ホーム > 資料室 > 日蓮聖人御直筆写本 > 貞観政要 > 巻第十 論佃猟第三十七

資料室

貞観政要 2000年01月 発行

巻第十 論佃猟第三十七

第一章

秘書少監虞世南、太宗頗る佃猟を好むを以て、上疏して諌めて曰く、臣聞く、秋*せん(せん)し冬狩するは、蓋し惟れ恒典なり。隼を射禽に従ふは、前誥に備はれり、と。伏して惟みるに、陛下、聴覧の余辰に因り、天道に順ひ以て殺伐す。将に斑を摧き掌を砕かんと欲し、親ら皮軒に御し、猛獣の窟穴を窮め、逸材の林薮を尽くす。凶を夷げ暴を翦り、以て黎元を衛り、革を収め羽を擢き、用つて軍器に充て、旗を挙げ獲を効し、式て前古に遵ふ。〔▽七五七頁〕
然れども黄屋の尊、金輿の貴、八方の徳を仰ぐ所、万国の心を係くる所なり。道を清めて行くも、猶ほ*銜けつ(がんけつ)を戒む。斯れ蓋し、重く慎みて微を防ぐは、社稷の為めにするなり。是を以て馬卿、前に直諌し、張昭、色を後に変ず。臣誠に微物、敢て斯の義を忘れんや。且つ天孤*星ひつ(せいひつ)、殪す所已に多く、禽を頒ち獲を賜ふ、皇恩亦溥し。伏して願はくは、時に猟車を息め、且く長戟を韜み、芻蕘の請を拒がず、*涓かい(けんかい)の流を降納し、袒裼徒搏は、之を群下に任ぜんことを。則ち範を百王に貽し、永く万代を光らさん、と。太宗深く其の言を納る。〔▽七五八頁〕

第二章

谷那律、諌議大夫と為る。嘗て太宗の出猟に従ひ、塗に在りて雨に遇ふ。上問ひて云く、油衣、若為にせば漏らるざるを得ん、と。対へて曰く、能く瓦を以て之を為らば、必ず漏らざらん、と。意、太宗の遊畋せざらんことを欲するなり。深く其の言を嘉納し、太宗大いに悦び、帛二百段を賜ひ、加ふるに金帯一條を以てす。〔▽七五九-六〇頁〕

第三章

貞観十四年、太宗、同州の沙苑に幸し、親ら猛獣を格す。復た晨に出で夜に還る。特進魏徴奏して曰く、臣聞く、書には文王が敢て遊畋に盤まざるを美とし、伝には虞の箴に*夷げい(いげい)を称して以て誡と為すを述ぶ、と。昔、漢の文帝、覇坂に臨み、馳せ下らんと欲す。*袁おう(えんおう)、轡を攬りて曰く、聖主は危きに乗ぜず、徼幸せず。今、陛下六飛を騁せ、不測の山に馳す。如し馬驚き車覆る有らば、陛下、縦ひ自ら軽んぜんと欲すとも、高廟を奈何せん、と。〔▽七六一頁〕
孝武好みて猛獣を格し、相如陳ぶ、力は烏獲を称し、捷は慶忌を言ふ。人、誠に之れ有り、獣も亦宜しく然るべし。卒然として逸材の獣に遇ひ、不存の地に駭かば、烏獲・逢蒙の伎と雖も、用ふるを得ず、而して枯木朽株、尽く難を為さん。万全にして患無しと雖も、然れども本、天子の宜しく近づくべき所に非ず、と。〔▽七六二頁〕
孝元、泰畤に効す。因りて留まりて射猟す。薛広奏称す、竊に見るに関東困極し、百姓、災に離れるに、今日、亡秦の鍾を撞き、鄭衛の楽を歌ひ、士卒暴露し、従官労倦す。顧ふに其れ宗廟社稷を如何せん。憑河暴虎、未だ至誡とするに足らざるなり、と。臣竊に思ふに、此の数帝の心、豈に木石にして、独り馳騁の楽を好まざらんや。而るに情を割き己を屈し、臣下の言に従ふ者は、志、国の為めにするに存し、身の為めにせざればなり。〔▽七六三頁〕
臣伏して聞く、車駕近ごろ出で、親ら猛獣を格し、晨に往き夜に還る、と。万乗の尊を以て、荒野に闇行し、深林を践み、豊草を渉るは、甚だ万全の計に非ず。願はくは陛下、私情の娯を割き、格獣の楽を罷め、上は宗廟・社稷の為めにし、下は群僚兆庶を慰めんことを、と。太宗曰く、昨日の事は、遇々塵昏に属す。故らに然るに非ざるなり。今より深く用つて誡めと為さん、と。〔▽七六四頁〕

第四章

貞観十四年、冬十月、太宗、将に櫟陽に幸して遊猟せんとす。県丞劉仁軌、収穫未だ畢らず、人君の順動の事に非ざるを以て、行所に詣り、上表切諌す。太宗遂に猟を罷め、擢でて仁軌を新安の令に拝す。〔▽七六五頁〕