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貞観政要 2000年01月 発行

巻第十 論災異第三十九

第一章

貞観八年、隴右、山崩れ、大蛇屡々見はれ、山東及び江淮、大水多し。太宗、以て侍臣に問ふ。秘書監虞世南対へて曰く、春秋の時、梁山崩る。晋侯、伯宗を召して問ふ。対へて曰く、国は山川に主たり。故に山崩れ川竭くれば、君、之が為めに挙せず、服を降し、縵に乗り、祝、弊して以て礼す。梁山は、晋の主とする所なり、と。晋侯、之に従ふ。故に害無きを得たり。漢の文帝の元年、斉楚の地二十九山、同日に崩れ、水大いに出づ。郡国をして来り献ずる無からしめ、恵を天下に施し、遠近歓洽す。亦、災を為さず。後漢の霊帝の時、青蛇、御座に見はる。晋の恵帝の時、大蛇長さ三百歩、斉の地に見はれ、市を経て朝中に入る。按ずるに蛇は宜しく草野に在るべし。而るに朝市に入るは、怪と為すべき所以なるのみ。〔▽七六九頁〕
今、蛇、山沢に見はる。蓋し深山大沢には、必ず龍蛇有り、亦、怪むに足らず。又、山東の足雨は、則ち其の常なりと雖も、然れども陰潜、久しきに過ぐるは、恐らくは冤獄有らん。宜しく繋囚を料省すべし。庶幾はくは或は天意に当らん。且つ妖は徳に勝たず。唯だ徳を修むれば以て変を銷す可し、と。太宗、以て然りと為す。因りて使者を遣はして、饑餒賑恤し、獄訟を申理し、原宥する所多し。〔▽七七〇頁〕

第二章

貞観八年、彗星有り、南方に見はる。長さ六丈、百余日を経て乃ち滅す。太宗、侍臣に謂ひて曰く、天、妖星を見はすは、朕が不徳にして、政に虧失有るに由る。是れ何の妖ぞや、と。〔▽七七一頁〕
虞世南対へて曰く、昔、斉の景公の時、彗星見はるる有り。公、晏嬰に問ふ。嬰対へて曰く、公、池沼を穿てば、深からざらんことを畏れ、*臺しゃ(だいしゃ)を起せば、高からざらんことを畏れ、刑罰を行へば、重からざらんことを畏る。是を以て、天、彗星を見はして、公の誡と為すのみ、と。景公懼れて徳を修む。後十日にして星没す。陛下若し、徳政、修まらざれば、麟鳳数々見はると雖も、終に是れ益無からん。但だ朝をして闕政無く、百姓をして安楽ならしめば、災変有りと雖も、何ぞ時に損ぜん。願はくは陛下、功の古人より高きを以てして、自ら矜大にする勿れ。太平漸く久しきを以てして、自ら驕逸する勿れ。若し能く終を慎むこと始の如くならば、彗星見はるるも、未だ憂と為すに足らず、と。〔▽七七二頁〕
太宗曰く、吾の国を理むるは、良に景公の過無し。但だ朕、年十八、便ち王業を経綸し、北のかた劉武周を剪り、西のかた薛挙を平げ、東のかた竇建徳・王世充を擒にし、二十四にして天下定まり、二十九にして大位に居り、四夷降伏し海内乂安なり。自ら謂へらく、古来の英雄撥乱の主、及ぶ者見る無し、と。頗る自ら矜るの意有り。此れ吾の過なり。上天、変を見はすは、良に是が為めなるか。秦の始皇、六国を平げ、隋の煬帝、富、四海を有つ。既に驕り且つ逸し、一朝にして敗る。吾亦何ぞ自ら驕るを得んや。言に此を念へば、覚えず*てき焉(てきえん)として震懼す、と。〔▽七七三頁〕
魏徴進みて曰く、臣聞く、古より帝王、未だ災変無き者有らず。但だ能く徳を修むれば、災変自ら銷す。陛下、天変有るに因りて、遂に能く誡懼し、反覆思量し、深く自ら剋責す。此の変有りと雖も、必ず災を為さざるなり、と。〔▽七七四頁〕

第三章

貞観十一年、大いに雨ふり、穀水溢れ、洛城門を衝いて、洛陽宮に入る。平地に五尺興り、宮寺を毀ること十九所、七百余家を漂はす。太宗、侍臣に謂ひて曰く、朕の不徳なる、皇天、災を降す。将に視聴、明かならず、刑罰、度を失ふに由りて、遂に陰陽をして舛謬し、雨水をして常に乖かしめんとす。物を矜み己を罪し、載ち*憂てき(ゆうてき)を懐く。朕、又、何の情ぞ独り滋味を甘しとせん。毎日、尚食して、肉を断ち疏食を進めしめ、文武百官をして各々封事を上り、得失を極言せしむ可し、と。〔▽七七五頁〕
中書侍郎岑文本、封事を上りて曰く、臣聞く、撥乱の業を開くこと、其の功既に難し。已成の基を守ること、其の道、易からず。故に安きに居りて危きを思ふは、其の業を定むる所以なり。始有り卒有るは、其の基を崇くする所以なり、と。今、億兆乂安に、四隅寧謐なりと雖も、既に喪乱の後を承け、又、凋弊の余に接し、戸口減損すること尚ほ多く、田疇墾開すること猶ほ少なし。*覆とう(ふとう)の恩著はるれども、而も瘡痍未だ復せず。徳教の風被れども、而も資産屡々空し。〔▽七七六頁〕
是を以て、古人、之を樹を種うるに譬ふ。年祀綿遠なれば、則ち枝葉扶疎なり。若し之を種うること日浅く、根本未だ固からずんば、之を壅ふに黒墳を以てし、之を暖むるに春日を以てすと雖も、一人、之を揺がさば、必ず枯槁を致さん。今の百姓は、頗る此に類す。常に含養を加ふれば、則ち以て滋息に就き、暫く征役有れば、則ち随ひて凋耕す。凋耕既に甚だしければ、則ち人、生を聊んぜず。人、生を聊んぜざれば、即ち怨気充塞す。怨気充塞すれば、則ち離叛の心を生ず。〔▽七七七頁〕
故に帝舜曰く、愛す可きは君に非ずや、畏る可きは人に非ずや、と。孔安国曰く、人は君を以て命と為す、故に愛す可し。君、道を失へば、人、之に叛く、故に畏る可し、と。仲尼曰く、君は猶ほ舟のごときなり。人は猶ほ水のごときなり。水は舟を載する所以、亦、舟を覆す所以なり、と。是を以て、古の哲王、休しと雖も休しとすること勿く、日、一日を慎む者は、良に此が為めなり。〔▽七七八頁〕
伏して惟みるに、陛下、古今の事を覧、安危の機を察し、上は社稷を以て重しと為し、下は億兆を以て念と為し、選挙を明かにし、賞罰を慎み、賢才を進め、不肖を退け、過を聞けば既に改め、諌に従ふこと流るるが如く、善を為すことは疑はざるに在り、令を出すことは必信を期し、神を頤ひ性を養ひ、佃猟の娯を省き、奢を去り倹に従ひ、工役の費を減じ、務めて方内を静かにして、土を闢くを求めず、載ち弓矢を*おさ(おさ)むるも、武備を忘るる無し。〔▽七七九頁〕
凡そ此の数事は、国を為むるの恒道にして、陛下の常に行ふ所なりと雖も、臣の愚心、惟だ願はくは、陛下、思ひて怠らざらんことを。則ち至道の美、三五と隆を比し、億載の祚、天地に随ひて長久ならん。桑穀をして妖を為し、龍蛇をして*げつ(げつ)を作し、雉をして鼎耳に*な(な)き、石をして晋の地に言はしむと雖も、猶ほ当に禍を転じて福と為し、咎を転じて祥と為すべし。況んや水雨の患いは、陰陽の恒理なり。豈に之を天譴と謂ひて、聖心に繋く可けんや。臣聞く、古人、言へる有り、農夫労して君子養はれ、愚者言ひて智者択ぶ、と。輒ち狂瞽を陳し、伏して斧鉞を待つ、と。太宗深く其の言を納る。〔▽七八〇頁〕