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資料室

貞観政要 2000年01月 発行

〔補篇〕

(南本・菅本・写字本には無く、刊本だけにある章、及び刊本に重出するものを補篇とした。なお、刊本は中国では一三三三年、日本ではそれが一六〇〇年に刊行された。)

 

太宗、一駿馬有り、特に之を愛し、常に宮中に於て養飼す。病無くして暴に死す。太宗、馬を養う宮人を怒り、将に之を殺さんとす。皇后諌めて曰く、昔、斉の景公、馬の死するを以て人を殺さんとす。晏子、其の罪を数めんと請ひて云ふ、爾、馬を養いて死せり。爾が罪の一なり。公をして馬を以て人を殺さしむ。百姓、之を聞かば、必ず我が君を怨みん。爾が罪の二なり。諸侯、之を聞かば、必ず吾が国を軽んぜん。爾が罪の三なり、と。公乃ち罪を釈せり。陛下嘗て書を読みて、此の事を見たり。豈に之を忘れしか、と。太宗、意乃ち解く。又、房玄齢に謂ひて曰く、皇后は庶事相啓沃す、極めて利益有るのみ、と。〔▽九〇五頁〕

貞観七年、太宗、将に九成宮に幸せんとす。散騎常侍姚思廉、進み諌めて曰く、陛下、高く紫極に居り、蒼生を寧済す。応に須く欲を以て人に従ふべし。人を以て欲に従はしむ可からず。然れば則ち離宮の遊幸は、此れ秦皇漢武の事、故より尭舜禹湯の為す所に非ざるなり、と。言甚だ切至なり。太宗、之を諭して曰く、朕、気疾有り、熱すれば便ち頓に劇し。故、情、遊幸を好むに非ず。甚だ卿が意を嘉す、と。因りて帛五十段を賜ふ。〔▽九〇六-七頁〕
貞観十八年、太宗、長孫無忌等に謂ひて曰く、夫れ人臣の帝王に対する、多く順従して逆はず、甘言して以て容を取る。朕、今、問を発す。隠すこと有るを得ず。宜しく次を以て朕の過失を言ふべし、と。長孫無忌・唐倹等咸曰く、陛下の聖化、太平を導致す。臣を以て之を観るに、其の失を見ず、と。黄門侍郎*劉き(りゅうき)対へて曰く、陛下、乱を撥め化を造し、実に功、万古に高きこと、誠に無忌等の言の如し。然れども頃、人の上書して辞理称はざる者有れば、或は面に対して窮詰し、慙退せざるは無し。恐らくは進言を奨むる者に非ざらん、と。太宗曰く、此の言是なり。当に卿の為めに之を改むべし、と。〔▽九〇八頁〕

 

貞観六年、匈奴克平し、遠夷入貢し、符瑞日に至り、年穀頻に登る。岳牧等、屡々封禅せんことを請ふ。群臣等、又、功徳を称述し、以為へらく、時は失ふ可からず、天は違ふ可からず。今、之を行ふも、臣等猶ほ其の晩きを謂ふ、と。惟だ魏徴のみ以て不可と為す。太宗曰く、朕、卿が之を直言することを得んことを欲す。隠す所有る勿れ。朕の功高からざるか、と。曰く、高し、と。徳未だ厚からざるか、と。曰く、厚し、と。華夏未だ理まらざるか、と。曰く、理まれり、と。遠夷未だ慕はざるか、と。曰く、慕へり、と。符瑞未だ至らざるか、と。曰く、至れり、と。年穀登らざるか、と。曰く、登れり、と。然らば則ち何為すれぞ不可なる、と。〔▽九〇九頁〕
対へて曰く、陛下、功高し。民未だ恵に懐かず。徳厚し。沢未だ滂流せず。華夏安し。未だ以て事に供するに足らず。遠夷慕へり。以て其の求めに供する無し。符瑞、臻ると雖も、*い羅(いら)猶ほ密なり。積歳豊稔すれども、倉廩尚ほ虚し。此れ臣が竊かに未だ可ならずと謂ふ所以なり。臣未だ遠く譬ふること能はず、且く借に近く人に喩へん。人有り、十年の長患に、疼痛して任持すること能はず。療理して且に愈えんとし、皮骨僅に存せんに、便ち、一石の米を負ひて、日に百里を行かんと欲するも、必ず得可からざらん。隋氏の乱は、止だに十年のみに非ず。陛下、之が良医と為り、其の疾苦を除く。已に乂安なりと雖も、未だ甚だしくは充実せず。成を天地に告ぐること、臣竊かに疑有り。〔▽九一〇-一一頁〕
且つ陛下東封せば、万国咸く萃まり、要荒の外、奔馳せざるは莫からん。今、伊洛の東より、海岱に及ぶまで、*かん莽(かんもう)巨沢、茫茫千里、人煙断絶し、鶏犬聞えず。道路蕭條、進退艱阻なり。寧ぞ彼の戎狄を引きて、示すに虚弱を以てす可けんや。財を竭くして以て賞するも、未だ遠人の望を厭かしめざらん。年を加へて給復すとも、百姓の労を償はざらん。或は水旱の災、風雨の変に遇はば、庸夫の邪議、悔ゆとも追ふ可からざらん。豈に独り臣の誠懇のみならんや、亦、輿人の論有り、と。太宗、善しと称し、是に於て乃ち止む。〔▽九一二頁〕

貞観十一年、所司、凌敬の乞貸の状を奏す。太宗、侍中魏徴等が濫に人を進むるを責む。徴曰く、臣等、顧問を蒙る毎に、常に具に其の長短を言ふ。学識有りて強く諌諍するは、是れ其の長ずる所なり。生活を愛し、経営を好むは、是れ其の短なる所なり。今、凌敬、人の為めに碑文を作り、人に漢書を読むを教え、茲に因りて附托し、回易して利を求む。臣等が説く所と同じからず。陛下未だ其の長を用ひずして、惟だ其の短を見、以て臣等欺罔すと為す。実に敢て心伏せず、と。太宗、之を納る。〔▽九一三-四頁〕

貞観十二年、太宗、東に巡狩し、将に洛に入らんとし、顕仁宮に次す。宮苑の官司、多く責罰を被る。侍中魏徴、進言して曰く、陛下、今、洛州に幸するは、是れ旧の征行の処なるが為めに、其の安定を庶ふ、故に恩を故老に加へんと欲す。城郭の民、未だ徳恵を蒙らざるに、宮司苑監、多く罪辜に及ぶ。或は供奉の物精しからざるを以てし、又、献食を為さざるを以てす。此れ則ち止足を思はず、志、奢靡に在り。既に行幸の本心に乖く、何を以て百姓の望む所に副はん。〔▽九一五頁〕
隋主先づ在下に命じて、多く献食を作さしめ、献食多からざれば、則ち威罰有り。上の好む所、下、必ず甚だしき有り。競ひ為すこと限り無く、遂に滅亡に至れり。此れ載籍の聞く所に非ず、陛下の目に親しく見る所なり。其の無道なるが為めに、故に天、陛下に命じて之に代らしむ。当に戦戦慄慄として、事毎に省約し、踪を盛列に参へ、訓を子孫に昭かにすべし。奈何ぞ今日、人の下に在らん事を欲するや。陛下若し以て足れりと為さば、今日、啻だに足るのみならず。若し以て足らずと為すさば、此に万倍すとも、亦足らざらん、と。太宗大いに驚きて曰く、公に非ざれば、朕、此の言を聞かざらん。今より已後、庶幾はくは此の如き事無からん、と。〔▽九一六頁〕

 

貞観三年、上、侍臣に謂ひて曰く、君臣は、本、治乱を同じくし、安危を共にす。若し主、忠諌を納るれば、臣、直言を進めん。斯の故に君臣合契するは、古来、重んずる所なり。若し君自ら賢なりとせば、臣、匡正せざらん。危亡せざらんと欲するも得可からざらん。君、其の国を失えば、臣も亦独り其の家を全くすること能はざらん。隋の煬帝の暴虐なるが如きに至りては、臣下、口を鉗み、卒に其の過を聞かざらしめ、遂に滅亡に至る。虞世基等も、尋いで亦誅死せらる。前事、遠からず、朕、卿等と与に慎まざるを得可けんや。後の嗤ふ所と為る無からん、と。〔▽九一七頁〕〔類似▽一四二頁〕

○※この章、旧鈔本は巻七礼義篇に載せ、明本・韓版・戈本は巻三君臣鑒戒篇に載せ、元槧は両篇に重出する。文に異同が無いから再掲しない。

貞観十四年、特進魏徴上疏して曰く、臣聞く、君を元首と為し、臣を股肱と作す。云々〔▽九一八頁〕〔▽五八七頁と同じ〕

貞観十九年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、古人云ふ、鳥、林に棲むも、猶ほ其の高からざらんことを恐れ、復た木杪に巣ふ。魚、泉に蔵るるも、猶ほ其の深からざらんことを恐れ、復た泥下に窟穴す。然れども人の獲る所と為る者は、皆、餌を貪るに由るが故なり、と。今、大臣、委任を受けて、高位に居り、厚禄を食む。皆須く忠信を履み、公清を蹈むべし。則ち咎悔無く、長く富貴を守らん。其の刑に陥る者は、祇だ財利を貪冒するが為なり。魚鳥と何を以て異ならんや。卿等、宜しく此の語を記し、用て鑒誡と為すべし、と。〔▽九一九頁〕〔類似▽五四六頁〕

 

貞観の初、太宗、侍臣に謂ひて曰く、朕、今、孜孜として士を求め、心を政道に専らにせんと欲し、好人有りと聞けば、則ち抽擢駆使す。而るに議する者多く称す、彼は皆宰臣の親故なり、と。但だ公等、至公にして事を行ひ、此の言を避けて、便ち形迹を為す勿れ。古人の内挙には親を避けず、外挙には讎を避けざるは、挙ぐること其の真賢を得るが為めの故なり。但だ能く挙用して才を得れば、是れ子弟及び讎嫌のもの有りと雖も、挙げざるを得ず、と。〔▽九二〇頁〕

 

戸部尚書載冑卒す。太宗、其の居宅弊陋にして、祭享するに所無きを以て、有司をして特に之が為めに廟を造らしむ。〔▽九二一頁〕

温彦博、尚書右僕射と為り、家貧しくして、正寝無し。薨ずるに及びて、竝室に殯す。太宗、聞きて嗟嘆し、遽に所司に命じて、為めに堂を造らしめ、厚く賻贈を加ふ。〔▽九二一頁〕

岑文本、中書令と為り、宅、卑陋にして、帷帳の飾無し。其れに産業を営まんことを勧むる者有り。文本歎じて曰く、吾は、本、漢南の一布衣のみ。竟に汗馬の労無く、徒らに文墨を以て位を中書令に致す。斯れ亦極まれり。俸禄の重きを荷ひ、懼為ること已だ多し。更に産業を言ふを得んや、と。言ふ者歎息して退く。〔▽九二二頁〕

魏徴の宅内、先に正堂無し。疾に遇ふに及び、太宗、時に小殿を造らんと欲す。而るに其の材を輟め、徴の為に営構し、五日にして就る。中使を遣はし、素褥布被を齎して之に賜ひ、以て其の尚ぶ所を遂げしむ。〔▽九二三頁〕〔類似▽一一八頁〕〔類似▽九〇〇頁〕

 

貞観九年、上、侍臣に謂ひて曰く、政を為すの要は、必ず須く末作を禁ずべし。伝に曰く、雕琢刻鍾は農事を傷ひ、纂俎文彩は女工を害す。古より聖人、法を制するや、節倹を崇び、奢侈を革めざるは莫し。〔▽九二四頁〕〔類似▽四六一頁〕
又、帝王、凡そ興造有るは、亦須く物情に順ふを貴ぶべし。昔、大禹、九山を鑿ち、九江を通じ、人力を用ふること極めて広し。而るに*怨とく(えんとく)無き者は、物情の欲する所にして、衆の有する所を共にするが故なり。秦の始皇、宮室を営建して、人多く謗議する者は、其の私に徇ひて、衆と共にせざるが為めの故なり。朕、今、一殿を造らんと欲し、材木已に具はる。遠く秦皇の事を想ひ、遂に復た作らざるなり。〔▽九二四-五頁〕〔類似▽四六一-二頁〕
古人云ふ、無益を作して有益を害せざれ、欲す可きを見さざれば、心をして乱れざらしむ、と。鏤雕器物、珠玉服翫の如きに至るまで、若し其の驕奢を恣にせば、則ち危亡、立ちて待つ可きなり。今より王公以下、品秩に准じ、服用に合せざる者は、宜しく一切禁断すべし、と。是に由りて数十年間、風俗簡朴にして、財帛富饒、復た飢寒の弊無し。〔▽九二五頁〕〔類似▽四六三頁〕

 

貞観二年、太宗、黄門侍郎王珪に謂ひて曰く、隋の開皇十年、大いに旱し、人多く飢乏す。是の時、倉庫盈溢すれども、竟に賑給するを許さず。乃ち百姓をして糧を逐はしむ。隋文、百姓を憐まずして、倉庫を惜むこと此の如し。末年に至りて、天下の儲積を計るに、五十年に供するを得。煬帝、此の富実を恃む。華侈無道にして、以て滅亡を致せる所以なり。煬帝の国を失ひしも、亦、其の父に由る。〔▽九二六頁〕〔類似▽五二二-三頁〕
凡そ国を理むるには、務めて人に積むに有り、其の倉庫を盈たすに在らず。但だ凶年に備ふるに足らしむ。此の外何ぞ儲畜を煩はさん。後嗣若し賢ならば、自ら能く其の天下を保たん。如し不肖有らば、多く倉庫を積むも、徒に其の奢侈を益して、危亡の本なり、と。〔▽九二六頁〕〔類似▽五二三頁〕

貞観元年、太宗、魏徴に謂ひて曰く、頃、周斉史を読むに、末代亡国の主、悪を為すこと多く相類す。斉主は所以に倉庫、之を用ひて略々尽く。乃ち関子に至るまで、税斂せざるは無し。常に謂へらく、此の輩猶ほ*ざん人(ざんじん)の自ら其の肉を食ふが如し。肉尽くれば必ず死す、と。人君、賦斂已まざれば、百姓既に弊れ、其の君も亦亡ぶ。斉主即ち是なり。然れども天元と斉主と、若為か優劣せん、と。〔▽九二七頁〕〔類似▽五二七頁〕
徴対へて曰く、二主、国を亡ぼすことは同じと雖も、其の行は則ち別なり。斉主は懦弱にして、政、多門に出で、国に綱紀無く、遂に滅亡に至れり。天元は、性凶にして彊、威福、己に在り。国を亡ぼすの事、皆、其の身に在り。此を以て之を論ずれば、斉主を劣れりと為す、と。〔▽九二七-八頁〕〔類似▽五二八頁〕