然後復当 以大涅槃 而教導之。若有誹謗 大乗経者 当以勢力 摧之令伏 既摧伏已 然後勧令 読大涅槃。若有愛楽 大乗経者 我躬当往 恭敬供養 尊重讃歎〔若し衆生有って財物に貪著せば我当に財を施して然して後に是の大涅槃経を以て之を勧めて読ましむべし。乃至 先に愛語を以て而も其の意に随い、然して後に漸く当に是の大乗大涅槃経を以て之を勧めて読ましむべし。若し凡庶の者には当に威勢を以て之に逼りて読ましむ。若し・慢の者には我当に其れが為に而も僕使と作り其の意に随順し其れをして歓喜せしむ。然して後に復当に大涅槃を以て而も之を教導す。若し大乗経を誹謗する者有らば、当に勢力を以て之を摧きて伏せしめ既に摧伏し已って然して後に勧めて大涅槃を読ましむ。若し大乗経を愛楽する者有らば、我躬ら当に往いて恭敬し供養し尊重し讃歎すべし〕[已上]。[p0125-0126]
問て云く 今の世の道俗偏に選択集に執して、法華・涅槃に於ては自身不相応の念を作す之間、護惜建立の心無し。偶たま邪義の由を称する人有れば念仏誹謗者と称し、悪名を天下に雨らす。斯れ等は如何。[p0126]
答て曰く 自答を存すべきに非ず。仏自ら此の事を記して云く 仁王経に云く_大王我滅度後未来世中四部弟子諸小国王・太子・王子・乃是住持護三宝者 転更滅破三宝 如師子身中虫自食師子。非外道也。多壊我仏法 得大罪過 正教衰薄 民無正行 以漸為悪 其寿日減 至于百歳。人壊仏教 無復孝子 六親不和 天神不祐。疾疫悪鬼 日来侵害 災怪首尾 連禍縦横 死入地獄 餓鬼畜生〔大王、我が滅度の後、未来世の中の四部の弟子・諸の小国の王・太子・王子・乃ち是の三宝を住持し護る者、転た更に三宝を滅破せんこと師子の身中の虫の自ら師子を食うが如くならん。外道に非ざる也。多く我が仏法を壊り、大罪過を得、正教衰薄し、民に正行無く、漸く悪を為すを以て其の寿日に減じて百歳に至らん。人仏教を壊りて復孝子無く、六親不和にして、天神も祐けず。疾疫悪鬼日に来りて侵害し、災怪首尾し、連禍縦横し、死して地獄・餓鬼・畜生に入らん〕と。[p0126]
亦次下に云く_大王未来世中諸小国王四部弟子自作此罪破国因縁 乃至 諸悪比丘多求名利於国王太子王子前自説破仏法因縁破国因縁。其王不別信聴此語 乃至 当其時正法将滅不久〔大王、未来世の中の諸の小国の王・四部の弟子・自ら此の罪を作るは破国の因縁なり。乃至 諸の悪比丘、多く名利を求め、国王・太子・王子の前に於て、自ら破仏法の因縁・破国の因縁を説かん。其の王別えずして此の語を信聴し、乃至 其の時に当たって正法将に滅すべきこと久しからず〕[已上]。[p0126]
余、選択集を見るに敢えて此の文の未来記に違わず。選択集は法華・真言等の正法を定めて雑行・難行と云い、末代の我等に於ては時機不相応、之を行ずる者は千中無一。仏還って法華等を説きたもうと雖も法華・真言の諸行の門を閉じて念仏の一門を開く。末代に於て之を行ずる者は群賊等と定め、当世の一切の道俗に於て此の書を信ぜしめ此の義を以て如来の金言と思えり。此の故に世間の道俗、仏法建立の意無く、法華・真言の正法の法水忽ちに竭き、天人減少して三悪日に増長す。偏に選択集の悪法に催されて起こす所の邪見也。此の経文に仏記して_我滅度後と云えるは、正法の末八十年、像法の末八百年、末法の末八千年也。選択集の出る時は像法の末、末法の始めなれば八百年之内也。仁王経に記す所の時節に当たれり。諸小国王とは日本国の王也。中下品の善は粟散王是れ也。如師子身中虫とは仏弟子の源空是れ也。諸悪比丘とは所化の衆是れ也。説破仏法因縁破国因縁とは上に挙げる所の選択集の語是れ也。其王不別信聴此語とは今の世の道俗邪義を弁えずして猥りに之を信ずる也。請い願わくは、道俗法の邪正を分別して其の後正法に付いて後世を願え。今度人身を失い三悪道に堕して後に後悔すとも何ぞ及ばん。[p0126-0127]
第二に但法華経の題目計りを唱えて三悪道を離るべきことを明かさば。[p0127]
法華経の第五に云く_文殊師利。是法華経。於無量国中。乃至名字。不可得聞〔文殊師利、是の法華経は無量の国の中に於て、乃至名字をも聞くことを得べからず〕。第八に云く_汝等但能擁護。受持法華名者。福不可量〔汝等但能く法華の名を受持せん者を擁護せんすら、福量るべからず〕。提婆品に云く_聞妙法華経。提婆達多品。浄心信敬。不生疑惑者。不堕地獄。餓鬼。畜生〔妙法華経の提婆達多品を聞いて、浄心に信敬して疑惑を生ぜざらん者は、地獄・餓鬼・畜生に堕ちずして〕。大涅槃経名字功徳品に云く_若有 善男子 善女人 聞是経名生悪趣無有是所〔若し善男子・善女人有って是の経の名を聞いて悪趣に生ずというは、是のことわり有ること無けん〕[涅槃経は法華経の流通たるが故に之を引く]。[p0127]
問て云く 但法華の題目を聞くと雖も解心無くば如何にして三悪趣を脱れん乎。[p0127]
答て云く 法華経流布の国に生まれて此の経の題名を聞き信を生ずるは、宿善の深厚なるに依れり。設い今生は悪人無智なりと雖も必ず過去の宿善有るが故に此の経の名を聞いて信を致す者也。故に悪道に堕せず。[p0127]
問て云く 過去の宿善とは如何。[p0127]
答て云く 法華経の第二に云く_若有信受 此経法者 是人已曾 見過去仏 恭敬供養 亦聞是法〔若し此の経法を 信受すること有らん者 是の人は已に曾て 過去の仏を見たてまつりて 恭敬供養し 亦是の法を聞くけるなり〕。法師品に云く_又如来滅度之後。若有人。聞妙法華経。乃至。一偈一句。一念随喜者 乃至 当知是諸人等。已曽供養。十万億仏〔又如来の滅度の後に、若し人あって妙法華経の乃至一偈・一句を聞いて一念も随喜せん者には、乃至 当に知るべし、是の諸人等は、已に曽て十万億の仏を供養し〕。流通たる涅槃経に云く_若有衆生於煕連河沙等諸仏発菩提心 乃能於是悪世受持如是経典不生誹謗。善男子 若有能於一恒河沙等諸仏世尊発菩提心 然後乃能於悪世中不謗是法愛敬是典〔若し衆生有って煕連河沙等の諸仏に於て菩提心を発し、乃ち能く是の悪世に於て是の如き経典を受持して誹謗を生ぜず。善男子、若し能く一恒河沙等の諸仏世尊に於て菩提心を発すこと有って然して後に乃ち能く悪世の中に於て是の法を謗ぜずして是の典を愛敬せん〕[已上経文]。此れ等の文の如くんば、設い先に解心無くとも此の法華経を聞いて謗ぜざるは大善の所生也。[p0127-0128]
夫れ三悪の生を受けること大地微塵より多く、人間の生を受けること爪上の土より少なし。乃至、四十余年の諸経に値うは大地微塵より多く、法華・涅槃に値うことは爪上の土より少なし。上に挙げる所の涅槃経三十三の文を見るべし。設い一字一句なりと雖も此の経を信ずるは宿縁多幸也。[p0128]
問て云く 設い法華経を信ずと雖も悪縁に随わば何ぞ三悪道に堕せざらん乎。[p0128]
答て曰く 解心無き者、権教の悪知識に遇うて実経を退せば悪師を信ずる失に依て必ず三悪道に堕すべき也。彼の不軽軽毀の衆は権人也。大通結縁の者の三千塵点を歴しは法華経を退して権教に遷りしが故也。法華経を信ずる之輩、法華経之信を捨て権人に随わんより外は世間の悪業に於ては法華の功徳に及ばず。故に三悪道に堕すべからざる也。[p0128]
問て云く 日本国は法華・涅槃有縁の地なりや、否や。[p0128]
答て云く 法華経第八に云く_於如来滅後。閻浮提内。広令流布。使不断絶〔如来の滅後に於て閻浮提の内に、広く流布せしめて断絶せざらしめん〕。七の巻に云く_広宣流布。於閻浮提。無令断絶〔閻浮提に広宣流布して、断絶せしむること無けん〕。涅槃経第九に云く_此大乗経典大涅槃経亦復如是。為於南方諸菩薩故当広流布〔此の大乗経典大涅槃経も亦復是の如し。南方の諸の菩薩の為の故に当に広く流布すべし〕[已上経文]。三千世界広しと雖も仏自ら法華・涅槃を以て南方流布の所と定む。南方の諸国の中に於ては、日本国は殊に法華経の流布すべき処也。[p0128-0129]
問て云く 其の証、如何。[p0129]
答て曰く 肇公の法華翻経後記に云く ̄羅什三蔵奉値須利耶蘇摩三蔵授法華経時語云 仏日西山隠遺耀照東北。茲典有縁東北諸国。汝慎伝弘〔羅什三蔵、須利耶蘇摩三蔵に値い奉りて法華経を授かる時の語に云く 仏日西山に隠れ遺耀東北を照らす。茲の典東北の諸国に有縁なり。汝、慎んで伝弘せよ〕[已上]。東北とは日本也。西南の天竺より東北の日本を指すなり。故に慧心の一乗要決に云く ̄日本一州円機純一 朝野遠近同帰一乗 緇素貴賎悉期成仏〔日本一州円機純一なり。朝野遠近同じく一乗に帰し、緇素貴賎悉く成仏を期す〕[已上]。願わくは日本国の今の世の道俗、選択集の久習を捨て、法華・涅槃の現文に依り、肇公・慧心の日本記を恃みて法華修行の安心を企てよ。[p0129]
問て云く 法華経修行の者、何れの浄土を期す耶。[p0129]
答て曰く 法華経二十八品の肝心たる寿量品に云く_我常在此。娑婆世界〔我常に此の娑婆世界に在って〕。亦云く_我常住於此〔我常に此に住すれども〕。亦云く_我此土安穏〔我が此の土は安穏にして〕[文]。此の文の如くんば本地久成の円仏は此の世界に在せり。此の土を捨て、何れの土を願うべき乎。故に法華経修行の者の所住之処を浄土と思うべし。何ぞ煩わしく他処を求めん乎。故に神力品に云く_若経巻。所住之処。若於園中。若於林中。若於樹下。若於僧坊。若白衣舎。若在殿堂。若山谷曠野 乃至 当知是処。即是道場〔若しは経巻所住の処あらん。若しは園中に於ても、若しは林中に於ても、若しは樹下に於ても、若しは僧坊に於ても、若しは白衣の舎にても、若しは殿堂に在っても、若しは山谷曠野にても、乃至 当に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり〕。涅槃経に云く_若善男子 是大涅槃 微妙経典 所流布処 当知其地 即是金剛。是中諸人 亦如金剛〔若し善男子、是の大涅槃微妙の経典流布せらる処は、当に知るべし、其の地は即ち是れ金剛なりと。是の中の諸人も亦金剛の如し〕[已上]。法華・涅槃を信ずる行者は余処に求むべきに非ず。此の経を信ずる人の所住の処は即ち浄土也。[p0129]
問て云く 華厳・方等・般若・阿含・観行等の諸経を見るに、兜率・西方・十方の浄土を勧む。其の上法華経の文を見るに、亦兜率・西方・十方の浄土を勧む。何ぞ此れ等の文に違いて但此の瓦礫荊棘の穢土を勧むる乎。[p0129]
答て曰く 爾前の浄土は久遠実成の釈迦如来の所言の浄土にして実には皆穢土也。法華経は亦方便・寿量の二品也。寿量品に至って実の浄土を定むる時、此の土は即ち浄土なりと定め了んぬ。但し兜率・安養・十方の難に至っては、爾前の名目を改めずして此の土に於て兜率・安養等の名を付く。例せば此の経に三乗の名有りと雖も三乗に有らざるが如し。_不須更指観経等也の釈の意是れ也。法華経に結縁無き衆生の当世西方浄土を願うは瓦礫の土を楽うとは是れ也。法華経を信ぜざる衆生は誠に分添の浄土無き者也。[p0129-0130]
第三に涅槃経は法華経流通の為に之を説きたもうを明かさば。[p0130]
問て云く 光宅の法雲法師竝びに道場の慧観等の碩徳は法華経を以て第四時の経と定め無常・熟蘇味と立つ。天台智者大師は法華・涅槃同味と立つると雖も亦・拾{くんじゅう}の義を存す。二師共に権化也。互いに徳行を具せり。何れを正と為して我等の迷心を晴らすべき乎。[p0130]
答て曰く 設い論師・訳者為りと雖も仏教に違して権実二教を判ぜずんば且く疑いを加うべし。何に況んや唐土の人師たる天台・南岳・光宅・慧観・智儼・嘉祥・善導等の釈に於てを乎。設い末代の学者為りと雖も依法不依人の義を存し、本経本論に違わば信用を加うべし。[p0130]
問て云く 涅槃経第十四巻を開きたるに五十年の諸大乗経を挙げて前四味を譬え、涅槃経を以て醍醐味に譬う。諸大乗経は涅槃経より劣ること百千万倍と定め了んぬ。其の上迦葉童子の領解に云く_我従今日始得正見。自此之前我等悉名邪見之人〔我今日より始めて正見を得たり。此れより之前は我等悉く邪見之人と名くと〕。此の文の意は涅槃経已前の法華等の一切衆典を皆邪見と云う也。当に知るべし、法華経は邪見之経にして未だ正見の仏性を明かさず。故に天親菩薩の涅槃論に諸経と涅槃との勝劣を定むる時、法華経を以て涅槃経に同じて、同じく第四時に摂したり。豈に正見の涅槃経を以て邪見の法華経の流通と為さん乎、如何。[p0130]
答て曰く 法華経の現文を見るに仏の本懐残すこと無し。方便品に云く_今正是其時〔今正しく是れ其の時なり〕。寿量品に云く_毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身〔毎に自ら是の念を作す 何を以てか衆生をして 無上道に入り 速かに仏身を成就することを得せしめんと〕。神力品に云く_以要言之。如来一切。所有之法 乃至 皆於此経。宣示顕説〔要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法 乃至 皆此の経に於て宣示顕説す〕[已上]。[p0130-0131]
此れ等の現文は釈迦如来の内証は皆此の経に尽くしたもう。其の上多宝竝びに十方の諸仏来集の庭に於て釈迦如来の已今当の語を証し法華経の如き経無しと定め了んぬ。而るに多宝諸仏本土に還るの後、但釈迦一仏のみ異変を存して還って涅槃経を説き法華経を卑しくせば、誰人之を信ぜん。深く此の義を存し、随って涅槃経の第九を見るに、法華経を流通して説いて云く_是経出世如彼菓実多所利益安楽一切 能令衆生見於仏性。如法華中八千声聞 得授記別成大菓実 如秋収冬蔵更無所作〔是の経の出世は、彼の菓実の一切を利益し安楽する所多きが如く、能く衆生をして仏性を見せしむ。乃至 法華の中の八千の声聞に記別を授けることを得て大菓実成ずるが如し、秋収冬蔵して更に所作無きが如し〕。此の文の如くんば法華経若し邪見ならば涅槃経も豈に邪見に非ず乎。法華経は大収、涅槃経は・拾{くんじゅう}なりと見え了んぬ。涅槃経は自ら法華経に劣る之由を称す。法華経の当説之文敢えて相違無し。但し迦葉の領解竝びに第十四の文は法華経を下すの文に非ず。迦葉自身竝びに所化の衆、今始めて法華経の所説の常住仏性・久遠実成を覚る。故に我が身を指して此れより已前は邪見なりと云う。法華経已前の無量義経に嫌われる所の諸経を涅槃経に重ねて之を挙げて嫌う也。法華経を嫌うには非ざる也。亦涅槃論に至っては、此れ等の論は書付るが如く、天親菩薩の造、菩提流支の訳也。法華論も亦天親菩薩の造、菩提流支の訳也。経文に違すること之多し。涅槃論も亦本経に違す。当に知るべし、訳者の誤り也。信用に及ばず。[p0131]
問て云く 先の経に漏れたる者を後の教に之を承け取って得道せしむるを流通と称せば、阿含経は華厳経の流通と成るべき乎。乃至法華経は前四味の流通と成るべき乎、如何。[p0131]
答て曰く 前四味の諸経は菩薩人天等の得道を許すと雖も、決定性の二乗・無性闡提の成仏を許さず。其の上仏意を探りて実を以て之を検ぶるに、亦菩薩人天等の得道も無し。十界互具を説かざるが故に、久遠実成無きが故に。[p0131-0132]
問て云く 証文如何。[p0132]
答て云く 法華経方便品に云く_若以小乗化 乃至於一人 我則堕慳貪 此事為不可〔若し小乗を以て化すること 乃至一人に於てもせば 我則ち慳貪に堕せん 此の事は為めて不可なり〕[已上]此の文の意は、今選択集の邪義を破せんが為に余事を以て詮と為さず。故に爾前得道の有無之実義は之を出さず。追って之を検ぶべし。但し四十余年の諸経は実に凡夫の得道無きが故に法華経は爾前の流通と為さず。法華経に於て十界互具・久遠実成を顕し了んぬ。故に涅槃経は法華経の為に流通と成る也。[p0132]
大文の第七 問に随って答う。[p0132]
若し末代の愚人上の六門に依て万が一も法華経を信ぜば、権宗の諸人、或は自ら惑えるに依り、或は偏執に依て法華経の行者を破せんが為に多く四十余年竝びに涅槃等の諸経を引いて之を難ぜん。而るに権教を信ずる人は之多く、或は威勢に依り、或は世間の資縁に依て人の意に随って世路を互らんが為にし、或は権教には学者多く実経には智者少なし。是非に就いて万が一も実経を信ずる者有るべからず。是の故に此の一段を撰んで権人の邪難を防がん。[p0132]
問て云く 諸宗の学者難じて云く 華厳経は報身如来の所説、七処八会皆頓極頓之法門なり。法華経は応身如来の所説、教主既に優劣有り。法門に於て何ぞ浅深無からん。随って対告衆も法慧功徳林・金剛幢等也。永く二乗を雑えず。法華経は舎利弗等を以て対告衆と為す[華厳宗の難]。[p0132]
法相宗の如きは解深密経等を以て依憑と為して難を加えて云く 解深密経は文殊・観音等を以て対告衆と為す。勝義生菩薩の領解には、一代を有空中と詮す。其の中とは、華厳・法華・涅槃・深密等也。法華経の信解品の五時の領解は四大声聞也。菩薩と声聞と勝劣天地也。[p0132-0133]
浄土宗の如きは道理を立てて云く 我等は法華等の諸経を誹謗するに非ず。彼等の諸経は正には大人の為、傍には凡夫の為にす。断惑証理理深之教にして末代の我等之を行ずるに千人之中に一人も彼の機に当たらず。在家の諸人多分は文字を見ず。亦華厳・法相等の名を聞かず。況んや其の義を知らんを乎。浄土宗の意は我等凡夫は但口に任せて六字の名号を称すれば、現在には阿弥陀如来、二十五の菩薩等を遣わして身に影の随うが如く百重千重に行者を圍遶して之を守りたもう。故に現世には七難即滅七福即生し、乃至臨終之時は必ず来迎有って観音の蓮臺に乗じ、須臾之間に浄土に至り、業に随って蓮華開け、法華経を聞いて実相を覚る。何ぞ煩わしく穢土に於て余行を行じて何の詮か有る。但万事を抛ちて一向に名号を称せよと云云。[p0133]
禅宗等の云く 一代聖教は月を指す指なり。天地日月等も汝等が妄心より出たり。十方の浄土も執心之影像也。釈迦十方の仏陀は汝が覚心の所変なり。文字に執する者は株を守る愚人也。我が達磨大師は不立文字〔文字を立てず〕。不仮方便〔方便を仮ず〕。一代聖教之外に仏迦葉に印して此の法を伝う。法華経等は未だ真実を宣べず[已上]。[p0133]
此れ等の諸宗の難一に非ず。如何ぞ法華経の信心を壊らざるべし乎。[p0133]
答て云く 法華経の行者は心中に四十余年已今当・皆是真実・依法不依人等の文を存して而も外に語に之を出さず。難に随って之を問うべし。抑そも所立の宗義何の経に依る乎、と。彼経を引かば引くに随って亦之を尋ねよ。一代五十年之間の説之中に法華経より先歟、後歟、同時なる歟、亦先後不定なる歟、と。若し先と答えば、未顕真実之文を以て之を責めよ。敢えて彼の経の説相を尋ぬること勿れ。後と答えば、当説の文を以て之を責めよ。同時なりと答えば、今説之文を以て之を責めよ。不定と答えば、不定の経は大部の経に非ず。一時一会の説にして亦物の数に非ず。其の上不定の経と雖も三説を出ず。設い百千万之義を立つると雖も四十余年等の文を載せて虚妄と称せざるより外は用うべからず。仏の遺言に不依不了義経と云うが故也。亦智儼・嘉祥・慈恩・善導等を引いて徳を立て難ずと雖も、法華・涅槃に違する人師に於ては用うべからず。依法不依人の金言を仰ぐが故なり。[p0133-0134]
亦法華経を信ぜん愚者の為に二種の信心を立つ。一には仏に就いて信を立て、二には経に就いて信を立つ。[p0134]
仏に就いて信を立つとは。[p0134]
権宗の学者来たりて難じて云く 善導和尚は三昧発得の人師、本地は弥陀の化身也。慈恩大師は十一面観音の化身、亦筆端より舎利を雨らす。此れ等の諸人は皆彼々の経々に依て皆証有り。何ぞ汝彼の経に依らず。亦彼の師の義を用いざるや。[p0134]
答て曰く 汝聞け。一切の権宗の大師先徳竝びに舎利弗・目連・普賢・文殊・観音乃至阿弥陀・薬師・釈迦如来我等の前に集まりて説いて云く 法華経は汝等の機に叶わず、念仏等の権経の行を修して往生を遂げて後に法華経を覚れ、と。是の如き説を聞くと雖も敢えて用うべからず。其の故は四十余年の諸経には法華経の名字を呼ばず。何れの処にか機の堪不堪を論ぜん。法華経に於ては多宝・釈迦・十方諸仏一処に集まりて撰定して云く_令法久住〔法をして久しく住せしめ〕。_於如来滅後。閻浮提内。広令流布。使不断絶〔如来の滅後に於て閻浮提の内に、広く流布せしめて断絶せざらしめん〕。此の外に今仏出来して法華経を末代不相応と定めば既に法華経に違す。知んぬ。此の仏は涅槃経に出す所の滅後の魔仏也。之を信用すべからず。其れ已下の菩薩・声聞・比丘等は亦言論するに及ばず。此れ等は不審も無し。涅槃経に記す所の滅後の魔の所変の菩薩等也。其の故は法華経之座は三千大千世界の外、四百万億阿僧祇の世界也。其の中に充満せる菩薩・二乗・人天・八部等、皆如来の告勅を蒙り、各々所在の国土に法華経を弘むべきの由、之を願いぬ。善導等若し権者ならば、何ぞ龍樹・天親等の如く権教を弘めて後に法華経を弘めざるや。法華経の告勅の数に入らざるや。何ぞ仏の如く権教を弘めて後に法華経を弘めざる乎。若し此の義無くんば設い仏為りと雖も之を信ずべからず。今は法華経の中の仏を信ず。故に仏に就いて信を立つと云うなり。[p0134-0135]
問て云く 釈迦如来の所説を他仏之を証するを実説と称せば、何ぞ阿弥陀経を信ぜざる乎。[p0135]
答て云く 阿弥陀経に於ては法華経の如き証明無きが故に之を信ぜず。[p0135]
問て云く 阿弥陀経を見るに、釈迦如来の所説の一日七日の念仏を六方の諸仏舌を出し三千を覆いて之を証明せり。何ぞ証明無しと云う乎。[p0135]
答て云く 阿弥陀経に於ては全く法華経の如き証明無し。但釈迦一仏舎利弗に向って説いて言く_我一人非説阿弥陀経 六方諸仏出舌覆三千〔我一人阿弥陀経を説くのみに非ず、六方の諸仏舌を出し三千を覆いて阿弥陀経を説く〕と云うと雖も、此れ等は釈迦一仏の説也。敢えて諸仏は来りたまわず。此れ等の権文は四十余年之間は教主も権仏の始覚之仏也。仏権なるが故に所説も亦権也。故に四十余年之権仏の説は之を信ずべからず。今の法華・涅槃は久遠実成の円仏之実説也。十界互具の実言也。亦多宝十方の諸仏来りて之を証明したもう故に之を信ずべし。阿弥陀経の説は無量義経の未顕真実之語に壊れ了んぬ。全く釈迦一仏の語にして諸仏の証明には非ざる也。[p0135]
二に経に就いて信を立つとは。[p0135]
無量義経に四十余年の諸経を挙げて_未顕真実と云う。涅槃経に云く_如来雖無虚妄之言 若知衆生因虚妄説得法利者 宜随方便則為説之〔如来は虚妄之言無しと雖も、若し衆生虚妄の説に因って法利を得ると知れば、宜しきに随って方便して則ち為に之を説きたもう〕と。又云く_依了義経 不依不了義経〔了義経に依て、不了義経に依らざれ〕[已上]。[p0135]
是の如き文一に非ず。皆四十余年の自説の諸経を虚妄・方便・不了義経・魔説と称す。是れ皆人をして其の経を捨て法華・涅槃に入らしめんが為なり。而るに何の恃み有って妄語の経を留めて行儀を企て得道を期する乎。今、権教の情執を捨て偏に実経を信ず。故に経に就いて信を立つと云うなり。[p0135-0136]
問て云く 善導和尚も人に就いて信を立て、行に就いて信を立つ。何の差別有らん乎。[p0136]
答て曰く 彼は阿弥陀経等の三部に依て之を立て、一代の経に於て了義経・不了義経を分かたずして之を立つ。故に法華・涅槃の義に対して之を難ずる時は、其の義壊れ了んぬ。[p0136]
守護国家論[p0136]
#0017-1K0 爾前二乗菩薩不作仏事 正元元(1259) [p0144]
或康元比
問て云く 二乗永不成仏の教に菩薩の作仏を許すべきや。[p0144]
答て云く 楞伽経第二に云く_大慧 何者無性乗 謂一闡提。大慧 一闡提者無涅槃性。何以故。於解脱中不生信心不入涅槃。大慧 一闡提者二種。何等為二。一者焚焼一切善根。二者憐愍一切衆生作尽一切衆生界願。大慧 云何焚焼一切善根。謂謗菩薩蔵作如是言。彼非随順修多羅・尼解脱説 捨諸善根。是故不得涅槃。大慧 憐愍衆生作尽衆生界願者是為菩薩。大慧菩薩方便作願。若諸衆生不入涅槃者我亦不入涅槃。是故菩薩摩訶薩不入涅槃。大慧 是名二種一闡提。無涅槃性。以是義故決定取一闡提行。大慧菩薩白仏言 世尊 此二種一闡提 何等一闡提常不入涅槃。仏告大慧 菩薩摩訶薩の一闡提常不入涅槃。何以故。以能善知一切諸法本来涅槃 是故不入涅槃。非捨一切善根闡提。何以故。大慧 彼捨一切善根闡提 若値諸仏善知識等発菩提心生諸善根便証涅槃〔大慧、何者か無性乗なる。謂く一闡提なり。大慧、一闡提とは涅槃の性なし。何を以ての故に、解脱の中に於て信心を生ぜず、涅槃に入らず。大慧、一闡提とは二種あり。何等をか二となす。一には一切の善根を焚焼す。二には一切衆生を憐愍して尽一切衆生界の願をおこす。大慧、云何が一切の善根を焚焼する。謂く菩薩蔵を謗じてかくのごとき言をなす。彼の修多羅・尼解脱の説に随順するに非ずして諸の善根を捨つと。是の故に涅槃を得ざる。大慧、衆生を憐愍して衆生界を尽さんとの願をおこす者、是れを菩薩となす。大慧菩薩方便して願をなす。若し諸の衆生涅槃に入らざれば我も亦涅槃に入らずと。是の故に菩薩摩訶薩、涅槃に入らず。大慧、是れを二種の一闡提と名づく。涅槃の性なし。是の義を以ての故に決定して一闡提の行を取る。大慧菩薩、仏に白して言はく、世尊、此の二種の一闡提、何等の一闡提か常に涅槃に入らざる。仏、大慧に告げたまはく、菩薩摩訶薩の一闡提は常に涅槃に入らず。何を以ての故に。能善く一切諸法本来涅槃なりと知るを以て、是の故に涅槃に入らず。一切の善根を捨つる闡提に非ず。何を以ての故に。大慧、彼の一切の善根を捨てる闡提は、若し諸仏善知識等に値ひたてまつれば菩提心を発し諸の善根を生じ、便ち涅槃を証す〕等云云。[p0144-0145]
此の経文に_若諸衆生不入涅槃者我亦不入涅槃〔若し諸の衆生涅槃に入らざれば我も亦涅槃に入らず〕等云云。前四味の諸経、二乗作仏を許さず。之を以て之を思ふに、四味諸経の四教の菩薩の作仏もあり難きか。[p0145]
華厳経に云く_衆生界不尽我願亦不尽〔衆生界尽きざれば我が願も亦尽きず〕等云云。一切の菩薩、必ず四弘誓願を発すべし。其の中の衆生無辺誓願度の願、之を満たせざれば、無上菩提誓願証の願又成じ難し。之を以て之を案ずるに、四十余年之文、二乗に限らば菩薩の願も又成じ難きか。[p0145]
問て云く 二乗成仏之なければ、菩薩の成仏も之なきの正しき証文如何。[p0145]
答て云く 涅槃経三十六に云く_雖信仏性是衆生有不必一切皆悉有之。是故名為信不具足〔仏性は是の衆生にありと信ずと雖も必ず一切皆悉く之あらず。是の故に名づけて信不具足となす〕と[三十六本。三十二][p0145]
此の文のごとくんば先四味の諸菩薩皆一闡提の人なり。二乗作仏を許さず。二乗の作仏を成ぜざるのみに非ず。将た又菩薩の作仏も之を許さざるなり。之を以て之を思ふに、四十余年の文二乗作仏を許さざれば菩薩の成仏も又之なきものなり。[p0145-0146]
一乗要決の中に云く ̄涅槃経三十六云 雖信仏性是衆生有不必一切皆悉有之。是故名為信不具足[三十六本。三十二]。第三十一説云 信一切衆生及一闡提悉有仏性 名菩薩十法中第一信心具足[三十六本。第三十]。明一切衆生悉有仏性者非是少分。若猶堅執少分一切非唯違経亦信不具。何因楽作一闡提耶。由此応許全分有性。理亦応許一切成仏。慈恩心経玄賛云 約大悲辺常為闡提。約大智辺亦当作仏。宝公云 大悲闡提是前経所説。不可以前説難後説也。諸師釈意大途同之〔涅槃経三十六に云く 仏性は是の衆生にありと信ずと雖も必ず一切皆悉く之あらず。是の故に名づけて信不具足となす[三十六本。三十二]。第三十一説に云く 一切衆生及び一闡提に悉く仏性ありと信ずるを、菩薩の十法の中の第一の信心具足と名づくと[三十六本。第三十]。一切衆生悉有仏性を明かすは是れ少分に非ず。若し猶お堅く少分の一切なりと執せばただ経に違するのみに非ず、亦信不具なり。何に因りて楽て一闡提となるや。此に由て全分の有性を許しべし。理亦一切の成仏を許すべし。慈恩の心経玄賛に云く 大悲の辺に約すれば常に闡提となる。大智の辺に約すれば亦当に作仏す。宝公云く 大悲闡提は是れ前経の所説なり。前説を以て後説に難ずべからざるなり。諸師の釈意大途之に同じ〕[文]。[p0146]
金・の註に云く ̄境謂四諦。百界三千生死即苦。達此生死即涅槃名衆生無辺誓願度。百界三千具足三惑。達此煩悩即是菩提名煩悩無辺誓願断。生死即涅槃証円仏性即仏道無上誓願成。惑即菩提無非般若即法門無尽誓願知。惑智無二生仏体同。苦集唯心 四弘融摂 一即一切。斯言有徴〔境は謂く四諦。百界三千の生死は即ち苦なり。此の生死即涅槃なりと達するを衆生無辺誓願度と名づく。百界三千三惑を具足す。此の煩悩即是菩提なりと達するを煩悩無辺誓願断と名づく。生死即涅槃なれば円の仏性を証するは即ち仏道無上誓願成なり。惑即ち菩提にして般若に非ざることなければ即ち法門無尽誓願知なり。惑智無二なれば生仏体同じ。苦集唯心、四弘融摂、一即一切なり。斯の言徴あり〕[文]。[p0146]
慈覚大師の速証仏位集に云く ̄第一唯今経力用満仏下化衆生願。故出世で説之。所謂諸仏因位・四弘願・利生断惑・知法作仏。然因円果満後三願満。利生一願甚為難満。彼華厳経力不能十界皆成仏道。阿含・方等・般若亦爾。後番五味不能皆成仏道本懐。今此妙経十界皆成仏道分明。彼達多堕無間授天王仏記 龍女成仏 十羅刹女悟仏道 阿修羅受成仏總記 人天・二乗・三教菩薩入円妙仏道。経云 如我昔所願 今者已満足 化一切衆生 皆令入仏道云云。衆生皆不尽故 雖有未入仏道衆生 然十界皆成仏唯在今経力。故利生本懐〔第一にただ今経の力用仏の下化衆生の願を満たす。故に世に出でて之を説く。いわゆる諸仏の因位・四弘の願・利生断惑・知法作仏なり。然るに因円果満なれば後の三願は満たす。利生の一願は甚だ満たし難しとなす。彼の華厳経の力、十界皆仏道を成ずることあたはず。阿含・方等・般若も亦爾なり。後番の五味、皆成仏道の本懐なるあたはず。今此の妙経は十界皆成仏道なること分明なり。彼の達多無間に堕するに天王仏の記を授け、龍女成仏し、十羅刹女も仏道を悟り、阿修羅も成仏の總記を受け、人天・二乗・三教の菩薩円妙の仏道に入る。経に云く 我が昔の所願の如きは 今者已に満足しぬ 一切衆生を化して 皆仏道に入らしむ云云。衆生皆尽きざるが故に、いまだ仏道に入らざる衆生ありと雖も、然れども十界皆成仏することただ今経の力にあり。故に利生の本懐なり〕と云云。[p0146-0147]
又云く ̄第一明妙経大意者 諸仏唯以一大事因縁故出現於世 説一切衆生悉有仏性。聞法観行皆当作仏。抑仏以何因縁説十界衆生悉有三因仏性。天親菩薩仏性論縁起分第一云 如来為除五種過失生五種功徳故説一切衆生悉有仏性。謂五種過失者 一下劣心・二高慢心・三虚妄執・四謗真法・五起我執。五種功徳者 一者正勤・二者恭敬・三者般若・四者闍那・五者大悲。疑無生故不能発菩提心名下劣心 謂我有性能発菩提心名高慢 於一切法無我中作有我執名虚妄執 違謗一切諸法清浄智慧功徳名謗真法 意唯存己不欲憐一切衆生名起我執。翻対此五知定有性発菩提心〔第一に妙経の大意を明さば、諸仏はただ一大事の因縁を以ての故に世に出現し、一切衆生悉有仏性と説く。聞法観行皆当に作仏す。そもそも仏、何の因縁を以て十界の衆生悉く三因仏性ありと説きたまふや。天親菩薩の仏性論縁起分の第一に云く 如来五種の過失を除き五種の功徳を生ずるが為の故に一切衆生悉有仏性を説きたまふ。謂く五種の過失とは、一には下劣心・二には高慢心・三には虚妄執・四には真法を謗じ・五には我執を起す。五種の功徳とは、一には正勤・二には恭敬・三には般若・四には闍那・五には大悲なり。生ずることなしと疑ふが故に菩提心を発すことあたはざるを下劣心と名づけ、我に性ありて能く菩提心を発すと謂へるを高慢と名づけ、一切の法無我の中に於て有我の執をおこすを虚妄執と名づけ、一切諸法の清浄の智慧功徳を違謗するを謗真法と名づけ、意ただ己を存じて一切衆生を憐れむことを欲せざるを起我執と名づく。此の五を翻対して定めて性ありと知りて菩提心を発す〕と。[p0147]
日 蓮 花押[p0147]
#0020-0K0 災難興起由来 正元二(1260.02上旬) [p0158]
答て曰く 爾なり。謂く夏桀・殷紂・周幽等の世是れなり。[p0158]
難じて云く 彼の時仏法なし。故に亦謗法者無し。何に依るが故に国を亡ぼすか。[p0158]
答て曰く 黄帝・孔子等治国の作方として五常を以てす。愚王ありて礼教を破る故に災難出来するなり。[p0158]
難じて云く 若し爾らば今世の災難は五常を破るに依らば、何ぞ必ずしも選澤流布の失と云はんや。[p0158]
答て曰く 仏法未だ漢土に渡らざる前は黄帝等五常を以て国を治む。其の五常は仏法渡りて後、之を見れば即ち五戒なり。老子・孔子等も亦仏遠く未来を鑑み、国土に和し、仏法を信ぜしめん為に遣はす所の三聖なり。夏桀・殷紂・周幽等五常を破って国を亡ぼす。即ち五戒を破るに当るなり。亦人身を受けて国主と成るは、必ず五戒十善に依る。外典は浅近の故に過去の修因・未来の得果を論ぜずと雖も、五戒十善を持ちて国王と成る。故に人五常を破ることあれば、上天変頻りに顕れ、下地妖間に侵す者なり。故に今世の変災も亦国中の上下万人、多分選澤集を信ずる故に、弥陀仏より外の他仏他経に於て拝信を至す者に於ては、面を背きて礼儀を至さざる言を吐ひて随喜心なし。故に国土人民に於て殊に礼儀を破り道俗禁戒を犯す。例せば院藉(阮藉)を習ふ者は礼儀を亡ぼし、元嵩に随ふ者は仏法を破るがごとし。[p0158]
問て曰く 何を以て之を知る。仏法いまだ漢土に渡らざる已前の五常は、仏教の中の五戒たること如何。[p0158]
答て曰く 金光明経に云く_一切世間所有善論皆因此経〔一切世間の所有善論は皆此の経に因る〕。法華経に云く_若説俗間経書。治世語言。資生等〈資生業等〉。皆順正法〔若し俗間の経書・治世の語言・資生等を説かんも〈資生の業等を説かんも〉、皆正法に順ぜん〕。普賢経に云く_正法治国。不邪枉人民。是名修第三懺悔〔正法をもって国を治め人民を邪枉せざる、是れを第三の懺悔を修すと名く〕。涅槃経に云く_一切世間外道経書皆是仏説非外道説〔一切世間の外道の経書は、皆是れ仏説にして外道の説に非ず〕。止観に云く ̄若深識世法即是仏法〔若し深く世法を識れば、即ち是れ仏法なり〕。弘決に云く ̄礼楽前駆真道後啓〔礼楽前きに駆せて真道後に啓く〕。広釈に云く ̄仏遣三人且化真旦。五常以開五戒之方。昔者大宰問孔子云 三皇五帝是聖人歟。孔子答云 非聖人。又問 夫子是聖人歟。亦答 非也。又問 若爾誰是聖人。答云 吾聞。西方有聖。号釈迦〔仏三人を遣はして、且く真旦を化す。五常を以て五戒之方を開く。昔、大宰、孔子に問て云く 三皇五帝は是れ聖人なるか。孔子答て云く 聖人に非ず。又問ふ 夫れ子是れ聖人なるか。亦答ふ 非なり。又問ふ 若し爾らば誰か是れ聖人なる。答て云く 吾聞く。西方に聖あり。釈迦と号す〕。[p0158-0159]
周書異記に云く ̄周昭王二十四年甲寅之歳四月八日 江河泉池忽然浮張。井水並皆溢出。宮殿人舎・山川大地咸悉震動。其夜有五色光気。入貫太微遍於四方。昼作青紅色。昭王問大吏蘇由曰 是何怪也。蘇由対曰 有太聖人。生於西方。故現此瑞。昭王曰 於天下何如。蘇由曰 即時無化。一千年外声教被及此土。昭王即遣人・門石記之埋。在西郊天祠前。穆王五十二年壬申之歳二月十五日 平旦暴風忽起 損発人舎傷折樹木山川大地皆悉震動。午後天陰雲黒。西方白虹十二道。南北通過連夜不滅。穆王問大史扈多。是何徴也。対曰 西方有聖人。滅度瑞襄相現耳〔周昭王二十四年甲寅の歳四月八日、江河井泉池、忽然として浮き張る。井水並びに皆溢れ出づ。宮殿人舎、山川大地、咸悉く震動す。其の夜、五色の光気あり。入て太微を貫き、四方に遍す。昼の青紅色となる。昭王、大吏蘇由に問て曰く 是れ何の怪ぞや。蘇由対へて曰く 太聖人あり。西方に生まれたり。故に此の瑞を現ず。昭王曰く 天下に於て何如。蘇由曰く 即時に化なし。一千年の外、声教此土に被及せん。昭王、即ち人を・門に遣はして石に之を記して埋む。西郊天祠前にあり。穆王五十二年壬申の歳二月十五日、平旦に暴風忽ちに起りて発人舎を損し、樹木を傷折るし、山川大地皆悉く震動す。午後天陰り雲黒し。西方に白虹十二道あり。南北に通過して連夜滅せず。穆王、大史扈多に問ふ。是れ何の徴ぞや。対へて曰く 西方に聖人あり。滅度の瑞襄相現るのみ〕[已上]。[p0159]
今之を勘ふるに、金光明経の一切世間所有善論皆因此経〔一切世間の所有善論は皆此の経に因る〕。仏法いまだ漢土に渡らざれば、先づ黄帝等、玄女の五常を習ふ。即ち全玄女の五常に因りて久遠の仏教を習ひ、黄帝に国を治めしむ。機、いまだ熟さざれば五戒を説くも過去未来を知らず。但現在に国を治め、至孝至忠にして身を立つる計りなり。余の経文以て亦是の如し。亦周書異記等は仏法いまだ真旦に被らざる已前一千余年、人、西方に仏あること之を知る。何に況んや、老子殷の時に生まれ周の列王の時にあり。孔子亦老子の弟子、顔回亦孔子の弟子なり。豈に周の第四の昭王・第五の穆王之時を知らずして、蘇由・扈多、多く記す所の一千年外声教被及此土〔一千年の外、声教此土に被及せん〕文をや。[p0159-0160]
亦内典を以て之を勘ふるに、仏、慥かに之を記したまふ。仏遣三聖且化真旦〔仏聖人を遣はして、且く真旦を化す〕。仏、漢土に仏法を弘めん為に先に三菩薩を漢土に遣はし、諸人に五常を教へて仏教の初門と為す。此れ等の文を以て之を勘ふるに仏法已前の五常は仏教之内の五戒なることを知る。[p0160]
疑て云く 若し爾らば、何ぞ選沢集を信ずる謗法者の中に此の難に値はざる者、之あるや。[p0160]
答て曰く 業力不定なり。現世に謗法を作し今世に報ひる者あり。即ち法華経に云く_此人現世。得白癩病。乃至 諸悪重病〔此の人は現世に白癩の病を得ん。乃至 諸の悪重病あるべし〕。仁王経に云く_人壊仏教 無復孝子 六親不和 天神不祐。疾疫悪鬼 日来侵害 災怪首尾 連禍〔人仏教を壊りて復孝子無く、六親不和にして、天神も祐けず。疾疫悪鬼日に来りて侵害し、災怪首尾し、連禍〕。涅槃経に云く_若有不信是経典 ○若臨終時荒乱 刀兵競起 帝王 暴虐・怨家讎隙之所侵逼〔若し是の経典を信ぜざる者あらば ○若は臨終の時荒乱し、刀兵競ひ起り、帝王の暴虐・怨家の讎隙に之を侵逼せられん。〕[已上]。順現業なり。[p0160]
法華経に云く_若人不信 毀謗此経 ○其人命終 入阿鼻獄〔若し人信ぜずして 此の経を毀謗せば ○其の人命終して 阿鼻獄に入らん〕。仁王経に云く_人壊仏教 ○死入地獄 餓鬼畜生〔人、仏教を壊らば ○死して地獄・餓鬼・畜生に入らん。〕[已上]。順次生業なり。順後業等、之を略す。[p0160]
疑て云く 若し爾らば、法華・真言等の諸大乗経を信ずる者は何ぞ此の難に値へるや。[p0160]
答て曰く 金光明経に云く_抂及無辜〔抂げて辜無きに及ばん〕。法華経に云く_横羅其殃〔横まに其の殃に羅らん〕等云云。止観に云く ̄似解之位因疾少軽道心転熟。果疾猶重不免衆災〔似解の位は因の疾少軽道心転た熟す。果の疾猶お重くして衆災を免れず〕。記に云く ̄若過現縁浅微苦亦無徴〔若し過現の縁あさければ苦も亦徴なし〕[已上]。此れ等の文を以て之を案ずるに、法華・真言等を行ずる者も、いまだ位深からざれば、縁浅く、口に誦すれども其の義を知らず、一向に名利の為に之を読む。先生の謗法の罪いまだ尽きず。外に法華等を行じて内に選沢の意を存す。心、存せずと雖も世情に叶はん為に在俗に向ひて法華経は末代に叶ひ難き由を称すれば此の災難免れ難きか。[p0160-0161]
問て曰く 何なる秘術を以て速やかに此の災難を留むべきや。[p0161]
答て曰く 還りて謗法の書並びに所学人を治すべし。若し爾らずんば、無尽の祈請ありと雖も但費ありて験なきか。[p0161]
問て曰く 如何が対治すべき。[p0161]
答て曰く 治方亦経に之あり。涅槃経に云く_仏言 唯除一人余一切施 ○誹謗正法 造是重業 ○唯除如此一闡提輩 施其余者一切讚歎〔仏の言く 唯一人を除きて余の一切に施さば ○正法を誹謗し、是の重業を造りて ○唯此の如き一闡提の輩を除きて其の余に施さば一切讃歎すべし〕[已上]。[p0161]
此の文より外、亦治方あり。具さに載するに暇あらず。而して当世の道俗、多く謗法の一闡提の人に帰して讃歎供養を加ふる間、偶たま謗法語を学せざる者は還りて謗法の者と称して怨敵を作す。諸人此の由を知らざる故に正法の者を還りて謗法者と謂へり。此れ偏に法華経の勧持品に記する所なり。_如悪世中比丘 邪智心諂曲 ○好出我等過 ○向国王大臣 婆羅門居士 ○誹謗説我悪 謂是邪見人 説外道論議〔悪世の中の比丘は 邪智にして心諂曲に ○好んで我等が過を出さん ○国王大臣 婆羅門居士~に向って ○誹謗して我が悪を説いて 是れ邪見の人 外道の論議を説くと謂わんが如し〕。文は仏の讃歎する所なり。世の中の福田を捨てて誡むる所の一闡提に於て讃歎供養を加ふ。故に弥いよ貪欲の心盛んにして、謗法の音天下に満てり。豈に災難起らざらんや。[p0161]
問て曰く 謗法者に於ては供養を留め、苦治を加ふ。罪ありやいなや。[p0161]
答て曰く 涅槃経に云く_今以無上正法付属諸王・大臣・宰相・比丘・比丘尼 ○毀正法者大臣四部之衆応当苦治 ○尚無有罪〔今無上の正法を以て諸王・大臣・宰相及び四部の衆に付属す。正法を毀る者をば大臣・四部之衆、応当に苦治すべし ○尚お罪あることなし〕[已上]。一切衆生、螻蟻蚊虻に至るまで必ず小善あり。謗法の人に小善なし。故に施を留めて苦治を加ふるなり。[p0161]
問て曰く 汝、僧形を以て比丘の失を顕すは豈に不謗四衆と不謗三宝との二重の戒を破るに非ざるや。[p0162]
答て曰く 守涅槃経に云く_若善比丘 見壊法者 置不呵責 駈遣挙処 当知是人 仏法中怨。若能駈遣 呵責挙処 是我弟子 真声聞也〔若し善比丘ありて法を壊る者を見て、置いて呵責し駈遣し挙処せずんば、当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり。若し能く駈遣し呵責し挙処せば、是れ我が弟子、真の声聞なり〕[已上]。之文之を記す。若し此の記自然に国土に流布せしむる時、一度高覧を経ん人は必ず此の旨を存ずべきか。若し爾ざれば大集並びに仁王経の_若有国王見我法滅捨不擁護 ○其国出内三種不祥。乃至命終生大地獄。若王福尽時○七難必起〔若し国王有って我が法の滅せんを見て捨てて擁護せずんば ○其の国に三種の不祥を出さん。乃至 命終して大地獄に生ぜん。若し王の福尽きん時は○七難必ず起こらん〕之責めを免れ難きか。此の文の如くんば、且つ万事を閣いて先づ此の災難の起る由を慥かむべきか。
若し爾らざれば、仁王経の_国土乱時先鬼神乱。鬼神乱故万民乱〔国土乱れん時は先ず鬼神乱る。鬼神乱るるが故に万民乱る〕之文を見よ。当時鬼神の乱れ・万民の乱れあり。亦当に国土乱るべし。愚勘是の如し。取捨、人の意に任す。[p0162]
正元二年[太才庚申]二月上旬勘之[p0162]
#0021-0K0 災難対治鈔 正元二(1260.02) [p0163]
国土に起る大地震・非時の大風・大飢饉・大疫病・大兵乱等の種々の災難の根源を知りて対治を加ふべき勘文。[p0163]
金光明経に云く_若有人於其国土雖有此経未嘗流布。生捨離心不楽聴聞。亦不供養尊重讚歎。見四部衆持経之人亦復不能尊重乃至供養。遂令我等及余眷属無量諸天不得聞此甚深妙法 背甘露味失正法流 無有威光及以勢力。増長悪趣損減人天墜生死河乖涅槃路。世尊 我等四王竝諸眷属及薬叉等見如斯事 捨其国土無擁護心。非但我等捨棄是王。亦有無量守護国土諸大善神皆悉捨去。既捨離已其国当有種種災禍喪失国位。一切人衆皆無善心 唯有繋縛殺害瞋諍 互相讒諂抂及無辜。疫病流行 彗星数出 両日竝現 薄蝕無恒 黒白二虹表不祥相 星流地動 井内発声 暴雨悪風不依時節 常遭飢饉苗実不成 多有他方怨賊侵掠国内 人民受諸苦悩土地無有所楽之処〔若し人有って其の国土に於て此経有りと雖も未だ嘗て流布せず。捨離の心を生じて聴聞せんことを楽はず。亦供養し尊重し讃歎せず。四部の衆、持経之人を見て亦復尊重し、乃至供養すること能わず。遂に我等及び余の眷属無量の諸天をして此の甚深の妙法を聞くことを得ずして、甘露の味に背き正法の流れを失い、威光及以勢力有ること無からしむ。悪趣を増長し人天を損減し生死の河に墜ちて涅槃の路に乖かん。世尊、我等四王竝びに諸の眷属及び薬叉等斯の如き事を見て、其の国土を捨てて擁護の心無けん。但我等のみ是の王を捨棄するに非ず。亦無量の国土を守護する諸大善神有らんも皆悉く捨去せん。既に捨離し已りなば其の国当に種種の災禍有って国位を喪失すべし。一切の人衆皆善心無く、唯繋縛殺害瞋諍のみ有り、互いに相讒諂し、抂げて辜無きに及ばん。疫病流行し、彗星数出て、両日竝び現じ、薄蝕恒無く、黒白の二虹不祥の相を表し、星流れ地動き、井の内に声発し、暴風悪風時節に依らず、常に飢饉に遭って苗実成らず、多く他方の怨賊有って国内を侵掠し、人民諸の苦悩を受け土地所楽之処有ること無けん〕
[文]。[p0163]
大集経に云く_若有国王見我法滅捨不擁護於無量世修施戒慧悉皆滅失其国内出三種不祥事。乃至 命終生大地獄〔若し国王有って我が法の滅せんを見て捨てて擁護せずんば、無量世に於て施戒慧を修すとも、悉く皆滅失して、其の国に三種の不祥の事を出さん。乃至 命終して大地獄に生ぜん〕。[p0163]
仁王経に云く_大王 国土乱時先鬼神乱。鬼神乱故万民乱〔大王 国土乱れん時は先ず鬼神乱る。鬼神乱るるが故に万民乱る〕[文]。[p0163]
亦云く_大王 我五眼明見三世 一切国王皆由過去世侍五百仏得為帝王主。是為一切聖人羅漢而為来生彼国土中作大利益。若王福尽時一切聖人皆為捨去。若一切聖人去時七難必起〔大王、我今五眼をもて明らかに三世を見るに、一切の国王は皆過去の世に五百の仏に侍えしに由りて、帝王主と為ることを得たり。是れを為て一切の聖人・羅漢而も為に彼の国土の中に来生して大利益を作さん。若し王の福尽きん時は一切の聖人皆為捨て去らん。若し一切の聖人去らん時は七難必ず起こらん〕。[p0163-0164]
仁王経に云く_大王 吾今所化百億須彌百億日月 一一須彌有四天下。其南閻浮提有十六大国 五百中国 十千小国 其国土中有七可畏難。一切国王為是難故○云何為難 日月失度時節返逆 或赤日出 黒日出 二三四五日出。或日蝕無光 或日輪一重二三四五重輪現○為一難也。二十八宿失度 金星 彗星 輪星 鬼星 火星 水星 風星 ・星 南斗 北斗 五鎮大星 一切国主星 三公星 百官星 如是諸星各各変現○為二難也。大火焼国万姓焼尽 或鬼火 龍火 天火 山神火 人火 樹木火 賊火 如是変怪○為三難也。大水・没百姓時節返逆 冬雨 夏雪 冬時雷電霹靂 六月雨氷霜雹 雨赤水 黒水 青水 雨土山 石山 雨沙礫石 江河逆流 浮山流石。如是変時○為四難也。大風吹殺万姓 国土山河樹木一時滅没。非時大風 黒風 赤風 青風 天風 地風 火風 水風 如是変時○為五難也。天地国土亢陽炎火洞然百草亢旱五穀不登。土地赫燃万姓滅尽。如是変時○為六難也。四方賊来侵国 内外賊起 火賊 水賊 風賊 鬼賊 百姓荒乱刀兵劫起。如是怪時○為七難也[p0164]
〔大王、吾が今化する所の百億の須彌百億の日月、一一の須彌に四天下有り。其の南閻浮提に十六の大国・五百の中国・十千の小国有り、其の国土の中に七の畏るべき難有り。一切の国王是れを難と為すが故に。云何なるを難と為す。日月度を失い時節返逆し、或は赤日出て、黒日出て、二三四五の日出て、或は日蝕して光無く、或は日輪一重二三四五重輪現ずるを○一の難と為すなり。二十八宿度を失い、金星・彗星・輪星・鬼星・火星・水星・風星・・星{ちょうせい}・南斗・北斗五鎮の大星・一切の国主星・三公星・百官星、是の如き諸星、各各変現するを○二の難と為すなり。大火国を焼き万姓焼尽し、或は鬼火・龍火・天火・山神火・人火・樹木火・賊火あらん。是の如く変怪するを○三の難と為すなり。大水百姓を・没{ひょうもつ}し、時節返逆して冬雨ふり、夏雪ふり、冬の時に雷電霹靂し、六月に氷霜雹を雨し、赤水・黒水・青水を雨し、土山・石山を雨し、沙、礫、石を雨し、江河逆に流れ、山を浮べ石を流す。是の如く変ずる時を○四の難と為すなり。大風万姓を吹き殺し、国土山河樹木一時に滅没し、非時の大風・黒風・赤風・青風・天風・地風・火風・水風、是の如く変する時○五の難と為すなり。天地国土亢陽し、炎火洞燃して百草亢旱し、五穀登らず。土地赫燃して万姓滅尽せん。是の如く変する時を○六の難と為すなり。四方の賊来りて国を侵し、内外の賊起こり、火賊・水賊・風賊・鬼賊ありて、百姓荒乱し刀兵劫起こせん。是の如く怪する時を○七の難と為すなり〕。[p0164]
法華経に云く_令百由旬内。無諸衰患〔百由旬の内に諸の衰患なからしむべし。〕[p0164]
涅槃経に云く_是大涅槃微妙経典所流布処当知其地即是金剛。是中諸人亦如金剛〔若し善男子、是の大涅槃微妙の経典流布せらる処は、当に知るべし、其の地は即ち是れ金剛なりと。是の中の諸人も亦金剛の如し〕。[p0164-0165]
仁王経に云く_是経常放千光明令千里内七難不起〔是の経は常に千の光明を放ちて千里の内をして七難起らざらしむ〕。又云く_諸悪比丘多求名利於国王太子王子前自説破仏法因縁破国因縁。其王不別信聴此語横作法制不依仏戒。是為破仏破国因縁〔諸の悪比丘、多く名利を求め、国王・太子・王子の前に於て、自ら破仏法の因縁・破国の因縁を説かん。其の王別えずして此の語を信聴し、横に法制を作りて仏戒に依らず。是れを破仏・破国の因縁と為す〕。[p0165]
今、之を勘ふるに 法華経に云く_令百由旬内。無諸衰患〔百由旬の内に諸の衰患なからしむべし〕と。仁王経に云く_令千里内七難不起〔千里の内をして七難起らざらしむ〕と。涅槃経に云く_当知其地即是金剛。是中諸人亦如金剛〔当に知るべし、其の地は即ち是れ金剛なりと。是の中の諸人も亦金剛の如し〕[文]。[p0165]
疑て云く 今此の国土を見聞するに種種の災難起る。いわゆる建長八年八月より正元二年二月に至るまで、大地震・非時の大風・大飢饉・大疫病等種種の災難連連として今に絶えず。大体国土の人数尽くべきに似たり。之に依て種種の祈請を致す人、これ多しと雖も、其の験なきか。正直捨方便・多宝証明・諸仏出舌の法華経の文の令百由旬内。雙林最後の遺言の涅槃経の其地金剛の文。仁王経の令千里内七難不起の文。皆虚妄に似たり、如何。[p0165]
答て曰く 今愚案を以て之を勘ふるに 上に挙ぐる所の諸大乗経国土に在りて、而も祈請成ぜずして災難起るとは、少しく其の故有る歟。いわゆる金光明経に云く_○於其国土雖有此経未嘗流布。生捨離心不楽聴聞○我等四王○皆悉捨去○其国当有種種災禍。大集経に云く_若有国王見我法滅捨不擁護○其国出三種不祥事。仁王経に云く_不依仏戒。是為破仏破国因縁○若一切聖人去時七難必起[已上]。此れ等の文を以て之を勘ふるに法華経等の諸大乗経国中に在りと雖も、一切の四衆捨離の心を生じて聴聞し供養するの志を起さず。故に国中の守護の善神・一切の聖人此の国を捨て去り、守護の善神聖人等なきが故に出来する所の災難也。[p0165]
問て曰く 国中の諸人諸大乗経に於て捨離の心を生じて供養するの志を生ぜざる事は、何の故より之起るや。[p0165-0166]
答て曰く 仁王経に云く_諸悪比丘多求名利於国王太子王子前自説破仏法因縁破国因縁。其王不別信聴此語横作法制不依仏戒。是為破仏破国因縁〔諸の悪比丘、多く名利を求め、国王・太子・王子の前に於て、自ら破仏法の因縁・破国の因縁を説かん。其の王別えずして此の語を信聴し、横に法制を作りて仏戒に依らず。是れを破仏・破国の因縁と為す〕。法華経に云く_悪世中比丘 邪智心諂曲 未得謂為得 我慢心充満 ○是人懐悪心 ○向国王大臣 婆羅門居士 及余比丘衆 誹謗説我悪 謂是邪見人 説外道論議 ○悪鬼入其身〔悪世の中の比丘は 邪智にして心諂曲に 未だ得ざるを為れ得たりと謂い 我慢の心充満せん ○是の人悪心を懐き ○国王大臣 婆羅門居士 及び余の比丘衆に向って 誹謗して我が悪を説いて 是れ邪見の人 外道の論議を説くと謂わん ○悪鬼其の身に入って〕。此れ等の文を以て之を思ふに 諸の悪比丘国中に充満して破国破仏法の因縁を説く。国王竝びに国中の四衆弁えずして信聴を加ふる故に諸大乗経に於て捨離の心を生ずるなり。[p0166]
問て曰く 諸の悪比丘等国中に充満して破国破仏戒等の因縁を説くこと、仏弟子の中に出来すべきか。外道の中に出来すべきか。[p0166]
答て曰く 仁王経に云く_護三宝者転更滅破三宝 如師子身中虫自食師子。非外道〔三宝を住持し護る者、転た更に三宝を滅破せんこと師子の身中の虫の自ら師子を食うが如くならん。外道に非ざる〕[文]。此の文の如きんば、仏弟子の中に於て破国破仏法の者出来すべきか。[p0166]
問て曰く 諸の悪比丘、正法を壊るに相似の法を以て之を破らんか。当に亦悪法を以て之を破ると為さんか。[p0166]
答て曰く 小乗を以て権大乗を破し、権大乗を以て実大乗を破し、師弟共に謗法破国の因縁を知らず。故に破仏戒破国の因縁を成して三悪道に堕するなり。[p0166]
問て曰く 其の証拠、如何。[p0166]
答て曰く 法華経に云く_不知仏方便 随宜所説法 悪口而顰蹙 数数見擯出〔仏の方便 随宜所説の法を知らず 悪口して顰蹙し 数数擯出せられ〕。涅槃経に云く_我涅槃後当有百千無量衆生誹謗不信是大涅槃 ○三乗之人亦復如是憎悪無上大涅槃経〔我涅槃の後当に百千無量の衆生ありて誹謗して是の大涅槃を信ぜざる ○三乗の人も亦復是の如く無上の大涅槃経を憎悪せん〕[已上]。勝意比丘の喜根菩薩を謗じて三悪道に堕ち、尼思仏等の不軽菩薩を打ちて阿鼻の炎を招くも、皆大小権実を弁へざるより之起れり。十悪・五逆の者は愚者皆罪たるを知る。故に輙く破国破仏法の因縁を成ぜず。故に仁王経に云く_其王不別信聴此語〔其の王別えずして此の語を信聴し〕。涅槃経に云く_若犯四重作五逆罪 自知定犯如是重事 而心初無怖畏懺悔不肯発露〔若し四重を犯し五逆罪を作り、自ら定て是の如き重事を犯すと知れども、心に初より怖畏・懺悔無く肯て発露せず〕[已上]。此れ等の文の如きんば謗法の者は自他共に子細を知らず。故に破国破仏法の重罪を成ずるなり。[p0166-0167]
問て曰く 若し爾らば 此の国土に於て権教を以て人の意を取り、実教を失ふ者、之あるか、如何。[p0167]
答て曰く 爾なり。[p0167]
問て曰く 其の証拠、如何。[p0167]
答て曰く 法然上人所造等の選沢集是れ也。今其の文を出だして上の経文に合わせ其の失を露顕せしめん。若し対治を加へば国土を安穏ならしむべきか。[p0167]
選沢集に云く ̄道綽禅師立聖道浄土二門而捨聖道正帰浄土之文 ○初聖道門者就之有二。一者大乗二者小乗。就大乗中雖有顕密権実等不同 今此集意唯存顕大及以権大。故当歴劫迂回之行。準之思之応存密大及以実大。然則今真言仏心天台華厳三論法相地論摂論此等八家之意正在此也 ○曇鸞法師往生論注云 謹案竜樹菩薩十住毘婆沙云 菩薩求阿毘跋致有二種道。一者難行道二者易行道○此中難行道者即是聖道門也易行道者即是浄土門也 ○浄土宗学者先須知此旨。設雖先学聖道門人若於浄土門有其志者須棄聖道帰於浄土〔道綽禅師、聖道・浄土の二門を立て、聖道を捨てて正しく浄土に帰する之文○初に聖道門とは、之に就て二有り。一には大乗、二には小乗なり。大乗の中に就いて顕密・権実等の不同有りと雖も、今此の集の意は唯顕大及以び権大を存す。故に歴劫迂回之行に当たる。之に準じて之を思うに、応に密大及以び実大をも存すべし。しかれば則ち、今、真言・仏心・天台・華厳・三論・法相・地論・摂論、これら八家の意、正しくこれにあり。○曇鸞法師の往生論の注に云く 謹んで竜樹菩薩の十住毘婆沙を案ずるに云く 菩薩阿毘跋致を求むるに、二種の道あり。一は難行道、二は易行道。 ○この中の難行道は即ちこれ聖道門なり。易行道は即ちこれ浄土門なり。○浄土宗の学者、先づすべからくこの旨を知るべし。たとひ先より聖道門を学する人といふとも、もし浄土門において、その志あらば、すべからく聖道を棄てて浄土に帰すべし〕[文]。[p0167]
又云く ̄
善導和尚立正雑二行捨雑行帰正行之文。~ 第一読誦雑行者除上観経等往生浄土経已外於大小乗顕密諸経受持読誦悉名読誦雑行。 ○第三礼拝雑行者除上礼拝弥陀已外於一切諸余仏菩薩等及諸世天等礼拝恭敬 悉名礼拝雑行 ○私云 見此文彌須捨雑修専。豈捨百即百生専修正行堅執千中無一雑修雑行乎。行者能思量之〔善導和尚、正雑二行を立てて、雑行を捨てて正行に帰するの文。~ 第一に読誦雑行といふは、上の観経等の往生浄土の経を除いての已外、大小乗の顕密の諸経において受持し読誦するを、ことごとく読誦雑行と名づく。○第三に礼拝雑行といふは、上の弥陀を礼拝するを除いての已外、一切の諸余の仏・菩薩等およびもろもろの世天等において礼拝恭敬するを、ことごとく礼拝雑行と名づく。○私に云く この文を見るに、いよいよすべからく雑を捨てて専を修すべし。あに百即百生の専修正行を捨てて、堅く千中無一の雑修雑行を執せむや。行者よくこれを思量せよ〕[p0167-0168]
又云く ̄貞元入蔵録中始自大般若経六百巻終于法常住経 顕密大乗経惣六百三十七部二千八百八十三巻也。皆須摂読誦大乗之一句。○当知。随他之前暫雖開定散門随自之後還閉定散門。一開以後永不閉者唯是念仏一門〔貞元の入蔵の録の中に大般若経六百巻より始めて、法常住経に終るまで、顕密の大乗経、惣べて六百三十七部、二千八百八十三巻なり。皆すべからく読誦大乗の一句に摂すべし。 ○まさに知るべし。随他の前には、暫く定散の門を開くといへども、随自の後には、還つて定散の門を閉づ。一たび開いて以後、永く閉ぢざるは、ただこれ念仏の一門なり〕[文]。[p0168]
又最後結句の結文に云く ̄夫速欲離生死二種勝法中且閣聖道門選入浄土門。欲入浄土門正雑二行中且抛諸雑行選応帰正行〔それ速やかに生死を離れむと欲はば、二種の勝法の中に、しばらく聖道門を閣いて、浄土門に選入すべし。浄土門に入らむと欲はば、正雑二行の中に、しばらくもろもろの雑行を抛てて、選じてまさに正行に帰すべし〕。已上選沢集の文なり。[p0168]
今之を勘ふるに 日本国中の上下万民深く法然上人を信じて此の書を・ぶ。故に無智の道俗此の書の中の捨閉閣抛等の字を見て、浄土の三部経・阿弥陀仏より外は、諸経・諸仏・菩薩・諸天・善神等に於て捨閉閣抛等の思ひを作し、彼の仏経等に於て供養受持等の志を起さず、還りて捨離の心を生ず。故に古の諸大師等、建立せし所の鎮護国家の道場零落せしむと雖も護惜建立の心無し。護惜建立の心無きが故に亦読誦供養の音絶え、守護の善神も法味を嘗めず。故に国を捨てて去り、四依の聖人も来らざるなり。偏に金光明・仁王等の一切聖人去時七難必起〔一切の聖人去らん時は七難必ず起こらん〕。我等四王 ~ 皆悉捨去。既捨離已其国当有種種災禍喪失国位。〔我等四王 ~ 我等四王皆悉く捨去せん。既に捨離し已りなば其の国当に種種の災禍有って国位を喪失すべし〕の文に当れり。豈に諸悪比丘多求名利〔諸の悪比丘、多く名利を求め〕 ~ 悪世中比丘 邪智心諂曲〔悪世の中の比丘は 邪智にして心諂曲に〕の人に非ず乎。[p0168]
疑て云く 国土に於て選沢集を流布せしむるに依て災難起ると云はば此の書なき已前は国中に於て災難なかりしや。[p0168]
答て曰く 彼の時も亦災難あり。云く 五常を破り仏法を失ひし者、之ありしが故なり。いわゆる周の宇文元嵩等是れ也。[p0168]
難じて曰く 今の世の災難は五常を破りしが故に之起るといはば、何ぞ必ずしも選沢集流布の失に依らんや。[p0168-0169]
答て曰く 仁王経に云く_大王未来世中諸小国王四部弟子 ○諸悪比丘 ○横作法制不依仏戒 ○亦復不聴造作仏像形仏塔形 ○七難必起〔大王、未来世の中の諸の小国の王・四部の弟子 ○諸の悪比丘 ○横まに法制を作りて仏戒に依らず ○亦復仏像の形・仏塔の形を造作することを聴さず ○七難必ず起こらん〕。涅槃経に云く_憎悪無上大涅槃経〔無上の大涅槃経を憎悪せん〕等云云。豈に弥陀より外の諸仏諸経等を供養し礼拝し讃歎するを悉く雑行と名づくるに当らざらんや。[p0169]
難じて云く 仏法已前の国に於て災難あるは何ぞ謗法の者の故ならんや。[p0169]
答て曰く 仏法已前に五常を以て国を治むるは遠く仏誓を以て国を治むるなり。礼儀を破るは仏の出だしたまへる五戒を破るなり。[p0169]
問て曰く 其の証拠、如何。[p0169]
答て曰く 金光明経に云く_一切世間所有善論皆因此経〔一切世間の所有善論皆此経に因る〕と。法華経に云く_若説俗間経書。治世語言。資生業等。皆順正法〔若し俗間の経書・治世の語言・資生の業等を説かんも、皆正法に順ぜん〕。普賢経に云く_正法治国。不邪枉人民。是名修第三懺悔〔正法をもって国を治め人民を邪枉せざる、是れを第三の懺悔を修すと名く〕。涅槃経に云く_一切世間外道経書皆是仏説非外道説〔一切世間の外道の経書は、皆是れ仏説にして外道の説に非ず〕。止観に云く ̄若深識世法即是仏法〔若し深く世法を識れば、即ち是れ仏法なり〕。弘決に云く ̄礼楽前駆真道後啓〔礼楽前きに駆せて真道後に啓く〕。広釈に云く ̄仏遣三人且化真旦〔仏三人を遣はして、且く真旦を化す〕。五常を以て五戒之方を開く。昔者大宰問孔子云 三皇五帝是聖人歟。孔子答云 非聖人。又問 夫子是聖人歟。亦答 非也。又問 若爾誰是聖人。答云 吾聞。西方有聖。号釈迦〔昔、大宰、孔子に問て云く 三皇五帝は是れ聖人なるか。孔子答て云く 聖人に非ず。又問ふ 夫れ子是れ聖人なるか。亦答ふ 非なり。又問ふ 若し爾らば誰か是れ聖人なる。答て云く 吾聞く。西方に聖あり。釈迦と号す〕[文]。[p0169]
此れ等の文を以て之を勘ふるに、仏法已前の三皇五帝は五常を以て国を治む。夏の桀・殷の紂・周の幽等の礼儀を破りて国を喪ぼすは遠く仏誓の持破に当れり。[p0169]
疑て云く 若し爾らば法華・真言等の諸大乗経を信ずる者、何ぞ此の難に値へるや。[p0169]
答て曰く 金光明経に云く_抂及無辜〔抂げて辜無きに及ばん〕。法華経に云く_横羅其殃〔横まに其の殃に羅らん〕等云云。此れ等の文を以て之を推するに、法華・真言等を行ずる者もいまだ位深からず。信心薄く、口に誦すれども其の義を知らず。一向に名利の為に之を誦す。先生の謗法の失いまだ尽きず。外に法華等を行じて内に選沢の心を存す。此の災難の根源等を知らざる者は、此の災難免れ難きか。[p0169-0170]
疑て云く 若し爾らば何ぞ選沢集を信ずる謗法者の中に此の難に値はざる者、之あるや。[p0170]
答て曰く 業力不定なり。順現業は法華経に云く_此人現世。得白癩病。乃至 諸悪重病〔此の人は現世に白癩の病を得ん。乃至 諸の悪重病あるべし〕。仁王経に云く_人壊仏教 無復孝子 六親不和 天神不祐。疾疫悪鬼 日来侵害 災怪首尾 連禍〔人仏教を壊りて復孝子無く、六親不和にして、天神も祐けず。疾疫悪鬼日に来りて侵害し、災怪首尾し、連禍〕。涅槃経に云く_若有不信是経典者○若臨終時荒乱 刀兵競起 帝王 暴虐・怨家讎隙之所侵逼〔若し是の経典を信ぜざる者あらば ○若は臨終の時荒乱し、刀兵競ひ起り、帝王の暴虐・怨家の讎隙に之を侵逼せられん。〕〔已上〕。[p0170]
順次生は法華経に云く_若人不信 毀謗此経 ○其人命終 入阿鼻獄〔若し人信ぜずして 此の経を毀謗せば ○其の人命終して 阿鼻獄に入らん〕。仁王経に云く_人壊仏教 ○死入地獄 餓鬼畜生〔人、仏教を壊らば ○死して地獄・餓鬼・畜生に入らん。〕[已上]。順後業等は、之を略す。[p0170]
問て曰く 如何にして速やかに此の災難を留むべきや。[p0170]
答て曰く 還りて謗法の者を治すべし。若し爾らずんば、無尽の祈請ありと雖も災難を留むべからず。[p0170]
問て曰く いかが対治すべき。[p0170]
答て曰く 治方亦経に之あり。涅槃経に云く_仏言 唯除一人余一切施 ○誹謗正法 造是重業 ○唯除如此一闡提輩 施其余者一切讚歎〔仏の言く 唯一人を除きて余の一切に施さば ○正法を誹謗し、是の重業を造りて ○唯此の如き一闡提の輩を除きて其の余に施さば一切讃歎すべし〕[已上]。此の文の如きんば、施を留めて対治すべしと見えたり。此の外にも、亦治方是れ多し。具さに出だすに段あらず。[p0170]
問て曰く 謗法者に於ては供養を留め、苦治を加ふ。罪ありやいなや。[p0170]
答て曰く 涅槃経に云く_今以無上正法付属諸王・大臣・宰相・比丘・比丘尼 ○毀正法者大臣四部之衆応当苦治 ○尚無有罪〔今無上の正法を以て諸王・大臣・宰相及び四部の衆に付属す。正法を毀る者をば大臣・四部之衆、応当に苦治すべし ○尚お罪あることなし〕[已上]。[p0170]
問て曰く 汝、僧形を以て比丘の失を顕すは罪業に非ずや。[p0170]
答て曰く 涅槃経に云く_若善比丘 見壊法者 置不呵責 駈遣挙処 当知是人 仏法中怨。若能駈遣 呵責挙処 是我弟子 真声聞也〔若し善比丘ありて法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば、当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり。若し能く駈遣し呵責し挙処せば、是れ我が弟子、真の声聞なり〕[已上]。[p0170-0171]
予、此の文を見るが故に仏法中怨の責めを免れんが為に見聞を憚らずして、法然上人竝びに所化の衆等を阿鼻大城に堕つべき由を称す。此の道理を聞き解く道俗の中に少少は回心の者あり。若し一度高覧を経ん人は上に挙ぐる所の如く之を行ぜざれば大集経の文の_若有国王見我法滅捨不擁護於無量世修施戒慧悉皆滅失其国内出三種不祥事。乃至 命終生大地獄〔若し国王有って我が法の滅せんを見て捨てて擁護せずんば、無量世に於て施戒慧を修すとも、悉く皆滅失して、其の国に三種の不祥の事を出さん。乃至 命終して大地獄に生ぜん〕との記文を免れ難きか。[p0171]
仁王経に云く_若王福尽時○七難必起〔若し王の福尽きん時は○七難必ず起こらん〕と。此の文に云く_於無量世修施戒慧悉皆滅失〔無量世に於て施戒慧を修すとも、悉く皆滅失して〕等云云。此の文を見るに、且く万事を閣いて、先づ此の災難の起る由を勘ふべきか。若し爾らざれば弥いよ亦重ねて災難之起らんか。愚勘是の如し。取捨、人の意に任す。[p0171]
#0024-0K0 立正安国論 文応元年(1260) [p0209]
(天台沙門日蓮勘之)
旅客来りて嘆いて曰く 近年より近日に至るまで天変・地夭・飢饉・疫癘、遍く天下に満ち広く地上に迸る。牛馬巷に斃れ骸骨路に充てり。死を招く之輩既に大半に超え、之を悲しまざるの族、敢えて一人も無し。然る間、或は利剣即是之文を専らにして西土教主之名を唱え、或は衆病悉除之願を恃みて東方如来之経を誦し、或は病即消滅不老不死之詞を仰ぎて法華真実之妙文を崇め、或は七難即滅七福即生之句を信じて百座百講之儀を調え、有は秘密真言之教に因って五瓶之水を灑ぎ、有は坐禅入定之儀を全うして、空観之月を澄まし、若しくは七鬼神之号を書して千門に押し、若しくは五大力之形を図して万戸に懸け、若しくは天神地祇を拝して四角四堺之祭祀を企て、若しくは万民百姓を哀れみて国主国宰之徳政を行う。然りと雖も唯肝膽を摧くのみにして弥いよ飢疫に逼り乞客目に溢れ死人眼に満てり。屍を臥して観と為し尸を竝べて橋と作す。観れば夫れ二離璧を合わせ、五緯珠を連ぬ。三宝世に在し百王未だ窮まらざるに、此の世早く衰へ、其の法何ぞ廃れたるや。是れ何なる禍に依り、是れ何なる誤りに由る矣。[p0209]
主人曰く 独り此の事を愁へて胸臆に憤・{ふんぴ}す。客来りて共に歎く、屡談話を致さん。夫れ出家して道に入るは法に依て仏を期する也。而るに今神術も協わず、仏威も験し無し。具さに当世之体を覿るに、愚にして後生之疑を発す。然れば則ち、円覆を仰ぎて恨を呑み、方載に俯して慮を深くす。倩微管を傾け、聊か経文を披きたるに、世皆正に背き人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てて相去り、聖人所を辞して還らず。是れを以て魔来り鬼来り災起り難起る。言はずんばあるべからず。恐れずんばあるべからず。[p0209-0210]
客の曰く 天下之災・国中之難、余独り歎くに非ず衆皆悲めり。今蘭室に入て初めて芳詞を承るに、神聖去り辞し災難竝び起るとは何の経に出でたる哉。其の証拠を聞かん矣。[p0210]
主人の曰く 其の文繁多にして、其の証弘博なり。[p0210]
金光明経に云く_於其国土雖有此経未嘗流布。生捨離心不楽聴聞。亦不供養尊重讃歎。見四部衆持経之人亦復不能尊重乃至供養。遂令我等及余眷属無量諸天不得聞此甚深妙法 背甘露味失正法流 無有威光及以勢力。増長悪趣損減人天墜生死河乖涅槃路。世尊 我等四王竝諸眷属及薬叉等見如斯事 捨其国土無擁護心。非但我等捨棄是王。必有無量守護国土諸大善神皆悉捨去。既捨離已其国当有種種災禍喪失国位。一切人衆皆無善心 唯有繋縛殺害瞋諍 互相讒諂抂及無辜。疫病流行 彗星数出 両日竝現 薄蝕無恒 黒白二虹表不祥相 星流地動 井内発声 暴雨悪風不依時節 常遭飢饉苗実不成 多有他方怨賊侵掠国内 人民受諸苦悩土地無有所楽之処〔其の国土に於て此の経有りと雖も未だ嘗て流布せず。捨離の心を生じて聴聞せんことを楽はず。亦供養し尊重し讃歎せず。四部の衆、持経之人を見て亦復尊重し、乃至供養すること能わず。遂に我等及び余の眷属無量の諸天をして此の甚深の妙法を聞くことを得ずして、甘露の味に背き正法の流れを失ひ、威光及以勢力有ること無からしむ。悪趣を増長し人天を損減し生死の河に墜ちて涅槃の路に乖かん。世尊、我等四王竝びに諸の眷属及び薬叉等斯の如き事を見て、其の国土を捨てて擁護の心無けん。但我等のみ是の王を捨棄するに非ず。必ず無量の国土を守護する諸大善神有らんも皆悉く捨去せん。既に捨離し已りなば其の国当に種種の災禍有って国位を喪失すべし。一切の人衆皆善心無く、唯繋縛殺害瞋諍のみ有り、互いに相讒諂し、抂げて辜無きに及ばん。疫病流行し、彗星数出でて、両日竝び現じ、薄蝕恒無く、黒白の二虹不祥の相を表し、星流れ地動き、井の内に声発し、暴雨悪風時節に依らず、常に飢饉に遭って苗実成らず、多く他方の怨賊有って国内を侵掠し、人民諸の苦悩を受け土地所楽之処有ること無けん〕[已上]。[p0210]
大集経に云く 仏法実隠没髭髪爪皆長 諸法亦忘失。当時虚空中大声震於地 一切皆遍動猶如水上輪。城壁破落下 屋宇悉・拆 樹林根枝葉華葉菓薬尽。唯除浄居天欲界一切処七味三精気損減無有余 解脱諸善論当時一切尽。所生華菓味希少亦不美 諸有井泉池一切尽枯涸 土地悉鹹鹵 敵裂成丘澗 諸山皆・燃天龍不降雨 苗稼皆枯死生者皆死尽余草更不生。雨土皆昏闇日月不現明。四方皆亢旱 数現諸悪瑞十不善業道貪瞋癡倍増 衆生於父母観之如・鹿。衆生及寿命色力威楽滅 遠離人天楽 皆悉堕悪道。如是不善業悪王悪比丘毀壊我正法 損減天人道 諸天善神王悲愍衆生者棄此濁悪国皆悉向余方〔仏法実に隠没せば髭髪爪皆長く、諸法も亦忘失せん。当時虚空中に大なる声ありて地に震い、一切皆遍く動ぜんこと猶お水上輪の如くならん。城壁破れ落ち下り、屋宇悉く・{やぶ}れ拆け、樹林の根、枝、葉、華葉、菓、薬尽きん。唯浄居天を除きて欲界一切処の七味三精気損減じて余有ること無く、解脱の諸の善論当時一切尽きん。生ずる所の華菓の味希少にして亦美からず、諸有の井泉池一切尽く枯涸し、土地悉く鹹鹵し、敵裂して丘澗と成り、諸山皆・燃{しょうねん}して天龍雨を降らさず、苗稼皆枯死し、生者皆死尽くして余艸更に生ぜず。土を雨し、皆昏闇にして日月明を現ぜず。四方皆亢旱し、数諸の悪瑞を現じ、十不善業道、貪瞋癡倍増し、衆生の父母に於ける之を観ること・鹿{しょうろく}の如くならん。衆生及寿命色力威楽滅し、人天の楽を遠離し、皆悉く悪道に堕せん。是の如き不善業の悪王悪比丘我正法を毀壊し、天人の道を損減し、諸天善神王衆生を悲愍する者此の濁悪の国を棄てて皆悉く余方に向かはん〕[已上]。[p0210-0211]
仁王経に云く_国土乱時先鬼神乱。鬼神乱故万民乱。賊来劫国 百姓亡喪 臣君太子王子百官共生是非。天地怪異 二十八宿星道日月失時失度 多有賊起〔国土乱れん時は先づ鬼神乱る。鬼神乱るるが故に万民乱る。賊来りて国を劫し、百姓亡喪し、臣君、太子、王子、百官共に是非を生ぜん。天地怪異し、二十八宿、星道、日月時を失ひ度を失ひ、多く賊の起ること有らん〕と。[p0211]
亦云く_我今五眼明見三世 一切国王皆由過去世侍五百仏得為帝王主。是為一切聖人羅漢而為来生彼国土中作大利益。若王福尽時一切聖人皆為捨去。若一切聖人去時七難必起〔我今五眼をもて明らかに三世を見るに、一切の国王は皆過去の世に五百の仏に侍えしに由りて、帝王主と為ることを得たり。是れを為て一切の聖人・羅漢而も為に彼の国土の中に来生して大利益を作さん。若し王の福尽きん時は一切の聖人皆為捨て去らん。若し一切の聖人去らん時は七難必ず起こらん〕[已上]。[p0211]
薬師経に云く_若刹帝利潅頂王等災難起時 所謂人衆疾疫難 他国侵逼難 自界叛逆難 星宿変怪難 日月薄蝕難 非時風雨難 過時不雨難〔若し刹帝利・潅頂王等の災難起こらん時、所謂、人衆疾疫の難・他国侵逼の難・自界叛逆の難・星宿変怪の難・日月薄蝕の難・非時風雨の難・過時不雨の難あらん〕[已上]。[p0211]
仁王経に云く_大王 吾今所化百億須弥百億日月 一一須弥有四天下。其南閻浮提有十六大国 五百中国 十千小国 其国土中有七可畏難。一切国王為是難故。云何為難 日月失度時節返逆 或赤日出 黒日出 二三四五日出 或日蝕無光 或日輪一重二三四五重輪現為一難也。二十八宿失度 金星 彗星 輪星 鬼星 火星 水星 風星 ・星 南斗 北斗五鎮大星 一切国主星 三公星 百官星 如是諸星各各変現為二難也。大火焼国万姓焼尽 或鬼火 龍火 天火 山神火 人火 樹木火 賊火。如是変怪為三難也。大水・没百姓 時節返逆冬雨 夏雪 冬時雷電霹・ 六月雨氷霜雹 雨赤水 黒水 青水 雨土山 石山 雨沙礫石 江河逆流 浮山流石。如是変時為四難也。大風吹殺万姓 国土山河樹木一時滅没 非時大風 黒風 赤風 青風 天風 地風 火風 水風 如是変為五難也。天地国土亢陽炎火洞然百草亢旱五穀不登。土地赫燃万姓滅尽。如是変時為六難也。四方賊来侵国 内外賊起 火賊 水賊 風賊 鬼賊 百姓荒乱刀兵劫起。如是怪時為七難也[p0211-0212]
〔大王、吾が今化する所の百億の須弥百億の日月、一一の須弥に四天下有り。其の南閻浮提に十六の大国・五百の中国・十千の小国有り、其の国土の中に七の畏るべき難有り。一切の国王是れを難と為すが故に。云何なるを難と為す。日月度を失ひ時節返逆し、或は赤日出でて、黒日出でて、二三四五の日出でて、或は日蝕して光無く、或は日輪一重二三四五重輪現ずるを一の難と為すなり。二十八宿度を失ひ、金星・彗星・輪星・鬼星・火星・水星・風星・・星{ちょうせい}・南斗・北斗五鎮の大星・一切の国主星・三公星・百官星、是の如き諸星、各各変現するを二の難と為すなり。大火国を焼き万姓焼尽し、或は鬼火・龍火・天火・山神火・人火・樹木火・賊火あらん。是の如く変怪するを三の難と為すなり。大水百姓を・没{ひょうもつ}し、時節返逆して冬雨ふり、夏雪ふり、冬の時に雷電霹・し、六月に氷霜雹を雨し、赤水・黒水・青水を雨し、土山・石山を雨し、沙、礫、石を雨し、江河逆に流れ、山を浮べ石を流す。是の如く変ずる時を四の難と為すなり。大風万姓を吹き殺し、国土山河樹木一時に滅没し、非時の大風・黒風・赤風・青風・天風・地風・火風・水風、是の如く変するを五の難と為すなり。天地国土亢陽し、炎火洞燃して百草亢旱し、五穀登らず。土地赫燃して万姓滅尽せん。是の如く変する時を六の難と為すなり。四方の賊来りて国を侵し、内外の賊起り、火賊・水賊・風賊・鬼賊ありて、百姓荒乱し刀兵劫起こせん。是の如く怪する時を七の難と為すなり〕。[p0211-0212]
大集経に云く_若有国王於無量世修施戒慧 見我法滅捨不擁護 如是所種無量善根悉皆滅失 其国当有三不祥事。一者穀貴 二者兵革三者疫病。一切善神悉捨離之 其王教令人不随従、常為隣国之所侵・。暴火横起 多悪風雨 暴水増長吹・人民、内外親戚其共謀叛。其王不久当遇重病寿終之後生大地獄中 乃至 如王夫人 太子 大臣 城主 柱師 郡守 宰官亦復如是〔若し国王有り無量世に於て施戒慧を修すとも、我法の滅せんを見て捨てて擁護せずんば、是の如く種うる所の無量の善根悉く皆滅失して、其の国当に三の不祥事有るべし。一には穀貴・二には兵革・三には疫病なり。一切の善神悉く之を捨離せば、其の王教令すとも人随従せず、常に隣国の為に之侵・{しんにょう}せられん。暴火横に起り、悪風雨多く、暴水増長して人民を吹・{すいひょう}し、内外の親戚其れ共に謀叛せん。其の王久しからずして当に重病に遇い寿終之後、大地獄の中に生ずべし。乃至、王の如く夫人・太子・大臣・城主・柱師・郡守・宰官も亦復是の如くならん〕[已上]。[p0212-0213]
夫れ四経の文朗かなり。万民誰か疑はん。而るに盲瞽之輩迷惑之人、妄りに邪説を信じて正教を弁へず。故に天下世上、諸仏衆経に於て捨離之心を生じて擁護之志無し。仍て善神聖人国を捨て所を去る。是れを以て悪鬼外道災を成し難を致すなり矣。[p0213]
客色を作して曰く 後漢の明帝は金人之夢を悟りて白馬之教を得、上宮太子は守屋之逆を誅して寺塔之構を成す。爾来、上一人より下万民に至るまで、仏像を崇め経巻を専らにす。然れば則ち叡山・南都・園城・東寺・四海・一州・五畿・七道、仏経星のごとく羅り堂宇雲のごとく布けり。・子{しゅうし}之族は則ち鷲頭之月を観じ、鶴勒之流れは亦鶏足之風を伝ふ。誰か一代之教を褊し三宝之跡を廃すと謂はん哉。若し其の証有らば委しく其の故を聞かん矣。[p0213]
主人諭して曰く 仏閣甍を連ね、経蔵軒を竝べ、僧は竹葦の如く、侶は稲麻に似たり。崇重年旧り尊貴日に新たなり。但し法師は諂曲にして人倫に迷惑し、王臣は不覚にして邪正を弁ずること無し。[p0213]
仁王経に云く_諸悪比丘多求名利於国王太子王子前自説破仏法因縁破国因縁。其王不別信聴此語横作法制不依仏戒。是為破仏破国因縁〔諸の悪比丘、多く名利を求め、国王・太子・王子の前に於て、自ら破仏法の因縁・破国の因縁を説かん。其の王別えずして此の語を信聴し、横に法制を作りて仏戒に依らず。是れを破仏・破国の因縁と為す〕[已上]。[p0213]
涅槃経に云く_菩薩 於悪象等心無恐怖。於悪知識生怖畏心。~為悪象殺不至三趣。為悪友殺必至三趣〔菩薩、悪象等に於ては心に恐怖すること無かれ。悪知識に於ては怖畏の心を生ぜよ。~悪象の為に殺されては三趣に至らず。悪友の為に殺されては必ず三趣に至る〕[已上]。[p0213]
法華経に云く_悪世中比丘 邪智心諂曲 未得謂為得 我慢心充満 或有阿練若 納衣在空閑 自謂行真道 軽賎人間者 貪著利養故 与白衣説法 為世所恭敬 如六通羅漢 乃至 常在大衆中 欲毀我等故 向国王大臣 婆羅門居士 及余比丘衆 誹謗説我悪 謂是邪見人 ~ 濁劫悪世中 多有諸恐怖 悪鬼入其身 罵詈毀辱我 ~濁世悪比丘 不知仏方便 随宜所説法 悪口而・蹙 数数見擯出〔悪世の中の比丘は 邪智にして心諂曲に 未だ得ざるを為れ得たりと謂ひ 我慢の心充満せん 或は阿練若に 納衣にして空閑に在って 自ら真の道を行ずと謂うて 人間を軽賎する者あらん 利養に貪著するが故に 白衣のために法を説いて 世に恭敬せらるること 六通の羅漢の如くならん 乃至 常に大衆の中に在って 我等を毀らんと欲するが故に 国王大臣 婆羅門居士 及び余の比丘衆に向って 誹謗して我が悪を説いて 是れ邪見の人 ~ 濁劫悪世の中には 多くの諸の恐怖あらん 悪鬼其の身に入って 我を罵詈毀辱せん ~濁世の悪比丘は 仏の方便 随宜所説の法を知らず 悪口して・蹙し 数数擯出せられ〕[已上]。[p0214]
涅槃経に云く_我涅槃後無量百歳四道聖人悉復涅槃。正法滅後於像法中当有比丘。似像持律少読誦経 貪嗜飲食長養其身 雖著袈裟猶如猟師細視徐行如猫伺鼠。常唱是言我得羅漢。外現賢善内懐貪嫉。如受唖法婆羅門等。実非沙門現沙門像 邪見熾盛誹謗正法〔我涅槃の後、無量百歳に四道の聖人悉く復涅槃せん。正法滅して後、像法の中に於て当に比丘有るべし。像を持律に似せて少かに経を読誦し、飲食を貧嗜して其の身を長養し、袈裟を著すと雖も、猶お猟師の細めに視て徐に行くが如く猫の鼠を伺うが如し。常に是の言を唱えん、我羅漢を得たりと。外には賢善を現じ、内には貧嫉を懐く。唖法を受くる婆羅門等の如し。実には沙門に非ずして沙門の像を現じ、邪見熾盛にして正法を誹謗せん〕[已上]。[p0214]
文に就いて世を見るに、誠に以て然なり。悪侶を誡めざれば、豈に善事を成さん哉。[p0214]
客猶お憤りて曰く 明王は天地に因って化を成し、聖人は理非を察して世を治む。世上之僧侶は天下之帰する所也。悪侶に於ては明王信ずべからず。聖人に非ずんば賢哲仰ぐべからず。今賢聖之尊重せるを以て、則ち龍象之軽からざるを知る。何ぞ妄言を吐きて強ちに誹謗を成さん。誰人を以て悪比丘と謂う哉。委細聞かんと欲す矣。[p0214]
主人の曰く 後鳥羽院の御宇に法然といふもの有り。選択集を作る矣。則ち一代之聖教を破し遍く十方之衆生を迷はす。[p0214]
其の選択に云く ̄道綽禅師立聖道浄土二門而捨聖道正帰浄土之文。初聖道門者就之有二 乃至 準之思之応存密大及以実大。然則今真言 仏心 天台 華厳 三論 法相 地論 摂論 此等八家之意正在此也。曇鸞法師往生論註云 謹案龍樹菩薩十住・婆沙論云 菩薩求阿・跋致有二種道。一者難行道二者易行道。此中難行道者即是聖道門也。易行道者即是浄土門也。浄土宗学者先須知此旨。設雖先学聖道門人若於浄土門有其志者須棄聖道帰於浄土。〔道綽禅師、聖道・浄土の二門を立て、聖道を捨てて正しく浄土に帰する之文。初に聖道門とは、之に就て二有り。乃至 之に准じて之を思ふに、応に密大及以び実大をも存すべし。然れば則ち今の真言・仏心・天台・華厳・三論・法相・地論・摂論・此れ等八家之意、正しく此に在る也。曇鸞法師の往生論註に云く 謹んで龍樹菩薩の十住毘婆沙論を案ずるに云く 菩薩阿毘跋致を求むるに二種の道有り。一には難行道・二には易行道なり。此の中に難行道とは即ち是れ聖道門也。易行道とは即ち是れ浄土門也。浄土宗の学者先づ須らく此の旨を知るべし。設ひ先より聖道門を学ぶ人なりと雖も若し浄土門に於て其の志有らん者は須らく聖道を棄てて浄土に帰すべし〕。[p0215]
又云く ̄善導和尚立正雑二行捨雑行帰正行之文。第一読誦雑行者除上観経等往生浄土経已外 於大小乗顕密諸経受持読誦悉名読誦雑行。第三礼拝雑行者除上礼拝弥陀已外於一切諸仏菩薩等及諸世天等礼拝恭敬 悉名礼拝雑行。私云 見此文須捨雑修専。豈捨百即百生専修正行堅執千中無一雑修雑行乎。行者能思量之。〔善導和尚、正・雑二行を立て雑行を捨てて正行に帰する之文。第一に読誦雑行とは上の観経等の往生浄土の経を除きて已外、大小乗顕密の諸経に於て、受持読誦するを悉く読誦雑行と名づく。第三に礼拝雑行とは上の弥陀を礼拝するを除きて已外、一切の諸仏菩薩等及び諸の世天等に於て礼拝恭敬するを悉く礼拝雑行と名づく。私に云く 此の文を見るに須らく雑を捨てて専を修すべし。豈に百即百生の専修正行を捨てて、堅く千中無一の雑修雑行に執せん乎。行者能く之を思量せよ〕と。[p0215]
又云く ̄貞元入蔵録中始自大般若経六百巻終于法常住経 顕密大乗経惣六百三十七部二千八百八十三巻也。皆須摂読誦大乗之一句。当知随他之前暫雖開定散門 随自之後還閉定散門。一開以後永不閉者唯是念仏一門〔貞元入蔵録の中に始め大般若経六百巻より法常住経に終わるまで顕密の大乗経総じて六百三十七部・二千八百八十三巻也。皆須らく読誦大乗之一句に摂すべし。当に知るべし、随他之前には暫く定散の門を開くと雖も、随自之後には還て定散の門を閉ず。一たび開いて以後永く閉じざるは、唯是れ念仏の一門なり〕と。[p0215]
又云く ̄念仏行者必可具足三心之文。観無量寿経云 ~ 同経疏云 ~ 問曰 若有解行不同邪雑人等 ~ 防外邪異見難之。或行一分二分群賊等喚廻者 即喩別解別行悪見人等。私云 又此中言一切別解別行異学異見等者是指聖道門〔念仏の行者必ず三心を具足すべき之文。観無量寿経に云く ~ 同経の疏に云く ~ 問うて曰く 若し解行の不同、邪雑の人等有って ~ 外邪異見之難を防がん。或は行くこと一分二分にして群賊等喚び廻すとは、即ち別解・別行・悪見の人等に喩う。私に云く 又此の中に一切の別解・別行・異学・異見等と言うは、是れ聖道門を指すなり〕[已上]。[p0215-0216]
又最後結句の文に云く ̄夫速欲離生死 二種勝法中且閣聖道門選入浄土門。欲入浄土門 正雑二行中且抛諸雑行選応帰正行〔夫れ速やかに生死を離れんと欲せば、二種の勝法の中に且く聖道門を閣きて選んで浄土門に入れ。浄土門に入らんと欲せば、正・雑二行の中に且く諸の雑行を抛ちて選んで応に正行に帰すべし〕[已上]。[p0216]
之に就いて之を見るに、曇鸞・道綽・善導之謬釈を引いて聖道浄土・難行易行之旨を建て、法華・真言、總じて一代之大乗六百三十七部・二千八百八十三巻、一切の諸仏菩薩及び諸に世天等を以て皆聖道・難行・雑行等に摂して、或は捨て、或は閉じ、或は閣き、或は抛つ。此の四字を以て多く一切を迷はし、剰へ三国之聖僧、十方之仏弟を以て、皆群賊と号し併せて罵詈せしむ。近くは所依の浄土三部経の唯除五逆誹謗正法の誓文に背き、遠くは一代五時之肝心たる法華経の第二の_若人不信 毀謗此経 乃至 其人命終 入阿鼻獄〔若し人信ぜずして 此の経を毀謗せば 乃至 其の人命終して 阿鼻獄に入らん〕の誡文に迷ふ者也。於是に、代末代に及び、人聖人に非ず。各冥衢に容りて、竝びに直道を忘る。悲しい哉、瞳矇を・たず。痛しい哉、徒に邪信を催す。故に上国王より下土民に至るまで、皆経は浄土三部之外の経無く、仏は弥陀三尊之外の仏無しと謂えり。仍って伝教・義真・慈覚・智証等、或は万里之波涛を渉りて渡せし所之聖教、或は一朝之山川を回りて崇むる所之仏像、若しは高山之巓に華界を建てて以て安置し、若しは深谷之底に蓮宮を起てて以て崇重す。釈迦薬師之光を竝ぶる也。威を現当に施し、虚空地蔵之化を成す也。益を生後に被らしむ。故に国主は郡郷を寄せて以て燈燭を明らかにし、地頭は田園を充てて以て供養に備ふ。而るを法然之選択に依て則ち教主を忘れて西土之仏駄を貴び、付属を抛ちて東方之如来を閣き、唯四巻三部之経典を専らにして空しく一代五時之妙典を抛つ。是れを以て弥陀之堂に非ざれば皆供仏之志を止め、念仏之者に非ざれば早く施僧之懐ひを忘る。故に仏堂零落して瓦松之煙老い、僧房荒廃して庭草之露深し。然りと雖も各護惜之心を捨てて竝びに建立之思ひを廃す。是れを以て住持の聖僧行きて帰らず。守護の善神去りて来ること無し。是れ偏に法然之選択に依る也。悲しい哉、数十年之間百千万之人、魔縁に蕩されて多く仏教に迷へり。傍を好んで正を忘る。善神怒りを為さざらん哉。円を捨てて偏を好む。悪鬼便りを得ざらん哉。如かず、彼の万祈を修せんより、此の一凶を禁ぜんには矣。[p0216-0217]
客殊に色を作して曰く 我が本師釈迦文浄土の三部経を説きたまふてより以来、曇鸞法師は四論の講説を捨てて一向に浄土に帰し、道綽禅師は涅槃の広業を閣きて、偏に西方の行を弘め、善導和尚は雑行を抛ちて専修を立て、恵心僧都は諸経之要文を集めて念仏之一行を宗とす。弥陀を貴重すること誠に以て然なり矣。又往生之人其れ幾ばくぞ哉。就中、法然聖人幼少にして天台山に昇り、十七にして六十巻に渉り、竝びに八宗を究め、具さに大意を得たり。其の外一切の経論七遍反覆し、章疏伝記究め看ざること莫く、智は日月に斉しく徳は先師に越えたり。然りと雖も、猶お出離之趣に迷ひ、涅槃之旨を弁へず。故に遍く覿、悉く鑒み、深く思ひ、遠く慮り、遂に諸経を抛ちて、専ら念仏を修す。其の上一夢之霊応を蒙り四裔之親疎に弘む。故に或は勢至之化身と号し、或は善導之再誕と仰ぐ。然れば則ち十方の貴賎頭を低れ、一朝の男女歩を運ぶ。爾来春秋推し移り、星霜相積もれり。而るに忝なくも釈尊之教えを疎にして、恣に弥陀之文を譏る。何ぞ近年之災を以て聖代之時に課せ、強ちに先師を毀り更に聖人を罵るや。毛を吹きて・を求め、皮を剪りて血を出だす。昔より今に至るまで、此の如き悪言を未だ見ず、惶るべし慎むべし。罪業至って重し。科條争でか遁れん。対座猶お以て恐れ有り、杖を携えて則ち帰らんと欲す矣。[p0217]
主人咲み止めて曰く 辛きを蓼葉に習ひ、臭きを溷厠に忘る。善言を聞きて悪言と思ひ、謗者を指して聖人と謂ひ、正師を疑ふて悪侶に擬す。其の迷ひ誠に深く、其の罪浅からず。事の起りを聞け。委しく其の趣を談ぜん。[p0218]
釈尊説法之内、一代五時之間、先後を立てて権実を弁へず。而るに曇鸞・道綽・善導 既に権に就いて実を忘れ、先に依て後を捨つ。未だ仏教の淵底を探らざる者なり。就中、法然其の流れを酌むと雖も、其の源を知らず。所以は何ん。大乗経六百三十七部・二千八百八十三巻、竝びに一切の諸仏菩薩、及び諸の世天等を以て捨閉閣抛之字を置いて、一切衆生之心を薄す。是れ偏に私曲之詞を展べて、全く仏経之説を見ず。妄語之至り、悪口之科、言ひても比い無く責めても余り有り。人皆其の妄語を信じ、悉く彼の選択を貴ぶ。故に浄土之三経を崇めて衆経を抛ち、極楽之一仏を仰ぎて諸仏を忘る。誠に是れ諸仏諸経之怨敵、聖僧衆人之讎敵也。此の邪教広く八荒に弘まり周く十方に遍す。[p0218]
抑そも近年之災を以て往代を難する之由、強ちに之を恐る。聊か先例を引いて汝の迷ひを悟すべし。止観の第二に史記を引いて云く ̄周末有被髪袒身不依礼度者〔周の末に被髪袒身にして礼度に依らざる者有り〕。弘決の第二に此の文を釈するに左伝を引いて云く ̄初平王之東遷也 伊川見被髪者而於野祭。識者曰 不及百年其礼先亡。爰知。徴前顕災後致。又阮籍逸才蓬頭散帯。後公卿子孫皆教之 奴苟相辱者方達自然 ・節兢持者呼為田舎。為司馬氏滅相〔初め平王之東遷するや、伊川に髪を被る者野に於て祭るを見る。識者の曰く 百年に及ばずして、其の礼先づ亡びぬと。爰に知んぬ。徴前に顕れ災後に致ることを。又阮籍逸才にして蓬頭散帯す。後に公卿の子孫皆之に教い、奴苟相辱しむる者を方に自然に達すといい、・節{そんせつ}兢持する者を呼んで、田舎と為す。司馬氏の滅ぶる相と為す〕[已上]。[p0218]
又、慈覚大師の入唐巡礼記を案ずるに云く ̄唐武宗皇帝會昌元年 敕令章敬寺鏡霜法師於諸寺伝弥陀念仏教。毎寺三日巡輪不絶。同二年 回鶻国之軍兵等侵唐堺。同三年 河北之節度使忽起乱。其後大蕃国更拒命回鶻国重奪地。凡兵乱同秦項之代 災火起邑里之際。何況武宗大破仏法多滅寺塔。不能撥乱遂以有事〔唐の武宗皇帝會昌元年、敕して章敬寺の鏡霜法師をして、諸寺に於て弥陀念仏の教を伝えしむ。寺毎に三日巡輪すること絶えず。同二年、回鶻国之軍兵等唐の堺を侵す。同三年、河北之節度使忽ち乱を起こす。其の後、大蕃国更命を拒み回鶻国重ねて地を奪う。凡そ兵乱秦項之代に同じく、災火邑里之際に起る。何に況んや武宗大に仏法を破し、多く寺塔を滅す、乱を撥ること能わずして遂に以て事有り〕[已上取意]。[p0218-0219]
此れを以て之を惟ふに、法然は、後鳥羽院の御宇、建仁年中之者也。彼の院の御事既に眼前に在り。然れば則ち大唐に例を残し吾が朝に証を顕す。汝疑ふこと莫れ、汝怪しむこと莫れ。唯須らく凶を捨てて善に帰し、源を塞ぎ根を截るべし矣。[p0219]
客聊か和らぎて曰く 未だ淵底を究めざれども数其の趣を知る。但し華洛より柳営に至るまで、釈門に樞・{すうけん}在り、仏家に棟梁在り。然れども未だ勘状を進らせず、上奏に及ばず。汝賎身を以て輙く莠言を吐く。其の義余り有り。其の理謂れ無し。[p0219]
主人の曰く 予、少量為りと雖も忝なくも大乗を学す。蒼蝿驥尾に附して万里を渡り、碧蘿松頭に懸かりて千尋を延ぶ。弟子一仏之子と生れ諸経之王に事ふ。何ぞ仏法之衰微を見て、心情之哀惜を起さざらんや。其の上涅槃経に云く_若善比丘 見壊法者 置不呵責 駈遣挙処 当知是人 仏法中怨。若能駈遣 呵責挙処 是我弟子 真声聞也〔若し善比丘ありて法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば、当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり。若し能く駈遣し呵責し挙処せば、是れ我が弟子、真の声聞也〕と。余善比丘之身為らずと雖も、仏法中怨之責めを遁れんが為に、唯大綱を撮て粗一端を示す。其の上、去る元仁年中に、延暦・興福の両寺より、度々奏聞を経、勅宣御教書を申し下して、法然の選択の印板を大講堂に取り上げ、三世の仏恩を報ぜんが為に之を焼失せしむ。法然の墓所に於ては、感神院の犬神人に仰せ付けて破却せしむ。其の門弟、隆観・聖光・成覚・薩生等は遠国に配流し、其の後未だ御勘気を許されず。豈に未だ勘状を進らせずと云はん也。[p0219]
客則ち和らぎて曰く 経を下し僧を謗ずること、一人として論じ難し。然而れども大乗経六百三十七部・二千八百八十三巻、竝びに一切の諸仏・菩薩・及び諸の世天等を以て、捨閉閣抛の四字に載す。其の詞勿論也。其の文顕然也。此の瑕瑾を守りて其の誹謗を成す。迷ふて言う歟、覚りて語る歟、愚賢弁たず、是非定め難し。但し災難之起りは選択に因る之由、盛んに其の詞を増し、弥いよ其の旨を談ず。所詮天下泰平国土安穏は君臣の楽ふ所、土民の思ふ所也。夫れ国は法に依て昌へ、法は人に因って貴し。国亡び人滅せば、仏を誰か崇むべき。法を誰か信ずべき哉。先づ国家を祈りて須らく仏法を立つべし。若し災を消し難を止むるの術有らば聞かんと欲す。[p0219-0220]
主人の曰く 余は是れ頑愚にして敢えて賢を存せず。唯経文に就いて聊か所存を述べん。抑そも治術之旨、内外之間、其の文幾多ぞや。具さに挙ぐべきこと難し。但し仏道に入て数愚案を回らすに、謗法之人を禁じて、正道之侶を重せば、国中安穏にして天下泰平ならん。[p0220]
即ち涅槃経に云く_仏言 唯除一人余一切施皆可讃歎。純陀問言 云何名為唯除一人。仏言 如此経中所説破戒。純陀復言 我今未解。唯願説之。仏語純陀言 破戒者謂一闡提。其余在所一切布施皆可讃歎獲大果報。純陀復問 一闡提者其義云何。仏言純陀 若有比丘及比丘尼優婆塞優婆夷発・悪言 誹謗正法 造是重業永不改悔心無懺悔。如是等人名為趣向一闡提道。若犯四重作五逆罪 自知定犯如是重事 而心初無怖畏懺悔不肯発露。於彼正法永無護惜建立之心 毀呰軽賎言多禍咎。如是等亦名趣向一闡提道。唯除如此一闡提輩 施其余者一切讚歎〔仏の言く 唯一人を除きて余の一切に施さば皆讚歎すべし。純陀問うて言く 云何なるをか名づけて唯除一人と為す。仏の言く 此の経の中に説く所の如きは破戒なり。純陀復言く 我今未だ解せず。唯願くは之を説きたまえ。仏、純陀に語りて言く 破戒とは謂く 一闡提なり。其の余の在所一切に布施するは皆讃歎すべし大果報を獲ん。純陀復問いたてまつる、一闡提とは其の義云何。仏の言く 純陀、若し比丘及び比丘尼・優婆塞・優婆夷有って、・悪{そあく}の言を発し、正法を誹謗し、是の重業を造りて永く改悔せず、心に懺悔無からん。是の如き等の人を名づけて一闡提の道に趣向すと為す。若し四重を犯し五逆罪を作り、自ら定て是の如き重事を犯すと知れども、心に初より怖畏・懺悔無く肯て発露せず。彼正法に於て永く護惜建立之心無く、毀呰軽賎して言に禍咎多からん。是の如き等を亦一闡提の道に趣向すと名づく。唯此の如き一闡提の輩を除きて其の余に施さば一切讃歎すべし〕と。[p0220]
又云く_我念往昔於閻浮提作大国王。名曰仙豫。愛念敬重大乗経典 其心純善無有・悪嫉悋。~善男子 我於爾時心重大乗。聞婆羅門誹謗方等。聞已即時断其命根。善男子 以是因縁従是已来不堕地獄〔我往昔を念うに、閻浮提に於て大国王と作れり。名を仙豫と曰いき。大乗経典を愛念し敬重し、其の心純善にして・悪{そあく}嫉悋有ること無し。善男子、我爾の時に於て心に大乗を重んず。婆羅門の方等を誹謗するを聞き。聞き已て即時に其の命根を断つ。善男子、是の因縁を以て是れ従り已来地獄に堕せず〕と。[p0221]
又云く_如来昔為国王行菩薩道時 断絶爾所婆羅門命〔如来、昔、国王と為りて菩薩道を行ぜし時、爾所の婆羅門の命を断絶す〕と。[p0221]
又云く_殺有三謂下中上。下者蟻子乃至一切畜生。唯除菩薩示現生者。以下殺因縁堕於地獄畜生餓鬼具受下苦。何以故。是諸畜生有微善根。是故殺者具受罪報。中殺者 従凡夫人至阿那含是名為中。以是業因堕於地獄畜生餓鬼具受中苦。上殺者 父母乃至阿羅漢辟支仏畢定菩薩。堕於阿鼻大地獄中。善男子 若有能殺一闡提者則不堕此三種殺中。善男子 彼諸婆羅門等一切皆是一闡提也〔殺に三有り、謂く下中上なり。下とは蟻子乃至一切の畜生なり。唯菩薩示現生の者を除く。下殺の因縁を以て地獄・畜生・餓鬼に堕して、具さに下の苦を受く。何を以ての故に。是の諸の畜生に微の善根有り。是の故に殺さば具さに罪報を受く。中殺とは凡夫人従り阿那含に至るまで、是れを名づけて中と為す。是の業因を以て地獄・畜生・餓鬼に堕して、具さに中の苦を受く。上殺とは父母 乃至 阿羅漢・辟支仏畢定の菩薩なり。阿鼻大地獄の中に堕す。善男子、若し能く一闡提を殺すこと有らん者はち此の三種の殺の中に堕せず。善男子、彼の諸の婆羅門等は一切皆是れ一闡提なり〕[已上]。[p0221]
仁王経に云く_仏告波斯匿王。~ 是故付属諸国王 不付属比丘比丘尼 ~。何以故。無王威力〔仏波斯匿王に告げたまわく。~是の故に諸の国王に付属して、比丘・比丘尼に付属せず。何を以ての故に。王の威力無ければなり〕[已上]。[p0221]
涅槃経に云く_今以無上正法付属諸王大臣宰相及四部衆。毀正法者大臣四部之衆応当苦治〔今無上の正法を以て諸王・大臣・宰相及び四部の衆に付属す。正法を毀る者をば大臣・四部之衆、応当に苦治すべし〕と。[p0221]
又云く_仏言迦葉 以能護持正法因縁故得成就是金剛身。善男子 護持正法者不受五戒 不修威儀 応持刀剣・弓箭・鉾槊〔仏の言く 迦葉能く正法を護持する因縁を以ての故に是の金剛身を成就することを得たり。善男子、正法を護持せん者は五戒を受けず、威儀を修せずして、応に刀剣・弓箭・鉾槊を持すべし〕と。[p0221]
又云く_若有受持五戒之者不得名為大乗人也。不受五戒為護正法乃名大乗。護正法者応当執持刀剣器杖。雖持刀杖我説是等名曰持戒〔若し五戒を受持せん之者有らば、名づけて大乗の人と為すことを得ず。五戒を受けざれども正法を護るを為って乃ち大乗と名づく。正法を護る者は、応当に刀剣・器杖を執持すべし。刀杖を持つと雖も我是れ等を説きて名づけて持戒と曰ん〕と。[p0221]
又云く_善男子 過去之世於此拘尸那城有仏出世。号歓喜増益如来。仏涅槃後正法住世無量億歳。余四十年仏法末〈余四十年仏法未滅〉 爾時有一持戒比丘。名曰覚徳。爾時多有破戒比丘。聞作是説 皆生悪心 執持刀杖逼是法師。是時国王 名曰有徳。聞是事已 為護法故 即便往至説法者所 与是破戒諸悪比丘極共戦闘。爾時説法者得免厄害。王於爾時身被刀剣鉾槊之瘡 体無完処如芥子計。爾時覚徳尋讃王言 善哉善哉。王今真是護正法者。当来之世此身当為無量法器。王於是時得聞法已心大歓喜 尋即命終生阿・仏国。而為彼仏作第一弟子。其王将従人民眷属有戦闘者有歓喜者一切不退菩提之心。命終悉生阿・仏国。覚徳比丘却後寿終亦得往生阿・仏国。而為彼仏作声聞衆中第二弟子。若有正法欲尽時 応当如是受持擁護。迦葉 爾時王者則我身是。説法比丘迦葉仏是。迦葉 護正法者得如是等無量果報。以是因縁我於今日得種種相以自荘厳 成法身不可壊身。仏告迦葉菩薩。是故護法優婆塞等応執持刀杖擁護如是。善男子 我涅槃後濁悪之世国土荒乱互相抄掠人民飢餓。爾時多有為飢餓故発心出家。如是之人名為禿人。是禿人輩見護持正法駈逐令出若殺若害。是故我今聴持戒人依諸白衣持刀杖者以為伴侶。雖持刀杖我説是等名曰持戒。雖持刀杖不応断命[p0221-0222]
〔善男子、過去之世に此の拘尸那城に於て仏の世に出でたまふこと有き。歓喜増益如来と号す。仏涅槃の後正法世に住すること無量億歳なり。余の四十年仏法の末〈余の四十年仏法未だ滅せず〉。爾の時に一の持戒の比丘有り。名を覚徳と曰う。爾の時に多く破戒の比丘有り。是の説を作すを聞き、皆悪心を生じ、刀杖を執持して是の法師を逼む。是の時の国王、名を有徳と曰う。是の事を聞き已って護法の為の故に、即便、説法者の所に往至して、是の破戒の諸の悪比丘と極めて共に戦闘す。爾の時に説法者厄害を免るることを得たり。王、爾の時に於て身に刀剣鉾槊之瘡を被り、体に完き処は芥子の如き計も無し。爾の時に覚徳尋いで王を讃て言く 善哉善哉。王、今真に是れ正法を護る者なり。当来之世に此の身当に無量の法器と為るべし。王是の時に於て法を聞くことを得已って心大いに歓喜し、尋いで即ち命終して阿・仏{あしゅくぶつ}の国に生ず。而も彼の仏の為に第一の弟子と作る。其の王の将従・人民・眷属戦闘すること有りし者、歓喜すること有りし者、一切菩提之心を退せず。命終して悉く阿・仏{あしゅくぶつ}の国に生ず。覚徳比丘却って後、寿終わりて亦阿・仏{あしゅくぶつ}の国に往生することを得。而も彼の仏の為に声聞衆の中の第二の弟子と作る。若し正法尽きんと欲すること有らん時、応当に是の如く受持し擁護すべし。迦葉、爾の時の王とは則ち我が身是れなり。説法の比丘は迦葉仏是れなり。迦葉、正法を護る者は是の如き等の無量の果報を得ん。是の因縁を以て、我今日に於て種種の相を得て以て自ら荘厳し、法身不可壊の身を成ず。仏、迦葉菩薩に告げたまわく。是の故に法を護らん優婆塞等は応に刀杖を執持して擁護すること是の如くなるべし。善男子、我涅槃の後、濁悪之世に国土荒乱し互いに相抄掠し人民飢餓せん。爾の時に多く飢餓の為の故に発心出家するもの有らん。是の如き之人を名づけて禿人と為す。是の禿人の輩、正法を護持するを見て、駈逐して出ださしめ、若しは殺し、若しは害せん。是の故に、我今持戒の人、諸の白衣の刀杖を持つ者に依て、以て伴侶と為すことを聴す。刀杖を持つと雖も、我是れ等を説きて名づけて持戒と曰はん。刀杖を持つと雖も応に命を断ずべからす〕と。[p0221-0222]
法華経に云く_若人不信 毀謗此経 則断一切 世間仏種 乃至 其人命終 入阿鼻獄〔若し人信ぜずして 此の経を毀謗せば 則ち一切世間の 仏種を断ぜん 乃至 其の人命終して 阿鼻獄に入らん〕[已上]。[p0222-0223]
夫れ経文顕然なり。私の詞何ぞ加へん。凡そ法華経の如くんば、大乗経典を謗ずる者は無量の五逆に勝れたり。故に阿鼻大城に堕して永く出づる期無けん。涅槃経の如くんば、設ひ五逆之供を許すとも、謗法之施を許さず。蟻子を殺す者は必ず三悪道に落つ。謗法を禁むる者は定めて不退の位に登る。所謂覚徳とは是れ迦葉仏なり。有徳とは則ち釈迦文也。法華・涅槃之経教は一代五時之肝心也。其の禁め実に重し。誰か帰仰せざらん哉。而るに謗法の族、正道之人を忘れ、剰へ法然之選択に依て弥いよ愚痴之盲瞽を増す。是れを以て、或は彼の遺体を忍びて木画之像を露し、或は其の妄説を信じて莠言を之模に彫り、之を海内に弘め之を・外{かくがい}に翫ぶ。仰ぐ所は則ち其の家風。施す所は則ち其の門弟なり。然る間、或は釈迦之手指を切りて弥陀之印相を結び、或は東方如来之鴈宇を改めて西土教主之鵝王を居え、或は四百余回之如法経を止めて西方浄土之三部経と成し、或は天台大師の講を停めて善導の講と為す。此の如き群類其れ誠に尽くし難し。是れ破仏に非ず哉。是れ破法に非ず哉。是れ破僧に非ず哉。此の邪義は則ち選択集に依る也。嗟呼悲しい哉、如来誠諦之禁言に背くこと。哀れなり矣、愚侶迷惑之・語に随ふこと。早く天下之静謐を思はば須らく国中之謗法を断つべし矣。[p0223]
客の曰く 若し謗法之輩を断じ若し仏禁之違を絶せんには、彼の経文の如く斬罪に行うべき歟。若し然らば殺害相加へ罪業何んが為さん哉。則ち大集経に云く_剃頭著袈裟持戒及毀戒天人可供養彼。則為供養我。彼是我子。若有・打彼則為打我子。若罵辱彼則為毀辱我〔頭を剃り袈裟を著せば持戒、及び毀戒天人彼を供養すべし。則ち為我を供養するなり。彼は是れ我が子なり。若し彼を・打{かだ}すること有れば則ち為我が子を打つなり。若し彼を罵辱せば則ち為我を毀辱することなり〕。料り知んぬ、善悪を論ぜず、是非を択ぶこと無く僧侶に為らんに於ては供養を展ぶべし。何ぞ其の子を打辱して忝なくも其の父を悲哀せしめん。彼の竹杖之目連尊者を害せし也、永く無間之底に沈み、提婆達多之蓮華比丘尼を殺せし也、久しく阿鼻の焔に咽ぶ。先証斯れ明らかなり。後昆最も恐れあり。謗法を誡むるに似て既に禁言を破す。此の事信じ難し、如何が意得ん。[p0223-0224]
主人の曰く 客明らかに経文を見て猶お斯の言を成す。心之及ばざる歟。理之通ぜざる歟。全く仏子を禁むるに非ず。唯偏に謗法を悪む也。夫れ釈迦之以前の仏教は其の罪を斬ると雖も、能仁之以後の経説は則ち其の施を止む。然れば則ち四海万邦、一切の四衆、其の悪に施さず。皆此の善に帰せば何なる難か竝び起り、何なる災か競ひ来たらん矣。[p0224]
客則ち席を避け襟を刷ひて曰く 仏教斯れ区にして旨趣窮め難く、不審多端にして理非明らかならず。但し法然聖人の選択現在也。諸仏・諸経・諸菩薩・諸天等を以て捨閉閣抛に載す。其の文顕然也。茲に因って聖人国を去り善神所を捨て、天下飢渇し世上疫病すと。今主人広く経文を引いて明らかに理非を示す。故に妄執既に飜り耳目数朗かなり。所詮国土泰平天下安穏は一人より万民に至るまで好む所也、楽ふ所也。早く一闡提之施を止め、永く衆の僧尼之供を致し、仏海之白浪を収め、法山之緑林を截らば、世は羲農之世と成り国は唐虞之国と為らん。然して後、法水の浅深を斟酌し、仏家之棟梁を崇重せん矣。[p0224]
主人悦んで曰く 鳩化して鷹と為り、雀変じて蛤と為る。悦ばしい哉。汝蘭室之友に交はり麻畝之性と成る。誠に其の難を顧みて専ら此の言を信ぜば、風和らぎ浪静かにして不日に豊年ならん耳。但し人の心は時に随て移り、物の性は境に依て改まる。譬へば水中之月の波に動き、陳前之軍の剣に靡くが猶し。汝当座に信ずと雖も後定めて永く忘れん。若し先づ国土を安んじて現当を祈らんと欲せば、速やかに情慮を回らし・ぎて対治を加へよ。所以は何ん。薬師経の七難の内五難忽ちに起り二難猶お残せり。所以、他国侵逼の難・自界叛逆の難也。大集経の三災の内、二災早く顕れ一災未だ起こらず。所以、兵革の災なり。金光明経の内種種の災過一一起ると雖も、他方怨賊侵掠国内〔他方の怨賊国内を侵掠する〕、此の災未だ露れず、此の難未だ来たらず。仁王経の七難の内、六難今盛んにして一難未だ現れず。所以、四方賊来侵国〔四方の賊来りて国を侵す〕の難也。加之、国土乱時先鬼神乱。鬼神乱故万民乱〔国土乱れん時は先づ鬼神乱る。鬼神乱るるが故に万民乱る〕と。今此の文に就いて具さに事の情を案ずるに、百鬼早く乱れ万民多く亡ぶ。先難是れ明らかなり。後災何ぞ疑はん。若し残る所之難、悪法之科に依て竝び起り競ひ来らば其の時何が為さん哉。帝王は国家を基として天下を治め、人臣は田園を領して世上を保つ。而るに他方の賊来りて其の国を侵逼し、自界叛逆して其の地を掠領せば、豈に驚かざらん哉、豈に騒がざらん哉。国を失ひ家を滅せば何れの所に世を遁れん。汝須らく一身之安堵を思はば先づ四表之静謐を祈るべき者歟。就中、人之世に在るや各後生を恐る。是れを以て或は邪経を信じ、或は謗法を貴ぶ。各是非に迷ふことを悪むと雖も猶お仏法に帰することを哀れむ。何ぞ同じく信心之力を以て妄りに邪義之詞を宗めん哉。若し執心飜らず、亦曲意猶お存せば、早く有為之郷を辞して必ず無間之獄に堕ちなん。所以は何ん。[p0224-0225]
大集経に云く_若有国王於無量世修施戒慧 見我法滅捨不擁護 如是所種無量善根悉皆滅失 乃至 其王不久当遇重病寿終之後生大地獄 ~ 如王夫人 太子 大臣 城主 柱師 郡守 宰官亦復如是〔若し国王有り無量世に於て施戒慧を修すとも、我法の滅せんを見て捨てて擁護せずんば、是の如く種うる所の無量の善根悉く皆滅失し 乃至 其の王久しからずして当に重病に遇い、寿終之後大地獄に生ずべし。~ 王の如く夫人・太子・大臣・城主・柱師・郡主・宰官も亦復是の如くならん〕。[p0225]
仁王経に云く_人壊仏教 無復孝子 六親不和 天神不祐 疾疫悪鬼 来日侵害 災怪首尾 連禍縦横 死入地獄 餓鬼畜生。若出為人 兵奴果報。如響如影 人如夜書 火滅字存 三界果報 亦復如是〔人、仏教を壊らば復孝子無く、六親不和にして天神も祐けず、疾疫悪鬼日に来りて侵害し、災怪首尾し、連禍縦横し、死して地獄・餓鬼・畜生に入らん。若し出でて人と為らば兵奴の果報ならん。響きの如く影の如く、人の夜書するに火は滅すれども字は存するが如く、三界の果報も亦復是の如し〕と。[p0225-0226]
法華経第二に云く_若人不信 毀謗此経 乃至 其人命終 入阿鼻獄〔若し人信ぜずして 此の経を毀謗せば 乃至 其の人命終して 阿鼻獄に入らん〕。又同第七の巻不軽品に云く_千劫於阿鼻地獄。受大苦悩〔千劫阿鼻地獄に於て大苦悩を受く〕。[p0226]
涅槃経に云く_遠離善友 不聞正法 住悪法者 是因縁故 沈没在於 阿鼻地獄 所受身形 縦横八万 四千由延〔善友を遠離し正法を聞かずして悪法に住せば是の因縁の故に沈没して阿鼻地獄に在りて受くる所の身形、縦横八万四千由延ならん〕と。[p0226]
広く衆経を披きたるに専ら謗法を重んず。悲しい哉、皆正法之門を出でて深く邪法之獄に入る。愚かなり矣。各悪教之綱に懸かりて鎮えに謗教之網に纒はる。此の朦霧之迷ひ、彼の盛焔之底に沈む。豈に愁へざらん哉。豈に苦しからざらん哉。汝早く信仰之寸心を改めて速やかに実乗之一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国也。仏国其れ衰へん哉。十方は悉く宝土也。宝土何ぞ壊れん哉。国に衰微無く土に破壊無くんば、身は是れ安全にして、心は是れ禅定ならん。此の詞此の言信ずべく崇むべし矣。[p0226]
客の曰く 今生後生、誰か慎まざらん、誰か恐れざらん。此の経文を披きて具さに仏語を承るに、誹謗之科至て重く、毀法之罪誠に深し。我一仏を信じて諸仏を抛ち、三部経を仰ぎて諸経を閣きしは、是れ私曲之思ひに非ず、則ち先達之詞に随ひしなり。十方の諸人も亦復是の如くなるべし。今世には性心を労し、来生には阿鼻に堕せんこと、文明らかに理詳らかなり、疑ふべからず。弥いよ貴公之慈誨を仰ぎ、益愚客之癡心を開き、速やかに対治を廻らして、早く泰平を致し、先づ生前を安んじ更に没後を扶けん。唯我信ずるのみに非ず。又他の誤りを誡めん耳。[p0226]
#0031-100 顕謗法鈔 弘長二(1262) [p0247]
本朝沙門 日蓮撰[p0247]
第一に八大地獄の因果を明かし、第二に無間地獄の因果の軽重を明かし、第三に問答料簡を明かし、第四に行者の弘経の用心を明かす。[p0247]
第一に八大地獄の因果を明かさば、[p0247]
第一に等活地獄とは、此れ閻浮提の地の下、一千由旬にあり。此の地獄は縦広斉等にして一万由旬なり。此の中の罪人はたがいに害心をいだく。模したまたま相見れば、犬と猿とのあえるがごとし。各々鉄の爪をもて互いにつかみさく。血肉既に尽きぬれば、唯骨のみあり。或は極卒手に鉄杖を取りて頭より足にいたるまで皆打ちくだく。身体くだけて沙のごとし。或は利刀をもて分々に肉をさく。然れども又よみがえりよみがえりするなり。此の地獄の寿命は、人間の昼夜五十年をもて、第一四王天の一日一夜として、四王天の天人の寿命五百歳なり。此の地獄の業因をいわば、ものの命をたつもの、此の地獄に堕つ。螻蟻蚊虻等の小虫を殺せる者も懺悔なければ必ず地獄に堕つべし。譬えばはり(針)なれども水の上におけば沈まざることなきが如し。又懺悔すれども懺悔の後に重ねて此の罪を作れば、後の懺悔には此の罪きえがたし。譬えば盗みをして獄〈ひとや〉に入りぬるものの、しばらく経て後に御免を蒙って獄を出れども、又重ねて盗みをして獄に入りぬれば出ゆるされがたきが如し。[p0247-0248]
されば当世の日本国の人は上一人より下万民に至るまで、此の地獄をまぬがるる人は一人もありがたかるべし。何に持戒のおぼえをとれる持律の僧たりとも、蟻虱なんどを殺さず、蚊虻をあやまたざるべきか。況んや其の外、山野の鳥鹿、江海の魚鱗を日々に殺すものをや。何に況んや、牛馬人等を殺す者をや。[p0248]
第二に黒縄地獄とは、等活地獄の下にあり。縦広は等活地獄の如し。極卒・罪人をとらえて熱鉄の地にふせ(伏)て、熱鉄の縄をもて身にすみうて、熱鉄の斧をもて縄に随ってきりさきけずる。又、鋸を以てひく。又、左右に大なる鉄の山あり。山の上に鉄の幢を立て、鉄の縄をはり、罪人に鉄の山をおおせて、綱の上よりわたす。綱より落ちてくだけ、或は鉄のかなえに堕とし入れてに(煮)らる。此の苦、上の等活地獄の苦よりも十倍なり。人間の一百歳は第二の・利天{とうりてん}の一日一夜也。其の寿、一千歳也。此の天の寿、一千歳を一日一夜として、此の第二の地獄の寿命、一千歳なり。殺生の上に偸盗とて、ぬすみをかさねたるもの、此の地獄におつ。当世の偸盗のもの、ものをぬすむ上、物の主を殺すもの此の地獄に堕つべし。[p0248-0249]
第三に衆合地獄とは、黒縄地獄の下にあり。縦広は上の如し。多くの鉄の山、二つずつ相向かえり。牛頭・馬頭等の極卒、手に棒を取って罪人を駈けて山の間に入らしむ。此の時、両の山迫り来て合わせ押す。身体くだけて、血流れて、地にみつ。又種々の苦あり。人間の二百歳を第三の夜摩天の一日一夜として、此の天の寿、二千歳なり。此の天の寿を一日一夜として、此の地獄の寿命、二千歳なり。殺生・偸盗の罪の上、邪淫とて、他人のつま(妻)を犯す者、此の地獄の中に堕つべし。然るに当世の僧尼士女、多分は此の罪を犯す。殊に僧にこの罪多し。士女は各々互いにまもり、又人目をつつまざる故に、此の罪をおかさず。僧は一人ある故に、淫欲とぼし(乏)きところに、若しはらまば(有身)、父ただされてあらわれぬべきゆえに、独りある女人をばおかさず。もしやかくる(隠)ると、他人の妻をうかがい、ふかくかくれんとおもうなり。当世のほかとうと(貴)げなる僧の中に、ことに此の罪又多かるらんとおぼゆ。されば多分は当世とうとげなる僧、此の地獄に堕つべし。[p0249-0250]
第四に叫喚地獄とは、衆合の下にあり。縦広前に同じ。極卒悪声を出して弓箭をもて罪人をいる。又鉄の棒を以て頭を打て、熱鉄の地をはしらしむ。或は熱鉄のいりだな(煎架)にうちかえしうちかえし此の罪人をあぶる。或は口を開けてわける銅のゆ(湯)を入れば、五臓やけて下より直に出づ。寿命をいわば、人間の四百歳を第四の都率天の一日一夜とす。又都率天の四千歳也。都率天の四千歳の寿を一日一夜として、此の地獄の寿命四千歳なり。此の地獄の業因をいわば、殺生・偸盗・邪淫の上、飲酒とて酒のむもの此の地獄に堕つべし。当世の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の四衆の大酒なる者、此の地獄の苦、免れがたきか。大論には、酒に三十六の失をいだし、梵網経には_酒盂〈さかずき〉をすすめる者、五百生に手なき身と生まる、とかかせ給う。人師の釈には ̄みみず(蚯蚓)ていの者となる、とみえたり。況んや、酒をうりて人にあたえたる者をや。何に況んや、酒に水を入れてうるものをや。当世の在家の人々、此の地獄の苦、まぬがれがたし。[p0250]
第五に大叫喚地獄とは、叫喚の下にあり。縦広前に同じ。其の苦の相は上の四の地獄の苦に十倍して重くこれをうく。寿命の長短を云わば、人間の八百歳は、第五の化楽天の一日一夜なり。此の天の寿八千歳なり。此の天の八千歳を一日一夜として、此の地獄の寿命八千歳なり。殺生・偸盗・邪淫・飲酒の重罪の上に妄語とて、そらごとせる者此の地獄に堕つべし。当世の諸人、設い賢人上人なんどいわるる人々も、妄語せざる時はありとも、妄語をせざる日はあるべからず。設い日はありとも、一期生妄語せざる者はあるべからず。若ししからば当世の諸人、一人も此の地獄をまぬがれがたきか。[p0250-9251]
第六に焦熱地獄とは、大叫喚地獄の下にあり。縦広前に同じ。此の地獄に種々の苦あり。若し此の地獄の豆計りの火を閻浮提におけ(置)らんに、一時にやけ尽きなん。況んや罪人の身の・{やわらか}なることわたのごとくなるをや。此の地獄の人は前の五つの地獄の火を見る事雪の如し。譬えば人間の火の薪の火よりも鉄銅の火熱きが如し。寿命の長短は人間の千六百歳は、他化天の一日一夜として此の天の寿千六百歳也。此の天の千六百歳を一日一夜として、此の地獄の寿命一千六百歳なり。業因を云わば、殺生・偸盗・邪淫・飲酒・妄語の上、邪見とて因果なしという者、此の中に堕つべし。邪見とは、有る人の云く 人飢えて死ぬれば天に生まるべし等云云。総じて因果を知らぬ者を邪見と申すなり。世間の法には慈悲なき者を邪見の者という。当世の人々此の地獄を免れがたきか。[p9251-0252]
第七に大焦熱地獄とは、焦熱の下にあり。縦広前の如し。前の六つの地獄の一切の諸苦に十倍して重く受くるなり。其の寿命は半中劫なり。業因を云わば、殺生・偸盗・邪淫・飲酒・妄語・邪見の上に浄戒の比丘尼をおかせる者、此の中に堕つべし。又比丘、酒を以て不邪淫戒を持る婦女をたぼらかし、或は財物を与えて犯せるもの此の中に堕つべし。当世の僧の中に多く此の重罪あるなり。大悲経の文に_末代には士女は多くは天に生じ、僧尼は多くは地獄に堕つべし、ととかれたるはこれていの事か。心あらん人々ははずべしはずべし。[p0252]
総じて上の七大地獄の業因は諸経論をもて勘え見るに、当世日本国の四衆にあて見るに、此の七大地獄をはなるべき人を見ず。又きかず。涅槃経に云く_末代に入って人間に生せん者は爪上の土の如し。三悪道に堕つるものは十方世界の微塵の如し、と説かれたり。若し爾らば、我等が父母兄弟等の死ぬる人は、皆上の七大地獄にこそ堕ち給うては候らめ。あさましともいうばかりなし。龍と蛇と鬼神と仏・菩薩・聖人をば未だ見ず。ただおとにのみこれをきく。当世に上の七大地獄の業を造らざるものをば未だ見ず。又おとにもきかず。[p0252]
而るに、我が身よりはじめて、一切衆生七大地獄に堕つべしとおもえる者一人もなし。設い、言には堕つべきよしをさえずれども、心には堕つべしともおもわず。又僧尼士女、地獄の業をば犯すとはおもえども、或は地蔵菩薩等の菩薩を信じ、或は阿弥陀仏等の仏を恃み、或は種々の善根を修したる者もあり。皆おもわく、我はかかる善根をもてればなんど、うちおもいて地獄をもおじず。或は宗宗を習える人々は、各々の智分をたのみて、又地獄の因をおじず。而るに仏菩薩を信じたるも、愛子夫婦なんどをあいし、父母主君なんどをうやまうには雲泥なり。仏菩薩等をばかろくおもえるなり。されば当世の人々の、仏菩薩を恃みぬれば、宗宗を学したれば地獄の苦はまぬがれなんどおもえるは僻案にや。心あらん人々はよくよくはかりおもうべきか。[p0252-0253]
第八に大阿鼻地獄とは、又は無間地獄と申すなり。欲界の最低大焦熱地獄の下にあり。此の地獄は縦広八万由旬なり、外に七重の鉄の城あり。地獄の極苦は且く之を略す。前の七大地獄竝びに別処の一切の諸苦を以て一分として、大阿鼻地獄の苦、一千倍勝れたり。此の地獄の罪人は、大焦熱地獄の罪人を見る事、他化自在天の楽しみの如し。此の地獄の香のくささを人かぐ(嗅)ならば、四天下・欲界・六天の天人皆死しなん。されども出山・没山と申す山、此の地獄の臭き気をおさえて、人間へ来たらせざる故に、此の世界の者死せずと見えぬ。若し仏、此の地獄の苦を具に説かせ給わば、人聴いて血をはいて死すべき故に、くわしく仏説き給わずとみえたり。此の無間地獄の寿命の長短は一中劫なり。一中劫と申すは、此の人寿無量歳なりしが百年に一寿を減じ、又百年に一寿を減ずるほどに、人寿十歳の時に減ずるを一減と申す。又十歳より百年に一寿を増し、又百年に一寿を増する程に、八万歳に増するを一増と申す。此の一増一減の程を小劫として、二十の増減を一中劫とは申すなり。此の地獄に堕ちたる者、これ程久しく無間地獄に住して大苦をうくるなり。業因を云わば、五逆罪を造る人、此の地獄に堕つべし。五逆罪と申すは、一に殺父、二に殺母、三に殺阿羅漢、四に出仏身血、五に破和合僧なり。今の世には仏ましまさず。しかれば出仏身血あるべからず。和合僧なければ破和合僧なし。阿羅漢なければ殺阿羅漢これなし。但殺父、殺母の罪のみありぬべし。しかれども、王法のいましめきびしくあるゆえに、此の罪おかしがたし。若し爾らば、当世には阿鼻地獄に堕つべき人すくなし。但し、相似の五逆罪これあり。木画の仏像・堂塔等をやき、かの仏像等の寄進の所をうばいとり、率兜婆等をきりやき、智人を殺しなんどするもの多し。此れ等は大阿鼻地獄の十六の別処に堕つべし。されば当世の衆生十六の別処に堕ちる者多きか。又謗法の者、此の地獄に堕つべし。[p0253-0254]
第二に無間地獄の因果の軽重を明かさば、[p0254]
問て云く 五逆罪より外の罪によりて無間地獄に堕ちんことあるべしや。[p0254-0255]
答て云く 誹謗正法の重罪なり。[p0255]
問て云く 証文、如何。[p0255]
答て云く 法華経第二に云く_若人不信 毀謗此経 乃至 其人命終 入阿鼻獄〔若し人信ぜずして 此の経を毀謗せば 乃至 其の人命終して 阿鼻獄に入らん〕等云云。此の文に謗法は阿鼻地獄の業と見えたり。[p0255]
問て云く 五逆と謗法と罪の軽重如何。[p0255]
答て云く 大品経に云く_舎利弗白仏言 世尊五逆罪与破法罪相似耶。仏告舎利弗 不応言相似。所以者何 若破般若波羅蜜 則為破十方諸仏一切智一切種智。破仏宝故 破法宝故 破僧宝故。破三宝故 則破世間正見。破世間正見○則得無量無辺阿僧祇罪。得無量無辺阿僧祇罪已則受無量無辺阿僧祇憂苦〔舎利弗仏に白して言さく 世尊、五逆罪と破法罪と相似するや。仏、舎利弗に告げたまわく 応に相似と言うべからず。所以は何ん、若し般若波羅蜜を破れば、則ち十方諸仏の一切智・一切種智を破るに為んぬ。仏宝を破るが故に、法宝を破るが故に、僧宝を破るが故に。三宝を破るが故に、則ち世間の正見を破す。世間の正見を破れば○則ち無量無辺阿僧祇の罪を得るなり。無量無辺阿僧祇の罪を得已って、則ち無量無辺阿僧祇の憂苦を受くるなり〕[文]。[p0255]
又云く_破法業・因縁集故 無量百千万億歳堕大地獄中。此破法人輩従一大地獄至一大地獄。若劫火起時至他方大地獄中。如是遍十方彼間劫火起。故従彼死 破法業・因縁未尽故 還来是間大地獄中〔破法の業・因縁集まるが故に、無量百千万億歳、大地獄の中に堕つ。此の破法人の輩、一大地獄より一大地獄に至る。若し劫火起こる時は他方の大地獄の中に至る。是の如く、十方に遍くして彼の間に劫火起こる。故に彼より死し、破法の業・因縁未だ尽きざる故に、是の間の大地獄の中に還来す〕等云云。[p0255]
法華経第七に云く_四衆之中。有生瞋恚。心不浄者。悪口罵詈言。是無知比丘。従何所来 ~ 或以。杖木瓦石。而打擲之 乃至 千劫於阿鼻地獄。受大苦悩〔四衆の中に瞋恚を生じて心不浄なるあり、悪口罵詈して言く 是の無知の比丘、~ 或は杖木・瓦石を以て之を打擲すれば 乃至 千劫阿鼻地獄に於て大苦悩を受く〕等云云。[p0255]
此の経文の心は、法華経の行者を悪口し、及び杖を以て打擲せるもの、其の後に懺悔せりといえども、罪いまだ滅せずして、千劫阿鼻地獄に堕ちたり、と見えぬ。懺悔する謗法の罪すら五逆罪に千倍せり。況んや懺悔せざらん謗法においては、阿鼻地獄を出る期かたかるべし。故に法華経第二に云く_見有読誦 書持経者 軽賎憎嫉 而懐結恨 乃至 其人命終 入阿鼻獄 具足一劫 劫尽更生 如是展転 至無数劫〔経を読誦し書持すること あらん者を見て 軽賎憎嫉して 結恨を懐かん 乃至 其の人命終して 阿鼻獄に入らん 一劫を具足して 劫尽きなば更生れん 是の如く展転して 無数劫に至らん〕等云云。[p0255-0256]
第三に問答料簡を明かさば、[p0256]
問て云く 五逆罪と謗法罪との軽重はしんぬ。謗法の相貌何ん。[p0256]
答て云く 天台智者大師の梵網経の疏に云く ̄謗者背也〔謗とは背くなり〕等云云。法に背くが謗法にてはあるか。天親の仏性論に云く ̄若憎背〔若し憎むは背なり〕等云云。此の文の心は、正法を人に捨てさするが謗法にてあるなり。[p0256]
問て云く 委細に相貌をしらんとおもう。あらあらしめすべし。[p0256]
答て云く 涅槃経第五に云く_若有人言如来無常。云何是人舌不堕落〔若し人有って如来は無常なりと言わん。云何ぞ、是の人舌を堕落せざらん〕等云云。此の文の心は、仏を無常といわん人は、舌堕落すべし、と云云。[p0256]
問て云く 諸の小乗経に仏を無常と説かるる上、又所化の衆皆無常と談じき。若し爾らば、仏竝びに所化の衆の舌堕落すべしや。[p0256]
答て云く 小乗経の仏を小乗経の人が無常と説き談ずるは、舌ただれざるか。大乗経に向かって仏を無常と談じ、小乗経に対して大乗経を破するが、舌は堕落するか。此れをもておもうに、おのれが依経には随えども、すぐれたる経を破するは破法となるか。若し爾らば、設い観経・華厳経等の権大乗経の人々、所依の経の文の如く修行すとも、かの経にすぐれたる経々に随わず、又すぐれざる由を談ぜば、謗法となるべきか。されば観経等の経の如く法をえたりとも、観経等を破せる経の出来したらん時、其の経に随わずば破法となるべきか。小乗経を以てなぞらえて心うべし。[p0256]
問て云く 双観経等に_乃至十念即得往生なんどとかれて候が、彼のきょう(経)の教えの如く十念申して往生すべきを、後の経を以て申しやぶらば、謗法にては候まじきか。[p0256-0257]
答て云く 観経等の四十余年の経々を束ねて未顕真実と説かせ給いぬれば、此の経文に随って乃至十念即得往生等は実には往生しがたし、と申す。此の経文なくば謗法となるべし。[p0257]
問て云く 或人云く 無量義経の四十余年未顕真実の文はあえて四十余年の一切の経々竝びに文々句々を皆未顕真実と説き給うにはあらず。但四十余年の経々に処々に決定性の二乗を永不成仏ときらわせ給い、釈迦如来を始成正覚と説き給いしを、其の言ばかりをさして未顕真実とは申すなり。あえて余事にはあらず。而るをみだりに四十余年の文を見て、観経等の凡夫のために九品往生なんどを説きたるを、妄りに往生はなき事なり、なんど押さえ申すはあにおそろしき謗法の者にあらずや、なんど申すはいかに。[p0257]
答て云く 此の料簡は東土の得一が料簡に似たり。得一が云く ̄未顕真実と決定性の二乗を、仏、爾前の経にして永不成仏と説かれしを未顕真実とは嫌わるるなり。前四味の一切には互るべからず、と申しき。伝教大師は前四味に互りて文々句々に未顕真実と立て給いき。さればこの料簡は古の謗法の者の料簡に似たり。但し且く汝が料簡に随って尋ね明きらめん。[p0257]
問う 法華已前に二乗作仏を嫌いけるを、今未顕真実というとならば、先ず決定性の二乗を仏の永不成仏と説かせ給いし処々の経文ばかりは、未顕真実の仏の妄語なりと承伏せさせ給うか。さては仏の妄語は勿論なり。若し爾らば、妄語の人の申すことは有無共に用いぬ事にてあるぞかし。決定性の二乗永不成仏の語ばかり妄語となり、若し余の菩薩凡夫の往生成仏等は実語となるべきならば、信用しがたき事なり。譬えば東方を西方と妄語し申す人は、西方を東方と申すべし。二乗を永不成仏と説く仏は余の菩薩の成仏を許すも又妄語にあらずや。五乗は但一仏性なり。二乗の仏性をかくし、菩薩凡夫の仏性をあらわすは、返って菩薩凡夫の仏性をかくすなり。[p0257-0258]
有る人云く 四十余年未顕真実とは、成仏の道ばかり未顕真実なり。往生等は未顕真実にはあらず。[p0258]
又難じて云く 四十余年が間の説の成仏を未顕真実と承伏せさせ給わば、双観経に云う_不取正覚成仏已来凡歴十劫等の文は未顕真実と承伏せさせ給うか。若し爾らば、四十余年の経々にして法蔵比丘の阿弥陀仏になり給わずば、法蔵比丘の成仏すでに妄語なり。若し成仏妄語ならば、何の仏か行者を迎え給うべきや。[p0258]
又かれ此の難を通して云く 四十余年が間は成仏はなし。阿弥陀仏は今の成仏にはあらず、過去の成仏なり等云云。[p0258]
今難じて云く 今日の四十余年の経々にして実の凡夫の成仏を許されずは、過去遠々劫の四十余年の権経にても成仏叶いがたきか。三世の諸仏の説法の儀式、皆同じきが故也。[p0258-0259]
或は云く _不得疾成無上菩提ととかるれば、四十余年の経々にては疾こそ仏にはならねども、遅く劫を経てはなるか。[p0259]
難じて云く 次下の大荘厳菩薩等の領解に云く_過不可思議無量無辺阿僧祇劫終不得成無上菩提〔不可思議無量無辺<無量無辺不可思議>阿僧祇劫を過ぐれども、終に無上菩提を成ずることを得ず〕等と云云。此の文の如くならば劫を経ても爾前の経計りにては成仏はかたきか。[p0259]
有るいは云く 華厳宗の料簡に云く 四十余年の内には華厳経計りは入るべからず。華厳経にすでに往生成仏此れあり。なんぞ華厳経を行じて往生成仏をとげざらん。[p0259]
答て云く 四十余年の内に華厳経入るべからずとは、華厳宗の人師の義也。無量義経には正しく四十余年の内に華厳海空と名目を呼び出して、四十余年の内にかずえ入れられたり。人師を本とせば仏を背くになりぬ。[p0259]
問て云く 法華経をはなれて往生成仏をとげずば、仏世に出させ給いては、但法華経計りをこそ説き給わめ。なんぞわずらわしく四十余年の経々を説かせ給うや。[p0259]
答て云く 此の難は、仏自ら答え給えり。若但讃仏乗 衆生没在苦 不能信是法 破法不信故 墜於三悪道〔若し但仏乗を讃めば 衆生苦に没在し 是の法を信ずること能わじ 法を破して信ぜざるが故に 三悪道に墜ちなん〕等の経文此れなり。[p0259]
問て云く いかなれば爾前の経をば衆生謗ぜざるや。[p0259]
答て云く 爾前の経々は万差なれども、束ねて此れを論ずれば随他意と申して衆生の心をとかれてはんべし。故に違する事なし。譬えば水に石をなぐるにあらそう(争)ことなきがごとし。又しなじなの説教はんべれども、九界の衆生の心を出す。衆生の心は皆善につけ悪につけて迷いを本とする故に、仏にはならざるか。[p0259-0260]
問て云く 衆生謗ずべき故に、仏、最初に法華経を説き給わずして四十余年の後に法華経を説き給わば、汝なんぞ当世に権経をばとかずして、左右なく法華経をといて人に謗をなさせて悪道に堕すや。[p0260]
答て云く 仏在世には、仏、菩提樹の下に坐し給いて機をかがみ給うに、当時法華経を説くならば、衆生謗じて悪道に堕ちぬべし。四十余年すぎて後にとかば、謗ぜずして初住不退、乃至妙覚にのぼりぬべし、と知見しましましき。末代濁世には、当機にして初住の位に入るべき人は、万に一人もありがたかるべし。又能化の人も、仏にあらざれば、機をかがみん事もこれかたし。されば、逆縁順縁のために、先ず法華経を説くべし、と仏ゆるし給えり。但し、又滅後なりとも、当機衆になりぬべき者には、先ず権経をとく事もありぬべし。又悲を先とする人は、先ず権経をとく、釈迦仏の如し。慈を先とする人は、先ず実教をとくべし、不軽菩薩の如し。又末代の凡夫はなにとなくとも悪道を免れんことはかたかるべし。同じく悪道に堕ちるならば、法華経を謗ぜさせて堕すならば、世間の罪をもて堕したるにはにるべからず。聞法生謗 堕於地獄 勝於供養 恒沙仏者等の文のごとし。此の文の心は、法華経をほう(謗)じて地獄に堕ちたるは、釈迦仏・阿弥陀仏等の恒河沙の仏を供養し、帰依、渇仰する功徳には、百千万倍すぎたり、ととかれたり。[p0260-0261]
問て云く 上の義のごとくならば、華厳・法相・三論・真言・浄土等の祖師は、皆謗法に堕すべきか。華厳宗には、華厳経は法華経には雲泥超過せり。法相・三論もてかくのごとし。真言宗には、日本国に二の流れあり。東寺の真言は、法華経は華厳経におとれり。何に況んや大日経においてをや。天台の真言には、大日経と法華経とは理は斉等なり。印・真言等は超過せりと云云。此れ等は皆悪道に堕つべしや。[p0261]
答て云く 宗を立て、経々の勝劣を判ずるに二の義あり。一は似破、二は能破なり。一に似破とは、他の義は善とおもえども此れを破す。かの正義を分明にあらわさんがためか。二に能破とは、実に他人の義の勝れたるをば弁えずして、迷って我が義勝れたりとおもいて、心中よりこれを破するをば、能破という。されば、彼の宗々の祖師に似破・能破の二の義あるべし。心中には、法華経は諸経に勝れたりと思えども、且く違して法華経の義を顕さんとおもいて、これをはする事あり。提婆達多・阿闍世王・諸の外道が、仏のかたきとなりて仏徳を顕し、後には仏に帰せしがごとし。又実の凡夫が、仏のかたきとなりて悪道に堕つる事これ多し。されば、諸宗の祖師の中に回心の筆をかかずば、謗法の者、悪道に堕ちたりとしるべし。三論の嘉祥・華厳の澄観・法相の慈恩・東寺の弘法等は回心の筆これあるか。よくよく尋ねならうべし。[p0261-0262]
問て云く まことに今度生死をはなれんとおもわんに、なにものをかいとい、なにものをか願うべきや。[p0262]
答う 諸の経文には女人等をいとうべしとみえたれども、雙林最後の涅槃経に云く_菩薩雖見是身無量過患具足充満。為欲受持涅槃経故猶好将護不令乏少。菩薩於悪象等心無恐怖。於悪知識生怖畏心。何以故 是悪象等唯能壊身不能壊心。悪知識者二倶壊故。若悪象者唯壊一身悪知識壊無量身無量善心 ~ 為悪象殺不至三趣。為悪友殺必至三趣〔菩薩、是の身に無量の過患具足充満すと見ると雖も、涅槃経を受持せんと欲するを為ての故に、猶お好く将護して乏少ならしめず。菩薩、悪象等に於ては心に恐怖すること無かれ。悪知識に於ては怖畏の心を生ぜよ。何を以ての故に。是の悪象等は唯能く身を壊りて心を壊ること能わず。悪知識は二倶に壊るが故に。悪象の若きは唯一身を壊り、悪知識は無量の身、無量の善心を壊る。是の悪象等は唯能く不浄の臭き身を破壊し、悪知識は能く浄身及以び浄心を壊る。~ 悪象の為に殺されては三趣に至らず。悪友の為に殺されては必ず三趣に至る〕等云云。[p0262]
此の経文の心は、後世を願わん人は、一切の悪縁を恐るべし。一切の悪縁よりは、悪知識をおそるべし、とみえたり。されば、大荘厳仏の末の四の比丘は、自ら悪法を行じて、十方の大阿鼻地獄を経るのみならず、六百億人の檀那等をも十方の地獄に堕しぬ。鴦崛摩羅は摩尼跋陀が教えに随って、九百九十九人の指をきり、結句、母竝びに仏をがいせんとぎ(擬)す。善星比丘は仏の御子、十二部経を受持し、四禅定をえ、欲界の結を断じたりしかども、苦得外道の法を習うて、生身に阿鼻地獄に堕ちぬ。提婆が六万蔵、八万蔵を暗じたりしかども、外道の五法を行じて現に無間に堕ちにき。阿闍世王の父を殺し、母を害せんと擬せし、大象を放って仏をうしないたてまつらんとせしも、悪師提婆が教えなり。瞿伽利比丘が舎利弗・目連をそしりて、生身に阿鼻に堕せし、大族王の五竺の仏法僧をほろぼせし、大族王の舎弟は加・弥羅国{かしゅみらこく}の王となりて、健駄羅国の率都婆・寺塔一千六百所をうしないし、金耳国王の仏法をほろぼせし、波瑠璃王の九千九十万人の人をころして血ながれて池をなせし、設賞迦王の仏法を滅ぼし菩提樹をきり根をほりし、周の宇文王の四千六百余所の寺院を失い、二十六万六百余の僧尼を還俗せしめし、此れ等は皆悪師を信じ、悪鬼其の身に入りし故也。[p0262-0263]
問て云く 天竺・震旦は外道が仏法をほろぼし、小乗が大乗をやぶるとみえたり。此の日本国もしかるべきか。[p0263]
答て云く 月支・支那には外道あり、小乗あり。此の日本国には外道なし、小乗の者なし。紀典博士等これあれども、仏法の敵となるものこれなし。小乗の三宗これあれども、彼の宗を用て生死をはなれんとおもわず。但大乗を心うる才覚とおもえり。但し、此の国には大乗の五宗のみこれあり。人々皆おもえらく、彼の宗々にして生死をはなるべしをおもう故に、あらそいも多くいできたり、又檀那の帰依も多くあるゆえに、利養の心もふかし。[p0263]
第四に弘法用心抄。[p0263]
夫れ仏法をひろめんとおもわんものは、必ず五義を存して正法をひろむべし。五義とは、一には教、二には機、三には時、四には国、五には仏法流布の前後なり。[p0263-0264]
第一に教とは、如来一代五十年の説教は、大小・権実・顕密の差別あり。華厳宗には五教を立て一代をおさめ、其の中には華厳・法華を最勝とし、華厳・法華の中に華厳経を以て第一とす。南三北七竝びに華厳宗の祖師、日本国の東寺の弘法大師、此の義なり。法相宗は三時に一代をおさめ、其の中に深密・法華経を一代の聖教にすぐれたりとす。深密・法華の中、法華経は了義経の中の不了義経、深密経は了義経の中の了義経なり。三論宗に又一蔵・三時を立つ。三時の中の第三、中道教とは、般若・法華なり。般若・法華の中には般若最第一なり。真言宗には日本国に二の流れあり。東寺流は弘法大師、十住心を立て、第八法華・第九華厳・第十真言。法華経は大日経に劣るのみならず、猶お華厳経に下るなり。天台の真言は慈覚大師等、大日経と法華経とは広略の異。法華経は理秘密、大日経は事理倶密なり。浄土宗には聖道浄土、難行易行、雑行正行を立てたり。浄土の三部経より外の法華経等の一切経は、難行・聖道・雑行なり。禅宗には二の流れあり。一流は一切経・一切の宗の深義は禅宗なり。一流は如来一代の聖教は皆言説、如来の口輪の方便なり。禅宗は如来の意密、言説におよばず、教外の別伝なり。倶舎宗・成実宗・律宗は小乗宗なり。天竺・震旦には小乗の者、大乗を破する事これ多し。日本国には其の義なし。[p0264-0265]
問て云く 諸宗の異義区まちなり。一々に其の謂われありて得道をなるべきか。又諸宗皆謗法となりて、一宗計り正義となるべきか。[p0265]
答て云く 異論相違ありといえども、皆得道なるか。仏の滅後、四百年にあたりて健駄羅国の迦貳色迦王、仏法を貴み、一夏、僧を供し仏法をといしに、一々の僧異義多し。此の王不審して云く 仏説は定めて一ならん、終に脇尊者に問う。尊者答て云く 金杖を折って種々の物につくるに、形は別なれども金杖は一なり。形の異なるをば諍うといえども、金たる事をあらそわず。門々不同なれば、いりかどをば諍えども、入理は一なり等云云。又求那跋摩云く_緒論各異端修行理無二。偏執有是非達者無違諍〔緒論各異端なれども修行の理は二無し。偏執に是非有れども達者は違諍無し〕等云云。又五百羅漢の真因各異なれども、同じく聖理をえたり。大論の四悉檀の中の対治悉檀、摂論の四意趣の中の衆生意楽意趣、此れ等は此の善を嫌い、此の善をほむ。檀戒進等一々にそしり、一々にほむる、皆得道をなる。此れ等を以てこれを思うに、護法・清弁のあらそい、智光・戒賢の空・中、南三北七の頓漸不定、一時・二時・三時・四時・五時、四宗・五宗・六宗、天台の五時、華厳の五教、真言教の東寺・天台の諍い、浄土宗の聖道・浄土、禅宗の教外・教内、入門は差別せりというとも実理に入る事は、但一なるべきか。[p0265]
難じて云く 華厳の五教、法相・三論の三時、禅宗の教外、浄土宗の難行・易行、南三北七の五時等、門はことなりといえども入理一にして、皆仏意に叶い謗法とならずといわば、謗法という事あるべからざるか。謗法とは法に背くという事なり。法に背くと申すは、小乗は小乗経に背き、大乗は大乗経に背く。法に背かばあに謗法とならざらん。謗法とならばなんぞ苦果をまねかざらん。此の道理に背く、これひとつ。大般若経に云く_般若を謗ずる者は、十方の大阿鼻地獄に堕つべし。法華経に云く_若人不信 乃至 其人命終 入阿鼻獄〔若し人信ぜずして 乃至 其の人命終して 阿鼻獄に入らん〕。涅槃経に云く_世に難治の病三あり。一には四重、二には五逆、三には謗大乗なり。此れ等の経文あにむなしかるべき。此れ等は証文なり。されば無垢論師・大慢婆羅門・煕連禅師・崇霊法師等は、正法を謗じて、現身に大阿鼻地獄に堕ち、舌口中に爛れたり。これは現証なり。天親菩薩は小乗の論を作って諸大乗経をはしき。後に無著菩薩に対して此の罪を懺悔せんがために舌を切らんとくい給いき。謗法もし罪とならずんば、いかんが千部の論師懺悔をいたすべき。闡提とは、天竺の語、此には不信と翻す。不信とは、一切衆生悉有仏性を信ぜざるは闡提の人と見えたり。不信とは、謗法の者なり。恒河の七種の衆生の第一は、一闡提謗法常没の者なり。第二には、五逆謗法常没等の者なり。あに謗法をおそれざらん。[p0265-0266]
答て云く 謗法とは、只由なく仏法を謗ずるを謗法というか。我が宗をたてんがために余法を謗ずるは謗法にあらざるか。摂論の四意趣の中の衆生意楽意趣とは、仮令人ありて、一生の間、一善をも修せず、但悪を作る者あり。而るに小縁にあいて何れの善にてもあれ、一善を修せんと申す。これは随喜讃歎すべし。又善人あり、一生の間、但一善を修す。而るを他の善えうつさんがためにそのぜんをそしる。於一事中或呵或讃〔一事の中に於いて或は呵し或は讃す〕という、これなり。大論の四悉檀の中の対治悉檀、又これおなじ。浄名経の弾呵と申すは、阿含経の時ほめし法をそしるなり。此れ等を以ておもうに、或は衆生多く小乗の機あれば、大乗を謗りて小乗経に信心をまし、或は衆生多く大乗の機なれば、小乗をそしりて大乗経に信心をあつくす。或は衆生弥陀仏に縁あれば、諸仏をそしりて弥陀に信心をまさしめ、或は衆生多く地蔵に縁あれば、諸菩薩をそしりて地蔵をほむ。或は衆生多く華厳経に縁あれば、諸経をそしりて華厳経をほむ。或は衆生大般若経に縁あれば、諸経をそしりて大般若経をほむ。或は衆生法華経、或は衆生大日経等、同じく心うべし。機を見て或は讃め、或は毀る、共に謗法とならず。而るを機をしらざる者、みだりに或は讃め、或は呰るは、謗法となるべきか。例せば華厳宗・三論・法相・天台・真言・禅・浄土等の諸師の諸経をはして、我が宗を立てるは謗法とならざるか。[p0266-0267]
難じて云く 宗を立てんに諸経諸宗を破し、仏菩薩を讃むるに仏菩薩を破し、他の善根を修せしめんがためにこの善根をはする、くるしからずば、阿含等の諸の小乗経に華厳等の諸大乗経を破したる文ありや。[p0267-0268]
答て云く 阿含小乗経に諸大乗経をはしたる文はなけれども、華厳経には二乗・大乗・一乗をあげて二乗・大乗をはし、涅槃経には諸大乗経をあげて涅槃経に対してこれをはす。密厳経には一切経中王ととき、無量義経には四十余年未顕真実ととかれ、阿弥陀経には念仏に対して諸経を小善根ととかる。これらの例一にあらず。故に又彼の経々による人師、皆此の義を存せり。此れ等をもて思うに、宗を立てる方は我が宗に対して諸経を破るはくるしからざるか。[p0268]
難じて云く 華厳経には小乗・大乗・一乗とあげ、密厳経には一切経中王ととかれ、涅槃経には是諸大乗とあげ、阿弥陀経には念仏に対して諸経を小善根とはとかれたれども、無量義経のごとく四十余年と年限を指して、其の間の大部の諸経、阿含・方等・般若・華厳等の名をよびあげて勝劣をとける事これなし。涅槃経の是諸大乗の文計りこそ、雙林最後の経として是諸大乗ととかれたれば、涅槃経には一切経は嫌わるるかとおぼう(覚)れども、是諸大乗経と挙げて、次下に諸大乗経を列ねたるに十二部修多羅・方等・般若等とあげたり。無量義経・法華経をば載せず。但し、無量義経に挙ぐるところは四十余年の阿含・方等・般若・華厳経をあげたり。いまだ法華経・涅槃経の勝劣はみえず。密厳に一切経中王とはあげたれども、一切経をあぐる中に華厳・勝鬘等の諸経の名をあげて一切経中王ととく。故に法華経等とはみえず。阿弥陀経の小善根は時節もなし、小善根の相貌もみえず。たれかしる、小乗経を小善根というか。又人天の善根を小善根というか。又観経・双観経の所説の諸善を小善根というか。いまだ一代を念仏に対して小善根というとはきこえず。又大日経・六波羅蜜経等の諸の秘教の中にも、一代の一切経を嫌うてその経をほめたる文はなし。[p0268-0269]
但し、無量義経計りこそ、前四十余年の諸経を嫌い、法華経一経に限って、已説の四十余年・今説の無量義経・当説の未来にとくべき涅槃経を嫌うて法華経計りをほめたり。釈迦如来・過去現在未来の三世の諸仏、世にいで給いて各々一切経を説き給うに、いずれの仏も法華経第一なり。例せば上郎下郎不定なり。田舎にしては、百姓郎従等は、侍を上郎という。洛陽にして、源平等已下を下郎という。三家を上郎という。又主を王といわば、百姓も宅中の王なり。地頭・領家等も、又村郷郡国の王なり。しかれども大王にはあらず。小乗経には無為涅槃の理が王なり。小乗の戒定等に対して智慧は王なり。諸大乗経には中道の理が王なり。又華厳経は円融相即の王、般若経は空理の王、大集経は守護正法の王、薬師経は薬師如来の別願を説く経の中の王、双観経は阿弥陀仏の四十八願を説く経の中の王、大日経は印真言を説く経の中の王、一代一切経の王にはあらず。法華経は真諦俗諦・空仮中・無為の理・十二大願・四十八願、一切諸経の所説の所詮の法門の大王なり。これ教をしれる者なり。[p0269-0270]
而るを善無畏・金剛智・不空・法蔵・澄観・慈恩・嘉祥・南三北七・曇鸞・道綽・善導・達磨等の、我が所立の依経を一代第一といえるは、教をしらざる者なり。但し、一切の人師の中には、天台智者大師一人、教をしれる人なり。曇鸞・道綽等の聖道浄土・難行易行・正行雑行は、源と十住毘婆沙論に依る。彼の本論に難行の内に法華・真言等を入ると謂えるは僻案なり。論主の心と、論の始中終をしらざる失あり。慈恩が深密経の三時に一代をおさめたる事、又本経の三時に一切経の摂らざる事をしらざる失あり。法蔵・澄観等が五教に一代をおさむる中に、法華経・華厳経を円教と立て、又華厳経は法華経に勝れたりとおもえるは、所依の華厳経に二乗作仏・久遠実成をあかさざるに記小・久成ありとおもい、華厳超過の法華経を我が経に劣るというは僻見也。三論の嘉祥の二蔵等、又法華経に般若経すぐれたりとおもう事は僻案也。善無畏等が大日経は法華経に勝れたりという。法華経の心をしらざるのみならず、大日経をもしらざる者なり。[p0270-0271]
問て云く 此れ等皆謗法ならば、悪道に堕ちたるか、如何。[p0271]
答て云く 謗法に上中下雑の謗法あり。慈恩・嘉祥・澄観等が謗法は上中の謗法か。其の上自身も謗法としれるかの間、悔い還す筆、これあるか。又他師をはする二にあり。能破・似破これなり。教はまさりとしれども、是非をあらわさんがために、法をはす、これは似破なり。能破とは、実にまされる経を劣とおもうてこれをはす、これは悪能破なり。又現におとれるをはす、これ善能破なり。但し、脇尊者の金杖の譬えは、小乗経は多しといえども、同じ苦・空・無常・無我の理なり。諸人同じく此の義を存じて、十八部・二十部相諍論あれども、但門の諍いにて理の諍いにはあらず。故に共に謗法とならず。外道が小乗経を破するは、外道の理は常住なり、小乗経の理は無常なり、空なり。故に外道が小乗経を破するは謗法となる。大乗経の理は中道なり。小乗経は空なり。小乗経の者が大乗経をはするは謗法となる。大乗経の者が小乗経をはするは破法とならず。諸大乗経の理は未開会の理、いまだ記小・久成これなし。法華経の理は開会の理、記小・久成これあり。諸大乗経の者が法華経を破するは謗法となるべし。法華経の者の諸大乗経を謗するは謗法となるべからず。大日経真言宗は未開会、記小・久成なくば法華経已前なり。開会・記小・久成を許さば涅槃経と同じ。但し、善無畏三蔵・金剛智・不空・一行等の性悪の法門・一念三千の法門は天台智者の法門をぬすめるか。若し爾らば、善無畏等の謗法は似破か、又雑謗法か。五百羅漢の真因は小乗十二因縁の事なり。無明・行等を縁として空理に入る、と見えたり。門は諍えども謗法とならず。摂論の四意趣・大論の四悉檀等は、無著菩薩・龍樹菩薩滅後の論師として、法華経を以て一切経の心をえて、四悉・四意趣等を用て爾前の経々の意を判ずるなり。未開会の四意趣・四悉檀と、開会の四意趣・四悉檀を同ぜば、あに謗法にあらずや。此れ等をよくよくしるは教をしれる者なり。四句あり。一に信而不解、二に解而不信、三に亦信亦解、四に非信非解。[p0271-0272]
{※以降漢文}[p0272]
問て云く 信而不解之者は謗法なる歟。[p0272]
答て云く 法華経に云く_以信得入等云云。涅槃経の九に云く。[p0272]
難じて云く 涅槃経三十六に云く_我於契経中説有二種人謗仏法僧。一者不信瞋恚心故。二者雖信不解義故。善男子 若人信心無有智慧 是人則能増長無明。若有智慧無有信心 是人則能増長邪見。善男子 不信之人瞋恚心故 説言無有仏法僧宝。信者無慧 顛倒解義故 令聞法者謗仏法僧〔我、契経の中に於いて説く、二種の人有り、仏法僧を謗ずと。一には不信にして瞋恚の心あるが故に。二には信ずと雖も義を解せざるが故に。善男子、若し人信心あって智慧有ること無くんば、是の人は則ち能く無明を増長す。若し智慧有って信心有ること無くんば、是の人は則ち能く邪見を増長す。善男子、不信之人は瞋恚の心あるが故に、説いて仏法僧宝有ること無しと言わん。信にして慧無くば、顛倒して義を解するが故に、法を聞く者をして仏法僧を謗ぜしむ〕等云云。[p0272]
是の二人之中には信じて解せざる者を謗法と説く、如何。[p0272]
答て云く 是の信而不解の者は、涅槃経の三十六に恒河之七種之衆生之第二の者を説く也。此の第二之者は、涅槃経の一切衆生悉有仏性之説を聞くと雖も、之を信じ、而も又、不信の也。[p0272]
問て云く 如何ぞ信ずと雖も而も不信なる乎。[p0272]
答て云く 一切衆生悉有仏性之説を聞いて之を信ずと雖も、又心を爾前之経に寄する一類の衆生をば無仏性の者と云う也。此れ信而不信の者也。[p0273]
問て云く 証文、如何。[p0273]
答て云く 恒河第二の衆生を説いて云く 経に云く_得聞如是大涅槃経生於信心。是名為出〔是の如き大涅槃経を聞くことを得て、信心を生ず。是れを名づけて出と為す〕と。又云く_雖信仏性是衆生有 不必一切皆悉有之。是故名為信不具足〔仏性は是れ衆生に有りと信ずと雖も、必ずしも一切皆悉く之有らず。是の故に名づけて信不具足と為す〕[文]。此の文の如くんば、口には涅槃を信ずと雖も、心に爾前之義を存する者也。[p0273]
又此の第二の人を説いて云く_信者無慧 顛倒解義故〔信にして慧無くば、顛倒して義を解するが故に〕等云云。顛倒解義とは、実経之文を得て権経之義を覚る者也。[p0273]
問て云く 信而不解得道之文、如何。[p0273]
答て云く 涅槃経の三十二に云く_此菩提因雖復無量 若説信心已摂尽〔此の菩提の因は、復、無量なりと雖も、若し信心を説けば、已に摂尽す〕[文]。九に云く_聞此経已悉皆作菩提因縁。法声光明入毛孔者必定当得阿耨多羅三藐三菩提〔此の経を聞き已って、悉く皆菩提の因縁と作る。法声光明、毛孔に入る者は、必ず定めて当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし〕等云云。法華経に云く_以信得入等云云。[p0273]
問て云く 解而不信の者は、如何。[p0273]
答う 恒河の第一の者也。[p0273]
問て云く 証文、如何。[p0273]
答て云く 涅槃経の三十六に第一を説いて云く_有人聞是大涅槃経如来常住無有変易常楽我浄 終不畢竟入於涅槃一切衆生悉有仏性一闡提人。謗方等経作五逆罪犯四重禁 必当得成菩提之道。須陀・人・斯陀含人・阿那含人・阿羅漢人・辟支仏等必当得成阿耨多羅三藐三菩提。聞是語已生不信心〔人有って、是の大涅槃経の如来常住無有変易常楽我浄を聞くとも、終に畢竟して涅槃の一切衆生悉有仏性に入らざるは、一闡提の人なり。方等経を謗じ、五逆罪を作り、四重禁を犯すとも、必ず当に菩提之道を成ずることを得べし。須陀・{しゅだおん}の人・斯陀含の人・阿那含の人・阿羅漢の人・辟支仏等は、必ず当に阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得べし。是の語を聞き已って不信の心を生ず〕等云云。[p0273]
問て云く 此の文、不信と見えたり。解而不信とは見えず、如何。[p0273]
答て云く 第一の結文に云く 若有智慧無有信心 是人則能増長邪見〔若し智慧有って信心有ること無し、是の人は則ち能く邪見を増長す〕等云云[文]。[p0273]
#0032-0K0 論談敵対御書 弘長二(1262) [p0274]
論談敵対の時、二口三口に及ばず、一言二言を以て退屈せしめ了んぬ。いわゆる善覚寺道阿弥陀仏・長安寺能安等是れ也。其の後は唯悪口を加へ、無知の道俗を相語らひ留難をなさしむ。或は国々の地頭に語らひ、或は事を権門に寄せ、或は昼夜に私宅を打ち、或は杖木に及び、或は貴人に向ひて云く 謗法者・邪見者・悪口者・犯禁者等の誑言其の数を知らず。終に去年五月十二日戌の時 念仏者并に□師・□師・雑人等[p0274]
#0038-000 南条兵衛七郎殿御書 文永元(1264.12・13) [p0319]
御所労之由承り候はまことにてや候覧。世間の定めなき事は、病なき人も留まりがたき事に候えば、まして病あらん人は申すにおよばず。但し心あらん人は後世をこそ思いさだむべきにて候え。又後世を思い定めん事は私にはかないがたく候。一切衆生の本師にてまします釈尊の教こそ本にはなり候べけれ。[p0319]
而るに仏の教え又まちまちなり。人の心の不定なるゆえ歟。しかれども釈尊の説教五十年にはすぎず。さき四十余年の間の法門に、華厳経には心仏及衆生是三無差別、阿含経には苦空無常無我、大集経には染浄融通、大品経には混同無二、双観経・観経・阿弥陀経等には往生極楽。此れ等の説教はみな正法・像法・末法の一切衆生をすくわんがためにこそとかれはんべり候けめ。[p0319]
而れども仏いかんがおぼしけん、無量義経に_以方便力。四十余年。未顕真実。〔方便力を以てす。四十余年には未だ真実を顕さず〕ととかれて、先四十余年の往生極楽等の一切経は親の先判のごとくくいかえされて_過無量無辺不可思議阿僧祇劫。終不得成。無上菩提。〔無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぐれども、終に無上菩提を成ずることを得ず〕といいきらせ給いて、法華経の方便品に重ねて正直捨方便 但説無上道〔正直に方便を捨てて 但無上道を説く〕ととかせ給えり。方便を捨てよととかれてはんべるは、四十余年の念仏等を捨てよととかれて候。こうたしかにくいかえして実義をさだむるには、_世尊法久後 要当説真実〔世尊は法久しゅうして後 要ず当に真実を説きたもうべし〕_久黙斯要 不務速説〔久しく斯の要を黙して 務いで速かに説かず〕等とさだめられしかば、多宝仏大地よりわきいでさせ給いて、この事真実なりと証明をくわえ、十方の諸仏八方に集まりて広長舌相を大梵天宮につけさせ給いき。二処三会、二界八番の衆生一人もなくこれをみ候き。[p0319-0320]
此れ等の文をみ候に、仏教を信ぜぬ悪人外道はさておき候ぬ。仏教の中に入り候ても爾前権教の念仏等を厚く信じて、十遍・百遍・千遍・一万乃至六万等を一日にはげみて、十年二十年の間にも南無妙法蓮華経と一遍だにも申さぬ人々は、先判について後判をもちいぬ者にては候まじきか。此れ等は仏説を信じたりげには我が身も一も思いたりげに候えども、仏説の如くならば不幸の者也。故に法華経の第二に云く_今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子 而今此処 多諸患難 唯我一人 能為救護 雖復教詔 而不信受〔今此の三界は 皆是れ我が有なり 其の中の衆生は 悉く是れ吾が子なり 而も今此の処は 諸の患難多し 唯我一人のみ 能く救護を為す 復教詔すと雖も 而も信受せず〕等云云。[p0320]
此の文の心は釈迦如来は此れ等衆生には親也、師也、主也。我等衆生のためには阿弥陀仏・薬師仏等は主にてましませども、親と師とにはましまさず。ひとり三徳をかねて恩ふかき仏は釈迦一仏にかぎりたてまつる。親も親にこそよれ、釈尊ほどの親、師も師にこそよれ、主も主にこそよれ、釈尊ほどの師主はありがたくこそはべれ。この親と師と主との仰せをそむかんもの、天神地祇にすてたれたてまつらざらんや。不孝第一の者也。故に_雖復教詔 而不信受〔復教詔すと雖も 而も信受せず〕等と説かれたり。たとい爾前の経につかせ給いて、百千万億劫行ぜさせ給うとも、法華経を一遍も南無妙法蓮華経と申させ給わずは、不孝の人たる故に三世十方の聖衆にもすてられ、天神地祇にもあだまれ給わん歟[是れ一]。[p0320-0321]
たとい五逆十悪無量の悪をつくれる人も、根だにも利なれば得道なる事これあり。提婆達多・鴦崛摩羅等これなり。たとい根鈍なれども罪なければ得道なる事これあり。須利槃特等是れ也。我等衆生は根の鈍なること須利槃特にもすぎ、物のいろかたちをわきまえざる事羊目の如し。貪瞋癡きわめてあつく、十悪は日々におかし、五逆をばおかさざれども五逆に似たる罪又日々におかす。又十悪五逆にすぎたる謗法は人毎にこれあり。させる語を以て法華経を謗ずる人はすくなけれども、人ごとに法華経をばもちいず。又もちいたるようなれども念仏等のようには信心ふかからず。信心ふかき者も法華経のかたきおばせめず。いかなる大善をつくり、法華経を千万部読み書写し、一念三千の観道を得たる人なりとも、法華経のかたきをだにもせめざれば得道ありがたし。たとえば朝につかうる人の十年二十年の奉公あれども、君の適をしりながら奏もせず、私にもあだまずば、奉公皆うせて還ってとがに行われんが如し。当世の人々は謗法の者と知しめすべし[是れ二]。[p0321-0322]
仏入滅の次日より千年をば正法と申す。持戒の人多く得道の人これあり。正法千年の後は像法千年也。破戒者は多く得道少なし。像法千年の後は末法万年。持戒もなし破戒もなし、無戒者のみ国に充満せん。而も濁世と申してみだれたる世也。清世と申してすめる世には、直縄のまがれるきをけずらするように、非をすて是れを用いる也。正像より五濁ようよういできたりて、末法になり候えば五濁さかりにすぎて、大風の大波をおこしてきしをうつのみならず、又波と波とをうつ也。見濁と申すは正像ようようすぎぬれば、わずかの邪法の一をつたえて無量の正法をやぶり、世間の罪にて悪道におつるものよりも、仏法を以て悪道におつるもの多しとみえはんべり。しかるに当世は正像二千年すぎて末法に入って二百余年、見濁さかりにして、悪よりも善根にて多く悪道に堕つべき時刻也。悪は愚痴の人も悪としればしたがわぬへんもあり。火を水を用いてけすがごとし。善は但善と思うほどに、小善に付いて大悪のおこる事をしらず。故に伝教・慈覚等の聖跡あり。すたれあばるれども念仏堂にあらずといいてすておきて、そのかたわらにあたらしく念仏堂をつくり、かの寄進の田畠をとりて念仏堂によす。此れ等は像法決疑経の文のごとくならば、功徳すくなしと見えはんべり。[p0323]
此れ等をもちてしるべし。善なれども大善をやぶる小善は悪道に墜ちるなるべし。今の世は末法のはじめなり。小乗経の機・権大乗の機みなうせはててただ実大乗の機のみあり。小船には大石をのせず。悪人愚人は大石のごとし。小乗経竝びに権大乗経念仏等は小船也。大悪瘡の湯治等は病大なれば小治およばず。末代濁世の我等には念仏等はたとえば冬田を作るが如し。時があわざる也[是れ三]。[p0323]
国をしるべし。国に随って人の心不定也。たとえば江南の橘の淮北にうつされてからたちとなる。心なき草木すらところによる。まして心あらんもの何ぞ所によらざらん。されば玄奘三蔵の西域と申す文に天竺の国々を多く記したるに、国の習いとして不孝なる国もあり、孝の心ある国もあり。瞋恚のさかんなる国もあり、愚痴の多き国もあり。一向に小乗を用いる国もあり、一向に大乗を用いる国もあり。大小兼学する国もありとみえ侍り。又一向に殺生の国、一向に偸盗の国、又穀の多き国、又粟等の多き国不定也。[p0323]
抑そも日本国はいかなる教を習ってか生死をは離るべき国ぞと勘えたるに、法華経に云く_閻浮提内。広令流布。使不断絶〔閻浮提の内に、広く流布せしめて断絶せざらしめん〕等云云。此の文の心は、法華経は南閻浮提の人のための有縁の経也。弥勒菩薩の云く ̄東方有小国 唯有大機〔東方に小国有り。唯大機のみ有り〕等云云。此の論の文の如きは、閻浮提の内にも東の小国に大乗経の機ある歟。肇公の記に云く ̄茲典有縁東北小国〔茲の典は東北の小国に有縁なり〕等云云。法華経は東北の国に縁ありとかかれたり。安然和尚の云く ̄我日本国皆信大乗〔我が日本国皆大乗を信ず〕等云云。慧心の一乗要決に云く ̄日本一州円機純一等云云。釈迦如来・弥勒菩薩・須利耶蘇摩三蔵・羅什三蔵・僧肇法師・安然和尚・慧心先徳等の心ならば、日本国は純に法華経の機也。[p0323-0324]
たとえばくろかねを磁石のすうが如し、方諸の水をまねくににたり。念仏等の余善は無縁の国也。磁石のかねをすわず、方諸の水をまねかざるが如し。故に安然の釈に云く ̄如非実乗者恐欺自他〔もし実乗に非ずんば恐らくは自他を欺かん〕等云云。此の釈の心は、日本国の人に法華経にてなき法をさずくるもの、我が身をもあざむき人をもあざむく者と見えたり。されば法は必ず国をかんがみて弘むべし。彼の国よかりし法なれば必ず此の国にもよかるべしとは思うべからず[是れ四]。[p0324]
又仏法流布の国においても前後を勘うべし。仏法を弘むる習い、必ずさきに弘まりける法の様を知るべき也。例せば病人に薬をあたうるにはさきに服したる薬の様を知るべし。薬と薬とがゆき合いてあらそいをなし、人をそんずる事あり。仏法と仏法とがゆき合いてあらそいをなして、人を損ずる事のある也。さきに外道の法弘まれる国ならば仏法をもってこれをやぶるべし。仏の印度にいでて外道をやぶり、まとうか・ぢくほうらんの震旦に来て道士をせめ、上宮太子和国に生まれて守屋をきりしが如し。仏教においても、小乗の弘まれる国をば大乗経をもってやぶるべし。無著菩薩の世親の小乗をやぶりしが如し。権大乗の弘まれる国をば実大乗をもってこれをやぶるべし。天台智者大師の南三北七をやぶりしが如し。[p0324-0325]
而るに日本国は天台・真言の二宗のひろまりて今に四百余歳、比丘・比丘尼・うばそく・うばいの四衆皆法華経の機と定まりぬ。善人悪人・有智無智、皆五十展転の功徳をそなう。たとえば崑崙山にいしなく、蓬莱山に毒なきが如し。[p0325]
而るを此の五十余年に法然という大謗法の者いできたりて、一切衆生をすかして、珠に似たる石をもって珠を投げさせ石をとらせたる也。止観の五に云く ̄瓦礫を貴んで明珠なり、と申すは是れ也。一切衆生石をにぎりて珠とおもう。念仏を申して法華経をすてたる是れ也。此の事をば申せば還ってはらをたち、法華経の行者をのりて、ことに無間の業をます也[是れ五]。[p0325]
但とのは、このぎをきこしめして、念仏をすて法華経にならせ給いてはべりしが、定めてかえりて念仏者にぞならせ給いてはべるらん。法華経をすてて念仏者とならせ給わんは、峯の石の谷へころび、空の雨の地におつるとおぼせ。大阿鼻地獄疑いなし。大通結縁の者の三千塵点劫を、久遠下種の者の五百塵点を経し事、大悪知識にあいて法華経をすてて念仏等の権教にうつりし故也。一家の人々念仏者にてましましげに候しかば、さだめて念仏をぞすすめまいらせ給い候らん。我信じたる事なればそれも道理にては候えども、悪魔の法然が一類にたぼらかされたる人々也とおぼして、大信心を起こし御用いあるべからず。大悪魔は貴き僧となり、父母兄弟等につきて人の後生をばさうるなり。いかに申すとも、法華経をすてよとたばかりげに候わんをば御用いあるべからず。まずごきょうさく(景迹)あるべし。念仏実に往生すべき証文つよくば、此の十二年が間念仏者無間地獄と申すをば、いかなるところへ申しいだしてもつめずして候べき歟。よくよくゆわき事也。法然・善導等がかきおきて候ほどの法門は日蓮らは十七八の時よりしりて候き。このごろの人の申すもこれにすぎず。結句は法門はかなわずして、よせてたたかいにし候也。念仏者は数千萬、かとうど多く候也。日蓮は唯一人、かとうどは一人もこれなし。今までも生きて候はふかしぎ也。[p0325-0326]
今年も十一月十一日、安房国東條の松原と申す大路にして、申酉の時、数百人の念仏等にまちかけられて候て、日蓮は唯一人、十人ばかり、ものの要にあうものはわずかに三四人也。いるやはふるあめのごとし、うつたちはいなずまのごとし。弟子一人は当座にうちとられ、二人は大事のてにて候。自信もきられ、うたれ、結句にて候し程に、いかが候けん、うちもらされていままでいきてはべり。いよいよ法華経こそ信心まさり候え。第四の巻に云く_而此経者。如来現在。猶多怨嫉。況滅度後〔而も此の経は如来の現在すら猶お怨嫉多し、況んや滅度の後をや〕等云云。第五の巻に云く_一切世間多怨難信〔一切世間に怨多くして信じ難く〕等云云。日本国に法華経よみ学する人これ多し。人のめ(妻)をねらい、ぬすみ等にて打ちはらるる人は多けれども、法華経の故にあやまたるる人は一人もなし。されば日本国の持経者はいまだ此の経文にはあわせ給わず。唯日蓮一人こそよみはべれ。_我不愛身命 但惜無上道〔我身命を愛せず 但無上道を惜む〕是れ也。[p0326-0327]
されば日蓮は日本第一の法華経の行者也。もしさきにたたせ給わば、梵天・帝釈・四大天王・閻魔大王等にも申させ給うべし、日本第一の法華経の行者日蓮房の弟子也、となのらせ給え。よもほうしん(芳心)なき事は候わじ。但一度は念仏一度は法華経となえつ、二心ましまし、人の聞くにはばかりなんどだにも候わば、よも日蓮が弟子と申すとも御用い候わじ。後にうらみさせ給うな。但し又法華経は今生のいのりともなり候なれば、もしやとしていきさせ給い候わば、あわれとくとく見参して、みずから申しひらかばや。語はふみにつくさず、ふみは心をつくしがたく候えばとどめ候ぬ。恐恐謹言。[p0327]
文永元年十二月十三日 日 蓮 花押[p0327]
なんじょうの七郎殿[p0327]
#0041-0K0 薬王品得意抄 文永二(1265) [p0337]
此の薬王品の大意とは、此の薬王品は第七の巻なり。二十八品之中には第二十三之品也。此の第一の巻に序品・方便品の二品有り。序品は二十八品の序品也。方便品より人記品に至るまでの八品は正には二乗作仏を明かし、傍には菩薩・凡夫の作仏を明かす。法師・宝塔・提婆・勧持・安楽之五品は、上之八品を末代之凡夫之修行すべき様を説く也。又涌出品は寿量品の序也。分別功徳品より十二品は正には寿量品を末代之凡夫の行ずべき様、傍には方便品等の八品を修行すべき様を説く也。[p0337]
然れば此の薬王品は方便品等之八品、竝びに寿量品を修行すべき様を説きし品也。此の品に十喩有り。第一大海喩。先づ第一の譬へを粗申すべし。[p0337]
此の南閻浮提ニ二千五百の河あり。西倶耶尼に五千の河あり。總じて此の四天下に二万五千九百の河あり。或は四十里・乃至百里・一里・一尋等有る也。然りと雖も此の諸河は總じて深浅の事、大海に及ばず。法華已前之華厳経・阿含経・方等経・般若経・深密経・阿弥陀経・涅槃経・大日経・金剛頂経・蘇悉地経・深密経等の釈迦如来の所説之一切経、大日如来の所説之一切経、阿弥陀如来の所説之一切経、薬師如来の所説之一切経、過去現在未来三世の諸仏所説之一切経之中に法華経第一也。譬へば諸経は大河・中河・小河等の如し。法華経は大海の如し等と説く也。[p0337]
河に勝れたる大海に十徳有り。一に大海は漸次に深し。河は爾らず。二に大海は死屍を留めず。河は爾らず。三に大海は本の名字を失はず。河は爾らず。四に大海は一味也。河は爾らず。五に大海は宝等有り。河は爾らず。六に大海は極めて深し。河は爾らず。七に大海は広大無量也。河は爾らず。八に大海は大身の衆生等有り。河は爾らず。九に大海は潮の増減有り。河は爾らず。十に大海は大雨大河を受けて盈溢無し。河は爾らず。此の法華経には十徳有り。諸経には十失有り。此の経は漸次深多にして五十展転也。諸経には猶お一も無し。況んや二三四乃至五十展転をや。河深けれども大海の浅きに及ばず。諸経は一字一句十念等を以て十悪・五逆等の悪機を摂すと雖も未だ一字一句の随喜五十展転には及ばざる也。[p0337-0338]
此の経の大海に死屍を留めざるとは、法華経に背く謗法の者は極善の人為りと雖も猶お之を捨つ。何に況んや悪人なる之上、謗法をなさん者をや。設ひ諸経を謗ずと雖も、法華経に背かざれば必ず仏道を成ず。設ひ一切経を信ずと雖も法華経に背かば必ず阿鼻大城に堕つべし。[p0338]
乃至第八には大海は大身の衆生有りと云ふは大海には摩竭大魚等大身の衆生之有り。無間地獄と申すは縦広八万由旬也。五逆之者無間地獄に堕ちては一人必ず充満す。此の地獄の衆生は五逆の者・大身の衆生也。諸経の小河大河之中には摩竭大魚之無し。法華経の大海には之有り。五逆の者、仏道を成ず。是れ実には諸経に是れ無し。諸経に之有りと云ふと雖も、実には未顕真実也。故に一代聖教を諳ぜし天台智者大師の釈に云く ̄他経但記菩薩不記二乗。乃至 但記善不記悪。今経皆記〔他経は但菩薩に記して二乗に記せず 乃至 但善に記して悪に記せず 今経は皆記す〕等云云。余は且く之を略す。[p0338]
第二に山に譬ふ。十宝山等とは山の中には須弥山第一也。十宝山とは一には雪山・二には香山・三には軻梨羅山・四には仙聖山・五には由乾陀山・六には馬耳山・七には尼民陀羅山・八には斫伽羅山・九には宿慧山・十には須弥山也。先の九山とは諸経諸山の如し。但し一一に財あり。須弥山は衆財を具して其の財に勝れたり。例せば世間の金の閻浮檀金に及ばざるが如し。華厳経の法界唯心・般若の十八空・大日経の五相成身・観経の往生より法華経の即身成仏勝れたる也。[p0338-0389]
須弥山は金色也。一切の牛馬人天衆鳥等此の山に依れば必ず本の色を失ひて金色也。余山は爾らず。一切諸経、法華経に依れば本の色を失ふ。例せば黒色の物、日月の光に値ひて色を失ふが如し。諸経の往生成仏等之色は法華経に値へば必ず其の義をうしなう也。[p0339]
第三に月に譬ふ。衆星ハ半里・或は一里・或は八里・或は十六里には過ぎず。月は八百余里也。衆星は光有りと雖も月に及ばず。設ひ百千万億、乃至一四天下、三千大千世界の衆星之を集むるとも、一の月の光に及ばず。何に況んや一の星の月の光に及ぶべきや。華厳経・阿含経・方等・般若・涅槃経・大日経・観経等の一切の経、之を集むるとも、法華経の一字に及ばず。一切衆生の心中の見思・塵沙・無明の三惑、竝びに十悪・五逆等の業は暗夜のごとし。華厳経等の一切経は闇夜の星のごとし。法華経は闇夜の月のごとし。法華経を信ずれども深く信ぜざる者は半月の闇夜を照らすが如し。深く信ずる者は満月の暗夜を照らすが如し。月無くして但星のみ有る夜には強力の者・カタマシキ者ナムトハ行歩ストイヘトモ、老骨ノ者女人ナムトハ行歩に叶はず。満月ノ時ハ女人老骨ナンドモ、或ハ遊宴のため、或は人に値はんが如き行歩自在也。諸経ニハ菩薩・大根性ノ凡夫ハ設ひ得道ナルトモ、二乗・凡夫・悪人・女人・乃至末代ノ老骨ノ懈怠無戒ノ人々ハ往生成仏不定也。法華経は爾らず。二乗・悪人・女人等猶お仏に成る。何に況んや菩薩・大根性ノ凡夫ヲヤ。又月よりも暁ハまさり、春夏よりも秋冬ハ光アリ。法華経は正像二千年よりも末法には殊に利生有るべし。[p0339-0340]
問て云く 証文如何。[p0340]
答て云く 道理顕然也。其の上次下の文に云く_我滅度後。後五百歳中。広宣流布。於閻浮提。無令断絶〔我が滅度の後後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶せしめん〕等云云。此の経文に二千年の後、南閻浮提に広宣流布すべしととかれて候は第三の月の譬の意也。此の意を根本伝教大師釈して云く ̄正像稍過已末法太有近。法華一乗機今正是其時。〔正像やや過ぎ已って、末法はなはだ近きに有り。法華一乗の機、今正しく是れ其の時なり〕等云云。正法千年も像法千年も法華経の利益諸経に之勝るべし。然りと雖も月の光の春夏の正像二千年より末法の秋冬に至りて光る勝るが如し。[p0340]
第四の譬への日の譬へは、星ノ中ニ月ノ出タルハ星ノ光ニハ月の光は勝れども未だ星の光を消さず。二虫には星の光を消すのみに非ず。又月の光モ奪テ光を失ふ。爾前は星の如く、法華経の迹門は月の如く、寿量品は日の如し。寿量品の時は迹門の月未だ及ばず。何に況んや爾前の星をや。夜は星の時も月の時も衆務を作さず。夜暁て必ず衆務を作す。爾前・迹門にして猶お生死を離れ難し。本門寿量品に至りて必ず生死を離るべし。余の六譬之を略す。[p0340]
此の外又多くの譬へ此の品に有り。其の中に如渡得船〔渡りに船を得たるが如く〕とあり。此の譬への意は、生死の大海には爾前の経は或は・〈いかだ〉、或は小船也。生死の此岸より彼岸には付くと雖も生死の大海を渡り極楽の彼岸トツキカタシ。例せば世間の小船等カ筑紫より板東に至り、鎌倉ヨリイノ嶋ナムトヘトツケトモ唐土へ至らず。唐船は必ず日本国より震旦国に至るに障り無き也。[p0340]
又云く_如貧得宝〔貧しきに宝を得たるが如く〕等云云。爾前の国は貧国也。爾前の人は餓鬼也。法華経は宝山也。人は富人也。[p0340]
問て云く 爾前は貧国と云ふ証文如何。[p0340]
答て云く 授記品に云く_如従飢国来 忽遇大王膳〔飢えたる国より来って 忽ちに大王の膳に遇わんに〕等云云。[p0340-0341]
女人往生成仏の段は。経文に云く若如来滅後。後五百歳中。若有女人。聞是経典。如説修行。於此命終。即往安楽世界。阿弥陀仏。大菩薩衆。圍繞住処。生蓮華中。宝座之上〔若し如来の滅後後の五百歳の中に、若し女人あって是の経典を聞いて説の如く修行せば、此に於て命終して、即ち安楽世界の阿弥陀仏の大菩薩衆の圍繞せる住処に往いて、蓮華の中の宝座の上に生ぜん〕等云云。[p0341]
問て云く 此の経此の品に殊に女人の往生を説くは何の故有るか。[p0341]
答て云く 仏意測り難く、此の義決し難きか。但し一の料簡を加へば、女人は衆罪の根本、破国之源也。故に内外典に多く之を禁む。其の中に外典を以て之を論ずれば三従あり。三従と申すはシタカウト云ふ也。一には幼くしては父母に従ひ、嫁しては夫に従ひ、老いては子に従ふ。此の三章有りて世間自在ならず。内典を以て之を論ずれば五障有り。五障とは一には六道輪廻の間、男子の如く大梵天王と作らず。二には帝釈と作らず。三には魔王と作らず。四には転輪聖王と作らず。五には六道に留まりて三界を出でて仏に成らず[超日月三昧経の文也]。銀色女経に云く_三世諸仏眼堕落於大地 法界諸女人永無成仏期〔三世諸仏の眼は大地に堕落すとも法界の諸の女人は永く成仏の期無し〕等云云。[p0341]
但し凡夫スラ賢王聖人は妄語せず。はんよきといゐし者は、けいか(荊軻)に頚をあたえ、きさつと申せし人は徐君が塚ニ剣ヲカケタリキ。これ約束を違へず妄語無き故也。何に況んや声聞・菩薩・仏ヲヤ。仏ハ昔し凡夫ニマシマシし時、小乗経ヲ習ひ給ひし時、五戒を受け始〈そめ〉給ひき。五戒ノ中ノ第四ノ不妄語ノ戒ヲ固ク持ち給ひき。財ヲ奪はれ、命ヲほろぼされし時も此の戒ヲやぶらず。大乗経を習ひ給ひし時、又十重禁戒ヲ持ち、其の十重禁戒の中ノ第四ノ不妄語戒を持ち給ひき。此の戒を堅ク持チ無量劫之を破りたまはず。終に此の戒力に依て仏身を成じ、三十二相之中に広長舌相を得たまへり。此ノ舌うすく、ひろく、ながし。或ハ面ニをゝい、或は髪際ニいたり、或ハ梵天ニいたる。舌ノ上ニ五ノ画あり。印文のごとし。其の舌ノ色ハ赤銅のごとし。舌の下ニ二ノ珠アリ。甘露を涌出ス。此れ不妄語戒ノ徳の至す所也。仏此の舌を以て、三世の諸仏の御眼ヲ大地に堕とすとも、法界ノ女人仏ニナルベカラズトトカレシカバ、一切ノ女人ハいかなる世ニモ仏ニハナラせ給ふまじきとこそをぼへて候へ。さるにては女人ノ御身ヲ受けさせ給ひては、設ひきさきさんこうの位にそなはりてもなにかはすべき。善根仏事をなしても、よしなしとこそをぼへ候へ。[p0341-0142]
而るに此の法華経の薬王品に女人往生ヲゆるされ候ひぬる事又不思議ニ候。彼の経ノ妄語か。此の経ノ妄語、いかにも一方ハ妄語たるべきか。若し又一方妄語ならば一仏に二言アリ。信じ難き事也。[p0342]
但し無量義経の_四十余年。未顕真実〔四十余年には未だ真実を顕さず〕。涅槃経の_如来雖無虚妄言 若知衆生因虚妄説〔如来には虚妄の言無しと雖も、衆生、虚妄の説に因ると知しめすがごとし〕の文を以て此れを思へば、仏は女人は往生成仏すべからずと説かせ給ひけるは妄語と聞こえたり。妙法華経の文に_世尊法久後 要当説真実〔世尊は法久しゅうして後 要ず当に真実を説きたもうべし〕。妙法華経 乃至 皆是真実と申す文を以て之を思ふには女人の往生成仏決定と説かるゝ法華経ノ文ハ実語不妄語戒と見タリ。世間の賢人も但一人ある子が不思議ナル時、或は失、有る時は永く子たるべからざる之里起請を書き、或は誓言を立てども臨終命終の時に臨んで之を許す。[p0342-0343]
然りと雖も賢人に非ずと云はず。又妄語せし者トモ云はず。仏も亦復是の如し。爾前四十余年が間は菩薩の得道・凡夫の得道・善人男子等の得道は許すやうなれども、二乗・悪人・女人なんどの得道は此れ許サれず。或又許さるゝににたる事もあり。いまだ定めがたかりしを、仏の説教四十二年すでにすぎて、御年七十二摩竭提国王舎城耆闍崛山と申す山にして法華経をとかせ給ふとをぼせし時、先づ無量義経と申せし経を説かせ給ふ。無量義経の文に云く_四十余年等云云。[p0342]
#0044-000 法華題目抄 文永三(1266) [p0391]
根本大師門人 日蓮撰[p0391]
南無妙法蓮華経[p0391]
問て云く 法華経の意もしらず、義理をもあじわわずして、只南無妙法蓮華経と計り五字七時に限って一日に一遍、一月乃至一年十年一期生の間に只一遍なんど唱えても、軽重の悪にひかれずして四悪趣におもむかず、ついに不退の位にいたるべしや。[p0391]
答て云く しかるべき也。[p0391]
問て云く 火火といえども手にとらざればやけず、水水といえども口にのまざれば水のほしさもやまず。只南無妙法蓮華経と題目ばかりを唱うとも義趣をさとらずば悪趣をまぬがれん事いかがあるべかるらん。[p0391]
答て云く 師子の筋を琴の絃として一度奏すれば、余の絃悉くきれ、梅子のすき声をきけば口につ(唾)たまりうるをう。世間の不思議是の如し、況んや法華経の不思議をや。小乗の四諦の名計りをさやずる鸚鵡なお天に生ず。三帰計りを持つ人大魚の難をまぬかる。何に況んや法華経の題目は八万聖教の肝心一切諸仏の眼目なり。汝等此れをとなえて四悪趣をはなるべからずと疑うか。正直捨方便の法華経には以信得入と云い、雙林最期の涅槃経には_是菩提因雖復無量若説信心則已摂尽〔是の菩提の因は復無量なりと雖も、若し信心を説けば則ち已に摂尽す〕等云云。[p0391-0392]
夫れ仏道に入る根本は信をもて本とす。五十二位の中には十信を本とす。十信の位には信心初め也。たといさとりなけれども信心あらん者は鈍根も正見の者也。たといさとりあれども信心なき者は誹謗闡提の者也。善星比丘は二百五十戒を持て四禅定を得、十二部経を諳にせし者也。提婆達多は六万八万の宝蔵をおぼえ十八変を現ぜしかども、此れ等は有解無信の者也。今に阿鼻大城にありと聞く。又鈍根第一の須梨槃特は智慧もなく悟りもなし。只一念の信ありて普明如来と成り給う。又迦葉・舎利弗等は無解有信の者也。仏に授記を蒙って華光如来・光明如来といわれき。仏説いて云く_生疑不信者即当堕悪道〔疑いを生じて信ぜざらん者ば即ち当に悪道に堕すべし〕等云云。此れ等は有解無信の者を皆悪道に堕すべしと説き給いし也。[p0392]
而るに今の代の世間の学者の云く 只信心計りにて解心なく南無妙法蓮華経と唱うる計りにて争でか悪趣をまぬかるべき等云云。此の人々は経文の如くならば阿鼻大城をまぬかれがたし。さればさせる解なくとも、南無妙法蓮華経と唱うるならば悪道をまぬかるべし。[p0392-0393]
譬えば蓮華は日に随って回る、蓮に心なし。芭蕉は雷によりて増長す、是の草に耳なし。我等は蓮華と芭蕉との如く、法華経の題目は日輪と雷との如し。犀の生角を身に帯して水に入りぬれば、水五尺身に近づかず。栴檀の一葉開きぬれば、四十由旬の伊蘭変ず。我等が悪業は伊蘭と水との如く、法華経の題目は犀の生角と栴檀の一葉との如し。金剛は堅固にして一切の物に破られざれども、羊の角と亀の甲に破らる。尼倶類樹は鵬にも枝おれざれども、か(蚊)のまつげにすくうせうれう鳥(鷦鷯鳥)にやぶらる。我等が悪業は金剛のごとし、尼倶類樹のごとし。法華経の題目は羊角のごとく、せうれう鳥の如し。琥珀は塵をとり磁石は鉄をすう。我等が悪業は塵と鉄との如く、法華経の題目は琥珀と磁石との如し。かくおもいて常に南無妙法蓮華経と唱えさせ給うべし。[p0393]
法華経の第一巻に云く_無量無数劫 聞是法亦難〔無量無数劫にも 是の法を聞くこと亦難し〕。第五の巻に云く_是法華経。於無量国中。乃至名字。不可得聞〔是の法華経は無量の国の中に於て、乃至名字をも聞くことを得べからず〕等云云。法華経の御名をきく事はおぼろげにもありがたき事なり。[p0393]
されば須仙多仏・多宝仏はよにいでさせ給いたりしかども法華経の御名をだにもとき給わず。釈迦如来は法華経のために世にいでさせ給いたりしかども、四十二年が間は名を秘してかたりいださざ利子門も、仏の御年七十二と申せし時はじめて妙法蓮華経ととなえいださせ給いたりき。しかりといえども摩訶尸那日本等の辺国の者は御名をもきかざりき。一千余年すぎて三百五十余年に及んでこそ纔かに御名計りをば聞きたりしか。[p0393-0394]
さればこの経に値いたてまつる事をば三千年に一度花さく優曇華、無量無辺功に一度値うなる一眼の亀にもたとえたり。大地の上に針を立てて大梵天王宮より芥子をなぐるに、針のさきに芥子のつらぬかれたるよりも法華経の題目に値うことはかたし。此の須彌山に針を立ててかの須彌山より大風のつよく吹く日いとをわたさんに、いたりてはりの穴にいとのさきにいりたらんよりも法華経の題目に値い奉る事かたし。[p0394]
さればこの経の題目を唱えさせ給わんにはおぼしめすべし。生盲の始めて眼あきて父母等をみんよりもうれしく、強きかたきにとられたる者のゆるされて妻子を見るよりもめずらしとおぼすべし。[p0394]
問て云く 題目計りを唱うる証文これありや。[p0394]
答て云く 妙法蓮華経の第八に云く_受持法華名者。福不可量〔法華の名を受持せん者~福量るべからず〕。正法華経に云く_若聞此経宣持名号徳不可量〔若し此の経を聞いて名号を宣持せば徳量るべからず〕。添品法華経に云く_受持法華名者。福不可量〔法華の名を受持せん者~福量るべからず〕。[p0394]
此れ等の文は題目計りを唱うる福計るべからずとみえぬ。一部八巻二十八品を受持読誦し随喜護持等するは広也。方便品・寿量品等を受持し乃至護持するは略也。但一四句偈乃至題目計りを唱うる者を護持するは要也。広・略・要の中には題目は要の内なり。[p0394-0395]
問て云く 妙法蓮華経の五字にはいくばくの功徳をおさめたるや。[p0395]
答て云く 大海は衆流を納め、大地は有情非情を持ち、如意宝珠は萬宝を雨らし、梵王は三界を領す。妙法蓮華経の五字も亦復是の如し。一切の九界の衆生竝びに仏界を納めたり。十界を納むれば亦十界の依報の国土を収む。[p0395]
先ず妙法蓮華経の五字に一切の法を納むる事をいわば、経の一字は諸経の中の王也。一切の群経を納む。[p0395]
仏世に出させ給いて五十余年の間八万聖教を説きおかせ給いき。仏は人寿百歳の時、壬申の歳、二月十五日の夜半に御入滅あり。その後四月八日より七月十五日に至るまで一夏九旬の間一千人の阿羅漢結集堂にあつまりて、一切経をかきおかせ給いき。[p0395]
其の後正法一千年の間は五天竺に一切経ひろまらせ給いしかども、震旦国には渡らず。像法に入って一十五年と申せしに、後漢の孝明皇帝永平十年丁卯の歳、仏経始めて渡って、唐の玄宗皇帝開元十八年庚午の歳に至るまで渡れる訳者一百七十六人、持ち来る経論律一千七十六部・五千四十八巻・四百八十秩。是れ皆法華経の経の一字の眷属の修多羅也。[p0395-0396]
先ず妙法蓮華経の以前、四十余年の間の経の中に大方広仏華厳経と申す経まします。龍宮城には三本あり。上品は十三世界微塵の品、中本は四十九億一万八千八百偈一千二百品、下本は十万偈四十八品。此の三本の外に震旦・日本には僅かに八十巻・六十巻・四十巻等あり。阿含小乗経・方等般若の諸大乗経等。大日経は梵本には阿・・訶・{あばらかきゃ}アバラカキャ{梵字}の五字計りをもて三千五百の偈をむすべり。況んや余の諸尊の種子尊形三摩耶其の数をしらず。而るに漢土には但纔かに六巻七巻也。涅槃経は雙林最期の説、漢土には但四十巻也。是れも梵本之多し。此れ等の諸経は皆釈迦如来の諸説の法華経の眷属の修多羅也。此の外過去の七仏千仏・遠々劫の諸仏の諸説、現在十方の諸仏の諸経も皆法華経の経の一字の眷属也。[p0396]
されば薬王品に宿王華菩薩に対して云く_譬如一切。川流江河。諸水之中。海為第一。衆山之中。須弥山為第一。衆星之中。月天子。最為第一〔譬えば一切の川流江河の諸水の中に、海為れ第一なるが如く ~衆山の中に、須弥山為れ第一なるが如く ~ 衆星の中に月天子最も為れ第一なるが如く〕等云云。妙楽大師の云く ̄已今当説最為第一等云云。[p0396]
此の経の一字の中に十方法界の一切経を納めたり。譬えば如意宝珠の一切の財を納め、虚空の万象を含めるが如し。経の一字は一代に勝る。故に妙法蓮華の四字も又八万宝蔵に超過するなり。妙とは法華経に云く_開方便門。示真実相〔方便の門を開いて真実の相を示す〕云云。章安大師云く ̄発秘密之奥蔵称之為妙〔秘密之奥蔵を発き之を称して妙と為す〕云云。妙楽大師此の文を受けて云く ̄発者開也〔発とは開なり〕等云云。妙と申す事は開と云う事也。世間に財を積める蔵に鑰なければ開く事かたし。開かざれば蔵の内の財を見ず。華厳経は仏説き給いたりしかども、彼の経を開く鑰をば仏彼の経に説き給わず。阿含・方等・般若・観経等の四十余年の経々も仏説き給いたりしかども、彼の経々の意をば開き給わず、門を閉じておかせ給いたりしかば、人彼の経々をさとる者一人もなかりき。たといさとれりと思いしも僻見にてありし也。[p0396-0397]
而るに仏法華経を説かせ給いて諸経の蔵を開かせ給いき。此の時に四十余年の九界の衆生始めて諸経の蔵の内の財をば見しりたりし也。譬えば大地の上に人畜草木等あれども、日月の光なければ眼ある人も人畜草木の色かたちをしらず。日月いで給いてこそ始めてこれをばしることには候え。爾前の諸経は長夜のやみのごとし、法華経の本迹二門は日月のごとし。諸の菩薩の二目ある、二乗の眇目なる、凡夫の盲目なる、闡提の生盲なる、共に爾前の経々にてはいろかたちをばわきまえずありし程に、法華経の時迹門の月輪始めて出給いし時、菩薩の両眼先にさとり、二乗の眇目次にさとり、凡夫の盲目次に開き、生盲の一闡提も未来に眼の開くべき縁を結ぶ事、是れ偏に妙の一字の徳也。迹門十四品の一妙、本門十四品の一妙、会わせて二妙。迹門の十妙、本門の十妙、合わせて二十妙。迹門の三十妙、本門の三十妙、合わせて六十妙。迹門の四十妙、本門の四十妙、観心の四十妙、合わせて百二十重の妙也。六万九千三百八十四字、一々の字の下に一の妙あり。総じて六万九千三百八十四の妙あり。妙とは天竺には薩と云い、漢土には妙と云う。妙とは具の義也。具とは円満の義也。法華経の一々の文字、一字一字に余の六万九千三百八十四字を納めたり。譬えば大海の一・{いったい}の水に一切の河の水を納め、一の如意宝珠の芥子計りなるが一切の如意宝珠の財を雨らすが如し。[p0397-0398]
譬えば秋冬枯れたる草木の、春夏の日に値いて枝葉華菓出来するが如し。爾前の秋冬の草木の如くなる九界の衆生、法華経の妙の一字の春夏の日輪に値いたてまつりて、菩提心の華さき成仏の菓なる。[p0398]
龍樹菩薩の大論に云く ̄譬如大薬師能以毒為薬〔譬えば大薬師の能く毒を以て薬と為すが如し〕と云云。此の文は大論に法華経の妙の徳を釈する文也。妙楽大師の釈に云く ̄難治能治所以称妙〔治し難きを能く治す。所以に妙と称す〕等云云。[p0398]
総じて成仏往生のなり難き者四人あり。第一には決定性の二乗・第二には一闡提人・第三には空心の者・第四には謗法の者也。此れ等を法華経において仏になさせ給う故に法華経を妙とは云う也。[p0398]
提婆達多は斛飯王の第一の太子、浄飯王にはおい、阿難尊者がこのかみ、教主釈尊にはいとこに当たる、南閻浮提にかろからざる人なり。須陀比丘を師として出家し、阿難尊者に十八変をならい、外道の六万蔵・仏の八万蔵を胸にうかべ、五法を行じて殆ど仏よりも尊きけしきなり。両頭を立てて破僧罪を犯さんがために象頭山に戒壇を築き、仏弟子を招し取り、阿闍世太子をかたらいて云く 我は仏を殺して新仏となるべし。太子は父の王を殺して新王となり給え。阿闍世太子すでに父の王を殺せしかば提婆達多又仏をうかがい、大石をもちて仏の御身より血をいだし、阿羅漢たる華色比丘尼を打ちころし、五逆の内たる三逆をつぶさにつくる。其の上瞿伽梨尊者を弟子とし、阿闍世王を檀那とたのみ、五天竺十六の大国・五百の中国等の一逆二逆三逆等をつくれる者は皆提婆達多が一類にあらざる事これなし。譬えば大海の諸河をあつめ、大山の草木をあつめたるがごとし。智慧の者は舎利弗にあつまり、神通の者は目連にしたがい、悪人は提婆にかたらいしなり。[p0398-0399]
されば厚さ十六万八千由旬、其の下に金剛の風輪ある大地すでにわれて、生身に無間大城に堕ちにき。第一の弟子瞿伽梨も又生身に地獄に入る。旃遮婆羅門女もおちにき。波瑠璃王もおちぬ。善星比丘もおちぬ。此れ等の人々の生身に堕ちしをば五天竺十六の大国・五百の中国・十千の小国の人々も皆これをみる。六欲・四禅・色・無色・梵王・帝釈・第六天の魔王も閻魔法王等も皆御覧ありき。三千大千世界十方法界の衆生も皆聞きし也。[p0399]
されば大地微塵劫はすぐとも無間大城を出づべからず。劫石はひすらぐとも阿鼻大城の句はつきじとこそ思い合いたりしに、法華経の提婆達多品にして、教主釈尊の昔の師天王如来と記し給う事こそ不思議にはおぼゆれ。爾前の経々実ならば法華経は大妄語、法華経実ならば爾前の諸経は大虚誑罪也。提婆が三逆罪を具に犯して、其の外無量の重罪を作りしも、天王如来となる。況んや二逆一逆等の諸の悪人の得道疑いなき事、譬えば大地をかえすに草木等のかえるがごとく、堅石をわる者軟草をわるが如し。故に此の経をば妙と云う也。女人をば内外典に是れをそしり、三皇五帝の三墳五典にも諂曲者と定む。[p0399-0400]
されば災いは三女より起こると云えり。国の亡び人の損ずる源は女人を本とす。内典の中には初成道の大法たる華厳経には_女人地獄使。能断仏種子。外面似菩薩。内心如夜叉〔女人は地獄の使いなり。能く仏の種子を断つ。外面は菩薩に似て、内心は夜叉の如し〕[文]。雙林最後の大涅槃経には_一切江河必有回曲。一切女人必有諂曲〔一切の江河必ず回曲有り。一切の女人必ず諂曲有り〕[文]。又云く_所有三千界男子諸煩悩合集為一人女人業障〔あらゆる三千界の男子の諸の煩悩合集して一人の女人の業障と為る〕等云云。大華厳経の文に_能断仏種子と説かれて候は、女人は仏になるべき種子をい(焦)れり。[p0400]
譬えば大旱魃の時、虚空の中に大雲おこり大雨を大地に下すに、かれたるが如くなる無量無辺の草木花さき菓なる。然りと雖もいりたる種はおいずして、結句雨しげければくちうするが如し。仏は大雲の如く、説教は大雨の如く、かれたるが如くなる草木を一切衆生に譬えたり。仏経の雨に潤って五戒・十善・禅定等の功徳を得るは花さき菓なるが如し。雨ふれども、いりたる種のおいずして、かえりてくちうするは、女人の仏教に遇えども、生死をはなれずして、かえりて仏教を失い悪道に堕ちるに譬う。是れを能断仏種子とは申す也。[p0400-0401]
涅槃経の文に、一切の江河のまがれるが如く女人も又まがれりと説かれたるは、水はやわらかなる物なれば、石山なんどのこわき物にさえられて水のさきひるむゆえに、かしこここへ行く也。女人も又是の如し。女人の心をば水に譬えたり。心よわくして水の如く也。道理と思う事も男のこわき心に値いぬればせかれてよしなき方へおもむく。又水にえがくにとどまらざるが如し。女人は不信を体とするゆえに、只今さあるべしと見る事も、又しばらくあればあらぬさまになるなり。仏と申すは正直を本とす。故にまがれる女人は仏になるべきにあらず。五障三従と申して、五つのさわり、三つしたがう事あり。されば銀色女経には、三世諸仏の眼は大地に落つとも女人は仏になるべからずと説かれ、大論には、清風はとると云えども女人の心はとりがたしと云えり。[p0401]
此の如く諸経に嫌われたりし女人を文殊師利菩薩の妙の一字を説き給いしかば忽ちに仏になりき。あまりに不審なりし故に、宝浄世界の多宝仏の第一の弟子智積菩薩・釈迦如来の御弟子の智慧第一の舎利弗尊者、四十余年の大小乗経の意をもって龍女の仏になるまじき由を難ぜしかども、終にかなわずして仏になりにき。初成道の能断仏種子も雙林最後の一切江河必有回曲の文も破れぬ。銀色女経竝びに大論の亀鏡も空しくなりぬ。又智積・舎利弗は舌を巻き口を閉じ、人天大会は歓喜のあまりに掌を合わせたりき。是れ偏に妙の一字の徳也。此の南閻浮提の内に二千五百の河あり。一々に皆まがれり。南閻浮提の女人心のまがれるが如し。但し娑婆耶と申す河あり。縄を引きはえ(延)たるが如くして直に西海に入る。法華経を信ずる女人も亦復是の如く、直に西方浄土へ入るべし。是れ妙の一字の徳也。妙とは蘇生の義也。蘇生と申すはよみがえる義也。[p0401-0402]
譬えば黄鵠の子しせるに、鶴の母子安となけば死せる子還って活えり、鴆鳥水に入らば魚蚌悉く死す、犀の角これにふるれば死せる者皆よみがえるが如く、爾前の経々にて仏種をいりて死せる二乗闡提女人等の、妙の一字を持ちぬればいれる仏種も還って生ずるが如し。天台云く ̄闡提有心猶可作仏。二乗滅智心不可生。法華能治所以称妙〔闡提は心有り猶お作仏すべし。二乗は智を滅す、心生ずべからず。法華は能く治す、所以に妙と称す〕云云。妙楽云く ̄但名大不名妙者 一有心易治無心難治 難治能治所以称妙〔但大と名づけて妙と名づけざるは、一には有心は治し易く無心は治し難し、治し難きを能く治す所以に妙と称す〕等云云。[p0402]
此れ等の文の心は大方広仏華厳経・大集経・大般若経・大涅槃経等は題目に大の字のみありて妙の字なし。但生者を治して死せる者をば治せず。法華経は死せる者をも治す。故に妙と云う釈也。[p0402]
されば諸経にしては仏になるべき者も仏にならず。法華は仏になりがたき者すら尚お仏になりぬ。仏になりやすき者は云うにや及ぶと云う道理立ちぬれば、法華経をとかれて後は諸経におもむく人一人もあるべからず。[p0402-0403]
而るに正像二千年すぎて末法に入って当世の衆生の成仏往生のとげがたき事は、在世の二乗闡提等にも百千万億倍すぎたる衆生の、観経等の四十余年の経々に値うて生死をはなれんと思うはいかが。はかなしはかなし。女人は在世正像末総じて一切の諸仏の一切経の中に法華経をはなれて仏になるべからざる事を、霊山の聴衆として道場開悟し給える天台智者大師定めて云く ̄他経但記男不記女 今経皆記〔他経は但男に記して女に記せず 今経は皆記す〕云云。釈迦如来多宝仏十方諸仏の御前にして、摩竭提国王舎城の艮、霊鷲山と申す所にて、八箇年の間説き給いし法華経を智者大師まのあたり聞こしめしけるに、我五十年の一代聖教を説く事は皆衆生利益のためなり。但し其の中に四十二年の経々には女人仏になるべからずと説き、今法華経にして女人の成仏をとくとなのらせ給いしを、仏滅後一千五百余年に当たって霊鷲山より東北十万八千里の山海をへだてて摩訶尸那と申す国あり。震旦国是れ也。此の国に仏の御使いとして出世し給い、天台智者大師となのりて女人は法華経をはなれて仏になるべからずと定め給いぬ。[p0403]
尸那国より三千里をへだてて東方に国あり、日本国となづけたり。漢土の天台大師御入滅二百余年と申せしに此の国に生まれて伝教大師となのらせ給いて、秀句と申す書を造り給いしに ̄能化所化倶無歴劫妙法経力即身成仏と龍女が成仏を定め置き給えり。[p0403-0404]
而るに当世の女人は即身成仏こそかたからめ、往生極楽は法華を憑まば疑いなし。譬えば江河の大海に入るよりもたやすく、雨の空より落ちるよりもはやくあるべき事也。[p404]
而るに日本国の一切の女人は南無妙法蓮華経とは唱えずして、女人の往生成仏をとげざる双観経等によりて、弥陀の名号を一日に六万遍十万遍なんどとなうるは、仏の名号なれば巧みなるにはにたれども、女人不成仏不往生の経によれる故にいたづらに他の財を数えたる女人なり。これひとえに悪知識にたぼらかされたるなり。されば日本国の一切の女人の御かたきは虎狼よりも山財海賊よりも父母の敵とわり等よりも、法華経をばおしえずして念仏等をおしうるこそ一切の女人の御かたきなれ。南無妙法蓮華経と一日に六万十万千万等も唱えて、後に暇あらば時時は弥陀等の諸仏の名号をも口すさみなるように申し給わんこそ、法華経を信ずる女人にてはあるべきに、当世の女人は一期の間弥陀の名号をばしきりに唱え、念仏の仏事をばひまなくおこない、法華経をばつやつや唱えず供養せず、或はわづかに法華経を持経者によますれども、念仏者をば父母兄弟なんどのようにもいなし、持経者をば所従眷属よりもかろくおもえり。[p0404-0405]
かくしてしかも法華経を信ずる由をなのるなり。抑そも浄徳婦人は二人の太子の出家を許して法華経をひろめさせ、龍女は_我闡大乗経度脱苦衆生とこそ誓いしが、全く他経計りを行じて此の経を行ぜじとは誓わず。今の女人は偏に他経を行じて法華経を行ずる方をしらず。とくとく心をひるがえすべし。心をひるがえすべし。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。[p0405]
日 蓮 花押[p0403]
文永三年[丙寅]正月六日於清澄寺未時書畢〔清澄寺に於て未の時書き畢んぬ〕[p0403]
#0046-0K0 善無畏鈔 文永三(1266) [p0408]
善無畏三蔵は月氏烏萇奈国の仏種王の太子也。七歳にして即位。十三にして国を兄〈このかみ〉に譲り、出家遁世し、五天竺を修行して、五乗の道を極め、三学を兼ね給ひき。達磨掬多と申す聖人に値ひ奉りて真言の諸印契一時に頓受し、即日に御潅頂をなし、人天の師と定まり給ひき。鶏足山に入ては迦葉尊者の髪を剃り、王城に於て雨を祈り給ひしかば、観音日輪の中より出で、水瓶を以て水を潅ぎ、北天竺の金粟王の塔の下にて仏法を祈請せしかば文殊師利菩薩大日経の胎蔵の曼荼羅を現して授け給ふ。[p0408]
其の後開元四年丙辛に漢土に渡る。玄宗皇帝、之を尊むこと日月の如し。又大旱魃あり。皇帝勅宣を下す。三蔵一鉢に水を入れ暫く加持し給ひしに、水の中に指計りの物有り。変じて龍と成る。其の色赤色也。白気立ち昇り、鉢より龍出でて虚空に昇り、忽ちに雨を降らす。此の如くいみじき人なれども、一時に頓死して有りき。蘇生して語りて云く 我死につる時、獄卒来りて鉄の七筋付け、鉄杖を持て散散にさいなみ、閻魔宮に到りにき。八万聖教一字一句も覚えず。唯法華経の題目計り忘れず。題目を思ひしに鉄の縄少し許〈ゆり〉と。息続いて高声に唱へて云く 今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子 而今此処 多諸患難 唯我一人 能為救護等云云。七つの鉄の縄切れ碎け、十方に散ず。閻魔冠を傾けて南庭に下り向ひ給ひき。今度は命尽きずして帰されたる也と語り給ひき。[p0408-0409]
今日蓮不審して云く 善無畏三蔵は先生に十善の戒力あり。五百の仏陀に仕へたり。今生には捨てかたき王位をつばき(唾)をすつるかことくこれをすて、幼少十三にして御出家ならせ給ひて、月支国をめくりて諸宗を習ひ極め、天の感を蒙り、化道の心深くして震旦国に渡りて真言の大法を弘めたり。一印一真言を結び誦すれば、過去現在の無量の罪滅しぬ覧。何の科に依て閻魔の責めをば蒙り給ひする哉覧。不審極まり無し。善無畏三蔵、真言の力を以て閻魔の責めを脱れずば、天竺・震旦・日本等の諸国の真言師、地獄の苦を脱るべきや。[p0409]
委細に此の事を勘へたるに、此の三蔵は世間の軽罪は身に御はせず。諸宗竝びに真言の力にて滅しぬ覧。此の責めは別の故無し。法華経謗法の罪也。大日経の義釈を見るに ̄此経是法王秘宝不妄示貴賎之人。如釈迦出世四十余年因舎利弗慇懃三請 方為略説妙法蓮華義。今此本地之身又是妙法蓮華最深秘処。故寿量品云 常在霊鷲山 及余諸住処 乃至 我浄土不毀 而衆見焼尽。即此宗瑜伽之意耳。又因補処菩薩慇懃三請方為説之〔此の経は是れ法王の秘宝、妄りに貴賎の人に示さず。釈迦出世の四十余年に舎利弗慇懃の三請に因りて方に為に略して妙法蓮華の義を説くが如し。今此の本地の身又是れ妙法蓮華最深秘の処なり。故に寿量品に云く 常に霊鷲山 及び余の諸の住処にあり 乃至 我が浄土は毀れざるに 而も衆は焼け尽きて、と。即ち此の宗瑜伽の意なるのみ。又補処の菩薩の慇懃の三請に因りて方に為に之を説く〕等云云。[p0409]
此の釈の心は大日経に本迹二門、開三顕一・開近顕遠の法門有り。法華経の本迹二門の如し。此の法門は法華経に同じけれども、此の大日経に印と真言と相加はりて三密相応せり。法華経は但意密計りにて身口の二密闕けたれば、法華経をば略説と云ひ、大日経をば広説と申すべき也と書かれたり。[p0409]
此の法門第一の・り、謗法の根本也。此の文に二つの・り有り。又義釈に云く ̄此経横一切統仏教〔此の経横まに一切の仏教を統ぶ〕等云云。大日経は当分随他意之経なるを・りて随自意跨説之経と思へり。かたがた・りたるを実義と思し食せし故に、閻魔の責めをば蒙りたりしか。智者にて御座せし故に、此の謗法を悔ひ還して法華経に翻りし故に、此の責めを免るるか。[p0409-0410]
天台大師、釈して云く ̄法華・括衆経 乃至 軽慢不止舌爛口中〔法華は衆経を・括す 乃至 軽慢止まざれば舌口中に爛る〕等云云。妙楽大師云く ̄已今当妙於此固迷。舌爛不止猶為華報。謗法之罪苦流長劫〔已今当の妙此に於て固く迷へり。舌爛止まざるは猶お華報と為す。謗法の罪苦長劫に流る〕等云云。天台・妙楽の心は法華経に勝れたる経有りと云はむ人は、無間地獄に堕つべきと書かれたり。善無畏三蔵は法華経と大日経とは理は同じけれども事の印・真言は勝れたりと書かれたり。然るに二人の中に一人は必ず悪道に堕つべしとをぼふる処に、天台の釈は経文に分明也。善無畏の釈は経文に其の証拠見えず。其の上閻魔王の責めの時、我が内証の肝心とをほしめす大日経等の三部経の内の文を誦せず。法華経の文を誦して此の責めをまぬかれぬ。疑ひなく法華経に真言まさりとをもう・りをひるかへしたるなり。其の上善無畏三蔵の御弟子不空三蔵の法華経の儀軌には、大日経・金剛頂経の両部の大日経をば左右に立て、法華経・多宝仏をば不二の大日と定めて、両部の大日をば左右の臣下のことくせり。[p0410]
伝教大師は延暦二十三年の御入唐、霊感寺順暁和尚に真言三部の秘法を伝はり、仏瀧寺の行満座主に天台の宝珠をうけとり、顕密二道の奥旨をきわめ給ひたる人。華厳・三論・法相・律宗の人人の自宗我慢の辺執を倒して、天台大師に帰入せる由をかゝせ給ひて候。依憑集・守護章・秀句なむど申す書の中に、善無畏・金剛智・不空等は天台宗に帰入して智者大師を本師と仰ぐ由のせられたり。[p0410-0411]
各各思えらく、宗を立つる法は自宗をほめて他宗を嫌ふは常の習ひ也と思えり。法然なむどは又此の例を引いて曇鸞の難易・道綽の聖道浄土・善導が正雑二業のの名目を引きて天台・真言等の大法を念仏の方便と成せり。此れ等は牛後に大海を入れ、県の額を州に打つ者也。世間の法には下剋上・背上向下は国土亡乱の因縁也。仏法には権小の経経を本として実教をあなづる、大謗法の因縁也。恐るべし、恐るべし。[p0411]
嘉祥寺の吉蔵大師は三論宗の元祖、或時は一代聖教を五時に分け、或時は二蔵と判ぜり。然りと雖も龍樹菩薩造の百論・中論・十二門論・大論を尊びて般若経を依憑と定め給ひ、天台大師を辺執して過ぎ給ひし程に、智者大師の梵網等の疏を見て少し心とけ、やうやう近づきて聴聞せし程に、結句は一百余人の弟子を捨て、般若経竝びに法華経をも講ぜず、天台大師に仕えさせ給ひき。高僧伝には衆を散じ身を肉橋と成すと書かれたり。天台大師高坐に登り給えば寄せて肩を足に備え、路を行き給えば負ひ奉り給ひて堀を越え給ひき。吉蔵大師ほどの人だにも謗法をおそれてかくこそつかえ給ひしか。[p0411]
而るを真言・三論・法相等の宗宗の人々、今すえすえに成りて辺執せさせ給うは自業自得果なるべし。今の世に浄土宗・禅宗なんど申す宗宗者、天台宗にをとされし真言・華厳等に及ぶべからず。依経既に楞伽経・観経等也。此れ等の経経は仏の出世の本意にも非ず、一時一会の小経也。一代聖教を判ずるに及ばず。而も彼の経経を依経として一代の聖教を聖道浄土・難行易行・雑行正行に分け、教外別伝なむどのゝしる、譬へば民が王をしえたげ、小河の大海を納むるがごとし。かかる謗法の人師共を信じて後生を願ふ人人は無間地獄脱るべきや。[p0411-0412]
然れば当世の愚者は仏には釈迦牟尼仏を本尊と定めぬれば自然に不孝の罪脱がれ、法華経を信じぬれば不慮に謗法の科を脱れたり。其の上女人は五障三従と申して、世間出世に嫌はれ一代の聖教に捨てられ畢んぬ。唯法華経計りに古曾龍女が仏に成り、諸の尼の記・はさづけられて候ぬれば、一切の女人は此の経を捨てさせ給ひては何れの経をか持たせ給ふべき。[p0412]
天台大師は震旦国の人、仏滅後一千五百余年に仏の御使として世に出でさせ給ひき。法華経に三十巻の文を注し給ひ、文句と申す文の第七巻には ̄他経但記男不記女〔他経は但男に記して女に記せず〕等云云。男子も余経にては仏に成ならざれども且く与へて其れをば許してむ。女人に於ては一向諸経にては叶ふべからずと書かれて候。縦令千万の経経に女人成るべしと許されたりと雖も法華経に嫌はれなば何の憑みか有るべきや。教主釈尊、我が諸経四十余年の経経を未顕真実と悔ひ返し、涅槃経等をば当説と嫌ひ給ひ、無量義経をば今説と定めをき、三説にひてたる法華経に正直捨方便 但説無上道〔正直に方便を捨てて 但無上道を説く〕世尊法久後 要当説真実〔世尊は法久しゅうして後 要ず当に真実を説きたもうべし〕と釈尊宣べ給ひしかは、宝上世界の多宝仏は大地より出でさせ給ひて真実なる由の証明を加へ、十方分身の諸仏は広長舌を梵天に付け給ふ。十方世界微塵数の諸仏の御舌は不妄語戒の力に酬ひて八葉の赤蓮華にをいいでさせ給ひき。一仏二仏三仏乃至十仏百仏万億仏の四百万億那由他の世界に充満せりし仏の御舌をもんて定めをき給える女人成仏の義也。[p0412-0413]
謗法無くして此の経を持つ女人は十方虚空に充満せる慳貪・嫉妬・瞋恚・十悪・五逆なりとも、草木の露の大風にあえるなるべし。三冬の冰の夏の日に滅するが如し。但滅し難き者は法華経謗法の罪也。譬へば三千大千世界の草木を薪と為すとも、須弥山は一分も損し難し。縦令七つの日出でて百千日照らすとも、大海の中をばかわかしがたし。設ひ八万聖教を読み、大地微塵の塔婆を立て、大小乗の戒行を尽くし、十方世界の衆生を一子の如くに為すとも、法華経謗法の罪はきゆべからず。我等過去現在未来の三世の間に仏に成らずして六道の苦を受くるは偏に法華経誹謗の罪なるべし。女人と生まれて百悪身に備ふるも、根本此の経誹謗の罪より起れり。[p0143]
然者〈されば〉此の経に値ひ奉らむ女人は皮をはいで紙と為し、血を切りてすみとし、骨を折て筆とし、血のなんだを硯の水としてかきたてまつるともあくごあるべからず。何に況んや衣服・金銀・牛馬・田畠等の布施を以て供養せむはもののかずにてかずならず。[p0143-0144]
#0048-0K0 安国論副状 文永五(1268) [p0421]
未だ見参に入らずと雖も、事に触れ書を奉るは常の習に候か。[p0421]
抑そも正嘉元年[太歳丁巳]八月二十三日戌亥尅大地震 日蓮諸経を引ひて之を勘ふるに、念仏宗と禅宗等とに御帰依有るの故、日本国中の守護諸大善神恚〈いか〉るに依て起す所の災也。若し御対治無くんば他国の為に此の国を破らるべき悪瑞之由、勘文一通之を撰し、立正安国論と号し、正元二年[太歳庚申]七月十六日宿屋入道に付けて故最明寺入道殿に之を進覧せしむ。[p0421]
#0049-0K0 安国論御勘由来 文永五(1268.04・05) [p0421]
正嘉元年[太歳丁巳]八月二十三日戌亥の時、前代に超えたる大地振。同二年[戌午]八月一日大風。同三年[己未]大飢饉。正元元年[己未]大疫病。同二年[庚申]大疫已まず。万民已に大半に超えて死を招き了んぬ。[p0421]
而る間国主之に驚き、内外典に仰せ付けて種種の御祈祷有り。爾りと雖も一分の験もなく還りて飢疫等を増長す。[p0421]
日蓮世間の体を見て、粗一切経を勘ふるに、御祈請験無く、還りて凶悪を増長する之由、道理文証之を得了んぬ。終に止むこと無く、勘文一通を造り作し其の名を立正安国論と号す。文応元年[庚申]七月十六日[辰時]、屋戸野〈やどや〉入道に付し、古最明寺殿に奏進して了んぬ。此れ偏に国土の恩を報ぜんが為也。[p0421-0422]
其の勘文の意は日本国天神七代・地神五代・百王百代、人王第三十代欽明天皇の御宇に始まりて百済国より仏法此の国に渡り 桓武天皇の御宇に至るまで、其の中間五十余代、二百六十余年也。其の間一切経竝びに六宗之有りと雖も天台・真言の二宗未だ之有らず。桓武の御宇に山階寺の行表僧正の御弟子に最澄といふ小僧有り。[後に伝教大師と号す。] 已前に渡る所の六宗竝びに禅宗、之を極むと雖も未だ我が意に叶はずして 聖武天皇の御宇に大唐の鑒真和尚渡す所の天台の章疏 四十余年を経て已後始めて最澄之を披見し 粗仏法の玄旨を覚り了んぬ。最澄、天長地久の為に延暦四年叡山を建立す。桓武皇帝之を崇め、天子本命の道場と号す。六宗の帰依を捨て一向天台円宗に帰伏したまふ。同延暦十三年に長岡の京を遷して平安城を建つ。同延暦二十一年正月十九日高雄寺に於て南都七大寺の六宗の碩学勤操・長耀等の十四人を召し合わせて勝負を決断す。六宗の名匠一問答にも及ばず。口を閉じること鼻の如し。華厳宗の五教・法相宗の三時・三論宗の二蔵三時の所立を破し了んぬ。但自宗を破らるるのみに非ず、皆謗法の者たることを知る。同じき二十九日皇帝勅宣を下して之を詰める。十四人謝表を作して皇帝に捧げ奉る。[p0422]
其の後代々の皇帝叡山の御帰依孝子の父母に仕ふるに超え、黎民の王威を恐るるに勝れり。或御時は宣明を捧げ、或御時は非を以て理に処す等云云。殊に清和天皇は叡山の恵亮和尚の法威に依て即位し、皇帝の外祖父九條右丞相誓状を叡山に捧ぐ。源の右将軍は清和の末葉也。鎌倉の御成敗、是非を論ぜず叡山に違背せば、天命恐れ有る者か。[p0422-0423]
而るに後鳥羽院の御宇、建仁年中に法然・大日とて二人の増上慢の者有り。悪鬼其の身に入て国中の上下を狂惑し、代を挙げて念仏者と成り、人毎に禅宗に趣く。存外に山門の御帰依浅薄なり。国中の法華・真言の学者、棄て置かせられ了んぬ。故に叡山の守護の天照太神・正八幡宮・山王七社・国中の守護の諸大善神法味を・はずして威光を失ひ、国土を捨て去り了んぬ。悪鬼便りを得て災難を至し、結句他国より此の国を破るべき先相勘ふる所也。[p0423]
又其の後文永元年[甲子]七月五日彗星東方に出でて余光大体一国等に及ぶ。此れ又世始まりて以来無き所の凶瑞也。内外典の学者も其の凶瑞の根源を知らず。予弥いよ悲嘆を増長す。而るに勘文を捧げて已後九ヶ年を経、今年後の正月大蒙古国の国書を見る。日蓮が勘文に相叶ふこと宛も符契の如し。仏記して云く 我が滅度の後一百余年を経て、阿育大王出生し、我が舎利を弘めんと。周の第四昭王の御宇、大史蘇由が記に云く ̄一千年外声教令被此土〔一千年の外、声教此土に被らしめん〕。天台大師の記に云く 我滅後二百余年已後 生東国弘我正法〔我滅後二百余年の已後、東国に生れて我正法を弘めん〕等云云。皆果して記文の如し。[p0423]
日蓮正嘉の大地震・同じく大風・同じく飢饉・正元元年の大疫等を見て記して云く 自他国所破此国先相也〔他国より此の国を破る所の先相なり〕と。自讃に似たりと雖も若し此の国土を毀壊せば、復仏法の破滅疑ひ無き者也。[p0423]
而るに当世の高僧等、謗法の者と同意の者也。復自宗の玄底を知らざる者也。定めて勅宣・御教書を給ひて此の凶悪を祈請せんか。仏神弥いよ瞋恚を作し、国土を破壊せん事疑ひ無き者也。[p0423]
日蓮復此れを対治するの方、之を知る。叡山を除いて日本国には但一人也。譬へば日月の二つ無きが如く、聖人肩を竝べざるが故也。若し此の事妄言ならば、日蓮が持つ所の法華経守護の十羅刹の治罰、之を蒙らん。但偏に国の為、法の為、人の為にして身の為に之を申さず。復禅門に対面を遂ぐ。故に之を告ぐ。之を用ひざれば定めて後悔有るべし。恐恐謹言。[p0423-0424]
文永五年[太歳戊辰]四月五日 日 蓮 花押[p0423]
法鑒御房[p0423]
#0051-0K0 宿屋入道再御状 文永五(1268.09) [p0425]
去る八月之比、愚札を□しむる之後、今月に至るも是非に付け返報を給はらず。欝念散じ難し。忽々之故に想亡せしむるか。軽略せらるる之故に□一行を慳しむか。[p0425]
本文に云く 師子不蔑少兎不畏大象を〔師子は少兎を蔑らず、大象を畏れず〕等云云。若し又万一他国之兵、此の国を襲ふ□出来せば、知りて而も奏せざる之失、偏に貴辺に懸かるべし。仏法を学ぶ之法は、身命を捨て、国恩を報ぜんが為也。全く自身の為に非ず。本文に云く_見雨知龍見蓮知池〔雨を見て龍を知り蓮を見て池を知る〕等云云。災難急を見せる之故、度々之を驚かす。用ひざるに而も之を諌む。強[p0425]
#0064-0K0 御輿振御書 文永六(1269.03・01) [p0437]
御文竝びに御輿振の日記給候。悦び入て候。[p0437]
中堂炎上之事、其の義に候か。山門破滅之期、其の節に候か。此れ等も其の故無きに非ず。天竺には祇園精舎・鶏頭摩寺、漢土には天台山、正像二千年之内に以て滅尽せり。今末法に当りて日本国計りに叡山有り。三千界之中に但此の処のみ有るか。定めて悪魔、一跡に嫉みを留むるや。小乗権教之輩も之を・むか。随て禅僧・律僧・念仏者、王臣に之を訴えられ、三千人の大衆、我が山破滅の根源とも知らず。師檀共に破国破仏之因縁に迷へり。[p0437-0438]
但恃む所は妙法蓮華経第七の巻の後五百歳 於閻浮提 広宣流布の文か。又伝教大師の ̄正像稍過已末法太有近。法華一乗機今正是其時〔正像やや過ぎ已って、末法はなはだ近きに有り。法華一乗の機、今正しく是れ其の時なり〕之釈也。滅するは生ぜんが為、下るは登らんが為也。山門繁盛の為、是の如き留難を起すか。事々紙上に尽くし難し。早々見参を期す。謹言。[p0438]
三月一日 日 蓮 花押[p0438]
御返事[p0438]
#0065-0K0 弁殿御消息 文永六(1269.03・10) [p0438]
千観内供の五味義・盂蘭盆経之疏・玄義六の本末、御随身有るべく候。文句十 少輔殿 御信用有るべし。恐々謹言。[p0438]
三月十日 日 蓮 花押[p0438]
弁殿[p0438]
#0066-0K0 問註得意鈔 文永六(1269.05・09) [p0439]
今日召し合わせ、御問注之由承り候。各々御所念の如くならば三千年に一度花さき菓なる優曇華に値へる之身か。西王母之薗の桃、九千年に三度之を得る東方朔が心か。一期の幸甚何事か之にしかん。御成敗の甲乙は且く之を置く。前き立てて欝念を開発せんか。[p0439]
但し兼日御存知有りと雖も駿馬にも鞭うつ之理、之有り。今日御出仕、公庭に臨んで之後は、設ひ知音たりと雖も傍輩に向ひて雑言を止めらるべし。両方召し合わせ之時、御奉行人訴陳の状之を読むの尅〈きざみ〉、何事に付けても御奉行人、御尋ね無からん之外、一言を出だすべからざるか。設ひ敵人等悪口を吐くと雖も、各々当身之事一二度までは聞かざるが如くすべし。三度に及ぶ之時、顔貌を変ぜず、・言を出ださず、・語を以て申すべし。各々は一処の同輩也。私に於ては全く違恨無き之由、之を申さるべきか。[p0439]
又御共雑人等に能々禁止を加へ喧嘩を出だすべからざるか。是の如き事、書札に尽くし難し。心を以て御斟酌有るべきか。此れ等の嬌言を出だす事、恐れを存すと雖も、仏経と行者と檀那と三事相応して一事を成ぜんが為に愚言を出だす処也。恐恐謹言[p0439]
五月九日 日 蓮 花押[p0439]
三人御中[p0439]
#0067-000 富木殿御消息 文永六(1269) [p0440]
大師講の事。今月は明性房にて候が此の月はさしあい候。余人之中 せん(為)と候人候わば申させ給えと候。貴辺如何仰せを蒙り候はん。又御指し合いにて候わば他処へ申すべく候。恐々謹言。[p0440]
六月七日 日 蓮 花押[p0440]
土木殿[p0440]
#0069-0K0 安国論奥書 文永六(1269.12・08) [p0442]
文応元年[太歳庚申]之を勘ふ。正嘉、之を始めてより文応元年に勘へ畢る。[p0442]
正嘉元年[太歳丁巳]八月二十三日戌亥之尅の大地震を見て、之を勘ふ。前代に超えたる大地振。文応元年[太歳庚申]七月十六日を以て宿谷禅門に付けて、故最明寺入道殿に奉れり。其の後文永元年[太歳甲子]七月五日大明星之時、弥弥此の災の根源を知る。文応元年[太歳庚申]より、文永五年[太歳戉辰]後の正月十八日に至るまで、九ヶ年を経て、西方大蒙古国より我が朝を襲ふべき之由、牒状之を渡す。又同六年重ねて牒状之を渡す。既に勘文之に叶ふ。之に準じて之を思ふに、未来も亦然るべきか。此の書は徴〈しるし〉有る文也。是偏に日蓮の力に非ず、法華経之真文の至す所の感応か。[p0443]
文永六年[太歳已巳]十二月八日之を写す。[p0443]
#0070ー000 法門可被申様之事 文永六(1269) [p0443]
法門申さるべきよう。選択をばうちをきて、先ず法華経の第二の巻の今此三界の文を開きて、釈尊は我等が親父也等定め了るべし。何れの仏か我等が父母にてはをはします。外典三千余巻にも忠孝の二字こそせん(詮)にて候なれ。忠は又孝の家より出とこそ申し候なれ。されば外典は内典の初門。此の心は内典にたがわず候か。人に尊卑上下はありというとも、親を孝するにはすぎずと定められたるか。釈尊は我等が父母なり。一代の聖教は父母の子を教えたる教経なるべし。其の中に天上・龍宮・天竺なんどには無量無辺の御経ましますなれども、漢土日本にはわづかに五千七千余巻なり。此れ等の経々の次第勝劣等は私には弁えがたう候。而るに論師・大師・先徳には末代の人の智慧こえがたければ、彼の人々の料簡を用ゆべきかのところに、華厳宗の五教・四教、法相・三論の三時・二蔵、或は三転法輪。[p0443-0444]
{第三紙空白}[p0444]
世尊法久後要当説真実の文は又法華経より出て金口の明説なり。仏説すでに大に分けて二途なり。譬えば世間の父母の譲りの前判後判のごとし。はた又、世間の前判後判は如来の金言をまなびたるか。孝不孝の根本は前判後判の用不用より事おこれり、こう立て申すならば人々さもやとおぼしめしたらん時申すべし。抑そも浄土の三部経等の諸宗の依経は当分四十余年の内なり。世尊は我等が慈父として未顕真実ぞと定めさせ給う御心は、かの四十余年の経々に付けとおぼしめししか。又説真実の言にうつれとおぼしめししか。心あらん人々御賢察候べきかとしばらくあじわい(味)て、よも仏程の親父の一切衆生を一子とおぼしめすが、真実なる事をすてて未顕真実の不実なる事に付けとはおぼしめさじ。[p0444]
さて法華経にうつり候わんは四十余年の経々をすてて遷り候べきか、はた又かの経々竝びに南無阿弥陀仏等をばすてずして遷り候べきかとおぼしきところに、凡夫の私の計らい、是非につけておそれあるべし。仏と申す親父の仰せを仰ぐべしとまつところに、仏定めて云く_正直捨方便等云云。方便と申すは無量義経に_未顕真実と申す上に_以方便力〔方便力を以てす〕と申す方便なり。以方便力の方便の内に浄土三部経等の四十余年の一切経は一字一点も漏らすべからざるか。されば四十余年の経々をすてて法華経に入らざらん人々は世間の孝不孝は知らず、仏法の中には第一の不孝の者なるべし。故に第二譬喩品に云く_今此三界 乃至 雖復教詔 而不信受〔今此の三界は 乃至 復教詔すと雖も 而も信受せず〕等云云。四十余年の経々をすてずして法華経に竝べて行ぜん人々は主師親の三人のおおせを用いざる人々なり。教と申すは師親のおしえ、詔と申すは主上の詔勅なるべし。仏は閻浮第一の賢王・聖師・賢父なり。[p0444-0445]
されば四十余年の経々につきて法華経へうつらず、又うつる人々も彼の経々をすててうつらざるは、三徳備えたる親父の仰せを用いざる人、天地の中にすむべき者にはあらず。この不孝の人の住処を経の次下に定めて云く_若人不信 乃至 其人命終 入阿鼻獄〔若し人信ぜずして 乃至 其の人命終して 阿鼻獄に入らん〕等云云。設い法華経をそしらずとも、うつり付かざらむ人々不孝の失疑いなかるべし。不孝の者は又悪道疑いなし。故に仏は_入阿鼻獄と定め給いぬ。何に況んや爾前の経々に執心を堅くなして法華経へ遷らざるのみならず、善導が千中無一、法然が捨閉閣抛とかけるはあに阿鼻地獄を脱るべしや。其の所化竝びに檀那は又申すに及ばず。_雖復教詔 而不信受と申すは孝に二つあり。世間の孝の孝不孝は外典の人々これをしりぬべし。内典の孝不孝は設い論師等なりとも実教を弁えざる権教の論師の流れを受けたる末の論師なんどは後生しりがたき事なるべし。何に況んや末々の論師をや。[p0445-0446]
涅槃経の三十四に云く_人身を受けんことは爪上の土、三悪道に堕ちん事は十方世界の土。四重・五逆乃至涅槃経を謗ずる事は十方世界の土、四重・五逆乃至涅槃経を信ずる事は爪の上の土なんどととかれて候。末代には五逆の者と謗法の者は十方世界の土のごとしとみえぬ。されども当時五逆罪つくる者は爪の上の土、作らざる者は十方世界の土程候えば、経文そらごとなるようにみえ候を、くわしくかんがえみ候えば、不孝の者を五逆罪の者とは申し候か。又相似の五逆と申す事も候。さるならば前王の正法・実法を弘めさせ給うと候を、今の王の権法相似の法を尊んで天子本命の道場たる正法の御寺の御帰依うすくして、権法・邪法の寺の国々に多くいできたれるは、愚者の眼には仏法繁盛とみえて、仏天智者の御眼には古き正法の寺寺ようやくうせ候えば、一には不孝なるべし、賢なる父母の氏寺をすつるゆえ。二には謗法なるべし。若ししからば日本国当世は国一同に不孝謗法の国なるべし。[p0446]
此の国は釈迦如来の御所領。仏の左右臣下たる大梵天王第六天の魔王にたわせ給いて、大海の死骸をとどめざるがごとく、宝山の曲林をいとうがごとく、此の国の謗法をかえんとおぼすかと勘え申すなりと申せ。この上捨てられて候四十余年の経々の今に候はいかになんど、俗の難せば返吉(詰)して申すべし。塔をくむあししろ(足代)は塔をくみあげては切りすつるなりなんと申すべし。此の譬えは玄義の第二の文に ̄今大教若起方便教絶〔今の大教若し起れば方便の教絶す〕と申す釈の心なり。妙と申すは絶という事、絶と申す事は此の教起れば已前の経々を断止と申す事なるべし。_正直捨方便の捨の文字の心、又嘉祥の_日出ぬるは星かくるの心なるべし。但し爾前の経々は塔のあししろなればきりすつるとも、又塔をすり(修理)せん時は用ゆべし。又切りすつべし。三世の諸仏の説法の儀式かくのごとし。[p0447]
又俗の難に云く 慈覚大師の常行堂等の難、これをば答うべし。内典の人外典をよむ。得道のためにあらず、才学のためか。山寺の小兒の倶舎の頌をよむ、得道のためか。伝教・慈覚は八宗を極め給えり。一切経をよみ給う。これみな法華経を詮と心え給わん梯磴なるべし。[p0447]
又俗の難に云く 何にさらば御房は念仏をば申し給わぬ。[p0447]
答て云く 伝教大師は二百五十戒をすて給いぬ。時に当たりて、法華円頓の戒にまぎれしゆえなり。当世は諸宗の行多けれども、時にあたりて念仏をもてなして法華経を謗ずるゆえに、金石迷いやすければ唱え候わず。例せば仏十二年が間、常楽我浄の名をいみ給いき。外典にも寒食のまつりに火をいみ、あかき物をいむ。不孝の国と申す国をば孝養の人はとお(通)らず。此れ等の義なるべし。[p0447-0448]
いくたびも選択をばいろわずして先ずこうたつ(立)べし。[p0448]
又御持仏堂にて法門申したりしが面目なんどかかれて候事、かえすがえす不思議におぼえ候。そのゆえは僧となりぬ。其の上、一閻浮提にありがたき法門なるべし。設い等覚の菩薩なりともなにとかおもうべき。まして梵天・帝釈等は我等が親父釈迦如来の御所領をあずかりて、正法の僧をやしなうべき者につけられて候。毘沙門等は四天下の主、此れ等が門まもり。又四州の王等は毘沙門天が所従なるべし。其の上、日本秋津嶋は四州の輪王の所従にも及ばず、但嶋の長なるべし。長なんどにつかえん者どもに召されたり、上なんどかく上、面目なんど申すは、かたがたせんするところ日蓮をいやしみてかけるか。[p0448]
総じて日蓮が弟子は京にのぼりぬれば始めはわすれぬようにて後には天魔つきて物にくるう。しょう房がごとし。わ御房もそれていになりて天のにくまれかおるな。のぼりていくばくもなきに実名をかうる(替)じょう物くるわし。定めてことばつき音なんども京なめりになりたるらん。ねずみがかわほり(蝙蝠)になりたるように、鳥にもあらず、ねずみにもあらず、田舎法師にもあらず、京法師にもにず、しょう房がようになりぬとおぼゆ。言をば但いなかことばにてあるべし。なかなかあしきようにて有るなり。尊成とかけるは隠岐の法皇の御実名か、かたがた不思議なるべし。[p0448-0449]
かつしられて候ように当世の高僧真言・天台等の人々のおいのりは叶いまじきよし前々に申し候上、今年鎌倉の真言師等は去年より変成男子の法おこなわる。隆弁なんどは自歎する事かぎりなし。七八百余人の真言師、東寺・天台の大法・秘法尽くして行ぜしがついにむなしくなりぬ。禅宗・律僧等又一同に行いしかどもかなわず。日蓮が叶うまじと申すとて不思議なりなんどおどし候しかども皆むなしくなりぬ。小事たる今生の御いのりの叶わぬを用てしるべし。大事たる後生叶うべしや。[p0449]
真言宗の漢土に弘まる始めは、天台の一念三千を盗み取って真言の教相と定めて理の本とし、枝葉たる印真言を宗と立て、宗として天台宗を立て下す条、謗法の根源たるか。又華厳・法相・三論も天台宗日本になかりし時は謗法ともしられざりしが、伝教大師円宗を勘えいだし給いて後、謗法の宗ともしられたりしなり。当世真言等の七宗の者、しかしながら謗法なれば大事の御いのり叶うべしともおぼえず。[p0449-0450]
天台宗の人々は我が宗は正なれども邪なる他宗と同ずれば我が宗の正をもしらぬ者なるべし。譬えば東に迷う者は対当の西に迷い、東西に迷うゆえに十方に迷うなるべし。外道の法と申すは本内道より出て候。而れども外道の法をもて内道の敵となるなり。諸宗は法華経よりいで、天台宗を才学として而も天台宗を失うなるべし。天台宗の人々は我が宗は実義とも知らざるゆえに、我が宗のほろび、我が身のかろくなるをばしらずして、他宗を助けて我が宗を失うなるべし。法華宗の人が法華経の題目南無妙法蓮華経とはとなえずして、南無阿弥陀仏と常に唱えば、法華経を失う者なるべし。例せば外道は三宝を立て、其の中に仏宝と申すは南無摩醯修羅天と唱えしかば、仏弟子は翻邪の三帰と申して南無釈迦牟尼仏と申せしなり。此れをもって内外のしるしとす。南無阿弥陀仏とは浄土宗の依経の題目なり。心には法華経の行者と存すとも南無阿弥陀仏と申さば傍輩は念仏者としりぬ。法華経をすてたる人とおもうべし。叡山の三千人は此の旨を弁えずして王法にもすてられ叡山をもほろぼさんとするゆえに、自然に三宝に申す事叶わず等と申し給うべし。[p0450]
人不審して云く 天台・妙楽・伝教等の御釈に我がように法華経竝びに一切経を心えざらん者は悪道に堕つべしと申す釈やあると申さば、玄の三・籤の三の已今当等をいだし給うべし。伝教大師、六宗の学者・日本国の十四人を呵して云く 顕戒論に云く ̄昔聞斉朝之光統今見本朝之六統。実哉法華何況也〔昔斉朝之光統を聞き今は本朝之六統を見る。実なるかな法華の何況なり〕等云云。依憑集に云く ̄新来真言家者則泯筆授之相承 旧到華厳家則隠影響之軌模。沈空三論宗者忘弾呵之屈恥覆称心之酔。著有法相宗非撲陽之帰依撥青龍之判経〔新来の真言家は則ち筆授之相承を泯し、旧到の華厳家は則ち影響之軌模を隠す。沈空の三論宗は弾呵之屈恥を忘れて称心之酔を覆う。著有の法相宗は撲陽之帰依をなみし、青龍之判経等をはらう〕等云云。天台・妙楽・伝教等は真言等の七宗の人々は設い戒定はまたく(全)とも、謗法のゆえに悪道脱るべからずと定められたり。何に況んや禅宗・浄土宗等は勿論なるべし。されば止観は偏に達磨をこそは(破)して候めれ。而して当世の天台宗の人々は諸宗に得道をゆるすのみならず、諸宗の行をうばい取って我が行とする事いかん。[p0450-0451]
当世の人々ことに真言宗を不審せんか。立て申すべきよう。日本国に八宗あり。真言宗大に分けて二流あり。所謂東寺・天台なるべし。法相・三論・華厳・東寺の真言等は大乗宗、設い定慧は大乗なれども東大寺の小乗戒を持つゆえに戒は小乗なるべし。退大取小の者、小乗宗なるべし。叡山の真言宗は天台円頓の戒をうく、全く真言宗の戒なし。されば天台宗の円頓戒におちたる真言宗なり等申すべし。而るに座主等の高僧、名を天台宗にかりて一向真言宗によて法華宗をさぐる(下)ゆえに、叡山皆謗法になりて御いのりにしるしなきか。[p0451-0452]
問て云く 天台法華宗に対当して真言宗の名をけずらるる証文如何。[p0452]
答て云く 学生式に云く[伝教大師の作也] ̄天台法華宗年分学生式[一首]。年分度者人[柏原先帝加えらる天台法華宗伝法者]。凡法華宗天台年分自弘仁九年○令住叡山一十二年不出山門修学両業。凡止観業者○凡遮那業者〔凡そ法華宗天台の年分は弘仁九年より○叡山に住せしめて一十二年山門を出さず両業を修学せしめん。凡そ止観業の者○凡そ遮那業の者〕等云云。[p0452]
顕戒論縁起の上に云く ̄請加新法華宗表一首〔新法華宗に加えんことを請う表一首〕。沙門最澄○華厳宗二人 天台法華宗二人。又云く ̄天台業二人[一人は大毘盧遮那経を読ましむ。一人は摩訶止観を読ましむ]。此れ等は天台宗の内に真言宗をば入れて候こそ候めれ。[p0452]
嘉祥元年六月十五日の格に云く ̄右入唐廻請益。伝統法師位円仁表称 伏尋天台宗伝本朝者〔右入唐廻って請益す。伝統法師位円仁の表に称く 伏して天台宗の本朝に伝うることを尋ぬれば〕○延暦二十四年○二十五年○特賜天台年分度者二人。一人習真言業 一人学止観業〔特り天台の年分度者二人を賜う。一人は真言の業を習わし、一人は止観の業を学ばす〕。○然則天台宗止観真言両業者是桓武天皇所崇建矣〔然れば則ち天台宗の止観と真言との両業は是れ桓武天皇の崇建する所矣〕等云云。[p0452]
叡山においては天台宗にたいしては真言宗の名をけずり、天台宗を骨とし、真言をば肉となせるか。而るに末代に及んで天台・真言両宗中あしうなりて骨と肉と分け、座主は一向に真言となる。骨なき者のごとし。大衆は多分天台宗なり、肉なきもののごとし。仏法に諍いあるゆえに世間の相論も出来して叡山静かならず、朝下にわずらい多し。此れ等の大事を内々は存すべし。此の法門はいまだおしえざりき。よくよく存知すべし。[p0452-0453]
又念仏宗は法華経を背いて浄土の三部経につくゆえに、阿弥陀仏を正として釈迦仏をあなずる。戒においては大小殊なれども釈尊を本とす。余仏は証明なるべし。諸宗を殊なりとも釈迦を仰ぐべきか。師子の中の虫、師子をくらう。仏教をば外道はやぶりがたし。内道の内に事いできたりて仏道を失うべし。仏の遺言なり。仏道の内には小乗をもて大乗を失い、権大乗もて実大乗を失うべし。此れ等は又外道のごとし。又小乗・権大乗よりは実大乗・法華経の人々がかえりて法華経をば失わんが大事にて候べし。仏法の滅不滅は叡山にあるべし。叡山の仏法滅せるかのゆえに異国我が朝をほろぼさんとす。叡山の正法の失するゆえに、大天魔日本国に出来して、法然・大日等が身に入り、此れ等が身を橋として王臣等の御身にうつり住み、かえりて叡山三千人に入るゆえに、師檀中不和にして、御祈祷しるしなし。御祈請しるしなければ三千の大衆等、檀那にすてはてられぬ。[p0453]
又王臣等、向天台真言学者〔天台・真言の学者に向って〕 問て云く 念仏・禅宗等の極理は天台・真言とは一かととわせ給えば、名は天台・真言にかりて其の心も弁えぬ高僧天魔にぬかれて答て云く 禅宗の極理は天台・真言の極理なり、弥陀念仏は法華経の肝心なり、なんど答え申すなり。而るを念仏者・禅宗等のやつばらには天魔乗りうつりて、当世の天台・真言の僧よりも智慧かしこきゆえに、全くしからず、禅ははるかに天台・真言に超えたる極理なり。或は云く 諸経は理深、我等衆生は解微なり。機教相違せり、得道あるべからず。なんど申すゆえに、天台・真言等の学者、王臣等の檀那皆奪いとられて御帰依なければ、現身に餓鬼道に堕ちて友の肉をはみ、仏神にいかりをなし、檀那をすそ(呪咀)し、年々に災いを起こし、或は我が生身の本尊たる大講堂の教主釈尊をやきはらい、或は生身の弥勒菩薩をほろぼす。進んでは教主釈尊の怨敵となり、退いては当来弥勒の出世を過たんとくるい候か。この大罪は経論にいまだとかれず。[p0453-0454]
又此の大罪は叡山三千人の失にあらず。公家・武家の失となるべし。日本一州上下万民一人もなく謗法なれば、大梵天王・帝桓竝びに天照大神等、隣国の聖人に仰せつけられて謗法をためさんとせらるるか。例せば国民たりし清盛入道王法をかたぶけたてまつり、結句は山王大仏殿をやきはらいしかば、天照大神・正八幡・山王等よりき(与力)せさせ給いて、源頼義が末の頼朝に仰せ下して平家をほろぼされて国土安穏なりき。今一国挙げて仏神の敵となれり。我が国に此の国を領すべき人なきかのゆえに大蒙古国は起るとみえたり。例せば震旦・高麗等は天竺についでは仏国なるべし。彼の国々、禅宗・念仏宗になりて蒙古にほろぼされぬ。日本国は彼の国の弟子なり。二国のほろぼされんに、あに此の国安穏なるべしや。国をたすけ家をおもわん人々は、いそぎ禅・念の輩を経文のごとくいましめらるべきか。経文のごとくならば仏神日本国にましまさず。かれを請いまいらせんと術はおぼろげならでは叶いがたし。[p0454-0455]
先ず世間の上下万人云く 八幡大菩薩は正直の頂にやどり給う、別のすみかなし等云云。世間に正直の人なければ大菩薩のすみかましまさず。又仏法の中に法華経計りこそ正直の御経にてはおわしませ。法華経の行者なければ大菩薩の御すみかおわせざるか。但し日本国には日蓮一人計りこそ世間・出世正直の者にては候え。其の故は故最明寺入道に向って、禅宗は天魔のそい(所為)なるべし。のちに勘文もてこれをつげしらしむ。日本国の皆人無間地獄に堕つべし。これほど有る事を正直に申すものは先代にもありがたくこそ。これをもって推察あるべし。それほり外の小事曲ぐべしや。又聖人は言をかざらずと申す。又いまだ顕れざるのちをしるを聖人と申すか。日蓮は聖人の一分にあたれり。此の法門のゆえに二十余所おわれ、結句流罪に及び、身に多くのきずをかおり、弟子をあまた殺させたり。比干にもこえ、伍しそ(子胥)にもおとらず。提婆菩薩の外道に殺され、師子尊者の壇弥利王に頚をはねられしにもおとるべきか。もししからば八幡大菩薩は日蓮が頂をはなれさせ給いてはいずれの人の頂にかすみ給わん日蓮を此の国に用いずばいかんがすべき、となげかれ候なりと申せ。[p0455-0456]
又日蓮房の申し候。仏菩薩竝びに諸大善神をかえしまいらせん事は別の術なし。禅宗・念仏宗の寺寺を一もなく失い、其の僧らをいましめ、叡山の講堂を造り、霊山の釈迦牟尼仏の御魂を請い入れたてまつらざらん外は諸神もかえり給うべからず、諸仏も此の国を扶け給わん事はかたしと申せ。[p0456]
#0071-0K0 故最明寺入道見参御書 文永六(1269) [p0456]
挙げ寺々。日本国中為に旧寺の御帰依を捨てしむるは、天魔の所為たる之由、故最明寺入道殿に見参之時、之を申す。又、立正安国論之を挙ぐ。惣じて日本国中の禅宗・念仏宗[p0456]
#0073-000 金吾殿御返事 文永七(1270) [p0458]
止観の五、正月一日よりよみ候て、現世安穏後生善処と祈請仕り候。便宜に給うべく候。本末は失せて候しかども、これにすり(修理)させて候。多く本入るべきに申し候。[p0458]
大師講鵞目五連給い候了んぬ。此の大師講三四年に始めて候が、今年は第一にて候つるに候。[p0458]
抑そも此の法門之事、勘文の有無に依って弘まるべきか、之弘まらざるべき歟。去年方々に申して候しかども、いなせ(否応)の返事候わず候。今年十一月之比、方々へ申し候えば少々返事あるかたも候。おおかた人の心もやわらぎて、さもやとおぼしたりげに候。又上のけさん(見参)にも入って候やらむ。これほどの僻事申して候えば、流死の二罪の内は一定と存ぜしが、いままでなにと申す事も候わぬは不思議とおぼえ候。いたれる道理にて候やらむ。又自界叛逆難の経文も値うべきにて候やらむ。山門なんどもいにしえにも百千万億倍すぎて動揺とうけ給わり候。それならず子細ども候やらん。震旦高麗すでに禅門念仏になりて、守護の善神の去るかの間、彼の蒙古に聳〈したがい〉候ぬ。我が朝又此の邪法弘まりて、天台法華宗を忽諸〈ゆるがせ〉のゆえに、山門安穏ならず、師檀違反の国と成り候ぬれば、十が八九はいかんがとみえ候。人身すでにうけぬ。邪師又まぬがれぬ。法華経のゆえに流罪におよびぬ。今死罪に行われぬこそ本意ならず候え。あわれさる事の出来し候えかしとこそはげみ候て、いたづらに曠野にすてん身を、同じくは一乗法華のかたになげて、雪山童子・薬王菩薩の跡をおい、仙豫・有得の名を後代に留めて、法華・涅槃経に説き入れられまいらせんと願うところ也。南無妙法蓮華経。[p0459]
十一月二十八日 日 蓮 花押[p0459]
御返事[p0459]
#0074-000 上野殿母尼御前御書 文永七年(1270.12・22) [p0459]
母尼ごぜんにはことに法華経の御信心のふかくましまし候なる事、悦び候と申させ給い候え。[p0459]
止観第五之事。正月一日辰の時此れをよみはじめ候。明年は世間忽々なるべきよし皆人申すあいだ、一向後生のために十五日まで止観を談ぜんとし候が、文あまた候わず候。御計らい候べきか。白米一斗御志し申しつくしがたう候。鎌倉は世間かつ(渇)して候。僧はあまたおわします。過去の餓鬼道の苦をばつくのわせ候いぬるか。[p0460]
法門の事。日本国に人ごとに信ぜさせんと候しが、願や成熟せんとし候らん、当時は蒙古の勘文によりて世間やわらぎて候なり。子細ありぬと見え候。本より信じたる人々はことに悦ぶげに候か。恐恐謹言。[p0460]
十二月二十二日 日 蓮 花押[p0460]
#0081-000 十章抄 文永八年(1271.05) [p0488]
華厳宗と申す宗は華厳経の円と法華経の円とは一也。而れども法華経の円は華厳の円の枝末と云云。法相・三論も又々かくのごとし。天台宗彼の義に同ぜば別宗と立つなにかせん。例せば法華・涅槃は一つ円也。先後に依って涅槃尚おおとるとさだむ。爾前之円・法華円を一とならば、先後によりて法華豈に劣らざらんや。詮するところ、この邪義のおこり、此妙彼妙円実不異、円頓義斉前三為・等の釈にばかされて起こる義なり。止観と申すも円頓止観の証文には華厳経の文をひきて候ぞ。又二の巻の四種三昧は多分は念仏と見えて候なり。[p0488]
源濁れば流れ清からずと申して、爾前之円と法華経の円と一つと申す者が、止観を人に読ませ候ば、但念仏者のごとくにて候なり。但し止観は迹門より出たり、本門より出たり、本迹に互ると申す三つの義いにしえよりこれあり。これは且くこれをおく。故知一部之文共成円乗開権妙観〔故に知る一部之文共に円乗開権の妙観を成す〕と申して、止観一部は法華経の開会の上に建立せる文なり。爾前の経々をひき乃至外典を用いて候も、爾前・外典の心にはあらず。文をばかれ(借)ども義をばけづりすてたるなり。境雖寄昔智必依円〔境は昔に寄ると雖も智は必ず円に依る〕と申して、文殊門・方等請観音の諸経を引いて四種を立つれども、心は必ず法華経なり。散引諸文該乎一代文体 正意唯帰二経〔諸文を散引して乎一代の文体を該れども 正意は唯二経に帰す〕と申すこれなり。[p0488-0489]
止観に十章あり。大意・釈名・体相・摂法・偏円・方便・正観・果報・起教・旨帰なり。前六重依修多羅〔前六重は修多羅に依る〕と申して、大意より方便までの六重は先四巻に限る。これは妙解迹門の心をのべたり。今依妙解以立正行〔今妙解に依って以て正行を立つ〕と申すは第七の正観十境十乗の観法、本門の心なり。一念三千此れよりはじまる。一念三千と申す事は迹門にすらなお許されず。何に況んや爾前に分たえたる事なり。一念三千の出処は略開三之十如実相なれども、義分は本門に限る。爾前は迹門の依義判文、迹門は本門の依義判文なり。但真実の依文判義は本門に限るべし。[p0489]
されば円の行まちまちなり。沙をかずえ、大海をみる、なお円の行なり。何に況んや爾前の経をよみ、弥陀等の諸仏の名号を唱うるをや。但これらは時々の行なるべし。真実に円の行に順じて常に口ずさみにすべき事は南無妙法蓮華経なり。心に存すべき事は一念三千の観法なり。これは智者の行解なり。日本国の在家の者には但一向に南無妙法蓮華経ととなえさすべし。名は必ず体にいたる徳あり。法華経に十七種の名あり。これ通名なり。別名は三世の諸仏皆南無妙法蓮華経とつけさせ給いしなり。阿弥陀・釈迦等の諸仏も因位の時は必ず止観なりき。口ずさみは必ず南無妙法蓮華経なり。[p0490]
此れ等をしらざる天台・真言等の念仏者、口ずさみには一向に南無阿弥陀仏と申すあいだ、在家の者は一向に念うよう、天台・真言等は念仏にてありけり。又善導・法然が一門はすわすわ天台・真言の人人も実に自宗が叶いがたければ念仏を申すなり。わづらわしくかれを学せんよりは、法華経をよまんよりは、一向に念仏を申して浄土にして法華経をもさとるべしと申す。此の義日本国に充満せし故に天台・真言の学者、在家の人々にすてられて六十余州の山寺はうせはてぬるなり。九十六種の外道は仏慧比丘の威儀よりおこり日本国の誹謗は爾前之円與法華円一〔爾前之円と法華円と一つ〕という義の盛んなりしよりこれはじまれり。あわれなるかなや。[p0490]
外道は常楽我浄と立てしかば、仏、世にいでまさせ給いては苦空無常無我ととかせ給いき。二乗は空観に著して大乗にすすぎまざりしかば仏誡めて云く 五逆は仏の種、塵労の疇〈たぐい〉は如来の種、二乗の善法は永不成仏と嫌わせ給いき。常楽我浄の義こそ外道はあしかりしかども、名はよかりしぞかし。而れども仏、名をいみ給いき。悪だに仏の種となる。ましてぜん(善)はとこそおぼうれども、仏二乗に向かいては悪をば許して善をばいましめ給いき。[p0490-0491]
当世の念仏は法華経を国に失う念仏なり。設いぜんたりとも、義分あたれえりというとも、先ず名をいむべし。其の故は仏法は国に随うべし。天竺には一向小乗・一向大乗・大小兼学の国あり、わかれたり。震旦亦復是の如し。日本国は一向大乗の国、大乗の中の一乗の国なり。華厳・法相・三論等の諸大乗すら猶お相応せず。何に況んや小乗の三宗をや。[p0491]
而るに当世にはやる念仏宗と禅宗とは源方等部より事おこれり。法相・三論・華厳の見を出づべからず。南無阿弥陀仏は爾前にかぎる。法華経においては往生の行にあらず。開会の後仏因となるべし。南無妙法蓮華経は四十余年にわたらず、但法華八箇年にかぎる。南無阿弥陀仏に開会せられず。法華経は能開、念仏は所開なり。法華経の行者は一期南無阿弥陀仏と申さずとも、南無阿弥陀仏並びに十方の諸仏の功徳を備えたり。譬如如意宝珠〔譬えば如意宝珠の如し〕。金銀等の財備えたるか。念仏は一期申すとも法華経の功徳をぐすべからず。譬えば金銀等の如意宝珠をかさねざるがごとし。譬えば三千大千世界に積みたる金銀等の財も、一つの如意宝珠をばかうべからず。設い開会をさとれる念仏なりとも、猶お体内の権なり。体内の実に及ばず。何に況んや当世に開会を心えたる智者も少なくこそおわすらめ。設いさる人ありとも、弟子・眷属・所従なんどはいかんがあるべかるらん。愚者は智者の念仏を申し給うをみては念仏者とぞ見候らん。法華経の行者とはよも候わじ。又南無妙法蓮華経と申す人をば、いかなる愚者も法華経の行者とぞ申し候わんずらん。[p0491-0492]
当世に父母を殺す人よりも、謀反をおこす人よりも、天台・真言の学者といわれて、善公が礼讃をうたい、然公が念仏をさいづる人々はおそろしく候なり。此の文を止観読みあげさせ給いて後、ふみのざ(文座)の人にひろめてわたらせ給うべし。止観よみあげさせ給わば、すみやかに御わたり候え。[p0492]
沙汰のことは本より日蓮が道理だにもつよくば、事切れん事かたしと存じて候しか。人ごとに問註は法門にはにず、いみじうしたりと申し候なるときに、事切るべしともおぼえ候わず。少弼殿より平の三郎左衛門のもとにわたりて候とぞうけ給わり候。この事のび候わば問註はよきと御心え候え。又いつにてもよも切れぬ事は候わじ。又切れずは日蓮が道理とこそ人々はおもい候わんずらめ。くるしく候はず候。当時はことに天台・真言等の人々の多く来て候なり。事多き故に留め候い了んぬ。[p0493]
#0083-0K0 行敏御返事 文永八(1271.07・13) [p0496]
行敏初度の難状[p0496]
未だ見参に入らずと雖も事の次いでを以て申し承るは常の習ひに候か。抑そも風聞の如きんば所立之義尤も不審なり。法華の前に説ける一切の諸経は皆是れ妄語にして出離の法に非ず[是一]。大小の戒律は世間を誑惑して悪道に堕せしむるの法[是二]。念仏は無間の業為り[是三]。禅宗は天魔の説若し依て行ずる者は悪見を増長す[是四]。事若し実ならば仏法の怨敵也。仍て対面を遂げ悪見を破らんと欲す。将た又其の義無くんば争でか悪名を被らざらん。痛ましいかな。是非に付き、委しく示し給はるべき也。恐恐謹言。[p0496]
七月八日 僧行敏在判[p0496]
條々御不審の事、私の問答は事行ひ難く候か。然れば上奏を経られて仰せ下さるゝ趣に随て是非を糾明せらるべく候か。此の如く仰せを蒙り候條尤も庶幾する所に候。恐恐謹言。[p0497]
七月十三日 日 蓮 花押[p0497]
行敏御房御返事[p0497]
#0084-1K0 行敏訴状御会通 文永八(1271) [p0497]
当世日本国第一の持戒の僧良観聖人、竝びに法然上人之孫弟〈まごでし〉念阿弥陀仏・道阿弥陀仏等諸聖人等の日蓮を訴訟する状に云く 欲早召決日蓮摧破邪見興隆正義事〔早く日蓮を召し決せられて邪見を摧破し正義を興隆せん欲する事〕と云云。日蓮云く 摧破邪見興隆正義とは、一眼の亀の浮木の穴に入るならん。幸甚幸甚。[p0497]
彼の状に云く 右八万四千之教乃至是一非諸理豈可然哉〔右八万四千之教乃至一を是とし諸を非とする理、豈に然るべけんや〕等云云。道綽禅師云く ̄当今末法是五濁悪世。唯有浄土一門可通入路〔当今は末法、これ五濁悪世なり。ただ浄土の一門のみありて通入すべき路なり〕云云。善導和尚云く ̄千中無一〔千が中に一もなし〕云云。法然上人云く ̄捨閉閣抛云云。念阿上人等の云く 是一非諸謗法也〔一を是とし諸を非とするは謗法なり〕云云。本師三人の聖人の御義に相違す。豈に逆路伽耶陀の者に非ずや。将た又忍性良観聖人、彼等の立義に与力して此れを正義と存ぜらるるか。[p0497-0498]
又云く 而日蓮偏執法華一部誹謗諸余大乗〔而るに日蓮偏に法華一部に執して諸余の大乗を誹謗す〕云云。無量義経に云く_四十余年。未顕真実〔四十余年には未だ真実を顕さず〕。法華経に云く_要当説真実〔要ず当に真実を説きたもうべし〕。又云く_宣示顕説と。多宝仏証明を加へて云く_皆是真実〔皆是れ真実なり〕と。十方の諸仏は_舌相至梵天〔舌相梵天に至り〕と云ふ云云。已今当の三説を非毀して法華経一部を讃歎するは釈尊の金言也。諸仏の傍例也。敢えて日蓮が自義に非ず。其の上、此の難は去る延暦・大同・弘仁之比、南都の徳一大師が伝教大師を難破せし言也。其の難已に破れて法華宗を建立し畢んぬ。[p0498]
又云く 所謂法華前説諸経皆是虚妄〔いわゆる法華前説の諸経は皆是れ虚妄なり〕と云云。此れ又日蓮が私の言に非ず。無量義経に云く_未顕真実[未顕真実とは妄語の異名也]。法華経第二に云く_寧有虚妄不〔寧ろ虚妄ありや不や〕云云。第六に云く_説此良医。虚妄罪不〔此の良医の虚妄の罪を説くあらんや不や〕云云。涅槃経に云く_如来雖無虚妄之言 若知衆生因虚妄説〔如来は虚妄之言無しと雖も、若し衆生虚妄の説に因って法利を得ると知る〕云云。天台云く ̄則為如来綺語之語〔則ちこれ如来綺語の語〕云云。四十余年の経経を妄語と称すること、又日蓮が私の言に非ず。[p0498]
又云く 念仏無間業〔念仏は無間の業と〕云云。法華経第一に云く_我則堕慳貪 此事為不可〔我則ち慳貪に堕せん 此の事は為めて不可なり〕云云。第二に云く_其人命終 入阿鼻獄〔其の人命終して 阿鼻獄に入らん〕云云。大覚世尊、但観経念仏等の四十余年の経経を説いて法華経を演説したまはば三悪道を脱れ難し云云。何に況んや末代の凡夫一生之間、但自ら念仏之一行に留まり他人をも進めざれば、豈に無間に堕せざらんや。例せば民と子との王と親とに随はざるが如し。何に況んや道綽・善導・法然上人等の念仏等を修行する輩、法華経の名字を挙げて念仏に対当して勝劣難易等を論じ、未有一人得者・十即十生・百即百生・千中無一等と謂ふ者、無間の大火を招かざらんや。[p0498]
又云く 禅宗天魔波旬説〔禅宗は天魔波旬の説〕と云云。此れ又日蓮が私の言に非ず。教外別伝と云云。仏の遺言に云く_我経之外有正法者天魔説也〔我が経の外に正法有りといはば天魔の説なり〕云云。教外別伝之言、豈に此の科を脱れんや。[p0498-0499]
又云く 大小戒律世間誑惑法〔大小の戒律は世間誑惑の法〕と云云。日蓮が云く 小乗戒は仏世すら猶お之を破す。其の上、月氏国に三寺有り。所謂一向小乗の寺と一向大乗の寺と大小兼行の寺なり云云。一向小と一向大とは水火の如し。将た又通路をも分け隔てり。日本国に去る聖武皇帝と孝謙天皇との御宇に、小乗の戒壇を三所に建立せり。其の後桓武の御宇に伝教大師之を破りたまひぬ。其の詮は、小乗戒は末代の機に当らずと云云。護命・景深の本師等其の諍論に負るるのみに非ず、六宗の碩徳各退状を捧げ、伝教大師に帰依し、円頓の戒壇を伝受す云云。其の状今に朽ちず。汝自ら開き見よ。而るに良観上人当世日本国の小乗に昔の科を存せずといふ。[p0499]
又云く 年来本尊弥陀観音等像入火流水〔年来の本尊弥陀・観音等の像を火に入れ水に流す〕等云云。此の事慥かなる証人を指し出だして申すべし。もし証拠無くんば良観証人等自ら本尊を取り出だして火に入れ水に流し、科を日蓮に負はせんと欲するか。委細は之を糾明せん時其の隠れ無からんか。但し御尋ね無き間は其の重罪は良観上人等に譲り渡す。二百五十戒を破失せる因縁、此の大妄語にしかず。無間大城之人他処に求むる勿れ。[p0499]
又云く 集凶徒於室中〔凶徒を室中に集む〕と云云。法華経に云く_或有阿練若〔或は阿練若に〕云云。妙楽云く。東春云く。輔正記に云く。此れ等の経釈等を以て当世日本国に引き向ふるに、汝等が挙る所の建長寺・寿福寺・極楽寺・多宝寺・大仏殿・長楽寺・浄光寺等の寺寺は妙楽大師の指す所の第三最甚〔第三最も甚だしき〕悪所也。東春に云く ̄即是出家処摂一切悪人〔即ち是れ出家の処に一切の悪人を摂す〕云云。又云く ̄行向公処〔両行は公処に向かって〕等云云。又云く ̄兵杖等云云。涅槃経に云く。天台云く。章安云く。妙楽云く。法華経守護の為の弓箭兵杖は仏法の定むる法也。例せば国王守護の為に刀杖を集むるが如し。[p0499-0500]
但し良観上人等弘通する所の法、日蓮が難を脱れ難き之間、既に露顕せしむべきか。故に彼の邪義を隠さんが為に諸国の守護・地頭・雑人等を語らひて言く 日蓮竝弟子等阿弥陀仏入火流水。汝等大怨敵也〔日蓮竝びに弟子等は阿弥陀仏を火に入れ水に流す。汝等が大怨敵なり〕と云云。頚を切れ、所領を追ひ出だせ等と勧進するが故に、日蓮之身に・を被り、弟子等を殺害に及ぶこと数百人也。此れ偏に良観・念阿・道阿等の上人の大妄語より出でたり。心有らん人人は驚くべし恐るべし云云。[p0500]
・瑠璃王は七万七千の諸の得道の人を殺す。月氏国の大族王は率都婆を滅毀し、僧伽藍を癈すること凡そ一千六百余処。乃至大地震動して無間地獄に堕ちにき。・盧釈迦王は釈種九千九百九十万人を生け取り、竝べ従へて殺戮す。積屍芥〈くさむら〉の如く、流血池を成す。弗沙弥多羅王は四兵を興して五天に回らし僧侶を殺し、寺塔を焼く。設賞迦王は仏法を毀壊す。訖利多王は僧徒を斥逐し、仏法を毀壊す。欽明・敏達・用明の三王は詔に曰く 炳然宜断仏法〔炳然として仏法を断ず宜く〕云云。二臣自ら寺に詣で堂搭を斫倒し、仏像を毀破し火を縦ちて之を焼き、所焼の仏像を取りて難波の堀江に棄て、三尼を喚び出だして其の法服を奪ひ、竝びに咎を加ふ云云。御願は十五所、堂院は九十所、塔婆は四基、鐘楼は六宇、経蔵は二十所、神社は十三所、僧坊は八百余宇、舎宅は三千余等云云。去る治承四年十二月二十二日、太上入道浄海、東大・興福の両寺を焼失して僧尼等を殺す。此れ等は仏記に云く 此れ等の悪人は仏法の怨敵には非ず。三明六通の羅漢の如き僧侶等が我が正法を滅失せん。所謂守護経に云く。涅槃経に云く。[p0500-0501]
日 蓮 花押[p0501]
#0086-000 土木殿御返事 文永八年(1271.09) [p0503]
上のせめさせ給ふにこそ法華経を信じたる色もあらわれ候へ。月はかけてみち、しを(潮)はひ(干)てみつ事疑なし。此も罰あり必徳あるべし。なにしにかなげかん。[p0503]
此十二日酉の土木御勘気。武蔵守殿御あづかりにて、十三日丑の時に鎌倉をいでゝ、佐土の国へながされ候が、たうじはほんま(本間)のえちと申すところに、えちの六郎左衛門尉殿の代官右馬太郎と申す者あづかりて候が、いま四五日あるべげに候。御嘆きはさる事に候へども、これには一定と本よりご(期)して候へばなげかず候。いままで頚の切れぬこそ本意なく候へ。法華経の御ゆへに過去に頚をうしなひたらば、かゝる少身のみ(身)にて候べきか。又数数見擯出ととかれて、度々失にあたりて重罪をけしてこそ仏にもなり候はんずれば、我と苦行をいたす事は心ゆくなり。[p0503]
九月十四日 日 蓮 花押[p0503]
土木殿御返事[p0503]
御返事 日 蓮[p0503]
#0088-000 五人土篭御書 文永八年(1271.10・03) [p0506]
せんあくてご房をばつけさせ給。又しらうめが一人あらんするが、ふびんに候へば申す。[p0506]
今月七日さどの国へまかるなり。各々は法華経一部づつあそばして候へば我身竝びに父母兄弟存亡等に廻向しましまし候らん。今夜のかんずるにつけて、いよいよ我身より心くるしさ申すばかりなし。ろう(牢)をいでさせ給なば明年のはるかならずきたり給へ。みみへまいらすべし。せうどのの但一人あるやつをつけよかしとをもう心心なしとをもう人、一人もなければしぬ(死)まで各々御はぢなり。又大進阿闍梨はこれにさたすべき事かたかたあり。又をのをのの御身の上をもみはてさせんがれう(料)にとゞめをくなり。くはしくは申し候はんずらん。恐恐謹言。[p0506]
十月三日 日 蓮 花押[p0506]
五人御中[p0506]
#0089-000 転重軽受法門 文永八年(1271.10・05) [p0507]
周利槃特と申すは兄弟二人なり。一人もありしかば、すりはんどくと申なり。各々三人は又かくのごとし。一人も来らせ給へば三人と存じ候なり。[p0507]
涅槃経に転重 軽 受と申す法門あり。先業の重き今生につきずして未来に地獄の苦を受くべきが、今生にかゝる重苦に値せ候へば、地獄の苦みはつときへて、死に候へば人・天・三乗・一乗の益をうることの候。不軽菩薩の悪口罵詈せられ、杖木瓦礫をかほるも、ゆへなきにはあらず。過去の誹謗正法のゆへかとみへて、其罪畢已ととかれて候は、不軽菩薩の難に値ゆへに、過去の罪の滅するかとみへはんべり[是一]。[p0507]
又付法蔵の二十五人は仏をのぞきたてまつりては、皆仏のかねて記しをき給へる権者なり。其中に第十四の提婆菩薩は外道にころされ、第二十五師子尊者は檀弥栗王に頚を刎られ、其外仏陀密多・龍樹菩薩なんども多くの難にあへり。又難なくして、王法に御帰依いみじくて、法をひろめたる人も候。これは世に悪国善国有り、法に摂受折伏あるゆへかとみへはんべる。正像猶かくのごとし。中国又しかなり。これは辺土なり。末法の始なり。かゝる事あるべしとは先にをもひさだめぬ。期をこそまち候ひつれ[是二]。[p0507-0508]
この上みの法門はいにしえもうしをき候ひき。めづらしからず。円教の六即の位に観行即と申すは所行如所言如所行と云云。理即名字の人は円人なれども、言 のみありて真なる事かたし。例せば外典の三墳五典等は読む人かずをしらず。かれがごとくに世ををさめふれまう事、千万が一つもかたし。されば世のをさまる事も又かたし。法華経は紙付に音をあげてよめども、彼の経文のごとくふれまう事わかたく候か。譬喩品に云く 見有読誦 書持経者 軽賎憎嫉 而懐結恨〔経を読誦し書持すること あらん者を見て 軽賎憎嫉して 結恨を懐かん〕。法師品に云く 如来現在。猶多怨嫉。況滅度後〔如来の現在すら猶お怨嫉多し、況んや滅度の後をや〕。勧持品に云く 加刀杖 乃至数数見擯出〔刀杖を加え 乃至数数擯出せられ〕。安楽行品に云く 一切世間。多怨難信〔一切世間に怨多くして信じ難く〕。此等は経文には候へども何世にかゝるべしともしられず。過去の不軽菩薩・覚徳比丘なんどこそ、身にあたりてよみまいらせて候けるとみへはんべれ。現在には正像二千年はさてをきぬ。末法に入ては此日本国には当時は日蓮一人みへ候か。昔の悪王の御時、多くの聖僧の難に値ひ候けるには、又所従眷属等・弟子檀那等いくそばくかなげき候ひけんと、今をもちてをしはかり候。今日蓮法華経一部よみて候。一句一偈に猶授記をかほれり。何に況や一部をやと、いよいよたのもし。但をほけなく国土までとこそ、をもひて候へども、我と用ひられぬ世なれば力及ばず。しげきゆへにとどめ候。恐々謹言。[p0509-0509]
文永八年[辛未]十月五日 日 蓮 花押[p0509]
大田左衛門尉殿[p0509]
蘇谷入道殿 [p0509]
金原法橋 御房 [p0509]
御返事[p0509]
#0092-0K0 寺泊御書 文永八(1271.10・22) [p0512]
今月[十月也]十日、相州愛京依智の郷を起ちて武蔵の国久米河の宿に付き、十二日を経て越後の国寺泊の津に付きぬ。此れより大海を互りて佐渡の国に至らんと欲す。順風定まらず、其の期を知らず。道の間の事、心も及ぶこと莫く、又筆にも及ばず。但暗に推し度るべし。又本より存知之上なれば、始めて歎くべきに非ずと、之を止む。[p0512]
法華経に第四に云く_而此経者。如来現在。猶多怨嫉。況滅度後〔而も此の経は如来の現在すら猶お怨嫉多し、況んや滅度の後をや〕。第五の巻に云く_一切世間。多怨難信〔一切世間に怨多くして信じ難く〕。涅槃経三十八に云く_爾時一切外道衆 咸作是言 大王○今者唯有一大悪人瞿曇沙門。○一切世間悪人為利養故往集其所而為眷属不能修善。呪術力故調伏迦葉及舎利弗目・連等〔爾時一切の外道の衆、咸く是の言を作さく 大王○今は唯一の大悪人有り、瞿曇沙門なり。○一切世間の悪人、利養の為の故に其の所に往集して、而も眷属と為て能く善を修すること能わず。呪術の力の故に迦葉及び舎利弗・目・連等を調伏す〕云云。[p0512]
此の涅槃経の文は、一切の外道が、我が本師たる二天三仙の所説の経典を仏陀に毀毀られて出だす所の悪言也。法華経の文は、仏を怨と為すには非ず。経文天台の意に云く ̄一切声聞縁覚竝楽近成菩薩〔一切の声聞・縁覚竝びに近成を楽ふ菩薩〕等云云。聞かんと欲せず、信ぜんと欲せず、其の機に当らざるは言を出だして謗ること莫きも、皆怨嫉の者と定め了んぬ。在世を以て滅後を推すに、一切諸宗の学者等は、皆外道の如し。彼等が云ふ一大悪人とは日蓮に当れり。一切の悪人之に集まるとは、日蓮が弟子等也。彼の外道は先仏の説教流伝之後、之を謬りて後仏を怨と為せり。今諸宗の学者等も亦復是の如し。所詮仏教に依て邪見を起す。眼の転ずる者大山転ずと思ふ。今八宗十宗等、多門の故に諍論を至す。[p0512-0513]
涅槃経第十八に贖命重宝と申す法門あり。天台大師の料簡に云く 命とは法華経也。重宝とは涅槃経に説く所の前三教也。但涅槃経に説く所の円教は如何。此の法華経に説く所の仏性常住を重ねて之を説いて帰本せしめ、涅槃経の円常を法華経に摂す。涅槃経の得分は但前三教に限る。天台の玄義の三に云く ̄涅槃贖命重宝重抵掌耳〔涅槃は贖命の重宝なり重ねて掌を抵つのみ〕[文]。籤の三に云く ̄今家引意指大経部以為重宝〔今家引く意は大経の部を指して以て重宝と為す〕等云云。天台大師の四念処と申す文に、法華経の_雖示種種道之文を引いて、先づ四味を又重宝と定め了んぬ。若し爾らば法華経の先後の諸経は法華経の為の重宝也。世間の学者の想ひに云く 此れは天台一宗の義也。諸宗には此れを用ひず等云云。[p0513]
日蓮之を案じて云く 八宗十宗等、皆仏滅後より之を起し、論師人師之を立つ。滅後の宗を以て現在の経を計るべからず。天台の所判は一切経に叶ふに依て一宗に属して之を棄つべからず。諸宗の学者等自師の誤りを執する故に或は事を機に寄せ、或は前師に譲り、或は賢王を語らひ、結句最後には悪心強盛にして闘諍を起し、失無き者を之を損なひて楽と為す。[p0513]
諸宗之中に真言宗殊に僻案を至す。善無畏・金剛智等の想ひに云く 一念三千は天台の極理・一代の肝心也。顕密二道の詮と為るべき之心地の三千をば且く之を置く。此の外印と真言とは仏教の最要等云云。其の後真言師等事を此の義に寄せ、印・真言無き経経をば之を下す。外道の法の如し。或義に云く 大日経は釈迦如来之外の説なりと。或義に云く 教主釈尊第一の説なりと。或義に釈尊と現じて顕経を説き、大日と現じて密教を説くと。道理を得ずして無尽の僻見之を起す。譬へば乳色を弁へざる者種々の邪推を作せども本色に当らざるが如し。又像の譬への如し。[p0513-0514]
今汝等知るべし。大日経等は法華経已前ならば華厳経等の如く、已後ならば涅槃経等の如し。又天竺の法華経には印・真言有れども訳者之を略して、羅什は妙法経と名づけ、印・真言を加へて善無畏は大日経と名づくるか。譬へば正法華・添品法華・法華三昧・薩云分陀利等の如く也。仏の滅後、天竺に於て此の詮を得たるは龍樹菩薩。漢土に於て始めて之を得たるは天台智者大師也。真言宗の善無畏等・華厳宗の澄観等・三論宗の嘉祥等・法相宗の慈恩等、名は自宗に依れども其の心天台宗に落ちたり。其の門弟等此の事を知らず。如何ぞ謗法の失を免れんや。[p0514]
或人日蓮を難じて云く 機を知らずして・〈あらき〉義を立て難に値ふと。[p0514]
或人云く 勧持品の如きは深位の菩薩の義也。安楽行品に違ふと。[p0514]
或人云く 我も此義を存すれども言はずと云云。[p0514]
或人云く 唯教門計り也。理具に我之を存すと。[p0514]
卞和は足を切らる。清丸は穢丸と云ふ名を給ひて死罪に及ばんと欲す。時の人之を咲ふ。然りと雖も其の人未だ善名を流さず。汝等が邪難も亦爾るべし。[p0514]
勧持品に云く_有諸無智人 悪口罵詈等〔諸の無智の人 悪口罵詈等し〕等云云。日蓮此の経文に当れり。汝等何ぞ此の経文に入らざる。_及加刀杖者〔及び刀杖を加うる者あらん〕等云云。日蓮は此の経文を読めり。汝等何ぞ此の経文を読まざる。_常在大衆中 欲毀我等故〔常に大衆の中に在って 我等を毀らんと欲するが故に〕等云云。_向国王大臣 婆羅門居士〔国王大臣 婆羅門居士 ~ に向って〕等云云。悪口而顰蹙 数数見擯出〔悪口して顰蹙し 数数擯出せられ〕等云云。数数とは度々也。日蓮擯出衆度〈たびたび〉。流罪は二度也。法華経は三世諸仏説法の儀式也。過去の不軽品は今の勧持品。今の勧持品は過去の不軽品也。今の勧持品は未来の不軽品たるべし。其の時は日蓮は即ち不軽菩薩たるべし。[p0514-0515]
一部八巻二十八品、天竺の御経は一須臾に布くと承る。定めて数品有るべし。今漢土・日本の二十八品は略之中の要也。正宗は之を置く。流通に至りて、宝塔品の三箇の勅宣は霊山虚空の大衆に被らしむ。勧持品の二万・八万・八十万億等の大菩薩の御誓言は日蓮が浅智に及ばざれども、但_恐怖悪世中〔恐怖悪世の中に〕の経文は末法の始めを指す也。此の恐怖悪世中の次下の安楽行品等に云く_於末世中(於末法中?)。同本異訳の正法華経に_然後末世。又云く_然後来末世等云云。添品法華経に云く_恐怖悪世中〔恐怖悪世の中に〕等云云。当時当世三類の敵人は之有るに、但八十万億那由他の諸菩薩は一人も見えたまはず。乾〈ひたる〉潮の満たず、月の虧けて満ちざるが如し。水清ければ月を浮かべ、木を植ゆれば鳥を棲ましむ。日蓮は八十万億那由他の諸の菩薩の代官として之を申す。彼の諸の菩薩の加被を請ふる者也。[p0515]
此の入道佐渡の国へ御供為すべきの由之を申す。然るべけれども用途と云ひかたがた煩ひ有る之故に之を還す。御志始めて之を申すに及ばず。人人に是の如く申させ給へ。但し囹僧等のみ心に懸かり候。便宜之早々之を聴かすべし。穴賢穴賢。[p0515]
十月二十二日酉の時 日 蓮 花押[p0515]
土木殿[p0515]
#0094-0K0 法華浄土問答鈔 文永九(1272.正・17) [p0518]
・・理即
・・名字即・・聞三諦名
・・・穢土・・・観行即・・明五品 ・・断八十八使見惑
・ ・・相似即・・・・・・・・・断八十一品思惑
・ ・・断九品塵沙
法華宗立六即・・
・ ・・分真即・・断四十一品無明
・・・ 報土・・
・・究竟即・・断一品無明
・・中品戒行世善等
・・・ 穢土・・・理即・・
・ ・・浄土下品
・
浄土宗所立 ・・ ・・名字即
・ ・・観行即
・・・ 報土・・・相似即
・・分身即
・・究竟即
弁成の立つ。我が身叶ひ難きが故に且く聖道の行の捨閉閣抛し浄土に帰し、浄土の往生して法華を聞いて無生を悟るを得る也。[p0519]
日蓮難じて云く 我が身叶ひ難ければ穢土に於て法華経等・教主釈尊等を捨閉閣抛し、浄土に至りて之を悟るべし等云云。何れの経文に依て此の如き義を立てるや。又天台宗の報土は分真即・究竟即・浄土宗の報土は名字即乃至究竟即等とは、何れの経論釈に出でたるや。又穢土に於ては法華経等・教主釈尊等を捨閉閣抛し、浄土に至りて法華経を悟るべしとは何れの経文に出でたるや。[p0519]
弁成の立つ。余の法華等の諸行等を捨閉閣抛して念仏を用ゆる文は観経に云く ̄仏告阿難汝好持是語。持是語者即是持無量寿仏名〔仏、阿難に告げたまはく、汝よくこの語を持て。この語を持てとは、即ちこれ無量寿仏の名を持てとなり〕。浄土に往生して法華を聞くと云ふ事は文に云く_観世音・大勢至 以大悲音声為其広説諸法実相除滅罪法。聞已歓喜応時即発菩提之心〔観世音・大勢至、大悲の音声を以て其の為に広く諸法実相除滅罪の法を説く。聞き已りて歓喜し、時に応じて即ち菩提之心を発す〕と。[文]。余は繁き故に且く之を置く。[p0519]
又日蓮難じて云く 観無量寿経は如来成道四十余年之内也。法華経は後八箇年之説也。如何が已説の観経に兼ねて未説の法華経の名を載せて捨閉閣抛之可説と為すべきや。随て仏告阿難等之文に至りては、只弥陀念仏を勧進する文也。未だ法華経を捨閉閣抛することを聞かず。何に況んや無量義経に法華経を説んが為に、先づ四十余年の已説の経々を未顕真実と定め了んぬ。豈に未顕真実の観経之内に已顕真実の法華経を挙げて、捨乃至抛之と為すべきや。又云く_久黙斯要 不務速説〔久しく斯の要を黙して 務いで速かに説かず〕等云云。既に教主釈尊、四十余年之間法華の名字を説かず。何ぞ已説の念仏に対して此の法華経を抛たんや。次に下品下生諸法実相除滅罪法等云云。夫れ法華経已前の実相其の数一に非ず。先づ外道之内の長爪の実相、内道之内の小乗乃至爾前の四教、皆所詮之理は実相也。何ぞ必ずしも已説の観経に載する所の実相のみ法華経に於て同じと意得らるべきや。今度慥かなる証文を出だして法然上人の無間之苦を救はるべきか。[p0519-0520]
又弁成之立つ。観経は已説の経也と雖も、未来を面とする故に未来の衆生は未来に所有の経巻之を読誦して浄土に往生すべし。既に法華等の諸経未来流布の故に之を読誦して往生すべきか。其の法華を捨閉閣抛し、観経の持無量寿仏の文に依て法然是の如く行じ給ふか。観経の持無量寿仏の文の上に諸善を説き、一向に無量寿仏を勧持せる故に申し合わせ候。実相に於ても多く有りと云ふ難。彼は浄土の故に此の難来るべからず。法然上人、聖道行は機堪へ難き故に未来流布の法華を捨閉閣抛す。故に是の慈悲の至進なれば此の慈悲を以て浄土に往生し、全く地獄に堕すべからざるか。[p0520]
日蓮難じて云く 観経を已説の経也と云云。已説に於ては承伏か。観経之時未だ法華経を説かずと雖も未来を鑒みて捨閉閣抛すべしと法然上人は意得給ふか云云。仏未来を鑒みて已説之経に未来の経を載せて之を制止すと云はば、已説の小乗経に未説の大乗経を載せて之を制止すと為すべきか。又已説の権大乗経に未説の実大乗経を載せて未来流布の法華経を制止せば、何が故に仏爾前経に於て法華の名を載せざる由、仏之を説きたまふや。法然上人慈悲之事。慈悲之故に法華経と教主釈尊とを抛つ也と云ふは、所詮上に出だす所の証文は未だ分明ならず。慥かなる証文を出だして、法然上人の極苦を救はるべきか。上の六品の諸行往生を下の三品の念仏に対して諸行を捨つ。豈に法華を捨つるに非ず等云云。観無量寿経の上の六品之諸行は法華已前の諸行也。設ひ下の三品の念仏に対して上の六品の諸行之を抛つとも、但法華経は諸行に入らず。何ぞ之を閣かんや。又法華の意は爾前の諸行と観経の念仏と、共に之を捨て畢りて如来出世の本懐を遂げ給ふ也。日蓮管見を以て一代聖教竝びに法華経之文を勘ふるに 未だ之を見ず、法華経之名を挙げて、或は之を抛て、或は其の文を閉じる等と云ふ事を。若し爾らば法然上人の憑む所の弥陀本願之誓文竝びに法華経之入阿鼻獄の釈尊の誡文、如何ぞ之を免るべけんや。法然上人無間獄に堕せば所化の弟子竝びに諸檀那等、共に阿鼻大城に堕ち了んぬか。今度分明なる証文を出だして法然上人之阿鼻之炎を消さるべし云云。[p0520-0521]
文永九年[太歳壬申]正月十七日[p0521] 日 蓮 花押[p0521]
弁成花押[p0521]
#0096-0K0 八宗違目鈔 文永九(1272.02・18) [p0525]
記の九に云く ̄若其未開法報非迹。若顕本已本迹各三〔若し其れ未だ開せざれば法報は迹に非ず。若し顕本し已れば本迹おのおの三なり〕。文句の九に云く ̄仏於三世等有三身 於諸教中秘之不伝〔仏三世に於て等しく三身あり。諸教の中に於て之を秘して伝へず〕。[p0525]
・・法身如来
仏・・・ 報身如来
・・応身如来
・・・小乗経不論仏性有無
衆生仏性・・・華厳・方等・般若・大日経等 衆生本有正因仏性 無了因仏性
・・・法華経自本有三因仏性
・・正因仏性
衆生・・ 了因仏性
・・縁因仏性
文句の十に云く ̄正因仏性[法身性也]通亙本当。縁了仏性種子本有非適今也〔正因仏性は[法身の性なり]本当に通亙す。縁了仏性は種子本有今に適むるに非ざる也〕。法華経第二に云く_今此三界 皆是我有[主国王世尊也] 其中衆生 悉是吾子[親父也] 而今此処 多諸患難 唯我一人[導師] 能為救護。寿量品に云く_我亦為世父[文]。[p0525-0526]
主 国王 報身如来
師 応身如来
親 法身如来
五百門論に云く ̄若不知父寿之遠復迷父統之邦。徒謂才能全非人子〔若し父の寿之遠きを知らざれば、復父統之邦に迷いなん。徒らに才能と謂うとも全く人の子に非ず〕。又云く ̄但恐才当一国不識父母之年〔但恐らくは才一国に当るとも父母之年を識らず〕。古今仏道論衝[道宣作]に云く ̄三皇已前未有文字 ○但其識母不識其父同禽[鳥等也]獣〔三皇已前は未だ文字有らず。○但其の母を識りて其の父を識らず禽[鳥等なり]獣に同じ〕等云云。[慧遠法師周武帝に詰めて語る也][p0526]
倶舎宗
成実宗 一向以釈尊為本尊。雖爾但限応身[p0526]
律宗
華厳宗
三論宗 以釈尊雖為本尊 法身無始無終 報身有始無終 応身有始有終[p0526]
法相宗
真言宗 一向以大日如来為本尊[p0526]
二義有り。一義に云く 大日如来は釈迦の法身。一義に云く大日如来は釈迦の法身には非ず、但し大日経には大日如来は釈迦牟尼仏と見えたり。人師の僻見也。[p0526-0527]
浄土宗 一向以阿弥陀如来為本尊[p0527]
法華宗より外の真言等の七宗、竝びに浄土宗等は釈迦如来を以て父と為すことを知らず。例せば三皇已前の人禽獣に同ずるが如し。鳥の中に小了鳥(鷦鷯鳥)も鳳凰鳥も父を知らず。獣の中には兎も師子も父を知らず。三皇已前は大王も小民も共に其の父を知らず。天台宗より之外真言等の諸宗は大乗宗は師子・鳳凰の如く、小乗宗は鷦鷯・兎等の如く、共に父を知らざる也。[p0527]
華厳宗に十界互具一念三千を立つること、澄観之疏に之有り。真言宗に十界互具一念三千、大日経の疏に之を出だす。天台宗と同異如何。天台宗已前にも十界互具一念三千を立つるや。[p0527]
記の三に云く ̄然攅衆釈既許三乗及以一乗三一倶有性相等十。何為不語六道十[如此釈者 天台已前五百余年人師三蔵等 依法華経者 不立一念三千の名目歟]〔然るに衆釈を攅むるに既に三乗および一乗、三一倶に性相等の十有りと許す。何すれぞ六道の十を語らざらんや〕[此の釈の如きんば、天台已前の五百余年の人師三蔵等、法華経に依て、一念三千の名目を立てざるか][p0527]
問て云く 華厳宗は一念三千の義を用ひるや[華厳宗、唐の則天皇后の御宇に之を立つ]。[p0527]
答て云く 澄観[清凉国師]の疏三十三に云く ̄止観第五明十法成乗中 第二真正発菩提心 ○釈曰 然此経上下発心の義文理淵博見其撮略。故取而用之引而証之〔止観の第五に十法成乗を明かす中に、第二真正発菩提心 ○釈して曰く 然も此の経の上下発心の義文理淵博なれども其の撮略を見る。故に取りて之を用ひ、引いて之を証す〕。[p0527]
二十九に云く ̄法華経云 唯仏与仏等。天台云 ○便成三千世間。彼宗以此為実 ○一家之意理無不通〔法華経に云く 唯仏与仏等。天台云く ○便ち三千世間を成ずと。彼の宗に此れを以て実と為す ○一家の意理として通ぜざる無し〕[文]。[p0527]
華厳経に云く[功徳林菩薩之を説く。新訳、覚林菩薩之を説く。弘決に如来林菩薩と引く]_心如工画師画種種五陰。一切世間中無法而不造。如心仏亦爾。如仏衆生然。心仏及衆生是三無差別。若人欲了知三世一切仏 応当如是観。心造諸如来〔心は工画師の如く種種の五陰を画く。一切世間の中に法として造らざること無し。心の如く仏も亦爾なり。仏の如く衆生も然なり。心と仏と及び衆生、是の三差別無し。若し人三世一切の仏を了知せんと欲せば、まさに是の如く観ずべし。心は諸の如来を造ると〕。[p0527]
法華経に云く[略開三の文。仏の自説也]_所謂諸法。如是相。如是性。如是体。如是力。如是作。如是因。如是縁。如是果。如是報。如是本末究竟等〔所謂諸法の如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等なり〕。[p0527-0528]
又云く_唯以一大事因縁故。出現於世。諸仏世尊。欲令衆生。開仏知見〔唯一大事の因縁を以ての故に世に出現したもうと名くる。諸仏世尊は、衆生をして仏知見を開かしめ清浄なることを得せしめんと欲するが故に、世に出現したもう〕。[p0528]
蓮華三昧経に云く_帰命本覚心法身 常住妙法心蓮臺。本来具足三身徳 三十七尊[金剛界三十七尊也]住心城。心王大日遍照尊 心数恒沙諸如来 普門塵数諸三昧 遠離因果法然具。無辺徳海本円満 還我頂礼心諸仏〔本覚心法身、常に妙法の心蓮臺に住して、本より来三身の徳を具足し、三十七尊[金剛界の三十七尊なり]心城に住したまへるに帰命したてまつる。心王大日遍照尊、心数恒沙諸の如来、普門塵数諸の三昧、因果を遠離し法然として具す。無辺の徳海もとより円満、還りて我心の諸仏を頂礼す〕。[p0528]
仏蔵経に云く_仏見一切衆生心中皆有如来結跏趺坐〔仏、一切衆生の心の中に皆如来ましまして結跏趺坐すと見る〕[文]。[p0528]
問て云く 真言宗は一念三千を用ふるや。[p0528]
答て云く 大日経の義釈[善無畏・金剛智・不空・一行]に云く[此の文に五本有り。十巻本は伝教・弘法之を見ず。智証之を渡す] ̄此経是法王秘宝不妄示貴賎之人。如釈迦出世四十余年因舎利弗慇懃三請 方為略説妙法蓮華義。今此本地之身又是妙法蓮華最深秘処。故寿量品云 常在霊鷲山 及余諸住処 乃至 我浄土不毀 而衆見焼尽。即此宗瑜伽之意耳。又因補処菩薩慇懃三請方為説之〔此の経は是れ法王の秘宝、妄りに貴賎の人に示さず。釈迦出世の四十余年に舎利弗慇懃の三請に因りて方に為に略して妙法蓮華の義を説くが如し。今此の本地の身又是れ妙法蓮華最深秘の処なり。故に寿量品に云く 常に霊鷲山 及び余の諸の住処にあり 乃至 我が浄土は毀れざるに 而も衆は焼け尽きて、と。即ち此の宗瑜伽の意なるのみ。又補処の菩薩の慇懃の三請に因りて方に為に之を説く〕。[p0528]
又云く ̄此経横一切統仏教。如説唯蘊無我出世間心住於蘊中 即摂諸部小乗三蔵。如説観蘊阿・耶覚自心本不生 即摂諸経八識三性無性義。如説極無自性心十縁生句 即摂華厳般若種種不思議境界皆入其中。如説如実知自心名一切種智 則仏性[涅槃経也] 一乗[法華経也] 如来秘蔵[大日経也]皆入其中。於種種聖言無不統其精要〔此の経横まに一切の仏教を統ぶ。唯蘊無我、出世間心住於蘊中と説くが如きは、即ち諸部の小乗三蔵を摂す。蘊の阿・耶を観じて自心の本不生を覚ると説くが如きは、即ち諸経の八識三性無性の義を摂す。極無自性心十縁生の句を説くが如きは、即ち華厳・般若種種の不思議の境界を摂して皆其の中に入る。如実知自心と説くが如きは一切種智と名づく。則ち仏性[涅槃経なり]、一乗[法華経なり]、如来秘蔵[大日経なり]と皆其の中に入る。種種の聖言に於て其の精要を統べざること無し〕等云云。[p0528]
・盧遮那経の疏[伝教・弘法之を見る]第七の下に云く ̄謂天台之誦経是円頓数息〔天台の誦経は是れ円頓の数息なりと謂ふ〕。是れ此の意也。[p0528]
大宋の高僧伝巻の第二十七、含光の伝に云く ̄代宗[玄宗代宗御宇ニ真言ワタル]重光[含光ハ不空三蔵弟子也]如見不空。勅委往五臺山修功徳。時天台宗学湛然[妙楽天台第六師也]解了禅観深得智者[天台也]膏腴。嘗与江准僧四十余人入清凉境界。湛然与光相見問西域伝法之事。光云 有一国僧体解空宗。問及智者教法。梵僧云 嘗聞 此教定邪正暁偏円 明止観功推第一。再三嘱光。或因縁重至為飜唐為梵附来。某願受持。屡屡握手叮嘱。詳其南印度多行龍樹宗見故有此願流布也〔代宗[玄宗・代宗の御宇ニ真言ワタル]光を重んずること[含光は不空三蔵の弟子なり]、不空を見るが如し。勅委して五臺山に往いて功徳を修せしむ。時に天台の宗学湛然[妙楽、天台第六師なり]禅観を解了して深く智者[天台なり]の膏腴を得たり。嘗て江准の僧四十余人と清凉の境界に入る。湛然光と相見て、西域伝法の事を問ふ。光に云く 一国の僧空宗を体解する有りと。問ふて智者の教法に及ぶ。梵僧云く 嘗て聞く、此の教邪正を定め偏円を暁め、止観を明かして功第一と推す。再三光に嘱す。或は因縁ありて重ねて至らば、為に唐を飜じて梵と為して附し来れ。某願はくは受持せんと。しばしば手を握りて叮嘱す。詳にするに其の南印度には多く龍樹の宗見を行ずる故に此の流布を願ふこと有るなり、と〕。[p0528-0529]
菩提心義の三に云く ̄一行和尚元是天台一行三昧禅師。能得天台円満宗趣。故凡所説文言義理動合天台。不空三蔵門人含光帰天竺日 天竺僧問 伝聞彼国有天台教。理致可須飜訳将来此方云云。此三蔵旨亦合天台。今或阿闍梨云 欲学真言先共天台学。而門人皆嗔〔一行和尚は元是れ天台一行三昧の禅師なり、能く天台円満の宗趣を得たり。故に凡そ説く所の文言義理、ややもすれば天台に合す。不空三蔵の門人含光、天竺に帰るの日、天竺の僧問はく、伝へ聞く、彼の国に天台の教へ有りと。理致須ゆべくば飜訳して此の方に将来せんか、云云。此の三蔵の旨も亦天台に合す、今或阿闍梨の云く 真言を学ばんと欲せば、先づ共に天台を学せよと。而して門人皆嗔る〕云云。[p0529]
問て云く 華厳経に一念三千を明かすや。[p0529]
答て云く 心仏及衆生〔心と仏と及び衆生〕等云云。止観に云く ̄此一念心不縦不横不可思議。非但己爾仏及衆生亦復如是。華厳経云 心仏及衆生是三無差別。当知 己心具一切法〔此の一念の心は、縦ならず横ならず不可思議なり。但己の爾るに非ず、仏及び衆生も亦復是の如し。華厳経に云く 心と仏と及び衆生、是の三差別無し、と。当に知るべし、己心に一切の法を具することを〕[文]。弘の一に云く ̄華厳下引証理斉。故華厳歎初住心云 如心仏亦爾。如仏衆生然。心仏及衆生是三無差別。諸仏悉了知一切従心転。若能如是解 彼人真見仏。身亦非是心。心亦非是身。作一切仏事自在未曾有。若人欲具知三世一切仏 応作如是観。心造諸如来。若無今家諸円文意 彼経偈旨理実難消〔華厳より下は引いて理の斉しきことを証す。故に華厳に初住の心を歎じて云く 心の如く仏も亦爾なり。仏の如く衆生も然なり。心と仏と及び衆生、是の三差別無し。諸仏は悉く一切心に従ひて転ずと了知したまへり。若し能く是の如く解すれば、彼の人真に仏を見たてまつる。身、亦是れ心に非ず。心も亦是れ身に非ず。一切仏事を作すこと自在にして未曾有なり。若し人三世一切の仏を知らんと欲求せば、応に是の如き観を作すべし。心、諸の如来を造すと。若し今家の諸の円文の意無くんば、彼の経の偈の旨理、実に消し難からん〕[p0529-0530]
小乗四阿含経
・・・三蔵教・・・・・・・・・心生六界・・不明心具六界
・ 大乗
・・・通教・・・・・・・・・・心生六界・・亦不明心具
・・・別教・・・・・・・・・・心生十界・・不明心具十界
・ 思議十界
・ 爾前華厳等ノ円
・・・円教・・・・・・・・・・不思議十界互具
法華ノ円
止観に云く ̄心如工画師造種種五陰。一切世間中莫不従心造。種種五陰者 如前十方界五陰也〔華厳に云く 心は工画師の如く種種の五陰を造る。一切世間の中に心より造らざること莫し。種種五陰とは、前の十方界の五陰の如きなり〕。[p0530]
又云く ̄亦十種五陰一一各具十方。謂如是相性体力作因縁果報本末究竟等〔亦十種の五陰一一におのおの十方を具す。謂く 如是相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等なり〕[文]。[p0530]
又云く ̄夫一心具十法界。一法界又具十法界百法界。一界具三十種世間百法界即具三千種世間。此三千在一念心〔夫れ一心に十法界を具す。一法界に又十法界を具すれば百法界なり。一界に三十種の世間を具すれば、百法界に即ち三千種の世間を具す。此の三千一念の心に在り〕[文]。[p0530]
弘の五に云く ̄故大師覚意三昧・観心食法及誦経法・小止観等諸心観文 但以自他等観推於三仮。竝未云一念三千具足。乃至観心論中亦只以三十六問責於四心 亦不渉一念三千。唯四念処中略云観心十界。故至止観正明観法竝以三千而為指南。乃是終窮究竟極説。故序中云説己心中所行法門。良有以也。請尋読者心無異縁〔故に大師、覚意三昧・観心食法及び誦経法・小止観等の諸の心観の文に、但自他等の観を以て三仮を推せり。竝びに未だ一念三千具足を云はず。乃至観心論の中に亦只三十六問を以て四心を責むれども、亦一念三千に渉らず。唯四念処の中に略して観心の十界を云ふのみ。故に止観に正しく観法を明かすに至りて、竝びに三千を以て指南と為せり。乃ち是れ終窮究竟の極説なり。故に序の中に説己心中所行法門と云ふ。良に以有る也。請ふ、尋ね読まん者心に異縁無かれ〕[p0530-0531]
止の五に云く ̄此十重観法横竪収束微妙精巧。初則簡境真偽 中則正助相添 後則安忍無著。意円法巧該括周備規矩初心 将送行者到彼薩雲[初住也]。非闇証禅師誦文法師所能知也。蓋由如来積劫之所懃求 道場之所妙悟 身子之所三請 法譬之所三説 正在茲乎〔此の十重の観法は横竪に収束し微妙精巧なり。初めは則ち境の真偽を簡び、中は則ち正助相添ひ、後は則ち安忍無著なり。意円かに法巧みに、該括周備して、初心に規矩し、行者を将送して、彼の薩雲に到らん[初住なり]。闇証の禅師、誦文の法師の能く知る所に非ざるなり。蓋し如来積劫の懃求したまへる所、道場の妙悟したまへる所、身子の三請する所、法譬の三説する所、正しく茲に在るに由るか〕。[p0531]
弘の五に云く ̄遍於四教一十六門 乃至八教一期始終。今皆開顕束入一乗 遍括諸経備一実。若当分者 尚非偏教教主所知。況復世間闇証者。 ○蓋如来下称歎也。十法既是法華所乗。是故還用法華文歎。迹説即指大通智勝仏時以為積劫 寂滅道場以為妙悟。若約本門指我本行菩薩道時以為積劫 本成仏時以為妙悟。本迹二門只是求悟此之十法。身子等者 寂場欲説物機未宜 恐其堕苦更施方便 四十余年種種調熟 至法華会初略開権 動執生疑慇懃三請。五千起去方無枝葉。点示四一演五仏章 被上根人名為法説。中根未解猶・譬喩 下根器劣復待因縁。仏意聯綿在茲十法。故十法文末皆譬大車。今文所馮意在於此。惑者未見尚指華厳 唯知華厳円頓之名 而昧彼部兼帯之説。全失法華絶待之意 貶挫妙教独顕之能。験迹本二文・五時之説 円極不謬。何須致疑。是故決曰正在茲乎。[p0531-0532]
〔四教の一十六門、乃至八教の一期の始終に遍せり。今皆開顕して束ねて一乗に入れ、遍く諸経を括りて一実に備へり。若し当分をいはば、尚お偏教の教主の知る所に非ず。況んや復世間闇証の者をや。 ○蓋如来より下は称歎なり。十法既に是れ法華の所乗なり。是の故に還りて法華の文を用て歎ず。迹の説は即ち大通智勝仏の時を指して以て積劫と為し、寂滅道場を以て妙悟と為す。若し本門に約せば我本行菩薩道の時を指して以て積劫と為し、本成仏の時を以て妙悟と為す。本迹二門只是れ此の十法を求悟せるなり。身子等とは寂場にして説んと欲するに物の機未だ宜しからず、其の苦に堕せんことを恐れて更に方便を施し四十余年種種に調熟し、法華の会に至りて初めて略して権を開するに、動執生疑して慇懃に三請す。五千起去して方に枝葉無し。四一を点示して五仏章を演べ、上根の人に被るを名づけて法説と為す。中根未だ解せずして猶お譬喩を・ひ、下根は器劣にして復因縁を待つ。仏意聯綿として茲の十法に在り。故に十法の文の末に皆大車に譬へたり。今の文の馮る所、意此に在り。惑者未だ見ず、尚お華厳を指して、唯華厳円頓の名を知りて而して彼の部の兼帯の説に昧〈くら〉し。全く法華絶待の意を失ひて妙教独顕の能を貶挫す。迹本の二文を験して五時の説を検すれば、円極謬らず。何ぞ須らく疑ひを致すべし。是の故に決して正在茲乎と曰ふ〕[p0531-0532]
又云く ̄初引華厳者 重牒初引示境相文。前云心造即是心具。故引造文以証心具。彼経第十八中如功徳林菩薩偈説云 心如工画師造種種五陰。一切世間界中無法而不造。如心仏亦爾。如仏衆生然。心仏及衆生是三無差別。若人欲求知三世一切仏 応当如是観。心造諸如来。不解今文如何消偈心造一切三無差別〔初めに華厳を引くことをいはば、重ねて初めに引いて境相を示す文を牒す。前に心造と云ふは即ち是れ心具なり。故に造の文を引いて以て心具を証す。彼の経第十八の中に功徳林菩薩の偈を説て云ふが如く、心は工画師の如く種種の五陰を造る。一切世間界の中に法として造らざること無し。心の如く仏も亦爾なり。仏の如く衆生も然なり。心と仏と及び衆生、是の三差別無し。若し人三世一切の仏を知らんと欲求せば、まさに是の如く観ずべし。心は諸の如来を造ると。今の文を解せずんば如何ぞ偈の心造一切三無差別を消せん〕[文]。[p0532]
恐恐謹言[p0532]
諸宗之是非、之を以て之を糾明する也。[p0532]
二月十八日 日 蓮 花押[p0532]
#0098-100 開目抄 文永九年(1272.02) [p0535]
夫れ一切衆生の尊敬すべき者三つあり。所謂、主・師・親これなり。又習学すべき物三つあり。所謂、儒・外・内これなり。[p0535]
儒家には三皇・五帝・三王、此れ等を天尊と号す。諸臣の頭身、万民の橋梁なり。三皇已前は父をしらず。人皆禽獣に同ず。五帝已後は父母を弁えて孝をいたす。所謂、重華はかたくなはしき父をうやまい、沛公は帝となって大公を拝す。武王は西伯を木像に造り、丁蘭は母の形をきざめり。此れ等は孝の手本也。比干は殷の世のほろぶべきを見て、しいて帝をいさめ頭をはねらる。公胤といいし者は懿公の肝をとて、我が腹をさき、肝を入れて死しぬ。此れ等は忠の手本也。尹伊は尭王の師、務成は舜王の師、太公望は文王の師、老子は孔子の師なり。此れ等を四聖とごうす。天尊頭をかたぶけ、万民掌をあわす。[p0535-0536]
此れ等の聖人に三墳・五典・三史等の三千余巻の書あり。其の所詮は三玄をいでず。三玄と者、一者有の玄、周公等此を立つ。二者無の玄、老子等。三者亦有亦無等、荘子が玄これなり。玄者黒也。父母未生已前をたずぬれば、或元気而生、或貴賎、苦楽、是非、得失等皆自然〔或は元気なり、或は貴賎、苦楽、是非、得失等は皆自然〕等云云。かくのごとく巧みに立つといえども、いまだ過去未来を一分もしらず。玄者、黒也、幽也。かるがゆえに玄という。但現在計りしれるににたり。現在において仁義を製して身をまもり、国を安ず。此に相違すれば族(やから)をほろぼし家を亡ぼす等いう。此れ等の賢聖の人々は聖人なりといえども、過去をしらざること凡夫の背をみず、未来をかがみざること盲人の前をみざるがごとし。但現在に家を治め、孝をいたし、堅く五常を行ずれば、傍輩もうやまい、名も国にきこえ、賢王もこれを召して或は臣となし、或は師とたのみ、或は位をゆずり、天も来て守りつかう。所謂、周の武王には五老きたりつかえ、後漢の光武には二十八宿来て二十八将となりし此なり。[p0536]
而りといえども、過去未来をしらざれば父母・主君・師匠の後世をもたすけず、不知恩の者なり。まことの賢聖にあらず。孔子が此土に賢聖なし、西方に仏図という者あり、此れ聖人なり、といいて、外典を仏法の初門となせしこれなり。礼楽等を教えて、内典わたらば戒定慧をしりやすからせんがため、王臣等を教えて尊卑をさだめ、父母を教えて孝の高きことをしらしめ、師匠を教えて帰依をしらしむ。[p0536]
妙楽大師云く ̄仏教流化実頼於茲。礼楽前駆真道後啓〔仏教の流化、実に茲に頼る。礼楽前きに駆せて真道後に啓く〕等云云。[p0536]
天台云く ̄金光明経云 一切世間所有善皆因此経。若深識世法即是仏法〔金光明経に云く 一切世間の所有善、皆此の経に因る。若し深く世法を識れば、即ち是れ仏法なり〕等云云。[p0536]
止観に云く ̄我遣三聖化彼真丹〔我三聖を遣わして、彼の真丹を化す〕等云云。[p0536]
弘決に云く ̄清浄法行経云 月光菩薩彼称顔回、光浄菩薩彼称仲尼、迦葉菩薩彼称老子。天竺指此震旦為彼〔清浄法行経に云く 月光菩薩、かしこに顔回と称し、光浄菩薩、彼に仲尼と称し、迦葉菩薩、彼に老子と称す。天竺、此の震旦を指して彼と為す〕等云云。[p0536-0357]
二には月氏の外道。三目八臂の摩醯首羅天・毘紐天、此の二天をば一切衆生の慈父悲母、又天尊主君と号す。迦毘羅・・楼僧・{うるそうぎゃ}・勒娑婆、此の三人をば三仙となづく。此れ等は仏前八百年已前已後の仙人なり。此の三仙の所説を四韋陀と号す。六万蔵あり。乃至、仏出世に当て、六師外道此の外経を習伝して五天竺の王の師となる。支流九十五六等にもなれり。[p0357]
一一に流流多くして、我慢の幢(はたほこ)高きこと非想天にもすぎ、執心の心の堅きこと金石にも超えたり。其の見の深きこと、巧みなるさま、儒家にはにるべくもなし。或は過去二生・三生・乃至七生・八万劫を照見し、又兼ねて未来八万劫をしる。其の所説の法門の極理は、 ̄或は因中有果、或は因中無果、或は因中亦有亦無果等云云。此れ外道の極理なり。所謂、善き外道は五戒・十善戒等を持て、有漏の禅定を修し、上色・無色をきわめ、上界を涅槃と立て屈歩虫のごとくせめのぼれども、非想天より返て三悪道に堕つ。一人として天に留まるものなし。而れども天を極むる者は永くかえらずとおもえり。各々自師の義をうけて堅く執するゆえに、或は冬寒に一日に三度恒河に浴し、或は髪をぬき、或は巌に身をなげ、或は身を火にあぶり、或は五処をやく。或は裸形、或は馬を多く殺せば福をう、或は草木をやき、或は一切の木を礼す。[p0357]
此れ等の邪義、其の数をしらず。師を恭敬する事諸天の帝釈をうやまい、諸臣の皇帝を拝するがごとし。しかれども外道の法九十五種、善悪につけて一人も生死をはなれず。善師につかえては二生三生等に悪道に堕ち、悪師につかえては順次生に悪道に堕つ。外道の所詮は内道に入る、即ち最要なり。[p0538]
或る外道云く ̄千年已後、仏出世す等云云。[p0538]
或る外道云く ̄百年已後、仏出世す等云云。[p0538]
大涅槃経に云く_一切世間外道経書皆是仏説非外道説〔一切世間の外道の経書は、皆是れ仏説にして外道の説に非ず〕等云云。[p0538]
法華経に云く_示衆有三毒 又現邪見相 我弟子如是 方便度衆生〔衆に三毒ありと示し 又邪見の相を現ず 我が弟子是の如く 方便して衆生を度す〕等云云。[p0538]
三には大覚世尊。此れ一切衆生の大導師・大眼目・大橋梁・大船師・大福田等なり。外典・外道の四聖三仙、其の名は聖なりといえども実には三惑未断の凡夫、其の名は賢なりといえども実に因果を弁えざる事嬰兒のごとし。彼を船として生死の大海をわたるべしや。彼を橋として六道の巷こえがたし。我が大師は変易猶おわたり給えり。況んや分段の生死をや。元品の無明の根本猶おかたぶけ給えり。況んや見思枝葉の・惑{そわく}をや。此の仏陀は三十成道より八十御入滅にいたるまで、五十年が間、一代の聖教を説き給えり。一字一句皆真言なり。一文一偈妄語にあらず。外典・外道の中の聖賢の言すら、いうことあやまりなし。事と心と相符えり。況んや仏陀は無量曠劫よりの不妄語の人。されば一代五十余年の説教は外典・外道に対すれば大乗なり。大人の実語なるべし。初成道の始めより泥・{ないおん}の夕にいたるまで、説くところの所説皆真実也。[p0538-0539]
但し仏教に入て五十余年の経々、八万宝蔵を勘えたるに、小乗あり大乗あり、権経あり実経あり、顕教密教、軟語・語{そご}、実語妄語、正見邪見等の種々の差別あり。但し法華経計り教主釈尊の正言也。三世十方の諸仏の真言也。大覚世尊は四十余年の年限を指して、其の内の恒河の諸経を未顕真実、八年の法華は要当説真実と定め給いしかば、多宝仏大地より出現して皆是真実と証明す。分身の諸仏来集して長舌を梵天に付く。此の言赫々たり、明々たり。青天の日よりもあきらかに、夜中の満月のごとし。仰いで信ぜよ。伏して懐うべし。[p0539]
但し此の経に二十の大事あり。倶舎宗・成実宗・律宗・三論宗等は名をもしらず。華厳宗と真言宗との二宗は偸かに盗んで自宗の骨目とせり。一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしずめたり。龍樹天親知て、しかもいまだひろいいださず。但我が天台智者のみこれをいだけり。一念三千は十界互具よりことはじまれり。法相と三論とは八界を立て十界をしらず。況んや互具をしるべしや。倶舎・成実・律宗等は阿含経によれり。六界を明きらめて四界をしらず。十方唯有一仏、一方有仏だにもあかさず。一切有情悉有仏性とこそとかざらめ。一人の仏性猶おゆるさず。而るを律宗・成実宗等の十方有仏・有仏性なんど申すは仏滅後の人師等の大乗の義を自宗に盗み入れたるなるべし。[p0539-0540]
例せば外典・外道等は仏前の外道は執見あさし。仏後の外道は仏教をききみて自宗の非をしり巧みの心出現して仏教を盗み取り、自宗に入れて邪見もっともふかし。附仏教・学仏法成等これなり。外典も又々かくのごとし。漢土に仏法いまだわたらざつし時の儒家・道家はゆうゆうとして嬰兒のごとくはかなかりしが、後漢已後に釈教わたりて対論の後、釈教ようやく流布する程に、釈教の僧侶破戒のゆえに、或は還俗して家にかえり、或は俗に心をあわせ、儒道の内に釈教を盗み入れたり。[p0540]
止観の第五に云く ̄今世多有悪魔比丘退戒還家懼畏駆策更越済道士。復邀名利誇談荘老以仏法義偸安邪典押高就下摧尊入卑概令平等〔今の世に多く悪魔の比丘有って、戒を退き家に還り、駆策を懼畏して更に道士に越済す。復、名利を邀めて荘老を誇談し、仏法の義を以て偸んで邪典におき、高きを押して下きに就け、尊きを摧いて卑しきに入れ、概して平等ならしむ〕云云。[p0540]
弘に云く ̄作比丘身破滅仏法。若退戒還家如衛元嵩等。即以在家身破壊仏法。○此人偸竊正教助添邪典。○押高等者○以道士心為二教概使邪正等。義無是理。曾入仏法偸正助邪押八万十二之高就五千二篇之下用釈彼典邪鄙之教名摧尊入卑〔比丘の身と作って仏法を破滅す。若しは戒を退き家に還るとは、衛の元嵩等が如し。即ち在家の身を以て仏法を破壊す。○此の人正教を偸竊して邪典を助添す。○押高等とは○道士の心を以て二教の概と為し邪正をして等しからしむ。義に是の理無し。曾て仏法に入って正を偸んで邪を助け、八万十二之高きを押して五千二篇之下きに就け、用て彼の典の邪鄙之教を釈するを摧尊入卑と名づく〕等云云。[p0540]
此の釈を見るべし。次上の心なり。仏教又かくのごとし。後漢の永平に漢土に仏法わたりて、邪典やぶれて内典立つ。内典に南三北七の異執をこりて蘭菊なりしかども、陳隋の智者大師にうちやぶられて、仏法二び群類を救う。[p0540-0541]
其の後、法相宗・真言宗、天竺よりわたり、華厳宗、又出来せり。此れ等の宗々の中に法相宗は一向天台宗に敵を成す宗、法門水火なり。しかれども玄奘三蔵・慈恩大師、委細に天台の御釈を見ける程に、自宗の邪見ひるがえるかのゆえに、自宗をばすてねども、其の心天台に帰伏すと見えたり。華厳宗と真言宗とは本は権経権宗なり。善無畏三蔵・金剛智三蔵、天台の一念三千の義を盗みとて自宗の肝心とし、其の上に印と真言とを加えて超過の心ををこす。其の子細をしらぬ学者等は、天竺より大日経に一念三千の法門ありけりとうちおもう。華厳宗は澄観が時、華厳経の心如工画師の文に天台の一念三千の法門を偸み入れたり。人これをしらず。[p0541]
日本我が朝には華厳等の六宗、天台・真言已前にわたりけり。華厳・三論・法相、諍論水火なりけり。伝教大師此の国にいでて、六宗の邪見をやぶるのみならず、真言宗が天台の法華経の理を盗み取て自宗の極とする事あらわれおわんぬ。伝教大師宗々の人師の異執をすてて専ら経文を前として責めさせ給いしかば、六宗の高徳八人・十二人・十四人・三百余人竝びに弘法大師等せめおとされて、日本国一人もなく天台宗に帰伏し、南都・東寺・日本一州の山寺、皆叡山の末寺となりぬ。又漢土の諸宗の元祖の天台に帰伏して謗法の失をまぬかれたる事もあらわれぬ。[p0541-0542]
又其の後ようやく世おとろえ、人の智あさくなるほどに、天台の深義は習いうしないぬ。他宗の執心は強盛になるほどに、ようやく六宗七宗に天台おとされて、よわりゆくかのゆえに、結句は六宗七宗等にもをよばず。いうにかいなき禅宗・浄土宗におとされて、始めは檀那ようやくかの邪宗にうつる。結句は天台宗の碩徳と仰がるる人々みなおちゆきて彼の邪宗をたすく。さるほどに六宗八宗の田畠所領みなたおされ、正法失せはてぬ。天照太神・正八幡・山王等諸の守護の諸大善神も法味をなめざるか、国中を去り給うかの故に、悪鬼便りを得て国すでに破れなんとす。[p0542]
此に予愚見をもて、前四十余年と後八年との相違をかんがえみるに、其の相違多しといえども、先ず世間の学者もゆるし、我が身にもさもやとうちおぼうる事は二乗作仏・久遠実成なるべし。法華経の現文を拝見するに、舎利弗は華光如来、迦葉は光明如来、須菩提は名相如来、迦旃延は閻浮那提金光如来、目連は多摩羅跋栴檀香仏、富楼那は法明如来、阿難は山海慧自在通王仏、羅・羅{らごら}は蹈七宝華如来、五百・七百は普明如来、学無学二千人は宝相如来、摩訶波闍波提比丘尼・耶輸陀羅比丘尼等は一切衆生喜見如来・具足千万光相如来等なり。[p0542]
此れ等の人々は法華経を拝見したてまつるには尊きようなれども、爾前の経々を披見の時はきょう(興)さむる事どもおおし。其の故は仏世尊は実語の人なり。故に聖人・大人と号す。外典・外道の中の賢人・聖人・天仙なんど申すは実語につけたる名なるべし。此れ等の人々に勝れて第一なる故に世尊をば大人とは申すぞかし。此の大人、_唯以一大事因縁故。出現於世〔唯一大事因縁を以ての故に世に出現したもう〕となのらせ給いて、_未顕真実、世尊法久後 要当説真実、正直捨方便等云云。多宝仏証明を加え、分身舌を出す等は、舎利弗が未来の華光如来、迦葉が光明如来等の説をば誰の人か疑網をなすべき。[p0542-0543]
而れども爾前の諸経も又仏陀の実語なり。大方広仏華厳経に云く_如来智慧大薬王樹唯於二処不能為作生長利益。所謂二乗堕於無為広大深坑及壊善根非器衆生溺大邪見貪愛之水〔如来の智慧大薬王樹は唯二処に於て生長の利益をなすこと能わず。所謂、二乗の無為広大の深坑に堕つると、及び善根を壊る非器の衆生の大邪見貪愛之水に溺るるとなり〕等云云。[p0543]
此の経文の心は雪山に大樹あり、無尽根となづく。此れを大薬王樹と号す。閻浮提の諸木の中の大王なり。此の木の高さは十六万八千由旬なり。一閻浮提の一切の草木は此の木の根ざし枝葉華菓の次第に随て、華菓なるなるべし。此の木をば仏の仏性に譬えたり。一切衆生をば一切の草木にたとう。但此の大樹は火坑と水輪の中に生長せず。二乗の心中をば火坑にたとえ、一闡提人の心中をば水輪にたとえたり。此の二類は永く仏になるべからずと申す経文なり。[p0543]
大集経に云く_有二種人。必死不活畢竟不能知恩報恩。一者声聞二者縁覚。譬如有人墜堕深坑是人不能自利利他声聞縁覚亦復如是。堕解脱坑不能自利及以利他〔二種の人有り。必ず死して活きず、畢竟して恩を知り恩を報ずること能わず。一には声聞、二には縁覚なり。譬えば人有って深坑に墜堕し、是の人自ら利し他を利すること能わざるが如く、声聞縁覚も亦復是の如し。解脱の坑に堕して自利し及び他を利すること能わず〕等云云。[p0543-0544]
外典三千余巻の所詮に二つあり。所謂、孝と忠となり。忠も又孝の家よりいでたり。孝と申すは高也。天高けれども孝よりも高からず。又孝とは厚也。地あつけれども孝よりは厚からず。聖賢の二類は孝の家よりいでたり。何に況んや仏法を学せん人、知恩報恩なかるべしや。仏弟子は必ず四恩をしって知恩報恩をほうずべし。其の上、舎利弗・迦葉等の二乗は二百五十戒・三千の威儀持整して、味・浄・無漏の三静慮、阿含経をきわめ、三界の見思を尽くせり。知恩報恩の人の手本なるべし。然るを不知恩の人なりと世尊定め給いぬ。其の故は父母の家を出て出家の身となるは必ず父母をすくわんがためなり。二乗は自身は解脱とおもえども、利他の行かけぬ。設い分分の利他ありといえども、父母等を永不成仏の道に入るれば、かえりて不知恩の者となる。[p0544]
維摩経に云く_維摩詰又問文殊師利。何等為如来種。答曰 一切塵労之疇為如来種。雖以五無間具猶能発此大道意(維摩詰、又文殊師利に問う。何等をか如来の種と為す。答て曰く 一切塵労之ともがらを如来の種と為す。五無間を以て具すと雖も、猶お能く此の大道意を発す)等云云。[p0544]
又云く_譬如族姓之子高原陸土不生青蓮芙蓉衡華 卑湿汗田乃生此華〔譬えば、族姓之子、高原陸土には青蓮芙蓉の衡華を生ぜず、卑湿汗田に乃ち此の華を生ずるが如し〕等云云。[p0544]
又云く_已得阿羅漢為応真者終不能復起道意而具仏法也。如根敗之士其於五楽不能復利〔已に阿羅漢を得、応真と為るは、終に、復道意を起こして仏法を具すること能わざる也。根敗之士の、其の五楽に於て、復利すること能わざるが如し〕等云云。[p0544]
文の心は貪瞋癡等の三毒は仏の種となるべし、殺父等の五逆罪は仏種となるべし。高原陸土には青蓮華生ずべし。二乗は仏になるべからず。いう心は二乗の諸善と凡夫の悪と相対するに、凡夫の悪は仏になるとも二乗の善は仏にならじとなり。諸の小乗経には悪をいましめ善をほむ。此の経には二乗の善をそしり凡夫の悪をほめたり。かえて仏経ともおぼえず、外道の法門のようなれども、詮ずるところは二乗の永不成仏をつよく定めさせ給うにや。[p0544-0545]
方等陀羅尼経に云く_文殊語舎利弗猶如枯樹更生華不。亦如山水還本処不。折石還合不。・種生芽不。舎利弗言 不也。文殊言 若不可得 云何問我得菩提記生歓喜不〔文殊、舎利弗に語らく、猶お、枯れ樹の如く、更に華を生ずるや不や。亦、山水の如く、本処に還るや不や。折石還って合うや不や。・種{しょうしゅ}芽を生ずるや不や。舎利弗の言く 不也。文殊の言く 若し得べからずんば、云何ぞ我に菩提の記を得るを問うて、歓喜を生ずるや〕等云云。[p0545]
文の心は、枯れたる木華さかず、山水山にかえらず、破れたる石あわず、いれる種おいず、二乗またかくのごとし。仏種をいれり等となん。[p0545]
大品般若経に云く_諸天子今未発三菩提心者応当発。若入声聞正位是人不能発三菩提心。何以故。為生死作障隔故〔諸の天子、今未だ三菩提心を発さざる者は、当に発すべし。若し声聞の正位に入れば、是の人能く三菩提心を発さざるなり。何を以ての故に、生死の為に障隔を作す故に〕等云云。[p0545]
文の心は二乗は菩提心ををこさざれば我随喜せじ、諸天は菩提心をおこせば我随喜せん。[p0545]
首楞厳経に云く_五逆罪人聞是首楞厳三昧発阿耨菩提心還得作仏。世尊漏尽阿羅漢猶如破器永不堪忍受是三昧〔五逆罪の人、是の首楞厳三昧を聞いて、阿耨菩提心を発せば還って仏と作るを得ん。世尊、漏尽の阿羅漢は、猶お破器の如く、永く是の三昧を受くるに堪忍せず〕等云云。[p0545]
浄名経に云く_其施汝者不名福田。供養汝者堕三悪道〔其れ汝に施す者は福田と名づけず。汝を供養せん者は三悪道に堕す〕等云云。[p0545]
文の心は迦葉・舎利弗等の聖僧を供養せん人天等は必ず三悪道に堕つべしとなり。[p0545]
此れ等の聖僧は仏陀を除きたてまつりては人天の眼目、一切衆生の導師とこそおもいしに、幾許の人天大会の中にして、こう度々仰せられしは本意なかりし事なり。只詮ずるところは我が御弟子を責めころさんとにや。此の外牛驢二乳、瓦器金器、蛍火日光等の無量の譬えをとて二乗を呵責せさせ給いき。一言二言ならず、一日二日ならず、一月二月ならず、一年二年ならず、一経二経ならず、四十余年が間、無量無辺の経々に、無量の大会の諸人に対して、一言もゆるし給う事もなくそしり給いしかば、世尊の不妄語なりと我もしる、人もしる、天もしる、地もしる。一人二人ならず百千万人、三界の諸天・龍神・阿修羅・五天・四州・六欲・色・無色・十方世界より雲集せる人天・二乗・大菩薩等、皆これをしる、又皆これをきく。各々国々へ還りて、娑婆世界の釈尊の説法を彼々の国々にして一々にかたるに、十方無辺の世界の一切衆生一人もなく、迦葉・舎利弗等は永不成仏の者、供養してはあしかりぬべしとしりぬ。[p0546]
而るを後八年の法華経に忽ちに悔い還して、二乗作仏すべしと仏陀とかせ給はんに、人天大会信仰をなすべしや。用ゆべからざる上、先後の経々に疑網をなし、五十余年の説教皆虚妄の説となりなん。されば四十余年未顕真実等の経文はあらまさせか。天魔の仏陀と現じて後八年の経をばとかせ給うかと疑網するところに、げにげにしげに劫国名号と申して、二乗成仏の国をさだめ、劫をしるし、所化の弟子なんどを定めさせ給えば、教主釈尊の御語すでに二言になりぬ。自語相違と申すはこれなり。外道が仏陀を大妄語の者と咲ひしことこれなり。[p0546-0547]
人天大会きょう(興)さめてありし程に、爾の時に東方宝浄世界の多宝如来、高さ五百由旬広さ二百五十由旬の大七宝塔に乗じて、教主釈尊の人天大会に自語相違をせめられて、とのべ(左宣)こうのべ(右述)さまざまに宣べさせ給いしかども、不審猶おはるべしともみえず、もてあつかいておわせし時、仏前に大地より涌現して虚空にのぼり給う。例せば暗夜に満月の東山より出るがごとし。七宝の塔大虚にかからせ給いて、大地にもつかず、大虚にも付かせ給わず、天中に懸かりて、宝塔の中より梵音声を出して、[p0547]
証明して云く_爾時宝塔中。出大音声。歎言善哉善哉。釈迦牟尼世尊。能以平等大慧。教菩薩法。仏所護念。妙法華経。為大衆説。如是如是。釈迦牟尼世尊。如所説者。皆是真実〔爾の時に宝塔の中より大音声を出して、歎めて言わく、善哉善哉、釈迦牟尼世尊、能く平等大慧・教菩薩法・仏所護念の妙法華経を以て大衆の為に説きたもう。是の如し、是の如し。釈迦牟尼世尊所説の如きは皆是れ真実なり〕等云云。[p0547]
又云く_爾時世尊。於文殊師利等。無量百千万億。旧住娑婆世界。菩薩摩訶薩 乃至 人非人等。一切衆前。現大神力。出広長舌。上至梵世。一切毛孔 乃至 十方世界。衆宝樹下。師子座上諸仏。亦復如是。出広長舌。放無量光〔爾の時に世尊、文殊師利等の無量百千万億の旧住娑婆世界の菩薩摩訶薩 乃至 人非人等の一切の衆の前に於て、大神力を現じたもう。広長舌を出して上梵世に至らしめ、一切の毛孔より 乃至 十方世界~衆の宝樹下の師子座上の諸仏も亦復是の如く、広長舌を出し、無量の光を放ちたもう〕等云云。[p0547]
又云く_令十方来。諸分身仏。各還本土 乃至 多宝仏塔。還可如故〔十方より来たりたまえる諸の分身の仏をして、各本土に還らしめんとして 乃至 多宝仏の塔、還って故の如くしたもうべし〕等云云。[p0547-0548]
大覚世尊初成道の時、諸仏十方に現じて、釈尊を慰喩し給う上、諸の大菩薩を遣わしき。般若経の御時は釈尊長舌を三千におおい、千仏十方に現じ給う。金光明経には四方の四仏現ぜり。阿弥陀経には六方の諸仏舌を三千におおう。大集経には十方の諸仏菩薩大宝坊にあつまれり。此れ等を法華経に引き合せてかんがうるに、黄石と黄金と、白雲と白山と、白氷と銀鏡と、黒色と青色とをば、翳眼の者・眇目の者・一眼の者・邪眼の者はみたがえつべし。華厳経には先後の経なければ仏語相違なし。なににつけてか大疑いで来べき。大集経・大品経・金光明経・阿弥陀経等は諸の小乗経の二乗を弾呵せんがために十方に浄土をとき、凡夫・菩薩を欣慕せしめ、二乗をわずらわす。小乗経と諸大乗経と一分の相違あるゆえに、或は十方に仏現じ給い、或は十方より大菩薩をつかはし、或は十方世界にも此の経をとくよしをしめし、或は十方より諸仏あつまり給う。或は釈尊舌を三千におおい、或は諸仏の舌をいだすよしをとかせ給う。此れひとえに諸の小乗経の十方世界唯有一仏ととかせ給いしおもいをやぶるなるべし。法華経のごとく先後の諸大乗経と相違出来して、舎利弗等の諸の声聞・大菩薩・人天等に将非魔作仏とおもわれさせ給う大事にはあらず。而るを華厳・法相・三論・真言・念仏等の翳眼の輩、彼々の経経と法華経とは同じとうちおもえるはつたなき眼なるべし。[p0548-0549]
但、在世は、四十余年をすてて法華経につき候ものもやありけん。仏滅後に此の経文を開見して信受せんことかたかるべし。先ず一には爾前の経々は多言也、法華経は一言也。爾前の経々は多経也、此の経は一経なり。彼々の経々は多年也、此の経は八年也。仏は大妄語の人永く信ずべからず。不信の上に信を立てば爾前の経々は信ずる事もありなん。法華経は永く信ずべからず。当世も法華経をば皆信じたるようなれども、法華経にてはなきなり。其の故は法華経と大日経と、法華経と華厳経と、法華経と阿弥陀経と一なるようをとく人をば悦んで帰依し、別々なんど申す人をば用いず。たとい用ゆれども本意なき事とおもえり。[p0549]
日蓮云く 日本に仏法わたりてすでに七百余年、但、伝教大師一人計り法華経をよめりと申すをば諸人これを用いず。[p0549]
但、法華経に云く_若接須弥 擲置他方 無数仏土 亦未為難 乃至 若仏滅後 於悪世中 能説此経 是則為難〔若し須弥を接って 他方の 無数の仏土に擲げ置かんも 亦未だ難しとせず 乃至 若し仏の滅後に 悪世の中に於て 能く此の経を説かん 是れ則ち難しとす〕等云云。[p0549]
日蓮が強義、経文には普合せり。法華経の流通たる涅槃経に、_末代濁世に謗法の者は十方の地のごとし。正法の者は爪上の土のごとしと、とかれて候はいかんがし候べき。日本の諸人は爪上の土か、日蓮は十方の土か、よくよく思惟あるべし。賢王の世には道理かつべし。愚主の世に非道先をすべし。聖人の世に法華経の実義顕るべし等と心うべし。此の法門は迹門と爾前と相対して爾前の強きようにおぼゆ。もし爾前つよるならば舎利弗等の諸の二乗は永不成仏の者なるべし。いかんがなげかせ給うらん。[p0549-0550]
二には、教主釈尊は住劫第九の減人寿百歳の時、師子頬王には孫、浄飯王には嫡子、童子悉達太子一切義成就菩薩これなり。御年十九の御出家、三十成道の世尊、始め寂滅道場にして実報華王の儀式を示現して、十玄六相・法界円融・頓極微妙の大法を説き給い、十方の諸仏も顕現し、一切の菩薩も雲集せり。土といい、機といい、諸仏といい、始といい、何事につけてか大法を秘し給うべき。されば経文には、_顕現自在力為説円満経等云云。一部六十巻は一字一点もなく円満経なり。譬えば如意宝珠は一珠も無量珠も共に同じ。一珠も万宝を尽くして雨らし、万珠も万宝を尽くすがごとし。華厳経は一字も万字も但同じ事なるべし。心仏及衆生の文は華厳宗の肝心なるのみならず、法相・三論・真言・天台の肝要とこそ申し候え。此れ等程いみじき御経に何事をか隠すべき。なれども二乗闡提不成仏ととかれしは珠のきずとみゆる上、三処まで始成正覚となのらせ給いて久遠実成の寿量品を説きかくさせ給いき。珠の破れたると、月に雲のかかれると、日の蝕したるがごとし。不思議なりしことなり。[p0550]
阿含・方等・般若・大日経等は仏説なればいみじき事なれども、華厳経にたいすればいうにかいなし。彼の経に秘せんこと、此れ等の経々にとかるべからず。されば諸阿含経に云く_初成道〔初め成道〕等云云。大集経に云く_如来成道始十六年〔如来成道始め十六年〕等云云。浄名経に云く_始坐仏樹力降魔〔始め仏樹に坐して力魔を降らす〕等云云。大日経に云く_我昔坐道場〔我昔道場に坐して〕等云云。般若仁王経に云く_二十九年等云云。此れ等は言うにたらず。只耳目をおどろかす事は、無量義経に華厳経の唯心法界、方等般若経の海印三昧・混同無二等の大法をかきあげて、或は未顕真実、或は歴劫修行等下す程の御経に、_我先道場。菩提樹下。端坐六年。得成阿耨多羅三藐三菩提〔我先に道場菩提樹下に端坐すること六年にして、阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たり〕と、初成道の華厳経の始成の文に同ぜられし、不思議と打ち思うところに、此れは法華経の序分なれば正宗の事をばいわずもあるべし。[p0550-0551]
法華経の正宗略開三広開三の御時、_唯仏与仏乃能究尽諸法実相等、世尊法久護、正直捨方便等、多宝仏迹門八品を指して皆是真実と証明せられしに何事をか隠すべき。なれども久遠寿量をば秘せさせ給いて、_我始坐道場観樹亦経行〔我始め道場に坐し 樹を観じ亦経行して〕等云云。最第一の大不思議なり。[p0551]
されば弥勒菩薩涌出品に四十余年の未見今見の大菩薩を、_仏 爾乃教化之 令初発道心〔仏、爾して乃ち之を教化して 初めて道心を発さしむ〕等と、とかせ給いしを、疑て云く_如来為太子時。出於釈宮。去伽耶城不遠。坐於道場。得成阿耨多羅三藐三菩提。従是已来。始過四十余年。世尊云何。於此少時。大作仏事〔如来太子たりし時釈の宮を出でて、伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たまえり。是れより已来始めて四十余年を過ぎたり。世尊、云何ぞ此の少時に於て大に仏事を作したまえる。〕等云云。[p0551]
教主釈尊此れ等の疑いを晴らさんがために寿量品をとかんとして、爾前・迹門のきき(所聞)を挙げて云く_切世間。天人。及阿修羅。皆謂今釈迦牟尼仏。出釈氏宮。去伽耶城不遠。坐於道場。得阿耨多羅三藐三菩提〔一切世間の天・人及び阿修羅は、皆今の釈迦牟尼仏釈氏の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を得たりと謂えり〕等云云。正しく此の疑いに答て云く_然善男子。我実成仏已来。無量無辺。百千万億。那由他劫〔然るに善男子、我実に成仏してより已来無量無辺百千万億那由他劫なり〕等云云。[p0551-0552]
華厳乃至般若・大日経等は二乗作仏を隠すのみならず、久遠実成を説きかくさせ給えり。此れ等の経々に二つの失あり。一には存行布故仍未開権〔行布を存する故に、仍お未だ権を開せず〕。迹門の一念三千をかくせり。二には言始成故曾未廃迹〔始成を言う故に、未だ曾て迹を廃せず〕。本門の久遠をかくせり。此れ等の二つの大法は一代の綱骨・一切経の心髄なり。[p0552]
迹門方便品は一念三千・二乗作仏を説いて爾前二種の失一つ脱れたり。しかりといえどもいまだ発迹顕本せざれば、まことの一念三千もあらわれず、二乗作仏も定まらず。水中の月を見るがごとし。根なし草の波上に浮べるにいたり。[p0552]
本門にいたりて、始成正覚をやぶれば四教の果をやぶる。四教の果をやぶれば、四教の因やぶれぶ。爾前・迹門の十界の因果を打ちやぶて、本門十界の因果をとき顕す。此れ即ち本因本果の法門なり。九界も無始の仏界に具し、仏界も無始の九界に備わりて、真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし。[p0552]
こうてかえりみれば、華厳経の臺上十方・阿含経の小釈迦、方等・般若の、金光明経の、阿弥陀経の、大日経等の権仏等は、此の寿量の仏の天月しばらく影を大小の器にして浮かべ給うを、諸宗の学者等近くは自宗に迷い、遠くは法華経の寿量品をしらず、水中の月に実月の想いをなし、或は入て取らんとおもい、或は縄をつけてつなぎとどめんとす。天台云く ̄不識天月但観池月〔天月を識らず、但池月を観ず〕等云云。[p0552-0553]
日蓮案じて云く 二乗作仏すら猶お爾前づよにおぼゆ。久遠実成は又にるべくもなき爾前づりなり。其の故は爾前法華相対するに猶お爾前こわき(強)上、爾前のみならず迹門十四品も一向に爾前に同ず。本門十四品も涌出・寿量の二品を除いては皆始成を存せり。雙林最後の大般涅槃経四十巻・其の外の法華前後の諸大乗経に一字一句もなく、法身の無始無終はとけども応身・報身の顕本はとかれず。いかんが広博の爾前・本迹・涅槃等の諸大乗経をばすてて、但涌出・寿量の二品には付くべき。[p0553]
されば法相宗と申す宗は、西天の仏滅後九百年に無著菩薩と申す大論師有しき。夜は都率の内院にのぼり、弥勒菩薩に対面して一代聖教の不審をひらき、昼は阿輸舎国にして法相の法門を弘め給う。彼の御弟子は世親・護法・難陀・戒賢等の大論師なり。戒日大王頭をかたぶけ、五天幢を倒して此れに帰依す。尸那国の玄奘三蔵、月氏にいたりて十七年、印度百三十余の国々を見ききて、諸宗をばふりすてて、此の宗を漢土にわたして、太宗皇帝と申す賢王にさずけ給い、肪・尚・光・基を弟子として大慈恩寺竝びに三百六十余箇国に弘め給う。日本国には人王三十七代孝徳天皇の御宇に道慈・道昭等ならい(習)わたして山階寺にあがめ給えり。三国第一の宗なるべし。此の宗の云く 始め華厳経より終り法華・涅槃経にいたるまで、無性有情と決定性の二乗は永く仏になるべからず。仏語に二言なし。一度永不成仏と定め給いぬる上は日月は地に落ち給うとも、大地は反覆すとも、永く変改有るべからず。されば法華経・涅槃経の中にも、爾前の経々に嫌いし無性有情・決定性を正しくついさし(指)て成仏すとはとかれず。[p0553-0554]
まず眼を閉じて案ぜよ。法華経・涅槃経に決定性・無性有情、正しく仏になるならば、無著・世親ほどの大論師、玄奘・慈恩ほどの三蔵人師、これをみざるべしや。此れをのせざるべしや。これを信じて伝えざるべしや。弥勒菩薩に問いたてまつらざるべしや。汝は法華経の文に依るようなれども、天台・妙楽・伝教の僻見を信受して、其の見をもって経文をみるゆえに、爾前に法華経は水火なりと見るなり。華厳宗と真言宗は法相・三論にはにるべくもなき超過の宗なり。二乗作仏・久遠実成は法華経に限らず、華厳経・大日経に分明なり。華厳宗の杜順・智儼・宝蔵・澄観、真言宗の善無畏・金剛智・不空等は天台・伝教にはにるべくもなき高位の人、其の上善無畏等は大日如来より糸みだれざる相承あり。此れ等の権化の人いかでか・{あやま}りあるべき。随って華厳経には_或見釈迦成仏道已経不可思議劫〔或は釈迦仏道を成し已って不可思議劫を経るを見る〕等云云。大日経には_我一切本初〔我は一切の本初なり〕等云云。何ぞ但久遠実成、寿量品に限らん。譬えば井底の蝦〈かえる〉が大海を見ず、山左〈やまかつ〉が洛中をしらざるがごとし。汝但寿量の一品を見て、華厳・大日経等の諸経をしらざるか。其の上、月氏・尸那・新羅・百済にも一同に二乗作仏・久遠実成は法華経に限るというか。[p0554-0555]
されば八箇年の経は四十余年の経々には相違せりというとも、先判後判の中には後判につくべしというとも、猶お爾前づりにこそおぼうれ。又但在世計りならばさもあるべきに、滅後に居せる論師人師、多くは爾前づりにこそ候え。[p0555]
こう法華経は信じがたき上、世もようやく末なれば、聖賢はようやくかくれ、迷者はようやく多し。世間の浅き事すら猶おあやまりやすし。何に況んや出世の深法・{あやま}りなかるべしや。犢子・方広が聡敏なりし、猶お大小乗経にあやまてり。無垢・摩沓(摩騰)が利根なりし、権実二経を弁えず。正法一千年の内は在世も近く、月氏の内なりし、すでにかくのごとし。況んや尸那・日本等は国もへだて、音もかはれり。人の根も鈍なり。寿命も日あさし。貪瞋癡も培増せり。仏世を去ってとし久し。仏経みなあやまれり。誰の智解か直かるべき。[p0555]
仏涅槃経に記して云く_末法には正法の者は爪上の土、謗法の者は十方の土とみえぬ。法滅尽経に云く_謗法の者は恒河沙、正法の者は一二の小石と記しおき給う。千年・五百年に一人なんども正法の者ありがたかるらん。世間の罪に依て悪道に堕ちる者は爪上の土、仏法によて悪道に堕ちる者は十方の土。俗より僧、女より尼多く悪道に堕つべし。[p0555-0556]
此に日蓮案じて云く 世すでに末代に入て二百余年、辺土に生をうく。其の上下賎、其の上貧道の身なり。輪回六趣の間には人天の大王と生まれて、万民をなびかす事、大風の小木の枝を吹くがごとくせし時も仏にならず。大小乗経の外凡内凡の大菩薩と修しあがり、一劫二劫無量劫を経て菩薩の行を立て、すでに不退に入りぬべかりし時も、強盛の悪縁におとされて仏にもならず。しらず大通結縁の第三類の在世をもれたるか、久遠五百の退転して今に来るか。法華経を行ぜし程に、世間の悪縁・王難・外道の難・小乗経の難なんどは忍びし程に、権大乗・実大乗経を極めたるようなる道綽・善導・法然等がごとくなる悪魔の身に入りたる者、法華経をつよくほめあげ、機をあながちに下し、理深解微と立て、未有一人得者千中無一等とすかししものに、無量生が間、恒河沙の度すかされて権経に堕ちぬ。権経より小乗経に堕ちぬ。外道外典に堕ちぬ。結句は悪道に堕ちけりと深く此れをしれり。日本国に此れをしれる者、但日蓮一人なり。これを一言も申し出すならば父母・兄弟・師匠に国主の王難必ず来るべし。いわずば慈悲なきににたりと思惟するに、法華経・涅槃経等に此の二辺を合わせ見るに、いわずは今生は事なくとも、後生は必ず無間地獄に堕つべし。いうならば三障四魔必ず競い起こるべしとし(知)ぬ。二辺の中にはいうべし。王難等出来の時は退転すべくは一度に思い止むべし、と且くやすらい(休)し程に、宝塔品の六難九易これなり。我等程の小力の者須弥山はなぐとも、我等程の無通の者乾草を負いて劫火にはやけずとも、我等程の無智の者恒沙の経々をばよみおぼうとも、法華経は一句一偈も末代に持ちがたしと、とかるるはこれなるべし。今度強盛の菩提心ををこして退転せじと願しぬ。[p0556-0557]
既に二十余年が間此の法門を申すに、日々月々年々に難かさなる。少々の難はかずしらず。大事の難四度なり。二度はしばらくをく、王難すでに二度におよぶ。今度はすでに我が身命に及ぶ。其の上弟子といい、檀那といい、わずかの聴聞の俗人なんど来て重科に行わる。謀反なんどの者のごとし。[p0557]
法華経の第四に云く_而此経者。如来現在。猶多怨嫉。況滅度後〔而も此の経は如来の現在すら猶お怨嫉多し、況んや滅度の後をや〕等云云。[p0557]
第二に云く_見有読誦 書持経者 軽賎憎嫉 而懐結恨〔経を読誦し書持すること あらん者を見て 軽賎憎嫉して 結恨を懐かん〕等云云。[p0557]
第五に云く_一切世間。多怨難信〔一切世間に怨多くして信じ難く〕等云云。[p0557]
又云く_有諸無智人 悪口罵詈等〔諸の無智の人 悪口罵詈等し〕。[p0557]
又云く_向国王大臣 婆羅門居士 ~ 誹謗説我悪 謂是邪見人~〔国王大臣 婆羅門居士~に向って 誹謗して我が悪を説いて 是れ邪見の人~と謂わん〕。[p0557]
又云く_数数見擯出〔数数擯出せられ〕等云云。[p0557]
又云く_ 杖木瓦石。而打擲之〔杖木・瓦石を以て之を打擲すれば〕等云云。[p0557]
涅槃経に云く_爾時多有無量外道和合共往摩訶陀国王阿闍世所。○今者唯有一大悪人瞿曇沙門。○一切世間悪人為利養故往集其所而為眷属不能修善。呪術力故調伏迦葉及舎利弗目・連。〔爾の時に多く無量の外道有って和合して共に摩訶陀の国王阿闍世の所に往く。○今は唯一の大悪人有り、瞿曇沙門なり。○一切世間の悪人、利養の為の故に其の所に往集して、而も眷属と為て能く善を修すること能わず。呪術の力の故に迦葉及び舎利弗・目・連{もっけんれん}を調伏す〕等云云。[p0557-0558]
天台云く ̄何況未来。理在難化也〔何に況んや未来をや。理化し難きに在る也〕等云云。[p0558]
妙楽云く ̄障未除者為怨不喜聞者名嫉〔障り未だ除かざる者を怨と為し、聞を喜ばざる者を嫉と名づく〕等云云。[p0558]
南三北七之十師・漢土無量の学者、天台を怨敵とす。[p0558]
得一云く ̄咄哉智公汝是誰弟子。以不足三寸舌根而謗覆面舌之所説〔咄哉、智公汝は是れ誰が弟子ぞ。三寸に足らざる舌根を以て覆面舌之所説を謗ず〕等云云。[p0558]
東春に云く ̄問 在世時許多怨嫉。仏滅度後説此経時何故亦多留難耶。答云 如俗言良薬苦口。此経廃五乗異執立一極之玄宗故斥凡呵聖排大破小銘天魔為毒虫説外道為悪鬼貶執小為貧賎拙菩薩為新学。故天魔悪聞外道逆耳二乗驚怪菩薩怯行。如此之徒悉為留難。多怨嫉言豈唐哉〔問う 在世の時、許多の怨嫉あり。仏滅度の後、此の経を説く時、何が故ぞ亦留難多きや。答て云く 俗に言うが如きは良薬口に苦しと。此の経は五乗の異執を廃して一極之玄宗を立てるが故に凡をそしり聖を呵し、大を排い小を破り、天魔を銘けて毒虫と為し、外道を説いて悪鬼と為し、執小をそしりて貧賎と為し、菩薩をはじしめて新学と為す。故に天魔は聞くを悪み、外道は耳に逆らい、二乗は驚怪し、菩薩は怯行す。此の如き之徒、悉く留難を為す。多怨嫉の言、豈に唐しからん哉〕等云云。[p0558]
顕戒論に云く ̄僧統奏曰 西夏有鬼弁婆羅門東土吐巧言禿頭沙門。此乃物類冥召誑惑世間等云云。論曰○昔聞斉朝之光統今見本朝之六統。実哉法華何況也〔僧統奏して曰く 西夏に鬼弁婆羅門有り、東土に巧言を吐く禿頭沙門あり。此れ乃ち物類冥召して世間を誑惑す等云云。論じて曰く○昔斉朝之光統を聞き、今は本朝之六統を見る。実なる哉、法華の何況也〕等云云。[p0558]
秀句に云く ̄語代則像終末初尋地則唐東羯西原人則五濁之生闘諍之時。経云 猶多怨嫉。況滅度後。此言良有以也〔代を語れば、則ち像の終わり、末の初め。地を尋ぬれば、唐の東、羯の西。人を原ぬれば、則ち五濁之生、闘諍之時なり。経に云く 猶お怨嫉多し況や滅度の後をや。此の言良にゆえ有る也〕等云云。[p0558]
夫れ小兒に灸治を加うれば必ず母をあだむ。重病の者に良薬をあたうれば定めて口に苦しとうれう。在世猶おしかり、乃至像末辺土をや。山に山をかさね、波に波をたたみ、難に難を加え、非に非をますべし。像法の中には天台一人、法華経一切経をよめり。南北これをあだみしかども、陳隋二大の聖主、眼前に是非を明きらめしかば敵ついに尽きぬ。像の末に伝教一人、法華経一切経を仏説のごとく読み給えり。南都七大寺蜂起せしかども、桓武乃至嵯峨等の賢主、我と明きらめ給いしかば又事なし。今末法の始め二百余年なり。況滅度後のしるし(兆)に闘諍の序〈ついで〉となるべきゆえに、非理を前として、濁世のしるし(験)に、召し合わせられずして流罪乃至寿にもおよばんとするなり。[p0558-0559]
されば日蓮が法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども、難を忍び慈悲のすぐれたる事はをそれをもいだきぬべし。定んで天の御計いにもあずかるべしと存ずれども、一分のしるし(験)もなし。いよいよ重科に沈む。還て此の事を計りみれば。我が身の法華経の行者にあらざるか。又諸天善神等の此の国を捨てて去り給えるか。かたがた疑わし。[p0559]
而るに法華経の第五の巻勧持品の二十行の偈は、日蓮だにも此の国に生まれずは、ほとんど(殆)世尊は大妄語の人、八十万億那由他の菩薩は、提婆が虚誑罪にも堕ちぬべし。経に云く_有諸無智人 悪口罵詈等〔諸の無智の人 悪口罵詈等し〕、加刀杖瓦石〔刀杖瓦石を加うとも〕等云云。今の世を見るに、日蓮より外の諸僧、たれの人か法華経につけて諸人に悪口罵詈せられ、刀杖等を加えらるる者ある。日蓮なくば此の一偈の未来記は妄語となりぬ。_悪世中比丘 邪智心諂曲〔悪世の中の比丘は 邪智にして心諂曲に〕。又云く_与白衣説法 為世所恭敬 如六通羅漢〔白衣のために法を説いて 世に恭敬せらるること 六通の羅漢の如くならん〕。此れ等の経文は今の世の念仏者・禅宗・律宗等の法師なくば世尊は又大妄語の人_常在大衆中 乃至 向国王大臣 婆羅門居士〔常に大衆の中に在って、乃至 国王大臣 婆羅門居士に向って〕等、今の世の僧等日蓮を讒奏して流罪せずば此の経文むなし。又云く_数数見擯出〔数数擯出せられ〕等云云。日蓮法華経のゆえに度々ながされずば数々の二字いかんがせん。此の二字は天台・伝教もいまだよみ給わず。況んや余人をや。末法の始めのしるし、恐怖悪世中の金言のあうゆえに、但日蓮一人これをよめり。[p0559-0560]
例せば世尊が付法蔵経に記して云く_我が滅後一百年に、阿育大王という王あるべし。摩耶経に云く_我が滅後六百年に、龍樹菩薩という人、南天竺に出づべし。大悲経に云く_我が滅後六十年に、末田地という者、地を龍宮につく(築)べし。此れ等皆仏記のごとくなりき。しからずば誰か仏教を信受すべき。而るに仏、恐怖悪世・然後未来世・末世法滅時・後五百歳なんど正妙の二本に正しく時を定めたもう。当世法華の三類の強敵なくば誰か仏説を信受せん。日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語をたすけん。南三北七、七大寺等、猶お像法の法華経の敵の内、何に況んや当世の禅・律・念仏者等は脱るべしや。経文に我が身普合せり。御勘気をかお(蒙)ればいよいよ悦びをますべし。例せば小乗の菩薩の未断惑なるが願兼於業と申して、つくりたくなき罪なれども、父母等の地獄に堕ちて大苦をうくるを見て、かたのごとく其の業を造りて、願って地獄に堕ちて苦に同じ苦に代われるを悦びとするがごとし。此れも又かくのごとし。当時の責めはたうべくもなけれども、未来の悪道を脱すらんとおもえば悦ぶなり。[p0560-0561]
但し世間の疑いといい、自心の疑いと申し、いかでか天扶け給はざるらん。諸天等の守護神は仏前の御誓言あり。法華経の行者にはさる(猿)になりとも法華経の行者とがう(号)して、早々に仏前の御誓言をとげんとこそおぼすべきに、其の義なきは、我が身法華経の行者にあらざるか。此の疑いは此の書の肝心、一期の大事なれば、処々にこれをかく上、疑いを強くして答をかまうべし。[p0561]
季札といいし者は心のやくそくをたがえじと、王の重宝たる剣を徐君が塚にかく。王寿と云いし人は河の水を飲て金の鵞目を水に入れ、公胤といいし人は腹をさいて主君の肝を入る。此れ等は賢人なり。恩をほうずるなるべし。況んや舎利弗・迦葉等の大聖は二百五十戒・三千の威儀一つもかけず、見思を断じ三界を離れたる聖人也。梵帝・諸天の導師、一切衆生の眼目なり。[p0561]
而るに四十余年が間、永不成仏と嫌いすてはてられてありしが、法華経の不死の良薬をなめて・種{しょうしゅ}の生い、破石の合い、枯木の華菓なんどせるがごとく、仏になるべしと許されていまだ八相をとなえ(唱)ず、いかでか此の経の重恩をばほうぜざらん。若しほうぜずば彼々の賢人にもおとりて、不知恩の畜生なるべし。毛宝が亀はあを(襖)の恩をわすれず、混明池の大魚は命の恩をほうぜんと明珠を夜中にささげたり。畜生すら猶お恩をほうず。何に況んや大聖をや。[p0561-0562]
阿難尊者は斛飯王の次男、羅・羅{らごら}尊者は浄飯王の孫なり。人中に家高き上証果の身となって成仏をおさえ(抑)られたりしに、八年の霊山の席にて山海慧蹈七宝華なんど如来の号をさずけられ給う。若し法華経ましまさずは、いかにいえたか(家高)く大聖なりとも、誰か恭敬したてまつるべき。夏の桀・殷の紂と申すは万乗の主、土民の帰依なり。しかれども政あしくして世をほろぼせしかば、今にわるきものの手本には桀紂桀紂とこそ申せ。下賎の者・癩病の者も桀紂のごとしといわれぬればのられ(罵)たりと腹たつなり。千二百無量の声聞は法華経ましまさずば、誰か名をもきくべき、其の音をも習うべき。一千の声聞、一切経を結集せりとも見る人もよもあらじ。まして此れ等の人々を絵像木像にあらわして本尊と仰ぐべしや。此れ偏に法華経の御力によて、一切の羅漢帰依せられさせ給うなるべし。[p0562]
諸の声聞、法華をはなれさせ給いなば、魚の水をはなれ、猿の木をはなれ、小兒の乳をはなれ、民の王をはなれたるがごとし。いかでか法華経の行者をすて給うべき。諸の声聞は爾前の経々にては肉眼の上に天眼慧眼をう(得)。法華経にして法眼仏眼を備われり。十方世界すら猶お照見し給うらん。何に況んや此の娑婆世界の中、法華経の行者を知見せられざるべしや。設い日蓮悪人にて一言二言、一年二年、一劫二劫、乃至百千万億劫此れ等の声聞を悪口罵詈し奉り、刀杖を加えまいらする色なりとも、法華経をだにも信仰したる行者ならばすて給うべからず。譬えば幼稚の父母をのる、父母これをすつるや。梟鳥が母を食う、母これをすてず。破鏡父をがいす、父これにしたがう。畜生すら猶おかくのごとし。大聖法華経の行者を捨つべしや。[p0562-0563]
されば四大声聞の領解の文に云く_我等今者真是声聞。以仏道声令一切聞。我等今者真阿羅漢。於諸世間天人魔梵普於其中応受供養。世尊大恩。以希有事憐愍教化利益我等。無量億劫誰能報者。手足供給頭頂礼敬一切供養皆不能報。若以頂戴両肩荷負於恒沙劫尽心恭敬又以美膳無量宝衣及諸臥具種種湯薬午頭栴檀及諸珍宝以起塔廟宝衣布地如斯等事以用供養於恒沙劫亦不能報〔我等今者、真に是れ声聞なり。仏道の声を以て一切をして聞かしむべし。我等今者、真に阿羅漢なり。諸の世間、天人魔梵に於て、普く其の中に於て、供養を受くべし。世尊は大恩まします。希有の事を以て憐愍教化して我等を利益したもう。無量億劫にも誰か能く報ずる者あらん。手足をもって供給し、頭頂をもって礼敬し、一切をもって供養すとも皆報ずること能わじ。若しは以て頂戴し、両肩に荷負して、恒沙劫に於て心を尽くして恭敬し、又美膳、無量の宝衣、及び諸の臥具、種々の湯薬を以てし、午頭栴檀、及び諸の珍宝、以て塔廟を起て、宝衣を地に布き、斯の如き等の事、以用て供養すること恒沙劫に於てすとも、亦報ずること能わじ〕等云云。[p0563]
諸の声聞等は前四味の経々にいくそばくぞ(幾許)の呵嘖を蒙り、人天大会の中にして恥辱がましき事其の数をしらず。しかれば迦葉尊者の・泣{たいきゅう}の音は三千をひびかし、須菩提尊者は亡然として手の一鉢をすつ。舎利弗は飯食をはき(吐)、富楼那は昼瓶に糞を入ると嫌はる。世尊鹿野苑にしては阿含経を讃歎し、二百五十戒を師とせよ、なんど慇懃にほめさせ給いて、今又いつのまに我が所説をばこうはそしらせ給うと、二言相違の失とも申しぬべし。例せば世尊、提婆達多を汝愚人なり、人の唾を食うと罵詈せさせ給いしかば、毒箭の胸に入るがごとくおもいて、うらみて云く 瞿曇は仏陀にあらず。我は斛飯王の嫡子、阿難尊者が兄、瞿曇が一類なり。いかにあしき事ありとも内内教訓すべし。此れ等程の人天大会に、此れ程の大禍を現に向かって申すもの大人仏陀の中にあるべしや。されば先先は妻のかたき、今は一座のかたき、今日よりは生々世々に大怨敵となるべしと誓いしぞかし。[p0563-0564]
此れをもって思うに、今諸の大声聞は本と外道婆羅門の家より出たり。又諸の外道の長者なりしかば諸王に帰依せられ諸檀那にたと(尊)まる。或は種姓高貴の人もあり、或は富福充満のやからもあり。而るに彼々の栄官等をうちすて慢心の幢を倒して、俗服を脱ぎ壊衣を身にまとい、白払弓箭等をうちすてて一鉢を手ににぎり、貧人乞丐なんどのごとくして世尊につき奉り、風雨を防ぐ宅もなく、身命をつぐ衣食乏少なりしありさまなるに、五天四海、皆外道の弟子檀那なれば仏すら九横の大難にあい給う。所謂、提婆が大石をとばせし、阿闍世王の酔象を放し、阿耆多王の馬麥、婆羅門城のこんづ(漿)、せんしや(旃遮)婆羅門女が鉢を腹にふせし、何に況んや所化の弟子の数難申す計りなし。無量の釈子は波瑠璃王に殺され、千万の眷属は酔象にふまれ、華色比丘尼は提多にがいせられ、迦盧提尊者(迦留陀夷尊者)は馬糞にうずまれ、目・尊者{もっけんそんじゃ}は竹杖にがいせらる。[p0564-0565]
其の上、六師同心して阿闍世・波斯匿王等に讒奏して云く 瞿曇は閻浮第一の大悪人なり。彼がいたる処は三災七難を前とす。大海の衆流をあつめ、大山の衆木をあつめたるがごとし。瞿曇がところには衆悪をあつめたり。所謂、迦葉・舎利弗・目連・須菩提等なり。人身を受けたる者は忠孝を先とすべし。彼等は瞿曇にすかされて、父母の教訓をも用いず家をいで、王法の宣をもそむいて山林にいたる。一国に跡をとどむべき者にあらず。されば天には日月衆星変をなす、地には衆夭さかんなり、なんどうつたう。堪うべしともおぼえざりしに、又うちそう(添)わざわいと仏陀にもうちそい(副)がたくてありしなり。人天大会の衆会の砌にて時々呵嘖の音をききしかば、いかにあるべしともおぼえず。只あわつる(狼狽)心のみなり。[p0565]
其の上、大の大難の第一なりしは浄名経の其施汝者不名福田。供養汝者堕三悪道〔其れ汝に施す者は福田と名づけず。汝を供養せん者は三悪道に堕す〕等云云。文の心は仏、菴羅苑と申すところにおわせしに、梵天・帝釈・日月・四天・三界諸天・地神・龍神等無数恒沙の大会の中にして云く 須菩提等の比丘等を供養せん天人は三悪道に堕つべし。此れ等をうちきく天人、此れ等の声聞を供養すべしや。詮するところは仏の御言を用て諸の二乗を殺害せさせ給うかと見ゆ。心あらん人々は仏をもうとみぬべし。されば此れ等の人々は仏を供養したてまつりしついでにこそ、わずかの身命をも扶けさせ給いしか。[p0565-0566]
されば事の心を案ずるに、四十余年の経々のみとかれて、法華八箇年の所説なくて、御入滅ならせ給いたらましかば、誰の人か此れ等の尊者をば供養し奉るべき。現身に餓鬼道にこそおわすべけれ。而るに四十余年の経々をば東春の大日輪寒氷を消滅するがごとく、無量の草露を大風の零落するがごとく、一言一時に未顕真実と打ちけし、大風の黒雲をまき、大虚に満月の処するがごとく、青天に日輪の懸り給うがごとく、世尊法久後要当説真実と照させ給いて、華光如来・光明如来等と舎利弗・迦葉等を赫々たる日輪明々たる月輪のごとく、鳳文にしるし亀鏡に浮かべられて候えばこそ、如来滅後の人天の諸檀那等には仏陀のごとく仰がれ給いしか。[p0566]
水すまば月影をおしむべからず。風ふかば草木なびかざるべしや。法華経の行者あるならば、此れ等の聖者は大火の中をすぎても、大石の中をとおりても、とぶらはせ給うべし。迦葉の入定もことにこそよれ。いかにとなりぬるぞ。いぶかしとも申すばかりなし。後五百歳のあたらざるか。広宣流布の妄語となるべきか。日蓮が法華経の行者ならざるか。法華経を経内と下して別伝と称する大妄語の者をまもり給うべきか。捨閉閣抛と定めて法華経の門をとじよ巻をなげすてよとえりつけ(彫付)て、法華堂を失える者を守護し給うべきか。仏前の誓はありしかども、濁世の大難のはげしさをみて諸天下り給はざるか。日月天にまします。須弥山いまもくずれず。海塩も増減す。四季もかたのごとくたがはず。いかになりぬやらんと大疑いよいよつもり候。[p0566-0567]
又諸大菩薩天人等のごときは爾前の経々にして記別をうるようなれども、水中の月を取らんとするがごとく、影を体とおもうがごとく、いろかたちのみあて実義もなし。又仏の御恩も深くて深からず。世尊初成道の時はいまだ説教もなかりしに、法慧菩薩・功徳林菩薩・金剛幢菩薩なんど申せし六十余の大菩薩。十方の諸仏の国土より教主釈尊の御前に来たり給いて、賢首菩薩・解脱月等の菩薩の請におもむいて十住・十行・十回向・十地等の法門を説き給いき。此れ等の大菩薩の所説の法門は釈尊に習いたてまつるにあらず。十方世界の諸の梵天等も来て法をとく。又釈尊にならいたてまつらず。總じて華厳会座の大菩薩・天龍等は釈尊以前に不思議解脱に住せる大菩薩なり。釈尊の過去因位の御弟子にや有らん。十方世界の先仏の御弟子にや有らん。一代教主始成正覚の仏の弟子にはあらず。[p0567]
阿含・方等・般若の時、四教を仏の説き給いし時こそようやく(漸)御弟子は出来して候え。此れも又仏の自説なれども正説にはあらず。ゆえいかんとなれば、方等・般若の別円二教は華厳経の別円二教の義趣をいでず。彼の別円は教主釈尊の別円二教にはあらず。法慧等の大菩薩の別円二教なり。此れ等の大菩薩は人目には仏の御弟子かとは見ゆれども、仏の御師ともいいぬべし。世尊彼の菩薩の所説を聴聞して智発して後、重ねて方等・般若の別円をとけり。色もかわらぬ華厳経の別円二教なり。されば此れ等の大菩薩は釈尊の師なり。華厳経に此れ等の菩薩をかずへして善知識ととかれしはこれなり。善知識と申すは一向師にもあらず、一向弟子にもあらずある事なり。蔵通二教は又別円の枝流なり。別円二教をしる人必ず蔵通二教をしるべし。人の師と申すは弟子のしらぬ事を教えたるが師にては候なり。例せば仏より前の一切の人天・外道は二天三仙の弟子なり。九十五種まで流派したりしかども三仙の見を出でず。教主釈尊もかれに習い伝えて外道の弟子にてましませしが、苦行楽行十二年の時、苦・空・無常・無我の理をさとり出でてこそ、外道の弟子の名をば離れさせ給いて、無師智とはなのらせ給いしか。又人天も大師とは仰ぎまいらせしか。されば前四味の間は教主釈尊、法慧菩薩等の御弟子なり。例せば文殊は釈尊九代の御師と申すがごとし。つねは諸経に不説一字ととかせ給うもこれなり。[p0568-0569]
仏、御年七十二の年、摩竭提国霊鷲山と申す山にして無量義経をとかせ給いしに、四十余年の経々をあげて枝葉をば其の中におさめて、四十余年未顕真実と打ち消し給うは此れなり。此の時こそ諸大菩薩諸天人等はあわてて実義を請ぜんとは申せしか。無量義経にて実義とおぼしき事、一言ありしかどもいまだまことなし。譬えば月の出でんとして其の体東山にかくれて、光り西山に及べども諸人月体を見ざるがごとし。法華経方便品の略開三顕一の時、仏略して一念三千心中の本懐を宣べ給う。始めの事なればほととぎすの音を、ねをびれたる者の一音ききたるがように、月の山の半を出でたれども薄雲のおおえるがごとくかそかなりしを、舎利弗等驚いて、諸天龍神・大菩薩等をもよおして_諸天龍神等 其数如恒沙 求仏諸菩薩 大数有八万 又諸万億国 転輪聖王至 合掌以敬心 欲聞具足道〔諸の天龍神等 其の数恒沙の如し 仏を求むる諸の菩薩 大数八万あり 又諸の万億国の転輪聖王の至れる 合掌し敬心を以て 具足の道を聞きたてまつらんと欲す〕等とは、請せしなり。文の心は四味三教四十余年の間いまだきかざる法門うけ給はらんと請せしなり。[p0569]
此の文に欲聞具足道と申すは、大経に云く_薩者名具足義〔薩とは具足の義に名づく〕等云云。無依無得大乗四論玄義記に云く ̄沙者决云六。胡法以六為具足義也〔沙とは决<訳>して六と云う。胡の法には六を以て具足の義と為す〕等云云。吉蔵の疏に云く ̄沙飜為具足〔沙とは飜して具足と為す〕等云云。[p0569]
天台の玄義の八に云く ̄薩者梵語。此飜妙也〔薩とは梵語。此れには妙と飜す也〕等云云。付法蔵の第十三、真言・華厳・諸宗の元祖、本地は法雲自在王如来、迹に龍猛菩薩、初地の大聖の大智度論千巻の肝心に云く ̄薩者六也〔薩とは六なり〕等云云。[p0569-0570]
妙法蓮華経と申すは漢語也。月氏には薩達磨分陀利迦蘇多攬〈さつだるまぷんだりきゃそたらん〉と申す。善無畏三蔵の法華経の肝心真言に云く ̄曩謨三曼陀[普仏陀] ・{おん}[三身如来] 阿阿暗悪[開示悟入] 薩縛勃陀枳攘[知] 娑乞蒭毘耶[見] ・・曩婆縛{ぎゃぎゃのうば}[如虚空性] 羅乞叉・{あらきしゃに}[離塵相也] 薩哩達磨[正法也] 浮陀哩迦[白蓮華] 蘇駄覧[経] 惹[入] 吽[遍] 鑁[住] 発[歓喜]縛曰羅[堅固] 羅乞叉・{あらきしゃまん}[擁護] 吽[空無相無願] 娑婆訶[決定成就]。[p0570]
此の真言は南天竺の鉄塔の中の法華経の肝心の真言也。此の真言の中に薩哩達磨と申すは正也。正は妙也。妙は正也。正法華・妙法華是れ也。又妙法蓮華経の上に南無の二字ををけり。南無妙法蓮華経これなり。妙者具足。六者六度万行。諸の菩薩の六度万行を具足するようをきかんとおもう。具とは十界互具。足と申すは一界に十界あれば当位に余界あり。満足の義なり。此の経一部八巻・二十八品・六万九千三百八十四字、一々に皆妙の一字を備えて三十二相八十種好の仏陀なり。十界に皆己界の仏界を顕す。妙楽云く ̄尚具仏果余果亦然〔尚お仏果を具す。余果も亦然り〕等云云。[p0570]
仏、此れを答て云く_欲令衆生。開仏知見〔衆生をして仏知見を開かしめ〕等云云。衆生と申すは舎利弗、衆生と申すは一闡提、衆生と申すは九法界。衆生無辺誓願土此に満足す。_我本誓願立 欲令一切衆 如我等無異 如我昔所願 今者已満足〔我本誓願を立てて 一切の衆をして 我が如く等しくして 異ることなからしめんと欲しき 我が昔の所願の如き 今者已に満足しぬ〕等云云。[p0570]
諸大菩薩・諸天等、此の法門をきいて領解して云く _我等従昔来数聞世尊説未曾聞如是深妙之上法〔我等昔より来 数世尊の説を聞きたてまつるに 未だ曾て是の如き 深妙の上法を聞かず〕等云云。伝教大師云く ̄我等従昔来数聞世尊説謂昔聞法華経前説華厳等大法也。未曾聞如是深妙之上法謂未聞法華経の唯一仏乗教也〔我等従昔来数聞世尊説とは、昔法華経の前に華厳等の大法を説くを聞けるを謂う也。未曾聞如是深妙之上法と謂うは未だ法華経の唯一仏乗の教を聞かざる也〕等云云。[p0570-0571]
華厳・方等・般若・深密・大日等の恒河沙の諸大乗経は、いまだ一代の肝心たる一念三千の大綱骨髄たる二乗作仏・久遠実成等をいまだきかずと領解せり。又今よりこそ諸大菩薩も梵・帝・日月・四天等も教主釈尊の御弟子にては候え。[p0571]
されば宝塔品には、此れ等の大菩薩を仏我が御弟子等とこそおぼすゆえに諌暁して云く_告諸大衆 我滅度後 誰能護持 読誦斯経 今於仏前 自説誓言〔諸の大衆に告ぐ 我が滅度の後に 誰か能く 斯の経を護持し読誦せん 今仏前に於て 自ら誓言を説け〕とは、したたかに仰せ下せしか。又諸大菩薩も_譬如大風 吹小樹枝〔譬えば大風の 小樹の枝を吹くが如し〕等と、吉祥草の大風に随い、河水の大海へ引くがごとく、仏には随いまいらせしか。[p0571]
而れども霊山日浅くして夢のごとく、うつつならずありしに、証前の宝塔の上に起後の宝塔あて、十方の諸仏来集せる、皆我が分身なりとなのらせ給い。宝塔は虚空に、釈迦・多宝を竝べ、日月の青天に竝出せるがごとし。人天大会は星をつらね、分身の諸仏は大地の上宝樹の下のゆかにまします。華厳経の蓮華蔵世界は十方此土の報仏各々に国々にして、彼界の仏、此土に来て分身となのらず。此界の仏、彼の界へゆかず。但法慧等の大菩薩のみ互いに来会せり。大日経・金剛頂経等の八葉九尊・三十七尊等、大日如来の化身とはみゆれども、其の化身、三身円満の古仏にあらず。大品経の千仏・阿弥陀経の六方の諸仏、いまだ来集の仏にあらず。大集経の来集の仏、又分身ならず。金光明経の四方の四仏は化身なり。總じて一切経の中に各修各行の三身円満の諸仏を集めて我が分身とはとかれず。[p0571-0572]
これ寿量品の遠序なり。始成四十余年の釈尊、一劫十劫等已前の諸仏を集めて分身ととかる。さすが平等意趣にもにず、おびただしくおどろかし。又始成の仏ならば所化十方に充満すべからざれば、分身の徳は備わりたりとも示現してえきなし。天台云く ̄分身既多当知成仏久矣〔分身既に多し、当に知るべし、成仏久しきことを矣〕等云云。大会のおどろきし意をかかれたり。其の上に地涌千界の大菩薩大地より出来せり。釈尊に第一の御弟子とおぼしき普賢・文殊等にもにるべくもなし。華厳・方等・般若・法華経の宝塔品に来集せる大菩薩、大日経等の金剛薩・{こんごうさった}等の十六の大菩薩なんども、此の菩薩に対当すれば・猴{みこう}の群中に帝釈の来たり給うがごとし。山人に月卿等のまじわれるにことならず。補処の弥勒すら猶お迷惑せり。何に況んや其の已下をや。此の千世界の大菩薩の中に四人の大聖まします。所謂、上行・無辺行・浄行・安立行なり。此の四人は虚空霊山の諸大菩薩等、眼もあわせ心もをよばず。華厳経の四菩薩・大日経の四菩薩・金剛頂経の十六大菩薩等も、此の菩薩に対すれば翳眼のものの日輪を見るがごとく、海人が皇帝に向い奉るがごとし。大公等の四聖の衆中にあつしににたり。商山の四皓が恵帝に仕えしにことならず。巍々堂々として尊高也。釈迦・多宝・十方の分身を除いては一切衆生の善知識ともたのみ奉りぬべし。[p0572-0573]
弥勒菩薩心に念言すらく、我は仏の太子の御時より三十成道、今の霊山まで四十に念が間、此界の菩薩・十方世界より来集せし諸大菩薩、皆しりたり。又十方世界の浄穢土に或は御使い、或は我と遊戯して、其の国々に大菩薩を見聞せり。此の大菩薩の御師なんどはいかなる仏にてやあるらん。よも此の釈迦・多宝・十方の分身の仏陀にはにるべくもなき仏にてこそおわすらめ。雨の猛きを見て龍の大なる事をしり、華の大なるを見て池のふかきことはしんぬべし。此れ等の大菩薩の来れる国、又誰と申す仏にあいたてまつり、いかなる大法をか修習し給うらんと疑わし。あまりの不審さに音をもいだすべくもなけれども、仏力にてやありけん、[p0573]
弥勒菩薩疑て云く_無量千万億 大衆諸菩薩 昔所未曾見〔無量千万億 大衆の諸の菩薩は 昔より未だ曾て見ざる所なり〕。是諸大威徳 精進菩薩衆 誰為其説法 教化而成就 従誰初発心 称揚何仏法〔是の諸の大威徳 精進の菩薩衆は 誰か其の為に法を説き 教化して成就せる 誰に従って初めて発心し 何れの仏法を称揚し〕。○世尊我昔来 未曾見是事 願説其所従 国土之名号 我常遊諸国 未曾見是事 我於此衆中 乃不識一人 忽然従地出 願説其因縁〔世尊我昔より来 未だ曾て是の事を見ず 願わくは其の所従の 国土の名号を説きたまえ 我常に諸国に遊べども 未だ曾て是の事を見ず 我此の衆の中に於て 乃し一人をも識らず 忽然に地より出でたり 願わくは其の因縁を説きたまえ〕等云云。[p0573]
天台云く ̄自寂場已降今座已往 十方大士来会不絶 雖不可限我以補処智力悉見悉知。而於此衆不識一人。然我遊戯十方覲奉諸仏大衆快所識知〔寂場より已降今座より已往、十方の大士 [p0574]来会絶えず、限るべからずと雖も、我補処の智力を以て悉く見、悉く知る。而れども此の衆に於て一人をも識らず。然るに我十方に遊戯して諸仏に覲奉し大衆に快く識知せらる〕等云云。[p0573-0574]
妙楽云く ̄智人知起蛇自識蛇〔智人は起を知る、蛇は自ら蛇を識る〕等云云。[p0574]
経釈の心分明なり。詮するところは、初成道よりこのかた、此土十方にて此れ等の菩薩を見たてまつらずきかず、と申すなり。[p0574]
仏此の疑いに答て云く_阿逸多 ○汝等昔所未見者。我於是娑婆世界。得阿耨多羅三藐三菩提已。教化示導。是諸菩薩。調伏其心。令発道意〔阿逸多 ○汝等昔より未だ見ざる所の者は、我是の娑婆世界に於て阿耨多羅三藐三菩提を得已って、是の諸の菩薩を教化示導し、其の心を調伏して道の意を発さしめたり〕等。[p0574]
又云く_我於伽耶城 菩提樹下坐 得成最正覚 転無上法輪 爾乃教化之 令初発道心 今皆住不退 乃至 我従久遠来 教化是等衆〔我伽耶城 菩提樹下に於て坐して 最正覚を成ずることを得て 無上の法輪を転じ 爾して乃ち之を教化して 初めて道心を発さしむ 今皆不退に住せり。乃至 我久遠より来 是れ等の衆を教化せり〕等云云。[p0574]
此に弥勒等の大菩薩、大に疑いおもう。華厳経の時、法慧等の無量の大菩薩あつまる。いかなる人々なるらんとおもえば、我が善知識なりとおおせられしかば、さもやとうちおもいき。其の後の大宝坊白鷺池等の来会の大菩薩もしかのごとし。此の大菩薩は彼等にはにるべくもなきふりたりげにまします。定めて釈尊の御師匠かなんどおぼしきを、令初発道心とて幼稚のものどもなりしを教化して弟子となせり、なんどおおせあれば大なる疑いなるべし。日本の聖徳太子は人王第三十二代用命天皇の御子なり。御年六歳の時百済・高麗・唐土より老人どものわたりたりしを、六歳の太子、我が弟子なりとおおせありしかば、彼の老人ども又合掌して我が師なり等云云。不思議なりし事なり。外典に申す、或人路をゆけば、道のほとりに年三十計りなるわかものが八十計りなる老人をとらえて打てり。いかなる事ぞととえば、此老翁は我が子也なんど申すとかたるにもにたり。[p0574-0575]
されば弥勒菩薩等疑て云く_世尊。如来為太子時。出於釈宮。去伽耶城不遠。坐於道場。得成阿耨多羅三藐三菩提。従是已来。始過四十余年。世尊云何。於此少時。大作仏事〔世尊、如来太子たりし時釈の宮を出でて、伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たまえり。是れより已来始めて四十余年を過ぎたり。世尊、云何ぞ此の少時に於て大に仏事を作したまえる〕等云云。[p0575]
一切の菩薩、始め華厳経より四十余年、会々に疑いをもうけて、一切衆生の疑網をはらす。中に此の疑い第一の疑いなるべし。無量義経の大荘厳等の八万の大士、四十余年と今との歴劫疾成の疑いにも超過せり。観無量寿経に韋提希夫人の子阿闍世王、提婆にすかされて父の王をいましめ(禁錮)母を殺さんとせしが、耆婆・月光にをどされて母をはなちたりし時、仏を請じたてまつて、まず第一の問に云く_我宿何罪生此悪子。世尊 復有何等因縁与提婆達多共為眷属〔我、むかし、何の罪ありて此の悪子を生む。世尊 復、何等の因縁有って提婆達多と共に眷属と為りたもう〕等云云。此の疑いの中に世尊 復有何等因縁等の疑いは大なる大事なり。輪王は敵と共に生まれず。帝釈は鬼とともならず。仏は無量劫の慈悲者なり。いかに大怨と共にはまします。還て仏にはましまさざるかと疑うなるべし。而れども仏答え給わず。されば観経を読誦せん人、法華経の提婆品に入らずばいたずらごとなるべし。大涅槃経に迦葉菩薩の三十六の問もこれには及ばず。されば仏此の疑いを晴させ給わずば一代の聖教は泡沫にどうじ、一切衆生は疑網にかかるべし。寿量の一品の大切なるこれなり。[p0575-0576]
其の後、仏、寿量品を説いて云く_一切世間。天人。及阿修羅。皆謂今釈迦牟尼仏。出釈氏宮。去伽耶城不遠。坐於道場。得阿耨多羅三藐三菩提〔一切世間の天・人及び阿修羅は、皆今の釈迦牟尼仏釈氏の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を得たりと謂えり〕等云云。[p0576]
此の経文は始め寂滅道場より終り法華経の安楽行品にいたるまでの一切の大菩薩等の所知をあげたるなり。[p0576]
_然善男子。我実成仏已来。無量無辺。百千万億。那由他劫〔然るに善男子、我実に成仏してより已来無量無辺百千万億那由他劫なり〕等云云。[p0576]
此の文は華厳経の三処の始成正覚、阿含経に云く_初成、浄名経の_始坐仏樹、大集経に云く_始十六年、大日経の_我昔坐道場等、仁王経の_二十九年、無量義経の_我先道場、法華経の方便品に云く_我始坐道場等を、一言に大虚妄なりとやぶるもん(文)なり。[p0576]
此の過去常顕るる時、諸仏、皆釈尊の分身なり。爾前・迹門の時は、諸仏、釈尊に肩を竝べて各修各行の仏なり。かるがゆえに諸仏を本尊とする者、釈尊等を下す。今、華厳の臺上・方等・般若・大日経等の諸仏は、皆釈尊の眷属なり。仏、三十成道の御時は大梵天王・第六天等の知行の娑婆世界を奪い取り給いき。今、爾前・迹門にして十方を浄土とがう(号)して、此土を穢土ととかれしを打ちかえして、此土は本土となり、十方の浄土は垂迹の穢土となる。仏は久遠の仏なれば迹化・他方の大菩薩も教主釈尊の御弟子なり。[p0576]
一切経の中に此の寿量品ましまさずば、天に日月無く、国に大王無く、山河に珠無く、人に神のなからんがごとくしてあるべきを、華厳・真言等の権宗の智者とおぼしき澄観・嘉祥・慈恩・弘法等の一往権宗の人々、且つは自らの依経を讃歎せんために、或は云く 華厳経の教主は報身、法華経は応身と、或は云く 法華寿量品の仏は無明の辺域、大日経の仏は明の分位等云云。雲は月をかくし、讒臣は賢人をかくす。人、讒せば黄石も玉とみえ、諛臣も賢人かとおぼゆ。今濁世の学者等彼等の讒義に隠されて寿量品の玉を翫ばず。又天台宗の人々もたぼらかされて金石一同のおもいをなせる人々もあり。仏、久成にましまさずば所化の少なかるべき事を弁うべきなり。月は影を慳〈お〉しまざれども水なくばうつるべからず。仏、衆生を化せんとおぼせども結縁うすければ八相を現ぜず。例せば諸の声聞が初地・初住にはのぼれども、爾前にして自調自度なりしかば、未来の八相をご(期)するなるべし。[p0576-0577]
しかれば教主釈尊始成ならば、今此の世界の梵帝・日月・四天等は劫初より此の土を領すれども、四十余年の仏の弟子なり。霊山八年の法華結縁の衆、今まいりの主君におもいつかず、久住の者にへだてらるるがごとし。今久遠実成あらわれぬれば、東方の薬師如来の日光・月光、西方阿弥陀如来の観音・勢至、乃至十方世界の諸仏の御弟子、大日・金剛頂等の両部の大日如来の御弟子の諸大菩薩、猶お教主釈尊の御弟子也。諸仏、釈迦如来の分身たる上は、諸仏の所化申すにおよばず。何に況んや此土の劫初よりこのかたの日月・衆星等、教主釈尊の御弟子にあらずや。[p0577-0578]
而るを天台宗より外の諸宗は本尊にまどえり。倶舎・成実・律宗は三十四心断結成道の釈尊を本尊とせり。天尊の太子、迷惑して我が身は民の子とおもうがごとし。華厳宗・真言宗・三論宗・法相宗等の四宗は大乗の宗なり。法相・三論は勝応身ににたる仏を本尊とす。大王の太子、我が父は侍とおもうがごとし。華厳宗・真言宗は釈尊を下げて盧舎那・大日等を本尊と定む。天子たる父を下げて種姓もなき者の法王のごとくなるにつけり。浄土宗は釈迦の分身の阿弥陀仏を有縁の仏とおも(思)て、教主をすてたり。禅宗は、下賎の者、一分の徳あて父母をさぐるがごとし。仏をさげ経を下す。此れ皆本尊に迷えり。例せば三皇已前に父をしらず、人皆禽獣に同ぜしがごとし。寿量品をしらざる諸宗の者は畜に同じ。不知恩の者なり。[p0578]
故に妙楽云く 一代教中未曾顕遠父母之寿。○若不知父寿之遠復迷父統之邦。徒謂才能全非人子〔一代教の中、未だ曾て父母之寿の遠きを顕さず。○若し父の寿之遠きを知らざれば、復父統之邦に迷いなん。徒らに才能と謂うとも全く人の子に非ず〕等云云。[p0578]
妙楽大師は唐の末、天宝年中の者也。三論・華厳・法相・真言等の諸宗、竝びに依経を深くみ、広く勘えて、寿量品の仏をしらざる者は父統の邦に迷える才能ある畜生とかけるなり。徒謂才能とは華厳宗の法蔵・澄観、乃至真言宗の善無畏三蔵等は才能の人師なれども、子の父をしらざるがごとし。[p0578-0579]
伝教大師は日本顕密の元祖、秀句に云く ̄他宗所依経雖有一分仏母義然但有愛闕厳義。天台法華宗具厳愛義。一切賢聖学無学及発菩提心者之父〔他宗所依の経は一分仏母の義有りと雖も、然れども但愛のみ有って厳の義闕く。天台法華宗は厳愛の義を具す。一切の賢聖学無学及び菩提心を発せる者之父なり〕等云云。[p0579]
真言・華厳等の経経には種熟脱の三義名字すら猶おなし。何に況んや其の義をや。華厳・真言経等の一生初地の即身成仏等は経は権経にして過去をかくせり。種をしらざる脱なれば超高が位にのぼり、道鏡が王位に居せんとせしがごとし。宗々互いに権を諍う。予、此れをあらそわず。但経に任すべし。法華経の種に依て天親菩薩は種子無上を立てたり。天台の一念三千これなり。華厳経乃至諸大乗経・大日経等の諸尊の種子、皆一念三千なり。天台智者大師一人、此の法門を得給えり。華厳宗の澄観、此の義を盗んで華厳経の心如工画師の文の神とす。真言大日経等には二乗作仏・久遠実成・一念三千の法門これなし。善無畏三蔵が震旦に来て後、天台の止観を見て智発し、大日経の心実相我一切本初の文の神に天台の一念三千を盗み入れて真言宗の肝心として、其の上に印と真言とをかざり、法華経と大日経との勝劣を判ずる時、理同事勝の釈をつくれり。両界の漫荼羅の二乗作仏・十界互具は一定大日経にありや。第一の誑惑なり。[p0579]
故に伝教大師云く ̄新来真言家則泯筆受之相承 旧到華厳家則隠影響之軌模〔新来の真言家は則ち筆受之相承を泯し 旧到の華厳家は則ち影響之軌模を隠す〕等云云。[p0579-0580]
俘囚〈ふしゅう〉の嶋なんどにわたて、ほのぼのといううた(和歌)わ、われよみたりなんど申すは、えぞてい(夷体)の者はさこそとおもうべし。漢土日本の学者又かくのごとし。[p0580]
良・和尚{りょうしょわじょう}云く ̄真言・禅門・華厳・三論 乃至 若望法華等是接引門〔真言・禅門・華厳・三論 乃至 若し法華等に望めば、是れ接引門〕等云云。[p0580]
善無畏三蔵の閻魔の責めにあずからせ給いしは此の邪見による。後に心をひるがえし法華経に帰伏してこそこのせめをば脱れさせ給いしか。其の後善無畏・不空等、法華経を両界の中央におきて大王のごとくし、胎蔵の大日経・金剛頂経をば左右の臣下のごとくせしこれなり。日本の弘法も教相の時は華厳宗に心をよせて法華経をば第八におきしかども、事相の時、実慧・真雅・円澄・光定等の人々に伝え給いし時、両界の中央に上のごとくをかれたり。例せば三論の嘉祥は法華玄十巻に法華経を第四時会二破二と定むれども、天台に帰伏して七年つかえ廃講散衆身為肉橋となせり。法相の慈恩は法苑義林七巻十二巻に一乗方便・三乗真実等の妄言多し。しかれども玄賛の第四には故亦両存等と我宗を不定になせり。言は両方なれども心は天台に帰伏せり。華厳の澄観は華厳の疏を造て、華厳法華相対して法華を方便とかけるに似れども、 ̄彼宗以之為実此宗立義理無不通〔彼の宗之を以て実と為す、此の宗の立義、理通ぜざること無し〕とかけるは悔い還すにあらずや。弘法も又かくのごとし。亀鏡なければ我が面をみず。敵なければ我が非をしらず。真言等の諸宗の学者等我が非をしらざりし程に、伝教大師にあいたてまつて自宗の失をしるなるべし。されば諸経の諸仏・菩薩・人天等は彼々の経々にして仏にならせ給うようなれども、実には法華経にして正覚なり給えり。釈迦・諸仏の衆生無辺の總願は、皆此の経において満足す。今者已満足の文これなり。[p0580-0581]
予事の由をおし計るに、華厳・観経・大日経等をよみ修行する人をばその経々の仏・菩薩・天等守護し給うらん。疑いあるべからず。但し大日経・観経等をよむ行者等、法華経の行者に敵対をなさば、彼の行者をすてて法華経の行者を守護すべし。例せば孝子、慈父の王敵となれば父をすてて王にまいる。孝の至り也。仏法も又かくのごとし。法華経の諸仏・菩薩・十羅刹、日蓮を守護し給う上、浄土宗の六方の諸仏・二十五の菩薩、真言宗の千二百等、七宗の諸尊・守護の善神、日蓮を守護し給うべし。例せば七宗の守護神が伝教大師をまもり給いしがごとしとおもう。[p0581]
日蓮案じて云く 法華経の二処三会の座にましましし日月等の諸天は、法華経の行者出来せば磁石の鉄を吸うがごとく、月の水に遷るがごとく、須臾に来て行者に代わり、仏前の御誓をはたさせ給うべしとこそおぼえ候に、いままで日蓮をとぶらい(訪)給わぬは、日蓮法華経の行者にあらざるか。されば重ねて経文を勘えて我が身にあてて身の失をしるべし。[p0581-0582]
疑て云く 当世の念仏宗・禅宗等をば何なる智眼をもって法華経の敵人、一切衆生の悪知識とはしるべきや。[p0582]
答て云く 私の言を出すべからず。経釈の明鏡を出して謗法の醜面をうかべ、其の失をみせしめん。生盲は力およばず。[p0582]
法華経の第四宝塔品に云く_爾時多宝仏。於宝塔中。分半座与。釈迦牟尼仏。○爾時大衆。見二如来。在七宝塔中。師子座上。結跏趺坐。○以大音声。普告四衆。誰能於此。娑婆国土。広説妙法華経。今正是時。如来不久。当入涅槃。仏欲以此。妙法華経。付属有在〔爾の時に多宝仏、宝塔に中に於て、半座を分ち釈迦牟尼仏に与えて。○爾の時に大衆、二如来の七宝塔中の師子座上に在して結跏趺坐したもうを見たてまつり。○大音声を以て普く四衆に告げたまわく、誰か能く此の娑婆国土に於て広く妙法華経を説かん。今正しく是れ時なり。如来久しからずして当に涅槃に入るべし。仏、此の妙法華経を以て付属して在ることあらしめんと欲す〕等云云。第一の勅宣なり。[p0582]
又云く_爾時世尊。欲重宣此義。而説偈言。 聖主世尊 雖久滅度 在宝塔中 尚為法来 諸人云何 不勤為法~又我分身 無量諸仏 如恒沙等 来欲聴法 ○各捨妙土 及弟子衆 天人龍神 諸供養事 令法久住 故来至此 ○譬如大風 吹小樹枝 以是方便 令法久住 告諸大衆 我滅度後 誰能護持 読誦斯経 今於仏前 自説誓言〔爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、聖主世尊 久しく滅度したもうと雖も 宝塔の中に在して 尚お法の為に来たりたまえり 諸人云何ぞ 勤めて法の為にせざらん~又我が分身 無量の諸仏 恒沙等の如く 来れる法を聴き ○各妙土 及び弟子衆 天人龍神 諸の供養の事を捨てて 法をして久しく住せしめんが 故に此に来至したまえり ○譬えば大風の 小樹の枝を吹くが如し 是の方便を以て 法をして久しく住せしむ 諸の大衆に告ぐ 我が滅度の後に 誰か能く 斯の経を護持し読誦せん 今仏前に於て 自ら誓言を説け〕。第二の鳳詔也。[p0582]
多宝如来 及与我身 所集化仏 当知此意 ○諸善男子 各諦思惟 此為難事 宜発大願 諸余経典 数如恒沙 雖説此等 未足為難 若接須弥 擲置他方 無数仏土 亦未為難 ○若仏滅後 於悪世中 能説此経 是則為難 ○仮使劫焼 担負乾草 入中不焼 亦未為難 我滅度後 若持此経 為一人説 是則為難 [p0583]○諸善男子 於我滅後 誰能護持<誰能受持> 読誦此経 今於仏前 自説誓言〔多宝如来 及与我が身 集むる所の化仏 当に此の意を知るべし ○諸の善男子 各諦かに思惟せよ 此れは為れ難事なり 宜く大願を発こすべし 諸余の経典 数恒沙の如し 此れ等を説くと雖も 未だ難しと為すに足らず 若し須弥を接って 他方の 無数の仏土に擲げ置かんも 亦未だ難しとせず ○若し仏の滅後に 悪世の中に於て 能く此の経を説かん 是れ則ち難しとす ○仮使劫焼に 乾たる草を担い負うて 中に入って焼けざらんも 亦未だ難しとせず 我が滅度の後に 若し此の経を持って 一人の為にも説かん 是れ則ち難しとす ○諸の善男子 我が滅後に於て 誰か能く 此の経を護持し<受持し>読誦せん 今仏前に於て 自ら誓言を説け〕。第三の諌勅也。第四第五の二箇の諌暁、提婆品にあり、下にかく(書)べし。[p0582-0583]
此の経文の心は眼前なり。青天に大日輪の懸れるがごとし。白面に・墨{ほくろ}のあるににたり。而れども生盲の者と邪眼の者と一眼のものと各謂自師の者・辺執家の者はみがたし。万難をすてて道心あらん者にしるしとどめてみ(見)せん。西王母がそののもも、輪王出世の優曇華よりもあいがたく、沛公が高羽と八年漢土をあらそいし、頼朝と宗盛が七年秋津嶋にたたかいし、修羅と帝釈と金翅鳥と龍王と阿耨池に諍えるも、此れにはすぐべからずとしるべし。日本国に此の法顕るること二度なり。伝教大師と日蓮となりとしれ。無眼のものは疑うべし。力及ぶべからず。此の経文は日本・漢土・月氏・龍宮・天上十方世界の一切経の勝劣を釈迦・多宝・十方の仏来集して定め給うなるべし。[p0583]
問て云く 華厳経・方等経・般若経・深密経・楞伽経・大日経・涅槃経等は九易の内か六難の内か。[p0583]
答て云く 華厳宗の杜順・智儼・法蔵・澄観等の三蔵大師読んで云く 華厳経と法華経と六難の内、名は二経なれども所説乃至理これ同じ。四門観別見真諦同のごとし。法相の玄奘三蔵・慈恩大師等読んで云く 深密経と法華経とは同じく唯識の法門にして第三時の教、六難の内なり。三論の吉蔵等読んで云く 般若経と法華経とは名異体同、二経一法なり。善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵等読んで云く 大日経と法華経とは理同、おなじく六難の内の経なり。日本の弘法読んで云く 大日経は六難九易の内にあらず。大日経は釈迦所説の一切経の外、法身大日如来の説なり。又或人云く 華厳経は報身如来の所説、六難九易の内にはあらず。此の四宗の元祖等かように読みければ、其の流れをくむ数千人の学徒等も又此の見をいでず。[p0583-0584]
日蓮なげいて云く 上の諸人の義を左右なく非なりといわば当世の諸人、面を向くべからず。非に非をかさね、結句は国王に讒奏して命に及ぶべし。但し我等が慈父、雙林最後の御遺言に云く_依法不依人〔法に依って人に依らざれ〕等云云。不依人等とは、初依・二依・三依・第四依。普賢・文殊等の等覚の菩薩が法門を説き給うとも経を手ににぎらざらんをば用うべからず。依了義経不依不了義経〔了義経に依って不了義経に依らざれ〕と定めて、経の中にも了義・不了義経を糾明して信受すべきこそ候いぬれ。龍樹菩薩の十住毘婆沙論に云く ̄不依修多羅黒論。依修多羅白論。〔修多羅黒論に依らざれ。修多羅白論に依れ〕等云云。伝教大師云く ̄依憑仏説莫信口伝〔仏説に依憑して口伝を信ずること莫れ〕等云云。円珍智証大師云く ̄依文可伝〔文に依って伝うべし〕等云云。上にあぐるところの諸師の釈、皆一分々々経論に依て勝劣を弁うようなれども、皆自宗を堅く信受し先師の謬義をたださざるゆえに、曲会私情の勝劣なり。荘厳已義の法門なり。仏滅後の犢子・方広、後漢已後の外典は仏法の外の外道の見よりも、三皇五帝の儒書よりも、邪見強盛なり。邪法巧みなり。華厳・法相・真言等の人師、天台宗の正義を嫉むゆえに ̄会実経文令順権義強盛〔実経の文を会して権義に順ぜしむること強盛〕なり。[p0584-0585]
しかれども道心あらん人、偏黨をすて、自他宗をあらそはず、人をあなづる事なかれ。法華経に云く_已今当等云云。妙楽云く ̄縦有経云諸経之王 不云已今当説最為第一〔縦い経有って諸経之王と云うとも、已今当説最為第一と云わず〕等云云。又云く 已今当妙於茲固迷。謗法之罪苦流長劫〔已今当の妙、茲に於て固く迷う。謗法之罪苦、長劫に流る〕等云云。[p0585]
此の経釈におどろいて、一切経竝びに人師の疏釈を見るに、狐疑の氷とけぬ。今真言の愚者等、印・真言あるをたのみて、真言宗は法華経にすぐれたりとおもい、慈覚大師等の真言勝れたりとおおせられぬれば、なんどおもえるはいうにかいなき事なり。[p0585]
密厳経に云く_十地華厳等大樹与神通勝鬘及余経皆従此経出。如是密厳経一切経中勝〔十地華厳等、大樹と神通・勝鬘及び余経と、皆此の経より出たり。是の如き密厳経は一切経の中に勝れたり〕等云云。[p0585]
大雲経に云く_是経即是諸経転輪聖王。何以故。是経典中宣説衆生実性仏性常住法蔵故〔是の経は即ち是れ諸経の転輪聖王なり。何を以ての故に。是の経典の中に衆生の実性仏性常住の法蔵を宣説する故なり〕等云云。[p0585]
六波羅蜜経に云く_所謂過去無量諸仏所説正法及我今所説所謂八万四千諸妙法蘊 ○摂為五分。一索咀纜 二毘奈耶 三阿毘達磨 四般若波羅蜜 五陀羅尼門。此五種蔵教化有情。若彼有情不能受持契経 調伏 対法 般若。或復有情造諸悪業 四重 八重 五無間罪 謗方等経一闡提等種々重罪 使得銷滅速疾解脱頓悟涅槃。而為彼説諸陀羅尼蔵。 [p0586]此五法蔵 譬如乳酪生蘇熟蘇及妙醍醐 ○總持門者 譬如醍醐。醍醐之味乳酪蘇中微妙第一 能除諸病令諸有情 身心安楽。總持門者 契経等中最為第一。能除重罪〔所謂、過去無量の諸仏所説の正法、及び我今説く所の、所謂、八万四千の諸の妙法蘊 ○摂して五分と為す。一には索咀纜・二には毘奈耶・三には阿毘達磨・四には般若波羅蜜・五には陀羅尼門となり。此の五種の蔵をもて有情を教化す。若し彼の有情、契経・調伏・対法・般若を受持する能わず。或は復有情諸の悪業、四重・八重・五無間罪・方等経を謗ずる一闡提等の種々の重罪を造るに、銷滅して速疾に解脱し、頓に涅槃を悟ることを得せしめん。而も彼が為に諸の陀羅尼蔵を説く。此の五法蔵、譬えば乳・酪・生蘇・熟蘇・及び妙なる醍醐の如し ○總持門とは、譬えば醍醐の如し。醍醐之味は乳・酪・蘇の中に微妙第一にして、能く諸の病を除き諸の有情をして、身心安楽ならしむ。總持門とは、契経等の中に最も第一と為す。能く重罪を除く〕等云云。[p0585-0586]
解深密経に云く_爾時勝義生菩薩復白仏言 世尊初於一時 在波羅・斯仙人堕処施鹿林中 唯為発趣声聞乗者 以四諦相転正法輪。雖是甚奇甚為希有一切世間諸天人等先無有能如法転者 而於彼時所転法輪有上 有容 是未了義 是諸諍論安足処所。世尊在昔第二時中 唯為発趣修大乗者 依一切法皆無自性 無生無滅 本来寂静 自性涅槃 以隠密相転正法輪。雖更甚奇甚為希有 而於彼時所転法輪亦是有上有所受容 猶未了義 是諸諍論安足処所 世尊於今第三時中 普為発趣一切乗者 依一切法皆無自性・無生無滅・本来寂静・自性涅槃・無自性性 以顕了相転正法輪。第一甚奇最為希有。于今世尊所転法輪無上無容 是真了義。非諸諍論安足処所〔爾の時に勝義生菩薩、復、仏に白して言さく 世尊、初め一時に於て、波羅・斯仙人{はらなつしせんにん}堕処施鹿林の中に在して、唯声聞乗を発趣する者の為に、四諦の相を以て正法輪を転じたまいき。是れ甚だ奇、甚だ為れ希有にして、一切世間の諸の天人等、先より能く法の如く転ずる者有ること無しと雖も、而も彼の時に於て転じたもう所の法輪は有上なり、有容なり、是れ未了義なり、是れ諸の諍論安足の処所なり。世尊、在昔〈むかし〉第二時の中に、唯発趣して大乗を修する者の為に、一切の法皆無自性なり、無生無滅なり、本来寂静なり、自性涅槃なるに依り、隠密の相を以て正法輪を転じたまいき。更に甚奇にして甚だ為れ希有なりと雖も、而も彼の時に於て転じたもう所の法輪、亦是れ有上なり、受容する所有り、猶お未だ了義ならず、是れ諸の諍論安足の処所なり。世尊、今第三時の中に於て、普く一切乗を発趣する者の為に、一切の法は皆無自性・無生無滅・本来寂静・自性涅槃にして無自性の性なるに依り、顕了相を以て正法輪を転じたもう。第一甚だ奇にして最も為れ希有なり。今より世尊転じたもう所の法輪、無上無容にして、是れ真の了義なり。諸の諍論安足の処所に非ず〕等云云。[p0586]
大般若経に云く_随所聴聞世出世法 皆能方便会入般若甚深理趣 諸所造作世間事業亦以般若会入法性 不見一事出法性者〔聴聞する所の世出世の法に随て、皆能く方便して般若甚深の理趣に会入し、諸の造作する所の世間の事業も亦般若を以て法性に会入し、一事として法性を出づる者を見ず〕等云云。[p0586]
大日経第一に云く_秘密主大乗行。発無縁乗心。法無我性。何以故。如彼往昔如是修行者 観察蘊阿頼耶知自性如幻〔秘密主大乗行あり。無縁乗の心を発す。法に我性無し。何を以ての故に。彼の往昔是の如く修行せし者の如きは 蘊の阿頼耶を観察して自性幻の如しと知る〕等云云。[p0586]
又云く_秘密主彼如是捨無我 心主自在覚自心本不生〔秘密主彼是の如く無我を捨てて心主自在にして自心の本不生を覚す〕等云云。[p0586-0587]
又云く_所謂空性離於根境無相無境界越諸戯論等同虚空 乃至 極無自性等〔所謂、空性は根境を離れ、無相にして境界無く、諸の戯論に越えて虚空に等同なり。乃至 極無自性等〕等云云。[p0587]
又云く_大日尊告秘密主言 秘密主云何菩提。謂如実知自心〔大日尊秘密主に告げて言く 秘密主云何なるが菩提。謂く実の如く自心を知る〕等云云。[p0587]
華厳経に云く_一切世界諸群生尠有欲求声聞道。求縁覚者転復少。求大乗者甚希有。求大乗者猶為易 能信是法為甚難。況能受持正憶念如説修行真実解。若以三千大千界頂戴一劫身不動彼之所作未為難。信是法者為甚難。大千塵数衆生類一劫供養諸楽具 彼之功徳未為勝。信是法者為殊勝。若以掌持十仏刹於虚空中住一劫彼之所作未為難。信者是法為甚難。十仏刹塵衆生類一劫供養諸楽具 彼之功徳未為勝。信是法者為殊勝。十刹塵数諸如来一劫恭敬而供養。若能受持此品者功徳於彼為最勝〔一切世界の諸の群生、声聞道を求めんと欲すること有ること尠なし。縁覚を求むる者転復少なし。大乗を求むる者甚だ希有なり。大乗を求むる者猶お為れ易く、能く是の法を信ずるは為れ甚だ難し。況んや能く受持し、正憶念し、説の如く修行し、真実に解せんをや。若し三千大千界を以て頂戴すること一劫、身動ぜざらんも、彼之所作未だ為れ難からず。是の法を信ずるは為れ甚だ難し。大千塵数の衆生の類に一劫、諸の楽具を供養するも、彼之功徳未だ勝れりと為さず。是の法を信ずるは為れ殊勝なり。若し掌を以て十仏刹を持し、虚空の中に於て住すること一劫なるも、彼之所作未だ為れ難からず。是の法を信ずるは為れ甚だ難し。十仏刹塵の衆生の類に一劫、諸の楽具を供養せんも 彼之功徳未だ勝れりと為さず。是の法を信ずる者は為れ殊勝なり。十刹塵数の諸の如来に一劫、恭敬して而も供養せん。若し能く此の品を受持せん者の功徳、彼よりも最勝と為す〕等云云。[p0587]
涅槃経に云く_是諸大乗方等経典雖復成就無量功徳欲比是経不得為喩 百倍 千倍 百千万億 乃至算数譬喩所不能及。善男子 譬如従牛出乳 従乳出酪 従酪出生蘇 従生蘇出熟蘇 従熟蘇出醍醐。醍醐最上。若有服者衆病皆除所有諸薬悉入其中。善男子仏亦如是。従仏出十二部経 従十二部経出修多羅 従修多羅出方等経 従方等経出般若波羅蜜 従般若波羅蜜出大涅槃。猶如醍醐。言醍醐者喩於仏性〔是の諸の大乗方等経典復無量の功徳を成就すと雖も、是の経に比せんと欲するに喩えを為すを得ざること、百倍・千倍・百千万億・乃至算数譬喩も及ぶこと能わざる所なり。善男子、譬えば牛より乳を出し、乳より酪を出し、酪より生蘇を出し、生蘇より熟蘇を出し、熟蘇より醍醐を出す。醍醐は最上なり。若し服すること有る者は、衆病皆除き所有の諸の薬も悉く其の中に入るが如し。善男子、仏も亦是の如し。仏より十二部経を出し、十二部経より修多羅を出し、修多羅より方等経を出し、方等経より般若波羅蜜を出し、般若波羅蜜より大涅槃を出す。猶お醍醐の如し。醍醐と言うは仏性に喩う〕等云云。[p0587-0588]
此れ等の経文を法華経の已今当・六難九易に相対すれば、月に星をならべ、九山に須弥を合わせたるににたり。しかれども華厳宗の澄観、法相・三論・真言等の慈恩・嘉祥・弘法等の仏眼のごとくなる人、猶お此の文にまどえり。何に況んや盲眼のごとくなる当世の学者等、勝劣を弁うべしや。黒白のごとくあきらかに、須弥芥子のごとくなる勝劣なをまどえり。いわんや虚空のごとくなる理に迷わざるべしや。教の浅深をしらざれば理の浅深弁うものなし。巻をへだて文前後すれば教門の色弁えがたければ、文を出して愚者を扶けんとおもう。王に小王・大王、一切に小分・全分、五乳に全喩・分喩を弁うべし。六波羅蜜経は有情の成仏あて、無性の成仏なし。何に況んや久遠実成をあかさず。猶お涅槃経の五味にをよばず、何に況んや法華経の迹門・本門にたいすべしや。而るに日本の弘法大師、此の経文にまどい給いて、法華経を第四の熟蘇味に入れ給えり。第五の總持門の醍醐味すら涅槃経に及ばず、いかにし給けるやらん。而るを、震旦人師争盗醍醐と天台等を盗人とかき給えり。惜哉古賢不嘗醍醐等と自歎せられたり。[p0588]
此れ等はさておく。我が一門の者のためにしるす。他人は信ぜざれば逆縁なるべし。一・{いったい}をなめて大海のしを(潮)をしり、一華を見て春を推せよ。万里をわたて宋に入らずとも、三箇年を経て霊山にいたらずとも、龍樹のごとく竜宮に入らずとも、無著菩薩のごとく弥勒菩薩にあわずとも、二所三会に値わずとも、一代の勝劣はこれをしるなるべし。蛇は七日が内の洪水をしる、龍の眷属なるゆえ。烏は年中の吉凶をしれり、過去に陰陽師なりしゆえ。鳥はとぶ徳、人にすぐれたり。日蓮は諸経の勝劣をしること、華厳の澄観・三論の嘉祥・法相の慈恩・真言の弘法にすぐれたり。天台・伝教の跡をしのぶゆえなり。彼の人々は天台・伝教に帰せさせ給わずは謗法の失脱れさせ給うべしや。[p0588-0589]
当世日本国に第一に富める者は日蓮なるべし。命は法華経にたてまつる。名をば後代に留むべし。大海の主となれば諸の河神皆したがう。須弥山の王に諸の山神したがわざるべしや。法華経の六難九易を弁うれば一切経よまざるにしたがうべし。[p0589]
宝塔品の三箇の勅宣の上に提婆品に二箇の諌暁あり。提婆達多は一闡提なり、天王如来と記せられる。涅槃経四十巻の現証は此の品にあり。善星・阿闍世等の無量の五逆謗法の者一をあげ頭をあげ、万をおさめ枝をしたがう。一切の五逆・七逆・謗法・闡提、天王如来にあらわれ了んぬ。毒薬変じて甘呂となる。衆味にすぐれたり。龍女が成仏此れ一人にあらず、一切の女人の成仏をあらわす。法華経已前の諸の小乗経には女人の成仏をゆるさず。諸の大乗経には成仏往生をゆるすようなれども、或は改転の成仏にして、一念三千の成仏にあらざれば、有名無実の成仏なり。挙一例諸と申して龍女が成仏は末代の女人の成仏往生の道をふみあけたるなるべし。[p0589-0590]
儒家の孝養は今生にかぎる。未来の父母を扶けざれば、外家の聖賢は有名無実なり。外道は過未をしれども父母を扶る道なし。仏道こそ父母の後世を扶くれば聖賢の名はあるべけれ。しかれども法華経已前等の大小乗の経宗は自身の得道猶おかないがたし。何に況んや父母をや。但文のみあて義なし。今法華経の時こそ、女人成仏の時悲母の成仏も顕れ、達多の悪人成仏の時慈父の成仏も顕るれ。此の経は内典の孝経也。二箇のいさめ了んぬ。[p0590]
已上、五ヶの鳳詔におどろきて勧持品の弘経あり。明鏡の経文を出して当世の禅・律・念仏者・竝びに諸檀那の謗法をしらしめん。日蓮といいし者は去年九月十二日子丑の時に頚はねられぬ。此れは魂魄佐土の国にいたりて、返る年の二月、雪中にしるして、有縁の弟子へおくれば、おそろしくておそろしからず。みん人いかにおじずらむ。此れは釈迦・多宝・十方の諸仏の未来日本国当世をうつし給う明鏡なり。かたみともみるべし。[p0590]
勧持品に云く_唯願不為慮 於仏滅度後 恐怖悪世中 我等当広説 有諸無智人 悪口罵詈等 及加刀杖者 我等皆当忍 悪世中比丘 邪智心諂曲 未得謂為得 我慢心充満 或有阿練若 納衣在空閑 自謂行真道 軽賎人間者 貪著利養故 与白衣説法 為世所恭敬 如六通羅漢 是人懐悪心 常念世俗事 仮名阿練若 好出我等過 ○常在大衆中 欲毀我等故 向国王大臣 婆羅門居士 及余比丘衆 誹謗説我悪 謂是邪見人 説外道論議 ○濁劫悪世中 多有諸恐怖 悪鬼入其身 罵詈毀辱我 ○濁世悪比丘 不知仏方便 随宜所説法 悪口而・蹙 数数見擯出〔唯願わくは慮いしたもうべからず 仏の滅度の後 恐怖悪世の中に於て 我等当に広く説くべし 諸の無智の人 悪口罵詈等し 及び刀杖を加うる者あらん 我等皆当に忍ぶべし 悪世の中の比丘は 邪智にして心諂曲に 未だ得ざるを為れ得たりと謂い 我慢の心充満せん 或は阿練若に 納衣にして空閑に在って 自ら真の道を行ずと謂うて 人間を軽賎する者あらん 利養に貪著するが故に 白衣のために法を説いて 世に恭敬せらるること 六通の羅漢の如くならん 是の人悪心を懐き 常に世俗の事を念い 名を阿練若に仮つて 好んで我等が過を出さん ○常に大衆の中に在って 我等を毀らんと欲するが故に 国王大臣 婆羅門居士 及び余の比丘衆に向って 誹謗して我が悪を説いて 是れ邪見の人 外道の論議を説くと謂わん ○濁劫悪世の中には 多くの諸の恐怖あらん 悪鬼其の身に入って 我を罵詈毀辱せん ○濁世の悪比丘は 仏の方便 随宜所説の法を知らず 悪口して・蹙し 数数擯出せられ〕等云云。[p0590-0591]
記の八に云く ̄文三。初一行通明邪人。即俗衆也。次一行明道門増上慢者。三七行明僣聖増上慢者。此三中初可忍。次者過前。第三最甚 以後々者転難識故〔文に三。初めに一行は通じて邪人を明かす。即ち俗衆也。次いで一行は道門増上慢の者を明かす。三に七行は僣聖増上慢の者を明かす。此の三の中に初めは忍ぶべし。次は前に過ぎたり。第三最も甚だし、後々の者は転た識り難きを以ての故に〕等云云。東春に智度法師云く 初有諸下五行 ○第一一偈忍三業悪。是外悪人。次悪世下一偈是上慢出家人。第三或有阿練若下三偈即是出家処摂一切悪人〔初めに有諸より下の五行は ○第一に一偈は三業の悪を忍ぶ。是れ外悪の人なり。次に悪世の下の一偈は是れ上慢出家の人なり。第三に或有阿練若より下の三偈は即ち是れ出家の処に一切の悪人を摂す〕等云云。[p0591]
又云く ̄常在大衆中下両行向公処毀法謗人〔常在大衆中より下の両行は公処に向かって法を毀り人を謗ず〕等云云。[p0591]
涅槃経の九に云く_善男子 有一闡提 作羅漢像 住於空処 誹謗方等大乗経典。諸凡夫人見已皆謂真阿羅漢是大菩薩〔善男子 一闡提有り、羅漢の像を作して、空処に住し、方等大乗経典を誹謗せん。諸の凡夫人、見已って、皆真の阿羅漢、是れ大菩薩なりと謂わん〕等云云。[p0591]
又云く_爾時是経於閻浮提当広流布。是時当有諸悪比丘抄略是経分作多分能滅正法色香美味。是諸悪人雖復読誦如是経典滅除如来深密要義安置世間荘厳文飾無義之語。抄前著後抄後著前前後著中中著前後。当知如是諸悪比丘是魔伴侶〔爾の時に、是の経、閻浮提に於て当に広く流布すべし。是の時当に諸の悪比丘有って、是の経を抄略し、分けて多分と作し、能く正法の色香美味を滅すべし。是の諸の悪人、復是の如き経典を読誦すと雖も、如来の深密の要義を滅除して、世間の荘厳の文飾無義之語を安置す。前を抄して後に著け、後を抄して前に著け、前後を中に著け、中を前後に著く。当に知るべし、是の如きの諸の悪比丘は是れ魔の伴侶なり〕等云云。[p0591]
六巻の般泥・経{はつないおんきょう}に云く_有似羅漢一闡提而行悪業。似一闡提阿羅漢而作慈心。有似羅漢一闡提者是諸衆生誹謗方等。似一闡提阿羅漢者毀呰声聞広説方等。語衆生言我与汝等倶是菩薩。所以者何。一切皆有如来性故。然彼衆生謂一闡提〔羅漢に似たる一闡提有って悪業を行ず。一闡提に似たる阿羅漢あって慈心を作さん。 [p0592]羅漢に似たる一闡提有りとは、是の諸の衆生、方等を誹謗せるなり。一闡提に似たる阿羅漢とは、声聞を毀呰し、広く方等を説くなり。衆生を語って言く 我、汝等と倶に是れ菩薩なり。所以は何ん。一切皆如来の性有る故に。然も彼の衆生、一闡提なりと謂はん〕等云云。[p0591-0592]
又云く_我涅槃後 乃至 正法滅後於像法中当有比丘。似像持律少読誦経貪嗜飲食長養其身 ○雖服袈裟猶如猟師細視徐行如猫伺鼠。常唱是言。我得羅漢 ○外現賢善内懐貪嫉。如受・法婆羅門等。実非沙門現沙門像邪見熾盛誹謗正法〔我涅槃の後 乃至 正法滅して後、像法の中に於て、当に比丘有るべし。像持律に似て少かに経を読誦し、飲食を貪嗜して其の身を長養す。○袈裟を服すと雖も、猶お猟師の細めに視て徐に行くが如く、猫の鼠を伺うが如し。常に是の言を唱えん、我羅漢を得たりと。○外には賢善を現し、内には貪嫉を懐かん。・法{あほう}を受けたる婆羅門等の如し。実には沙門に非ずして沙門の像を現じ、邪見熾盛にして正法を誹謗せん〕等云云。[p0592]
夫れ鷲峰・雙林の日月、毘湛・東春の明鏡に当世の諸宗竝びに国中の禅・律・念仏者が醜面を浮べたるに一分もくもりなり。妙法華経に云く_於仏滅度後 恐怖悪世中。安楽行品に云く_於後悪世。又云く_於末世中<於末法中>。又云く_於後末世。法欲滅時。分別功徳品に云く_悪世末法時。薬王品に云く_後五百歳中等云云。正法華経勧説品に云く_然後末世。又云く_然後来末世等云云。添品法華経に云く_等。天台の云く_像法の中の南三北七は法華経の怨敵なり。伝教の云く_像法の末、南都六宗の学者は法華の怨敵なり等云云。彼等の時はいまだ分明ならず。此れは教主釈尊・多宝仏、宝塔の中に日月の竝ぶがごとく、十方分身の諸仏樹下に星を列ねたりし中にして、正法一千年、像法一千年、二千年すぎて末法の始めに、法華経の怨敵三類あるべしと、八十万億那由他の諸菩薩の定め給いし、虚妄となるべしや。[p0592]
当世は如来滅後二千二百余年なり。大地は指せばはずるとも、春は花さかずとも、三類の敵人必ず日本国にあるべし。さるにてはたれたれの人々か三類の内なるらん。又誰人か法華経の行者なりとさされたるらん。おぼつかなし。彼の三類の怨敵に我等は入りてやあるらん。又法華経の行者の内にてやあるらん。おぼつかなし。[p0592-0593]
周の第四昭王の御宇に二十四年甲寅四月八日の夜中に、天に五色の光気南北に亙て昼の如し。大地六種に震動し、雨ふらずして江河井池の水まさり、一切の草木に花さき菓なりたりけり。不思議なりし事なり。昭王大に驚き、大史蘇由占て云く 西方に聖人生まれたり。昭王問て云く 此の国いかん。答て云く 事なし。一千年の後に彼の聖言此の国にわたて衆生を利すべし。彼のわずかの外典の一毫未断見思の者、しかれども一千年のことをしる。はたして仏教一千一十五年と申せし後漢の第二明帝の永平十年丁卯の年、仏法漢土にわたる。[p0593]
此れは似るべくもなき釈迦・多宝・十方分身の仏の御前の諸菩薩の未来記なり。当世日本国に三類の法華経の敵人なかるべしや。されば仏付法蔵経等に記して云く 我が滅後に正法一千年が間、我が正法を弘むべき人、二十四人次第に相続すべし。迦葉・阿難等はさておきぬ。一百年の脇比丘、六百年の馬鳴、七百年の龍樹菩薩等一分もたがわず、すでに出給いぬ。此の事いかんがむなしかるべき。此の事相違せば一経皆相違すべし。所謂、舎利弗が未来の華光如来、迦葉の光明如来も皆妄説となるべし。爾前返って一定となって永不成仏の諸声聞なり。犬野干をば供養すとも阿難等をば供養すべからずとなん。いかんがせんいかんがせん。[p0593-0594]
第一の有諸無智人と云うは、経文の第二の悪世中比丘と第三の納衣の比丘の大檀那等と見えたり。随って妙楽大師は ̄俗衆等云云。東春に云く ̄向公処等云云。[p0594]
第二の法華経の怨敵は、[p0594]
経に云く_悪世中比丘 邪智心諂曲 未得謂為得 我慢心充満〔悪世の中の比丘は 邪智にして心諂曲に 未だ得ざるを為れ得たりと謂い 我慢の心充満せん〕等云云。[p0594]
涅槃経に云く ̄是時当有諸悪比丘 乃至 是諸悪人雖復読誦如是経典滅除如来深密要義〔是の時当に諸の悪比丘有って 乃至 是の諸の悪人復是の如き経典を読誦すと雖も、如来の深密の要義を滅除して〕等云云。[p0594]
止観に云く ̄若無信高推聖境非己智分。若無智起増上慢謂己均仏〔若し信無きは高く聖境に推して己が智分に非ずとす。若し智無きは増上慢を起こし己れ仏に均しと謂う〕等云云。[p0594]
道綽禅師が云く ̄二由理深解微〔二に理深解微なるに由る〕等云云。[p0594]
法然云く ̄諸行非機失時〔諸行は機に非ず時を失う〕等云云。[p0594]
記の十に云く ̄恐人謬解者不識初心功徳之大、而推功上位蔑此初心。故今示彼行浅功深以顕経力〔恐らくは人謬り解せん者、初心の功徳之大なることを識らずして、功を上位に推り此の初心を蔑ろにせん。故に今彼の行浅く功深きことを示して以て経力を顕す〕等云云。[p0594]
伝教大師云く ̄正像稍過已末法太有近。法華一乗機今正是其時。何以得知。安楽行品云 末世法滅時也〔正像やや過ぎ已って、末法はなはだ近きに有り。法華一乗の機、今正しく是れ其の時なり。何を以って知ることを得る。安楽行品に云く 末世法滅の時也〕等云云。[p0594]
慧心の云く ̄日本一州円機純一〔日本一州円機純一なり〕等云云。[p0594]
道綽と伝教と法然と慧心といずれ此れを信ずべしや。彼は一切経に証文なし。此れは正しく法華経によれり。其の上日本国一同に、叡山の大師は受戒の師なり。何ぞ天魔のつける法然に心をよせ、我が剃頭の師をなげすつるや。法然智者ならば何ぞ此の釈を選択に載せて和会せざる。人の理をかくせる者なり。[p0594-0595]
第二の悪世中比丘と指るるは法然等の無戒邪見の者なり。[p0595]
涅槃経に云く_我等悉名邪見之人〔我等悉く邪見之人と名づく〕等云云。[p0595]
妙楽云く ̄自指三教皆名邪見〔自ら三教を指して、皆邪見と名づく〕等云云。[p0595]
止観に云く ̄大経云 自此之前我等皆名邪見之人也。邪豈非悪〔大経に云く これより前の我等は皆邪見之人と名づくる也。邪豈に悪に非ずや〕等云云。[p0595]
弘決に云く ̄邪即是悪。是故当知。唯円為善。復有二意。一者以順為善以背為悪。相待意也。以著為悪以達為善。相待絶待倶須離悪。円著尚悪。況復余耶〔邪は即ち是れ悪なり。是の故に当に知るべし。唯円を善と為す。復二意有り。一には順を以て善と為し、背を以て悪と為す。相待の意也。著を以て悪と為し、達を以て善と為す。相待絶待倶に須らく悪を離るべし。円に著する尚お悪なり。況んや復余をや〕等云云。[p0595]
外道の善悪は小乗経に対すれば、皆悪道。小乗の善道、乃至、四味三教は、法華経に対すれば、皆邪悪。但法華のみ正善也。爾前の円は相待妙、絶待妙に対すれば猶お悪也。前三教に摂すれば猶お悪道なり。爾前のごとく彼の経の極理を行ずる猶お悪道なり。況んや観経等の猶お華厳・般若等に及ばざる小法を本として法華経を観経に取入れて、還て念仏に対して閣抛閉捨せるは、法然竝びに所化の弟子等・檀那等は誹謗正法の者にあらずや。釈迦・多宝・十方の諸仏は令法久住 故来至此〔法をして久しく住せしめんが 故に此に来至したまえり〕。法然竝びに日本国の念仏者等は法華経は末法に念仏より前に滅尽すべしと、豈に三聖の怨敵にあらずや。[p0595]
第三は、[p0595]
法華経に云く_或有阿練若 納衣在空閑乃至 与白衣説法 為世所恭敬 如六通羅漢〔或は阿練若に 納衣にして空閑に在って 乃至 白衣のために法を説いて 世に恭敬せらるること 六通の羅漢の如くならん〕等云云。[p0595]
六巻の般泥・経{はつないおんきょう}に云く_有似羅漢一闡提而行悪業。似一闡提阿羅漢而作慈心。有似羅漢一闡提者是諸衆生誹謗方等。似一闡提阿羅漢者毀呰声聞広説方等。語衆生言我与汝等倶是菩薩。所以者何。一切皆有如来性故。然彼衆生謂一闡提〔羅漢に似たる一闡提有って悪業を行ず。一闡提に似たる阿羅漢あて慈心を作さん。羅漢に似たる一闡提有りとは、是れ諸の衆生の方等を誹謗せるなり。一闡提に似たる阿羅漢とは、声聞を毀呰し、広く方等を説くなり。衆生を語って言く 我、汝等と倶に是れ菩薩なり。所以は何ん。一切皆如来の性有る故に。然も彼の衆生、一闡提なりと謂はん〕等云云。[p0595-0596]
涅槃経に云く_我涅槃後 ○於像法中当有比丘。似像持律少読誦経貪嗜飲食長養其身 ○雖服袈裟猶如猟師細視徐行如猫伺鼠。常唱是言。我得羅漢 ○外現賢善内懐貪嫉。如受・法婆羅門等。実非沙門現沙門像邪見熾盛誹謗正法〔我涅槃の後 ○像法の中に於て、当に比丘有るべし。像持律に似て少かに経を読誦し、飲食を貪嗜して其の身を長養す。○袈裟を服すと雖も、猶お猟師の細めに視て徐く行くが如く、猫の鼠を伺うが如し。常に是の言を唱えん、我羅漢を得たりと。○外には賢善を現し、内には貪嫉を懐かん。・法{あほう}を受けたる婆羅門等の如し。実には沙門に非ずして沙門の像を現じ、邪見熾盛にして正法を誹謗せん〕等云云。[p0596]
妙楽云く ̄第三最甚 以後々者転難識故〔第三最も甚だし、後々の者は転た識り難きを以ての故に〕等云云。[p0596]
東春云く ̄第三或有阿練若下三偈即是出家処摂一切悪人〔第三に或有阿練若より下の三偈は、即ち是れ出家の処に一切の悪人を摂す〕等云云。[p0596]
東春に即是出家処摂一切悪人等とは当世日本国には何れの処ぞや。叡山か園城か東寺か南都か。建仁寺か寿福寺か建長寺か。よくよくたずぬべし。延暦寺の出家の頭に甲冑をよろうをさすべきか。園城寺の五分法身の膚に鎧杖を帯せるか。彼等は経文に納衣在空閑と指すにはにず。為世所恭敬 如六通羅漢と人おもわず。又転難識故というべしや。華洛には聖一等、鎌倉には良観等ににたり。人をあだむことなかれ。眼あらば経文に我が身をあわせよ。[p0596]
止観の第一に云く ̄止観明静前代未聞〔止観の明静なる前代未だ聞かず〕等云云。[p0596]
弘の一に云く ̄自漢明帝夜夢泊于陳朝 ○豫厠禅門衣鉢伝授者〔漢の明帝夜夢みしより陳朝に泊ぶまで ○豫め禅門にまじわりて衣鉢を伝授する者〕等云云。[p0596]
補注に云く 衣鉢伝授者指達磨〔衣鉢伝授とは達磨を指す〕等云云。[p0596]
止の五に云く ̄又一種禅人 乃至 盲跛師徒二倶堕落〔又一種の禅人 乃至 盲跛の師徒二り倶に堕落す〕等云云。[p0596]
止の七に云く ̄九意不与世間文字法師共。亦不与事相禅師共。一種禅師唯有観心一意。或浅或偽。余九全無。此非虚言。後賢有眼者当証知也〔九の意、世間の文字の法師と共ならず。亦事相の禅師とも共ならず。一種の禅師は唯観心の一意のみ有り。或は浅く、或は偽わる。余の九は全く無し。此れ虚言に非ず。後賢、眼有らん者は当に証知すべき也〕。[p0596-0597]
弘の七に云く ̄文字法師者内無観解唯構法相。事相禅師者不閑境地鼻膈止心 乃至 根本有漏定等。一師唯有観心一意等者此且与而為論。奪則観解倶闕。世間禅人偏尚理観既不諳教 以観消経 数八邪八風為丈六仏 合五陰三毒名為八邪 用六入為六通 以四大為四諦。如此解経偽中之偽。何浅可論〔文字法師とは、内に観解無くして唯法相を構う。事相の禅師とは、境地をならわず、鼻膈に心を止む。乃至 根本有漏定等なり。一師唯有観心一意等とは、此れは且く与えて論を為す。奪えば則ち観解倶に闕く。世間の禅人、偏に理観を尚び、既に教を諳んぜず、観を以て経を消し、八邪八風を数えて丈六の仏と為し、五陰三毒を合して名づけて八邪と為し、六入を用て六通と為し、四大を以て四諦と為す。此の如く経を解するは偽りの中之偽りなり。何ぞ浅く論ずべけんや〕等云云。[p0597]
止観の七に云く ̄昔・洛禅師者名播河海 住則四方雲仰去則陌阡群成陰々轟々亦有何利益。臨終皆悔〔昔、・洛{ぎょうらく}の禅師、名を河海にしき、住するときは則ち四方雲のごとくに仰ぎ、去るときは則ち陌阡群を成し、陰々轟々、亦何の利益か有る。臨終に皆悔ゆ〕等云云。[p0597]
弘の七に云く ̄昔・洛禅師者・在相州。即斉魏所都。大興仏法。禅祖之一。王化其地。護時人意不出其名。洛即洛陽〔昔・洛{ぎょうらく}禅師とは・{ぎょう}は相州に在り。即ち斉魏の都する所なり。大に仏法を興す。禅祖之はじめなり。其の地を王化す。時人の意を護て其の名を出さず。洛は即ち洛陽なり〕等云云。[p0597]
六巻の般泥・経{はつないおんきょう}に云く_不見究竟処者不見彼一闡提輩究竟悪業〔究竟の処を見ずとは、彼の一闡提の輩の究竟の悪業を見ざるなり〕等云云。妙楽云く ̄第三最甚 転難識故〔第三最も甚だし。転た識り難きの故に〕等云云。[p0597]
無眼の者・一眼の者・邪見の者は末法の始めの三類を見るべからず。一分の仏眼を得るもの此れをしるべし。_向国王大臣 婆羅門居士等云云。東春に云く ̄向公処毀法謗人等云云。[p0597]
夫れ昔像法の末には護命・修円等、奏状をささげて伝教大師を讒奏す。今末法の始めには良観・念阿等、偽書を注して将軍家にささぐ。あに三類の怨敵にあらずや。当世の念仏者等、天台法華宗の檀那の国王・大臣・婆羅門居士等に向って云く 法華経は理深、我等は解微、法は至って深く、機至って浅し等と申しうとむるは、高推聖境非己智分の者にあらずや。禅宗の云く 法華経は月をさす指、禅宗は月也。月をえて指なにかせん。禅は仏の心、法華経は仏の言也。仏法華経等の一切経を説かせ給いて後、最後に一ふさの華をもつて迦葉一人にさずく。其のしるしに仏の御袈裟を迦葉に付属し、乃至付法蔵の二十八、六祖までに伝う等云云。此れ等の大妄語、国中を誑酔せしめてとしひさし。又天台・真言の高僧等、名は其の家に得たれども我が宗にくらし。貪欲は深く、公家武家をおそれて此の義を証伏し讃歎す。昔の多宝分身の諸仏は法華経の令法久住を証明かす。今天台宗の碩徳は理深解微を証伏せり。[p0597-0598]
かるがゆえに日本国に但法華経の名のみあって、得道の人一人もなし。誰をか法華経の行者とせん。寺塔を焼いて流罪せらるる僧侶はかずをしらず。公家武家に諛うてにくまるる高僧これ多し。此れ等を法華経の行者というべきか。仏語むなしからざれば三類の怨敵すでに国中に充満せり。金言のやぶるべきかのゆえに法華経の行者なし。いかんがせんいかんがせん。抑そも、たれやの人か衆俗に悪口罵詈せらるる。誰の僧か刀杖を加えらるる。誰の僧をか法華経のゆえに公家武家に奏する。誰の僧か数数見擯出と度々ながさるる。日蓮より外に日本国に取り出さんとするに人なし。日蓮は法華経の行者にあらず、天これをすて給うゆえに。誰をか当世の法華経の行者として仏語を実語とせん。[p0598-0599]
仏と提婆とは身と影とのごとし。生々にはなれず。聖徳太子と守屋とは蓮華の花菓同時なるがごとし。法華経の行者あらば必ず三類の怨敵あるべし。三類はすでにあり。法華経の行者は誰なるらむ。求めて師とすべし。一眼の亀の浮木に値うなるべし。[p0599]
有人云く 当世の三類はほぼ有るににたり。但し法華経の行者なし。汝を法華経の行者といわんとすれば大なる相違あり。[p0599]
此の経に云く_天諸童子 以為給使 刀杖不加 毒不能害〔天の諸の童子 以て給使を為さん 刀杖も加えず 毒も害すること能わじ〕。[p0599]
又云く_若人悪罵 口則閉塞〔若し人悪み罵らば 口則ち閉塞せ〕等。[p0599]
又云く_現世安穏。後生善処〔現世安穏にして後に善処に生じ〕等云云。[p0599]
又_頭破作七分 如阿梨樹枝〔頭破れて七分に作ること 阿梨樹の枝の如くならん〕。[p0599]
又云く_亦於現世。得其福報〔亦現世に於て其の福報を得ん〕等。[p0599]
又云く_若復見受持。是経典者。出其過悪。若実。若不実。此人現世。得白癩病〔若し復是の経典を受持せん者を見て其の過悪を出さん。若しは実にもあれ若しは不実にもあれ、此の人は現世に白癩の病を得ん〕等云云。[p0599]
答て云く 汝が疑い大に吉し。ついでに不審を晴さん。[p0599]
不軽品に云く_悪口罵詈等。[p0599]
又云く_或以。杖木瓦石。而打擲之〔或は杖木・瓦石を以て之を打擲すれば〕等云云。[p0599]
涅槃経に云く_若殺若害〔若しは殺し若しは害す〕等云云。[p0599]
法華経に云く_而此経者。如来現在。猶多怨嫉〔而も此の経は如来の現在すら猶お怨嫉多し〕等云云。[p0599]
仏は小指を提婆にやぶられ、九横の大難に値い給う。此れは法華経の行者にあらずや。不軽菩薩は一乗の行者といわれまじきか。目連は竹杖に殺さる。法華経記別の後なり。付法蔵の第十四の提婆菩薩・第二十五の師子尊者の二人は人に殺されぬ。此れ等は法華経の行者にあらざるか。竺の道生は蘇山に流されぬ。法道は火印を面にやいて江南にうつさる。北野の天神・白居易此れ等は法華経の行者ならざるか。[p0599-0600]
事の心を案ずるに、前生に法華経誹謗の罪なきもの今生に法華経を行ず。これを世間の失によせ、或は罪なきを、あだすれば忽ちに現罰あるか。修羅が帝釈をいる、金翅鳥が阿耨池に入る等、必ず返って一時に損するがごとし。[p0600]
天台云く 今我疾苦皆由過去 今生修福報在将来〔今我が疾苦は皆過去に由る。今生の修福は報い将来に在り〕等云云。[p0600]
心地観経に云く_欲知過去因見其現在果。欲知未来果見其現在因〔過去の因を知らんを欲せば、其の現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば、其の現在の因を見よ〕等云云。[p0600]
不軽品に云く 其罪畢已〔其の罪畢え已って〕等云云。[p0600]
不軽菩薩は過去に法華経を謗じ給う罪身に有ゆえに、瓦石をかおるとみえたり。又順次生に必ず地獄に堕すべき者は重罪を造るとも現罰なし。一闡提これなり。[p0600]
涅槃経に云く_迦葉菩薩白仏云 世尊如仏所説大涅槃光入一切衆生毛孔〔迦葉菩薩仏に白して云く 世尊仏の所説の如く大涅槃の光一切衆生の毛孔に入る〕等云云。又云く 迦葉菩薩白仏言 世尊云何未発菩提心者得菩提因〔迦葉菩薩、仏に白して言さく 世尊、云何ぞ未だ菩提心を発さざる者、菩提の因を得ん〕等云云。仏此の問を答て云く_仏告迦葉 若有聞是大涅槃経言我不用発菩提心誹謗正法。是人即時於夜夢中見羅刹像心中怖畏。羅刹語言 咄善男子 汝今若不発菩提心当断汝命。是人惶怖寤已即発菩提之心 ○当知是人是大菩薩〔仏、迦葉に告げたまわく 若し是の大涅槃経を聞くこと有って、我菩提心を発すことを用いずと言いて、正法を誹謗せん。是の人即時に夜夢の中に於て羅刹の像を見て心中怖畏す。羅刹語って言く 咄し善男子 汝今若し菩提心を発さずんば当に汝が命を断つべし。是の人惶怖し寤め已って、即ち菩提之心を発す。○当に知るべし、是の人は是れ大菩薩なりと〕等云云。[p0600]
いたう(甚)の大悪人ならざる者、正法を誹謗すれば即時に夢みてひるがえる心生ず。又云く_枯木石山等。又云く_・種雖遇甘雨〔・種{しょうしゅ}甘雨に遇うと雖も〕等云云。又云く_明珠淤泥等。又云く_如人手創捉毒薬〔人の手に創あるに毒薬を捉るが如し〕等。又云く_大雨不住空〔大雨空に住せず〕等云云。此れ等の多くの譬えあり。[p0600-0601]
詮するところは上品の一闡提の人になりぬれば、順次生に必ず無間地獄に堕つべきゆえに現罰なし。例せば夏の桀・殷の紂の世には天変なし。重科有て必ず世ほろぶげきゆえか。又守護神此の国をすつるゆえに現罰なきか。謗法の世をば守護神すてて去り、諸天まほるべからず。かるがゆえに正法を行ずるものにしるしなし。還って大難に値うべし。金光明経に云く_修善業者日々衰減〔善業を修する者は日々に衰減す〕等云云。悪国悪時これなり。具には立正安国論にかんがえたるがごとし。詮するところは天もすて給え、諸難にもあえ、身命を期とせん。身子が六十劫の菩薩の行を退せし、乞眼婆羅門の責めを堪えざるゆえ。久遠大通の者の三五の塵をふる、悪知識に値うゆえなり。善に付け悪に付け法華経をすつる、地獄の業なるべし。本願を立つ。日本国の位をゆずらむ、法華経をすてて観経等について後生をご(期)せよ。父母の頚を刎ん、念仏申さずわ。なんどの種々の大難出来すとも、智者に我が義やぶられずば用いじとなり。其の外の大難、風の前の塵なるべし。我れ日本の柱とならむ、我れ日本の眼目とならむ、我れ日本の大船とならむ、等とちかいし願、やぶるべからず。[p0601]
疑て云く いかにとして汝が流罪死罪等、過去の宿習としらむ。[p0601]
答て云く 銅鏡は色形を顕す。秦王験偽の鏡は現在の罪を顕す。仏法の鏡は過去の業因を現ず。[p0601-0602]
般泥・経{はつないおんきょう}に云く_善男子過去曾作無量諸罪種種悪業。是諸罪報 ○或被軽易 或形状醜陋 衣服不足 飲食・疎 求財不利 生貧賎家邪見家 或遭王難 及余種々人間苦報。現世軽受斯由護法功徳力故〔善男子過去に曾て無量の諸罪種種の悪業を作る。是の諸の罪報は、○或は軽易せらる 或は形状醜陋 衣服足らず 飲食・疎{そそ} 財を求むるに利あらず 貧賎の家・邪見の家に生まれ 或は王難に遭う 及び余の種々の人間の苦報あらん。現世に軽く受くるは斯れ護法の功徳力に由るが故なり〕等云云。[p0602]
此の経文日蓮が身に宛も符契のごとし。狐疑の氷とけぬ。千万の難も由なし。一一の句を我が身にあわせん。或被軽易等云云。法華経に云く_軽賎憎嫉等云云。二十余年が間の軽慢せらる。或形状醜陋。又云く_衣服不足。予が身也。飲食・疎{そそ}。予が身也。求財不利。予が身也。生貧賎家。予が身也。或遭王難等。此の経文人疑うべしや。法華経に云く 数数見擯出。此の経文に云く 種々等云云。斯由護法功徳力故等とは、摩訶止観の第五に云 ̄散善微弱不能令動。今修止観健病不虧動生死輪〔散善微弱なるは動ぜしむること能わず。今止観を修して健病かけざれば生死の輪を動ず〕等云云。又云く ̄三障四魔紛然競起〔三障四魔紛然として競い起こる〕等云云。[p0602]
我、無始よりこのかた、悪王と生まれて、法華経の行者の衣食田畠等を奪いとりせしことかずしらず。当世日本国の諸人の法華経の山寺をたうすがごとし。又法華経の行者の頚を刎ること其の数をしらず。此れ等の重罪はたせるもあり、いまだはたさざるもあるらん。果たすも余残いまだつきず。生死を離るる時は必ず此の重罪をけしはてて出離すべし。功徳は浅軽なり。此れ等の罪は深重なり。権経を行ぜしには此の重罪いまだをこらず。鉄〈くろがね〉を熱くにいたう(甚)きたわざればきず隠れてみえず。度々せむればきずあらわる。麻子〈あさのみ〉をしぼるにつよくせめざれば油少なきがごとし。今日蓮強盛に国土の謗法を責むれば大難の来るは、過去の重罪の今生の護法に招き出せるなるべし。鉄は火に値わざれば黒し。火と合いぬれば赤し。木をもって急流をかけば波山のごとし。睡れる師子に手をつくれば大に吼ゆ。[p0602-0603]
涅槃経に云く_譬如貧女。無有居家救護之者加復病苦飢渇所逼遊行乞丐。止他客舎寄生一子。是客舎主駆逐令去。其産未久攜抱是兒欲至他国 於其中路遇悪風雨寒苦竝至 多為蚊虻・蜂螫・毒虫之所・食。逕由恒河抱兒而度。其水漂疾而不放捨。於是母子逐共倶没。如是女人慈念功徳命終之後於生梵天。文殊師利 若有善男子欲護正法 ○如彼貧女在恒河為愛念子而捨身命。善男子 護法菩薩亦応如是。寧捨身命 ○如是之人雖不求解脱解脱自至如彼貧女不求梵天梵天自至〔譬えば貧女の如し。家に居して救護之者有ること無く、加うるに復病苦飢渇に逼められて遊行乞丐す。他の客舎に止り寄りて一子を生ず。是の客舎の主駆逐して去らしむ。其の産して未だ久しからざる是の兒を攜抱して他国に至らんと欲し、其の中路に於て悪風雨に遇いて寒苦竝び至り、多く蚊虻・蜂螫・毒虫之・{す}い食う所と為る。恒河に逕由し兒を抱いて度る。其の水漂疾なれども而も放ち捨てず。是に於て母子逐に共倶に没しぬ。是の如き女人慈念の功徳、命終之後、梵天に生ず。文殊師利、若し善男子有って正法を護らんと欲せば、○彼の貧女の恒河に在って子を愛念するが為に身命を捨つるが如くせよ。善男子、護法の菩薩も、亦応に是の如くなるべし。寧ろ身命を捨てよ。○是の如き之人、解脱を求めずと雖も、解脱自ら至ること、彼の貧女の梵天を求めずとも、梵天に自ら至るが如し〕等云云。[p0603]
此の経文は章安大師三障をもって釈し給えり。それをみるべし。貧人とは法財のなきなり。女人とは一分の慈ある者也。客舎とは穢土也。一子とは法華経の信心了因の子也。舎主駆逐とは流罪せらる。其産未久とはいまだ信じてひさしからず。悪風とは流罪の勅宣なり。蚊虻等とは有諸無智人 悪口罵詈等也。母子共没とは終に法華経の信心をやぶらずして頭を刎らるるなり。梵天とは仏界に生まるるをいうなり。引業と申すは仏界までかわらず。[p0603-0604]
日本・漢土の万国の諸人を殺すとも五逆・謗法なければ無間地獄には堕ちず。余の悪道にして多歳をふ(経)べし。色天に生まるること、万戒を持てども万善を修すれども、散善にては生まれず。又梵天王となる事、有漏の引業の上に慈悲を加えて生ずべし。今此の貧女が子を念うゆえに梵天に生まる。常の性相には相違せり。章安の二はあれども、詮ずるところは子を念う慈念より外の事なし。念を一境にする、定に似たり。専ら子を思う、又慈悲にもにたり。かるがゆえに他事なけれども天に生まるるか。[p0604]
又仏になる道は華厳の唯心法界、三論の八不、法相の唯識、真言の五輪観等も実には叶うべしともみえず。但天台の一念三千こそ仏になるべき道とみゆれ。此の一念三千も我等一分の慧解もなし。而れども一代経々の中には此の経計り一念三千の玉をいだけり。余経の理は玉ににたる黄石なり。沙をしぼるに油なし。石女に子のなきがごとし。諸経は智者猶お仏にならず。此の経は愚人も仏因を種ゆべし。不求解脱解脱自至等云云。[p0604]
我竝びに我が弟子、諸難ありとも疑う心なくわ自然に仏界にいたるべし。天の加護なき事を疑わざれ。現世の安穏ならざる事をなげかざれ。我が弟子朝夕に教えしかども疑いをおこして皆すてけん。つたなき者のならいは約束せし事をまことの時はわするるなるべし。妻子を不便とおもうゆえ、現身にわかれん事をなげくらん。多生曠劫にしたしみし妻子には心とはなれしか。仏道のためにはなれしか。いつ(何時)も同じわかれなるべし。我法華経の信心をやぶらずして、霊山にまいりて返てみちびけかし。[p0604-0605]
疑て云く 念仏者と禅宗等を無間と申すは諍う心あり。修羅道にや堕つべかるらむ。又法華経の安楽行品に云く_不楽説人。及経典過。亦不軽慢。諸余法師〔楽って人及び経典の過を説かざれ。亦諸余の法師を軽慢せざれ〕等云云。汝、此の経文に相違するゆえに天にすてられたるか。[p0605]
答て云く [p0605]
止観に云く ̄夫仏両説。一摂二折。如安楽行不称長短是摂義。大経執持刀杖 乃至 斬首是折義。雖与奪殊途倶令利益〔夫れ仏に両説あり。一には摂・二には折。安楽行に不称長短という如きは是れ摂の義なり。大経に刀杖を執持し、乃至 首を斬るというは、是れ折の義なり。与奪途を殊にすと雖も、倶に利益せしむ〕等云云。[p0605]
弘決に云く ̄夫仏両説等者○大経執持刀杖者 第三云 護正法者不受五戒不修威儀。乃至 下文仙豫国王等文 又新医禁云 若有更為当断其首。如是等文 竝是折伏破法之人。一切経論不出此二〔夫仏両説等○大経執持刀杖とは、第三に云く 正法を護る者は五戒を受けず、威儀を修せず。乃至、下の文に、仙豫国王等の文あり。又新医禁じて云く 若し更に為すこと有れば当に其の首を断つべし。是の如き等の文、竝びに是れ破法之人を折伏するなり。一切の経論此の二を出でず〕等云云。[p0605]
文句に云く ̄問 大経明親付国王持弓帯箭摧伏悪人。此経遠離豪勢謙下慈善剛柔碩乖。云何不異。答 大経偏論折伏住一子地。何曾無摂受。此経偏明摂受頭破七分。非無折伏。各挙一端適時而已〔問う 大経は、国王に親付し、弓を持し、箭を帯し、悪人を摧伏せよと明かす。此の経は、豪勢を遠離し、謙下慈善せよ、と。剛柔碩いに乖けり。云何ぞ異ならざらん。答う 大経は、偏に折伏を論ずれども一子地に住す。何ぞ曾て摂受無からん。此の経は、偏に摂受を明かせども頭破七分という。折伏無きに非ず。各一端を挙げて時に適う而已〕等云云。[p0605]
涅槃経の疏に云く ̄出家在家護法取其元心所為 棄事存理匡弘大教。故言護持正法。不拘小節故言不修威儀 ○昔時平而法弘。応持戒勿持杖。 [p0606]今時嶮而法翳。応持杖勿持戒。今昔倶嶮応倶持杖。今昔倶平応倶持戒。取捨得宜不可一向〔出家在家法を護らんには、其の元心の所為を取り、事を棄て、理を存して、まさに大教を弘めよ。故に護持正法と言う。小節に拘らざれ、故に不修威儀と言うなり。○昔の時は平にして而も法弘まる。応に戒を持すべし、杖を持すこと勿れ。今の時は嶮にして而も法かくる。応に杖を持すべし、戒を持すこと勿れ。今昔倶に嶮なれば、応に倶に杖を持すべし。今昔倶に平なれば、応に倶に戒を持すべし。取捨宜しきを得て一向にすべからず〕等云云。[p0605-0606]
汝が不審をば世間の学者、多分道理とおもう。いかに諌暁すれども日蓮が弟子等も此のおもいすてず。一闡提人のごとくなるゆえに、先ず天台妙楽等の釈をいだしてかれが邪難をふせぐ。[p0606]
夫れ摂受折伏と申す法門は水火のごとし。火は水をいとう。水は火をにくむ。摂受の者は折伏をわらう。折伏の者は摂受をかなしむ。無智悪人の国土に充満の時は摂受を前きとす。安楽行品のごとし。邪智謗法の者の多き時は折伏を前きとす。常不軽品のごとし。譬えば熱き時に寒水を用い、寒き時に火をこのむがごとし。草木は日輪の眷属、寒月に苦をう、諸水は月輪の所従、熱時に本性を失う。末法に摂受折伏あるべし。所謂、悪国・破法の両国あるべきゆえなり。日本国の当世は悪国か破法の国かとしるべし。[p0606]
問て云く 摂受の時折伏を行ずると、折伏の時摂受を行ずると、利益あるべしや。[p0606]
答て云く
涅槃経に云く_迦葉菩薩白仏言○如来法身金剛不壊。而未能知所因云何。仏言 迦葉 以能護持正法因縁故得成就是金剛身。迦葉 我護持正法因縁今得成就是金剛身常住不壊。善男子 護持正法者不受五戒不修威儀応持刀剣弓箭<鉾槊> ○如是種々説法然故不能作師子吼 ○不能降伏非法悪人。 [p0607]如是比丘不能自利及利衆生。当知是輩懈怠懶惰。雖能持戒守護浄行当知是人無所能為 乃至 時有破戒者聞是語已咸共瞋恚害是法師。是説法者設復命終故名持戒自利利他〔迦葉菩薩、仏に白して言さく○如来の法身は金剛不壊なり。未だ所因を知ること能わず云何。仏の言く 迦葉、能く正法を護持する因縁を以ての故に是の金剛身を成就することを得たり。迦葉、我護持正法の因縁にて、今是の金剛身常住不壊を成就することを得たり。善男子、正法を護持せん者は五戒を受けず、威儀を修せずして、刀剣・弓箭・<鉾槊>を持すべし。○是の如く種々に法を説くも、然もなお師子吼を作すこと能わず。○非法の悪人を降伏すること能わず。是の如き比丘、自利し、及び衆生を利すること能わず。当に知るべし、是の輩は懈怠懶惰なり。能く戒を持て浄行を守護すと雖も、当に知るべし、是の人は能く為す所無からん。乃至 時に破戒の者有って是の語を聞き已って、咸く共に瞋恚して是の法師を害せん。是の説法の者、設い復命終すとも、なお持戒自利利他と名づく〕等云云。[p0606-0607]
章安の云く ̄取捨得宜不可一向等。[p0607]
天台云く ̄適時而已等云云。[p0607]
譬えば秋の終りに種子を下し田畠をかえ(耕)さんに稲米をうることかたし。建仁年中に法然・大日の二人出来して念仏宗・禅宗を興行す。[p0607]
法然云く ̄法華経は末法に入ては未有一人得者千中無一等云云。[p0607]
大日云く ̄教外別伝等云云。[p0607]
是の両義国土に充満せり。天台・真言の学者等、念仏・禅の檀那をへつらい、おそるる事、犬の主におをふり、ねづみの猫をおそるるがごとし。国王将軍にみやつかい、破仏法の因縁・破国の因縁を能く説き能くかたるなり。天台・真言等の学者等、今生には餓鬼道に堕ち、後生には阿鼻を招くべし。設い山林にまじわつて一念三千の観をこらすとも、空閑にして三密の油をこぼさずとも、時機をしらず、摂折の二門を弁えずば、いかでか生死を離るべき。[p0607]
問て云く 念仏者・禅宗等を責めて彼等にあだまれたる、いかなる利益かあるや。[p0607]
答て云く [p0607]
涅槃経に云く_若善比丘 見壊法者 置不呵責 駈遣挙処 当知是人 仏法中怨。若能駈遣 呵責挙処 是我弟子 真声聞〔若し善比丘ありて、法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば、当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり。若能く駈遣し呵責し挙処せば、是れ我が弟子、真の声聞なり〕等云云。_壊乱仏法仏法中怨。無慈詐親是彼怨。能糾治者是護法声聞真我弟子。為彼除悪即是彼親。能呵責者是我弟子。不駈遣者仏法中怨〔仏法を壊乱するは仏法の中の怨なり。慈無くして詐わり親しむは、是れ彼が怨なり。能く糾治せん者は、是れ護法の声聞、真の我が弟子なり。彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり。能く呵責する者は、是れ我が弟子。駈遣せざらん者は仏法の中の怨なり。〕等云云。[p0607-0608]
夫れ法華経の宝塔品を拝見するに、釈迦・多宝・十方分身の諸仏の来集はなに心ぞ、令法久住 故来至等云云。三仏の未来に法華経を弘めて、未来の一切の仏子にあたえんとおぼしめす御心の中をすいするに、父母の一子の大苦に値うを見るよりも強盛にこそみえたるを、法然いたわしともおもわで、末法には法華経の門を堅く閉じて人を入れじとせき、狂兒をたぼらかして宝をすつるように法華経を抛てさせける心こそ、無慚に見え候え。我が父母を人の殺すに父母につげざるべしや。悪子の酔狂して父母を殺すをせいせざるべしや。悪人寺塔に火を放たんに、せいせざるべしや。一子の重病に灸せざるべしや。日本の禅と念仏者とを見てせいせざる者はかくのごとし。_無慈詐親是彼怨等云云。[p0608]
日蓮は日本国の諸人にしたし(親)父母也。一切の天台宗の人は彼等が大怨敵なり。為彼除悪即是彼親等云云。無道心の者、生死をはなるる事はなきなり。教主釈尊の一切の外道に大悪人と罵詈せられさせ給い、天台大師の南北竝びに得一に三寸の舌もて五尺の身をたつと、伝教大師の南京の諸人に最澄未見唐都〔最澄未だ唐都を見ず〕等といわれさせ給いし、皆法華経のゆえなればはじならず。愚人にほめられたるは第一のはじなり。日蓮が御勘気をかおれば天台・真言の法師等は悦ばしくやおもうらん。かつはむざんなり、かつはきっかいなり。夫れ釈尊は娑婆に入り、羅什は秦に入り、伝教は尸那に入る。提婆師子は身をすつ。薬王は臂をやく。上宮は手の皮をはぐ。釈迦菩薩は肉を得る。楽法は骨を筆とす。天台の云く_適時而已等云云。仏法は時によるべし。日蓮が流罪は今生の小苦なればなげかしからず。後生には大楽をうくべければ大に悦ばし。[p0608-0609]
#0099-000 女人某御返事 文永九年(1271.03頃) [p0610]
てみればとの(殿)もさわらず。ゆめうつゝわかずしてこそをはすらめ。とひぬべき人のとぶらはざるも、うらめしくこそをはすらめ。女人の御身として、をやこのわかれにみをすて、かたちをかうる人すくなし。をとこ(夫)のわかれはひゞ・よるよる・つきづき・としどしかさなれば、いよいよこいしさまさり、をさなき人もをはすなれば、たれをたのみてか人ならざらんと、かたがたさこそをはすらるれば、わがみも[p0610]
#0101-0K0 富木殿御返事 文永九(1272.04・10) [p0619]
日蓮臨終一分も疑ひ無し。刎頭之時は殊に喜悦有るべく候。大賊に値ふて大毒を宝珠に易ふと思ふべきか。[p0619]
鵞目員数の如く給候ひ了んぬ。御志申し遂げ難く候。[p0619]
法門之事 先度四條三郎左衛門尉殿に書持せしむ。其の書能々御覧有るべし。粗経文を勘へ見るに、日蓮法華経の行者為る事疑ひ無き歟。但今に天の加護を蒙らざるは、一には諸天善神此の悪国を去る故か。二には善神法味を味はざる故に威光勢力無きか。三には大悪鬼三類之心中に入り、梵天帝釈も力及ばざるか等。一々証文道理、追ひて進らせしむべく候。但生涯本より思ひ切りて候。今に翻返無く、其の上又違恨無し。諸の悪人は又善知識也。摂受折伏の二義、仏説に任る。敢えて私曲に非ず。万事霊山浄土を期す。恐恐謹言。[p0619-0620]
卯月十日 日 蓮 花押[p0620]
土木殿[p0620]
御返事 日 蓮[p0620]
#0106-0K0 真言諸宗違目 文永九(1272.05・05) [p0638]
土木殿等人々御中[p0638]
空に読み覚へよ。老人等は具さに聞き奉れ。早々に御免を蒙らざる事は之を歎くべからず。定めて天、之を抑えるか。藤河入道を以て之を知る。去年流罪有らば、今年横死に値ふべからざるか。彼を以て之を推すに用いざる事也。日蓮の御免を蒙らんと欲する之事を色に出だす弟子は不孝の者也。敢えて後生を扶くべからず。各々此の旨を知れ。[p0638]
真言宗は天竺よりは之無し。開元の初めに善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵等天台大師の己称一念三千の法門を盗んで大日経に入れ、之を立て、真言宗と号す。[p0638]
華厳宗は則天皇后の御宇に之始まれり。澄観等、天台の十乗の観法を盗んで華厳経に入れ、之を立て、華厳宗と号す。[p0638]
法相・三論は云ふに足らず。禅宗は梁の世に達磨大師、楞伽経等大乗の空の一分を以てせし也。其の学者等、大慢を成して教外別伝等と称し、一切経を蔑如するは天魔の所為也。浄土宗は善導等観経等を見て一分の慈悲を起し、摂地二論の人師に向ひて一向専修の宗義を立て了んぬ。日本の法然之を・り、天台・真言等を以て雑行に入れ、末代不相応の思ひを為して、国中を誑惑して長夜に迷はしむ。之を明らめし導師、但日蓮一人なるのみ。[p0638]
涅槃経に云く_若善比丘 見壊法者 置不呵責 駈遣挙処 当知是人 仏法中怨〔若し善比丘ありて法を壊る者を見て呵責し駈遣し挙処せずんば、当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり〕等云云。潅頂章安大師云く ̄壊乱仏法仏法中怨。無慈詐親即是彼怨。 ~ 為彼除悪即是彼親。〔仏法を壊乱するは仏法の中の怨なり。慈無くして詐わり親しむは、即ち是れ彼が怨なり。 ~ 彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり。〕等云云。[p0638]
法然が捨閉閣抛、禅家等が教外別伝、若し仏意に叶はざれば、日蓮、日本国の人の為には賢父也・聖親也。導師也。之を言はざれば、一切衆生の為に無慈詐親即是彼怨の重禍脱れ難し。日蓮既に日本国の王臣等の為には為彼除悪即是彼親に当れり。此の国既に三逆罪を犯す。天豈に之を罰せざらんや。[p0638-0639]
涅槃経に云く_爾時世尊取地少土置之爪上 告迦葉言 是土多耶 十方世界地土多乎。迦葉菩薩白仏言 世尊 爪上土者不比十方所有土也。○犯四重作五逆罪 ○作一闡提 断諸善根 不信是経者 如十方界所有地土。○不作五逆罪 ○不作一闡提 不断善根 信如是等涅槃経典 如抓上土〔爾の時に世尊、地の少土を取って之を爪上に置き、迦葉に告げて言く 是の土多き耶、十方世界の地土多き乎。迦葉菩薩、仏に白して言さく 世尊、爪上の土は十方所有の土に比べざる也。○四重を犯し五逆罪を作り ○一闡提と作り、諸の善根を断じ、是の経を信ぜざるは十方界所有の地土の如し。○五逆罪を作らず ○一闡提と作らず、善根を断ぜず、是の如き等の涅槃経典を信ずるは抓上の土の如し〕等云云。経文の如きんば当世日本国は十方の地土の如く、日蓮は抓上の土の如し。[p0639]
法華経に云く_有諸無智人 悪口罵詈等〔諸の無智の人 悪口罵詈等し〕等云云。法滅尽経に云く 吾般泥・後 五逆濁世魔道興盛魔作沙門壊乱吾道。○悪人転多如海中沙 劫欲尽時日月転短 善者甚少若一若二人〔吾般泥・の後、五逆濁世に魔道興盛し魔沙門と作つて吾道を壊乱せん。○悪人転た多く海中の沙の如く、劫尽きんと欲せん時日月転た短く、善者は甚だ少くして若しは一若しは二人〕等云云。又云く_衆魔比丘命終之後 精神当堕無択地獄〔衆魔の比丘命終の後、精神当に無択地獄に堕すべし〕等云云。今道隆が一党・良観が一党・聖一が一党・日本国の一切四衆等は此の経文に当るなり。[p0639]
法華経に云く_仮使劫焼 担負乾草 入中不焼 亦未為難 我滅度後 若持此経 為一人説 是則為難〔仮使劫焼に 乾たる草を担い負うて 中に入って焼けざらんも 亦未だ難しとせず 我が滅度の後に 若し此の経を持って 一人の為にも説かん 是れ則ち難しとす〕等云云。日蓮は此の経文に当るなり。有諸無智人 悪口罵詈等 及加刀杖者〔諸の無智の人 悪口罵詈等し 及び刀杖を加うる者あらん〕等云云。仏陀記して云く 後五百歳 有法華経行者 為諸無智者 必被悪口罵詈 刀杖瓦石 流罪死罪〔後の五百歳に法華経の行者有りて諸の無智の者の為に必ず悪口罵詈・刀杖瓦石・流罪死罪せられん〕等云云。日蓮無くば釈迦・多宝・十方の諸仏未来記は大虚妄に当る也。[p0639]
疑て云く 汝、当世の諸人に勝るることは一分爾るべし。真言・華厳・三論・法相等の元祖に勝れんこと、豈に慢・過慢者に非ずや。過人法とは是れ也。汝必ず無間大城に堕すべし。故に首楞厳経に説いて云く_譬如窮人妄号帝王自取誅滅。況復法王如何妄竊。因地不直招紆曲〔譬へば窮人妄りに帝王と号して自ら誅滅を取るが如し。況んや復法王如何ぞ妄りに竊まん。因地直からざれば紆曲を招かん〕等云云。涅槃経に云く_云何比丘堕過人法 ○未得四沙門果 云何当令諸世間人謂我既得〔云何なる比丘が過人法に堕する ○未だ四沙門果を得ず。云何ぞ当に諸の世間の人をして我既に得たりと謂はしむべき〕等云云。[p0639-0640]
答て云く 法華経に云く_又如大梵天王。一切衆生之父〔又大梵天王の一切衆生の父なるが如く〕。又云く_此経 ○諸経法中。最為第一。有能受持。是経典者。亦復如是。於一切衆生中。亦為第一〔此の経 ○諸の経法の中に最も為れ第一なり。是の経典を受持することあらん者も亦復是の如し。一切衆生の中に於て亦為れ第一なり〕等云云。伝教大師の秀句に云く ̄天台法華宗勝諸宗者拠所依経 故不自讃毀他。庶有智君子尋経定宗〔天台法華宗の諸宗に勝れたるは、所依の経に拠るが故に、自讃毀他ならず。庶ひねがはくは、有智の君子は経を尋ねて宗を定めよ〕等云云。星の中に勝れたるは月、星月之中に勝れたるは日輪なり。小国の大臣は大国の無官より下る、傍例也。外道の五通を得るは仏弟子の小乗の三賢の者の未だ一通を得ざるも天地猶お勝れり。法華経之外の諸経の大菩薩は法華の名字即の凡夫より下れり。何ぞ汝始めて之を驚かんや。教に依て人の勝劣を定む。先づ経の勝劣を知らずして何ぞ人の高下を論ぜんや。[p0640]
問て云く 汝法華経の行者為らば、何ぞ天汝を守護せざるや。[p0640]
答て云く 法華経に云く_悪鬼入其身〔悪鬼其の身に入って〕。首楞厳経に云く_有修羅王執持世界 能与梵王及天帝釈四天諍権。此阿修羅因変化有天趣所摂〔修羅王有りて世界を執持して、能く梵王及び天の帝釈四天と権を諍ふ。此の阿修羅、変化に因りて有り、天趣の所摂なり〕等云云。能く大梵天王・帝釈四天と戦ふ大阿修羅王有り。禅宗・念仏宗・律宗等の棟梁之心中に付け入りて次第に国主・国中に遷り入りて賢人を失ふ。是の如き大悪は梵釈も猶お防ぎ難きか。何に況んや日本守護の少神をや。但地涌千界の大菩薩・釈迦・多宝・諸仏之御加護に非ざれば叶ひ難きか。日月は四天の明鏡也。諸天定まりて日蓮を知り給ふか。日月は十方世界の明鏡なり。諸仏定めて日蓮を知り給ふか。一分も之を疑ふべからず。[p0640-0641]
但し先業未だ尽きざる也。日蓮流罪に当れるは、教主釈尊衣を以て之を覆ひたまはんか。去る年九月十二日の夜中には虎口を脱れたるか。必ず心の固きに仮りて神の守り即ち強し等とは是れ也。汝等努努疑ふこと勿れ。決定無有疑〔決定して疑あることなけん〕の者也。恐々謹言。[p0641]
五月五日 日 蓮 花押[p0641]
此の書を以て諸人に触れ示して恨みを残すこと勿れ[p0641]
土木殿[p0641]
#0107-001 日妙聖人御書 文永九年(1271.05・24) [p0641]
過去に楽法梵志と申す者ありき。十二年の間、多の国をめぐりて如来の教法を求む。時に總て仏法僧の三宝一もなし。此梵志の意は渇して水をもとめ、飢て食をもとむるがごとく、仏法を尋ね給ひき。時に婆羅門あり、求て云、我聖教を一偈持てり。若実に仏法を願はば当にあたふべし。梵志答て云く 婆羅門の云く 実に志あらば皮をはいで紙とし、 [p642]骨をくだいて筆とし、髄をくだいて墨とし、血をいだして水として書かん、と云はば仏の偈を説ん。時に此梵志悦びをなして彼が申すごとくして、皮をはいでほして紙とし、乃至一言もたがへず。時に婆羅門忽然として失ぬ。此梵志天にあふぎ、地にふす。仏陀此を感じて下方より涌出て説て云く 如法応修行 非法不応行 今世若後世 行法者安穏〔如法は修行すべし 非法は行ずべからず 今世若しは後世 法を行ずる者は安穏なり〕。此梵志須臾に仏になる。此は二十字なり。[p0641-0642]
昔釈迦菩薩転輪王たりし時、夫生輙死 此滅為楽〔夫生れて輙死す 此滅を楽と為す〕の八字を尊び給ふ故に、身をかへて千燈にともして、此八字を供養し給ひ、人をすゝめて石壁要路にかきつけて、見る人をして菩提心をおこさしむ。此光明・利天に到る。天の帝釈並に諸天の燈となり給き。[p0642]
昔、釈迦菩薩仏法を求め給き。癩人あり。此人にむかつて我れ正法を持てり。其字二十なり。我癩病をさすり、いだき、ねぶり、日に両三斤の肉をあたへば説くべしと云ふ。彼が申すごとくして、二十字を得て仏になり給ふ。所謂如来証涅槃 永断於生死 若有至心聴 当得無量楽〔所謂如来は涅槃を証し 永く生死を断じたまふ 若至心に聴くこと有らば 当に無量の楽を得〕等云云。[p0642]
昔雪山童子と申す人ありき。雪山と申す山にして、外道の法を通達せしかども、いまだ仏法をきかず。時に大鬼神ありき。説て云く 諸行無常是生滅法云云。只八字計りを説て後をとかず。時に雪山童子此八字をえて悦びきわまりなけれども、半ばなる如意珠をえたるがごとく、花さきて菓ならざるににたり。残の八字をきかんと申すとき、大鬼神云 我数日が間飢饉して正念を乱る。ゆへに後八字をときがたし。食をあたえよと云云。時童子問て云く なにをか食とする。鬼答て云く 我は人のあたゝかなる血肉なり。我飛行自在にして、須臾の間四天下を回たづぬれども、あたゝかなる血肉得がたし。人をば天まほり給ふゆへにとがなければ殺害する事かたし等云云。童子の云く我身を布施として彼の八字を習ひ伝へんと云云。鬼神云く 智慧甚だ賢し。我をやすかさんずらん。童子答て云く瓦礫に金銀をかへんに是をかえざるべしや。我徒に此山にして死しなば、鴟梟虎狼に食はれて、一分の功徳なかるべし。後の八字にかえなば糞を飯にかふるがごとし。鬼云く 我いまだ信ぜず。童子云く 証人あり。過去の仏もたて給ひし大梵天王・釈提桓因・日・月・四天も証人にたち給ふべし。此鬼神後の偈をとかんと申す。童子身にきたる鹿の皮をぬいで座にしき、踞跪合掌して此座につき給へと請す。大鬼神此座について説て云く生滅滅已寂滅為楽等云云。此偈を習ひ学して、若は木若は石等に書付て、身を大鬼神の口になげいれ給ふ。彼の童子は今の釈尊、彼の鬼神は今の帝釈なり。[p0642-0643]
薬王菩薩は法華経の御前に臂を七万二千歳が間ともし給ひ、不軽菩薩は多年が間二十四字のゆへに [p644]無量無辺の四衆罵詈毀辱杖木瓦礫 而打擲之せられ給き。所謂二十四字と申 我深敬汝等。不敢軽慢。所以者何。汝等皆行菩薩道。当得作仏〔我深く汝等を敬う、敢て軽慢せず。所以は何ん、汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べしと〕等云云。かの不軽菩薩は今の教主釈尊なり。昔の須頭檀王は妙法蓮華経の五字の為に、千歳が間阿私仙人にせめつかはれ身を床となさせ給て、今の釈尊となり給ふ。[p0643-0644]
然るに妙法蓮華経は八巻なり。八巻を読めば十六巻を読なるべし。釈迦多宝の二仏の経なる故へ。十六巻は無量無辺の巻軸なり。十方の諸仏の証明ある故に。一字は二字なり。釈迦多宝の二仏の字なる故へ。一字は無量の字なり、十方の諸仏の証明の御経なる故に。譬ば如意宝珠の玉は一珠なれども二珠乃至無量珠の財をふらすことこれをなじ。法華経の文字は一字は一の宝、無量の字は無量の宝珠なり。妙の一字には二つの舌まします。釈迦多宝の御舌なり。此二仏の御舌は八葉の蓮華なり。此重る蓮華の上に宝珠あり。妙の一字なり。此妙の珠は昔釈迦如来の檀波羅蜜と申て、身をうえたる虎にかひ(飼)し功徳、鳩にかひ(貿)し功徳、尸羅波羅蜜と申て須陀摩王としてそらことせざりし功徳等、忍辱仙人として歌梨王に身をまかせし功徳、能施太子・尚 闍梨仙人等の六度の功徳を妙の一字にをさめ給て、末代悪世の我等衆生に一善も修せざれども六度萬行を満足する功徳をあたへ給ふ。今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子これなり。我等具縛の凡夫忽に教主釈尊と功徳ひとし。彼の功徳を全体うけとる故なり。経に云く 如我等無異等云云。法華経を得心者は釈尊と斉等なりと申す文なり。譬ば父母和合して子をうむ。子の身は全体父母の身なり。誰か此を諍べき。牛王の子は牛王也。いまだ師子王とならず。師子王の子は師子王となる。いまだ人王天王等とならず。今法華経の行者は其中衆生悉是吾子と申て教主釈尊の御子なり。教主釈尊のごとく法王とならん事難かるべからず。[p0644-0645]
但し不孝の者は父母の跡をつがず。尭王には丹朱と云う太子あり。舜王には商均と申す王子あり。二人共に不孝の者なれば、父の王にすてられて現身に民となる。重 華と禹とは共に民の子なり。孝養の心ふかかりしかば、尭舜の二王召て位をゆづり給き。民の身忽に玉体にならせ給き。民の現身に王となると凡夫の忽に仏となると同事なるべし。一念三千の観心と申すはこれなり。而るをいかにとしてか此功徳をばうべきぞ。楽法梵志・雪山童子のごとく皮をはぐべきか、身をなぐべきか。臂をやくべきか等云云。章安大師云 取捨得宜不可一向〔取捨宜しきを得て一向にすべからず〕等これなり。正法を修して仏になる行は時によるべし。日本国に紙なくば皮をはぐべし。日本国に法華経なくて、しれる鬼神一人出来せば身をなぐべし。日本国に油なくば臂をもともすべし。厚き紙国に充満せり。皮をはいでなにかせん。然に玄奘は西天に法を求めて十七年、十万里にいたれり。伝教御入唐但二年なり、波涛三千をへだてたり。此等は男子なり。上古なり。賢人なり、聖人なり。いまだきかず、女人の仏法をもとめて千里の路をわけし事を。龍女が即身成仏も、摩訶波闍波提比丘尼の記・にあづかりしも、しらず権化にやありけん。又在世の事なり。男子女人其性本より別れたり。火はあたゝかに、水はつめたし。海人は魚をとるにたくみなり、山人は鹿をとるにかしこし。女人は婬事にかしこしとこそ経文にはあかされて候へ。いまだきかず、仏法にかしこしとは。[p0645-0646]
女人の心を清風に譬へたり。風はつなぐともとりがたきは女人の心なり。女人の心をば水にゑがくに譬へたり。水面には文字とどまらざるゆへなり。女人をば誑人にたとえたり。或時は実也或時は虚なり。女人をば河に譬へたり。一切まがられるゆへなり。而るに法華経は正直捨方便等、皆是真実等、質直意柔軟等、柔和質直者等申て、正直なること弓の絃のはれるごとく、墨のなは(縄)をうつがごとくなる者の信じまいらする御経なり。糞を栴檀と申すとも栴檀の香なし。妄語の者を不妄語と申とも不妄語にはあらず。一切経は皆仏の金口の説不妄語の御言なり。然とも法華経に対しまいらすれば妄語のごとし、綺語のごとし、悪口のごとし、両舌のごとし。此御経こそ実語の中の実語にて候へ。実語の御経をば正直の者得心候なり。今実語の女人にておはすか。当知〔当に知るべし〕 須彌山をいたゞきて大海をわたる人をば見るとも、此女人をば見るべからず。砂をむして飯となす人をば見るとも、此女人をば見るべからず。当知〔当に知るべし〕 釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏、上行・無辺行等の大菩薩 大梵天王・帝釈・四天等 此女人をば影の身にそうがごとくまほりり給ふらん。日本第一の法華経の行者の女人なり。故名を一つつけたてまつりて不軽菩薩の義になぞらえん。日妙聖人等云云。[p0646-0647]
相州鎌倉より北国佐渡の国、其中間一千余里に及べり。山海はるかにへだて山は峨峨、海は涛涛。風雨時にしたがふ事なし。山賊海賊充満せり。すくすく(宿々)とまりとまり(泊々)民の心虎のごとし犬のごとし。現身に三悪道の苦をふるか。其上当世の乱世去年より謀叛の者国に充満し、今年二月十一日合戦。其より今五月のすゑいまだ世間安穏ならず。而ども一 の幼子あり。あづくべき父もたのもしからず。離別すでに久し方々筆も及ばず、心弁へがたければとどめ了ぬ。[p0647-0648]
文永九年[太歳壬申]五月二十五日 日 蓮 花押[p0648]
日妙聖人[p0648]
#0108-000 安国論送状 文永九年(1271.05・26) [p0648]
立正安国論の正本、土木殿に候。かきて給い候わん。ときとのか又。[p0648]
五月二十六日[p0648]
日 蓮 花押[p0648]
#0109-000 弁殿御消息 文永九年(1271.07・26) [p0649]
有不審論難書〔不審有らば論難なく書き〕付けて一日至さしむべし。[p0649]
此の書は随分の秘書なり。已前の学問の時もいまだ存ぜられざる事粗之を載す。他人の御聴聞なからん已前に御存知有るべし。[p0650]
総じてはこれより(具)していたらん人にはよ(依)りて法門御聴聞有るべし。互為子弟歟〔互いに子弟と為らん歟〕。恐々謹言。[p0650]
七月二十六日[p0650]
弁殿・大進阿闍梨御房・三位殿[p0650]
日 蓮 花押[p0650]
#0111-0K0 無想御書 文永九(1272.10・24) [p0660]
文永九年[太歳壬申]十月二十四日の夜の無想に云く 来年正月九日、蒙古治罰の為に相国より大小向ふべし等云云。[p0660]
#0113-100 祈祷鈔 文永九年(1271) [p0667]
本朝沙門 日蓮撰[p0667]
問て云く 華厳宗・法相宗・三論宗・小乗の三宗・真言宗・天台宗の祈りをなさんに、いずれかしるしあるべきや。[p0667]
答て云く 仏説なればいずれも一往は祈りとなるべし。但法華経をもていのらむ祈りは必ず祈りとなるべし。[p0667]
問て云く 其の所以は以何。[p0667]
答て云く 二乗は大地微塵劫を経て先四味の経を行ずとも成仏すべからず。法華経は須臾の間此れを聞いて仏になれり。若し爾らば、舎利弗・迦葉等の千二百・満二千、総じて一切の二乗界の仏は必ず法華経の行者の祈りをかなうべし。又行者の苦にもかわるべし。故に信解品に云く_世尊大恩 以希有事 憐愍教化 利益我等 無量億劫 誰能報者 手足供給 頭頂礼敬 一切供養 皆不能報 若以頂戴 両肩荷負 於恒沙劫 尽心恭敬 又以美膳 無量宝衣 及諸臥具 種種湯薬 午頭栴檀 及諸珍宝 以起塔廟 宝衣布地 如斯等事 以用供養 於恒沙劫 亦不能報〔世尊は大恩まします 希有の事を以て 憐愍教化して 我等を利益したもう 無量億劫にも 誰か能く報ずる者あらん 手足をもって供給し 頭頂をもって礼敬し 一切をもって供養すとも 皆報ずること能わじ 若しは以て頂戴し 両肩に荷負して 恒沙劫に於て 心を尽くして恭敬し 又美膳 無量の宝衣 及び諸の臥具 種々の湯薬を以てし 午頭栴檀 及び諸の珍宝 以て塔廟を起て 宝衣を地に布き 斯の如き等の事 以用て供養すること 恒沙劫に於てすとも 亦報ずること能わじ〕。[p0667-0668]
此の経文は四大声聞が譬諭品を聴聞して仏になるべき由を心得て、仏と法華経の恩の報じがたき事を説けり。されば二乗の御為には此の経を行ずる者をば、父母よりも愛子よりも両眼よりも身命よりも大事にこそおぼしめすらめ。舎利弗・目連等の諸大声聞は一代聖教いずれも讃歎せん行者をすておぼす事は有るべからずとは思えども、爾前の諸経はすこしうらみおぼす事も有らん。_於仏法中已如敗種〈於仏法中以如敗種〉なんどしたたかにいましめられ給いし故也。今の華光如来・名相如来・普明如来なんどならせ給いたる事はおもわざる外の幸なり。[p0668]
例せば崑崙山のくずれて宝の山に入りたる心地してこそおわしぬらめ。されば領解の文に云く_無上宝珠<無上宝聚> 不求自得〔無上の宝珠 求めざるに自ら得たり〕等云云。[p0668]
されば一切の二乗界、法華経の行者をまほり給わん事は疑いあるべからず。あやしの畜生なんども恩をば報ずることに候ぞかし。かりと申す鳥あり、必ず母の死なんとする時孝をなす。狐は塚を跡にせず。畜生すら猶お此の如し。況んや人類をや。[p0668]
されば王寿と云いし者道を行きしに、うえつかれたりしに、路の辺に梅の樹あり。其の実多し、寿とりて食してうえやみぬ。我此の梅の実を食して気力をます。其の恩を報ぜずんばあるべからずと申して、衣をぬぎて梅に懸けてさりぬ。王尹と云いし者は道を行くに水に渇しぬ。河をすぐるに水を飲んで銭を河に入れて是れを水の直とす。龍は必ず袈裟を懸けたる僧を守る。仏より袈裟を給て龍宮城の愛子に懸けさせて金翅鳥の難をまぬがるる故也。金翅鳥は父母の孝養の者を守る。龍は須弥山を動かして金翅鳥の愛子を食す。金翅鳥は仏の教によて父母の孝養をなす者、僧のとるさんば(生飯)を須弥の頂におきて龍の難をまぬがるる故也。天は必ず戒を持ち善を修する者を守る。人間界に戒を持たず善を修する者なければ、人間界の人死して多く修羅道に生ず。修羅多勢なれば、おごりをなして必ず天をおかす。人間界に戒を持ち善を修する者多ければ、人死して必ず天に生ず。天多ければ修羅おそれをなして天をおかさず。故に戒を持ち善を修する者をば天必ず之を守る。何に況んや二乗は六凡より戒徳も勝れ智慧賢き人人なり。いかでか我が成仏を遂げたらん法華経を行ぜん人をば捨つべきや。又一切の菩薩竝びに凡夫は仏にならんがために、四十余年の経経を無量劫が間行ぜしかども、仏になる事なかりき。而るを法華経を行じて仏と成って今十方世界におわします。仏仏の三十二相八十種好をそなえさせ給いて九界の衆生にあおがれて、月を星の回るがごとく、須弥山を八山の回るが如く、日輪を四州の衆生の仰ぐが如く、輪王を万民の仰ぐが如く、仰がれさせ給うは法華経の恩徳にあらずや。[p0668-0670]
されば仏は法華経に戒めて云く_不須復安舎利〔復舎利を安ずることを須いず〕。涅槃経に云く_諸仏所師所謂法也。是故如来供養恭敬〔諸仏の師とする所は所謂法也。是の故に如来は供養恭敬す〕等云云。法華経には我が舎利を法華経に並ぶべからず。涅槃経には諸仏は法華経を恭敬供養すべしと説かせ給えり。仏此の法華経をさとりて仏に成り、しかも人に説き聞かせ給わずば仏種をたたせ給う失あり。此の故に釈迦如来は此の娑婆世界に出て説かんとせさせ給いしを、元品の無明と申す第六天の魔王が一切衆生の身に入って、仏をあだみて説かせまいらせじとせしなり。所謂波瑠璃王の五百人の釈子を殺し、鴦崛摩羅が仏を追い、提婆が大石を放ち、旃遮婆羅門女が鉢を腹にふせて仏の御子と云いし、婆羅門城には仏を入れ奉る者は五百両の金をひきき。されば道にはうばらをたて、井には糞を入れ、門にはさかむき(逆木)をひけり、食には毒を入れし、皆是れ仏をにくむ故に。華色比丘尼を殺し、目連は竹杖外道に殺され、迦留陀夷は馬糞に埋もれし、皆仏をあだみし故なり。[p0670]
而れども仏さまざまの難をまぬかれて御年七十二歳、仏法を説き始められて四十二年と申せしに、中天竺王舎城の丑寅耆闍崛山と申す山にして、法華経を説き始められて八年まで説かせ給いて、東天竺倶尸那城跋提河の辺にして御年八十と申せし、二月十五日の夜半に御涅槃に入らせ給いき。而りといえども御悟りをば法華経とときおかせ給えば、此の経の文字は即ち釈迦如来の御魂也。一一の文字は仏の御魂なれば、此の経を行ぜん人をば釈迦如来我が御眼の如くまもり給うべし。人の身に影のそえるがごとくそわせ給うらん。いかでか祈りとならせ給わざるべき。一切の菩薩はまた始め華厳経より四十余年の間、仏にならんと願い給いしかどもかなわずして、法華経の方便品の略開三顕一の時、_求仏諸菩薩 大数有八万 又諸万億国 転輪聖王至 合掌以敬心 欲聞具足道〔仏を求むる諸の菩薩 大数八万あり 又諸の万億国の 転輪聖王の至れる 合掌し敬心を以て 具足の道を聞きたてまつらんと欲す〕と願いしが、広開三顕一を聞いて、菩薩聞是法 疑網皆已断<疑網皆已除>〔菩薩是の法を聞いて 疑網皆已に断ちぬ〕と説かせ給いぬ。其の後自界他方の菩薩雲の如く集まり、星の如く列なり給いき。文殊は海より無量の菩薩を具足し、又八十万億那由他の諸菩薩、又過八恒河沙の菩薩、地涌千界の菩薩、分別功徳品の六百八十万億那由他恒河沙の菩薩 又千倍の菩薩 復一世界の微塵数の菩薩 復三千大千世界の微塵数菩薩 復二千中国土の微塵数菩薩 復小千国土の微塵数菩薩 復四四天下微塵数菩薩 三四天下二四天下一四天下の微塵数菩薩 復八世界微塵数の衆生 薬王品の八万四千の菩薩 妙音品の八万四千の菩薩 復四万二千の天子 普門品の八万四千 陀羅尼品の六万八千人 妙荘厳王品の八万四千人 勧発品の恒河沙等の菩薩 三千大千世界微塵等の菩薩 此れ等の菩薩を委しく数えば、十方世界の微塵の如し。十方世界の草木の如し。十方世界の星の如し。十方世界の雨の如し。[p0670-0672]
此れ等は皆法華経にして仏にならせ給いて、此の三千大千世界の地上・地下・虚空の中にまします。迦葉尊者は鶏足山にあり、文殊は清涼山にあり、地蔵菩薩は迦羅陀山にあり、観音は補陀楽山にあり、弥勒菩薩は兜率天に、難陀等の無量の龍王、阿修羅王は海底海畔にあり。帝釈は・利天に、梵王は有頂天に、摩醯修羅は第六の他化天に四天王は須弥の腰に、日月衆星は我等が眼に見えて頂上を照らし給う。江神・河神・山神等も皆法華経の会上の諸尊也。[p0672]
仏、法華経をとかせ給いて年数二千二百余年なり。人間こそ寿も短き故に、仏をも見奉り候人も侍らね。天上は日数は長く寿も長ければ、併〈しかしながら〉仏をおがみ法華経を聴聞せる天人かぎり多くおわする也。人間の五十年は四王天の一日一夜なり。此の一日一夜をはじめとして三十日は一月、十二月は一年にして五百歳なり。されば人間の二千二百余年は四王天の四十四日也。されば日月竝びに毘沙門天王は仏におくれたてまつりて四十四日、いまだ二月にたらず。帝釈梵天なんどは仏におくれたてまつりて一月一時にもすぎず。わずかの間にいかでか仏前の御誓い、竝びに自身成仏の御経の恩をばわすれて、法華経の行者をば捨てさせ給うべき、なんどおもいつらぬればたのもしき事なり。[p0672-0673]
されば法華経の行者の祈る祈りは、響きの音に応ずるがごとし。影の体にそえるがごとし。すめる水に月のうつるがごとし。方諸の水をまねくがごとし。磁石の鉄をすうがごとし。琥珀の塵をとるがごとし。あきらかなる鏡の物の色をうかぶるがごとし。世間の法には我がおもわざる事も、父母・主君・師匠・妻子・おろかならぬ友なんどの申す事は、恥ある者は意にはあわざれども、名利をもうしない、寿ともなる事も侍るぞかし。何に況んや我が心からおこりぬる事は、父母・主君・師匠なんどの制止を加うれどもなす事あり。[p0673]
さればはんよき(范於期)と云いし賢人は我が頚を切ってだにこそ、けいか(荊軻)と申せし人には与えき。季札と申せし人は約束の剣を徐君が塚の上に懸けたりき。而るに霊山会上にして即身成仏せし龍女は、小乗経には五障の雲厚く三従のきずな強しと嫌われ、四十余年の諸大乗経には或は歴劫修行にたえずと捨てられ、或は初発心時便成正覚の言も有名無実なりしかば、女人成仏もゆるさざりしに、設い人間天上の女人なりとも成仏の道には望みなかりしに、龍畜下賎の身たるに、女人とだに生まれ、年さえいまだたけず、わずかに八歳なりき。かたがた思いもよらざりしに、文殊の教化によりて、海中にして法師・提婆の中間、わずかに宝塔品を説かれし時刻に、仏になりたりし事はありがたき事也。一代超過の法華経の御力にあらずばいかでかかくは候べき。[p0673-0674]
されば妙楽は行浅功深以顕経力〔行浅く功深きことを示して以て経力を顕はす〕とこそ書かせ給え。龍女は我が仏になれる経なれば仏の御諌めなくとも、いかでか法華経の行者を捨てさせ給うべき。されば自讃歎仏の偈には_我闡大乗教 度脱苦衆生〔我大乗の教を闡いて 苦の衆生を度脱せん〕等とこそすすませさせ給いしか。龍女の誓いは其の所従の_非口所宣。非心所測〔口の宣ぶる所に非ず、心の測る所に非ず〕の一切の龍畜の誓いなり。娑竭龍王は龍畜の身なれども、子を念う志し深かりしかば、大海第一の宝如意宝珠をむすめにとらせて、即身成仏の御布施にせさせつれ。此の珠は値三千大千世界にかうる珠なり。提婆達多は師子頬王には孫、釈迦如来には伯父たりし斛飯王の御子、阿難尊者の舎兄也。善聞長者の娘の腹なり。転輪聖王の御一門、南閻浮提には賎しからざる人也。在家にましましし時は、夫妻となるべきやすたら女を悉達太子に押し取られ、宿世の敵と思いしに、出家の後に人天大会の集まりたりし時、仏に汝は痴人唾を食える者とののしられし上、名聞利養深かりし人なれば仏の人にもてなされしをそねみて、我が身には五法を行じて仏より尊げになし、鉄をのして千輻輪につけ、蛍火を集めて白毫となし、六万法蔵・八万法蔵を胸に浮かべ、象頭山に戒場を立て多くの仏弟子をさそいとり、爪に毒を塗り仏の御足にぬらむと企て、蓮華比丘尼を打ち殺し、大石を放って仏の御指をあやまちぬ。具に三逆を犯し、結句は五天竺の悪人を集め、仏竝びに御弟子檀那等にあだをなす程に、頻婆沙羅王は仏の第一の御檀那也。一日に五百輌の車を送り、日日に仏竝びに御弟子を供養し奉りき。提婆そねむ心深くして阿闍世太子を語らいて、父を終に一尺の釘七つをもてはりつけになし奉りき。終に王舎城の北門の大地破れて阿鼻大城に堕ちにき。三千大千世界の人一人も是れを見ざる事なかりき。[p0674-0675]
されば大地微塵劫は過ぐるとも無間大城をば出づべからずところ思い候に、法華経にして天王如来とならせ給いけるにこそ不思議に尊けれ。提婆達多、仏になり給わば、語らわれし所の無量の悪人、一業所感なれば皆無間地獄の苦ははなれぬらん。是れ偏に法華経の恩徳也。されば提婆達多竝びに所従の無量の眷属は法華経の行者の室宅にこそ住ませ給うらめとたのもし。[p0675]
諸の大地微塵の如くなる諸菩薩は等覚の位までせめて、元品の無明計りもちて侍るが、釈迦如来に値い奉りて元品の大石をわらんと思うに、教主釈尊四十余年が間は因分可説果分不可説と申して、妙覚の功徳を説き顕し給わず。されば妙覚の位に登る人一人もなかりき。本意なかりし事なり。[p0675]
而るに霊山八年が間に唯一仏乗名為果分説き顕し給いしかば、諸の菩薩皆妙覚の位に上りて、釈迦如来と悟り等しく須弥山の頂に登って四方を見るが如く、長夜に日輪の出でたらんが如く、あかなくならせ給いたりしかば、仏の仰せ無くとも法華経を弘めじ、又行者に替わらじ、とはおぼしめすべからず。されば我不愛身命 但惜無上道〔我身命を愛せず 但無上道を惜む〕 不惜身命〔身命を惜まず〕 当広説此経〔当に広く此の経を説くべし〕とこそ誓い給いしか。[p0675-0676]
其の上慈父の釈迦仏・悲母の多宝仏・慈悲の父母等、同じく助証の十方の諸仏一座に列ならせ給いて、月と月とを集めたるが如く日と日とを並べたるが如くましましし時、告諸大衆 我滅度後 誰能護持 読誦斯経 今於仏前 自説誓言〔諸の大衆に告ぐ 我が滅度の後に 誰か能く 斯の経を護持し読誦せん 今仏前に於て 自ら誓言を説け〕と三度まで諌めさせ給いしに、八方四百万億那由他の国土に充満せさせ給いし諸大菩薩身を曲げ低頭合掌し、倶に同時に声をあげて、如世尊勅当具奉行〔世尊の勅の如く当に具さに奉行すべし〕と三度まで声を惜しまずよばわりしかば、いかでか法華経の行者にはかわらせ給わざるべき。[p0676]
はんよき(范於期)と云いしものけいか(荊軻)に頭を取らせ、きさつ(季札)と云いしもの徐君が塚に刀をかけし、約束を違えじがためなり。此れ等は震旦辺土のえびすの如くなるものどもだにも、友の約束に命をも亡ぼし、身に代えて思う刀をも塚に懸けるぞかし。まして諸大菩薩は本より大悲代受苦の誓い深し。仏の御諌なしともいかでか法華経の行者を捨て給うべき。[p0676]
其の上我が成仏の経たる上、仏慇懃に諌め給いしかば仏前の御誓い丁寧也。行者を助けたもう事疑うべからず。仏は人天の主、一切衆生の父母なり。而も開導の師也。父母なれども賎しき父母は主君の義をかねず。主君なれども父母ならざれば、おそろしき辺もあり。父母・主君なれども、師匠なる事はなし。諸仏は又世尊にてましませば主君にてはましませども、娑婆世界に出でさせ給わざれば師匠にあらず。又其中衆生 悉是吾子〔其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり〕とも名乗らせ給わず。釈迦仏独り主師親の三義をかね給えり。[p0676-0677]
しかれども四十余年の間は提婆達多を罵給い、諸の声聞をそしり、菩薩の果分の法門を惜しみ給いしかば、仏なれどもよりよりは天魔波旬ばしの我等をなやますかの疑い、人にはいわざれども心中には思いし也。此の心は四十余年より法華経の始まるまで失せず。[p0677]
而るを霊山八年の間に宝塔虚空に現じ、二仏日月の如く竝び、諸仏大地に列なり大山をあつめたるごとく、地涌千界の菩薩が虚空に星の如く列なり給いて、諸仏の果分の功徳を吐き給いしかば、宝蔵をかたふけて貧人にあたうるが如く、崑崙山のくずれたるににたりき。諸人此の玉をのみ拾うが如く此の八箇年が間めずらしく貴き事心髄にもとおりしかば、諸菩薩身命も惜しまず言をはぐくまず誓いをなせし程に、嘱累品にして釈迦如来宝塔を出でさせ給いて、とびらを押したて給いしかば、諸仏は国国へ返り給いき。諸の菩薩等も諸仏に随い奉りて返らせ給いぬ。[p0677]
ようやく心ぼそくなりし程に、卻後三月当般涅槃と唱えさせ給いし事こそ心ぼそく耳おどろかしかりしかば、二乗人天等ことごとく法華経を聴聞して仏の恩徳心肝にそみて、身命をも法華経の御ために投げて、仏に見せまいらせんと思いしに、仏の仰せの如く若し涅槃せさせ給わばいかにあさましからんと胸さわぎしてありし程に、仏の御年満八十と申せし二月十五日の寅卯の時、東天竺舎衛国倶尸那城跋提河の辺にして仏御入滅なるべき由の御音、上は有頂、横には三千大千世界までひびきたりしこそ目もくれ心もきえはてぬれ。五天竺・十六の大国・五百の中国・十千の小国・無量の粟散国等の衆生、一人も衣食を調えず、上下をきらわず、牛馬狗狼・鷲蚊虻等の五十二類の一類の数大地微塵をもつくしぬべし。況んや五十二類をや。此の類皆華光衣食をそなえて最後の供養とあてがいき。一切衆生の宝の橋おれんとす。一切衆生の眼ぬけんとす。一切衆生の父母・主君・師匠死なんとす。なんど申すこえひびきしかば、身の毛のいよ立つのみならず涙を流す。なんだをながすのみならず、頭をたたき胸をおさえ音も惜しまず叫びしかば、血の涙血のあせ倶尸那城に大雨よりもしげくふり、大河よりも多く流れたりき。是れ偏に法華経にして仏になりしかば、仏の恩の報じがたき故なり。[p0677-0678]
かかるなげきの庭にても、法華経の敵をば舌をきるべきよし、座につらなりし人々ののしり侍りき。迦葉童子菩薩は法華経の敵の国には霜雹となるべしと誓い給いき。爾の時仏は臥よりおきてよろこばせ給いて、善哉善哉と讃め給いき。諸菩薩は仏の御心を推して法華経の敵をうたんと申さば、しばらくもい(生)き給いなんと思いて一一の誓いはなせしなり。[p0678-0679]
されば諸菩薩・諸天人等は法華経の敵の出来せよかし、仏前の御誓いはたして、釈迦尊竝びに多宝仏・諸仏如来にも、げに仏前にして誓いしが如く、法華経の御ためには名をも身命をも惜しまざりけりと思われまいらせんとこそおぼすらめ。いかに申す事はおそきやらん。[p0679]
大地はささばはずるるとも、虚空をつなぐ者はありとも、潮のみちひぬ事はありとも、日は西より出づるとも、法華経の行者の祈りのかなわぬ事はあるべからず。法華経の行者を諸の菩薩・人天・八部等、二聖・二天・十羅刹等、千に一つも来たりてまもり給わぬ事侍らば、上は釈迦諸仏をあなずり奉り、下は九界をたぼらかす失あり。行者は必ず不実なりとも智慧はおろかなりとも、身は不浄なりとも、戒徳は備えずとも南無妙法蓮華経と申さば必ず守護したもうべし。袋きたなしとて金を捨つる事なかれ、伊蘭をにくまば栴檀あるべからず。谷の池を不浄なりと嫌わば蓮を取るべからず。行者を嫌い給わば誓いを破り給いなん。正像既に過ぎぬれば持戒は市の中の虎の如し、智者は麟角よりも希ならん。月を待つまでは燈を憑むべし。宝珠のなき処には、金銀も宝なり。とくとく利生をさずけ給えと強盛に申すならば、いかでか祈りのかなわざるべき。[p0679-0680]
問て云く 上にかかせ給う道理文証を拝見するに、まことに日月の天におわしますならば、大地に草木のおうるならば、昼夜の国土にあるならば、大地だにも反覆せずば、大海のしおだにもみちひるならば、法華経を信ぜん人現世のいのり後生の善処は疑いなかるべし。然りと雖も、此の二十余年が間の天台・真言等の名匠、多く大事のいのりをなすに、はかばかしくいみじきいのりありともみえず。尚お外典の者どもよりも、つたなきようにうちおぼえて見ゆるなり。おそらくは経文のそらごとなるか、行者のおこないのおろかなるか、時機のかなわざるかと、うたがわれて後生もいかんとおぼう。それはさておきぬ。[p0680]
御房は山僧の御弟子とうけ給わる。父の罪は子にかかり、師の罪は弟子にかかるとうけ給わる。叡山の僧徒の薗城山門の堂塔・経巻数千万をやきはらわせ給うが、ことにおそろしく、世間の人人もさわぎうとみあえるはいかに。前にも少少うけ給わり候ぬれども、今度くわしくききひらき候わん。但し不審なることは、かかる悪僧どもなれば、三宝の御意にもかなわず、天地にもうけられ給わずして、祈りも叶わざるやらんとおぼえ候はいかに。[p0680]
答て云く せんぜんも少少申しぬれども、今度又あらあら申すべし。日本国においては此の事大切なり。これをしらざる故に多くの人、口に罪業をつくる。[p0680]
先ず山門はじまりし事は此の国に仏法渡って二百余年、桓武天皇の御宇に伝教大師立て始め給いしなり。当時の京都は昔聖徳太子王気ありと相し給いしかども、天台宗の渡らん時を待ち給いし間都をたて給わず。又上宮太子の記に云く ̄我滅後二百余年仏法日本可弘〔我が滅後二百余年に仏法日本に弘まるべし〕云云。伝教大師延暦年中に叡山を立て給う。桓武天皇は平の京都をたて給いき。太子の記文たがわざる故なり。されば山門と王家とは松と栢とのごとし、蘭と芝とににたり。松苅るればかならず栢かれ、らんしぼめばまたしばしぼむ。王法の栄えは山の悦び、王位の衰えは山の嘆きと見えしに、既に世関東に移りし事なにとか思し食しけん。[p0680]
秘法四十一人の行者。承久三年辛巳四月十九日京夷辞し時、関東調伏の為隠岐の法皇の宣旨に依って始めて行われし御修法十五檀之秘法[p0680]
一字金輪法[天台座主慈円僧正。伴僧十二口。関白殿基通の御沙汰][p0680]
四天王法[成興寺の宮僧正。伴僧八口。広瀬殿に於いて修明門院の御沙汰][p0680]
不動明王法[成宝僧正。伴僧八口。花山院禅門の御沙汰][p0882]
大威徳法[観厳僧正。伴僧八口。七條院の御沙汰][p0882]
転輪聖王法[成賢僧正。伴僧八口。同院の御沙汰][p0882]
十壇大威徳法[伴僧六口。覚朝僧正。俊性法印。永信法印。豪円法印。猷円僧都。慈賢僧正。賢乗僧都。仙尊僧都。寛覚法眼。以上十人大旨本坊に於いて之を修す][p0882]
如意輪法[妙高院僧正。伴僧八口。宣秋門院の御沙汰][p0882]
毘沙門法[常住院僧正。三井。伴僧六口。資賃の御沙汰][p0882]
御本尊一日之を造られ、調伏の行儀は[p0882]
如法愛染王法[仁和寺御室の行法五月三日之を始め、紫宸殿に於いて二七日之を修される。][p0882]
仏眼法[大政僧正。三七日之を修す][p0882]
六字法[怪雅僧都][p0882]
愛染王法[観厳僧正。七日之を修す][p0882]
不動法[勧修寺の僧正。伴僧八口。皆僧綱][p0882]
大威徳法[安芸僧正][p0882]
金剛童子法[同人][p0882]
以上十五壇法了んぬ。五月十五日伊賀太郎判官光季京にして討たる。同十九日鎌倉に聞こえ、同二十一日大勢軍兵上ると聞こえしかば、残る所の法六月八日之を行い始めらる。[p0683]
尊星王法[覚朝僧正][p0683]
太元法[蔵有僧都][p0683]
五壇法[大政僧正。永信法印・全尊僧都。猷円僧都。行遍僧都][p0683]
守護経法[御室之を行なわる。我が朝二度之を行う][p0683]
五月二十一日武蔵の守殿海道より上洛し、甲斐源氏は山道を上る、式部殿は北陸道を上り給う。六月五日大津をかたむる手、甲斐源氏に破られ畢んぬ。七月十一日に本院は隠岐の国へ流され給い、中院は阿波の国へ流され給い、第三院は佐渡の国へ流され給う。殿上人七人誅殺され畢んぬ。[p0683]
かかる大悪法、年を経て漸漸に関東に落ち下りて、諸堂の別当供僧となり連連と之を行う。本より教法の邪正勝劣をば知食さず。只三宝をばあがむべき事とばかりおぼしめす故に、自然として是れを用いきたれり。関東の国国のみならず、叡山・東寺・薗城寺の座主・別当、皆関東の御計らいと成りぬる故に、彼の法の檀那と成りぬるなり。[p0683-0684]
問て云く 真言の教を強ちに邪教と云う心如何。[p0684]
答て云く 弘法大師云く 第一大日経・第二華厳経・第三法華経と能く能く此の次第を案ずべし。仏は何なる経にか此の三部の経の勝劣を説き判じ給えるや。もし第一大日経・第二華厳経・第三法華経と説き給える経あるならば尤も然るべし。其の義なくんば甚だ以って依用し難し。法華経に云く_薬王今告汝我所説諸経 而於此経中 法華最第一〔薬王今汝に告ぐ 我が所説の諸経 而も此の経の中に於て 法華最も第一なり〕等云云。仏正しく諸経を挙げて其の中に於いて法華第一と説き給う。仏の説法と弘法大師の筆とは水火の相違なり。尋ね究むべき事也。[p0684]
此の筆を数百年が間、凡僧・高僧是れを学し、貴賎・上下是れを信じて、大日経は一切経の中に第一とあがめける事、仏意に叶わず。心あらん人は能く能く思い定むべきなり。若し仏意に相叶わぬ筆ならば、信ずとも豈に成仏すべきや。又是れを以って国土を祈らんに、当に不祥を起こさざる哉。[p0684]
又云く ̄震旦人師等諍盗醍醐〔震旦の人師等諍って醍醐を盗んで〕云云。文の意は天台大師等真言教の醍醐を盗んで法華経の醍醐と名づけ給える事は、此の筆最第一の勝事也。法華経を醍醐と名づけ給える事は、天台大師涅槃経の文を勘えて、一切経の中には法華経を醍醐と名づくと判じ給えり。真言教の天竺より唐土へ渡る事は、天台出世の以後二百余年也。[p0684]
されば二百余年の後に渡るべき真言の醍醐と盗みて、法華経の醍醐と名づけ給いけるか。此の事不審也、不審也。真言未だ渡る以前の二百余年の人人を盗人とかき給える事、証拠何れぞや。弘法大師の筆をや信ずべき。涅槃経に法華経を醍醐と説けるをや信ずべき。若し天台大師盗人ならば、涅槃経の文をば云何がこころうべき。さては涅槃経の文真実にして、弘法の筆邪義ならば、邪義の教を信ぜん人人は云何。只弘法大師の筆と仏の説法と勘え合わせて、正義を信じ侍るべしと申す計りなり。[p0684-0685]
疑て云く 大日経は大日如来の説法なり。若し爾らば釈尊の説法を以って大日如来の教法を打たる事、都て道理に相叶わず如何。[p0685]
答て云く 大日如来は何なる人を父母として、何なる国に出でて、大日経を説き給いけるやらん。若し父母なくして出世し給うならば、釈尊入滅以後、慈尊出世以前、五十六億七千万歳が中間に、仏出でて説法すべしと云う事、何なる経文ぞや。若し証拠なくんば誰人か信ずべきや。かかる僻事をのみ構え申す間、邪教とは申すなり。其の迷謬尽くしがたし。纔か一二を出だすなり。加之竝びに禅宗・念仏等を是れを用いる。此れ等の法は皆未顕真実の権教、不成仏の法、無間地獄の業なり。彼の行人又謗法の者なり。争でか御祈祷叶うべきや。[p0685]
然るに国主と成り給う事は過去に正法を持ち、仏に仕うるに依って、大小の王皆梵王・帝釈・日月・四天等の御計らいとして、郡郷を領し給えり。所謂経に云く_我今五眼明見三世 一切国王皆由過去世侍五百仏得為帝王主〔我今五眼もて明らかに三世を見るに 一切の国王皆過去世に五百の仏に侍するに由って帝王主と為ることを得たり〕等云云。[p0685-0686]
然るに法華経を背きて、真言・禅・念仏等の邪師に付いて、諸の善根を修せらるるとも、敢えて仏意に叶わず、神慮にも違する者なり。能く能く案あるべきなり。人間に生を得る事は都て希なり。適たま生を受けて、法の邪正を極めて、未来の成仏を期せざらん事、返す返す本意に非ざる者なり。又慈覚大師御入唐以後、本師伝教大師に背かせ給いて、叡山に真言を弘めんが為に御祈請ありしに、日を射るに日輪動転すと云う夢想を御覧じて、四百余年の間諸人是れを吉夢と思えり。日本国は殊に忌むべき夢なり。殷の紂王日輪を的にして射るに依って身亡びたり。此の御夢想は権化の事なりとも能く能く思惟あるべき歟。仍って九牛の一毛註する所件の如し。[p0686]
#0118-0K0 如来滅後五五百歳始観心本尊抄 文永10年(1273.04.26) [p0702]
本朝沙門 日蓮 撰
摩訶止観第五に云く ̄夫一心具十法界。一法界又具十法界百法界。一界具三十種世間[世間与如是一也。開合異也]百法界即具三千種世間。此三千在一念心。若無心而已。介爾有心即具三千 乃至 所以称為不可思議境。意在於此等云云[或本云一界具三種世間]〔夫れ一心に十法界を具す。一法界に又十法界を具すれば百法界なり。一界に三十種の世間を具すれば[世間と如是と一也。開合の異也]百法界に即ち三千種の世間を具す。此の三千一念の心に在り。若し心無くんば而已。介爾も心有れば即ち三千を具す。乃至 所以に称して不可思議境と為す。意此に在り等云云[或本に云く一界に三種の世間を具す]〕。[p0702]
問て曰く 玄義に一念三千の名目を明かす乎。[p0702]
答て曰く 妙楽曰く 明かさず。[p0702]
問て曰く 文句に一念三千の名目を明かす乎。[p0702]
答て曰く 妙楽云く 明かさず。[p0702]
問て曰く 其の妙楽の釈、如何。[p0702]
答て曰く 並に未だ一念三千と云わず等云云。[p0702]
問て曰く 止観一二三四等に一念三千の名目を明かす乎。[p0702]
答て曰く 之無し。[p0702]
問て曰く 其の証、如何。[p0702]
答て曰く 妙楽云く ̄故至止観正明観法並以三千而為指南〔故に止観の正しく観法を明かすに至って、並びに三千を以て而も指南と為す〕等云云。[p0702]
疑て云く 玄義の第二に云く ̄又一法界具九法界百法界千如是〔又一法界に九法界を具すれば百法界に千如是〕等云云。文句第一に云く ̄一入具十法界一界又十界。十界各十如是即是一千〔一入に十法界を具すれば一界又十界なり。十界各十如是あれば即ち是一千〕等云云。観音玄に云く ̄十法界交互即有百法界。千種性相冥伏在心。雖不現前宛然具足〔十法界交互なれば即百法界有り。千種の性相冥伏して心に在り。現前せずと雖宛然として具足す〕等云云。[p0702]
問て曰く 止観の前の四に一念三千の名目を明かす乎。[p0702]
答て曰く 妙楽云く 明かさず。[p0702]
問て曰く 其の証、如何。[p0702]
答う 弘決第五に云く ̄若望正観全未論行。亦歴廿五法約事生解。方能堪為正修方便。是故前六皆属於解〔若し正観に望めば全く未だ行を論ぜず。亦廿五法に歴て事に約して解を生ず。方に能く正修の方便と為すに堪たり。是の故に前の六をば皆解に属す〕等云云。又云く ̄故至止観正明観法並以三千而為指南。乃是終窮究竟極説。故序中云説己心中所行法門。良有以也。請尋読者心無異縁〔故に止観の正く観法を明かすに至って、並びに三千を以て而も指南と為す。乃ち是れ終窮究竟の極説なり。故に序の中に説己心中所行法門と云う。良に以有る也。請う尋ね読まん者心に異縁無かれ〕等云云。[p0702-0703]
夫れ智者の弘法三十年。廿九年之間は玄文等の諸義を説いて五時八教百界千如を明し、前五百余年之間の諸非を責め、竝びに天竺の論師未だ述べざるを顕す。章安大師云く ̄天竺大論尚非其類。震旦人師何労及語。此非誇耀法相然耳〔天竺の大論、尚お其類に非ず。震旦の人師、何ぞ労しく語るに及ん。此れ誇耀に非ず、法相の然らしむる耳〕等云云。墓無き哉、天台の末学等、華厳・真言の元祖の盗人に一念三千の重宝を盗み取られて還って彼等が門家と成りぬ。章安大師兼ねて此の事を歎いて言く ̄斯言若墜将来可悲〔斯言若し墜ちなば将来悲しむべし〕云云。[p0703]
問て曰く 百界千如と一念三千と差別、如何。[p0703]
答て曰く 百界千如は有情界に限り、一念三千は情非情に亙る。[p0703]
不審して云く 非情に十如是れ亙らば草木に心有って有情の如く成仏を為すべきや、如何。[p0703]
答て曰く 此の事、難信難解也。天台の難信難解に二有り。一には教門の難信難解、二には観門の難信難解なり。其の教門の難信難解とは、一仏の所説に於て爾前の諸経には二乗闡提は未来永不成仏、教主釈尊は始成正覚なり。法華経迹本二門に来至して彼の二説を壊る。一仏二言水火也。誰人か之を信ぜん。此れは教門の難信難解也。観門の難信難解とは百界千如・一念三千にして非情之上の色心の二法の十如是、是れ也。爾りと雖も木画の二像に於ては外典・内典共に之を許して本尊と為す。其の義に於ては天台一家より出たり。草木之上に色心の因果を置かずんば木画の像を本尊に恃み奉ること無益也。[p0703]
疑て云く 草木国土之上の十如是の因果の二法は何れの文に出たる乎。[p0703]
答て曰く 止観第五に云く ̄国土世間亦具十種法。所以悪国土相性体力〔国土世間亦十種の法を具す。所以る悪国土相性体力〕等云云。釈籤第六に云く ̄相唯在色。性唯在心。体力作縁義兼色心。因果唯心。報唯在色〔相は唯色に在り。性は唯心に在り。体力作縁は義色心を兼ぬ。因果は唯心。報は唯色に在り〕等云云。金・論{こんべいろん}に云く ̄乃是一草一木一礫一塵各一仏性各一因果。具足縁了〔乃ち是れ一草一木一礫一塵各一仏性各一因果あり。縁了を具足す〕等云云。[p0703-0704]
問て曰く 出処既に之を聞く。観心之心、如何。[p0704]
答て曰く 観心とは我が己心を観じて十法界を見る。是れを観心と云う也。譬ば他人の六根を見ると雖も 未だ自面の六根を見ず自具の六根を知らず。明鏡に向う之時 始て自具の六根を見るが如し。設い諸経之中に所々に六道竝びに四聖を載すと雖も 法華経竝びに天台大師所述の摩訶止観等の明鏡を見ざれば 自具の十界百界千如一念三千を知らざる也。[p0704]
問て曰く 法華経は何れの文ぞ。天台の釈は如何。[p0704]
答て曰く 法華経第一方便品に云く_欲令衆生。開仏知見〔衆生をして仏知見を開かしめんと欲す〕等云云。是れは九界所具の仏界也。[p0704]
寿量品に云く_如是我成仏已来。甚大久遠。寿命無量。阿僧祇劫。常住不滅。諸善男子。我本行菩薩道。所成寿命。今猶未尽。復倍上数。〔是の如く我成仏してより已来甚だ大に久遠なり。寿命無量阿僧祇劫常住にして滅せず。諸の善男子、我本菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命、今猶お未だ尽きず。復上の数に倍せり〕等云云。此経文は仏界所具の九界也。[p0704]
経に云く_提婆達多 乃至 天王如来等云云。地獄界所具の仏界なり。経に云く_一名藍婆 乃至 汝等但能護持<汝等但能擁護>。受持法華名者。福不可量等云云。是れ餓鬼界所具の十界なり。[p0704]
経に云く_龍女 乃至 成等正覚等云云。此れ畜生界所具の十界也。[p0704]
経に云く_婆稚阿修羅王 乃至 聞一偈一句得阿耨多羅三藐三菩提等云云。修羅界所具の十界也。[p0704]
経に云く_若人為仏故 乃至 皆已成仏道〔若し人仏の為の故に 乃至 皆已に仏道を成じき〕等云云。此れ人間界所具の十界也。[p0704]
経に云く_大梵天王 乃至 我等亦如是 必当得作仏〔大梵天王 乃至 我等亦是の如く 必ず当に作仏して〕等云云。此れ天界界所具の十界也。[p0704]
経に云く_舎利弗 乃至 華光如来等云云。此れ声聞界所具の十界也。[p0704]
経に云く_其求縁覚者 比丘比丘尼 乃至 合掌以敬心 欲聞具足道〔其の縁覚を求むる者 比丘比丘尼 乃至 合掌し敬心を以て 具足の道を聞きたてまつらんと欲す〕等云云。此れ即ち縁覚界所具の十界也。[p0704-0705]
経に云く_地涌千界 乃至 真浄大法等云云。此れ即ち菩薩所具の十界也。[p0705]
経に云く_或説己身。或説他身〔或は己身を説き、或は他身を説き〕等云云。即ち仏界所具の十界也。[p0705]
問て曰く 自他の面の六根共に之を見る。彼此の十界に於ては未だ之を見ざる。如何が之を信ぜん。[p0705]
答て曰く 法華経法師品に云く_難信難解なり。見宝塔品に云く_六難九易等云云。天台大師云く ̄二門悉与昔反難信難解〔二門悉く昔と反すれば難信難解なり〕。章安大師云く ̄仏将此為大事。何可得易解也〔仏此れを将て大事と為す。何ぞ解し易きことを得べけん也〕等云云。伝教大師云く ̄此法華経最為難信難解。随自意故〔此の法華経は最も為れ難信難解なり。随自意の故に〕等云云。[p0705]
夫れ、在世の正機は過去の宿習厚き之上、教主釈尊・多宝仏・十方分身の諸仏・地涌千界・文殊・弥勒等、之を扶けて諌暁せしむるに猶お信ぜざる者之有り。五千席を去り人天移さる。況んや正像をや。何に況んや末法の初めを哉。汝之を信ぜば正法に非じ。[p0705]
問て曰く 経文竝びに天台・章安等の解釈は疑網無し。但し火を以て水と云い墨を以て白しと云う。設い仏説為りと雖も信を取り難し。今、数〈しばしば〉他面を見るに、但、人界に限って余界を見ず。自面も亦復是の如し。如何が信心を立てんや。[p0705]
答う 数他面を見るに或時は喜び、或時は瞋り、或時は平かに、或時は貪りを現し、或時は痴かを現し、或時は諂曲なり。瞋るは地獄、貪るは餓鬼、痴かは畜生、諂曲は修羅、喜ぶは天、平かなるは人也。他面の色法に於ては六道共に之有り。四聖は冥伏して現れざれども委細に之を尋ぬれば之有るべし。[p0705]
問て曰く 六道に於て分明ならずと雖も粗之を聞くに之を備うるに似たり。四聖は全く見えず。如何。[p0705]
答て曰く 前には人界の六道之を疑う。然りと雖も強いて之を言いて相似の言を出せり。四聖も又爾るべきか。試みに道理を添加して萬が一之を宣べん。所以、世間の無常眼前に有り。豈に人界に二乗界無からんや。無顧の悪人も猶お妻子を慈愛す。菩薩界の一分なり。但、仏界計り現じ難し。九界を具するを以て強いて之を信じ、疑惑せしむること勿れ。法華経の文に人界を説いて云く_欲令衆生。開仏知見〔衆生をして仏知見を開かしめんと欲す〕。涅槃経に云く_学大乗者雖有肉眼名為仏眼〔大乗を学する者は肉眼有りと雖も名けて仏眼と為す〕等云云。末代の凡夫出生して法華経を信ずるは人界に仏界を具足する故なり。[p0705-0706]
問て曰く 十界互具の仏語分明なり。然りと雖も我等が劣心に仏法界を具すること、信を取り難き者也。今時、之を信ぜずば必ず一闡提と成らん。願わくは大慈悲を起こして之を信ぜしめ、阿鼻の苦を救護したまえ。[p0706]
答て曰く 汝既に_唯一大事因縁の経文を見聞して之を信ぜざれば、釈尊より已下の四依の菩薩、竝びに末代理即の我等、如何が汝が不信を救護せんや。然りと雖も試みに之を言わば、仏に値いたてまつりて覚らざる者は、阿難等の辺にして、得道する者之有り。其れ、機に二有り。一には仏を見たてまつり、法華にして得道す。二には仏を見たてまつらざれども法華にて得道する也。其の上、仏前の漢土の道士・月支の外道儒教・四韋陀等を以て縁と為して正見に入る者之有り。又利根の菩薩・凡夫等の華厳・方等・般若等の諸大乗経を聞きし縁を以て大通久遠の下種を顕示する者多々也。例せば独覚の飛花落葉の如し。教外の得道是れ也。過去の下種結縁無き者、権小に執着する者は、設い法華経に値い奉るとも小権の見を出ず。自見を以て正義と為るが故に、還って法華経を以て、或は小乗経に同じ、或は華厳大日経等に同じ、或は之を下す。此れ等の諸師は儒家・外道の賢聖より劣れる者也。此れ等は且く之を置く。十界互具、之を立つるは石中の火、木中の花。信じ難けれども縁に値いて出生すれば之を信ず。人界所具の仏界は水中の火、火中の水。最も甚だ信じ難し。然りと雖も龍火は水より出、龍水は火より生ず。心得られざれども現証有れば之を用ゆ。既に人界の八界之を信ず。仏界何ぞ之を用いざらん。尭舜等の聖人の如きは万民に於て偏頗なし。人界の仏界の一分也。不軽菩薩は所見の人に於て仏身を見る。悉達太子は人界より仏身を成ず。此れ等の現証を以て之を信ずべきなり。[p0706-0707]
問て曰く 教主釈尊は[之より堅固に之を秘せ]三惑已断の仏也。又、十方世界の国主、一切の菩薩・二乗・人天等の主君也。行く時は梵天左に在り、帝釈は右に侍り、四衆八部後に聳え、金剛前に導き、八万宝蔵を演説して一切衆生を得脱せしむ。是の如き仏陀は何を以て我等凡夫之己心に住せしめん乎。[p0707]
又、迹門・爾前之意を以て之を論ずれば、教主釈尊は始成正覚の仏也。過去の因行を尋ね求むれば、或は能施太子、或は儒童菩薩、或は尸毘王、或は薩・王子{さったおうじ}。或は三祇百劫、或は動逾塵劫、或は無量阿僧祇劫、或は初発心時、或は三千塵点等之間、七万五千・六千・七千等之仏を供養し、劫を積み行を満じて、今、教主釈尊と成りたもう。是の如き因位の諸行は、皆、我等が己心所具の菩薩界の功徳か。果位を以て之を論ずれば、教主釈尊は始成正覚之仏、四十余年之間、四教の色身を示現し、爾前・迹門・涅槃経等を演説して一切衆生を利益したもう。所謂、華蔵之時十方臺上の盧舎那、阿含経の三十四心断結成道の仏、方等般若の千仏等、大日金剛頂等の千二百余尊、竝びに迹門宝塔品の四土色身、涅槃経の或は丈六と見る、或は小身大身と現る、或は盧舎那と見る、或は身虚空に同じと見る四種の身、乃至、八十御入滅して舎利を留めて正像末を利益したもう。[p0707]
本門を以て之を疑わば、教主釈尊は五百塵点已前の仏なり。因位も又是の如し。其れより已来、十方世界に分身し、一代聖教を演説して塵数の衆生を教化したもう。本門の所化を以て迹門の所化に比校すれば、一・{いったい}と大海、一塵と大山と也。本門の一菩薩を、迹門の十方世界の文殊・観音等に対向すれば、猿猴を以て帝釈に比するに、尚お及ばず。其の外十方世界の断惑証果の二乗、竝びに梵天・帝釈・日月・四天・四輪王、乃至、無間大城の大火炎等、此れ等は皆、我が一念の十界歟。己心の三千歟。仏説為りと雖も之を信ずべからず。[p0707-0708]
此れを以て之を思うに、爾前の諸経は実事也、実語也。華厳経に云く_究竟離虚妄無染如虚空〔究竟して虚妄を離れ、染まら無きこと虚空の如し〕。仁王経に云く_窮源尽性妙智在〔源を窮め、性を尽くして、妙智在せり〕。金剛般若経に云く_有清浄善〔清浄の善のみ有り〕。馬鳴菩薩の起信論に云く ̄如来蔵中有清浄功徳〔如来蔵の中に清浄の功徳のみ有り〕。天親菩薩の唯識論に云く ̄謂余有漏劣無漏種金剛喩定現在前時引極円明純浄本識。非彼依故皆永棄捨〔謂わく、余の有漏と劣の無漏の種とは、金剛喩定現在前する時、極円明純浄本識を引く。彼依に非ざるが故に、皆、永く棄捨す〕等云云。[p0708]
爾前の経々と法華経と之を校量するに、彼の経々は無数也、時説既に長し。一仏二言ならば彼に付くべし。馬鳴菩薩は付法蔵第十一の仏記之有り。天親は千部の論師、四依の大士也。天台大師は辺鄙の小僧にして一論をも宣べず。誰か之を信ぜん。其の上、多を捨て小に付けども法華経の文分明ならば少し恃怙有らん。法華経の文何れの所にか十界互具・百界千如・一念三千の分明なる証文之有りや。[p0708]
随って経文を開・{かいたく}するに ̄断諸法中悪等云云。天親菩薩の法華論にも、堅慧菩薩の宝性論にも十界互具之無く、漢土南北の諸大人師、日本七寺の末師之中にも此の義無し。但、天台一人の僻見也。伝教一人の謬伝也。[p0708]
故に清凉国師の云く ̄天台之謬〔天台之謬りなり〕。恵苑法師の云く ̄然以天台呼小乗為三蔵教其名謬濫〔然るに天台は小乗を呼んで三蔵教と為し其の名謬濫するを以て〕等云云。了洪の云く ̄天台独未尽華厳之意〔天台独り未だ華厳之意を尽くさず〕等云云。得一の云く 咄哉智公汝是誰弟子。以不足三寸舌根而謗覆面舌之所説教時〔咄哉智公汝は是れ誰が弟子ぞ。三寸に足らざる舌根を以て而も覆面舌之所説の教時を謗ず〕等云云。弘法大師の云く 震旦人師等諍盗醍醐各名自宗〔震旦の人師等諍って醍醐を盗んで各々自宗に名づく〕等云云。[p0708]
夫れ、一念三千の法門は一代の権実に名目を削り、四依の諸論師、其の義を載せず。漢土、日域の人師も之を用いず。如何が之を信ぜん。[p0708]
答て曰く 此の難、最も甚だし、最も甚だし。但し諸経と法華との相違は経文より事起りて分明なり。未顕と已顕と、証明と舌相と、二乗の成不と、始成と久成と等之を顕す。諸論師の事は天台大師云く ̄天親龍樹内鑒冷然。外適時宜各権所拠〔天親・龍樹、内鑒冷然にして、外は時の宜しきに適い各権りに拠る所あり〕。而るに人師偏に解し学者苟くも執し遂に矢石を興し各一辺を保して大に聖道に乖けり等云云。章安大師云く ̄天竺大論尚非其類。真旦人師何労及語。此非誇耀法相然耳〔天竺の大論、尚お其類に非ず。真旦の人師、何ぞ労しく語るに及ばん。此れ誇耀に非ず、法相の然らしむる耳〕等云云。天親・龍樹・馬鳴・堅慧等は内鑒冷然なり。然りと雖も、時、未だ至らざる故に之を宣べざるか。人師に於ては天台已前は、或は珠を含み、或は一向に之を知らず。已後の人師は、或は初めに之を破して後に帰伏する人有り、或は一向に用いざる者之有り。[p0708-0709]
但し_断諸法中悪の経文を会すべき也。彼は法華経に爾前を載する経文也。往いて之を見よ。経文分明に十界互具之を説く。所謂、_欲令衆生。開仏知見〔衆生をして仏知見を開かしめんと欲す〕等と云云。天台、此の経文を承けて云く ̄若衆生無仏知見何所論開。当知仏之知見蘊在衆生〔若し衆生に仏知見無くんば、何ぞ開を論ずる所あらん。当に知るべし、仏之知見、衆生に蘊在することを〕云云。章安大師の云く ̄衆生若無仏之知見何所開悟。若貧女無蔵何所示也〔衆生に若し仏之知見無くんば何ぞ開悟する所あらん。若し貧女に蔵無くんば何ぞ示す所あらん也〕等云云。[p0709]
但し会し難き所は上の教主釈尊等の大難也。此の事を仏遮会して云く_已今当説最為難信難解と。次下の六難九易、是れ也。天台大師の云く ̄二門悉与昔反難信難解。当鉾難事〔二門悉く昔と反すれば難信難解なり。鉾に当るの難事なり〕。章安大師の云く  ̄仏将此為大事。何可得易解耶〔仏此れを将て大事と為す。何ぞ解し易きことを得べけん耶〕等云云。伝教大師云く ̄此法華経最為難信難解。随自意故〔此の法華経は最も為れ難信難解なり。随自意の故に〕等云云。[p0709]
夫れ、仏より滅後一千八百余年に至るまで、三国に経歴して、但、三人のみ有って此の正法を覚知せり。所謂、月支の釈尊・真旦の智者大師・日域の伝教。此の三人は内典の聖人也。[p0709]
問て曰く 龍樹・天親等は如何。[p0709]
答て曰く 此れ等の聖人は知って而も之を言はざる仁也。或は迹門の一分、之を宣べて本門と肝心とを云わず。或は機有って時無きか。或は機時共に之無きか。天台・伝教已後は之を知る者多々也。二聖の智を用うるが故也。所謂、三論の嘉祥・南三北七の百余人・華厳宗の法蔵清凉等・法相宗の玄奘三蔵慈恩大師等・真言宗の善無畏三蔵金剛智三蔵不空三蔵等・律宗の道宣等、初めには反逆を存し、後には一向に帰伏せし也。[p0709-0710]
但し初めの大難を遮せば、無量義経に云く_譬如。国王夫人。新生王子。若一日。若二日。若至七日。若一月。若二月。若至七月。若一歳。若二歳。若至七歳。雖復不能。領理国事。已為臣民。之所宗敬。諸大王子。以為伴侶。王及夫人。愛心偏重。常与共語。所以者何。以稚小故。善男子。是持経者。亦復如是。諸仏国王。是経夫人。和合共生。是菩薩子。若菩薩得聞是経。若一句。若一偈。若一転。若二転。若十。若百。若千。若万。若億万。恒河沙。無量無数転。雖復不能。体真理極 乃至 常為諸仏。之所護念。慈愛偏覆。以新学故〔譬えば国王と夫人と、新たに王子を生ぜん。若しは一日若しは二日若しは七日に至り、若しは一月若しは二月若しは七月に至り、若しは一歳若しは二歳若しは七歳に至り、復国事を領理すること能わずと雖も已に臣民に宗敬せられ、諸の大王の子を以て伴侶とせん、王及び夫人、愛心偏に重くして常に与みし共に語らん。所以は何ん、稚小なるを以ての故にといわんが如く、善男子、是の持経者も亦復是の如し。諸仏の国王と是の経の夫人と和合して、共に是の菩薩の子を生ず。若し菩薩是の経を聞くことを得て、若しは一句、若しは一偈、若しは一転、若しは二転、若しは十、若しは百、若しは千、若しは万、若しは億万・恒河沙無量無数転せば、復真理の極を体ること能わずと雖も 乃至 已に一切の四衆・八部に宗み仰がれ、諸の大菩薩を以て眷属とせん。深く諸仏秘密の法に入って、演説する所違うことなく失なく、常に諸仏に護念し慈愛偏に覆われん、新学なるを以ての故に〕等云云。[p0710]
普賢経に云く_此大乗経典。諸仏宝蔵。十方三世。諸仏眼目 出生三世諸如来種 乃至 汝行大乗。不断仏種<不断法種>〔此の大乗経典は諸仏の宝蔵なり。十方三世の諸仏の眼目なり。三世の諸の如来を出生する種なり 乃至 汝大乗を行じて仏種<法種>を断ざれ〕等云云。[p0710]
又云く_此方等経。是諸仏眼。諸仏因是。得具五眼。仏三種身。従方等生。是大法印。印涅槃海。如此海中。能生三種。仏清浄身。此三種身。人天福田〔此の方等経は是れ諸仏の眼なり。諸仏は是れに因って五眼を具することを得たまえり。仏の三種の身は方等より生ず。是れ大法印なり、涅槃の海に印す。此の如き海中より能く三種の仏の清浄の身を生ず。此の三種の身は人天の福田等〕云云。[p0710]
夫れ以れば、釈迦如来の一代顕密大小二経、華厳・真言等の諸宗の依経、往いて之を勘うるに、或は十方臺葉毘盧遮那仏・大集雲集の諸仏如来・般若染浄の千仏示現・大日金剛頂等の千二百尊、但、其の近因近果を演説して其の遠の因果を顕さず。速疾頓成、之を説けども三五の遠化を亡失し、化導の始終、跡を削りて見えず。華厳経・大日経等は、一往之を見るに別円・四蔵等に似れども、再往之を勘うれば蔵通二経に同じて未だ別円にも及ばず。本有の三因之無し、何を以てか仏の種子を定めん。而るに新訳の訳者等漢土に来入するの日、天台の一念三千の法門を見聞して、或は自らの所持の経々に添加し、或は天竺より受持する之由、之を称す。天台の学者等、或は自宗に同ずるを悦び、或は遠を貴んで近を蔑ろにし、或は旧を捨てて新を取り、魔心愚心出来す。然りと雖も詮ずる所は一念三千の仏種に非ざれば有情の成仏・木画二像之本尊は有名無実也。[p0710-0711]
問て曰く 上の大難、未だ其の会通を聞かず、如何。[p0711]
答て曰く 無量義経に云く_雖未得修行。六波羅蜜。六波羅蜜。自然在前〔未だ六波羅蜜を修行することを得ずと雖も、六波羅蜜自然に在前す〕等云云。法華経に云く_欲聞具足道〔具足の道を聞かんと欲す〕等云云。涅槃経に云く_薩者名具足〔薩とは具足のに名く〕等云云。龍樹菩薩の云く ̄薩者六也〔薩とは六なり〕等云云。無依無得大乗四論玄義記に云く ̄沙者訳云六。胡法以六為具足義也〔沙とは訳して六と云う。胡の法には六を以て具足の義と為す也〕。吉蔵の疏に云く ̄〔沙飜為具足〔沙とは飜して具足と為す〕。天台大師の云く ̄薩者梵語。此妙飜〔薩とは梵語。此れには妙と飜す〕等云云。[p0711]
私に会通を加えば本文を黷すが如し。爾りと雖も、文の心は、釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等、此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与えたもう。[p0711]
四大声聞の領解に云く_無上宝珠<無上宝聚> 不求自得〔無上の宝珠<宝聚> 求めざるに自ら得たり〕云云。我等が己心の声聞界也。_如我等無異 如我昔所願 今者已満足 化一切衆生 皆令入仏道〔我が如く等しくして異なること無し 我が昔の所願の如き 今は已に満足しぬ 一切衆生を化して 皆仏道に入らしむ〕。妙覚の釈尊は我等が血肉也。因果の功徳は骨髄に非ずや。宝塔品に云く_其有能護 此経法者 則為供養 我及多宝 [p0712]乃至 亦復供養 諸来化仏 荘厳光飾 諸世界者〔其れ能く 此の経法を護ることあらん者は 則ち為れ 我及び多宝を供養するなり 乃至 亦復 諸の来りたまえる化仏の 諸の世界を 荘厳し光飾したもう者を供養するなり〕等云云。釈迦多宝十方の諸仏は我が仏界也。其の跡を紹継して其の功徳を受得す。須臾聞之。即得究竟阿耨多羅三藐三菩提〔須臾も之を聞かば即ち阿耨多羅三藐三菩提を究竟することを得ん〕とは是れ也。寿量品に云く 然我実成仏已来<然善男子。我実成仏已来>。無量無辺。百千万億。那由他劫〔然るに<善男子>我実に成仏してより已来無量無辺百千万億那由他劫なり〕等云云。我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所願の三身にして、無始の古仏也。経に云く_我本行菩薩道。所成寿命。今猶未尽。復倍上数〔我本菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命、今猶お未だ尽きず。復上の数に倍せり〕等云云。我等が己心の菩薩等也。地涌千界の菩薩は己心の釈尊の眷属也。例せば太公・周公旦等は周武の臣下、成王幼稚の眷属、武内の大臣は神功皇后の棟梁、仁徳王子の臣下なるが如し也。上行・無辺行・浄行・安立行等は我等が己心の菩薩也。妙楽大師云く 当知身土一念三千。故成道時称此本理一身一念遍於法界〔当に知るべし、身土は一念三千なり。故に成道の時此の本理に称うて一身一念法界に遍ねし〕等云云。[p0711-0712]
夫れ始め寂滅道場華蔵世界より沙羅林に終るまで五十余年之間、華厳・密厳・三変・四見等之三土四土は、皆、成劫之上の無常上の土に変化する所の方便・実報・寂光・安養・浄瑠璃・密厳等也。能変の教主涅槃に入れば、所変の諸仏随って滅尽す。土も又以て是の如し。今、本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出たる常住の浄土なり。仏、既に過去にも滅せず未来にも生ぜず。所化、以て同体なり。此れ即ち己心の三千具足三種の世間也。迹門十四品に未だ之を説かず。法華経の内に於ても時機未熟の故か。此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては、仏、猶お文殊・薬王等にも之を付属したまはず。何に況んや其の已下をや。但地涌千界を召して八品を説いて之を付属したもう。[p0712]
其の本尊の為体〈ていたらく〉、本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士は上行等の四菩薩、文殊弥勒等の四菩薩は眷属として末座に居し、迹化・他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月郷を見るが如し。十方の諸仏は大地の上に処したもう。迹仏迹土を表する故也。是の如き本尊は在世五十余年に之無し。八年之間、但、八品に限る。正像二千年之間、小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士と為し、権大乗竝びに涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊・普賢等を以て脇士と為す。此れ等の仏を正像に造り画けども未だ寿量の仏有さず。末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか。[p0712-0713]
問う 正像二千余年之間、四依の菩薩竝びに人師等、余仏、小乗・権大乗・爾前・迹門の釈尊等の寺塔を建立すれども、本門寿量品の本尊竝びに四大菩薩をば三国の王臣倶に未だ之を崇重せざる由、之を申す。此の事、粗〈ほぼ〉之を聞くと雖も、前代未聞の故に耳目を驚動し心意を迷惑す。請う、重ねて之を説け。委細に之を聞かん。[p0713]
答て曰く 法華経一部八巻二十八品、進んでは前四味、退いては涅槃経等の一代諸経惣じて之を括るに但一経なり。始め寂滅道場より終り般若経に至るまでは序分也。無量義経・法華経・普賢経の十巻は正宗也。涅槃経等は流通分也。[p0713]
正宗の十巻の中に於て亦序正流通有り。無量義経竝びに序品は序分也。方便品より分別功徳品十九行の偈に至る十五品半は正宗分なり。分別功徳品の現在の四信より普賢経に至る十一品半と一巻は流通分也。[p0713]
亦、法華経等の十巻に於ても二経有り。各序正流通を具する也。無量義経と序品は序分なり。方便品より人記品に至る八品は正宗分なり。法師品より安楽行品に至る五品は流通分なり。其の教主を論ずれば始成正覚の仏。本無今有の百界千如を説いて已今当に超過せる随自意難信難解の正法也。過去の結縁を尋ぬれば大通十六之時仏果の下種を下し、進んでは華厳経等の前四味を以て助縁と為して大通の種子を覚知せしむ。此れは仏の本意に非ず。但、毒発等の一分也。二乗・凡夫等は前四味を縁とし、漸々に法華に来至して種子を顕し開顕を遂ぐるの機、是れ也。又、在世に於て始めて八品を聞く人天等、或いは一句一偈等を聞いて下種と為し、或は熟し、或は脱し、或は普賢・涅槃等に至り、或は正像末等に小権等を以て縁と為して法華に入る。例せば在世の前四味の者の如し。[p0713-0714]
又、本門十四品の一経に序正流通有り。涌出品の半品を序分と為し、寿量品と前後の二半、此れを正宗と為す。其の余は流通分也。其の教主を論ずれば始成正覚の釈尊に非ず。所説の法門も、亦、天地の如し。十界久遠之上に国土世間既に顕る。一念三千、殆ど竹膜を隔てたり。又、迹門竝びに前四味・無量義経・涅槃経等の三説は悉く随他意・易信易解。本門は三説の外の難信難解・随自意也。[p0714]
又、本門に於ても序正流通有り。過去大通仏の法華経より、乃至、現在の華厳経、乃至、迹門十四品・涅槃経等の一代五十余年の諸経、十方三世諸仏の微塵の経々は皆無量の序分也。一品二半より之外は小乗経・邪教・未得道教・覆相教と名く。其の機を論ずれば徳薄垢重・幼稚・貧窮・孤露にして禽獣に同じ也。爾前迹門の円教すら尚お仏因に非ず。何に況んや大日経等の諸小乗経をや。何に況んや華厳・真言等の七宗等の論師人師の宗をや。与えて之を論ずれば前三教を出ず。奪って之を云えば蔵通に同ず。設い法は甚深と称すとも未だ種熟脱を論ぜず。還って灰断に同じ。化に始終無しとは是れ也。譬えば王女為りと雖も畜種を懐妊すれば其の子尚お旃陀羅に劣れるが如し。此れ等は且く之を閣く。迹門十四品の正宗の八品は一往之を見るに二乗を以て正と為し菩薩・凡夫を以て傍と為す。再往之を勘うれば凡夫、正像末を以て正と為す。正像末の三時之中にも末法の始めを以て正が中の正と為す。[p0714-0715]
問て曰く 其の証如何。[p0715]
答て曰く 法師品に云く_如来現在。猶多怨嫉。況滅度後〔而も此の経は如来の現在すら猶お怨嫉多し、況んや滅度の後をや〕。宝塔品に云く_令法久住 乃至 所来化仏<所集化仏> 当知此意〔法をして久しく住せしむ 乃至 来れる<集むる>所の化仏 当に此の意を知るべし〕等。勧持・安楽等、之を見るべし。迹門是の如し。本門を以て之を論ずれば、一向に末法之初めを以て正機と為す。所謂、一往之を見る時は久種を以て下種と為し、大通・前四味・迹門を熟と為して、本門に至って等妙に登らしむ。再往之を見れば迹門には似ず。本門は序正流通倶に末法之始めを以て詮と為す。在世の本門と末法之初めは一同に純円なり。但し彼は脱、此れは種也。彼は一品二半、此れは但題目の五字也。[p0715]
問て曰く 其の証文、如何。[p0715]
答て云く 涌出品に云く _爾時他方国土。諸来菩薩摩訶薩。過八恒河沙数。於大衆中。起立合掌作礼。而白仏言。世尊。若聴我等。於仏滅後。在此娑婆世界。勤加精進。護持読誦。書写供養。是経典者。当於此土。而広説之。爾時仏告。諸菩薩摩訶薩衆。止善男子。不須汝等。護持此経〔爾の時に他方の国土の諸の来れる菩薩摩訶薩の八恒河沙の数に過ぎたる、大衆の中に於て起立し合掌し礼を作して、仏に白して言さく、世尊、若し我等仏の滅後に於て此の娑婆世界に在って、勤加精進して是の経典を護持し読誦し書写し供養せんことを聴したまわば、当に此の土に於て広く之を説きたてまつるべし。爾の時に仏、諸の菩薩摩訶薩衆に告げたまわく、止みね、善男子、汝等が此の経を護持せんことを須いじ〕等云云。法師より已下の五品の経文前後水火也。宝塔品の末に云く_以大音声。普告四衆。誰能於此。娑婆国土。広説妙法華経〔大音声を以て普く四衆に告げたまわく、誰か能く此の娑婆国土に於て広く妙法華経を説かん〕等云云。[p0715]
設い教主一仏為りと雖も之を将勧したまはば、薬王等の大菩薩・梵帝・日月・四天等は重んずべき之処に、多宝仏・十方の諸仏、客仏と為って之を諌暁したもう。諸の菩薩等は此の慇懃の付属を聞いて_我不愛身命の誓願を立つ。此れ等は偏に仏意に叶はんが為也。而るに須臾之間に仏語相違して過八恒沙の此土の弘経を制止したもう。進退惟れ谷る、凡智に及ばず。[p0715]
天台智者大師、前三後三の六釈を作って之を会す。所詮、迹化・他方の大菩薩等に我が内証の寿量品を以て授与すべからず。末法の初めは謗法の国、悪機なる故に之を止め、地涌千界の大菩薩を召して、寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしめたもう也。又、迹化の大衆は釈尊の初発心の弟子等に非ざるが故也。天台大師の云く ̄是我弟子応弘我法〔是れ我が弟子なり、応に我が法を弘むべし〕。妙楽の云く ̄子弘父法有世界益〔子、父の法を弘む。世界の益有り〕。輔正記に云く ̄以法是久成法故付久成人〔法是れ久成の法なるを以ての故に久成の人に付す〕等云云。[p0715-0716]
又、弥勒菩薩疑請して云く 経に云く_我等雖復信仏。随宜所説。仏所出言。未曾虚妄。仏所知者。皆悉通達。然諸新発意菩薩。於仏滅後。若聞是語。或不信受。而起破法。罪業因縁。唯願世尊<唯然世尊>。願為解説。除我等疑。及未来世。諸善男子。聞此事已。亦不生疑〔我等は復仏の随宜の所説・仏の所出の言、未だ曾て虚妄ならずと信じ、仏の所知は、皆悉く通達すと雖も、然も諸の新発意の菩薩、仏の滅後に於て若し是の語を聞かば、或は信受せずして法を破する罪業の因縁を起さん。唯願<然>世尊、願わくは為に解説して我等が疑を除きたまえ。及び未来世の諸の善男子、此の事を聞き已りなば亦疑を生ぜじ〕等云云。文の意は寿量の法門は滅後の為に之を請ずる也。[p0716]
寿量品に云く_或失本心。或不失者 乃至 不失心者。見此良薬。色香倶好。即便服之。病尽除愈〔或は本心を失える或は失わざる者あり。乃至 心を失わざる者は、此の良薬の色・香倶に好きを見て即ち之を服するに、病尽く除こり愈えぬ〕等云云。久遠下種・大通結縁・乃至前四味・迹門等の一切の菩薩・二乗・人天等の本門に於て得道する、是れ也。[p0716]
経に云く_余心失者。見其父来。雖亦歓喜問訊。求索治病。然与其薬。而不肯服。所以者何。毒気深入。失本心故。於此好色香薬。而謂不美 乃至 我今当設方便。令服此薬 乃至 是好良薬。今留在此。汝可取服。勿憂不差。作是教已。復至他国。遣使還告〔余の心を失える者は其の父の来れるを見て、亦歓喜し問訊して病を治せんことを求索むと雖も、然も其の薬を与うるに而も肯えて服せず。所以は何ん、毒気深く入って本心を失えるが故に、此の好き色・香ある薬に於て美からずと謂えり。乃至 我今当に方便を設けて此の薬を服せしむべし。乃至 是の好き良薬を今留めて此に在く。汝取って服すべし、差えじと憂うることなかれと。是の教を作し已って復他国に至り、使を遣わして還って告ぐ〕等云云。分別功徳品に云く 悪世末法時〔悪世末法の時〕等云云。[p0716]
問て曰く 此の経文の遣使還告は如何。[p0716]
答て曰く 四依也。四依に四類有り。小乗の四依は多分は正法の前の五百年に出現す。大乗の四依は多分は正法の後の五百年に出現す。三に迹門の四依は多分は像法一千年、少分は末法の初め也。四に本門の四依地涌千界は末法の始めに必ず出現すべし。今の遣使還告は地涌也。是好良薬とは寿量品の肝要たる名体宗用教の南無妙法蓮華経是也。此の良薬をば、仏、猶お迹化に授与したまはず。何に況んや他方をや。神力品に云く_爾時千世界。微塵等菩薩摩訶薩。従地涌出者。皆於仏前。一心合掌。瞻仰尊顔。而白仏言。世尊。我等於仏滅後。世尊分身。所在国土。滅度之処。当広説此〔爾の時に千世界微塵等の菩薩摩訶薩の地より涌出せる者、皆仏前に於て一心に合掌して尊顔を瞻仰して、仏に白して言さく、世尊我等仏の滅後、世尊分身所在の国土・滅度の処に於て、当に広く此~を説くべし〕等云云。天台云く ̄但見下方発誓〔但下方の発誓のみを見たり〕等云云。道暹云く ̄付嘱者此経唯付下方涌出菩薩。何故爾。由法是久成之法故付久成之人〔付嘱とは此の経をば唯下方涌出の菩薩に付す。何が故に爾る。法是れ久成之法なるに由るが故に久成之人に付す〕等云云。[p0716-0717]
夫れ、文殊師利菩薩は東方金色世界の不動仏の弟子、観音は西方無量寿仏の弟子、薬王菩薩は日月浄明徳仏の弟子、普賢菩薩は宝威仏の弟子。一往、釈尊の行化を扶けんが為に娑婆世界に来入す。又、爾前・迹門の菩薩也。本法所持の人に非ざれば末法の弘法に足らざるか。[p0717]
経に云く_爾時世尊 乃至 一切衆前。現大神力。出広長舌。上至梵世 乃至 十方世界。衆宝樹下。師子座上諸仏。亦復如是。出広長舌〔爾の時に世尊、乃至 一切の衆の前に於て、大神力を現じたもう。広長舌を出して上梵世に至らしめ、乃至 十方世界〔を照したもう〕。衆の宝樹下の師子座上の諸仏も亦復是の如く、広長舌を出し〕等云云。[p0717]
夫れ、顕密二道、一切の大小乗経の中に、釈迦・諸仏並び坐し、舌相梵天に至る文、之無し。阿弥陀経の広長舌相三千を覆うは有名無実なり。般若経の舌相三千光を放ち、般若を説きしも全く証明に非ず。此れ皆兼帯の故、久遠を覆相する故也。是の如く、十神力を現じて地涌の菩薩に妙法の五字を嘱累して云く 経に云く_爾時仏告。上行等菩薩大衆。諸仏神力。如是無量無辺。不可思議。若我以是神力。於無量無辺。百千万億阿僧祇劫。為嘱累故。説此経功徳。猶不能尽。以要言之。如来一切。所有之法。如来一切。自在神力。如来一切。秘要之蔵。如来一切。甚深之事。皆於此経。宣示顕説〔爾時に仏、上行等の菩薩大衆に告げたまわく、諸仏の神力は是の如く無量無辺不可思議なり。若し我是の神力を以て無量無辺百千万億阿僧祇劫に於て、嘱累の為の故に此の経の功徳を説かんに、猶お尽くすこと能わじ。要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法・如来の一切の自在の神力・如来の一切の秘要の蔵・如来の一切の甚深の事、皆此の経に於て宣示顕説す〕等云云。天台云く ̄従爾時仏告上行下第三結要付嘱〔爾時仏告上行より下は第三結要付嘱なり〕云云。伝教云く ̄又神力品云 以要言之如来一切所有之法 乃至 宣示顕説[已上経文]明知果分一切所有之法 果分一切自在神力 果分一切秘要之蔵 過分一切甚深之事 皆於法華宣示顕説也〔又神力品に云く 以要言之如来一切所有之法 乃至 宣示顕説已上経文明らかに知んぬ果分の一切の所有之法・果分の一切の自在神力・果分の一切の秘要之蔵・過分の一切の甚深之事・皆法華に於て宣示顕説する也〕等云云。[p0717-0718]
此の十神力は妙法蓮華経の五字を以て上行・安立行・浄行・無辺行等の四大菩薩に授与したもうなり。前の五神力は在世の為、後の五神力は滅後の為。爾りと雖も、再往、之を論ずれば一向に滅後の為也。故に次下の文に云く_以仏滅度後 能持是経故 諸仏皆歓喜 現無量神力〔仏の滅度の後に 能く是の経を持たんを以ての故に 諸仏皆歓喜して 無量の神力を現じたもう〕等云云。次下の嘱累品に云く_爾時釈迦牟尼仏。従法座起。現大神力。以右手摩。無量菩薩摩訶薩頂 乃至 今以付嘱汝等〔爾の時に釈迦牟尼仏、法座より起って大神力を現じたもう。右の手を以て、無量の菩薩摩訶薩の頂を摩でて、乃至 今以て汝等に付嘱す〕等云云。地涌の菩薩を以て頭と為して、迹化・他方、乃至、梵釈・四天等に此の経を嘱累したもう。_十方来。諸分身仏。各還本土 乃至 多宝仏塔。還可如故〔十方より来れる諸の分身の仏各本土に還りたもう。乃至 多宝仏の塔還って故の如くしたもうべし〕等云云。薬王品已下、乃至、涅槃経等は地涌の菩薩去り了って迹化の衆・他方の菩薩等の為に重ねて之を付嘱したもう。・拾遺嘱{くんじゅういぞく}、是れ也。[p0718]
疑て云く 正像二千年之間に地涌千界、閻浮提に出現して此の経を流通するか。[p0718]
答て曰く 爾らず。[p0718]
驚て云く 法華経竝びに本門は、仏の滅後を以て本と為して、先ず地涌千界に之を授与す。何ぞ正像に出現して此の経を弘通せざるや。[p0718]
答て云く 宣べず。[p0718]
重ねて問て云く 如何。[p0718]
答う 之を宣べず。[p0718]
又、重ねて問う 如何。[p0718]
答て曰く 之を宣べば一切世間の諸人、威音王仏の末法の如く、又、我が弟子の中にも粗之を説かば、皆、誹謗を為すべし。黙止せんのみ。[p0718]
求めて云く 説かずんば、汝、慳貪に堕せん。[p0718]
答て曰く 進退惟れ谷れり。試みに粗之を説かん。法師品に云く_況滅度後。寿量品に云く_今留在此。分別功徳品に云く_悪世末法時。薬王品に云く_後五百歳於閻浮提広宣流布〔後の五百歳、閻浮提に於て広宣流布せん〕。涅槃経に云く_譬如七子。父母非不平等然於病者心則偏重〔譬えば七子あり。父母、平等ならざるに非ざれども、然も病者に於て心則ち偏に重きが如し〕等云云。[p0718-0719]
已前の明鏡を以て仏意を推知するに、仏の出世は霊山八年の諸人の為に非ず。正像末の人の為也。又、正像二千年の人の為に非ず。末法の始め、予が如き者の為也。然於病者と云うは滅後の法華経誹謗の者を指す也。_今留在此〔今留めて此に在く〕とは_於此好色香薬。而謂不美〔此の好き色・香ある薬に於て美からずと謂えり〕の者を指すなり。[p0719]
地涌千界は正像に出でざるは、正法一千年之間は小乗・権大乗也。機時共に之無し。四依の大士、小権を以て縁と為して在世の下種之を脱せしむ。謗多くして熟益を破るべき故に之を説かず。例せば在世の前四味の機根の如し也。像法の中末に観音・薬王・南岳・天台等と示現し、出現して、迹門を以て面と為し、本門を以て裏と為して、百界千如・一念三千其の義を尽くせり。但、理具を論じて事行の南無妙法蓮華経の五字、竝びに本門の本尊未だ広く之を行ぜず。所詮、円機有って円時無き故也。[p0719]
今、末法の初め、小を以て大を打ち、権を以て実を破し、東西共に之を失し、天地顛倒せり。迹化の四依は隠れて現前せず。諸天、其の国を棄て之を守護せず。此の時、地涌の菩薩、始めて世に出現し、但、妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ。因謗堕悪必因得益とは是也。我が弟子之を惟え。地涌千界は教主釈尊の初発心の弟子也。寂滅道場にも来らず、雙林最後にも訪わず、不孝の失之有り。迹門十四品にも来らず。本門六品にも座を立ち、但、八品の間に来還せり。是の如き高貴の大菩薩、三仏に約足して之を受持す。末法の初めに出ざるべきか。当に知るべし、此の四菩薩は、折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し、摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す。[p0719]
問て曰く 仏の記文は云何。[p0719-0720]
答て曰く_後五百歳於閻浮提広宣流布〔後の五百歳、閻浮提に於て広宣流布せん〕と。天台大師記して云く ̄後五百歳遠沾妙道〔後の五百歳、遠く妙道に沾わん〕。妙楽記して云く ̄末法之初冥利不無〔末法之初め、冥利無きにあらず〕。伝教大師云く ̄正像稍過已末法太有近〔正像やや過ぎ已って、末法はなはだ近きに有り〕等云云。末法太有近の釈は我が時は正時に非ずと云う意也。伝教大師、日本にして末法の始めを記して云く ̄語代像終末初。尋地唐東羯西。原人則五濁之生闘諍之時。経云、猶多怨嫉況滅度後。此言良有以也〔代を語れば則ち像の終わり末の初め。地を尋ぬれば唐の東羯の西。人を原ぬれば、則ち五濁之生、闘諍之時なり。経に云く 猶怨嫉多し況や滅度の後をや。此の言良にゆえ有るなり〕。此の釈に闘諍之時と云云。今の自界叛逆・西海侵逼の二難を指す也。此の時、地涌千界出現して本門の釈尊の脇士と為りて、一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし。[p0720]
月支・震旦、未だ此の本尊有さず。日本国の上宮、四天王寺を建立す。未だ時来らず。阿弥陀他方を以て本尊と為す。聖武天王、東大寺を建立す。華厳経の教主也。未だ法華経の実義を顕さず。伝教大師、粗法華経の実義を顕示す。然りと雖も、時、未だ来らざる之故に東方の鵝王を建立して、本門の四菩薩を顕さず。所詮、地涌千界の為に之を譲り与うる故也。此の菩薩、仏勅を蒙りて近く大地の下に在り。正像に未だ出現せず。末法にも、又、出来せざれば大妄語の大士也。三仏の未来記も、亦、泡沫に同じ。[p0720]
此れを以て之を惟うに、正像に無き大地震・大彗星等出来す。此れ等は金翅鳥・修羅・龍神等の動変に非ず。偏に四大菩薩、出現せしむべき先兆なるか。天台の云く ̄見雨猛知龍大見花盛知池深〔雨の猛きを見て龍の大なるを知り、花の盛んなるを見て池の深きことを知る〕等云云。妙楽云く ̄智人知起蛇自識蛇〔智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る〕等云云。[p0720]
天晴れぬれば地明らかなり。法華を識る者は世法を得べきか。一念三千を識らざる者には、仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠を裹み、末代幼稚の頚に懸けさしめたもう。四大菩薩の此の人を守護したまはんこと大公・周公の成王を摂扶し四皓が恵帝に侍奉せしに異ならざる者也。[p0720]
文永十年太歳癸酉卯月二十五日 日蓮註之[p0720]
#0119-000 観心本尊抄副状 文永10(1273.04.26) [p0721]
帷一・墨三長・筆五巻給い候い了んぬ。観心の法門、少々之を注し、太田殿教信御房等に奉る。此の事、日蓮、当身の大事なり。之を秘して無二の志しを見ば之を開・{かいたく}さるべきか。此の書は難多く、答え少なし。未聞之事なれば人の耳目、之を驚動すべきか。設い他見に及ぶとも、三人四人座を竝べて之を読む勿れ。仏滅後二千二百二十余年、未だ此の書の心有らず。国難を顧み五五百歳を期して之を演説す。乞い願わくは、一見を歴るの末輩子弟、共に霊山浄土に詣で、三仏の顔貌を拝見したてまつらん。恐恐謹言。[p0721]
文永十年[太才癸酉]卯月二十六日 日 蓮 花押[p0721]
富木殿御返事[p0721]
#0120-0K0 妙一尼御返事 文永十(1273.04・26) [p0722]
瀧王丸、之を遣使す。[p0722]
昔国王は自心を以て床座と為し、千歳之間、阿志仙に仕へ奉り、妙法蓮華経の五字を習ひ持つ。今の釈尊是れ也。今の施主妙一比丘尼は、貧道の身を扶けんとて小童に命じ、之を使いとして法華経の行者に仕へ奉る。彼は国王、此れは卑賎。彼は国に畏れ無し、此れは勅勘之身。此れは末代の凡如、彼は上代の聖人也。志既に彼に超過す。来果何ぞ斉等ならざらんや。[p0722]
弁殿は今年は鎌倉に住みて衆生を教化するか。恐恐謹言。[p0722]
卯月二十六日 日 蓮 花押[p0722]
さじき妙一尼御前[p0722]
妙一比丘尼御返事 日 蓮[p0722]
#0121-0K0 正当此時御書 文永十(1273.04頃) [p0723]
正しく此の時に当る。而も随分之弟子等に之を語るべしと雖も、国難・王難・数度の難等重々来る之間、外聞之憚り之を存じ、今に正義を宣べず。我が弟子等定んで遺恨有らんか。又、抑そも時之失、之有る故、今粗之を註す。志有らん者度々之を聞き、其れを終えて後に之を送れ。咸く三度を以て限りと為して聴聞を為すべし。其の後[p0723]
#0125-1K0 顕仏未来記 文永十(1273.閏05・11) [p0738]
法華経の第七に云く_我滅度後。後五百歳中。広宣流布。於閻浮提。無令断絶〔我が滅度の後後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶せしめん〕等云云。[p0738]
予、一たびは歎じて云く 仏滅後既に二千二百二十余年を隔つ。何なる罪業に依て仏の在世に生まれざる、正法の四依・像法の中の天台・伝教等にも値はざるや、と。亦一たびは喜んで云く 何なる幸あて後五百歳に生まれて此の真文を拝見することぞ。在世も無益也。前四味の人は未だ法華経を聞かず。正像も又由無し。南三北七竝びに華厳・真言等の学者は、法華経を信ぜず。天台大師云く ̄後五百歳遠沾妙道〔後の五百歳、遠く妙道に沾わん〕。広宣流布之時を指すか。伝教大師云く ̄正像稍過已末法太有近〔正像やや過ぎ已って、末法はなはだ近きに有り〕等云云。末法の始めを願楽する之言也。時代を以て果報を論ずれば、龍樹・天親に超過し、天台・伝教にも勝るる也。[p0738-0739]
問て云く 後五百歳は汝一人に限らず。何ぞ殊に之を喜悦せしむるや。[p0739]
答て云く 法華経の第四に云く_如来現在。猶多怨嫉。況滅度後〔如来の現在すら猶お怨嫉多し、況んや滅度の後をや〕[文]。天台大師云く ̄何況未来。理在難化也〔何に況んや未来をや。理化し難きに在るなり〕等云云。妙楽大師云く ̄理在難化者 明此理者 意在令知衆生難化〔理在難化とは此の理を明かすことは、意、衆生の化し難きを知らしむるに在り〕[文]。智度法師云く ̄如俗言良薬苦口。此経廃五乗之異執立一極之玄宗。故斥凡呵聖排大破小。乃至 如此之徒悉為留難〔問う 在世の時、許多の怨嫉あり。仏滅度の後、此の経を説く時、何が故ぞ亦留難多きや。答て云く 俗に言うが如きは良薬口に苦しと。此の経は五乗の異執を廃して一極之玄宗を立てるが故に凡をそしり聖を呵し、大を排い小を破り 乃至 此の如き之徒、悉く留難を為す〕等云云。伝教大師云く ̄語代則像終末始 尋地唐東羯西 原人則五濁之生闘諍之時。経云 猶多怨嫉。況滅度後。此言良有以也〔代を語れば、則ち像の終わり、末の始め。地を尋ぬれば、唐の東、羯の西。人を原ぬれば、則ち五濁之生、闘諍之時なり。経に云く 猶お怨嫉多し況や滅度の後をや。此の言良にゆえ有るなり〕等云云。此の伝教大師の筆跡は其の時に当るに似れども意は当時を指す也。 ̄正像稍過已末法太有近〔正像やや過ぎ已って、末法はなはだ近きに有り〕の釈は心有るかな。[p0739]
経に云く_悪魔魔民。諸天龍。夜叉。鳩槃荼等。得其便也〔悪魔・魔民・諸天・龍・夜叉・鳩槃荼等に其の便を得せしむることなかれ〕云云。言ふ所の等とは此の経に又云く_若夜叉。若羅刹。若餓鬼。若富単那。若吉蔗。若毘陀羅。若・駄。若烏摩勒伽。若阿跋摩羅。若夜叉吉蔗。若人吉蔗〔若しは夜叉、若しは羅刹、若しは餓鬼、若しは富単那、若しは吉蔗、若しは毘陀羅、若しは・駄、若しは烏摩勒伽、若しは阿跋摩羅、若しは夜叉吉蔗、若しは人吉蔗〕等云云。此の文の如きんば先生に四味三教乃至外道人天等の法を持得して今生に悪魔・諸天・諸人等の身を受くる者、円実の行者を見聞して留難を至すべき由を説く也。[p0739]
疑て云く 正像の二時を末法に相対するに時と機と共に正像は殊に勝るる也。何ぞ其の時機を捨てて偏に当時を指すや。[p0739]
答て云く 仏意測り難し。予、未だ之を得ざれども、試みに一義を案ず。小乗経を以て之を勘ふるに、正法千年は教行証の三つ、具さに之を備ふ。像法千年には教行のみ有りて証無し。末法には教のみ有りて行証無し等云云。法華経を以て之を探るに、正法千年に三事を具するは在世に於て法華経に結縁する者、其の後正法に生まれて小乗の教行を以て縁と為して小乗の証を得る也。像法に於ては在世の結縁微薄之故に小乗に於て証すること無く、此の人権大乗を以て縁と為して十方の浄土の生ず。末法に於ては大小の益共に之無し。小乗には教のみ有りて行証無し。大乗には教行のみ有りて冥顕の証之無し。其の上正像之時、所立の権小の二宗、漸漸に末法に入て執心強盛にして小を以て大を打ち、権を以て実を破り、国土に大体謗法の者充満する也。仏教に依て悪道に堕する者大地微塵よりも多く、正法を行じて仏道を得る者爪上の土よりも少なし。此の時に当りて諸天善神其の国を捨離し、但邪天・邪鬼等有りて王臣・比丘・比丘尼等の心身に入住し、法華経の行者を罵詈毀辱せしむべき時也。[p0739-0740]
爾りと雖も仏の滅後に於て、四味三教等の邪執を捨て、実大乗の法華経に帰せば、諸天善神竝びに地涌千界等の菩薩、法華経の行者を守護せん。此の人は守護之力を得て、本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て、閻浮提に広宣流布せしめんか。例せば威音王仏の像法之時、不軽菩薩、我深敬等の二十四字を以て彼の土に広宣流布し、一国の杖木等の大難を招きしが如き也。彼の二十四字と此の五字と、其の語は殊なりと雖も、其の意、之同じ。彼の像法の末と、是の末法の初めと全く同じ。彼の不軽菩薩は初随喜の人、日蓮は名字の凡夫也。[p0740]
疑て云く 何を以て之を知る、汝を末法之初めの法華経の行者と為すことを。[p0740]
答て云く 法華経に云く_況滅度後〔況んや滅度の後をや〕。又云く_有諸無智人 悪口罵詈等 及加刀杖者〔諸の無智の人 悪口罵詈等し 及び刀杖を加うる者あらん〕。又云く_数数見擯出〔数数擯出せられ〕。又云く_一切世間。多怨難信〔一切世間に怨多くして信じ難く〕。又云く_悪魔魔民。諸天龍。夜叉。鳩槃荼等。得其便也〔悪魔・魔民・諸天・龍・夜叉・鳩槃荼等に其の便を得せしむることなかれ〕等云云。此の明鏡に付けて仏語を信ぜしめんが為に日本国中の王臣四衆の面目に引き向へたるに、予より之外には一人も之無し。時を論ずれば末法の初め一定也。然る間、若し日蓮無くんば、仏語虚妄と成らん。[p0740-0741]
難じて云く 汝は大慢の法師にして大天に過ぎ、四禅比丘にも超えたり、如何。[p0740]
答て云く 汝日蓮を蔑如する之重罪、又提婆達多に過ぎ、無垢論師にも超えたり。我が言は大慢に似たれども、仏記を扶け如来の実語を顕さんが為也。然りと雖も日本国中に日蓮を除き去りては誰人を取り出だして法華経の行者と為さん。汝日蓮を謗らんと為して仏記を虚妄にす。豈に大悪人に非ずや。[p0741]
疑て云く 如来の未来記、汝に相当るとして、但し、五天竺竝びに漢土等にも法華経の行者之有るか、如何。[p0741]
答て云く 四天下之中に全く二日無し。四海の内に豈に両主有らんや。[p0741]
疑て云く 何を以て汝之を知る。[p0741]
答て云く 月は西より出でて東を照らし、日は東より出でて西を照らす。仏法も又以て是の如し。正像には西より東に向ひ、末法には東より西に往く。妙楽大師云く ̄豈非中国失法求之四維〔豈中国に法を失して之を四維に求むるに非ずや〕等云云。天竺に仏法無き証文也。漢土に於て高宗皇帝之時、北狄、東京を領して今に一百五十余年、仏法王法共に尽き了んぬ。漢土の大蔵の中に小乗経は一向之無く、大乗経は多分之を失ふ。日本より寂照等少々之を渡す。然りと雖も伝持の人無ければ、猶お木石の衣鉢を帯持せるが如し。故に遵式の云く ̄始自西伝猶月之生。今復自東返猶日之昇〔始め西より伝ふ、月の生ずるがごとし。今復東より返る、日の昇るがごとし〕等云云。此れ等の釈の如くんば、天竺・漢土に於て仏法を失ふこと勿論也。[p0741]
問て云く 月氏・漢土に於て仏法無きは之を知れり。東西北の三州に仏法無き事は、何を以て之を知る。[p0741]
答て云く 法華経の第八に云く於如来滅後。閻浮提内。広令流布。使不断絶〔我が滅度の後後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶して〕等云云。内の字は三州を嫌ふ文也。[p0741]
問て曰く 仏記既に是の如し。汝が未来記、如何。[p0741-0742]
答て曰く 仏記に順じて之を勘ふるに、既に後五百歳の始めに相当れり。仏法必ず東土の日本より出づるべき也。其の前相は必ず正像に超過せる天変地夭之有るか。所謂仏生之時、転法輪之時、入涅槃之時、吉瑞凶瑞共に前後に超えたる大瑞也。仏は此れ聖人之本也。経々の文を見るに、仏の御誕生の時は五色の光気四方に遍くして、夜も昼の如し。仏御入滅の時には十二の白虹南北に互り、大日輪光無くして闇夜の如くなりし。其の後正像二千年之間、内外の聖人生滅有れども此の大瑞には如かず。[p0742]
然るに去る正嘉年中より今年に至るまで、或は大地震、或は大天変、宛も仏陀の生滅之時の如し。当に知るべし、仏の如き聖人生れたまはんか。滅したまはんか。大虚に互りて大彗星出づ。誰の王臣を以て之に対せん。大地を傾動して三たび振裂す。何れの聖賢を以て之を課せん。当に知るべし、通途世間の吉凶の大瑞に非ざるべし。惟れ偏に此の大法興廃の大瑞也。天台云く ̄見雨猛知龍大 見華盛知池深〔雨の猛きを見て龍の大なるを知り、華の盛んなるを見て池の深きことを知る〕等云云。妙楽云く ̄智人知起蛇自識蛇〔智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る〕等云云。[p0742]
日蓮此の道理を存じて既に二十一年也。日来の災、月来の難、此の両三年之間の事、既に死罪に及ばんとす。今年今月万が一も身命を脱れ難き也。世の人疑ひ有らば委細の事は弟子に之を問へ。[p0742]
幸なるかな、一生之内に無始の謗法を消滅せんことよ。悦ばしいかな、未だ見聞せざる教主釈尊に侍へ奉らんことよ。願はくは我を損する国主等をば最初に之を導かん。我を扶くる弟子等をば釈尊に之を申さん。我を生める父母等には未だ死せざる已前に此の大善を進らせん。[p0742]
但し、今夢の如く宝塔品の心を得たり。此の経に云く_若接須弥 擲置他方 無数仏土 亦未為難 乃至 若仏滅後 於悪世中 能説此経 是則為難〔若し須弥を接って 他方の 無数の仏土に擲げ置かんも 亦未だ難しとせず 乃至 若し仏の滅後に 悪世の中に於て 能く此の経を説かん 是れ則ち難しとす〕等云云。伝教大師云く ̄浅易深難釈迦所判。去浅就深丈夫之心也。天台大師信順釈迦 助法華宗敷揚震旦 叡山一家相承天台 助法華宗弘通日本〔浅は易く深は難しとは釈迦の所判なり。浅を去て深に就くは丈夫之心なり。天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚し、叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す〕等云云。安州の日蓮は恐らくは三師に相承し法華宗を助けて末法に流通す。三に一を加へて三国四師と号く。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。[p0742-0743]
文永十年[太歳癸酉]後五月十一日 桑門 日蓮 記之[p0742]
#0126-0K0 富木殿御返事 文永十(1273.07・06) [p0743]
鵞目二貫給候ひ了んぬ。大田殿と其の二人との御心か。[p0743]
伊与房は機量者にて候ぞ。今年留め候ひ了んぬ。[p0743]
御勘気ゆりぬ事、御嘆き候べからず候。当世日本国、子細有るべき由之を存す。定めて勘文の如く候べきか。設ひ日蓮死生不定為りと雖も、妙法蓮華経の五字の流布は疑ひ無き者か。伝教大師御本意の円宗を日本に弘めんと為す。但し定慧は存生に之を弘め、円戒は死後に之を顕す。事相為る故に一重の大難之有るか。[p0743]
仏滅後二千二百二十余年、今まで寿量品の仏と肝要の五字とは流布せず。当時の果報を論ずれば、恐らく伝教・天台にも超え、龍樹・天親にも勝れたる歟。文理無くんば大慢豈に之に過ぎん哉。章安大師天台を褒めて云く ̄天竺大論尚非其類。震旦人師何労及語。此非誇耀法相然耳〔天竺の大論、尚お其の類に非ず。震旦の人師、何ぞ労しく語るに及ん。此れ誇耀に非ず、法相の然らしむるのみ〕等云云。日蓮又復是の如し。龍樹・天親等尚お其の類に非ず等云云。是れ誇耀に非ず。法相の然らしむる耳。故に天台大師日蓮を指して云く ̄後五百歳遠沾妙道〔後の五百歳、遠く妙道に沾わん〕等云云。伝教大師当世を恋ひて云く ̄末法太有近〔末法はなはだ近きに有り〕等云云。幸い哉 我が身数数見擯出之文に当たること。悦ばしい哉悦ばしい哉。諸人の御返事に之を申す。故に委細止め了んぬ。[p0743-0744]
七月六日 日 蓮 花押[p0744]
土木殿御返事[p0744]
#0129-000 弁殿御前御書 文永十年(1273.09・19) [p0752]
しげければとどむ。弁殿に申す。大師講をおこなうべし。大師と(取)てまいらせて候。三郎左衛門の尉殿に候文の中に涅槃経の後分二巻・文句五の本末・授決集の抄の上巻等、御随身あるべし。[p0752]
貞任は十二年にやぶれぬ。将門は八年にかたぶきぬ。第六天の魔王、十軍のいくさをおこして、法華経の行者と生死海の海中にして、同居・穢土をとられじ、うばはんとあらそう。日蓮其の身にあたりて、大兵をおこして二十余年なり。日蓮一度もしりぞく心なし。しかりといえども、弟子檀那等の中に臆病のもの、大体或はおち、或は退転の心あり。尼御前の一文不通の小心に、いままでしりぞかせ給わぬ事、申すばかりなし。其の上、自身のつかうべきところに下人を一人つけられて候事、定めて釈迦・他方十方分身の諸仏も御知見あるか。恐恐謹言。[p0752]
九月十九日 日 蓮 花押[p0752]
弁殿尼御前に申させ給え[p0752]
#0131-0K0 土木殿御返事 文永十(1273.11・03) [p0754]
仕り候。褒美に非ず、実に器量者也。来年正月大進阿闍梨と越中に之を遣は去るべし。[p0754]
白小袖一つ給候ひ了んぬ。今年日本国一同の飢渇之上、佐渡の国には七月七日已下、天より忽ちに石灰虫と申す虫、雨下し、一時に稲穀損失し了んぬ。其の上疫々処々に遍満し、方々に死難脱れ難きか。事事紙上に之を尽くし難し。恐恐謹言。[p0754]
十一月三日 日 蓮 花押[p0754]
土木殿御返事[p0754]
#0132-000 乙御前母御書 文永十年(1273.11・03) [p0754]
おとごぜんのはは[p0754]
いまは法華経をしのばせ給いて仏にならせ給うべき女人なり。かえすがえす、ふみ(文)ものぐさき者なれども、たびたび申し候。又御房たちをもふびん(不便)にあたらせ給うとうけ給わる。申すばかりなし。[p0754]
なによりも女房のみ(身)として、これまで来て候いし事。これまでながされ候いける事は、さる事にて御心ざしのあらわるべきにやありけんと、ありがたくにもおぼえ候。釈迦如来の御弟子あまたおわししなかに、十代弟子とて十人ましまししが、なかに目・連{もっけんれん}尊者と申せし人は神通第一にておわしき。四天下と申して日月のめぐり給うところを、かみすじ(髪筋)一すじき(切)らざるにめぐり給いき。これはいかなるゆえぞとたずぬれば、せんしょう(先生)に千里ありしところをかよいて仏法を聴聞せしゆえなり。[p0755]
又、天台大師の御弟子に章安と申せし人は、万里をわけて法華経をきかせ給いき。伝教大師は三千里をすぎて止観をならい、玄奘三蔵は二十万里をゆきて般若経を得給えり。道のとおきに心ざしあらわるるにや。彼は皆男子なり。権化のしわざなり。今御身は女人なり。ごんじち(権実)はしりがたし。いかなる宿善にてやおわすらん。昔女人すいおと(好夫)をしのびてこそ或は千里をもたずね、石となり、木となり、鳥となり、蛇となれる事もあり。[p0755]
十一月三日 日 蓮 花押[p0755]
おとごぜんのはは[p0756]
おとごぜんがいかにひとなりて候らん。法華経にみやずかわせ給うほうこう(奉公)をば、おとごぜんの御いのちさいわいになり候わん。[p0756]
#0133-000 直垂御書 文永十年(1271) [p0756]
この御ふみ人にきかせ給うべからず候。[p0756]
もし人々志しなんどあるならば、この三人のわらわ(童)がにたたれ(直垂)・ぬのこそで(布小袖)なんどのしたくせさせ給うべし。事かけて候わば、かたびらていのものなり。大進の阿闍梨等にいいあわせて、ひたたれよきものにはかたびら・ぬのこそで、三人して計りあわせ給え。[p0756]
#0136-000 小乗大乗分別鈔 文永十(1273) [p0769]
夫れ小乗大乗の定めなし。一寸の物を一尺の物に対しては小と云い、五尺の男に対しては六尺七尺の男を大の男と云う。外道の法に対しては一切の大小乗の仏教を皆大乗と云う。_大法東漸 通指仏教 以為大法等と釈する是れ也。[p0769]
仏教に入りても鹿苑十二年の説、四阿含経等の一切の小乗教をば諸大乗経に対して、小乗経と名づけたり。又諸大乗経には大乗の中にとりて劣る教を小乗と云う。華厳の大乗経に其余楽小法〔其の余楽小法〕と申す文あり。天台大師はこの小法というは常の小乗経にはあらず、十地の大法に対して十住・十行・十回向の大法を下して小法と名づくと釈し給えり。[p0769]
又法華経第一の巻方便品に_若以小乗化 乃至於一人〔若し小乗を以て化すること 乃至一人に於てもせば〕と申す文あり。天台・妙楽は阿含経を小乗というのみにあらず、華厳経の別教、方等・般若経の通別の大乗をも小乗と定む。又玄義の第一に会小帰大漸頓泯合と申す釈をば、智証大師は始め華厳経より終り般若経にいたるまでの四教・八教の権実諸大乗経を漸頓と釈す。泯合と云うは八教を会して一大円教に合すとこそことわられて候え。[p0769]
又法華経の寿量品に_楽於小法徳薄垢重者〔小法を楽える徳薄垢重の者〕と申す文あり。天台大師は此の経文に小法と云うは小乗経にもあらず。久遠実成を説かざる華厳経の円ないし方等・般若・法華経の迹門十四品の円頓の大法まで小乗の法也。又華厳経等の諸大乗経の教主の法身・報身・毘盧遮那・盧舎那・大日如来等をも小仏也と釈し給う。此の心ならば涅槃経・大日経等の一切の大小権実顕密の諸経は小乗経。八宗の中に倶舎宗・成実宗・律宗を小乗と云うのみならず、華厳宗・法相宗・三論宗・真言宗等の諸大乗宗を小乗宗として、唯天台宗一宗ばかり実大乗宗なるべし。彼彼の大乗宗の所依の経経には絶えて二乗作仏・久遠実成の最大の法を説かせ給わず。譬えば一尺二尺の石を持つ者をば大力といわず、一丈二丈の石を持つを大力と云うが如し。[p0769-0770]
華厳経の法界円融四十一位・般若経の混同無二十八空・乾慧地等の十地・瓔珞経の五十二位・仁王経の五十一位・薬師経の十二の大願・双観経の四十八願・大日経の真言印契等、此れ等は小乗経に対すれば大法・秘法也。法華経の二乗作仏・久遠実成に対すれば小乗の法也。一尺二尺を一丈二丈に対するがごとし。又二乗作仏・久遠実成は法華経の肝要にして諸経に対すれば奇たりと云えども、法華経の中にてはいまだ奇妙ならず。一念三千と申す法門こそ、奇が中の奇、妙が中の妙にて、華厳・大日経等に分絶えたるのみならず、八宗の祖師の中にも真言等の七宗の人師名をだにもしらず、天竺の大論師龍樹菩薩・天親菩薩は内には珠を含み、外にはかきあらわし給わざりし法門なり。[p0770-0771]
而るを雨衆が三徳・米斉が六句の先仏の教を盗みとれる様に、華厳宗の澄観・真言宗の善無畏等は天台大師の一念三千の法門を盗み取って、我が所依の経の心仏及衆生の文の心とし、心実相と申す文の神とせるなり。かくのごとく盗み取って、我が宗の規模となせるが、又還って天台本宗をば下して、華厳宗・真言宗には劣れるなりと申す。此れ等の人師は世間の盗人にはあらねども仏法の盗人なるべし。此れ等をよくよく尋ね明らむべし。[p0771]
又世間の天台宗の学者竝びに諸宗の人人の云く 法華経は但二乗作仏・久遠実成計り也等云云。[p0771]
今反詰して云く 汝等が承伏に付いて、但二乗作仏と久遠実成計り法華経にかぎて諸経になくば、此れなりとも豈に奇が中の奇にあらずや。二乗作仏諸経になくば、仏の御弟子頭陀第一の迦葉・智慧第一の舎利弗・神通第一の目連等の十大弟子・千二百の羅漢、万二千の声聞・無数億の二乗界、過去遠遠劫より未来無数劫にいたるまで法華経に値いたてまつらずば、永く色身倶に滅して永不成仏の者となるべし。豈に大なる失にあらずや。又二乗界ならずば、迦葉等を供養せし梵天・帝釈・四衆・八部・比丘・比丘尼等の二乗八番の宗はいかんがあるべき。[p0771]
又久遠実成が此の経に限らずんば、三世の諸仏無常遷滅の法に堕しなん。譬えば天に諸星ありとも日月ましまさずんばいかんがせん。地に草木ありとも大地なくばいかんがせん。是れは汝が承伏に付いての義也。[p0771-0772]
実をもて勘え申さば、二乗作仏なきならば、九界の衆生仏になるべからず。法華経の心は法爾のことわりとして一切衆生に十界を具足せり。譬えば人一人は必ず四大を以ってつくれり。一大かけなば人にあらじ。一切衆生のみならず、十界の依正二法、非情の草木一塵にいたるまで皆十界を具足せり。二乗界仏にならずば、余界の八界仏になるべからず。譬えば父母倶に持ちたる者兄弟九人あらんか、二人は凡下の者と定められば、余の七人も必ず凡下の者となるべし。仏と経とは父母の如し。九界の衆生は実子なり。声聞・縁覚の二人永不成仏の者となるならば、菩薩・六凡の七人あに得道をゆるさるべきや。[p0772]
今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子 ~ 唯我一人 能為救護〔今此の三界は 皆是れ我が有なり 其の中の衆生は 悉く是れ吾が子なり ~ 唯我一人のみ 能く救護を為す〕の文をもて知るべし。[p0772]
又菩薩と申すは必ず四弘誓願をおこす。第一衆生無辺誓願度の願成就せずば、第四の無上菩提誓願証の願は成ずべからず。前四味の諸経にては菩薩・凡夫は仏になるべし。二乗は永く仏になるべからず等云云。[p0772]
而るをかしこげなる菩薩も、はかなげなる六凡も共に思えり、我等仏になるべし。二乗は仏にならざればかしこくして彼の道には入らざりけると思う。二乗はなげきをいだき、此の道には入るまじかりし者をと恐れかなしみしが、今法華経にして二乗を仏になし給える時、二乗仏になるのみならず、彼の九界の成仏をも時あらわし給えり。諸の菩薩此の法門を聞いて思わく、我等が思いははかなかりけり。爾前の経経にして二乗仏にならずば、我等もなるまじかりける者なり。二乗を永不成仏と説き給うは二乗一人計りなげくべきにあらありけり。我等の同じなげきにてありけりと心うる也。[p0772-0773]
又寿量品の久遠実成が爾前の経経になき事を以って思うに、爾前には久遠実成なきのみならず、仏は天下第一の大妄語の人なるべし。爾前の大乗第一たる華厳経・大日経等に始成正覚 我昔坐道場等云云。真実甚深正直捨方便の無量義経と法華経の迹門には我先道場 我始坐道場と説かれたり。此れ等の経文は寿量品の_然我実成仏已来_無量無辺の文より思い見ればあに大妄語にあらずや。仏の一身すでに大妄語の身也。一身に備えたる六根の諸法あに実なるべきや。大冰の上に造れる諸舎は春をむかえては破れざるべしや。水中の満月は実に体ありや。爾前の成仏・往生等は水中の星月の如し。爾前の成仏・往生等は体に随う影の如し。[p0773]
本門寿量品をもて見れば、寿量品の智慧をはなれては諸経は跨説・当分の得道共に有名無実なり。天台大師此の法門を道場にして独り覚知し、玄義十巻・文句十巻・止観十巻等書きつけ給うに、諸経に二乗作仏・久遠実成絶えてなき由を書きおき給う。[p0773-0774]
是れは南北の十師が教相に迷うて、三時・四時・五時・四宗・五宗・六宗・一音・半満・三教・四教等を立てて教の浅深勝劣に迷いし、此れ等の非義を破らんが為に、まず眼前たる二乗作仏・久遠実成をもて諸経の勝劣を定め給いしなり。[p0774]
然りと云うて余界の得道をゆるすにはあらず。其の後華厳宗の五教、法相宗の三時、真言宗の顕密・五蔵・十住心、義釈の四句等は南三北七の十師の義よりも尚お・{あやま}れる教相也。此れ等は他師の事なればさておきぬ。[p0774]
又自宗の学者、天台・妙楽・伝教大師の御釈に迷うて、爾前の経経には二乗作仏・久遠実成計りこそ無けれども、余界の得道は有りなんど申す人人、一人二人ならず日本国に弘まれり。他宗の人人是れに便りを得て弥いよ天台宗を失う。[p0774]
此れ等の学者は譬えば野馬の蜘蛛の網にかかり、渇鹿の陽炎をおうよりもはかなし。例せば頼朝の右大将家は泰衡を打たんがために、泰衡を狂かして義経を打たせ、大将の入道清盛源氏を喪ぼして世をとらんが為に、我が伯父平馬の介忠正を切る。義朝はたぼらかされて慈父為義を切るが如し。[p0774]
此れ等は墓なき人人のためしなり。天台大師法華経より外の経経には二乗作仏・久遠実成は絶えてなしなんど釈し給えば、菩薩の作仏・凡夫の往生はあるなんめりとうち思いて、我等は二乗にもあらざれば爾前の経経にても得道なるべし。この念い心中にさしはさめり。其の中にも観経の九品往生はねがいやすき事なれば、法華経をばなげすて、念仏申して浄土に生まれて、観音・勢至・阿弥陀仏に値いたてまつりて成仏を遂ぐべしと云云。[p0774-0775]
当世の天台宗の人々を始めとして諸宗の学者かくのごとし。実義をもて申さば、一切衆生の成仏のみならず、六道を出で十方の浄土に往生する事はかならず法華経の力也。例せば日本国の人唐土の内裏に入らん事は、必ず日本の国王の勅定によるべきが如し。穢土を離れて浄土に入る事は、必ず法華経の力なるべし。例せば民の女乃至関白大臣の女に至るまで、大王の種を下ろせば、其の産める子王となりぬ。大王の女なれども、臣下の種を懐妊せば、其の子王とならざるが如し。[p0775]
十方の浄土に生まるる者は三乗・人天・畜生等までも、皆王の種姓と成って生まるべし。皆仏となるべきが故也。阿含経は民の女の民を夫とし、華厳・方等・般若等は王女の臣下を夫とせるが如し。又華厳経・方等・般若・大日経等の菩薩等は、王女の臣下を夫とせるが如し。皆浄土に生まるべき法にはあらず。又華厳・方等・般若等の経々の間に六道を出づる人あり。是れは彼々の経々の力には非ず過去に法華経の種を殖えたりし人現在に法華経を待たずして機すすむ故に、爾前の経経を縁として過去の法華経の種を発得して、成仏往生をとぐるなり。例せば縁覚の無仏世にして飛花落葉を観じて独覚の菩提を証し、孝養父母の者の梵天に生まるるが如し。飛花落葉・孝養父母等は独覚と梵天との修因にはあらねども、かれを縁として過去の修因を引きおこし、彼の天に生じ、独覚の菩提を証す。[p0775-0776]
而るに尚お過去に小乗の三賢・四善根にも入らず、有漏の禅定をも修せざる者は、月を観じ、花を詠じ、孝養父母の善を修すれども、独覚ともならず、色天にも生ぜず。過去に法華経の種を殖えざる人は華厳経の席に侍りしかども初地・初住にものぼらず鹿苑説教の砌にても見思をも断ぜず、観経等にても九品の往生をもとげず、但大小の賢位のみに入って聖位にはのぼらずして、法華経に来て始めて仏種を心田に下して、一生に初地・初住等に登る者もあり、又涅槃の座へさがり乃至滅後未来までゆく人もあり。[p0776]
過去に法華経の種を殖えたる人々は、結縁の厚薄に随って、華厳経を縁として初地・初住に登る人もあり、阿含経を縁として見思を断じて二乗となる者もあり、観経等の九品の行業を縁として往生する者もあり、方等・般若も此れをもて知んぬべし。[p0776]
此れ等は彼彼の経経の力にはあらず、偏に法華経の力也。譬えば民の女に王の種を下せる人しらずして民の子と思い、大臣等の女に王の種を下せるを人しらずして臣下の子と思えども、大王より是れを尋ぬれば皆王種となるべし。爾前にして界外へ至る人を、法華経より之を尋ぬれば皆法華経の得道なるべし。又過去に法華経の種を殖えたる人の根鈍にして、爾前の経経に発得せざる人人は法華経にいたりて得道なる。是れは爾前の経経をばめのと(乳母)として、きさき(后)腹の太子・王子と云うが如くなるべし。[p0776-0777]
又仏の滅後にも、正法一千年が間は在世のごとくこそなけれども、過去に法華経の種を殖えて法華・涅槃経にて覚りのこせる者、現在在世にて種を下せる人人も是れ多し。又滅後なれども現に法華経ましませば、外道の法より小乗経にうつり、権大乗にうつり、権大乗より法華経にうつる人々数をしらず。龍樹菩薩・無著菩薩・世親論師等是れ也。像法一千年には正法のほどこそ無けれども、又過去現在に法華経の種を殖えたる人々も少少之有り。[p0777]
而るに漸漸に仏法澆薄になる程に、宗宗も偏執石の如くかたく、我慢山の如く高し。像法の末に成りぬれば、仏法によて諍論興盛して仏法の合戦ひまなし。世間の罪よりも、仏法の失に依って無間地獄に堕ちる者数をしらず。今は又末法に入って二百余歳、過去現在に法華経の種を殖えたりし人人もようやくつきはてぬ。又種をうえたる人々は少々あるらめども、世間の大悪人、出世の謗法の者数をしらず国に充満せり。譬ば大火の中の小水、大水の中の小火、大海の中の水、大地の中の金なんどの如く、悪業とのみなりぬ。又過去の善業もなきが如く、現在の善業もしるしなし。或は弥陀の名号をもて人を狂わし、法華経をすてしむれば、背上向下のとがあり。或は禅宗を立てて教外と称し、仏教をば真の法にあらずと蔑如して増上慢を起こし、或は法相・三論・華厳宗を立てて法華経を下し、或は真言宗・大日宗と称して、法華経は釈迦如来の顕教にして真言宗に及ばず等云云。[p0777-0778]
而るに自然に法門に迷う者もあり、或は師師に依って迷う者もあり、或は元祖・論師・人師の迷法を年久しく真実の法ぞと伝え来る者もあり、或は悪鬼天魔の身に入りかわりて、悪法を弘めて正法とおもう者あり、或はわずか(僅)の小乗一途の正法をしりて、大法を行ずる人はしからずと我慢して、我正法を行ぜんが為に、大法秘法の山寺をおさえとる者もあり、或は慈悲魔と申す魔味に入って、三衣一鉢を身に帯し、小乗の一法を行ずるやから、わずかの正法を持ちて、国中の棟梁たる比叡山龍象の如くなる智者どもを、一分我が教にたがえるを見て、邪見の者悪人なんどうち思えり。此の悪見をもて国主をたぼらかし、誑惑して、正法の御帰依をうすうなし、かえ(却)て破国破仏の因縁となせるなり。彼の妲己褒・{ほうじ}なんと申せし后は心もおだやかに、みめかたち人にすぐれたりき。愚王これを愛して国をほろぼす縁となる。当世の禅師・律師・念仏者なんと申す聖一・道隆・良観・道阿弥・念阿弥なんど申す法師等は鳩鴿が糞を食するがごとく、西施が呉王をたぼろかししににたり。或は我小乗臭糞の驢乳の戒を持て。[p0778-0779]
#0138-100 木絵二像開眼之事 文永十(1273) [p0791]
仏に三十二相有り皆色法なり。最下の千輻輪より無見頂相に至るまでの三十一相は可見有対色なれば書きつべし作りつべし。梵音声の一相は不可見無対色なれば書くべからず作るべからず。仏滅後は木絵の二像あり。是れ三十一相にして梵音声かけたり故に仏にあらず。又心法かけたり。生身の仏と木絵の二像を対するに天地雲泥也。何ぞ涅槃の後分には生身の仏と木絵の二像と功徳斉等なりというや。[p0791]
又瓔珞経には木絵の二像は生身の仏にはおとれりととけり。木絵の二像の仏の前に経を置けば三十二相具足する也。但心なければ三十二相を具すれども必ず仏にあらず、人天も三十二相あるがゆえに、木絵の三十一相の前に五戒経を此の仏は輪王とひとし。十善論と云うを置けば帝釈とひとし。出欲論を置けば梵王とひとし。全く仏にあらず。[p0791]
又木絵の二像の前に阿含経を置けば声聞とひとし。方等・般若の一時一会の共般若を置けば縁覚とひとし。華厳・方等・般若の別円を置けば菩薩とひとし。全く仏に非ず。大日経・金剛頂経・蘇悉地経等の仏眼、大日の真言は、名は仏眼大日といえども、其の義は仏眼大日に非ず。例せば仏も華厳経は円仏には非ず。名にはよらず。三十一相の仏の前に法華経を置きたてまつれば必ず純円の仏なり云云。[p0791-0792]
故に普賢経に法華経の仏を説いて云く_仏三種身。従方等生〔仏の三種の身は方等より生ず〕文。此の方等は方等部之方等に非ず、法華を方等というなり。又云く_是大乗経〔此方等経〕。是諸仏眼。諸仏因是。得具五眼。〔是れ諸仏の眼なり。諸仏は是れに因って五眼を具することを得たまえり。〕等云云。法華経の文字は仏の梵音声の不可見無対色を、可見有対色のかたちとあらわしぬれば、顕形の二色となれる也。滅せる梵音声かえて形をあらわして文字と成って衆生を利益する也。[p0792]
人の音を出すに二つあり。一には自身は存ぜざれども、人をたぶらかさむがために音をいだす。是れは随他意の声。自身の思いを声にあらわす事あり。されば意が声とあらわる。意は心法、声は色法。心より色をあらわす。されば意が声とあらわる。意は心法、声は色法。心より色をあらわす。又声を聞いて心を知る。色法が心法を顕わす也。色心不二なるがゆえに而二とあらはれて、仏の御意あらわれて法華の文字となれり。文字変じて又仏の御意となる。されば法華経をよませ給わむ人は文字と思し食す事なかれ。すなはち仏の御意也。故に天台の釈に云く ̄受請説時只是説於教意。教意是仏意 仏意即是仏智。仏智至深。是故三止四請。如此艱難。比於余経余経則易〔請いを受けて説く時は只是れ教の意を説く。教の意は是れ仏意、仏意即ち是れ仏智なり。仏智至って深し。是の故に三止四請す。此の如き艱難あり。余経に比するに余経は則ち易し〕文。此の釈の中に仏意と申すは色法をおさえて心法という釈也。法華経を心法とさだめて、三十一相の木絵の像に印すれば木絵二像の全体生身の仏也。草木成仏といえるは是れ也。故に天台は一色一香無非中道と云云。妙楽是れをうけて釈するに ̄然亦倶許色香中道無情仏性惑耳驚心〔然るに亦倶に色香中道を許せども無情仏性は耳を惑わし心を驚かす〕云云。[p0792-0793]
華厳の澄観が天台の一念三千をぬす(盗ん)で華厳にさしいれ、法華・華厳ともに一念三千なり。但華厳は頓頓さきなれば、法華は漸頓のちなれば、華厳は根本さき(魁)をしぬれば、法華は枝葉等というて、我理をえたりとおもえる意山の如し。然りと雖も、一念三千の観心、草木成仏を知らざる事を妙楽のわらい給える事也。今の天台の学者等、我一念三千を得たりと思う。然りと雖も法華をもて、或は華厳に同じ、或は大日経に同ず。其の義を論ずるに澄観之見を出でず。善無畏・不空に同ず。[p0793]
詮を以って之を謂わば、今の木絵二像を真言師を以って之を供養すれば実仏に非ずして権仏也。権仏にも非ず、形は仏に似れども意は本の非情の草木也。又本の非情の草木にも非ず。魔也、鬼也。真言師が邪義、印真言と成って木絵二像の意と成れるゆえに。例せば人の思い変じて石と成る。・留と黄夫石が如し。法華を心得たる人木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。[p0793]
今真言を以って日本の仏を供養すれば鬼入って人の命をうばう。鬼をば奪命者という。魔入って功徳を奪う。魔をば奪功徳者という。鬼をあがむるゆえに、今生には国をほろぼす。魔をたとむゆえに、後生には無間地獄に堕す。人死すれば魂さり、其の身に鬼神入れ替わって子孫を亡ぼす。餓鬼というは我をくらうという是れ也。[p0793-0794]
智者あって法華経を讃歎して骨の魂となせば、死人の身は人身、心は法身。生身得忍といえる法門是れ也。華厳・方等・般若の円をさとれる智者は死人の骨を生身得忍と成す。涅槃経に_身雖人身 心同仏心〔身は人身なりと雖も、心は仏心に同ずと〕いえる是れ也。生身得忍の現証は純陀也。法華を悟れる智者死骨を供養せば生身即法身。之を即身という。去りぬる魂を取り返して死骨に入れて彼の魂を変えて仏意と成す。是れ則ち即身成仏也。故に法華経に云く_如是相[死人の身] 如是性[同じく心] 如是体[同じく色身等]云云。又云く_深達罪福相 遍照於十方 微妙浄法身 具相三十二〔深く罪福の相を達して 遍く十方を照したもう 微妙の浄き法身 相を具せること三十二〕等云云。上の二句は生身得忍。下の二句は即身成仏。即身成仏の手本は龍女是れなり。生身得忍の手本は純陀是れ也。[p0794]
#0140-0K0 法華行者値難事 文永十一(1274.正・14) [p0796]
法華経の第四に云く_如来現在。猶多怨嫉。況滅度後〔而も此の経は如来の現在すら猶お怨嫉多し、況んや滅度の後をや〕等云云。同第五に云く_一切世間。多怨難信〔一切世間に怨多くして信じ難く〕等云云。涅槃経三十八に云く_爾時外道有無量人 ○心生瞋恚〔爾時に外道に無量人有り ○心に瞋恚を生ず〕等云云。又云く_爾時多有無量外道和合共往摩訶陀国王阿闍世 ○今者唯有一大悪人瞿曇沙門。王未・・。我等甚畏。一切世間悪人為利養故往集其所而為眷属。乃至 迦葉及舎利弗目・連等〔爾の時に多く無量の外道有って和合して共に摩訶陀の国王阿闍世の前に往く。○今は唯一の大悪人有り、瞿曇沙門なり。王、未だ・・せず。我等甚だ畏る。○一切世間の悪人、利養の為の故に其の所に往集して、而も眷属と為て 乃至 迦葉及び舎利弗・目・連等を調伏す〕云云。[p0796-0797]
得一大徳、天台智者大師を罵詈して曰く ̄智公汝是誰弟子。以不足三寸舌根而謗覆面舌之所説教時〔咄哉、智公汝は是れ誰が弟子ぞ。三寸に足らざる舌根を以て覆面舌之所説の教時を謗ず〕等云云。又云く ̄豈不是顛狂人哉〔豈に是れ顛狂の人にあらずや〕等云云。南都七大寺の高徳等護命僧都・景信律師等三百余人、伝教大師を罵詈して曰く ̄西夏有鬼弁婆羅門。東土吐巧言禿頭沙門。此乃物類冥召誑惑世間〔西夏に鬼弁婆羅門有り、東土に巧言を吐く禿頭沙門あり。此れ乃ち物類冥召して世間を誑惑す〕等云云。[p0797]
秀句に云く ̄浅易深難釈迦所判。去浅就深丈夫之心也。天台大師信順釈迦 助法華宗敷揚震旦 叡山一家相承天台 助法華宗弘通日本〔浅は易く深は難しとは釈迦の所判なり。浅を去て深に就くは丈夫之心なり。天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚し、叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す〕等云云。[p0797]
夫れ、在世と滅後正像二千年と之間に法華経に行者唯三人有り。所謂仏と天台・伝教と也。真言宗の善無畏・不空等、華厳宗の杜順・智儼等、三論法相等の人師等は実教の文を会して権の義に順ぜしむる人々也。龍樹・天親等の論師は内に鑒みて外に発せざる論師也。経の如く宣伝すること正法の四依も天台・伝教には如かず。而るに仏記の如くんば、末法に入て法華経の行者有るべし。其の時の大難在世に超過せん云云。仏に九横の大難有り。所謂、孫陀梨謗・金鏘〈こんず〉・馬麥・琉璃殺釈・乞食空鉢・旃遮女謗・調達推山・寒風索衣等なり。其の上一切の外道の讒奏上に引くが如し。記文の如くんば、天台・伝教も仏記に及ばず。之を以て之を案ずるに、末法の始めに仏説の如く行者世に出現せんか。[p0797]
而るに文永十年十二月七日、武蔵の前司殿より佐渡の国へ下す状に云ふ。自判之有り。[p0798]
佐渡国流人僧日蓮引率弟子等 巧悪行之由有其聞所行之企甚奇怪也。自今以後、於相随彼僧之輩者可令加炳誡。猶以令違犯者可被注進交名之由所候也。仍執達如件。〔佐渡の国の流人の僧、日蓮弟子等を引率し、悪行を巧むの由、其の聞こえ有り。所行の企て甚だ奇怪なり。今より以後、彼の僧に相随はんの輩に於ては、炳誡を加へしむえし。猶お以て違犯せしめば、交名を注進せらるべきの由候所也。仍て執達件の如し〕[p0798]
文永十年十二月七日 沙門 観恵 上[p0798]
依智六郎左衛門尉殿[p0798]
等云云。此の状に云く 巧悪行等云云。外道が云く 瞿曇は大悪人なり等云云。又九横の難一々之在り。所謂琉璃殺釈・乞食空鉢・寒風索衣とは、仏世に超過せる大難也。恐らくは天台・伝教も未だ此の難に値ひたまはず。当に知るべし、三人に日蓮を入れて四人と為して、法華経の行者末法に有るか。喜ばしいかな、況滅度後の記文に当れり。悲しいかな、国中の諸人阿鼻獄に入らんこと。茂きを厭ひて子細に之を記さず。心を以て之を惟へ。[p0798]
追伸。龍樹・天親は共に千部の論師也。但権大乗を申べて法華経をば心に存じて口に吐きたまはず[此れに口伝有り]。天台・伝教は之を宣べて、本門の本尊と四菩薩と戒壇と南無妙法蓮華経の五字と、之を残したまふ。所詮一には仏授与したまはざるか。故に二には時機未熟の故也。今既に時来れり。四菩薩出現したまはんあ。日蓮此の事先づ之を知りぬ。西王母の先相には青鳥、客人の来相には・鵲是れ也。各々我が弟子たらん者は、深く此の由を存ぜよ。設ひ身命に及ぶとも退転すること莫れ。[p0798-0799]
富木 三郎左衛門尉 河野辺等。大和阿闍梨等、殿原御房達、各々互いに読み聞きまいらせさせ給へ。かゝる浮き世には互いにつねにいゐあわせてひま(間)もなく後世ねがわせ給ひ候へ。[p0799]
河野辺殿等中[p0799]
大和阿闍梨御房等中[p0799]
一切我弟子等中[p0799]
三郎左衛門尉殿[p0799]
日 蓮 花押[p0799]
謹上 富木殿[p0799]
#0143-0K0 未驚天聴御書 文永十一(1274.04頃) [p0808]
之を申すと雖も、未だ天聴を驚かさざるか。事三ヶ度に及ぶ。今、諌暁を止むべし。後悔を至す勿れ。[p0808]
#0144-000 富木殿御書 文永十一(1274.05.17) [p0809]
けかち(飢渇)申すばかりなし。米一合もうらず。がし(餓死)しぬべし。此の御房たちもみなかへして但一人候べし。このよしを御房たちにもかたらせ給へ。[p0809]
十二日さかわ(酒輪)、十三日たけのした(竹ノ下)、十四日くるまがへし(車返)、十五日ををみや(大宮)、十六日なんぶ(南部)、十七日このところ。いまださだまらずといえども、たいし(大旨)はこの山中心中に叶て候へば、しばらくは候はんずらむ。結句は一人になて日本国に流浪すべきみ(身)にて候。又たちとどまるみ(身)ならばけさん(見参)に入候べし。恐々謹言。[p0809]
十七日 日 蓮 花押[p0809]
ときどの[p0809]
#0145-0K0 法華取要抄 文永十一(1274.05・24) [p0810]
扶桑沙門 日蓮 述之[p0810]
夫れ以みれば、月氏西天より漢土・日本に渡来する所の経論五千七千余巻なり。其の中の諸経論の勝劣浅深・難易先後、自見に任せて之を弁ふことは其の分に及ばず。人に随ひ宗に依て之を知らんとすれば其の義紛糾す。[p0810]
所謂華厳宗の云く 一切経の中に此の経第一、と。法相宗の云く 一切経の中に深密経第一、と。三論宗の云く 一切経の中に般若経第一、と。真言宗の云く 一切経の中に大日の三部経第一、と。禅宗の云く 或は云く 教内には楞伽経第一、と。或は云く 首楞厳経第一、と。或は云く 教外別伝の宗也。浄土宗の云く 一切経の中に浄土の三部経、末法に入ては機教相応して第一、と。倶舎宗・成実宗・律宗の云く 四阿含竝びに律論は仏説也。華厳経・法華経等は仏説に非ず、外道の経也。或は云く 或は云く。[p0810]
而るに彼々の宗々の元祖等、杜順・智儼・澄観・玄奘・慈恩・嘉祥・道朗・善無畏・金剛智・不空・道宣・鑒真・曇鸞・道綽・善導・達磨・慧賀等なり。此れ等の三蔵大師等は、皆聖人也、賢人也。智は日月に斉しく、徳は四海に弥〈はびこ〉る。其の上各々に経律論に依り更に互いに証拠有り。随て王臣、国を傾け、土民之を仰ぐ。末世の偏学、設ひ是非を加ふとも、人、信用するに至らず。爾りと雖も宝山に来り登りて瓦石を採取し、栴檀に歩み入て伊蘭を懐き収めずば、恨悔有らん。故に万民の謗りすて、猥りに取捨を加ふ。我が門弟、委細に之を尋討せよ。[p0810]
夫れ、諸宗の人師等、或は旧訳の経論を見て新訳の聖典を見ず、或は新訳の経論を見て旧訳を捨て置き、或は自宗の曲に執著して己義に随ひ、愚見を註し止めて後代に加添し、株・に驚き騒ぎ、兎獣を尋ね求め、智、円扇に発して仰ひで天月を見る。非を捨てて理を取るは智人也。今末の論師・本の人師の邪義を捨て置きて、専ら本経本論を引き見るに、五十余年の諸経の中、法華経第四の法師品の中の已今当の三字最も第一也。諸の論師・諸の人師定めて此の経文を見けるか。然りと雖も、或は相似の経文に狂ひ、或は本師の邪会に執し、或は王臣等の帰依を恐るるか。[p0810-0811]
所謂、金光明経の是諸経之王。密厳経の一切経中勝。六波羅蜜経の總持第一。大日経の云何菩提。華厳経の能信是経最為難。般若経の会入法性不見一事。大智度論の般若波羅蜜最第一。涅槃論の今日涅槃理等也。此れ等の諸文は法華経の已今当の三字に相似せる文也。然りと雖も或は梵帝・四天等の諸経に対当すれば是れ諸経之王なり。或は小乗経に相対すれば諸経の中の王なり。或は華厳・勝鬘等の経に相対すれば一切経の中の勝なり。全く五十余年の大小権実顕密の諸経に相対して是れ諸経之王之大王なるには非ず。所詮、所対を見て経々の勝劣を弁ふべき也。強敵を臥伏するに始めて大力を知見する、是れ也。其の上諸経の勝劣は釈尊一仏の浅深也。全く多宝分身の助言を加ふるに非ず。私説を以て公事に混ずること勿れ。諸経は、或は二乗凡夫に対揚して小乗経を演説し、或は文殊・解脱月・金剛薩・等の弘伝の菩薩に対向して、全く地涌千界の上行等には非ず。[p0811]
今法華経と諸経とを相対するに一代に超過すること二十種之有り。其の中に最要、二有り。所謂三五の二法也。三とは三千塵点劫なり。諸経は或は釈尊の因位を明かすこと、或は三祇、或は動喩塵劫、或は無量劫也。梵王の云く 此土には二十九劫より已来知行の主なり。第六天・帝釈四天王等も以て是の如し。釈尊と梵王等と始めて知行の先後、之を諍論す。爾りと雖も一指を挙げて之を降伏してより已来、梵天頭を傾け、魔王掌を合わせ三界の衆生をして釈尊に帰伏せしむる、是れ也。又諸仏の因位と釈尊の因位とは之を糾明するに、諸仏の因位は、或は三祇、或は五劫等なり。釈尊の因位は既に三千塵点劫より已来、娑婆世界の一切衆生の結縁の大士也。此の世界の六道の一切衆生は、他土の他の菩薩に有縁の者一人も之無し。法華経に云く_爾時聞法者 各在諸仏所〔爾の時の聞法の者 各諸仏の所にあり〕等云云。天台云く ̄西方仏別縁異。故子父義不成〔西方は仏別に縁異なり。故に子父の義成ぜず〕等云云。妙楽云く ̄弥陀・釈迦二仏既殊。○況宿昔縁別化道不同。結縁如生成熟如養。生養縁異父子不成〔弥陀・釈迦二仏既に殊なる。○況んや宿昔の縁別にして化道同じからざるをや。結縁は生の如く、成熟は養の如し。生養、縁異なれば父子成ぜず〕等云云。当世日本国の一切衆生の弥陀の来迎を待つは、譬へば牛の子に馬の乳を含め、瓦の鏡に天月を浮かぶるが如し。[p0811-0812]
又果位を以て之を論ずれば 諸仏如来、或は十劫・百劫・千劫已来の過去の仏也。教主釈尊は既に五百塵点劫より已来、妙覚果満の仏なり。大日如来・阿弥陀如来・薬師如来等の尽十方の諸仏は我等が本師教主釈尊の所従等なり。天月の万水に浮かぶ、是れ也。華厳経の十方臺上の・盧遮那、大日経・金剛頂経の両界の大日如来は、宝塔品の多宝如来の左右の左右の脇士也。例せば世の王の両臣の如し。此の多宝仏も、寿量品の教主釈尊の所従也。此土の我等衆生は五百塵点劫より已来、教主釈尊の愛子也。不孝の失に依て今に覚知せずと雖も、他方の衆生には似るべからず。有縁の仏と結縁の衆生とは、譬へば天月の清水に浮かぶが如し。無縁の仏と衆生とは、譬へば聾者の雷の声を聞き、盲者の日月に向ふが如し。[p0812]
而るに或人師は釈尊を下して大日如来を仰崇し、或人師は世尊は無縁なり阿弥陀仏は有縁也と。或人師の云く 小乗の釈尊、と。或は華厳経の釈尊、と。或は法華経迹門の釈尊、と。此れ等の諸師竝びに檀那等、釈尊を忘れて諸仏を取ることは、例せば阿闍世太子の頻婆娑羅王を殺し、釈尊に背きて提婆達多に付きしが如き也。二月十五日は釈尊御入滅の日、乃至十二月十五日も三界慈父の御遠忌也善導・法然・永観等の提婆達多に誑されて阿弥陀仏の日と定め了んぬ。四月八日は世尊御誕生の日也。薬師仏に取り了んぬ。我が慈父の忌日を他仏に替ふるは孝養の者なるか、如何。寿量品に云く_我亦為世父 為治狂子故等云云。天台大師の云く ̄本従此土仏初発道心。亦従此仏住不退地。乃至猶如百川応須潮海 縁牽応生亦復如是〔本、此土の仏に従ひて初めて道心を発す。亦此仏に従ひて不退の地に住す。乃至、猶お百川の海に潮すべきが如く、縁に牽かれて応生すること亦復是の如し〕等云云。[p0812-0813]
問て曰く 法華経は誰人の為に之を説くや。[p0813]
答て曰く 方便品より人記品に至るまでの八品に二意有り。上より下に向ひて次第に之を読めば、第一は菩薩、第二は二乗、第三は凡夫也。安楽行品より勧持・提婆・宝塔・法師と逆次に之を読めば、滅後の衆生を以て本と為す。在世の衆生は傍也。滅後を以て之を論ずれば、正法一千年・像法一千年は傍也。末法を以て正と為す。末法の中には日蓮を以て正と為す。[p0813]
問て曰く 其の証拠如何。[p0813]
答て曰く 況滅度後の文是れ也。[p0813]
疑て云く 日蓮を正と為す正文如何。[p0813]
答て云く 有諸無智人 悪口罵詈等 及加刀杖者〔諸の無智の人 悪口罵詈等し 及び刀杖を加うる者あらん〕等云云。[p0813]
問て云く 自讃は如何[p0813]
答て曰く 喜び身に余るが故に堪へ難くして自讃するなり。[p0813]
問て曰く 本門の心如何。[p0813]
答て曰く 本門に於て二の心有り。一には涌出品の略開近顕遠は前四味竝びに迹門の諸衆をして脱せしめんが為也。二には涌出品の動執生疑より一半竝びに寿量品・分別功徳品の半品、已上一品二半を広開近顕遠と名づく。一向に滅後の為也。[p0813]
問て曰く 略開近顕遠の心は如何。[p0813]
答て曰く 文殊・弥勒等の諸大菩薩・梵天・帝釈・日月・衆星・龍王等、初成道の時より般若経に至る已来は、一人も釈尊の御弟子に非ず。此れ等の菩薩・天人は初成道の時、仏未だ説法したまはざる已前に不思議解脱に住して我と別円二経を演説す。釈尊其の後に阿含・方等・般若を演説したまふ。然りと雖も全く此れ等の諸人の得分に非ず。既に別円二経を知りぬれば、蔵通も又知れり。勝は劣を兼ぬる也。委細に之を論ぜば、或は釈尊の師匠なるか。善知識とは是れ也。釈尊に随ふに非ず。法華経の迹門の八品に来至して、始めて未聞之法を聞いて此れ等の人々は弟子と成りぬ。舎利弗・目連等は鹿苑より已来、初発心の弟子也。然りと雖も権法のみを許せり。今、法華経に来至して実法を授与し、法華経の本門の略開近顕遠に来至して、華厳よりの大菩薩・二乗・大梵天・帝釈・日月・四天・龍王等、位、妙覚に隣、又妙覚の位に入る也。若し爾れば今我等天に向ひて之を見れば、生身の妙覚の仏が本意に居して衆生を利益する、是れ也。[p0813-0814]
問て曰く 誰人の為に広開近顕遠の寿量品を演説するや。[p0814]
答て曰く 寿量品の一品二半は始めより終りに至るまで正しく滅後の衆生の為なり。滅後之中には末法今時の日蓮等が為也。[p0814]
疑て云く 此の法門前代に未だ之を聞かず。経文に之有りや。[p0814]
答て曰く 予が智、前賢に超えず。設ひ経文を引くと雖も誰人か之を信ぜん。卞和が啼泣、伍子胥の悲傷是れ也。然りと雖も略開近顕遠動執生疑之文に云く_然諸新発意菩薩。於仏滅後。若聞是語。或不信受。而起破法。罪業因縁〔然も諸の新発意の菩薩、仏の滅後に於て若し是の語を聞かば、或は信受せずして法を破する罪業の因縁を起さん〕等云云。文の心は寿量品を説かずんば末代の凡夫、皆悪道に堕せん等也。[p0814]
寿量品に云く_是好良薬。今留在此〔是の好き良薬を今留めて此に在く〕等云云。文の心は上は過去の事を説くに似たる様なれども、此の文を以て之を案ずるに滅後を以て本と為す。先づ先例を引く也。[p0814]
分別功徳品に云く_悪世末法時〔悪世末法の時〕等云云。神力品に云く_以仏滅度後 能持是経故 諸仏皆歓喜 現無量神力〔仏の滅度の後に 能く是の経を持たんを以ての故に 諸仏皆歓喜して 無量の神力を現じたもう〕等云云。薬王品に云く_我滅度後。後五百歳中。広宣流布。於閻浮提。無令断絶〔我が滅度の後後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶して〕等云云。又云く_此経則為。閻浮提人。病之良薬〔此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり〕等云云。涅槃経に云く_譬如七子。父母非不平等然於病者心則偏重〔譬えば七子あり。父母、平等ならざるに非ざれども、然も病者に於て心則ち偏に重きが如し〕等云云。七子之中の第一第二は一闡提謗法の衆生也。諸病之中には法華経を謗ずるが第一の重病也。諸薬之中には南無妙法蓮華経は第一の良薬也。此の一閻浮提は縦広七千由善那、八万の国之有り。正像二千年之間未だ弘宣流布せざる法華経を当世に当りて流布せしめずんば、釈尊は大妄語の仏、多宝仏の証明は泡沫に同じく、十方分身の仏の助舌も芭蕉の如くならん。[p0814-0815]
疑て云く 多宝の証明・十方の助舌・地涌の涌出、此れ等は誰人の為ぞ。[p0815]
答て曰く 世間の情に云く 在世の為と。日蓮云く 舎利弗・目・等は、現在を以て之を論ずれば智慧第一神通第一の大聖也。過去を以て之を論ずれば金龍陀仏・青龍陀仏也。未来を以て之を論ずれば華光如来。霊山を以て之を論ずれば三惑頓尽の大菩薩。本を以て之を論ずれば内秘外現の古菩薩也。文殊・弥勒等の大菩薩は、過去の古仏、現在の応生也。梵帝・日月・四天等は初成已前の大聖也。其の上前四味四教、一言に之を覚りぬ。仏の在世には一人に於ても無智の者之無し。誰人の疑ひを晴らさん為に多宝仏の証明を借り、諸仏舌を出だし、地涌の菩薩を召さんや。方々以て謂れ無き事也。随て経文に況滅度後 令法久住等云云。此れ等の経文を以て之を案ずるに、偏に我等が為也。随て天台大師当世を指して云く ̄後五百歳遠沾妙道〔後の五百歳、遠く妙道に沾わん〕。伝教大師当世を記して云く ̄正像稍過已末法太有近〔正像やや過ぎ已って、末法はなはだ近きに有り〕等云云。末法太有近の五字は我が世は法華経流布の世に非ずと云ふ釈也。[p0815]
問て云く 如来滅後二千余年に龍樹・天親・天台・伝教の残したまへる秘法とは何物ぞや。[p0815]
答て曰く 本門の本尊と戒壇と題目の五字と也。[p0815]
問て曰く正像等に何ぞ弘通せざるや。[p0815]
答て曰く 正像に之を弘通せば、小乗・権大乗・迹門の法門一時に滅尽すべき也。[p0815-0816]
問て曰く 仏法を滅尽せる之法、何ぞ之を弘通せんや。[p0816]
答て曰く 末法に於ては、大小権実顕密共に教のみ有りて得道無し。一閻浮提、皆謗法と為り了んぬ。逆縁の為には但妙法蓮華経の五字に限るのみ。例せば不軽品の如し。我が門弟は順縁、日本国は逆縁也。[p0816]
疑て云く 何ぞ広略を捨てて要を取るや。[p0816]
答て曰く 玄奘三蔵は略を捨てて広を好む。四十巻の大品経を六百巻と成す。羅什三蔵は広を捨てて略を好む。千巻の大論を百巻と成せり。日蓮は広略を捨てて肝要を好む。所謂、上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字也。九包淵之馬を相する之法は玄黄を略して駿逸取る。史陶林之経を講ずるには細科を捨てて元意を取る等云云。仏既に宝塔に入て二仏座を竝べ、分身来集し、地涌を召し出だし、肝要を取りて末代に当りて五字を授与せんこと、当世に異義あるべからず。[p0816]
疑て云く 今世に此の法を流布すること先相之有るや。[p0816]
答て曰く 法華経に如是相、乃至本末究竟等云云。天台の云く_蜘蛛掛かれば喜び事来り、・鵲鳴けば客人来る。小事すら猶お以て是の如し。何に況んや大事をや[取意]。[p0816]
問て曰く 若し爾れば其の相之有るや。[p0816]
答て曰く 去る正嘉年中の大地震。文永の大彗星。其れより已後、今に種々の大なる天変地夭、此れ等は此れ先相也。仁王経の七難・二十九難無量の難。金光明経・大集経・守護経・薬師経等の諸経に挙ぐる所の諸難、皆之有り。但無き所は、二三四五の日の出づる大難也。而るを今年佐渡の国の土民、口〈くちぐち〉に云ふ 今年正月二十三日の申の時に西方に二の日出現す。或は云く 三に日出現す等云云。二月五日には東方に明星二つ竝び出づる。其の中間は三寸計り等云云。此の大難は日本国先代にも未だ之有らざるか。[p0816]
最勝王経の王法正論品に云く_変化流星堕 二日倶時出 他方怨賊来国人遭喪乱〔変化の流星堕ち、二の日倶時に出で、他方の怨賊来りて国人喪乱に遭ふ〕等云云。首楞厳経に_或見二日或見両月〔或は二の日をあらはし、或は両の月をあらはす〕等。薬師経に云く_日月薄蝕難〔日月薄蝕の難〕等云云。金光明経に云く_彗星数出 両日竝現 薄蝕無恒〔彗星数出て、両日竝び現じ、薄蝕恒無く〕。大集経に云く_仏法実隠没 乃至 日月不現明〔仏法実に隠没せば、乃至、日月明を現ぜず〕等。仁王経に云く_日月失度時節返逆 或赤日出 黒日出 二三四五日出、或日蝕無光 或日輪一重二三四五重輪現〔日月度を失い時節返逆し、或は赤日出て、黒日出て、二三四五の日出て、或は日蝕して光無く、或は日輪一重二三四五重輪現ずる〕等云云。此の日月等の難は七難・二十九難・無量の諸難之中に第一の大悪難也。[p0816-0817]
問て曰く 此れ等の大中小の諸難は何に因りて之を起すや。[p0817]
答て曰く 最勝王経に云く_見行非法者当生愛敬 於行善法人苦楚而治罰〔非法を行ずる者を見て当に愛敬をなし、善法を行ずる人に於て苦楚して而も治罰す〕等云云。法華経に云く。涅槃経に云く。金光明経に云く_由愛敬悪人治罰善人故 星宿及風雨皆不以時行〔悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に、星宿及び風雨皆時を以て行はれず〕等云云。大集経に云く_仏法実隠没 乃至 如是不善業悪王悪比丘毀壊我正法〔仏法実に隠没せば、乃至、是の如き不善業の悪王悪比丘我正法を毀壊し〕等。仁王経に云く_聖人去時七難必起〔聖人去らん時は七難必ず起こらん〕。又云く_非法非律繋縛比丘如獄囚法。当爾之時法滅不久〔法に非ず、律に非ずして、比丘を繋縛すること獄囚の法の如くす。爾の時に当りて法の滅せんこと久しからず〕等。又云く_諸悪比丘多求名利於国王太子王子前自説破仏法因縁破国因縁。其王不別信聴此語〔諸の悪比丘、多く名利を求め、国王・太子・王子の前に於て、自ら破仏法の因縁・破国の因縁を説かん。其の王別えずして此の語を信聴し〕等云云。[p0817]
此れ等の明鏡を齎〈もて〉、当時の日本国を引き向ふるに、天地を浮かぶること宛も符契の如し。眼有らん我が門弟は之を見よ。当に知るべし、此の国に悪比丘等有りて、天子・王子将軍等に向ひて讒訴を企て聖人を失ふ世也。[p0817]
問て曰く 弗舎密多羅王・恵昌天子・守屋等は、月支・真旦・日本の仏法を滅失し、提婆菩薩・師子尊者等を殺害す。其の時何ぞ此の大難を出ださざるや。[p0817]
答て曰く 災難は人に随て大小有るべし。正像二千年之間の悪王・悪比丘等は、或は外道を用ひ、或は道士を語らひ、或は邪神を信ず。仏法を滅失すること大なるに似れども其の科尚お浅きか。今、当世の悪王・悪比丘の仏法を滅失するは、小を以て大を打ち、権を以て実を失ふ。人心を削りて身を失はず、寺塔を焼き尽くさずして自然に之を喪ぼす。其の失前代に超過せる也。我が門弟之を見て法華経を信用せよ。眼を瞋らして鏡に向へ。天の瞋るは人に失有れば也。二の日竝び出づるは一国に二の国王を竝ぶる相也。王と王との闘諍也。星の日月を犯すは、臣、王を犯す相也。日と日と競ひ出づるは四天下一同の諍論也。明星竝び出づるは太子と太子との諍論也。是の如く国土乱れて後、上行等の聖人出現し、本門の三つの法門之を建立し、一四天四海一同に妙法蓮華経の広宣流布疑ひ無き者か。[p0817-0818]
#0146-000 富木尼御前御返事 文永十一(1274) [p0818]
尼ごぜん鵞目一貫。富木殿青鳧一貫給候ひ了んぬ。[p0818]
又帷一領[p0818]
日 蓮 花押[p0818]
#0147-000 上野殿御返事 文永十一(1274.07.26) [p0810]
鵞目十連・かわのり二帖・しやうかう(薑)二十束給候ひ了んぬ。かまくらにてかりそめの御事とこそをもひまいらせ候ひしに、をもひわすれさせ給はざりける事、申すばかりなし。こうへのどの(故上野殿)だにもをはせしかば、つねに申しうけ給はりなんと、なげきをもひ候ひつるに、をんかたみに御み(身)をわか(若)くしてとどめをかれけるか。すがたのたがわせ給はぬに、御心さえにられける事いうばかりなし。法華経にて仏にならせ給ひて候とうけ給はりて、御はかにまいりて候ひしなり。又この御心ざし申すばかりなし。今年のけかち(飢渇)に、はじめたる山中に、木のもとに、このはうつしきたるやうなるすみか、をもひやらせ給へ。このほどよみ候御経の一分をことの(故殿)廻向しまいらせ候。あわれ人はよき子はもつべかりけるものかなと、なみだかきあえずこそ候へ。妙荘厳王は二子にびちびかれる。かの王は悪人なり。こうえのどのは善人なり。かれにはにるべくもなし。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。[p0810]
七月二十六日 日 蓮 花押[p0810]
#0148-100 聖密房御書 文永十一(1274.05or06頃) [p0820]
大日経をば善無畏・不空・金剛智等の義に云く 大日経の理と法華経の理とは同じ事なり。但印と真言とが法華経は劣なりと立てたり。良・和尚・広・・維・なんど申す人は大日経は華厳経・法華経・涅槃経等には及ばず、但方等部の経なるべし。日本の弘法大師云く 法華経は猶お華厳経等に劣れり。まして大日経には及ぶべからず等云云。又云く 法華経は釈迦の説、大日経は大日如来の説、教主既にことなり。又釈迦如来は大日如来のお使いとして顕教をとき給ふ。これは密教の初門なるべし。或は云く 法華経の肝心たる寿量品の仏は顕教の中にしては仏なれども、密教に対すれば具縛の凡夫なりと云云。[p0820]
日蓮勘へて云く 大日経は新訳の経、唐の玄宗皇帝の御時、開元四年に天竺の善無畏三蔵もて来る。法華経は旧訳の経、後秦の御宇に羅什三蔵もて来る。其の中間三百余年なり。法華経互りて後、百余年を経て天台智者大師、教門には五時四教を立てて、上五百余年の学者の教相をやぶり、観門には一念三千の法門をさとりて、始めて法華経の理を得たり。天台大師已前の三論宗、已後の法相宗には八界を立て十界を論ぜず。一念三千の法門をば立つべきやうなし。華厳宗は天台已前には南北の諸師、華厳経は法華経に勝れたりとは申しけれども、華厳宗の名は候はず。唐の代に高宗の后則天皇后と申す人の御時、法蔵法師・澄観なんど申す人、華厳宗の名を立てたり。此の宗は教相に五教を立て、観門には十玄六相なんど申す法門なり。をびただしきやうにみへたりしかども、澄観は天台をは(破)するやうにて、なを天台の一念三千の法門をかり(借)とりて、我が経の心如工画師の文の心とす。これは華厳宗は天台に落ちたりというべきか。又一念三千の法門をば盗みとりたりというべきか。澄観は持戒の人、大小の戒を一塵もやぶらざれども、一念三千の法門をばぬすみとれり。よくよく口伝あるべし。[p0820-0821]
真言宗の名は天竺にありやいな(否)や。大なる不審なるべし。但真言経にてありけるを、善無畏等の宗の名を漢土にして付けたりけるか。よくよくしるべし。就中、善無畏等、法華経と大日経との勝劣をはん(判)ずるに、理同事勝の釈をばつくりて、一念三千の理は法華経・大日経これ同じなんどいへども、印と真言とが法華経には無なければ事法は大日経に劣れり。事相かけぬれば事理倶密もなしと存ぜり。今日本国及び諸宗の学者等、竝びにこと(殊)に用ふべからざる天台宗、共にこの義をゆるせり。例せば諸宗の人人をばそねめども、一同に弥陀の名をとなへて、自宗の本尊をすてたるがごとし。天台宗の人人は一同に真言宗に落ちたる者なり。[p0821-0822]
日蓮理のゆくところを不審して云く 善無畏三蔵の法華経と大日経とを理は同じく事は勝れたりと立つるは、天台大師の始めて立て給へる一念三千の理を、今大日経にとり入れて同じと自由に判ずる條、ゆるさるべしや。例せば先に人丸がほのぼのとあかし(明石)のうらのあさぎりにしまかくれゆくふねをしぞをもうとよめるを、紀のしくばう(淑望)源のしたがう(順)なんどが判じて云く 此の歌はうたうの父うたうの覇は等云云。今の人我うたよめりと申して、ほのぼのと乃至船をしぞをもう、と一字もたがへずよみて、我が才は人丸にをとらずと申すをば、人これを用ふべしや。やまかつ(山賎)海人なんどは用ふる事もありなん。天台大師の始めて立て給へる一念三千の法門は仏の父仏の母なるべし。百余年已後の善無畏三蔵がこの法門をぬすみとりて、大日経と法華経とは理同なるべし、理同と申すは一念三千なり、とかけるをば智慧かしこき人は用ふべしや。[p0822-0823]
事勝と申すは印・真言なし、なんど申すは天竺の大日経・法華経の勝劣か、漢土の法華経・大日経の勝劣か。不空三蔵の法華経の儀軌には法華経に印・真言をそへて訳せり。仁王経にも羅什の訳には印・真言なし。不空の訳の仁王経には印・真言これあり。此れ等の天竺の経経には無量の事あれども、月氏・漢土国をへだててとをく、ことごとくもちて來がたければ、経を略するなるべし。[p0823]
法華経には印・真言なけれども二乗作仏劫国名号・久遠実成と申すきぼ(規模)の事あり。大日経等には印・真言はあれども二乗作仏・久遠実成これなし。二乗作仏と印・真言とを竝ぶるに天地の勝劣なり。四十余年の経経には二乗は敗種の人と一字二字ならず無量無辺の経経に嫌はれ、法華経にはこれを破して二乗作仏を宣べたり。いづれの経経にか印・真言を嫌ふことばるや。その言なければ又大日経にもその名を嫌はず但印・真言をとけり。印と申すは手の用なり。手仏にならずば手の印、仏になるべしや。真言と申すは口の用なり。口仏にならずば口の真言仏になるべしや。二乗の三業は法華経に値ひたてまつらずば、無量劫、千二百余尊の印・真言を行ずとも仏になるべからず。勝れたる二乗作仏の事法をばとかずと申して、劣れる印・真言をとける事法をば勝れたりと申すは、理によれば盗人なり、事によれば劣謂勝見の外道なり。此の失によりて閻魔の責めをばかほりし人なり。後にくい(悔)かへして、天台大師を仰ひで法華にうつりて、悪道をば脱れしなし。[p0823-0824]
久遠実成なんどは大日経にはをもひもよらず。久遠実成は一切の仏の本地、譬へば大海は久遠実成、魚鳥は千二百余尊なり。久遠実成なくば千二百余尊はうきくさの根なきがごとし、夜の露の日輪の出でざる程なるべし。天台宗の人人この事を弁へずして、真言師にたぼらかされたり。真言師は又自宗の誤りをしらず、いたづらに悪道の邪念をつみをく。空海和尚は此の理を弁へざるうえ華厳宗のすでにやぶられし邪義を借りとりて、法華経は猶お華厳経にをとれりと僻見せり。亀毛の長短、兎角の有無、亀の甲には毛なし、なんぞ長短をあらそい、兎の頭には角なし、なんの有無を論ぜん。理同と申す人いまだ閻魔のせめを脱れず。大日経に劣る、華厳経に猶お劣れる、と申す人謗法を脱るべしや。人はかはれども其の謗法の義同じかるべし。弘法の第一の御弟子かきのもと(柿本)き(紀)の僧正紺青鬼となりし、これをもてしるべし。空海改悔なくば悪道疑ふべしともをぼへず。其の流れをうけたる人人又いかん。[p0824]
問て云く わ法師一人此の悪言をはく如何。[p0824]
答て云く 日蓮は此の人人を難ずるにはあらず。但不審する計りなり。いかり(怒)おぼせば、さでをはしませ。外道の法門は一千年八百年、五天にはびこりて、輪王より万民かうべ(頭)をかたぶけしかども、九十五種共に仏にやぶられたりき。摂論師が邪義、百余年なりしもやぶらき。南北の三百余年の邪見もやぶれき。日本二百六十余年の六宗の義もやぶれき。其の上此の事は伝教大師の或書の中にやぶられて候を申すなり。[p0824-0825]
日本国は大乗に五宗あり。法相・三論・華厳・真言・天台。小乗に三宗あり。倶舎・成実・律宗なり。真言・華厳・三論・法相は大乗よりいでたりといへども、くわしく論ずれば皆小乗なり。宗と申すは戒定慧の産学を備へたる物なり。其の中に定慧はさてをきぬ。戒をもて大小のばうじ(片+旁 示)をうちわかつものなり。東寺の真言・法相・三論・華厳等は戒壇なきゆへに、東大寺に入りて小乗律宗の驢乳臭糞の戒を持つ。戒を用つて論ぜば此れ等の宗は小乗の宗なるべし。[p0825]
比叡山には天台宗・真言宗の二宗、伝教大師習ひつたへ給ひしかども、天台円頓の円定・円慧・円戒の戒壇立つべきよし申させ給ひしゆへに、天台宗に対しては真言宗の名あるべからずとをぼして、天台法華宗の止観・真言とあそばして、公家へまいらせ給ひき。伝教より慈覚たまはらせ給ひし誓戒の文には、天台法華宗の止観・真言と正しくのせられて、真言宗の名をけづられたり。天台法華宗は仏立宗と申して仏より立てられて候。真言宗の真言は当分の宗、論師・人師始めて宗の名を立てたり。而るを、事を大日如来・弥勒菩薩等によせたるなり。仏御存知の御意は但法華経一宗なるべし。小乗には二宗・十八宗・二十宗候へども、但所詮の理は無常の一理なり。法相宗は唯心有境大乗宗無量の宗ありとも、所詮は唯心有境とだにいはば但一宗なり。三論宗は唯心無境無量の宗ありとも、所詮唯心無境ならば但一宗なり。此れは大乗の空有の一分歟。華厳宗・真言宗あがらあば但中、くだらば大乗の空有なるべし。経文の説相は猶お華厳・般若にも及ばず。但しよき人とをぼしき人人の多く信じたるあいだ、下女を王のあい(愛)するににたり。大日経は下女のごとし。理は但中にすぎず。論師・人師は王のごとし。人のあいするによていばう(威望)があるなるべし。[p0825-0826]
上の問答等は当時は世すえになりて、人の智浅く慢心高きゆへに、用ふる事はなくとも、聖人・賢人なんども出でたらん時は子細もやあらんずらん。不便にをもひまいらすれば目安に注せり。御ひまにはならはせ給ふべし。[p0826]
これは大事の法門なり。こくうざう(虚空蔵)にまいりて、つねによみ奉らせ給ふべし。[p0826]
日 蓮 花押[p0826]
聖密房遣之[p0826]
#0149-100 別当御房御返事 文永十一(1274.05・06頃) [p0827]
聖密房のふみにくはしくかきて候。よりあいてきかせ給ひ候へ。なに事も二間清澄の事をば聖密房に申しあわせさせ給ふべく候か。世間のり(理)をしりたる物に候へばかう申すに候。これへの別当なんどの事はゆめゆめをもはず候。いくらほどの事に候べき。但な(名)ばかりにてこそ候はめ。又わせいつをの事、をそれ入って候。いくほどなき事に御心ぐるしく候らんと、かへりてなげき入って候へども、我が御をばしりたりけりと、しらせまいらせんために候。[p0827]
大名を計るものは小耻にはぢずと申して、南無妙法蓮華経の七字を日本国にひろめ、震旦・高麗までも及ぶべきよしの大願をはらみ(懐)て、其の願の満すべきしるしにや。大蒙古国の牒状しきりにありて、此の国の人ごとの大なる歎きとみへ候。日蓮又先よりこの事をかんがへたり。閻浮第一の高名なり。先よりにきみぬるゆへに、まゝこ(継子)のかうみやう(功名)のやうにせん心とは用ひ候はねども、終に身のなげきに極まり候時は辺執のものどもも一定かとかへぬとみへて候。これほどの大事をはらみて候ものの、小事をあながちに申し候べきか。[p0827-0828]
但し東条、日蓮心ざす事は、生処なり。日本国よりも大切にをもひ候。例せば漢王の沛郡ををもくをぼしめししがごとし。かれ生処なるゆへなり。聖智が跡の主となるをもんてしろしめせ。日本国の山寺の主ともなるべし。日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり。天のあたへ給ふべきことわりなるべし。[p0828]
米一斗六升、あはの米二升、やき米はふくろへ。それのみならず人人の御心ざし申しつくしがたく候。これはいたみをもひ候。これより後は心ぐるしくをぼしめすべからず候。よく人人にしめすべからず候。よく人人にもつたへさせ給ひ候へ。恐々謹言。[p0828]
乃時[p0828]
別当御房御返事[p0828]
#0154-000 曾谷入道殿御書 文永十一(1274.11・20) [p0838]
自界叛逆難・他国侵逼難すでにあひ候ひ了んぬ。これをもつてをもうに、_多有他方怨賊侵掠国内人民諸受苦悩土地無有所楽之処〔多く他方の怨賊有って国内を侵掠し、人民諸の苦悩を受け土地所楽之処有ること無けん〕と申す経文合ひぬと覚え候。当時壱岐・対馬の土民の如くに成り候はんずる也。是れ偏に仏法の邪険なるによる。[p0838]
仏法の邪見と申すは真言宗と法華宗との違目也。禅宗と念仏宗とを責め候ひしは此の事を申し顕さん料也。漢土には善無畏・金剛智・不空三蔵の誑惑の心、天台法華宗を真言の大日経に盗み入れて、還って法華経の肝心と天台大師の徳とを隠せし故に漢土滅する也。日本国は慈覚大師が大日経・金剛頂経・蘇悉地経を鎮護国家の三部と取って、伝教大師の鎮護国家を破せしより、叡山に悪義出来して終に王法尽きにき。此の悪義鎌倉に下って又日本国を亡ぼすべし。[p0838]
弘法大師の邪義は中中顕然なれば、人もたぼらかされぬ者もあり。慈覚大師の法華経・大日経等の理同事勝の釈は智人既に許しぬ。愚者争でか信ぜざるべき。慈覚大師は法華経と大日経との勝劣を祈請せしに、以箭射日〔箭を以て日を射る〕と見しは此の事なるべし。是れは慈覚大師の心中に修羅の入って法華経の大日輪を射るにあらずや。此の法門は当世叡山其の外日本国の人用ふべき哉。もし此の事実事ならば日蓮豈に須弥山を投ぐる者にあらずや。我が弟子は用ふべき哉如何。最後なれば申す也。恨み給ふべからず。恐々謹言。[p0838-0839]
十一月二十日 日 蓮 花押[p0839]
曾谷入道殿[p0839]
#0155-0K0 合戦在眼前御書 文永十一(1274.11頃) [p0839]
先の四ヶ條既に経文の如し。第五闘諍堅固の末法は今に相当る。随て当世を見聞するに闘諍合戦、眼前に在り。之を以て之を惟ふに法《 》疑心[0839]
#0157-0K0 聖人知三世事 文永十一(1274) [p0842]
聖人と申すは委細に三世を知るを聖人と云ふ。儒家の三皇五帝竝びに三聖は、但現在を知りて過未を知らず。外道は過去八万・未来八万を知る。一分の聖人也。小乗の二乗は過去未来の因果を知る。外道に勝れたる聖人也。小乗の菩薩は過去三僧祇劫。通教の菩薩は過去に動喩塵劫を経歴せり。別教の菩薩は一一の位に多倶低劫の過去を知る。法華経の迹門は過去の三千塵点劫を演説す。一代超過是れ也。本門は五百塵点劫・過去遠遠劫をも之を演説し、又未来無数劫の事をも宣伝す。之に依て之を案ずるに、委しく過未を知るは聖人の本也。教主釈尊は、既に近くは却後三月の涅槃、之を知る。遠くは後五百歳広宣流布疑ひ無き者か。若し爾れば近きを以て遠きを惟ひ、現を以て当を知る。如是相 乃至 本末究竟等是れ也。[p0842]
後五百歳は誰人を以て法華経の行者と之を知るべきや。予は未だ我が智慧を信ぜず。然りと雖も自他の返逆侵逼、之を以て我が智を信ず。敢えて他人の為に非ず。又我が弟子等之を存知せよ。日蓮は是れ法華経の行者也。不軽の跡を紹継する之故に。軽毀する人は頭七分に破れ信ずる者は福を安明に積まん。[p0842-0843]
問て云く 何ぞ汝を毀る人、頭破七分無きや。[p0843]
答て云く 古昔の聖人は仏を除いて已外、之を毀る人、頭破但一人二人也。今日蓮を毀呰する事は一人二人に限るべからず。日本一国一同に同じく破る也。所謂正嘉の大地震。文永の長星は誰が故ぞ。日蓮は一閻浮提第一の聖人也。上一人より下万民に至る之を軽毀して刀杖を加へ流罪に処する故に、梵と釈と日月・四天と隣国に仰せ付けて之を逼責する也。大集経に云く。仁王経に云く。涅槃経に云く。法華経に云く。設ひ万祈を作すとも日蓮を用ひずば、必ず此の国今の壹岐・対馬の如くならん。我が弟子仰いで之を見よ。此れ偏に日蓮が尊貴なるに非ず。法華経の御力の殊勝なるに依る也。身を挙ぐれば慢すと想ひ身を下せば経を蔑る。松高ければ藤長く 源深ければ流れ遠し。幸ひかな、楽ひかな、穢土に於て喜楽を受くるは但日蓮一人なるのみ。[p0843]
#0159-0K0 大田殿許御書 文永十二(1275.正・24) [p0852]
新春之慶賀自他幸甚々々。[p0852]
抑そも俗諦・真諦之中には勝負を以て詮と為し、世間・出世とも甲乙を以て先と為すか。而るに諸経諸宗の勝劣は三国の聖人共に之を存し、両朝の群賢同じく之を知るか。法華経と大日経と天台宗と真言宗の勝劣は、月支・日本未だ之を弁ぜず。西天・東土にも明らめざる物か。所詮、天台・伝教の如き聖人公場に於て是非を決せず、明帝・桓武の如き国主、之を聞かざる故か。所謂、善無畏三蔵は法華経と大日経とは理同事勝等と。慈覚・智証等も此の義を存するか。弘法大師は法華経を華厳経より下す等。此れ等の二義、共に経文に非ず。同じく自義を存するか。将た又慈覚・智証等、表を作して之を奏す。申すに随て勅宣有り。如聞 真言止観両教之宗同号醍醐 倶称深秘〔聞くならく、真言・止観両教の宗同じく醍醐と号し、倶に深秘と称す〕。乃至 譬言猶如人之両目鳥之双翼者也〔譬へて言はば猶お人の両目、鳥の双翼の如き者なり〕等云云。[p0852]
余、末の初めに居し、学、諸賢之終りを稟く。慈覚・智証の正義之上に勅宣方々之有り。疑ひ有るべからず。一言をも出だすべからず。然りと雖も、円仁・円珍の両大師、先師伝教大師の正義を劫略して勅宣を申し下す之疑ひ、之有る上、仏誡遁れ難し。随て又亡国の因縁、謗法の源初、之に始まるか。故に世の謗を憚らず、用不用を知らず、身命を捨てて之を申す也。[p0852]
疑て云く 善無畏・金剛智・不空三蔵、弘法・慈覚・智証の三大師、二経を相対して勝劣を判ずるの時、或は理同事勝、或は華厳経より下る等云云。随て又聖賢の鳳文之有り。諸徳之を用ひて年久し。此の外に汝一義を存じて諸人を迷惑せしむ。剰へ天下の耳目を驚かす。豈に増上慢の者に非ずや、如何。[p0852-0853]
答て曰く 汝が不審、尤も最も也。如意論師の提婆菩薩を灼誡せる言は是れ也。彼の状に云く ̄黨猿之衆無競大義 群迷之中無弁正論。言畢而死〔黨猿の衆と大義を競ふこと無く、群迷の中に正論を弁ずること無かれ、と。言畢りて死す〕云云。御不審之に当るか。然りと雖も、仏世尊は法華経を演説するに、一経之中に二度の流通之有り。重ねて一経を説いて法華経を流通す。涅槃経に云く_若善比丘 見壊法者 置不呵嘖 駈遣挙処 当知是人 仏法中怨〔若し善比丘ありて法を壊る者を見て置いて呵嘖し駈遣し挙処せずんば、当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり〕等云云。善無畏・金剛智の両三蔵、慈覚・智証の二大師、大日の権教を以て法華の実経を破壊せり。[p0853]
而るに日蓮世を恐れて之を言はずんば仏敵と為らんか。随て章安大師末代の学者を諌暁して云く_壊乱仏法仏法中怨。無慈詐親是彼怨。能糺治者是護法声聞真我弟子。為彼除悪即是彼親〔仏法を壊乱するは仏法の中の怨なり。慈無くして詐わり親しむは、是れ彼が怨なり。能く糺治せん者は、是れ護法の声聞、真の我が弟子なり。彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり〕等云云。余は此の釈を見て肝に染むるが故に身命を捨てて之を糾明する也。提婆菩薩は付法蔵の第十四、師子尊者は第二十五に当る。或は命を失ひ、或は頭を刎らる等是れ也。[p0853]
疑て云く 経々の自讃は諸経常の習ひ也。所謂、金光明経に云く_諸経之王。密厳経の_一切経中勝〔一切経の中に勝る〕。蘇悉地経に云く_於三部中 此経為王〔三部の中に於て此の経を王と為す〕。法華経に云く_是諸経之王等云云。随て四依の菩薩、両国の三蔵も是の如し、如何。[p0853]
答て云く 大国小国・大王小王・大家小家・尊主高貴各々分斉有り。然りと雖も、国々の万民皆大王と号し同じく天子と称す。詮を以て之を論ぜば梵王を大王と為し、法華経を以て天子と称する也。[p0853]
求て云く 其の証如何。[p0853]
答て曰く 金光明経の是諸経之王の文は梵釈の諸経に相対し、密厳経の一切経中勝之文は次上に十地経・華厳経・勝鬘経等を挙げて彼々の経々に相対して一切経の中に勝る云云。蘇悉地経の文は現文之を見るに、三部の中に於て王と為す云云。蘇悉地経は大日経・金剛頂経に相対して王と云云。而るに善無畏等、或は理同事勝、或は華厳より下る等云云。此れ等の僻文は、螢火を日月に同じ、大海を江河に入るるか。[p0853-0854]
疑て云く 経々の勝劣、之を論じて何が為さん。[p0854]
答て曰く 法華経の第七に云く_有能受持。是経典者。亦復如是。於一切衆生中。亦為第一〔是の経典を受持することあらん者も亦復是の如し。一切衆生の中に於て亦為れ第一なり〕等云云。此の経の薬王品に十喩を挙げて已今当の一切経に超過すと云云。第八の譬、兼ねて上の文に有り。所詮、仏意の如くならば経之勝劣を詮とするに非ず。法華経の行者は一切之諸人に勝れたる之由、之を説く。大日経等の行者は諸山・衆星・江河・諸民也。法華経の行者は須弥山・日月・大海等也。而るに今の世、法華経を軽蔑すること土の如く民の如く、真言の僻人を重崇して国師と為ること金の如く王の如し。之に依て増上慢の者、国中に充満す。青天瞋りを為し、黄地夭・を至す。涓聚まりて・塹を破るが如く、民の愁ひ積もりて国を亡ぼす等是れ也。[p0854]
問て云く 内外の諸釈之中に是の如きの例、之有りや。[p0854]
答て曰く 史臣呉競太宗に上る表に云く ̄竊惟 太宗文武皇帝之政化 自曠古之求 未有如是之盛者也。雖唐尭虞舜 夏禹殷湯 周之文武 漢之文景 皆所不逮也〔竊かに惟るに、太宗文武皇帝の政化は、曠古より之を求むるに、未だ是の如きの盛んなる者は有らざるなり。唐尭虞舜、夏禹殷湯、周の文武、漢の文景と雖も、皆逮ばざる所なり〕云云。今此の表を見れば太宗を慢せる王と云ふべきか。政道の至妙先聖に超へて讃めん所なり。章安大師、天台を讃めて云く ̄天竺大論尚非其類。真丹人師何労及語。此非誇耀法相然耳〔天竺の大論、尚お其類に非ず。真丹の人師、何ぞ労しく語るに及ん。此れ誇耀に非ず、法相の然らしむるのみ〕等云云。従義法師、重ねて讃めて云く ̄龍樹天親未若天台〔龍樹・天親、未だ天台にしかず〕。伝教大師、自讃して云く ̄天台法華宗勝諸宗者 拠所依経故。不自讃毀他。庶有智君子尋経定宗〔天台法華宗の諸宗に勝れたるは、所依の経に拠るが故なり。自讃毀他ならず。庶ひねがはくは、有智の君子は経を尋ねて宗を定めよ〕等云云。又云く ̄能持法華者 亦衆生中第一。已拠仏説 豈自讃哉〔能く法華を持つ者は、亦衆生の中の第一なり。已に仏説に拠る。豈に自讃ならんや〕云云。[p0854-0855]
今愚見を以て之を勘ふるに、善無畏・弘法・慈覚・智証等は皆仏意に違ふのみにあらず、或は法の盗人、或は伝教大師に逆らへる僻人也。故に或は閻魔王の責めを蒙り、或は墓墳無く、或は事を入定に寄せ、或は度度大火大兵に値へり。権者は恥辱を死骸に与へざるの本文に違するか。[p0855]
疑て云く 六宗の如く、真言の一宗も天台に落ちたる状之有りや。[p0855]
答ふ 記の十の末に之を載せたり。随て伝教大師依憑集を造りて之を集む。眼有らん者は開きて之を見よ。翼はしき哉、末代の学者妙楽・伝教の聖言に随て、善無畏・慈覚の凡言を用ふること勿れ。予が門家等深く此の由を存ぜよ。今生に人を恐れて後生に悪果を招くこと勿れ。恐惶謹言[p0855]
正月廿四日 日 蓮 花押[p0855]
大田金吾入道殿[p0855]
#0160-000 四条金吾殿御女房御返事 文永十二(1275.正・27) [p0855]
所詮日本国の一切衆生の目をぬき神をまどはかす邪法、真言師にはすぎず。是れは且く之を置く。十喩は一切経と法華経との勝劣を説かせ給ふと見えたれども、仏の御心はさには候はず。[p0855-0856]一切経の行者と法華経の行者とをならべて、法華経の行者は日月等のごとし、諸経の行者は衆星燈炬のごとしと申す事を、詮と思しめされて候。なにをもんてこれをしるとならば、第八の譬への下に一の最大事の文あり。所謂此の経文に云く_有能受持。是経典者。亦復如是。於一切衆生中。亦為第一〔能く是の経典を受持することあらん者も亦復是の如し。一切衆生の中に於て亦為れ第一なり〕等云云。此の二十二字は一経第一の肝心なり。一切衆生の目也。文の心は法華経の行者は日月・大梵王・仏のごとし、大日経の行者は、衆星・江河・凡夫のごとしととかれて候経文也。[p0856]
されば此の世の中の男女僧尼は嫌ふべからず。法華経を持たせ給ふ人は一切衆生のしう(主)とこそ、仏は御らん候らめ、梵王・帝釈はあをがせ給ふらめとうれしさ申すばかりなし。[p0856]
又この経文を昼夜に案じ朝夕によみ候へば、常の法華経の行者にては候はぬにはんべり。是経典者とて者の文字はひととよみ候へば、此の世の中の比丘・比丘尼・うば塞・うばいの中に、法華経信じまいらせ候人々かとみまいらせ候へばさにては候はず。[p0856]
次ぎ下の経文に、此の者の文字を仏かさねてとかせ給ふて候には、若有女人ととかせて候。日蓮法華経より外の一切経をみ候には、女人とはなりたくも候はず。或経には女人をば地獄の使いと定められ、或経には大蛇ととかれ、或経にはまがれる木のごとし、或経には仏の種をい(熬)れる者とこそとかれて候へ。[p0856-0867]
仏法ならず外典にも栄啓期と申せし者の、三楽をうたいし中に、無女楽と申して天地の中に女人と生れざる事を楽とこそたてられて候へ。わざわい三女よりをこれりと定められて候に、此の法華経計りに、此経持女人は一切の女人にすぎたるのみならず、一切の男子にこえたりとみへて候。[p0857]
せんずるところは一切の人にそしられて候よりも、女人の御ためには、いとを(愛)しとをもわしき男にふびんとをもわれたらんにはすぎじ。一切の人はにくまばにくめ。釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏乃至梵王・帝釈・日月等だにも、ふびんとをもわれまいらせなば、なにくるし。法華経にだにもほめられたてまつりなば、なにかたつましかるべき。今三十三の御やくとて、御ふせをくりたびて候へば、釈迦仏・法華経・日天の御まえに申しあげ候ぬ。[p0857]
人の身には左右のかた(肩)あり。このかたに二つの神をはします。一をば同名神、二をば同生神と申す。此の二つの神は梵天・帝釈・日月の人をまほらせんがために、母の腹の内に入りしよりこのかた一生をわるまで、影のごとく眼のごとくつき随ひて候が、人の悪をつくり善をなしなむどし候をば、つゆちりばかりものこさず、天にうた(訴)へまいらせ候なるぞ。華厳経の文にて候を止観の第八に天台大師よませ給へり。[p0857]
但し信心のよはきものをば、法華経を持つ女人なれどもすつるとみへて候。れいせば大将軍心ゆわければしたがふものもかいなし。ゆみゆわければ、つるゆるし。風ゆるなればなみちひさきはじねんのだうりなり。しかるにさゑもん(左衛門)どのは俗のなかには日本にかたをならぶべき物もなき法華経の信者なり。これにあひつ(連)れさせ給ひぬるは日本第一の女人なり。法華経の御ためには龍女とこそ仏はをぼしめされ候らめ。[p0857-0858]
女と申す文字をばかゝるとよみ候。藤の松にかゝり、女の男にかゝるも、今は左衛門殿を師とせさせ給ひて、法華経へみちびかれさせ給ひ候へ。又三十三のやくは転じて三十三のさいはひとならせ給ふべし。七難即滅七福即生とは是れ也。年はわかう(若)なり、福はかさなり候べし。あなかしこあなかしこ。 [p0858]
正月二十七日 日 蓮 花押 [p0858]
四条金吾殿御女房 御返事 [p0858]
#0161-000 春之祝御書 文永十二(1275.正・下旬) [p0859]
春のいわい(祝)わすでに事ふり候ぬ。さては故なんでうどの(南条殿)はひさしき事には候はざりしかども、よろづ事にふれてなつかしき心ありしかば、をろかならずをもひしに、よわひ盛んなりしに、はかなかりし事、わかれかなしかりしかば、わざとかまくら(鎌倉)よりうちくだかり、御はかをば見候ぬ。[p0859]
それよりのちはするが(駿河)のびん(便)にはとをもひしに、このたびくだしには人にしのびてこれへきたりしかば、にしやま(西山)の入道殿にもしられ候はざりし上は力およばず、とをりて候ひしが心にかゝりて候。[p0859]
その心をとげんがために、此の御房は正月の内につかわして、御はかにて自我偈一巻よませんとをもひてまいらせ候。御とのゝ御かたみもなし、なんどなげきて候へば、とのをとどめをかれける事よろこび入て候。故殿は木のもと、くさむらのかげ、かよう(通)人もなし。仏法をも聴聞せんず、いかにつれづれなるなん。をもひやり候へばなんだもとどまらず。との(殿)の法華経の行者うちぐ(具)して御はかにむかわせ給ふには、いかにうれしかるらん。うれしかるらん。[p0859]
#0162-000 富木殿御返事 文永十二(1275.02・07) [p0860]
帷一領給候ひ了んぬ。[p0860]
夫れ、仏弟子の中、比丘一人はんべり。飢饉の世に、仏の御時、事かけて候ひければ、比丘袈裟をう(賣)て其のあたひを仏に奉る。仏其の由来を問ひ給ひければ、しかじかとありのまゝに申しけり。仏云く 袈裟はこれ三世の諸仏解脱の法衣なり。このあたひ(価)をば我ほうじがたしと辞退しまししましかば、此の比丘申す、さて此の袈裟あたひをばいかんがせんと申しければ、仏の云く 汝悲母有りや不や。答て云く 有り。仏云く 此の袈裟をば汝が母に供養すべし。此の比丘仏に云く 仏は此の三界の中第一の特尊なり。一切衆生の眼目にてをはす。設ひ十方世界を覆ふ衣なりとも、大地にしく袈裟なりとも、能く報じ給ふべし。我が母は無智なる事牛のごとし。羊よりもはかなし。いかでか袈裟の信施をほうぜんと云云。[p0860]
此は又、齢九旬にいたれる悲母の、愛子にこれをまいらせさせ給ふ。而るに我と老眼をしぼり、身命を尽くせり。我が子の身として此の帷の恩かたしとをぼしてつかわせるか。日蓮又ほうじがたし。[p0860]
しかれども又返すべきにあらず。此の帷をきて日天の御前にして、此の子細を申し上げば、定めて釈梵諸天しろしめすべし。帷一なれども十方の諸天此をしり給ふべし。露を大海によせ、土を大地に加ふるがごとし。生々に失せじ、世々にくちざらむかし。恐恐謹言[p0861]
二月七日 日 蓮 花押[p0861]
#0163-000 可延定業御書 文永十二(1275.02・07) [p0861]
夫れ病に二あり。一には軽病。二には重病。重病すら善医に値ふて急に対治すれば命猶存す。何に況んや軽病をや。[p0861]
業に二あり。一には定業、二には不定業。定業すら能々懺悔すれば必ず消滅す。何に況んや不定業をや。[p0861]
法華経第七に云く_此経則為。閻浮提人。病之良薬〔此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり〕等云云。此の経文は法華経の文也。一代の聖教は皆如来の金言、無量劫より已来不妄語の言也。[p0861]
就中此の法華経は仏の正直捨方便と申して真実が中の真実なり。多宝証明を加へ、諸仏舌相を添へ給ふ。いかでかむなしかるべき。[p0861]
其の上最第一の秘事はんべり。此の経文は後五百歳二千五百余年の時、女人の病あらんととかれて候文なり。阿闍世王は御年五十の二月十五日、大悪瘡身に出来せり。大医耆婆が力も及ばず、三月七日必ず死して無間大城に堕つべかりき。五十余年が間の大楽一時に滅して、一生の大苦三七日にあつまれり。定業限りありしかども仏、法華経をかさねて演説して、涅槃経となづけて大王にあたえ給ひしかば、身の病忽ちに平癒し、心の重罪も露と消えにき。仏滅後一千五百余年、陳臣と申す人ありき。命知命にありと申して五十年に定まりて候ひしが、天台大師に値ひて十五年の命を宣べて、六十五までをはしき。其の上、不軽菩薩は、更増寿命ととかれて、法華経を行じて定業をのべ給ひき。彼等は皆男子也。女人にはあらざれども、法華経を行じて寿をのぶ。又陳臣は後五百歳にもあたらず。冬の稲米・夏の菊花のごとし。当時の女人の法華経を行じて定業を転ずることは秋の稲米・冬の菊花、誰かおどろくべき。[p0861-0862]
されば日蓮悲母をいのりて候ひしかば、現身に病をいやすのみならず、四箇年の寿命をのべたり。今女人の御身として病を身にうけさせ給ふ。心みに法華経の信心を立てて御らむあるべし。しかも善医あり。中務三郎左衛門尉殿は法華経の行者なり。[p0862]
命と申す物は一身第一の珍宝也。一日なりともこれをのぶるならば千万両の金にもすぎたり。法華経の第一の聖教に超過していみじきと申すは寿量品のゆへぞかし。閻浮第一の太子なれども短命なれば草よりもかろし。日輪のごとくなる智者なれども夭死あれば生犬に劣る。早く心ざしの財をかさねて、いそぎいそぎ御対治あるべし。[p0862-0863]
此れよりも申すべけれども、人は申すにて吉事もあり、又我が志しのうすきかとをもう者もあり。人の心しりがたき上、先々に少々かゝる事候。此の人は人の申せばすこそ(少)心へずげに思ふ人なり。なかなか申すはあしかりぬべし。但なかうど(中人)もなく、ひらなさけに、又心もなくうちたのませ給へ。[p0863]
去年の十月これに来りて候ひしが、御所労の事をよくよくなげき申せしなり。当事大事のなければをどろかせ給はぬにや、明年正月二月のころをひは必ずをこるべしと申せしかば、これにもなげき入て候。富木殿も此の尼ごぜんをこそ杖柱とも恃みたるに、なんど申して候ひしなり。随分にわび候ひしぞ。きわめてまけじたまし(不負魂)の人にて、我がかたの事をば大事と申す人なり。[p0863]
かへすがへす身の財をだにをしませ給わば此の病治がたかるべし。一日の命は三千界の財にもすぎて候なり。先づ御志をみみへさせ給ふべし。[p0863]
法華経の第七の巻に、三千大千世界の財を供養するよりも、手の一指を燃きて仏法華経に供養せよととかれて候はこれなり。命は三千にもすぎて候。而も齢もいまだたけさせ給はず、而も法華経にあわせ給ひぬ。一日もいきてをはせば功徳つもるべし。あらをしの命や、あらをしの命や。[p0863-0864]
御姓名竝びに御年を我とかかせ給ひて、わざとつかわせ。いよどの(伊豫殿)もあながちになげき候へば日月天に自我偈をあて候はんずるなり。恐恐謹言。[p0864]
日 蓮 花押[p0864]
尼ごぜん御返事[p0864]
#0164-000 新尼御前御返事 文永十二(1275.02・16) [p0864]
あまのり(海苔)一ふくろ送り給了んぬ。又大尼御前よりあまのり畏こまり入て候。[p0864]
此の所をば身延の嶽と申す。駿河の国は南にあたりたり。彼の国の浮島がはらの海ぎはより、此の甲斐の波木井の郷身延の嶺へは百余里に及ぶ。余の道千里よりもわづらはし。富士河と申す日本第一のはやき河、北より南へ流れたり。此の河は東西は高山なり。谷深く、左右は大石にして高き屏風を竝べたるがごとくなり。河の水は筒の中に矢を射出したるがごとし。此の河の左右の岸をつたい、或は河を渡り、或時は河はやく石多ければ船破れて微塵となる。[p0864-0865]
かかる所をすぎゆきて、身延の嶺と申す大山あり。東は天子の嶺、南は鷹取の嶺、西は七面の嶺、北は身延の嶺なり。高き屏風を四つついたて(衝立)たるがごとし。峯に上りてみれば草木森森たり。谷に下りてたづぬれば大石連連たり。大狼の音山に充満し、猿猴のなき谷にひびき、鹿のつまをこうる音あはれしく、蝉のひびきかまびすし。春の花は夏にさき、秋の菓は冬になる。たまたま見るものはやまかつ(山人)がたき木をひろうすがた、時時とぶらう人は昔なれし同法(朋)也。彼の商山の四皓が世を脱れし心ち、竹林の七賢が跡を隠せし山もかくやありけむ。[p0865]
峯に上りてわかめやを(生)いたると見候へば、さにてはなくしてわらびのみ竝び立ちたり。谷に下りてあまのりやをいたると尋ぬればあやまりてやみるらん、せり(芹)のみしげりふ(茂伏)したり。古郷の事はるかに思ひわすれて候ひつるに、今此のあまのりを見候て、よしなき心をもひいでて、う(憂)つらし。[p0865]
かたうみ(片海)・いちかわ(市河)・こみなと(小湊)の礒のほとりにて昔見しあまのりなり。色形あぢわひもかはらず。など我が父母かはらせ給ひけんと、かたちがへ(方違)なるうらめ(恨)しさ、なみだをさへがたし。[p0865]
此れはさてとどめ候ぬ。但大尼御前の御本尊の御事おほせつかはされておもひわづらひて候。其の故は此の御本尊は天竺より漢土へ渡り候ひしあまたの三蔵、漢土より月氏へ入り候ひし人人の中にもしるしをかせ給はず。西域等の書ども開き見候へば、五天竺の諸国寺寺の本尊皆しるし尽くして渡す。又漢土より日本に渡る聖人、日域より漢土へ入る賢者等のしるされて候寺寺の御本尊、皆かんがへ尽くし、日本国最初の寺元興寺・四天王子等の無量の寺寺の日記、日本紀と申すふみより始めて多くの日記にのこりなく註して候へば、其の寺寺の御本尊かくれなし。其の中に此の本尊はあへてましまさず。[p0866]
人疑て云く 経論になきか。なければこそそこばくの賢者等は画像にかき奉り、木像にもつくりたてまつらざるらめと云云。[p0864]
而れども経文は眼前なり。御不審の人人は経文の有無をこそ尋ぬべけれ。前代につくりかかぬを難ぜんとをもうは僻案なり。例せば釈迦仏は悲母孝養のために・利天に隠れさせ給ひたりしをば、一閻浮提の一切の諸人しる事なし。但目連尊者一人此れをしれり。此れ又仏の御力也と云云。仏法は眼前なれども機根なければ顕れず。時いたらざればひろまらざる事、法爾の道理也。例せば大海の潮の時に随て増減し、上天の月の上下にみち(盈)かく(虧)るがごとし。[p0866]
今此の御本尊は教主釈尊五百塵点劫より心中にをさめさせ給ひて、世に出現せさせ給ひても四十余年、其の後又法華経の中にも迹門はせすぎて、宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕し、神力品嘱累に事極まりて候ひしが、金色世界の文殊師利、兜史多天宮の弥勒菩薩、補陀落山の観世音、日月浄明徳仏の御弟子の薬王菩薩等の諸大士、我も我もと望み給ひしかども叶はず。是れ等は智慧いみじく、才学ある人人とはひびけども、いまだ日あさし、学も始めたり、末代の大難忍びがたかるべし。我五百塵点劫より大地の底にかくしをきたる真の弟子あり。此れにゆづるべしとて、上行菩薩等を涌出品に召し出させ給ひて、法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字をゆづらせ給ひ、あなかしこあなかしこ、我が滅度の後正法一千年、像法一千年に弘通すべからず。末法の始めに謗法の法師一閻浮提に充満して、諸天いかりをなし、彗星は一天にわたらせ、大地は大波のごとくをどらむ。大旱魃・大火・大水・大風・大疫病・大飢饉・大兵乱等の無量の大災難竝びをこり、一閻浮提の人人各各甲冑をきて弓杖を手ににぎらむ時、諸仏・諸菩薩・諸大善神等の御力の及ばせ給はざらん時、諸人皆死して無間地獄に堕つること、雨のごとくしげからん時、此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば、諸王は国を扶け、万民は難をのがれん。乃至後生の大火災を脱るべしと仏記しおかせ給ひぬ。[p0867-0868]
而るに日蓮上行菩薩にはあらねども、ほぼ兼ねてこれをしれるは、彼の菩薩の御計らひかと存して、此の二十余年が間此れを申す。此の法門弘通せんには如来現在。猶多怨嫉。況滅度後。一切世間。多怨難信と申して第一のかたきは国主竝びに郡郷等の地頭領家万民等也。此れ又第二第三の僧侶がうつたへについて、行者を或は悪口し、或は罵詈し、或は刀杖等云云。[p0868]
而るを安房の国東條の郷は辺国なれども日本国の中心のごとし。其の故は天照太神跡を垂れ給へり。昔は伊勢の国に跡を垂れさせ給ひてこそありしかども、国王は八万加茂等を御帰依深くありて、天照太神の御帰依浅かりしかば、太神瞋りおぼせし時、源の右将軍と申せし人、御起請文をもつてあをか(会加)の小大夫に仰せつけて頂戴し、伊勢の下宮にしのびをさめしかば、太神の御心に叶はせ給ひけるかの故に、日本を手ににぎる将軍となり給ひぬ。此の人東條の郡を天照太神の御栖と定めさせ給ふ。されば此の太神は伊勢の国にはをはしまさず、安房の国東條の郡にすませ給ふか。例せば八幡大菩薩は昔は西府にをはせしかども、中比は山城の国男山に移り給ひ、今は相州鎌倉鶴が岡に栖み給ふ。これもかくのごとし。[p0868]
日蓮は一閻浮提の内、日本国安房の国東條の郡に始めて此の正法を弘通し始めたり。随て地頭敵となる。彼の者すでに半分ほろびて今半分あり。[p0868]
領家はいつわりをろかにて或時は信じ、或時はやぶる不定なりしが、日蓮御勘気を蒙りし時すでに法華経をすて給ひき。日蓮先よりけさんのついでごとに難信難解と申せしはこれなり。日蓮が重恩の人なれば扶けたてまつらんために、此の御本尊をわたし奉るならば、十羅刹定めて偏頗の法師とをぼしめされなん。又経文のごとく不信の人にわたしまいらせずば、日蓮偏頗はなけれども、尼御前我が身のとがをばしらせ給はずしてうらみさせ給はんずらん。此の由をば委細に助の阿闍梨の文にかきて候ぞ。召して尼御前の見参に入れさせ給ふべく候。[p0869]
御事にをいては御一味なるやうなれども、御信心は色あらわれて候。さどの国と申し、此の国と申し、度度の御志ありて、たゆむけしきはみへさせ給はねば、御本尊はわたしまいらせて候なり。それも終にはいかんがとをそれ思ふ事、薄氷をふみ、太刀に向ふがごとし。[p0869]
くはしくは又又申すべく候。それのみならず、かまくらにも御勘気の時、千が九百九十九人は堕ちて候人人も、いまは世間やわら(和)ぎ候かのゆへに、くゆる人人も候と申すに候へども、此れはそれには似るべくもなく、いかにもふびんには思ひまいらせ候へども、骨に肉をばか(替)へぬ事にて候へば、法華経に相違せさせ給ひ候はん事を叶ふまじき由、いつまでも申し候べく候。恐恐謹言。[p0869]
二月十六日 日 蓮 花押[p0870]
新尼御前御返事[p0870]
#0166-100 瑞相御書 文永十二(1275.02) [p0864]
夫れ天変は衆人のおどろかし、地夭は諸人をうごかす。仏、法華経をとかんとし給ふ時、五瑞六瑞をげんじ給ふ。其の中に地動瑞と申すは大地六種に震動す。六種と申すは天台大師文句の三に釈して云く ̄東涌西没者 東方青主肝 肝主眼。西方白主肺 肺主鼻。此表眼根功徳生鼻根煩悩互滅也。鼻根功徳生眼中煩悩互滅。余方涌没表余根生滅亦復〔東涌西没とは、東方は青、肝を主どる。肝は眼を主どる。西方は白、肺を主どる。肺は鼻を主どる。此れ眼根の功徳生じて鼻根の煩悩互いに滅するを表す。鼻根の功徳生じて眼の中の煩悩互いに滅す。余方の涌没して余根の生滅を表するも亦復〕云云。妙楽大師之を承けて云く ̄言表根者 眼鼻已表於東西。耳舌理対於南北。中央心也。四方身也。身具四根。心遍縁四。故以心対身而為涌没〔表根と言ふは眼鼻已に東西を表す。耳舌理として南北に対す。中央は心なり。四方は身なり。身は四根を具す。心は遍く四を縁す。故に心を以て身に対して而も涌没と為す〕云云。[p0872-0873]
夫れ十方は依報なり、衆生は正報なり。依報は影のごとし、正報は体のごとし。身なくば影なし、正報なくば依報なし。又正報をば依報をもて此れをつくる。眼根をば東方をもつてこれをつくる。舌は南方 鼻は西方 身は四方 心を中央等。これをもつてしんぬべし。かるがゆへに衆生の五根やぶ(破)れんとせば、四方中央をどろう(駭動)べし。[p0873]
されば国土やぶれんとするしるし(兆)には、まづ山くづれ、草木か(枯)れ、江河つくるしるしあり。人の眼耳等驚そう(躁)すれば天変あり。人の心をうごかせば地動す。[p0873]
抑そも何の経経にか六種動これなき。一切経を仏とかせ給ひしにみなこれあり。而れども仏法華経をとかせ給はんとて六種震動ありしかば、衆もことにをどろき、弥勒菩薩も疑ひ、文殊師利菩薩もこたへしは、諸経よりも瑞に大に久しくありしかば、疑ひも大に決しがたかりしなり。故に妙楽の云く ̄何大乗経不集衆・放光・雨花・動地。但無生於大疑〔何れの大乗経に集衆・放光・雨花・動地あらざらん。但し大疑を生ずること無し〕等云云。此の釈の心はいかなる経経にも、序は候へども此れほど大なるはなし、となり。されば天台大師の云く ̄世人以蜘蛛掛則喜来、・鵲鳴則行人至。小尚有徴大焉無瑞。以近表遠〔世人おもへらく。蜘蛛掛かれば則ち喜び来り、・鵲鳴けば則ち行人至る、と。小すら尚お徴有り、大なんぞ瑞無らん。近きを以て遠きを表す〕等云云。[p0873]
夫れ一代四十余年が間なかりし大瑞を現じて、法華経の迹門をとかせ給ひぬ。其の上本門と申すは又爾前の経経の瑞に迹門を対するよりも大なる大瑞なり。大宝塔の地よりをどりいでし、地涌千界大地よりならび出し大震動は、大風の大海を吹けば、大山のごとくなる大波の、あし(蘆)のは(葉)のごとくなる小船のをひほ(追帆)につくがごとくなりしなり。[p0873-0874]
されば序品の瑞をば弥勒は文殊に問ひ、涌出品の大瑞をば慈氏は仏に問ひたてまつる。これを妙楽釈して云く ̄迹事浅近 可寄文殊。本地難裁故唯託仏〔迹事は浅近、文殊に寄すべし。本地はことはり難し、故に唯仏に託す〕云云。迹門のことは仏説き給はざりしかども文殊ほぼこれをしれり。本門のことは妙徳すこしもはからず。此の大瑞は在世の事にて候。仏、神力品にいたて十神力を現ず。此れは又さきの二瑞にはにるべくもなき神力也。序品の放光は東方万八千土、神力品の大放光は十方世界。序品の地動は但三千界、神力品の大地動は諸仏世界。地皆六種震動。此の瑞も又又かくのごとし。此の神力品の大瑞は仏の滅後正像二千年すぎて末法に入て、法華経の肝要ひろまらせ給ふべき大瑞なり。経文に云く_以仏滅度後 能持是経故 諸仏皆歓喜 現無量神力〔仏の滅度の後に 能く是の経を持たんを以ての故に 諸仏皆歓喜して 無量の神力を現じたもう〕等云云。又云く_悪世末法時〔悪世末法の時〕等云云。[p0874]
疑て云く 夫れ、瑞は吉凶につけて或は一時二時、或は一日二日、或は一年二年、或は七年十二年か。如何ぞ二千余年已後の瑞あるべきや。[p0874]
答て云く 周の昭王の瑞は一千十五年に始めてあい(合)り。訖利季王の夢は二万二千年に始めてあいぬ。豈に二千余年の事の前にあらは(現)るるを疑ふべきや。[p0874-0875]
問て云く 在世よりも滅後の瑞大なる如何。[p0875]
答て云く 大地の動ずる事は人の六根の動くによる。人の六根の動きの大小によて大地の六種も高下あり。爾前の経経には一切衆生煩悩をやぶるやうなれども実にはやぶらず。今法華経は元品の無明をやぶるゆへに大動あり。末代は又在世よりも悪人多多なり。かるがゆへに在世の瑞にもすぐれてあるべきよしを示現し給ふ。[p0875]
疑て云く 証文如何。[p0875]
答て云く_而此経者。如来現在。猶多怨嫉。況滅度後〔而も此の経は如来の現在すら猶お怨嫉多し、況んや滅度の後をや〕等云云。去る正嘉文永の大地震・大天変は天神七代・地神五代はさてをきぬ。人王九十代、二千余年が間、日本国にいまだなき天変地夭なり。人の悦び多多なれば、天に吉瑞をあらはし、地に帝釈の動あり。人の悪心盛んなれば、天に凶変、地に凶夭出来す。瞋恚の大小に随ひて天変の大小あり。地夭も又かくのごとし。今日本国上み一人より下万民にいたるまで大悪心の衆生充満せり。此の悪心の根本は日蓮によりて起れるところなり。[p0875]
守護国界経と申す経あり。法華以後の経なり。阿闍世王仏にまいりて云く 我国に大旱魃、大風、大水、飢饉、疫病、年年に起る上、他国より我が国をせ(攻)む。而るに仏の出現し給へる国なり。いかんと問ひまいらせ候しかば、仏答て云く 善哉善哉。大王能く此の問をなせり。汝には多くの逆罪あり。其の中に父を殺し、提婆を師として我を害せしむ。この二罪大なる故、かゝる大難来ることかくのごとく無量なり。其の中に我が滅後に末法に入て、提婆がやうなる僧国中に充満せば、正法の僧一人あるべし。彼の悪僧等、正法の人を流罪死罪に行ひて、王の后乃至万民の女を犯して、謗法者の種子の国に充満せば、国中に種種の大難をこり、後には他国にせめらるべし、ととかれて候。[p0875-0876]
今の世の念仏者かくのごとく候上、真言師等が大慢、提婆達多に百千万億倍すぎて候。真言宗の不思議あらあら申すべし。胎蔵界の八葉の九尊を画にかきて、其の上にのぼりて、諸仏の御面をふ(踏)みて、潅頂と申す事を行ふなり。父母の面をふみ、天子の頂をふむがごとくなる者、国中に充満して上下の師となれり。いかでか国ほろびざるべき。此の事余が一大事の法門なり。又又申すべし。さき(前)にすこしかきて候。いた(甚)う人におほせ(仰)あるべからず。びん(便)ごとの心ざし、一度二度ならねばいかにとも。[p0876]
#0167-000 大善大悪御書 文永十二(1275) [p0877]
大事には小瑞なし。大悪をこれば大善きたる。すでに大謗法国にあり、大正法必ずひろまるべし。各々なにをかなげかせ給ふべき。迦葉尊者にあらずとも、まいをもまいぬべし。舎利弗にあらねども、立ちてをどりぬべし。上行菩薩の大地よりいで給ひしには、をどりてこそいで給ひしか。普賢菩薩の来るには、大地を六種にうごかせり。事多しといへども、しげきゆへにとゞめ候。又々申すべし。[p0877]
#0168-000 神国王御書 文永十二(1275.02) [p0877]
夫れ以みれば日本国亦云く 水穂の国 亦野馬臺 又秋津嶋 又扶桑等云云。六十六国・二嶋・已上六十八ヶ国。東西三千余里、南北は不定也。此の国に五畿七道あり。と申すは山城・大和・河内・和泉・摂津等也。七道と申すは東海道十五箇国・東山道八箇国・北陸道七ヶ国・山陰道八ヶ国・山陽道八ヶ国・南海道六ヶ国・西海道十一ヶ国。亦云く 鎮西 又太宰府云云。已上此れは国也。[p0877-0878]
国主をたづぬれば神世十二代。天神七代・地神五代なり。天神七代の第一は国常立尊、乃至第七は伊奘諾尊、男也。伊奘册尊、妻也。地神五代の第一は天照太神 伊勢太神宮日の神是れ也。いざなぎいざなみの御女也。乃至第五は彦波瀲武・・の草葺不合尊。此の神は第四のひこほの御子也。母は龍女也。已上地神五代。已上十二代は神世也。[p0878]
人王は大体百代なるべきか。其の第一の王は神武天皇、此れはひこなぎの御子也。乃至第十四は仲哀天皇[八幡御父也]。第十五は神功皇后[八幡御母也]。第十六は応神天皇にして仲哀神功の御子、今の八幡大菩薩也。乃至第二十九代は宣化天皇也。此の時までは月氏・漢土には仏法ありしかども、日本国にはいまだわたらず。[p0878]
第三十代は欽明天皇。此の皇は第二十七代の継体の御嫡子也。治三十二年。此の皇の治十三年[壬申]十月十三日[辛酉]、百済国の聖明皇、金銅の釈迦仏を渡し奉る。今日本国の上下万民一同に阿弥陀仏と申す此れ也。其の表文に云く ̄臣聞万法之中仏法最善。世間之道仏法最上。天皇陛下亦応修行。故敬捧仏像・経教・法師附使貢献。宜信行者〔臣聞く、万法の中、仏法最も善し。世間の道、仏法最上なり。天皇陛下亦修行あるべし。故に敬って仏像・経教・法師を捧げて、使いに附して貢献す。宜しく信行あるべきものなり〕[已上]。然りといへども欽明・敏達・用明の三代三十余年は崇め給ふ事なし。其の時の天変地夭は今の代にこそにて候へども、今は亦其の代にはにるべくもなき変夭也。[p0878-0879]
第三十三代崇峻天皇の御宇より仏法我が朝に崇められて、第三十四代推古天皇の御宇に盛んにひろまり給いき。此の時三論宗と成実宗と申す宗始めて渡て候ひき。此の三論宗は月氏にても漢土にても日本にても大乗の宗の始めなり。故に故に宗の母とも、宗の父とも申す。[p0879]
人王三十六代に皇極天皇の御宇に禅宗わたる。人王四十代天武の御宇に法相宗わたる。人王四十四代元正天皇の御宇に大日経わたる。人王四十五代に聖武天皇の御宇に華厳宗を弘通せさせ給ふ。人王四十六代孝謙天皇の御宇に律宗と法華宗わたる。しかりといへども、唯律宗計りを弘めて、天台法華宗は弘通なし。[p0879]
人王第五十代に最長と申す聖人あり。法華宗を我と見出して、倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗・華厳宗の六宗をせめをとし給ふのみならず、漢土に大日宗と申す宗有りとしろしめせり。同じき御宇に漢土にわたりて四宗をならいわたし給ふ。所謂法華宗・真言宗・禅宗・大乗の律宗也。しかりといへども、法華宗と律宗とをば弘通ありて、禅宗をば弘め給はず。真言宗をば宗の字をけづり、たゞ七大寺等の諸僧に潅頂を許し給ふ。然れども世間の人々はいかなる故という事をしらず。当時の人々の云く 此の人は漢土にて法華宗をば委細にならいて、真言宗をばくはしく知し食し給はざりけるか、とすい(推)し申す也。[p0879-0880]
同じき御宇に空海と申す人漢土にわたりて、真言宗をならう。しかりといへどもいまだ此の御代には帰朝なし。人王第五十一代に平城天皇の御宇に帰朝あり。五十二代嵯峨の天皇の御宇に弘仁十四年[癸卯]正月十九日に、真言宗の住処東寺を給ひて護国教王院とがうす。伝教大師御入滅の一年の後也。[p0880]
人王五十四代仁明天皇の御宇に円仁和尚漢土にわたりて、重ねて法華・真言の二宗をならいわたす。人王五十五代文徳天皇の御宇に仁寿と斎衝とに、金剛頂経の疏、蘇悉地経の疏、已上十四巻を造りて、大日経の義釈に竝べて真言宗の三部とがうし、比叡山の内に・持院を建立し、真言宗を弘通する事此の時なり。叡山に真言宗を許されしかば、座主両方を兼ねたり。しかれども法華宗をば月のごとく、真言宗をば日のごとくいいしかば、諸人等は真言宗はすこし勝れたりとをもいけり。しかれども座主は両方を兼ねて兼学し給ひけり。大衆も又かくのごとし。[p0880]
同じき御宇に円珍和尚と申す人御入唐。漢土にして法華・真言の両宗をならう。同じき御代に天安二年に帰朝。此人は本朝にしては叡山第一の座主義真・第二の座主円澄・別当光定・第三の座主円仁等に法華・真言の両宗をならいきわめ給ふのみならず、又東寺の真言をも習ひ給へり。其の後に漢土にわたりて法華・真言の両宗をみがき給ふ。今の三井寺の法華・真言の元祖智証大師此れ也。[p0880-0881]
已上四大師也。総じて日本国には真言宗に又八家あり。東寺に五家、弘法大師を本とす。天台に三家、慈覚大師を本とす。[p0881]
人王八十一代をば安徳天皇と申す。父は高倉院の長子、母は大政入道の女建礼門院なり。此の王は元暦元年[乙巳]三月二十四日八嶋にして海中に崩じ給ひき。此の王は源の頼朝将軍にせめられて海中のいろくづの食となり給ふ。人王八十二代は隠岐の法皇と申す。高倉の第三王子。文治元年[丙午]御即位。八十三代には阿波の院。隠岐の法皇の長子。建仁二年に位に継ぎ給ふ。八十四代には佐渡の院。隠岐の法皇の第二の王子。承久三年[辛巳]二月二十六日に王位につき給ふ。同じき七月に佐渡のしまへうつされ給ふ。此の二三四の三王は父子也。鎌倉の右大将の家人義時にせめられさせ給へる也。[p0881]
此に日蓮大に疑て云く 仏と申すは三界の国主、大梵王・第六天の魔王・帝釈・日・月・四天・転輪聖王・諸王の師也、主也、親也。三界の諸王は皆は此の釈迦仏より分ち給ひて、諸国の・領・別領等の主となし給へり。故に梵釈等は此の仏を或は木像、或は画像等にあがめ給ふ。須臾も相背かば、梵王の高臺もくづれ、帝釈の喜見もやぶれ、輪王もかほり(冠)落ち給ふべし。神と申すは又国々の国主等の崩去し給へるを生身のごとくあがめ給う。此又国王国人のための父母也、主君也、師匠也。片時もそむかば国安穏なるべからず。此を崇むれば国は三災を消し七難を払ひ、人は病なく長寿を持ち、後生には人天と三乗と仏となり給ふべし。[p0881-0882]
しかるに我が日本国は一閻浮提の内、月氏・漢土にもすぐれ、八幡の国にも超へたる国ぞかし。其の故は月氏の仏法は西域記等に載せられて候但七十余ヶ国也。其の余は皆外道の国也。漢土の寺は十万八千四十所なり。我が朝の山寺は十七万一千三十七所。此の国は月氏・漢土に対すれば、日本国に伊豆の大嶋を対せるがごとし。寺をかずうれば漢土・月氏にも雲泥すぎたり。かれは又大乗の国・小乗の国・大乗も権大乗の国也。此れは寺ごとに八宗十宗をならい、家々宅々に大乗を読誦す。彼の月氏・漢土等は仏法を用ゆる人は千人に一人也。此の日本国は外道一人もなし。其の上神は又第一天照太神・第二八幡大菩薩・第三は山王等三千余社。昼夜に我が国をまほり、朝夕に国家を見そなわし給ふ。其の上天照太神は内侍所と申す明鏡にかげをうかべ、大裏にあがめられ給ひ、八幡大菩薩は宝殿をすてて、主上の頂を栖とし給ふと申す。仏の加護と申し、神の守護と申し、いかなれば彼の安徳と隠岐と阿波・佐渡等の王は相伝の所従等にせめられて、或は殺され、或は嶋に放たれ或は鬼となり、或は大地獄には堕ち給ひしぞ。日本国の叡山・七寺・東寺・園城等の十七万一千三十七所の山々寺々に、いさゝか御仏事を行ふには皆天長地久玉体安穏とこそいのり給候へ。[p0882-0883]
其の上八幡大菩薩は殊に天王守護の大願あり。人王第四十八代に高野天皇の玉体に入り給ひて云く ̄我国家開闢以来以臣為君未有事也。天之日嗣必立皇緒〔我が国家開闢以来臣を以て君と為すこと未だ有らざる事なり。天の日嗣必ず皇緒を立つ〕等云云。又太神付行教云 ̄我有百王守護誓〔太神行教に付して云く 我に百王守護の誓ひ有り〕等云云。[p0883]
されば神武天皇より已来百王にいたるまではいかなる事有りとも玉体はつゝがあるべからず。王位を傾ける者も有るべからず。一生補処の菩薩は中夭なし。聖人は横死せずと申す。いかにとして彼々の四王は王位ををいをとされ、国をうばわるるのみならず、命を海にすて、身を嶋々に入れ給ひけるやらむ。天照太神は玉体に入りかわり給はざりけるか。八幡大菩薩の百王の誓ひはいかにとなりぬるぞ。[p0883]
其の上安徳天皇の御宇には、明雲座主御師となり、太上入道竝びに一門捧怠状云 如彼以興福寺為藤氏氏寺 以春日社為藤氏氏神、以延暦寺号平氏氏寺 以日吉社号平氏氏神〔怠状を捧げて云く 彼の興福寺を以て藤氏の氏寺と為し、春日の社を以て藤氏の氏神と為すが如く、延暦寺を以て平氏の氏寺と号し、日吉の社を以て平氏の氏神と号す〕と云云。叡山には明雲座主を始めとして三千人の大衆五壇の大法を行ひ、大臣以下家々に尊勝陀羅尼・不動明王を供養し、諸寺諸山には奉幣し、大法秘法を尽くさずという事なし。[p0883]
又承久の合戦の御時は天台座主慈円・仁和寺御室・三井等の高僧等を相催し、日本国にわたれる所の大法秘法残りなく行われ給ふ。所謂承久三年[辛巳]四月十九日に十五壇之法を行はる。天台座主は一字金輪法等。五月二日は仁和寺の御室、如法愛染明王法を紫宸殿にて行ひ給ふ。又六月八日御室、守護経法を行ひ給ふ。已上四十一人の高僧十五壇の大法。此の法を行ふ事は日本に第二度なり。[p0883-0884]
権の大夫殿は此の事を知り給ふ事なければ御調伏も行ひ給はず。又いかに行ひ給ふとも彼の法々彼の人々にはすぐべからず。仏法の御力と申し、王法の威力と申し、彼は国主也、三界の諸王守護し給ふ。此れは日本国の民也、わづかに小鬼ぞまほりけん。代々の所従、重々の家人也。譬へば王威を以て民をせめば鷹の雉をとり、猫のねずみを食ひ、蛇かかへるをのみ、師子王の兎を殺すにてこそ有るべけれ。なにしにか、かろがろしく天神地祇には申すべき。仏菩薩をばをどろかし奉るべき。師子王が兎をとらむに精進をなすべきか。たかがきじを食はんにいのり有るべしや。いかにいのらずとも、大王の身として民を失はんには、大水の小火をけし、大風の小雲を巻くにてこそ有るべけれ。其の上大火に枯れ木を加ふるがごとく、大河に大雨を下すがごとく、王法の力に大法を行ひ合わせて、頼朝と義時との本命と元神とをば梵王と帝釈等に抜き取らせ給ふ。譬へば古酒に酔へる者のごとし。蛇の蚊の魂を奪ふがごとし。頼朝と義時との御魂御名御姓をばかきつけて諸尊諸神等の御足の下にふませまいらせていのりしかば、いかにもこらうべしともみへざりしに、いかにとして一年一月も延びずして、わずかに二日一日にはほろび給ひけるやらむ。[p0884-0885]
而るに日蓮此の事を疑ひしゆへに、幼少の比より随分に顕密二道竝びに諸宗の一切経を、或は人にならい、或は我と開き見し、勘へ見て候へば、故の候ひけるぞ。我が面を見る事は明鏡によるべし。国土の盛衰を計ることは仏鏡にはすぐべからず。仁王経・金光明経・最勝王経・守護経・涅槃経・法華経等の諸大乗経を開き見奉り候に、仏法に付きて国も盛へ人の寿も長く、又仏法に付きて国もほろび、人の寿も短かかるべしとみへて候。譬へば水は能く舟をたすけ、水は能く舟をやぶる。五穀は人をやしない、人を損ず。小波小風は大船を損ずる事かたし。大波大風には小舟はやぶれやすし。王法の曲るは小波小風のごとし。大国と大人をば失ひがたし。仏法の失あるは大風大波の小舟をやぶるがごとし。国のやぶるゝ事疑ひなし。[p0885]
仏記に云く 我が滅後末代には悪法悪人の国をほろぼし仏法を失ふには失すべからず。譬へば三千大千世界の草木を薪として須弥山を焼くにやけず。劫火の時須弥山の根より大豆計りの火出で須弥山やくが如く、我が法も又此の如し。悪人・外道・天魔・波旬・五通等にはやぶられず、仏のごとく六通の羅漢のごとく三衣を皮のごとく身に紆い、一鉢を両眼にあてたらむ持戒の僧等と、大風の草木をなびかすがごとくなる高僧等、我が正法を失ふべし。其の時梵釈・日月・四天いかりをなし、其の国に大天変大地夭等を発していさめむに、いさめられずば、其の国の内に七難ををこし、父母兄弟王臣万民互いに大怨敵となり、梟鳥が母を食ひ破鏡父をがいするがごとく、自国をやぶらせて、結句は他国より其の国をせめさすべしとみへて候。[p0885-0886]
今日蓮一代聖教の明鏡をもつて日本国を浮かべ見候に、此の鏡に浮んで候人々は国敵仏敵たる事疑ひなし。一代聖教の中に法華経は明鏡の中の神鏡なり。銅鏡等は人のかたちをばうかぶれども、いまだ心をばうかべず。法華経は人の形を浮かぶるのみならず、心をも浮かべ給へり。心を浮かぶるのみならず、先業をも未来をも鑑み給ふ事くもりなし。[p0886]
法華経の第七の巻を見候へば、_於如来滅後 知仏所説経 因縁及次第 随義如実説 如日月光明 能除諸幽冥 斯人行世間 能滅衆生闇〔如来の滅後に於て 仏の所説の経の 因縁及び次第を知って 義に随って実の如く説かん 日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く 斯の人世間に行じて 能く衆生の闇を滅し〕等云云。文の心は此の法華経を一字も一句も説く人は一代聖教の浅深と次第とを能々弁へたらむ人の説くべき事に候。譬へば暦の三百六十日をかんがうるに、一日も相違せば万日倶に反逆すべし。三十一字を連ねたる一句一字も相違せば三十一字共に歌にて有るべからず。設い一経を読誦すとも始め寂滅道場より終り雙林最後にいたるまで次第と浅深とに迷惑せば、その人は我が身も五逆を作らずして無間地獄に入り、此れを帰依せん檀那も阿鼻大城に堕つべし。[p0886-0887]
何に況んや智人一人出現して一代聖教の浅深勝劣を弁えん時、元祖が迷惑を相伝せる諸僧等、或は国師となり、或は諸家の師となりなんどせる人々、自のきずが顕るゝ上、人にかろしめられん事をなげきて、上に挙ぐる一人の智人を或は国主に訴へ、或は万民にそしらせん。其の時守護の天神等の国をやぶらん事は、芭蕉の葉を大風のさき、小舟の大波のやぶらむがごとしと見へて候。[p0887]
無量義経は始め寂滅道場より終り般若経にいたるまでの一切経を、或は名を挙げ或は年紀を限りて未顕真実と定めぬ。涅槃経と申すは仏最後の御物語に、初め初成道より五十年の説教の御物語四十余年をば無量義経のごとく邪見の経と定め、法華経をば我が主君と号し給ふ。中に法華経にましまして已今当の勅宣を下し給ひしかば、多宝十方の諸仏加判ありて各々本土にかへり給ひしを、月氏の付法蔵の二十四人は但小乗・権大乗を弘通して法華経の実義を宣べ給ふ事なし。譬へば日本国の行基菩薩と鑒真和尚との法華経の義を知り給ひて弘通なかりしがごとし。[p0887]
漢土の南北の十師は内にも仏法の勝劣を弁へず、外にも浅深に迷惑せり。又三論宗の吉蔵・華厳宗の澄観・法相宗の慈恩、此れ等の人々は内にも迷ひ外にも知らざりしかども、道心堅固の人々なれば妙文をすてゝ天台の義に付きにき。知らず、されば此の人々は懺悔の力に依て生死やはなれけむ。将た又謗法の罪は重く、懺悔の力は弱くして、阿闍世王・無垢論師等のごとく地獄にや堕ちにけん。善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵等の三三蔵は一切の真言師の申すは大日如来より五代六代の人々、即身成仏の根本也等云云。[p0887-0888]
日蓮勘へて云く 法偸の元師也、盗人の根本也。此れ等の人々は月氏よりは大日経・金剛頂経・蘇悉地経等を齎来る。此の経々は華厳・般若・涅槃経等に及ばざる上、法華経に対すれば七重の下劣也。経文に見へて赫々たり明々たり。[p0888]
而るを漢土に来りて天台大師の止観等の三十巻を見て、舌をふるい心をまどわして此れに及ばずば我が経弘通しがたし。勝れたりといはんとすれば妄語眼前なり。いかんがせんと案ぜし程に、一つの深き大妄語を案じ出だし給ふ。所謂大日経の三十一品を法華経の二十八品竝びに無量義経に腹あわせに合わせて、三密の中の意密をば法華経に同じ、其の上に印と真言とを加へて、法華経は略也、大日経は広也。已にも入れず、今も入れず、当にもはづれぬ。法華経をかたうどとして三説の難を脱れ、結句は印と真言とを用ひて法華経を打ち落として真言宗を立てゝ候。譬へば三女が后と成りて三王を喪せしがごとし。法華経の流通の涅槃経の第九に、我れ滅して後悪比丘等我が正法を滅すべし、譬へば女人のごとし、と記し給ひけるは是れ也。[p0888-0889]
されば善無畏三蔵は閻魔王にせめられて、針の縄七脈つけられて、からくして蘇りたれども、又死する時は ̄黒皮隠々骨其露焉〔黒皮隠々として骨其れあらわなり〕と申して無間地獄の前相其の死骨に顕し給ひぬ。人死して後ち色の黒きは地獄に堕つとは一代聖教に定まる所なり。金剛智・不空等も又此れをもて知んぬべし。此の人々は改悔は有りと見へて候へども、強盛の懺悔なかりけるか。[p0889]
今の真言師は又あへて知る事なし。玄宗皇帝の御代の喪びし事も不審はれて候。日本国は又弘法・慈覚・智証、此の謗法を習ひ伝へて自心も知しめさず、人は又をもいもよらず。且くは法華宗の人々相論有りしかども、終には天台宗やうやく衰へて叡山五十五代の座主明雲、人王八十一代の安徳天皇より已来は叡山一向に真言宗となりぬ。[p0889]
第六十一代の座主顕真権僧正は天台座主の名を得て真言宗に遷るのみならず、然る後法華・真言をすてゝ一向謗法の法然が弟子となりぬ。承久調伏の上衆慈円僧正は第六十二代竝びに五・九・七十一代の四代の座主、隠岐の法皇の御師也。此れ等の人々は善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵・慈覚・智証等の真言をば器はかわれども一の智水也。其の上天台宗の座主の名を盗みて法華経の御領を知行して三千の頭となり、一国の法の師と仰がれて、大日経を本として七重くだれる真言を用ひて八重勝れりとをもへるは、天を地ををもい、民を王とあやまち、石を珠とあやまつのみならず、珠を石という人なり。教主釈尊・多宝仏・十方の諸仏の御怨敵たるのみならず、一切衆生の眼目を奪ひ取り、三善道の門を閉ぢ、三悪道の道を開く。[p0889-0890]
梵釈・日月・四天等の諸天善神いかでか此の人を罰せさせ給はざらむ。いかでか此の人を仰ぐ檀那を守護し給ふべき。天照太神の内侍所も八幡大菩薩の百王守護の御ちかいもいかでか叶はせ給ふべき。[p0890]
余此の由を且つ知りしより已来、一分の慈悲に催されて粗随分の弟子にあらあら申せし程に、次第に増長して国主まで聞こえぬ。国主は理を親とし非を敵とすべき人にてをはすべきが、いかんがしたりけん。諸人の讒言ををさめて、一人の余をすて給ふ。彼の天台大師は南北の諸人あだみしかども、陳隋二代の帝重んじ給ひしかば、諸人の怨もうすかりき。此の伝教大師は南都七大寺讒言せしかども、桓武・平城・嵯峨の三皇用ひ給ひしかば、怨敵もをかしがたし。今日蓮は日本国十七万一千三十七所の諸僧等のあだするのみならず、国主用い給はざれば、万民あだをなす事父母の敵にも超へ、宿世のかたきにもすぐれたり。結句は二度の遠流、一度の頭に及ぶ。彼の大荘厳仏の末法の四比丘竝びに六百八十万億那由他の諸人が善事比丘一人をあだみしにも超へ、師子音王仏の末の勝意比丘の無量の弟子等が喜根比丘をせめしにも勝れり。覚徳比丘がせめられし、不軽菩薩が杖木をかほりしも、限りあれば此れにはよもすぎじとぞをぼへ候。[p0890-0891]
若し百千に一つ日蓮法華経の行者にて候ならば、日本国の諸人後生の無間地獄はしばらくをく、現身には国を失ひ他国に取られん事、彼の徽宗・欽宗のごとく、優陀延王訖利多王等にことならず。又其の外は或は其の身は白癩・黒癩等の諸悪重病を受け取り、後生には提婆・瞿伽梨等がごとく無間大城に堕つべし。日月を射奉る修羅は其の矢還りて我が眼に立ち、師子王吼える狗犬は我が腹をやぶる。釈子を殺せし波琉璃王は水中の中の大火に入り、仏の御身より地を出だせし提婆達多は現身に阿鼻の炎を感ぜり。金銅の釈尊をやきし守屋は師天王の矢にあたり、東大寺・興福寺を焼きし清盛入道は現身に其の身もう(燃)る病をうけにき。彼等は皆大事なれども日蓮が事に合すれば小事なり。小事すら猶おしるしあり。大事いかでか現罰なからむ。[p0891]
悦ばしき哉、経文に任せて五五百歳広宣流布をまつ。悲しひ哉、闘諍堅固の時に当りて此の国修羅道となるべし。清盛入道と頼朝とは源平の両家、本より狗犬と猿猴とのごとし。小人小福の頼朝をあだみしゆへに、宿敵たる入道の一門ほろびし上、科なき主上の西海に沈み給ひし事は不便の事なり。[p0891-0892]
此れは教主釈尊・多宝・十方の仏の御使いとして世間には一分の失なき者を、一国の諸人にあだまするのみならず、両度の流罪に当てゝ、日中に鎌倉の小路をわたす事朝敵のごとし。其の外小庵には釈尊を本尊とし一切経を安置したりし其の室を刎こぼちて、仏像経巻を諸人にふまするのみならず、糞泥にふみ入れ、日蓮が懐中に法華経を入れまいらせて候をとりいだして頭をさんざんに打ちさいなむ。此の事如何なる宿意もなし。当座の科もなし。ただ法華経を弘通する計りの大科なり。[p0892]
日蓮天に向ひ声をあげて申さく、法華経の序品を拝見し奉れば梵釈と日月と四天と龍王と阿修羅と二界八番の衆と無量の国土の諸神と集会し給ひたりし時、已今当に第一の説を聞きし時、我とも雪山童子の如く身を供養し薬王菩薩の如く臂をもやかんとをもいしに、教主釈尊、多宝・十方の諸仏の御前にして_今於仏前 自説誓言〔今仏前に於て 自ら誓言を説け〕と諌暁し給ひしかば、幸いに順風を得て_如世尊勅。当具奉行〔世尊の勅の如く当に具さに奉行すべし〕と二処三会の衆一同に大音声を放ちて誓ひ給ひしはいかんが有るべき。唯仏前にては是の如く申して多宝・十方の諸仏は本土にかへり給ふ。釈尊は御入滅ならせ給ひてほど久しくなりぬれば、末代辺国に法華経の行者有りとも、梵釈・日月等御誓ひをうちわすれて守護し給ふ事なくば、日蓮がためには一旦のなげきなり。無始已来鷹の前のきじ、蛇の前のかへる、猫の前のねずみ、犬の前のさると有りし時もありき。ゆめの代なれば仏菩薩諸天にすかされまいらせたりける者にてこそ候わめ。[p0892-0893]
なによりもなげかしき事は、梵と帝と日月と四天等の、南無妙法蓮華経の法華経の行者の大難に値ふをすてさせ給ひて、現身に天の果報も尽きて花の大風に散るがごとく、雨の空より下るごとく、_其人命終 入阿鼻獄〔其の人命終して 阿鼻獄に入らん〕と無間大城に堕ち給はん事こそ、あわれにはをぼへ候へ。設ひ彼の人々三世十方の諸仏をかたうどとして知らぬよしのべ申し給ふとも、日蓮は其の人々には強きかたきなり。若し仏のへんぱをはせずば梵釈・日月四天をば無間大城には必ずつけたてまつるべし。日蓮が眼と□とをそろしくばいそぎいそぎ仏前の誓ひをばはたし給へ。日蓮が口。[p0893]
又むぎ(麦)ひとひつ(一櫃)・鵞目両貫・わかめ・かちめ・みな(皆)一俵給ひ了んぬ。干い(飯)・やきごめ各々一かうぶくろ給ひ畢んぬ。一々の御志はかきつくすべしと申せども法門巨多に候へば留め畢んぬ。他門にきかせ給ふなよ。大事の事どもかきて候なり。[p0893]
#0170-0K0 曾谷入道殿許御書 文永十二(1275.03・10) [p0895]
夫れ以みれば重病を療治するには良薬を構索し、逆謗救助するには要法には如かず。所謂、時を論ずれば正像末。教を論ずれば小大・偏円・権実・顕密。国を論ずれば中辺の両国。機を論ずれば已逆と未逆、已謗と未謗。師を論ずれば凡師と聖師、二乗と菩薩、他方と此土、迹化と本化となり。故に四依の菩薩等滅後に出現し、仏の付属に随て妄りには経法を演説したまはず。[p0895]
所詮無智の者、未だ大法を謗ぜざるには忽ちに大法を与へざれ。悪人たる上、已に実大を謗ずる者には、強ひて之を説くべし。法華経第二の巻に、仏、舎利弗に対して云く_無智人中 莫説此経〔無智の人の中にして 此の経を説くことなかれ〕。又第四の巻に薬王菩薩等の八万の大士に告げたまはく_此経是諸仏。秘要之蔵。不可分布。妄授与人〔此の経は是れ諸仏の秘要の蔵なり。分布して妄りに人に授与すべからず〕等云云。文の心は無智の者の而も未だ正法を謗らずして、左右無く此の教を説くこと莫れ。法華経第七の巻、不軽品に云く_乃至遠見四衆。亦復故往〔乃至遠く四衆を見ても、亦復故らに往いて〕等云云。又云く_四衆之中。有生瞋恚。心不浄者。悪口罵詈言。是無知比丘。従何所来〔四衆の中に瞋恚を生じて心不浄なるあり、悪口罵詈して言く 是の無知の比丘、何れの所より来って、自ら我汝を軽しめずと言って〕等云云。又云く_或以。杖木瓦石。而打擲之〔或は杖木・瓦石を以て之を打擲すれば〕等云云。第二第四の巻の経文と、第七の巻の経文とは天地水火せり。[p0895-0896]
問て曰く 一経二説、何れの義に就いて此の経を弘通すべき。[p0896]
答て云く 私に会通すべからず。霊山の聴衆たる天台大師竝びに妙楽大師等処々に多くの釈有り。先づ一両の文を出ださん。文句の十に云く ̄問曰 釈迦出世蜘・不説。今此何意。造次而説何也。答曰 本已有善 釈迦以小而将護之 本未有善 不軽以大而強毒之〔問て曰く 釈迦は出世して蜘・して説かず。今は此れ何の意ぞ。造次にして而も説くは何ぞや。答て曰く 本已に善有るには釈迦小を以て之を将護し、本未だ善有らざるには不軽大を以て之を強毒す〕等云云。釈の心は寂滅・鹿野・大宝・白鷺等の前四味之小大権実の諸経・四教八教之所被の機縁、彼等之過去を尋ね見れば、久遠大通之時に於て純円之種を下せしも、諸衆一乗経を謗ぜしかば三五の塵点を経歴す。然りと雖も下せし所の種、純熟之故に、時至りて繋珠を顕す。但四十余年之間、過去に已に結縁之者も猶お謗の義有るべき故に、且く権小の諸経を演説して根機を練らしむ。[p0896]
問て曰く 華厳之時、別縁の大菩薩、乃至、観経等之諸の凡夫の得道は如何。[p0896]
答て曰く 法華経第五の巻、涌出品に云く_是諸衆生。世世已来。成就我化<常受我化> 乃至 此諸衆生。始見我身。聞我所説。即皆信受。入如来慧〔是の諸の衆生は世世より已来常に我が化を成就す<我が化を受けたり>。乃至 此の諸の衆生は始め我が身を見我が所説を聞き、即ち皆信受して如来の慧に入りき〕。天台釈して云く ̄衆生久遠等云云。妙楽大師の云く ̄雖脱在現具騰本種〔脱は現に在りと雖も具さに本種を騰ぐ〕。又云く ̄故に知んぬ。今日逗会赴昔成就之機〔今日の逗会は昔成就するの機に赴く〕等云云。経釈顕然之上は、私の料簡を待たず。例せば王女と下女と、天子の種子を下さざれば国主とならざるが如し。[p0896]
問て曰く 大日経等の得道の者は如何。[p0896-0897]
答て曰く 種々之異義有りと雖も、繁き故に之を載せず。但所詮、彼々の経々に種熟脱を説かざれば還りて灰断に同じ。化に始終無きの経也。而るに真言師等の所談の即身成仏は譬へば窮人の妄りに帝王と号して誅滅を取るが如し。王莽・趙高之輩外に求むべからず。今の真言家也。[p0897]
此れ等に因りて論ぜば、仏の滅後に於て三時有り。正像二千余年には猶お下種の者有り。例せば在世四十余年の如し。機根を知らざれば、左右無く実経を与ふべからず。今は既に末法に入て在世の結縁の者漸漸に衰微して権実の二機、皆悉く尽きぬ。彼の不軽菩薩、末世に出現して毒鼓を撃たしむる之時也。而るに今時の学者、時機に迷惑して、或は小乗を弘通し、或は権大乗を授与し、或は一乗を演説すれども、題目之五字を以て下種と為す之由来を知らざるか。殊に真言宗の学者、迷惑を懐いて三部経に依憑し、単に会二破二之義を宣べて猶お三一相対を説かず。即身頓悟之道、跡を削り、草木成仏は名をも聞かざるのみ。[p0897]
而るに善無畏・金剛智・不空等の僧侶、月氏より漢土に来臨せし之時、本国に於て未だ存ぜざる天台の大法盛んに此の国に流布せしむる之間、自愛所持の経弘め難きに依り、一行阿闍梨を語らひ得て、天台之智慧を盗み取り、大日経に摂入して、天竺より有る之由、之を偽る。然るに震旦一国の王臣等、竝びに日本国の弘法・慈覚の両大師、之を弁へずして信を加ふ。已下の諸学は言ふに足らず。但漢土・日本の中の伝教大師一人之を推したまへり。然而〈されど〉未だ分明ならず。所詮、善無畏三蔵、閻魔王之責めを蒙りて此の過罪を悔ひ、不空三蔵の還りて天竺に渡りて真言を捨てて漢土に来臨し、天台の戒壇を建立して両界の中央の本尊に法華経を置きし等是れ也。[p0897]
問て曰く 今時の真言宗の学者等、何ぞ此の義を存ぜざるや。[p0897]
答て曰く 眉は近けれども見えず。自らの禍を知らずとは是の謂ひか。嘉祥大師は三論宗を捨てて天台の弟子と為る。今の末学等之を知らず。法蔵・澄観、華厳宗を置ひて智者に帰す。彼の宗の学者之を存ぜず。玄奘三蔵・慈恩大師は五性の邪義を廃して一乗の法に移る。法相の学者固く之を諍ふ。[p0897-0898]
問て曰く 其の証如何。[p0898]
答て曰く 或は心を移して身を移さず、或は身を移して心を移さず、或は身心共に移し、或は身心共に移さず。其の証文は別紙に之を出だすべし。此の消息の詮に非ざれば之を出ださず。仏の滅後に三時有り。所謂、正法一千年の前の五百年には迦葉・阿難・商那和修・末田地・脇比丘等、一向に小乗之薬を以て衆生の軽病を対治す。四阿含経・十誦・八十誦等の諸律と、相続解脱経等の三蔵とを弘通し、後には律宗・倶舎宗・成実宗と号する、是れ也。後の五百年には馬鳴菩薩・龍樹菩薩・提婆菩薩・無著菩薩・天親菩薩等の諸の大論師、初めには諸の小聖の弘めし所の小乗経之を通達し、後には一々に彼の義を破失し、了りて諸の大乗経を弘通す。是れ又中薬を以て衆生の中病を対治す。所謂、華厳経・般若経・大日経・深密経等。三論宗・法相宗・真言陀羅尼・禅法等也。[p0898]
問て曰く 迦葉・阿難等の諸の小聖、何ぞ大乗経を弘めざるや。[p0898]
答て曰く 一には自身堪へざるが故に。二には所被の機の無きが故に。三には仏より譲り与へられざるが故に。四には時、来らざる故也。[p0898]
問て曰く 龍樹・天親、何ぞ一乗経を弘めざるや。[p0898]
答て曰く 四つの義有り。先の如し。[p0898]
問て曰く 諸の真言師の云く 仏の滅後八百年に相当り、龍猛菩薩、月氏に出現して釈尊の顕教たる華厳・法華等を馬鳴菩薩等に相伝し、大日密教をば自ら南天之鉄塔を開拓し面〈まのあたり〉大日如来と対して金剛薩・に之を口決す。龍猛菩薩に二人の弟子有り。提婆菩薩には釈迦の顕教を伝へ、龍智菩薩には大日の密教を授く。龍智菩薩は阿羅苑に隠居し人に伝へず。其の間に提婆菩薩の伝ふる所の顕教は漢土に渡る。其の後数年を経歴して、龍智菩薩の伝ふる所の密教之教をば善無畏・金剛智・不空、漢土に渡す等云云。此の義如何。[p0898-0899]
答て曰く 一切の真言師、是の如し。又天台・華厳等の諸家も一同に之を信ず。抑そも龍猛已前には月氏国之中には大日之三部経無しと云ふか。釈迦より之外、大日如来世に出現して三部之経を説くと云ふか。顕を提婆に伝へ、密を龍智に授くる証文、何れの経論に出でたるぞ。此の大妄語は提婆之欺誑罪にも過ぎ、瞿伽梨之狂言にも超ゆ。漢土・日本の王位之尽き、両朝の僧侶之謗法と為る之由来、専ら斯に在らずや。然れば則ち、彼の震旦既に北蕃の為に破られ、此の日域も亦西戎の為に侵されんと欲す。此れ等は且く之を置く。[p0899]
像法に入て一千年、月氏の仏法漢土に渡来する之間、南岳・天台等漢土に出現して、粗法華之実義を弘宣したまふ。然而〈されど〉円慧円定に於ては国師たりと雖も円頓之戒場未だ之を建立せず。故に国を挙げて戒師と仰がず。六百年の以後、法相宗西天より来れり。太宗皇帝之を用ゆる故に、天台宗に帰依する之人、漸く薄し。茲に就いて隙を得、則天皇后の御宇に先に破られし華厳亦起きて天台宗に勝れたる之由、之を称す。太宗より第八代、玄宗皇帝の御宇に真言始めて月氏より来れり。所謂、開元四年には善無畏三蔵の大日経・蘇悉地経。開元八年には金剛智・不空両三蔵の金剛頂経。此の如く三経を天竺より漢土に持ち来り、天台之釈を見聞して智発して釈を作りて大日経と法華経とを一経と為し、其の上印・真言を加へて密教と号し、之に勝るの由をいひ、結句権教を以て実経を下す。漢土の学者、此の事を知らず。像法之末八百年に相当りて、伝教大師、和国に託生して華厳宗等の六宗之邪義を糺明するのみに非ず、加之、南岳・天台も未だ弘めたまはざる円頓の戒壇を叡山に建立す。日本一州之学者、一人も残らず大師の門弟と為る。但天台と真言との勝劣に於ては誑惑と知りて而も分明ならず。所詮、末法に贈りたまふか。此れ等は傍論たる之故に且く之を置く。吾が師伝教大師、三国に未だ弘まらざる之円頓の大戒壇を叡山に建立したまふ。此れ偏に上薬を持ち用て衆生の重病を治せんとする、是れ也。[p0899-0900]
今末法に入て二百二十余年、五濁強盛にして三災頻りに起り、衆見之二濁国中に充満し、逆謗之二輩四海に散在す。専ら一闡提之輩を仰いで棟梁と恃怙し、謗法之者を尊重して国師と為す。孔丘の孝経に之を提げて父母之頭を打ち、釈尊の法華経を口に誦しながら教主に違背す。不孝国は此の国也。勝母の閭〈さと〉他境に求めじ。故に青天、眼を瞋らして此の国を睨み、黄地は憤りを含みて大地を震ふ。去る正嘉元年の大地動・文永元年の大彗星、此れ等の災夭は仏滅後二千二百二十余年之間、月氏・漢土・日本之内に未だ出現せざる所の大難也。彼の弗舎密多羅王の五天の寺塔を焼失し、漢土の会昌天子の九国の僧尼を還俗せしめしに超過すること百千之倍なり。大謗法之輩国中に充満し、一天に弥〈はびこ〉り起す所の夭災也。大般涅槃経に云く_入末法不孝謗法者如大地微塵〔末法に入て不孝謗法の者大地微塵の如し〕[取意]。法滅尽経に法滅尽之時は狗犬の僧尼、恒河沙の如し等云云[取意]。今、親り此の国を見聞するに、人毎に此の二悪有り。此れ等の大悪の輩は何なる秘術を以て之を扶救せん。[p0900]
大覚世尊、仏眼を以て末法を鑒知し、此の逆謗の二罪を対治せしめんが為に一大秘法を留め置きたまふ。所謂、法華経本門久成之釈尊・宝浄世界の多宝仏、高さ五百由旬、広さ二百五十由旬の大宝塔之中に於て二仏座を竝べしこと宛も日月の如く、十方分身の諸仏は高さ五百由旬の宝樹の下に五由旬之師子の座を竝べ敷き、衆星の如く列坐したまひ、四百万億那由他之大地に三仏二会に充満したまふ之儀式は、華厳寂場の華蔵世界にも勝れ、真言両界の千二百余尊にも超えたり。一切世間の眼也。此の大会に於て六難九易を挙げて法華経を流通せんと諸の大菩薩を諌暁せしむ。[p0900-0901]
金色世界の文殊師利・兜史多宮の弥勒菩薩・宝浄世界の智積菩薩・補陀落山の観世音菩薩等・頭陀第一の大迦葉・智慧第一の舎利弗等・三千世界を統領する無量の梵天・須弥山頂に居住する無辺の帝釈・一四天下を照耀せる阿僧祇の日月・十方の仏法を護持せる恒沙の四天王・大地微塵の諸の龍王等、我にも我にも此の経を付属せられよと競ひ望みしかども、世尊都て之を許したまはず。[p0901]
爾時に下方の大地より未見今見の四大菩薩を召し出だす。所謂、上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩也。此の大菩薩各々六万恒河沙の眷属を具足す。形貌威儀、言を以て宣べ難く、心を以て量るべからず。初成道の法慧功徳林・金剛幢・金剛蔵等の四菩薩、各々十恒河沙の眷属を具足し、仏会を荘厳せしも、大集経の欲色二界の中間の大宝坊に於て来臨せし十方の諸大菩薩も、乃至、大日経の八葉之中の四大菩薩も、金剛頂経の三十七尊之中の十六大菩薩等も、此の四大菩薩に比・すれば猶お帝釈と猿猴と、華山と妙高との如し。弥勒菩薩、衆の疑ひを挙げて云く_乃不識一人〔乃し一人をも識らず〕等云云。天台大師云く ̄自寂場已降今座已往 十方大士来会不絶。雖不可限我以補処智力悉見悉知。而於此衆不識一人。〔寂場より已降今座より已往、十方の大士 [p0574]来会絶えず、限るべからずと雖も、我補処の智力を以て悉く見、悉く知る。而れども此の衆に於て一人をも識らず〕等云云。妙楽云く ̄所以今見皆不識 乃至 智人知起蛇自識蛇〔今見るに皆識らざる所以は 乃至 智人は起を知る、蛇は自ら蛇を識る等云云。天台云く ̄見雨猛知龍大 見華盛知池深〔雨の猛きを見て龍の大なるを知り、華の盛んなるを見て池の深きことを知る〕等云云。[p0901-0902]
例せば漢王の四将の長良・樊・・陳平・周勃の四人を商山の四皓季里枳・角里先生・園公・夏黄公等の四賢に比するが如し。天地雲泥なり。四皓が為体〈ていたらく〉、頭には白雪を頂き、額には四海之波を畳み、眉には半月を移し、腰には多羅枝を張り、恵帝の左右に侍して世を治められたる之事、尭舜之古を移し、一天安穏なりし之事、神農之昔に異ならず。此の四大菩薩も亦復是の如し。[p0902]
法華之会に出現し、三仏を荘厳す。謗人之慢幢を倒すこと大風の小樹枝を吹くが如く、衆会之敬心を至すこと諸天の帝釈に従ふが如し。提婆之仏を打ちしも舌を出だし掌を合わせ、瞿伽梨之無実を構へしも地に臥して失を悔ゆ。文殊等の大聖は身を慚て言を出ださず。舎利弗等の小聖は智を失ひ頭を低る。[p0902]
爾時に大覚世尊寿量品を演説し、然して後に十神力を示現して四大菩薩に付属し給ふ。其の所属之法は何物ぞ。法華経之中にも広を捨て略を取り、略を捨てて要を取る。所謂、妙法蓮華経之五字、名体宗用教の五重玄也。例せば九苞淵之相馬之法には玄黄を略して駿逸取る。史陶林之講経之法には細科を捨てて元意を取る等云云。加之、霊山八年之間に、進んでは迹門序正之儀式に文殊・弥勒等の発起影向之聖衆にも列ならず、退ひては本門流通之座席に観音・妙音等の発誓弘経之大士にも交はらず。但此の一大秘法を持して本処に隠居する之後、仏の滅後正像二千年之間に於て未だ一度も出現せず。所詮、仏専ら末世之時に限りて此れ等の大士に付属せし故也。法華経の分別功徳品に云く_悪世末法時 能持是経者〔悪世末法の時 能く是の経を持たん者は〕等云云。涅槃経に云く_譬如七子。父母非不平等然於病者心則偏重〔譬えば七子あり。父母、平等ならざるに非ざれども、然も病者に於て心則ち偏に重きが如し〕等云云。法華経の薬王品に云く_此経則為。閻浮提人。病之良薬〔此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり〕等云云。七子之中に上の六子は且く之を置く。第七の病子は一闡提の人・謗法の者・末代悪世の日本国の一切衆生也。正法一千年の前五百年には一切の声聞涅槃し了んぬ。[p0902-0903]
後の五百年には他方来の菩薩、大体本土に還り向ひ了んぬ。像法に入て之一千年には、文殊・観音・薬王・弥勒等、南岳・天台と誕生し、補大士・行基・伝教等と示現して衆生を利益す。今末法に入て、此れ等の諸大士も皆本処に隠居しぬ。其の外、閻浮守護の天親地祇も、或は他方に去る。或は此土に住すれども悪国を守護せず。或は法味を嘗めざれば守護之力無し。例せば法身の大士に非ざれば三悪道に入られざるが如し。大苦忍び難き也。而るに地涌千界の大菩薩、一には娑婆世界に住すること、多塵劫なり。二には釈尊に随て久遠より已来初発心の弟子也。三には娑婆世界の衆生の最初下種の菩薩也。是の如き等の宿縁之方便、諸大菩薩に超過せり。[p0903]
問て曰く 其の証拠如何。[p0903]
{答て曰く}法華第五、涌出品に云く_爾時他方国土。諸来菩薩摩訶薩。過八恒河沙数。乃至 爾時仏告。諸菩薩摩訶薩衆。止善男子。不須汝等。護持此経〔爾の時に他方の国土の諸の来れる菩薩摩訶薩の八恒河沙の数に過ぎたる。乃至 爾の時に仏、諸の菩薩摩訶薩衆に告げたまわく、止みね、善男子、汝等が此の経を護持せんことを須いじ〕等云云。天台云く ̄他方此土結縁事浅。雖欲宣授必無巨益〔他方は此土結縁の事浅し。宣授せんと欲すと雖も必ず巨益無し〕云云。妙楽云く ̄尚不偏付他方菩薩。豈独身子〔尚お偏に他方の菩薩に付せず。豈に独り身子のみならんや〕云云。又天台云く ̄告八万大士者 乃至 如今下文召於下方 尚待本眷属。験。余未堪〔告八万大士とは、乃至、今の下の文に下方を召すが如く、尚お本眷属を待つ。験〈あきらけし〉。余は未だ堪へず〕云云。経釈之心は迦葉・舎利弗等の一切の声聞、文殊・薬王・観音・弥勒等の迹化他方之諸大士、末世の弘経に堪へずと云ふ也。[p0903-0904]
経に云く_我娑婆世界。自有六万。恒河沙等。菩薩摩訶薩。一一菩薩。各有六万。恒河沙眷属。是諸人等。能於我滅後。護持読誦。広説此経。仏説是時。娑婆世界。三千大千国土。地皆震裂。而於其中。有無量千万億。菩薩摩訶薩。同時涌出。乃至 是菩薩衆中。有四導師。一名上行。二名無辺行。三名浄行。四名安立行。是四菩薩。於其衆中。最為上首。唱導之師〔我が娑婆世界に自ら六万恒河沙等の菩薩摩訶薩あり。一一の菩薩に各六万恒河沙の眷属あり。是の諸人等能く我が滅後に於て、護持し読誦し広く此の経を説かん。仏是れを説きたもう時、娑婆世界の三千大千の国土地皆震裂して、其の中より無量千万億の菩薩摩訶薩あって同時に涌出せり。乃至 是の菩薩衆の中に四導師あり。一を上行と名け、二を無辺行と名け、三を浄行と名け、四を安立行と名く。是の四菩薩其の衆中に於て最も為れ上首唱導の師なり〕云云。[p0904]
天台云く ̄是我弟子応弘我法〔是れ我が弟子なり、応に我が法を弘むべし〕云云。妙楽の云く ̄子弘父法〔子、父の法を弘む〕云云。道暹に云く ̄付属者 此経唯付下方涌出菩薩。何故爾。由法是久成之法故付久成之人〔付属とは、此の経は唯下方涌出の菩薩に付す。何が故に爾る。法是れ久成の法なるに由るが故に、久成の人に付す〕等云云。[p0904]
此れ等之大菩薩、末法之衆生を利益したまふこと、猶お魚の水に練れ、鳥の天に自在なるが如し。濁悪之衆生、此の大士に遇ひて仏種を殖ゆること、例せば水精之月に向ひて水を生じ、孔雀の雷の声を聞いて懐妊するが如し。天台云く ̄猶如百川応須潮海 縁牽応生亦復如是〔猶お百川の海に潮すべきが如く、縁に牽かれて応生すること亦復是の如し〕等云云。[p0904]
慧日大聖尊、仏眼を以て兼ねて之を鑒みたまふ。故に諸の大聖を捨棄し、此の四聖を召し出だして要法を伝へ、末法之弘通を定むる也。[p0904]
問て曰く 要法の経文如何。[p0904]
答て曰く 口伝を以て之を伝へん。釈尊、然る後、正像二千年之衆生の為に、宝塔より出でて虚空に住し、右の手を以て文殊・観音・梵帝・日月・四天等之頂を摩でて、是の如く三反して法華経之要より之外の広略二門、竝びに前後の一代の一切経を此れ等の大士に付属す。正像二千年之機の為也。其の後、涅槃経の会に至りて重ねて法華経竝びに前四味之経を説いて文殊等之諸大菩薩に授与したまふ。此れ等は・拾遺嘱也。爰を以て滅後の弘経に於ても仏之所属に随ひて弘経之限り有り。[p0904-0905]
然れば則ち迦葉・阿難等は一向に小乗経を弘通して大乗経を申べず。龍樹・無著等は、権大乗経を申べて一乗経を弘通せず。設ひ之を申べしかども、纔かに之を指示し、或は迹門之一分のみ之を宣べて全く化道の始終を談ぜず。[p0905]
南岳・天台等は観音・薬王等の化身として、小大・権実・迹本二門・化道の始終・師弟の遠近等、悉く之を宣べ、其の上、已今当之三説を立てて一代超過之由を判ぜること、天竺の諸論にも勝れ、真丹の衆釈にも過ぎたり。旧訳新訳の三蔵も、宛も此の師には及ばず。顕密二道の元祖も敢えて敵対に非ず。然りと雖も、広略を以て本と為して未だ肝要にあたはず。自身之を存すと雖も敢えて他伝に及ばず。之偏に付属を重んぜしが故也。[p0905]
伝教大師は仏の滅後一千八百年、像法之末に相当りて日本国に生まれ、小乗・大乗・一乗の諸戒一々之を分別し、梵網・瓔珞の別受戒を以て小乗の二百五十戒を破失し、又法華普賢の円頓の大王之戒を以て諸大乗経の臣民之戒を責め下す。此之大戒は霊山八年を除いて一閻浮提之内に未だ有らざる所の大戒場を叡山に建立す。然る間、八宗共に辺執を倒し一国を挙げて渡す所の律宗、弘法大師の門弟等、誰か円頓之大戒を持たざらん。此の義に違背するは逆路之人なり。此の戒を信仰するは伝教大師の門徒也。 ̄日本一州円機純一 朝野遠近同帰一乗〔日本一州円機純一なり。朝野遠近同じく一乗に帰し〕とは是の謂ひか。[p0905]
此の外は漢土の三論宗之吉蔵大師竝びに一百人・法相宗之慈恩大師、華厳宗の法蔵・澄観、真言宗の善無畏・金剛智・不空・恵果、日本の弘法・慈覚等の三蔵諸師は、四依の大士に非ざる暗師也、愚人也。経に於ては大小権実之旨を弁えず、顕密両道之趣を知らず。論に於ては通申と別申とを糺さず。申と不申とを暁めず。然りと雖も彼の宗々の末学等、此の諸師を崇敬して之を聖人と号し、之を国師と尊ぶ。今先づ一を挙げんに万を察せよ。[p0905-0906]
弘法大師の十住心論・秘蔵宝鑰・二教論等に云く ̄如此乗々自乗得名望後作戯論〔此の如き乗々自乗に名を得れども後に望めば戯論と作す〕。又云く ̄無明辺域〔無明の辺域にして〕。又云く_震旦人師等諍盗醍醐各名自宗〔震旦の人師等諍って醍醐を盗んで各自宗に名づく〕等。
釈の心は、法華の大法を華厳と大日経に対して戯論之法と蔑り。無明之辺域と下し、剰へ震旦一国之諸師を盗人と罵る。此れ等の謗法謗人は、慈恩・得一之三乗真実一乗方便之狂言にも超過し、善導・法然之千中無一捨閉閣抛之過言にも雲泥せる也。六波羅蜜経をば唐の末に不空三蔵月氏より之を渡す。後漢より唐の始めに至るまで、未だ此の経有らず。南三北七の碩徳、未だ此の経を見ず。三論・天台・法相・華厳の人師、誰人か彼の経之醍醐を盗まんや。又彼の経之中に法華経は醍醐に非ずといふ之文、之有りや不や。
而るに日本国東寺の門人等、堅く之を信じて種々に僻見を起し、非より非を増し、暗より暗に入る。不便の次第也。彼の門家の伝法院の本願たる正覚之舎利講式に云く ̄尊高者也 不二摩訶衍之仏。驢牛三身不能扶車。秘奥者也両部曼陀羅之教。顕乗四法人不能取履〔尊高なるは、不二摩訶衍の仏なり。驢牛の三身は車を扶くることあたわず。秘奥なるは両部曼陀羅の教なり。顕乗の四法の人は履をも取るあたはず〕云云。三論・天台・法相・華厳等の元祖等を真言之師に相対するに、牛飼にも及ばず、力者にも足らずと書ける筆也。乞ひ願はくは彼の門徒等、心在らん之人は之を案ぜよ。大悪口に非ずや。大謗法に非ずや。所詮此れ等の狂言は弘法大師の於望後作戯論之悪口より起るか。教主釈尊・多宝・十方の諸仏は、法華経を以て已今当之諸説に相対して皆是真実と定め、然る後、世尊は霊山に隠居し、多宝・諸仏は各本土に還りたまひぬ。三仏を除く之外、誰か之を破失せん。就中、弘法所覧之真言経之中に三説を悔ひ還す之文、之有りや不や。弘法既に之を出ださず。末学之智如何せん。而るに弘法大師一人のみ、法華経を華厳・大日之二経に相対して於戯論盗人と為す。所詮、釈尊・多宝・十方の諸仏を以て盗人と称するか。末学等、眼を閉ぢて之を案ぜよ。[p0906-0907]
問て曰く 昔より已来、未だ曾て此の如き謗言を聞かず。何ぞ上古清代之貴僧に違背して寧ろ当今濁世之愚侶を帰仰せんや。[p0907]
答て曰く 汝が云ふ所の愚人は定めて理運と思はんか。然而れども、此れ等は皆人之偽言に因りて如来之金言を知らず。大覚世尊、涅槃経に滅後を警めて言く 善男子、我が所説に於て、若し疑ひを生ずる者は受くべからず云云。然るに仏尚お我が所説と雖も不審有らば之を叙用せざれと。今、予を諸師に比べて謗難を加ふ。然りと雖も、敢えて私曲を構へず。専ら釈尊之遺誡に順じて諸人之謬釈を糺す也。[p0907]
夫れ、斉之始めより梁之末に至るまで二百余年之間、南北の碩徳・光宅・智誕等の二百四人、涅槃経の_我等悉名邪見之人〔我等悉く邪見之人と名く〕之人の文引いて、法華経を以て邪見之経と定め、一国之僧尼竝びに王臣等を迷惑せしむ。陳隋之比、智者大師、之を糺明せし時、始めて南北之僻見を破り了んぬ。唐之始め太宗の御宇に基法師、勝鬘経の_若如来随彼所欲而方便説 即是大乗無有二乗〔若し如来彼の所欲に随ひて、方便して説くに即ち是れ大乗にして二乗有ること無し〕之文を引いて一乗方便三乗真実之義を立つ。此之邪義震旦に流布するのみに非ず、日本の得一、称徳天皇の御時、盛んに非義を談ず。爰に伝教大師、悉く彼の邪見を破し了んぬ。[p0907]
後鳥羽院の御代に、源空法然、観無量寿経の読誦大乗之一句を法華経に摂入し、還りて称名念仏に対すれば雑行方便なれば捨閉閣抛せよ等云云。然りと雖も五十余年之間、南都・北京・五畿・七道の諸寺諸山之衆僧等、此の悪義を破ることあたはざりき。予が難破、分明たる之間、一国諸人忽ち彼の選沢集を捨て了んぬ。根露るれば枝枯れ、源乾けば流れ竭くとは蓋し此の謂ひなる歟。[p0907-0908]
加之、唐之半ば玄宗皇帝の御代に善無畏・不空等、大日経の住心品の如実一道心之一句に於て法華経を摂入し、返りて権教と下す。日本の弘法大師は六波羅蜜経之五蔵の中に、第四の熟蘇味の般若波羅蜜蔵に於て法華経・涅槃経等を摂入し、第五の陀羅尼蔵に相対して、諍盗醍醐等云云。此れ等之禍咎は、日本一州の内、四百余年、今に之を糺明せし人あらず。予が所存の難勢・く一国に満つ。必ず彼の邪義を破られんか。此れ等は且く之を止む。[p0908]
迦葉・阿難等、龍樹・天親等、天台・伝教等の諸大聖人、知りて而も未だ弘宣せざる所の肝要の秘法は法華経の文赫々たり。論釈等に載せざること明々たり。生知は自ら知るべし。賢人は明師に値遇して之を信ぜよ。罪根深重之輩は邪推を以て人を軽しめ之を信ぜず。且く耳に停め本意に付かば之を喩さん。[p0908]
大集経の五十一に大覚世尊、月蔵菩薩に語りて云く_於我滅後五百年中解脱堅固 次五百年禅定堅固[已上一千年]。次五百年読誦多聞堅固 次五百年多造塔寺堅固[已上二千年]。次五百年於我法中闘諍言訟白法隠没〔我が滅後に於て五百年の中は解脱堅固、次の五百年は禅定堅固[已上一千年]、次の五百年は読誦多聞堅固、次の五百年は多造塔寺堅固[已上二千年]、次の五百年は我が法の中に於いて闘諍言訟して白法隠没せんの時に相当れり〕等云云。法華経の第七、薬王品に教主釈尊、多宝仏と共に宿王華菩薩に語りて云く_我滅度後。後五百歳中。広宣流布。於閻浮提。無令断絶。悪魔魔民。諸天龍。夜叉。鳩槃荼等。得其便也〔我が滅度の後後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶して悪魔・魔民・諸天・龍・夜叉・鳩槃荼等に其の便を得せしむることなかれ〕。[p0908]
大集経の文を以て之を案ずるに 前四箇度の五百年は仏の記文の如く既に符合せしめ了んぬ。第五の五百歳之一事豈に唐捐ならん。随て当世の為体〈ていたらく〉大日本国と大蒙古国とは闘諍合戦す。第五の五百に相当れるか。彼の大集経の文に此の法華経の文を推するに、後五百歳中。広宣流布。於閻浮提。之鳳詔、豈に扶桑国に非ずや。[p0908-0909]
弥勒菩薩の瑜伽論に云く ̄東方有小国。其中唯有大乗種姓〔東方に小国有り。其の中、唯大乗の種姓のみ有り〕云云。慈氏菩薩、仏の滅後九百年に相当りて無著菩薩の請ひに赴いて中印度に来下して瑜伽論を演説す。是れ、或は権機に随ひ、或は付属に順ひ、或は時に依て権教を弘経す。然りと雖も法華経の涌出品之時、地涌の菩薩を見て近成を疑ふ之間、仏、請ひに赴いて寿量品を演説し、分別功徳品に至りて地涌の菩薩を勧将して云く_悪世末法時 能持是経者〔悪世末法の時 能く是の経を持たん者は〕と。弥勒菩薩、自身之付属に非ざれば、之を弘めずと雖も、親り霊山会上に於て悪世末法時之金言を聴聞せし故に、瑜伽論を説く之時、末法に日本国に於て地涌の菩薩、法華経の観心を流布せしむべき之由、兼ねて之を示す也。[p0909]
肇公之翻経の記に云く ̄大師須利耶蘇磨 左手持法華経右手摩鳩摩羅什頂授与云 仏日西入遺耀将及東。此典有縁於東北。汝慎伝弘〔大師須利耶蘇磨、左手に法華経を持し右手に鳩摩羅什の頂を摩でて、授与して云く 仏日西に入て遺耀将に東に及ばんとす。此の典東北に縁有り。汝、慎んで伝弘せよ〕云云。西天の月支国は未申の方。東方の日本国は丑寅の方也。天竺に於て有縁於東北とは日本国に非ずや。遵式の筆に云く ̄始自西伝猶月之生。今復東返猶日之昇〔始め西より伝ふ、月の生ずるがごとし。今復東より返る、日の昇るがごとし〕等云云。正像二千年には西より東に流る。暮月之西空より始まるが如し。末法五百年には東より西に入る。朝日之東天より出づるに似たり。[p0909]
根本大師の記に云く ̄語代則像終末始 尋地唐東羯西 原人則五濁之生闘諍之時。経云 猶多怨嫉。況滅度後。此言良有以也〔代を語れば、則ち像の終わり、末の始め。地を尋ぬれば、唐の東、羯の西。人を原ぬれば、則ち五濁之生、闘諍之時なり。経に云く 猶お怨嫉多し況や滅度の後をや。此の言良にゆえ有るなり〕等云云。又云く ̄正像稍過已末法太有近。法華一乗機今正是其時。何以得知。安楽行品云 末世法滅時也〔正像やや過ぎ已って、末法はなはだ近きに有り。法華一乗の機、今正しく是れ其の時なり。何を以て知ることを得る。安楽行品に云く 末世法滅の時也〕云云。此の釈は語美しく心隠れたり。読む人之を解し難きか。伝教大師の語は、我が時に似て心は末法を楽ひたまふ也。大師出現之時は仏の滅後一八百余年也。大集経の文を以て之を勘ふるに、大師存生之時は第四の多造塔寺堅固之時に相当る。全く第五闘諍堅固之時に非ず。而るに余処之釈に末法太有近之言は有り。定んで知んぬ。闘諍堅固之筆は我が時を指すに非ざる也。[p0909-0910]
予、倩事之情を案ずるに、大師薬王菩薩として霊山会上に持して、仏、上行菩薩出現之時を兼ねて之を記したまふ故に之を喩すか。而るに予、地涌の一分に非ざれども、兼ねて此の事を知る。故に地涌之大士に前き立ちて粗五字を示す。例せば西王母之先相には青鳥、客人之来るには・鵲の如し。[p0910]
此の大法を弘通せしむる之法には必ず一代之聖教を安置し、八宗之章疏を習学すべし。然れば則ち、予、所持之聖教多々、之有りき。然りと雖も両度の御勘気、衆度の大難之時、或は一巻二巻散失し、或は一字二字脱落し、或は魚魯の謬・、或は一部二部損朽す。若し黙止して一期を過ぐる之後には弟子等定んで謬乱出来之基也。爰を以て愚身に老耄已前に之を糺調せんと欲す。而るに風聞の如くんば、貴辺竝びに大田金吾殿、越中の御所領之内、竝びに近辺の寺々に数多の聖教あり等云云。両人共に大檀那たり。所願を成ぜしめたまへ。涅槃経に云く_内有弟子解甚深義 外有清浄檀越仏法久住〔内には弟子有りて甚深の義を解り、外には清浄の檀越有りて仏法久住せん〕云云。天台大師は毛喜等を相語らひ、伝教大師は国道・弘世等を恃怙す云云。[p0910]
仁王経に云く_令千里内七難不起〔千里の内をして七難起らざらしむ〕云云。法華経に云く_令百由旬内。無諸衰患〔百由旬の内に諸の衰患なからしむべし〕云云。国主、正法を弘通すれば、必ず此の徳を備ふ。臣民等、此の法を守護せんに、豈に家内之大難を払はんや。又法華経の第八に云く_所願不虚。亦於現世。得其福報〔所願虚しからじ。亦現世に於て其の福報を得ん〕。又云く_当於今世。得現果報〔当に今世に於て現の果報を得べし〕又云く_此人現世。得白癩病〔此の人は現世に白癩の病を得ん〕。又云く_頭破作七分〔頭破れて七分に作ること〕。又第二巻に云く_見有読誦 書持経者 軽賎憎嫉 而懐結恨 乃至 其人命終 入阿鼻獄〔経を読誦し書持すること あらん者を見て 軽賎憎嫉して 結恨を懐かん 乃至 其の人命終して 阿鼻獄に入らん〕云云。第五巻に云く_若人悪罵 口則閉塞〔若し人悪み罵らば 口則ち閉塞せん〕[p0910-0911]
伝教大師云く ̄讃者積福於安明。謗者開罪於無間〔讃る者は福を安明に積み、謗る者は罪を無間に開く〕等云云。安明とは須弥山之名也無間とは阿鼻の別名也。国主、持者を誹謗せば位を失ひ、臣民、行者を毀呰すれば身を喪ぼす。一国を挙りて用ひざれば、定んで自反他逼、出来せしむべき也。[p0911]
又上品の行者は大之七難。中品の行者は二十九難之内。下品の行者は無量之難之随一なり。又大の七難に於て七人有り。第一は日月の難也。第一之内に又五の大難有り。所謂、_日月失度時節返逆 或赤日出 黒日出 二三四五日出。或日蝕無光 或日輪一重二三四五重輪現〔日月度を失い時節返逆し、或は赤日出て、黒日出て、二三四五の日出て、或は日蝕して光無く、或は日輪一重二三四五重輪現ずるを〕。又経に云く_二月竝出〔二の月竝び出でん〕と。今此の国土に有らざるは、二の日二の月等の大難なり。余の難は大体之有り。今此の亀鏡を以て日本国を浮かべ見るに、必ず法華経の行者有らんか。既に之を謗る者に大罰有り。之を信ずる者、何ぞ大福無からん。[p0911]
今両人微力を励まし、予が願に力を副へ、仏の金言を試みよ。経文の如く之を行ぜんに、徴無くんば釈尊正直之経文、多宝証明之誠言、十方分身之諸仏の舌相、有言無実と為らんか。提婆之大妄語に過ぎ、瞿伽梨之大狂言に超えたらん。日月地に落ち、大地反覆し、天を仰ひで声を発し、地に臥して胸を押さふ。殷の湯王の玉体を薪に積み、戒日大王之龍顔を火に入れしも今此の時に当るか。[p0911]
若し此の書を見聞して、宿習有らば其の心を発得すべし。使者に此の書を持たしめ早々に北国に差し遣はし、金吾殿之返報を取りて、速々是非を聞かしめよ。此の願若し成ぜば、崑崙山の之玉鮮やかに求めずして蔵に収まり、大海の宝珠招かざるに掌に在らん。恐惶謹言[p0911-0912]
下春十日 日 蓮 花押[p0912]
曾谷入道殿[p0912]
大田金吾殿[p0912]
#0172-000 こう入道殿御返事 文永十二(1275.04・12) [p0913]
あまのりのかみふくろ二、わかめ十でう、こも(小藻)のかみぶくろ一、たこひとかしら。[p0913]
人の御心は定めなきものなれば、うつる心さだめなし。さどの国に候ひし時御信用ありしだにもふしぎにをぼへ候ひしに、これまで入道殿をつかわされし御心ざし、又国もへだたら年月もかさなり候へば、たゆむ御心もやとうたがい候に、いよいよいろ(色)をあらわし、こう(功)をつませ給ふ事、但一生二生の事にはあらざるか。[p0913-0914]
此の法華経は信じがたければ、仏、人の子となり、め(妻)となりなんどしてこそ信ぜさせ給ふなれ。しかるに御子もおはせず、但をやばかりなり。_其中衆生 悉是吾子〔其の中の衆生は 悉く是れ吾が子なり〕の経文のごとくならば、教主釈尊は入道殿・尼御前の慈父ぞかし。日蓮は又御子にてあるべかりけるが、しばらく日本国の人をたすけんと中国に候か。宿善たうとく候。又蒙古国の日本にみだれ入る時はこれへわたりあるべし。又子息なき人なれは御としのすへには、これへとをぼしめすべし。いづくも定めなし。仏になる事こそつゐのすみかにては候へとをもひ切らせ給ふべし。恐恐謹言。[p0914]
卯月十二日 日 蓮 花押[p0914]
こうの入道殿 御返事[p0914]
#0173-100 王舎城事 文永十二(1275.04・12) [p0914]
銭一貫五百文給候ひ了んぬ。[p0915]
焼亡の事委しく承り候事悦び入り候。大火の事は仁王経の七難の中の第三の火難、法華経の七難の中には第一の火難なり。[p0915]
夫れ虚空をば剣にてきることなし。水をば火焼くことなし。聖人・賢人・福人・智者をば火やくことなし。例せば月氏に王舎城と申す大城は在家九億万家也。七度まで大火をこりてやけほろびき。万民なげきて逃亡せんとせしに、大王なげかせ給ふ事かぎりなし。其の時賢人ありて云く 七難の大火と申す事は聖人のさ(去)り、王の福の尽くる時をこり候也。然るに此の大火万民をばやくといえども、内裏には火ちかづくことなし。知んぬ、おうのとがにはあらず、万民の失なり。されば万民の家を王舎と号せば、火神名にをそれてやくべからずと申せしかば、さるへんもとて王舎城とぞなづけられしかば、それより火災とどまりぬ。されば大果報のひとをば大火はやかざるなり。[p0915]
これは国王已にやけぬ。知んぬ、日本国の果報のつくるしるし(兆)なり。然るに此の国は大謗法の僧等が強盛にいのりをなして、日蓮を降伏せんとする故に、弥弥わざはひ来るにや。其の上名と申す事は体を顕し候に、両火房と申す謗法の聖人鎌倉中の上下の師なり。一火は身に留まりて極楽寺焼けて地獄寺となりぬ。又一火は鎌倉にはなちて御所やけ候ひぬ。又一火は現世の国をやきぬる上に、日本国の師弟ともに無間地獄に堕ちて、阿鼻の炎にもえ候べき先表也。愚痴の法師等が智慧ある者の申す事を用ひ候はぬは是体に候也。不便不便。先先御文まいらせ候ひしなり。[p0915-0916]
御馬のがい(野飼)て候へば、又ともびく(友引)してくり(栗)毛なる馬をこそまうけて候へ。あはれあはれ見まいらせ候はばや。名越の事は是れにこそ多くの子細どもをば聞いて候へ。ある人のゆきあひて、理具の法門自讃しけるをさむざむにせめ(責)て候ひけると承り候。[p0916]
又女房の御いのりの事。法華経をば疑ひまいらせ候はねども、御信心やよはくわたらせ給はんずらん。如法に信じたる様なる人人も、実にはさもなき事とも是れにて見て候。それにも知しめされて候。まして女人の御心、風をばつなぐ(繋)ともとりがたし。御いのりの叶ひ候はざらんは、弓のつよくしてつる(絃)よはく、太刀つるぎ(剣)にてつかう人の臆病なるやうにて候べし。あへて法華経の御とがにては候べからず。よくよく念仏と持斉とを我もすて、人をも力のあらん程はせか(塞)せ給へ。譬へば左衛門殿の人ににくまるるがごとしと、こまごまと御物語候へ。[p0916]
いかに法華経を御信用ありとも、法華経のかたきをとわり(遊女)おどにはよもおぼさじとなり。一切の事は父母にそむき、国王にしたがはざれば、不孝の者にして天のせめをかうふる。ただし法華経のかたきになりぬれば、父母国主の事をも用ひざるが孝養ともなり、国の恩を報ずるにて候。[p0916-0917]
されば日蓮は此の経文を見候ひしかば、父母手をすり(擦)てせい(制)せしかども、師にて候ひし人かんだうせしかども、鎌倉殿の御勘気を二度までかほり、すでに頚となりしかども、ついにをそれずして候へば、今は日本国の人人も道理かと申すへんもやあるやらん。日本国に国主・父母・師匠の申す事を用ひずして、ついに天のたすけをかほる人は、日蓮より外は出だしがたくや候はんずらん。是れより後も御覧あれ。日蓮をそしる法師原が日本国を祈らば弥弥国亡ぶべし。結句せめの重からん時、上一人より下万民までもとどり(髻)をわかつやつこ(奴僕)となり、ほぞをくうためしあるべし。後生はさてをきぬ、今生に法華経の敵となりし人をば、梵天・帝釈・日月・四天罰し給ひて皆人にみこり(見懲)させ給へと申しつけて候。日蓮法華経の行者にてあるなしは是れにて御覧あるべし。かう申せば国主等は此の法師のをど(威)すと思へるか。あへてにくみては申さず。大慈大悲の力、無間地獄の大苦を今生にけ(消)さしめんとなり。[p0917]
章安大師云く ̄為彼除悪即是彼親〔彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり〕 等云云。かう申すは国主の父母、一切衆生の師匠なり。事事多く候へども留め候ひぬ。又麦の白米一だ(駄)・はしかみ(薑)送り給候ひ了んぬ。[p0917-0918]
卯月十二日 日 蓮 花押[p0918]
四條金吾殿 御返事[p0918]
#0174-000 兄弟鈔 文永十二(1275.04.16) [p0918]
夫れ法華経と申すは八万法蔵の肝心、十二部経の骨髄也。三世の諸仏は此の経を師として正覚をなり、十方の仏陀は一乗を眼目として衆生を引導し給う。今現に経蔵に入って此れを見るに、後漢の永平より唐の末に至るまで、渡れる所の一切経論に二本あり。所謂旧訳の経は五千四十八巻也。新訳の経は七千三百九十九巻也。彼の一切経は皆各々分分に随って我第一也となのれり。[p0918]
然るに法華経と彼の経々とを引き合わせて之を見るに勝劣天地也、高下雲泥也。彼の経々は衆星の如く、法華経は月の如し。彼の経々は燈炬星月の如く、法華経は大日輪の如し。此れは総也。[p0918-0919]
別して経文に入って此れを見奉れば二十の大事あり。第一・第二の大事は三千塵点劫、五百塵点劫と申す二つの法門也。其の三千塵点と申すは第三の巻化城喩品と申す所に出て候。此の三千大千世界を抹して塵となし、東方に向って千の三千大千世界を過ぎて一塵を下し、又千の三千大千世界を過ぎて一塵を下し、此の如く三千大千世界の塵を下しはてぬ。さてかえって、下せる三千大千世界と下さざる三千大千世界をともにおしふさねて又塵となし、此の諸の塵をもてならべおきて一塵を一劫として、経尽くしては又始め始め、かくのごとく上の諸塵の尽くし経たるを三千塵点とは申すなり。[p0919]
今三周の声聞と申して舎利弗・迦葉・阿難・羅云なんど申す人々は、過去遠遠劫三千塵点劫のそのかみ、大通智勝仏と申せし仏の、第十六の王子にておわせし菩薩ましましき。彼の菩薩より法華経習いけるが、悪縁にすかされて法華経をすつる心つきにけり。かくして或は華厳経へおち、或は般若経へおち、或は大集経へおち、或は涅槃経へおち、或は大日経、或は深密経、或は観経等へおち、或は阿含小乗経へおちなんどしけるほどに、次第に堕ちゆきて後には人天の善根、後に悪におちぬ。かくのごとく堕ちゆく程に三千塵点劫が間、多分は無間地獄、小分は七大地獄、たまたまには一百余の地獄、まれには餓鬼・畜生・修羅なんどに生まれ、大塵点劫なんどを経て人天には生まれ候けり。[p0919-0920]
されば法華経の第二の巻に云く_常処地獄 如遊園観 在余悪道 如己舎宅〔常に地獄に処すること 園観に遊ぶが如く 余の悪道に在ること 己が舎宅の如く〕等云云。十悪をつくる人は等活・黒縄なんど申す地獄に堕ちて、五百生、或は一千歳を経、五逆をつくる人は無間地獄に堕ちて、一中劫を経て又かえり生ず。いかなる事にや候らん。法華経をすつる人は、すつる時はさしも父母を殺すなんどのように、おびただしくはみえ候わねども、無間地獄に堕ちては多劫を経候。設い父母を一人・二人・十人・百人・千人・万人・十万人・百万人・億万人なんど殺して候とも、いかんが三千塵点劫をば経候べき。一仏・二仏・十仏・百仏・千仏・万仏乃至億万仏を殺したりとも、いかんが五百塵点劫をば経候べき。しかるに法華経をすて候ける罪によりて、三周の声聞が三千塵点劫を経、諸大菩薩の五百塵点劫を経候けることおびただしくおぼえ候。[p0920]
せんするところは拳をもて虚空を打つはくぶしいたからず、石を打つはくぶしいたし。悪人を殺すは罪あさし、善人を殺すは罪ふかし。或は他人を殺すは拳をもって泥を打つがごとし。父母を殺すは拳もて石を打つがごとし。鹿をほうる犬は頭われず、師子を吠うる犬は腸くさる。日月をのむ修羅は頭七分にわれ、仏を打ちし提婆は大地われて入りにき。所対によりて罪の軽重はありけるなり。[p0920]
さればこの法華経は一切の諸仏の眼目、教主釈尊の本師なり。一字一点もすつる人あれば千万の父母を殺せる罪にもすぎ、十方の仏の身より血を 出す罪にもこえて候けるゆえに、三五の塵点をば経候けるなり。[p0920-0921]
此の法華経はさておきたてまつりぬ。又此の経を経(せつ)のごとくにとく人に値うことが難にて候。設い一眼の亀は浮き木には値うとも、はちすのいとをもって須弥山をば虚空にかくとも、法華経を経のごとく説く人にあいがたし。[p0921]
されば慈恩大師と申せし人は、玄奘三蔵の御弟子、太宗皇帝の御師なり。梵漢を空にうかべ、一切経を胸にたたえ、仏舎利を筆のさきより雨らし、牙より光を放ち給いし聖人なり。時の人も日月の如く恭敬し、後の人も眼目とこそ渇仰せしかども、伝教大師これをせめ給うには雖讃法華経還死法華心〔法華経を讃むると雖も還て法華の心を死(ころ)す〕。言は彼の人の心には法華経をほむとおもえども、理のさすところは法華経をころす人になりぬ。[p0921]
善無畏三蔵は月支国うじょうな国の国王なり。位をすて出家して天竺五十余の国を修行して顕密二道をきわめ、後には漢土に渡りて玄宗皇帝の御師となる。尸那・日本の真言師、誰かの此の人のながれにあらざる。かかるとうとき人なれども一時に頓死して閻魔のせめにあわせ給う。いかなりけるゆえともしらず。日蓮此れをかんがえたるに本は法華経の行者なりしが、大日経を見て法華経にまされりといいしゆえなり。されば舎利弗・目連等が三五の塵点劫を経しことは十悪・五逆の罪にもあらず、謀反・八虐の失にてもあらず。但悪知識に値うて法華経の信心をやぶりて権経にうつりしゆえなり。天台大師釈して云く ̄若値悪友則失本心〔若し悪友に値えば則ち本心を失う〕云云。本心と申すは法華経を信ずる心なり。失と申すは法華経の信心を引きかえて余経へうつる心なり。[p0921-0922]
されば経文に云く_然与良薬。而不肯服(しかももろうやくをあたうるにしかもふくすることをがえんせず)〔然も其の薬を与うるに而も肯えて服せず〕。天台の云く ̄其失心者雖与良薬而不敢服流浪生死逃逝他国(それ心をうしなうもんろうやくをあたうといえども、あたうるにふくする事がえんせず。しょうしにるてんしてたこくにちょうせいす)〔其れ心を失う者は良薬を与うと雖も、而も敢えて服せず。生死を流浪し他国に逃逝す〕云云。されば法華経を信ずる人のおそるべきものは、俗人・強盗・夜打つ・虎・狼・師子等よりも、当時の蒙古のせめよりも法華経の行者をなやます人々なり。[p0922]
此の世界は第六天の魔王の所領なり。一切衆生は無始已来彼の魔王の眷属なり。六道の中に二十五有と申すろうをかまえて一切衆生を入るるのみならず、妻子(めこ)と申すほだちをうち、父母主君と申すあみをそらにはり、貪瞋癡の酒をのませて仏性の本心をたぼらかす。但あく(悪)のさかな(肴)のみをすすめて三悪道の大地に伏臥せしむ。たまたま善の心あれば障碍をなす。法華経を信ずる人をばいかにもして悪へ堕さんとおもうに、叶わざればようやくすか(賺)さんがために相似せる華厳経へおとしつ。杜順・智儼・法蔵・澄観等これなり。又般若経へおとしつ。嘉祥・僧詮等これなり。又深密経へ堕としつ、玄奘・慈恩此れなり。又大日経へ堕としつ、善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智勝等これなり。又禅宗へ堕つ、達磨・慧可等是れ也。又観経へすかしおとす悪友は、善導・法然是れ也。[p0922-0923]
此れは第六天の魔王が智者の身に入って善人をたぼらかす也。法華経第五の巻に悪鬼入其身と説かれて候は是れ也。設い等覚の菩薩なれども元品の無明と申す大悪鬼身に入って、法華経と申す妙覚の功徳を障え候也。何に況んや其の已下の人々においてをや。又第六天の魔王、或は妻子の身に入って親や夫をたぼらかし、或は国王の身に入って法華経の行者をおどし、或は父母の身に入って孝養の子をせむる事あり。悉達太子は位を捨てんとし給いしかば羅・羅はらまれておわしませしを、浄飯王此の子生まれて後出家し給えといさめられしかが、魔が王子をおさえて六年なり。舎利弗は昔善多羅仏と申せし仏の末世に、菩薩の行を立てて六十劫を経たりき。既に四十劫ちかづきしかば百劫にてあるべかりしを、第六天の魔王、菩薩の行成ぜん事をあぶなしとや思いけん。婆羅門となりて眼を乞いしかば相違なくとらせたりしかども、其れより退する心出来して舎利弗は無量劫が間無間地獄に堕ちたりしぞかし。大荘厳仏の末の六百八十億の檀那等は、苦岸等の四比丘にたぼらかされて、大地微塵劫無間地獄には経しぞかし。一切明仏の末の男女等は、勝意比丘と申せし持戒の僧をたのみて喜根比丘を笑ってこそ、無量劫が間地獄に堕つれ、今又日蓮が弟子檀那等は此れにあたれり。[p0923-0924]
法華経には_如来現在。猶多怨嫉。況滅度後〔如来の現在すら猶お怨嫉多し、況んや滅度の後をや〕。又云く_一切世間。多怨難信〔一切世間に怨多くして信じ難く〕。涅槃経に云く_横羅死殃呵責罵辱鞭杖飢餓困苦受如是等現世軽報不堕地獄〔横に死殃に羅り呵責・罵辱・鞭杖・飢餓・困苦、是の如き等の現世の軽報を受けて地獄に堕ちず〕等云云。般泥・経に云く_衣服不足 飲食・疎 求財不利 生貧賎家邪見家 或遭王難 及余種々人間苦報。現世軽受斯由護法功徳力故〔衣服足らず 飲食・疎 財を求むるに利あらず 貧賎の家に邪見の家に生れ 或は王難に遭ふ 及び余の種々の人間の苦報あらん。現世に軽く受るは斯れ護法の功徳力に由るが故なり〕等云云。[p0924]
文の心は、我等過去に正法を行じける者にあだをなしてありけるが、今かえりて信受すれば過去に人を障げつる罪にて未来に大地獄に堕つべきが、今生に正法を行ずる功徳強盛なれば、未来の大苦をまねきこして小苦に値うなり。この経文に過去の誹謗によりてようよう(様々)の果報をうくるなかに、或は貧家に生まれ、或は邪見の家に生まれ、或は王難に値う等云云。この中に邪見の家と申すは誹謗正法の父母の家なり。王難等と申すは悪王に生まれあうなり。この二つの大難は各々の身に当たっておぼえつべし。過去の謗法の罪の滅せんとて邪見の父母にせめられさせ給う。又法華経の行者をあだむ国主にあえり。経文明々たり、経文赫々たり。我が身は過去に謗法の者なりける事疑い給うことなかれ。此れを疑って現世の軽苦忍び難くて、慈父のせめに随って存の外に法華経をすつるゆよしあるならば、我が身地獄に堕つるのみならず、悲母も慈父も大阿鼻地獄に堕ちてともにかなしまん事疑いなかるべし。大道心と申すはこれなり。[p0924-0925]
各々随分に法華経を信ぜられつるゆえに、過去の重罪をせめいだし給いて候。たとえば鉄(くろかね)をよくよくきたえばきずのあらわるるがごとし。石はやけばはいとなる。金はやけば真金となる。此の度こそまことの御信用はあらわれて、法華経の十羅刹も守護せさせ給うべきにて候らめ。雪山童子の前に現ぜし羅刹は帝釈と申すなり。尸毘王のはとは毘沙門天ぞかし。十羅刹心み給わんがために父母の身に入らせ給いてせめ給うこともやあるらん。それにつけても心あさからん事は後悔あるべし。又前車のくつがえすは後車のいましめぞかし。[p0925]
今の世にはなにとなくとも道心おこりぬべし。此の世のありさま厭うともよも厭われじ。日本の人々定めて大苦に値いぬと見えて候。眼前の事ぞかし。文永九年二月の十一日にさかんなりし花の大風におるるがごとく、清絹の大火にやかるるがごとくなりしに、世をいとう人のいかでかなかるらん。文永十一年の十月ゆき・つしま、ふのものども一時に死人となりし事は、いかに人の上とおぼすか。とうじもかのうて(打手)に向かいたる人々のなげき、老いたるおや、おさなき子、わかき妻、めずらしかりしすみか、うちすてて、よしなき海をまもり、雲のみ(見)うればはた(旗)かと疑い、つりぶねのみゆれば兵船かと肝心(きもこころ)をけす。日に一二度山え登り、夜に三四度馬にくらをおく現身に修羅道をかんぜり。各々のせめられさせ給う事も、詮するところは国主の法華経のかたきとなれるゆえなり。国主のかたきとなる事は、持斉等・念仏者等・真言師等が謗法よりおこれり。今度ねうしくらして法華経の御利生心みさせ給え。日蓮も又強盛に天に申し上げ候なり。いよいよおずる心ねすがたおわすべからず。[p0925-0926]
定めて女人は心よわくおわすれば、ごぜんたちは心ひるがえりてやおわすらん。ごうじょうにはがにをしてたゆむ心なかれ。例せば日蓮が平左衛門尉がもとにてうちふるまい、いい(言)しがごとくすこしもおずる心なかれ。わだ(和田)が子となりしもの、わかさのかみ(若狭守)が子となりしもの、将門・貞当が郎従等となりし者、仏になる道にはあらねどもはじをおもえば命おしまぬ習いなり。なにとなくとも一度の死は一定なり。いろばあしくして人にわらわれさせ給うなよ。あまりにおぼつかなく候えば大事のものがたり一つ申す。[p0926]
伯ひ(伯夷)・叔せい(叔斉)と申せし者は、胡竹国の王の二人の太子なり。父の王弟の叔せいに位をゆずり給いき。父しして後叔せい位につかざりき。伯ひが云く 位につき給え。叔せいが云く 兄位に継ぎ給え。伯ひが云く いかに親の遺言をばたがえ給うと申せしかば、親の遺言はさる事なれども、いかんが兄をおきては位には即くべきと辞退せしかば、二人共に父母の国をすてて他国へわたりぬ。周の文王につかえしほどに、文王、殷の紂王に打たれしかば、武王百ヶ日が内いくさをおこしき。白ひ(伯夷)・叔せい(叔斉)は武王の馬の口にとりつきていさめて云く おやしして後三ヶ年が内いくさをおこすはあに不孝にあらずや。武王いかりて白ひ・叔せいを打たんとせしかば、大公望せいして打たせざりき。二人は此の王をうとみてすよう(首陽)と申す山にかくれいて、わらびをおりて命をつぎしかば、麻子と申す者ゆきあいて云く いかにこれにはおわするぞ、二人上件の事をかたりしかば、麻子が云く さるにてはわらびは王の物にあらずや。二人せめられて爾の時よりわらびをくわず。天は賢人をすて給わぬならいなれば、天白鹿と現じて乳をもって二人をやしないき。叔せい(叔斉)が云く 此の白鹿の乳をのむだにもうまし、まして肉(ししむら)をくわんといいしかば、白ひ(伯夷)せいせしかども天これをききて来たらず。二人うえて死ににき。一生が間賢なりし人も一言に身をほろぼすにや。各々も御心の内はしらず候えば、おぼつかなしおぼつかなし。[p0926-0927]
釈迦如来は太子にておわせし時、父の浄飯王太子をおしみたてまつりて出家をゆるし給わず。四門に二千人のつわものをすべてまもらせ給いしかども、終におやの御心をたがえて家をいでさせ給いき。一切はおやに随うべきにてこそ候えども、仏になる道は随わぬが孝養の者にて候か。されば心地観経には孝養の本をとかせ給うには、棄恩入無為真実報恩者等云云。言はまことの道に入るには、父母の心に随わずして家を出て仏になるが、まことの恩をほうずるにてはあるなり。世間の法にも、父母の謀反なんどをおこすには随わぬが孝養とみえて候ぞかし。孝経と申す外経にみえて候。天台大師も法華経の三昧に入らせ給いておわせし時は、父母左右のひざに住して仏道をさえんとし給いしなり。此れは天魔の父母のかたちをげんじてさうるなり。白ひ(伯夷)・すくせい(叔斉)が因縁はさきにかき候いぬ。[p0927-0928]
又第一の因縁あり。日本国の人王第十六代に王おわしき。応神天王と申す。今の八万大菩薩これなり。この王の御子二人まします。嫡子をば仁徳、次男をば宇治王子。天王次男の宇治の王子に位をゆずり給いき。王ほうぎょならせ給いて後、宇治の王子云く 兄位につき給うべし。兄の云く いかにおやの御ゆずりをばもちいさせ給わぬぞ。かくのごとくたがいにろんじて、三ヶ年が間位に王おわせざりき。万民のなげきいうばかりなし。天下のさい(災)にてありしほどに、宇治の王子云く 我いきて有るゆえにあに(兄)位に即き給わずといって死なせ給いにき。仁徳これをなげかせ給いて、又ふししずませ給いしかば、宇治の王子いきかえりてようようにおお(仰)せおかせ給いて、またひきいらせ給いぬ。さて仁徳位につかせ給いたりしかば国おだやかなる上、しんら、はくさい・こうらいも日本国にしたがいて、ねんぐ八十そうそなえけるところみえて候え。[p0928-0929]
賢王のなかにも兄弟おだやかならぬれいもあるぞかし。いかなるちぎりにて兄弟かくはおわするぞ。浄蔵・浄眼の二人の太子の生まれかわりておわするか、薬王・薬上の二人か。大夫志殿の御おやの御勘気はうけ給いしかども、ひょうえの志殿の事は今度はよもあににはつかせ給わじ。さるにてはいよいよ大夫志殿のおやの御不審は、おぼろげにてはゆりじなんどおもいて候えば、このわらわ・鶴王の申し候はまことにてや候らん。御同心と申し候えばあまりのふしぎさに別の御文をまいらせ候。未来までのものがたりなに事かこれにすぎ候べき。[p0929]
西域と申す文にかきて候は、 ̄月氏に波羅・斯国{はらていしこく}施鹿林(せろくりん)と申すところに一の隠士あり。仙の法を成ぜんとおもう。すでに瓦礫を変じて宝となし、人畜の形をかえけれども、いまだ風雲にのて仙宮にはあそばざりき。此の事を成ぜんがために一の烈士をかたらい、長刀をもたせて壇の隅に立てて息をかくし言をたつ。[p0930]よいよりあしたにいたるまでものいわずば仙の法成ずべし。仙を求むる隠士は壇の中に坐して手に長刀をとて口に神呪をずうす。約束して云く 設い死なんとする事ありとも物言う事なかれ。烈士云く 死すとも物いわじ。かくのごとくしてすでに夜中をすぎてよまさにあけなんとす。いかんがおもいけん。あけんとする時烈士おおきな声をあげてよばわる。すでに仙の法成ぜず。隠士烈士に云く いかに約束をばたがうるぞ、くち惜しき事也と云う。烈士歎いて云く 少し眠ってありつれば、昔仕えし主人自ら来たりて責めつれども、師の恩暑ければ忍んで物いわず。彼の主人怒って首をはねんと云う。然而又ものいわず。逐に首を切りつ。中陰に趣く我が屍を見れば惜しく歎かし。然而物いわず。逐に南印度の婆羅門の家に生まれぬ。入胎出胎するに大苦忍びがたし。然而息を出さず、又物いわず。已に冠者となりて妻をとつぎぬ。又親死にぬ。又子をもうけたり。かなしくもあり、よろこばしくもあれども物いわず。此の如く六十有五になりぬ。我が妻かたりて云く 汝若し物いわずば汝がいとおしみの子を殺さんと云う。時に我思わく、我已に年衰えぬ、此の子を若し殺されなば又子をもうけがたしと思いつる程に、声をおこすとおもえばおどろきぬと云いければ、師が云く 不及力〔力及ばず〕、我も汝も魔にたぼらかされぬ。終に此の事成ぜずと云いければ、烈士大に歎けり。我が心よわくして師の仙法成ぜずと云いければ、[p0931]隠士が云く 我が失也。兼ねて誡めざりける事をと悔ゆ。然れども烈士師の恩を報ぜざりける事を歎いて、逐に思い死にししぬとかかれて候。[p0929-0931]
云うにかい無き仏教の小阿含経にも及ばず、況んや通別円をや。況んや法華経に及ぶべしや。かかる浅事だにも成ぜんとすれば四魔競って成じがたし。何に況んや法華経の極理南無妙法蓮華経の七字を、始めて持たん日本国の弘通の始めならん人の、弟子檀那とならん人々の大難の来たらん事をば、言をもて尽くし難し、心をもておしはかるべしや。[p0931]
されば天台大師の摩訶止観と申す文は天台一期の大事、一代聖教の肝心ぞかし。仏法漢土に渡って五百余年、南北の十師智は日月に斉しく、徳は四海に響きしかども、いまだ一代聖教の浅深・勝劣・前後・次第には迷惑してこそ候しが、智者大師再び仏教をあきらめさせ給うのみならず、妙法蓮華経の五字の蔵の中より一念三千の如意宝珠を取り出して三国の一切衆生に普く与えり。此の法門は漢土に始まるのみならず、月氏の論師までも明かし給わぬ事也。然れば章安大師の釈に云く ̄止観明静前代未聞〔止観の明静なる前代未だ聞かず〕云云。又云く ̄天竺大論尚非其類〔天竺の大論尚其類に非ず〕等云云。[p0931]
其の上摩訶止観の第五の巻の一念三千は、今一重立ち入りたる法門ぞかし。此の法門を申すには必ず魔出来すべし。魔競わずは正法と知るべからず。第五の巻に云く ̄行解既勤三障四魔紛然競起 乃至 不可随不可畏将随之人向悪道。妨修正法〔行解既に勤めむれば三障四魔紛然として競ひ起る。乃至 随うべからず、畏るべからず、将に之に随えば人をして悪道に向わしむ。正法を修することを妨ぐ〕等云云。此の釈は日蓮が身に当たるのみならず、門下の明鏡也。謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ。此の釈に三障と申すは煩悩障・業障・報障也。煩悩障と申すは貪瞋癡等によりて障碍出来すべし。業障と申すは妻子等によりて障碍出来すべし。報障と申すは国主父母等によりて障碍出来すべし。又四魔の中に天子魔と申すも是の如し。今日本国に我も止観を得たり。我も止観を得たりと云う人々、誰か三障四魔競える人あるや。随之人向悪道と申すは只三悪道のみならず、人天九界を皆悪道とか(書)けり。[p0931-0932]
されば法華経をのぞいて華厳・阿含・方等・般若・涅槃・大日等也。天台宗を除いて余の七宗の人々は人を悪道に向かわしむる極卒也。今二人の人々は隠士と烈士との如し。又二人の御前達は此の人々の檀那ぞかし。女人となる事は物に随って物を随える身也。夫たのしくば妻もさかうべし。夫盗人ならば妻も盗人なるべし。是れ偏に今生計りの事にはあらず。世世生生に影と身と、華と果と、根と葉との如くにておわするぞかし。木にすむ虫は木をは(食)む、水にある魚は水をくらう。芝かるれば蘭あく、松さかうれば柏よろこぶ。草木すら是の如し。比翼と申す鳥は身は一つにて頭二つあり。二つの口より入る物一身を養う。ひほく(比目)と申す魚は一目ずつある故に一生が間はなるる事なし。夫と妻とは是の如し。此の法門のゆえには設い夫に害せらるるとも悔ゆる事なかれ。一同して夫の心をいさめば龍女が跡をつぎ、末代悪世の女人の成仏の手本と成り給うべし。此の如くおわさば設いいかなる事ありとも、日蓮が二聖・二天・十羅刹・釈迦・多宝に申して順次生に仏になしたてまつるべし。_心の師とはなるとも心を師とせざれとは、六波羅蜜経の文なり。設いいかなるわずらわしき事ありとも夢になして、只法華経の事のみさわぐらせ給うべし。[p0932-0933]
中にも日蓮が法門は古こそ信じかたかりしが、今は前々いいおきし事既にあいぬればよし(由)なく謗ぜし人々も悔ゆる心あるべし。設いこれより後に信ずる男女ありとも、各々にはかえ(替)思うべからず。始めは信じてありしかども、世間のおそろしさにすつる人々かずをしらず。其の中に返って本より謗ずる人々よりも強盛にそしる人々又あまたあり。在世にも善星比丘等は始めは信じてありしかども、後にすつるのみならず、返って仏をほうじ奉りしゆえに、仏も叶い給わず、無間地獄におちにき。此の御文は別してひょうえの志殿へまいらせ候。又太夫志殿の女房・兵衛志殿の女房によくよく申しきかせさせ給うべし。きかせさせ給うべし。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。[p0933]
文永十二年四月十六日 日 蓮 花押[p0933]
#0435-000 御衣布給候御書 文永(1264-75) [p2873]
御衣布給候ひ了んぬ。この御ぬのは一切の御ぬのにて候。又十二いろはたふやかに候。御心ざしの御事はいまにはじめぬ事に候へども、ときにあたりてこれほどの御心ざしはありぬともをぼへ候はず候、かへす、かへす御ふみにはつくしがたう候。恐々。[p2873]
乃時 日 蓮 花押[p2873]
御返事[p2873]
#0175-000 法蓮鈔 建治元(1275.04) [p0934]
夫れ以みれば法華経第四の法師品に云く_若有悪人。以不善心。於一劫中。現於仏前。常毀罵仏。其罪尚軽。若人以一悪言。毀・在家出家。読誦。法華経者。其罪甚重〔若し悪人あって不善の心を以て一劫の中に於て、現に仏前に於て常に仏を毀罵せん、其の罪尚お軽し。若し人一の悪言を以て、在家・出家の法華経を読誦する者を毀・せん、其の罪甚だ重し〕等云云。妙楽大師云く ̄然約此経功高利絶得此説作。余経不然〔然るに此の経の功高く利絶えたるに約して此の説を作すことを得る。余経は然らず〕。[p0934]
此の経文の心は一劫とは人寿八万歳ありしより百年に一歳をすて、千念に十歳をすつ。此の如く次第に減ずる程に人寿十歳になりぬ。此の十歳の時は当時の八十の翁のごとし。又人寿十歳より百年ありて十一歳となり、又百年ありて十二歳となり、乃至一千年あらば二十歳となるべし、乃至八万歳となる。此の一減一増を一劫とは申す也。又種々の劫ありといえども仮令此劫を以て申すべし。[p0934-0935]
此の一劫が間、身口意の三業より事おこりて、仏をにくみたてまつる者あるべし。例せば提婆達多のごとし。仏は浄飯王の太子、提婆達多は斛飯王の子也。兄弟の子息同じく仏の御いとこ(従弟)にておわせしかども、今も昔も聖人も凡夫も人の中をたがえること、女人よりして起こりたる第一のあだにてはんべるなり。釈迦如来は悉達太子としておわしし時、提婆達多も同じ太子なり。耶輸大臣に女あり、耶輸多羅女となづく。五天竺第一の美女、四海名誉の天女也。悉達と提婆と共に后にせん事をあらそい給いし故に中あしくならせ給いぬ。[p0935]
後に悉達は出家して仏とならせ給い、提婆達多又須陀比丘を師として出家し給いぬ。仏は二百五十戒を持ち、三千の威儀をととのえ給いしかば、諸の天人これを渇仰し、四衆これを恭敬す。提婆達多を人たと(貴)まざりしかば、いかにしてか世間の名誉仏にすぎんとはげみしほどに、とこう(左右)案じいだして、仏にすぎて世間にたとまれぬべき事五つあり。四分律に云く_一糞掃衣 二常乞食 三一座食 四常露座 五不受塩及五味〔一には糞掃衣・二には常乞食・三には一座食・四には常露座・五には塩及び五味を受けず〕等云云。仏は人の施す衣を受けさせたもう。提婆達多は糞掃衣。仏は人の施す食をうけ給う。提婆は只常乞食。仏は一日に一二三反も食せさせ給う。提婆は只一座食。仏は塚の間樹下にも処し給う。提婆は日中常露座なり。仏は便宜にはしお(塩)復は五味を服したもう。提婆はしお等を服せず。[p0935-0936]
こうありしかば世間提婆の仏にすぐれたる事雲泥なり。かくのごとくして仏を失いたたてまつらんとうかがいし程に、頻婆舎羅王は仏の檀那なり、日々に五百輛の車を数年が間一度もかかさずおくりて、仏並びに御弟子等を供養し奉る。これをそねみとらんがために、未生怨太子をかたらって父頻婆舎羅王を殺させ、我は仏を殺さんとして、或は石をもて仏を打ちたてまつるは身業なり。仏は誑惑の者と罵詈せしは口業なり。内心より宿世の怨とおもいしは意業なり。三業相応の大悪此れにはすぐべからず。此の提婆達多ほどの大悪人、三業相応して一中劫が間、釈迦仏を罵詈打擲し嫉妬し候わん大罪はいくらほどか重く候べきや。此の大地は厚さ十六万八千由旬なり。されば四大海の水をも、九山の土石をも、三千の草木をも、一切衆生をも頂戴して候えども、落ちもせず、かたぶかず、破れずして候ぞかし。しかれども提婆達多が身は既に五尺の人身なり。わずかに三逆罪に及びしかば大地破れて地獄に入りぬ。此の穴天竺にいまだ候。玄奘三蔵漢土より月支に修行して此れをみる。西域記と申す文に載せられたり。[p0936]
而るに法華経の末代の行者を心にもおもわず、色にもそねばず、只たわふれて(戯)のり(罵)て候が、上の提婆達多がごとく三業相応して一中劫、仏を罵詈し奉るにすぎて候ととかれて候。何に況んや悪世の人の提婆達多がごとく三業相応しての大悪心をもて、多年が間法華経の行者を罵詈・毀辱・嫉妬・打擲・讒死・歿死に当てんをや。[p0936-0937]
問て云く 末代の法華経の行者を怨める者は何なる地獄に堕ちるや。[p0937]
答て云く 法華経の第二に云く_見有読誦 書持経者 軽賎憎嫉 而懐結恨 乃至 其人命終 入阿鼻獄 具足一劫 劫尽更生 如是展転 至無数劫〔経を読誦し書持すること あらん者を見て 軽賎憎嫉して 結恨を懐かん 乃至 其の人命終して 阿鼻獄に入らん 一劫を具足して 劫尽きなば更生れん 是の如く展転して 無数劫に至らん〕等云云。此の大地の下五百由旬を過ぎて炎魔王宮あり。其の炎魔王宮より下一千五百由旬が間に、八大地獄竝びに一百三十六の地獄あり。其の中に一百二十八の地獄は軽罪の者の住処、八大地獄は重罪の者の住処なり。八大地獄の中に七大地獄は十悪の者の住処なり。第八の無間地獄は五逆と不孝と誹謗との三人の住処也。今法華経の末代の行者を戯論にも罵詈誹謗せん人々はおつべしと説き給える文なり。[p0937]
法華経の第四法師品に云く_有人求仏道 而於一劫中 乃至 歎美持経者 其福復過彼〔人あって仏道を求めて 一劫の中に於て 乃至 持経者を歎美せんは 其の福復彼れに過ぎん〕等云云。妙楽大師云く ̄若悩乱者頭破七分有供養者福過十号〔若し悩乱する者は頭七分に破れ、供養すること有らん者は福十号に過ぎん〕等云云。[p0937]
夫れ人中には転輪聖王第一也。此の輪王出現し給うべき前相として大海の中に優曇華と申す大木生いて華さき実なる。金輪王出現して四天の山海を平になす。大地は綿の如くやわらかに、大海は甘露の如くあまく、大山は金山、草木は七宝なり。此の輪王須臾の間に四天下をめぐる。されば天も守護し、鬼神も来たりてつかえ、龍王も時に随って雨をふらす。劣夫なんどもこれに従い奉れば須臾に四天下をめぐる。是れ偏に転輪王の十善の感得せる大果報なり。毘沙門天の主、第六天の魔王は欲界の頂に居して三界を領す。此れは上品の十善戒・無遮の大善の所感なり。[p0937-0938]
大梵天王は三界の天尊、色界の頂に居して魔王・帝釈をしたがえ、三千大千世界を手ににぎる。有漏の禅定を修行せる上に慈悲喜捨の四無量心を修行せる人也。[p0938]
声聞と申して舎利弗・迦葉等は二百五十戒・無漏の禅定の上に苦・空・無常・無我の観をこらし、三界の見思を断尽し、水火に自在なり。仏と出世をあらそう人なり。[p0938]
昔、猟師ありき。飢えたる世に利・{りた}と申す辟支仏にひえ(稗)の飯を一盃供養し奉りて、彼の猟師九十一劫が間、人中天上の長者と生まる。今生には阿那律と申す天眼第一の御弟子也。此れを妙楽大師釈して云く ̄稗飯雖軽以尽所有及田勝故得勝報〔稗飯軽しと雖も所有を尽くし及び田勝るるを以ての故に勝報を得る〕等云云。釈の心はひえの飯は軽しといえども貴き辟支仏を供養する故に、かかる大果報に度々生まるとこそかかれて候え。[p0938]
又菩薩と申すは文殊・弥勒等也。此の大菩薩等は彼の辟支仏に似るべからざる大人なり。仏は四十二品の無明と申す闇を破る妙覚の仏なり。八月十五夜の満月のごとし。此の菩薩等は四十一品の無明を尽くして等覚の山の頂にのぼり、十四夜の月のごとし。[p0939]
仏と申すは上の諸人には百千万億倍勝れさせ給える大人也。仏には必ず三十二相あり。其の相と申すは梵音声・無見頂相・肉髻相・白毫相・乃至千輻輪相等也。此の三十二相の中の一相をば百福を以て成じ給えり。百福と申すは、仮令大医ありて日本国・漢土・五天竺・十六の大国・五百の中国・十千の小国、乃至一閻浮提・四天下・六欲天・乃至三千大千世界の一切の衆生の眼の盲たるを、本の如く一時に開けたらんほどの大功徳を一つの福として、此の百福をかさねて候わんを以て三十二相の中の一相を成ぜり。されば此の一相の功徳は三千大千世界の草木の数よりも多く、四天下の雨の足よりもすぎたり。設い壊劫の時僧・陀{そうぎゃだ}と申す大風ありて、須弥山を吹き抜いて色究竟天にあげてかえて微塵となす大風なり。然れども仏の御身の一毛をば動かさず。仏の御胸に大火あり。平等大慧大智光明火坑三昧と云う。涅槃の時は此の大火を胸より出して一身を焼き給いしかば、六欲四海の天神・龍衆等、仏を惜しみ奉る故にあつまりて大雨を下し、三千の大地を水となし、須弥は流るといえども此の大火はきえず。 [p0940]仏にはかかる大徳ましますゆえに、阿闍世王は十六大国の悪人を集め、一四天下の外道をかたらい、提婆を師として、無量の悪人を放ちて、仏弟子をのり、うち、殺害せしのみならず、賢王にてとがなかりし父の大王を一尺の釘をもて七処までうちつけ、はつけ(磔)にし、生母をば王のかんざし(簪)をきり、刀を頭にあてし重罪のつも(積)りに悪瘡七処に出き。三七日を経て三月七日に大地破れて無間地獄に堕ちて一劫を経べかりしかども、仏の所に詣で悪瘡いゆるのみならず、無間地獄の大苦をまぬかれ、四十年の寿命延びたりき。又耆婆大臣も御つかいなりしかば炎の中に入って瞻婆長者が子を取り出したりき。[p0939-0940]
之を以て之を思うに一度も仏を供養し奉る人はいかなる悪人女人なりとも成仏得道疑い無し。提婆には三十相あり。二相かけたり。所謂白毫相と千輻輪と也。仏に二相劣りたりしかば弟子等軽く思いぬべしとて、蛍火をあつめて眉間につけて白毫と云い、千輻輪には鍛冶に菊形をつくらせて足に付けて行くほどに足焼けて大事になり、結句死せんとせしかば仏に申す。仏御手を以てなで給いしかば苦痛さりき。ここにて改悔あるべきかと思いしにさわなくして、瞿曇が習う医師はこざかしかりけり。又術にて有るなど云いしなり。かかる敵にも仏は怨をなし給わず。何に況んや仏を一度も信じ奉る者をば争でか捨て給うべきや。かかる仏なれば木像絵像にうつし奉るに、優填大王の木像は歩みをなし、摩騰の絵像は一切経を説き給う。[p0940-0941]
是れ程に貴き教主釈尊を一時二時ならず、一日二日ならず、一劫が間掌を合わせ両眼を仏の御顔にあて、頭を低れて他事を捨て、頭の火を消さんと欲するが如く、渇して水をおもい、飢えて食を思うがごとく、間無く供養し奉る功徳よりも、戯論に一言継母の継子をほむるが如く、心ざしなくとも末代の法華経の行者を讃め供養せん功徳は、彼の三業相応の信心にて、一劫が間生身の仏を供養し奉るには、百千万倍すぐべしと説き給いて候。これを妙楽大師は ̄福過十号とは書かれて候なり。十号と申すは仏の十の御名なり。十号を供養せんよりも、末代の法華経の行者を供養せん功徳は勝るとかかれたり。妙楽大師は法華経の一切経に勝れたる事を二十あつむる其の一也。[p0941]
已上、上の二つの法門は仏説にては候えども心えられぬ事也。争でか仏を供養し奉るよりも凡夫を供養するがまさるべきや。而れども此れを妄語といわんとすれば釈迦如来の金言を疑い、多宝仏の証明を軽しめ、十方諸仏の舌相をやぶるになりぬべし。若し爾らば現身に阿鼻地獄に堕つべし。巌石にのぼりてあら馬を走らするが如し。心肝しずかならず。又信ぜば妙覚の仏にもなりぬべし。如何してか今度法華経に信心をとるべき。信なくして此の経を行ぜんは手なくして宝山に入り、足なくして千里の道を企つるが如し。但し近き現証を引いて遠き信を取るべし。[p0941-0942]
仏の御歳八十の正月一日、法華経を説きおわらせ給いて御物語あり。阿難・弥勒・迦葉、我世に出し事は法華経を説かんがためなり。我既に本懐をとげぬ。今は世にありて詮なし。今三月ありて二月十五日に涅槃すべし云云。一切内外の人々疑いをなせしかども、仏語むなしからざれば、ついに二月十五日に御涅槃ありき。されば仏の金言は実なりけるかと少し信心はとられて候。又仏記し給う。我が滅度の後一百年と申さんに阿育大王と申す王出現して、一閻浮提三分の一分が主となりて、八万四千の塔を立て我が舎利を供養すべしと云云。人疑い申さんほどに案の如く出現して候き。是れよりしてこそ信心をばとりて候つれ。又云く 我が滅後に四百年と申さんに迦貳色迦王と申す大王あるべし。五百の羅漢を集めて婆沙論を造るべしと。是れ又仏記のごとくなりき。[p0942]
是れ等をもてこそ仏の記文は信ぜられて候え。若し上に挙げる所の二つの法門妄語ならば、此の一経は皆妄語なるべし。寿量品に我は過去五百塵点劫のそのかみの仏なりと説き給う。我等は凡夫なり。過ぎにし方は生まれてより已来すらなおおぼえず。況んや一生二生をや。況んや五百塵点劫の事をば争でか信ずべきや。又舎利弗等に記して云く_汝於未来世。過無量無辺。不可思議劫 乃至 当得作仏。号曰華光如来〔汝未来世に於て、無量無辺不可思議劫を過ぎて、乃至 当に作仏することを得べし。号を華光如来と曰わん〕云云。此れ等の経文は又未来の事なれば、我等凡夫は信ずべしともおぼえず。されば過去未来を知らざらん凡夫は此の経は信じがたし。又修行しても何の詮かあるべき。[p0942-0943]
是れを以て之を思うに、現在に眼前の証拠あらんずる人、此の経を説かん時は信ずる人もありやせん。今法蓮上人の送り給える諷誦の状に云く 相当慈父幽霊第十三年忌辰 奉転読一乗妙法蓮華経五部〔慈父幽霊第十三年の忌辰に相当たり一乗妙法蓮華経五部を転読し奉る〕等云云。[p0943]
夫れ教主釈尊をば大覚世尊と号したてまつる。世尊と申す尊の一字を高ともうす。高と申す一字は又孝と訓ずるなり。一切の孝養の人の中に第一の孝養の人なれば世尊とは号し奉る。釈迦如来の御身は金色にして三十二相を備え給う。彼の三十二相の中に無見頂相と申すは、仏は丈六の御身なれども、竹杖外道も其の身長をはからず、梵天も其の頂を見ず、故に無見頂相と申す。是れ孝養第一の大人なればかかる相を備えまします。[p0943]
孝経と申すに二あり。一には外典の孔子と申せし聖人の書に孝経あり。二には内典。今の法華経是れ也。内外異なれども其の意は是れ同じ。釈尊塵点劫の間修行して仏にならんとはげみしは何事ぞ。孝養の事也。然るに六道四生の一切衆生は皆父母也。孝養おえざりしかば仏にならせ給わず。今法華経と申すは一切衆生を仏になす秘術まします御経なり。所謂地獄の一人・餓鬼の一人乃至九界の一人を仏になせば、一切衆生皆仏になるべきことわり(理)顕る。譬えば竹の節を一つ破りぬれば余の節亦破るるが如し。囲碁と申すあそびにしちょう(四丁)と云う事あり。一つの石死ぬれば多くの石死ぬ。法華経も又此の如し。金と申すものは木草を失う用を備え、水は一切の火を消す徳あり。法華経も又一切衆生を仏になす用おわします。六道四生の衆生に男女あり。此の男女は皆我等が先生の父母なり。一人ももれ(漏)ば仏になるべからず。故に二乗をば不知恩の者と定めて永不成仏と説かせ給う。孝養の心あまねからざる故也。[p0943-0944]
仏は法華経をさとらせ給いて、六道四生の父母孝養の功徳を身に備え給えり。此の仏の功徳をば法華経を信ずる人にゆずり給う。例せば悲母の食う物の乳となりて赤子を養うが如し。_今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子〔今此の三界は 皆是れ我が有なり 其の中の衆生は 悉く是れ吾が子なり〕等云云。教主釈尊は此の功徳を法華経の文字となして一切衆生の口になめさせ給う。赤子の水火をわきまえず、毒薬を知らざれども、乳を含めば身命をつぐが如し。[p0944]
阿含経を習う事は舎利弗等の如くならざれども、華厳経をさとる事解脱月等の如くならざれども、乃至一代聖教を胸に浮かべたる事文殊の如くならざれども、一字一句をも之を聞きし人、仏にならざることはなし。彼の五千の上慢は聞きてさとらず、不信の人也。然れども謗ぜざりしかば三月を経て仏になりにき。_若信若不信則生不動国〔若しは信、若しは不信、則ち不動の国を生ず〕と涅槃経に説かるるは此の人の事也。法華経は不信の者すら謗ぜざれば聞きつるが不思議にて仏になるなり。所謂七歩蛇に食まれたる人、一歩乃至七歩をすぎず。毒の用の不思議にて八歩をすごさぬなり。又胎内の子の七日の如し。必ず七日の内に転じて余の形となる。八日をすごさず。[p0944-0945]
今の法蓮上人も又此の如し。教主釈尊の御功徳御身に入りかわらせ給いぬ。法蓮上人の御身は過去聖霊の御容貌を残しおかれたるなり。たとえば種の苗となり、華の菓となるが如し。其の華は落ちて菓はあり、種はかくれて苗は現に見ゆ。法蓮上人の御功徳は過去聖霊の御財なり。松さなうれば柏よろこぶ。芝かるれば蘭なく。情なき草木すら此の如し。何に況んや情あらんをや。又父子の契りをや。[p0945]
彼の諷誦に云く 従慈父閉眼之朝至于第十三年之忌辰於釈迦如来之御前自自奉読誦我偈一巻回向聖霊〔慈父閉眼之朝より第十三年之忌辰に至るまで釈迦如来之御前に於いて自ら自我偈一巻を読誦し奉りて聖霊に回向す〕等云云。[p0945]
当時日本国の人、仏法を信じたるようには見えて候えども、古いまだ仏法のわたらざりし時は、仏と申す事も法と申す事も知らず候しを、守屋と上宮太子と合戦の後、信ずる人もあり、又信ぜざるもあり。漢土も此の如し。摩騰、漢土に入って後、道士と諍論あり。道士まけしかば始めて信ずる人もありしかども、不信の人多し。[p0945-0946]
されば烏龍と申せし能書は手跡の上手なりしかば人之を用う。然れども仏教に於いてはいかなる依怙ありしかども書かず。最後臨終の時、子息の遺龍を召して云く 汝我が家に生まれて芸能をつぐ。我が孝養には仏教を書くべからず。殊に法華経を書く事なかれ。我が本師の老子は天尊なり。天に二日なし。而るに彼の経に_唯我一人と説く。きくわい(奇怪)第一なり。若し遺言を違えて書く程ならば、忽ちに悪霊となりて命を断つべしと云いて、舌八つにさけて、頭七分に破れ、五根より血を吐いて死し畢んぬ。されども其の子善悪を弁えざれば、我が父の謗法のゆえに悪相現じて阿鼻地獄に堕ちたりともしらず。遺言にまかせて仏教を書く事なし。況んや口に誦する事あらんをや。[p0946]
かく過ぎ行く程に、時の王を司馬氏と号し奉る。御仏事のありしに、書写の経あるべしとて、漢土第一の能書を尋ねらるるに遺龍に定まりぬ。召して仰せ付けらるるに再三辞退申せしかば、力及ばずして他筆にて一部の経を書かせられけるが、帝王心よからず。尚お遺龍を召して仰せに云く 汝親の遺言とて不書朕経事其雖無謂且免之〔朕が経を書かざる事、其の謂われ無しと雖も且く之を免ず〕。但題目計りは書くべしと三度勅定あり。遺龍猶お辞退申す。大王龍顔心よからずして云く 天地尚お王の進退也。然らば汝が親は即ち我が家人にあらずや。私をもて公事を軽んずる事あるべからず。題目計りは書くべし。若し然らずんば仏事の庭なりといえども速やかに汝が頭を刎べしとありければ、題目計り書けり。所謂妙法蓮華経巻第一乃至巻第八等云云。[p0946-0947]
其の暮れに私宅に帰りて歎いて云く 我父の遺言を背き、王勅術なき故に、仏経を書きて不孝の者となりぬ。天神も地祇も定めて瞋り、不孝者のとおぼすらんとて寝る。[p0947]
夜の夢の中に大光明出現せり。朝日の照らすかと思えば天人一人庭上に立ち給えり。又無量の眷属あり。此の天人の頂上の虚空に仏、六十四仏まします。遺龍合掌して問て云く 如何なる天人ぞや。答て云く 我は是れ汝が父の烏龍なり。仏法を謗ぜし故に舌八つにさけ、五根より血を出し、頭七分に破れて無間地獄に堕ちぬ。彼の臨終の大苦をこそ堪忍すべしともおぼえざりしに、無間の苦は尚お百千億倍なり。人間にして鈍刀をもて爪をはなち、鋸をもて首をきられ、炭火の上を歩ばせ、棘にこめられなんどせし人の苦を、此の苦にたとえばかずならず。如何してか我が子に告げんと思いしかどもかなわず。臨終の時、汝を誡めて仏経を書くことなかれと遺言せし事のくやしさ申すばかりなし。後悔先にたたず、我が身を恨み舌をせめしかどもかいなかりしに、昨日の朝より法華経の始めの妙の一字、無間地獄のかなえ(鼎)の上に飛び来たりて変じて金色の釈迦仏となる。此の仏三十二相を具し面貌満月の如し。大音声を出して説いて云く 仮使遍法界 断善諸衆生 一聞法華経 決定成菩提云云。此の文字の中より大雨降りて無間地獄の炎をけす。[p0948]閻魔王は冠をかたぶけて敬い、極卒は杖をすてて立てり。一切の罪人はいかなる事ぞとあわてたり。又法の一字来れり。前の如し。又蓮、又華、又経此の如し。六十四字来って六十四仏となりぬ。無間地獄に仏六十四体ましませば、日月の六十四、天に出たるがごとし。天より甘露をくだして罪人に与う。抑そも此の大善は何なる事ぞと、罪人等仏に問い奉りしかば、六十四の仏の答に云く 我等が金色の身は栴檀宝山よりも出現せず。是れは無間地獄にある遺龍が書ける法華経八巻の題目の八八六十四の文字なり。彼の遺龍が手は烏龍が生める処の身分也。書ける文字は烏龍が書くにてあるなりと説き給いしかば、無間地獄の罪人等は我等も娑婆にありし時は、子もあり婦もあり眷属もありき。いかにとぶらわぬやらん。又訪えども善根の用の弱くして来たらぬやらんと歎けども歎けども甲斐なし。或は一日二日、一年二年、半劫一劫になりぬるに、かかる善知識に値い奉りて助けられぬるとて、我等も眷属となりて・利天にのぼるか。先ず汝をおがまんとて来るなりとかたりしかば、夢の中にうれしさ身にあまりぬ。別れて後又いつの世にか見んと思いし親のすがたをも見奉り、仏をも拝し奉りぬ。六十四仏の物語に云く 我等は別の主なし。汝は我等が檀那なり。今日よりは汝を親と守護すべし。[p0949]汝おこたる事なかれ。一期の後は必ず都率の内院へ導くべしと御約束ありしかば、遺龍ことに畏みて誓って云く 今日以後不可書外典文字〔外典の文字を書くべからず〕等云云。彼の世親菩薩が小乗経を誦せじと誓い、日蓮が弥陀念仏を申さじと願せしがごとし。[p0947-0949]
さて夢さめて此の由を王に申す。大王の勅宣に云く 此の仏事已に成じぬ。此の由を願文に書き奉れとありしかば勅宣の如し。さてこそ漢土日本国は法華経にはならせ給いけれ。此の状は漢土の法華伝記に候。是れは書写の功徳なり。五種法師の中には書写は最下の功徳なり。何に況んや読誦なんど申すは無量無辺の功徳なり。今の施主十三年の間、毎朝読誦せらるる自我偈の功徳は_唯仏与仏。乃能究尽〔唯仏と仏と乃し能く究尽したまえり〕なるべし。[p0949]
夫れ法華経は一代聖教の骨髄なり。自我偈は二十八品のたましいなり。三世の諸仏は寿量品を命とし、十方の菩薩も自我偈を眼目とす。自我偈の功徳をば私に申すべからず。次下に分別功徳品に載せられたり。此の自我偈を聴聞して仏になりたる人々の数をあげて候には、小千・大千・三千世界の微塵の数をこそあげて候え。其の上薬王品已下の六品得道のもの自我偈の余残なり。涅槃経四十巻の中に集まりて候し五十二類にも、自我偈の功徳をこそ仏は重ねて説かせ給いしか。されば初め寂滅道場に十方世界微塵数の菩薩天人等雲の如くに集まりて候し、大集・大品の諸聖も、大日金剛頂経等の千二百余尊も、過去に法華経の自我偈を聴聞してありし人々、心力よわくして三五の塵点を経しかども、今度釈迦仏に値い奉りて法華経の功徳すすむ故に霊山をまたずして、爾前の経々を縁として得道なると見えたり。されば十方世界の諸仏は自我偈を師として仏にならせ給う。世界の人の父母の如し。今法華経寿量品を持つ人は諸仏の命を続く人也。我が得道なりし経を持つ人を捨て給う仏あるべしや。若し此れを捨て給わば仏還って我が身を捨て給うなるべし。これを以て思うに、田村利仁なんどの様なる兵を三千人生みたらん女人あるべし。此の女人を敵とせん人は此の三千人の将軍をかたきにうくるにあらずや。法華経の自我偈を持つ人を敵とせんは三世の諸仏を敵とするになるべし。[p0949-0950]
今の法華経の文字は皆生身の仏なり。我等は肉眼なれば文字と見る也。たとえば餓鬼は恒河を火と見る、人は水と見、天人は甘露と見る。水は一なれども果報にしたがて見るところ各々別也。此の法華経の文字は盲目の者は之を見ず。肉眼は黒色と見る。二乗は虚空と見、菩薩は種々の色と見、仏種純熟せる人は仏と見奉る。されば経文に云く_若有能持 則持仏身〔若し能く持つことあるは 則ち仏身を持つなり〕等云云。天台云く ̄一帙八軸四七品 六万九千三百八十四 一一文文是真仏 真仏説法利衆生等と書かれて候。[p0950]
之を以て之を案ずるに、法蓮法師は毎朝口より金色の文字を出現す。此の文字の数は五百十字也。一々の文字変じて日輪となり、日輪変じて釈迦如来となり、大光明を放ちて大地をつきとおし、三悪道無間大城を照らし、乃至東西南北、上方に向かっては非想非非想へものぼり、いかなる処にも過去聖霊のおわすらん処まで尋ね行き給いて、彼の聖霊に語り給うらん。我をば誰とか思し食す。我は是れ汝が子息法蓮が毎朝誦する所の法華経の自我偈の文字なり。此の文字は汝が眼とならん、耳とならん、足とならん、手とならんとこそ、ねんごろに語らせ給うらめ。其の時過去聖霊は我が子息法蓮は子にはあらず善知識なりとて、娑婆世界に向かっておがませ給うらん。是れこそ実の孝養にては候なれ。[p0950-0951]
抑そも法華経を持つと申すは経は一なれども持つ事は時に随って色々なるべし。或は身肉をさいて師に供養して仏になる時もあり。又身を牀として師に供養し、又身を薪となし、又此の経のために杖木をかおり、又精進し、又持戒し、上の如くすれども仏にならぬ時もあり。時に依て不定なるべし。されば天台大師は ̄適時而已と書かれ、章安大師は ̄取捨得宜不可一向〔取捨宜しきを得て一向にすべからず〕等云云。[p0951]
問て云く 何なる時か身肉を供養し、何なる時か持戒なるべき。[p0951]
答て云く 智者と申すは此の如き時を知りて法華経を弘通するが第一の秘事なり。たとえば渇者は水こそ用事なれ。弓箭兵杖はよしなし。裸なる者は衣を求む。水は用なし。一をもて万を察すべし。大鬼神ありて法華経を弘通せば身を布施すべし。余の衣食は詮なし。悪王あて法華経を失わば身命をほろぼすとも随うべからず。持戒精進の大僧等法華経を弘通するようにて而も失うならば是れを知って責むべし。法華経に云く_我不愛身命 但惜無上道〔我身命を愛せず 但無上道を惜む〕云云。涅槃経に云く_寧喪身命 終不匿王所説言教〔寧ろ身命を喪うとも終に王の所説の言教を匿さざるがごとし〕等云云。章安大師の云く ̄寧喪身命不匿教者 身軽法重死身弘法〔寧喪身命不匿教とは身は軽く法は重し。身を死して法を弘む〕等云云。[p0951-0952]
然るに今日蓮は外見の如くば日本第一の僻人也。我が朝六十六箇国・二の島の百千万億の四衆万人に怨まる。仏法日本国に渡って七百余年、いまだ是れ程に法華経の故に諸人に悪まれたる者なし。月氏・漢土にもありともきこえず。又あるべしともおぼえず。されば一閻浮提第一の僻人ぞかし。かかる者なれば、上には一朝の威を恐れ、下には万民の嘲りを顧みて親類もとぶらわず、外人は申すに及ばず。出世の恩のみならず、世間の恩を蒙りし人も、諸人の眼を恐れて口をふさがんためにや、心には思わねどもそしるよしをなす。数度事にあい、両度御勘気を蒙りしかば、我が身の失に当たるのみならず、行通〈ゆきかう〉人々の中にも、或は御勘気、或は所領をめされ、或は御内を出され、或は父母兄弟に捨てらる。されば付きし人も捨てはてぬ。今又付く人もなし。[p0952]
殊に今度の御勘気には死罪に及ぶべきが、いかが思われけん佐渡の国につかわされしかば、彼の国へ趣く者は死は多く、生は希なり。からくして行きつきたりしかば、殺害謀反の者よりも猶お重く思われたり。鎌倉を出しより日々に強敵かさなるが如し。ありとある人は念仏の持者也。野を行き山を行くにも、そば(岨)ひら(坦)の草木の風に随ってそよめく声も、かたきの我を責むるかとおぼゆ。ようやく国にも付きぬ。北国の習いなれば冬は殊に風はげしく、雪ふかし。衣薄く、食ともし。根を移されし橘の自然とからたちとなりけるも、身の上につみしられたり。栖におばな(尾花)かるかや(苅萱)おいしげれる野中の御三昧ばらに、おちやぶれたる草堂の上は、雨もり壁は風もたまらぬ傍りに、昼夜耳に聞く者はまくらにさゆる風の音、朝暮に眼に遮る者は、遠近の路を埋む雪也。現身に餓鬼道を経、寒地獄に堕ちぬ。彼の蘇武が十九年之間胡国に留められて雪を食し、李陵が巌窟に入って六年蓑をきてすごしけるも我が身の上なりき。今適たま御勘気ゆりたれども、鎌倉中にも且くも身をやどし、迹をとどむべき処なければ、かかる山中の石のはざま、松の下に身を隠し心を静むれども、大地を食とし、草木を著ざらんより外は、食もなく衣も絶えぬる処に、いかなる御心ねにてかくかきわけ(掻分)て御訪いのあるやらん。知らず、過去の我が父母の御神の御身に入りかわらせ給うか。又知らず、大覚世尊の御めぐみにやあるやん。涙おさえがたく候え。[p0953-0954]
問て云く 抑そも正嘉の大地震・文永の大彗星を見て、自他の叛逆我が朝に法華経を失う故としらせ給うゆえ、如何。[p0954]
答て云く 此の二の天災地夭は外典三千余巻にも載せられず。三墳・五典・史記等に記する処の大長星・大地震は或は一尺・二尺・一丈・二丈・五丈・六丈也。今だ一天には見えず。地震も又是の如し。内典を以て之を勘えるに仏御入滅已後はかかる大瑞出来せず。月氏には弗沙密多羅王の五天の仏法を亡ぼし十六大国の寺塔を焼き払い、僧尼の頭をはねし時もかかる瑞はなし。漢土には会昌天子の寺院四千六百余所をとどめ、僧尼二十六万五百人を還俗せさせし時も出現せず。我が朝には欽明の御宇に仏法渡って守屋仏法に敵せしにも、清盛法師七大寺を焼失、山僧等園城寺を焼亡せしにも、出現せざる大彗星也。当に知るべし、是れより大事なる事の一閻浮提の内に出現すべきなりと勘えて、立正安国論を造りて最明寺入道殿に奉る。彼の状に云く[取詮] 此の大瑞は他国より此の国をほろぼすべき先兆也。禅宗・念仏宗等が法華経を失う故也。彼の法師原が頚をきりて鎌倉ゆい(由比)の浜にすてずば国当に亡ぶべし。其の後文永の大彗星の時は又手ににぎりて之を知る。去る文永八年九月十二日の御勘気の時、重ねて申して云く 予は日本国の棟梁なり。我を失うは国を失うなるべしと。 [p0955]今は用いまじけれども後のためにとて出しにき。又去年の四月八日に平左衛門尉に対面の時、蒙古国は何比かよし候べきと問うに、答て云く 経文は日月をささず、但し天眼のいかり頻りなり、今年をばすぐべからずと申したりき。是れ等は如何として知るべしと人疑うべし。予、不詳の身なれども、法華経を弘通する行者を王臣人民怨む之間、法華経の座にて守護せんと誓いをなせる地神いかりをなして身をふるい、天神身より光を出して此の国をおどす。いかに諌むれども用いざれば、結句は人の身に入って自界叛逆せしめ、他国より責むべし。[p0954-0955]
問て云く 此の事何なる証拠あるや。[p0955]
答う 経に云く_由愛敬悪人治罰善人故星宿及風雨皆不以時行〔悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に、星宿及び風雨皆時を以って行われず〕等云云。夫れ天地は国の明鏡也。今此の国に天災地夭あり。知るべし、国主に失ありと云う事を。鏡にいかべたれば之を諍うべからず。国主小禍のある時は天鏡に小災見ゆ。今の大災は当に知るべし、大禍ありと云う事を。仁王経には小難は無量なり、中難は二十九、大難は七とあり。此の経をば一には仁王と名け、二には天地鏡と名く。此の国土を天地鏡に移して見るに明白也。又此の経文に云く_聖人去時七難必起〔聖人去らん時は七難必ず起こらん〕等云云。当に知るべし、此の国に大聖人有りと。又知るべし、彼の聖人を国主信ぜずと云う事を。[p0955]
問て云く 先代に仏寺を失いし時は何ぞ此の瑞なきや。[p0955]
答て云く 瑞は失の軽重によりて大小あり。此の度の瑞は怪しむべし。一度二度にあらず、一返二返にあらず、年月をふるままに弥いよ盛ん也。之を以て之を察すべし、先代の失よりも過ぎたる国主の失あり。国主の身にて万民を殺し、又万臣を殺し、又父母を殺す失よりも聖人を怨む事彼に過ぐる事を。今日本国の王臣竝びに万民には、月氏・漢土総じて一閻浮提に仏滅後二千二百二十余年之間、いまだなき大科、人ごとにあるなり。譬えば十方世界の五逆の者を一処に集めたるが如し。此の国の一切の僧は皆提婆・瞿伽利が魂を移し、国主は阿闍世王・波瑠璃王の化身也。一切の臣民は雨行大臣・月称大臣・刹陀耆利等の悪人をあつめて日本国の民となせり。古は二人三人逆罪不孝の者ありしかばこそ、其の人の在所は大地も破れて入りぬれ。今は此の国に充満せる故に日本国の大地一時にわれ、無間に堕ち入らざらん外は一人二人の住所の堕つべきようなり。例せば老人の一二の白毛をば抜けども、老耄の時は皆白毛なれば何を分けて抜き捨つべき。只一度に剃り捨つる如く也。[p0955-0956]
問て云く 汝が義の如きは我法華経の行者なるを用いざるが故に天変地夭等ありと。法華経第八に云く_頭破作七分〔頭破れて七分に作ること〕。第五に云く_若人悪罵 口則閉塞〔若し人悪み罵らば 口則ち閉塞せん〕等云云。如何ぞ数年が間罵とも怨むとも其の義なきや。[p0956]
答う 反詰して云く 不軽菩薩を毀・{きし}し罵詈し打擲せし人は口閉じ、頭破るありけるか、如何。[p0956]
問う 然者経文に相違する事如何。[p0956]
答う 法華経を怨む人に二人あり。一人は先生に善根ありて、今生に縁を求めて菩提心を発して、仏になるべき者は或は口閉じ、或は頭破る。一人は先生に謗人也。今生にも謗じ、生生に無間地獄の業を成就せる者あり。是れはのれども_口則閉塞せず。譬えば獄に入って死罪に定まる者は、獄の中にて何なる僻事あれども、死罪を行うまでにて別の失なし。ゆり(免)ぬべき者は獄中にて僻事あればこれをいましむるが如し。[p0956-0957]
問て云く 此の事第一の大事也。委細に承るべし。[p0957]
答て云く 涅槃経に云く 法華経に云く 云云。[p0957]
日 蓮 花押[p0957]
遺文二巻
#0178-000 一谷入道御書 建治元年(1275.05・08) [p0989]
去る弘長元年[太歳辛酉]五月十三日に御勘気をかをりて、伊豆の国伊東の郷というところに流罪せられたりき。兵衛の介頼朝のながされてありしところなり。さりしかどもほどもなく同じき三年[太歳癸亥]二月に召し返されぬ。[p0989]
又文永八年[太歳辛未]九月十二日重ねて御勘気を蒙りしが、忽ちに頚を刎らるべきにてありけるが、子細ありけるかの故にしばらくのびて、北国佐渡の嶋を知行する武蔵の前司預かりて、其の内の者どもの沙汰として彼の嶋に行き付きてありしが、彼の島の者ども因果の理をも弁へぬあらゑびすなれば、あらくあたりし事は申す計りなし。然れども一分も恨む心なし。其の故は日本国の主として少しも道理を知りぬべき相模殿だにも、国をたすけんと云ふ者を子細も聞きほどかず、理不尽に死罪にあてがう事なれば、いわうやそのすへ(末)の人々のことはよきもたのまれず、あしきもにくまず。此の法門を申し始めしより命をば法華経に奉り、名をば十方世界の諸仏の浄土にながすべしと思ひ儲けし也。[p0989-0990]
弘演といゐし者は主、衛の懿公の肝を取りて我が腹を割いて納めて死にき。豫譲といゐし者は主の智伯がはぢをすゝがんがために剣をのみて死せしぞかし。此はたゞわづかの世間の恩をほうぜんがためぞかし。いわうや無量劫より已来六道に沈淪して仏にならざることは、法華経の御ために身ををしみ命をすてざるゆへぞかし。されば喜見菩薩と申せし菩薩は、千二百歳が間身をやきて日月浄明徳仏を供養し、七万二千歳が間ひぢをやきて法華経を供養し奉る。其の人は今の薬王菩薩ぞかし。不軽菩薩は法華経の御ために多劫が間、罵詈毀辱杖木瓦礫にせめられき。今の釈迦仏に有らずや。[p0990]
されば仏になる道は時によりてしなじなにかわりて行ずべきにや。今の世には法華経はさる事にておはすれども、時によて事ことなるならひなれば、山林にまじわりて読誦すとも、将た又里に住して演説すとも、持戒にて行ずとも、臂をやひてくやうすとも、仏にはなるべからず。[p0990]
日本国は仏法盛んなるやうなれども仏法について不思議あり。人是れを知らず。譬へば虫の火に入り鳥の蛇の口に入るが如し。真言師・華厳宗・法相・三論・禅宗・浄土宗・律宗等の人々は我も法をえたり、我も生死をはなれなんとはをもへども、立てはじめし本師等依経の心をわきまへず、但我が心のをもひつきてありしまゝにその経をとりたてんとをもうはかなき心ばかりにて、法華経にそむけば仏意に叶はざる事をばしらずしてひろめゆくほどに、国主万民これを信じぬ。又他国へわたりぬ。又年もひさしくなりぬ。末々の学者等は本師のあやまりをばしらずして、師のごとくひろめならう人ゝを智者とはをもへり。源とにごりぬればながれきよからず、身まがればかげなをからず。真言の元祖善無畏等はすでに地獄に堕ちぬべかりしが、或は懺悔して地獄を脱れたる者もあり、或は只依経計りひろめて法華経の讃歎をもせざれば、生死は離れねども悪道に堕ちざる人もあり。而るを末々の者此の事を知らずして諸人一同に信をなしぬ。譬へば破れたる船に乗りて大海に浮かび、酒に酔へる者の火の中に臥せるが如し。[p0990-0991]
日蓮是れを見し故に忽ちに菩提心を発して此の事を申し始めし也。世間の人々いかに申すとも信ずることはあるべからず。かへりて死罪流罪となるべしとはかねて知りてありしかども、今の日本国は法華経をそむき釈迦仏をすつるゆへに、後生に阿鼻大城に堕つることはさてをきぬ。今生に必ず大難に値ふべし。所謂他国よりせめきたりて上一人より下万民に至るまで一同の歎きあるべし。譬へば千人の兄弟が一人の親を殺したらんに、此の罪を千に分けては受くべからず。一々に皆無間大城に堕ちて同じく一劫を経べし。此の国も又々是の如し。[p0991-0992]
娑婆世界は五百塵点劫より已来教主釈尊の御所領也。大地・虚空・山海・草木一分も他仏の有ならず。又一切衆生は釈尊の御子也。譬へば成劫の始め一人の梵王下りて六道の衆生をば生みて候ぞかし。梵王の一切衆生の親たるが如く、釈迦仏も又一切衆生の親也。又此の国の一切衆生のためには教主釈尊は明師にておはするぞかし。父母を知るも師の恩也。黒白を弁ふも釈尊の恩也。[p0992]
而るを天魔の身に入りて候善導・法然なんどが申すに付きて、国土に阿弥陀堂を造り或は一郡・一郷・一村等に阿弥陀堂を造り、或は百生万民の宅ごとに阿弥陀堂を造り、或は宅々人々ごとに阿弥陀仏を書き造り、或は人ごとに口々に或は高声に唱へ、或は一万遍或は六万遍なんど唱ふるに、少しも智慧ある者は、いよいよこれをすゝむ。譬へば火にかれたる草をくわへ、水に風を合わせたるに似たり。此の国の人々は一人もなく教主釈尊の御弟子御民ぞかし。[p0992]
而るに阿弥陀等の他仏を一仏もつくらず、かかず、念仏も申さずある者は悪人なれども、釈迦仏を捨て奉る色は未だ顕れず。一向に阿弥陀仏を念ずる人々は既に釈迦仏を捨て奉る色顕然也。彼の人々の墓なき念仏を申す者は悪人にてあるぞかし。父母にもあらず主君師匠にてもおはせぬ仏をばいとをしき妻の様にもてなし、現に国主・父母・明師たる釈迦仏を捨て、乳母の如くなる法華経をば口にも誦し奉らず、是れ豈に不孝の者にあらずや。[p0992-0993]
此の不孝の人々、一人二人百人千人ならず、一国二国ならず、上一人より下万民にいたるまで、日本国皆こぞて一人もなく三逆罪のものなり。されば日月色を変じて此れをにらみ、大地もいかりてをどりあがり、大彗星天にはびこり、大火国に充満すれども僻事ありともおもはず。我等は念仏ににまなし。其の上念仏堂を造り、阿弥陀仏を持ち奉るなんど自讃する也。[p0993]
是れは賢き様にて墓なし。譬へば若き夫妻等が夫は女を愛し、女は夫をいとおしむ程に、父母のゆくへをしらず。父母は衣薄けれども我はねや熱し。父母は食せざれども我は腹に飽きぬ。是れは第一の不孝なれども彼等は失ともしらず。況んや母に背く妻、父にさからへる夫、逆重罪にあらずや。阿弥陀仏は十万億のあなたに有りて、此の娑婆世界には一分も縁なし。なにと云ふとも故もなき也。馬に牛を合わせ犬に猿をかたらひたるが如し。[p0993]
但日蓮一人計り此の事を知りぬ。命を惜しみて云はずば国恩を報ぜぬ上、教主釈尊の御敵となるべし。是れを恐れずして有りのまゝに申すならば死罪となるべし。設ひ死罪はまぬかるとも流罪は疑ひなかるべしとは兼ねて知りてありしかども、仏恩重きが故に人をはばからず申しぬ。[p0993-0994]
案にたがはず両度まで流されて候ひし中に、文永九年の夏の比、佐渡の国石田の郷一谷と云ひし処に有りしに、預りたる名主等は公と云ひ、私と云ひ、父母の敵よりも宿世の敵よりも悪げにありしに、宿の入道といゐ、めといゐ、つかうものと云ひ、始めはおぢをそれしかども先世の事にやありけん、内々不便と思ふ心付きぬ。預りよりあづかる食は少なし。付ける弟子は多くありしに、僅かの飯の二口三口ありしを、或はおしきに分け、或は手に入れて食ひしに、宅主内々心あて、外にはをそるる様なれども内には不便げにありし事、何の世にかわすれん。我を生きておはせし父母よりも、当時は大事とこそ思ひしか。何なる恩をもはげむべし。まして約束せし事たがうべしや。[p0994]
然れども入道の心は後世を深く思ひてある者なれば、久しく念仏を申しつもりぬ。其の上阿弥陀堂を造り田畠も其の仏の物也。地頭も又おそろしなんど思ひて直ちに法華経にはならず。是れは彼の身には第一の道理ぞかし。然れども又無間大城は疑ひなし。設ひ是れより法華経を遣はしたりとも、世間もをそろしければ念仏すつべからずなんど思はば、火に水を合わせたるが如し。謗法の大水、法華経を信ずる小火をけさん事疑ひなかるべし。入道地獄に堕ちるならば還りて日蓮が失になるべし。如何んがせん、如何んがせんと思ひわづらひて、今まで法華経を渡し奉らず。渡し進せんが為にまうけまいらせて有りつる法華経をば、鎌倉の焼亡に取り失ひ参らせて候由申す。旁入道の法華経の縁はなかりけり。約束申しける我が心も不思議也。又我とはすゝまざりしを、鎌倉の尼の還りの用途に歎きし故に、口入有りし事なげかし。本銭に利分を添えて返さんとすれば、又弟子が云く 御約束違ひなんど申す。旁進退極まりて候へども、人の思はん様は狂惑の様なるべし。力及ばずして法華経を一部十巻渡し奉る。[p0994-0995]
入道よりもうば(祖母)にてありし者は内々心よせなりしかば、是れを持ち給へ。日蓮が申す事は愚かなる者の申す事なれば用ひず。されども去る文永十一年[太歳甲戌]十月に蒙古国より筑紫によせて有りしに、対馬の者かためて有りしに、宗の・馬の尉逃げければ、百姓等は男をば或は殺し、或は生け取りにし、女をば或は取集めて手をとをして船に結い付け、或は生け取りにす。一人も助かる者なし。壹岐によせても又是の如し。船おしよせて有りけるには、奉行入道豊前の前司は逃げて落ちぬ。松浦が党は数百人打たれ、或は生け取りにせられしかば、寄せたりける浦々の百姓ども壹岐・対馬の如し。又今度は如何が有るらん。彼の国の百千万億の兵、日本国を引き回らして寄せて有るならば如何に成るべきぞ。北の手は先づ佐渡の島に付きて、地頭・守護をば須臾に打ち殺し、百姓等は北山へにげん程に、或は殺され、或は生け取られ、或は山にして死しぬべし。[p0995-0996]
抑そも是れ程の事は如何として起るべきぞと推すべし。前に申しつるが如く、此の国の者は一人もなく三逆罪の者也。是れは梵王・帝釈・日月・四天の、彼の蒙古国の大王の身に入らせ給ひて責め給ふ也。日蓮は愚かなれども釈迦仏の御使・法華経の行者となのり候を、用ひざらんだにも不思議なるべし。其の失に依て国破れなんとす。況んや或は国々を追ひ、或は引はり、或は打擲し、或は流罪し、或は弟子を殺し、或は所領を取る。現の父母の使いをかくせん人々よかるべしや。日蓮は日本国の人々の父母ぞかし、主君ぞかし、明師ぞかし。是れを背かん事よ。[p0996]
念仏を申さん人々は無間地獄に堕ちん事決定なるべし。たのもしたのもし。抑そも蒙古国より責めん時は如何がせさせ給ふべき。此の法華経をいただき、頚にかけさせ給ひて北山へ昇らせ給ふとも、年比念仏者を養ひ念仏をもうして、釈迦仏・法華経の御敵とならせ給ひて有りし事は久しし。又若し命ともなるならば法華経ばし恨みさせ給ふなよ。又閻魔王宮にしては何とか仰せあるべき。をこがましき事とはおぼすとも、其の時は日蓮が檀那也とこそ仰せあらんずらめ。又是れはさてをきぬ。[p0996]
此の法華経をば学乗房に常に開かせ給ふべし。人如何に云ふとも、念仏者・真言師・持斉なんどにばし開かせ給ふべからず。又日蓮が弟子となのるとも、日蓮が判を持たざらん者をば御用ひあるべからず。恐恐謹言。[p0996-0997]
五月八日 日 蓮 花押[p0997]
一谷入道女房
#0179-000 さじき女房御返事 建治元年(1275.05・25) [p0997]
女人は水のごとし、うつわ物にしたがう。女人は矢のごとし、弓につがはさる。女人はふねのごとし、かぢ(楫)のまかするによるべし。しかるに女人はをとこ(夫)ぬす人なれば、女人ぬす人となる。をとこ王なれば、女人きさきとなる。をとこ善人なれば、女人仏になる。今生のみならず、後生もをとこによるなり。しかるに兵衛のさゑもんどの(左衛門殿)は法華経の行者なり。たとひいかなる事ありとも、をとこのめ(妻)なれば、法華経の女人とこそ、仏はしろしめされて候らんに、又我とこゝろををこ(発)して、法華経の御ために御かたびらをくりたびて候。[p0997]
法華経の行者に二人あり。聖人は皮をはいで文字をうつす。凡夫はただひとつきて候かたびらなどを、法華経の行者に供養すれば、皮をはぐうちに仏をさめさせ給ふなり。此の人のかたびらは法華経の六万九千三百八十四の文字の仏にまいらせさせ給ひぬれば、六万九千三百八十四のかたびら也。又六万九千三百八十四の仏、一々六万九千三百八十四の文字なれば、此のかたいらも又かくのごとし。たとへばはるの野の千里ばかりにくさのみちて候はんに、すこしきの豆ばかりの火をくさひとつにはなちたれば、一字に無量無辺の火となる。このかたびらも又かくのごとし。一のかたびらなれども法華経の一切の文字の仏にたてまつるべし。此の功徳は父母・祖父母乃至無辺の衆生にもをよぼしてん。まして我がいとをしとをもふをとこごは申すに及ばずと、おぼしめすべし。恐恐謹言。[p0997-0998]
五月二十五日 日 蓮 花押[p0998]
さじき女房御返事[p0998]
#0180-000 妙一尼御前御消息 建治元年(1275.05) [p0999]
妙一尼御前御返事[p0999]
夫れ天に月なく日なくば、草木いかでか生ずべき。人に父母あり、一人もかけば子息等そだちがたし。其の上、過去の聖霊は或は病子あり。或は女子あり。とどめをく母もかいがいしからず。たれにいゐあつけてか、冥途にをもむき給ひけん。[p0999]
大覚世尊、御涅槃の時なげいてのたまはく、我涅槃すべし。但心にかゝる事は阿闍世王耳。迦葉童子菩薩、仏に申さく、仏は平等の慈悲なり。一切衆生のためにいのちを惜しみ給ふべし。いかにかきわけて、阿闍世王一人とをほせあるやらん、と問ひまいらせしかば、其の御返事に云く_譬如七子。一人而有七子 是七子中一子遇病。父母之心非不平等 然於病子心則偏重〔譬えば一人にして七子あり。是の七子の中に一子病に遇へり。父母の心、平等ならざるには非ず。然れども病子に於て、心則ち偏に重きが如し〕等云云。天台、摩訶止観に此の経文を釈して云く ̄譬如七子。父母非不平等然於病者心則偏重〔譬えば七子あり。父母、平等ならざるに非ざれども、然も病者に於て心則ち偏に重きが如し〕等云云とこそ仏は答へさせ給ひしか。[p0999]
文の心は、人にはあまたの子あれども、父母の心は病する子にありとなり。仏の御ためには一切衆生は皆子なり。其の中罪ふかくして世間の父母を殺し、仏経のかたきとなる者は病子のごとし。[p0999]
しかるに阿闍世王は摩竭提国の主なり。我が大檀那たりし頻婆舎羅王をころし、我がてきとなりしかば、天もすてて日月に変いで、地も頂かじとふるひ、万民みな仏法にそむき、他国より摩竭提国をせむ。此れ等は偏に悪人提婆達多を師とせるゆへなり。結句は今日より悪瘡身に出でて、三月の七日無間地獄に堕つべし。これがかなしければ、我涅槃せんこと心にかゝるというなり。我阿闍世王をすくひなば、一切の罪に阿闍世王のごとしとなげかせ給ひき。[p0999-1000]
しかるに聖霊は或は病子あり。或は女子あり。われすてて冥途にゆきなば、かれたる朽ち木のやうなるとしより尼が一人とどまりて、此の子どもをいかに心ぐるしかるらんとなげかれぬらんとおぼゆ。かの心のかたがたには、又日蓮が事、心にかゝらせ給ひけん。仏語むなしからざれば、法華経ひろまらせ給ふべし。それについては、此の御房はいかなる事もありて、いみじくならせ給ふべしと、おぼしつらんに、いうかいなくながし失せしかば、いかにやいかにや法華経・十羅刹はとこそをもはれけんに、いままでだにも、ながらえ給ひたりしかば、日蓮がゆりた候ひし時、いかに悦ばせ給はん。又いゐし事むなしからずして、大蒙古国もよせて、国土もあやをしげになりて候へば、いかに悦び給はん。是れは凡夫の心なり。[p1000]
法華経を信ずる人は冬のごとし。冬は必ず春となる。いまだ昔よりきかず、みず、冬の秋とかへれる事を。いまだきかず、法華経を信ずる人の凡夫となる事を。経文には_若有聞法者 無一不成仏〔若し法を聞くことあらん者は 一りとして成仏せずということなけん〕ととかれて候。故聖霊は法華経に命をすててをはしき。わづかの身命をさゝえしところを、法華経のゆへにめされしは命をすつるにあらずあ。彼の雪山童子の半偈のために身をすて、薬王菩薩の臂をやき給ひしは、彼は聖人なり、火に水を入るるがごとし。此れは凡夫なり、紙を火に入るるがごとし。[p1000-1001]
此れをもつて案ずるに、聖霊は此の功徳あり。大月輪の中か、大日輪の中か、天鏡をもつて妻子の身を浮かべて、十二時に御らんあるらん。設ひ妻子は凡夫なれば此れをみずきかず。譬へば耳しゐたる者の雷の声をきかず、目つぶれたる者の日輪を見ざるがごとし。御疑ひあるべからず。定めて御まほりとならせ給ふらん。[p1001]
其の上さこそ御わたりあるらめ。力あらばとひまいらせんとをもうところに、衣を一つ給でう、存外の次第なり。法華経はいみじき御経にておはすれば、もし今生にいきある身ともなり候なば、尼ごぜんの生きてもをわしませ。もしは草のかげにても御らんあれ。をさなききんだち(公達)等をば、かへりみたてまつるべし。[p1001]
さどの国と申し、これと申し、下人一人つけられて候は、いつの世にかわすれ候べき。此の恩はかへりてつかへ(仕)たてまつり候べし。南無妙法蓮華経。[p1001]
南無妙法蓮華経。恐恐謹言。[p1002]
五月 日 日 蓮 花押[p1002]
妙一尼御前
#0181-001 撰時抄 建治元年(1275.06) [p1003]
釈子 日蓮 述[p1003]
夫れ仏法を学せん法は必ず先づ時をならうべし。過去の大通智勝仏は出世し給ひて十小劫が間一経も説き給はず。経に云く_一坐十小劫〔一び坐して十小劫〕。又云く_仏知時未至 受請黙然坐〔仏時未だ至らずと知しめして 請を受けて黙然として坐したまえり〕等云云。今の教主釈尊は四十余年之程、法華経を説き給はず。経に云く_説時未至故〔説時未だ至らざるが故なり〕と云云。老子は母の胎に処して八十年。弥勒菩薩は兜率の内院に篭もらせ給ひて五十六億七千万歳をまち給うべし。彼の・鳥〈ほととぎす〉は春ををくり、鶏鳥は暁をまつ。畜生すらなをかくのごとし。何に況んや、仏法を修行せんに時を糾さざるべしや。[p1003]
寂滅道場の砌には十方の諸仏示現し、一切の大菩薩集会し給ひ、梵帝・四天は衣をひるがへし、龍神八部は掌を合わせ、凡夫大根性の者は耳をそばだて、生身得忍の諸菩薩解脱月等請をなし給ひしかども、世尊は二乗作仏・久遠実成をば名字をかくし、即身成仏・一念三千の肝心其の義を宣べ給はず。此等は偏にこれ機は有りしかども時の来らざればのべさせ給はず。経に云く_説時未至故等云云。[p1003]
霊山会上の砌には閻浮提第一の不孝の人たりし阿闍世大王座につらなり、一代謗法の提婆達多には天王如来と名をさづけ、五障の龍女は蛇身をあらためずして仏になる。決定性の成仏は・種の花さき果なり、久遠実成は百歳の叟二十五の子となれるかとうたがふ。一念三千は九界即仏界、仏界即九界と談ず。されば此の経の一字は如意宝珠なり。一句は諸仏の種子となる。此れ等は機の熟不熟はさてをきぬ、時の至れるゆへなり。経に云く_今正是其時 決定説大乗〔今正しく是れ其の時なり 決定して大乗を説く〕等云云。[p1003-1004]
問て云く 機にあらざるに大法を授けられば、愚人は定めて誹謗をなして悪道に堕ちるならば豈に説く者の罪にあらずや。[p1004]
答て云く 人路をつくる。路に迷ふ者あり。作る者の罪となるべしや。良医薬を病人にあたう。病人嫌ひて服せずして死せば、良医の失となるか。[p1004]
尋ねて云く 法華経の第二に云く_無智人中 莫説此経〔無智の人の中にして 此の経を説くことなかれ〕。同じき第四に云く_不可分布。妄授与人〔分布して妄りに人に授与すべからず〕。同じき第五に云く_此法華経。諸仏如来。秘密之蔵。於諸経中。最在其上。長夜守護。不妄宣説〔此の法華経は諸仏如来の秘密の蔵なり。諸経の中に於て最も其の上にあり。長夜に守護して妄りに宣説せざるを〕等云云。此れ等の経文は機にあらずば説かざれというかいかん。[p1004]
今反詰して云く 不軽品に云く_而作是言。我深敬汝等〔是の言を作さく、我深く汝等を敬ふ〕等云云。_四衆之中。有生瞋恚。心不浄者。悪口罵詈言。是無知比丘〔四衆の中に瞋恚を生じて心不浄なるあり、悪口罵詈して言く 是の無知の比丘〕。又云く_衆人或以。杖木瓦石。而打擲之〔衆人或は杖木・瓦石を以て之を打擲すれば〕等云云。勧持品に云く_有諸無智人 悪口罵詈等 及加刀杖者〔諸の無智の人 悪口罵詈等し 及び刀杖を加うる者あらん〕云云。此れ等の経文は悪口罵詈乃至打擲すれどもとかれて候は、説く人の失となりけるか。[p1004]
求て云く 此の両説は水火なり。いかんが心うべき。[p1004]
答て云く。天台云く ̄適時而已〔時に適ふのみ〕。章安云く ̄取捨得宜不可一向〔取捨宜しきを得て一向にすべからず〕等云云。釈の心は、或時は謗じぬべきにはしばらくとかず、或時は謗ずとも強ひて説くべし、或時は一機は信ずべくとも万機謗ずべくばとくべからず、或時は万機一同に謗ずとも強ひて説くべし。初成道の時は法慧・功徳林・金剛幢・金剛蔵・文殊・普賢・弥勒・解脱月等の大菩薩、梵帝・四天等の凡夫大根性の者かずをしらず。鹿野苑の苑には倶・等の五人、迦葉等の二百五十人、舎利弗等の二百五十人、八万の諸天、方等大会の儀式には世尊の慈父の浄飯大王ねんごろに恋せさせ給ひしかば、仏宮に入らせ給ひて観仏三昧経をとかせ給ひ、悲母の御ために・利天に九十日が間篭もらせ給ひしには摩耶経をとかせ給ふ。慈父悲母なんどにはいかなる秘法か惜しませ給ふべき。なれども法華経をば説かせ給はず。せんずるところは機にはよらず、時いたらざればいかにもとかせ給はぬにや。[p1004-1005]
問て云く 何なる時にか小乗権経をとき、何なる時にか法華経を説くべきや。[p1005]
答て云く 十信の菩薩より等覚の大士にいたるまで、時と機とをば相知りがたき事なり。何に況んや我等は凡夫なり。いかでか時機をしるべき。[p1005]
求て云く すこしも知る事あるべからざるか。[p1005]
答て云く 仏眼をかつて時機をかんがえよ、仏日を用て国をてらせ。[p1005]
問て云く 其の心如何。[p1005]
答て云く 大集経に大覚世尊、月蔵菩薩に対して未来の時を定め給えり。所謂我が滅度の後の五百歳の中には解脱堅固、次の五百年には禅定堅固[已上一千年]、次の五百年には読誦多聞堅固、次の五百年には多造塔寺堅固[已上二千年]、次の五百年には於我法中闘諍言訟白法隠没〔我が法の中に於て闘諍言訟して白法隠没せん〕等云云。此の五の五百歳、二千五百余年に人々の料簡さまざまなり。[p1005-1006]
漢土の道綽禅師が云く 正像二千、四箇の五百歳には小乗と大乗との白法盛んなるべし。末法に入ては彼等の白法皆な消滅して、浄土の法門念仏の白法を修行せん人計り生死をはなるべし。[p1006]
日本国の法然が料簡して云く 今日本国に流布する法華経・華厳経并大日経・諸の小乗経、天台・真言・律等の諸宗は大集経の記文の正像二千年の白法なり。末法に入ては彼等の白法は皆滅尽すべし。設ひ行ずる人ありとも一人も生死をはなるべからず。十住・婆沙論と曇鸞法師の難行道、道綽の未有一人得者、善導の千中無一これなり。彼等の白法隠没の次には浄土三部経・弥陀称名の一行計り大白法として出現すべし。此れを行ぜん人々はいかなる悪人愚人なりとも、十即十生・百即百生、唯有浄土一門可通入路〔ただ浄土の一門のみありて通入すべき路なり〕これなり。されば後世を願はん人々は叡山・東寺・薗城・七大寺等の日本一州の諸寺諸山の御帰依をとどめて、彼の寺山によせ(寄)をける田畠郡郷をうばいと(取)て念仏堂につけば決定往生南無阿弥陀仏とすゝめければ、我が朝一同に其の義になりて今に五十余年なり。[p1006]
日蓮此れ等の悪義を難じやぶる事は事ふり候ぬ。彼の大集経の白法隠没の時は第五の五百歳当世なる事は疑ひなし。但し彼の白法隠没の次には法華経の肝心たる南無妙法蓮華経の大白法の、一閻浮提の内八万の国あり、其の国々に八万の王あり、王々ごとに臣下竝びに万民までも、今日本国に弥陀称名を四衆の口々に唱ふるがごとく広宣流布せさせ給ふべきなり。[p1006-1007]
問て云く 其の証文如何。[p1007]
答て云く 法華経の第七に云く_我滅度後。後五百歳中。広宣流布。於閻浮提。無令断絶〔我が滅度の後後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶して〕等云云。経文は大集経の白法隠没の次の時を説かせ給ふに、広宣流布と云云。[p1007]
同第六の巻に云く_悪世末法時 能持是経者〔悪世末法の時 能く是の経を持たん者は〕等云云。又第五の巻に云く_於後末世。法欲滅時〔後の末世の時に 此の経を持たん者は〕等。又第四の巻に云く_而此経者。如来現在。猶多怨嫉。況滅度後〔而も此の経は如来の現在すら猶お怨嫉多し、況んや滅度の後をや〕。又第五の巻に云く_一切世間。多怨難信〔一切世間に怨多くして信じ難く〕。又第七の巻に第五の五百歳闘諍堅固の時を説いて云く_悪魔魔民。諸天龍。夜叉。鳩槃荼等。得其便也〔悪魔・魔民・諸天・龍・夜叉・鳩槃荼等に其の便を得せしむることなかれ〕等云云。大集経に云く_於我法中闘諍言訟白法隠没〔我が法の中に於て闘諍言訟して白法隠没せん〕等云云。法華経の第五に云く_悪世中比丘〔悪世の中の比丘〕。又云く 或有阿蘭若〔或は阿蘭若に有り〕等云云。又云く_悪鬼入其身〔悪鬼其の身に入る〕等云云。[p1007]
文の心は第五の五百歳の時、悪鬼の身に入る大僧等国中に充満せん。其の時に智人一人出現せん。彼の悪鬼の入る大僧等、時の王臣・万民等を語て、悪口罵詈、杖木瓦礫、流罪死罪に行なはん時、釈迦・多宝・十方の諸仏、地涌の大菩薩らに仰せつけば、梵帝・日月・四天等に申し下され、其の時天変地夭盛んなるべし。国主等其のいさめを用ひずば・国にをほせつけて、彼々の国々の悪王悪比丘等をせめらるるならば、前代未聞の大闘諍一閻浮提に起るべし。其の時日月所照の四天下の一切衆生、或は国ををしみ、或は身ををしむゆへに、一切の仏菩薩にいのり(祈)をかくともしるし(験)なくば、彼のにくみ(憎)つる一の小僧を信じて、無量の大僧等・八万の大王等・一切の万民、皆頭を地につけ掌を合わせて一同に南無妙法蓮華経ととなうべし。例せば神力品の十神力の時、十方世界の一切衆生一人もなく、娑婆世界に向て大音声をはなちて、南無釈迦牟尼仏、南無釈迦牟尼仏、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、と一同にさけびしがごとし。[p1007-1008]
問て云く 経文は分明に候。天台・妙楽・伝教等の未来記の言はありや。[p1008]
答て云く 汝が不審逆なり。釈を引かん時こそ経論はいかにとは不審せられたれ。経文に分明ならば釈を尋ぬべからず。さて釈の文、経に相違せば経をすてて釈につくべきか如何。[p1008]
彼云く 道理至極せり。しかれども凡夫の習ひ経は遠し釈は近し。近き釈分明ならば、いますこし信心をますべし。[p1008]
今云く 汝が不審ねんごろなれば少々釈をいだすべし。天台大師云く ̄後五百歳遠沾妙道〔後の五百歳遠く妙道に沾はん〕。妙楽大師云く ̄末法之初冥利不無〔末法の初め冥利無きにあらず〕。伝教大師云く ̄正像稍過已末法太有近。法華一乗機今正是其時。何以得知。安楽行品云 末世法滅時也〔正像やや過ぎ已て、末法はなはだ近きに有り。法華一乗の機今正しく是其の時なり。何を以て知ることを得る。安楽行品に云く 末世法滅の時なり〕。又云く ̄語代則像終末初 尋地唐東羯西 原人則五濁之生闘諍之時。経云 猶多怨嫉況滅度後。此言良有以也〔代を語れば則ち像の終り末の初め、地を尋ぬれば唐の東羯の西、人を原ぬれば則ち五濁の生闘諍の時なり。経に云く 猶怨嫉多し況や滅度の後をや。此の言良にゆえ有るなり〕等云云。[p1008-1009]
夫れ釈尊の出世は住劫第九の減、人寿百歳之時也。百歳と十歳との中間在世五十年滅後二千年と一万年となり。其の中間に法華経の流布の時二度あるべし。所謂在世の八年、滅後には末法の始めの五百年なり。而るに天台・妙楽・伝教等はすゝ(進)では在世法華経の時にももれさせ給ひぬ。退ひては滅後末法の時にも生まれさせ給はず。中間なる事をなげかせ給ひて末法の始めをこひ(恋)させ給ふ御筆なり。例せば阿私陀仙人が悉達太子の生まれさせ給ひしを見て悲しんで云く 現生には九十にあまれり。太子の成道を見るべからず、後生には無色界に生まれて五十年の説法の坐にもつらなるべからず、正像末にも生まるべからず、となげきしがごとし。道心あらん人々は此れを見きゝて悦ばせ給へ。正像二千年の大王よりも、後世ををもはん人々は、末法の今の民にてこそあるべけれ。此れを信ぜざらんや。彼の天台の座主よりも南無妙法蓮華経と唱ふる痴人とはなるべし。梁の武帝の願に云く 寧ろ提婆達多となて無間地獄には沈むとも、欝頭羅弗とはならじと云云。[p1009]
問て云く 龍樹・天親等の論師の中に此の義ありや。[p1009]
答て云く 龍樹・天親等は内心には存ぜさせ給ふとはいえども言には此の義を宣べ給はず。[p1009]
求て云く いかなる故にか宣べ給わざるや。[p1009]
答て云く 多くの故あり。一には彼の時には機なし、二には時なし、三には迹化なれば付嘱せられ給はず。[p1009-1010]
求て云く 願はくは此の事よくよくきかんとをもう。[p1010]
答て云く 夫れ仏の滅後二月十六日よりは正法の始めなり。迦葉尊者仏の付嘱をうけて二十年、次に阿難尊者二十年、次に商那和修二十年、次に優婆崛多二十年、次に提多迦二十年、已上一百年が間は但小乗経の法門をのみ弘通して、諸大乗経は名字もなし。何に況んや法華経をひろむべしや。次には弥遮迦・仏陀難提・仏駄密多・脇比丘・富那奢等の四五人、前の五百余年が間は大乗経の法門少々出来せしかども、とりたてゝ弘通し給はず、但小乗経を面としてやみぬ。已上大集経の先五百年、解脱堅固の時なり。[p1010]
正法の後六百年已後一千年が前、其の中間に馬鳴菩薩・・羅尊者・龍樹菩薩・提婆菩薩・羅・尊者・僧・難提・僧伽耶奢・鳩摩羅駄・闍夜那・盤陀・摩奴羅・鶴勒夜那・師子等の十余人の人々、始めには外道の家に入り、次には小乗経をきわめ、後には諸大乗経をもて諸小乗経をさんざんに破し失ひ給ひき。此れ等の大士等は諸大乗経をもつて諸小乗経をば破せさせ給ひしかども、諸大乗経と法華経の勝劣をば分明にかゝせ給はず。設ひ勝劣すこしかゝせ給ひたるやうなれども、本迹の十妙・二乗作仏・久遠実成・已今当の妙・百界千如・一念三千の肝要の法門は分明ならず。但或は指をもつて月をさすがごとくし、或は文にあたりてひとはし(一端)計りかゝせ給ひて、化道の始終・師弟遠近・得道の有無はすべて一分もみへず。此れ等は正法の後の五百年、大集経の禅定堅固の時にあたれり。[p1010-1011]
正法一千年の後は月氏に仏法充満せしかども、或は小をもて大を破し、或は権経をもつて実経を隠没し、仏法さまざまに乱れしかば得道の人やうやくすくなく、仏法につけて悪道に堕ちる者かずをしらず。[p1011]
正法一千年の後、像法に入て一十五年と申せしに、仏法東に流れて漢土に入りにき。像法の前五百年の内、始めの一百余年が間は漢土の道士と月氏の仏法と諍論していまだ事さだまらず。設ひ定まりたりしかども仏法を信ずる人の心いまだふかからず。而るに仏法の中に大小・権実・顕密をわかつならば、聖教一同ならざる故、疑ひをこりて、かへりて外典とともな(伴)う者もありぬべし。これらのをそれあるかのゆへに摩騰・竺蘭は自らは知て而も大小を分けず、権実をいはずしてやみぬ。[p1011]
其の後、魏・晋・宋・斉・梁の五代が間、仏法の内に大小・権実・顕密をあらそひし程に、いづれこそ道理ともきこえずして、上み一人より下も万民にいたるまで不審すくなからず。南三北七と申して仏法十流にわかれぬ。所謂南には三時・四時・五時、北には五時・半満・四宗・五宗・六宗・二宗の大乗・一音等、各々義を立て辺執水火なり。しかれども大綱は一同なり。所謂一代聖教の中には華厳経第一、涅槃経第二、法華経第三なり。法華経は阿含・般若・浄名・思益等の経々に対すれば真実なり、了義経・正見なり。しかりといえども涅槃経に対すれば無常教・不了義経、邪見の経等云云。漢より四百余年の末へ五百年に入て、陳隋二代に智・と申す小僧あり。後には天台智者大師と号したてまつる。南北の邪義をやぶりて一代聖教の中には法華経第一、涅槃経第二、華厳経は第三なり等云云。此れ像法の前五百歳、大集経の読誦多聞堅固の時にあひあたれり。[p1011-1012]
像法の後五百歳は唐の始め太宗皇帝の御宇に玄奘三蔵月支に入て十九年が間、百三十ヶ国の寺塔を見聞して多くの論師に値ひたてまつりて、八万聖教十二部経の淵底を習ひきわめしに、其の中に二宗あり。所謂法相宗・三論宗なり。此の二宗の中に法相大乗は遠くは弥勒・無著、近くは戒賢論師に伝へて、漢土にかへりて太宗皇帝にさづけさせ給ふ。此の宗の心は、仏教は機に随ふべし。一乗の機のためには三乗方便一乗真実なり。所謂法華経等なり。三乗の機のためには三乗真実一乗方便。所謂深密経・勝鬘経等此れなり。天台智者等は此の旨を弁へず等云云。[p1012]
而も太宗は賢王なり。当時名を一天にひびかすのみならず、三皇にもこえ五帝にも勝れたるよし四海にひびき、漢土を手ににぎるのみならず、高昌・高麗等の一千八百余国をなびかし、内外を極めたる王ときこえし賢王の第一の御帰依の僧なり。天台宗の学者の中にも頚をさしいだす人一人もなし。而れば法華経の実義すでに一国に隠没しぬ。同じき太宗の太子高宗、高宗の継母則天皇后の御宇に法蔵法師といふ者あり。法相宗に天台宗のをそわる(襲)るところを見て、前に天台の御時せめられし華厳経を取り出だして、一代の中には華厳第一、法華第二、涅槃第三と立てけり。[p1012-1013]
太宗第四代玄宗皇帝の御宇、開元四年と同八年に、西天印度より善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵、大日経・金剛頂経・蘇悉地経を持て渡り真言宗を立つ。此の宗の立義に云く 教に二種あり。一には釈迦の顕教、所謂華厳・法華等。二には大日の密教、所謂大日経等なり。法華経は顕教の第一なり。此の経は大日の密教に対すれば極理は少し同じけれども、事相の印契と真言とはたえてみへず。三密相応せざれば不了義経等云云。[p1013]
已上法相・華厳・真言の三宗一同に天台法華宗をやぶれども、天台大師程の智人法華宗の中になかりけるかの間、内々はゆはれなき由は存じけれども、天台のごとく公場にして論ぜられざりければ、上国王大臣、下一切の人民にいたるまで、皆仏法に迷ひて衆生の得道みなとどまりけり。此れ等は像法の後の五百年の前二百余年が内なり。[p1013]
像法に入て四百余年と申しけるに、百済国より一切経竝びに教主釈尊の木像僧尼等日本国にわたる。漢土の梁の末、陳の始めにあひあたる。日本には神武天王よりは第三十代、欽明天王の御宇なり。欽明の御子、用命の太子に上宮王子仏法を弘通し給ふのみならず、竝びに法華経・浄名経・勝鬘経を鎮護国家の法と定めさせ給ひぬ。[p1013-1014]
其の後人王第三十七代に孝徳天王の御宇に三論宗・成実宗を観勒僧正百済国よりわたす。同御代に道昭法師漢土より法相宗・倶舎宗をわたす。人王第四十四代元正天王の御宇に天竺より大日経をわたして有りしかども、而も弘通せずして漢土へかへる。此の僧をば善無畏三蔵という。人王第四十五代に聖武天皇の御宇に審祥大徳、新羅国より華厳宗をわたして、良弁僧正・聖武天王にさづけたてまつりて、東大寺の大仏を立てさせ給えり。同じき御代に大唐の鑒真和尚、天台宗と律宗をわたす。其の中に律宗をば弘通し、小乗の戒場を東大寺に建立せしかども、法華宗のことをば名字をも申し出ださせ給はずして入滅し了んぬ。[p1014]
其の後人王第五十代、像法八百年に相当て桓武天王の御宇に、最澄と申す小僧出来せり。後には伝教大師と号したてまつる。始めには三論・法相・華厳・倶舎・成実・律の六宗竝びに禅宗等を行表僧正等に習学せさせ給ひし程に、我と立て給える国昌寺、後には比叡山と号す、此にして六宗の本経本論と宗々の人師の釈とを引き合わせて御らむありしかば、彼の宗々の人師の釈、所依の経論に相違せる事多き上、僻見多々にして信受せん人皆悪道に堕ちぬべしとかんがへさせ給ふ。其の上法華経の実義は宗々の人々、我も得たり、我も得たりと自讃ありしかども其の義なし。此れを申すならば喧嘩出来すべし。もだ(黙)して申さずは仏誓にそむきなんと、をもひはずらわせ給ひしかども、終に仏の誡めををそれて桓武皇帝に給ひしかば、帝此の事ををどろかせ給ひて六宗の碩学に召し合わさせ給ふ。彼の学者等始めは慢幢山のごとし、悪心毒蛇のやうなりしかども、終に王の前にしてせめをとされ、六宗七寺一同に御弟子となりぬ。例せば漢土の南北の諸師、陳殿にして天台大師にせめをとされて御弟子となりしがごとし。此は是、円定円慧計りなり。[p1014-1015]
其の上天台大師のいまだせめ給はざりし小乗の別受戒をせめをとし、六宗の八大徳に梵網経の大乗別受戒をさづけ給ふのみならず、法華経の円頓の別受戒を叡山に建立せしかば、延暦円頓の別受戒は日本第一たるのみならず、仏滅後一千八百余年が間、身毒・尸那・一閻浮提にいまだなかりし霊山の大戒日本国に始まる。されば伝教大師は其の功を論ずれば龍樹・天親にもこえ、天台・妙楽にも勝れてをはします聖人なり。[p1015]
されば日本国の当世の東寺・薗城・七大寺・諸国の八宗・浄土・禅宗・律宗等の諸僧等、誰人か伝教大師の円戒をそむくべき。かの漢土の九国の諸僧等は円定円慧は天台の弟子ににたれども、円頓一同の戒場は漢土になければ、戒にをいては弟子とならぬ者もありけん。この日本国は伝教大師の御弟子にあらざる者は外道なり悪人なり。而れども漢土・日本の天台宗と真言の勝劣は大師心中には存知せさせ給ひけれども、六宗と天台宗とのごとく公場にして勝負なかりけるかのゆへにや、伝教大師已後には東寺・七寺・園城の諸寺、日本一州一同に、真言宗は天台宗に勝れたりと上一人より下万民にいたるまでおぼしめしをもえり。しかれば天台法華宗は伝教大師の御時計りにぞありける。此の伝教の御時は像法の末、大集経の多造塔寺堅固の時なり。いまだ於我法中闘諍言訟白法隠没の時にはあたらず。[p1015-1016]
今末法に入て二百余歳、大集経の於我法中闘諍言訟白法隠没の時にあたれり。仏語まことならば定んで一閻浮提に闘諍起るべき時節なり。伝へ聞く、漢土は三百六十箇国二百六十余州はすでに蒙古国に打ちやぶられぬ。花洛すでにやぶられて、徽宗・欽宗の両帝北蕃にいけどりにせられて、韃靼にして終にかくれさせ給ひぬ。徽宗の孫、高宗皇帝は長安をせめをとされて、田舎の臨安行在府に落ちさせ給ひて、今に数年が間京をみず。高麗六百余国も新羅・百済等の諸国等も皆々大蒙古国の皇帝にせめられぬ。今の日本国の壱岐・対馬竝びに九国のごとし。闘諍言訟の仏語地に堕ちず。あたかもこれ大海のしをの時をたがへざるがごとし。[p1016-1017]
是をもつて案ずるに、大集経の白法隠没の時に次いで、法華経の大白法日本国竝びに一閻浮提に広宣流布せん事も疑ふべからざるか。彼の大集経は仏説の中の権大乗ぞかし。生死をはなるゝ道には、法華経の結縁なき者のためには未顕真実なれども、六道・四生・三世の事を記し給ひけるは寸分もたがわざりけるにや。何に況んや法華経は釈尊は要当説真実となのらせ給ひ、多宝仏は真実なりと御判をそへ、十方の諸仏は広長舌を梵天につけて誠諦と指し示し、釈尊は重ねて無虚妄の舌を色究竟に付けさせ給ひて、後五百歳に一切の仏法の滅せん時、上行菩薩に妙法蓮華経の五字をもたしめて謗法一闡提の白癩病の輩の良薬とせんと、梵帝・日月・四天・龍神等に仰せつけられし金言虚妄なるべしや。大地は反覆すとも、高山は頽落すとも、春の後に夏は来らずとも、日は東へかへるとも、月は地に落ちるとも此の事は一定なるべし。[p1017]
此の事一定ならば、闘諍堅固の時、日本国の王臣と竝びに万民等が、仏の御使として南無妙法蓮華経と流布せんとするを、或は罵詈し、或は悪口し、或は流罪し、或は打擲し、弟子眷属等を種々の難にあわする人々いかでか安穏にては候べき。これをば愚痴の者は呪詛すとをもひぬべし。法華経をひろむる者は日本の一切衆生の父母なり。章安大師云く ̄為彼除悪即是彼親〔彼が為に悪を除くは即ち是彼が親なり〕等云云。されば日蓮は当帝の父母、念仏者・禅衆・真言師等が師範なり、又主君なり。[p1017-1018]
而るを上一人より下万民にいたるまであだをなすをば日月いかでか彼等が頂を照らし給ふべき。地神いかでか彼等の足を載せ給ふべき。提婆達多は仏を打ちたてまつりしかば、大地揺動して火炎いでにき。檀弥羅王は師子尊者の頭を切りしかば、右の手刀とともに落ちぬ。徽宗皇帝は法道が面にかなやき(火印)をやきて江南にながせしかば、半年が内にゑびすの手にかゝり給ひき。蒙古のせめも又かくのごとくなるべし。設ひ五天のつわものをあつめて、鉄圍山を城とせりともかなうべからず。必ず日本国の一切の衆生兵難に値ふべし。されば日蓮が法華経の行者にてあるなきかはこれにて見るべし。教主釈尊記して云く 末代悪世に法華経を弘通するものを罵詈せん人は、我を一劫が間あだせん者の罪にも百千万億倍すぎたるべしととかせ給へり。而るを今の日本国の国主万民等雅(我)意にまかせて、父母宿世の敵よりもいたくにくみ、謀反殺害の者よりもつよくせめぬるは、現身にも大地われて入り、天雷も身をかさざるは不審なり。日蓮が法華経の行者にてあらざるか。もししからばをゝきになげかし。今生には万人にせめられて片時もやすからず、後生には悪道に堕ちん事あさましとも申すばかりなし。[p1018-1019]
又日蓮法華経の行者ならずば、いかなる者の一乗の持者にてはあるべきぞ。法然が法華経をなげすてよ、善導が千中無一、道綽が未有一人得者と申すが法華経の行者にて候べきか。又弘法大師の云く 法華経を行ずるは戯論なりとかゝれたるが法華経の行者なるべきか。経文には能持是経、能説此経なんどこそとかれて候へ。よくとくと申すはいかなるぞと申すに、_於諸経中。最在其上〔諸経の中に於て最も其の上にあり〕と申して大日経・華厳経・涅槃経・般若経等に法華経はすぐれて候なりと申す者をこそ、経文には法華経の行者とはとかれて候へ。もし経文のごとくならば日本国に仏法わたて七百余年、伝教大師と日蓮とが外は一人も法華経の行者はなきぞかし。いかにいかにとをもうところに、頭破作七分 口則閉塞のなかりけるは道理にて候けるなり。此れ等は浅き罰なり。但一人二人等のことなり。日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり。此れをそしり此れをあだむ人を結構せん人は閻浮第一の大難にあうべし。これは日本国をふりゆるがす正嘉の大地震、一天を罰する文永の大彗星等なり。此れ等をみよ。仏滅後の後、仏法を行ずる者にあだをなすといえども、今のごとくの大難は一度もなきなり。南無妙法蓮華経と一切衆生にすゝめたる人一人もなし。此の徳はたれか一天に眼を合わせ、四海に肩をならぶべきや。[p1019-1020]
疑て云く 設ひ正法の時は仏の在世に対すれば根機劣なりとも、像末に対すれば最上の上機なり。いかでか正法の始めに法華経をば用ひざるべき。随つて馬鳴・龍樹・提婆・無著等も正法一千年の内にこそ出現せさせ給へ。天親菩薩は千部の論師、法華論を造りて諸経の中第一の義を存す。真諦三蔵の相伝に云く 月支に法華経を弘通せる家五十余家、天親は其の一也と。已上正法なり。像法に入ては天台大師像法の半ばに漢土に出現して玄と文と止との三十巻を造りて法華経の淵底を極めたり。像法の末に伝教大師日本に出現して天台大師の円慧円定の二法を我朝に弘通せしむるのみならず、円頓の大戒場を叡山に建立して日本一州皆同じく円戒の地になして、上一人より下万民まで延暦寺を師範と仰がせ給ふは、豈に像法の時法華経の広宣流布にあらずや。[p1020]
答て云く 如来の教法は必ず機に随ふという事は世間の学者の存知なり。しかれども仏教はしからず。上根上智の人のために必ず大法を説くならば、初成道の時なんぞ法華経をとかせ給はざる。正法の先五百余年に大乗経を弘通すべし。有縁の人に大法を説かせ給ふならば、浄飯大王・摩耶夫人に観仏三昧経・摩耶経をとくべからず。無縁の悪人謗法の者に秘法をあたえずば、覚徳比丘は無量の破戒の者に涅槃経をさづくべからず。不軽菩薩は誹謗の四衆に向ていかに法華経をば流通せさせ給ひしぞ。されば機に随て法を説くと申すは大なる僻見なり。[p1020-1021]
問て云く 龍樹・天親等は法華経の実義をば宣べ給はずや。[p1021]
答て云く 宣べ給はず。[p1021]
問て云く 何なる教をかのべ給ひし。[p1021]
答て云く 華厳・方等・般若・大日経等の権大乗顕密の諸経をのべさせ給ひて、法華経の法門をば宣べさせ給はず。[p1021]
問て云く 何にをもつてこれをしるや。[p1021]
答て云く 龍樹菩薩の所造の論三十万偈。而れども尽くして漢土・日本にわたらざれば其の心しりがたしといえども、漢土にわたれる十住・婆沙論・中論・大論等をもつて天竺の論をも比知して此れを知るなり。[p1021]
疑て云く 天竺に残る論の中にわたれる論よりも勝れたる論やあるらん。[p1021]
答て云く 龍樹菩薩の事は私に申すべからず。仏記し給ふ、我が滅後に龍樹菩薩と申す南天竺に出づべし。彼の人の所詮は中論という論に有るべしと仏記し給ふ。随て龍樹菩薩の流れ、天竺に七十家あり。七十人ともに大論師なり。彼の七十家の人々は皆中論を本とす。中論四巻二十七品の肝心は因縁所生法の四句の偈なり。此の四句の偈は華厳・般若等の四教三諦の法門なり。いまだ法華開会の三諦をば宣べ給はず。[p1021]
疑て云く 汝がごとくに料簡せる人ありや。[p1021]
答て云く 天台大師云く ̄莫以中論相比〔中論を以て相比することなかれ〕。又云く ̄天親龍樹 内鑒冷然 外適時宜〔天親・龍樹、内鑒冷然にして、外は時の宜しきに適う〕。妙楽云く ̄若論破会者 未若法華故〔若し破会を論ぜば未だ法華にしかざるが故に〕云云。従義云く ̄龍樹天親 未若天台〔龍樹・天親未だ天台にしかず〕云云。[p1021-1022]
問て云く 唐の末に不空三蔵一巻の論をわたす。其の名を菩提心論となずく。龍猛菩薩の造なり云云。弘法大師云く 此の論は龍猛千部の中の第一肝心の論と云云。[p1022]
答て云く 此の論一部七丁あり。龍猛の言ならぬ事処々に多し。故に目録にも或は龍猛或は不空と両方也。いまだ事定まらず。其の上此の論文は一代を括れる論にもあらず。荒量なる事此れ多し。先づ唯真言法中の肝心の文あやまりなり。其の故は文証現証ある法華経の即身成仏をばなきにして、文証も現証もあとかたもなき真言の経に即身成仏を立て候。又唯という唯の一字は第一のあやまりなり。事のていを見るに、不空三蔵の私につくりて候か。時の人におもく(重)せさせんがために事を龍猛によせたるか。其の上不空三蔵は誤る事かずをほし。所謂法華経の観智の儀軌に、寿量品を阿弥陀仏とかける、眼の前の大僻見。陀羅尼品を神力品の次にをける、属累品を経末に下せる、此れ等はいうかひなし。さるかと見れば、天台の大乗戒を盗んで代宗皇帝に宣旨を申し五臺山の五寺に立てたり。而も又真言の教相には天台宗をす(為)べしといえり。かたがた誑惑の事どもなり。他人の訳ならば用ふる事もありなん。此の人の訳せる経論は信ぜられず。忽じて月支より漢土に経論をわたす人、旧訳新訳に一百八十六人なり。羅什三蔵一人を除いてはいづれの人々も・らざるはなし。其の中に不空三蔵は殊に・り多き上、誑惑の心顕なり。[p1022-1023]
疑て云く 何をもつて知るぞや、羅什三蔵より外の人々はあやまりなりとは。汝が禅宗・念仏・真言等の七宗を破るのみならず、漢土・日本にわたる一切の訳者を用ひざるかいかん。[p1023]
答て云く 此の事は余が第一の秘事なり。委細には向て問うべし。但しすこし申すべし。羅什三蔵の云く 我漢土の一切経を見るに皆梵語のごとくならず。いかでか此の事を顕すべき。但し一つの大願あり。身を不浄になして妻をたひすべし。舌計り清浄になして仏法に妄語せじ。我死せば必ずやくべし。焼かん時、舌焼けるならば我が経をすてよと、常に高座にしてとかせ給ひしなり。上一人より下万民にいたるまで願じて云く 願はくは羅什三蔵より後に死せんと。終に死し給ふ後、焼きたてまつりしかば、不浄の身は皆灰となりぬ。御舌計り火中に青蓮華生ひて其の上にあり。五色の光明を放ちて夜は昼のごとく、昼は日輪の御光をうばい給ひき。さてこそ一切の訳人の経々は軽くなりて、羅什三蔵の訳し給へる経々、殊に法華経は漢土にはやすやすとひろまり候しか。[p1023]
疑て云く 羅什三蔵已前はしかるべし。已後の善無畏・不空等は如何。[p1023]
答て云く 已後なりとも訳者の舌の焼けるをば・りありけりとしるべし。されば日本国に法相宗のはやり(流行)たりしを、伝教大師責めさせ給ひしには、羅什三蔵は舌焼けず、玄奘・慈恩は舌焼けぬとせめさせ給ひしかば、桓武天王は道理とをぼして天台法華宗へはうつらせ給ひしなり。涅槃経の第三・第九等をみまいらすれば、我仏法は月支より他国へわたらん之時、多くの謬誤出来して衆生の得道うすかるべしととかれて候。されば妙楽大師は_竝進退在人 何関聖旨〔竝びに進退は人に在り、何ぞ聖旨に関はらん〕[記九]とこそあそばされて候へ。今の人々いかに経のまゝに後世をねがうとも、あやまれる経々のまゝにねがわば得道もあるべからず。しかればとても仏の御とがにはあらじとか(書)かれて候。仏教を習ふ法には大小権実顕密はさてをく、これこそ第一の大事にては候らめ。[p1023-1024]
疑て云く 正法一千年の論師の内心には法華経の実義の顕密の諸経に超過してあるよしはしろしめしながら、外には宣説せずして但大乗計りを宣べさせ給ふことはしかるべしとわをぼへねども、其の義はすこしきこえ候ぬ。像法一千年の半ばに天台智者大師出現して、題目の妙法蓮華経の五字を玄義十巻一千枚にかきつくし、文句十巻には始め如是我聞より終り作礼而去にいたるまで、一字一句に因縁・約教・本迹・観心の四の釈をならべて又一千枚に尽くし給ふ。已上玄義・文句の二十巻には一切経の心を江河として法華経を大海にたとえ、十方界の仏法の露一・も漏らさず、妙法蓮華経の大海に入れさせ給いぬ。其の上天竺の大論の諸義一点ももらさず、漢土南北の十師の義破すべきをばこれをはし、取るべきをば此れを用ふ。其の上、止観十巻を注して一代の観門を一念にすべ、十界の依正を三千につづめたり。此の書の文体は遠くは月支一千年之間の論師にも超え、近くは尸那五百を年の人師の釈にも勝れたり。[p1024-1025]
故に三論宗の吉蔵大師、南北一百余人の先達と長者らをすゝめて、天台大師の講経を聞かんとする状に云く ̄千年之興 五百実 復在於今日。乃至 南岳叡聖天台明哲 昔三業住持今二尊紹係。豈止灑甘露於震旦 亦当震法鼓天竺。生知妙悟魏晋以来 典籍風謡実無連類。乃至 共禅衆一百余僧奉請智者大師〔千年の興、五百の実、復今日に在り。乃至 南岳の叡聖天台の明哲、昔は三業住持し今は二尊紹係す。豈にただ甘露を震旦に灑ぐのみならん、亦当に法鼓を天竺に震ふ。生知妙悟魏晋以来、典籍の風謡実に連類無し。乃至 禅衆一百余の僧と共に智者大師を奉請す〕等云云。[p1025]
終南山の道宣律師 天台大師を讃歎して云く ̄照了法華若高輝之臨幽谷 説摩訶衍似長風之遊大虚。仮令文字之師千群万衆 数尋彼妙弁無能窮者也。乃至 義同指月。乃至 宗帰一極〔法華を照了すること高輝の幽谷に臨むが若く、摩訶衍を説くこと長風の大虚に遊ぶに似たり。たとい文字の師千群万衆あて、しばしば彼の妙弁を尋ぬとも能く窮むる者無し。乃至 義月を指すに同じ。乃至 宗一極に帰す〕云云。[p1025]
華厳宗の法蔵法師、天台を讃じて云く ̄如思禅師智者等神異感通迹参登位。霊山聴法憶在於今〔思禅師智者等の如き神異に感通して迹登位にまじわる。霊山の聴法憶ひ今に在り〕等云云。[p1025]
真言の不空三蔵・含光法師等、師弟共に真言宗をすてゝ天台大師に帰伏する物語に云く 高僧伝に云く ̄与不空三蔵親遊天竺彼有僧。問曰 大唐有天台教迹 最堪簡邪正暁偏円可能訳之将至此土〔不空三蔵と親り天竺に遊びたるに、かしこに僧有り。問て曰く 大唐に天台の教迹有り。最も邪正を簡び偏円を暁むるに堪えたり、能く之を訳して将に此土に至らしむべきや〕等云云。[p1025]
此の物語は含光が妙楽大師にかたり給ひしなり。妙楽大師此物語を聞いて云く ̄豈非中国失法求之四維 而此方少有識者。如魯人耳〔豈に中国に法を失して之を四維に求むるに非ずや。而も此の方識ること有る者少なし。魯人の如きのみ〕等云云。身毒国の中に天台三十巻のごとくなる大論あるならば、南天の僧いかでか漢土の天台の釈をねがうべき。これあに像法の中に法華経の実義顕れて、南閻浮提に広宣流布するにあらずや。[p1026]
答て云く 正法一千年像法の前四百年、已上仏滅後一千四百余年に、いまだ論師の弘通し給はざる一代超過の円定円慧を漢土に弘通し給ふのみならず、其の声〈な〉月氏までもきこえぬ。法華経の広宣流布にはにたれども、いまだ円頓の戒壇を立てられず。小乗の威儀をもつて円の慧定に切りつけるは、すこし便なきににたり。例せば日輪の蝕するがごとし、月輪のかけたるににたり。何にいわうや天台大師の御時は大集経の読誦多聞堅固の時にあひあたて、いまだ広宣流布の時にあらず。[p1026]
問て云く 伝教大師は日本国の士也。桓武の御宇に出世して欽明より二百余年が間の邪義をなんじやぶり、天台大師の円慧円定を撰し給ふのみならず、鑒真和尚の弘通せし日本小乗の三処の戒壇をなんじやぶり、叡山に円頓の大乗別受戒を建立せり。此の大事は仏滅後一千八百年が間の身毒・尸那・扶桑乃至一閻浮提第一の奇事なり。内証は龍樹・天台等には或は劣るにもや、或は同じくもやあるらん。仏法の人をすべ(統)て一法となせる事は、龍樹・天親にもこえ、南岳・天台にもすぐれて見えさせ給ふなり。惣じては如来御入滅の後一千八百年が間、此の二人こそ法華経の行者にてはおはすれ。[p1026-1027]
故に秀句に云く ̄若接須弥 擲置他方 無数仏土 亦未為難 乃至 若仏滅後 於悪世中 能説此経 是則為難〔若し須弥を接つて 他方の 無数の仏土に擲げ置かんも 亦未だ難しとせず 乃至 若し仏の滅後に 悪世の中に於て 能く此の経を説かん 是れ則ち難しとす〕等云云。此の経を釈して云く ̄浅易深難釈迦所判。去浅就深丈夫之心也。天台大師信順釈迦助法華宗敷揚震旦 叡山一家相承天台助法華宗弘通日本〔浅は易く深は難しとは釈迦の所判なり。浅を去て深に就くは丈夫の心なり。天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦に敷揚し、叡山の一家は天台に相承し法華宗を助けて日本に弘通す〕云云。[p1027]
釈の心は、賢劫第九の減、人寿百歳の時より、如来在世五十年、滅後一千八百余年が中間に、高さ十六万八千由旬六百六千十二万里の金山を、有人五尺の小身の手をもつて方一寸二寸等の瓦礫をにぎりて一丁二丁までなぐるがごとく、雀鳥のとぶよりもはやく鉄圍山の外へなぐる者はありとも、法華経を仏のとかせ給ひしやうに説かん人は末法にはまれなるべし。天台大師・伝教大師こそ仏説に相似してとかせ給ひたる人にてをはすれとなり。天竺の論師はいまだ法華経へゆきつき給はず。漢土の天台已前の人師は或はすぎ或はたらず。慈恩・法蔵・善無畏等は東を西といゐ、天を地と申せる人々なり。此れ等は伝教大師の自讃にはあらず。[p1027]
去る延暦二十一年正月十九日高雄山に桓武皇帝行幸なりて、六宗七大寺の碩徳たる善議・勝猷・奉基・寵忍・賢玉・安福・勤操・修円・慈誥・玄耀・歳光・道証・光証・観敏等の十有余人、最澄法師と召し合わせられて宗論ありしに、或は一言に舌を巻いて二言三言に及ばず、皆一同に頭をかたぶけ、手をあざ(叉)う。三論の二蔵・三時・三転法輪、法相の三時・五性、華厳宗の四教・五教・根本枝末・六相十玄皆大綱やぶらる。例せば大屋の棟梁のをれたるがごとし。十大徳の慢幢も倒れにき。[p1027-1028]
爾の時天子大に驚かせ給ひて、同二十九日に弘世・国道の両吏を勅使として、重ねて七寺六宗に仰せ下されしかば、各々帰伏の状を載せて云く ̄竊見天台疏者 惣括釈迦一代教悉顕其趣無所不通 独逾諸宗殊示一道。其中所説甚深妙理。七箇大寺六宗学生 昔所未聞曽所未見。三論法相久年之諍渙焉氷解 照然既明猶披雲霧而見三光矣。自聖徳弘化以降于今二百余年之間 所講経論其数多矣。彼此争理其疑未解。而此最妙円宗猶未闡揚。蓋以此間群生未応円味歟。伏惟聖朝久受如来之付 深純結円之機 一妙義理始乃興顕 六宗学者初悟至極。可謂此界含霊而今而後 悉載妙円之船早得済於彼岸。乃至 善議等牽逢休運乃閲奇詞。自非深期何託聖世哉〔竊かに天台の疏を見れば、惣じて釈迦の一代の教を括つて悉く其の趣を顕すに通ぜざるところ無く、独り諸宗に逾へ、殊に一道を示す。其の中の所説甚深の妙理なり。七箇の大寺六宗の学生昔より未だ聞かざるところ、曽て未だ見ざるところなり。三論法相久年之諍渙焉として氷のごとく解け、照然として既に明かに猶雲霧を披て三光を見るがごとし。聖徳の弘化よりこのかた今まで二百余年の間、講ずる所の経論其の数多し。彼此の理を争えども其の疑未だ解けず。而るに此の最妙の円宗、猶未だ闡揚せず。蓋し以て此の間の群生未だ円味にかなわざるか。伏して惟れば聖朝久しく如来之付を受け深く純円之機を結び、一妙の義理始めて乃ち興顕し、六宗の学者初めて至極を悟る。謂つべし。此界の含霊而今而後、悉く妙円之船に載せ、早く彼岸に済ることを得ると。乃至 善議等牽かれて休運に逢て、乃ち奇詞を閲す。深期に非ざるよりは何ぞ聖世に託せん〕等云云。[p1028]
彼の漢土の嘉祥等は一百余人をあつめて天台大師を聖人と定めたり。今日本の七寺二百余人は伝教大師を聖人とがうしたてまつる。仏の滅後二千余年に及んで両国に聖人二人出現せり。其の上、天台大師未弘の円頓大戒を叡山に建立し給ふ。此れ豈に像法の末に法華経広宣流布するにあらずや。[p1028-1029]
答て云く 迦葉・阿難等の弘通せざる大法を、馬鳴・龍樹・提婆・天親等の弘通せる事、前の難に顕れたり。又龍樹・天親等の流布し残し給へる大法、天台大師の弘通し給ふ事又難にあらわれぬ。又天台智者大師の弘通し給はざる円頓の大戒を、伝教大師の建立せさせ給ふ事又顕然也。但し詮と不審なる事は仏は説き尽くし給へども、仏の滅後に迦葉・阿難・馬鳴・龍樹・無著・天親・乃至天台・伝教のいまだ弘通しましまさぬ最大の深秘の正法、経文の面に現前なり。此の深法今末法の始め、五五百歳に一閻浮提に広宣流布すべきやの事不審極まり無きなり。[p1029]
問ふ いかなる秘法ぞ。先ず名をきき、次に義をきかんとをもう。此の事もし実事まらば釈尊の二度世に出現し給ふか。上行菩薩の重ねて涌出せるか。いそぎいそぎ慈悲をたれられよ。彼の玄奘三蔵は六生を経て月氏に入て十九年、法華一乗は方便教、小乗阿含は真実教。不空三蔵は身毒に返て寿量品を阿弥陀仏とかゝれたり。此れ等は東を西という、日を月とあやまてり。身を苦しめてなにかせん、心に染みてようなし。幸ひ我等末法に生まれて一歩をあゆまずして三祇をこえ、頭を虎にかわ(飼)ずして無見頂相をえん。[p1029]
答て云く 此の法門を申さん事は経文に候へばやすかるべし。但此の法門には先ず三つの大事あり。大海は広けれども死骸をとどめず。大地は厚けれども不孝の者をば載せず。仏法には五逆をたすけ、不孝をばすくう。但し誹謗一闡提の者、持戒にして大智なるをばゆるされず。[p1029-1030]
此の三つのわざわひとは所謂念仏宗と禅宗と真言宗となり。[p1030]
一には念仏宗は日本国に充満して、四衆の口あそびとす。[p1030]
二には禅宗は三衣一鉢の大慢の比丘の四海に充満して、一天の明導とをもへり。[p1030]
三に真言宗は又彼等の二宗にはにるべくもなし。叡山・東寺・七寺・薗城、或は官主、或は御室、或は長吏、或は検校なり。かの内侍所の神鏡燼灰となりしかども、大日如来の宝印を仏鏡とたのみ、宝剣西海に入りしかども、五大尊をもつて国敵を切らんと思へり。此れ等の堅固の信心は設ひ劫石はひすらぐともかたぶくべしとはみへず。大地は反覆すとも疑心をこりがたし。彼の天台大師の南北をせめ給ひし時も此の宗いまだわたらず。此の伝教大師の六宗をしえたげ給ひし時ももれぬ。かたがたの強敵をまぬがれて、かへて大法をかすめ失う。其の上伝教大師の御弟子、慈覚大師此の宗をとりたてゝ叡山の天台宗をかすめをとして、一向真言宗になししかば、此の人には誰の人か敵をなすべき。かゝる僻見のたよりをえて、弘法大師の邪義をもとがむる人もなし。安然和尚すこし弘法を難ぜんとせしかども、只華厳宗のところ計りとがむるにて、かへて法華経をば大日経に対して沈めはてぬ。ただ世間のたて入りの者のごとし。[p1030-1031]
問て云く 此の三宗の謬・如何。[p1031]
答て云く 浄土宗は斉の世に曇鸞法師と申す者あり。本は三論宗の人、龍樹菩薩の十住毘婆沙論を見て難行道・易行道を立てたり。道綽禅師という者あり。唐の世の者、本は涅槃経をかうじけるが、曇鸞法師が浄土にうつる筆を見て、涅槃経をすてて浄土にうつて聖道・浄土の二門を立てたり。又道綽が弟子善導という者あり。雑行・正行をたつ。[p1031]
日本国に、末法に入て二百余年、後鳥羽院の御宇に法然というものあり。一切の道俗をすゝめて云く 仏法は時機を本とす。法華経・大日経・天台・真言等の八宗九宗、一代の大小顕密権実等の経宗等は上根上智正像二千年の機のためなり。末法に入てはいかに功をなして行ずるとも其の益あるべからず。其の上、弥陀念仏にまじへて行ずるならば念仏も往生すべからず。此れわたくしに申すにあらず。龍樹菩薩・曇鸞法師は難行道となづけ、道綽は未有一人得者ときらひ、善導は千中無一となずけたり。此れ等は他宗なれば御不審もあるべし。慧心の先徳にすぎさせ給へる天台・真言の智者は末代にをはすべきか。かれ往生要宗にかゝれたり。顕密の教法は予が死生をはなるべき法にはあらず。又三論の永観が十因等をみよ。されば法華真言等をすてて一向に念仏せば十即十生百即百生とすゝめければ、叡山・東寺・園城・七寺等始めは諍論するやうなれども、往生要集の序の詞、道理かとみへければ、顕真座主落ちさせ給ひて法然が弟子となる。其の上、設ひ法然が弟子とならぬ人々も、弥陀念仏は他仏ににるべくもなく口ずさみとし、心よせにをもひければ、日本国皆一同に法然房の弟子と見へけり。[p1031-1032]
此の五十年が間、一天四海一人もなく法然が弟子となる。法然が弟子となりぬれば、日本国一人もなく謗法の者となりぬ。譬へば千人の子が一同に一人の親を殺害せば千人共に五逆の者なり。一人阿鼻に堕ちなば余人堕ちざるべしや。結句は法然流罪をあだみて悪霊となつて、我竝びに弟子等をとがせし国主・山寺の僧等が身に入て、或は謀反ををこし、或は悪事をなして、皆関東にほろぼされぬ。わづかにのこれる叡山東寺等の諸僧は、俗男俗女にあなずらるゝこと猿猴の人にわらはれ、俘囚が童子に蔑如せらるるがごとし。[p1032]
禅宗は又此の便りを得て持斉等となつて人の眼を迷はかし、たつとげなる気色なれば、いかにひがほうもん(法門)をいゐくるへども失ともをぼへず。禅宗と申す宗は教外別伝と申して、釈尊の一切経の外に迦葉尊者にひそかにさゝやかせ給えり。されば禅宗をしらずして一切経を習うものは、犬の雷をかむがごとし。猿の月の影をとるににたり云云。此の故に日本国の中に不孝にして父母にすてられ、無礼なる故に主君にかんだうせられ、あるいは若なる法師等の学文にものうき、遊女のものぐるわしき本性に叶へる邪法なるゆへに、皆一同に持斉になりて国の百姓をくらう蝗虫となれり。しかれば天は天眼をいからかし、地神は身をふるう。[p1032-1033]
真言宗と申す宗は上の二つのわざわひにはにるべくもなき大僻見なり。あらあら此を申すべし。[p1032]
所謂大唐の玄宗皇帝の御宇に善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵、大日経・金剛頂経・蘇悉地経を月支よりわたす。[p1033]
此の三経の説相分明なり。其の極理を尋ぬれば会二破二の一乗、其の相を論ずれば印と真言と計りなり。尚華厳・般若の三一相対の一乗にも及ばず、天台宗の爾前の別円程もなし。但蔵通二教を面とす。[p1033]
而るを善無畏三蔵をもわく、此の経文を顕わにいゐ出だす程ならば、華厳・法相にもをこつかれ、天台宗にもわらわれなん。大事として月支よりは持ち来りぬ。さてもだぜば本意にあらずとやをもひけん。天台宗の中に一行禅師という僻人一人あり。これをかたらひて漢土の法門をかたらせけり。[p1033]
一行阿闍梨うちぬかれて、三論・法相・華厳等をあらあらかたるのみならず、天台宗の立てられけるやうを申しければ、善無畏をもわく、天台宗は天竺にして聞きしにもなをうちすぐ(勝)れて、かさむべきやうもなかりければ、[p1033-1034]
善無畏は一行をうちぬひて云く 和僧は漢土にはこざかしき者にてありけり。天台宗は神妙の宗なり。今真言宗の天台宗にかさむところは印と真言と計りなりといゐければ、
一行さもやとをもひければ、善無畏三蔵一行にかた(語)て云く 天台大師の法華経に疏をつくらせ給へるごとく、大日経の疏を造りて真言を弘通せんとをもう。汝かきなんやといゐければ、[p1034]
一行が云く やすう候。但しいかやうにかき候べきぞ。天台宗はにくき宗なり。諸宗は我も我もとあらそいをなせども一切経に叶はざること一つあり。所謂法華経の序文に無量義経と申す経をもつて、前四十余年の経々をば其の門を打ちふさぎ候ぬ。法華経の法師品・神力品をもつて後の経々をば又ふせがせぬ。肩をならぶ経々をば今説の文をもつてせめ候。大日経をば三説の中にはいづくにかをき候べきと問ひければ、[p1034]
爾の時に善無畏三蔵大に巧んで云く 大日経に住心品という品あり。無量義経の四十余年の経々を打ちはらうがごとし。大日経の入漫陀羅已下の諸品は漢土にては法華経・大日経とて二本なれども天竺にては一経のごとし。釈迦仏は舎利弗・弥勒に向て大日経を法華経と名づけて、印と真言とをすてて但理計りをとけるを、羅什三蔵此れをわたす。天台大師此れを見る。大日如来は法華経を大日経となづけて金剛薩・に向てとかせ給ふ。此れを大日経となづく。我まのあたり天竺にしてこれを見る。されば汝がかくべきやうは、大日経と法華経とをば水と乳とのやうに一味となすべし。もししからば大日経は已今当の三説をば皆法華経のごとくうちおとすべし。さて印と真言とは心法の一念三千に荘厳するならば三密相応の秘法なるべし。三密相応するほどならば天台宗は意密なり。真言は甲なる将軍の甲鎧を帯して弓箭を横たへ太刀を腰にはけるがごとし。天台宗は意密計りなれば甲なる将軍の赤裸なるがごとくならんといゐければ、一行阿闍梨はこのやうにかきけり。[p1034-1035]
漢土の三百六十箇国には此の事を知る人なかりけるかのあひだ、始めには勝劣を諍論しけれども、善無畏等は人がらは重し、天台宗の人々は軽かりけり。又天台大師ほどの智ある者もなかりければ、但日々に真言宗になりてさてやみにけり。年ひさしくなればいよいよ真言の誑惑の根深くかくれて候けり。[p1035]
日本国の伝教大師漢土にわたりて、天台宗をわたし給ふついでに、真言宗をならべわたす。天台宗を日本の皇帝にさづけ、真言宗を六宗の大徳にならわせ給ふ。但し六宗と天台宗の勝劣は入唐已前に定めさせ給ふ。入唐已後には円頓の戒場立てう立じの論か計りなかりけるかのあひだ、敵多くしては戒場の一事成じがたしとやをぼしめしけん、又末法にせめさせんとやをぼしけん、皇帝の御前にしても論ぜさせ給はず。弟子等にもはかばかしくかたらせ給はず。但し依憑集と申す一巻の秘書あり。七宗の人々の天台に落ちたるやうをかゝれて候文なり。かの文の序に真言宗の誑惑一筆みへて候。[p1035-1036]
弘法大師は同じき延暦年中に御入唐、青龍寺の慧果に値ひ給ひて真言宗をならわせ給へり。御帰朝の後、一代の勝劣を判じ給ひけるには、第一真言・第二華厳・第三法華とかかれて候。此の大師は世間の人々はもつてのほかに重んずる人なり。但し仏法の事は申すにをそれあれども、もつてのほかにあらき(荒量)事どもはんべり。此の事をあらあらかんがへたるに、漢土にわたらせ給ひては、但真言の事相の印・真言計り習ひつたえて、其の義理をばくわしくもさはぐらせ給はざりけるほどに、日本にわたりて後、大に世間を見れば天台宗もつてのほかにかさみたりければ、我が重んずる真言宗ひろめがたかりけるかのゆへに、本日本国にして習ひたりし華厳宗をとりいだして法華経にまされるよしを申しけり。それも常の華厳宗に申すやうに申すならば人信ずまじとやをぼしめしけん。すこしいろをかえて、此れは大日経、龍猛菩薩の菩提心論、善無畏等の実義なりと大妄語をひきそへたりけれども、天台宗の人々いたうとがめ申す事なし。[p1036-1037]
問て云く 弘法大師の十住心論・秘蔵宝鑰・二教論に云く ̄如此乗々自乗得名望後作戯論〔此の如き乗々自乗に名を得れども、後に望めば戯論と作す〕。又云く ̄無明辺域非明分位〔無明の辺域にして明の分位に非ず〕。又云く ̄第四熟蘇味なり。又云く ̄震旦人師等諍盗醍醐各名自宗〔震旦の人師等諍つて醍醐を盗んで、おのおの自宗に名づく〕等云云。此れ等の釈の心如何。[p1037]
答て云く 予此の釈にをどろいて一切経竝びに大日の三部経等をひらきみるに、華厳経と大日経とに対すれば法華経は戯論、六波羅蜜経に対すれば盗人、守護経に対すれば無明の辺域と申す経文は一字一句も候わず。此の事はいとはかなき事なれども、此の三四百余年に日本国のそこばくの智者どもの用ひさせ給へば、定めてゆへあるかとをもひぬべし。[p1037]
しばらくいとやすきひが(僻)事をあげて余事のはかなき事をしらすべし。法華経を醍醐味と称することは陳隋の代なり。六波羅蜜経は唐の半ばに般若三蔵此れをわたす。六波羅蜜経の醍醐は陳隋の世にはわたりてあらばこそ、天台大師は真言の醍醐をば盗ませ給わめ。傍例あり。日本の得一が云く 天台大師は深密経の三時教をやぶる、三寸の舌をもつて五尺の身をたつべしとのゝしりしを、伝教大師此れをただして云く 深密経は唐の始め、玄奘三蔵これをわたす。天台は陳隋の人、智者御入滅の後、数箇年あつて解深密経わたれり。死して已後わたれる経をばいかでか破し給ふべきとせめさせ給ひて候しかば、得一はつまるのみならず、舌八つにさけて死し候ぬ。これは彼にはぬるべくもなき悪口なり。華厳の法蔵・三論の嘉祥・法相の玄奘・天台等乃至南北の諸師、後漢より已下の三蔵人師を皆をさえて盗人とかゝれて候なり。其の上、又法華経を醍醐と称することは天台等の私の言にはあらず。仏涅槃経に法華経を醍醐ととかせ給ひ、天親菩薩は法華経・涅槃経を醍醐とかゝれて候。龍樹菩薩は法華経を妙薬となづけさせ給ふ。されば法華経等を醍醐と申す人盗人ならば、釈迦・多宝・十方の諸仏、龍樹・天親等は盗人にてをはすべきか。弘法の門人等乃至日本の東寺の真言師、如何に自眼の黒白はつたなくして弁へずとも、他の鏡をもつて自禍をしれ。[p1037-1038]
此の外法華経を戯論の法とかゝるゝこと大日経・金剛頂経等にたしかなる経文をいだされよ。設ひ彼々の経々に法華経を戯論ととかれたりとも、訳者の・る事もあるぞかし。よくよく思慮のあるべかりけるか。孔子は九思一言、周公旦は沐には三たびにぎり、食には三たびはかれり。外書のはかなき世間の浅き事を習ふ人すら、智人はかう候ぞかし。いかにかゝるあさましき事はありけるやらん。かゝる僻見の末へなれば彼の伝法院の本願とがうする聖覚房が舎利講の式に云く ̄尊高者也 不二摩訶衍之仏。驢牛三身不能扶車。秘奥者也両部曼陀羅之教。顕乗四法不堪履採〔尊高なるは、不二摩訶衍の仏なり。驢牛の三身は車を扶くることあたはず。秘奥なるは両部曼陀羅の教なり。顕乗の四法は履を採るに堪へざる〕と云云。顕乗の四法と申すは法相・三論・華厳・法華の四人、驢牛の三身と申すは法華・華厳・般若・深密経の教主の四仏、此れ等の仏僧は真言師に対すれば聖覚・弘法の牛飼、履物取者にもたらぬ程の事なりとかいて候。[p1038-1039]
彼の月氏の大慢婆羅門は生知の博学、顕密二道胸にうかべ、内外の典籍掌ににぎる。されば王臣頭をかたぶけ、万民師範と仰ぐ。あまりの慢心に、世間に尊崇する者は大自在天・婆籔天・那羅延天・大覚世尊、此の四聖なり、我が座の四足にせんと、座の足につくりて坐して法門を申しけり。当時の真言師が釈迦仏等の一切の仏をかきあつめて、潅頂する時敷まんだらとするがごとし。禅宗の法師等が云く 此の宗は仏の頂をふむ大法なりというがごとし。而るを賢愛論師と申せし小僧あり。彼をただすべきよし申せしかども、王臣万民これをもちゐず、結句は大慢が弟子等・檀那等に申しつけて、無量の妄語をかまへて悪口打擲せしかども、すこしも命ををしまずのゝしりしかば、帝王賢愛をにくみてつめ(詰)させんとし給ひしほどに、かへりて大慢がせめられたりしかば、大王天に仰ぎ地に伏してなげいての給はく、朕はまのあたり此の事をきひて邪見をはらしぬ。先王はいかに此の者にたぼらかされて阿鼻地獄にをはすらんと、賢愛論師の御足にとりつきて悲涙せさせ給ひしかば、賢愛の御計らいとして大慢を驢にのせて五竺に面をさらし給ひければ、いよいよ悪心盛んになりて現身に無間地獄に堕ちぬ。今の世の真言と禅宗等とは此れにかわれりや。[p1039-1040]
漢土の三階禅師云く 教主釈尊の法華経は第一第二階の正像の法門なり。末代のためには我がつくれる普経なり。法華経を今の世に行ぜん者は十方の大阿鼻地獄に堕つべし。末法の根機にあたらざるゆへなりと申して、六時の礼懺四時の坐禅、生身仏のごとくなりしかば、人多く尊みて弟子万余人ありしかども、わづかの少女の法華経をよみしにせめられて、当座には音を失ひ後には大蛇になりて、そこばくの檀那弟子竝びに少女処女等をのみ食ひしなり。今の善導・法然等が千中無一の悪義もこれにて候なり。此れ等の三つの大事はすでに久しくなり候へば、いやしむべきにはあらねども、申さば信ずる人もやありなん。これよりも百千万億倍信じがたき最大の悪事はんべり。[p1040]
慈覚大師は伝教大師の第三の御弟子なり。しかれども上一人より下万民にいたるまで伝教大師には勝れてをはします人なりとをもえり。此の人真言宗と法華宗の奥義を極めさせ給ひて候が、真言は法華経に勝れたりとかゝせ給へり。而るを叡山三千人の大衆、日本一州の学者等一同帰伏の宗義なり。弘法の門人等は大師の法華経を華厳経に劣るとかかせ給へるは、我がかたながらも少し強きやうなれども、慈覚大師の釈をもつてをもうに、真言宗の法華経に勝れたることは一定なり。日本国にして真言宗を法華経に勝るると立つるをば叡山こそ強きかたきなりぬべかりつるに、慈覚をもつて三千人の口をふさぎなば真言宗はをもうごとし。されば東寺第一のかたうど(方人)慈覚大師にはすぐべからず。[p1040-1041]
例せば浄土宗・禅宗は余国にてはひろまるとも、日本国にしては延暦寺のゆるされなからんには無辺劫はふとも叶ふまじかりしを、安然和尚と申す叡山第一の古徳、教時諍論と申す文に九宗の勝劣を立てられたるに、第一真言・第二禅宗・第三天台法華宗・第四華厳宗等云云。此の大謬釈につひて禅宗は日本国に充満して、すでに亡国とならんとはするなり。法然が念仏宗のはやりて一国を失はんとする因縁は慧心の往生要集の序よりはじまれり。師子の身の中の虫の師子を食らふと、仏の記し給ふはまことなるかなや。[p1041]
伝教大師は日本国にして十五年が間、天台真言等を自見せさせ給ふ。生知の妙悟にて師なくしてさとらせ給ひしかども、世間の不審をはらさんがために、漢土に亙りて天台・真言の二宗を伝へ給ひし時、漢土の人々はやうやうの義ありしかども、我が心には法華は真言にすぐれたりとをぼしめししゆへに、真言宗の宗の名字をば削らせ給ひて、天台宗の止観真言等かかせ給ふ。十二年の年分度者二人ををかせ給ひ、重ねて止観院に法華経・金光明経・仁王経の三部を鎮護国家の三部と定めて宣旨を申し下し、永代日本国の第一の重宝神璽・宝剣・内侍所とあがめさせ給ひき。叡山第一の座主義真和尚・第二の座主円澄大師までは此の義相違なし。[p1041-1042]
第三の慈覚大師御入唐、漢土にわたりて十年が間、顕密二道の勝劣を八箇の大徳にならひつたう。又天台宗の人々広修・維・等にならわせ給ひしかども、心の内におぼしけるは、真言宗は天台宗には勝れたりけり。我が師伝教大師はいまだ此の事をばくわしく習はせ給はざりけり。漢土に久しくもわたらせ給はざりける故に、此の法門はあらうち(荒唐)にみ(見)をはしけるやとをぼして、日本国に帰朝し、叡山東塔止観院の西に惣持院と申す大講堂を立て、御本尊は金剛界の大日如来、此の御前にして大日経の善無畏の疏を本として、金剛頂経の疏七巻・蘇悉地経の疏七巻、已上十四巻をつくる。[p1042]
此の疏の肝心の釈に云く ̄教有二種。一顕示教謂三乗教。世俗勝義未円融故。二秘密教謂一乗教。世俗勝義一体融故。秘密教中亦有二種。一理秘密教諸華厳・般若・維摩・法華・涅槃等。但説世俗勝義不二 未説真言密印事故。二事理倶密教謂大日経・金剛頂経・蘇悉地経等。亦説世俗勝義不二亦説真言密印事故〔教に二種有り。一には顕示教、謂く三乗教なり。世俗と勝義と未だ円融せざる故に。二には秘密教、謂く一乗教なり。世俗と勝義と一体にして融する故に。秘密教の中に亦二種有り。一には理秘密教、諸の華厳・般若・維摩・法華・涅槃等なり。但世俗と勝義との不二を説いて未だ真言密印の事を説かざる故に。二には事理倶密の教、謂く大日経・金剛頂経・蘇悉地経等なり。亦世俗と勝義との不二を説き、亦真言密印の事を説く故に〕等云云。釈の心は法華経と真言の三部との勝劣を定めさせ給ふに、真言の三部経と法華経とは所詮の理は同じく一念三千の法門なり。しかれども密印と真言等の事法は法華経はかけてをはせず。法華経は理秘密、真言の三部経は事理倶密なれば天地雲泥なりとかかれたり。しかも此の筆は私の釈にはあらず。善無畏三蔵の大日経の疏の心なりとをぼせども、なをなを二宗の勝劣不審にやありけん、はた又他人の疑ひをさんぜんとやおぼしけん。[p1042-1043]
大師[慈覚也]の伝に云く ̄大師造二経疏成功已畢中心独謂此疏通仏意否乎。若不通仏意者不流伝於世矣。仍安置仏像前七日七夜翹企深誠勤修祈請。至五日五更夢当于正午仰見日輪而以弓射之其箭当日輪日輪即転動。夢覚之後深悟通達於仏意可伝於後世〔大師二経の疏を造り、功を成し畢りて中心独り謂らく、此の疏仏意に通ずるや否や。若し仏意に通ぜざれば世に流伝せず。仍て仏像の前に安置し七日七夜深誠を翹企し祈請を勤修す。五日の五更に至りて夢らく、正午に当て日輪を仰ぎ見る、弓を以て之を射る、其の箭日輪に当て日輪即ち転動す。夢覚て之後深く仏意に通達せりと悟り後世に伝ふべし〕等云云。[p1043]
慈覚大師は本朝にしては伝教・弘法の両家を習ひ極め、異朝にしては八大徳竝びに南天の宝月三蔵等に十年が間最大事の秘法をきわせさせ給へる上、二経の疏をつくり了り、重ねて本尊に祈請をなすに、智慧の矢すでに中道の日輪にあたりてうちをどろかせ給ひ、歓喜のあまりに仁明天王に宣旨を申しそへさせ給ひ、天台座主を真言の官主となし、真言の鎮護国家の三部とて今に四百余年が間、碩学稲麻のごとし、渇仰竹葦に同じ。されば桓武・伝教等の日本国建立の寺塔は一宇もなく真言の寺となりぬ。公家も武家も一同に真言師を召して師匠とあをぎ、官をなし寺をあづけたぶ。仏事の木画の開眼供養は八宗一同に大日仏眼の印・真言なり。[p1043-1044]
疑て云く 法華経を真言に勝ると申す人は此の釈をばいかんがせん。用ふべきか、又すつべきか。[p1044]
答ふ 仏の未来を定めて云く_依法不依人〔法に依て人に依らざれ〕。龍樹菩薩云く_依修多羅白論。不依修多羅黒論〔修多羅に依るは白論なり。修多羅に依らざるは黒論なり〕。天台云く ̄復与修多羅合者録而用之。無文無義不可信受〔復修多羅と合わせば録して之を用ふ。文無く義無きは信受すべからず〕。伝教大師云く ̄依憑仏説莫信口伝〔仏説に依憑して口伝を信ずること莫れ〕等云云。此れ等の経・論・釈のごときんば夢をもとにはすべからず。ただついさして法華経と大日経との勝劣を分明に説きたらん経論の文こそたいせちに候はめ。但し印・真言なくば木画の像の開眼の事此又をこの事なり。真言のなかりし已前には木画の開眼はなかりしか。天竺・漢土・日本には真言宗已前の木画の像は或は行き、或は説法し、或は物語あり。印・真言をもて仏を供養せしよりこのかた利生もかたがた失せたるなり。此れは常の論談の義なり。此の一事にをいては、但し日蓮は分明の証拠を余所に引くべからず。慈覚大師の御釈を仰ひで信じて候なり。[p1044]
問て云く 何にと信ぜらるるや。[p1044]
答て云く 此の夢の根源は真言は法華経に勝ると造り定めての御ゆめなり。此の夢吉夢ならば慈覚大師の合わせさせ給ふがごとく真言勝るべし。但し日輪を射るとゆめにみたるは吉夢なりというべきか。内典五千七千余巻・外典三千余巻の中に日を射るとゆめに見て吉夢なる証拠をうけ給はるべし。少々これより出だし申さん。阿闍世王は天より月落ちるとゆめにみて、耆婆大臣に合わせさせ給ひしかば、大臣合て云く 仏の御入滅なり。須抜多羅天より日落ちるとゆめにみる。我とあわせて云く 仏の御入滅なり。修羅は帝釈と合戦の時、まづ日月をいたてまつる。夏の桀・殷の紂と申せし悪王は常に日をいて身をほろぼし国をやぶる。摩耶夫人は日をはらむとゆめにみて悉達太子をうませ給ふ。かるがゆへに仏のわらわなをば日種という。日本国と申すは天照太神の日天にしてましますゆへなり。されば此のゆめは天照太神・伝教大師・釈迦仏・法華経をいたてまつれる矢にてこそ二部の疏は候なれ。日蓮は愚痴の者なれば経論もしらず。但此の夢をもつて法華経に真言すぐれたりと申す人は、今生には国をほろぼし家を失ひ、後生にはあび地獄に入るべしとはしりて候。[p1044-1045]
今現証あるべし。日本国と蒙古との合戦に一切の真言師の調伏を行ひ候へば、日本かちて候ならば真言はいみじかりけりとをもひ候なん。但し承久の合戦にそこばくの真言師のいのり候しが、調伏せられ給ひし権の大夫殿はかたせ給ひ、後鳥羽院は隠岐の国へ、御子の天子は佐渡の嶋々へ調伏しやりまいらせ候ぬ。結句は野干のなき(鳴)の己が身にをうなるやうに、還著於本人の経文すこしもたがわず。叡山の三千人かまくらにせめられて、一同にしたがいはてぬ。しかるに又かまくら、日本を失はんといのるかと申すなり。これをよくよくしる人は一閻浮提一人の智人なるべし。よくよくしるべきか。[p1045-1046]
今はかまくらの世さかんなるゆへに、東寺・天台・薗城・七寺の真言師等と竝びに自立をわすれたる法華宗の謗法の人々関東にをちくだりて、頭をかたぶけ、ひざをかゞめ、やうやうに武士の心をとりて、諸寺諸山の別当となり、長吏となりて、王位を失ひし悪法をとりいだして、国土安穏といのれば、将軍家竝びに所従の侍已下は国土の安穏なるべき事なんめりとうちをもひて有るほどに、法華経を失ふ大禍の僧どもを用ひらるれば、国定めてほろびなん。亡国のかなしさ亡身のなげかしさに、身命をすてゝ此の事をあらわすべし。[p1046]
国主世を持つべきならば、あやしとをもひて、たづぬべきところに、ただざんげんのことばのみ用ひて、やうやうのあだをなす。而るに法華経守護の梵天・帝釈・日月・四天・地神等は古の謗法をば不思議とはおぼせども、此れをしれる人なければ一子の悪事のごとくうちゆるして、いつわりおろかなる時もあり、又すこしつみしらする時もあり。今は謗法の用ひたるだに不思議なるに、まれまれ諌暁する人をかへりてあだをなす。一日二日・一月二月・一年二年ならず数年に及ぶ。彼の不軽菩薩の杖木の難に値ひしにもすぐれ、覚徳比丘の殺害に及びしにもこえたり。而る間、梵釈の二王・日月・四天・衆星・地神等やうやうにいかり、度々いさめらるれども、いよいよあだをなすゆへに、天の御計らひとして、・国の聖人にをほせつけられて此れをいましめ、大鬼神を国に入れて人の心をたぼらかし、自界反逆せしむ。吉凶につけて瑞大なれば難多かるべきことわりにて、仏滅後二千二百三十余年が間、いまだいでざる大長星、いまだふらざる大地しん出来せり。漢土・日本に智慧すぐれ才能いみじき聖人は度々ありしかども、いまだ日蓮ほど法華経のかとうど(方人)して、国土に強敵多くまうけたる者なきなり。まづ眼前の事をもつて日蓮は閻浮第一の者としるべし。[p1046-1047]
仏法日本にわたて七百余年、一切経は五千七千、宗は八宗十宗、智人は稲麻のごとし、弘通は竹葦ににたり。しかれども仏には阿弥陀仏、諸仏の名号には弥陀の名号ほどひろまりてをはするは候わず。此の名号を弘通する人は、慧心は往生要集をつくる、日本国三分が一は一同の弥陀念仏者。永観は十因と往生講の式をつくる、扶桑三分が二分は一同の念仏者。法然せんちやくをつくる、本朝一同の念仏者。而かれば今の弥陀の名号を唱ふる人々は一人が弟子にはあらず。此の念仏と申すは双観経・観経・阿弥陀経の題名なり。権大乗経の題目の広宣流布するは、実大乗経の題目の流布せんずる序にあらずや。心あらん人は此れをすい(推)しぬべし。権経流布せば実経流布すべし。権経の題目流布せば実経の題目も又流布すべし。欽明より当帝にいたるまで七百余年、いまだきかず、いまだ見ず、南無妙法蓮華経と唱へよと他人をすゝめ、我と唱へたる智人なし。日出でぬれば星かくる。賢王来れば愚王ほろぶ。実経流布せば権経のとどまり、智人南無妙法蓮華経と唱へば愚人の此れに随はんこと、影と身と声と響きとのごとくならん。日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし。これをもつてすいせよ。漢土・月支にも一閻浮提の内にも肩をならぶる者は有るべからず。[p1047-1048]
問て云く 正嘉の大地しん文永の大彗星はいかなる事によつて出来せるや。[p1048]
答て云く 天台云く ̄智人知起 蛇自識蛇〔智人は起を知り、蛇は自ら蛇を識る〕等云云。[p1048]
問て云く 心いかん。[p1048]
答て云く 上行菩薩の大地より出現し給ひたりしをば、弥勒菩薩・文殊師利菩薩・観世音菩薩・薬王菩薩等の四十一品の無明を断ぜし人々も、元品の無明を断ぜざれば愚人といわれて、寿量品の南無妙法蓮華経の末法に流布せんずるゆへに、此の菩薩の召し出だされたるとはしらざりしという事なり。[p1048]
問て云く 日本・漢土・月支の中に此の事を知る人あるべしや。[p1048]
答て云く 見思を断尽し、四十一品の無明を尽くせる大菩薩だにも此の事をしらせ給はず、いかにいわうや一毫の惑をも断ぜぬ者どもの此の事を知るべきか。[p1048-1049]
問て云く 智人なくばいかでか此れを対治すべき。例せば病の所起を知らぬ人の、病人を治すれば人必ず死す。此の災の根源を知らぬ人々がいのりをなさば、国まさに亡びん事疑ひなきか。あらあさましや、あさましや。[p1049]
答て云く 蛇は七日が内の大雨をしり、烏は年中の吉凶をしる。此れ則ち大龍の所従、又久学のゆへか。日蓮は凡夫なり。此の事をしるべからずといえども、汝等にほぼこれをさとさん。彼の周の平王の時、禿にして裸なる者出現せしを、辛有といゐし者うらなつて云く 百年が内に世ほろびん。同じき幽王の時、山川くずれ、大地ふるひき。白陽と云ふ者勘へていはく、十二年の内に大王事に値はせ給ふべし。今の大地震・大長星等は国主日蓮をにくみて、亡国の法たる禅宗と念仏者と真言師をかたうどせらるれば、天いからせ給ひていださせ給ふところの災難なり。[p1049]
問て云く なにをもつてか此れを信ぜん。[p1049]
答て云く 最勝王経に云く_由愛敬悪人治罰善人故 星宿及風雨皆不以時行〔悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に、星宿及び風雨皆時を以て行はれず〕等云云。此の経文のごときんば、此の国に悪人のあるを王臣此れを帰依すという事疑ひなし。又此の国に智人あり。国主此れをにくみて、あだすという事も又疑ひなし。又云く_三十三天衆 咸生忿怒心 変怪流星堕 二日倶時出 他方怨賊来 国人遭喪乱〔三十三天の衆、みな忿怒の心を生じ、変怪流星堕ち、二つの日倶時に出て、他方の怨賊来りて国人喪乱に遭はん〕等云云。すでに此の国に天変あり地夭あり。他国より此れをせむ。三十三天のいかり有ること又疑ひなきか。[p1049-1050]
仁王経に云く_諸悪比丘多求名利於国王太子王子前 自説破仏法因縁破国因縁。其王不別信聴此語〔諸の悪比丘、多く名利を求め、国王・太子・王子の前に於て、自ら破仏法の因縁・破国の因縁を説かん。其の王わきまへずして此の語を信聴し〕等云云。又云く_日月失度 時節反逆 或赤日出 或黒日出 二三四五日出 或日蝕無光 或日輪一重二三四五重輪現〔日月度を失ひ時節反逆し、或は赤日出て、或は黒日出て、二三四五の日出て、或は日蝕して光無く、或は日輪一重二三四五重輪現ず〕等云云。文の心は悪比丘等国に充満して、国王・太子・王子等をたぼらかして、破仏法・破国の因縁をとかば、其の国の王等此の人にたぼらかされとをぼすやう、此の法こそ持仏法の因縁・持国の因縁とをもひ、此の言ををさめ(納)て行ふならば日月に変あり、大風と大雨と大火等出来し、次には内賊と申して親類より大兵乱おこり、我がたたうどしぬべき者をば皆打ち失ひて、後には他国にせめられて、或は自殺し、或はいけどりにせられ、或は降人となるべし。是れ偏に仏法をほろぼし、国をほろぼす故なり。[p1050]
守護経に云く_彼釈迦牟尼如来所有教法 一切天魔外道悪人五通神仙皆不破戒乃至小分。而此名相諸悪沙門皆悉毀滅令無有余。如須弥山仮使尽於三千界中草木為薪 長時焚焼一毫無損。若劫火起火従内生須臾焼滅無余灰燼〔彼の釈迦牟尼如来所有の教法は一切の天魔・外道・悪人・五通の神仙皆乃至小分をも破壊せず。而るに此の名相の諸の悪沙門皆悉く毀滅して余り有ること無からしむ。須弥山をたとひ三千界の中の草木を尽くして薪と為し、長時に焚焼すとも一毫も損すること無し。若し劫火起きて火内より生じ須臾も焼滅せんには灰燼をも余す無きが如し〕等云云。蓮華面経に云く_仏告阿難 譬如師子命終 若空若地若水若陸所有衆生不敢食師子身宍 唯師子自生諸虫自食師子之宍。阿難我之仏法非余能壊 是我法中諸悪比丘破我三大阿僧祇劫積行勤苦所集仏法〔仏阿難に告げたまはく、譬へば師子の命終せんに、若しは空若しは地若しは水若しは陸所有の衆生敢えて師子の身のにくを食はず。唯師子の自ら諸の虫を生じて自ら師子の宍を食ふが如し。阿難、我之仏法は余の能く壊るに非ず、是れ我が法の中の諸の悪比丘我三大阿僧祇劫積行し勤苦し集むる所の仏法を破らん〕等云云。[p1050-1051]
経文の心は過去の迦葉仏、釈迦如来の末法の事を訖哩枳王にかたらせ給ひ、釈迦如来の仏法をばいかなるものがうしなうべき。大族王の五天の堂舎を焼き払ひ、十六の大国の僧尼を殺せし、漢土の武宗皇帝の九国の寺塔四千六百余所を消滅せしめ、僧尼二十六万五百人を還俗せし等のごとくなる悪人等は釈迦の仏法をば失ふべからず。三衣を身にまとひ、一鉢を首にかけ、八万法蔵を胸にうかべ、十二部経を口にずう(誦)せん僧侶が彼の仏法を失うべし。譬へば須弥山は金の山なり。三千大千世界の草木をもつて四天・六欲に充満してつみこめて、一年二年百千万億年が間やくとも、一分も損ずべからず。而るを劫火をこらん時、須弥の根より豆計りの火いでて須弥山をやくのみならず、三千大千せかいをやき失ふべし。若し仏記のごとくならば十宗・八宗・内典の僧等が仏教の須弥山をば焼き払うべきにや。小乗の倶舎・成実・律僧等が大乗をそねむ胸の瞋恚は炎なり。[p1051]
真言の善無畏・禅宗の三階等・浄土宗の善導等は仏教の師子の肉より出来せる蝗虫の比丘なり。伝教大師は三論・法相・華厳等の日本の碩学等を六虫とかかせ給へり。日蓮は真言・禅宗・浄土宗等の元祖を三虫となづく。又天台宗の慈覚・安然・慧心等は法華経・伝教大師の師子の師子の身の中の三虫なり。此れ等の大謗法の根源をただす日蓮にあだをなせば、天神もをしみ、地祇もいからせ給ひて、災夭も大に起るなり。[p1051-1052]
されば心うべし。一閻浮提第一の大事を申すゆへに最第一の瑞相此にをこれり。あわれなるかなや、なげかしきかなや、日本国の人皆無間大城に堕ちむ事よ。悦ばしきかなや、楽しいかなや、不肖の身として今度心田に仏種をうえたる。いまにしもみよ。大蒙古国数万艘の兵船をうかべて日本国をせめば、上一人より下も万民にいたるまで、一切の仏寺一切の神寺をばなげすてて、各々声をつるべて南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱へ、掌を合わせて、たすけ給へ日蓮の御房、日蓮の御房とさけび候はんずるにや。例せば月支の大族王は幼日王に掌をあわせ、日本の盛時はかぢわらをうやまう。大慢のものは敵に随ふという、このことわり(此理)なり。彼の軽毀大慢の比丘等は始めには杖木をとゝのえて不軽菩薩を打ちしかども、後には掌をあわせて失をくゆ。提婆達多は釈尊の御身に血をいだししかども、臨終の時には南無と唱ひたりき。仏とだに申したりしかば地獄には堕つべからざりしを、業ふかくして但南無とのみとなへて仏といはず。今日本国の高僧等も南無日蓮聖人ととなえんとすとも、南無計りにてやあらんずらん。ふびんふびん。[p1052]
外典に云く 未萠をしるを聖人という。内典に云く 三世を知るを聖人という。余に三度のかうみやう(高名)あり。一には去し文応元年[太歳庚申]七月十六日に立正安国論を最明寺殿に奏したてまつりし時、宿谷の入道に向て云く 禅宗と念仏宗とを失ひ給ふべしと申させ給へ。此の事を御用ひなきならば、此の一門より事おこりて他国にせめられさせ給ふべし。二には去し文永八年九月十二日申の時に平左衛門尉に向て云く 日蓮は日本国の棟梁也。予を失ふは日本国の柱橦を倒すなり只今に自界反逆難とてどしうちして、他国侵逼難とて此の国の人々他国に打ち殺さるのみならず、多くいけどりにせらるべし。建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等が寺塔をばやきはらいて、彼等が頚をゆひのはまにて切らずは、日本国必ずほろぶべしと申し候ひ了んぬ。第三には去年[文永十一年]四月八日左衛門尉に語て云く 王地に生まれたれば身をば随へられたてまつるやうなりとも、心をば随へられたてまつるべからず。念仏の無間獄、禅の天魔の所為なる事は疑ひなし。殊に真言宗が此の国土の大なるわざわひにては候なり。大蒙古国を調伏せん事真言師には仰せ付けらるべからず。若し大事を真言師調伏するならば、いよいよいそいで此の国ほろぶべしと申せしかば、頼綱問て云く いつごろ(何頃)かよせ候べき。日蓮言く 経文にはいつとはみへ候はねども、天の御けしきいかりすくなからずきうに見へて候。よも今年はすごし候はじと語りたりき。[p1053-1054]
此の三つの大事は日蓮が申したるにはあらず。只偏に釈迦如来の御神我が身に入りかわせ給ひけるにや。我が身ながらも悦び身にあまる。法華経の一念三千と申す大事の法門はこれなり。経に云く_所謂諸法如是相と申すは何事ぞ。十如是の始めの相如是が第一の大事にて候へば、仏は世にいでさせ給ふ。 ̄智人は起をしる、蛇みずから蛇をしるとはこれなり。衆流あつまりて大海となる。微塵つもりて須弥山となれり。日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一・一微塵のごとし。法華経を二人・三人・十人・百千万億人唱え伝うるほどならば、妙覚の須弥山ともなり、大涅槃の大海ともなるべし。仏になる道は此れよりほかに又もとむる事なかれ。[p1053-1054]
問て云く 第二の文永八年九月十二日の御勘気の時は、いかにとして我をそん(損)せば自他のいくさをこるべしとはしり給ふや。[p1054]
答ふ 大集経[五十]に云く_若復有諸刹利国王作諸非法 悩乱世尊声聞弟子 若以毀罵刀杖打斫及奪衣鉢種種資具 若他給施作留難者我等令彼自然卒起他方怨敵 及自界国土亦令兵起病疫飢饉非時風雨闘諍言訟譏謗。又令其王不久復当亡失己国〔若しは復諸の刹利国王有て諸の非法を作して世尊の声聞の弟子を悩乱し、若しは以て毀罵し刀杖をもて打斫し及び衣鉢種種の資具を奪ひ、若しは他の給施せんに留難を作さば我等彼をして自然に他方の怨敵を卒起せしめん、及び自界の国土にも亦兵起り病疫飢饉し非時の風雨闘諍言訟譏謗せしめん。又其王をして久しからざらしめ復当に己が国を亡失す〕等云云。夫れ諸経に諸文多しといえども、此の経文は身にあたり、時にのぞんで殊に尊くおぼうるゆへに、これをせんじいだす。[p1054-1055]
此の経文に我等と者梵王と帝釈と第六天の魔王と日月と四天王等の三界の一切の天龍等なり。此れ等の上主仏前に詣して誓ひて云く 仏の滅後、正法・像法・末代の中に、正法を行ぜん者を邪法の比丘等が国主にうつたへば、王に近きもの、王に心よせなる者、我がたつとしとをもう者のいうことなれば、理不尽に是非を糾さず、彼の智人をさんざんとはぢ(恥)にをよばせなんどせば、其の故ともなく其の国にわかに大兵乱出現し、後には他国にせめらるべし。其の国主もうせ、其の国もほろびなんずととかれて候。いたひ(痛)とかゆき(痒)とはこれなり。[p1055]
日蓮が身には今生にはさせる失なし。但国をたすけんがため、生国の恩をほうぜんと申せしを、御用ひなからんこそ本意にあらざるに、あまさへ(剰)召し出だして法華経の第五の巻を懐中せるをとりいだしてさんざんとさいなみ、結句はこうぢ(小路)をわたしなんどせしかば、申したりしなり。日月天に処し給ひながら、日蓮が大難にあうを今度かわらせ給はずは、一には日蓮が法華経の行者ならざるか、忽ちに邪見をあらたむべし。若し日蓮法華経の行者ならば忽ちに国にしるしを見せ給へ。若ししからずは今の日月等は釈迦・多宝・十方の仏をたぶらかし奉る大妄語の人なり。提婆が虚誑罪、倶伽利が大妄語にも百千万億倍すぎさせ給へる大妄語の天なりと声をあげて申せしかば、忽ちに出来せる自界叛逆難なり。されば国土いたくみだれば、我身はいうにかひなき凡夫なれども、御経を持ちまいらせ候分斉は、当世には日本第一の大人なりと申すなり。[p1055-1056]
問て云く 慢煩悩は七慢九慢八慢あり。汝が大慢は仏教に明かすところの大慢にも百千億倍すぐれたり。彼の徳光論師は弥勒菩薩を礼せず、大慢婆羅門は四聖を座とせり。大天は凡夫にして阿羅漢となのる、無垢論師が五天第一といゐし、此れ等は皆阿鼻に堕ちぬ。無間の罪人なり。汝いかでか一閻浮提第一の智人となのれる、大地獄に堕ちざるべしや。をそろし、をそろし。[p1056]
答て云く 汝は七慢九慢八慢等をばしれりや。大覚世尊は三界第一となのらせ給ふ。一切の外道が云く 只今天に罰せられるべし。大地われて入りなん。日本国の七寺三百余人が云く 最澄法師は大天が蘇生か、鉄腹が再誕か等云云。而りといえども天も罰せず、かへて左右を守護し、地もわれず、金剛座となりぬ。伝教大師は叡山を立てて一切衆生の眼目となる。結句七大寺は落ちて弟子となり、諸国は檀那となる。されば現に勝れたるを勝れたりという事は慢ににて大功徳となりけるか。伝教大師云く ̄天台法華宗勝諸宗者 拠所依経故 不自讃毀他〔天台法華宗の諸宗に勝れたるは、所依の経に拠るが故に、自讃毀他ならず〕等云云。法華経第七に云く_衆山之中。須弥山為第一。此法華経。亦復如是。於諸経中。最為其上〔衆山の中に、須弥山為れ第一なるが如く、此の法華経も亦復是の如し。諸経の中に於て最も為れ其の上なり〕等云云。此の経文は已説の華厳・般若・大日経等、今説の無量義経、当説の涅槃経等の五千七千、月支・龍宮・四王天・・利天・日月の中の一切経、尽十方界の諸経は土山・黒山・小鉄圍山・大鉄圍山のごとし。日本国にわたらせ給へる須弥山のごとし。又云く有能受持。是経典者。亦復如是。於一切衆生中。亦為第一〔能く是の経典を受持すること有らん者も亦復是の如し。一切衆生の中に於て亦為れ第一なり〕等云云。[p1056-1057]
此の経文をもつて案ずるに華厳経を持てる普賢菩薩・解脱月菩薩等、龍樹菩薩・馬鳴菩薩・法蔵大師・清涼国師・則天皇后・審祥大徳・良弁僧正・聖武天皇、深密・般若経を持てる勝義生菩薩・須菩提尊者・嘉祥大師・玄奘三蔵・太宗・高宗・観勒・道昭・孝徳天皇、真言宗の大日経を持てる金剛薩・・龍猛菩薩・龍智菩薩・印生王・善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵・玄宗・代宗・恵果・弘法大師・慈覚大師、涅槃経を持ちし迦葉童子菩薩・五十二類・曇無懺三蔵・光宅寺法雲・南三北七の十師等よりも、末代悪世の凡夫の一戒も持たず、一闡提のごとくに人には思はれたれども、経文のごとく已今当にすぐれて法華経より外は仏になる道なしと強盛に信じて、而も一分の解なからん人々は、彼等の大聖には百千億倍のまさりなりと申す経文なり。彼の人々は或は彼の経々に且く人を入れて法華経へうつさんがためなる人もあり。或は彼の経に著をなして法華経へ入らぬ人もあり。或は彼の経々に留逗のみならず彼の経々を深く執するゆへに、法華経を彼の経に劣るという人もあり。されば今法華経の行者は心うべし。_譬如一切。川流江河。諸水之中。海為第一。此法華経。亦復如是〔譬えば一切の川流江河の諸水の中に、海為れ第一なるが如く、此の法華経も亦復是の如し〕。_又如衆星之中。月天子。最為第一。此法華経。亦復如是〔又衆星の中に月天子最も為れ第一なるが如く、此の法華経も亦復是の如し〕等と御心えあるべし。当世日本国の智人は衆星のごとし、日蓮は満月のごとし。[p1057-1058]
問て云く 古へかくのごとくいえる人ありや。[p1058]
答て云く 伝教大師の云く ̄当知。他宗所依経未最為第一。其能経持者亦未第一。天台法華宗所持経最為第一故 能持法華者亦衆生中第一。已拠仏説豈自歎哉〔当に知るべし。他宗所依の経は未だ最もこれ第一ならず。其能く経を持つ者も亦未だ第一ならず。天台法華宗所持の経は最もこれ第一なる故に、能く法華を持つ者も亦衆生の中の第一なり。已に仏説に拠る豈に自歎ならんや〕等云云。夫れ驥麟の尾につけるだにの一日に千里を飛ぶといゐ、輪王に随へる劣夫の須臾に四天下をめぐるというをば難ずべしや、疑ふべしや。豈自歎哉の釈は肝にめひずるか。若し爾らば、法華経を経のごとくに持つ人は梵王にもすぐれ、帝釈にもこえたり。修羅を随へば須弥山をもにないぬべし。龍をせめつかわば大海をもくみほしぬべし。伝教大師云く ̄讃者積福於安明。謗者罪開於無間〔讃むる者は福を安明に積み、謗る者は罪を無間に開く〕等云云。法華経に云く_見有読誦 書持経者 軽賎憎嫉 而懐結恨 乃至 其人命終 入阿鼻獄〔経を読誦し書持すること あらん者を見て 軽賎憎嫉して 結恨を懐かん 乃至 其の人命終して 阿鼻獄に入らん〕等云云。教主釈尊の金言まことまらば、多宝仏の証明たがわずば、十方の諸仏の舌相一定ならば、今日本国の一切衆生無間地獄に堕ちん事疑ふべしや。[p1058]
法華経の八の巻に云く_若於後世。受持読誦。是経典者 乃至 所願不虚。亦於現世。得其福報〔若し後の世に於て是の経典を受持し読誦せん者は 乃至 所願虚しからず、亦現世に於て其の福報を得ん〕。又云く_若有供養。讃歎之者。当於今世。得現果報〔若し之を供養し讃歎すること有らん者は、当に今世に於て現の果報を得べし〕等云云。此の二つの文の中に亦於現世得其福報の八字、当於今世得現果報の八字、已上十六字の文むなしくして日蓮今生に大果報なくば、如来の金言は提婆が虚言に同じく、多宝の証明は倶伽利が妄語に異ならじ。一切衆生も阿鼻地獄に堕つべからず。三世の諸仏もましまさざるか。されば我弟子等心みに法華経のごとく身命もをしまず修行して、此の度仏法を心みよ。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。[p1058-1059]
抑も此の法華経の文に我不愛身命 但惜無上道〔我身命を愛せず 但無上道を惜しむ〕。涅槃経に云く_譬如王使 善能談論 巧於方便 奉命他国 寧喪身命 終不匿王 所説言教。智者亦爾。於凡夫中 不惜身命 要必宣説 大乗方等 如来秘蔵 一切衆生 皆有仏性〔譬へば王の使のよく談論して、方便に巧みなる、命を他国に奉るに寧ろ身命を喪ふとも終に王の所説の言教を匿さざるがごとし。智者も亦爾なり。凡夫の中に於て身命を惜しまず。かならず大乗方等、如来の秘蔵、一切衆生、皆仏性有りと宣説すべし〕等云云。いかやうなる事のあるゆへに身命をすつるまでにてあるやらん。委細にうけ給わり候わん。[p1059]
答て云く 予が初心の時の存念は、伝教・弘法・慈覚・智証等の勅宣を給ふて漢土にわたりし事の我不愛身命にあたれる歟。玄奘三蔵の漢土より月氏に入りしに六生が間身命をほろぼしし、これ等歟。雪山童子の半偈のために身をなげ、薬王菩薩の七万二千歳が間臂をやきし事歟。なんどをもひしほどに、経文のごときんば此れ等にはあらず。[p1059]
経文に我不愛身命と申すは、上に三類の敵人をあげて、彼らがのり、せめ、刀杖に及んで身命をうばうとも、とみえたり。又涅槃経の文に寧喪身命等ととかれて候は、次下の経文に云く_有一闡提 作羅漢像 住於空処 誹謗方等経典。諸凡夫人見已 皆謂真阿羅漢 是大菩薩〔一闡提有り、羅漢の像を作し、空処に住し、方等経典を誹謗す。諸の凡夫人見已りて、皆真の阿羅漢、是れ大菩薩なりと謂はん〕等云云。彼の法華経の文に第三の敵人を説いて云く_或有阿蘭若 納衣在空閑 乃至 為世所恭敬 如六通羅漢〔或は阿蘭若に納衣にして 空閑に在りて 乃至 世に恭敬せらるるをうること 六通の羅漢の如き有らん〕等云云。般泥・経に云く_有似羅漢一闡提而行悪業〔羅漢に似たる一闡提有りて悪業を行ず〕等云云。此れ等の経文は、正法の強敵と申すは悪王・悪臣よりも外道・魔王よりも破戒の僧侶よりも、持戒有智の大僧の中に大謗法の人あるべし。されば妙楽大師かひて云く ̄第三最甚以後後者転難識故〔第三最も甚だし、後後の者は転た識り難きを以ての故なり〕等云云。法華経の第五の巻に云く_此法華経。諸仏如来。秘密之蔵。於諸経中。最在其上〔此の法華経は諸仏如来の秘密の蔵なり。諸経の中に於て最も其の上にあり〕等云云。此の経文に最在其上の四字あり。されば此の経文のごときんば、法華経を一切経の頂にありと申すが法華経の行者にてはあるべきか。[p1059-1060]
而るを又国に尊重せれるる人々あまたありて、法華経にまさりてをはする経々ましますと申す人にせめあい(責合)候はん時、かの人は王臣等御帰依あり、法華経の行者は貧道なるゆへに国にこぞつてこれをいやしみ候わん時、不軽菩薩のごとく、賢愛論師がごとく、申しつをら(強)ば身命に及ぶべし。此れが第一の大事なるべしとみへて候。此の事は今の日蓮が身にあたれり。予が分斉として弘法大師・慈覚大師・善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵なんどを法華経の強敵なり、経文まことならば無間地獄は疑ひなし、なんど申すは、裸形にして大火に入るはやすし、須弥山を手にとてなげんはやすし、大石を負ふて大海をわたらんはやすし、日本国にして此の法門を立てんは大事なるべし云云。[p1060-1061]
霊山浄土の教主釈尊・宝浄世界の多宝仏・十方分身の諸仏・地涌千界の菩薩等、梵釈・日月・四天等、冥に加し顕に助け給はずば、一時一日も安穏なるべしや。[p1061]
#0182-000 国府尼御前御書 建治元年(1275.06・16) [p1062]
阿仏房の尼ごぜんよりぜに三百文。同心なれば此の文を二人して人によませてきこしめせ。[p1062]
単衣一領、佐渡の国より甲斐の国波木井の郷の内の深山まで送り給候ひ了んぬ。[p1062]
法華経第四法師品に云く_有人求仏道 而於一劫中 合掌在我前 以無数偈讃 由是讃仏故 得無量功徳 歎美持経者 其福復過彼〔人あって仏道を求めて 一劫の中に於て 合掌し我が前にあって 無数の偈を以て讃めん 是の讃仏に由るが故に 無量の功徳を得ん 持経者を歎美せんは 其の福復彼れに過ぎん〕等云云。文の心は、釈尊ほどの仏を三業相応して一中劫が間ねんごろに供養し奉るよりも、末代悪世の世に法華経の行者を供養せん功徳はすぐれたりととかれて候。[p1062]
まことしからぬ事にては候へども、仏の金言にて候へば疑ふべきにあらず。其の上妙楽大師と申す人、此の経文を重ねてやわらげて云く ̄若毀謗者頭破七分 若供養者福過十号〔若し毀謗せん者は、頭七分に破れ、若し供養せん者は福十号に過ぎん〕等云云。釈の心は、末代の法華経の行者を供養するは十号具足まします如来を供養したてまつるにも其の功徳すぎたり。又濁世に法華経の行者のあらんを留難をなさん人々は頭七分にわるべしと云云。[p1062]
夫れ、日蓮は日本第一のゑせ(僻)者なり。其の故は天神七代はさてをきぬ、地神五代又はかりがたし。人王始めて神武より当今まで九十代、欽明より七百余年が間、世間につけ仏法によせても日蓮ほどあまねく人にあだまれたる者は候はず。守屋が寺塔をやきし、清盛入道が東大寺・興福寺を失ひし、彼等が一類は彼がにくまず。将門貞たうが朝敵となりし、伝教大師の七寺にあだまれし、彼等のいまだ日本一州の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の四衆にはにくまれず。日蓮は父母・兄弟・師匠・同法(朋)・上一人・下万民一人ももれず、父母のかたきのごとく、謀反強盗にもすぐれて、人ごとにあだをなすなり。[p1062-1063]
されば或時は数百人にのられ、或時は数千人にとりこめられて刀杖の大難にあう。所ををわれ国を出さる。結句は国主より御勘気二度、一度は伊豆の国、今度は佐渡の嶋なり。されば身命をつぐべきかつて(糧)もなし。形体を隠すべき藤の衣ももたず。北海の嶋にはなたれしかば、彼の国の道俗は相州の男女よりもあだをなしき。野中にすてられて、雪にはだへをまじえ、くさをつみ(摘)て命をさゝえたりき。彼の蘇武が胡国に十九年、雪を食ふて世をわたりし、李呂(陵)が北海に六ヶ年、がんくつにせめられし、我が身にてしられぬ。これはひとえに、我が身には失なし。日本国をたすけんとをもひしゆへなり。[p1063]
しかるに尼ごぜん竝びに入道殿は彼の国に有る時は人めををそれて夜中に食ををくり、或時は国のせめをもはばからず、身にもかわらんとせし人々なり。さればつらかりし国なれども、そりたるかみ(髪)をうしろへひかれ、すゝむあし(足)もかへりしぞかし。いかなる過去のえん(縁)にてやありけんと、をぼつかなかりしに、又いつしかこれまでさしも大事なるわが夫を御つかい(使)にてつかわされて候。ゆめか、まぼろしか、尼ごぜんの御すがたをばみまいらせ候はねども、心をばこれにとこそをぼへ候へ。いつとなく日月にかげをうかぶる身なり。又後生には霊山浄土にまいりあひまいらせん。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。[p1063-1064]
六月十六日 日 蓮 花押[p1064]
さどの国のこうの尼御前
#0183-000 三三蔵祈雨事 建治元年(1275.06・22) [p1065]
夫れ木をうへ候には、大風ふき候へども、つよきすけ(扶介)をかひぬればたうれず。本より生て候木なれども、根の弱きはたうれぬ。甲斐無き者なれども、たすくる者強ければたうれず。そこし健の者も独りなれば悪きみちにはたうれぬ。又、三千大千世界のなかには舎利弗・迦葉尊者をのぞいては、仏よ(世)にいで給はずば、一人もなく三悪道に堕つべかりしが、仏をたのみまいらせし強縁によりて、一切衆生はをほく仏になりしなり。まして阿闍世王・あうくつまら(鴦堀摩羅)なんど申せし悪人どもは、いかにもかなうまじくて必ず阿鼻地獄に堕つべかりしかども、教主釈尊と申す大人にゆきあはせ給ひてこそ仏にはならせ給ひしか。[p1065]
されば仏になるみちは善知識にはすぎず。わが智慧なにかせん。ただあつきつめたきばかりの智慧だにも候ならば、善知識たいせちなり。而るに善知識に値ふ事が第一のかたき事なり。されば仏は善知識に値ふ事をば一眼のかめの浮木に入り、梵天よりいとを下げて大地のはりのめに入るにたとへ給へり。[p1065]
而るに末代悪世には悪知識は大地微塵よりもをほく、善知識は爪上の土よりもすくなし。補陀落山の観世音菩薩は善財童子の善知識、別円二教ををしへていまだ純円ならず。常啼菩薩は身をう(賣)て善知識を求めしに、曇無竭菩薩にあへり。通別円の三教をならひて、法華経ををしへず。舎利弗は金師が善知識、九十日と申せしかば闡提の人となしたりき。ふるな(富楼那)は一夏の説法に大城の機を小乗の人となす。大聖すら法華経をゆるされず、証果のらかん(羅漢)機をしらず。末代悪世の学者等をば此れをもつてすひしぬべし。天を地といゐ、火を水とをしへ、星は月にすぐれたり、ありづかは須弥山にこへたり、なんど申す人々を信じて候はん人々はならわざらん(不習)悪人にはるかをとりてあしかりぬべし。[p1065-1066]
日蓮仏法をこゝろみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理証文よりも現証にはすぎず。而るに去る文永五年の比、東には俘囚をこり、西には蒙古よりせめつかひ(責使)つきぬ。[p1066]
日蓮案じて云く 仏法を信ぜざればなり。定んで調伏ををきなわれずらん。調伏は又真言宗にてぞあらんずらん。月氏・漢土・日本三箇国の間に且く月氏はをく。漢土・日本の二国は真言宗にやぶらるべし。[p1066]
善無畏三蔵、漢土に互りてありし時は、唐の玄宗の時なり。大旱魃ありしに祈雨の法ををほせつけられて候ひしに、大雨ふらせて上一人より下万民にいたるまで大に悦びし程に、須臾ありて大風吹き来りて国土をふきやぶりしかば、けを(興)さめてありしなり。又、其の世に金剛智三蔵わたる。又雨の御いのりありしかば、七日が内に大雨下り、上のごとく悦んでありし程に、前代未聞の大風吹きしかば、真言宗はをそろしき悪法なりとて月支へをわ(追)れしが、とかうしてとどまりぬ。又、同じ御世に不空三蔵雨をいのりし程、三日が内に大雨下る。悦ぶことさきのごとし。又大風吹きてさき二度よりもをびただし、数十日とどまらず。不可思議の事にてありしなり。此れは日本国の智者愚者一人もしらぬ事なり。[p1066-1067]
しらんとをもわば、日蓮が生きてある時くはしくたづねならへ。日本国には天長元年二月に大旱魃あり。弘法大師は神泉苑にして祈雨あるべきにてありし程に、守敏と申せし人すゝんで云く 弘法は下臈なり。我は上臈なり。まづをほせをかほるべしと申す。こう(請)に随ひて守敏をこなう。七日と申すには大雨下る。しかれども京中計りにて田舎にふらず。弘法にをほせつけられてありしかば、七日にふらず、二七日にふらず、三七日にふらざりしかば、天子我といのりて雨をふらせ給ひき。而るを東寺の門人等、我が師の雨とがうす。くはしくは日記をひいて習ふべし。[p1067]
天下第一のわうわく(誑惑)あるなり。これより外に弘仁九年の春のえきれい、又三古(鈷)をなげたる事に不可思議の誑惑あり、口伝すべし。[p1067]
天台大師は陳の世に大旱魃あり、法華経をよみて須臾に雨下り王臣かうべをかたぶけ、万民たなごころをあはせたり。しかも大雨にもあらず、風もふかず、甘雨にてありしかば、陳王大師の御前にをはしまして、内裏へかへらんことをわすれ給ひき。此の時、三度の礼拝ありしなり。[p1068]
去る弘仁九年の春の大旱魃ありき。嵯峨の天皇、真綱と申す下臣をもつて冬嗣のとり申されしかば、法華経・金光明経・仁王経をもつて伝教大師祈雨ありき。三日と申せし日、ほそきくも(細雲)、ほそきあめ(微雨)しづしづと下りしかば、天子あまりによろこばせ給ひて、日本第一のかたこと(難事)たりし大乗の戒壇はゆるされしなり。伝教大師の御師、護命と申せし聖人は南都第一の僧なり。四十人の御弟子あひぐして仁王経をもつて祈雨ありしが、五日と申せしに雨下りぬ。五日はいみじき事なれども、三日にはをとりて而も雨あらかりしかば、まけにならせ給ひぬ。此れをもつて弘法の雨をばすひせさせ給ふべし。[p1068]
かく法華経はめでたく、真言はをろかに候に、日本のほろぶべきにや、一向真言にてあるなり。隠岐の法王の事をもつてをもうに、真言をもつて蒙古とえぞ(俘囚)とをでうぶく(調伏)せば、日本国やまけんずらんとすひせしゆへに、此の事いのちをすてていゐてみんとをもひしなり。いゐし時はでしら(弟子等)せい(制)せしかども、いまはあひ(合)ぬれば心よかるべきにや。[p1068-1069]
漢土・日本の智者五百余年が間一人もしらぬ事をかんがへて候なり。善無畏・金剛智・不空等の祈雨に雨は下りて而も大風のそひ候は、いかにか心へさせ給ふべし。外道の法なれども、いうにかひなき道士の法にも雨下る事あり。まして仏法は小乗なりとも、法のごとく行ふならば、いかでか雨下らざるべき。いわうや大日経は華厳・般若にこそおよばねども、阿含にはすこしまさりて候ぞかし。いかでかいのらんに雨下らざるべき。[p1069]
されば雨は下りて候へども、大風のそいぬるは大なる僻事のかの法の中にまじわれるなるべし。弘法大師の三七日に雨下らずして候を、天子の雨を我が雨と申すは、又善無畏等よりも大にまさる失のあるなり。第一の大妄語には弘法大師の自筆に云く 弘仁九年の春、疫れいをいのりてありしかば、夜中に日いでたりと云云。かゝるそらごとをいう人なり。此の事は日蓮が門下第一の秘事なり。本分をとりつめ(取詰)ていうべし。[p1069]
仏法はさてをきぬ。上にかきぬる事天下第一の大事なり。つで(伝)にをほせあるべからず。御心ざしのいたりて候へばをどろかしまいらせ候。日蓮をばいかんがあるべかるらんとをぼつかなしとをぼしめすべきゆへにかゝる事ども候。むこり(蒙古)国だにもつよくせめ候わば、今生にもひろまる事も候なん。あまりにはげしくあたりし人々は、くゆるへんもやあらんずらん。[p1069-1070]
外道と申すは仏前八百年よりはじまりて、はじめは二天三仙にてありしがやうやくわかれて九十五種なり。其の中に多くの智者神通のものありしかども、一人も生死をはなれず。又帰伏せし人々も、善につけ悪につけ皆三悪道に堕ち候ひしを、仏出世せさせ給ひてありしかば、九十五種の外道、十六大国の王臣諸民をかたらひて、或はのり、或はうち、或は弟子或はだんな等無量無辺ころせしかども、仏たゆむ心なし。我粉の法門を諸人にをどされていゐやむほどならば、一切衆生地獄に堕つべしとつよくなげかせ給ひしゆへに退する心なし。此の外道と申すは先仏の経々を見てよみそこなひて候ひしより事をこれり。[p1070]
今も又かくのごとし。日本の法門多しといへとも源は八宗・九宗・十宗よりをこれり。十宗の中に華厳等の宗々はさてをきぬ。真言と天台との勝劣に、弘法・慈覚・智証のまどひしによりて、日本国の人々、今生には他国にもせめられ、後生にも悪道に堕つるなり。漢土のほろび、又悪道に堕つることも、善無畏・金剛智・不空のあやまりよりはじまれり。又、天台宗の人々も慈覚・智証より後は、かの人々の智慧にせか(塞)れて天台宗のごとくならず。さればさのみやわあるべき。いやうや日蓮はかれにはすぐべきとわが弟子等をぼせども、仏の記文にはたがはず、末法に入て仏法をはう(謗)じ、無間地獄に堕つべきものは大地微塵よりも多く、正法をへたらん人は爪上の土よりもすくなしと、涅槃経にはとかれ、法華経には設ひ須弥山をなぐるものはありとも、我末法に法華経を経のごとくにとく者ありがたしと、記しをかせ給へり。大集経・金光明経・仁王経・守護経・はちなひをん(般泥・)経・最勝王経等に、末法に入て正法を行ぜん人出来せば、邪法のもの王臣等にうた(訴)へてあらんほどに、彼の王臣等、他人がことばにつひて一人の正法のものを、或はのり、或はせめ、或はながし、或はころさば、梵王・帝釈・無量の諸天、天神地祇等、りんごく(隣国)の賢王の身に入りかわりて、その国をほろぼすべしと記し給へり。今の世は似て候者哉。[p1070-1071]
抑そも各々はいかなる宿善にて日蓮をば訪はせ給へるぞ。能々過去を御尋ね有らば、なにと無くとも此の度生死は離れさせ給ふべし。すりはむどく(須利槃特)は三箇年に十四字を暗にせざりしかども、仏に仏りぬ。提婆は六万蔵を暗にして無間に堕ちぬ。是れ偏に末代の今の世を表する也。敢えて人の上と思し食すべからず。事繁ければ止め置き候ひ了んぬ。[p1071]
抑そも当時の忽々に御志申す計り候はねば、大事の事あらあらおどろかしまひらせ候。さゝげ・青大豆給候ひぬ。[p1071]
六月二十二日 日 蓮 花押[p1072]
西山殿御返事
#0185-000 南條殿御返事 建治元年(1275.07・02) [p1078]
白麦一俵・小白麦一俵・河のり五でふ送り給了んぬ。[p1078]
仏の御弟子に阿那律尊者と申せし人は、をさなくしての御名をば如意と申す。如意と申すは心のおもひのたからをふらししゆへ也。このよしを仏にとひまいらせ給ひしかば、昔うえ(飢)たるよ(世)に、縁覚と申す聖人を、ひえ(稗)のはん(飯)をもて、供養しまいらせしゆへと答へさせ給ふ。[p1078-1079]
迦葉尊者と申せし人は、仏についでも閻浮提第一の僧なり。俗にてをはせし時は長者にて、くらを六十、そのくら(蔵)に金を百四十こく(石)づつ入れさせ給ふ。それより外のたから申すばかりなし。此人のせんじやう(先生)の御事を、仏にとひまいらせさせ給ひしかば、むかしうえたるよ(飢世)に、むぎのはん(飯)を一ぱひ供養したりしゆへに、・利天千反生れて今釈迦仏に値ひまいらせ僧の中の第一とならせ給ひ、法華経にて光明如来とならせ給ふ。[p1079]
今のだんな(檀那)の白麦はいやしくて仏にならず候べきか。在世の月は今も月、在世の花は今も花、昔の功徳は今の功徳なり。[p1079]
その上、上一人より下万民までににくまれて、山中にうえしに(飢死)ゆべき法華経の行者なり。これをふびんとをぼして山河をこえわたり、をくりたびて候御心ざしは、麦にはあらず金なり、金にはあらず法華経の文字なり。我等が眼にはむぎなり。十らせつ(羅刹)には此のむぎをば仏のたねとこそ御らん候らめ。[p1079]
阿那律がひえのはんはへん(変)じてうさぎ(兎)となる。うさぎへんじて死人となる。死人へんじて金となる。指をぬきてうり(賣)しかば、又いできたりぬ。王のせめのありし時は死人となる。かくのごとくつぎずして九十一劫なり。[p1079-1080]
釈まなん(摩男)と申せし比との石をとりしかば金となりき。金ぞく(粟)王はいさごを金となし給ひき。今のむぎは法華経のもんじ(文字)なり。又は女人の御ためにはかがみ(鏡)となり、みのかざりとなるべし。男のためにはよろひ(甲)となり、かぶと(冑)となるべし。守護神となりて弓箭の第一の名をとらるべし。[p1080]
南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。恐々謹言。[p1080]
七月二日 日 蓮 花押[p1080]
南条殿御返事[p1080]
追伸 このよ(此世)の中はいみじかりし時は、何事かあるべきとみえしかども、当時はことにあぶなげにみえ候ぞ。いかなる事ありともなげかせ給ふべからず。ふつとおもひきりて、そりやう(所領)なんどもたがふ事あらば、いよいよ(弥)悦びとこそおもひて、うちうそぶきてこれへわたらせ給へ。所地しらぬ人もあまりにすぎ候ぞ。当時つくし(筑紫)へむかひてなげく人々は、いかばかりとかおぼす。これは皆日蓮をかみのあなづらせ給ひしゆへなり。[p1080]
#0186-0K0 大学三郎御書 建治元年(1275.07・02) [p1081]
外道には天人畜の三道を明かし、鬼道の有無之を論じて、地獄は其の沙汰無し。小乗経には六道の因果を明かして、四聖以て分明ならず。倶舎・成実・律の三宗は小乗経に依憑して但六道を明かす、是れ也。三論宗は天台宗已前に天竺より之を渡す。八界を立てて十界を明かさず。法相宗は又天竺の宗也。天台已後に唐の太宗の世に之を渡す。又八界を立つ。大乗たりと雖も五性各別を立て、無性有情は長く成仏せずと之を立つ。殆ど外道の法に似たり。自他宗の歎き也。華厳宗・真言宗の両宗は天台已後に之有り。華厳宗は唐の則天皇后の御宇に之を立つ。真言宗は玄宗之時、善無畏三蔵之を渡す。但し天竺に真言宗の名、之無し。無畏三蔵大日経を以て宗と為す之故に、猥りに天竺の宗と称するか。この二宗共に十界を立つ。但し天台宗已後也。智者大師の巧智を偸盗して自身の才財と号するか。仏説の如く之を勘ふれば、法華経之外、華厳経・般若経・大日経・深密経等の諸経は、但小衍相対を以て之を釈す。王臣の差別無く、上下を混ず。仏法未だ顕れず、愚痴の失、之有り。天台已後に諸宗小衍相対の経々を以て、権実相対之を定む。天台の智、之を盗めり。日月に背ひて燈・に向ひ、丘塚を花恒に比する、是れ也。仏は十八界・修羅は十九界、天台は四菩薩・真言は五菩薩、天台は九識十識・真言は十識十一識。[p1081]
而るを天台の学者、之に誑惑せられて、悉く実義なりと思ひ、法華経は釈尊の所説にて民の万言の如く、大日経は天子の鳳文にて王の一言の如し等云云。善無畏三蔵、事を天竺に寄せ、法華経を大日経と理同事勝也。是れ一の謬言なり。日蓮、論師人師の添言を捨てて、専ら経文を勘ふるに、大日経一部六巻竝びに供養法の巻一巻三十一品、之を見聞するに声聞乗と縁覚乗と大乗の菩薩と仏乗と四乗と之を説く。其の中の大乗の菩薩乗とは三蔵教の三祇の菩薩乗也。仏乗は実大乗也。法華経に及ばざる之上、華厳・般若にも劣り、但阿含と方等との二経也。大日経の極理は未だ天台の別教通教の極理にも及ばざる也。弘法大師、延暦二十三年に入唐し、大同二年に帰朝す。三箇年之間、慧果和尚に値ひて真言の秘教を学習し、帰朝之後、十住心・二教論、之を注して世間に流布す。釈迦牟尼仏竝びに大日二仏の所説の勝劣、之を定む。第一大日経・第二華厳経・第三法華経、浅きより深きに至る也。華厳経と法華経に勝るとは南北の二義を取る也。又華厳宗の義也。南北竝びに弘法大師は無量義経・法華経・涅槃三経を見ざる愚人也。仏既に分明に華厳経と無量義経との勝劣、之を説く。何ぞ聖言を捨てて南北の凡謬に付かんや。近きを以て遠きを察するに、将た又大日経と法華経との勝劣、之を知らず。大日経には四十余年之文、之無く、又已今当之言、之を削る。二乗作仏・久遠実成、之無し。[p1081-1082]
法華経と大日経との勝劣、之を論ぜば、民と王と石と珠との勝劣高下是れ也。而るに安然和尚之を顕す。然りと雖も粗華厳経と法華経との勝劣は之を明らむるに似たれども、法華・大日経の勝劣、之に闇く、闇と漆との如く也。慈覚大師は、本、伝教大師に稟くると雖も、本を捨て末に付き、入唐之間、真言家の人々之を誑惑する間、又大日経と法華経と理同事勝と云云。賢きに似たれども但善無畏の僻見を出でざるのみ。[p1082-1083]
而るに日蓮末代に居し、粗此の義を疑ふ。遠きを尊み近きを賎しみ、死せるを上げ生ずるを下す。故に当世の学者等之を用ひず。設ひ堅く三帰・五戒・十善戒・二百五十戒・十無尽戒等の諸戒を持てる比丘・比丘尼等も、愚痴の失に依て、小乗経を大乗経と謂ひ、権大乗教を実大乗経なりと執する等の謬義出来す。大妄語・大殺生・大偸盗の大逆罪の者也。愚人は之を知らざれば智者と尊む。設ひ世間の諸戒之を破る者なりとも、堅く大小権実等の経を弁へば、世間の破戒は仏法の持戒也。涅槃経に云く_於戒緩者不名為緩。於乗緩者乃名為緩。〔戒緩の者に於ては名づけて緩と為せず。乗緩の者に於ては乃ち名づけて緩と為す〕等云云。法華経に云く_是名持戒等云云。重き故に之を留む。事々霊山を期す。恐々謹言。[p1083]
七月二日 日 蓮 花押[p1083]
大学三郎殿[p1083]
#0187-000 高橋入道殿御返事 建治元年(1275.07・12) [p1083]
進上 高橋入道殿御返事[p1083]
我等が慈父大覚世尊は人寿百歳の時、中天竺に出現しましまして、一切衆生のために、一代聖教をとき給ふ。仏在世の一切衆生は過去の宿習有りて、仏に縁あつかりしかば、すでに得道成りぬ。我が滅後の衆生をばいかんがせんとなげき給ひしかば、八万聖教を文字となして、一代聖教の中に小乗経をば迦葉尊者にゆづり、大乗経竝びに法華経・涅槃等をば文殊師利菩薩にゆづり給ふ。但八万聖教の肝心・法華経の題目たる妙法蓮華経の五字をば、迦葉・阿難にもゆづり給はず。又文殊・観音・弥勒・地蔵・龍樹等の大菩薩にもさづけ給はず。此れ等の大菩薩等ののぞみ申せしかども仏ゆるし給はず。大地の底より上行菩薩と申せし老人を召しいだして、多宝仏・十方の諸仏の御前にして、釈迦如来七宝の塔中にして、妙法蓮華経の五字を上行菩薩にゆづり給ふ。[p1083-1084]
其の故は我が滅後の一切衆生は皆我が子也。いづれも平等に不便にをもうなり。しかれども医師の習ひ病に随て薬をさづくる事なれば、我が滅後五百年が間は迦葉・阿難等に小乗経の薬をもて一切衆生にあたへよ。次の五百年が間は文殊師利菩薩・弥勒菩薩・龍樹菩薩・天親菩薩等華厳経・大日経・般若経等の薬を一切衆生にさずけよ。我が滅後一千年すぎて像法の時には薬王菩薩・観世音菩薩等、法華経の題目を除いて余の法門の薬を一切衆生にさづけよ。末法に入りなば迦葉・阿難等、文殊・弥勒菩薩等、薬王・観音等のゆづられしところの小乗経竝びに大乗経竝びに法華経は文字はありとも衆生の病の薬とはなるべからず。所謂病は重し薬はあさし。其の時上行菩薩出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生にさづくべし。[p1084-1085]
其の時一切衆生此の菩薩をかたきとせん。所謂さる(猿)のいぬ(犬)をみるがごとく、鬼神の人をあだむがごとく、過去の不軽菩薩の一切衆生にの(罵)り、あだまれしのみならず、杖木瓦礫にせめられし、覚徳比丘が殺害に及ばれしがごとくなるべし。其の時は迦葉・阿難等も或は霊山にかくれ、恒河に没し、弥勒・文殊等も或は兜率の内院に入り、或は香山に入らせ給ひ、観世音菩薩は西方にかへり、普賢菩薩は東方にかへらせ給ふ。[p1085]
諸行は行ずる人はありとも、守護の人なければ利生あるべからず。諸仏の名号は唱ふるものありとも、天神これをかごすべからず。但小牛の母をはなれ、金鳥のたかにあへるがごとくなるべし。[p1085]
其の時十方世界の大鬼神一閻浮提に充満して四衆の身に入て、或は父母をがいし、或は兄弟等を失はん。殊に国中の智者げなる持戒げなる僧尼の心に此の鬼神入て国主竝びに臣下をたぼらかさん。此の時上行菩薩の御かびをかほりて、法華経の題目南無妙法蓮華経の五字計りを一切衆生にさづけば、彼の四衆等竝びに大僧等此の人をあだむ事、父母のかたき、宿世のかたき、朝敵怨敵のごとくあだむべし。其の時大なる天変あるべし。所謂日月蝕し、大なる彗星天にわあり、大地震動して水上の輪のごとくなるべし。其の後は自界叛逆難と申して国主兄弟竝びに国中の大人を打ちころし、後には他国侵逼難と申して隣国よりせめられて、或はいけどりとなり、或は自殺をし、国中の上下万民皆大苦に値ふべし。[p1085-1086]
此れひとえに上行菩薩のかびをかをほりて法華経の題目をひろむる者を、或はのり、或はうちはり、或は流罪し、或は命をたちなんどするゆへに、仏前にちかいをなせし梵天・帝釈・日月・四天等の法華経の座にて誓状を立てゝ、法華経の行者をあだまん人をば、父母のかたきよりもなをつよくいましむべしと、ちかうゆへなりとみへて候に、今日蓮日本国に生まれて一切経竝びに法華経の明鏡をもて、日本国の一切衆生の面に引き向ひたるに寸分もたがわぬ上、仏の記し置き給ひし天変あり、地夭あり。定んで此の国亡国となるべしとかねてしりしかば、これを国主に申すならば国土安穏なるべくもたづえあきらむべし。亡国となるべきならばよも用ひじ。用ひぬ程ならば日蓮は流罪死罪となるべしとしりて候ひしかども、仏いましめて云く 此の事を知りながら身命ををしみて一切衆生にかたらずば、我が敵たるのみならず、一切衆生の怨敵なり。必ず阿鼻大城に堕つべしと記し給えり。[p1086]
此に日蓮進退わづらひて、此の事を申すならば我が身いかにもなるべし。我が身はさてをきぬ、父母兄弟竝びに千万人の中にも一人も随ふものは国主万民にあだまるべし。彼等あだまるゝならば仏法はいまだわきまえず、人のせめはたへがたし、仏法を行ずるは安穏なるべしとこそをもうに、此の法を持つによて大難出来するはしんぬ此の法は邪法なり、と誹謗して悪道に堕つべし。此れも不便なり。又此れを申さずば仏誓に違する上、一切衆生の怨敵なり。大阿鼻地獄疑ひなし。いかんがせんとをもいしかども、をもひ切りて申し出だしぬ。[p1086-1087]
申し始めし上は又ひきさすべきにもあらざれば、いよいよつより申せしかば、仏の記文のごとく、国主もあだみ、万民もせめき。あだをなせしかば、天もいかりて日月に大変あり。大せいせい(彗星)も出現しぬ。大地もふりかへしぬべくなりぬ。どうしうちもはじまり、他国よりもせめたり。仏の記文すこしもたがわず。日蓮が法華経の行者なる事も疑わず。[p1087]
但し去年かまくらより此のところへにげ入り候ひし時、道にて候へば各々にも申すべく候ひしかども申す事もなし。又先度の御返事も申し候はぬ事はべち(別)の子細も候はず。なに事にか各々をばへだてまいらせ候べき。あだをなす念仏者・禅宗・真言師等をも竝びに国主等もたすけんがためにこそ申せ。かれ等のあだをなすはいよいよ不便にこそ候へ。まして一日も我がかた(方)とて心よせなる人々はいかんがをろか(疎)なるべき。[p1087-1088]
世間のをそろしさに妻子ある人々のとをざかるをばことに悦ぶ身なり。日蓮に付きてたすけやりたるかたわなき上、わづかの所領をも召さるならば、子細も知らぬ妻子所従等がいかになげかんずらんと心ぐるし。[p1088]
而も去年の二月に御勘気をゆりて、三月の十三日に佐渡の国を立ち、同月の二十六日にかまくらに入り、同四月の八日平のさえもの尉にあひたりし時、やうやうの事どもといし中に、蒙古国はいつよすべきと申せしかば、今年よすべし。それにとて日蓮はなし(離)て日本国にたすくべき者一人もなし。たすからんとをもひしたう(慕)ならば、日本国の念仏者と禅と律僧等の頚を切りてゆい(由比)のはまにかくべし。それも今はすぎぬ。[p1088]
但し皆人のをもいて候は、日蓮をば念仏師と禅と律をそしるとをもひて候。これは物のかずにてかずならず。真言宗と申す宗がうるわしき日本国の大なる呪咀の悪法なり。弘法だ医師と慈覚大師、此の事にまどいて此の国を亡ぼさんとするなり。設ひ二年三年にやぶるべき国なりとも、真言師にいのらする程ならば、一年半年に此の国にせめらるべしと申しきかせ候ひき。たすけんがために申すを此れ程あだまるゝ事なれば、ゆりて候ひし時、さどの国よりいかなる山中海辺にもまぎれ入るべかりしかども、此の事をいま一度平左衛門に申しきかせて、日本国にせめのこされん衆生をたすけんがためにのぼりて候ひき。[p1088-1089]
又申しきかせ給ひし後は鎌倉に有るべきならねば、足にまかせていでしほどに、便宜にて候ひしかば設ひ各々はいとわせ給ふとも、今一度はみたてまるらんと千度をもひしかども、心に心をたゝかいてすぎ候ひき。[p1089]
そのゆへはするがの国は守殿の御領、ことにふじ(富士)なんどは後家尼ごぜんの内の人々多し。故最明寺殿・極楽寺殿の御かたきといこどをらせ給ふなれば、きゝつけられば各々の御なげきなるべしとをもひし心計りなり。いまにいたるまでも不便にをもひまいらせ候へば御返事までも申さず候ひき。この御房たちのゆきすりにも、あなかしこ、あなかしこ、ふじ(富士)かじま(賀島)のへんへ立ちよるべからずと申せども、いかが候らんとをぼつかなし。[p1089]
ただし真言の事ぞ御不審にわたらせ給ひ候らん。いかにと法門は申すとも御心へあらん事かたし。但眼前の事をもて知しめせ。[p1089]
隠岐の法皇は人王八十二代、神武よりは二千余年、天照太神入りかわらせ給ひて人王とならせ給ふ。いかなる者かてきすべき上、欽明より隠岐の法皇にいたるまで漢土・百済・新羅・高麗よりわたり来る大法秘法を、叡山・東寺園城・七寺竝びに日本国にあがめをかれて候。此れは皆国を守護し国主をまほらんため也。隠岐の法皇、世をかまくらにとられたる事を口をしとをぼして、叡山・東寺等の高僧等をかたらひて、義時が命をめしとれと行ぜし也。此の事一年二年ならず、数年調伏せしに、権の大夫殿はゆめゆめしろしめさざりしかば一法も行事給はず、又行ずとも叶ふべしともをぼへずありしに、天子いくさにまけさせ給ひて、隠岐の国へつかはされさせ給ふ。日本国の王となる人は天照太神の御魂の入りかわらせ給ふ王也。先生の十善戒の力といひ、いかでか国中の万民の中にはかたぶくべき。設ひとが(失)ありとも、つみあるをや(親)を失なき子のあだむにてこそ候はぬらめ。設ひ親に重罪ありとも、子の身として失に行はんに天うけ給ふべしや。[p1089-1090]
しかるに隠岐の法皇のはぢにあはせ給ひしはいかなる大禍ぞ。此れひとへに法華経の怨敵たる日本国の真言師をかたらはせ給ひしゆへなり。一切の真言師は潅頂と申して釈迦仏等を八葉の蓮華にかきて此れを足にふみて秘事とするなり。かゝる不思議の者ども諸山諸寺の別当とあをぎてもてなすゆへに、たみの手にわたりて現身にはぢにあひぬ。[p1090]
此の大悪法又かまくらに下りて御一門をすかし、日本国をほろぼさんとする也。此の事最大事なりしかば弟子等にもかたらず、只いつはりをろかにて念仏と禅等計りをそしりてきかせし也。今は又用ひられぬ事なれば、身命もおしまず弟子どもに申す也。かう申せばいよいよ御不審あるべし。[p1090-1091]
日蓮いかにいみじく尊くとも慈覚・弘法にすぐべきか。この疑ひすべてはるべからず。いかにとかすべき。但し皆人はにくみ候に、すこしも御信用のありし上、此までも御たづねの候は只今生計りの御事にはよも候はじ。定めて過去のゆへ歟。御所労の大事にならせ給ひて候なる事あさましく候。[p1091]
但しつるぎはかたきのため、薬は病のため。阿闍世王は父をころし仏の敵となれり。悪瘡身に出でて後、仏に帰伏し法華経を持ちしかば、悪瘡も平愈し寿をも四十年のべたりき。而も法華経は_閻浮提人。病之良薬〔閻浮提の人の病の良薬なり〕とこそとかれて候へ。閻浮の内の人は病に身なり。法華経の薬あり。三事すでに相応しぬ。一身いかでかたすからざるべき。但し御疑ひの御わたり候はんをば力及ばず。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。[p1091]
七月十二日 日 蓮 花押[p1091]
御返事[p1091]
#0191-100 妙心尼御前御返事 建治元年(1275.08・16) [p1102]
あわしかき(泡消柿)二篭・なすび(茹子)一こ、給候ひ了んぬ。[p1102]
入道殿の御所労の事。唐土に皇帝・扁鵲と申せしくすし(医師)あり、天竺に持水・耆婆と申せし人はこれにはにるべくもなきいみじきくすし也。[p1102]
此の仏不死の薬をとかせ給へり。今の妙法蓮華経の五字是れ也。しかもこの五字を_閻浮提人。病之良薬〔閻浮提の人の病の良薬なり〕とこそとかれて候へ。入道殿は閻浮提の内日本国の人也。しかも身に病をうけられて候。病之良薬の経文顕然也。[p1102-1103]
其の上蓮華経は第一の薬也。はるり(波瑠璃)王と申せし悪王、仏のしたしき女人五百余人を殺して候ひしに、仏、阿難を雪山につかはして青蓮華をとりよせて身にふれさせ給ひしかば、よみがへりて七日ありて・利天に生まれにき。蓮華と申すはかゝるいみじき徳ある花にて候へば、仏、妙法蓮華経にたとへ給へり。[p1103]
又人の死ぬる事はやまひにはよらず。当時のゆき・つしま(壹岐・対馬)のものどもは病なけれども、みなみなむこ(蒙古)人に一時にうちころされぬ。病あれば死ぬべしといふ事不定也。[p1103]
又このやまひは仏の御はからひか。そのゆへは浄名経・涅槃経には病ある人仏になるべきよしとかれて候。病によりて道心はをこり候歟。[p1103]
又一切の病の中には五逆罪と、一闡提と、謗法をこそをもき病とは仏はいたませ給へ。今の日本国の人は一人もなく極大重病あり、所謂大謗法の重病也。今の禅宗・念仏宗・律宗・真言宗也。これらはあまりに病おもきゆへに、我が身にもをぼへず人もしらぬ病也。この病のこうずるゆへに、四海のつわもの(戎兵)ただいま来りなば、王臣万民皆しづみなん。これをいきてみ候はんまなこ(眼)こそあさましく候へ。[p1103]
入道殿は今生にはいたく法華経を御信用ありとは見え候はねども、過去の宿習のゆへかのもよをしによりて、このなが病にしづみ、日々夜々に道心ひまなし。今生につくりをかせ給ひし小罪はすでにきへ候ひぬらん。謗法の大悪は又法華経に帰しぬるゆへにきへさせ給ふべし。ただいまに霊山にまいらせ給ひなば、日いでて十方をみるがごとくうれしく、とくしに(死)ぬるものかなと、うちよろこび給ひ候はんずらん。[p1103-1104]
中有の道にいかなる事もいできたり候はば、日蓮がでし(弟子)也となのらせ給へ。わずかの日本国なれども、さがみ(相模)殿のうちのものと申すをば、さうなくおそるる事候。日蓮は日本第一のふたう(不当)の法師。ただし法華経を信じ候事は、一閻浮提第一の聖人也。其の名は十方の浄土にきこえぬ。定んで天地もしりぬらん。日蓮が弟子となのらせ給はば、いかなる悪鬼等なりとも、よもしらぬよしは申さじとおぼすべし。さては度々の御心ざし申すばかりなり。恐恐謹言。[p1104]
さる(猿)は木をたのむ。魚は水をたのむ。女人はおとこをたのむ。わかれのをしきゆへにかみをそり、そでをすみにそめぬ。いかでか十方の仏もあはれませ給はざるべき、法華経もすてさせ給ふべきと、たのませ給へ、たのませ給へ。[p1104]
八月十六日 日 蓮 花押[p1104]
妙心尼御前御返事[p1105]
#0195-000 御衣竝単衣御書 建治元年(1275.09・28) [p1111]
御衣の布、竝びに御単衣給候ひ了んぬ。[p1111]
鮮白比丘尼と申せし人は、生まれさせ給ひて御衣をたてまつりたりけり。生長するほどに次第にこの衣大になりけり。後に尼とならせ給ひければ法衣となりにけり。ついに法華経の座にして記・をさづかる。一切衆生喜見如来これなり。又法華経を説く人は、柔和忍辱衣と申して必ず衣あるべし。物たねと申すもの、一なれどもうえぬれば多となり、龍は小水を多雨となし、人は小火を大火となす。衣かたびらは一なれども、法華経にまいらせさせ給ひぬれば、法華経の文字は六万九千三百八十四字、一字は一仏なり。この仏は再生敗種を心腑とし、顕本遠寿を其の寿とし、常住仏性を咽喉とし、一乗妙行を眼目とせる仏なり。応化非真仏と申して、三十二相・八十種好の仏よりも、法華経の文字こそ真の仏にてはわたらせ給ひ候へ。[p1111]
仏在世に仏を信ぜし人は仏にならざる人もあり。仏の滅後に法華経を信ずる人は無一不成仏と如来の金言なり。[p1111]
この衣をつくりて、かたびらをきそい(著添)て、法華経をよみて候わば、日蓮は無戒の比丘なり、法華経は正直の金言なり。毒蛇の珠をはき、伊蘭の栴檀をいだすがごとし。恐恐謹言。[p1111-1112]
九月二十八日 日 蓮 花押[p1112]
御返事[p1112]
#0197-0K0 太田入道殿御返事 建治元年(1275.11・03) [p1115]
貴札、之を開いて拝見す。御痛みの事一には歎き、一には悦びぬ。[p1115]
維摩詰経に云く_爾時長者維摩詰念自 寝疾于牀。爾時仏告文殊師利 汝行詣維摩詰疾問〔爾時に長者維摩詰、自ら念すらく、寝て牀に疾む。爾時に仏、文殊師利に告げたまはく、汝、維摩詰に行詣して疾を問へ〕等云云。大涅槃経に云く_爾時如来 乃至 現身有疾 右脇而臥。如彼病人〔爾時に如来、乃至、身に疾有るを現じ、右脇にして臥す。彼の病人の如し〕云云。法華経に云く_少病少悩云云。止観の第八に云く ̄若偃臥・耶 託疾興教。乃至 如来寄滅談常 因病説力〔若し・耶に偃臥し、疾に託して教を興す。乃至、如来滅に寄せて常を談じ、病に因りて力を説く〕云云。又云く ̄明病起因縁有六。一四大不順故病。二飲食不節故病。三坐禅不調故病。四鬼得便。五魔所為。六業起故病〔病の起る因縁を明かすに六有り。一には四大順ならざる故に病む。二には飲食節ならざる故に病む。三には坐禅調はざる故に病む。四には鬼便りを得る。五には魔の所為。六には業の起るが故に病む〕云云。[p1115]
大涅槃経に_世有三人其病難治。一謗大乗。二五逆罪。三一闡提。如是三病世中極重〔世に三人の其の病治し難き有り。一には大乗を謗ず。二には五逆罪。三には一闡提。是の如き三病は世の中の極重なり〕云云。又云く_今世悪業成就 乃至 必応地獄 乃至 供養三宝故 不堕地獄現世受報。所謂頭目背痛〔今世に悪業を成就し 乃至 必ず地獄なるべし 乃至 三宝を供養するが故に地獄に堕せずして現世に報を受く。いわゆる頭と目と背との痛み〕云云。止観に云く ̄若有重罪 乃至 人中軽償。此是業欲謝故病也〔若し重罪有りて 乃至、人中に軽く償ふつ。此れは是れ業が謝せんと欲する故に病むなり〕。[p1115]
龍樹菩薩の大論に云く ̄問云 若爾華厳経乃至般若波羅蜜非秘密法。而法華者秘密也等。乃至 譬如大薬師能変毒為薬〔問て云く 若し爾れば華厳経、乃至、般若波羅蜜は秘密の法に非ず。法華は秘密なり等。乃至 譬へば大薬師の能く毒を変じて薬と為すが如し〕云云。天台此の論を承けて云く ̄譬如良医能変毒為薬 乃至 今経得記即是変毒為薬。故論云 余経非秘密 法華為秘密〔譬へば良医の能く毒を変じて薬と為すが如し 乃至 今経の得記は即ち是れ毒を変じて薬と為すなり。故に論に云く 余経は秘密に非ず、法華は秘密と為すなり〕云云。止観に云く ̄法華能治 復称為妙〔法華は能く治す。復称して妙と為す〕云云。妙楽云く ̄難治能治 所以称妙〔治し難きを能く治す所以に妙と称す〕等云云。[p1115]
大経に云く_爾時王舎大城阿闍世王 其性弊悪 乃至 害父已心生悔熱。乃至心悔熱故 ・体生瘡 其瘡臭穢 不可付近。爾時其母字韋提希。以種種薬而為伝之。其瘡遂増 無有降損。王即白母。如是瘡者 従心而生。非四大起。若言衆生 有能治者 無有是処〔爾時に王舎大城の阿闍世王、其の性弊悪にして 乃至 父を害し已りて心に悔熱を生ず。乃至 心悔熱するが故に・体瘡を生ず。其の瘡臭穢にして付近すべからず。爾時に其の母韋提希と字く。種種の薬を以てしかも為に之をつく。其の瘡遂に増して降損有ること無し。王、即ち母に白す。是の如き瘡は心より生ず。四大より起るに非ず。若し衆生能く治する者有りと言はば、是のことはり有ること無けん〕云云。爾時世尊大悲導師 為阿闍世王 入月愛三昧。入三昧已放大光明。其光清涼 往照王身 身愈即瘡〔爾時に世尊、大悲導師、阿闍世王の為に月愛三昧に入りたまふ。三昧に入り已りて大光明を放つ。其の光、清涼にして、往て王の身を照らすに身の瘡即ち愈えぬ〕[p1115-1116]
平等大慧妙法蓮華経の第七に云く_此経則為。閻浮提人。病之良薬。若人有病。得聞是経。病即消滅。不老不死〔此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり。若し人病あらんに是の経を聞くことを得ば、病即ち消滅して不老不死ならん〕云云。[p1116]
已上、上の諸文を引いて惟に御病を勘ふるに、六病を出でず。其の中の五病は且く之を置く。第六の業病は最も治し難し。将た又業病に軽有り重有り、多少定まらず。就中、法華経誹謗の業病最第一也。神農・黄帝・華佗・扁鵲も手を拱き、持水・流水・耆婆・維摩も口を閉づ。但、釈尊一仏の妙法の良薬に限りて之を治す。[p1116]
法華経に云く 上の如し。大涅槃経に法華経を指して云く_若有毀謗是正法 能自改悔還帰於正法 乃至 除此正法 更無救護。是故応当 還帰正法〔若し是の正法を毀謗するも、能く自ら改悔し、正法に還帰すること有らざれば 乃至 此の正法を除いて更に救護すること無し。是の故に応当に正法に還帰すべし〕云云。[p1116]
荊谿大師云く ̄大経自指法華為極〔大経自ら法華を指して極と為す〕云云。又云く ̄如人倒地還従地起。故以正謗接邪堕〔人の地に倒れて還りて地より起つが如し。故に正の謗を以て邪の堕に接す〕云云。[p1116]
世親菩薩は本小乗の論師なり。五竺の大乗を止めんが為に五百部の造る。小乗論を後に無著菩薩に値ひ奉り、忽ちに邪見を翻し、一時に此の罪を滅せんが為に著に向ひて舌を切らんと欲す。著止めて云く 汝其の舌を以て大乗を讃歎せよ、と。親り忽ちに五百部の大乗論を造りて小乗を破失す。又一の願を制立せり。我一生の間、小乗を舌の上に置かじ、と。然して後、罪滅して弥勒の天に生ず。[p1116]
馬鳴菩薩は東印度の人にして付法蔵の第十三に列なれり。本、外道の長たりし時に勒比丘と内外の邪正を論ずるに、其の心言下に解りて重科を遮せんが為に自頭を刎んと擬す所謂〈いはく〉、我、我に敵して堕獄せしむ。勒比丘諌め止めて云く 汝頭を切ること勿れ。その頭と口とを以て大乗を讃歎せよ、と。鳴、急に起信論を造りて外小を破失せり。月氏の大乗の初め也。[p1116-1117]
嘉祥寺の吉蔵大師は、漢土第一の名匠、三論宗の元祖なり。呉会に独歩し、慢幢最も高し。天台大師に対して已今当の文を諍ひ、立つ処に邪執を飜破し、謗人謗法の重罪を滅せんが為、百余人の高徳を相語らひ、智者大師を屈請して、身を肉橋と為し、頭に両足を承く。七年之間、薪を採り水を汲み、講を廃し衆を散じ、慢幢を倒さんが為に法華経を誦せず。大師の滅後、隋帝に往詣し、双足を・摂し、涙を流しえ別れを告げ古鏡を観見して自影を慎辱す。業病を滅せんと欲して上の如く懺悔す。[p1117]
夫れ以みれば、一乗の妙経は三聖の金言、已今当の妙珠、諸経の頂に居す。経に云く_於諸経中。最在其上〔諸経の中に於て最も其の上にあり〕。又云く_法華最第一〔法華最も第一なり〕。伝教大師の云く ̄仏立宗云云。予、随分、大・金・地等の諸の真言経を勘へたるに、敢えて此の文の会通の明文無し。但、畏・智・空・法・覚・証等の曲会に見えたり。是に知んぬ。釈尊・大日の本意は限りて法華の最上に在る也。而るに本朝真言の元祖たる、法・覚・証等の三大師、入唐の時、畏・智・空等の三三蔵の誑惑を果・全等に相承して帰朝し了ぬ。法華・真言弘通之時、三説超過の一乗の名月を隠して、真言両界の螢火を顕し、剰へ法華経を罵詈して云く 戯論也、無明の辺域也。自害の謬・に曰く 大日経は戯論也。無明の辺域也。本師既に曲がれり。末葉豈に直からんや。源濁れば流れ清からず等、是れ之を謂ふか。之に依て日本久しく闇夜と為り、扶桑終に他国の霜に枯れんと欲す。[p1117]
抑そも貴辺は嫡嫡末流の一分に非ずと雖も、将た又檀那、所従なり。身は邪家に処して年久しく、心は邪師に染みて月重る。設ひ大山を頽るる設ひ大海は乾くとも、此の罪消え難きか。然りと雖も宿縁の催す所、又今生に慈悲の薫ずる所、存の外に貧道に値遇して改悔を発起する故に、未来の苦を償ひ、現在に軽瘡出現せるか。彼の闍王の身瘡は五逆謗法の二罪の招く所なり。仏、月愛三昧に入て其の身を照らしたまへば悪瘡忽ちに消え、三七日の短寿を延べて四十年の宝算を保ち、兼ねては又三人の羅漢を屈請して一代の金言を書き顕し、正像末に流布せり。此の禅門の悪瘡は但謗法の一科なり。所持の妙法は月愛に超過す。豈に軽瘡を愈して長寿を招かざらんや。此の語徴無くんば声を発して一切世間眼は大妄語の人、一乗妙経は綺語の典、名を惜しみたまはば、世尊、験を顕し、誓ひを恐れたまはば諸の賢聖きたり護りたまへと叫喚したまへ、と。爾云ふ。書は言を尽くさず。言は心を尽くさず。事々見参の時を期せん。恐恐。[p1117-1118]
十一月三日 日 蓮 花押[p1118]
太田入道殿御返事[p1118]
#0198-0K0 尊霊御菩提御書 建治元年(1275.11) [p1119]
尊霊の御菩提疑ひ無き者か。適時而已等の釈は此の意か。大田殿、次郎入道殿の御事は観心之法門の時申すべし。大田殿御所労之事、之を歎くと雖も、はた又転重[p1119]
#0200-0K0 強仁状御返事 建治元年(1275.12・26) [p1122]
強仁上人十月二十五日の御勘状、同十二月二十六日到来す。此の事余も年来欝訴する所也。忽ちに返状を書きて自他の疑冰を釈かんと欲す。但し歎するは、田舎に於て邪正を決せば暗中に錦を服て遊行し、・底の長松匠に知られざるか。兼ねて又定めて喧嘩出来の基也。貴坊本意を遂げんと欲せば、公家と関東とに奏問を経て露点を申し下し是非を糾明せば、上一人咲みを含み、下万民疑ひを散ぜんか。其の上大覚世尊は仏法を以て王臣に付嘱せり。世出世の邪正を決断せんこと必ず公場なる也。[p1122]
就中、当時我が朝の為体〈ていたらく〉、二難を盛んにす。所謂、自界叛逆難と他国侵逼難也。此の大難を以て大蔵経に引き向へて之を見るに、定めて国家と仏法との中に大禍有るか。仍て予、正嘉・文永二ヶ年の大地震と大長星とに驚きて、一切経を開き見るに、此の国の中に前代未起の二難有るべし。所謂、自他返逼の両難也。是れ併ら真言・禅門・念仏・持斉等、権小の邪法を以て法華真実の正法を滅失する故に招き出だす所の大災也。只今他国より我が国を逼むべき由、兼ねて之を知る。故に身命を仏神の宝前に捨棄して刀剣武家の責めを恐れず、昼は国主に奏し夜は弟子等に語る。[p1122]
然りと雖も、真言・禅門・念仏者・律僧等、種種の狂言を搆へ重重の讒訴を企つるが故に、之を叙用せられざる間、処々に於て刀杖を加へられ、両度まで御勘気を蒙る。剰へ頭を刎んと擬す。[p1122]
夫れ以みれば、月支・漢土の仏法の邪正は且く之を置く。大日本国、亡国と為るべき由来之を勘ふるに、真言宗之元祖東寺の弘法・天台山第三の座主慈覚、此の両大師法華経と大日経との勝劣に迷惑し、日本第一の聖人なる伝教大師の正義を隠没してより已来、叡山諸寺は慈覚の邪義に付き、神護七大寺は弘法の僻見に随ふ。其れより已来、王臣邪師を仰ぎ、万民僻見に帰す。是の如き諂曲既に久しく、経歴すること四百余年。国漸く衰へ王法も亦尽きんとす。彼の月支の弗沙弥多羅王の八万四千の寺塔を焚焼し、無量の仏子之頚を刎し、此の漢土の会昌天子の寺院四千六百余所を滅失し、九国の僧尼を還俗せしめたる、此れ等大悪人たりと雖も、我が朝の大謗法には過ぎず。故に青天は眼を瞋らして此の国を睨み黄地は憤りを含んで動ずれば夭・を発す。[p1122-1123]
国主余の禍に非ざれば之を知らず。諸臣儒家に非ざれば事之を勘へず。剰へ此の災夭を消さんが為に真言師を渇仰し、大難を却かんが為に持斉等を供養す。譬へば火に薪を加へ冰に水を増すが如し。悪法は弥いよ貴まれ大難は益ます来る。只今此の国滅亡せんとす。[p1123]
予、粗先づ子細を勘ふる之間、身命を捨棄し、国恩を報ぜんとす。而るに愚人之習ひ遠きを尊び近きを蔑るか。将た又多人を信じて一人を捨つるか。故に終に空しく年月を送る。[p1123]
今幸ひ強仁上人御勘状を以て日蓮を暁喩す。然るべくば此の次いでに天聴を驚かし奉りて決せん。誠に又御勘文の為体、非を以て先とす。若し上人黙止して空しく一生を過ごさば定めて師檀共に泥梨の大苦を招かん。一期の大慢を以て永劫の迷因を殖えること勿れ。速々天奏を経て疾々対面を遂げ邪見を翻し給へ。書は言を尽くさず。言は心を尽くさず。悉々公場を期す。恐恐謹言。[p1123]
十二月二十六日 日 蓮 花押[p1123]
強仁上人座下[p1123]
#0203-000 智慧亡国御書 建治元年(1275) [p1128]
減劫と申すは人の心の内に候。貪瞋癡の三毒が次第に強盛になりもてゆくほどに、次第に人のいのちもつづまり、せい(身長)もちいさくなりもてまかるなり。漢土・日本国は仏法已前には三皇・五帝・三聖等の外経をもて、民の心をとゝのへてよ(世)をば治めしほどに、次第に人の心はよきことははかなく、わるき事はかしこくなりしかば、外経の智あさきゆへに悪のふかき失をいましめがたし。外経をもつて世をさまらざりしゆへに、やうやく仏経をわたして世間ををさめしかば、世をだやかなりき。此れはひとへに仏教のかしこきによて、人民の心をくはしくあかせるなり。[p1128]
当時の外典と申すは、本の外経の心にあらず。仏法のわたりし時は外経と仏経とあらそいしかども、やうやく外経まけて王と民と用ひざりしかば、外経のもの内経の所従となりて立ちあうことなくありしほどに、外経の人々内経の心をぬきて智慧をまし、外経に入て候を、をろかなる王は外典のかしこきかとをもう。又人の心やうやく善の智慧ははかなく、悪の智慧かしこくなりしかば、仏経の中にも小乗経の智慧せけんををさむるに、世をさまることなし。其の時大乗経をひろめて代ををさめしかば、すこし代をさまりぬ。其の後、大乗経の智慧及ばざりしかば、一乗経の智慧をとりいだして、代ををさめしかば、すこししばらく代をさまりぬ。[p1128-1129]
今の代は外経も、小乗経も、大乗経も一乗法華経等も、かなわぬよ(世)となれり。ゆへいかんとなれば、衆生の貪瞋癡の心のかしこきこと、大覚世尊の大善にかしこきがごとし。譬へば犬は鼻のかしこき事人にすぎたり。又、鼻の禽獣をかぐことは、大聖の鼻通にもをとらず。ふくろうがみゝ(耳)のかしこき、とびの眼のかしこき、すずめの舌のかろき、りうの身のかしこき、皆かしこき人にもすぐれて候。[p1129]
そのやうに末代濁世の心の貪欲・瞋恚・愚痴のかしこさは、いかなる賢人聖人も治めがたき事なり。其の故は貪欲をば仏不浄観の薬をもて治し、瞋恚をば慈悲観をもて治し、愚痴をば十二因縁観をもてこそ治し給ふに、いまは此の法門をとひて、人ををとして貪欲・瞋恚・愚痴をますなり。譬へば火をば水をもつてけす、悪をば善をもつて打つ。しかるにかへりて水より出でぬる火をば、水をかくればあぶらになりて、いよいよ大火となるなり。[p1129]
今末代悪世に世間の悪より出世の法門につきて大悪出生せり。これをばしらずして、今の人々善根をす(修)ゝれば、いよいよ代のほろぶる事出来せり。今の代の天台・真言等の諸宗の僧等をやしなうは、外は善根とこそ見ゆれども、内は十悪五逆にもすぎたる大悪なり。[p1129-1130]
しかれば代のをさまらん事は、大覚世尊の智慧のごとくなる智人世に有りて、仙豫国王のごとくなる賢王とよりあひて、一向に善根をとどめ、大悪をもて八宗の智人とをもうものを、或はせめ、或はながし、或はせ(施)をとどめ、或は頭をはねてこそ、代はすこしをさまるべきにて候へ。法華経の第一の巻の諸法実相乃至唯仏与仏乃能究尽ととかれて候はこれなり。本末究竟と申すは、本とは悪のね(根)善の根、末と申すは悪のをわり善の終りぞかし。善悪の根本枝葉をさとり極めたるを仏とは申すなり。天台云く ̄夫一心具十方界〔夫れ一心に十方界を具す〕等云云。章安云く ̄仏尚此為大事何可得易解也〔仏尚此を大事と為す何ぞ解し易きことを得べけん〕。妙楽云く ̄乃是終窮究竟極説〔乃ち是れ終窮究竟の極説なり〕等云云。法華経に云く_皆与実相不相違背〔皆実相と相違背せず〕等云云。天台之を承けて云く ̄一切世間治生産業皆与実相不相違背〔一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず〕等云云。智者とは世間の法より外に仏法を行はず。世間の治世の法を能々心へて候を智者とは申すなり。[p1130]
殷の代の濁りて民のわづらいしを、大公望出世して殷の紂が頚を切りて民のなげきをやめ、二世王が民の口ににがゝりし、張良出でて代ををさめ民の口をあまくせし。此等は仏法已前なれども、教主釈尊の御使として民をたすけしなり。外経の人々はしらざりしかども、彼等の人々の智慧は内心には仏法の智慧をさしはさみたりしなり。[p1130-1131]
今の代には正嘉の大地震、文永大せひせひ(彗星)の時、智慧かしこき国主あらましかば、日蓮をば用ひつべかりしなり。それこそなからめ、文永九年のどしうち(同士打)、十一年の蒙古のせめの時は、周の文王の大公望をむかへしがごとく、殷の高丁王の伝悦を七里より請せしがごとくすべかりしぞかし。日月は生盲の者には財にあらず。賢人をば愚王のにくむとはこれなり。[p1131]
しげきゆへいしるさず。法華経の御心と申すはこれてひの事にて候。外のこととをぼすべからず。大悪は大善の来るべき瑞相なり。一閻浮提うちみだすならば、閻浮提内。広令流布〔閻浮提の内に、広く流布せしめて〕はよも疑ひ候はじ。[p1131]
此の大進阿闍梨を故六郎入道殿の御はかへつかわし候。むかしこの法門を聞いて候人々には関東の内ならば、我とゆきて其のはかに自我偈よみ候はんと存じて候。しかれども、当時のありさまは日蓮かしこへゆくならば、其の日に一国にきこへ、又かまくらまでもさわぎ候はんか。心ざしある人なりとも、ゆきたらんところの人人め(目)ををそれぬべし。いままでとぶらい候はねば、聖霊いかにこひしくをはすらんとをもへば、あるやうもありなん。そのほどまづ弟子をつかはして御はかに自我偈をよませまいらせしなり。其の由御心へ候へ。恐々。[p1131]
#0204-0K0 白米和布御書 建治元年(1275) [p1132]
白米五升・和布一連給了んぬ。[p1132]
阿育大王は昔得勝童子也。沙餅を以て仏を供養し一閻浮提の王と為る。今の施主は白米五升を以て法華経を供養す。豈に成仏せざらんや。何に況んや飢えたる世をや也云云。[p1132]
乃時 日 蓮 花押[p1132]
御返事[p1132]
#0205-100 清澄寺大衆中 建治二年(1276.正・11) [p1132]
新年の慶賀自他幸甚幸甚。[p1132]
去年不来如何。定有子細歟。抑企参詣候〔去年来らず、如何。定めて子細有らんか。抑そも参詣を企て候〕ば伊勢公の御房に十住心論・秘蔵宝鑰・二教論等の真言の疏を借用候へ。是の如きは真言師蜂起之故に之を申す。又止観の第一第二御随身候へ。東春・輔正記なんどや候らん。円智房の御弟子に観智房の持ちて候なる宗要集かし(貸)たび候へ。それのみならず、ふみ(文)の候由も人々に申し候ひし也。早々に返すべきよし申させ給へ。[p1132-1133]
今年は殊に仏法の邪正たださるべき年歟。浄顕の御房・義城房等には申し給ふべし。日蓮が度々殺害せられんとし、竝びに二度まで流罪せられ、頚を刎られんとせし事は別に世間の失に候はず。生身の虚空蔵菩薩より大智慧を給はりし事ありき。日本第一の智者となし給へと申せし事を不便とや思し食しけん。明星の如くなる大宝珠を給ひて右の袖にうけとり候ひし故に、一切経を見候ひしかば八宗竝びに一切経の勝劣粗是れを知りぬ。其の上、真言宗は法華経を失ふ宗也。是れは大事なり。先づ序分に禅宗と念仏宗の僻見を責めて見んと思ふ。[p1133]
其の故は月氏・漢土の仏法の邪正は且く之を置く。日本国の法華経の正義失ひて一人もなく人の悪道に堕つる事は、真言宗が影の身に随ふが如く、山々ごとに法華宗に真言宗をあひそひ(副)て、如法の法華経に十八道をそへ、懺法に阿弥陀経を加へ、天台宗の学者の潅頂をして真言宗を正とし法華経を傍とせし程に、真言経と申すは爾前権経の内の華厳・般若にも劣れるを、慈覚・弘法これに迷惑して、或は法華経に同じ、或は勝れたりなんど申して、仏を開眼するにも仏眼大日の印・真言をもつて開眼供養するゆへに、日本国の木画の諸像皆無魂無眼の者となりぬ。結句は天魔入り替わりて檀那をほろぼす仏像となりぬ。王法の尽きんとするこれなり。[p1133]
此の悪真言かまくら(鎌倉)に来りて、又日本国をほろぼさんとす。その上、禅宗・浄土宗なんどと申すは又いうばかりなき僻見の者なり。此れを申さば必ず日蓮が命と成るべしと存知せしかども、虚空蔵菩薩の御恩をほう(報)ぜんがために、建長五年四月二十八日、安房の国東条の郷清澄寺道善之房持仏堂の南面にして、浄円房と申すもの竝びに少々の大衆にこれを申しはじめて、其の後二十余年が間退転なく申す。[p1133-1134]
或は所を追ひ出だされ、或は流罪等、昔は聞く不軽菩薩の杖木等を。今は見る日蓮が刀剣に当る事を。日本国の有智無智上下万民の云く 日蓮法師は古の論師・人師・・大師・先徳にすぐべからずと。日蓮この不審をはらさんがために、正嘉・文永の大長星を見て勘へて云く 我が朝に二つの大難あるべし。所謂自界叛逆難・他国侵逼難也。自界は鎌倉に権の大夫殿御子孫どしうち(同士打)出来すべし。他国侵逼難は四方よりあるべし。其の中に西よりつよくせむべし。是れ偏に仏法が一国挙て邪まなるゆへに、梵天・帝釈の他国に仰せつけてせめらるるなるべし。日蓮をだに用ひぬ程ならば、将門・純友・貞任・利仁・田村のやうなる将軍百千万人ありとも叶ふべからず。これまことならずば真言と念仏等の僻見をば信ずべしと申しひろめ候ひき。[p1134]
就中、清澄山の大衆は日蓮を父母にも三宝にもをもひをとさせ給はば、今生には貧窮の乞者とならせ給ひ、後生には無間地獄に堕ちさせ給ふべし。故いかんとなれば、東條左衛門景信が悪人として清澄のかいしゝ(飼鹿)等をかり(狩)とり、房々の法師等を念仏者の所従にしなんとせしに、日蓮敵をなして領家のかたうどとなり、清澄・二間の二箇寺の寺、東条が方につくならば日蓮法華経をすてんと、せいじやう(精誠)の起請をかいて、日蓮が御本尊の手にゆい(結)つけていのりて、一年が内に両寺は東條が手をはなれ候ひしなり。此事は虚空蔵菩薩もいかでかすてさせ給ふべき。[p1134-1135]
大衆も日蓮を心へずにをもはれん人々は、天にすてられたてまつらざるべしや。かう申せば愚痴の者は我をのろう(呪咀)と申すべし。後生に無間地獄に堕ちんが不便なれば申すなり。
領家の尼ごぜんは女人なり、愚痴なれば人々のいひをど(嚇)せばさこそとましまし候らめ。されども恩をしらぬ人となりて、後生に悪道に堕ちさせ給はん事こそ、不便に候へども、又一つには日蓮が父母等に恩をかほらせたる人なれば、いかにしても後生をたすけたてまつらんとこそいのり候へ。[p1135]
法華経と申す御経は別の事も候はず。我は過去五百塵点劫より先の仏なり。又舎利弗等は未来に仏になるべしと。これを信ぜざらん者は無間地獄に堕つべし。我のみかう申すにはあらず。多宝仏も証明し、十方の諸仏も舌をいだしてかう候。地涌千界・文殊・観音・梵天・帝釈・日・月・四天・十羅刹、法華経の行者を守護し給はんと説かれたり。されば仏になる道は別のやうなし。過去の事、未来の事を申しあてて候がまことの法華経にては候なり。[p1135-1136]
日蓮はいまだつくし(筑紫)を見ず、えぞ(西戎)しらず。一切経をもて勘へて候へばすでに値ひぬ。もししからば、各々不知恩の人なれば無間地獄に堕ち給ふべしと申し候はたはひ候べき歟。[p1136]
今はよし、後をごらんぜよ。日本国は当時のゆき(壹岐)対馬のやうになり候はんずるなり。其の後、安房の国にむこ(蒙古)が寄せて責め候はん時、日蓮房の申せし事の合ひたりと申すは、偏執の法師等が口すくめて無間地獄に堕ちん事、不便なり、不便なり。[p1136]
正月十一日 日 蓮 花押[p1136]
安房の国清澄寺大衆中[p1136]
このふみは、さど(佐渡)殿とすけあさり(助阿闍梨)御房と虚空蔵の御前にして大衆ごとによみきかせ給へ。[p1136]
#0207-000 松野殿御消息 建治二年(1276.02・17) [p1139]
柑子一篭・種種の物送り給候。[p1139]
法華経第七の巻薬王品に云く_衆星之中。月天子。最為第一。此法華経。亦復如是。於千万億種。諸経法中。最為照明〔衆星の中に月天子最も為れ第一なるが如く、此の法華経も亦復是の如し。千万億種の諸経法の中に於て最も為れ照明なり〕云云。文の意は虚空の星は或は半里、或は一里、或は八里、或は十六里也。天の満月輪は八百里にてをはします。華厳経六十巻・或八十巻、般若経六百巻、方等経六十巻、涅槃経四十巻・三十六巻、大日経・金剛頂経・蘇悉地経・観経・阿弥陀経等の無量無辺の諸経は星の如し。法華経は月の如しと説かれて候経文也。此れは龍樹菩薩・無著菩薩・天台大師・善無畏三蔵等の論師人師の言にもあらず、教主釈尊の金言也。譬へば天子の一言の如し。[p1139]
又法華経の薬王品に云く_有能受持。是経典者。亦復如是。於一切衆生中。亦為第一〔能く是の経典を受持することあらん者も亦復是の如し。一切衆生の中に於て亦為れ第一なり〕。文の意は法華経を持つ人は男ならば何なる田夫にても候へ、三界の主たる大梵天王・釈提桓因・四大天王・転輪聖王・乃至漢土・日本の国主等にも勝れたり。何に況んや日本国の大臣・公卿・源平の侍・百姓等に勝れたる事申すに及ばず。女人ならば・尸迦女・吉祥天女・漢の李夫人・楊貴妃等の無量無辺の一切の女人に勝れたりと説かれて候。[p1139]
案ずるに経文の如く申さんとすればをびただしき様なり。人もちゐん事もかたし。此れを信ぜじと思へば、如来の金言を疑ふ失は経文明らかに阿鼻地獄の業と見へぬ。進退わづらひ有り、何がせん。此の法門を教主釈尊は四十余年が間は胸内にかくさえ給ふ。さりとてはとて御年七十二と申せしに、南閻浮提の中天竺王舎城の丑寅耆闍崛山にして説かせ給ひき。今日本国には仏御入滅一千四百余年と申せしに来りぬ。夫れより今七百余年也。先一千四百余年が間は日本国の人、国王・大臣乃至万民一人も此のことを知らず。今此の法華経わたらせ給へども、或は念仏を申し、或は真言にいとまを入れ、禅宗持斉なんど申し、或は法華経を読む人は有りしかども、南無妙法蓮華経と唱ふる人は日本国に一人も無し。[p1139-1140]
日蓮始めて建長五年夏の始めより二十四年が間唯一人、当時の人の念仏を申すやうに唱ふれば、人ごとに是れを笑ひ、結句はのり、うち、切り、流し、頚をはねんとせらるること、一日二日一月二月一年二年ならざれば、こらふ(堪)べしともをぼえ候はねども、此の経文を見候へば、檀王と申せし王は千歳が間阿私仙人に責めつかはれ、身を牀となし給ふ。不軽菩薩と申せし僧は多年が間悪口罵詈せられ、刀杖瓦礫を蒙り、薬王菩薩と申せし菩薩は千二百年が間身をやき、七万二千歳ひぢ(臂)を焼き給ふ。此れを見はんべるに、何なる責め有りとも、いかでかさてせき(塞)留むべきと思ふ心に、今まで退転候はず。[p1140-1141]
然るに在家の御身として皆人にくみ候に、而もいまだ見参に入り候はぬに、何と思し食して御信用あるやらん。是れ偏に過去の宿植なるべし。来生に必ず仏に成らせ給ふべき期の来りてもよを(催)すこゝろなるべし。[p1141]
其の上経文には鬼神の身に入る者は此の経を信ぜず、釈迦仏の御魂の入りかはれる人は此の経を信ずと見へて候へば、水に月の影の入りぬれば水の清むがごとく、御心の水に教主釈尊の月の影の入り給ふ歟とたのもしく覚へ候。[p1141]
法華経の第四法師品に云く_有人求仏道 而於一劫中 合掌在我前 以無数偈讃 由是讃仏故 得無量功徳 歎美持経者 其福復過彼〔人あって仏道を求めて 一劫の中に於て 合掌し我が前にあって 無数の偈を以て讃めん 是の讃仏に由るが故に 無量の功徳を得ん 持経者を歎美せんは 其の福復彼れに過ぎん〕等云云。文の意は一劫が間教主釈尊を供養し奉るよりも、末代の浅智なる法華経の行者の、上下万民にあだまれて餓死すべき比丘等を供養せん功徳は勝るべしとの経文なり。一劫と申すは八万里なんど候はん青めの石を、やすりを以て無量劫が間する(磨)ともつきまじきを。梵天三銖の衣と申して、きはめてほそくうつくしきあまの羽衣を以て、三年に一度下りてなづるに、なでつくしたるを一劫と申す。此の間無量の財を以て供養しまいらせんよりも、濁世の法華経の行者を供養したらん功徳はまさるべきと申す文也。[p1141]
信じがたき事なれども、法華経はこれていに、をびただしく、まことしからぬ事どもあまたはんべし。又信ぜじとをもえば多宝仏は証明を加へ、教主釈尊は正直の金言となのらせ給ふ。諸仏は広長舌を梵天につけぬ。父のゆづりに母の状をそえて賢王の宣旨を下し給ふがごとし。三つこれ一同なり、誰かこれを疑はん。[p1141-1142]
されば此れを疑ひし人無垢論師は舌五つに破れ、嵩法師は舌ただれ、三階禅師は現身に大蛇となる。徳一は舌八つにさけにき。其れのみならず、此の法華経竝びに行者を用ひずして、身をそんじ、家をうしない、国をほろぼす人人、月支・震旦に其の数をしらず。第一には日天朝に東に出で給ふに、大光明を放ち天眼を開いて南閻浮提を見給ふに、法華経の行者あれば心に歓喜し、行者をにくむ国あれば天眼いからして其の国をにらみ給ふ。始終用ひずして国の人にくめば、其の故と無くいくさをこり、他国より其の国を破るべしと見へて候。[p1142]
昔徳勝童子と申せしをさなき者は、土の餅を釈迦仏に供養し奉りて、阿育大王と生まれて、閻浮提の主と成りて、結句は仏になる。今の施主の菓子等を以て法華経を供養しまします、何かに十羅刹女等も悦び給ふらん。悉く尽くしがたく候。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。[p1142]
二月十七日 日 蓮 花押[p1142]
松野殿御返事[p1142]
#0211-000 富木尼御前御書 建治二年(1276.03・27) [p1147]
鵞目一貫竝びにつゝ(筒)ひとつ給候ひ了んぬ。[p1147]
やのはしる事は弓のちから、くものゆくことはりう(龍)のちから、をとこのしわざは女のちからなり。いまときどののこれへ御わたりある事、あまごぜんの御力なり。[p1147]
けぶりをみれば火をみる、あめ(雨)をみればりう(龍)をみる。をとこを見れば女をみる。今ときどのにけさん(見参)つかまつれば、尼ごぜんをみたてまつるとをおぼう。ときどのの御物がたり候は、このはわ(此母)のなげきのなかに、りんずう(臨終)のよくをはせしと、尼がよくあたり、かんびやうせし事のうれしさ。いつのよ(世)にわするべしともをぼへずと、よろこばれ候なり。[p1147-1148]
なによりもをぼつかなき事は御所労なり。かまへてさもと三年、はじめのごとくに、きうぢ(灸治)せさせ給へ。病なき人も無常まぬがれがたし。但しとしのはてにはあらず。法華経の行者なり。非業の死にはあるべからず。よも業病なりとも、法華経の御力たのもし。阿闍世王は法華経を持ちて四十年の命をのべ、陳臣は十五年の命をのべたり。尼ごぜん又法華経の行者なり。御信心月のまさるがごとく、しを(潮)のみつがごとし。いかでか病も失せ、寿ものびざるべきと強盛にをぼしめし、身を持し、心に物をなげかざれ。[p1148]
なげき出で来る時は、ゆき(壹岐)・つしまの事、だざひふの事。かまくらの人々の天の楽のごと(如)にありしが、当時つくしへむかへば、とどまる女こ、ゆくをとこ、はなるるときはかわ(皮)をはぐがごとく、かを(顔)とかをとをとりあわせ、目と目とをあわせてなげきしが、次第にはなれて、ゆいのはま・いなぶら・こしごへ・さかわ・はこねさか(箱根坂)。一日二日すぐるほどに、あゆみあゆみとをざかるあゆみも、やわも山もへだて、雲もへだつれば、うちそうものはなみだなり、ともなうものはなげきなり、いかにかなしかるらん。かくなげかんほどに、もうこのつわものせめきたらば、山か海もうけどりか、ふねの内かかうらい(高麗)かにてうきめにあはん。[p1148-1149]
これひとへに失もなくて日本国の一切衆生の父母たる法華経の行者日蓮を、ゆへもなく、或はのり、或は打ち、或はこうじ(街路)をわたし、ものにくるいしが、十羅刹のせめをかほりてなれる事なり。又々これより百千万億倍たへがたき事どもいで来るべし。[p1149]
かゝる不思議を目の前に御らんあるぞかし。我等は仏に疑ひなしとをぼせば、なにのなげきかあるべき。きさきになりてもなにかせん。天に生まれてもようしなし。龍女があとをつぎ、摩訶波舎波提比丘尼のれち(列)につらなるべし。あらうれしあらうれし。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱へさせ給へ。恐々謹言。[p1149]
三月二十七日 日 蓮 花押[p1149]
尼ごぜんへ[p1149]
#0212-0K0 忘持経事 建治二年(1276.03) [p1150]
忘れ給ふ所の御持経、追て修行者に持たせ之を遣はす。櫓の哀公云く 人好く忘る者有り。移宅に乃ち其の妻を忘れたり云云。孔子云く 又好く忘るること此れより甚だしき者有り。桀紂之君は乃ち其の身を忘れたり等云云。夫れ槃特尊者は名を忘る。此れ閻浮第一の好く忘るる者なり。今常忍上人は持経を忘る。日本第一の好く忘るる之仁か。大通結縁の輩は衣珠を忘れ、三千塵劫を経て貧路を蜘・し、久遠下種之人は良薬を忘れ、五百塵点を送りて三途の嶮地に顛倒せり。今真言宗・念仏宗・禅宗・律宗等の学者等は仏陀の本意を忘失し、未来無数劫を経歴して阿鼻の火坑に沈淪せん。此れより第一の好く忘るる者あり。所謂今の世の天台宗の学者等と持経者等との日蓮を誹謗し念仏者等を扶助する、是れ也。親に背いて敵に付き、刀を持て自らを破る。此れ等は且く之を置く。[p1150]
夫れ常啼菩薩は東に向ひて般若を求め、善財童子は南に向ひて華厳を得る。雪山の小兒は半偈の為に身を投げ、楽法梵志は一偈に皮を剥ぐ。此れ等は皆上聖大人也。其の迹を・ふるに地住に居し、其の本を尋ぬれば等妙なるのみ。身は八熱に入て火坑三昧を得、心は八寒に入て清涼三昧を証し、身心共に苦無し。譬へば矢を放ちて虚空を射、石を握りて水に投ずるが如し。[p1150]
今常忍貴辺は末代の愚者にして見思未断の凡夫也。身は俗に非ず僧に非ず禿居士。心は善に非ず悪に非ず羝羊のみ。然りと雖も一人の悲母堂に有り。朝に出でて主君に詣で、夕に入て私宅に返り、営む所は悲母の為、存する所は孝心のみ。而るに去月下旬之比、生死の理を示さんが為に黄泉の道に趣く。此に貴辺と歎いて云く 齢既に九旬に及び子を留めて親の去ること次第たりと雖も、倩事の心を案ずるに、去りて後、何れの月日をか期せん。二母国に無し。今より後誰をか拝すべき。[p1150-1151]
離別忍び難き之間、舎利を頚に懸け足に任せて大道に出でて下州より甲州に至る。其の中間往復千里に及ぶ。国々皆飢饉して山野に盗賊充満し、宿々粮米乏少也。我が身羸弱所従亡きがごとく、牛馬期に合わせず。峨々たる大山重々として、漫々たる大河多々なり。高山に登れば頭を天に・ち、幽谷に下れば足雲を踏む。鳥に非ざれば渡り難く、鹿に非ざれば越え難し。眼眩き足冷ゆ。羅什三蔵の葱嶺・役の優婆塞大峰も只今なりと云云。[p1151]
然る後深洞に尋ね入て一庵室を見る。五体を地に投げ合掌して両眼を開き尊容を拝し、歓喜身に余り身心の苦忽ち息む。我が頭は父母の頭、我が足は父母の足、我が十指は父母の十指、我が口は父母の口なり。譬へば種子と菓子と身と影との如し。教主釈尊の成道は浄飯・摩耶の得道。吉占師子・青提女・目・尊者は同時の成仏也。是の如く観ずる時、無始の業障忽ちに消え、心生の妙連忽ちに開き給ふか。然して後に随分仏事を為し事故無く還り給ふ云云。恐々謹言。[p1150]
富木入道殿[p1150]
#0213-100 光日房御書 建治二年(1276.03) [p1152]
去る文永八年太歳辛未の九月のころより御勘気をかほりて、北国の海中佐渡の嶋にはなたれしかば、なにとなく相州鎌倉に住みしには、生国なれば安房の国はこひしかりしかども、我が国ながらも、人の心もいかにとや、むつ(昵)びにくくありしかば、常にはかよう事もなくしてすぎしに、御勘気の身となりて死罪となるべかりしが、しばらく国の外にはなたれし上は、おぼろげ(小縁)ならではかまくらへはかへるべからず。かへらずば又父母のはかをみる身となりがたしとおもいつづけしかば、いまさらとびたつばかりくやしくて、などかゝる身とならざりし時、日にも月にも海にもわたり、山をもこえて父母のはかをもみ、師匠のありやうをもとひおとづれざりけんとなげかしくて、彼の蘇武が胡国に入りて十九年、かりの南へとびけるをうらやみ、仲丸が日本国の朝使としてもろこしにわたりてありしが、かへされずしてとしを経しかば、月の東に出でたるをみて、我が国みかさの山にも此の月は出でさせ給ひて、故里の人も只今月に向ひてながむらんと、心をすましてけり。此れもかくをもひやりし時、我が国より或人のびん(便)につけて、衣をたびたりし時、彼の蘇武がかりのあし、此れは現に衣あり。にるべくもなく心なぐさみて候ひしに、日蓮はさせる失あるべしとはをもはねども、此の国のならひ、念仏者と禅宗と律宗と真言宗にすかされぬゆへに、法華経をば上にはたうとよむよしをふるまへ、心には入らざるゆへに、日蓮が法華経をいみじきよし申せば、威音王仏の末の末法に、不軽菩薩をにくみしごとく、上一人より下万民にいたるまで、なをもきかじまして形をみる事はをもひよらず、さればたとひ失なくとも、かくなさるる上はゆるしがたし。[p1152-1153]
ましていわうや日本国の人の父母よりもをもく、日月よりもたかくたのみたまへる念仏を、無間の業と申し、禅宗は天魔の所為、真言は亡国の邪法、念仏者・禅宗・律僧等が寺をばやきはらひ、念仏者どもが頚をはねらるべしと申す上、故最明寺極楽寺の両入道殿を阿鼻地獄に堕ち給ひたりと申すほどの大禍のある身なり。[p1153]
此れ等程の大事を上下万民に申しつけられぬる上は、設ひそらごとなりとも此の世にはうかびがたし。いかにいわうやこれはみな朝夕に申し、昼夜に談ぜしうへ、平左衛門尉等の数百人の奉行人に申しきかせ、いかにとが(科)に行はるとも申しやむまじきよし、したゝかにいゐきかせぬ。されば大海のそこのちびきの石はうかぶとも、天よりふる雨は地にをちずとも、日蓮は鎌倉へは還るべからず。[p1153-1154]
但し法華経のまことにおわしまし、日月我をすて給はずば、かへり入りて又父母のはかをもみるへんもありなんと、心づよくをもひて梵天・帝釈・日月・四天はいかになり給ひぬるやらん。天照大神・正八幡宮は、此の国にをはせぬか。仏前の御起請はむなしくて、法華経の行者をばすて給ふか。もし此の事叶はずば、日蓮が身のなにともならん事はをしはからず。各々現に教主釈尊と多宝如来と十方の諸仏の御宝前にして誓状を立て給ひしが、今日蓮を守護せずして捨て給ふならば、正直捨方便の法華経に大妄語を加へ給へるか、十方三世の諸仏をたぼらかし奉れる御失は、提婆達多が大妄語にもこへ、瞿伽梨尊者が虚誑罪にもまされたり。設い大梵天として色界の頂に居し、千眼天といはれて須弥の頂におはすとも、日蓮をすて給ふならば、阿鼻の炎にはたきぎとなり、無間大城にはいづるごおはせじ。此の罪をそろしくおぼせば、いそぎいそぎ国にしるしをいだし給へ、本国へかへし給へと、高き山にのぼりて大音声をはなちてさけびしかば、九月の十二日に御勘気、十一月に謀反のものいできたり、かへる年の二月十一日に、日本国のかためたるべき大将どもよしなく打ちころされぬ。天のせめという事あらわなり。此にやをどろかれけん、弟子どもゆるされぬ。[p1154]
而れどもいまだゆりざりしかば、いよいよ強盛に天に申せしかば、頭の白き烏飛び来りぬ。彼の燕のたむ(丹)太子の馬、鳥のれい(例)、日蔵上人の、山がらすかしらもしろくなりにけり我がかへるべき期や来ぬらん、とながめし此れなりと申しもあへず、文永十一年二月十四日の御赦免状、同三月八日に佐渡の国につきぬ。同十三日に国を立てまうら(網羅)というつ(津)にをりて、十四日はかのつにとどまり、同じき十五日に越後の寺どまり(泊)のつにつくべきが、大風にはなたれ、さいわひ(幸)にふつかぢ(二日程)をすぎて、かしはざき(柏崎)につきて、次の日はこう(国府)につき、十二日を経て三月二十六日に鎌倉へ入りぬ。[p1154-1155]
同じき四月八日に平左衛門尉に見参す。本よりごせし事なれば、日本国のほろびんを助けんがために、三度いさめんに御用ひなくば、山林にまじわるべきよし存ぜしゆへに、同五月十二日に鎌倉をいでぬ。但し本国にいたりて今一度、父母のはかをもみんとをもへども、にしきをきて故郷へはかへれということは内外のをきてなり。させる面目もなくして本国へいたりなば、不孝の者にてやあらんずらん。これほどのかた(難)かりし事だにもやぶれて、かまくらへかへり入る身なれば、又にしきをきるへんもやあらんずらん。其の時、父母のはかをもみよかしと、ふかくをもうゆへにいまに生国へはいたらねども、さすがにこひしくて、吹く風、立つくもまでも、東のかたと申せば、庵をいでて身にふれ、庭に立ちてみるなり。[p1155-1156]
かゝる事なれば、故郷の人は設ひ心よせにおもはぬ物なれども、我が国の人といへばなつかしくてはんべるところに、此の御ふみを給て心もあらずしていそぎいそぎひらきみ候へば、をとゝしの六月の八日に、いや(弥)四郎にをくれ(後)てとかかれたり。御ふみも、ひろげつるまではうれしくて有りつるが、今、此のことばをよみてこそ、なにしにかいそぎひらきけん。うらしまが子のはこなれや、あけてくやしきものかな。[p1156]
我が国の事は、うくつらくあたりし人のすへまでも、をろかならずをもうに、ことさら此の人は形も常の人にはすぎてみへし上、うちをもひたるけしき、かたくなにもなしとみし。をりしも法華経のみざ(御座)なれば、しらぬ人々あまたありしかば言もかけずありしに、経はて(果)させ給ひて、皆人立ちかへる。此の人も立ちかへりしが、使いを入れて申せしは、安房の国のあまつ(天津)と申すところの者にて候が、をさなくより御心ざしをもひまいらせて候上、母にて候人も、をろか(疎略)ならず申し、なれ(馴)なれしき申す事にて候へども、ひそかに申すべき事の候。さきざきまひりて、次第になれ(馴)まひらせてこそ、申し入るべき候へども、ゆみや(弓箭)とる人にみやづかひてひま候はぬ上、事きう(急)になり候ひぬる上は、をそれをかへりみず申すと、こまごまときこえしかば、なにとなく生国の人なる上、そのあたりの事ははゞかるべきにあらずとて、入れたてまつるてこまごまと、こしかたゆくすへかたりて、のちには世間無常なり、いつと申す事をしらず。其の上、武士に身をまかせたる身なり。又、ちかく申しかけられて候事、のがれ(遁)がたし。さるにては後生こそをそろしく候へ、たすけさせ給へときこへしかば、経文をひいて申しきかす。[p1156-1157]
彼のなげき申せしは、父はさてをき候ひぬ。やもめにて候はわ(母)をさしをきて、前に立ち候はん事こそ、不孝にをぼへ候へ。もしやの事候ならば、御弟子に申しつたへてたび候へと、ねんごろにあつらへ候ひしが、そのたびは事ゆへなく候へけれども、後にむなし(空)くなる事のいできたりて候けるにや。人間に生をうけたる人、上下につけてうれへなき人はなけれども、時にあたり、人々にしたがひて、なげきしなじな(品々)なり。[p1157]
譬へば、病のならひは何の病も、重くなりぬれば是れにすぎたる病なしとをもうがごとし。主のわか(別)れ、をや(親)のわかれ、夫妻のわかれ、うづれおろかなるべき。なれども主は又他の主もありぬべし。夫妻は又かはりぬれば、心をやすむる事もありけん。をやこのわかれこそ、月日のへだつるまゝに、いよいよなげきふかかりぬべくみへ候へ。をやこのわかれにも、をやはゆきて子はとど(留)まるは、同じ無常なれどもことはりにもや。をひたるはわ(母)はとどまりて、わか(若)き子のさきたつなさけなき事なれば、神も仏もうらめしや。いかなれば、をやに子をかへさせ給ひてさきにはたてさせ給はず、とどめをかせ給ひて、なげかさせ給ふらんと心うし。心なき畜生すら子のわかれ(別)しのびがたし。竹林精舎の金鳥は、かひこ(卵)おんために身をやき、鹿野苑の鹿は、胎内の子ををしみて王の前にまいれり。いかにいわうや心あらん人にをいてをや。されば王陵が母の子のためになづき(頭脳)をくだき、神尭皇帝の后は胎内の太子の御ために腹をやぶらせ給ひき。此れ等ををもひつづけさせ給はんには、火にも入り、頭をもわりて、我が子の形をみるべきならば、をしからずとこそ、おぼすらめとをもひやられてなみだもとどまらず。[p1157-1158]
又御消息に云く 人をもころしたりし者なれば、いかやうなるところにか生まれて候らん、をほせをかほり候はんと云云。[p1158]
夫れ、針は水にしずむ。雨は空にとどまらず。蟻子を殺せる者は地獄に入り、死にかばね(屍)を切る者は悪道をまぬがれず。何に況んや、人身をうけたる者をころせる人をや。但し大石も海にうかぶ、船の力なり。大火もきゆる事、水の用にあらずや。小罪なれども、懺悔せざれば悪道をまぬかれず。大逆なれども、懺悔すれば罪きへぬ。[p1158-1159]
所謂、粟をつみ(摘)たりし比丘は、五百生が間牛となる。菰をつみし者は三悪道に堕ちにき。羅摩王・抜提王・・楼真王・那・沙王・迦帝王・・舎・王・月光王・光明王・日光王・愛王・持多人王等の八万余人の諸王は、皆、父を殺して位につく。善知識にあはざれば、罪きへずして阿鼻地獄に入りにき。波羅奈城に悪人あり、其の名をば阿逸多という。母をあひ(愛)せしゆへに父を殺し妻とせり。父が師の阿羅漢ありて、教訓せしかば阿らかむを殺す。母又、他の夫にとつぎしかば、又母をも殺しつ。具さに三逆罪をつくりしかば、隣里の人うとみ(疎)しかば一身たもちがたくして、祇・精舎にゆいて出家をもとめしに、諸僧許さざりしかば、悪心強盛にして多くの僧坊をやきぬ。然れども、釈尊に値ひ奉りて出家をゆるし給はりにき。北天竺に城あり。細石となづく。彼の城に王あり、龍印という。父を殺してありしかども、後に此れををそれて彼の国をすてて、仏にまいりたりしかば、仏懺悔を許し給ひき。[p1159]
阿闍世王は、ひととなり(成)三毒熾盛なり、十悪ひまなし。その上父をころし、母を害せんとし、提婆達多を師として無量の仏弟子を殺しぬ。悪逆のつも(積)りに、二月十五日、仏の御入滅の日にあたりて無間地獄の先相に、七処に悪瘡出生して、玉体しづかならず。大火の身をやくがごとく、熱湯をくみかくるがごとくなりしに、六大臣まいりて六師外道を召されて、悪瘡を治すべきやう申しき。今の日本国の人々の、禅師・律師・念仏者・真言師等を善知識とたのみて、蒙古国を調伏し、後生をたすからんとをもうがごとし。その上、提婆達多は阿闍世王の本師也。外道の六万蔵、仏法の八万蔵をそら(暗)にして、世間・出世のあきらかなる事、日月と明鏡とに向ふがごとし。今の世の天台宗の碩学の顕密二道を胸にうかべ、一切経をそらんぜしがごとし。此れ等の人々諸の大臣阿闍世王を教訓せしかば、仏に帰依し奉る事なかりし程に、摩竭提に天変度々かさなり、地夭しきりなる上、大風・大旱ばつ・飢饉・疫癘ひまなき上、他国よりせめられて、すでにかうとみえしに、悪瘡すら身に出でしかば、国土一時にほろびぬとみえし程に、俄に仏前にまいり、懺悔して罪きえしなり。[p1159-1160]
これらはさてをき候ひぬ。人のをやは悪人なれども、子、善人なればをやの罪ゆるす事あり。又、子、悪人なれども、親、善人なれば子の罪ゆるさるる事あり。されば故弥四郎殿は、設ひ悪人なりともうめる母、釈迦仏の御宝前にして昼夜なげきとぶらはば、争でか彼の人うかばざるべき。いかにいわうや、彼の人は法華経を信じたりしかば、をやをみちびく身とぞなられて候らん。法華経を信ずる人は、かまへてかまへて法華経のかたきををそれさせ給へ。念仏者と持斉と真言師と、一切南無妙法蓮華経と申さざらん者をば、いかに法華経をよむとも法華経のかたきとしろしめすべし。かたきをしらねばかたきにたぼら(誑)かされ候ぞ。[p1160-1161]
あはれあはれけさんに入てくわしく申し候はばや。又、これよりそれへわたり候三位房・佐渡公等に、たびごとにこのふみ(文)をよませてきこしめすべし。又、この御文をば明慧房にあづけ(預)させ給ふべし。なにとなく我が智慧はたらぬ者が、或はをこつき、或は子の文をさいかく(才覚)としてそしり候なり。或はよも此の御房は、弘法大師にはまさらじ、よも慈覚大師にはこへ(超)じなんど、人くらべをし候ぞ。かく申す人をばものしらぬ者とをぼすべし。[p1161]
建治二年[太歳丙子]三月 日 日 蓮 花押[p1161]
甲州南部波木井郷の山中[p1161]
#0215-000 南條殿御返事 建治二年(1276.閏.03・24) [p1170]
かたびら一・しを(塩)いちだ・あぶら五そう(升)給候ひ了んぬ。[p1170]
ころもはかん(寒)をふせぎ、又ねつをふせぐ。み(身)をかくし、みをかざる。法華経の第七やくわうぼんに云く_如裸者得衣〔裸なる者の衣を得たるが如く〕等云云。心ははだかなるもののころもをえたるがごとし。もんの心はうれしき事をとかれて候。ふほうぞう(付法蔵)の人のなかに商那和衆と申す人あり。衣をきてぬまれさせ給ふ。これは先生に仏法にころもをくやうせし人なり。されば法華経に云く_柔和忍辱衣等云云。[p1170]
こんろん山には石なし。みのぶのたけ(嶽)にはしを(塩)なし。石なきところには、たま(玉)よりもいしすぐれたり。しをなきところには、しをこめ(米)にもすぐれて候。国王のたからは左右の大臣なり。左右の大臣をば塩梅と申す。みそ・しをなければ、よ(世)わたりがたし。左右の臣なければ国をさまらず。[p1170-1171]
あぶらと申すは涅槃経に云く 風のなかにあぶらなし。あぶらのなかにかぜなし。風をぢ(治)する第一のくすりなり。[p1171]
かたがたのものをくり給ひて候。御心ざしのあらわれて候事もうすばかりなし。せんずるところは、こなんでうどの(故南條殿)の法華経の御しんようのふかかりし事のあらわるゝか。王の心ざしをば臣のべ、をやの心ざしをば子の申しのぶるとはこれなり。あわれことの(故殿)のうれしとをぼすらん。[p1171]
つくし(筑紫)にをゝはしの太郎と申しける大名ありけり。大将どのの御かんきをかほりて、かまくらゆいのはま、つちのろう(土牢)にこめられて十二年。せしはじめられしときつくし(筑紫)をうちいでしに、ごぜん(御前)にむかひて申せしは、ゆみや(弓箭)とるみ(身)となりて、きみの御かんきをかほらんことはなげきならず。又ごぜんにをさな(幼)くよりなれ(馴)しが、いまはなれん事いうばかりなし。こあれはさてをきぬ。なんし(男子)にても、によし(女子)にても、一人なき事なげきなり。ただしくわいにん(懐妊)のよしかたらせ給ふ。をうなご(女子)にてやあらんずらん。をのこと(男子)にてや候はんずらん。ゆくへをみざらん事くちをし。又かれが人となりて、ちゝ(父)というものもなからんなげき、いかがせんとをもへども力及ばず、といでにき。[p1171-1172]
かくて月ひ(日)すぐれ、ことゆへなく生れにき。をのこごにてありけり。七歳のとしやまでら(山寺)にのぼせてありければ、ともだちなりけるちごども(兒共)、をやなしとわらひけり。いへ(家)にかへりてはゝ(母)にちゝをたづねけり。はゝのぶるかたなくしてなく(泣)より外のことなし。此のちご申す。天なくしては雨ふらず、地なくしてはくさをいず。たとい母ありともちゝなくばひと(人)となるべからず。いかに父のありどころをばかくし給ふぞとせめしかば、母せめられて云く わちご(和兒)をさなければ申さぬなり。ありやうはかうなり。此のちごなくなく申すやう、さてちゝのかたみはなきかと申せしかば、これありとて、をゝはし(大橋)のせんぞの日記、ならびにはら(腹)の内なる子にゆづれる自筆の状なり。いよいよをやこひしくて、なくより外の事なし。さていかんがせんといゐしかば、これより郎従あまたともせしかども、御かんきをかほりければみなちりうせぬ。そののちはいきてや、又しにてや、をとづるる人なし[p1172]、とかたりければ、ふしころびなきて、いさむるをももちゐざりけり。はゝいわく、をのれをやまでら(山寺)にのぼする事は、をやのけうやうのためなり。仏に花をもまいらせよ。経をも一巻よみて孝養とすべしと申せしかば、いそぎ寺にのぼりていえゝかへる心なし。昼夜に法華経をよみしかば、よみわたりけるのみならず、そらにをぼへてありけり。[p1172-1173]
さて十二の年、出家せずしてかみ(髪)をつゝみ、とかくしてつくしをにげいでて、かまくらと申すところへたづねいりぬ。八幡の御前にまいりてふしをがみ申しけるは、八幡大菩薩は日本第十六の王、本地は霊山浄土、法華経をとかせ給ひし教主釈尊なり。衆生のねがいをみ(満)て給はんがために神とあらわれさせ給ふ。今わがねがいみてさせ給へ。をやは生きて候か、しにて候かと申して、いぬ(戌)の時より法華経をはじめて、とら(寅)の時までによみければ、なにとなくをさなきこへ(声)ほうでん(宝殿)にひびきわたり、こゝろすご(凄)かりければ、まいりてありける人々も、かへらん事をわすれにき。皆人いち(市)のやうにあつまりてみければ、をさなき人にて法師ともをぼえず、をうなにてもなかりけり。おりしもきやう(京)のにゐ(二位)どの御さんけいありけり。人めをしのばせて給ひてまいり給ひたりけれども、御経のたうとき事つねにもすぐれたりければ、はつるまで御聴聞ありけり。[p1173-1174]
さてかへらせ給ひてをはしけるが、あまりなごりのをしさに、人をつけてをきて、大将殿へかゝる事ありと申させ給ひければ、めして持仏堂にして御経よませまいらせ給ひけり。[p1174]
さて次の日又御聴聞ありければ、西のみかど(御門)人さわぎけり。いかなる事ぞとききしかば、今日はめしうどのくびきらるゝとのゝしりけり。あわれ、わがをやはいままで有るべしとはをもわねども、さすが人の頚をきらるゝと申せば、我が身のなげきとをもひてなみだぐみたりけり。大将殿あやしとごらんじて、わちご(和兒)はいかなるものぞ、ありのまゝに申せとありしかば、上くだんの事一々に申しけり。をさふらひにありける大名小名、みす(翠簾)の内、みなそでをしぼりけり。大将殿かぢわら(梶原)をめしてをほせありけるは、大はしの太郎というめしうどまいらせよとありしかば、只今くびきらんとて、ゆい(由比)のはまへつかわし候ひぬ。いまはきりてや候らんと申せしかば、このちご御まへなりけれども、ふしころびなきにけり。をゝせのありけるは、かぢわらわれとはしちて、いまだ切らずばぐ(具)してまいれとありしかば、いそぎいそぎゆいのはまへはせゆく。いまだいたらぬによばわりければ、すでに頚切られんとて、刀をぬきたりけるときなりけり。[p1174]
さてかぢわらをゝはしの太郎を、なわつけながらぐ(具)しまいりて、をゝには(大庭)にひきしへたりければ、大将殿このちごにとらせよとありしかば、ちごはしりをりて、縄をときけり。大はしの太郎はわが子ともしらず、いかなる事ゆへにつかるともしらざりけり。[p1175]
さて大将殿又めして、このちごにやうやうの御ふせたび(給)て、をゝはしの太郎をたぶ(給)のみならず、本領をも安堵ありけり。大将殿をほせありけるは、法華経の御事は、昔よりさる事とわききつたへたれども、丸は身にあたりて二つのゆへあり。一には故親父の御くびを、大上(政)入道に切られてあさましともいうばかりなかりしに、いかなる神仏にか申すべきとをもいしに、走湯山の妙法尼より法華経をよみつたへ、千部と申せし時、たかを(高尾)のもんがく房、をやのくびをもて来りてみせたりし上、かたきを打つのみならず、日本国の普請大将を給ひてあり。これひとへに法華経の御利生なり。二つにはこのちごがをやをたすけぬる事不思議なり。大橋の太郎というやつは、頼朝きくわいなりとをもう。たとい勅宣なりともかへ(返)し申して、くびをきりてん。あまりのにくさにこそ、十二年まで土のろうには入れてありつるに、かゝる不思議あり。されば法華経と申す事はありがたき事なし。頼朝は武士の大将にて、多くのつみつもりてあれども、法華経を信じまいらせて候へば、さりともとこそをもへとなみだぐみ給ひけり。[p1175-1176]
今の御心ざしみ候へば、故なんでうどのはただ子なれば、いとをしとわをぼしめしけるらめども、かく法華経をもて我がけうやうをすべしとはよもをぼしたらじ。たとひつみありて、いかなるところにをはすとも、この御けうやうの心ざしをばえんまほうわう(閻魔法皇)ぼんでん(梵天)たひしやく(帝釈)までもしろしめしぬらん。釈迦仏・法華経も、いかでかすてさせ給ふべき。かのちごのちゝのなわ(縄)をときしと、この御心ざしかれにたがわず。これはなみだをもちてかきて候なり。[p1176]
又むくり(蒙古)のをこれるよし、これにはいまだうけ給はらず。これを申せば、日蓮房はむくり国のわたるといへばよろこぶと申す。これゆわれなき事なり。かゝる事あるべしと申せしかば、あだかたき(仇敵)と人ごとにせめしが、経文かぎりあれば来るなり。いかにいうともかなうまじき事なり。失もなくして国をたすけんと申せし者を用ひこそあらざらめ。又法華経の第五の巻をもて日蓮がおもて(面)をうちしなり。梵天・帝釈是れを御覧ありき。鎌倉の八幡大菩薩も見させ給ひき。いかにも今は叶ふまじき世にて候へば、かゝる山中にも入りぬるなり。各々も不便とは思へねども、助けがたくやあらんずらん。よるひる(夜昼)法華経に申し候なり。御信用の上にも力もをしまず申させ給へ。あえてこれよりの心ざしのゆわ(弱)きにはあらず。各々の御信心のあつくうすき(厚薄)にて候べし。たいし(大旨)は日本国のよき人々は一定いけどりにぞなり候はんずらん。あらあさましや、あさましや。恐々謹言。[p1176-1177]
後三月二十四日 日 蓮 花押[p1177]
南條殿御返事[p1177]
#0436-000 覚性御房御返事 建治二年(1276.05・05) [p2873]
せひすひとつゝ、ちまき二十。かしこまりて給候ひ了んぬ。よろこび入るよし申させ給へ。恐々謹言。[p2873]
五月五日 日 蓮 花押[p2873]
覚性御房[p2873]
#0216-000 筍御書 建治二年(1276.05・10) [p1177]
たけのこ二十本まいらせあげ候ひ了んぬ。そのよしかくしやう(覚性)房申させ給候へ。恐々謹言。[p1177]
五月十日 日 蓮 花押[p1177]
御返事[p1177]
#0217-000 宝軽法重御書 建治二年(1276.05・11) [p1178]
笋百本・芋一駄送り給了んぬ。[p1178]
妙法蓮華経第七に云く_若復有人。以七宝満。三千大千世界。供養於仏。及大菩薩。辟支仏。阿羅漢。是人所得功徳。不如受持。此法華経。乃至一四句偈。其福最多〔若し復人あって、七宝を以て三千大千世界に満てて、仏及び大菩薩・辟支仏・阿羅漢に供養せん。是の人の所得の功徳も、此の法華経の乃至一四句偈を受持する、其の福の最も多きには如かじ〕云云。
文句の第十 ̄七宝奉四聖不如一偈持 法是聖師。能生能養能成能栄莫過於法。故人軽法重也〔七宝を四聖に奉るは一偈を持つに如かず。法は是れ聖の師なり。能生・能養・能成・能栄、法に過ぎたるは莫し。故に人は軽く法は重きなり〕云云。[p1178]
記の十に云く 如父母必以四護護子。今発心由法為生 始終随逐為養 令満極果為成 能応法界為栄 雖四不同以法為本〔父母必ず四の護を以て子を護るが如し。今発心は法に由るを生となし、始終随逐するを養となし、極果を満たせるを成となし、能く法界に応ずるを栄となす。四つ同じからざると雖も、法を以て本となす〕云云。[p1178]
経竝びに天台・妙楽の心は、一切衆生を供養せんと、阿羅漢を供養せんと、乃至一切の仏を尽くして七宝の財を三千大千世界にもりみててゝ供養せんよりは、法華経を一偈、或は受持し、或は護持せんすぐれたりと云云。経に云く 不如受持。此法華経。乃至一四句偈。其福最多。天台云く 人軽法重也。妙楽云く 雖四不同以法為本云云。[p1178]
九歳の一切衆も仏に相対して此れをはかるに、一切衆生のふく(福)は一毛のかろく、仏の御ふくは大山のをもきがごとし。一切の仏の御ふくは梵天三銖の衣のかろきがごとし。法華経一字の御ふくの重き事は大地のをもきがごとし。人軽と申すは仏を人と申す。法重と申すは法華経なり。[p1178-1179]
夫れ法華経已前の諸経竝びに諸論は仏の功徳をほめて候、仏のごとし。此の法華経は経の功徳をほめたり。仏の父母の如し。華厳経・大日経等の法華経に劣る事は一毛と大山と三銖と大地とのごとし。乃至法華経の最下の行者と華厳・真言の最上の僧とくらぶれば、帝釈と猿猴と師子と兎との勝劣なり。而るをたみが王をのゝしればかならず命となる。諸経の行者が法華経の行者に勝れたりと申せば、必ず国もほろび、地獄へ入り候なり。[p1179]
但かたきのなき時はいつわりをろかにて候。譬へば将門・貞任も貞盛・頼義がなかりし時は国をしり、妻子安穏なり云云。敵なき時はつゆも空へのぼり、雨も地に下り、逆風の時は雨も空へあがり、日出の時はつゆも地にをちぬ。されば華厳等の六宗は伝教なかりし時はつゆのごとし。真言も又かくのごとし。強敵出現して法華経をもつてつよくせむるならば、叡山の座主・東寺の小室等も日輪露のあへるがごとしとをぼしめすべし。[p1179]
法華経は仏滅後二千二百余年に、いまだ経のごとく説ききわめてひろむる人なし。天台・伝教もしろしめさざるにはあらず、時も来らず、機もなかりしかば、かききわめずしてをわらせ給へり。日蓮が弟子とならむ人々はやすくしりぬべし。一閻浮提の内に法華経の寿量品の釈迦仏の形像をかきつくれる堂搭いまだ候はず。いかでかあらわれさせ給はざるべき。[p1179-1180]
しげければとどめ候。たけのこは百二十本、法華経は二千余年にあらわれ候ひぬ。布施はかろけれども志は重き故なり。当時はくわんのう(勧農)と申し、大宮づくりと申し、かたがた民のいとまなし。御心ざしふかければ法もあらわれ候にや。恐々謹言。[p1180]
五月十一日 日 蓮 花押[p1180]
西山殿御返事[p1180]
#0220-000 四條金吾釈迦仏供養事 建治二年(1276.07・15) [p1182]
御日記の中に釈迦仏の木像一体等云云。[p1182]
開眼の事。普賢経に云く_此大乗経典。諸仏宝蔵。十方三世。諸仏眼目〔此の大乗経典は諸仏の宝蔵なり。十方三世の諸仏の眼目なり〕等云云。又云く 此方等経。是諸仏眼。諸仏因是。得具五眼〔此の方等経は是れ諸仏の眼なり。諸仏は是れに因って五眼を具することを得たまえり〕云云。此の経の中に得具五眼とは、一には肉眼・二には天眼・三には慧眼・四には法眼・五には仏眼也。此の五眼をば法華経を持つ者は自然に相具し候。譬へば王位につく人は自然に国のしたがうごとし。大海の主となる者の自然に魚を得るに似たり。華厳・阿含・方等・般若・大日経等には五眼の名はありといへども其の義なし。今の法華経には名もあり義も備はりて候。設ひ名はなけれども必ず其の義あり。[p1182]
三身の事。普賢経に云く_仏三種身。従方等生。是大法印。印涅槃海。如此海中。能生三種。仏清浄身。此三種身。人天福田。応供中最〔仏の三種の身は方等より生ず。是れ大法印なり、涅槃の海に印す。此の如き海中より能く三種の仏の清浄の身を生ず。此の三種の身は人天の福田、応供の中の最なり〕云云。三身とは、一には法身如来・二には報身如来・三には応身如来なり。此の三身如来をば一切の諸仏必ずあひぐ(相具)す。譬へば月の体は法身、月に光は報身、月の影は応身にたとう。一の月に三のことわりあり、一仏に三身の徳まします。[p1182-1183]
この五眼三身の法門は法華経より外には全く候はず。故に天台大師の云く ̄仏於三世等有三身 於諸教中秘之不伝〔仏三世に於て等しく三身あり。諸教の中に於て之を秘して伝へず〕云云。此の釈の中に於諸教中とかかれて候は、華厳・方等・般若のみならず、法華経より外の一切経なり。秘之不伝とかかれて候は、法華経の寿量品より外の一切経には教主釈尊秘して説き給はずとなり。[p1183]
されば画像・木像の仏の開眼供養は法華経・天台宗にかぎるべし。其の上一念三千の法門と申すは世間よりをこれり。三種の世間と申すは一には衆生世間・二には五陰世間・三には国土世間なり。前の二つは且く之を置く、第三の国土世間と申すは草木世間なり。草木世間と申すは五色のゑ(絵)のぐ(具)は草木なり、画像これより起る。木と申すは木像是れより出来す。此の画木に魂魄と申す神を入るる事は法華経の力なり。天台大師のさとり也。此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ、画木にて申せば草木成仏と申すなり。止観の明静なる前代いまだきかずとかかれて候と、無情仏性惑耳驚心〔無情仏性は耳を惑わし心を驚かす〕等とのべられて候は是れ也。此の法門は前代になき上、後代にも又あるべからず。設ひ出来せば此の法門を偸盗せるなるべし。[p1183-1184]
然るに天台以後二百余年の後、善無畏・金剛智・不空等、大日経に真言宗と申す宗をかまへて、仏刹の大日経等にはなかりしを、法華経・天台の釈を盗み入れて真言宗の肝心とし、しかも事を天竺によせて漢土・日本の末学を誑惑せしかば、皆人此の事を知らず。一同に信伏して今に五百余年なり。然る間真言宗已前の木画の像は霊験殊勝なり。真言已後の寺塔は利生うすし。事多き故に委しく注せず。此の仏こそ生身の仏にておはしまし候へ。優填大王の木像と影顕王の木像と一分もたがうべからす。梵帝・日月・四天等必定して影の身に随ふが如く貴辺をばまほらせ給ふべし[是れ一]。[p1184]
御日記に云く 毎年四月八日より七月十五日まで九旬が間、大日天子に仕へさせ給ふ事。大日天子と申すは宮殿七宝なり。其の大きさは八百十六里五十一由旬也。其の中に大日天子居し給ふ。勝・無勝と申して二人の后あり。左右には七曜・九曜つらなり、前には摩利支天女まします。七宝の車を八匹の駿馬にかけて、四天下を一日一夜にめぐり、四州の衆の眼目と成り給ふ。他の仏・菩薩・天子等は利生のいみじくまします事、耳にこれをきくとも愚眼に未だ見えず。是れは疑ふべきにあらず、眼前の利生成り。教主釈尊にましまさずば争でか是の如くあらたかなる事候べき。一乗の妙経の力にあらずんば、争でか眼前の奇異をば現ずべき。不思議に思ひ候。[p1184-1185]
争でか此の天の御恩をば報ずべきともとめ候に、仏法以前の人人も心ある人は、皆或は礼拝をまいらせ、或は供養を申し、皆しるしあり。又逆をなす人は皆ばつあり。今内典を以てかんがへて候に、金光明経に云く_日天子及以月天子聞是経故精気充実〔日天子および月天子是の経を聞くが故に精気充実す〕等云云。最勝王経に云く_由此経王力流暉遶四天下〔此の経王の力に由りて流暉四天下を遶る〕等云云。当に知るべし、日月天の四天下をめぐり給ふは仏法の力なり。彼の金光明経・最勝王経は法華経の方便なり。勝劣を論ずれば乳と醍醐と、金と宝珠との如し。劣なる経を食しましまして尚お四天下をめぐり給ふ。何に況んや法華経の醍醐の甘味を嘗めさせ給はんをや。故に法華経の序品には普光天子とつらなりまします。法師品には阿耨多羅三藐三菩提と記せられさせ給ふ、火持如来是れ也。[p1185]
其の上慈父よりあひつたはりて二代、我が身となりてとしひさし。争でかすてさせたまひ候べき。其の上日蓮も又此の天を恃みたてまつり、日本国にたてあひて数年なり。既に日蓮かちぬべき心地す。利生のあらたなる事外にもとむべきにあらず。[p1185]
是れより外に御日記たうとさ申す計りなけれども紙上に尽くし難し。なによりも日蓮が心にたつとき事候。父母御孝養の事。度度の御文に候上に、今日の御文なんだ(涙)更にとどまらず。我が父母地獄にやをはすらんとなげかせ給ふ事のあわれさよ。[p1185-1186]仏の弟子の御中に目・尊者と申しけるは、父をばきつせん(吉占)師子と申し、母をば青提女と申しけるが、餓鬼道にをちさせ給ひけるを、凡夫にてをはしける時はしらせ給はざりければ、なげきもなかりける程に、仏の御弟子とならせ給ひて後、阿羅漢となりて天眼をもて御らんありしければ、餓鬼道におはしけり。是れを御らんありて飲食をまいらせしかば、炎となりていよいよ苦をましさせまいらせ給ひしかば、いそぎはしりかへり、仏に此の由を申させ給ひしぞかし。其の時の御心をもひやらせ給へ。今貴辺は凡夫なり。肉眼なれば御らんなけれども、もしもさもあらばとなげかせ給ふ。こは孝養の一分なり。梵天・帝釈・日月・四天も定めてあはれとをぼさんか。華厳経に云く_不知恩知者多遭横死〔恩を知らざる者は多く横死に遭ふ〕云云。観仏相海経に云く_是阿鼻因〔是れ阿鼻の因なり〕等云云。今既に孝養の志あつし。定めて天も納受あらん歟[是れ一]。[p1186]
御消息の中に申しあはさせ給ふ事。くはしく事の心を案ずるに、あるべからぬ事なり。日蓮をば日本国の人あだむ。是はひとへにさがみどの(相模殿)のあだませ給ふにて候。ゆへなき御政りごとなれども、いまだ此の事にあはざりし時より、かゝる事あるべしと知りしかば、今更いかなる事ありとも、人をあだむ心あるべからずとをもひ候へば、此の心のいのり(祈)となりて候やらん、そこばくのなん(難)をのがれて候。いまは事なきやうにて候。日蓮がさどの国にてもかつえしなず、又これまで山中にして法華経をよみまいらせ候は、たれがたすけぞ、ひとへにとのの御たすけなり。又殿の御たすけはなにゆへぞとたづぬれば、入道殿の御故ぞかし。あらわにはしろしめさねども、定めて御いのりともなるらん。かうあるならばかへりて又とのの御いのりとなるべし。[p1186-1187]
父母の孝養も又彼の人の御恩ぞかし。かゝる人の御内を如何なる事有ればとて、すてさせ給ふべきや。かれより度度すてられんずらんはいかがすべき。又いかなる命になる事なりとも、すてまいらせ給ふべからず。上にひきひぬる経文に不知恩の者は横死有りと見えぬ。孝養の者は又横死有るべからず。鵜と申す鳥の食する鉄はとくれども、腹の中の子はとけず。石を食する魚あり、又腹の中の子はしなず。栴檀の木は火に焼けず、浄居の火は水に消へず。仏の御身をば三十二人の力士火をつけしかどもやけず。仏の御身よりいでし火は、三界の竜神雨をふらして消ししかどもきえず。殿は日蓮が功徳をたすけたる人なり。悪人にやぶらるる事かたし。もしやの事あらば、先生に法華経の行者をあだみたりけるが今生にむくふなるべし。此の事は如何なる山中海上にてものがれがたし。不軽菩薩の杖木の責めも、目・尊者の竹杖に殺されしも是れ也。なにしにか歎かせ給ふべき。[p1187-1188]
但し横難をば忍ぶにはしかじと見へて候。此の文御覧ありて後は、けつして百日が間おぼろげならでは、どうれひ(同隷)ならびに他人と我が宅ならで夜中の御さかもりあるべからず。主のめさん時はひるならばいそぎまいらせ給ふべし。夜ならば三度までは頓病の由申させ給ひて、三度にすぎば下人又他人をかたらひて、つじをみせなんどして御出仕あるべし。かつつゝませ給はんほどに、むこ(蒙古)人もよせなんどし候わば、人の心又さきにひきかへ候べし。かたきを打つ心とどまるべし。申させ給ふ事は御あやまちありとも、左右なく御内を出でさせ給ふべからず。ましてなからんにはなにとも人申せ、くるしからず。をもひのまゝに入道にもなりてをはせば、さきさきならばくるしからず。又身にも心にもあはれぬ事あまた出来せば、なかなか悪縁度度来るべし。このごろは女は尼になりて人をはかり、男は入道になりて大悪をつくるなり。ゆめゆめあるべからぬ事なり。身に病なくとも、やいと(灸)を一二個所やいて病の由あるべし。さわぐ事ありとも、しばらく人をもつて見せをほせさせ給へ。事事くはしくはかきつくしがたし。[p1188]
此の故に法門もかき候はず。御経の事はすずしくなり候て、かいてまいらせ候はん。恐々謹言。[p1188-1189]
建治二年[丙子]七月十五日 日 蓮 花押[p1189]
四條金吾殿御返事[p1189]
#0221-000 覚性房御返事 建治二年(1276.07・18) [p1189]
いやげんた(弥源太)入道のなげき候しかば、むかはきと覚性御房このよしをかみ(上)へ申させ給候へ。恐々。[p1189]
七月十八日 日 蓮 花押[p1189]
覚性御房
#0222-000 弁殿御消息 建治二年(1276.07・21) [p1190]
たきわう(瀧王)をば、いえふく(家葺)べきよし候けるとて、まか(退)るべきよし申し候へば、つかわし候。えもん(衛門)のたいう(大夫)どのゝかへせに(改心)の事は、大進の阿闍梨のふみに候らん。[p1190]
一 十郎入道殿の御けさ。悦び入て候よしかたらせ給へ。[p1190]
一 さぶらうざゑもん(左衛門)どのゝ、このほど人をつかわして候ひしが、をほせ候ひし事、あまりにかへすがへすをぼつかなく候より、わざと御わたりありて、きこしめして、かきつかわし候べし。又さゑもんどのにもかくと候へ。[p1190]
かわのべ(河辺)どの等の四人の事。はるかにうけ給はり候はず。おぼつかなし。かの辺になに事か候らん。一々かきつかはせ。度々この人々の事はことに一大事と天をせめまいらせ候なり。さだめて後生はさてをきぬ。今生にしるしあるべく候と存ずべきよし、したたかにかたらせ給へ。伊東の八郎ざゑもん、今はしなの(信濃)のかみ(守)はげん(現)にしに(死)たりしを、いのりいけ(活)て、念仏者等になるまじきよし明性房にをくりたりしが、かへりて念仏者・真言師になりて無間地獄に堕ちぬ。のと房はげんに身かたで候ひしが、世間のをそろしさと申し、よく(慾)と申し、日蓮をすつるのみならず、かたき(敵)となり候ひぬ。せう房もかくの如し。おのおのは随分の日蓮がかたうど(方人)なり。しかるになづき(頭脳)をくだきていの(祈)るに、いまゝでしるしのなきは、この中に心のひるがへる人の有るとをぼへ候ぞ。をもいあわぬ人をいのるは、水の上に火をたき、空にいえ(舎)をつくるなり。[p1190-1191]
此の由を四人にかたらせ給ふべし。むこり(蒙古)国の事のあうをもつてをぼしめせ、日蓮が失にはあらず。ちくご房・三位・そつ等をばいとまあらばいそぎ来るべし。大事の法門申すべしとかたらせ給へ。十住毘婆沙等の要文を大帖にて候と、真言の表のせうそくの裏にさど房のかきて候と、そう(總)じてせゝとかきつけ(書付)て候ものゝかろきとりてたび候へ。紙なくして一紙に多人の事を申すなり。[p1191]
七月二十一日 日 蓮 花押[p1191]
弁殿[p1191]
#0223-000 報恩抄 建治二年(1276.07.21) [p1192]
日蓮撰之[p1192]
夫れ老狐は塚をあとにせず。白亀は毛宝が恩をほうず。畜生すらかくのごとし。いわうや人倫をや。されば古への賢者豫攘(譲)といゐし者は剣をのみて智伯が恩にあて、こう(弘)演と申せし臣下は腹をさひて、衛の懿公が肝を入れたり。いかにいわうや、仏教をならはん者の、父母・師匠・国恩をわするべしや。[p1192]
此の大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきわめ、智者とならで叶ふべきか。譬へば衆盲をみちびかんには、生盲の身にては橋河をわたしがたし。方風を弁へざらん大舟は、諸商を導きて宝山にいたるべしや。[p1192]
仏法を習ひ極めんとをもわば、いとまあらずは叶ふべからず。いとまあらんとをもわば、父母・師匠・国主等に随ふては叶ふべからず。是非につけて、出離の道をわきまへざらんほどは、父母・師匠等の心に随ふべからず。[p1192]
この義は諸人をもわく、顕にもはづれ冥にも叶ふまじとをもう。しかれども外典の孝経にも、父母・主君に随わずして忠臣・孝人なるやうもみえたり。内典の仏経に云く_棄恩入無為 真実報恩者〔恩を棄て無為に入るは、真実報恩の者なり〕等云云。[p1192]
比干が王に随はずして賢人のな(名)をとり、悉達太子の浄飯大王に背きて三界第一の孝となりしこれなり。[p1192]
かくのごとく存じて、父母・師匠等に随はずして仏法をうかがひし程に、一代聖教をさとるべき明鏡十あり。所謂る倶舎・成実・律宗・法相・三論・真言・華厳・浄土・禅宗・天台法華宗なり。この十宗を明鏡として一切経の心をしるべし。[p1193]
世間の学者等おもえり、この十の鏡はみな正直に仏道の道を照せりと。小乗の三宗はしばらくこれををく、民の消息の是非につけて他国へわたるに用なきがごとし。大乗の七鏡こそ、生死の大海をわたりて、浄土の岸につく大船なれば、此を習ひほどひて、我がみ(身)も助け、人をもみちびかんとおもひて、習ひみるほどに、大乗の七宗いづれもいづれも自讃あり。我が宗こそ一代の心はえたれえたれ等云云。所謂華厳宗の杜順・智儼・法蔵・澄観等、法相宗の玄奘・慈恩・智周・智昭等、三論宗の興皇・嘉祥等、真言宗の善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証等、禅宗の達磨・慧可・慧能等、浄土宗の道綽・善導・懐感・源空等。此等の宗々みな本経本論によりて我も我も一切経をさとれり、仏意をきはめたりと云云。[p1193]
彼の人人云く 一切経の中には華厳経第一なり。法華経・大日経等は臣下のごとし。真言宗の云く 一切経の中には大日経第一なり。余経は衆星のごとし。禅宗が云く 一切経の中には楞伽経第一なり。乃至余宗かくのごとし。而も上に挙ぐる諸師は、世間の人々各々おもえり。諸天の帝釈をうやまひ、衆星の日月に随ふがごとし。我等凡夫はいづれの師々なりとも信ずるならば不足あるべからず。仰ぎてこそ信ずべけれども、日蓮が愚案はれ(晴)がたし。[p1193-1194]
世間をみるに、各々我も我もといへども国主は但一人なり。二人となれば国土おだやかならず。家に二の主あれば其家必ずやぶる。一切経も又かくのごとくや有るらん。何れの経にてもをはせ、一経こそ一切経の大王にてをはすらめ。[p1194]
而るに十宗七宗まで各々諍論して随はず。国に七人十人の大王ありて、万民をだやかならじ。いかんがせんと疑ふところに、一の願を立つ。我れ八宗十宗に随はじ。天台大師の専ら経文を師として一代の勝劣をかんがへしがごとく、一切経を開きみるに、涅槃経と申す経に云く_依法不依人〔法に依て人に依らざれ〕等云云。依法と申すは一切経、不依人と申すは仏を除き奉りて外の普賢菩薩・文殊師利菩薩乃至上にあぐるところの諸の人師なり。此経に又云く_依了義経 不依不了義経〔了義経に依て、不了義経に依らざれ〕等云云。此経に指ところ了義経と申すは法華経、不了義経と申すは華厳経・大日経・涅槃経等の已今当の一切経なり。されば仏の遺言を信ずるならば、専ら法華経を明鏡として一切経の心をばしるべきか。[p1194]
随て法華経の文を開き奉れば_此法華経於諸経中最在其上等〔此の法華経は諸経の中に於て最も其の上にあり〕云云。此の経文のごとくば、須弥山の頂に帝釈の居がごとく、輪王の頂に如意宝珠のあるがごとく、衆木の頂に月のやどるがごとく、諸仏の頂上に肉髻の住せるがごとく、此の法華経は華厳経・大日経・涅槃経等の一切経の頂上の如意宝珠なり。[p1194-1195]
されば専ら論師人師をすてて経文に依るならば、大日経・華厳経等に法華経の勝れ給へることは、日輪の青天に出現せる時、眼あきらかなる者の天地を見るがごとく、高下宛然なり。又大日経・華厳経等の一切経をみるに、此経文に相似の経文一字一点もなし。或は小乗経に対して勝劣をとかれ、或は俗諦に対して真諦をとき、或は諸の空仮に対して中道をほめたり。譬へば小国の王が我国の臣下に対して大王というがごとし。法華経は諸王に対して大王等と云云。[p1195]
但涅槃経計こそ法華経に相似の経文は候へ。されば天台已前の南北の諸師は迷惑して、法華経は涅槃経に劣ると云云。されども専ら経文を開き見るには、無量義経のごとく華厳・阿含・方等・般若等の四十余年の経々をあげて、涅槃経に対して我がみ(身)勝るととひて、又法華経に対するときは_是経出世 乃至 如法華中八千声聞得授記・成大菓実 如秋収冬蔵更無所作〔是の経の出世は 乃至 法華の中の八千の声聞に記・を授けることを得て大菓実成ずるが如し、秋収冬蔵して更に所作無きが如し〕等と云云。我と涅槃経は法華経には劣るととける経文なり。[p1195]
かう経文は分明なれども、南北の大智の諸人の迷ふて有りし経文なれば、末代の学者能々眼をとどむべし。此の経文は但法華経・涅槃経の勝劣のみならず、十方世界の一切経の勝劣をもしりぬべし。而るを経文にこそ迷ふとも、天台・妙楽・伝教大師の御れうけん(料簡)の後は、眼あらん人々はしりぬべき事ぞかし。然れども天台宗の人たる慈覚・智証すら猶此の経文にくらし。いわうや余宗の人々をや。[p1195-1196]
或人疑て云く 漢土日本にわたりたる経々にこそ法華経に勝たる経はをはせずとも、月氏・龍宮・四王・日・月・・利天・都率天なんどには恒河沙の経々ましますなれば、其中に法華経に勝れさせ給ふ御経やましますらん。[p1196]
答て云く 一をもつて万を察せよ。庭戸を出でずして天下をしるとはこれなり。[p1196]
痴人が疑て云く 我等は南天を見て東西北の三空を見ず。彼の三方の空に此日輪より別の日やましますらん。山を隔て煙の立つを見て、火を見ざれば煙は一定なれども火にてやなかるらん。かくのごとくいはん者は一闡提の人としるべし。生盲にことならず。[p1196]
法華経の法師品に釈迦如来金口の誡言をもて五十余年の一切経の勝劣を定めて云く_我所説経典無量千万億已説今説当説。而於其中此法華経最為難信難解〔我が所説の経典は無量千万億にして已に説き今説き当に説かん。而も其中に於て此法華経は最為難信難解なり〕等云云。此経文は但釈迦如来一仏の説なりとも、等覚已下は仰ぎて信ずべき上、多宝仏東方より来りて真実なりと証明し、十方の諸仏集りて釈迦仏と同く広長舌を梵天に付け給て後各々国々へ還らせ給ひぬ。已今当の三字は五十年竝びに十方三世の諸仏の御経、一字一点ものこさず引き載せて法華経に対して説かせ給ひて候を、十方の諸仏此座にして御判形を加へさせ給ひ、各々又自国に還らせ給ひて、我弟子等に向はせ給ひて法華経に勝れたる御経ありと説かせ給はば、其所化の弟子等信用すべしや。又我は見ざれば月氏・龍宮・四天・日月等の宮殿の中に法華経に勝れさせ給ひたる経やおはしますらんと疑ひをなすは、されば梵釈・日月・四天・龍王は法華経の御座にはなかりけるか。若日月等の諸天、法華経に勝れたる御経まします、汝はしらず、と仰せあるならば大誑惑の日月なるべし。[p1196-1197]
日蓮せめて云く 日月は虚空に住し給へども、我等が大地に処するがごとくして堕落し給はざる事は、上品の不妄語戒の力ぞかし。法華経に勝れたる御経ありと仰せある大妄語あるならば、恐らくはいまだ壊劫にいたらざるに大地の上にどうとおち候はんか、無間大城の最下の堅鉄にあらずばとどまりがたからんか。大妄語の人は須臾も空に処して四天下を廻り給ふべからず、とせめたてまつるべし。[p1197]
而るを華厳宗の澄観等、真言宗の善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証等の大智の三蔵大師等の、華厳経・大日経等は法華経に勝れたりと立て給はば、我等が分斉には及ばぬ事なれども、大道理のをすところは豈に諸仏の大怨敵にあらずや。提婆・瞿伽利もものならず、大天・大慢外にもとむべからず。かの人々を信ずる輩はをそろしをそろし。[p1197-1198]
問て云く 華厳の澄観・三論の嘉祥・法相の慈恩・真言の善無畏乃至弘法・慈覚・智証等を仏の敵との(宣)給ふか。[p1198]
答て云く 此大なる難也。仏法に入りて第一の大事也。愚眼をもて経文を見るには、法華経に勝れたる経ありといはん人は、設とひいかなる人なりとも謗法は免れじと見えて候。而るを経文のごとく申すならば、いかでか此諸人仏敵たらざるべき。若又をそれをなして指申さずは一切経の勝劣空かるべし。又此人々を恐れて、末の人々を仏敵といはんとすれば、彼宗々の末の人々の云く 法華経に大日経をまさりたりと申すは我私の計にはあらず、祖師の御義也。戒行の持破、智慧の勝劣、身の上下はありとも、所学の法門はたがう事なし、と申せば彼人々にとがなし。又日蓮此を知りながら人々を恐れて申さずば、寧喪身命不匿教者の仏陀の諌暁を用ひぬ者となりぬ。いかんがせん。いは(言)んとすれば世間をそろし。止とすれば仏の諌暁のがれがたし。進退此に谷り。[p1198]
むべなるかなや、法華経の文に云く_而此経者如来現在猶多怨嫉況滅度後〔而も此の経は如来の現在すら猶お怨嫉多し、況んや滅度の後をや〕。又云く_一切世間多怨難信〔一切世間怨多くして信じ難し〕等云云。[p1198]
釈迦仏を摩耶夫人はらま(孕)せ給ひたりければ、第六天の魔王、摩耶夫人の御腹をとをし見て、我等が大怨敵法華経と申す利剣をはらみたり。事の成ぜぬ先にいかにしてか失ふべき。第六天の魔王、大医と変じて浄飯王宮に入り、御産安穏の良薬を持候大医ありとのゝしりて、毒を后にまいらせつ。初生の時は石をふらし、乳に毒をまじへ、城を出でさせ給ひしには黒毒蛇と変じて道にふさがり、乃至提婆・瞿伽梨・波瑠璃王・阿闍世王等の悪人の身に入りて、或は大石をなげて仏の御身より血をいだし、或は釈子をころし、或は御弟子等を殺す。此等の大難は皆遠くは法華経を仏世尊に説かせまいらせじとたばかり(巧謀)し如来現在猶多怨嫉の大難ぞかし。此等は遠き難なり。[p1198-1199]
近き難には舎利弗・目連・諸大菩薩等も四十余年が間は法華経の大怨敵の内ぞかし。況滅度後と申して未来の世には又此の大難よりもすぐれてをそろしき大難あるべしと、とかれて候。仏だにも忍びがたかりける大難をば凡夫はいかでか忍ぶべき。いわうや在世より大なる大難にてあるべかんなり。いかなる大難か提婆が長さ三丈広さ一丈六尺の大石、阿闍世王の酔象にはすぐべきとはをもへども、彼にもすぐるべく候なれば、小失なくとも大難に度々値ふ人をこそ滅後の法華経の行者とはしり候わめ。[p1199]
付法蔵の人々は四依の菩薩、仏の御使なり。提婆菩薩は外道に殺れ、師子尊者は檀彌羅王に頭を刎られ、仏陀密多・龍樹菩薩等は赤幡を七年十二年さしとをす。馬鳴菩薩は金銭三億がかわりとなり、如意論師はをもひじにに死す。此等は正法一千年の内なり。[p1199-1200]
像法に入て五百年、仏滅後一千五百年と申せし時、漢土に一人の智人あり。始は智・、後には智者大師とがうす。法華経の義をありのまゝに弘通せんと思ひ給しに、天台已前の百千万の智者しなじなに一代を判ぜしかども詮じて十流となりぬ。所謂南三北七なり。十流ありしかども一流をもて最とせり。所謂南三の中の第三の光宅寺の法雲法師これなり。[p1200]
此人は一代の仏教を五にわかつ。其の五の中に三経をえらびいだ(撰出)す。所謂華厳経・涅槃経・法華経なり。一切経の中には華厳経第一、大王のごとし。涅槃経第二、摂政関白のごとし。第三法華経は公卿等のごとし。此れより已下は万民のごとし。此人は本より智慧かしこき上、慧観・慧厳・僧柔・慧次なんど申せし大智者より習ひ伝へ給はるのみならず、南北の諸師の義をせめやぶり、山林にまじわ(交)りて法華経・涅槃経・華厳経の功つも(積)りし上、梁の武帝召し出して内裏の内に寺を立て、光宅寺となづけて此法師をあがめ給ふ。[p1200]
法華経をかう(講)ぜしかば、天より花ふること在世のごとし。天鑒五年に大旱魃ありしかば、此の法雲法師を請じ奉りて法華経を講ぜさせまいらせしに、薬草喩品の其雨普等四方倶下と申す二句を講ぜさせ給ひし時、天より甘雨下たりしかば、天子御感のあまりに現に僧正になしまいらせて、諸天の帝釈につかえ、万民の国王ををそるゝがごとく、我とつかへ給ひし上、或人夢く、此人は過去の燈明仏の時より法華経をかうぜる人なり。[p1200-1201]
法華経の疏四巻あり。此疏に云く ̄此経未碩然〔此の経未だ碩然なり〕。亦云く ̄異方便〔異の方便〕等云云。正く法華経はいまだ仏理をきわめざる経と書かれて候。[p1201]
此人の御義、仏意に相ひ叶ひ給ひければこそ、天より花も下り雨もふり候けらめ。かゝるいみじき事にて候しかば、漢土の人人さては法華経は華厳経・涅槃経には劣にてこそあるなれと思ひし上、新羅・百済・高麗・日本まで此疏ひろまりて、大体一同の義にて候しに、法雲法師御死去ありていくばくならざるに、梁の末、陳の始に、智・法師と申す小僧出来せり。[p1201]
南岳大師と申せし人の御弟子なりしかども、師の義も不審にありけるかのゆへに、一切経蔵に入つて度々御らんありしに、華厳経・涅槃経・法華経の三経に詮じいだし、此の三経の中に殊に華厳経を講じ給ひき。別して礼文を造りて日々に功をなし給ひしかば、世間の人をもはく、此人も華厳経を第一とをぼすかと見えしほどに、法雲法師が一切経の中に華厳経第一・涅槃経第二・法華経第三と立てたるが、あまりに不審なりける故に、ことに華厳経を御らんありけるなり。[p1201]
かくて一切経の中に法華経第一・涅槃第二・華厳第三と見定めさせ給ひてなげき給ふやうは、如来の聖教は漢土にわたれども、人を利益することなし。かへりて一切衆生を悪道に導びくこと、人師の・によれり。例せば国の長とある人、東を西といゐ、天を地といゐいだしぬれば、万民はかくのごとくに心うべし。後にいやしき者出来して、汝等が西は東、汝等が天は地なり、といわばもちうることなき上、我が長の心に叶はんがために、今の人をのりうち(罵打)なんどすべし。いかんがせんとはをぼせしかども、さてもだす(黙止)べきにあらねば、光宅寺の法雲法師は謗法によて地獄に堕ちぬとのゝしらせ給ふ。[p1201-1202]
其時南北の諸師はち(蜂)のごとく蜂起し、からす(烏)のごとく烏合せり。智・法師をば頭をわる(破)べきか、国ををう(逐)べきか、なんど申せし程に、陳主此れをきこしめして、南北の数人に召し合せて、我と列座してきかせ給ひき。[p1202]
法雲法師が弟子等慧榮・法歳・慧曠・慧・なんど申せし僧正僧都已上の人々百余人なり。各々悪口を先とし、眉をあげ、眼をいからし、手をあげ、拍子をたゝく。而れども智・法師は末座に坐して色を変ぜず、言を・らず、威儀しづかにして、諸僧の言を一々に牒をとり、言ごとにせめかへ(責返)す。をしかへ(押返)して難じて云く 抑も法雲法師の御義に第一華厳・第二涅槃・第三法華と立てさせ給ひける証文は何れの経ぞ。慥かに明かなる証文を出させ給へとせめしかば、各々頭をうつぶせ、色を失ひて一言の返事なし。重ねてせめて云く 無量義経に正く次説方等十二部経摩訶般若華厳海空等云云。仏、我と華厳経の名をよびあげて、無量義経に対して未顕真実と打ち消し給う。法華経に劣りて候無量義経に華厳経はせめられ候ぬ。いかに心えさせ給ひて、華厳経をば一代第一とは候けるぞ。各々御師の御かたうど(方人)せんとをぼさば、此の経文をやぶりて、此に勝れたる経文を取り出して、御師の御義を助け給へとせめたり。[p1202-1203]
又涅槃経を法華経に勝るゝと候けるはいかなる経文ぞ。涅槃経の第十四には、華厳・阿含・方等・般若をあげて、涅槃経に対して勝劣は説かれて候へども、またく法華経と涅槃経との勝劣はみへず。次上の第九の巻に、法華経と涅槃経との勝劣分明なり。所謂経文に云く_是経出世 乃至 如法華中八千声聞得授記・成大菓実 如秋収冬蔵更無所作〔是の経の出世は 乃至 法華の中の八千の声聞に記・を授けることを得て大菓実成ずるが如し、秋収冬蔵して更に所作無きが如し〕等と云云。経文明に諸経をば春夏と説かせ給ひ、涅槃経と法華経とをば菓実の位とは説かれて候へども法華経をば秋収冬蔵大菓実の位、涅槃経をば秋の末冬の始め・拾の位と定め給ひぬ。此経文正く法華経には我身劣ると承伏し給ひぬ。[p1203]
法華経の文には已説・今説・当説と申して、此の法華経は前と竝との経々に勝れたるのみならず、後に説かん経々にも勝るべしと仏定め給ふ。すでに教主釈尊かく定め給ひぬれば疑ふべきにあらねども、我が滅後はいかんがと疑ひおぼして、東方宝浄世界の多宝仏を証人に立て給ひしかば、多宝仏大地よりをどり出でて、妙法華経皆是真実と証し、十方分身の諸仏重ねてあつまらせ給ひ、広長舌を大梵天に付け、又教主釈尊も付け給ふ。然して後、多宝仏は宝浄世界えかへり、十方の諸仏各々本土にかへらせ給ひて後、多宝分身の仏もおはせざらんに、教主釈尊涅槃経をといて、法華経に勝と仰せあらば、御弟子等は信ぜさせ給ふべしや、とせめしかば、日月の大光明の・羅の眼を照らすがごとく、漢王の剣の諸侯の頚にかかりしがごとく、両眼をとぢ一頭を低たり。天台大師の御気色は師子王の狐兎の前に吼えたるがごとし、鷹鷲の鳩雉をせめたるににたり。[p1203-1204]
かくのごとくありしかば、さては法華経は華厳経・涅槃経にもすぐれてありけりと、震旦一国に流布するのみならず、かへりて五天竺までも聞へ、月氏大小の諸論も智者大師の御義には勝れず。教主釈尊両度出現しましますか。仏教二度あらはれぬとほめられ給ひしなり。[p1204]
其後天台大師も御入滅なりぬ。陳隋の世も代りて唐の世となりぬ。章安大師も御入滅なりぬ。天台の仏法やうやく習ひ失せし程に、唐の太宗の御宇に、玄奘三蔵といゐし人、貞観三年に始めて月氏に入り、同十九年にかへりしが、月氏の仏法尋ね尽くして法相宗と申す宗をわたす。此宗は天台宗と水火なり。而るに天台の御覧なかりし深密経・瑜伽論・唯識論等をわたして法華経は一切経には勝れたれども深密経には劣るという。而るを天台は御覧なかりしかば、天台の末学等は智慧の薄きかのゆへに、さもやとをもう。[p1204-1205]
又太宗は賢王なり。玄奘の御帰依あさからず。いうべき事ありしかども、いつもの事なれば時の威をおそれて申す人なし。法華経を打ちかへして、三乗真実、一乗方便、五性格別と申せし事は心うかりし事なり。天竺よりはわたれども、月氏の外道が漢土にわたれるか。法華経は方便、深密経は真実といゐしかば、釈迦多宝十方の諸仏の誠言もかへりて虚くなり、玄奘・慈恩こそ時の生身の仏にてはありしか。[p1205]
其後則天皇后の御宇に、前に天台大師にせめられし華厳経に、又重て新訳の華厳経わたりしかば、さきのいきどをりをはたさんがために、新訳の華厳をもつて、天台にせめられし旧訳の華厳経を扶けて、華厳宗と申す宗を法蔵法師と申す人立てぬ。此宗は華厳経をば根本法輪、法華経をば枝末法輪と申すなり。南北は一華厳・二涅槃・三法華、天台大師は一法華・二涅槃・三華厳。今の華厳宗は一華厳・二法華・三涅槃等云云。[p1205]
其後玄宗皇帝の御宇に、天竺より善無畏三蔵は大日経・蘇悉地経をわたす。金剛智三蔵は金剛頂経をわたす。又金剛智三蔵に弟子あり。不空三蔵なり。此三人は月氏の人、種姓も高貴なる上、人がらも漢土の僧ににず。法門もなにとはしらず、後漢より今にいたるまでなかりし印と真言という事をあひそい(相副)てゆゝしかりしかば、天子かうべ(頭)をかたぶけ、万民掌をあわす。[p1205-1206]
此人々の義にいわく、華厳・深密・般若・涅槃・法華経等の勝劣は顕教の内、釈迦如来の説の分也。今の大日経等は大日法王の勅言なり。彼の経々は民の万言、此経は天子の一言也。華厳経・涅槃経等は大日経には梯を立てても及ばず。但法華経計りこそ大日経には相似の経なれ。されども彼の経は釈迦如来の説、民の正言、此経は天子の正言なり。言は似れども人がら雲泥なり。譬へば濁水の月と清水の月のごとし。月の影は同じけれども水ずに清濁ありなんど申しければ、此の由尋ね顕す人もなし。諸宗皆落ち伏して真言宗にかたぶきぬ。善無畏・金剛智、死去の後、不空三蔵又月氏にかへりて菩提心論と申す論をわたし、いよいよ真言宗盛りなりけり。[p1206]
但し妙楽大師といふ人あり。天台大師よりは二百余年の後なれども、智慧かしこき人にて、天台の所釈を見明てをはせしかば、天台の釈の心は後にわたれる深密経法相宗、又始て漢土に立てたる華厳宗、大日経真言宗にも法華経は勝れさせ給ひけるを、或は智慧の及ばざるか、或は人を畏るか、或は時の王威をおづるかの故にいはざりけるか。かうてあるならば天台の正義すでに失なん。又陳・隋已前の南北が邪義にも勝れたりとをぼして、三十巻の末文を造り給ふ。所謂弘決・釈籤・疏記これなり。此三十巻の文は本書の重なれるをけづり、よわき(弱)をたすくるのみならず、天台大師の御時なかりしかば、御責にものがれてあるやうなる法相宗と華厳宗と真言宗とを、一時にとりひしがれたる書なり。[p1206-1207]
又日本国には人王第三十代欽明天皇の御宇十三年壬申十月十三日に、百済国より一切経釈迦仏の像をわたす。又用明天皇の御宇に聖徳太子仏法をよみはじめ、和気の妹子と申す臣下を漢土につかはして、先生の所持の一巻の法華経をとりよせ給ひて持経と定め、其後人王第三十七代に孝徳天王の御宇に、三論宗・華厳宗・法相宗・倶舎宗・成実宗わたる。人王四十五代に聖武天皇の御宇に律宗わたる。已上六宗なり。[p1207]
孝徳より人王第五十代の桓武天王にいたるまでは十四代一百二十余年が間は天台・真言の二宗なし。[p1207]
桓武の御宇に最澄と申す小僧あり。山階寺の行表僧正の弟子なり。法相宗を始として六宗を習ひきわめぬ。而れどもいまだ極めたりともをぼえざりしに、華厳宗の法蔵法師が造りたる起信論の疏を見給うに、天台大師の釈を引きのせたり。此疏こそ子細ありげなれ。此国に渡りたるか、又いまだわたらざるか、と不審ありしほどに、有人にとひしかば其人の云く 大唐の揚州龍興寺の僧鑒真和尚は天台の末学、道暹律師の弟子、天宝の末に日本国にわたり給ひて、小乗の戒を弘通せさせ給ひしかども、天台の御釈持ち来りながらひろめ給はず。人王第四十五代聖武天王の御宇なりとかたる。其書を見んと申されしかば、取り出だして見せまいらせしかば、一返御らんありて、生死の酔をさましつ。此の書をもつて六宗の心を尋ねあきらめしかば、一一に邪見なる事あらはれぬ。[p1207-1208]
忽に願を発して云く 日本国の人皆謗法の者の檀越たるが天下一定に乱なんずとをぼして、六宗を難ぜられしかば、七大寺六宗の碩学蜂起して、京中烏合し、天下みなさわぐ。七大寺六宗の諸人等悪心強盛なり。[p1208]
而るを去る延暦二十一年正月十九日に、天王高雄寺に行幸あて、七寺の碩徳十四人、善議・勝猷・奉基・寵忍・賢玉・安福・勤操・・円・慈誥・玄耀・歳光・道証・光証・観敏等の十有余人を召し合はす。華厳・三論・法相等の人々各々我宗の元祖が義にたがわず。最澄上人は六宗の人々の所立一々牒を取りて、本経本論竝に諸経諸論に指し合はせてせめしかば、一言も答えず、口をして鼻のごとくになりぬ。天皇をどろき給ひて、委細に御たづねありて、重ねて勅宣を下して、十四人をせめ給ひしかば、承伏の謝表を奉りたり。[p1208]
其書に云く ̄七箇大寺六宗学匠 乃至 初悟至極〔七箇の大寺六宗の学匠乃至初て至極を悟る〕等云云。又云く ̄自聖徳弘化以降于今二百余年之間 所講経論其数多矣。彼此争理其疑未解。而此最妙円宗猶未闡揚〔聖徳の弘化よりこのかた今まで二百余年の間、講ずる所の経論其の数多し。彼此の理を争て其の疑未だ解けず。而るに此の最妙の円宗、猶未だ闡揚せず〕等云云。又云く ̄三論法相久年之諍 渙焉氷解照然既明 猶披雲霧而見三光矣〔三論法相久年之諍渙焉として氷のごとく解け、照然として既に明かに猶雲霧を披て三光を見るがごとし〕等云云。最澄和尚十四人が義を判じて云く ̄各講一軸振法鼓於深壑 賓主徘徊三乗之路 飛義旗於高峰。長幼摧破三有之結 猶未改歴劫之轍 混白牛於門外。豈善昇初発之位 悟阿荼於宅内〔各一軸を講ずるに法鼓を深壑に振ひ、賓主三乗の路に徘徊し、義旗を高峰に飛す。長幼三有の結を摧破して、猶未だ歴劫の轍を改めず、白牛を門外に混ず。豈に善く初発の位に昇り、阿荼を宅内に悟んや〕等云云。弘世・真綱二人の臣下云く ̄霊山之妙法聞於南岳 總持之妙悟闢於天台 慨一乗之権滞 悲三諦之未顕〔霊山の妙法を南岳に聞き總持の妙悟を天台に闢く、一乗の権滞を慨き、三諦の未顕を悲しむ〕等云云。又十四人の云く ̄善議等牽逢休運乃閲奇詞。自非深期何託聖世〔善議等牽かれて休運に逢て、乃ち奇詞を閲す。深期に非ざるよりは何ぞ聖世に託せん〕等云云。[p1208-1209]
此十四人は華厳宗の法蔵・審祥、三論の嘉祥・観勒、法相宗の慈恩・道昭、律宗の道暹・鑒真等の、漢土日本の元祖等の法門、瓶はかはれども水は一也。而るに十四人彼の邪義をすてて、伝教の法華経に帰伏しぬる上は、誰の末代の人か華厳・般若・深密経等は法華経に超過せりと申すべきや。小乗の三宗は又彼の人々の所学なり。大乗の三宗破れぬる上は、沙汰のかぎりにあらず。[p1209]
而るを今に子細を知らざる者、六宗はいまだ破られずとをもへり。譬へば盲目が天の日月を見ず、聾人が雷の音をきかざるがゆへに、天には日月なし、空に声なしとをもうがごとし。[p1209]
真言宗と申すは、日本人王第四十四代と申せし元正天皇の御宇に、善無畏三蔵、大日経をわたして弘通せずして漢土へかへる。又玄・等、大日経の義釈十四巻をわたす。又東大寺の得清大徳わたす。[p1209-1210]
此等を伝教大師御らんありてしかども、大日経・法華経の勝劣いかんがとおぼしけるほどに、かたがた不審ありし故に、去る延暦二十三年七月御入唐。西明寺の道邃和尚・仏瀧寺の行満等に値ひ奉りて、止観円頓の大戒を伝受し、霊感寺の順暁和尚に値ひ奉りて、真言を相伝し、同延暦二十四年六月に帰朝し、桓武天王に御対面。宣旨を下て、六宗の学匠に止観・真言を習はしめ、同七大寺にをかれぬ。真言・止観の二宗の勝劣は漢土に多く子細あれども、又大日経の義釈には理同事勝とかきたれども、伝教大師は善無畏三蔵のあやまりなり、大日経は法華経には劣りたりと知しめして、八宗とはせさせ給はず。真言宗の名をけづりて、法華宗の内に入れ七宗となし、大日経をば法華天台宗の傍依経となして、華厳・大品般若・涅槃等の例とせり。[p1210]
而れども大事の円頓の大乗別受戒の大戒壇を我が国に立う立じの諍論がわづらはしきに依りてや、真言・天台二宗の勝劣は弟子にも分明にをしえ給はざりけるか。[p1210]
但依憑集と申す文に、正く真言宗は法華天台宗の正義を偸みとりて、大日経に入れて理同とせり。されば彼の宗は天台宗に落ちたる宗なり。いわうや不空三蔵は善無畏・金剛智入滅の後、月氏に入りてありしに、龍智菩薩に値ひ奉りし時、月氏には仏意をあきらめたる論釈なし。漢土に天台という人の釈こそ、邪正をえらび、偏円をあきらめたる文にては候なれ。あなかしこ、あなかしこ。月氏へ渡し給へと、ねんごろにあつら(誂)へし事を、不空の弟子含光といゐし者が妙楽大師にかたれるを、記の十の末に引き載せられて候を、この依憑集に取り載せて候。法華経に大日経は劣るとしろしめす事、伝教大師の御心顕然也。[p1210-1211]
されば釈迦如来・天台大師・妙楽大師・伝教大師の御心は一同に大日経等の一切経の中には法華経すぐれたりという事は分明なり。又真言宗の元祖という龍樹菩薩の御心もかくのごとし。大智度論を能々尋ぬるならば此事分明なるべきを、不空があやまれる菩提心論に皆人ばかされて此事に迷惑せるか。[p1211]
又石淵の勤操僧正の御弟子に空海と云う人あり。後には弘法大師とがうす。去ぬる延暦二十三年五月十二日に御入唐、漢土にわたりては金剛智・善無畏の両三蔵の第三の御弟子慧果和尚といゐし人に両界を伝受、大同二年十月二十二日に御帰朝、平城天王の御宇なり。桓武天王は御ほうぎよ、平城天王に見参し、御用ひありて御帰依他にことなりしかども、平城ほどもなく嵯峨に世をとられさせ給ひしかば、弘法ひき入れてありし程に、伝教大師は嵯峨の天王弘仁十三年六月四日御入滅。同じき弘仁十四年より弘法大師、王の御師となり、真言宗を立て東寺を給ひ、真言和尚とがうし、此より八宗始る。[p1211-1212]
一代の勝劣を判じて云く 第一真言大日経・第二華厳・第三は法華涅槃等云云。法華経は阿含・方等・般若等に対すれば真実の経なれども、華厳経・大日経に望むれば戯論の法なり。教主釈尊は仏なれども、大日如来に向ふれば無明の辺域と申して皇帝と俘囚(えびす)とのごとし。天台大師は盗人なり。真言の醍醐を盗んで法華経を醍醐というなんどかゝれしかば、法華経はいみじとをもへども、弘法大師にあひぬれば物のかずにもあらず。天竺の外道はさて置きぬ。漢土の南北が法華経は涅槃経に対すれば邪見の経といゐしにもすぐれ、華厳宗が法華経は華厳経に対すれば枝末教と申せしにもこへたり。例せば彼の月氏の大慢婆羅門が大自在天・那羅延天・婆籔天・教主釈尊の四人を高座の足につくりて、其の上にのぼつて邪法を弘めしがごとし。伝教大師御存生ならば、一言は出されべかりける事なり。又義真・円澄・慈覚・智証等もいかに御不審はなかりけるやらん。天下第一の大凶なり。[p1212]
慈覚大師は去る承和五年に御入唐、漢土にして十年が間、天台・真言の二宗をならう。法華・大日経の勝劣を習ひしに、法全(はつせん)・元政(げんじょう)等の八人の真言師には法華経と大日経は理同事勝等云云。天台宗の志遠・広・・維・等に習ひしには大日経は方等部の摂等云云。同じき承和十三年九月十日に御帰朝、嘉祥元年六月十四日に宣旨下る。法華・大日経等の勝劣は漢土にしてしりがたかりけるかのゆへに、金剛頂経の疏七巻・蘇悉地経の疏七巻、已上十四巻、此疏の心は大日経・金剛頂経・蘇悉地経の義と法華経の義は、其所詮の理は一同なれども、事相の印と真言とに真言の三部経すぐれたりと云云。[p1212-1213]
此は偏に善無畏・金剛智・不空の造りたる大日経の疏の心のごとし。然れども我が心に猶不審やのこりけん。又心にはとけ(解)てんけれども、人の不審をはらさんとやをぼしけん。此十四巻の疏を御本尊の御前にさしをきて御祈請ありき。かくは造りて候へども仏意計りがたし。大日の三部やすぐれたる、法華経の三部やまされる、と御祈念有りしかば、五日と申す五更に忽に夢想あり。青天に大日輪かゝり給へり。矢をもてこれを射ければ、矢飛んで天にのぼり、日輪の中に立ちぬ。日輪動転して、すでに地に落んとす、とをもひてうちさめ(打覚)ぬ。悦んで云く 我吉夢あり。法華経に真言勝れたりと造りつるふみ(文)は仏意に叶ひけり、と悦ばせ給ひて宣旨を申し下して、日本国に弘通あり。[p1213]
而も宣旨の心に云く ̄遂知。天台止観与真言法義理冥符〔遂に知んぬ。天台の止観と真言の法義とは理冥に符へり〕等云云。祈請のごときんば、大日経に法華経は劣なるようなり。宣旨を申し下すには、法華経と大日経とは同じ等云云。[p1213]
智証大師は本朝にしては、義真和尚・円澄大師・別当・慈覚等の弟子なり。顕密の二道は大体此国にして学し給ひけり。天台・真言の二宗の勝劣の御不審に漢土へは渡り給けるか。去る仁寿二年に御入唐、漢土にしては真言宗は法全・元政等にならはせ給ひ、大体大日経と法華経とは理同事勝、慈覚の義のごとし。天台宗は良・和尚にならひ給ふ。真言・天台の勝劣、大日経は華厳・法華等には及ばず等云云。七年が間漢土に経て、去る貞観元年五月十七日御帰朝。大日経の旨帰に云く ̄法華尚不及 況自余教乎〔法華尚及ばず、況や自余の教をや〕等云云。此釈は法華経は大日経には劣る等云云。又授決集に云く ̄真言禅門乃至若望華厳・法華・涅槃等経是摂引門〔真言禅門乃至若し華厳・法華・涅槃等の経に望むれば是摂引門なり〕等云云。普賢経の記・論の記に云く 同じ等云云。貞観八年丙戍四月二十九日壬申 勅宣申し下して云く ̄如聞 真言止観両教之宗同号醍醐 倶称深秘〔聞くならく、真言止観両教之宗同じく醍醐と号し、倶に深秘と称す〕等云云。又六月三日の勅宣に云く ̄先師既開両業以為我道。代々座主相承莫不兼伝。在後之輩豈乖旧迹。如聞山上僧等専違先師之義成偏執之心。殆似不顧扇揚余風興隆旧業。凡厥師資之道闕一不可。伝弘之勤寧不兼備。自今以後宜以通達両教之人為延暦寺座主立為恒例〔先師既に両業を開いて以て我道と為す。代々の座主相承して、兼ね伝へざること莫し。在後之輩豈旧迹に乖んや。聞くならく、山上の僧等専ら先師之義に違ひて偏執之心を成す。殆ど余風を扇揚し旧業を興隆するを顧みざるに似たり。凡そその師資之道一を闕くも不可なり。伝弘之勤め寧ろ兼備せざらんや。今より以後宜く両教に通達する之人を以て延暦寺の座主と為して立て恒例と為すべし〕云云。[p1213-1214]
されば慈覚・智証の二人は伝教・義真の御弟子、漢土にわたりては又天台・真言の明師に値ひて有りしかども、二宗の勝劣は思ひ定めざりけるか。或は真言はすぐれ、或は法華すぐれ、或は理同事勝等云云。宣旨を申し下すには、二宗の勝劣を論ぜん人は違勅の者といましめられたり。[p1214-1215]
此等は皆自語相違といゐぬべし。他宗の人はよも用ひじとみえて候。但二宗斉等とは先師伝教大師の御義と宣旨に引き載せられたり。[p1215]
抑も伝教大師いづれの書にかかれて候ぞや。此事よくよく尋ぬべし。慈覚・智証と日蓮とが伝教大師の御事を不審申すは、親に値ふての年あらそひ、日天に値ひ奉りての目くらべにて候へども、慈覚・智証の御かたふどをせさせ給はん人々は、分明なる証文をかまへさせ給ふべし。詮ずるところは信をとらんがためなり。[p1215]
玄奘三蔵は月氏の婆沙論を見たりし人ぞがし。天竺にわたらざりし宝法師にせめられにき。法護三蔵は印度の法華経をば見たれども、属累の先後をば漢土の人みねども、・といひしぞかし。設ひ慈覚、伝教大師に値ひ奉りて習ひ伝へたりとも、智証、義真和尚に口決せりといふとも、伝教・義真の正文に相違せば、あに不審を加へざらん。[p1215]
伝教大師の依憑集と申す文は大師第一の秘書なり。彼書の序に云く ̄新来真言宗者則泯筆授之相承 旧到華厳家則隠影響之軌範。沈空三論宗者忘弾訶之屈恥覆称心之酔。著有法相非撲揚之帰依撥青龍之判経等。乃至 謹著依憑集一巻贈同我後哲。某時興日本第五十二葉弘仁之七丙申之歳也〔新来の真言宗は則ち筆授之相承を泯し、旧到の華厳家は則ち影響之軌範を隠す。沈空の三論宗は弾訶之屈恥を忘れて称心之酔を覆ふ。著有の法相は撲揚之帰依をなみし、青龍之判経等を撥(はら)ふ。乃至謹んで依憑集一巻を著して同我の後哲に贈る。某の時興ること日本第五十二葉弘仁之七丙申之歳なり〕云云。次下の正宗に云く ̄天竺名僧聞大唐天台教迹最堪簡邪正渇仰訪問〔天竺の名僧大唐天台の教迹最も邪正を簡ぶに堪えたりと聞いて渇仰して訪問す〕云云。次下に云く ̄豈非中国失法求之四維。而此方少有識者。如魯人耳〔豈に中国に法を失て四維に求むるに非ずや。而も此方に識ること有る者少し。魯人の如きのみ〕等云云。[p1215-1216]
此書は法相・三論・華厳・真言の四宗をせめて候文也。天台・真言の二宗同一味ならば、いかでかせめ候べき。而も不空三蔵等をば魯人のごとしなんどかかれて候。善無畏・金剛智・不空の真言宗いみじくば、いかでか魯人と悪口あるべき。又天竺の真言が天台宗に同じきも又勝れたるならば、天竺の名僧いかでか不空にあつらへ、中国に正法なしとはいうべき。[p1216]
それはいかにもあれ、慈覚・智証の二人は言は伝教大師の御弟子とはなのらせ給へども、心は御弟子にあらず。其故は此書に云く ̄謹著依憑集一巻贈同我後哲〔謹んで依憑集一巻を著して同我の後哲に贈る〕等云云。同我の二字は、真言宗は天台宗に劣るとならひてこそ、同我にてはあるべけれ。我と申し下さるる宣旨に云く ̄専違先師之義成偏執之心〔専ら先師之義に違て偏執之心を成す〕等云云。又云く ̄凡厥師資之道闕一不可〔凡そその師資之道一を闕くも不可なり〕等云云。此宣旨のごとくならば、慈覚・智証こそ、専ら先師にそむく人にては候へ。[p1216]
かうせめ候もをそれにては候へども、此をせめずば、大日経・法華経の勝劣やぶれなんと存じて、いのちをまと(的)にかけてせめ候なり。此二人の人々の弘法大師の邪義をせめ候わざりけるは最も道理にて候けるなり。[p1216]
されば粮米をつくし、人をわづらはかして、漢土へわたらせ給はんよりは、本師伝教大師の御義をよくよくつくさせ給ふべかりけるにや。[p1216-1217]
されば叡山の仏法は但伝教大師・義真和尚・円澄大師の三代計りにてやありけん。天台の座主すでに真言の座主にうつりぬ。名と所領とは天台山、其主は真言師なり。されば慈覚大師・智証大師は已今当の経文をやぶらせ給ふ人なり。已今当の経文をやぶらせ給ふは、あに釈迦・多宝・十方の諸仏の怨敵にあらずや。弘法大師こそ第一の謗法の人とをもうに、これはそれにはにるべくもなき僻事(ひがごと)なり。其故は水火天地なる事は僻事なれども、人用ふる事なければ其僻事成ずる事なし。弘法大師の御義はあまり僻事なれば弟子等も用ふる事なし。事相計りは其門家なれども、其教相の法門は弘法の義いゐにくきゆへに、善無畏・金剛智・不空・慈覚・智証の義にてあるなり。慈覚・智証の義こそ真言と天台とは理同なり、なんど申せば皆人さもやとをもう。かうをもうゆへに、事勝の印と真言とにつひて、天台宗の人々画像木像の開眼の仏事をねらはんがために、日本一同に真言宗にをちて、天台宗は一人もなきなり。例せば法師と尼と黒と青とはまがひぬべければ、眼くらき人はあやまつぞかし。僧と男と白と赤とは目くらき人も迷はず。いわうや眼あきらかなる者をや。慈覚・智証の義は法師と尼と黒と青とがごとくなるゆへに、智人も迷ひ愚人もあやまりて候て、此四百余年が間は叡山・園城・東寺・奈良・五畿・七道・日本一州皆謗法の者となりぬ。[p1217-1218]
抑も法華経の第五に_文殊師利 此法華経諸仏如来秘密之蔵。於諸経中最在其上〔文殊師利、此法華経は諸仏如来の秘密之蔵なり。諸経の中に於て最も其の上に在り〕云云。此の文のごとくならば、法華経は大日経の衆経の頂上に住し給ふ正法なり。さるにては善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証等は此経文をばいかんが会通せさせ給ふべき。法華経の第七に云く_有能受持是経典者亦復如是。於一切衆生中亦為第一〔能く是の経典を受持することあらん者も亦復是の如し。一切衆生の中に於て亦為れ第一なり〕等云云。此経文のごとくならば、法華経の行者は川流江河の中の大海、衆山の中の須弥山、衆星の中の月天、衆明の中の大日天、転輪王・帝釈・諸王の中の大梵王なり。[p1218]
伝教大師の秀句と申す書に云く ̄此経亦復如是 乃至 諸経法。中最為第一。有能受持。是経典者。亦復如是。於一切衆生中。亦為第一〔此経も亦復是の如し、乃至、諸経法の中に最もこれ第一なり。能く是の経典を受持すること有らん者も亦復是の如し。一切衆生の中に於て亦これ第一なり〕。已上経文なりと引き入れさせ給ひて次下に云く 天台法華玄に云く 等云云。已上玄文とかかせ給ひて上の心を釈して云く ̄当知。他宗所依経未最為第一。其能持経者亦未第一。天台法華宗所持法華経最為第一故 能持法華者亦衆生中第一。已拠仏説豈自歎哉〔当に知るべし。他宗所依の経は未だ最も為れ第一ならず。其能く経を持つ者も亦未だ第一ならず。天台法華宗所持の法華経は最も為れ第一なる故に、能く法華を持つ者も亦衆生の中の第一なり。已に仏説に拠る豈自歎ならんや〕等云云。次下に譲る釈に云く ̄委曲之依憑具有別巻也〔委曲之依憑具さに別巻有るなり〕等云云。依憑集に云く ̄今吾天台大師説法華経釈法華経特秀於群独歩於唐。明知如来使也。讃者積福於安明、謗者罪開於無間〔今吾天台大師法華経を説き、法華経を釈すること、群に特秀し、唐に独歩す。明に知んぬ如来の使いなり。讃る者は福を安明に積み、謗る者は罪を無間に開く〕等云云。[p1218]
法華経・天台・妙楽・伝教の経釈のごとくならば、今日本国には法華経の行者は一人もなきぞかし。[p1218-1219]
月氏には教主釈尊、宝塔品にして、一切の仏をあつめさせ給ひて大地の上に居せしめ、大日如来計り宝塔の中の南の下座にす(居)へ奉りて、教主釈尊は北の上座につかせ給ふ。此の大日如来は大日経の胎蔵界の大日・金剛頂経の金剛界の大日の主君なり。両部の大日如来を郎従等と定めたる多宝仏の上座に教主釈尊居せさせ給ふ。此れ即ち法華経の行者なり。天竺かくのごとし。漢土には陳帝の時、天台大師南北にせめかちて現身に大師となる。 ̄特秀於群独歩於唐〔群に特秀し、唐に独歩す〕というこれなり。日本国には伝教大師六宗にせめかちて日本の始め第一の根本大師となり給ふ。月氏・漢土・日本に但三人計りこそ、於一切衆生中亦為第一〔一切衆生の中に於て亦これ第一なり〕にては候へ。[p1219]
されば秀句に云く ̄浅易深難釈迦所判。去浅就深丈夫之心也。天台大師信順釈迦助法華宗敷揚震旦、叡山一家相承天台助法華宗弘通日本〔浅は易く深は難しとは釈迦の所判なり。浅きを去って深きに就くは丈夫之心なり。天台大師は釈迦に信順して法華宗を助けて震旦に敷揚し、叡山の一家は天台に相承して法華宗を助けて日本に弘通す〕等云云。[p1219]
仏滅後一千八百余年が間に法華経の行者漢土に一人、日本に一人、已上二人。釈尊を加へ奉りて已上三人なり。外典に云く 聖人は一千年に一(ひとたび)出て、賢人は五百年に一出づ。黄河は・(けい)・渭(い)ながれをわけて、五百年には半河すみ、千年は共に清む、と申すは一定にて候けり。[p1219]
然るに日本国は叡山計りに、伝教大師の御時、法華経の行者ましましけり。義真・円澄は第一第二の座主なり。第一の義真計り伝教大師ににたり。第二の円澄は半(なかば)は伝教の御弟子、半は弘法の弟子なり。第三の慈覚大師は始めは伝教の御弟子ににたり。御年四十にて漢土にわたりてより、名は伝教の御弟子、其跡をばつがせ給へども、法門は全く御弟子にあらず。而れども円頓の戒計りは又御弟子ににたり。蝙蝠鳥のごとし。鳥にもあらず。ねずみにもあらず。梟鳥禽(きょうちょうきん)・破鏡獣(はけいじゅう)のごとし。法華経の父を食らひ、持者の母をかすめるなり。日をい(射)るとゆめにみしこれなり。されば死去の後は墓なくてやみぬ。智証の門家園城寺と慈覚の門家叡山の、・羅と悪龍と合戦ひまなし。園城寺をやき叡山をやく。智証大師の本尊慈氏菩薩もやけぬ。慈覚大師の本尊大講堂もやけぬ。現身に無間地獄をかん(感)ぜり。但中堂計りのこれり。[p1219-1220]
弘法大師も又跡なし。弘法大師の云く 東大寺の受戒せざらん者をば東寺の長者とすべからず等、御いましめの状あり。しかれども寛平法王は仁和寺を建立して、東寺の法師をうつして、我寺には叡山の円頓戒を持たざらん者をば住せしむべからずと、宣旨分明なり。されば今の東寺の法師は鑒真が弟子にもあらず、弘法の弟子にもあらず。戒は伝教の御弟子なり。又伝教の御弟子にもあらず、伝教の法華経を破失す。[p1220]
去る承和二年三月二十一日に死去ありしかば公家より遺体をはほ(葬)らせ給ひ、其後誑惑の弟子等集りて、御入定と云云。或はかみ(髪)をそりてまいらするぞといゐ、或は三鈷をかんど(漢土)よりなげたりといゐ、或は日輪夜中に出たりといゐ、或は現身に大日如来となり給ふといひ、或は伝教大師に十八道ををしえまいらせたりといゐて、師の徳をあげて智慧にかへ、我師の邪義を扶けて王臣を誑惑するなり。又高野山に本寺・伝法院といいし二の寺あり。本寺は弘法のたてたる大塔大日如来なり。伝法院と申すは正覚房が立てし金剛界の大日なり。此本末の二寺昼夜に合戦あり。例せば叡山・園城のごとし。誑惑のつもりて日本に二の禍の出現せるか。糞を集めて栴檀となせども、焼く時は但糞の香なり。大妄語を集めて仏とがうすれども但無間大城なり。尼・が塔は数年が間、利生広大なりしかども、馬鳴菩薩の礼をうけて忽にくづれぬ。鬼弁婆羅門がとばり(帷)は多年人をたぼらかせしかども、阿・縛・沙〈あすばくしゃ〉菩薩にせめられてやぶれぬ。・留外道は石となつて八百年、陳那菩薩にせめられて水となりぬ。道士は漢土をたぼらかすこと数百年、摩騰・竺蘭にせめられて仙経もやけぬ。趙高が国をとりし、王莽(おうもう)が位をうばいしがごとく、法華経の位をと(奪)て大日経の所領とせり。法王すでに国に失ぬ。人王あに安穏ならんや。日本国は慈覚・智証・弘法の流なり。一人として謗法ならざる人はなし。[p1220-1221]
{▽下巻}[p1222]
但し事の心を案ずるに、大荘厳仏の末、一切明王仏の末法のごとし。威音王仏の末法には改悔ありしすら、猶千劫阿鼻地獄に堕つ。いかにいわうや、日本国の真言師・禅宗・念仏者等は一分の廻心なし。如是展転至無数劫疑ひなきものか。かゝる謗法の国なれば天もすてぬ。天すつれば、ふるき守護の善神もほこらをやひ(焼)て寂光の都へかへり給ひぬ。[p1222]
但日蓮計り留まり居て告げ示せば、国主これをあだみ、数百人の民に或は罵詈、或は悪口、或は杖木、或は刀杖、或は宅々ごとにせき、或は家々ごとにをう。それにかなはねば、我と手をくだして二度まで流罪あり。[p1222]
去る文永八年九月の十二日には首を切らんとす。最勝王経に云く_由愛敬悪人治罰善人故他方怨賊来国人遭喪乱〔悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に、他方の怨賊来て国人喪乱に遭う〕等云云。大集経に云く_若復有諸刹利国王作諸非法悩乱世尊声聞弟子 若以毀罵刀杖打斫及奪衣鉢種種資具 若他給施作留難者我等令彼自然卒起他方怨敵 及自界国土亦令兵起病疫飢饉非時風雨闘諍言訟。又令其王不久復当亡失己国〔若しは復諸の刹利国王有て諸の非法を作して世尊の声聞の弟子を悩乱し、若しは以て毀罵し刀杖をもて打斫し及び衣鉢種種の資具を奪ひ、若しは他の給施せんに留難を作さば我等彼をして自然に他方の怨敵を卒起せしめん、及び自界の国土にも亦兵起り病疫飢饉し非時の風雨闘諍言訟せしめん。又其王をして久しからざらしめ復当に己が国を亡失す〕等云云。此等の文のごときは日蓮この国になくば、仏は大妄語の人阿鼻地獄はいかでか脱れ給ふべき。[p1222]
去る文永八年九月十二日に平左衛門竝びに数百人に向て云く 日蓮は日本国のはしら(柱)なり。日蓮を失ふほどならば日本国のはしらをたをす(倒)になりぬ等云云。此経文に、智人を国主等若しは悪僧等がざんげんにより、若しは諸人の悪口によて、失(とが)にあつるならば、にはかにいくさ(軍)をこり、又大風ふかせ、他国よりせむべし等云云。[p1222-1223]
去る文永九年二月のどし(同志)いくさ、同じき十一年の四月の大風、同じき十月に大蒙古の来りしは偏に日蓮がゆへにあらずや。いわうや前よりこれをかんがへたり。誰の人か疑ふべき。弘法・慈覚・智証の・り竝びに禅宗と念仏宗とのわざわい(禍)あいをこりて、逆風に大波をこり、大地震のかさなれるがごとし。[p1223]
さればやうやく国をとろう。太政入道がくにををさ(押)へ、承久に王位つきはてゝ世東にうつりしかども、但国中のみだれにて他国のせめはなかりき。彼は謗法の者は国に充満せりといへどもさゝ(支)へ顕はす智人なし。かるがゆへに、なのめ(平)なりき。譬へば師子のねぶれるは手をつけざればほへず。迅(はや)き流れは櫓をさゝへざれば波たかからず。盗人はとめざればいからず。火は薪を加へざればさかんならず。謗法はあれどもあらわす人なければ国もをだやかなるににたり。例せば日本国に仏法わたりはじめて候しに、始めはなに事もなかりしかども、守屋仏をやき、僧をいましめ、堂塔をやきしかば、天より火の雨ふり、国にはうさう(疱瘡)をこり、兵乱つづきしがごとし。此はそれにはにるべくもなし。謗法の人々も国に充満せり。日蓮が大義も強くせめかゝる。・羅と帝釈と、仏と魔王との合戦にもをとるべからず。金光明経に云く_時・国怨敵興如是念。当具四兵壊彼国土〔時に・国の怨敵是の如き念を興さん。当に四兵を具して彼国土を壊るべし〕等云云。又云く_時王見已即厳四兵発向彼国欲為討罰。我等爾時当与眷属無量無辺薬叉諸神 各隠形為作護助 令彼怨敵自然降伏〔時に王見已つて即ち四兵をよそおひて彼国に発向し討罰を為さんと欲す。我等爾の時に当に眷属無量無辺の薬叉諸神と各形を隠して為に護助を作し彼怨敵をして自然に降伏せしむべし〕等云云。最勝王経の文又かくのごとし。大集経云云。仁王経云云。此等の経文のごときんば、正法を行ずるものを国主あだみ、邪法を行ずる者のかたうどせば、大梵天王・帝釈・日月・四天等、・国の賢王の身に入りかわりて其国をせむべしとみゆ。例せば訖利多王を雪山下王のせめ、大族王を幻日王の失ひしがごとし。訖利多王と大族王とは月氏の仏法を失ひし王ぞかし。漢土にも仏法をほろぼしゝ王、みな賢王にせめられぬ。これは彼にはにるべくもなし。仏法のかたうどなるやうにて、仏法を失ふ法師のかたうどをするゆへに、愚者はすべてしらず、智者なんども常の智人はしりがたし。天も下劣の天人は知らずもやあるらん。[p1223-1224]
されば漢土月氏のいにしへ(古)のみだれよりも大きなるべし。法滅尽経に云く_吾般泥・後 五逆濁世魔道興盛魔作沙門壊乱吾道。乃至 悪人転多如海中沙 善者甚少若一若二〔吾般泥・の後、五逆濁世に魔道興盛し魔沙門と作つて吾道を壊乱せん。乃至 悪人転た多く海中の沙の如く、善者は甚だ少して若しは一若しは二〕云云。涅槃経に云く_信如是等涅槃経典 如抓上土 乃至 信是経如十方界諸有地土〔是の如き等の涅槃経典を信ずるものは爪上の土の如し、乃至、是の経を信ぜざるものは十方界の諸有の地土の如し〕等云云。此経文は予が肝に染みぬ。当世日本国には我も法華経を信じたり信じたり。諸人の語のごときんば一人も謗法の者なし。此経文には、末法に謗法の者十方の地土、正法の者爪上の土等云云。経文と世間とは水火なり。世間の人云く 日本国には日蓮一人計り謗法の者等云云。又経文には天地せり。法滅尽経には善者一・二人。涅槃経には信者爪上の土等云云。経文のごとくならば、日本国は但日蓮一人こそ爪上の土・一・二人にては候へ。経文をか用ふべき、世間をか用ふべき。[p1224-1225]
問て云く 涅槃経の文には、涅槃経の行者は爪上の土等云云。汝が義には法華経等云云如何。[p1225]
答て云く 涅槃経に云く_如法華中〔法華の中の如し〕等云云。妙楽大師云く ̄大経自指法華為極〔大経自ら法華を指して極と為す〕等云云。大経と申すは涅槃経也。涅槃経には法華経を極と指して候なり。而るを涅槃宗の人の法華経に勝ると申せしは、主を所従といゐ下郎を上郎といゐし人なり。涅槃経をよむと申すは法華経をよむを申すなり。譬へば、賢人は国主を重んずる者をば我をさぐれども悦ぶなり。涅槃経は法華経を下げて我をほむる人をば、あながちに敵とにくませ給ふ。此の例をもつて知るべし。華厳経・観経・大日経等をよむ人も法華経を劣るとよむは彼々の経々の心にはそむくべし。此をもつて知るべし。法華経をよむ人の此経をば信ずるやうなれども、諸経にても得道なる(成)とをもうは、此経をよまぬ人なり。[p1225]
例せば嘉祥大師は法華玄と申す文十巻造りて、法華経をほめしかども、妙楽かれをせめて云く ̄毀在其中何成弘讃〔毀り其の中に在り、何ぞ弘讃と成さん〕等云云。法華経をやぶる人なり。されば嘉祥は落ちて、天台につかひ(仕)て法華経をよまず。我れ経をよむならば悪道まぬがれがたしとて、七年まで身を橋とし給ひき。[p1225-1226]
慈恩大師は玄賛と申して法華経をほむる文十巻あり。伝教大師せめて云く ̄雖讃法華経還死法華心〔法華経を讃むると雖も還て法華の心を死す〕等云云。此等をもつてをもうに、法華経をよみ讃歎する人々の中に無間地獄は多く有るなり。嘉祥・慈恩すでに一乗誹謗の人ぞかし。弘法・慈覚・智証あに法華経蔑如の人にあらずや。嘉祥大師のごとく講を廃し衆を散じて身を橋となせしも、猶や已前の法華経誹謗の罪やきへざるらん。不軽軽毀の者は不軽菩薩に信伏随従せしかども、重罪いまだのこりて千劫阿鼻に堕ちぬ。[p1226]
されば弘法・慈覚・智証等は設ひひるがへす心ありとも尚法華経をよむならば重罪きへがたし。いわうやひるがへる心なし。又法華経を失ひ、真言教を昼夜に行ひ、朝暮に伝法せしをや。[p1226]
世親菩薩・馬鳴菩薩は小をもて大を破せる罪をば、舌を切らんとせしか。世親菩薩は仏説なれども阿含経をばたわふれにも舌の上にをかじとちかひ、馬鳴菩薩は懺悔のために起信論をつくりて小乗をやぶり給ひき。[p1226]
嘉祥大師は天台大師を請じ奉りて、百余人の智者の前にして五体を地になげ、・身にあせ(汗)をながし、紅のなんだをながして、今よりは弟子を見じ、法華経をかう(講)ぜじ。弟子の面をまほり法華経をよみたてまつれば、我力の此経を知るにに(似)たりとて、天台よりも高僧老僧にてをはせしが、わざと人のみるときをひ(負)まいらせて河をこへ、かうざ(高座)にちかづきてせなか(背)にのせまいらせ給ひて高座にのぼせたてまつり、結句御臨終の後には、隋の皇帝にまい(参)らせて、小兒が母にをくれたるがごとくに足をすりてなき給ひしなり。[p1226-1227]
嘉祥大師の法華玄を見るに、いたう法華経を謗じたる疏にはあらず。但法華経と諸大乗経とは門は浅深あれども心は一とかきてこそ候へ。此が誹謗の根本にて候か。華厳の澄観も真言の善無畏も大日経と法華経とは理は一とこそかゝれて候へ。嘉祥とが(科)あらば善無畏三蔵も脱れがたし。[p1227]
されば善無畏三蔵は中天の国主なり。位をすてて他国にいたり、殊勝・招提の二人にあひて法華経をうけ、百千の石の塔を立てしかば、法華経の行者とこそみへしか。しかれども大日経を習ひしよりこのかた、法華経を大日経に劣るとやをもひけん。始めはいたう其義もなかりけるが、漢土にわたりて玄宗皇帝の師となりぬ。天台宗をそねみ思ふ心つき給ひけるかのゆへに、忽ちに頓死して、二人の極卒に鉄の縄七つけられて、閻魔王宮にいたりぬ。命いまだつきずといゐてかへされしに、法華経謗法とやをもひけん、真言の観念・印真言等をばなげすてゝ、法華経の今此三界の文を唱へて縄も切れ、かへされ給ひぬ。又雨のいのりををほせつけられたりしに、忽ちに雨は下(ふり)たりしかども、大風吹きて国をやぶる。結句死し給ひてありしには、弟子等集まりて臨終いみじきやうをほめしかども、無間大城に堕ちにき。[p1227-1228]
問て云く 何をもつてかこれをしる。[p1228]
答て云く 彼伝を見るに云く ̄今観畏之遺形漸加縮小黒皮隠々骨其露焉〔今畏の遺形を観るに漸くますます縮小し黒皮隠々として骨其れ露なり〕等云云。彼の弟子等は死後に地獄の相の顕はれたるをしらずして、徳をあぐなどをもへども、かきあらはせる筆は畏が失をかけり。死してありければ、身やふやくつづま(縮)りちひさ(小)く、皮はくろ(黒)し、骨あらわ(露)なり等云云。人死して後、色の黒きは地獄の業と定むる事は仏陀の金言ぞかし。[p1228]
善無畏三蔵の地獄の業はなに事ぞ。幼少にして位をすてぬ。第一の道心なり。月氏五十余箇国を修行せり。慈悲の余りに漢土にわたれり。天竺・震旦・日本一閻浮提の内に真言を伝へ鈴をふるこの人の功徳にあらずや。いかにして地獄には堕ちけると、後生ををもはん人々は御尋ねあるべし。又金剛智三蔵は南天竺の大王の太子なり。金剛頂経を漢土にわたす。其の徳善無畏のごとし。又互に師となれり。[p1228]
而るに金剛智三蔵勅宣によて雨の祈りありしかば七日が中に雨下る。天子大に悦ばせ給ふほどに忽ちに大風吹き来る。王臣等けうさめ(興覚)給ひて、使ひをつけて追はせ給ひしかども、とかうのべて留まりし也。結句は姫宮の御死去ありしに、いのりをなすべしとて、身の代に殿上の二の女子七歳になりしを、薪につみこめて焼き殺せし事こそ、無漸にはをぼゆれ。而れども姫宮もいきかへり給はず。[p1228-1229]
不空三蔵は金剛智と月支より御ともせり。此等の事を不審とやをもひけん。畏と智と入滅の後、月氏に還りて龍智に値ひ奉り、真言を習ひなを(直)し、天台宗に帰伏してありしが、心計りは帰れども身はかへる事なし。雨の御いのりうけ給はりたりしが、三日と申すに雨下る。天子悦ばせ給ひて我と御布施ひかせ給ふ。須臾ありしかば、大風落ち下りて内裏をも吹きやぶり、雲閣月卿の宿所一所もあるべしともみへざりしかば、天子大に驚きて宣旨なりて風をとどめよ。且らくありては又吹き、又吹きせしほどに、数日が間やむことなし。結句は使いをつけて追ふてこそ、風もやみてありしか。[p1229]
此三人の悪風は漢土日本の一切の真言師の大風なり。さにてあるやらん。[p1229]
去る文永十一年四月十二日の大風は、阿弥陀堂加賀法印東寺第一の智者の雨のいのりに吹きたりし逆風なり。善無畏・金剛智・不空の悪法をすこしもたがへず伝へたりけるか。心にくし心にくし。[p1229]
弘法大師は去る天長元年の二月大旱魃のありしに、先には守敏(しゅびん)祈雨して七日が内に雨を下す。但し京中にふりて田舎にそゝがず。次に弘法承取りて一七日に雨気なし、二七日に雲なし。三七日と申せしに、天子より和気の真綱を使者として御幣を神泉苑にまいらせたりしかば雨下る事三日。此をば弘法大師竝びに弟子等此の雨をうばひとり、我が雨として今に四百余年、弘法の雨という。[p1229-1230]
慈覚大師の夢に日輪をい(射)しと、弘法大師の大妄語に云く 弘仁九年の春大疫をいのりしかば夜中に大日輪出現せりと云云。成劫より已来住劫の第九の減、已上二十九劫が間に日輪夜中に出でしという事なし。慈覚大師は夢に日輪をいるという。内典五千七千、外典三千余巻に、日輪をいるとゆめにみるは吉夢という事有りやいなや。・羅は帝釈をあだみて日天をいたてまつる。其矢かへりて我が眼にたつ。殷の紂王は日天を的にいて身を亡す。日本の神武天皇の御時、度美長(とみのおさ)と五瀬命(いつせのみこと)と合戦ありしに、命の手に矢たつ。命の云く 我はこれ日天(ひのかみ)の子孫(うみのこ)なり。日に向かひ奉りて弓をひくゆへに、日天のせめをかをほれりと云云。阿闍世王は仏に帰しまいらせて、内裏に返りてぎよしん(御寝)なりしが、をどろいて諸臣に向て云く 日輪天より地に落とゆめにみる。諸臣の云く 仏の御入滅か云云。須跋陀羅がゆめ又かくのごとし。我国は殊にいむ(忌)べきゆめなり。神をば天照という。国をば日本という。又教主釈尊をば日種と申す。摩耶夫人日をはらむとゆめにみてまうけ給へる太子なり。[p1230-1231]
慈覚大師は大日如来を叡山に立て釈迦仏をすて、真言の三部経をあがめて法華経の三部の敵となりしゆへに、此夢出現せり。例せば漢土の善導が始めは密州の明勝といゐし者に値ふて、法華経をよみたりしが、後には道綽に値ふて法華経をすて、観経に依りて疏をつくり、法華経をば千中無一、念仏をば十即十生百即百生と定めて、此義を成ぜんがために阿弥陀仏の御前にして祈誓をなす。仏意に叶ふやいなや、毎夜夢中常有一僧 而来指授(毎夜夢の中常にひとりの僧有り、来りて指授す)と云云。乃至 一如経法〔もっぱら経法の如くせよ〕乃至 観念法門経等云云。法華経には_若有聞法者無一不成仏〔若し法を聞く者有れば一として成仏せざる無し〕。善導は千中無一〔千が中に一も無し〕等云云。法華経と善導とは水火也。善導は観経をば十即十生百即百生と。無量義経に云く_観経は未顕真実〔未だ真実を顕さず〕等云云。無量義経と楊柳房とは天地也。此を阿弥陀仏の僧と成りて来て真なりと証せばあに真事ならんや。抑も阿弥陀は法華経の座に来りて、舌をば出し給はざりけるか。観音・勢至は法華経の座にはなかりけるか。此をもてをもへ、慈覚大師の御夢はわざわひなり。[p1231]
問て云く 弘法大師の心経の秘鍵に云く ̄于時弘仁九年春天下大疫。爰皇帝自染黄金於筆端 握紺紙於爪掌 奉書写般若心経一巻。予範講読之撰綴経旨之宗未吐結願之詞蘇生之族彳途。夜変而日光赫々。是非愚身戒徳。金輪御信力所為也。但詣神舎輩奉誦此秘鍵。昔予陪鷲峰説法之筵親聞其深文。豈不達其義而已〔時に弘仁九年の春天下大疫す。爰に皇帝自ら黄金を筆端に染め紺紙を爪掌に握りて、般若心経一巻を書写し奉りたまふ。予講読之撰に範て経旨之宗を綴る、未だ結願之詞を吐かず蘇生之族途に彳〈すむ〉。夜変じて日光赫々たり。是愚身の戒徳に非ず。金輪の御信力の所為なり。但神舎に詣でん輩は此の秘鍵を誦し奉れ。昔予鷲峰説法之筵に陪して親しく其の深文を聞きたてまつる。豈其の義に達せざらんや〕等云云。[p1231-1232]
又孔雀経の音義に云く ̄弘法大師帰朝之後 欲立真言宗 諸宗群集朝廷矣。疑即身成仏義。大師結智拳印向南方 面門俄開成金色毘盧遮那 即便還帰本体。入我我入之事 即身頓証之疑 此日釈然。然真言瑜伽宗 秘密曼荼羅道 従彼時建立矣〔弘法大師帰朝之後、真言宗を立てんと欲し、諸宗を朝廷に群集す。即身成仏の義を疑ふ。大師智拳の印を結んで南方に向かふに、面門俄に開いて金色の毘盧遮那と成り、すなわち本体に還帰す。入我我入之こと、即身頓証之疑ひ、此の日釈然たり。然るに真言瑜伽の宗、秘密曼荼羅の道、彼時従り建立しぬ〕。[p1232]
又云く ̄此時諸宗学徒帰大師 始得真言請益習学。三論道昌・法相源仁・華厳道雄・天台円澄等皆其類也〔此の時に諸宗の学徒大師に帰して、始めて真言を得請益し習学す。三論の道昌・法相の源仁・華厳の道雄・天台の円澄等皆其の類なり〕。弘法大師の伝に云く ̄帰朝泛舟之日発願云 我所学教法若有感応之地者此三鈷可到其処。仍向日本方抛上三鈷。遥飛入雲。十月御帰朝〔帰朝泛舟之日発願して云く 我所学の教法若し感応之地有らば、此三鈷其の処に到るべしと。仍て日本の方に向て三鈷を抛げ上ぐ。遥かに飛んで雲に入る。十月に御帰朝す〕云云。[p1232]
又云く ̄高野山下占入定所。乃至 彼海上之三鈷今新在此〔高野山の下に入定の所を占む。乃至 彼の海上之三鈷今新たに此に在り〕等云云。大師の徳無量なり。其の両三を示す。かくのごとくの大徳あり。いかんが此人を信ぜずして、かへりて阿鼻地獄に堕つるといはんや。[p1232]
答て云く 予も仰いで信じ奉る事かくのごとし。但し古の人々も不可思議の徳ありしかども、仏法の邪正は其にはよらず。外道が或は恒河を耳に十二年留め、或は大海をすひ(吸)ほし、或は日月を手ににぎり、或は釈子を牛羊となしなんどせしかども、いよいよ大慢ををこして、生死の業とこそなりしか。此をば天台云く ̄邀名利増見愛〔名利をもとめ見愛を増す〕とこそ釈せられて候へ。光宅が忽ちに雨を下し須臾に花を感ぜしをも、妙楽は ̄感応若此猶不称理〔感応此ごとくなれども、猶理にかなはず〕とこそかかれて候へ。さらば天台大師の法華経をよみて須臾に甘雨を下せ、伝教大師の三日が内に甘露の雨をふらしてをはせしも、其をもつて仏意に叶ふとはをほせられず。弘法大師いかなる徳ましますとも、法華経を戯論の法と定め、釈迦仏を無明の辺域とかゝせ給へる御ふで(筆)は、智慧かしこからん人は用ふべからず。いかにいわうや、上にあげられて候徳どもは不審ある事なり。弘仁九年の春天下大疫等云云。春は九十日、何れの月何れの日ぞ。是一。[p1232-1233]
又弘仁九年には大疫ありけるか。是二。[p1233]
又夜変而日光赫々たりと云云。此事第一の大事なり。弘仁九年は嵯峨天皇の御宇なり。左史右史の記に載せたりや。是三。[p1233]
設ひ載せたりとも信じがたき事なり。成劫二十劫・住劫九劫、已上二十九劫が間にいまだ無き天変也。夜中に日輪の出現せる事如何。又如来一代の聖教にもみへず。未来に夜中に日輪出べしとは三皇五帝の三墳五典にも載せず。仏経のごときんば、減劫にこそ二つの日三つの日乃至七つの日は出べしとは見えたれども、かれは昼のことぞかし、夜日出現せば東西北の三方は如何。設ひ内外の典に記せずとも、現に弘仁九年の春、何れの月、何れの日、何れの夜の、何れの時に日出づるという。公家・諸家・叡山等の日記あるならば、すこし信ずるへんもや。次下に ̄昔予陪鷲峰説法之筵親聞其深文〔昔予鷲峰説法之筵に陪して親しく其の深文を聞きたてまつる〕等云云。此筆を人に信ぜさせしめんがために、かまへ出す大妄語か。されば霊山にして法華は戯論、大日経は真実と仏の説き給ひけるを、阿難・文殊が・りて妙法華経をば真実とかけるか、いかん。いうにかいなき婬女・破戒の法師等が歌をよみて雨(ふら)す雨を、三七日まで下さざりし人はかゝる徳あるべしや。是四。[p1233-1234]
孔雀経の音義に云く ̄大師結智拳印向南方 面門俄開成金色毘盧遮那〔大師智拳の印を結んで南方に向かふに、面門俄に開いて金色の毘盧遮那と成る〕等云云。此又何れの王、何れの年時ぞ。漢土には建元を初めとし、日本には大宝を初めとして、緇素の日記、大事には必ず年号のあるが、これほどの大事にいかでか王も臣も年号も日時もなきや。又次に云く 三論道昌・法相源仁・華厳道雄・天台円澄等云云。抑も円澄は寂光大師天台第二の座主なり。其時何ぞ第一の座主義真、根本の伝教大師をば召さざりけるや。円澄は天台第二の座主、伝教大師の御弟子なれども、又弘法大師の弟子なり。弟子を召さんよりは、三論・法相・華厳よりは、天台の伝教・義真の二人を召すべかりけるか。[p1234]
而も此日記に云く ̄真言瑜伽宗 秘密曼荼羅道 従彼時而建立矣〔真言瑜伽の宗、秘密曼荼羅の道、彼時従り建立しぬ〕等云云。此筆は伝教・義真の御存生かとみゆ。弘法は平城天皇大同二年より弘仁十三年までは盛んに真言をひろめし人なり。其時は此二人現にをはします。又義真は天長十年までおはせしかば、其時まで弘法の真言はひろまらざりけるか。かたがた不審あり。孔雀経の疏は弘法の弟子真済が自記なり。信じがたし。又邪見者か。公家・諸家・円澄の記をひかるべきか。又道昌・源仁・道雄の記を尋ぬべし。 ̄面門俄開成金色毘盧遮那〔面門俄に開いて金色の毘盧遮那と成る〕等云云。面門とは口なり。口の開けたりけるか。眉間開くとかゝんとしけるが、・りて面門とかけるか。ぼう(謀)書をつくるゆへにかゝるあやまりあるか。[p1234-1235]
 ̄大師結智拳印向南方 面門俄開成金色毘盧遮那〔大師智拳の印を結んで南方に向かふに、面門俄に開いて金色の毘盧遮那と成る〕等云云。[p1235]
涅槃経の五に云く_迦葉白仏言世尊我今不依是四種人何以故。如瞿師羅経中仏為瞿師羅説 若天魔梵為欲破壊変為仏像具足荘厳三十二相八十種好円光一尋面部円満猶月盛明眉間毫相白踰珂雪 乃至 左脇出水右脇出火〔迦葉仏に白して言さく、世尊我今是の四種の人に依らず、何を以ての故に。瞿師羅経の中の如き、仏瞿師羅の為に説きたまはく、若し天魔梵破壊せんと欲するが為に変じて仏の像と為り、三十二相八十種好を具足し荘厳し、円光一尋面部円満なること月の盛明なるがごとく、眉間の毫相白きこと珂雪に踰え、乃至、左の脇より水を出し右の脇より火を出す〕等云云。[p1235]
又六巻に云く_仏告迦葉 我般涅槃 乃至 後是魔波旬漸当沮壊我之正法。乃至 化作阿羅漢身及仏色身 魔王以此有漏之形作無漏身壊我之正法〔仏迦葉に告げたまはく、我般涅槃して、乃至、後是の魔波旬漸く当に我之正法を沮壊すべし。乃至、化して阿羅漢の身、及び仏の色身と作り、魔王此有漏之形を以て無漏の身と作り、我之正法を壊らん〕等云云。[p1235]
弘法大師は法華経を華厳経・大日経に対して戯論等云云。而も仏身を現ず。此涅槃経には魔有漏の形をもつて仏となつて我正法をやぶらんと記し給ふ。涅槃経の正法は法華経なり。故に経の次下の文に云く_久已成仏〔久しく已に成仏す〕。又云く_如法華中〔法華の中の如し〕等云云。釈迦・多宝・十方の諸仏は一切経に対して法華経は真実、大日経等の一切経は不真実等云云。弘法大師は仏身を現じて華厳経・大日経に対して法華経は戯論等云云。仏説まことならば弘法は天魔にあらずや。又三鈷の事、殊に不審なり。漢土の人の日本に来りてほり(堀)いだすとも信じがたし。已前に人をやつかわしてうづみ(埋)けん。いわうや弘法は日本の人、かゝる誑乱其数多し。此等をもつて仏意に叶ふ人の証拠とはしりがたし。[p1235-1236]
されば此真言・禅宗・念仏等やうやくかうなり来る程に、人王八十二代尊成(たかなり)隠岐の法王 権の太夫殿を失はんと年ごろはげませ給ひけるゆへに、国主なればなにとなくとも、師子王の兎を伏するがごとく、鷹の雉を取るやうにこそあるべかりし上、叡山・東寺・園城・奈良・七大寺・天照太神・正八幡・山王・加茂・春日等に数年が間、或は調伏、或は神に申させ給ひしに、二日三日だにもさゝへかねて、佐渡国・阿波国・隠岐国等にながし失せて終にかくれさせ給ひぬ。調伏の上首御室(おむろ)は但東寺をかへらるゝのみならず、眼のごとくあひ(愛)せさせ給ひし第一の天童勢多伽(せいたか)が首切られたりしかば、調伏のしるし還著於本人のゆへとこそ見へて候へ。[p1236]
これはわづかの事なり。此後定んで日本の国臣万民一人もなく、乾草を積みて火を放つがごとく、大山のくづれて谷をうむがごとく、我国他国にせめらるる事出来すべし。[p1236]
此事日本国の中に但日蓮一人計りしれり。いゐいだすならば、殷の紂王の比干が胸をさきしがごとく、夏の桀王の龍蓬が頚を切りしがごとく、檀彌羅王の師子尊者が首を刎ねしがごとく、竺の道生が流されしがごとく、法道三蔵のかなやき(火印)をや(焼)かれしがごとくならんずらんとはかねて知りしがども、法華経には我不愛身命但惜無上道〔我身命を愛せず、但無上道を惜む〕ととかれ、涅槃経には寧喪身命不匿教者〔寧ろ身命を喪ふとも教を匿さざれ〕といさめ給えり。今度命をおしむならば、いつの世にか仏になるべき、又何なる世にか父母師匠をもすくひ奉るべきと、ひとへにをもひ切りて申し始めしかば、案にたがはず、或は所をおひ、或はのり、或はうたれ、或は・(きず)をかうふるほどに、去る弘長元年辛の酉五月十二日に御勘気をかうふりて、伊豆の国伊東にながされぬ。又同じき弘長三年癸の亥二月二十二日にゆりぬ。[p1236-1237]
其後弥菩提心強盛にして申せば、いよいよ大難かさなる事、大風に大波の起るがごとし。昔の不軽菩薩の杖木のせめも我身につみしられたり。覚徳比丘が歓喜仏の末の大難も、此には及ばじとをぼゆ。日本六十六箇国嶋二つの中に、一日片時も何れの所にすむべきやうもなし。古は二百五十戒を持ちて忍辱なる事羅云のごとくなる持戒の聖人も、富楼那のごとくなる智者も、日蓮に値ひぬれば悪口をはく。正直にして魏徴・忠仁公のごとくなる賢者等も、日蓮を見ては理をまげて非とをこなう。いわうや世間の常の人々は犬のさる(猿)をみたるがごとく、猟師が鹿をこめたるににたり。日本国の中に一人として故こそあるらめという人なし。[p1237-1238]
道理なり。人ごとに念仏を申す、人に向ふごとに念仏は無間に堕つるというゆへに。人ごとに真言を尊む、真言は国をほろぼす悪法という。国主は禅宗を尊む、日蓮は天魔の所為というゆへに。我と招けるわざわひなれば人ののるをもとがめず。とがむとて一人ならず。打つをもいたまず、本より存ぜしがゆへに。[p1238]
かういよいよ身もをしまずせめしかば、禅僧数百人、念仏者数千人、真言師百千人、或は奉行につき、或はきり人(権家)につき、或はきり女房(権閨)につき、或は後家尼御前等につきて無尽のざんげんをなせし程に、最後には天下第一の大事日本国を失はんと呪そ(咀)する法師なり。故最明寺殿・極楽寺殿・を無間地獄に堕ちたりと申す法師なり。御尋ねあるまでもなし。但須臾に首をめせ。弟子等をば又或は首を切り、或は遠国につかはし、或は篭に入れよと、尼ごぜんたちいからせ給ひしかば、そのまゝ行はれけり。[p1238]
去る文永八年辛の未九月十二日の夜は相模の国たつの口にて切らるべかりしが、いかにしてやありけん、其夜はのびて依智というところへつきぬ。又十三日の夜はゆり(許)たりとどゞめき(多口)しが、又いかにやありけん、さど(佐渡)の国までゆく。今日切る、あす切る、といひしほどに四箇年というに、結句は去る文永十一年太歳甲戌二月の十四日にゆりて、同じき三月二十六日に鎌倉に入り、同じき四月の八日、平左衛門尉に見参して、やうやうの事申したりし中に、今年は蒙古は一定よすべしと申しぬ。同じき五月の十二日にかまくら(鎌倉)をいでて、此山に入れり。[p1238-1239]
これはひとへに父母の恩・師匠の恩・三宝の恩・国の恩をほう(報)ぜんがために、身をやぶり、命をすつれども、破れざればさてこそ候へ。又賢人の習ひ、三度国をいさむるに用ひずば、山林にまじわれということは、定るれい(例)なり。此功徳は定めて上三宝・下梵天・帝釈・日月までもしろしめしぬらん。父母も故道善房の聖霊も扶かり給ふらん。[p1239]
但疑ひ念ふことあり。目連尊者は扶けんとをもいしかども母の青提女は餓鬼道に堕ちぬ。大覚世尊の御子なれども善星比丘は阿鼻地獄へ堕ちぬ。これは力のまやすく(救)はんとをぼせども自業自得果のへん(辺)はすくひがたし。故道善房はいたう弟子なれば、日蓮をばにくしとはをぼせざりけるらめども、きわめて臆病なりし上、清澄をはなれじと執せし人なり。地頭景信がをそろしといゐ、提婆・瞿伽利にことならぬ円智・実城が上と下とに居てをどせしを、あながち(強)にをそれて、いとをしとをもうとし(年)ごろの弟子等をだにも、すてられし人なれば後生はいかんがと疑ふ。[p1239]
但一の冥加には景信と円智・実城とがさきにゆきしこそ、一のたすかりとはをもへども、彼等は法華経の十羅刹のせめをかほりてはやく失ぬ。後にすこし信ぜられてありしは、いさかひの後のちぎりきなり。ひるのともしび(燈)なにかせん。其上いかなる事あれども子・弟子なんどという者は不便(ふびん)なる者ぞかし。力なき人にもあらざりしが、さど(佐渡)の国までゆきしに、一度もとぶら(訪)はれざりし事は信じたるにはあらぬぞかし。[p1239-1240]
それにつけてもあさましければ、彼人の御死去ときくには、火にも入り、水にも沈み、はしり(走)たちてもゆひて、御はか(墓)をもたゝいて経をも一巻読誦せんとこそをもへども、賢人のならひ、心には遁世とはをもはねども、人は遁世とこそをもうらんに、ゆへもなくはしり出づるならば、末へもとをらずと人をもうべし。さればいかにをもうとも、まいるべきにあらず。[p1240]
但し各々二人は日蓮が幼少の師匠にてをはします。勤操僧正・行表僧正の伝教大師の御師たりしが、かへりて御弟子とならせ給ひしがごとし。日蓮が景信にあだまれて清澄山を出しに、をひ(追)てしのび出られたりしは、天下第一の法華経の奉公なり。後生は疑ひおぼすべからず。[p1240]
問て云く 法華経一部八巻二十八品の中に何物か肝心なる。[p1240]
答て云く 華厳経の肝心は大方広仏華厳経、阿含経の肝心は仏説中阿含経、大集経の肝心は大方等大集経、般若経の肝心は摩訶般若波羅蜜経、双観経の肝心は仏説無量寿経、観経の肝心は仏説観無量寿経、阿弥陀経の肝心は仏説阿弥陀経、涅槃経の肝心は大般涅槃経。かくのごとくの一切経は皆如是我聞の上の題目、其経の肝心なり。大は大につけ、小は小につけて、題目をもて肝心とす。大日経・金剛頂経・蘇悉地経等、亦復かくのごとし。仏も又かくのごとし。大日如来・日月燈明仏・燃燈仏・大通仏・雲雷音王仏、是等も又名の内に其仏の種々の徳をそなへたり、今の法華経も亦もつてかくのごとし。如是我聞の上の妙法蓮華経の五字は即ち一部八巻の肝心。亦復一切経の肝心。一切諸仏・菩薩・二乗・天人・・羅・龍神等の頂上の正法なり。[p1240-1241]
問て云く 南無妙法蓮華経と心もしらぬ者の唱ふると、南無大方広仏華厳経と心もしらぬ者の唱ふると斉等なりや。浅深の功徳差別せりや。[p1241]
答て云く 浅深等あり。[p1241]
疑て云く 其心如何。[p1241]
答て云く 小河は露と涓と井と渠と江とをば収むれども、大河ををさめず。大河は露乃至小河を摂むれども、大海ををさめず。阿含経は井江等露涓ををさめたる小河のごとし。方等経・阿弥陀経・大日経・華厳経等は小河ををさむる大河なり。法華経は露・涓・井・江・小河・大河・天雨等の一切の水を一・ももらさぬ大海なり。譬へば身の熱き者の大寒水の辺にいねつればすずしく、小水の辺に臥しぬれば苦しきがごとし。五逆謗法の大一闡提人。阿含・華厳・観経・大日経等の小水の辺にては大罪の大熱さん(散)じがたし。法華経の大雪山の上に臥しぬれば五逆・誹謗・一闡提等の大熱忽ちに散ずべし。されば愚者は必ず法華経を信ずべし。各各経々の題目は易き事同じといへども、愚者と智者との唱ふる功徳は天地雲泥なり。譬へば大綱は大力も切りがたし。小力なれども小刀をもてたやすくこれをきる。譬へば堅き石をば鈍き刀をもてば大力も破りがたし。利剣をもてば小力も破りぬべし。譬へば薬はしらねども服すれば病やみぬ。食は服せども病やまず。譬へば仙薬は命をのべ、凡薬は病をいやせども、命をのべず。[p1241-1242]
疑て云く 二十八品の中に何か肝心ぞや。[p1242]
答て云く 或は云く 品々皆事に随ひて肝心なり。或は云く 方便品・寿量品肝心なり。或は云く 方便品肝心なり。或は云く 寿量品肝心なり。或は云く 開・示・悟・入肝心なり。或は云く 実相肝心なり。[p1242]
問て云く 汝が心如何。答ふ、南無妙法蓮華経肝心なり。其証如何。[p1242]
答て云く 阿難・文殊等、如是我聞等云云。[p1242]
問て云く 心如何。[p1242]
答て云く 阿難と文殊とは八年が間、此法華経の無量の義を一句一偈一字も残さず聴聞してありしが、仏の滅後に結集の時、九百九十九人の阿羅漢が筆を染めてありしに、妙法蓮華経とかゝせて如是我聞と唱へさせ給ひしは、妙法蓮華経の五字は一部八巻二十八品の肝心にあらずや。されば、過去の燈明仏の時より法華経を講ぜし光宅寺の法雲法師は如是者将伝所聞前題挙一部也〔如是とは将に所聞を伝えんとして、前題に一部を挙るなり〕等云云。霊山にまのあたりきこしめしてありし天台大師は、如是所聞法体也〔如是とは所聞の法体なり〕等云云。章安大師の云く ̄記者釈曰 蓋序王者叙経玄意 玄意述於文心〔記者釈して曰く 蓋し序王とは経の玄意を叙し、玄意は文心を述ぶ〕等云云。此釈に文心者(とは)題目は法華経の心也。妙楽大師云く ̄収一代教法出法華文心〔一代の教法を収ること法華の文心より出づ〕等云云。[p1242-1243]
天竺は七十箇国なり。・名は月氏国。日本は六十六箇国、・名は日本国。月氏の名の内に七十箇国乃至人畜珍宝みなあり。日本と申す名の内に六十六箇国あり。出羽の羽(は)も奥州の金も、乃至国の珍宝人畜乃至寺塔も神社も、みな日本と申す二字の名の内に摂まれり。天眼をもつては、日本と申す二字を見て、六十六国乃至人畜等をみるべし。法眼をもつては、人畜等の死此生彼〔ここに死し、かしこに生る〕をもみるべし。譬へば、人の声をきいて体をしり、跡をみて大小をしる。蓮をみて池の大小を計り、雨をみて龍の分斉をかんがう。これはみな一に一切の有ることわりなり。[p1243]
阿含経の題目には大旨一切はあるやうなれども、但小釈迦一仏ありて他仏なし。華厳経・観経・大日経等には又一切有るやうなれども、二乗を仏になすやうと久遠実成の釈迦仏なし。例せば華さいて菓ならず。雷なつて雨ふらず。鼓あて音なし。眼あて物をみず。女人あて子をうまず。人あて命なし、又神(たましい)なし。大日の真言・薬師の真言・阿弥陀の真言・観音の真言等又かくのごとし。彼の経々にしては大王・須弥山・日月・良薬・如意珠・利剣等のやうなれども、法華経の題目に対すれば雲泥の勝劣なるのみならず、皆各々当体の自用を失ふ。例せば衆星の光の一の日輪にうばはれ、諸の鉄の一の磁石に値ふて利精のつ(尽)き、大剣の小火に値ふて用を失ひ、牛乳・驢乳等の師子王の乳に値ふて水となり、衆狐が術一犬に値ふて失ひ、狗犬が小虎に値ふて色を変ずるがごとし。南無妙法蓮華経と申せば、南無阿弥陀仏の用も南無大日真言の用も、観世音菩薩の用も一切の諸仏諸経諸菩薩の用、皆悉く妙法蓮華経の用に失はる。彼経々は妙法蓮華経の用を借ずば皆いたづらのもの(徒物)なるべし。当時眼前のことはりなり。日蓮が南無妙法蓮華経と弘むれば南無阿弥陀仏の用は月のかくるがごとく、塩のひる(干)がごとく、秋冬の草のかるゝがごとく、冰の日天にとくるがごとくなりゆくをみよ。[p1243-1244]
問て云く 此法実にいみじくばなど迦葉・阿難・馬鳴・龍樹・無著・天親・南岳・天台・妙楽・伝教等は、善導が南無阿弥陀仏とすゝめて漢土に弘通せしがごとく、慧心・永観・法然が日本国を皆阿弥陀仏になしたるがごとくすゝめ給はざりけるやらん。[p1244]
答て云く 此難は古の難なり。今はじめたるにはあらず。馬鳴・龍樹菩薩等は仏滅後六百年七百年等の大論師なり。此人々世にいでゝ大乗経を弘通せしかば、諸々の小乗者疑て云く 迦葉・阿難等は仏の滅後二十年四十年住寿し給ひて、正法をひろめ給ひしは如来一代の肝心をこそ弘通し給ひしか。而るに此人々は但苦・空・無常・無我の法門をこそ詮とし給ひしに、今馬鳴・龍樹等はかしこしといふとも迦葉・阿難等にはすぐべからず是一。迦葉は仏にあひ(値)まいらせて解をえたる人なり。此人々は仏にあひたてまつらず是二。外道は常楽我浄と立てしを、仏世に出させ給ひて苦・空・無常・無我と説かせ給ひき。此ものどもは常楽我浄といへり是三。[p1244-1245]
されば仏も御入滅なりぬ。又迦葉等もかくれさせ給ひぬれば、第六天の魔王が此ものどもが身に入りかはりて仏法をやぶり、外道の法となさんとするなり。されば仏法のあだをば頭をわれ、頚をきれ、命をた(断)て、食を止めよ、国を追へと、諸の小乗の人々申せしかども、馬鳴・龍樹等は但一二人なり。昼夜に悪口の声をきき、朝暮に杖木をかうふ(被)りしなり。而れども此二人は仏の御使ぞかし。正しく摩耶経には六百年に馬鳴出て、七百年に龍樹出んと説かれて候。其上、楞伽経等にも記せられたり。又付法蔵経には申すにをよばず。されども諸の小乗のものどもは用ひず。但理不尽にせめしなり。如来現在猶多怨嫉況滅度後の経文は此時にあたりて少しつみしられけり。提婆菩薩の外道にころされ、師子尊者の首をきられし、此事をもつておもひやらせ給へ。[p1245-1246]
又仏滅後一千五百余年にあたりて、月氏よりは東に漢土といふ国あり。陳・隋の代に天台大師出現す。此人の云く 如来聖教に大あり小あり。顕あり密あり。権あり実あり。迦葉・阿難等は一向に小を弘め、馬鳴・龍樹・無著・天親等は権大乗を弘めて、実大乗の法華経をば或は但指をさして義をかくし、或は経の面をのべて始中終をのべず。或は迹門をのべて本門をあらはさず。或は本迹あつて観心なしといひしかば、南三北七の十流が末、数千万人時をつくりどつとわらふ。世の末になるまゝに不思議の法師も出現せり。時にあたりて我等を偏執する者はありとも、後漢の永平十年丁卯の歳より今陳・隋にいたるまでの三蔵人師二百六十余人を、ものもしらずと申す上、謗法の者なり、悪道に堕つといふ者出来せり。あまりのものくるはしさに、法華経を持て来り給へる羅什三蔵をも、ものしらぬ者と申す也。[p1246]
漢土はさてもをけ、月氏の大論師龍樹・天親等の数百人の四依の菩薩もいまだ実義をのべ給はずといふなり。此をころしたらん人は鷹をころしたるものなり。鬼をころすにもすぐべしとのゝしりき。又妙楽大師の時、月氏より法相・真言わたり、漢土に華厳宗の始まりたりしを、とかくせめしかば、これも又さはぎしなり。[p1246]
日本国には伝教大師が仏滅後一千八百年にあたりていでさせ給ひ、天台の御釈を見て欽明より已来二百六十余年が間の六宗をせめ給ひしかば、在世の外道・漢土の道士、日本に出現せりと謗ぜし上、仏滅後一千八百年が間、月氏・漢土・日本になかりし円頓の大戒を立てんというのみならず、西国の観音寺の戒壇・東国下野小野寺の戒壇・中国大和の国東大寺の戒壇は、同じく小乗臭糞の戒なり、瓦石のごとし。其を持つ法師等は野干猿猴等のごとしとありしかば、あら不思議や、法師ににたる大蝗虫(いなむし)、国に出現せり。仏教の苗一時にうせなん。殷の紂・夏の桀、法師となりて日本に生まれたり。後周(こうしゅう)の宇文(うぶん)・唐の武宗、二たび世に出現せり。仏法も但今失せぬべし。国もほろびなんと。大乗小乗の二類の法師出現せば、・羅と帝釈と、項羽と高祖と、一国に竝べるなるべし。諸人手をたゝき、舌をふるふ。在世には仏と提婆が二の戒壇ありてそこばくの人々死ににき。されば他宗にはそむくべし。我師天台大師の立て給はざる円頓の戒壇を立つべしという不思議さよ。あらをそろしをそろしとのゝし(罵)りあえりき。されども経文分明にありしかば、叡山の大乗戒壇すでに立てさせ給ひぬ。[p1247]
されば内証は同じけれども、法の流布は迦葉・阿難よりも馬鳴・龍樹等はすぐれ、馬鳴等よりも天台はすぐれ、天台よりも伝教は超えさせ給ひたり。世末になれば、人の智はあさく仏教はふかくなる事なり。例せば軽病は凡薬、重病には仙薬、弱人には強きかたうど(方人)有りて扶くるこれなり。[p1247-1248]
問て云く 天台伝教の弘通し給はざる正法ありや。[p1248]
答て云く 有り。[p1248]
求めて云く 何物乎。[p1248]
答て云く 三あり。末法のために仏留め置き給ふ。迦葉・阿難等、馬鳴・龍樹等、天台・伝教等の弘通せさせ給はざる正法なり。[p1248]
求めて云く 其形貌如何。[p1248]
答て云く 一には日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂宝塔の内の釈迦多宝・外の諸仏・竝びに上行等の四菩薩脇士となるべし。二には本門の戒壇。三には日本乃至漢土月氏一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず、一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱ふべし。此事いまだひろまらず。一閻浮提の内に仏滅後二千二百二十五年が間、一人も唱えず。日蓮一人南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と声もをしまず唱ふるなり。例せば風に随つて波の大小あり。薪によて火の高下あり。池に随つて蓮の大小あり。雨の大小は龍による。根ふかければ枝しげし。源遠ければ流れながしというこれなり。周の代の七百年は文王の礼孝による。秦の世ほどもなし、始皇の左道なり。[p1248]
日蓮が慈悲曠大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ。此功徳は伝教天台にも超へ、龍樹・迦葉にもすぐれたり。極楽百年の修行は穢土の一日の功に及ばず。正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか。是はひとへに日蓮が智のかしこきにはあらず。時のしからしむる耳。春は花さき、秋は菓なる、夏はあたゝかに、冬はつめたし。時のしからしむるに有らずや。[p1248-1249]
_我滅度後後五百歳中広宣流布於閻浮提無令断絶悪魔魔民諸天龍夜叉鳩槃荼等得其便也〔我滅度の後、後の五百歳中に、広宣流布して、閻浮提に於て断絶して悪魔魔民諸の天龍夜叉鳩槃荼等、其便りを得せしむること無けん〕等云云。此経文若しむなしくなるならば、舎利弗は華光如来とならじ。迦葉尊者は光明如来とならじ。目・は多摩羅跋栴檀香仏とならじ。阿難は山海慧自在通王仏とならじ。摩訶波闍波提比丘尼は一切衆生憙見仏とならじ。耶輸陀羅は具足千万光相仏とならじ。三千塵点も戯論、五百塵点も妄語となりて、恐らくは教主釈尊は無間地獄に堕ち、多宝仏は阿鼻の炎にむせび、十方の諸仏は八大地獄を栖とし、一切の菩薩は一百三十六の苦をうくべし。いかでかその義あるべき。其義なくば日本国は一同の南無妙法蓮華経なり。[p1249]
されば花は根にかへり、真味は土にとどまる。此功徳は故道善房の聖霊の御身にあつまるべし。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。[p1249]
建治二年[太歳丙子]七月二十一日 記之[p1249]
自甲州波木井郷蓑歩嶽奉送安房国[p1249]
東條郡清澄山浄顕房義浄房本[p1249]
〔甲州波木井の郷蓑歩の嶽より安房の国東條の郡清澄山浄顕房義浄房の本へ奉送す〕[p1249]
#0230-000 事理供養御書 建治二年(1276) [p1261]
白米一俵・けいもひとたわら・こふのりひとかご、御つかいをもつてわざわざをくられて候。[p1261]
人に二つの財あり。一には衣、二には食なり。経に云く_有情依食住〔有情食に依て住す〕と云云。文の心は生ある者は衣と食とによつて世にすむと申す心也。魚は水に住む、水を宝とす。木は地の上にをい(生)て候、地を財とす。人は食によて生あり、食を財とす。いのちと申す物は一切の財の中に第一の財なり。遍満三千界無有直身命ととかれて、三千大千世界にみてゝ候財をいのちにはかへぬ事に候なり。[p1261]
さればいにちはともしび(燈)のごとし。食はあぶらのごとし。あぶらつくればともしびきへぬ。食なければいのちたへぬ。一切のかみ仏をうやまいたてまつる始めの句には、南無と申す文字ををき候なり。南無と申すはいかなる事ぞと申すに、南無と申すは天竺のことばにて候。漢土・日本には帰命と申す。帰命と申すは我が命を仏に奉ると申す事なり。我が身には分に随ひて妻子・眷属・所領・金銀等をもてる人々もあり、又財なき人々もあり。財あるも財なきも、命と申す財にすぎて候財は候はず。[p1261-1262]
さればいにしへの聖人賢人と申すは、命を仏にまいらせて仏にはなり候なり。いわゆる雪山童子と申せし人は、身を鬼にまかせて八字をならへり。薬王菩薩と申せし人は、臂をやいて法華経に奉る。我が朝にも聖徳太子と申せし人は、手のかわをはいで法華経をかき奉り、天智天皇と申せし国王は、無名指と申すゆびをたいて釈迦仏に奉る。此れ等は賢人聖人の事なれば我等は叶ひがたき事にて候。[p1262]
たゞし仏になり候事は、凡夫は志ざしと申す文字を心へて仏になり候なり。志ざしと申すはなに事ぞと、委細にかんがへて候へば、観心の法門なり。観心の法門と申すはなに事ぞとたづね候へば、たゞ一つきて候衣を法華経にまいらせ候が、身のかわをはぐにて候ぞ。うへ(飢)たるよ(世)に、これはなしては、けう(今日)の命をつぐべき物もなきに、たゞひとつ候ごれう(御料)を仏にまいらせ候が、身命を仏にまいらせ候にて候ぞ。これは薬王のひぢをやき、雪山童子の身を鬼にたびて候にもあいをとらぬ功徳にて候へば、聖人の御ためには事供やう(養)、凡夫の為には理くやう。止観の第七の観心の檀ばら蜜と申す法門なり。[p1262-1263]
まことのみちは世間の事法にて候。金光明経には、_若深識世法即是仏法〔若し深く世法を識れば、即ち是れ仏法なり〕ととかれ、涅槃経には_一切世間外道経書皆是仏説非外道説〔一切世間の外道の経書は、皆是れ仏説にして外道の説に非ず〕と仰せられて候を、妙楽大師は法華経の第六の巻の_一切世間治生産業皆与実相不相違背〔一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず〕の経文に、引き合わせて心をあらわされて候には、彼々の二経は深信の経々なれども、彼の経々はいまだ心あさくして法華経に及ばざれば、世間の法を仏法に依せてしらせて候。法華経はしからず。やがて世間の法が仏法の全体と釈せられて候。爾前の経々の心は、心より万法を生ず。譬へば心は大地のごとし、草木は万法のごとしと申す。法華経はしからず。心すなはち大地、大地則草木なり。爾前の経々の心は、心のすむは月のごとし、心のきよきは花のごとし。法華経はしからず。月こそ心よ、花こそ心よと申す法門なり。此れをもつてしろしめせ。白米は白米にはあらず。すなわち命なり。美食ををさめぬ人なれば力をよばず山林にまじわり候ひぬ。[p1263]
されども凡夫なればかん(寒)も忍びがあく、熱をもふせぎがたし。食ともし。表○目が万里の一・忍びがたく、思子孔が十旬九飯堪ゆべきにあらず。読経の音も絶へぬべし。観心の心をろしかなり。しかるにたまたまの御とぶらいたゞ事にあらず。教主釈尊の御すゝめか、将た又過去宿習の御催しか、方々紙上に尽くし難し。恐々。[p1263-1164]
#0232-0K0 道場神守護事 建治二年(1276.12・13) [p1274]
鵞目五貫文送り給候ひ了んぬ。[p1274]
且つ知し食すが如く此の所は里中を離れたる深山なり。衣食乏少之間、読経之声続き難く、談義之勤め廃しつべし。此の託宣は十羅刹の御計らひにて檀那の功を致さしむるか。止観第八に云く ̄如帝釈堂小鬼敬避。道場神大無妄侵・。又城主剛守者強。城主・る守者忙。心是身主也。同名同姓天是能守護人。心固則強。身神尚爾。況道場神耶〔帝釈堂の小鬼敬ひ避けるが如し。道場の神大なれば妄りに侵・すること無し。又城主剛なれば守る者も強し。城主・るれば守る者忙る。心は是れ身の主也。同名同姓の天是れ能く人を守護す。心固ければ則ち強し。身の神尚お爾なり。況んや道場の神をや〕。[p1274]
弘決第八に云く ̄雖常護人 必仮心固 神守則強〔常に人を護ると雖も必ず心固きに仮て神の守り則ち強し〕。又云く ̄身両肩神尚常人護。況道場神〔身の両肩の神尚お常に人を護る。況んや道場の神をや〕云云。人所生の時より二神守護す。所謂、同生天・同名天、是れを倶生神と云ふ。華厳経の文也。文句の四に云く ̄賊称南無仏尚得天頭。況賢者称十方尊神不敢当。但精進勿懈怠〔賊、南無仏と称して尚お天頭を得たり。況んや賢者十方の尊神を称せば敢えて当らざらんや。但精進せよ、懈怠すること勿れ〕云云。[p1274]
釈の意は月氏天を崇めて仏を用ひざる国あり。而るに寺を造り第六天の魔王を主とす。頭は金を以てす。大賊年来之を盗まんとして得ず。有る時仏前に詣でて物を盗んで法を聞く。仏説いて云く 南無とは驚覚之義也。盗人之を聞いて南無仏と称して之を糾明する処盗人上の如く之を申す。一国皆天を捨て仏に帰せりと云云。彼を以て之を推するに、設ひ科有る者も三宝を信ぜば大難を脱れんか。[p1274]
而るに今示し給へる託宣之状は兼ねて之を知る。之を案ずるに難却りて福来る先兆のみ。妙法蓮華経之妙の一字は龍樹菩薩の大論に釈して云く ̄能変毒為薬〔能く毒を変じて薬と為す〕云云。天台大師云く_今経得記即是変毒為薬〔今経の得記は即ち是れ毒を変じて薬と為すなり〕云云。災来るも変じて幸と為らん。何に況んや十羅刹之を兼ねるをや。薪、火を熾んにし、風、求羅を益すとは是れ也。言は紙上に尽くし難し。心を以て之を量れ。恐々謹言。[p1274-1275]
十二月十三日 日 蓮 花押[p1275]
御返事[p1275]
#0233-000 さだしげ殿御返事 建治二年(1276) [p1275]
さきざきに申しつるがごとし。世間の学者仏法を学問して智恵を明らめて我も我もとおもひぬ。一生のうちにむなしくなりて、ゆめのごとくに申しつれども、唯一大事を知らず。よくよく心得させ給ふべし。あなかしこ、あなかしこ。[p1275]
十二月二十日 日 蓮 花押[p1275]
さだしげ殿御返事[p1275]
#0238-100 西山殿御返事 建治三年(1277.01・23) [p1291]
としごろ後生をぼしめして、御心ざしをはすれば、名計り申し候。同行どもにあらあらきこしめすべし。やすき事なれば智慧の入る事にあらず。智慧の入る事にあらず。恐々。[p1291]
一月廿三日 日 蓮 花押[p1291]
西山殿御返事[p1291]
#0239-000 現世無間御書 建治三年(1277.02・13) [p1292]
或はくびをきり、或はながされば、ととかれて、此の法門を涅槃経・守護経等の法華経の流通の御経にときつがせ給ひて候は、此の国をば梵王・帝釈に仏をほせつけて他国よりせめさせ給ふべしととかれて候。[p1292]
されば此の区には法華経の大怨敵なれば現世に無間地獄の大苦すこし心みさせ給ふか。教主釈尊の日蓮がかたうどをしてつみしらせ給ふにや。よもさるならば天照太神・正八幡等は此の国のかたうどにはなり給はじ、日蓮房のかたきなり。すゝみてならわかし候はんとぞはやり候らむ。いのらばいよいよあしかりなん、あしかりなん。恐恐謹言。[p1292]
二月十三日 日 蓮 花押[p1292]
御返事[p1292]
#0242-0K0 四信五品抄 建治三年(1277.04・10) [p1294]
青鳧一結送り給候ひ了んぬ。[p1294]
近来の学者一同の御存知に云く 在世滅後異なりと雖も法華を修行するには必ず三学を具す。一を欠けても成ぜず云云。[p1294]
余、又年来此の義を存する処、一代聖教は且く之を置く。法華経に入て此の義を見聞するに、序正の二段は且く之を置く。流通の一段末法の明鏡尤も依用と為すべし。而して流通に於て二有り。一には所謂迹門之中の法師等の五品。二には所謂本門之中の分別功徳の半品より経を終わるまで十一品半なり。此の十一品半と五品とを合わせて十六品半、此の中に末法に入て法華を修行する相貌分明也。是に尚お事行かざれば普賢経・涅槃経等を引き来りて之を糾明せんに其の隠れ無きか。其の中の分別功徳品の四信と五品とは法華を修行する之大要、在世滅後之亀鏡也。[p1294-1295]
荊谿云く ̄一念信解者 即是本門立行之首〔一念信解とは、即ち是れ本門立行之首なり〕と云云。其の中に現在の四信之初めの一念信解と滅後の五品の第一の初随喜と、此の二処は一同に百界千如一念三千の宝篋、十方三世の諸仏の出門也。天台・妙楽の二の聖賢此の二処の位を定むるに三の釈有り。所謂、或は相似十信鉄輪の位。或は観行の五品の初品の位、未断見思。或は名字即の位也。止観に其の不定を会して云く ̄仏意難知 赴機異説。借此開解 何労苦諍〔仏意は知り難し。機に赴きて異説す。此れを借りて開解せば、何ぞ労わしく苦に諍はんと〕云云、等。[p1295]
予が意に云く 三釈之中、名字即は経文に叶ふか。滅後の五品の初めの一品を説て云く_而不毀・。起随喜心〔毀・せずして随喜の心を起さん〕。若し此の文、相似と五品に渡らば、而不毀・の言は便ならざるか。就中、寿量品の失心・不失心は皆名字即也。涅槃経に_若信若不信 乃至 煕連〔若は信、若は不信 乃至 煕連〕とあり。之を勘へよ。又一念信解の四字の中の信の一字は四信の初めに居し解の一字は後に奪はるる故也。若し爾らば、無解有信は四信の初位に当る。経に第二信を説いて云く 略解言趣<解其言趣〔其の言趣を解するあらん〕>云云。記の九に云く ̄唯除初信無解故〔唯初信を除く、解無きが故に〕。[p1295]
随て次下の随喜品に至りて、上の初随喜を重ねて之を分明にす。五十人是れ皆展転劣也。第五十人に至りて二釈有り。一には謂く 第五十人は初随喜の内也。二には謂く 初随喜の外也、と云ふは名字即也。経弥実位弥下〔経いよいよ実なれば、位いよいよ下れり〕と云ふ釈は此の意也。四味三経より円教は機を摂し、爾前の円教より法華経は機を摂し、迹門より本門は機を尽くす也。経弥実位弥下の六字は心に留めて案ずべし。[p1295-1296]
問ふ 末法に入て初心の行者は必ず円の三学を具するや不や。[p1296]
答て曰く 此の義大事たり。故に経文を勘へ出だして貴辺に送付す。所謂、五品之初め二三品には、仏正しく戒定の二法を制止して、一向に慧の一分に限る。慧又堪えざれば信を以て慧に代ふ。信の一字を詮と為す。不信は一闡提謗法の因、信は慧の因、名字即の位也。天台云く ̄若相似益 隔生不忘。名字観行益 隔生即忘。或有不忘 忘者若値知識 宿善還生。若値悪友則失本心〔若し相似の益は隔生すれども忘れず。名字観行の益は隔生すれば即ち忘る。或は忘れざるも有り、忘るる者も若し知識に値へば宿善還りて生ず。若し悪友に値へば則ち本心を失ふ〕。恐らくは中古の天台宗の慈覚・智証の両大師も天台・伝教の善知識に違背して、心、無畏・不空等の悪友に遷れり。末代の学者、恵心の往生要集の序に誑惑せられて法華の本心を失ひ、弥陀の権門に入る。退大取小の者なり。過去を以て之を惟ふに、未来、無数劫を経て三悪道に処せん。若値悪友則失本心とは是れ也。[p1296]
問て曰く 其の証如何。[p1296]
答て曰く 止観第六に云く ̄前教所以高其位者方便之説。円教位下真実之説〔前教其の位を高するゆえんは、方便の説なればなり。円教の位下きは真実の説なればなり〕。弘決に云く ̄前教下判権実。経弥実位弥下。経弥権位弥高故〔前教といふより下は権実を判ず。経いよいよ実なれば、位いよいよ下れり。経いよいよ権なれば位いよいよ高き故に〕と。又記の九に位を判ずることをいはば ̄顕観境弥深実位弥下〔観境いよいよ深く実位いよいよ下きを顕す〕と云云。他宗は且く之を置く。天台の一門の学者等、何ぞ実位弥下の釈を閣いて恵心僧都の筆を用ふるや。畏・智・空と覚・証との事は追ひて之を習へ。大事也、大事也。一閻浮提第一の大事也。心有らん人は聞いて後に我を外〈うと〉め。[p1296]
問て云く 末代初信の行者、何物をか制止するや。[p1296]
答て曰く 檀戒等の五度をを制止して一向に南無妙法蓮華経と称せしむるを一念信解初随喜之気分と為す也。是れ則ち此の経の本意也。[p1296]
疑て云く 此の義未だ見聞せず。心を驚かし、耳を迷はす。明らかに証文を引いて、請ふ、苦〈ねんごろ〉に之を示せ。[p1296-1297]
答て曰く 経に云く_不須為我。復起塔寺。及作僧坊。以四事供養衆僧〔我が為に復塔寺を起て及び僧坊を作り、四事を以て衆僧を供養することを須いず〕。此の経文明らかに初信の行者に檀戒等の五度を制止する文也。[p1297]
疑て云く 汝が引く所の経文は、但寺塔と衆僧と計りを制止して未だ諸の戒等に及ばざるか。[p1297]
答て曰く 初めを挙げて後を略す。[p1297]
問て曰く 何を以て之を知らん。[p1297]
答て曰く 次下の第四品の経文に云く_況復有人。能持是経。兼行布施。持戒等〔況んや復人あって能く是の経を持ち、兼ねて布施・持戒 等 ~ を行ぜんをや〕云云。経文分明に初二三品の人には檀戒等の五度を制止し、第四品に至りて始めて之を許す。後に許すを以て知んぬ、初めに制することを。[p1297]
問て曰く 経文一応相似たり。将た又疏釈有りや。[p1297]
答て曰く 汝が尋ぬる所の釈とは月氏四依の論か。将た又漢土・日本の人師の書か。本を捨てて末を尋ね、体を離れて影を求め、源を忘れて流れを貴ぶ。分明なる経文を閣いて論釈を請ひ尋ぬ。本経に相違する末釈有らば本経を捨てて末釈に付くべきか。然りと雖も好みに随て之を示さん。文句の九に云く ̄初心畏縁所紛動妨修正業。直専持此経即上供養。廃事存理所益弘多〔初心は縁に紛動せられて正業を修するを妨げんことを畏る。直ちに専ら此の経を持つ、即ち上供養なり。事を廃して理を存するは所益弘多なりと〕。此の釈に縁と云ふは五度也。初心の者が兼ねて五度を行ずれば正業の信を妨ぐる也。譬へば小船に財を積んで海を渡るに財と倶に没するが如し。直専持此経とは一経に亘るに非ず。専ら題目を持して余文を雑へず。尚お一経の読誦をも許さず。何に況んや五度をや。廃事存理と云ふは、戒等の事を捨てて題目の理を専らにす云云。所益弘多とは初心者が諸行と題目と竝べ行ずれば所益全く失ふと云云。[p1297]
文句に云く ̄問若爾持経即是第一義戒。何故復言能戒持者。答此明初品。不応以後作難〔問ふ。若し爾らば経を持つは即ち是れ第一義の戒なり。何が故ぞ復能く戒を持つ者と言ふや。答ふ。此れは初品に明かす。後を以て難を作すべからず〕等云云。当世の学者、此の釈を見ずして、末代の愚人を以て南岳・天台の二聖に同ず。・りの中の誤り也。妙楽重ねて之を明かして云く ̄問若爾者 若不須事塔及色心骨 亦応須持事戒。乃至 不須供養事僧〔問若爾とは、若し事の塔及び色心の骨を須ひざれば、亦事の戒を持つことを須ひざるべし。乃至、事の僧を供養することを須ひざるや〕等云云。伝教大師云く 二百五十戒忽ちに捨て畢んぬ。唯教大師一人に限るに非ず。鑒真の弟子如宝・道忠竝びに七大寺等一同に捨て了んぬ。又教大師未来を誡めて云く ̄末法中有持戒者是怪異。如市有虎。此誰可信〔末法の中に持戒の者有らば是れ怪異なり。市に虎有るが如し。此れ誰か信ずべき〕云云。[p1297-1298]
問ふ 汝何ぞ一念三千の観門を勧進せずして、唯題目許りを唱へしむるや。[p1298]
答て曰く 日本の二字に六十六国之人畜財を摂尽して一つも残さず。月氏の両字に豈に七十箇国無けんや。妙楽云く ̄略挙経題玄収一部〔略して経題を挙るに、玄に一部を収む〕。又云く ̄略挙界如具摂三千〔略して界如を挙ぐるに、具さに三千を摂す〕。文殊師利菩薩・阿難尊者、三会八年之間の仏語、之を挙げて妙法蓮華経と題し、次下に領解して云く 如是我聞と云云。[p1298]
問ふ 其の義を知らざる人、唯南無妙法蓮華経と唱へて解義の功徳を具するや不や。[p1298]
答ふ 小兒乳を含むに其の味を知らざれども、自然に身を益す。耆婆が妙薬誰か弁へて之を服せん。水心無けれども火を消し、火物を焼くに豈に覚り有らんや。龍樹・天台皆此の意なり。重ねて示すべし。[p1298]
問ふ 何が故ぞ題目に万法を含むや。[p1298]
答ふ 章安の云く ̄蓋序王者叙経玄意。玄意述於文心。文心莫過本迹〔蓋し序王とは経の玄意を叙す。玄意は文心を述す。文心は本迹に過ぎたるは莫し〕。妙楽云く ̄出法華文心弁諸経所以〔法華の文心を出だして諸経の所以を弁ず〕云云。濁水心無けれども月自ら清めり。草木雨を得て豈に覚り有りて花さくならんや。妙法蓮華経の五字は経文に非ず、其の義に非ず、唯一部の意耳。初心の行者其の心を知らざれども、而も之を行ずるに自然に意に当る也。[p1298]
問ふ 汝の弟子、一分の解りなくして但一口に南無妙法蓮華経と称する其の位如何。[p1298]
答ふ 此の人は但四味三経の極意竝びに爾前の円人に超過するのみに非ず、将た又真言等の諸宗の元祖、畏・厳・恩・蔵・宣・摩・導等に勝出すること百千万億倍也。請ふ、国中の諸人、我が末弟等を軽んずること勿れ。進んで過去を尋ぬれば、八十万億劫供養せし大菩薩也。豈に煕連一恒の者に非ずや。退いて未来を論ずれば八十年の布施を超過して五十の功徳を備ふべし。天子の襁褓〈むつき〉に纏はれて、大龍の始めて生れんがごとし。蔑如すること勿れ、蔑如すること勿れ。妙楽の云く ̄若悩乱者頭破七分。有供養者福過十号〔若し悩乱する者は頭七分に破れ、供養すること有らん者は福十号に過ぎん〕。優陀延王は賓豆盧尊者を蔑如して七年之内に身を喪失し、相州は日蓮を流罪にして百日の内に兵乱に遇へり。経に云く_若復見受持。是経典者。出其過悪。若実。若不実。此人現世。得白癩病 乃至 諸悪重病〔若し復是の経典を受持せん者を見て其の過悪を出さん。若しは実にもあれ若しは不実にもあれ、此の人は現世に白癩の病を得ん。乃至 諸の悪重病あるべし〕等云云。又云く_当世世無眼〔当に世世に眼なかるべし〕等云云。明心と円智とは現に白癩を得、道阿弥は無眼の者と成りぬ。国中の疾病は頭破七分也。罰を以て得を推すに、我が門人等は福過十号疑ひ無き者也。[p1298-1299]
夫れ人王三十代欽明の御宇、始めて仏法渡りし以来、桓武の御宇に至るまで、二十代二百余年之間、六宗有りと雖も仏法未だ定まらず。爰に延暦年中に一りの聖人有りて此の国に出現せり。所謂伝教大師是れ也。此の人先より弘通する六宗を糺明し、七寺を弟子と為して、終に叡山を建てて本寺と為し、諸寺を取りて末寺と為す。日本の仏法唯一門なり。王法も二つに非ず。法定まり国清めり。其の功を論ぜば源已今当の文より出でたり。其の後、弘法・慈覚・智証の三大師事を漢土に寄せて大日の三部は法華経に勝ると謂ひ、剰へ教大師の削る所の真言宗の宗の一字を副へて八宗と云云。三人一同に勅宣を申し下して日本に弘通し、寺毎に法華経の義を破る。是れ偏に已今当の文を破らんとして、釈迦・多宝・十方の諸仏の大怨敵となりぬ。然して後仏法漸く廃れ王法次第に衰へ、天照太神・正八幡等の久住の守護神は力を失ひ梵帝・四天は国を去り、已に亡国と成らんとす。情有らん人、誰か傷差〈いたま〉ざらんや。[p1299]
所詮、三大師之邪法の起る所は所謂、東寺と叡山の惣持院と薗城寺との三所なり。禁止せずんば国土の滅亡と衆生の悪道とは疑ひ無き者か。予、粗此の旨を勘へ、国主に示すと雖も、敢えて叙用無し。悲しむべし、悲しむべし。[p1299]
#0243-0K0 乗明聖人御返事 建治三年(1277.04・22) [p1300]
相州鎌倉より青鳧二結、甲州身延の嶺に送り遣はされ候ひ了んぬ。[p1300]
昔、金珠女は金銭一文を木像の薄と為し、九十一劫、金色の身と為りき。其の夫の金師は今の迦葉、未来の光明如来是れ也。今乗明法師妙日竝びに妻女は銅銭二千枚を法華経に供養す。彼は仏也、此れは経也。経は師也、仏は弟子也。涅槃経に云く_諸仏所師所謂法也。乃至 是故諸仏恭敬供養〔諸仏の師とする所は所謂法なり。乃至 是の故に諸仏恭敬供養す〕と。法華経第七に云く_若復有人。以七宝満。三千大千世界。供養於仏。及大菩薩。辟支仏。阿羅漢。是人所得功徳。不如受持。此法華経。乃至一四句偈。其福最多〔若し復人あって、七宝を以て三千大千世界に満てて、仏及び大菩薩・辟支仏・阿羅漢に供養せん。是の人の所得の功徳も、此の法華経の乃至一四句偈を受持する、其の福の最も多きには如かじ〕。[p1300]
夫れ劣れる仏を供養する尚お九十一劫に金色の身と為りぬ。勝れたる経を供養する施主、一生に仏位に入らざらんや。但、真言・禅宗・念仏者等の謗法の供養を除き去るべし。譬へば修羅を崇重しながら帝釈を帰敬するが如きのみ。恐々謹言。[p1300]
卯月十二日 日 蓮 花押[p1300]
乗明聖人 御返事[p1300]
#0244-000 中興政所女房御返事 建治三年(1277.04・12) [p1301]
御ぜんは偕老同穴のちぎりあり。松さかへば藤さかへ、しば(芝)はなさかばらむ(蘭)このみなりなん。[p1301]
卯月十二日 日 蓮 花押[p1301]
なかをきの政所女房 御返事[p1301]
#0245-100 四條金吾殿御返事 建治三年(1277) [p1301]
はるかに申しうけ給はり候はざりつれば、いぶせく候ひつるにかたがたの物と申し、又□御つかいと申し、よろこび入て候。又まほりまいらせ候。所領の間の御事は上よりの御文ならびに御消息、引き合わせて見候ひ畢んぬ。此の事は御文なきさきにすい(推)して候。上には最大事とをぼしめされて候へども、御きんず(近習)の人人ざんそう(讒奏)にて、あまりに所領をきらい、上をかろしめたてまつり候。ぢうあう(縦横)の人こそをゝく候に、かくまで候へば、且く御恩をばおさへさせ給ふべくや候らんと申すらんとすい(推)して候なり。[p1301-1302]
それにつけては御心えあるべし、御用意あるべし。我が身と申し、をや(親)・類親と申し、かたがた御内に不便といはれまいらせて候大恩の主なる上、すぎにし日蓮が御かんきの時、日本一同ににくむ事なれば、弟子等も或は所領ををゝかたよりめされしかば、又方々の人々も或は御内々をいだし、或は所領ををい(追)なんどせしに、其の御内になに事もなかりしは御身にはゆゆしき大恩と見へ候。このうへはたとひ一分の御恩なくとも、うらみまいらせ給ふべき主にはあらず。それにかさねたる御恩を申し、所領をきらはせ給ふ事、御とがにあらずや。[p1302]
賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり。利・衰・毀・譽・称・譏・苦・楽也。をゝ心は利あるによろこばず、をとろうるになげかず等の事也。此の八風にをかされぬ人をば必ず天はまほらせ給ふ也。[p1302]
しかるをひり(非理)に主をうらみなんどし候へば、いかに申せども天まほり給ふ事なし。訴訟を申せど叶ひぬるべき事もあり、申さぬに叶ふべきを申せば叶はぬ事も候。夜めぐりの殿原の訴訟は申すは叶ひぬべきよしをかんがへて候ひしに、あながちになげかれかし上、日蓮がゆへにめされて候へば、いかでか不便に候はざるべき。但し訴訟だにも申し給はずば、いのりてみ候はんと申せしかば、さうけ給はり候ひぬと約束ありて、又をりかみ(折紙)をしきりにかき、人人訴訟ろんなんどありと申せし時に、此の訴訟よも叶はじとをもひ候ひしが、いま(今)までのびて候。[p1302-1303]
だいがくどの(大学殿)ゑもんのたいうどの(右衛門大夫殿)の事どもは申すまゝにて候あいだ、いのり叶ひたるやうにみえて候。はきりどの(波木井殿)の事は法門は御信用あるやうに候へども、此の訴訟は申すまゝには御用ひなかりしかば、いかんがと存じて候ひしほどに、さりとてはと申して候ひしゆへにや候ひけん、すこししるし候か。これにをもうほどなかりしゆへに又をもうほどなし。[p1303]
だんな(檀那)と師とをもひあわぬいのりは、水の上に火をたくがごとし。又だんなと師とをもひあひて候へども、大法を小法をもつてをか(犯)してとしひさし(年久)き人人の御いのりは叶ひ候はぬ上、我が身もだんなもほろび候也。天台の座主明雲と申せし人は第五十代の座主也。去る安元二年五月に院勘をかほりて伊豆の国へ配流。山僧大津よりうばいかへす。しかれども又かへりて座主となりぬ。又すぎにし寿永二年十一月に義仲にからめとられし上、頚うちきられぬ。是れはながされ頚きらるるをとが(失)とは申さず。賢人聖人もかゝる事候。[p1303-1304]
但し源氏の頼朝と平家の清盛との合戦の起りし時、清盛が一類二十余人起請をかき連判をして願を立て、平家の氏寺と叡山をたのむべし、三千人は父母のごとし、山のなげきは我等がなげき、山の悦びは我等がよろこびと申して、近江の国二十四郡を一向によせて候ひしかば、大衆と座主と一同に、内には真言の大法をつくし、外には悪僧どもをもて源氏をい(射)させしかども、義仲が郎等ひぐち(樋口)と申せしをのこ(男)、義仲とただ五六人計り、叡山中堂にはせのぼり、調伏の壇の上にありしを引き出だしてなわ(縄)をつけ、西ざかを大石をまろばすやうに引き下ろして、頚をうち切りたりき。[p1304]
かゝる事あれども日本の人々真言をうとむ事なし。又たづぬる事もなし。去る承久三年辛巳の五・六・七の三箇月が間、京・夷の合戦ありき。時に日本第一の秘法どもをつくして、叡山・東寺・七大寺・園城寺等、天照太神・正八幡・山王等に一一に御いのりありき。其の中に日本第一の僧四十一人也。所謂前の座主慈円大僧正・東寺・御室・三井寺の常住院の僧正等は度々義時を調伏ありし上、御室は紫宸殿にして六月八日より御調伏ありしに、七日と申せしに同じく十四日にいくさにまけ、勢多迦が頚きられ、御室をもひ死に死しぬ。かゝる事候へども、真言はいかなるとがともあやしむる人候はず。をよそ真言の大法をつくす事、明雲第一度、慈円第二度に日本国の王法ほろび候ひ畢んぬ。今度第三度になり候。当時の蒙古調伏此れなり。[p1304-1305]
かゝる事も候ぞ。此れは秘事なり。人にいはずして心に存知せさせ給へ。されば此の事御訴訟なくて又うらむる事なく、御内をばいでず、我かまくら(鎌倉)にうちい(打居)て、さきざきよりも出仕とをき(遠)やうにて、ときどきさしいでてをはするならば叶ふ事も候ひなん。あながちにわるびれてみへさせ給ふべからず。よく(慾)と名聞瞋との[p1305]
#0246-000 上野殿御返事 建治三年(1277.05・15) [p1305]
五月十四日にいものかしら一駄、わざとをくりたびて候。当時のいもは人のいとまと申し、珠のごとし、くすりのごとし。[p1305]
さておほせつかはされて候事、うけ給はり候ひぬ。尹吉甫と申せし人はただ一人子あり、伯奇と申す。をやも賢也。子もかしこし。いかなる人かこの中をばたがふべきとおもひしかども、継母より、よりよりうた(訴)へしに用ひざりしほどに、継母すねん(数年)が間やうやうのたばかりをなせし中に、蜂と申すむしを我がふところに入れて、いそぎいそぎ伯奇にとらせて、しかも父にみせ、われをけさう(懸想)すると申しなしてうしなはんとせし也。[p1305-1306]
びんばさら王と申せし王は賢王なる上、仏の御だんなの中に閻浮第一也。しかもこの王は摩竭提国の主也。仏は又此の国にして法華経をとかんとおぼししに、王と仏と一同なれば、一定法華経をとかれなんとみへて候ひしに、提婆達多と申せし人、いかんがして此の事をやぶらんとおもひしに、すべてたよりなかりしかば、とかうはかりしほどに、頻婆沙羅王の太子阿闍世王を、としごろとかくかたらひて、やうやく心をとり、をやと子とのなかを申したがへて、阿闍世王をすかし、父の頻婆沙羅王をころさせ、阿闍世王と心を一にし、提婆と阿闍世王と一味となりしかば、五天竺の外道悪人雲かすみのごとくあつまり、国をたび(給)、たからをほどこし、心をやわらげ、すかししかば、一国の王すでに仏の大怨敵となる。[p1306]
欲界第六天の魔王、無量の眷属を具足してうち下り、摩竭提国の提婆・阿闍世・六大臣等の身に入りかはりしかば、形は人なれども力は第六天の力なり。大風の草木をなびかすよりも、大風の大海の波をたつるよりも、大地震の大地をうごかすよりも、大火の連宅をやくよりも、さはがしくをぢ(畏)わなゝきし事也。さればはるり王と申せし王は阿闍世王にかたらはれ、釈迦仏の御身したしき人数百人切りころす。阿闍世王は酔象を放ちて弟子を無量無辺ふみころさせつ。或は道に伏兵をすへ、或は井に糞を入れ、或は女人をかたらひてそら事いひつけて仏弟子をころす。舎利弗・目連が事にあひ、かるだい(迦留陀夷)が馬のくそにうづまれし、仏はせめられて一夏九十日、馬のむぎをまいりしこれ也。世間の人おもはく、悪人には仏の御力もかなはざりけるにやと思ひ、信じたりし人々も音をのみてもの申さず、眼をとぢてものをみる事なし。ただ舌をふり、手をかきし計り也。結句は提婆達多、釈迦如来の養母蓮華比丘尼を打ちころし、仏の御身より血を出だせし上、誰の人かかたうどになるべき。かくやうやうになりての上、いかがしたりけん、法華経をとかせ給ひぬ。[p1306-1307]
此の法華経に云く_而此経者。如来現在。猶多怨嫉。況滅度後〔而も此の経は如来の現在すら猶お怨嫉多し、況んや滅度の後をや〕と云云。文の心は、我が現在して候だにも、此の経の御かたきかくのごとし。いかにいわうや末代に法華経を一字一点もとき信ぜん人をや、と説かれて候也。此れをもておもひ候へば、仏、法華経をとかせ給ひて今にいたるまでは二千二百二十余年になり候へども、いまだ法華経を仏のごとくよみたる人は候はぬか。大難をもちてこそ、法華経しりたる人とは申すべきに、天台大師・伝教大師こそ法華経の行者とはみへて候ひしかども、在世のごとくの大難なし。ただ南三北七・南都七大寺の小難なり。いまだ国主かたきとならず、万民つるぎをにぎらず、一国悪口をはかず。滅後に法華経を信ぜん人は在世の大難よりもすぐべく候なるに、同じ程の難だにも来らず、何に況んやすぐれたる大難多難をや。虎うそぶけば大風ふく、龍ぎん(吟)ずれば雲をこる。野兎のうそぶき、驢馬のいはうるに風ふかず、雲をこる事なし。愚者が法華経をよみ、賢者が義を談ずる時は国もさわがず、事もをこらず。聖人出現して仏のごとく法華経を談ぜん時、一国もさわぎ、在世にすぎたる大難をこるべしとみえて候。今、日蓮は賢人にもあらず、まして聖人はおもひもよらず。天下第一の僻人にて候が、但経文計りにはあひて候やうなれば、大難来り候へば、父母のいきかへらせ給ひて候よりも、にくきもののことにあふよりもうれしく候なり。愚者にて而も仏に聖人とおもはれまいらせて候はん事こそ、うれしき事にて候へ。智者たる上、二百五十戒かたくたもちて、万民には諸天の帝釈をうやまふよりもうやまはれて、釈迦仏・法華経に不思議なり提婆がごとしとおもはれまいらせなば、人目はよきやうなれども後生はおそろし、おそろし。[p1307-1308]
さるにては、殿は法華経の行者ににさせ給へりとうけ給はれば、もつてのほかに人のしたしきもうときも、日蓮房を信じてはよもまどいなん。上の御気色もあしかりなんと、かたうど(方人)なるやうにて御けうくむ候なれば、賢人までも人のたばかりはをそろしき事なれば、一定法華経すて給ひなん。なかなか色みへてありせばよかりなん。大魔のつきたる者どもは、一人をけうくんし、をとしつれば、それをひつかけにして多くの人をせめをとすなり。日蓮が弟子にせう(少輔)房と申し、のと(能登)房といゐ、なごえ(名越)の尼なんど申せし者どもは、よくふかく、心をくびやうに、愚痴にして而も智者となのりしやつばらなりしかば、事のをこりし時、たよりをえておほくの人をおとせしなり。殿もせめをとされさせ給ふならば、するがにせうせう信ずるやうなる者も、又、信ぜんとおもふらん人々も、皆法華経をすつべし。[p1308-1309]
さればこの甲斐の国にも少々信ぜんと申す人々候へども、おぼろげならでは入れまいらせ候はぬにて候。なかなかしき人の信ずるやうにて、なめり(乱語)て候へば、人の信心をもやぶりて候也。ただをかせ給へ。梵天・帝釈等の御計らひとして、日本国一時に信ずる事あるべし。爾時、我も本より信じたり信じたりと申す人こそ、をゝくをはせずらんめとおぼえ候。御信用あつくをはするならば、人のためにあらず。我が故父の御ため、人は我がをやの後生にはかはるべからず。子なれば我こそ故をやの後生をばとぶらふべけれ。郷一郷知るならば、半郷は父のため、半郷は妻子眷属をやしなふべし。我が命は事出できたらば上にまいらせ候べしと、ひとへにおもひきりて、何事につけても言をやわらげて、法華経の信をうすくなさんずるやうをたばかる人出来せば、我が信心をこゝろむるかとおぼして、各々これを御けうくんあるはうれしき事也。ただし、御身のけうくんせさせ給へ。上の御信用なき事はこれにもしりて候を、上をもておどさせ給ふこそをかしく候へ。参りてけうくん申さんとおもひ候ひつるに、うわて(上手)うたれまいらせて候。閻魔王に、我が身といとをしとおぼす御め(妻)と子とをひつぱられん時は、時光に手をやすらせ給ひ候はんずらんと、にくげにうちいひておはすべし。[p1309-1310]
にいた(新田)殿の事、まことにてや候らん。をきつ(沖津)の事、きこへて候。殿もびんぎ候はば、其の義にて候べし。かまへておほきならん人申しいだしたるらんは、あはれ法華経のよきかたきよ。優曇花か、盲亀の浮木かとおぼしめして、したたかに御返事あるべし。千丁万丁しる人も、わづかの事にたちまちに命をすて所領をめさるる人もあり。[p1310]
今度法華経のために命をすつる事ならば、なにはをしかるべき。薬王菩薩は身を千二百歳が間やきつくして仏になり給ひ、檀王は千歳が間身をゆか(牀)となして今の釈迦仏といわれさせ給ふぞかし。さればとてひが事をすべきにはあらず。今はすてなば、かへりて人わらわれになるべし。かたうど(方人)なるやうにてつくりをとして、我もわらい、人にもわらわせんとするがきくわひなるに、よくよくけうくわんせさせて、人の多くきかんところにて人をけうくんせんよりも、我が身をけうくんあるべしとて、かつぱとたたせ給へ。一日二日が内にこれへきこへ候べし。事おほければ申さず、又々申すべし。恐恐謹言。[p1310-1311]
五月十五日 日 蓮 花押[p1311]
上野殿御返事[p1311]
#0247-000 下山御消息 建治三年(1277.06) [p1312]
於例時者尤可被読阿弥陀経歟〔例時に於ては、尤も阿弥陀経を読まるるべき歟〕等云云。此の事は仰せ候はぬ已前より、親父の代官といひ、私と申し、此の四五年が間は退転なく例事には阿弥陀経を読み奉り候ひしが、去年之春の末へ夏の始めより、阿弥陀経を止めて一向に法華経の内、自我偈読誦し候。又同じくば一部を読み奉らむとはげみ候。これ又偏に現当の御祈祷の為也。[p1312]
但し阿弥陀経念仏を止めて候事は、此の日比日本国に聞こへさせ給ふ日蓮聖人、去る文永十一年の夏の比、同じき甲州飯野御牧、波木井の郷の内、身延の嶺と申す深山に御隠居せさせ給ひ候へば、さるべき人々御法門承るべき之由候へども御制止ありて入れられず。おぼろげの強縁ならではかなひがたく候ひしに、有人見参の候と申し候ひしかば、信じまいらせ候はんれう(料)には参り候はず、ものの様をも見候はんために、閑所より忍びて参り御案室の後ろに隠れ、人々の御不審に付きてあらあら御法門とかせ給ひ候ひき。[p1312]
法華経と大日経・華厳・般若・深密・楞伽・阿弥陀経等の経々の勝劣浅深等を先として説き給ひしを承り候へば、法華経と阿弥陀経の勝劣は一重二重のみならず、天地雲泥に候けり。譬へば帝釈と猿猴と、鳳凰と烏鵲と、大山と微塵と、日月と螢炬等の高下勝劣也。彼々の経文と法華経とを引き合わせてたくらべさせ給ひしかば愚人も弁へつ可し。白々也、赤々也。されば子の法門は大体人も知れり。始めておどろくべきにあらず。又仏法を修行する法は必ず経々の大小・権実・顕密を弁ふべき上、よくよく時を知り、機を鑑みて申すべき事也。[p1312-1313]
而るに当世日本国は人毎に阿みだ経竝びに弥陀の名号等を本として、法華経を忽諸し奉る。世間に智者と仰がるる人々、我もわれも時機を知れり知れりと存ぜられげに候へども、小善を持て大善を打ち奉り、権経を以て実経を失ふとがは、小善還りて大悪となる、薬変じて毒となる、親族還りて怨敵と成るが如し。難治の次第也。[p1313]
又仏法には賢なる様なる人なれども、時に依り機に依り国に依り先後の弘通に依る事を弁へざれば、身心を苦しめて修行すれども験なき事なり。設ひ一向に小乗流布の国には大乗をば弘通する事はあれども、一向大乗の国には小乗経をあながちにいむ(忌)事也。しゐてこれを弘通すれば国もわづらひ、人も悪道まぬがれがたし。又初心の人には二法を竝べて修行せしむる事をゆるさず。月支の習ひには、一向小乗の寺の者は王路を行かず、一向大乗の僧は左右の路をふむ事なし。井の水河の水同じく飲む事なし。何に況んや一房に栖みなんや。[p1313]
されば法華経に、初心の一向大乗の寺を仏説き給ふに、_但楽受持 大乗経典 乃至不受 余経一偈〔但楽って 大乗経典を受持して 乃至 余経の一偈をも受けざるあらん〕。又云く_不親近求声聞。比丘。比丘尼。優婆塞。優婆夷〔又声聞を求むる比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷に親近せざれ〕。又云く_亦不問訊〔亦問訊せざれ〕。設ひ親父たれども一向小乗の寺に住する比丘・比丘尼をば、一向大乗寺の子息、此れを礼拝せず親近せず。何に況んや其の法を修行せんや。大小兼行の寺は初心の者入ることを許さず。[p1313-1314]
而るに今、日本国は最初仏法の渡りて候ひし比は大小雑行にて候ひしが、人王四十五代聖武天皇の御宇に、唐の揚州龍興寺の鑒真和尚と申せし人、漢土より我が朝に法華経天台宗を渡し給ひて有りしが、円機未熟とやおぼしけん、此の法門をば己心に収めて口にも出だし給はず。大唐の終南山の豊徳寺の道宣律師の小乗戒を日本国の三所に建立せり。此れ偏に法華宗の流布すべき方便なり。大乗出現の後には肩を竝べて行せよとにはあらず。例せば儒家の本師たる孔子・老子等の三聖は仏の御使として漢土に遣はされて、内典の初門に礼楽の文を諸人に教へたり。止観に経を引ひて云く ̄我遣三聖化彼震旦〔我三聖を遣して彼震旦を化す〕等云云。妙楽大師云く ̄礼楽前馳真道後開〔礼楽前に馳せ真道後に開く〕云云。釈尊は大乗の初門に且く小乗戒を説き給ひしかども、時過ぎぬれば禁誓して云く 涅槃経に云く_若有人言如来無常。云何是人舌不堕落〔若し人有って如来は無常なりと言わん。云何ぞ、是の人舌を堕落せざらん〕等云云。[p1314]
其の後、人王第五十代桓武天皇の御宇に伝教大師と申せし聖人出現せり。始めには華厳・三論・法相・倶舎・成実・律の六宗を習ひ究め給ふのみならず、達磨宗の淵底を探り究竟するのみならず、本朝未弘の天台法華宗・真言宗の二門を尋ね顕して浅深勝劣を心中に存じ給へり。去る延暦二十一年正月十九日に桓武皇帝高雄寺に行幸ならせ給ひ、南都七大寺の長者善議・勤操等の十四人最澄法師等召し合わせ給ひて、六宗と法華宗との勝劣浅深得道の有無を糾明せられしに、先は六宗の碩学各々宗々ごとに我が宗は一代超過、一代超過の由立て申されしかども、澄公の一言に万事破れ畢んぬ。其の後皇帝重ねて口宣す。和気の弘世を御使として諌責せられしかば、七大寺六宗の碩学一同に謝表を奉り畢んぬ。一十四人之表に云く ̄此界含霊 而今而後 悉載妙円之船 早得済彼岸〔此界の含霊、而今而後、悉く妙円の船に載り、早く彼岸を済ることを得る〕。教大師云く ̄二百五十戒忽捨畢〔二百五十戒忽ちに捨て畢んぬ〕。又云く ̄正像稍過已末法甚有近〔正像やや過ぎ已って、末法はなはだ近きに有り〕。又云く ̄一乗之家都不用〔一乗の家にはすべて用ひざれ〕。又云く 無以穢食置宝器〔穢食を以て宝器に置くことなかれ〕。又云く ̄仏世之大羅漢已被此呵嘖。滅後小蚊虻何不随此〔仏世の大羅漢、已に此の呵嘖を被れり。滅後の小蚊虻、何ぞ此れに随はざらん〕云云。[p1314-1315]
此れ又私の責めにはあらず。法華経には_正直捨方便 但説無上道〔正直に方便を捨てて 但無上道を説く〕云云。涅槃経には邪見之等云云。邪見方便と申すは華厳・大日経・般若経・阿弥陀経等の四十余年の経経也。捨とは天台の云く 廃也。又云く 謗とは背く也。正直の初心の行者の法華経を修行する法は上に挙ぐるところの経々宗々を抛ちて、一向に法華経を行ずるが真の正直の行者にては候也。[p1315]
而るを初心の行者深位の菩薩の様に、彼々の経々と法華経とを竝べて行ずれば不正直の者となる。世間の法にも賢人は二君に仕へず、貞女は両夫に嫁がずと申す此れ也。又私に異義を申すべきにあらず。如来は未来を鑑みさせ給ひて、我が滅後正法一千年・像法一千年末法万年が間、我が法門を弘通すべき人々竝びに経々を一一にきりあてられて候。[p1315-1316]
而るに此れを背く人世に出来せば、設ひ智者賢王なりとも用ゆべからず。所謂我滅後の次の日より五百年が間は一向小乗経を弘通すべし。迦葉・阿難乃至富那 奢等の十余人也。後の五百余年は権大乗経、所謂華厳・方等・深密・大日経・般若・観経・阿弥陀経等を、馬鳴菩薩・龍樹菩薩・無著菩薩・天親菩薩等の四依の大菩薩大論師弘通すべし。[p1316]
而るに此れ等の阿羅漢竝びに大論師は法華経の仁義を知し食さざるには有らず。然而るに流布の時も来らず、釈尊よりも仰せつけられざる大法なれば、心には存じ給へども、口には宣べ給はず。或は粗口に囀り給ふやうなれども、実義をば一向に隠して止めぬ。[p1316]
像法一千年が内に入りぬれば月氏の仏法漸く漢土・日本に渡り来る。世尊、眼前に薬王菩薩等の迹化他方の大菩薩に、法華経の半分迹門十四品を譲り給ふ。これは又地涌の大菩薩、末法の初めに出現せさせ給ひて、本門寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経の五字を、一閻浮提の一切衆生に唱へさせ給ふべき先序のため也。所謂迹門弘通の衆は南岳・天台・妙楽・伝教等是れ也。今の時は世すでに上行菩薩の御出現の時剋に相当れり。[p1316]
而るに余愚眼を以てこれを見るに、先相すでにあらはれたる歟。而るに諸宗所依の華厳・大日・阿みだ経等は其の流布の時を論ずれば、正法一千年の内後の五百年乃至像法の始めの諍論の経々也。而るに人師等経々の浅深勝劣等に迷惑するのみならず、仏の譲り状をもわすれ、時機をも勘へず、猥りに宗々を搆へ像末の行となせり。例せば白田に種を下して玄冬に殻をもとめ、下弦に満月を期し、夜中に日輪を尋ぬる如し。[p1316-1317]
何に況んや律宗なむど申す宗は一向小乗也。月氏には正法一千年の前の五百年の小法、又日本国にては像法の中比、法華経天台宗の流布すべき前に且く機を調養せむがため也。例せば日出でんとて明星前に立ち、雨下らむとて雲先づおこるが如し。日出で雨下りて後の星・雲はなにかせん。而るに今は時過ぎぬ。又末法に入りて之を修行せば、重病に軽薬を授け、大石を小船に載せたり。偶々修行せば身は苦しく暇は入りて験なく、花のみ開きて菓なく雷のみ鳴り雨下らじ。故に教大師像法の末に出現して法華経の迹門の戒定慧の三が内、其の中円頓の戒壇を叡山に建立し給ひし時、二百五十戒忽ちに捨て畢んぬ。随って又鑒真が末の南都七大寺の一十四人三百余人も加判して大乗の人となり、一国挙つて小律儀を捨て畢んぬ。其の授戒の書を見るべし。分明也。而るを今邪知の持斉の法師等、昔し捨てし小乗経を取り出だして一戒もたもたぬ名計りなる二百五十戒の法師原有りて公家・武家を誑惑して国師とのゝしる。剰へ我慢を発して大乗戒の人を破戒無戒とあなずる。例せば狗犬が師子を吠へ、猿猴が帝釈をあなづるが如し。[p1327-1318]
今の律宗の法師原は、世間の人々には持戒実語の者のやうには見ゆれども、其の実を論ずれば天下第一の不実の者也。其の故は彼等が本分とする四分・十誦等の律文は大小乗の中には一向小乗、小乗の中には最下の小律也。在世には十二年の後、方等大乗へ還る程の且くのやすめ(息)ことは、滅後には正法の前の五百年は一向小乗寺なり。此れ又一向大乗寺の毀謗となさんが為、されば日本国には像法半ばに鑒真和尚、大乗の手習ひとし給ふ。教大師彼の宗を破し給ひて、人をば天台宗へとりこし、宗をば失ふべしといへども、後に事の由を知らんが為に、我が大乗の弟子を遣はして助けをき給ふ。而るに今の学者は此の由を知らずして、六宗は本より破れずして有りとおもへり。墓なし、墓なし。[p1318]
又一類の者等、天台の才覚を以て見れば、我が律宗は幼弱なる故に、漸々に梵網経へうつりし。結句は法華経の大戒を我が小律に盗み入れて、還りて円頓の行者を破戒無戒と咲らへば、国主は当時の形貌の貴げなる気色にたぼらかされ給ひて、天台宗の寺に寄せたる田畠等を奪ひ取りて彼等にあたへ。万民は又一向大乗の寺の帰依を抛てて彼の寺にうつる。手づから火をつけざれども日本一国の大乗の寺を焼き失ひ、抜目鳥にあらざれども一切衆生の眼を抜きぬ。[p1318-1319]
仏の記し給ふ阿羅漢に似たる闡提とは是れ也。涅槃経に云く 我涅槃後無量百歳四道聖人悉復涅槃。正法滅後於像法中当有比丘。似像持律少読誦経 貪嗜飲食長養其身 乃至 雖服袈裟猶如猟師細視徐行如猫伺鼠。外現賢善内懐貪嫉。如受唖法婆羅門等。実非沙門現沙門像 邪見熾盛誹謗正法(我涅槃の後、無量百歳に四道の聖人悉く復涅槃せん。正法滅して後、像法の中に於て当に比丘有るべし。像を持律に似せて少かに経を読誦し、飲食を貧嗜して其の身を長養し、袈裟を服すと雖も、猶お猟師の細めに視て徐に行くが如く猫の鼠を伺うが如し。外には賢善を現じ、内には貪嫉を懐く。唖法を受くる婆羅門等の如し。実には沙門に非ずして沙門の像を現じ、邪見熾盛にして正法を誹謗せん)等云云。[p1319]
此の経文に世尊未来を記し置き給ふなり。抑そも釈尊は我等がためには賢父たる上、明師也、聖主也。一身に三徳を備へ給へる仏の仏眼を以て未来悪世を鑑み給ひて記し置き給ふ記文に云く 我涅槃後無量百歳云云。仏滅後二千年已後と見へぬ。又四道聖人悉復涅槃云云。付法蔵の二十四人を指す歟。正法滅後等云云。像末の世と聞こえたり。当有比丘。似像持律等云云。今末法の代に比丘の似像を撰び出ださば、日本国には誰の人をか引き出だして、大覚世尊をば不妄語の人とし奉るべき。俗男・俗女・比丘尼をば此の経文に載せたる事なし。但比丘計り也。比丘は日本国に数をしらず。而れども其の中三衣一鉢を身に帯せねば似像と定めがたし。唯持斉の法師計りあひ似たり。一切の持斉の中には次下の文に持律と説かれたり。律宗より外は又脱れぬ。次下の文に、少読誦経云云。相州鎌倉の極楽寺の良観房にあらずば、誰を指し出だして経文をたすけ奉るべき。次下の文に、猶如猟師細視徐行如猫伺鼠。外現賢善内懐貪嫉等云云。両火房にあらずば誰をか三衣一鉢の猟師伺鼠として仏説を信ずべき。哀れ哉。当時の俗男・俗女・比丘尼等・檀那等が山の鹿・家の鼠となりて、猟師猫に似たる両火房に伺はれたぼらかされて、猫の捺へ取るが如く、猟師の鹿を射死が如し。俗男武士等は射伏切伏られ、俗女は捺へ取られて他国へおもむかん。王昭君・楊貴妃が如くになりて、後生には無間大城に一人もなく趣くべし。[p1319-1320]
而るを余此の事を見る故に、彼が檀那等が大悪心をおそれず強盛にせむる故に、両火房内々諸方に讒言を企てて、余が口を塞がんとはげみし也。経に云く_供養汝者堕三悪道〔汝を供養する者は三悪道に堕つ〕等云云。在世の阿羅漢を供養せし人尚お三悪道脱れがたし。何に況んや滅後の誑惑小律の法師等をや。小戒の大科をばこれを以て知んぬべし。或は又驢乳にも譬へたり、還りて糞となる。或は狗犬にも譬へたり、大乗の人の糞を食す。或は猿猴、或は瓦礫と云云。然れば時を弁へず機をしらずして小乗戒を持たば大乗の障りとなる。破れば又必ず悪果を招く。其の上、今の人々小律の者どもは大乗戒を小乗戒に盗み入れ、驢乳に牛乳を入れて大乗の人をあざむく。大偸盗の者大謗法の者、其のとがを論ずれば、提婆達多も方を竝べがたく瞿伽梨尊者が足も及ばざる、閻浮提一の大悪人也。帰依せん国土安穏なるべしや。[p1320-1321]
余此の事を見るに、自心だにも弁へなばさてこそあるべきに、日本国に智者とおぼしき人々一人も知らず。国すでにやぶれなんとす。其の上、仏の諌暁を重んずる上、一分の慈悲にもよをされて、国に代わり身命を捨て申せども、国主等彼にたぼらかされて、用ゆる人一人もなし。譬へば熱鉄に冷水を投げ、睡眠の師子に手を触るるが如し。[p1321]
爰に両火房と申す法師あり。身には三衣を皮の如くはなつ事なし。一鉢は両眼をまほるが如し。二百五十戒堅く持ち、三千の威儀をとゝのへたり。世間の無智の道俗、国主よりはじめて万民にいたるまで、地蔵尊者の迦羅陀山より出現せる歟、迦葉尊者の霊山より下り来るかと疑ふ。余法華経の第五の巻の勧持品を拝見し奉りて末代に入て法華経の大怨敵三類有るべし。其の第三の強敵は此の者かと見了んぬ。便宜あらば、国敵を責めて彼が大慢を倒して、仏法の威験あらわさんと思ふ処に、両火房常に高座にして歎ひて云く 日本国の僧尼に二百五十戒、男女には五戒・八斎戒等を一同に持たせんと思ふに、日蓮が此の願の障りとなると云云。[p1321]
余案じて云く 現証に付きて事を切らんと思ふ処に、彼常に雨を心に任せて下す由披露あり。古へも又雨を以て得失をあらはす例これ多し。所謂伝教大師と護命と、守敏と弘法と等也。此に両火房上より祈雨の御いのりを仰せ付けられたりと云云。此に両火房祈雨あり。去る文永八年六月十八日より二十四日也。此に使いを極楽寺へ遣はす。年来の御歎きこれなり。七日が間に若し一雨も下らば、御弟子となりて二百五十戒具さに持たん上に、念仏無間地獄と申す事ひがよみなりけりと申すべし。余だにも帰伏し奉らば、我が弟子等をはじめて日本国大体かたぶき候なんと云云。七日が間に三度の使いをつかはす。しかれどもいかんがしたりけむ。一雨も下らざる之上、頽風・・風・旋風・暴風等の八風十二時にやむ事なし。剰へ二七日まで一雨も下らず。風もやむ事なし。されば此の事は何事ぞ。和泉式部と云ひし色好み、能因法師と申せし無戒の者、此れは彼の両火房がいむところの三十一字ぞかし。彼の月氏の大盗賊 南無仏と称せしかば天頭を得たり。彼の両火房竝びに諸僧等の二百五十戒、真言・法華の小法大法の数百人の仏法の霊験、いかなれば婬女等之誑言 大盗人が称仏には劣らんとあやしき事也。此れを以て彼等が大科をばしらるべきに、さはなくして還りて讒言をもちゐらるゝは、実とはおぼへず。所詮日本国亡国となるべき期来る歟。[p1321-1322]
又祈雨の事はたとひ雨下らせりとも、雨の形貌を以て祈る者の賢不賢を知る事あり。雨種々也。或は天雨、或は龍雨、或は修羅雨、或は・雨、或は甘雨、或は雷雨等あり。今の祈雨は都て一雨も下らさる上、二七日が間に、前より遥かに超過せる大旱魃・大悪風、十二時に止まることなし。両火房真の人ならば、忽ちに邪見をも翻し、跡をも山林に隠すべきに、其の義は無くて面を弟子檀那等にさらす上、剰へ讒言を企て日蓮が頚をきらせまいらせんと申し上げ、あづかる人の国まで状を申し下して種をたゝんとする大悪人也。[p1322-1323]
而るを無智の檀那等、恃怙して現世には国をやぶり、後生には無間地獄に堕ちなん事の不便さよ。起世経に云く_諸有衆生 為放逸汚清浄行故 天不下雨〔諸の衆生有りて、放逸をなし清浄の行を汚す故に、天雨を下さず〕。又云く_有不如法 慳貪嫉妬邪見顛倒故 天則不下雨〔不如法なる有り。慳貪・嫉妬・邪見・顛倒せる故に、天は則ち雨を下さず〕。又経律異相に云く ̄有五事無雨。一二三[略之] 四雨師婬乱 五国王不理治 雨師瞋故不雨〔五事有りて雨なし。一二三[之を略す] 四には雨師婬乱 五には国王理を治めず 雨師瞋る故に雨らず〕云云。此れ等の経文の亀鏡をもつて両火房が身に指し当てて見よ。少しもくもりなからむ。一には名は持戒ときこゆれども、実には放逸なる歟。二には慳貪なる歟。三には嫉妬なる歟。四には邪険なる歟。五には婬乱なる歟。此の五にはすぐべからず。[p1323]
又此の経は両火房一人には限るべからず。昔をかがみ、今をもしれ。弘法大師の祈雨の時、二七日之間、一雨も下らざりしもあやしき事也。而るを誑惑の心強盛なりし人なれば、天子の御祈雨の雨を盗み取りて我が雨と云云。善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵の祈雨の時、小雨は下りたりしかども三師ともに大風連々と吹きて、勅使をつけてをはれしあさましさと、天台大師・伝教大師の須臾と三日が間に帝釈雨を下して小風も吹かざりしも、たとく(貴)ぞおぼゆるおぼゆる。[p1323-1324]
法華経に云く_或有阿練若 納衣在空閑〔或は阿練若に 納衣にして空閑に在って〕 乃至 貪著利養故 与白衣説法 為世所恭敬 如六通羅漢〔利養に貪著するが故に 白衣のために法を説いて 世に恭敬せらるること 六通の羅漢の如くならん〕。又云く_常在大衆中 欲毀我等故 向国王大臣 婆羅門居士 及余比丘衆 誹謗説我悪〔常に大衆の中に在って 我等を毀らんと欲するが故に 国王大臣 婆羅門居士 及び余の比丘衆に向って 誹謗して我が悪を説いて〕 乃至 悪鬼入其身 罵詈毀辱我〔悪鬼其の身に入って 我を罵詈毀辱せん〕。又云く_濁世悪比丘 不知仏方便 随宜所説法 悪口而顰蹙 数数見擯出〔濁世の悪比丘は 仏の方便 随宜所説の法を知らず 悪口して顰蹙し 数数擯出せれ〕等云云。涅槃経に云く_有一闡提 作羅漢像 住於空処 誹謗方等大乗経典。諸凡夫人見已皆謂真阿羅漢是大菩薩〔一闡提有り、羅漢の像を作して、空処に住し、方等大乗経典を誹謗せん。諸の凡夫人、見已って、皆真の阿羅漢、是れ大菩薩なりと謂わん〕等云云。[p1324]
今予法華経と涅槃経との仏鏡をもつて、当時の日本国を浮かべて其の影をみるに、誰の僧か国主に六通の羅漢の如くたとまれて、而も法華経の行者を讒言して頚をきらせんとせし。又いづれの僧か万民に大菩薩とあをがれたる。誰の智者か法華経の故に度々処々を追はれ、頚をきられ、弟子を殺され、両度まで流罪せられて最後に頚に及ばんとせり。無眼無耳の人は除く。有眼有耳の人は経文を見聞せよ。今の人々は人毎に経文を我も読む我も信じたりといふ。只にくむところは日蓮計り也。経文を信ずるならば、慥かにのせたる強敵を取り出だして、経文を信じてよむしるしとせよ。若し爾らずんば、経文の如く読誦する日蓮をいかれるは、経文をいかれるにあらずや。仏の使をかろしむる也。[p1324-1235] 今の代の両火房が法華経の第三の強敵とならずば、釈尊は大妄語の仏、多宝・十方の諸仏は不実の証明也。又経文まことならば、御帰依の国主は現在には守護の善神にすてられ、国は他の有となり、後生には阿鼻地獄疑ひなし。而るに彼等が大悪法を尊まるる故に、理不尽の政道出来す。彼の国主の僻見の心を推するに、日蓮は阿弥陀仏の怨敵、父母の建立の堂搭の讎敵なれば、仮令政道をまげたりとも仏意には背かじ、天神もゆるし給ふべしとをもはるゝ歟。墓なし、墓なし。[p1325]
委細にかたるべけれども、此れは小事なれば申さず。心有らん者は推して知んぬべし。上に書き擧げるより雲泥大事なる日本第一の大科、此の国に出来して年久しくなる間、此の国既に梵釈・日月・四天大王等の諸天にも捨てられ、守護の諸大善神も還りて大怨敵となり、法華経守護の梵帝等隣国の聖人に仰せ付けて日本国を治罰し、仏前の誓状を遂げんとをぼしめす事あり。[p1325]
夫れ正像の古へは世濁世に入るといへども、始めなかりしかば国土さしも乱れず、聖賢も間間出現し、福徳の王臣も絶へざりしかば、政道も曲がる事なし。万民も直かりし故に、小科を対治せしめんがために三皇・五帝・三王・三聖等出現して、墳典を作りて代を治す。世しばらく治まりたりしかども、漸漸にすへになるまゝに、聖賢も出現せず、福徳の人もすくなければ、三災は多大にして七難先代に超過せしかば、外典及びがたし。其の時治を代へて内典を用ひて世を治す。随て世且くおさまる。されども又世末になるまゝに、人の悪は日々に増長し、政道は月々に衰減するかの故に、又三災七難先よりいよいよ増長して、小乗戒等の力験なかりしかば、其の時治をかへて小乗の戒等を止めて大乗を用ゆ。大乗又叶はねば法華経の円頓の大戒壇を叡山に建立して代を治めたり。[p1325-1326]
所謂伝教大師、日本三所の小乗戒竝びに華厳・三論・法相の三大乗戒を破失せし是れ也。此の大師は六宗をせめ落とさせ給ふのみならず、禅宗をも習ひ極め、剰へ日本国にいまだひろまらざりし法華宗・真言宗をも勘へ出だして勝劣鏡をかけ、顕密の差別黒白也。然れども、世間の疑ひを散じがたかりしかば、去る延暦年中に御入唐、漢土の人々も他事には賢かりしかども、法華経・大日経・天台・真言の二宗の勝劣浅深は分明に知らせ給はざりしかば、御帰朝の後、本の御存知の如く、妙楽大師の記の十の、不空三蔵の改悔の言を含光がかたりしを引き載せて、天台勝れ真言劣なる明証を依憑集に定め給ふ。剰へ真言宗の宗の一字を削り給ふ。其の故は善無畏・金剛智・不空の三人、一行阿闍梨をたぼらかして、本はなき大日経に天台の已証の一念三千の法門を盗み入れて、人の珍宝を我が有とせる大誑惑の者と心得給へり。例せば澄観法師が天台大師の十法成乗の観法を華厳経に盗み入れて、還りて天台宗を末経と下すがごとしと御存知あて、宗の一字を削りて叡山は唯七宗たるべしと云云。[p1326-1327]
而るを弘法大師と申す天下第一の自讃毀多の大妄語の人、教大師御入滅の後、対論なくして公家をかすめたてまつりて八宗と申し立てぬ。然れども本師の跡を紹継する人々は叡山は唯七宗にてこそあるべきに、教大師の第三の弟子慈覚大師と叡山第一の座主義真和尚の末弟子智証大師と、此の二人は漢土に渡り給ひし時、日本国にて一国の大事と諍論せし事なれば、天台・真言の碩学等に値ひ給ふ毎に勝劣浅深を尋ね給ふ。然るに其の時の明匠等も或は真言宗勝れ、或は天台宗勝れ、或は二宗斉等、或は理同事異といへども、倶に慥かの証文をば出ださず。二宗の学者等併ら胸臆の言也。然るに慈覚大師は学び極めずして帰朝して疏十四巻を作れり。所謂、金剛頂経の疏七巻、蘇悉地経の疏七巻也。此の疏の為体は法華経と大日経等の三部経とは理同事異〔理は同じく事は異なる〕等云云。此の疏の心は大日経の疏と義釈との心を出だすが、なを不審あきらめがたかりけるかの故に、本尊の御前に疏を指し置きて、此の疏仏意に叶へりやいなやと祈せいせし処に、夢に日輪を射ると云云。うちをどろきて吉夢也、真言勝れたる事疑ひなしとおもひて宣旨を申し下す。日本国に弘通せんとし給ひしが、ほどなく疫病やみて四ヶ月と申せしかば、跡もなくうせ給ひぬ。[p1327]
而るに智証大師は慈覚の御為にも御弟子なりしかば、遺言に任せて宣旨を申し下し給ふ。所謂真言・法華斉等也。譬へば鳥の二の翼、人の両目の如し。又叡山も八宗なるべしと云云。此の両人は身は叡山の雲の上に臥すといへども、心は東寺里中の塵にはじまはる。本師の遺跡を紹継する様にて、還りて聖人の正義を忽諸し給へり。法華経の於諸経中。最在其上。の上の字を、うちかへして大日経の下に置き、先づ大師の怨敵なるのみならず、存外に釈迦・多宝・十方分身・大日如来等の諸仏の讎敵となり給ふ。[p1328]
されば慈覚大師の夢に日輪を射ると見しは是れ也。仏法の大科此れよりはじまる。日本国亡国となるべき先兆也。棟梁たる法華経既に大日経の椽侶となりぬ。王法も下剋上して、王位も臣下に随ふべかりしを、其の時又一類の学者有りて堅く此の法門を諍論せし上、座主も両方を兼ねて事いまだきれざりしかば、世も忽ちにほろびず有りける歟。例せば外典に云く 大国には諍臣七人、中国には五人、小国には三人諍論すれば、仮令政道に謬誤出来すれども国破れず。乃至家に諌子あれば不義におちずと申すが如し。仏家も又是の如し。天台・真言の勝劣浅深事きれざりしかば少々の災難は出来せしかども、青天にも捨てられず、黄地にも犯されず、一国の内の事にありし程に、人王七十七代後白河の法皇の御宇に当りて、天台座主の妙雲、伝教大師の止観院の法華経の三部をすてて、慈覚大師の總持院の大日の三部に付き給ふ。天台山は名許りにて真言山になり、法華経の所領は大日経の地となる。天台と真言と、座主と大衆と敵対あるべき序也。国又王と臣と諍論して王は臣に随ふべき序也。一国乱れて他国に破らるべき序也。[p1328-1329]
然れば明雲は義仲に殺されて、院も清盛にしたがひられ給ふ。然れども公家も叡山も共に此の故としらずして、世静かならずすぐるほどに、災難次第に増長して人王八十二代隠岐の法皇の御宇に至りて、一災起れば二災起ると申して禅宗・念仏宗起り合ひぬ。善導房は法華経は末代には千中無一とかき、法然は捨閉閣抛と云云。禅宗は法華経を失はんがために教外別伝・不立文字とのゝしる。此の三の大悪法鼻を竝べて一国に出現せしが故に、此の国すでに梵釈二天・日月・四王に捨てられ奉り、守護の善神も還りて大怨敵とならせ給ふ。[p1329]
然れば相伝の所従に責め随へられて主上・上皇共に夷島に放たれ給ひ、御返りなくしてむなしき島の塵となり給ふ。所詮実経の所領を奪ひ取りて権経たる真言の知行となせし上、日本国の万民等、禅宗・念仏宗の悪法を用ひし故に、天下第一先代未聞の下克上出来せり。[p1329]
而るに相州は謗法の人ならぬ上、文武きはめ尽くせし人なれば、天許し国主となす。随ひて世且く静かなりき。然而るに又先に王法を失ひし真言漸く関東に落ち下る。存外に崇重せらるゝ故に、鎌倉又還りて大謗法一闡提の官僧・禅僧・念仏僧の檀那と成りて、新寺を建立して旧寺を捨つる故に、天神は眼を瞋らして此の国を睨め、地神は憤りを含んで身を震ふ。長星は一天に覆ひ、地震は四海を動かす。[p1329-1330]
余此れ等の災夭に驚きて、粗内典五千外典三千等を引き見るに、先代にも希なる天変地夭也。然而るに儒者の家には記せざれば知る事なし。仏法は自迷なればこゝろへず。此の災夭は常の政道の相違と世間の誤謬より出来せるにあらず。定めて仏法より事起る歟と勘へなしぬ。先づ大地震に付きて去る正嘉元年に書を一巻注したりしを、故最明寺の入道殿に奉る。御尋ねもなく御用ひもなかりしかば、国主の御用ひなき法師なればあやまちたりとも科あらじとやおもひけん。念仏者竝びに檀那等、又さるべき人々も同意したるとぞ聞こへし。夜中に日蓮が小庵に数千人押し寄せて殺害せんとせしかども、いかんがしたりけん、其の夜の害もまぬかれぬ。然れども心を合わせたる事なれば、寄せたる者も科なくて、大事の政道を破る。日蓮が生きたる不思議なりとて伊豆の国へ流しぬ。されば人のあまりににくきには、我がほろぶべきとがをもかへりみざる歟。御式目をも破らるゝ歟。御起請文を見るに、梵釈・日月・四天・天照太神・正八幡等を書きのせたてまつる。余存外の法門を申さば、子細を弁へられずば、日本国の御帰依の僧等に召し合わせられて、其れになを事ゆかずば、漢土・月氏までも尋ねらるべし。其れに叶はずば、子細ありなんとて、且くまたるべし。子細も弁えぬ人々が身のほろぶべきを指しをきて、大事の起請を破らるゝ事心へられず。自讃には似たれども本文に任せて申す。[p1330-1331]
余は日本国の人々には上は天子より下は万民にいたるまで三の故あり。一には父母也、二には師匠也、三には主君の御使也。経に云く_即如来使。又云く_眼目也。又云く_日月也。章安大師の云く ̄為彼除悪即是彼親〔彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり〕等云云。而るに謗法一闡提の国敵の法師原が讒言を用ひて、其の義を弁へず、左右なく大事たる政道を曲げらるるは、わざとわざはひをまねかるゝ歟。墓なし、墓なし。[p1331]
然るに事しづまりぬれば、科なき事は恥かしき歟の故に、ほどなく召し返されしかども、故最明寺の入道殿も又早くかくれさせ給ひぬ。当御時に成りて或は身に・をかふり、或は弟子を殺され、或は所々を追ひ、或はやどをせめしかば、一日片時も地上に栖むべき便りなし。是れに付けても、仏は一切世間多 怨難信と説き置き給ひ、諸の菩薩は我不愛身命 但惜無上道と誓へり。加刀杖瓦石 数数見擯出の文に任せて流罪せられ、刀のさきにかゝりなば、法華経一部よみまいらせたるにこそとおもひきりて、わざと不軽菩薩の如く、覚徳比丘の様に、龍樹菩薩・提婆菩薩・仏陀密多・師子尊者の如く弥いよ強盛に申しはる。[p1331]
今度法華経の大怨敵を見て、経文の如く父母師匠を朝敵宿世の時のの如く、散々に責むるならば、定めて万人もいかり、国主も讒言を収れて、流罪し頚にも及ばんずらん。其の時仏前にして誓状せし梵釈・日月・四天の願をもはたさせたてまつり、法華経の行者をあだまんものを須臾ものがさじと、起請せしを見にあてて心みん。釈尊・多宝・十方分身の諸仏の或は宿し、或は衣を覆はれ、或は守護せんと、ねんごろに説かせ給ひしをも、実歟虚言歟と知りて信心をも増長せんと退転なくはげみし程に、案にたがはず、去る文永八年九月十二日に都て一分の科もなくして佐土の国へ流罪せらる。外には遠流と聞こへしかども、内には頚を切ると定めぬ。余又兼ねて此の事を推せし故に弟子に向ひて云く 我既に遂げぬ。悦び身に余れり。人身は受けがたくして破れやすし。過去遠々劫より由なき事には失ひしかども、法華経のために命をすてたる事はなし。我頚を刎られて師子尊者が絶へたる跡を継ぎ、天台・伝教の功にも超へ、付法蔵の二十五人に一を加へて二十六人となり、不軽菩薩の行にも越へて釈迦・多宝・十方の諸仏にいかがせんとなげかせまいらせんと思ひし故に、言をもおしまず已前にありし事、後に有るべき事の様を平の金吾に申し含めぬ。此の語しげければ委細にはかかず。[p1331-1332]
抑そも日本国の主となりて、万事を心に任せ給へり。何事も両方を召し合わせてこそ勝負を決し御成敗をなす人の、いかなれば日蓮一人に限りて諸僧等に召し合わせずして大科に行はるゝやらん。是れ偏にただ事にあらず。たとひ日蓮は大科の者なりとも国は安穏なるべからず。御式目を見るに、五十一箇條を立てて、終りに起請文を書き載せたり。第一第二は神事仏事乃至五十一等云云。神事仏事の肝要たる法華経を手ににぎれる者を、讒人等に召し合わせられずして、彼等が申すまゝに頚に及ぶ。然れば他事の中にも此の起請文に相違する政道は有るらめども此れは第一の大事也。日蓮がにくさに国をかへ、身を失はんとせらるゝ歟。魯の哀公が忘るる事の第一なる事を記せらるゝには、移宅に妻をわすると云云。孔子の云く 身をわするゝ者あり。国主と成りて政道を曲る是れ也云云。将た又国主は此の事を委細には知らせ給はざる歟。いかに知らせ給はずとのべらるゝとも、法華経の大怨敵と成り給ひぬる重科は脱るべしや。[p1332-1333]
多宝・十方の諸仏の御前にして、教主釈尊の申す口として、末代当世の事を説かせ給ひしかば、諸の菩薩記して云く 悪鬼入其身 罵詈毀辱我〔悪鬼其の身に入って 我を罵詈毀辱せん〕 乃至 数数見擯出〔数数擯出せられ〕等云云。又四仏釈尊の最勝王経に云く_由愛敬悪人治罰善人故〔悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に〕 乃至 他方怨賊来国人遭喪乱〔他方の怨賊来たりて国人喪乱に遭わん〕等云云。たとひ日蓮をば軽賎せさせ給ふとも、教主釈尊の金言、多宝・十方の諸仏の証明は空しかるべからず。一切の真言師・禅宗・念仏者棟の謗法の悪比丘をば前より御帰依ありしかども、其の大科を知らせ給はねば少し天も許し、善神もすてざりけるにや。而るを日蓮が出現して、一切の人を恐れず、身命を捨てて指し申さば、賢なる国主ならば子細を聞き給ふべきに、聞かず、用ひられざるだにも不思議なるに、剰へ頚に及ばんとせしは存外の次第也。[p1333-1334]
然れば大悪人を用ゆる大科、正法の大善人を恥辱する題材、二悪前代未聞の大事此の国に出現せり。譬へば修羅を恭敬し、日天を射奉るが如し。故に前代未聞の大事此の国に起るなり。是れ又先例なきにあらず。夏の桀王は龍蓬が頭を刎ね、殷の紂王は比干が胸をさき、二世王は李斯を殺し、優陀延王は賓頭盧尊者を蔑如し、檀弥羅王は師子尊者の頚を切る。武王は慧遠法師と諍論し、憲宗王は白居易を遠流し、徴宗皇帝は法道三蔵の面に火印をさす。此れ等は皆諌暁を用ひざるのみならず、還りて怨を成せし人々、現世には国を亡ぼし身を失ひ、後生には悪道に堕つ。是れ又人をあなづり、讒言を納れて理を尽くさざりし故也。[p1334]
而るに去る文永十一年二月に佐土の国より召し返されて、同じき四月の八日に平の金吾に対面して有りし時、理不尽の御勘気の由委細に申し含めぬ。又恨むらくは此の国すでに他国に破れん事のあさましさよと歎き申せしかば、金吾が云く 何の比か大蒙古は寄せ候べきと問ひしかば、経文には分明に年月を指したる事はなけれども、天の御気色を拝見したて奉るに、以ての外に此の国を睨みさせ給ふか。今年は一定寄せぬと覚ふ。若し寄するならば一人も面を向ふ者あるべからず。此れ又天の責め也。日蓮をばわどのばら(和殿原)が用ひぬ者なれば力及ばず。穴賢々々。真言師等に調伏行はで給ふべからず。若し行はすほどならば、いよいよ悪かるべき由申し付けて、さて帰りてありしに、上下共に先の如く用ひさりげに有る上、本より存じせり、国恩を報ぜんがために三度までは諌暁すべし。用ひずば山林に身を隠さんとおもひし鳴り。又上古の本文にも、三度のいさめ用ひずば去れといふ。本文にまかせて且く山中に罷り入りぬ。其の上は国主の用ひ給はざらんに其の已下に法門申して何かせん。申したりとも国もたすかるまじ。人も又仏になるべしともおぼへず。又念仏は無間地獄、阿弥陀経を読むべからず、と申す事も私の言にはあらず。[p1334-1335]
夫れ阿弥陀念仏と申すは源と釈迦如来の五十余年の説法の内、前四十余年の内の阿弥陀経等の三部経より出来せり。然れども如来の金言なれば定めて真実にてこそあるらめと信ずる処に、後八年の法華経の序分たる無量義経に仏、法華経を説かせ給はんために、先づ四十余年の経々竝びに年紀等を具さに数へあげて、_未顕真実 乃至 終不得成。無上菩提〔終に無上菩提を成ずることを得ず〕と、若干の経々竝びに法門を唯一言に打ち消し給ふこと、譬へば大水の小火を消し、大風の衆の草木の露を落とすが如し。然して後に正宗の法華経の第一巻にいたりて、_世尊法久後 要当説真実〔世尊は法久しゅうして後 要ず当に真実を説きたもうべし〕。又云く_正直捨方便 但説無上道〔正直に方便を捨てて 但無上道を説く〕と説き給ふ。譬へば闇夜に大月輪出現し、大塔を立てて後足代を切り捨つるが如し。然して後実義を定めて云く_今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子 而今此処 多諸患難 唯我一人 能為救護 雖復教詔 而不信受〔今此の三界は 皆是れ我が有なり 其の中の衆生は 悉く是れ吾が子なり 而も今此の処は 諸の患難多し 唯我一人のみ 能く救護を為す 復教詔すと雖も 而も信受せず〕 乃至 見有読誦 書持経者 軽賎憎嫉 而懐結恨 此人罪報 汝今復聴 其人命終 入阿鼻獄〔経を読誦し書持すること あらん者を見て 軽賎憎嫉して 結恨を懐かん 此の人の罪報を 汝今復聴け 其の人命終して 阿鼻獄に入らん〕等云云。[p1335-1336]
経文の次第普通の性相の法には似ず。常には五逆七逆の罪人こそ阿鼻地獄とは定めて候に、此れはさにては候はず。在世滅後の一切衆生、阿弥陀経等の四十余年の経々を堅く執して法華経へうつらざらむと、仮令法華経へ入るとも本執を捨てずして彼々の経々を法華経に竝べて修行せん人と、又自執の経々を法華経に勝れたりといはん人と、法華経を法の如く修行すとも法華経の行者を恥辱せん者と、此れ等の諸人を指しつめて其人命終 入阿鼻獄と定めさせ給ひし也。此の事はただ釈迦一仏の仰せなりとも、外道にあらずば疑ふべきにてはあらねども、已今当の諸経の説に色をかへて重き事をあらはさんがために、宝浄世界の多宝如来は自らはるばる来り給ひて証人とならせ給ひ、釈迦如来の先判たる大日経・阿弥陀経・念仏等を堅く執して、後の法華経へ入らざらむ人々は入阿鼻地獄は一定也と証明し、又阿弥陀仏等の十方の諸仏は各々国々を捨てゝ霊山虚空会に詣で給ひ、宝樹の下に坐して広長舌を出だし大梵天に付け給ふこと、無量無辺の虹の虚空に立ちたらんが如し。[p1336-1337]
心は四十余年の中の観経・阿弥陀経・悲華経等に、法蔵比丘等の諸菩薩四十八願等を発して、凡夫を九品の浄土へ来迎せんと説く事は、且く法華経已前のやすめ言也。実には彼々の経々の文の如く十方西方への来迎はあるべからず。実とおもふことなかれ。釈迦仏の今説き給ふが如し。実には釈迦・多宝・十方の諸仏、寿量品の肝要たる南無妙法蓮華経の五字を信ぜしめんが為也と出だし給ふ広長舌也。我等と釈迦仏とは同じ程の仏也。釈迦仏は天月の如し、我等は水中の影の月也。釈迦仏の本土は実には娑婆世界也。天月動き給はずば我等もうつるべからず。此土に居住して法華経の行者を守護せん事、臣下が主上を仰ぎ奉らんが如く、父母の一子を愛するが如くならんと出だし給ふ舌也。其の時阿弥陀仏の一二の弟子、観音・勢至等は阿弥陀仏の塩梅也、双翼也、左右の臣也、両目の如し。[p1337]
然るに極楽世界よりはるばると御供し奉りしが、無量義経の説き、仏の阿弥陀経等の四十八願等は未顕真実、乃至法華経にて一名弥陀と名をあげて此れ等の法門は真実ならずと説き給ひしかば、実とも覚へざりしに、阿弥陀仏正しく来り合点し給ひしをうち見て、さては我等が念仏者等を九品の浄土へ来迎の蓮臺と合掌の印とは虚しかりけりと聞き定めて、さては我等も本土に還りて何かせんとて、八万二万の菩薩のうちに入り、或は観音品に_遊於娑婆世界〔娑婆世界に遊ぶ〕と申して、此土の法華経の行者を守護せんとねんごろに申せしかば、日本国より近き一閻浮提の内、南方補陀楽山と申す小処を釈迦仏より給ひて宿所と定め給ふ。阿弥陀仏は左右の臣下たる観音・勢至に捨てられて、西方世界へは還り給はず。此の世界に留まりて法華経の行者を守護せんとありしかば、此の世界の内、欲界第四の兜率天、弥勒菩薩の所領の内、四十九院の一院を給ひて、阿弥陀院と額を打つておはするとこそうけ給はれ。[p1337-1338]
其の上阿弥陀経には、仏、舎利弗に対して凡夫の往生すべき様を説き給ふ。舎利弗舎利弗又舎利弗と二十余処までいくばくもなき経によび給ひしは、かまびすしかりし事ぞかし。然れども四紙一巻が内、すべて舎利弗等の諸の声聞の往生成仏を許さず。法華経に来りてこそ、始めて華光如来・光明如来とは記せられ給ひしか。一閻浮提第一の大智者たる舎利弗すら、浄土の三部経にて往生成仏の跡をけづる。まして末代の牛羊の如くなる男女、彼々の経々にて生死を離れなんや。此の由を弁へざる末代の学者等、竝びに法華経を修行する初心の人々かたじけなく阿弥陀経を読み、念仏を申して、或は法華経に鼻を竝べ、或は後に此れを読みて法華経の肝心とし、功徳を阿弥陀経等にあつらへて、西方へ回向し往生せんと思ふは、譬へば飛龍が驢馬を乗り物とし、師子が野干をたのみたる歟。将た又日輪出現の後の衆星の光、大雨の盛んなる時の小露也。故に教大師云く ̄賜白牛朝不用三車 得家業夕何須除糞。故経云 正直捨方便 但説無上道〔白牛を賜ふ朝には三車を用ひず、家業を得る夕べに何ぞ除糞を須ひん。故に経に云く 正直に方便を捨てて 但無上道を説く〕。又云く_日出星隠 見功知拙〔日出ずれば星隠れ、功を見て拙きを知る〕云云。[p1338-1339]
法華経出現の後は已今当の諸経の捨てらるゝ事は勿論也。たとひ修行すとも法華経の所従にてこそあるべきに、今の日本国の人々、道綽が未有一人得者、善導が千中無一、慧心が往生要集の序、永観が十因、法然が捨閉閣抛等を堅く信じて、或は法華経を抛ちて一向に念仏を申す者もあり、或は念仏を本として助けに法華経を持つ者もあり、或は弥陀念仏と法華経とを鼻を竝べて左右に念じて二行と行ずる者もあり、或は念仏と法華経と一法の二名也と思ひて行ずる者もあり。此れ等は皆教主釈尊の御屋敷の内に居して師主をば指し置き奉りて、阿弥陀堂を釈迦如来の御所領の内に毎国毎郷毎家々竝べ立て、或は一万二万、或は七万返、或は一生の間、一向に修行して主師親をわすれたるだに不思議なるに、剰へ親父たる教主釈尊の御誕生御入滅の両日を奪ひ取りて、十五日は阿弥陀仏の日、八日は薬師仏の日等云云。一仏誕入の両日を東西に仏の死生の日となせり。是れ豈に不孝の者にあらずや。逆路七逆の者にあらずや。人毎に此の重科有りて、しかも人毎に我が身は科なしとおもへり。無慚無愧の一闡提人也。[p1339-1340]
法華経の第二の巻に主と師と親との三つの大事を説き給へり。一経の肝心ぞかし。その経文に云く_今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子 而今此処 多諸患難 唯我一人 能為救護〔今此の三界は 皆是れ我が有なり 其の中の衆生は 悉く是れ吾が子なり 而も今此の処は 諸の患難多し 唯我一人のみ 能く救護を為す〕等云云。又此の経に背く者を文に説いて云く_雖復教詔 而不信受〔復教詔すと雖も 而も信受せず〕 乃至 其人命終 入阿鼻獄〔其の人命終して 阿鼻獄に入らん〕等云云。[p1340]
されば念仏者が本師の導公は其中衆生の外か。唯我一人の経文を破りて千中無一といへし故に、現身に狂人と成りて楊柳に上りて身をなげ、堅土に落ちて死にかねて、十四日より二十七日まで十四日が間顛倒し 狂死し畢んぬ。[p1340]
又真言宗の元祖善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵等は、親父を兼ねたる教主釈尊法王を立て下して、大日他仏をあがめし故に、善無畏三蔵は閻魔王のせめにあづかるのみならず、又無間地獄に堕ちぬ。汝等此の事疑ひあらば眼前に閻魔堂の画を見よ。金剛智・不空の事はしげければかゝず。[p1340]
又禅宗の三階信行禅師は法華経等の一代聖教をば別教と下す。我が作れる経をば普経と崇重せし故に、四依の大士の如くなりしかども、法華経の持者の優婆夷にせめられてこえを失ひ、現身に大蛇となり、数十人の弟子を呑み食らふ。今日本国の人々はたとひ法華経を持ち釈尊を釈尊と崇重し奉るとも、真言宗・禅宗・念仏者をあがむるならば、無間地獄はまぬがれがたし。何に況んや三宗の者共を日月の如く渇仰し、我が身にも念仏を事とせむ者をや。心あらん人々は念仏・阿弥陀経等をば父母・師君の宿世の敵よりもいむべきもの也。例せば逆臣が旗をば官兵は指す事なし、寒食の祭りには火をいむぞかし。[p1340-1341]
されば古への論師天親菩薩は小乗経を舌の上に置かじと誓ひ、賢者たりし吉蔵大師は法華経をだに読み給はず。此れ等はもと小乗経を以て大乗経を破失し、法華経を以て天台大師を毀謗し奉りし謗法の重罪を消滅せんがため也。[p1341]
今日本国の人々は一人もなく不軽菩薩の如く、苦岸・勝意等の如く、一国万人皆無間地獄に堕つべき人々ぞかし。仏の涅槃経に記して、末法には法華経誹謗の者は大地微塵よりもおほかるべしと記し給ひし是れ也。[p1341]
而るに今法華経の行者出現せば、一国万人皆法華経の読誦を止めて、吉蔵大師の天台大師に随ふが如く身を肉橋となし、不軽軽毀の還りて不軽菩薩に信伏随従せしが如く仕るとも、一日二日、一月二月、一年二年、一生二生が間には法華経誹謗の重罪は尚おなほ滅しがたかるべきに、其の義はなくして当世の人々は四衆倶に一慢をおこせり。[p1341]
所謂念仏者は法華経をすてゝ念仏を申す。日蓮は法華経を持つといへども念仏を恃まず。我等は念仏をも持ち法華経をも信ず。戒をも持ち一切の善を行ず等云云。此れ等は野兎が跡を隠し、金鳥が頭を穴に入れ、魯人が孔子をあなづり、善星が仏ををどせしにことならず。鹿馬が迷ひやすく、鷹鳩変じがたき者也。墓なし墓なし。[p1341-1342]
当時は予が古へ申せし事の漸く合ふかの故に、心中には如何せんとは思ふらめども、年来あまりに法にすぎてそしり悪口せし事が、忽ちに翻へりたくて信ずる由をせず、而も蒙古はつよりゆく。如何せんと宗盛・義朝が様になげく也。あはれ人は心はあるべきものかな。孔子は九思一言、周公旦は浴する時は三度にぎり食する時は三度吐き給ふ。賢人は此の如く用意をなす也。世間の法にも、はふ(法)にすぎばあやしめといふぞかし。国を治する人なんどが、人の申せばとて委細にも尋ねずして、左右なく科に行はれしは、あはれくやしかるらんに、夏の桀王が湯王に責められ、呉王が越王に生けどりにせられし時は、賢者の諌暁を用ひざりし事を悔ひ、阿闍世王が悪瘡身に出で他国に襲はれし時は、提婆を眼に見じ耳に聞かじと誓ひ、乃至宗盛がいくさにまけ義経に生けどられて鎌倉に下されて面をさらせし時は、東大寺を焼き払はせ山王の御輿を射奉りし事を歎きし也。今の世も又一分もたがふべからず。[p1342]
日蓮を賎み諸僧を貴び給ふ故に、自然に法華経の強敵と成り給ふ事を弁へず。存外政道に背きて行はるゝ間、梵釈・日月・四天・龍王等の大怨敵と成り給ふ。法華経守護の釈迦・多宝・十方分身の諸仏・地涌千界・迹化他方・二聖・二天・十羅刹女・鬼子母神は他国の賢王の見に入り易りて、国主を罰し国を亡せんとするをしらず。真の天のせめにてだにもあるならば、たとひ鉄圍山を日本国に引き回らし、須弥山を蓋として、十方世界の四天王を集めて波際に立て竝べてふせがするとも、法華経の敵となり、教主釈尊より大事なる行者を、法華経の第五の巻を以て日蓮が頭を打ち、十巻共に引き散らして散々に践みたりし大禍は、現当二世にのがれがたくこそ候はんずらめ。日本守護の天照太神・正八幡等もいかでかかゝる国をばたすけ給ふべき。いそぎいそぎ治罰を加へて自らの科を脱れんとこそはげみ給ふらめ。をそく科に行ふ間、日本国の諸神ども四天大王にいましめられてやあるらん。知り難き事也。[p1342-1343]
教大師の云く 竊以菩薩国宝載法華経 大乗利他摩訶衍説。弥天七難非大乗経以何為除。未然大災非菩薩僧豈得冥滅〔竊かに以みれば菩薩は国の宝なること法華経に載せ、大乗の利他は摩訶衍の説なり。弥天の七難は大乗経に非ずんば、何を以てか除くことをえん。未然の大災は菩薩僧に非ずんば、豈に冥滅することを得んや〕等云云。而るを今大蒙古国を調伏する公家・武家の日記を見るに、或は五大尊、或は七仏薬師、或は仏眼、或は金輪等云云。此れ等の小法は大災を消すべしや。還著於本人と成りて国忽ちに亡びなんとす。或は日吉の社にして法華の護摩を行ふといへども、不空三蔵が・れる法を本として行ふ間、祈祷の儀にあらず。又今の高僧等は或は当時の真言、或は天台の真言也。東寺は弘法大師、天台は慈覚・智証也。此の三人は上に申すが如く大謗法の人々也。其れより已外の諸僧等は或は東大寺の戒壇の小乗の者也。叡山の円頓戒は又慈覚の謗法に曲げられぬ。彼の円頓戒も迹門の大戒なれば今の時の機にはあらず。旁叶ふべき事にはあらず。[p1343-1344]
只今国土やぶれなん。後悔さきにたたじ、不便々々と語り給ひしを、千万が一を書き付けて参らせ候。但身も下賎に生まれ、心も愚かに候へば、此の事は道理かとは承り候へども、国主も御用ひなきかの故に、鎌倉にては如何が候けん。不審に覚へ候。[p1344]
返す返すも愚意に存じ候は、これ程の国の大事をばいかに御尋ねもなくして、両度の御勘気には行はれけるやらんと聞こし食しほどかせ給はぬ人々の、或は道理とも、或は僻事とも、仰せあるべき事とは覚へ候はず。又此の身に阿弥陀経を読み候はぬも併ら御為、父母の為にて候。只理不尽に読むべき由を仰せを蒙り候はば其の時重ねて申すべく候。[p1344]
いかにも聞こし食さずして、うしろの推義をなさん人々の仰せをば、たとひ身は随ふに候へども、心は一向に用ひまいらせ候まじ。又恐れにて候へども、兼ねてつみしらせまいらせ候。此の御房は唯一人おはします。若しやの御事の候はん時は御後悔や候はんずらん。世間の人々の用ひねば、とは一旦のをろかの事也。上の御用ひあらん時は誰人か用ひざるべきや。其の時は又用ひたりとも何かせん。人を信じて法を信ぜず。[p1344]
又世間の人々の思ひて候は、親には子は是非に随ふべしと、君臣師弟も此の如し。此れ等は外典をも弁へず、内典をも知らぬ人々の邪推也。外典の孝経には子父臣君諍ふべき段もあり、内典には_棄恩入無為 真実報恩者〔恩を棄て無為に入るは真実に恩を報ずる者なり〕と仏定め給ひぬ。悉達太子は閻浮提一の孝子也。父の王の命を背きてこそ、父母をば引導し給ひしか。比干が親父紂王を諌暁して、胸をほら(屠)れてこそ、賢人の名をば流せしか。賎み給ふとも小法師が諌暁を用ひ給はずば、現当の御歎きなるべし。此れは親の為に読みまいらせ候はぬ阿弥陀経にて候へば、いかにも当時は叶ふべしとは覚へ候はず。恐々申し上げ候。[p1344-1345]
建治三年六月 日 僧 日永[p1345]
下山兵庫五郎殿御返事[p1345]
#0248-0K0 兵衛志殿御返事 建治三年(1277.06・18) [p1345]
或弘安四年
青鳧五貫文、送り給了んぬ。唱へ奉る南無妙法蓮華経一返の事。恐々。[p1345]
六月十八日 日 蓮 花押[p1345]
兵衛志殿 御返事[p1345]
#0250-000 四條金吾殿御返事 建治三年(1277.07) [p1361]
去月廿五日の御文、同月の廿七日の酉の時に来りて候。仰せ下さるゝ状と又起請かくまじきよしの御せいじやう(誓状)とを見候へば、優曇花のさきたるをみるか、赤栴檀のふたばになるをえたるか、めづらし、かうばし。[p1361]
三明六通を得給ふ上、法華経にて初地初住にのぼらせ給へる証果の大阿羅漢、得無生忍の菩薩なりし舎利弗・目連・迦葉等だにも、娑婆世界の末法に法華経を弘通せん事の大難こらへかねければ、かなふまじき由辞退候ひき。まして三惑未断の末代の凡夫いかでか此の経の行者となるべき。設ひ日蓮一人は杖木瓦礫悪口王難をもしのぶとも、妻子を帯せる無智の俗なんどは争でか叶ふべき。中中信ぜざらんはよかりなん。すへとをら(通)ず、しばし(暫時)ならば人にわらはれなんと不便におもひ候ひしに、度々の難・二箇度の御勘気に心ざしをあらはし給ふだにも不思議なるに、かくをどさるるに二所の所領をすてて、法華経を信じとをすべしと御起請候ひし事、いかにとも申す計りなし。[p1361-1362]
普賢・文殊等なを末代はいかんがと仏思し食して、妙法蓮華経の五字をば地涌千界の上首上行等の四人にこそ仰せつけられて候へ。只事の心を案ずるに、日蓮が道をつけんと、上行菩薩貴辺の御身に入りかはらせ給へるか。又教主釈尊の御計らひか。彼の御内の人人うちはびこつて、良観・龍象が計らひにてやぢやう(定)あるらん。起請をかかせ給ひなば、いよいよかつばら(彼奴原)をごり(驕)て、かたがたにふれ申さば、鎌倉の内に日蓮が弟子等一人もなくせめうしなひなん。凡夫のならひ、身の上ははからひがたし。これをよくよくしるを賢人聖人とは申すなり。遠きをばしばらくをかせ給へ。近きは武蔵のかう(守)殿、両所をすてて入道になり、結句は多くの所領・男女のきうだち・御ぜん等をすてて御遁世と承る。とのは子なし。たのもしき兄弟なし。わづかの二所の所領なり。一生はゆめの上、明日をご(期)せず。いかなる乞食にはなるとも、法華経にきずをつけ給ふべからず。[p1362]
されば同じくはなげきたるけしき(気色)なくて、此の状にかきたるがごとく、すこしもへつらはず振る舞い仰せあるべし。中中へつらふならばあしかりなん。設ひ所領をめされ、追ひ出し給ふとも、十羅刹女の御計らひにてぞあるらむとふかくたのませ給ふべし。日蓮はながされずして、かまくら(鎌倉)にだにもありしかば、有りしいくさに一定打ち殺されなん。此れも又御内にてはあしかりぬべければ釈迦仏の御計らひにてやあるらむ。[p1362-1363]
陳状は申して候へども、又それに僧は候へども、あまりのおぼつかなさに三位房をつかはすべく候に、いまだ所労きらきらしく候はず候へば、同じ事に此の御房をまいらせ候。だいがくの三郎殿か、たき(瀧)の太郎殿か、とき殿かに、いとまに随ひてかかせて、あげさせ給ふべし。これはあげなば事きれなむ。いたういそがずとも内内うちをしたゝめ、又ほかのかつばら(彼奴原)にもあまねくさはがせて、さしいだしたらば、若しや此の文かまくら内にもひろう(披露)し、上へもまいる事もやあるらん。わざわひの幸はこれなり。法華経の御事は已前に申しふりぬ。しかれども小事こそ善よりはをこて候へ。大事になりぬれば必ず大なるさはぎが大なる幸となるなり。[p1363]
此の陳状、人ごとにみるならば、彼等がはぢあらわるべし、只一口に申し給へ。我とは御内に出でて、所領をあぐべからず。上よりめされいださむは法華経の御布施、幸と思ふべしとのゝしらせ給へ。[p1363]
かへすがへす奉行人にへつらふけしきなかれ。此の所領は上より給たるにはあらず、大事の御所労を法華経の薬をもつてたすけまいらせて給ひて候所領なれば、召すならば御所労こそ又かへり候はむずれ。爾時は頼基に御たいじやう(怠状)候とも用ひまいらせ候まじく候と、うちあてにくさうげ(憎体気)にてかへるべし。あなかしこ、あなかしこ。[p1363-1364]
御よりあひ(寄合)あるべからず。よる(夜)は用心きびくし、夜廻りの殿原かたらひて用ひ、常にはよりあはるべし。今度御内をだにもいだされずば十に九は内のものねらひなむ。かまへてきたなきしに(死)すべからず。[p1364]
建治三年[丁丑]七月 日 蓮 花押[p1364]
四條金吾殿 御返事[p1364]
#0251-000 鼠入鹿事 建治三年(1277) [p1364]
已前御文御返事申し候ひしか。[p1364]
鵞目一結・三年の古酒給了んぬ。[p1364]
御文に云く 安房国にねずみいるかとかや申し候。大魚[或十七八尋、或廿尋云云] 乃至 彼の大魚を鎌倉に 乃至 家々にあぶらにしぼり候香 たえ候べきやう候はずくさく等云云。[p1364-1365]
扶桑記に云く ̄出羽国四月八日河水沼水死魚浮 山擁塞不流。有両大蛇長各十許丈。相連流出入海江。小蛇随者不知其数。依河苗稼流損多。或没濁水 草木臭朽而不生。○但弘仁年中○乃至兵役火之。又塚墓骸骨汚其山水〔出羽国四月八日河水沼水に死魚浮かび、山擁塞して流れず。両大蛇あり、長さおのおの十許丈。相連ね流れ出だしてて海江に入る。小蛇の随ふ者、其の数を知らず。河による苗稼、流損多し。或は濁水に没して草木臭朽して生ぜず。○但弘仁年中○乃至兵役之を火く。又塚墓骸骨、其の山水を汚す〕等云云。[p1364]
此外伝内典 依嗅気悪鬼入国聚〔此の外内典に伝はるに、嗅気に依りて悪鬼国に入り聚まる〕。[p1364]
#0252-000 上野殿御返事 建治三年(1277.07・16) [p1365]
むぎひとひつ(一櫃)、かわのり五條、はじかみ 六十給了んぬ。[p1365]
いつもの御事に候へばをどろかれず、めづらしからぬやうにうちをぼへて候は、ぼむぶの心なり。せけんそうそうなる上、をゝみや(大宮)のつくられさせ給へば、百姓と申し、我が内の者と申し、やまのなかのすまいさこそとをもひやらせ給ひて、とりのかいこ(雛)をやしなうがごとく、ともしびにあぶらをそうるがごとく、かれたるくさにあめのふるがごとくうへたる子にちをあたうるがごとく、法華経の御いのちをつがせ給ふ事、三世の諸仏を供養し給へるにてあるなり。十方の衆生の眼を開く功徳にて候べし。尊しとも申す計りなし。あなかしこ、あなかしこ。恐恐謹言。[p1365-1366]
七月十六日 日 蓮 花押[p1366]
進上 上野殿 御返事[p1366]
#0253-000 兵衛志殿御返事 建治三年(1277.08・21) [p1370]
鵞目二貫文、武蔵房円日を使いにて給候ひ了んぬ。[p1370]
人王三十六代皇極天皇と申せし王は女人にてをはしき。其の時入鹿臣と申す者あり。あまりのをごりのものぐるわしさに王位をおばはんとふるまいしを、天皇・王子等不思議とはをぼせしかども、いかにも力及ばざりしほどに、大兄王子・軽王子等なげかせ給ひて、中臣の鎌子と申せし臣に申しあわせさせ給ひしかば、臣申さく、いかにも人力はかなうべしとはみへ候はず。馬子が例をひきて教主釈尊の御力ならずば叶ひがたしと申せしかば、さらばとて釈尊を造り奉りていのりしかば、入鹿ほどなく打たれにき。[p1370-1371]
此の中臣の鎌子と申す人は後には姓かへて藤原の鎌足と申し、内大臣になり、大職冠と申す人今の一の人の御先祖なり。此の釈迦仏は今興福寺の本尊なり。されば王の王たるも釈迦仏、臣の臣たるも釈迦仏。神国の仏国となりし事もゑもんのたいう(右衛門大夫)殿の御文と引き合わせて心へさせ給へ。[p1371]
今代は他国にうばわれんとする事、釈尊をいるがせにする故なり。神の力も及ぶべからずと申すはこれなり。各々二人はすでにとこそ人はみしかども、かくいみじくみへさせ給ふは、ひとへに釈迦仏・法華経の御力なりとをぼすらむ。又此れにもをもひ候。後生たのもしさ申すばかりなし。此れより後もいかなる事ありとも、すこしもたゆむ事なかれ。いよいよはりあげてせむべし。たとい命に及ぶとも、すこしもひるむ事なかれ。あなかしこ、あなかしこ。恐恐謹言。[p1371]
八月二十一日 日 蓮 花押[p1371]
兵衛志殿 御返事[p1371]
#0255-0K0 富木殿御書 建治三年(1277.08・23) [p1372]
或建治元年
妙法蓮華経第二に云く_若人不信 毀謗此経 ~ 見有読誦 書持経者 軽賎憎嫉 而懐結恨 ~ 其人命終 入阿鼻獄 乃至 如是展転 至無数劫〔若し人信ぜずして 此の経を毀謗せば ~ 経を読誦し書持すること あらん者を見て 軽賎憎嫉して 結恨を懐かん ~ 其の人命終して 阿鼻獄に入らん 乃至 是の如く展転して 無数劫に至らん〕。第七に云く_千劫於阿鼻地獄〔千劫阿鼻地獄に於て〕。第三に云く 三千塵点。第六に云く 五百塵点劫等云云。涅槃経に云く_為悪象殺不至三趣。為悪友殺必至三趣〔悪象の為に殺されては三趣に至らず。悪友の為に殺されては必ず三趣に至る〕等云云。[p1372]
賢慧菩薩の法性論に云く ̄愚不信正法 邪見及・慢 過去謗法障。執著不了義 著供養恭敬 唯見於邪法 遠離善知識 親近謗法者 楽著小乗法 如是等衆生 不信於大乗 故謗諸仏法。智者不応畏 怨家邪火毒 因陀羅霹靂 刀杖諸悪獣 虎狼師子等。彼但能断命 不能令人入 可畏阿鼻獄。応畏謗深法 及謗法知識。決定令人入 可畏阿鼻獄。雖近悪知識 悪心出仏血 及殺害父母 断諸聖人命 破壊和合僧 及断諸善根 以繋念正法 能解脱彼処。若復有余人 誹謗甚深法 彼人無量劫 不可得解脱。若人令衆生 覚信如是法 彼是我父母 亦是善知識 彼人是智者。以如来滅後 廻邪見顛倒 令入正道故 三宝清浄信 菩提功徳業〔愚かにして正法を信ぜず、邪見及び・慢なれば過去の謗法の障なり。不了義に執著し、供養恭敬に著し唯邪法を見て善知識を遠離し、謗法の者、小乗の法に楽著する、是の如き等の衆生に親近し、大乗を信ぜざる故に諸仏の法を謗ず。智者は怨家・邪火毒・因陀羅・霹靂・刀杖・諸の悪獣・虎・狼・師子等を畏るべからず。彼は但能く命を断じて、人をして畏るべき阿鼻獄に入らしむることあたはず。畏るべきは深法を謗ずると及び謗法の知識なり。決定して人をして畏るべき阿鼻獄に入らしむ。悪知識に近づきて悪心にして仏の血を出だし及び父母を殺害し、諸の聖人の命を断じ和合僧を破壊し、及び諸の善根を断ずると雖も、念を正法に繋くるを以て、能く彼の処を解脱せん。若し復余人有りて甚深の法を誹謗せば、彼の人無量劫にも解脱を得べからず。若し人衆生をして是の如き法を覚信せしめば、彼は是れ我が父母、亦是れ善知識、彼の人は是れ智者なり。如来の滅後に邪見顛倒を廻らして正道に入らしむるを以ての故に、三宝清浄の信、菩提功徳の業なり〕[p1372]
龍樹菩薩の菩提資糧論に云く ̄説五無間業 乃至 若於未解深法而起執著 ○彼前五無間等罪聚比之百分不及〔五無間の業を説きたまふ。乃至、若し未解の深法に於て而も執著を起せば ○彼の前の五無間等の罪を聚めて之に比するに百分にしても及ばず〕云云。[p1372-1373]
夫れ、賢人は案(安)きに居て危きを欲ひ 寧(佞)人は危きに居て案(安)を欲ふ。大火は小水を畏怖し、大樹は小鳥に値ひて枝を折らる。智人は恐怖すべし、大乗を謗ずる故に。天親菩薩は舌を切んと云ひ 馬鳴菩薩は頭を刎んと願ひ 吉蔵大師は身を肉橋と為し 玄奘三蔵は此れを霊地に占ひ 不空三蔵は疑を天竺に決し 伝教大師は此れを異域に求む。皆上に挙ぐる所は経論を守護する故歟。今日本国八宗竝びに浄土・禅宗等の四衆、上主上上皇より下臣下万民に至るまで、皆一人も無く、弘法・慈覚・智証之三大師の末孫、檀越也。円仁慈覚大師云く 華厳・法華を大日経に望むれば戯論となす。空海弘法大師云く ̄望後作戯論〔後に望めば戯論と作す〕等云云。此の三大師の意は法華経は已今当之諸経之中の第一なり。然りと雖も大日経に相対すれば戯論の法也等云云。此の義、心有らん人、信を取るべきや不や。今日本国の諸人、悪象・悪馬・悪牛・悪狗・悪蛇・悪刺・懸岸・険崖・暴水・悪人・悪国・悪城・悪舎・悪妻・悪子・悪所従等よりも、此れ等に超過し恐怖すべきことは、持戒邪見の高僧等也。[p1373]
問て云く 上に挙ぐる所の三大師を謗法と疑ふか。叡山第二円澄寂光大師・別当光定大師・安慧大楽大師・慧亮和尚・安然和尚・浄観僧都・慧心先徳此れ等の数百人、弘法之御弟子実慧・真済・真雅等の数百人、竝びに八宗十宗等の大師先徳、日と日と月と月と星と星と竝び出だしたるが如く、既に四百余年を経歴す。此れ等の人々一人として此の義を疑はず。汝何なる智を以て之を難ずるや云云。[p1373]
此れ等の意を以て之を案ずるに、我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之を案ぜよ。一生空しく過ごして万歳悔ゆること勿れ。恐恐謹言。[p1373]
八月二十三日 日 蓮 花押[p1374]
富木殿[p1374]
鵞目一結給候ひ了んぬ。[p1374]
志有らん諸人は一処に聚集して御聴聞有るべきか。[p1374]
#0259-000 仏眼御書 建治三年(1277) [p1386]
仏眼をかり、仏耳をたまわりて、しめし候ひしかども、用ゐる事なければ、ついに此の国やぶれなんとす。白癩病の者あまたありて、一人のしる(知)日蓮をにくみしかば、此の山にかくれて候。[p1386]
#0260-000 兵衛志殿御書 建治三年(1277.09・09) [p1387]
久しくうけ給はり候はねばよくおぼつかなく候。何よりもあはれにふしぎなる事は大夫志殿と、とのとの御事ふしぎに候。つねさまによ代すえになり候へば賢人聖人もみなかくれ、ただざんじん・ねいじん(讒人・佞人)・わざん(和議)・きよくり(曲理)の者のみこそ国には充満すべきと見へて候へば、喩へば水すくなくなれば池さわがしく風ふけば大海しづかならず。代の末になり候へばかんぱちえきれい(旱魃疫癘)大雨大風ふきかさなり候へば、広き心もせばくなり、道心ある人も邪見になるとこそ見へて候へ。[p1387]
されば他人はさてをきぬ。父母と夫妻と兄弟と諍ふ事れつし(猟師)としか(鹿)と、ねことねずみと、たかときじとの如しと見へて候。良観等の天魔の法師らが親父左衛門の大夫殿をすかし、わどのばら(和殿原)二人を失はんとせしに、殿の御心賢くして日蓮がいさめを御もちゐ有りしゆへに、二つのわ(輪)の車をたすけ二つの足の人をになへるが如く、二つの羽のとぶが如く、日月の一切衆生を助くるが如く、兄弟の御力にて親父を法華経に入れまいらせさせ給ひぬる御計らひ、偏に貴辺の御身にあり。[p1387]
又真実の経の御ことはりを代末になりて仏法あながちにみだれば大聖人世に出づべしと見へて候。喩へば松のしも(霜)の後に木の王と見へ、菊は草の後に仙草と見へて候。代のおさまれるには賢人見へず。代の乱れたるにこそ聖人愚人は顕れ候へ。あはれ平左衛門殿・さがみ殿の日蓮をだにも用ひられて候ひしかば、すぎにし蒙古国の朝使のくびはよも切らせまいらせ候はじ。くやしくおはすならん。[p1387-1388]
人王八十一代安徳天皇と申す大王は天台の座主明雲等の真言師等数百人かたらひて、源の右将軍頼朝を調伏せしかば、還著於本人とて明雲は義仲に切られぬ。安徳天皇は西海に沈み給ふ。人王八十二三四 隠岐の法皇・阿波の院・佐渡の院・当今、已上四人、座主慈円僧正・御室・三井等の四十余人の高僧等をもて、平の将軍義時を調伏し給ふ程に、又還著於本人とて上の四王島々に放たれ給ひき。此の大悪法は弘法・慈覚・智証の三大師、法華経最第一の釈尊の金言を破りて、法華経最第二最第三、大日経最第一と読み給ひし僻見を御信用有りて、今生には国と身とをほろぼし、後生には無間地獄に堕ち給ひぬ。今度は又此の調伏三度なり。今我が弟子等死したらん人々は仏眼をもて是れを見給ふらん。命つれなくて生きたらん眼に見よ。国主等は他国へ責めわたされ、調伏の人々は或は狂死、或は他国、或は山林にかくるべし。教主釈尊の御使を二度までこうぢをわたし、弟子等をろう(牢)に入れ、或は殺し、或は害し、或は所国をおひし故に、其の科必ず国々万民の身に一々かゝるべし。或は又白癩黒癩重病の人々おほかるべし。我が弟子等此の由を存ぜさせ給へ。恐恐謹言。[p1388-1389]
九月九日 日 蓮 花押[p1389]
此の文は別して兵衛の志殿へ・じては一門の人々御覧有るべし。他人に聞かせ給ふな。[p1389]
#0262-100 崇峻天皇御書 建治三年(1277.09・11) [p1390]
白小袖一領・銭一ゆひ。又富木殿の御文のみ、なによりも、かき(柿)・なし(梨)なまひじき・ひ(干)るひじき、やうやうの物うけ取り、しなじな御使にたび候ひぬ。[p1390]
さてはなによりも上の御いたはり(所労)なげき入て候。たとひ上は御信用なき様に候へども、との(殿)其の内にをはして、其の御恩のかげ(蔭)にて法華経をやしなひまいらせ候へば、偏に上の御祈りとぞなり候らん。大木の下の小木、大河の辺の草は正しく其の雨にあたらず、其の水をえずといへども、露をつたへ、いき(気)をえて、さかう(栄)る事に候。此れもかくのごとし。阿闍世王は仏の御かたきなれども、其の内にありし耆婆大臣、仏に志ありて常に供養あしりかば、其の功大王に帰すとこそ見へて候へ。[p1390-1391]
仏法の中に内薫外護と申す大なる大事ありて宗論にて候。法華経には、_我深敬汝等〔我深く汝等を敬う〕。涅槃経には_一切衆生悉有仏性〔一切衆生悉く仏性あり〕。馬鳴菩薩の起信論には、 ̄以真如法常熏習故妄心即滅法身顕現〔真如の法常に熏習するを以ての故に妄心即ち滅して法身顕現す〕。弥勒菩薩の瑜伽論には見へたり。かくれ(隠)たる事のあらはれ(顕)たる徳となり候なり。[p1391]
されば御内の人人には天魔ついて、前より此の事を知りて殿の此の法門を供養するをさゝ(障)えんがために、今度の大妄語をば造り出だしたりしを、御信心深ければ十羅刹たすけ奉らんがてめに、此の病はをこれるか。上は我がかたきとはをぼさねども、一たんかれらが申す事を用ひ給ひぬるによりて、御しよらう(所労)の大事になりてながしら(長引)せ給ふか。彼等が柱とたのむ龍象すでにうたれぬ。和讒せし人も又其の病にをかされぬ。良観は又一重の大科の者なれば、大事に値ふて大事をひきをこして、いかにもなり候はんずらん。よもただは候はじ。[p1391]
此れにつけても、殿の御身もあぶな(危)く思ひまいらせ候ぞ。一定かたきにねらはれさせ給ひなん。すぐろく(双六)の石は二つ竝びぬればかけられず。車の輪は二つあれば道にかたぶかず。敵も二人ある者をばいぶせ(悒)がり候ぞ。いかにとが(科)ありとも、弟ども且くも身をはなち給ふな。殿は一定腹あしき相かを(面)に顕れたり。いかに大事と思へども、腹あしき者をば天は守らせ給はぬと知らせ給へ。殿の人にあやまたれてをはさば、設ひ仏になり給ふとも彼等が悦びと云ひ、此れよりの歎きと申し、口惜しかるべし。彼等がいかにもせんとはげみつるに、古よりも上に引き付けられまいらせてをはすれば、外のすがた(姿)はしづま(静)りたる様にあれども、内のむ胸はもふ(燃)る計りにや有らん。[p1391-1392]
常には彼等には見へぬ様にて、古よりも家のこ(子)を敬ひ、きうだち(公達)まいらせ給ひてをはさんには、上の召しありともしばらくつゝしむべし。入道殿いかにもならせ給はば、彼の人々はまどひ者になるべきをばかへりみず。物をぼへぬ心に、との(殿)のいよいよ来るを見ては、一定ほのを(炎)を胸にたき、いき(気)をさかさま(逆)につく(吐)らん。若しきうだち・きり(権)者の女房たちいかに上の御そらう(所労)はと問ひ申されば、いかなる人にても候へ、膝をかがめて手を合わせ、某が力の及ぶべき御所労にては候はず候を、いかに辞退申せどもただと仰せ候へば、御内の者にて候間かくて候とて、びむ(鬢)をもかゝず、いたたれ(直垂)こは(強)からず、さはやかなる小袖・色ある物なんどもき(著)ずして、且くねう(忍)じて御覧あれ。[p1392]
返す返す御心へ(得)の上なれども、末代のありさまを仏の説かせ給ひて候には、濁世には聖人も居がたし。大火の中の石の如し。且くはこらふるやうなれども、終にはやけくだ(焼摧)けて灰となる。賢人も五常は口に説きて、身には振る舞ひがたしと見へて候ぞ。かう(甲)の座をば去れと申すぞかし。そこばく(若干)の人の殿を造り落とさんとしつるに、をとされずして、はやかち(勝)ぬる身が、穏便ならずして造り落とされなば、世間に申すこぎこひ(漕漕)での船こぼ(溢)れ、又食の後に湯の無きが如し。上よりへや(部屋)を給ひて居してをはせば、其の処にては何事無くとも、日くれ曉なんど、入り返りなんどに、定めてねらうらん。又我が家の雨戸の脇・持仏堂・家の内の板敷の下か天上なんどをば、あながちに心えて振る舞ひ給へ。[p1392-1393]
今度はさきよりも彼等はたばかり賢かるらん。いかに申すとも鎌倉のえがら(荏柄)夜廻りの殿原にはすぎじ。いかに心にあはぬ事有りとも、かたらひ給へ。義経はいかにも平家をばせめおとしがたかりしかども、成良をかたらひて平家をほろぼし、大将殿はおさだ(長田)を親のかたきとをぼせしかども、平家を落とさざりしには頚を切り給はず。況んやこの四人は遠くは法華経のゆへ、近くは日蓮がゆへに、命を懸けたるやしき(屋敷)を上へ召されたり。日蓮と法華経とを信ずる人人をば、前々彼の人人いかなる事ありとも、かへりみ給ふべし。其の上、殿の家へ此の人人常にかよう(通)ならば、かたき(敵)はよる行きあはじとをぢるべし。させる親のかたきならねば、顕れてとはよも思はじ。かくれん者は是れ程の兵士はなきなり。常にむつ(睦)ばせ給へ。[p1393-1394]
殿は腹悪き人にて、よも用ひさせ給はじ。若しさるならば、日蓮が祈りの力及びがたし。龍象と殿の兄とは殿の御ためにはあし(悪)かりつる人ぞかし。天の御計らひに殿の御心の如くなるぞかし。いかに天の御心に背かんとはをぼするぞ。設ひ千万の財みちたりとも、上にすてられまいらせ給ひては、何の詮かあるべき。已に上にはをや(親)の様に思はれまいらせ、水の器に随ふが如く、こうし(犢)の母を思ひ老者の杖をたのむが如く、主のとの(殿)を思し食されたるは法華経の御たすけにあらずや。あらうらや(羨)ましやとこそ、御内の人人は思はるゝらめ。[p1394]
とくとく此の四人かたら(語)ひて日蓮にき(聞)かせ給へ。さるならば強盛に天に申すべし。又殿の故御父御母の御事も、左衛門尉があまrn歎き候ぞと天にも申し入て候也。定んで釈迦仏の御前に子細候らん。[p1394]
返す返す今に忘れぬ事は頚切られんとせし時、殿はとも(供)して馬の口に付きて、なきかなし(泣悲)み給ひしをばいかなる世にか忘れなん。設ひ殿の罪ふかくして地獄に入り給はば、日蓮をいかに仏になれと釈迦仏こしら(誘)へさせ給ふにも、用ひまいらせ候べからず。同じく地獄なるべし。日蓮と殿と共に地獄に入るならば、釈迦仏・法華経も地獄にこそをはしまさずらめ。暗に月の入るがごとく、湯に水を入るるがごとく、氷に火をたくがごとく、日輪にやみ(暗)をなぐ(投)るが如くこそ候はんずれ。若しすこしも此の事をたがへさせ給ふならば日蓮うらみさせ給ふな。[p1394-1395]
此の世間の疫病はとののまう(申)がごとく、年帰りなば上へあがりぬとをぼえ候ぞ。十羅刹の御計らひか、今且く世にをはして物を御覧あれかし。又世間のすぎえぬやうばし歎ひて人に聞かせ給ふな。若しさるならば、賢人にははづ(外)れたる事なり。若しさるならば、妻子があと(後)にとどまりて、はぢ(恥)を云ふとは思はねども、男のわか(別)れのおし(惜)さに、他人に向ひて我が夫のはぢをみなかた(語)るなり。此れ偏にかれが失にあらず。我がふるまひのあし(悪)かりつる故也。人身は受けがたし、爪上の土。人身は持ちがたし、艸の上の露。百二十まで持ちて名をくたし(腐)て死せんよりは、生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ。[p1395]
中務三郎左衛門尉は主の御ためにも、仏法の御ためにも、世間の心ね(根)もよ(吉)よかりけりよかりけりと、鎌倉の人々の口にうたはれ給へ。穴賢穴賢。蔵の財よりも身の財すぐれたり。身の財より心の財第一なり。此の文を御覧あらんよりは心の財をつませ給ふべし。[p1395]
第一秘蔵の物語あり。書きてまいらせん。日本始まりて国王二人、人に殺され給ふ。その一人は崇峻天皇也。此の王は欽明天皇の御太子、聖徳太子の伯父也。人王第三十三代の皇にてをはせしが聖徳太子を召して勅宣下さる。汝は聖者の者と聞く。朕を相してまいらせよと云云。太子三度まで辞退申させ給ひしかども、頻りの勅宣なれば止みがたくして、敬ひ相しまいらせ給ふ。君は人に殺され給ふべき相ましますと。王の御気色かはらせ給ひて、なにと云ふ証拠を以て此の事を信ずべき。太子申させ給はく、御眼に赤き筋とをりて候。人にあだまるゝ相也。皇帝勅宣を重ねて下し、いかにしてか此の難を脱れん。太子の云く 免脱れがたし。但し五常と申すつはもの(兵)あり。此れを身に離し給はずば害を脱れ給はん。此のつはものをば内典には忍波羅蜜と申して、六波羅蜜の其の一也と云云。[p1395-1396]
且くは此れを持ち給ひてをはせしが、やゝもすれば腹あしき王にて是れを破らせ給ひき。有る時、人猪の子をまいらせたりしかば、かうがい(笄刀)をぬきて猪の子の眼をづぶづぶとさゝせ給ひて、いつか(何日)にくし(憎)と思ふやつ(奴)をかくせんと仰せありしかば、太子其の座にをはせしが、あらあさましや、あさましや、君は一定人にあだまれ給ひなん。此の御言は身を害する剣なりとて、太子多くの財を取り寄せて、御前に此の言を聞きし者に御ひきで物ありしかども、或人蘇我の大臣の馬子と申せし人に語りしかば、馬子我が事なりとて東漢直駒〈あずまのあやのあたひごま〉・直磐井〈あたひいはゐ〉と申す者の子をかたらひて王を害しまいらせつ。[p1396-1397]
されば王位の身なれども、思ふ事をばたやすく申さぬぞ。孔子と申せし賢人はこゝのたび(九度)おもひて一度申す。周公旦と申せし人は沐する時は三度握り、食する時は三度はき給ひき。たしかにきこしめせ。我ばし恨みさせ給ふな。仏法と申すは是れにて候ぞ。一代の肝心は法華経、法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり。不軽菩薩の人を敬ひしはいかなる事ぞ。教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞ひにて候けるぞ。穴賢穴賢。賢きを人と云ひ、はかなきを畜といふ。[p1397]
建治三年[丁丑]九月十一日 日 蓮 花押[p1397]
四條左衛門尉殿 御返事[p1397]
#0263-0K0 石本日仲聖人御返事 建治三年(1277.09・20) [p1398]
同時に二仏に亘るか。将た又一方は妄語なるか。近来念仏者、天下を誑惑するか。早々御存知有るべきか。抑そも駿馬一疋追ひ遣はさる事、存外之次第か。事々見参の時を期す。恐恐謹言。[p1398]
九月二十日 日 蓮 花押[p1398]
石本日仲聖人 御返事[p1398]
此の間の学問、只此の事也。又真言師等に奏問し給ふ之由風聞せしむ。[p1398]
#0266-000 兵衛志殿御返事 建治三年(1277.11・20) [p1401]
かたがたのもの、ふ(夫)二人をもつて、をくりたびて候。その心ざし弁殿の御ふみに申すげに候。[p1401]
さてはなによりも御ために第一の大事を申し候なり。正法・像法の時は世もいまだにをとろへず、聖人賢人もつづき生れ候ひき。天も人をまほり給ひき。末法になり候へば、人のとんよくやうやくすぎ候て、主と臣と親と子と兄と弟と諍論ひまなし。まして他人は申すに及ばず。これによりて天もその国をすつれば、三災七難乃至一二三四五六七の日いでゝ、草木かれうせ、小大河もつ(尽)き、大地はすみ(炭)のごとくをこり、大海はあぶらのごとくになり、けつくは無間地獄より炎いでゝ上梵天まで火炎充満すべし。これていの事いでけんとて、やうやく世間はをと(衰)へ候なり。[p1401-1402]
皆人のをもひて候は、父には子したがひ、臣は君にかなひ、弟子はしにゐ(違)するべからずと云云。かしこき人もいやしき者もしれる事なり。しかれども貪欲・瞋恚・愚痴と申すさけ(酒)にゑひて、主に敵し、親をかろしめ、師をあなづる、つねにみへて候。但師と主と親とに随ひてあしき事を諌めば孝養となる事は、さきの御ふみにかきつけて候ひしかば、つねに御らむあるべし。ただしこのたびゑもん(右衛門)の志どのかさねて親のかんだう(勘当)あり。とのの御前にてこれにて申せしがごとく、一定かんだうあるべし。ひやうへ(兵衛)の志殿をぼつかなし。ごぜん(御前)かまへて御心へあるべしと申して候ひしなり。今度はとのは一定をち給ひぬとをぼうるなり。をち給はんをいかにと申す事はゆめゆめ候はず。但地獄にて日蓮をうらみ給ふ事なかれ。しり候まじきなり。千年のかるかや(苅茅)も一時にはひ(灰)となる。百年の功も一言にやぶれ候は法のことわりなり。[p1402]
さゑもんの大夫殿は今度法華経のかたきになりさだまり給ふとみへて候。ゑもんのたいうの志殿は今度法華経の行者になり候はんずらん。とのは現前の計らひなれば親につき給はんずらむ。ものぐるわしき人々はこれをほめ候べし。宗盛が親父入道の悪事に随ひてしのわら(篠原)にて頚を切られし、重盛が随はずして先に死せし、いづれか親の孝人なる。法華経のかたきになる親に随ひて、一乗の行者なる兄をすてば、親の孝養となりぬらん。[p1402-1403]
せんするところ、ひとすぢにをもひ切りて、兄と同じく仏道をなり(成)給へ。親父は妙荘厳王のごとし、兄弟は浄蔵・浄眼なるべし。昔と今はかわるとも、法華経のことわりたがうべからず。当時も武蔵の入道そこばくの所領所従等をすてて遁世あり。ましてわどのばらがわづかの事をへつらひて、心うすくして悪道に堕ちて日蓮をうらみさせ給ふな。かへすがへす今度とのは堕つべしををぼうるなり。此の程心ざしありつふが、ひきかへて悪道に堕ち給はん事がふびんなれば申すなり。百に一、千に一も日蓮が義につかんとをぼさば、親に向ひていゐ切り給へ。親なればいかにも順ひまいらせ候べきが、法華経の御かたきになり給へば、つきまいらせては不孝の身となりぬべく候へば、すてまいらせて兄につき候なり。兄にすてられ候わば兄と一同とをぼすべしと申し切り給へ。すこしもをそるゝ心なかれ。[p1403]
過去遠々劫より法華経を信ぜしかども、仏にならぬ事これなり。しを(潮)のひるとみつと、月の出づるといると、夏と秋と、冬と春とのさかひには必ず相違する事あり。凡夫の仏になる又かくのごとし。必ず三障四魔と申す障りいできたれば、賢者はよろこび、愚者は退く、これなり。此の事はわざとも申し、又びんぎにとをもひつるに御使にありがたし。堕ち給ふならばよもこの御使はあらじとをもひ候へば、もしやと申すなり。仏になり候事は此の須弥山にはり(針)をたてゝ彼の須弥山よりいと(糸)をはなちて、そのいとのすぐにわたりて、はりのあな(穴)に入るよりもかたし。いわうや、さかさまに大風のふきむかへたらんは、いよいよかたき事ぞかし。[p1403-1404]
経に云く_億億万劫 至不可議 時乃得聞 是法華経 億億万劫 至不可議 諸仏世尊 時説是経 是故行者 於仏滅後 聞如是経 勿生疑惑〔億億万劫より 不可議に至って 時に乃し 是の法華経を聞くことを得 億億万劫より 不可議に至って 諸仏世尊 時に是の経を説きたもう 是の故に行者 仏の滅後に於て 是の如き経を聞いて 疑惑を生ずることなかれ〕等云云。[p1404]
此の経文は法華経二十八品の中にことにめづらし。序品より法師品に至るまでは等覚已下人天・四衆・八部そのかずありしかども、仏は但釈迦如来一仏なり。重くてかろきへんもあり。宝塔品より嘱累品にいたるまでの十二品は事に重きが中の重きなり。其の故は釈迦仏の御前に多宝の宝塔涌現せり。月の前に日の出でたるがごとし。又十方の諸仏は樹下に御はします。十方世界の草木の上に火をともせるがごとし。此の御前にてせん(撰)せられたる文なり。[p1404]
涅槃経に云く_従昔無数無量劫来常受苦悩。一一衆生一劫之中所積身骨如王舎城・富羅山。所飲乳汁如四海水 身所出血多四海水。父母兄弟妻子眷属命終哭泣所出目涙多四大海。尽地草木為四寸籌 以数父母亦不能尽〔昔無数無量劫よりこのかた常に苦悩を受く。一々の衆生一劫の中に積む所の身の骨は王舎城の・富羅山の如く、飲む所の乳汁は四海の水の如く、身より出だす所の血は四海の水より多くし。父母兄弟妻子眷属の命終に哭泣して出だす所の目涙は四大海より多く、地の草木を尽くして四寸のかづとりと為し、以て父母を数ふとも亦尽くすことあたはじ〕云云。[p1404-1405]
此の経文は仏最後に雙林の本に臥してかたり給ひし御言也。もつとも心をとゞむべし。無量劫より已来生むところの父母は、十方世界の大地の草木を四寸に切りて、あてかぞうとも、たるべからずと申す経文なり。此れ等の父母にはあひしかども、法華経にはいまだあわず。されば父母はまうけやすし、法華経はあひがたし。今度あひやすき父母のことばをそむきて、あひがたき法華経のとも(友)にはなれずば、我が身仏になるのみならず、そむきしをやをもみちびかん。例せば悉達太子は浄飯王の嫡子なり。国をもゆづり位にもつけんとをぼして、すでに御位につけまいらせたりしを、御心をやぶりて夜中城をにげ出でさせ給ひしかば、不孝の者なりとうらみさせ給ひしかども、仏にならせ給ひてはまづ浄飯王・摩耶夫人をこそみちびかせ給ひしか。[p1405]
をや(親)というをやの世をすてゝ仏になれと申すをやは一人もなきなり。これはとによせかくによせてわどのばらを持斉念仏者等がつくりをとさんために、をやをすゝめをとすなり。両火房は百万反の念仏をすゝめて人々の内をせきて、法華経のたねをたゝんとはかるときくなり。極楽寺殿はいみじかりし人ぞかし。念仏者等にたぼらかされて日蓮をあだませ給ひしかば、我が身といゐ其の一門皆ほろびさせ給ふ。ただいまはへちご(越後)の守殿一人計りなり。両火房を御信用ある人はいみじきと御らむあるか。なごへの一門の善覚寺・長楽寺・大仏殿立てさせ給ひて其の一門のならせ給ふ事をみよ。又守殿は日本国の主にをはするが、一閻浮提のごとくなるかたきをへさせ給へり。わどの兄をすてゝ、あにがあとをゆづられたりとも、千万年のさかへかたかるべし。しらず、又わづかの程にや。いかんがこのよ(此世)ならんずらん。よくよくをもひ切りて、一向に後生をたのまるべし。かう申すとも、いたづらのふみ(文)なるべしとをもへば、かくもものうけれども、のちのをもひでにしるし申すなり。恐々謹言。[p1405-1406]
十一月二十日 日 蓮 花押[p1406]
兵衛志殿 御返事[p1406]
#0268-100 庵室修復書 建治三年(1277.冬) [p1410]
去る文永十一年六月十七日に、この山のなかに、き(木)をうちきりて、かりそめにあじち(庵室)をつくり候しが、やうやく四年がほど、はしら(柱)くち、かきかべ(牆壁)をち候へども、なを(直)す事なくて、よる(夜)ひ(火)をとぼさねども、月のひかりにて聖教をよみまいらせ、われと御経をまき(巻)まいらせ候はねども、風をのづからふきかへ(吹返)しまいらせ候ひしが、今年は十二のはしら(柱)四方にかふべ(頭)をな(投)げ、四方のかべは一そ(所)にたう(倒)れぬ。うだい(有待)たもちがたければ、月はす(住)め、雨はとどまれと、はげみ候つるほどに、人ぶ(夫)なくしてがくしやうども(学生共)をせめ、食なくしてゆき(雪)をもちて命をたすけて候ところに、さき(前)にうへのどの(上野殿)よりいも(芋)二駄これ一だはたま(珠)にもすぎ。[p1410-1411]
#0272-000 松野尼御前御返事 建治四年(1278.正・21) [p1436]
と申す鳥となれり。日本国の人にはにくまれ候ひぬ。みちるみわくる人も候はぬに、をもいよらせ給ひての御心ざし、石の中の火のごとし。火の中の蓮のごとし。ありがたく候、ありがたく候。恐々[p1436]
正月二十一日 日 蓮 花押[p1436]
松のゝ尼御前 御返事[p1436]
#0274-000 松野殿御返事 建治四年(1278.02・13) [p1441]
種種の物送り給候ひ畢んぬ。山中のすまゐ思ひ遣らせ給ひて、雪の中ふみ分けて御訪ひ候事、御志定めて法華経・十羅刹も知し食し候覧。[p1441]
さては涅槃経に云く_人命不停過山水 今日雖存明日難保〔人の命の停まらざることは山水に過ぎたり。今日存すと雖も明日保ちがたし〕文。摩耶経に云く_譬如旃陀羅駈羊至屠家 人命亦如是歩歩近死地〔譬へば旃陀羅の羊を駈けて屠家に至るが如く、人命も亦是の如く、歩歩死地に近づく〕文。法華経に云く_三界無安 猶如火宅 衆苦充満 甚可怖畏〔三界は安きことなし 猶お火宅の如し 衆苦充満して 甚だ怖畏すべし〕等云云。[p1441]
此れ等の経文は我等が慈父大覚世尊 末代の凡夫をいさめ給ひ、いとけなき子どもをさし驚かし給へる経文也。雖然須臾も驚く心なく、刹那も道心を発さず、野辺に捨てられなば一夜の中にはだかになるべき身をかざらんがために、いとまを入れ衣を重ねんとはげむ。命終りなば三日の内に水と成りて流れ、塵と成りて地にまじはり、煙と成りて天にのぼりありともみへずなるべき身を養はんとて、多くの財をたくはふ。此のことはりは事ふり候ひぬ。[p1441]
但し当世の体こそ哀れに候へ。日本国数年の間、打ち続きけかちゆきゝて衣食たへ、畜へるひをば食つくし、結句妃とをくらう者出来して、或は死人・或は小兒、或は病人等の肉を裂取りて、魚鹿等に加へて売りしかば人是れを買ひくへり。此の国存の外に大悪鬼となれり。[p1441]
又去年の春より今年の二月中旬まで疫病充満す。十家に五家百家に五十家、皆やみ死し、或は身はやまねども心は大苦に値へり。やむ者よりも怖ろし。たまたま生き残りたれども、或は影の如くそゐ(添)し子もなく、眼の如く面をならべし夫妻もなく、天地の如く憑みし父母もおはせず、生きても何かせん。心あらん人々争でか世を厭はざらん。三界無安とは仏説き給ひて候へども法に過ぎて見え候。[p1441-1442]
然るに予は凡夫にて候へども、かゝるべき事を仏兼ねて説きをかせ給ひて候を、国主に申しきかせ進らせ候ひぬ。其れにつけて御用ひ無くして弥いよ怨をなせしかば力及ばず。此の国既に謗法と成りぬ。法華経の敵に成り候へば三世十方の仏神の敵と成れり。御心にも推せさせ給候へ。[p1442]
日蓮何なる大科有りとも法華経の行者なるべし。南無阿弥陀仏と申さばなになる大科有りとも念仏者にて無しとは申しがたし。南無妙法蓮華経と我が口にも唱へ候故に、罵られ、打ちはられ、流され、命に及びしかども、勧め申せば法華経の行者ならずや。法華経には行者を怨む者は阿鼻地獄の人と定む。四の巻には仏を一中劫罵るよりも末代の法華経の行者を罪悪む深しと説かれたり。七の巻には行者を軽しめし人々、千劫阿鼻地獄に入ると説き給へり。五の巻には我末世末法に入て法華経の行者有るべし。其の時其の国に持戒破戒等の無量無辺の僧等集まりて国主に讒言して、流し失ふべしと説かれたり。然るにかゝる経文かたがた符合し候ひ了んぬ。未来に仏に成り候はん事疑ひなく覚え候。委細は見参の時申すべし。[p1442-1443]
建治四年[戌寅]二月十三日 日 蓮 花押[p1443]
松野殿 御返事[p1443]
#0277-0K0 始聞仏乗義 建治四年(1278.02・28) [p1452]
青鳧七結、下州より甲州に送らる。其の御志悲母の第三年に相当る御孝養也。[p1452]
問ふ 止観明静前代未聞〔止観の明静なる前代未だ聞かず〕の心如何。[p1452]
答ふ 円頓止観也。[p1452]
問ふ 円頓止観の意何。[p1452]
答ふ 法華三昧の異名也。[p1452]
問ふ 法華三昧の心如何。[p1452]
答ふ 夫れ末代の凡夫の法華経を修行する意に二有り。一には就類種の開会、二には相対種の開会也。[p1452]
問ふ 此の名は何より出づるや。[p1452]
答ふ 法華経の第三薬草喩品に云ふ_種相体性の四字也。其の四字の中に、第一の種の一字に二あり。一には就類種、二には相対種。其の就類種とは 釈に云く ̄〔凡有心者是正因種。随聞一句是了因種。低頭挙手是縁因種〔凡そ心有る者は是れ正因の種なり。随て一句を聞くは是れ了因の種なり。低頭挙手は是れ縁因の種なり〕等云云。其の相対種とは 煩悩と業と苦との三道、其の当体を押さえて法身と般若と解脱と称する、是れ也。其の中に就類種の一法は、宗は法華経に有りと雖も少分又爾前の経経にも通ず。妙楽云く ̄別教唯有就類之種而無相対〔別教は唯就類の種有りて而も相対無し〕と云云。此の釈に別教を云ふは本の別教には非ず。爾前の円、或は他師の円也。又法華経の迹門之中、供養舎利已下二十余行之法門も大体就類種の開会也。[p1452]
問ふ 其の相対種の心は如何。[p1452]
答ふ 止観に云く ̄云何聞円法。聞生死即法身・煩悩即般若・結業即解脱。雖有三名而無三体。雖是一体而立三名。是三即一相其実無有異。法身究竟般若解脱亦究竟。般若清浄余亦清浄。解脱自在余亦自在。聞一切法亦如是。皆具仏法無所減少。是名聞円〔云何なるが聞円の法なる。生死即法身・煩悩即般若・結業即解脱なりと聞く。三の名有りと雖も而も三の体無し。是れ一体なりと雖も而も三の名を立つ。是の三即一相にして其れ実に異なり有ること無し。法身が究竟なれば般若も解脱も亦究竟なり。般若が清浄なれば余も亦清浄なり。解脱が自在なれば余も亦自在なり。一切の法を聞くこと亦是の如し。皆仏法を具して減少する所無し。是れを聞円と名づく〕等云云。此の釈は即ち相対種の手本也。[p1452-1453]
其の意如何。[p1452]
答ふ 生死とは我等が苦果の依身也。所謂、五陰・十二入・十八界なり。煩悩とは見思・塵沙・無明の三惑也。結業とは五逆・十悪・四重等也。法身とは法身如来、般若とは報身如来、解脱とは応身如来なり。我等衆生、無始曠劫より已来此の三道を具足し、今法華経に値ひて三道即三徳となる也。[p1453]
難じて云く 火より水出でず、石より草生ぜず。悪因悪果を感じ、善因善報を生ずるは仏教の定まれる習ひ也。而るに我等、其の根本を尋ね究むれば、父母の精血赤白二・和合して、一身と為る。悪の根本、不浄の源也。設ひ大海を傾けて之を洗ふとも清浄なるべからず。又此の苦果の依身は其の根本を探り見れば、貪瞋癡の三毒より出づる也。此の煩悩・苦果の二道に依て合を構ふ。此の業道、即ち是れ結縛の法也。譬へば篭に入れる鳥の如し。如何ぞ此の三道を以て三仏因と称するや。譬へば糞をを集めて栴檀を造れども終に香しからざるが如し。[p1453]
答ふ 汝が難大に道理也。我此の事を弁えず。但し付法蔵の第十三、天台大師の高祖龍樹菩薩、妙法之妙の一字を釈して ̄譬如大薬師能以毒為薬〔譬へば大薬師の能く毒を以て薬と為すが如し〕云云。毒と云ふは何物ぞ、我等が煩悩業苦の三道也。薬とは何物ぞ、法身・般若・解脱也。能以毒為薬とは何物ぞ、三道を変じて三徳と為すのみ。天台云く ̄妙名不可思議〔妙をば不可思議と名づく〕等云云。又云く ̄夫一心 乃至 不可思議境。意在於此〔夫れ一心に 乃至 不可思議境と為す。意此に在り〕等云云。即身成仏と申すは此れ是れ也。近代の華厳・真言等、此の義を盗み取りて我が物と為す。大偸盗、天下の盗人是れ也。[p1453]
問て云く 凡夫の位も此の秘法の心を知るべきや。[p1453]
答ふ 私の答は詮無し。龍樹菩薩の大論に云く[九十三也] ̄今言漏尽阿羅漢還作仏唯仏能知。論議者正可論其事。不能測知。是故不応戯論。若求得仏時 乃能了知。余人可信。而未可知〔今、漏尽の阿羅漢還りて作仏すと言ふは、唯仏のみ能く知しめす。論議とは正しく其の事を論ずべし。測り知ることあたはず。是の故に戯論すべからず。若し仏を求め得る時、乃ち能く了知す。余人は信ずべし。而も未だ知るべからず〕等云云。此の釈は爾前の別教の十一品の断無明、円教の四十一品の断無明の大菩薩、普賢・文殊等も未だ法華経の意を知らず。何に況んや蔵通二教の三乗をや。何に況んや末代の凡夫をやと云う論文也。之を以て案ずるに、法華経の_唯仏与仏。乃能究了〔唯仏と仏とのみ乃し能く究了したまえり〕とは爾前の灰身滅智の二乗の煩悩業苦の三道を押さえて法身・般若・解脱と説くに二乗還りて作仏す。菩薩凡夫も亦是の如しと釈する也。故に天台の云く ̄二乗根敗名之為毒。今経得記即是変毒為薬。論云 余経非秘密 法華是秘密〔二乗の根敗、之を名づけて毒と為す。今経に記を得る、即ち是れ毒を変じて薬と為す。論に云く 余経は秘密に非ず、法華は是れ秘密なり〕等云云。妙楽云く ̄論云者大論也〔論云とは大論なり〕と云云。[p1453-1454]
問ふ 是の如く之を聞いて何の益有るや。[p1454]
答て云く 始めて法華経を聞く也。妙楽云く ̄若信三道即是三徳 尚能度於二死之河。況三界耶〔若し三道即ち是れ三徳と信ぜば尚お能く二死の河を度る。況んや三界をや〕と云云。末代の凡夫、此の法門を聞かば、唯我一人のみ成仏するに非ず、父母も又即身成仏せん。此れ第一の孝養也。病身たる之故に委細ならず。又々申すべし。[p1454]
建治四年[太歳戌寅]二月二十八日 日 蓮 花押[p1454]
富木殿[p1454]
#0278-0K0 弘安改元事 弘安元年(1278) [p1454]
弘安元年[太歳戌寅]、建治四年二月二十九日改元。疫病の故か。[p1454]
#0279-0K0 立正安国論(広本) 建治・弘安の交(1275-78) [p1455]
或文応元年(1260)
沙門日蓮勘
旅客来りて歎ひて曰く 近年より近日に至るまで天変・地夭・飢饉・疫癘、遍く天下に満ち広く地上に迸る。牛馬巷に斃れ骸骨路に充てり。死を招く之輩既に大半に超え、之を悲しまざるの族、敢えて一人も無し。然る間、或は利剣即是之文を専らにして西土教主之名を唱え、或は衆病悉除之願を恃みて東方如来之経を誦し、或は病即消滅不老不死之詞を仰ぎて法華真実之妙文を崇め、或は七難即滅七福即生之句を信じて百座百講之儀を調え、有は秘密真言之教に因って五瓶之水を灑ぎ、有は坐禅入定之儀を全うして、空観之月を澄まし、若しくは七鬼神之号を書して千門に押し、若しくは五大力之形を図して万戸に懸け、若しくは天神地祇を拝して四角四堺之祭祀を企て、若しくは万民百姓を哀れみて国主国宰之徳政を行う。然りと雖も唯肝膽を摧くのみにして弥いよ飢疫に逼り乞客目に溢れ死人眼に満てり。屍を臥して観と為し尸を竝べて橋と作す。観れば夫れ二離璧を合わせ、五緯珠を連ぬ。三宝世に在し百王未だ窮まらざるに、此の世早く衰へ、其の法何ぞ廃れたるや。是れ何なる禍に依り、是れ何なる誤りに由る矣。[p1455]
主人曰く 独り此の事を愁へて胸臆に憤・{ふんぴ}す。客来りて共に歎く、屡談話を致さん。夫れ出家して道に入るは法に依て仏を期する也。今神術も協わず、仏威も験し無し。具さに当世之体を覿るに、愚にして後生之疑を発す。然れば則ち、円覆を仰ぎて恨を呑み、方載に俯して慮を深くす。倩微管を傾け、聊か経文を披きたるに、世皆正に背き人悉く邪に帰す。故に善神国を捨て去り、聖人所を辞して還らず。是れを以て魔来り鬼来り災難竝び起る。言はずんばあるべからず。恐れずんばあるべからず。[p1455-1456]
客の曰く 天下之災・国中之難、余独り歎くに非ず衆皆悲めり。今蘭室に入て初めて芳詞を承るに、神聖去り辞し災難竝び起るとは何の経に出でたる哉。其の証拠を聞かん矣。[p1456]
主人の曰く 其の文繁多にして、其の証弘博なり。[p1456]
金光明経に云く_於其国土雖有此経未嘗流布。生捨離心不楽聴聞。亦不供養尊重讃歎。見四部衆持経之人亦復不能尊重乃至供養。遂令我等及余眷属無量諸天不得聞此甚深妙法 背甘露味失正法流 無有威光及以勢力。増長悪趣損減人天墜生死河乖涅槃路。世尊 我等四王竝諸眷属及薬叉等見如斯事 捨其国土無擁護心。非但我等捨棄是王。必有無量守護国土諸大善神皆悉捨離。既捨離已其国当有種種災禍喪失国位。一切人衆皆無善心 唯有繋縛殺害瞋諍 互相讒諂抂及無辜。疫病流行 彗星数出 両日竝現 薄蝕無恒 黒白二虹表不祥相 星流地動 井内発声 暴雨悪風不依時節 常遭飢饉苗実不成 多有他方怨賊侵掠国内 人民受諸苦悩土地無有所楽之処〔其の国土に於て此の経有りと雖も未だ嘗て流布せず。捨離の心を生じて聴聞せんことを楽はず。亦供養し尊重し讃歎せず。四部の衆、持経之人を見て亦復尊重し、乃至供養すること能わず。遂に我等及び余の眷属無量の諸天をして此の甚深の妙法を聞くことを得ずして、甘露の味に背き正法の流れを失ひ、威光及以勢力有ること無からしむ。悪趣を増長し人天を損減し生死の河に墜ちて涅槃の路に乖かん。世尊、我等四王竝びに諸の眷属及び薬叉等斯の如き事を見て、其の国土を捨てて擁護の心無けん。但我等のみ是の王を捨棄するに非ず。必ず無量の国土を守護する諸大善神有らんも皆悉く捨離せん。既に捨離し已りなば其の国当に種種の災禍有って国位を喪失すべし。一切の人衆皆善心無く、唯繋縛殺害瞋諍のみ有り、互いに相讒諂し、抂げて辜無きに及ばん。疫病流行し、彗星数出でて、両日竝び現じ、薄蝕恒無く、黒白の二虹不祥の相を表し、星流れ地動き、井の内に声発し、暴雨悪風時節に依らず、常に飢饉に遭って苗実成らず、多く他方の怨賊有って国内を侵掠し、人民諸の苦悩を受け土地所楽之処有ること無けん〕云云。[p1456]
大集経に云く 仏法実隠没髭髪爪皆長 諸法亦忘失。当時虚空中大声震於地 一切皆遍動猶如水上輪。城壁破落下 屋宇悉・拆 樹林根茎枝葉華葉菓薬尽。唯除浄居天欲界一切処七味三精気損減無有余 解脱諸善論当時一切尽。所生華菓味希少亦不美 諸有井泉池一切尽枯涸 土地悉鹹鹵 敵裂成丘澗 諸山皆・燃天龍不降雨 苗稼皆枯死生者皆死尽余草更不生。雨土皆昏闇日月不現明。四方皆亢旱 数現諸悪瑞十不善業道貪瞋癡倍増 衆生於父母観之如・鹿。衆生及寿命色力威楽滅 遠離人天楽 皆悉堕悪道。如是不善業悪王悪比丘毀壊我正法 損減天人道 諸天善神王悲愍衆生者棄此濁悪国皆悉向余方〔仏法実に隠没せば髭髪爪皆長く、諸法も亦忘失せん。当時虚空中に大なる声ありて地に震い、一切皆遍く動ぜんこと猶お水上輪の如くならん。城壁破れ落ち下り、屋宇悉く・{やぶ}れ拆け、樹林の根、茎、枝、葉、華葉、菓、薬尽きん。唯浄居天を除きて欲界一切処の七味三精気損減して余有ること無く、解脱の諸の善論当時一切尽きん。生ずる所の華菓の味希少にして亦美からず、諸有の井泉池一切尽く枯涸し、土地悉く鹹鹵し、敵裂して丘澗と成り、諸山皆・燃{しょうねん}して天龍雨を降らさず、苗稼皆枯死し、生者皆死尽くして余艸更に生ぜず。土を雨し、皆昏闇にして日月明を現ぜず。四方皆亢旱し、数諸の悪瑞を現じ、十不善業道、貪瞋癡倍増し、衆生の父母に於ける之を観ること・鹿{しょうろく}の如くならん。衆生及寿命色力威楽滅し、人天の楽を遠離し、皆悉く悪道に堕せん。是の如き不善業の悪王悪比丘我正法を毀壊し、天人の道を損減し、諸天善神王衆生を悲愍する者此の濁悪の国を棄てて皆悉く余方に向かはん〕云云。[p1456-1457]
仁王経に云く_国土乱時先鬼神乱。鬼神乱故万民乱。賊来劫国 百姓亡喪 臣君太子王子百官共生是非。天地怪異 二十八宿星道日月失時失度 多有賊起。〔国土乱れん時は先づ鬼神乱る。鬼神乱るるが故に万民乱る。賊来りて国を劫し、百姓亡喪し、臣君、太子、王子、百官共に是非を生ぜん。天地怪異し、二十八宿、星道、日月時を失ひ度を失ひ、多く賊の起ること有らん〕と。亦云く_我今五眼明見三世 一切国王皆由過去世侍五百仏得為帝王主。是為一切聖人羅漢而為来生彼国土中作大利益。若王福尽時一切聖人皆為捨去。若一切聖人去時七難必起〔我今五眼をもて明らかに三世を見るに、一切の国王は皆過去の世に五百の仏に侍えしに由りて、帝王主と為ることを得たり。是れを為て一切の聖人・羅漢而も為に彼の国土の中に来生して大利益を作さん。若し王の福尽きん時は一切の聖人皆為捨て去らん。若し一切の聖人去らん時は七難必ず起こらん〕云云。[p1457]
薬師経に云く_若刹帝利潅頂王等災難起時 所謂人衆疾疫難 他国侵逼難 自界叛逆難 星宿変怪難 日月薄蝕難 非時風雨難 過時不雨難〔若し刹帝利・潅頂王等の災難起こらん時、所謂、人衆疾疫の難・他国侵逼の難・自界叛逆の難・星宿変怪の難・日月薄蝕の難・非時風雨の難・過時不雨の難あらん〕云云。[p1457]
仁王経に云く_大王 吾今所化百億須弥百億日月 一一須弥有四天下。其南閻浮提有十六大国 五百中国 十千小国 其国土中有七可畏難。一切国王為是難故。云何為難 日月失度時節返逆 或赤日出 黒日出 二三四五日出 或日蝕無光 或日輪一重二三四五重輪現為一難也。二十八宿失度 金星 彗星 輪星 鬼星 火星 水星 風星 ・星 南斗 北斗五鎮大星 一切国主星 三公星 百官星 如是諸星各各変現為二難也。大火焼国万姓焼尽 或鬼火 天火 山神火 人火 樹木火 賊火。如是変怪為三難也。大水・没百姓 時節返逆冬雨 夏雪 冬時雷電霹・ 六月雨氷霜雹 雨赤水 黒水 青水 雨土山 石山 雨沙礫石 江河逆流 浮山流石。如是変時為四難也。大風吹殺万姓 国土山河樹木一時滅没 非時大風 黒風 赤風 青風 天風 地風 火風 水風 如是変為五難也。天地国土亢陽炎火洞燃百草亢旱五穀不登。土地赫燃万姓滅尽。如是変時為六難也。四方賊来侵国 内外賊起 火賊 水賊 風賊 鬼賊 百姓荒乱刀兵劫起。如是怪時為七難也[p1457-1458]
〔大王、吾が今化する所の百億の須弥百億の日月、一一の須弥に四天下有り。其の南閻浮提に十六の大国・五百の中国・十千の小国有り、其の国土の中に七の畏るべき難有り。一切の国王是れを難と為すが故に。云何なるを難と為す。日月度を失ひ時節返逆し、或は赤日出でて、黒日出でて、二三四五の日出でて、或は日蝕して光無く、或は日輪一重二三四五重輪現ずるを一の難と為すなり。二十八宿度を失ひ、金星・彗星・輪星・鬼星・火星・水星・風星・・星{ちょうせい}・南斗・北斗五鎮の大星・一切の国主星・三公星・百官星、是の如き諸星、各各変現するを二の難と為すなり。大火国を焼き万姓焼尽し、或は鬼火・天火・山神火・人火・樹木火・賊火あらん。是の如く変怪するを三の難と為すなり。大水百姓を・没{ひょうもつ}し、時節返逆して冬雨ふり、夏雪ふり、冬の時に雷電霹・し、六月に氷霜雹を雨し、赤水・黒水・青水を雨し、土山・石山を雨し、沙、礫、石を雨し、江河逆に流れ、山を浮べ石を流す。是の如く変ずる時を四の難と為すなり。大風万姓を吹き殺し、国土山河樹木一時に滅没し、非時の大風・黒風・赤風・青風・天風・地風・火風・水風、是の如く変するを五の難と為すなり。天地国土亢陽し、炎火洞燃して百草亢旱し、五穀登らず。土地赫燃して万姓滅尽せん。是の如く変する時を六の難と為すなり。四方の賊来りて国を侵し、内外の賊起り、火賊・水賊・風賊・鬼賊ありて、百姓荒乱し刀兵劫起こせん。是の如く怪する時を七の難と為すなり〕。[p1457-1458]
大集経に云く_若有国王於無量世修施戒慧 見我法滅捨不擁護 如是所種無量善根悉皆滅失 其国当有三不祥事。一者穀貴 二者兵革三者疫病。一切善神悉捨離之 其王教令人不随従、常為隣国之所侵・。暴火横起 多悪風雨 雨水増長吹・人民、内外親戚其共謀叛。其王不久当遇重病寿終之後生大地獄 乃至 如王夫人 太子 大臣 城主 柱師 郡守 宰官亦復如是〔若し国王有り無量世に於て施戒慧を修すとも、我法の滅せんを見て捨てて擁護せずんば、是の如く種うる所の無量の善根悉く皆滅失して、其の国当に三の不祥事有るべし。一には穀貴・二には兵革・三には疫病なり。一切の善神悉く之を捨離せば、其の王教令すとも人随従せず、常に隣国の為に之侵・{しんにょう}せられん。暴火横に起り、悪風雨多く、雨水増長して人民を吹・{すいひょう}し、内外の親戚其れ共に謀叛せん。其の王久しからずして当に重病に遇い寿終之後、大地獄に生ずべし。乃至、王の如く夫人・太子・大臣・城主・柱師・郡守・宰官も亦復是の如くならん〕[已上経文]。[p1458-1459]
夫れ四経の文朗かなり。万民誰か疑はん。而るに盲瞽之輩迷惑之人、妄りに邪説を信じて正教を弁へず。故に天下世上、諸仏衆経に於て捨離之心を生じて擁護之志無し。仍て善神聖人国を捨て所を去る。是れを以て悪鬼外道災を成し難を致すなり矣。[p1459]
客色を作して曰く 後漢の明帝は金人之夢を悟りて白馬之教を得、上宮太子は守屋之逆を誅して寺塔之構を成す。爾来、上一人より下万民に至るまで、仏像を崇め経巻を専らにす。然れば則ち叡山・南都・園城・東寺・四海・一州・五畿・七道、仏経星のごとく羅り堂宇雲のごとく布けり。・子{しゅうし}之族は則ち鷲頭之月を観じ、鶴勒之流れは亦鶏足之風を伝ふ。誰か一代之教を褊し三宝之跡を廃すと謂はん哉。若し其の証有らば委しく其の故を聞かん矣。[p1459]
主人諭して曰く 仏閣甍を連ね、経蔵軒を竝べ、僧は竹葦の如く、侶は稲麻に似たり。崇重年旧り尊貴日に新たなり。但し法師は諂曲にして人倫に迷惑し、王臣は不覚にして邪正を弁ずること無し。[p1459]
仁王経に云く_諸悪比丘多求名利於国王太子王子前自説破仏法因縁破国因縁。其王不別信聴此語横作法制不依仏戒〔諸の悪比丘、多く名利を求め、国王・太子・王子の前に於て、自ら破仏法の因縁・破国の因縁を説かん。其の王別えずして此の語を信聴し、横に法制を作りて仏戒に依らず〕云云。[p1459]
守護経に云く_大王 此悪沙門破戒行悪 ・穢一切族姓之家 向於国王大臣官長 論説毀謗真実沙門 横言是非。乃至 一寺同一国邑一切悪事 皆推与彼真実沙門 蒙蔽国王大臣官長 遂令駈逐真実沙門 尽出国界。其破戒者自在遊行 而与国王大臣官長 共為親厚〔大王、此の悪沙門は戒を破し悪を行じ、一切族姓の家を・穢し、国王・大臣・官長に向ひて真実の沙門を論説し毀謗し、横まに是非を言ふ。乃至、一寺同一国邑の一切の悪事、皆彼の真実の沙門に推与し、国王・大臣・官長を蒙蔽して遂に真実の沙門を駈逐し、尽く国界を出ださしむ。其の破戒の者自在に遊行して、国王・大臣・官長と共に親厚を為さんとす〕云云。[p1459-1460]
又云く_風雨不節 旱・不調 飢饉相仍 寃敵侵擾 疾疫災難 無量百千〔風雨節ならず、旱・調はず、飢饉相仍り、寃敵侵擾し、疾疫災難、無量百千ならん〕[p1460]
又云く_彼釈迦牟尼如来所有教法一切天魔・外道・悪人・五通神仙皆不破戒乃至小分。而此名相諸悪沙門皆悉毀滅令無有余。如須弥山仮使於尽三千界中草木為薪 長時焚焼一毫無損。若劫火起火従内生須臾焼滅無余灰燼〔彼釈迦牟尼如来所有の教法は一切の天魔・外道・悪人・五通の神仙皆乃至小分をも破壊せず。而るに此の名相の諸の悪沙門皆悉く毀滅して余り有ること無からしむ。須弥山をたとい三千界の中の草木を尽くして薪と為し、長時に焚焼すとも一毫も損すること無し。若し劫火起きて火内より生じ須臾も焼滅せんには灰燼をも余す無きが如し〕云云。[p1460]
最勝王経に云く_見行非法者当生愛敬 於行善法人苦楚而治罰。由愛敬悪人治罰善人故 星宿及風雨皆不以時行〔非法を行ずる者を見て当に愛敬をなし、善法を行ずる人に於て苦楚して而も治罰す。悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に、星宿及び風雨皆時を以て行はれず〕。[p1460]
又云く_三十三天衆 咸生忿怒心。此因損国政 諂偽行世間 悪風起無恒 暴雨非時下〔三十三天の衆みな忿怒の心を生ず。此に因りて国政を損し、諂偽世間に行はれ、悪風起ること恒無く、暴雨時に非ずして下らん〕[p1460]
又云く_彼諸天王衆 共作如是言 此王作非法 悪輩相親附。王位不久安 諸天皆忿恨。由彼懐忿故 其国当敗亡。天主不護念 余天咸捨棄 国土当滅亡。王身受苦厄 父母及妻子 兄弟竝姉妹 倶遭愛別離 乃至身亡歿。変怪流星堕 二日倶時出 他方怨賊来 国人遭喪乱〔彼の諸の天王衆、共に是の如き言を作さく、此の王非法を作し、悪輩相親附す。王位久しく安ぜず、諸天皆忿恨す。彼、忿を懐くに由るが故に其の国当に敗亡す。天主護念せず。余天咸く国土を捨棄し当に滅亡す。王の身苦厄を受け、父母及び妻子兄弟、竝びに姉妹、倶に愛別離に遭ひ、乃至身亡歿せん。変怪流星堕ち、二つの日倶時に出て、他方の怨賊来りて国人喪乱に遭はん〕云云。[p1460]
大集経に云く_若復有諸刹利国王作諸非法悩乱世尊声聞弟子 若以毀罵刀杖打斫及奪衣鉢種種資具 若他給施作留難者我等令彼自然卒起他方怨敵 及自界国土亦令兵起病疫飢饉非時風雨闘諍言訟。又令其王不久復当亡失己国〔若しは復諸の刹利国王有て諸の非法を作して世尊の声聞の弟子を悩乱し、若しは以て毀罵し刀杖をもて打斫し及び衣鉢種種の資具を奪ひ、若しは他の給施せんに留難を作さば我等彼をして自然に他方の怨敵を卒起せしめん、及び自界の国土にも亦兵起り病疫飢饉し非時の風雨闘諍言訟せしめん。又其王をして久しからざらしめ復当に己が国を亡失す〕云云。[p1460]
大涅槃経に云く_善男子 如来正法将欲滅尽。爾時多有行悪比丘 不知如来微密之蔵。譬如癡賊棄捨真実担負草・。不解如来微密蔵故於是経中懈怠不勤。哀哉 大険当来之世 甚可怖畏。諸悪比丘抄略是経分作多分 能滅正法色香美味。是諸悪人雖復読誦如是経典滅除如来深密要義安置世間荘厳文飾無義之語。抄前著後抄後著前前後著中中著前後。当知如是諸悪比丘是魔伴侶〔善男子、如来の正法将に滅尽せんと欲す。爾時に多く行悪の比丘有らん、如来微密の蔵を知らず。譬へば癡賊の真実を棄捨し草・を担負するが如し。如来微密の蔵を解らざる故に、是の経の中に於て懈怠して勤めず。哀しいかな、大険当来の世、甚だ怖畏すべし。諸の悪比丘是の経を抄略して分けて多分と作し、能く正法の色香美味を滅すべし。是の諸の悪人復是の如き経典を読誦すと雖も、如来の深密の要義を滅除して世間の荘厳の文飾無義の語を安置す。前を抄して後ろに著け、後ろを抄して前に著け、前後を中に著け、中を前後に著く。当に知るべし、是の如きの諸の悪比丘は是れ魔の伴侶なり〕。[p1460-1461]
又云く_菩薩~ 於悪象等心無怖畏。於悪知識生怖畏心。~ 為悪象殺不至三趣。為悪友殺必至三趣〔菩薩~、悪象等に於ては心に怖畏すること無かれ。悪知識に於ては怖畏の心を生ぜよ。~ 悪象の為に殺されては三趣に至らず。悪友の為に殺されては必ず三趣に至る〕。[p1461]
涅槃経に云く_我涅槃後無量百歳四道聖人悉復涅槃。正法滅後於像法中当有比丘。似像持律少読誦経 貪嗜飲食長養其身 雖著袈裟猶如猟師細視徐行如猫伺鼠。常唱是言我得羅漢。外現賢善内懐貪嫉。如受唖法婆羅門。実非沙門現沙門像 邪見熾盛誹謗正法〔我涅槃の後、無量百歳に四道の聖人悉く復涅槃せん。正法滅して後、像法の中に於て当に比丘有るべし。像を持律に似せて少かに経を読誦し、飲食を貧嗜して其の身を長養し、袈裟を著すと雖も、猶お猟師の細めに視て徐に行くが如く猫の鼠を伺うが如し。常に是の言を唱えん、我羅漢を得たりと。外には賢善を現じ、内には貧嫉を懐く。唖法を受くる婆羅門の如し。実には沙門に非ずして沙門の像を現じ、邪見熾盛にして正法を誹謗せん〕。[p1461]
法華経に云く_有諸無智人 悪口罵詈等 及加刀杖者 我等皆当忍悪世中比丘 邪智心諂曲 未得謂為得 我慢心充満 或有阿練若 納衣在空閑 自謂行真道 軽賎人間者 貪著利養故 与白衣説法 為世所恭敬 如六通羅漢 乃至 常在大衆中 欲毀我等故 向国王大臣 婆羅門居士 及余比丘衆 誹謗説我悪 謂是邪見人 説外道論議 ~ 濁劫悪世中 多有諸恐怖 悪鬼入其身 罵詈毀辱我 ~ 濁世悪比丘 不知仏方便 随宜所説法 悪口而顰蹙 数数見擯出〔諸の無智の人 悪口罵詈等し 及び刀杖を加うる者あらん 我等皆当に忍ぶべし 悪世の中の比丘は 邪智にして心諂曲に 未だ得ざるを為れ得たりと謂ひ 我慢の心充満せん 或は阿練若に 納衣にして空閑に在って 自ら真の道を行ずと謂うて 人間を軽賎する者あらん 利養に貪著するが故に 白衣のために法を説いて 世に恭敬せらるること 六通の羅漢の如くならん 乃至 常に大衆の中に在って 我等を毀らんと欲するが故に 国王大臣 婆羅門居士 及び余の比丘衆に向って 誹謗して我が悪を説いて 是れ邪見の人 外道の論議を説くと謂はん ~ 濁劫悪世の中には 多くの諸の恐怖あらん 悪鬼其の身に入って 我を罵詈毀辱せん ~ 濁世の悪比丘は 仏の方便 随宜所説の法を知らず 悪口して顰蹙し 数数擯出せられ〕云云。[p1461-1462]
涅槃経に云く_善男子 有一闡提 作羅漢像 住於空処 誹謗方等大乗経典。諸凡夫人見已皆謂真阿羅漢是大菩薩〔善男子 一闡提有り、羅漢の像を作して、空処に住し、方等大乗経典を誹謗せん。諸の凡夫人、見已って、皆真の阿羅漢、是れ大菩薩なりと謂はん〕云云。[p1462]
般泥・経に云く_有似羅漢一闡提而行悪業。似一闡提阿羅漢而作慈心。有似羅漢一闡提者是諸衆生誹謗方等。似一闡提阿羅漢者毀呰声聞広説方等。語衆生言我与如来倶是菩薩。所以者何。一切皆有如来性故。然彼衆生謂一闡提〔羅漢に似たる一闡提有って悪業を行ず。一闡提に似たる阿羅漢あって慈心を作さん。羅漢に似たる一闡提有りとは、是の諸の衆生、方等を誹謗せるなり。一闡提に似たる阿羅漢とは、声聞を毀呰し、広く方等を説くなり。衆生を語って言く 我、如来と倶に是れ菩薩なり。所以は何ん。一切皆如来の性有る故に。然も彼の衆生、一闡提なりと謂はん〕云云。[p1462]
又云く_不見究竟処者 永不見彼一闡提輩究竟悪。亦不見彼無量生死究竟之処〔究竟の処を見ずとは、永く彼の一闡提の輩、究竟の悪を見ず。亦彼の無量の生死究竟の処を見ざるなり〕[已上経文]。[p1462]
文に就いて世を見るに、誠に以て然なり。悪侶を誡めざれば、豈に善事を成さん哉。[p1462]
客猶お憤りて曰く 明王は天地に因って化を成し、聖人は理非を察して世を治む。世上之僧侶は天下之帰する所也。悪侶に於ては明王信ずべからず。聖人に非ずんば賢哲仰ぐべからず。今賢聖之尊重せるを以て、則ち龍象之軽からざるを知る。何ぞ妄言を吐きて強ちに誹謗を成さん。誰人を以て悪比丘と謂う哉。委細聞かんと欲す矣。[p1462]
主人の曰く 客の疑ひに付いて重重の子細有りと雖も繁を厭ふて多事を止め、且く一を出ださん、万を察せよ。後鳥羽院の御宇に法然といふもの有り。選択集を作る矣。則ち一代之聖教を破し遍く十方之衆生を迷はす。[p1462]
其の選択に云く ̄道綽禅師立聖道浄土二門而捨聖道正帰浄土之文。初聖道門者就之有二 乃至 準之思之応存密大及以実大。然則今真言 仏心 天台 華厳 三論 法相 地論 摂論 此等八家之意正在此也。曇鸞法師往生論註云 謹案龍樹菩薩十住・婆沙論云 菩薩求阿・跋致有二種道。一者難行道二者易行道。此中難行道者即是聖道門也。易行道者即是浄土門也。浄土宗学者先須知此旨。設雖先学聖道門人若於浄土門有其志者須棄聖道帰於浄土。〔道綽禅師、聖道・浄土の二門を立て、聖道を捨てて正しく浄土に帰する之文。初に聖道門とは、之に就て二有り。乃至 之に准じて之を思ふに、応に密大及以び実大をも存すべし。然れば則ち今の真言・仏心・天台・華厳・三論・法相・地論・摂論・此れ等八家之意、正しく此に在る也。曇鸞法師の往生論註に云く 謹んで龍樹菩薩の十住毘婆沙論を案ずるに云く 菩薩阿毘跋致を求むるに二種の道有り。一には難行道・二には易行道なり。此の中に難行道とは即ち是れ聖道門也。易行道とは即ち是れ浄土門也。浄土宗の学者先づ須らく此の旨を知るべし。設ひ先より聖道門を学ぶ人なりと雖も若し浄土門に於て其の志有らん者は須らく聖道を棄てて浄土に帰すべし〕。[p1462-1463]
又云く ̄善導和尚立正雑二行捨雑行帰正行之文。第一読誦雑行者除上観経等往生浄土経已外 於大小乗顕密諸経受持読誦悉名読誦雑行。第三礼拝雑行者除上礼拝弥陀已外於一切諸仏菩薩等及諸世天等礼拝恭敬 悉名礼拝雑行。私云 見此文須捨雑修専。豈捨百即百生専修正行堅執千中無一雑修雑行乎。行者能思量之。〔善導和尚、正・雑二行を立て雑行を捨てて正行に帰する之文。第一に読誦雑行とは上の観経等の往生浄土の経を除きて已外、大小乗顕密の諸経に於て、受持読誦するを悉く読誦雑行と名づく。第三に礼拝雑行とは上の弥陀を礼拝するを除きて已外、一切の諸仏菩薩等及び諸の世天等に於て礼拝恭敬するを悉く礼拝雑行と名づく。私に云く 此の文を見るに須らく雑を捨てて専を修すべし。豈に百即百生の専修正行を捨てて、堅く千中無一の雑修雑行に執せん乎。行者能く之を思量せよ〕と。[p1463]
又云く ̄貞元入蔵録中始自大般若経六百巻終于法常住経 顕密大乗経惣六百三十七部二千八百八十三巻也。皆須摂読誦大乗之一句。当知随他之前暫雖開定散門 随自之後還閉定散門。一開以後永不閉者唯是念仏一門〔貞元入蔵録の中に始め大般若経六百巻より法常住経に終わるまで顕密の大乗経総じて六百三十七部・二千八百八十三巻也。皆須らく読誦大乗之一句に摂すべし。当に知るべし、随他之前には暫く定散の門を開くと雖も、随自之後には還て定散の門を閉ず。一たび開いて以後永く閉じざるは、唯是れ念仏の一門なり〕と。[p1463]
又云く ̄念仏行者必可具足三心之文。観無量寿経云 ~ 同経疏云 ~ 問曰 若有解行不同邪雑人等 ~ 防外邪異見難之。或行一分二分群賊等喚廻者 即喩別解別行悪見人等。私云 又云 此中言一切別解別行異学異見等者是指聖道門〔念仏の行者必ず三心を具足すべき之文。観無量寿経に云く ~ 同経の疏に云く ~ 問うて曰く 若し解行の不同、邪雑の人等有って ~ 外邪異見之難を防がん。或は行くこと一分二分にして群賊等喚び廻すとは、即ち別解・別行・悪見の人等に喩う。私に云く 又云く 此の中に一切の別解・別行・異学・異見等と言うは、是れ聖道門を指すなり〕。[p1463]
又最後結句の文に云く ̄夫速欲離生死 二種勝法中且閣聖道門選入浄土門。欲入浄土門 正雑二行中且抛諸雑行選応帰正行〔夫れ速やかに生死を離れんと欲せば、二種の勝法の中に且く聖道門を閣きて選んで浄土門に入れ。浄土門に入らんと欲せば、正・雑二行の中に且く諸の雑行を抛ちて選んで応に正行に帰すべし〕[已上]。[p1463-1464]
之に就いて之を見るに、曇鸞・道綽・善導之謬釈を引いて聖道浄土・難行易行之旨を建て、法華・真言、惣じて一代之大乗六百三十七部・二千八百八十三巻、竝びに一切の諸仏菩薩及び諸に世天等を以て皆聖道・難行・雑行等に摂して、或は捨て、或は閉じ、或は閣き、或は抛つ。此の四字を以て多く一切を迷はし、剰へ三国之聖僧、十方之仏弟を以て、皆群賊と号し併せて罵詈せしむ。近くは所依の浄土三部経の唯除五逆誹謗正法の誓文に背き、遠くは一代五時之肝心たる法華経の第二の_若人不信 毀謗此経 乃至 其人命終 入阿鼻獄〔若し人信ぜずして 此の経を毀謗せば 乃至 其の人命終して 阿鼻獄に入らん〕の誡文に迷ふ者也。於是に、代末代に及び、人聖人に非ず。各冥衢に容りて、竝びに直道を忘る。悲しい哉、瞳矇を・たず。痛しい哉、徒に邪信を催す。故に上国王より下土民に至るまで、皆経は浄土三部之外の経無く、仏は弥陀三尊之外の仏無しと謂えり。仍って伝教・弘法・慈覚・智証等、或は万里之波涛を渉りて渡せし所之聖教、或は一朝之山川を回りて崇むる所之仏像、若しは高山之巓に華界を建てて以て安置し、若しは深谷之底に蓮宮を起てて以て崇重す。釈迦薬師之光を竝ぶる也。威を現当に施し、虚空地蔵之化を成す也。益を生後に被らしむ。故に国主は郡郷を寄せて以て燈燭を明らかにし、地頭は田園を充てて以て供養に備ふ。而るを法然之選択に依て則ち教主を忘れて西土之仏駄を貴び、付属を抛ちて東方之如来を閣き、唯四巻三部之経典を専らにして空しく一代五時之妙典を抛つ。是れを以て弥陀之堂に非ざれば皆供仏之志を止め、念仏之者に非ざれば早く施僧之懐ひを忘る。故に仏堂零落して瓦松之煙老い、僧房荒廃して庭草之露深し。然りと雖も各護惜之心を捨てて竝びに建立之思ひを廃す。是れを以て住持の聖僧行きて帰らず。守護の善神去りて来ること無し。是れ偏に法然之選択に依る也。悲しい哉、数十年之間百千万之人、魔縁に蕩されて多く仏教に迷へり。傍を好んで正を忘る。善神怒りを為さざらん哉。円を捨てて偏を好む。悪鬼便りを得ざらん哉。如かず、彼の万祈を修せんより、此の一凶を禁ぜんには矣。[p1464-1465]
客殊に色を作して曰く 我が本師釈迦文浄土の三部経を説きたまふてより以来、曇鸞法師は四論の講説を捨てて一向に浄土に帰し、道綽禅師は涅槃の広業を閣きて、偏に西方の行業を弘め、善導和尚は法華の雑行を抛ちて観経の専修に入り、恵心僧都は諸経之要文を集めて念仏之一行を宗とし、永観律師は顕密の二門を閉じて念仏の一道に入る。弥陀を貴重すること誠に以て然なり矣。又往生之人其れ幾ばくぞ哉。就中、法然聖人幼少にして叡山に昇り、十七にして六十巻に渉り、竝びに八宗を究め、具さに大意を得たり。其の外一切の経論七遍反覆し、章疏伝記究めざること莫く、智は日月に斉しく徳は先師に越えたり。然りと雖も、猶お出離之趣に迷ひ、涅槃之旨を弁へず。故に遍く覿、悉く鑒み、深く思ひ、遠く慮り、遂に諸経を抛ちて、専ら念仏を修す。其の上一夢之霊応を蒙り四裔之親疎に弘む。故に或は勢至之化身と号し、或は善導之再誕と仰ぐ。然れば則ち十方の貴賎頭を低れ、一朝の男女歩を運ぶ。爾来春秋推し移り、星霜相積もれり。而るに忝なくも釈尊之教えを疎にして、恣に弥陀之文を譏る。何ぞ近年之災を以て聖代之時に課せ、強ちに先師を毀り更に聖人を罵るや。毛を吹きて・を求め、皮を剪りて血を出だす。昔より今に至るまで、此の如き悪言を未だ見ず、惶るべし慎むべし。罪業至って重し。科條争でか遁れん。対座猶お以て恐れ有り、杖を携えて則ち帰らんと欲す矣。[p1465]
主人咲み止めて曰く 辛きを蓼葉に習ひ、臭きを溷厠に忘る。善言を聞きて悪言と思ひ、謗者を指して聖人と謂ひ、正師を疑ふて悪侶に擬す。其の迷ひ誠に深く、其の罪浅からず。事の起りを聞け。委しく其の趣を談ぜん。[p1466]
釈尊説法之内、一代五時之間、先後を立てて権実を弁へず。而るに曇鸞・道綽・善導等 既に権に就いて実を忘れ、先に依て後を捨つ。未だ仏教の淵底を探らざる者なり。就中、法然其の流れを酌むと雖も、其の源を知らず。所以は何ん。大乗経六百三十七部・二千八百八十三巻、竝びに一切の諸仏菩薩、及び諸の世天等を以て捨閉閣抛之字を置いて、一切衆生之心を薄す。是れ偏に私曲之詞を展べて、全く仏経之説を見ず。妄語之至り、悪口之科、言ひても比い無く責めても余り有り。具さに事の心を案ずるに 慈恩・弘法の三乗真実一乗方便・望後作戯論之邪義に超過し、光宅・法蔵の涅槃正見法華邪見・寂場本教鷲峯末教之悪見に超出せり。大慢婆羅門の蘇生歟。無垢論師之再誕歟。毒蛇を恐怖し、悪賊を遠離す。破仏法の因縁、破国の因縁之金言是れ也。而るに人皆其の妄語を信じ、悉く彼の選択を貴ぶ。故に浄土之三経を崇めて衆経を抛ち、極楽之一仏を仰ぎて諸仏を忘る。誠に是れ諸仏諸経之怨敵、聖僧衆人之讎敵也。此の邪教広く八荒に弘まり周く十方に偏す。[p1466]
抑そも近年之災を以て往代を難する之由、強ちに之を恐る。聊か先例を引いて汝の迷ひを悟すべし。止観の第二に史記を引いて云く ̄周末有被髪袒身不依礼度者〔周の末に被髪袒身にして礼度に依らざる者有り〕。弘決の第二に此の文を釈するに左伝を引いて云く ̄初平王之東遷也 伊川見被髪者而於野祭。識者曰 不及百年其礼先亡。爰知。徴前顕災後致。又阮籍逸才蓬頭散帯。後公卿子孫皆教之 奴苟相辱者方達自然 ・節兢持者呼為田舎。為司馬氏滅相〔初め平王之東遷するや、伊川に髪を被る者野に於て祭るを見る。識者の曰く 百年に及ばずして、其の礼先づ亡びぬと。爰に知んぬ。徴前に顕れ災後に致ることを。又阮籍逸才にして蓬頭散帯す。後に公卿の子孫皆之に教い、奴苟相辱しむる者を方に自然に達すといい、・節{そんせつ}兢持する者を呼んで、田舎と為す。司馬氏の滅ぶる相と為す〕。[p1466-1467]
又、慈覚大師の入唐巡礼記を案ずるに云く ̄唐武宗皇帝會昌元年 敕令章敬寺鏡霜法師於諸寺伝弥陀念仏教。毎寺三日巡輪不絶。同二年 回鶻国之軍兵等侵唐堺。同三年 河北之節度使忽起乱。其後大蕃国更拒命回鶻国重奪地。凡兵乱同秦項之代 災火起邑里之際。何況武宗大破仏法多滅寺塔。不能撥乱遂以有事〔唐の武宗皇帝會昌元年、敕して章敬寺の鏡霜法師をして、諸寺に於て弥陀念仏の教を伝えしむ。寺毎に三日巡輪すること絶えず。同二年、回鶻国之軍兵等唐の堺を侵す。同三年、河北之節度使忽ち乱を起こす。其の後、大蕃国更命を拒み回鶻国重ねて地を奪う。凡そ兵乱秦項之代に同じく、災火邑里之際に起る。何に況んや武宗大に仏法を破し、多く寺塔を滅す、乱を撥ること能わずして遂に以て事有り〕[已上取意]。[p1467]
此れを以て之を惟ふに、法然は、後鳥羽院の御宇、建仁年中之者也。彼の院の御事既に眼前に在り。然れば則ち大唐に例を残し吾が朝に証を顕す。汝疑ふこと莫れ、汝怪しむこと莫れ。唯須らく凶を捨てて善に帰し、源を塞ぎ根を截るべし矣。[p1467]
客聊か和らぎて曰く 未だ淵底を極めざれども数其の趣を知る。但し華洛より柳営に至るまで、釈門に樞・{すうけん}在り、仏家に棟梁在り。然而れども未だ勘状を進らせず、上奏に及ばず。汝賎身を以て輙く莠言を吐く。其の義余り有り。其の理謂れ無し。[p1467]
主人の曰く 予、少量為りと雖も忝なくも大乗を学す。蒼蝿驥尾に附して万里を渡り、碧蘿松頭に懸かりて千尋を延ぶ。弟子一仏之子と生れ諸経之王に事ふ。何ぞ仏法之衰微を見て、心情之哀惜を起さざらんや。[p1467]
法華経に云く_薬王今告汝 我所説諸経 而於此経中 法華最第一〔薬王今汝に告ぐ 我が所説の諸経 而も此の経の中に於て 法華最も第一なり〕と。又云く_我所説経典。無量千万億。已説。今説。当説。而於其中。此法華経。最為難信難解〔我が所説の経典無量千万億にして、已に説き今説き当に説かん。而も其の中に於て此の法華経最も為れ難信難解なり〕と。又云く_文殊師利。此法華経。諸仏如来。秘密之蔵。於諸経中。最在其上〔文殊師利、此の法華経は諸仏如来の秘密の蔵なり。諸経の中に於て最も其の上にあり〕と。又云く_衆山之中。須弥山為第一。~ 衆星之中。月天子。最為第一。~ 又如日天子。能除諸闇。~ 又如大梵天王。一切衆生之父。~ 有能受持。是経典者。亦復如是。於一切衆生中。亦為第一〔衆山の中に、須弥山為れ第一 ~ 衆星の中に月天子最も為れ第一 ~ 又日天子の能く諸の闇を除くが如く、~ 又大梵天王の一切衆生の父なるが如く、~ 一切衆生の中に於て亦為れ第一なり〕と。[p1467-1468]
大涅槃経に云く_若善比丘 見壊法者 置不呵責 駈遣挙処 当知是人 仏法中怨。若能駈遣 呵責挙処 是我弟子 真声聞也〔若し善比丘ありて法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば、当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり。若し能く駈遣し呵責し挙処せば、是れ我が弟子、真の声聞也〕と。[p1468]
法華経に云く_我不愛身命 但惜無上道〔我身命を愛せず 但無上道を惜む〕と。[p1468]
大涅槃経に云く_譬如王使 善能談論 巧於方便 奉命他国 寧喪身命 終不匿王所説言教。智者亦爾。於凡夫中不惜身命 要必宣説 大乗方等 如来秘蔵 一切衆生 皆有仏性〔譬へば王の使の善能く談論して、方便に巧みなる、命を他国に奉くるに寧ろ身命を喪ふとも終に王の所説の言教を匿さざるがごとし。智者も亦爾なり。凡夫の中に於て身命を惜しまず。かならず大乗方等、如来の秘蔵、一切衆生、皆仏性有りと宣説すべし〕[已上経文]。[p1468]
余、善比丘之身為らずと雖も、仏法中怨之責めを遁れんが為に、唯大綱を撮て粗一端を示す。其の上、去る元仁年中に、延暦・興福の両寺より、度々奏聞を経、勅宣御教書を申し下して、法然の選択の印板を大講堂に取り上げ、三世の仏恩を報ぜんが為に之を焼失せしむ。法然之墓所に於ては、感神院の犬神人に仰せ付けて破却せしむ。其の門弟、隆観・聖光・成覚・薩生等は遠国に配流し、其の後未だ御勘気を許されず。豈に未だ勘状を進らせずと云はん也。[p1468]
客則ち和らぎて曰く 経を下し僧を謗ずること、一人として論じ難し。然而れども大乗経六百三十七部・二千八百八十三巻、竝びに一切の諸仏・菩薩・及び諸の世天等を以て、捨閉閣抛の四字に載す。詞は勿論也。其の文顕然也。此の瑕瑾を守りて其の誹謗を成す。迷ふて言う歟、覚りて語る歟、愚賢弁へず、是非定め難し。但し災難之起りは選択に因る之由、盛んに其の詞を増し、弥いよ其の旨を談ず。所詮天下泰平国土安穏は君臣の楽ふ所、土民の思ふ所也。夫れ国は法に依て昌へ、法は人に因って貴し。国亡び人滅せば、仏を誰か崇むべき。法を誰か信ずべき哉。先づ国家を祈りて須らく仏法を立つべし。若し災を消し難を止むるの術有らば聞かんと欲す。[p1468-1469]
主人の曰く 余は是れ頑愚にして敢えて賢を存せず。唯経文に就いて聊か所存を述べん。抑そも治術之旨、内外之間、其の文幾多ぞや。具さに挙ぐべきこと難し。但し仏道に入て数愚案を回らす、謗法之人を禁じて、正道之侶を重せば、国中安穏にして天下泰平ならん。[p1469]
即ち涅槃経に云く_仏言 唯除一人余一切施皆可讃歎。純陀問言 云何名為唯除一人。仏言 如此経中所説破戒。純陀復言 我今未解。唯願説之。仏語純陀言 破戒者謂一闡提。其余在所一切布施皆可讃歎獲大果報。純陀復問 一闡提者其義云何。仏言純陀 若有比丘及比丘尼優婆塞優婆夷発・悪言 誹謗正法 造是重業永不改悔心無懺悔。如是等人名為趣向一闡提道。若犯四重作五逆罪 自知定犯如是重事 而心初無怖畏懺悔不肯発露。於彼正法永無護惜建立之心 毀呰軽賎言多禍咎。如是等亦名趣向一闡提道。唯除如此一闡提輩 施其余者一切讚歎〔仏の言く 唯一人を除きて余の一切に施さば皆讚歎すべし。純陀問うて言く 云何なるをか名づけて唯除一人と為す。仏の言く 此の経の中に説く所の如きは破戒なり。純陀復言く 我今未だ解せず。唯願くは之を説きたまえ。仏、純陀に語りて言く 破戒とは謂く 一闡提なり。其の余の在所一切に布施するは皆讃歎すべし大果報を獲ん。純陀復問いたてまつる、一闡提とは其の義云何。仏の言く 純陀、若し比丘及び比丘尼・優婆塞・優婆夷有って、・悪{そあく}の言を発し、正法を誹謗し、是の重業を造りて永く改悔せず、心に懺悔無からん。是の如き等の人を名づけて一闡提の道に趣向すと為す。若し四重を犯し五逆罪を作り、自ら定て是の如き重事を犯すと知れども、心に初より怖畏・懺悔無く肯て発露せず。彼正法に於て永く護惜建立之心無く、毀呰軽賎して言に禍咎多からん。是の如き等を亦一闡提の道に趣向すと名づく。唯此の如き一闡提の輩を除きて其の余に施さば一切讃歎すべし〕と。[p1469]
又云く_我念往昔於閻浮提作大国王。名曰仙豫。愛念敬重大乗経典 其心純善無有・悪嫉悋。善男子 我於爾時心重大乗。聞婆羅門誹謗方等。聞已即時断其命根。善男子 以是因縁従是已来堕地獄〔我往昔を念うに、閻浮提に於て大国王と作れり。名を仙豫と曰いき。大乗経典を愛念し敬重し、其の心純善にして・悪{そあく}嫉悋有ること無し。善男子、我爾の時に於て心に大乗を重んず。婆羅門の方等を誹謗するを聞き。聞き已て即時に其の命根を断つ。善男子、是の因縁を以て是れ従り已来地獄に堕せず〕と。[p1469]
又云く_如来昔為国王行菩薩道時 断絶爾所婆羅門命〔如来、昔、国王と為りて菩薩道を行ぜし時、爾所の婆羅門の命を断絶す〕と。[p1469-1470]
又云く_殺有三謂下中上。下者蟻子乃至一切畜生。唯除菩薩示現生者。以下殺因縁堕於地獄畜生餓鬼具受下苦。何以故。是諸畜生有微善根。是故殺者具受罪報。中殺者 従凡夫人至阿那含是名為中。以是業因堕於地獄餓鬼具受中苦。上殺者 父母乃至阿羅漢辟支仏畢定菩薩。堕於阿鼻大地獄中。善男子 若有能殺一闡提者則不堕此三種殺中。善男子 彼諸婆羅門等一切皆是一闡提也〔殺に三有り、謂く下中上なり。下とは蟻子乃至一切の畜生なり。唯菩薩示現生の者を除く。下殺の因縁を以て地獄・餓鬼に堕して、具さに下の苦を受く。何を以ての故に。是の諸の畜生に微の善根有り。是の故に殺さば具さに罪報を受く。中殺とは凡夫人従り阿那含に至るまで、是れを名づけて中と為す。是の業因を以て地獄・畜生・餓鬼に堕して、具さに中の苦を受く。上殺とは父母 乃至 阿羅漢・辟支仏畢定の菩薩なり。阿鼻大地獄の中に堕す。善男子、若し能く一闡提を殺すこと有らん者はち此の三種の殺の中に堕せず。善男子、彼の諸の婆羅門等は一切皆是れ一闡提なり〕。[p1470]
仁王経に云く_仏告波斯匿王。~ 是故付属諸国王 不付属比丘比丘尼 ~。何以故。無王威力〔仏波斯匿王に告げたまわく。~是の故に諸の国王に付属して、比丘・比丘尼に付属せず。何を以ての故に。王の威力無ければなり〕。[p1470]
涅槃経に云く_今以無上正法付属諸王大臣宰相及四部衆。毀正法者大臣四部之衆応当苦治〔今無上の正法を以て諸王・大臣・宰相及び四部の衆に付属す。正法を毀る者をば大臣・四部之衆、応当に苦治すべし〕と。[p1470]
又云く_仏言迦葉 以能護持正法因縁故得成就是金剛身。善男子 護持正法者不受五戒 不修威儀 応持刀剣・弓箭・鉾槊〔仏の言く 迦葉能く正法を護持する因縁を以ての故に是の金剛身を成就することを得たり。善男子、正法を護持せん者は五戒を受けず、威儀を修せずして、応に刀剣・弓箭・鉾槊を持すべし〕と。[p1470]
又云く_若有受持五戒之者不得名為大乗人也。不受五戒為護正法乃名大乗。護正法者応当執持刀剣器杖。雖持刀杖我説是等名曰持戒〔若し五戒を受持せん之者有らば、名づけて大乗の人と為すことを得ず。五戒を受けざれども正法を護るを為って乃ち大乗と名づく。正法を護る者は、応当に刀剣・器杖を執持すべし。刀杖を持つと雖も我是れ等を説きて名づけて持戒と曰ん〕と。[p1470]
又云く_善男子 過去之世於此拘尸那城有仏出世。号歓喜増益如来。仏涅槃後正法住世無量億歳。余四十年仏法未滅 爾時有一持戒比丘。名曰覚徳。爾時多有破戒比丘。聞作是説 皆生悪心 執持刀杖逼是法師。是時国王 名曰有徳。聞是事已 為護法故 即便往至説法者所 与是破戒諸悪比丘極共戦闘。爾時説法者得免厄害。王於爾時身被刀剣鉾槊之瘡 体無完処如芥子計。爾時覚徳尋讃王言 善哉善哉。王今真是護正法者。当来之世此身当為無量法器。王於是時得聞法已心大歓喜 尋即命終生阿・仏国。而為彼仏作第一弟子。其王将従人民眷属有戦闘者有歓喜者一切不退菩提之心。命終悉生阿・仏国。覚徳比丘却後寿終亦得往生阿・仏国。而為彼仏作声聞衆中第二弟子。若有正法欲尽時 応当如是受持擁護。迦葉 爾時王者則我身是。説法比丘迦葉仏是。迦葉 護正法者得如是等無量果報。以是因縁我於今日得種種相以自荘厳 成法身不可壊身。仏告迦葉菩薩。是故護法優婆塞等応執持刀杖擁護如是。善男子 我涅槃後濁悪之世国土荒乱互相抄掠人民飢餓。爾時多有為飢餓故発心出家。如是之人名為禿人。是禿人輩見護持正法駈逐令出若殺若害。是故我今聴持戒人依諸白衣持刀杖者以為伴侶。雖持刀杖我説是等名曰持戒。[p1470-1471]
〔善男子、過去之世に此の拘尸那城に於て仏の世に出でたまふこと有き。歓喜増益如来と号す。仏涅槃の後正法世に住すること無量億歳なり。余の四十年仏法未だ滅せず。爾の時に一の持戒の比丘有り。名を覚徳と曰う。爾の時に多く破戒の比丘有り。是の説を作すを聞き、皆悪心を生じ、刀杖を執持して是の法師を逼む。是の時の国王、名を有徳と曰う。是の事を聞き已って護法の為の故に、即便、説法者の所に往至して、是の破戒の諸の悪比丘と極めて共に戦闘す。爾の時に説法者厄害を免るることを得たり。王、爾の時に於て身に刀剣鉾槊之瘡を被り、体に完き処は芥子の如き計も無し。爾の時に覚徳尋いで王を讃て言く 善哉善哉。王、今真に是れ正法を護る者なり。当来之世に此の身当に無量の法器と為るべし。王是の時に於て法を聞くことを得已って心大いに歓喜し、尋いで即ち命終して阿・仏{あしゅくぶつ}の国に生ず。而も彼の仏の為に第一の弟子と作る。其の王の将従・人民・眷属戦闘すること有りし者、歓喜すること有りし者、一切菩提之心を退せず。命終して悉く阿・仏{あしゅくぶつ}の国に生ず。覚徳比丘却って後、寿終わりて亦阿・仏{あしゅくぶつ}の国に往生することを得。而も彼の仏の為に声聞衆の中の第二の弟子と作る。若し正法尽きんと欲すること有らん時、応当に是の如く受持し擁護すべし。迦葉、爾の時の王とは則ち我が身是れなり。説法の比丘は迦葉仏是れなり。迦葉、正法を護る者は是の如き等の無量の果報を得ん。是の因縁を以て、我今日に於て種種の相を得て以て自ら荘厳し、法身不可壊の身を成ず。仏、迦葉菩薩に告げたまわく。是の故に法を護らん優婆塞等は応に刀杖を執持して擁護すること是の如くなるべし。善男子、我涅槃の後、濁悪之世に国土荒乱し互いに相抄掠し人民飢餓せん。爾の時に多く飢餓の為の故に発心出家するもの有らん。是の如き之人を名づけて禿人と為す。是の禿人の輩、正法を護持するを見て、駈逐して出ださしめ、若しは殺し、若しは害せん。是の故に、我今持戒の人、諸の白衣の刀杖を持つ者に依て、以て伴侶と為すことを聴す。刀杖を持つと雖も、我是れ等を説きて名づけて持戒と曰はん〕と。[p1470-1471]
法華経に云く_若人不信 毀謗此経 則断一切 世間仏種 乃至 其人命終 入阿鼻獄〔若し人信ぜずして 此の経を毀謗せば 則ち一切世間の 仏種を断ぜん 乃至 其の人命終して 阿鼻獄に入らん〕と。[p1471]
又云く_見有読誦 書持経者 軽賎憎嫉 而懐結恨 乃至 其人命終 入阿鼻獄〔経を読誦し書持すること あらん者を見て 軽賎憎嫉して 結恨を懐かん 乃至 其の人命終して 阿鼻獄に入らん〕[已上経文]。[p1471]
夫れ経文顕然なり。私の詞何ぞ加へん。凡そ法華経の如くんば、大乗経典を謗ずる者は無量の五逆に勝れたり。故に阿鼻大城に堕して永く出づる期無けん。涅槃経の如くんば、設ひ五逆之供を許すとも、謗法之施を許さず。蟻子を殺す者は必ず三悪道に落つ。謗法を禁むる者は定めて不退の位に登る。所謂覚徳とは是れ迦葉仏なり。有徳とは則ち釈迦文也。法華・涅槃之経教は一代五時之肝心、八万法蔵之眼目也。其の禁め実に重し。誰か帰仰せざらん哉。而るに謗法の族、正道之人を忘れ、剰へ法然之選択に依て弥いよ愚痴之盲瞽を増す。是れを以て、或は彼の遺体を忍びて木画之像を露し、或は其の妄説を信じて莠言を之模に彫り、之を海内に弘め之を・外{かくがい}に翫ぶ。仰ぐ所は則ち其の家風。施す所は則ち其の門弟なり。然る間、或は釈迦之手指を切りて弥陀之印相を結び、或は東方如来之鴈宇を改めて西土教主之鵝王を居え、或は四百余回之如法経を止めて浄土之三部経と成し、或は天台大師を停めて善導之講と為す。此の如き群類其れ誠に尽くし難し。是れ破仏に非ず哉。是れ破法に非ず哉。是れ破僧に非ず哉。是れ亡国の因縁に非ず哉。此の邪義は則ち選択集に依る也。嗟呼悲しい哉、如来誠諦之禁言に背くこと。哀れなり矣、愚侶迷惑之・語に随ふこと。早く天下之静謐を思はば須らく国中之謗法を断つべし矣。[p1471-1472]
客の曰く 若し謗法之輩を断じ若し仏禁之違を絶せんには、彼の経文の如く斬罪に行うべき歟。若し然らば殺害相加へ罪業何んが為さん哉。[p1472]
則ち大集経に云く_剃頭著袈裟持戒及毀戒天人可供養彼。則為供養我。是我子。若有・打彼則為打我子。若罵辱彼則為毀辱我〔頭を剃り袈裟を著せば持戒、及び毀戒天人彼を供養すべし。則ち為我を供養するなり。是れ我が子なり。若し彼を・打{かだ}すること有れば則ち為我が子を打つなり。若し彼を罵辱せば則ち為我を毀辱することなり〕と。[p1472]
仁王経に云く_法末世時 乃至 非法非律繋縛比丘如獄囚法。乃至 諸小国国王 自作此罪破国因縁 身自受之〔法末世の時、乃至、法に非ず、律に非ずして、比丘を繋縛すること獄囚の法の如くす。乃至 諸の小国の国王、自ら此の罪と破国の因縁とを作せば、身に自ら之を受けん〕と。[p1472-1473]
又大集経に云く_仏言大梵 我今為汝 且略説之。若有人於 万億仏所 出其身血。於意云何。是得人罪 寧為多不。大梵王言 若人但出 一仏身血 得無間罪 尚多無量 不可算数。堕於阿鼻 大地獄中。何況具出 万億諸仏 身血者也。終無有能 広説彼人 罪業果報。唯除如来。仏言大梵 若有悩乱 罵詈打縛 為我剃除鬚髪著袈裟 片不受禁戒 受而犯者 得罪多彼〔仏言はく、大梵、我今汝が為に且く略して之を説かん。若し人有りて万億の仏の所に於て其の身血を出ださん。意に於て云何。是の人罪を得ること寧ろ多しと為さんや不や。大梵王言く 若し人但一仏の身血を出ださんは、無間の罪得んこと尚お多く無量にして算数すべからず。阿鼻大地獄の中に堕す。何に況んや具さに万億の諸仏の身血を出ださん者をや。終に能く広く彼の人の罪業果報を説くもの有ること無けん。唯如来を除く。仏言はく、大梵、若し我が為に鬚髪を剃除し、袈裟を著してかたときも禁戒を受けず、受けて而も犯す者を悩乱し、罵詈し、打縛すること有らば、罪を得ること彼よりも多し〕と。[p1473]
又云く_刹利国王 及以諸断事者 乃至 於我法中出家者 作大殺生大偸盗大非梵行大妄語及余不善 如是等類 乃至 若鞭打者理不応。又不応口業罵詈。一切不応加其身罪。若故違法 乃至 必定帰趣阿鼻地獄〔刹利国王、及以び諸の事を断ずる者 乃至 我が法の中に於て出家する者、大殺生・大偸盗・大非梵行・大妄語及び余の不善を作すとも、是の如き等の類 乃至 若は鞭打ちする者、理に応ぜず。又、口業罵詈すべからず。一切其の身に罪を加ふべからず。若し故に法に違せば 乃至 必定して阿鼻地獄に帰趣せん〕と。[p1473]
又云く_当来之世 有悪衆生 於三宝中 作少善業 若行布施 若復持戒 修諸禅定。以其如是 少許善根 作諸国王 愚痴無智 無有慙愧 ・慢熾盛 無有慈愍 不観後世 可怖畏事。彼等悩乱 我諸所有 声聞弟子 打縛罵詈 乃至 堕在阿鼻〔当来の世に悪の衆生有りて三宝の中に於て、少しく善業を作し、若しは布施を行じ、若しは復戒を持ち、諸の禅定を修せん。其れ、是の如き少しばかりの善根を以て諸の国王と作り、愚痴無智にして慙愧有ること無く、・慢熾盛にして慈愍有ること無く、後世の怖畏すべき事観ぜず。彼等、我が諸の所有の声聞弟子を悩乱し打縛罵詈して 乃至 阿鼻に堕在せん〕と。[p1473]
料り知んぬ、善悪を論ぜず、是非を択ぶこと無く僧侶に為らんに於ては供養を展ぶべし。何ぞ其の子を打辱して忝なくも其の父を悲哀せしめん。彼の竹杖之目連尊者を害せし也、永く無間之底に沈み、提婆達多之蓮華比丘尼を殺せし也、久しく阿鼻の焔に咽ぶ。先証斯れ明らかなり。後昆最も恐れあり。謗法を誡むるに似て既に禁言を破す。此の事信じ難し、如何が意得ん矣。[p1473]
主人の曰く 客明らかに経文を見て猶お斯の言を成す。心之及ばざる歟。理之通ぜざる歟。全く仏子を禁むるに非ず。唯偏に謗法を悪む也。汝、上に引く所の経文は、専ら持戒正見・破戒無戒正見の者也。今悪む所は、持戒邪見・破戒破見・無戒悪見の者也。夫れ釈迦之以前の仏教は其の罪を斬ると雖も、能忍之以後の経説は則ち其の施を止む。此れ又一途也。月氏国之戒日大王は聖人也。其の上首を罰し五天之余黨を誡む。尸那国之宣宗皇帝は賢王也。道士一十二人を誅して九州の仏敵を止む。彼は外道也、道士也。其の罪之軽し。之は内道也、仏弟子也。其の罪最も重し。速やかに重科に行へ。然れば則ち四海万邦、一切の四衆、其の悪に施さず。皆此の善に帰せば何なる難か竝び起り、何なる災か競ひ来たらん矣。[p1474]
客則ち席を避け襟を刷ひて曰く 仏教斯れ区にして旨趣窮め難く、不審多端にして理非明らかならず。但し法然聖人の選択現在也。諸仏・諸経・法華経の教主釈尊・諸菩薩・諸天天照太神・正八幡等を以て捨閉閣抛之悪言を載す。其の文顕然也。茲に因って聖人国を去り善神所を捨つ。天下飢渇し世上疫病す等。今主人広く経文を引いて明らかに理非を示す。故に妄執既に飜り耳目数朗かなり。所詮国土泰平天下安穏は一人より万民に至るまで好む所也、楽ふ所也。早く一闡提之施を止めて謗法之根を切り、永く衆の僧尼之供を致して智者の足を頂き、仏海之白浪を収めて法山之緑林を截らば、世は羲農之世と成り国は唐虞之国と為らん。然して後、顕密の浅深を斟酌し、真言・法華の勝劣を分別し、仏家之棟梁を崇重し、一乗之元意を開発せん矣。[p1474]
主人悦んで曰く 鳩化して鷹と為り、雀変じて蛤と為る。悦ばしい哉。汝蘭室之友に交はり麻畝之性と成る。誠に其の難を顧みて専ら此の言を信ぜば、風和らぎ浪静かにして不日に豊年ならん耳。但し人の心は時に随て移り、物の性は境に依て改まる。譬へば水中之月の波に動き、陳前之軍の剣に靡くが猶し。汝当座に信ずと雖も後定めて永く忘れん。若し先づ国土を安んじて現当を祈らんと欲せば、速やかに情慮を廻らし・ぎて対治を加へよ。所以は何ん。薬師経の七難の内五難忽ちに起り二難猶お残せり。所以、他国侵逼の難・自界叛逆の難也。大集経の三災の内、二災早く顕れ一災未だ起こらず。所以、兵革の災なり。金光明経の内種々の災過一一起ると雖も、他方怨賊侵掠国内〔他方の怨賊国内を侵掠する〕、此の災未だ露れず、此の難未だ来たらず。仁王経の七難の内、六難今盛んにして一難未だ現れず。所以、四方賊来侵国〔四方の賊来りて国を侵す〕の難也。加之、国土乱時先鬼神乱。鬼神乱故万民乱〔国土乱れん時は先づ鬼神乱る。鬼神乱るるが故に万民乱る〕と云云。[p1475]
今此の文に就いて具さに事の情を案ずるに、百鬼早く乱れ万民多く亡ぶ。先難是れ明らかなり。後災何ぞ疑はん。若し残る所之二難、悪法之科に依て竝び起り競ひ来らば其の時何が為さん哉。帝王は国家を基として天下を治め、人臣は田園を領して世上を保つ。而るに他方の賊来りて我が国を侵し、自界叛逆して此の地を掠領せば、豈に驚かざらん哉、豈に騒がざらん哉。国を失ひ家を滅せば何れの所に世を遁れん。汝須らく一身之安堵を思はば先づ四表之静謐を祈るべき者歟。就中、人之世に在るや各後生を恐る。是れを以て或は邪経を信じ、或は謗法を貴ぶ。各是非に迷ふことを悪むと雖も猶お仏法に帰することを哀れむ。何ぞ同じく信心之力を以て妄りに邪義之詞を宗めん哉。若し執心飜らず、亦曲意猶お存せば、早く有為之郷を辞して必ず無間之獄に堕ちなん。[p1475]
所以に大集経に云く_若有国王於無量世修施戒慧 見我法滅捨不擁護 如是所種無量善根悉皆滅失 乃至 其王不久当遇重病寿終之後生大地獄 如王夫人 太子 大臣 城主 柱師 郡守 宰官亦復如是〔若し国王有り無量世に於て施戒慧を修すとも、我法の滅せんを見て捨てて擁護せずんば、是の如く種うる所の無量の善根悉く皆滅失し 乃至 其の王久しからずして当に重病に遇い、寿終之後大地獄に生ずべし。王の如く夫人・太子・大臣・城主・柱師・郡主・宰官も亦復是の如くならん〕。[p1475-1476]
仁王経に云く_人壊仏教 無復孝子 六親不和 天神不祐 疾疫悪鬼 来日侵害 災怪首尾 連禍縦横 死入地獄 餓鬼畜生。若出為人 兵奴果報。如響如影 人如夜書 火滅字存 三界果報 亦復如是〔人、仏教を壊らば復孝子無く、六親不和にして天神も祐けず、疾疫悪鬼日に来りて侵害し、災怪首尾し、連禍縦横し、死して地獄・餓鬼・畜生に入らん。若し出でて人と為らば兵奴の果報ならん。響きの如く影の如く、人の夜書するに火は滅すれども字は存するが如く、三界の果報も亦復是の如し〕と。[p1476]
大品経に云く_破法業・因縁集故 無量百千万億歳堕大地獄中。是破法人輩従一大地獄至一大地獄。若劫火起時至他方大地獄中。生在彼間。従一大地獄至一大地獄。乃至 如是遍十方 乃至 重罪転薄 或得人身 生盲人家 生旃陀羅家 生厠除 担死人 種種下賎家。若無眼 若一眼 若眼瞎 無舌 無耳 無手〔破法の業・因縁集まるが故に、無量百千万億歳、大地獄の中に堕つ。是の破法人の輩、一大地獄より一大地獄に至る。若し劫火起こる時は他方の大地獄の中に至る。彼の間に生在せん。一大地獄より一大地獄に至らん。乃至 是の如く、十方に遍くして 乃至 重罪転た薄く、或は人身を得れば、盲人の家に生まれ、旃陀羅の家に生まれ、厠を除き、死人を担ふ種種の下賎の家に生まれん。若しは無眼、若しは一眼、若しは眼瞎・無舌・無耳・無手ならん〕と。[p1476]
大集経に云く_大王 於当来世 若有刹利 婆羅門 ・舎 首陀 乃至 奪他所施。而彼愚人於現身中 得二十種大悪果報。何者二十。一者諸天善神皆悉遠離。四者怨憎悪人同共聚会。六者心狂痴乱恒多・遶。十一者所愛人悉皆離別。十五者所有財物五家分散。十六者常遇重病。二十者常処糞穢 乃至命終命終後 堕阿鼻地獄〔大王、当来の世に於て若し刹利・婆羅門・・舎・首陀有らん。乃至 他の施す所を奪ふ。而も彼の愚人、現身の中に於て二十種の大悪果報を得ん。何者か二十なる。一には諸天善神皆悉く遠離せん。四には怨憎悪人同じく共に聚会せん。六には心狂痴乱し恒に・遶多し。十一には愛する所の人、悉く皆離別せん。十五には所有の財物五家分散せん。十六には常に重病に遇はん。二十には常に糞穢に処し、乃至命終して命終の後、阿鼻地獄に堕せん〕と。[p1476]
又云く_居在曠野無水之処 生便無眼 又無手足。四方熱風来触其身 形体楚毒猶如剣切。宛転在地受苦悩如是百千種苦。然後命終生大海中受宍揣身。其形長大満百由旬。然彼罪人所居之処 於其身外面 一由旬満中熱水 然若融銅 逕無量百千歳 飛禽走獣競来食之。乃至 其罪漸薄得出為人 生無仏国五濁刹中。従生而盲。諸根不具。身形醜悪 人不喜見〔曠野無水の処に居在して、生じては便ち眼無く、又手足無けん。四方の熱風来りて其の身に触れ、形体楚毒にして猶お剣をもて切るが如し。宛転して地に在り、苦悩を受くること是の如く、百千種の苦あり。然して後、命終して大海の中に生まれて宍揣の身を受く。其の形長大にして百由旬に満つ。然も彼の罪人所居の処、其の身の外面に於て一由旬の中に満てる熱水、然も融銅のごとく、無量百千歳を逕て、飛禽走獣競ひ来りて之を食む。乃至 其の罪漸く薄らぎ出でて人と為ることを得れば、無仏の国、五濁の刹中に生ぜん。生まるより盲なり。諸根具せず。身形醜悪にして、人、見ることを喜はず〕[p1476-1477]
大涅槃経に云く_遠離善友 不聞正法 住悪法者 是因縁故 沈没在於 阿鼻地獄 所受身形 縦横八万 四千〔善友を遠離し正法を聞かずして悪法に住せば是の因縁の故に沈没して阿鼻地獄に在りて受くる所の身形、縦横八万四千ならん〕と。[p1477]
妙法法華経の第二に云く_若人不信 毀謗此経 則断一切 世間仏種 或復顰蹙 而懐疑惑 乃至 見有読誦 書持経者 軽賎憎嫉 而懐結恨 此人罪報 汝今復聴 其人命終 入阿鼻獄 具足一劫 劫尽更生 如是展転 至無数劫 乃至 於此死已 更受蟒身 其形長大 五百由旬〔若し人信ぜずして 此の経を毀謗せば 則ち一切世間の 仏種を断ぜん 或は復顰蹙して 疑惑を懐かん 乃至 経を読誦し書持すること あらん者を見て 軽賎憎嫉して 結恨を懐かん 此の人の罪報を 汝今復聴け 其の人命終して 阿鼻獄に入らん 一劫を具足して 劫尽きなば更生れん 是の如く展転して 無数劫に至らん 乃至 此に於て死し已って 更に蟒身を受けん 其の形長大にして 五百由旬ならん〕。[p1477]
又同第七に云く_四衆之中。有生瞋恚。心不浄者。悪口罵詈言。是無知比丘。 ~ 衆人或以。杖木瓦石。而打擲之。 ~ 千劫於阿鼻地獄。受大苦悩〔四衆の中に瞋恚を生じて心不浄なるあり、悪口罵詈して言く 是の無知の比丘、 ~ 衆人或は杖木・瓦石を以て之を打擲すれば、 ~ 千劫阿鼻地獄に於て大苦悩を受く〕。[p1477]
広く衆経を披きたるに専ら謗法を重んず。悲しい哉、日本国、皆、正法之門を出でて、深く邪謗之獄に入る。愚かなり矣。上下万人、各悪教之綱に懸かりて鎮へに謗教之網に纒はる。此の朦霧之迷ひ、彼の盛焔之底に沈む。豈に愁へざらん哉。豈に苦しからざらん哉。汝早く信仰之寸心を改めて速やかに実乗之一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国也。仏国其れ衰へん哉。十方は悉く宝土也。宝土何ぞ壊れん哉。国に衰微無く土に破壊無くんば、身は是れ安全にして、心は是れ禅定ならん。此の詞此の言信ずべく崇むべし矣。[p1478]
客の曰く 今生後生、誰か慎まざらん、誰か和せざらん。此の経文を披きて具さに仏語を承るに、誹謗之科至て重く、毀法之罪誠に深し。我一仏を信じて諸仏を抛ち、三部経を仰ぎて諸経を閣く。是れ私曲之思ひに非ず、則ち先達之詞に随ひしなり。十方の諸人も亦復是の如し。今世には性心を労し、来生には阿鼻に堕せんこと、文明らかに理詳らかなり、疑ふべからず。弥いよ貴公之慈誨を仰ぎ、益愚客之癡心を開き、速やかに対治を廻らして、早く泰平を致し、先づ生前を安んじ更に没後を扶けん。唯我信ずるのみに非ず。又他の誤りを誡めん耳。[p1478]
#0280-0K0 諸人御返事 弘安元年(1278.03・21) [p1479]
三月十九日の和風竝びに飛鳥、同じく二十一日戌の時到来す。日蓮一生之間の祈請竝びに所願、忽ちに成就せしむるか。将た又五々百歳の仏記宛も符契の如し。所詮、真言・禅宗等の謗法の諸人等を召し合わせ是非を決せしめば、日本国一同に日蓮が弟子檀那と為らん。我が弟子等の出家は主上上皇の師と為り、在家は左右の臣下に列ならん。将た又一閻浮提皆此の法門を仰がん。幸甚々々。[p1479]
弘安元年三月廿一日 日 蓮 花押[p1479]
諸人御返事[p1479]
#0283-000 檀越某御返事 建治四年(1278.04・11) [p1493]
御文うけ給はり候ひ了んぬ。日蓮流罪して先々にわざわいども重なりて候に、又なにと申す事か候べきとはをもへども、人のそん(損)ぜんとし候には不可思議の事の候へば、さが(兆)候はんずらむ。もしその義候わば用ひて候はんには百千万億倍のさいわいなり。今度ぞ三度になり候。法華経もよも日蓮をばゆるき行者とわをぼせじ。釈迦・多宝・十方の諸仏・地涌千界の御利生、今度みはて(見果)候はん。あわれ、あわれさる事の候へかし。雪山童子の跡ををひ、不軽菩薩の身になり候はん。いたづらにやくびやう(疫病)にやをかされ候はんずらむ。をいじに(老死)にや死に候はんずらむ。あらあさまし、あさまし。願はくは法華経のゆへに国主にあだまれて今度小事をはなれ候ばや。天照太神・正八幡・日月・帝釈・梵天等の仏前の御ちかい、今度心み候ばや。事々さてをき候ひぬ。[p1493]
各々の御身の事は此れより申しはかうべし。さだをはるすこそ、法華経を十二時に行ぜさせ給ふにては候らめ。あなかしこ、あなかしこ。[p1493]
御みやづかい(仕官)を法華経とをぼしめせ。_一切世間治生産業皆与実相不相違背〔一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず〕とは此れなり。かへすがへす御文の心こそをもいやられ候へ。恐恐謹言。[p1493-1494]
四月十一日 日 蓮 花押[p1494]
#0284-000 是日尼御書 弘安元年(1278.04・12) [p1494]
ぬ。さどの国より此の甲州まで入道の来りしかば、あらふしぎやとをもひしに、又今年来てな(菜)つみ、水くみ、たきぎこり。だん(檀)王の阿志仙人につかへしがごとくして一月に及びぬる不思議さよ。ふで(筆)をもちてつくしがたし。これひとへに又尼ぎみの御功徳なるべし。又御本尊一ふくかきてまいらせ候。霊山浄土にてはかならずゆきあひたてまつるべし。恐恐謹言。[p1494]
卯月十二日[p1494]
尼是日[p1494]
#0439-000 南條殿御返事 弘安元年(1278.04・14) [p3021]
いも・はじかみ悦びて給候ひ了んぬ。いまをはじめぬ事に候へば、とかく申すにおよばず候。をりふしそうそうなる事候ひし間、委細の御返事に及ばざる由候ところに候。恐々謹言。[p3021]
卯月十四日 日 蓮 花押[p3021]
南條殿 御返事[p3021]
#0288-000 窪尼御前御返事 弘安元年(1278.05・03) [p1502]
粽五把・笋十本千日ひとつゝ給了んぬ。いつもの事に候へども、ながあめ(長雨)ふぃりてなつ(夏)の日ながし。山はふかく、みち(路)しげければ、ふみわくる人も候はぬに、ほとゝぎすにつけての御ひとこへ(一声)ありがたしありがたし。[p1502]
さてはあつわらの事。こんど(今度)をもつてをぼしめせ。さこもそら事なり。かうのとの(守殿)はひとのいゐしにつけて、くはしくもたづねずして、此の御房をながしける事あさましとをぼして、ゆるさせ給ひてののちは、させるとが(科)もなくては、いかんが又あだ(怨)せらるべき。すへ(末)の人々の法華経を心にはあだめども、うへにそしらばいかんがとをもひて、事にかづけて人をあだむほどに、かへりてさきざきのそら事のあらわれ候ぞ。これはそらみげうそ(虚御教書)と申す事はみ(見)ぬさきよりすい(推)して候。さどの国にてもそらみげうそを三度までつくりて候ひしぞ。これにつけても上と国との御ためあはれなり。[p1502-1503]
木のしたなるむし(虫)の木をくらひたうし、師子の中のむしの師子を食ひうしなふやうに、守殿の御をんにてすぐる人々が、守殿の御威をかりて一切の人々ををどし、なやまし、わづらはし候うへ、上の仰せとて法華経を失ひて、国もやぶれ、主をも失ひて、返りて各々が身をほろぼさんあさましさよ。[p1503]
日蓮はいやしけれども、経は梵天・帝釈・日月・四天・天照太神・八幡大菩薩のまほらせ給ふ御経なれば、法華経のかたをあだむ人々は剣をのみ、火を手ににぎるなるべし。これにつけてもいよいよ御信用のまさらせ給ふ事、たうとく候ぞ、たうとく候ぞ。[p1503]
五月三日 日 蓮 花押[p1503]
窪尼御返事
#0289-000 霖雨御書 弘安元年(1278.05・22) [p1504]
山中のながあめ、つれづれ申すばかり候はず。えんどうかしこまりて給候ひ了んぬ。ことによろこぶよし、覚性房申しあげさせ給候へ。恐々。[p1504]
五月廿二日 日 蓮 花押[p1504]
御返事[p1504]
#0291-000 兵衛志殿御返事 弘安元年(1278.05頃) [p1505]
御ふみにかゝれて候上、大にのあざりのかたり候は、ぜに十余れん并にやうやうの物ども候ひしかども、たうじはのうどき(農時)にて《 》人もひきたらぬよし《 》も及び候はざれけ《 》兵衛志殿の御との《 》御夫馬にても《 》て候よし申し候。[p1505]
夫れ百済国より日本国に仏法のわたり候ひしは、大船にのせて此れをわたす。今のよと《河よ》りあをみの《水海》につけて候ものは、車にて洛陽へははこび候。それがごとく、たとい、かまくらにいかなる物を人たびて候とも、夫と馬となくばいかでか《日蓮》が命はたやすかり候べき。[p1505]
《昔徳勝》童子は土餅を仏に《 》阿育大王と《 》くやうしまいらせ候ひしゆへに、阿育大王の第一の大臣羅提吉となりて一閻浮提の御うしろめ、所謂をゝい殿の御時の権の大夫殿のごとし。此れは彼等にはにるべくもなき大功徳。此の歩馬はこんでいこまとなり、此の御との人はしやのくとねりとなりて、仏になり給ふべしとをほしめすべし。[p1505-1506]
抑そもすぎし事なれども、あまりにたうとくうれしき事なれば申す。昔波羅捺国に摩訶羅王と申す大王をはしき。彼の大王に二の太子あり。所謂善友太子・悪友太子なり。善友太子の如意宝珠を持ちてをはせしかば、此れをとらむがために、をとの悪友太子は兄の善友太子の眼をぬき給ひき。昔の大王は今の浄飯王、善友太子は今の釈迦仏、悪友太子は今の提婆達多此れ也。兄弟なれども、たからをあらそいて、世々生々にかたきとなりて、一人は仏なり、一人は無間地獄にあり。此れは過去の事、他国の事なり。我が朝には一院、さぬきの院は兄弟なりしかども、位をあらそいて、ついにかたきとなり給ひて、今に地獄にやをはすらむ、当世めにあたりて、此の代のあやをきも兄弟のあらそいよりをこる。[p1506]
大将殿と申せし賢人も九郎判官等の舎弟等をほろぼし給ひて、かへりて我が子ども皆所従等に失われ給ふ。眼前の事ぞかし。とのばら二人は上下こそありとも、とのだにもよくふかく、心まがり、道りをだにもしらせ給はずば、ゑもんの大夫志殿はいかなる事ありとも、をやのかんだうゆるすべからず。ゑもんのたいうは法華経を信じて仏になるとも、をやは法華経の行者なる子をかんだうして、地獄に堕つべし。とのはあにとをやとをそんずる人になりて、提婆達多がやうにをはすべかりしが、末代なれども、かしこき上、欲なき身と生まれて、三人ともに仏になり給ひ、ちゝかた、はゝかたのるい(類)をもすくい給ふ人となり候ひぬ。[p1506-1507]
又とのゝ御子息等もすへの代はさかうべしとをぼしめせ。此の事は一代聖教をも引きて百千まいにかくとも、つくべしとはをもわねども、やせやまいと申し、身もくるしく候へば、事々申さず。あわれあわれいつかけさん(見参)に入て申し候はん。又むかいまいらせ候ぬれば、あまりのうれしさに、かたられ候はず候へば、あらあら申す。よろづは心にすいしはからせ給へ。女房の御事、同じくよろこぶと申させ給へ。恐々謹言。[p1507]
#0293-000 日女御前御返事 弘安元年(1278.05・25) [p1508]
御布施七貫文送り給畢んぬ。[p1508]
嘱累品の御心は、仏虚空に立ち給ひて、四百万億那由他の世界にむさしの(武蔵野)のすゝきのごとく、富士山の木のごとく、ぞくぞくとひざをつめよせて頭を地につけ、身をまげ掌をあはせ、あせを流し、つゆしげくおはせし上行菩薩等・文殊等・大梵天王・帝釈・日月・四天王・龍王・十羅刹女等に法華経をゆづらんがために、三度まで頂をなでさせ給ふ。譬へば悲母の一子が頂のかみ(髪)をなづるがごとし。爾時に上行乃至日月等忝き仰せを蒙りて、法華経を末代に弘通せんとちかひ給ひしなり。[p1508-1509]
薬王品と申すは、昔、喜見菩薩と申せし菩薩、日月浄明徳仏に法華経を習はせ給ひて、其の師の恩と申し、法華経のたうとさと申し、かんにたへかねて万の重宝を尽くさせ給ひしかども、なを心ゆかずして、身に油をぬりて千二百歳の間、当時の油にとうしみ(燈心)を入れてたくがごとく、身をたいて仏を供養し、後に七万二千歳が間ひぢ(臂)をともしびとしてたきつくし、法華経を御供養候ひき。されば今法華経を後五百歳の女人供養せば、其の功徳を一分ものこさずゆづるべし。譬へば長者の一子に一切の財宝をゆづるがごとし。[p1509]
妙音品と申すは、東方の浄華宿王智仏の国に妙音菩薩と申せし菩薩あり。昔の雲雷音王仏の御代に妙荘厳王の后、浄徳夫人なり。昔法華経を供養して今妙音菩薩となれり。釈迦如来の娑婆世界にして法華経を説き給ふにまいりて約束申して、末代の女人の法華経を持ち給ふをまもるべしと云云。[p1509]
観音品と申すは、又普門品と名づく。始めは観世音菩薩を持ち奉る人の功徳を説きて候。此れを観音品と名づく。後には観音の持ち給へる法華経を持つ人の功徳をとけり。此れを普門品と名づく。[p1509-1510]
陀羅尼品と申すは、二聖・二天・十羅刹女の法華経の行者を守護すべき様を説けり。二聖と申すは薬王と勇施となり。二天と申すは・沙門と持国天となり。十羅刹女と申すは十人の大鬼神女、四天下の一切の鬼神の母なり。又十羅刹女の母あり、鬼子母神是れ也。鬼のならひとして人を食す。人に三十六物あり。所謂糞と尿と唾と肉と血と皮と骨と五蔵と六腑と髪と毛と気と命等なり。而るに下品の鬼神は糞等を食し、中品の鬼神は骨等を食す。上品の鬼神は精気を食す。此の十羅刹女は上品の鬼神として精気を食す。疫病の大鬼神なり。鬼神に二つあり。一には善鬼、二には悪鬼なり。善鬼は法華経の怨を食す。悪鬼は法華経の行者を食す。[p1510]
今日本国の去年今年の大疫病は何とか心うべき。此れを答ふべき様は一には善鬼也。梵王・帝釈・日月・四天の許されありえ法華経の怨を食す。二には悪鬼が第六天の魔王のすゝめによりて法華経を修行する人を食す。善鬼が法華経の怨を食ふことは、官兵の朝敵を罰するがごとし。悪鬼が法華経の行者を食ふは強盗夜討等が官兵を殺すがごとし。例せば日本国に仏法の渡りてありし時、仏法の敵たりし物部の大連・守屋等も疫病をやみき。蘇我の宿禰・馬子等もやみき。欽明・敏達・用明の三代の国王は心には仏法・釈迦如来を信じまいらせ給ひてありしかども、外には国の礼にまかせて天照太神・熊野山等を仰ぎまいらせ給ひしかども、仏と法との信はうすく、神の信はあつかりしかば、強きにひかれて三代の国王疫病疱瘡にして崩御ならせ給ひき。此れをもて上のに二鬼をも、今の代の世間の人妃との疫病をも、日蓮が方のやみしぬをもこころうべし。[p1510-1511]
されば身をすてて信ぜん人々はやまぬへんもあるべし。又やむともたすかるへんもあるべし。又大悪鬼に値ひなば命を奪はるる人もあるべし。例せば畠山重忠は日本第一の大力の大将なりしかども、多勢には終にほろびぬ。又日本国の一切の真言師の悪霊となれると、竝びに禅宗・念仏者等が日蓮をあだまんがために国中に入り乱れたり。又梵釈・日月・十羅刹の眷属日本国に乱入せり。両方互いに責めとらんとはげむなり。[p1511]
而るに十羅刹女は總じて法華経の行者を守護すべしと誓はせ給ひて候へば、一切の法華経を持つ人々をば守護せさせ給ふらんと思ひ候に、法華経を持つ人々も或は大日経はまされりなど申して、真言師が法華経を読誦し候はかへりてそしるにて候也。又余の宗々も此れを以て押し計るべし。又法華経をば経のごとく持つ人々も、法華経をの行者を或は貪瞋癡により、或は世間の事により、或はしなじなのふるまひによて憎む人あり。此れは法華経を信ずれども信ずる功徳なり。かへりて罰をかほるなり。例せば父母なんどには謀反等より外は子息等の身として此れに背けば不孝也。父が我がいとをしきめ(女)をとり、母が我がいとをしきをとこ(夫)を奪ふとも、子の身として一分も違はば、現世には天に捨てられ、後生には必ず阿鼻地獄に堕つる業也。何に況んや、出世間の師をや。何に況んや、法華経の御師をや。[p1511-1512]
黄河は千年に一度すむといへり。聖人は千年に一度出づる也。仏は無量劫に一度出世し給ふ。彼には値ふといへども法華経には値ひがたし。設ひ法華経に値ひ奉るとも、末代の凡夫法華経の行者には値ひがたし。何ぞなれば末代の法華経の行者は、法華経を説かざる華厳・阿含・方等・般若大日経等の千二百余尊よりも、末代に法華経を説く行者は勝れて候なるを、妙楽大師釈して云く ̄有供養者福過十号 若悩乱者頭破七分〔供養すること有る者は福十号に過ぎ、若し悩乱する者は、頭七分に破れん〕等云云。今日本国の者去年今年の疫病と、去る正嘉の疫病とは人王始まりて九十余代に竝びなき疫病也。聖人の国にあるをあだむゆへと見えたり。師子を吼える犬は腸切れ、日月をのむ修羅は頭の破れ候なるはこれなり。[p1512]
日本国の一切衆生すでに三分の二はやみぬ。又半分は死しぬ。今一分は身はやまざれども心はやみぬ。又頭も顕にも冥にも破れぬらん。罰に四あり。總罰・別罰・冥罰・顕罰也。聖人をあだめば總罰一国にわたる。又四天下、又六欲・四禅にわたる。賢人をあだめば但敵人等也。今日本国の疫病は總罰也。定んで聖人の国にあるをあだむ歟。山は玉をいだけば草木かれず。国に聖人あれば其の国やぶれず。山の草木のかれぬは玉のある故とも愚者はしらず。国のやぶるるは聖人をあだむ故とも愚人は弁へざる歟。[p1512-1513]
設ひ日月の光りありとも、盲目のために用事なし。設ひ声ありとも、耳しひのためになにの用かあるべき。日本国の一切衆生は盲目と耳しひのごとし。此の一切の眼と耳とをくじりて、一切の眼をあけ、一切の耳に物をきかせんは、いか程の功徳かあるべき。誰の人か此の功徳をば計るべき。設ひ父母子をうみて眼・耳有りとも、物を教ふる師なくば畜生の眼・耳にてこそあらましか。日本の一切衆生は十方の中には西方の一方、一切の仏の中には阿弥陀仏、一切の行の中には弥陀の名号、此の三つを本として余行をば兼ねたる人もあり、一向なる人もありしに、某去る建長五年より今に至るまで二十四年の間、遠くは一代聖教の勝劣先後浅深を立て、近くは弥陀念仏と法華経の題目との高下を立て申す程に、上一人より下万民に至るまで此の事を用ひず。或は師々に問ひ、或は主々に訴へ、或は傍輩にかたり、或は我が身は妻子眷属に申すほどに、国々郡々村々寺々社々え沙汰ある程に、人ごとに日蓮が名を知り、法華経を念仏に対して念仏のいみじき様、法華経叶ひがたき事、諸人のいみじき様、日蓮わろき様を申す程に、上もあだみ、下も悪む。日本一同に法華経と行者との大怨敵となりぬ。[p1513-1514]
かう申せば日本国の人々竝びに日蓮が方の中にも物におぼえぬ者は、人に信ぜられんとあらぬ事を云ふと思へり。此れは仏法の道理を信じたる男女に知らせんれう(料)に申す。各々の心にまかせ給ふべし。[p1514]
妙荘厳王品と申すは、事に女人の御ために用ひる事也。妻が夫をすゝめたる品也。末代に及びても、女房の男をすゝめんは、名こそかわりたりとも功徳は但浄徳夫人のごとし。いはうや此れは女房も男も共に御信用あり、鳥の二つの羽そなはり、車の二つの輪かかれり。何事か成ぜざるべき。天あり地あり、日あり月あり、日てり雨ふる、功徳の草木花さき菓なるべし。[p1514]
次に勧発品と申すは、釈迦仏の御弟子の中に僧はあまたありしかども、迦葉・阿難左右におはしき。王の左右の臣の如し。此れは小乗経の仏也。又普賢・文殊と申すは一切の菩薩多しといへども、教主釈尊の左右の臣下也。而るに一代超過の法華経八箇年が間、十方の諸仏菩薩等、大地微塵よりも多く集まり候ひしに、左右の臣たる普賢菩薩のおはせざりしは不思議なりし事也。而れども妙荘厳王品をとかれてさておはりぬべかりしに、東方宝威徳上王仏の国より万億の妓楽を奏し、無数の八部衆を引率して、おくればせして参らせ給ひしかば、仏の御きそく(気色)やあしからんずらんと思ひし故にや、色かへて末代に法華経の行者を守護すべきやうをねんごろに申し上げられしかば、仏も法華経を閻浮に流布せんこと、ことにねんごろなるべきと申すにやめでさせ給ひけん。返りて上の上位よりも、ことにねんごろに仏ほめさせ給へり。[p1514-1515]
かゝる法華経を末代の女人、二十八品を品品ごとに供養せばやとおぼしめす、但事にはあらず。宝塔品の御時は多宝如来・釈迦如来・十方の諸仏・一切の菩薩あつまらせ給ひぬ。此の宝塔品はいづれのところにか只今ましますらんとかんがへ候へば、日女御前の御胸の間、八葉の蓮華の内におはしますと日蓮は見まいらせて候。例せば蓮のみ(実)に蓮華の有るがごとく、后の御腹に太子を懐妊せるがごとし。十善を持てる人、太子と生れんとして后の御腹にましませば諸天此れを守護す。故に太子をば天子と号す。[p1515]
法華経二十八品の文字、六万九千三百八十四字、一一の文字は字ごとに太子のごとし。字毎に仏の御種子也。闇の中に影あり、人此れをみず。虚空に鳥の飛ぶ跡あり、人此れをみず。大海に魚の道あり、人これをみず。月の中に四天下の人物一もかけず、人此れをみず。而りといへども天眼は此れをみる。日女御前の御身の内心に宝塔品まします。凡夫は見ずといへども、釈迦・多宝・十方の諸仏は御らんあり。日蓮又此れをすい(推)す。あらたうとしたうとし。[p1515-1516]
周の文王は老ひたる者をやしなひていくさに勝ち、其の末三十七代八百年の間、すゑずゑには、ひが事ありしかども、根本の功によりてさかへさせ給ふ。阿闍世王は大悪人たりしかども、父びんばさら王の仏を数年やしなひまいたせし故に、九十年の間位を持ち給ひき。当世も又かくの如く、法華経の御かたきに成りて候代なれば、須臾も持つべしとはみえねども、故権の大夫殿・武蔵の前司入道殿の御まつりごといみじくて暫く安穏なるか。其れも始終は法華経の敵と成りなば叶ふまじきにや。此の人々の御僻案には念仏者等は法華経にちいん(知音)也。日蓮は念仏の敵也。我等は何れをも信じたりと云云。日蓮つめて云く 代に大禍なくば古にすぎたる疫病・飢饉・大兵乱はいかに。召しも決せずして法華経の行者を二度まで大科に行ひしはいかに。不便不便。[p1516]
而るに女人の御身として法華経の御命をつがせ給ふは釈迦・多宝・十方の諸仏の御父母の御命をつがせ給ふなり。此の功徳をもてる人一閻浮提の内に有るべしや。恐恐謹言。[p1516-1517]
六月二十五日 日 蓮 花押[p1517]
日女御前[p1517]
#0294-000 富木入道殿御返事 弘安元年(1278.06・26) [p1517]
さへもん殿の便宜の御かたびら給候ひ了んぬ。今度の人々のかたがたの御さい(斎)ども、左衛門尉殿の御日記のごとく給了んぬと申させ給候へ。大田入道殿のかたがたものの、ときどのの日記のごとく給候ひ了んぬ。此の法門のかたつらは左衛門尉殿にかきて候。こわせ給ひて御らむ有るべく候。[p1517]
御消息に云く 凡疫病弥興盛〔凡そ疫病弥いよ興盛〕等云云。[p1517]
夫れ人に二の病あり。一には身の病、所謂地大百一・水大百一・火大百一・風大百一。已上、四百四病也。此の病は設ひ仏に有らざれども之を治す。所謂治水・流水・耆婆・扁鵲等が方薬、此れを治するにいゆて愈へずという事なし。[p1517]
二には心の病、所謂三毒乃至八万四千の病也。この病は二天・三仙・六師等も治し難し。何に況んや神農・黄帝等の方薬及ぶべしや。又心の病重々に浅深勝劣分かれたり。六道の凡夫の三毒・八万四千の心病は小仏小乗阿含経・倶舎・成実・律宗の論師人師、此れを治するにゆいて愈へぬべし。但し此の小乗の者等小乗を本として或は大乗を背き、或は心には背かざれども大乗の国に肩を竝べなんどする、其の国其の人に諸病起る。小乗等をもつて此れを治すれば、諸病は増すとも治らせらるる事なし。諸大乗経をの行者をもつて此れを治すれば則ち平愈す。又華厳経・深密経・般若経・大日経等の権大乗の人々各々劣謂勝見を起して、我が宗は或は法華経と斉等、或は勝れたりなんど申す人多く出来し、或は国主等此れを用ひぬれば、此れによて三毒・八万四千の病起る。返りて自らの依経をもつて治すれどもいよいよ倍増す。設ひ法華経をもつて行ふとも験なし。経は勝れてをはしませども、行者、僻見の者なる故也。[p1517-1518]
法華経に又二経あり。所謂迹門と本門となり。本迹の相違は水火天地の違目也。例せば爾前と法華経との違目よりも猶お相違あり。爾前と迹門とは相違ありといへども相似の辺も有りぬべし。所説に八教あり。爾前の円と迹門の円は相似せり。爾前の仏と迹門の仏は劣応・勝応・報身・法身異なれども始成の辺は同じきぞかし。今本門と迹門とは教主すでに久始のかはりめ、百歳のをきなと一歳の幼子のごとし。弟子又水火也。土の先後いうばかりなし。而るを本迹混合すれば水火を弁へざる者也。而るを仏は分明に説き分け給ひたれども仏の御入滅より今に二千余年が間、三国竝びに一閻浮提の内に分明に分けたる人なし。但し、漢土の天台、日本の伝教、此の二人計りこそ粗分け給ひて候へども、本門と迹門との大事に円戒いまだ分明ならず。詮ずる処は天台と伝教とは内には鑑み給ふといへども、一には時来らず、二には機なし、三には譲られ給はざる故也。[p1518-1519]
今末法に入りぬ。地涌出現して弘通有るべき事なり。今末法に入て本門のひろまらせ給ふべきには、小乗・権大乗・迹門の人々設ひ科なくとも又彼々の法にては験有るべからず。譬へば春の薬は秋の薬とならず。設ひなれども春夏のごとくならず。何に況んや彼の小乗・権大乗・法華経の迹門の人々或は大乗権実に迷へる上、上代の国主彼々の経々に付きて寺を立て田畠を寄進せる故に、彼の法を下せば申し延べがたき上、依怙すでに失せるかの故に、大瞋恚を起して、或は実経を謗じ、或は行者をあだむ。国主も又一には多人につき、或は上代の国主の崇重の法をあらため難き故、或は自身の愚痴の故、或は実経の行者を賎しむゆへ等の故、彼の誑人等の語ををさめて実教の行者をあだめば、実教の守護神の梵釈・日月・四天等其の国を罰する故に、先代未聞の三災七難起るべし。所謂去今年、去る正嘉等の疫病等なり。[p1519-1520]
疑て云く 汝が申すがごとくならば、此の国法華経の行者をあだむ故に善神此の国を治罰する等ならば諸人の疫病なるべし。何ぞ汝が弟子等又やみ死ぬるや。答て云く 汝が不審其の謂われ有るか。但し一方を知りて一方を知らざるか。善と悪とは無始よりの左右の法也。権経竝びに諸宗の心は善悪は等覚に限る。若し爾らば等覚までは互いに失有るべし。法華宗の心は一念三千、性悪性善は妙覚の位に猶お備はれり。元品の法性は梵天・帝釈等と顕れ、元品の無明は第六天の魔王と顕れたり。善神は悪人をあだむ、悪鬼は善人をあだむ。末法に入りぬれば自然に悪鬼は国中に充満せり。瓦石草木の竝び滋きがごとし。善鬼は天下に少なし。聖賢まれなる故也。此の疫病は念仏者・真言師・禅宗・律僧等よりも日蓮が方にこそ多くやみ死すべきにて候か。いかにとして候やらむ、彼等よりもすくなくやみ、すくなく死に候は不思議にをぼへ候。人のすくなき故か。又御信心の強盛なるか。[p1520]
問て云く 日本国に此の疫病先代に有りや。[p1520]
答て云く 日本国は神武天皇よりは十代にあたらせ給ひし崇神天皇の御代に疫病起りて日本国やみ死ぬる事半ばにすぐ。王始めて天照太神等の神を国々に崇めしかば疫病やみぬ。故に崇神天皇と申す。此れは仏法のいまだわたらざりし時の事なり。人王第三十代竝びに一二の三代の国王竝びに臣下等、疱瘡と疫病に御崩御等なりき。其の時は神にいのれども叶はざりき。[p1520-1521]
去る人王第三十代欽明天皇の御宇に、百済国より経論僧等をわたすのみならず、金銅の教主釈尊を渡し奉る。蘇我の宿禰等崇むべしと申す。物部の大連等の諸臣竝びに万民等は一同に此の仏は崇むべからず、若し崇むるならば必ず我が国の神、瞋りをなして国やぶれなんと申す。王は両方弁へがたくおはせしに、三災七難先代に超えて起り、万民皆疫死す。大連等便りをえて奏問せしかば、僧尼等をはぢ(恥)に及ばすのみならず、金銅の釈迦仏をしみををこして焼き奉る。寺又同じ。爾時に大連やみ死ぬ。王も隠れさせ給ひ、仏をあがめし蘇我の宿禰もやみぬ。大連が子、守屋の大臣の云く 此の仏をあがむる故に三代の国主すでにやみかくれさせ給ふ。我が父もやみ死しぬ。まさに知るべし、仏をあがむる聖徳太子・馬子等はをやのかたき、公の御かたきなりと申せしかば、穴部の王子・宅部の王子等、竝びに諸臣已下数千人一同によりき(与力)して、仏と堂等をやきはらうのみならず、合戦すでに起りぬ。結句は守屋討たれ了んぬ。仏法渡りて三十五年が間、年々に三災七年疫病起りしが、守屋馬子に討たるるのみならず、神もすでに仏にまけしかば、災難忽ちに止み了んぬ。[p1521]
其の後の代々の三災七難等は大体は仏法の内の乱れより起るなり。而れども或は一人二人、或は一国二国、或は一類二類、或は一処二処の事なれば、神のたたりも有り、謗法の故もあり民のなげきよりも起る。[p1521-1522]
而るに此の三十余年の三災七難等は一向に他事を雑へず。日本一同に日蓮をあだみて、国々郡々村々ごとに上一人より下万民にいたるまで、前代未聞の大瞋恚を起せり。見思未断の凡夫の元品の無明を起す事此れ始めなり。神と仏と法華経にいのり奉らばいよいよ増長すべし。[p1522]
但し法華経の本門をば法華経の行者につけて除き奉る。結句は勝負を決せざらむ外は此の災難止み難かるべし。止観の十境十乗の観法は天台大師説き給ひて後、行ずる人無し。妙楽・伝教の御時少し行ずといへども敵人ゆわきゆへにさてすぎぬ。止観に三障四魔と申すは権経を行ずる行人の障りにはあらず。今日蓮が時具さに起れり。又天台・伝教等の時の三障四魔よりも、いまひとしをまさりたり。一念三千の観法に二つあり。一には理、二には事なり。天台・伝教等の御時には理也。今は事也。勧念すでに勝る故に、大難又色まさる。彼は迹門の一念三千、此れは本門の一念三千也。天地はるかに殊也こと也と、御臨終の御時は御心へ有るべく候。恐々謹言。[p1522]
六月二十六日 日 蓮 花押[p1522]
#0295-000 中務左衛門尉殿御返事 弘安元年(1278.06・26) [p1523]
夫れ人に二病あり。一には身の病。所謂地大百一・水大百一・火大百一・風大百一、已上、四百四病。此の病は治(持)水・流水・耆婆・扁鵲等の方薬をもつて此れを治す。二は心の病、所謂三毒乃至八万四千の病也。仏に有らざれば二天・三仙も治しがたし。何に況んや神農・黄帝等の力及ぶべしや。[p1523]
又心の病に重々の浅深分かれたり。六道の凡夫の三毒・八万四千の心の病をば小乗の三蔵・倶舎・成実・律宗の仏此れを治す。大乗の華厳・般若・大日経等の経々をそしりて起る三毒・八万の病をば、小乗をもつて此れを治すれば、かへりては増長すれども、平愈全くなし。大乗を以て此れを治すべし。又諸大乗経の行者の法華経を背きて起る三毒・八万の病をば、華厳・般若・大日経・真言・三論等をもつて此れを治すればいよいよ増長す。譬へば木石等より出でたる火は水をもつて消しやすし。水より起る火は水をかくればいよいよ熾盛に炎上りて高くあがる。今の日本国去今年疫病は四百四病にあらざれば華陀・扁鵲が治も及ばず。小乗・権大乗の八万四千の病にもあらざれば諸宗の人々のいのりも叶はず。かへりて増長するか。設ひ今年はとどまるとも年々に止みがたからむか。いかにも最後に大事出来して後ぞ定まる事も候はんずらむ。[p1523-1524]
法華経に云く_若修医道 順方治病 更増他疾 或復致死 ~ 而復増劇〔若し医道を修して 方に順じて病を治せば 更に他の疾を増し 或は復死を致さん ~ 而も復増劇せん〕。涅槃経に云く_爾時王舎大城阿闍世王○偏体生瘡。乃至如是瘡者従心而生。非四大起。若言衆生有能治者有無是処〔爾時に王舎大城の阿闍世王○偏体に瘡を生ず。乃至 是の如き瘡は心より生ず。四大より起るには非ず。若し衆生能く治する者有りと言はば是のことはり有ること無し〕云云。妙楽云く ̄智人知起蛇自識蛇〔智人は起を知る、蛇は自ら蛇を識る〕云云。[p1524]
此疫病阿闍世王如瘡。彼非仏難治。此非法華経難除〔此の疫病は阿闍世王の瘡の如し。彼は仏に非ずんば治し難し。此の法華経に非ずんば除き難し〕。将た又日蓮が下痢去年十二月三十日事起り、今年六月三日・四日、日々に度をまし月々に倍増す。定業かと存する処に貴辺の良薬服してより已来、日々月々に減じて今百分の一となれり。しらず、教主釈尊の入りかわりまいらせて日蓮を扶け給ふか。地涌の菩薩の妙法蓮華経の良薬をさづけ給へるかと疑ひ候なり。くはしくは筑後房に申すべく候。[p1524]
又追申。きくせんは今月二十五日戌の時来りて候。種種の物かずへつくしがたし。ときどの(富木殿)ゝかたびらの申し候べし。又女房の御をゝぢの御事。なげき入て候よし申させ給候へ。恐々謹言。[p1524]
六月廿六日 日 蓮 花押[p1524]
中務左衛門尉殿 御返事[p1524]
#0296-000 兵衛志殿御返事 弘安元年(1278.06・26) [p1525]
みそをけひとつ給了んぬ。はらのけ(下痢)はさゑもん殿の御薬になをりて候。又このみそをなめて、いよいよ心ちなをり候ひぬ。[p1525]
あはれあはれ、今年御つゝがなき事をこそ、法華経に申し上げまいらせ候へ。恐々謹言[p1525]
六月廿六日 日 蓮 花押[p1525]
兵衛志殿 御返事[p1525]
#0299-000 種種物御消息 弘安元年(1278.07・07) [p1529]
みなみなのものをくり給て法華経にまいらせて候。抑そも日本国の人を皆やしなひて候よりも、父母一人やしないて候は功徳まさり候。日本国の皆人をころして候は七大地獄に堕ち候。父母をころせる人は第八の無間地獄と申す地獄に堕ち候。人ありて父母をころし、釈迦仏の御身よりち(血)をいだして候人は、父母をころすつみ(罪)にては無間地獄に堕ちず、仏の御身よりちをいだすつみにて無間地獄に堕ち候也。又十悪・五逆をつくり、十方三世の諸仏の仏の身よりちをいだせる人の法華経の御かたきとなれるは、十悪・五逆、十方の仏の御身よりちをいだせるつみにては阿鼻地獄へは入る事なし。ただ法華経不信の大罪によりて無間地獄へは堕ち候也。又十悪・五逆を日々につくり十方の諸仏を月々にはう(謗)ずる人と、十悪・五逆を日々につくらず十方の諸仏を月々にはうぜず候人、此の二人は善悪はるかにかわりて候へども、法華経を一時一点もあひそむきぬれば、かならずおなじやうに無間地獄へ入り候也。[p1529-1530]
しかればいまの代の海人山人日々に魚鹿等をころし、源家平家等の兵士等のとしどしに合戦をなす人々は父母をころさねばよも無間地獄には入り候はじ。便宜候はば法華経を信じて、たまたま仏になる人も候らん。今の天台座主・東寺・御室・七大寺の検校・園城寺の長吏等の真言師竝に禅宗・念仏者・律宗等は、眼前には法華経を信じよむににたれども、其の根本をたづぬれば弘法大師・慈覚大師・智証大師・善導・法然等が弟子也。源にごりぬれば流れきよからず。天くもれば地くらし。父母謀反をおこせば妻子ほろぶ。山くづるれば草木たふるならひなれば、日本六十六ヶ国の比丘比丘尼等の善人等皆無間地獄に堕つべき也。[p1530]
されば今の代には地獄に堕つるものは悪人よりも善人、善人よりも僧尼、僧尼よりも持戒にて智慧かしこき人々の阿鼻地獄へは堕ち候也。[p1530]
此の法門は当世日本国に一人もしり(知)て候人なし。ただ日蓮一人計りにて候へば、此れを知て申さずは日蓮無間地獄に堕ちてうかぶご(期)なかるべし。譬へばむほんの物をしりながら国主へ申さぬとが(失)あり。申せばかたき雨のごとし風のごとし。むほんのもののごとし。海賊山賊のもののごとし。かたがたしのびがたき事也。例せば威音王仏の末の不軽菩薩の如し。歓喜仏のすえの覚徳比丘のごとし。天台のごとし。伝教のごとし。[p1530-1531]
又かの人々よりもかたきすぎたり。かの人々は諸人ににくまれたりしかどもいまだ国主にあだまれず。これは諸人よりは国主にあだまるる事父母のかたきよりもすぎたるをみよ。かゝるふしぎの者をふびんとて御くやう候は、日蓮が過去の父母歟。又先世の宿習歟。おぼろげの事にはあらじ。[p1531]
其の上雨ふり、かぜふき、人のせい(制)するにこそ心ざしはあらわれ候へ。此れも又かくのごとし。ただなる時だにも、するが(駿河)とかい(甲斐)とのさかいは山たかく、河はふかく、石をゝく、みちせばし。いわうやたうじ(当時)はあめはしの(篠)をたてゝ三月(みつき)にをよび、かわゝまさりて九十日。やまくづれ、みちふさがり、人もかよはず、かつて(糧)もたへて、いのちかうにて候つるに、このすゞの物たまわりて法華経の御こへ(声)をもつぎ、釈迦仏の御いのちをもたすけまいらせ給ひぬる御功徳、たゞをしはからせ給ふべし。くはしくは又々申すべし。恐々。[p1531]
七月七日 日 蓮 花押[p1532]
御返事[p1532]
#0301-000 妙法尼御前御返事 弘安元年(1278.07・14) [p1535]
御消息に云く めうほうれんぐゑきやう(妙法蓮華経)をよるひる(夜昼)となへまいらせ、すでにちかくなりて二声かうしやう(高声)にとなへ、乃至いきて候ひし時よりもなほいろもしろく、かたちもそむせずと云云。[p1535]
法華経に云く_如是相。乃至 本末究竟等云云。大論に云く ̄臨終之時色黒堕地獄〔臨終の時、色黒きは地獄に堕つ〕守護経に云く_地獄に堕つるに十五の相・餓鬼に八種の相・畜生に五種の相等云云。天台大師の摩訶止観に云く ̄身黒色譬地獄陰〔身の黒色は地獄の陰を譬ふ〕等云云。[p1535]
夫れ以みれば日蓮幼少の時より仏法を学し候ひしが念願すらく、人の寿命は無常也。出づる気は入る気を待つ事なし。風の前の露、尚譬にあらず。かしこきも、はかなきも、老いたるも若きも定め無き習ひ也。されば先づ臨終を習ふて後に他事を習ふべしと思ひて、一代聖教の論師・人師の書釈あらあらかんがへあつめ(勘集)て、此れを明鏡として、一切の諸人の死する時と竝びに臨終の後とを引き向かへてみ候へば、すこしもくもりなし。此の人は地獄に堕ちぬ乃至人天とはみへて候を、世間の人々或は師匠父母等臨終の相をかくして西方浄土往生とのみ申し候。悲しい哉、師匠は悪道に堕ちて多くの苦しのびがたければ、弟子はとゞまりゐて死の臨終をさんだんし、地獄の苦を増長せしむる。譬へばつみ(罪)ふかき者を口をふさいできうもん(糾問)し、はれ物のの口をあけずしてやま(病)するがごとし。[p1535-1536]
しかるに今の御消息に云く いきて候ひし時よりもなほいろもしろく、かたちもそむせずと云云。天台云く ̄白白譬天〔白白は天に譬ふ〕。大論に云く ̄赤白端正者得天上〔赤白端正なる者は天上を得る〕云云。天台大師御臨終の記に云く 色白し。玄奘三蔵御臨終を記して云く 色白し。一代聖教の定まる名目に云く ̄黒業は六道にとどまり、白業は四聖となる。此れ等の文証と現証をもつてかんがへて候に、此の人は天に生ぜるか、はた又法華経の名号を臨終に二反となうと云云。法華経の第七の巻に云く_於我滅度後 応受持斯経 是人於仏道 決定無有疑〔我が滅度の後に於て 斯の経を受持すべし 是の人仏道に於て 決定して疑あることなけん〕云云。
一代の聖教いづれも、いづれもをろかなる事は候はず。皆我等が親父、大聖教主釈尊の金言也。皆真実也。皆実語也。其の中にをいて又小乗・大乗・顕教・密教・権大乗・実大乗あいわかれて候。仏説と申すは二天・三仙・外道・道士の経々にたいし候へば此れ等は妄語、仏説は実語にて候。此の実語の中に妄語あり、実語あり、綺語も悪口もあり。其の中に法華経は実語の中の実語なり。真実の中の真実なり。真言宗と華厳宗と三論と法相と倶舎・成実と律宗と念仏宗と禅宗等は実語の中の妄語より立て出だせる宗々なり。法華宗は此れ等の宗々にはにるべくもなき実語なり。法華経の実語なるのみならず、一代妄語の経々すら法華経の大海に入りぬれば、法華経の御力にせめられて実語となり候。いわうや法華経の題目をや。白粉の力は漆を変じて雪のごとく白くなす。須弥山に近づく衆色は皆金色なり。法華経の名号を持つ人は、一生乃至過去遠々劫の黒業の漆変じて白業の大善となる。いわうや無始の善根皆変じて金色となり候なり。[p1536-1537]
しかれば故聖霊、最後臨終に南無妙法蓮華経と唱へさせ給ひしかば、一生乃至無始の悪業変じて仏の種となり給ふ。煩悩即菩提、生死即涅槃即身成仏と申す法門なり。かゝる人の縁の夫妻にならせ給へば又女人成仏も疑ひなかるべし。若し此の事虚言ならば釈迦・多宝・十方分身の諸仏は妄語の人、大妄語の人、悪人也。一切衆生をたぼらかして地獄におとす人なるべし。提婆達多は寂光浄土の主となり、教主釈尊は阿鼻大城のほのをにむせび給ふべし。日月は地に落ち、大地はくつがへり、河は逆に流れ、須弥山はくだけをつべし。日蓮が妄語にはあらず、十方三世の諸仏の妄語也。いかでか其の義候べきとこそをぼへ候へ。委しくは見参の時申すべく候。[p1537]
七月十四日 日 蓮 花押[p1537]
妙法尼御前申させ給へ[p1538]
#0302-000 千日尼御前御返事 弘安元年(1278.07・28) [p1538]
弘安元年[太歳戌寅]七月六日、佐渡の国より千日尼と申す人、同じ日本国甲州波木井郷の身延山と申す深山へ、同じ夫の阿仏房を使いとして送り給ふ御文に云く 女人の罪障はいかがかと存じ候へば、御法門に法華経は女人の成仏をさきとするぞと候ひしを、万事はたのみまいらせ候て等云云。[p1538]
夫れ法華経と申し候御経は誰れ仏の説き給ひて候ぞとをもひ候へば、此の日本国より西、漢土より又西、流沙・葱嶺と申すよりは又はるか西、月氏と申す国に浄飯王と申しける大王の太子、十九の年位をすべらせ給ひて檀どく山と申す山に入り御出家、三十にして仏とならせ給ひ、身は金色と変じ、神は三世をかがみさせ給ふ。すぎにし事、来るべき事、かがみにかけさせ給ひてをはせし仏の、五十余年が間一代一切の経々を説きをかせ給ふ。[p1538]
此の一切の経々仏の滅後一千年が間月氏国にやうやくひろまり候しかども、いまだ漢土・日本国等へは来り候はず。仏滅後一千十五年と申せしに漢土へ仏法渡りはじめて候しかども、又いまだ法華経わたり給はず。仏法漢土にわたりて二百余年に及んで、月氏と漢土との中間に亀茲国と申す国あり。彼の国の内に鳩摩羅えん三蔵と申せし人の弟子鳩摩羅什と申せし人、彼の国より月氏に入り、須利耶蘇磨三蔵と申せし人に此の法華経をさづかり給ひき。[p1538-1539]
其の授け給ひし時の御語に云く 此の法華経は東北の国に縁ふかしと云云。此の御語を持ちて月氏より東方漢土へわたし給ひ候しなり。漢土には仏法わたりて二百余年、後秦王の御宇に渡りて候ひき。日本国には人王第三十代欽明天皇の御宇、治十三年[壬申]十月十三日[辛酉]日、此れより西百済国と申す国より聖明皇、日本国に仏法をわたす。此れは漢土に仏法わたて四百年、仏滅後一千四百余年也。[p1539]
其の中にも法華経はましまししかども人王第三十二代用明天皇の太子、聖徳太子と申せし人、漢土へ使いをつかわして法華経をとりよせまいらせて日本国に弘通し給ひき。それよりこのかた七百余年なり。仏滅後はすでに二千二百三十余年になり候上、月氏・漢土・日本、山々・河々・海々遠くへだたり、人々・心々・国々・各々別にして語かわり、しなことなれば、いかでか仏法の御心をば我等凡夫は弁へ候べき。ただ経々の文字を引き合わせてこそ知るべきに、一切経はやうやうに候へども法華経と申す御経は八巻まします。流通に普賢経、序分の無量義経、各一巻已上。此の御経を開き見まいらせ候へば明らかなる鏡をもつて我が面をみるがごとし。日出でて草木の色を弁へるににたり。[p1539-1540]
序分の無量義経を見まいらせ候へば、四十余年未顕真実と申す経文あり。法華経の第一の巻方便品の始めに_世尊法久後 要当説真実〔世尊は法久しゅうして後 要ず当に真実を説きたもうべし〕と申す経文あり。第四の巻の宝塔品には妙法華経 ~ 皆是真実と申す明文あり。第七の巻には_舌相至梵天〔舌相梵天に至り〕と申す経文赫々たり。其の外は此の経より外のさきのち(前後)ならべる経々をば星に譬へ、江河に譬へ、小王に譬へ、小山に譬へたり。法華経をば月に譬へ、日に譬へ、大海・大山・大王等に譬へ給へり。[p1540]
此の語は私の言に有らず。如来の金言也。十方の諸仏の御評定の御言也。一切の菩薩・二乗・梵天・帝釈今の天に懸けて明鏡のごとくまします。日月も見給ひき聞き給ひき。其の日月の御語も此の経にのせられて候。月氏・漢土・日本国のふるき神たちも皆其の座につらなりし神々なり。天照太神・八幡大菩薩・熊野すずか等の日本国の神々もあらそい給ふべからず。此の経文は一切経に勝れたり。地走る者の王たり。師子王の如し。空飛ぶ者の王たり。鷹のごとし。南無阿弥陀仏経等はきじのごとし。兎のごとし鷲につかまれては涙をながし、師子にせめられては腹わたをたつ。念仏者・律僧・禅僧・真言師等又かくのごとし。法華経の行者に値ひぬればいろを失ひ魂をけすなり。[p1540-1541]
かゝるいみじき法華経と申す御経はいかなる法門ぞと申せば、一の巻方便品よりうちはじめて菩薩・二乗・凡夫皆仏になり給ふやうをとかれて候へども、いまだ其のしるしなし。設へば始めたる客人が相貌うるわしくして心もいさぎよく、口もきひて候へばいう事疑ひなけれども、さきも見ぬ人なればいまだあらわれたる事なければ、語おみにては信じがたきぞかし。其の時語にまかせて代なる事度々あひ候へば、さては後の事もたのもしなんど申すぞかし。一切信じて信ぜられざりしを第五の巻に即身成仏と申す一経第一の肝心あり。譬へばくろき物を白くなす事漆を雪となし、不浄を小乗になす事、濁水に如意珠を入れたるがごとし。龍女と申せし小蛇を現身に仏になしましましき。此の時こそ一切の男子の仏になる事をば疑ふ者は候はざりしか。されば此の経は女人成仏を手本としてとかれたりと申す。[p1541]
されば日本国に法華経の正義を弘通し始めましませし、叡山の根本伝教大師の此の事を釈し給ふには ̄能化所化倶無歴劫妙法経力即身成仏〔能化所化倶に歴劫なし。妙法経力即身成仏〕等。漢土の天台智者大師法華経の正義をよみはじめ給ひしには ̄他経但記男不記女 乃至 今経皆記(他経は但男に記して女に記せず 乃至 今経は皆記す)等云云。此れは一代聖教の中には法華経第一、法華経の中には女人成仏第一なりとことわらせ給ふにや。されば日本一切の女人は法華経より外の一切経には女人成仏せずと嫌ふとも、法華経にだにも女人成仏ゆるされなばなにかくるしかるべき。[p1541-1542]
しかるに日蓮はうけがたくして人身をうけ、値ひがたくして仏法に値ひ奉る。一切の仏法の中に法華経に値ひまいらせて候。其の恩徳ををもへば父母の恩・国主の恩・一切衆生の恩なり。父母の恩の中に慈父をば天に譬へ、悲母を大地に譬へたり。いづれもわけがたし。其の中悲母の大恩ことにほうじがたし。此れを報ぜんとをもうに外典の三墳・五典・孝経等によて報ぜんとをもへば、現在をやしないて後生をたすけがたし。身をやしない魂をたすけず。内典の仏法に入て五千七千余巻の小乗・大乗は、女人成仏をかたければ悲母の恩報じがたし。小乗は女人成仏一向に許されず。大乗経は或は往生を許したるやうなれども仏の仮言にて実事なし。[p1542]
但法華経計りこそ女人成仏、悲母の恩を報ずる実の報恩経にては候へと見候ひしかば、悲母の恩を報ぜんために此の経の題目を一切の女人に唱へさせんと願す。其れに日本国の一切の女人は漢土の善導、日本の慧心・永観・法然等にすかされて、詮とすべきに南無妙法蓮華経をば一国の女人一人も唱ふることなし。但南無阿弥陀仏と一日に一返十返百千万億反乃至三万十万反、一生が間昼夜十二時に又他事なし。道心堅固なる女人も又悪人なる女人も弥陀念仏を本とせり。わづかに法華経をこととするやうなる女人も月まつまでのてすさび、をもわしき男のひまに心ならず心ざしなき男にあうがごとし。[p1542-1543]
されば日本国の一切の女人法華経の御心に叶ふは一人もなし。我が悲母に詮とすべき法華経をば唱へずして弥陀に心をかけば、法華経は本ならねばたすけ給ふべからず。弥陀念仏は女人たすくる法にあらず。必ず地獄に堕ち給ふべし。いかんがせんとなげきし程に我が悲母をたすけんために、弥陀念仏は無間地獄の業なり。五逆にはあらざれども五逆にすぎたり。父母を殺す人は其の肉親をばやぶれども、父母を後生に無間地獄に入れず。今日本国の女人は必ず法華経にて仏になるべきを、たぼらかして一向に南無阿弥陀仏になしぬ。悪ならざればすかされぬ。仏になる種ならざれば仏にはならず。弥陀念仏の小善をもつて法華経の大善を失ふ。小善の念仏は大悪の五逆罪にすぎたり。譬へば承平の将門は関東八箇国をうたへ(打平)、天喜の貞任は奥州をうちとどめし。民を王へ通ぜざりしかば朝敵となりてついにほろぼされぬ。此れ等は五逆にすぎたる謀反なり。今日本国の仏法も又かくのごとし。色かわれる謀反なり。[p1543]
法華経は大王、大日経・観無量寿経・真言宗・浄土宗・禅宗・律僧等は彼々の小経によて法華経の大怨敵となりぬ。而るを、日本の一切の女人等我が心のをろかなるをば知らずして、我をたすくる日蓮をかたきとをもひ、大怨敵たる念仏者・禅・律・真言師等を善知識とあやまてり。たすけんとする日蓮かへりて大怨敵とをもわるゝゆえに、女人こぞりて国主に讒言して伊豆の国へながせし上、又佐渡の国へながされぬ。[p1543-1544]
こゝに日蓮願て云く 日蓮は全く・りなし。設ひ僻事なりとも日本国の一切の女人を扶けんと願せる志はすてがたかるべし。何に況んや法華経のまゝに申す。而るを一切の女人等信ぜずばさてこそ有るべきに、かへりて日蓮をうたする、日蓮が僻事か。釈迦・多宝・十方の諸仏・菩薩・二乗・梵釈四天等いかに計らひ給ふぞ。日蓮僻事ならば其の義を示し給へ。ことには日月天は眼前の境界なり。又仏前にしてきかせ給へる上、法華経の行者をあだまんものをば頭破七分等と誓はせ給ひて候へばいかんが候べきと、日蓮強盛にせめまいらせ候ゆへに天此の国を罰す。ゆへに此の疫病出現せり。他国より此の国を天をほせつけて責めらるべきに、両方の人あまた死すべきに、天の御計らひとしてまづ民を滅して人の手足を切るがごとくして、大事の合戦なくして、此の国の王臣等をせめかたぶけて、法華経の怨敵を滅して正法を弘通せんとなり。[p1544]
而るに日蓮佐渡の国へながされたりしかば彼の国の守護等は国主の御計らひに随ひて日蓮をあだむ。万民はその命に随う。念仏者・禅・律・真言師等は鎌倉よりもいかにもして此れへわたらぬやう計ると申しつかわし、極楽寺の良観等は武蔵の前司殿の私の御教書を申して、弟子に持たせて日蓮をあだみなんとせしかば、いかにも命たすかるべきやうはなかりしに、天の御計らひはさてをきぬ、地頭々々等 念仏者々々々等 日蓮が庵室に昼夜に立ちそいてかよ(通)う人あるをまどわさんとせめしに、阿仏房にひつ(櫃)をしをわせ、夜中に度々御わたりありし事、いつの世にかわすらむ。只悲母の佐渡の国に生まれかわりて有るか。漢土に沛公と申せし人、王の相有りとて秦の始皇の勅宣を下して云く 沛公打ちてまいらせん者には不次の賞を行ふべし。沛公は里の中には隠れがたくして山に入りて七日二七日なんど有りしなり。其の時命すでにをわりぬべかりしに、沛公の妻女呂公と申せし人こそ山中を尋ねて時時〈よりより〉命をたすけしが、彼は妻なればなさけすてがたし。此れは後世ををぼせずばなにしにかかくはをはすべき。又其の故に或は所ををい、或はくわれう(科料)をひき、或は宅をとられなんどせしに、ついにとをらせ給ぬ。法華経には過去に十万億の仏を供養せる人こそ今生には退せぬとわみへて候へ。されば十万億供養の女人なり。[p1544-1545]
其の上、人は見る眼の前には心ざし有りとも、さしはなれぬれば、心はわすれずともさてこそ候に、去る文永十一年より今年弘安元年まではすでに五ヶ年が間、此の山中に候に、佐渡の国より三度まで夫をつかわす。いくらほどの御心ざしぞ。大地よりもあつく大海よりもふかき御心ざしぞかし。釈迦如来は我が薩・王子たりし時うへたる虎に身をかい(飼)し功徳、尸毘王とありし時鳩のために身をかへし功徳をば、我が末の代かくのごとく法華経を信ぜん人にゆづらむとこそ、多宝・十方の仏の御前にては申させ給ひしか。[p1545-1546]
其の上御消息に云く 尼が父の十三年は来る八月十一日。又云く ぜに一貫もん等云云。あまりの御心ざしの切に候へば、ありえて御はしますに随ひて法華経十巻ををくりまいらせ候。日蓮がこいしくをはせん時は学乗房によませて御ちやうもんあるべし。此の御経をしるしとして後生には御たづねあるべし。[p1546]
抑そも去年今年のありさまはいかにならせ給ひぬらむと、をぼつかなさに法華経にねんごろに申し候つれども、いまだいぶかし(不審)く候つるに、七月二十七日の申の時に阿仏房を見つけて、尼ごぜんはいかに、こう入道殿はいかにとまづといて候つれば、いまだやま(病)ず、こう入道殿は同道にて候つるが、わせ(早稲)はすでにちかづきぬ、こ(子)わなし、いかんがせんとてかへられ候つるとかたり候ひし時こそ、盲目の者の眼のあきたる、死し給へる父母の閻魔宮より御をとづれの夢の内に有るをゆめにて悦ぶがごとし。あわれあわれふしぎなる事かな。[p1546-1547]
此れもかまくらも此の方の者は此の病にて死ぬる人はすくなく候。同じ船にて候へばいづれもたすかるべしともをぼへず候つるに、ふねやぶれてたすけぶねに値へるか。又龍神のたすけにて事なく岸へつけるかとこそ不思議がり候へ。さわ(谷)の入道の事なげくより尼ごぜんへ申しつたへさせ給へ。ただし入道の事は申し切り候ひしかばをもひ合わせ給ふらむ。いかに念仏堂ありとも阿弥陀仏は法華経のかたきをばたすけ給ふべからず。かへりて阿弥陀仏の御かたきなり。後生悪道に堕ちてくいられ候らむ事あさまし。ただし入道の堂のらう(廊)にていのちをたびたびたすけられたりし事こそ、いかにすべしともをぼへ候はね。学乗房をもつてはか(墓)につねつね法華経をよませ給へとかたらせ給へ。それも叶ふべしとはをぼえず。さても尼のいかにたよりなからむとなげくと申しつたへさせ給ひ候へ。又々申すべし。[p1547]
七月二十八日 日 蓮 花押[p1547]
佐渡国府阿仏房尼御前[p1547]
#0304-000 芋一駄御書 弘安元年(1278.08・14) [p1550]
いも一駄・はじかみ五十ぱ(把)をくりたびて候。このみのぶのやまと申し候は、にし(西)はしらねのたけ(嶽)、つねによき(雪)をみる。ひんがし(東)にはてんしのたけ、つねにひ(日)をみる。きたはみのぶのたけ、みなみはたかとりのたけ、四山のあひ(間)はこ(箱)のそこのごとし。いぬゐ(戌亥)のすみよりかは(河)はながれて、たつみ(辰巳)のすみにむかう。かゝるいみじきところ、みね(峯)にはせび(蝉)のこへ、たに(谷)にはさる(猿)のさけび、木はあしのごとし、くさはあめににたり。しかれどもかゝるいもはみへ候はず。はじかみはをひず。いし(石)ににて少しまもりやわらかなり。くさ(草)ににてくさよりもあぢあり。法華経に申しあげ候ぬれば、御心ざしはさだめて釈迦仏しろしめしぬらん。恐々謹言。[p1550]
八月十四日 日 蓮 花押[p1550]
御返事[p1550]
#0309-0K0 十月分時料御書 弘安元年(1278.09) [p1588]
十月分時料三貫、大口一、三貫五十云云。[p1588]
摩訶摩耶経に云く_六百年馬鳴出づ 七百年龍樹出づ。付法蔵経に云く_第十一馬鳴 第十三龍樹等云云。[p1588]
#0310-0K0 富木入道殿御返事 弘安元年(1278.10・01) [p1588]
御文粗拝見仕り候ひ了んぬ。[p1588]
御状に云く 常忍の云く 記の九に云く_稟権出界名為虚出〔権を稟けて界を出づるを名づけて虚出と為す〕云云。了性房 全く以て其の釈無し云云。[p1588]
記の九に云く[寿量品の処]_無有虚出至昔虚為実故 為字去声、稟権出界名為虚出。三乗無不皆出三界。人天無不為出三途。竝名為虚〔無有虚出より昔虚為実故に至までは、為の字去声、権を稟けて界を出づるを名づけて虚出と為す。三乗は皆三界を出でずといふこと無し。人天は三途を出でんが為ならずといふこと無し。竝びに名づけて虚と為す〕。[p1588]
文句の九に云く_無有虚出而不入実者。故知。昔虚為実故〔虚より出でて而も実に入らざる者有ること無し。故に知んぬ。昔の虚は実の為の故なり〕と云云。[p1588]
寿量品に云く_諸善男子。如来見諸衆生。楽於小法。徳薄垢重者〔諸の善男子、如来諸の衆生の小法を楽える徳薄垢重の者を見ては〕。乃至 以諸衆生。乃至 未曾暫廃〔未だ曾て暫くも廃せず〕云云。此の経の文を承けて天台・妙楽は釈せし也。此の経文は、初成道の華厳の別円、乃至、法華経の迹門十四品を或は小法と云ひ、或は徳薄垢重、或は虚出等と説ける経文也。[p1588-1589]
若し然らば華厳経の華厳宗・深密経の法相宗・般若経の三論宗・大日経の真言宗・観経の浄土宗・楞伽経の禅宗等の諸経の諸宗は、依経の如く其の経を読誦すとも三途を出でざる者也。何に況んや、或は彼を実と称し、或は勝る等云云。此の人々は天に向ひて唾を吐き、地を・んで忿りを為す者か。[p1589]
此の法門に於て如来滅後月氏一千五百余年、付法蔵の二十四人、龍樹・天親等知て未だ此れを顕さず。漢土一千余年の余人も未だ之を知らず。但天台・妙楽等、粗之を演ぶ。然りと雖も未だ其の実義を顕さざるか。伝教大師以て是の如し。[p1589]
今日蓮粗之を勘ふるに、法華経之此の文を重ねて涅槃経に演べて云く_若於三法 修異想者 当知此輩 清浄三帰 則無依処 所有禁戒 皆不具足。終不能証 声聞縁覚 菩薩之果〔若し三法に於て異の想を修する者は、当に知るべし。此の輩は清浄の三帰、則ち依処無く、所有の禁戒、皆具足せず。終に声聞・縁覚・菩薩の果を証することあたはず〕等云云。此の経文は正しく法華経の寿量品を顕説せる也。寿量品は木に譬へ、爾前迹門をば影に譬へる之文なり。経文に又之有り。五字八教・当分跨節・大小の益は影の如し、本門の法門は木の如し云云。又寿量品已前之在世之益は闇中の木影也。過去に寿量品を聞きし者の事也等云云。[p1589]
又不信は謗法に非ずと申す事。又云く 不信者不堕地獄〔不信の者地獄に堕ちず〕云云。五の巻に云く_生疑不信者 即当堕悪道〔疑を生じて信ぜざることあらん者は 即ち当に悪道に堕つべし〕云云。惣じて御心へ候へ。[p1589]
法華経と爾前とを引き向けて勝劣浅深を判ずるに当分跨節の事、三つの様有り。日蓮が法門は第三の法門也。世間に粗夢の如く一二をば申せども、第三をば申さず候。第三の法門は天台・妙楽・伝教も粗之を示せども、未だ事了へず。所詮、末法之今に譲り与へし也。五々百歳は是れ也。但此の法門の御論談は、余は承らず候。彼は広学他門の者也。はばかり、はばかり、み(見)た、みたと候ひしかば、此の方のまけなんども申しつけられなばいかんがし候べき。但彼の法師等が彼の釈を知り候はぬはさてをき候ぬ。六十巻になしなんど申すは天のせめなり。謗法の科の法華経の御使に値ふて顕れ候なり。[p1589-1590]
又此の沙汰の事も定めてゆへありて出来せり。かしま(賀島)の大田次郎兵衛・大進房、又本院主もいかにとや申すぞ。よくよくきかせ給ひ候へ。此れ等は経文に子細ある事なり。法華経の行者をば第六天の魔王の必ず障べきにて候。十境の中の魔境此れ也。魔の習ひは善を障へて悪を造らしむるをば悦ぶ事に候。強ひて悪を造らざる者をば力及ばずして善を造らしむ又二乗の行をなす物をばあながちに怨をなして善をすゝむるなり。又菩薩の行をなす物をば遮りて二乗の行をすゝむ。最後に純円の行を一向になす物をば兼別等に堕すなり。止観の八等を御らむあるべし。[p1589]
又彼の云く 止観の行者は持戒等云云。文句の九には初二三の行者の持戒をば此れをせいす。経文又分明也。止観に相違の事は妙楽の問答之有り。記の九を見るべし。初随喜に二有り。利根の行者持戒を兼ねたり。鈍根は持戒、之を誓止す。又正像末の不同もあり。摂受折伏の異あり。伝教大師の市の虎の事思ひ合わすべし。此れより後は下總にては御法門候べからず。了性・思念をつめつる上は、他人と御論候わばかへりてあさくなりけん。[p1590-1591]
念をつめつる上は他人と御論候わ 念をつめつる上は他人と御論候わ 彼の了性と思念とは、年来日蓮をそしるとうけ給はる。彼等程の蚊虻の者が日蓮程の師子王を聞かず見ずして、うはのそらにそしる程のをこじん(嗚呼人)なり。天台法華宗の者ならば、我は南無妙法蓮華経と唱へて、念仏なんど申す者をばあれはさる事なんど申すだにもきくわいなるべきに、其の義なき上、偶たま申す人をそしるでう、あらふしぎ、あらふしぎ。[p1591]
大進房が事。さきざきかきつかわして候やうに、つよづよとかき上げ申させ給候へ。[p1591]
大進房には十羅刹のつかせ給ひて引きかへしせさせ給ふとをぼへ候ぞ。又魔王の使者なんどがつきて候ひけるが、はなれて候ををぼへ候ぞ。悪鬼入其身はよもそら事にては候はじ。事々重く候へども此の使いそぎ候へばよる(夜)かきて候ぞ。恐々謹言。[p1591]
十月一日 日 蓮 花押[p1591]
#0311-000 初穂御書 弘安元年(1278.10・21) [p1592]
石給ひて御はつを(初穂)たるよし。法華経の御宝前へ申し上げて候。かしこまり申すよし。けさん(見参)に入らさせ給候へ。恐々。[p1592]
十月二十一日 日 蓮 花押[p1592]
御所御返事[p1592]
#0313-000 不孝御書 弘安元年(1278) [p1595]
なによりも人には不孝がをそろしき事に候ぞ。とのゝあに(兄)をとゝはわれと法華経のかたきになりて、とのをはなれぬれば、かれこそ不孝のもの、とのゝみ(身)にはとがなし。をうなるい(女類)どもこそ、とのゝはぐゝみ給はずは一定不孝にならせ給ひ候はんずらんとをぼへ候。所領もひろくなりて候わば我りやうえも下しなんどして一身すぐるほどはぐゝませ給へ。さだにも候わば過去の父母定んでまほり給ふべし。日蓮がきせい(祈請)も[p1595]
#0317-000 九郎太郎殿御返事 弘安元年(1278.11・01) [p1602]
これにつけても、こうえのどの(故上野殿)の事こそ、をもひいでられ候へ。[p1602]
いも一駄・くり・やきごめ・はじかも給候ひぬ。さてはふかき山にはいもつくる人もなし。くりもならず、はじかみもをひず。まして、やきごめみへ候はず。たといくりなりたりとも、さる(猿)のこすべからず。いえのいもはつくる人なし。たといつくりたりとも人にくみてたび候はず。いかにしてかかゝるたかき山へはきたり候べき。[p1602]
それ山をみ候へば、たかきよりしだい(次第)にしもえくだり。うみをみ候へば、あそきよりしだひにくかし。代をみ候へば、三十年・二十年・十年・五年・四・三・二・一、次第にをとろへたり。人の心もかくのごとし。これはよのすへになり候へば、山にはまがれるきのみとゞまり、の(野)にはひきゝくさのみをひたり。よにはかしこき人はすくなく、はかなきものはをほし。牛馬のちゝをしらず、兎羊の母をわきまえざるがごとし。[p1602-1603]
仏御入滅ありては二千二百二十余年なり。代すへになりて智人次第にかくれて、山のくだれるごとく、くさのひきゝににたり。念仏を申しかい(戒)をたもちなんどするひとはをゝけれども、法華経をたのむ人すくなし。星は多けれども大海をてらさず。草は多けれども大内の柱とはならず。念仏は多けれども仏と成る道にはあらず。戒は持てども浄土へまひる種とは成らず。但南無妙法蓮華経の七字のみこそ仏になる種には候へ。[p1603]
此れを申せば人はそねみて用ひざりしを故上野殿信じ給ひしによりて仏に成らせ給ひぬ。各々は其の末にて此の御志をとげ給ふ歟。龍馬につきぬるだには千里をとぶ。松にかゝれるつたは千尋をよづと申すは是れ歟。各々種の御心也。[p1603]
つちのもちゐを仏に供養せし人は王となりき。法華経は仏にまさらせ給ふ法なれば、供養せさせ給ひて、いかでか今生にも利生にあづかり、後生にも仏にならせ給はざるべき。その上、みひん(身貧)にしてげにん(下人)なし。山河わづらひあり。たとひ心ざしありともあらはしがたきに、いまいろをあらわさせ給ふに、しりぬ、をぼろげならぬ事なり。さだめて法華経の十羅刹まほらせ給ひぬらんとたのもしくこそ候へ。事つくしがたし。恐々謹言。[p1603-1604]
弘安元年十一月一日 日 蓮 花押[p1604]
九郎太郎殿 御返事[p1603]
#0318-000 兵衛志殿御返事 弘安元年(1278.11・29) [p1604]
銭六貫文の内[一貫次郎よりの分]白厚小袖一領。[p1604]
四季にわたりて財を三宝に供養し給ふ。いづれもいづれも功徳にならざるはなし。[p1604]
但し時に随ひて勝劣浅深わかれて候。うへたる人には衣をあたへたるよりも、食をあたへて候はいますこし功徳まさる。こゞへたる人には食をあたへて候よりも、衣は又まさる。春夏に小袖をあたへて候よりも、秋冬にあたへぬれば又功徳一倍なり。これをもつて一切はしりぬべし。たゞし此の事にをいては四季を論ぜず、日月をたゞさず、ぜに・こめ・かたびら・きぬこそで、日々・月々にひまなし。例せばびんばしらわうの教主釈尊に日々日々に五百輌の車ををくり、阿育大王の十億の砂金を鶏頭摩寺にせゝしがごとし。大小ことなれども志はかれにもすぐれたり。[p1604-1605]
其の上今年は子細候。ふゆと申すふゆ、いづれのふゆかさむからざる。なつと申すなつ、又いづれのなつかあつからざる。たゞし今年は余国はいかんが候らめ、このはきゐは法にすぎてかんじ候。ふるきをきなどもにとひ候へば、八十・九十・一百になる者の物語り候は、すべていにしへこれほどさむき事候はず。此のあんじちより四方の山の外、十丁二十丁は人かよう事候はねばしり候はず。きんぺん一丁二丁のほどは、ゆき一丈・二丈・五尺等なり。このうるう十月三十日、ゆきすこしふりて候しが、やがてきへ候ぬ。この月の十一日たつの時より十四日まで大雪下て候しに、両三日へだてゝすこし雨ふりて、ゆきかたくなる事金剛のごとし。いまにきゆる事なし。ひるもよるもさむくつめたく候事、法にすぎて候。さけはこをりて石のごとし。あぶらは金ににたり。なべ・かまに小水あればこをりてわれ、かんいよいよかさなり候へば、きものうすく食ともしくて、さしいづるものもなし。坊ははんさくにて、かぜゆきたまらず。しきものはなし。木はさしいづるものもなければ火もたかず。ふるきあかづきなんどして候こそで一つなんどきたるものは、其の身のいろ紅蓮大紅蓮のごとし。こへははゝ(波々)大ばゞ地獄にことならず。手足かんじてきれさけ、人死ぬことかぎりなし。俗のひげをみれば、やうらくをかけたり。僧のはなをみれば、すゞをつらぬきかけて候。[p1605-1606]
かゝるふしぎ候はず候に、去年の十二月の三十日よりはらのけの候しが、春夏やむことなし。あきすぎて十月のころ大事になりて候しが、すこしく平愈つかまつりて候へども、やゝもすればをこり候に、兄弟二人のふたつの小袖、わた四十両をきて候が、なつのかたびらのやうにかろく候ぞ。ましてわたうすくたゞぬのものばかりのもの、をもひたらせ給へ。此の二つのこそでなくば、今年はこゞへしに候なん。其の上兄弟と申し、右近尉の事と申し、食もあいついて候。人はなき時は四十人、ある時は六十人、いかにせき候へども、これにある人々のあとにとて出来し、舎弟とてさしいで、しきゐ候ぬれば、かゝはやさに、いかにとも申しへず。心にはしづかにあじちむすびて、小法師と我が身計り御経よみまいらせんとこそ存じて候に、かゝるわづらわしき事候はず。又としあけ候わば、いづくへもにげんと存じ候ぞ。かゝるわづらわしき事候はず。又々申すべく候。[p1606-1607]
なによりもゑもん大夫志ととのとの御事、ちゝの御中と申し、上のをぼへと申し、面にあらずば申しつくしがたし。恐々謹言。[p1607]
十一月廿九日 日 蓮 花押[p1607]
兵衛志殿 御返事[p1607]
#0440-000 出雲尼御前御書 弘安元年(1278.12・01) [p3021]
五
をば逆縁とおぼしめすべし。道間いかんが候けん、をぼつかなし、をぼつかなし。いそぎ御返事うけ給ふべし。心の内をはれ候ばや。恐々謹言。[p3021]
十二月一日 日 蓮 花押[p3021]
安州出雲尼御前[p3022]
#0319-000 食物三徳御書 弘安元年(1278) [p1607]
たからとす。魚は水ををやとし、馬は木を家とす。人は食をたからとす。かるがゆへに大国之王は民ををやとし、民は食を天とすとかゝれたり。[p1607]
食には三つの徳あり。一には命をつぎ、二にはいろ(色)をまし、三には力をそう。人に物をほどこせば我が身のたすけとなる。譬へば、人のために火をともせば、我がまへあきらかなるがごとし。悪をつくるものをやしなへば命をますゆへに気ながし。色をますゆへに眼にひかりあり。ちからをますゆへに、あし(足)はやく、て(手)きく。かるがゆへに食をあたへたる人、かへりていろもなく、気もゆわ(弱)く、力もなきほう(報)をうるなり。[p1607-1608]
一切経と申すは紙の上に文字をのせたり。譬へば虚空に星月のつらなり、大地に草木の生ぜるがごとし。この文字は釈迦如来の気にも候なり。気と申すは生気なり。この生気に二あり。一には九界[p1608]
#0320-000 師子王御書 弘安元年(1278) [p1608]
閻浮提中飢餓《 》示現閻浮提中《 》又云く_又示現閻浮提中《 》劫起等云云。[p1608]
人王三十代《 》国の聖明王《 》国にわたす。王不用此〔此れを用ひず〕して三代仏罰にあたるべし。釈迦仏を申し隠すとが《 》念仏者等善光寺の阿弥陀仏云云。上一人より下万民にいたるまで皆人《 》此れをあらわす。日蓮にあだをなす人は、惣じて日蓮を犯す。天は惣じて此の国を《 》
弐に云く_見有読誦 書持経者 軽賎憎嫉 而懐結恨〔経を読誦し書持すること あらん者を見て 軽賎憎嫉して 結恨を懐かん〕等云云。又云く_多病・痩〔多病・痩にして〕。第八に云く_諸悪重病。又第二に云く_若従医道 順方治病 更増他疾 或復致死〔若し医道を修して 方に順じて病を治せば 更に他の疾を増し 或は復死を致さん〕。又云く_若自有病 無人救療 設服良薬 而復増劇〔若し自ら病あらば 人の救療することなく 設い良薬を服すとも 而も復増劇せん〕等云云。[p1608-1609]
弘法大師後に望めて戯論と作す。東寺の一門、上御室より下一切の東寺の門家は法華経を戯論と云ふ。叡山の座主竝びに三千の大衆《 》日本国山寺一同の云く《 》大日経等云云。智証大師の云く_法華尚不及等云云。園城の長吏竝びに一国の末流等云く 法華経は真言経に及ばずと云云。[p1609]
此の三師を用ふる国主終に皇法尽き了んぬ。明雲座主の義仲に殺されし、承久に御室思ひ死にせし是れ也。願はくは我が弟子等は師子王の子となりて群猿に笑はるる事なかれ。過去遠々劫より已来、日蓮がごとく身命を捨てて強敵の科を顕す師子には値ひがたかるべし。国王の責めなををそろし。いわうや閻魔のせめをや。日本国のせめは水のごとし。ぬるゝををそるゝ事なかれ。閻魔のせめは火のごとし。裸にして入るとをもへ。[p1609]
大涅槃経の文の心は、仏法を信じて今度生死をはなるゝ人の、すこし心のゆるなるをすゝめむがために、疫病を仏のあたへ給ふ。はげます心なり、すゝむる心なり。日蓮は凡夫なり。天眼なければ一紙をもみとをすことなし。宿命なければ三世を知ることなし。而れども此の経文のごとく日蓮は肉眼なれども天眼・宿命《 》日本国七百余歳の仏眼の流布せしやう、八宗十宗の邪正、漢土・月氏の論師・人師の勝劣、八万十二の仏経の旨趣をあらあらすいち(推知)し、我が朝の亡国となるべき事、先にかんがへて宛も符契のごとし。此れ皆法華経の御力なり。而るを国主は讒臣等が凶言ををさめてあだをなせしかば、凡夫なれば道理なりとをもへて退する心なかりしかども、度々あだをなし、[p1609-1610]
#0321-000 随自意御書 弘安元年(1278) [p1610]
衆生の身心をとかせ給ふ。其の衆生の心にのむとてとかせ給へば、人の説なれども衆生の心をいでず。かるがゆへに随他意の経となづけたり。譬へばさけ(酒)もこのまぬをや(親)の、きわめてさきをこのむいとをしき子あり。かつはいとをしみ、かつは心をとらんがために、かれにさけをすゝめんがために、父母も酒をこのむよしをするなり。しかるをはかなき子は父母も酒をこのみ給ふとをもへり。[p1610]
提謂経と申す経は人天の事をとけり。阿含経と申す経は二乗の事をとかせ給ふ。華厳経と申す経は菩薩のことなり。方等・般若経は或は阿含経・提謂経ににたり、或は華厳経にもにたり。此れ等の経経は末代の凡夫これをよみ候へば、仏の御心に叶ふらんとは行者はをもへども、くはしくこれをろむ(論)ずれば己が心をよむなり。己が心は本よりつたなき心なれば、はかばかしき事なし。法華経と申すは随自意と申して仏の御心をとかせ給ふ。仏の御心はよき心なるゆへに、たとひしらざる人も此の経をよみあてまつれば利益はかりなし。麻の中のよもぎ・つゝ(筒)の中のくちなは(蛇)・よき人にむつぶもの、なにとなけれども心もふるまひ(振舞)も言もなを(直)しくなるなり。法華経もかくのごとし。なにとなけれども、この経を信じぬる人をば仏のよき物とをぼすなり。[p1610-1611] 此の法華経にをひて、又機により、時により、国により、ひろむる人により、やうやう(様々)にかわりて候をば、等覚の菩薩までもものあわひをばしらせ給わずとみへて候。まして末代の凡夫はいかでかはからひをゝせ候べき。しかれども人のつかひに三人あり。一人はきわめてこざかしき、一人ははかなくもなし、又こざかしからず。一人はきわめてはかなくたしかなる。此の三人に第一はあやまちなし。第二は第一ほどこそなかれども、すこしこざかしきゆへに、主の御ことばに私の言をそうるゆへに、第一のわるきつかいとなる。第三はきわめてはかなくあるゆへに、私の言をまじへず。きわめて正直なるゆへに主の言ばをたがへず。第二よりもよき事にて候。あやまつて第一にもすぐれて候なり。[p1611-1612]
第一をば月氏の四依にたとう。第二をば漢土の人師にたとう。第三をば末代の凡夫の中に愚痴にして正直なる物にたとう。仏在世はしばらく此れををく。仏の御入滅の次の日より一千年をば正法と申す。この正法一千年を二にわかつ。前の五百年が間は小乗経ひろまらせ給ふ。ひろめし人々は迦葉・阿難等なり。後の五百年は馬鳴・龍樹・無著・天親等、権大乗経を弘通せさせ給ふ。法華経をばかたはし計りかける論師もあり。又つやつや申しいださぬ人もあり。正法一千年より後の論師の中には、少分は仏説ににたれども、多分をあやまりあり。あやまりなくして而もたらざるは迦葉・阿難・馬鳴・龍樹・無著・天親等なり。[p1612]
像法に入り一千年、漢土に仏法わたりしかば、始めは儒家と相論せしゆへに、いとまなきかのゆへに、仏教の内の大小権実の沙汰なし。やうやく仏法流布せし上、月支よりかさねがさね仏法わたり来るほどに、前の人々はかしこきやうなれども、後にわたる経論をもつてみればはかなき事も出来す。又はかなくをもひし人々もかしこくみゆる事もありき。結句は十流になりて千万の義ありしかば、愚者はいづれにつくべしともみへず。智者とをぼしき人は偏執かぎりなし。而れども最極は一同の義あり。所謂一代第一は華厳経・第二は涅槃経・第三は法華経。此の義は上一人より下万民にいたるまで異義なし。大聖とあうぎし法雲法師・智蔵法師等の十師の義一同なりしゆへなり。[p1612-1613]
而るを像法の中の陳・隋の代に智・と申す小僧あり。後には智者大師とがうす。法門多しといへども、詮するところ法華・涅槃・華厳経の勝劣の一つ計りなり。智・法師云く 仏法さかしまなり云云。陳主此の事をたださんがために、南北の十師の最頂たる恵・僧正・恵光僧都・恵栄・法歳法師等の百有余人を召し合はせられし時、法華経の中には_於諸経中。最在其上〔諸経の中に於て最も其の上にあり〕等云云。又云く_已今当説最為難信難解等云云。已者無量義経に云く 摩訶般若華厳海空等云云。当者涅槃経に云く 般若ハラ蜜出大涅槃等云云。此の経文は華厳経・涅槃経には法華経勝ると見ゆる事赫々たり明々たり、御会通あるべしとせめしかば、或は口をとぢ、或は悪口をはき、或は色をへんじなんどせしかども、陳主立て三拝し、百官掌をあわせしかば、力及ばずまけにき。[p1613]
一代の中には第一法華経にてありしほどに、像法の後の五百に新訳の経論重ねてわたる。太宗皇帝の貞観三年に玄奘と申す人あり。月支に入て十七年、五天の仏法を習ひきわめて、貞観十九年に漢土へわたりしが、深密経・瑜伽論・唯識論・法相宗をわたす。玄奘云く 月支に宗々多しといへども、此の宗第一なり。太宗皇帝は又漢土第一の賢王なり。玄奘を師とす。此の宗の所詮に云く 或は三乗方便一乗真実、或は一乗方便三乗真実。又云く ̄五性各別、決定性無性有情永不成仏(五性は各別なり、決定性無性の有情は永く仏に成らず)等云云。此の義は天台宗と水火也。而も天台大師と章安大師は御入滅になりぬ。其の已下の人々は人非人なり。すでに天台宗は破れてみへしなり。[p1613-1614]
其の後則天皇后の御世に華厳宗立つ。前に天台大師にせめられし六十巻の華厳経をばさしをきて、後に日照三蔵わたせる新訳の華厳経八十巻をもつて立てたり。此の宗のせん(詮)にいわく ̄華厳経は根本法輪法華経は支末法輪等云云。則天皇后は尼にてをはせしが内外典にこざかしき人なり。慢心たかくして天台宗をさげをぼしてありしなり。法相といゐ、華厳宗といゐ、二重に法華経かくれさせ給ふ。[p1614]
其の後玄宗皇帝の御宇に月支より善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵、大日経・金剛頂経・蘇悉地経と申す三経をわたす。此の三人はひとがたといゐ、前々の漢土の人師には体すべくもなき人々なり。而も前になかりし印と真言とをわたす。ゆへに仏法は已前には此の国になありけりとをぼせしなり。此の人々の云く 天台宗は華厳・法相・三論には勝れたり。しかれども此の真言経には及ばずと云云。其の後妙楽大師は天台大師のせめ給はざる法相宗・華厳宗・真言宗をせめ給ひて候へども、天台大師のごとく公場にてせめ給はざれば、ただ闇夜のにしきのごとし。法華経になき印と真言と現前なるゆへに、皆人一同に真言まさりて有りしなり。[p1614-1615]
像法の中に日本国に仏法わたり、所謂欽明天皇六年なり。欽明より桓武にいたるまで二百余年が間は三論・成実・法相・倶舎・華厳・律の六宗弘通せり。真言宗は人王四十四代元正天皇の御宇にわたる。天台宗は人王四十五代聖武天皇の御宇にわたる。しかれどもひろまる事なし。[p1615]
桓武の御代に最澄法師、後には伝教大師とがうす。入唐已前に六宗を習ひきわむる上、十五年が間天台・真言の二宗を山にこもりゐて御覧ありき。入唐已前に天台宗をもつて六宗をせめしかば七大寺皆せめられて最澄の弟子となりぬ。六宗の義やぶれぬ。後延暦二十三年に御入唐、同じき二十四年御帰朝、天台・真言の宗を日本国にひろめたり。但し勝劣の事は内心に此れを存じて人に向てとかざるか。[p1615]
同代に空海という人あり。後には弘法大師とがうす。延暦二十三年に御入唐、大同三年御帰朝、但し真言の一宗を習ひわたす。此の人の義に云く ̄法華経は尚お華厳経に及ばず、何に況んや真言にをひてをや。[p1615]
伝教大師の御弟子に円仁という人あり。後に慈覚大師とがうす。去る承和五年の御入唐、同じき十四年に御帰朝、十年が間真言・天台の二宗をがく(学)す。日本国にて伝教大師・義真・円澄に天台・真言の二宗を習ひきわめたる上、漢土にわたりて十年が間八ヶの大徳にあひて真言を習ひ、宗叡・志遠等に値ひ給ひて天台宗を習ふ。日本に帰朝して云く 天台宗と真言宗とは同じく醍醐なり。倶に深秘なり等云云。宣旨を申してこれにそう(添)。[p1615-1616]
其の後円珍と申す人あり。後には智証大師とがうす。入唐已前には義真和尚の御弟子なり。日本国にして義真・円澄・円仁等の人々に天台・真言の二宗を習ひ極めたり。其の上去る仁嘉三年に御入唐、貞観元年に御帰朝、七年が間天台・真言の二宗を法全・良・等の人々に習ひきわむ。天台・真言の二宗の勝劣鏡をかけたり。後代に一定あらそひありなん、を存ぜん人々をば祖師伝教大師にそむく人なり、山に住むべからずと宣旨を申しそへて弘通せさせ給ひき。されば漢土・日本に智者多しというとも此の義をやぶる人はあるべからず。此の義まことならば習ふ人々は必ずほとけにならせ給ひぬらん。あがめさせ給ふ国王等は必ず世安穏にありぬらんとをぼゆ。[p1616]
但し予が愚案は人に申せども、御もちゐあるべからざる上身のあだとなるべし。又きかせ給ふ弟子檀那も安穏なるべからずとをもひし上、其の義又たがわず。但此の事は一定仏意には叶わでもやあるらんとをぼへ候。[p1616]
法華経一部八巻二十八品には此の経に勝れたる経をはせば、此の法華経は十方の仏あつまりて大妄語をあつめさせ給へるなるべし。随て華厳・涅槃・般若・大日経・深密等の経々を見るに於諸経中。最在其上〔諸経の中に於て最も其の上にあり〕の明文をやぶりたる文なし。随て善無畏等・玄奘等、弘法・慈覚・智証等種々のたくみあれども、法華経を大日経に対してやぶりたる経文はいだし給はず。但印と真言計りの有無をゆへ(所以)とせるなるべし。数百巻のふみをつくり、漢土・日本に往復して無尽のたばかりをなし、宣旨を申しそへて人ををどされんよりは、経文分明ならばだれか疑ひをなすべき。つゆつもりて河となる、河つもりて大海となる、塵つもりて山となる、山かさなりて須弥山となれり。小事つもりて大事となる。何に況や此の事は最大事なり。疏をつくられけるにも両方の道理文証をつくさるべかりけるか。又宣旨も両方を尋ね極めて経文の証文をかきのせていましめあるべかりけるか。已今当の経文は仏すらやぶりがたし。何に況んや論師・人師・国王の威徳をもつてやぶるべしや。已今当の経文をば梵王・帝釈・日月・四天等聴聞して各々の宮殿にかきとゞめてをはするなり。[p1616-1617]
まことに已今当の経文を知らぬ人の有る時は先の人々の邪義はひりまりて失なきやるにてはありとも、此の経文をつよく立て退転せざるこわ(強)物出来しなば大事出来すべし。いやしみて或はのり、或は打ち、或はながし、或は命をたゝんほどに、梵王・帝釈・日月・四天をこりあひて此の行者のかたうどをせんほどに、存外に天のせめ来りて民もほろび国もやぶれんか。法華経の行者はいやしけれども、守護する天こわし。例せば修羅が日月をのめば頭七分にわる、犬が師子をほゆればはらわたくさる。[p1617-1618]
今予みるに日本かくのごとし。又此れを供養せん人々は法華経供養の功徳あるべし。伝教大師釈して云く ̄讃者積福於安明。謗者罪開於無間[ほめんものはつみふくをあめいに、はうせんものは ひらかんつみを]〔讃る者は福を安明に積み、謗る者は罪を無間に開く〕等云云。ひへ(稗)のはん(飯)を辟支仏に供養せし人は宝明如来となる。つちのもちゐを仏に供養せしかば閻浮提の王となれり。設ひこう(功)をいたせども、まことならぬ事を供養すれば、大悪とはなれども善とならず。設ひ心をろかにすこしきの物なれども、まことの人に供養すればこう大なり。何に況んや心ざしありてまことの法を供養せん人々をや。[p1618]
其の上当世は世みだれて民の力よわし。いとまなき時なれども心ざしのゆくところ、山中の法華経へまうそう(孟宗)がたかんな(笋)ををくらせ給ふ。福田によきたねを下させ給ふか。なみだもとゞまらず。[p1618]
#0322-000 大学三郎御書 弘安元年(1278) [p1619]
いのりなんどの仰せかうほるべしとをぼへ候はざりつるに、をほせたびて候事のかたじけなさ。かつはしなり、かつは弟子なり、かつはだんななり。御ためにはくびもきられ、遠流にもなり候へ。かわる事ならばいかでかかわらざるべき。されども此の事は叶ふまじきにて候ぞ。大がくと申す人はふつうの人にはにず、日蓮が御かんきの時身をすてゝかたうどして候ひし人なり。此の仰せは城殿の御計らひなり。城殿と大がく殿は知音にてをはし候。其の故は大がく殿は板東第一の御てかき城介殿御てをこのまるゝ人也。[p1619]
#0323-000 衣食御書・断簡312 弘安元年(1278) [p1619]
尼御前 御返事[p1619]
鵞目一貫給候ひ了んぬ。[p1619]
それ、じき(食)はいろ(色)をまし、ちから(力)をつけ、いのち(命)をのぶ。ころも(衣)はさむさ(寒)をふせぎ、あつさをさえ、はぢ(恥)をかくす。人にものをせ(施)する人は、人のいろをまし、ちからをそえ、いのちをつぐなり。人のためによる[p1619-1620]
火ををもせば、人のあかるきのみならず、我が身もあかし。されば人のいろをませば我がいろまし、人の力ませば我がちからまさり、人のいのちをのぶれば我がいのちののぶなり。法華経は釈迦仏の御いろ、世尊の御ちから、如来の御いのちなり。やまいある人は法華経をくやうすれば、身のやまいうすれば、いろまさり、ちからつき、[p2974]
#0324-000 十字御書 弘安元年(1278.12・21) [p1620]
十字三十。法華経の御宝前につみまいらせ候ひぬ。又すみ二へい(俵)給候ひ了んぬ。恐々謹言。[p1620]
十二月廿一日 日 蓮 花押[p1620]
ほりの内殿 御返事[p1620]
#0325-000 上野殿御返事 弘安二年(1279.正・03) [p1621]
餅九十枚・薯蕷〈やまのいも〉五本。わざと御使をもつて正月三日ひつじの時に、駿河の国富士郡上野の郷より甲州波木井の郷身延山のほら(洞)へおくりたび候。[p1621]
夫れ海辺には木を財とし、山中には塩を財とす。旱魃には水をたからとし、闇中には燈を財とす。女人はをとこを財とし、をとこは女人をいのちとす。王は民ををやとし、民は食を天とす。[p1621]
この三年は日本国の内、大疫起りて人半分げんじて候上、去年の七月より大なるけかち(飢渇)にて、さといちのむへんのものと山中の僧等は命尊しがたし。其の上、日蓮は法華経誹謗の国に生まれて威音王仏の末法の不軽菩薩のごとし。はた又歓喜増益仏の末の覚徳比丘の如し。王もにくみ民もあだむ。衣もうすく食もとぼし。布衣はにしきの如し。くさのはわかんろとをもう。其の上、去年の十一月より雪つもりて山里路たえぬ。年返れども鳥の声ならではをとづるゝ人なし。友にあらずばたれか問ふべきと、心ぼそくて過ごし候処に、元三の内に十字九十枚、満月の如し。心中もあきらかに、生死のやまもはれぬべし。あはれなり、あはれなり。こうへのどの(故上野殿)をこそ、いろあるをとこと人は申せしに、其の御子なればくれない(紅)のこき(濃)よしをつたへ給へるか。あい(藍)よりもあを(青)く、みずよりもつめたき氷かなと、ありがたし、ありがたし。恐々謹言。[p1621-1622]
正月三日 日 蓮 花押[p1622]
上野殿 御返事[p1622]
#0437-0K0 越後公御房御返事 弘安二年(1279.正・08) [p2874]
大餅五枚、暑預[一本太也]、鵄・一俵。[p2874]
去今年饉・、章・、刀兵と申し宛も小の三災の代の如し。山中に送り給候事、志の至りか。恐々謹言。[p2874]
正月八日 日 蓮 花押[p2874]
越後公御房 御返事[p2874]
#0326-000 上野郷主等御返事 弘安二年(1279.正・11) [p1622]
昔の徳勝童子は土のもちゐを仏にまいらせて一閻浮提の主となる。今の檀那等は二十枚の金のもちゐを法華経の御前にさゝげたり。後生の仏は疑ひなし。なんぞ今生にそのしるしなからむ。恐々。[p1622]
正月十一日 日 蓮 花押[p1622]
上のゝがうす等のとのばら[p1622]
#0327-000 日眼女釈迦仏供養事 弘安二年(1279.02・02) [p1623]
御守書きてまいらせ候。三界の主教主釈尊一体三寸の木像造立の檀那日眼女。御供養の御布施 前に二貫今一貫云云。[p1623]
法華経の寿量品に云く_或説己身。或説他身〔或は己身を説き、或は他身を説き〕等云云。東方の善徳仏・中央の大日如来・十方の諸仏・過去の七仏・三世の諸仏、上行菩薩等、文殊師利・舎利弗等、大梵天王・第六天の魔王・釈提桓因王・日天・月天・明星天・北斗七星・二十八宿・五星・七星・八万四千の無量の諸星、阿修羅王・天神・地神・山神・海神・宅神・黒神・一切世間の国々の主とある人、何れか教主釈尊ならざる。天照太神・八幡大菩薩もその本地は教主釈尊也。例せば釈尊は天の一月、諸仏菩薩等は万水に浮かぶふ影なり。釈尊一体を造立する人は十方世界の諸仏を作り奉る人なり。譬へば頭をふればかみ(髪)ゆるぐ。心はたらけば身うごく。大風吹けば草木しづかならず、大地うごけば大海さはがし。教主釈尊をうごかし奉れば、ゆるがぬ草木やあるべき、さわがぬ水やあるべき。[p1623]
今の日眼女は三十七のやく(厄)と云云。やくと申すは譬へばさい(采)にはかど、ます(升)にはすみ、人にはつぎふし(関節)、方には四維の如し。風は方よりふけばよはく、角より吹けばつよし。病は肉より起れば治しやすし、節より起れば治しがたし。家にはかきなければ盗人いる、人にはとがあれば敵便りをうく。やくと申すはふしぶしの如し。家にかきなく、人に科あるがごとし。[p1623-1624]
よきひやうし(兵士)を以てまほらすれば、盗人をからめとる。ふしの病をかねて治すれば命ながし。今教主釈尊を造立し奉れば、下女が太子をうめるが如し。国王尚お此の女を敬ひ給ふ。何に況んや大臣已下をや。大梵天王・釈提桓因王・日月等、此の女人を守り給ふ。況んや大小の神祇をや。[p1624]
昔優填大王、釈迦仏を造立し奉りしかば、大梵天王・日月等、木像を礼しに参り給ひしかば、木像説て云く 我を供養せんよりは優填大王を供養すべし等云云。影堅王の画像の釈尊を書き奉りしも又々是の如し。法華経に云く_若人為仏故 建立諸形像〔若し人仏の為の故に 諸の形像を建立し〕 ~ 如是諸人等 皆已成仏道〔是の如き諸人等 皆已に仏道を成じき〕云云。文の心は一切の女人釈迦仏を造り奉れば、現在には日々月々の大小の難を払ひ、後生には必ず仏になるべしと申す文也。[p1624]
抑そも女人は一代五千七千余巻の経々に、仏にならずときらはれまします。但法華経ばかりに、女人仏になると説かれて候。天台智者大師の釈に云く ̄不記女〔女に記せず〕等云云。釈の心は一切経には女人仏にならずと云云。次下に云く ̄今経皆記〔今経は皆記す〕と云云。今の法華経にこそ龍女仏になれりと云云。天台智者大師と申せし人は、仏滅後の後一千五百年に、漢土と申す国に出でさせ給ひて、一切経を十五返まで御覧あそばして候ひしが、法華経より外の経には女人仏にならずと云云。妙楽大師と申せし人の釈に云く ̄一代所絶〔一代に絶えたる所なり〕等云云。釈の心は一切経にたえたる法門也。[p1624-1625]
法華経と申すは星の中の月ぞかし、人の中の王ぞかし。山の中の須弥山、水の中の大海の如し。是れ程いみじき御経に、女人仏になると説かれぬれば、一切経に嫌はれたるになにかくるしかるべき。譬へば盗人・強盗・乞食・渇体にきらはれたらんと、国の大王に讃められたらんと、何れかうれしかるべき。[p1625]
日本国と申すは女人の国と申す国也。天照太神と申せし女神のつきいだし給へる島也。此の日本には男は十九億九万四千八百二十八人、女は二十九億九万四千八百三十人也。此の男女は皆念仏者にて候ぞ。皆念仏なるが故に阿弥陀仏を本尊とす。現世の祈りも又是の如し。設ひ釈迦仏をつくりかけども、阿弥陀仏の浄土へゆかんと思ひて、本意の様には思ひ候はぬぞ。中々つくりかゝぬにはをとり候也。今日眼女は今年の祈りのやうなれども、教主釈尊をつくりまいらせ給ひ候へば、後生も疑ひなし。二十九億九万四千八百三十人の女人の中の第一也とをぼしめすべし。委しくは又々申すべく候。恐々謹言。[p1625]
弘安二年[己卯]二月二日 日 蓮 花押[p1625]
日眼女 御返事[p1626]
#0328-000 孝子御書 弘安二年(1279.02・28) [p1626]
御親父の御逝去の由、風聞真にてや候らん。貴辺と大夫志の御事は、代末法に入て生を辺土にうけ、法華の大法を御信用候へば、悪鬼定めて国主と父母等の御身に入りかわり怨をなさん事疑ひなかるべきところに、案にたがふ事なく親父より度々の御かんだうをかうほらせ給ひしかども、兄弟ともに浄蔵・浄眼の後身か、将た又薬王・上行の御計らひかのゆへに、ついに事ゆへなく親父の御かんきをゆりさせ給ひて、前に立ちまいらせし御孝養心にまかせさせ給ひぬるは、あに孝子にあらずや。定めて天よりも悦びをあたへ、法華経・十羅刹も御納受あるべし。[p1626]
其の上、貴辺の御事は心の内に感じをもう事候。此の法門、経のごとくひろまり候わば御悦び申し候て○。穴賢々々。兄弟の御中不和にわたらせ給ふべからず、給ふべからず。大夫志殿の御文にはくはしくかきて候。きこしめすべし。恐々謹言。[p1626-1627]
弘安二年二月二十八日 日 蓮 花押[p1627]
#0331-000 陰徳陽報御書 弘安二年(1279.04・23) [p1638]
いよいよかない候べし。いかにわるくとも、きかぬやうにてをはすべし。この事をみ候に申すやうだにもふれまわせ給ふならば、なをなをも所領もかさなり、人のをぼへもいできたり候べしとをぼへ候。さきざき申し候しやうに、陰徳あれば陽報ありと申して、皆人は主にうたへ、主もいかんぞをぼせしかども、わどのゝ正直の心に主の後生をたすけたてまつらむとをもう心がうじやうにして、すねん(数年)をすぐれば、かゝるりしやうにもあづかれせ給ふぞかし。此は物のはしなり。大果報は又来るべしとをぼしめせ。又此法門の一行いかなる本意なき事ありとも、みずきかず、いわずしてむつばせ給へ。大人にいのりなしまいらせ候べし。上に申す事は私の事にあらず。外典三千、内典五千の肝心の心をぬきてかきて候。あなかしこ、あなかしこ。恐々謹言。[p1638]
卯月二十三日 日 蓮 花押[p1638]
御返事[p1638]
#0333-000 窪尼御前御返事 弘安二年(1279.05・04) [p1645]
御供養の物、数のまゝに慥かに給候。当時は五月の比おひにて民のいとまなし。其の上、宮の造営にて候也。かゝる暇なき時、山中の有様思ひやらせ給ひて送りたびて候事、御志殊にふかし。[p1645]
阿育大王と申せし王は、この天の日のめぐらせ給ふ一閻浮提を大体しろしめされ候ひし王也。此の王は昔徳勝とて五つになる童にて候ひしが、釈迦仏にすなのもちゐを(沙餅)をまいらせたりしゆへに、かゝる大王と生まれさせ給ふ。此の童はさしも心ざしなし、たわふれなるやうにてこそ候しかども、仏のめでたくをはすれば、わづかの事もものとなりてかゝるめでたき事候。まして法華経は仏にまさらせ給ふ事、星と月とともしびと日とのごとし。又御心ざしもすぐれて候。[p1645]
されば故入道殿も仏にならせ給ふべし。又一人をはするひめ御前も、いのちもながく、さひわひもありて、さる人のむすめになりときこえさせ給ふべし。当時もおさなけれども母をかけてすごす女人なれば、父の後世をもたすくべし。から(唐)国にせいし(西施)と申せし女人は、わかなを山につみて、をひたるはわ(老母)をやしなひき。天あはれみて、越王と申す大王のかり(狩)せさせ給ひしが、みつけてきさき(后)となりにき。これも又かくのごとし。をやをやしなふ女人なれば天もまほらせ給ふらん、仏もあはれみ候らん。一切の善根の中に、孝養父母は第一にて候なれば、まして法華経にてをはす。金のうつわものに、きよき水を入れたるがごとく、すこしももる(漏)べからず候。めでたしめでたし。恐々謹言。[p1645-1646]
五月四日 日 蓮 花押[p1646]
くぼの尼御前 御返事[p1646]
#0334-000 一大事御書 弘安二年(1279.05・13) [p1646]
あながちに申させ給へ。日蓮が身のうへの一大事なり。あなかしこ、あなかしこ。[p1646]
五月十三日 日 蓮 花押[p1646]
#0336-000 松野殿女房御返事 弘安二年(1279.06・20) [p1651]
麦一箱いゑのいも一篭・うり一篭等旁の物、六月三日に給候ひしを今まで御返事申し候はざりし事恐れ入て候。[p1651]
此の身延の沢と申す処は、甲斐の国飯井野・御牧三箇郷の内、波木井の郷の戌亥の隅ににあたりて候。北には身延の嶽天をいただき、南には鷹取が嶽雲につづき、東には天子の嶽日とたけをな(同)じ。西には又峨々として大山つづきて、しらね(白根)の嶽にわたれり。猿のなく声天に響き、蝉のさゑづり地にみてり。天竺の霊山此処に来れり、唐土の天台山親りこゝに見る。我が身は釈迦仏にあらず、天台大師にてはなかけども、まかるまかる昼夜に法華経をよみ、朝暮に摩訶止観を談ずれば、霊山浄土にも相似たり天台山にも異ならず。[p1651]
但し有待の依身になれば著ざれば風身にしみ、食ざれば命持ちがたし。燈に油をつがず、火に薪を加へざるが如し。命いかでかつぐべきやらん。命続きがたく、つぐべき力絶えては、或は一日乃至五日、既に法華経読誦の音も絶えぬべし、止観のまど(窓)の前には草しげりなん。かくの如く候に、いかにして思ひ寄らせ給ひぬらん。[p1651]
兎は経行の者を供養せしかば、天帝哀れみをなして月の中にをかせ給ひぬ。今天を仰ぎ見るに月の中に兎あり。されば女人の御身として、かゝる濁世末代に、法華経を供養しましませば、梵王も天眼を以て御覧じ、帝釈は掌を合わせてをがまさせ給ひ、地神は御足をいただきて喜び、釈迦仏は霊山より御手をのべて御頂をなでさせ給ふらん。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。恐々謹言。[p1651-1652]
弘安二年[己卯]六月二十日 日 蓮 花押[p1652]
松野殿女房 御返事[p1652]
#0337-0K0 乗明上人御返事 弘安二年(1279.07・27) [p1652]
乗明上人、一石を山中に送る。福を得ること十号の功徳に過ぎん。恐々謹言。[p1652]
七月廿七日 日 蓮 花押[p1652]
#0340-100 四條金吾殿御返事 弘安二年(1279.09・15) [p1665]
或弘安元年
銭一貫文給て、頼基がまいらせ候とて、法華経の御宝前に申し上げて候。定めて遠くは教主釈尊竝びに多宝・十方の諸仏、近くは日月の宮殿にわたらせ給ふ。御照覧候ぬらん。[p1665]
さては、人のよにすぐれんとするをば、賢人聖人とをぼしき人々も皆そねみねたむ事に候。いわうや常の人をや。漢皇の王昭君をば三千のきさき是れをそねみ、帝釈の九十九億那由他のきさきは・尸迦をねたむ。前の中書王をばをの(小野)の宮の大臣是れをねたむ。北野の天神をば時平のをとど是れをざんそうして流し奉る。此れ等をもてをぼしめせ。[p1665]
入道殿の御内は広かりし内なれどもせばくならせ給ひ、きうだち(公達)は多くわたらせ給ふ。内のとしごろ(年来)の人々あまたわたらせ給へば、池の水すくなくなれば魚さわがしく、秋風立てば鳥こずえをあらそう様に候事に候へば、いくそばくぞ御内の人々そねみ候らんに、度々の仰せをかへし、よりよりの御心にたがはせ給へば、いくそばくのざんげん(讒言)こそ候らんに、度々の御所領をかへして、今又所領給はらせ給ふと云云。此れ程の不思議は候はず。此れ偏に陰徳あれば陽れたる報ありとは此れ也。我が主に法華経を信じさせまいらせんとをぼしめす御心のふかき故か。[p1665-1666]
阿闍世王は仏の御怨なりしが、耆婆大臣の御すゝめによて、法華経を御信じありて代を持ち給ふ。妙荘厳王は二子の御すゝめによて邪見をひるがへし給ふ。此れ又しかるべし。貴辺の御すゝめによて今は御心もやわがらせ給ひてや候らん。此れ偏に貴辺の法華経の御信心のふかき故也。根ふかければ枝さかへ、源遠ければ流れ長しと申して、一切の経は根あさく流れちかく、法華経は根ふかく源とをし、末代悪世までもつきず、さかうべしと、天台大師あそばし給へり。[p1666]
此の法門につきし人あまた候しかども、をほやけわたくし(公私)の大難度々重なり候しかば、一年二年こそつき候しが、後々には皆或はをち、或はけへり矢をいる。或は身はをちねども心をち、或は心はをちねども身はをちぬ。釈迦仏は浄飯王の嫡子、一閻浮提を知行する事、八万四千二百一十の大王なり。一閻浮提の諸王頭をかたぶけん上、御内に召しつかいし人十万億人なりしかども、十九の御年、浄飯王宮を出でさせ給ひて檀特山に入て十二年。其の間御とも(伴)の人五人なり。所謂拘隣と・・と跋提と十力迦葉と拘利太子となり。此の五人も六年と申せしに二人は去りぬ。残りの三人も後の六年にすて奉りて去りぬ。但一人残り給ひてこそ仏にはならせ給ひしか。法華経は又此れにもすぎて人信じがたかるべし。難信難解此れ也。又仏の在世よりも末法は大難かさなるべし。此れをこらへん行者は、我が功徳にはにはすぐれたる事、一劫とこそ説かれて候へ。[p1666-1667]
仏滅後二千二百三十余年になり候に、月氏一千年が間、仏法を弘通せる人、伝記にのせてかくれなし。漢土一千年、日本七百年、又目録にのせて候しかども、仏のごとく大難に値へる人々少なし。我も聖人、我も賢人とは申せども、況滅度後の記文に値へる人一人も候はず。龍樹菩薩・天台・伝教こそ仏法の大難に値へる人々にては候へども此れ等も仏説には及ぶ事なし。此れ即ち代のあが(上)り、法華経の時に生まれ値はせ給はざる故也。今は時すでに後五百歳末法の始め也。日には五月十五日、月には八月十五夜に似たり。天台・伝教は先に生まれ給へり。今より後は又のちぐへ(後悔)なり。大陳すでに破れぬ。余党は物のかずならず。今こそ仏の記しをき給ひし後五百歳、末法の初め、況滅度後の時に当りて候へば、仏語むなしからずば、一閻浮提の内に定めて聖人出現して候らん。[p1667]
聖人の出づるしるしには、一閻浮提第一の合戦をこるべしと説かれて候に、すでに合戦も起り候に、すでに聖人や一閻浮提の内に出でさせ給ひて候らん。きりん(麒麟)出でしかば孔子を聖人としる。鯉社なつ(鳴)て聖人出で給ふ事疑ひなし。仏には栴檀の木をひ(生)て聖人としる。老子は二五の文を踏んで聖人としる。末代の法華経の聖人をば何を用てかしるべき。経に云く_能説此経 能持此経の人、則如来の使なり。八巻一巻一品一偈の人乃至題目を唱ふる人、如来の使なり。始中終すてずして大難をとをす人、如来の使なり。日蓮が心は全く如来の使にはあらず、凡夫なる故也。但し三類の大怨敵にあだまれて、二度の流難に値へば、如来の御使に似たり。心は三毒ふかく、一身凡夫にて候へども、口に南無妙法蓮華経と申せば如来の使に似たり。過去を尋ぬれば不軽菩薩に似たり。現在をとぶらうに加刀杖瓦石にたがう事なし。未来は当詣道場疑ひなからん歟。[p1667-1668]
これをやしなはせ給ふ人々は豈に同居浄土〔浄土に同居する〕の人にあらずや。事多しと申せどもとどめ候。心をもて計らせ給ふべし。[p1668]
ちごのそらう(所労)よくなりたり。悦び候ぞ。又大進阿闍梨の死去の事、末代のぎば(耆婆)いかでか此れにすぐべきと、皆人舌をふり候なり。さにて候けるやらん。三位房が事、さう四郎が事、此の事は宛も符契符契と申しあひて候。日蓮が死生をばまかせまいらせて候。全く他のくすし(医師)をば用ひまじく候なり。[p1668]
月 日 日 蓮 花押[p1668]
四條金吾殿[p1668]
#0438-000 伯耆殿竝諸人御中 弘安二年(1279.09・26) [p2874]
十九
此の事はすでに、梵天・帝釈・日月等に申し入れて候ぞ。あへてたがえさせ給ふべからず。各々天の御はからいとをぼすべし。恐々謹言。[p2874]
九月廿六日 日 蓮 花押[p2874]
伯耆殿竝諸人 御中[p2874]
#0343-000 聖人御難事 弘安二年(1279.10・01) [p1672]
去る建長五年[太歳癸丑]四月二十八日に、安房の国長狭郡之東條の郷、今は郡也。天照太神の御くりや(廚)右大将家の立て始め給ひし日本第二のみくりや、今は日本第一なり。此郡の内清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして、午の時に此の法門申しはじめて今に二十七年、弘安二年[太歳己卯]なり。[p1672]
仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ。其の中の大難申す計りなし。先々に申すがごとし。余は二十七年なり。其の間の大難は各々かつ(且)しろしめせり。法華経に云く_而此経者。如来現在。猶多怨嫉。況滅度後〔而も此の経は如来の現在すら猶お怨嫉多し、況んや滅度の後をや〕云云。[p1672]
釈迦如来の大難はかずをしらず。其の中に馬の麦をもつて九十日、小指の出仏身血、大石の頂にかゝりし、善星比丘等の八人が身は仏の御弟子、心は外道にともないて昼夜十二時に仏の短〈ひま〉をねらいし、無量の釈子の波瑠璃王に殺されし、無量の弟子等がゑい(酔)象にふまれし、阿闍世王の大難をなせし等、此れ等は如来現在の小難なり。[p1672]
況滅度後の大難は龍樹・天親・天台・伝教いまだ値ひ給はず。法華経の行者ならずといわばいかでか行者にてをはせざるべき。又行者といはんとすれば仏のごとく身より血をあや(滴)されず。何に況んや仏に過ぎたる大難なし。経文むなしきがごとし。仏説すでに大虚妄となりぬ。[p1672-1673]
而るに日蓮二十七年が間、建長元年[辛酉]五月十二日には伊豆の国へ流罪。文永元年[甲子]十一月十一日頭にきず(・)をかほり左の手を打ちをらる。同じき文永八年[辛未]九月十二日佐渡の国へ配流、又頭の座に望む。其の外に弟子を殺され、切られ、追ひ出だされ、くわれう(過料)等かずをしらず。仏の大難には及ぶか勝れたるか其れは知らず。龍樹・天親・天台・伝教は余に肩を竝べがたし。日蓮末法に出でずば仏は大妄語の人、多宝・十方の諸仏は大虚妄の証明なり。[p1673]
仏滅後二千二百二十余年が間、一閻浮提の内に仏の御言を助けたる人但日蓮一人なり。過去現在の末法の法華経の行者を軽賎する王臣万民、始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず。日蓮又かくのごとし。始めはしるし(験)なきやうなれども今二十七年が間、法華経守護の梵釈・日月・四天等さのみ守護せずば、仏前の御誓ひむなしくて、無間大城に堕つべしとをそろしく想ふ間今は各々はげむらむ。大田親昌・長崎次郎兵衛尉時縄(綱)大進房が落馬等は法華経の罰のあらわるゝか。罰は惣罰・別罰・顕罰・冥罰、四候。日本国の大疫病と大けかち(飢渇)とどしうち(同士討)と他国よりせめらるゝは惣ばち(罰)なり。やくびやう(疫病)は冥罰なり。大田等は顕罰なり。別ばちなり。[p1673]
各々師子王の心を取り出だして、いかに人をどすともをづる事なかれ。師子王は百獣にをぢず、師子の子又かくのごとし。彼等は野干のほうる(吼)なり、日蓮が一門は師子の吼えるなり。故最明寺殿の日蓮をゆるしゝと此の殿の許しゝは、禍なかりけるを人のざんげんと知りて許しゝなり。今はいかに人申すとも、聞きほどかすしては、人のざんげんは用ひ給ふべからず。設い大鬼神のつける人なりとも、日蓮をば梵釈・日月・四天等、天照太神・八幡の守護し給ふゆへに、ばつ(罰)しがたかるべしと存じ給ふべし。[p1674]
月々日々につよ(強)り給へ。すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし。我等凡夫のつたなさは経論に有る事と遠き事はをそるゝ心なし。一定として平等も城等もいかりて此の一門をさんざんとなす事も出来せば、眼をひさい(塞)で勧念せよ。当時の人々のつくし(筑紫)へか、さゝれんずらむ。又ゆく人、又かしこに向かへる人々を、我が身にひきあてよ。当時までは此の一門に此のなげきなし。彼等はげん(現)はかくのごとし。殺されば又地獄へゆくべし。我等現には此の大難に値ふとも後生は仏になりなん。設へば灸治のごとし。当時はいたけれども、後の薬なればいたくていたからず。彼のあつわら(熱原)の愚痴の者どもいゐはげま(言励)してをどす事なかれ。彼等には、ただ一えん(円)にをもい切れ、よ(善)からんは不思議、わる(悪)からんは一定とをもへ。ひだるしとをもわば餓鬼道ををしへよ。さむしといわば八かん地獄ををしへよ。をそろしゝといわばたか(鷹)にあへるきじ(雉)、ねこにあへるねずみを他人とをもう事なかれ。[p1674-1675]
此れはこまこまとかき候事はかくとし(年)かくとし月々日々申して候へども、なごへの尼・せう(少輔)房・のと房・三位房なんどのやうに候をくびやう(臆病)・物をぼへず・よくふかく・うたがい多き者どもは、ぬれる(塗)うるし(漆)に水をかけ、そら(空)をきり(切)たるやうに候ぞ。三位房が事は大不思議の事ども候しかども、とのばら(殿原)のをもいには智慧ある者をそねませ給ふかと、ぐちの人をもいなんとをもいて物も申さで候ひしが、はらぐろ(佞心)となりて大つちをあたりて候ぞ。なかなか、さんざん、とだにも申せしかばたすかるへんもや候なん。あまりにふしぎさに申さざりしなり。又かく申せばをこ人どもは死もう(亡)の事を仰せ候と申すべし。鏡のために申す。又此の事は彼等の人々も内々はをぢをそれ候らむとをぼへ候ぞ。人のさわげばとてひやうじ(兵士)なんど此の一門にせられば、此れへかきつけてたび候へ。恐々謹言。[p1675]
十一月一日 日 蓮 花押[p1675]
さぶらうざへもん殿のもとに、とどめらるべし。[p1675]
#0345-0K0 瀧泉寺申状 弘安二年(1279.10) [p1677]
大体此の状の様有るべきか。但し熱原の沙汰之趣に其の子細出来せるか。[p1677]
駿河の国富士下方瀧泉寺大衆 越後房日弁・下野房日秀等謹んで弁言す。[p1677]
当寺院主代平左近入道行智、條々の自科を塞ぎ遮らんが為に不実の濫訴を致す事謂れ無き事。[p1677]
訴状に云く 日秀・日弁日蓮房之弟子と号し、法華経より外の余経、或は真言の行人は皆以て今世後世、叶ふべからざる之由、之を申す云云。[取意][p1677]
此の條は日弁等之本師、日蓮聖人、去る正嘉以来の大仏星・大地動等を観見し、一切経を勘へて云く 当寺日本国の為体、権小に執著し実経を失没せる之故に、前代未有之二難を起すべし。所謂、自界叛逆難・他国侵逼難也。仍て治国之故を思ひ、兼日彼の大災難を対治せしむるべき之由、去る文応年中一巻の書を上表す[立正安国論と号す]。勘へ申す所、皆以て符合す。既に金口の未来記に同じ。宛も声と響きとの如し。外書に云く 知未萠聖人也〔未萠を知るは聖人なり〕。内典に云く ̄智人知起 蛇自知蛇〔智人は起を知る、蛇は自ら蛇を知る〕云云。之を以て之を思ふに、本師は豈に聖人に非ずや。巧匠内に在り、国宝外に求むべからず。外書に云く 隣国有聖人敵国之憂也〔隣国に聖人有るは敵国之憂也〕云云。内経に云く 国有聖人 天必守護〔国に聖人有れば 天必ず守護す〕云云。外書に云く 世必有聖智之君 而復有賢明之臣〔世必ず聖智之君有り 而して復賢明之臣有り〕云云。此本文を見るに、聖人国に在るは、日本国之大喜にして蒙古国之大憂也。諸龍を駈り催して敵舟を海に沈め、梵釈に仰せ付けて蒙王を召し取るべし。君既に賢人に在さば豈に聖人を用ひずして徒に他国之逼を憂へん。[p1677-1678]
抑そも大覚世尊、遥かに末法闘諍堅固の時を鑒み、此の如き大難を対治すべき之秘術、説き置かせらるる之経文明々たり。然りと雖も如来の滅後二千二百二十余年の間、身毒・尸那・扶桑等、一閻浮提の内に未だ流布せず。随て四依の大士、内に鑑みて説かず。天台・伝教而も之を演べず。時の未だ至らざる之故なり。法華経に云く_後五百歳中。広宣流布。於閻浮提〔後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して〕云云。天台大師云く ̄後五百歳。妙楽云く ̄五々百歳。伝教大師云く ̄語代則像終末初 尋地則唐東羯西 原人則五濁之生闘諍之時〔代を語れば、則ち像の終わり、末の初め。地を尋ぬれば、唐の東、羯の西。人を原ぬれば、則ち五濁之生、闘諍之時なり〕云云。東勝西負の明文也。法主聖人時を知り、国を知り、法を知り、機を知り、君の為民の為神の為仏の為、災難を対治せしるむべき之由、勘へ申すと雖も、御信用無き之上、剰へ謗法の人等之讒言に依て、聖人頭に・を負ひ左手を打ち折らるる之上、両度まで遠流之責めを蒙り、門弟所々に射殺され・切り殺され・殺害・刃傷・禁獄・流罪・打擲・擯出・罵詈等之大難、計るべからず。[p1678-1679]
茲に因りて大日本国皆法華経之大怨敵と成り、万民悉く一闡提の人と為る之故に、天神国を捨て地神所を辞し、天下静かならざる之由、粗伝承する之間、其の仁に非ずと雖も、愚案を顧みず言上せしむる所なり。外経に云く 奸人在朝賢者不進〔奸人朝に在れば賢者進まず〕云云。内経に云く 見壊法者不責者 仏法中怨〔法を壊る者を見て責めざる者は仏法の中の怨なり〕云云。[p1679]
又風聞の如くんば、高僧等を崛請して蒙古国を調伏す云云。其の状を見聞するに、去る元暦承久の両帝、叡山の座主・東寺・御室・七大寺・園城寺等の検校、長吏等の諸の真言師を請ひ、内裏之紫宸殿にして呪詛し奉る。故源右将軍竝びに故平右虎牙の日記也。此の法を修するの仁は之を行へば必ず身を滅ぼし、強いて之を持てば定めて主を失ふ也。然れば則ち安徳天皇は西海に沈没し、叡山の明雲は死流の失に当り、後鳥羽法皇は夷島に放ち捨てられ、東寺・御室は高山に自ら死し、北嶺の座主は改易の恥辱に値ふ。現罰眼を遮れり。後賢之を畏る。聖人山中の御悲しみは是れ也。[p1679]
次に阿弥陀経を以て例時の勤めと為すべき之由之事。[p1679]
夫れ以みれば花之月と、水の火と時に依て之を用ゆ。必ずしも先例を追ふべからず。仏法又是の如し。時に随て用捨す。其の上汝等の執する所の四枚の阿弥陀経は四十余年未顕真実の少経也。一閻浮提第一の智者たる舎利弗尊者、多年之間此の経を読誦するも、終に成仏を遂げず。然る後、彼の経を抛ち、法華経に来至して華光如来と為る。況んや末代悪世の愚人、南無阿弥陀仏の題目計りを唱へて順次往生を遂ぐべしや。[p1679]
故に仏之を誡めて言く 法華経に云く_正直捨方便 但説無上道〔正直に方便を捨てて 但無上道を説く〕と云云。教主釈尊正しく阿弥陀経を抛ちたまふ云云。又涅槃経に云く_如来雖無虚妄之言 若知衆生因虚妄説〔如来は虚妄之言無しと雖も、若し衆生虚妄の説に因って法利を得ると知れば〕と云云。正しく阿弥陀念仏を以て虚妄と称する文なり。法華経に云く_但楽受持 大乗経典 乃至不受 余経一偈〔但楽って 大乗経典を受持して 乃至 余経の一偈をも受けざるあらん〕云云。妙楽大師云く_況彼華厳 但以福比。不同此経 以法化之。故云 乃至不受 余経一偈〔況んや彼の華厳、但福を以て比す。此の経の法を以て之を化するに同じからず。故に乃至不受 余経一偈と云ふ〕云云。[p1679-1680]
彼の華厳経は寂滅道場の説、法界唯心の法門也。上本は、十三世界微塵品。中本は四十九万八千偈。下本は十万偈四十八品。今現に一切経蔵を観るに唯八十・六十・四十等の経也。其の外の方等・般若・大日経・金剛頂経等の諸の顕密の大乗経等、尚お法華経に対当し奉りて、仏自ら或は未顕真実と云ひ、或は留難多きが故に、或は門を閉ぢよ、或は抛て等云云。唯大山と蟻岳との高下、師子王と狐莵との・力也。今、日秀等彼等の小経を抛ちて専ら法華経を読誦し法界に勧進して南無妙法蓮華経と唱へ奉る。豈に殊忠に非ずや。此れ等之子細、御不審を相貽さば、高僧等を召し合わせられて是非を決せしむるべきか。仏法の優劣を糺明せらる事は、月氏・漢土・日本之先例也。今、明時に当りて何ぞ三国の旧規に背かんや。[p1680]
訴状に云く 今月二十一日数多の人勢を催し、弓箭を帯し、院主分之御坊内に打ち入り、下野房は乗馬相具し、熱原の百姓紀次郎男点札を立て、作毛を苅り取りて、日秀の住房に取り入れ云云[取意]。[p1680]
此の條跡形も無き虚誕也。日秀等、行智に損亡せられて不安安堵之上は、誰人か日秀等之点札を叙用せしむべき。将た又・弱なる土民之族、日秀等に雇ひ越されんや。もし然れば弓箭を帯し悪行を企むるに於ては、行智と云ひ、近隣の人々と云ひ、争でか弓箭を奪ひ取り其の身を召し取りて子細を申さざるや。矯飾之至り、賢察に足るべし。[p1680-1681]
日秀・日弁等、当寺代々之住侶と為り、行法之薫りを積む之條、天長地久の御祈祷を致す之処、行智は当寺霊地之院主代に補し乍、寺家三河房頼円・竝びに少輔房日禅・日秀・日弁等に仰せて、行智、法華経に於ては不信用之法也。速やかに法華経の読誦を停止し、一向に阿弥陀経を読み、念仏を申すべき之由、起請文を書けば安堵すべき之旨、下知せしむる之間、頼円は、下知に随て起請を書きて安堵せしむと雖も、日禅は起請を書かざるに依て所職の住房を奪ひ取るの時、日禅は即ち離散せしめ畢んぬ。日秀・日弁は無頼之身たるに依て所縁を相憑み猶お寺中に寄宿せしむる之間、此の四ヶ年之程、日秀等之所職の住房を奪ひ取り、厳重に御祈祷を打つ止むる之余り、悪行猶お飽き足らずして、法華経行者之跡を削らんが為に謀案を構へて種々の不実を申し付くる之條、豈に在世之調達に非ずや。[p1681]
凡そ行智之所行は法華三昧の供僧、和泉房蓮海を以て法華経を柿紙に作して紺形に彫る。堂舎の修治の為に、日弁に御書を給ひ、構へ置く所の上に葺槫一万二千寸の内八千寸、之を私用せしむ。下方之政所代に勧め、去る四月御神事之最中に、法華経信心之行人四郎男を刃傷せしめ、去る八月弥四郎男の頚を切らしむ。(日秀等を刎頭に擬する事を此の中に書き入れる)。無知無才之盗人兵部房静印を以て過料を取り、器量仁と称して、当寺之供僧に補せしむ。或は寺内之百姓等を催し、鶉を取り、狸を狩り、狼落之鹿を殺し、別当の坊に於て之を食ひ、或は毒物を仏前之池に入れ、若干の魚類を殺し、村里に出でて之を売る。見聞之人、耳目を驚かさざるは莫し。仏法破滅の基、悲しんで余り有り。此の如き之不善悪行、日々相積む之間、日秀等愁歎之余り、依て上聞を驚かさんと欲す。行智條條の自科を塞がんが為に種々の秘計を廻らし、近隣之輩を相語らひ遮りて跡形も無き不実を付け、日秀等を損亡せしめんと擬する之條、言語道断之次第也。頭に付け、頚に付け□戒めの御沙汰無からんや。[p1681-1682]
所詮、仏法之権実と云ひ、沙汰之真偽と云ひ、淵底を究めて御尋ね有り。且つは誠諦之金言に任せ、且つは式條之明文に准じ禁遏を加へられば、守護之善神は変を銷し擁護之諸天を咲みを含まん。然らば則ち不善悪行之院主代行智を改易せられ、将た又本主、此の重科を脱れ難からん。何ぞ実相寺に例如せん。誤らざる之道理に任せて、日秀・日弁等、安堵之御成敗を蒙り、堂舎を修理せしめ、天長地久の御祈祷の忠勤を抽んでんと欲す。仍て状を勒し披陳す。言上件の如し。[p1682]
弘安二年十月 日 沙門日秀・日弁等 上[p1682]
法華三昧の供僧和泉房蓮海、法華経を柿紙に作して紺形に彫るとは、重科之上、謗法也。仙豫国王は閻浮第一の持戒之人、慈悲喜捨を具足する菩薩の位也。而も又師軌也。然りと雖も法華経を誹謗する婆羅門五百人を刎頭す。其の功徳に依て妙覚位に登る。有徳国王も又初依の菩薩なり。歓喜仏の末、諸小乗・権大乗の者法華経の行者覚徳比丘を殺害せんとす。有徳国王諸小権法師等を、或は射殺し、或は切り殺し、或は打ち殺し、迦葉仏等と為る。戒日大王・宣宗皇帝・上徳太子等、此の先証を追ひて仏法の怨敵を討罰す。此れ等の大王は皆持戒の仁、善政の流れなり。未来今日、行智重科不可□□□。然りと雖も日本一同謗法たる之上は、其の子細、御尋ねに随て之を申すべし。[p1682-1683]
#0350-000 上野殿御返事 弘安二年(1279.11・06) [p1707]
唐土に龍門と申すたきあり。たかき事十丈、水の下ること、かんひやうがや(矢)をいをと(射落)すよりもはやし。このたきに、をゝくのふな(鮒)あつまりて、のぼらむと申す。ふなと申すいを(魚)ののぼりぬれば、りう(龍)となり候。百に一、千に一、万に一、十年二十年に一ものぼる事なし。或ははやきせ(急瀬)にかへり、或ははし(鷲)・たか・とび・ふくろうにくらわれ、或は十丁のたきの左右に漁人〈いをどるもの〉どもつらなりゐて、或はあみをかけ、或はくみとり、或はいてとるものもあり。いをのりうとなる事かくのごとし。[p1707-1708]
日本国の武士の中に源平二家と申して王の門守の犬二疋候。二家ともに王を守りたてまつる事、やまかつ(山人)が八月十五夜のみねよりいづるをあい(愛)するがごとし。てんじやう(殿上)のなんによ(男女)のあそぶをみては、月と星とのひかりをあわせたるを、木の上にてさる(猿)のあいするがごとし。かゝる身にてはあれども、いかんがして我等てんじやうのまじわりをなさんとねがいし程に、平氏の中に貞盛と申せし者、将門を打ちてありしかども、昇でんをゆるされず。其の子正盛又かなわず。其の子忠盛が時、始めて昇でんをゆるさる。其の後清盛・重盛等、とんじやうにあそぶのみならず、月をうみ、日をいだくみ(身)となりにき。[p1708]
仏になるみちこれにをとるべからず。いをの龍門をのぼり、地下の者のてんじやうへまいるがごとし。身子と申せし人は仏にならむとて六十劫が間、菩薩の行をみてしかども、こらへかねて二乗の道に入りにき。大通結縁の者は三千塵点劫、久遠下種の人の五百塵点劫、生死にしづみし。此れ等は法華経を行ぜし程に第六天の魔王、国主等の身に入りてかうわづらわせしかば、たい(退)してすてしゆへに、そこばくの劫に六道にはめぐりしぞかし。かれは人の上とこそみしかども、今は我等がみ(身)にかかれり。[p1708-1709]
願はくは我が弟子等、大願ををこせ。去年去々年のやくびやうに死にし人々のかずにも入らず。又当時蒙古のせめにまぬかるべしともみへず。とにかくに死は一定なり。其の時のなげきはたうじ(当時)のごとし。をなじくはかりにも法華経のゆへに命をすてよ。つゆを大海にあつらへ、ちりを大地にうづむとをもへ。法華経の第三に云く_願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道〔願わくは此の功徳を以て 普く一切に及ぼし 我等と衆生と 皆共に仏道を成ぜん〕云云。恐々謹言。[p1709]
十一月六日 日 蓮 花押[p1709]
上野賢人殿 御返事[p1709]
此れはあつわら(熱原)の事のありがたさに申す御返事なり。[p1709]
#0351-0K0 富城入道殿御返事 弘安二年(1279.11・25) [p1710]
尼御前の御寿命長遠之由天に申し候ぞ。其の故御物語候へ。[p1710]
不断法華経 来年の三月の料分、銭三貫文・米二斗送り給候ひ了んぬ。[p1710]
十一月二十五日 日 蓮 花押[p1710]
富城入道殿 御返事[p1710]
#0352-000 富城殿女房尼御前御書 弘安二年(1279.11・25) [p1710]
いよ(伊与)房は学生になりて候ぞ。つねに法門きかせ給候へ。[p1710]
はるかにみまいらせ候はねば、をぼつかなく候。たうじ(当時)とてもたのしき事は候はねども、むかしはことにわびしく候ひし時より、やしなわれまいらせて候へば、ことにをん(恩)をもくをもひまいらせ候。それについては、いのちはつるかめのごとく、さいわいは月のまさり、しを(潮)のみつがごとくとこそ、法華経にはいのりまいらせ候へ。さてはえち(越)後房・しもつけ房と申す僧をいよどのにつけて候ぞ。しばらくふびんにあたらせ給へと、とき殿には申させ給。恐恐謹言。[p1710-1711]
十一月二十五日 日 蓮 花押[p1711]
富城殿女房尼御前[p1711]
#0353-000 兵衛志殿女房御返事 弘安二年(1279.11・25) [p1711]
兵衛志殿女房、絹片裏給了んぬ。此の御心は法華経の御宝前に申し上げて候。まことゝはをぼへ候はねども、此の御房たちの申し候は御子どもは多し。よにせけんかつかつとをはすると申し候こそなげかしく候へども、さりともとをぼしめし候へ。恐々謹言。[p1711]
十一月廿五日 日 蓮 花押[p1711]
兵衛志殿女房 御返事[p1711]
#0357-000 上野殿御返事 弘安二年(1279.12・27) [p1721]
白米一だ(駄)をくり給了んぬ。[p1721]
一切の事は時による事に候か。春は月と申す事も時なり。仏も世にいでさせ給ひし事は法華経のためにて候しかども、四十余年はとかせ給はず。其の故を経文にとかれて候には、説時未至故〔説時未だ至らざるが故なり〕等と云云。夏あつわた(厚綿)のこそで、冬かたびらをたびて候は、うれしき事なれども、ふゆ(冬)のこそで、なつ(夏)のかたびらにはすぎず。うへて候時のこがね(金)、かつ(渇)せる時のごれう(御料)はうれしき事なれども、はん(飯)と水とにはすぎず。仏に土をまいらせて候人仏となり、玉をまいらせて地獄へゆくと申すことこれか。[p1721]
日蓮は日本国に生まれてわゝく(誑惑)せず、ぬすみせず、かたがたのとがなし。末代の法師にはとがうすき身なれども、文をこのむ王に武のすてられ、いろ(色)をこのむ人に正直物のにくまるゝがごとく、念仏と禅と真言と律とを信ずる代に値ひて法華経をひろむれば、王臣万民ににくまれて、結句は山中に候へば、天いかんが計らはせ給ふらむ。五尺のゆき(雪)ふりて本よりかよわぬ山道ふさがり、といくる人もなし。衣もうすくてかん(寒)ふせぎがたし。食たへて命すでにをはりなんとす。かゝるきざみ(刻)にいのちさまたげの御とぶらい、かつはよろこびかつはなげかし。一度にをもい切てうへし(飢死)なんとあん(案)じ切て候ひつるに、わづかのともしびにあぶら(油)を入れそへられたるがごとし。あわれあわれたうとくめでたき御心かな。釈迦仏・法華経定めて御計らひ候はんか。恐々謹言。[p1721-1722]
十二月廿七日 日 蓮 花押[p1722]
上野殿 御返事[p1722]
#0359-000 上野殿御返事 弘安三年(1280.正・11) [p1729]
十字六十枚・清酒一筒・薯蕷〈やまのいも〉五十本・柑子二十・串柿一連送り給候ひ畢んぬ。法華経の御宝前にかざり進らせ候。春の始めの三日種々の物法華経の御宝前に捧げ候ひ畢んぬ。花は開きて果となり、月は出でて必ずみち、燈は油をさせば光を増し、草木は雨ふればさかう、人は善根をなせば必ずさかう。其の上元三の御志元一にも超へ、十字の餅満月の如し。事々又々可申候。[p1729]
弘安三年[庚申]正月十一日 日 蓮 花押[p1729]
上野殿[p1729]
#0361-000 慈覚大師事 弘安三年(1280.正・27) [p1741]
鵞眼三貫・絹の袈裟一帖給了んぬ。[p1741]
法門の事は秋元太郎兵衛尉殿御返事に少々注して候。御覧有るべく候。[p1741]
何よりも受け難き人身、値ひ難き仏法に値ひて候に、五尺の身に一尺の面あり。其の面の中三寸の眼二つなり。一歳より六十に及んで多くの物を見る中に、悦ばしき事は法華最第一の経文なり。あさましき事は慈覚大師の金剛頂経の頂の字を釈して云く ̄所言頂者 於諸大乗法中最勝無過上故以頂名之。乃至如人之身頂最為勝。乃至法華云 是法住法位。今正顕説此秘密理。故云金剛頂也〔言ふ所の頂とは、諸の大乗の法の中に於て最勝にして無過上なる故に、頂を以て之を名づく。乃至、人の身の頂最もこれ勝れるが如し。乃至、法華に云く 是法住法位と。今正しく此の秘密の理を顕説す。故に金剛頂と云ふなり〕云云。又云く ̄如金剛宝中之宝 此経亦爾。諸経法中最為第一 三世如来髻中宝故〔金剛は宝中の宝なるが如く、此の経も亦しかなり。諸の経法の中に最もこれ第一にして三世の如来の髻の中の宝なる故に〕等云云。此の釈の心は法華最第一の経文を奪ひ取りて、金剛頂経に付けたるのみならず、如人之身頂最為勝の釈の心は法華経の頭を切りて真言経の頂とせり。此れ即ち鶴の頚を切りて蛙の頚に付けるる歟。真言の蛙も死にぬ。法華経の鶴の御頚も切れぬと見え候。此れこそ人身うけたる眼の不思議にては候へ。[p1741]
三千年に一度花開くなる優曇花は転輪聖王此れを見る。究竟円満の仏にならざらんより外は法華経の御敵は見しらざんなり。一乗のかたきの夢のごとく勘へ出だして候。慈覚大師の御はかいづれのところに有ると申す事きこへず候。世間に云ふ、御頭は出羽の国立石寺に有り云云。いかにも此の事は頭と身とは別の所に有るか。明雲座主は義仲に頭を切られたり。天台座主を見候へば、伝教大師はさてをきまいらせ候ひぬ。第一義真・第二円澄、此の両人は法華経を正とし、真言を傍とせり。第三の座主慈覚大師は真言を正とし、法華経を傍とせり。其の已後代々の座主は相論にて思ひ定むる事無し。第五十五竝びに五十七の二代は明雲大僧正座主なり。此の座主は安元三年五月日、院勘を蒙りて伊豆の国え配流、山僧大津にて奪ひ取る。後、治承三年十一月に座主となりて源の右将軍頼朝を調伏せし程に、寿永二年十一月十九日義仲に打たれさせ給ふ。此の人生きると死ぬと二度大難に値へり。生の難は仏法の常例、聖賢の御繁盛の花なり。死の後は恥辱は悪人・愚人・誹謗正法の人の招くわざはいなり。所謂大慢ばら門・須利等也。[p1741-1742]
粗此れを勘へたるに、明雲より一向に真言の座主となりて後、今三十余代一百余年が間、一向真言座主にて法華経の所領を奪へるなり。しかれば此れ等の人々は釈迦・多宝・十方の諸仏の大怨敵、梵しやく・日月・四天・天照太神・正八幡大菩薩の御讎敵なりと見えて候ぞ。我が弟子等此の旨を存じて法門を案じ給ふべし。恐々謹言。[p1742]
正月二十七日 日 蓮 花押[p1742]
大田入道殿御返事[p1742]
#0364-000 富城入道殿御返事 弘安三年(1280.04・10) [p1746]
鵞目一結給候ひ了んぬ。御志は法華経に申し挙げて候ひ了んぬ。定めて十羅刹御身を守護すること疑ひ無く候歟。[p1746]
さては尼御前乃御事をぼつかなく候由、申し伝へさせ給候へ。恐々謹言。[p1746]
卯月十日 日 蓮 花押[p1746]
富城入道殿 御返事[p1746]
#0441-000 かわいどの御返事 弘安三年(1280.04・19) [p3022]
人にたまたまあわせ給ふならば、むかいくさき事なりとも向せ給ふべし。ゑまれぬ事なりともえませ給へ。かまへて、かまへてこの御をんかほらせ給ひて、近くは百日とをくは三ねんつゝがなくばみうちはしづまり候べし。それより内になに事もあるならば、きたらぬ果報なりけりと人のわらわんはずかしさ、はずかしさ。かしく。[p3022]
卯月十九日 日 蓮 花押[p3022]
かわいどの御返事[p3022]
#0367-000 諸経与法華経難易事 弘安三年(1280.05・26) [p1750]
問て云く 法華経の第四の法師品に云く_難信難解云云。いかなる事ぞや。[p1750]
答て云く 此の経は仏説き給ひて後、二千余年にまかりなり候。月氏に一千二百余年、漢土に二百余年を経て後、日本国に渡りてすでに七百余年なり。仏滅後に此の法華経の此の句を読みたる人但三人なり。所謂月氏には龍樹菩薩。大論に云く ̄譬如大薬師能以毒為薬〔譬えば大薬師の能く毒を以て薬と為すが如し〕此れは龍樹菩薩の難信難解の四字を読み給ひしなり。漢土には天台智者大師と申せし人読んで云く ̄已今当説最為難信難解云云。日本国には伝教大師読んで云く ̄已説四時経 今説無量義経 当説涅槃経易信易解。随他意故。此法華経最為難信難解。随自意故〔已説の四時の経、今説の無量義経、当説の涅槃経は易信易解なり。随他意の故に。此の法華経最もこれ難信難解なり。随自意の故に〕等云云。[p1750]
問て云く 其の意如何。[p1750]
答て云く 易信易解は随他意の故に。難信難解は随自意の故なり云云。弘法大師、竝びに日本国東寺の門人をもわく、法華経は顕教之内の難信難解にて密教に相対すれば易信易解なり云云。慈覚・智証竝びに門家思ふやう、法華経と大日経は倶に難信難解なり。但し大日経と法華経と相対せば法華経は難信難解、大日経は最為難信難解云云。此の二義は日本一同也。日蓮読んで云く 外道の経は易信易解、小乗経は難信難解。小乗経は易信易解、大日経等は難信難解。大日経等は易信易解、般若経は難信難解。般若と華厳と、華厳と涅槃と、迹門と本門と、重々の難易あり。[p1750-1751]
問て云く 此の義を知知りて何の詮か有る。[p1751]
答て云く 生死の長夜を照らす大燈。元品の無明を切る利剣は、此の法門に過ぎざる歟。随他意とは、真言宗・華厳宗等は随他意・易信易解なり。仏九界の衆生の意楽に随て説く所の経々を随他意という。譬へば賢父が愚子を随ふが如し。仏仏界に随て説く所の随自意という。譬へば聖父が愚子を随へたるが如し。日蓮此の義に付きて、大日経・華厳経・涅槃経等を勘へ見候に、皆随他意の経々也。[p1751]
問て云く 其の随他意の証拠如何。[p1751]
答て云く 勝鬘経に云く_無聞非法衆生以人天善根而成熟之。求声聞者授声聞乗 求縁覚者授縁覚乗 求大乗者授以大乗〔非法を聞くこと無き衆生には人天の善根を以て而も之を成熟す。声聞を求むる者には声聞乗を授け、縁覚を求むる者には縁覚乗を授け、大乗を求むる者には授くるに大乗を以てす〕と云云。易信易解之心是れ也。華厳・大日・般若・涅槃等又是の如し。爾時世尊。因薬王菩薩。告八万大士。薬王。汝見是大衆中。無量諸天。龍王。夜叉。乾闥婆。阿修羅。迦楼羅。緊那羅。摩・羅伽。人与非人。及比丘。比丘尼。優婆塞。優婆夷。求声聞者。求辟支仏者。求仏道者。如是等類。減於仏前。聞妙法華経。一偈一句。乃至一念随喜者.我皆与授記。当得阿○菩提〔爾の時に世尊、薬王菩薩に因せて八万の大士に告げたまわく、薬王、汝是の大衆の中の無量の諸天・龍王・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩・羅伽・人と非人と及び比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の声聞を求むる者・辟支仏を求むる者・仏道を求むる者を見るや。是の如き等類、減く仏前に於て妙法華経の一偈一句を聞いて、乃至一念も随喜せん者は我皆記を与え授く。当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし〕[文]。諸経の如くんば、人は五戒、天は十善、梵は慈悲喜捨、魔王には一無遮、比丘は二百五十、比丘尼は五百戒、声聞は四諦、縁覚は十二因縁、菩薩は六度。譬へば水の器の方円に随ひ、象の敵に随て力を出だすがごとし。法華経は爾らず。八部四衆皆一同に法華経を演説す。譬へば定木の曲りを削り、師子王の剛弱を嫌はずして大力を出だすがごとし。此の明鏡を以て一切経を見聞するに、大日の三部・浄土の三部等隠れ無し。[p1751-1752]
而るをいかにやしけん、弘法・慈覚・智証の御義を本としける程に此の義すでに隠没して日本国四百余年なり。珠をもつて石にかへ、栴檀を凡木にうれり。仏法やうやく顛倒しければ世間も又濁乱せり。仏法は体のごとし、世間はかげのごとし、体曲れば影なゝめなり。幸なるは我が一門、仏意に随て自然に薩般若海に流入す。苦しきは世間の学者、随他意を信じて苦海に沈まん。委細之旨、又々申すべく候。恐々謹言。[p1752]
五月二十六日 日 蓮 花押[p1752]
富木殿 御返事[p1752]
#0368-0k0 新田殿御書 弘安三(1280.05・29) [p1752]
使いの御志限り無き者歟。経は法華経、顕密第一の大法也。仏は釈迦仏、諸仏第一の上仏也。行者は法華経の行者に相似たり。三事既に相応せり。檀那の一願必ず成就せん歟。恐々謹言。[p1752]
日 蓮 花押[p1752]
新田殿[p1753]
竝女房御方 御返事[p1753]
#0370-000 大田殿女房御返事 弘安三年(1280.07・02) [p1754]
或建治元年
八月分の八木一石給候ひ了んぬ。[p1754]
即身成仏と申す法門は、諸大乗経竝びに大日経等の経文に分明に候ぞ。爾らばとて彼の経経の人々の即身成仏と申すは、二の増上慢に堕ちて必ず無間地獄へ入り候也。記の九に云く ̄然二上慢不無浅深。謂如乃成大無慙人〔然して二の上慢浅深無きにあらず。如と謂ふは乃ち大無慙の人と成る〕等云云。[p1754]
諸大乗経の煩悩即菩提・生死即涅槃の即身成仏の法門は、いみじくをそたかきやうなれども、此れはあえて即身成仏の法門にはあらず。其の心は二乗と申す者は鹿苑にして見思を断じて、いまだ塵沙・無明をば断ぜざる者が、我は已に煩悩を尽くしたり。無余に入て灰身滅智の者となれり。灰身なれば即身にあらず。なれば成仏の義なし。されば凡夫は煩悩・業もあり、苦果の依身も失ふ事なければ、煩悩・業を種として報身・応身ともなりなん。苦果あれば生死即涅槃とて、法身如来ともなりなんと、二乗をこそ弾呵せさせ給ひしか。さればとて煩悩・業・苦が三身の種とはなり候はず。今法華経にして、有余・無余の二乗が無き煩悩・業・苦をとり出だして、即身成仏と説き給ふ時、二乗の即身成仏するのみならず、凡夫も即身成仏する也。[p1754]
此の法門をだにもくはしく案じほどかせ給わば、華厳・真言等の人々の即身成仏と申し候は、依経に文は候へども、其の義はあへてなき事なり。僻事の起り此れ也。弘法・慈覚・智証等は、此の法門に迷惑せる人なりとみ(見)候。何に況んや其の已下の古徳・先徳等は言ふにたらず。但し、天台の第四十六の座主東陽の忠尋と申す人こそ、此の法門はすこしあやぶまれて候事は候へ。然れども天台の座主慈覚の末をうくる人なれば、いつわりをろかにて、さてはてぬるか。其の上日本国に生を受うる人は、いかでか心にはをもうとも、言に出だし候べき。しかれども釈迦・多宝・十方の諸仏・地涌・龍樹菩薩・天台・妙楽・伝教大師は、即身成仏は法華経に限るとをぼしめされて候ぞ。我が弟子等は此の事ををもひ出でにさせ給へ。[p1754-1755]
妙法蓮華経の五字の中に、諸論師・諸人師の釈まちまちに候へども、皆諸経の見を出でず。但し、龍樹菩薩の大論と申す論に ̄譬如大薬師能以毒為薬〔譬えば大薬師の能く毒を以て薬と為すが如し〕と申す釈こそ、此の一字を心へさせ給ひたりける歟と見へて候へ。毒と申すは苦集の二諦、生死の因果は毒の中の毒にて候ぞかし。此の毒を生死即涅槃、煩悩即菩提となし候を、妙の極とは申しけるなり。良薬と申すは毒の変じて薬となりけるを良薬とは申し候けり。此の龍樹菩薩は大論と申す文の一百の巻に、華厳・般若等は妙にあらず、法華経こそ妙にて候へと申す釈也。此の大論は龍樹菩薩の論、羅什三蔵と申す人の漢土へわたして候なり。天台大師は此の法門を御らむありて、南北をばせめさせ給ひて候ぞ。[p1755-1756]
而るを漢土唐の中〈なかごろ〉、日本弘仁已後の人々の・りの出来し候ひける事は、唐の第九の代宗皇帝の御宇、不空三蔵と申す人の天竺より渡して候論あり、菩提心論と申す。此の論は龍樹の論となづけて候。此の論に云く ̄唯真言法中即身成仏故是説三摩地法。於諸経中闕而不書〔唯真言法の中のみに即身成仏する故に是の三摩地の法を説く。諸経の中に於て闕けて而も書かせず〕と申す文あり。此の釈にばかされて、弘法・慈覚・智証等の法門はさんざんの事にては候也。[p1756]
但し、大論は龍樹の論たる事は自他あらそう事なし。菩提心論は龍樹の論・不空の論と申すあらそい有り。此れはいかにも候へ。さてをき候ひぬ。但し、不審なる事は、大論の心ならば即身成仏は法華経に限るべし。文と申し、道理きわまれり。菩提心論が龍樹の論とは申すとも、大論にそむいて真言の即身成仏を立つる上、唯の一字は強しと見へて候。何れの経文に依て、唯の一字をば置きて、法華経をば破し候けるぞ。証文尋ぬべし。[p1756]
龍樹菩薩の十住・婆沙論に云く ̄経に依らざる法門をば黒論と云云。自語相違あるべからず。大論の百に云く ̄而法華等諸経説阿羅漢受決作仏。乃至 譬如大薬師能以毒為薬〔而るに法華等の諸経は阿羅漢の受決作仏を説く。乃至 譬えば大薬師の能く毒を以て薬と為すが如し〕等云云。此の釈こそ即身成仏の道理はかゝれて候へ。[p1756]
但し。菩提心論と大論とは同じ龍樹大聖の論にて候が、水火の異をばいかんがせんと見候に、此れは龍樹の異説にはあらず、訳者の所為なり。羅什は舌やけず、不空は舌やけぬ。妄語は舌やけ、実語はやけぬ事顕然也。月支より漢土へ経論わたす人、一百七十六人なり。其の中に羅什一人計りこし、教主釈尊の経文に私の言入れぬ人にては候へ。一百七十六人の中、羅什より先後一百六十四人は羅什の智をもつて知り候べし。羅什来らせ給ひて前後一百六十四人が・りも顕れ、新訳の十一人が・りも顕れ、又少ざかしくなりて候も羅什の故也。此れ私の義にはあらず。感通伝に云く ̄絶後光前と云云。光前と申すは後漢より後秦までの訳者。絶後と申すは羅什已後、善無畏・金剛智・不空等も羅什の智をうけて、すこしこざかしく候也。感通伝に云く ̄已下の諸人竝びに皆俊云云。されば此の菩提心論の唯の文字は、設ひ龍樹の論なりとも、不空の私の言也。何に況んや次下に ̄於諸経中闕而不書とかゝれて候。存外のあやまりなり。即身成仏の手本たる法華経指しをいて、あとかたもなき真言に即身成仏を立て、剰へ唯の一字ををかるゝ條、天下第一の僻見也。此れ偏に修羅根性の法門なり。[p1756-1757]
天台智者大師の文句の九に、寿量品の心を釈して云く ̄仏於三世等有三身。於諸教中秘之不伝〔仏三世に於て等しく三身有り。諸教の中に於て之を秘して伝へず〕とかゝれて候。此れこそ即身成仏の明文にては候へ。不空三蔵此の釈を消さんが為に事を龍樹に依て、唯真言法中即身成仏故是説三摩地法。於諸経中闕而不書とかゝれて候也。されば此の論次下に、即身成仏をかゝれて候が、あへて即身成仏にはあらず。生身得忍に似て候。此の人は即身成仏はめづらしき法門とはきかれて候へども、即身成仏の義はあへてうかがわぬ人々なり。いかにも候へば二乗作仏・久遠実成を説き給ふ経にあるべき事なり。天台大師の ̄於諸教中秘之不伝の釈は千旦千旦。恐々。[p1756-1757]
外典三千余巻は政当(道)の相違せるに依て代は濁ると明かす。内典五千七千余巻は、仏法の僻見に依て代濁るべしとあかされて候。今の代は外典にも相違し、内典にも違背せるかのゆへに、二の大科一国に起りて、已に亡国とならむとし候歟。不便不便。[p1758]
七月二日 日 蓮 花押[p1758]
大田殿女房 御返事[p1758]
#0371-000 千日尼御返事 弘安三年(1280.07・02) [p1759]
こう入道殿の尼ごぜんの事、なげき入て候。又こいしこいしと申しつたへさせ給へ。[p1759]
鵞目一巻五百文・のり・わかめ・ほしい(干飯)・しなじなの物給候ひ了んぬ。法華経の御宝前に申し上げて候。[p1759]
法華経に云く_若有聞法者 無一不成仏〔若し法を聞くことあらん者は 一りとして成仏せずということなけん〕等云云。文字は十字にて候へども法華経を一句よみまいらせ候へども、釈迦如来の一代聖教をのこりなく読むにて候なるぞ。故に妙楽大師云く ̄若弘法華凡消一義 皆混一代窮其始末〔若し法華を弘むるには、凡そ一義を消するも皆一代を混じて其の始末を窮めよ〕等云云。始と申すは華厳経、末と申すは涅槃経。此れも月氏・龍宮等は知らず、我が朝には四十巻・三十六巻・六巻・二巻等也。此れより外の阿含経・方等経・般若経等は五千・七千余巻なり。此れ等の経々は見ずきかず候へども、但法華経の一字一句よみ候へば、彼々の経々を一字もをとさずよむにて候なるぞ。譬へば月氏・日本と申すは二字。二字に五天竺・十六の大国・五百の中国・十千の小国・無量の粟散国の大地・大山・草木・人畜等をさまれるがごとし。譬へば鏡はわづかに一寸二寸三寸四寸五寸と候へども、一尺五尺の人をもうかべ、一丈二丈十丈百丈の大山をもうつすがごとし。[p1759-1760]
されば此の経文をよみて見候へば、此の経をきく人は一人もかけず仏になると申す文なり。九界六道の一切衆生各々心々かわれり。譬へば二人三人乃至百千人候へども一尺の面の内じち(実)ににたる人一人もなし。心のにざるゆへに面もにず。まして二人十人、六道九界の衆生の心いかんがかわりて候らむ。されば花をあいし、月をあいし、すき(酸)をこのみ、にがきをこのみ、ちいさきをあいし、大なるをあいし、いりいりなり。善をこのみ、悪をこのみ、しなじななり。かくのごとくいろいろに候へども、法華経に入りぬれば唯一人の身、一人の心なり。譬へば衆河の大海に入て同一鹹味なるがごとく、衆鳥の須弥山に近づきて一色なるがごとし。提婆が三逆と羅・羅が二百五十戒と同じく仏になりぬ。妙荘厳王の邪見と舎利弗が正見と同じく授記をかをほれり。此れ即ち無一不成仏のゆへぞかし。四十余年の内の阿弥陀経等には舎利弗が七日の百万反大善根ととかれしかども、未顕真実ときらわれしかば七日ゆ(湯)をわかして大海になげたるがごとし。ゐ(韋)提希が観経をよみて無生忍を得しかども、正直捨方便とすてられしかば法華経を信ぜずば返りて本の女人なり。大善も用ふる事なし。法華経に値はずばなにせん。大悪もなげく事なかれ。一乗を修行せば提婆が跡もつぎなん。此れ等は皆無一不成仏の経文のむなしからざるゆへぞかし。[p1760-1761]
されば故阿仏房の聖霊は今いづくむにかをはすらんと人は疑ふとも、法華経の明鏡をもつて其の影をうかべて候へば、霊鷲山の山の中に多宝仏の宝塔の内に、東むきにをはすと日蓮は見まいらせて候。若し此の事そらごとにて候わば、日蓮がひがめにては候はず、釈迦如来の_世尊法久後要当説真実の御舌と、多宝仏の_妙法華経皆是真実の舌相と、四百万億那由他の国土にあさ(麻)のごとく、いね(稲)のごとく、星のごとく、竹のごとく、ぞくぞくとすきもなく列ねゐてをはしましゝ諸仏如来の、一仏もかけ給はず広長舌を大梵王宮に指し付けてをはせし御舌どもの、くぢら(鯨)の死にてくちくされたるがごとく、いわし(鰯)のよりあつまりてくされたるがごとく、皆一時にくちくされて、十方世界の諸仏如来大妄語の罪にをとされて、寂光浄土の金なる大地はたとわれて、提婆がごとく、無間大城にかはと入り、法蓮華香比丘尼がごとく身より大妄語の猛火ぱといでて、実報華王の花のその(園)一時に灰燼の地となるべし。いかでかさる事は候べき。故阿仏房一人を寂光の浄土に入れ給はずば諸仏は大苦に堕ち給ふべし。たゞをいて物を見よ、物を見よ仏のまことそら事は此れにて見奉るべし。[p1761-1762]
さては、をとこははしら(柱)のごとし、女はなかわ(桁)のごとし。をとこは足のごとし、女人は身のごとし。をとこは羽のごとし、女はみ(身)のごとし。羽とみとべちべちになりなば、なにをもんてかとぶべき。はしらたうればなかは地に堕ちなん。いへにをとこなければ人のたましゐなきがごとし。くうじ(公事)をばたれにかいゐあわせん。よき物をばだれにかやしなうべき。一日二日たがいしをだにもをぼつかなしとをもいしに、こぞの三月の二十一日にわかれにしが、こぞもまちくらせどもみゆる事なし。今年もすでに七つき(月)になりぬ。たといわれこそ来らずとも、いかにをとづれはなかるらん。ちりし花も又さきぬ。をちし菓も又なりぬ。春の風もかわらず、秋のけしきもこぞのごとし。いかにこの一事のみかわりゆきて、本のごとくなかるらむ。月は入りて又いでぬ。雲はきへて又来る。この人出でゝかへらぬ事こそ天もうらめしく、地もなげかしく候へとこそをぼすらめ。いそぎいそぎ法華経をらうれう(粮料)とたのみまいらせ給ひて、りやうぜん浄土へまいらせ給ひて、みまいらせさせ給ふべし。[p1762]
抑そも子はかたきと申す経文あり。世人為子造衆罪〔世人子の為に衆罪を造る〕の文なり。・〈くまたか〉・鷲と申すとりはをやは慈悲をもつて養へば子はかへりて食とす。梟鳥と申すとりは生まれては必ず母をくらう。畜生かくのごとし。人の中にも、はるり王は心もゆかぬ父の位を奪ひ取る。阿闍世王は父を殺せり。安禄山は養母をころし、安慶緒と申す人は父の安禄山を殺す。安慶緒は子史師明に殺されぬ。史師明は史朝義と申す子に又ころされぬ。此れは敵と申すことわりなり。善星比丘と申すは教主釈尊の御子也。苦得外道をかたらいて度々父の仏を殺し奉らんとす。[p1762-1763]
又子は財と申す経文もはんべり。所以に経文に云く_其男女追修福有大光明照地獄 令其父母発信心〔其の男女追ひて福を修すれば大光明有りて地獄を照らし、其の父母に信心を発せしむ〕等云云。設ひ仏説ならずとも眼の前に見えて候。[p1763]
天竺に安足国王と申せし大王はあまりに馬をこのみてかいしほどに、後にはかいなれて鈍馬を龍馬となすのみならず、牛を馬ともなし。結句は人を馬となしてのり給ひき。其の国の人あまりになげきしかば、知らぬ国の人を馬となす。他国の商人ゆきたりしかば薬をかいて馬となして御まやう(厩)につなぎつけぬ。なにとなけれども我が国はこいしき上、妻子ことにこいしく、しのびがたかりしかども、ゆるす事なかりしかばかへる事なし。又かへりたりとも、このすがたにては由なかるべし。たゞ朝夕にはなげきのみしてありし程に、[p1763]
一人ありし子、父のまちどき(待時)すぎしかば、人にや殺されたらむ。又病にや沈むらむ。子の身としていかでか父をたづねざるべきといでたちければ、母なげくらく、男も他国にてかへらず、一人の子もすてゝゆきなば、我いかんがせんとなげきしかども、子ちゝのあまりにこいしかりしかば安足国へ尋ねゆきぬ。ある小家にやどりて候ひしかば家の主申すやう。あらふびんや、わどのはをさなき物なり。而もみめかたち人にすぐれたり。我に一人の子ありしが他国にゆきてしに(死)やしけん、又いかにてやあるらむ。我が子の事ををもへば、わどのをみてめ(目)もあてられず。いかにと申せば、此の国は大なるなげき有り。此の国の大王あまり馬をこのませ給ひて不思議の草を用ひ給へり。一葉せばき草をくわすれば、人、馬となる。葉の広き草をくわすれば、馬、人となる。近くも他国の商人の有りしを、この草をくわせて馬となして、第一の御まやに秘蔵してつながれたりと申す。此の男これをきいて、さては我が父は馬と成りてけりとをもひて、[p1763-1764]
返りて、問て云く其の馬は毛はいかにとといければ、家の主人答て云く 栗毛なる馬の肩白くぶちたりと申す。此の物此の事をきゝて、とかうはからいて、王宮に近づき、葉の広き草をぬすみとりて、我が父の馬になりたりしに食せしかばもとのごとく人となりぬ。其の国の大王不思議なるをもひをなして、孝養の者なりとて父を子にあづけ、其れよりついに人を馬となす事とどめられぬ。子ならずばいかでか尋ねゆくべき。[p1764-1765]
目連尊者は母の餓鬼の苦をすくい、浄蔵・浄眼は父の邪見をひるがえす。此れよき子の親の財となるゆへぞかし。而るに故阿仏聖霊は日本国北海の島のえびすのみ(身)なりしかども、後生ををそれて出家して後生を願ひしが、流人日蓮に値ひて法華経を持ち、去年の春、仏になりぬ。尸陀山の野干は仏法に値ひて、生をいとひ死を願ひて帝釈と生まれたり。阿仏上人は濁世の身を厭ひて仏になり給ひぬ。其の子藤九郎守綱は此の跡をつぎて一向法華経の行者となりて、去年は七月二日、父の舎利を頚に懸け、一千里の山海を経て甲州波木井身延山に登りて法華経の道場に此れをおさめ、今年は又七月一日に身延山に登りて慈父のはかを拝見す。子にすぎたる財なし、子にすぎたる財なし。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。[p1765]
七月二日 日 蓮 花押[p1765]
故阿仏房尼御前 御返事[p1765]
追伸。[p1765]
絹染の袈裟一つまいらせ候。豊後房に申さるべし。既に法門日本国にほろまりて候。北陸道をば豊後房なびくべきに学生ならでは叶ふべからず。九月十五日已前にいそぎいそぎまいるべし。[p1765-1766]
かずの聖教をば日記のごとくたんば(丹波)房にいそぎいそぎつかわすべし。山伏房をばこれより申すにしたがいて、これへわたすべし。山伏ふびんにあたられ候事悦び入て候。[p1766]
#0372-000 上野殿御返事 弘安三年(1280.07・02) [p1766]
去る六月十五日のせさん悦び入て候。さては、かうし(神主)等が事、いまゝでかゝへをかせ給ひて候事ありがたくをぼへ候。たゞし、ないないは法華経をあだませ給ふにては候へども、うへにはたの事によせて事かづけ、にくまるゝかのゆへに、あつわら(熱原)のものに事よせて、かしここゝをもかれ候こそ候めれ。さればとて上に事をよせてせかれ候はんに、御もちゐ候はずは、物をぼへぬ人にならせ給ふべし。をかせ給ひてあしかりぬべきやうにて候わば、しばらくかうぬし等をばこれへとをほせ候べし。めこ(妻子)なんどはそれに候とも、よも御たづねは候はじ。事のしづまるまで、それにをかせ給ひて候わば、よろしく候ひなんとをぼへ候。[p1766-1767]
よのなか上につけ下によせてなげきこそをゝく候へ。よにある人々をばよになき人々は、きじ(雉)のたか(鷹)をみ、がき(餓鬼)の・沙門をたのむがごとく候へども、たかはわしにつかまれ、びしゃもんはすら(修羅)にせめらる。そのやうに当時日本国のたのしき人々は、蒙古国の事をきゝてはひつじの虎の声を聞くがごとし。また筑紫へおもむきていとをしきめ(妻)をはなれ、子をみぬは、皮をはぎ、肉をやぶるがごとくにこそ候らめ。いわうやかの国よりおしよせなば、蛇の口のかえる、はうちやうし(包丁師)がまないた(爼)にをけるこゐふなのごとくこそおもはれ候らめ。今生はさてをきぬ。命きえなば一百三十六の地獄に堕ちて無量劫ふ(経)べし。我等は法華経をたのみまいらせて候へば、あさきふちに魚のすむが、天くもりて雨のふらんとするを、魚のよろこぶがごとし。しばらくの苦こそ候とも、ついにはたのしかるべし。国王の一人の太子のごとし、いかでか位につかざらんとおぼしめし候へ。恐々謹言。[p1767]
弘安三年七月二日 日 蓮 花押[p1767]
上野殿御返事[p1768]
人にしらせずして、ひそかにをほせ候べし。[p1768]
#0374-000 盂蘭盆御書 弘安三年(1280.07・13) [p1770]
御返事 ぢぶどの(治部殿)のうばごぜんのかへり事[p1770] 日蓮[p1770]
・牙一俵・やいごめ(焼米)・うり・なすび等、仏前にささげて申し上げ候ひ了んぬ。[p1770]
盂蘭盆と申し候事は、仏の御弟子の中に目連尊者と申して、舎利弗にならびて智慧第一・神通第一と申して、須弥山に日月のならb,大王に左右の臣のごとくにをはせし人なり。此の人の父をば吉占師子と申し、母をば青提女と申す。其の母の慳貪の科によて餓鬼道に堕ちて候ひしを、目連尊者のすくい給ふより事をこりて候。[p1770-1771]
其の因縁は母は餓鬼道に堕ちてなげき候ひけれども、目連は凡夫なれば知ることなし。幼少にして外道の家に入り、四井陀・十八大経と申す外道の一切経をならいつくせども、いまだ其の母の生処をしらず。其の後十三の年、舎利弗とともに釈迦仏にまいりて御弟子となり、見惑をだん(断)じて初果の聖人となり、修惑を断じて阿羅漢となりて三明ををそなへ六通をへ(得)給へり。天眼をひらいて三千大千世界を明鏡のかげのごとく御らむありしかば、大地をみとを(見透)し三悪道を見る事、氷の下に候魚を朝日にむかいて我等がとをしみるがごとし。其の中に餓鬼道と申すところに我が母あり。のむ事なし、食らふことなし。皮はきんてう(金鳥)をむしれるがごとく、骨はまろき石をならべたるがごとし。頭はまり(毬)のごとく、頚はいと(糸)のごとし。腹は大海のごとし。口をはり手を合わせて物をこへ(乞)る形は、うへたるひる(飢蛭)の人のか(香)をかげるがごとし。先生の子をみてなか(泣)んとするすがた、うへたるかたち、たとへをとるに及ばず。いかんがかなしかりけん。[p1771]
法勝寺の修(執)行舜観(俊寛)がいわう(硫黄)の嶋にながされて、はだかにて、かみ(髪)くびつき(頚付)にうちをい、やせをとろへて海へんにやすらいて、もくづ(藻屑)をとりてこし(腰)にまき、魚を一つみつけて右の手にとり、口にかみける時、本つかい(仕)しわらわ(僮)のたずねゆきて見し時と、目連尊者が母を見しと、いづれかをろかなるべき。かれはいますこしかなしさわまさりけん。目連尊者はあまりのかなしさに大神通をげんじ給い、はん(飯)をまいらせたりしかば、母よろこびて右の手にははんをにぎり、左の手にははんをかくして口にをし入れ給ひしかば、いかんがしたりけん、はん変じて火となり、やがてもへあがり、とうしび(燈心)をあつめて火をつけたるがごとくぱともへあがり、母の身のここころとやけ候ひしを目連見給ひて、あまりあわてさわぎ、大神通を現じて大なる水をかけ候ひしかば、其の水たきぎとなりていよいよ母の身のやけ候ひし事こそあわれに候ひしか。[p1771-1772]
其の時目連みずからの神通かなわざりしかば、はしりかへり、須臾に仏にまいりて、なげき申せしやうは、我が身は外道の家に生まれて候ひしが、仏の御弟子になりて阿羅漢の身をへ(得)て、三界の生をはなれ、三明六通の羅漢とはなりて候へども、乳母の大苦をすくはんとし候に、かへりて大苦にあわせて候は心うしとなげき候しかば、仏け説て云く 汝が母はつみふかし。汝一人が力及ぶべからず。又多人なりとも天神・地祇・邪魔・外道・道士・四天王・帝釈・梵王の力も及ぶべからず。七月十五日に十方の聖僧をあつめて、百味をんじき(飲食)とゝのへて、母のく(苦)はすくうべしと云云。目連、仏の仰せのごとく行ひしかば、其の母は餓鬼道一劫の苦を脱れ給ひきと、盂蘭盆経と申す経にとかれて候。其れによて滅後末代の人々は七月十五日に此の法を行ひ候なり。此れは常のごとし。[p1772-1773]
日蓮案じて云く 目連尊者と申せし人は十界の中に声聞道の人、二百五十戒をかたく持つ事石のごとし。三千の威儀を備へてかけざる事は十五夜の月のごとし。智慧は日ににたり。神通は須弥山を十四さう(・)まき、大山をうごかせし人ぞかし。かゝる聖人だにも重報の乳母の恩報じがたし。あまさへ(剰)ほうぜんとせしかば大苦をまし給ひき。いまの僧等の二百五十戒は名計りにて、事をかい(戒)によせて人をたぼらかし、一分の神通もなし。大石の天にのぼらせんがごとし。智慧は牛にるいし、羊にことならず。設ひ千万人をあつめたりとも父母の一苦すくうべしや。せんずるところは目連尊者が乳母の苦をすくわざりし事は、小乗の法を信じて二百五十戒と申す持斉にてありしゆへぞかし。[p1773]
されば浄名居士と申す男、目連房をせめて云く_供養汝者堕三悪道〔汝を供養する者は三悪道に堕つ〕云云。文の心は二百五十戒のたうとき目連尊者をくやうせん人は三悪道に堕つべしと云云。此れ又唯目連一人がきく(聞)みゝ(耳)にはあらず。一切の声聞乃至末代の持斉等がきくみゝなり。此の浄名経と申すは法華経の御ためには数十番の末への郎従にて候。詮ずるところは目連尊者が自身のいまだ仏にならざるゆへぞかし。自身仏にならずしては父母をだにもすくいがたし。いわうや他人をや。[p1773-1774]
しかるに目連尊者と申す人は法華経と申す経にて正直捨方便とて、小乗の二百五十戒立ちどころになげすてゝ南無妙法蓮華経と申せしかば、やがて仏になりて名号をば多摩羅跋栴檀香仏と申す。此の時こそ父母も仏になり給へ。故に法華経に云く_我願既満。衆望亦足〔我が願既に満じて衆の望亦足りなん〕云云。目連が色心は父母の遺体なり。目連が色心仏になりしかば父母の身も又仏になりぬ。[p1774]
例せば日本国八十一代の安徳天皇と申せし王の御宇に、平氏の大将安芸の守清盛と申せし人をはしき。度々の合戦に国敵をほろぼして上太政大臣まで臣位をきわめ、当今はまご(孫)となり、一門は雲閣月卿につらなり、日本六十六国島二つを掌の内にかいにぎりて候ひしが、人を順ふこと大風の草木をなびかしたるやうにて候ひしほどに、心をごり身あがり、結句は神仏をあなづりて神人と諸僧を手ににぎらむとせしほどに、山僧と七寺との諸僧のかたきとなりて、結句は去る治承四年十二月二十二日に七寺の内の東大寺・興福寺の両寺を焼きはらいてありしかば、其の大重罪入道の身にかゝりて、かへるとし養和元年潤二月四日、身はすみ(炭)のごとく血は火のごとくすみのをこれるがやうにて、結句は炎身より出でてあつちじに(熱死)に死ににき。其の大重罪をば二男宗盛にゆづりしかば、西海に沈みとみへしかども東天に浮かび出でて、右大将頼朝の御前に縄をつけてひきすへて候ひき。三男知盛は海に入りて魚の糞となりぬ。四男重衡は其の身に縄をつけて京かまくらを引きかへし、結句なら七大寺にわたされて、十万人の大衆等、我等が仏のかたきなりとて一刀づつきざみぬ。[p1774-1775]
悪の中の大悪は我が身に其の苦をうくるのみならず、子と孫と末へ七代までもかゝり候ひけるなり。善の中の大善も又々かくのごとし。目連尊者が法華経を信じまいらせし大善は、我が身仏になるのみならず、父母仏になり給ふ。上七代下七代、上無量生下無量生の父母等存外に仏となり給ふ。乃至子息・夫妻・所従・檀那・無量の衆生三悪道をはなるゝのみならず、皆初住・妙覚の仏となりぬ。故に法華経の第三に云く 願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道〔願わくは此の功徳を以て 普く一切に及ぼし 我等と衆生と 皆共に仏道を成ぜん〕[p1775]
されば此れ等をもつて思ふに、貴女は治部殿と申す孫を僧にてもち給へり。此の僧は無戒也無知なり。二百五十戒一戒も持つことなし。三千の威儀一つも持たず。智慧は牛馬にるいし、威儀は猿猴ににて候へども、あをぐところは釈迦仏、信ずる法は法華経なり。例せば蛇の珠をにぎり、龍の舎利を載けるがごとし。藤は松にかゝりて千尋をよぢ、鶴は羽を恃みて万里をかける。此れは自身の力にはあらず。治部房も又かくのごとし。我が身は藤のごとくなれども、法華経の松にかゝりて妙覚の山にものぼりなん一乗の羽をたのみて寂光の空をもかけりぬべし。此の羽をもて父母・祖父・祖母・乃至七代までもとぶらうべき僧なり。あわれいみじき御たからはもたせ給ひてをはします女人かな。彼の龍女は珠をさゝげて仏となり給ふ。此の女人は孫を法華経の行者となしてみちびかれさせ給ふべし。事々そうそう(忽々)にて候へばくはしくは申さず、又々申すべく候。恐々謹言。[p1775-1776]
七月十三日 日 蓮 花押[p1776]
治部殿うばごぜん 御返事[p1776]
#0379-000 上野殿後家尼御前御書 弘安三年(1280.09・06) [p1793]
南條七郎五郎殿の御死去の御事。人は生まれて死するならいとは、智者も愚者も上下一同に知りて候へば、始めてなげくべしをどろくべしとわをぼへぬよし、我も存じ、人にもをしへ候へども、時にあたりてゆめかまぼろしか、いまだわきまへがたく候。まして母のいかんがねげかれ候らむ。父母にも兄弟にもをくれはてゝ、いとをしきをとこ(夫)にすぎわかれたりしかども、子どもあまたをはしませば、心なぐさみてこそをはし候らむ。いとをしきてこご(子)、しかもをのこご、みめかたちも人にすぐれ、心もかいがいしくみへしかば、よその人々もすずしくこそみ候ひしに、あやなくつぼめる花の風にしぼみ、満月のにわかに失せたるがごとくこそをぼすらめ。まことともをぼへ候はねば、かきつくるそらもをぼへ候はず。又々申すべし。恐々謹言。[p1793]
九月六日 日 蓮 花押[p1793]
上野殿 御返事[p1793]
追伸。此の六月十五日に見奉り候ひしに、あはれ肝ある者哉、男也男也と見候ひしに、又見候はざらん事こそはかなくしは候へ。さは候へども釈迦仏・法華経に身を入れて候しかば臨終目出候けり。心は父君と一所に霊山浄土へ参りて、手をとり頭を合わせてこそ悦ばれ候らめ。あはれなり、あはれなり。[p1793-1794]
#0380-000 南條殿御返事 弘安三年(1280.09) [p1794]
はくまい(白米)ひとふくろ、いも一だ(駄)給了んぬ。抑そも故なんでう(南條)の七らうごらうどのの事、いままではゆめ(夢)かゆめか、まぼろし(幻)かまぼろしかとうたがいて、そらごととのみをもひて候へば、ふみにもあそばされて候。さてはまことかまことかと、はじめ(始)てうたがいいできたり候。[p1794]
#0381-000 光日尼御返事 弘安三年(1280.09・19) [p1795]
なきな(名)をながさせ給ふにや。三つのつなは今生に切れぬ。五つのさわりはすで(既)にはれぬらんむ。心の月くもりなく、身のあかきへはてぬ。即身の仏なり。たうとし、たうとし。くはしく申すべく候へども、あまりふみをゝくかき候ときにかきたりて候ぞ。恐々謹言。[p1795]
九月十九日 日 蓮 花押[p1795]
光日尼ごぜん 御返事[p1795]
#0382-000 大尼御前御返事 弘安三年(1280.09・20) [p1795]
ごくそつ(獄卒)えんま(閻魔)王の長は十丁ばかり、面はす(珠)をさし、眼は日月のごとく、歯はまんぐわのねのやうに、くぶしは大石のごとく、大地は舟を海にうかべたるやうにうごき、声はらい(雷)のごとく、はたはたとなりわたらむには、よも南無妙法蓮華経とはをほせ候はじ。日蓮が弟子にはをはせず。よくよく内をしたためてをほせをかほり候はん。なづき(頭脳)をわり、み(身)をせめていのりてみ候はん。たださきのいのりとをぼしめせ。これより後はのちの事をよくよく御かため候へ。恐々謹言。[p1795-1796]
九月二十日 日 蓮 花押[p1796]
大尼御前 御返事[p1796]
#0385-000 両人御中御書 弘安三年(1280.10・20) [p1802]
ゆづり状をたがうべからず[p1802]
大国阿闍梨・ゑもんのたいう志殿等に申す。故大進阿闍梨の坊は各々の御計らひに有るべきかと存じ候に、今に人も住せずなんど候なるは、いかなる事ぞ。ゆづり状のなくばこそ、人々も計らひ候はめ。くはしくうけ給はり候へば、べん(弁)の阿闍梨にゆづられて候よしうけ給はり候ひき。又いぎ(違義)あるべしともをぼへず候。それに御用ひなきは別の子細の候か。其の子細なくば大国阿闍梨・大夫志殿の御計らひとして弁の阿闍梨の坊へこぼ(毀)ちわたさせ給ひ候へ。心けん(賢)なる人に候へば、いかんがとこそをもい候らめ。弁の阿闍梨の坊をすり(修理)して、ひろ(広)く、もら(漏)ずば、諸人の御ために御たからにてこそ候はんずらむめ。ふゆはせうまう(焼亡)しげし。もしやけ(焼)なばそむ(損)と申し、人もわらいなん。このふみ(文書)ついて両三日が内に事切て各々の御返事給ひ候はん。恐々謹言。[p1802]
十月二十日 日 蓮 花押[p1802]
両人御中[p1802]
#0387-100 大豆御書 弘安三年(1280.10・23) [p1809]
大豆一石かしこまつて拝領し了んぬ。法華経の御宝前に申し上げ候。一・の水を大海になげぬれば三災にも失せず、一華を五浄によせぬれば劫火にもしぼまず、一豆を法華経になげぬれば法界みな蓮なり。恐惶謹言。[p1809]
十月二十三日 日 蓮 花押[p1809]
御所 御返事[p1809]
#0388-000 上野殿母尼御前御返事 弘安三年(1280.10・24) [p1810]
南條故七郎五郎殿の四十九日御菩提のために送り給ふ物の日記の事。鵞目両ゆひ・白米一駄・芋一駄・すりだうふ・こんにやく・柿一篭・ゆ(柚)五十等云云。[p1810]
御菩提の御ために法華経一部・自我偈数度・題目百千返唱へ奉り候ひ畢んぬ。[p1810]
抑そも法華経と申す御経は一代聖教には似るべくもなき御経にて、而も唯仏与仏と説かれて、仏と仏とのみこそしろしめされて、等覚已下乃至凡夫には叶はぬ事に候へ。されば龍樹菩薩の大論には、仏已下はただ信じて仏になるべしと見えて候。[p1810]
法華経の第四法師品に云く_薬王今告汝 我所説諸経 而於此経中 法華最第一〔薬王今汝に告ぐ 我が所説の諸経 而も此の経の中に於て 法華最も第一なり〕等云云。第五の巻に云く_文殊師利。此法華経。諸仏如来。秘密之蔵。於諸経中。最在其上〔文殊師利、此の法華経は諸仏如来の秘密の蔵なり。諸経の中に於て最も其の上にあり〕等云云。第七の巻に云く_此法華経。亦復如是。於諸経中。最為其上〔此の法華経も亦復是の如し。諸経の中に於て最も為れ其の上なり〕。又云く_最為照明〔最も為れ照明なり〕 最為照明〔最も為れ其の尊なり〕等云云。[p1810]
此れ等の経文、私の義にあらず。仏の誠言にて候へば定めてよもあやまりは候はじ。民が家に生まれたる者、我は侍に斉しなんど申せば必ずとが来る。まして我国王に斉し、まして勝れたりなんど申せば、我が身のとがとなるのみならず、父母と申し、妻子と云ひ、必ず損ずる事、大火の宅を焼き、大木の倒るゝ時小木等の損ずるが如し。仏教も又かくの如く、華厳・阿含・方等・般若・大日経・阿弥陀経等に依る人々の、我が信じたるまゝに勝劣も弁へずして、我が阿弥陀経等は法華経と斉等也、将た又勝れたりなんど申せば、其の一類の人々は我が経をほめられ、うれしと思へども、還りてとがとなりて師も弟子も檀那も悪道に堕つること箭を射るが如し。但し法華経の一切経に勝れりと申して候はくるしからず。還りて大功徳となり候。経文の如くなるが故也。[p1810-1811]
此の法華経の始めに無量義経と申す経おはします。譬へば大王の行幸の御時、将軍前陳して狼藉をしづむるが如し。其の無量義経に云く_四十余年。未顕真実。〔四十余年には未だ真実を顕さず〕等云云。此れは将軍が大王に敵する者を大弓を以て射はらひ、又太刀を以て切りすつるが如し。華厳経を讃む華厳宗・阿含経の律僧等・観経の念仏者等・大日経の真言師等の者共が法華経にしたがはぬをせめなびかす利剣之勅宣也。譬へば貞任を義家責め、清盛が頼朝の打ち失せしが如し。無量義経の四十余年の文は不動明王の剣索、愛染明王の弓箭也。故南條五郎殿の死出の山三途の河を越し給はん時、煩悩の山賊・罪業の海賊を静めて、事故なく霊山浄土へ参らせ給ふべき御供の兵者は、無量義経の四十余年未顕真実の文ぞかし。[p1811]
法華経第一の巻方便品に云く_世尊法久後 要当説真実〔世尊は法久しゅうして後 要ず当に真実を説きたもうべし〕。又云く_正直捨方便 但説無上道〔正直に方便を捨てて 但無上道を説く〕云云。第五の巻に云く_唯髻中明珠〔唯髻中の明珠のみを以て之を与えず〕。又云く_独王頂上。有此一珠〔独王の頂上に此の一つの珠あり〕。又云く_如彼強力之王。久護明珠。今乃与之〔彼の強力の王の久しく護れる明珠を、今乃ち之を与うるが如し〕等云云。文の心は日本国に一切経わたれり、七千三百九十九巻也。彼々の経々は皆法華経の眷属也。例せば日本国の男女の数四十九億九万四千八百二十八人候へども、皆一人の国王の家人たるが如し。一切経の心は愚痴の女人なんどの唯一時に心うべきやうは、たとへば大搭をくみ候には先づ材木より外に足代と申して多くの小木を集め、一丈二丈計りゆひあげ候也。かくゆひあげて、材木を以て大搭をくみあげ候ひつれば、返りて足代を切り捨て大搭は候なり。足代と申すは一切経也、大搭と申すは法華経也。仏一切経を説き給ひし事は法華経を説かせ給はんための足代也。正直捨方便と申して法華経を信ずる人は、阿弥陀経等の南無阿弥陀仏・大日経等の真言宗・阿含経等の律宗の二百五十戒等を切りすて抛ちのち法華経をば持ち候也。大搭をくまんがためには足代大切なれども、大搭をくみあげぬれば足代を切り落とす也。正直捨方便と申す文の心是れ也。[p1811-1812]
足代より搭は出来して候へども、搭を捨てゝ足代ををがむ人なし。今の余の道心者等、一向に南無阿弥陀仏と唱へて一生をすごし、南無妙法蓮華経と一返も唱へぬ人々は大搭をすてゝ足代ををがむ人々也。世間にかしこくはかなき人と申すは是れ也。故七郎五道殿は当世の日本国の人々にはにさせ給はず。をさなき心なれども賢き父の跡をおひ、御年いまだはたちにも及ばぬ人が、南無妙法蓮華経と唱へさせ給ひて仏にならせ給ひぬ。無一不成仏は是れ也。[p1812-1813]
乞ひ願はくは悲母我が子を恋しく思し食し給ひなば、南無妙法蓮華経と唱へさせ給ひて、故南條殿・故五郎殿と一所に生れんと願はせ給へ。一つ種は一つ種、別の種は別の種。同じ妙法蓮華経の種を心にはらませ給ひなば、同じ妙法蓮華経の国へ生まれさせ給ふべし。三人面をならべさせ給はん時、御悦びいかがうれしくおぼしめすべきや。[p1813]
抑そも此の法華経を開いて拝見仕り候へば、如来則為。以衣覆之。又為他方。現在諸仏。之所護念〔如来則ち衣を以て之を覆いたもうべし。又他方の現在の諸仏に護念せらるることを為ん〕等云云。経文の心は東西南北八方、竝びに三千大千世界の外、四百万億那由他の国土に十方の諸仏ぞくぞくと充満せさせ給ふ。天には星の如く、地には当麻のやうに竝居させ給ひ、法華経の行者を守護せさせ給ふ事、譬へば大王の太子を諸の臣下の守護するが如し。但四天王一類のまほり給はん事のかたじけなく候に、一切の四天王・一切の星宿・一切の日月・帝釈・梵天等の守護せさせ給ふに足るべき事也。其の上一切の二乗・一切の菩薩・兜率内院の弥勒菩薩・迦羅陀山の地蔵・補陀落山の観世音・清涼山の文殊師利菩薩等、各々眷属を具足して法華経の行者を守護せさせ給ふに足るべき事に候に、又かたじけなくも釈迦・多宝・十方の諸仏のてづからみづから来り給ひて、昼夜十二時に守らせ給はん事のかたじけなさ申す計りなし。かゝるめでたき御経を故五郎殿は御信用ありて仏にならせ給ひて、今日は四十九日にならせ給へば、一切の諸仏霊山浄土の集まらせ給ひて或は手にすへ、或は頂をなで、或はいだき、或は悦び、月の始めて出でたるが如く、華の始めてさけるが如く、いかに愛しまいらせ給ふらん。[p1813-1814]
抑そもいかなれば三世十方の諸仏はあながちに此の法華経をば守らせ給ふと勘へて候へば、道理にて候ひけるぞ。法華経と申すは三世十方の諸仏の父母也。めのとなり。主にてましましけるぞや。かえると申す虫は母の音を食とす。母の声を聞かざれば生長する事なし。から(迦羅)ぐら(求羅)と申す虫は風を食とす。風吹かざれば生長せず。魚は水をたのみ、鳥は木をすみかとす。仏も亦かくの如く、法華経を命とし、食とし、すみかとし給ふ。魚は水にすむ、仏は此の経にすみ給ふ。鳥は木にすむ、仏は此の経にすみ給ふ。月は水にやどる、仏は此の経にやどり給ふ。此の経なき国には仏まします事なしと御心得あるべく候。[p1814]
古昔輪陀王と申せし王をはしき。南閻浮提の主也。此の王はなにをか供御とし給ひしと尋ぬれば、白馬のいなゝくを聞いて食とし給ふ。此の王は白馬のいなゝけば年も若くなり、色も盛んに、魂もいさぎよく、力もつよく、又政事も明らか也。故に其の国には白馬を多くあつめ飼ひし也。譬へば魏王と申せし王の鶴を多くあつめ、徳宗皇帝のほたるを愛せしが如し。白馬のいなゝく事は又白鳥の鳴きし故也。されば白鳥を多く集めし也。或時如何しけん、白鳥皆うせて白馬いななかざりしかば、大王供御たえて、盛んなる花の露にしぼれしが如く、満月の雲におほはれたるが如し。此の王既にかくれさせ給はんとせしかば、后・太子・大臣・一国皆母に別れたる子の如く、皆色をうしなひて涙を袖におびたり。如何せん、如何せん。其の国に外道多し、当時の禅宗・念仏者・真言師・律僧等の如し。又仏弟子も有り、当時の法華宗の人々の如し。中悪き事水火也。胡と越とに似たり。[p1814-1815]
大王勅宣を下して云く 一切の外道此の馬をいなゝかせば仏教を失ひて一向に外道を信ぜん事、諸天の帝釈を敬ふが如くならん。仏弟子此の馬をいなゝかせば一切の外道の頚を切り、其の所をうばひ取りて仏弟子につくべしと云云。外道も色をいしなひ、仏弟子も歎きあへり。而れどもさてはつべき事ならば、外道は先に七日を行ひき。白鳥も来らず、白馬もいなゝかず。後七日を仏弟子に渡して祈らせしに、馬鳴と申す小僧一人あり。諸仏の御本尊とし給ふ法華経を以て七日祈りしかば、白鳥壇上に飛び来る。此の鳥一声鳴きしかば一馬市声いなゝく。大王は馬の声を聞いて病の牀よりをき給ふ。后より始めて諸人馬鳴に向ひて礼拝をなす。白鳥一二三乃至十百千出来して国中に充満せり。白馬しきりにいなゝき、一馬二馬乃至百千の白馬いなゝきしかば、大王此の音を聞こし食し面貌は三十計り、心は日の如く明らかに、政正直なりしかば、天より甘露ふり下り、勅風万民をなびかして無量百歳代を治め給ひき。[p1815-1816]
仏も又かくの如く、多宝仏と申す仏は此の経にあひ給はざれば御入滅、此の経をよむ代には出現し給ふ。釈迦仏・十方の諸仏も亦復かくの如し。かゝる不思議の徳まします経なれば此の経を持つ人をば、いかでか天照太神・八幡大菩薩・富士千眼大菩薩すてさせ給ふべきとたのもしき事也。又此の経にあだをなす国をばいかに正直に祈り候へども、必ず其の国に七難起りて他国に破られて亡国となり候事、大海の中の大船の大風の値ふが如く、大旱魃の草木を枯らすが如しとをぼしめせ。当時日本国のいかなるいのり候とも、日蓮が一門法華経の行者をあなづらせ給へば、さまざまの御いのり叶はずして、大蒙古国にせめられてすでにほろびんとするが如し。今も御覧ぜよ。ただかくては候まじきぞ。是れ皆法華経をあだませ給ふ故と御信用あるべし。[p1816]
抑そも故五郎殿かくれ給ひて既に四十九日也。無常は常の習ひなれども此の事はうちきく人すらなをしのびがたし。いわうや母となり妻となる人をや。心のほとをしはかられて候。人の子にはをさなきもあり、をとなしきもあり、みにくきもあり、かたわなるもあり、をもいになるべきにや。をのこゝ(男子)たる上、かたわにもなし、ゆみやにもささひなし、心もなさけあり。故上野殿には盛んなりし時をくれてなげき浅からざりしに、此の子をはらみていまださん(産)なかりしかば火にも入り水にも入らんと思ひしに、此の子すでに平安なりしかば誰にあつらへて身をもなぐべきと思ふて、此に心をなぐさめて此の十四五年はすぎぬ。いかにいかにとすべき。二人のをのこごにこそにな(荷)われめと、たのもしく思ひ候ひつるに、今年九月五日、月を雲にかくされ、花を風にふかせて、ゆめ(夢)かゆめならざるか、あわれひさしきゆめかなとなげきをり候へば、うつゝににてすでに四十九日はせすぎぬ。まことならばいかんがせん、いかんがせん。さける花はちらずして、つぼめる花のかれたる。をいたる母はとどまりて、わかきこはさりぬ。なさけなかりける無常かな無常かな。[p1816-1817]
かゝるなさけなき国をばいといすてさせ給ひて、故五郎殿の御信用ありし法華経につかせ給ひて、常住不壊のりやう山浄土へまいらせさせ給ふ。ちゝはりやうぜんにまします。母は娑婆にとどまれり。二人の中間にをはします故五郎殿の心こそをもいやられてあわれにをぼへ候へ。事多しと申せどもとどめ候ひ了んぬ。恐々謹言。[p1817]
十月二十四日 日 蓮 花押[p1817]
上野殿母尼御前 御返事[p1817]
#0389-000 富木殿御返事 弘安三年(1280.11・29) [p1818]
或建治二年
鵞目一結、天台大師の御宝前を荘厳し候ひ了んぬ。[p1818]
経に云く_有能受持。是経典者。亦復如是。於一切衆生中。亦為第一〔能く是の経典を受持することあらん者も亦復是の如し。一切衆生の中に於て亦為れ第一なり〕。又云く_其福復過彼〔其の福復彼れに過ぎん〕。妙楽云く ̄若悩乱者頭破七分有供養者福過十号〔若し悩乱する者は頭七分に破れ、供養すること有らん者は福十号に過ぎん〕。伝教大師も ̄讃者積福於安明。謗者罪開於無間〔讃る者は福を安明に積み、謗る者は罪を無間に開く〕等云云。記の十に云く ̄居方便極位菩薩猶尚不及第五十人〔方便の極位に居る菩薩猶尚〈なお〉第五十の人に及ばず〕等云云。華厳経の法慧功徳林・大日経の金剛薩・等尚お法華経の博地に及ばず。何に況んや其の宗の元祖等、法蔵・善無畏等に於てをや。是れは且く之を置く。[p1818]
尼ごぜんの御所労の御事、我が身一身の上とをもひ候へば昼夜に天に申し候也。此の尼ごぜんは法華経の行者をやしなう事、燈に油をそへ、木の根に土をかさぬるがごとし。願はくは日月天其の命にかわり給へと申し候也。又をもいわするゝ事もやといよ(伊預)房に申しつけて候ぞ。たのもしとをぼしめで。恐々謹言。[p1818-1819]
十一月二十九日 日 蓮 花押[p1819]
富木殿 御返事[p1819]
#0391-000 南條殿御返事 弘安三年(1280.12・13) [p1820]
竝びに・鵄一だ(駄)[p1820]
・牙二石・故五郎殿百ヶ日等云云。[p1820]
法華経の第七に云く_川流江河。諸水之中。海為第一。此法華経。亦復如是〔川流江河の諸水の中に、海為れ第一なるが如く、此の法華経も亦復是の如し〕等云云。此の経文は法華経をば大海に譬へられて候。大海と申すはふかき事八万四千由旬、広きこと又かくのごとし。此の大海の中にはなになにのすみ候と申し候へば、阿修羅王○凡夫にてをはせし時、不妄語戒を持ちて、まなこをぬかれ、かわをはがれ、しゝむらをやぶられ、血をすはれ、骨かれ、子を殺され、め(妻)をうばわれ、なんどせしかども無量劫が間一度もそら事なくして其の功に依て仏となり給ひて候が、無一不成仏と申して南無妙法蓮華経と只一反申せる人一人として仏にならざるはなしととかせ給ひて候。釈迦一仏の仰せなりとも疑ふべきにあらざるに、十方の仏の御前にてなにのへんぱにかそら事をばせさせ給ふべき。其の上釈迦仏と十方の仏と同時に舌を大梵天に[p1820]
#0393-000 智妙房御返事 弘安三年(1280.12・18) [p1826]
鵞目一巻送り給ひて法華経の御宝前に申し上げ候ひ了んぬ。[p1826]
なによりも故右大将家の御廟と故権の太夫殿の御墓とのやけて候由承りてなげき候へば又八幡大菩薩竝びに若宮のやけさせ給ふこと、いかんが人のなげき候らむ。世間の人々は八幡大菩薩をば阿弥陀仏の化身と申すぞ。それも中古の人々の御言なればさもや。但し大隅の正八幡の右の銘には、一方には八幡と申す二字、一方には昔在霊鷲山説妙法華経 今在正宮中示現大菩薩〔昔霊鷲山に在して妙法華経を説いて、今正宮の中に在て大菩薩と示現す〕等云云。月氏にては釈尊と顕れて法華経を説き給ひ、日本国にしては八幡大菩薩と示現して正直の二字を願に立て給ふ。教主釈尊は住劫第九の減、人寿百歳の時、四月八日甲寅の日中、天竺に生まれ給ひ、八十年を経て、二月十五日壬申の日御入滅なり給ふ。八幡大菩薩は日本国第十六代応神天皇、四月八日甲寅の日生まれさせ給ひて、御年八十の二月十五日壬申に隠れさせ給ふ。釈迦仏の化身と申す事はたれの人かあらそいをなすべき。[p1826]
しかるに今日本国の四十五億八万九千六百五十九人の一切衆生、善導・恵心・永観・法然等の大天魔にたぼらかされて、釈尊をなげすてて阿弥陀仏を本尊とす。あまりの物のくるわしさに、十五日を奪ひ取りて阿弥陀仏の日となす。八日をまぎらかして薬師仏の日と云云。あまりにをや(親)をにくまんとて、八幡大菩薩をば阿弥陀仏の化身と云云。大菩薩をもてなすやうなれども、八万の御かたきなり。[p1826-1827]
知らずわさ(左)でもあるべきに、日蓮此の二十八年が間、今此三界の文を引きて此の迷ひをしめせば、信ぜずばさてこそ有るべきに、い(射)つ、き(切)つ、ころしつ、ながしつ、をう(逐)ゆへに、八幡大菩薩宅をやいてこそ天へはのぼり給ひぬらめ。日蓮がかんがへて候ひし立正安国論此れなり。あわれ他国よりせめ来りてたかのきじをとるやうに、ねこのねずみをかむやうにせられん時、あま(尼)や女房どものあわて候はんずらむ。日蓮が一るいを二十八年が間せめ候ひしむくいに、或はいころ(射殺)し、切りころし、或はいけどり、或は他方へわたされ、宗盛がなわつきてさらされしやうに、すせんまんの人々のなわつきて、せめられんふびんさよ。[p1827]
しかれども日本国の一切衆生は皆五逆罪の者なれば、かくせめられんをば天も悦び、仏もゆるし給はじ。あわれあわれはぢ(恥)みぬさきに、阿闍世王の提婆をいましめしやうに、真言師・念仏者・禅宗の者どもをいましめて、すこしつみをゆるせさせ給へかし。あらをかし、あらをかし。あらふびん、あらふびん。わわく(誑惑)のやつばらの智者げなれば、まこととて、もてなして事にあはんふびんさよ。恐々謹言。[p1827-1828]
十二月十八日 日 蓮 花押[p1828]
ちめう房 御返事[p1828]
#0395-000 諌曉八幡抄 弘安三年(1280.12) [p1831]
夫れ馬は一歳二歳の時は設ひつがいのび、まろすね(円脛)にすねほそく、うでのびて候へども、病あるべしとも見えず。而れども七八歳なんどになりて身もこへ、血ふとく、上かち下をくれ候へば、小船に大石をつめるがごとく、小さ木に大なる菓のなれるがごとく、多くのやまい出来して人の用にもあわず、力もよわく、寿もみじかし。天神等も又かくのごとし。成劫の始めには先生の果報いみじき衆生生まれ来る上、人の悪も候はねば、身の光もあざやかに、心もいさぎよく日月のごとくあざやかに、師子象のいさみをなして候ひし程に、成劫やうやくすぎて住劫になるまゝに、前の天神等は年かさなりて下旬の月のごとし。今生まれ来れる天神は果報下劣の衆生多分は生来す。[p1831]
然る間、一天に三災やうやくをこり、四海に七難粗出現せしかば、一切衆生始めて苦と楽とををもい知る。此の時仏出現し給ひて、仏教と申す薬を天と人と神とにあたへ給ひしかば、燈を油にそへ、老人に杖をあたへたるがごとく、天神等還りて威光をまし、勢力を増長せし事、成劫のごとし。[p1831]
仏経に又五味のあぢわひ分かれたり。在世の衆生は成劫ほどこそなかりしかども、果報いたうをとろへぬ衆生なれば、五味の中に何の味をもなめて威光勢力をもまし候ひき。仏滅度の後、正像二千年過ぎて末法になりぬれば、本の天も神も阿修羅大龍等も年もかさなりて、身もつかれ、心もよはくなり、又今生まれ来る天人阿修羅等は、或は小果報、或は悪天人等なり。小乗・権大乗の乳・酪・生蘇・熟蘇味を服すれども、老人に・食をあたへ、高人に麦飯等を奉るがごとし。[p1831-1832]
而るを当世此れを弁へざる学人等、古にならいて日本国の一切の諸神等の御前にして、阿含経・方等・般若華厳・大日経等を法楽し、倶舎・成実・律・法相・三論・華厳・浄土・禅等の僧を護持の僧としたまへる。唯老人に・食を与へ、小兒に強飯をくゝめるがごとし。何に況んや今の小乗経と小乗宗と大乗経と大乗宗とは、古の小大乗の経宗にはあらず。天竺より仏法漢土へわたりし時、小大の経々は金言に私言まじはれり。宗々は又天竺・漢土の論師人師、或は小を大とあらそい、或は大を小という。或は小に大をかきまじへ、或は大に小を入れ、或は先の経を後とあらそい、或は後を先とし、或は先を後につけ、或は顕教を密教といひ、密教を顕教という。譬へば乳に水を入れ、薬に毒を加ふるがごとし。[p1832]
涅槃経に仏未来を記して云く_爾時諸賊以醍醐故加之以水。以水多故乳酪醍醐一切倶失〔爾時に諸の賊、醍醐を以ての故にこれに加ふるに水を以てす。水を以てすること多きが故に乳・酪・醍醐一切ともに失す〕等云云。阿含経は乳味のごとし。方等大集経・阿弥陀経・深密経・楞伽経・大日経等は酪味のごとし。般若経等は生蘇味の如く、華厳経等は熟蘇味の如く、法華・涅槃は醍醐味の如し。設ひ小乗経の乳味なりとも、仏説の如くならば争でか一分の薬とならざるべき。況んや諸の大乗経をや。何に況んや法華経をや。[p1832-1833]
然るに月氏より漢土に経を渡せる訳人は一百八十七人也。其の中に羅什三蔵一人を除きて、前後の一百八十六人は純乳に水を加へ、薬に毒を入れたる人々也。此の理を弁えざる一切の人師末学等、設ひ一切経を読誦し、十二分経を胸に浮かべたる様なりとも、生死を離る事かたし。又一分のしるしある様なりとも、終には其の身も檀那も安穏なるべからず。譬へば旧医の薬に毒を雑へてさしをけるを、旧医の弟子等、或は盗み取り、或は自然に取りて、人の病を治せんが如し。いかでか安穏なるべき。[p1833]
当世日本国の真言等の七宗竝びに浄土・禅宗等の諸学者等、弘法・慈覚・智証等の法華経の最第一の醍醐に法華第二第三等の私の水を入れたるを知らず。仏説の如くならばいかでか一切倶失の大科を脱れん。[p1833]
大日経は法華経より劣る事七重也。而るを弘法等、顛倒して大日経最第一と定めて日本国に弘通せるは、法華経一分の乳に大日経七分の水を入れたる也。水にも非ず乳にも非ず、大日経にも非ず、法華経にも非ず。而も法華経に似たり、大日経に似たり。[p1833-1834]
大覚世尊是れを集めて涅槃経に記して云く_於我滅後○正法将欲滅尽。爾時多有行悪比丘。乃至 如牧牛女為欲売乳貪多利故。加二分水。乃至 此乳多水。○爾時是経於閻浮提当広流布。是時当有諸悪比丘鈔略是経分作多分能滅正法色香美味。是諸悪人雖復読誦如是経典滅除如来深密要義 乃至 安置世間荘厳文飾無義之語。鈔前著後鈔後著前前後著中中著前後。当知如是諸悪比丘是魔伴侶〔我が滅後に於て○正法将に滅尽せんと欲せんとす。爾時に多く悪を行ずる比丘有らん。乃至 牧牛女の如く乳を売るに多く利を貪らんと欲するをもつての故に。二分の水を加ふ。乃至 此の乳、水を多し。○爾の時に、是の経、閻浮提に於て当に広く流布すべし。是の時当に諸の悪比丘有って、是の経を鈔略し、分けて多分と作し、能く正法の色香美味を滅すべし。是の諸の悪人、復是の如き経典を読誦すと雖も、如来の深密の要義を滅除せん 乃至 前を鈔して後に著け、後を鈔して前に著け、前後を中に著け、中を前後に著く。当に知るべし、是の如きの諸の悪比丘は是れ魔の伴侶なり〕等云云。[p1834]
今日本国を案ずるに代始まりて已に久しく成りぬ。旧き守護の善神は定めて服喪尽き寿も減じ、威光勢力も衰へぬらん。仏法の味をなめてこそ威光勢力も増長すべきに仏法の味は皆たがひ(違)ぬ。齢はたけぬ、争でか国の災を払ひ、氏子をも守護すべき。其の上、謗法の国にて候を、氏神なればとて大科をいましめずして守護し候へば、仏前の起請を毀つ神也。しかれども氏子なれば、愛子の失のやうにすてずして守護し給ひぬる程に、法華経の行者をあだむ国主国人等を対治を加へずして、守護する失に依て、梵釈等のためには八万等は罰せられ給ひぬるか。此の事は一大事也秘すべし秘すべし。[p1834]
有る経の中に仏此の世界を他方の世界との梵釈・日月・四天・龍神等を集めて、我が正像末の持戒・破戒・無戒等の弟子等を第六天の魔王悪鬼神等が、人王人民等の身に入りて悩乱せんを乍見乍聞〔見ながら聞きながら〕治罰せずして、須臾もすごすならば、必ず梵釈等の使いをして四天王に仰せつけて治罰を加ふべし。若し氏神治罰を加へずば、梵釈・四天等も守護神に治罰を加ふべし。梵釈又かくのごとし。梵釈等は必ず此の世界の梵釈・日月・四天等を治罰すべし。若し然らずんば、三世の諸仏の出世に漏れ、永く梵釈等の位を失ひて、無間大城に沈むべし、釈迦・多宝・十方の諸仏御前にして起請を書き置かれたり。[p1834-1835]
今之を案ずるに、日本小国の王となり、神となり給ふは、小乗には三賢の菩薩、大乗には十信、法華には名字五品の菩薩也。何なる氏神有りて無尽の功徳を修すとも、法華経の名字を聞かず、一念三千の観法を守護せずんば、退位の菩薩と成りて永く無間大城に沈み候べし。故に扶桑記に云く ̄又伝教大師奉為八幡大菩薩 於神宮寺自講法華経。乃聞畢大神託宣 我不聞法音久歴歳年。幸値遇和尚得聞正教。兼為我修種種功徳。至誠随喜。何足徳謝矣。兼有我所持法衣。即託宣主自開宝殿 手捧紫袈裟一・紫衣一。奉上和尚。大悲力故幸垂納受。是時禰宜祝等各歎異云 元来不見不聞如是奇事哉。此大神所施法衣 今在山王院〔又伝教大師、八幡大菩薩のおんために神宮寺に於て自ら法華経を講ず。乃ち聞き畢りて大神託宣すらく。我法音を聞かずして久しく歳年を歴る。幸ひ和尚に値遇して正教を聞くことを得たり。兼ねて我がために種種の功徳を修す。至誠随喜す。何ぞ徳を謝するに足らんや。兼ねて我が所持の法衣有りと。即ち託宣の主自ら宝殿を開きて、てずから紫の袈裟を一つ・紫の衣一つを捧げ、和尚に奉上す。大悲力の故に幸ひに納受を垂れたまへと。是の時に禰宜祝〈ねぎはぶり〉等おのおの歎異して云く 元来是の如きの奇事を聞かざる見ざる哉。此の大神の施したまふ所の法衣、今山王院にあるなり〕云云。[p1835]
今謂く八幡は人王第十六代応神天皇也。其の時は仏経無かりし。此に袈裟衣有るべからず。人王第三十欽明の治三十二年に神と顕れ給ひ、其れより已来弘仁五年まで禰宜・祝等次第に宝殿を守護す。何れの王の時、此の袈裟を納めけると意へし。而して禰宜等云 元来不見不聞等云云。此の大菩薩いかにしてか此の袈裟衣は持ち給ひけるぞ。不思議なり不思議なり。又欽明より已来弘仁五年に至るまでは王は二十二代、仏法は二百六十余年也。其の間に三論・成実・法相・倶舎・華厳・律宗・禅宗等の六宗七宗日本国に渡りて、八幡大菩薩の御前にして経を講ずる人々、其の数を知らず。又法華経を読誦する人も争でか無からん。又八幡大菩薩の御宝殿の傍には神宮寺と号して、法華経等の一切経を講ずる堂、大師より已前に是れあり。其の時定めて仏法を聴聞し給ひぬらん。何ぞ今始めて、我不聞法音久歴歳年等と託宣し給ふべきや。幾ばくの人々か法華経・一切経を講じ給ひけるに、何ぞ此の御袈裟・衣をば進らせ給はざりけるやらん。当に知るべし。伝教大師已前は法華経の文字のみ読みけれども、其の義はいまだ顕れざりけるか。[p1835-1836]
去る延暦に十年十一月の中旬の頃、伝教大師比叡山にして、南都七大寺の六宗の碩徳十余人を奉請して法華経を講じ給ひしに、弘世・真綱等の二人の臣下此の法門を聴聞してなげいて云く 慨一乗之権滞 悲三諦之未顕〔一乗の権滞を慨き、三諦の未顕を悲しむ〕等云云。又云く 長幼摧破三有之結 猶未改歴劫之轍〔長幼三有の結を摧破して、猶未だ歴劫の轍を改めず〕等云云。[p1836]
其の後延暦二十一年正月十九日に高雄寺に主上行幸ならせ給ひて、六宗の碩徳と伝教大師と御召し合わせられて宗の勝劣を聞し食ししに、南都十四人皆口を閉ぢて鼻の如くす。後に重ねて怠状を捧げたり。其の状に云く 自聖徳弘化以降于今二百余年之間 所講経論其数多矣。彼此争理其疑未解。而此最妙円宗猶未闡揚〔聖徳の弘化よりこのかた今まで二百余年の間、講ずる所の経論其の数多し。彼此の理を争て其の疑未だ解けず。而るに此の最妙の円宗、猶未だ闡揚せず〕等云云。[p1836-1837]
此れをもつて思ふに、伝教大師已前には法華経の御心いまだ顕れざりけるか。八幡大菩薩の不見不聞と御託宣有りけるは指す也、指す也。白〈あきらか〉也、白也。[p1837]
法華経第四に云く_於我滅度後。能窃為一人。説法華経。~ 当知是人。則如来使 乃至 如来則為。以衣覆之〔我が滅度の後、能く窃かに一人の為にも法華経 ~ を説かん。当に知るべし、是の人は則ち如来の使なり 乃至 如来則ち衣を以て之を覆いたもうべし。〕等云云。当来の弥勒仏は法華経を説き給ふべきゆへに、釈迦仏は大迦葉尊者を御使として衣を送り給ふ。又伝教大師の御使として法華経を説き給ふべきゆへに八幡大菩薩を使いとして衣を送り給ふか。又此の大菩薩は伝教大師已前には加水の法華経を服してをはしましけれども、先生の善根に依て大王と生れ給ひぬ。其の善根の余慶、神と顕れて此の国を守護し給ひけるほどに、今は先生の福の余慶も尽きぬ。正法の味も失ひぬ。謗法の者等国中に充満して年久しけれども、日本国の衆生に久しく仰がれてをわせし。大科あれども捨てがたくをぼしめし、老人の不孝の子を捨てざるが如くして天のせめに合ひ給ひぬるか。[p1837]
又此の袈裟は法華経最第一と説かん人こそかせまいらせ給ふべきに、伝教大師の後は第一の座主義真和尚、法華最第一の人なればかけさせ給ふ事其の謂あり。第二の座主円澄大師は伝教大師の御弟子なれども、又弘法大師の弟子也。すこし謗法ににたり。此の袈裟の人には有らず、かけがたし。第三の座主円仁慈覚大師は名は伝教大師の御弟子なれども、心は弘法大師の弟子、大日経第一法華経第二の人也。此の袈裟は一向にかけがたし。設ひかけたりとも法華経の行者にはあらず。其の上又当世の天台座主は一向真言座主也。又当世の八幡の別当は或は園城寺の長吏或は東寺の末流、此れ等は遠く釈迦・多宝・十方の諸仏の大怨敵、近くは伝教大師の讎敵也。譬へば提婆達多が大覚世尊の御袈裟をかけたるがごとし。又猟師が仏衣を被て師子の皮をはぎしがごとし。当世叡山の座主は伝教大師の八幡大菩薩より給ひ候ひし御袈裟をかけて、法華経の所領を奪ひ取りて真言の領となせり。譬へば阿闍世王の提婆達多を師とせしがごとし。[p1837-1838]
而るを大菩薩の此の袈裟をはぎかへし給はざる一の大科也。此の大菩薩は法華経の御座にして行者を守護すべき由の起請をかきながら、数年が間、法華経の大怨敵を治罰せざる事不思議なる上、たまたま法華経の行者の出現せるを来りて守護こそなさざらめ。我が前にして国主等の怨する事、犬の猿をかみ、蛇の蛙ををのみ、鷹の雉を、師子王の兎を殺すがごとくするを、一度もいましめず。設ひいましむるやうなれども、いつわりをろかなるゆへに、梵釈・日月・四天等のせめを、八幡大菩薩かほり給ひぬるにや。例せば欽明天皇・敏達天皇・用明天皇已上三代の大王、物部大連・守屋等がすゝめに依て宣旨を下して、金銅の釈尊を焼き奉り、堂に火を放ち僧尼をせめしかば、天より火下りて内裏をやく。其の上日本国の万民とがなくして悪瘡をやみ、死ぬること大半に過ぎぬ。結句三代の大王・二人の大臣・其の外多くの王子・公卿等、或は悪瘡或は合戦にほろび給ひしがごとし。其の時日本国の百八十の神の栖み給ひし宝殿皆焼け失せぬ。釈迦仏に敵する者を守護し給ひし大科也。[p1838-1839]
又園城寺は叡山已前の寺なれども、智証大師の真言を伝へて今に長吏とがうす。叡山の末寺たる事疑ひなし。而るに山門の得分たる大乗戒壇を奪ひ取りて、園城寺に立て叡山に随はじと云云。譬へば小臣が大王に敵し、子が親に不孝なるがごとし。かゝる悪逆の寺を新羅大明神みだれがわしく守護するゆへに、度々山門に宝殿を焼かるる此のごとし。今八幡大菩薩は法華経の大怨敵を守護して天火に焼かれ給ひぬるか。例せば秦の始皇の先祖襄王と申せし王、神となりて始皇等を守護し給ひし程に、秦の始皇大慢をなして三皇・五帝の墳典をやき、三聖の孝経等を失ひしかば、沛公と申す人剣をもて大蛇を切り死〈ころし〉ぬ。秦皇の氏神是れ也。其の後秦の代ほどなくほろび候ひぬ。此も又かくのごとし。安芸の国いつく島の大明神は平家の氏神なり。平家ををごらせし失に、伊勢大神宮八幡等に神うちに打ち失はれて其の後平家ほどなくほろび候ひぬ。此れ又かくの如し。[p1839]
法華経の第四に云く_仏滅度後 能解其義 是諸天人 世間之眼〔仏の滅度の後に 能く其の義を解せんは 是れ諸の天人 世間の眼なり〕等云云。日蓮が法華経の肝心たる題目を日本国に弘通し候は諸天世間の眼にあらずや。眼には五あり。所謂肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼也。此の五眼は法華経より出生せさせ給ふ。故に普賢経に云く_此方等経。是諸仏眼。諸仏因是。得具五眼。〔此の方等経は是れ諸仏の眼なり。諸仏は是れに因って五眼を具することを得たまえり。〕等云云。此方等経と申すは法華経を申す也。又此の経に云く_人天福田。応供中最〔人天の福田、応供の中の最なり〕等云云。此れ等の経文のごとくば妙法蓮華経は人天の眼・二乗菩薩の眼・諸仏の御眼也。[p1839-1840]
而るに法華経の行者を怨む人は人天の眼をくじる者也。其の人を罰せざる守護神は、一切の人天の眼をくじる者を結構し給ふ神也。而るに弘法・慈覚・智証等は正しく書を作りて、法華経を ̄無明辺域。非明分位。望後作戯論〔無明の辺域にして明の分位に非ず。後に望むれば戯論と作る〕。力者に及ばず履者とりにたらずとかきつけて四百余年。日本国の上一人より下万民にいたるまで法華経をあなづらせ、一切衆生の眼をくじる者を守護し給ふは、あに八幡大菩薩の結構にあらずや。[p1840]
去る弘長と又去る文永八年九月の十二日に日蓮一分の失なくして、南無妙法蓮華経と申す大科に、国主のはからいとして八幡大菩薩の御前にひきはらせて、一国の謗法の者どもにわらわせ給ひしは、あに八幡大菩薩の大科にあらずや。其のいましめとをぼしきは、ただどしうちばかりなり。日本国の賢王たりし上、第一第二の御神なれば八幡に勝れたる神はよもをはせじ。又偏頗はよも有らじとはをもへども、一切経竝びに法華経のをきてのごときんば、此の神は大科の神也。[p1840-1841]
日本六十六箇国二つの島、一万一千三十七の寺の仏は皆或は画像或は木像、或は真言已前の寺もあり、或は已後の寺もあり。此れ等の仏は皆法華経より出生せり。法華経をもつて眼とすべし。所謂、此方等経。是諸仏眼等云云。妙楽云く ̄然此経以常住仏性為咽喉 以一乗妙行為眼目 以再生敗種為心腑 以顕本遠寿為其命〔然も此の経は常住仏性を以て咽喉となし、一乗妙行を以て眼目となし、再生敗種を以て心腑となし、顕本遠寿を以て其の命となす〕等云云。而るを日本国の習ひ、真言師にもかぎらず、諸宗一同に仏眼の印をもつて開眼し、大日の真言をもつて五智を具すと云云。此れ等は法華経にして仏になれる衆生を真言の権経にて供養すれば、還りて仏を死し、眼をくじり、寿命を断ち、喉をさきなんどする人々なり。提婆が教主釈尊の身より血を出だし、阿闍世王の彼の人を師として現罰に値ひしに、いかでかをとり候べき。[p1841]
八幡大菩薩は応神天皇、小国の王也。阿闍世王は摩竭大国の大主也。天と人と、王と民との勝劣也。而れども阿闍世王、猶お釈迦仏に敵をなして悪瘡見に付き給ひぬ。八幡大菩薩いかでか其の科を脱るべき。去る文永十一年に大蒙古よりよせて、日本国の兵を多くほろぼすのみならず、八幡の宮殿すでにやかれぬ。其の時何ぞ彼の国の兵を罰し給はざるや。まさに知るべし。彼国の大王は此国の神に勝れたる事あきらけし。襄王と申せし神は漢土第一の神なれども、沛公が利剣に切られ給ひぬ。此をもつてをもうべし。[p1841-1842]
道鏡法師、称徳天皇の心よせと成りて国王と成らんとせし時、清丸、八幡大菩薩に起請せし時、八幡の御託宣に云く 夫神有大小好悪 乃至彼衆く我寡し。邪強正弱。乃当仰仏力之加護為紹隆皇緒〔夫れ神に大小好悪有り 乃至 彼は衆く我は寡し。邪は強く正は弱し。乃ち当に仏力の加護を仰いでために皇緒を紹隆すべし〕等云云。当に知るべし、八幡大菩薩は正法を力として王法をも守護し給ひける也。[p1842]
叡山・東寺等の真言の邪法をもつて権の大夫殿を調伏せし程に、権の大夫殿はかたせ給ひ、隠岐の法皇はまけさせ給ひぬ。還著於本人此れ也。今又日本国一万一千三十七の寺竝びに三千一百三十二社の神は国家安穏のためにあがめられて候。而るに其の寺々の別当等、其の社々の神主等はみなみなあがむるところの本尊と神との御心に相違せり。彼々の仏と神とは其の身異体なれども、其の心同心に法華経守護神也。別当と社主等は或は真言師、或は念仏者、或は禅僧、或は律僧なり。皆一同に八幡等の御かたきなり。謗法不孝の者を守護し給ひて、正法の者を或は流罪或は死罪等に行はするゆへに、天のせめを被り給ひぬる也。[p1842]
我が弟子等の内、謗法の余慶有る者の思ひていわく、此の御房は八幡をかたきとすと云云。これいまだ道理有りて法の成就せぬには、本尊をせむるという事を存知せざる者の思ひ也。[p1842-1843]
付法蔵経と申す経に大迦葉尊者の因縁を説いて云く_時摩竭国有婆羅門名尼倶律陀。於過去世久修勝業○多饒財宝巨富無量○比摩竭王千倍為勝○雖饒財宝無有子息。自念老朽死時将至。庫蔵諸物無所委付。於其舎側有樹林神。彼婆羅門為求子故即往祈請。経歴年歳無微応。時尼倶律陀大生瞋忿語樹神曰 我事汝来已年歳経都不見為垂一福応。今当七日至心事汝。若復無験必相焼剪。明樹神聞已甚懐愁怖 向四天王具陳斯事。於是四王往白帝釈。帝釈観察閻浮提内無福徳人堪為彼子。即詣梵王広宣上事。爾時梵王以天眼観見 有梵天当臨命終。而告之曰 汝若降神宜当生彼閻浮提界婆羅門家。梵天対曰 婆羅門法多悪邪見。我今不能為其子。梵王復言 彼婆羅門有大威徳。閻浮提人莫堪往生。汝必生彼吾相護終不令汝入邪見也。梵天曰 諾。敬承聖教。於是帝釈即向樹神説如斯事。樹神歓喜尋詣其家語婆羅門。汝今勿復起恨於我。卻後七日当満卿願。至七日已婦始覚有身 満足十月生一男兒。乃至 今迦葉是也[p1843]
〔時に摩竭国に婆羅門有り、尼倶律陀と名づく。過去の世に於て久しく勝業を修して○多く財宝に饒かにして巨富無量なり。○摩竭王に比するに千倍勝れりなす。○財宝饒かなりと雖も子息有ること無し。自ら念はく老朽して死の時将に至らんとす。庫蔵の諸物委付するところ無し。其の舎の側に於て樹林神有り。彼の婆羅門、子を求むるがための故に即ち往いて祈請す。年歳を経歴すれども微応無し。時に尼倶律陀大いに瞋忿を生じて樹神に語りて曰く 我、汝にこのかた已に年歳を経れども、すべてために一の福応を垂れるを見ず。今当に七日至心に汝に事ふべし。もしまた験無くは必ず相焼剪せん。明らかに樹神聞き已りて甚だ愁怖を懐き、四天王に向ひて具さに斯の事を陳ぶ。是に於て、四王往いて帝釈に白す。帝釈、閻浮提の内を観察するに福徳の人の彼の子となるに堪える無し。即ち梵王に詣でて広く上の事を宣ぶ。爾時に梵王、天眼を以て観見するに、当に梵天の命終に臨むにあたるに有り。而も之に告げて曰く 汝もし神を降らさば宜しく当に彼の閻浮提界の婆羅門の家に生ずべし。梵天、対へて曰く 婆羅門の法悪邪見多し。我今其の子となることあたはず。梵王また言く 彼の婆羅門大威徳有り。閻浮提の人往生するに堪ゆるなし。汝必ず彼に生ずれば吾が相護りて終に汝をして邪見に入らしめざらんなり。梵天曰く 諾。敬て聖教を承けん。是に於て、帝釈、即ち樹神に向て斯の如き事を説く。樹神歓喜して尋ね其の家に詣でて婆羅門に語らく。汝、今また恨みを我に起すことなかれ。卻後七日、当に卿か願を満すべし。七日に至りて已に婦始身むこと有るを覚え、十月を満足して一男兒を生めり。乃至 今の迦葉是れ也〕云云。[p1843]
応時尼倶律陀大生瞋忿〔時に応じて尼倶律陀大いに瞋忿を生ず〕等云云。[p1843]
常のごときんが、氏神に向ひて大瞋恚を生ぜん者は今生には身をほろぼし、後生には悪道に堕つべし。然りと雖も尼倶律陀長者、氏神に向ひて大悪口大瞋恚を生じて大願を成就し、賢子をまうけ給ひぬ。当に知るべし、瞋恚は善悪に通ずる者也。[p1843-1844]
今日蓮は去る建長五年[癸丑]四月二十八日より、今年弘安三年[太歳庚辰]十二月にいたるまで二十八年が間、又他事なし。只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計り也。此れ即ち母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲也。[p1844]
此れ又時に当らざるにあらず。已に仏記の五々百歳に当れり。天台・伝教の御時は時いまだ来らざりしかども、一分の機ある故、少分流布せり。何に況んや今は已に時いたりぬ。設ひ機なくして水火をなすともいかでか弘通せざらむ。只不軽のごとく大難には値ふとも、流布せん事疑ひなかるべきに、真言・禅念仏者等の讒奏に依て無智の国主等流難をなす。此れを対治すべき氏神八幡大菩薩、彼等の大科を治せざるゆへに、日蓮の氏神を諌暁するは道理に背くべしや。尼倶律陀長者が樹神をいさむるに異ならず。蘇悉地経に云く_治罰本尊如治鬼魅〔本尊を治罰すること鬼魅治するが如し〕等云云。本尊を或はしばり、或は打ちなんどせよとかかれて候。相応和尚の不動明王をしばりけるは此の経文を見たりけるか。此れは他事にはにるべからず。日本国の一切の善人が或は戒を持ち、或は布施を行ひ、或は父母等の孝養のために寺塔を建立し、或は成仏得道の為に妻子をやしなうべき財を止めて諸僧に供養をなし候に、諸僧謗法者たるゆへに、謀反の者を知らずしてやどしたるがごとく、不孝の者に契りなせるがごとく、今生には災難を招き、後生も悪道に堕ち候べきを扶けんとする身也。而るを日本国の守護の善神等、彼等に与して正法の敵となるゆへに、此れをせむるは経文のごとし。道理に任せたり。[p1844-1845]
我が弟子がをもわく、我が師は法華経を弘通し給ふとてひろまらざる上、大難の来れるは、真言は国をほろぼす・念仏は無間地獄・禅は天魔の所為・律僧は国賊との給ふゆへなり。例せば道理有る問註に悪口のまじわれるがごとしと云云。[p1845]
日蓮我が弟子に反詰して云く 汝爾らば我が問を答へよ。一切の真言師・一切の念仏者・一切の禅宗等に向ひて南無妙法蓮華経と唱へ給へと勧進せば、彼等云く 我が弘法大師は法華経と釈迦仏とを戯論・無明の辺域・力者・はき物とりに及ばずとかゝせ給ひて候。物の用にあわぬ法華経を読誦せんよりも、其の口に我が小呪を一反も誦すべし。一切の在家の者の云く 善導和尚は法華経をば千中無一、法然上人は捨閉閣抛、道綽禅師は未有一人得者と定めさせ給へり。汝がすゝむる南無妙法蓮華経は我が念仏の障りなり。我等設ひ悪をつくるともよも唱へじ。一切の禅宗云く 我が宗は教外別伝と申して一切経の外に伝へたる最上の法門也。一切経は指のごとし。禅は月のごとし。天台等の愚人は指をまほて月をしらず。法華経は指也。禅は月也。月を見て後は指は何のせんかあるべきなんど申す。[p1845-1846]
かくのごとく申さん時は、いかにとしてか南無妙法蓮華経の良薬をば彼等が口には入るべき。仏は且く阿含経を説き給ひて後、法華経へ入れんとたばかり給ひしに、一切の声聞等阿含経に著して法華経へ入らざりしをば、いかやうにかたばからせ給ひし。此れをば仏説て云く 設ひ五逆罪は造るとも、五逆の者をば供養すとも、罪は仏の種となるとも、彼等が善根は仏種とならじとこそ説かせ給ひしか。小乗大乗はかわれども同じく仏説なり。大が小を破して小を大となすと、大を破して法華経に入ると、大小は異なれども法華経へ入れんと思ふ志は是れ一也。[p1846]
されば無量義経に大を破して云く_未顕真実と。法華経に云く_此事為不可〔此の事は為めて不可なり〕等云云。仏自ら云く 我世に出でて華厳・般若等を説きて法華経を説かずして入涅槃せば、愛子に財ををしみ、病者に良薬をあたへずして死したるがごとし。仏自ら地獄に堕つべしと云云。不可と申すは地獄の名也。況んや法華経の後、爾前の経に著して法華経へうつらざる者は大王に民の従がはざるがごとし。親に子の見へざるがごとし。設へ法華経を破せざれども、爾前の経々をほむるは法華経をそしるに当れり。妙楽云く ̄若称歎昔豈非毀今〔もし昔を称歎せば豈に今を毀するに非ずや〕[文]。又云く ̄雖欲発心不簡偏円不解誓境 未来聞法何能免謗〔発心せんと欲すと雖も、偏円を簡ばず、誓の境を解らざれば、未来に法を聞くとも何ぞ能く謗を免れん〕等云云。[p1846-1847]
真言の善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証等は設ひ法華経を大日経に相対して勝劣を論ぜずして大日経を弘通すとも、滅後に生まれたる三蔵人師なれば謗法はよも免れ候はじ。何に況んや善無畏等の三三蔵は法華経は略説、大日経は広説と同じて而も法華経の行者を大日経えすかし入れ、弘法等の三大師は法華経の名をかきあげて戯論なんどかゝれて候を大科を明らめずして、此の四百余年一切衆生を皆謗法の者となりぬ。例せば大荘厳王仏の末の四比丘が六百万億那由他の人を皆無間地獄に堕せんとせると、師子音王仏の末の勝意比丘が無量無辺の持戒の比丘・比丘尼・うばそく・うばいを皆阿鼻大城に導きしと、今の三大師の教化に随ひて日本国四十九億九満四千八百二十八人の一切衆生、又四十九億等の人々四百余年に死して無間地獄に堕ちぬれば、其の後他方世界よりは生まれて又死して無間地獄に堕ちぬ。かくのごとく堕つる者は大地微塵よりも多し。此れ皆三大師の科ぞかし。此れを日蓮此にて見ながらいつわりをろかにして申さずば倶に堕地獄の者となて、一分の科なき身が十方の大阿鼻地獄を経めぐるべし。いかでか身命をすてざるべき。[p1846-1847]
涅槃経に云く_一切衆生受異苦悉是如来一人苦〔一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ如来一人の苦なり〕等云云。日蓮云く 一切衆生同一苦悉是日蓮一人苦〔一切衆生の同一の苦は悉く是れ日蓮一人の苦〕と申すべし。[p1847]
平城天皇の御宇に八幡の御託宣に云く 我是日本鎮守八幡大菩薩也。守護於百王有誓願〔我は是れ日本の鎮守の八幡大菩薩なり。百王を守護せん誓願有り〕今云く 人王八十一二代隠岐の法皇、三四五の諸皇已に破られ畢んぬ。残りの二十余代、今捨て畢んぬ。已に此の願破るるが如し。[p1847-1848]
日蓮料簡して云く 百王を守護せんと云ふは正直の王百人を守護せんと誓ひ給ふ。八幡の御誓願に云く 以正直之人頂為栖 以諂曲之人心不亭〔正直の人の頂を以て栖となし諂曲の人の心を以て亭らず〕等云云。[p1848]
夫れ月は清水に影をやどす、濁水にすむ事なし。王と申すは不妄語の人、右大将家・権の大夫殿は不妄語の人、正直の頂き、八幡大菩薩の栖む百王の内也。正直に二あり。一には世間の正直、王と申すは天人地の三を串を王と名づく。天人地の三は横也。たつてん(立点)は縦也。王と申すは黄帝中央の名也。天の主・人の主・地の主を王と申す。隠岐の法皇は名は国王、身は妄語の人、横人也。権の太夫殿は名は臣下、身は大王、不妄語の人、八幡大菩薩の願ひ給ふ頂也。二には出世の正直と申すは爾前七宗等の経論釈は妄語、法華経・天台宗は正直の経釈也。本地は不妄語の経の釈迦仏、迹には不妄語の八幡大菩薩也。八葉は八幡、中臺は教主釈尊也。四月八日寅の日に生まれ、八十年を経て二月十五日申の日に隠れさせ給ふ。豈に教主の日本国に生まれ給ふに有らずや。大隅の正八幡の石の文に云く 昔在霊鷲山説妙法華経 今在正宮中示現大菩薩〔昔霊鷲山に在して妙法華経を説いて、今正宮の中に在て大菩薩と示現す〕等云云。法華経に云く_今此三界等云云。又_常在霊鷲山等云云。遠くは三千大千世界の一切衆生は釈迦如来の子也。近くは日本国四十九億九万四千八百二十八人は八幡大菩薩の子也。今日本国の一切衆生は八幡をたのみ奉るやうにもてなし、釈迦仏をすて奉るは、影をうやまつえt体をあなづる。子に向ひて親をのる(罵)がごとし。本地は釈迦如来にして月氏国に出でては正直捨方便の法華経を説き給ひ、垂迹は日本国に生まれては正直の頂にすみ給ふ。[p1848-1849]
諸の権化の人々の本地は法華経の一実相なれども垂迹の門は無量なり。所謂髪倶等尊者は三世に不殺生戒を示し、鴦堀摩羅は生々に殺生を示す、舎利弗は外道となり、是の如く門々不同なる事を示すなり。妙楽大師云く ̄若従本説亦如是。昔於殺等悪中能出離。故是故迹中亦以殺為利他法門〔もし本に従ひて説かば、亦是の如し。昔殺等の悪の中に能く出離す。故に是の故に迹中に亦殺を以て利他の法門となす。〕等云云。今八幡大菩薩は本地は月氏の不妄語の法華経を、迹に日本国にして正直の二字となして賢人の頂にやどらむと云云。若し爾らば此の大菩薩は宝殿をやきて天にのぼり給ふとも、法華経の行者日本国に有るならば其の所に栖み給ふべし。[p1849]
法華経の第五に云く_諸天昼夜。常為法故。而衛護之〔諸天昼夜に常に法の為の故に而も之を衛護し〕[文]。経文の如くば南無妙法蓮華経と申す人をば大梵天・帝釈・日月・四天等、昼夜に守護すべしと見えたり。又第六の巻に云く_或説己身。或説他身。或示己身。或示他身。或示己事。或示他事〔或は己身を説き、或は他身を説き、或は己身を示し、或は他身を示し、或は己事を示し、或は他事を示す〕[文]。観音尚お三十三身を現じ妙音又三十四身を現じ給ふ。教主釈尊何ぞ八幡大菩薩と現じ給はざらんや。天台云く ̄即是垂形十界作種々像〔即ち是れ形を十界に垂れて種々の像を作す〕等云云。[p1849-1850] 天竺国をば月氏国と申す、仏の出現し給ふべき名也。扶桑国をば日本国と申す、あに聖人出で給はざらむ。月は西より東へ向かへり。月氏の仏法の東へ流るべき相也。日は東より出づ。日本の仏法の月氏へかへえるべき瑞相なり。月は光あきらかならず。在世は但八年なり。日は光明月に勝れり。五々百歳の長き闇を照らすべき瑞相也。仏は法華経謗法の者を治し給はず、在世には無きゆへに。末法には一乗の強敵充満すべし、不軽菩薩の利益此れなり。各々我が弟子等はげませ給へ、はげませ給へ。[p1850]
弘安三年太歳庚申十二月 日 日 蓮 花押[p1850]
#0396-000 大夫志殿御返事 弘安三年(1280) [p1851]
小袖一・直垂三具・同じく腰三具等云云。小袖は七貫、直垂竝びに腰は十貫、已上十七貫文に当れり。[p1851]
夫れ以みれば天台大師の御位を章安大師顕して云く 止観の第一に序分を引いて云く ̄安禅而化。位居五品。故経云 施四百万億那由他国人一一皆与七宝 又化令得六通不如初随喜人百千万倍。況五品耶。文云 即如来使。如来所遣行如来事〔安禅として化す。位五品に居したまへり。故に経に云く 四百万億那由他の国の人に施すに一一に皆七宝を与へ、又化して六通を得せしむるすら初随喜の人にしかざること百千万倍せり。況んや五品をや。文に云く 即ち如来の使なり。如来の所遣として如来の事を行ず〕等云云。伝教大師、天台大師を釈して云く ̄今吾天台大師説法華経釈法華経特秀於群独歩於唐。〔今吾天台大師法華経を説き、法華経を釈すること、群に特秀し、唐に独歩す〕。又云く ̄明知如来使也。讃者積福於安明、謗者罪開於無間〔明に知んぬ如来の使いなり。讃る者は福を安明に積み、謗る者は罪を無間に開く〕云云。
如来は且く之を置く。滅後の一日より正像末二千二百余年が間仏の御使二十四人なり。所謂第一は大迦葉・第二は阿難・第三は末田地・第四は商那和修・第五は・多第六は提多迦・第七は弥遮迦・第八は仏駄難提・第九は仏駄密多・第十は脇比丘・第十一は富那奢・第十二は馬鳴・第十三は・羅・第十四は龍樹・第十五は提婆・第十六は羅・・第十七は僧・難提・第十八は僧伽耶奢・第十九は鳩摩羅駄・第二十は闍夜那・第二十一は盤駄・第二十二は摩奴羅・第二十三は鶴勒夜奢・第二十四は師子尊者。此の二十四人は金口の記す所の付法蔵経に載す。但し小乗・権大乗の御使也。いまだ法華経の御使にはあらず。[p1851]
三論宗の云く 道朗・吉蔵は仏の使也。法相宗の云く 玄奘・慈恩は仏の使也。華厳宗の云く 法蔵・澄観は仏の使也。真言宗の云く 善無畏・金剛智・不空・慧果・弘法等は仏の使也。日蓮之を勘へて云く 全く仏の使に非ず。全く大小乗の使いにも非ず。之を供養せば災を招き之を謗ぜば福を至さん。[p1851]
問ふ 汝の自義歟。[p1851]
答て云く 設ひ自義たりと雖も有文有義ならば何の科あらん。然りと雖も釈有り。伝教大師の云く ̄・捨福慕罪者耶〔・そ福を捨てて罪を慕ふ者あらんや〕と云云。捨福とは天台大師を捨つる人也。慕罪とは上に挙ぐる法相・三論・華厳・真言の元祖等なり。彼の諸師を捨てて一向に天台大師を供養する人の其の福を今申すべし。[p1851]
三千大千世界と申すは東西南北一須弥山六欲梵天を一四天下となづく。百億の須弥山四州等を小千と云ふ。小千の千を中千と云ふ。中千の千を大千と云ふ。此の三千大千世界を一つにして、四百万億那由他国の六道の衆生を八十年やしなひ、法華経より外の已今当の一切経を一々の衆生に読誦せさせて、三明六通の阿羅漢・辟支仏・等覚の菩薩となせる一人の檀那と、世間出世の財を一分も施さぬ人の法華経計りを一字一句一偈持つ人と、相対して功徳を論ずるに、法華経の行者の功徳勝れたる事百千万億倍なり。天台大師此れに勝れたる事五倍也。かゝる人を供養すれば福を須弥山につみ給ふ也と伝教大師ことはらせ給ひて候。此の由を女房には申させ給へ。恐々謹言。[p1851-1852]
花押[p1852]
大夫志殿 御返事[p1852]
#0397-000 王日殿御返事 弘安三年(1280) [p1853]
弁の房の便宜に三百文、今度二百文給了んぬ。[p1853]
仏は真に尊くして物によらず。昔の徳勝童子は沙の餅を仏に供養し奉りて、阿育大王と生まれて、一閻浮提の主たりき。貧女の我がかしら(頭)おろし(剃)て油と成せしが、須弥山を吹きぬきし風も此の火をけさず。されば此の二三の鵞目は日本国を知る人の国を寄せ、七宝の塔を・利天にくみあげたらんにもすぐるべし。[p1853]
法華経の一字は大地の如し、万物を出生す。一字は大海の如し、衆流を納む。一字は日月の如し、四天下をてらす。此の一字返じて月となる。月変じて仏となる。稲は変じて苗となる。苗は変じて草となる。草変じて米となる。米変じて人となる。人変じて仏となる。女人変じて妙の一字となる。妙の一字変じて臺上の釈迦仏となるべし。南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。恐々謹言。[p1853]
日 蓮 花押[p1853]
王日殿[p1853]
#0398-000 法衣書 弘安三年(1280) [p1854]
御衣布竝びに単衣布給候ひ了んぬ。[p1854]
抑そも食は命をつぎ、衣は身をかくす。食を有情に施すものは長寿の報をかん(感)ず。六道の中に人道已下は皆形裸にして生る。天は随生衣。其の中の鹿等は無衣にして生るのみならず、人の衣をぬすみしゆへに、身の皮を人にはがれて盗みし衣をつぐのうほう(報)をえたり。人の中にも鮮白比丘に(尼)は生ぜし時、衣を被て生まれぬ。仏法の中にも裸形にして法を行ずる道なし。故に釈尊は摩訶大母比丘尼の衣を得て正覚をなり給ひき。諸の比丘には三衣ゆるされき。鈍根の比丘は衣食とゝのわざれば阿羅漢果証せずとみへて候。殊に法華経には柔和忍辱衣と申して衣をこそ本とみへて候へ。又法華経の行者をば衣をもつて覆はせ給ふと申すもねんごろなるぎ(義)なり。[p1854]
日蓮は無戒の比丘、邪見の者なり。故に天これをにくませ給ひて食衣ともしき身にて候。しかりといえども法華経を口に誦し、ときどきこれをとく。譬へば大蛇の珠を含み、いらん(伊蘭)よりせんだん(栴檀)を生ずるがごとし。いらんをすてゝせんだんまいらせ候。蛇形をかくして珠を授けたてまつる。天台大師云く ̄他経但記男不記女〔他経は但男に記して女に記せず〕等云云。法華経にあらざれば女人成仏は許されざるか。具足千万光相如来と申すは摩訶大比丘尼ののことなり。此れ等をもつてをしはかり候に、女人の成仏は法華経により候べきか。要当説真実は教主釈尊の金言、皆是真実は多宝仏の証明、舌相至梵天は諸仏の誓状なり。日月は地に落つべしや、須弥山はくづるべしや、大海の潮は増減せざるべしや、大地は飜覆すべしや。此の御衣の功徳は法華経にとかれて候。但心をもつてをもひやらせ給ひ候へ。言にはのべがたし。[p1854-1855]
#0399-000 重須殿女房御返事 弘安四年(1281.正・05) [p1855]
十字一百まい・かしひとこ(菓子一箱)給了んぬ。[p1855]
正月の一日は日のはじめ、月の始め、としのはじめ、春の始め。此れをもてなす人は月の西より東をさしてみつがごとく、日の東より西へわたりてあきらかなるがごとく、とく(徳)もまさり人にもあいせられ候なり。[p1855-1856]
抑そも地獄と仏とはいづれの所に候ぞとたづね候へば、或は地の下と申す経もあり、或は西方等と申す経も候。しかれども委細にたづね候へば、我等が五尺の身の内に候とみへて候。さもやをぼへ候事は、我等が心の内に父をあなづり、母ををろかにする人は、地獄其の人の心の内に候。譬へば蓮のたね中に花と菓とのみゆるがごとし。仏と申す事も我等の心の内にをはします。譬へば石の中に火あり、珠の中に財のあるがごとし。我等凡夫はまつげのちかきと虚空のとをきとは見候事なし。我等が心の内に仏をはしましけるを知り候はざりけるず。ただし疑ひある事は、我等は父母の精血変じて人となりて候へば、三毒の根本婬欲の源也。いかでか仏はわたらせ給ふべきと疑ひ候へども、又うちかへし、うちかへし案じ候へば、其のゆわれもやとをぼへ候。蓮はきよきもの、泥よりいでたり。せんだんはかうばしき物、大地よりをいたり。さくらはをもしろき物、木の中よりさきいづ。やうきひ(楊貴妃)は見めよきもの、下女のはらよりむまれたり。月はよまよりいでゝ山をてらす。わざわいは口より出でゝ身をやぶる。さいわいは心よりいでゝ我をかざる。[p1855-1886]
今正月の始めに法華経をくやうしまいらせんとをぼしめす御心は木より花のさき、池より蓮のつぼみ、雪山のせんだんのひらけ、月の始めて出づるなるべし。今日本国の法華経をかたきとしてわざわいを千里の外よりまねきよせぬ。此れをもつてをもうに、今法華経をかたきとする人の国は体にかげのそうがごとくわざわい来るべし。法華経を信ずる人はせんだんにかをばしさのそなえたるがごとし。又々申し候べし。[p1856]
正月五日 日 蓮 花押[p1856]
をもんすどのゝ女房[p1856]
#0400-000 上野尼御前御返事 弘安四年(1281.正・13) [p1857]
聖酒ひとつゝ(筒)、ひさげ(提子)十か。十字百。あめひとをけ(一桶)、二升か。柑子ひとこ(一篭)、串柿十連。ならびにおくり候ひ了んぬ。[p1857]
春のはじめ御喜び花のごとくひらけ、月のごとくみたせ給ふべきよし、うけ給はり了んぬ。[p1857-1858]
抑そも故ごらうどのの御事こそをもいいでられて候へ。ちりし花もさかんとす、かれしくさ(枯草)もねぐみぬ。故五郎殿もいかでかかへらせ給はざるべき。あわれ無常の花とくさとのやうならば、人丸にはあらずとも、花のもともはなれじ。いはうるこま(駒)にあらずとも、草のもとをばよもさらじ。経文には子をばかたきとかかれて候。それもゆわれ候か。梟と申す鳥は母をくらう。破鏡と申すけだものは父をがいす。あんろく(安禄)山と申せし人は、史師明と申す子にころされぬ。義朝と申せしつはものは、為義と申すちゝをころす。子はかたきと申す経文ゆわれて候。[p1858]
又子は財と申す経文あり。妙荘厳王は一期の後、無間大城と申す地獄へ堕ちさせ給ふべかりしが、浄蔵と申せし太子にすくわれて、大地獄の苦をまぬがれさせ給ふのみならず、娑羅樹王仏と申す仏とならせ給ふ。生提女と申せし女人は慳貪のとがによて餓鬼道に堕ちて候ひしが、目連と申す子にたすけられて餓鬼道を出で給ひぬ。されば子を財と申す経文たがう事なし。[p1858]
故五郎殿はとし十六歳、心ね、みめかたち、人にすぐれて候ひし上、男ののう(能)そなわりて、万人にほめられ候ひしのみならず、をやの心に随ふこと、水のうつわものにしたがい、かげの身にしたがうがごとし。いへ(家)にてはしら(柱)とたのみ、道にてはつへとをもいき。はこのたから(筐財)もこの子のため、つかう所従もこれがため。我し(死)なばになわれてのぼへゆきなんのちのあと、をもいをく事なしとふかくをぼしめしたりしに、いやなく、いやなくさきにたちぬれば、いかんにやゆめかまぼろしか。さめなん、さめなんとをもへども、さめずしてとし(年)も又かへりぬ。いつとまつべしともをぼへず。ゆきあう(行逢)べきところだにも申しをきたらば、はねなくとも天へものぼりなん。ふねなくとももろこしへもわたりなん。大地のそこにありときかば、いかでか地をほらざるべきとをぼしめすらむ。やすやすとあわせ給ふべき事候。釈迦仏を御使として、りやうぜん浄土へまいりあわせ給へ。若有聞法者 無一不成仏〔若し法を聞くことあらん者は 一りとして成仏せずということなけん〕と申して、大地はさゝばはづるとも、日月は地に堕ち給ふとも、しを(潮)はみちひぬ代はありとも、花はなつ(夏)にならずとも、南無妙法蓮華経と申す女人の、をもう子にあわずという事はなしととかれて候ぞ。いそぎいそぎ、つとめさせ給へ、つとめさせ給へ。恐々謹言。[p1858-1859]
正月十三日 日 蓮 花押[p1859]
上野尼御前 御返事[p1859]
#0401-000 棧敷女房御返事 弘安四年(1281.02・17) [p1860]
或建治四年
白きかたびら布一切給了んぬ。[p1860]
法華経を供養しまいらせ候に、十種くやうと申し、十のやう候。其の中に衣服と申し候はなにゝても候へ、僧のき候物をくやうし候。其の因縁をとかれて候には、過去に十万億の仏をくやうせる人、法華経に近づきまいらせ候とぞとかれて候へ。あらあら申すべく候へども、身にいたわる事候間、こまかならず候。恐々謹言。[p1860]
二月十七日 日 蓮 花押[p1860]
さじきの女房 御返事[p1860]
#0442-000 おけ・ひさご御消息 弘安四年(1281.04・06) [p3023]
おけ三・ひさご二・をしき四十枚、かしこまり給候ひ了んぬ。恐々謹言。[p3023]
卯月六日 日 蓮 花押[p3023]
御返事[p3023]
#0404-000 大風御書 弘安四年(1281.05比) [p1866]
御そらう(所労)いかん。又去る文永十一年四月十二日の大風と、此の四月二十八日のよの大風と勝劣いかん。いかんが聞き候といそぎ申させ給候へ。[p1866]
#0406-000 断簡 三二二・上野殿御書 弘安四年(1281.春夏頃) [p1870]
字、百千万の字あつまて法華経とならせ給ひて候へば、大海に譬へられて候。又大海の一・は江河の・と小は同じといへども其の義ははるかにかわれり。江河の一・は但一水也、一雨也。大海の一・は四天下の水あつまて一・をつくれり。一河の一・は一金のごとし。大海の一・は如意宝珠のごとし。一河の一・は一の[p2977]
あぢわい、大海の一・は五味のあぢわい、江河の一・は一つの薬也。大海の一・は万種の一丸のごとし。南無阿弥陀仏は一河の一・、南無妙法蓮華経は大海の一・。阿弥陀経は小河の一てい(・)、法華経の一字は大海の一てい。故五郎殿の十六年が間の罪は江河の一てい、須臾の間の南無妙法蓮華経は大海のいちてい等云云。[p1870]
夫れ以みれば花はつぼみさいて菓なる。をやは死にて子にになわる。これ次第也。譬へば[p1870]
#0443-000 御所御返事 弘安四年(1281.07・27) [p3023]
清酒一へいし、かしこまて給候ひ了んぬ。これほどのよきさけ今年はみず候。へいししはら《この間脱文あるか》れ候はんれうにとゝめて候。恐々。[p3023]
七月廿七日 日 蓮 花押[p3023]
御所御返事[p3023]
#0409-100 光日上人御返事 弘安四年(1281.08・08) [p1876]
法華経二の巻に云く_其人命終 入阿鼻獄〔其の人命終して 阿鼻獄に入らん〕等云云。阿鼻地獄と申すは天竺の言、唐土・日本には無間と申す。無間はひまなしとかけり。一百三十六の地獄の中に、一百三十五はひま候。十二時の中にあつ(熱)けれども、又すず(涼)しき事もあり。た(堪)へがたけれども、又ゆるくなる時もあり。此の無間地獄と申すは十二時に一時かた時も大苦ならざる事はなし。故に無間地獄と申す。此の地獄は我等が居て候大地の底、二万由旬をすぎて最下の処也。此れ世間の法にも、かろ(軽)き物は上に、重き物は下にあり。大地の上には水あり。地よりも水かろし。水の上には火あり。水よりも火かろし。火の上に風あり。火よりも風かろし。風の上に空あり。風よりも空かろし。人をも此の四大を以て造れり。悪人は風と火と先づ去り、地と水と留まる。故に人死して後、重きは地獄へ堕つる相也。善人は地と水と先づ去り、重き物は去りぬ。軽き風と火と留まる故に軽し。人天へ生るゝ相也。[p1876-1877]
地獄の相 重きが中の重きは無間地獄の相也。彼の無間地獄は縦横二万由旬なり。八方は八万由旬なり。彼の地獄に堕つる人々は一人の身大にして八万由旬なり。多人も又此の如し。身のやはらかなる事綿の如し。火のこわ(強)き事は大風の焼亡の如し。鉄の火の如し。詮を取りて申さば、我が身より火の出づる事十三あり。二の火あり。足より出でて頂をとをる。又二の火あり。頂より出でて足をとをる。又二の火あり。背より入りて胸に出づ。又二の火あり。胸より入りて背へ出づ。又二の火あり。左の脇より入りて右の脇へ出づ。又二の火あり。右の脇より入りて左の脇へ出づ。亦一の火あり。首より下に向ひて雲の山を巻くが如くして下る。此の地獄の罪人の身は枯れたる艸を焼くが如し。東西南北に走れども逃げ去る所なし。他の苦は且く之を置く。大火の一苦也。此の大地獄の大苦を仏委しく説き給ふならば、我等衆生聞きて皆死すべし。故に仏委しくは説き給ふ事なしと見えて候。[p1877-1878]
今日本国の四十五億八万九千六百五十八人の人々は皆此の地獄へ堕ちさせ給ふべし。されども一人として堕つべしとはをぼさず。例せば此の弘安四年五月以前には、日本の上下万民一人も蒙古の責めにあふべしともおぼさざりしを、日本国に只日蓮一人計りかゝる事此の国に出来すべしとしる。其の時日本国四十五億八万九千六百五十八人n一切衆生、一人もなく他国に責められさせ給ひて、其の大苦は譬へばほうろく(焙烙)と申す釜に水を入れて、ざつこ(雑魚)と申す小魚をあまた入れて、枯れたるしば(柴)木をたかせむが如くなるべし、と申せばあらおそろしいまいまし打ちはれ、所を追へ、流せ、殺せ、信ぜん人々をば田はたをとれ、財を奪へ、所領をめせ、と申せしかども、此の五月よりは大蒙古の責めに値ひて、あきれ迷ふ程に、さもやと思ふ人々もあるやらん。にがにがしうしてせめたくはなけれども、有る事なればあたりたり、あたりたり。日蓮が申せし事はあたりたり。ばけ(化)物のもの申す様にこそ候めれ。[p1878]
去る承久の合戦に隠岐の法皇の御前にして、京の二位殿なんどと申せし何もしらぬ女房等の集まりて、王を勧め奉り、戦を起して、義時に責められ、あはて給ひしが如し。今御覧ぜよ。法華経誹謗の科と云ひ、日蓮をいやしみし罰を申し、経と仏と僧との三宝誹謗の大科によて、現生には此の国に修羅道を移し、後生には無間地獄へ行き給ふべし。此れ又偏に弘法・慈覚・智証等の三大師の法華経誹謗の科と、達磨・善導・律僧等の一乗誹謗の科と、此れ等の人々を結構せさせ給ふ国主の科と、国を思ひ生処を忍びて兼ねて勘へ告げ示すを用ひずして還りて怨をなす大科、先例を思へば、呉王夫差の伍子胥が諌めを用ひずして、越王勾践にほろぼされ、殷の紂王が比干が言をあなづりて周の武王に責められしが如し。[p1878-1879]
而るに光日尼御前はいかなる宿習にて法華経をば御信用ありけるぞ。又故弥四郎殿が信じて候ひしかば子の勧めか。此の功徳空しからざれば、子と倶に霊山浄土へ参り合わせ給はん事、疑ひなかるべし。烏龍と云ひし者は法華経を謗じて地獄に堕ちたりしかども、其の子に遺龍と云ひし者、法華経を書きて供養せしかば、親仏に成り、又妙荘厳王は悪王なりしかども、御子の浄蔵・浄眼に導かれて、娑羅樹王仏と成らせ給ふ。其の故は子の肉は母の肉、母の骨は子の骨也。松栄えれば柏悦ぶ。芝かるれば蘭なく、情け無き草木すら友の喜び友の歎き一つなり。何に況んや親と子との契り、胎内に宿して、九月を経て生み落とし、数年まで養ひき。彼ににな(荷)はれ、彼にとぶら(弔)はれんと思ひしに、彼をとぶらふうらめしさ、後、如何があらんと思ふこゝろぐるしさ、いかにせん、いかにせん。子を思ふ金鳥は火の中に入りにき。子を思ひし貧女は恒河に沈みき。彼の金鳥は今の弥勒菩薩也。彼の河に沈みし女人は大梵天王と生れ給ふ。何に況んや今の光日上人は子を思ふあまりに、法華経の行者と成り給ふ。母と子と倶に霊山浄土へ参り給ふべし。其の時御対面いかにうれしかるべき。いかにうれしかるべき。[p1879-1880]
八月八日[p1880]
光日上人 御返事[p1880]
#0413-000 富城入道殿御返事 弘安四年(1281.10) [p1886]
今月十四日の御礼、同じき十七日到来す。又去る後の七月十五日の御消息。同じ二十日比到来せり。其の外度々の貴札を賜ふと雖も老病たる之上、又不食気に候間、未だ返報を奉らざる候條、其の恐れ少なからず候。何よりも去る後の七月御状に之内に云く 鎮西には大風吹き候て、浦々島々に破損の船充満之間、乃至、京都には思円上人。又云く 理豈に然らん哉等云云。此の事別して此の一門の大事也。惣じて日本国の凶事也。仍て病を忍んで一端是れを申し候はん。是れ偏に日蓮を失はんとして無ろう事を造り出ださん事兼ねて知る。其の故は日本国の真言宗等の七宗八宗の人々の大科、今まで始めざる事也。然りと雖も、且く一を挙げて万を知らしめ奉らん。[p1886]
去る承久年中に隠岐の法皇義時を失はしめんがために調伏を山の座主・東寺・御室・七寺・薗城に仰せ付けらる。仍て同じき三年の五月十五日、鎌倉殿の御代官伊賀太郎判官光末を六波羅に於て失はしめ畢んぬ。然る間、同じき十九日、二十日鎌倉中に騒ぎて、同じき二十一日山道・海道・北陸道の三道より十九万騎の兵者を指し登す。同じき六月十三日、其の夜の戌亥の時より青天俄に陰りて震動雷電して、武士共首の上に鳴り懸かり、鳴り懸かりし上、車軸の如き雨は篠を立つるが如し。[p1886]
爰に十九万騎の兵者等、遠き道は登りたり。兵乱に米は尽きぬ。馬は疲れたり。在家の人は皆隠れ失せぬ。冑は雨に打たれ綿の如し。武士共宇治勢田に打ち寄せて見ければ、常には三丁四丁の河なれども既に六丁七丁十丁に及ぶ。然る間の一丈二丈の大石は枯葉の如く浮かび、五丈六丈の大木流れ塞がつ事間無し。昔利綱・高綱等が度せし時には似るべくも無し。武士之を見て皆臆してこそ見えたりしが、然りと雖も今日を過ごさば皆心を飜し堕ちぬべし。去る故に馬筏を作りて之を度す。処、或は百騎或は千騎万騎。此の如く皆我も我もと度ると雖も、或は一丁或は二丁三丁度る様なりと雖も、彼岸に付く者は一人も無し。然る間、緋綴赤綴等の冑、其の外弓箭兵杖、白星の甲等の河中に流れ浮かぶ事は猶お長月・無神月の紅葉の吉野・立田河に浮かぶが如くなり。[p1886-1887]
爰に叡山・東寺・七寺・薗城等高僧等、之を聞くことを得て真言の秘法大法の験とこそ悦び給ひける。内裏の紫宸殿には山の座主・東寺・御室、五壇十五壇の法を弥いよ盛んに行はれければ、法皇の御叡感極まり無く玉の厳を地に付け、大法師等の御足を御手にて摩で給ひしかば、大臣公卿等は庭の上へ走り落ちて、五体を地に付け、高僧等を敬ひ奉る。[p1887]
又宇治勢田にむかへたる公卿殿上人は甲を震ひ挙げて大音声を放ちて云く 義時所従の毛人等慥かに奉れ。昔より今に至るまで、王法に敵を作し奉る者は何者か安穏なる。狗犬が師子を吼へて其の腹破れざる事無く、修羅が日月を射るに其の箭還りて其の眼に中らざること無し。遠き例しは且く之を置く。近くは我が朝に代始まりて人王八十余代之間、大山の皇子・大石の小丸を始めとして二十余人に、王法に敵をなし奉れども一人として素懐を遂げたる者はなし。皆頚を獄門に懸けられ骸を山野に曝す。関東の武士等、或は源平、或は高家等、先祖相伝の君を捨て奉り、伊豆の国の民たる義時が下知に随ふ故にかゝる災難は出来也。王法に背き奉り、民の下知に随ふ者は、師子王が野狐に乗せられて東西南北へ馳走するが如し。今生の恥之を何如。急ぎ急ぎ甲を脱ぎ、弓弦をはづして、参れ参れと招きける程に、何に有りけん。[p1887-1888]
申酉の時にも成りしかば、関東の武士等河を馳せ度り、勝ちかゝりて責めし間、京方の武者共一人も無く山林に逃げ隠るる之間、四王をば四の島へ放ちまいらせ、又高僧・御師・御房達は、或は住房を追はれ、或は恥辱に値ひ給ひて、今まで六十年之間、いまだそのはぢ(恥)をすゝがずとこそ見え候に、今亦彼の僧侶の御弟子達、御祈祷承はられて候げに候あひだ、いつもの事なれば、秋風に纔かの水に敵船賊船なんどの破損仕りて候を、大将軍生取たりなんど申し、祈り成就の由を申し候げに候也。又蒙古の大王の頚の参りて候かと問ひ給ふべし。其の外はいかに申し候とも御返事あるべからず。御存知のためにあらあら申し候也。乃至此の一門の人々にも相触れ給ふべし。又必ずしいぢの四郎が事は承り候ひ畢んぬ。[p1888]
予既に六十に及び候へば、天台大師の御恩報じ奉らんと仕り候あひだ、みぐるしげに候房をひつつくろい候ときに、さくれう(作料)におろ(下)して候なり。銭四貫をもちて、一閻浮提第一の法華堂を造りたりと、霊山浄土に御参り候はん時は申しあげさせ給ふべし。恐々謹言。[p1888]
十月二十二日 日 蓮 花押[p1888]
進上 富城入道殿 御返事[p1888]
#0414-000 越州嫡男並妻尼事 弘安四(1281.10・27) [p1889]
九月九日の{厂+(人+鳥)}鳥、同十月二十七日飛来仕り候ひ了んぬ。抑そも越州の嫡男並びに妻尼の事、是非を知らざれども、此の御一門の御事なれば、謀反より之外は異島・流罪は過分の事歟。将た又、四条三郎左衛門尉殿の便風、今まで参付せざる之条、何事ぞ。定めて三郎左衛門尉殿より申す旨候歟。伊予殿の事存外の性情、智者也。当時、学問隙無く[p1889]
#0415-000 上野尼御前御返事 弘安四年(1281.11・15) [p1890]
・牙一駄[四斗定]・あらひいも(洗芋)一俵送り給て南無妙法蓮華経と唱へまいらせ候ひ了んぬ。[p1890]
妙法蓮華経と申すは蓮に譬へられて候。天上には摩訶曼陀羅華、人間には桜の花、此れ等はめでたき花なれども、此れ等の花をば法華経の譬へには仏取り給ふことなし。一切の花の中に取り分けて此の花を法華経に譬へさせ給ふ事は其の故候なり。或は前華後菓と申して花は前菓は後なり。或は前菓後華と申して菓は前花は後なり。或は一華多菓、或は多華一菓、或は無華有菓と品々に候へども、蓮華と申す華は菓と花と同時也。一切経の功徳は先に善根を作して後に仏とは成ると説く。かゝる故に不定也。法華経と申すは手に取れば其の手やがて仏に成り、口に唱ふれば其の口即ち仏也。譬へば天月の東の端に出づれば、其の時即ち水に影の浮かぶが如く、音とひびきとの同時なるが如し。故に経に云く_若有聞法者 無一不成仏〔若し法を聞くことあらん者は 一りとして成仏せずということなけん〕云云。文の心は此の経を持つ人は百人は百人ながら、千人は千人ながら、一人もかけず仏に成ると申す文也。[p1890]
抑そも御消息を見候へば、尼御前の慈父、故松野六郎左衛門入道殿の忌日と云云。子息多ければ孝養まちまち也。然れども必ず法華経に非ざれば謗法等云云。[p1890]
釈迦仏の金口の説に云く_世尊法久後 要当説真実〔世尊は法久しゅうして後 要ず当に真実を説きたもうべし〕と。多宝の証明に云く_妙法華経 ~ 皆是真実なりと。十方の諸仏の誓ひに云く_舌相至梵天〔舌相梵天に至り〕云云。[p1890-1891]
これよりひつじさるの方に大海をわたりて国あり、漢土と名づく。彼の国には或は仏を信じて神を用ひぬ人もあり、或は神を信じて仏を用ひぬ人もあり。或は日本国も始めはさこそ候ひしか。然るに彼の国に烏龍と申す手書ありき。漢土第一の手也。例せば日本国の道風・行成等の如し。此の人仏法をいみて経をかゝじと申す願を立てたり。此の人死期来りて重病をうけ、臨終にをよんで子に遺言して云く 汝は我が子なり。その後絶えずして又我よりも勝れたる手跡也。たとひいかなる悪縁ありとも法華経をかくべからずと云云。然して後、五根より血の出づる事泉の涌くが如し。舌八つにさけ、身くだけて十方にわかれぬ。然れども一類の人々も三悪道を知らざれば地獄に堕つる先相ともしらず。[p1891]
其の子をば遺龍と申す。又漢土第一の手跡也。親の跡を追ふて法華経を書かじと云ふ願を立てたり。其の時大王おはします、司馬氏と名づく。仏法を信じ、殊に法華経をあふぎ給ひしが、同じくは我が国の中に手跡第一の者に此の経を書かせて持経とせんとて遺龍を召す。龍の言さく、父の遺言あり、是れ計りは免し給へと云云。大王父の遺言と申す故に他の手跡を召して一経を写し了んぬ。然りといへ共御心に叶ひ給はざりしかば、又遺龍を召して言はく、汝親の遺言と申せば朕まげて経を写させず、但八巻の題目計りを勅に随ふべしと云云。返す返す辞し申すに、王瞋りて云く 汝が父と云ふも我が臣也。親の不孝を恐れて題目を書かずば違勅の科ありと、勅定度々重かりしかば、不孝はさる事なれども、当座の責めをのがれがたかりしかば、法華経の外題を書きて王へ上げ、宅に帰りて、父のはか(墓)に向ひて、血の涙を流して申す様は、天子の責めの重きによて、亡き父の遺言をたがへて、既に法華経の外題を書きぬ。不孝の責め免れがたしと歎きて、三日の間墓を離れず、食を断ち既に命に及ぶ。[p1891-1892]
三日と申す寅の時に既に絶し畢つて夢の如し。虚空を見れば天人一人おはします。帝釈を絵にかきたるが如し。無量の眷属天地に充満せり。爰に龍、問て云く 何なる人ぞ。答て云く 汝知らずや、我は是れ父の烏龍也。我人間にありし時、外典を執し仏法をかたきとし、殊に法華経に敵をなしまいらせし故に無間に堕つ。日日に舌をぬかるゝ事数百度、或は死し、或は生き、天に仰ぎ地に伏してなげけども叶ふ事なし。人間へ告げんと思へども便りなし。汝、我が子として遺言なりと申せしかば、其の言炎と成りて身を責め、剣と成りて天より雨下る。汝が不孝極まり無かりしかども、我、遺言を違へざりし故に、自業自得果うらみがたかりし所に、金色の仏一体、無間地獄に出現して、仮使遍法界 断善諸衆生 一聞法華経 決定成菩提と云云。此の仏 無間地獄に入り給ひしかば、大水を大火になげたるが如し。少し苦しみやみぬる処に、我合掌して仏に問ひ奉りて、何なる仏ぞと申せば、仏答へて我は是れ汝が子息遺龍が只今書くところの法華経の題目六十四字の内の妙の一字也と言ふ。八巻の題目は八八六十四の仏、六十四の満月と成り給へば、無間地獄の大闇即ち大明となりし上、無間地獄は当位即妙不改本位と申して常寂光の都と成りぬ。我及び罪人とは皆蓮の上の仏と成りて、只今都率の内院へ上り参り候ひしが、先づ汝に告ぐる也と云云。[p1892-1893]
遺龍が云く 我が手に書けり、争でか君たすかり給ふべき。而も我が心よりかくに非ず、いかにいかにと申せば、父答て云く 汝はかなし、汝が手は我が手也。汝が身は我が身也。汝が書きし字は我が書きし字也。汝心に信ぜざれども、手に書く故に既にたすかりぬ。譬へば小兒の火を放つに心にあらざれども物を焼くが如し。法華経も亦かくの如し。存外に信を成せば必ず仏になる。又其の義を知りて謗ずること無かれ。但し在家の事なれば、いひしこと故大罪なれども懺悔しやすしと云云。此の事を大王に申す。大王の言さく、我が願既にしるし有りとて遺龍弥いよ朝恩を蒙り、国又こぞつて此の御経を仰ぎ奉る。[p1893]
然るに故五郎殿と入道殿とは尼御前の父也子也。尼御前は彼の入道のむすめ也。今こそ入道殿は都率の内院へ参り給ふらめ。此の由をはわきどのよみきかせまいらさせ給候へ。事々そうそうにてくはしく申さず。恐々謹言。[p1893-1894]
十一月十五日 日 蓮 花押[p1894]
上野尼ごぜん 御返事[p1894]
#0416-100 地引御書 弘安四年(1281.11・25) [p1894]
坊は十間四面に、またひさしさしてつくりあげ、二十四日に大師講竝びに延年、心のごとくつかまつりて、二十四日の戌亥の時、御所にすゑ(集会)して、三十余人をもつて一日経かき(書)まいらせ、竝びに申酉の刻に御供養すこしも事ゆへなし。坊は地ひき、山づくりし候ひしに、山に二十四日、一日もかた時も雨ふる事なし。十一月ついたちの日、せうばう(小坊)つくり、馬やをつくる。八日は大坊のはしら(柱)だて、九日十日ふき(葺)候ひ了んぬ。しかるに七日は大雨、八日九日十日はくもりて、しかもあたゝかなる事、春の終りのごとし。十一日より十四日までは大雨ふり、大雪下て、今に里にきへず。山は一丈二丈雪こほりて、かたき事かねのごとし。二十三日四日は又そらはれて、さむからず。人のまいる事、洛中かまくらのまち(町)の申酉の時のごとし。さだめて子細あるべきか。[p1894-1895]
次郎殿等の御きうだち(公達)、をや(親)のをほせと申し、我が心にいれてをはします事なれば、われと地を引き、はしら(柱)をたて、とうひやうえ(藤兵衛)・むま(右馬)の入道・三郎兵衛の尉等已下の人々、一人もそらく(疎略)のぎ(義)なし。坊はかまくらにては、一千貫にても大事とこそ申し候へ。ただし一日経は供養しさして候。其の故は御所念の叶はせ給ひて候ならば供養しはて候はん。なにと申して候とも、御きねん(祈念)かなはずば、言のみ有りて実なく、華さいてこのみ(果)なからんか。いまも御らんぜよ。此の事叶はずば、今度法華経にては仏になるまじきかと存じ候はん。叶ひて候はば、二人よりあひまいらせて、供養しはてまいらせ候はん。神ならは(習)すはねぎ(禰宜)からと申す。此の事叶はずば法華経を信じてなにかせん。事々又々申すべく候。恐々。[p1895]
十一月二十五日 日 蓮 花押[p1895]
南部六郎殿[p1895]
#0417-000 老病御書 弘安四年(1281.11比) [p1896]
追伸[p1896]
老病の上、不食気いまだ心よからざるゆへに、法門なんどもかきつけて申さずして、さてはてん事なげき入て候。又三嶋の左衛門次郎が
おとにて法門伝へて候ひけるが始中終かきつけて給候はん。其れならずいづくにても候へ、法門を見候へば心のなぐさみ候ぞ。[p1896]
#0418-000 上野殿母尼御前御返事 弘安四年(1281.12・08) [p1896]
の米一だ・聖人一つゝ[二十ひさげか]・かつかうひとかうぶくろ(一紙袋)、おくり給候ひ了んぬ。[p1896]
さては去る文永十一年六月十七日この山に入り候て今年十二月八日にいたるまで、この山出づる事一歩も候はず。ただし八年が間やせやまいと申し、とし(齢)と申し、としどしに身ゆわく、心をぼれ(耄)候ひつるほどに、今年は春よりこのやまいをこりて、秋すぎ冬にいたるまで、日々にをとろへ、夜々にまさり候ひつるが、この十余日はすでに食もほとをど(殆)とゞまりて候上、ゆき(雪)はかさなり、かん(寒)はせめ候。身のひゆる事石のごとし。胸のつめたき事氷のごとし。しかるにこのさけ(酒)はたゝかにさしわかして、かつかうをはたとくい切て、一度のみて候へば、火を胸にたくがごとし、ゆに入るににたり。あせ(汗)にあかあらい、しづくに足をすゝぐ。此の御志ざしはいかんがせんとうれしくをもひ候ところに、両眼よりひとつのなんだをうかべて候。[p1896-1897]
まことや、まことや。去年の九月五日こ(故)五郎殿のかくれにしはいかになりけると、胸うちさわぎて、ゆびををりかずへ候へば、すでに二ヶ年十六月四百余日にすぎ候か。それには母なれば御をとづれや候らむ。いかにきかせ給はぬやらむ。ふりし雪も又ふれり。ちりし花も又さきて候ひき。無常ばかりまたもかへりきこへ候はざりけるか。あらうらめし、あらうらめし。余所にてもよきくわんざ(冠者)かな、くわんざかな。玉のやうなる男かな、男かな。いくせをやのうれしくをぼすらむとみ候ひしに、満月に雲のかゝれるがはれずして山へ入り、さかんなる花のあやなくかぜにちるがごとしと、あさましくこそをぼへ候へ。[p1897]
日蓮は所らう(労)のゆへに人々の御文の御返事も申さず候つるが、この事はあまりになげかしく候へば、ふでをとりて候ぞ。これもよもひさしくもこのよに候はじ。一定五郎殿にゆきあいぬとをぼへ候。母よりさきにけさん(見参)し候わば、母のなげき申しつたへ候はん。事々又々申すべし。恐々謹言。[p1897-1898]
十二月八日 日 蓮 花押[p1898]
上野殿母御前 御返事[p1898]
#0424-000 四條金吾殿御返事 弘安五年(1282.正・07) [p1906]
満月のごとくなるもちゐ(餅)二十・かんろ(甘露)のごとくなるせいす(清酒)一つつ給候ひ了んぬ。[p1906]
春のはじめの御悦びは月のみつるがごとく、しを(潮)のさすがごとく、草のかこむが如く、雨のふるが如しと思し食すべし。[p1906]
抑そも八日は各各の御父釈迦仏の生まれさせ給ひ候ひし日也。彼の日に三十二のふしぎあり。一には一切の草木に花さきみなる。二には大地より一切の宝わきいづ。三には一切のでんばた(田畠)に雨ふらずして水わきいづ。四にはよるへんじてひるの如し。五には三千世界に歎きのこゑなし。是の如く吉瑞の相のみにて候ひし。是れより已来今にいたるまで二千二百三十余年が間、吉事には八日をつかひ給候也。[p1906]
然るに日本国皆釈迦仏を捨てさせ給ひて候に、いかなる過去の善根にてや法華経と釈迦仏とを御信心ありて、各々あつまらせ給ひて八日をくやう申させ給ふのみならず、山中の日蓮に華かう(香)ををくらせ候やらん。たうとし、たうとし。恐々。[p1906]
正月七日 日 蓮 花押[p1906]
人々御返事[p1906]
#0425-000 内記左近入道殿御返事 弘安五年(1282.正・14) [p1907]
追伸。御器の事は越後公御房申し候べし。御心ざしのふかき由、内房へ申させ給候へ。[p1907]
春の始めの御悦び、自他申し篭候ひ了んぬ。抑そも去年の来臨は曇華の如し。将た又夢歟幻歟。疑ひいまだ晴れず候処に、今年之始め深山の栖、雪中の室え、多国を経ての御使、山路ふみわけられて候にこそ、去年の事はまことなりけるや、まことなりけるやとおどろき覚へ候へ。他行之子細、越後公御房の御ふみに申し候歟。恐々謹言。[p1907]
正月十四日 日 蓮 花押[p1907]
内記左近入道殿 御返事[p1907]
#0427-000 春の始御書 弘安五年(1282.正) [p1908]
春の始めの御悦び、花のごとくひらけ、月のごとくあきらかにわたらせ給ふべし。さては[p1908]
#0428-000 伯耆公御房消息 弘安五年(1282.02・25) [p1909]
※朗師代筆正本富士大石寺蔵
御布施御馬一疋[鹿毛]御見参に入らしめ候ひ了んぬ。[p1909]
兼ねて又此の経文は二十八字、法華経の七の巻薬王品の文にて候。然るに聖人の御乳母のひとゝせ(一年)御所労御大事にならせ給い候て、やがて死なせ給いて候ひし時、此の経文をあそばし候ひて、浄水をもつてまいらせさせ給いて候ひしかば、時をかへずいきかへらせ給いて候経文也。なんでうの七郎次郎時光は身はちいさきものなれども、日蓮に御こゝろざしふかきもの也。たとい定業なりとも今度ばかりえんまおう(閻魔王)たすけさせ給へと御せいぐわん候。明日寅卯辰の刻にしやうじがわ(精進河)の水とりよせさせ給い候て、このきやうもん(経文)をはい(灰)にやきて、水一合に入れまいらせ候てまいらせさせ給ふべく候。恐々謹言。[p1909-1910]
[弘安五年]二月二十五日 日朗花押[p1909]
謹上 はきわ公御房[p1909]
#0429-000 法華証明鈔 弘安五年(1282.02・28) [p1910]
法華経の行者日蓮 花押[p1910]
末代悪世に法華経を経のごとく信じまいらせ候者をば、法華経の御鏡にはいかんがうかべさせ給ふと拝見つかまつり候へば、過去の十万億の仏を供養せる人なりとたしかに釈迦仏の金口の御口より出でさせ給ひて候を、一仏なれば末代の凡夫はうたがいやせんずらんとて、此より東方はるかの国をすぎさせ給ひておはします宝浄世界の多宝仏、わざわざと行幸ならせ給ひて釈迦仏にをり向ひまいらせて、妙法華経 ~ 皆是真実と証明せさせ給ひ候ひき。此の上はなにの不審か残るべき。なれどもなをなを末代の凡夫はをぼつかなしとをぼしめしや有りけん。十方の諸仏を召しあつめさせ給ひて、広長舌相と申して無量劫よりこのかた永くそらごとなきひろくながく大なる御舌を、須弥山のごとく虚空に立てならべ給ひし事は、をびただしかりし事なり。かう候へば、末代の凡夫の身として法華経の一字二字を信じまいらせ候へば、十方の仏の御舌を持つ物ぞかし。いかなる過去の宿習にてかゝる身とは生るらむと悦びまいらせ候上、経文には過去に十万億の仏にあいまいらせて供養をなしまいらせて候ける者が、法華経計りをば用ひまいらせず候けれども仏くやうの功徳莫大なりければ、謗法の罪に依て貧賎の身とは生まれて候へども、又此の経を信ずる人となれりと見へて候。此れをば天台の御釈に云く ̄如人倒地還従地起〔人の地に倒れて還りて地より起つが如し〕等云云。地にたうれたる人はかへりて地よりをく。法華経謗法の人は三悪竝びに人天の地にはたうれ候へども、かへりて法華経の御手にかゝりて仏になるとことわられて候。[p1910-1911]
しかるにこの上野の七郎次郎は末代の凡夫、武士の家に生まれて悪人とは申すべけれども、心は善人なり。其の故は日蓮が法門をば上一人より下万民まで信じ給はざる上、たまたま信ずる人あれば、或は所領或は田畠等にわづらひをなし、結句は命に及ぶ人々もあり。信じがたきにちゝ故上野殿は信じまいらせ候ひぬ。又此の者嫡子となりて、人もすゝめぬに心中より信じまいらせて、上下万人にあるひはいさめ、或はをどし候つるに、ついに捨つる心なくて候へば、すでに仏になるべしと見へ候へば、天魔外道が病をつけてをどさんと心み候か。命はかぎりある事なり。すこしもをどろく事なかれ。又鬼神めらめ此の人をなやますは剣をさかさまにのむか。又大火をいだくか、三世十方の仏の大怨敵となるか。あなかしこ、あなかしこ。此の人のやまいを忽ちになをして、かへりてまほりとなりて、鬼道の大苦をぬくべきか。其の義なくして現在には頭破七分の科に行はれ、後生には無間地獄に堕つべきか。永くとどめよ、永くとどめよ。日蓮が言をいやしみて後悔あるべし、後悔あるべし。[p1911-1912]
二月二十八日[p1912]
下伯耆房[p1912]
#0430-000 筵三枚御書 弘安五年(1282.03・上旬) [p1913]
筵三枚・生死和布一篭給了んぬ。[p1913]
抑そも三月一日より四日にいたるまでの御あそびに、心なぐさみてやせやまいもなをり、虎とるばかりをぼへ候上、此の御わかめ給ひて師子にのりぬべくをぼへ候。さては財はところにより、人によて、かわりて候。此の身延山には石は多けれども餅なし。こけ(苔)は多けれどもうちしく物候はず。木の皮をはいでしき物とす。むしろ(筵)いかでか財とならざるべき。億耳居士と申せし長者は足のうらにけ(毛)のをい(生)て候ひし者なり。ありき(歩行)のところ、いへの内は申すにをよばず、わたを四寸しきてふみし人なり。これはいかなる事ぞと申せば、先世にたうとき僧にくまのかわ(熊皮)をしかせしゆへとみへて候。いわうや日本国は月氏より十万より(余里)をへだてゝ候辺国なる上、へびす(夷)の島、因果のことわりも弁へまじき上、末法になり候ひぬ。仏法をば信ずるやうにてそしる国なり。しかるに法華経の御ゆへに名をたゝせ給ふ上、御むしろを法華経にまいらせ給ひ候ひぬれば、[p1913]
#0433-100 波木井殿御報 弘安五年(1282.09・19) [p1924]
※興師代筆正本身延曽存
畏み申し候。みちのほど(道程)べち(別)事候はで、いけがみ(池上)までつきて候。みちの間、山と申し、かわ(河)と申し、そこばく大事にて候ひけるを、きうだち(公達)にす(守護)せられまいらせ候て、難もなくこれまでつきて候事、をそれ入り候ながら悦び存じ候。さてはやがてかへりまいり候はんずる道にて候へども、所らう(労)のみ(身)にて候へば、不ぢやう(定)なる事も候はんずらん。さりながらも日本国にそこばくもてあつかうて候みを、九年まで御きえ候ぬる御心ざし申すばかりなく候へば、いづくにて死に候とも、はか(墓)をばみのぶさわ(澤)にせさせ候。又くりかげの御馬はあまりをもしろくをぼへ候程に、いつまでもうしなふまじく候。ひたち(常陸)のゆ(湯)へひかせ候はんと思ひ候が、もし人にもぞとられ候はん。又そのほかいたはしくをぼへば、ゆ(湯)よりかへり候はんほどに、かづさ(上総)のもばら殿のもとにあづけをきたてまつるべく候に、しらぬとねり(舎人)をつけて候てはをぼすかなくをぼへ候。まかりかへり候はんまで、此のとねりをつけをき候はんとぞんじ候。そのやうを御ぞんぢのために申し候。恐々謹言。[p1924-1925]
九月十九日 日蓮[p1924]
所らうのあいだ、はんぎやうをくはへず候事、恐れ入り候。[p1924]
図録
#Z001-000 六因四縁事 建長五(1253) [p2221]
一、所作因 二、共因 三、自種因 四、返因 五、相応因 六、報因[p2221]
[親因] ・ 名所縁々 [p2221]
四縁[大論三十二] 一、因縁 二、次第縁 三、縁縁 四、増上縁 [p2221]
・ 不碍於他 [p2221]
所作因 [p2221]
相応因 心々数法同相同縁 以心々数法共相応故名相応因。 [p2221]
心々数法以心相応為因名相応因 [p2221]
#Z002-000 戒之事 建長六年(1254) [p2222]
{上段}
十月卅日十一月卅日十二月 [p2222]
之上十二日已上七十二日冬 [p2222]
[コクリフ] [p2222]
黒龍 [p2222]
[シヤハヤキ] [p2222]
鹹味アチハイ 志 [p2222]
[ニコム] [p2222]
黒色コクシキ 耳根 [p2222]
[シムノサフ] [p2222]
北キタ 腎蔵 [p2222]
[コクウム] [p2222]
水 水スイ 黒雲 [p2222]
[カウヲツ] [p2222]
不殺生戒 甲乙 [p2222]
[モノヲコロサザルカイ] [p2222]
[トラウ] [p2222]
寅卯 [p2222]
[セフヤウ] [p2222]
小陽スコシアタゝカニ [p2222]
スコシアカシ [p2222]
[ホフトフフツ] [p2222]
宝幢仏 [p2222]
[セイシヤウ] [p2222]
歳星 [p2222]
仁 [p2222]
{下段}
四月卅日五月卅日六月 [p2222]
之上十二日已上七十二日夏 [p2222]
赤龍アカキリウ [p2222]
[シム][p2222]
苦味ニカキアチハイ 神 [p2222]
[セツコム][p2222]
赤色アカキイロ 舌根 [p2222]
[シムノサフ][p2222]
火 南ミナミ 心蔵 [p2222]
[シヤクウム][p2222]
火クワ 赤雲 [p2222]
ヒ [アカキクモ][p2222]
[フヲムシユカイ] [カフシム] [p2222]
不偸盗戒 庚辛 [p2222]
[フチフタフカイ] [p2222]
[サルトリ] [p2222]
申酉 [p2222]
[セフイム] [p2222]
小陰スコシクラシ [p2222]
スコシツメタシ [p2222]
阿弥陀如来 [p2222]
[タイハクシヤウ] [p2222]
大白星 [p2222]
義 [p2222]
#Z003-0Z0 三八教 正嘉元年(1257.03・16) [p2223]
妙法蓮華経。[p2223]
玄義一に云く ̄
教相[経一字三八教]為三。一根性融不融相。二化道始終不始終相。三師弟遠近不遠近相。一根性融不融相〔教相を[経の一字、三八教]三と為す。一には根性の融不融の相。二には化道の始終不始終の相。三には師弟の遠近不遠近の相なり。一に根性の融不融の相とは〕。[p2223]
籤の一に云く ̄列中三意者 前之両意約迹門 後之一意約本門〔列中三意とは、前の両意は迹門に約し、後の一意は本門に約す〕。[p2223]
又云く ̄初根性中為二。初明八教以弁昔 次明今経以顕妙〔初めの根性の中に二と為す。初めには八教を明かして以て昔を弁じ、次には今経を明かして以て妙を顕す〕。[p2223]
玄の一に云く ̄云何分別。如日初出先照高山。○名頓教相 ○出乳味相。次照幽谷。○此如三蔵。○名漸教相 ○名酪味相。次照平地。○此如浄名方等等。○猶是漸教 ○生蘇味相。○復有義 ○具如大品。○猶是漸教。○名熟蘇味相。復有義。日光普照高下悉均平。土圭測影不縮不盈。若低頭 若小音 若散乱 若微善 皆成仏道。不令有人独得滅度 皆以如来滅度而滅度之。具如今経。若約法被縁名漸円教。若約説次第醍醐味〔云何が分別せん。日の初めて出でて先づ高山を照らすが如し。○頓教の相と名づけ ○乳味を出だす相なり。次に幽谷を照らす。○此れは三蔵の如し。○漸教の相と名づけ ○酪味の相と名づく。次に平地を照らす。○此れは浄名方等等の如し。○猶お是れ漸教 ○生蘇味の相なり。○復義有り ○具さに大品の如し。○猶お是れ漸教なり。○熟蘇味の相と名づく。復義有り。日光普照して高下悉く均平なり。土圭をもて影を測るに縮ならず、盈ならず。若しは低頭、若しは小音、若しは散乱、若しは微善、皆仏道を成ず。人として独り滅度を得ること有らしめずして、皆如来の滅度を以て而も之を滅度す。具さには今経の如し。若し法を縁に被らしむるに約せば、漸円教と名づく。若し説の次第に約すれば醍醐味の相なり〕。[p2223]
又云く ̄若論不定義則不然 ○此乃顕露不定〔若し不定を論ずれば、義、則ち然らず。○此れ乃ち顕露不定なり〕。[p2223]
又云く ̄秘密不定其義不然〔秘密不定は其の義然らず〕。[p2223]
又云く ̄雖復甚多 亦不出漸頓不定秘密〔復甚だ多しと雖も、亦漸頓不定秘密を出でず〕。[p2224]
又云く ̄今法華是顕露非秘密。是漸頓非漸漸。是合非不合。是醍醐非四味。是定非不定。如此分別此経与衆経相異也〔今の法華は是れ顕露にして秘密に非ず。是れ漸頓にして漸漸に非ず。是れ合にして不合に非ず。是れ醍醐にして四味に非ず。是れ定にして不定に非ず。此の如く分別するに此の経と衆経の相と異なるなり〕[p2224]
籤の一に云く ̄若約法被縁名漸円教者 此文語略。具足応云 鹿苑漸後 会漸帰円 故云漸円。人不見此。便謂法華為漸円 華厳為頓円。不知華厳部中有別 乃至般若中方便二教 従皆法華一乗開出。故云 於一仏乗。分別説三。故云疏 於一仏乗開出帯二帯三。今法華部無彼二三。故云無二亦無三。又上結云 華厳兼等 此経無復 兼但対帯。此非難見。如何固迷〔若約法被縁名漸円教とは此の文の語は略なり。具足して云ふべし。鹿苑の漸の後に漸を会して円に帰す。故に漸円と云ふ。人、此れを見ず。便ち法華を漸円と為し、華厳を頓円と為すと謂へり。華厳の部の中に別有り、乃至、般若の中の方便の二教は皆法華の一乗より開出するを知らず。故に 於一仏乗 分別説三と云ふ。故に疏に云く 一仏乗に於て帯二帯三を開出す。今法華の部は彼の二三無し。故に無二亦無三と云ふ。又上に結して華厳は兼等・此の経は復兼但対帯無しと云ふ。此れ見難きに非ず。如何ぞ固く迷へる〕。[p2224]
又今の文の諸義、凡そ一一の科、皆先づ四教に約して以て・妙を判ず。則ち前の三を・と為し後の一を妙と為す。次に五味を釈して以て・妙を判ず。則ち前の四味を・と為し醍醐を妙と為す。全く上下の文意を推求せずして、直に一語を指して便ち法華は華厳に劣ると謂へり。幾許ぞ・るかなや。幾許ぞ・るかなや。[p2224]
又云く ̄初文者為対秘密。須○此准 亦応云倶頓倶漸倶不定。文無者此亦略。既云倶黙倶説互不相知。名之為密。何妨倶頓互不相知〔初めの文は秘密に対せんが為なり。須らく○此れに准ずるに、亦倶頓倶漸倶不定と云ふべし。文に無きは此れ亦略せり。既に倶黙倶説、互いに相知らず。之を名づけて密と為すと云ふ。何ぞ倶頓互いに相知らざるを妨げん〕。[p2224-2225]
又云く ̄不定与秘密倶有互知与不互知 以弁両異。此中顕露亦義通余七。以秘不出此七故也。故前文云 顕露漸頓及顕露不定。故七并是顕露意也〔不定と秘密と倶に、互いに知ると互いに知らざると有りて、以て両異を弁ず。此の中の顕露も亦、義、余の七に通ず。秘は此の七を出でざるを以ての故なり。故に前の文に顕露漸頓、及び顕露不定と云ふ。故に七、并に是れ顕露の意なり〕。[p2225]
又云く ̄文云今法華顕露等者 対非秘密 故云顕露。於顕露七中通奪而言之并非七也。別与而言之但非前六。何者七中雖有円教 以兼帯故是故不同。此約部説也。彼七中円与法華円其体不別。故但簡六。此約教説也。次言是漸頓非漸漸者 具如前判。今法華経是漸後之頓。謂開漸顕頓。故云漸頓。非法華前漸中之漸。何者前判生熟二蘇 同名為漸 此二経中亦有円頓。今法華円与彼二経円頓不殊。但不同彼方等中三 般若中二。此之二三 名漸中漸。法華異彼。故云非漸漸耳。人不見之 便謂法華為漸頓 華厳為頓々。恐未可也。是合等者 是開権之円。故云是合。不同諸部中円。故云非不合。合者只是会之別名。此即已当約蔵等四以簡権実。故不復云是円非三。既知非是法華之前顕露 已竟則了法華倶非七教。此即対於八教簡也[p2225]
〔文に今法華顕露等と云ふは、秘密に対非す。故に顕露と云ふ。顕露の七が中に於て通じて奪ひて而も之を言はば、并に七に非ざるなり。別して与へて而も之を言はば但前の六に非ず。何なれば七が中に円教有りと雖も、兼帯を以ての故に是の故に同じからず。此れ部に約して説くなり。彼の七が中に円と法華の円と其の体別ならず。故に但六を簡ぶなり。此れ教に約して説くなり。次に是漸頓非漸漸と言ふは、具さには前きに判ずるが如し。今の法華経は是れ漸の後の頓なり。謂く 漸を開し頓を顕す。故に漸頓と云ふ。法華の前の漸の中の漸に非ず。何なれば前には生熟二蘇を判じて、同じく名づけて漸と為し、此の二経の中に亦円頓有り。今法華の円と彼の二経の円頓と、殊ならず。但し、彼の方等の中の三、般若の中の二に同じからず。此の二と三とを漸の中の漸と名づく。法華は彼に異なるなり。故に非漸々と云ふのみ。人之を見ずして、便ち法華を漸頓と為し、華厳を頓々と為すと謂へり。恐らくは未だ可ならざるなり。是合等とは、是れ開権の円なり。故に是合と云ふ。諸部の中の円に同じからず。故に非不合と云ふ。合とは只是れ会の別名なり。此れ即ち已に蔵等の四に約して以て権実を簡ぶに当れり。故に復、是れ円にして三に非ずと云はず。既に是れ法華の前の顕露に非ざることを知り、已竟しぬれば則ち法華は倶に七教に非ざることを了す。此れ即ち八教に対して簡ぶなり〕[p2225]
・・ 別・円妙 [p2226]
華厳円 ・・ 相待妙 ・・ 判・妙 [p2226]
・・ 前三為・後一為妙 [p2226]
方等円 ・・ 相待妙 ・・ 判・妙 [p2226]
・・ 前二為・後一為妙 [p2226]
般若円 ・・ 相待妙 ・・ 判・妙 [p2226]
・・ 相待妙 判・妙 前四味為・醍醐為妙 [p2226]
法華円二妙 ・・ 前三為・後一為妙 [p2226]
・・ 絶待妙 開・顕妙 [p2226]
・・ 縦待 [p2226]
・・ 約部 [p2226]
・・ 前四味為・醍醐為妙 [p2226]
相待妙 ・・ ・・ 横待 [p2226]
・・ 前三為・後一為妙 [p2226]
当分 ・・ 相待妙 [p2226]
跨節 ・・ 絶待妙 [p2226]
籤の二に云く ̄当分通於一代 於今便成相待。跨節唯在今経。仏意非適今也〔当分は一代に通じ、今に於ては便ち相待を成ず。跨節は唯今経に在り。仏意、今に適したるに非ざるなり〕。[p2226]
玄の二に云く ̄此教唯論二妙 更無非待非絶之文。此即別文摂也。故須二妙以妙三法。於諸味中にて雖有円融全無二妙〔此の教は唯二妙を論じて、更に非待非絶の文無し。此れ即ち別文の摂なり。故に二妙を須ひて以て三法を妙ならしむ。諸味の中に於て円融有りと雖も全く二妙無し〕。[p2226-2227]
・・ 心法妙 ・・・ 相待妙 [p2227]
華厳経円 ・・・ 衆生法妙 ・・ 相待妙 [p2227]
・・ 仏法妙 ・・・ 相待妙 [p2227]
・・ 心法妙 ・・・ 相待妙 [p2227]
方等 ・・・・・ 衆生法妙 ・・ 相待妙 [p2227]
・・ 仏法妙 ・・・ 相待妙 [p2227]
・・ 心法妙 ・・・ 相待妙 [p2227]
般若 ・・・・・ 衆生法妙 ・・ 相待妙 [p2227]
・・ 仏法妙 ・・・ 相待妙 [p2227]
・・ 相待妙 [p2227]
・・ 心法妙 ・・ [p2227]
・ ・・ 絶待妙 [p2227]
・ ・・ 相待妙 [p2227]
法華 ・・・・・ 衆生法妙・・ [p2227]
・ ・・ 絶待妙 [p2227]
・ ・・ 相待妙 [p2227]
・・ 仏法妙 ・・ [p2227]
・・ 絶待妙 [p2227]
・・ 華厳円 ・・ 仏慧 籤二云 若相待中展転明妙[p2228]
・・ 方等円 ・・ 仏慧 前・猶存。今論絶待絶前 [p2228]
・・ 般若円 ・・ 仏慧 諸・無可形待 [p2228]
・ 仏慧 [p2228]
法華円 ・・ [p2228]
・ 開会 [p2228]
玄の二に云く ̄用是両妙妙上三法。衆生之法亦具足是二妙。称之為妙。仏法心法亦具二妙。称之為妙〔是の両妙を用ひて上の三法を妙ならしむ。衆生の法に亦是の二妙を具足す。之を称して妙と為す。仏法・心法に亦二妙を具す。之を称して妙と為す〕[文]。[p2228]
籤の二に云く ̄二妙妙上三法者 欲明三妙在法華方得称妙。故須二妙以妙三法。故諸味中雖有円融全無二妙〔二妙妙上三法とは、三の妙、法華に在りて方に妙と称するを得ることを明かさんと欲す。故に二妙を須ひて以て三法を妙ならしむ。故に諸味の中に円融有りと雖も全く二妙無きなり〕云云。[p2228]
三月十六日 日 蓮 花押[p2228]
#Z008-000 像法決疑経等要文 正元二年(1260) [p2273]
像法決疑経に云く_像法中諸悪比丘 不解我意 執己所見 宣説十二部経 随文取義作決定説。当知此人三世諸仏怨速滅法。乃至 是諸比丘 亦復称我是法師 我是律師 我是禅師。此三種学人 能滅我法。更無余人。乃至 此三種人 入於地獄猶如箭射〔像法の中に諸の悪比丘、我が意を解せずして己が所見に執して十二部経を宣説し、文に随て義を取り、決定の説と作す。当に知るべし、此の人は三世諸仏の怨、速やかに法を滅せん。乃至 是の諸の比丘、亦復我は是れ法師、我は是れ律師、我は是れ禅師と称せん。此の三種の学人、能く我が法を滅す。更に余人無し。乃至 此の三種の人、地獄に入ること猶お箭を射るが如し〕。籤の三に云く ̄今家章疏附理憑教。凡所立義 不同他人随其所弘偏讃己典。若弘法華 偏讃尚失。況復余耶〔今家の章疏、理に附して教に憑る。凡そ所立の義、他人の其の弘むる所に随て偏に己が典を讃むるに同じからず。若し法華を弘むるは、偏に讃むる尚お失す。況んや復余をや〕。[p2273]
授決集下に云く ̄別為未了 円為了義 ○初時二教。一了一未。漸初一教 惣未了義。方等四教 三未一了。般若三教 二未一了。法華一教 純一了義。涅槃四教 権門故三未了終帰常住実門為了。所以初門為未了。皆後門為了義也。○四中随時円為了義 ○五時中 三箇円猶是未了義。未開麁故〔別を未了と為し、円を了義と為す ○初時に二教なり。一は了、一は未。漸の初めの一教は惣じて未了義。方等は四教、三は未、一は了。般若は三教、二は未、一は了。法華は一教、純一の了義なり。涅槃は四教、権門の故に、三は未了なれども、終に常住の実門に帰すれば了と為す。所以に初門を未了と為す。皆後門を了義と為すなり。○四中時に随て円を了義と為す ○五時の中、三箇の円は猶お是れ未了義なり。未開麁の故に〕。[p2273]
涅槃経第六に云く_依了義経不依不了義経。不了義経者云声聞乗○了義者名為菩薩真実智慧。蔵通菩薩実故断見思人〔了義経に依て不了義経に依らざれ。不了義経とは声聞乗を云ふ。○了義とは名づけて菩薩真実智慧と為す。蔵通菩薩、実の故に見思を断ずる人なり〕。[p2273]
円頓止観の二に云く ̄実無三蔵通教等仏 断正習灰身滅智入寂沈空〔実には三蔵通教等の仏無し。正習を断じ灰身滅智し、入寂沈空す〕[秘文也]。[p2273]
別時意[p2273]
摂論に云く ̄
二時別時意。譬如有説若人誦持多宝仏名 決定故無上菩提不更退堕。復有説由唯発願得安楽仏土 得往彼受生〔二に時別時意。譬へば若し人多宝仏の名を誦持して、決定する故に無上菩提、更に退堕せずと説くこと有り。復唯発願に由りて安楽仏土を得、彼に往いて受生するを得ると説くこと有るが如し〕[文]。[p2274]
摂論師図 [p2274]
華厳 ・・ [p2274]
阿含 ・・ ・・ 経也 [p2274]
方等 ・・ 素怛覧対意趣 [p2274]
・・ 皆別時意 [p2274]
般若 ・・ [p2274]
法華 ・・ ・・ 論也 [p2274]
涅槃 ・・ 阿毘達磨決性相 [p2274]
・・ 仏説皆了義 菩薩説皆不了義云 [p2274]
善導等図 [p2274]
華厳 ・・ [p2274]
阿含 ・・ [p2274]
方等 ・・ [p2274]
・・ 成仏別時意 往生非別時意 [p2274]
般若 ・・ [p2274]
法華 ・・ [p2274]
涅槃 ・・ [p2274]
天台図 [p2274]
四十余年は別時意[不了義]。法華経は別時意に非ず[了義経]。 [p2275]
天台大師の文句三に云く ̄随情翳理故言難解。了義故意顕故言易知。摂大乗云 了義経依文判義 不了義経依義判文 即斯義也〔随情は理を翳ふ故に難解と言ふ。了義の故に、意顕るる故に易知と言ふ。摂大乗に云く 了義経は文に依て義を判じ、不了義経は義に依て文を判ず、即ち斯の義なり〕。[p2275]
記の三に云く ̄法華已前不了義故 故云難解。即指今教咸皆入実故云易知。若爾由入者不当故云難解耳。若至今経更無不当 ○引摂大乗 今文即了。但依文判。○持一四句偈功不可量 ○若全以意趣消経文 此経全成不了義説。並須以義文故判也。故前諸経 随何部意文義兼含 ○咸須義定方了文旨。以部含教共 不可依言。須従義判乃称部意〔法華已前は不了義の故に、故に難解と云ふ。即ち今教を指すに咸く皆実に入る故に易知と云ふ。若し爾らば入る者の当らざるに由る故に難解と云ふのみ。若し今経に至れば更に当らざる無し。○摂大乗を引くは、今の文は即ち了なり。但文に依て判ず。○一四句偈を持つに功量るべからず ○若し全く意趣を以て経文を消せば、此の経全く不了義の説と成る。並びに須らく義を以て文を判ずる故なり。故に前の諸経、何れの部の意に随ても文義兼含す ○咸く須らく義をもて定めて方に文旨を了す。部含し教共するを以て、言に依るべからず。須らく義に従て判じて乃ち部意を称ふ〕。[p2275]
籤の十に云く ̄[妙楽]唯至法華 説前教意 顕今教意〔唯法華に至りて前教の意を説いて今教の意を顕す〕。[p2275]
籤の一に云く ̄大師浄名疏中云 世人多以経釈論 令人謂論富経貧。今以論釈経令知経富論貧〔大師の浄名の疏の中に云く 世人多く経を以て論を釈して人をして論は富経は貧なりと謂はしむ。今論を以て経を釈して経は富論は貧なりと知らしむ〕[文]。[p2275]
授決集の下に云く ̄五時中 三箇円猶是未了義。未開麁故。華厳 大集 大円覚 瓔珞 勝鬘首楞厳経等 皆各経々云了義経。仏性論云 有経説闡提衆生決無般涅槃。若爾二経便自相違。会此二説 一了一不了。故不相違。言有性者是名了説。言無性者是不了説〔五時の中に三箇の円は猶お是れ未了義。未開麁の故に。華厳・大集・大円覚・瓔珞・勝鬘首楞厳経等、皆各の経々に了義経と云ふ。仏性論に云く 有る経に闡提の衆生は決して般涅槃無しと説く。若し爾らば二経は便ち自ら相違す。此の二説を会するに、一は了、一は不了なり。故に相違せず。有性と言ふは是れ了説と名づく。無性を言ふは是れ不了の説なり〕[文]。[p2275-2276]
止の四に云く ̄観経為衣者 大経云 汝等比丘 雖服袈裟 心猶未染大乗法服。如法華云 着如来衣 如来衣者 柔和忍辱心是。此即寂滅忍。生死涅槃二辺麁・ 与中道理不二不異 故名柔和。安心中道 故名為忍。離二喧 故名寂。過二死 故名滅。寂滅忍心 覆二辺悪。名遮醜衣。除五住。名障熱。破無明見名為遮寒。無生死動 亦無空乱意。捨二覚観名遮蚊虻〔観経を衣と為すとは 大経に云く 汝等比丘、袈裟を服すと雖も心猶お未だ大乗の法服に染まらず。法華に云ふが如き如来の衣を着る。如来の衣とは柔和忍辱の心是れなりと。此れ即ち寂滅忍なり。生死涅槃の二辺の麁・、中道の理と二ならず、異ならず。故に柔和と名づく。心を中道に安んず。故に名づけて忍と為す。二喧を離る、故に寂と名づく。二死を過ぐ、故に滅と名づく。寂滅忍の心、二辺の悪を覆ふ。醜を遮る衣と名づく。五住を除く。熱を障ぐと名づく。無明の見を破するを名づけて寒を遮ると為す。生死の動無く、亦空乱の意無し。二の覚観を捨つるを蚊虻を遮ると名づく〕[文]。[p2276]
弘の四に云く 止観の四に云く ̄歴廿五法約事為観〔廿五法に歴て事に約して観を為す〕。弘の四に云く ̄約事為観者 釈中廿五法一々皆悉託事為観以生円解〔約事為観とは釈する中、廿五法、一々皆悉く事に託して観を為し、以て円解を生ず〕。[p2276]
弘の二に云く ̄止観者此去乃至非行非坐 並粗准本経示観門之語。縦似於十観之相有 而文並約略。未可以弁観法始終。初発大心及下三略 亦復如是。故此五章但名大意。此文謹依両経粗列。語簡意遠。不可謬判。若欲消釈 必善下文十乗観法方可離謬。若拠下文無四行相 則下文成略。今拠観法十乗 未周則此中成略。是故五略従観略辺不従於事。於此文中然以義推十乗略足。法界等名即妙境也。為化衆生即是発心。繋縁一念即是止観。観於三道名破法遍。歴一切法即是通塞。而修仏道 即是道品。観於業苦即是助道。識観不濫 即是次位。次位之中兼於余二。下三三昧意止観文附事雖略 若以義説准此可知[文]。[p2276-2277]
〔止観とは、此れより去りて、乃至、非行非坐、並びにほぼ本経に准じて観門の語を示す。縦ひ十観の相有るに似たれども、而も文並びに約略す。未だ以て観法の始終を弁ずべからず。初めの発大心、及び下の三略、亦復是の如し。故に此の五章、但大意と名づく。此の文謹んで両経に依てほぼ列す。語簡ぶに意遠し。謬判すべからず。若し消釈せんと欲せば、必ず下の文の十乗の観法を善して方に謬りを離るべし。若し下の文の四の行相無きに拠らば、則ち下の文、略を成す。今観法十乗、未だ周からざるに拠らば、則ち此の中略を成す。是の故に五略は観略の辺に従て事に従はず。此の文の中に於て、然も義を以て推すに、十乗ほぼ足る。法界等の名は即ち妙境なり。衆生を化せんが為とは、即ち是れ発心。繋縁一念は即ち是れ止観。三道を観ずるを破法遍と名づく。一切の法に歴ては即ち是れ通塞。而も仏道を修するは、即ち是れ道品。業苦を観ずるは即ち是れ助道。観を識りて濫ならざるは、即ち是れ次位。次位の中、余の二を兼ぬ。下の三三昧の意、止観の文、事に附して略なりと雖も、若し義を以て説くこと此れに准じて知るべし〕[文]。[p2276-2277]
弘の二に云く ̄然歴事観法 経論皆爾。非独今文。如大経云頭為殿堂等 法華云忍辱衣等 浄名中法喜妻等 大論中獅子吼等。何但釈教。俗典亦然。如東阿王問子花曰 君子亦有芸乎。子花曰 抜藜莠養家苗者農人之耘也。修正性改悪行君子之耘也。盤特掃箒 支仏飛花 並是詫事見理之明文也。人不見之 但謂大師内合而已〔然るに歴事の観法、経論皆爾り。独り今文のみに非ず。大経に頭を殿堂と為す等と云ひ、法華に忍辱衣等と云ひ、浄名の中の法喜の妻等、大論の中の獅子吼等の如し。何ぞ但釈教のみならん。俗典も亦然り。東阿王、子花に問て曰く 君子も亦芸有るや。子花曰く 藜莠を抜いて家苗を養ふは、農人の耘なり。正性を修めて悪行を改むるは君子の耘なり。盤特の掃箒、支仏の飛花、並びに是れ事に詫して理を見るの明文なり。人、之を見ずして、但、大師内合すと謂ふのみ〕[p2277]
記の一に云く ̄又観心一文 除安楽行中修摂其心等余皆義立。又本門雖本 但寿量一文正明本迹。余亦義立。又前迹門准部有故是故義立。後本門中除寿量已理合有故是故義立。又観心文。序及流通准望正宗理須義立。於正宗中唯安楽行 理定須故余皆義立。迹門正説已云開会〔又観心の一文は、安楽行の中の修摂其心等を除いて余は皆義を立つなり。又本門は本と雖も但寿量の一文のみ正しく本迹を明かす。余は亦義を立つなり。又前の迹門、部に准ずるに有るが故に是の故に義を立つなり。後の本門の中、寿量を除き已りて理合有る故に、是の故に義を立つ。又観心の文。序及び流通は正宗に准望して、理須らく義を立つなり。正宗の中に於て唯安楽行、理、定まりて須ひるが故に余は皆義を立つなり。迹門の正説、已に開会を云ふ。〕。[p2277]
文句の一に云く ̄観心釈者 王即心王 舎即五陰。心王即造此舎。観心山者 若観色陰 無知如山。識陰如霊 三陰如鷲〔観心釈とは、王は即ち心王、舎は即ち五陰。心王は即ち此の舎を造る。観心の山とは若し色陰を観ぜば、無知、山の如し。識陰は霊の如く三陰は鷲の如し〕[文]。[p2277]
記の一に云く ̄観約中 先解王舎中 初立観境。言心王造舎者 識陰為王。造業諸心必有心所 今欲消王且以善悪心王以対無記舎。故云王造〔観に約する中に、先に王舎を解する中、初めに観境を立つ。心王造舎と言ふは、識陰を王と為す。造業の諸心必ず心所に有れども、今王を消さんと欲して且く善悪の心王を以て、以て無記の舎に対す。故に王造と云ふ〕。[p2277-2278]
文句の一に云く ̄観者 観十二入 一入具十方界。一界又十界。界界各十如是。即是一千。一入既一千 十二入即是万二千法門
〔観をいはば、十二入を観ずるに、一入に十方界を具す。一界に又十界あり。界界におのおの十如是あり。即ち是れ一千なり。一入に既に一千あれば、十二入は即ち是れ万二千の法門なり〕[p2278]
記の一に云く ̄言一心一切心者 心境倶心。各摂一切。一切不出三千故也。具如止観第五文。若非三千摂則不遍。若非円心不摂三千。故三千惣別咸空仮中〔一心一切心と言ふは、心と境と倶に心なり。おのおの一切を摂す。一切は三千を出でざる故なり。具さには止観第五の文の如し。若し三千に非ざれば、摂すること則ち遍からず。若し円心に非ざれば三千を摂せず。故に三千の惣別、咸く空仮中なり〕。[p2278]
文句の一に云く ̄観鏡團円不観背面 ○而非不生。此則円無生観智云云。○衆生若能会円不生 則同阿若。非本非迹 非生非不生 大事因縁於茲畢矣〔鏡の團円を観じて背面を観ぜず ○而も不生に非ざらんや。此れ則ち円無生の観智なり云云。○衆生若し能く円の不生を会すれば則ち阿若に同じ。本に非ず迹に非ず、生に非ず不生に非ず、大事の因縁、茲に於て畢るや〕。[p2278]
記の一に云く ̄言云云者 応具須十乗十境及方便等。全指止観一部文也。故止観破遍中 亦以無生為首〔云云と言ふは、応に具さに十乗十境及び方便等を須ゆべし。全く止観の一部の文を指すなり。故に止観の破遍中、亦無生を以て首と為す〕。[p2278]
籤の六に云く ̄観心乃是教行枢機。仍且略点寄住諸説。或存或没。非部正意故。縦有施設託事附法。或弁十観列名而已〔観心は乃ち是れ教行の枢機なり。仍て且く略して点じて諸説に寄住す。或は存し、或は没す。部の正意に非ざるが故なり。縦ひ施設すること有るも、事に託し法に附す。或は十観を弁ずれども名を列ぬるのみ〕。[p2278]
玄の一に云く ̄妙名不可思議。法謂十界十如権実之法〔妙とは不可思議に名づく。法とは十界十如・権実の法を謂ふ〕。[p2278]
籤の一に云く ̄略挙界如具摂三千〔略して界如を挙ぐるに、具さに三千を摂す〕[文]。[p2278]
玄の二に云く ̄又一法界具九法界 則有百法界千如是〔又一法界に九法界を具すれば則ち百法界千如是有り〕。[p2278]
止観の第五に云く ̄第七正修止観者。前六重依修多羅以開妙解 今依妙解以立正行〔第七に正修止観をいはば、前六重は修多羅に依て以て妙解を開し、今は妙解に依て以て正行を立す〕[文]。[p2279]
弘の五に云く ̄初釈正観中 先明来意。名亦結前生後。問前五略中有行有解有因有果。何故但云六重是解。答言大意者冠於行解自他因果。意既難顕還作行解因果等釈。非謂已有行果等也。故大意是惣余八是別。別是別釈行解因果。如釈禅波羅蜜 十章之初亦是大意。惣別等意意亦如是。若復有人依前五略 修行証果能他利等自是一途。即如第三巻初記也。若論文意但属於解。(於属解)中恐解不周。故須委明名体及摂法等 方勘成下十境十乗。如大意中 雖云発心十種不同及四三昧明行差別 但列頭数弁相未足。是故都未渉十境十観。方便望五稍似行始。若望正観全未論行。亦歴廿五法約事生解。方乃堪為正修方便。是故前六皆属於解[p2279]
〔初めに正観を釈する中 先づ来意を明かす。亦結前生後と名づく ○問ふ 前の五略の中に、行有り解有り、因有り果有。何が故ぞ但六重は是れ解なりと云ふや。答ふ 大意と言ふは、行解・自他・因果に冠して、意既に顕し難ければ還りて行解・因果等を作して釈す。已に行果等有りと謂ふには非ざるなり。故に大意は是れ惣、余の八は是れ別なり。別は是れ別して行解・因果を釈す。釈禅波羅蜜の如き、十章の初めも亦是れ大意なり。惣別等の意、意亦是の如し。若し復人有りて前の五略に依て行を修し、果を証し、能く他を利する等は自ら是れ一途なり。即ち第三巻の初めに記するが如くなり。若し文の意を論ぜば、但解に属す。(解に属する)中に、恐らくは解周からず。故に須らく委しく名体及び摂法等を明かして方に下の十境十乗を成ずるに勘ふべし。大意の中の如き、発心の十種不同、及び四の三昧に行の差別を明かすと云ふと雖も、但頭数を列ねて相を弁ずること未だ足らず。是の故に都て未だ十境十観に渉らず。方便を五に望むに、やや行の始めに似れども、若し正観に望めば全く未だ行を論ぜず。亦廿五法に歴て事に約して解を生ず。方に乃ち正修の方便と為すに堪たり。是の故に前の六をば皆解に属す〕。[p2279]
弘の五に云く ̄故大師於 覚意三昧 観心食法 及誦経法 小止観等諸心観文 但以自他等観推於三仮 並未云一念三千具足。乃至 観心論中 亦只以三十六問責於四心 亦不渉於一念三千。唯四念処中 略云観心十界而已。故至止観正明観法並以三千而為指南。乃是終窮究竟極説。故序中云説己心中所行法門。良有以也。請尋読者心無異縁〔故に大師、覚意三昧・観心食法、及び誦経法・小止観等の諸の心観の文に於ては、但自他等の観を以て三仮を推し、並びに未だ一念三千具足を云はず。乃至、観心論の中にも亦只三十六問を以て四心を責めて、亦一念三千に渉らず。唯四念処の中に略して観心十界を云ふのみ。故に止観の正しく観法を明かすに、並びに三千を以て指南と為す。乃ち是れ終窮究竟の極説なり。故に止観の正く観法を明かすに至って、並びに三千を以て而も指南と為す。乃ち是れ終窮究竟の極説なり。故に序の中に説己心中所行法門と云う。良に以有るなり。請う尋ね読まん者心に異縁無かれ〕[文]。[p2279-2280]
弘の一に云く ̄止観二字無非摩訶。即是一心三止 三観止観也。故知。惣攬一部以為首題。始自大意終于旨帰 無非摩訶之止観也。是則題名是惣。十章為別〔止観の二字、摩訶に非ざること無し。即ち是れ一心の三止、三観の止観なり。故に知んぬ。惣じて一部を攬りて以て首題為す。始めの大意より旨帰に終るまで摩訶の止観に非ざること無きなり。是れ則ち題名は是れ惣、十章は別と為す〕。[p2280]
弘の一に云く ̄若就大師正説文中義開三段。則前六重以為序分 正観果報以為正宗 起教化他為流通分。旨帰既是化息帰寂。非三所摂義似流通〔若し大師正説の文の中に就いて、義、三段を開す。則ち前の六重を以て序分と為し、正観果報を以て正宗と為し、起教化他を流通分と為す旨帰は既に是れ化を息めて寂に帰す。三の摂する所に非ざれども、義、流通に似たり〕。[p2280]
弘の一に云く ̄則通指一部以為所聞。如妙法経本門迹門無非妙法体咸真実。前代未聞等 ○自漢明夜夢・乎陳朝 凡諸著述当代盛行溢目 豫廁禅門衣鉢伝授者盈耳。豈有不聞止観二字。但未若説天台此一部 定慧兼美 義観双明 撮一代教門 攅法華経旨 成不思議十乗十境 絶待滅待 寂照之行。前代未聞斯言有在。〔則ち通じて一部を指して以て所聞と為す。妙法経の本門迹門、妙法にして体咸く真実なるに非ざること無きが如し。前代未聞等とは ○漢の明、夜夢みしより陳朝に・るまで、凡そ諸の著述、当代盛んに行はるるは目に溢れ、豫め禅門にまじわりて衣鉢を伝授する者耳に盈つ。豈に止観の二字を聞かざること有らんや。但未だ天台、此の一部を説くに定慧を兼ねて美しく、義観双べて明らかに、一代の教門を撮り、法華の経旨を攅め不思議の十乗十境、絶待滅待、寂照の行を成ずるにしかず。前代未聞、斯の言在ること有り〕。[p2280]
弘の三に云く ̄前分別中名為広略亦惣別。惣別二字互相映顕。故前文云生起五略顕於十広。又前略後広為解義故。前広後略為摂持故。今演前略令義易了。若為利鈍二人不同〔前の分別の中、名づけて広略と為し、亦惣別とす。惣別の二字互いに相映を顕す。故に前の文に五略を生起して十広顕すと云ふ。又略を前にし、広を後にするは解義の為の故なり。広を前にして略を後にするは摂持の為の故なり。今前の略を演べて義をして了し易からしむ。若し利鈍の二人の為にせば、同じからず〕。[p2280]
#Z009-000 一代五時図 文応元年(1260) [p2281]
大論云 十九出家三十成道 [p2281]
・・ 戒 智儼 [p2281]
二七日 ・ 杜順 [p2281]
華厳経 ・・・ 華厳宗・・ 定 [p2281]
三七日 ・ 法蔵 [p2281]
・・ 慧 澄観 [p2281]
十二年 ・・ 倶舎宗 ・・・ 戒定慧 [p2281]
阿含 ・・・・・・ 成実宗 ・・・ 戒定慧 [p2281]
・・ 律宗 ・・・ 戒定慧 [p2281]
・・・・・・・ 鑒真和尚 [p2281]
・・ 大集経
・・ 深密経 ・・ 法相宗 ・・
・・ 楞伽経 ・・ 禅宗 ・ 戒定慧 ・ 玄奘 [p2281]
権大乗・・・ 観経 ・・ ・・・・・・ [p2282]
方等 ・・・ 双観経 ・・ 浄土宗 ・ 慈恩 [p2282]
・・・ 阿弥陀経・・ ・・ 善導 [p2282]
・・・ 金剛頂経 ・・ [p2282]
三十年・・ 大日経 ・・ 真言宗 ・・ 戒定慧 [p2282]
・・ 蘇悉地経 ・・ [p2282]
龍樹菩薩作 [p2282]
・・ 百論 ・・・・・ [p2282]
権大乗・・ 中論 同 ・ [p2282]
般若 ・・ ・・ 三論宗・・・ 戒定慧 [p2282]
・・ 十二門論 同 ・ ・ 嘉祥寺 [p2282]
・・ 大論 同・・ ・・・・・ 嘉祥大師[p2282]
無量義経云 以方便力。四十余年。未顕真実。又云 過無量無辺不可思議阿僧祇劫。終不得成。無上菩提。所以者何。不知菩提。大直道故。行於険径。多留難故。又云 行大直道。無留難故。[p2282]
八箇年 [p2282]
法華経 ・・・・ 法華宗 ・・・・ 天台宗 戒定慧 [p2282]
世尊法久後 要当説真実。雖示種種道 其実為仏乗。正直捨方便 但説無上道。今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子 而今此処 多諸患難 唯我一人 能為救護 雖復教詔 而不信受。若人不信 毀謗此経。則断一切 世間仏種 ○其人命終 入阿鼻獄。将非魔作仏 悩乱我心耶[舎利弗の疑ひ。二巻]。妙法華経○皆是真実[多宝仏証明の文][p2282-2283]
・・ 依法不依人 [p2283]
・ 依義不依語 [p2283]
・・ 法四依 ・・ 依智不依識 [p2283]
・ ・
一日一夜・ ・・ 依了義経 不依不了義経 [p2283]
涅槃経 ・・・・・ ・・ 五品・・ 天台等[p2283]
八十入滅・ ・・ 初依 ・・ [p2283]
・ ・ ・・ 六根 [p2283]
・・ 人四依 ・・ 第二依 ・・ 初地已上・・ 龍樹菩薩[p2283]
・ 第三依 [p2283]
・・ 第四依 ・・ 等覚菩薩 [p2283]
天竺 十四五六巻 [p2283]
・・ 十住・婆沙論云 ・・ 龍樹菩薩造 [p2283]
・ ・・・・・・・・ 羅什三蔵訳 [p2283]
・ 不退地・ ・・ 難行道 譬如陸路歩行苦 [p2283]
・ ・・・
・ ・・ 易行道 水道乗船則楽 [p2283]
・ 十仏百三十余菩薩并阿弥陀仏等 [p2283]
・ 斉世 [p2284]
・・ 曇鸞法師 本三論宗人 作浄土論註二巻 [p2284]
・ 唐世 [p2284]
・・ 道綽禅師 善導師也 作安楽集二巻 [p2284]
・ 安楽集云 大集月蔵経云 我末法時中億億衆生起行修道 ・ 未有一人得者当今末法現是五濁悪世唯有浄土一門可通入路 ・ [p2284]
・ 唐世
・・ 善導 玄義一巻。序分義一巻。定善義一巻。散善義一巻。 ・ 観念法門一巻。往生礼讃一巻。般舟讃一巻。 ・ 法事讃上下。已上九巻 [p2284]
・
・ 隠岐院御宇建仁年中今五十余年也 [p2284]
・・ 法然 源空 [p2284]
選沢集一巻 [p2284]
・・ 未有一人得者 千中無一
・ 除浄土三部経之外法華経等一切。除阿弥陀仏一切仏菩薩一切神祇等 ・ [p2284]
難行 ・・ 聖道 ・・ 雑行 [p2284]
・・ 捨閉閣抛 天台法華宗等八宗 [p2284]
易行 ・・ 浄土 ・・ 正行 [p2284]
・・ 阿弥陀仏 十即十生百即百生 [p2284]
六百三十七部二千八百八十三巻 [p2284]
捨閉閣抛 [p2284]
双観経に云く_設我得仏十方衆生至心信楽欲生我国乃至十念若不生者不取正覚。唯除五逆誹謗正法〔たとひ我仏を得たらむに、十方の衆生、心を至し信楽して、我が国に生ぜむと欲して、ないし十念せむに、もし生ぜずといはば正覚を取らじ。唯五逆と誹謗正法とを除く〕。道綽が未有一人得者。善導が千中無一。法然が捨閉閣抛。此れ等は豈に謗法に非ずや。[p2285]
法華経第二譬諭品に云く_若人不信 毀謗此経 則断一切 世間仏種 或復・蹙 而懐疑惑 汝当聴説 此人罪報 若仏在世 若滅度後 其有誹謗 如斯経典 見有読誦 書持経者 軽賎憎嫉 而懐結恨 此人罪報 汝今復聴 其人命終 入阿鼻獄 具足一劫 劫尽更生 如是展転 至無数劫 従地獄出 当堕畜生〔若し人信ぜずして 此の経を毀謗せば 則ち一切世間の 仏種を断ぜん 或は復・蹙して 疑惑を懐かん 汝当に 此の人の罪報を説くを聴くべし 若しは仏の在世 若しは滅度の後に 其れ 斯の如き経典を誹謗することあらん 経を読誦し書持すること あらん者を見て 軽賎憎嫉して 結恨を懐かん 此の人の罪報を 汝今復聴け 其の人命終して 阿鼻獄に入らん 一劫を具足して 劫尽きなば更生れん 是の如く展転して 無数劫に至らん 地獄より出でては 当に畜生に堕つべし〕。[p2285]
涅槃経第十三に云く_問 一闡提者其義云何。仏言純陀 若有比丘及比丘尼優婆塞優婆夷発・悪言 誹謗正法 造是重業永不改悔心無改悔。如是等人名為趣向一闡提道。若犯四重作五逆罪 自知定犯如是重事 而心初無怖畏懺悔不肯発露。於彼正法永無護惜建立之心 毀呰軽賎言多過咎。如是等人亦名趣向一闡提道。唯除如此一闡提輩 施其余一切讃歎〔問いたてまつる、一闡提とは其の義云何。仏の言く 純陀、若し比丘及び比丘尼・優婆塞・優婆夷有って、・悪{そあく}の言を発し、正法を誹謗し、是の重業を造りて永く改悔せず、心に改悔無からん。是の如き等の人を名づけて一闡提の道に趣向すと為す。若し四重を犯し五逆罪を作り、自ら定て是の如き重事を犯すと知れども、心に初より怖畏・懺悔無く肯て発露せず。彼正法に於て永く護惜建立之心無く、毀呰軽賎して言に過咎多からん。是の如き等の人をを亦一闡提の道に趣向すと名づく。唯此の如き一闡提の輩を除きて其の余に施さば一切讃歎すべし〕。[p2285-2286]
・・ 下殺螻蟻蚊虻 [p2286]
・・ 殺生・・ 中殺凡夫人乃至前三果聖人[p2286]
・・ 二偸盗・・ 上殺阿羅漢辟支仏菩薩父母等[p2286]
上品堕地獄 ・・ 三邪婬 [p2286]
中品堕餓鬼 ・・ 四妄語 [p2286]
下品堕畜生 ・・ 五綺語 [p2286]
十悪 ・・・・・・ [p2286]
・・ 六悪言 [p2286]
・・ 七両舌 [p2286]
・・ 八貪 [p2286]
・・ 九瞋 [p2286]
・・ 十癡 [p2286]
・・ 殺生 ・・ 一殺父 [p2287]
・・ 偸盗 ・・ 二殺母 [p2287]
四重 ・・・・・・ 五逆 ・・・ 三殺阿羅漢 [p2287]
・・ 邪婬 ・・ 四出仏身血 [p2287]
・・ 妄語 ・・ 五破和合僧 [p2287]
・・ 四人已上凡夫僧 [p2287]
此れ等は皆一業引一生也。故に一度地獄に堕すれば、還りて二度悪道に堕せず。謗法は一業引多生なれば、一度三宝を破すれば度度悪道に堕する、是れ也。伝教大師の守護章に云く ̄不正義一切学人不可信受。所以者何 其師所堕 弟子亦堕 檀那亦堕。金口明説 何可不慎哉 可不慎哉〔不正義の一切の学人は信受すべからず。所以は何ん。其の師の堕つる所、弟子も亦堕ち檀那も亦堕つ。金口の明説、何ぞ慎まざるべけんや、慎まざるべけんや、と〕。[p2287]
・・ 第一弟子 長楽寺 隆観 南無房 [p2287]
・ 多念 一切鎌倉人人[p2287]
・・ 第一 コサカ 善慧房 当院洛中[p2287]
・ 一切諸人[p2287]
・・ 第一聖光 筑紫九国 [p2287]
法然 ・・・・・・ 一切諸人 [p2287]
・・ 一條覚明 今の道阿弥等 [p2287]
・・ 成覚 一念 [p2287]
・・ 法本 一念 [p2287]
已上弟子八十余人 [p2287]
乃至日本国の一切の念仏者、并に檀那等。又一切の天台・真言等の諸宗の人人。又法然が智分を出でず。各各其の宗をば習ふとも、心は皆一同に念仏者也。法華経を読むとも、真言を読むとも、皆助業と為して、念仏を以て正業と為す。謗法の失、脱るべからず。[p2289]
#Z013-000 一代五時図 文永五年(1270)頃 [p2299]
龍樹菩薩 浄飯王太子 [p2299]
大論云 十九出家 三十成道 [p2299]
悉達太子 [p2299]
・・ 智儼法師 [p2299]
権大乗・・ 六十巻 ・・ ・ 杜順法師 [p2299]
華厳経・・ ・・ 華厳宗・・ [p2299]
三七日・・ 八十巻 ・・ ・ 法蔵法師 [p2299]
・・ 澄観法師 [p2299]
・・ 世親菩薩 [p2300]
・・ 増一阿含経 ・・ ・・ 倶舎宗・・ [p2300]
小乗経・ 中阿含経 ・ ・ ・・ 玄奘三蔵 [p2300]
阿含経 ・・ ・・・ [p2300]
十二年・ 長阿含経 ・ ・ 成実宗 ・・ 迦梨跋摩 [p2300]
・・ 雑阿含経 ・・ ・・ 律宗 ・・ 道宣律師 [p2300]
・ ・ 二百五十戒 ・ 僧 ・ ・ 五百戒 ・ 尼 ・ 小乗戒・ ・ 五戒 ・ 男女 ・ 八斎戒 ・ 男女 [p2300]
五巻 ・・ 瑜伽論 ・ 弥勒菩薩 ・・ 玄奘三蔵 [p2300]
・ 密厳経 ・・ 法相宗・ [p2300]
・ ・・ 唯識論 ・ 世親菩薩造 ・・ 慈恩大師 [p2300]
・ 六十巻
・ 大集経
・ ・・ 双観経 -二巻 ・・ 曇鸞法師 [p2300]
・ 浄土三部経・・ 観経 -一巻 浄土宗・・ 道綽禅師 [p2300]
・ ・・ 阿弥陀経-一巻 ・ 善導和尚 [p2300]
・ ・・ 法然房 [p2300]
・
・ ・・ 善無畏三蔵 [p2300]
・ ・ 金剛智三蔵 [p2300]
・ 方等部・ 大日経 -七巻 ・ 不空三蔵 [p2300]
・ ・ 金剛頂経-三巻 真言宗・・ 慧果和尚 [p2300]
・ ・ 蘇悉地経-三巻 ・ 弘法大師 [p2300]
・ ・ ・ 慈覚大師 [p2300]
・ ・ ・・ 智証大師 [p2300]
・ ・ ・・ 達磨大師 [p2301]
・ 三十年・ ・・ 四巻 ・ 慧可 [p2301]
・ ・ 楞伽経・・ 禅宗・・ 僧・ [p2301]
・ ・・ 十巻 ・ 道信 [p2301]
・ ・ 求忍 [p2301]
・ ・・ 慧能 [p2301]
・ ・・ 百論 ・・ 提婆菩薩造 [p2301]
・ 権大乗・・ 中論 ・・ 龍樹菩薩造 ・・ 興皇 [p2301]
・ 般若・・ 三論宗・・ [p2301]
・・ 十二門論 ・・ 同 ・ ・・ 嘉祥大師 [p2301]
・・ 大論 ・・ 同・・ ・・ 吉蔵[p2301]
無量義経 七十二歳[p2301]
四十余年。未顕真実。 以方便力。四十余年。未顕真実。 過無量無辺不可思議阿僧祇劫。終不得成。無上菩提。所以者何。不知菩提。大直道故。行於険径。多留難故。[p2301]
・・ 顕露宗 [p2301]
実大乗・ 最秘密宗 [p2301]
法華経・・ 仏立宗 [p2301]
八箇年・ 法華宗 [p2301]
・・ 天台宗 [p2301]
世尊法久後 要当説真実。雖示種種道 其実為仏乗。今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子 而今此処 多諸患難 唯我一人 能為救護 雖復教詔 而不信受。若人不信 毀謗此経。則断一切 世間仏種 或復・蹙 而懐疑惑 汝当聴説 此人罪報 若仏在世 若滅度後 其有誹謗 如斯経典 見有読誦 書持経者 軽賎憎嫉 而懐結恨 此人罪報 汝今復聴 其人命終 入阿鼻獄 具足一劫 劫尽更生 如是展転 至無数劫。於此死已 更受蟒身 其形長大 五百由旬。 若是善男子。善女人。我滅度後。能窃為一人。説法華経。乃至一句。当知是人。則如来使。如来所遣。行如来事。 薬王。若有悪人。以不善心。於一劫中。現於仏前。常毀罵仏。其罪尚軽。若人以一悪言。毀・在家出家。読誦。法華経者。其罪甚重。 薬王今告汝 我所説諸経 而於此経中 法華最第一。 我所説経典。無量千万億。已説。今説。当説。而於其中。此法華経。最為難信難解。 若親近法師 速得菩薩道 随順是師学 得見恒沙仏。 爾時宝塔中。出大音声。歎言善哉善哉。釈迦牟尼世尊。能以平等大慧。教菩薩法。仏所護念。妙法華経。為大衆説。如是如是。釈迦牟尼世尊。如所説者。皆是真実。 諸余経典 数如恒沙 雖説此等 未足為難 若接須弥 擲置他方 無数仏土 亦未為難。 若仏滅後 於悪世中 能説此経 是則為難。 有諸無智人 悪口罵詈等 及加刀杖者 我等皆当忍 悪世中比丘 邪智心諂曲 未得謂為得 我慢心充満 或有阿練若 納衣在空閑 自謂行真道 軽賎人間者 貪著利養故 与白衣説法 為世所恭敬 如六通羅漢。 常在大衆中 欲毀我等故 向国王大臣 婆羅門居士 及余比丘衆 誹謗説我悪 謂是邪見人 説外道論議。 濁劫悪世中 多有諸恐怖 悪鬼入其身 罵詈毀辱我。 濁世悪比丘 不知仏方便 随宜所説法 悪口而・蹙 数数見擯出。 現大神力。出広長舌。上至梵世。 諸仏。亦復如是。出広長舌。[p2301-2302]
・・ 文殊。普賢。観音地蔵等。龍樹菩薩 [p2303]
・・ 依法不依人 ・・ [p2303]
一日一夜・ 依義不依語 ・・ 善無畏。弘法慈覚。法蔵。嘉祥。善導等也[p2303]
涅槃経・・・ 依智不依識 ・・ 観経等 [p2303]
八十入滅・ 依了義経 ・・ 法華経 ・ 大日経等 [p2303]
・・ 不依不了義経 ・・・・・・ 深密経等 [p2303]
・ 華厳経等 [p2303]
・・ 般若経等 [p2303]
#Z014-000 日月之事 文永五年(1270)頃 [p2304]
誓耶 后 摩利史天女 [p2304]
大日天 乗輅車 [p2304]
毘誓耶 后 九曜 [p2304]
七曜 [p2304]
二十八宿 [p2304]
大月天 乗鷲 [p2304]
十二宮 [p2304]
金光明経に云く_日之天子 及以月天 聞是経典 精気充実〔日の天子及以び月天、是の経典を聞き、精気充実す〕。最勝王経に云く_日出放于光 無垢焔清浄。由此経王力 流暉遶四天〔日出でて光を放ち、無垢焔清浄なり。此の経王の力に由りて流暉四天に遶る〕。仁王経に云く_日月失度等。大集経に云く_日月不現明。四方皆亢旱。~ 如是不善業悪王悪比丘毀壊我正法〔日月明を現ぜず。四方皆亢旱し。~ 是の如き不善業の悪王悪比丘我が正法を毀壊し〕。仁王経に云く_非法非律繋縛比丘如獄囚法〔法に非ず、律に非ずして、比丘を繋縛すること獄囚の法の如くす〕。法華経に云く_色力及智慧 此等皆減少<斯等皆減少>〔色力及び智慧 斯れ等皆減少す〕。華厳経に云く_段食・法食・喜食・禅悦食。大集経に云く_三力一切衆生力・法力・自身功徳力。[p2304]
戒光 清浄也 [p2304]
日光 定光 定也 [p2304]
慧光 ・也 [p2304]
人天 三学 小乗 三学 [p2305]
大乗 三学 権大乗 三学 [p2305]
実大乗 三学 純円 三学 [p2305]
法身光・般若光・解脱光 [p2305]
・・ 此の天は初地或は十回向也
十信・十住・十行・十回向・十地・等・妙 [p2305]
初地は三惑断 [p2305]
初住は三惑断 [p2305]
・・ 北辰 [p2305]
梵 帝釈 日 月 四天等 [p2305]
・・ 衆星 [p2305]
一切四天下衆生眼目 [p2305]
/\
肉眼 衣食 [p2305]
天眼 寿命 [p2305]
慧眼 [p2305]
法眼 [p2305]
仏眼 [p2305]
非有離地故。非空照地有故。非辺処中故。而空処空故。而有養有故。不来至北故。而来る来南故。不一照四州故。不異一日故。不断常故。不常一処不住故〔有に非ず、地を離るが故に。空に非ず、地を照らすが有る故に。辺に非ず、中に処するが故に。而も空、空に処するが故に。而も有、有を養ふが故に。来らず、北に至るが故に。而も来る、南より来るが故に。一ならず、四州を照らすが故に。異ならず、一日なるが故に。断ならず、常なるが故に。常ならず、一処に住せざるが故に〕。記の三に云く_部雖方等義円極故。故今引之〔部、方等と雖も義は円極なる故に。故に今之を引く〕。[p2306]
#Z015-000 浄土九品之事 文永六(1269) [p2306]
難行・易行。聖道・浄土。雑行・正行。諸行・念仏。 [p2306]
法然房の料簡は諸行と念仏と相待也。二義 一勝劣一難易 [p2306]
廃立 [p2306]
一に諸行を廃して念仏に帰せんが為に、而も諸行を説く也 [p2306]
助正 [p2306]
二に念仏を助成せんが為に而も諸行を説く也 [p2306]
傍正 [p2306]
三に念仏・正行の二門を約して各三品を立てんが為に而も諸行を説く也[p2306]
若し善導に依らば初めを以て正と為すのみ [p2306]
・・ 至誠心・深心・廻向発願心 ・・ 発三種心即便往生 [p2307]
・・ 上品上生 ・・復有三種衆生当得往生・・ [p2307]
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ [p2307]
・ ・ ・・ 一者慈心不殺具諸戒行
・ ・ ・ 二者読誦大乗方等経典
・ ・ ・ 法然房料簡云 華厳経・方等経・般若経・法華経・涅槃経 ・ ・・・ ・大日経・深密経・楞厳経等一切大乗経摂尽於読誦大乗一句。 ・ ・ [p2307]
・ ・ ・・ 仏 [p2307]
・ ・ ・ 法 [p2307]
上品・・ ・・ 三者修行六念 ・・ 六念・・ 僧 [p2307]
・ ・ 戒 [p2307]
・ ・ 施 [p2307]
・ ・・ 天 [p2307]
・
・ ・・ 解第一義
・ 上品中生 ・・ 善解義趣於第一義
・ 法然料簡云 華厳唯心法界・法相唯識・三論八不 ・ ・真言五相成身・天台一念三千皆摂尽解第一義一句 ・ [p2307]
・・ 上品下生 ・・ 法然料簡 深心因果摂尽十界因果 [p2307]
・・ 中品上生 ・・ 摂尽五戒・八戒乃至諸戒 [p2308]
・ ・
・ ・・・・・・ 四阿含・倶舎・成実・律宗摂尽此二品[p2308]
・ ・
中品・・・ 中品中生 ・・ 八斎戒 [p2308]
・
・ ・・ 儒教道教摂尽此一品 [p2308]
・・ 中品下生 ・・ 孝養父母・行世 ・・ 老子経 ・・ 外典三千余巻・・ ・・ 孝経 [p2308]
・・ 下品上生 ・・ 如此愚人多造衆悪十念往生 [p2308]
・ 下品中生 ・・ 或有衆生 毀犯五戒八戒及具足戒 如此愚人 悪人・ 僧祇物盗現前僧物。不浄説法無有懺愧[p2308]
下品・・ 下品下生五逆重罪之人也。而能除滅逆罪。所不堪余行。 ・ 唯有念仏之力能堪滅於重罪。故為極悪最下之人
・ 而所説極善最上之説 [p2308]
・・ 下品下生 ・・ 五逆罪人 十念往生 [p2308]
選択云 念仏三昧重罪消滅<尚滅>。何況軽罪哉。 余行不然。或有滅軽而不滅重或有消一而不消二等云云。 [p2308]
・ 長楽寺南無 捨閉閣抛 ・ 一弟子-隆観-多念[p2309]
法華経等一切経 ・ ・ 故嵯峨法皇御師 釈迦仏等一切諸仏 ・ 一弟子-善恵-小阪-道観 天台宗等八宗九宗世天等 ・ 故打宮入道修観 ・ 極楽寺殿御師 ・ 一弟子-聖光 [p2309]
自浄土三部経阿弥陀仏之外也 ・ 後鳥羽院御宇 ・ ・筑紫 [p2309]
安楽集云 源空 ・・・・・・ 法蓮 ・念阿弥陀仏[p2309]
未有一人得者 ・ 法然房 ・ ・ 諸行往生 唯有浄土一門可通入路 ・ 覚明・・ 一條 [p2309]
往生礼讃云 ・ ・ 道阿弥 [p2309]
千中無一 ・ ・ 嵯峨 [p2309]
十即十生百即百生 ・ 聖心 [p2309]
・ 成覚・・ [p2309]
・ ・・ 一念 [p2309]
・ 法本・・ [p2309]
・・ 頼顕僧正御師
顕真座主 ・・・・ 薗城寺長吏
八人碩徳 公胤大貳僧正 ・・ 造浄土決疑集三巻 破法然房選沢集 随機諸行皆可為往生等云云。 [p2309]
・・ 故宝地房法印証真弟子 [p2310]
・・ 上野清井者 [p2310]
下輩△ 定真竪者 ・・ 造弾選択二巻 随機諸行往生 [p2310]
下三品△ [p2310]
値悪一向△ [p2310]
・・ 証真嫡弟 竹中法印 [p2310]
・・ 宗源法印 ・・ 隆真法橋 [p2310]
善人△ 証義者・・ ・・ 大和荘 [p2310]
小乗凡夫△ ・・ 俊鑁法印 椙生 [p2310]
中輩△ ・・ 三塔惣学頭 [p2310]
中三品△ 三千人大衆 [p2310]
値小△ ・・ 聖覚 [p2310]
五人探題・・ 貞雲 [p2310]
・・ 龍証 [p2310]
・・ 華厳宗 [p2310]
・・ トガノヲノ [p2310]
明恵房 ・・ 造摧邪輪三巻 随機諸行往生 [p2310]
・・ 法相宗-依深密経 三時教摂尽一代 善根△ ・ 返以深密経下法華経 [p2311]
大乗凡夫△ ・ 三論宗-依般若経・妙智経等 二蔵三時摂尽一代 値大△ ・ 返以妙智経下法華 [p2311]
上輩△ 大乗五宗・・ 華厳宗-五教摂尽一代 上三品△ ・ 返以華厳経下法華 [p2311]
・ 真言宗-依大日経・六波羅蜜経等 五蔵摂尽一代 ・ 返以大日経等下法華経 [p2311]
・・ 天台宗-四教五時摂尽一代 [p2311]
・・ 伝教大師許此義不 [p2311]
県額打州牛 夫三時教勝義領解一了之聞義生 跡入大海 機宜猶闕三了何摂一代 華厳云 三論云 真言等云云 [p2311]
#Z017-000 小乗小仏要文 文永七(1270) [p2319]
・・ 華厳 [p2319]
・ 阿含 ・・ 大日経等・・ 真言宗 [p2319]
・ ・ 観経等 ・・ 浄土宗 [p2319]
・ 方等 ・・・ [p2319]
小乗 ・・ ・ 深密経等・・ 法相宗 [p2319]
・ ・・ 楞伽経 ・・ 禅宗 [p2319]
・ 般若 ・・・・・・・・・・・ 三論宗
・
・
・・ 法華経迹門十四品 本門薬王品已下六品竝普賢・涅槃経等[p2319]
・・ 劣応身 [p2319]
・・ 応身 ・・・・・ [p2319]
・ ・・ 勝応身 [p2319]
小仏 ・・ 報身 ・・・・・・ 華厳経ルサナ仏 [p2319]
・ 大日経等 ビルサナ大日等 [p2319]
・・ 并迹門・涅槃経等仏 [p2319]
涌出品に云く_ 阿逸汝当知 是諸大菩薩 従無数劫来 修習仏智慧 悉是我所化 令発大道心 此等是我子 依止是世界〔阿逸汝当に知るべし 是の諸の大菩薩は 無数劫より来 仏の智慧を修習せり 悉く是れ我が所化として 大道心を発さしめたり 此れ等は是れ我が子なり 是の世界に依止せり〕[p2320]
玄の七に云く ̄六本説法妙者 経云 此等我所化 令発大道心。今皆住不退。我所化者正是説法。令発大道心者簡非小説也。此指本時説簡非迹説也。迹説多種若依涅槃〔六に本説法妙とは、経に云く 此等我所化 令発大道心。今皆住不退と。我所化とは正しく是れ説法なり。令発大道心とは小説に簡非するなり。此れ本時の説を指して迹説を簡非するなり。迹説多種なれども若し涅槃に依れば〕等云云。華厳経に云く_寂滅道場。始成正覚[p2320]
迹仏 増一阿含経の十に云く_仏在摩竭提国道樹下。爾時世尊得道未久〔仏、摩竭提国の道樹の下に在す。爾時に世尊、得道して未だ久しからず〕。浄名経に云く_始坐仏樹力降魔〔始め仏樹に坐して力魔を降らす〕。大集経に云く_如来成道始十六年〔如来成道始めて十六年なり〕。大日経に云く_我昔坐道場 降伏於四魔〔我昔道場に坐して、四魔を降伏す〕。仁王般若経に云く_大覚世尊先已為我二十九年〔大覚世尊、先に已に我が為に二十九年〕。無量義経に云く_我先道場。菩提樹下。端坐六年。乃至 四十余年〔我先に道場菩提樹下に端坐すること六年にして 乃至 四十余年〕。法華経の方便品に云く_我始坐道場 観樹亦経行 於三七日中 思惟如是事〔我始め道場に坐し 樹を観じ亦経行して 三七日の中に於て 是の如き事を思惟しき〕。籤の七に云く ̄大乗融通無過華厳。経初云 於菩提場始成正覚。故知 大小説成皆近〔大乗の融通、華厳に過ぎたるは無し。経の初めに云く 菩提の場に於て始めて正覚を成ず、と。故に知んぬ、大小に成を説くは皆近なり〕。[p2320]
寿量品に云く_爾時世尊。知諸菩薩。三請不止。而告之言 汝等諦聴。如来秘密。神通之力。一切世間。天人。及阿修羅。皆謂今釈迦牟尼仏。出釈氏宮。去伽耶城不遠。坐於道場。得阿耨多羅三藐三菩提。然善男子。我実成仏已来。無量無辺。百千万億。那由他劫〔爾の時に世尊、諸の菩薩の三たび請じて止まざることを知しめして、之に告げて言わく、汝等諦かに聴け、如来の秘密・神通の力を。一切世間の天・人及び阿修羅は、皆今の釈迦牟尼仏釈氏の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を得たりと謂えり。然るに善男子、我実に成仏してより已来無量無辺百千万億那由他劫なり〕。文句の九に云く ̄[天台]仏於三世等有三身。於諸教中秘之不伝。故一切世間天人阿修羅 謂今仏始於道場得此三身。故執近以疑遠〔仏三世に於て等しく三身有り。諸教の中に於て之を秘して伝へず。故に一切世間の天人阿修羅は今の仏は始めて道場に於て此の三身を得ると謂へり。故に近に執して以て遠を疑ふなり〕。[p2320]
寿量品に云く_諸善男子。如来見諸衆生。楽於小法。徳薄垢重者。為是人説。我少出家。得阿耨多羅三藐三菩提。然我実成仏已来。久遠若斯〔諸の善男子、如来諸の衆生の小法を楽える徳薄垢重の者を見ては、是の人の為に我少くして出家し阿耨多羅三藐三菩提を得たりと説く。然るに我実に成仏してより已来久遠なること斯の若し〕。[p2320-2321]
文句の九に云く ̄一約 ○二約 ○三約 ○四約果門 楽聞近成之小 出釈氏宮始得菩提 不欲楽聞長遠大久之道 故言楽小。此等小心非始今日。若先楽大即不説始成。説始成者皆為楽小法者耳〔一約 ○二約 ○三約 ○四に果門に約せば近成の小を聞かんと楽ふは、釈氏の宮を出でて始めて菩提を得たりとし、長遠大久の道を聞かんことをねがはず。故に楽小と言ふ。此れ等の小心は今日に始まるに非ず。若し先より大を楽はば即ち始成を説かず。始成を説くことは、皆小法を楽ふ者の為のみ〕。又云く ̄諸衆生楽小法者 所見之機也。華厳云 大衆雖清浄 其余楽小法者 或生疑悔長夜衰悩。憐此故・。偈云 其余不久行 智慧未明了 依識不依智 聞已生憂悔 彼将堕悪道 念此故不説。案彼経無声聞二乗但指不久行者為楽小法人耳。師云 楽小非小乗人也。乃是楽近説者為小耳〔諸衆生楽小法とは所見の機なり。華厳に云く 大衆清浄なりと雖も、其の余の楽小法の者は、或は疑悔を生じ長夜に衰悩せん。此れを憐れむが故に・。偈に云く 其の余は久しく行ぜず 智慧未だ明了ならず 識に依て智に依らず 聞き已りて憂悔を生じ 彼将に悪道に堕ちんとす 此れを念ふ故に説かず、と。彼の経を案ずるに声聞二乗無く、但不久行の者を指して、楽小法の人の為のみ。師の云く 楽小は小乗の人に非ざるなり。乃ち是れ近説を楽ふ者を小と為すのみ〕[p2321]
文句の九に云く ̄薄徳者 縁了二善功用微劣 下文云諸子幼稚也。垢重者見思未除也〔薄徳とは、縁了の二善功用微劣なれば下の文に諸子幼稚と云ふなり。垢重とは、見思未だ除かざるなり〕。記の九に云く ̄徳薄垢重者 其人未有実教二因也。言下文云諸子幼稚者 指下医子譬文。尚未堪聞円況聞遠耶。見思未除者 且消譬中幼稚之言。定未知遠〔徳薄垢重とは、其の人未だ実教の二因有らざるなり。下文云諸子幼稚と言ふは、下の医子の譬への文を指す。尚お未だ円を聞くに堪へず、況んや遠を聞かんや。見思未除とは、且く譬への中の幼稚の言を消す。定めて未だ遠を知らず〕。玄の一に云く ̄厚殖善根感此頓説〔厚く善根を殖えて此の頓説を感ず〕[文]。籤の一に云く ̄一往惣以別円為厚。五百問論云 一経之中以本門為主〔一往は惣じて別円を以て厚と為す。五百問論に云く 一経の中に本門を以て主と為す〕[文]。又云く ̄一代教中未曾顕遠。父母之寿不可不知。始於此中方顕遠本。但恐才当一国不識父母之年。若不知父寿之遠復迷父統之邦。徒謂才能全非人子〔一代教の中に未だ曾て遠を顕さず。父母の寿は知らずんばあるべからず。始めて此の中に於て方に遠本を顕す。○但恐る、才一国に当るとも父母之年を識らず。失ふ所小と謂ふも、辱むる至りて大なり。若し父の寿の遠きを知らざれば、復父統の邦に迷ひなん。徒らに才能と謂ふとも全く人の子に非ず〕。[p2321-2322]
玄の七に云く ̄若執迹因為本因者 斯不知迹 亦不識本。如不識天月但観池月。○払迹顕本 即知本地因妙。如撥影指天。臨盆而不仰漢。嗚呼聾・若為論道耶〔若し迹因に執して本因と為さば、斯れ迹を知らず、亦本を識らざるなり。天月を識らずして但地月を観るが如し。○迹を払ひ本を顕せば即ち本地の因妙を知る。影を撥げて天を指すが如し。盆に臨んで而して漢を仰がざる。嗚呼聾・なんすれぞ道を論ぜんや〕。又云く ̄[同七云]若執迹果為本果者 斯不知迹 亦不識本。従本垂迹如月現水 払迹顕本如撥影指天。当撥始成之果皆是迹果 指久成之果是本果也〔若し迹果に執して本果と為さば、斯れ迹を知らず、亦本を識らざるなり。本より迹を垂るるは月の水に現ずるが如く、迹を払ひ本を顕すは影を撥げて天を指すが如し。当に始成の果は皆是れ迹果なりと撥ひて、久成の果は是れ本果なりと指すべし〕。又云く ̄諸土悉迹土也。一今仏所栖故。二前後修立故。三中間所払故。若是本土非今仏所栖。今仏所栖即迹土也。若是本土一土一切土 不応前後修立浅深不同○執迹為本者 此不知迹 亦不識本。今払迹指本 本地所栖四土者 是本国土妙也〔諸土は悉く迹土なり。一には今仏の所栖の故に。二には前後修立の故に。三には中間所払の故に。若し是れ本土は今仏の所栖に非ず。今仏の所栖は即ち迹土なり。若し是れ本土は一土一切土にして前後修立、浅深不同なるべからず。○迹を執して本と為すとは、此れ迹を知らず、亦本を識らざるなり。今迹を払ひて本を指すときは、本地所栖の四土は、是れ本国土妙なり〕。[p2322]
・・ 蔵因 ・・ 三祇百劫菩薩 ・・ 未断見思 [p2322]
・ 通因 ・・ 動喩塵劫菩薩 ・・ 見思断 [p2322]
迹仏 ・・
・ 別因 ・・ 無量劫菩薩 ・・・ 十一品断無明 [p2322]
・・ 円因 ・・ 三千塵点劫菩薩・・ 四十一品断無明 [p2322]
草坐 [p2323]
・・ 劣応 ・・ 蔵 ・・ 三十四心団結成道 [p2323]
・ 天衣 [p2323]
・・ 勝応 ・・ 通 ・・ 三十四心見思塵沙断仏 [p2323]
迹仏果・・ 蓮華坐 [p2323]
・・ 報身 ・・ 別 ・・ 十一品断無明仏 [p2323]
・ 虚空坐 [p2323]
・・ 法身 ・・ 円 ・・ 四十二品断無明仏 [p2323]
「孔雀経序云。真済筆。弘法大師弟子也。伝教与弘法宗論由載之」 [p2323]
#Z018-000 下方他方久住菩薩事 文永九年(1271) [p2323]
・・ 文句九云 ・・ 過八恒河沙等 ・ ・ ・・・・・ 文殊等八万也 ・・ 菩薩有三種。下方・他方・久住 ・ ・・・・・ 弥勒等 ・・ 亦観音等・他方内也 普賢如何[p2323]
文句の九に云く ̄是我弟子応我弘法〔是れ我が弟子なり、我が法を弘むべし〕。[p2324]
記の九に云く ̄子弘父法有世界益〔子、父の法を弘む。世界の益有り〕。[p2324]
文句の九に云く ̄又他方[観音等他方歟]此土結縁事浅[文]。[p2324]
記の六の ̄付属有下有此[釈法華・涅槃十六異也]。
道暹、輔正記の六に云く ̄付属者 此経唯付下方涌出菩薩。何故爾。由法是久成之法故付久成之人〔付属とは、此の経は唯下方涌出の菩薩に付す。何が故に爾る。法是れ久成の法なるに由るが故に、久成の人に付す〕。[p2324]
記の四に云く ̄尚不偏付他方菩薩。豈独身子〔尚お偏に他方の菩薩に付せず。豈に独り身子のみならんや〕。[p2324]
龍樹・天親・南岳・天台・伝教等、本門を弘通せざる事。[p2324]
一には付属せざるが故に。二には時の来らざるが故に。三には迹化他方なるが故に。四には機、未だ堪へざるが故に。龍樹は迹門の意を談宣し、天親は文に約して之を釈し、化道の始終を明かさず。天台大師は本迹の始終を弘通す。但本門の三学未だ分明ならざるか。[p2324]
記の八に云く ̄因薬王等者 本詫薬王因茲告余。此流通初。先告八万大士者 大論云 法華是秘密付諸菩薩。如今下文召於下方 尚待本眷属。験余未堪〔因薬王等とは、本、薬王に詫し茲に因りて余に告ぐ。此れ流通の初めなり。先づ告八万大士とは、大論に云く 法華は是れ秘密にして諸の菩薩に付す、と。今下の文に下方を召すが如きは、尚お本眷属を待つ。あきらけし、余は未だ堪へず〕。[p2324]
大論の一百に云く ̄問曰 更有何法甚深勝般若者 而以般若属累阿難 有余経属累菩薩。答曰 般若波羅蜜非秘密法。而法華等諸経説阿羅漢受決作仏。大菩薩能受持用。譬如大薬師能以毒為薬〔問て曰く 更に何の法が甚深にして般若に勝るる者有る。而も般若を以て阿難に嘱累し、余経をもて菩薩に嘱累すること有りや。答て曰く 般若波羅蜜は秘密の法に非ず。而して法華等の諸経は阿羅漢の受決作仏を説くは、大菩薩、能く受持し用ふ。譬へば大薬師の能く毒を以て薬と為すが如し〕。[p2324]
龍樹菩薩は迹化他方なるか、久住なるか、地涌なるか。南岳[観音出感通伝]天台[薬王出感通伝]伝教も亦是の如し。[p2324]
大論の一百に云く ̄[大品経付属阿難 釈大品経嘱累品也。大品経四十九巻九十品。最後嘱累品]。問曰 若爾者法華経諸余方等経 何以嘱累喜王[喜王薬王歟]諸菩薩等〔問て曰く 若し爾らば法華経諸余の方等経、何を以て喜王[喜王とは薬王か]諸菩薩等に嘱累するや〕。[p2325]
記の八に云く ̄法華是秘密付諸菩薩。如今下文召於下方 尚待本眷属。余未堪〔法華は是れ秘密にして諸の菩薩に付す、と。今下の文に下方を召すが如きは、尚お本眷属を待つ。余は未だ堪へず〕[文殊・薬王等、未だ堪へず等と云ふか]。[p2325]
涅槃経の三に云く ̄若以法宝付嘱阿難及諸比丘不得久住。何以故。一切声聞及大迦葉悉当無常。如彼老人受他寄物。是故応以無上仏法付諸菩薩。以諸菩薩善能問答。如是法宝則得久住。無量千世増益熾盛利安衆生〔若し法宝を以て、阿難及び諸の比丘に付嘱せば、久住することを得ず。何を以ての故に。一切の声聞及び大迦葉は悉く当に無常なるべし。彼の老人の他の寄物を受けざるが如し。是の故に応に無上の仏法を以て諸の菩薩に付すべし。諸の菩薩は善能く問答するを以てなり。是の如き法宝は則ち久住することを得。無量千世にも増益熾盛にして衆生を利安すべし〕。[p2325]
#Z020-000 一代五時鶏図 建治元年(1275) [p2333]
百論 仏滅後三六七八 千巻 寿命三百年 法雲自在王如来 ・・ 観自在王如来 ・・ 羅什訳 大論云 十九出家三十成道 三十万巻 龍樹菩薩 第十一馬鳴菩薩御弟子 大悲方便論 十万巻 ・ 付法蔵第十三 大心論 十万巻 ・・ 猛 大無畏論 十万巻 [p2333]
・・ 実大乗
・・・ [p2333]
・ ・・ 権大乗 [p2333]
・ 二七日 ・ 杜順法師 [p2333]
華厳経 ・・ 華厳宗 ・・・・・・・ 智儼法師 ・ 香象大師[p2333]
・ 三七日 ・ 法蔵法師 ・・ 賢首法師[p2333]
・・ 結経梵網経 ・・ 大乗戒出之 ・ 華厳和尚[p2333]
定 [p2334]
・・ 小乗 経 [p2334]
・・・ ・・ 長阿含 ・・ ・・ 倶舎宗 [p2334]
・ ・・ 十二年 ・ 中阿含 ・ ・ 論 [p2334]
阿含経 ・・・・・・・ ・・・ 成実宗 [p2334]
・ ・ 増一阿含 ・ ・ 戒 [p2334]
・ ・・ 雑阿含 ・・ ・・ 律宗 [p2334]
・・ 結経遺教経 ・・ 小乗戒出之 [p2334]
・・ 或云法華已前 ・ 有相宗立三時[p2334]
・・ 或云法華已後 ・ 弥勒菩薩説・・ 摂尽一代 ・ ・ 瑜伽論一百巻 ・ ・・ ・ 玄奘三蔵 ・ 深密経五巻 ・ ・ 無著菩薩 ・法相宗・ ・ ・ 唯識論三十頌 ・ 世親菩薩造・・ ・ 慈恩大師 或説時不定・ ・ 六経十一論 ・或十六年・ [p2334]
・或八ヶ年・ 瓔珞経 ・・ 結経 [p2334]
・大乗 ・ [p2334]
・・・ ・ ・・ 或諸法無行経 ・・ [p2334]
・ 方等部・ ・ 或金剛般若経 ・ [p2334]
・ 権大乗・ ・ 或大円覚経 ・ [p2334]
・ ・ 楞伽経経 ・・ ・ 禅宗 ・・ 達磨大師[p2334]
・ ・ ・ 或首楞厳経 ・ [p2334]
・ ・ ・ 或云 一切経 ・ [p2334]
・ ・ ・・ 或云 教外別伝・・ [p2334]
・ ・ ・・ 或云 龍樹造 [p2335]
・ ・菩提心論 ・・・ [p2335]
・ ・ ・・ 或云 不空造 [p2335]
・ ・
・ ・ ・・ 分顕密二道 [p2335]
・ ・ ・・ 大日経七巻 ・・ ・ ・・ 善無畏三蔵[p2335]
・ ・ ・ ・ ・ ・ 金剛智三蔵[p2335]
・ ・・・ 金剛頂経三巻 ・ 真言宗・・・・ [p2335]
・ ・ ・ ・ ・ ・ 不空三蔵[p2335]
・ ・ ・ 蘇悉地経三巻・・ ・ 立五蔵・・ 一行阿闍梨[p2335]
・ ・ ・ 或立十住心 [p2335]
・ ・ ・・ 或云 方等部・或云 華厳部・或 般若部 或云 法華部 ・ ・ 或云 涅槃経部・或一代諸経外 [p2335]
・ ・ ・ 曇鸞法師 [p2335]
・ ・ ・ 難行易行 ・ 道綽禅師 [p2335]
・ ・・・ 双観経 ・ ・ 聖道浄土 ・ 善導和尚 [p2335]
・ ・・ 観経 ・ 浄土宗・・・・・・ [p2335]
・ ・・ 阿弥陀経・ ・ 難行正行 ・ 恵感禅師 [p2335]
・ 三十年 ・ 諸行念仏 ・ 小康法師 [p2335]
・ ・ 法照 [p2335]
・ ・ 或云 二十二年 ・ 或云 四論宗 [p2336]
・ ・ 或云 十四年 ・ 或 法性宗 [p2336]
・ ・ ・ 光讃般若 ・・・ ・ 或 無相宗 [p2336]
・ ・ ・ 金剛般若 ・・ 百論 龍樹菩薩造・・ ・ 浄影 [p2336]
・ ・ ・ 天王問般若 ・・ 中論 同 ・・ ・ 興皇 [p2336]
・ 般若経・・ ・・ ・三論宗・ [p2336]
・ 摩訶般若 ・・ 十二門論 同 ・・ ・ 嘉祥大師吉蔵 ・ 大品般若 ・・ 大論 同 ・・ ・ 道朗 [p2336]
・ 仁王般若-結経・ ・ 立三時摂尽一代 [p2336]
・ 或立二蔵 [p2336]
・ 或立三転法輪 [p2336]
・ 華厳三七日・阿含十二年・方等・般若三十年・已上四十二年 ・ 法界性論云 四十二年 無量義経云 以方便力。四十余年。未顕真実 [p2336]
又云 過無量無辺不可思議阿僧祇劫。終不得成。無上菩提。所以者何。不知菩提。大直道故。行於険径。多留難故。[p2336]
又云 行大直道。無留難故。[p2336]
・・ 諸宗依憑宗 世尊法久後 要当説真実 [p2337]
・ 仏立宗 廃也・ 或云 前三教。或云 前四教前四味也 ・ 天台宗 ・ ・ 或云 先三教摂尽円教 [p2337]
法華経 ・ 正直捨方便 但説無上道 [p2337]
・ ・ 法華宗 ・ 四時七教五時八教 [p2337]
・ ・ 秘密宗 ・ ・ 唯一仏乗 [p2337]
・ ・・ 顕露彰灼宗 雖示種種道 其実為仏乗 [p2337]
・・ 普賢経 ・・ 結経 将非魔作仏 悩乱我心耶 [p2337]
・・ 叡山戒壇 久黙斯要 不務速説 [p2337]
・ 華厳経 大日経 深密経 楞伽経 大品経 観経等[p2337]
・ ・ 無量義経 [p2337]
・ ・ ・ 涅槃経等 [p2337]
我所説経典。無量千万億。已説。今説。当説。而於其中。此法華経。最為難信難解。〔我が所説の経典無量千万億にして、已に説き今説き当に説かん。而も其の中に於て此の法華経最も為れ難信難解なり〕記の六に云く ̄ 縦有経云諸経之王 不云已今当説最為第 兼但対帯 其義可知〔縦ひ経に有りて諸経之王と云ふとも已今当説最為第一と云はず、兼但対帯、其の義を知るべし〕。玄の三に云く ̄舌爛口中〔舌口中に爛る〕。籤の三に云く ̄已今当妙於此固迷。舌爛不止猶為華報。謗法之罪苦流長劫〔已今当の妙此に於て固く迷へり。舌爛止まざるは猶お華報と為す。謗法の罪苦長劫に流る〕。又云く ̄諌暁不止〔諌暁止まず〕。[p2337]
・・ 法四依六巻 [p2337]
・・ 像法決疑経 ・・ 結経 ・・ 依法不依人 ・・ 人四依 [p2337]
・ 一日一夜 ・ 依義不依語 [p2337]
涅槃経 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・仏意・ 菩薩等識 [p2338]
・ ・ 七十九・八十・八十一・ 依智不依識 [p2338]
・ 八十御入滅・・ ・ ・法華経 ・ 爾前之経々 [p2338]
・ 八十二・百五・百二十・・ 依了義経 不依不了義経 [p2338]
・・魔醯修羅天[p2338]
・・二天 ・・ [p2338]
・ 大梵天 ・・毘紐天 [p2338]
・・主上・・ ・・天竺 ・ 第六天 [p2338]
・ 天尊 ・ ・ ・ 帝釈天 [p2338]
・ 世尊 ・ ・ ・ 師子頬王 [p2338]
・・主・・ 法王 ・・違八虐・・ ・・浄飯王 [p2338]
・ ・ 国王 ・ ・ ・・三皇 [p2338]
・ ・ 人王 ・ ・ 震旦 ・ 五帝 [p2338]
・ ・・天王・・ ・ ・・三王等 [p2338]
・ ・・日本国・・神武天皇 [p2338]
釈尊・・ ・・迦毘羅 [p2338]
・ ・・三仙 ・ ・楼僧伽 [p2338]
・ ・・外道師・ ・・勒沙婆 [p2338]
・ ・ ・・六師 [p2338]
・ 師・・・師匠・・・違七虐・・ [p2338]
・ ・ ・・尹喜 [p2339]
・ ・ ・ 務成 [p2339]
・ ・ ・・四聖・ 老・ [p2339]
・ ・ ・ ・・呂望 [p2339]
・ ・・外典師・・ 周公旦 [p2339]
・ ・ 孔子 [p2339]
・ ・・顔回 [p2339]
・ 章安釈 涅槃疏云 一体之仏作主師親 [p2339]
・ ・・八親 [p2339]
・・親 ・・・・・・ 違五逆・・ [p2339]
・・六親 [p2339]
・ 世尊 三界特尊・ 二十五有 ・ 理性子 結縁子 [p2339]
今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子 [p2339]
文句五云 一切衆生等有仏性 仏性同故等是子也 [p2339]
而今此処 多諸患難 唯我一人 能為救護
・ 玄六云 本従此仏初発道心。亦従此仏住不退地 [p2339]
文句の六に云く ̄無量寿仏父子義旧以西方無量寿仏以合長者。今不用之。西方仏別縁異。仏別故隠顕義不成。縁異故父子義不成。又此経首末全無此旨。閉眼穿鑿。舎那著脱近尚不知。弥陀在遠。何嘗変換〔旧は西方無量寿仏を以て、以て長者に合す。今は之を用ひず。西方は仏別にして縁異なるなり。仏別なるが故に、隠顕の義成ぜず。縁異なるが故に父子の義成ぜず。又此の経の首末、全く此の旨無し。眼を閉ぢて穿鑿せよ。舎那の著脱は近けれども、尚お知らず。弥陀は遠きに在り。何ぞ嘗て変換せん〕云云。[p2339-2340]
記の六に云く ̄西方等者 弥陀・釈迦二仏既殊。豈令弥陀隠珍玩服 乃使釈迦著弊垢衣。然当釈迦無珍服可隠 弥陀唯勝妙之形。況宿昔縁別化道不同。結縁如生成熟如養。生養縁異父子不成。珍弊分途著脱殊隔。消経事闕調熟義乖。当部之文永無斯旨。舎那著脱等者 迷於舎那不動而往。弥陀著弊諸経無文。若論平等意趣 彼此奚自矜。縦他為我身還成我化。我立他縁乃助他縁。人不見之化縁便乱。故知夫結縁者 竝約応身。如云我昔曾於二万億等。況十六王子従始至今 機感相成任運分解。是故不可以彼弥陀為此変換〔西方等とは、弥陀・釈迦の二仏既に殊なる。豈に弥陀をして珍玩の服を隠さしめ、釈迦をして弊垢の衣を著せしめん。然るに釈迦は珍服の隠すべき無く、弥陀は唯勝妙の形なるに当る。況んや宿昔の縁別にして化道同じからず。結縁は生の如く、生養成熟は養の如し。生養の縁異なれば父子成ぜず。珍弊、途を分ち、著脱殊に隔たる。消経事闕けて、調熟の義に乖く。当部の文、永く斯の旨無し。舎那著脱等とは舎那の動ぜずして而も往くに迷ふ。弥陀の著弊は諸経に文無し。若し平等意趣を論ぜば、彼此、奚ぞ自ら矜らん。縦ひ他を我が身と為すも、還りて我が化を成す。我他の縁を立つれば乃ち他の縁を助く。人、之を見ざれば、化縁、便ち乱る。故に知んぬ、夫の結縁とは、竝びに応身に約することを。我昔曾。於二万億等と云ふが如し。況んや十六王子、始めより今に至りて機感相成し任運に分解す。是の故に彼の弥陀を以て此の変換と為すべからず〕。[p2340]
・主 [p2340]
・ 第一阿・仏・・・ 種熟脱 東方有縁・師 [p2340]
・ ・親 [p2340]
・ ・主 [p2340]
十六王子-大通太子-沙弥・・ 第九阿弥陀仏・・ 種熟脱 西方有縁・師 [p2340]
・ ・親 [p2340]
・ ・主 [p2341]
・ 第十六釈迦牟尼仏-種熟脱 娑婆世界・師 [p2341]
・親 [p2341]
記の九に云く ̄初従此仏菩薩結縁 還於此仏菩薩成熟〔初め此の仏菩薩に従て結縁し、還りて此の仏菩薩に於て成熟す〕。[p2341]
玄の六に云く ̄仏尚自入分段施作仏事。有縁之者何不得来。譬如百川応須潮海 縁牽応生亦復如是〔仏尚お自ら分段に入て仏事を施作す。有縁の者、何ぞ来らざることを得ん。譬へば百川の海に潮すべきが如く、縁に牽かれて応生すること亦復是の如し〕。[p2341]
前に之を書す。又云く ̄本従此仏初発道心。亦従此仏住不退地〔本、此の仏に従ひて初めて道心を発す。亦此仏に従ひて不退の地に住す〕。[p2341]
・・ 倶舎宗 ・・ [p2341]
劣応身釈迦如来・・ 成実宗 ・・ 本尊 [p2341]
・・ 律宗 ・・ [p2341]
毘舎那報身 ・・・・・ 華厳宗本尊 [p2341]
・・ 当勝応身 [p2341]
釈迦如来 ・・・・・・ 法相宗本尊 [p2341]
・・ 当勝応身 [p2341]
釈迦如来 ・・・・・・ 三論宗本尊 [p2341]
・・ 法身 胎蔵界 [p2341]
大日如来 ・・・・・・ 真言宗本尊 [p2341]
・・ 報身 金剛界 [p2342]
・・ 天台応身 劣応 [p2342]
・ 勝応 [p2342]
阿弥陀如来 ・・・・・ 浄土宗本尊 [p2342]
・・ 善導等報身 [p2342]
五百問論に云く ̄若不知父寿之遠復迷父統之邦。徒謂才能全非人子。三皇已前不知父 人皆同禽獣〔若し父の寿の遠きを知らざれば、復父統の邦に迷ひなん。徒らに才能と謂ふとも全く人の子に非ず。三皇已前は父を知らず。人皆禽獣に同じ〕。[p2342]
・・ 華厳ルサナ真言大日等皆此仏為眷属 [p2342]
・・ 久遠実成実修実証仏 [p2342]
天台宗御本尊 [p2342]
・・ 釈迦如来 [p2342]
・・ 応身 ・・ 有始有終 [p2342]
始成三身 ・・ 報身 ・・ 有始有終 ・・・ 真言大日等 [p2342]
・・ 法身 ・・ 無始無終 ・・ [p2342]
・・ 応身 ・・ [p2342]
久成三身・・ 報身 ・・ 無始無終 [p2342]
・・ 法身 ・・ [p2342]
華厳宗・真言宗の無始無終の三身を立つるは、天台の名目を盗み取りて自の依経に入れし也。[p2343]
#Z021-000 和漢王代記 建治二年(1276) [p2343]
・・伏羲 [p2343]
三皇 ・・・神農 [p2343]
・・黄帝 [p2343]
[カウ] [p2343]
・・ 少昊 [p2343]
・ [セムキヨク] [p2343]
・・ ・・ 三墳五典 [p2343]
・ [コク] [p2343]
五帝 ・・・ 帝・ [p2343]
・ [ケウ] [p2343]
・・ 尭王 男子九人女一人 [p2343]
・ [シユン] [p2343]
・・舜王 [p2343]
夏 [p2343]
殷 [p2343]
・・ 第一文王 ・・ [p2344]
・・・ 第二武王 ・・ 周公旦 [p2344]
・ ・・ 第三成王 ・・ [p2344]
・・ 当第四昭王御宇二十四年甲寅 四月八日仏御誕生也 ・ 五色光気亘南北。大史蘇由占之 ・ 中間七十九年也 [p2344]
周 ・・・ 当第五穆王五十二年壬申 二月十五日御入滅。 ・ 十二虹亘南北。大史扈多占之 ・ [p2344]
・・ 有三十七王 或八 [p2344]
・
・ 「 ・・ 一 儒教 ・・ 五常 文武等 ・ ・ \ 孔子 顔回 ・・三教・・ 二 道教 ・・ 仙教 ・ \ 老子 ・・ 三 釈教 ・・ 一代五十余年」 [p2344]
秦 ・・ 始皇 [p2344]
次生皇 [p2344]
・・ 前漢 十四代 [p2344]
・
・ ・・ 儒教 [p2345]
・ 三教 ・・・ 道教 [p2345]
・ ・・ 釈教 [p2345]
漢 ・・・ 当仏滅後 一千一十五年也 ・ 又自周第四昭王二十四年 至後漢第二光武 当一千一十五年也 ・ [p2345]
・・ 後漢光武永平十年[丁卯]。当一千一十五年 摩騰迦・竺蘭二人聖人 以四十二章[小乗経]十住断結経[大乗経] 負白馬渡漢土 [p2345]
魏 ・・ 渡双観経 [p2345]
・・ 亘法護三蔵 [p2345]
・・ 西晋 渡正法華経 十巻 [p2345]
晋 ・・・ ・・ 亘羅什三蔵 [p2345]
・ ・・ 渡妙法華経 七巻 或八巻 [p2345]
・ 後秦 ・・・・ 渡三論宗 [p2345]
・ ・・ 亘阿弥陀経 [p2345]
・・ 亘華厳宗 [p2345]
・・ 亘大涅槃経
斉 ・・・
・ ・ 南三 江南也 三時 四時 五時
・ 十師 ・・ 一 二 三 四 五 六 七 ・ ・ 北七 江北也 五時 一音 半満 三教 四宗 五宗 六宗 ・ [p2345]
・・ 曇鸞法師 立浄土宗 [p2346]
・・・ 渡禅宗 達磨大師也 [p2346]
・・・ 亘摂論 ・・ 南北 [p2346]
梁 ・・・・・ 亘地論 ・・ 南北 [p2346]
・・・ 出来別時意趣法門 [p2346]
・・・ 末 [p2346]
・・ 出道宣感通伝 ・・ 観音化身也 南岳大師 亦云 恵思禅師 ・・・ 六根浄人 日本浄宮太子是也 ・・・ 天台大師御師也 [p2346]
・・ 始 [p2346]
陳 ・・・ [p2346]
・・ ・・ 日本生伝教大師 ・・ 亦云 智者 天台大師 ・・・・・・・・・ 亦 智・ ・・ ・ ・・ 亦云 徳安 ・ ・・ 此御時破南三北七竝前五百余年人師三蔵所立十師義 隋 ・・・ 始立五時 八教 三観 六即 十境十乗 ・ 号小釈迦 進超天竺論師 退勝震旦人師也 [p2346]
・ 玄義三 故章安大師云 ・ 天竺大論尚非其類。震旦人師何労及語。此非誇耀法相然耳 ・ 又智証大師云[授決集也] ・ 天台出世仏意快暢。豈非万教再演世間乎 [p2346-2347]
・・ 笈多・崛多両三蔵 渡添品法華経 [p2347]
・・ 道綽・善導在此世 [p2347]
・・ 華厳宗 [p2347]
・・ 自後漢世至于唐神武皇帝開元十八年[庚午] 唐 ・・・ 六百六十四載所渡経律論五千四十八巻 訳者一百七十六人[p2347]
・・ 妙楽是世人也 [p2347]
・・ 法相宗 玄奘三蔵 自西天渡之 [p2347]
・・ 真言宗 善無畏三蔵・金剛智三蔵渡之 [p2347]
・・ 法相宗・真言宗二宗 天台不見之 妙楽大師見之 対当天台宗論勝劣 又日本国 伝教・慈覚諍之 [p2347]
宋 [p2347]
天台の玄義の十に南北の十師を破して云く ̄但聖意幽隠教法弥難。前代諸師 或粗承名匠 或思出袖衿。雖阡陌縦横莫知孰是。然義不双立理無両存。若深有所以復与修多羅合者録而用之。無文無義不可信受〔但、聖意幽隠にして教法弥いよ難し。前代の諸師は、或はほぼ名匠に承け、或は思ひ袖衿より出づ。阡陌縦横なりと雖も、孰れが是なるを知ることなし。然るに、義、双立せず、理、両存すること無し。若し深く所以有りて、復修多羅と合するは録して之を用ふ。文無く義無きは信受すべからず〕。[p2347-2348]
籤の十に云く ̄以無一全是故一一難破〔一として全く是なること無きを以ての故に一一に難破す〕。[p2348]
玄の三に云く ̄軽慢不止舌爛口中〔軽慢止まざれば舌口中に爛る〕。 [p2348]
・・・ 法華已前 華・阿・方・般等一切経 [p2348]
・・・ 無量義経也 [p2348]
籤の三に云く ̄已今当妙於此固迷。舌爛不止猶為華報。謗法之罪苦流長劫。[p2348]
・・ 涅槃経等法華已後一切経也 [p2348]
南三北七竝びに華厳宗の法蔵・澄観。真言宗の日本の弘法等は、法華経よりも華厳経を勝るとする也。又三論の嘉祥は、法華経よりも般若経を勝るとする也。又法相宗の慈恩等は、法華経よりも深密経を勝るとする也。又真言宗の善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵等は、法華経よりも大日経を勝るとする也。此れ等の宗々の相違如何、相違如何。[p2348]
授決集に云く ̄文出大経。無人会之。光在盲前於他無用。仏分明説五味之喩喩五時教云云。自有訳来 講者溢路 未曾解談五味之義。任己胸臆趣爾囈語。何異触象衆盲者耶。天台出世仏意快暢。豈非万教再演世間乎。南北講匠釈経論者 各立教時百無一是。只縁迷教部前後頓漸権実 大小・妙寛狭進否也。張大教網亘法界海 済人天魚置涅槃岸。如斯恐其遺漏。況諸師輩羅之一目。何時得鳥。若雖暗万蔵 不会此理趣者 終年計他宝自無半銭分 虚益諍論長水添水〔文は大経より出でたり。人の之を会する無し。光、盲の前に在れども、かれに於ては無用なり。仏分明に五味の喩へを説き、五時の教に喩へたまふ、と云云。訳有りてより来、講者路に溢れども、未だ曾て五味を談ずるの義を解せず。己が胸臆に任せて、たやすく囈語す。何ぞ象に触るる衆盲の者に異ならんや。天台世に出でて仏意快く暢ぶ。豈に万教再び世間に演ぶるに非ずや。南北の講匠、経論を釈する者、おのおの教時を立つれども、百にして一も是なること無し。只教部の前後・頓漸・権実、大小の・妙・寛狭・進否に迷ふに縁る。大教網を張りて法界の海を亘し、人天の魚を済ひて涅槃の岸に置く。斯の如くするすら其の遺漏を恐る。況んや諸師の輩、羅の一目なり。何れの時か鳥を得ん。若し万蔵を暗んずと雖も、此の理趣を会せざれば、年を終るまで他の宝を計りて自ら半銭の分無く、虚しく諍論を益し、長水に水を添ふのみ〕。[p2348-2349]
・・ 法華論前二未熟文也 授決集に法相宗の慈恩大師を破して云く ̄言未熟者応云不熟 ○今謂派講法華 須以此義為正。若不爾破経破論罪過五逆。除基公外無人伝彼不熟之義 ○若強執之公私十方信施難消々々。若不消者何免三途。供養爾者堕三悪道。謗法罪報法華般若諸大乗経一明説。智者可披 ○爾可信受之。莫招無間。〔未熟と言ふは、応に不熟と云ふべし ○今謂く ひろく法華を講ずるには、須らく此の義を以て正と為すべし。若し爾らずんば、経を破し、論を破し、罪、五逆に過ぎたり。基公を除きて外は、人の彼の不熟の義を伝ふる無し ○若し強ひて之を執せば、公私十方の信施、消し難し、消し難し。若し消せずんば、何ぞ三途を免れん。なんじを供養せん者は、三悪道に堕せん。謗法の罪報は、法華・般若の諸大乗経に一つ明らかに説けり。智者、披くべし ○なんじ、之を信受すべし。無間を招くこと莫れ〕。[p2349]
授決集 円澄 真言等の諸宗を徴めて云く ̄ 真言 禅門 華厳 三論 唯識 律業 成倶二論等 ○若望法華 華厳 涅槃等諸経 是摂引門〔真言・禅門・華厳・三論・唯識・律業・成倶の二論等 ○若し法華・華厳・涅槃等の諸経に望むれば、是れ摂引門なり〕[文]。 又云く ̄大底他多在三教。円旨至少耳〔大底他は、多く三教に在り。円の旨、至りて少なきのみ〕。[p2349]
弘法大師の二教論に喩して云く ̄今依斯経文仏以五味配当五蔵。惣持称醍醐 四味譬四蔵。震旦人師等諍盗醍醐各名自宗〔今斯の経文に依るに、仏、五味を以て五蔵に配当す。惣持を醍醐と称し、四味を四蔵に譬ふ。震旦の人師等諍ひて醍醐を盗んで、おのおの自宗に名づく〕。[p2349]
乳 アナン [p2349]
・・ 一 爼多覧 ・・・・・・ 経 ・・ [p2349]
・ 酪 ウハリ ・ [p2349]
・ 二 毘那耶 ・・・・・・ 律 ・・ 小乗 [p2349]
・ 生 カセンエン ・ [p2349]
六波羅蜜経五蔵 ・・ 三 阿毘達磨 ・・・・・ 論 ・・ [p2349]
・ 熟 文殊 [p2349]
・ 四 般若ハラ蜜蔵 ・・・・・・・・ [p2350]
・ 醍醐 金剛蔵 ・・ 大乗 [p2350]
・・ 五 惣持ダラニ蔵 ・・・・・・・・ [p2350]
乳 [p2350]
・・ 一 爼多覧 [p2350]
・ 酪 [p2350]
・ 二 毘那耶 [p2350]
・ 生 [p2350]
弘法大師依此経立五蔵 ・・ 三 阿毘達磨 ・・ 華 [p2350]
・ 熟 ・・ 方 [p2350]
・ 四 般若ハラ ・・・ 般 [p2350]
・ ・・ 法華 [p2350]
・ 醍醐 ・・ 涅槃 [p2350]
・・ 五 惣持ダラ [p2350]
二教論に云く ̄加以釈教漸東夏自微至著。漢明為始周文為後。其中間所翻伝皆是顕教。玄宗代宗之時 金智広智之日 密教欝起盛談秘趣。新薬日浅旧痾未除。如至楞伽 法華説法之文 智度性身名色之句 馳胸憶而会文駆自宗而取義。惜哉古賢不嘗醍醐〔しかのみならず、釈教、東夏にひたし、微より著に至る。漢明を始めと為し、周文を後と為す。其の中間、翻伝する所、皆是れ顕教なり。玄宗・代宗の時、金智・広智の日、密教欝として起り、盛んに秘趣を談ず。新薬、日浅くして、旧痾、未だ除かず。楞伽の如きに至りては、法華説法の文、智度性身名色の句、胸憶に馳せ、而も文を会して自宗を駆り、義を取る。惜しいかなや、古賢、醍醐を嘗めず〕。[p2350]
日本 [p2351]
・・ 天神 ・・ 七代 [p2351]
神代十二代 ・・ [p2351]
・・ 地神 ・・ 五代 [p2351]
人王百代 [p2351]
第一神武天皇 [p2351]
略之 [p2351]
第十四仲哀 八幡大神父也 [p2351]
第十五神功皇后 八幡大菩薩母也 [p2351]
第十六応神天皇 今八幡大菩薩也 [p2351]
略 [p2351]
第三十欽明天皇 歴記云 欽明天皇治天下十三年[壬申]冬十月一日 自百済国聖明王 仏像経等始送日本国 [p2351]
第三十一敏達「天皇」 [p2351]
・・ 厩戸王子 ・・ 造四天王寺 [p2351]
第三十二用明 ・・ 聖徳太子 用明御子也 [p2351]
・・ 上宮太子 第三十三崇峻 ・・ 切守屋立四十九院 第三十四推古 「女帝」・・ 南岳大師後身也 第三十五欽明 ・・ 救世観音垂迹也 [p2351-2352]
第三十六皇極 「女帝」 [p2352]
第三十七孝徳 [p2352]
第三十八斉明 「女帝」 ・・ 倶舎宗 [p2352]
第三十九天智 ・ 律宗 [p2352]
第四十 天武 ・ 成実宗 [p2352]
第四十一持統 ・・ 六宗 ・・ [p2352]
第四十二文武 ・ ・ 法相宗 [p2352]
第四十三元明 ・・ ・ 三論宗 [p2352]
第四十四元正 ・・ 亦有禅宗・・ 華厳宗 [p2352]
第四十五聖武 ・・・・ 竝有一切経 [p2352]
・・・ 聖武天皇 造東大寺大仏 ・・ 自欽明至于聖武 二百四十余年也 自震旦国渡鑒真和尚亘律宗 次渡天台宗 玄・文・止等 又立東大寺小乗戒檀 [p2352]
第四十六孝謙 聖武女 [p2353]
第四十七淡路 廃帝 [p2353]
第四十八称徳 孝謙又即位也 [p2353]
第四十九光仁 桓武父也 [p2353]
・・ 自欽明及二百六十余年 [p2353]
第五十桓武 ・・ 延暦三年 自奈良都遷長岡京。 延暦十三年 自長岡京遷平京。 延暦二十五年 語崩御 [p2353]
・・ 伝教大師 [p2353]
延暦四年 立叡山 ・・ ・・ 最澄也 [p2353]
延暦二十年 叡山始八講 請南京十人 [p2353]
延暦二十一年正月十九日 於高尾 南京十四人与最澄宗論 同二十九日 六宗十四人 謝表奉桓武聖主 [p2353]
延暦二十三年 入宋 [p2353]
同二十四年 御帰朝。 此時始伝教大師立天台宗 以四十余年文破六宗 始法華実義顕之 自欽明二百余年邪義改之 六宗碩徳 勤操・徳円・長耀等十四人 桓武皇帝奉謝表翻邪見 [p2353]
空海 弘法大師 [p2353]
延暦二十三年 御入宋 [p2353]
大同元年 御帰朝 [p2353]
伝教大師 山階寺行表僧正御弟子 [p2353-2354]
弘法大師 石淵勤操僧正御弟子也 [p2354]
第五十一平城 [p2354]
第五十二嵯峨 弘仁十三年六月四日 伝教大師御入滅 同十一日 慈覚大師立戒壇 [p2354]
第五十三淳和 [p2354]
{第十六紙欠} [p2354]
衆 [p2354]
秀句に云く ̄雖讃法華経還死法華心[文] [p2354]
選沢集に云く ̄[法然造]捨閉閣抛 [p2354]
善導の礼讃に云く ̄十即十生百即百生 又云く ̄百時希得一二千時希得五三 又云く ̄千中無一 [p2354]
道綽の安楽集に云く ̄大集月蔵経云我末法時中億億衆生起行修道未有一人得者。 当今末法現是五濁悪世。唯有浄土一門可通入路 [p2354]
恵心の往生要集に云く ̄利智精進之人未為難 如予頑魯之者豈敢矣[p2354]
・・ 根本大師 [p2354]
伝教大師 ・・・ 山家 [p2354]
・・ 天台後身也 [p2354]
守護章 ̄正像稍過已末法太有近。法華一乗機今正是其時 ・・ 小乗 権大乗 四十余年文 又云く ̄一乗之家都不用。但除開己用助道 [p2354]
#Z022-000 一代五時鶏図 建治二年(1276) [p2355]
・・ 龍樹菩薩造 三・五・七・八 大論云 十九出家三十成道 [p2355]
権大乗 ・・ 杜順和尚 [p2355]
三七日 ・ 智儼法師
華厳経 ・・・・・・ 華厳宗 ・・・ [p2355]
・ 二七日 ・ 法蔵法師 [p2355]
・ 実大乗 ・・ 澄観清凉国師 [p2355]
・・ 説処 寂滅道場也
・・ 結経 梵網経
小乗 ・・ 倶舎宗 [p2355]
十二年・ [p2355]
阿含経 ・・・・・・・ 成実宗 [p2355]
・ ・ ・・ 八斎戒 [p2355]
・・ 説処 鹿野苑 ・・ 律宗 ・・・ 二百五十戒 [p2355]
・・ 結経 遺教経 ・ ・・ 五百戒 [p2355]
・・ 道宣律師 [p2355]
・・ 鑒真和尚 [p2355]
・ 玄奘三蔵 ・ 弥勒菩薩説 ・ 有相宗・ 戒賢論師 ・ 瑜伽論 ・ ・ 法相宗・ 玄奘三蔵 ・説処欲色・ 密厳経 ・・ ・ 無著菩薩書之・ 有宗・ 慈恩大師 ・二界中間・ ・ 唯識論 ・ 世親菩薩造 ・ [p2356]
・大宝坊説・ 大集経 [p2356]
・結経 ・
・ 瓔珞経・ 楞伽経 ・・ 或云 教外別伝 ・・ 禅宗
・ 権大乗・ ・・ 善無畏三蔵 [p2356]
・ ・ ・ 金剛智三蔵 [p2356]
・ 方等部・ 大日経 ・・ 蜜宗 ・ 不空 [p2356]
・ ・ 金剛頂経 ・・ 大日三部経 ・・ 真言宗・・ [p2356]
・ ・ 蘇悉地経・・ 大日宗・ 一行 [p2356]
・ ・ ・ 伝教 [p2356]
・ ・ ・・ 弘法 [p2356]
・ ・ 双観経 ・・ ・・ 曇鸞法師 [p2356]
・ ・ 観経 ・・ 浄土三部経 ・・ 浄土宗・・ 道綽禅師 [p2356]
・ ・ 阿弥陀経・・ ・・ 善導 [p2356]
・ 三十年 [p2356]
・
・・ 説処鷲峰山 [p2357]
・・ 結経仁王経・・ 百論・・ 龍樹菩薩蔵・・ ・・ 清弁菩薩 [p2357]
・・ 権大乗 ・ 中論 同 ・ 無相宗・ 智光論師 [p2357]
・般若経 ・・・・ ・・三論宗・ [p2357]
・ 十二門論 同 ・ 法性宗・ 羅什三蔵 [p2357]
・・ 大智度論 同 ・・ 空宗・・ 嘉祥寺吉蔵 [p2357]
已上四十余年経云 権経 不了義経 未顕真実 随他意 方便 [p2357]
無量義経云 以方便力。四十余年。未顕真実。 [p2357]
又云 過無量無辺不可思議阿僧祇劫。終不得成。無上菩提。所以者何。不知菩提。大直道故。行於険径。多留難故。[p2357]
又云 行大直道。無留難故。[p2357]
・ 説処霊山会 ・・ 蜜宗 世尊法久後 要当説真実 [p2357]
・ 結経普賢経 ・ 天台宗 雖示種種道 其実為仏乗 [p2357]
法華経 ・ [p2357]
・ 仏立宗 正直捨方便 但説無上道 [p2357]
・・ 法華宗 将非魔作仏[舎利弗身子疑也] 悩乱我心耶[p2357]
・・ 高五百由旬 広二百五十由旬 乗宝塔従地涌出 [p2358]
・・ 多宝仏証明文 [p2358]
・ ・・ 東方宝浄世界仏也 [p2358]
釈迦牟尼世尊 如所説者 皆是真実 [p2358]
・・ 涅槃経第六文 [p2358]
・・ 雙林最後説御遺言 ・・ 依法不依人 [p2358]
・ ・ ・・ 四依菩薩 [p2358]
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ [p2358]
{第5第6の間欠}[p2358]
・・ 天子 ・・・・ 大梵天王 [p2358]
・ ・・ 第六天魔王 [p2358]
・・ 主 ・・ 天尊 ・・ 釈帝桓因 [p2358]
・ ・ ・ ・・ 四天大王 [p2358]
・ ・ ・・ 世尊 ・・・ 輪王 [p2358]
・ ・・ 違八虐 ・・ 諸小王 [p2358]
・ ・・ 凡師 [p2358]
・ ・・ 初依菩薩・・ 天台・南岳等位 [p2358]
・ ・・ 聖師-凡師・ ・・ 聖師 [p2358]
・ ・ ・ 第二依 ・・ 龍樹菩薩等 [p2358]
・・ 師 ・・ 四依 ・・・・ [p2358]
・ ・ ・ 第三依 [p2358]
・ ・ ・
・ ・ ・・ 第四依 ・・ 普賢・文殊師等 [p2358]
・ ・ ・・ 権権師 [p2358]
・ ・・・ 出世師・・ [p2358]
・ ・・ ・・ 実経師 [p2358]
・ ・・ 三聖等 ・・ 世間師 [p2358]
・
・ ・・ 父 [p2358]
・・ 親 ・・ 母 ・・ 伯父母二人 [p2358]
・・ 六親 ・・ 叔父母二人 [p2358]
・・ 兄姉 [p2358]
涅槃経云 一体之仏作主師親 無親無家亡家亡国 [p2358]
・・ 第九阿弥陀 [p2358]
大通智勝仏 ・・ 十六王子 ・・ [p2358]
・・ 第十六釈迦 [p2358]
・・ 法華経第一比丘偈文也 [p2358]
若有聞法者 無一不成仏 [p2358]
千中無一 [p2358]
#Z023-0K0 秀句十勝鈔 弘安元年(1278) [p2359]
・・ 仏説已顕真実勝一 [p2359]
・ 仏説経名示義勝二 [p2359]
・ 無問自説果分勝三 [p2359]
・ 五仏同道帰一勝四 [p2359]
秀句 ・ 仏説諸経校量勝五 [p2359]
十勝 ・・・・・・
法華経超過一代・ 仏説十喩校量勝六 [p2360]
有十 ・ 即身六根互用勝七 [p2360]
・ 即身成仏化道勝八 [p2360]
・ 多宝分身付属勝九 [p2360]
・・ 普賢菩薩勧発勝十 [p2360]
秀句三巻 [p2359]
伝教大師作 [p2359]
人王五十代 [p2360]
桓武 [p2360]
平城 一 [p2360]
嵯峨 二 [p2360]
弘仁十三年六月四日遷化 [p2360]
仏説已顕真実勝一 [p2360]
未顕已顕、比肩諍実、先三乗一乗<三乗一乗>、訴権是非。現在・食者、造偽章数巻、謗法亦謗人。謗法華経、則為権亦為密云云。[p2360]
比翼に云く 問若法華是権摂者、何故、経云 世尊法久後 要当説真実。又云 今為汝等 説最実事。是即説四十年前教是権、法華後教是実経摂。即同無量義経、云四十年前 方便説故 得果差別<以方便力。四十余年。未顕真実。是故衆生。得道差別>。何法華名権教。答是不拠不定性根機熟<答是拠不定性二乗根機熟>、前後而説。不約頓悟。此復云何。不定性二乗、従四十年前、不熟一乗根機。由此如来、不為説一乗。故名世尊法久後。今至法華会、其根純熟<其根終熟>、堪聞一乗。故名要当説真実。頓悟菩薩、従始華厳、至涅槃教、恒聞一乗、常授記別。故不名復法久後<故不名法久後>。常聴受一乗真実法。故不名復要当説真実<故不名後要当説真実>。[p2360]
又云く 舎利弗自領解云 我昔従仏。聞如是法。見諸菩薩。受記作仏。而我等不預斯事。甚自感傷。失於如来。無量知見。[已上経文]。・食者、取経意云 此即従華厳会後、四十余年、見頓悟菩薩授記作仏、発咨嗟悔。准此文知<準此文知>、約頓悟菩薩、不名世尊法久後、不称要当説真実。唯舎利弗等不定性声聞、四十年前、住小乗果<住小果>、未聞一乗。未受仏記。故約声聞、名法久後。今至法華会、聞一乗法、受仏記別。故称要当説真実。[p2360-2361]
此の秀句は弘仁十二年[太歳辛丑]之を造る。中巻を見るべし。 [p2361]
人王五十代 [p2361]
桓武 [p2361]
平城一 [p2361]
嵯峨二 [p2361]
・・ 弘仁十三年六月四日遷化 [p2361]
伝教大師御作 [p2361]
秀句三巻 法華 十勝 [p2361]
得一 比翼三巻 七教二理 四証二理 [p2361]
仏説経名示義勝二 [p2361]
当知。果分之経具十七名。[秀句語也] [p2361]
迹中諸経不談仏意。今経本迹施開廃三 仏旨無尽故云無量。況成道後 処々開廃名無量義。〔迹中の諸経は仏意を談ぜず。今経は本迹施開廃の三、仏旨無尽なり故に無量と云ふ。況んや成道の後、処々に開廃すれば無量義と名づく〕。[p2361]
籤の七 今欲略知法華論十七名中意者 第十六既名妙法蓮華。当知 諸名並是法華之異名〔今略して法華論十七名の中の意を知らんと欲せば、第十六を既に妙法蓮華と名づく。当に知るべし、諸名、並びに是れ法華之異名なるのみ〕。[p2361]
一名無量義経。二名最勝修多羅。三名大方光。四名教菩薩法。五名仏所護念。六名一切諸仏秘密法。七名一切諸仏蔵。八名一切諸仏秘密処。九名能生一切諸仏。十名一切諸仏道場。十一名一切諸仏所転法輪。十二名一切諸仏堅固舎利。十三名一切諸仏大巧方便経。十四名説一乗経。十五名第一義住。十六名妙法蓮華経[私云 経字有無異本也]。十七名最上法門。[p2361]
秀句に云く 当知。歴劫修行頓悟菩薩、終不得成無上菩提。未知菩提大直道故。終不得之言<終不之言>、大小倶有。直道直至已顕日興。是故、法華経宗諸宗中最勝。法相之賛[慈恩大師法華玄賛十巻]、三論之疏[嘉祥寺 吉蔵大師 法華玄十巻]、不順法華。具如別説。[p2361-2362]
日蓮疑て云く 光宅寺の法華疏・上宮の法華疏等、并に畏・智・空の大日経の疏等は、法華并に一切経の意に順ずるや不や。[p2362]
無問自説果分勝三 [p2362]
謹案法華経方便品云 爾時世尊。従三昧 乃至 所不能知[已上経文]。又偈云 不退○[已上偈文]。又経云 仏所成就。 乃至 乃能究尽[已上経文]。如是等<如是等文>、示果分法。[p2362]
又云く 諸仏世尊。唯以一大事因縁故。出現於世[已上経文]。当知、為一乗故出現於世。不為三乗出現於世。果分一乗、遍施衆生。寧門外索車、門側住菴哉。知父知家、知車知道。豈入歴劫路過迂廻道哉。故<是故>、譬諭品云 今所応作 唯仏智慧[已上偈文<已上経文>]。菩薩智慧、不所応作。是故又云 若善男子<若是善男子>。善女人。我滅度後。能窃為一人。説法華経。乃至一句。当知是人。則如来使。如来所遣。行如来事[已上経文]。明知。説法華経人即是如来使<説法華経人則是如来使>、即行如来事<則行如来事>。[p2362]
又云く 之を略す。[p2362]
又神力品云 以要言之。如来一切。所有之法[名也]。如来一切。自在神力[用也]。如来一切。秘要之蔵[体也]。如来一切。甚深之事。皆於此経。宣示顕説[已上経文]。明知。果分一切所有之法、果分一切自在神力、果分一切秘要之蔵、果分一切甚深之事、皆於法華宣示顕説也。夫華厳経者、○但説住上地上因分、未説如来内証果分。故<是故>天親十地論云 因分可説、果分不可説者、即其事也。当知。果分勝於因分。夫三十唯識論一巻二紙天親本頌。依華厳等経、立唯識義。乃至 是故、不足対比妙法華宗。夫中百十二門七巻論者、龍提二菩薩所造<龍樹提婆二菩薩所造>。○採集大乗無相空教、~ [已上論文]。明知。但説因分空、歴劫修行、未説果分空、大直道。誠願、一乗君子、依憑仏説、莫信口伝。仰信誠文、莫信偽会。天台所釈法華経宗、勝於諸宗。寧空所伝哉。[p2362-2363] 日 蓮 花押[p2363]
・・ 惣諸仏 [p2363]
・・ 過去諸仏 [p2363]
五仏同道帰一勝四 ・・・ [p2363]
・・ 現在十方諸仏 [p2363]
・・ 未来諸仏。当出於世云云。 [p2363]
当知、未来諸仏、弥勒、無著等、先以方便説三乗法。法相所伝三乗等宗、○未究竟故、不真実説。華厳三論二宗所伝、准此可知也<準此可知也>。[p2363]
又云く 仏滅度後六百年経宗論宗<仏滅度後六七百年経宗論宗>、九百年中法相一宗、説歴劫行、引接衆生<引摂衆生>。是故、未顕真実、並被包含也。[p2363]
又云く 指法華之前四時之教。経云<故経云> 四十余年 未顕真実。阿・達磨両箇宗、修多羅華厳宗、四十余年被包含故、未究竟。故仏無会釈也。[p2363]
又云く 華厳一道、深密一乗、成不成二説倶存<成仏不成二説倶存>。是故、諍論之本。法華一乗、皆悉成仏。是一説故。不諍論本。他宗所依経、随其本性説。天台法華宗、出世本法説。当知、後一之宗、勝於諸宗也。[p2363-2364]
日蓮疑て云く 華厳・涅槃・金光明・深密等は、天台・妙楽・伝教の御釈を以て知りぬべし。知り難きは、密厳経に云く_十地華厳等大樹 与神通勝鬘及余経 皆従此経出。如是密厳経一切経中勝〔十地・華厳等の大樹と神通勝鬘及び余経とは、皆此の経より出づ、と。是の如く密厳経は一切経の中に勝れたり〕。大雲経の第四に云く_是経即是諸経転輪聖王。何以故。是経典中宣説衆生実性仏性常住法蔵故〔是の経は即ち是れ諸経の転輪聖王なり。何を以ての故に。是の経典の中には衆生の実性・仏性・常住の法蔵を宣説する故なり〕。大論に云く ̄本起経 断一切衆生疑経 華手経 法華経 雲経 大雲経 法雲経 弥勒問経 六波羅蜜経 摩訶般若波羅蜜経。如是等無量無辺阿僧祇経 或仏説 或化仏説 或大菩薩説 或声聞説 或諸得道天説。是事和合名皆摩訶衍。此諸経中般若波羅蜜最大〔本起経・断一切衆生疑経・華手経・法華経・雲経・大雲経・法雲経・弥勒問経・六波羅蜜経・摩訶般若波羅蜜経。是の如き等の無量無辺阿僧祇の経は、或は仏説、或は化仏の説、或は大菩薩の説、或は声聞の説、或は諸の得道天の説なり。是の事和合して、皆摩訶衍と名づく。此の諸経の中に般若波羅蜜最も大なり〕。[p2363]
仏説諸経校量勝五 [p2363]
謹案法華経法師品偈云 薬王今告汝 我所説諸経 而於此経中 法華最第一[已上経文]。当知、斯法華経者諸経之中、最為第一。釈迦世尊立宗之言、法華為極。金口校量、深可信受哉。[p2364]
又云く 爾時。○而此経者。如来現在。猶多怨嫉。況滅度後[已上経文]。当知、已説四時経、今説無量義経、当説涅槃経、易信易解。随他意故。此法華経、最為難信難解。随自意故。随自意説勝於随他意。但無量義随他意者、指未合一辺。不同余部随他意也。語代則像終末初。尋地唐東羯西。原人則五濁之生、闘諍之時。経云 猶多怨嫉。況滅度後。此言良有以也。又安楽行品云 文殊師利。是法華経。於無量国中。乃至名字。不可得聞。何況得見。受持読誦[已上経文]。当知、天台所釈法華宗、名字難聞。何況読誦。他宗無此歎。何不帰法華。有人問曰 法相宗人、造法華賛盛弘法華。其疏記等数百巻。又三論宗人、造法華疏盛講法華。今天台宗、有何異釈勝於二宗。答若論異釈者、玄疏籤記四十巻。今指一隅令知三方。法相宗人以成唯識為尊主、屈法華義令帰唯識。雖賛法華経、還死法華心。故湛然記云 唯識滅種死其心①。当知、其義懸別。又三論宗人雖造法華疏、其義未究竟。是故、嘉祥大徳、帰伏称心。案高僧伝第十九云 潅頂晩出称心精舎、開講法華<開演法華>。跨朗[法朗]以篭[慧龍]<跨朗以篭基>、超於雲[法雲]印[僧印]<超於雲印>。方集奔随、負篋書誦。有吉蔵法師。興皇入室。嘉祥結肆、独擅 ○求借義記、尋閲浅深、乃知体解心酔有所従矣。因廃講散衆、投足天台。・稟法華、発誓弘演也。当知、雖有法華疏、不如天台釈。[p2364-2365]
①記の十に云く ̄然此経、以常住仏性、為咽喉、以一乗妙行、為眼目、以再生敗種、為心腑、以顕本遠寿、為其命。而却以唯識滅種、死其心、以婆沙菩薩、掩其眼、以寿量、為釈疑、断其命、以常住、不遍、割其喉。以三界八獄、為大科、形斯為小、以一乗四徳、為小義、無可会帰。拠斯以論、諸例可識。〔然るに此の経は、常住仏性を以て咽喉と為し、一乗の妙行を以て眼目と為し、再生敗種を以て心腑と為し、顕本遠寿を以て其の命と為す。而も却りて唯識の滅種を以て其の心を死し、婆沙の菩薩を以て其の眼を掩ひ、寿量を以て釈疑と為して其の命を断じ、常住を以て遍ぜずとして其の喉を割く。三界八獄を以て大科と為し、斯れを形して小と為し、一乗の四徳を以て小義と為れば、会帰すべきこと無し。斯れに拠りて以て論ずるに、諸例識るべし〕[文]。[p2365]
嘉祥法華玄十巻 [p2365]
・・ 華厳 根本 [p2365]
三種法輪 ・・・ 三味 枝末 [p2365]
又云 会二破二・・ 法華 摂末帰本 [p2365]
・・ 已 ・・ 般若 [p2366]
・・ 今 ・・ 法華 [p2366]
・・ 当 ・・ 涅槃等 [p2366]
又云 五時 阿含・般若・方等・法華・涅槃 [p2366]
記の三に云く ̄嘉祥、身沾妙化、義已潅神<儀已潅神>〔嘉祥、身は妙化に沾ひて義已に神に潅ぐ〕。又云く ̄旧章須改 若依旧立 師資不成。伏膺之説靡施 頂戴之言奚寄〔旧章須らく改むべし。若し旧に依りて立せば、師資成ぜず。伏膺之説、施すこと靡く、頂戴之言奚ぞ寄せん〕。[p2366]
輔の三に云く ̄嘉祥者寺名。在会稽。王羲之捨宅所立。名吉蔵。胡郷所生。世称覚海。心包難伏之慧 口瀉如流之弁。著述章疏 領徒盛化。大師[吉] 初至陳都。有沙弥法盛。造席数問。法師[吉]対無。法盛時十七。身小声大。法師嘲曰 ・那不摧声補体。法盛応声対曰 法師何不削鼻填眸。吉蔵良久咽更調曰 汝好好問。闍梨好好為汝答。法盛曰 野干和上著在経文。胡作闍梨出何典拠。吉蔵泣謂曰 尺水計無丈波。法盛曰 余水雖不能泛於鯨鷁 亦足淹於蟻蜂。吉蔵又問 誰為汝師。汝誰弟子。法盛曰 宿王種覚天人衆中広説法華。是我等が師 我是弟子。講散乃捨山水納一領 用奉大師。遂即伏膺 請講法華 身為肉磴 用登高座。後因借章安義記 乃弥達浅深 体解口鉗 身踊心酔 廃講散衆 投足天台 ・稟法華。弘演頂戴永永。豈生異轍[p2366]
〔嘉祥とは寺の名なり。会稽に在り。王羲の宅を捨て立つる所。吉蔵と名づく。胡郷の所生なり。世に覚海と称す。心に難伏之慧を包み、口に如流之弁を瀉ぐ。章疏を著述し、徒と領し、化を盛んにす。大師[吉]、初めて陳の都に至る。沙弥法盛有り。席に造りてしばしば問ふ。法師[吉]対ふること無し。法盛時に十七。身小にして声大なり。法師嘲りて曰く なんじなんぞ声を摧いて体を補はざるや。法盛、声に応じて対へて曰く 法師、何ぞ鼻を削りて眸を填めざる。吉蔵、良く久しく咽びて調を更めて曰く 汝、好く好く問ふ。闍梨、好く好く汝が為に答へん。法盛曰く 野干の和上は著れて経文に在り。胡、闍梨と作る、何れの典拠に出でたる。吉蔵泣いて謂ひて曰く 尺水は計るに丈波無し。法盛曰く 余が水は鯨鷁を泛ぶることあたはずと雖も、亦蟻蜂を淹ふに足れり。吉蔵又問ふ 誰が汝が師為る。汝は誰が弟子ぞ。法盛曰く 宿王種覚天人衆の中に広く法華を説く。是れ我等が師、我は是れ弟子なり。講散じて乃ち山水納一領を捨て、用て大師に奉る。遂に即ち伏膺し、請じて法華を講ぜしめ、身を肉磴と為して、用て高座に登す。後、章安の義記を借りるに因りて乃ち弥いよ浅深に達し、体解け、口鉗み、身踊り、心酔ひ、講を廃し、衆を散じ、天台に投足し、法華を・稟す。弘演頂戴、永永までにす。豈に異轍を生ぜんや〕。[p2366]
続高僧伝の十九に云く ̄[道宣撰]晩出 ○発誓弘演。至十七年 智者現疾 瞻待暁夕 艱劬尽心。爰及滅度 親承遺旨。乃奉留書 竝諸信物 哀泣跪授。晋王乃五体投地 悲涙頂受 事遵賓礼 情敦法親。尋楊州惣管府司馬王弘 送頂還山。為智者設千僧斎 置国清寺〔晩に出でて ○発誓弘演す。十七年に至りて智者疾を現じ、暁夕に瞻待し、艱劬心を尽くす。爰に滅度に及びて親しく遺旨を承る。乃ち留書竝びに諸の信物を奉りて、哀泣跪授す。晋王乃ち五体を地に投じ、悲涙頂受し、事賓礼に遵び、情法親に敦し。尋いで楊州の惣管府司馬王弘をして、頂を送りて山に還す。智者の為に千僧斎を設け、国清寺に置く〕。[p2366-2367]
日蓮疑て云く 此の亀鏡を以て案じて云く 謗法謗人、其の法と人とに向はずんば、罪滅せざるか。弘法・慈覚・智証は如何。法蔵・澄観・慈恩・善導・善無畏・金剛智・不空は如何。[p2367]
又経云 ~当知、未説法華前所説諸経等、不足髻中珠<不是髻中珠>。[p2367]
又経云 ~ 於諸経中。最在其上。 ~ [文] ~ 明知。天台所釈法華之宗、釈迦世尊所立之宗。是諸如来第一之説。<又>於諸経中 最在其上。大牟尼尊、豈有愛憎。是法道理。足可讃耳。天親論師為説無上、良有以也。天台法華宗勝諸宗者<天台法華宗勝於諸宗者>、拠所依経故。不自讃毀他。庶有智君子、尋経定宗<尋経定宗也>。[p2367]
仏説十喩校量勝六 [p2367]
謹案法華経薬王菩薩本事品云 宿王華。譬如一切。川流江河。諸水之中。海為第一。此法華経。亦復如是。於諸如来。所説経中。最為深大[已上経文]。天台法華玄云 之を略す。明知。他宗所依経無有大海徳、唯有法華宗、大海深大徳[第一喩竟]。[p2367]
文句の十に云く ̄説窮本地為深 遍一切処為大〔本地を説き窮むるを深と為し、一切処に遍するを大と為す〕。此の釈の心は大海の喩は、本迹に亘るか。[p2367]
又云く_須弥山為第一。之を略す[第二喩竟]。[p2367]
又云く_又如衆星之中。月天子。~ 最為照明。之を略す。[第三喩竟] 迹門を以て水月に譬へ、本門を以て本月に譬ふ釈、之有り。[p2367-2368]
又云く_又如日天子。能除諸闇。此経亦復如是。能破一切。不善之闇[已上経文]。[p2368]
玄の一に云く ̄燈炬星月能与闇共住。譬諸経存二乗道果、与小星竝立故。日能破闇故。法華破化城除草庵故。又日映奪星月令不現故。法華払釈除方便故。 ・ 日蓮云く 迹門を月に譬へ本門を日に譬ふるか。九喩は如何。[p2368]
釈籤の一に云く ̄但取日明能映諸明故〔但日の明、能く諸明を映ずるを取るが故に〕[p2368]
秀句 当知、他宗所依経、破闇之義、未円満故、日照高山、未照幽谷。雖照幽谷、未照平地。天台法華宗、已照平地、時山谷倶照<山谷倶照>。故能破不善闇。深有以也。[p2368]
又云く 之を略す。当知、未顕真実、四十余年所説衆経等、如彼諸王。他宗所依経、諸経之王等、有一両句文、当分為王。故不名転輪王。已顕真実日所説法華経、知此転輪王<如此転輪王>。天台法華宗、於衆経中、最為其尊。是故、勝於諸宗者、不是臆説[第五喩竟]。
海・山・月・日・梵王・仏は全喩。輪王・帝釈・五仏子・菩薩は分喩なり。高如山 円如月 照如日 自在如梵王 極如仏〔大なること海の如く、高きこと山の如く、円なること月の如く、明なること日の如く、自在なること梵王の如く、極なること仏の如し〕。[p2368]
又云く 第六譬、之を略す。[p2368]
又云く 又如大梵天王。一切衆生之父。此経亦復如是。一切賢聖。学無学。及発菩薩。心者之父[已上経文]。玄云<天台法華玄云> 之を略す。経与玄開合為顕王中王。○王之中王、喩於法華。○明知 他宗所依経 不是王中王 天台法華宗 独王中王。 大日経第七云 依我大日経王説。金剛頂経云 大経王教。蘇悉地経云 於三部中此教為王云云。 日蓮云く 大日の三部経は、小王之中の王か、中王之中の王か、将た又王が中の王と勝るるか。 明知。他宗所依経、雖有一分仏母義、然但有愛闕厳義。天台法華宗、具厳愛義、一切賢聖、学無学、及発菩薩心者之父[第七喩竟]。[p2368]
第八 又 如一切。凡夫人中。須陀・。斯陀含。阿那含。阿羅漢。辟支仏為第一。此経亦復如是。一切如来所説。若菩薩所説。若声聞所説。諸経法中。最為第一。有能受持。是経典者。亦復如是。於一切衆生中。亦為第一[已上経文]。玄 略す。当知、他宗所依経、未最為第一。其能持経者、亦未第一。天台法華宗、所持法華経、最為第一。故能持法華者、亦衆生中第一。已拠仏説。豈自歎哉[第八喩竟]。[p2368-2369]
日蓮疑て云く 真言宗の畏・智・空・法・覚・証と伝教大師末学の法華の行者の四衆と、勝劣如何。[p2369]
第九 又云く 一切声聞。辟支仏中。菩薩為第一。此経亦復如是。於一切諸経法中。最為第一[已上経文]。之を略す。[p2369]
又云く_如仏為諸法王。此経亦復如是。諸経中王[已上経文]。 日蓮私に入る。 [p2369]
玄の一に云く ̄又薬王品挙十喩歎教。今引其六。大如海 高如山 円如月 照如日 自在如梵王 極如仏〔又薬王品に十喩を挙げて教を歎ず。今其の六を引く。大なること海の如く、高きこと山の如く、円なること月の如く、照すること日の如く、自在なること梵王の如く、極なること仏の如し〕。[p2369]
又云く ̄月能欠盈故、月漸円故、法華亦爾。同体権実故、会漸入頓故。日能破闇故。法華破化城除草庵故。又日映奪星月令不現故。法華払釈除方便故。〔月は能く欠盈するが故に、月は漸円するが故に、法華も亦爾なり。同体の権実なるが故に、漸を会して頓に入るが故に。日は能く闇を破する故に。法華は化城を破し、草庵を除くが故に。又日は星月を映奪して現ぜざらしむるが故に。法華は釈を払ひ方便を除くが故に〕。[p2369]
籤の一に云く ̄次月譬者 実如盈権如虧。同体権実如月輪無欠。会漸入頓如明相漸円。故知。前教相中云是漸頓者 与月譬意同。経中以星比月天子 雖挙天子 経合既云此法華経最為照明。故に今但取円 亦兼以明為譬。次日譬中復加燈炬。今合日譬中云破化城故。但取日明能映諸明故耳。若更合者 亦可以燈等四譬二乗及通別菩薩 竝与無明倶住故也。故次重引中 略挙星月而除方便。故知。方便所収復広〔次に月の譬へとは、実は盈ちるが如く、権は虧けるが如し。同体の権実は、月輪の欠くること無きが如く、漸を会して頓に入るは、明相の漸く円なるが如し。故に知んぬ。前の教相の中に是れ漸頓と云へるは、月の譬へと意同じことを。経の中には星を以て月天子に比し、天子を挙ぐと雖も、経に合すれば既に此の法華経最も為れ照明なりと云ふ。故に今は但円を取り、亦兼ねて明を以て譬へと為す。次に日の譬への中に復燈炬を加ふ。今、日の譬へに合する中に、破化城故と云ふ。但日の明、能く諸明を映ずるを取るが故なるのみ。若し更に合せば、亦燈等の四を以て二乗及び通別の菩薩に譬ふべし。竝びに無明と倶に住するが故也。故に次に重ねて引く中に、略して星月を挙げて而も方便を除く。故に知んぬ。方便の所収、復広きことを〕。[p2369-2370]
此の秀句に云く ̄天台法華玄云 月能欠盈故、月漸円故、法華亦爾。同体権実故、会漸入頓故。燈炬星月能与闇共住。譬諸経存二乗道果、与小並立[已上玄文]。乃至 [第三喩竟]。[p2370]
又云く ̄又如日天子。乃至 [第四喩竟]。[p2370]
第十に仏を法王に喩ふ。[p2370]
日蓮云く 迹仏は長者の位、本仏は法王の位か。[p2370]
此の秀句に云く ̄他宗所依経都無此十喩<他宗都無此十喩>。唯有法華此十喩。若他宗経、雖有此喩、当分跨節。可分別耳。釈尊立宗、法華為極。本法之故。待時待機。論師立宗、自見為極。随宜之故。立空立有。誠願、有智賢聖、玄鑒仏説、可為指南[第十喩竟]。[p2370]
論師立宗、自見為極と云云。[p2370]
授決集に云く ̄ 徴他学決五十二 真言 禅門 華厳 三論 唯識 律業 成倶二論等 乃至 謬誦真言 不会三観一心妙趣。恐同別人不証妙理。所以逐他所期之極 准理[我宗之理也]可徴。因明道理与外道対。多在小乗及別教。若望法華 華厳 涅槃等諸経 是摂引門。権対機設終以引進也。令邪小之徒会至真理。所以論時 存四依撃目之志莫執著之。又須将他対検自義随決是非。莫執怨之。大底他多在三教。円旨至少耳〔真言・禅門・華厳・三論・唯識・律業・成倶の二論等 乃至 謬りて真言を誦して三観一心の妙趣に会せず。恐らくは別人に同じて妙理を証せず。所以に他の所期の極に逐ひ、理に准じて[我が宗の理なり]徴すべし。因明の道理は外道と対す。多く小乗及び別教に在り。若し法華・華厳・涅槃等の諸経に望むれば、是れ摂引門なり。権りに機に対して設け、終に以て引進す。邪小の徒をして会して真理に至らしむなり。所以に論ずる時、四依撃目の志を存して之に執著すること莫れ。又、須らく他を将ゐて自義を対検し、随て是非を決すべし。之を執怨すること莫れ。大底他は、多く三教に在り。円の旨、至りて少なきのみ〕云云。[p2370]
日蓮云く 園城寺の末学等、請ふらくは、具さに此の決を見よ。智証大師、一生之間、未だ思ひ定めざるか。但此の一段に師の言を載するか。悲しいかなや。当世叡山・園城・東寺等の真言宗の学者等、深く初めの猿を恃んで永く井の底に沈むこと云云。[p2371]
即身六根互用勝七 [p2371]
謹案法華法師功徳品云 ~ 当得。八百眼功徳。千二百耳功徳。八百鼻功徳。千二百舌功徳。八百身功徳。千二百意功徳。以是功徳。荘厳六根。皆令清浄[已上経文]。当知、受持法師、読法師[一]、誦法師[二]、解説<解説法師>[四]、写法師<書写法師>、是五種法師<此五種法師>、各依法華経、各獲六千功徳、其六即位中、第四相似即位也。○父母所生。清浄肉眼。○明知。父母所生、即身異名。○偈云 雖未得天眼 肉眼力如是[已上偈文]。当知、実経力用、肉眼令浄。他宗所依経、都無此眼用。天台法華宗、有此眼用<具有此眼用>。○又云 雖未得無漏 法性之妙身 以清浄常体 一切於中現 ○天親菩薩 ○謂諸凡夫、以経力故、得勝根用[已上論文]。当知、諸凡夫人、可修学此経也。他宗所依経、都無此力故。天台法華宗、具有此力故。権実可検、妙行可進。互用之文、如論具説。[p2371]
・・ 釈大論也 三根者 眼耳意也 ・ 三根者 鼻舌身也 玄の六に云く ̄三根種種義強故有千二百功徳。三根力弱故但八百功徳者云云。蓋一途別説 非経円意〔三根は種種の義強き故に千二百の功徳有り。三根は力弱き故に但八百の功徳なりと云云。蓋し一途の別説なり。経の円意に非ず〕。又云く ̄能等。又云く ̄能縮。又云く ̄能盈。又云く ̄経云 若能持是経 功徳則無量 如虚空無辺 其福不可限 互用之意彰矣〔経に云く 若し能く是の経を持つ功徳は、則ち無量にして虚空の無辺なるが如く、其の福限るべからず、と。互用の意彰らかなり〕。[p2371]
説初住十種六根也 籤の九に云く ̄四念処云 六根清浄有真有似。真如華厳 似如法華〔四念処に云く 六根清浄に、真有り、似有り。真は華厳の如く似は法華の如し〕。[p2371-2372]
私に日蓮云く 大日経の六根互用の疏等に天台宗の如し云云。随て慈覚・智証等、之を承用す。爾るべきや不や。[p2372]
文句の十に云く ̄正法華整足具六千功徳 不論上中下〔正法華には整足して六千の功徳を具し、上中下を論ぜず〕。又云く 今経六根清浄与大品同。以是功徳荘厳六根与正法華同〔今経の六根清浄は、大品と同じ。是の功徳を以て六根を荘厳すとは、正法華と同じ〕。[p2372]
玄の六に云く ̄正法華功徳正等等千〔正法華には功徳正等にして等しく千なり〕。又云く ̄能等如正法華説 能縮如身眼鼻之八百 能盈如耳舌意千二百。経云 若能持是経 功徳則無量 如虚空無辺 其福不可限 互用之意彰矣〔能等は正法華に説くが如く、能縮は身眼鼻の八百の如く、能盈は耳舌意の千二百の如し。経に云く 経に云く 若し能く是の経を持つ功徳は、則ち無量にして虚空の無辺なるが如く、其の福限るべからず、と。互用の意彰らかなり〕。
正に云く_是受経典 持読書写 当得千眼 功徳之本 八百名称 千二百耳根 千二百鼻根 千二百舌根 千二百身行 千二百意浄。是為無数百千品徳。則能厳浄六根功祚〔是の経典を受け、持読、書写せば、当に千眼功徳の本、八百の名称、千二百の耳根、千二百の鼻根、千二百の舌根、千二百の身行、千二百の意浄を得べし。是れを無数百千品の徳と為す。則ち能く六根の功祚を厳浄す〕。又云く_八百諸名称清浄目明朗〔八百の諸の名称清浄にして目明朗らかなり〕。又云く_八百得鼻功徳〔八百の鼻の功徳を得〕。又云く_身行逮得八百功徳又〔身行八百の功徳を逮得せん〕。[p2372]
首楞厳経第四に云く _六根之中各々功徳有千二百。阿難汝復於中克定優劣。如眼観見後暗前明。前方全明後方全暗。左右旁観三分之二。統論所作功徳不全。三分言功一分無徳。当知 眼唯八百功徳。如耳周聴十方無遺。若迩若遥動静無辺際。当知 耳根円満一千二百功徳。如鼻臭聞通出入息。有出有入而闕中交。験於鼻根三分闕一。当知 鼻唯八百功徳。如舌宣揚尽諸世間出世間智 言有方分理無窮尽。当知 舌根円満一千二百功徳。如身覚触識於違順 合時能覚離中不知 離一合双。験於身根三分闕一。当知 身唯八百功徳。如意黙容十方三世一切世間出世間法 唯聖与凡無不包容尽其涯際。当知 意根円満一千二百功徳。○深入一門能令六根一時清浄〔六根の中、おのおのの功徳に千二百有り。阿難、汝復中に於て克く優劣を定めよ。眼の観見するが如き、後ろは暗く前は明らかなり。前の方は全く明らかに後ろの方は全く暗し。左右旁観すること三分の二なり。統べて所作を論ずるに、功徳全からず。三分は功を言ふとも一分は徳無し。当に知るべし、眼は唯八百の功徳なるのみなり。耳の周く聴くが如きは十方遺すこと無し。若し迩き、若しは遥か、動静辺際無し。当に知るべし、耳根の一千二百の功徳を円満することを。鼻の臭聞の如きは、出入の息に通ず。出有り、入有りて而も中交を闕く。鼻根を験しむるに、三分に一を闕く。当に知るべし、鼻は唯八百の功徳なり。舌の宣揚して諸の世間・出世間の智を尽くすが如きは、言には方分有れども、理に窮尽無し。当に知るべし、舌根は一千二百の功徳の円満することを。身、触るを覚へ、違順を識るが如きは、合する時は能く覚し、離るる中には知らず。離は一にして合は双へり。身根を験するに、三分に一を闕けたり。当に知るべし、身は唯八百の功徳なることを。意の黙して十方三世の一切世間・出世間の法を容るるが如きは、唯聖と凡とを包容して其の涯際を尽くさざること無し。当に知るべし、意根の一千二百の功徳を円満することを。○深く一門に入て能く六根をして一時に清浄ならしむ〕。[p2372-2373]
大論の四十に云く ̄鼻舌身同称覚 眼称見 耳称聞 意称知〔鼻・舌・身は、同じく覚と称し、眼は見と称し、耳は聞と称し、意は知と称す〕。[p2373]
即身成仏化道勝八 [p2373]
謹案法華経提婆達多品云 之を略す。[p2373]
当知、此文<此文明難成趣>、顕経力用。六趣之中、是畜生趣。明不善報。男女之中、是則女身。明不善機。長幼之中、是則少女。明不久修。雖然、妙法華甚深微妙力、具得二厳用。明知。法華力用、諸経中宝、世所希有[文]。[p2373]
又経云 智積 之を略す[已上経文]。当知、智積菩薩挙此歴劫修行<智積菩薩挙歴劫修行>、難即身成仏、信三阿僧祇仏<信三僧祇仏>、不信須臾成。今時三中、大所疑難勢<大所疑難之勢>、不過之智積難<不過智積難>。[p2373]
又経云 ~ 以偈讃曰 深達罪福相 ○我闡大乗教 度脱苦衆生[已上経文]。初深達罪福相者<初句深達罪福相者>、罪福多種。故四悪道為罪、以人天為福[一]。又人天為罪、以二乗為福[二]。両教二乗、以為罪、六度菩薩以為福[三]。六度菩薩、以為罪、通教菩薩、以為福[四]。通教菩薩、以為罪、別教菩薩、以為福[五]。別教菩薩、以為罪、円教菩薩、以為福[六]。如是罪福相、如理了達故、是故、名為深達。若未達六重、不得名深達。当知、龍王女、挙深達法身、引証唯仏也。[p2373-2374]
次経云 爾時舎利弗。語龍女言。汝謂不久。得無上道。是事難信云云。之を略す。当知、舎利弗、信小乗三蔵教、三僧祇劫修六度行、百劫修相好業、不信法華、直道場至、須臾頃<於須臾頃>、便正覚成。[p2374]
次経云 又女人身。猶有五障。○五者仏身。云何女身。速得成仏[已上経文]。~ 有人会云 是此権化。実凡不成。難云 権是引実、実凡不成仏、権化無用。経力令没。釈迦、留智積文殊弘妙法<以由智積文殊弘妙法>、龍女顕経力。如是妙論議、已顕真実経、宣示顕説也。○能化所化、倶無歴劫。妙法経力、即身成仏[文]。[p2374]
又云く ̄他宗所依経、都無即身入。雖一分即入、推八地已上、不許凡夫身。天台法華宗、具有即入義。○即身成仏、化道之義、寧不勝於他宗哉<寧不勝於他宗也>。[p2374]
文句の八に云く ̄智積執別教為疑 龍女明円釈疑 身子挟三蔵権難 龍女以一実除疑〔智積は別教に執して疑ひを為し、龍女は円を明かして疑ひを釈し、身子は三蔵の権を挟んで難じ、龍女は一実を以て疑ひを除く〕。[p2374]
又云く ̄龍女現成明証復二。一者献珠表得円因。奉仏是将因剋果。仏受疾者 獲果速也。此即一念坐道場成仏不虚也。二正示因円果満。胎経云[私云 爾前円生身得忍也] 魔梵釈女皆不捨身不受身 悉於現身得成仏。故偈言 法性如大海 不説有是非。凡夫賢聖人 平等無高下 唯在心垢滅。取証如反掌〔龍女の現成明証に復二。一には珠を献じて円因を得るを表す。仏に奉るは、是れ因を将ゐて果を剋す。仏受くること疾きは、果を獲るの速やかなるなり。此れ即ち一念に道場に坐して成仏虚しからざるなり。二には正しく因円果満を示す。胎経に云く [私に云く 爾前の円、生身得忍なり] 魔・梵・釈・女皆身を捨てず、身を受けず、悉く現身に於て成仏を得。故に偈に言く 法性は大海の如く、是非有りと説かず。凡夫賢聖の人、平等にして高下無く、唯心垢の滅するに在り。証を取ること掌を反すが如し〕。[p2374]
記の八に云く ̄正示円果中云龍女作仏 問為不捨分段即成仏耶。若不即身成仏 此龍女成仏及胎経偈云何通耶。答今龍女文従権而説 以証円経成仏速疾。若実行不疾権行徒引。是則権実義等理不徒然。故胎経偈従実得説[生身得忍益]。若実得者 従六根清浄得無生忍 応物所好容起神変 現身成仏及証円経。既証無生。豈不能知本無捨受。何妨捨此往彼。余教凡位至此会中 進断無明亦復如是。凡如此例 必須権実不二以釈疑妨〔正に円果を示す中に龍女作仏と云ふは 問ふ さだめて分段を捨てずして即ち成仏するや。若し即身に成仏せずんば、此の龍女の成仏及び、胎経の偈、云何ぞ通せんや。答ふ 今の龍女の文は、権に従て而も説いて、以て円経の成仏速疾なるを証す。若し実行疾からざれば、権行徒に引ならん。是れ則ち権実の義等しくして、理徒然ならず。故に胎経の偈は、実得に従て説く[生身得忍の益]。若し実得ならば、六根清浄より無生忍を得、物の好む所に応じて神変を起し現身に成仏し、及び円経を証すべし。既に無生を証す。豈に、本、捨受無きことを知ることあたはざらんや。何ぞ此れを捨て、彼に往くことを妨げん。余教は凡位、此の会の中に至りて進んで無明を断ずるも、亦復是の如し。凡そ此の如き例、必ず須らく権実不二を以て疑妨を釈す〕。[p2374-2375]
文句の八に云く ̄此是権巧力得一身一切身〔此れは是れ権巧の力、一身一切身を得〕。[p2375]
記の八に云く ̄言権巧者 不必一向唯作権釈。只云龍女已得無生 則約体用而論権巧。非謂専約本迹為権巧也。故権実二義経力倶成。他人釈此 或云七地十地等者 不能顕経力用故也〔権巧と言ふは、必ずしも一向に唯権の釈を作らず。只龍女已に無生を得と云ふときは、則ち体用に約して而も権巧を論ず。専ら本迹に約して権巧と為すと謂ふには非ず。故に権実の二義、経力倶に成ぜり。他人此れを釈するに、或は七地十地等と云ふは経の力用を顕すことあたはざるが故なり〕。[p2375]
輔に云く ̄経深達罪福相者 問此是讃仏為自讃。答観経及疏 是讃自身所証 以釈智積之疑〔経に深達罪福相とは 問ふ 此れは是れ仏を讃するや、自讃と為るや。答ふ 経及び疏を観るに、是れ自身の所証を讃して、以て智積の疑ひを釈するなり〕。[p2375]
日蓮疑て云く 法華・天台・妙楽・伝教の心は大日経等の即身成仏を許すや。慈覚・智証等、之を許す。安慧・安然等も、又之を許す。随て日本国の末学も之を許す。[p2375]
・・ 此論龍猛菩薩造 不空訳 或云 不空造 菩提心論に云く ̄唯真言法中即身成仏故是説三摩地法。於諸経中闕而不書〔唯真言法の中のみに即身成仏する故に是の三摩地の法を説く。諸経の中に於て闕けて而も書かせず〕。[p2375]
釈三十七尊 引金剛頂経又引摩訶般若経 又云く ̄第三言三摩地者 ○説此甚深密瑜伽 令修行者於内心中観日月輪〔第三に三摩地と言へるは ○此の甚深密の瑜伽を説いて修行者をして内心の中に於て日月輪を観ぜしむ〕。[p2375]
又云く ̄我見自心 形如月輪〔我自心を見るに、形月輪の如し〕。[p2375]
又云く ̄一切有情於心質中有一分浄性。衆行皆備。其体極微妙 皎然明白。乃至輪廻六趣 亦不変易。如月十六分一〔一切の有情、心質の中に於て一分の浄性有り。衆行皆備はれり。其の体極めて微妙にして、皎然明白なり。乃至、六趣に輪廻すれども、亦変易せず。月の十六分の一の如し〕。[p2375-2376]
又云く ̄初以阿字発起本心之中分明 亦漸令潔白分明 証無生智。夫阿字者 一切諸法本不生義。准・盧遮那経疏 阿字具有五義。一者阿字[短声]是菩提心。二阿字[引声]是菩提行。三暗字[短声]是勝菩提義。四悪字[短声]是般涅槃義。五悪字[引声]是具足方便智義。又将阿字配解法華経中開示悟入四字也 開字者開仏知見。即双開菩提心。如初阿字。是菩提心義也。示者示仏知見。如第二阿字。是菩提行義也。悟字者悟仏知見。如第三暗字。是証菩提義也。入字者入仏知見。如第四悪字。是般涅槃義也。惣而言之 具足成就第五悪字。是方便善巧智円満義也。即讃阿字是菩提心義。頌曰 八葉白蓮一肘間炳現阿字素光色。禅智倶入金剛縛 召入如来寂静智。五相成身云云。一通達心 二菩提心 三金剛心 四金剛身 五証無上菩提 獲金剛堅固身。然此五相具備 方成本尊身也。大・盧遮那経云 如是真実心故{仏所宣説}〔初めに阿字を以て本心の中の分明を発起して、亦漸く潔白分明ならしめて、無生智を証す。夫れ阿字とは、一切諸法本不生の義なり。・盧遮那経の疏に准ぜば、阿字に具さに五義有り。一には阿字[短声]是れ菩提心なり。二には阿字[引声]是れ菩提行なり。三には暗字[短声]是れ勝菩提の義なり。四には悪字[短声]是れ般涅槃の義なり。五には悪字[引声]是れ具足方便智の義なり。又阿字を将ゐて法華経の中の開・示・悟・入の四字に配解せば 開の字は、仏知見を開く、即ち双べて菩提心を開く。初めの阿字の如し。是れ菩提心の義なり。示は仏知見を示す。第二の阿字の如し。是れ菩提行の義なり。悟の字は仏知見を悟る。第三の暗字の如し。是れ証菩提の義なり。入の字は仏知見に入る。第四の悪字の如し。是れ般涅槃の義なり。惣じて之を言はば、具足成就の第五の悪字なり。是れ方便善巧智円満の義なり。即ち阿字は是れ菩提心の義なることを讃するなり。頌に曰く 八葉の白蓮、一肘の間に阿字素光の色を炳現す。禅智倶に金剛縛に入て如来の寂静の智を召入す。五相成身云云。一には通達心・二には菩提心・三には金剛心・四には金剛身・五には無上菩提を証して金剛堅固の身を獲るなり。然も此の五相具さに備はれば、方に本尊の身と成るなり。大・盧遮那経に云く 是の如く真実心は故仏宣説したまふ所なり〕。[p2376]
又云く ̄欲具妙道 修持次第 従凡入仏位者。即此三摩地者〔妙道を欲具し、次第を修持して、凡より仏位に入る者なり。即ち此の三摩地とは〕。[p2376]
又云く ̄故大ビルサナ経云 悉地従心生。如金剛頂瑜伽経説。一切義成就菩薩〔故に大ビルサナ経に云く 悉地は心より生ず。金剛頂、瑜伽経に説く如し。一切義成就菩薩〕[p2376]
又云く ̄故大ビルサナ経供養次第法云 若無勢力〔故に大ビルサナ経供養次第法に云く 若し勢力無くんば〕。[p2376]
又云く ̄讃菩提心曰 若人求仏慧通達菩提心 父母所生身 速証大覚位〔菩提心を讃して曰く 若し人仏慧を求めて菩提心に通達せば、父母所生の身、速やかに大覚位を証す〕。[p2376-2377]
弘法大師作 二教論偈に云く ̄
菩提心論云 諸仏菩薩昔在因地 発是心已 勝義行願三摩地為戒乃至成仏 無時暫忘。唯真言法中即身成仏故是説三摩地法。於諸経中闕而不書。喩曰 此論者龍樹大聖所造 千部論中密蔵 肝心論也。是故顕密二経差別浅深 及成仏遅速勝劣 皆説此中。謂諸経者他受用身及変化身等所説法 諸顕教也。是説三摩地法者 自性法身所説 秘密真言三摩地法門是也。謂金剛頂十万頌経等是也。〔菩提心論に云く 諸仏菩薩、昔因地に在して、是の心を発し已りて、勝義行願三摩地を戒と為し、乃し成仏に至るまで、時として暫くも忘るること無し。唯真言法の中のみに即身成仏する故に是の三摩地の法を説く。諸経の中に於て闕けて而も書かせず。喩して曰く 此の論は龍樹大聖の所造、千部の論の中の密蔵、肝心の論なり。是の故に顕密二経の差別浅深、及び成仏の遅速勝劣、皆此の中に説けり。謂く 諸経とは、他受用身及び変化身等の所説の法、諸の顕教なり。是説三摩地法とは、自性法身の所説、秘密真言の三摩地法門是れなり。謂ゆる金剛頂の十万頌の経等是れなり〕。[p2377]
菩提心義一 五大院抄 一 菩提心義 二 菩提心論也 [p2377]
問 此二文是誰説。答 真言目録 竝云不空造。私検二文 論是龍樹造 不空訳也。菩提心義 無造主名。而古徳皆云不空造者有疑也。○問 若爾菩提心論亦云 准ビルサナ経疏釈阿字具有五義[文]。豈非不空引一行記乎。答 彼是後人 引彼疏文注入論中。而有論本書長行者 ・写生矣。問 抑大日経疏無所引文。何言准疏耶。答 高野十四二十巻脱此文也。慈覚大師 遍明和尚 円成和上 円覚僧正等本 竝有此文。故知 高野鈔本脱去。問 菩提心義末有古徳注云 高野大僧正進官入唐学法目録中云 不空訳也。今謂恐是彼不空集耳[文]。此語用否。答 縦令不空集 可集秘蔵文。何故唯集顕教経論 故難用。問 若終有疑不用彼五門。答 真言古徳 閉目信用。今須言不違古且用彼門五門 ○問 古徳有云 有目録云 菩提心論不空集也。故非龍樹説。此語用否。答 論云 龍猛菩薩造 不空奉詔訳。而言不空集者無憑・用。[p2377-2378]
〔問ふ 此の二の文は、是れ誰が説くや。答ふ 真言の目録には、竝びに不空の造と云ふ。私に二文を検するに、論は是れ龍樹の造、不空の訳なり。菩提心義は、造主の名無し。而るに古徳皆不空の造と云へるは、疑ひ有るなり。○問ふ 若し爾らば、菩提心論に亦云く ビルサナ経の疏に准じて阿字を釈するに具さに五義有り、と[文]。豈に不空、一行の記を引くに非ずや。答ふ 彼は是れ後の人、彼の疏の文を引いて論の中に注入せしなり。而るに、有る論本に長行に書ける者は、写生の・りならんや。問ふ 抑そも大日経の疏に所引の文無きなり。何ぞ疏に准ずと言ふや。答ふ 高野の十四と二十の巻には此の文を脱せるなり。慈覚大師・遍明和尚・円成和上・円覚僧正等の本には、竝びに此の文有り。故に知んぬ、高野の鈔本には脱去せるを。問ふ 菩提心義の末、古徳の注有り。云く 高野大僧正進官入唐学法の目録の中に云く 不空の訳なりと。今謂へらく、恐らくは是れ彼の不空の集ならん、と[文]。此の語を用ふるや否や。答ふ 縦令不空の集なりとも、秘蔵の文をば集むべし。何の故ぞ唯顕教の経論のみを集めんや、故に用ひ難し。問ふ 若し終に疑ひ有らば、彼の五門を用ひざるや。答ふ 真言の古徳、目を閉ぢて信用す。今須らく古に違はず且く彼の門の五門を用ふると言ふべし。○問ふ 古徳の有るが云く 有る目録に云く 菩提心論は不空の集なり。故に龍樹の説に非ず、と。此の語、用ふるや否や。答ふ 論に云く 龍猛菩薩の造、不空詔を奉りて訳すと。而るに不空の集と言へるは憑無く用ひ・し〕。[p2377-2378]
多宝分身付属勝九 [p2378]
謹案法華経見宝塔品云 爾時多宝仏。於宝塔中。分半座与。釈迦牟尼仏。而作是言。○以大音声。普告四衆。誰能於此。娑婆国土。広説妙法華経。今正是時。如来不久。当入涅槃。仏欲以此。妙法華経。付属有在[已上経文]。当知、過去多宝、現在釈尊、同坐塔中、十方現在、釈迦分身、各坐八方、大会四衆、皆在虚空、妙法華経、付属有在。他宗所依経、都無此付属。天台法華宗、具有此付属。是故天親菩薩釈論下巻云 多宝如来塔、示現一切仏土清浄者、○其権大乗経、彼権一乗経、都無此付属。未顕真実故。今実大乗経、<今実一乗経>、具有此付属。已顕真実故。他宗経付属、不如法華宗。[p2378]
○又挙六難、重示九易。又経偈云<経偈又云> 諸余経典 数如恒沙 ○夫円教心<夫発円教心>、書持難得。東隅一公、制書法華中、釈氏<法華釈氏>、断大律儀。是則為難。深可信恐哉。[p2378-2379]
○夫解円融三諦、暫読法華経、濁悪世中、其人極難得。今時読法華、其数忽似多。雖然、無即身六根清浄果、由未解了円融三諦故。難則指法華也。[p2378]
○又云く ̄夫円融三諦、一乗本法。難持難説。所化難得。為一人説、仏種不断。是則為難。難則指法華也。[p2379]
○当知 ○未顕真実八万法蔵、十二部経、不是妙法。是故為易也。[p2379]
○夫仏知仏見、其義難解、体内権実、非機不信。是故、聴受法華、問其義趣。是則為難。難則指法華也。[p2379]
○夫当代法説未令一人証得羅漢。何況三四五六七人。何況無量無数恒沙衆生、令得阿羅漢乎。而執小乗威儀、不順法華制。奪大乗威儀、但許両聚戒。寧解了大小権実之義者哉。既挙得果阿羅漢、雖有是益、未為難。何<何因>、固執其威儀、万億行者引小道。小乗持戒、即菩薩之煩悩、蓋謂斯事歟。但除不執小儀也。[p2379]
又云く ̄他宗所依経、未出九易局。天台法華宗、独居六難頂。誰有智者、不別経文哉。如是等校量付属、他宗経所無、唯有法華経。○浅易深難、釈迦所判。去浅就深、丈夫之心也。天台大師、信順釈迦、助法華宗、敷揚震旦。叡山一家、相承天台、助法華宗、弘通日本。夫玄賛之家、会法華旨、帰唯識之義。是則、弘唯識宗、不弘法華。無相之家、会法華旨、帰無相之義。是則、弘無相宗、不弘法華。是故、天台一家、会一切経、帰法華経。是則、敷揚法華、会通諸経。委曲之義、具出玄疏也。[p2379]
日蓮疑て云く 大日経等は九易之内か、六難之内か。仏法を修学せん之輩、猶お猶お意を留めよ。日本国の弘法・慈覚・智証、漢土の善無畏・金剛智・不空等云云。日蓮云く 漢土・日本の智人等、此の六人に拘りて、今生には国を亡ぼし、後生には無間を招かんか。乞ひ願はくは一切の学者等、人を捨て法に附け。一生を空しくすること勿れ。[p2380]
普賢菩薩勧発勝十 [p2380]
謹案法華経普賢菩薩勧発品云 之を略す。[p2380]
当知、普賢菩薩、決得法華、勧発滅後持経者也。得経之義、意趣甚多。得巻得義、得思得修。経六即位、可分別耳。[p2380]
又云く ̄爾時普賢菩薩。復白仏言<白仏言>。世尊。於後五百歳。○当知、法華真実経、於後五百歳必応流伝也。普賢正身、守果分故、護持経者令得安穏。他宗所依経、都無此勧発。天台法華宗、具有此勧発。○当知、普賢菩薩、現身供養読誦法華者。夫果分之経者、因位菩薩人、可尊可貴。故供養法華経。他宗所依経、都無此供養、亦無此安慰。天台法華宗、具有此供養。亦有此安慰。勧発之功、尽果分経。[p2380]
又云く ̄円融三諦義陀羅尼、唯有法華。余経都無。他宗所依経、都無得円益、天台法華宗、具有得円益。勧発之功、尽果分経。[p2380]
又云く ̄世尊若後世。後五百歳。濁悪世中云云。当知、法華経力故、後世後五百歳、円機四衆等。[p2380]
又云く ̄経又云 亦復与其。陀羅尼呪。得是陀羅尼故云云。当知、為護法華経、真言与持者、自身常守護。他宗所依経、都無此勧発、天台法華宗、具有此勧発。妙法真言、他経不説。普賢常護、他経不説。是故、法華宗、勝於二論宗、亦於勝華厳。[p2380-2381]
又云く ̄夫仏知仏見内証之経、難信難解。果分之教、独秀諸経、無対無比。全身舎利、亦上亦一。深信金口。[p2381]
又云く ̄天台法華宗、能説之仏、久遠実成。所説之経、髻中明珠。能伝之師、霊山聴衆。所伝之釈、諸宗憑拠。委曲之依憑、具有別巻也[文]。[p2381]
日蓮疑て云く 伝教大師、真言宗を破せざるや。答ふ[p2381]
前入唐天台法華宗釈最澄撰 依憑天台宗序 伝統大法師位 最澄撰 [p2381]
天台伝法者、諸宗明鏡也。陳隋以降、興唐已前。人則歴代称為大師、法則諸宗以為証拠矣。故梁粛云 夫治世之経、非孔門則三王四代之訓、覆而不彰<寝而不彰>。出世之道、非大師則三乗四教之旨、晦而不明者也。我日本天下、円機已熟、円教遂興。此間後生、各執自宗、偏破妙法。○新来真言家、則泯筆授之相承、旧到華厳家、則隠影響之軌模。沈空三論宗者、忘弾呵之屈恥、覆称心之心酔、著有法相宗<著有法相宗者>、非撲揚之帰依、撥青龍之判経。最澄南唐之後、稟此一宗、東唐之訓、閲彼戒疏<聞彼戒疏>、拾円珠於海西、献連城於海東。略示菽麦之殊、悟目珠之別。謹著依憑一巻、贈同我後哲<則贈同我後哲>。其時興日本第五十二葉弘仁七年丙申之歳也。[p2381]
大唐新羅諸宗義匠依憑天台義巻一<大唐新羅諸宗義匠依憑天台義一巻> 前入唐習業 沙門最澄撰 [p2381]
大唐南岳真言宗沙門一行天台三徳数息三諦義 其・盧遮那経疏第七下云 三落叉是数。数是世間也。出世落叉、是見。三相謂 字印本尊<字印本尊等>、随取其一、一合相是也。字印尊等、身語心等、名見実相。乃至能令持誦者、浄令一切罪除。若不浄、更一月等如前也。所説念誦数謂牒上文也<所説念誦者、数牒上文也>。不応異此法則也。是故、令耳聞、息出時字出、入時字入、令随息出入也。今謂 天台之誦経、是円頓数息<是円家数息>、是此意也。○猶如天台法身般若解脱義。云云[p2381-2382]
天竺名僧聞大唐天台教迹最堪簡邪正渇仰訪問縁 法華文句記第十巻末云 適与江淮四十余僧、往礼臺山。因見不空三蔵門人含光、奉勅在山修造。云与不空三蔵、親遊天竺。彼有僧問曰 大唐有天台教迹。最堪簡邪正暁偏円。可能訳之、将至此土耶。豈非中国失法、求之四維。而此方小有識者<而此方少有識者>。如魯人耳。故厚徳向道者、莫不仰之敬。願学者行者、随力称讃。応知、自行兼人。並異他典。[p2382]
・・ 吉蔵等一百余人請天台言 千年之与五百、実復在今日。南岳叡聖、天台明哲、昔三業住持、今二尊紹係<今二尊紹系>。豈止灑甘露於振旦。亦当震法鼓於天竺。生智妙悟、魏晋以来、典籍風謡、実無連類。[p2382]
律宗道宣讃天台語 照了法華、若高輝之臨幽谷、説摩訶衍、似長風之遊大虚。仮令文字之師、千群万衆、数尋彼妙弁、無能窮者也<無能窮也>。~ 義同指月、不滞筌蹄。~ 理会無生、宗帰一極者也。[p2382-2383]
・・ 依憑御言 吁乎実哉。生知者上。学而知者次<学知者次>。此言有以也。不出庭戸、天下可知。豈空伝哉。此間在比蘇。大唐聞天台。今吾大師、雖不遂杖於葱嶺、然霊山之聴、恒存心腑。雖不負経於流沙、而南岳之告、篤載簡牘。三蔵尋梵偈於印度、天台振法鼓於天竺。波倫入漢、礼文殊於臺山、梵僧来呉、謁弥勒於東陽。漢地已有聖。秦国何無賢。支那三蔵、和諍論於天竺、震旦人師、糅群釈於梵本。於彼智略、神州亦好。於此義味、大唐亦妙。唯敬信於義理、寧謗人法招殃哉。貴耳賎目、漢人所嗟、敬遠軽近、此間難免。伏願、有心君子、捨愛憎之情<放愛憎之情>、熟察諸宗憑<熟察諸宗之憑>。~ 今吾天台大師、説法華経、釈法華経。特秀於群独歩於唐。明知。如来使也。讃者積福於安明、謗者開罪於無間。雖然、於信者為天鼓、於謗者為毒鼓。信謗彼此、決定成仏。又偈云 略す。・捨福慕罪者哉。願同見於一乗、倶入於合海也<倶入於和合海也>。[p2383]
#Z024-000 一代五時鶏図 弘安元年(1278) [p2384]
或二年(1279)
十九出家三十成道 [p2384]
[トシユムワシヤウ] ・・ 杜順和尚 [p2384]
三七日或二七日 ・ [チコン]
権大乗 ・ 智儼法師
華厳経 ・・・・・・ 華厳宗 ・・・ [p2384]
実大乗 ・ 法蔵法師 或香象 [p2384]
・ [チヨウクワン] [p2384]
・・ 澄観清凉国師 [p2384]
十二年 ・・ 戒 ・・ 律宗 道宣等 [p2384]
小乗経 ・ [p2384]
阿含経 ・・・・・・・ 定 ・・ 倶舎宗 [p2384]
・ [カリバツマ] [p2384]
・・ 慧 ・・ 成実宗 迦利跋摩等 [p2384]
・・ 弥勒菩薩等 ・・ 玄奘三蔵 ・・ 深密経 ・・ 瑜伽論・・ 法相宗・・ ・ [ユカロン] ・・ 慈恩大師 ・ [p2384]
・ [トンラン][p2385]
・ ・・ 曇鸞 [p2385]
・ 双観経 ・・ ・ 道綽 [p2385]
・ 観経 ・・・・・・ 浄土宗・・ [p2385]
・ 阿弥陀経 ・・ ・ 善導 [p2385]
・ ・・ 法然等 [p2385]
・方等部・・
・ ・ 楞伽経 ・・・・・・・・ 禅宗 ・・・ 達磨大師[p2385]
・ ・
・ ・ ・・ 善無畏三蔵 ・ ・ ・ 金剛智三蔵 ・ ・ 大日経 ・・ ・ 不空三蔵 ・ ・ 金剛頂経 ・・・・・・ 真言宗・・ ・ ・・ 蘇悉地経 ・・ ・ 弘法大師 ・ 或云華厳同時 或云方等之時 ・ 慈覚大師 ・ 或云般若時 或云法華涅槃之時 ・・ 智証大師 ・ 或云一代之外云云 [p2385]
・
・・ 三十年 [p2385]
・
・ ・・ 百論 提婆菩薩造・・ [p2385]
・・ 大品経 ・・ 三論宗 ・・ 中論 龍樹菩薩造 ・・ 嘉祥大師 [p2385]
・・ 十二門論 同 ・・ [p2385]
無量義経云 以方便力。四十余年。未顕真実。 [p2385]
又云 過無量無辺不可思議阿僧祇劫。終不得成。無上菩提。所以者何。不知菩提。大直道故。行於険径。多留難故。[p2386]
又云 行大直道。無留難故。[p2386]
八ヶ年 実大乗 法華経 ・・ 天台法華宗 仏立宗 [p2386]
将非魔作仏 悩乱我心耶 [p2386]
於仏所説法 当生大信力 [p2386]
世尊法久後 要当説真実 [p2386]
正直捨方便「四十余年念仏等也」 但説無上道「法華経」 [p2386]
雖示種種道 其実為仏乗 [p2386]
今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子 而今此処 多諸患難 唯我一人 能為救護 [p2386]
若人不信 毀謗此経。則断一切 世間仏種 或復・蹙 而懐疑惑[p2386]
見有読誦 書持経者 軽賎憎嫉 而懐結恨 此人罪報 汝今復聴 其人命終 入阿鼻獄 [p2386]
薬王今告汝 我所説諸経 而於此経中 法華最第一。 [p2387]
爾時。仏復告。薬王菩薩摩訶薩。我所説経典。無量千万億。已説。今説。当説。 而於其中。此法華経。最為難信難解。 [p2387]
爾時宝塔中。出大音声。歎言善哉善哉。釈迦牟尼世尊。能以平等大慧。 教菩薩法。仏所護念。妙法華経。為大衆説。如是如是。釈迦牟尼世尊。 如所説者。皆是真実。 [p2387]
爾時世尊。於文殊師利等。○一切衆前。現大神力。出広長舌。上至梵世。 又云く 十方世界。衆宝樹下。師子座上諸仏。亦復如是。出広長舌。放無量光。 [p2387]
・・ 依法不依人 一日一夜 ・ 依義不依語 大般涅槃経 ・・ ・ 依智不依識 ・・ 依了義経「法華経」 不依不了義経「爾前」 [p2387]
#Z025-000 一代五時鶏図 弘安三年(1280) [p2388]
花押
・・ 智儼[p2388]
権大乗 三七日 ・ 杜順[p2388]
・・ 華厳経 六十巻 八十巻 四十巻等 ・・ 華厳宗 ・・ [p2388]
・ 乳味 ・ 法蔵[p2388]
・ ・・ 澄観[p2388]
・
・ 小乗経 十二年 ・・ 倶舎宗 [p2388]
・・ 阿含経 ・・・・・・・・・・・・・・ 成実宗 [p2388]
・ 酪味 ・・ 律宗 [p2388]
・
・
・ ・ 無著菩薩 ・ ・ 世親菩薩 ・ ・ 瑜伽論 弥勒菩薩説・ ・ 護法菩薩 ・ ・・ 深密経・ ・法相宗・ ・ ・ ・ 唯識三十頌 世親菩薩造・ ・ 戒賢論師 ・ ・ ・ 玄奘三蔵 ・ ・ ・ 慈恩大師 ・ ・ [p2388]
・ ・ 楞伽経 ・・ 十巻 四巻 七巻 ・・ 禅宗 ・・ 達磨大師 ・ ・ [p2388]
・・ 方等部 ・・ 大集経 ・・ 六十巻 [p2388]
・ 生蘇味 ・ [p2388]
・ ・ ・・ 善無畏三蔵[p2389]
・ ・ ・ 金剛智三蔵[p2389]
・ ・ ・ 不空三蔵 [p2389]
・ ・ 大日経 七巻・・ ・ 恵果和尚 [p2389]
・ ・ 金剛頂経 三巻 ・真言宗・・ 弘法大師 [p2389]
・ ・ 蘇悉地経 一巻・・ ・ 順教 [p2389]
・ ・ ・ 伝教大師 [p2389]
・ ・ ・ 慈覚大師 [p2389]
・ ・ ・・ 智証大師 [p2389]
・ ・
・ ・ 無量寿経 ・・ ・ 曇鸞法師 [p2389]
・ ・ 観無量寿経 ・・ 浄土宗・・ 道綽禅師 [p2389]
・ ・・ 阿弥陀経 ・・ ・ 善導和尚 [p2389]
・
・ ・ 龍樹菩薩 [p2389]
・ ・ 百論 提婆菩薩・ ・ 提婆菩薩 [p2389]
・ ・ 中論 龍樹菩薩・亦云四論宗・ 清弁菩薩 [p2389]
・・ 般若・・ 大品経・ ・三論宗・・・ [p2389]
・ 十二門論 同 ・ ・ 羅什三蔵 [p2389]
・ 大智度論 同 ・ ・[嘉祥寺] [p2389]
・ 吉蔵大師 [p2389]
無量義経 一巻 以方便力。四十余年。未顕真実。 過無量無辺不可思議阿僧祇劫。終不得成。無上菩提。所以者何。不知菩提。 大直道故。行於険径。多留難故。 行大直道。無留難故。 [p2390]
八ヶ年 ・・ 天台大師 法華経八巻 ・・・・・・・・ 法華宗 ・・・・ 醍醐味 ・・ 伝教大師[p2390]
於仏所説法 当生大信力 [p2390]
世尊法久後 要当説真実 [p2390]
正直捨方便 但説無上道 [p2390]
今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子 而今此処 多諸患難 唯我一人 能為救護 雖復教詔 而不信受 [p2390]
・・ 依法不依人 一日一夜説・ 依義不依語 大般涅槃経 四十巻 或三十六巻・・・・・・ 同 醍醐味・ 依智不依識 ・・依了義経 不依不了義経 [p2390]
#Z026-000 十宗事 不詳 [p2391]
・・ 拙度宗 [p2391]
倶舎宗 ・・ 半字宗 [p2391]
・・ 下劣宗 [p2391]
成実宗 ・・・ 驢牛和合乳宗 [p2391]
律宗 ・・・・ 驢乳宗 [p2391]
法相宗 ・・・ 逆路宗 [p2391]
・・ 背上向下宗 [p2391]
三論宗 ・・ [p2391]
・・ 捨本附末宗 [p2391]
華厳宗 ・・・ 迷経宗 [p2391]
真言宗 ・・・ 咎范宗 [p2391]
法華宗 ・・・ 仏立宗 [p2391]
禅宗 ・・・・ 趙高宗 殺二世王 [p2391]
・・ 梟鳥宗 禽 [p2391]
浄土宗 ・・ 破鏡宗 獣 [p2391]
・・ 不孝宗 [p2391]
#Z031-0K0 四教略名目 正嘉(1257-59) [p2877]
三界者 一 欲界 二 色界 三 無色界 [p2877]
第一の欲界に六 [p2877]
一 地獄界 百三十六 熱地獄一 寒地獄八 [p2877]
二 餓鬼 閻魔宮に有り [p2877]
三 畜生 亦傍生と云ふ 水陸空に有り [p2877]
四 修羅 海畔・海底に有り [p2877]
五 人 四州に有り [p2877]
六 天 六あり 一 四王天 須弥の半腹にあり 二 ・利天 須弥山の頂にあり 三 夜摩天 須弥山の頂を四万踰繕那去りて虚空に住す 四 兜率天 夜摩天より上に有り 内院は不退 外院は退位 五 楽変化天 兜率天より上に有り 六 他化自在天 楽変化天より上に住す 第六天の魔王の住処也 已上欲界散地也 散善所生之処 [p2877]
第二の色界に四禅有り 一 初禅 三あり 一に梵衆 二に梵輔 三に大梵天 二 二禅 三あり 一に少光 二に無量 三に極光天 三 三禅 三あり 一に小浄 二に無量浄 三に遍浄天 四 四禅 八あり 一に無雲 二に福生 三に広果 已上十二天は凡夫の住処 此の広果天に二の道有り 四に無熱 五に無煩 六に善現 七に善見 八に色究竟 已上五天は第三果之聖人之住処 已上色界十七天 十六 十七 十八之異解有り [p2877]
第三の無色界に四有り 一 空無辺処 二 識無辺処 三無所有所 四 非想非非想処 名目には色界 無色界をば四禅八定と呼ぶ [p2878]
已上三界 凡夫・外道は欲界第四之天の都率の内院と、色界之第四禅之内之後の五天には生ぜず 聖人之住処なる故に [p2878]
地獄の引業 私に云く 蓮華光比丘尼は菩薩戒を破して婬欲を行じて無間地獄に堕つ 波瑠璃王は釈子を殺して無間に生ず 善星比丘は一切之法を空と説いて阿鼻地獄に入る [p2878]
餓鬼の引業 偸盗引業也 [p2878]
畜生 婬引業也 [p2878]
人 五戒 [p2878]
四王天の引業 常住を知らずして妻子を帯し、而も邪婬を行はず 身を澄まし明を生ずれば四王天に生ず [p2878]
・利天の引業 己が妻に於て婬欲薄にして、浄居所に居して不得全を味て・利天に生ず [p2878]
夜摩天 欲に逢へば且く交わり去りて念はず 動くこと少なく、静こと多きは夜摩天に生ず 空居天[p2878]
兜率天 一切之時に静にして、来ることに違せず 劫壊の三災も及ばず [p2879]
楽変化天 欲心無けれども人に随て欲を行ふ者の生ずる所 [p2879]
他化自在天 世間の心無けれども世に同じて事を行ひ此の天に生まる[p2879]
是の如き六天は欲出動と雖も心尚お交わる 此れにより名づけて欲天と為す [p2879]
初禅 一に梵衆 定を修して欲を行はざれば梵衆と成る 二に梵輔 定を修して婬欲を行はず 律儀を愛楽して此の天に生まる 三に大梵天 定を修し、身心妙円にして威儀欠けず 清浄禁戒明悟なる者の生ずる所 已上の三天は真禅には非ず [p2879]
二禅 三禅 略 [p2879]
第四禅の八天の後の五天は後に注すべし [p2879]
此の十七天は独行にして交わること無けれども、未だ形を尽くさざれば色界と名づく[p2879]
無色界 空無辺処 身を空しくして空に入るを名と為す 識無辺処 身を空しくする空をも空しくす 識も空も微細にして、識識無辺所と云ふ 無所有所 空と識と亡ぼし、識心都て滅すれば十方寂然として住所無し 此れを無所有処と云ふ 非想非非想処 存するが如くにして存せず 尽くすがごとくにして、尽くすに非ず 是の如き一類を名づけて非想非非想処と為す[p2880]
三界九地 [p2880]
・・ 散地 一 欲界五趣地 地獄・餓・畜・人・六欲天 [p2880]
・・ 此れより定地 二 離生喜楽地 初禅 [p2880]
三 定生喜楽地 二禅 [p2880]
四 離喜妙楽地 三禅 [p2880]
五 捨念清浄地 第四禅 [p2880]
六 空無辺処地 [p2880]
七 識無辺処地 [p2880]
八 無所有処地 [p2880]
九 非想非非想処地 [p2880]
已上三界九地 [p2880]
見惑 十 [p2880]
一 身見 亦我見と云ふ 亦有身見と云ふ 外道の義に云く 衆生之身内に我有り 母指或は麻子 或は日輪等云云 [p2880]
二 辺見 断常 [p2880]
三 邪見 因果 撥無 [p2880]
四 見取見 劣謂勝見 [p2880]
五 戒禁取見 二あり 一には非因計因 二には非道計道 [p2880]
六 貪 [p2880]
七 瞋 [p2880]
八 癡 [p2880]
九 慢 [p2880]
十 疑 此れに八十八使あり [p2880]
四諦 [p2880]
・・ 一 苦諦 ・・ 生死の果 五陰 十二入 十八界 [p2880]
・・ 二 集諦 ・・ 生死の因 煩悩[見・修]業[六道の因][p2880]
四諦 ・・
・・ 三 滅諦 ・・ 出世之果 涅槃 [p2880]
・・ 四 道諦 ・・ 出世之因 [p2881]
・・ 苦は三苦の合に由る ・・・・・・・・・・・・ 苦苦 壊苦 行苦 ・・ 一 苦諦 ・・ 見惑の十、共に此の十の下に有り ・ 十 [p2881]
・・欲界・・ 二 集諦 ・・ 見惑七あり 身・辺・戒の三無し 余の七は有り 四諦 ・・ 七 [p2881]
・・ 三 滅諦 ・・ 集の下の七の如し ・ 七 [p2881]
・・ 四 道諦 ・・ 見惑八あり 身・辺の二無し 余の八は有り 八 [p2881]
已上欲界の見惑三十二あり [p2881]
・・ 壊苦 行苦
・・ 一 苦諦 ・・ 見惑九あり 瞋無し 余の九は有り [p2881]
・・色界・・ 二 集諦 ・・ 見惑六あり 瞋無し 余の六は有り [p2881]
四諦 ・・
・・ 三 滅諦 ・・ 集の如し [p2881]
・・ 四 道諦 ・・ 見惑七あり 瞋の一を除く 余の七は有り[p2881]
已上二十八 [p2882]
・・無色界 ・・ 行苦
四諦 一 苦諦[九] 二 集諦[六] 三 滅諦[六] 四 道諦[七] 已上見惑二十八 [p2882]
欲界の見惑三十二 色界二十八 無色界二十八 已上八十八使 [p2882]
此の見惑をば、六道の凡夫・七賢の賢人皆具足す。此の見惑を凡夫は具する故に至りての極悪をば四悪趣には入る也。見道の初果の聖人は、此の見惑を一時に石を破るが如く断ずる故に欲界の人・天・色・無色界へは生ずれども、四悪趣には生ぜず。此の初果の聖人は、修惑身に全く有る故に妻子を帯すと雖も、見惑無き故に他の妻を犯せず、物の命を殺さず。此の見惑は、無漏智に有らざれば、断ぜず。されば仏世に出で給はざりし時の外道は、見惑をば伏すれども断ぜず。仏出世して無漏智を以て断ず。[p2882]
修惑に四 又は十 又は八十一 一に貪 二に瞋 三に癡 四に慢 已上四 [p2882]
・・ 散地 ・・ 四地 [p2882]
欲界に四 貪・瞋・癡・慢 色界に三 貪・癡・慢[p2882]
・・ 四禅 [p2882]
・・ 四禅 [p2882]
無色界に三 貪・癡・慢 [p2882]
・・ 四地 [p2882]
已上十 [p2882]
欲界五趣地 九品 上三貪 中三貪 下三貪 [p2883]
・・ 離生喜楽地 九品 上三貪 中三貪 下三貪 [p2883]
・・ 定生喜楽地 九品 上三貪 中三貪 下三貪 [p2883]
・・ 離喜妙楽地 九品 上三貪 中三貪 下三貪 [p2883]
・・ 捨念清浄地 九品 上三貪 中三貪 下三貪 [p2883]
已上色界 四九三十六 [p2883]
空無辺処地 九品 上三貪 中三貪 下三貪 [p2883]
識無辺処地 九品貪 [p2883]
無所有処地 九品貪 [p2883]
非想非非想処地 九品貪 [p2883]
已上貪に八十一 癡慢にも八十一也 [p2883]
此の貪・瞋・癡・慢は、見惑の貪・瞋・癡・慢の外の惑也。差別習ふべし。[p2883]
此の見・修の二惑は小乗十二年の間のオキテ也。一切の大乗の初門に此の法門必ず談ずべし。[p2883]
有漏智[亦六行智と云ふ] 下地は麁・苦・障。上地は浄・妙・理。外道、此の智を以て下地を厭ひ上地を願ふ時、見惑を伏し、修惑を断じて非想非非想に至る。而るに有漏智の習ひ、上地に心を繋けて下地を厭ふ間、下八地の修惑をば断ずれども、非想地の上に地無き故に非想地の修惑を断へざる故に非想地の見修を伏断せざる故に、還りて四悪趣へ堕する也。されば外道は尺虫に譬へたる也。[p2883-2884]
外道に二類有り。色・無色界へ生ずる外道は、善外道也。鶏狗等の戒を持つ外道、或は裸形等は、但欲界の人天に猶お生じ難し等云云。[p2884]
無漏智者 四 苦・空・無上・無我 又十六 [p2884]
苦諦 四 苦・空・無上・無我 集諦 因・集・生・縁 滅諦 滅・静・妙・離 道諦 道・如・行・出 此れをば十六諦観と云ふ。苦・空等の四観は別・惣の二位あり。 十六諦観は・・頂の二位あり。減縁減行は忍位あり。 [p2884]
欲界 色・無色 [p2884]
苦諦/苦法智忍 苦諦/苦法智忍 [p2884]
\苦法智 \苦類智 [p2884]
苦諦/苦法智忍 苦諦/苦類智忍 [p2884]
\苦法智 \苦類智 [p2884]
欲界 色・無色 [p2884]
集諦/集法智忍 集諦/集類智忍 [p2884]
\集法智 \集類智 [p2884]
欲界 色・無色 [p2884]
滅諦/滅法智忍 滅諦/滅類智忍 [p2884]
\滅法智 \滅類智 [p2884]
欲界 色・無色 [p2884]
道諦/道法智忍 道諦/道類智忍 [p2885]
\道法智 \道類智 [p2885]
小乗の三学 [p2885]
戒定慧 [p2885]
戒 五戒・八戒・十戒・十善戒・二百五十・五百戒 [p2885]
定 味禅[定]・静禅[定]・無漏禅 [p2885]
慧 苦・空等云云 [p2885]
七賢 [p2885]
一 五停心 二 別想念処 三 惣想念処 四 ・法 五 頂法 六 忍法 七 世第一法 [p2885]
・・ 一 五停心 [p2885]
三賢者 ・・・・ 二 別想念処 [p2885]
・・ 三 惣想念処 [p2885]
・・ 一 ・ [p2885]
・・ 二 頂 [p2885]
四善根者 ・・ [p2886]
・・ 三 忍 [p2886]
・・ 四 世第一 [p2886]
・・ 一 数息 ・・ 散乱を治す [p2886]
・・ 二 不浄 貪を治す [p2886]
五停心 ・・ 三 慈悲 疾妬を治す [p2886]
・・ 四 因縁 愚癡を治す [p2886]
・・ 五 界方便 障道を治す [p2886]
・・ 一 身 ・・ 不浄と観じて外道の浄顛倒を治す [p2886]
・・ 二 受 ・・ 苦と観じて外道の楽顛倒を治す [p2886]
別想念処 四・
・・ 三 心 ・・ 無常と観じて外道の常顛倒を治す [p2886]
・・ 四 法 ・・ 無我と観じて外道の我顛倒を治す [p2886]
惣想念処 四諦を惣じて苦、惣じて空、惣じて無常、惣じて無我と観ず[p2886]
・・ 苦諦 ・・・ 苦・空・無常・無我 [p2887]
退位 ・・ 集諦 ・・・ 因・集・生・縁 [p2887]
・法 ・
・・ 滅諦 ・・・ 滅・静・妙・離 [p2887]
・・ 道諦 ・・・ 道・如・行・出 [p2887]
智慧の火、煩悩の薪を焼くは・也。 [p2887]
退位
頂法 ・・ 十六行相 ・法の如し [p2887]
・・ 不退 ・・ 下忍 ・・・ 十六行相を修す [p2887]
忍位 ・・ 中忍 ・・・ 減縁減行 [p2887]
・・ 上忍 ・・・ 一行一刹那 [p2887]
世第一 ・・・ 一行一刹那 七賢をば皆世間と云ふ。世間の中に此の位第一なる故に世第一と云ふ。 又七聖をば出世と云ふ。此の位出世の中に第一なる故に世第一と云ふ。 釈に云く ̄能開聖道為初門故[文] [p2887]
・・ 苦類智忍 ・・ 苦法智忍 [p2888]
・・一 苦諦 二九十八の見惑 ・・一 苦諦 十の見 [p2888]
・ ・・ 苦類智 ・ ・・ 苦法智 [p2888]
・ ・・ 集類智忍 ・ ・・ 集法智忍 [p2888]
・・二 集諦 二六十二の見惑 ・・二 集諦 七の見 [p2888]
・ ・・ 集類智 ・ ・・ 集法智 [p2888]
色・無色の四・ 欲の四・ [p2888]
・ ・・ 滅類智忍 ・ ・・ 滅法智忍 [p2888]
・・三 滅諦 二六十二の見惑 ・・三 滅諦 七の見 [p2888]
・ ・・ 滅類智 ・ ・・ 滅法智 [p2888]
・ ・・ 道類智忍 ・ ・・ 道法智忍 [p2888]
・・四 道諦 二七十四の見惑 ・・四 道諦 八の見 [p2888]
・・ 道類智 ・・ 道法智 [p2888]
欲の苦忍より此の道類 [p2888]
・・ 道類智忍 色・無色の道諦 智忍まで十五心に八十八の見或は断じ了んぬ。 ・・ 道類智 見惑断じ尽すを見道の位と云ふ。 ・・ 初果 頌に云く ̄前十五見道。見未曾見故。 ・・ 預流果 八十八使の見惑を断じ尽くし無漏の理を一分明かす。 此の見道の位は八忍・七智也。 [p2889]
欲界散地の一地の九品の修惑 [p2889]
・・ 両生 ・・ 一生 ・・ 下が上品 [p2889]
上の上品 中の上 ・・ 下が中品 [p2889]
上 ・・ 一生 中 半生 下・・ [p2889]
上の中品 中の中・・ ・・ 下が下品 [p2889]
・・ 一生 半生 ・一生 ・・ 一生[p2889]
上の下品 中の下・・ [p2889]
已上九品に七生也 [p2889]
上の三より中が中に至るまでは第二向。中が下までは六品断。第二果。[亦は一来果と云ふ。亦は斯陀含果と云ふ]。下三品断じ了らば九品を断じ了り、欲界の七生を尽くす。七品・八品断をば第三向と云ふ。又不還向と云ふ。第三果は、欲界の九品之修惑を断じ尽くしたる聖人。いまは永く欲界へ還らざる人也。色界の五浄居天の聖人とは是の人也。見惑をば断じぬれば、永く四悪趣に生ぜず。修惑の九品をば断じ尽くしぬれば、又欲界之人天へも生ぜざる也。[p2889-2890]
色界三十六の修惑。無色界三十六の修惑。已上七十二品の修惑を七十一品断は第四果の向。阿羅漢向と云ふ。七十二品を断じ尽くすをば、阿羅漢果と云ふ。此の阿羅漢をば此には不生と云ふ。永く見・修を断尽して三界に生ぜざる故に。亦云く 殺賊と云ふ。見・修の賊を殺せる人なる故に。但し阿羅漢に侵習気と云ふ事あり。見・修をば断じ尽くすとも、猶お瞋恚の気分あり等云云。此の習気は生を引かざる也。[p2890]
・・ 見道二人/ 随信行 鈍人 [p2890]
・ \ 随法行 利人 [p2890]
・
七聖者 ・・ ・・ 鈍 ・・ 利 [p2890]
・・ 修道三人/ 信解 見得 [p2890]
・ \ 身証[利鈍に亘る] [p2890]
・
・・ 無学道二人/ 慧解脱 [p2890]
\ 倶解脱 [p2890]
已上声聞の位。七賢・七聖也。 [p2891]
次に縁覚 [p2891]
・・ 鈍根 利根 [p2891]
二人あり 一 部行独覚 二 麟喩独覚 [p2891]
徒党あり 但一人 [p2891]
部行は声聞の如く七賢を経て見道の位に上りて見惑を断じ了り、修惑を未だ一分も断ぜず。七生を経る程に仏の出世無けれども、無仏世に出でて飛花落葉を観じて修惑を断じ尽くし、独覚の菩提を証す。 [p2891]
麟喩独覚は前生に仏の出世に値ひて七賢の位に在しし人。今生は仏教をも聞かず、位を経ざれども自然に無漏智を発して見・修を断じ、独覚の菩提を証す。此の縁覚は、見・修を断ずるのみならず、又習気をも断じて永く起さず。已上三蔵教の縁覚。[p2891]
次に菩薩 [p2891]
此の菩薩は六道に生じて衆生を導かんが為に、染汚[見・修]無知をば断ぜず、不染無知[味熱熟徳等]を断ぜず。但凡夫の慈悲あるが如し。 [p2891]
・・ 一 初僧祇 四弘誓願を発し六度萬行を修して七万五千の仏を供養す ・ 五障を離れ自らの作仏を知らず [p2891]
・
三僧祇 ・・・ 第二僧祇 四弘・六度・七万六千仏 ・ 自らの作仏を知りて他に向ひて説かず[p2891]
・
・・ 第三僧祇 四弘・六度・七万七千仏 自ら作仏を知りて人に向ひて説く [p2891]
已上三僧祇の間は、一向化他の位。見・修を断ぜず。三悪道に救ふべき衆生有れば、同じく苦を受けて救はんが為に願を発し、悪業を造りて彼に生ず。具さに忍苦捍労の苦に有り。[p2892]
声聞の位に当りては、初僧祇は三賢。第二僧祇は・法。第三僧祇は頂法に当れり。[p2892]
次に菩薩の自行百劫。菩薩は仏に成らんが為に百劫が間三十二相の為に三十二の業因を殖へ、師長・父母等を敬ふ也。[p2892]
次に八相。 [p2892]
仏に成らんが為に兜率天に生ず 生天。天より下る 下天。女人の胎に宿す 詫胎。胎を出づ 出胎。 出家 ・・・ 外道を師として六行智を以て下八地の見を伏し、修を断ず[p2892]
降魔 菩提樹下に坐して第六天の魔王を降伏す。初め化他の初僧祇より、今の自行の降魔に至るまでは、いまだ凡夫菩薩也。[p2892]
次に成道 有漏智の断じ残せる非想地の見・修・見惑をば八忍・八智の無漏智を以て断じ、非想地の修惑をば無漏智の九無碍・九解脱を以て断ず。已上八忍・八智・九無碍・九解脱は、三十四心也。已に見・修断の仏と成る。習気も亦断ず。 [p2892]
次に転法輪 四諦生滅の法を説く。 [p2892]
次に入涅槃/ 八十入滅 三蔵の仏草座に坐す [p2892]
\ 老比丘像 [p2892]
声聞の位に当りては [p2893]
三賢 ・・・ 初僧祇 [p2893]
・法 ・・・ 第二僧祇 [p2893]
七賢 頂法 ・・・ 第三僧祇 [p2893]
/ 下 ・・・ 百劫 [p2893]
忍法 ・・ 中 ・・・ 生天・下天・詫胎・出胎・出家・降魔[p2893]
\ 上 [p2893]
世第一 [p2893]
已上。上忍・世第一は、成道・転法輪・入涅槃也。 [p2893]
三蔵教の声聞・縁覚・菩薩之時節 [p2893]
声聞三生[鈍]六十劫[利]。縁覚四生[鈍]百劫[利]。菩薩は三無数劫。[p2893]
声聞の三生は、第一の生は三賢。第二の生は三賢・四善根。第三の生は三賢・四善根・見道也。 [p2894]
又声聞に一生に見道に入ると云ふ事も有り。 [p2894]
四弘誓願者 [p2894]
一 衆生無辺誓願度 ・・・ 苦諦を見て願を発す也 [p2894]
二 煩悩無辺誓願断 ・・・ 集諦を見て願を発す也 [p2894]
三 法門無尽誓願学 ・・・ 道諦を見て願を発す也 [p2894]
四 無上菩提誓願証 ・・・ 滅諦を見て願を発す也 [p2894]
三蔵教は依報は六界。正報は十界。而れども声聞界に縁覚・仏は帰する故也。此の教の意は、凡夫に本より仏性有りと云はず。初めて四諦を習へば声聞の性を成じ、十二因縁を習へば縁覚道を成じ、四弘・六度を学すれば菩薩と云ひて始めて仏種姓を成ずる也。[p2894]
已上三蔵教 [p2894]
通教の十地 [p2894]
・・ 一 乾慧地 ・・・ 三賢 [p2894]
・・ 二 性地 ・・・・ 四善根 [p2894]
・・ 三 八人地 ・・・ 初向 八忍・七賢 [p2894]
・ >
・・ 四 見地 ・・・・ 初果 八十八使見惑断 [p2895]
十地 ・・ 五 薄地 ・・・・ 欲界九品修惑前六品断 [p2895]
・・ 六 離欲地 ・・・ 欲界九品断了 不還果 [p2895]
・・ 七 已弁地 ・・・ 色・無色界修惑断尽 阿羅漢成[p2895]
・・ 八 辟支仏地 ・・ 因縁 見・修・習気尽 [p2895]
・・ 九 菩薩地 ・・・ 八相前五相 [p2895]
・・ 十 仏地 ・・・・ 成道・転法輪・入涅槃 [p2895]
・・ 一 乾慧地 ・・・ 声聞・縁覚・菩薩三人共にあり 三賢[p2895]
・・ 二 性地 ・・・・ 四善根 三人共 [p2895]
・・ 三 八人地 ・・・ 三人 [p2895]
・・ 四 見地 ・・・・ 三人 [p2895]
十地 ・・ 五 薄地 ・・・・ 三人 [p2895]
・・ 六 離欲地 ・・・ 三人 [p2895]
・・ 七 已弁地 ・・・ 三人 [p2895]
・・ 八 辟支仏地 ・・ 二人 縁覚・菩薩 [p2896]
・・ 九 菩薩地 ・・・ 但菩薩一人 [p2896]
・・ 十 仏地 ・・・・ 比丘の像を帯し尊特の身の仏を現ず[p2896]
小乗三蔵教をば折空の教と云ふ。通教は大乗体空の教と云ふ。通教の仏は七宝の蓮華に坐す。此の教は動喩塵劫を経て仏に成ることを得。 [p2896]
別教の五十二位 [p2896]
・・ 一 十信 ・・ 三蔵七賢 通教乾慧・性地二位に当る[p2896]
・・ 二 十住 ・・ 三蔵七賢 見・修断 通教八人地より仏地までの ・ 八地に当れり [p2896]
・・ 三 十行 [p2896]
五十二位 ・・ 四 十回向 [p2896]
・・ 五 十地 [p2896]
・・ 六 等覚 [p2896]
・・ 七 妙覚 [p2896]
十信 一に信心。二に念心。三に精進。四に慧心。五に定心。六に不退心。七に戒心。 八に捨心。九に回向心。十に願心。已上伏位。見思未断。 [p2896-2897]
十住 一に発心住[見断]。二に持地住等と云ふ。二住より七住に至るまで修惑を断ず 後の三住は上品の塵沙を断ず。 [p2896]
十行 一に歓喜行等と云ふ。中品の塵沙を断ず。 [p2897]
十回向 一に救護衆生回向等。下品の塵沙を断ず。又中道を修す。 [p2897]
十地 一に歓喜地[一品の無明を断ず]。乃至 法雲地[十品の無明を断ず][p2897]
等覚 一品の無明を断ず。 [p2897]
妙覚 一品の無明を断ず。 [p2897]
已上。別教は声聞・縁覚無し。但菩薩一人の教。十信は凡夫菩薩。退位。十住よりは不退位。十住・十行・十回向の位は見・思・塵沙を断ずる也。十地・等覚は無明断の菩薩。妙覚は十二品の無明を断じ了れる仏也。此の教は戒定慧。戒は五戒・八戒・十戒・十善戒・二百五十戒・五百戒・三聚浄戒。此れ尽未来際の菩薩戒也。梵網経・瓔珞経の戒是れ也。定は観・練・薫・修の四種の禅。地持論の九種の浄禅等也。慧は十住に入空。十行に出仮。十回向に修中。十地に但中。次第空仮中の三諦也。此の教は煩悩より外に菩提を求め、生死より外に涅槃を尋ぬ。空仮中の三諦、相即せざる也。此の教は一行を以て仏に成るとは云はず。一々の位に無量劫を経、一々の位を超えること無し。次第次第に経登り、又下位の功徳をば捨て、上位の功徳を得。[p2897]
次に円教 [p2897]
爾前の円 [p2897]
十信の初信に見を断じ、二信より七信に至るまで思を断ず。八・九・十の三信は上中下の三種の塵沙を断ず。十住・十行・十回向・十地・等・妙に四十二品の無明を断ず。円の仏。此の教は四十二位互いに具して、初後不二也。又位をも超えて仏に成る。三諦相即す。煩悩即菩提。生死即涅槃を談ず。[p2897-2898]
又六即を談ず[p2898]
・・ 一 理即 [p2898]
・・ 二 名字即 [p2898]
・・ 三 観行即 [p2898]
・・ 四 相似即 円の十信 見・思・塵沙を断ず [p2898]
・・ 五 分真即 円の十住・行・向・地・等也 [p2898]
・・ 六 究竟即 妙覚 [p2898]
已上は四教 [p2898]
次に五時 [p2898]
一に華厳[別・円] 二に阿含[但三蔵] 三に方等[四教] 四に般若[通・別・円の三教] 五に法華[純円]涅槃[四教] [p2898]
私に云く 華厳の別教・方等の別教・般若の別教・涅槃の別教のかはりめ如何。又華厳の円・方等の円・般若の円・法華の円・涅槃の円のかはりめ如何。[p2898]
天台大師 [p2898]
玄義十巻 妙法蓮華経の五字を釈するに、名体宗用教の五重玄義を立てたり[p2899]
文句十巻 序品第一より作礼而去に至るまで、一部八巻の経の文句を釈す。 一々の文句に因縁・約教・本迹・観心の四の法門を釈す。 [p2899]
止観十巻 別しては法華・涅槃に依り、惣じては一代聖教に依る 妙楽大師の義例と申す文に止観を釈して云く ̄散引諸文 該乎一代 文体正意 唯帰二経。一依法華 本迹顕実 二依涅槃 扶立顕常[文] [p2899]
天台は玄義に観心を釈す。此れをば附法観と云ふ。文句に観心あり。此れをば詫事観と云ふ。止観の観心を約行観と云ふ。又止観にも附法・詫事の二観あり云云。[p2899]
玄義・文句には、十界互具・百界千如は立つとも、一念三千の文は無し。後に妙楽大師玄義をば承けて釈籤十巻を造る。文句を承けて疏記十巻を造る。止観を承けて弘決十巻を造る。已上六十巻。 [p2899]
天台大師[智者。智キ] 章安大師[玄義・文句・止観の記者也] 智威[文無し] 慧威[文無し] 玄朗 湛然[妙楽] [p2899]
・・ 道邃 [p2899]
・・ 道暹 [p2899]
湛然 ・ 道邃 ・・・ 日本の伝教 最澄と云ふ [p2899]
・・ 智度 [p2899]
・・ 行満 [p2899]
五陰和合の体 十 [p2900]
十界の五陰世間 [p2900]
五陰の不和合体 十 [p2900]
十界の国土世間 [p2900]
四種の仏土也 [p2900]
六凡・・・・ 四聖 一 同居土 凡聖雑居の土也 [p2900]
二 方便土 純菩薩僧の住処 [p2900]
三 実報土 断無明の菩薩・仏の住処 [p2900]
四 寂光土 唯仏一人の住処 [p2900]
初めの同居土に六 [p2900]
一 地獄之住処 赤鉄を以て所居の土とす [p2900]
二 餓鬼之住処 閻魔宮を以て所居の土とす [p2900]
三 畜生の住処 水・陸・空を以て所居の土とす [p2900]
四 修羅の住処 海畔・海底を以て所居の土とす [p2900]
五 人の住処 須弥山の四辺の四州を以て所居の土とす [p2900]
六 天の住処 或は地居 或は空居等云云 [p2900]
七 声聞の住処 但見思を断じ、或は思惑を断じ残す。 或は見思を断じ尽くせども、未だ有余涅槃の間は阿羅漢も人天に住す [p2900]
八 縁覚の住処 声聞の如し云云 [p2900]
九 菩薩の住処 三蔵の未断見思の菩薩は凡夫の如く六道にあり 通教の断見思の菩薩は二乗の如し 断無明の菩薩は実報土の住す [p2900-2901]
初果・二果・三果・四果・縁覚の五人は無余涅槃に入れば 法華経を以て見れば、純菩薩僧として方便土に住す [p2901]
十 仏の住処 但一人寂光土に住す [p2901]
同居土とは横に十方、縦に三世、皆同居土也。西東北南と方を指さば、同居土と知れ。弥陀の浄土・薬師の浄土等は皆同居の内の浄土なり。問ふ 十方世界は皆同居土ならば、此れより外に何の処か三土は有るや。答ふ 此れは天台一宗の大事也。但し惣想之義には三惑分斉を以て論ずべし云云。 [p2901]
十如是者 [p2901]
一 相如是 十半の色法乃至依報也 [p2901]
二 性如是 七半の心法 依報には通ぜず [p2901]
三 体如是 十八界共也 人の体質也 [p2901]
四 力者 堪忍力用 王の力士の如し [p2901]
五 作者 運を作と名づく [p2901]
六 因者 業也 引業也 [p2901]
七 縁者 無明也 [p2901]
八 果者 習因習果也 習因習果とは満業也 業の上の因果也 先生に婬を習ふ因習は今生に婬欲熾盛の者と成る 鴿雀等の如し [p2902]
九 報者 報因果報也 報因とは、前の第六の引業也 又習因習果を報因と云ふ事有り 報果とは受くる所の身也[p2902]
十 如是本末究竟等 本とは相如是 末とは報如是 究竟とは始めの相如是に終りの報如是を究竟し、終りの報如是に 始めの相如是を究竟す 等とは十如是等しく空、等しく仮、等しく中也 [p2902]
十界に一々の界に十如是有り。百如是也。一界に十如是。其の十如是の一如是に三世間。十如是には三十種世間。十界には百如是。十界互具せば千如是。千如是の一如是に三種世間。千如是には三千種世間。此の三千種世間、凡夫の汎々の一念の心に有り。又心に念ふ所の色乃至法に有り。されば能縁の心に三千を具す。所縁の境にも三千を具す。能所合わせても三千を具す。能所離しても三千を具す。されども定自[能]・定他[所]・定共・定無因にあらず。而も自・他・共・無因に具す。妙法とは是れを申す也。妙の文字此の経に無くば、四性の計らひを離れず、四性の計らひを離れざれば成仏の道無し。能々十境十乗を学すべし。[p2902]
・・ 一 殺生之業道二報 一 短命 [p2902]
・ 二 多病 [p2902]
・・ 身三・・・ 二 不与取又云偸盗二報 一 貧窮 [p2902]
・ 二 失財不得自在 [p2902]
・ ・・ 三 邪婬二報 一 婦不貞潔 [p2903]
・ 二 得不随意眷属 [p2903]
・ ・・ 四 虚誑語 又云妄語二報 一 常被誹謗 [p2903]
・ ・ 二 為人所誑 [p2903]
・ ・・ 五 麁悪語 又云悪口二報 一 常聞悪音 [p2903] 十不善業道・・・ 口四・・ 二 所可言説恒有諍論
・ ・・ 六 雑間語 又云両舌二報 一 得弊悪眷属 [p2903]
・ ・ 二 得不知眷属 [p2903]
・ ・・ 七 雑穢語 又云無義語二報 一 所有言説人不信受 ・ 二 所有言説不能明了 ・ [p2903]
・ ・・ 八 貪二報 一 多欲 [p2903]
・ ・ 二 乏無厭足 [p2903]
・・ 意三・・・ 九 瞋二報 一 常為一切求其長短 [p2903]
・ 二 常為衆人被悩害 [p2903]
・・ 十 癡二報 一 生邪見家 [p2903]
二 其心諂曲 [p2903]
弘決の二に云く ̄除法華外余一切教 但云生々為悪相悩。此乃教法権実不同〔法華を除いて外の余の一切の教には但生々に悪の為に相悩せらると云へり。此れ乃ち教法の権実同じからざればなり〕。記の四に云く ̄雖欲発心 不簡偏円 不解誓境 未来聞法 何能免謗〔発心せんと欲すと雖も、偏円を簡ばず、誓境を解せずんば、未来に法を聞くとも何ぞ能く謗を免れん〕。[p2903]
#Z032-0K0 華厳法相三論天台等元祖事 弘長(1261-64) [p2904]
華厳宗の元祖。梵には馬鳴[起信論の故に]・龍樹菩薩[十住・婆沙論の故に]天親菩薩[十地論の故に] [p2904]
・・ 清涼也 [p2904]
花には智儼・杜順・法蔵・澄観 [p2904]
五教[一代を摂む]
一 小乗経 四阿含経。倶舎・成実・律。 一切惣じて無仏性経也 [p2904]
二 大乗始教 方等。深密経等也。般若。法相宗・三論宗 少分無仏性教也。二乗・闡提等也。 [p2904]
三 終教 涅槃経。一切衆生悉有仏性 二乗・闡提の成仏の教也 [p2904]
四 頓教 一切経の頓悟成仏の文。并に禅宗也。 [p2904]
五 円教 二あり。別教 華厳経 最初に二乗作仏久遠実成を明かす[p2904]
自在力を顕現して円満経を演説す。 ・・ 大海 無量の諸の衆生に悉く菩提の記を授く。 本教 純ら諸菩薩の教。頓々教。報身如来の説。 如来出世の本懐也。 [p2904-2905]
同教 法華経 余 ・・ 引諸河令帰大海 純ら円教を説いて別教を雑へず 摂末帰本教 天台大師独り華厳経の義を弁へずして別教を説くと云ふ ・れるかな、・れるかな。 [p2905]
初後の高山 始見我身 聞我所説 即皆信受 入如来慧。除先修習 小乗学者。如是之人 我今亦令 得聞是経 入於仏慧[p2905]
法相宗の元祖。梵には釈迦如来・弥勒菩薩・無著菩薩・世親菩薩・護法菩薩・難陀菩薩・戒賢論師・玄奘三蔵。花には玄奘・慈恩等也。 [p2905]
有 四阿含経 倶舎・成実・律等也 [p2905]
・
不了義経 [p2905]
・
三時教 空 般若経 三論宗也 [p2905]
了義経 [p2905]
・
中 華厳経・方等経・法華経・涅槃・深密経等 弥勒菩薩の瑜伽論 ・・ 無著菩薩之を書く [摂論 ・・ 無著菩薩造][唯識論 ・・ 天親菩薩造] 深密経は了義が中の了義経 法華経等は了義が中の不了義経 [p2906]
五性各別 仏種性・独覚・声聞・不定・無生 [p2906]
一切声聞 独覚菩薩 皆共此一 妙清浄道 皆同此一 究竟清浄 更無第二。 我依此故 密意説言 惟有一乗。非於一切 有情界中 無有種々 有情種性 或鈍根性 或中根性 或利根性 有情差別[p2906]
法華経の一乗を会する証文 [p2906]
深密経に云く_依諸浄道清浄者 唯依此一無第二。故於其中立一乗。非有情性無差別〔諸の浄道に依る清浄の者は、唯此の一に依て第二無し。故に其の中に於て一乗を立つは、有情の性の差別無きには非ず〕。[p2906]
摂論に云く ̄[無著菩薩]為引摂一類 及任持所余 由不定種性 諸仏説一乗〔一類を引摂し、及び所余を任持せんが為に不定種性に由りて、諸仏一乗を説く〕。[p2906]
釈論に云く ̄[天親菩薩造] 釈論に云く ̄[無性菩薩造]四十余年未顕真実者 四十余年経為決定性無性有情真実経。法華経為不定性等真実経也。故為不定性四十余年未顕真実〔四十余年未顕真実とは、四十余年の経は決定性・無性有情の為の真実の経。法華経は不定性等の為の真実の経也。故に不定性の為には四十余年未顕真実〕。[p2906]
三論宗の元祖。梵には文殊・龍樹菩薩[三論の故也]・青目菩薩・清弁菩薩・智光論師・羅什。花には羅什・道朗・嘉祥等也。 [p2907]
有 四阿含経等也 [p2907]
三時教 空 深密経・一切方等部経也 [p2907]
中 般若経・法華経・涅槃経・華厳経・妙智経等也 [p2907]
般若経は了義経の中の了義経 [p2907]
中天竺大那蘭陀寺の智光論師、妙智経に依て三時教等を立つ等云云。妙智経は未だ漢土に渡らず。[p2907]
又嘉祥は、五時を立て、三法輪を立て、二蔵を立つ。一 根本法輪[華厳]。枝末法輪。摂末帰本法輪。大論の四十六に云く ̄所説種々法 所謂本起経 断一切衆生疑経 華手経 法華経 雲経 大雲経 法雲経 弥勒問経 六波羅蜜経 摩訶般若波羅蜜経。如是等無量無辺阿僧祇経 或仏説 或化仏説 或大菩薩説 或声聞説 或諸得道天説。是事和合名皆摩訶衍。此諸経中般若波羅蜜最大。即知。已説般若波羅蜜 諸余助道法 無般若波羅蜜和合 則不至仏〔所説の種々の法、所謂本起経・断一切衆生疑経・華手経・法華経・雲経・大雲経・法雲経・弥勒問経・六ハラ蜜経・摩訶般若ハラ蜜経。是の如き等の無量無辺阿僧祇の経は、或は仏説、或は化仏の説、或は大菩薩の説、或は声聞の説、或は諸の得道天の説なり。是の事和合して、皆摩訶衍と名づく。此の諸経の中に般若ハラ蜜最も大なり。即ち知んぬ。已に般若ハラ蜜を説くに諸余の助道法、般若ハラ蜜に和合する無ければ、則ち仏に至ることあたはず〕。[p2907]
天台宗の元祖 智者の観心論に云く ̄帰命龍樹師。 [p2908]
付法蔵第十三 ・・ 因縁所生法の文の故也。地位初住に登る 梵には龍樹菩薩 ・・・・・・・ 恵文禅師 ・・・ 北斉の禅師 ・・ 中論の故也 ・・ 中間を以て師宗と為す [p2908]
・・ 位相似十信の位に登る 南岳恵思禅師 ・・ 天台大師 止観に云く ̄天台伝南岳 三種止観。 又云く ̄普賢菩薩 天台大師等云云。 [p2908]
乳 華厳 ・・・・・・・・ 但菩薩のみ 亦醍醐と云ふ 別・円 [p2908]
酪 阿含 玄の十に云く ̄初後仏慧円頓義斉 亦乳と云ふ [p2908]
五時 生酥 方等 籤の一に云く ̄故挙始終 意在仏慧 亦五味を具するか [p2909]
熟蘇味 般若 文句の五に云く ̄如今如始如始如今 亦醍醐を具するか [p2909]
法華経 \ 皆始見等文故也 涅槃経 / 醍醐 [p2909]
華厳経の円と法華経の円と同じと云ふ文 始見我身 [p2909]
方等・法相等と法華経と同じと云ふ文 我昔従仏。聞如是法。見諸菩薩。授記作仏<受記作仏>。 文句の五に云く ̄只是方便等経中 聞大乗実慧 与今不殊 故言聞如是法。 [p2909]
般若と法華経と同じと云ふ文 法華経に云く_除般若ハラ蜜<除般若波羅蜜>。又云く_平等大慧。 玄の十に云く ̄般若法華是異名耳。 籤の十に云く ̄拠会宗大明 似般若勝於法華[文]。 又云く ̄三者 但是異名 則似二経斉等。 又云く ̄不共般若摂一切法。何妨法華亦入其中。 記の四に云く ̄若以仏慧為法華 即始終倶有。若以会帰為法華 即終有始無。 玄の十に云く ̄此一往則斉而不疎密無。 [p2909-2910]
真言宗の元祖 [p2910]
大日如来・金剛薩・・龍猛[龍樹也]・龍智・金剛智[天竺也]・金剛智[天竺也]・不空・恵果・弘法。弘法[日本也] [p2910]
又大日如来・金剛薩・・龍猛・龍智・善無畏[震旦也。又天竺也] 順暁・伝教[震旦也。日本也] [p2910]
又大日如来・文殊・龍樹等と云ふ。又云ふ 文殊・善無畏云云。 [p2910]
一 顕教 釈迦如来一代教 日本東寺弘法 二教 法華経下華厳経等云云 二 密教 大日三部等也 [p2910]
六ヶ大徳師 伝教・慈覚 一 顕教 ・・・ 阿含経也 天台 二教 智証等也 二 密教 ・・・ 華厳・方等・般若・法華・大日経等也 又云く ̄法華経理秘密。大日経事理倶密。 又云く ̄四十余年顕教。法華経・大日経密教也 [p2911]
十住心 異生羝羊心。二に愚童持斉心。三に嬰童無畏心。四に唯薀無我心[声聞]。 五に抜業因種心[縁覚]。六に他縁大乗心[法相]。七に覚心不生心[三論]。 八に如実一道心[天台]。九に極無自性心[華厳]。十に秘密荘厳心[真言]。 菩提心論并に大日経の住心品に依て之を立つ。 [p2911]
又六波羅蜜経の五蔵。ソタラム蔵<爼多覧蔵>[経]・毘那耶蔵[戒律]・阿・曇蔵[論]・般若蔵[諸大乗経]・タラニ惣持蔵<陀羅尼惣持蔵>[真言教也]。[p2911]
又云く ̄顕教他受用応化身説。密教自受用法身説也。又顕教乳酪生蘇也。秘密教醍醐也〔顕教は他受用応化身の説。密教は自受用法身の説也。又顕教は乳・酪・生蘇也。秘密教は醍醐也〕。[東寺真言宗の立拠也]。[p2911]
#Z033-000 五十二位図 文永(1264-75) [p2912]
外凡 [p2912]
・・ 三賢 ・・・ 種 ・・ 順解脱分位 [p2912]
三蔵教 ・・・・ 四善根 ・・ 熟 ・・ 順決択分位 [p2912]
・・ 七賢 ・・・ 脱 ・・ 見思断位 [p2912]
・・ 見道 ・・・ 決択分位[p2912]
・・ 修道 ・・ [p2912]
・ ・・ 解脱分位[p2912]
・・ 無学道・・ [p2912]
爾前 [p2912]
種 乾恵地 ・・ 外凡 三賢 [p2912]
通教十地 熟 性地 ・・・ 内凡 四善根 [p2912]
脱・・ 八人地乃第十地 [p2912]
・・・・・・ [p2912]
別教五十二位 種 ・・・ 十信 外凡 [p2912]
迹門 [p2913]
円教 [p2913]
・・ 十住 自初住至第七住見思断 名字 ・・ ・ 八九十断上品塵沙[p2913]
・・ 外凡-種 熟・・・ [p2913]
観経 ・・ ・・ 十行 断中品塵沙 [p2913]
十信 ・・・ 内凡 ・・ 十回向 断下品塵沙 [p2913]
十住 ・・ [p2913]
十行 ・・ ・・ 十地・ [p2913]
十回向・・ 脱・・・・ 等・・・ 十二品断無明 [p2913]
十地 ・・ ・・ 妙・・ [p2913]
・・ 脱 [p2913]
等・・・・ [p2913]
妙・・・・・ 不説 華厳不説果分者唯一乗名為果分 [p2913]
妙覚位 ・・ 説 法華経 当分 跨節 [p2913]
#Z034-000 一代勝劣諸師異解事 建治(1275-78) [p2914]
一代勝劣諸師異解事 [p2914]
[一] [p2914]
漢・・\除之 [p2914]
魏・・/ [p2914]
第一 華厳・・ 晋・・ ・・ 光宅等 [p2914]
第二 涅槃・・ 宋・・ 五百余年 [p2914]
第三 法華・・ 斉・・ 南北二百六十余人 [p2914]
梁・・ [p2914]
第一 般若 ・・・・・ 三論宗 [p2914]
第一 法華・・ 陳・・ [p2914]
第二 涅槃・・ 隋・・ 天台智者 [p2914]
第三 華厳・・ \ 国清寺 [p2914]
・・ 唐太宗 [p2915]
第一 深密経 ・・・・ 玄奘 [p2915]
第二 華厳・法華・涅槃 ・・ 法相 [p2915]
慈恩 [p2915]
第一 華厳・・ [p2915]
第二 法華・・・・ 唐 法蔵等 [p2915]
第三 涅槃・・ 則天皇后御宇 [p2915]
第一 大日経 ・・ 玄宗御宇 [p2915]
第二 法華・涅槃 唐 善無畏等 [p2915]
第三 華厳経 [p2915]
[二] [p2915]
・・ 中堂 [p2915]
・・ 第一 法華経 ・・・・・ 伝教大師 [p2915]
・・ 第二 涅槃経 ・・・・・ 日本 [p2915]
・・ 第三 華厳・大日経等・・ 桓武等 [p2915]
第一 大日経・・ 日本 [p2916]
第二 華厳経・・ 弘法 [p2916]
第三 法華経・・ 嵯峨天皇御宇 [p2916]
・・ 惣持院 [p2916]
第一 大日経・・ 日本 [p2916]
第二 法華経・・・・・ 慈覚 [p2916]
第三 諸経・・・ 仁命 [p2916]
文徳 [p2916]
智証大体同之 [p2916]
[三] [p2916]
次第劣也 / 法華経第一本門 [p2916]
法華第一 ・・ 法華経第二迹門 [p2916]
涅槃経第二 是諸大乗方等経典雖復成就無量功徳欲比是経不得為喩 百倍 千倍 百千万億 乃至算数譬喩所不能及。 [p2916]
無量義経三 次説方等。十二部経。摩訶般若。華厳海空。 [p2917]
・・ 未顕真実 [p2917]
・・ 真実甚深 [p2917]
華厳第四 [p2917]
般若第五 [p2917]
・・ 第一云 於三部経中此経為王 [p2917]
・・ 妙成就也 ・ 中巻 [p2917]
蘇悉地経第六 ・・・ 蘇悉地経云 ̄猶不成者或腹転読大般若経七返[p2917]
大日経第七 [p2917]
弘法大師は法華経は大日経に相対すれば三十の劣と云云。日蓮之を怨んで謂へらく七重の劣か。将た又経文有るか。三国に未だ弘通せざる法門也。 [p2917]
#Z035-000 五行事 建治・弘安(1275-82)ノ交 [p2918]
木 不殺生戒 肝蔵 [p2918]
眼根 [p2918]
酢味 [p2918]
東方 [p2918]
青色 [p2918]
春 [p2918]
青雲 [p2918]
魂 [p2918]
歳星 [p2918]
火 不飲酒戒 心蔵 [p2918]
舌根 [p2918]
苦味 [p2919]
南方 [p2919]
赤色 [p2919]
夏 [p2919]
赤雲 [p2919]
神 [p2919]
・惑星 [p2919]
土 不妄語戒 脾蔵 [p2919]
身根 [p2919]
甘味 [p2919]
中央 [p2919]
黄色 [p2919]
土用 [p2919]
黄雲 [p2920]
意 [p2920]
鎮星 [p2920]
金 不偸盗戒 肺蔵 [p2920]
鼻根 [p2920]
辛味 [p2920]
西方 [p2920]
白色 [p2920]
秋 [p2920]
白雲 [p2920]
魄 [p2920]
大白星 [p2920]
水 不邪婬戒 腎蔵 [p2920]
耳根 [p2921]
鹹味 [p2921]
北方 [p2921]
黒色 [p2921]
冬 [p2921]
黒雲 [p2921]
志 [p2921]
辰星 [p2921]
#Z036-000 五眼六識等事 弘安(1278-82)初 [p2921]
正説・領解・述成・授記・歓喜 [p2921]
但知彰灼授記二乗顕露分明説長遠寿 於一座無不聞知 故名為顕 [p2921]
心 眼識 肉天慧法仏眼 意 [p2922]
知 耳識 肉天慧法仏耳 [p2922]
鼻識 肉天慧法仏鼻 [p2922]
舌識 見 [p2922]
身識 肉身天身慧身法身仏身 [p2922]
魔梵釈女 [p2922]
菩薩処胎経 法性如大海不説有是非。凡夫賢聖人唯在心垢滅平等無高下取証如反掌。 学大乗者雖有肉眼名為仏眼。耳鼻五根例如是。 [p2922]
理具 [p2922]
加持 [p2922]
顕徳 [p2922]
・・ 亘世出世 ・・ 限世間 ・・ 鼻舌身 合中智 強 眼耳意 弱 鼻舌身 至 不至 ・・ 眼耳意 離中智 [p2923]
眼識 五月 [p2923]
見聞 耳識 火 [p2923]
鼻識 午 [p2923]
覚知 ①舌識 ・ 未六月 ①巳四月[p2923]
身識 ・ [p2923]
辰三月 意識 ・ 申七月 [p2923]
・・・・・・・ [p2923]
・ ・ ・ 金 [p2923]
卯二月 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 酉八月 [p2923]
木 ・ ・ ・ [p2923]
寅正月 ・・・・・・・ [p2923]
・ 知見 戌九月 [p2923]
・ 眼 [p2923]
牛十二月・ 耳 亥十月 [p2923]
・ 鼻 [p2923]
子 舌 [p2923]
十一月 身 [p2923]
水 意 [p2923]
#断簡
※断簡一六三[p2528]は断簡五三と重複掲載のため削除
※断簡一九九[p2540]は#0443-000『御所御返事』の一部分のため削除
#D001-000 断簡 一 建治(1275-78) [p2477]
法華経は一代惣括の義をこそのぼざれども十無上を立てたり。一代超過の心は宛も龍樹菩薩のごとし。而るを南北并に三論・法相等の宗々の人師の料簡等に云く 龍樹・天親の論には法華経の実義を尽くせり。天台の謂く心に存じ給ふとも論にはいまだ尽くさず。真言師弘法等の云く 龍樹菩薩は顕密の元祖、顕論は仏意を尽くさず、蜜論に尽くす等云云。今、日本の学者等此の義に迷惑せり。粗漢土・日本の人師の釈を見るに、天台独り此の事をえたまえり。天台は龍樹・天[p2477]
#D002-0K0 断簡 二 文永末(1275) [p2477]
日蓮云く 第五之五百歳殊に閻浮提に広宣流布して□□尽未来際、慈尊出世に至るまで、断絶すべからず。[p2477]
#D003-0K0 断簡 三 建治(1275-78) [p2477]
地師云く 十住是証不退耳〔十住は是れ不退を証するのみ〕。[p2477]
#D004-0K0 断簡 四 建治(1275-78) [p2478]
乃三乗共十地之義[p2478]
#D004-000 断簡 五 弘安(1278-82) [p2478]
ゆへなかるべ[p2478]
#D006-0K0 断簡 六 弘安(1278-82) [p2478]
菩薩誕生天台与伝教[p2478]
#D007-000 断簡 七 文永・建治ノ比(1264-78) [p2478]
久遠大通の御時法華経をならいし人、此の経をすてざりしは、三五の塵点をへず、則ち仏になりけるとみゆ。法華経をうちすて権経[p2478]
#D008-0K0 断簡 八 文永・建治ノ比(1264-78) [p2479]
日蓮云く 記の一に云く ̄
依小乗毘尼母論五ヶ年五百歳 稍壅嫌之 次依大集経の五ヶ五百歳 亦此以権大乗釈実大乗。如嫌毘尼母論者又稍権之〔小乗毘尼母論の五ヶ年の五百歳に依てやや壅ふと之を嫌ひて、次に大集経の五ヶの五百歳に依るに、亦此れも権大乗を以て実大乗を釈す。毘尼母論を嫌ふが如くならば、又やや権の〕《 》[p2479]
若し爾らば、大集経を以て但五百歳計りは法華経の為なるべしと意得べからず。其の上、《 》[p2479]
故に大教流布すべき時を釈して。五百問論には他人、大集経之後五百歳に依て契□□□嫌ふと云ふ。今、弁ふべからずと謂ふ、此れ等云云。故に但法華経之五後之文并に涅槃経之文に依るべし。[p2479]
#D009-000 断簡 九 建治(1275-78) [p2479]
かつはそしり、かつは帰信せんとし候ひしに、須跋陀羅はなをまいらず候ひし程に、仏、阿難尊者を御使として召しゝかば、いにしへはさたなかりし者のいかにかしけん。阿難に[p2479]
#D010-000 断簡 一〇 文永(1264-75) [p2479]
の肝要は弘通あるべからず。問て云く 慈覚大師は自身の旨同によむで如法経を始めたり[p2479]
#D011-0K0 断簡 一一 弘安(1278-82) [p2480]
十羅刹掌を合わせて頂受す。是れ法華経に兼ねて是れを案じ、当来を案ずるの記か。[p2480]
#D012-0K0 断簡 一二 文永・建治ノ比(1264-78) [p2480]
殊に興盛し畢んぬ。日本国の者の死する事既に大半にして未だ止まらず。又前代に超え大半[p2480]
#D013-000 断簡 一三 弘安(1278-82) [p2480]
人も、をやの心をたがへさせ給ひぬにや[p2480]
#D014-000 断簡 一四 弘安(1278-82) [p2480]
と等のごとし。法華経の[p2480]
#D015-000 断簡 一五 弘安(1278-82) [p2480]
迦葉は仏ににある人なり。[p2480]
#D016-000 断簡 一六 建治(1275-78) [p2481]
五[p2481]
恐々[p2481]
十月三日[p2481]
日 蓮 花押[p2481]
御返事[p2481]
#D017-000 断簡 一七 弘安(1278-82) [p2481]
父と母と子と、王と左右の大臣と、又四あてこそよく候へ。所謂四方と四季と二の手と[p2481]
#D018-0K0 断簡 一八 弘安(1278-82) [p2481]
尼仏 観音経・地蔵経等、之に准じて知るべし。他仏隠没すれば、釈迦牟尼教主、必ず之を用ふべきか。[p2481]
#D019-0K0 断簡 一九 文永四年(1266) [p2481]
{『安国論御勘由来』草案}
正嘉元年[太歳丁巳]八月二十三日戌亥之尅、前代に絶えたる大地振[大地を振り挙ぐること一方三尺]。同二年[戌午]八月一日大風。同三年《己未》大疫病。同二年[庚申]四季に亘りて大疫やまず。既に民既に大半に超えて死を招き了んぬ。而るに内外典に仰せ付け、□□□大法非法の御祈祷。爾りと雖も一分の験もなく還りて飢疫等を増長す。[p2481-2482]
日蓮仏法に於て験無きを見了んぬ。□疑ひ粗一切経内外典を窺ふるに、御祈請験無く之由、其の謂れ之有るを存し了んぬ。遂に止むこと無く、《勘文》を造り、文応元年[庚申]七月十六日[辰時]、屋《戸野》〈やどや〉入道に付して、最明寺入道殿に奏進して了んぬ。此れ偏に国土の恩を報ぜんが為也。[p2482]
其の勘文の意は此の国天神地神十二代・百王第三十代欽明天皇の御宇に、百済国より仏法此の国に渡り□桓武天皇の御宇に至るまで、其の中間五十余代、二百六十余年也。其の間一切経并に六宗有りと雖も《天台法華》宗之無し。桓武の御宇に山階寺の行表僧正の御弟子に最澄と有り[後に伝教大師と号す]。[p2482]
延暦四年叡山を建立す。同十三年に桓武皇帝帝土を遷して平安城を建つ。二十一年正月十九日、南京七大寺の六宗の碩学勤操・《長》耀等の十四人を召し合わせて宗論を遂げる之時、六宗の学者、口を閉じること鼻の如し。退して後、勅宣を下す云云。勤操等謝表を以て皇帝に奉り、六宗の執心を抛ちて天台宗に帰伏し了んぬ。其の時より、一切経并に法華経の義理始めて顕れ了んぬ。[p2482]
其の後代々の国主、叡山に違背すべからざる之由、誓言を捧げ奉る。故に白河院は非を以て《理》に処し、清和天皇は叡山の恵亮和尚の法威を以て即位しす。又九條右丞相の御起請文、之有り。鎌倉源の右将軍は清和天皇の末孫也。叡山に違背せば、一日も世を持つべからざるか。[p2482]
□其の跡を紹継する之者、代々虎牙□ 天台・真言の御帰《依》を褊し、禅宗と念仏宗とに伏する之間、天太以て国中の山寺七万一千三十七処の仏陀・守護の善神瞋恚を作し他国の《 》将をを以て此の国を破らんと為す先相也。[p2482]
#D020-0K0 断簡 二〇 建治(1275-78) [p2483]
御宇応神御子[p2483]
大山皇子 大石山丸[p2483]
#D021-000 断簡 二一 不明 [p2483]
多の不思議候ひしかども第一の不思議見へて候ひしなり。今入道殿は御とし八十一になると御物語候ひき。去年まで八十年が間は四十余年の[p2483]
#D022-000 断簡 二二 不明 [p2483]
事もものとなりて、かゝるめ[p2483]
#D023-000 断簡 二三 不明 [p2483]
南北共に通用し、王臣掌を合わせて、三百年なり、其の時現[p2483]
#D024-0K0 断簡 二四 文永(1264-75) [p2484]
皇帝の御時天台・真言始めて興る云云。茲より此の国流布する所の六宗諍論を為す間[p2484]
#D025-000 断簡 二五 文永(1264-75) [p2484]
此れは又天台宗の末学者等が本宗の所立を忘れぬる故なり。今[p2484]
#D026-000 断簡 二六 建治(1275-78) [p2484]
[十]
劣りて候。経文に白々也、赤々也。申すならばいかなる愚人も弁へ[p2484]
#D027-000 断簡二七 弘安(1278-82)後期 [p2484]
{南條氏へ}
て十六になり候ひし小くわん者、いきてをはせし時、度々法華経を聴聞し、やまいのゆか臨終と申[p2484]
#D028-000 断簡 二八 弘安(1278-82) [p2485]
進上富木入道殿 日蓮[p2485]
#D029-000 断簡 二九 建治(1275-78) [p2485]
此の国より西に三千里を[p2485]
#D030-000 断簡 三〇 文永(1264-75)の初め頃 [p2485]
行ありて学生ならざるは国の用なり。智徳共に備ふは国の財なり。智行共にかけたるは国の賊、国人の中の牛なり。法華経の許されなくして自由に四□余年経々をならい行じて、生死をはなれんとをもう学生等は、自身謗法の者となる上、一切衆生皆謗法の者となるべき因縁なり。此の法門は震旦国に仏法わありて二百年と申せしに、天台智者大師始めて一切経を料簡し給ひしやうなり。日本国には仏法始まりて二百余年と申せしに伝教大師、天台の本疏三十巻をみて始めて此の義をあらわし給へり。此の義だにも実にして仏意にかなわば四十余年の諸経の行者と、彼の経々に依て法華経を全とせざる諸宗の人々は皆謗法の因縁なり。問て云く 一仏の名号には諸仏の功徳[p2485]
#D031-000 断簡 三一 弘安(1278-82) [p2486]
[六][p2486]
何の経々もをろかなる事よも候はじ。なれども金口の明説よりをこつて法華最第一の文明々候。[p2486]
#D032-000 断簡 三二 弘安(1278-82) [p2486]
のかな。日蓮が生きて《候》国なればかなわぬまでもいのりて|かなわずば国のために命をすてゝ国の恩をほうぜん□こそ[p2486]
#D033-000 断簡 三三 弘安(1278-82) [p2486]
には天台劣れるなりと申す。此れ等の人師は世間の盗人にはあれねども、法の盗人なるべし。[p2486]
#D034-000 断簡 三四 建治(1275-78) [p2486]
人と申すに声聞供養の功徳はすぐれて候。又辟支仏・菩薩等は此れにすぐれて候。一切世界の声聞・辟支仏・菩薩等の三聖を供養せんよりも釈迦仏一仏を供養し奉る功徳はすぐれて候。此の釈迦仏を三千大千世界を器として金を供養[p2486-2487]
#D035-0K0 断簡 三五 文永(1264-75)中期 [p2487]
教主釈尊に於て又之多し。諸の小乗経の釈迦牟尼仏は、・陳如・迦葉・阿難等の沙門の僧を以て脇士と為し、諸大乗経は、或は二乗を以て脇士と為し、或は普賢・文殊等の菩薩を以て脇士と為し、華厳経の毘盧遮那仏中臺本尊は、其の左右に千の釈迦等之有り。大日経の定印の大日如来には八葉の四仏・四菩薩、金剛頂経の智拳印の大日如来は四仏・十六大菩薩等之有り。而も世間[p2487]
#D036-0K0 断簡 三六 弘安(1278-82) [p2487]
重ねて何ぞ忽ちに没収之重科に行はるや。争でか怠状之沙汰ならんや[p2487]
#D037-000 断簡 三七 弘安(1278-82) [p2487]
[十]
守護の御ちかいあり。しかるにいかなれば百王までは守り奉らずして人王八十一代の安徳天皇は源右将軍にせめられて西海には沈み給ひしぞ[p2487]
#D038-000 断簡 三八 弘安(1278-82) [p2488]
とのの今年の御いのち、いきさせ給ひ候事、よるひるなげき申せしに、これほどうれしき事候はず。[p2488]
さこそなげかせ給候らめ。たゞしこれにはなげき候はぬぞ、悦びをなげく事[p2488]
#D039-0K0 断簡 三九 文永(1264-75)末 [p2488]
人二百五十戒の諸僧数十万人を集め、八万法蔵を読むと雖も、何ぞ一雨も下らざる。龍王の慳貪か、諸仏の妄語か。良観上人身口は仏弟子に似ると雖も心は一闡提人為るか。[p2488]
#D040-000 断簡 四〇 弘安(1278-82) [p2488]
釈顕し給□誦□権経《 》顕すへし。去る正嘉元年《 》[p2488]
#D041-000 断簡 四一 弘安(1278-82) [p2488]
掌を合わせて候ひけるとうけ給はるうれしさに、そのあつをつがせ給[p2488]
#D042-000 断簡 四二 弘安(1278-82) [p2489]
又々申すべく候。恐々謹言。[p2489]
十月十八日 日 蓮 花押[p2489]
上野殿御返事[p2489]
#D043-000 断簡 四三 弘安(1278-82) [p2489]
我が身にあたりてをいたるをやはとゞまて、わかきこはさきゆくらむ[p2489]
#D044-000 断簡 四四 弘安(1278-82) [p2489]
足なくして千里の道をく□がごとし。但近き現証を引きて[p2489]
#D045-000 断簡 四五 弘安(1278-82) [p2489]
しんぜさせ給ひしなり。これも又かくやあるらむ。日蓮が法華[p2489]
#D046-000 断簡 四六 弘安(1278-82) [p2490]
と申して妄語を雑へざる経也。仏に二説あり。一には爾前の経々。仏には妄語なかれども所化の衆生実語[p2490]
#D047-000 断簡 四七 文永(1264-75)末 [p2490]
[文永九年]
文永元年の大彗星《 》にして起答《 》此れを知る秘術[p2490]
#D048-000 断簡 四八 弘安(1278-82) [p2490]
教と申す聖人に[p2490]
#D049-0K0 断簡 四九 建治(1275-78) [p2489]
申す等《 》宗なんど申す法華経の強敵ども、国に充満せり。大白癩病の[p2489]
#D050-000 断簡 五〇 文永(1264-75)中期 [p2491]
[四][p2491]
者の中に臨終のあてがたなくものせうせういできたる。こゝに人すいしをもう。信施ををもいて念仏を申すが臨終のわろきやらんなんどをもう程に、一向信施をたち 童男女等をすてゝ 山林にこもりゐて 名利名聞等をたちて 一向に念仏を申す人の中に ことに臨終わろき人々又これをほし。此の時、信施ををもいて臨終のわろきやらんの疑ひ又やぶれぬ。進退きわまりてあれども、いかなる故という事をしらず。例せば提婆・善星・瞿伽梨・苦得・尼・等の人々、或は仏弟子なるもあり、或は外道なるもあり、或は二百五十戒を持ち、四禅定をえ、欲界の貪瞋癡等を断じ、或は十二部経をそらにし、或は六万八万法蔵をうかべたりし人々、或は生身に大地われて無間地獄に堕ち、或は死して食吐鬼となりなんどせしかども、彼の所化の弟子どもはすべて我が師、地獄に堕つとわしらず、但得道の人なんめりとわをもいしなり。[p2491]
又心に疑ふは臨終のさ《だめ》なきはいかにとをもう。此の仏ののたまわく、此れ等は皆無間地獄に堕ちたりと。彼等が所化の弟子等{此の次一紙欠?}[p2491]
としごろの法華読誦の功徳を浄土に回向して観経の上品上生に往生せん。上品中生は解第一義をもちて往生すべしととかれたり。華厳経の唯心法界・法華経の一念三千・真言の入我々入・五相成身等を回向して西方の浄土の上品中生に往生すべし。わづかにすこし一戒を持つものは中三品を志ざす。悪人は名号を唱へて下三品を心ざす。法然等が料簡には経の面は読誦・解第一義・戒等の往生したるやうにはみへたれども、遠くは浄土の三部経の先後、近くは観経の始中終を勘へたるに、実には九品に亘りて必ず念仏をもちて往生すべし。経文に読誦等の諸行を往生の業にいたせるは且く末代の凡夫が観経等にあはざりし先に法華経等の諸経をよみつみ戒等を持ちて、なを但一度に、往生の業にはあらず、すてゝ念仏にうつれ、といわば本意なくをもい信をなさずして観経にうつるべからざる故に、且く人の心をとらんがために諸行往生とわ申す。[p2491-2492]
法華経を入事をば、伝教大師あながちに謗法の者とこそ定め給へ。而るを華厳・深密・般若経にだにも及ばざる観経の読誦大乗の内に法華経ををさむべしや。此の義をわきまえざる故、天台・真言の人々も行は諸行にわたれども心は一向の念仏者なり。かるがゆへに謗法の者となりて臨終はをもうさまならず。在家の無知下賎のもの并に悪人が臨終のあてがたなるは、又下賎なる故にいたう謗法の念仏者をも供養せず。悪人なる故に謗法の念仏者にも近づかず。但あるほどに先の世に五戒を持ちて人間に生まれたり。自然に堂寺なんどをもめにみ、一年十年等の内にも如法経なんどの縁をもむすび、父母なんどのけうやうの心もあるかの故に生死をはなるゝまでこそなかれども、人天の果報をうるかの故に臨終あてがたなるなり。譬へば将門・貞任なんどは謀反のものなりしかども、我等が領内の百姓はいたうとがもなければことごとく打つ事もなし。郎従なんども大将軍の亡後はいたうたづねられず。謗法も又かくのごとし。これをもちて一切心うべし。[p2492-2493]
#D051-000 断簡 五一 文永(1264-75)中期 [p2493]
止観十巻には内外典を打ち頽して法華経となしてつくれる文なり。教相を以て定めば、法華已前の諸経の談にして、一仏の一切の仏の功徳をば備へざる事なり。法華経にをいても迹門にすら、なをしこれをゆるさず。何に況んや爾前の経々をや。されば爾前の諸経に、一仏一切仏の義をとけるは、或は平等意趣と心へ、或は法身のかたをとけると心へ、或は爾前の円教の融通の心としるべきを、遠くは一代聖教の先後をもわきまへず、近くは天台・妙楽の釈をもしらざる者ども但一文一句計りをとりて先後もしらずいう事なり。阿弥陀の三字に一切の諸仏を摂む事は源法華経の所説、一切の諸法を三諦ととかるれば法華経の行者のためには阿弥陀の三字に一切の仏ををさむべし。法華経も信ぜず権経[p2493]
《二・三行欠損》[p2493]
をさまらず法華経の三字□□□□□□□をさまるというか。[p2493]
答て云く 爾也。金ににたる石あり。又実の金あり。珠ににたる石あり。実の珠あり。愚者は金ににたる石を金とをもい、珠ににたる石を珠とをもう。この僻案の故に又金に似る石と実の金と、珠に似る金と実の珠と勝劣をあらそう。世間の人々は何れをという事をしらざる故に、或は千人のいうかたにつきて一人の実義をすて、或は上人の言について少人の実義をすつ。或は威徳の者のいうぎにつきて無威の者の実義をつす。仏は依法不依人といましめ給へども末代の諸人は依人不依法となりぬ。仏は_依了義経不依不了義経〔了義経に依て、不了義経に依らざれ〕とはせいし給へども、濁世の衆生は依不了義経不依了義経の者となりぬ。あらあら世間の法門を案ずるに、華厳宗と申す宗は華厳経を本として一切経をすべたり。法相宗・三論宗等も皆我が依経を本として諸経を[p2493-2494]
#D052-000 断簡 五二 文永(1264-75)中期 [p2494]
釈するなり。されば華厳宗人多しといえども澄観等の心をいでず。彼の宗の人々諸経をよめども、たゞ澄観の心をよむなり。全く諸経をばよまず。余宗又かくのごとし。澄観等仏意にあいかなわば我止む。彼等又仏意に相叶ふべし。澄観もし仏意に相叶はずば彼の宗の諸人又仏意に相叶ふべからず。一人妄をさえづれば諸人妄をつたう。一人まつり事をだやかならざれば万民苦をなすがごとし。当世の念仏者たとい諸経諸仏を念し行ずとをもえども、道綽・善導・法然等の心をすぎず。若し爾れば道綽禅師が未有一人得者の釈、善導が千中無一の釈、法然が捨閉閣抛の四字謬ならば、たとえ一代聖教をそらにせる念仏者なりとも阿弥陀の本願にもすてられ、諸仏の御意にもそむき、法華経の_其人命終 入阿鼻獄〔其の人命終して 阿鼻獄に入らん〕の者とならん事疑ひなし。これ偏に依法不依人の仏の誓戒をそむいて、人によりぬる失のいたすところなり。[p2494-2495]
問て云く 人に依る、失ならば何ぞなんぢは天台・妙楽・伝教大師に依るや。[p2495]
答て云く あえて天台・妙楽・伝教大師を用ひず。但天台・妙楽・伝教大師の引き給へる証文によるなり。例せば国ををさむる人国の中のまつり事、三皇・五帝等の三墳・五典にて賞罰ををこなえば、聖人賢人とはいわるれども、人を罰する罪によりて悪道にをちず、而るを重罪の者も愛するによりて軽罪にをこなひ、奉公あるものを悪によりて賞せずなんどあれば、現世には佞人のなをとり、国やぶれ、未来にはあしき名をながすなり。これ偏に文書に依て人によらず、人によりて文書によらざるによりて、賢愚はいで来るなり。当世の僧俗、多くは人を本として経文を本とせず。[p2495]
或者云く 日蓮は善導和尚にはすぐべからず。或は云く 日蓮見るほどの[p2495]
{此間中断}[p2495]
と難ぜらるゝか。若し爾らばいかにまけたる問註の義と恐れかへされたる先判をは公家・武家にはをさめをかれたるべし。先判は後判のためのかたうどとなり、まけたる問註の記はかつものゝ証文となる。故にをさめをかれたるなり。爾前の諸経は爾前の行者のためには用事なけれども、法華経の行者のためには□□なるなり。故に阿難尊者此れを結集し、智者たち震旦・日本までもわたし来るなり。[p2495-2496]
問て云く 弥陀仏の三字に一代聖教・一切諸仏をさまり給わずばいかに、止観に云ふ ̄与称十方仏名字功徳正等〔十方の仏の名字を称へると功徳正等なり〕の釈如何。[p2496]
答て云く 反詰して云く 此の釈は何の経文により処《有》や。[p2496]
答て云く 止観の常坐常行の両三昧の処なり。[p2496]
問て云く 其の両三昧は何の経文に依るぞや。[p2496]
答て云く 常坐三昧は文殊問等。常行三昧は般舟経等なり。[p2496]
問て云く 文殊問経・般舟経は何の部の経ぞ。法華経爾前か、已後か、並か、如何[p2496]
答て云く しらす。[p2496]
難じて云く 経を定め釈をば料簡すべし。汝ほゞこれをきけ、天台・妙楽の心は玄義十巻諸経の[p2496]
#D053-000 断簡 五三 文永(1264-75)初期 [p2496]
{断簡九二の後に接続}
_是我有 其中衆生 悉是吾子等云云。此の文のごとくならば、この三界は皆釈迦如来の御所領なり。寿量品に云く_我常在此。娑婆世界〔我常に此の娑婆世界に在って〕等云云。この文のごとくならば、過去五百塵点劫よりこのかた、この娑婆世界は釈迦如来の御進退の国土なり。其の上、仏滅後一百年に阿育大王と申す王をはしき。此の南閻浮提を三度まで僧に付嘱し給ひき。又此の南閻浮提の内、大日本国をば尸那国の南岳大師、此の国に上宮太子と生まれてこの国の主となり給ひき。しかれば聖徳太子已後の諸王は皆南岳大師の末葉なり。桓武天皇已下の諸王は又山王[p2496]
#D054-000 断簡 五四 建治(1275-78) [p2497]
[七]
諍ひし時、仙経等やけにき。此の経□経に対せざりし時は、萩につみこめてやきしに焼けざりき《 》やけるなり。《 》仙経は天竺にして焼亡に□ては焼きしぞかし。仏教の内にても又々かくのごとし。華厳経は一権一実、一妄語一真実。方等経は三権一実、三妄語一真実。般若経は二権一実、二妄語一真実なり。阿含経は出世間の一権なり。世間に対すれば実語なれども、仏教の中の妄語なり。大日経・金剛頂経・蘇悉地経の両部の真言は権権一実、三妄語一実語、法華経に対せは一切経は一向妄語となるべし。而るを漢土にては善無畏三蔵、大日経の真言と法華経とをは一義二経になしぬ。其の上に印と真言とを加へて超過と云云。純円の法華経を帯権の大日経に混合しつれば、法華経かへて帯権の経となり、経王、国に失ひしかば世王又たへて、或は大王臣下にをかされ、或は他国にあなづられ、やうやくすぐるほどに、禅宗・念仏宗等の邪法かさなりて、終に主しなき国となりぬ。仏法は主体なり、世法は影響なり。体曲がれば影なゝめなりというは此れなり。日本国は又桓武の御世に[p2497]
{第九紙欠}[p2497]
[十][p2497]
やうやく真言まさりになりて、座主は真言座主になり給ひぬ。名は天台座主、所領は天台の所領、其の人の能は真言なり。又真言かとをもへば法華経の円頓の受戒あり。鼠にもあらず、へんぷく鳥にもあらず。法華経にもあらず、大日経にもあらず。きさきを民の犯したるが太子を生みたるがごとし。詮を論すれば・・房是れ也。師子国と申す国は父は師子、母は人なり。これ国の始めなるゆへに今にいたるまで彼の国の人の心師子のごとし。漢の日種国と申す国は唐土の王女に日天のあわせ給ひて[p2497-2498]
#D055-000 断簡 五五 弘安(1278-82) [p2498]
の劣也。師子の身の内の虫の師子を食ふと申すは今天台宗の人々の自宗を却て他宗に同ずるこれなり。[p2498]
問て云く その相貌如何。[p2498]
答て云く 大日経に云く_心実相。善無畏・金剛智・不空・一行云く 彼経諸法実相此経心実相〔彼の経の諸法実相は此の経の心実相なり〕等云云。慈覚大師云く 爾るべし。安然云く 爾るべし。大日経に云く_我一切本初〔我は一切の本初なり〕と。善無畏云く ̄彼経久遠実成同〔彼の経の久遠実成と同じ〕と云云。慈覚云く 爾るべし。華厳経に云く_心仏及衆生是三無差別〔心と仏と及び衆生、是の三差別無し〕と。澄観云く 彼の法華経に云く 諸法実相と是三無差別とをなじ。智礼等云く 此れ同じ。かくのごとく立つるゆへに天台法華宗は失ぬなり。[p2498]
疑て云く 此れ等をばいかんが心うべき。[p2498]
答て云く 此の事に仏法の中には四の法門あり。一には名同異体、二に名異体同、三には名義共同、四には名義共異なり。[p2498]
をはいかにとして善無畏等は名義共[p2498]
七十ヶ国を修行して□ならいつたへ、然る後、漢土に来りて大日経を玄宗皇帝に授け、し三国真言の元祖なり。一四天肩を並ぶべからざる聖人ぞかし。しかれども、いかなる義にてやありけん、一時に頓死して、閻魔のせめをかほり、鉄の縄七すぢつき給ひしは、世間の悪にはあらず、ひとえに此の悪法のゆへなり。今此三界の経文を恃まずば、いまゝで阿鼻の人にてこそをはすべけれ。しかるを今の天台・真言の二宗の末学、このことわりを知らざるかのゆへに、真言と法華経との理同の義を存するは、いかにとあるべきぞ。はかなし、はかなし。[p2498-2499]
#D056-000 断簡 五六 文永・建治ノ頃(1264-78) [p2499]
権経をひろむる国あらば、守護はなすとも強情なる事は有るべからず。いかにいわうや仏説にもあらざる権経を執して、仏説たる[p2499]
#D057-000 断簡 五七 正元(1259-60) [p2499]
彼の浅経の読誦等の句に華厳・方等・般若等をいるゝだにも不思議なるに、後八年の大法法華・涅槃・大日経等をば通じて入れて上品上生の往生の業とするだにも不思議なるに、あまさえ称名念仏に対して法華経等の読誦は無間等の往生也なんど申して日本国中の上下万人を五十余年が程、謗法の者となして無間大城に堕しぬる罪はいくら程とかをぼす。先づ法然が亀鏡にさゝげたりし双巻経本願の文には唯除五逆誹謗正法と法蔵比丘いましめをかねてなし、正直捨方便の法華経には若人不信 毀謗 乃至 其人命終《入阿鼻獄》と記しをかれたり[p2499-2500]
#D058-000 断簡 五八 文永(1264-75)初 [p2500]
判ずるらん。善導・法然聖人の御義をすつべからず。善導・法然上人のをはしまさゞる故にというか。若し爾らば、釈迦如来の二天三仙の外道の義をやぶり給ひし、天台大師の南三北七《 》さればと申して人用ひざりしか。□の義をいゐて用ひさせし者はをこの者にてこそありしか。又云く 日蓮かしこしという[p2500]
#D059-000 断簡 五九 文永(1264-75)末 [p2500]
仏説にはあらず。今の観経・阿弥陀経等も仏説にはあらず。源を尋ぬれば華厳経[p2500]
#D060-000 断簡 六〇 文永(1264-75)初 [p2500]
四味為・ 醍醐為妙とは是れ也。[p2500]
答て云く 此の義は汝が今始めたる私の義にあらず[p2500]
#D061-000 断簡 六一 文永(1264-75) [p2501]
天台・妙楽等の釈を顕し出だして□心みる□釈し[p2501]
#D062-000 断簡 六二 建治(1275-78) [p2501]
[十三][p2501]
法華経こそ大覚世尊初めてとかせ給ふ法門なれば仏説の始めなれ。大日経等と申すも詮を論ずれば仏説にはあらず。華厳経の法門なるゆへなり。華厳宗が華厳経を根本法輪と申すは、法華経をだにも除いて有らましかばいわれたる事にて有るなり。今の天に列なりまします日月衆星も前四味の間は仏の御弟子にはあらず。初成道已前、華厳経の別円二教をさとりたりし人なり。惣じて三千大千世界の天人・龍神等の上首たる人々は皆かくのごとし。本より他仏に随て別円二教を知りたりしかども、応化応生と申して釈迦仏の行化を助けんがた(め)に[p2501]
#D063-0K0 断簡 六三 弘安(1278-82) [p2501]
日蓮貴しか、本師貴し歟。汝の師は念阿弥、念阿弥の師は皇覚、皇覚の師は法然、法然の師は善導、善導の師は道綽也。[p2501]
#D064-000 断簡 六四 弘安(1278-82) [p2502]
吼えることなし。ひるすぎよに入り候へば、よろづのけだもの、きつねは人となり、とらは鬼神等となつて、一切衆生をたぼらかし、ないし師子王の子をあなづり候也。[p2502]
#D065-000 断簡 六五 弘安(1278-82) [p2502]
人々御返事 日蓮[p2502]
#D066-000 断簡 六六 弘安(1278-82) [p2502]
今の釈迦仏といわれ□□□かども、さればとてひが事をすべきにはあらず。今はすてなばかへりてわらわれになるべし。かたうど□なるやうにて、つくりをとして、我もわらい、人にもわらわせんとするがきくわひなるに、よくよくけうくわんせさせて、人のふしぎ[p2502]
#D067-000 断簡 六七 建治(1275-78) [p2502]
るところ《 》両方の□[p2502]
#D068-000 断簡 六八 弘安(1278-82) [p2503]
正直捨方便これなり。大龍と[p2503]
#D069-000 断簡 六九 弘安(1278-82) [p2503]
り。又十悪・五逆[p2503]
#D070-0K0 断簡 七〇 弘安(1278-82) [p2503]
{三論宗御書 断簡二八四に連文}
三論宗の始めて日本に渡りしは、三十四代推古の御宇、治十年壬戌十月、百済の僧観勒之を渡す。日本記の太子伝を見るに、異義無し。但し三十七代の事、流布之始め也。天台宗・律宗の渡る事は 天平正宝六年甲午二月十六日丁未乃至四月 入京入東大寺天台止観〔天平正宝六年甲午 二月十六日丁未 乃至四月、京に入り東大寺に入る天台止観〕等云云。諸伝之に同じ。人王第四十六代孝謙天皇の御宇也。聖武は義謬れる也。書き直すべきか。戒壇は以て前に同じ。大日経の日本に渡る事は、弘法の遺告に云く ̄件経王在大日本国高市郡久米道場東塔下〔件の経王は大日本国の高市郡久米道場の東塔の下に在り〕云云。此れ又元政天皇の御宇也。法華経の渡り始めし事は人王第三十四代推古の四年也。太子伝に云く[p2503]
#D071-000 断簡 七一 弘安(1278-82) [p2504]
等御尋ねあるべし。経は或は先後し、或は落経にても候はず、□りけるなり。なに事もかくの事□□不沙汰あるか。ものくるわしきとはこれなり。法門もかしこきやうにて候へばわるかるべし。[p2504]
追申
五大のもとへは三□殿も申し上げ候。他所に於て之を聞かしむ。将た又事に依て本の子細有るか。伯耆阿闍梨の事は但我□なるやうなるべし。設ひ件の人見参を為すと雖も、其の義を存じて候へ。[p2504]
#D072-000 断簡 七二 未詳 [p2504]
一定と証伏せられ候ひしかば、其の後の智人かずをしらず候へども、今に四百歳が間さで候なり。かるがゆへに今に日本国の寺々一万余、三千余の社々、四十九億九万四千八百二十八人の一切衆生、皆彼の三大師の御弟子となりて、法華最第一の経文、最第二最第三とをとされて候也。されども始めは失なきやうにて候へども、滴つもりて大海となり、つりつもりて大山となる。[p2504]
#D073-000 断簡 七三 [p2505]
天眼・慧眼・法眼なれども肉眼のごとし。法華経の行者は肉眼なれども天眼・慧眼・法眼・仏眼を備ふととかれて候。[p2505]
#D074-000 断簡 七四 [p2505]
漢土には善無畏三蔵は閻魔のせめにあたり、玄宗皇帝は安禄山にせめられし此れ也。[p2505]
#D075-000 断簡 七五 [p2505]
べからず。弘法大師・慈覚大師・智証大師と申す三[p2505]
#D076-0K0 断簡 七六 文永(1264-75)初 [p2505]
各所罷り蒙るべき也。依て起請件の如し。貞永元年七月十日等と起請文に載せ畢んぬ。次下に武蔵の守平朝臣泰[p2505]
#D077-000 断簡 七七 建治(1275-78) [p2506]
戯論にも法華経を我が経々に相対して下しぬれば必ず阿鼻に堕すべし。所謂無垢論師・徳光論師・嵩法師・信行禅師・得一等なり。 ̄謗者罪開於無間〔謗る者は罪を無間に開く〕等の釈これなり。天台大師は漢土第一の福人なり。[p2506]
#D078-000 断簡 七八 弘安(1278-82) [p2506]
寿仏といわれましまして寿の長くましますも、凡夫にてましましし時の不殺生戒の力也。又極楽世界之七重宝樹と申す木も不殺生戒の力也。[p2506]
#D079-000 断簡 七九 文永(1264-75)後期? [p2506]
をてらす。[p2506]
瓶沙王に勝ること千倍、家に牛金犁九百九十九、其の家《に・》あり。《最》下品の直百千両金、釘を以て此れを指すに七尺穿たずして本の如し。《粟》六十庫蔵あり。一庫に三百四十斛を入れたり。十六大国の中第一の大長者なり。教主釈尊後第四年にまいりて御弟子となる。家を捨て欲を捨て出家せし時、身に無価の法衣を被て候ひしが、裁て僧伽梨衣となして四にたゝみ、仏にたてまつりて[p2506]
#D080-000 断簡 八〇 文永(1264-75) [p2507]
つけるなり。今も又かくの事し。をやのあとをつがせ給ひて[p2506]
#D081-000 断簡 八一 文永(1264-75)初 [p2507]
近きをもんて遠きを知るなら[p2506]
#D082-000 断簡 八二 文永・建治ノ交(1264-78) [p2507]
現在には九旬のよわひをたもち、一国に財をみて臨終には法華経を唱へさせ給ひて、同じく霊山にまいり給ひ、父母にけさん有る時、いくそばくかうれしくをはせん。又[p2507]
#D083-000 断簡 八三 弘安(1278-82) [p2507]
ととはれてかへてたう(問)がごとし。今天台宗云く 華厳経・観経等の円と法華経の[p2507]
#D084-0K0 断簡 八四 文永(1264-75) [p2508]
[六]
宅内絶食し、両三日道路に通ふ人無し。此の僧正寒に責められ、又食無き之上、洛中一青女有り、余が悲母也。誰人か之を養はん。我仏法を学し不[p2508]
#D085-000 断簡 八五 建治(1275-78) [p2508]
又還りて天台本宗をば下して華厳宗・真言[p2508]
#D086-000 断簡 八六 文永(1264-75)末 [p2508]
なり。よくよくきこしめすべし。[p2508]
#D087-000 断簡 八七 文永(1264-75)末 [p2508]
呉王となる。劉備は蜀王と《 》相人□せし事一分も相違なし《 》の相に後の報[p2508]
#D088-000 断簡 八八 文永(1264-75)末 [p2509]
を貫赤《 》宮[p2509]
#D089-000 断簡 八九 弘安(1278-82) [p2509]
迦葉・舎利弗等あり。いかにあながちに地涌千界上行等を実の眷属というや。[p2509]
答て云く 法華経の寿量・涌出等を[p2509]
#D090-000 断簡 九〇 弘安(1278-82) [p2509]
又地涌の菩薩の[p2509]
#D091-000 断簡 九一 弘安(1278-82) [p2509]
三郎殿 ずくし□、すどう(儒童)菩薩と申せ《 》、蓮五本を定光仏にくやうしまいらせて釈迦仏となり給ふ。[p2509]
#D092-000 断簡 九二 文永(1264-75)初 [p2510]
王おれをもちゐず。仏、地神天神を証人として論じかたせ給ひたりき。さればこの世界は我等が本師釈迦如来の御所領なり。されば四衆ともに仏弟子なれども、優婆塞・優婆夷は仏弟子なれども外道にもにたり。比丘・比丘尼は仏の真子なり。されば大悲経には大梵天・第六天・帝釈・四大天王・人王等を天にめして、三千大千世界を次第にゆづり給ひて云く この世界を領知して、我が真子、比丘・比丘尼を供養すべき由をとき給ひき。爾時、梵天・帝釈等仰ひで仰せに随ひにき。又仏、正直捨方便の法華経の譬諭品に云く_今此三界 皆[p2510]
#D093-000 断簡 九三 弘安(1278-82)期 [p2510]
□想結□まい[p2510]
#D094-0G0 断簡 九四 弘安(1278-82)期 [p2510]
然非不有故言[p2510]
#D095-000 断簡 九五 文永・建治ノ比(1264-78) [p2511]
半坐を許され仏とならび、閻浮提一の大僧と成り給ひしか[p2511]
#D096-000 断簡 九六 弘安(1278-82) [p2511]
此れを妄語といはんとすれば[p2511]
#D097-000 断簡 九七 弘安(1278-82) [p2511]
弟子と見しほとに法華経の弟子らに[p2511]
#D098-000 断簡 九八 弘安(1278-82) [p2511]
初発心の弟子にはあらず、雙林最後の[p2511]
#D099-000 断簡 九九 文永(1264-75)中期 [p2511]
当帝[p2511]
なり、主なり。王の御ために山門は主師親の三[p2511]
#D100-0G0 断簡 一〇〇 佐前(1271↑) [p2512]
然有証有凡有聖。但[p2512]
#D101-000 断簡 一〇一 建治(1275-78) [p2512]
たゞ一人ある者をにくみ、うしなわせ給ひては、もしやの事の[p2512]
#D102-000 断簡 一〇二 弘安(1278-82) [p2512]
候上は、いかにも此れは叶ひ候べき。たのま[p2512]
#D103-000 断簡 一〇三 弘安(1278-82) [p2512]
{#0099-000『女人某御返事』に接続 断簡 一〇三に連文か}
[五][p2512]
まいりてこころをもなぐさめたてまつり、又でしをも一人つかわして御はかの[p2512]
#D104-0K0 断簡 一〇四 建治(1275-78) [p2512]
{扶桑略記要文断篇}
物《部》守屋大連中臣《勝海連曰何背国神》敬他神哉。《》由来不識若此事矣。蘇我大臣《曰可》随《詔而》奉《助。・生異計。》遂《引》法師入於内裏。大連横睨大怒。太子語左右《曰》大連不識因《果之理而》今将亡。噫嗚可悲是時有人。密語大連曰 群臣図卿。不可不備。大連聞之招軍兵。中(臣)〔物部・守屋・大連・中臣勝海連曰く 何ぞ国神に背き、他神を敬ふや。由来、此のごとき事を識らずや。蘇我大臣曰く 詔に随て助を奉る。・ぞ生異なる計り。遂に法師を引きて内裏に入る。大連、横まに睨み大に怒る。太子、左右に語りて曰く 大連、因果の理を識らず。今将に亡ぶべし。ああ悲しむべし。是の時に人有り、密かに大連に語りて曰く 群臣、卿をはかる。備はざるべからず。大連、之を聞いて軍兵を招く。中臣〕[p2512-2513]
#D105-000 断簡 一〇五 佐前(1271↑) [p2513]
含経の観心は□説中阿含□[p2513]
#D106-000 断簡 一〇六 佐前(1271↑) [p2513]
《 》経《 》[p2513]
#D107-000 断簡 一〇七 身延(1274-82)期 [p2513]
へは候か。釈迦仏はをやに[p2513]
{別紙}[p2513]
乃時 日 蓮 花押[p2513]
#D108-000 断簡 一〇八 弘安(1278-82) [p2514]
指し付けてをはせし御舌どもの、くぢらの死てくされた[p2514]
#D109-000 断簡 一〇九 弘安(1278-82) [p2514]
漢のかうそ《 》にてをはせし時、秦の始皇にせめられて山中にをはせしに、呂后と申せし婦の候はんを《 》但一人山中に入て沛公をたすけよと[p2514]
#D110-0K0 断簡 一一〇 文永(1264-75)初 [p2514]
梵天・帝釈・日月・四大天王、惣じて日本国中六十余州の大小の神祇、別しては伊豆・筥根両所の権現・三嶋大明神・八幡[p2514]
#D111-000 断簡 一一一 文永(1264-75) [p2514]
抑そも是非につけて□伏は神妙に候とをほしめせとしづしづという[p2514]
#D112-000 断簡 一一二 弘安(1278-82) [p2515]
法華経をすてゝ念仏等の権経に[p2514]
#D113-000 断簡 一一三 文永(1264-75) [p2515]
[十八][p2515]
ごとし。大蒙古国、日本国を[p2515]
#D114-000 断簡 一一四 文永(1264-75)末 [p2515]
[六][p2515]
人をば天まほり給ふゆへに、とがなけ[p2515]
#D115-000 断簡 一一五 弘安(1278-82) [p2515]
あらざるか。将た又過去の貧道偸盗の業を消滅するかのゆへに、しばらく貧なるべしと心えよ。あえて経文のとがにはあらざるか。伝教大師云く ̄讃者[p2515]
#D116-000 断簡 一一六 文永(1264-75) [p2516]
て候へども人の御心へのために[p2516]
#D117-0K0 断簡 一一七 文永(1264-75)初期 [p2516]
{安国論御勘由来草案?}
去る正嘉元年[丁巳]大地震[此の大瑞、日本日記に見ざるか]。日蓮諸経を引き勘ふるに、念仏宗と禅宗との邪法此の国に出現し、存外に国中の上下、鎮護国家の為の大法を蔑如せしむるに依り、法華・真言の国中の守護の大善神瞋恚を為し、悉く他国に向ふが故に、起す所の災難也。此の国将に他国に襲はるべし等云云。具さには故最明寺入道殿に奉る勘文の如し。[谷土野禅門に之を尋ぬべし] 念仏者并に檀那等、之を聞き怨を成す。宛も不軽菩薩の増上慢の四衆の如し。[p2516]
#D118-000 断簡 一一八 弘安(1278-82) [p2516]
給へるは此れは有る人物語て云く いかに京上りの人のさかわに止まりて、いへをつくり妻子をまうけて、洛陽とをぼすぞ、いそぎいそぎ御京上りあるべしと申せし、うちをどろきて、さぞかしとをぼしめして大龍にうちのり、須臾の間に花のみ《や》《こ》[p2516]
#D119-000 断簡 一一九 弘安(1278-82) [p2517]
法門水火也。何を信ずべしともをぼへざりしに、陳主皇帝の御宇に徳安大師智・と申せし人、後には天台大師とがうす。南北数流を止めて但天台の一海となせ[p2517]
#D120-000 断簡 一二〇 文永(1264-75)初期 [p2517]
釈迦仏にはすぐべからず。釈迦如来は正しく法華経に_悪世末法時 能持是経者〔悪世末法の時 能く是の経を持たん者は〕等云云。善導云く ̄千中無一〔千が中に一もなし〕等云云。いづれを信ずべしや。又云く 日蓮が見る程の経論を善導・法然上人は御覧なかりけるかと申すか。若しこの何のごとくならば、先の人の謬りをば後の人のいかにあらわすとも用ふべからざるか。若し爾らばなんぞ善導[p2517]
#D121-000 断簡 一二一 弘安(1278-82)初期 [p2517]
{破信堕悪御書}
かたき(敵)はををく、かたきはつよく、かたうど(方人)はこわくしてまけ候へば、悪心ををこして、かへて法華経の信心をやぶり、悪道にをち候なり。あしきところをばついしさりてあるべし。釈迦仏は三十二相そなわて、身は金色、面は満月のごとし。しかれども、或は悪人はすみ(炭)とみる、或悪人ははい(灰)とみる、或悪人はかたきとみる。[p2517-2518]
#D122-000 断簡 一二二 弘安(1278-82) [p2518]
ども法華経并に一切経の心をしりたる人一人もなし。謗法のみありて一国こぞつて阿鼻地獄[p2518]
#D123-000 断簡 一二三 建治(1275-78) [p2518]
大日経との梵本を御覧ありしが、一とかゝせ給ひて候へば一としるぞかし[p2518]
#D124-000 断簡 一二四 建治(1275-78) [p2518]
かたがたいわひこめ《 》たゞしと《 》めにやまのすまひ《 》[p2518]
#D125-000 断簡 一二五 文永(1264-75)末 [p2518]
末孫なり。など師子の子は象の子には劣るぞ。[p2518]
#D126-000 断簡 一二六 文永(1264-75)末 [p2519]
と申すは此れこそ心えられ候はね。頚を[p2519]
#D127-000 断簡 一二七 文永(1264-75) [p2519]
天畜と人鬼上下□□[p2519]
#D128-000 断簡 一二八 文永(1264-75) [p2519]
僧都・僧正なんど申せし[p2519]
#D129-000 断簡 一二九 文永(1264-75) [p2519]
塔の前にともさせ[p2519]
#D130-0Z0 断簡 一三〇 文永(1264-75)末 [p2519]
中道教・深密経・華厳経・法華経・涅槃経等也[p2519]
・
・・了義経[p2519]
#D131-000 断簡 一三一 建治(1275-78)末 [p2520]
し。しかも此の法華経に已今当説最[p2529]
#D132-000 断簡 一三二 建治(1275-78)末 [p2520]
経中最為深大等云云。譬へば華厳経[p2520]
#D133-000 断簡 一三三 不詳 [p2520]
日蓮は法華経を持つといへども、念仏を持たず。我等は念仏をも持ち、法華経をも信ず。戒をも持ち、一切の善を行ず等云云。此に野兎は跡を隠し、金鳥は頭を[p2520]
#D134-000 断簡 一三四 弘安(1278-82) [p2520]
南と律宗・禅宗等と申すもみなゝからば、はたとをれ、どうとたふれ、木のをれたうるゝがごとく、山のくづれ、いわのは(わ)れ、なみのたち、池のふるうがごとく候へば、国土もをだやかならず、人の心もさわぎ[p2520]
#D135-000 断簡 一三五 建治(1275-78) [p2521]
何経之文ぞや。南北十師の末学等一同に答て云く 涅槃経第七に_我従今日始得正見。世尊 自是之前 世尊 我等悉名邪見之人〔我今日より始めて正見を得たり。世尊 是れより之前は、世尊は我等悉く邪見之人と名く〕等云云。智・此の経文を糺明せしかば、法華経邪見と申す文にはあらず。迦葉童子菩薩の[p2520]
#D136-000 断簡 一三六 文永・建治(1264-78) [p2521]
行ぜば、如意珠をもてる者の瓦礫と交易ををなし、帝釈の猿猴を《 》せるがごとしと心うべし。かくのごとく心へて他宗の人々にむかひては、経計[p2521]
#D137-000 断簡 一三七 文永(1264-75)末 [p2521]
四十余年之間法華の名字を説かざるは何ぞや。薬師経に云く_若是女人 得聞世尊薬師《如来名号至心受持於後》不復更(受女身)〔若し是の女人、世尊薬師如来の名号を聞くことを得て至心に受持し、後に於て復更に(女身を受け)ざる〕のみならず、華厳宗・法相宗・三論宗・真[p2521]
#D138-000 断簡 一三八 弘安(1278-82) [p2522]
無有二乗〔二乗有ること無し〕等云云。伝教諍ひて云く 此の経文は一乗方便という経文にはあらず。前後をみるべしとせめしかば[p2522]
#D139-0K0 断簡 一三九 文永(1264-75)末 [p2522]
之可説なり。是れ一。観経の文に妙法と云ふとは、小乗経の無妙法に対する也。何ぞ必ずしも法華経を指すと意得るや。[p2522]
#D140-000 断簡 一四〇 建治(1275-78) [p2522]
十一年四月八日[p2522]
#D141-000 断簡 一四一 建治(1275-78) [p2522]
ひとゝ馬とを見まがうことなし。白と白と黒と黒とにこそまどう□ん[p2522]
#D142-000 断簡 一四二 弘安(1278-82) [p2523]
不順との意にてとくとこの[p2523]
#D143-0K0 断簡 一四三 文永(1264-75)初 [p2523]
如因地倒還扶而起〔地に因て倒れまた扶けて而も起つが如し〕[p2523]
#D144-0K0 断簡 一四四 文永(1264-75) [p2523]
真の法華経の行者[p2523]
#D145-000 断簡 一四五 文永(1264-75) [p2523]
かへりて行はれんがごと[p2523]
#D146-0K0 断簡 一四六 文永(1264-75) [p2523]
一家の学者尚お[p2523]
#D147-000 断簡 一四七 文永(1264-75) [p2524]
迦きよし定[p2524]
#D148-000 断簡 一四八 文永(1264-75)末 [p2524]
阿闍世、未生怨太子をかたら[p2524]
#D149-000 断簡 一四九 {断片貼雑} [p2524]
・
ひとをふみ ・ 経々の中をもに[p2524]
・
・ □□
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・ □ます□[p2524]
法華経の日本□・釈迦三徳あ□□[p2524]
・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
しかたき ・
・ 草木を筆とんとす[p2524]
《 》見惑は・[p2524]
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
硯 ・をき・昔聞 ・以乃至□・仏所得[p2524]
・ 教・昔聞権・是徳人 ・無量方[p2524]
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
仏相即[p2524]
#D150-000 断簡 一五〇 文永(1264-75)中期 [p2525]
に二言なしと申して人王となる人虚妄なしとあれば、あなづらずば自他の大難《 》みぬべし。[p2525]
問て云く 何禍に《 》[p2525]
#D151-000 断簡 一五一 弘安(1278-82) [p2525]
法華経に云く_生疑不信者 則当堕悪道<即当堕悪道>〔疑を生じて信ぜざることあらん者は 即ち当に悪道に堕つべし〕と、各々疑ひて無間大城[p2525]
#D152-000 断簡 一五二 建治(1275-78) [p2525]
《 》ばら等の軍兵などよせ下りなんと申す事こそ存外の妄語にて候へ[p2525]
#D153-000 断簡 一五三 建治(1275-78) [p2526]
天台大師は約部・約教あり。約教は天台の釈の本意にはあらず。天台已前[p2526]
#D154-000 断簡 一五四 建治(1275-78) [p2526]
問て云く 去る正嘉の大地震、永元之大彗星は、日本国の天子并に万民一同に日蓮を理不尽[p2526]
ににたれども、聖賢にあらざるかのゆへにさて善無畏等に打ちぬかれぬ。善無畏等が云く 汝に天竺の非法教ふべし。漢土の[p2526]
#D155-000 断簡 一五五 弘安(1278-82) [p2526]
功徳をさうる大悪としる人候はず。譬へば日本国の女人の御た[p2526]
#D156-000 断簡 一五六 文永(1264-75)末 [p2526]
(先兆)
仏法の中にあらそい出来すべきたね、国のみだるべきせんへうなり。いかなる聖人の御ことばなりとも、用ふべからず。各々日蓮をいやしみて候。真言宗と法華経宗とは叡山・当寺・薗城なり。上一人下万民一同に帰伏する正法なり。始めて勝劣を立て、慈覚・智証・弘法にそむかんとをほせあるはいかんがとをぼすか。強敵を[p2526-2527]
#D157-000 断簡 一五七 文永(1264-75)初 [p2527]
の先の師の義を破るをば用ふるや。設ひ当世の《 》念仏者[p2527]
#D158-000 断簡 一五八 文永(1264-75)末 [p2527]
[七][p2527]
とかくべし。阿弥陀経等の例時をよまずと申すは、此れ又心へられず。阿弥陀経等は星のごとし。法華経は月のごとし、日のごとし。勝れたる経をよみ候を、劣れる経の者がせいし(制止)こそ心えられ候はねとかけ。恒例のつた(と)めと申すはなにの恒例ぞ。仏の恒例は法華経なり。仏は但楽受持〔但楽って ~ 受持して〕とて真の法華経の行者、阿弥陀経等の小経をばよむべからずとこそとかせ給ひて候へとつめ、かきにかけ《 》[p2527]
#D159-000 断簡 一五九 文永(1264-75) [p2527]
と勘へて、正元二年庚申、同文応元年なり。七月十六日野戸野入道に付けて最明寺入道殿に奏進□了んぬ。此の故に日蓮□《文応》二年[辛酉]五月□□□伊豆の国伊東[p2527]
#D160-000 断簡 一六〇 文永(1264-75)末 [p2528]
[十二][p2528]
あらず。阿含経こそ仏説にては候へども、又拙き経なり。華厳経をとくほどの人の、阿含経をとかざるべきぞ。[p2528]
#D161-000 断簡 一六一 弘安(1278-82) [p2528]
外道あり。其の弟子に六師、九十五種にながれて法門[p2528]
#D162-000 断簡 一六二 弘安(1278-82) [p2528]
はいま[p2528]
#D164-000 断簡 一六四 建治(1275-78)頃 [p2529]
[九][p2529]
堂搭つくらず、布施まいらせず、唯をしき物は命ばかりなり。これを法華経にまいらせんとをもう。三世の仏は皆凡夫にてをはせし時、命を法華経にまいらせて仏になり給ふ。此の故に一切の仏の始めは南無と申す。南無と申すは月氏の語、此土にては帰命と申すなり。帰命と申すは天台釈して云く ̄以命自帰〔命を以て自ら帰す〕等云云。命を法華経にまいらせて仏にはならせ給ふ。日蓮今度命を法華経にまいらせて[p2529]
#D165-000 断簡 一六五 建治(1275-78)初カ [p2529]
{題目功徳御書}[p2529]
[三][p2529]
功徳は先の功徳にたくらぶれば、前の功徳は爪上の土のごとし、法華経の題目の功徳は十方の土のごとし。先の功徳は一・の水のごとし、題目の功徳は大海のごとし。先の功徳は瓦礫のごとし、題目の功徳は金銀のごとし。先の功徳は螢火のごとし、題目の功徳は日月のごとし、と申す経文なり。[p2529-2530]
#D166-000 断簡 一六六 建治(1275-78)頃 [p2530]
{常楽我浄御書}
[五][p2530]
出でさせ給ひて諸大乗経をかんがへ出だし、十方の浄土を立て、一切諸法は常楽我浄と云云。其の時、五天竺の十六の大国・五百の中国・十千の小国・無量の粟散国の諸小乗経の無量無辺の寺々の衆僧、一同に蜂のごとく蜂起し、蟻のごとく聚集し、雷のごとくなりわたり、一時に聚集して頭をあわせてなげいて云く 仏在世にこそ五天の外道、我等が本師教主釈尊とわあらそいしが、仏は一人なり、外道は多勢なりしかども、外道はありのごとし。仏は龍のごとく、師子王のごとくましませしかばこそせめかたせ給ひぬ。此れはそれにはにるべくもなし。馬鳴は一人なれども、我等は多人なれども代すへになれば悪はつよく善はゆわし。仏の在世の外道と仏法とは水火なしりかば、[p2530]
#D167-000 断簡 一六七 弘安(1278-82) [p2530]
くぼの尼ごぜん[p2530]
ひさやいこめ・きびやいこめ(黍焼米)・あわのこめ(粟米)・はじかみ(生薑)・えだまめ・ねいも等のしなじなの物[p2530]
#D168-000 断簡 一六八 文永(1264-75)末 [p2531]
れば《 》の御帰依もあさし[p2530]
#D169-0Z0 断簡 一六九 弘安(1278-82) [p2531]
造五百部大□論破失小乗[p2531]
#D170-000 断簡 一七〇 佐前(1271↑) [p2531]
わつかの邪法一をつ[p2531]
#D171-000 断簡 一七一 弘安(1278-82) [p2531]
経の円と方等経の円と斉等也。方等の[p2531]
#D172-000 断簡 一七二 建治(1275-78)末 [p2531]
[七][p2531]
法華経と三大師《と》法《門》水火也、天地也。日蓮此れを不審し申す。三大師の御弟子等、答て云く 法華経は顕教の中の最第一、顕密相対せば或は第二、或は第三と云云。或は云く 大日経は三密相応一切第一、法華経は意密計り有りて身口なし。或は云く 教主の勝劣と云云。随て又日本国の天台・華厳等の七宗の学者等も此の義を証伏し了んぬ。此の故に四百年が間は日本一同に此の義にて候也。漢土の義大体かくのごとし[p2531-2532]
#D173-000 断簡 一七三 建治(1275-78) [p2532]
候へば。なるゝ心にてをどろかれ候はねどもつらつらをもひ候へば、いへざる事にてをはする上、名あるつわものかまくらに多しといへども、ことにこの御[p2532]
#D174-000 断簡 一七四 弘安五年(1282.04・13) [p2532]
あながちに申させ給へ[p2532]
四月十三日 日 蓮 花押[p2532]
人々御返事[p2532]
#D175-000 断簡 一七五 建治(1275-78) [p2533]
さてこそ最澄法師、大師にもならせ給ひ、聖人ともいわれさせ給ふ。[p2533]
#D176-000 断簡 一七六 [p2533]
のことし。法華経より外の一切経は仏口よりは出ださせ給ふとも、世尊一切衆生の心に随てとかせ給ひて候へば、仏経にして仏経にあらず。故に天台云く 非仏法故非実経非円教云云。又[p2533]
#D177-0K0 断簡 一七七 文永五(1268.04) [p2533]
{安国論御勘由来草案?}[p2533]
正嘉元年[太歳丁巳]八月二十三日戌亥の剋、先前□□大地振。外典者種々に勘文す。爾りと雖も□他国より此の国を責むべしと之□勘文之無し。日蓮あに□□みをなすところ《正嘉》二年[戌午]八月一日大風。同三年[己未]飢饉。正元元年[己未]。同二年[庚申][p2533]
流罪せられ、弘長三年癸亥二月二十四日御赦免。文永元年甲子七月上旬の四五日、東方に彗星出で、光□□大体一国に満つ。陰陽家一々勘文す。然りと雖も止絶他国此国□□□知之但助利一人知□□人不用之如是次第、《文》永□年□今年文永五年[戊辰]閏正月上旬、豊前□□□至、蒙古国の朝状を以て□□鎌倉殿。日蓮の勘文宛も符契の如し。[p2533]
#D178-0K0 断簡 一七八 建治・弘安交カ(1275-82) [p2534]
人肉を食はず、投身無用也。今其の中の勘文を取る。法華経実相一同、之を存すと雖も、其の行儀、時に随て不定なるべし。故に流通の諸品、品々也。仏菩薩の意楽随時の故か。設ひ悪に非ずと雖も、小善を以て大善を防ぐは五逆罪に過ぐる也。今の智者は万善を勧めしむるよりは、一大悪を治するにしかず。例せば外道の九十五種の如し。其の所詮を取るに、常楽我浄の四字也。名は仏法の根本を得るも、其の義は即ち邪也。仏、世に出でて先づ此の悪を治す。正法を説かんが為に苦・無常等の四法を称へて彼の邪見を治す。今の世間は弥陀の名号権法を以て円機を抑へ円教に進まざらしむ。名号の権悪を治せんが為に妙法蓮華経の実術を用ふ。在世、滅後、異なると雖も正法を弘むる之心は之一也。時に当りて秘術を得るか。[p2534]
#D179-000 断簡 一七九 佐渡(1271-74) [p2534]
諸仏如来の一仏もかけ給はず広長舌を大梵王宮に[p2534]
#D180-000 断簡 一八〇 弘安(1278-82) [p2534]
思処也サレバ法華[p2534]
#D181-0Z0 断簡 一八一 弘安(1278-82) [p2535]
行菩薩逆末代謗法一子[p2535]
#D182-000 断簡 一八二 弘安(1278-82) [p2535]
後漢の末に三人の賢人あり。所謂、孫権[呉王]と劉備[蜀王]と曹操[魏王]となり。此の三人・謂と申す人のもとへ行て相を問ふに相人申す。三人共に王となるべし。[p2535]
#D182-000 断簡 一八二 文永(1264-75) [p2535]
叶ひまじきにや此の人々《 》念仏者等は法華経に《 》なり。[p2535]
#D183-000 断簡 一八三 文永十二(1275)頃 [p2535]
[四][p2535]
三人なりと云云。法華経の行者の世に出現する瑞相は文永元年七月四日の大長星の虚空に出でたりしを諸人此れを見てをどろきしがごとし。又去る正嘉元年八月の大地震に人のさわぎしかども、先づ教主釈尊の御出現の時さわぎし事、涅槃経に一切の外道、摩竭提国の阿闍世王に讒訴して云く_今者唯有一大悪人瞿曇沙門〔今は唯一の大悪人有り、瞿曇沙門なり〕等云云。又云く_一切世間悪人為利養故往集其所而為眷属不能修善。呪術力故調伏迦葉及舎利弗目・連〔一切世間の悪人、利養の為の故に其の所に往集して、而も眷属と為て能く善を修すること能わず。呪術の力の故に迦葉及び舎利弗・目・連を調伏す〕等云云。天台大師を南北の諸師の讒訴あり云云。之を略す。南都七大寺の三百余人伝教大師を讒訴して云く ̄西夏有鬼弁婆羅門東土吐巧言禿頭沙門。此乃物類冥召誑惑世間〔西夏に鬼弁婆羅門有り、東土に巧言を吐く禿頭沙門あり。此れ乃ち物類冥召して世間を誑惑す〕等云云。法華経に云く_而此経者。如来現在。猶多怨嫉。況滅度後〔而も此の経は如来の現在すら猶お怨嫉多し、況んや滅度の後をや〕云云。[p2535-2536]
#D185-000 断簡 一八五 文永(1264-75) [p2536]
{2紙貼合}[p2536]
《 》なり。金剛頂経をわ|其の徳善無畏のごとし。[p2536]
ふるこの人の功徳|いかにして地獄には|[p2536]
#D186-0K0 断簡 一八六 弘安(1278-82) [p2536]
過去を以て未来を知るべし。予は地涌の一分に非ずや[p2536]
#D187-000 断簡 一八七 文永(1264-75)中期 [p2536]
_若人有病。得聞是経〔若し人病あらんに是の経を聞くことを得ば〕の文は候へども、此の経をよむ人々[p2536]
#D188-000 断簡 一八八 文永・建治ノ交(1264-78) [p2537]
とたのもしく候。法華経の法門には種熟脱と申して三の大事候。[p2537]
#D189-000 断簡 一八九 弘安(1278-82)期 [p2537]
末代法華経の広宣流布《 》時は必ず此れ等の邪義を糺明して如来滅後[p2537]
#D190-000 断簡 一九〇 文永(1264-75)初 [p2537]
かほれる人の漢土に亘りて法華経[p2537]
#D191-000 断簡 一九一 建治・弘安ノ交(1275-82) [p2537]
にくませ給ふ、智者どもにあわすれば経文すでに明々たる故に人ごとにつまらせ給ふ。しかも念仏はたうとし薫習としひさし、結句は悪心ををこして私ににくみ、をゝやけにつけてあだをなす、わづかに信ぜし人々も[p2537]
#D192-000 断簡 一九二 文永(1264-75)初期 [p2538]
のみあり、なんど申す。これはたとき者か。或は又云く 外道を供養せんものは阿鼻地獄に堕つべし、とい[p2538]
#D193-000 断簡 一九三 文永(1264-75)中期 [p2538]
[十六][p2538]
知やうにかんがへてまいらせよと候ひしかば、仰せに随て十住心論と申す文十巻造りてまいらせて候。又仰せに云く 凡夫のために広し、つゞめてまいらせよと仰せ下されしかば、三巻につゞめられて候。秘蔵宝鑰と申す文なり。かの文の中に一切経の中には第一大日経、第二華厳経、第三法華[p2538]
#D194-000 断簡 一九四 文永(1264-75)初期 [p2538]
法師にても俗にても山門の上を申すものをば、我が父母の上とをぼしめすべし。これは国をやぶり、我が後生[p2538]
#D195-000 断簡 一九五 弘安(1278-82)期 [p2539]
て経をよみ候ひしは八かん地獄の大苦も此れにはすぎじ。雪山の寒苦鳥もかくやとをもひしに、十一月のついたちの日[p2539]
#D196-000 断簡 一九六 建治(1275-78)頃 [p2539]
を□は天災弥いよ来るべきか如何。[p2539]
答て《云く》 爾也。根深枝繁源深流□□□なり。今日本国の王臣等是の災を畏れて神仏に祈請せばいよ《 》重るべし。諸高位に調伏せさ《 》国亡速疾ならん。[p2539]
問て云く 猶お猶おいふべし。災難の起《 》[p2539]
#D197-000 断簡 一九七 弘安(1278-82)初期 [p2539]
あるべからずの御ちかいとだにも候わば、法華経・釈迦仏・天照太神・大日天と大かくのじようどのに申すべく候。これをそむかせ給わば、他のをほせはかほるとも、此の事は叶ひがたく候。我が力の及ばぬ事に候へば御うらみも有るべからず。地頭がいかんかいわすらむ、うたへすらむとの御をくびやうは、地頭だにもをそろし。まして[p2539]
#D198-000 断簡 一九八 文永(1264-75)末か [p2540]
給ひて、霊山会上にまいり値はせ給ひて、みまいらせ給候へ。[p2540]
恐々謹言[p2540]
十一月五日 日 蓮 花押[p2540]
御返事[p2540]
#D200-000 断簡 二〇〇 文永(1264-75)初 [p2925]
[二][p2925]
文はとかれたれども、実には諸行は往生せずと料簡したりけり。この二義世間にひろまりけるほどに、法華経等は一部八巻よむもよたけ也。真言の勧念大事なり。一念は但南無阿弥陀仏と申せばやすし。させる功労をも入らざる故に、在家の諸人は一向称名念仏になりぬ。自然に法然が義つをりて多勢になるほどに、をゝぜいにをとされて、法華経真言等を行じつる人々も自義をすてゝ法然が義をならいまねび、心よせにをもい、久修聖行の法華経等をすてゝ三万六万等の念仏者になりぬ。結句はことに天台・真言の人々、法華経をすてゝ念仏になる証人となれるなり。ここに第一の不思議あり。法然が一類の一向の念仏者、法然・隆観・上光・善恵・南無・薩生等、或《 》二七日無記にて死者もあり、或は悪瘡、或は血をはき、或は遍身にあつきあせをながし、惣じて法然が一類八十余人一人も臨終よきものとてなし。又一向専定の念仏者をもちうる在《 》[p2925]
#D201-000 断簡 二〇一 建治・弘安(1275-82)頃 [p2926]
ます、とりどりにいづれも心ざしをろかならず。しかれども去る文永八年の御かんきの時、佐渡の国、雪中にゐ[p2926]
#D202-000 断簡 二〇二 弘安(1278-82) [p2926]
無妙法蓮華経と唱へさせ給はん女人は、大海の江河にすぐれ《 》の[p2926]
#D203-000 断簡 二〇三 弘安(1278-82) [p2926]
正像二千年すぎて末法になり候ぬれば、天も神も年より心もをぼろになり候へば、小乗権大乗の[p2926]
#D204-000 断簡 二〇四 弘安(1278-82) [p2927]
如何、止観等大事の要文、双紙に聚集してまいらせ候ひし内[p2927]
#D205-000 断簡 二〇五 弘安三・四(1280-81.05・12) [p2927]
{首尾貼合七行}[p2927]
大餅五、聖人ひとつゝ、やまのいも五本、大根いつゝ[p2927]
~~~~~~~~~~~~
[十八][p2927]
五月十二日 日 蓮 花押[p2927]
西山殿 御返事[p2927]
#D206-000 断簡 二〇六 弘安(1278-82) [p2927]
もめでたくて国の人々も[p2927]
#D207-000 断簡 二〇七 文永元(1264.12・13) [p2928]
{#0038-000『南条兵衛七郎殿御書』の断簡}[p2928]
愚痴の人も悪としればしたがわぬへんもあり。火を水を用ひてけすがごとし。善は但善と思ふほどに、小善に付けて大悪のおこる事を[p2928]
#D208-000 断簡 二〇八 文永(1264-75) [p2928]
天神の大威徳天とあらわれて其の徳□天に勝れ給[p2928]
#D209-0K0 断簡 二〇九 弘安(1278-82) [p2928]
法師申す。寺務の為、二位律師厳誉、世間一分之科無しと雖も[p2928]
#D210-000 断簡 二一〇 文永(1264-75)中期 [p2929]
[十一][p2929]
うみたりし太子、今に其の子孫なれば、漢の日種国とて人の心かしこくいさぎよくあるなり。象国・馬国なんど申す国は人なれども其の畜生の心あり。仏教も又かく[p2929]
#D211-000 断簡 二一一 文永・建治(1264-78) [p2929]
此れ何人ぞや。[p2929]
答て云く 一人なり万人一同の悪心を起す。かるがゆへに起るなり。[p2929]
問て云く 何をもんてかこれを信ぜん。[p2929]
答て云く 明鏡あり、眼あらば汝これをみよ。大集経に梵天・帝釈・日月・四天《 》[p2929]
進上 いよの□殿[p2929]
#D212-000 断簡 二一二 弘安(1278-82) [p2930]
いう道理必然なり。伝教大師・弘法大師はしばらく此れををく。日本国の慈覚大師は我が国にして伝教大師に値ひたてまつりて天台・真言の二宗を習ひきわめ、東寺に有りては宗叡[p2930]
#D213-000 断簡 二一三 弘安(1278-82) [p2930]
経文なり。たれか迷はざるべき。弥陀念仏は観音勢至等の[p2930]
#D214-000 断簡 二一四 文永(1264-75)後期 [p2930]
南岳・天台・伝教の法華経付属の人にあらざるに二の故あり。一には迦葉・阿[p2930]
#D215-0Z0 断簡 二一五 建治(1275-78) [p2931]
如彼文鳩般荼者[p2931]
#D216-000 断簡 二一六 建治(1275-78) [p2931]
経文に付くべし、捨[p2931]
#D217-000 断簡 二一七 弘安(1278-82) [p2931]
釈尊已前に或は八百年、或は無量百歳、三仙と申す大[p2931]
#D218-000 断簡 二一八 文永(1264-75)後期 [p2932]
こと正法の前五百年には迦葉・阿難、一向に小乗経を弘通せしかども、後に大乗経を結集せり。其の法門をば弘通せずといえども自身の存知は疑ひなし。龍樹・天親等は正法の後五百歳に権大乗[p2932]
#D219-000 断簡 二一九 文永(1264-75)中期 [p2932]
人の心地一同に大に動ずるゆへに、大地は人の心にのつとれるゆへに大地ふるうか。天は人の眼に法華経のてきとなれる[p2932]
#D220-000 断簡 二二〇 建治(1275-78) [p2932]
なんだをながし遍身にしろきあせを《 》申し候[p2932]
#D221-000 断簡 二二一 弘安(1278-82) [p2933]
聴聞候ひき。大海へは[p2933]
#D222-000 断簡 二二二 弘安二年(1279.03以降) [p2933]
[四][p2933]
方便現涅槃 而実不滅度ととかれて八月十五夜の満月の雲にかくれて《 》るがごとくいまだ滅し給はず候なれ。人こそ雲《 》られてみまいらせず候とも、月は仏眼仏耳をもつてきこしめし御ら《 》らむ。其の上、故阿仏房は一心欲見仏の者なり。あに臨終の時、釈迦仏を見まいらせ《 》む。其の上[p2933]
#D223-000 断簡 二二三 文永(1264-75)初期 [p2934]
やすきことぞかし。この経を一四句偈供養せんをば又十のたとえあり。一切の江河のもろもろの水の中には大海第一なり。一切の山の中には須弥山第一なり。一切のひかりあるものには日輪第一なり。一切の王の中に大梵天王第一なり。この経は一切の経の中には第一なり。この経をけちえんせん人は諸人のなかには大海のごとくひろく、須弥山のごとくたかう、日月のごとくあきらかなるべし。もし女人ありてこの《 》あつはり給ひしをゝくの仏、多宝仏・釈迦牟尼仏、一々の仏舌をいだして梵天につけたりしは、をへただしかりしことなり。このしたをいだし給ふことはかみの一々の不思議のことどもまことなり□いうしようこなり。舌は不妄語戒のちからなるゆへなり。ことにこのふみは女人のをんためにしるすことに候へば、かみのだいば品に龍女が須臾に仏になりたりしこともこの品にしてうたが[p2934]
#D224-000 断簡 二二四 建治(1275-78) [p2935]
かの禅門にけさんして候ひしかば内心はしり候はず、をもわざるほかにこゝろよげに候ひき。又かれよりすごにしたがうべからざるよし申すとて、ことにいかり申されげに候ひき。又そのひ、やがて下手人まいらせすべきの申状つけ候ひき。とくとく問註あるべきよし申し候ひしかども、あつか□あくたうどもを申す人にめしあづけられよとこそ申し候ひしか。[p2935]
さてはこの白米の事申しつくしがたう候。そうぜんして法華経一部よみて候。[p2935]
#D225-000 断簡 二二五 文永五・六(1268-69)頃 [p2935]
つたなきかなや天台の学者等、善無畏等は誑惑の心ある上、我が執する法を顕さんがために妄語をなすとも、法華宗の学者等智慧かしこくば、たぼらかさるべきか。但し善無畏は月支の経を訳したりといふ事信ずべきににたれども、天竺の人は妄語なく、漢土・日本の人は実語なきか。提婆が虚狂罪は月支より始まり、瞿伽利が妄[p2935]
#D226-000 断簡 二二六 弘安(1278-82) [p2936]
□なやいごめひと袋、蓮華三本給候ひ了んぬ。はちすと申すは蓮華なり。天上に花あり、まんだら花等云云。大地の上にも種々の花あり、春はさくら、秋はきく、夏はぼうたん、冬は[p2936]
#D227-000 断簡 二二七 建治(1275-78) [p2936]
[二][p2936]
そりやうゆへなくめしあげられて、ただてのひろさあるやしきにすませ給へば、びんぐう《 》すい《 》ばかりは[p2936]
#D228-000 断簡 二二八 弘安(1278-82) [p2936]
世間ををそれていつわりをろかなり。御心へあるべし。黒白と申してくろくしろき者には人迷ふことなし。人畜と申して[p2936]
#D229-000 断簡 二二九 文永(1264-75) [p2937]
《 》いはん人と《 》ごとく修行すとも《 》恥辱せん者と此れ等の諸《 》し其人命終 入阿鼻獄と定めさせ給ひて候。此の事は唯釈迦仏の仰せなりとも、外道に有らずば疑ふべきにては候はねども、已今当の諸経の説に色[p2937]
#D230-000 断簡 二三〇 弘安四年(1281.05・22) [p2937]
御志ざしかうじん、かうじん。恐々[p2937]
五月廿二日 日 蓮 花押[p2937]
東ひやう衛尉殿 御返事[p2937]
#D231-000 断簡 二三一 弘安(1278-82) [p2938]
□千未弘の大法と申すは本門の大法なり云云。[p2938]
疑て云く 此の事爾るべしとをぼへず、天台大師は此の法華経を二経《 》所謂、迹門十四品一経、本門十四品一経なり。迹門の大法は一切経に対しての大法なり。本門の大法と申すは、迹門の円仏の大法に対して彼を少法と下しての大法なり。所謂、天台云く 或は迹門小法といゐ、或は小仏とゆゐ、或は妙楽云く 或は迹門円人畜生とゆう。此れ等に勝れていかなる法門ありて本門の極理尚を□というや。[p2938]
答て云く 月支・漢土・日本国の二千二百三十余年が間《 》寺塔を見るに、いまだ寿量品の仏を造立せる伽藍なし、清舎なし。[p2938]
#D232-000 断簡 二三二 建治・弘安(1275-82) [p2938]
いも一石、はじかみひとたわらをくり給候ひ了んぬ。いつもの事に[p2938]
~~~~~~~~~~~~~~
よにはちうあるにとにてこそ[p2938]
#D233-0K0 断簡 二三三 建治(1275-78)? [p2939]
等興盛之故、朝家の重んじ給ふ大法法華・真言等、存外に忽緒之義出来する間、天子本命の道場・鎮護国家の道場竝びに諸寺諸山、自然に興廃せしむるか。茲に因り守護の諸大善神等、□法味を嘗めず、威光を失ふ。定めて自国より[p2939]
#D234-000 断簡 二三四 弘安(1278-82) [p2939]
上□是日尼か膝□[p2939]
#D235-000 断簡 二三五 弘安(1278-82) [p2939]
一仏なれば末代の[p2939]
#D236-000 断簡 二三六 文永(1264-75)初期 [p2940]
又あししときくなり。念仏者の臨終の悪き故は、四十余年の権経の内になを華厳・方等・般若にも及ばず、わづかの浄土の三部によれる者どもが[p2940]
#D237-000 断簡 二三七 弘安(1278-82) [p2940]
へなり。例せば日本国には神武天皇よりいまにいくさ多しというとも、此の蒙古国の合戦第一なるべし。日本国こわくさゝうるならば滅して[p2940]
#D238-000 断簡 二三八 [p2940]
{断簡八篇}
{①弘安(1278-82)}[p2940]
恐々謹言[p2940]
七月十六日 日 蓮 花押[p2940]
さゑもんどのの 御返事[p2940]
{断簡追加}[p2941]
・・・・・◇・・・・・・
{②文永(1264-75)}[p2941]
《 》不審をなすにあきらめたる人なし、善悪《 》が無間地獄道疑ひなしとをもい候。法然は法華経の名をあげてなげすてよとかき[p2941]
・・・・・◇・・・・・・
{③文永(1264-75)}[p2941]
文に相違す。序品に云く_為諸菩薩説大乗経。名無量義。教菩薩法。仏所護念〔諸の菩薩の為に大乗経の無量義・教菩薩法・仏所護念と名くるを説きたもう〕云云。此の文の[p2941]
・・・・・◇・・・・・・
{④文永(1264-75)}[p2941]
伝教大師は日本第一の得人なり。[p2941]
問て云く 汝は何に分け見るや。[p2941]
答て云く 得人二あり。身には身の悦び、二に心の得なり。日本の人は心に名を得たり、日蓮は心に楽を得たり、一切の楽の中には心楽を第一とす。日本の愚痴なり、大苦の中の最大苦なり、日蓮は智者なり、大楽の[p2941]
・・・・・◇・・・・・・
{⑤建治(1275-78) 原漢文}[p2942]
豈に此の《 》而るに法華・真言の僧徒□或は此の義を識らざるか、或は識ると雖も世に之を慢〈へつらう〉か。故に来臨《 》祈祷之故に天神祐けず《 》終に此の国に《 》罰及ぶ之由、之を奏すべし。ハタ又《 》不忠の臣為るべし、《 》之日蓮末代法華之《 》聖賢の一分か、世間《 》日月の螢火を見るが如し、汝等《 》重所《 》不□自慢《 》見成敗《 》之思《 》[p2942]
・・・・・◇・・・・・・
{⑥建治(1275-78)}[p2942]
自身邪見と申す文なりとせめし[p2942]
・・・・・◇・・・・・・
{⑦弘安(1278-82)}[p2942]
凡夫は疑ひやせんずらむ[p2942]
・・・・・◇・・・・・・
{⑧弘安(1278-82)}[p2942]
[三][p2942]
刃傷し百姓ををいいたしたる臨終は重科のがれがたければ百姓《 》て[p2942]
#D239-0Z0 断簡 二三九 文永(1264-75)末 [p2943]
{一代五時図の断簡}[p2943]
一代五時図
・・・・・・ 龍樹菩薩造 仏滅後九八□年 [p2943]
大論云 十九出家三十成道 [p2943]
権大乗 ・・ 智儼法師 [p2943]
・ 二七日 ・・ 杜順和尚 [p2943]
華厳経・・・・ 華厳宗・・ [p2943]
三七日 ・・ 法蔵法師 [p2943]
・・ 澄観 [p2943]
阿含 十二年 達磨大師 [p2943]
方等・・・・ 双観経 ・・ [p2943]
・ ・・ ・ ・・ 曇鸞法師 [p2943]
大集 ・・ 観経 ・・・ 浄土宗・・・ 道綽 [p2943]
・・ 阿弥陀経・・ ・・ 善導 [p2943]
大日経 ・・ 善無畏三蔵 [p2944]
金剛頂経・・・ 真言宗 金剛智三蔵 [p2944]
蘇悉地経・・ 不空三蔵 [p2944]
・ 三十年 [p2944]
・ 龍樹菩薩作 [p2944]
・ 権大乗 ・・ 百論 ・・ [p2944]
・ ・ ・・ 中論 同・・ [p2944]
・ 般若・・・・・ ・・ 三論宗 嘉祥大師 [p2944]
・ ・・ 十二門論 同・・ [p2944]
大品 ・・ 大論 同・・ [p2944]
#D240-0Z0 断簡 二四〇 建治(1275-78) [p2944]
父母所生之身也 [p2945]
・ ……..無生忍の名也 [p2945]
生身得忍……….断見思塵沙無明 [p2945]
・ ……..煩悩道 [p2945]
苦道 ……業道 [p2945]
・
即法身 [p2945]
肉色 [p2945]
・
・苦道即法身 [p2945]
即身成仏 ・・ 煩悩即般若 ・・ 業即解脱 [p2945]
外色 [p2945]
草木成仏 ・・ 国土世間 [p2945]
如是無辺禍出在於 [p2945]
文徳 ・・・・・・・・・・ 仁寿二年 [p2945]
国中 五丈彗星 [p2945]
太宗之貞観戌年 六丈云云 [p2945]
#D241-0Z0 断簡 二四一 弘安(1278-82) [p2946]
三乗一乗 [p2946]
・・ 一 根性融不融 [p2946]
迹門・・ 三蔵教 /遠種 [p2946]
・・ 二化道始終不始終 \近種 [p2946]
通教 /遠種 [p2946]
\近種 [p2946]
別教 /遠種 [p2946]
\近種 [p2946]
円教 /遠種 [p2946]
\近種 [p2946]
本門 師弟遠近不遠近
三蔵教 入不退過去法華力也 [p2946]
通 同 [p2946]
別 同 [p2946]
円 同 [p2946]
爾前四教乃至迹門純円機 [p2947]
寿量品 ・・ 見諸衆生。楽於小法。徳薄垢重者。 [p2947]
爾前四教乃至□円也 [p2947]
・・ 三垢 [p2947]
・ 我見戒禁疑 [p2947]
・ ・・ 八十八使也 [p2947]
・・・・・・・・・
・・見思也 [p2947]
涅槃経三云 天台云 垢重者見思未除也 [p2947]
#D242-0Z0 断簡 二四二 建治(1275-78) [p2947]
・・ 唐世 [p2947]
・
・ 安楽集也 [p2947]
・・道綽禅師云 [p2947]
聖道門 ・・ 未有一人得者 [p2947]
浄土門 ・・ 唯有浄土浄土一門可通入路 [p2948]
唐世
・
・往生礼讃
・・
善導 ・・ 雑行 ・・ 百時希得一二 [p2948]
千時希得三五 [p2948]
千中無一 [p2948]
正行 [p2948]
・・十即十生百即百生 [p2948]
于今五十余年也 [p2948]
日本国後鳥羽院御宇 [p2948]
#D243-0Z0 断簡 二四三 建治(1275-78) [p2948]
三車四車 [p2948]
ひつじのくるま [p2949]
[やうしゃ] [p2949]
羊車 \ [p2949]
\ しやうもんにたとう [p2949]
しかのくるま\ あごんきやう [p2949]
[ろくしゃ]/ えんがくにたとう [p2949]
鹿車 / [p2949]
うしのくるま [p2949]
[ごしゃ] [くゑごん][はうとう][はんにや] [p2949]
牛車 華厳 ・ 方等 ・ 般若 [p2949]
\
ぼさつにたとう [p2949]
をゝきにしきうしのくるま [p2949]
[だいびゃくごしゃ] [p2949]
大白牛車 法華経 [p2949]
はじめにわ みつのくるまをもつて もろもろのこを [p2949]
[しょい][さんしや][ゆいん][しょし] [p2949]
初以 ・ 三車 ・ 誘引 ・ 諸子 [p2949]
[ねんこ][たんよ][だいしや] [p2949]
然後 ・ 但与 ・ 大車 [p2949]
#D244-0Z0 断簡 二四四 弘安(1278-82) [p2950]
我所説経典。無量千万億。已説。今説。当説。而於其中。此法華経。最為難信難解。[p2950]
記六 ̄縦有経云諸経之王 不云已今当説最為第 兼但対帯 其義可知[p2950]
弘六 ̄已今当説最為第一 不聞此経 不名善行 開方便門 示真実相[p2950]
#D245-0K0 断簡 二四五 建治(1275-78) [p2950]
(別筆)[p2950]
(法華経法師品云)[p2950]
薬王。多有人。在家出家。行菩薩道。若不能得。見聞読誦。書持供養。是法華経者。当知是人。未善行菩薩道。若有得聞。是経典者。乃能善行。菩薩之道。[p2950]
外 ・・・ 華・阿・方・般若 [p2951]
・ ・・ 已説 ・・・ [p2951]
・ ・ ・・ 未善 [p2951]
三説 ・・・ 今説 ・・ 無量義経 ・・ [p2951]
・ ・・ 大愚痴 [p2951]
・ ・・ 未善 [p2951]
・・ 当説 ・・ 涅槃経 ・・ [p2951]
・・ 大愚痴 [p2951]
弘六 ̄已今当説最為第一 不聞此経 不名善行 開方便門 示真実相[p2951]
・・ 開三 ・・ [p2951]
・ ・・ 三説超過法也 [p2951]
・・ 顕一 ・・ [p2951]
#D246-0Z0 断簡 二四六 建治(1275-78)初 [p2951]
・・ 法相宗 [p2951]
・ 観薀阿・耶 ・・・ 深密経等 [p2951]
・ ・・ 同類諸経 [p2951]
四句惣摂一切経 ・・ [p2951]
・ 華厳経 ・・ 華厳宗 [p2951]
・ 極無自性心 ・・ [p2951]
般若経 ・・ 三論宗 [p2951]
#D247-0Z0 断簡 二四七 建治(1275-78) [p2952]
法華経第四云 薬王今告汝 我所説諸経 而於此経中 法華最第一 爾時。仏復告。薬王菩薩摩訶薩。我所説経典。無量千万億。已説。今説。当説。而於其中。此法華経。最為難信難解。[p2952]
嘉祥義也 [p2952]
・・ 已説 ・・ 華・阿・方・般若等、無量義経 [p2952]
・・ 今説 ・・ 法華経 [p2952]
・・ 当説 ・・ 涅槃経 [p2952]
・・ 已説 ・・ 華・阿・方・般若 [p2952]
・・ 今説 ・・ 無量義経 [p2952]
・・ 当説 ・・ 涅槃経 [p2952]
三説外法華経 [p2952]
天台義也 [p2952]
欲貶作妙教 毀在其中 何成弘讃 [p2952]
#D248-0Z0 断簡 二四八 建治(1275-78) [p2953]
・・ 華厳経 別教 ・・・・ [p2953]
・ 円教 ・・・・ [p2953]
・・ 阿含 小乗 ・・・・ [p2953]
・ ・・ 蔵 ・・・・ [p2953]
・・ 方等 ・・・ 通 ・・・・ 未顕真実[p2953]
・ ・・ 別 ・・・・ [p2953]
・ ・・ 円 ・・ [p2953]
天台宗意 ・・ ・・ 通 ・・・・ [p2953]
・・ 般若 ・・・ 別 ・・・・ [p2953]
・ ・・ 円 ・・・ [p2953]
・・ 法華 ・・・ 円 ・・・ [p2953]
・ ・・ 蔵 ・ 玄二云 [p2953]
・ ・・ 通 ・ 此妙円彼妙円[p2953]
・・ 涅槃 ・・・ 別 ・ 妙義無殊[p2953]
・・ 円 ・・・ [p2953]
玄義十云 初後仏慧円頓義斉 [p2953]
#D249-0Z0 断簡 二四九 弘安(1278-82) [p2954]
…合戦 ・・ [p2954]
・・ 殺生….地 ・ [p2954]
・ ・
・ …饑渇 ・ [p2954]
・・ 身三・・ 偸盗….餓 ・ [p2954]
・ ・ ・
・ ・ …疫病 ・ [p2954]
・ 七支・・ ・・ 邪婬….畜 ・・業・因[p2954]
・ ・ ・
・ ・ ・・ 妄語 ・ [p2954]
・ ・ ・・ 綺語 ・ [p2954]
十悪 ・・ ・・ 口四・・ ・ [p2954]
・ ・・ 悪口 ・ [p2954]
・ ・・ 両舌 ・・・・・・ [p2954]
・
・ ..飢渇 ・・・・・ [p2954]
・ …水災 ・ [p2954]
・ ・・ 貪….愛欲 ・ [p2954]
・ ・ …慳貪 ・ [p2954]
・ ・ ・ [p2954]
・ ・ ..合戦 ・ [p2954]
・ ・ …火災 ・ [p2954]
・ 三毒・・ 意三・・・ 嗔….恚 二万一千 ・・ 煩悩・縁[p2954]
・ …嫉妬 ・ [p2954]
・ ・ [p2954]
・ …疫病 ・ [p2954]
・・ 癡….風災 ・ [p2954]
…愚ニ□□□ ・・ [p2954]
法句経云 守口摂意身莫犯 [p2954]
土分二千一 如是行者得度世 [p2954]
#D250-0Z0 断簡 二五〇 文永(1264-75) [p2955]
天竺阿僧祇耶 [p2955]
仏滅後九百年論師也 [p2955]
無著菩薩造 [p2955]
天親師子覚兄也 [p2955]
摂論 [p2955]
一 別時意趣 [p2955]
二 別義意趣 [p2955]
四意趣 [p2955]
三 平等意趣 [p2955]
四 衆生楽欲意趣 [p2955]
龍樹菩薩造 仏滅後八百年出 [p2955]
大論 [p2955]
一 世界悉旦 随楽欲 [p2955]
二 為人悉旦 生善 [p2955]
四悉檀 [p2955]
三 対治悉旦 破悪 [p2955]
四 第一義悉旦 入理 [p2955]
摂受 [p2955]
勝鬘経云 [p2955]
折伏 [p2955]
#D251-0K0 断簡 二五一 文永(1264-75) [p2956]
正法中能勤修行方住説とは、論に曰く 譬へば、若し人多宝仏の名を受持すれば決定して無上菩提に於て更に退堕せずと説くこと有るが如し。釈して曰く 是嬾堕善[p2956]
#D252-000 断簡 二五二 建治(1275-78) [p2956]
たりぬ。阿難・迦葉[p2956]
#D253-000 断簡 二五三 弘安(1278-82) [p2956]
なんと申して候人々も候。よにやわらかけになり[p2956]
#D254-0K0 断簡 二五四 文永(1264-75) [p2956]
初三報従重[p2956]
#D255-000 断簡 二五五 文永(1264-75) [p2957]
をんいのりのためなり。恐々謹言。[p2956]
乃時[p2956]
#D256-0K0 断簡 二五六 建治(1275-78) [p2957]
問ふ 恵苑法師三時教を立つるや。[p2956]
答ふ 文に云く 震旦恵苑具斥其狭〔震旦の恵苑は具さに其の狭きを斥ふ〕と[文]。之に付けて何を以てか知るを得ん。三時の狭きことを斥ふと云ふ事何れの処にか其の義を見たるや。[p2956]
答ふ 次下の文に云く 又恵苑法師の云く ̄玄奘三蔵三時法輪 祇可唯是漸教 唯論三性一法 唯為一機。不可以為定量部判一切仏法〔玄奘三蔵の三時の法輪はただ、唯是れ漸教にして唯三性の一法を論ず、唯一機の為なるべし。以て定量と為して一切の仏法を部判すべからず〕と[文]。[p2956]
#D257-0K0 断簡 二五七 [p2957]
{断簡2篇}
{①守護国家論の引用経文の一部と同一 正元(1259-60)}[p2957]
行住坐臥不論時処諸縁修之不難 乃至 臨終願求往生得其便宜不如念仏〔行住坐臥を簡ばず、時処諸縁を論ぜず。之を修するに難からず。乃至 臨終には往生を願求するに其の便宜を得ること念仏には如かず〕[p2957]
{②文永(1264-75)}[p2957]
始見大収也、今見・拾□。□□如竹破初節。今見如余節□□□例如天台宗法華□[p2957]
#D258-000 断簡 二五八 建治(1275-78) [p2958]
□胎蔵界七百余尊の其の中央に大日如来まします。身相は黄金色にし《 》[p2958]
#D259-000 断簡 二五九 建治(1275-78) [p2958]
{断簡二五八の連文か}[p2958]
法界定印なり。二には金剛界五百余□身相は白色にして智拳印な[p2958]
#D260-000 断簡 二六〇 建治(1275-78) [p2958]
[九][p2958]
天台・真言二宗わたりぬ。真言宗をば天台の方便と伝教大師定め給ひぬ。御弟子の慈覚[p2958]
#D261-000 断簡 二六一 弘安(1278-82) [p2958]
仏菩薩等は皆□御らむ候なり。三世十方の諸仏は一丈二丈、或は十丁百丁、或は百里千里、或は[p2958]
#D262-000 断簡 二六二 建治(1275-78) [p2959]
我も智者、我も智者とはをもへども、梵釈と天照太神・八幡大菩薩には《 》られて、日本国人王八十一代[p2959]
#D263-000 断簡 二六三 弘安(1278-82) [p2959]
護の御ちかいやふれをはり候ひぬ。此れをもんてをもうに、日本国もいかんが有りすらむ。をぼつかなしと申すふしんあり。此の事は日本国に知る人一人もなきか。日蓮ほゞ此れをかんがえて候に、其のゆへあるかとをぼへ候。下は上をしらぬ事なれば、天照太神[p2959]
#D264-0K0 断簡 二六四 文永(1264-75) [p2959]
人語。八万の諸天、天の語を聞き、地獄・夜叉各其の語を聞く。唱へ告げ、梵天に至れば是れを梵音と為す。亦是れ仏[p2959]
#D265-000 断簡 二六五 建治(1275-78) [p2959]
御入滅いかでか此の恩をばほうじまいらせ候べき。願はくは仏しばらく[p2959]
#D266-000 断簡 二六六 弘安(1278-82) [p2960]
女房よくよく御らむあるべし。恐々謹言。[p2960]
三月廿一日 日 蓮 花押[p2960]
稲河入道殿 御返事[p2960]
女房御返事[p2960]
#D267-000 断簡 二六七 弘安(1278-82) [p2960]
付けて仏にまいり、いなむ事もなくして大般涅槃経を聴聞して、立ち所に阿羅漢となりぬ。慧眼を開きて大地の底をみしかば、須跋陀羅が堕つべき大地獄の[p2960]
#D268-000 断簡 二六八 建治(1275-78) [p2960]
面々御返事 日蓮[p2960]
#D269-000 断簡 二六九 文永(1264-75)末 [p2961]
南條七郎殿 日蓮[p2961]
#D270-000 断簡 二七〇 建治(1275-78) [p2961]
[三][p2961]
多く候。其の上、宝塔品と申す品には東方宝浄世界と申す国より多宝仏と申す仏来らせ給ひしかば、又十方の仏あつまらせ給ひ、三千大千世界に居あまらせ給ひて、三千大千世界より外、四百万億那由他の世界に衆星の月日をめくれるがごとく、釈迦多宝の二仏をくるくるとめくりて坐せさせ給ひぬ。其の外の菩薩人天のあつまれる事、言をもんてのべがたし。心をもんて計るべし。をゝかた大海のごとく候へば法華経を大海に譬へさせ給ひて候。此の大衆の御前にして仏せんきしての給はく[p2961]
#D271-000 断簡 二七一 建治(1275-78) [p2961]
なきがごとし、又羅什三蔵のあやまりをかけるかと疑ひ候。[p2961]
#D272-0K0 断簡 二七二 文永(1264-75) [p2962]
覚大師之門徒云云。□京□後鳥羽院の御願文に云く 昔践九五尊之位 運思敬神□□ 今烈三千禅徒 抽誠□帰仏之中〔昔は九五尊の位を践み、思ひを敬神□□に運び、今は三千の禅徒に烈なり誠を□帰仏の中に抽かんとす〕[p2962]
#D273-000 断簡 二七三 文応(1260) [p2962]
経を修行していのちをはらんとき、かならずあみだ仏の国にむまるべしととかれたり。この安楽世界は観経とうにすゝめたる極楽とをもうこと、ゆめゆめあるべからず。すなはちこの経を信ずる女人の身、釈迦・阿弥陀一切の仏ぼさつにてあるべし。この女人のいたらんところ、すなはち安楽世界なるべし。観経とうの安楽世界、じち(実)にはこの経のさとりをへぬ人のためにはゑど(穢土)にえあるなり。此の経を眼に[p2962]
#D273-000 断簡 二七三 [p2962]
{貼合2行}[p2962]
□ませ給ふべし。法華経をつたへさと[p2962]
・・・・・・・・・・・・・・
昔、喜見と申せし人は七宝の[p2963]
#D275-0K0 断簡 二七五 建治(1275-78) [p2963]
云く ̄子弘父法〔子、父の法を弘む〕等云云。輔正記に云く[p2963]
#D276-000 断簡 二七六 建治(1275-78) [p2963]
[三][p2963]
大師、日本国には伝教大師なり。印度の龍樹菩薩・天親菩薩、漢土の光宅法師・善無畏[p2963]
#D277-000 断簡 二七七 弘安(1278-82) [p2963]
まいらせて候。月氏国には阿耆多王と申せし悪王候ひき。仏を請ひ奉りて供養しまいらせ候はざりし《 》大王と生まれたり。此れは大麦なり。なんぞ仏のたねとならざらむと、かしこまり申すよし、申し上げさせ給ふべし、申し上げさせ給ふべし。恐々謹言。[p2963]
五月廿三日 日 蓮 花押[p2963]
#D278-000 断簡 二七八 弘安(1278-82) [p2964]
又若し明年までいきてたかい《に》をはするならば、なつのころは人をまいらせ候はん。御わたりありて御らむあるべし。恐々謹言。[p2964]
十月廿六日 日 蓮 花押[p2964]
いたわりと□□くせんてくはしく《 》[p2964]
#D279-000 断簡 二七九 弘安(1278-82) [p2964]
涅槃経の文に説いて云く_学大乗[p2964]
#D280-0K0 断簡 二八〇 文永(1264-75) [p2964]
今云く 孔子の言を以て□儒道二家を責め、口を閉じて開かず。内典諸宗又復是の如し。其の宗の元祖帰伏の言を以て彼の宗の末学之謗言を閉じ止む也。[p2964]
#D281-000 断簡 二八一 弘安(1278-82) [p2965]
{貼合9行}
ついにほろ《び》ぬ。仏教又かくのごと《く也》。華厳経・大日経等を法《華》経にまさ《ると云ひ》し大師《等》皆無間地獄《に》をちぬ。か《れ》をかくせし弟子等、やしなひし国《主》万民又《かくのご》とし[p2965]
・・・・・・・・・・・・・・
へからず。弘法大師・慈覚大師・智証大師と申す三{#D075-000断簡七五と同じ}[p2965]
#D282-0K0 断簡 二八二 建治(1275-78) [p2965]
金剛頂《 》二経に替ふると雖も一経只法華経也。是れ則ち王臣の礼節乱れ無し。覚一人、異朝本朝の吉例に違背し、将た又教大師の三部を軽蔑する也。又法公云く ̄東寺安置日頂二経 鎮護国家《 》〔東寺、日頂二経を安置し、《 》鎮護国家〕。其の後、天台・真言の学者云く 顕教三部密教二部云云。法華三部を軽蔑すること土の如く沙の如し。秘教二部を崇重すること金の如く珠の如し。之に依て仏法滅尽し、王法減少するか。[p2965]
已上、陳隋二代の両帝、天台に帰伏する也。夫れ、両帝、本、南北諸師に帰依し、一向[p2965]
#D283-000 断簡 二八三 弘安(1278-82) [p2966]
たから《とす□の□□□□》たからとす。魚は水ををやとし、鳥は木を家とす。人《は》食をたからとす。かる[p2966]
#D284-0K0 断簡 二八四 弘安(1278-82) [p2966]
{断簡 七〇の下に連文}[p2966]
 ̄謂恵慈法師曰 法華経中此句落字〔恵慈法師謂ひて曰く 法華経の中に此の句の字を落とす〕云云。太子、使を漢土に遣はす已前に法華経此の国に有るか。欽明の御宇を推知するに渡す所の経之中に法華経有る也。但し自ら御不審の大事有り。所謂、日本紀に云く ̄欽明天皇十三年壬申冬十月十三日辛酉 百済国聖明王 始献金銅釈迦像一躯〔欽明天皇十三年壬申冬十月十三日辛酉、百済国の聖明王、始めて金銅の釈迦像一躯を献る〕等云云。善光寺縁起に云く ̄阿弥陀仏竝観音勢至 欽明天皇の御宇宇治天下十三年壬申十月十三日辛酉 百済国聖明王件仏菩薩頂戴〔阿弥陀仏竝びに観音勢至、欽明天皇の御宇宇治天下十三年壬申十月十三日辛酉に百済国の聖明王より、件の仏菩薩を頂戴す〕云云。相違如何。[p2966]
#D285-000 断簡 二八五 建治(1275-78) [p2966]
{貼合3行}[p2966]
頂経・蘇悉地経の三部経に劣ると申せし事のやうやく[p2966]
・・・・・・・・・・・・・・
釈迦多宝の二仏の経なるゆへ[p2966]
#D286-0K0 断簡 二八六 正嘉(1257-59) [p2967]
露れ皆赦宥之仁風に従ふ。本山に帰依せば重ねて疑ひ至らん也云云。諸賢之記録、露点未だ消えず。先王之格言、鳳文暗に非ず。此の外の証拠、・・に満てり。慎んで凶跡を避けて須らく嘉猷に従ふべし。衆徒等、只山門之陵遅を思ふに非ず。常に又国土之衰乱を恐る。今誤欲行[p2967]
#D288-0K0 断簡 二八八 文永(1264-75) [p2967]
雲。国土の安寧此の事に在るべし[是五]。承久以来僅かに十余年。学侶を召さるる之事触れ訴ふ。衆徒の云く 地頭左衛門尉高信、神人を陵辱し宮仕をを刃傷すと云云。衆徒等早く任先《 》天奏に至る。更雖[p2967]
#D289-000 断簡 二八九 弘安(1278-82) [p2968]
すでに御薬のしるし[p2967]
#D290-0K0 断簡 二九〇 文永(1264-75) [p2968]
又私に云く 発趣大乗の難。大は小より起るを以て[p2967]
#D291-000 断簡 二九一 建治(1275-78) [p2968]
法華経の御かたきとなり、阿弥陀仏の御かたき、釈迦・十方の仏の御かたきなりとしろしめせ。法華経誹謗の国には、不軽菩薩のごとく、覚徳比丘のごとく[p2967]
#D292-000 断簡 二九二 正元(1259-60) [p2968]
次に不邪婬を持つに依て耳を得たり。此之戒を破る者は跋難陀龍之耳無き者と生まるが如し。又大海江河の一切の水の無き処に生まれて常に苦に値ふべし。又婦め無し。又設ひ婦有れども意に相叶はず。犯母[p2968]
#D293-000 断簡 二九三 建治(1275-78) [p2969]
内裏へはせまいりて大王の見参に入らせ給ふと申すは、決定無有疑の経文なり。其中衆生 悉是吾子なり。釈迦大王の愛子ぞかし[p2968]
#D294-0K0 断簡 二九四 文永(1264-75) [p2969]
彼等之由 厳制頻りに降る。仍て謹んで厳旨を仰ひで人に与同すること無し。然而るに彼の輩中堂に虜と為り、頻りに放たれんことを欲す[p2969]
#D295-0K0 断簡 二九五 文永(1264-75) [p2969]
仏菩薩乗の離合、初後の同異を説かず。所以に須らく不会を会すべし。[p2969]
#D296-000 断簡 二九六 弘安(1278-82) [p2969]
くすゝめ給はざりけ[p2969]
#D297-000 断簡 二九七 弘安(1278-82) [p2970]
□震。文永元年七月四日、大彗星。此の日本国の自界叛逆難の後に他国侵逼難の有るべき瑞相也。□に□[p2969]
仏滅後一千四百三十余年之間、一閻浮提の内[p2970]
#D298-0K0 断簡 二九八 文永(1264-75) [p2970]
二乗作仏・久遠実成、重ねて之を説く也。涅槃経の如きは法華の涅槃、二乗作仏・久遠実成、重ねて之を説き[p2970]
#D299-0K0 断簡 二九九 文永(1264-75) [p2970]
之か。其の例如何。若し観経に制止[p2970]
#D300-000 断簡 三〇〇 文永(1264-75) [p2970]
道は常楽我浄。仏出世して云く 苦空無常無我等云云。仏より已後の人、苦空無常無我と云へば皆仏弟子なり。華厳宗[p2970]
#D301-0K0 断簡 三〇一 建治(1275-78) [p2971]
妻女売之銭五百文 乃至老母又五百文相加〔妻女之を売りて銭五百文、乃至老母も又五百文を相加ふ〕等云云。[p2971]
#D302-000 断簡 三〇二 弘安(1278-82) [p2971]
或僧の追ひ候の事、人はいかにも申せ、此の一門は沙[p2971]
#D303-0K0 断簡 三〇三 建治(1275-78) [p2971]
{断簡 三〇四へ連文か}[p2971]
退・不退に亘る。□退失無き者は習種姓の終りか。本種姓は退すべき也。故に不退位に解行住に属せん時、始めの退位を以て《 》住に属すべき也。此の時、種姓住を十住に対すべからず。種姓を十住に対せん時、《 》習性を皆種姓住に属すべき也。之に依て玄義の第四に三十心解行と云ひならが、然も十住をば習種姓と名づけたり。又了義燈にも勝解行已去を□皆種姓菩薩と名づく。此れ等の意に《 》習種姓をば、或は種姓住にも属し、或は解行住にも属する意有るべき也。止観の記にも ̄無有退失者習種姓〔退失有ること無きは習種姓なり〕[文]。又大乗義章には、本性・習性共に種姓住と為すと見へたり。又唯識述記には、十三住の中の種姓住を云ふに本性住種姓と釈せり。故に習種姓は両向に取らるべき也。習種姓を種姓住に属せん時は、種姓住、行・向は解行住なるべし。今の釈の如し。又習種姓が解行に属する時は三十心は解行十[p2971]
#D304-0K0 断簡 三〇四 建治(1275-78) [p2972]
{断簡 三〇三の連文か}[p2972]
問ふ 山家大師瑜伽論に明かす所の種姓住・解行住を引いて、別教の次位に対判して、爾も十住を以て対するは何ぞや。[p2972]
答ふ 釈、不定なるべし。且く解行住に対する釈は明らかならず。地持・瑜伽は是れ同本異訳也。地持論の種姓住を以て既に十住に対す。何ぞ瑜伽の解行住を以て十住に対せん。□[p2972]
#D305-0G0 断簡 三〇五 建治(1275-78) [p2972]
故。六為点示関節広略起尽宗要文故。七為建立師解使不淪墜[p2972]
#D306-000 断簡 三〇六 建治(1275-78) [p2972]
{貼合}[p2972]
国いけどりにせらる。 ・聖と申すは理[p2972]
#D307-000 断簡 三〇七 弘安(1278-82) [p2972]
須弥山の諸山にすぐれ、月輪の衆星にこへ、日輪の燈炬等に[p2972]
#D308-000 断簡 三〇八 建治(1275-78) [p2973]
なり。此の事をしるとを[p2973]
#D309-0G0 断簡 三〇九 文永(1264-75) [p2973]
正覚 我昔坐道場等云云。○正直捨方便[p2973]
#D310-0Z0 断簡 三一〇 文永(1264-75) [p2973]
道綽弟子也 [p2973]
・
善導 後五百歳事歟 [p2973]
・
安楽集云 大集月蔵経云我末法時中億億衆生起行修道未有 [p2973]
#D311-000 断簡 三一一 建治(1275-78) [p2973]
あるがごとし。法華経・真言等を行じて即身の[p2973]
#D312-000 断簡 三一二 建治(1275-78) [p2974]
{『衣食御書』に接続}
火をともせば、人のあかるきのみならず、我が身もあかし。されば人のいろをませば我がいろまし、人の力をませば我がちからまさり、人のいのちをのぶれば我がいのちのぶなり。法華経は釈迦仏の御いろ、世尊の御ちから、如来の御いのちなり。やまいある人は法華経をくやうすれば、身のやまいうすれば、いろまさり、ちからつき、[p2974]
#D313-000 断簡 三一三 建治(1275-78) [p2974]
及ばざりければ仏云く 無勝童子の肩に乗せて供養すべしと云云。得勝、仏の御をしえをうけ給ひて無勝が肩に[p2974]
#D314-0K0 断簡 三一四 建治(1275-78) [p2974]
雖有肉眼名為仏眼〔大乗を学する者は肉眼有りと雖も名けて仏眼と為す〕等《 》。天台之を承けて云く ̄耳鼻五根亦例如是〔耳・鼻の五根も例して亦是の如し〕。権《 》[p2974]
#D315-000 断簡 三一五 文永(1264-75) [p2975]
{断簡 一九四 三三〇 九九 三一五の上に連文か}[p2975]
□人とをほしめしゝかども、山門のをそれによりて、こ[p2975]
#D316-000 断簡 三一六 文永(1264-75) [p2975]
りき。建久年中に佐々木左衛門尉定[p2975]
#D317-0K0 断簡 三一七 文永(1264-75) [p2975]
鑒公の止観・玄・文を討尋して、覩明三観之日[p2975]
#D318-0K0 断簡 三一八 建治(1275-78) [p2975]
宗と為す。故に可ならず。二に提婆達多品に智積菩薩、多宝如来に白して言さく、本土に還り給ふべし、と。事既に未[p2975]
#D319-000 断簡 三一九 建治(1275-78) [p2975]
かりしか、とし又百二十になり。仏の御誕生の時は四十・八十にて[p2975]
#D320-0K0 断簡 三二〇 建治(1275-78) [p2976]
日蓮注して云く 一法界より非明分位に至るまでは釈摩訶衍論第五の文也。但し論に云く ̄若爾一法界心非百非背千是 非中非中背天。背天演水之談足断而止 審慮之量手亡而住。如是一心為明無明。如是一心無〔若し爾れば一法界、心、百非に非ざれば、千、是れに背き、中と非中に非ざれば天と背く。天と背きぬれば演水の談、足断にして而も止まり、審慮の量、手亡にして而も住まる。是の如き一心を明・無明とや為さん。是の如き一心は無〕[p2976]
#D321-0K0 断簡 三二一 文永(1264-75) [p2976]
天台以東、日本以西、一切の仏子、悉く皆邪見之徒に入る。若し途を改めざれば、常不軽の著法之如し[p2976]
#D322-0K0 断簡 三二二 文永(1264-75) [p2976]
智之道を。退いて久遠之営むことを立てんには。大を以て小に与するは天を楽しむる者也。小を以て大に与するは天を畏る者也。仁者は天を楽しむ故に天下を保つ。知者は天を畏る故に其の国を保つ。縦ひ和親を許さざれども報旨を遣はさるる之條、何事か有らんや。礼之厚徳を論ぜず、志之奢侈謂ず。父誥之令を用ひて威譲之辞有るは、先王之嘉謨莫巨之條、善言也。国を治するに聖徳を以てすれば遠人盍ぞ賓従せらる宗廟に祈請するに至誠を以てし、要害を警固するに義兵を以てし、海外区々之賊を退け、天下元々之為に令せん者か。[p2976]
#D323-000 断簡 三二三 弘安(1278-82) [p2977]
{#0406-000 上野殿御書の前の文}[p2977]
字、百千万の字あつまて法華経とならせ給ひて候へば、大海に譬へられて候。又大海の一・は江河の・と小は同じといへども其の義ははるかにかわれり。江河の一・は但一水也、一雨也。大海の一・は四天下の水あつまて一・をつくれり。一河の一・は一金のごとし。大海の一・は如意宝珠のごとし。一河の一・は一の[p2977]
#D324-0K0 断簡 三二四 文永(1264-75) [p2977]
広開三顕一五仏之章 譬諭品の三者一車 乃至寿量品の久遠実成 是の如く聞く者を説いて如是我聞と云ふ。故に天台大師此の文を承けて云く ̄如是者所聞法体也〔如是とは所聞の法体なり〕等云云。[p2977]
我等が経釈道理、皆下を指して如是と云ふか如何。[p2977]
答て云く 阿難尊者、八箇年之間、二十八品を聞き、滅[p2977]
#D325-0K0 断簡 三二五 弘長(1261-64) [p2978]
末代不相応ならば、誰か是れを用ひん。又何れの経文にか法華経の五々百歳等の文を載せ、之を会して末代不相応の経と為せるや。若し経文無きに自らの会通に拘らば豈に_若人不信 毀謗此経 ~ 其人命終 入阿鼻獄〔若し人信ぜずして 此の経を毀謗せば ~ 其の人命終して 阿鼻獄に入らん〕や。恐れずして、若し人有りて之を軽毀して言はん。汝は惑人ならなくのみ。空しく是の行を作して終に無し[p2978]
#D326-000 断簡 三二六 建治(1275-78) [p2978]
其の外の摩竭大魚百千里の[p2978]
#D327-000 断簡 三二七 建治(1275-78) [p2978]
{断簡 一〇三の下に連文か}[p2978]
一巻の御経をもと存じ候へども、このみはしろしめされて候がごとく、上下ににくまれて候ものなり。[p2978]
#D328-000 断簡 三二八 建治(1275-78) [p2978]
あえて法華・真言等の[p2978]
#D329-0K0 断簡 三二九 正嘉(1257-59) [p2979]
妙法蓮華経 又名目に玄義の疏の釈を載せたり。見るべし。
私に云く 妙は四性計りを離る也。故に妙名不可思議と云ふ。人に常に云ふべからず。亦は四不可説也。法華経をば釈して後に書くべし。妙とは聚集の義。倶舎論□法所・法界。四念処の法念処。此れは□当々をば法と云はず。聚集を法と云ふ。又当体を法と云ふ事は聚集の法の流類なる故也。されば法とは十界十如の法也。十界に二。一には正法之十界。二には依報の十界。正法の十界に二。一には衆生世間。二には五陰世間。依報の十界を具すれば三種世間也。一界に三種世間。十界には三十種世間。[p2979]
#D330-000 断簡 三三〇 建治(1275-78) [p2979]
五逆罪は無間地獄に出して一中劫を経、誹謗は阿鼻獄に堕して無量劫を経る。[p2979]
#D331-0K0 断簡 三三一 建治・弘安ノ交(1275-82) [p2980]
{4行・1行貼合}[p2980]
□□豈に二百や、但此の菩薩已に大心を発して未断惑なりと雖も且く仏乗と名づく。人、仏乗を見て、便ち一概為る華厳等、牟尼説法応に授け已りて五百を会すと為す。阿羅漢応に是れ□菩薩□□[p2980]
#D332-000 断簡 三三二 文永(1264-75) [p2980]
然れば則ち三井の戒壇、望む所永く断じ畢んぬ。大事猶お《 》小事かな等云云。此れは長治二年に興均法師が事によりて捧ぐるところの退状なり。然るを山門の僧綱等龍顔にちかづきたてまつりて、戒壇を当今の御時建てられなば、二世の大願成就《 》よし、やうやうに申す故に、正元二年[庚申]正月四日、始めて薗城寺に戒壇立つべきの勅宣くだりた《 》[p2980]
#D333-000 断簡 三三三 建治(1275-78) [p2980]
其の土に仏出現し給ふ。釈迦牟尼仏とがうす。頭陀第一の弟子あり。迦葉尊者と[p2980]
#D334-000 断簡 三三四 文永(1264-75) [p2981]
をもひ候ひしかども《 》人用ひ給はざる上、あ《 》[p2981]
#D335-0K0 断簡 三三五 建治(1275-78) [p2981]
{貼合}[p2981]
大麦一斗。 ・ 胡瓜二十五給了んぬ。仏に[p2981]
#D336-000 断簡 三三六 建治(1275-78) [p2981]
して心を知しめす。此の衆生の五根を十界の塵を集めて造る物なり。[p2981]
#D337-0K0 断簡 三三七 弘長(1261-64) [p2981]
経に具さに明かすが如し。無始の際より来り、計りに随ふが為に、設ひ能く仏法に於て信を生ずれども、但情に随て信を生ず。自らの智境に迷ふが故に、自ら実智契して真信の修を起すこと為し。故に廻心せざれば、畢竟して成仏せず。故に設ひ復衆生を教化すとも、還りて能く三乗及び人天の種を得ることを成ず。但一方の浄刹に住して広大法界の量、虚空に等しき無し。無辺智の大、十方の塵刹の色身を体現するを見るに、一切衆生、根に随て引接して、三乗分無く、但三千大千の境を見ると云ふ。又云く 華厳経は即ち是れ始めて正覚を成ぜる時、頓に上根の者の為に説く。法華経は即ち是れ[p2981]
#D338-0K0 断簡 三三八 文永(1264-75) [p2982]
肝心□髻中明珠《 》王頂之珠を妙法蓮華経と為す。[p2981]
#D339-000 断簡 三三九 弘安(1278-82) [p2982]
申すは_須臾聞之。即得究竟の南無妙法蓮華経これな[p2982]
#D340-000 断簡 三四〇 弘安(1278-82) [p2982]
ひはみじかし。よはながし。ひるはなくさ□□がたし[p2982]
#D341-000 断簡 三四一 建治(1275-78) [p2982]
或仏所讃等云云。華厳経と申すは[p2982]
#D342-000 断簡 三四二 建治(1275-78) [p2982]
法華経を信ぜ《 》子は我が母の[p2982]
#D343-000 断簡 三四三 文永(1264-75) [p2983]
又泉殿紙三帖。泉殿にはこのふみを[p2983]
#D344-000 断簡 三四四 弘安(1278-82) [p2983]
{貼合1行}[p2983]
定め給ふ ・ にかたり ・ は松に[p2983]
#D345-000 断簡 三四五 建治(1275-78) [p2983]
りも真言すぐれたりとならわせ給ひ、又観智儀軌・威儀形色経を持たれけり。先後相違の法門なり。善無畏三蔵も始めには法華経にてをはしけるか、後には真言にうつりて[p2983]
#D346-000 断簡 三四六 建治(1275-78) [p2983]
等云云。此れ等の経文は又未来の事なれば我等凡夫、信ずべしともをぼへず。《さ》[p2983]
#D347-0K0 断簡 三四七 弘安(1278-82) [p2984]
{双紙要文}[p2984]
一念三千の名目の出処の勘文[p2984]
問て曰く 何れの処より一念三千の名目を出だせるや。[p2984]
答て曰く 止観の第五に始めて之を出だせり。[p2984]
問て曰く 其の文如何[p2984]
答て曰く 止観の第一、十章の外の章安の疏に云く ̄此之止観天台智者。説己心中所行法門〔此の止観は天台智者、己心中所行法門を説く〕と。止観の第五に云く ̄第七正修止観者。前六重依修多羅以開妙解 今依妙解以立正行。乃至 夫一心具十法界。一法界又具十法界百法界。一界具三十種世間。百法界即具三千種世間。此三千在一念心。若無心而已。介爾有心即具三千〔第七に正修止観をいはば、前六重は修多羅に依て以て妙解を開し、今は妙解に依て以て正行を立す。乃至、夫れ一心に十法界を具す。一法界に又十法界を具すれば百法界なり。一界に三十種の世間を具すれば、百法界に即ち三千種の世間を具す。此の三千一念の心に在り。若し心無くんば而已。介爾も心有れば即ち三千を具す〕。[p2984]
弘決の第五に此の文を承けて云く ̄《故大師》夫一心下 結成理境。乃至 当知身土一念三千。故成道時称此本理一身一念遍於法界。○但異無心三千具足故。大師於 覚意三昧 観心食法 及誦経法 小止観等諸心観文 但以自他等観推於三仮 並未云一念三千具足。乃至 観心論中 亦只以三十六問責於四心 亦不渉於一念三千。唯四念処中 略云観心十界而已。故至止観正明観法並以三千而為指南。乃是終窮究竟極説。故序中云説己心中所行法門。良有以也。請尋読者心無異縁〔故大師夫一心より下は理境を結成す。乃至、当に知るべし、身土は一念三千なり。故に成道の時此の本理に称うて一身一念法界に遍ねし。 ○但無心に異なりたるは、三千具足するが故なり。大師、覚意三昧・観心食法、及び誦経法・小止観等の諸の心観の文に於ては、但自他等の観を以て三仮を推し、並びに未だ一念三千具足を云はず。乃至、観心論の中にも亦只三十六問を以て四心を責めて、亦一念三千に渉らず。唯四念処の中に略して観心十界を云ふのみ。故に止観の正しく観法を明かすに、並びに三千を以て指南と為す。乃ち是れ終窮究竟の極説なり。故に止観の正く観法を明かすに至って、並びに三千を以て而も指南と為す。乃ち是れ終窮究竟の極説なり。故に序の中に説己心中所行法門と云う。良に以有るなり。請う尋ね読まん者心に異縁無かれ〕[文]。[p2984]
今私に之を勘ふるに、妙楽大師の料簡の如くんば、天台智者大師の弘法三十年。摩訶止観より外の玄義・文句等の章疏には一念三千の名目之無し。御年五十七に至りて、始めて渓州玉泉寺に於て、章安大師に対して之を説くと、料簡する也。[p2984]
疑て云く 玄義の一に云く ̄[天台]妙名不可思議。法謂十界十如権実之法〔妙とは不可思議に名づく。法とは十界十如・権実の法を謂ふ〕。釈籤の第一に[妙楽]此の文を承けて云く ̄略挙界如具摂三千〔略して界如を挙ぐるに、具さに三千を摂す〕。文句の第一に云く ̄[天台]観十二入 一入具十方界。一界又十界。十界各十如是。即是一千。一入既一千 十二入即是万二千法門〔十二入を観ずるに、一入に十方界を具す。一界に又十界あり。十界におのおの十如是あり。即ち是れ一千なり。一入既に一千なれば、十二入は即ち是れ万二千の法門なり〕[已上]。玄義の二・三に等に云く ̄千如是文既云一千二千。豈非一念三千名目〔千如是の文、既に一千・二千と云へり。豈に一念三千の名目に非ずや〕。[p2984-2985]
答て曰く 本より答へ申すが如く、玄・文に等に於て一千・二千等の名目無しと云ふには非ず。三千の名目を具すること無しと云ふ也。亦妙楽の釈籤・疏記等は論ずる所に非ず。[p2985]
問て曰く弘決の第五の料簡の文を以て玄義・文句等に一念三千の名目無しとは、少しく其の謂れ無きか。弘決の第五には玄義・文句の題目を挙げて之を嫌はざれば、知んぬ、文句・玄義に有ることを成ぜん、如何。[p2985]
答て曰く 本書の文には一念三千の文を料簡し了り、次に止観に対して天台所説の一期の章疏を挙げて一念三千の名目の有無を論ずる時、覚意三昧・観心食法、及び誦経法・小止観等の諸の心観の文を挙げて並びに未だ一念三千具足を云はず。天台所説の章疏の中に、一念三千の名目無き書は並未云一念三千具足の文に入れざるや。而りと雖も、止観等諸心観文〔止観等の諸の心観の文等〕と云へり。諸の心観の文の内に玄・文の観心を入れざらんや。其の上、止観に対して故至止観正明観法〔故に止観の正しく観法を明かすに〕と云へり。汝が云ふが如くんば故に玄・文・止観に至りて等と云ふべし。[p2985]
其の上、亦、終窮究竟極説と云へり。玄義・文句は御年五十七、大隋の開皇十四年四月二十日よりの所説に非ず。豈に乃是終窮究竟極説の内に入るべしや。其の上、止観第一には説己心中所行法門を引き、章安の序には良有以也〔良にゆえ有るなり〕の由の言を置けり。章安大師の所説の玄義・文句の序には説己心中の言無しと知る等と料簡する文也。其の上、最後の料簡に云く ̄請尋読者心無異縁〔請う尋ね読まん者心に異縁無かれ〕と。此の料簡の意は止観第五の夫一心等の文より外に天台大師道場所悟の肝心無きを請尋読者心無異縁と云ふ也。若し此の文より外に玄義・文句等に一念三千の名目有りとせば、心に異縁有ることを成ぜん。其の上、疏記・釈籤等に云く ̄非三千摂即不遍。縦有施設託事附法〔三千に非ざれば、摂、即ち遍からず。縦ひ施設すること有るも、事に託し法に附す〕等とは、豈に玄・文等に於て、一念三千の名目無しと云ふに非ずや。一千・二千等を即ち一念三千の名目也と云はば、摂即不遍の失有るに非ずや。倩事の意を案ずるに、如来の説教五十年の間、四十余年には妙法蓮華経の名目を隠し給ふ。天台大師は三十年の所説。五十七に至るまでは、一念三千の名目を秘せるなり。其の上、唐土の人師等の諸釈の中にも止観第五より外には、一念三千の名目無き由の勘文之有り。私の義に非ず。[p2985-2986]
問て曰く 止観の先の六重、先づ四巻の間に天台大師己心中一念三千の名目有るや。[p2986]
答て曰く 此れ無し。[p2986]
問て曰く 其の証文如何。[p2986]
答て曰く 止観の第五に云く ̄第七正修止観者。前六重依修多羅以開妙解 今依妙解以立正行〔第七に正修止観をいはば、前六重は修多羅に依て以て妙解を開し、今は妙解に依て以て正行を立す〕と。[p2986]
妙楽大師、此の文を承けて云く ̄問前五略中有行有解有因有果。何故但云六重是解。答言大意者冠於行解自他因果。意既難顕還作行解因果等釈。非謂已有行果等也。故大意是惣余八是別。別是別釈行解因果。如釈禅波羅蜜 十章之初亦是大意。惣別等意意亦如是。若復有人依前五略 修行証果能他利等自是一途。即如第三巻初記也。若論文意但属於解。於属解中恐解不周。故須委明名体及摂法等 方勘成下十境十乗。如大意中 雖云発心十種不同及四三昧明行差別 但列頭数弁相未足。是故都未渉十境十観。方便望五稍似行始。若望正観全未論行。亦歴廿五法約事生解。方乃堪為正修方便。是故前六皆属於解〔問ふ 前の五略の中に、行有り解有り、因有り果有。何が故ぞ但六重は是れ解なりと云ふや。答ふ 大意と言ふは、行解・自他・因果に冠らしむ。意既に顕し難ければ還りて行解・因果等を作して釈す。已に行果等有りと謂ふには非ざるなり。故に大意は是れ惣、余の八は是れ別なり。別は是れ別して行解・因果を釈す。釈禅波羅蜜の如き、十章の初めも亦是れ大意なり。惣別等の意、意亦是の如し。若し復人有りて前の五略に依て行を修し、果を証し、能く他を利する等は自ら是れ一途なり。即ち第三巻の初めに記するが如くなり。若し文の意を論ぜば、但解に属す。解に属する中に、恐らくは解周からず。故に須らく委しく名体及び摂法等を明かして方に下の十境十乗を成ずるに勘ふべし。大意の中の如き、発心の十種不同、及び四の三昧に行の差別を明かすと云ふと雖も、但頭数を列ねて相を弁ずること未だ足らず。是の故に都て未だ十境十観に渉らず。方便を五に望むに、やや行の始めに似れども、若し正観に望めば全く未だ行を論ぜず。亦廿五法に歴て事に約して解を生ず。方に乃ち正修の方便と為すに堪たり。是の故に前の六をば皆解に属す〕[文]。[p2986]
亦云く ̄故至止観正明観法並以三千而為指南。乃是終窮究竟極説。故序中云説己心中所行法門。良有以也。請尋読者心無異縁〔故に止観の正く観法を明かすに至って、並びに三千を以て而も指南と為す。乃ち是れ終窮究竟の極説なり。故に序の中に説己心中所行法門と云う。良に以有る也。請う尋ね読まん者心に異縁無かれ〕[p2986-2987]
亦云く ̄若就大師正説文中義開三段。則前六重以為序分 正観果報以為正宗 起教化他為流通分〔若し大師正説の文の中に就いて、義、三段を開す。則ち前の六重を以て序分と為し、正観果報を以て正宗と為し、起教化他を流通分と為す〕。[p2987]
私の勘文 天台宗の観心に於て三有り。一には託事観、二には附法観、三には約行観なり。玄義・文句・止観の先の四巻は託事観・附法観也。約行観には非ず。而るに三種の観を弁へざる学者は、託事・附法観を見て約行観と思ひ、・りて玄・文并に止観の先四巻に、略〈ほぼ〉約行観有りと思へり。止観の先の四巻・六重の内に、天台、説己心中所行法門と云ふとも、先の六重を以て序分と為すの釈を見ざることの至す所也。[p2987]
問て曰く 玄・文并に止観の先の六重が、託事・附法の二観にして、約行観に非ずとは、其の証拠有りや。[p2987]
答て曰く 釈籤の六に云く ̄縦有施設託事附法〔縦ひ施設すること有るも、事に託し法に附す〕[文]。此の文の意は、玄義・文句の観は附法・託事也。止観の第五観を約行観と云ふ也。亦弘決の四に云く ̄亦歴廿五法約事生解。方能堪為正修方便。〔亦廿五法に歴て事に約して解を生ず。方に能く正修の方便と為すに堪たり〕。釈籤の第一に云く ̄観心者随聞一句摂事成理。不待観境方名修観〔観心とは一句を聞くに随て事を摂して理を成ず。観境を待ちて方に修観と名づくるにあらず〕。此の文の意は、止観の第五の観の十境十乗の観経の如く観境を待つこと莫きを、託事・附法と云ふ也と云へる釈也。止観第二の四種三昧の観等は託事観也。故に止観の第二に云く ̄歴一切事無不成観。○香塗者即無上尸羅也。五色蓋者観五陰免子縛。○新浄衣即寂滅忍也。嗔惑重積称為故。翻嗔起忍為新〔一切の事に歴て観を成ぜざること無し。○香塗とは、即ち無上の尸羅なり。五色蓋とは五陰を観じて子縛を免る。○新浄衣とは即ち寂滅忍なり。嗔惑重積するを称して故と為す。嗔を翻して忍を起すを新と為す〕等云云。文句の第一に云く ̄観心釈者 王即心王 舎即五陰。心王即造此舎〔観心釈とは、王は即ち心王、舎は即ち五陰。心王は即ち此の舎を造る〕[文]。止観の先の四巻の観と文句等の観と之同じ。[p2987]
義例に云く ̄夫三観者義唯三種。一者従行。又云約行。唯於万境観一念心。万境雖殊妙観理等。如観陰等即其意也。二者約法相。又云附法。如約四諦五行文 入一念心以為円観。三詫事相。如王舎耆闍名従事立 借事為観 以導執情。即如方等普賢。其例可知〔夫れ三観とは、義、唯三種あり。一には行に従ふ。又約行と云ふ。唯万境に於て一念心を観ず。万境殊なりと雖も妙観の理等し。陰等を観ずるが如き、即ち其の意なり。二には法相に約す。又附法と云ふ。四諦・五行の文に約し、一念心に入れて以て円観と為すが如し。三には事相に詫す。王舎・耆闍の名の事に従ひて立て、事に借りて観を為し、以て執情を導くが如し。即ち方等・普賢の如し。其の例知るべし〕云云。[p2988]
#D348-0Z0 断簡 三四八 文永(1264-75) [p2988]
南城 [p2988]
依文 [p2988]
檀子 [p2988]
東 判義 [p2988]
威王四臣 [カイ] [p2988]
・子 [p2988]
[キム]西門 依義 [p2988]
黔夫 [p2988]
判文 [p2988]
種首 [p2988]
横一念三千 迹門 [p2988]
縦一念三千 本門 [p2988]
「籤十」 ̄迹門大通為元始 本門久遠為元始 今日初成為元始。元始・要終[p2988]
#D349-0Z0 断簡 三四九 文永(1264-75) [p2989]
本教
円教 一別教。華厳経也。為頓機説頓法。但大菩薩教也。 [p2989]
経に云く_自在力顕現 為説円満経 [p2989]
#D350-0Z0 断簡 三五〇 文永・建治(1264-78)ノ交 [p2989]
傍
三界九地 一欲界 五趣地[自地至他化自在天散地 地餓畜人天] 二離生喜楽地[初禅] 三定生喜楽地[二禅] 四離妙楽地[三禅] 五捨念清浄地[第四禅] 六空 七識 八無所 九非想非非想地[p2989]
・・・ 随逐有情 [p2989]
六随眠 ・・増昏躰故 [p2989]
・・・
愚痴
一貪 二瞋 三慢 四無明 五見 六疑 [p2989]
・ 煩悩 ・ 二十五有 一二 三 四五 六 [p2989]
頌云 随眠所有本此差別有六 謂貪瞋亦慢無明見及疑 [p2989]
先 [p2990]
論云 前言世間差別皆由業生。業由随眠方得生長。離随眠業無感有能。[p2990]
・・ 上二界貪也 [p2990]
七随眠 一貪欲 二有貪 [p2990]
欲界貪外門転 [p2990]
頌云 六由貪異七 有貪上二界 於内門転故 為遮解脱想 [p2990]
色無色貪内門転 [p2990]
十随眠 [p2990]
六由見異十 異謂有身見 辺執見邪見 見取戒禁取 [p2990]
五見
梵云薩伽耶見 亦此云有身見 [p2990]
一身見 ….母指 [p2990]
見我….麻指等 [p2990]
我我所見 [p2990]
断見 無見 [p2990]
二偏見二 [p2990]
常見 有見 [p2990]
撥無見 [p2990]
三邪見 [p2990]
撥無因果 [p2990]
四見取見 亦劣謂勝見 [p2991]
一非因計因也 [p2991]
五戒禁取見二 [p2991]
二非道計道也 [p2991]
九十八随眠 [p2991]
八十八使見惑 修十合九十八 [p2991]
[色無色三已上六 欲四已上十] [p2991]
苦諦・・ [p2991]
集諦・・ [p2991]
滅諦・・・ 四諦修道五部 [p2991]
道諦・・ [p2991]
修道・・ [p2991]
苦九[除瞋] 苦十 [具具十随眠] [p2991]
集六[除身辺戒取瞋] 集七 [除身辺戒取] [p2991]
上二界四諦 上下八諦 欲界四諦 [p2991]
滅六[同] [p2991]
道七[除身辺瞋] 道八随眠[除身辺] [p2992]
三 貪癡慢 四貪瞋癡慢 [p2992]
六 [p2992]
上二界五十六見惑 欲界三十二見惑 [p2992]
頌云 六行部戒異 故成九十八 欲見苦等断 十七七八四 謂如次具離 三二見見疑 色無色除瞋 余等如欲説 [p2992]
旧訳 新訳 [p2992]
毘曇\ 薩波多 倶舎宗 [p2992]
羅什訳 玄奘訳 [p2992]
成実/ 経部
見惑 迷理惑 □背上使 [p2992]
修惑 事相浮偽惑 [p2992]
我見 辺見 邪見 見取見 戒禁取見 [p2992]
頌云 我我所断常 撥無劣謂勝 非因道妄謂 是五見自躰 [p2992]
常 ・・ 無常謂常 [p2992]
楽 ・・ 苦云楽 [p2992]
四顛倒 [p2992]
我 ・・ 無我云我 [p2992]
浄 ・・ 不浄云浄 [p2992]
・・ 数息 治散乱 [p2993]
三賢 ・・ 不浄 治貪欲 [p2993]
一五停心 ・・・ 慈悲 治嫉妬 [p2993]
・・ 因縁 治愚痴 [p2993]
七賢 ・・ 界方便 治障道 [p2993]
二別想念住 [p2993]
三惣想念住 [p2993]
天竺云 阿那波那観 漢云 数息観 入出息数増数減数雑乱離此三失十息云正数息[p2993]
六妙門 数随止観転浄 [p2993]
頌云 持息念応知 有六種異相 謂数随止観 転浄相差別 [p2993]
#D351-0Z0 断簡 三五一 文永・建治(1264-78)ノ交 [p2994]
{四諦事}[p2994]
五停心
二別想念住 ・・ 苦空無常無我 [p2994]
三賢 [p2994]
三惣想念住 ・・ 同 [p2994]
従此生・法 [p2994]
・法 具観四聖諦修十六行相 [p2994]
四善根 次生頂亦然 [p2994]
頂法 [p2994]
・・ 下忍 [p2994]
忍法 ・・・ 中忍 中忍減縁減行 七種減縁二十四数減行[p2994]
・・ 上忍 [p2994]
上下八諦 [p2994]
苦空無常無我 苦空無常無我 [p2994]
二九十八 十 [p2994]
無色色苦諦 ・・ 欲苦諦 [p2995]
因集生縁 因集生縁 [p2995]
二六十二 七 [p2995]
無色色集諦 ・・ 欲集諦 [p2995]
滅静妙離 滅静妙離 [p2995]
二六十二 七 [p2995]
無色色滅諦 ・・ 欲滅諦 [p2995]
道如行出 道如行出 [p2995]
二七十四 八 [p2995]
無色色道諦 ・・ 欲道諦 [p2995]
諦八諦 [p2995]
行二十二 [p2995]
#D352-0Z0 断簡 三五二 建治(1275-78) [p2996]
[アテカウ ヨロシキニ] [p2996]
擬宜 [p2996]
[ヨシラエ ヒク] [p2996]
誘引 [p2996]
弾呵 [p2996]
[エリ ソロウ] [p2996]
淘汰 [p2996]
如是我聞 [p2996]
若非超八之如是安為此経之所聞 [p2996]
#D353-0Z0 断簡 三五三 建治(1275-78) [p2996]
・ 七已弁地 / 断上二界七十二品 [p2996]
・ \ 阿羅漢向果 [p2996]
菩薩此位誓扶習生 ・ [p2996]
・ 八辟支仏地 / 此地無声聞 [p2996]
・ \ 有辟支・菩薩 [p2996]
八相先五相 ・ 九菩薩地 ・・ 菩薩一人 [p2996]
・
・・・・・
十仏地 ・・ 解脱分 [p2997]
別教 [p2997]
・・ 順解脱分 未断見思 [p2997]
十信 ・・ 当三蔵三賢・四根 通乾恵・性地 円名字・観経[p2997]
・・ 順決択分 [p2997]
・・ 十住 ・・ 初住見断 ・・・・・・・・・ [p2997]
・ 自二住至于七住思断 ・ [p2997]
・ 八・九・十 断上品塵沙 ・・ 当円相似[p2997]
・・ 十行 ・・ 断中品塵沙 ・・・・・・・・ [p2997]
七位 ・ ・ [p2997]
・・ 十回向/ 断下品塵沙 ・ [p2997]
\ 又伏無明 ・・・・・・・ [p2997]
十地①②③ ① 初歓喜地 決択分 [p2997]
離苦地ヨリ解脱分[p2997]
等②③ ② 断十二品無明 [p2997]
妙②③ ③ 円当十住十行第二行 [p2997]
・・ 断見思塵沙 [p2998]
・・ 十信 ・・ 当蔵七聖 通後八地 別十住・十行・十回[p2998]
・ ・・ 八信 ・・ 断上品塵沙 [p2998]
・ ・・ 九信 ・・ 断中品塵沙 [p2998]
・ ・・ 十信 ・・ 断下品塵沙 [p2998]
・ ・・ 後心伏無明 [p2998]
・・ 十住 ・・ 断十品無明 [p2998]
・・ 十行 ・・ 断十品無明 [p2998]
・・ 十回向・・ 断十品 [p2998]
・・ 十地 ・・ 断十品無明 [p2998]
・・ 等 ・・・ 断一品無明 [p2998]
・・ 妙 ・・・ 断一品無明 [p2998]
\・・ 法界品無明 [p2998]
一 二 三 四 五 六 七 八 九 十発心住・持地住・修行住・生貴住・方便具足住・正心心・不退住・童真真・法王子住・潅頂住。 [p2998]
#D354-0Z0 断簡 三五四 建治(1275-78) [p2999]
・
・日本 [p2999]
・・ ・・ シタク第一 修勝房 [p2999]
・・源空・・ 慈悲第一 阿勝房 [p2999]
法然 ・・ 持戒第一 葉上房 [p2999]
・ 世間智者第一法然□ [p2999]
・
#D355-0Z0 断簡 三五五 建治(1275-78) [p2999]
・ \
三十年 \ [p2999]
\ ・・ 大日経 ・・ [p2999]
・・ 金剛頂経 ・・・ 真言宗 [p2999]
・・ 蘇悉地経 ・・ [p2999]
#D356-0Z0 断簡 三五六 建治(1275-78) [p3000]
西方 肺蔵 [p3000]
[カラキ] [p3000]
辛味 白色 [p3000]
鼻根 金 秋 [p3000]
不偸盗戒 陀 [p3000]
北方 腎蔵 [p3000]
鹹味 黒色 [p3000]
耳根 水 [p3000]
不邪婬戒 仏 [p3000]
#D357-0Z0 断簡 三五七 弘安(1278-82) [p3000]
・・ 三止四請 [p3000]
・ 一品半 [p3000]
・ 迹門 略開三顕一 動執生疑 [p3000]
開三顕一 広開三顕一 断疑生信 七品半 [p3000]
#D358-0Z0 断簡 三五八 文永(1264-75) [p3001]
大日経旨帰 [p3001]
・
慈覚 出菩提心義 [p3001]
・
事理倶密金剛乗義故与彼異 [p3001]
#D359-0Z0 断簡 三五九 建治(1275-78) [p3001]
尹伊賢人隠叉 [p3001]
[ハツキ] [p3001]
夏代 ・・ 第十七王 帝桀 后末嬉 [p3001]
\[リヨホウ] [p3001]
龍逢殺 [p3001]
[ホシシ] [p3001]
肉山 脯林 酒池 三千余人 [p3001]
殷 成・湯王 ・・ 討ちぬ [p3001]
凶起自三女 姦 [p3001]
[タツキ] [p3001]
殷 第三十主 紂 ・・ 姐己 [p3001]
・・・ 箕子囚 [p3001]
・・
・・ 比干殺 [p3001]
[けい] [p3001]
周 第十二 幽王/ 后褒似 子伯服携 [p3001]
\ [キウ] [p3001]
申后 宣臼[平王也] [p3001]
#D360-0Z0 断簡 三六〇 建治(1275-78) [p3002]
・・ 習禅篇之二 [p3002]
・ ・・ 道宣撰 [p3002]
続高僧伝巻十七 [p3002]
居荊州之花容也 [p3002]
・・ 徳安法師 [p3002]
天台智・ [p3002]
・・ 陳氏 頴川人也 [p3002]
孟陽公起祖之第二子也 [p3002]
父也 [p3002]
母徐氏 [p3002]
#D361-0Z0 断簡 三六一 建治(1275-78) [p3003]
又云 行大直道無留難故 [p3003]
最第一顕露教 [p3003]
・
・ 実大乗 [p3003]
法華経 八ヶ年 世尊法久後 要当説真実 [p3003]
・ ・
・ 最極秘密教 [p3003]
天台宗 雖示種種道 其実為仏乗 [p3003]
法華一大円教 [p3003]
・
正直捨方便 華厳経 華厳宗 正直捨方便 但説無上道 [p3003]
・・・ ・・ 倶舎宗 [p3003]
・・・・ 阿含経 ・・ 成実宗 [p3003]
・・ ・・ 律宗 将非魔作仏 悩乱我心耶 [p3003]
・・ ・・ 法相宗 [p3003]
・・・・ 方等 ・・・ 禅宗 [p3003]
・ ・・ 浄土宗 妙法蓮華経 皆是真実 [p3003]
#D362-0K0 断簡 三六二 建治(1275-78) [p3004]
第六に領解・無領解門。第七に得記・不得記門。第八に悟有浅深門。《第十に待》時不待時門[p3004]
授決集に云く 三宗互いに二周を具する。決第十五[p3004]
六云[p3004]
#D363-0Z0 断簡 三六三 正元(1259-60) [p3004]
頓 ・・ 華 [p3004]
/ 阿 [p3004]
漸 ・・ 方 七方便/ 両教二乗 [p3004]
\ 般若 \ 三教菩薩 [p3004]
迹 因門 二種涅槃/ 有余涅槃 [p3004]
本 果門 \ 無余涅槃 [p3004]
#D364-0Z0 断簡 三六四 建治(1275-78) [p3005]
又云 過無量無辺不可思議阿僧祇劫 終不得成無上菩提 所以者何 不知菩薩大直道故 行於険逕多留難故[p3005]
又云 行大直道 無留難故[p3005]
実大乗 雖示種種道 其実為仏乗 [p3005]
・
法華経 ・・ 八ヶ年 世尊法久後 要当説真実 [p3005]
天台宗 正直捨方便 但説無上道 [p3005]
#D365-0K0 断簡 三六五 弘安(1278-82) [p3005]
{曾谷入道殿許御書草案}[p3005]
仏随□所属《 》弘《 》迦葉・阿難等、一向に小乗経を弘通し、大乗経を申さず。
龍樹・無著等、大乗経を弘通して一乗経を弘通せず。設ひ之を申し、纔かに以て之を指し示し、或は迹門之一分、之を述べ、《全く不語》化道の始終。南岳・天台等[p3005]
第五の五百歳之一事豈に唐捐ならん。随て当世の為体〈ていたらく〉大日本国と大蒙古国とは合戦す。第五の五百闘諍堅固に相当れるか。[p3005-3006]
者等[p3006]
一代の聖教を安置し、八宗の章を習学すべし[p3006]
気、衆度の大難之時、或は一巻二巻散失し、或は一字二字脱落し、或は魚魯の謬・、或は一部二部損朽す。然るに則ち一期《 》鶴林之後、未来の弟子等、必ず謬乱出来の基也。糺調[p3006]
#D366-0G0 断簡 三六六 文永(1264-75) [p3025]
{貼合6行}[p3025]
縉雲威 ・ 恵威 ・ 玄朗 ・ 湛然 ・ 自如来滅度至十有三、世出龍樹、上者始自彼文字、広第一義後嗣其学者、号(名)法性宗也、元魏高斉間有釈恵文師、黙而道之也、 [マイシキ] 授南岳大師由是有三観、伯智者大師[p3025]
#D368-000 断簡 三六八 弘安(1278-82) [p3025]
山会上釈迦仏の[p3025]
の《ほ》せ給ひて出現し[p3025]
#D369-000 断簡 三六九 文永(1264-75)末 [p3026]
必ずよ乱れ、而るに天は妄語の人を守護せず。日月は地に落ち《候歟》[p3026]
#D370-000 断簡 三七〇 建治・弘安(1275-82)の交 [p3026]
立真言の三部経をあがめて[p3026]
#D371-000 断簡 三七一 弘安(1278-82) [p3026]
失なきに大難の来りかさなるもんて法華経の行者としるべし。しかるに日蓮は[p3026]
#D372-000 断簡 三七二 建治(1275-78) [p3026]
いとうにながされてありし時[p3026]
#D373-000 断簡 三七三 文永(1264-75)末 [p3027]
仏とき給ふ事なし。仏の初成道の時[p3026]
#D374-000 断簡 三七四 弘安(1278-82) [p3027]
{4行(但し上下欠)}[p3026]
思ふなと ・ 其の上今殿の ・ き心あらん ・ たれ□は[p3026]
#D375-000 断簡 三七五 弘安(1278-82)初 [p3027]
を用ひざれば彼の機縁に随《て》しばらく妄語をなす類[p3026]
#D376-0G0 断簡 三七六 建治(1275-78) [p3027]
□万諸経諸宗文也。追尋第二[p3026]
#D377-0G0 断簡 三七七 弘安(1278-82) [p3028]
思慎十異等文[p3028]
#D378-000 断簡 三七八 弘安(1278-82) [p3028]
上 富木入道殿 日蓮[p3028]
御返事[p3028]
#D379-0Z0 断簡 三七九 建治(1275-78) [p3028]
日本東寺元祖弘法大師 [p3028]
《 》阿含・華厳・方等・般若 [p3028]
顕教 《 》 乳酪生蘇 [p3028]
#D380-000 断簡 三八〇 弘安(1278-82) [p3028]
せめんとせんましければ日本国をつくりたりしいざなぎ[p3028]
#D381-000 断簡 三八一 弘安(1278-82) [p3029]
大師智慧は仏の如く、徳は四海をなびけたり。火を水と申《せ》ども、月を[p3029]
#D382-000 断簡 三八二 文永・建治(1264-78)の交 [p3029]
りけり。爾前の経にして二乗仏にな[p3029]
#D383-000 断簡 三八三 弘安二年(1279)頃 [p3029]
[七][p3029]
智証大師の法華尚不及〔法華尚お及ばず〕の釈と弘法大師の望後[p3029]
#D384-000 断簡 三八四 弘安(1278-82) [p3029]
{2行}[p3029]
し伝教は天台□[p3029]
と申すならば其の時[p3029]
#D385-000 断簡 三八五 建治・弘安(1275-82)の交 [p3030]
らむ。仏もあわれみ給[p3030]
#D386-0Z0 断簡 三八六 建治(1275-78) [p3030]
嘉祥五時 [p3030]
十二部経 [p3030]
乳 権 [p3030]
阿含十二年 [p3030]
実 [p3030]
修多羅 [p3030]
酪 [p3030]
権 [p3030]
般若十二年後 [p3031]
実 [p3031]
方等 [p3031]
生 [p3031]
権 [p3031]
浄名・思益 [p3031]
実 [p3031]
熟 [p3031]
権 [p3031]
法華 [p3031]
実 般若 [p3031]
涅槃/ 権 醍醐 [p3031]
\ 実 [p3031]
玄十 [p3032]
天台難云 [p3032]
従生蘇出熟蘇 ○譬万善同帰法華 ○従熟蘇出醍醐 ○譬涅槃常住教 ○此現文乗文 義理顛倒也 [p3032]
#D387-000 断簡 三八七 文永・建治(1264-78)ノ交 [p3032]
日月のごとし。又旱魃に雨を [p3032]
#D388-000 断簡 三八八 弘安(1278-82) [p3030]
進上 南條上野殿 御返事 日蓮 [p3032]
#D389-000 断簡 三八九 文永(1264-75)末 [p3030]
進上 富木殿 御返事 日蓮 [p3032]
#D390-0G0 断簡 三九〇 建治(1275-78) [p3032]
欲求諸仏法 是人去仏道 譬如天与地 天台宗云 約性不断闡提 [p3032]
#D391-000 断簡 三九一 文永・建治(1264-78)の交 [p3032]
□
毘婆沙論を釈したり。宝法師は印度へわたらず、而れども婆沙の十六字は宝○[p3032]
遺文その他
# 親写本奥書
# 正篇断簡新加 ※原文のまま ※頁数は遺文名のはじめに表記
# 一 授決圓多羅義集唐決 上 奥書 嘉禎四年(1238) [p2875]
嘉禎四年[太歳戊戌]十一月十四日 [p2875]
阿房国東北御庄清澄山 道善房 [p2875]
東面執筆是聖房 生年十七才 [p2875]
後見人々是無非謗 [p2875]
# 二 五輪九字明秘密義釈奥書 建長三年(1251) [p2875]
建長三年十一月廿四日戌時了 [p2875]
五帖之坊門富小路 坊門ヨリハ南 [p2875]
富小路ヨリハ西 [p2875]
[p3035]
#0024-0K0 立正安国論 文応元年(1260) [p0209]
国土中作大利益。若王福尽時一切[p0211]
習辛蓼葉忘臭溷厠。聞善言而思悪言〔辛きを蓼葉に習ひ、臭きを溷厠に忘る。善言を聞きて悪言と思ひ〕[p0218]
人疑正師而擬悪侶。其迷誠深其罪不〔正師を疑ふて悪侶に擬す。其の迷ひ誠に深く、其の罪〕[p0218]
愚敢不存賢。唯就経文聊述所存。〔愚にして敢えて賢を存せず。唯経文に就いて聊か所存を述べん〕。[p0220]
其義云何。仏言純陀 若有比丘及比丘尼優[p0220]
十年仏法末滅<十年仏法末> 爾時有一持戒比丘。名曰覚徳。爾《時多有破戒》比丘。聞作是説 皆生悪心 執持刀杖逼是《法師。是時国王 》名曰有徳。聞是事已 為護法故 即便往[p0221-0222]
故我今聴持戒人依諸白衣持刀[p0221-0222]
亦復如是。今世労性心来生者堕阿《鼻文明理》詳不可疑。弥仰貴公之慈誨益開愚〔亦復是の如くなるべし。今世には性心を労し、来生には阿鼻に堕せんこと、文明らかに理詳らかなり、疑ふべからず。弥いよ貴公之慈誨を仰ぎ、益愚〕[p0226]
[p3007]と[p3036]
#0038-000 南条兵衛七郎殿御書 文永元(1264.12・13) [p0319]
教こそ本にはなり候へけれ。[p0319]
而るに仏の教へ又まちまちなり。人の心の不定なるゆへか。しかれとも釈尊の説教[p0319]
大波ををこしてきしをうつのみならす[p0323]
愚痴の人も悪としれは、したがわぬへんもあり。火を水を用てけすかことし。善は但善と思ほとに、小善に付て大悪のをこる事を[p0323]
法華経をすてて念仏等の権教[p0323][p3036]
[p3007-3008]
#0041-0K0 薬王品得意抄 文永二(1265) [p0337]
御眼ヲ大地ニ堕とも法界ノ女人仏ニナルヘカラストトカレシカハ、一切ノ女人ハいかなる世ニモ仏ニハナラせ給まシきとこそをほへて候へ。さるにてハ女人ノ御身ヲ受させ給てハ設きさき・さんこうの位ニそなはりても、なにかハすへき。善根仏事をなしても、よしなしとこそをぼへ候へ、而此の法華経の薬王品に女人往生ヲゆるされ候ぬる事、又不思議ニ候。彼経ノ妄語か。此の経ノ妄語。いかにも一方ハ妄語たるべきか、若又一方妄語ならハ、一仏ニ二言アリ。難信事也。[p0341-0142]
[p3008]
#0044-000 法華題目抄 文永三(1266) [p0391]
と唱えさせ給うべし。《 》無量無数劫 聞是法亦難。第五[p0393]
の五字
の五
眼ある人も人畜草木の色かたちをしらす。日月いて給てこそ始めてこれをはしることには候へ。爾前の諸経は長夜のやみのことし。法華経の本迹二門は日月のことし。諸の菩薩の二目ある、二乗の眇目なる、凡夫の盲目なる、闡提の[p0397-0398]
第一の《 》御かたきなれ。[p0404-0405]
[p3009]と[p3037]
#0046-0K0 善無畏鈔 文永三(1266) [p0408]
葉尊者の髪をそり、王城に[p0408]
血を切てすみとし、骨を折て筆とし、血のなんたを硯水としてかきたてまつるとも、あくこあるへからす。何況衣服[p0143-0144]
立て、法華経多宝仏《をば不二》の大日と定て、両部の大日《をば》左右の臣下のこ《とくせ》り。伝教大師は延暦二十三年の御入唐、霊感寺《順》暁和尚《に》真言《三部》の秘法を伝、仏《瀧》寺の行満《座主》に天台の宝珠をうけとり、顕密二道の奥旨をきわめ《給た》る人。華厳・《三論・法相・律宗の》人人の自《宗我慢の辺執》を倒して、天《台大師に帰入せ》る由をかゝせ《給て候。依憑集・》守護章・秀[p0410-0411][p3037]
吉蔵大師ほどの人だにも謗法ををそれてかくこそつかえ給しか。而を真言・三論・法相等の宗宗の人々、今すへすへに[p0411][p3037]
[p3009]と[p3038]
#0094-0K0 法華浄土問答鈔 文永九(1272.正・17) [p0518]
爾前経不載法華名由仏説〔爾前経に於て法華の名を載せざる由、仏之を説きたまふや〕。[p0520-0521][p3009]
弁成立。捨閉閣抛余法華等諸行等用念仏文 観経云 仏告阿難汝好持是語。々々々者即是持無量寿仏名[文]〔弁成の立つ。余の法華等の諸行等を捨閉閣抛して念仏を用ゆる文は観経に云く ̄仏告阿難汝好持是語。持是語者即是持無量寿仏名〕[文][p0519][p3038]
[p3038]
#0107-001 日妙聖人御書 文永九年(1271.05・24) [p0641]
人をば天まほり給ふゆへにとがなけ[p0643]
[p3010]と[p3039]
#0136-000 小乗大乗分別鈔 文永十(1273) [p0769]
唯天台宗一宗計実大乗宗なる[p0769-0770]
上菩提誓願証の願は成へからす。前四[p0772]
例せば頼朝右大将家泰衡を打がために、泰衡を誑て義経を打せ、大将の入道清盛を喪ぼして世を[p0774]
彼彼の経経の力にはあらす。偏に法華経の力[p0776-0777]
在世のことくこそなけれとも、過去に法華経の種を殖て法華涅槃経にて覚のこせる者、現在在世にて種《を下せる人人も是れ多し。又》滅後なれとも[p0777]
糞を食かことく、西施か呉王を[p0778-0779]
涅槃経・大日経等の一切の大小権実顕密の諸経は小乗経。八宗の中に倶[p0770][p3039]
又還て天台本宗をば下して、華厳宗・真言[p0771][p3039]
には劣れるなりと申す。此等の人師は世間の盗人にはあらねども仏法盗人なるべし。此等を[p0771][p3039]
念阿弥なんど申法師等は鳩鴿 ・ する[p0779][p3039]
[p3011]
#0160-000 四条金吾殿御女房御返事 文永十二(1275.正・27) [p0855]
めされて候。なにをもんてこれをしるとならは、第八の譬への下に一の最大事の文あり。所謂此経文云有能受持是経典者亦復如是於一切衆生中亦為第一等云云。此二十二字は一経第一の肝心なり。一切衆生の目也。[p0856]
女人なれともすつるとみへて候。れいせは大将軍心ゆわけれは、したかふものもかいなし。ゆみゆわけれはつるゆるし。風ゆるなれは、なみちひさきはじねんのたうりなり。しかるにさゑもんとのは、俗のなかには日本にかたをならふへき物もなき法華経の信者なり。これにあひつれさせ給ぬるは日本第一の女人なり。法華経の御ためには龍女とこそ仏はをほしめ[p0857-0858]
[p3012]
#0164-000 新尼御前御返事 文永十二(1275.02・16) [p0864]
わす。西域等の書とも開見候へは、五天竺の諸国寺々[p0866]
[p3012]と[p3040]
#0174-000 兄弟鈔 文永十二(1275.04.16) [p0918]
澄観等これなり。又般若経へをとしつ。嘉祥僧詮等これなり。又深密経へ堕つ。玄奘慈恩此なり。又大日経へ堕つ。善無畏金剛智不空弘法慈覚智勝等これなり。又禅宗へ堕[p0923-0924]
出家し給へといさめられしかは、魔王子ををさへて六年なり。舎利弗は昔善多羅仏と申せし[p0924]
大師再び仏教をあきらめさせ給のみならず、妙法蓮華経の五字の蔵の中より一念三千の[p0931]
大地微塵劫無間地獄には経しぞかし。一切明仏の末の男女等は、勝意比丘と申せし持戒の僧をたのみて喜根[p0924][p3040]
烈士云く 死すとも物いわじ。かくのごとくしてすでに夜中をすぎてよまさにあけなんとす。いかんがをもひけん。あけんとする時烈士をゝきな声をあげてよばわる。すでに仙の法成ぜず。隠士烈士に云く いかに約束をばたがうるぞ、くち[p0930][p3040]
[p3013]と[p3041]
#0175-000 法蓮鈔 建治元(1275.04) [p0934]
此を妄語といはんとすれは[p0941]
足なくして千里の道を企が如し。但近き現証を引て[p0942][p3041]
云云。此等の経文は未来の事なれば、我等凡夫信べしともおぼへず。さ[p0943][p3041]
[p3013]と[p3041]
#0178-000 一谷入道御書 建治元年(1275.05・08) [p0989]
入道といゐ、めといゐ、つかうものと[p0994]
ならば死罪となるべし。設ひ死罪はまぬかるとも流罪は[p0993]
[p3013]
#0183-000 三三蔵祈雨事 建治元年(1275.06・22) [p1065]
六月廿二日 日 蓮 花押[p1072]
西山殿御返事[p1072]
夫れ木をうへ候には、大風ふき候へども、つよきすけをかひぬればたうれず。《本より生て候木》なれども、[p1065]
[p3042]
#0185-000 南條殿御返事 建治元年(1275.07・02) [p1078]
守護神となりて弓箭の第一の名をとらるべし。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。恐々謹言。 七月二日 日 蓮 花押 南条殿御返事[p1080][p3042]
[p3014]
#0213-100 光日房御書 建治二年(1276.03) [p1152]
そのいはれありと しくをほせは、いそきいそき国に 利生《 》 {現行本にみえず}
我かへる期や来らん。[p1154-1155] へり入平左衛門尉に向て此の世の {現行本にみえず}
此御ふみを[p1156]
ひろげつるまてはうれしくて有つるが、今此ことはをよみてこそ、なにしにかいそきひらきけん。うらしまか子のはこなれや。あけてくやしき[p1156]
[×も]かたくなにもなしとみしかとも、をりしも法華[p1156-1157]
[p3015]と[p3042]
#0223-000 報恩抄 建治二年(1276.07.21) [p1192]
天台妙楽伝教等は善導が南無阿弥陀仏とすゝめて漢土に[p1244-1245]
なれり。而るに金剛智[p1228][p3042]
[p3015-3016]と[p3043]
#0246-000 上野殿御返事 建治三年(1277.05・15) [p1305]
いまた法華経を仏のことくよみたる人は候はぬか。大難をもちてこそ法華経しりたる人とは申[p1307-1308]
小難なり。いまた国主かたきとな[p1307-1308]
今の釈迦仏といわれさせ給そかし。されはとてひか事をすへきにはあらす。今はすてなは、かへりて人わらわれになるへし。かたうとなるやうにてつくりをとして、我もわらい人にもわらわせんとするかきくわひなるに、よくよくけうくわんせさせて、人の多くき[p1310-1311]
万氏<万民>つるぎをにぎらず、一国悪口をはかず。滅後に法華経を信人は在世の大難よりもすぐべく候なるに、同程の難だにも来らず、何況やすぐれたる大難多難をや。虎うそぶけば大風ふく、[p1308][p3043]
[p3016]と[p3043-3044]
#0247-000 下山御消息 建治三年(1277.06) [p1312]
を糺明せられしに、先は六宗の碩学各々宗々ことに我か宗は一代超過一代超過の由立申されしかとも、澄公の一言に[p1314-1315][p3016]
かねたるかことし。家には殺害を招き、子息は父定す。{本文に入っていない} 賢人は二君に仕へす、貞女は両夫に嫁すと申此也。[p1315-1316][p3016]
世間の人々には持戒実語の者のやうには見ゆれとも、其実を論すれは天下第一の不実の者也。其故は彼等か本分とする四分十誦等の律文は大小乗の中には一向小乗、小乗の中には最下の小律也。在世には十二年の後、方等大乗へ還程の且くのやすめことは、滅後には正法の前五百年は一向小乗寺なり。此又一向大乗寺の毀謗となさんか為、されは[p1318][p3016]
とも、後に事の由を知か為に、我大乗の弟子を遣して助をき給。而今の[p1318][p3016]
雨師瞋故不雨云云。此等の経文の亀鏡をもんて両火房か身に指当てて見よ。少しもくもりなからむ。[p1323][p3016]
召合られて[p1330-1331][p3016]
を失ひ、後生には悪《道に堕つ。是れ又人をあ》なつり、讒言を[p1334][p3016] なづり、讒言を[p1334][p3043]{重複掲載}
天台大師《を毀謗し奉りし謗法の重罪を》消[p1341][p3016]
所領は大日経の地となる。天台と真言と[p1329][p3043]
ておはするとこそうけ給はれ。 其上阿弥陀経には、仏、舎利弗に対して凡夫の往生すべき様を説給ふ。舎利弗《舎利弗》又舎利弗と二十余処まで《いくばくもなき経》によび給しは、かまびすしかり《し事ぞかし。然れ》ども四紙一巻が内、すべて《舎利弗等》の諸の声聞の往生成仏許さ[p1337-1338][p3044]
[p3018]と[p3044]
#0266-000 兵衛志殿御返事 建治三年(1277.11・20) [p1401]
籌以数父母亦不能尽云云。此経文は仏最後に雙林の[p1404-1405]
院・佐渡院・当今、已上四人、座主慈円僧正[p1388][p3044]
[p3045]
#0293-000 日女御前御返事 弘安元年(1278.05・25) [p1508]
日本国の一切衆生すでに三分二はやみぬ。又半分は死ぬ。今一分は身は ・ も[p1512][p3045]
[p3045]
#0299-000 種種物御消息 弘安元年(1278.07・07) [p1529]
此法門は当世日本国に一人もしり(知)て候人なし。ただ日蓮一人計にて候へば、此れを知て申さずは《日蓮無》間地獄に堕てうかぶご(期)なかるべし。譬へばむほんの物をしりながら国主へ申さぬとが(失)あり。[p1530][p3045]
[p3018]
#0301-000 妙法尼御前御返事 弘安元年(1278.07・14) [p1535]
学し候しか念願すらく、人の[p1535-1536]
[p3018]
#0328-000 孝子御書 弘安二年(1279.02・28) [p1626]
穴賢穴賢。兄弟の御中不和にわたらせ給ふべからず、給ふべからず。大夫志殿の御文にはくはしくかきて候。きこしめすへし。恐々謹言。[p1626-1627]
二月二十八日 日 蓮 花押[p1627]
[p3018]
#0336-000 松野殿女房御返事 弘安二年(1279.06・20) [p1651]
あらず、天台大師にてはなけれども、[p1651]
[p3019]
#0388-000 上野殿母尼御前御返事 弘安三年(1280.10・24) [p1810]
此事はうちきく人すらなをしのびかたし。いわうや母となり妻となる人をや。心のほとをしはかられて候。人の子にはをさなきもあり、をとなしきもあり、みにくきもあり、かたわなるもあり、をもいになるべきにや。をのこゞたる上、かたわにもなし、ゆみやにもささひなし、心もなさけあり。故上野殿には盛なりし時をくれてなげき浅からさりしに、此子をはらみていまださん(産)なかりしかば[p1816-1817]
[p3019]
#0396-000 大夫志殿御返事 弘安三年(1280) [p1851]
云・捨福慕罪者《耶》と云云。捨福者捨天台[p1851]